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2005.02.09

「(社)実践倫理宏正会」とは?

 本会パンフレット「愛和」から記事を抜粋いたしました。

 (社)実践倫理宏正会は、人としてあるべき生活倫理(日常生活に不可欠な人間関係の法則)を普及し、その実践によって、人々が幸福な暮らしを実現できるよう、啓蒙活動を行っている民間の教育団体です。
 こんにち私たちは様々な問題に直面していますが、本会が創立以来、とりわけ難問として注目し続けてきたのが「教育」という問題です。
 将来を担う子供たちを善導するために、まず親(大人)が倫理に則った正しい生き方をして模範を示すことが必要ととらえ、「子供の善導は親の倫理実践から」-をスローガンに掲げています。
 活動の拠点となるのは、全国各地で毎朝5時から行っている「朝起会」です。倫理実践の第一歩は目覚めと共に起きることにありますが、一人では厳しいこの実践も、仲間と共に学びあう朝起会への出席によって続ける事ができるのです。
 「朝起きはお国を興す第一歩」-これは、もう一つのスローガンです。勢いある朝のスタートから一日を出発し、「朝の誓」の実践による自らの人格陶冶が、子供や周囲の人々に善き影響を及ぼし、明るい家庭や職場や地域社会づくり、ひいては善き国づくりにつながっていくのです。
 利己主義が蔓延し、家庭をはじめあちこちで人間関係が希薄になっている現代にあって、本会は積極的に人と人との心を結び合う真の愛和社会の創造を目指し、さらなる普及活動を展開しています。

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» 浜崎あゆみが長瀬智也と円満な別れを翌日強調:男女の真の愛は倦怠期後に出現:男女の破局 トラックバック 浜崎あゆみ@最新情報
このブログで「浜崎あゆみ 長瀬智也の仲が破局:真の男女の愛とは倦怠期の後に生まれる」と書きましたが、浜崎あゆみがファンクラブの公式サイトで発表した長瀬智也の仲が破局の反響の大きさに考慮して、再び翌日の14日に同じサイトに円満な別れだから悲しまないで書き込みました。「 皆にものすごく心配かけちゃってるみたいなので、一言だけ、言いに来たよ。 あのね、私達は恋人同士という枠を取っ払った事によって、以前にも増して、深い絆で繋がれている関係になれたの。それはね、本当に素晴らしい事だと思...... [続きを読む]

コメント

こんにちは。
実践はじめてまだ少ししかたっていませんが、
これから頑張ろうとおもいます。
昔の「倫風」のよい記事や、
行事予定がありましたらご紹介ください。
まだまだ寒くて頒布は大変ですが、
がんばりまーす。

実践倫理宏正会には公式ホームページがないんですか?全国に会場があるのだから作ればいいのに。
よくお誘いを受けるんですが、朝5時からの朝起会や頒布?に行くとなると、その間子供の世話とかどうすればいいんでしょうか。まだ小さいと家に置き去りにするのも危ないですし。

朝からすがすがしい気分ね。

こちらでは会費は年間3000円です。

倫理日誌です。
ご感想をお願いいたします。
60周年という節目の年です。
がんばりましょう。

脱会したいのですが、、、させてくれません。てか入会した覚えすらない。法的手段をとるしかありません。詐欺ですね。

以前京都方面の偉いとされる会友さんに、2000万円のお祝い金をしろと言われました。しないと身体を壊すと脅されました。この会って恐いところですね。会費も役職が付くと万単位で払わされていました。今は無理矢理脱会できましたが。この会は、どういう会なんでしょうか?洗脳??????P○教と大本は一緒と聞いたこともあります。謎です。

「お祝い金」100万請求され、
断ると、「癌」になる、と脅迫されました。
これって「倫理」なんでしょうか。

ここを立ち上げた貴女、説明できる?

団体に属す限り数字としてみられる。政界の票確保ですな

会に関わると 色々な場面に出会うと思います。
残念ながら 盲目的というか 宗教的というか、とにかく朝起きさえしていれば大丈夫、お金を出せば大丈夫などずいぶんな思い違いをしている人がいることも否めません。ただ、kyoさんや 被害者さんは 離れた所(ここ)でゴチャゴチャ書き込んでる暇があるのなら 言われた方本人に 直接 ぶつけてみたら如何ですか?
 
最近の学びから
「照顧脚下」 自分は何者か、何をなすべきか、足元から   見直し点検せよ。
「他者我映」 相手の姿は自分の姿である。

素直に自分の非を認め、反省したら潔く「自己改革」せよ(個人的には 言うは易し行うは難しなんですけど・・・)

とある知り合いで実際に起きたケースです。
この会では、離婚し子供のある将来に不安をもった女性を会に引き込み、一般社会の中では結婚できない変わり者の会員の男性をくっつけて、女性を男性に依存・隷属させ、女性には働くことをさせず、会の活動に専念させ、男性の稼ぎで生活し、会なしでは生きていけないように仕向けることまでするようですよ。統一教会と同じですよね。
いずれにせよ、この会では、女性は男性に依存・隷属し、男性(旦那)に言葉の上では尊敬を表し、男性を気持ちよくせて、稼いだ金をまき上げ、それを会に納めさせることで、会の世界の中だけで、気持ちよくさせるってことが常套手段です。
女性、特に将来ある子供をもたれている方々へ:正常な精神をお持ちのうちに脱会して、現実の世界でがんばって生活したほうがよさそうですよ。

以前無理やり入らされたものです。(今はもうかかわりがありません)私を誘った女性は、子供は捨て育てするため、小さな子供がいる人でも子供を置いて頒布活動をし、朝起き会に出席するのだと聞きましたが本当ですか。あと、女性は三つ指ついて主人に仕え、決して働くことはないのだとも聞きました。どんなに生活が苦しくても、妻は家を守り、旦那さんにはどんな風に無理してでも働いてもらうという趣旨のようでした。はっきりとは彼女はいいませんでしたが、話していてそういう意味なんだなぁと思いました。

以前無理やり入らされたものです。(今はもうかかわりがありません)私を誘った女性は、子供は捨て育てするため、小さな子供がいる人でも子供を置いて頒布活動をし、朝起き会に出席するのだと聞きましたが本当ですか。あと、女性は三つ指ついて主人に仕え、決して働くことはないのだとも聞きました。どんなに生活が苦しくても、妻は家を守り、旦那さんにはどんな風に無理してでも働いてもらうという趣旨のようでした。はっきりとは彼女はいいませんでしたが、話していてそういう意味なんだなぁと思いました。

妻は、旦那の性欲を全て解消する義務もあるようですよ。セックス拒否なんて許されないわけです。お使えする旦那様には、常に体を捧げる必要があります。愛情なんて必要ないのです。心は会に通うことによって豊かになり、会に通い続けるためには、旦那様に体を捧げ、それによって家庭円満、扶養家族としての義務を果たすって感じでしょうか。女性蔑視の考え方ですよ、女性の高等教育にも否定的ですし。そりゃそうです、賢い女性なら、こんなまやましの会にだまされませんから。
噂によれば、会の男性幹部は、盲目的な会員を性欲の解消に使っているとか。高級ホテルに寝泊りしてる幹部なんか特に。
この会、要は、バカな女と賢い男で出来ている会ってことなんでしょうね。ご愁傷様。

家内が入会し、パートは辞めてしまうは、安っぽい会報誌を何十冊も買い込んだり、その他家計から不明なお金がどんどん出て行くようになりました。
子供のことも家事もほったらかしになったため、遂に私が切れて離婚調停中です。

酷いカルト宗教です。

マスコミにも問題にならないのは、かなりの金額を政治献金しているのでしょう。なにせ貧乏な家計からむしりとるだけむしりとってますので、とんでもない金額が集まっているはずです。

被害者さんへ
お気持ちわかります。頭がいかれた奥さんとは人生をやっていけないでしょう。問題は、お子さんです。絶対、お子さんを頭がいかれた奥さんにとられないように!お子さんが危ないです。会の悪徳弁護士が出てきて、金をむしりとろうとします。お子さんが奥さん側にいると、相手側は、お子さんを盾にして、金をむしりとろうとします。会いたければ、言い値を払って、早く離婚しろと。会は、別の男を準備しますから、背中を押します。財産分与も吸い上げます。養育費も同じです。会は、離婚を資金集めの機会とみなしています。
あなたがやるべきことは、お子さんを確保し、奥さんの会の活動、おかしな出費についての証拠を調停で出して、親権をとってください。信仰の自由ではなく、子供を育てていく基礎が出来ていない、優先順位が子供ではなくて、会にあることを調停員にわかってもらうべきです。
万が一、親権を譲るにしても、朝起き会には行かない、会とは手を切る、もし戻ったら、親権は変更するという条件付で譲歩してください。
がんばってください。

捨て育てをされました。私が1歳のときからずっと、家でたった一人で留守番させられていました。幼稚園も迎えにきてもらったことがないです。人通りの少ないところで何度も危険な目にあいました。兄弟もみんなそうやってネグレクトで育てられて、精神をおかしくしてます。父がギャンブル依存になって家計がどれだけ苦しくなっても一切働かなかった母。しかもそんなときですらお金を会に入れてたんです。朝起きさえやってればなんとかなるって言ってた。馬鹿じゃないかと思う。これ以上こんな気持ち悪い人間を増やして不幸な子供を産まないで欲しい。新たに会友を増やそうとして訪問すんのもやめてほしい。家族のためとかなんとか言ってるけど、子供の気持ちなんて分らないし認めないんでしょう。だって自分自身の本当の気持ちからも目をそむけて会の考えを上から塗りたくってごまかしてる人たちだから。母はすっかり自分をなくして、依存症になってます。

この手の掲示板・ブログを拝見していると出るわ出るわ、会に対する疑問やら苦情やら…。

まあ、確かに人間が運営する組織ですので完璧な会は存在しない、求めるのが無理ってもんです。
親会友さん・グループ長さん・班長さん・責任者etc。講師はともかく、全員が会から何の見返りもなく運営の労を取って下さる方々で、自分が何をやったらどんな報酬がもらえるか、何をすれば幹部になれるか等と言った事を考えつつ「実践」している人は殆どいません。

確かに、中にはそう言う「欲」に駆られた人もいるでしょうが、一時的な成功は収めても自滅することでしょう。(何より、その人達も金銭的なメリットを享受する事はありません)

捨て育てにしても、誤ったイメージ(実践)が定着しつつありますね。それを許してきた会の運営にも問題はあるでしょうが、断じて「捨て育て=ネグレクト」ではありません。

これは総合的に言えることですが、どの様な実践を行うか、学んだ倫理をどの様に実生活で実践していくかは全て、会友一人一人に任された「自主的・自発的実践」に拠っています。

それに伴って会友各自の色々な「実践」が行われ、実践すればそれが結果として現れます。
勿論、誤った実践をすれば、誤った結果が現れます。

上記の諸々な「問題」は、突き放した言い方ですが、誤った実践の結果の表れかもしれません。
ただ、これだけは理解して頂きたいのですが、実践した「答え」は、全てが全てすぐに表れるものではありません。直後に鮮やかに現れるものもあれば、1年後・5年後はおろか、10年・20年・50年後に現れるものもあります。

つまり、実践したその人に現れるだけに限らず、その子孫に現れるものもあるのが実際です。

決して逃げる積りではありませんが、上記の諸々の「問題」も、お見かけした所、まだ「結果」と断定できるものはありません。
実践の過程に現れる「現象」の一つではないかと思います。

確かに、その渦中にある方々は今すぐ「結果」が欲しいと思われるのも無理はありません(私も例外ではありませんでした)。
その渦中にある方に、「現象」だと申し上げるのも非常につらい事ですが、一面、実践倫理はそう言う面を持ちます。一見して「非情」に見えるのも無理はありません。

しかし、それを乗り越えずして「真の仕合せ」を実現することが出来ないのも、また真実です。

中には間違った「指導」が会友諸氏から行われることもあるでしょう。しかし、「間違った」指導に見える事柄であっても、そこに「真実」が隠れていることが多々あるのも事実です。

どうか、現在の「過程」だけを見て、全てを判断しないで頂きたい。
それでも「間違い」はあるかもしれません。その際は、どうぞお気軽に本部まで電話なり、葉書なり、封書でお問い合わせ下さい。
連絡先は「倫風」はじめ会の出版物にはあまねく記載があるはずです。

ここに書き込まれる人を「悪人」と決め付ける積りは毛頭ありませんが、ここでは求める「答え」が出る可能性はかなり少ないのでは?と思います。

会に対する苦情も、どうぞ遠慮なく本部に仰って下さい。ここは熱心な会友さんが会を思って立てて下さったブログですので、苦情を持ち込まれてもただ困るだけです。

荒らしの類は別にして、ここでは日常の実践を語り合う、ちょっとした疑問点を問い合わせるような場だと理解しています。
そのような主旨に、どうか戻して頂きたいと思います。

長々と失礼致しました。

母が会友さん。ありがとうございます。
私も母が会友でいわゆる倫理っこで育ちました。被害者がいるなど何も知らずに会の事を信念もって励む母の姿を見て育ったので批判されてる方々の書き込みを眼にして胸が痛くなり、何が正しくて何が正しくないのか分からなくなってきていました。また明日からがんばります。

↑間違えました・・・。
母は会友さんではなく、鯰の鬚は4本さんに対して感謝申し上げます。

 朝の白々明ける空、
  明ける前の暗がりの星空
      (夜中の星ではない)、
 雪明かりで道が明るい?
 雨上がりの空 ETC・・・
       を見たことがありますか?

自然ってすごいです 自分がちっぽけに見えてしまいます。

間違ったやり方、間違った考え、間違った受け取り方  間違いだらけの生活の中

なにが正しいか、なにが今自分に必要か。
何を子供たちに残してあげられるか

自分がいなくなったときに 子供に残してあげられるもの 残してあげられること

自分の血を分けた者に 仕合せになってもらいたいのは 親なら誰でも 少しは思うことではないでしょうか

いろいろな情報と難しい人間関係の中 

自分で何が大切で 何が自分に必要か

いいことだけではない そんなことがたくさんある世の中だけど 前向きに 進んでいこう!と思える瞬間を 私はほしい と思っています。

それがなにか・・・

欠けているものを 満たしていく

素直と明るさ たくましさ やさしさ

夢物語でなく それを自分で手に入れたいなあ~

なにを書いているんだ わたしゃー???


 

忘れものを 取りに行きました。
朝早く目を覚まし 車を飛ばし・・・ 
ありました。 ありました。私の忘れ物。
凍っていたのは 自分の心。
相手が悪いわけじゃないのに 
私のこと わかってよーってまた叫んでいる。
やさしさ あったかさをいっぱいもらい 
 さびしさと 憎しみと・・我を少しおいてきました。

不思議と元気が出てきます。

夢中になる良さと 夢中になる めくら

自分が仕合せになることの大切さを
 勘違いしていました。

「みんな 仕合せになれるように セットしてあるのです。」

涙がでます。

春の太陽の光のように ぽっかぽっかになれますように

厳しい冬 冷たい雪は消えました

暖かい 種まきの春です!

私は朝起き会へ行ってない。
母は私を産んだ頃から朝起き会。
朝起き会は、彼女の生き甲斐です。
私は朝起き会へ行っていない。
でも『倫理』を正しく学んだ人間に育てられたから、私にも『倫理』が根付いている。感謝である。
昨年とても素敵な人と結婚した。
周りを見渡せば、同じ二十代も三十路を迎えた人も結婚できないでいる人が多い。
私が彼(夫)にしている当たり前の事を聞いて
「えぇ~私そんな事できなぁい」。
「できない」のではなく、「したくない」にしか聞こえない。
私が今「幸せ」と思えるのは、相手の役に立てるのが嬉しいからだ。心地いいのだ。
男は仕事をし、女は子供を産み・家を守る。
それぞれに「役割がある」という事。
たったそれだけの事を認めず、「女だって働ける」「女性軽視だ」と‘謙虚さ・控えめさ’を失くした結果が晩婚化・少子化である。
謙虚に、控えめに、夫を立てる事が、時代錯誤だ!女性軽視だ!とおっしゃるなら、そう言う前に女としての実力をちゃんと発揮すればいい。
しっかり炊事洗濯をして、沢山の子供を産む事ができたなら、そんな女性を誰が軽視するのでしょうか?
こういう思考でいられるのも、倫理を学ぶ母が育ててくれたからこそであり、苦労もあったが、今はとても幸せだ。
私は朝起き会へは行っていません。
でも理解できます。
『お金』重視で活動している人なんて見た事もありませんが、もしそういう方がいるとすれば、それは会に入っていても全く意味のない方ですね。早起きまでして…もったいない人だ。

私は今朝起きを始めて4ヶ月になる会友です。お誘いを受けてから実際に朝起きへ参加するまでかなりの時間がかかりましたが、疑心暗鬼で初めた朝起きの成果が少し見られるようになった今日この頃です。
・・が、最近次のステップ、として倍加を強く勧められています。「とりあえず10人すること!!」と言われとても戸惑っています。ようやく朝起きの効能を実感できるようになったところで、頒布でさえもかなり抵抗があるのに、倍加に加えることにとても罪悪感があります。
また、「座談会に参加されませんか?」と安易に誘っておいて、座談会を終える頃には数人で新規の方を取り囲み、とても断れる状況ではない状況を作ってほとんど無理やりのように入会させるやり方も納得がいきません。
例えば入るときにはとりあえず会の概要を説明し、これだけ費用としていただきますとか、年間お祝い金も含めどのくらいかかるとかの説明が必要ではないでしょうか。私は倫理の学びは素晴らしいものだとは思うのですが、倍加に目標を定めるようなことにはどうも反発を覚えてしまいます。どなたか私が納得の行くような説明をしてくださいませんか?
「(倍加をすると)みな幸せになるから」とか「(倍加をすると)倫理の和が広がるから」などという抽象的な理由では霊感商法と変わりないのではないでしょうか。もちろん実践倫理構成会は宗教ではないし立派な教えだと思っていますが、こんな気持ちのまま頒布に参加できる心境にはなれません。どなたかお答えいただければうれしいです。

昔はよ 畑 うないは 鍬でしたものよ。
今の若いもんは 年寄りですら 鍬ひとつ
もったことがねえ みんなきれいな手して
力仕事するもんの 手 見たことあるか
あんたら 土まみれになり 汗流してする仕事 するもんばかにしてねえか
力入れて 鍬もって 手 肉刺だらけにして 荒地を 畑にしたもんよ
今 お前さんに でぎっか・・・
穴があったら うめるんだよ 石があったら 拾うんだよ 
 体をかがめて 足 痛いっていうなよ
一鍬 一鍬 丁寧に 腰入れて 体の ばね 使って よっこらしょって 土をおこしていくんだよ
そして おてんとうさんと 水
これが なくては 芽はでないんだよ
わがっつかあー それが

・・・どこでか 誰かに聞いたこと 今でも思い出す。たくましさとつよさ だけどどことなくと ああそうだ と思わせる そんな話し方 その方の生き方にまで 思わせてしまう。私は くわをもったことも 畑を耕したこともない 私の手は そこそこ まだ見せられると思っていた・・・

・・・人と人との中を 生活 暮らしていく 私たち 
      善 悪 利
どこにいっても どこにいても 人は 一人では暮らせない 

「人の中で 人になりなさい」

これが こういうことなのか と思ったとき とても落ち込んだ。
かなわないと 頭(こうべ)下げたのでもなく 打ちのめされたと思ったときでもなく こういう人もいるんだと思ったときだった。

しかし、その中でも 生きられるように その中でも しっかり 自分の考えを持ち 明るく 元気に前向きに生活できるように そうなれるように リハーサルさせてもらっているのですよ とやさしく話していただいたときには もう人を信じない と硬くなった気持ちが ふっと楽になったものだった。

知らないこと 体験したことのないことに会うと不安になったり しり込みしたり 自分の意に沿わないと 腹立たしく思うこともある。これをやっていなければ 会わなくてすむものも ある
だけど ときどき これで 私は 自分が耕されたと 思うことがある。それがずうーと後に そうだったんだと思うことがある。

まだまだ 何もしていない なにも知らない なんにもわからないんだと 感じるようになった。・・・


    

   

 

>まるまるまあるさん

言わんとすることは解ります。
同様なことを私も先輩会友さんから言われます。仰ってることはわかりますが、「人のなかで人になる」のは自分自身の問題であって、頒布されるほうは迷惑してる方がたくさんいらっしゃいます(実際私もそうでした)
人から求められて倫風誌をお持ちするならわかりますが、そうでもないのに勧誘に行くのは来られる側は迷惑以外の何者でもありません。
頒布も倍加も自己満足としか思えません。

はい すみません。
ありがとうございました。

>まるまるまあるさん
一人でポエジーで自己満足なレスだけ書いておいてこちらの質問にはまるで適当な返事ではお話しになりません。
こちらが疑問に感じていることについて教えてください。お願いします。

>のんさん
私の書き込みで 腹を立てさせてしまったようで すみませんでした。
そして 書き込みが遅くなりすみません。
入会4ヶ月とのこと 成果がでている喜びの反面、先輩会友さんの引き上げ(倍加 等)に 抵抗を感じているとのことと。
私も のんさんと同じような心境を繰り返し 今にいたります。
私は演談すらも嫌 苦手で 不足いっぱいで演談をしてしまったり(やりたくても やれない人がたくさんいるのにね 演談後、なんと感謝が足りなくなっていたなあ だから私が演談だったんだなあとと気付かせて頂いたこともありました)、頒布 倍加 抵抗なく喜んで出来るときと 難儀だなあ どうして?と疑問を持ちながら の時もあります。
この会は どんなことも「強制はない」とお聞きします。
迷ったり 悩んだりしてしまう時、どうしても今回は納得がいかない、できないと思った時は やんわりその気持ちをお伝えしてもいいのではないでしょうか・・・と私がいっていいことではない様に思いますが・・・(これまた ほかの方のお怒りに触れましたら お許しください。)
そして、迷ったり悩んだ時ほど 基本の「朝起き会」に行き そこで ああ そうなのか。こういうことなんだ。と自分で納得し 答えを見つけていくのかとも思いました。 
葛藤、不信、納得を何度も繰り返し 少しずつ 身についていく 前に進んでいける様に思うのですがどうでしょうか。(えらそうにすみません 私にも書き込みながら言い聞かせている感じです。)

のんさんに つっつこまれ えっ私?と思いましたが 書き込みさせていただき いろんなことに 気づかせていただきました。ありがとうございました。

長々とすみませんでした。  

私は会友さんから 頒布してもらい その方が 月に何度かうちに来てくれる様になり 親しく悩みを話すようになった頃 座談会に誘われました。
その時 会場責任者さん他 会友さんに取り囲まれ「誰の紹介?いまどんな仕事しているの?」に始まり「家族構成は?旧姓は?実家はどこ?旦那さんの職業は?勤め先はどのあたり 子供は 何歳?」などと いろいろ聞かれ「なんで こんなことまで 聞いてくるんだろう。」思いましたが 家族間の不和や心配なことがありましたので 聞かれるままに 答えてしまい その後 入会を勧められ 入りました。
会友さんの頒布があり 私の様に入会し 朝起き会に集うようになった方々もいると思いますが、頒布で この会に疑問を持つ方も少なくないように思います。
 こちらの主旨を伝えることも大切だと思いますが、相手の方の領分に必要以上に 踏み込まないことも また マナーではないのか?と思います。

どうも句読点の打てない、変な文章を書く人が多いことがきになる・・

憎む心 恨む心 怨む心 妬む心・・・
自分を活き活き 生かそうする心を覆ってしまっている。
倫理力が 間違った欲望で覆われてしまっている時。

  「恩と感謝を忘れない。」

演談から 人の話から その場から 
学びを自分に あてはめ 聞く。
自分の エッセンスとして。

悲しかった思い 苦しかった思い たまらなかった思い・・・
胸の奥にしまわれた 重くつらかった思い出が 
ひとりさびしかった思いが 
後から 後から 涙とともに なだれ落ちていく。

  「ことばは ことだま。」

学びの言葉に ひとつ ひとつ ほぐされ あがなえられていく。

そして 前向きに 生き抜こうとする。
ほとばしる ちからがみなぎる。

  これこそが 『倫理力』
  「倫理力は 覆い隠されることはあっても 
  まったく なくなってしまうことはありません。」

倫理力を 自分で覆い隠してしまっているとき。
  「教育とは 引き出すこと」
倫理力を 引き出してくれる人との出会い。

しかし 理想とあこがれと 実践の狭間に さまよう気持ち 
そして 現実の 人間模様に苦しむ。

>最近次のステップ、として倍加を強く勧められています。「とりあえず10人すること!!」と言われとても戸惑っています。

いわゆる「かげ倍加」ですね。先輩会友さんからどの様にお勧めされたかのかは分かりませんが、もし納得できない説明しかされていないようでしたら、その辺をもう一度良く尋ねてみて下さい。
「かげ倍加」の真の意味は、本会とのご縁を結ぶことで、陰乍らその方の「仕合せ」を願うことにあります。決して、倍加の「数合わせのために」行うものであってはならない、と本会で教わっているはずです。(先輩会友さん、そうですね?)

>「人のなかで人になる」のは自分自身の問題であって、頒布されるほうは迷惑してる方がたくさんいらっしゃいます(実際私もそうでした)

確かに「良い事をしている」との自己満足で、押し付けがましい頒布に陥っているとすれば、厳に慎まなければなりませんね。(自戒も込めて)

ご存知のこととは思いますが、何よりも「我も人もの仕合せ」を目指して、本会は活動をしています。
とかく現代の風潮として「自分」と「他人」を切り離して考える人が大勢を占める中で、上記の疑問は至極当然のものかも知れません。

しかし、「我の幸せ」を目指すだけでは決して本当の「仕合せ」には辿り着くことは出来ません。「人のなかで人になる」のは自分自身の問題に限らず、自分が磨かれることで周囲の人々にも良き影響を与えることが出来るようになっていく、その過程をさしています。
「自らが仕合せにならずして、他人を仕合せには出来ない。」
「他の仕合せを願わず(実現せず)して、自らも仕合せになることは出来ない」
一見して矛盾する2つの言葉ですが、自分と他人(自分以外の人)は決して切り離すことは出来ません。また、切り離しては決して生きて行くことは出来ません(生命の維持すら覚束きません)。

確かに、突然訪問された側としては「迷惑」に感ずる人が多いとは思います。頒布の目的が「自分磨きだけ」であれば、のんさんが仰ったように躊躇する心も出てくると思います。
しかし、こう言うのも何ですが、のんさんご自身も頒布から本会にご縁を結ばれたのではないでしょうか?
理想は、仰るとおり「希望者にのみ訪問・頒布」ですが、それではごく限られた方にのみ本会の存在をお伝えすることしか出来ません。

「ならばCMでも何でもマスメディアを使えば」とのご指摘があるかも知れませんが、それでは一人ひとりの方にきめ細かくお世話することが叶わず、今以上に会に対する誤解が生じかねません。また、頒布等でお出会いした方であるからこそ、先輩会友さんも親身になってお世話しよう、との思いを抱くきっかけともなります。
理想論では、例えCMなどからの問い合わせに応じて訪問した方であっても、上記と同じ「親身なお世話」が出来るようになれば言うことはありませんが、人の性質として、余り苦労せずに手に入れたもの(人をもの扱いしてすみません。文脈上お許し下さい)に対しては、余り大切にしない習性を持っています。

「難有ってこそ有難い」との言葉がありますとおり、苦労を伴わないものは中々身に付かないこともお分かり頂けたらと思います。

再度、長々と失礼致しました。

ほんと迷惑。こないでほしい。
私の意志で子供は保育園に行かせてるし、それをあずけるなとか、余計なお世話もいいところ。住んでるところもここは高いから、県営や市営に移れとか、人それぞれ考え方があるんだから余計な事は言われたくない。何が学会じゃないからぁ~だよ。そんな事言ってくること自体がおかしい!!調べてみればこんなとこだし。こっちは家に家も忙しいし、何が夫をたてろだ!!たてるとこ立てて、家の中ではお互い協力しあわなきゃ、家庭なんてなりたつわけがない。ほんと洗脳って恐ろしいね。
みんながみんな同じ考え方なわけないし、それを人に押し付けるのは、それこそ相手の事を考えていなさすぎる。なぜ、福祉みたいなことをうたっていて、金を取る!おかしいーだろ。安いところに引っ越して、その分の金でも巻き上げようって?ありえん・・・。まじで来ないでほしい。時間の無駄。私は絶対入らない。人の迷惑考えろ。

うちの母親は会員です。もう30年くらいたつでしょうか?
母が朝起きに行くようになってから、うちの家には不幸が渦巻いてます。
父を騙して離島へ活動に出かけたり(後で父にばれて、父は激怒!母の背中を蹴飛ばしてました。父は普段はこんなことをするような人ではありませんでした。当時、私は小学校にあがったばかりくらいの子供でしたが、子供ながらに母が悪いと思ってました。父がかわいそうです。)、どなたか書かれてましたけど、家に会誌があふれ(本来、会誌は有料ですが、買い手がなくて売れ残った分を母が買い取っていました。この30年で一体いくらつぎ込んだのだろうとよく考えます)、学生の頃には、私の友達を勧誘しようとし、かなりしつこく毎朝ドアを叩き続けたようで、あやうく友達を1人失いかけました。母が朝起きに行くせいで、父方の親戚中から総すかんをくっていて、親戚づきあいまでおかしくなってしまってます。
朝6時過ぎると、毎朝その日のノルマがあるらしく、今日はあと何人...なんて言ってます。こんなことして何の意味があるのでしょう。
これまで何度もやめてくれと言いましたが、ダメでした。それどころか、娘に反対されていることを認めようとさえしません。あんなやつとは縁を切ってしまいたいです。

 倫理、そのものは正しい学び。その本質に、触れることのない投稿の数々。おそらく、懸命な会友は、コメントすらしないと思います。
 ただ、真髄に触れない会友と外野によって、何処までもねじまげられている事が残念。
 たまたま、目にし、余りのバカバカしさに、放っておこうと思いつつ、私は懸命な会友では、ないので、コメントしてしまいました。
 いやだったら、断ればいいだけの事。しつこかったら、本部に苦情でも訴えればよいのに。
いやな思いをされた方々。あなたにいやなことをした会友を本部や、お住まいの地区代表番号にお電話すれば良いでしょう。
きっと、あなたの言い分が正しければ、あなたの味方をしてくれる筈です。
 強引な勧誘や強要をした会友は、本部を通して、会場に本人に忠告がなされる事でしょう。

この会は、今噂の(レイプで悪名高い)「摂理」と同じでしょ?子育てで疲れている母親=中年女性好みの法人団体役員で組織されている男の性欲処理集団でしょ?これに気づかない女性は、ご苦労さん。ま~、性欲処理係りになれない人は、この組織を票田につかっている政治家の資金と票集めに貢献しているんだから、それなりに日本社会に身を捧げているってことで、日本女性としての最低限の義務は果たしているってことかな???ご愁傷様。

この会は最悪です。私はかれこれ4年間
入っているんです;;旦那には三つ指を立てて、しかもセックスもかならず拒まず、
働いてもいけなくて、子供も捨て育てをして頒布活動に行くらしい。こんな会なんて
なきゃいいのに!

でたらめな宗教団体です。
絶対にかかわるな。

15年間会友として、それなりに実践してきましたが、いわゆる先輩会友「会場責任者 班長 グループ長」と呼ばれる人達の人間性に失望して退会しました。世間一般で通用しない事が平然と行われ、責任を問うと「そんな私だから、朝起きしているのよ」と開き直る始末。入会当初、先輩会友さんの優しく毅然とした姿に惹かれ、私もあの人の様になりたいと手本としてきましたが、そんな方も、いつしか会を退かれ、今は強い人だけが残っている様に思えてなりません。ここに投稿している人達の意見は間違っているとは思いませんが、受け取り方の学びであって難しい問題ですね。

実践倫理宏正会 御中
千葉県に住むものです。
会報「倫風」を時々、ポストに「贈呈」
ということで投函されています。
マンションで郵便受けが小さいにもかかわらず
会報が2~4冊ほど一度に投函されることがあります。
かなりのスペースが取られてしまい、
本来の郵便物が入らず、はみ出して、落ちそうになっていることがあります。
関心の無い者にとっては大変迷惑なので、この勧誘活動のようなことはやめていただけないでしょうか?

時々、不要なのにポストに投げ込まれる会報「倫風」をみると、
・周囲に感謝し、年長者を敬う。
・腹を立てずに、穏やかに生きる
・朝は、早起き
・環境や自分の周囲を嘆くのではなく、まず、自らの欠点を省みよ。
などなど、結局、古くからの道徳、宗教などから、適当に「つまみ食い」して、表面的に並べたものに過ぎない。

ただ、これにのめり込む人が出ると、
家庭内の問題、そして、結局は寄付・お布施といった金銭トラブルにつながる。

オウムのような破壊活動・殺人のような活動をする力はないとみられるが、本人・家族の生活を壊すことになりうる。

「普通の人」も、間違った方向に集めると、前任を装った犯罪集団になるので怖い。

警察も、そろそろ、動き出すのではないか?

このプログの主催者は逃げている。

いい加減に更新しなよ。

無責任なりんりっこ殿

僕の両親はこの会の班長です
ここでのこれまで話を聞いてみると、確かにとんでもない会のようですね。
しかし、全ての地域の会がこんなに酷いことをしているわけではありません。私はどこかの偽団体が悪用しているのかもしれないと感じました。
現に私の両親が行っている会場は会費、会誌など以外に資金は請求しませんし、それでもしめて月5000にも達さないと思います。
これまでのコメントも見てとても胸が痛みました。
少なくとも全ての会場がそのような酷い行為をしているというわけではないということだけでも理解していただきたいです。

自分の母も朝起きしてまして、自分も練成などには
参加させてもらっています。練成や朝起きは気持ちがよく教えもためになるものばかりだと感じ励んできました。
最近「ばいか」や「影入会」などを知りました。
会友のみなさんはどぉいった解釈でこれらをやってるのですか?自分には理解できません。ただ会費を巻き上げてるよぉに思えるのですが・・・

国家主義者どもよ。恥を知れ!
俺の家族は自民党を支持するおまえらに
唆され、今、窮地に陥っている。
初代会長の遺言を忘れ、政治と関わりあう愚かものよ。

国旗・国歌法は制定され、防衛庁は省に格上げされた。戦前の暗黒時代を忘れ、今まさに暗黒時代を招来させようとしているのは、おまえらだということを
認識せよ、愚か者どもよ。

私は実践倫理宏正会には弱冠の反対があります。確かに、そちらにも活動する利点があるのかもしれません。しかし、なんていうか、キレイ事過ぎるような気がするんですよね。「腹を立てず」とか「人の悪を言わず」とか・・。そこのところは会員である母親にわかりやすく説明してもらいましたが、理想が高すぎる。というか、理想過ぎる。現実問題ではない。つていうか、今私達が(国民としての立場において)本当にすべきことは「現実問題への対処」です。しかし、実践倫理宏正会の活動内容を見ている限り、それが現実問題とは思えない。現実問題(少子化やいじめ問題等)への対処への繋がりがあまりにもない。それに現在の現実問題はそんなものに縋らないと解決できないような小難しい話ではない、一人一人がしっかりと理解し、気をつけいけば時間をかければ直る問題です。別に実践倫理宏正会を批判しているわけではありません、要は、実践倫理宏正会は真に必要なのか?ということです。げんじつ問題に遠くから対処していこうなどという団体はいらないです。他のことと並行してその問題を解消するというのであれば、どちらか一方に重点をおいて活動すべきだと思うのです。まあ、今回はこのことだけを言わせて貰います。意見・感想・批判等々、よろしくおねがいします。

相変わらず、自分で水の中にも入ろうとしないのに、プールサイドで、このプールは底がないぞ、水じゃないぞ、硫酸で満たされているらしい…くわばらくわばら。バッカみたい!そう思ったら、近寄るなよ。
あなたにとって必要でないものに、心惑わされ、時間を潰して、悪口だけを言い残す。それがあなたの人生すべての過ごし方だってことだよ。
実践倫理宏正会、朝起会に対してコメントした積もりでしょうけど、あなたの生き方の全てがその数行にあらわれてるよ!自分は小さい人間だって!
実害がないんだったら、無視したら?

会長上廣氏の著作はいくつか読んだことがあります。非常に美しい日本語で、日本の風土や民俗誌を踏まえた上で、日常生活で当たり前のことをぼうっとせずちゃんとやる、ということを説いていると理解しました。
ただし、朝起き会場では独特の用語が使われていたり、あまり気持ちのいいものではありません。
笑ってしまうのが、「感謝です。」「~がおかげさまでした。」←日本語ちゃうやん!おまけに「会長先生」なんて言い出されると「あら、上廣教だったのね」と思ってしまいます。
長年活動している方々は今ひとつなぜ私が不思議がるのかが分らないようでしたが。
そんな独自文化を見て、上の書き込みを見ると、組織の末端では宗教と勘違いして変なことを「実践」している人が要るのかもしれないと思ってしまいます。

このページを立ち上げた方、立派だと思いますが、本部はなぜ公式ホームページを立ち上げないのでしょうか?「時代の変化への対応」も上廣氏が重要視している点ではないのでしょうか?
一度会長に直接この一連の投稿を見せてあげてはいかがでしょうか?

君は朝起き会に毎朝熱心に通っているけど、それ以外の時間は居眠りをしているね。

家の中は散らかり放題。
私が仕事から帰宅しても、食事の準備も出来てい
ないし、風呂も沸いていない。1日中居眠りしてい
るから。

叩き起こさないと帰宅した事に気が付かない。

でも、朝起きの時間になるとちゃんと目が覚め、
パッと出かけて行く。
不思議だねえ。
よっぽど朝起き会が好きなんだね。

旦那を迎えるよりも朝起きの方が重要って事なんだね。
朝起きをやっていなかった、あの頃の君にはもう
会えないんだろうな。
食事の準備も片付けもテキパキしてくれていた君
には・・・・

君が朝起きにのめり込んでから色々な事が少しづつ狂い始めた。

今の状況が全て朝起きのせいではないのかも知れない。
そう。何でも朝起きのせいにするのはよくないね。

でも、もう離婚する事に決めたよ。
子供もオレが育てる。
子供2人を置いて「レンセイカイ」に行ったのが決定打だったかな。

倫風があふれている家には帰りたくないんだ・・・

私は今、36歳ですが、2歳くらいに入会し、18歳くらいまで会員でした。

やはり、両親が退会するのは大変なようでした。

一ついえるのは、30年前と随分と雰囲気が変わっていることだと思います。
やはり、2代目、3代目となると会の性格も少しずつ変化していくのでしょう。

私の小さいときは、家族ぐるみで、わきあいあいとしている雰囲気がありました。子供(ジュニア)も多かったし、会場の雰囲気も好きでした。
会にご縁があっていろいろと「体験」させていただいたことがあるのも事実です。

ただ、「捨て育て」というのはいけないかもしれませんね。
母もいろいろ大変だったのでしょうけど、幼稚園のお迎えに母ではなく、会友さんが遅れて迎えに来てくれたりしたのって、今でも覚えています。

母も言っていましたけど、幼少期に愛情を注いであげることはやはり大切です。

いま、一体、朝起き会がどうなっているのかは分かりませんが、まだまだ使える九段下の本部が新しく改築されたくらいから、性格が変わってしまったと聞いています。

会員さんから話を聞き本も読ませていただいております。
これはこれから社会に出る女性、家庭を持つ主婦、子どもを育てるお母さんにはよいことでありましょう。しかし、時代を担う青年諸君は、精神的にも自立し、それがたとえ他人の悪を論ずることになっても、敢然として悪は悪と断ずる気概と素養を身につけねばなりません。
本会は女性修養団体としては百点満点を差し上げます。

私の母が入信?していました。最初は事あるごとにイベントに参加しろ!と脅迫されて渋渋参加し、そのうちに朝起会に引きずり出されました。
教えは役に立つものと認めますが、母は私が口答えすると「朝起で習ったでしょ!私のいうとおりにしなさい」と一方的に自分の考えを押し付けました。
また何かいいことがあるたび「私が朝起会に通っているおかげだ」と自慢する一方、他人の悪口(特に父)がいない時は文句たっぷりに私に向かって吐き溜めします。
こんな母のことをで悩み、ある機会に本(宏正会とは関係ない)を読んだら、これは母の私に対する「マインドコントロール」ではないかと思うようになりました。

母へ。私は宏正会の価値は認めますが、貴方は会友として「失格」です!

長文失礼しました。一会友家族からの「告発」です。

鉄男様
あなたのおっしゃる通りです。こどもや自立心のないおとなにつよい権威として心に働きかけると、意のままにあやつられてしまいます。オウム、統一教会、などなど現代はマインドコントロールの時代ということができましょう。お母様もマインドコントロールされているわけにて、なかなか根が深いものです。
実践倫理の大テーゼに「他人の悪を言わず」というのがあり、会友が何か悪口を言ったときこれで論破しようとしても、逆恨みされて成功しません。
コントロールされる人は、過去に何か愛情飢餓(夫婦か家族か子どもなど)の状態を通ったひとが多く、この原因を辛抱強く解決してゆくほかありません。一般論ですが、マインドコンントロールの気質が芽生えてしまうと3代続くといわれております。以上たわごととして聞き流してください。

どらえもんさん>
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり両親は不仲であり、私はその葛藤を見ながら育ってきましたので愛情飢餓であることは確かであり、また二人の不平不満のはけ口にもされていました。内心「他の親の下に生まれてきたら良かったのに」と同級生を羨んだこともありました。
今は独立し子供(まだ1才になってません)もいますが、母はいまだに(私に対する)自分の心配・不安を解消できれば私の社会不安障害(今も多少ひきずっています)がひどくなっても知らん顔です。
こんな母に自分の思いを知らしめさせ、「マインドコントロール」を諦めさせるにはどうしたらいいでしょうか。

鉄男様
あなたさまのケースも極めて一般的なパターンにて、近時世間に蔓延する困った人々の親ごさんたちの90%以上が夫婦仲がわるいのです。その親ごさんたちの親ごさんたちもそうだったのですが、戦前の堅い道徳律に守られて、社会問題とはならなかっただけであります。
実践倫理では、「親の恩」「師の恩」「社会の恩」を最高のものとして感謝するとしていますが、いわゆる「神仏の恩」=「こころ」が欠けておりまして、みんなが「朝起き会に出席する」という現象面にとらわれ、それが一種のトラウマとなり、こころの底からの幸福感を味わえなくなっています。
宏正会のご先代は多くの著書がありますが、倫理と「朝起き」を結び付けられたことは一度もありません。
今は倫理の実践が「朝起き」の実践にすり変わってしまったところに問題があるのです。
さて、マインドコントロールからの離脱ですが、お便りから察して、あなたさまご自身のことでしたら難しいことではありません。上記のようなことをよくよく理解することでなかば達成です。そしていま自分が生かされていることに感謝する⇒幸福であると感ずることでしょう。お母様に対して、間違っているところを指摘するのではなく、「とにもかくにも、わたしは幸福である」と言い、朝起き会に行かなくても幸福に暮らせるものだということを自然に分かっていただくのがよいと思います。
不幸なひとはいないかと常に目を爛々と輝かせている会友さんたちにはチョト困りものですね。

いろいろと書かれてありますね。学びは大変素晴らしいと思います。ただ、朝の五つの誓いを実践するとなると本当に難しい事ですね。中途半端に学んでも知識ばかりで頭でっかちになり、自分自身を見つめる事よりも、人に正しさを求めるようになりがちです。自分を変えようと思って入会しても、いつの間にか人を変えることに汲々しがちです。でも、今会長先生がそのことを憂えて、自分の足元を見つめる事をご指導くださっています。人の姿を見て、批判するのではなく、こういうところは自分にもあるなと反省して、改めていく。子は親の鏡と、子供の気になる様子があれば、子供を責めるのではなく、自分自身の足りないところを改めて、姿で感応していくまで実践する。主人に求める前に、同じような事を私もしていないかと点検して、変わる事で、主人も変わっていく。他も同じです。徹底的に自分自身を見つめる会です。人のせい、環境のせいにするのは簡単ですが、本当に厳しいなあと感じます。だけど、実践すればするほど、身近な家族の心を感じます。この家族でよかったと実感できます。学ぶ前は、こうあってほしい、あーあってほしい、何でどうしてと求める心ばかり出していましたから、私にとっては本当にこの会で学んでいて良かったと実感する日々です。ただ、人間の弱さでしょうか、人のせいにしたくなる自分もいますが、日々点検して、改める努力をしています。一番の変化は主人と穏やかに大切な話ができるようになったことや両親に対して生んでくれただけでそれ以上に求めるものは無いと思えた事。主人の父からは「この会はできなくても前向きに努力する人の会なんだね」と言ってもらい、朝起きに集う事も許してもらえるようになりました。身近な人も変わったねと言ってくれるようになりました。人にも恵まれこんな素晴らしい会にご縁があって本当に良かったと実感しています。

警察も動き出すとも書いてありますが、たぶん無いですよ。だって内閣総理大臣はじめ、各大臣、角界の著名人の方が応援してくださっている会ですから。大きな朝起会などは市、町長さんが来賓で集われます。美しい国づくりや早寝早起き朝ごはんはこの会のご指導から発信されていると思います。今の時代にはそぐわない事ばかりですが、ただ戦前生まれの世代の人なら当たり前のように受け入れてくださいます。当たり前の基準が変わってしまったから、普通の子と言われる子供達が事件を起こしているのではないでしょうか?すべてがそうとは言いませんが。この会の学びは確かに厳しさが伴います。ただ、家庭で家庭のことだけしていては感じられない事がたくさんあります。だけどそんな時、小さなことでも布団をかぶって引きこもりたくなる自分自身を発見しました。親の心癖、受け止め方が子供の性格をつくっていく事を思った時、厳しさの中に身を置き、そして、それを乗り越える力をつけていかなければ、今の厳しい世の中を生き抜いてはいけないような気がします。少なくとも私の場合。私は主人が失業して給料が無かった時、以前から目上の方より、お金が無い時はご飯に塩をかけて食べれば生きていけますとの言葉のお蔭様で、3ヶ月の間、おかずを食べられて、困らないだけ主人は稼いでくれていたんだなと感謝できました。もし学んでなかったら、早く仕事を見つけて欲しい、お給料が無い事に不安や不満でいっぱいだったと思います。厳しい時、日頃が楽なのだと言う受け止め方ができるのはお蔭様です。何かあったらすぐに離婚という手段をとる方もいますが、自分自身の受け止め方を変え、乗り越える力をつけさせてもらっているのがありがたいです。まだまだ弱い心もでますが、前向きに生きる親の姿を見せていきたいです。会場ごとでカラーはありますが、私のお世話になった会場は皆さん良い人ばかりでしたよ。人の見方や受けとめかたもあるでしょうが、すぐに結論を出さない事は大事です。それは日々の暮らしの中でも同じで、主人や主人の両親の全てがわかってっもいないのに、こんな人と決め付けてそれ以上関わりを避けている心に通じますから。私はそうでした。非常に奥が深いし、宗教に通じる事もあるのではないかと思います。ただ、私は宗教は分かりませんので何とも言えませんが。。。

たらこ様/よし子様
よく学ばれてご理解ご実践なされていることが分かりご同慶の至りです。
ご主人様やご両親様とご一緒に実践なさっているのでしたら100点満点です。もしご一緒になさっていないなら是非ご一緒なさいませ。そのお方に「一緒に行きましょう」とお誘いなさればよいのです。「行かない」とおっしゃったときは、「なぜ行かないのか、また私に対して何か思っていることが、あればその心底を話してください」と言ってください。そしてそのご希望通りにやれば、ご一緒に実践してくださるでしょう。
もし、何かあなたの実践について異を唱えられるのであれば、ここは一旦そのお言葉に従ってその通りにやってみてください。万が一朝起き会に行くなとおっしゃるなら、一度中止なさるのがよろしいでしょう。あなたはいままでの学びから、「実践倫理」の心をつかんでおられますので、ゆるぎない倫理実践は十分可能です。
先ずはご主人やご家族のお心を受入れて満足していただくことが一番です。その上であなたの学んだ倫理を実践なさいますと、これはもう家族全員で幸福感が味わえること間違いありません。それが実践倫理宏正会の真髄です。

たらこ様/よし子様
お二方とも良い方から縁を頂いたのですね。私はそのような方がうらやましくてなりません。
既稿の通り私は母が縁を持ち集っていたのですが
、自分を改善することより他人を変えたいという心が優先している「不純な」実践態度でした。
過去は無理やり連れて行かれ、参加拒否をすれば勝手に親子の縁を切るなどと脅され仕方なく通っていましたが、今はもうこちらから縁を切りました。

それから長い月日がたち、親に顔を見せるとしばし「倫風」を見ますが、確かにいい事は書いていますが母の過去の態度を思うともうこの会と縁を切ってよかったと思ってしまいます。
このような私ですが、どう思われておりますでしょうか。

どらえもん殿、初めまして。

>既稿の通り私は母が縁を持ち集っていたのですが
>、自分を改善することより他人を変えたいという心が>優先している「不純な」実践態度でした。

私自身も一度か二度行きましたが、そのような態度を取られる会員方が多かったようです。

>過去は無理やり連れて行かれ、参加拒否をすれば。勝手に親子の縁を切るなどと脅され仕方なく通って>いましたが、今はもうこちらから縁を切りました。

都合の悪い意見、いくら志が同じ団体のことでも拒絶しては、家族などに抗議の電話などを起こしました。
それから私自身もこの会にははっきりと縁を切りました。


>それから長い月日がたち、親に顔を見せるとしばし「倫風」を見ますが、確かにいい事は書いていますが母>の過去の態度を思うともうこの会と縁を切ってよかったと思ってしまいます。
>このような私ですが、どう思われておりますでしょうか。

そのほうが良策です。何せ『自分は正しいことをやっている』と言った独善的正義が目立ち、それを押し付けることに対する罪悪感がありません。

今日もまた『倫風』なる雑誌の勧誘がきて一度断ったのにまた来るといった神経には腹を立てました。あのような奇麗事を言う割には「自分自身が何をやっているか」も自覚せずに、「世間でどのように見られているか」もわからないから絶対購読などしません。

どらえもん殿ではなく鉄男殿だでした。申し訳ありません。

服部半蔵様>
レスありがとうございます。名前違いのことはお気になさらないで下さい。
たとえ会友の親を持つ身であっても、断る時はきっぱり断るのが自然ですね。倫風を見る時もあくまで母を「採点」する立場として読み「あんな親にはなるまい」と反面教師にする心構えでいます(実際あるときに貴殿は反面教師と母に告げたらムッとされましたけど、「所詮コイツも器が小さいな」って心の中では笑いました)。

久々に覘いてみれば、また色々と書いてありますね。個々の書き込みに対して色々と思う所もありますが、この会は「人の悪をいわず、己の善を語りません」を実践する会でもありますので、以下は直接の回答(反論)にならないかも知れませんが、私なりの解釈を記したいと思います。
様々、会に対して否定的な書き込みを要約すると『なぜこの会は「普及実践」を会友に課すのか。』となるように感じましたので、この点について誤解らしき点だけでも、お解き下さるならば幸いです。

「何かを課す・強制される」。この辺が最も誤解の多い所ですね。会では朝起会・普及実践をはじめとして、様々な倫理の実践を「奨励」はしていますが、会友諸氏に対して何かを「課す」ことは一切ありません。そもそも、この辺にボタンの掛け違いがあるように思われます。

確かに、元会友の方でしょうか、親会友さんなどから「頒布に出なさい」「倫風を○冊取りなさい」「そんな実践では幸せになれませんよ」などなど、字面だけ追えば「強制」としか思えない言葉を多々聞いた旨の書き込みがあります。私もそれが嘘とは思いません。しかし、それは言葉の綾とでも申しましょうか、親会友さんから元会友さんへの「励まし」以外の意味は、何も込められていないはずです。
朝起・普及・家庭実践を通して、少しでも本物の「仕合わせ」を感じて貰いたい、実践倫理の確かさを掴んで貰いたい。親会友さんのそうした思いが、ちょっと前面に出過ぎた結果の「勇み足」ではなかろうかと思います。

会友さんのお世話をすることは、巡り巡って親会友さんの「仕合わせ」に繋がっては行きますものの、お世話する会友さんをどうこうして、幾ら巻き上げたら云々とか、『倫風』誌を○冊取らせる事が出来たら云々、などと言う事は全く以ってありません。
(少なくとも、そんな事をしたら親会友さんが「仕合わせ」になろうはずがないとお分かりですね)
一見すると、その様に見える言動も中にはあるかも知れませんが、親会友さんたちの胸中には、飽くまでお世話する会友さんの「仕合わせ」を願う事以外の思い(興味・期待)はないはずです。
(そもそも、何人勧誘・入会させ、何冊本を取らせた所で、会から金銭その他の『見返り』は一切ありません)

また、倫理の実践全てに於いて言える事ですが、自主的・自発的実践でなければ、決して「仕合わせ」になる事はできません。やらされている、との思いがある限り、形はともあれ心が伴っていない限り、幾ら倫理を実践しているつもりでも、本当の本物の「実践」ではありません。であるが故に、会の活動をはじめ、いかなる実践に対しても『強制』はしていないのです。

