村上隆と村上克司は似ている


タカシ←→カツシ


 「アート」とは言っても、それを作る「アーティスト」という言葉は、そもそも一般的にはファッションデザイナーかロッカー(いやロックはもう死んだそうだから芸能歌手か)を指す語であり、芸術家という意味は二の次か三の次なのですがそれはさておき、先日入手した「進め海洋堂」23ページの村上隆の文章より抜粋します。

『(クリスティーズで落札されたko2が)、なぜこれほど高額なのかを日本人は誰一人理解していません。理由はひとつ。「女性の美」というアートの歴史では重要なテーマの概念に革命を起こしたからです。この作品に追従するものは、いくら出来が良くてもこれほど高額にはならないのです。すなわち理念とクオリティが合体したときにこそアートが生まれるのです。』


 ・・・まあ、おっしゃられている通り日本人の私にはサパーリです(そもそも当の作り手の某×や海洋堂のシェンムーすら「アートはわからん」と言ってますし)。ただ、「普通の人では理解困難な物かアートだ」という理屈で棚上げしておくのも多少居心地が悪いので今この駄文を書いているという訳なのですが、私の村上観を簡単に表すと以下になります。

 『小学生の村上君がエロ漫画を参考にエッチな絵を描いた所、今までエッチな絵を描く子供は誰もいなかったのですが、これによって皆がエロリビドーに目覚め、革新的だ、すごいとクラス中で褒め称えられました。そして絵を額縁に入れたら、お金持ちの家の子が高く買ってくれました』

 ・・・とまあ、今までは「オタク=土人」とか「有明=トイレ」と自虐的に言われていたのを逆転させてみた訳です。ただ実際には小学校ではなく会員制老人クラブみたいな物なのでしょうけど、質的にはどららも似た様な物ですしねえ(ン?)

 なお、ゴタク・・・もとい理念が果たしてアートに必須な物なのかという点ですが、オタクの私にはわかりかねるものの、別に必要がある物だとは思いません(まあ、画商や暇人が後付け理念をコネクリ出すのは否定しませんが)。ソースは定かではないのですが、ルーブル美術館に「超金属 鉄人28号(太陽の使者)」が展示されたという話をチラと耳にした事があります。
 よってこれがもし事実なら、オタクとして美術界で最初に認められたのは実は「村上克司(及び横山先生)」だったという事に・・・(これって「活躍した日本人メジャーリーガーがイチローや野茂よりもはるか昔にいた!?」ってのと似てますねえ)。まあいずれにせよ、余計なゴタク(理論武装)などなしでもルーブル入りを成し遂げる者こそが、まさに真のオタクアーティストであるとは言えるでしょう。

 つまり、この延長で「タカトクのバルキリー」や「金田先生のセル画」等が直接美術館に置かれる・・・というのが、本来理想的な姿なのだと思う訳であり、よって批判的意見があるのは当然止む無しかと。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040217


 アート界では日本人お得意の二番煎じは通用しないため、永久に村上の後に村上なし、の訳ですし、既にあちらの人には美少女フィギュアは全部が某×氏の原型に見えるらしいです。よってもはや「毛唐・・・もとい、値段を付けている側の審美眼が是正されても手遅れ」というやったもん勝ちの状況(ギコ猫は商標登録されて手遅れ・・・みたいな)ですが、何のことはない、村上とシェンムーが言うには「アートは死に、オタクが残る」そうなので、おニャン子がアイドルを終わらせたのと同様に、アートを終わらせる計画の一貫なんでしょうかねえ・・・。
 まあどこまで本気かはわかりませんが、ちなみに日本画の世界では作者が死ぬと値段が下がるという摩訶不思議な事が起こるのですが、この理由は絵が政治献金の代用品として使われている事によるのだそうで、価格が異様に高いのもそのためとかで(池田満寿夫著「美の値段」を参照)、とっとと滅(略


