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晴れやかな着物に身を包む二人の女性。
12年前、親族の結婚式に出席した時の奥田紀代美さんと妹の久美子さんです。
その二人が変わり果てた姿で見つかったのは先月8日。

2LDKのマンションで見つかった遺体は、63歳の紀代美さんが体重37キロ(死因・病死)、61歳の久美子さんが30キロ(死因 栄養失調)までやせ細り、死後20日ほど経っていたということです。

かつてはマンション1棟のオーナーだった2人の所持金はわずか90円。
姉妹に一体何があったのでしょうか
<妹・久美子さんの同級生>
「(アルバム見て)これ久美ちゃんね」
妹の久美子さんと中学校時代、仲が良かった同級生の女性は、姉妹の家は近所でも有名な資産家だったと振り返ります。
<妹・久美子さんの同級生>
「3人組でよく一緒に勉強したり、遊んだり。おうちがあってパンションみたいなのを持ってて、そこの一室に入ったり鉄筋(マンション)の方に入ったり。『いいな久美は』って」
銀行の支店長も務めた父親と母親の4人暮らし。
付近の土地も多数所有し、アパート経営もしていたそうです。
<家族を知る人>
「富田林の方に山を持ったり、お父さんは立派な方。学校行ってた時は(2人は)お嬢さん」
何不自由なく育った2人は、共に独身のまま実家での生活を続けていました。
ところが20年前に父親が、そして10年前に母親が相次いで死亡。
姉妹の落胆は相当なものだったようです。
<近所の人>
「お母さんが亡くなった時に娘さん、3日間枕元で泣き伏してて何もしてなかった。お母さん亡くなってどうしていいか分からなかったのではないか」
平穏だった姉妹の生活の歯車が狂いだしたのは、その頃からだったようです。
豊中のマンションで人知れず亡くなった姉妹。
資産家に育った二人に転機が訪れたのは、両親が相次いで死亡した10年ほど前のことでした。
<親戚>
「おじ(父親)が死んだ後、あまり生活はよくなかった。でも彼女たちが働いていたので、本当にそこまで困窮してる状態ではなかった」
父親が死亡した時、少なくとも土地1,000平方メートルを相続したとみられます。
阪急の曽根駅から徒歩10分のこの土地の路線価は、父親が死亡したバブル絶頂期には1平方メートル47万円。
少なくとも相続税7,000万円に固定資産税が毎年700万円に上ったとみられます。
しかしバブル崩壊後、土地の値段が下がり続けます。

1平方メートルあたり47万円だった路線価は急落し、去年には3分の1近くまで下落してしまいます。
<マネーコンシェルジュ税理士法人 今村仁さん>
「父親が財産を持っている場合は自分が死んだ時、相続人に渡す時に税金がかかる相続税を意識して、必要なら先に売って財産をお金にかえておくなどの必要があった。売却しなかったため結局、税金を払えなくなって相続税を滞納していく」
2人はやがて相続税や固定資産税を滞納するようになり、11年前ようやく土地の一部を売却します。
値段は6,000万円でした。
<土地を購入した人>
「(この土地代も)相続税の延滞利息分の一部にあてると。『相続税も結構大変みたいですよ』って、仲介業者から聞いた」
それでも税金の滞納は続き、ついには所有する土地を国税局などに差し押さえられるまでになります。
ちょうどその頃、妹の同級生の女性が久美子さんの姿を見かけ、声をかけていました。
<妹・久美子さんの同級生>
「久美が歩いてる時に足が不自由そうに歩いてたから、『どうしたん?』って言ったら、『痛いねん、体もボロボロやねん』と。『お医者さん行かなアカンよ?』って言った時に『お金ないねん』と答えた」
窮地に陥った姉妹は、ある決断をします。
10年前、所有していた古いアパートを取り壊し新築のマンションを建設、賃貸マンション経営に乗り出したのです。
建築説明会で説明に立った姉妹の様子を、出席した人はこう話します。
<説明会に参加した住民>
「間に入ったデベロッパーから『家賃収入で、あなたたちの生活は将来、未来永劫安泰ですよ』と言われたことを信じてそれを基に話していた」
結局、姉妹はおよそ4億円を借金してマンションを建設しました。

しかし、新築当初15部屋全て埋まっていたのが徐々に入居者が減り、最後は5世帯に。
借金の返済は滞り、去年2月には裁判所による強制管理が始まりました。
ここで姉妹の収入は完全に途絶えたのです。
土地の相続からマンション経営に乗り出し、失敗するケースは多いと専門家は指摘します。
<不動産鑑定士 嶋田謙吉さん>
「平成バブルが崩壊した時に相続破産という言葉をよく聞いたと思うが、その引き金になるのが賃貸マンション経営のような賃貸用不動産の経営の失敗が引き金になるケースが多かった。(今回も)同じような相続破産の一つのパターンなのではないか」
結局、マンション前にあった2人の実家もすべて国税局に差し押さえられ、去年9月には競売にかけられ不動産業者が落札。
姉妹はすべての土地を失いました。
かつて近所でも評判だったお屋敷は、屋根まで草木に覆われ荒れ果てていました。
家が取り壊されたのを知った同級生は、心配して姉に声を掛けていました。

<妹・久美子さんの同級生>
「『どうするの?建替えるの?』と聞いたら、(姉が)『今考えてるねん』と言ったから見栄があったのかも知れない。その時すでに競売にかけられて差し押さえられていた」
実家を取り壊された姉妹は、自分たちが借金して建てた賃貸マンションへと引っ越します。
しかし、その頃にはその日食べるものにも困った様子だったといいます。
<親戚>
「11月中ごろだったと思うが、(姉妹が)電話で『ちょっと困ってるんやけどお金貸してくれへん?』と言われた」
すでに去年9月には、電気とガスも止められていた姉妹。
見かねた親戚が生活保護の申請を進めましたが…
<親戚>
「市の民生委員とか市役所にでも行け、と言った」
(Q.2人はなんて言ってました?)
「黙って帰った」
12月半ば以降ぱったりと姿を見せなくなります。
そして年が明けた1月8日、大阪地裁の執行官が部屋へ行き、2人が死んでいるのを発見しました。
電気やガスが止められて3か月も経っていましたが、こうした情報は行政には伝わりませんでした。
2人の年齢が65歳以下という点も盲点だったようです。
<豊中市健康福祉部 尾林幸太郎次長>
「65歳以上の人だと介護保険とか民生委員もケアをする対象。それ以下で、まして2人所帯ですんでねー、誰か気がついた人が言ってもらわないと100パーセント網をかけるのはしんどい」
先月14日、豊中市が執り行った葬儀には、市の職員と大阪地裁の執行官だけが参列するという寂しい最後でした。

かつて資産家だった姉妹、行政のセイフティーネットにもかからず遂げた死は、私たちに新たな課題を突きつけています。
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