とは申しましても、入会したならばまずは「朝起会」出席を勧められ、その次には「頒布(普及実践)」、その次は「倍加」などなど。中には、次から次へと目まぐるしく「追い立てられ」る、と感じる方がおいでになるのも無理からぬ事。
ここはひとつ、親会友さん方に是非ともお願いしたいのですが、ご自分のペースではなく、お世話する方々の状況を正しく見極めて、その人に合った「ステージ」(階梯)を間違いなく選んで頂けたらと思います。実践者と呼ばれる方であれば先刻ご承知、皆さんがあの弓道師範である、阿波研造師のように実践されている事とは思いますが、ついつい、などと言う事さえも、万に一つもあってはなりませんので、老婆心ながら付け加えさせて頂きました。

最後に、様々な方のご指摘にもありましたが、善意であれば全てが許される、ものでは決してありません。「人の中で人となる」のが普及実践、とりわけ「頒布」の最も重要な目的の一つでありますので、「独善的な実践(頒布)」に陥らないよう、強く自戒をしていきたいと思います。
三度、長々と失礼致しました。

鯰の髭は4本様

全く実践倫理の本道をわきまえられておられ感服の至りです。参考までによろしければ教えてください。あなた様は通常の会友様ですか。親会友さんとは古い会友ということなのでしょうか。実践もさることながら、講師のかたのご講話を聞いてみたいと思っていますが、講師は専業的なお方でいらっしゃいますか。

レイモンド様

お褒めに与り、有難うございます。
まだまだ私などは、本物の倫理の理解も実践も未熟な者です。もし、お褒め頂くようなものがあるとすれば、それは今までお出会いした親会友さん方から「善き導き」を頂けた賜物、もしくは親先祖から受継いだものではないかと思います。(ちなみに私は普通の二世会友です)

ご質問の件ですが、
「親会友さん」と私が申しましたのは、何も古参会友さん方とは限らず、新しい会友さん方をお世話されている、いわゆる「実践者」の方々の総称として、特に会友歴は限定せず使用致しました。

講師は、本部講師(職員)3名、婦人部講師(非職員)4名です。基本的に担当する地区(地域)・会場が分かれておりますので、どちらにお住まいかによって講師が出席する朝起会の状況が異なります。

レイモンド様が会に入会されているのか分かりませんが、会友になっていらっしゃるのでしたら、所属されている(入会された)会場の親会友(紹介者)さんか、会場責任者さんに講師の巡回日程をお確かめになると良いかと思います。

もし、未入会の方でしたら、多分『倫風』などをお手元にお持ちと思いますので、巻末にある会場一覧か、各地区(地域)の事務局、もしくは本部の代表番号までご連絡下されば、お近くの会場をお知りになることが出来ます。(不用意に電話番号等を記入すると色々ありますので、この場での記入は差し控えたいと思います)

上記で回答になっていない部分がありましたら、また御知らせ下されば幸いです。

鯰の髭は4本様

いろいろご教示いただき有難うございます。わたくしは何度かご近所の会(鎌倉市)に出席させていただいた程度でありますが、母親は昭和20年代に関西でご先代の会に行っていたことがあり、貴会のことは知っておりました。御誌に日の丸や君が代のことなど出ていますが、会として何か運動されておりませんか。何かはやっていただいていると思いますが、神奈川県の公立学校の起立率は全国的にも悪く、運動が必要だと常々思っております。

レイモンド様

お返事が大変に遅れまして失礼致しました。申し訳ございません。
お母様は会の草創期にご縁がおありだったのですね。
レイモンド様も朝起会へ集われていらっしゃる由、ご同慶の至りでございます。

会として「日の丸」「君が代」に関する運動などは行ってはおりませんが、朝起会では必ず正面に国旗を掲揚するようにしており、日本国民として国旗・国歌を尊重する姿勢を取っているのは、ご承知の通りでございます。

機関紙の「倫風」などで、国旗・国歌を尊重する姿勢の大切さを涵養する記事(識者の投稿など)を掲載したこともありますが、いわゆる「市民運動」的な事柄は会の趣旨に馴染まない面もありますため、行っていないのだと思います(飽くまで私見ですが)。

国旗・国歌に対する姿勢に限らず、現代教育の様々な問題点と「あるべき教育」を記した、会長の著書(『教育新興』)がありますので、ご一読下されば、学校・家庭での教育のあり方を、会がどの様に捉え、また世間に対してどの様に働きかけているのかをお分かり頂けると思います。

また、直接的な運動ではありませんが、会の趣旨にご賛同頂いている国会議員の先生方や政府関係の方々も多数いらっしゃり、そう言った方面から、会の趣旨や会長の著書などを参考にした働きかけなども、当今では活発になって来ていることを一言申し添えさせて頂きます。

以前勧誘をしつこくせまられました。
忙しい時にしつこいのなんのって・・・
迷惑してる空気も読めず。

鯰の髭は4本様

ご返答有難うございます。そのご本を是非読ませていただきたいと思います。次回会友さんが見えられたときお願い致しましょう。
お手数お掛けしますが、もう一つアドバイス願います。わたしはご先代が唱えられた根本原理に興味をもっています。何がなし「明るい生活」「生きる力」「成就の法則」などを頂き読んでみて、共有しています時代背景などを思い感銘を受けております。ご先代のご著書で、この一冊というのがあればご推薦いただければ幸甚です。どうぞよろしく。

レイモンド様

毎度毎度、お返事が遅れまして大変失礼致しました。
何卒非礼をお許し下さい。

先代会長の代表的な著書もお目を通されているのですね。
お読みになった3冊以外でとなりますと、私には中々思い浮かばないのですが、『倫理常識講座』などは如何でしょうか。実践倫理の根本的な考え方を、質問者に対して回答する会話形式で記述されています。座談会などで実際にあった質問などを基に加筆されたもののようで、臨場感は他の著書よりあるように思います。

また、先代会長の講演録や、機関誌で発表した原稿などを体系的にまとめたものとして、『実践の生命』がございます。こちらは昭和30年代の世相が、内容に色濃く反映されていると感じました。

何れの著書でも、会の根本的な精神と具体的な実践について書かれたものですので、より深く会をご理解頂けると思います。

ご参考にして頂けたなら幸甚です。

鯰の髭は4本様

いつもながら極めて適切なるアドバイスに感心致しております。これ等のご本も是非読ませていただきたく存じます。
あなた様が「世相が内容に反映・・・・」と言われますと、実践倫理も進化しているとのだなーとの思いがいたします。小生のようなノスタルジアンはあなた様のような倫理者のネットへの出現にまた隔世の感慨をいだきます。種々なるご指導有難うございます、どうぞ頑張って下さい。

私の古くからの友人夫婦が、執拗な勧誘により、営業もままならない状況であることがわかりました。
そもそも、会員の方と面識があり、他の交流により、多少なりとも繋がりがあったと聞きます。
そこで、本人たちは、無碍にお断り申し上げにくいところ、これも何かの縁であろうとの判断で、穏便なる交流を続けてきたとのことです。
こうした経緯を背景に、先日から、度重なる勧誘に対して、それまでのフラットなご縁を帳消しにしてしまうプライバシー問題への介入や、そこから派生する精神的苦痛に耐えているのが実情です。

入会はしないとの申し出を複数回にわたり、しかもご本人の目の前で申し上げているにも関わらず、申し出を意に介さず受け止めない姿勢は、宗教を超える倫理的組織に属する一市民として、認められることはありません。
倫理の意味も解さず、他人を無用に苦しめ、失意の底に突き落とす行為があるということを、どうかしっかりと認識していただきたいのです。
同様の苦しみは、全国にあるのでしょう。
倫理は、社会に生きる我々人間にとって、オアシスのような観念です。たしかに、倫理なき人の心に、倫理を問うことは苦痛も伴います。
しかし、倫理は人の道。
人の道に反する行為にうつつを抜かしながら、人の道を説くのは、喜劇の中だけにしておいた方がいいのです。
せめて、投稿したかったのです。
私の友人をそっとしておいてくださらぬか。
倫理に溢れるご婦人たちよ。

レイモンド様

数々のお心遣いとお励ましを有難うございます。
何ほどにもお役に立てなかったかも知れませんが、これに懲りず、また機会がありましたら、宜しくお願い致します。


マバリア様、大分県別府市在住の方へ

もし、状況に改善が見られないようでしたら、各地区(地域)の拠点(連絡先)・本部などへ、善処を求めるよう、電話なり手紙なりでおっしゃってみて下さい。

ここは会友さんが個人的に開設されているブログですので、残念ながら、公式の対応が必要なものは何もお力になれません。是非、その様なご対応をお願いします。(私も一会員・ブログ参加者に過ぎません)

とは申せ、特に、『迷惑してる空気も読めず。』『人の道に反する行為にうつつを抜かしながら、人の道を説くのは、喜劇の中だけにしておいた方がいいのです。』の段は、耳痛く文章を拝見しました。私自身もその様なことをしていないか、改めるべきは改めて行かなければ、と自戒する者です。

一昨年の正月、会員の方が飛び込みで来られ、「朝起きやってます」の話に、座禅の代わりにいいかという軽い気持で即、入会し、以来毎朝通っています。一万人に一人くらい、こういう人にもめぐり合えるので、とにかく数当たってみようというのが、頒布なのでしょう。まぁ〇〇千人、××千人。迷惑に感じる人もいれば、ありがたく感謝で受け止める人もいる。「人の中で人になる」。このブログでさまざまなご意見読ませてもらって、参考になります。右にも左にも、明にも暗にも偏らない生き方が、一休さん
の生き様です。一休さんならどう対応するのか、いろいろ智慧をめぐらしております。

昨日、東海地区の秋季大会があり、行ってきました。上広会長(あえて“先生”は使いません)の話は、「モラル低下の現代社会でも、『女性の品格』という本が売れており、倫理・道徳の復権を求める声も多くなっている」ということで、その点は私も納得しています。会長の言わんとすることは、その通りなのですが、それを受ける会員の中には、いろいろご指摘の通り、おかしな人も多いのは事実です。たとえば、女性が働いてはいかんなどと、会長の口からは聞いたことはありません。働くことを認めている文章もありました。ところが、先輩会友からそう言われたという話は私も耳にします。そういう会友を陰で批判、非難することは、「人の悪を語らず」ですが、そこを上手に、どう本人に納得させるかが、倫理の実践課題と考えています。それは夫婦間でも同じです。お互いの理解を深めるためにはどうしたらよいか、その具体的解決法が見つからずに悩み苦しむのですね。最後に松岸講師の話、
「自分たちの狭い社会に閉じこもって、他人に迷惑かけていないか、人様が自分の後に付いてきてくれるような人格者にならなくては」というのが、いろいろ投稿されている方への答えになるかと思います。

わたしは仏教徒ですがご近所の方にすすめられ倫風誌を購読しています。これに語られています倫理感は仏教の道徳感とも一致しこれで社会を導かれることは大変よいことだと思います。ただわたしは会社をやっており、朝起き会に行く余裕はありませんが、すすめてくださった方々が大変熱心に誘いに来られます。倫理宏正会の大前提が朝起き会なのかなとも思い、それならばそれでもいいとは思いますが、朝起き会にいけなくても、朝の誓いをはじめ全体的な倫理観に感応して日々の実践に取り入れていくものでも包含してくださるのであれば続けたいと思っております。会友さんのご意見をお聞かせください。

正太郎様

朝起き会に出席しないひとでも会員になれるかという件、やさしくて難しい問題ですね。会は「朝起き会」として発足しましたので、もともとは会に出席する人々の集まりでした。わたしは父が朝起き会に参加していたのでこの会を知ったのですが、もうずっと昔の話しです。新潟の農家の三男坊だった父は毎年冬は地元機関区に汽車の釜焚き助手として働きに行きましたので、その期間は朝起き会には行っておりませんでした。それでも何の支障もありませんでしたし、いろいろな事情で出席できない人もおられますので、朝起き会に常時出席しないものは会員にあらずということはありません。会の目的に賛同して会費を払って下さった方を会員としています。
たまに父に連れられて朝起き会に行ったとき、面白くないので後ろの方で寝そべっていましたら、父に見つかりきついゲンコを喰らったのを思い出します。それから五十年以上がたちました。

その後「壮年学習会」などにも顔を出し、いろいろと見てみました。
特徴は、

1.団体内部向けの濃い文化が存在する
「会長先生」とか、「親子で実践してます」とか。
いい歳した男性が世間の常識と随分離れた言葉遣いをしても平気で居るところなんかは、個人崇拝団体か宗教団体の匂いがぷんぷんします。

2.「会友」自身が自分が入会していることをカミングアウトしたがらない
面白いですよね。いいことだと信じて人を勧誘までしているのに、知り合いには内緒にしていたいという心理。なんか矛盾してます。

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「朝起き会」にも何度か行って見ました。会場によって差は有るんでしょうが、書籍の内容をろくに読んでない人が訳の分らない日常雑感を「演談」していたりします。

上廣親子の著作は論文として満点はつけられません。どうしても未定義語が多くなりがちですから。でも書いてある内容は良いことです。言って見れば、当たり前のことをバカにせずしっかりやりましょう、という内容で、古典の引用も中々当を得ているし、意見の主張として読めば、とても感心できる内容です。

でもそれをろくに読まずに朝集まって何やってんだか。
何百万というお金を要求されるとか言う話はまだ聞いたことがありませんなから、別の団体や、過激な会場での出来事かなぁ、と思います。

ま、やるならやるで真面目に、かつ世間の常識を踏まえてやって欲しいです。そうでないなら宗教なり個人崇拝集団だと宣言すべきでしょう。

被害を受けたと感じた方、親が間違っていると思った方、実践倫理宏正会の本部に直接言った方が良いですよ。本部が末端を把握しきれて居なかったり、本部が世間の感覚と遊離している可能性もありますから。

しかし責任のある方はこのページとか見てないのかなぁ。「人柄で実践してるんです。噂話に言い訳は必要ありません。」なんて声が聞こえてきそうですが。
責任ある方らしき人からの反応が無いのがなんとも不思議。

実践倫理宏正会ウォッチャー様

なかなか鋭い観察眼でいらっしゃいますね。ちょっと興味がわきましたのでこのブログの最初からざっと目を通して見ました。思想や宗教の会派では常に5パーセントの教条主義者と0.6パーセントの変な人が発生すると言われますが、ここに語られている変な人はこれら一部の人々なのでしょう。
このブログでは、鯰の髭は4本様が七度登場されて、その都度アドバイスなさっておられますが、大変適切で真っ当なご意見だと思います。
わたしも2/3度この会に行ってみましたが、言われてみると独特の文化を感じますね。おっしゃるように会の書物と会誌は大変立派で、幹部や投稿の文章は格調高いのが多く、大方の人々はそれなりに普通の人だろうと思っています。ま、会の予算が330億円ですからこの種修養団体としてはわが国第一ですね、会員を4百万人として0.6%の24,000人がクエスチョンマークならいろいろな人がいるのでしょう。

「朝起会は基本ではあるけれど、それがすべてではないし、ただしていれば良いというものでもない」という事はよく耳にします。
「目的意識を持って、自分から進んで集う」事で初めて実を結ぶのではないでしょうか?

浅学者T様

確かにそうですね。誘われるままに行っておりましたが、あまり感動もありませんでした。会のご趣旨が生活倫理を広めて、人生の問題を解決し、よい家庭を築いて世界平和と祖国再建を果たすということでありますので、せめて何か社会のお役に立とうという目的意識をもって参加しなければ単なるサークル活動に堕していまいますね。
今度会友さんが来られたら、その目的をよく聞き納得したら参加いたしましょう。

浅学者T様

確かにそうですね。誘われるままに行っておりましたが、あまり感動もありませんでした。会のご趣旨が生活倫理を広めて、人生の問題を解決し、よい家庭を築いて世界平和と祖国再建を果たすということでありますので、せめて何か社会のお役に立とうという目的意識をもって参加しなければ単なるサークル活動に堕していまいますね。
今度会友さんが来られたら、その目的をよく聞き納得したら参加いたしましょう。

入会歴もうすぐ6年になります。実践倫理は奥が深いですね。本当に何でもやってみないと分かりません。私が一つ変わったかなと思うことは、安部総理の辞任など、世間を賑わせましたが、以前の私ならば、ほら見たことか的な言葉を吐いていたかと思います。だけど、今はその相手の背景ですとか、心情、身近なご家族の事を思ったときに(ご両親や奥様、子供達、親戚など)病や死に追い詰めるのはどうだろう、推薦した政治家たちは、人を責め、追い詰めるばかりではなく、まだ若く未熟ながらに頑張っている人を、国づくりのために、国民のためにと応援できないものなのだろうかなどいろいろ考える事が出来るようになれたなあと思います。また、すぐに答えを求めるスピード社会も良い事かもしれませんが、ちょっとしたら、すぐに答えを出そう、白黒はっきりさせたいと言わんばかりに支持率を下げるのもどうだろうと思いましたが、自分の足元を見つめた時に、じゃあ自分は、子供達をゆっくり見守れる器があるだろうか、早く早くとせかしてはいないだろうかとまずは自分に置き換えて考えられるようになった事がありがたいなって思います。人の事はよく見えるけれども、いざ自分のことといったらなかなかに見えにくいわけですが、朝起きを継続するうちに、人の言動行動にいちいち惑わされず、自分自身が朝の誓いに迫っていけるよう、今後も頑張りたいです。明日も自分の思いを少しでも削れるよう開門より頑張ります。

ところで、社団法人なんだから社団法人法でいうところの社員総会「社員全員で構成される社員総会が最高の意思決定機関として置かれていること」があっていい筈ですが、そういうのは聞きませんね。実践倫理宏正会の場合は会員総会ってことになりますが、「大会」はそいう趣旨とは違うし。
事業報告書とか収支決算書とかも開示されてるかなぁ。
一応私も会費払ってるから社団法人の社員に当たる筈ですが、委任状も出した覚えないですし。
さらに社団法人法改正の動きでホームページ開設やインターネットでの情報開示が奨励されてますが、その辺りへの対応は?
どなたかご存知でしょうか?

実践りん子様

全くよいりん理っ子になられたようでご同慶の至りです。
生活倫理を実践して夫婦、親子、兄弟が円満な家庭を築き、その総和が社会倫理となり国家の倫理となり各国間倫理に繋がってゆき世界平和を実現できればいいですね。

母親が30年来の会友です。子供の頃は子供だけのつどいによく行きました。母が信念を持ってやっているのだから、私もよい会なんだろうな、と思っていました。
結婚して都会から田舎に転勤してきました。
やはり朝起きも都会色、田舎色ってありますね。
こちらの朝起き会にはどうしても馴染めません。
自分の生まれ育った町の朝起き会の会友さんは
とにかく明るく朝の集いを進めます。いま自分のいる北関東の朝起き会は、今こそやらないと大変な
将来になる、絶対にやるべき、、とものすごいプレッシャーをかけてきます。
それと、、いつ話しても上から人を見る態度の人、
話しても一言一言を朝起きの物差しで測っている様子が、たまらなく嫌で3年前から集いをお休みしました。行かなくなったら3日で家に訪ねてこられ、3日休めばただの人よ、と言われた時には絶句しました。ただの人?一般の人?一般の人はそんなに低レベルの人ですか?
道徳を学んでいる会がこういうことを言うのかと思い、憤りを感じました。
ただ私は母親が大好きです。私の実家でやっている朝起きの会友さんも好きです。でもやはり部所ごとに違うんですね。

実践倫理宏正会ウォッチャー様

会費を払われたら会員でして、バッジとあなたの疑問に少しくお答えするであろう定款の記された会員手帳が支給されるはずです。まだならお世話された会友(または支部長)にお聞き下さい。事業報告書や収支報告書は公表されております。因みに19年度予算では、会費収入186億円、寄付金収入95億円、出版事業収入46億円となっています、ご参考まで。

ろんひゃん様

お母様が30年もやっておられ、そのお母様が大好きですといわれること、全く生活倫理の典型のようなご家庭であろうと想像できます。その受け継がれたよい家庭をあなた様も続けていってくださればよろしいのです。北関東は自然条件も厳しく、このような会はきついことをいうようになるのでしょう。気に染まない会に無理に行く必要は全然ありません、倫風誌を購読していただき円満なご家庭を築いていただくことが実践倫理の真の目的です。

手帳の約款には社員総会のところは割愛されてますね。約款、事業報告と収支決算のことは問い合わせています。あまりこういう意識は無いようで、なんだか慌ててましたので、結果はいつになるか分りません。
それはそうとして、私の考えをまとめるためにWebを立ち上げました。レイモンドさんのような方にご意見を頂きたいです。
http://www.ukon-clan.jp/PracticalEthics/

実践倫理宏正会ウォッチャー様

いやー驚きましたなー、あなたがサイトを持っておられたこと、それも毎日綴っておられて、取り敢えず前書きと10月20日分だけ読ませていただきました。100パーセント賛同します。奥様とご一緒に出席されているご様子十分有意義でありましょう。経営管理指標導入、ユニークですね。総資産838億円、年度予算328億円ですから、企業管理概念を導入すること面白いですね。税金は免除ですから、ま、いいお仕事ではあります。
 定款29条(総会の構成)ご参考に供します。
「総会は、入会10年以上の会員のうち、人格見識に富み、本法人の教育内容を深く理解した上で、地区における普及活動に寄与している者で理事会の決議をもって推薦し、会長が承認する民法上の社員たる中央委員80名以上100名以内によって構成する。」
       

実践倫理宏正会ウォッチャー様

あなたのWebをはじめのところから拝見しました。ギリシャ・ローマから西欧中世、わが国の歴史古典に至るまでありとあらゆる分野へのご見識、評議員もなさっている由、いやあなたほどの教養人はこのサイトにはおりません。
実践倫理宏正会は従来の修身に類することがらを普通の人々に説いているもので、倫理学とはまた違ったものととらえております。倫理と朝起きは論理的には繋がりませんが、それを繋いだという一点が上廣哲学の真髄と思っております。
着物、大賛成! わたくしこの会には3回しか出席しておりませんが、一回目は正月でしたので羽織袴で行きました。現役時代は洋服屋でしたからおかしなものですね。

レイモンドさん、お褒めにあずかり光栄です。
なお、私も実践倫理宏正会は倫理学ではなくて「あたりまえのことをきちんとやる」ことを皆で学びながらやっていく会だと思っています。地に足が着いていなくてはなりません。11月3日分はすこしその辺りを意識して書いてあります。
「大自然の摂理」に学び、「倫理」を「実践」するという言葉が呪文のようになってしまい、さらにそれを誤魔化すかのように「会長先生」を尊敬して「学ばせて頂く」という言葉遊びにならないよう、皆が自分の生活の中で地に足のついた活動をされることを願っております。
もちろん、私も企業人、家庭人、地域人として、当たり前のことをきちんと実行したいと思っています。

その予算は、何に使われているかも公表されているのでしょうか?
まー政治家に渡っているとかは当たり前だとして、
幹部連中に渡っているだけなのでしょう。
会員集めも選挙の為。創価学会でも目指しているのか・・・。
いつの世も、馬鹿をみるのは、末端のものですね。
なんにしても、朝とかの報告?か何か分りませんが、人の家のこととかもべらべら喋ったりするのはやめてほしいですね。小さい町なので話したことがすぐ伝わってきます。人の悪口言ったり、嫁の悪口言ったりするのがこの会の教え?なのか・・。

実践倫理宏正会ウォチャー様

11月3日分拝見しました、その通りですね。「会長先生」は特別な存在なのでしょう。先日朝起き会に出席したとき、秋の大会だかに行って「会長先生に給仕(or奉仕)させていただきこれも実践のお陰と感激しています」との演談に接し個人崇拝的な要素を感じました。
「大自然の摂理」ということばは、創始者は使われていないと思うのですが、今アメリカでよく言われているID(Intelligence Design)と同義語だろうと思っています。個々の善を積み重ねても全体がうまく行かないときの言い訳でしょうか。
抽象的な言い方はやめて、あなたの言われる「思いやりの心をもって、出来ることから実行する」という一点に集中して教えていくことが肝腎だと思います。
このごろ若いひとには、何か問題があるとき、「親切にしなさい」とだけ言うことにしています。

みんみん様

私も生涯教育の社団法人である以上、予算は透明であるべきと思い、今調べています。
「会長先生」なんて言葉遣いから創価学会を連想されるのはもっともだと思いますが、私は事実を調べてみようと思ってます。

ところで人のプライバシーを朝起き会でべらべら喋るのは本来の姿ではない筈です。会場責任者の顔が見たいと呆れます。
迷惑をされている場合、実践倫理宏正会の本部にはっきりとクレームを入れた方が双方のためになると思います。「倫風」の電話番号にかけてみるとか、場合によっては消費者センターのようなところの方がよいかも知れません。

ここのブログを立ち上げた方の目的などはよく分りませんが、実践倫理宏正会に多少の縁がある私の個人的な意見としては、こういうブログに書き込むことも大切ですが、それ以上にはっきりと組織本体に実情を伝えることが良いと思います。
ご参考として意見を書かせて頂きました。

実践倫理宏正会ウォッチャー様
みんみん様

社団法人の予算/決算ですから、もっと詳細に透明に出させること極めて同感にて出来るだけお手伝いしますので、この点の追及をお願いします。
宏正会は18年度会費収入173億18百万円、寄付金95億41百万円、記念事業支出254億01百万円、管理費18億46百万円となっておりますが、明細は如何なっておるのでしょうか。政治活動報告は1円から領収書添付になるご時世、宗教法人やこの種の社団法人は、税金が取れないので税務署が目を向けず一種野放し状態になっておりますが、有志の皆さんの追及が待たれるところです。

さて宏正会支出の大部分は、武道会館や大会の場所や全国津々浦々の朝起会場などの会場費と政党寄付金です。
総理大臣初め末端地方議員までいれると宏正会関係で与野党年間述べ3千人が出席し、総理大臣の場合は1回1千万円が相場だとささやかれる現在相当の金額が支払われております。
学会は自前の党を丸抱えしておりもっと費用がかかりますが、宏正会はばら撒き型でやはり相当な額に上ります。
その明細はなかなか分かりずらい仕組みになっていますがいずれにせよ、380億円という莫大な額が集まりますとまた別の運動法則が働いていますね。


実践倫理宏正会は誰でも入会するものでもありません、また続けられるものでもありません。どんな人でも救う、そんな宗教的なものではありません。自分の力で生活改善出来るそんな向上心や余力のある人が学ぶところです。学んで実践して自分を知る、それを生かして幸せになる…それが全てです。幸せの形は人それぞれなのである現象だけを捉えて他人がとやかく言うものでは無いと思います。確かに言えることは世の中が荒んで来ていると言う事。自分が出来る事から一生懸命努力する事は素晴らしい事だと思います。批判ばかりで何もしない人が多い事は悲しい事です。

実践倫理宏正会は誰でも入会するものでもありません、また続けられるものでもありません。どんな人でも救う、そんな宗教的なものではありません。自分の力で生活改善出来るそんな向上心や余力のある人が学ぶところです。学んで実践して自分を知る、それを生かして幸せになる…それが全てです。幸せの形は人それぞれなのである現象だけを捉えて他人がとやかく言うものでは無いと思います。確かに言えることは世の中が荒んで来ていると言う事。自分が出来る事から一生懸命努力する事は素晴らしい事だと思います。批判ばかりで何もしない人が多い事は悲しい事です。

ママさん様

「批判ばかりで何もしない人が多い事は悲しい事です。」とはどういうことでしょう?
朝起き行くのは、人それぞれかってであります。しかし、他の人まで、巻き込むのはいかがでしょうか?脅迫まがいのことをしたり、強引に(鍛錬か練成か分かりませんが)誘ったりと大変迷惑している方が大勢います。
病気が治ったのも朝起きのおかげ、家が建ったのも朝起きのおかげ、娘が結婚できたのも朝起きのおかげ・・・。兎に角何が何でも朝起きのおかげで・・・。
こんなアホことを言ってる人たちがまともであるとは(洗脳されていないとは)到底思えないのですが?

ママさん様、あなたが他人を巻き込まずにやってるというなら、何もいいいません。が、他の人を巻き込んでその人を家庭を不幸にする事はやめてくださいね。

後、今までにこの会に支出したお金はいくらくらいなんでしょうか?
私の知り合いの人たちは、結構むしりとられているみたいですが。この前も会場直すのに5万とか・・・。まー幸せにお金なんか関係ないのでしょうからどんどん出すのでしょうが。
大体どの宗教にも言えることなんですが、何故それほどまでに、宗教に金がかかるのかが分かりません。所詮は、幹部連中の私利私欲の為だけではないのでしょうか?仏教然り・伊勢神宮然り。

先日、私の今付き合っている彼女の母親に勧められ、貴会の集会に参加しました。
参加しましたが、結局貴会が何の目的でどんな活動をしておられるのか、ほとんどわかりませんでした。
また、彼女のお母さんはその後はまったく勧誘して来られず、あれ、入信させたいんじゃなかったのかと首をかしげています。
このブログを見つけて、だいぶ雰囲気がつかめてきました。
もともと貴会の教則は説得力があり、すばらしいなと受け止めますし、解釈をある程度個人に任せてフレキシブルに実践させていらっしゃることも、良いことだとおもいました。
ただ、いろんな方が問題視されている強制的勧誘や捨て育ての誤実践など、実態として教えにそぐわない非倫理的な活動も存在するということについては、私自身も注意しなければならないなと思います。
私はもし会費を事後請求されるようなことがあれば、彼女の親ごさんにどこまで反抗できるかわかりませんが・・。
(どうでもいいですが、「感謝です」の連発はやはり気持ちの悪い日本語です)

2年間、実践者として月40冊の頒布、毎月12名の会費(裏倍加)を納め、そこそこ朝起きにも出席してました。しかし先月あることを口にしてから全く無視されるようになり、今月は会費も回収されなくなり、先日も会場の忘年会があったのですが声掛からず・・以前は笑顔でニコニコ話しかけてくれたり、しつこいくらい電話もバンバンあったのですが・・
あることとは、この会は戦前「ひとのみと教団」と言う宗教に属していて、先代会長は戦後広島で自分ひとりでこの会を立ち上げたと言い伝えられているが、本当は倫理研究所の丸山氏を裏切り破門されたから、独立してこの会が創立された・・・これは事実?と質問したら「そんなの当時私たちがその場にいないのだから、私たちがわかる分けない」となぜか逆ギレ!?そして「倫理研究所と宏正会、朝起き会・内容・文言・本当そっくりで、特に結びの誓いは全く同じ。倫理研究所の方が古い事思うと、宏正会がパクリにしか見えない」と言うと「あなたごときにこの会の何がわかるの?」とさらに物凄く怒鳴られました。
私は疑問に思った事を素直に聞いただけなのに、こんな対応されるとは思いませんでした。確かにタブーなこと言った私も良くなかったのかもしれませんが。
この対応に私も不信感が沸き、その後初めてネットでこの会を検索してたら悪行の多さにビックリ!!はっきり言って、とても騙された思いで悲しくなりました。この会を純粋に信じてましたから。
最近倫理研究所に真実を知りたくて行ったら、更にビックリ!!なんと元宏正会の人が沢山いて、それも大金を請求された事がイヤで辞めた理由が大きいとの事。
今も一応宏正会の会員ですが、今月の会費は請求の気配全くなし。たぶん私は自然消滅で退会するのを待たれているようです。ムカつくからとりあえず200円会員でいようと思ってます。

ママさん様、みんみん様の疑問に答えてあげてくださいね。
男23様、「感謝です。」「おかげさまです。」その他変な言葉遣いの連発には笑えますね。本人たちは慣れきっていて変だと思っていないところがばかげてます。正しい日本語が喋れないくせに「会長先生」が「日本人のしきたり」を進めたらホウホウ言ってろくに読みもせずに、それについて演談したり。
結局形だけ「倫理を実践する」って言ってるだけ。

破門ちゃん様、会のどのレベルの人たちが怒ったのか知りたいです。そこらの支部長程度では知識不足で怒るより他に方法がなかったのかと思います。でも会の幹部クラスがそうならこの組織も末期症状ですね。

実践倫理宏正会ウォッチャー様

久々のご登場ご同慶の至りです。それにしてもこのサイトのレベルは高いですね。
多くの関係書物を読んでおられる貴台のご意見を賜りたいのですが、このサイトの会友の方にアドバイスもいただき「明るい生活」「生きる力」「成就の法則」「倫理常識講座」「教育新興」などを読んでみましたが、早く起きることが倫理だとか、寄付をよくすることが倫理につながるというようなことは何も述べられていないのです。でもこのサイトにはそんなクレームがたくさん寄せられているのは、なぜなのでしょうか。5万人ぐらいでやっているときは、会長のご威光が隅々に届きますので問題はないが、公称400万ともなればちょと無理なのでしょうか。学会も分派しましたし、宏正会そのものも分派だったのですから、そろそろ改革分派が起こる時期ではないのでしょうか。

すでに「スコーレ」とか分派はありますしね。
他にも新宗教(仏教系)にごっそり移転して閑散としてしまった支部なんて話しも耳にします。
本当に正しいことを当たり前にやるのは難しいんでしょうか。
ま、ともあれ道を踏み外すようなこと(金銭強要、ノルマ主義、個人崇拝など)だけはして欲しくない会だと思います。
それには「会長先生」という新宗教時代の呼び方を改めるのが最も喫緊の課題だと思うのですが。

実践倫理宏正会ウォッチャー様

なるほど、学会の誌紙などにも確かに会長先生と書いてありますね。あなたがこの会を、末期的症状と断じておられますのもうなずけます。
Watcher様の慧眼と博識には常々感心致しおりますが、あなたがまだこの会に匙を投げておられないことにまたその感を深めております。

レイモンド様

長らくご無沙汰いたしておりまして、すみません。
その間、非常に適切なご回答の数々、痛み入ります。
会に長く居ります私などは、どうしても『会の常識』に囚われる嫌いがありますため、余り出しゃばって書き込みするのは、と少し距離を置いておりましたが、会の成り立ちに関する話題も出ているようですので、私の知る限りのことをお伝えさせて頂きたいと、また罷り越した次第です。


破門ちゃん様

会の草創期、先代会長の行動などは、以前から色々と言われていますね。私も頒布をしていて偶然にお会いした、あちらの会の方(どうやら会場責任者に相当する方らしいようです)から直接、先代会長は裏切り者である旨を聞かされた経験があります。
真相はと申しますと、正直な所、私も全ては存じません。ただ、その昔の講演で、先代会長が(言わばこちら側の思いとして)語ったことがあると、その講演内容をご存知の方から経緯を聞かされた所では、当時は戦後の混乱期でもあり、『ひとのみち教団』で知己であった丸山先生(倫理研究所創設者)と一緒に、倫理復興運動を立ち上げようとしたのは事実のようです。

先代会長としては、あちら側がとやかく言う事にも色々と弁解やら、思う所もあったであろうと推察しますが、その辺は事実のみを述べて、言い訳染みた事や『思い』は黙して語らなかったため、今以て不明の部分も多くありますが、「それぞれの活動が緒に就いた所で、己の信ずる道に向かうため別々に活動を始めた」旨を先代会長は語ったと聞いています。

なお、参考までに最も古い朝起会の開催記録は、昭和22年9月17日(石川県・小松天満宮にて。会ではこの日を以って朝起会発祥の日としている)ですので、あちら側が主張している『裏切り』以前に、この会の実質的な活動は始まっています。蛇足ながら付け加えますと、この日以降、今日まで「朝起会」は一日も欠ける事無く続いています。

もう一つ付け加えますと、『ひとのみち教団』は一般的な宗教とは違い、個人の精神修養を主体とした団体だったようで、この会のあり方に近い会員組織(団体)であったようです。先代会長はこの部分を更に推し進めるため、この会を『宗教法人』としてではなく、文部省(現在は文部科学省)の設立許可が必要な、社団法人の社会教育団体とすべく立ち上げたと聞いています。(この辺は丸山先生の倫理研究所も同様の趣旨ですね)


次に、『会長先生』の名称に付いても色々と掛かれてありますが、確かにあまり一般的な表現ではありませんね。先代会長も現会長も、自分を『会長先生』と呼べと言った事はないはずですが、会員側から自然と、倫理を「教え、学びを受ける師」としての一般的な尊称である「先生」を付けて呼ぶようになったことが発端であろうと思います。
私も以前、役職名に尊称を付けるのは日本語的にもおかしい旨を、先輩会友さんに話したこともありましたが、その方曰く「校長先生と同じと思えば?」。決して「会長」と呼んでは失礼であるという訳ではないが、日本語的に云々と目くじらをたてる程ではない、などと諭された思い出があります。

どうしても『会長先生』に違和感のある方なのか、名前に「先生」を付けて呼ばれる方も中にはいらっしゃいます。(反対に、会友がそう呼称すると、講師と同格に見ているようで礼に欠ける、と仰る方もいらっしゃいますが)
何れにせよ、日本人的な美徳として「師」に対して尊称を付けて呼ぶ事から発したものですので、それぞれの方がお考えになって、自分で納得できるものをお使いになったら良いのでは、と私は思っております。

長々と失礼を致しました。

鯰の髭は4本様

いつもながら適切なるご回答に感心いたしております。いずれにしましてもあなたは良識派の代表レベルのお方でいらっしゃいますね。あなたにご推薦いただいたご本はじめ6/7冊読ませていただいたものに書かれてあることがらは、種々のネットサイトの書き込みで指摘されているようなこととは、全く別次元のことにて、多くの会友はあなたのような方だろうと思います。あなたのようなお方がもっとネットに出現して発言されることが望まれます。あなたさまを含め会友の多くは大変上品で、あまりご自分を主張されないという印象を持っております。願わくば次世代の会友は、はっしとした自己主張もできる人々になられますよう。私見で恐縮ながら、実践者は本当に大自然の哲理にもとると確信したときは、勇気を持って「悪い!」と一喝するぐらいの方がよいと愚考いたしおりますが、老兵はごたくを並べずそろそろ消える方がよさそうですね。

39歳になる独身ですワタシも会友の一人ですワタシも最初は宗教かと思いましたけど会長先生はあさおき会も頒布もまあ手っ取り早くいうとやってみないとわからないとおっしゃいます

りくにゃごさま
ほう、おっしゃったのは、上廣榮治氏でしょうか、上廣哲彦氏でしょうか?「やってみなきゃわからない」なんて説得力ありませんけど。

さてさて、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314927098
こんな質問がありますが、皆さんはどう答えますか?
私は既に答えましたが。皆さんの見識を知りたいです。

実践倫理宏正会ウォッチャー様

Yahoo!のあなたのコメント拝見しました。ごもっともです。
先日久しぶりに、女性4人、男性1人が押しかけてきました。3月2日の感恩報謝の会とやらに出てくれと熱心にくどくんです。
5人が玄関いっぱいに入ってきて、ま、一種の団体勧誘で、折伏大行進のとき集団で各戸を襲ってきた、在りし日の学会員と同じ顔つきですね。
来た男性に対し、相対でじっくり話を聞きたいので、あらためて一人で来てくれと言いましたら、モジモジしていました。
一人一人は善男善女なのに、集まると集団的ヒステリー状態になっておかしな行動をとるようになるんですね。
朝起き会に人を動員することが実践であり、それが出来なかったら実践が成立せず、仕合せになれないという脅迫観念にとらわれ、一種のヒポコンデリー状態になった人達の集団ですね。
それは何かしらの愛情飢餓状態を経た人たちが陥る心理状態で、われわれ部外者が理屈をこねても簡単に引き戻すことは極めて困難、救出するには地道に家族全体で相当の愛情を注いでやっていく他ないでしょうね。

私は虚無僧。半僧半俗の在家仏教徒です。禅宗なら朝3時起きして、朝のお勤めの座禅をするわけですから、在家で座禅に代わるものを求めていたところ、朝起会のお誘いを受け、二つ返事で会員になりました。丁度3年になります。いろいろ疑問に思うこともありました。ネットでいろいろ言われていることも熟知した上で、今はすべてを受け入れています。
たしかに、上広先師は「女性は働いてはいかん」とか「頒布が義務」などとは言っていません。それが組織を構成するとなると、数値目標達成に躍起となっています。私は保険会社に勤務していましたので、毎朝禊の後の数字の報告と集計には辟易しています。「ここも同じか」と。これを会員増強のノルマと捉えるか、自分の実践の成果ととらえるかで、心の持ちようが違ってきます。それは保険会社も同じです。会社の目標達成のためにノルマとして働かされるのか、自己目標達成に嬉々として働くかです。さらに、朝起会の末端では「夫が泥棒をすると言ったら、ハイと素直に従うのが妻の役目です」などと言うものだから、一般常識のズレを糾弾されて、頒布もやりにくくなっています。これは、夫のいう事には素直に従っていると、夫もやがては改心し、真人間になってくれるという結果が忘れられています。朝起会は、自分達で自分の首を絞めているようなところがあります。(世間常識に則って私も「会長先生」とは使いませんので)上広会長は“まっとう”なことを言っています。「真の倫理者として誰からも慕われ、尊敬される人になれば、無理強いしなくとも「下自ずから渓を成す」でしょう。頒布は己の至らなさを痛感する修行の場です」と。ところが実際やってみると、「無理な勧誘」と捉えられかねないのは、結局自分が至らないからです。会長はあくまで理想論を示していますので、それに少しでも近づくべく会員は、試行錯誤、模索し、失敗を重ねながら、高みを目指すのでしょう。所詮凡人、失策が多すぎて批判の渦を撒き散らしているのだと、私は自分で納得しています。

「やってみなきゃわからない」って説得力ありませんか?この会は「やってみただけのことしか判らない」その通りだと思います。90日毎日座って演壇を聞く、聞かされる。初めのうちは、「くだらん」「家庭の恥を人前で晒すのか」とか、いろいろ批判めいて聞いていました。やがて、聞く耳が出来てくる自分に気づきます。そしていよいよ自分が演壇。自分ならもっと上手く話せると、自身満々で臨んだのに、こんなはずじゃなかったの連続。何が真に人の心を打つのか。話芸ではない、心からの吐露。それ以前に日頃の行い。皆出席か、禊から参加しているか、禊の時の働きぶり、すべてがモノをいいます。信頼されてなければ、演壇だけでは人を納得させられないことに気づきます。同様に、日頃、人の悪口を言ったり、荒々しい車の運転をしていたら、「朝起会のすばらしさ」をいくら口で説いても誰も理解してくれません。本当に五つの誓いを完璧に実践し、円満な、皆から敬慕される人になれたら、それが近所の、町中の評判となったら、こちらから勧誘などしなくても会場は一杯になるでしょう。頒布に行って、断られるのは、まだまだ自分の評判が伝わってないことを確認反省する場です。理想の実現は、それこそ至難の道。しかしそれを先代会長は成し遂げた。とにかく今会員300万?の会にまでしたのですから、あなたも、私も先代会長が成したように成るのが目標でしょう。
それには、人の噂や、他人がどう言おうと、過去のいきさつなんかも、どうでもいいこと。この会にいると、くだらないことにこだわることの愚かさにも気づかされます。「過去を悔やまず、明日を憂えず」。とにかくいいとこ取りして、自分が家族から他人から慕われる人になれればいいわけです。
結構学びの多い会です。まあいろいろな人がいます。社会の縮図です。朝起会の会員だから皆さん立派な方なんて期待すると裏切られます。期待しないこと。変な人もいるから自分も成長する。私はその人間模様を楽しんでます。
私も「平成の虚無僧一路」でブログを開いています。

虚無僧一路さん、
残念なことにIEではホームページが見られませんでした。
さて、
「やってみなきゃわからない」って説得力ありませんか?この会は「やってみただけのことしか判らない」
これって、おっしゃりたいことはわかりますが、保険の営業で使えますか?
私は保険を選ぶ時に「やってみなくきゃわかりません」と言われたらその営業と付き合うのも嫌になるでしょう。
私が説得力がないと言ったのはそのレベルでの話しです。決してこの会にご利益を求めているわけでもなんでもありません。でも、自分がこう実践したからこういう結果を得ている、だからあなたにも、ということが言えるだけの実践を積んで欲しいと思った次第です。

あとついでに。
「会長先生」とか「先代会長先生」とかゆう言葉が固有名詞を指すのって、とても気持ちが悪いものです。まぁ、他の宗派の方に訊いてみればわかると覆いますが。
でもこの会が「宗教ではない」と主張していることと、大きな矛盾を感じてしまいます。

なるほど。保険の商品を勧められた時は、死亡でいくら、病気でいくらと、細々説明を聞くのでしょうね。でも実感しますか?。加入していて良かったと思うのは、病気になったり、大黒柱を失った時でしょう。
「保険の仕事をしてみませんか」と勧められたとき、優成績が自分の給与明細を見せて「私は年収1000万になった」と云われても、それはその人のこと。あなたが成功するかは、やってみなければ判りません。
ところで、つい半年前は、朝起の演談では「至らぬ私です、ダメな私です」と謙遜なのか謙虚なのか、そんな話ばかりなので、私もうんざりでしたが、本部の指導で、最近は「朝起きやって良かった」という感謝の事例を話すように」、方向転換されたようです。
中村支部では、若いママさんたちが、夫婦間の問題、育児の悩みなどを乗り越えて、家庭円満、子供も健やかに良い子になったという演談が次々に語られ、以前とは見違えるほど明るく、活気が出てきています。みなさんの家庭が愛和していく喜びを私も目の当たりに見、この会の確かさを実感しています。しかし、人様が幸せになったからと、その通りやってみても、相手があること、「うちの夫には通用しなかった」という演談もあり、ホントに考えさせられます。ですから、成功例を他人に吹聴することは、好ましくないとされてます。それが「やってみなければわからない」ということでしょう。

今日「東海地区の春の大会」があり、行ってきました。皆さん早朝3時起き、幹部は和服の着つけをして、4時集合。半から前演談、5時に『朝の誓い』ですぐ終わり、6時駅へ、会場には7時にはいって、待つこと2時間、この間トイレに行ってもいけない。9時開始。知事、市長、国会議員の先生方の祝辞に続いて、上広会長(先生)のお話。正月でもないのに、和服の集団が駅のホームを埋め尽くす。やはり異様な集団です。それでも、みなさん素直に従っている。それはそれですごいなと思います。司会者の「会長先生」には、私も抵抗を感じる一人です。
会長の話は、良かったのですが、あとのお3方の話は、あいかわらず「会長先生のお心に添えないダメな私です」と反省の弁。「夫も協力的で息子も良い子になった」という話もありましたが、自慢話はやはり鼻につきます。せっかく会長はいい話をしても、他の人の話で減点されることが残念です。

虚無僧一路様

お名前からお察ししていささか宗教的なお方ともお見受けし、いつもご意見に感心しております。また単独でも参加されますのでしょう、会でもご自分で考えて行動されている方々は立派です。
ほんの少ない回数しかのぞいていませんが、仲間で参加したり集団で勧誘に来られる方々は千切り飴のような方が多いと見ています。
上廣栄治先生のお話をじかに拝聴したいと思いますが、出席するにはなんか相当の条件があるのでしょうね。
このサイトにはあなたの他に、「実践倫理ウォッチャー様」と「鯰の髭は4本様」と言われる会友がおられご自分の意思をはっきり持っておられるので、読み応えのある書き込みをなさいます。
あなたが「成功例を他人に吹聴するのは好ましくない」と言われますが極めて同感にて、演壇とかでお陰さまでこんなによくなりましたと得々と話しておられるのを聞いて、「己の善を言わず」に矛盾するのではないかと思いました。
これからもあなたのお考えの書き込みをお願いします。

みなさんのとても深い書き込みに学ばせていただいております。

他の色々な書き込みにとても悲しくおもいましたが、
ここは公平に善いものは善い、悪いものは悪いと、あるので、とても勉強になります。
色々と、悪評がありますが、私の母もまなんでいて、私自身が今まで大なり小なり色々ありましたがとても仕合わせに生活させてもらいましたので、この会の教えに確信をもてます。
私も正しく学んで、正しく実践すれば、子供も仕合わせの道を歩んでくれるのではと思います。
一生懸命に学んできてくれた母に感謝ですし、学ぶことを許してきてくれた父に感謝です。

しもも様
朝の誓いをそのまま実行されておられますなら、ご家族はご円満になられましょうし、特にお子様が必ずよいお子様に育つこと間違いありません。
ただ、上廣哲彦先生のご本には「徳を積む」というような思想はどこにも述べられておりませんので、徳を積むために無理に他人に働きかけることはなさらないようにお願いします。
真面目に実践して円満な家庭を築いているのを回りの人が見たら、皆あなたをお手本として実践するようになると哲彦先生は何度も説かれており、これを
徳望のある人と言っておられます。ご家族に好かれることが一番ですね。

レイモンド様

ご丁寧にありがとうございます。
会の働きの中で、おかしいなーと思うこともありましたが、その都度、先輩会友さんにお聞きしております。
徳積みも、お金や、入会してもらうことと、そのように聞こえたこともありましたし、徳積みも会長先生のご指導にあったことだとおもっていました。
レイモンド様のお言葉より、やっぱりそうでわなかったんだと、すっきりとしました。
無理な動員に抵抗がありましたので、働きかけは大事だとは思いますが、自分自身の姿で、行ってみようとおもってもらえますよう、励んでいきたいです。

私の母がこの会にはいっているのですが本当に大変です。この会のおかげで家族はバラバラ財産全て母がお祝い金として払い本当に大変です。
この会の方はおかしいです。
あなたたちがしていることは詐欺です。

rairnさん、
そういうケースこそ、消費者センターなどを通して本部にしっかりと抗議すべきです。
情けないことに組織としては成熟しては居ませんから、お金で徳が積めるような考えをする人が組織の中核に居たりするのです。
お母様も不幸だと思います。
あなたが具体的な会場名、会場責任者名を、第三者をとおして本部に告発しないと、本部では把握し切れていないのが現状だと思います。

すごいですね~!!こんなのがあるとは知りませんでした。。。
まぁ~、考え方や捉え方は、人それぞれだと私も思います。
私は、捨て育てで育った一人です♪笑
それでも、寂しいと思ったことはありません。
母はいつも優しくて、ダメなところはしっかりと叱ってくれました。だから、寂しくなかったのだと思います。
弟も0歳の時から、一人で留守番してました。
今は、毎朝、集っています☆
父は早朝からの仕事のため、休みの日しか来れませんが…母と私と弟と頑張ってます。
私は、学生と社会人を両方していますが…朝からの勉強は頭に入ります!!
たまには疲れて眠くなることもありますが、それでも、学ばなければならないことが沢山あると思います。職場での人間関係や、学校でのことなど、悩み相談は家族にすることが多いです!!もちろん友達にもしますけど♪
最初は反抗していました。でも、人との関わり方や、人への感謝の気持ちを大切にすること、父親をたてることの大切さを学ぶにつれて、このままではいけないと思うようになりました。
悩みを相談すると、母が、アドバイスをくれます。実践してみると、いい方向に結びつきます。実践してみて、経験したのでわかります。
朝起会に行ってなくても出来るんじゃ?って思う人もいると思いますが、確かにそうだと思います。
出来る人はそれでいいんだって思います。私は出来ない部分が多くあるので、それを知る機会だとも思っています。
批判や疑心も多くあると思いますが、私はいいと思って、続けています。だから、自信を持って、友達にも、朝起き会に行っていると言っています。
職場の人にも話して、理解してもらっています。
去年は、全国練成にも参加させていただき、大変貴重な時間をいただきました♪
母が父に心を馳せ、毎日実践している姿を見て、私も頑張らなければと思います。
母はいつも笑顔で、友達からも羨ましがられるほどの母です。自慢の母です。尊敬しています☆
母みたいなお母さんになりたいと、本気で思います♪
うちの家族は皆仲良しで、友達に羨ましがられ、泊まりに来たいという子が多くいます。
私は家族が大好きです!!
こうなれたのも、母の実践あってのことだと思います。感謝して、これからも頑張っていきたいと思います!!
長々と申し訳ありませんでした。
書き出したらとまらなくなりました。。。笑

さすけ様

あなたの述べられていることが本当なら120点満点です。このサイトには初期に、まるまるまあるという会友がおられましたが、その方を除いて殆どの方が会に対する不満と非難を述べ、他の人がその対策について語るという図式でした。
あなたのようなお方が(ネット上においても)その幸福のありようを人々に語られますと、それを見た人が会に入っても入らなくても、自然に実践し自身も仕合せになるものだというのが創始者の思想でした。周りにもネットでもどんどん語ってください。

☆レイモンドさん☆
これは本当のことです。
実際に実践してみて、苦手だなって思った人とも、うまく付き合えるようになりました。
だから今の自分があると思うし、沢山の仲間に囲まれて幸せだと思います。
今、私は女子青年でありますが、言葉遣いや、一つ一つの基本的な綺麗な動作についてなども学習会では学ばせていただいています。
普段、学校では学ぶことの出来ない、多くのことを学ばせていただいていると思っています。
最近では挨拶もほめられます。
笑顔もステキと言われます♪笑
お陰様だと思っています。
ここでの書き込みを殆ど読ませていただきましたが、大変悲しかったです。。。
皆が皆そうではないことをわかって欲しくて、私は書き込みをさせて頂きました♪

0歳児が一人で留守番なんて出来るはず無いでしょう?
一人で留守番をしていたのではなくて、

会 に 夢 中 に な っ て い る

母 親 が 置 い て い っ た のですよ?

