お札よもやま話:その1

「不評だったA十円券」

  • 連合国の占領下に置かれていた1946年(昭和21年)2月に発行されたA十円券は、その図柄が国辱的であるとの風評が広まりました(以下のような噂が広まったためで、国会でも廃止が提案されたほどでした)。
    (1)表の左半分は「米」、右半分は「国」の字を表し、両方で「米国」と書かれている。
    (2)「国」の字の上部にある菊の紋章(皇室の象徴)が、鎖に繋がれているように見える。
  • 因みに、このお札は1954年(昭和29年)に発行停止となっています。


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 お札よもやま話:その2

「新円切り替え苦肉の策」

  • 通貨を切り替えるにあたっては、様式を変更し、旧様式券の流通を停止するのが普通のやり方です。事実、昭和21年半ばには新しいお札であるAシリーズ券の発行準備が進められていました。
  • Aシリーズ券は新円切替えに対応するために発行されることとなった訳ですが、新円切替えの実施予定日が当初の昭和21年8月から同年2月へ半年も繰り上がったこともあって、印刷製造が間に合わなくなりました。このため、当分の間、旧券に証紙を貼って、これを新しいお札として扱うという苦肉の策が採られることになりました。
  • この策には全国各地への運搬が簡単(証紙を運搬すれば足りる)などの長所がありましたが、1枚1枚のお札に証紙を貼る作業が大変で、日銀職員ばかりでなく金融機関の職員も総動員して、新円発行前の1週間ほどは徹夜の作業が続きました。こうした中、昭和21年2月以降漸次Aシリーズ券の発行が開始されました。


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 お札よもやま話:その3

「お札といえば聖徳太子」

  • 明治以来15人がお札の肖像として描かれましたが、その中で最も多く登場しているのは聖徳太子です。戦前に3回、戦後に4回と実に7回も登場しています。
  • 実は戦前にお札に使われていた肖像は、戦後、連合軍最高司令部(GHQ)の命令により使用を禁止されていたのですが、当時の一萬田(いちまだ)日銀総裁が「聖徳太子は『和を以って貴しと為す』と説いた平和主義者である」と主張したことが受け入れられ、聖徳太子だけは戦後もお札に登場することになりました。このため、「お札といえば聖徳太子」と言えるほど国民に親しまれました。


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 お札よもやま話:その4

「一万円札の登場」

  • 一万円札は初登場するまでに、発行計画が一旦発表された後、これが中止されたことがありました。当時大蔵省は、最高額券であった千円札のシェアがお札の発行高の8割を超えたことなどに鑑み、一万円札の発行計画を打ち出しましたが、いざこの案を出したところ、マスコミからは、「インフレを招く」、「大衆には必要ない」と否定的な反応を受けてしまいました。このため、大蔵省では計画の発表3ヶ月後にこれを撤回せざるを得なくなったのです。
  • しかし、その後、金融機関等から高額券の発行を要望する声が高まってきたことから、1955年(昭和30年)頃、高額券の発行が再度検討されることになりました。もっとも、インフレを招くといった批判を考慮し、まず五千円札を発行し、その翌年に一万円札を発行するという二段階作戦を取ることになりました。


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 お札よもやま話:その5

「精巧な『白黒すかし』」

  • 「すかし」には、紙の厚さを部分的に薄くする「白すかし」と、その逆に部分的に厚くする「黒すかし」の2種類があり、お札にはこの2種類を組み合わせた「白黒すかし」という技法が採り入れられています。
  • 「白すかし」は便箋やノートなどにも使われていますが、「黒すかし」は偽札造りを防止するのにとても有効な技術であるため、わが国では「すき入れ紙製造取締法」という法律によって、一般の人や企業がこの方法で紙を造ることを禁じています。


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 お札よもやま話:その6

「新札第1号の行方は」

  • 1984年(昭和59年)11月の改刷時には、3券種とも肖像に初めて文化人が起用されたことから、それらの新札第1号、つまり記番号「A000001A」のお札の行方が世間の注目を集めました。
  • 結局、この時の第1号券は、3券種とも当時建設中であった日銀貨幣博物館へ寄贈されることになり、現在も保存、展示されています。
  • それ以外の若い記番号券の行方は、
    (1)お札の肖像に関係の深い公的機関に限ること、
    (2)その場合できる限り広く一般に公開すること、
    を条件にその寄贈先が検討され、それぞれの人物に縁の深い先に寄贈されました(下記参照)。各寄贈先では、そのお札を一般の人も閲覧できるよう資料館などに展示されています。さて今回の改刷での新札第1号券の行方は如何に。
券種記番号寄贈先
D一万円券
(福澤諭吉)
A000001B大分県中津市
A000002A慶応義塾大学
A000003A大阪府大阪市
D五千円券
(新渡戸稲造)
A000001B青森県十和田市
A000002A岩手県盛岡市
D千円券
(夏目漱石)
A000002A東京都新宿区
A000003A愛媛県松山市
A000004A熊本県熊本市




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 お札よもやま話:その7

「お札発行のタイミング」

  • 新しいお札の発行のタイミングは、10月から12月に掛けての時期が多いのが特徴です。これは、改刷の際にはできるだけ早く新券への切り替えを進めることが望ましく、1年のうちで最もお札の需要が強く、日銀から金融機関へ支払うお札の量が多くなる年末にかけての時期が最も好都合との考えによるものです。


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 お札よもやま話:その8

「偽造対策以外の改刷理由」

  • D券には、偽造対策以外に、(1)お札の小型化による省資源化、(2)目の不自由な人のための手で触れて分かる識別マークの導入、という狙いがありました。
  • 小型化の面では、例えば一万円札をみると、D券はC券に比べ20%近く面積が小さくなり、用紙、インクなどの材料が少なくてすむようになりました。また、一つの版面で一度に刷れるお札の枚数も16枚から20枚に増えることになりました。
  • 識別マークの導入は、改刷の発表があった1981年(昭和56年)が国際障害者年にあたり、障害者に対する意識が高まっていたことや、オランダやスイスなどの外国では既にこれを導入していたことなどから、我が国でも採用することとなりました。


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