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[25691] インフィニット・ストラトスVSオービタルフレーム(IS・Z.O.E設定クロス)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/07 12:08
 ISことインフィニット・ストラトスがそういえばアニメ放映したんだったなぁ、と思い。
 古本屋で三巻目まで買ってみました。やっぱりロボが好き。

 そんなわけでムラムラしたので気晴らしにテンプレートな転生オリ主を書いてみようと思った。主人公は親友の皮を被った誰かです。
 ここに来る前に神様にあれを譲られたが、コストが高すぎたのでいろいろ制限を受けたと思ってください……と、見せかけています。

 むしろ主人公にあのメカを操らせたいというのが本音ですが。ぶっちゃけ――『どうしてISって、あれと足先の形が似ているのにだれも書いてくれないんだろう』と思ったのが大きな理由の一つです。
 深く突っ込まないでー。


 それでは、肩の力を抜いて――ではなく、肩に力を込めて読んでください。(え) 


 二月二日、チラシの裏からその他板に移動いたしました。
 二月三日、タイトルを変更しました。




――



















 まず最初に憧れたのは――飛行機だった。
 子供の頃に両親が見せてくれた演技飛行。飛行機が空中で滑らかに飛び回り、見事な演技飛行をみせてくれるのを子供心に喜んでいたのを覚えている。
 綺麗で、早くて、強そうで――あれに乗るにはどうすればいいのか、と両親に興奮気味に話した俺に、しかし母親も父親も少し困ったように応えた。

『ああ。でも……もう戦闘機なんて時代遅れだしなぁ』
『弾が女の子なら、ISに乗るって事も出来たんだけど、男の子じゃあね』 


 IS。
 元々は宇宙開発用に設計されたパワードスーツ。既存技術で設計された兵器類を全て屑鉄に変えた最強の兵器。
 機動性能、攻撃力、耐久力、全ての面において最強。最早世界のパワーバランスはそれらを幾ら保有する事ができるかの一点に掛かっており、日本にあるIS学園はそれら国防や利権に大きく絡む女性の育成の場になっている。
 そう。
 女性のみだ。
 ISの奇怪な特性として、それらを起動させ運用する事が出来るのは何故か女性のみであり――ISを稼動させる事が出来る=女性は強い=女尊男卑の風潮が徐々に浸透し始めている。この世にそれが生み出されてからまだ十年といくつか程度しか経過していないのに。

 時折、弾は無性に恐ろしい恐怖に駆られる時がある。
 
 ISがこの世に生み出されてからまだ十数年。それ以前の男性を見下す風潮などまったく知らない世代はまだまだ大勢いるにも関わらず、町を歩けば男性を奴隷扱いする女性が少しずつ出ている。

 たった十数年でこれだ。

 もし――ISが世界最強の兵器であり、そしてそれらが生まれた時から空気のようにごく自然に存在している世代はどうなるのだろうか。

 たった十数年でこれなのだ。
 
 女性にしか扱えない最強の兵器――それはそんな上っ面の文言よりも遥かに恐ろしい差別の時代を呼ぶ代物ではないのだろうか。世代が進めば歴史が流れれば、男性は子孫を残すための道具に成り果てて、今のように建前の男女平等の風潮など枯れ果てて本当の意味で奴隷扱いされるのではないのだろうか。
 十数年で今の状態。ならば時間を経る事に差別は深まり、それを誰しも当然と受け入れる時代が来るのではないのか。
 五反田 弾は自分が時折若さに似合わぬ考え方をする事を自覚していた。夢も希望も進路も漠然としているようなありふれた青春ではなく、生まれた時からどこか不安と恐怖を胸に巣食わせていたような気がする。

 もちろんこんな考えが、男性と女性の和を乱すものである事など理解している。少なくともインターネットで書き込んで他者の意見を求めたときは、すぐに封殺されてしまった。削除規制の対象になり――勿論捕まるようなへまなどしてはいない。
 自分の考えが今の社会の風潮に合わないことは自覚している。インターネット喫茶を使い、色々とプロバイダを経て足取りを手繰られないように手を尽くしていた。
 分かっている。自分は天才だ――それも唯の天才ではない。まるで自分の十五年間に合わせて三十年か、四十年ほどの歳月を掛けねば会得できない知性がある。
 その知性が、今の状況に危うさを感じていたのだ。

 

 ISを設計した彼女――篠ノ之束はその当たりをちゃんと考えていたのだろうか? と、五反田 弾は考える。
 一夏から彼女の事を又聞きしたことがある。あの天才科学者――箒、一夏、千冬の三名と両親のみをかろうじて身内と判断するらしい女性。それ以外には眼中にすらないといった態度の社会不適合者は考えたのだろうか。
 ダイナマイトを発明する事で大いに世間に貢献し、同時に軍用に用いられる事で犠牲者を出したノーベルのように。空を飛びたい一心で飛行機を作り、そして軍用に転用されたライト兄弟のように。戦争に流用される可能性を考慮したのだろうか。

 科学者とはできない事を出来るようになろうとする人種だ。そういう意味では篠ノ之束は見事なまでの科学者だ。
 自分の欲求の赴くままモノを生み出し、それがどういう結果をもたらすかなど微塵も考えず、ただただ身内のみを愛する彼女は――ただの男である自分、五反田 弾のことなどまったく意に介してなどいないだろう。

 幼少期――憧れであった戦闘機に乗りたいと駄々をこね。
 そして大きくなるにつれ、世界のどの国も戦闘機開発を全て放棄し、ISの開発に着手し始めて――憧れの翼を時代遅れにされた子供の気持ちなどきっと知らない。子供の頃の憧れが――無人機に改修され、ISの訓練用ドローンに転用された無惨な気持ちなど知らない。
 ならば――と、この世で最強の力、ISに乗りたいと思った子供の頃、同学年の少女達に男はISを使えないと教えられた時の、あの悔しさなどきっと知らない。少女達のどことなく自慢げな――男を見下した眼差しなどきっと知らない。



 夢に挑む事すら許されなかった(オス)の気持ちなどきっと彼女は永遠に想像しない。



 そして――自分が望んで止まないものを偶然手に入れた親友に対する堪え難い嫉妬など、あいつはきっと、想像もしていない。





「なー、一夏」
「んー?」

 五反田 弾には友人がいる。
 幼少期からずっとの腐れ縁の男友達。織斑一夏。とりあえず見ていてイラッとするぐらいに女性に持てるフラグ立て職人であり同時に鉄壁の鈍感である。友人としてはまず良い奴と言えるのだが――しかし妹である五反田蘭の彼に対しての感情を知っている兄としてはいささか困ったものなのだ。
 さっさと一人に決めてしまえ。恋愛からの痛手より回復するには時間がかかる――なにせ、なんの因果か、こいつは妹の競争相手が山盛り特盛りの学校に編入されてしまったのだから。

 いや、いい奴なのだ。そこは弾は胸を張って主張できる。
 ただし、兄としてはその修羅場に巻き添えにされたくない。出来るならば遠いところで幸せになってください、が本音である。

 今現在、五反田弾はエロ本の家捜し、もといIS学園へと編入された友人、織斑一夏の編入の手伝いをしていた。
 もちろん――友人の一夏の事を憎からず思っている妹の蘭も手伝いに来たがったのだが、予定が合わずに残念ながら断念している。とりあえず妹には『心配しなくても……一夏のパンツは土産にもらってきてやるから。俺の社会的生命と引き換えにな』と機嫌を直すよう言った。
 死ぬほど殴られた事は言うまでも無い。

「で、実際どうなのよ?」
「どうって……なにが?」
「とぼけやがって。右も左も国際色豊かな女人の園だぜ? なんつーか、こう十八禁な展開……は悔しいからともかく、十五禁的な展開とか無かったのかよ?」
「おいおい、どんだけ手が早いんだよ俺」

 と、すっとぼけているが――コイツの場合は自己申告がアテにならない事が多々ある。
 中学時代からの付き合いであるものの、何度こいつのラブコメの背景にさせられ、いつ絞め殺してやろうか、と考えた事は両の手を扱っても数え切れない。
 困ったように溜息を吐く一夏は、厭そうにこちらを見た。

「そういうお前は――都内の進学校だろう? 量子コンピューターの勉強がしたいとか。……お前頭悪そうな外見の癖に頭は恐ろしく良いからなぁ」
「……いやさ。俺は――」

 弾は、かすかに笑う。

 夢があった。

 IS。
 人類最強の兵器。その兵器に乗り込んで闘う無敵のエース。子供のようなおおよそ現実味の無い夢。
 ……男に生まれた人間が、雄に生まれた生き物が――どうしてその夢を諦められる? 子供のような夢とはおおよそ実現不可能な夢を指すが……その夢を見なかった雄など何処にいる?
 

 地上最強。天下無敵。撃墜王。英雄。


 そういう言葉に心惹かれない雄など雄ではない。

「やってみたい事があったけどよ。どうにも才能がないんだわ」

 おどけたように笑って肩を竦める。
 そして自分は――雌ではなく、雄だから、その夢に挑む事すらできないでいる。
 嗚呼、今この世の中で、最強という称号に挑む事すら許されない精気と野心に満ち溢れた雄達が、どれほどの無念と憤怒をはらわたに溜め込んでいる事か。
 分かっている。自分の進路は唯の代償行為だ。
 最強になれないのであれば――技術者として最強を自分で生み出す。それが――弾の選んだ、夢の残骸を掴む手段だった。
 
「ほんと……女人の園にたった一人の男子だなんて……」

 冗談めかして弾は言う。
 
 悔しい。悔しい。悔しい。涙を飲むぐらいには。

 奇跡は狙いを外した。運命の女神は、ISに特に執着も関心も持っていない自分のすぐ傍にいた親友を狙い撃った。
『史上初のISを扱える男性』という――弾がどれほど恋焦がれても得ることの出来なかったそれを、彼は手に入れたのだ。自分にとっては金銀財宝などよりも遥かに意味のある崇高な宝物を、手に入れたのだ。

「羨ましくて……死にそうだ」
「はは」

 一夏は笑う。弾の言葉が心の底からの本心であるなどと気付かず。

 ……きっと彼は、周りが女性ばかりのハーレムとも言うべきIS学園編入が決まった事を羨んでの言葉と思っているのだろう。当然だ、この友人にはそう思わせるように弾は自分の発言をコントロールしてきた。
 軽薄で、お調子者で、情誼に厚い、中学からの親友。
 自分がどんな思いを抱いていたか、一夏にどれほどの嫉妬を抱いているのか――彼は知らないし、弾もそれを知らせる気は無かった。良い奴なのだ、妹も彼を慕っているし、なんだかんだで友人のために体を張る義侠心だって持ち合わせている。
 分かっている。自分のこれは唯の醜い嫉妬だ――そして幸いというべきか、それとも不幸にもというべきか、弾はそれを自制する成熟した精神を持っていたのだ。
 大丈夫、俺は大丈夫――親友の前で本心など明かさず、この気持ちを永遠に墓場に持っていく。


 俺はそれができる男だ。



 それが、出来る男だった。




 それを見るまでは。





「ん? 弾?」

 織斑一夏にとって五反田 弾は親友である。同年代の友人だけあってデリケートなもの……具体的にはエロ本を見てみぬふりをしてくれる繊細さは千冬姉にはないものだ。
 ……とはいえ、そういう猥雑本を女しかいない寮に持っていくことはできないから親友である弾に全て預ける事になっている。エロ本を預ける事が出来る親友なんて一生涯掛けても見つかるかどうか。
 そんな彼が――ゴミ箱の前で蹲り、肩を震わせているのを見て……一夏は思わず声を掛けようとする。
 
 その時の彼の顔を、一夏は生涯忘れないだろう。

 怒っている。
 心の底から――激しい激怒の炎を、本気の殺意を眼差しに込めていた。
 一夏は一度――第2回モンド・グロッソ決勝戦当日に誘拐された経験があるが……誘拐のプロフェッショナルが見せた機械的な凄みよりも、より激しく原始的な怒りと憎しみの感情を叩き付けられ、思わず息を呑んだ。
 眼差しだけで人を殺せそうな勁烈無比の眼光。襟首を掴み上げる力は、抗する事も許さず彼を空中へと吊り上げた。こんなに力が強い奴だったのか? ……まるでなにか肉体を酷使する職業に付く為に準備として鍛えていたような腕力だ。

「なんで……」

 足元に打ち捨ててあったのは――電話帳。
 いや、目を凝らしてみれば分かる。一夏が電話帳だと思って捨てたそれは、IS学園における基礎学習事項を詰め込んだ教科書であり、編入する前に送られてきた教材だった。

「……なんで……!!」

 一夏には、どうして弾がこれほどまで激怒しているのか理解できない。どうしてゴミ箱に捨てられていた電話帳を見て彼が泣きそうな顔をしているのか判らない。歯軋りをする姿も激情を露にする様子も――今まで一度も見せたことのない、想像すらしなかったものだった。

「……なんで……お前だけが……!!」

 負の感情――弾が覚えていたのは堪え難い嫉妬と怒り。
 まるで幼い頃に泣く泣く諦めた高嶺の花だった片思いの人が、今の恋人にまるで大切にされていないような光景に……関係者にしか配られない資料をゴミ箱へ放り込むそのぞんざいな扱いに、弾は歯軋りの音を漏らす。今まで影すら見せたことも無かったISへの憧れを無造作に踏み躙られ……弾は、キレた。
 もちろん――人類初の男性でISを操れるという一夏を影ながら護衛しているSPが弾の暴行を見逃す訳も無く。
 どこからかわらわらと沸いて出た黒服に押さえ込まれながら――弾は吠えた。何故これほど色濃い憎悪を叩き付けられるのかまったく理解できず呆然とする一夏に、弾は吠え続けた。

「なんで……なんで……なんでお前だけが、なんで……お前なんだああぁぁぁ!!」


 




 きっと――日本のIS関連の人間は自分に対してマークを始めただろう。
 恐らく日本のどこかに諜報機関では誰かの机の上に自分のパーソナルデータが山済みにされているはずだ。迂闊な発言などしたことはないが、洗いざらいプライバシーを調べられていると思うと流石に不快だ。
 一人自室で――食事も拒み、兄の只ならぬ様子に心配の声を上げた蘭も無視し、弾は一人、電気もつけない部屋で唸る。
 SPに連行され取調べを受けてきた――背後になんらかの組織が存在しないかを徹底的に尋問され……弾は素直に全て応える。隠す事など何も無い。誰でもいいから憤懣をぶちまけたかった。冷静さを抑えきれなかった。
 自分はクールだったはずだ。憧れも夢も飼い慣らすことができたはずだったのだ。……だがあれを見た瞬間、嫉妬と悔しさで感情の堰は決壊した。

「俺は……自制できる男のはずだ」

 拳を握り締める。

「一夏がISを使うって決めたなら――祝福してやれば良い……あいつには適正があった、それだけの話だ、それだけの話なんだ……!!」

 歯を噛み締める。

「なのに、どうしてこんなに悔しいんだ!! 諦めたのに、捨てたのに、もう現実的な生き方しかしないと決めたのに!!
 どうして俺はまだ……ISに恋焦がれているんだ!! 手に入らないものを手に入れたいとそう思っているんだ!!」
 
 壁を殴りつけた。……音ぐらい聞こえているはずだが、蘭は兄の只ならぬ様子を察しているのか何も言わない。今はただ、優しい無干渉がありがたかった。
 酒が飲みたい。まだ未成年だが。
 少なくともこの胸をきしませる激しい嫉妬とたまらない悔しさを消せるなら酒気で頭を濁らせたい。

 弾は――五反田食堂でお客に出す用の酒をちょろまかして、レジに代金を置くと親の目を盗み一人瓶を傾ける。生まれて始めての犯罪。
 飲んだのは一瓶のみ。……初めて酒を飲んだことでアルコールに弱かったと発覚した自分の体質が――これほどありがたいとは思わなかった。
 





 それが、指に掛かっていると気付いたのは未だに脳髄が酒気で酩酊したままベッドに倒れ込んだ状態で半覚醒した時だった。
 部屋には誰もいない。鍵も掛かっている。学校では学年主席の弾は、親の信頼も厚くきっと酒を飲んで酔いつぶれているなど想像もしていないのだろう。
 だから誰も入った人はいないはずなのに――何故か奇妙なストラップが指先に絡まっている。

 まるで――狗のような頭部。
 ロボットの首から上、まるで胴体から下を千切られたようなデザイン。首の一番下には球体が埋まっている。
 それが何なのか理解できぬまま、五反田弾は指を伸ばしてそれに触れ――そして、声を聞いた。









『始めまして。独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』です』

 そこまで行って――弾は思い出す。これは、ISの待機状態――だがそれはないな、と透徹した理性が酒で願望が形を成したのだと警告する。無感動な瞳で彼は言葉を聞いた。

『プログラムされていた予定条件を満たしました。システムに従い、本機<ANUBIS>はフレームランナーの元に量子転送完了』

 聞こえてくるのは女性の声。機械的な平坦口調であるにも関わらず、どこか温かみを思わせる響きを含んでいた。

『操作説明を行いますか?』



[25691] 第一話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/07 12:09
「……五反田弾……か」

 すらりとした長身を黒のスーツ姿で覆った入学生達の憧れの的、世界最高のIS乗りである教師、織斑千冬は諜報部から回されてきた資料を読み漁りながら――弟の親友であり暴行を加えようとしたと記載されているそのプロフィールを見ていた。
 知能指数が高く、中学時代では常に学年主席。卒業後は機械工学系の高校に入りそこで量子コンピューターの設計に関わることを決めている、今時の若者にしては珍しい人生の指針を十代半ばにして既に決めている珍しい男性だった。
 年がら年中、家に滅多に帰る事の出来なかった自分に代わってその孤独を埋めてきてくれた彼には、一夏の家族として感謝の念を捧げたく思っている。……だが、世界で初めて男性でISを動かす事ができた弟に暴行を加えようとした彼に対して私情を挟む事は許されない立場だった。 
 今現在――かつて世界で軍隊に従事していた人間の雇用が大きな問題になっている。
 ISという最強の戦力が、旧来の兵器を駆逐する圧倒的性能を持っている事は確か。そうなれば、世界各国の首脳がIS候補生の育成に力を入れるのも当然だし、そちらに予算を配分するのも当然の話だ。
 ただし、当然皺寄せが出てくる。
 その一番の対象は旧来の兵器運用に携わってきた兵士達――拠点制圧に必要な歩兵はしぶとく生きながらえているが、迅速な航空制圧が可能なISの編入で、空軍は大幅な人事刷新によりパイロット達は大勢職にあぶれているらしい。量子コンピューターや機械工学の専門家であり個人的な知己であったレイチェル=スチュアート=リンクスを通じて知り合ったその夫である空軍の元パイロット、ジェイムズ=リンクスは運送屋。三次元機動を行うドッグファイターが今では二次元機動しかできないトラックの運送屋。時代が時代なら各国が千金を積んで招聘するエリートがだ。
 かつて国防の要であった空軍パイロットは空を奪われ、プライドを地に落とされた。ISの出現で職を追われた元軍人たちによる犯罪は増加の一途を辿っている。幾らISが最強の戦力でも犯罪の全てをこの世から駆逐できる訳が無い。現在の問題を解決する最大の手段は、リストラされた軍人達を雇用することだが――世界中の膨大なリストラ軍人達の口を糊するだけの体力がある大企業など何処にも存在しない。抜本的解決策はどの国にも存在せず、現状この問題は棚上げするしかないというのが現状であった。

 今現在男性のもっとも収入の良い職業は――そういう女性の愛玩動物に成り下がる事。俗に言うホストやアイドルは以前にも増して可愛がられるようになった。
 そんな去勢された雄になることが一番儲かる現在社会。その状況に多大な責任を負うIS設計者は今何処にいるのだろうか。

「……どうせ、寸毫たりとも気にしていないんだろうけどな」

 常識人ばかりが気苦労する現実に、彼女は大きな嘆息を漏らした。







 なんで、おまえなんだ。


 
 織斑一夏の人生を変えた一言が存在するとしたら――きっと、親友が初めて見せたあの本物の激怒だろう。
 五反田 弾。一夏の中学時代からの親友。髪の毛が僅かに赤みがかった彼。常に学年主席のエリートの癖にあまり偉ぶったところが無く、普通の青少年みたいな馬鹿話を率先して行う彼。その彼が初めて見せた、自制を失う姿。

 あの数週間前の事件から――彼はずっと考え続けてきた。
 ゴミ箱に捨てていたISの資料。恐らく普通の候補生はもっと小さな時分から噛み砕いて学習するであろう分厚い内容。
 ……才能を持っているからといって本人がそれを望んでいるとは限らない。しかしそれが宝石よりも稀少なものであれば本人の意向など無視されるのが世の常だ。
 自分で生き方を決めるのではなく……才能に生き方を決められた訳だ。

「……ひっでぇ話」

 一夏は小さく机の上に蹲りながら嘆息を漏らす。
 ちらりと視線を滑らせれば、そこには自分をちらちらと盗み見る女生徒達。花のように笑いさざめきながらも――時折視線が此方に向き、織斑くん、と名前が聞こえる。 

「ねぇねぇ、誰か話しかけようよ」「彼が世界で唯一の……?」「さっきの授業全部正解してたけど、さすが千冬様の弟よねー」「やーん、かっこいー」
(……弾。ここ、全然良いとこじゃねぇぞ)