あなたの母親が会に参加している間、
赤ちゃんのお腹が空いたらどうしていたのですか?
おむつはどうしていたのですか?
それは完全に虐待です。
事故が起きなかったのが奇跡だと思います。

想像すると可哀想で涙が出ます。

マリーさん、
とてもよい突っ込みだと思います。
普通「捨て育て」と言っても、母子癒着を諭す程度ののことであり、ちょっと他人に預けたりする程度のことです。
実際内の子ども達は人に預けられたり乳児同士で遊んだりした経験から、幼稚園に通い始めた時の親離れが見事なものでした。
それが、会場によっては本当に事故の危険も顧みず乳児を家に放置することを奨励したりすることになってしまいます。
そういう末端の会場に対して責任をとろうとしない実践倫理宏正会の姿勢に対してはどんどん指摘すべきだと思います。
ま、天皇が戦争責任取らなかったのと同じで「会長先生」が責任をとるとは思えませんが。

末端の会場責任者のみなさんへ、
あなたが責任取るつもりで「実践」して下さいよ。そうでないなら本部にちゃんと突っ込み入れてください。

さすけ様

マリー様と実践倫理宏正会ウォーッチャー様のご意見があります。よくよくお考えの上あなたご自身のご意見をお聞かせ願いたいと思います。
なお上廣哲彦師のご著書及び栄治先生の子育てと教育の三部作「家庭教育の原点」「家庭倫理読本」「教育新興」には「捨て育て」ということばも思想も出てきません。むしろ幼児期と少年期は親がかかわって鍛錬しなければ、よい子どもは育たないと説かれています。「捨て育て」は、甘やかせてはいけないという気持ちの表現としてだれかが使ったのでしょうが、ことばが一人歩きをしているきらいがありますね。

ご意見いただき、ありがとうございました。

これも、受け止め方だと思います。
置いていかれたとも思っていないし、虐待ではないと、私たちは思ってるので、それはそれでいいんじゃないんでしょうか。
うちの弟は出来ていたんだから、それはそれでいいと思います。

それがいけないと思うのなら、直接本部に連絡してください。

でも最近は、子守する場所をつくってあるみたいですよ。

確かに、レイモンドさんが言うように、一人歩きをしている部分もあると思います。
なんか、なんていっていいのかよくわかりませんが…一つ言えることは、私の兄弟は、甘やかされずに育ててもらいました。お陰で、自分の意見を持ち、自分自身で行動に責任を持てる人間となれていると思います。
弟は、特に、人に頼りにされることも多く、多くの人の相談を聞いていることが、しょっちゅうです。
人の力になれる人間に育ってくれていると思います。優しい心も持っていますし、常に沢山の友達に囲まれています。おとなしい人であったり、ヤンキーであったりと様々ですが、どんな人にでも、優しく声をかけてくれているようです。
それが、捨て育てのお陰とは言いませんが、やはり、母の育て方がよかったからだと、私は思います♪

さすけさんのような方がいらっしゃってうれしいです。
私の母も今も一生懸命まなんでくれています。
私も弟も結婚して子供もいますが、変わらずまなんでくれています。
私達、子供のことや、孫のことを思っての、自分自身の実践をしてくれていますことに、心より感謝です。
私はクラブをしていて、女子青年の活動にはあまりさんかしていませんが、子供を授かって学ぶようになり、本会の学びの確かさを実感しています。
お母さんは正しく学んで正しく実践してこられたのだと、さすけさんの言葉より伝わります。

レイモンドさん

捨て育てのことは、必携普及の実践のご著書に少しと、二年ほど前の10月号の倫風誌にかかれています。
捨て育ては賛否両論きかれますね、お留守番させることだけが捨て育てではないですね。
実践のひとつですね。
おやの勝手なおもい、過保護、過干渉などを捨てるということと、ありました。

さすけ様
今までと違い、実践倫理のよいところを述べられ、それを他の人が検証するというパターンはなかなかいいですね。
3月25日のあなたの書き込みやマリー様の文章では、「捨て育て」はお留守番をするとか放置するという意味にとられ兼ねませんね、またここ以外のサイトやスレッドでも大半はその意味で使われています。これ等は論外ですが、本当はウォッチャー様やさくら様の言われるように、母子癒着や過保護、過干渉を諭す言葉でありましょう。

さくら様
言葉の件、脱帽。あなたのような方が正に「学んでいる」お方でありましょう。知性と教養が感じられます。
宏正会関係のスレッドはまさに悪のオンパレードですが、さすけ様やさくら様のような方々がサイトに登場され、いろいろよいことを喧伝されることが望まれます。
さて上廣哲彦老師のご著書には、「倍加」「頒布」「お祝い金」などということばも思想もありませんが、実情はどうなっておりましょうか、ご両所のご意見も併せお聞かせ願えれば幸甚です。

レイモンドさん

私はほめて頂けるような実践者ではないですよ。でもうれしく思いました。ありがとうございました。
頒布は倫理社会創建のため、普及活動のひとつではないでしょうか。
これも必携普及の実践のご著書に心構えなど書かれてあります。
倍加は入会してもらうことでしょうか。
お祝い金は私は大会前にさせてもらいます。
学ばせて頂く感謝と、また倫理を広めようと活動している会への寄付のようなおもいです。
個人個人思いは違うと思いますが、決して強制はないです。金額もできる範囲です。
地域などでも寄付を求められたりしますが、社会にお世話になっているしさせてもらうような感じです。

レイモンドさん

私はほめて頂けるような実践者ではないですよ。でもうれしく思いました。ありがとうございました。
頒布は倫理社会創建のため、普及活動のひとつではないでしょうか。
これも必携普及の実践のご著書に心構えなど書かれてあります。
倍加は入会してもらうことでしょうか。
お祝い金は私は大会前にさせてもらいます。
学ばせて頂く感謝と、また倫理を広めようと活動している会への寄付のようなおもいです。
個人個人思いは違うと思いますが、決して強制はないです。金額もできる範囲です。
地域などでも寄付を求められたりしますが、社会にお世話になっているしさせてもらうような感じです。

100日挑戦!?無謀だ…。僕は明日だけ行こう。
知り合いもくるみたいだし、こないか。

さくら様
ご返答ありがとうございます。
あなたのご理解と実践は無理なく普通に行われており大変よろしいですね。一般教養レベルの高い人たちにはなんの問題も無いことがよく分かります。「必携普及の実践」は見せてもらっておりませんが、多分そのなかの言葉が拡大解釈され独り歩きして変な現象が起きているのではありませんか。上廣哲彦先生のご著書はじめ十数冊読ませていただいた限りでは、それら独り歩きする言葉は見当たりませんし、なかなかユニークなものと思います。言い方を許していただければ、「修養書+一般処世術」即ち少し自分を殺して生きるということが巧みに表現されており、それらを学んで実践すれば家庭と社会でよろしく受け入れられること間違いありませんね。
このサイトでは「鯰の髭は4本」様、「実践倫理宏正会ウォッチャー」様、「虚無僧一路」様等がレベルの高い書き込みをされており読ませていただいております。さくら様とさすけ様にも加わっていただいて、宏正会のよいことをどんどん書き込んでいただくよう願っております。

私は母が朝起きを始めたおかげでこの世に生をうけることが出来ました。
上の兄弟とは年も離れていて、本当は生まれるはずじゃなかったのですが…母は、朝起きをしたらどのような子が生まれるのかな?と思って私を生んだそうです。(∵)
なので、0歳のときから捨て育てされましたし、今も朝起きに毎朝集っています。
私は、朝起き大好きです!!!
けど、朝起きのことをネットで調べると、悪口とか書かれていて悲しくなります(;。;)
ココは朝起きの事わかってる人がたくさんいらっしゃって嬉しくなり♪思わずコメントしました!!!(^0^)v
私も朝起きを心から理解して下さる方が増えるといいなと思います↑↑(≧U≦)

倫様

はい、ここは朝起き会のことがよく分かっている人が投稿なさいます。ひとつ、なんでもよいからよかったなーと思うことをどんどん(毎日一つ書き込みできればグーですが)書いてください。

私はジュニアの態度訓練を受けていたおかげで、小学校の時に全校生徒の前でお手本をさせられました!!!ちょっと恥ずかしかったですが(^^;)

毎月、女子青年の学びに行かせて頂いていますが
先輩女子青年の方に色々なお話を聞かせていただきます(・w・)私が一番好きなのは『笑顔の実践』です♪
笑顔は人と人の心をつなぐ潤滑油っておっしゃってました★ミ
こちらが笑顔で接すれば相手も笑顔で接してくださいます(>v<)。・.。
みんなが笑顔なだけで毎日楽しいです!!!
(朝起きをしてなかった事がないので、朝起きをしたから、こう変わったというような体験はないのですが…文章を作るのが下手ですみません(0‐0;)

私はジュニアの態度訓練を受けていたおかげで、小学校の時に全校生徒の前でお手本をさせられました!!!ちょっと恥ずかしかったですが(^^;)

毎月、女子青年の学びに行かせて頂いていますが
先輩女子青年の方に色々なお話を聞かせていただきます(・w・)私が一番好きなのは『笑顔の実践』です♪
笑顔は人と人の心をつなぐ潤滑油っておっしゃってました★ミ
こちらが笑顔で接すれば相手も笑顔で接してくださいます(>v<)。・.。
みんなが笑顔なだけで毎日楽しいです!!!
(朝起きをしてなかった事がないので、朝起きをしたから、こう変わったというような体験はないのですが…文章を作るのが下手ですみません(0‐0;)

倫さん

「笑顔の実践」すばらしいですね。
私もよくにていて「上機嫌の実践」を心がけています。
調子のよいときは、簡単にできますが、調子の悪いときは中々できないです。
どんなときも上機嫌が簡単のようで、とても難しいことが、実践してみて感じます。
ですが母親は太陽のように明るく家庭を照らしましょうと教えて頂き、主人には、家庭で、仕事の疲れを
癒してもらえるような、子供にも、家ではホッとくつろげるような、そんな家庭づくりに励んでいます。

久しぶりに開いてみましたら、すばらしい仲間が加わって、ますます盛り上がっていますね。うれしいことです。私は「虚無僧」ですが、「僧」ではありません。世俗(俗人)です。むしろ、今の“金まみれ”の仏教界を否定しています。悪口になってはいけませんが、仏教界自身「今は末法の世、仏の教えが正しく伝わらない」と認めていますからいいのでしょう。そこで、新興宗教もいくつも出てきています。どの団体も、先ずは“お金”です。朝起きでも、以前に“お祝い金”として100万、1,000万納めた方がいると聞いてびっくりしましたが、それで“満足”を得られるならそれでいかとも思えるようになってきました。既存仏教でも、檀家さんは、寺の改修費用などで1,000万くらい平気で出すのですから。
要はその人の心次第。「盗られた、損した」と思う方はやめればいい。「感謝の気持です」と思われる方は、いくらでもすればいい。他人がとやかくいうこではないかと思います。
私の母は84歳、一人暮らしで、損を承知で証券マンに、わずかな年金をつぎこんでいます。以前の私なら母を非難していたでしょうが、母にとっては、遠く離れて頼りにならない息子より、毎日優しい言葉をかけてくれる証券マンの方が、心の安らぎと満足感を得られるのでしょう。毎日嬉々として過ごせているのだから、それはそれでいいのだと、思えるようになりました。母の残された人生、好きなようにさせてあげるのも“親孝行”かと。

“お金”のことは難しい。話しの流れを変えてしまってすみません。私の支部では最近若いママさんが数人入会され、イッキに盛り上がっています。金髪に染めちょっとぐれていたという娘さん。親の反対を押し切って妊娠、結婚。最近ではよくある話でが、その娘さんが、二人の乳幼児をかかえ、いくつもの夫婦の危機を乗り越えて努力しているという演談には、みな感動します。“捨て育て”がどうのと、他からみれば奇異でしょうが、実践の型見本のような若いカップルが数組育ってきていることに、この教えのすばらしさを実感しています。

さくらさん

コメントありがとうございます!!!
「上機嫌の実践」ですか…難しいですよね
といっても私はまだ子どもなのでよくわかってません(∵;)スミマセン↓↓
でも母親が笑顔で明るいと家庭は明るくなります!!!
これは絶対です★
うちの母もいつも笑顔です♪でも父のほうが笑顔です♪(笑)

虚無僧一路さん

私も生後2週間から捨て育てされていたらしいのですが、たしかに世間一般の常識からはちょっとズレているような気もします。
でも、捨て育ては子どもを捨てて育てるんじゃなくて
子どもの成長の芽を摘んでしまう親の無駄心を捨てるというような…感じだった気がします。ん~(・・)
捨て育てで育てられた子どもは、たくましいのです(笑)♪(^0^)

良い会話が続いてますね。
一方で悪い評判があるのも事実。
本当に間違った「実践」が行われているのだとしたらその会場を変えていかなくちゃいけない。
これは組織の問題で、組織の横のつながり、縦のつながりできっちり責任を取らなくてはね。
「我も人もの仕合せ」を標榜するからには「会」内部の我や人がきっちりと正しい道を歩むようにして行く必要があると思います。

虚無僧一路様
いつも仏教的アプローチ感心しています。既存仏教にもあるように、お祝い金に1千万円出しても本人が満足しておればそれでよいではないかというお話、賛同します。神道でもお賽銭日本一は靖国でなく明治神宮なんですが、1千万円上げても税金もかからないし誰も何も言わないのですよ。
長いご経歴からしても哲彦先師のお考えは宗教的にて、倫理とは「宇宙絶対の大道にして、法理にして、天則である」と言われているのは仏教学の大日如来の定義と同じです。そういう側面から宏正会のことがらをみますと納得するところが多いですね。


実践倫理宏正会ウオッチャー様
おっしゃるようにこの会はなかなか結構なところではありますが、解釈や方法論で悪い評判もあります。でも解決策がなかなか出てこないようですね。被害者ご本人が声を上げられることはごく稀で、虚無僧一路様言われるようにその方たちはむしろ満足しておられるからでしょう。
さはさりながらあなたや虚無僧一路様のように、会をよくしようというお気持ちの方も見受けられますので、この方たちに声を掛けて、いつかどこかでこのサイトのオフ会をやりませんか。

はい、その通りです。でも何が悪いのかが判らなくなりました。3年前、入会当初、子供たちが後ろで騒いでいても注意をしない、「なんて会だ!」と独り怒りまくっていました。「自分の子供の躾もろくにできないのか」と。最近、その子供たちが本当に良い子に成長してきていて、「叱るばかりが躾ではない」と学びとりました。親の態度で子供も変わるのだと。親が毅然たる態度を示していれば、子供も自然とみならうのだと。親がいい加減なことをしていては、子供もいい加減になります。
夫の猛反対にあいながら、夫をほったらかしにして朝起に来ているご婦人。「本末転倒だ」と思っていました。でも今では、そのご主人も理解を示され、車での送迎をしてくれている。そこまでなるのに荊の道でしたが、結果往来に、この教えの確かさを感じます。

50年前、私の子どもの頃、母親は朝4時には起きて朝餉の支度、父親は新聞を読んだり、庭木の手入れなどをし、朝7時頃、家族そろって朝食をいただいてから、父親を見送り、その後子供達が学校に行きました。夜6時には父は帰って来、7時に一家団欒で夕食をとりました。さざえさんの世界です。
私は4歳から幼稚園に通っていましたが、母親に送り迎えなどしてもらったことはなく、1kmの道を独りで通っていました。長男なので、早くから「自立させなければ」の親の愛情はヒシヒシと感じていました。中学、高校と、入学式や卒業式に親が付いてくるなんてこともありませんでした。まして、大学の入学式に親がついてきたら笑い物でした。

朝起会で言っていることは、昔は当たり前だった。しかし、今や現代社会には適合しない。昔の習慣を無理に現代に当てはめようとすることには、私もあまり賛成はしていません。現代には現代のやり方があっていいのでは、とも思っています。

0才からの捨て育て「留守番」も、私が知っている限りでは、授乳と授乳の間や、少しの時間でさっと帰ったりしていますよ。
いっしょにいても捨て育て「親の勝手なおもいを捨てる」はできますし、大事ですが、「留守番」の実践は親も子も大切なものをたくさん育ててもらえます。
今、家電製品もよくなり、家事をするのに便利になり、手早く終えれるようになってきました。
そのぶん、子供に目を向ける時間も多くなったのではないでしょうか。
よい目をむけていればよいのですが、悪い目「過保護、過干渉」であれば、子供のこれから伸びようとする芽をしらずに摘んでしまうかもしれません。
昔は親も今のように便利でなく、忙しくしていて、
家で子供が留守番することは多かったとお聞きします。
子供も親の忙しい姿をみて自分のことはできるだけ自分ですることを自然と出来たのではないかと思います。
今は中々そのようなこともさせてやることも出来ない。
ついつい、手出し口出ししてしまう、捨て育て「留守番」のなかで、少しの時間はなれることで、こどもは親の目のない時間に辛抱すること、生きる力を養い、親は、緊張の時間の中、子供へのいとおしさを確認し、無事にいてくれた、子供に何も求めることはないことを思います。
あえてしていかなくてはいけない今だからこそ、捨て育ての実践はすばらしいと思います。
べったりいっしょにいてやることが愛情なのか、さきを思いあえて離すことが愛情なのか、私はべったりいてやることのほうが、簡単な愛情だなと思います。
昔は自然とできていたことが、今はあえてしていかなくてはいけない、そのことをこの会で教えて頂きました。

さくら様

なるほどご熱心に実践されておりますね。
「捨て育て」はわれわれ男性にはちょっと理解しずらいところもありますが、倫理の面からは、おっしゃるように「親の勝手な思いを捨てる」ということがよく分かります。哲彦先師はとくにこの言葉を使っておられませんが、師の思想の中心は、親が実践することそのものが子に反映してゆくというものでありましょう。
先の戦争で軍人230万人、原爆死を入れた民間人80万人が死に親の無い子が巷にあふれておりました。しかし国民は今よりもっと明るく親切で、表現は難しいですが、「何かをチョロまかしている子がいても、それが父ちゃん母ちゃんを助けるためにやってるなら許す」という雰囲気がありました。親を殺したり子をころしたりのこの世相に、倫理を口にするものが何が出来るかが問われていると思います。

東大の入学式で、学生数を上回る父母の数に、建築家の安藤忠雄氏が「親離れしろ!」と“喝”を入れたとか。「親離れ」ではなく「子離れしろ」だ。私の親は、中学、高校も入学式、卒業式も来なかった。幼稚園も送り迎えなどしなかった。それが当たり前だった。“捨て育て”などとはちっとも思っていない。今の“過保護、過干渉”が、子供をダメにしている。その反面、中学で、PTAの役員を決めるのに、クラスの約3分の1が「母子家庭」だという。聞けば、母親は、子供はを母親(祖母)に預けて、愛人と派手に遊びまわっているというではないか。子供はほったらかし。子殺し、親殺しの危険は、今やどの家庭にも潜んでいる。今年の春季大会での上広会長の話も、「だからこそ、今こそ家庭愛和。それには、夫も妻も子供も、自分の本分を尽くし、お互いを敬愛すべし」とのことであった。

子供を授かる前は、社会にそれほど関心はなかったのですが、子供を授かってから、このままの社会で、どうなっていくのかと、不安に思いました。
でも自分にはどうすることもできないとおもっていましたが、普及活動をとおして、よくなって欲しいと、働けることに喜びを感じ、子供達の未来に明るい希望をもてるようになりました。
会長先生はだれにしも生まれながらにして、倫理力がセットされていると、おっしゃられ、たくさんの方の倫理力が花開くことを願い、まず我が家から愛和な家庭づくりに励み、その輪が広がっていきますよう普及活動にがんばりたいです。


虚無僧一路様
はい、親たちを正しく育てる要があるのですね。ま、朝起き会に集う方々はよいお父さんお母さんに違いありませんが、この会に来ない多くの親たちをどうするかが急務ですね。

さくら様
よく気づき実践されておられ、よいご家庭をお持ちでありましょう。おっしゃるように社会的レベルでも倫理が向上してもらわないと先が無いわけにて、やはりわたしは道徳教育が大切だと思います。東京/神奈川で、君が代斉唱時不起立の公立高校教員数が昨年度72人でしたが、まことに心もとなく、「お国を興す第一歩」でもあるので、各地の教育委員会に働きかけてはどうかと宏正会の本部に言い言いしていますが、会としては社会運動はしないという建前があり進んではおりません。

先日、ある詩吟の大会で約1,000名が集まり、最初に全員起立して「君が代」の大合唱がありました。臨席された愛知県知事、名古屋市長も、「こんなに力強い君が代は久しぶりに聞いた」と賛辞。一方近くの小学校の卒業式に招かれて行きました。「君が代」斉唱の時、誰も歌わない、歌っていても声が小さくて聞こえない。私ひとり大声張り上げて歌ったのですが、ピアノ伴奏のキィが高くて、「苔の~」から歌えない。大恥かきました。沖縄は斉唱率100%とか。
ところで「朝起会」では「君が代」は歌わないですね。

私は、元会友でした。わが子を小さい時に 捨て育てをしてきました。しかし、留守を守ってくれる子に愛しさもひとしおでした。家にいない分 手紙を書いたり、お弁当は手を抜かずに頑張りました。しかし、会長の言われてること・・・教えと朝起き会のなかの人たちの大きなギャップの中で精神的に参ってしまい、あることをきっかけに行かなくなりました。私は、他の人が見るには、いつも頑張ってる先輩だったと思いますが、外観は、整えても中身が、伴いませんでした。終始一貫の会友でしたが・・・。
朝起き会で忙しくしていたら、今頃は、多分パソコンも出来ないし、このようなH.P.も見る事は無かったと思います。
いま、会友であった事の後悔はありませんし、してきたことは私の人生の良き魂磨きだったと思っています。
今も精神修養は、続けていますし、積極的に生活しています。

虚無僧様
君が代大合唱さぞ感動なさったことでしょう。うたは声に出してうたってこそ魂が入ります。歌会始めにその片鱗を覗うことが出来ますが、万葉の時代からうたはうたわれておりました。朝起き会も国旗を掲揚しておられますので、毎回君が代を皆で大声で歌ってごらんなさい、また格別の爽快感を得ることができますよ。

カサブランカ様
会を止めても修養を続けておられる由、なかなかいいではありませんか。
「頑張らない」が現代人のライフスタイルの一つになりつつある今日、修養は続けるが、悠々として日を過ごすというのも倫理にもとることはありません。「捨て育て」はこの会の流れに戦前からありますが、幼児をひとりお留守番させることだというような解釈は余りにも程度が低く誤解を招かない用語を使う方がいいのではと思います。

虚無僧さん

朝起き会でも、1月1日の元朝式には、君が代をうたってますよ。
着物をきて参加し、斉唱しますと、日本人だなーと背筋が伸びる感じがします。

カサブランカさん

学んでいるかたでも色々なかたがいますね、納得のいかないこともあります。
ですがその中で、学んでいくことがたくさんあります。
社会にでればもっと厳しいのかなーともおもいます。
喜びがたくさんあるいまに、とても感謝しています。
些細なことに喜べる自分になれたことがうれしいです。
子供の寝顔をみていると、希望のある社会になって欲しいと、倫理普及を強くおもいます。
会のなかで色々あったり、よそ様からの非難の言葉も、受け止めていきながら、あくまでも人様の仕合わせを願って活動に励んでいこうと志高く、前へ前へ進んで生きたいです。
会から離れられても、ご自分のお姿で、倫理のある生活のすばらしさを普及していただきたく願うものでございます。

入会して数ヶ月目、倍加なんてやめようよと先輩会友に訴えたらよってたかってつるし上げにあった後、追い出されました。3年ほど前かな~。
今でも同じ事やってるみたいねw
笑っちゃうわ。

>「捨て育て」はこの会の流れに戦前からありますが、幼児をひとりお留守番させることだというような解釈は

あはははは。
ネット対策なんだろうけど、ネットでは随分控えめねえ。
言葉をもてあそぶのはいい加減にしなさいよ。幼児どころか乳児を家に放置させてるじゃない?
解釈なんて何の意味もないわね。実際にそういう指導をしている連中が山ほどいて、それを推奨している本部。ネットで批判されて慌てて取り繕ってるけどねえ。そんなことでごまかせると思ってるんだ~。
私も6ヶ月児なら半日ぐらい家で我慢できるって言われたけど、これは事実よ?
支部の名前と会友の名前と言われた時期も書こうか?
あ、私はちゃんと「できません」と答えたから「当人に言ってください」は無効でーす。

私は生後2週間から捨て育てされていましたが、普通に生きてますよ♪(∵)

卒業式や入学式、運動会など特に親に来てもらったこともないですし、三社面談で先生から、母より私のほうがしっかりしてるとよく言われます(^^;)ワラ

さみしいと思うときもありましたが、ちゃんと母の愛を感じていましたし「母さんは私が嫌いだから置いていくんだ」なんて思うこともまったくありませんでした

母は、私はめったに泣かない子で親戚に預けるときも「こんなに手のかからん子ならずっと預かっときたい」とよく言われたそうです。

だから捨て育てはできないんじゃなくてやらないだけなんですよ(・。・)
別に子どもは行かないででなんて思ってないんだし、結局は親の気持ちしだいなんですよね・・・

関係ないですが、最近の大人は本当、見かけだけだな~と感じます…
日本の将来が不安です(;_;)

「朝起きして・・」様と「倫」様のご意見全く二律背反。これ両方とも言えてるところが悩ましいですね。
倫理とは元来そうしたもので、一般的には親が信念と愛情をもって子育てすれば、そんなに悪い子はできないものでしょう。
家庭愛和を実践してゆき、その先に社会的平均的倫理の向上を期待するにはいささか無理があることに目覚める時期ではないかと思っています。

朝起きして家族を放置wさんのような会場もあるんでしょう。家の場合は誰かに預けてやってましたし、もし乳児を一人置き去りしてなんて聞いたら私が許しません。
所詮組織力が弱いんでしょう。変な会場があっても制御できないし、責任もとらない。
きっと変な会場沢山あるんだろうなぁ。
でも本部は気付かず、責任も取らない取らせないんだろうなぁ。
ちょっとぐらいネットをチェックしてもらいたいもんです。

色々な会場があるのですね。
うちの会場はとても仲がよく、私にとって家族のような感じです。
会長先生はよく家庭愛和、会場愛和とご指導あります。
正しく学んで、家族や周りのみなさんに喜んでもらえるような自分になりたいです。
研修では会長先生のご指導を講師の方がわかりやすく紐解いてくださり、その中で一部の会場や、一部の幹部が間違ったことを伝えている事実があることに触れられました。
色々な批判に心痛められていることとおもいます。
私もはじめて掲示板をみたときには、悲しかったです。
私の周りのかたは、倫理普及で社会がよくなって欲しいと、真剣に実践されているかたばかりです。
我が家のことを思うなら人様のことをと実践されています。
私自身は自分のことばかりで、家族にも合わせさせているのではと、見直す毎日です。
でも少しでもそのように思えるようになれたことがうれしいです。

実践倫理ウォッチャー様

ネットの件全くそうですね。倫理はネット、ラジオ、テレビ、マスコミなどで伝わるものではない、人から人へと伝えていかねばならぬという会長の方針で、ご本も書籍店ルートに乗せないとしています。それもそうかも知れませんが、ちょと自分たちだけの独善的な要素が感じられますね。
それにしても、ネットの書き込みはその大半が宏正会非難に占められています。ウォッチャー様、虚無僧一路様、倫様、特にさくら様などこのサイトのみは、宏正会屈指の応援サイトの感がありこころ強いです。
あなた様のサイトの愛読者でありましたが、昨年11月3日以降お目にかかっておりません、どうか健筆を振るわれんことをお願い致します。

何ごとも「当たり前」になってしまえば、
おかしいなんて思いませんよね。

>「留守番」も、私が知っている限りでは、授乳と授乳の間や、少しの時間でさっと帰ったりしていますよ。
2〜3時間といったところでしょうか?
この間に何か起きると言うことは考えないのでしょうね。
それ以前に、乳児に対して「過保護、過干渉」「甘やかせてはいけない」もないと思いますが。

>うちの会場はとても仲がよく、私にとって家族のような感じです。
といっているかたの会場でも「留守番」をさせるということですが、
>幼児をひとりお留守番させることだというような解釈は余りにも程度が低く
とあります。矛盾してますよね。

わたしは8ヶ月の娘がいますが、
一人で置いて出かけるなんて、事故が起きたら…と、恐ろしくて出来ません。これは過保護になるのでしょうか。

気づかない大人が親になる。
日本の将来が不安です。

hanaさん

日本の将来が不安です。私も同じおもいになりました。
そんな中で普及活動に励んでいます。
私も子供をおいてでるなんて、とおもっていた一人でした。
乳児をおいてでるのも、寝ている間とか、ほんの少しの間です。
10分のときもあれば、30分のときや、その少しのあいだでも、人様の仕合わせを願ってと、一軒でもとの思いでされています。
乳児に過保護、過干渉もないと思いますが、じっと寝顔をみつめていることもないと思います。
上の子が幼稚園にいっていれば、寝ている乳児をわざわざ起こしてつれていかないとおもいます。
さっとお迎えにいく、それは決して遊びにいくわけでもなく、自然な生活の流れだとおもいます。
おいて買い物にいくこともあるとおもいます。
大きくなってきても、危ない時期だなと思うときは、
普及活動にもつれていきます。
おいてでるときはものすごく緊張しますし、帰ってきたときは何事もなかったことに感謝におもい、辛抱してまっていてくれたことにいとしくおもいます。
その間は子供から心を離して、活動に一生懸命はげみます。
子供達の明るい未来を願って。
理解していただきにくいかもしれません。
私自身も中々でしたから、ですが育児放棄でもなく、子供のことをおもってのことです。
今子供をみておかげさまであったと、のびのびと成長してくれている姿にうれしくおもいます。
子供の成長が私の喜びです。

わたしはまだ母親になって8ヶ月なので、間違っているのかもしれませんが、

>上の子が幼稚園にいっていれば、寝ている乳児をわざわざ起こしてつれていかないとおもいます
わたしは子供が1人なのですが、この状況でしたら一緒に連れて行きます。
>おいて買い物にいくこともあるとおもいます。
いきません。

母親から引き離すことがいいなんて、どのお医者さんや保健士さんもおっしゃっていませんし、どの育児書にも載っていませんでした。
逆にわたしは「たくさん抱きしめてあげなさい」「たくさん話しかけてあげなさい」と指導されました。
だからいま、わたしにはこういう想いがあり、この会の行動には、呆れ、腹が立つのです。

>じっと寝顔をみつめていることもないと思います。
普及活動をしていない人はみんな寝ている子供の隣にいるとお思いなのですか?
普及活動をしていないお母さんたちは、ダラダラ寝ているとお思いなのですか?

>大きくなってきても、危ない時期だなと思うときは、普及活動にもつれていきます。
なぜ乳児のときは連れて行かないのですか?
乳児時期は自分で発言もしない、我慢しない、そして人見知りをしたりと、手がかかるからですか?
大きくなれば、乳児ほど手がかからないから連れて行くのですか?

>乳児に過保護、過干渉もないと思いますが、
以前は「親の勝手なおもいを捨てる」「捨て育て「留守番」のなかで、少しの時間はなれることで、こどもは親の目のない時間に辛抱すること」とおっしゃってますよね。
過保護過干渉もない乳児は「置いて行っている」と言えますよね。

>何ごとも無かったことに感謝
「何ごとかあるかもしれない」とは思っていらっしゃるのですね。
子供を犠牲するかもしれないのに、それほどまで他人の幸せが大事なのですか…他人の幸せよりも、子供の安全を願ったらいいのではないですか?
幸せではなく、「安全」です。
それこそが子供の幸せではないのでしょうか?

いい加減、取り繕う言葉、後出しな言い訳はなしにしましょう。

hanaさん

色々なご意見ありがとうございます。
私自身の思いが強くでてしまった内容になり、反省
でございます。
今と昔とでは生活環境もちがいますが、昔は乳児でも、おいて畑しごとや、家事にとされていたとお聞きします。
子供に使う時間も少なく、しかし親は生活のため、子供のためにと懸命に働き、その親の姿をみて子供も育ち、留守を守り兄弟は協力しあい、自分で考え親に負担をかけないように、子供の生きる力を十分に発揮したくましくそだっていったとお聞きします。
親も子供に時間をかけたくてもかけれない、そんな中で、過保護にも、過干渉にも自然となれない、過保護も過干渉も恵まれた現代の問題であるんだとおもいました。
私自身、子供にかける時間も十分にあり、いまの生活にありがたく、これも主人のおかげであると感謝におもいます。
そんな現代だからこそあえて子供にしていくことの大切さを学び、子供に甘い私には必要なことと思いました。
十分な時間に少しでも、色々な方々と、互いにりよくなっていきたいと思い励んでいます。
自分自身の道を貫きたく思うものでございます。

うちの支部では、今若いママさん会員が増え、子供も次々生まれ、盛り上がっています。乳幼児も連れてきますので、会員みんなで可愛がっています。こんな演談もありました。
「初めて、幼児を置いて朝起に集った時、帰ると、まだ寝ていてくれてホットした。二度目、起きて泣き出し、夫にものすごく叱られ、平謝り。3度目、子供が目を覚ますと、父親の布団にもぐりこんでスヤスヤ寝ていた。夫はまんざらではないようで、怒らなかった。今では、子供も父親になつき、家庭愛和、夫と子供と共に朝起に集うようになった。子供が母親とだけ寝ていたら、こんなに父親になつくことはなかったかも」と。成功例だと思いますが?
小中学生の子供も、毎朝演談します。みんないい子に育っていて、朝起の確かさを目の当たりにしています。4、5歳の幼児でも、しっかりスピーチするので驚きです。

>虚無僧一路さん
事例のご家族は旦那様が見てくれているのだから、いいのではないですか?
あなた様自身も、「乳児を一人置き去りしてなんて聞いたら私が許しません」とおっしゃっていますよね。
他の方々のコメントについては、どんなお言葉がありますでしょうか。


昔がそうだったから、いまもそうする、がすべて正しいのでしょうか?
もちろん、昔から伝わる言葉には、素晴らしいものもあります。
しかし昔もいまも、乳児をひとり置いていくことは間違っていたと思います。
昔のかたの話でも「畑仕事にまで連れて行った」ということも聞きます。

子供といる時間が多いなら、一緒にいてあげることは間違いですか?
愛情をたくさんあげられる時間があるのにもかかわらず、それを突き放すということが理解できません。
我慢をすることを覚えさせるだけではなく、たくさん一緒にいてあげて、子供のことを解ってあげる。
愛する、叱る、をしっかり教えてあげるべきなのでは無いでしょうか?
家族のため、他人のためという、それこそ自分の考えを押しつけてしまっているように思えます。

それ以前に「子供は親の正しい姿を」とおっしゃいますが、普及活動は仕事ですか?
まずはここから違うような気がしますが…

「乳児を一人置き去りしてなんて聞いたら私が許しません」の言葉は、
実践倫理宏正会ウォッチャー さんのお言葉でしたね。
虚無僧一路さん大変失礼致しました。

しかし、同じ会員なのにここまで食い違い、そして会員同士で話合わないのは何故なのか、
是非お聞き願いたいです。

hana様
ごもっともです。幼児のお留守番で色々な意見が展開されていますが、これはもともと「捨て育て」というやっかいな言葉の解釈の違いから発生したものです。上廣哲彦先師が長らくご在籍なさった「ひとのみち教団」の「教師心得」第4篇第3章第7節「育児」に出てきた言葉で「・・・陛下の大切な赤子をあずかっているのだから、自分の子という思いで気に掛けたり溺愛したりせず「捨て育て」にすべきものなり」とあります。これが一人歩きして、いろいろなところでお留守番問答に発展していますが、当スレッドでさくら様も言っておられたようにもともと精神的なことがらです。賢明なる哲彦先師はこの言葉はどの著作でも使われませんでした。栄治師も会員の誤用を大いに心配された文章がありますが、私の意見はこの言葉は使わない方がよいということです。みんなの議論が倫理感というよりむしろ育児論に傾きがちになるからです。

hanaさん

子供さんに対する思い、すばらしいと思います。
私は普及活動の中で、色々な方にお出会いします。
子供といっしょにいてやりたいが、家庭の事情で保育園に0歳時から預けてお仕事をされる方。
反対に欲しいものも買いたいし、子供と一緒にずっといっしょにいるのも、しんどいしと、0歳児から預けて仕事に出られる方もいらっしゃいます。
hanaさんは、子育てに専念できる環境も、ご主人の働きがあってのことと感謝でありますし、子供とできる限り一緒にいてやりたいと思えますのも、
hanaさん自身、ご両親にに善いものを頂いているも
のとすばらしいなと思いました。
本会での捨て育ての実践は、私はとても愛情深いと、実践してみておもいます。
今の子供をみて確信しております。
すばらしということを、お伝えしたいだけで、あくまでも私自身の実践ですので、hanaさんは、ご自身の愛情で、子育てに励んで頂きたくおもいます。
子供は家の宝、社会の宝、今の大人をみて、子供が希望を失わないような、そのような社会にと、願います。

>あくまでも私自身の実践ですので、
>hanaさんは、ご自身の愛情で、子育てに励んで頂きたくおもいます。

「私はこうするので、他の意見をわたしに言わないでください」ですか…

そういうお考えなのでしたら、他人の家に普及活動をするのは止めなさい。

さくらさん☆
やったことのない人にいくら言ったって理解できないと思います。
顔もわからない人なんて相手にしないで、さくらさんは、さくらさんの実践を貫いてって下さい(^^)♪
地域の方に普及され、さくらさんのように前向きに実践に励む若いお母さんが増えたらいいと、そう思います(・u・)

ただの女子高生の意見なので聞き流して下さってもかまいませんが(^^;)

hanaさん

そのようなことは、思っていないです。
言葉足らずで申し訳ないです。
自分自身は善いと思っていても、そう思われないかたもいらっしゃいます。
意見はどんどん言っていただいて結構です。
自分自身の価値観で物事を計ってはいけないと、色々な方にお出会いする中でつくづく感じます。
色々意見をいって頂いて、受け止めていける、そんな大きな心を持てたらと思います。
まだまだの私ですので、普及活動の中で、色々なお話を聞かせて頂き、親として子供の前を歩いていけるような器づくりにと思います。

倫さん

お久しぶりです。
hanaさん宛てにいれてる間に倫さんがいれてくださってたみたいですね。
心強いお言葉ありがとうございます。
いまからがんばって、いってきます。

「やったことのない人にいくら言ったって理解できない」…
「相手にするな」なんて、がっかりですね…
しっかり倫理というものを学んでいるかたでも、結局はその言葉になるのですか。
確かに私はこの会に参加していないので、会について云々は言いません。
ただ、子供を置いていくな、と言っているだけです。
もしわたしがこの会に参加していたとしても、乳児を置いていくことが正しいとは思わないでしょう。

乳児を置いていくのに、幼児は連れて行く?
おかしいですよね。
さくらさんは質問には答えてくれません。
それだけ強い考えをお持ちなのでしたら、過去レスのお答えをいただけたらと思います。

それより…
>賢明なる哲彦先師はこの言葉はどの著作でも使われませんでした。
>栄治師も会員の誤用を大いに心配された文章がありますが、

わたしに「やったことのない人にいくら言ったって理解できない」と言う割には、
参加されているかたは、代表者の話すら聞かないじゃないですか…

hanaさん、

おっしゃりたい気持ちが分るような気がします。
私は妻が入会し、会場の方々にも御世話になっているので、なんとなく会場とつながりをもち、昨年は「朝起き会」に1ケ月程「集って」見ました。

ただ、独特の固有文化と、組織の有り様に疑問を持ち、今は距離を置いています。妻には好きなようにさせていますが。
もしよろしければ、
http://www.ukon-clan.jp/PracticalEthics/
お読み下さい。差し出がましいようですが何か通じる気持ちがあるように思います。

hana様
上掲スレでご指摘の件(哲彦師、栄治師)
会友以外の方が本件をいろいろおっしゃることごもっともです。
もともと育児論には「子は親の鏡」と「捨て育て」の二本の柱がありました。「子は鏡」はすんなり浸透したのですが、「捨て育て」はそうは行かず、栄治先生が18年10号の「倫風」で、(まさにさくら様のご指摘でしたが)宏正会の教えの中で最も誤解されていることばとして上げておられます。他のスレッドでも本件は不毛な論議が百出していますから、ま、この紛らわしい言葉は使わない方がよいとわたしは提案しています。
世のお母様方よ、愛情いっぱいにお子様をお育てくだされば十分でございます、われわれ男たるもの子を産むこともお乳をあげることも出来ず、ほんとに感謝でございますよ。

hanaさん
私はしっかり学んでないですよ(笑)
倫理を学んでる人が私みたいなコメントするわけないし♪
この会に参加してるわけではないけどっていう点では私もhanaさんと同じですよ。
だからそこまで批判するhanaさんを理解できません↓↓
hanaさんは、どこに行くにも子どもと一緒でいっぱい愛情捧げればいいじゃないんですか??
子どもの10年後や20年後が楽しみですね☆

> 実践倫理宏正会ウォッチャーさん
まだ全部読めていませんがHPはとても共感できました。
(他のページも面白かったです!)

私も、全くこの会にふれたことが無いわけではありません。
わたし自身は参加したことがないのですが、
身近に月に2度ほど参加している会員がいますし、倫風も読んだことがあります。
倫風に掲載されていた特集はとても興味深いものが多く、他のコラムもとても楽しく読みました。
ただ前ページに掲載されたレポートは首を傾げたくなるものが多かったですね。
「何故これを掲載する?(無理矢理この会のおかげとこじつけているだけのようだが…)」と言った感じです。
これを一般家庭に配布に行ったら、断られ、嫌われるのは当然ですね。

>良いことをやっている会です。けれどどこかが間違っています。
と、まさにこれなのでしょう。
前向きであること、学ぶ姿勢を持つということは大事です。
生きていれば、それに気づかずに過ごしてしまうこともあるでしょうから、
それを見つける意味でも、このような団体の存在は全否定できません。

確かに、この会は怪しいかな?と思う部分もありました。
ただ、わたしの周りの会員さんは訳のわからないお金を払っているわけでもなさそうですし、強く誘うわけでもないので止めようとは思いません。
(彼女自身も、この会に行ってからずいぶん変わったといっていますし)
しかし「捨て育て(間違った意での)しなさい」と言われたら、強く反対するでしょう。
危険であることがまず第一なのですが、
わたしがここまでこだわるのは、若い頃に精神心理学の本を読みあさったからかもしれません。

>私はジュニアの態度訓練を受けていた
>毎月、女子青年の学びに行かせて頂いています
>「上機嫌の実践」ですか…難しいですよね

倫さんは参加していらっしゃらないのですか?

「わたしはこうなので、あたなもこうしなさい」
と言っているわけではないです。
この会のかたが多いブログの中では批判に聞こえるかもしれませんが、
これは一般論です。
乳幼児をひとり置いて普及活動だなんて、事故が起きれば警察が動き、事件になります。
あなたも同じ女性として、いつかは母親になるかもしれません。
捨て育ては子供の成長を妨げない行動のようですが、
子供を「家庭内で」危険にさらす行動だということに気が付いて欲しいです。

>子どもの10年後や20年後が楽しみですね☆
ありがとうございます。
こんなわたしでも、毎日成長していく我が子をみるのは楽しいです。
赤ちゃんは、昨日は出来なかったのに、今日は出来た!が毎日のようにあって、見ていてわたしも元気になります。
いつか私の手から巣立っていくとき、後悔のない子育てをしたいです。

hanaさん、

共感頂き嬉しい限りです。
良い事を広めようとして、どこかズレている現状を歯痒い思いで見ています。
でも自分でそれを改革しようとかする程のエネルギーがなくて放置しています。
ただ、放置しているが故に、現状のこの会に反発する人が増えて行くような気がしてなりません。
勿体無いことです。

参加していますけど・・・なんていったらいいのか分からないですが、学んではいません。
自分からは絶対いかないし、正直めんどくさいです
でも、この会がすばらしいってことは本当によくわかってるつもりです。しかし、私には遠い…
すごすぎて自分はついていけないと言う方が正しいのかな(∵)
とりあえず、私はこの会がなければ存在していないので、この会に命を頂いたと思っています。
もちろん捨て育ても受けてます

まだ私が寝返りもうてない時期に、母が実践から家に帰ると、私が大泣きしていて、見てみると腕立ての状態から、どうすることもできずに顔を真っ赤にして泣いていたそうです。

他にも、弟とふたりで家にいて、水のはってある浴槽に溺れ死にそうになったこともありますし、(その時は、運よく1番上の兄が帰って来て助かったらしいです)

知らずに警察に電話をかけたり、壁いっぱいに落書きしたり、砂糖やら卵やらをじゅうたんにぶちまけたり、と、本当に色々あったと聞きました。

しかし、母が家にいたにもかかわらず、かってに外に出て行き、あげくパトカーで帰ってきたなど…本当に自由奔放に育てられました。

捨て育ては、子どもに対する無駄心を捨てるという意味なので、家にいてもできます。
しかし、「家にいるとついつい子どものすることに手出し口出ししてしまう」という人が外に出て行くのです。私の母は、そうでした。昔はすごく教育ママだったらしいです。
しかし、この会で変わりました。

私は、この母に育てられて、捨て育てを受けて、本当に良かったと思っています。

私も母のようになりたいです。

hanaさん

乳児はおいていくのに、幼児はつれていくの質問なのですが、これも言葉足らずで申し訳ないです。
乳児でもほっておいていくわけでもなく、寝ている間にご近所一軒でもという気持ちです。
起きている時間が長くなれば、先輩会友さんに少し見ていただいたり、ベビーカーでつれてでたり、子供の状態に合わせて、気候にも合わせ、成長にもあわせ皆さん母親ですからその時々の子供の様子に合わせ、工夫して普及活動にとでられます。私が、乳児と幼児とわけてしまったので、誤解を招いてしまったのだと思います。
捨て育てのとらえ方は会友であっても様々であるなと実感いたします。
教えを間違っていかないように心していかなければと思います。

>さくらさん
あなたの発言は、毎回前後が噛み合いません。
自信をもってよそへ普及されている活動なのでしたら、もっと想いを貫き通して、私を納得させてください。
以前「何ごとも無かったことに感謝」とおっしゃっていましたね。それにたいして私は「「何ごとかあるかもしれない」とは思っていらっしゃるのですね」と問いました(これにも答えはありませんでしたが)。
子供に対してどこかに罪悪感があったのではないですか?


>倫さん
正直なところ、あなたのお母様の行動は驚愕です。
(あなたはまだまだお若いようですので、これ以上厳しいことは言いませんが)
ですが、あなたが「お母さん大好き」と言えるように、
母親というものは掛け替えのないものです。
>捨て育ては、子どもに対する無駄心を捨てるという意味なので、家にいてもできます。
これに気づいているあなたは、きっとすてきなお母さんになるでしょう。
是非授かった子供を見守り大事にしてください。


>実践倫理宏正会ウォッチャーさん
わたしはご覧のように捨て育てにしつこく食い付いていますが…

だからこそこういった場(ブログ)を使えばいいのではないですか?

例えば、「捨て育て」というものが間違ってた意味で使われていること。
間違ったまま実践し、広めようとしているかたもいらっしゃいますし、
間違った捨て育てで育てられ、それを信じている子もいらっしゃいます。
わたしのようなものがどんなにここで違うと言っても、
「やったことのない人にいくら言ったって理解できない」「相手にするな」になってしまうのですから、
しっかり著書物で学んでいるかたたちが伝えてくれたら、と思います。
間違いが広がったように、時間はかかれど間違いに気づけば、それがまた少しずつ広がるのではないでしょうか?

hanaさん

どのような言葉をお望みかわかりませんが、いえることは、皆さん真剣に実践されています。
納得のいくようにとなりますと、堂々めぐりになるのではとおもいます。
hanaさんのおっしゃる安全でいえば、家に親がいても、なにかあるときはある。
しかし親がいればリスクがへるのでは、との考えもあります。
なにごともなかったことに感謝とは、言葉のとおりです。
なにごともないことが、当たり前になっている、主人も何事もなく帰宅する。
子供も学校にいって帰ってくる。
どれも当たり前でなく感謝なのだと思います。
お留守番してくれ、普通に本をみてまっててくれた、
そのことだけで感謝に思います。
罪悪感があればできません。
子供をかわいい、かわいいとしているほうが、楽です。
実践倫理は、まず実践、頭であれこれ考える前に実践と教えて頂きます。
活動を認めてもらおう、納得して頂こうと、思うなら、自分の姿でとおしえていただきます。
捨て育てもすばらしいと、自分自身はおもうことしかいえないです。

どのような言葉を望んでるかって…
綺麗事を言ったり、言い訳しないでいただければ十分です。

>家に親がいても、なにかあるときはある。
これを言ってしまえば埒が空きません。
捨て育てしたって、歪む子は歪みますよ。こう言ってるのと同じです。
緊張感はあれど、罪悪感はないのですか…。
捨て育てとは子供の危険を顧みず、感謝の気持ちを覚えるために行うものなのですね。
自己満足ですね。

しつこいようですが、
さくらさんを初め、会員のみなさんは、
倫さんのコメント(#comment-8066690)をご覧になって、どう思いますか?

>賢明なる哲彦先師はこの言葉はどの著作でも使われませんでした。
>栄治師も会員の誤用を大いに心配された文章がありますが、
この言葉に対して、どう思われますか?

hanaさんも、一度朝起きに集ってみたらいかがですか?(^0^)
私は宿題とかするので演壇とかあまり聞いてないですが…
会長先生が書いた本を読んだら、もっと捨て育ての意味がわかるかもしれません。
あと、この会に入ってる人は倫理実践が出来ないから入ってるわけで、この会に入ってないけど倫理的な人はたくさんいますし、そういった人はこの会に入る必要はないんですよね(・v・)
hanaさんはもともと倫理的でこの会は必要ないのかもしれません
百聞は一見にしかずとも言いますし☆
実際この場で「子どもを置いていくな」と言っても誰も「じゃあやめよう」って人はいないので、hanaさんの家に近い会場の若葉会とかで発言した方が効果あると思います。(∵)

私も安全を考えると生後2週間で家に置いて行くのはちょっとと思います。
あと、小学校になっても学校の登下校も不審者がでるから危ないと思います。
その上、私は中学校の時、下校中に痴漢にあったことがあるので、帰りが遅い中高生も学校まで送り迎えした方が安全だとおもいます。
最近は下校途中に殺されるとかいう事件が多いですし…
こう考えるとどこまでが危険でどこからが安全なのかわからなくなってきちゃいました(^^;)

関係ないけど、日本は銃がなくて良かった(-w-)

そうなのです、受け止め方によって、変わってくるのです。なのでこの会は、まず実践と教えていただくのだとおもいます。
頭で思っていても、なにもはじまらない、埒が空きません。
今朝ご著書で学んだところに、捨て育てのことがありました。
「捨て育てのもっとも基本的な事柄は、子供を信頼し、子供の自由をなるべく束縛しないことであります。子供は、幼くても鋭い直観力、感受性、学ぶ意欲を持っております。親は、子どものそうした能力に疑いをさしはさまないで信頼することであります。
そうすれば、子どもは、自らの意志で伸びていくでありましょう。
大自然の力に子どもをまかせるということは、そのことをさをしているのであります。」
とありました。
私自身も親が学んでいますので、お留守番はしておりました。昔は捨て育ても徹底されていたようです。
しかし、今と昔では生活環境も違ってきて、倫さんのお母さんがされていたような、厳しい捨て育て
は、私の周りではないようです。
前会長先生の語著書は読んだことがないのですが、現会長先生は、間違っていかないよう、正しく実践していくことをご指導くださいます。
先輩会友さん方も、緊張してすることをいわれます。
自分がしてみて、母もこのようなおもいでしてくれていたこと、今ではない、先を考えての実践であったことを感謝に思います。

さくら様、倫様、皆様
貴重な宏正会応援の当サイトで、またいろいろご意見お聞かせください。「捨て育て」については大変結構な思想なんですが、一般的には誤解を生みやすいことばですから、できればこれ以外のことで、ご高説を伺いたいですね。

倫さんの書き込みの中に、この会に入っている人は、倫理実践ができない人が入っているとありましたが、私も学ぶ前は、なにか悩みのある方が集っているのかと思ったこともありましたが、自分自身集うようになって、とても倫理的な方でも、私はまだまだですと、謙虚に学ぶ姿勢を崩されません。、集っておられる方は、よりよくあろうと、真剣に毎日を高みに向かって励まれている方々なのだと思いました。
人は謙虚さを忘れてはいけないなと思いました。
毎日の演談より、心にある垢をおとし、よいものをいれて、耕していれば、体は年齢とともに、衰えても、
心は十代のような、ピカピカ、ツルツルでいれるのではと思い、そうありたいなと思います。
そのためにも、年齢とともに我が強くなってしまいますが、謙虚な心を忘れず、日々すごしていきたくおもいます。

さくら様

いつもながら、謙虚に誠実に実践されておられご同慶の至りです。このサイトでは、ま、あなた様と倫様ご両人が宏正会に心をゆだねること第一等のお方にて、そのお気持ちをここにご発表いただくと読む人の心が洗われます。
Thank you very much.