 ところで、今話題の最新作↓なのですが、
http://www.kaikaikiki.co.jp/news/satoeri_ko2/index6.html
http://www.gqjapan.jp/ko2/index.html
 氏がアート的ベクトル(町○変丸のタコ少女等)には行かずオタクストライクな方向を取るのは、オタクな方が商売になるからという理由の他に、以前のラジオでの村上とシェンムーの対談で「SMHは嫌い」と言っていた事もあるかと思います(「メバエ 空前絶後のオタク座談会」でも「痛いから嫌い」とシェンムー)。まあ、「日本のロッカーが髪を染めて英語の歌詞を歌うのは痛い」と同様に理解はできますが、日本人一般ピープル向けのせいなのか毒とオタクへの嫌がらせが無いくヌルイのは何だか残念。
 しかし、このヌルサが村上隆の限界と考えれば次の手もありうる訳で(米国ではロリはできないし)、俺的インパクトで最強のぷりんなちゃん危機一髪路線のエ□エ□オナ二ーマシンをもってして、いつかアートが滅んだ後の美術館が珍宝館と化す日を夢見ているのですが、例え演歌が死んでも紅白のトリは小林幸(略)なので流石にそれはないですかね。

(文中敬称略)
2004/05/30
2004/07/10改稿



※追記

 上の本文の後半を改変しましたが、自分の力量を上回る内容にうっかり手を出して無残な結果という点は否めません(←見苦しい言い訳)。ただいつの日かまともな形にはしたいので、ダメを承知でゆっくり追加していく事にします。で、まずはS.M.P.Ko2から。

http://www.kaikaikiki.co.jp/smpkosb/hj/
 上を読んで引っかかったのが、S.M.P.Ko2はのガレキは「作らない事を前提としたガレキ」 ではないかという疑念です。村上の提唱する「ガレキ=設定資料」という見方なら、パーツ(ランナーでも可)に色を付けて展示する、という「部品愛」という視点に帰結してしまいどうもピンきません。しかし、深読みしてその裏に「キット形体そのもの」がアートプロダクトとしての終着点であり、「模型を終わらせる、ガレキを殺す」というアートなメッセージが存在する、と考えるとしっくりきます。
 すなわち、過剰なパッケージとパーツの真空パック自体もひっくるめた物が全て「アート表現」であり(よってパーツ確認のためにパックを破る事は厳禁!)、オークションでできるだけ高く転売される事が「アート的に是」であり、海賊版の存在すらもそれを「本物のアート」たらしめるための要素として…以下略。


 しかし、肝心の「アート」が何なのかすらそもそも理解できぬまましゃべっているのも結構何ですが、まあ一義的には「アート=我々と別世界の住人(約3000人)により評価される高額アイテム」という解釈なんでしょう。
http://www2.ocn.ne.jp/~rulue/art.htm
 で、その次にくるのが村上の言う現代アートな解釈ですが、「革新と反則技と一発芸の違い」が問題です。「多くのフォロワーが出るのが革新(誰にも真似されない物は「新しい物」ではない)」といったくくり方はできますが、同人ネタになる頻度は永野メカよりカトキメカがはるかに多いですしねえ・・・強烈な個性は誰にも真似されず、真似できない物ですから。で結局声の大きさで決まる様な気がしますが、相変わらずどうでもいい気がして筆が進まないので今回はここまで。

(文中敬称略)
2004/07/10


■三年ぶりに追加

※上のカイカイキキのリンクが消えてましたが、当時の模型誌で「S.M.P.Ko2はパッケージングを従来の全ガレキの中で最高の云々・・・」と強調していた事から、「それってブリスター破るなって言ってる様な物じゃん・・・要は作ってはいけないキットであり、それをリリースした自分がガレキを終わらせたのだと言いたい訳ダナ?」とすぐにピンとくる訳ではありますが。「あ」はそもそも「ガンダムを終わらせる」べくセンチネルをやってた訳ですので(秋元康が「アイドルを終わらせた」事のマネ)、アート界を破壊する野望を持つ村上と組んでいる以上、そう考えたに違いないと見るのはオタクとして当然・・・なるも3年経っても反応は皆無なので今後も多分無いのでしょうけど。
※ちなみに「あ」の主義は「言ったもん勝ち、やったもん勝ち」です。

雑記06-09
 「アーティストの商人(隆)と商人のアーティスト(克司)」という対比で捉え直してみましたが、もし人が霞を食べて生きられたとしても、人は評価基準(承認)を求めずにはいられないでしょう。

雑記05-06-7
 リトルボーイ展としてではそれで良かったのかもしれませんが、とりあえず日本のガノタには「ただ1/1なだけのザク」では面白くないです。というか、コレ元はバンダイが幕張で・・・(ちなみに1/1ヘッドの元祖はF91で、公表時に静岡見本市で見ました)。