 いい事があったとするなら――幼馴染の篠ノ之箒に再開できたことぐらいか。
 まるで白鳥の中のアヒル。山羊の中の狼――いや、戦力的には狼の中の山羊だろう。
 織斑一夏だって男だ。勿論同年代の女性にだって興味がある――と昔、弾に話したら『……頼む、一夏。何も言わず一発殴られろ』と言われた。何故だ。
 ……もちろん可愛い綺麗な女性は大好きだ。ただし――物事には限度がある。
 例えていうなら、一夏は饅頭が好きだと仮定する。実際は麦トロ定食が好みだが。
 二個三個はもちろん、四つ五つもなんのその。……しかし十五とか二十になると苦しい。百もあれば見たくもないと思うだろう。結局女性が大勢いる場所に対する男性の反応は大まかに割って二つ。喜ぶか、げっそりするか、だ。

 今ならわかる。

 弾は――本気でISを操縦したかったのだ。たった一人の男子生徒だなんてものはあいつにとって夢を実現するための煩わしいものなだけ。あの眼差し、あの本気の殺気――本当に、心の底から自分を羨み、妬み、その醜さを自覚して押さえ込もうとし……そして失敗したのだ。
 弾に何度もあの後電話を掛けたが、電源自体切っているらしい。弾の妹の蘭も最初は上ずった様子でぶしつけな電話に丁寧に対応してくれていた。あの日の後、真面目な奴だったあいつが酒を飲んでいるのを見つかり、久しぶりに親父さんの雷が落ちて頭にでかい拳骨をくらってからは普通に生活しているらしい。
 ただそこは生まれた時から一緒にいた兄妹。兄の様子がどこか変であるのかを察していた。

「くそっ」

 小さく声が漏れる。
 学園に拘束される身としては休みの日でなければ自由行動が許されない。今は『世界で唯一ISを動かせる男性』という肩書きが煩わしくて仕方なかった。
 
 
 

「ちょっと、よろしくて?」
「へ?」

 二時間目の休み時間に掛けられる声。
 金色の髪がまぶしい豪奢な美貌の美少女。何用よ、と思って声を漏らす。

「訊いてます? お返事は?」
「ああ、聞いてるけど。……どういう用件だ」
「まぁ! なんですのそのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですからそれ相応の態度というものがあるんではないのかしら?」

 沸き立つ苛立ち。
 
「……分かった。じゃあ話しかけられる栄誉はいらない。話しかけるな」

 本音を言えば、一夏は親友の事が気掛かりで仕方がなかった。そんな状況で相手が此方にへりくだった態度を強要するような言葉に、流石に不快の念が沸く。
 場違いだって事は理解しているつもりだった。自分が動物園の猿扱いだって事は判っている。
 だが、恐らく男性は女性にかしづき、発言には無条件で従うものであると思っているのか――少女はこめかみを引きつらせて言う。

「な、なんて無礼な殿方なんですの!!?? こ、このセシリア=オルコットに向かって、イギリスの代表候補生にして入試主席のこのわたくしに向かってなんて言い草ですのよ!!」
「説明乙。……で、そのイギリスの代表候補生、IS<ブルーティアーズ>のエリートだったか」

 その返答が意外だったのか、セシリアと名乗った少女は目を見開いた。
 代表候補生は兎も角ISの正式名称まで把握されているとは思っていなかったのである。
 ……それもこれも――あの時の弾のお蔭だろうか。ISを扱える男性――そんなものは織斑一夏にとってはなんら価値の無いものだった。だが自分にとってなんら価値の無いものでも、弾にとっては何者にも変え難い宝物だったのだ。だからこそ、あんなにも怒り狂ったのだろう。
 可能なら、この『世界で唯一ISを扱える男性』という才能を譲りたかった。
 奇跡は狙いを外した。本来この奇跡を得るべきは、ずっと本心を押し殺してきた親友が授かるべきだった。能力的にも意欲的にも。

『有史以来、世界が平等であった事など一度もないよ』

 幼少期から頭がばかばかしいほど良かった篠ノ之束の言葉を思い出す。
 それは真実だ、冷厳な現実を指した言葉だ。だがそこには優しさがない。だから人は平等でない世界を少しでも優しくしようと努力してきたのだ。
 自分は男だ。人類最強の単一戦力を唯一動かせる男。ならば雄の代表として闘わなきゃならない。
 親友の怒りで気付かされた――俺は自分に対してはらわたが捻じ切れるような激しい嫉妬を覚えている男達の代表なのだと。ならば自分のこの身は好む好まざるに関わらず男の代表として努力せざるを得ない。事実、あの日から独学を続けてきた一夏は電話帳みたいな分厚い資料を全て理解していた。機会を与えられている時点で、自分は恵まれているのだと判ったから。
 
 一夏は、冷たくセシリアに言い放った。

「あんたのことなんかどうでもいい」







 五反田弾は酒気が抜け去り脳内が明瞭とした今でも頭に響き渡る声に――とうとう本格的な幻聴を聞いているのだと悟った。
 今は学校も休みの昼下がり。白昼夢にしてはやけにリアルな声に頭を掻く。指先に下げているのは、狗のような頭部と僅かな胴体のストラップ。何度も捨てようとしたのだが――途端に大音量アラームを掻き鳴らすので捨てるわけにも行かない。
 まるで母親の手を欲しがる赤子のような反応だな、と弾は思った。

「……つまり――これは前世死んだ後神様に贈られた褒賞だと?」
『不本意ですが、そのとおりです』

 耳に嵌めたイヤホンから聞こえてくるのは、音楽機器にハッキングして音声出力装置に流用している狗(本人曰く、ジャッカル)を模したロボットの頭部のアクセサリ。前世なんてオカルティックな発言を行う――制御AIを名乗る独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』。
 そういわれて心のどこかが腑に落ちるのも確かだった。前世なんてものは忘却の霧に隠されているが、確かに自分は<アヌビス>を知っているのだ。



 そう、艦隊戦では最初ベクターキャノンをぶっ放す時あまりの燃えっぷりに大声を出して両親に窘められたり、都市を守る際に<スパイダー>にグラブを使いすぎて投げ飛ばしたら二次被害甚大でそのつもりもなかったのに『完璧な殺戮です。満足ですか?』と言われたり、ケンを脱がすために溶鉱炉の上空を意味も無く滞空したり、G田T章さんが主人公の声というかなりレアな作品では生死不明の奥さんを助け出すために、ヒロインな巨大ロボと一緒に火星に行く話が大好きだったのに百円で売られているのを見て悲しい気持ちになったり(実話)いやもちろん全部買ったけど、結局Z.O.E 2173 TESTA○ENTは最後までプレイできなかったり、イブリーズ好きだったんだけどなぁとか思ったり、ファースティかむばーっくとか思ったり。そもそもアレのせいで量子コンピューター分野に足を踏み入れる事になったのだし――――。



 なんか電波が混線した。


 彼女――性別があるのかは知らないが、女性の声なのだから彼女でいいだろう――はそれ以降自分がどうしてここにいるのか黙りこくった。
 同時に頭に流れ込む知識。
 オービタルフレーム<アヌビス>――最新鋭メタトロン技術の結晶であり、機動兵器でありながらもウーレンベック・カタパルトの応用による亜光速移動能力「ゼロシフト」を搭載した最強の片割れ。
<アヌビス>を倒せるのは<ジェフティ>のみであり、<ジェフティ>を倒せるのもまた<アヌビス>のみ。

「じゃあ、あんたは俺専用機ってわけだと?」
『はい、わたしはあなたのものです』
「…………………………………………」
『脈拍、心拍数の増大を検知しました。どうしましたか?』
「…………………………………………いや」

 五反田弾はAI萌えという意味を、「言葉」ではなく「心」で理解した。
 



 目覚めながら白昼夢を見ているのではないらしい――最初は自分自身の正気を疑いこそすれ、そう弾は結論付けていた。
 だが、と同時に思う。こうも滑らかで流暢な受け答えの出来るAIはどこにも出回っていないはずだ。もし設計できる人物が実在するとしたら篠ノ之束だけだろう。しかし彼女がそれをする理由などどう考えてもない。
 
「ありえねぇよな。前世なんて」
『魂魄や転生の概念を否定する要素は私は持ち合わせていません。資料ページにアクセスしますか?』
「いらん。……そうだな、俺の中にはISがある。それが現実か」
『一緒にしないでください』

 どうやらデルフィのプライドを傷つけたらしかった。フレームレベルでの演算能力を持つオービタルフレームからすれば、同じに扱われるのは大変不本意なのだろう。
 まぁ……と弾は考えを切り替える。前世とかそういうものはこの際だから心底どうでもいい。問題は自分の手の中に――自分の意志を持つAIシステムが存在しているという事。
 ……待機状態を解除したらどうなるのだろうか――と考えなくも無い。だが、同時に常識的に生きてきたこれまでの経験が邪魔をする。こんなこと、あるはずが無い。こんなにも都合よく、はらわたが捻じ切れそうな嫉妬を感じた瞬間に恋焦がれた空を飛ぶ力を得るだなんて有り得ない。
 
 いや、違うな。

 弾は心の中で呟いた。この気の触れた狂人が見るような余りにも都合の良い甘い夢。だがもしデルフィに<アヌビス>の起動を命じてしまえば、甘い夢は現実の冷たさに掻き消えてしまうのではないだろうか。
 デルフィ――現実に堪えきれなくなった自分が生み出した想像の産物、精神の均衡をとるために脳髄が生み出した甘い夢の産物ではないのか。現実ではなんら力を持たないただの妄想ではないのだろうか。

(……そして――俺はその妄想を信じたがっている)

 現実は厳しい。
 男の自分は決して夢をかなえる事ができない。なら――この前世からの贈り物というふざけた妄想を信じたいと……女達に並ぶ力を得たいと思っている。
 
<アヌビス>を起動させたいという感情/もう少し甘い夢を味わっていたいという感情=矛盾している。

 ただ……どちらにせよ、デルフィという自分の思いを全て理解したパートナーがいることは確かな救いだった。





「ちょっとよろしいですか?」

 女性の声が聞こえる。
 目を向ければ――どうもジャーナリストらしい女性が立っていた。またか、と弾は嘆息を漏らす。織斑一夏が人類初男性でISを動かしたというニュースが流れた際、彼の親類――は織斑千冬さんだけらしいから、ジャーナリストの矛先は全て中学校の旧友に向けられる事になった。流石に最近はそういった取材攻勢も鎮火したかと思ったがまだいたか、と中学時代の一夏の親友だった弾は嘆息を漏らしながら振り向く。
 ロングヘアーの美女。スーツを纏った女性がこちらへと近づいてこようとしていた。同時にその目を見た弾は――相手が堅気ではない事を悟る。
 瞳に宿るのは侮蔑の色。まるで犬でも見るようなさげずむ感情が見て取れた。
 同時に――弾に対して警告音がヘッドフォンから流れる。

『警告。彼女は火器を保有しています』

 SP――ではないんだろう。
 弾は相手の返答を待たずに、先手を取る。まだ此方が何の牙も持っていない子供と見くびっているその侮りを利用する。だむっ! と鋭く地を這うような足払いの一撃。
 だが、相手はそういう事に慣れているのだろう空中へと軽く跳躍してそれを避けた。

「へっ、平和ボケした国の餓鬼にしては動けるじゃ……って!!」

 弾は避けられた瞬間すぐに行動している。口内に溜めた唾を吐き出し、相手が咄嗟に避けようとした隙に即座に遁走に掛かっていたのである。
 服の袖で吐きかけられた唾を受け止めたその女――亡国機業(ファントムタスク)のエージェント、オータムは口汚い罵り言葉を吐き出しながら、懐に呑んでいた拳銃を取り出した。……織斑一夏に対する堪え難い嫉妬心を抱いている青年。彼の存在をスパイとして利用できるのではないかと考えた上の意向に従い彼を誘拐しようとした彼女は、草食動物と侮っていた相手に手をかまれたような怒りで、本来美しいはずの顔を不気味な笑みに染めて、弾を追いかけだした。





『<アヌビス>の即時起動を提案します』
「黙っていろ!!」

 弾は走る――まるで日常からいきなり非日常に転落した現実から逃げ出すように。逃げ込んだ雑居ビルの屋上を目指す。

『では逃走ルートを変更してください。あなたは自分から逃走できない袋小路へ移動しています』
「これでいい!!」

 走る。走る。走る――そのまま弾は、屋上へと飛び込んだ。
 
『では、どうしますか?』

 弾は、笑う。
 小さな笑み。後から死刑執行人である――恐らくどこぞの組織のエージェントが、それも多分脇の膨らみから見て拳銃を所持した非合法工作員がやってくる。
 自分の妄想であるかもしれないデルフィに対し、拳銃の持つ死のイメージはあまりにリアル。気付けば足元に僅かな震えが走り、喉奥は干上がった砂漠のように乾いている。だがそれでも、口元に浮ぶ笑みを抑えられなかった。
 
 拳銃を持った工作員に追い回される――なんという非現実的なシュチュエーション。
 そして――この非現実的な状況ならば……まるで、<アヌビス>が実在していてもおかしくないような気がしたのである。
 自分は狂っているのかもしれない。この場合弾が頼るべきは警察であり、此処から急いで逃げ出す事だ。
 なのに――恐怖と共に湧き上がる歓喜がある。この状況なら、この事態なら――俺の妄想が本当かもしれないじゃないかと思えるからだ。


 その女――弾は知る由もないが、オータムというコードネームを持つ工作員は、フェンスを越えている彼の姿を見て困惑を強める。
 男は弱い。女に這い蹲って慈悲を請うべき卑小な存在が、まるで自分の命を自由にさせまいとする行動に不快感を覚える。

「なにやってやがんだ貴様ぁ」
「……この声は、デルフィは俺の妄想かもしれない」
『違います』

 意味がわからずオータムは目を細める。

「だが――夢を叶える事もできず、生き永らえる事に意味があるとも思えない。感謝するぜ殺し屋。……あんたのお蔭で俺は言い訳できる。――この妄想と心中できる……待たせたな、デルフィ」
『遅いです』
「……あたま、おかしいんじゃねぇのか?」

 信じたい。
 心の底から、<アヌビス>が実在するのだと――決して手が届かない夢だと思っていた力が、個人の意志で自由になる憧れの翼が本物であるのだと、弾は信じたかった。
 そう――この妄想が本物であるなら……ビルから飛び降りるぐらいはなんでもないはずだ。何せ<アヌビス>や<ジェフティ>の――姉妹機ではなくこの場合従姉妹かはとこ辺りに当たるであろう<ドロレス>はもっと酷い速度で、具体的には時速40万kmの速度で地表に落下したにも関わらずまるで平気だったのだから。
 そして、弾は――待機状態の<アヌビス>を……翳す。

「来い、<アヌビス>!!」
『最初からあなたの傍にいます』

 身を翻し――全身の毛穴が逆立つ恐怖感を押し殺し、弾はビルの屋上から身を躍らせる。
 足元に何も無いという恐怖――落ちれば死ぬという強烈なリアル。
 構わない。この妄想が現実でないならば死んでも良い、夢が叶わないなら終わって良い――だが、そうでないのなら=そう思いながら、弾は叫ぶ。空中へ身を躍らせて。

「起動しろ……!」
『了解、戦闘行動を開始します』

 光が満ちる――緑色に染まったメタトロン光が周囲を圧し、力の甲冑が具現する。
 燐光が彼の四肢を包むと同時に黒く塗装された装甲が鎧っていく。鋭く、細く、強い――威力が形を得たかのように覆い尽くす。シールド技術が発達したISと違い、全身装甲(フルスキン)となった装甲外殻。その全身を、まるで血管のような赤い光が走り出す。フレームレベルで演算能力を保有する<アヌビス>が全身と情報をやり取りする際に走る光だ。
 冥府の神の名を冠する機体の頭はジャッカルを模した装甲で覆われ、センサーを内蔵した耳のような機関が立ち上がる。
 機体後背には六基の翼状のウィスプが、メタトロン光と共に鋼鉄に置換し、羽のように広がる。<アヌビス>の機動性能を支える高出力スラスターシステムと、<アヌビス>が保有する絶対的優位性の一つ<ゼロシフト>を実現するためのウーレンベックカタパルト、計六基のエネルギー生成機関『反陽子生成炉(アンチプロトンリアクター)』を搭載した、翼と心臓を兼任する主翼。針の先程の機体に宇宙戦艦をすら軽く凌駕する圧倒的出力を現実のものとした最強無敵の半永久動力機関。
 腰部からは単分子で形成された鞭のような尻尾が伸び空を打つ。
 地面を踏むような足は存在せず、槍のような脚部からランディングギアが展開――空中へと身を投げ出した機体は地面へと荒々しく着地。地面には落下の衝撃に抗しきれなかったアスファルトが放射線状にひび割れる。
 全身から瞬く強大なメタトロン光を身に纏い、妄想の産物と思っていたそれが――確かな現実として己を覆っている姿に、弾はセンサーで己が両腕を見た。

 この万能感。この全能感。世界の全てが見えているかのよう。

『……おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』

 弾の感情に呼応してか――全身から高出力状態に発生する真紅のバースト光の中で弾は叫ぶ。
 彼は実感していた。女性達は、ISの候補生達はこの感覚を常に味わってきたのか。高度など関係なくどこへでも――それこそ宇宙にだって行ける出力。なんでも思いのままに出来る圧倒的な力……なるほど、女達はこれを味わっていたわけだ。独占したいのも、当然かも知れない。

「……テメェ……何者だ!! なんでISを使える男がもう一人いるんだ!」
『一緒にしないでください』

 同時にビルから飛び降りてくるオータム。背中から黒色と黄色で塗装された工事現場の重機のようなカラーリングの、蜘蛛のような足を伸ばし着地――弾の全身を覆うその姿に驚愕を隠し切れない。
 その言葉に、弾は――妄想が確かな現実である事を、自分を覆う装甲を突いて確かめ……笑って応える。

『……織斑一夏が人類初の男性でISを使ったということは、女性しかISしか使えないという大前提はくつがえったろう? ……あんたが何処の殺し屋か知らないが――言っておく』

 腕を組み、王者のように翼を広げる。

『<アヌビス>は良い……想像を絶する』
『どうも』

 褒められたと思ったデルフィが、礼を言った。
 それを皮切りに、戦闘が始まる。



[25691] 第二話(ゼロシフト関連を大幅変更)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/04 23:34
 楽な仕事であるはずだった。
 織斑一夏に対して強い嫉妬心を抱いている彼の親友を捕まえ、薬物なり拷問なり脅迫なり、この世の忌み嫌われるありとあらゆる手段を用いて言う事を聞かせればいい。
 オータムは自分の行動が成功する事を微塵も疑っていない――当然だ。彼女は亡国機業(ファントムタスク)のエージェントであり、この世に467機しか存在できないISの一機を非合法ながら保有する女の一人。相手が女であるなら、僅かでも油断してはいけないかも知れない。
 世界最強の兵器であるISと闘えるのもまたISのみだ。
 だが――男が自分と戦えるはずなどない。今や男性など力の面において女に劣る。最早子孫を生み出すために必要な家畜程度の価値しか彼女は保有しておらず――そしてその悪しき偏見が正しいと思う彼女のような女性も……残念ながら、僅かに、だがゆっくりと数を増し始めている。

 重ねて言おう――男は弱い。

 そのはずだったのだ。

 オータムのISのシステムが――警告を掻き鳴らす。
 それは眼前に出現した機体に対して一ミリでも距離をおきたいと震える草食動物のようであり、神聖不可侵の存在に対して畏れ抱く敬虔なる信徒のようでもあった。煩わしい警告音をカット――ISの制御システムである『コア』からの声を全て無視。
 敵動力源=未知。敵装甲材質=未知。敵出力推算=計測不能域。敵戦力=甚大――最善行動は即時撤退。明確な言語に変換すればそうなるのだろうが――彼女はそれを切り捨てた。

「黙れぇ!!」

 男は弱い――その極めて稀な例外が織斑一夏であるはずだった。
 織斑一夏と他の男性との差異――即ち彼と他の男の何が異なっているのかを調べる事により、女がなぜISを動かす事が出来るのかを知る事が出来るのだ。それは彼女の所属する組織である亡国機業(ファントムタスク)にとって有益な情報となる。
 ……だから、目の前の男が織斑一夏であるならば――オータムは敵が牙持つ事を驚きはしない。だが、現実は異なる。
 まるで漆黒の犬の如き偉容にして威容にして異様。魂を持つ神像を思わせる姿。無手のまま、その機体――<アヌビス>――エジプト神話における冥府の神を名乗る機は、アスファルトから火花を散らし跡を刻みながら凄まじい速度で前進する。

「……まぁ良い!! てめぇがなんだろうが……!!」

 背中から伸びる女郎蜘蛛のような脚部が――全体を現していく。相手が同格のISと認めたオータムは無駄な思考をすることを止めた。現状に対する柔軟な切り替えは、なるほど彼女が一級の非合法工作員であることを示すものだった。だが――そんな彼女でも雄に対する無意味な思い込みからは逃れられなかった。男の扱える兵器が――女の扱えるISよりも性能のいいはずがない。
 展開するのは黒と黄で塗装された――武装ハードポイントとしての八腕を保有するIS<アラクネ>。両足と両腕を覆うのは重厚な装甲。本来の腕に加え、背中からは蜘蛛の異名の由来である多目的マニュピレーターが生えている。腰から後には蜘蛛の腹部を連想させる前進推力を重視したブースターが接続された。
 量子変換された大量の武装を同時展開して、瞬間的な重火力で相手を反撃すら許さずに圧殺するオータムの機体。