最近の朝起き会でのご著書の中で、地域の中で、成長し、一人前の人間になるとありました。
私の小さい頃は、地域の行事も多く、お祭りなど、大人達が、一生懸命に盛り上げてくれました。
今はそのようなことも、衰退してきていると、倫風にものってあり、子ども会も地域から消えつつあるらしいのです。
地域で子ども達を育てようという、意識も薄れつつあるのかと思います。
私のところの自治会も、子ども会がなくなってしまいました。
とても寂しいなと思います。

さくら様

たしかに地域社会でこどもを育てるというのが日本本来の文化ですね。このことば使うこと賛成しませんが、「捨て育て」と同軸なのですよ。

私は、入会して4年、頒布、朝起会にも行っています。

ところどころを読むと誤解が多いし、言葉が一人歩きして、間違った実践があって、悲しいなと思いました。

私は、子どもを留守番させることができなくて、一緒に頒布に歩いたり、子守りをお願いしますよ。


倫理って正しく実践することが大切だと思います。
正しく実践するから、家庭が明るくなるんじゃないでしょうか?
私は、倫理を学んでよかったと思います。

結婚7年、今も主人にいいところ、新たな発見があってうれしいです。
子育ても色々あるけど、楽しいって思えることがありがたいです。

きっと、倫理を知らなかったら離婚してる私だと思います。

私は、倫理が大好きです!

ぴろり様

倫理が大好きとのこと結構ですね。実践が大切と思われている由、その中でも一番大切なことは何か、アドバイス願えませんか。

レイモンド様

はじめまして! 返事が遅くなってごめんなさい。

一番大切なことは何か?という質問ですよね~。

ん・・・・そうですねぇ・・・・


どんな小さなことも、とにかくやってみる(実践)ってことではないでしょうか?

頭の中に詰め込むだけでは、ただの知識だけで意味がなく、学んだことを実際にやってみることで、知識から、もの知りになるのではないかな?っておもいます。

8月号の倫風宏話も、ご著書を読み実践しなさいってことが書いてあると思います。

レイモンドさんが言われる、その中でも一番大切なこととは、具体的な実践のことですか?

もしそれなら、子は親の鏡です。
子どもが、6歳4歳なので、常に「子は親の鏡」を
自分に照らして、心と行動を振り返ります。

子どもは、私を人として母として、成長さしてくれる大切な愛しい存在です。

ぴろり様

はい、まこと子は親の鏡ですね。子がよければ、それは親がよいわけで、もし子が悪ければ、それは親が悪いということでしょうね。いま、世の中に非常に問題のあるこどもたちが増えており、それは「学校がわるい」「政治がわるい」「社会がわるい」と言いがちですが、実のところは、親が悪いと言うことで、実践倫理の教育の二つの柱、「捨て育て」と「子は親の鏡」のうち、おっしゃるように「子は親の鏡」の方がずっと重要な教えなので、どうか実践下さり立派なお子様にお育て下さい。

レイモンド様

ありがとうございます。

我が家の長男は、本当にやんちゃで、保育所で友達をつねったり、したいことはして、したくないことは全くしない、困ったちゃんなんですよ。

でも、子どもが何を教えてくれてるのかな~って、いつも自分を振り返る機会をもらいます。
もうだめだって諦めてしまいそうな時も正直あります・・・


今日は、みそぎの時に先輩会友さんに、色々言ってもらいました・・・
朝起き会場に入ると涙が止まらなくて、違う場所で
泣いてしまいました・・・
先輩さんも私のためにと、言いにくいことを言って下さったと思うので、言ってくださったことをしっかり実践したいと思ってます。

社会に役立つ子になってもらいたいから、これからも厳しさに向かって頑張ります。

ぴろり様

こどもはやんちゃなぐらいがいいのです。小泉首相が言って有名になりましたが、6歳や4歳のときは、だまって抱きしめてあげることもまた大変重要です。
会長先生が何度も強調しておられるますように、今年は「愛和元年」です。一家の愛和は、あなたがご子息たちを抱きしめて、ご主人を中心に、仲良く同じ方向を向いて生活することにて、お母様とお父様の仲のよい姿をみてわるく育つこどもは絶対にいないと自信をもって進んでください。

はい、ありがとうございます。
これからも、家族に喜んでもらえるように頑張ります!

質問ですが、レイモンドさんは、よく本会の事を知っておられますが、何かお役をお持ちなんですか?

朝起会にも毎日行かれてるんですか?

前の投稿を少し読ませてもらったんですが、とても丁寧で、指導をよく覚えてらしゃってすごいなぁ~と思っています。

さし使いなければ教えて下さい


ぴろり様

今日は久しぶりに朝起き会に行きました。ブロック長様はじめ支部長様を中心に皆様大変熱心に学んでおられ感心しました。私は会の運営などにはかかわっておりませんが、ご先代の上廣哲彦師が41歳で朝起き会を始められたのはどんな経緯と動機からだったのかなどに興味をもち、研究しているものです。
ご先代がもっとも力を入れられたのは、何度も繰り返しておられますが、ぴろり様のような若い女性が倫理を通して、よい妻となりよいこどもを生み、よい子を育ててよいお母さんになるということにつきまして、著作の大半もそれについやされております。
あなたがこのサイトの前の方を見たとのことですが、ここは鯰の髭は4本様、実践倫理ウォッチャー様、虚無僧一路様、倫様、さくら様など実践倫理のよき理解者の集うところで、ネットのなかではなかなかよいところだと思いますのでご参考になさって下さい。
なお、以下はわたしの意見ですが、朝起き会で演壇するひとの殆どが「・・・頑張ります」で締めくくられるのが少し耳につきました。鎌田實さんの「がんばらない」のベストセラー以来、余りにものにとらわれて頑張り過ぎるよりは、ゆったりとしかしたゆまず、続けてゆく方ががよいとみんなが気付いてきたのが現在の状況だと思っています。

今日は男女青年の演談を聞きに、他の支部にいかせて頂きました。
皆さんお若いのに、とてもすばらしい心境で、両親や周りのみなさんに感謝され、目標、目的をもって、励まれている。
私がそのような年齢のときは、自分のことばっかりであったなーと、恥ずかしくなります。
学ぶようになって、今の仕合わせは親、先祖のおかげと、思えるようになり、今の自分の性格も、自分だけで築いてきたものでなく、親も本会で学びながら
実践してくれたおかげだと感謝におもいます。
色々な方のお話を聞き、親につらくあたられ、自分はいらない子なんだと、自分に自信がなく、人にも心を開けなかったと、心境を吐露されました。
私は自分を振り返ったとき、なにか自分に自信があり、自分のことが大好きで、人と話すことも大好きでナルシストのようですが、それは親がそのように育ててくれたのだときずかされます。
よく両親はほめてくれ、あなたなら大丈夫と励ましてくれておりました。
私のすることを見守ってくれていたなと、学ぶ以前はこのように友達にも恵まれ仕合わせなのも、自分できずいてきたものと偉そうな心でした。
学ぶようになり、いままできずけなかった親の恩を感じれるようになりました。
いま学べますのも、母が真剣に学んでくれ、母が学ぶことを許してきてくれた父のおかげと、心より感謝です。
仕合わせに毎日思っていた私は、学んでいなければ、感謝もなく、当たり前にすごしていたのではないかと思います。
そんな私ですので、厳しく実践できる場があることがありがたいです。
これからも、感謝を感じて報いていけるように、励ませて頂きます。

レイモンド様


ありがとうございます。

何かお役をお持ちの方かと思いましたら、研究されてる方なんですね~。
「倫理がひらく君たちの未来」を読まれたことがありますか?
この本には、先代会長先生がなぜ、本会を創設されたのかが、書いてありますよ。
もし、読まれたことがありましたらすみません。

今、どこの会場も8月6日平和祈念朝起会に向かって努力されてる時期だと思います。
「がんばる」って表現は、私の会場で使われる方は、ほとんどおられなくて、「努力する」「精進する」と言われる方が多いので、もしかすると会場によって違うのかもしれないですね~。
あっ、私もこの書き込みでがんばるって入れてますね・・・・・


平和祈念朝起会は、本会の原点ですから、大切な朝起会です。
私は会場の動員係りなので、たくさんの方に本会を知っていただいて、朝起会の素晴らしさを感じて頂けたらと思います。


頒布でどんな方に出会えるかとても楽しみです!

質問に答えて頂いてありがとうございました。

ぴろり様

「倫理がひらく君たちの未来」をご紹介いただきありがとうございます、早速読んでみましょう。よく勉強しておられて感心です。
わたしはもっぱら哲彦師の著作とその社会的背景を研究しており、栄治先生のご本はあまり読んでおりません。「捨て育て」ということばについても前のさくら様に、18年10月号の「倫風」を教えてもらいました。
こちらの会友さんのひとりが、私たちはこんなに実践しているし、宏正会も発展しているのになぜ青少年犯罪が増えてゆくのでしょうと言われました。まさにこのことが、ぴろり様やさくら様など現役世代に課せられた大きな課題ですね。しんどいことではありますが、(はじめて次の言葉を使います)「頑張って」ください。

レイモンドさん、お久しぶりです。
ぴろりさん、初めまして。

レイモンドさん、お励ましのお言葉、ありがとうございます。
中々、お伝えできないもどかしさに、もう倫理は必要とされていないのではないかと思ってしまい、足を止めてしまいそうになります。
しかし色々工夫して、少しずつではありますが、子育て中のおかあさん方に、ともに善い子育てをしていきませんかと、働いております。
学ぶにつれ、みなさんのはかれるお言葉が、よい風に変わっていかれるのが、とてもうれしく思い、みせて頂くすべてが、学びであるなと思います。
お役に立ちたいという、心を引き出して頂きました。
今、若いお母さんをお世話させて頂いておりますが、とても細やかにきずかいのできるかたで、歳が若くても、ちゃんとしている方はしているし、歳をいっていても、びっくりするような方もいらっしゃいますし、やはり、今までの、すごしかたなのだなーとおもいました。
私もその若い方のように、きずかいのできる人にと、
学ばせて頂いております。

さくら様

子育ては家内まかせで偉そうなことは言えませんが、おっしゃるように年齢に関係なくいろいろな人がおられますね。上廣理論では「子は親の鏡」、もし変な親御さんがおられれば、それはそのまた上の親が悪かったとなります。これは家庭心理学では、まさにその通りでして、変な親がでれば、影響は三代続くと言われております。ゆえに心しなければならないのでしょうね。

レイモンド様

そうなんです・・・・・
家庭内で起こる犯罪が多発する中、私たち会友の普及が急がれています。

今の世情に一番心を痛めておられるのは、会長先生だと思います。

家庭内での犯罪は、倫理を学んでる私たちにもいつ起こるかわからない事ですし、そうゆう芽はどこのもあるってことを心に止めておかなければならないと思っています。

倫理は、私たちの生活のすぐ近くにあり、誰でもすぐ実践できることを知って頂いたり、感じてもらうことは、全て私の姿や笑顔、雰囲気だと思っていますので、家庭愛和がなくてはやはり、相手には何一つ伝わらないと思いますので、家庭実践にも努力しなければと思っています。
倫理を求めて下さる方は、たくさんおられるので、そうゆう方々に出会える私でなきゃと思っています。
一日でも早く、明るく仕合せな家庭が増えるように頒布に頑張ります。

さくら様

はじめまして。ぴろりと申します。
宜しくお願い致します。

ぴろり様

いつも実践くださりありがとうございます。おっしゃるように上廣先生は、家庭愛和が社会に広がり、国に世界に広がっていくとされ、その中心に夫婦愛和を置いておられますので、どうがご夫婦ご一緒に愛和につとめられますよう。

ぴろりさん

本当にそのとうりですね、我が家から電波していけるよう、家庭愛和に励みたいですね。
子育てしていて、子どもは親や周りの皆さんに喜んでもらいたいという気持ちがあふれていて、悪いことしてやろうとか、困らせてやろうというのではなく、やりすぎたり、失敗してしまった結果、おこられてしまう。
そのようなことが続けば、あきらめてしまったり、自信をなくしてしまったり、喜んでもらいたいという心を歪めてしまうのだろうなと思います。
今、信じられないような事件が多すぎて、しかし、みなさん、小さい頃はみんなに喜んでもらいたいとおもっていたはずと思いましたら、小さい頃からの家庭環境の大切さを痛感いたします。
子どもの心を理解しようとする努力を忘れてはいけない、何かのとき、きずいてやれるような、親の器づくりに励まなくてはと思います。

初めまして。入会して間もなく一年半になる者です。若葉会や座談会を経て、朝起会にも集うようになりました。最近引っ越しましたが、引越前も後も、最寄り会場が某倫理会館という恵まれた環境にて学んでいます。

両親は私が中学生の頃より朝起会に集っており、元朝式や8/6には私も必ず連れていかれてました。当時演談をきちんと聞いたことはなかったです。宗教の様なイメージをずっと持っていましたが、私が両親がしたいことに反対する権利もないだろうと思い、見守っていました。仕事を持ちながらも終始一貫の姿を見せてくれる二人を尊敬し、大好きです。
結婚し、私は朝起会からは遠ざかっていましたが、子供を授かり、初めての子育てに行き詰まった時、出産直前に無理矢理参加させられた若葉会を思い出し、現在に至っております。

前置きが長くなりましたが、数日前に気持ちが一気に引いてしまうことがありました。
班長さんより電話が入り、私がまだ払ってなかった会費と秋季大会のお祝金をこれから預かりに来るとのことで、準備して待っていました。玄関先で挨拶し、封筒二通を手渡しした直後、
「○○さん(私)、今月からあと5冊増冊よ!大会直前だから××さん(会場責任者)から直々に言って頂いたんだからね!」
と、まだ貰っていなかった9月号倫風10冊が紐で十字に括られたものを私の胸元に押しつけ、驚いた私の言い分も聞いてもらえないまま帰っていかれたのでした。

なぜ引いてしまったか。それは、会への出費が、特に引っ越してからは毎月毎月増えていく一方だからです。

私は、普及には錬成頒布日の時くらいしか出ていません。理由は、二歳の子供一人だけでお留守番させることに抵抗があること。連れて行っても、好奇心いっぱいですぐに私から離れいなくなり、頒布どころではなくなること。私には持病があり、特に夏場は出歩くことが地獄の様に感じる程つらいこと。また、正直言って頒布は嫌い、やりたくありません。
先日、私だけを取り囲む様な座談会でテーマは"頒布"でしたので、上記の旨をしっかり伝え、せめて夏場だけは勘弁して下さいとお願いしたばかりでした。その私に10冊なんて…。

会費は最初、家族内では私一人だけ特別会費だったのが、お宅は自営業だからとか、引越で環境が変わって子供が危ない目に遭わない様に等いろいろ言われ、主人、子供、義父まで特会にされましたので、会費だけでも月々の出費が大きいのです。
会費以外にも、家を新築しての引越でしたので、"家の精進"と教えて頂きましたが、実際に手元にお金はありませんので、とりあえず引越前に10人倍加をしました。これで免れるかと思ってましたが、引越後もお祝金をと言われ、でも出来ないから、さらに10人倍加しました。その後も毎月のように一人倍加をしてきました。
これまで主人に内緒でしてきましたが、班長さんが帰っていかれた後、罪悪感でいっぱいになり、主人には全て話してしまいました。以前宗教団体に属していた主人は、私のやっていることもなんとなくわかっていながら見て見ぬふりをしてくれていると思っておりましたが、「そんなに払ってたの?」と絶句していました。さすがに10人倍加を二度したことは言えませんでした。

すみません、お金のことばかり言って、支離滅裂になってしまって。

このまま学びを続けていくと、もっともっと要求されるのでしょうか。

自営業だから?

ここ数年、経営状況はたいへん苦しいのです。

たいへん良い学びです。もっともっと学びたい!
でももうこれ以上の出費は、本当に無理!

何かにつけて「二代目さん」と呼ばれるのも、もうウンザリです。

あ〜君ママさん
・ここは宗教のなにものでもありません。発祥は修験道と天皇崇拝の「徳光教」 。
教育勅語を教本にした「ひとのみち」、戦後会長は「倫理研究所」に師事し、独立「倫理宏正会」です。

・「倍加」は刑法第百五十九条 私文書偽造 にあたり、犯罪行為になります。

・捨て育ては活動に邪魔な子供を家に置いて、布教活動(お金を出すひとを増やすため)をするためです。
精神心理学でも検証されていますが、親と離れて育てられた子供は少年犯罪を起こす可能性があります。

・〜しなければ不幸になるなど、不安をあおることは、新興宗教やカルトでよく見られる行為です。

・現在のこの会はお金儲けしか考えていません。

あ〜君ママさん

はじめまして。
初めての子育てで、ついイライラしてしまい、仕事で疲れているはずの旦那に当たってしまいました。
悩んでいるときに、散歩中声をかけられました。子育てを応援する会だと聞いたので、近々参加するつもりでいました。
コメントを読ませて頂きました。そこで何点かお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?

お祝い金とはなんでしょうか?こちらは絶対払わなければいけないもの、また何の目的で払う物なのですか?
倍加とはなんでしょうか?家族も一緒に参加するものなのですか?
(旦那は仕事があるので、そんなに朝早くからは参加出来ないと思います)
あ〜君ママさんは、最終的にいくら払うことになったのでしょうか?

雑誌を配るのは必ずやらなければ行けないのですか?
ノルマを持たせられてしまうのですか?
(3ヶ月の子供がいるので、この暑い中外に連れ出すことは難しいです)

質問ばかりですみません。
地域でやっているボランティア活動団体だと思いこんでしまったのですが、何か問題が沢山ある会なのでしょうか?

あ~君ママさん

朝起き会で実践いただき大変有難うございます。朝起き会は、お祝い金や倍加をあなたのできる範囲以上に要求することはありません。何はともあれ今年は「愛和元年」、家庭愛和の年です。家庭愛和は夫婦の愛和が基本にて、ご主人に内緒があって実現するものではありません。先ずはどんな事でも、ご主人とよく話し合われて、お互いに同意したものから実行してください。夫婦の愛和がすべての幸福の原点であることをいつもお心にとめて励んでください。

あ~君ママさん、

その会場は異常だと思います。
倫理を学んで実践するのになんでお金が先に立つのか?
会場を変った方がいいと思います。

妻も頒布とかやってますが、確かに問い質して見ると家族4人とも特別会員1000円/月にされてました。無償頒布して自腹を切っているのが30冊9000円、〆て13000円毎月払ってました。

これからきっちり話しをしたいと思います。
いいきっかけを下さってありがとうございます。

あ~君ママさん、

その会場は異常だと思います。
倫理を学んで実践するのになんでお金が先に立つのか?
会場を変った方がいいと思います。

妻も頒布とかやってますが、確かに問い質して見ると家族4人とも特別会員1000円/月にされてました。無償頒布して自腹を切っているのが30冊9000円、〆て13000円毎月払ってました。

これからきっちり話しをしたいと思います。
いいきっかけを下さってありがとうございます。

あ~君ママさん
(お金)
わたしはもう3年になりますが、普通会費以外に払ったことはありません。
一つの言い方ですが、上廣哲彦先生や栄治先生の数々のご本のなかに「寄付」とか「お祝い金」について書いてあるところは全くありませんがこれは何ですかと言ってみたらどうでしょうか。「倍加」「頒布」については書いておられますが、ひとつひとつ実践していくから倫理であり、自分でまとめ買いしたり、身代わりになっても倫理とはほど遠いものです。

あ~君ママさま

はじめまして。入会して4年私もいわゆる2代目さんです。


あ~君ママさんのコメントを読ましていただいて心痛く思いました。

倫風誌の9月号の倫風宏話をよまれましたか?
宏話の中に
「私たちはそれぞれの個性や資質、思いや好みの違いを認め、尊重し、学びあわなければなりません」と書いておられます。

これは、普及させてもらっている私たちがしっかり心に入れて頒布、普及させていただくなくてはと思っています。
いやな思いをさせてしまいごめんなさい。


aさんのコメントも、普及をする私たちが、会長先生が教えて下さる倫理を間違って解釈し普及している証だと思いますので、謙虚に受け止め、間違った普及を正していく必要があると思います。


私も、倍加、寄付金(お祝い金)、倫風誌50冊しています。


頒布は、決して強制ではないですし、強要してはいけないと会長先生は言われておられます。

私のいる会場では、あ~君ママさんのようなことはないですし、最善の注意を払っておられます。


あ~君ママさんのご両親はそのことを何と言っておられますか?


もう一度、お世話されてる方と話合う必要があると思います。


よく考えてみて下さい。
お金が先にはしるような宗教にまともなところがありますか?
あ~君ママさん。こんなところに入会しても得るものは何一つ無いですよ。逆にいろんなものを失うでしょう。家族・親友・近所の人・お金・時間その他いろいろ。
とにかく、しつこいですから毅然と断りましょう。

私がこの会に入会しました理由は、会の観察のためでございます。
倫風誌には素晴らしい教えが書かれているのを拝読し深く共感いたしておりました。その内容と、お誘いに来られる方のもののおっしゃり様のギャップに違和感を否めず、まずはしっかり見て確かめなけれなにも判るまいと入会いたしました。
朝起き会の会場にて、どのような立場の方が、どのような方に、どのようにお話をされているのかを拝見いたしました。またこれからは組織としてどのような会計をされていらっしゃるのか気になるところを拝見させていただくつもりでございます。

このブログの投稿を読ませていただき、大変参考になりました。
倫理を学ばせていただいている会友であっても、そうではない方でも、立派な方もおられましょうし、また誰かの手助けが必要な方もおられるでしょう。その割合は内外共に同じでないかと感じます。
このように荒廃した現代でも志の高いお方は朝起き会の外側に、いくらでも居られます。
そのような方々を訪問し、釈迦に説法をするような行為は私にはできません。

問題であると思われるのは、会の組織運営方法です。
どのような良い事柄も「倫理の学びのおかげ様」迷惑をかけたり、悪意を持たれる方には「そういう方にはいずれ災いが起こるものです」との考え方に固まっているおえらい方々と接するにつけ、やはり違和感を否めません。

倫理とは人の成長の指針でありましょう。
何かを信じる。のは思考の停止を意味します。
人が成長するのは絶え間なく続く考察と自分自身との葛藤があるからです。
何かを信じればそこで成長は止まると考えてよいのではないでしょうか。
成長しようと葛藤している人間に答えを与えるのが倫理的な教育でしょうか?

たとえば前出の育児の場合で考えますと
・乳飲み子はほおっておいても構わない。
・乳飲み子から目を離すものではない。
これらはどちらも決めつけた考え方です。
実際はこのどちらでも不足であることは子供を育てたことのある方ならお感じになるでしょう。
どちらも決めつけであり、成長する余地がないからです。

昨今の複雑な社会構造と家庭環境では一辺倒な教えが万人に通用するはずはありません。
「心構え」(倫理)を聖句のように信じるのは荒廃へ向かう道です。
会の中で教える立場に立つ方は
「生きる」という簡単では無いことを、ましてや「育てる」というとても難しいことを扱っているのだという自覚をもう一度認識しなおして欲しいと思います。
また、会への出資が「得を積む」「苦労の先払い」「ご先祖様への感謝」の行為であると説くのは(たとえ本当のことであっても)現代には慎むべきだと思います。

倫理の素晴らしさを人心の欲で曇らせる事のないように会友の皆様にお願いを申しあげます。

本当は会場で「苦労話」や「おかげ様話」を聞いたり話したりするよりも、清掃活動で街をきれいにするほうがどれだけ気持が晴れることか!と思っている新人より
 ※先輩会友さんに、これも学びと耐えることを勧められたのでじっと座らせていただきますが、しばらくしたら、またその清掃活動に戻ります。

「倫風誌購読のみを希望します」様

数ある「宏正会」関連スレッドのなかで、このスレッドは唯一の応援サイトにて立派な方が数名おられますが、あなたほどな教養派はなかなかいるものではありません。言うだけではなく朝起き会にも顔を出していただいている由、どうかそのあなたの自由自在なご議論を今後とも期待致したいと存じます。

倫風誌購買のみを希望します様

今の会の現状を会長先生はとても心痛く、思われてると思います。

普及させてもらってる会友の一人として、主様の意見を拝見しながら反省の思いです。


おっしゃる通り、倫理を学ぶ人として、人の心を曇らせる発言や行動には気をつけます。
普及させてもらってる私は、倫理という看板を背負ってるということを決して忘れてはいけないですね!

これからも参考にさせて頂きたいと思いますので、
気付いたことがありましたら、ご意見くださいませ。

9/13東海地区の秋季大会に行ってきました。上広会長の話は、「今の日本は、社会、経済、政治、スポーツ、すべてに停滞していて元気がない。わが会も以前のような輝きを失っている」と、現状を肯定する弱気な話しで始まり、要は、「理想を失っているから、元気がでない。わが会の理想は、『我も人もの幸せを願う倫理国家の創造』である。その理想に向かって、明るく、元気に楽しく、普及活動に邁進して欲しい」とのことでした。
私も個人的には、この会は衰退の一途。離婚率37%、女性の就業率??%の現実の中で、「どんな夫であろうと、夫を立てて、夫に合わせて夫婦愛和を」というのは、時代錯誤だと思っています。私も離婚しており、反りが合わない夫婦が無理してまで一緒に居る必要はないと考えています。
それでも朝起きに参加しているのは、自分の修行の場と心得ているからです。朝1時間姿勢を正して、正座するだけでも、座禅やヨガと同じ効果です。
次に、朝起きの会員でも、いろいろな方がいます。以前なら いちいちむかっ腹立てていたのが、今では、いろいろな人がいることを認めて和していくことも修行と心得、腹を立てることがなくなりました。それだけでも、朝起会のありがたい効用です。

ここは社会の縮図、トラブル解決の実践の場です。お金のこともそうでしょう。倍化とか寄付とか、私は言われたことがありません。私は自分の払える範囲で月2,100円。納得して払っている額です。それ以上言われても、「払えません」とお断りします。払えないのに言われるままに払って、あとで泣き言を言うのも、社会勉強。とり下げてもらうなど処し方の学習の場でしょう。
幸いなことに、私の会場は、若いママさんが10人くらい毎朝集っており、育児に夫婦愛和に真剣に取り組んでいる演談を楽しく聞かせてもらっています。私は離婚しているだけに、いろいろ反省させられる点も多々あります。これが、会長の言われる「明るく、元気に楽しんでの実践」なのでしょう。要は、朝起会場も社会の縮図。どうコミュニケーションをとって、自分の会場を自分が理想と思う場にしていくかの実践の場と思うと楽しいですよ。

虚無僧一路様

久しぶりにご健筆に接し大変楽しく拝見致しました。ますます実践の実をあげられご同慶の至りです。あなた様のそのあるがままの行き方をお手本にさせていただきます。

うちの母は朝起きに通ってます。

僕も小さいころから朝起きに行っていたのですが、感じたことをいくつか書かせてもらいます。

まず倫風誌に書いてあることと朝起き会で主婦が日常で感じたことなどを話すことには共感が持てます。

しかし、お偉いさんの話やわざわざ遠くの市でやる会での話の内容は残念なものでした。

決まりきった口調で話しており宗教といわれてもおかしくありません。

話の内容も偏見が多く混じってました。

そして気になったのが、勧誘です。

先ほども述べたように倫風誌の内容はすばらしい。

しかし配る側の人間には、自分はあたかも倫風誌の内容がこなせており、まだそれができてない人を勧誘するのだというような雰囲気を感じられます。(自分は少なくとも会に入ってない人よりはできている、そしてこれから勧誘する人も入会したほうがよいに決まってるという雰囲気)

そのせいで厚かましい勧誘が生まれるのでしょう。

これはたとえば、勧誘してよいのは会の中でも他人が認めるくらい倫理実践ができている人、という風に「勧誘する立場としてふさわしい人が勧誘する」というルールを作ることで改善されると思います。

自分が学びの身のくせに、他人に薦めるのはどうかと。

会に入って倫風誌を読んだだけで、なんだか前の自分より立派になった気になる人も多いのではないでしょうか。

その方がいざ勧誘に行くと、そこは人間。厚かましい人も、誘いが下手な人もいます。

そのせいで、コメントでみられるように迷惑される方が増えるのではないでしょうか。

会員というだけで勧誘の権利が与えられるのであれば、会の質を落とすだけです。

それと、会費がどのように使われているかは、会長に明白な説明を求めるべきです。

長くなりましたが、とりあえず目的と手段を間違わないで下さい。

うちの母は友達と同じ活動ができることが楽しいだけにしか見えません。趣味になっています。

実践倫理宏正会ほよくやっているように思います。朝起き会は大変ユニークです。若いお母さん方の子育て奮闘のお話には感動します。しかしこの会には倫理を後ろから支える安定した宗教がないのが、色々な無理が起こる原因と思います。仏教・神道・儒教・キリスト教の本物の宗教と倫理の面で協同し、会員には自分の選ぶ宗教を真摯に学ぶことが出来る環境を調えることが必要ではないでしょうか。なぜ倫理が大切かの答えは倫理からは出ません。本物の宗教が必要です。倫風の上廣先生の倫風宏話の後に本物の宗教講話を載せることも一案かと思います。

高貴高齢者様

なるほどその通りですね。このスレでは虚無僧一路様という禅僧様が「宏正会」をご愛顧下さっており、そのご投稿を愛読しております。確かに「宏正会」はいささか、内向きなところがありまして、会員同士はなかなか励んでおるのですが、外に向かって働きかけたり協同することに目をむけねばなりませんね。

実践倫理宏正会の朝起き会にご出席の皆様、できるだけこの会の良い所に眼を向けましょう。しかしどうしても違和感を感じる方には、もう一つの朝起き会倫理研究所家庭倫理の会「おはよう倫理塾」に出席されることをお奨めします。これは実践倫理宏正会
の創始者上廣哲彦先生の師匠である丸山敏雄先生が始めたもので、同じように5時から6時の間に開いておりますが、実践倫理宏正会が行動的なのに比べ、内省的・宗教的で温かみのある会です。

先日 知り合いから朝起き会に誘われて 参加しました。
一度の参加なのに 翌日 名前など書いてと言われ書いたとたんに 3000円要求されました。会費は200円と思ったのですが なぜなのでしょうか 書く前に 言ってほしかったですよ。悪質です

久しぶりに開いてみました。虚無僧は実は僧侶ではありません。在家です。既存の宗教を否定しています。「他人の悪を言わず」ですので、具体的言及は避けますが、現在の多くの寺院自体が、仏教の将来に不安と危惧を抱いているのは事実でしょう。
釈迦は、寺も家も持たず、一文字も書き残さず、ただひたすら歩いて、人々の心に“仏”とはどういうものか、“仏”に近づくとはどういうことなのか、“善なる心”を諭し、悟らせた。何万巻あるという経典は、みな後世の人が書いたものです。日本の仏教各宗派は、釈迦の寂滅後1,000年以上も経って作られたものですから、釈迦が説かれた原始仏教とは全然異なるものと、私は理解しています。虚無僧は、そうした既存の宗派を超えて、釈迦の原点に帰ろうとするものです。
私は、朝起会と真如苑の双方に参加しています。
どちらも「自分を捨て、家族愛和、和合」という点で一致しています。違うのは、真如苑は仏教ですからお釈迦様にすがります。絶対的な善なるものがあるということは、たしかに心強いです。「お釈迦様が見ているから」と、悪の心を閉ざすことができます。
実践倫理宏正会は宗教を否定しています。何かにすがって生きるというのではなく、自力での生き方を学ぶ場です。その点では、自力本願の禅宗に近いものがあります。禅宗は釈迦も経典も否定し、前世も来世もなく、あるのは現世の自分のみですから。

さて、朝起会には、仏のようにすがる対象はありません。立派な人もおりません。「自分は仏だ」と思いあがることなど厳に戒め、諌めています。
社会の縮図ですから、いろいろな人もいます。その中で自分の生きる道を考える場です。「会費3,000円とられた」と不満に思うか、「3,000円で学ばせてもらえるなら、塾や稽古事より安い」と思うか。それには、きちんと3,000円の内訳、その価値を確かめるなどが、社会人としての生きる術でしょう。私の場合、特別会員の会費として1,000円、『倫風』誌300円×5冊=1,500円。寺で毎朝座禅させてもらうよりは安いと納得して払っています。
さて、ご本頒布ですが、「自分が学んで立派な人間になったので、他人を教化してやろう」という気持での頒布は厳しく戒められています。そのような思い上がりの心で頒布にいくと、当然嫌われます。それを知る体験なのです。あくまで謙虚に、そして自分を磨き、見るからにすばらしい人と思っていただけるよう人格を磨いてこそ、相手も共感してくれるのです。断られて至らぬ自分を反省する場です。

虚無僧は天蓋を被って尺八を吹いて門付けします。
顔が見えないのに、虚無僧を見て、「怖そう、いかがわしい、汚らわしい」と思う人もいます。逆に、なにかしらありがたく手を合わせて布施される方もいます。同じものを見ても善と見るか悪と見るか、人様々です。顔を隠していても「なんか良さそうな人」という雰囲気をかもしだせるまで自分磨きです。手を合わせてもらうことで、自分の心が清められます。また、暴言を吐かれたり、塩を撒かれたり、殴られたりと、様々な対応、仕打ちを受けても、怒りの心を抑えることで、己を消し去る、虚にして無になる修行ができます。頒布も虚無僧の門付けと同じと理解しています。

こんなふうに偉そうに知ったかぶりに説くことも、倫理の学びに反しています。ですから上の人は、様々な疑問に答えないのでしょう。禅宗も密教も不立文字ですから、誰も教えてくれない。何も書いてない。そこでみずから気づくことと教えています。ですから今までの学びで、私が気づいたことを書きました。私はまだ朝起3年の新参者です。新参者こそ、こうして倫理を説きたがるのです。まだまだダメ人間の見本です。

モモ様

「3000円要求されました。会費は200円と思ったのですが なぜなのでしょうか 書く前に 言ってほしかったですよ。悪質です」の件。

月3,000円? かと私も驚きましたが、今日私の支部に入会者があり、側で聞いていて判りました。
「月々200円ですが、初年度のみ一年分前納で2,400円いただきます。それに入会金600円。これは、手帳とバッチを交付しますので。都合3,000円になりますが、よろしいですか」と、きちんと説明して、納のうえ、入会届けにサインしてもらっていました。

私の支部は、今若いママさんがどんどん入会され、赤ちゃんを連れてきています。夫婦で集われる方もいます。「朝起会での学びがなかったら、夫婦喧嘩も絶えず、離婚していた」というような演談も続き、ほのぼの、ほっと温かい空気に包まれます。

私も離婚していますが、この学びを知っていたらと反省です。でも朝起会は受動的学びではなく、あくまで実践して気づくもの。やってみなければわからない。1年目の人、3年、5年、30年の人、みなそれぞれに感じ方は違うようです。

否定ですか…

残念です。

全て肯定、受け入れの考え方ならより素晴らしいですのにね…

他宗教を尊重出来ない姿勢はつまり他人批判と変わらないと思います。

信仰心の篤い人であれば、尚更、宗教はその人だからです。

私は何かの宗教を信仰しているわけではありませんが…
宗教とは他を排他、否定するものではなく全て受け入れの心だと思っています。

虚無僧一路様

いやはや、「真如苑」で仏道を行じ「宏正会」で自力で悟られるとは理想的ですね。貴僧がうらやましいですよ、朝起き会をよろしく。


怜子様
「否定ですか、残念です」と言われましたこと、虚無僧一路さまのことを言っておられると思いひとこと。
あなたの「すべて肯定」と言われるその素晴らしいお心で、虚無僧一路様も「肯定」いただきますよう。
上廣栄治先生が言われます「大肯定」の真髄はそのことにて、虚無僧一路さまの一連の書き込みを読んでいただきますと、「おまえは間違っている!」と他宗を否定なさっているのではありません。むしろ「なにも無い」と言われておりますね。
あなた様がご会友であろうとなかろうと、その素晴らしいご理解の力で文字通り全て受け入れてくださいますよう。

なるほど、なるほど、言葉とは難しいものですね。反省です。レイモンド様が代弁していただきました。虚無僧というと、「僧侶ですか?」とよく聞かれるので、「既存のどの宗派にも属さない。お釈迦様は、寺も家も持たず、ただひたすら歩いて仏の道を人々に悟らせた。虚無僧はその釈迦の原点に戻り、その足跡を辿ろうとするものですので、釈迦寂滅後にできた教団や宗派には属さない」という意味での否定でした。
実践倫理宏正会の上広会長も、著書にしばしば釈迦やキリストの話をとりあげていますが、宗派、教団とは一線を画しています。その類の「宗教否定」です。


私はキリスト教なので、日曜には教会で礼拝し、毎日は5時からしばらく実践倫理宏正会の朝起会に出席し、それから倫理研究所家庭倫理の会「おはよう倫理塾」の朝起き会に出席するようにしています。丁度1時間自転車に乗りりますので、体は大変快適です。キリスト教の倫理は「貴方の敵を愛し、貴方を迫害するもののために祈れ」です。これができれば貴方のまわりの人はすべて貴方の親友になり、貴方はそのままで天国に住んでいることになります。キリスト教はこれを実践するための強い動機付けをしてくれます。宏正会は組織的にこれを実践する訓練をしてくれます。家庭倫理の会は心情の面からこの実践を支えてくれます。「貴方の敵を愛し、貴方を迫害するもののために祈れ」の教えは考えるほど難しい教えではありません。一寸我慢して試してみることをお奨めします。仲直りの楽しさを一度味あうと病みつきになります。丸山先生も上広先生も正しい倫理の守り易さに注目されています。

実践倫理宏正会も、「おはよう倫理塾」もそれなりに面白い会です。2008-11-18の小生の投稿以来どなたも投稿されないので淋しく思っています。色々ご意見など聞かせて頂きたいと思っています。口ではどんな風にも言えますが、実際に実行に移すことはそう簡単なものではありません。

久しぶりにきてみました。
ここ数か月朝起き会に行ってませんでした。
あんなに毎日行ってた朝起に行かなくなって、一番に感じたのは、眠気を切って朝起きて、身支度をサッと整えて、朝起き会場に行き、学ぶというのは、すごいことなんだと思いました。

たった1時間、されど1時間ですが、私には必要なんだなと感じました。

約4年、時々遅刻したり、欠席しながら通いましたが、朝起会に行かなくなって初めて色々感じたことがあります。

それは、1日うまいタイミングで物事が動き、自分の心が前向きであったり、これでいいんだと、イヤなことが受け入れられたり、子供達に色々言わなくても
自主的に動いてくれてたこと、主人を大事に思う気持ちなど、あげればキリがないくらい、朝起会でもらってたものが大きかったことです。

今、昭和60年の宏正誌を読んでます。その中に「毎日同じ時間同じ場所に集うことで、不自然な心が取れていきます」とあって、ホントにそうだな~と思いました。

私は今まであまりにも、主人や周りの人に感謝せずに、ノホホンと実践してきたと反省です。
倫理を学びながら、自己中心であったと思っています。

朝起会に行かなくても、生きていけると思いますが、私にはとても必要な学びだと思います。これから、自己中心にならないように、また一から学びたいと思います。

明るく元気に前向きに努力します!
皆さん、よいお年を~!!

こんばんは このコーナーを知り嬉しく思います この地に 来る五年前まで 朝起き会に 行っておりました 一日のスタートであり 体験談 から 日々 自分を見つめ直す場所でも あります 御本頒布 も させてもらいました また 宏正誌 読みたいです

今朝倫理塾朝起き会での話し。ある女性会員の方が、自転車の前かごに入れていた手提げ袋をひったくられ大ショック。「何をとられたの」「財布は入れてなかった。家の鍵と「新生」2冊」「それはショックだったね。でも一寸考え方を変えてみると、その泥棒さん「新生」を読んで反省するかも知れないね。頒布の手間がはぶけたと思ったらどう」「それもそうね。」と笑顔になりました。

高貴高齢者様

「キリスト教」、実践倫理・「朝起き会」、倫研・「おはよう倫理塾」に参加され、どの道にも賛意を表されている態度に感服いたします。
虚無僧一路様は原始仏教と朝起き会を両立されておりますし、仏教でもキリスト教でも道を深められ、朝起き会で実践されるのがよろしいと思っております。わたしは、家が浄土真宗ですのでそれでよいと思いますが「何かひとつの宗教+朝起き会」が理想の形でしょう。
「朝起き会」だけに全てを求めますと、身も心も朝起き会で幸福を得ようとし、ついつい徳を積むいための寄付や、お賽銭などにはまり込み、このスレあのスレでかまびすしい不都合な真実が惹起されるのだと思います。
この会は修養会から始まり、通常の教えにある「神や仏の恩」は特に言いませんので、あなたと虚無僧一路様とわたしで、「プラスワン宗教」キャンペーンをいたしませんか。これでまったく鬼に金棒です。

高貴高齢者様
キリスト教徒で『実践倫理宏正会」と「おはよう倫理塾」にも出席されておられると知り、絶句、脱帽で、何も言えなくなりました。たしかに、11/18以来、どなたも投稿しないので私も気になっていました。みなを黙らせてしまったあなたはスゴイ方ですね。
前に「宗教を否定」と書いたのは不適切でした。私もいろいろな宗教に関心を持っています。いま中日新聞に連載されている五木寛之の『親鸞』など、夢中になって読んでいます。同じ仏教でも禅宗の自力本願と念仏宗の他力本願。キリスト教でもたくさんの派があって、何が何やらわかりませんが、すべてを受け入れた先に何が見えるのか。人々の心を救うのは何なのか、が私の関心事です。いろいろ教えてください。

レイモンド様
上広会長も、仏教、儒教、石門心学、老荘、そしてキリスト教、さらに哲学者の言葉と、まぁいろいろな出典をあげて倫理を説いていますね。一つの宗教、派閥に固執することなく、“普遍的な人の道”を探す意味での「プラスワン宗教」キャンペーン、いいですね。

虚無僧一路様

おっしゃること、まことにごもっともです。上廣会長のことも参考になります。
原始仏教とは、己が修行(実践)してある境地に達すれば、あまねく衆に及ぶというものなのでしょうか。それなら実践倫理と、あい通ずるものがあるかも知れませんね。

自分が宗教をつくるとしたらどんな教えを説くかな。

1つ、多くのものを見、自分で考えよ。

2つ、上のものほど働き、下のものはそれを見て育て。

3つ、人はどんなに歳をとろうとも無知である。全てを悟り理解することはみな無である。そのことを心得た上で大いに発言せよ。


教本:固定の教本は作らずに、他の様々な分野のなるほどと思える文章を会員から集め、まとめる。

追記です。

そもそも、なぜ否定がだめなものとして決め付けてあるんしょうか?

否定はよりよくなるための問いかけです。

いいものは褒める。しかし改善したほうがよいと思ったことに対しては、否定よりな立場から歩み寄るものです。互いに意見をぶつけ合い、相手の意見に賛同できるのであれば意見を覆し、やはり自分の意見が正しいと思えばそれを貫く。

否定がダメなのではありません。否定のしかたに問題があるのです。

暴力、他人の迷惑を考えないデモや発言。そのやり方が間違っているのです。

あなた達も否定することを否定しているではありませんか。

これは大げさな話ですが、人を殺した殺人者も受け入れろというのですか?もちろんその人がなぜ人を殺したかは十分に理解し、わかろうとしなければなりません。しかし、最終的には人殺しはダメなのです。真っ向から否定しなければなりません。

しかし人を殺せという教えの宗教ではこうはいきません。根本に人殺しが善として認められていますから、この考えがそっくり逆転するでしょう。

そして人殺しはダメだという宗教と対立が起こり紛争が起こります。これは宗教の宿命。必然です。

大切なのは「なぜそうなのか」ということをわかろうとすることです。
「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ否定はいけないのか」その理由を自分自身で見つけなければ、それは自分の考えではありません。そして今の自分の考えは「今の考え」であって、これから見る景色によってはそれが覆るかもしれないということを肝に銘じておかなければなりません。

私が実践倫理の会に入る可能性もあればあなたが会をやめる可能性もある。

信念というのは時に真実を曇らせる危険性があります。

最後に、前にも書きましたが、私の心に一番響いた書き込みはこちらです。

>倫理とは人の成長の指針でありましょう。
何かを信じる。のは思考の停止を意味します。
人が成長するのは絶え間なく続く考察と自分自身との葛藤があるからです。
何かを信じればそこで成長は止まると考えてよいのではないでしょうか。
成長しようと葛藤している人間に答えを与えるのが倫理的な教育でしょうか?

心に響きます。

>何かを信じればそこで成長は止まる。

だからこそ自分が信じているものに対し、常に考察し、よりよく変化(もしくは無変化)しなくてはならないと私は思います。

あいうえお様
大変勉強になります。上広会長は「現実大肯定」を説きますが、それはなんでもかんでも受け入れるのではなく、まずは「はい」で受け、しかる後に改めるべきは改めさせる方法を探す。それが話し合いの場合もあるでしょう。自分が変わることで相手に非を認めさせる場合もあるでしょう。自分が何をしたら世の中良くなるのか。それを「実践」で見つけるものと、私は理解しています。
「何かを信じれば、そこで成長は止まる」とは、政党にも宗教団体にも、企業にも当てはまりますね。私も今いろいろ首を突っ込んで模索しています。
虚無僧の教義はただひとつ「明暗双打」。まさに「人殺しは悪」とする価値観と「善」とする価値観が対立した時、二極のどちらでもない道を見つけるというものですが、言うは易く行なうは難し。たとえば、イスラエルとハマス、アメリカとイラク、アルカイダ、嫁と姑、夫婦の意見相違を、対話で収められるのか、他に方法はあるのか、難しい。それを実践で体得せよと、この会は教えてくれているのだと思います。社会情勢も人の心も変わるものというのが救いですが、それを信じて、どう変えればいいのか、どうやって変えるのかですね。
仏教でいう「無常」とは、(「無情」とよく誤解されますが)、「常ならない、常に変わる、社会情勢も人の心も変わるもの」という意味です。たしかに、あれほど熱心だった人が急に会から遠のいたり、猛烈に反対していたご主人がコロッと変わって、熱心に会のために働くようになったり。そんなことを目の当たりに見させてもらえるのも、この会の面白いところです。

実践倫理宏正会の朝起会も、倫理研究所家庭倫理の会「おはよう倫理塾」の朝起き会も、キリスト教も仏教も、神道も、この世を平和のうちに正義が守られている生き生きした国(神の国)にしたいと願っています。そしてこのためのキーワードは寛容です。「貴方の敵を愛し、貴方を迫害するもののために祈れ」が鍵です。しかし人間は愚かで、この大目的を
忘れ、自分の属する会を大きくすることのみに囚われる傾向があります。この点さえ注意すれば、どの道を通っても高い境地に達せられると思います。

レイモンド様

すっかりご無沙汰してしまいまして、大変に申し訳ありません。
私のような者があまり出しゃばり過ぎるのは、このブログの性格をゆがめてしまうのではないかと危惧致し、ここ数ヶ月は閲覧も全くしておりませんでした。
本会について、存じ上げること全てを書いたつもりになっていたのも一因でありますが、『捨て育て』『金銭の実践』に付いては真正面から取り組んでいなかったことに、この間に書かれたコメントログを読み返して初めて気付かされた次第です。
遅きに失した感がありますものの、飽くまで私なりの解釈にしか過ぎませんが、今まで私自身が親会友さん・先輩会友さん方から学んだものなどをお伝えできれば、と思ってまた罷りこしました。


虚無僧一路様、倫様、ほか皆々様。

適時適切な数々のコメントをお寄せ下さり、誠に有難うございます。私は何も、会を代表する者でも、このブログ主催者とも何ら関係のないただの二世会員ですが、今後とも宜しくお願い致します。


さて、まずは『捨て育て』から、思いつくままに申し述べたいと思います。ただ、始めにお断り致しておきますが、これは飽くまで私見であり、会の公式見解ではありませんので悪しからずご了承下さい。(公式見解としては、会長の著書や倫風宏話などがありますので、そちらをお読み下されば幸いです)

『捨て育て』の語感から様々な誤解が生まれていますね、会の内外を問わず。
「子供を『捨て』る」のではなくて、「私心・無駄な心を『捨て』て、子『育て』を行う」大切さを指したものとしてこの言葉が最も当て嵌まると、会の草創期(実践倫理ウォッチャー様のご調査では、大本教が出所でしょうか)から、今もなお根強く残っている用語で、会友間でもすっかり定着してしまっているため、今から変えるのは中々難しいですね。
捨てるのは飽くまで自分の無駄な心なんですが、今まで色々と言われているように、会友さん方の中にも『捨て育て』=『子供を置いて行く』、『子供を連れて行く』≠『捨て育て』と単純に解釈されている向きも多いので、その辺はきちんと本来の実践・あり方へと戻して頂くよう、親会友さん・先輩会友さん方にお願いする他ありません。

改めて『捨て育て』ですが、その実践の中には確かに『家に子供を置いて普及実践に出る』ことも含まれています。世間一般の『常識』からすると、『子供を置いて行く』のは非常識なのかも知れません。これはそれこそ倫様の仰る通り「やってみないと分からない」部分ですね。言い逃れのように思われるかも知れませんが、実践してご自身で体験されない限り、本当の所は分からないのが事実です。
ただ、それには『きちんと家庭実践を行う』と言う前提条件が必要になります。具体的には普及実践に出る前に家庭内の諸々を整え、赤ちゃんが危険に晒されないよう細心の注意を払い、お乳を与えて寝かせ付けてから、と言う事になります。

一般の専業主婦の方々には信じられないことかも知れません。でも、それだけで批判するのはちょっと待って下さい。そばに居れば赤ちゃんを『ちゃんと面倒を見ている』、そばに居ないのは即『育児放棄』と言えるほど単純な問題でしょうか?
極論を言えば、そばに居た所で、自分の好きな事に熱中して(或いはテレビに見入って)赤ちゃんが泣いてもお構いなし(うるさい!と虐待に走るかも知れません)。赤ちゃんの手の届く所・行動範囲に危険なもの、口に入れてはいけないものなどを放置したままにする、など。
またはその逆に、必要以上に手を掛ける。始終抱っこする、あやす。不必要なまでに連れ回す、などなど…。これでは何にもなりません。『そばに居る』事が害悪とすら言えます。

適切に育児されているお母さん方には、1~2時間『子供を置いて行く』行為そのものは、決して荒唐無稽でも非常識なものでもない事がお分かりになるはずです。
ご商売をされている方であれば、距離はそう離れていないまでも、きっと『捨て育て』に近い事を実践されているはずです。(私の実家も商家でしたが、正にそんな感じでした)

実際に正しい『捨て育て』を実践されている会友さんの例で申しますなら、普及実践(頒布など)に出るために、赤ちゃんの周りを中心に危険がないように片付けて、直前にはお乳を飲ませ、そうこうするうちにスヤスヤと眠ってくれる事が多いようです。終わった後は一目散に帰宅すると、実質2時間半程度の外出の間も大抵はそのまま寝続けてくれている、と言います。一時的にしろ、赤ちゃんから心と体を離すことで、始終一緒の時よりも愛情は一層強まる、と仰る方が殆どです。

確かに、「一緒に居ないことで危険性は高まる」と仰るのも尤もなご意見だと思います。私が今まで存じ上げる数百名の乳幼児(乳児に絞ると百数十名位)の中で、不幸にも普及実践中に掌中の珠を亡くされた方がお一人いらっしゃいます。
ただ、そのお子さんの死因はいわゆる乳児性の突然死(丁度、千代の富士関・現九重親方のお子さんが同様の原因でなくなったと話題になった時期です)であったそうで、そばに居たら防げたかどうかは分からない、との事でした。
命に関わる問題を確率論で云々するのは適当ではないとも思いますが、事実として記させて頂きました。(確率が高いか低いかは様々見方がありますので、私見は差し控えます)

そもそも、本会のあらゆる実践は全て『自主的自発的』なものであり、誰かに強要されて、或いは自分の意思とは無関係に実践されるものではありません。
疑問にお感じになるものは実践しない、と言う選択肢も用意されているはずです。ただ、実践の有無は自由ですが、実践しないものに関しては決して理解・体験する事も叶いません。

先代会長が残した言葉(都都逸)に『実践倫理は確かなものよ。(中略)やっただけしか分かりゃせぬ』と言うものがあります。
正しく実践すれば、必ず正しい結果が現れます。逃げ口上だと言われようとも、「やってみないと分からない」のが実践倫理の本質でもあります。

『捨て育て』だけでかなり長くなってしまいましたので、『金銭の実践』に関しましては日を改めて(コメントを分けて)申し述べたいと思います。

続けての長文になりますが、何卒ご了承下さい。

『金銭の実践』についても、様々なコメントが寄せられていますね。
実践倫理はお金の掛かる会だと認識されている方も多いようですが、確かにこれはあながち嘘とは言えません。聊かぶっきらぼうな物言いに聞こえますが『出すもの出さずに、勉強できる(分かる)はずない』と、長年に亘って『金銭の実践』をされて来られた会友さんの中には、ご自身の体験からそう言い切っていらっしゃる方もあります。

