February 11, 2011
睡眠時間がないが想い出話を書こう
いま深夜一時五十分。
起きなければならないのは四時四十五分。
睡眠時間が三時間を切った。
若い頃、まだエコノミーしか乗れなかった二十代前半の頃は
アメリカに発つ前の晩は一晩中起きていた。
思いっきり眠い状態で成田に到着して、
飛行機の中での選択肢は無し。爆睡したものだ。
二十六歳の頃からほぼ毎回ビジネスクラスか、
時には国際線ファーストクラスに乗るようになったおかげで、
それをしなくても眠れるようになった。
三十代の半ばの頃だったがデルタ航空のマイレージを使い
当時提携していた全日空のファーストクラスをゲットしたのは良かったが
「こんな所に座っていてバチがあたるんじゃないか」と思うほどの空間に思えた。
席が広いだけではなく、アメリカに帰る際、
到着前の食事で選んだのが「あわびが丸一個入った
フカひれスープ」だったのが忘れられない。
ところが私はそんな快適な空の旅にも関わらず
往時には成田に到着した際にトイレに行ってゲーゲー吐いた。
というのも機内で当時覚えたての麻雀のゲームにはまり
一睡もしなかったからである。
飛行機はファーストやビジネスだろうが、エコノミーだろうが
眠るものであるというのが私の持論である。
一度、確か二十年ぐらい前にポートランドから成田まで
デルタ航空のエコノミーで飛んだことがあった。
その時偶然に機内で剛竜馬さんと遭遇。
空席が多かったので隣同士に移動して
ブラックジャックを始めた。
もう二十年も前の話だから時効だろうが、
金を賭けての真剣勝負。
最初は「25ドルMAX」という約束で始めたのに
私が1000ドルぐらい勝ってくると
剛さんはいきなり500ドルをはって
「それじゃ約束が違いますよ」というと
「いいじゃないか勝ってるんだから」とごり押ししてきた。
それでも私が勝つと今度は1000ドル。
また私が勝つと2000ドル!!!
その時の剛さんの鬼気せまる表情の怖かったこと。
私はついに負けてしまった。
「最終着陸態勢」のアナウンスにハッとする。
エコノミーなのに疲れを感じる前に到着してしまった。
三十代に入ってから長距離路線でエコノミーに乗ったのはその時と
あとメキシコのAAAの人たちに頼まれて日本マット視察の
コーディネーターとして一緒にノースウエストのロサンゼルス〜成田便に
乗った時ぐらいかな。
その時はミドルシートで到着した途端に身体がつってしまい、
帰りの成田〜ロサンゼルスが当時プラチナ会員だったデルタ航空ということも
あり、自分だけアップグレードしてビジネスクラスで帰ってきた。
思えば故アントニオ・ぺニャ氏には色々よくしてもらった。
恩返しは一度しか出来なかったのが残念。
ハッスル2のブッキングを依頼された際に
彼らを呼び、ぺニャさんにはアメリカン航空のビジネスクラスに乗ってもらった
ぐらいかな。
色々な人に世話になり、恩を返せた人もいれば返せなかった人もいるが、
世話になった恩は忘れていない。
おっとっとあと二時間十五分。
今日はJFKから成田に向かうがよく寝られるだろう。
シャンパンを呑んで映画を観るいつものパターンは無理かもしれない。
起きなければならないのは四時四十五分。
睡眠時間が三時間を切った。
若い頃、まだエコノミーしか乗れなかった二十代前半の頃は
アメリカに発つ前の晩は一晩中起きていた。
思いっきり眠い状態で成田に到着して、
飛行機の中での選択肢は無し。爆睡したものだ。
二十六歳の頃からほぼ毎回ビジネスクラスか、
時には国際線ファーストクラスに乗るようになったおかげで、
それをしなくても眠れるようになった。
三十代の半ばの頃だったがデルタ航空のマイレージを使い
当時提携していた全日空のファーストクラスをゲットしたのは良かったが
「こんな所に座っていてバチがあたるんじゃないか」と思うほどの空間に思えた。
席が広いだけではなく、アメリカに帰る際、
到着前の食事で選んだのが「あわびが丸一個入った
フカひれスープ」だったのが忘れられない。
ところが私はそんな快適な空の旅にも関わらず
往時には成田に到着した際にトイレに行ってゲーゲー吐いた。
というのも機内で当時覚えたての麻雀のゲームにはまり
一睡もしなかったからである。
飛行機はファーストやビジネスだろうが、エコノミーだろうが
眠るものであるというのが私の持論である。
一度、確か二十年ぐらい前にポートランドから成田まで
デルタ航空のエコノミーで飛んだことがあった。
その時偶然に機内で剛竜馬さんと遭遇。
空席が多かったので隣同士に移動して
ブラックジャックを始めた。
もう二十年も前の話だから時効だろうが、
金を賭けての真剣勝負。
最初は「25ドルMAX」という約束で始めたのに
私が1000ドルぐらい勝ってくると
剛さんはいきなり500ドルをはって
「それじゃ約束が違いますよ」というと
「いいじゃないか勝ってるんだから」とごり押ししてきた。
それでも私が勝つと今度は1000ドル。
また私が勝つと2000ドル!!!
その時の剛さんの鬼気せまる表情の怖かったこと。
私はついに負けてしまった。
「最終着陸態勢」のアナウンスにハッとする。
エコノミーなのに疲れを感じる前に到着してしまった。
三十代に入ってから長距離路線でエコノミーに乗ったのはその時と
あとメキシコのAAAの人たちに頼まれて日本マット視察の
コーディネーターとして一緒にノースウエストのロサンゼルス〜成田便に
乗った時ぐらいかな。
その時はミドルシートで到着した途端に身体がつってしまい、
帰りの成田〜ロサンゼルスが当時プラチナ会員だったデルタ航空ということも
あり、自分だけアップグレードしてビジネスクラスで帰ってきた。
思えば故アントニオ・ぺニャ氏には色々よくしてもらった。
恩返しは一度しか出来なかったのが残念。
ハッスル2のブッキングを依頼された際に
彼らを呼び、ぺニャさんにはアメリカン航空のビジネスクラスに乗ってもらった
ぐらいかな。
色々な人に世話になり、恩を返せた人もいれば返せなかった人もいるが、
世話になった恩は忘れていない。
おっとっとあと二時間十五分。
今日はJFKから成田に向かうがよく寝られるだろう。
シャンパンを呑んで映画を観るいつものパターンは無理かもしれない。
jimmysuzukiusa at 16:32│Comments(0)│