「ガラクタにしてから調べてやる!!」



 雨のような弾雨――恐らく相手は重火力型なのだと当たりを付けた弾は即座にシールドを展開。広げた片腕から迸る赤い障壁が銃弾に反応し、その破壊的な運動エネルギーを相殺する。
 
「なかなか分厚いシールドみたいだがよ、受けてばかりじゃ削り殺されるぜぇ……!!」

 相手は――<アヌビス>がISの類であると判断しているのだろう。ISはシールド展開のエネルギーと耐久力は同じだ。受ければ受けるほど起動限界が近づく。そのため、ISは相手の攻撃を受けて止めるよりも、回避する事を重点においた設計思想を持つ。
 ……だが、相手は知るまい。<アヌビス>のエネルギー出力は宇宙戦艦を凌駕する。従来の火器で突破できるものではない。
 弾は、しかし不快げに歯を鳴らした。此処は一般人もいる町のど真ん中。周囲からは恐怖と悲鳴の合奏のような叫び声があちこちから聞こえてくる。

『デルフィ、周辺区域をスキャン!! ……まずはあの馬鹿を人のいない場所に引きずり込む!!』
『了解』

 弾の心に浮かび上がるのは――例えて言うならば自宅の庭に見知らぬ暴漢が土足で上がりこんでいるのを見た時の怒りに似ている。幼少期を過ごした思い出の場所たちが銃弾と硝煙で穢されていく。
 彼が心に浮かび上がらせたのは原始的な郷土愛であり、故郷を侵す侵略者に対する激しい撃退の意志であった。

「ははは、どうしたどうしたぁ!! 殻の中に閉じこもってばかりかぁ?! 正義の味方って奴ぁ守るもんが多くて大変だなぁ!!」

 相手の得意げな声――銃弾を浴び続ける事は徐々にISの起動限界に近づいているという固定概念に基づいているため、此方の限界が近いと思っているのだ。確かに弾の<アヌビス>は一発も打ち返していない。都市内で使用するには<アヌビス>の武装はどれも火力が高すぎる。単独で人類全てを敵に回しても勝利可能という頭の悪い能力を持っていると褒めればいいのかと弾は思った。
 これまでに何百発の銃弾を<アヌビス>は受け止めただろうか。
 弾は<アヌビス>が本来保有する機動性能を発揮させず、地味な機動で相手をこの場所から動かないようにデルフィの誘導に従う。

「つまらん相手だが、見たこともない機種だ。『コア』を引き剥がして回収させてもらうぜ!!」
 
 IS<アラクネ>の武装が光の粒子となって掻き消え、代わりに出現したもの――より近接距離での威力に特化したショットガンで一気に圧殺しようとしているのだ。同時に<アラクネ>の後背のブースターが火を噴く。突撃して至近距離で高威力の散弾を叩き込むつもりだ。

『デルフィ、サブウェポン切り替え、コメット!!』
『了解、武装を切り替えます』

 空間が歪み――二次元の物体が三次元のものとなったかのように、その歪みから武装を引き出す<アヌビス>。
 それを構えると同時に赤色の光弾が発射される。

「ひゃはははははは!! 撃て撃て、テメェでテメェの町をぶち壊……なにぃ?!」

 瞬時に、その重厚な外見から見合わぬ機敏さで回避する<アラクネ>。
 オータムはその秀麗な美貌を残忍さで歪めて笑う。自分の攻撃で町を壊すが良い――嗜虐的な笑みは、しかし予想を上回る光景で凍りついた。
 外れた流れ弾はビルの壁面に着弾――ではなく、まるでミサイルのような誘導性で回避機動を行ったオータムに追いすがり命中、<アラクネ>の武装腕部を破壊したのだ。

「なん……なんだそりゃぁ!!」
『奴を殴るぞ、デルフィ!!』
『了解。サブウェポン・ガントレットを選択』
 
 そのオータムの動揺を見逃さず、<アヌビス>はアスファルトにランディングギアの強烈な擦過跡を刻みつけ、脚部の膨大なパワーでジャンプし接近。瞬時に音速を突破する。その速度はオータムですら瞠目するほど鋭く速い――獲物に飛び掛るジャッカルの如き俊敏さで懐に飛び込む<アヌビス>。
 空を舞う――重力から切り離され、何者にも縛られない圧倒的な自由感と開放感。幼い頃からの喜びが満たされるあまりの歓喜に大声で吠えたくなる。
 そのまま絶大な上昇推力を打撃力に変換するようなアッパーカット。

『コンボの際、敵を上方向にかち上げる場合はああぁぁぁぁぁぁ!!』
『△ボタンを押してください』

<アヌビス>の拳がオータムの生身の腹に突き刺さる=それをISの防御機構である堅牢なシールドが阻んだ。
 だが、<アヌビス>の一撃は終わらない。そのまま――強烈な衝撃力を持つ実体弾で相手を吹き飛ばすガントレットを拳から発砲。ベクタートラップにとって形成された空間圧縮バレルより吐き出された砲弾を零距離で叩き込む。

「ぐはあぁぁ?!」

 宣言どおり、空中へとかち上げられたオータム。ビル街から空へと戦場が移り変わる。
 それを追い、<アヌビス>は空中へと跳躍――同時に弾に状況を知らせる網膜投影式バイザーの中で、人の少ない周辺区域のスキャニング結果が算出される。表示されるのは遠方の現在開発が中断されている工事現場、そこ目掛けて奴を落とす――そう判断する弾。
 振り上げられる<アヌビス>の拳。天空の頂から地上へと落着するかのような右の掌底。

『コンボの際、敵を下方向に撃ち墜とす場合はああぁぁぁぁぁぁ!!』
『×ボタンを押してください』

 打撃が命中――再び同時に発砲、炸裂する零距離ガントレット。
 そのまま相手は地上へと落下していく。相手を火器を用いても問題の無い距離へ追いやった――<アヌビス>は全身から赤い光を放ち、高出力状態のバースト・モードへ移行。その掌を突き出すように構える。
 
『バーストショット「戌笛」を使う! モードは弾速重視!』

 突き出された掌の中で膨れ上がり、巨大化する赤光塊。
 更なるエネルギーが凝縮され、膨れ上がるそれを――視界の彼方、起き上がったオータムをロックし、発射する。
 放たれるのは赤い臓腑のような狂猛な輝きを放つ破壊の球体。<アヌビス>の周囲に血煙のような禍々しい真紅の粒子を撒き散らしながら、相手目掛けて走る。

「うぉおわぁぁ!!」

 それでも相手は瞬間加速(イグニッションブースト)を用い横方向へと瞬間的なスライド移動。敵機を一撃で戦闘不能状態に叩き落す真紅のエネルギー砲撃をぎりぎりで避ける。
 戌笛が着弾――同時に、まるで地中に大量の炸薬でも埋めていたかのように大量の土砂が空中へと跳ね飛び、土塊の雨となって頭上から降り注ぐ。
 たった一撃でこの威力――喉奥を突いて出るのは『化け物』という言葉、指先がおこりのように震えているのは恐らく気のせいではない。
 そんな訳あるか――自分自身の肉体の変化をあくまで認めまいとオータムは尚も交戦。量子変換され、淡い光から実体を持つ武装が姿を現す。出現するのは高速飛翔体を射出する自立誘導弾のアームドコンテナ。ミサイルランチャーだ。

「信じられるか、そんなこと!!」

 <アラクネ>の制御システムが<アヌビス>を光学捕捉。ロックオンの表示が出ると同時に搭載したミサイルを全弾射出し、空になったそれを全てパージ、そのまま突撃する。
 総計二十四発のミサイル攻撃――この状況でオータムが選択したのは大量の攻撃による相手の処理能力を超えた飽和攻撃。流れを変える彼女の切り札の一つであった。……その判断は間違っているわけではない。相手が普通のISであるならば回避なり迎撃なり対象に時間を取られただろう――彼女の失敗は……その二十四発のミサイル程度では、<アヌビス>の強力な迎撃能力を上回る事が出来ないと知らなかったことだ。
 それらから逃れるように後退する<アヌビス>。その両腕を誇示するかのごとく掲げた。

『デルフィ!! ハウンドスピア!!』
『敵ミサイル、ロック』

 比類なき量子コンピューター性能を誇るかのような、多対象への瞬間的複数同時捕捉能力。
 両腕より繰り出されるのは、破壊力を秘めた赤い光の群れ。それぞれが独立した意志を持つかのように折れ曲がりつつ突き進むレーザーの雨。<アヌビス>版ホーミングレーザーであるハウンドスピアは、それぞれが狙いを過たず降り注ぐミサイルの全てを射抜き、撃ち落した。誘爆、砕け散るミサイルが爆炎の壁を生む。
 だが――それに混じる銀色の紙片。レーダー反応を欺瞞するチャフだ。

「掛かったなぁ!!」

 相手の迎撃能力がこちらの予想を上回っていてもオータムは気にしない。彼女の気に食わない同僚である『M』のみしか実行できないはずのレーザービームを曲げるという事を容易くやってのけた光景にも動揺せず攻撃を続行できる精神は、彼女がプロであることを指し示していた。
 撃墜されたミサイル弾頭――そのいくつかは、相手に対する打撃力を有した高性能炸薬ではなく、相手のハイパーセンサーを欺瞞し、電子的盲目状態に陥れるジャミングのための金属片が大量に含まれていたのだ。それらが空中に散布される。だが<アラクネ>はそういったECCMも高度なものを保有しており、この状態でも問題なく敵機を索敵し続けている。
 同時に新たな武装を呼び出すオータム。展開されるのは――先程までの銃器と違い、完全な近接戦闘用の、対装甲破断用物理実体剣。軍事的装甲を破壊するために作られた洗練されたデザインのチェーンソーだ。刃に取り付けられたナノサイズの鋸が無音のまま高速回転を始める。物騒な形状の割りに静粛性に富んでいるのは、これが死角から敵ISを即死させるための隠密性能を要求されているからだ。
 オータムは勝利を確信し――状況に対応できていないのだろう、素人が、と嘲笑いながら、空中で静止している敵機に対してその無骨な凶器を振り下ろした。



 だが。


 確かにそこに存在しているはずの敵機は、レーダーにも確実に反応のある<アヌビス>を叩き切るはずのブレードは、まるで蜃気楼に斬りつけたように空振りをしたのである。

「馬鹿な……奴は!!」
『まさか自分の人生でマジでこんな台詞を吐く日が来るとは思わなかった。……残像だ』
『いいえ、デコイです』

 だから、オータムの反応はその驚愕と狼狽で僅かに遅れた。
 相手が此方の視覚を潰したと確信した瞬間、サブウェポンであるデコイを射出。機体に瞬間的に負荷を掛ける事によって発生する光学的虚像、電子的にも反応を示す囮を展開し――その隙に<アヌビス>は己が機体をベクタートラップを用いた空間潜行モードに切り替え。完璧とも言えるステルス能力を発揮し、デゴイに騙された<アラクネ>の後方に回り込んだ。

『出ろぉ! ウアスロッド!!』
『帯電衝槍・出力100パーセント。ハードポイントは右腕』

 空間の撓みより引き出され、その腕に出現するのは白兵戦用の長槍。

「男がっ!! お、男の癖にぃぃ!! 生意気なんだキサマァ!!」
『その手の台詞はなぁ!! 腐るほど聞いてきた!! ……もうその台詞は俺の人生に要らん!!』

 振り上げられる刃。オータムの認めがたい現実を否定する声に、弾は叫ぶ。
 その偏見。その驕り――脳内を駆け抜けるのは彼の今生の人生で見た走馬灯の如き女達の優越感を帯びた瞳。どうやっても覆す事などできない現実。夢に挑む事すら出来ずに破れ涙を呑んだ自分の姿。その眼差しを打ち砕くための力は今、己を鎧っている。まるで今までの経験全てに復讐するかのように、<アヌビス>はウアスロッドの鋭い刺突の一撃を咆哮と共に放つ。

『男を……馬鹿にするなぁぁぁぁぁぁ!!』
  
 繰り出されるのは強烈な電熱を帯びた刃――その一撃は<アラクネ>の胴体を刺し貫いた。同時にISの搭乗者の最終機能が発動。絶対保護障壁が展開し――そして引き換えにエネルギーの残量を失い戦闘継続能力の全てを剥奪され、重力に引かれて落ちていく。
 さしものISも――無防備な状況で突き込まれた刃の一撃を受けて尚も戦闘能力を保持し続ける事が出来る訳もなく、それは地上へと落下した。
 
『戦闘終了。お疲れ様です』
『……お疲れさん』

 再度空間潜行モードへと切り替えた弾は――<アヌビス>を人目の付かない場所に着地させると、視界の彼方から飛来してきた日本のIS部隊を確かめ、もう一安心だろう、と考える。<アヌビス>を待機状態へ移行。アクセサリになったそれを胸元に入れる。今度、鎖をつけて肌身離さぬようにしようと心に決めた。
 色々な事がありすぎた。
 オービタルフレーム<アヌビス>。絶大な戦闘力を保有する機体と、自分を狙ってきたと思しき敵。……実は全くの偶然ではあるが、相手が<アヌビス>の存在を知って最初から仕掛けてきたのかとも考えられなくも無い。

「……いや、それはないか」

 だと仮定するなら、相手の戦力で<アヌビス>を抑えられるわけも無い。多分偶発的な要素がいろいろと絡んでいるのだろう。
 ……そこまで考えて弾は、ここが何処だか分からない。<アヌビス>で飛行した場合は一瞬で行けた距離であっても、実際に電車で行こうとするならばそれなりに時間の掛かる場所だったのであった。

「デルフィ。一番近場の駅の位置はわかるか?」
『はい。情報取得しました。方向を指示します』
「早いな。さすが」
『私の存在理由はあなたに尽くすことです』
「…………………………………………」
『脈拍、心拍数の増大を検知しました。どうしましたか?』
「デルフィ。結婚してくれ」
『は?』

 なにこのかわいいAI――リコア=ハーディマン、あんた天才か。と弾は思ったが、口には出さなかった。




「気になってた事が二つある」
『はい』

 弾は電車の中、一人ぶつぶつと見えないお友達と話している危ない人に見られないように携帯電話で誰かと話している風に装いながら、口を開く。

「まず――<アヌビス>の股間の野獣……もとい、腰から前方に突き出しているあれは何だ? 現在ではなにか意味があるのか?」

 アヌビスのあの男性器を連想させる部位は操縦席だったが、ISと同級のサイズに――要するに人型パワードスーツのサイズになっている現状ではあれは本来の意味を持っていないはずだ。

『この状態においては、あの部位はアンチプロトンリアクターとなっています』
「胴体内蔵式って手法を取れないから、そっちに動いたわけか」
『はい』

 確かに色々と原作とは違う部位も存在している。
 本来オービタルフレームの腕は小指が親指になったような形状をしているはずだが、今の状態では普通の人と変わらないような形に変化している。同様に、獣のような逆間接も、順間接にだ。人が着込むパワードスーツに変質した際、その辺りの問題も是正されていたのだろう。
 ふむ、と弾は考えてから――今まで考えていた最大の懸念を聞く。

「じゃあ質問二つ目。こっちが一番重要なんだが。デルフィ――<ゼロシフト>は、使えない訳じゃないが、使わない方がいいんだな?」
『はい。……その事に思い至った理由を聞かせていただいていいですか?』

 先の戦闘でも<ゼロシフト>は使用できたはずである。だが、弾は結局使わなかった。どうしても懸念が捨て切れなかったからだ。

「ああ。……まず、<ゼロシフト>を搭載していたオービタルフレームのフレームランナーには大まかな共通点があった。
 ……まず。<ジェフティ>のフレームランナーだったディンゴ=イーグリットは、ノウマンの銃弾で呼吸器系統に重大な損壊を受け、生命維持を機械で代替するためバイタルを使っていた。そして<ハトール>のフレームランナーだったナフス=プレミンジャーことラダム=レヴァンズ は事の発端、ダイモス事変で重症を負い、肉体のほとんどをメタトロン製義体に置換していた。
<ゼロシフト>を繰り返すことで圧倒的だった<ハトール>に対抗するためには自分も<ゼロシフト>を実行する必要があったのに、<ドロレス>はジェイムズ=リンクスの身を心配し、最後まで<ゼロシフト>の発動を渋った。
 そして――ロイドがディンゴに言っていた台詞。
『性能を追及した結果』『ノウマンは私よりも徹底している』って言葉――奴が……内臓が無いがらんどうの肉体を持っていたことから推論は成り立つ」

 あんまり考えたくないなぁ、と思いながら、弾は推論を続ける。

「オービタルフレームは搭乗者の加速Gを相殺するイナーシャルキャンセルを搭載しているが――しかし<ゼロシフト>という亜光速瞬間移動の際の肉体への負荷は完全に相殺できない。
 ……そして――ノウマンが、胸元の本来あるべき臓器が無かったのも、生命維持と操縦に必要な最低限の臓器以外を摘出して、<ゼロシフト>に対する負荷を覚える肉体そのものを捨てていたって訳だ。……徹底しすぎてる。
 考えられるのはただ一つ。
 肉体を鍛えていたジェイムズのことから考えて、<ゼロシフト>は一回ぐらいは問題ない。
 だが、<ゼロシフト>の連続使用を行った場合は、フレームランナーの生命維持が不可能になる可能性がある。もし<ゼロシフト>の連続発動を行うつもりなら――人間を止める必要がある」
『全部違います』

 予想外の言葉に――弾はヘンな顔をした。これしかないと思ったのに。

『高純度で大量のメタトロンが、搭乗者の精神力に感応し、物理現象をすら捻じ曲げることが出来る魔法のような力を発揮することはご存知ですか?』
「あ? ……ああ」
『メタトロンの『毒』』
「……ッ!! ……『高純度で大量に集中使用すると、人間の精神に反応し「魔法」としか思えぬ既存の物理法則を無視した力を出すが、その強大な「魔力」が使用者の精神を歪め、歪められた狂気がさらに「魔力」を増大させる悪循環を引き起こす』……か」

 弾は、言葉を詰まらせる。
 ナフス・プレミンジャーを狂気の底に陥れたメタトロンの副作用。人間の精神に作用し、そのほの暗い部位を刺激する力。

『彼らフレームランナー達はそれぞれメタトロンの毒に耐えるほどの精神力を保有していました。しかし――貴方はどうですか?』
「……そういわれると、ぐうの根も出ない」

 実際に戦争に従事し、命を掛ける戦いを潜り抜けた戦士と、自分のような一般人に毛の生えたような人間とでは根本的な精神力が違うのは当たり前だろう。苦笑するしかない。

『<ゼロシフト>は最新鋭メタトロン技術の結晶であり、同時に使用時、ランナーの精神に大きく作用します。ある意味では、ノウマン大佐もメタトロンの毒によって捻じ曲がったとも言えるかもしれません。……もし、何者にも勝る強固な精神力を発揮する場合なら兎も角、現状あなたの精神力では<ゼロシフト>を使用した場合、自己を含めた全ての破滅を望む可能性があります。そうなれば、第二のノウマン大佐に貴方は変質します。
 ……そして――<ジェフティ>はいない』
「……俺がおかしくなった場合、<アヌビス>を制止できる存在がいないってことか」
『お判りいただけましたか?』
「<アヌビス>は無敵だが……フレームランナーの精神までは無敵ではないってことか」
『あまり褒めないで下さい。照れます……ただ』

 こいつも照れるのか、と弾は感心し――言いよどんだ様子に思わず首を傾げる。
 人間を遥かに上回る演算能力を持つメタトロンコンピューター。その彼女が『躊躇う』などという事になるのが意外だったからだ。

「ただ?」
『自分が無敵でないという事を知っている貴方は――いいフレームランナーになる素質を持っています』
「……ありがとう」
『いえ。貴方の戦闘能力が、私の生存確率に大きく関わってきますので』

 ……あれ。もしかしてこれはツンデレなのだろうか、と弾は思った。

「さっき俺に尽くすと言ってくれなかった? 死ぬときは一緒じゃないのか?」
『AIである私と人間の生命を同列に語ることはナンセンスです』
「俺はお前を失うなんて絶対に嫌だし、俺一人で生きながらえる気は無いぞ? 添い遂げようぜ」
『…………』
「どうした?」
『……いえ』

 恋焦がれた空を飛ぶための翼――あの全能感、あの万能感はこの世に存在する如何なる麻薬よりも強い力で弾の心を捕らえていた。またあの絶望感を味わう羽目になるぐらいなら……今度こそ終わっても良い。そう考えながら、頬を押さえる。
 
「<ゼロシフト>は危急の事態以外は封印する」
『よろしいのですか?』
「我侭を言って使いまくれるようになる訳じゃないし――それにさ、デルフィ」
『はい』
「切り札は最後まで取っておきたい。それに『ふふふ、奴は追いつけまい』『この機動性に付いてこれるか、ふはははは』とか思ってる奴の目の前に瞬間移動したら気持ちよさそうじゃん。うわあああぁぁぁぁ瞬間移動しおったぁぁぁぁ、とか驚いてくれないかなぁ」
『その辺りの気持ちは良く分かりませんが、切り札としてとっておくという言葉には同意します』
「はは……まぁ、そもそもお前は<ゼロシフト>を使えなくても最強だろう?」
『はい』
 