そもそも『金銭の実践』の根本理念は至って単純です。『出せば入る』と言う倫理用語をお聞きになった方も多いと思います。根本理念はまさにこの一語に尽きます。「自ら進んで出す事によって人としての『器』が拡がり(人格が磨かれ)、大きくなった分だけ入る量(器の容量)も増える」と言うのが、最も基本を為す考え方です。

もう少し解釈を加えますと、人間は様々な欲に支配され、とりわけ金銭に対する執着心と言うものを強く持っています。何だかんだと言いながらも、生活を営むためには最低限の衣食住を確保する必要があります。そのためにも金銭は欠くことのできないものですから、執着するのも当然と言えば当然でしょう。
本会でも「倫理に照らして正しい欲望であれば、大いに追求して然るべき」旨を、先代会長も現会長も提唱しています。そもそも本会は『徳福一致の絶対道』として先代会長が興した会ですので、『徳(倫理性)を得るために、福(金銭・財産など)を捨てる』のは本会の本義ではありません。

但し、欲望の追求も行き過ぎれば、今、世界中がその影響に晒されている米国の投資銀行の惨状や、数年前に騒動となった某IT企業の若手経営者の行く末が示す通り、過ぎたるは何とやらの諺の如く、例外なく『破滅』が待っています。
本会では『徳(倫理性)のある人の所には、自然と福(金銭・財産など)も集ってくる』ものであるとし、個々の『欲望の追求』が倫理に照らして正しいかどうか、その『判断基準』を得るために、倫理的に正しい価値を学ぶ・身に付けることが重要である、としています。そのための実践の一形態として『金銭の実践』があります。

『金銭の実践』のもう一つの側面としては、人が最も執着しているものを出しますので、最も効果・即効性の高い実践と言われています。身体を動かす事なく鮮やかに結果(成果・体験)が出ますので、別名『怠け者の実践』とも呼ばれています。
また、鮮やかに結果を出すには、金銭を出すのを渋る・嫌がる・厭う・ためらうなど、諸々の葛藤を乗り越える(自らの汚い心も一緒に付けて出す)必要がありますので、それなりの金額を出す決意をしなければ、意味の無いものになりかねません。
親会友さんなどから「法外な金額を要求された」と仰る方が多いのも、この辺に理由があります(勿論、いかなる場合も実践は任意です)。

当然の事ですが、そのためにサラ金から借金するなど、身の程を超えた『金銭の実践』は論外です。出せる額もその人によって違って当然です。幾ら出す必要があるか(と言うのも語弊がありますが)、それもその人・状況によって様々であり、決して、単純に出した額に比例して結果が出るものではありません。
具体的な額を出すと数字が一人歩きしそうですが、飽くまで一例として申しますと、決して多くない生活費を更に切り詰めて必死な思いで捻出した1万円と、自由になるお金の一部を小遣い感覚で出す100万円とでは、自ずと価値が違ってきます。『金銭の実践』で重要なのは「必死な思い」である点です。注意して頂きたいのは、そうでなければ、折角の実践が意味の薄いものになる(時には無駄になる)恐れがある、と言う点です。
更に語弊を恐れず申しますならば、痛みを感じない程度の金額では、実践しない方が或いはいいのかも知れません。(やった・出した、などと言う『思い』だけが残るような『実践』では、逆効果になる場合もあります)

もう一つ、『金銭の実践』で是非とも気を付けて頂きたい点があります。
それは、決して『打算では行わない』事です。
適切かどうか分かりませんが一例を示しますと、商売をしている会友Aさんが純粋な動機で金銭の実践をして、仮に出した額の十倍の利益が上がった体験をしたとします。それを聞いた別の会友Bさんが、自分も商売で利益を得んがため、Aさんと同様に金銭の実践をする、と言った類の『打算』や『思惑』が先に立っての実践では、往々にして正しい実践からは外れてしまうため、期待した『体験・結果』が得られない事態が起ります。
Bさんにしてみれば、「折角、自分もAさんと同じ条件で『○万円の実践』をしたのに…」と、釈然としない思いに駆られるのも無理からぬ所ですが、全く『同じ条件』ではないのは、誰の目にも明らかですね。
同じ実践をすれば同じ答え(体験)が得られるのも、実践倫理の醍醐味の一つですが、心の中と言いますか、その取り組み方とでも申しましょうか、純粋に実践するのとそうでないのとでは、180度違った結果が出る場合も起り得るのです。

とは言え、本当の所(心の有様)は自分自身しか分かりませんので、傍から見ると『同じ実践でも結果が違う』部分だけが、どうしてもクローズアップされてしまいます。
そこから『金銭の実践』が、ただ単に『会友から金をせびり取るためのもの』であるとか、ひどい例では『如何に会友から金を搾り取るか』で、親会友さん・先輩会友さんの『格が上がって優遇される』などと言った、あらぬ『誤解』が生じて来た原因ではないのか、と思っております。
例え、もし『搾り取った』としても、以前にも申した通り、間違った実践には必ずその報いがあります(そもそも、そんな会友さんは皆無のはずです)。

繰り返しになりますが、本会の実践は『正しく受けて正しく実践』すれば、必ず『正しい結果(答え)』が出て参ります。会の草創期から現在に至るまで、事柄の違いこそあれ『正しい実践の成果』は数多出ております。今この時もきっと出続けています。
確かに、実践しても『期待するな』と言うのは少々酷な話かも知れませんが、少なくとも、自分が『やった(実践した)』と思う限り、慢心や自尊心・功利心、損得勘定が先に立つような『間違った実践』をしている限り、『正しい実践の成果』は得られません。

以上、今まで本会で学ばせて頂いたものを、飽くまで私なりの個人的な解釈に過ぎませんが、思いつくままに記させて頂きました。拙文が実践倫理を正しくご理解頂くきっかけになりましたならば幸甚です。
二度に亘って長々とこの場を占領してしまい、大変失礼を致しました。

とてもすばらしく、わかりやすく、大変勉強になりました。
ありがとうございました。
久しぶりに覗いてみましたら、このような、すばらしい方の書き込みがあり、感動いたしました。
わたしも先輩会友さんに教えて頂いて、間違っていかないようにと、心するものでございます。
私の今年の目標は、「上機嫌の実践」です。
人様に気をつかわせない、そして外ではいい笑顔でいれても、家族の前では自分の機嫌をついついだしてしまっているなと思い、大切な家族のまえでこそ笑顔で元気にすごしていけるようにと思います。
そして普及活動も共に学びあえる方とお出会いできますようがんばります。

私がこの会に入って困った事を言いたいんですけど。投稿する事を妨害する、やからがいます、だから、テストメールを1回送ります。

まず、今、辞めれなくても辞められない人達、朝起き会のやからの連中から、迷惑をかけられてる人達の為に、今、私が立ち上がります!!!、正直に言います。私は九州・沖縄地区、福岡支部で嫌々ながら1年間、無理やり学ばせながら、やっとの思いで、死ぬ覚悟で何とか、脱会出来た1年間を正直に語かせて、頂きます。私の入ったきっかけは近所の大富豪のおばさんからの誘いでした、最初は月1回の地元での朝起き会でした。とりあえず1回は付き合いのつもりでの事で行きました。好きな格好で来て良いとの事で私はTシャツ、ジーンズ、ビーチサンダル、ロン毛、茶パツ、ピアスです。回りの男性はスーツに白のシャツにネクタイ、女性は淡い色のスーツ(スカート)もしくはワンピースです。はっきり言って私は浮いてました。もう、駄目だと思いました。はっきりお断りました。それでも近所のおばさんはしつこく誘いに来ました。仕方なく私は地元だけの朝起き会に3ヶ月ほど、付き合いで通いました。仕方なし私は正式に入会するはめになりました。初めての福岡支部です。とてつもなくお金のかかった会館、階段(会長先生の道)におじぎする会友達、もう完全に洗脳されています。まさに、カルト集団です。3階にあがったら、日の丸に菊の御紋です。まさに右翼の世界です。初めて開いた倫風には、偉そうな会長先生の写真、馬鹿馬鹿しい演壇の数々、もう、やってられません。そして、大会がはじります。私は1000円寄付しました。そしたら、鶴田ていう女が、会長先生の話が聞かれるんだから、最低、10万寄付せろと言ってきあがります。もう書き込みしていたら、馬鹿馬鹿しくなってきました、大会は地元でも悪名高い自民党の山崎拓と古賀誠の票田です。おい麻生、城島、山口、柴田、外堀、そして最後の悪の根源、山本、とにかぬ文句があるなら、いつでも待っとくぞ!!!覚悟しとけ!!!最後に一言、お前ら、死ね!!!

高塚地蔵尊様
 ご投稿大変興味深く拝見しました。貴兄が出席された実践倫理構宏正会は一寸異常なようですね。しかし肌に合わないようでしたら、もう一つの朝起き会倫理研究所家庭倫理の会「おはよう倫理塾」に出席することをお奨めします。
 「それでも近所のおばさんはしつこく誘いに来ました」とありますが、この理由のなかに、貴兄を立派な若者にしたいという、心からの親切心があったようにも見えます。人の悪いところではなく、良い所美しいところに眼を向けるようにしましょう。
 貴兄は自分が本当に好きですか。自分が本当に好きにならないと、他人を好きにはなれません。貴兄は自分の心を上手に表現する才能をお持ちです。これは貴兄の宝物、大切にして育てていきましょう。
 「!!!最後に一言、お前ら、死ね!!!」ということばは、痛快なようですが、自分の心を殺す刃になります。「いつか本当のこと教えて上げよう。一寸待ってね」の方が、楽しいと思います。

高塚地蔵尊様

色々と『酷い目』に遭われたようですね。
福岡の状況は寡聞にしてよく分かりませんが、疑問に感じられた実践について、私なりにご説明したいと思います(会友さん方から同じ説明を受けているかも知れませんが)。
もし、会としての『公式見解』をお望みでしたら、入会を勧められた会友さんに、福岡支部の責任ある方へ直接質問したい旨を仰って取り次いで頂くか、もしくは本部(住所・電話番号は『倫風』に記載があります)へその旨をお伝え下さい。(このコメントは飽くまで個人的な見解ですので、その点はご了承下さい)

まず、会館の「階段に向かって一例」する事ですが、会友さん方の会長に対する尊敬の念から、自然発生的にそう習慣付けられたものと思います。何も、『会長先生が通る階段』だから挨拶しなければならないものではありません。
そもそもは、柔道・剣道など武道の道場と同様に、『学びの道場』としての会館に足を踏み入れる際、一礼をする(古来からの「道場を神聖な場」として捉え、敬意を表する)所から始まったもののはずで、それが次第に変化したのではないかと思います。
本会は『個人崇拝』の会のようなイメージがどうしても強いようですが、「学びを受ける『師』として敬う」以上の崇拝を求めるものではありません。
次回、足を運ぶ機会がもしあれば、「階段に」ではなく、是非『会館』(学びの道場)に対して礼をして下さい。
もっと分かり易く言いますと、他人の家にズカズカ踏み込むのはマナー違反ですね。通常なら「こんにちは」「お邪魔します」と頭を下げるか、親しい友人宅でも「よぅ!」等と声を掛けますね。そんな感覚で頭を下げる、と理解して下さい。

服装についてはさぞビックリされたと思います。その人により『服装の基準』は様々ですし、初めから堅苦しくするのも、との思いから、誘った会友(親会友)さんは「好きな格好で」と仰ったのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、毎日集う会友にとって朝起会は『学びの道場』ですので、大切にしている分、相応の身なりをして集うのです。(親会友さんも、そのうちに自分から改めてもらえる、と思っていたのかも知れません)
その事で、もし『恥をかいた』とお思いでしたら、配慮不足(言葉足らず)を私が成り代わってお詫びします。

「3階にあがったら、日の丸に菊の御紋です。」とありますが、会館に掲げているのは皇室の『菊の御紋』ではなく、本会の『会章』(会旗)です。
形が似ていますので、時々「皇室と関係でも?」と間違われる方もいますが、菊の花は『日本人の心の拠り所』としての意味合いもありますので、先代会長がこの会章を用いました。
確か『皇室の御紋』は32弁の重弁(二重、天皇家直系の皇族方)と16弁の単弁(一重、宮家の皇族方)が用いられ(詳しい方に補足・訂正をお願いします)、本会は24弁の重弁で中央部には宏正会の『宏』を図案化したものを配置しています。
従いまして、本会は『皇室』とは直接関係のない会です(勿論、右翼とも一切関係ありません)。

『日の丸』に付いては、戦中・戦後の共に歪められた教育によって誤解が多数生じていますが、国旗を掲げる行為そのものはどこの国でも至極一般的な事(当然掲げて然るべき物)です。朝起会をはじめ、本会の行事で国旗を掲げる理由もそれ以外の意図を持ちません。

学校の講堂(舞台上)などにも、国旗と校旗が掲げられているのを見た事があると思います(福岡県の場合はよく存じませんが、普通の市立・県立校である私の母校は小・中・高ともそうでした)。それと同様に、本会の会館には国旗・会旗が舞台上に掲げられています。
ちなみに、公民館など他の施設を借りて行っている朝起会場(こちらが圧倒的多数です)では、国旗のみ演壇の背後に掲げている場合が殆どです。

「初めて開いた倫風には、偉そうな会長先生の写真、馬鹿馬鹿しい演壇の数々(後略)」
倫風の『ご尊影』は賛否両論ありますね。私も誌友さんから『教祖様のお写真』はいい加減にしたら?等とからかわれる事もあります。会友さんの中には「ないと寂しいわね」と仰る方もあり、毎号は載せていませんので、その辺のバランスを取っているのではないでしょうか?(正確な事情は存じませんが)

会友諸兄姉の『演談』に関しては、福岡支部の内容・状況が私には分かりませんので、飽くまで推測に過ぎませんが、聞き手の年齢などにもよると思います。
高塚地蔵尊様は文章を拝見した所、二十代前後の男性でしょうか?
その年代の方だと、確かに『朝起会』の演談は退屈かも知れませんね。家庭内のちょっとした出来事などを通して『会友間で生活倫理を学び会う』のが演談の目的ですので、未だ所帯を持たない若者など、どうしてもピンと来ない話題が多いかも知れません。
でも、直接は関係なくとも、例えば婦人の演談から『女性の心理』が垣間見える場合もあるでしょうし、壮年の演談には『社会の中でより善く生きる』ヒントを掴むことができると思います。

ただ『馬鹿馬鹿しい』『つまらない』と1時間を過ごすより、そんな視点で演談を聞いてみて下さい。少なくとも演談に『嘘』はありませんので、何かしら人生を『より善く生きる』ヒントを掴めると思います。
また、視点を変えて『馬鹿馬鹿しい』話しを聞く『訓練』だと思うのも、朝起会初心者の方には良いかも知れません。この頃の風潮として、年齢を問わず『人の話を聞かない(聞けない)』人が増えています。相手のどんな話も、まずは『黙って聞く』事が身に付けば、今までとは『一味違った自分』になれる事でしょう。(『話を聞く』副次的な効果として、女性受けがよくなる傾向もあるようです)


「大会がはじまります。私は1000円寄付しました。そしたら、(中略)最低、10万寄付せよと言ってきやがります。」(原文の一部字句訂補)
いわゆる『お祝い金』と呼ばれるものですね。金額の妥当性は置いといて、何で『お祝い金』をするのか、この頃はよく説明もなしに『金をせびられる』と言う方が多いようですので、この辺をもう少し掘り下げてみたいと思います。

出来れば、以下をお読みになる前に、前回の『金銭の実践』についての拙文(コメント)をお読み下されば幸いです。(以下は、お読みになった事を前提に記します)

まず、本会では『大会は運命転換の場である』と位置づけています。
春秋年2回の大会で、会長から指導(いわゆる『ご倫話』です)を受けます。その時々の世相に合わせて会友に分かり易く『実践』の具体例などを提示して、実践を鼓舞します。
本来、大会は『実践会友』が集うものですので、朝起会などを通して本会の『実践』が一通り理解した人が対象のはずですが、地区によって色々事情があるようですね。この辺は私が云々する事でもありませんのでこの程度に留めますが、入会して間もない方が『金銭の実践』を行うのは『諸刃の剣』にもなりかねませんので、親会友さんや会場の責任者によく説明をお受け下さい。

くどいようですが、大会は『実践会友』が集う事を前提としています。ですから、大会に出席させて頂く感謝を表す『実践』の一形態として『金銭の実践』を行います。これには、人間はタダで受けたものは(物に限らず学びなども)得てして『大切にしない』習性を持っています。ですので、自分の学びに対する気持ち(価値付け)として『お祝い金』を出します。と同時に、それだけ高価な学びを受けたのだから、是非とも『実践して行こう』と決意できるものでもあります。

例えが適当ではないかも知れませんが、一例として何かの予備校(大学入試か、資格試験などの予備校と考えて下さい)が2校(2種類)あったとします。一方の授業料は千円、もう一方は10万円です。人間とは不思議なもので、授業など内容は全く同じであっても、合格率が高いのは千円より10万円の予備校の方だそうです(何かの本で読みました)。
これは極端な例かも知れませんが、人間の心理とは一面そう言う性格を持っているようで、小額ならば真剣み(効果)が薄い、高額だと真剣さ(効果)が増すなど、本質的なものは同じでも、支払った金銭の多寡が少なからず影響するそうです。

また、先にも書きましたが、『金銭の実践』は無駄な心も一緒に付いて出て行きます。つまり、大会で会長の指導を受ける前に、無駄な心を体の外に追い出して無心で学ぶための準備をする、との意味合いもあります。例えば、コップの中に汚れた水が入っているのに、その上から清水を注いでもコップの水は中々きれいになりません。それと同様に、無駄な心が一杯のままでは、会長の指導を受けても『ありのままを受け容れる』ことが出来ません。そこで、コップの中を空にするが如く、『金銭の実践』で無駄な心を一度吐き出すことで、素直に『実践しよう』とする心が入ってきます。これが大会の『お祝い金』の本義です。

親会友さん、先輩会友さん方にも、お願いしたい点が一つあります。
『お祝い金』は、飽くまでその人の『実践倫理』に対する思いの表れです。例え同じ額を出したとしても、自ら進んで(自分の意思で)行うのと、まるで剥ぎ取るかの如く無理やり出させるのとでは、自ずと結果が違ってきます。
確かに、状況によっては『出させる』必要がある場合も存じています。が、しかし、それとて最低限本人が同意した上で(渋々ながらもある程度納得して)行う必要があります。
『剥ぎ取るかの如く』に『お祝い金を要求』する会友さんは皆無だとは思いますが、万が一にも『間違った実践』では善き結果を生みませんので、老婆心ながら付け加えさせて頂きました(釈迦に説法ですみません)。


それにしましても、高塚地蔵尊様は世間一般の『ロン毛・ピアス』的な若者とは違って、ご自分の『これからのあり方』を真剣に考えていらっしゃるのでしょうね。
確かに、貴方の身なりを『朝起会に相応しくない』と見る方が多いかも知れません。でも、無理に合わせる必要はありません。服装はそれなりに考えて頂ければ(例えば、Tシャツ・ポロシャツの上にジャケットを着るなど)、『ロン毛・ピアス』のままでも構いません。(ジーンズは正座がキツイですから、スラックスなどソフト系をお勧めします。髪は束ねられたらそうして下さい)

「はっきり言って私は浮いてました。もう、駄目だと思いました。」との、正常な感覚があればそれで十分です。(何も『駄目』ではありません。過去に囚われる必要もありません。『今日一日』の会ですから)
これに懲りず、朝起会にもまた集ってみて下さい。
そして分からない事、納得出来ない事は、遠慮なく親会友さんや責任者、或いはこの場でも結構ですから何でも聞いて下さい。(聞くはその時だけの恥ですから)

高貴高齢者様(倫理研究所の方ですか?)の仰るのも一理ありますね。倫理研究所さんも実践倫理(本会)も目指すもの(頂上)は全く一緒です。ただ、富士山でも色んな登山道があるように、目指す頂上までの『登り方』が違うだけに過ぎません。強いて例えれば、倫理研究所さんの方は『なだらかな登山道』でしょうか。本会の『登山道』はまっすぐ頂上を目指すだけに、勾配がキツイのが欠点と言えますね。
どちらを選ぶのも(それ以外の選択も)その人の自由です。
高塚地蔵尊様ご自身がよくお考えになってお決め下さい。

長々と失礼致しました。

鯰の鬚は4本様、高塚地蔵尊様
 倫理宏正会と倫理研究所の違いを富士山登山道に譬えられたことを大変興味深く拝見しました。『険しい登山道』を選んだ場合は、脚力と登山技術を高度にする必要があり、目指す頂上という目標よりも、今必要な脚力の強化と登山技術の向上を、目標にしがちになります。
 『なだらかな登山道』を選んだ場合は登山の楽しさにかまけて、頂上を目指すということをないがしろにする傾向があります。どちらにも落とし穴があります。自分の体力に合わせて自分の道を積極的に選ぶべきでしょう。
 私自身はキリスト教なので、倫理研究所を主にしています。ここでは子供のとき、教会学校に行っていた方が多いし、また聖書の言葉も多いので、キリスト教の日本版のような雰囲気です。そしてキリスト教ではやっていない朝起きを楽しんでいます。
 団体を維持するにはお金はどうしても必要です。キリスト教の場合、倫理宏正会・倫理研究所の会費に比べて遥かに高い献金をしています。しかし献金の額は自発的に決められ、人によって大きな差がありますが、そのことを誰も気にしません。また献金されたお金が何に使われたかを会員はよく知っています。買い物と同じくお金を使うことは楽しいことですね。

高貴高齢者様

拙文にお付き合い頂き、有難うございます。


「目指す頂上という目標よりも、今必要な脚力の強化と登山技術の向上を、目標にしがちになります。」

言い得て妙ですね。確かに本会の会友の中には『実践』を履き違えて、朝起・頒布など本会の実践項目のみを指す言葉と思っている節も見られます。
勿論、『実践』の本義は『人生をより善く生きる』事であり、日常生活の中でこそ本当の(本番の)『実践』があります。『朝起会』で学ぶ事や『頒布』で人格を練り鍛える事は、飽くまで本番のための学習・訓練・予行演習に過ぎないのですが、どちらかと言えば『日常生活』をなおざりにして『朝起会』『頒布』の方を重視しがちになっている嫌いもあります。
この辺は、会長から折々に『正しい実践』を指導されており、本来の(本物の)『実践会友』であれば間違う(勘違いする)事なく『実践』されているはずですが、私も自戒して行かなければと思っております。


「団体を維持するにはお金はどうしても必要です。キリスト教の場合、倫理宏正会・倫理研究所の会費に比べて遥かに高い献金をしています。」

素晴らしいですね。お世辞でも何でもなく、心底からそう思います。本会では『生きたお金の遣い方』(私的にのみお金を遣うのでなく、公のために遣う)をお教え頂きますが、それに通ずるものではないかと思います。もともと『金銭の実践』も、そこから始まっています。

団体を維持する方法は色々ありますね。会費という形で徴収する場合もあれば、全てを寄付に頼る場合もありますし、仏教寺院のように折々の行事(法事)の際にお布施をお渡しする形もありますね。
本会の場合、『団体維持』のために寄付を募る必要は、今となっては殆どないと思います。昭和40年代(或いは50年代始め)頃までは、会の基盤整備のためにある程度まとまったお金も必要だった(九段の本部会館もその頃に建ちました)のでしょうが、会員も増えた今日では、会費のみでも活動資金としては十分な額が集まっていると思います(飽くまで個人的な思い込みに過ぎませんが)。

ですので、現在の『金銭の実践』は、純粋に会友の善き実践の機会として継続しているものと思っています。
何度も繰り返すようですが、寄付(お祝い金)には出す人の諸々の心も一緒に付いてきます。有体な言い方をすれば『いわく付きのお金』(やましいお金とは違いますが)ですね。貰えるとは申せ、そう言ったお金は遠慮したいのが普通ではないでしょうか?
先代会長が本会を『宏正会』と名づけたのは、『正しきを宏める会に』との願いが込められています。つまり、会友から集まった寄付を、世の中に対する正しい活動に遣うことで、金銭に付いてきた諸々をも浄化する。
『金銭の実践』にはその様な作用がある、と聞いています。

お前ら馬鹿か!!!!俺は死ぬ思いをして、脱会したんだぞ!!!!朝起き会は自民党とアムエィの手下だぞ!!!!!!俺の母親は無理やり入会させられて100万もする鍋のセットを買わされそうになったんだぞ!!!それも頒布できたわれた、巧みな話術と1度断ったら10人ぐらいの会友で押しかけられ、脅迫そのままだぞ!!!それでもこの会は正しいといえるのか!!!!自分の胸に手をかざして考えなおせ!!!バーーカ!!!!!!

お前ら返事して来い!!!アムエィの事言われたら何も言えねがだろうが!!!!!!!!!!!

名無し様
 ご投稿ありがとうございました。ですが私の経験とあまりにもかけ離れているので、お返事のしようがありません。私はいま倫理塾の朝起き会に行っていますが、以前行っていた倫理宏正会でも貴兄のような極端な例は経験したことがありません。

高貴高齢者様江、私の地区では、これが現実です、私の苦しみ、家族まで巻き込んだ、卑劣な態度、これが現実です。高貴高齢者様はどこの地区で学んでいるか知りませんけど、これが真実です。どうか分かってください。正直、今でも誘いにこられます。どうか本当に助けて下さい。御願いします。

名無し様
 貴方の地区の倫理宏正会は偽者です。偽者を説得するには、本物の倫理宏正会を学んでおく必要があります。倫理運動が形成されてきた歴史を学んで、貴方のところに勧誘に来る方に丁寧に教えてあげるようにしましょう。次の本を推薦します。
  倫理宏正会を学ぶために
    上広栄治著 倫理がひらく君たちの未来
  倫理塾・研究所を学ぶために
    神渡良平著 丸山敏雄の世界
    丸山竹秋著 丸山敏雄 人と思想
丸山敏雄が倫理運動の創始者ですが、その協力者の上広哲彦は違った路線をとりました。上広栄治はその長男です。上広哲彦の路線に丸山敏雄は賛成しませんでした。多分貴方が接触しているような偽者の倫理宏正会が将来現れるのを危惧したのではないかと推察します。

続き、私の母はアムエィの事でノイローゼになりました。高貴高齢者様どうおもいますか???婦人の会友さん達は、朝3時に起きるために、TVも見ないし、朝起き会が終わってからはお勤めや頒布などで、忙しいため、政局がどうなてるかも、ちんぷんかんぷんです。とにかく目線が狭くなっているんです。だから、大会に自民党の馬鹿どもが来るので、それにに賛同しているんです。ちゃんとニュースを見なさい!!!そして、毎朝下らない演壇をする前に、私から一言言わせてください。BOB MARLEY,U2,COLDPLAYの素晴らしき詩と曲を聞きなさい!!!そして中村俊介の素晴らしきハットトリックやWBCでのイチローやソフトバンクの川崎の心意気、そんなのは、私から言わせて思うと偉そうな会長先生のくだらない、お言葉よりも、よっぽど心を打ちます。朝起き会の皆さん、もう少しTVやニュースや素晴らしい映画や音楽を楽しみましょう。

名無し様
「私の母はアムエィの事でノイローゼになりました。高貴高齢者様どうおもいますか」。貴方自身がお母様を助けること、また偽の倫理宏正会から「婦人の会友さん達」を救うことに努力したらいかがですか。
 自分にとっても実りの多い努力になると思います。そのためには貴方自身が、きちんとした勉強をする必要があります。そのような努力を地道に重ねると、貴方の地区の倫理宏正会も、やがて目が覚めるとおもいます。

名無し様
「私の母はアムエィの事でノイローゼになりました。高貴高齢者様どうおもいますか」。貴方自身がお母様を助けること、また偽の倫理宏正会から「婦人の会友さん達」を救うことに努力したらいかがですか。
 自分にとっても実りの多い努力になると思います。そのためには貴方自身が、きちんとした勉強をする必要があります。そのような努力を地道に重ねると、貴方の地区の倫理宏正会も、やがて目が覚めるとおもいます。

名無し氏のご指摘も一面真実です。
実践倫理の普及活動されている方は、世事にうとく
なります。これは会自体の方針ではありませんが
うとくともいいんですよ。と言う考え方をしています。
世事に浮かれていては本当の仕合わせはきません。新聞、ニュースに心をを乱されないようにしょう
というスタンスで会員を誘導しています。
これには一理も二理もありますので良いか悪いかはそのかたのレベル、心境次第です。
結果として、自分で情報を嗅ぎ取って自分で判断
する能力は極端に低くなってしまいます。
個人として独立できないまま歳を重ねてしまうかた
もおいでです。
普及活動を通じて難しい場面を体験してこられた
訳ですから、人をうっとりさせるような、そして勇気
付けられるようなお人柄の完成を期待するのですが
どうしてか別のところに行ってしまわれるかたが
多いようです。

お客様会友様

世事に通じまた宏正会にも交わっておられるあなたからご覧になって、総体的に宏正会活動に賛成ですか。
純粋培養されたものは、耐菌性が低く大政翼賛会に陥る危険性が危惧されるのですが。

宏正会の会員ですが、世事に強いなんてことは
ありませんよ。普通であれば良いと思っています。
とり違いなきように。
会長先生は名誉欲も金銭欲もそこそこ強いかたと推察しますが、権力に関してはさほどの関心を示されていません。自らが権力志向を表に出すことは将来もありません。ただ、会を守ってくださる権力には翼賛的に行動されると思いますから、当然その範囲内で会員は追随すると思いますし、それが会員の正しい姿です。
思想弾圧では本会の前身もご苦労されたと聞いています。
私が本会運営のかたに望むのは、先代会長先生
生い立ちのこと。原爆から生まれ落ちたような紹介
は、30年会員でありながら笑ってしまう。
堂々としたほうが得策です。もうひとつは問題の陰倍加の件。長くなるのでこの辺にしときますが、要するにこの2点のみです。
少なくとも仕合わせ達成指数(?)が世間の非会員に負けてるようでは困りますから。
それから、本会会員は純粋培養はされていませんよ。カルトっぽい人はいますが、ちょっと位なければ
組織がすぐなくなってしまいます。

お客様会友様

ご返事有難うございます。30年会友でいらっしゃることすばらしいですね。それでいて、会に流されることなく、自立しておられますね。いろいろな記事や講師のお方の発言でも「会長先生が・・」というくだりは、絶対的なもので一種宗教的な信仰に近いものを感じますが、あなたが自分を見失っておられないのは、知的レベルの高さでありましょう。上廣哲学は相当レベルの高い人が理解して行えば素晴らしいですが、アムウェーと朝起きの普及を同格に置いてしまう方々には体得することは至難の業でありましょう。非難が絶えないのはもってしかるべきであります。

今夜、近所のおばさんのお通夜がありました。私も父も母も行ったんですけど、その、おばさんは10万人に一人と言う奇病です。そこで、私の元の親会友さんは喪主に向かって朝起き会に入っていたらこんな病気に成らずに仕合せに生きられたと大声でほざいていました。学んだ人はその場の空気も読めないんですか?その元親会友さんは私の母をアムエィに誘い込んだ張本人です。本光連様、お客様会友様、高貴高齢者様、私に本当で真実の答えを下さい。待ってます。

お前ら!!!返事が無いな!!!びびってるのかよ!!!朝起き会の実態てのはこんなもんだ!!!町内皆んに迷惑かけせてるんだぞ!!!何が会長先生だ!!!何がアムエィだ!!!お前らが言ってること全部間違ってるんだぞ!!!朝起き会は好きにやっていいけど、回りに迷惑かけるな!!!!

ご投稿の皆様へ

 勧めてくれる方があり、先代会長の上廣哲彦氏の「明るい生活」「生きる力」「実践の生命」「成就の法則」「倫理実践講座」を読ませてていただきました。でも、朝起会には参加していません。
勧めてくれた方は、ご主人様の仕事の関係で全国の行く先々で、朝起会に参加したそうですが、当地に来ても5年近く、私の住む地区の朝起会に参加していたそうです。でも、最近、会の幹部の方の(名無し様の言うような)方針にはついて行けず、退会されたそうです。
 高貴高齢者様は、「偽の倫理実践宏正会」と言われますが、少なくとも「偽の倫理実践宏正会」が全国に2カ所はあるということですね。
それを、ばっさりと偽の会とか、実践をはき違えてなどと切り捨てる物言いは、本会(又は教え)を守ろうとする姿勢が見え見えです。指弾されている方々は、「倫理実践宏正会」という名称をバックとして活動しているのですよ。
それに、高貴高齢者様、鯰の鬚は4本様を始め、本会の生き字引、物知り顔、広告塔的皆様方が、多少激情に駆られた名無し様の最後の問いかけに、何も答え無いというのは、本会に興味のある者としてはとても残念でなりません。
信じぬ者は無視、去れ!と言わんばかりですね。
先代会長の御本を読んでの感想ですが、古今東西、今昔の思想家、宗教家のエキスをちりばめた数々の小文の集積なんでしょうが、巻頭言的1冊「明るい生活」の冒頭「人類に黎明来る」において『私は二十数年来の研究と実験を通じて今こそ、守れば例外なく幸福になり、はずれれば不幸になるという、真に正しい人間の生活道を打ち樹てるために立ち上がったのであります。』という一文に本会の有り様が示されているんですね。
私の周りの(といっても僅かですが)本会に携わっている方は「本会は宗教団体ではない。教えは宗教ではない。」といわれますが、果たして本当でしょうか?
 「信じる者は救われ、信じぬ者は救われない。」というのは宗教的発露では無いんですか?それに加え、鯰の鬚は4本様は、『金銭の実践について』いろいろ述べておられますが、私のように金銭に執着せざるを得ない庶民としては、お為ごかしな屁理屈を並べているようで仕方ありません。
以前、あいうえお様が>倫理とは人の成長の指針でありましょう。・・・・・・という書き込みを紹介してくださいましたが、指針に宗教的意味合いが付加されてしまうのは、集合体として活動しようとするからではないでしょうか。
 指針を世に問うに、活字などの媒体をもって行っている以上、それだけで良いはずなのに、その結果を求めようとする欲望があるから、「会」という活動体を作るのであり、そういった会を作れば、会の維持費用、会員の様々な思惑が入り乱れてしまうのでは。
話しは飛んでしまいますが、果たして先代会長はそんな会を望んだのでしょうか。もしそうだとすれば、本会では倫理は宗教であるという自同律に帰結する訳ですね。
そういうことであれば、名無し様の言こそがより実態に近いということをお認めになるべきでしょう。
そういう訳で、私は執拗に誘われていますが朝起会には行きません。

チャコさん、本当に有難うございます。私はもう書き込みはしません。

久しぶりに、見にきました。
ん・・・なんだか悲しくなりました。

会長先生がこの書き込みを見たら、きっと悲しまれると思いました。

私が頒布で出会った方が入会して下さり、1年学んで、関東へ転勤になり転籍され、新天地でも学んでおられます。
しかし、愕然としたのはそこの会場のお誘いが、強引であることです・・・
私の会場では考えれないお誘いの仕方に、引っ越して行かれた会友さんも悩んでおられる現実です。

会長先生の教えは一つなのに、なぜ各会場で教えが変わってしまうのか、考えてしまいますが、こんんな事を言ってる私も、間違った実践をしてるのかな?と振り返ります。


だから、信じたくないけど、書き込みがあるような会場も実在するのだろうと思うのです。

私は、倫理が大好きです。
倫理を学び、受け止め方が変わったり、相手の立場になって考えれて、あんなに嫌いだったお姑さんと犬の散歩に行って、知らないうちに笑顔でそのことをご主人に話していて、ご主人さんが喜んだ事を誘ったかたから聞くと倫理ってすごいなと思いますし、自分のことのように嬉しく思います。

人のことを自分のことのように喜べるって、私は倫理を学ばなければできないと自分だったと思います。
人の幸せが喜べるって素敵だと私は思います。
だから、私は会長先生の教えが大好きです。

久しぶりに書き込みさせて頂きます。皆さんいろんな考え方があるんだなあと思わせて頂きました。僕は名無しさんやチャコさんの考え方に賛成です。朝起き会を自分なりに楽しむのには何の問題も無いと思うんですけど、偏った考えかたの人々やご町内の方々に会長先生の教えや倫理を押し付けるやり方は絶対に良くないと思います。せっかく学んでいらっさるんだったら、それなりの頒布やお誘いを考え直したらどうですか?

初めて書き込みします。この会に最近入会しました。倫理の学びは、すばらしいと思います。私は、主人に対して不満ばかりで、いつも不機嫌にしていました。当然、主人もそんな私の態度を見て、不機嫌にしておりました。このままじゃいけないと思いながらも、変えられない自分でした。朝起きに行くようになり、会友の皆さんが常に前向きであること、自分自身を変える努力をしなければ、まわりの人達は変わらないと教えて頂きました。おかげで少しずつ、夫婦間が善くなってきました。倫理の学びは大好きです。しかし、学ぶにつれて、頒布に出て下さいと言われたり、倍加をして下さいと言われたりします。
学ぶことは好きなのですが、頒布やお金を出すことについては、遠慮したいです。嫌ですと言っても、何度も言ってきます。頒布や倍加をしないと、この会では学べないのでしょうか?

実践者の皆様、見ましたか!WBC!頒布やお勤めのご婦人共や壮年のハゲ&デブ共!それと、長年学んでいるのに、何にも解ってない、短気で利己主義の不動屋さんにお勤めの学びが全然解ってないKさん、どうせお前らは会長先生が、侍JAPANを優勝に導いたとか言う演壇を明日の馬鹿見たいな朝、早い時間にするんだろうな。まあ、(九州、福岡、沖縄、)の支部はキチガイの集まりだ!あばよ!!!

アクセス規制はないのかな

我は 太陽神であるぞよ
古来より 人類どもは我を神と崇めてくれておる
エジプトの神しかり インカの神しかり 
大和の神しかり 
大和では古より我をアマテラスと呼んでるそうじゃな
そうそう明治の世になってから金田徳光が大そうにも我を祭ってくれた 
徳光が亡くなってからは 色々あったようじゃが
確か御木徳一という人物が徳光の跡を継いでくれたようじゃな 
御木は「ひとのみち教団」という団体を作って 短い期間に100万もの信者を集め我を祭ってくれた
大阪では1000畳敷きもある立派なお城のような仮本殿も作って 我を表す日の丸の「ひとみちバッチ」を付けた大勢の信者の朝参りために 電車の駅も出来たそな それが今の「永和」という駅じゃ
御木はようやってくれたが 短い期間に大きくなったので傲慢になってしもうたのか
15歳の娘の強姦未遂事件を起こしたり アマテラスを我としたり 天皇も我の報いを受けるとしたのが悪かったのか国に目をつけられて解散させられてしもうた
じゃがな 御木の残したものは大きかった
大きな戦争の後には 徳一の息子 徳近が「PL教団」というのを作って「大元霊」と名前を変えているが我を祭ってくれておる
徳一のところにいた 丸山敏雄という人物も戦争後に「倫理研究所」という団体を作っておる
戦前に痛い目にあったのを懲りて我を隠してはおるが所詮は徳一と同じ 我はそこにおるぞ
徳一のところにいた上廣哲彦は戦後は丸山についていたようだが 色々あったようで独立して「実践倫理宏正会」というのをつくっておるようじゃな
それに もう一人 徳一のところにいた 橋本郷見が
大元の徳光を継いで「自然社」というのをつくっておるそうじゃ
世間では「ひとの道系」といわれる団体があちらこちらにあるものじゃ
そうそう ここは 宏正会のスレじゃった
宏正会も我を隠しておるようじゃが 我をしっかりと
朝起会の正面に掲げてくれておる
我を「大自然」と呼んでいるようじゃが 徳光 徳一
と続いておる我は我 同じことじゃ
我の意思を会長が会員に伝えているようじゃが
色々と批判が多いのはどういうわけじゃ
勝手に我の意思を私利私欲のために利用してるのではないじゃろうな そうであれば天罰を下すぞ

 

太陽神さま

陽あれば陰あり、陰あれば陽あり、
これ古来の道理。
世は平衡を希求したれば、
バランス欠くことあるべからず。
万が一にも己の幸福追求のため、
倍加、頒布を推奨し、またこれに励むものあらば、
必ず、必ず地獄に落ちるべし。
先師曰く、この道に添えば、必ず幸福になり、
添わざれば、必ず不幸になると。
再度言う、私心抱きて、倍加、頒布に励むものは、
地獄に落ちること必定、汝らこころせよ。

amiさんへ

はじめまして!入会して4年になるぴろりと申します。よろしくお願いします。

私は、頒布も倍加もしています。

私が小学校の時母が学んでいました。結婚して、頒布で来られた方から倫風誌をもらって「母がしてたやつだな」と思って、倫風誌を買わせてもらうようになったのがきっかけです。

頒布や倍加が嫌であれば、何度も断ったらいいと私は思います。
会長先生も、決して強制してはならないと言われておられますし、自ら望んだり、自ら「してみよう」と思わなければ、決していい事にはならないと思います。
「自主性」を大切にと会長先生は言われておられます。

頒布は、私は何の抵抗もなく「頒布ってどんなんなんだろう?」と思って始めました。

私も倫理を学ぶうちに、夫婦仲が改善されたり、子育てが楽しくなって、同じように悩んでおられる方がおられた時に、倫風誌を読んでみないかな?と思って勇気を出してすすめたりもします。
それは、やはり「幸せになってもらいたい」とか「もっとより善く」という思いからです。
もちろん、拒否される方もおられますが、私は強制はしないし、話だけ聞いたりもします。


だから、amiさんもいつか「すすめてみよ」って思う時がくるかもしれないし、来ないかもしれないですが、
倫理を人にすすめて、その方の家庭に小さな変化や、嬉しいことを聞くと、それは本当に自分の事のように嬉しいんですよ。

この会を知ってもらうって、頒布だけじゃなくami
さんの姿を見て「あれ?」って思って聞いて下さる方もおられるかもしれないし、それも普及だと思います。

頒布、倍加は、時が必要な方もおられますし、何の抵抗もなくされる方もおられて人それぞれだと私は思います。

何度も言われて嫌になることがあるかもしれませんが、会費を払っておられるなら学べますよ。

頒布は、本当に気持ちよくって、季節を感じたり、人の温かさに触れたり、楽しいですよ。私は頒布にでるようになって、気持の切り替えが早くできるようになりました。

倍加の、3千円って、私は、お財布にあったらいつの間にかなくなってて、何に使ったかわからない時もあります。
私が倍加する時は、やはり頒布や人に勧める時と同じで「幸せになってもらいたい」ただそれだけです。

それは、学ぶ日々の中で自然に出てくる思いです。

amiさんもいつかそんな気持ちになった時、また、毎朝の他の方の演談をきいて「してみたい」と思った時、頒布や倍加をしてみるといいと思いますよ。


「月の女神」と称する者よ 汝は男だな 
汝は「鯰の鬚は4本」かそれとも「レイモンド」か
男の女神とは キショクワルイぞ
言っている事が的がはずれているのは「レイモンド」
だな
宏正会の先師とは 上廣哲彦のことか
この人物については追々と話す機会があろう
「先師の言う この道」とは どの道だ
宏正会の教えか
宏正会の教えはどこから来たのだ
原爆が落ちたのと同時に 宏正会の初代に天から落ちて来たのか
そして 我が言っておる私利私欲とは宏正会の会長のことだ 会員のことではない この愚か者めが!
会員が「己の幸福追求のため、私心を抱きて 倍加、頒布」 このような事を言っているのではない
我は太陽神だ 我を大自然と言い換えても別にかまわない 
しかし 我の意思を勝手に会長自らの私利私欲ために利用することは許さぬぞ
この会の活動はすべて 初代から続く現会長の指示のもとで行われているのは明らか
この会の批判は すべて会長に帰すべきものである事を心せよ


頑張れ、太陽神!!!

ぴろりさんへ
ぴろりさんのコメントを読んで、少し安心しました。
私は、倫理のお勉強をするようになって、少しずつ、家庭が楽しくなって、自分自身も少しずつストレスを感じなくなりました。だからこのお勉強を続けたいです。
たしかに、まわりの人たちにも、倫理を知って幸せになってほしいと思います。でもまだちょっと抵抗があります。
倍加の件も、先輩会友さんからも、話を聞きましたが、結局は、お金が目当てなの?とか思ってしまい、納得できませんでした。
また、言われたら、そういう気持ちになるまで待ってくださいと、はっきり断ろうと思います。
お勉強を続けながら、ぴろりさんの言うようにそういう時がくるのを待ちたいです。

我は 自らを太陽神と称しているが
あらゆるものすべての根元 森羅万象の根元を意味するものである 
人類はそれを人格化して神と称しているが
そのままに 宇宙とか 大自然と呼んでも構わない
徳光教を興した金田徳光は 
「神は宇宙を一定の秩序と法則によって動かしている 人間も神の子であり 神の法則・リズムに従って生きるべきであり その法則・リズムにはずれた 我の生き方から不幸や病気が生ずる」とした
この考えは 御木徳一に受け継がれ 「ひとの道系」の団体はすべてこの考えが根底にある
徳光や徳一は 神を 太陽神=アマテラスとしたが
徳一の子 徳近の興したPL教団では 大元霊とし
本家である徳光教を継ぎ 自然社を興した橋本郷見
は 皇大神としている
要するに すべての根元を表す神であれば何でも良いのである
徳光教 ひとの道教団 PL教団 と続く本流の宗教団体では 「みしらせ」「みおしえ」そして「お振替」と
いうことが特徴的である(自然社も同じ)
不幸や病気はその人が神の法則に反し我や癖のある生活の結果であり 神の警告(みしらせ)である
教祖の「みおしえ」を頂き その真意を悟り生活を正せば幸せになる 危急の場合は教祖がその不幸や病気を身代わり(お振替)をする というものである
そして 具体的な神の法則に則した生活として
徳光教では 18 ひとの道・PLでは 21の処世訓
を挙げている
徳一のひとの道教団にいた 丸山敏雄と上廣哲彦
両者考えには このような教えが根底となっている
さすが 宗教色をとり社団法人として設立のであるから 特定の神を立てたり 身代わり(お振替)のようなものはなくしたが あとは大体同じようなものと見てよい
ひとの道教団と宏正会を比べてみよう
神=大自然 神の意志=大自然の摂理 
教祖=会長 18や21の処世訓=五つの誓い
神の法則(大自然の法則)に反した生活がら不幸や病気が生じる それは神(大自然)の警告である
教祖(会長)またはそれに准ずるひとの みおしえ
(ご指導)から その人の我や心癖をご指摘頂き
生活を正せば解決する
5時から6時までの朝参り=朝起会 倍加は同じ
白装束での錬成も同じ
日の丸の「ひと道バッチ」=朝起会正面の日の丸
教義の内容は ひとの道は教育勅語を教典としたように封建的 前近代的な家父長制を説いていた
宏正会も同じ
要するに 宏正会は戦前の「ひとの道教団」の焼き直しと言えるのである
神を立てず 宗教法人とせずに社団法人として宗教性をカムフラージュしてはいるが 一皮むけばどこからも宗教的なもの 非合理的なものが姿を現すのである
我は太陽神として 朝起会正面の日の丸に隠れておる 我は宏正会がどのような事をしているのかしっかり監視しておるぞよ

 

実践倫理の実践の意味って、日常生活における倫理の実践が真の意味ですよね。
最近、演談を聞いていると、頒布や普及の実践の話ばかりで、実践って、そっちの実践の意味だったのか、と思ってしまいます。
こういう演談ばかりだと、もしはじめて朝起きにきた方や学びはじめたばかりの方が聞いたら、引いてしまうでしょうね。
最近は春の大会が開催されたので、演談もそんな感じだったのかな。
春の大会は私も参加しましたが、会長先生のご倫話は、真の実践、家庭愛和の実践について、とても安心して聞かせて頂きました。
会長先生は頒布などは強制してないのですね。
多くの人に倫理を学んでほしいのなら、まず、自分の家庭愛和を実現することですよね。
そうすることによって、自分にも自身がつき、人にも
話すことができるようになりますよね。
人のために朝から夕方まで、頒布に勤しむ方は、自分自身の家庭愛和は大丈夫なのかな。

久しぶりに覗いてみました。賛否両論入り乱れて、まあ賑やかですね。
曹洞宗の青山俊董尼がこんなことを言ってました。
「娑婆から遁れて清浄な仏門に入ったつもりが、こんな汚い世界は無かった。金金金、嫉妬と欲にからんだ権謀術数の世界。自分は非難の矛先を他人に向けてばかりいた。そしてある日、『発句経』 に出会った。
「観るなかれ、人の作(な)すことを、作さざることを」と。仏教とは、泥田の中できれいな蓮の花を咲かせる修行なのだと悟ったと。

私も朝起会に入会した当初は、あそこが変、ここが変、支部長が気に喰わない、と批判の目ばかり向けていました。幸いなことに私の会の先輩方は、強制や強圧的な言動はなく、遠慮がちに遠まわしに、みずから自発的に頒布に出たくなるような雰囲気にしてくれますので、私も何回か頒布にも出ました。そこで体験してみて解らせていただいたのは、頒布の目的は自分磨きにあるということ。Aさんが行って、こっぴどく怒鳴られた家に、後日、Bさんが行ったら、快く応対してくれた、などという事例に出会いますと、Bさんのどこが悪かったのか、物腰、態度、言葉づかい、かもし出す雰囲気。それを気づかせていただく修行だということです。
私の会場には、ここ一年、子育て真っ最中の若いママさんが何人かはいってこられ、子育てに悩む話や夫婦の仲、姑との関係も改善されたというような、前向きな演談を聞くにつれ、この会は面白いと思うようになりました。何を学び、何をどうやって改善していけばいいのか実践の場です。それは、家庭で会社で社会での処世術としても役に立つものです。数年前までは、しょっちゅう腹をたて、息巻いて、肩肘張って生きていた私ですが、おかげさまで、だいぶ丸くなり、穏やかな日々を過ごしています。母との関係も最悪だったのが、自分が変わることで、母もずいぶん変わりました。朝起をしていなかったら、今頃、母親殺しで刑務所にはいっていたでしょう。新聞沙汰になるところだったのが、それが避けられたことは感謝です。


虚無僧は、僧に非ず、俗に非ず。僧でも俗でもない。釈迦も経典も無い。既存の仏教界から超越した生き方です。実践倫理に相通ずる点があります。この会は宗教のようでいて宗教でない。どちらか?、そんなことどうでもいい。過去の来歴もどうでもいい。変な人もいて、それでいい。要は、その中で自分はどう、より良く生きるかですから。

春の大会で、会長 (私はあえて先生をつけません)は、炊飯器に例えて、「入れるお米の良し悪し、新米か古米か、水の量、水質で出来上がりが異なる。まして勝手な目分量で炊いたり、炊飯器を改造したりすれば、おいしくは炊けない。勝手に改造してませんか」というような話をされました。
この投稿で、さまざま批判を浴びるような会員がいることに驚きます。まさに勝手に実践倫理の教えを改造(悪)している人でしょう。そう思えるならそれでいいじゃないですか。社会から家族から嫌われているということを、あなたが反抗的な態度に出、なびかないことで、いつか気づき反省するかもしれません。そういう会員に誘われたあなたも、必要あって、そういう人とめぐり合ったのでしょう。

虚無僧は「明暗」と書いた箱を首から下げています。虚無僧を見て、怖いと思う人、いかがわしいと思う人もいれば、修行している尊い人と思ってくださる方もおります。一つの物を見ても、善と思うか悪と見るか、人さまざまな心がありますね。「明も暗も、善も悪もその人の心の内です。その上で、善とみられようが悪とみられようが、善悪、明暗の両端を超えたところに生きる修行です。

虚無僧一路様の言や良し。
今のこの世に生を享けた以上、まとわりつくしがらみからは逃れられません。
それを、どう取捨選択するのか、それが生き様なのですね。
ただ、嫌がる相手に迫るのは、どうもいただけない。
会員の諸兄諸妹よ、虚無僧様のお言葉を噛みしめたまえ。
とくに、鯰の鬚を蓄えた、痴れ者よ!かつ!