雑記06-08
 「日本人として許せん」というのは至極まっとうな反論ですが、そもそも「日本人は身も心もアメリカに屈しました」というコンセプトなので本人はビクともしてなさそうな。とはいえ毒がない(ヌルイ)のはやはり面白くないので、もし次にやる時はス○ル星人たん、キノコ雲たん、ケロイドたん(怖可愛い)、ウラニウムたん(同人誌で「元素たん」っていうのあったな)、原爆ドームたん、あとB29たんのボテ腹からリトルボー(以下略)。

負け組日記 - 村上隆と芸術
http://genki01.cc.hokudai.ac.jp/reo/diary/?date=20060426

 まあビジネスなら訴訟は当然なのでしょうが、てっきりアンチディズニーなのかと思いきやそっくりな事を・・・。
 しかし元弟子「じゃんぴんウルフ」の理想論、「本物」や「オリジナル」という言葉が安い響きしか持たない今という時代では一笑にふされるとしても、アールブリュッターとして励まされます(けど腹の足しにはならないので阿片みたいな物かも)。なお個人的には、「来世の名声と今日のパンを計りにかけずとも救われる道」が、絶望のその先にあったらいいなと思います。


■絶対勝者は蜘蛛の糸の夢を見ない
SUKEBENINGEN-DEUX 村上隆のフィギュア作品についての考察
http://d.hatena.ne.jp/sukebeningen/20070311
最初は(当時)同人誌界のトップにいたCHOCO氏にキャラクターデザインを頼んだら、冷たく断られたと本人が言ってました。
 すごくイヤな断られ方をされたみたいで「もう気にしてなんかいないよ、全然平気だよ」などと否定しつつも、おもむろにCHOCO氏の同人誌を取り出して、ネチネチと意地悪なツッコミを入れながら復讐とかしていました。(チクリ)
 そこで仕方なく村上はボーメの工房に通い、オタク・トレンドのレクチャーを受けながら自分でKOKOちゃんのキャラクターデザインをします。

 ・・・うーん、やはりそうでしたか・・・。非常に貴重な内部証言ですが、ただ時期が変です。KO2プロジェクトは95年(96春にNYで公表)ですが、95年の時点ではまだCHOCOは一介の美大漫研の会長にすぎず、名を上げたのはエヴァ同人誌を出してからです(ちなみに95年に出した本はかねこ氏表紙の23号)。 よって「同人界のトップ」とある事から、これはおそらくKOKOではなく「S.M.P.Ko2」の間違いだと思うのですが・・・。持ちかけたのがKOKO以後ならばバッシングの渦中なので断わるのは何ら不思議ではありませんし(イヤな断わり方をされたというのは多分、CHOCOのプライドの高さを見誤ったのが原因かと思います。
 一応これ事自体は私も推測していましたが、「美術手帳98年12月号」と「文学はなぜマンガに負けたか? 」という本(図書館にあったのでチラと見ただけ)で村上がCHOCOを持ち上げているのを見ていれば誰でも「声はかけてるだろうな」とわかる事です。いやそれを全く知らずとも「アレ、西E田って事は、恒例アイタタ路線から直球萌え路線に変更?・・・って事は同人界の上位ナンバーに断られたのは間違いないな」と多くのオタクが見ていたかと。
 まあ上位ナンバー云々〜は証拠も無い以上私の妄想にすぎませんが、村上がいかに嫌われようとも、BOMEはオタクから排斥されたりはしていません(とりたてて評価上昇もしてませんけど)。よって絶対勝者の天才は別とすれば、「売り出し中のフリー絵描き」という明日をも知れない立場の人が「天から降りてきた蜘蛛の糸」を掴まない理由も特にない訳で・・・比較的ネットでは有名な絵描きでも生活は食うや食わずが現実の様で、何だかもったいない気もします。
「電気やガスは月1で停まってっけどな。」

 良く考えてみたら声をかけたのが97年以降なら、本人は「美術かオタクか(学校か同人か)」という重大な決断の・・・だとすると、時期的なタイミングが非常にまずかったという可能性も高そうです。アレ、でもなんかちょっと変・・・そもそもkokoの96年発表って、記憶だともっと後の様な・・・(ひょっとして元にしたウェブ記事のミス?)・・・うーん、何か調べ直すのも面倒だし・・・もうどーでもいいや・・・。 