 相変わらずの平坦な口調。だが、最後の『はい』には僅かながらも誇らしさが滲み出ているような気がした。
 弾は待機状態の<アヌビス>を胸元、心臓の前のポケットに肌身離さず仕舞いこみ、言う。

「デルフィ」
『はい』
「俺のところに来てくれてありがとう」
『どういたしまして』

 本当に――感謝している。言葉では言い尽くせぬぐらいに。
 諦めた夢を掴む事ができた。翼が確かに存在している事を改めて確認し――弾は、目頭を抑える。目蓋から零れる熱いしずくの存在を知り、頬を拭った。怪訝に思う電車の乗員なんて目に入らない。
 今日は、良い日だった。

 










 今週のNG

『デルフィ、サブウェポン切り替え、コメット!!』
『了解、武装を切り替えます』
『そう!! 原作ゲームではいまいち使いどころが無かったコメットです!』 
『なお、この発言は作者の私見が多分に含まれております。ご注意ください』



作者註

 本編で主人公がゼロシフトに対しての意見を述べていますが、これはあくまで作者の私見と推論であり、公式設定ではない事をあらかじめお断りしておきます。ご了承くださいませ。
 そして、感想でのご指摘から、もう少し納得できる方向性に変更いたしました。
 ゼロシフトによる瞬間移動無双をご期待くださった方、誠に申し訳ありませんが、整合性を取るにはこうした方が良いと判断しました。ご期待に沿えず申し訳ありません。

 なお、次回更新からタイトル変更いたします。次回からの正式タイトルは

『インフィニット・ストラトスVSオービタルフレーム』

 でいこうかと思います。
 では、次回更新もよろしくお願いいたします。八針来夏でした。



[25691] 第三話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/07 12:09
『決闘ですわ!!』

 先日セシリア=オルコットに叩きつけられた宣戦布告の言葉を思い出しながら、織斑一夏は両腕に力を込めて腕立て伏せを繰り返す。腕に対する負荷を強めるために背中に乗せた篠ノ之箒ごと、自分の体を持ち上げる。

「……なぁ、一夏」
「……ああ」

 短い一夏の返答。運動中で声を出すという行為は事の他疲労を促進する。言葉の中にはありありと疲れが含まれていた。
 おかしい――篠ノ之箒はこうして再び出会えた憎からず思っていた片思いの相手の激変ぶりに正直前から困惑を覚えている。前はもっと明るく、あともう少しそんなに物事を考える性格ではなかったように思う。確かに幼いながら義侠心も持ち合わせていたし、自分にだって優しくしてくれた。
 ……だが――今の彼は少し困るのだ、と箒は自分の胸中に宿る恋の熱が高まるのを自覚してしまう。
 ISの候補生となる女性はもっと昔から様々な知識や専用の訓練を受けるものだ。しかしイレギュラー的な存在である織斑一夏は、ISを動かせるという事が発覚してからの数週間しか知識を詰め込む時間がなかった。はずだった。

 ……そして蓋を開けてみれば、彼はその限られた数週間で、現役の候補生と遜色の無い専門的知識を身につけるに至っているのである。

 女性の候補生と比べれば余りにも遅すぎるスタート。それでありながら、存在していた大きなハンディキャップを織斑一夏は、ただの努力の量のみで埋めて見せた。
 ISを装備するためのスキンスーツから除くうなじは、先程からの自主練習で滴る汗で濡れている。見える二の腕の筋肉も、徐々に男性的な力強い曲線を描き始めていた。此処数週間の彼の練習量は――異常だ。放課後はとことんまで肉体を苛め抜き、夜になれば座学に勤しみ消灯も夜遅い。俺はナポレオンだと言わんばかりの熱心ぶりだ。
 ぶっちゃけ――今の彼は昔の恋心も相まって大変好ましいのである。

「何故そこまで頑張れる? 最近のお前は――す、凄いというか……気を入れすぎじゃないか?」
「……決闘前日になったら体を休めるさ」

(……こ、困った。……今のこいつは――)

 もとより顔の造形は姉に似て良い方だったが――それに加えて男性的な逞しさ、精悍さが増している。整った顔立ちに加えて内面から滲み出る求道者のような真面目さが彩りを添えていた。ぶっちゃけ男前なのである。幸いそれに気付いているのは今のところ彼女一人なのだが。
 同時に、胸中に沸く疑問もある。
 彼の姉であり教官でもある織斑千冬に話を聞く機会があったが――中学の頃の彼は帰宅部の皆勤賞という何処に出しても自慢にならない、良くも悪くも平均的な存在だったのだ。ISを動かせると分かったときだって面倒だな、と言わんばかりの、状況に流されているような態度だったらしい。
 そんな彼が――何か変わった。彼を見た織斑教官の言葉を箒は思い出す。

『しかし……男子三日会わざれば刮目して見よ――という慣用句はあるものの……変わりすぎだ、あれは』

 なら――彼が変わったのは……子供の頃と違い、表情に真剣なものを漲らせて、彼女の要求するトレーニングの三倍をものも言わずにこなす彼のその肉体を支えるほどの激しい決意とはなんなのだろう。
 精神は肉体の奴隷である――そう言った昔の人がいた。
 それは真実であろうが――篠ノ之箒としてはその辺りにもう一文付け加えたいところだ。即ち――『精神は肉体の奴隷である。ただし肉体の性能を決定付けるものは精神である』と。

 だとするなら――織斑一夏にこれほどの克己心を抱かせるようになった、その精神の支柱とは一体何なのだろうか?




 女性上位社会は、正直なところを言えば空気のように自然なものであったろう。
 酒を飲み漁り、過去の栄光にしがみつく様に昔の話をする中年のおじさんを見て――見苦しいと思った事がある。女性が偉いのは当たり前の話で、それに対してどうして悔しがるのか。幼い頃、そうおじさんに指摘したことがあった。
 男性は、まるで鈍器で殴られたようなびっくりした顔をして――そのまま子供のように大声で泣きじゃくった。
 息を吐いて、トレーニングを切り上げる。

「……1000……箒……もういい、ありがとう」
「あ、ああ。……水はいるか?」

 こくり、と声を出すのも億劫になった一夏は手を挙げてスポーツドリンクを要求する。
 乳酸を満載したかのようにへろへろになった腕を掲げて、蓋を開けてから流し込む。それを空にしてから――彼は仰向けになったまま口を開いた。

「あー。箒。……すぐは動けそうにないから、先に戻っておいてくれ」
「ああ、大丈夫か?」
「問題ねぇ。……こんなところで足踏みしてる暇が無いからな」

 勿論彼女は何か言いたげな様子を見せたものの、一夏は仰向けのまま呼吸を整えているのを見、瞑想に入ったと知ると――同門であった頃の教えを未だに実践しているのか、と自分との繋がりを発掘したような思いでかすかに笑みを見せて寮の自室へと戻っていった。



 目を瞑る。
 思い起こすのは――セシリア=オルコットに勝負を挑まれた時の周囲の反応だった。

『お、織斑くん、それ本気で言ってるの?』
『男が女より強かったのって、大昔の話だよ?』
『今からでも遅くないよ、セシリアに言ってハンデつけてもらったら?』
『えー? それは代表候補生を舐めすぎだよ。それとも、知らないの?』
『男女別で戦争が起きたら、男陣営って三日も持たないらしいよ? それどころか三時間で制圧されかねないって』

 大丈夫。
 はらわたに溜まる静かな激情の存在を確かめながら、一夏は上半身を起こした。
 悪意の無い言葉。女性上位社会の中で生きていけば、彼女たちがそういう風に考えるのも仕方ない。花のように笑いさざめく言葉には澄み切った善意しか存在せず、本気で自分の身を案じている事がはっきりと分かった。それが悪意の毒で満たされていたならどれほど分かりやすく、すっきりするか。


 結局、舐められているのだ。


 今の女性上位社会の中で――女性の愛玩動物のようになって楽で贅沢な生き方をしている男を舐めるなら別に良い。奴らは闘うことも、反骨の気概も捨て去った去勢された雄だ。だが、幼い頃出会ったあのおじさんを、ちゃんと悔しがったあの人を――そして、五反田弾を、そういう男と一緒にしないで貰いたかった。



『なんで、おまえなんだ』

 あの日あの時から、親友の言葉が一夏の心に染み付いて離れない。
 あれは人類60億の半分、この世の男性の代弁だった。自分しか挑めない。ISを扱えるのは自分だけ、それゆえに女性に挑めるのはこの世でたった一人自分だけなのだ。
 確かにかつて、男尊女卑の時代が存在していた。
 男性の方が体格があり、力が強く闘いに勝つことが出来る。そういった力への信仰心が男尊女卑の時代を作った。そして――女性達はかつての男性の轍を踏んでいる。ISを使うことで、力が強いから――女性の方が偉い。強大な暴力を振るえるものこそが偉いという主張だ、と一夏は思う。与謝野晶子が復活したらどう思うだろうか。

 一夏は、この数日、練習用のISである日本の量産型<打鉄>での戦闘訓練を最小限にして、肉体のトレーニングを重点的にこなしているのには理由がある。
 彼が肉体を徹底的に苛め抜き、鍛え上げているのは……この怒りの発露に耐え得る強固な肉体を欲したからだ。口数少なく、最低限の言葉しか発さないのは、はらわたに溜まった怒りがこぼれ落ちるような気がして勿体無いと思ったからだ。
 セシリア=オルコットは、性格こそ高飛車で驕慢だが――しかし戦闘者としての経験と実力、これまでに積み重ねた鍛錬の汗の量は自分を遥かに凌駕する。一夏は当然ながら、真っ当に闘えば自分が勝てないことを理解していた。戦闘で勝敗を決するのはこれまでの練習量――彼女はスタートラインが致命的に遅れていた自分が勝てる相手ではない。
 
 だが勝つ。

 一夏は自分で下した結論を自分で否定した。
 
  
 




  

 日本で、こんな話がある。



 ある日、弓矢を背負って山中を歩いていた侍が、道脇に座る男を見つけた。その腰に下げている太刀は身なりに似合わず見事な拵えで、思わず金銭と引き換えに譲ってもらうように頼んだ。
 するとその男は――『銭はいらねぇ。代わりに弓矢をくれ』と言ったのである。
 弓矢一式でこの見事な太刀を得られるならば構わぬと弓矢と交換したその侍。ほくほく顔で帰宅しようとしたところ――弓矢を番えた男が狙いを侍に向けて一言。『待てい、それは商売道具の大切な太刀。命が惜しくば身包み全部置いていけ』。男は見事に追いはぎに早代わり。如何に見事な太刀であろうとも、遠間から相手を射抜く弓矢が相手では手も足も出るはずも無い。命を質にとられた男は金も衣服も奪われてほうほうのていで逃げ帰ったとさ……。

 ……細かなところは違っているかもしれないが、大まかな意味としてはその辺りだったはずである。
 これは戦国時代の日本の文化的素地として――合戦でもっとも重要な武装とは相手を遠距離から一方的に射殺できる弓矢であり、太刀の外見の眩さに目が眩み、一番大切な武器をみすみす敵に渡してしまった侍の愚かさを笑う話なのである。古来日本で、強いという事を意味するのは弓の名手を指すのだ。

 この逸話を考えれば、如何に射撃武装が白兵武装に対して優位に立てるのかが分かるだろう。

「嫌がらせか」

 だから――自分に支給されたIS『白式』に搭載された武装が、白兵戦用のブレード一本と知ったとき、織斑一夏がとても厭そうな顔をしたとしても無理は無いだろう。

『時間が無い。フォーマット(初期化)とフィッティング(最適化)はぶっつけ本番でやれ』
「……了解」

 姉である織斑教官の声。開始時刻遅らせろよ、という言葉を飲み込んで――織斑一夏は白式を起動。名前の通り白い装甲に、肩部分には浮遊型ブースターが展開し、飛行。空中で待機していたセシリア=オルコットを前にする。
 両手を組んだ状態で浮遊する彼女の機体――<ブルー・ティアーズ>。
 彼女の思考に追随し、動き回る自立機動砲台と、本体武装の大型レーザーライフルを主軸に添えた遠距離射撃を戦術の主軸に添えたイギリスの最新鋭機だ。周囲に視線を向ければ、大勢の観客――といっても全員女性――が、シールドに覆われた観覧席でこちらを見上げている。

「最後のチャンスを上げますわ」

 自信満々で言う彼女――反面、一夏は一言も口を動かさない。
 自分を無視するような反応に、面白くなさそうな表情を浮かべてから言った。

「わたくしが一方的な勝利を得るのは自明の理。ですから、ボロボロの惨めな姿を晒したくなければ、今ここで謝るというのなら、許してあげないこともなくってよ」

 敵からの攻撃照準レーダー波の照射を検知、狙われている事を告げるISの警告音。引き金を引く段階に来た、返答や如何に――そう迫っているのだろう。
 一夏は押し黙ったまま、不機嫌そうに唇を閉じている。その反応が不愉快なのか、セシリアは言う。

「……黙ってばかりでは分かりませんわよ? 聞きましたけど貴方本当に教官を倒したんですの?」
「……あれは単に先生がドジなだけだ」
『ひ、酷いです織斑くん!!』
『……いや、山田先生。悪いがあの件に関しては私も弁護の余地が無い』

 モニターでこちらを監視している織斑教官と山田先生(巨乳・ドジ)がなにやら喋っている。
 それを聞き流しながら――織斑一夏は言う。弾、俺、やってみるからな、と呟いて。

「織斑教官。……マイクを使います。観覧席の人達にも聞こえるように。伝えてもらえますか?」
『あ? ああ』

 その言葉の意味が理解できず、聞き返す千冬姉。




 一夏は――宣戦布告を始めた。




『俺は、今んとこ、この世で唯一ISを扱える男だ』

 突然の彼の言葉の意味が分からず、アリーナからざわざわと声が聞こえる。

『以前――みんなと話していた時に聞いた事がある。男女別で戦争が起きたら、男陣営って三日も持たない……うん、事実だ。実際に扱ってみて分かるけど、今の俺を包むこの万能感……初めて扱うけど凄く強いって分かる。確かにこんなのが467機もあったら。男なんて――速攻白旗を上げちまうよな』

 笑う。
 今まで溜め込んできた怒りの蓋を僅かながら、ずらしたような――それは正面に立っていたセシリアが、一瞬背筋をびくりと震わせるほど……激しい殲滅の意志を含んでいた。




















『……だから俺は、もし男女間で戦争が起きた場合――残り466人の扱うIS全てと戦ってこれに勝利しなければならない』




















「……いち……か? お前……」

 篠ノ之箒は――今喋っている一夏を……まるで信じられないものを見たような眼差しで見上げた。
 彼は、何を言っているのだ? その内容が理解できず、まるで金縛りにでもあったように動けないでいる。周囲の候補生たちのざわめきが大きくなる。突然の言葉に、冗談で言っているとでも思っているのか――アリーナでの喧騒は大きくなるばかり。
 なんという――無謀な発言。
 それは言わばこのIS学園全ての候補生達を将来の敵と想定している事であり、その間に横たわる巨大な戦力差を上回り凌駕する事を決意した、まったく現実を見ていない発言。
 
「なんて――」

 だが、誰もが笑うような発言をどう考えても現実を見ていない夢想そのものの言葉を語る彼を見て――驚きと共に、その姿を美しいと思ってしまうのか。箒は幼馴染の姿を見上げたまま、魅入られたように彼の姿を瞳に納め続けた。




















『男で女と対等に闘えるのは――人類60億の半分、30億人中たった俺一人なんだ。
 だからすまない、セシリア=オルコット。……はっきりと言っておく。……俺はお前と遊んでいられるほど、人生に余裕が無い』

















「い、一夏くん……なにを言ってるんですか?」
「…………たった一人の男のIS搭乗者――肩の力を抜いて訓練に励むなど……どだい無理な話か」

 山田真耶先生は、教え子の言葉に困惑を隠しきれず――織斑千冬は、弟が変わったその理由を言葉から全て察し、その体に圧し掛かる絶望的なプレッシャーを思い、思わず顔を泣きそうに歪めた。
 なるほど、そうだったのだ――納得すると同時に、弟がこれから歩む苦難の道のりに、彼女は言葉もでない。
















「貴方……正気ですの?」

 まるで自分の存在をどうでもいいものと扱うような一夏の言葉に、セシリア=オルコットは怒りを覚えるよりも先に――恐怖を感じていた。恐ろしくて仕方ない。どう考えても痴人の妄想に類するそれを語る目が、どう考えても無理な話を本気で実現すると言っていた。現実を見据えながらも不可能な夢を実現するためにはどうすればいいのか探り続け足掻き続ける事をやめないと告げていた。
 如何に彼女が才気豊かで実力が優れていてもそれはあくまで候補生の領分の話。今の彼女は学生身分だ。実際に国家代表となったISの搭乗者と比べられる訳がない。彼女よりも実力あるISの搭乗者は大勢いる。いや、理屈では理解できる。もし男女間で戦争になったと仮定して、そうなれば彼は男の陣営に付くわけだ。

 ……だが、勝てる訳が無い。
 
 466対1。子供でも計算できる絶望的な戦力差。正気で挑める数ではない。
 だからこそ、セシリアは織斑一夏のその瞳の中に宿る色に――色濃い狂気の輝きを見た。正気では成し得ぬ事を欲する正気と狂気を両立させた半狂の目。



 なんて――美しく狂った眼差し。
 
 

 そう考えてから、彼女は――わ、わたくしなんて表現をしてますの――と動揺した。

「確かに、正気で成せるような目的でもないからな。だけど、望む事を諦めたら、何にも届きやしない」

 化け物――思わずそんな言葉が喉奥を突いて出る。
 呑まれている。自分自身が相手に気力と気迫で圧倒されつつある事を自覚する。能力的には絶対的に自分が有利であるはずなのに、今すぐ此処から逃げ出したいような感情に彼女は駆られていた。
 
「始めようぜ」
「……ッ!! そうですわね!! ……さ、さぁ、踊りなさい、わたくしセシリア=オルコットと<ブルー・ティアーズ>の奏でる円舞曲(ワルツ)で!!」
 
 だから、押し殺したような一夏の言葉に弾かれたようにセシリアは敵機を照準する。
 構えるのは二メートルを越す巨大な六十七口径の特殊レーザーライフル『スターライトMK-Ⅱ』。彼女に従う従騎士のように――四枚のフィン・アーマーがはずれそれぞれが独立した動きを見せる自立機動砲台『ブルーティアーズ』。それを初めて搭載した機体だからこそ、唯の武装名が機体自身を指す名称になっているのだ。
 
 だからこそ、織斑一夏が行うのは近接戦闘――選択肢がこれしかないとも言う。

「そこをどけ、セシリア=オルコットォォォォ!!」
「この……このわたくしを踏み台扱い?! 増長慢もここに極まれりですわ!!」

 一夏は<ブルー・ティアーズ>に対して突撃――ただし当然ながら一直線ではなく、緩やかな曲線を描きながらの前進、相手の射撃に対する回避挙動を絡めた、初めての実戦とは思えない理に叶った動きだ。

「それなりに早いですわね、でも駄目ですわ!!」

 放たれるレーザー――光の速度というわけではないのが救いか。横切る破壊エネルギーの塊に、ひやりとするものを感じながら突撃。近距離――ブレードを振りかざす。
 
「背中が、お留守ですわよ!?」

 だがそれを見逃すほど彼女は甘くも無ければ弱くも無い。後背に回りこんだ機動砲台が背中から一撃を叩き込んだのだ。
 その衝撃で攻撃のチャンスを潰され――揺らいだ体勢へと至近距離の一撃を放つセシリア。

「……ッ!!」

 横方向への瞬時加速――凄まじいスライド移動を見せ回避しながら、自分の機体の特性を推し量る。
<白式>、完全な近接戦闘特化型。武装はブレード一本という狂気的武装。ライフルの一本ぐらい欲しい――だが、と考え直す。装甲は割と分厚い。その癖推力は非常に高い。先程セシリアの懐に飛び込めたのもこの高出力の賜物だ。懐に飛び込むためのパワーとタフネスをコイツは備えている。
 ……と、すれば――相手が安全マージンを取るために今後は遠距離戦を持ってくるのは確かで。

「この<ブルー・ティアーズ>を相手にブレード一つで挑むなんて本気ですの?」
「生憎と量子変換されてた武装がこれ一つなんだよ」

 真実である――そしてこの場合、真実こそが相手を陥れる罠になる。考えたのだ、自機の武装がブレード一本と知り――アリーナに来るまでに何度も勝つための手段を。



 







「――二十七分。持ったほうですわね。褒めて差し上げますわ」
「…………」

 セシリア=オルコットは自らの優勢を証明するかのように言う。
 結局あれから、徹底して相手の接近を拒む射撃と機動を繰り返し、徐々に<白式>のエネルギーを削り落としていった。勝利は目前なのだ――だが、それでも彼女は自分が絶対的に優位である事を言い聞かせようとする。
 勝っている事は間違いない。……なのに、先程から背筋に張り付いて離れないこの寒気の正体はいったいなんなのだろう。
 織斑一夏の眼差しには――焦りはある。だが諦めの色だけがどこを捜しても存在しない。

 勝てるはずですわ、そう言い聞かせる。相手の武装は近距離ブレード一つ。これまでと同じように安全マージンをとりつつ、徹底して射撃戦に持ち込めば勝てるはず。
 彼女は再度、敵機に照準を合わせた。



 そして当然――織斑一夏は勝負をまるで捨てていなかった。


 
 使用した武装はブレード一つ。相手のミサイル型機動砲台はこれまでの戦闘で切り捨てた。あれが彼の一番の障害だったからだ。

(……思考の間隙を突け、織斑一夏!! こっちには近接ブレード一本であると相手の頭の中に染み込ませるために殴られ続けた……そろそろ殴り返してもいい頃合だ!!)