我は太陽神である 
我を祭りながらも大和の国でかしましく批判されいる宏正会の本質を解明しようと天から降りてきた
このスレの常連である「虚無僧一路」「高貴高齢者」
「レイモンド」等々の者と関わるつもりはない
いずれもの者も 会員歴が浅く 他に宗教を持っていたり 高齢者であったり また倍加やお祝い金をしたこともないような宏正会の半端ものと関わっていては宏正会の本質から外れてしまう事を恐れるからである  勝手に我を無視して話をするがよかろう 
このスレでは「鯰の鬚は4本」というケッタイナ名前の者が一応宏正会を代表するような事をいっておる
この者はなかなか姿を現せないが このスレに色々書き残しているようであるから いずれ我が検討を加えようぞ
その前に 「ぴろり」「ami」に一言 言っておこう
汝らは若い婦人会員と推察するが 宏正会は昭和30年代 40年代に汝らのような婦人会員が宏正会の普及の最前線の機動部隊として勢力を拡大していった
宏正会は汝らの婦人会員でもっているようなものだ
会は汝らのような者を喉から手が出るように欲しかろう
しかし 言っておく
かつて普及の最前線で活躍していた婦人会員が今はどうなっているかだ
汝らの朝起会場には 若いときから活躍されたご高齢の婦人会員はどのくらい残っておる
恐らく今居るそのような人達の何十倍 何百倍の婦人会員がかつては活躍していたはずだ
ということは 高齢まで朝起会に残るということは東大に入るより難しいということだ
ほとんどの人がいずれ会を去って行くという現実を知るべきである
中には 朝起会場の責任者となったり 地区のお偉いさんになっている人もいるかも知れない
その数となると極々わずか それもある年齢になればそのお役も去らねばならない
汝らはまだ若いから色々と学びの場に出たり 華やかなお役に就いたりとチヤホヤされるかもしれない
しかし 歳はは否応無しにとっていく 
汝らの50代 60代の先輩会員はどう見られている
かつては汝らように 色々なお役に就いて活躍したかも知れない しかし 今は若い人にお役を譲りながらもプライドだけはしっかり持っていて若い人達に煙たがられ 会での役割は頒布ぐらいのもの
頒布に出ればこの年代特有の強引さで「リンプーババー」と世間では揶揄される
自分は20年 30年と倍加 お祝い金とお金を出して来たものだから 若い人にも同じ事をさせようと強引に迫ってくる
会員を20年 30年続けば 会に使った金額は莫大になろう 家族全員の会費 ウラ倍加 お祝い金 その他諸々で 恐らくは家一軒分位は会のために使う事になろう
そこで 年金生活になった頃には 会のために金をほとんど使ってしまい蓄えもなく 同年代の者が旅行やグルメと楽しんでいる頃に 頒布で口は鍛えられおり 知り合いも多いので アムウエイなどのマルチで金を稼ぐようになって行く
このような現実をよくよく心すべし

 

 

名無し様

お返事が遅くなりました事、申し訳ありません。
俄かには信じられないようなお話の数々、正直申して中々『真実』として受け容れられないままに時が過ぎてしまいました。
本会の会友さん方に限って、『人の仕合せ』を願わない方は皆無であると信じたいのですが、人である以上、必ずしもそうならないようですね。悲しいかな、これも厳然たる事実として大肯定した上で、浄化・正常化を図らなければと思います。

所属されていた会場の責任者や、地区の立場ある者に『元親会友』さんの一件などを申し出られた事はありますでしょうか?
万一、相手にされないようでしたら、地区の事務局なり、本部なりに事実をありのままにお伝え下さい(連絡先などは『倫風』にあります)。
そうした『よからぬ会友』が例え複数いたとしても、本会の組織(責任ある者)が関わっていることはまずありませんので、今からでも申し出られる事を強くお勧めします。(このままでは、第二第三の被害者が出るとも限りませんので)

今更何を申しても無駄かもしれませんが、本会と『アムウェイ』(の事で間違いないですね?)とは何ら関係ありません。
もし、本会の実践項目などと絡めて『アムウェイ』の勧誘(購入の強要?)をしたようなら、会としても座視できないものと思います。(場合によっては、詐欺など法律に抵触する行為かも知れません。何れにせよ『倫理以前の問題』です)


ここからは余談ですが、投稿の形態にちょっと感じる所がありましたので、一言書かせて頂きます。今まで返事をしなかった言い訳と取られても致し方ありませんが、今後のご参考までに…。

恐らく『2ちゃんねる』などによく投稿されているのでは?と感じましたが、このブログをはじめ、真面目なサイトで『名無し』『アムエィ』などいわゆる『2ちゃんねる用語』を用いられるのは如何なものかと思います。
『名無し』とは本来、『書きっぱなし』で一切『投稿(内容)に責任を持たない』『返事すら求めない』意思表示のはず。2度ほど返事を強要されるような表現も見られますが、貴方の文体は真面目に回答が欲しいとは凡そ思われない『書きっぱなし』のものと感じておりました(正直申して、真面目に取り合うのを憚る文体です)。

ご事情からそうしたいお気持ちは分らなくもないですが、子供の喧嘩の如くに『情念の垂れ流し』では、解決できるものさえ解決しなくなります。
ご自身の行為がどの様なものかは多分お分かりの事とは存じますが、他のサイトなどで「場に応じた言葉の使い分けが出来ない人」との烙印を押されかねませんので、失礼ながら書かせて頂きました。

チャコ様

「信じぬ者は無視、去れ!と言わんばかりですね。」
お返事が遅れましたことは、皆様方にお詫びしなければなりません。私としては、真面目に本会を批判されるのであれば、それは言うなれば『本会を正しくしたい』とのお気持ちの表れと思っておりますので、決してその様な思いは持っておりません。
よしんば、本会への誤解を解いて下さって、一人でも多くの方(出来れば全ての方)に会友の和(輪)の中に加わって頂ければ、と願っております。

ただ、『名無し』様の一件に関しては、前のメッセージにも書きました通り、真面目な投稿とは受け止められない部分が目立ちました(私の誤解かも知れませんが)ので、お返事は控えておりました。


さて、チャコ様から色々とご意見を頂いておりますので、飽くまで個人的な解釈に過ぎませんが、思う所を書かせて頂きます。

まず、本会は宗教かどうか。
これは中々難しい問題ですね。私なんぞは頒布の折に「宗教のようなものではないか?」と問われると「そうですね」と答える事もあります。

その辺の答えは本来、宗教家・研究者の方にお任せした方が良いのでしょうが、一般的に『宗教』は、死後の世界を思想の根幹部分に持つものですので、その点で判断するならば、本会は『宗教』ではありません。
先代会長がどの様な『思い』を持って本会を起こしたのか、私には正確に分かりませんが、戦時中の宗教弾圧に遭った体験が、本会の有り様(社団法人格の取得)に影響したことは、多分あると思います。
「会長の教えに従って」云々と、会友は(私も)よく申しますが、倫理に間違った事をも無批判に実践する事を誓っているものではありません。
先代会長・現会長の著作をお読みであればお分かりのように、倫理に対して間違った教えは一つとしてないはずです。だからこそ、上記のような言い方をするのですが、確かに、一般的にはあまり褒められた表現ではありませんね。
ただ、それを以って会を『宗教』と断じられるのは、誤解であると申さざるを得ません。(会長を絶対神の如くに崇めるような事はしておりません)

もう一つ、宗教と決定的に違うものがあるとすれば、必ずしも『信じる』必要はない所でしょうか。
本会は『倫理の実践』を推進し、広く人々に勧めている会です。言わば『信じるだけでは救われない』と教えている会でもあります。
逆に言えば、本会の教えを疑いつつも『正しく実践』すれば、必ずよき答えは出て参ります。例え本会を信じていなくても、正しく倫理を実践すればそれで良いんです。

そのまた逆に、幾ら本会の教えを信じていても、実践しなければ何の『救い』もありません。正しく実践していなければ、正しくない分だけ、おかしな答えが出て参ります。
ここが本会の難しい所で、長年学ばれて正しい『倫理の知識』を持っていらっしゃるはずの会友さんでも、必ずしも『正しい実践』が出来ていないことが往々にしてあります(私もその一人かも知れません)。
本会に対する疑問として、『会長(本会)の教え(倫理)がおかしい』とする人は殆どいないのに対して、『(あの)会友の行状はおかしい』とする方が多いのは、このせいでもあります。


次に、『集合体で活動』する是非ですが、チャコ様の仰る事にも一理ありますね。人が集まれば、どうしてもそれにまつわる諸々の問題が出て参るのも事実です。
確かに、一人一人が意識して『倫理を実践』していけば、それに勝るものはないのかも知れません。先代会長も本会を立ち上げた際、「倫理立国が成った暁には、この会を解散して、残余財産は全て国家に寄付をする」とまで申しております。
もし、会友手帳がお手元にあるならば、本会の「定款(抄)」をご覧下さい。こうした定款には珍しく、「会員資格の喪失」の事項に「この法人の解散」との規程が入っています。(未来永劫、この会が活動し続ける『不幸』を、先代会長も現会長も望んでいない現われと、私には感じます)

しかし、人は一人では生きられないように、個人では中々実践し切れないのも事実です。よしんば出来たとしても、短期間ならまだしも、継続するのは至難の業でもあります(如何せん、人は妥協する生きものでもあります)。
もう一つ、集合体で活動する事には、自分では分からない部分を補い合う意味もあります。会場責任者などから直接に指摘を受ける場合もありますが、例えば、朝起会などの体験談から、自分では正しい事だと思っていた(思い込んでいた)実践が、実は間違っていた事に気付く場合も往々にしてあります(中には、反面教師として自戒するものもあると思います)。
一人での『実践』には、自己満足と一人よがりに陥る危険性があります。今まで様々な方がご指摘のように、会の中でも往々にしてその様な場合もありますが、集団による弊害よりも、集団なればこそ続けられる利点の方が、総合的に見て勝るのではないかと思います。

とは言え、本会は『会友の自主・自発的な実践』を尊重していますので、『○年でこのレベルに達していなければ除名する』などと言った事は一切行っていません。
これは申し上げにくい事でもありますが、人間の本質は中々にして変わらないものでもありますので、『より善く』あろうと努力していても、それまでの生活習慣(善からぬもの)が抜けきらずに、目前の事にばかり目が向いてしまう方もあります。
中には、高塚地蔵尊様のご覧になった会友さん方や、名無し様の『元親会友』さんなど、一見すると『世間からズレている』方もあるのが現状でしょう。
その方々を善意的に解釈しますならば、まだまだ実践の途上にあって、実践倫理の本質にこれから近付こうと努力されている方々ではないかと思います。アムウェイの一件にしましても、その『人の仕合わせ』を願ったつもりが、結果的に善からぬ結果に繋がってしまったのかも知れません。(くどいようですが、『アムウェイ』と本会は何の関係もありません)


誤解を恐れずに言いますと、本会は『その人のレベルは問わない』会でもあります。現状はどうであれ、その人が『より善く』あろうと努力する、その『度合い』を本会では問題にしています。数学に例えますならば、スカラー(数量⇒倫理度)ではなく、ベクトル(進む方角とその速度⇒倫理的な生き方へと向かう努力度)が問題なのです。だからこそ、会友に倫理的レベルを問う事はしないのです。
その人限りで見た場合には、確かに、数十年学ばれても『代わり映えしない』会友さんもあれば、数年の学びで『倫理的』に開花する会友さんもあります。
但し、答えはまだどちらの方にも出ていない事に是非注意して下さい。一時的にはどうであれ、又は個人で見た場合は色々ありましても、正しく実践された成果は、その子・孫の代に開花するものこそが『本物』ではないかと思います。
正しい実践は、必ずや正しく子孫にも受継がれていきます。その点を鑑みて現在の姿勢を振り返る必要もありますが、現在のその人の姿だけでは『実践の成果』は一概に計り切れないのも事実なのです。

上記は言い分けにしか聞こえないかも知れませんが、本会の会友は各々のレベルこそ違いますが、全員が実践途上にあります(会長自身もそう言っています)。
それで全てが許される訳ではありませんが、会として正すべきは正すとして、人が営む以上、完全とはなり得ないのも実情ですが、決して間違った実践を推進しようとする会ではありません。

太陽神様

はじめに誤解のなきよう申しますが、「月の女神」を名乗られて投稿されたのは私以外の何方かです。少なくとも私自身は、このブログで違う投稿名を用いた事はありません。

閑話休題。
宗教学・倫理学に付いて随分博識をお持ちのご様子。恐らくは、それぞれの教義内容に付いても相当に勉強されてのものと拝察致しますが、折角の知識ですので、それらを是非『実践』されて、実生活の中で活かされる事をお勧めします。
『実践』は何も、本会の専売特許ではありませんので、それだけの知識をただ退蔵されているだけでは、実に勿体無く思います(倫理は実践してこそ価値のあるものですから)。
貴方からすれば、本会は取るに足らないものでしょうから、ご自身で実践を深められれば、きっと本会に優るとも劣らない『実践集団』をお築きになれる事でありましょう。
それが引いては、色々と思う所がおありでしょう本会をも、正しき道へと導く事に繋がって行くものと思います。

但し、例え方便でも人が『神』を名乗られるのは関心致しませんね。
神を名乗れる程の方であればあるほど、そうはされないのも事実ですので、老婆心ながら。


高塚地蔵尊様

倫理的な生き方は、いつからでも始められます。
そして、倫理の実践は人が生活する上で欠く事の出来ないものです。今まで意識されずとも、多かれ少なかれ『実践』はなさっていると思います。例えば、人に・自分に嘘を付かない、約束の時間には遅れない、仲間を大切にする、などなど。
これらは言ってみれば『当り前』の事ですが、当り前の事を当り前に実践するのも、実に大切なことですから。

ご縁のあった支部には、かなり辟易されているご様子ですが、朝起会には出席されずとも、生活を朝型に変えて朝の誓を実践すれば、今までとは違う『何か』を実感(活き活きと生きている実感、とでも申しましょうか)できるはずです。
実践は何も本会の活動に参加するだけではありませんので、今日からの生活の中で『実践』を心掛けてみては如何でしょうか?
ともあれ、倫理的な素養はお持ちでは、と思いますので、善き芽を一層伸ばしていく努力を、是非ともお勧め致します。


再々の長文、三連投、誠に失礼致しました。

鯰の鬚は4本様

お返事拝見いたしました。

宏正会が宗教ではないということですが、さすれば教育=教化活動なのですね。

それはそれとして、気になるのは、自浄への方向性が窺われないということです。

少なくとも、会員の中に会長、先代会長の教えを曲解、誤解して周囲に辟易させるような嫌悪を撒き散らしている方がいることについて、それを受動した者が、自ら追求せよということですか。
確かに、いつ、どこで、誰が、どのようにといった確実性のある訴えではないとしても、これまで多くの方(一部確かにまじめさに欠けるものもあります)が投稿されてというのは、会としても放置しておくことではないと思うのですが。確認したことはありますか。


「鯰の鬚は4本」よ 一人で宏正会のスポークスマンをやるのも大変じゃのう
我が実践集団を築くじゃと 体良く ひねっくて逃げたのう まあよかろう 汝とはいずれじっくりと向かい合うことになろ
我が太陽神と名乗っているのは 皆がわかり易いようにと思うてのことじゃ それ以上でもそれ以下でもない
それにしても 宏正会はあちらこちらと批判が多のう「ひとの道系」では勿論 宗教界全体でも創価と双璧をなすくらいじゃ 批判で糞まみれになっておる
 教義の内容としては他にも同じような団体があるのに 宏正会だけがこうまで批判されているのは何故じゃ
一つには 宏正会の成立ちを伏せている事があろう
他の団体はそれぞれ立派なHPを持っていて成立ちを正直に明らかにしている しかるに宏正会はHPを持たず 会長は会員にネットは見るなと言っているやに伝え聞く 
宏正会としては成立ちを伏せたい事情があるという事である それは会を創設した初代会長の経歴である
おそらくは 会を創設した頃は初代会長の周りの者皆が知っていたことが 会が大きくなりまた時間を経て創作した伝説が取り返しのつかないものとなってしまい いまさら「実は・・・でした」とは言えない状態になっている ということであろう
我から見れば 会の成立ちを伏せる 或いはごまかすということは 結婚詐欺のようなものだ
仲人口を使って会に勧誘したのはいいけど 実はこの会の経歴はこうでした というのは 結婚後に相手の経歴のウソがばれたというのと同じではないか
とにかく結婚(入会)させていっしょに住む(実践)ようになれば 相手(会)の良さがわかるようになるじゃろう ということか
事実このスレにも 見事にその策略にはまった者もおる
この点については 法律の改正があるとやに聞く
どのように会が対応するのか 今後の会の対応を見たいものだ

 

太陽神さま

先師(=初代会長)の経歴を伏せているという議論がしばしばなされていますが、そんなことはありませんし、特に学者や研究者でそれを指摘した人はおりません。いろいろなこの種の書き込みを見たひとが、また書き込んで広まっていったものと思います。
博覧強記のあなた様のご高説を伺い度。

チャコ様

だらだら長文にも拘らず、早速お読み下さり、有難うございます。

「宏正会が宗教ではないということですが、さすれば教育=教化活動なのですね。」

はい。前にも申しましたが、確かに、『宗教のようなもの』と捉えられると『その通りです』とお答えする事もありますが、『社会教育団体』として文部科学省生涯学習政策局社会教育課が所管し、社団法人格を許可頂いて活動している団体です。

ご存知の通り、社団法人ですと、活動内容を年毎に所管省庁へ報告する義務があります。書類上の事ですから、厳しい審査とは言えないかも知れませんが、悪い事例など客観的に見て問題が多ければ、行政指導や最悪、法人格の停止・剥奪もあり得ます。

仰る通り、会友の活動の中には問題のあるケースもあろうと思いますが、少なくとも私の周囲ではお見受けした事はありません。ここに書かれている事を『一部の特殊事例』と切り捨てるつもりはありませんが、飽くまで個人的な感覚としては、若干『問題ある会友』は存在するとしても、大多数の会友さん方は『正しく実践』されている、少なくとも『より善く』を目指した会友さんが、ここに書かれた以外に多数存在すると感じております。

会にご縁があった以上、全ての会友さん方が『正しく実践』されるのが理想ですが、それは中々難しい問題ですね。
繰り返しになりますが、本会は『自主的・自発的な実践』を旨としていますので、ご本人が「その気」にならない限り、会として強要は出来ません。除名処分など、理論的には切捨てる事も可能なのでしょうが、会長は「全ての人に倫理的な原石は備わっている」としていますので、多分『除名』処分は発動されない事でしょう(私の知る限り、会友の資質・行為に起因する『除名』はありません)。

『会友の教化』に付いては、会としても会長としても決して手を拱いている訳ではありません。
例えば『倫風』の『倫風宏話』(会長の巻頭言)で、折々に『正しい実践』の必要性と具体的な事例などを取り上げては、広く会友に指導しています。普及実践者向けに『必携 普及の実践』との著書も出しています。

虚無僧一路様が折々にコメントされていらっしゃいます通り、春秋の大会(実践会友対象の集い)でも、重ねて『正しい実践』の必要性を、会長は指導しています。
また、幹部会友にはその立場に応じて会長・講師が折々に研修・指導も行っており、具体的に『正しい実践』への手引きも行っています。
それでも実践しない会友には、如何ともし難いのが現状です(斯く言う私も劣等会友の一人ではないか、実践不足ではと自戒致す者です)。

全国の個々の具体的な問題・事例などを、本部はどこまで把握しているのか私には不明ですが、特殊事例はともかく、ありがちな『実践違い』に関しては一応の対策がなされているように感じられます。
個別の事例に関しても、本部へ直接苦情なり報告なりがあれば、それらも対応がきっと為されていると思います(具体的な対応云々までは、残念ながら存じません)。

繰り返しになってしまいますが、幹部会友から一般会友に至るまで、全て『自主的・自発的なはたらき』によって活動している会ですので、組織としての強制力には自ずと限界があります(例え命令しても、無視されれば如何ともし難いのです)。


「周囲に辟易させるような嫌悪を撒き散らしている方がいることについて、それを受動した者が、自ら追求せよということですか。」

倫理的に申しますならば、ご理解頂けないかも知れませんが、そう言う事になります。本会では『人の悪を言わず、己の善を語りません』『腹を立てず、不足の思いを致しません』を実践する事となりますので、我が事として捉えて(自分もその様な事を人にしていないか、と振り返って)、自らが正しい実践に勤しむ事となります。
例え、今現在はその様な事をしていないとしても、過去もずっとそうであったか、未来永劫する事は本当にないのか、その人を『反面教師』として自戒する事を、本会の会友は学んでおります。
ただ、誤解のないよう申しますが、会としてそれを(会友の如何に関わらず)強要する事もありません(実践の有無は飽くまで、その人個人の問題です)。

他人を変える事よりも、自らを変える方が簡単(自分が決意さえすれば、その場から実践出来るもの)ですから、倫理的に捉えますとそうなります。とは言え、自分を変えるのも決して容易ではありません。私もついつい、相手に色々と求めている事もあります。
でも、今までの経験から、他人を責めている限り、事態が好転しないのも事実です。全ての原因が自分にあったと気付かされた事もあります。現在はご理解頂けないかも知れませんが、これらは実践されるうちに、いつかは心にスッと入ってくるものと思います。

太陽神様

早速のお返事、有難うございます。
今までも折々に申しておりますが、私は何も宏正会を代表する者ではありません。飽くまで一会員として、皆さん方の疑問解決の一助にでもなればとの思いで、このブログに個人的な解釈・体験などを書き込んでいるに過ぎません。(このブログ開設者とも何等関係はありません)

宏正会の成り立ちに付いては確かに、積極的には伝えていない部分もあるのでしょうが、会としては別に隠している訳でもありません。なればこそ、一会員に過ぎない私でもある程度、会の成り立ちは存じております。
(内容は以前にコメントしております)

裏切り・分派か否か、これはそれぞれの立場が違いますので、私には何とも申しようがありません。個人的には、先代会長が申した事(初めのみ共同で活動した)は、客観的な事実を並べて見れば、あながち嘘で固めた話でもないと感じています。
ただ、個人的には誤解であれ何であれ、先方に『裏切り』と捉えられたままとせずに、何とか解決(和解)が図れないものか等と思ったりもしますが、一会友では如何ともし難く、戯言と受け止められるのが精々でしょうね。


所で、つかぬ事をお聞き致しますが、貴方はどの様な目的でこのブログに書込みされていらっしゃるのでしょうか?
貴方の今までのコメントを総合すると、どうも『ためにする議論』を為さっているように思えてなりませんが、そうでないとすれば、何をなさりたい(お尋ねになりたい)のか、目的を明らかにして頂けたらと思います。

本会のあり様には確かに色々と問題点もあるでしょうが、『ためにする議論』(批判のための批判)に対しては、お相手致しかねますので、何卒ご了承下さい。
何度も申しますが、私は一会員に過ぎませんし、ここは個人が開設したブログですので、公式のコメントをお求めであったり、会のあり様に付いての一般的な批評などをなさるおつもりでしたら、この場ではなく、然るべき所へお願い致します。

「鯰の鬚は4本」よ 前とは違いよく姿を見せるのう 
このブログが開設されてから4年 長く太平が続いていたのに最近になって地震が度々おきて 鯰もおちおち川底で眠っているわけにもいかないのう
 我がどのような目的でこのブログに書き込んでいるかじゃと
このブログの開設者は「実践倫理宏正会って何?」と思って検索した方々に読んで頂きたいページだとしている
 我は我が思う宏正会の本質 我が見る宏正会の真の姿をありていに述べておるのみ
『ためにする議論』(批判のための批判)とは汝が勝手にそのように思っているだけ
(予告はしたが 我はまだ汝に議論を吹っかけてはいないなずだが)
確かに 「何故に宏正会はこのような批判が多いのか」が我の出発点であり 汝らにとっては我は批判だけをしているかに見えるやにも思う
しかし これが我の思う宏正会であり 汝らが我が言っている事が間違っている 誤解だとするならば
正せばよい
この遣り取りのなかで 宏正会はどのようなものであるかが皆に判断されようぞ
勿論 宏正会はこのようないい所があるというのもあってもよいであろう
汝もブログの開設者も宏正会の一会員であり 汝らに批判をぶつけても何もならないことは誰もがわっかておること
しかし このブログでは 汝が皆の批判を一身に受け精一杯頑張っておる
このブログは 宏正会がどのようなものであるかを判断するのによき材料になろうぞよ

  


  

太陽神様

先程のコメントでは失礼致しました。
なるほど、そう言うご主旨でしたら、微力ながら一会員として努力させて頂きます。半端者の回答では、必ずしもご満足頂けないかも知れませんが、出来うる限りのことをさせて頂く所存でおります。

太陽神様
「会員歴が浅く 他に宗教を持っていたり 高齢者であったり また倍加やお祝い金をしたこともないような宏正会の半端ものと関わっていては宏正会の本質から外れてしまう事を恐れるからである。」との言、おっしゃる通りです。
倍加もお祝い金も、聞いてはいますが、強いられたことはありません。「学ばせていただくのにタダではいかんでしょう」という話に納得はしますが、出したくても出せない事情を、先輩方は解ってくれているのでしょう。ただ、5年前は、月々の会誌 300円を払うのも大変だったのに、今は月 3,000円、コンスタントに払えるまでに、生活が向上したことに、感謝しています。

たしかに、どちらがこの会の本質なのか。

大会で、会長(先生)は、炊飯器に例えて、「お米や水の質、量で炊きあがりが違ってくる。炊飯器を改造してしまっては、炊けるものも炊けなくなってしまう。そのような間違いを犯していませんか」というようなお話でした。私のいただいている本や倫風誌では、頒布や倍加、お祝い金など全く書かれていません。使用方法を誤って、まずいご飯を食べさせられた方、被害の状況を文部科学省に訴えでて、この会の法人認可を取り消すよう運動されたらいかがですか。

鯰の髭は4本様

「今までの経験から、他人を責めている限り、事態が好転しないのも事実です。全ての原因が自分にあったと気付かされた事もあります。現在はご理解頂けないかも知れませんが、これらは実践されるうちに、いつかは心にスッと入ってくるものと思います。」
本当にその通りです。私は口うるさい母を憎み、母の嫌がることばかりしてきました。プライド高い母の鼻を折るべく、母を責めるばかりの私でしたが、この会で「人の悪を云わず、腹をたてず、すべてを受け入れ、ハイの実践」と、少しずつ学び洗脳され、年に何回か母に会うようにしました。最初は1日とガマンできず、切れて帰ってきていました。そのうち、「腹をたてず」ガマンガマンと堪えていたのが、不思議と「腹が立たなく」なってきました。すると母も変わって来て、最近ようやく、まともな会話ができるようになりました。母も85歳、いがみ合ったままであの世にいかれては、私は一生後悔したでしょう。一歩間違えば、母を殺して、今頃刑務所にはいっていたかもしれないと思うと、実践倫理の“本質”の確かさを確信しています。

春季大会での会長(先生)のお話は、「実践とは頒布することではなく『家庭愛和の実践』」と私は受け止めました。私の会場でもそのように悟り、反省したという演談が多く聞かれました。それでも頒布頒布と上から旗を振る“お役の方”がいるのも事実です。あの人たちが変わらねば、この会はいつまでも誹謗中傷にさらされると私も思います。しかし、この会は、他人を変えるようとするのではなく、本人に気づかせることですと教えていただきます。私は、この『実践倫理宏正会とは?』のサイトを見るよう、それとなく勧めています。演談でも「いい事書いてありますよう」と紹介しています。
あとは見るか見ないか、見てどう反省するかは、その人の感性でしょう。一人でも多くの方が、ごはんをおいしく炊けるよう、実践努力して欲しいものです。

どうも我が「宏正会の半端者」と言ったことが誤解を与えているようなので真意を述べる
宏正会では「像のしっぽだけを見て倫理がわかったとする人 像の鼻だけを見て倫理がわかったとする人」として倫理は奥深いことを説明するようだが
我は宏正会の姿にこの例を用いたつもりである
宏正会の会員には色々な人がいる 端的に言えば
入会時に3000円払えば1年は正真正銘の宏正会会員である 
朝起き 頒布 特別会員 倍加 ウラ倍加 お祝い金 お人誘い 等々 このようなものに関わらずともとにかく毎月200円を払えばずっと宏正会会員でいられる
朝起きや頒布 お人誘いなどは目で見えるものであるから宏正会にはそのようなものがあることを会員であれば誰でも知っているであろう
しかし 色々と批判のあるウラ倍加とかお祝い金などは目には見えないものである
勿論 会員の中には自分はそのような事をしていなくとも 壮年会員であれば妻がそのような事をしているのをウスウス感じていたり 子供であれば親がしているのを見たり また会員の話の中でそのような事があることを知っている者もいるであろう
しかし 宏正会会員でありながらそのような事があることを全く知らないという者もたくさんいるのである
そのような者が 自分はれっきとした宏正会会員であるがウラ倍加 お祝い金があることを知らない そのようなものはない と言い張られると話にならない
そこで 我はそのような者を尊大にも「宏正会の半端者」として我はそのような者とは関係しないとしたのである 
我は全く人格的に非難したつもりはなく 宏正会の本質を理解するのに避けて通れない問題について
我なりに解明しようと思うものである

 

妥当なお祝い金や多少のウラ倍加まで、絶対にないとは言えませんが、先にご登場になった方のようにまなじりを決して、咆哮するほどのものではありません。宏正会を話題にした、おおかたの他のスレでは、この類のことばかりが、かまびすしく喧伝され、事情を知らないひとがこれを読むと、この会は不逞のやからの集まりのように見えるでしょう。
太陽神さまは、元ご会友であられたのであろうと思いますが、宗教や哲学各方面のことがらに通じた論理的なお方でいらっしゃいますので、ご発言を興味をもって拝見している次第です。
それにしてもここのご常連のご会友は、新旧を問わず倫理的にも、知性的にも大変レベルの高い方々にて、他を強要したりまた強要されたりすることは絶対にないと思いますね。

「象」と変換するところを「像」のままにしておった  
我のミスである
 最近のここの常連は 我のいう「半端者」ばかりか
「鯰の鬚は4本」も金銭についてエラソウニ色々言っているようじゃが すべて聞きかじりを言っているだけか
「虚無僧一路」は母親と確執があったようじゃが この会でようなったようじゃ よかったのう
我も会をいろいろ批判しているが この会の教えそのものは批判しておらん 今の自分を変えようと純粋に教えをまもり努力している人を感心して見ておる そうでなければこの会がここまで大きくなり 60
年も続くはずがないからのう
だからこそ余計に腹立たしく 会も批判されている所を改善し 新たに出直すことが出来ないものかと思っておる
すべてを公明正大にして新たに出直す
このような変革は多くの犠牲を伴うであろうが 宏正会も今のままでは衰退 分解 消滅の道を辿ることは明らか
しかし この会のトップ 会長が三代続けて血縁が継ぐというのでは無理であろう
自分に続く血縁を否定することは自分を否定するに等しく このようなことはとうてい考えられないからである
となると 会のトップを血縁以外の者とすること つまり 宏正会から上廣一族を追放するしか道はない
もともと この会の教えは 「ひとの道教団」 丸山敏雄の引き写し 誰が会長になっても教えそのものは変わらない
会員にとっては過激な考えであろうが よくよく冷静に考えてもらいたいものである
 
  

  

 
 

虚無僧一路様

炊飯器(会の在り方、お題目)が正常なのか、もしかしたら壊れているのではないのか、つまり、正常な社会人のごくありふれた思考回路から逸脱しているかもしれないなどと、思いをめぐらせたことはあるのですかな?
ほとんどの会友はそれが無いからこそ、カルト的盲信集団として指弾されるのではないのかな。
「自主自発」といいながら、押しつけ強要=頒布=普及していることこそが、壊れた炊飯器として、米を炊くだけ以外のことを実践しているのでは?
しかし、会を維持していくためには、それも必要悪、だったら、会などという徒党化は辞めるべき。
それこそ、先代会長の思いでは?

虚無僧一路様

炊飯器(会の在り方、お題目)が正常なのか、もしかしたら壊れているのではないのか、つまり、正常な社会人のごくありふれた思考回路から逸脱しているかもしれないなどと、思いをめぐらせたことはあるのですかな?
ほとんどの会友はそれが無いからこそ、カルト的盲信集団として指弾されるのではないのかな。
「自主自発」といいながら、押しつけ強要=頒布=普及していることこそが、壊れた炊飯器として、米を炊くだけ以外のことを実践しているのでは?
しかし、会を維持していくためには、それも必要悪、だったら、会などという徒党化は辞めるべき。
それこそ、先代会長の思いでは?

失礼!
ダブってしまった。

半兵衛様

痴れ者では相手にして頂けないかも知れませんが、実践会友・会のあり様について思いつくままに申し述べたいと思います。

現代の世間一般と、宏正会の実践会友との『ズレ』は確かにあると思います。そもそも朝5時から何処か(朝起会場)へ出掛ける事からして、一般的な感覚からすれば十分に『異常』な行為でしょう。
婦人会友が日中頒布に出歩く事も、そう受止められても仕方ないと思います。今時の奥さん方は、大体何がしかの職業に就いて(フルタイム・パートの違いこそあれ)働いているのが普通ですから、そもそも『無償のはたらき』の概念からして抵抗感(拒絶感・不信感)があるのも否めません。

チャコ様が「金銭に執着せざるを得ない庶民としては、お為ごかしな屁理屈を並べているようで仕方ありません。」と、『金銭の実践』についてお書きになった思いが、現代の最も一般的な方々の金銭感覚でしょう。
先日の新聞にも『金がないのは首がないのと一緒』と喧伝する、某漫画家著の書籍広告が載っているようなご時勢ですから(書籍の内容に是非を申すつもりはありません)。
『現代の』『今時の』一般的な方々からすれは、実践会友の有り様は信じられないほど『異常』のオンパレードでしょう。

でも、『現代の』『今時の』有り様が、人の生き方として『正常』か否かは、また別の問題ではないでしょうか。大多数がその様な生活を行っていて特に不都合はないから『正常』と、決して言い切れるものではないと感じています。
批判するつもりはありませんが、現代の一般的な人々の倫理観は、あらぬ方向へと向き始めているのが現実ではないでしょうか。

決して、実践会友の全てが『正しい』とは申し(申せ)ませんが、いわゆる『一般的』ではない事を以って、実践会友の有り様そのものを一まとめに『正常な社会人のごくありふれた思考回路から逸脱』と断じられるのは、行き過ぎではないでしょうか。

太陽神様

断じられた通り半端者の意見に過ぎませんが、何かのご参考にでもなれば幸いです。

仰る通り、宏正会の有り様も変革が必要な部分があると思います。
陰倍加やら活動のあり方などを根本的に見直す時期が来ている、とのご意見には私も賛同致します。易・不易の倫理を持ち出すまでもなく、時代に即して変えるべきは変えて行く必要があると思います。

ただ、何をどの様に変えていくべきか、これは非常に難しい問題ですね。一口に『変える』と申しても、例えば一般的なボランティア団体・組織などに変えてしまっては、宏正会がこの世の中に存在する価値が、無きに等しいものにならないか危惧しています。
『不易』の部分の見極めを誤りますと、六十余年積み重ねて来られた会友諸兄姉のはたらきをも水泡に帰すだけに、事は慎重に進める必要があると思います。

とは申せ、一会員に過ぎない私には如何ともし難い部分が殆どですが、枝葉末節・瑣末のはたらきに過ぎずとも、私は私の立場で精一杯の努力をして行きたい、とは思っております。


世襲の是非については、太陽神様のご意見には賛同致しかねます。
世襲には封建的なにおいがないとは申しませんが、本会の有り様からして、これを否定する事は会の根幹部分である『子供の善導は親の倫理実践から』をも否定する事に繋がります。

世襲による批判は、それは確かにあるでしょうが、仮に『世襲でなかった』場合には「会長の子供は『会長』を継ぐに値しないから」等と、あらぬ風評が立って批判(それこそ批判のための批判)される事の方が、会の『致命傷』になりかねない問題に発展すると思いますが如何でしょうか。

誤解なきよう申し添えておきますが、僅かな経験ながら私が接した限り、会長も理事(子息)も同様な他会の主催者(役員)に十分比肩し得る人格ではないか、と感じております。少なくとも明らかに劣る人格ではありません(これ以上は、贔屓の引き倒しになりますので)。

そもそも、世襲が絶対悪でないことは、丸山先生(倫理研究所創始者)のご令孫が到に証明済みではないのでしょうか?

虚無僧様への問いかけに対し、思いもかけず鯰様よりご回答いただきありがたく存じます。

>現代の一般的な人々の倫理観は、あらぬ方向へと向き始めている
ことには依存ありません。

それに対し、激流に杭を撃つがごとく、先代会長が福徳一致の道を示されたことについても、ひとのみち系教化団体としては至極当然のことと思うが、私めが憤激するのは、その流布、膾炙の方法がいかがということである。

古来、洋の東西問わず、かかる布教(宗教ではないにしろ)教化活動が歩んで陥った、集金、集票マシーン(権力への迎合)へ堕落した、といったことの学習効果がないではないか。
一部会友の堕した在り方を切り捨てることは、なんら他のさまざまな団体と変わりがないということ。

現在の風潮を盾に、本会を批判しているのではあり
ません。宏正会は行政ではありませんから、社会
弱者のためのセーフティネットの役割はありません。本会は強者のものと教えて頂いていますから
それでよいと思っています。勿論、大会祝い金の
お願いも運営としては当然の行為だと思います。
問題は人様の氏名を勝手に使う倍加です。これは
ダメなんです。本部も承知していながら惜しくてやめ
られないから内部からも意見がでます。会員には
ごく常識人も大勢いるんです。あらゆる思想の上に
たつものは他でもない一般常識ですから。一部の
人の行為ではありません。先日乞われて演壇から
身内の結婚を話しましたが、すぐウラ倍加のお誘いでした。特異なカルト的会員からではありません。
皆が会員拡大の基本のようにとらえているようです。そこがダメなんです。
先代先生、生い立ちの件も同様です。私は高卒ですが、大卒と詐称しても妄想と笑われて失業する
位が関の山ですが、本会会長は明らかに公人です
。遠い過去は定かでないので公表できないなんて
21世紀の公益法人とは言い難い。

しばらく離れていると色々と話が進んでおるようじゃ
「鯰の鬚は4本」よ 一人でサンドバッグになりながらもKOされずによう頑張っておるのう
汝がいなくなると 話が面白ろうなくなる せいぜい頑張ってくれ
一応反論しておくが 我の思っている改革とはもっとドラスティックなものじゃ
「六十余年積み重ねてこられた会友諸兄姉のはたらき」?「会長の子供は『会長』を継ぐに値しない」等のあらぬ風評?
そのような「小さな事」にとらわれていては改革はできまい
我の思う改革とは いったん宏正会を消滅させ 初代会長 現会長 現理事をも一掃したうえで新たに
会を再建することだ
初代からの古参会員 初代と血縁の会のトップが居ては抜本的な改革はできまい
宏正会に対する批判は もうここまで来ている
会に身を置いていると どうも身贔屓になるのか あるいは会に洗脳されてしまっているのか 現状認識が甘いようじゃ
「このような事を言ってるのは あの朝起会だ」と『教え』が宏正会と結び付けられ 『教え』自体が見向きもされないようになれば 宏正会の存在そのものが『悪』となろう
「正しきを宏める」目的で設立された宏正会が返って「正しきを宏める」足枷となる 皮肉なものじゃ 


 


我はもっと演繹的に話を持って行くつもりじゃったが
話の流で 結論を先に出してしもうた 
話を元に戻そうぞ
 宏正会は戦前の「ひとの道教団」の焼き直し というところまで話が進んだ
詳しく調べたい者は 
金田徳光については 徳光を教祖と仰いでおる「自然社」が出している「金田徳光先生伝(教祖伝)」が
参考になろう
「ひとの道教団」については この教団は自前で出版社を持っていたので 「ひとのみち出版社」とネットで検索すれば 古書ではあるが色々出てこよう
ちなみに 国立国会図書館の総合ネットワークシステムで検索すると 「教師心得草案」「ひとのみち教団概要」「ひとのみち教典」等 19件が検出される
この教団は宏正会の「宏正」「倫風」のような雑誌も出していたらしく 「ひとのみち ○月号」「ひとのみち婦人 ○号」と古書で求めることが出来る
宏正会の教えの源流を見ることが出来よう
宏正会の流については たいていの図書館に置いてある「新宗教辞典」(弘文堂)を見ればよい
新宗教について書かれた最近の単行本にも宏正会について言及されたものが何冊かあるので図書館で調べてみればよかろう
 宏正会の初代会長と倫理研究所の丸山敏雄との関係 つまり初代会長の経歴 「分派」か「裏切り」かとことについては次回としよう

「初代会長の経歴」という事が問題になって来たのはここ4・5年ではなかろうか 
ネットの普及によって今までは疑う余地のなかった事に疑問が出され 会員の一部には動揺が起こり 会は必死に抑えようとしているのが現状であろう 
このブログの前の方にもそのような書き込みがある
「宏正会は国から認可を頂いた社団法人であり 宗教団体ではありません」 と言うのが入会を勧める時の常套句であり 会の教えも先代先生が実践の中で産み出したもの と当然のように会員が思っている事に疑問が出されたのであるから 会員は裏切られたという気持ちになるのもうなずけるであろう
初代会長が戦前に「ひとのみち教団」の教師をしていたこと そして戦後の一時期 丸山の「新世文化研究所」に所属していたこと この事実がすでに会員にとっては驚きであり 裏切りであり 経歴詐称となるのである 
 初代会長の経歴であるが 
本来なら宏正会自らがHPを作り会創設者を紹介するのが常道である
他のひとの道系の団体 「PL教団」「倫理研究所」「自然社」はみな立派なHPを作り それぞれ創立者を紆余曲折を踏まえて正直に紹介している
すでにこのこと自体に秘密めいた胡散臭さを感じる
初代会長の経歴についての資料となるものは
「一粒の麦」(神渡良平) 倫研の現理事長である丸山敏秋の書いた「丸山敏雄伝」 そして倫研の月刊誌である「倫理」<特集 或る師弟の軌跡>がある これらはすべて倫研側から書かれたものであり 倫研の都合の良いように書かれているとの批判をすることも出来よう
宏正会の本では 現会長の書いた「倫理がひらく君たちの未来」の中で ほんの少しではあるが父親である初代会長の動きをうかがい知る事が出来る
あとは当時の講演会の資料くらいで 資料となるものが非常に少ない
特に宏正会側の資料というものが全くなく 意図的に隠しているようにも思える
伝聞の形で 宏正会側の言い分が伝えられているようであるが 今となっては当時を知る人も皆無に等しく 真偽を確かめる事は非常に困難であろう
もしかしたら宏正会はこのように真相が真偽不明となる時期を待っているのかも知れない
丸山敏雄の著作を集めたものとしては「丸山敏雄全集」全30巻があり 上廣哲彦は「上廣哲彦先生代表著作集」全3巻がある 両者の考えを比較をすることでどちらにプライオリティがあるかを確定することが出来よう
 倫研と宏正会との言い分が異なって場合において初代会長の経歴を確定することは非常に困難が伴い 客観的事実を積み重ねて推論していくという歴史学的な手法あるいは裁判の審理にも似た手法でもって確定するしかないのである
 
  

 

半兵衛様

「私めが憤激するのは、その流布、膾炙の方法がいかがということである。」

と仰いますのは、普及のあり方がおかしい、と言うことでしょうか?
頒布のあり方、倍加の勧め方が宜しくない、と言うことなのでしょうか?
ご主旨がいま一つ私には理解出来ませんでしたので、もう少しご説明頂ければと思います。


「集金、集票マシーン(権力への迎合)へ堕落した、といったことの学習効果がないではないか。」

それはある意味、買い被り過ぎかと存じます。そこまで、自民党にしろ民主党にしろ頼りにされたり、会の影響力を行使出来たり、などと言うレベルにまでは至っていないと思います。
確かに、幾人か保守系の有力な議員先生と会長個人が懇意にしているのは事実ですが、党全体からすれば、精々多数ある支持団体の一つに過ぎない程度の貢献に留まっていると思います(それすら認識されていない可能性も十分にあります)。

そもそも選挙などの応援は飽くまで、会友が推薦するなど『人物本位』ですから、本会の活動に理解を示される方なら、自民党・民主党・国民新党・無所属などに拘わらず(言うなれば無節操に)応援しています(さすがに公明党・共産党関係は聞いた事がありませんが、社民党・旧社会党議員さえも、以前に聞いた事があります)。
大会などの来賓で自民党が最も多いのは、近しい考え方を持つ先生方が多いので、ある意味必然ですね。民主党員の方々も決して少なくありませんが、比較的若手の方が多いために、表(壇上)には出ないケースも少なからずあるようです。

お客様会友様

ご演談までなさっているとは、『お客様』以上の方ですね。
陰倍加については私自身も色々と思う所はあります。単なる数合わせ・目標必達(集金?)のためのものであれば、他に『合法的』な形(会費の増額なり、寄付に回すなり)へと変更する必要があろうと思います。
今までにも述べましたが、本来の『陰倍加』(ウラ倍加?ではないもの)はその名の通り、陰ながらその人の仕合せを願う心の発露から行われているものです。
演談をお聞きになった会友さんが『陰倍加』をお勧めになったのも、結婚されたご親族の仕合せを、単純に願ってのものと推察致します。

仰る通り、この頃は世間一般にも法律遵守を殊更意識する風潮が出ていますので、その辺の配慮も必要になってくると思います。(余談ながら『Compliance』と言っても、米国では意味が通じないそうですね)
ただ、法律に詳しい方に聞いた所では、厳密に言えば『有印私文書偽造』に当たるかも知れないが、基本的に『被害(者)』が存在していない所から、一般的な解釈としてはシロ(事件としての立件は多分無理)ではないか、との事でした。
もう一つ、個人情報保護法の観点からも問題がありそうですが、こちらにしても、収集した個人情報を会として組織的に『悪用』するか、管理不徹底に拠る流出など、重大な過失事例がない限り法の趣旨には抵触しないようです。

法律論はともかく、全く見ず知らずの人々の名前をでたらめに流用するのは、道義的にも許容範囲を超えたものと私も感じます。が、ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲かと感じておりますが、如何でしょうか。
何れにせよ、これも『強要』されるのは問題ですから、その辺は『正しい実践』をと願うのみであります。


積極的には伝えていないことを以って、先代会長が『経歴詐称』しているとされるのは、個人的には少々大袈裟な気もいたします。
会友さん方の中には、そう言った経緯に背を向けている方がいらっしゃるのかも知れませんが。


太陽神様

末筆にて失礼いたします。
上記お二方へのお返事を先にしましたこと、ご了承下さい。近日中にはお返事致しますので、何卒ご了承下さい。

「鯰の鬚は4本」よ 汝は宏正会の広報担当の本部職員よりもよほど立派に広報活動をしておる
汝はまだ若そうなので良き勉強になろうぞ
さて 前回の続きとなるが 
我は大そうな事を言ったが 具体的な事実について検証する術を我は持ってはいない
だが 一応 我の見解を示しておく
初代会長が戦前にひとの道教団にいて そして戦後の一時期 丸山敏雄と行動を共にしていた事は異論がないようである
従って 丸山と別れて倫研とは別に宏正会を作った事が丸山への裏切りとなるのか それとも倫研とは別に活動しており最初は協力していただけ ということかに問題点は収斂しているように思う
この事は 倫理を標榜し三つの恩に「師の恩」を謳っている宏正会にとって命取りともいえる重大な意味を有するのである 
まず 丸山敏雄(1892~1951)と上廣哲彦(1906~1972)の人物像を比較してみる 
丸山は倫研のHPで紹介されているように 広島高等師範に二度も入り直すなど 教育者・研究者としての顔が見える そして研究の延長としてひとのみち教団に入り准祖の地位までになっている
上廣は丸山の14歳年下で 広島県の県北の豊平町に生まれ 学歴は真宗学院卒とか山陽中学卒とか言われている そしてひとの道教団では教師の地位である
丸山について色々調べて見ると分ることであるが 研究分野だけでなく書道・短歌にも優れ 様々なところで人格者だと認められ尊敬されていることである ネットでも見ることが出来るが生まれ故郷の豊前市では郷土の有名人として人物誌にも紹介されている
上廣は会の中では「先代先生」と一応は敬意は表されてはいるようだが ネットでは批判ばかりされているように会の外では尊敬を受けているような事は見当らない 郷里でも銅像が建っているようだが生活文化センターという施設を寄付して無理やり建たせたようなもので 尊敬を受けているとはいえないようである
このように 客観的に見て世間の評価としては両者に格段の違いがある事がわかる
そして 両者の考えであるが 我には上廣の著作の中身がすべて丸山の著作に載っているいるように思える 上廣独自の考えがあるなら我に教えてもらいたい 「愛和」「喜働」「捨て育て」など宏正会の基本となるような語彙は辞書には載っていない丸山の造語で 宏正会は出処を明らかにせずに平気で使っている
これらのことを前提に我は我独自の推論をしてみる
「一粒の麦」によれば 
「上廣は 昭和10年 広島新天地の中野洋反物店の丁稚として働いていた時 番頭の田中実太郎から勧められてひとのみち教団に入会した そして次第に熱心となり ついには店をやめて教団の教師となり北陸を担当するようになった」 とされている
ひとのみち教団は 昭和11年には 教祖の御木徳一は教祖の地位を息子の徳近に譲り 徳一はその年の9月には強姦容疑で逮捕され 翌12年には徳近以下14名(その中に 丸山もいた)が治安警察法違反で検挙され 教団は解散処分となるのであるから 上廣が教団にいた期間はほんの1・2年ということになる
しかし 上廣にとって店を止めてまで教団専属の教師になったのにその教団がなくなったのであるから相当に困惑したであろう事が想像できる
その後 「倫理がひらく君たちの未来」にも載っているように 銀行に勤め そして昭和20年 三菱重工業広島祇園工場訓育課勤務の時 原爆に遭うのである (つづく)


「倫理がひらく君たちの未来」では 原爆症で半年病床にあった時に思いめぐらした思想が実践倫理の基本哲学だとしている
そして 事実 会はこの原爆を宣伝文句に会を拡大して行った
我は 初代会長が原爆・敗戦を期に日本を再興しようと倫理運動に立ち上がったことを否定はしない
しかし 妻と幼い子供3人を抱えた39歳の男がまず考えるのはこれからの生活ではなかろうか
そこで思いついたのが 戦前に熱心に信仰し教師になりながらも道を断ち切られた「ひとのみち教団」の再興 それも自らが教祖になることであったのではなかろうか
「ひとのみち教団」は解散当時 大阪には豪華な仮本殿が建ち 初代が行っていた広島支部は現在の平和公園内にあった銀行の建物 豊富な資金力がうかがえる また御木徳一の強姦容疑の裁判ではみめ麗しい処女が8人侍女として教祖にかしずいていたとされ 教祖の権力が絶大であったことを示ものであろう
 宏正会は昭和21年9月の小松天満宮での朝起会を朝起会活動の発祥とし 境内には「朝起発祥の地」の石碑を建てている しかし我はこの朝起会は現在の朝起会とは似て非なるものと解する
なぜなら現在の朝起会は丸山の純粋倫理の洗礼を受けたものとするからである
おそらくは この当時の朝起会は 初代が「ひとみち教団」の北陸担当の教師をしていたことから当時の知り合いを集めて 「ひとのみち教団」の朝参りの真似事をしていたものであろう
初代が薬事法違反で拘留されたことがあるという伝承は 初代が「みしらせ」「みおしえ」「おふりかえ」という「ひとのみち教団」の教祖の神事を行っていたものと解される
もし宏正会がこれを朝起会の発祥とするならば
「ひとのみち教団」=宏正会としなければならないであろう
初代は昭和22年頃に丸山のところを訪れ行動を共にし 昭和25年頃に丸山と別れるというのも異論のないところであろう
2002 5.1号「倫理」:特集 或る師弟の軌跡 によれば 当初は親子以上に親しく 初代(本名は 上広三郎)に乞われて丸山が「哲彦」という名をつけてやったとされる
丸山は昭和21年12月には 丸山を慕う人達が集まり「新世文化研究所」を設立し活動していた
初代が丸山の下で活動するということは 両者の年齢 経歴 人望 どこをとっても丸山への師事ということになろう 丸山自身も他の内弟子達も当然そのように思っていたに違いない
しかし 初代の思いだけは違っていた
初代には丸山を尊敬はするが いずれ独立し自らが会を率いていくという野心があった 内弟子の中でも抜群の指導力があったと評されるくらいであるから自らにも自身があったのであろう
ここから 悲劇が生まれる
宏正会は初代は北陸で「生活倫理実践会」を自ら主催していたとする 確かに「ひとのみち教団」時代から また丸山と行動を共にするようなってからも北陸担当の講師として心血を注ぎ 北陸は自分の思うようにしたいという気持ちはわからないでもない
しかし 初代は丸山の組織の中で丸山の教えのをもとに一講師として行動していたのである
「生活倫理実践会」なるものは いわば組織内組織であり 丸山が何度も手紙を書いて初代を諌めたにもかかわらず独立したのは 丸山に対する裏切りと言わざるをえないであろう
宏正会の者が 「双方の活動が緒につくまでは協力し合い 見通しが立ったので独立した」というのはあくまでも初代の内心を言っただけで 客観的に見れば裏切り行為となるのは明白であろう
だからこそ 宏正会もそのような言い分は公表できず 初代の経歴を秘密にしなければならないのである
もしこのような推論を否定しようとするならば 宏正会の側で否定するに足る事実を公表する必要があろう 
同じひとのみち系の団体 「PL教団」は金田徳光を幽祖とし 御木徳一を開祖としている
「自然社」は金田徳光を教祖としている
そして「倫理研究所」では 丸山は御木徳一を宗教上の師とし 広島高等師範での恩師 西晋一郎を学問上の師としている
しかるに 宏正会は 金田徳光 御木徳一 丸山敏雄 と続く教えの流をすべて断ち切り 親を捨て家を飛び出した不良息子のごとくに 根無し草となったのである そして自己の存在証明を求めてガムシャラナ勢力拡大を突き進むのである
その付けが 現在の色々な批判となって現れているのである
  
 

 


 

鯰殿

なかなか、判ってもらえないようじゃな。

学びの内容・精神がいかに正しく崇高でもこれを普及する方法(それについてはこれまでこのブログで多くの事例が述べれらているし、関係者としては認めがたいだろうが)に問題ばあれば如何ともしがたいではないか。
それに、このブログでも会の賛同者の中には、そんな問題児や方法は些末なこと故、会では関与しない。会長様はご存じないこと。などとうそぶいているが、ある日突然見ず知らずのおばさんが数人で訪れ、「これ読んで」などと小冊子を示し、一旦興味を持つとなかなか離してくれない。その強引さといったら、経験した者でなければ分かるまい。
自己の主催する団体の、例え末端とはいえ、構成員がなしているかような行為について、会とは関係ない、などということこそ、論外ではないか。
そもそも、倫理など個々人の問題ではないか。現今のモラルハザードを憂える気持ちはわかるが、他人の精神世界にいきなり踏み込むような方法は、倫理以前というしかない。
余計なお世話じゃということ。
社会教育という名の下で広めようとするから、かようなことが起こるのであり、これまで様々な布教=普及活動において繰り返されたことではないのかな。
広めようとするから、金もかかるし、権力志向も出てくる。太陽神の言うように、果たして、そもそもの発祥の動機に不純さは無かったのか、と疑いたくもなる。
団体を構成しようとするのは、教えの結果を確認したいという「欲」ではないのかな。
教えに自信があったら、昔と違って自ら動かなくともメディアを利用するとかで膾炙する方法はいくらでもあるし、黙っていても共感し、実践する者が出てくるはずじゃ。

ところで、鯰殿は政治家の皆様が会の教えに心から賛同・共鳴して会に出席しているとお思いか。儂の知っているのは、元朝式の時しか出てこんしその時ばかりの俄会員ではないのかと疑いたくなる。政治家のブログを見てもそのような者が多いのう。「例え俄でも、教えに賛同しいているから出てくれる。」などというのなら、もうなにをか言わんやであるが。確かに、創価学会=公明党とは違うが、彼らに旨く利用されている=集票マシーン化しているのは否めないはず。逆に、会としても彼らを利用しているのかな?