■ギャラリーフェイクと「ぬえ黒歴史」

 やはりSUKEBE〜ではボロクソでしたか・・・という訳で私も一言。あのマンガでは、村上の理論武装にカスリもしなそうだというのが素人目にもわかるのが辛かったです。オタク村とアウトサイダーアートだけがアートな世界なら、あれが正論ではあるのですが・・・(←それ、どこの桃源郷?) またウォーホルっぽいイケメン村上とブサイクなオタクデザイナーという対比も、現実にはマユゲ(河森)の方がイケメンで村上の方がオタク顔ですから、その点の悪意もしっくりきませんでした(個人的にブサメンびいきなので)。
 あと、マムコ飛行機のパクリ元とされるアオークとかU-GAIMの作者ではなく、細野(ぬえ)がクレームを付けるのは多少筋違いに見えるのですが、これにはおそらく理由があります。あまり知られていないのですが、マユゲはマクロスの後に「セーラー服変型美少女ロボ企画」をこっそり立てていたそうです。もっとも当人は「人格を疑われるといけないので引っ込めた」と半分冗談めいた風ですが、マユゲが昔から美少女を大量に隠し描いていたとの証言は多いので、実はこれに相当本気で取り組んでいたのかもしれません・・・。

 ところで関係ない話になりますが、当時は知る由も無かったのですがダンバインの後番組の企画は当初、御大とマユゲが別の企画を練っており、メカの基本コンセプトは「装甲開閉」だったそうです。
 以下は、単なる事実の羅列です。エルガイムの「ランダムスレート展開ギミック」は御大の発案による物です。そして永野はFSSを始めた頃「MHはHMではないので、ゴムカバーやランダムスレートはやりません」とか言ってました(結局ジュノーンバリエーションで解禁しましたけど)。ちなみにガンプラのマスターグレードモデルの主要ギミックである装甲開閉のルーツを辿ると、リアルロボ界に限定すれば「ガンダムセンチュリーのメンテナンスハッチオープン(河森版)」→「ダグラムのデュアルモデル」→「エルガイムのランダムスレート」→「カトキ版ガンダム(RX-78Ver.ka)のブロック開閉(旧HGインスト初出)」という進化の末にある物だと言えます。


■【自爆】ア、アイタタタ・・・【天罰】
SUKEBENINGEN-DEUX SMHをダシに美少女フィギュアについてダラダラと書くよ
http://d.hatena.ne.jp/sukebeningen/20061101

 いわゆる「中二病」ですね・・・同胞が見苦しい様を見せてしまってすみません、っていうか私もそうですごめんなさい(これなんかモロに痛いなあ・・・)。そういえば、数年前のラジオでの村上+宮脇シェンムー会談等でのSMH批判も痛烈でした・・・(てっきり「萌えなんぞカスや、ライバルは竹谷や!」とか言うのかと思い込んでました、痛い厨でゴメンナサイ)。
 ところで話は逸れますが、この病気の症例に「見栄でサブカルに擦り寄る、いきなり反米と言い出す」っていうのは、まさにエウ○カとコードギ(以下略)。


■結局、私の考えはまるで見当はずれ・・・?
SUKEBENINGEN-DEUX 村上隆のフィギュア作品についての考察
http://d.hatena.ne.jp/sukebeningen/20070311
それと、この作品のコンセプトには、あさのまさひこ氏が結構関わっているみたいです。「オタク側からの現代アートに対する回答」みたいな事を確か言ってました。(でもまるで見当外れなので、いちオタクとしては少し恥ずかしいです)

どうもあさの氏(オタク)は村上隆=秋元康と思っている節があります。

 うー・・・真に受けててすみません。しかし、村上は擁護してもこっちはボロクソですねえ・・・。
 えーとこれは確か、「○○少女の水着と装甲の配置をミもフタもなく逆転させた事により、オタクは自己のリビドーに直面せざるをえない・・・つまりこれはオタク側としてのアートなのだ」という様な事だったかと思います。こういう荒木(元太郎)的な毒の入れ方は結構好きです(個人的には「あ」のアンチですが、自分がチネルの「毒」のフォワーなのかもしれないという自覚はあります「アンチとなると自らがそれと同じになってしまう法則」)。

 要は結局、「あ」が見当外れというのが正しいのならば、村上=秋元と考える私自身も同様であり、つまり私の考えは「全てが見当外れ」だと見て間違いないでしょう。ただ、なぜそうなのかが皆目わからないので(無論アート界がわかればわかる事なのでしょうけど)、世に与える害毒はかえりみずにウェブ上に恥を晒したままにしておきます。