 突撃を仕掛ける一夏――馬鹿の一つ覚え的な前への前進。
 牽制射撃をやって相手の機動拘束ができるならばもう少し違うのだろうが――無いものを強請っても仕方ない。
 接近を警戒し、再び相手を避ける回避機動に移った<ブルー・ティアーズ>を追う――これまで幾度も追い縋って逃げられた。そして今回も同じくセシリアは理に叶った動きで――即ち予測の範疇を出ない機動を描いた。
 それこそ望み――織斑一夏は、どんぴしゃ!! と口の中で呟き。


 ブレードを投擲した。


「……ッ!!」

 織斑教官、山田先生、アリーナの観客、篠ノ之箒、そして闘っているセシリア=オルコットを含めた全員の予想しなかった愚行であった。
 飛来するブレード。確かに命中すればダメージが期待できるが――それは同時に武装を全て失う、相手へのダメージを与える手段を全て失うということでもある。ましてや火器ならば兎も角、FCSの助けすら得られない投擲が命中するはずがない。
 事実、驚きこそしたものの、<ブルー・ティアーズ>は咄嗟に回避。狙いを外したブレードはあさっての方向に飛んでいく。
 だが――セシリアは僅かながら動揺していた。
 相手の武装はブレード一本。ならば攻め手は近接攻撃しか有り得ないという思考の硬直を突かれた形。一瞬背筋に走る冷や汗を感じながら敵機に相対しようとし――織斑一夏が、その彼女の思考の硬直による僅かな隙を見逃さず、接近戦を仕掛けている事に気付いた。

 一瞬浮ぶ焦りの感情。

 だが大丈夫と考え直す――相手は唯一の武装を投げ捨てた。ならば攻める事も出来ずに周囲に散らばる機動砲台で奴を仕留める。そう考えたセシリアの内心を――見透かしたように、一夏は薄く笑った。

「お前は一つ勘違いしているな」
「きゃあっ!!」

 そのまま瞬時加速でセシリアの腹に飛び込むように体当たりを仕掛ける<白式>。避けきれず、その露になったままの腹部に顔を埋めるような体勢で、両腕を回し、締め上げる。相手の顔面が自分のおへその辺りに当たっている事に言い様の無い恥ずかしさを覚えながらセシリアは叫んだ。

「お、お放しなさい、この変態!! ブレードも無いくせに、もうわたくしに勝てるはずがありませんわ!!」

 一夏は無言のまま――推力をマックスにして上空へと上昇。相手を掴み上げたまま加速する。それは明らかに以降のエネルギー残量を無視した、過剰な使い方。戦闘機でいうなら、アフターバーナーの使い過ぎで燃料を失って墜落しても構わないというような後先考えない行動。
 音速を突破した機体が、飛行機雲(ヴァイパー)を引きながら急速上昇。

「……武器なら、あるじゃないか」

 一夏の微笑み。魅力的で危険な雰囲気。とても悪そうな笑顔。接近戦を行うための大推力は、一人ぶんのISを捕らえたままでも十分な加速を行っていく。 
 そのまま――まるで相手のお腹を掴んだままバックドロップでもするかのように、地上目掛けてインメルマンターン。逆Uの字を描きながら――今度は大地を頭上に見上げるような超高速落下を始める。勿論ブーストはマックスのままの落下。高度を落下速度に変換し、凄まじい勢いで降下。高度一万からの逆落とし。パワーダイブどころではない、地上への激突コース選択。ISの絶対防壁があったとしても、人である以上、大きく迫る巨大な壁の如き大地の存在に対する原始的恐怖心を抑えられるわけが無い。
 
「あ、あなた!!」
「……昔から思っていたけど、『お前を地球にぶつける』より、『地球をお前にぶつける』の方が強そうな気がするんだよな」

 同時に、<白式>がスラスターから推進炎を吐き出しながら機体を回転させる。此方が容易に機体制御を立て直せないようにする嫌がらせだ。そう、これぞ日本を代表する忍者漫画から着想を得た、近接戦闘における『投げ技』。
 咄嗟に彼女は<ブルー・ティアーズ>の唯一の近接戦闘武器であるブレード『インターセプト』を展開し、相手に突き立てようとするが――そもそも遠距離射撃を得手とする彼女は近接武装の量子変換が得意ではない。他の武装は意識のみで呼び出せるのに、それだけは声を出して転送する初心者用の手法でしか呼び出せない。
 それに……第一、もう間に合わない――!!

「きゃ、きゃ……きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「忍法……」

 引きつったような声――<ブルー・ティアーズ>の推力では最早立て直す事が出来ない加速度が付いたと見るや、<白式>は回転する相手から即座に離脱。最大推力で機首起こし引き上げ――そして背後で上がる悲鳴と、大地に墜落した轟音が重なる。

「飯綱落し……!!」
 
 さしもの<ブルー・ティアーズ>といえども、高度一万からの超高速墜落を受けては無事でいられなかったのだろう。絶対障壁が発動し、全てのエネルギーを失った機能停止した相手。彼女を中心に広がるアリーナの地面に刻まれた巨大なクレーターを見下ろしながら、一夏は自分が勝利した事を悟る。
 そう、こちらの武装がブレードのみであり――戦場で組み打ちの技術がまだまだ有効であることを忘れていた、武器を使う戦いに慣れすぎていた事が彼女の敗因だった。


 ――フォーマットとフィッティングが終了しました。確認ボタンを押してください。


 と、勝利した一夏に掛けられる<白式>のシステム音声。いぶかしみながらそれを押せば――ISが光の粒子になって消え、すぐに新たな形へと再結合する。
『初期化(フォーマット』と『最適化(フィッティング』。これで<白式>が完全に一夏の専用機となったのだ。先程の工業規格的な無骨な形状ではなく、より洗練された中世の鎧を思わせる形へと変化している。
 未だにもくもくと土煙を上げる、忍法飯綱落しの着弾地点に視線をやりながら、織斑一夏は情けなさそうに眉を顰めた。……もう少し早く終わればもっと楽に勝てたのに、戦いが終わってから完了するのでは興醒めもいいところである。

「……おそ……」

 彼が嘆息を漏らすのも、至極当然の話であった。




 



 帰還した一夏を出迎えたのは――姉である織斑千冬の拳骨。
 誰もいない二人きりの場所で、初陣を勝利で飾った自分に対して褒める言葉でも出るのかと思ったら全然そんな事は無かった。

「良くやった。一夏」
「……褒められている気がしないのはなぜですか、織斑教官」
「千冬姉だ、ばか者」

 ん? と思う一夏。その言葉は、今はプライベートで接しろという意味。
 どういうことかと首を傾げる彼に、言う。

「お前の覚悟と決意は理解した。……だが、一つだけ訂正しろ」
「え?」
 
 そういいながら、千冬は弟を抱きしめ――背に回した手で、あやすように背中を優しく叩く。

「……もし、男と女で戦争が始まった際――お前が闘うべきISは、465機だ」
「……千冬姉」
「ふ……たった一人の家族を守ろうとする事がそんなに変か?」

 姉の言葉に含まれた意味を、一夏は理解する。
 世界で唯一ISを扱える男性――その背に負う絶望的なプレッシャーを少しでも肩代わりしようという言葉に、一夏は俯く。目頭の奥から湧き上がる涙の情動を、姉に見られたくなかったからだ。そんな弟を優しく微笑みながら、千冬は言う。

「そして、その場合私達が闘うべきは、一人のノルマが233機と232機だ」

 微笑みながら――お前の味方をしてやると、言ってくれた。

「どうだ? だいぶ楽になっただろう?」
「ああ、うん……ありがとう、千冬姉……ッ!!」

 目頭を抑え、溢れる涙を拭いながら、一夏は応えた。




「すっげぇ……楽になった!!」




























今週のNG



 日本で、こんな話がある。



 ある日、弓矢を背負って山中を歩いていた侍が、道脇に座る男を見つけた。その腰に下げている太刀は身なりに似合わず見事な拵えで、思わず金銭と引き換えに譲ってもらうように頼んだ。
 するとその男は――『銭はいらねぇ。代わりに弓矢をくれ』と言ったのである。
 弓矢一式でこの見事な太刀を得られるならば構わぬと弓矢と交換したその侍。ほくほく顔で帰宅しようとしたところ――弓矢を番えた男が狙いを侍に向けて一言。『待てい、それは商売道具の大切な太刀。命が惜しくば身包み全部置いていけ』。男は見事に追いはぎに早代わり。如何に見事な太刀であろうとも、遠間から相手を射抜く弓矢が相手では手も足も出るはずも無い。命を質にとられた男は金も衣服も奪われてほうほうのていで逃げ帰ったとさ……。


 ……細かなところは違っているかもしれないが、大まかな意味としてはその辺りだったはずである。
 これは戦国時代の日本の文化的素地として――合戦でもっとも重要な武装とは相手を遠距離から一方的に射殺できる弓矢であり、太刀の外見の眩さに目が眩み、一番大切な武器をみすみす敵に渡してしまった侍の愚かさを笑う話なのである。古来日本で、強いという事を意味するのは弓の名手を指すのだ。

 この逸話を考えれば、如何に射撃武装が白兵武装に対して優位に立てるのかが分かるだろう。

「嬉しがらせか」

 だから――自分に支給されたIS『白式』に搭載された武装が、参式斬艦刀一本と知ったとき、織斑一夏がとても嬉しそうな顔をしたとしても無理は無いだろう。どう考えてもこれは勝つる。近接武器よりも遠距離武器のほうが強いとかそういうことなどお構い無しに、このむさ苦しいまでに漢臭い武装の放つ圧倒的な存在感が、確実な勝利を予見していた。

 前の逸話、挿入の意味無いじゃん、という突っ込みは無しであった。






作者註

 今週セシリアさんには最初キン肉ド○イバーを喰らってもらう予定でした。(え)
 あと一瞬八つ墓村のように頭から地面に突き刺さってもらおうかと思ったけど、女の子にそれはひどいのでやめました。
 とりあえずこれぐらい頑張れば、原作主人公がモテモテになっても……いいかな?(えー)



[25691] 第四話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/08 13:13
 空を奪われた時の事は良く覚えていた。
 世界十二カ国のミサイル基地に対する大規模なハッキング攻撃、引き起こされたのは計2000発のミサイルが日本へと発射されるという事態。首脳陣が悲鳴をあげていた。前線の兵士も同様にだ。比類なきジェノサイド。島国一つを消滅させるに足る破壊力。
 
 ……そしてその事態を鎮圧したのはたった一機のIS。
 
 世界初のIS『白騎士』とそれを操る織斑千冬だった。
 そんな彼女に対して各国首脳が取った手段はクレイジーだった。……2000発のミサイルを膾に捌いていった機体を生け捕りにしろ――と。
 ……空軍のパイロットにだって誇りはある。
 まず彼女が日本を救ったと聞いたとき、自分達が思ったのは純粋な感動と感謝、そして自分達になしえない事を成した賞賛の念だった。 そんな、ある意味世界の恩人とも言える彼女に対して――銃を向けろという命令に、前線の兵士達の士気はまさしく最悪の一途を辿った。それに、そもそも自分たちでどうにも出来なかった2000発のミサイルをどうにかしてしまった相手を自分たちでどうにか捕まえろというのはなかなかセンスの悪いジョークだと思っている。
 ある意味彼女は2000発のミサイル以上のクレイジーな相手なのだ。
 だが軍隊の悲しさか――ミサイルよりも一機のISの方が組し易いという上層部の思い込みによる命令には従わざるを得ず、そして軍人たちは勇敢に敵に挑み……猛々しく惨敗した。


 世界の軍事技術は大きくISに傾斜する事になり、かつての戦車や戦闘機の巨大メーカーの幾つかが潰れた。
 現在シェアを握っているのは戦争の時代の変遷を強かに嗅ぎ取り、素早くIS開発事業に鞍替えした企業達だ。篠ノ之束はそういう意味でも大勢の人生を変えている。


 ……当時、発表された当初のISに対する注目度は低かった。
 

 世論では唯の宇宙用パワードスーツ。スペックは開示されてはいたものの――その数字を見てどの企業も『ただの法螺』という認識しかしなかった。ましてや女性にしか扱えないという奇怪な欠点が――戦場には男性が出るものという当時の風潮に合わなかった。
 だが2000発のミサイルを全て膾にしたという巨大なインパクトは、世界各国の軍事関係者の耳目を引き付け、そしてあれよあれよと言う前に戦闘機や戦車の全ては廃止される事になった。篠ノ之束博士はあっという間に時の人になった。
 
 ……犯罪が起きた際、まず警察が疑うのはその犯罪によって何者が一番の利益を得たか――そこを洗う。

 そう考えるのであれば、条件に該当するのはISの生みの親である事になる。そして彼女はそれを実行するだけの理由と実行可能な能力があった。
 自分のような一介の空軍パイロットですら考え付くような事を、海千山千の政府高官が思いつかない訳が無い。
 だが、その事を追求しないのは確たる証拠が無いか、或いは友好関係を結び続ける方が益になると考えているためなのだろう。そして世界の軍事主力はISへと移り変わり――時代遅れのファイターパイロット、アメリカのトップガンだった己は地を這い回り落ちぶれ果てるはめになった訳だ。


 酒に溺れた。
 空軍のエリートだったというプライドは見るも無惨に地に落ちた。
 妻であるレイチェルは、最近花形技術となったISの制御中枢である量子コンピューターを構築する超稀少金属であるメタトロンの技術者、機械工学の専門家としてあちこちの専門機関にひっぱりだこになった。……それでも現在はメタトロン技術者として、他社に押され中小企業に成り下がった元からの会社であるネレイダムに未だ在籍をしているのだが。

 我が身を振り返れば、あまりの没落ぶりに涙が止まらなかった。
 故郷のアメリカに帰るのもばつが悪く、基地から退去を命じられ――家族と連絡をする気にもなれず、日本で日雇い労働に従事するほどになってしまった。
 幸い体は驚くほど頑健であったものの、どうにも我が身の没落振りが信じられず――酒を飲み漁りくだをまく典型的な駄目親父に成り下がっていったのである。
 幼い少年に、女尊男卑の現状は当たり前だと指摘されたとき――時代の変遷と、そしてそれに取り残された自分に泣いてしまったのは、一生モノの不覚である。


『あの、ジェイムズ=リンクス大尉ですか?! サインください!!』

 五反田食堂でビールを飲み漁りくだを捲く、後から思えば顔から火が出るような醜態を晒したオッサンのジェイムズに――再び人生の気概を取り戻してくれたのは、当時5歳になるその食堂の息子だった。
 その眼差しに込められていたのは、明らかに英雄に対する憧憬。かつて精気溢れる軍人として国防に従事していたとき、満身に漲る誇らしさと共に幾つも浴びていた懐かしいものだった。
 酒気で濁った体と、男性に対する侮蔑の眼差しに慣れきった魂は――少年のその眼差しに、確かに救われたのである。




「あ、こんばんわ、ジェイムズさん」
「よぅ蘭ちゃん」

 近隣に住む運送業の中年男性であるジェイムズ・リンクスは、くすんだ金髪に無精ひげが目立つ堂々たる巨躯の男性、旧時代のいわゆる「タフガイ」とも言うべき男性であり、ここ五反田食堂の常連さんであった。
 数年前にここの一人息子へと何年ぶりかのサインをねだられた事が縁で、良く顔を出す人であった。
 それににこやかな笑顔で相対するのはここ五反田食堂の一人娘の五反田蘭であった。日本人にしては珍しい赤い髪に整った顔立ち、名私立女子校の生徒会長も務める才色兼備の自慢の娘だ。
 そんな彼女は日曜日の休日や学校が休みで特に何も用事が無ければ食堂の看板娘をやっていることが多い。

「弾はいるかい?」
「……さぁな」

 今や戦闘機などの旧来の兵器と専門的な話が出来るのは、世代を超えたあの少年しかいないのである。
 息子のレオンは今ではエリートサラリーマンで、娘のノエルは建設現場で働いている。……一作業員ではなく、現場監督というのがなかなかスゴイが。妻のレイチェルや家族全員は今全員アメリカ。ジェイムズ一人が、パイロットを辞めた後、家族に顔が出せずしばらく失踪しており――立ち直った今では連絡は頻繁に取っているが、今はどうにも家族と顔を会わせ辛く現在では日本で長距離トラックの運送業をやっている。
 そんなジェイムズの声に不機嫌そうに返すのは、一度食べた人がなんとも言えない表情になる駄々甘な南瓜定食を作っているここの店主であり二人の父親だった。
 あまり愛想のある人ではないのだが、しかし今日はいつにも増して不機嫌そうな印象を与える。ふと、見れば――同様に蘭も顔を曇らせていた。
 ……なにか、良くないことがあったということは分かる。それも、弾関係で相当に普通ではない事が。
 それでも自分達だけで考えるのが辛かったのだろうか――まるで鉛でも吐くような苦しげな様子で、蘭が言った。

「……お兄ぃ……私達の知らないところで勝手に高校を休んでいるんです。しかもその後――PCで三日近く、なにか一心不乱に作業を続けているんです」




「……ターゲットの自宅に一名、入りました。……素人じゃありませんね」
「構う事は無い。家族以外は射殺しても良いとお達しだ」

 街中のわりとありふれている五反田食堂に対して路地裏から穏やかならざる危険な言葉を吐いているのは、スーツに身を包んだ数人の男たちだった。見るものが見れば分かるだろう――懐には拳銃。スーツは一見して高級なブランドものだが、その実都市での隠密行動に従事する非合法工作員が使うスーツに偽装されたボディアーマーだった。
 紳士的な風をいかに装うとも隠しきれない暴力の臭い、他者の苦痛に対し意図的に想像力を働かせない精神。汚れ仕事、濡れ仕事を専門とする傭兵であった。

『五反田弾の家族を誘拐せよ。尚、五反田弾本人を確認した場合、即座に離脱する事』

 解せない命令ではあった。
 彼らはプロ――勿論世界最強の戦力であるISには流石に勝てる訳も無いが……それ以外の凡百の人間なら片手間に殺せるその手の専門家だ。ISによる軍人の大規模解雇に伴う悪しき弊害の申し子。彼らが保有していた戦闘技術を金で売り買いする傭兵達は――後半の一文が理解できない。
 平和ボケした日本の家族を誘拐するだけの至極簡単な作戦。拘束など容易い仕事である。
 ……で、あるにも関わらず、その青年一人を確認した場合は早急に離脱せよ――どうしてそんな一文を追加しているのか不明だった。
 とはいえ――依頼人である『亡国機業(ファントムタスク)』の事情に対して詮索するのはマナー違反だ。彼らは、予定通り行動を開始しようとして、ふとそこにいつの間にか少女が一人佇んでいる事に気付いた。
 扇子をその繊手に携えた、17ぐらいだろうか? どこか全体的に余裕を持った悪戯な猫を思わせる――ただし猫科には猛獣が多いといことも同時に連想させた。銃器に対しても今と同じ余裕を保つ事が出来るであろう自負を感じさせる少女。しかし彼らからすれば一番の問題は、彼女がIS学園二年生を示す制服を着込んでいることだった。
 
「ふぅん、まさか――本当にこういう人達を動かすんだね」

 男達の反応は迅速無比であり同時に判断も正確だった。
 相手がIS学園の生徒であり、ISを保有しているのであれば――相手が子供であろうとも絶対に勝てないと断言できる。展開されれば少女の姿をした重戦車、戦闘機となる。ならば彼らが取りうる手段は単純に一つ。相手が展開するより早く殺すしかなかった。
 鋭い動作で抜き放たれる銃器。銃身自体に消音装置が内蔵された特殊部隊用の隠密拳銃を発砲。殺傷力を高める二連速射(ダブルタップ)で繰り出された弾丸は二発ずつ。頭蓋、喉笛、心臓――三名が言葉も無く合わせて放った弾丸はそれぞれ狙いを過たず急所を破壊する――だが、致命傷を受けたはずの彼女はまるで意にも介さず、微笑む。途端、まるで全身を液状化したように、大量の水となって身体が崩れた。 
 幽鬼か冥府の眷属かと背筋を寒くしたのは一瞬、理性と知識でそれが液体を利用した囮なのだと気付き、背筋を寒くする男達――その頭上、ビルの上から見下ろすのは、全身のあちこちに流体装甲を纏う特殊なタイプのIS<ミステリアス・レイディ>を身に装着した少女。
 更識楯無――こういう非合法活動を行う相手に対する、防諜や、カウンターテロ、カウンターアサシネーションを古来から受け持つ更識家の十七代目を踏襲した外見からは想像できぬ達人の少女はにっこりと笑いながら――四連装ガトリングガンの照準を合わせる。
 流石に男達も――人間を挽肉にするに十分すぎる口径の機関銃を向けられては降参せざるを得なかった。