いずれ、儂の出演も今回限りとする。
太陽神の「実践倫理宏正会論」が嚆矢と思えるが、お二人の健闘を祈る!

我の書き込みに 所々に語彙の間違いがあるが まあー大目に見てくれ もういちいち訂正はしない
前回の補足としよう
1  「ひとのみち教団」の正統な継承者である 二代目教祖 御木徳近が昭和21年9月に「PL教団」を立教したことで 初代による「ひとのみち教団」の復興の目論みは潰えたことになる 
初代は丸山と旧知だった事もあろうが 教団では末端の一教師に過ぎなかった初代は 徳近よりも丸山の元で活動したほうが自分の能力を発揮できると思ったのではなかろうか
2  「倫理がひらく君たちの未来」において 昭和23年12月 現会長が12歳の時に「宏正」誌250冊を頒布したという会員にとって感動的な場面があるが 「宏正」ではなくて丸山の新世文化研究所の機関紙「新世」ではないのか という指摘がされている
確かに 「宏正」は昭和26年創刊とされ昭和23年の時点ではまだ存在してはいなかったはずである
すでに「新世」は昭和22年に創刊されているし この当時初代は丸山の下で活動していた 現会長が頒布したのは「新世」ということになる これは明らかなゴマカシである 
12歳であれば「宏正」であったのか「新世」であったのか十分に区別がつき そして覚えているはずである
宏正会は会員には「宏正誌の前身となるようなものがあった」とでも説明するのであろうか
 宏正会は倫研側にはとうてい説明できない言い訳 世間には全く公表できない事を会員に信じ込ませているように思える そして会員もそのように思わなければ自分を否定することになってしまうのか会の説明を必死に信じようとしている
これがマインドコントロールというのか もっと客観的に物事を見るようにしてはどうであろうか

次回から 「宏正会における会長とは」そして「実践とは」とでも題して 我の考えを述べたいと思う
 

実践倫理宏正会はあえて意識的に宗教法人としていない。中身は「ひとのみち教団」と同一。
かつて、宗教弾圧を受けたことから、宗教法人を申請せず社団法人を名のっているのです。
会長が実質教祖だ。

太陽神様

膨大かつ詳細なご調査に、ただただ感服致す限りです。
先代会長の有り様、会の成り立ちなどについては、一会員の言よりも会としての公式見解を求められた方が良い様に思います。正直申して私の身に余るものではないか、と存じます。特に『ひとのみち教団』との関係などにつきましては、公式見解をお求めになるのが適当かと存じます。

以下は飽くまで古い会友さん方など、今まで様々な方から私自身が伺った言うなれば聞きかじり(噂話の域)に過ぎませんが、その程度のもので私の回答はご勘弁頂きたいと存じます。ただ、これらは飽くまで私が感じ取ったものですので、必ずしも仰った方々の意図には合致しないものがあるやも知れません。

本会で使われている倫理用語は「ひとのみち教団」から使われていたものが多々あるとは聞いておりましたが、丸山先生のご創作とまでは存じませんでした。
丸山先生と先代会長の関係については、本会側・倫理研究所側含め色々とお聞きしておりますが、お書きの通り、丸山先生に先代会長が協力する(一般的には師事すると見られる)形であったようです。
「理論の丸山(倫理研究所創設者)、実践(実行力・普及力)の上廣(先代会長)」と呼ばれて、先代会長は丸山先生の右腕のような存在であったそうですね(これは倫理研究所の会員の方からお聞きしたものです)。

両者が互いに認め合って、その後も共にあればもっとより善い会が存在したのでしょうが、実際は今のような状況となっております。
その直接の原因が先代会長にあったのは、客観的に見ても明らかでしょうが、先代会長としても、そうせざるを得ない形になって行った旨を、これは本会の古参会友さんから聞いた事があります。
曰く、丸山先生は、先代会長の「人気が高く、自身の人気(カリスマ性)のなさを目の当たりにして、嫉妬をされるようになって行った」との事。
北陸地方で先代会長が普及を(担当)していた草創期、丸山先生がお入りになる場ではあまり人が集まらず、先代会長が入る場合とはまるで集まる人数が違ったようです(先代会長の意図があったかどうかまでは不明ですが)。


『朝起会』は昭和22年9月が発祥とされています。初めは「一人連れて来て、他の人を迎えに行くと、その人が帰っていた」と言われ、暫くは『朝起会』としての体を為さない状態が続いた、と聞いております。
内容については、初めに『朝の誓』(当時は三ヶ条であったようです)を現在の朝起会と同じに誓い、その後は専ら先代会長の講話。後に会友が体験談を語るものが追加された、と聞いています(何も『証拠』はありませんが)。

「足腰の立たない者が、朝起会後に自らの足で立って歩いて帰って行った」と言う、その昔の会友なら一度は聞いた逸話が残っています。それを世間一般が「病気直しの会」(おふりかえ?)などとして捉えたために、薬事法違反で拘留された(取調べの後に釈放)、と聞いています。心を落ち着けて一時間の正座を行うことで、その様なケースもありうる事は、医学的に見ても荒唐無稽な話とは言い切れないようですね。色々と『伝説』のようなものも伝わっていますが、当初は世間一般に『宗教染みたもの』と見られていたのは事実のようです。

本会の創立日を昭和21年5月3日としているのは、その日を以って、先代会長が本会の活動を明確に決意し、行動に移した日(友人にその旨を手紙に書いて賛同を求めた、とも聞いています)としています。
批判するつもりはありませんが、倫理研究所が創立日を昭和20年9月とされたのは、それを知った丸山先生が、本会よりも先に「活動を開始した」証拠とするために、事後的に設けられた(少なくとも設立当時はなかった)と、これは第三者(どちらの会にも属さない人)から聞いた事もあります(真偽の程は不明です)。
どちらの「活動開始が先」かは、それこそ「水掛け論」にもなりますから、あまり論じたくはありませんが、上記のご友人(最古参の会友)は昭和21年6月に賛同の返事を出された(その会友さんはその日を「入会日」とされていた)、と聞いています。

理論的なものに関しては、太陽神様が詳細にお調べになったように、「ひとのみち教団」(或いは丸山先生)のものが下敷きになっているのは間違いないようですね。敢えて先代会長の『創作』部分を挙げるならば、それを徹底して『実践』する方法を、個々に分かり易く説明し、生活のあり方(改善点)をより具体的に指し示した事でしょうか。

「ひとのみち教団」或いは、丸山先生の『教え』を覆い隠すことを意図して先代会長が『原爆』を持ち出して自らが教えを創作したかに見せかけたのかどうか、私はそれを判断する立場にありませんので控えますが、単に『教え』を説くに留まらず、具体的な実践方法(生活の正し方)をまとめた事は、事実と捉えても良いかと思いますが如何でしょうか。


「『倫理がひらく君たちの未来』において 昭和23年12月 現会長が12歳の時に『宏正』誌250冊を頒布した」との疑問は、尤もだと思います。その辺はなぜそう記述されたのか、私には真意の程は分かりません。確かに『新世』であった可能性は高いですね。
ただ、その部分の内容を精査すると、闇市で出会った青年の言葉や、会長が本を説明するために自らが考えたとする口上など、『新世』であったと仮定すれば殆どが作り話になります。少年向けの著書でそこまで話を捏造する必要性や、その後に(当初から)こうして問題になる事も予想出来たでしょうから、言わずもがなをわざわざ書く必要はないと思います。
また、この頃は北陸地方の『朝起会』活動も緒に就き始めた時期でもあります。これらを総合的に考えますと、この時の小冊子は『宏正』の前身となるものであった可能性も否定出来ないと思います。少なくとも、先代会長が中心となって執筆した小冊子が、単発的にしろ『新世』とは別に存在した可能性はあると思います。


話をその前に頂いたコメントに戻しますが、何卒ご了承下さい。

「我の思う改革とは いったん宏正会を消滅させ 初代会長 現会長 現理事をも一掃したうえで新たに会を再建することだ」

会に身を置いた者としては、確かにそこまでは思いつきません。
ならばいっその事、別の会を立ち上げられたら如何でしょうか?
「実践倫理宏正会」としては、その様な荒療治(非倫理的な行為)は難しいと思います。仰る様な方法は一種の簒奪行為(クーデター)ですから、傍から見れば会の『乗っ取り』に他ならなくなります。本会の組織としても相当に『荒れる』事でしょう(その後の会の修復は至難の業かも知れません)。

会友さんの中には現会長・理事に付いて行く方々もあるでしょうから、結局は『分派活動』の一環として、世間から『宏正会』全体が(一掃する側もされる側も)批判の目で(単なるお家騒動として)見られるのではないでしょうか?
例え一時的な方便にせよ、そこまで大々的に非倫理的な方法を『正しきを宏める』会で行っては、それこそ世間に相手にされない(言っている事とやっている事が違う)会となってしまうように思いますが、その辺は如何でしょうか?

全く別モノであれば、始めこそ世間に「似せもの?」と捉えられるかも知れませんが、『正しい実践』の上に活動を行えば、いつかは世間に認知され、その上で本会と優劣の比較が為され、『適者生存の原則』が適用されることでしょう。
こちらの方が、「クーデター」より余程『倫理的』ではないかと思いますが。

トップの如何を問わず『宏正会』の存続を前提となさるのであれば、もどかしい思いを抑えつつ、漸進的な改革を積み重ねていくのが最良の方法ではないかと愚考致します。

「鯰の鬚は4本」よ 汝の説明はノラリクラリとあいまいな言葉で事を濁し 肝心な所は逃げているようだな
「先代会長の有り様 会の成り立ち ひとのみち教団との関係は 会に公式見解を求めろ」じゃと
会は「そのような古い事はわかりません」と答えるそうじゃ 会が公式見解を出していれば誰もネットでクドクドとこのようなことを問題にしておらん
倫研側は理事長自ら本を出してこの問題について発言している 宏正会側も言う事があるなら正々堂々と会長自ら発言したらどうだ
そうすれば皆がスッキリしようぞ
「宏正会側には言うべき事がないから黙っている」ととられても仕方があるまい
倫研と宏正会 どちらが先に創立し活動していたかはどうでもよい
宏正会は丸山の純粋倫理を元にしているのは明らか 初代がどういう形で丸山と別れたのかが問題だ
汝の説明は 「客観的には裏切りとなるがそれなりの理由があった」 ということか 
それならそれでもよい
そして 宏正会の教義は「ひとのみち教団」 丸山の教えを下敷きにし 具体的な実践方法を指し示した事だ ということか つまり教えはどこから持ってきたのかを言わずに ただ実践 実践と言っているのが初代だと言う訳か 恐らくそんなところだろう
現会長が頒布したのは 結局「宏正誌の前身」とする訳か 証拠としてそれを提示するならともかく恐らく誰も信じないであろうな
我の思う改革はクーデターじゃと
会長を絶対と仰いでいる会員にとってはそのように受取るのかもしれぬのう
しかし 一般の社会においては 会社の創業者の子孫が会社を傾けたので役員を解任されることはよくあることじゃ 確かに その創業者一族にとってはクーデターと写るかもしれぬが 会社は一応は株主のためのもの 創業者一族では会社がダメになると
なれば役員を解任されても仕方があるまい
宏正会は社団法人である 決して上廣家のものではない 宏正会の創業者一族では改革は難しい
このままでは宏正会はダメになるとなれば理事を解任されても仕方はあるまい 同じことじゃ
汝はよく「別の会を立ち上げろ」と言うが 宏正会には本部会館をはじめ 各地に倫理会館がたくさんある このような莫大な財産はどうなるのだ
一から創り上げるのは大変なことじゃ
いま有る財産を利用したほうがよほど現実的ぞ
我は 「江戸城無血開城」のようなものが理想だと思っておる
宏正会は社団法人である 従って 会の最高機関である社員総会というものがあるはずじゃ
そこでは 事業報告 決算報告そして理事・監事の選任等が行われている
我は会の定款は見ておらぬが 会員は原則としてその総会に出席して意見を言ったり 表決に加わることができるはずじゃ
総会に出席できぬ者は「すべての権限を 議長に委任します」とか書かれた委任状を提出することになる 要するに 会長にすべてをお任せしますという委任状を出しているはずだ
この委任状を勝手に他人が作るのは 明らかに有印私文書偽造になろうぞ そのような事があればその総会の決議は取り消されようぞ
これは「影倍加」のようにはいかぬぞ
株式会社では経営の主導を握るために「委任状合戦」があるように 社団法人でもこのようなことがありうるということだ
要するに 委任状を会長に渡すのではなく 別の人に渡し その人がその委任状を行使して会長その他の理事を解任して別の人を理事に据えれば所謂クーデターは成功するということである
会長が徳川慶喜のように日本(会)を混乱させぬように身を引けば 明治維新(会の改革)はうまく行こうぞ 鳥羽伏見の戦い 会津合戦のようなイザコザがあるかも知れぬが 大局に見ればいずれは落ち着いていくのではないかのう
まだ時期尚早とは思うが いずれこのような事が起こるのではないかのう
当事者にとっては 大変な事じゃ思うが 我は部外者 勝手にこのような事を想像しておる 


   

 


 

 

半兵衛様

理解が遅くて申し訳ありません。また、お返事が遅れましたこと、重ねてお詫び致します。

ここにある事柄を「瑣末な事」として、決して切り捨てるつもりはありません。
全てではないにせよ、苦情なども会長の耳に入って入るのではないかと思います。現に会友間でありがちな『実践違い』には折々に会長から指導があり、実践会友は(私も)指導を受けてその都度、自らのあり方を見直すよう心掛けております。
個別の問題に関して具体的な対応まで私は存じませんが、本部なり幹部会友が事実を掴んだものに関しては、何等かの処置があるものと思います。

仰るような『強引さ』は、私も時に感じる事はあります。
これは言い訳になってしまうかも知れませんが、はっきりお断りを頂いた場合はともかく、興味を持って頂いた(と感じた)方には、私も折々にお伺いして朝起会へのご参加など、一層のご理解を賜りたいと努力します。『強引な勧誘』と思われた会友も、恐らくその一環として伺ったのではないかと思います。
ご迷惑でしたら、その旨を正直にお伝え頂ければと存じます(気持ちを察して身を引く場合も勿論ありますが、人それぞれ見極めは意外と難しいもので…)。


『本会にご理解下さる議員先生』方も、仰るように必ずしも理解度が高いとは申せませんね。
お忙しい合間を縫って、一会友と同様にほぼ毎日朝起会へお集い下さる方、月に1回以上は必ずお集い下さる方も中にはいらっしゃいますが、いわゆる『お付き合い』で顔を出される方もあるように感じます。
年に数回の記念日のみ、年1回元朝式のみ、大会のみで朝起会はご参加なさらない方などが多いのは確かですが、ただそう言った方々でも理解度は様々。特に国会開会中などは、地元にいらっしゃるのも僅かな日数ですので、朝起会の参加回数のみでは必ずしも熱心さを量れないものでもあります。
それに対する会友も、そこはやはり正直なもので、ご理解の度合いに応じて力の入れ方も変わるようです。一方的に会員が利用されたり、その逆に会の中へ取り込む(利用する)ため過度に肩入れするような事は、それほど多くはないと私個人は感じております。

『利用』と申しますと、定義がかなり曖昧(会誌に写真を載せるのも、ある意味『利用』)になるでしょうから何とも申せませんが、いわゆる『口利き』の類は、この頃はそもそも通らなく(受付けなく)なって来ていますので、そんなに『利用』出来ないのではないかと思います。


太陽神様

今回も末筆にて失礼致します。
早速のお返事有難うございます。私のご回答ではご満足頂けないでしょうから、ここに書かれたように一つ一つ論点を明らかにされて、書面でご質問されては如何でしょうか?
電話では迂闊なことは言えないでしょうし(匿名では尚更)、全ての説明は難しいからではないでしょうか。
ご質問の主旨と身元を明らかにされたものならば、それなりの対応を受けられるのではないでしょうか。

会の運営に関しては、また後ほどご回答致します(飽くまで私見に過ぎませんが)。

鯰の髭は4本様

お久しぶりです。なんだかもう縦横無尽のご活躍、目を見張るようです。
近時の実践に即し、具体的な事例にもとずいたご主張は説得力があります。
わたしが3年前に先師のご著作のことをお尋ねしたとき、「倫理常識講座」と「実践の生命」をご推薦いただき、ま、わたしにとってはあなたが先輩会友です。ご健闘を祈ります。

(所感)
太陽神様も健筆を振るっておられます。3月28日付にて、わたしを含む3人は半端もの故関わらないと言われました。
議論をするとき、自分に都合の悪いものは、対象からはずすという態度はいかがなものでしょうか。民主的なルールにのっとり、反対意見のひとをも土俵に上げる度量を切に望むものであります。
太陽神様のご発言は、実践倫理そのものの内容ではなく、「宏正会」の会長の経歴や、会の経営と運営方法について発言しておられます。「鯰の髭は4本」様のご指摘を待つまでもなく、これはもう堂々と「宏正会」に直接おっしゃることが肝心です。たいした金額ではありませんので、できましたらご入会いただき会員証をもって、東京九段の本部をお尋ねくださいますと、親切に対応してくれます。わたしも一度たずねましたが、先師のご本名が「三郎」だということを教えていただきました。
会の改革について述べられていますが、それは先ず会員になっていただくことが第一段階です。会員の中から選ばれる100人の中央委員会総会で会長をふくむ理事が選ばれますので、あなたのご要望がかなうかも知れません。
あなたのご器量とご人格では、匿名のネットスレではもったいなく、是非本気で改革開放に取り組んでいただきたく。
なお、上廣哲学が丸山敏雄氏の創作を取り入れたものだとして二三の用語を揚げておられますが、いささか事実と異なります。丸山/上廣両氏の用語は殆んどが「ひとのみち教団」から来ております。太陽神様が揚げておられます、「捨て育て」「倍加」「愛和(相和)」や「演談」などもひとのみちにあり、例えば「捨て育て」は、同じく太陽神様がreferしておられます、同教団教師心得第三章七節「育児」に解説されています。
ひとのみちには全く無く、丸山敏雄氏の創作で上廣哲学に取り込まれたものをあげるなら、丸山氏畢生の哲学論理「全一統体」の原理で、これは哲彦先師を通じて栄治会長にも継承され、文字通り会長最初の著作、「継踵」のなかの「技術と倫理」の節でこの言葉がでております。これは後年よく止揚昇華され、「大自然の摂理」として、まさに実践倫理の中心命題として、動かぬ地位を占めていること万人の認めるところであります。

鯰の鬚は4本様、太陽神様
 先日からの熱心なご討論大変面白く拝見させて頂いております。上廣哲彦の倫理宏正会も丸山敏雄の倫理研究所も立派な組織と思います。しかし倫理宏正会には組織が暴走し易い種を持っているように思います。これは本質的に上廣広哲彦が丸山敏雄から別れた原因にもさかのぼるように思います。私は、家が浄土真宗で自分はキリスト教、そして倫理宏正会の朝起き会にほぼ半年通いましたが、もう一つ倫理研究所の朝起き会があることを知り、しばらく両方に通い、今は倫理研究所の朝起き会に出席し、時間がずれた時だけ、倫理宏正会にもたまに出席することにしています。そんなことで、宗教にも倫理の会にも割合に冷静に判断できると思い意見を述べさせて頂きます。
 先ず両方の朝起き会を比較してみましょう。会は5時にはじまり、倫理宏正会では、朝の誓い5か条を斉唱した後上廣栄治の著書を司会者が朗読し、その後かなりの人の演談があります。服装は男子は背広、女性はスカートで正装しています。演談は原稿を朗読している人が多く、また原稿を予め提出してチェックを受けているようです。女性の方は皆朗らかでよく話しますが、男性は口数が少なく一寸異様です。女性と男性は別れてしまって両方が親しく交わるような雰囲気ではありません。女性の方はお互いの声をかけあって、ゲーム感覚で朝起き競争をやっているようです。6班に分かれていて人数を競い合っているようです。頒布もゲーム感覚で楽しくやっているようです。集会は6時に誓いの言葉を斉唱して終わります。この誓いの言葉は、倫理研究所の朝起き会と全く同じです。
 一方倫理研究所の朝起き会では5時に始まり、5時45分に終わります。そのあとお茶を飲むこともあります。最初に体操をして体をほぐします。そして丸山敏雄の力作である、万人幸福の栞の17箇条を斉唱し、つづいてその一カ条の]説明文を輪読します。まずリーダーが一区切りで「はい」というと、だれかが「はい」といって読み続けるというスタイルです。誰も順番を決めないのに、自発的にうまく進んでいくのが大変面白く思いました。そのあと演談ですが、原稿を読む人はいません。自分の経験のなかで感動したことを、皆と共有したいという願いがこもっています。体操と万人幸福の栞の輪読があるので、演談は30分くらいで倫理宏正会よりはかなり短い感じがします。演談は倫理宏正会のよりは質が高く感心します。雰囲気は大変穏やかで「明朗、愛和、喜働」そのままです。小学校のようで、男も女も仲良く笑いあっています。5時45分に誓いの言葉で終わります。
 比較してみますと、倫理宏正会は会を大きくすることを目的とした体育系の団体のようで、規律をもつ反面、命令だけを大切にし、その意味を深く考えない大きな短所をもっています。軍隊のようで、暴走する危険をいつも持っているようです。大会の準備を一生懸命やっている姿をみると、戦前のドイツのナチズムを思い出します。集団に没入して心の満足を得るというような悪魔的な魅力があります。当然個人崇拝も起こってきます。丸山敏雄は上廣哲彦のなかにこのような危険性を感じたので、別の道を歩むことにしたのでしょう。
 倫理研究所では、丸山敏雄の万人幸福の栞を中心としています。これは聖書や仏典の小形版のようなもので、161頁という短いものですが、古典としての風格をもっています。残念ながら、上廣栄治の著書では比べ物になりません。丸山敏雄は万人幸福の栞に、自分が西先生、御木教祖から受け継いだ思想、自分の学問・経験から導き出した思想を凝縮して命がけで後世に伝えようとしています。これは教育勅語や聖書やお経よりも遥かに普遍性の高いものです。倫理研究所の会員は万人幸福の栞を自分の血・肉としその上に自分自身を確立しているようです。したがって規律のなかでも自由で、自発性を大切にします。キリスト教に聖書があるように、倫理研究所には万人幸福の栞があるのです。「教え」が中心なので、個人崇拝は起こりません。
 倫理宏正会は丸山敏雄の万人幸福の栞を取り入れることによって、本質的に生まれ変われるのではないかと思っています。朝起き会で10分間を使い、倫理研究所の朝起き会と同じスタイルで万人幸福の栞を朗読したら如何でしょうか。そのようなことで、倫理宏正会が倫理研究所と似てくることを心から念願しております。これは丸山敏雄がその死の床で心から願っていたことではないでしょうか。

「鯰の鬚は4本」よ 
汝は忙しい中 我らのショウモナイ問いかけに何とか答えようと精一杯頑張っておる 我は敬服する
「我の疑問を 身元を明らかにして書面で本部に直接問い合わせろ」ということじゃが 確かに一会員に過ぎない汝にこれ以上を求めるのは酷というもの 
しかし 何故疑問を持つ者が皆 個別にそのようにしなければならないのかじゃ
会の成り立ち 初代の経歴について多くの者が知りたがっている事であることは 本部も承知のはず
様々な方法で会の公式見解を公表することも出来るはずじゃ
恐らくは 汝の説明 そして汝が「迂闊なことは言えない」と述べているように 会は「倫研側の悪口」を言うしかないのであろう
客観的な事実を追っていくと 我が述べた事に大筋に違いはあるまい
しかし 宏正会も哀れじゃのう
会社であれば創業者の苦労や努力の跡が社史に綴られ 宗教団体であれば宗祖を伝説のように美化して語られるが 宏正会では初代の存在を徐々に消し去ろうとしている これも天の配剤か
宏正会は親・祖先を語る事ができない私生児 いわば「日陰の子」としての十字架を背負うことになる
 
 我は話の流れで 予期せぬ方向に進んでしまったようである 元に戻そう
原爆の後全くのゼロから出発した初代の野望はみごとに実現されたかに見える
宏正会は会員数400万にもなり 会勢は本家の倫研を上回る勢いである 上廣家は「超」のつくセレブの仲間入りをし 初代の孫が三代目を予定するなど一点の翳りもないようにも見える
宏正会の会長とはどのようなものであるか 我見を述べる
前にも述べたように 徳光教に繋がるひとのみち系の団体にはすべて 「神は宇宙を一定の秩序と法則によって動かしている 人間も神の子であり 神の法則に従って生きるべきであり その法則に外れた 我の生き方から不幸が生じる」 という考えが基本となっている 団体によって表現の仕方が違うだけである
徳光教 ひとのみち PL(自然社も)と続く 本流の宗教団体では 特定の「神」というものを立て 「みしらせ」「みおしえ」「おふりかえ(身代わり)」という神事が行われる
社団法人である倫研や宏正会では 一応特定の「神」を立てず 教祖が一時信者の不幸を預かるという「おふりかえ」のようないかにも宗教じみたものは廃している
倫研では 「万人幸福の栞」の17番目 「人生は神の演劇 その主役は自己自身である」の説明で 「宇宙の生命 統一の中心 万象の根元 これを神あるいは仏という」として神の存在というものを認め
 「人生は神の演劇であり 我々はその演劇の主人公であるから 演出の作法である純粋倫理に則して生きなければならない」としている
従って 倫研の教えである純粋倫理は神の演出の作法つまり神に淵源を求めている
元々 徳光教 ひとのみち PL(自然社も)の神は一応 アマテラスとか大元霊とかの名前は付いているが 森羅万象の根元 世の中のありとあらゆるものの根元を意味する漠然としたものである
従って 倫研つまり丸山の言う神と同じものとしてよいであろう
宏正会では「倫風」誌の表紙の裏に「実践倫理とは」で説明しているように 教えの淵源を「大自然の摂理」に求めている
原理的に見れば 「神」を立てるところでは 教祖は神の意志を信者に伝える者 神と信者を取り次ぐ存在となる 
宇宙(大自然)は神によって動かされるもの つまり他律的な存在となる
宏正会のように「大自然(宇宙)の摂理」に基づくものが宏正会の教えだとすると 大自然(宇宙)は自ら意思を持つものとして自律的な存在となる
従って 会長は他の自然科学の法則と同じように人類の法則である倫理を「発見」する存在となる
神を立てるところでは 神との取次ぎをする教祖は信者とは異なる特別な存在となり いったん神とそのような存在である教祖というものを信じてしまえばそれなりにスッキリする
しかし宏正会の会長は 他の一般の会員と同じ立場で大自然の摂理である倫理を発見するという存在であり 宏正会の会長という立場というものはもともと不安定なのである
恐らく 会長は他の会員とは格段の差のある実践精進をしていると説明するのであろうが 「実際にそうなのか」という疑問で来られれば窮するのである                          (つづく)

 


 

前回の続きとなるが 繰り返すと
宏正会は神を立てていない 従って 大自然(宇宙)は自ら意思を持つものとして自律的な存在となる
根本的な教えを宏正会流に言えば 「大自然は一定の秩序と法則によって動いている 人間も大自然の一部であり 大自然の法則に従って生きるべきであり」となり 後は「その法則に外れた我の生き方から不幸が生じる」というのは同じである
倫研の丸山は「特定の神を立てると独善に陥るから
特定の神を立てない」とした
恐らく 特定の神を立て 教祖がその神と信者の取次ぎをする時に恣意が入り込む余地があるのでそのようにしたのではなかろうか
丸山の神の演出の作法である純粋倫理は教祖が神と取次ぎをして得られたものではなく それを「発見」するという事になるのであろう
宏正会は丸山の考えを一歩進めたものといえる
「発見」となれば まさに研究であり「倫理研究所」とは当をえている
元々 徳光教 ひとのみち教団 においては 苦痛はその人の心のあり方が形をとって現れたものとして神からの「みしらせ」とし 教祖より神からの「みおしえ」を下付してもらい 自分の心の偏りを知り 日常生活の中で神の御心にかなった心になる精進をする というものであるから 宗教と言っても修養的である そして日常生活の中で神の御心にかなった処世訓として 18ヵ条または21ヵ条を挙げている
従って 徳光教 ひとのみち教団から道徳律だけを取り出せば倫研 宏正会のような修養団体は成立するのである
しかし その道徳律というものは 倫研の万人幸福の栞17ヵ条 宏正会の五つの誓いを見ればわかるように一見ありきたりなもので 道端にも転がっているようなものである
どこにもいる親が子に言い聞かせるようなもので 普通の子なら聞き流すようなものである
威厳のある親 尊敬される親であれば子供も言う事を聞くように 立派な大人に理解されるためにはそれなりの権威が必要となる
それが「神」であり 「大自然の摂理」なのである

途中に横道に反れてしまったが
宏正会において会長という存在は 大自然の摂理である倫理を「発見」する存在であるから 他の自然科学の法則を発見するのと同じと考えてよい 
会長とは いわば物理 化学 生物等の自然科学の研究所の所長のようなもので その研究所の所長だけが自然界の法則を発見できるのではなく 他の所員 また他の研究所の研究者だって発見できるはずである
従って 会長だけが また上廣家の者だけが大自然の法則である倫理を発見するということにはならないのである
  

 

母が以前無理矢理勧誘され入会してしまいました。それも私たち子供兄弟3人まとめて勝手にです。
新井さんといったかな?上手に母を丸め込んだ人。
板橋区高島平の話です。
正直迷惑しました。

前回の続きとなる
前回で 宏正会は存在形式としては自然界から人間の法則を探求し発見する研究所であり 会長はその所長である(その実態は他の研究所の成果を横取りしたものであるが) とした
しかし 問題は実態として宏正会が可及的に限りなく「ひとのみち教団」に近づけている事である
「宏正会は本当は宗教団体であり 社団法人としているのはそれをカムフラージュするためだ」といわれる所以である
確かに 存在形式としては 他のひとのみち系の団体の中で一番遠いはずの宏正会が 活動方法 用いる用語 教えの内容等 を見ると一番「ひとのみち教団」に近いように思える
元々 徳光教 ひとのみち PL(自然社も)と続く本流の宗教団体では一応「神」を立てているが これらの団体の「神」は世の中のありとあらゆるものの根元を意味するもので 宏正会のいう「大自然」と同じものと見てよい
そもそも 「神」というものは この世の根元というものを 分りやすいように人間に見立てたもの つまり
人格化したものであり そのままに 宇宙とか大自然と言っても同じことである
そして 宏正会では「大自然の摂理=神の意志」というものを唯一会長のみが発見する(伝える)ものとしている(本来はそうではないが そのように運営している)
「会長先生」「会長先生」と会長というものを絶対化することによって会長は「教祖」と同じような地位を得るのである
「大自然の摂理=神の意志」を発見する(伝える)唯一の会長(教祖)の存在 活動方法 用いる用語 教えの内容 まさに「ひとのみち教団」であり 宏正会は 「ひとのみち教団」の焼き直しと言うことができるのである
 次回は 宏正会の「実践」について 我の思うところを述べる
     

前回の補足となる
長年 熱心に活動してきた婦人会員に見られる事であるが 何かの危急の時 「会長先生 よろしくお願いします」と まるで神か仏に祈るような姿を見せることがある
まさに これが徳光教 ひとのみち PL(自然社も)
と続く本流の宗教団体で行われている「おふりかえ(身代わり)」というもので 「みおしえ」を頂き自の心の偏り 心癖を正す暇がないときに 教祖に一時的にその危急を預かって頂くようにお願いするようなものである 宏正会ではそのような「おふりかえ」のようなものがないので 後日 「ご指導」というものを受けて 「それは 心のあり方が形をとって現れたものであり(みしらせ) 心の偏り 心癖を指摘してもらい(みおしえ) それを正すように実践する」 ということになるのであろう
日々 大自然の摂理(神の意志)である倫理を会長先生(教祖)から学んでいると このように会長をまるで神か仏のように拝むような心境になってしまうのであろう 
宏正会は「ひとのみち教団」を志向しながらも 宗教色をとるために 社団法人とし教えの淵源を「大自然」に求めているために 技巧に技巧を重ねている
我は 成功しているかどうか分らないが その技巧をひとつ一つ解きほぐそうと試みたつもりである

 

太陽神様
「しかし その道徳律というものは 倫研の万人幸福の栞17ヵ条 宏正会の五つの誓いを見ればわかるように一見ありきたりなもので 道端にも転がっているようなものである](2009-04-16)。
 このご意見には賛成しかねます。確かに「宏正会の五つの誓い」はそのようなものかもしれませんが、「倫研の万人幸福の栞17ヵ条」は非常に立派なものです。教育勅語、論語、聖書、仏典、ヒルティの幸福論以上のものだと思っています。精読をお奨めします。
 宏正会についてのご意見は太陽神様のとおりだと思います。正しい軌道に乗せるための良い手段を考えなければいけません。

(太陽神様から半端者として論議の対象外とされており、ご返事など不要でありますが、感想を述べさせていただきます)
わたしは、ものごとの解釈のしようは色々ありますから、太陽神様のような見方もできると思います。そしてこの上のスレで「(宏正会は)成功しているかどうかわからないが・・」といっておられますが、成功していると思います。
会員の大半は倫理に触れ、実践を通して幸福感を得ております。
太陽神様は大変「宏正会」の内実にお詳しいようにも見え、元ご会友と思ってそのように書きましたが、ご自身は部外者と言っておられます。
どうしてそんなにお詳しいのか知りたいところではありますが、もしやネットの書き込みなどで情報を得ておられるのでしたらこころもとないです。このスレッド以外は、特に2ちゃんねる関係のそれは、もう「宏正会」の非難一色だからです。
「宏正会」は、ひとの悪口を言ったり、言い訳をしませんので、本部はかたくなまでに、口を開かず、HPなども作りませんので、極少数のひとが非難がましい書き込みをすると、それが一人歩きをして、10倍、20倍に膨れ上がってしまい、スレだけ見ていたら、大変ひどい団体に見えるからです。
極めてご無礼な発言ながら、部外者であられるというお言葉を信じさせていただいて、再度太陽神様にご入会をお願いいたす所以であります。

太陽神様 高貴高齢者様

私の様な者では益々お相手が難しい内容になって参りましたが、中立的なお立場でご覧になっているのであれば、少々事実誤認をされているように思います。
誤解されるような面が本会にあるのも事実ですが、コメントを拝見している限り、ご覧になったものが本会の全てではない様に思います。その点は、ご自身の目で一つずつ見極めて頂きたいと存じます。


「会の成り立ち 初代の経歴について多くの者が知りたがっている事であることは 本部も承知のはず」

どの様な事情でホームページなどを持っていない(公言していない)のかは存じませんが、『多くの者』との認識がないのかも知れません。少なくとも、興味本位や批判のための批判などによる『問い合わせ』が多いと思っているのかも知れません。ですから、そうした認識を変えるためにもお勧めします。


「宏正会の会長は 他の一般の会員と同じ立場で大自然の摂理である倫理を発見する」

大筋ではその通りだと思います。学問的・哲学的な事はよく分かりませんので、『発見』の意味(用法)が私には今一つ理解出来ませんが、それを『実践』に置き換えれば全くその通りだと思います。


「恐らく 会長は他の会員とは格段の差のある実践精進をしていると説明するのであろうが 『実際にそうなのか』という疑問で来られれば窮するのである」

これは、一度会長と接すれば決して『窮する』ものではないとお感じになれる事と思います。
会が大きくなるに連れて、一般会友が会長と直接に接する機会が少なくなり、現在では確かに『窮する』会友さん方も多くなってしまったのも、本会がとやかく言われる一因かも知れません。その点では、本会のあり方、会長と会友とのあり方を問い直す必要はあるかも知れません。


『朝の誓』は、一見(一瞥)すれば『ありふれた処世訓』に見えるかも知れませんが、噛めば噛むほど(実践すればする程)に『味』が出てくるものです。スルメに例える方もありますが、いつかは『味』が枯れるスルメと違い、噛み締める程にいつまでも『味』が出て参ります。
文学的・学問的には、丸山先生の『万人幸福の栞17ヵ条』に劣るものに見えるかも知れませんが、これほど実践に即したものはないと思います。

朝起会を大切にしているはず会友の中にも、これ程までに『朝の誓』を重視していない方があるのも悲しいかな事実ですが、仏教用語ではありませんが、実践は『朝の誓』に始まって『朝の誓』に終わると言っても過言ではないものと思っております。


レイモンド様

末筆にて失礼致します。
また、適切なご助言を賜りまして、誠に有難うございます。
私が何やかやと出しゃばり過ぎますと、どうしても会の『主観的な』もの言いになってしまいがちですので、その点も今後とも適宜ご助言頂ければ幸いです。

「鯰の鬚は4本」よ 汝は我が述べた事の一部分のみ言及しているが 肝心な「宏正会とひとのみち教団の関係」についてはどう考えておるのじゃ
まーよかろう 一応 汝の言っている事に答える
 まず会の成り立ち 初代の経歴について多くの者が知りたがっているかどうかじゃが
我は「多くのものが知りたがっているであろう」という 汝そして宏正会は「そうではない」という
どの程度が多数になるのか認識の違いがあるが 情報公開が言われている時代において これから入会する人達のためにも たとえ一部の者であったとしても公開すべきであろう
 次に 汝は「会長は他の会員とは格段の差のある実践精進をしている」だから「会長のみが唯一倫理を発見することができる」という
しかし 汝は会長とどの程度接したことがあるのじゃ
普通の会員は大会で遠くから眺めるだけじゃろう
たとえ会の幹部でもただご指導を受けるだけのはず
この程度では会長がどのような実践精進をしているか分るはずはなかろう ただそのようなものと信じているだけじゃ そうであれば他のひとのみち系の宗教団体の教祖と同じく「神の意志を伝える特別な存在」と信じているのと全く同じことじゃ 
それから 「五つの誓い」(倫研の万人幸福の栞17ヵ条も)について我が「一見ありきたりなもの云々」と述べた事についてじゃが  我が『一見』とわざわざ付け加えたのは この誓いを大切なもの 素晴らしいものと思っている人がいる事に配慮したつもりである 我はこの誓いが悪いとは何も思ってはいない むしろ この誓いを今日一日守ろうと精進している人は立派だと思っている
しかし この誓いを 何も知らない人に言っても「立派なことを言っていますね」とか言われてあしらわれるのが普通であろう 我はこういう事を言ったのである

前回までにおいて 我は「宏正会はひとのみち教団の焼き直しにすぎない」とし 宏正会は社団法人の形式をとっているが その実態は宗教団体とした
しかし 「宏正会が宗教団体でどこが悪い」という開き直りが出て来そうなので それについて述べる
まずは 「会の成り立ち 初代の経歴」と同じようなことであるが 入会を勧める時に「国から認可を頂いた社団法人であり 宗教団体ではありません」と言うことは 嘘を言って入会を勧めることになる
倫理を標榜している団体が嘘を言って入会させるのは世間の批判を浴びることになろうし 何よりもそのように信じて入会した人にどう言い訳するつもりじゃ
そして 問題なのが宗教団体であれば強いマインドコントロールを受けることになる事である
人間には 理性とか知性 思考といったものの下層に心とか 魂というものが存在している
道徳とか倫理とかいったものは いわば表層の知性・理性に訴えかけるものであり 疑問とか批判をなしうる しかし 宗教とは下層の心・魂に訴えかけるものであり すべてを信じて受け入れるものである 倫研の純粋倫理はは「神」に 宏正会では「大自然」に淵源をもとめている そして「素直」がすべての始まりと 教えをそのままに無批判に受け入れることが求められる 要するに 「神」「大自然」にもとずく絶対真理を心・魂で受け入れる事が求められるのである
そして 宏正会では「実践」「実践」と教えを実行に移すことが求められるのである
絶対真理である教えを 無批判に魂で受け入れることを毎日毎日の朝起会で植え付けられ 会員は疑問や批判などの思いを「我」だとして徹底的に排除される
このようにして 「会の教えは間違いない」 「それを伝える会長は偉大だ」 ということに洗脳されてしまうのである
「会の教えのどこが悪いのだ」という反論がありえよう 確かに 教えそのものには取り立てて悪いと言えるものはないかも知れない
しかし 恐ろしいのは 会の教え 会長の言う事をすべて何の疑問も批判もなくその人の魂で受け入れるようになると その中に会の思惑 会長の野望が紛れていてもそのままに受け入れることになる事である いったん魂で受け入れたことを知性・理性でもって批判することは困難であるからである
現在 オウム真理教を始めとして多くの新興宗教におけるマインドコントロールが問題になっている
宏正会は戦後にできた宗教団体であり 新興宗教の範疇に含まれる団体である
我々は 宏正会において何が行われているのかをしっかり監視する必要があろう
宏正会では 金銭についての批判が多いようである
これについて解明する必要ががあるとともに 宏正会の特色である「実践」について我の見解を述べるつもりである
                          (つづく)

 


 


みなさまの討論をみさせて頂きながら、すばらしいなと、ただ眺めておりました。
言葉の使い方がとてもきれいで、勉強になります。
私はまだ少ししか学んでいないのですが、倫理というものにふれられたことに、よかったなと思います。
宏正会の過去も全く知りませんでしたが、こういう経歴があったのかとびっくりしました。
びっくりはしましたが、それがどうこうとは正直おもわず、色々とあったけれど、いまの会を先達の方々
が一生懸命に築いてこられたのだなと、感慨深く思います。
私は整った会場でご著書もあり、そのような環境が当たり前でないことを改めて感じました。
宏正会は宗教かそうでないのかともありましたが、私はあまりそこには関心がなく、どちらでもいいのではと思います。
そこのところはあまり重要ではない気がするのです。
学ぶ以前は色々な団体のかたがこられて、迷惑だなと思うこともありましたが、自分自身が普及にでて、以前に迷惑だと思ったことが申し訳なかったと思いました。
皆さん社会のため、人様の幸せを願ってされていることでしたのに、偏見の目でみていた、自分の価値観でしかものを見れない自分であったと反省させられました。
普及先で「ご苦労様ね」といってくださる方もいらっしゃり、そのような言葉をかけれる人、相手をおもえる人はすばらしいなと思いました。
想いがよいものであれば、新興宗教であれ、なんであれご本人が間違った考えでされてないのならば、よいのではないのかなと思うのです。

さくら氏のご発言はその通りだと思います。
昨今話題になる、創価学会も統一教会もエホバの
証人の勧誘員さんも顕正会の普及員さんも世の中が良くなればと思って普及されています。けなげな方ばかりでなんです。
だからこそ、このような掲示板が必要なんですよ。
だからこそ、その方法が問題になっているんです。
だからこそ、指導の内容に問題あれば非難されるんです。ご本人さんが間違った考えかたでなければ。
のやり取りをしているのではありません。
本会は宗教団体ではありませんから、教祖様の
お言葉ですからとは釈明できないんです。
ここんところで心ある会友は本会の将来を見据えて
苦慮しているんです。


前回で 我は「宏正会は新興宗教である」とした
この点において 宗教学者の間でも異論はないようである 学者は精神修養系の新宗教に分類している
「宗教とは何か」を厳密に定義することは困難である しかし カルト集団かどうかは その集団の指導者の言う事は絶対のものとし その指導者に集団に属する者が無批判に盲目的に従う集団 とすれば足り それに教えが伴っていればカルト宗教することができよう
このように広く解して その集団が社会的に逸脱していないかどうかを判断すればよかろう
宏正会は 表面上は社団法人として宗教ではないとしながらも その実体は宗教団体である
得体の知れない動物として 古くから言われている鵺(ヌエ)に例えるなら 宏正会は鵺教である

現会長の著作を見る限りにおいては 「大自然の摂理」に基づく倫理という言葉は見当らない
「我も人もの仕合せ」ということを究極の目的とした宏正会の立場による倫理を説いているように思える
我は「教え」そのものを批判するつもりはない
宏正会の教えは 古き良き日本の伝統に基づく教え・慣習を現代の日本に蘇らせようとしているかに見える 
それを封建的な教えであるとか 前近代的な家長的な教えである と批判されているようだが その教えを善しとしてその教えを学ぼうとする人達を我はどうこう言うつもりはない
しかし 我は この「教え」を餌に組織化して 自らの名誉欲 権力欲 金銭欲を満たそうとしている者どもが許せないのだ
宏正会の教えを 倫風・単行本などの本で学ぶ限りにおいては被害はなく 宏正会もそれなりの評価を得て このような宏正会に対する批判はないのかも知れない
しかし ここに宏正会に特有の『実践』という事が出てくる
元々 この会の教えというものは 「ひとのみち教団」と 丸山敏雄の教えを勝手に自分のものとしているだけ 「実践」というものがなければ 宏正会の存在理由というものは全くないのである
しかし この「実践」ということは なかなかのクセモノである
確かに どのような立派な教えもそれを実行(実践)しなければ意味がないことに間違はいない
あらゆる規範というものは 法律も 道徳も そして倫理といわれるものもすべて実行(実践)ということを前提にしている
このように「実践」ということは意味があることであり大切なことであり その教えの「実践」を説く宏正会の立場も一応は認めることはできる
しかし 「実践」には別な意味があるのである
「実践」ということを いわゆるマインドコントロールの手段として利用できるのである
このことについて 心理学の知見である『認知的不協和理論』でもって説明したいと思う
                        (つづく)
 


  

 

アメリカの心理学者 フェスティンガーの「認知的不協和理論」については 社会心理学の歴史上最も優れた理論の一つとされているので調べて見ればよかろう 
一応 説明しておく
人間は本来的に 認知的一貫性を求めるらしい
従って 矛盾した二つの認知状況にある場合 その不協和は居心地が悪かったり 不快であったり 苦痛であったりするので その不協和を解消するために一方の認知を変えて協和している状態にしようとする心の働きが人間にはある
よくこの理論を説明する例として イソップ物語の「すっぱい葡萄」が上げられる 
たわわに実った美味しそうな葡萄をキツネが見つけた キツネはその葡萄を食べようと何度も飛び上がるがどうしてもその葡萄にとどかない キツネはあきらめるしかないが 「どうせこんな葡萄はすっぱくてまずいだろう 誰が食べてやるか」と捨て台詞を残して去って行く
このキツネは 美味しそうな葡萄を食べたいという認知と どうしてもその葡萄を食べることができないという認知とが不協和をおこしている この不協和はとても不快であり苦痛であるので 一方の認知である「美味しそうな葡萄」を「すっぱくてまずい葡萄」という認知に変えることで その葡萄を食べることができないという認知と協和させようとしている
このような心の作用が人間には備わっている
例としてはいくらでも挙げることができる
タバコは肺ガンのもとになるという情報に接すると
愛煙家は自分はタバコを吸っているという認知とタバコは肺ガンのもとになるという認知との間で不協和をおこすことになる その不協和はとても居心地が悪く不快であるので その愛煙家はタバコを止めようとするか それとも自分にとってストレス解消になるとかの言い訳を探すとかして一方の認知を変えて他の認知と協和している状況に持っていこうとする
この理論を「行動」に結びつけて見ると
一般に人は 正しいと思っていることや好きなことに従って行動すると思っているかも知れないが 逆に行動することで正しいことになったり好きなことになったりしているのである
自分の行動と自分の考えに不協和がある時には 人はその不協和を解消させるために 考えの方を変えて行動に協和させようとする心の作用があるのである 人は自分の思っている事とやっている事との間に矛盾がある場合 なんとかつじつまを合わせようと思いの方をやっている事に合わせようとするのである 自分のやっている事の言い訳を後からつけようとするのである  
このような事は誰もが経験していて納得できる事であろう 要するに 思考は行動に同調するのである
このことは 逆に 行動を管理すれば思考を変えることができる事を意味する
「実践による心の変容」 つまりマインドコントロールをすることができるのである
この理論は 心理療法における理論として用いられているように価値中立的なものであるが 新興宗教においていかにマインドコントロールが行われているかの説明によく用いられている
我も この理論でもって宏正会の「実践」ということを解明しようとするものである
                      (つづく)

 

宏正会において「実践」とは 2つの意味で使われている
一つは 会の教えをそれぞれの生活で生かして行こうとするもので「生活実践」と呼ばれている
もう一つは 会員を増やすことを目的とする「普及実践」と呼ばれているものである
「生活実践」においては まさに『認知的不協和理論』の教科書的事例と言えるものが行われている
 妻は 夫に対し手をついて挨拶をするとか 夫の背中を洗ってあげるとか 夫の靴下をはかしてあげるとかの教えがあるようである
もし妻が夫に愛情とか尊敬の感情が薄い場合は
このような行為をすることはとても居心地が悪かったり不快を感じるはずである そこで心の中では行動に感情が同調して 「本当は私は夫に愛情があったのだ」とか 「本当は私は夫を尊敬していたのだ」とかに自分の感情を変えて自分の行動に折り合いをつけるようになるのである
このような使い方は この理論が好ましい方向に心を変えようとする心理療法に使われているように 会の教えの善しとし 会の教えを身につけようとする者にとっては有用なものとなろう
もう一つの「普及実践」(「無償の働き」と呼ばれている)についてはどうか
宏正会は会員を強力に普及実践に駆り立てるところに特徴がある これにより会がここまでに大きくなり またこれが会に対する批判となっているのである
宏正会は(会の成り立ちにおいて述べたところであるが)私生児特有の劣等感がある 会が大きくなり世間が会を認めてくれないと会の存在理由・存在証明をもつことができないのだ
会の用意している会員を普及実践に駆り立てる教えは 『奉仕』ということである
初代の「希望と人生」という著作のなかで「真の感謝と奉仕」という項目があるが これはそのままに現会長の著作「あなたの実践倫理」の「すべてに感謝を」という項目で述べられている
重要な所であるので引用してみる
「人間が自然界から与えられたものは すべてただであり 無償の恵であった・・・・・・与えても与えても 無限に与えつづけるのが自然の働きであり 感謝しても 感謝しても 感謝しつくせないと感じるのが人間なのです そして そうした自然に対する感謝の気持ちが 対人間関係の間ににじみ出て それが行為となったとき親切となり これが社会的に現れるとき 奉仕となります」
これが根本の教えであり 会の教えを人々に伝える事 会の教えを社会全体に拡げていくこと(無償の働き)を社会的な奉仕とするのである
そして この奉仕をすることで まわりまわって自分に還元されて自分が幸せになる(発顕還元の理)とするのである
ここにも「自然」ということが出てくるが 与えつづける自然に感謝し その感謝を社会に現して奉仕するということまでは認めよう しかし このことがどうして宏正会の普及に結びつくのだ 社会への奉仕=宏正会の普及とすることは 自然の無償の恵みというものを宏正会が勝手に横取りしているしていることにならないのか 自然の無償の恵みというものを宏正会が勝手に自分のものとし自分のために利用するのは泥棒と同じではないのか 
この体質は 宏正会の教えを 「ひとのみち教団」と丸山敏雄から勝手に盗み出して自分のものとしているのと全く同じである
このような教えのもとに 会員は会員獲得のために 頒布 倍加 朝起会また色々な集いへの誘い等の普及実践(無償の働き)に駆り立てられるのである
では このような普及実践において 「認知的不協和理論」がどのように作用するかを述べる
このような普及実践では 人に会の教えを伝えたり入会を勧めるのであるから 会の教えのいい所 会の素晴らしい所を伝えなければならない
このような行動(実践)をするからには 普及するその人が会の教えまたは会がそんなにいいものと思っていなかったら その人の心は相当に苦痛なものとなろう そこでその不協和を解消すべく心の中では 会の教えは間違いない 会は素晴らしいと変わっていくのである
子供の学校行事に母親が会の行事のために欠席したり 壮年が会の行事のために仕事を休んだりした場合のように 不協和が大きければ大きいほどこの理論の効果は高くなる
このような普及実践を会員は 頒布であればまず倫風を自分で買取り 倍加 朝起会また集いに誘う場合は目標というノルマを課せられ 毎日毎日駆り立てられるのである
こうして 寝ても覚めても 倫理 倫理と言っている「倫風オバサン」に仕立て上げられるのである
しかし 「認知的不協和理論」というものは 心理的なトリックのようなもので 心の中で不協和が生じなくなったらその効果はなくなるのである
「妻が夫に手をついて挨拶をする」「倫理を素晴らしいものと伝える」この様なことも習慣になりあたりまえのことになってしまえば 心の中で不協和がなくなりその効果はなくなるのである
そのためには 次から次へと新たな実践が必要となる 
「生活実践」というものは 自分のことであるからいくらでもゴマカシがきく しかし「普及実践」というものは会から強制されるものであるから 会員である限りどうしてもしなければならないものである
そこで 家のことはほったらかしで ただただ普及実践だけをするという 家族からも世間からも非難される「倫風オバサン」が蔓延することになるのである