 余談ですが、私のヒゲページを御覧頂いた方には、メカニズムには触れずにアート方向で勝負しいるのにお気づきかと。つまり、あれはいわば「スーパーフラットなんだから影がグラデじゃダメだよ、エッジは全て黒い線で、作品名・ワカメ影とかいったバカネタくらいやれば?」という申し立てでもあります(私が「セル塗装」と称している物はペパクラ以外では流石に見ませんが、アゴの影等を直線でマスキングした作例くらいは、探せば多分大昔に既出だと思います)。

 それでは最後に、見当が外れて大恥を晒した(?)所でイタめの恒例パクリポエムをどうぞ。

雑記07-04 一般人じゃない 俺は芸術家

 あ、最後でもないかな・・・気が向いたらまた三年後にでも付け足します。ちなみに次回タイトルは「村上デビューは実は1986年!常識を覆す黒歴史発掘、トンデモな転載なのだ!」を予定しています。

(文中敬称略)

2007/11/25
2007/11/28改稿


2009/6/5
■タカシは資本主義的に正しいのだ

404 Blog Not Found:か弱きもの、汝の名は芸術 - 書評 - 芸術起業論
 ダンコガイα氏が3年前の本をレビュー。

ひとりぼっちのカウボーイ - My Lonesome Cowboyとオタクの欲望 - あしたの箱・はてな別館
 うーん、去勢された童貞オタの印象としては、毒が足りないかなーと・・・で、破壊力を上げる妄想↓
「顔に笑い男」 「顔に美少女のお面」 「顔に美少年と書いた紙を貼り付けた村上隆(←会田誠ですね、わかります)」

村上さん、ホントに「バンザイ!」と叫んだんですか? (K. ITOI'S TOKYO ARTHOLICS)
 転売は正しい!バンザイ!

「スーパーフラット」村上隆が借りてきた、金田エフェクトと山雪の梅の枝。
 アカデミズムなコジツケは大切。

反『芸術起業論』 村上隆のビジネスコンセプトを反転してみる。:アート資本主義 - CNET Japan
 こういうネタは好きです。

負け組日記 - 村上隆と芸術
 定義というのはややこしいなあ。

ARTIFACT ―人工事実― : この時絶滅させておけばよかった「村上隆」のガイドライン
 タイトルが良すぎます、村長。

http://web.archive.org/web/20060503121347/http://d.hatena.ne.jp/Hayashida/20040219
 しかし本当に戦った人がいたとは・・・。

2004-02-19 - 絶叫機械+絶望中止
 「アートでも 土人の国では ただのゴミ」

この程度だと? 全然きかぬわ! - Nyao’s Funtime!!
 法王カコイイ!

村上隆批判をしている暇があったら「おたく文化」資産の維持管理に危機感を持つべき - Nyao’s Funtime!!
 流出物はうぷしてクレヨン。

CREATION ARCHITECT OFFICE 村上隆とマルセル・デュシャン
 デュシャーンがやらねば、誰がやる。

ふたりのDOB君 - ex
 リンクが切れててわかりません。

村上隆って……
http://web.archive.org/web/20060515074226/http://mentai.2ch.net/mokei/kako/961/961563544.html(2011/1/30リンク修正)
 160〜161だけ読んだ。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1128134.html
 176だけ読んだ。

芸術は分かんないけどね。 - そらを自由に飛びたいな
 アップルなんて結構それです。

Creators Dictionary Public-image.org MAKOTO AIDA 会田誠
 「ヴィトン」がいいですねぇ。

http://www.nijibox3.com/magical/futaba/ms-girls/magical.php?res=490
 koko2のリペイント別バージョン、ハイエンド(死後死語)な感じで萌へ萌へ。ところで082は全自動完全変型するメカ少女が見たいので誰か作って下さい、タイトルは「ランドセルとバスーカ砲」で。