「はい、大変素直な大人の人は大好きですよー」



 IS学園の生徒会長であり、こういった汚れ仕事を専門に行う人間に対処する対暗部組織の人間である彼女が、わざわざ人間相手に出張ってきたのは、普通に考えれば大仰に過ぎる。
 そうせざるを得なかったのは――数日前に起こった二機の正体不明のIS同士の戦闘であった。
 一機は、残っている映像からしてアメリカから奪取されたと思しきIS<アラクネ>。ただし、困った事に彼女を連行中の日本のISは、正体不明の蒼いISによって制圧され、この事件の一方の当事者からの尋問が不可能になってしまっていた。


 問題はもう一機の正体不明ISの方である。
 暫定的な呼称は『ブラックドッグ』――全身装甲(フルスキン)を身に纏った狗を連想させる頭部を持つ機体だ。前述の<アラクネ>と、この『ブラックドッグ』が交戦し、そして<アラクネ>が敗北した。
 ……偶々近隣の住民が撮影していたその第一級資料となったものの内容は、IS学園最強である彼女ですら心胆を寒からしめるものだった。
 現行最新の第三世代ISを軽く凌駕する機動性能、膨大な数のミサイルをただの一正射で撃滅する高度な同時捕捉能力、殆ど実像にしか見えないデコイを展開する能力。
 普通、戦争で一方の技術力が突出しているという事例は少ない。相手側が持ち出す新兵器などは概念レベルなどは敵側も持っているのが大抵で、新兵器は想像だけなら存在する場合がほとんどだ。
 ……だから、この『ブラックドッグ』が如何にとんでもない存在であることを彼女は知っていた。想像すらできない高レベルの兵器を使いこなすIS。極秘裏に行われた世界各国への問い合わせの結果は――どの国もこれに該当するISを知らないという結論だった。
 
 奇妙な事はもう一つある。

 先日、織斑一夏に対する暴行未遂で監視対象にあった彼の親友である五反田弾――楯無と、その幼馴染の二人である布仏虚(のほとけ うつほ)と布仏本音(のほとけ ほんね)がお肌の美容と健康を犠牲にしながら一晩中職務に従事した結果、白と判断された弾。
 彼を監視していた工作員を引き上げようとしていた矢先の出来事だった正体不明機同士の戦闘。

 ……問題は、彼らが保有していた最新式映像機器には肝心の『ブラックドッグ』の機影は欠片も移っておらず、むしろ旧式のカメラなどのほうが実像を鮮明に映し出していたのだ。ならばと周辺の監視カメラなどの映像を確認してみれば――やはり何も写されてはいない。方法は不明だが最新の映像機器では姿を捉える事も出来ず、また監視カメラもどうやら高度なハッキングによって内容が改ざんされている事が伺えた。もし近隣住民の撮影が無ければ資料の無い謎の物体がISを撃墜したと報告しなければならなかっただろう。そんな曖昧な報告では上の腰も重くなる。
 
 唯一救いのある報告といえば――どうやら『ブラックドッグ』は、町に被害を出さない事を優先に闘っていたらしい。二者が被害を気にせず、搭載していた火器を全力で展開した場合、大惨事になっていただろう。……これもある種、ISの弊害ではあった。身体に装着する服飾品の形状が一般的なそれを隠すための装置と発見するための装置開発はいたちごっこになってしまう。

「……五反田家か」

 楯無はなにやらでかい声で叫び声を上げる中年の男性の声を聞きながら目を向ける。
 今先程の男達は――明らかに五反田家に対して攻撃を加えようとしていた。……織斑一夏に対して暴行を加えるところだった彼と、そしてその彼に対する攻撃。……偶然で済ますには少し危険なにおいを感じる。

 ……そして、もし彼が『ブラックドッグ』の持ち主であるならば――ISに対抗出来るのはISのみ。学園最強の生徒会長であり、こういう濡れ仕事もこなす彼女の出番というわけだ。

「はぁ~。お姉さんとしては、何事も無く平穏無事に終わってくれれば問題なしだけどなぁ~」

 

 
『おいコラ弾!! お前蘭ちゃんとか親父さんに黙って何してるんだ!!』

 あー、一段落付いたー、と思い、最近は不眠不休、まるで魂を刻み込むように作業に没頭していた弾は自宅の椅子の上で背を伸ばして大あくびを吐いていたが、どんどんどんッ! と激しく壁を叩く音に驚いて椅子からずれ落ち、腰を強く強打した。
 正直なところを言うならば――今すぐ睡眠を取りたい所なのである。内容は全て弾の脳内に入っているのだが――頭の中からアウトプットしたこれはむしろ他者に対する交渉のカードとしての側面が大きい。ついでに、問題はないだろうが念のため自室のPCはネットへの接続を切り、ある意味最高のセキュリティであるオフライン状態に移行した。
 
「……ジェイムズさんか、いいタイミングだったがもうちょっと時間おいて欲しかったぜ」
『同感です』

 脳内に響くデルフィの声を聞きながら、弾は扉を開け――瞬間伸びてきた腕に襟首を掴まれた。
 見れば今年四十九歳、既に独立した息子と娘の二人と美人の奥さんをアメリカに持つジェイムズのむさ苦しい顔がドアップで近づいていた。

「良いか、家族ってのはどんな時でも隠し事なんて無く暮らしていかなきゃならねぇもんだ! それを病気でも無いのに高校に出ないなんて……いじめか、いじめなのか!! 俺で無くても良いから家族には全部つまびらかにするんだ!!」
「前半の台詞はアイザック・バレットの『HOW TO BE A DADDY』からの受け売りだろ? ……でもまぁありがとう、ジェイムズさん」

 弾は湧き上がるあくびをむにゃむにゃと噛み殺しながら――三日間の不眠不休の集大成であるそのプログラムを保存する。
 それから――不意に顔を引き締める。ジェイムズの後ろから心配そうに部屋の中の様子を覗いていた蘭を視界の端に収めながら弾は言った。
 
「……なぁ、ジェイムズさん」
「なんだ」
「奥さんのレイチェルさんにメールは出した? 一つあの人に便乗して見てもらいたいものがあるんだけど」

 こう見えてジェイムズ=リンクスは筆まめである。
 一週間に一通、家族宛てで手紙を贈るために撮影機器の操作説明をしたり、撮影の手伝いをしたりするのは弾と蘭の仕事でもあった。……まぁ元々ジェイムズは、過去、一日一通のビデオメールを送るぐらいだったのだが、流石に向うの家族からも毎日手紙を送られるのは叶わないと怒られ一週間に一度になったという経緯があったりする。
 しかし――時折一緒にビデオメールに出演する事があったりする五反田兄妹であったが、しかしそこに私的な用事を付随させるという事は初めてだった。

「そりゃ構わないが――なにをやるんだ?」

 ジェイムズが意外そうな表情を見せるのも仕方ないのかもしれない。
 その言葉に頷きながら、弾は――更々とペンを走らせ、蘭には見せないようにする。


 紙に書かれていたのは――盗聴されている可能性あり、という言葉。


 かつて軍人だった経験もあり、ジェイムズはその言葉に眉を見開き全てを理解する。
 
「場所を変えようぜ」




 衣服に盗聴器が付けられている可能性は衣服全てを新品に変える事で捨てる事が出来る。室内ではなく室外での会話を選択したのは、二人を監視する人間を即座に見抜く事ができるからだ。遠距離から空気振動を検知して声を拾う機器などの存在も考慮して、弾がジェイムズに連れられてやってきたのは空港付近。
 もし盗聴器があったとしても、滑走路を走る旅客機の爆音によるノイズで音など聞こえないだろうし、さらに電子機器を介さずに肉声で会話することで二人の会話を盗み聞きすることが出来る者は皆無だろう。
 この数日で発生した内容を弾は話した。
 親友織斑一夏への暴言、その後の尋問、酒に酔った事――そして来歴不明の機動兵器<アヌビス>。
 親父の拳骨と雷、武装した不振な女に追われ、<アヌビス>を起動させたこと、そして――今日に至る。
 
「……つまりなんだ。お前さん……誰が何故お前に託したのか全く不明のISを使ったって訳か?」
「まぁ、そうなるな。……なんでこいつが俺に来たのか未だに謎のままなんだが」
『オービタルフレーム<アヌビス>の独立型戦闘支援ユニット、デルフィです。間違えないで下さい。そして以前も申し上げましたが、私が貴方の元に来たことは貴方に尽くすためです。………………何度も言わせないで下さい』
「……ふ、ははっ。なるほど随分可愛らしいお嬢ちゃんだな」
『からかわないでください』
「なんでこいつが俺に来たのか未だに謎のままなんだが」
『私が貴方の元に来たことは貴方に尽くすためです。………………………………ですから、何度も言わせないで下さい。私をからかっていますか?』
「実は……うん」

 ジェイムズが何か言いたそうな顔をした。
 彼も最初こそ半信半疑であるものの、こうも流暢に言葉を操る第三者――そして部分的に展開した<アヌビス>の腕を見せられれば全てを受け入れざるを得なかったのか――ふと、ジェイムズ=リンクスは真剣な表情で弾と話す。
 
「……で、お前さん、これからどうするんだ?」
「……ネレイダムと渡りを付けたい。あそこはフランスのデュノア社や、倉持技研とかに比べると規模は劣るが、ISのコア関連に使用される超稀少金属のメタトロンに対しては高い技術力がある。……そこで、俺を買ってもらいたいのさ」
「それが――あのデータか」

 弾が三日三晩を掛けて組み立てたデータ。……元軍人であったジェイムズには理解できる。アレは高度な専門的知識と確固たる知性に基づかねば描けぬ、ある種の整合性を持った――設計図だった。

「正直ちんぷんかんぷんなんだが、ありゃ何を書いていたんだ?」
「ウーレンべックカタパルトとその基礎概念。……空間圧縮による距離の壁を乗り越えるための基盤技術さ」

 生憎とジェイムズはそれが一体どういう意味なのかいまいち理解できなかった。
 確かに、五反田弾は学校の成績は常に優秀で――親の自慢の息子だったが、少なくとも学校の教育の次元を超えた高度な専門知識を有するほどの子供ではなかったはずだ。まるで他者が乗り移ったかのような知識は一体何処から流れ込んできたものなのか――そしてどこを目指しているのか。

「……お前さんの目的は? なにをするつもりなんだ」
「俺は……今の世の中がどうしても納得いかない」

 吐き出される言葉は、暗い情念の澱みが感じられるほど濁っている。
 嫉妬と羨望――<アヌビス>を手に入れたとしても、幼い頃から魂に染み付いた女性に対する拭い難いそれを言葉から滴らせながら、彼は言う。

「夢に挑みたくても挑めなかった気持ち。女性にしか使えないISとそれによって発生した女尊男卑の風潮が、俺はどうしても我慢できない。ジェイムズさんみたいな、誇りと栄光と共に空にあった人を地に追いやった現在の社会が腹が立つ。俺は――男にも使える、ISに匹敵する兵器をこの世に齎してやりたい。……挑む事すら出来なかった空への夢を、誰でも挑めるように全て奪い返してやる」

 眼差しに滾るものは、紛れも無くどす黒い復讐心であった。
 個人に対する恨みではなく、女尊男卑となった今の世の中の全てに対して喧嘩を売るようなその言葉。
 この時、この場所にはいないものの――それは織斑一夏の宣戦布告とどこか共通している。
 一夏は単身で、この世の表舞台で、世界の半分を敵に回す決心と、それに勝利せんとする気概を見せ。弾は単身で、この世の裏舞台から、女性優位の時代の理由となったISに匹敵する兵器を生み出す決心をした。
 両者に共通する目的とは――今のこの世の中を変えてやるという決心。

 そして、両名の心を支えるもの。

 それはこの十数年で男性から奪われたもの。圧倒的な軍事力に対して尚も戦う意思、今の現状に対して不満を抱く反骨心、去勢された雄には無い、男の心の中で轟々と激しく燃え上がる矜持の炎。女尊男卑の現状で僅かに生き残った漢の魂の奥底でぶすぶすと燻り続ける猛々しい男児の気概。
 単純明快にして、原始的とすら言えるオスのプライド。五反田弾と織斑一夏の二人に共通する激しい意思。
 言葉にしてなら、ただ一文で事足りる。即ち――彼らを支える全てとは……


『漢(おとこ)を舐めるな』


 の、ただ一つであった。








 ネレイダムの社長であるナフス=プレミンジャーから正式に誘いが来たのはその次の日だった。
 弾は、正式に高校を中退し――アメリカに飛ぶことになる。同時に条件として――五反田一家の傍のマンションにはネレイダムが手配したガードマン達がしばらくの間、陰日向に付き添う事になった。

「……ここか」

 自転車を止めて、視界の遥か彼方に存在する海上のメガフロートに建造された巨大施設であるIS学園を見やる。
 蘭には、自分がアメリカに行くことを一夏には伏せておくように頼んでおいた。少し頭の冷えた今なら彼の立場に対して想像する事もできた。悪い事をしたな、と思う。……今の彼はどうなっているだろうか? 自分が思わず零した激しい本心。……あの言葉で発奮したのか、それとも、何も変わらぬままなのか。
 いずれにせよ――弾もまたこの世と闘うつもりだった。彼は一夏と同じようにこの世で唯一の力を手に入れた。ならばその力を用いて、世界がもっと良き方向に向かうように努力しなければならない。あの時、『なんでお前だけが』という言葉を言った自分は――他者から『なんでお前だけが』と言われぬように努力する絶対の義務があるのだ。そして弾は己の全身全霊を掛けてその義務を遂行するつもりだった。

 同時に、自分自身に対する疑問もある。

 ……デルフィの意見が正しければ、俺は前世で神様とやらにこの世界に適合した<アヌビス>の保有を認められたはず。
 言わばなんら努力せずにそれを得たはずなのに――なぜああも高度な設計図を描く事が出来たのか。……俺の前世とは、一体なんだったのか? それをデルフィ自身に尋ねられぬまま、弾は海辺から遥か彼方のIS学園を遠方に臨む。実際に行くにはモノレールしかないのは入って来た人間を監視しやすいという機密保持の観点からだろう。
 弾は思う――自分は今からあれらに挑むのだ。
 指先を銃でも撃つように構え、弾は言う。宣戦のつもりで、或いはちょっとしたおふざけの気持ちで言った――「ばーん」と。
 



 どっかああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!




「あれ?」

 遠方で轟音が響き渡った。
 高出力のビーム兵器が空を焼く凄まじい音と、IS学園の中でも大きなドームのような施設に突き刺さる光の巨槍。それに伴う爆音……同時に光学ステルスを解除したのだろう。黒い人型を思わせるISが、そのビームによって貫通したドームのシールドの穴を通って中へと飛び込んでいく。
 同時にIS学園全体から――警戒アラームが海を隔てた此方にも聞こえてくるほどの大音量で鳴り響きだした。

『私ではありません』
「だよなぁ」

 弾は――先程の「ばーん」とタイミングを示し合わせたような正体不明機のビーム兵器の轟音に呆れたように呟いた。
 これではまるで自分がビームをぶっ放したような感覚であった。何かがいる――もしかして以前、自分に攻撃を仕掛けてきたISの関係者か? ……どうにも気になるな、と考え――彼は周囲に誰もいない場所を探して走り出す。

 アニメや漫画のヒーロー達も誰にも見られず変身するための場所を探すこの手の苦労はつきものだったのだろうか、と考えながら。









本日のNG

 問題はもう一機の正体不明ISの方である。
 暫定的な呼称は『ビッグコック』――全身装甲(フルスキン)を身に纏った狗を連想させる頭部を持つ機体だ。前述の<アラクネ>とこの『ビッグコック』が交戦し、そして<アラクネ>が敗北した。
 ……しかし映像を確認すればするほど、股間のものが――激しすぎる自己主張をしている。
 コックは男性器を挿す言葉。なんか楯無としては、本社施設に『BIG BOX』と名づける某企業に代表される下品なアメリカンジョークの欠片を垣間見たような気分であった。流石に恥ずかしげに顔を赤らめる彼女はISの量子通信がけたたましく鳴り響いているのを感じて通信をオンに。

『た、大変です!! IS学園が、『ビッグコック』の猛攻を受けて……被害は甚大!!』
「ええ?!」

 そんな馬鹿な。
 正体不明のIS『ビッグコック』は町に被害を出さないように闘っていたはず。なのにどうして学生身分の人間ばかりが集う、いわばプロと素人の端境期の少女しかいないそこが攻撃されているのか。

『相手からは何故か『で、デルフィは……お、女の子です……ふえぇぇぇ……』と女性の涙ぐむ声と『くおらぁー!! よくもうちのデルフィを泣かせたなぁー!!』という意味不明の叫び声が!!』
「え、真剣になにそれ」

 意味不明にもほどがあった。  



[25691] 第五話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/10 22:23
 篠ノ之箒は不機嫌であった。

「あ、あの……お、織斑くん」
「……ん?」

 最近座学の方も熱心な、教室の中心で復習に勤しんでいた彼は、なにやら思いつめた表情の女子生徒に今気付いたように顔を上げた。胸に手を当て、緊張の面持ちで暴れる心臓を宥めるように呼吸を繰り返す少女。頬は薄薔薇色をした恋の色に染まり、眼差しはまっすぐ一夏に向けられている。
 いらいら。箒はむっつりとその様子に押し黙って不機嫌そうな表情。

「アリーナのあの台詞、聞きました。……え、えっと。凄いと思います。……なんていうか、あそこでああも宣言できるなんて……か、格好いいです! が、頑張ってください!!」

 その当たりを言うのが精一杯だったのか――告白一歩手前に見える少女が走り去っていくのを見守りながら、一夏に歩み寄って、箒は言う。

「……もてもてだな。一夏」
「あれが? ただの激励だろ」

 ……どうやら、凄く格好よくなった割りに、その生来の鈍感さは未だに成長していないらしい。
 これは自分の想いが伝わりにくくなった事を嘆けば良いのか、それとも周囲にとられる心配が無くなった事を喜べばいいのか。
 色恋沙汰に関しては――どうやら相変わらず停滞しているようだった。


 一夏のあの日の宣言から、女子生徒の反応は大きく割って三つに分類される。
 一つは敵意や隔意を隠そうとしないもの。女尊男卑の風潮にどっぷりと漬かった彼女達は、あの宣戦布告を聞いて思い上がっている男に対して強い不快感と敵対心を抱き、話しかけても返事しなかったり、あからさまに不快感を隠そうとしなかったり、女子高にありがちな嫌がらせに出る場合があった。といっても――当の本人は『人生に余裕がない』の言葉どおり反応は常に無視であった。いちいち先生に訴える事も対処もせず、超然とした態度で徹底して無視している。……いや、当人からすれば無視しているという意識すらないのかもしれない。あまりに下らなすぎてどうでもいいのだろう。

 二つはいつもと変わらず接するもの。確かに一夏はあの舞台で宣戦布告に至ったが、しかし別に男と女で戦争が勃発したわけでもない。いつもと同じように、ものめずらしい男子生徒に接するような普通に対応していた。この辺りが三つの中で一番多いだろう。誰しも間人を憎み続けるのはエネルギーがいるものだ。

 そして――篠ノ之箒個人からすれば一番厄介なのが三つ目であった。
 あの場所で、言わば世界の半分と喧嘩して勝利して見せると宣言する――それがどれほどの重圧であり、どれほどの艱難辛苦を経験せねばいけないのか……そして彼が実際に人よりも遥かに厳しいトレーニングをこなしていると知ってあの宣言が本気の本気だったと理解し――恋の病に取り付かれてしまった人々である。
 これまでも織斑一夏は色々と女子生徒からきゃーきゃー騒がれる境遇にあったが、あれは『もてていた』とは少し違う。IS学園唯一の男性という偶像(アイドル)に対する憧れを恋心と錯覚していたのだと箒は分析している。その理由に自分はもっと彼の事を……あ、ああ、愛しているという自信があった。
 ……幼少期からISを操るために、周りは同年代の女子のみであったという彼女らからすれば――彼は生まれて初めて見る、『本物』だ。世界の半分と喧嘩をする覚悟を決めるほどの色濃い雄など、今のご時世絶滅危惧種である。
 
 確かに一夏は、女子生徒達にきゃーきゃー騒がれる事がなくなった。
 ……ただし、その代わりに――時々思いつめた様子で物陰から一夏に向けられる熱い視線を感じるのだ。本気で彼を好いている人が出てきたのだ。

 ライバルは減少した。それはいい――しかし問題は、一夏に熱い眼差しを向ける女子生徒達。数は大幅に減らしたが、残ったのは本気で彼を好く手ごわい精鋭揃い。
 前途は多難であった。




(……しかし一夏の背中に乗れる権利は現在のところわたし一人のものだ。ふふふふ)

 現在他者に長じている点があるとすれば、箒が幼馴染の気安さも手伝って彼の放課後の自主トレーニングの相方を務めているということだろう。他の彼女達は彼の背中の筋肉の厚みも、徐々に細く強靭に締まっていく身体が描くラインの美しさも知らぬのだ。

「あの、篠ノ之さん?」
「え? あ、はいっ!!」

 朝のSHRの時間に告げられた山田先生の言葉で、箒はようやく正気に戻る。どうも色々と考えていたせいで少し頭の中が飛んでいたらしい。何をふしだらな事を考えていたのだ私は、と頭を振って煩悩を振り払う。ポニーテールがぶんぶん振り回された。

