余録

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余録:災害ボランティア今昔

 「浅間焼けにて上州武州数百村、砂降り泥押しの難儀、大方ならず」という天明の浅間山噴火の時のことだ。泥流に埋まった川の復旧を行う人々の中に、ざるで土を運ぶ10歳ほどの男の子がいた▲聞けば近村の富農の子という。古老の話では子の親はこう言って出仕させているのだという。「噴火で民が困窮し、公儀も巨費をかけて復興に取り組んでいる。余裕ある暮らしをする自分らは安居してはいられない。子には身をもってこの事態をわきまえさせたい」▲奇談集の「耳袋」の筆者で幕臣の根岸鎮衛が噴火災害の復興指揮にあたった時の見聞だ。「耳袋」の別の記事では被災した村の生存者90人余に私財を投じて仮小屋をつくり、食料を与え、一同に家族の盟約をさせて助け合わせた3人の近郷の篤志家の話を書いている▲「私たちは場所が離れていたので今回の愁いを免れた。しかし被害にあったと思えば、財産を捨てても難儀の者を救って当然だ」。その一人の商人はそう述べた。人同士が土地や身分で隔てられていた昔でも、災害に苦しむ者に思いを寄せ、手を差し伸べる人はいた▲積もった火山灰への降雨で、今度は土石流の危険に悩まされる霧島・新燃岳(しんもえだけ)の周辺である。雨どいを壊すまでにたまった灰の除去などでは地域内外のボランティアが活躍している。雲仙や神戸など過去の火山災害や震災の経験を継承する人々からの支援も伝えられる▲火を噴く山の前では人は無力だ。そんな人間同士の助け合いをわが子に実践させて伝えようとしたご先祖もいたこの列島である。ここはその志が、子々孫々にまでちゃんと伝わったことを示したい。

毎日新聞 2011年2月11日 0時02分

 

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