 しかしまあ、オタク側の批判が鎮静化したまま平行線状態が続くのはやはり「相手の土俵に乗った瞬間に自らの敗北が決定する」の法則により(以下略)。
 でまあそれはさておき、kita082の率直な所としては、ぶっちゃけ「村上がやらなくてもいずれ誰かがやったろうしなー(多分アジア人)」と思うので、日本人でよかったなあ・・・と擁護的なのは小さな理由があります。
 私が村上隆を知った時期は、デビューのずっと以前である86年暮れ・・・じゃなかった、1987年です。しかし氏の仕事歴にも無く、話題にもまったく上がっていないのは理由があって、精神のマトモな人なら決して手に取らない類の本の仕事であったためです(肝心のブツは、二年前一年前から当サイトの一番目立つ場所に・・・ゲホンゲホン)。当時は、老練なイラストレーターなんだろうなあ上手いなあ・・・と思ったまま忘れてしまい、20年後にマウンテンサイクルの整理中に気がつきました。なお二度目の出会いがスタジオボイスの「カルトの王」特集のしろまさ(×オタク君)対談で、これもすぐに忘れてしまい・・・で、後は(以下略)。

 (2009/7/4訂正)

■カツシも資本主義的に正しいのだ
頑固一徹! 玩具の神様! - エクシードチャージの亜空間からのメッセージ
「オレがギャバンを作ったんだ、俺がギャバンだ!」と叫んだりしたそうな伝説が数々残っている。

見よ巨大な鉄の人 - エクシードチャージの亜空間からのメッセージ
村上大先生は部下に特に叱り付けていた事があったそうです。曰く「子供を舐めるな」だそうな。ミニカーの車体の裏側、を何もデザインする事無くツルツルに仕上げてくる者が多かったそうです。よそに同じ商品があったら最後の評価は何処で決まるか。それは「裏側」だ! だそうです。サスペンションやタンクの彫刻を見てよく出来てるな!と言う感動が玩具には必須。

 「俺はギャバンにはなれない・・・」
 「俺たちがギャバンだ!」

↓プップー、間違いです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/村上克司
(要出典)
『勇者ライディーン』の頃、ガンテの元になる絵を描いてきて安彦良和に見せ、「俺はこういうのを描いてきた。だからこれを出せ。」と言って登場させた。(キネマ旬報刊『動画王』Vol.7掲載の安彦良和インタビュー他)

 ガンテに関しては、ハイパーホビー31号(富×安ライディーン対談)をブクオフ等で探して御参照下さい。

 しかしまあライディーンの成功の鍵は、流麗なデザインだけではなく「変型してとどめを刺す」というアイデアも大きいかと。ちなみに企画時には「飛行形態で発進→到着して人型に変型」というありがちプラン(マグマ大使、ジャンボーグ)だったのですが、この逆転を提案したのが我らが村上天皇、グッジョブ! という訳で、Ζガンダム(というかビルバイン以降)の「人型→飛行形態→人型」は合理的でない上にカッコ悪くて仕方がないので誰か何とかして下さい(二万年後の方へ)。



2009/7/4

活字中毒R。「特撮ヒーローの常識」を超えた『宇宙刑事ギャバン』
 あのハレーションも村上アイディア。



※ドジン(土人、同人)のひとりごと
○まあ、雑記09-6/5の最後の一行で事実上終了なのですが・・・でもまだ言うよ!

○浮世絵が外人に「発見」された時、それは包装紙・・・つまりゴミだった訳で、多分今も(略)。ただ愛してくれるのはそれはそれで結構なものの「外人側のゴミを見る審美眼」を問題としているのはあえて繰り返すまでもありません。私はアートに関して語る資格を持ちませんが、オタクとしてならば言えるので言ってしまいます。http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080530_gundam_art/は、転売できないという条件付きならタダでもいりませんね・・・。
 ちなみに私が「オタク」として評価する物はこちらです(こちらの方が先に公表されています)。

 絵は村上ヒサシ氏(同人誌「GUNDARIUM!」より 2004/12/30発行)。ガンA掲載のターンXも傑作です。
あ、今気がついたけど名前がそっくりだ!

○西E田センセはそういえば昔、「美しい花を愛でるのはアホでもできる、ゴミを愛するのがオタクの本懐」とか(村上との接触以前に)ゆってたっけ・・・このカッコイイ達観ぶりよ。ありがちな「所詮アートではなくゴミなんです」という否定では、自らのアート(権威)へのコンプレックスを逆説的に暴露している様な物なので「でも本当は、憧れてるんでしょ?村から裏切り者よばわりされるのが怖いだけなんだよね?(ニヤリ)」と痛い図星を突かれると瞬時に自爆撃沈する大きな罠・・・(まあ私もそうですね、多少なりともコンプレックスがあるからこんなの書いてる訳でしてハイ)。
 まあ村上にとっては、黒い地肌にオシロイを付けた西洋かぶれのドジンなど観察対象として面白いはずがありませんから、横に置くならば気を抜くと自分の寝首をかかれてしまうくらいのネイティブな「ドジン・オブ・ドジン」が好都合かと推測。いずれにせよ、ドジンとしての最強のセリフがあるとしたら間違いなくコレでしょうね・・・「村上隆って、誰?」。