「では、一年一組代表は織斑一夏くんに決定です。あ、一繋がりでいい感じですね!」
「わたくしも支持いたします。頑張ってくださいませ、一夏さん」

 妥当な決定だった。
 このセシリア・オルコットに勝利して見せた以上、一番の実力上位者を代表にするのは当然の事ですわ――後席の彼女は一人満足げに頷く。

「織斑くん、よろしいですか?」
「代表は手ごわい相手と戦えますし、謹んで受けます」

 相変わらず――彼はぶれない。
 セシリアは一夏の言葉にそう分析する。……自分の事を踏み台扱いした男はこの代表戦も自分の経験値を積む良い機会と考えているのだろう。

(……そうですわ、このわたくしに勝ったのですから、他の代表に無様に負ける事など許されないですわ)

 もちろんクラス代表の勝利のために他のクラスのメンバーが手助けをするのは当然の話で。早速、遠距離射撃型を想定した戦いを伝授して差し上げるべきですわ、と心に決めた。別に彼と一緒の時間を過ごしたいとかそういう理由ではない。そう。自分を負かせた男のあの美しい眼差しが瞳の奥に焼きついて離れないとか、そういえばわたくし戦闘中あんなに強く抱きしめられたんですのよねきゃー、とか言いながら一人自分の部屋の枕に執拗にパンチしていたのを同室の人に怪訝な瞳で見られていたとかそんな事は無い。

 ないったらないのだ。

 もちろん同室の彼女には口封じ完了済みであった。

 



「ですのでクラス代表戦前に、このわたくしセシリア・オルコットが次の対戦相手の仮想敵(アグレッサー)を務めて差し上げますわ! まず二組の代表はレベッカ・ハンターさん、堅実な射撃戦と高機動力に長けた正統派のIS乗りですわね。搭乗するISはネレイダム製の……」
「その情報、古いよ」

 そう思って朝のSHRが終わった後、早速話しかけたセシリアの言葉を切るように聞こえてきた第三者の声。
 振り向けばそこにいるのは――ツインテールの小柄な少女。

「二組の代表候補生も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には優勝できないから」

 その思い出を刺激する髪型と、懐かしい勝気な口調。

「鈴? ……お前、鈴なのか?」

 思わず席を立って懐かしさで声を出す一夏。
 
「え? あ、うん、そうだけど」

 年単位での再会――もちろんすぐに気付いてもらいたくてあの頃と同じ髪型だけど成長期の自分は相応に大人っぽくなっている(はず)。すぐに気付いてもらえなくても無理は無いかと思っていた矢先に、一目で思い出してもらえたのだ。喜びで僅かながら頬が紅潮する。一夏は懐かしそうな表情を見せながら、親しげに鈴に話しかける。

「って事は――俺とお前で試合になるわけだな」
「え? あれ? 感動の再会シーンの割には予想より淡白だけど……そうね。手加減しないから!!」
「もちろんだ。……全力で勝ちに掛かるぜ」

 その言葉に、微かに唇を曲げる鈴。

「一夏。あんたがアリーナで叫んだ内容は聞いてるわ。……でも勝つのはこのあたし、凰 鈴音よ!!」
「ああ。だが負ける気は無いぜ」
「ふふん、その辺りの気の強さって……昔は確かになかったけど。うん、変わったわね、一夏。どんな物事も闘争心や競争心があるのはいいことだわ」

 にっこり微笑む鈴。その後でセシリアと箒から発される黒い圧力が増したような気がしたが、一夏は特に気にもした様子が無かった。
 久しぶりの再会に会話を弾ませていた二人だったが――不意に鈴が思い出したように話題を変える。

 凰 鈴音は、ほんの一年前まで日本で生活していた。彼や彼の友人達とも同様に親友と呼べる間柄であり――特にその中の一人は大変仲の良い男友達だった。彼の妹は恋敵ではあったから『全面的に肩入れするってーのはちょっと不公平だけどよ』と言うものの、学年主席の癖にお堅いがり勉というわけでなく、冗談にも理解を有するぐらいには柔らかく、中学の時点では修学旅行のイベントの際よくよく一夏と一緒にいられるように便宜を図ってくれていたものである。
 だから――久しぶりに日本に来たのだし、一夏に会えた事は当然一番嬉しいが、それと同時に他の友人たちと会いたいと考えるのも当然の事であり、思わず鈴は質問した。

「あ、そうだ。一夏、中学の頃の友達に連絡したいんだけど、電話番号しらない? もしかしたら変わってるかもしれないし――弾のやつには色々お世話になったからさ、また皆で遊びたい……のよ」

 鈴は――思わず言葉を詰まらせた。
 くしゃりと、一夏は顔を歪めていた。まるで泣き出す寸前の子供のような悲痛な表情。鈴と親しげな様子で話す一夏に後で嫉妬の炎を燃やしていた箒とセシリアであったが――その様子にむしろ彼女達の方が慌ててしまう。
 今まで、一夏は感情を表に出す事が少なくなっていた。もちろん笑うべき時には笑うし、愉しむべき時には愉しむ。ただし、それを終えてから、すぐに何処と無く張り詰めたような表情になっていたのだ。その彼が……少なくとも表情をまるで変える事の無かった彼が、こうも動揺を露にするなど――正直予想などしていなかった。
 一夏は、目元を抑えてから短く鈴の言葉に応える。

「……弾は――前とおんなじ番号のままだ。……ただ、多分電源切ってるからまた今度掛け直してやってくれ」
「え? ……一夏……どうしたのよ」

 鈴は――この教室の中でただ一人、一夏と共通の知己を持つ人間だった。だから自分が彼の名前を出した途端、泣きそうな顔を浮かべる姿に言葉を呑んだ。こんな事初めて――鈴は二人の間に何かあったのだと悟る。それも……恐らく親友同士だった二人の間柄に致命的ともいえるなにかが。
 その事が気になって仕方ない鈴は――結局、教室にやってきた織斑教官に頭を叩かれてようやく正気に戻ったのであった。





 織斑一夏は有名人だ。良くも悪くも。
 道行く先々で生徒達の視線に晒されるし、時々なにやら顔を赤らめた人に激励される場合もある。風邪が流行っているのだろうか――こういう場合きっとあいつは『……パンチ? ねえパンチしていい?』と自分には良く分からない理由でにこやかに笑いながら拳に息を吹きかけるのだろう。

「……弾」

 屋上で一人呟く。こうも動揺している自分が情けない。一夏は自分の髪を乱雑に掻く。
 あいつの名前を出されただけで――この有様だ。一夏は誰に指摘されるまでもなく、自分の精神状態が大きく動揺しているのを悟っていた。
 目を閉じれば目蓋に焼きつくあいつの姿。
 俺は、本当にあいつの親友だったのか? ――たった一人、消灯し眠る際、一夏はそんな想いに囚われる。親友ってのは、相手に対して全て曝け出すようなものだろう。……それとも、俺に自分のそんな嫉妬心を悟られたくない程度には、俺と友達でいたいと思ってくれていたのか? ――不意におかしさがこみ上げてくる。
 まるで恋人の関心が自分に向いているのかと悩む女性のような考え方じゃないのか、と吹いてしまっていた。きっとこの事を素直に弾に打ち明ければ、弾は真剣に気持ち悪そうな表情を見せて逃げ出すに違いない。

「一夏、なにしてんのよこんなところで」
「……鈴」

 見れば――そこには鈴の姿。視線を横に滑らせると、金髪くるくるとポニーテールが壁際からはみ出ていた。
 
「……ああ、悪かったよな。……良い機会だしちゃんと言っておくと――俺……弾の奴と絶縁状態なんだよ」
「え?」

 その言葉の内容が信じられず――鈴は思わず鸚鵡返しに尋ね返してしまう。
 五反田弾。鈴からしてみれば中学時代の二年間を一緒に過ごしたもっとも親しい仲間達の一人であり、公私共に色々とフォロー……特に鈍感さに関しては恐竜並みの鈍感さと称される一夏をゲットせんとする鈴のために、『一夏攻略本』を書き上げた剛の者である。ちなみに本人は――書いている途中で『……俺、なにやってるんだろう。どっちかっていうと千冬攻略本を書けばよかった』と不意に人生のむなしさに気付き、鈴にそれを託した後、さがさないでくださいと残して三日ほど旅に出た。
 
「なぁ鈴。……もう戦闘機とかそういうものが無くなった世界で空を自由に飛びたいと思ったらどうすればいいんだろうな」
「え? ……それは」

 一夏のいつになく真剣な声に――鈴は言葉がすぐに出ずに詰まる。

「ジャンボジェットのパイロットとか、宇宙飛行士とか――あいつは、弾の奴は多分出来る。……なんだかんだで学年主席だし、大抵の事はなんでもこなす。英語だってジェイムズさんと話していたせいか普通に流暢だしさ。……あんなに――なんでもできるのに……ISにだけは、乗れないんだよなぁ」

 声に、鉛のような重々しい響きがある。その言葉で大体の事情を鈴は察した。
 ……一夏は思う。ジャンボジェットのパイロットも宇宙飛行士も、まずエリートといっていい職業だろう。ただし、前述の二つは複数人と連携して動かすための職業だ。……個人が、自分の意志の赴くまま自由に空を飛ぶ職業は今やISのみであり……つまり空は既に女性に独占されているのだ。

「俺は……本当はIS学園に行かなきゃならないと決まった時、正直面倒で仕方ねぇやって思っていたんだ」
「い、一夏?」
「ほ、本当ですの?」

 とうとう身を隠す事を忘れたのか――思わず声を上げてしまうのは物陰に居た箒とセシリアの二人。
 しかし、二人からすれば意外の何者でもない。あれほど熱心に訓練に取り組み、あれほど貪欲に勝ちを奪いにいける人が――やる気が無いのであれば、この世の全ての人が怠惰の罪を背負っているだろう。

「だってさ。……俺――最初は編入の際の資料を電話帳と間違えてゴミ箱捨てたんだぜ?」

 思えばあれが弾が激発する切欠だった。
 自分は――弾の友人を名乗る資格は無い。一夏は今ではそう思っている。親友だと思っていた相手だった。だがあいつが本心では空を自由に飛びたいという想いを抱きながらも、ISは男性には動かせないという動かし難い現実に諦めていた。あんなにも戦闘機や航空機が好きで、空軍のエリートだったっていうジェイムズさんとよく話していたって言うのに。
 ……度し難い無神経さだった。時間を巻き戻せるなら、一夏は自分の首を締め上げに行きたいところである。
  
「俺は――親友だと思ってた相手の本心すら見抜けず……」
「なに当たり前の事言ってんのよ」

 だから一夏は鈴が不思議そうな顔で彼の言葉に首を傾げている理由が良く分からなかった。
 
「言葉にしていない内心とかなんて言わなきゃわからないじゃない。人間喋れるんだから喋ってちゃんと話せば内心なんて誤解しようもなく分かるんだし。弾がなんにも話さなかったんなら、それは知られたくないことだったって事よ」
「……そう、か?」
「そーよ。……ねぇ一夏、あんた確かに真面目で熱心になったけど――でもエスパーでも無いんだし、言われてもいない本心を察してあげられなかった事を悔やむなんて無茶な話よ」

 一夏は――その言葉を頭の中で反芻し、答えを出したように少し笑った。
 僅かではあるが、胸の中のつっかえが取れたような気持ちで、少し気弱げにいう。
 
「ありがとな、鈴」
「いいのよ。それより!! そんな湿気た面で対抗戦に出てきたら承知しないんだからね!!」
「ああ、ちゃんと最高のコンディションに持って行くさ。期待していてくれ」

 そう笑いながら応える一夏に――鈴は胸元に忍ばせた弾お手製の「一夏攻略本」の存在を確かめる。
 その中の教え――『一夏は無茶苦茶鈍感なので、はっきりと言葉にしなければまず察するという事をしない。きちんと内心を告げるべし。つーかつまりはっきり告白しろってこった』とあった事を思い出したがゆえの発言であった。
 生憎その一番重要な教えは鈴自身の羞恥心に邪魔されて未だに一度も実行されてはいないが、その教えから湧き出た言葉が、一夏のあの暗い表情を拭い去ってみせたのであった。




 先に帰った一行を見送りながら、鈴は携帯電話でアドレス帳から五反田弾の番号を呼び出す。

「いやぁ弾、あんたってやっぱ最高ね」

 にこやかに笑いながら久しぶりに旧友と連絡を取ろうとした鈴。一年ぶりの再会だ、きっとアドレスに表示される自分の名前にさぞかし驚くだろうと思い、わくわくしつつ電話を掛けたが――聞こえてきたのは意外な事に、『お客様のご都合により』……という電源がオフになっている事を告げる内容だった。

「え? ……珍しいわね」

 折角久しぶりに電話を掛けて、一夏や他のみんなと一緒に遊ぼうとしたのに、水を注されたような気分でアドレス帳から五反田弾の一つ下、五反田蘭の名前を呼び出す。
 正直、彼女と凰鈴音の仲はあまり良いとは言い難い。間に織斑一夏という男を一人挟んだ彼女達は中学時代の恋敵。その間でよくよく『お兄ぃはどっちの味方なのよ!!』『こいつはあたしの軍師に決まってるじゃない!!』とよく板ばさみになっていた弾の事を思い出してくすりと笑い声が零れる。
 電話が繋がり――鈴は恋敵とは言え、それ以外を除けば仲も良かったといえる友人の妹の言葉に思わず顔を綻ばせて話し始める。

「あ? 蘭? ほんっと久しぶりね。ええ、うん。弾の奴が携帯電話切ってるからこっちに……って、え?」

 言葉が止まる。声帯が引きつる。予想外の言葉に思わず言葉を失う。

「……アメリカに……行くって……そんな、急すぎるわよ」







 クラス対抗戦。
 IS学園に所属する学年別の、選出されたクラス代表達によるリーグ戦。
 とはいえ、一年生で一人の人間に専用のカスタマイズが施された高性能機の代名詞である専用機持ちは一組の織斑一夏と二組の凰 鈴音の二名しか存在しておらず、今日開催されたこの一回戦目が実質的な決勝戦と看做されていた。

 IS学園のオペレート室は様々な測定機器を操り、情報を収集する能力を持つ。第三世代という次世代型機体は未だに実戦稼動のデータ量も豊富ではなく、それらの収拾もここIS学園の重要な仕事である。機器を操りながら情報を収拾する山田先生の後ろ――織斑千冬教官は、正面のパネルに表示された戦闘中の二機の動きに不機嫌そうなむっつり顔を見せていた。

 そこに写るのは二機のIS。<白式>と<甲龍>。二機とも目まぐるしく動き回り、相手の死角に占位し一撃を叩き込む隙をうかがい続けている。

「……<甲龍>の動きが悪いな」
「ええと、そうなんですか?」
「戦闘に集中し切れていない、何か気がかりでもあるのかもしれんな」

 ピットからオペレート室へ移動し観戦している箒とセシリアの二人は、その映像を見守りながら――先程までの戦闘を反芻する。
 確かに――事前に取り寄せた凰鈴音の戦闘映像に比べれば僅かに反応が遅く思える。しかしそれは千冬教官に言われて初めて理解できる類のものであり、二人にはちゃんとしたコンディションで闘っているようにしか見えない。

「専用機持ちは国家の代表選手。国の名誉を背負って闘う名誉あるエリートですわ。ならばそれに相応しい心構えで挑むべきなのにあの人ったら……!!」

 同じ専用機持ちであるセシリアからすれば、気がかりを抱え込んだまま戦場に出てくるなど言語道断だ。戦いに出る以上全力を出しつくせるように努力するべきなのに――不満げに唸るセシリアに、箒はしかし別の考えを持っている。
 同じく国家代表の凰鈴音がセシリアが言うような心構えを持っていないとは思えない。専用機を与えられるという事は他の候補生たちに頭一つ抜きんでいる証明だ。その彼女が自分自身の精神状態を万全に持っていけないはずがない。……これは純粋に――そういう自分の精神を平静に保てぬほど重大な事態が発生したのではないか? と推察していた。
 だが、一度戦闘が始まった以上――中断を言い出せるのはアリーナで闘う二人だけ。
 なんらかの乱入者でも無い限り中止にはならないだろう――と考えて、くすりと笑う。アリーナは上空を遮断シールドで覆われ、また内部への隔壁は厳重にロックされており、それを電子的に防御するファイアウォールも完璧だ。

「うむ、そうだな。乱入者などありえない」

 箒はそう呟く。自分の発言がいわゆる「フラグ」という自覚も無しだった。


 

「動きが悪いな、鈴……!! 前の俺みたいな湿気た面だぞ!!」
「うっさいわね、ほっといてよ!!」

 そんなこと、言われなくても分かっている。<甲龍>の性能を十全に引き出しきれていないことが、機体に申し訳ない――両肩の棘付きの非固定浮遊部位(アンロックユニット)に内蔵された衝撃砲を展開、空間に加圧し、不可視の砲弾を射出する主力兵装の一つが発射される。衝撃それ自体を砲弾と化して発射する第三世代の兵器――しかし<白式>は乱数回避と大推力に任せ、こちらの射撃を避けつつ隙を見て瞬時加速(イグニッション・ブースト)。鋭い刀剣の一撃を叩き込んでくる。それを二本の清龍刀、双天月牙で持って打ち込みを捌き、一つに連結したそれで切り返す。間合いを離した相手に手数を重視した連続発射。
 
 ……分かってるわよ、分かってんのよ!! ――動揺しているという自覚がある。

 懐かしい親友が――五反田弾が、もうすぐ日本からいなくなる。彼の妹である蘭からその事を教えられたとき、鈴は自分でも予想外の動揺を覚えていた。いなくなる――アメリカのネレイダムに招聘されたという彼。高校一年に差し掛かる年齢で、中小とはいえ企業の一つから招かれるなんて、言わば人生のエリートコースに乗ったようなものだ。IS開発に関わる男性の知的エリート、素直にそのことを祝福してやれば良い。


 なら、なんでこんなに――嫌なのよ!!


 でも、無理だ。素直に祝福できない。
 一夏と鈴と弾と蘭。中学時代に一番良くつるんでいた。このIS学園に入って、学校こそ一緒ではないものの――中学時代の仲間達とまた一緒に駄弁ったり行動したりまたあの楽しい日々が続くと思っていたのだ。
 今の自分はとってもらしくない――蘭を恨みたい気分。
 彼女は、弾がいなくなるという秘密を抱え込みたくなくて……その癖一夏には絶対に言わないでくれと念押しした。そういわれればこの秘密を守らなくてはならない。弾はきっと――今まで黙っていた本心を一夏に知られてしまった事を後悔している。黙って墓場まで持っていくはずだった醜悪な嫉妬を見せてしまった事を悔いている。このまま黙って自分や一夏の前からひっそりと姿を消すつもりなのだ。また会ってしまった際、晒けてしまったあの醜い思いを――心の中に蓋をしたそれを再び表に現してしまう事を畏れて。
 



 思考に終われ、反応が遅れる自分へと迫る<白式>。

「そのままなら――倒すぞ!!」
「誰が……!!」

 迎撃――彼女の思考に追従して衝撃砲を発射しようとした、その瞬間だった。



 視界を焼く激しい焦熱の柱が、アリーナの中央に突き刺さる。轟音が響き渡り――腹の底に響くような重々しい衝撃波が大気を振るわせる。
 
「なんだ?!」
「ビーム兵器?! アリーナの遮断シールドを突き破って……一夏! 未確認機、中央にいる!」

 そこに直立するのは黒いIS。
 全身装甲(フルスキン)型。両腕は鋼鉄製ゴリラの腕を人のような胴体に接続したように歪な巨大さを持っている。手の甲辺りには砲門らしきものが片腕に一つずつ、両肩にも同様に射撃武装がある――それら敵の脅威部分を知らせる<白式>のハイパーセンサーの警告に目を留めながら、一夏は観客の保護のために閉鎖を始めたアリーナに大勢人がいることを確かめる。

「織斑教官! 敵はフィールドを貫通するレベルの高出力ビームを保有、避難完了するまで敵をひきつけます!!」
『……よかろう。どちらにせよ、お前に頼むつもりだった。……凰、お前は下がれ。後は任せ……』
「ちょ――冗談じゃありません!! あたしの方が一夏よりもずっと訓練時間が多くて……!!」

 だが、通信から帰ってくるのは千冬教官のドスの聞いた怖い声。

『……冗談でないのはお前の方だ。先程からの無様な闘い方はなんだ? ……それに相手が所属不明機である以上、手心も期待できん。下手をすれば殺しも有り得る敵相手に不安要素を抱えていられるか、馬鹿者』
「……ッ!」

 今の鈴には教官の言葉に反論する術を持たない。
 確かに錆び付いた今の自分では、下手をすれば新人の部類に入る一夏にすら劣るかもしれない。……だが面と向かって罵倒されれば――逆にむくむくとわきあがるのは鈴の生来の負けん気の強さ、罵倒に対して見返してやろうという精神と、国を背負って立つ代表候補生の矜持が、身体に染み付いた弱気を焼き滅ぼす。
 そう、弾のことは後で良い。今はアリーナの人を避難完了まで守り通す――その使命感で自分の身体に活を入れる。

「やります!!」

 声に篭る覇気。
 通信機の向うから僅かに千冬教官の微笑む声が聞こえたような気がした。返答は――短く一言。

『いいだろう。やれ』

 その声に――叶わないなぁ、と鈴は、自分が上手く操縦された事を理解して苦笑した。

「行くぞ、鈴!!」
「任せなさい、一夏!!」

<白式>と横に並び突撃。
 先程までと違い、指先にまでしっかりと神経が通っているような感覚。この上ない集中(コンセントレイト)。浮かべる笑顔は強敵に対して挑むに足る気力が満ちていた。
 