 「べ、別にパ○ツに興味なんてないんだから! 私が好きなのはアートの方だからね!」

○実はドブ君は全くわかりません(正確には「ドブ君も」ですけど)。本物か偽物か?愛玩キャラか狂気の叫びか?答えはどっちでもなさそうな。まあどのみちドブ君は本人の脳内・・・いやドブ君自身で完結しており感情移入を拒絶するので、パチモンのぬいぐるみが出たりパロられはしても、ネギを振る動画が勝手に作られたり、チ○ポが体の半分くらいに大きくなってミッキーと××するやおい同人誌とかは出ません。芸術と呼ぶには薄く、逆にキャラとしては毒(拒絶感)が強すぎ、村上だけにしか作れず作ろうとも思われず・・・そこがアートの特色であり弱点でもある気がします。

○(※読み飛ばし推奨) あ、そういえば私の作品を紹介していませんでした。ええと目に見えない物も含めると、最も「美しい」のはガンパラ第四理論、次が第二理論、そしてポエムの数々ですが、ビョーキ持ちにしかわからないため当然パス。目に見える物では、最高傑作がナイトホーク(ネット上の評価は唯一「黒いゴミ」)、次がジアースですが評価困難なのでこれも横においといて、まずRainy-1から。マムコが機首になる村上コンセプトをパクリスペクトですが、オタク的に勝負を挑むにはせめて100段変型までもっていきたい所・・・ってここだけ読むと冗談にしか聞こえない罠。ググった所では「10段変型」がネット上で最多な様ですが、新作(ネットでは未公表)は112段ありますし(もっと増やせましたけど)、旧作モデロック「ソニックダイバー風神」究極変型も66段なので不可能ではありません(私の保有パーツではまだまだ無理ですが)。その次が、レイロボが見ての通りの「082コンセプトど真ん中」、パーツをデュシャーン!と単にひっくり返しただけのインチキ度全開で大変わかりやすいかと思います。まあ、何の努力もしていないのでオタク的にもアレゲですけど・・・(なお、オブジェ「ああ余剰」は無論ただのお遊びです・・・と突っ込まれる前に自己防衛)。

○断絶の国境線の真上で、スケベな人が一人きりで裸で踊るのを遠巻きに眺めつつ、呆けた顔でウロウロする中学生が私。道行く人は口を閉ざし、もう誰も白人の国の事を考える事などしないのだけれど、ドジン(オタク)がどこから来てどこへ行くのか、ただそれが知りたいだけ。おしまい。


○おしまいリンク。
マウスくん保護運動 - 【B面】犬にかぶらせろ!

SUKEBENINGENSUKEBENINGEN オタクもサブカルも村上隆をキッチリと言葉で殺せよ。


(2009/7/5)
○懲りずに蛇足。

あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう (c)MURAKAMIがあと10人いたら、アメリカは日本に負けていただろう
900 :名無しさん@八周年:2008/05/15(木) 16:49:42 ID:1V1rqGUi0
>>842
>さらに言っちゃえば、これに高い値をつける外人さんも込みで芸術だよな

そう。
皮肉抜きでそう思ってる。

あんなキモイフィギュアを無理やり芸術だと思い込むのが面白い。
絶対に有り得ないとされていたことが一部で有りになってしまってることが面白い。

 後は「ニセ物」が作られればアートとして完璧(本物)です。

やっぱり書く事が無いので村上隆の事をまた書くよ - SUKEBENINGEN-DEUX
今までオタクの作ってきたものに芸術的な価値はゼロです。

 そうですね。ガンダムがエスエフではなかった様に、オタクはアートではない・・・よって土人の目指す道はただ一つ。

「世界を印度土人化してしまえ!」


2011/1/30
 リンク切れ修正。
 村上隆ネタは雑記10-09-05 だからタカシはきらわれるより新たに続けていますので、後はそちらを御覧ください。


(最終更新日 2011/1/30)


zatsubun
雑文

G_Robotism