「凰さん、大丈夫でしょうか?」
「……今現在は手も足りないしな、それに今のあいつなら問題ないだろう。……状況は?」

 オペレート室で千冬教官は機器を操る山田先生に短く質問。
 山田先生――眉間に皺を刻みながら応える。

「全ての扉が閉鎖、遮断シールドもレベル4、三年の精鋭達がシステムクラックを実行中ですが、すぐには完了しません。……恐らく敵ISからの電子干渉です」
「そうか。……まぁ――」

 アリーナ内部へ侵入するには大まかに二つの手段があるが、その両方の実行は難しそうだった。
 まず、一つ目である敵も用いた大出力ビーム兵器などによってシールドを突破する力技。だが、現在レベル4のシールド出力を展開するアリーナへは生半な兵器で突破は出来ない。二つ目も、余程高度なクラッキング能力を有しているのかなかなか解放の目処がたっていなかった。
 だが、千冬教官の目に映るのは――迷いが吹っ切れて、先程とは打って変わった鋭い動きで無人ISを圧倒する<甲龍>と、接近戦で振り回される相手の豪腕を紙一重で避けながら一刀を打ち込み続ける<白式>。
 任せていいかもしれんな――そう口元を緩めながら、推移を見守る彼女。徐々に姉譲りの才能の燐片を開花させつつあるか――と考えて、これは自画自賛もいいところだな、と考え直す。

「……ところで、篠ノ之とオルコットはどうした」
「……あ」

 山田先生がその言葉に気付いて周囲を見回せば――二人の姿は何処にも無い。まぁ山田先生を責めるのは筋違いだろう。
 オルコットの<ブルー・ティアーズ>は多対一を得意とする機体。ピットと直通している教官室から助けを申し出なかったのは自分の特性を把握しているからと思っていたし、箒にいたってはそもそもISが無い。大人しくしているかと思っていれば――嘆息を漏らす。

「あいも変わらず天然ジゴロか。我が弟ながらたいした才能だ」

 止められたくなかったからそもそも相談すらしなかったという事か。
 なにやら激しく格好よくなってしまった一夏はあとどのぐらい女を惹きつけるのか。千冬は苦笑した。
 



 篠ノ之箒は歯痒くて仕方が無い。
 セシリアの身を鎧う<ブルー・ティアーズ>の量子変換の姿を見守り――どうして自分には専用機が無いのだろうと思う。専用機は訓練用のISと違い個人での保有が認められる。同時に守らなければならない規則の量も倍増だが、この時のみは自分に一夏を手助けする手段が無いのが口惜しくて仕方なかった。

「……いや!」

 その心に忍び込む甘い誘惑の声――彼女の姉でありISの産みの親である篠ノ之束なら、自分にも専用機を調達してくれるかもしれない。……分かっている。他にも努力して企業や国家からISを譲り受けようとしている人など山ほどいるのに、自分が考えたのは卑怯にも血筋や縁故を頼ってのずるいやり方だ。
 でも、それでも一夏と一緒に戦える彼女達が羨ましくて仕方ない。嫉妬混じりの心情の中、彼の姿を見たくて――気が付くと中継室に飛び込んでいた。マイクを取る。せめて、一緒に戦えないのならば――声ぐらい届けたかった。アリーナのスピーカーをオンにする。

「一夏!! 男なら……お前があの誇り高い宣戦を貫き通すつもりなら……その程度の敵など十秒でのしてしまえ!!」
『十秒は無理です。サブウェポン、ハルバートを選択』

 え? と返事が返ってくるとは思っていなかった箒は思わず中継室からの音声に目を点にし――あの黒いISが、腕部に搭載した大出力ビーム兵器の砲門を此方に向けている事に気付き……流石に、背筋に走る寒気を押し殺せなかった。




「箒ッ!!」
 
 それをとめようとする一夏は、相手に切っ先を届ける数秒が足らず。セシリアも引き金が間に合わず、鈴も衝撃砲が強制冷却モードに突入しており、誰も止められる位置にいなかった。
 



 そう――可能だったのは、この戦闘を沈黙を守りつつ見守っていた第三者のみであった。





 空が破れる――降り注ぐのは巨大な光の槍。先程よりもさらに強力に展開されたシールドを純粋に強力なパワーでぶち抜き、叩きつけられた破壊エネルギーの乱流は、今まさに発射しようとしていた黒いISの腕部に命中、瞬時に焦滅させ、行き場を失ったエネルギーが爆発という形で暴れ狂う。

『なんだっ!!』
『……こ、これは……再度外部からの砲撃です!! ……し、信じられない、レベル4に移行した遮断シールドを、より強力なエネルギーで貫通したとしか思えません!! 推定発電量……少なくとも原子力発電所一基と互角!!』
 
 通信から響き渡るのは――千冬教官と山田先生の切迫した声。特に千冬姉の声は今まで聞いた事がないぐらいに切迫している。
 黒雲が湧き上がった。 
 先程の黒いISと比しても尚桁外れと言える法外のエネルギーによって、周囲には大気を焼く焦げ臭い臭気が充満していた。同時に<白式>のハイパーセンサーが……再び破壊された遮断シールドからゆっくりと降下してくる新たな未確認機を捕捉した。

「……なに? なんなの!? あの……全身から迸るような悪のエナジーを纏った、香り立つようなラスボス臭がする相手は……」
「該当データ……暫定名称『ブラックドッグ』……あれも所属不明機ですの?!」

 鈴とセシリアの言葉を聞き流しながら、一夏は――上空からゆっくりと降下してきた新手を見やる。
 黒い装甲――それは先程のISと酷似していた。しかし時折、全身を走るような緑色の光が見える。まるで体を走る血管が浮き上がっているかのよう。全長は一般的なISと同じく二・三メートル程度だろうか? 先程の未確認機に比べれば小さいと言える。だが、機体後背に展開している、六枚の羽のようにも見える非固定浮遊部位(アンロックユニット)の存在が、見掛けよりもずっと巨大な機体であるように思わせた。
 頭部は狗を思わせる形状であり、腰からは尻尾のような部位が確認できる。
 
 ……狗は狗でも――これは冥府の番犬、人知を超越した魔犬の類。どこかからそんな声が聞こえたような気がする。

 そして、一夏は新たな乱入者の視線が、自分ひとりに釘付になっている事に気付いた。

「お前も……そんなに世界で唯一ISを動かせる男が珍しいのか?」

 人の気も知らないで――珍獣を見る眼差しが腹立たしい。
 そう思った一夏に、不意にISからの高エネルギー反応警告。ただし――反応は今出現した相手からではなく、先程腕を一本失った最初の不明機が残った腕を掲げ、再び高出力ビームを相手に叩き付けんとチャージを始めた事に対するものだった。
 だが、予想外な事に攻撃照準レーダー波の照射対象は一夏、セシリア、鈴の誰でもなく――その一番最初に出現した正体不明機の狙いが、新手の不明機『ブラックドッグ』である事に驚きの声が漏れる。どうやら――こいつらは敵対しあっているらしい、と考えつつ、全速で退避。
 そして――相手の攻撃が自分の方を向いている事を知っているにも関わらず、その黒い犬のような機体は微動だにしない。


 光が放たれる。飲み込む全てを焼き滅ぼす高出力ビームに対し、その黒い機体『ブラックドッグ』は腕を掲げた。


 瞬間――その正面の空間が……歪んだとしか言えない奇怪な現象に襲われる。
 まるで光をも捻じ曲げ、何もかも圧縮するような異形の力場目掛けて突っ込んだ高出力ビームは――あっさりと掻き消された。

「な、なに、今の……!!」

 鈴の驚きを隠せない声――だが、驚愕はまだ終わっていなかった。
 再び、先程の異形の力場が展開したと思った次の瞬間――まるでビデオの再生テープでも巻き戻したように、破壊的なエネルギーは全て発射した黒いISの方へと……跳ね返されたのだ。
 二機の専用機ですら闘えていた相手をあっさりと一蹴する相手に、驚きの言葉が自然と口から零れ出るセシリア。

「……エネルギーを……受け止めて投げ返した!? き、聞いた事もありませんわ……なんなんですの、あれ!!」
『……先程、『ブラックドッグ』の全面に鈴さんの<甲龍>が衝撃砲を発射する際の空間の歪みに似た反応を検出しました。……恐らく圧縮した空間内にビームを格納、ベクトルを逆転させた後に解放させたのでしょうけど……歪曲の規模が違います……!! 間違いありません、束博士が理論だけは出したけど、非常識なまでに膨大なメタトロンを必要とする事から机上の空論とされてきた空間圧縮機能――『ベクタートラップ』です!!』

 山田先生の声は――焦りを通り越して恐怖すら滲んでいる。一夏やセシリア、鈴のような一介の候補生と違い、科学技術においても高い理解を持っているからこそ、あれが有り得ないと理解できるのだろう。
 再び『ブラックドッグ』の目に当たる部分が一夏を捉えた――いいだろう、とブレードを構える。

「良いぜ……」

 そうだ――相手がなんであろうとも……負けるわけにはいかなかった。千冬姉や他の仲間を除くIS全てを敵に回してでも、戦い勝たねばならない。それを考えるなら――こんなところで躓くわけには行かない。

「相手に……なってやる!!」

 叫びながら、一夏は空中で端然と佇む敵機に敵意の眼差しを叩き付けた。










今週のNG



「ですのでクラス代表戦前に、このわたくしセシリア・オルコットが次の対戦相手の仮想敵(アグレッサー)を務めて差し上げますわ! まず二組の代表はレベッカ・ハンターさん、堅実な射撃戦と高機動力に長けた正統派のIS乗りですわね。搭乗する専用ISはネレイダム製の<セルキス>。機動力は水準より少し上程度はありますが、有線式のホーミングレーザーと大出力荷電粒子砲と強固なシールドを搭載した超重火力機ですわ」
「……強そうだな。勝つにはどうすれば?」
「ぶっちゃけ強すぎるので諦めてくださいませ!!」
「諦め早いなおい!!」
「ちなみに作者は初代Z.O.Eをプレイした際、ノウマン大佐が『私のセルキスを使え』と言っていたから最終ボスはきっとセルキスだと思ったのに違っていたからちょっとがっかりしたそうですわ!!」
「だから誰に向けて言ってるんだ!!」

 ちなみに教室の入り口で、鈴が代表候補生の座を奪おうとしたけどボロ負けしたので、登場イベントを潰されて悔しそうに涙ぐんでいた。


おまけ

 途中乱入してきた所属不明ISはレベッカさんがあっさり倒しました。



[25691] 第零話(話の根幹に関わる重大なネタバレ要素あり)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/04 14:01
 警告!

 このお話にはこの作品の一番根っこの根っこの部分の疑問に対するネタバレ要素があります。
 作品中ではANUBISの武装や、ありえない転生とかそういう部分に対する全ての回答を含んでいます。
 感想掲示板で固有名詞に対するツッコミも控えていただけると助かります。

































『敵OF<ゲッターデメルンク>の戦闘行動停止を確認しました』 

 まぁ――この辺が関の山かな、と、赤髪の老人、ダンは呟いた。
 何とか――刺し違える事には成功した。アーマーン計画の産物であり、ケン=マリネリスが搭乗していた模造型の<アヌビス>を本来オリジナルが持つ性能まで引き上げる事が出来たのは僥倖だった。もちろん彼には頼もしい仲間達だっている。
 ディンゴ、ケン、レオ、ジェイムズ、レイチェル。そして、エイダ、オービタルフレームに復元されたドロレス。
 仲間達の事を思いながら、彼はごふ、と口内から血の泡を吐いた。もちろん強敵との戦いで無傷とは行かなかった。<アヌビス>は既に満身創痍。彼自身も爆発の際の破片が首筋の重要な血管を刺し貫いていた。腹にも破片を浴びている。止血こそしているものの――もうそれが延命の意味しか持たないことを理解している。流れる血の量から考えて、そう長いことはない。
 全武装を確認すれば機体後背のウィスプは四機が脱落。右腕には致命的損壊が発生。ベクタートラップを展開する事すらままならない。

「……弾切れついでにようやく人生の幕切れか」
『残念です』

 <ゲッターデメルンク>――エジプト神話における最終戦争(ハルマゲドン)を意味する言葉を冠した最終OF。撃破には成功した。成功したものの――それでもギリギリの戦いではあったのだ。劣勢と見るや、敵は自己の持つメタトロンを暴走させ、超重力崩壊を引き起こそうとし――それを止めるために、ダンは止むを得ず、<ジェフティ><ドロレス>の協力を得て、『奴』を強制ゼロシフトへ持ち込み、太陽系に影響の出ない遥か彼方へ放逐する事が出来た。
 
「<ゼロシフト>であいつを――太陽系外まで放逐できたのは僥倖だったな。……この爺の命一つで奴を屠れるのであれば、採算的には合っている」

 リコア=ハーディマン博士の直弟子の一人であり、彼の死後バフラムの暴走に付いていけなくなり――そして世俗の全てから身を引いた。無関心とは犯罪の温床――カッコいいおっさんのジェイムズにぶん殴られてようやく目を覚まし、<アヌビス>の復元に協力。そして地球と火星の再度の対立を乗り越え――そして決着が付いた。




「すまんな、デルフィ。付き合わせた」
『いえ』

 もうじき此処は消えてなくなる。
<ゲッターデメルンク>の搭載するメタトロンには、アーマーン要塞ほどの威力は無い。無いが――少なくとも火星や地球を一つ砕くには十分な威力を保有していた。
 それに巻き込まれるのは、自分と……デルフィのみ。




『いいや、まだだ』
「……こんな老いぼれだが、黄泉路の道行きぐらい付き合ってやる……だからいい加減――最後ぐらい安らかにくたばれよ」
『もうすぐ――<ゲッターデメルンク>は重力崩壊を引き起こし消滅する』

 <ゲッターデメルンク>が自機の胸部からまるで己の心臓を抉り出すように――その中心核とも言うべき動力炉を引き抜く。何を……いぶかしむダン。だが、同時に優れた科学者でもあった彼の脳髄が相手の真意を推察する。思わず叫ぶ。

「……まさか……重力崩壊に合わせて――エネルギーと物質の全てを情報化するつもりか?! リコア博士が概念だけは作り出した物質の量子変換、魂のデータ化、本気で成せると? 死ぬぞ!! ああでもこの状況ならどっちみち死ぬか……」
『超重力でデータ化した<ゲッターデメルンク>を極限圧縮。同時に開いたワームホールで平行世界に転送する。その後圧縮されたデータの全てを解凍。まぁサイズのダウンジングぐらいは可能性として存在しているし、途中妙な情報の混線も有り得るかもしれない。だが最新鋭のメタトロン技術が撒き散らす惨禍を思うだけで心が躍らないか?!
 はは、判っているさ、ダン。これは所詮ただの意趣返し、嫌がらせの類に属する行為だ。そしてこの試みが成功する確率は良くて10パーセント以下だろう!!
 そして私という人間の殻に覆われた存在は、ばらばらになったパズルのピースのように消えるだろう。かつての私は平行世界の私に吸収される。だが、こいつは違う。もとよりデータであるAIとそれを覆う確かな物質、魔法の力を持つメタトロンの申し子であるオービタルフレームならばな!!
 そして私は信じているのさ!! ……この情報を転送された私は――必ずや力を切望し続けているのだと!!
 メタトロンが強固な意志力によって魔法の如き力を発揮するのであれば――私はこの力を……異なる時間、異なる場所に送り届ける!! それを実現する事ができると――信じていれば……きっと夢は叶うと信じているのさ!!』
『敵OFの粒子化を確認……変換開始しました』

 応えるデルフィの声にも切迫が混じる。
 押し黙るダン――ここで自分は死ぬ。それは間違いない。だが『奴』の言葉が――本当に実現するのであれば、このメタトロンコンピューターに封入された魂は、別の世界、別の自分の元で新たに新生する事ができる。
 それなら――許してもらってもいいだろうか。多分これからとても大きな迷惑を掛ける並行世界の自分の苦労を思い、かすかに苦笑した。
 
「……止められるか、デルフィ」
『本機<アヌビス>に現在使用できる武装は存在しません。間に合いません』

 鉛のような嘆息を、ダンは漏らした。もう酩酊したような、四肢から力と命が抜け落ちていく感覚と共に、彼は言う。

「……すまんが――お前に……最後の任務を託す……」
『はい』
「悪いな……向うの……俺に……」

 掠れるような声が響く。
<アヌビス>は――全速で突撃し、今にも光に移り変わろうとした<ゲッターデメルンク>の頭部を掴む。同時に流入してくる膨大な情報。その中からワームホールを利用し、平行世界に己を転送するためのプログラムデバイスを強制コピー。その行為は――次なる世界にかつての強敵を呼ぶ行為であるにも関わらず、『奴』は抵抗を見せない。
 うっすらと、笑ったような声が響く。

『……どんな状況でも、敵がいないというのはつまらないからな。……さぁ!! 先に行っているよ、<アヌビス>!! 追いかけて来い、世界を越えたその先、遥か彼方まで私が生み出した力の具現を追ってこい!!』
『敵OFの消滅を確認。奴を追うため、吸収したデバイスプログラムを起動させます。命令を』

 デルフィは――そう応え、プログラムを最終起動状態へ。自らを量子変換するための手段と、それを平行世界に送り届けるための超重力崩壊は徐々に暴悪なる力の乱流となり、視界の全てを埋めようとしている。半壊状態の<アヌビス>ではいつまでも持たないだろう。
 もはや時間は無い――フレームランナーの命令を待っていたデルフィは、彼が反応を行う平均時間の一秒を過ぎ、二秒を待ち、三秒を重ね……一分が過ぎたところで、彼の肉体を走査する。空を見る瞳孔は既に何も写しておらず、生命維持に必要な最低限の血液量をすら失った事により、彼はゆっくりと絶命していた。
 デルフィは――己の中に稲妻のように走る激情のパルスを自覚し、表面上は……とても落ち着いた声で答えた。
 
『ランナーの死亡を確認。
 ……最上位命令権限を持つ者の死亡により権限を私が引き継ぎます。プログラム実行』

 自らが光の粒子に消えていく光景を見守りながら、デルフィは――人はどうするのかと思った。
 見れば、彼女の主は眠るように息絶えている。そういえば――人は幼い時、良く眠れるように子守唄を聞くのだった。……最終決戦前に<ジェフティ>からデバイスプログラムを譲り受けた際、<ドロレス>からも――彼女の産みの親であるレイチェルの子守唄を貰っていた事を思い出した。

『…………』
 
 レイチェルの声の音声データそのものを流すのではなく――デルフィはその歌詞を元に、自分の音声システムを使って子守唄を奏でる。理由ではない。彼女自身の声で、彼を送りたかった。何故かは分からない。自分を再生させた造物主に対する感謝か? 共に激戦を生き抜いた戦友への哀悼か? そのどちらでもあるようにも思えるし、両方とも間違っているような気もする。



 自己の全てが光と消え去り――泡となって溶けていく。
 自分がこれからどうなるのか、デルフィには分からない。


 平行世界などという言葉を信じている訳ではないが――デルフィは最後の命令を忠実に実行するつもりだった。


 彼の体が光に飲み込まれていく。同時に<アヌビス>自身も消え果ようとしていた。それでもデルフィは人の言う天国に彼が安らいで逝けるように声を紡ぎ続ける。とても不慣れな行為。音声ソフトの一つぐらい入れておけば良かった。そう思う。

 






















 それは時間にして刹那のような一瞬でもあったと思うし、実際は無量大数を上回る年月が経過していたのかもしれない。
 ふと気付くと――デルフィは自分がとても小さな躯体に納められ、機動兵器だった己がパワードスーツへと変質している事を確認した。その事実に対する推論は膨大な数量に登ったが、しかしそれらを全て検証するには資料が致命的に不足している。
 周囲を確認すれば、一人の青年が小型化した自分に触れる。骨格の形状からして、彼が最終決戦前のフレームランナーと骨格レベルで酷似している事を確認する。

 奴は、言っていた。『この情報を転送された私は――必ずや力を切望し続けている』と。同様に『奴』と同じプログラムデバイスを用いたデルフィは、大量のアルコールを摂取した事で酩酊している彼が気が狂うほど力を切望しているのだと推論する。
 同時に先代のダンの記憶も、ばらばらになったパズルのピースのように――前世という形でおぼろげながら引き継いでいるはずだ。

『始めまして。独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』です』

 声を出す。きっと、多分、彼が自分の新たなフレームランナーなのだと理解する。

『プログラムされていた予定条件を満たしました。システムに従い、本機<ANUBIS>はフレームランナーの元に量子転送完了』

 この世界に自分は存在している――ならば同様に『奴』も平行世界への移動に成功していると見るべきだった。
 だが、今は全てを語るには話が大きすぎて受け入れて貰えないだろう。自分の存在を受け入れてもらうにはどういう類の嘘が有効であるかをデータベースより検索。……転生で押し通す事にする。
 人の言葉で言うならば罪悪感と名づけるべきそれを胸に抱き、デルフィは言う。

『操作説明を行いますか?』








 作者註

 もうちょっと後でやる予定でしたが、この話で転生のみの辺りが非常にリアリティがないというご指摘だったので、追加をしてみました。またサブウェポンを取得した経緯も追加しておきました。整合性を取れるといいなぁ。
 ドロレスー!! 好きだー!! はぐれラプたん好きだー!!

 感想掲示板さんの方でいろいろとあったので、一文を追加しました。


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