 次は 宏正会の云う「金銭」について 我の思いを述べる 
 


 


 

 

我の言っている事に反論がないようなので 先に進める
昨年になろうか ある新興の宗教団体が 運慶作とされる仏像を14億円で落札したことが話題となった
新興宗教といわれる団体は 一等地に立派な宗教施設を持っていたり 美術品を集めていたり 派手な演出をしたりと 資金が豊富であることを伺わせる
今回は 色々と批判されている宏正会の金の集め方について 我の思いを述べる
どのような団体においても その団体が活動し存続するためには資金が必要となるのは当然である
宏正会では 会費 お祝い金 倍加(そして影倍加)という方法で資金を集めているようである
会費については 普通会員で月200円とか 特別会員で月1000円としているので 団体の会員である限りこのくらいの出費は必要となろう
しかし 問題は「お祝い金」「影倍加」と称するものである
「お祝い金」とは 宏正会独自の言い方で 無償で会に金銭を贈与することであるので 普通は「寄付」と呼ばれているものである 
「寄付」であれば 会の方で何に使うための寄付であるのかを明らかにして会員にお願いするというのが普通であるが 「お祝い金」という名前にして 何に使われるのか分らない金を 会員が自主的に会に納めるものである
本来は自主的に納めるはずの「お祝い金」が 大会前 ボーナス時期 そして結婚の時 家の新築時 学校の入学時等の祝いの時にも また病気の時 事業が行き詰まった時等の不幸の時にも 何かの理由を付けて 「お祝い金」を要求してくるのである
会員である者 または会員であった者であるなら 一回の「お祝い金」で 数万円どころか 数十万円  数百万円 数千万円単位のお金を要求され また実際にそのようなお金を寄付している者を知っているであろう (会員でありながらそのような事を知らないような者は 宏正会は会員としては半端者としてしか見ていない)
この様な金の寄付を 会は「奉仕」に位置づけている いわゆる「金銭による奉仕」である
「実践」において述べたように 「無償で与え続ける自然に感謝し その感謝を社会に現して奉仕する」というものである そして会に金銭を寄付することが社会に対する奉仕になるとするのである
それに 金銭は価値を具現し流通する性質をもつものであるという特殊性から もう一つ「金銭の意義」と称する教えが加わる
初代の著作「明るい生活」「倫理常識講座」に金銭について書かれているが 現会長の著作には見当らないようである 初代の著作を引用すると
「金は人のために使われるべきものであって 人のために使われて世の中を循環するものなのです・・・
ですから 金銭は貯めるべくして貯めるというのではなく [使うべくして貯める]というのが本当の貯め方であって この金銭の意義にもとる貯め方をしたり 何が何でも金さえ貯めればよいといった無理な貯め方をした場合にはその人を不幸にしたり また何かの形において失われるものであります」
この教えを利用して 「社会のために使わせていただきましょう」「貯めていても何かの形で出て行きますよ」と 「お祝い金」を出させようとするのである
そして 「出すべき金は出し惜しみせずに喜んであっさりときれいに使うことです・・・出し惜しみするのは貧乏心というもので金が生きて働かない・・・金銭でも物質でも使う人の心を乗せて働くものですから ケチのついた心で出した金は生きた働きをしません」
という教えが続く この教えは本来は支払いのお金や税金についてのお金の出し方述べたものであるが この教えを「お祝い金」に利用して会員に何ら見返りを求めない無条件のお金として出させようとするのである
そして 「倫理の研究によって いろいろな皮膚病あるいは癌と名のつく病気の原因の一つが 金銭至上主義のはきちがいであることを知って頂きたい」
という教え これは一にも金 二にも金 金さえあればいいといった人について述べた事であるが 「お祝い金」を出さないと癌になるという脅し文句で会員に出させようとするのである 
そして 金銭の「奉仕」すればまわり回って自分に還元されて自分が幸せになる(発顕還元の理)とする教えでもって 会員は安心するのである
この様に 会の教えを最大限に利用して 会員に金を出させようとしている 会員は不満を述べようものなら「倫理が分っていない」とねじ込まれて進退両難に陥い 金を出すようになるのである
この様に 教えというものをを会の活動 会の統制など色々な場面で利用している
この様な「お祝い金」が行われるのは何故か
もちろん 会の本部 会長の指示によるものである
会は 各地区 各会場に目標金額のノルマを定めてその完達を求めるのである
そして各会場の責任者を集めて 完達の出来ていない者を吊るし上げるのである 営業成績の厳しい会社と同じことをやっているのだ
本来は自主的に「お祝い金」を出すべきものであるが 各会場ではノルマを課せられそのような余裕はなく仕方なく強制なようなものになって行くのである
それは営業マンがノルマがきつくて不正を行うようなものである
誰が責められるべきか 当然 会に責任があり 全責任は社長である会長に帰すべきものである
会の中で「お祝い金」を会員に要求する立場にあるものに警告しておく
確かに「お祝い金」を出した時点では その会員はそれなりに納得して出したのであろうが 人の心は変わるものである その後会員であることを止めるかもしれない その会員はどう思うようになるであろうか 恐らく「あの人に騙されて エセ宗教に 何百万円(何千万円)も使わされた」と思うのであろう そして この思いはその子に継がれて「あの家の者に騙されて財産を取られた」と末代まで呪われ続けられることになろう
そして会員はよくよく考えるべきである 一年に宏正会のためにどのくらいお金を使う事になるかをしっかり計算することである 会はとにかく会員から金を引き出そうとしている 20年 30年と会員であった者で家一軒分の金を使った者はいっぱいいるのである

  

  
  


   

 

太陽神様
先日来のお話大変面白く拝見させて頂きました。特に金銭に関して、私の考えを述べさせて頂きます。
 第一に宗教にはお金がかかることを覚悟しなければなりません。もともと宗教は困っている人、弱い人を助けるのが基本的な使命ですから、お金が必要なのは当たり前です。日本の社会は甘え社会でもらうことばかり考えます。しかし人はもらうより与える方が、喜びは大きいのです。もらうことを求める人は、もともと宗教に関係してはいけないのです。与えることに喜びを見出す人、どんなに小さくても与える事に価値を見出す人でないと宗教にはいってはいけないのです。
 第二に献金は天国への貯金です。献金する人は収入があったとき、まず献金分を差し引き残りで生活することを計画します。これで収入より少ない支出で生活する術を学びます。もし危機に遭遇したら、献金を少なくするだけで乗り切ることが出来ます。このような意味で献金は貯金と同じに意味を持ちます。ユダヤ教では収入の1/10を教会に捧げる伝統があります。この教えを守ると貴方は豊かになると教えています。何故でしょう。収入の1/10を捧げるには、先ず全収入を正確に知る必要があります。そして予算に従った消費をしなくてはいけません。これは二宮尊徳先生の教えとも一致します。キリスト教では1/10の献金をしている人は少数ですが、一般のお寺やお宮への寄付よりははるかに大きな額を毎月定期的に献金しています。
 第三に新興宗教の寄付金はキリスト教に比べても、決して大きくはありません。倫理宏正会もキリスト教に比べても、少ないと思います。問題は額よりも、献金する人がどのような主体性をもっているかです。また集めた献金をどのように賢く使っているかについて、透明性の高い報告がなされているかです。問題は日本人が宗教のために使うお金が少なすぎることです。それが当たり前になっているので新興宗教の寄付金が高く思えるのでしょう。寄付金は社会の良心の表れです。与えることが好きな国民はよい社会を作る資格がります。

今回は 色々と批判の多い「影倍加」について 我の思いを述べる
「倍加」とは 新しい会員を宏正会に入会させることで これはどこの団体もやっている事で別に問題はない しかし 宏正会では「影倍加」と言って 会員が承諾もなく勝手に他人の名義で入会を装うことが行われている 
会員が自腹を切って 入会金600円と一年分の会費2400円 計3000円を払って 他人たとえば子供の学校の先生 主人の会社の上司 親戚 近所の人などの名義で入会届を偽造して その人が入会したように装うのである
この行為は 刑法上の有印私文書偽造罪という犯罪になるようであるが 会から「宏正会とご縁を結ぶことによりその人が幸せになって頂きたいと願ってするもの」と教えられてするものであるから 警察としても取り締まることはしていないようである
しかし 勝手に自分の名前を使われて知らない間に宏正会の会員になっている人にとっては(何も知らないといえばそれまでだが) 非常に不愉快な事であろう 
もし自分が勝手にオウム真理教の信者とされていたというような事を考えればその気持ちはわかるであろう
どうして この様な非道義的 非倫理的なことが行われているかを言えば それは「お祝い金」のところでも述べた事と同様に 会の指示によるものである
会は 各会場に毎月多くの新入会員の目標を立てさせその完達を求めるのである
会場としては そのために必死に新入会員を求めて普及活動をするのであるが 毎月毎月その目標の数に達するものではない そこで「影倍加」のようなことをして目標が完達したことに装うのである
会の本部としては これは末端の会員が勝手にやっている事なので関知しないトボケルのである
要するに 広域暴力団の上納金と同じようなものと思えばよい
大きな暴力団には多くの下部組織がある 下部組織はその上部組織に多額の上納金を収めなければならない そこで下部組織の親分は配下の組員に金を集めるように要求する 組員は合法的に金を集めることが出来なければ犯罪行為に走ってでも金を集めようとする そして 犯罪を犯したとして警察に捕まるのは組員であり 上部組織は「ウチには多くの組員がいるので 末端の組員のやることにいちいち目が届かない」とトボケルのと全く同じである
会としては 毎月毎月 (名目上だが)決まった数の会員が増え 3000円×目標人数の金が確実に入って来るのである
一人につき3000円の自腹を切って「影倍加」をせざるを得ない会員も被害者 名前を勝手に使われる人も被害者 悪いのは会員に新入会員の目標完達を求める会であり この様なことをさせている会長に全責任があるのは明らかである
決して「影倍加」をしている会員を責めてはならない
責任を追及されるべきは あくまでも会長である
毎月の会費 「お祝い金」そして「影倍加」などにより 会員は多額のお金を会に献金することになるが
 そこに「認知的不協和理論」が働くことを忘れてはならない
この理論の例としてよく用いられるのであるが
もし あまり良くない商品を非常に高い値段で買った場合にその商品を良くないものと見ることができるであろうか 何とかその商品のいいところを見つけて買った値段に釣り合うように見ているであろう
そのようにしないと心の中で不協和がおきてとて苦痛であるからである
卑近な例であるが いい娘さんがどうしてあんな男と離れないでいるのかと疑問に思うことがあるだろう
それは その娘さんが 身も心もそしてお金までもいったんその男に全部捧げたからである そこに「認知的不協和理論」が働き 「だって いいところがあるから」と一生懸命にその男のいいところを探して自分に納得させるのである
逆の例として 先日 テレビで「男をつなぎ止める方法」として若い女の人にインタビューした番組があったそうである そこである女の人は「男にいっぱいお金を使わせること」と答え 「そうすれば男はお金がおしくなって私から離れなくなる」のだそうである
まさに理にかなった方法といえよう
この様な例は 宏正会についてもいえるのである
宏正会にいっぱいお金を使えば たとえ人から色々な事をいわれても 宏正会のいいところを何とか探し出してなんとか自分の心の安定を保とうとするのである これがマインドコントロールというものである


 


   
  

太陽神様

まめにお返事が出来ませんで、申し訳ありません。今後もこの様にお返事が遅れる場合もあると思いますが、私も休日などを用いてのものであります故、何卒ご了承賜りたく存じます。

「汝は我が述べた事の一部分のみ言及しているが 肝心な『宏正会とひとのみち教団の関係』についてはどう考えておるのじゃ」

飽くまで一会員が申しておる(お相手している)事ですので、ある程度大目に見て頂ければと存じます。もし、重要な点で回答が抜け落ちているものなど、ご指摘頂ければその都度補足させて頂きます。
また、『個人的な見解』とお断りしてもなお、ネット上という言わば公衆の面前で言動を発すれば、会の公式見解然として『一人歩き』を始める事もあり得ます。また、発言が事実と異なる予断を与える場合もありますので、個人の立場としても自ずと申せる事(ご回答出来る事)には限りがあります。この点もご了承頂ければと存じます。

個人的な見解としては、今まで折々にご回答申し上げました通り、関係なしとは致しておりません。


「まず会の成り立ち 初代の経歴について多くの者が知りたがっているかどうか」

その点に付きましては、私自身も争うつもりはありません。会が公式見解を示す必要性に付いて、太陽神様のご意見に何等異存はありません。
ただ、会(本部)としてはその様な認識がない可能性がある、と申したかっただけであります。


「次に 汝は『会長は他の会員とは格段の差のある実践精進をしている』だから『会長のみが唯一倫理を発見することができる』という」

この辺は言葉足らずでした。『会長は他の会員とは格段の差のある実践精進をしている』のはその通りだと思っていますが、『会長のみが唯一倫理を発見することができる』とは私も思っておりません。

基本原理については、ご承知の通り実にシンプルなものですから、今更『発見』する事は殆どない(発見し尽くされている)と思いますが、生活に密着したいわゆる『個々の実践』については、それこそ千差万別、一人ひとり全て違いがあると言っても過言ではありませんので、会友個々がその生活に於いて日々『発見』しているはずです。
会長といえども、個々の生活上の全てを網羅する事は到底無理でしょうし、その様な事は、会長も先代会長も始めから申してはおりません。


学問的な事柄に関しては、浅学非才な者ゆえ付いて行くだけで精一杯ですが、大自然の摂理を横取りしている、とされる点はあまり理論的ではない(感情論が入り込んでいる)ように感じますが如何でしょうか?
会の規模拡大のために『大自然の摂理』を利用している、との論は言いがかりに近いように感じますが。

会の規模を拡大するには『大自然の摂理』に従わなければ絶対に為し得ません。『正しい実践』でなければ、どの様な事業であれ成功(拡大)は覚束きません。
拡大を求める事は悪(不必要)とも取れるようなご発言もありますが、会の規模を求めるのは、この様な活動をしている団体であれば必然のものと思いますが、如何でしょうか。


金銭の実践につきましては、かなり曲解(激しい思い込みを)なさっているのか、もしくは本会に対する悪意を抱いてのものであるのか、どうも分かりませんが、今まで私が書きましたコメントをもう一度読み返して頂ければ、と存じます。

「この様な『お祝い金』が行われるのは何故か
もちろん 会の本部 会長の指示によるものである
会は 各地区 各会場に目標金額のノルマを定めてその完達を求めるのである」

『ノルマ』は一切ありません、と言い切っても過言ではないと思います。確かに大会などの際に『お祝い金』を求められるのは事実です。地区・会場によっては目標を掲げている場合も聞いた事はありますが、しかし、本部・会長から会場毎などに『ノルマ』が設定されて、無理に『お祝い金』をかき集めるような事は全くしておりません。
この点に付きましては事実誤認がありますので、悪しからずご了承下さい。


『かげ倍加』に付きましては、太陽人様のご主張にも一理あると思います。
この点も、今までに私の思いを記させて頂きましたので、そちらもご参照頂ければ幸いです。

ただ、理論展開の中には悪意が介在しているように感じます。その辺はもう少し理性的に論をお進め頂ければと思います。
仰ることは確かに一面では真実ですね。そう言う面がある事を否定はしませんが、何でもそうですが、物事には利点・欠点・特性など色々な面を持っています。その幾つかあるうちの一面のみを殊更強調されるのは、理性的な論とは言えない様に感じます。

これも、一度申したことですが、会の草創期から昭和40年代位までは確かに、会の基盤整備を行う上で、多額の寄付を必要としたのは事実ですし、会長から『ノルマ』云々はともかく、客観的に見て『かき集める』様な形であったのは否めません。
しかし、今となっては会の運営上必要な資金に事欠く状況にはないと思います。『お祝い金』(寄付)にしろ『かげ倍加』にしろ、例えばここにあるような『中傷』に怯えつつ集めるリスクを犯してまで、会はお金に困ってはいないと思います。
飽くまで自主自発のもの以外に他なりません。

「鯰の鬚は4本」よ 忙しい中よく答えてくれておる
汝の答えに反論することが色々あるが このブログも書き込む欄が少なくなって来ているので 一つだけ言っておこう
汝は普及実践について 「大自然の摂理」に従う「正しい実践」としているが 我が言っているのは宏正会の云う「無償の働き」の根拠について言っているのである ここの所は会員を普及実践に駆り立てる根拠になる肝心なところであるので 宏正会会員ならばしっかり理解しなければならないはずである
それでは 先に進める
宏正会会員は 会費(特別会員は一口1000円であるので 一人で何万円もかけている会員もいる) お祝い金 影倍加と多額のお金を会に献金することになるが その莫大なお金はどこに行くのであろうか
会員であってもはっきりとは知らないのである それだけ会の会計は不明朗ということである
新しい会館を建てたり 職員の給与を払ったり 会の行事に使ったり と会を維持するためにはそれなりのお金が必要であることは当然であろう
しかし 会長(上廣家)に多額の金が流れているということがしきりに言われているのである
このことを問題にして 本部職員が退職を余儀なくされたり 何人かの本部講師が出て行ったとされているのである
会長の日常についても 名門ゴルフクラブでゴルフ付けだとか ホテルニューオータニのスポーツクラブのサウナに毎日大きなベンツで乗り付けているとか
 夜は自民党の議員達としょっちゅう会食をしているとか 会長の姿を見かけた者がいるのであろう 色々と言われているようである 会長は超セレブであるのでそのような事もあるであろう
問題は会長の自宅である 
会長の自宅は 東京の超高級住宅地 松涛にある
松涛は江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があった所で 明治になって佐賀鍋島藩に払い下げられたものである 昨年 都知事公館の売却が話題となったが この公館が建てられる前のこの地の所有者はあの会津藩主 松平容保の子 外交官をしたり宮内大臣をした松平恒雄である その妻信子が鍋島直大の娘であったことからここに住むようになったのである そして娘の勢津子がこの家から秩父宮に嫁いでいったのである
戦後 西武が高級住宅地として開発したのであるが
現在住んでいるとされているのは 山本富士子 デビ婦人 Bzの稲葉浩志 マンガ家の江波達也などの有名人 話題となった村上世彰 旧商工ファンドの大島健伸などの実業家等 金持ちばかりである
会長の家は 戸栗美術館の隣 観世能楽堂にはさまれた 一辺が60mと40m およそ800坪にもなる広大な屋敷である 庭にはうっそうと樹木が茂り 広さでは松涛の中でも一、ニを争うのではなかろうか
ストリートビュー ロケーションビューでしっかり見ることができる 会長の家の西隣は 日本でも有数の資産家 資産4700億とされるサンキョウの毒島邸
その斜め前が 元大臣の扇千景邸である
この地の地価は 一頃は坪100万円といわれていたが今はどのくらいするのであろう 5・6軒離れた都知事公館(敷地 670坪)の最低売却価格が48億円とされていたから 800坪の会長の家の価格が予想できよう この家を維持しようと思ったら 固定資産税等で年間数千万円は必要となるのではないか
相続ともなれば 何十億か何百億かどのくらい資産を蓄えているのかわからないが この家だけでも数十億円は税金がこよう とても普通のサラリーマンでは維持できない額である
このことをとっても会長の息子が会長職を継ぐ必要があるのである
会長は「奉仕」ということはしないのか ただただ会員から金を引き出すことしか考えていないのか
この土地の十分の一くらいを自宅とし 残りを売却すれば地方の二つ三つの会館が建つのではないのか 
松涛は新興宗教の根城ともいわれている
統一教会の本部もあるし 近くにはPLの教会もある
一時期は福永法源の「法の華」もこの地に本拠があった もちろん会長の自宅もこの一翼をになっている
新興宗教の教祖についてどのような印象をうけるだろうか たぶん 恐ろしいとか 怖いとか 不気味とか 関わりたくないとかいった あまり良くない印象ではないだろうか
もし近くに 新興宗教の教祖が立派な家を建てたらどのように思うであろうか
暴力団の組長が立派な家を建てたのと同じような気持ちで 信者からいっぱい金をまきあげているのだろうと思うのではなかろうか
どのくらい会長に金が流れているのかわからないが
会長の自宅を見ても莫大な金であることが予測できる この金はすべて会員が 会の教えに基づいて 大自然に感謝し社会への奉仕のためにと必死の思いで出したものである 会長(上廣家)がこのような贅沢をするために出したものではないのである 
会長は会員の心を踏みにじっている 会員はバカらしいと思わないのか それでも会長を尊敬しているのか
会社であれば 株主総会で役員の報酬の総額が明示され 株主総会の承認を得なければならない
ぜひとも 会からどのくらいの金額が会長に流れているのかを 会員に明確に示すべきである  
また 各地の倫理会館にはめったに来ることのない会長のために豪華な特別室が作られ 黒塗りの高級車が用意されているという
会長は 清貧とか 無駄を排すとか 大そうにも会員に言っているが 自分はそのような教えは関係ないのか それでも 会員とは並外れた実践をしているといえるのか
 


 
   
 


前回の我の書き込みにミスがあった
「一頃は坪100万円といわれていた・・・」とあるが 0が一つ抜けていた 「坪1000万円」と訂正する
800坪×1000万円=80億円じゃ バブルの頃は この数倍はしていたであろう 近くの神山に 麻生総理の自宅があるが これと比べても引けをとらない代物じゃ とにかく日本でも有数の豪邸じゃ
「鯰の鬚は4本」は「我が悪意を持っている」と言っておるが 我が悪意であろうが 善意であろうが はたまた中立であろうが 我の内心は関係なかろう
前にも述べたが 我は我が思う宏正会をただありていに述べているのみ 一つの意見として述べているつもりじゃ それが悪いのか
それと「我が一面のみを殊更強調する」とするが 汝も同じであろう 汝が一面を云う 我がもう一面を云う それでいいじゃないか 皆が判断することじゃ
我が見る限り 汝の云っている事は 我が「実践」のところで述べたように すでにマインドコントロールにはまっているように思える 一生懸命に宏正会のいいところを探しているように見える 仕方がないことではあるが
一度マインドコントロールにはまってしまうとなかなかそれが解消されない 頭(理性)ではなく 心(感情)に入り込んでしまっているので 理屈で説得しても返って反発されるだけ 実践つまり朝起会とか会費などをキッパリと止めないとマインドコントロールは解消されないのである
会長は宏正会とは別に 宏正会から持ってきた基金をもとに「上廣倫理財団」という財団をつくっている
会員はその存在は知っているようであるが この財団が何をしているのかあまり関心はないようである
宏正会色を廃して 倫理・道徳を研究する学者や機関に資金を提供したり 倫理・道徳について活動した人を表彰しているようである
どういう意図で会長が宏正会とは別にこのような財団をつくったのか不明である 
財団の名前に「上廣」と自分の家の名前を付けて自分の存在を世間に誇示したいのか 会長のしょうもない名誉心でこのような財団をつくったのか
このような財団をつくることが社会への奉仕と思っているのか そうであるなら宏正会は何なのか
色々と考えることができるが この財団の資金はすべて宏正会の会員が必死の思いで出したお金である 会員が出したお金は会員のために使われるべきであり 決して会長の名誉心のために使われるものではないのである    
 
   
 


  
 
 
  

みなさま、被害者同盟をつくって集団訴訟を起しましょう。

太陽神の金銭に関するレスは、まさかと思いながら
読んだが、もし本当なら会長先生の清貧も無駄を
なくす教えもむなしいことです。
月々3千円ですが30年払った。
せめて半分は返してほしいです。
あんなに熱心に倫理を教導できるかたが、なんで
こんな風になってしまうのかが判らんです。

太陽神様、お客様会友様、社団カルト摘発様、鯰の鬚は4本様、レイモンド様、高島平様、半兵衞様、おたんこなす様、さくら様
 先日来のお話大変面白く拝見させて頂いておりますが、話がすこし変な方向に向いているようなので、頭を冷やす意味で老人の意見を述べさせて頂きます。
(1)最近の太陽神様の論旨は上広栄治氏の財産に言及し、それによって彼の全人格を否定するような方向をとっています。これはデマゴーグの基本的なやりかたです。騙されてはいけません。日本は戦前このようなデマゴーグのため、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件と続いて、賢くてお金持ちの人を次々暗殺し、一見道徳的で愚かな軍人に政府を奪われた結果、遂に太平洋戦争まで突入してしましました。指導者の清貧を求めるのは一見正義にかなっているようですが、これくらい愚かなことはありません。清貧な愚かな人より、お金持ちで賢い人のほうが、よほど社会のためになります。また社会は賢い人に自然に富が集まるものです。倫理宏正会は宗教法人ではなく社団法人ですから、経理は公開されており、また関係官庁の審査があるはずです。
(2)倫理宏正会の第1の功績は朝起き会を、永年つづけていることだと思います。朝おきの習慣は先ず人の体を健康にし、また暗いうちに星・月をみて、大自然の息吹に接して、心を畏敬の念で浄化します。
(3)第2の功績は、会員に自分の考えを文章にまとめて、皆の前で発表する機会を与えていることです。その過程で文章の添削を通じ、自分の思想に普遍性をまし、また発表力を高めています。
(4)第3に、女性会員は上広栄治氏の著書と自分の文章を比較し、自分をより客観的にみる眼を養っていることです。このような思慮深さは家庭では、夫婦の間、子供の間、また義父母に真の愛和の関係を作っていきます。このため年長の会員が上手に若い人を指導しているようです。
(5)第4に、頒布の実践のなかで、人との良い関係を積極的に作る技術を身に着けていることです。これは行き過ぎたり、良い人間関係をつくるのを失敗すると、弊害がおこることは勿論ですが、このような人間関係の技術は通例の生活に必要なものです。頒布の実践を通じて、良い人間関係をつくる技術を習得し、それによって自分の人生を豊かにすることができます。
(6)第5に費用があまりかからないことです。倫理宏正会はキリスト教のように建物も、また専任の説教者も必要ありません。ほとんどボランチアで活動しています。私の経験ではキリスト教の1/5~1/10です。
(7)以上は良い点ですが、問題点と考えられるのは、組織が上意下達的で、軍隊的なこと、男性と女性が交わらないこと、上広栄治氏への個人崇拝が強いことなどがあげられましょう。しかしこれは上広栄治氏に倫理研究会の丸山敏雄氏の思想を加えれば改善できるように思われます。実は私は普段倫理研究会の朝起き会にでており、ときたま倫理宏正会の朝おき会にでるときは、丸山敏雄の「幸福の栞」をもっていき責任者の方に差し上げて、喜ばれてます。

 以上を考えると、たとえ上広栄治氏が大きな家に住んでいようとも、家にこもりがちで、自分を磨く機会の少ない女性に生きる活力と家庭愛和の知恵を与えている功績は大きいように思います。デマゴーグはいけません。

我は 宏正会について色々と批判されて事について 我なりに考えた事を述べてきた
会の成り立ちにまで遡って宏正会を見て来たが 我が見る宏正会は 上廣家の野望の産物だ ということである 皆はどう思うのであろうか 
初代の金銭欲 権力欲 名誉欲 は宏正会という形で実を結び それを現会長が受け継ぎ そしてまたそのDNAを息子が受け継ごうとしているのである
宏正会はどのようにして生まれたのか
最初から 初代は「ひとのみち教団」と同じようなものをつくり 自ら教祖となろうと思っていたのである 
途中 丸山に師事し倫研からも 教え 組織 普及の方法等を盗み出し 丸山を裏切る形で独立し宏正会をつくった 
それどころか 実は丸山は 今につながる初代の危険性を感じ取り 破門したともいわれている
宏正会はどのように成長してきたのだ
「実践」「実践」と婦人会員を日夜普及に走らせ会員を獲得し マインドコントロールして会員から金をむしり取り そして その金と票で自民党議員と結びつき その権力を傘に不正をごまかしてきた その過程で上廣家は着々と蓄財に励んできたのである
しかし 今 宏正会は確実に衰退して来ている
名目上の会員数は影倍加があるので増えているのかもしれないが 実働会員は着実に減少している 新しい若い会員は減少し 長年会員であった者が今まででやって来たことを止められずにズルズルと続いていて会員の高齢化が進んでいるという
これからも発展は望めまい 
ネットの普及により宏正会の虚像が暴かれ 今までのような普及方法では誰も騙されなくなるに違いない そして 時代が進み 戦後の教育を受けた者が祖父母となっているのである 宏正会のような非合理的で古臭い教えには誰もついて来なくなるであろう 

 

 
 


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でも一回は一回だからな! キッチリ諭吉いただきましたwww
てか女も「かわいい」って笑ってたし、別に俺は悪くないよなー?

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セッックスお願いしまくるつもりで会ったら向こうから誘ってきたしwwww
まさかこんな簡単にヤれて大金貰えるなんて思ってなかったわ(^^;
今までの童_貞人生って一体・・・orz

http://ikisou.sersai.com/vtMPSVW/

上廣理事長の渋谷区松涛町邸宅については、いろいろ取り沙汰されていますが、オープンにはなっています。
例えば松涛町1丁目26-38については、平成16年4月8日上廣倫理財団から売買因で名義が上廣栄治個人に変更されています。以下多数に分筆され
26- 38
26- 39
26- 58
26- 95
26- 96
26-123
26-124
26-125
26-126
26-127
26-128
26-129
26-130
26-131
26-132
26-140
等々も売買や交換名目で個人名義となっています。
財団の規模は創価学会の十分の一ですが、会員4百万人の頂点に立つひとですから、それなりの収入もあり、会長にふさわしいお住まいです。
因みに邸宅部分(26-26、26-27、26-32)の土地購入は実践倫理宏正会名義で昭和51年ですから、現会長になってからのことであります。

東経さん
あなたが会長の自宅としている土地は 太陽神さんの指摘している土地と異なります。
どちらが本当の会長の自宅ですか?
東経さんのご指摘された土地にはマンションが建っていて 会長の自宅としては太陽神さんが指摘された土地のほうが本当のように思えますが。
 

捨て育てだけはしないで。
愛に飢えた子供を抱き締めてあげて。
泣き疲れるまで泣かせた方がいいなんて信じないで。
子供を家に置いていかないで。

被害者同盟はありますか?
捨て育てをされ大人になってから精神に異常をきたした人です。
生まれた時から自転車で一時間かけ通い続けました。
今は会長に対する憎しみが自分でも分からないのですが腹の底から沸いてきます。
超越人になれ?笑えますね。
会長にとって都合いいロボットにしたてあげようと、
世間知らずな主婦をターゲットに、金を巻き上げ。
幼児を放置させ自費で買わせた本を配らせ。
時間と金と命を奪う最低な悪質カルト

太陽神様

相も変わらぬ遅いご回答で申し訳ありません。


「汝は普及実践について 『大自然の摂理』に従う『正しい実践』としているが 我が言っているのは宏正会の云う『無償の働き』の根拠について言っているのである」

『無償のはたらき』と『大自然の摂理』との関係、という事でしょうか。
この所に付きましても今までに述べてきたつもりでありましたが、既にブログの彼方へと追いやられておりますので、再度申し述べたいと思います。
平たく申せば、本会の普及実践である『無償のはたらき』は、会友が各家庭で行う『正しい実践(家庭実践)』の訓練・リハーサルの場となります。

先のご回答にも述べましたが、何事に於いても『大自然の摂理』に従うでなければ成就は致しません。
『無償のはたらき』と『家庭実践』は一見全く関係のないものと捉えられがちですが、『無償のはたらき』を通して人倫を学び(本会で言う所の、『人の中で人になる』)、それを家庭で実践する(家庭愛和)事となります。
勿論、『無償のはたらき』も『正しい実践』でなければ成果(賛同者)は得られません。自らに足りないものを相手(頒布先の方々)から学んで反省し、その反省を家庭に帰ってから活かす事で『家庭実践』が成り立っています。


「会長(上廣家)に多額の金が流れているということがしきりに言われているのである
このことを問題にして 本部職員が退職を余儀なくされたり 何人かの本部講師が出て行ったとされているのである」

確かに、今まで本会から『分派』した講師もいらっしゃいますが、『会長(上廣家)に多額の金が流れている』事を問題にした、とは聞いた事がありませんが、それはどのような根拠で仰っているのでしょうか?
それらは、いわゆる『路線対立』としてのものであるとは聞いておりますが、会長の金銭疑惑云々につきましては寡聞にして聞いた事がありません。
理由の中には個人的な批判などもあったのでしょうが、根拠を示されないままに批評されるのはいかがなものかと思いますが。
あと、『本部職員が退職を余儀なくされたり』とありますが、その様な事例も聞いた事がありません。こちらももう少し具体的な根拠をお示し下されば、と思います。

会長邸の事をも批判されているようですが、一般論として申しますなら、それは高貴高齢者様のご指摘の通り、かなり悪辣なものではないでしょうか?
今となってはかなり資産価値も上昇していますが、取得当時の物価と比較した場合、今よりも資産価値は低いものであったと思います。

そもそも、万民が等しく一般庶民(何を以って『一般庶民』とするかさえ異論がありますが)と同じ暮らしをせよ、と言うのと、『清貧』とは全く異なる思想と思いますが、その辺はどの様に捉えていらっしゃるのでしょうか?
豪邸に住まう事は『清貧』と相容れない、とされるのは聊か短絡した考え方ではないかと思います。会長のはたらき(実践)と比較すれば、決して『過ぎたるもの』ではないと思いますが、如何でしょうか。


「途中 丸山に師事し倫研からも 教え 組織 普及の方法等を盗み出し 丸山を裏切る形で独立し宏正会をつくった」

上記につきましては、一部誤解があると思います。
『ひとのみち教団』以降の流れは一般的に見ればそうなりますが、組織・普及方法等に関しては、『ひとのみち教団』時代のものがベースになっているとは言え、『朝起会』のスタイル、頒布の方法など、先代会長が確立したものが多いようです。『朝の集い』に関しては、丸山先生が『朝起会』を元にして始められたと聞いています。


「その金と票で自民党議員と結びつき その権力を傘に不正をごまかしてきた」

これもまた、根拠に乏しいものですね。
今でこそ、そこそこの影響力を持っているのかも知れませんが、以前にも申しましたとおり、本会は過去も現在も自民党オンリーではありません。
会長と親しい議員先生も、この十数年くらいでやっと頭角を表した方々ですね。
それ以前は、泡沫団体とまでは言わないまでも、自民党に『不正をごまかす』ほどの影響力を行使出来るほど、本会の地位は高くはなかったと思います。
この十数年に関しては言わずもがなですが、もしやったとすれば、それこそマスコミの『いい餌食』となっていた事でしょう。


願い様 被害者同盟様

外見や、何かの聞きかじりで判断されている事が多いようですね。ご自身の目でしっかりと確認される事をお勧めします。
また、このブログには長くなりますが、一通りの回答が(私に限らず)書かれています。是非、ご一読下さい。

シリウスさん

渋谷区松涛町物件:当方の資料は「登記事項要約書」でして、所有権名義人は間違いありません。あなたのご覧になっている資料は、謄本(全部事項証明書)でしょうか。謄本には「・・マンション」という記載はないと思いますが。あなたのご出典を教えて下さい。

何故寂しい主婦たちを洗脳し、子供と過ごす時間を奪い、家庭崩壊させてまで無償に働かさせ、人を騙させてまでして富を得て嬉しいですか?
ベンツはそんなにもいい車ですか?
環境を考えてプリウスに乗る気はありませんか?
愚かな人とは、あなた、会長の事ですよ。
可哀想な人間ですね。

愛和の関係をつくるはずが無いですよ。
二時に起き、みそぎし、昼は頒布(月100冊買わされた本をタダで配る)。夜は名簿作り。過労死した人もいます。
家事や育児だけでも一日が足りないくらいに忙しいはずなのに、そんなことしてたら家事や育児を放棄していくのは当たり前の流れだ。しかも育児放棄を、(捨て育て)であり子供に良いと安心させて頒布させる。
家庭崩壊率は高いですよ。
何故班を作ったり、会員数の目標が必要ですか?
目標に達成するために本人の意思確認なく勝手に入会させ、その分まで会費を払わせる。
それは金を巻き上げる為でしょ?
なぜ収入のない主婦にそれをさせる?
しないと不幸になるとか子供が不良になる等と脅して。
カルトとしか言いようがないだろう。

それにしても本会に対しての非難が多すぎます。
宗教団体ならまだしも、生活倫理教導団体に、
これだけの反論があろうはずがないのに。
会長先生の資産まで詮索されるのは申し訳ない
が、先生ご本人の不徳だとしか言いようが無い。
説明、弁護されるかたも デマゴーグだとか お金持ちで賢い人のほうが とか聞きかじりだろうとか
おおよそまともに対応できてない。
ここはふざけたスレではない、煙がみえればなにか
火種があるはずです。
私も永年お付き合いさせて頂いてありがたい思いも
しましたが、どんな指導にも過ちはあると思う。
是々非々の部分がなくなればオーム信者と変わりないんですから。陰倍加についてももう30年前に
問題ありだが今は過渡期でもうしばらくすれば
なくなるような説明うけた。私を誘ってくださった
先輩からですが。運営が時代に合わなくなってる
のにこのままでは先生にも負担が重くなるばかり
です

ま、そう言えなくもないですね。朝起き会は「功」の方が大きいし、わたしは先生を守るべくしてまいりましたが、上述のように邸宅の隣接地を倫理財団に買わしておいて、時が経ったらご自分の名義に移しておられます。漢検と同じパターンで、脱税はしておられないので違法ではありませんが、個人名義の同地番分筆物件が16件にのぼっているのは、ちょとやり過ぎというか、先師はなさいませんでしたね。


包茎ガリガリ体系で29年間童貞でギャルゲー三昧だった俺。。。
ちょっと勇気出してコレやってみたら楽勝でセクれたわ(^^;
こないだの子は俺のアバラ骨で素股して潮ピュッピュ吹いてたしwww
ワロタけどアバラ骨も使いようによっては武器になるんだなぁwwww

http://komachin.anusu.net/ktKyTBN/

東経さんへ
私は現地に行ったこともありませんし 登記も見ていません。 ただPCで地図を見ているだけです。
太陽神さんは 会長の自宅は戸栗美術館の東隣の大きな邸宅だとされていますが 東経さんは松涛公園に近い別の邸宅が会長の自宅とされています。
東経さんは登記を見ておられますので 東経さんのご指摘されている邸宅が会長の持ち物であることに間違いはないのでしょう。
では 太陽神さんが間違っているのでしょうか?
それとも どちらの邸宅も会長の持ち物でしょうか?
どなたか 教えて下さい。
「上廣倫理財団は会長の資産の隠れ蓑」と言っておられる方もいますが 多くの資産家と同じように会長も弁護士さんとか税理士さんとかが付いているのでしょう 随分と節税にご熱心のようですね。 

 

皆さん 会創立65周年まで あと2年ですよー
しっかり貯金して 精一杯『お祝い金』を出させて頂きましょう

シリウス様

あらためて太陽神様の書き込みを見ました。「戸栗美術館の隣、観世堂にはさまれた・・」というところが、私の書いた「松涛町1丁目26-26/26-27/26-32」(現在も地権者は「実践倫理宏正会」)に当たると思います。
あなたのご覧になっているのは、PCのどのサイトの何ページにあるか教えていただければ、よりたやすく検証できると思います。因みにYahoo!地図で渋谷区松涛町付近の画面を表示して見ますと、あなた様の言っておられるであろう「鍋島・松涛公園」は、松涛町2丁目10、と記載されておりますが、これを見ておられますか。

必要悪なのだろう。
入信し、洗脳され犠牲にしてしまう人はもとから精神が弱く、
もし入っていなければ病気になっていたような人が多そうだ。
精神科の隔離病棟で薬をかじるだけの日々よりは、自転車で走り回り生き生きと頒布しているほうが家族にとってもマシだろう。
しかしそのような人たちを奴隷にし、家畜のように扱う会長はとんでもない人なあと感じますし、可哀想にも思えます。
本当に家庭をよくしていくために自立させるべきなのに洗脳し、奴隷にしています。
この会の一番の被害者は、子供です。
親は子供のためだと信じ込み、会長に貢ぎます。しかし真に必要なのは親と子供の、ぶつかり合いやふれあいなのです。
会長に貢ぐことで子供が幸せになるわけがありません。子供は放置し頒布することが子供にとっていいはずがありません。

実際に、親が信者だった子供が大人になった今、苦痛を感じている人はたくさんいます。

この会は、「母親の漠然とした不安」を「利用」し、「洗脳」し、「奴隷」扱いし、「母親と子供の関係を操り」「その子供の心までを奪おうと」する、最低最悪で愚かなカルトです。 
これは「大人」が「本人の意思」により参加するものです。 
そこに「子供のため」という言葉を取り入れてはいけない!
親が子供を愛するがゆえに、心配や不安になる純粋な気持ちを利用して操る最低最悪な教えをしてきた償いはしなければいけないはずだ!

 

東経さん
お忙しい中 私の軽薄な疑問にお答え下さりありがとうございます。
私は googleの地図で見たのですが googleの地図に松涛1丁目の26番が書かれていなかったので
松涛2丁目の26番を会長の自宅と勘違いしていたようです。東経さんのご指摘になっている土地は太陽神さんの指摘されている土地と同じものなのですね。よく分りました。ありがとうございます。

私はズブの素人ですが 登記をみられた東経さんのお話からの中から色々と疑問が湧いて来ました。
まず 土地については東経さんのお話で分りましたが 家についての所有者名義人は会長ですか それとも宏正会ですか?
次に 土地が実際にどのように細分化されているのかわかりませんが 土地 26-38 については 会長が上廣倫理財団から購入した後に16件の土地に分筆され別の名義人となっているようです。その名義人とは会長の子供とか孫とかといった会長の親族ですか?
会長の邸宅部分 26-26 26-27 26-32 は依然として宏正会の名義のようですが、航空写真やストリートビューで見る限り この土地は高い塀で全部を取り囲まれ 立派な門には「上廣」と書かれた表札が掛かっていて 会長はこの家に30年も住んでいるのですから、この邸宅は誰が見ても会長の自宅と思ってしまいます。
上廣倫理財団が基金10億円で設立されたのは 昭和62年4月。会長が 26-38の土地を購入したのは 平成16年の4月。 
この土地は元々すべてを昭和51年に宏正会が購入したもので、そして いずれ会長に移すために 26-38の土地を宏正会から財団に移したものと思われますが、そもそも宏正会にとって松涛のような高級住宅地の土地が必要でしょうか。必要ではないでしょう。
会長の自宅のために宏正会がこの土地を購入したとしか考えられませんが、これは宏正会にとって無駄なお金を使ったということで 宏正会に対する背任とはならないのでしょうか。
宏正会の土地に家(会長名義か宏正会名義かわかりませんが)を建て30年間も自宅として使っているわけですから 会長はちゃんと賃料を宏正会に払っているのでしょうか。太陽神さんによれば この土地は固定資産税などで年間数千万ものお金が必要とされています。そうだとすれば この土地の賃料は この土地の経費+α となりますが、会長は宏正会に年間数千万円のお金を払っているのでしょうか。
もし会長がこの土地をタダで使っていたり 極端に低い賃料であれば 会長の利益のために宏正会に損害を与えたということで 宏正会に対する背任となるのは明らかといえるでしょう。
昨日 漢検の前理事父子が背任容疑で逮捕されました。公益法人を会長が我が物としているのは 先代より60数年 漢検の比ではありません。
是非ともこれらの事についての会長の疑惑を明らかにしてもらいたいです。


     

漢検の前理事長父子が逮捕された夜に NHKのテレビでこの問題について放送していましたけど 公益法人の理事会は機能していないみたいですね。
宏正会の理事は 会長の息子さんを「理事先生」と呼んでいるようですから宏正会の理事なんでしょうけど あとどのような方が理事になっているのですか?
確か M講師も理事になっていると聞いたことがありますけど これでは会長の「イエスマン」ばかりで会長を監督することなんかできっこないのは当たり前ですね。
会長が不正を行った場合 監督すべき理事は責任を負わないのですか? 会長も理事も同罪だと思いますけど。
そして 公益法人を監督すべき官庁 漢検も宏正会も文科省だと思いますが かなりイイカゲンな監査しかしていないみたいですね。
宏正会の5年に一度の本部大会では 文科大臣が必ず挨拶に出て 総理大臣と同じくらいのひときわ大きな拍手で迎えるようですから 宏正会と文科省は もう馴れ合いになっているのかな。
宏正会の松涛の土地については 高額な資産であり固定資産税等の税金も宏正会は払っているはずですから ちゃんとした書類があるはずです。
会長の自宅についてどのように処理されているのか
それでいいのか等を 直接に文科省に問い合わせてもいいのではないでしょうか。
私は 会長が宏正会にこの土地を買わせて自宅として住むこと自体が宏正会すなわち公益法人の私物化で この事がすでに宏正会に対する背任と思えますが いかがなものでしょうか。
そうだとすると 警視庁または検察庁に対して告発するということになるのでしょうか。


 

シリウス様

たまたまわたしの持っているのは土地に関する登記事項要約書でして、謄本の要約ですから、名義人は間違いないと思います。地権者が宏正会となっている邸宅部分の建物も名義は宏正会でありましょう。
隣接地を財団に買わせて個人名義にするとき、売買と交換と両方の記載がありますが、売買は相当の取得税がかかっているでしょう、等価交換は税金かかりませんので、等価に合わせるためこのように多数に分筆されたのでしょう。
会費と寄付を含め、半自動的に年間320億円が入ってきますが、漢検のように各種事業を関連会社に下請けに出しているわけではなく、本会の場合最大の支出の朝起き会会場費が、30億円もかかりませんので、あとは大会事業費と管理費名目しかなく、なかなかお金の使い道がないと言うのが実情でありましょう。

東経さん 色々と教えて頂きありがとうございます。
邸宅の隣接地とは 会長の邸宅の庭にあたるいっぱい木々が茂っている部分のことでしょうか。
この部分が16件に分筆されて 売買とか交換によって 多数の名義人が所有者になっているということでよろしいのでしょうか。
交換は税金がかからないということですが 交換するためには土地でなければいけないのでしょうか。
他の高価な宝石とか骨董とかではいけないのでしょうか。
分筆された土地はいったい何方が所有者となったのでしょう。もしかしたら宏正会に巣食う人達で 国会議員とか政府高官だったりするのかな。
東経さんのお話では 会長の邸宅は土地も建物も宏正会のもの という事になりますが、宏正会に対する背任にならないのでしょうか。
専門の方 法律に詳しい方がおられましたら教えて下さい。
この土地・建物は宏正会のものであるにもかかわらず 会友の研修とかに使うのではなくて 表札を「上廣」とし会長の自宅として30年も使っているのですよ。どう見ても 宏正会の私物化でしょう。
理事会は機能しない。文科省も当てにならない。そうでしたら 捜査機関による捜査しかありません。
東経さんのお話では 宏正会には年間320億円の収入がありながらも 最大の支出である会場費でも30億円もかからないとされています。いったい残りのお金はどうなっているのでしょうか。
会長を背任で告発し 会長が逮捕されて取り調べられれば 色々な事が出てくると思いますよ。
会長は 元総理のM議員と親しいようですから、もしかしたら ロッキード事件を上回る日本を揺るがすような大疑獄事件に発展するかも・・・・・

  

シリウスさん

背任行為とかは分かりませんが、登記的なことだけ言いますと、この16件すべて、名義は上廣栄治氏個人となっています。それで、ちょとやりすぎでは、と言ったまでです。等価交換は土地でなければならず、たしかプラマイ20%しか認められないので、通常それにあわせて分筆します。これ以上は、渋谷の法務局で謄本を閲覧しないと分からないと思います。
九段の一等地に本部会館を建設するまでは、皆一丸となって寄付集めに奔走したが、完成後も同じペースで集まってきたため、お金の使い道が分からないということでしょう。古手の会員でもその点はご存知ないのではありませんか。

東経さん
もう一度 yahoo google goo の3つの検索サイトの地図で確かめましたが 太陽神さんの言われる会長の自宅は 松涛 1丁目15番 5号から14号までで 東経さんの言われる場所と異なります。
東経さんの言われる 松涛 1丁目26番 はアビデ松涛とかパシフィック松涛マンションとかが建っている場所で 戸栗美術館の隣ではありません。
いったいどちらが本当の会長の自宅ですか?
 

シリウスさん

あなたのおっしゃる、Yahoo!やgoo地図を見て気付きました。これらの地図は、郵便局の使う住居表示にもとづいているんですね。わたしの見ているのは、いわゆる登記に使う地番なんです。
住居表示の番地と住居表示は少しずれているのが常態ですが、わたしが書いた、26番内の16筆の区画が上廣栄治氏名義で、その隣接地同じく26番内の3筆の区画が宏正会名義となっていますので、この26番が太陽神様の言われる土地で、住居表示はあなたの言われる15番だろうと思います、気付くのが遅くて申し訳ありません。
確かめるためには、地番と住居表示の載っているゼンリンなどが売り出しているブルーマップや住宅地図を見る要ありますが、関東周辺の県立図書館なら、東京都のブルーマップを置いていると思います。
渋谷区の法務局には間違いなくありますので、それ確かめた上、謄本閲覧すれば、各区画の取引経緯が全部分かりますのでこのところの疑問はクリアーになるでしょう。
ついでながら、建物の登記は家屋番号でなされ、これまた地番とすこしずれていますが、地図はありませんので、通常は係りのひとに尋ねて謄本をとります。

東経さん 郵便局で使う住居表示と登記で使う住居表示とは違うのですね。これでスッキリしました。
26番内の16筆は上廣倫理財団から平成16年4月に会長名義に売買や交換名目で移転されたようですが、交換名目の土地は何筆あるのでしょうか。
交換名目にすれば税金がかからないということですが、交換ということは会長が以前持っていた他の土地が会長自宅の隣接地の土地と交換されて財団に移転するということでしょう。
交換に用いられた土地はどの土地かわかりますか?登記を見ればわかるのでしょうか。
素人が登記を見てもよくわからないと思います。
東経さんがどうして登記要約書を持っていらしたのかわかりませんが、ついでながら東経さんが登記謄本を見られて色々と解説していただければありがたいのですが。東経さんが私を迷わした罰です。登記謄本を見て教えて下さい。


会長の自宅についての 私の疑問です。
1 宏正会所有の土地・建物を会長が自宅として使用することが 背任になるかどうか。
2 邸宅隣接地を会長名義にするために どうして直接に宏正会から取得するのではなくて 宏正会から上廣倫理財団にいったん移転させてからにしたのか。
3 邸宅隣接を財団から移転するあたり 売買代金や交換する土地が適切な価格であったかどうか。

どなたか 私の疑問に答えて下さい。


自分からリードするのやめて女の子の好き放題にさせてみたの!
したら待ってましたと言わんばかりにオナホ出してきやがったwww
オナホでしごかれながら玉舐められまくったおかげで即昇天ス(^^;
てか一つだけ言わせてくれw なんでオナホ常備してんだよwww

http://papapai.younube.net/30SSs2r/

いやはやたくさんの書き込みがなされておりますね。太陽神様が提起されております、「認知的不協和理論」は会員のごく一部にいる、偏った人々には当てはまるかも知れませんが、大多数の会員には当てはまらないと思います。
特に2ちゃんねるだけ読んでいると、そんな一部のひとのみをあげつらっておりますので、むべなるかなと思うひともいるかも知れません。
今は2ちゃんねるも規制がかけられており、今後はこんな書き込みはなされないと思われますので、非難されることはだんだん少なくなっていくでしょう。

シリウスさん

あなたのご認識はその通りだろうとおもいます。ご質問の方は、登記謄本を閲覧すれば、誰にでも一目瞭然でしょう。当面上京の用事がありませんので、わたしは何も出来ませんが、機会があれば見てみようかなとは思っております。
先にも言いましたが、400万人の頂点に立つお方ですから、相当の邸宅に住み、財産もお持ちなんでしょう。
一見してチョトやり過ぎの感はまぬがれませんがね。

東経さん 
ご無理なお願いをして申し訳ありません。
また色々と教えて頂きましてありがとうございます。
私は 松涛の会長の自宅とされている邸宅は 東経さんや鯰の鬚は4本さんのように 会長にふさわしいお住まいだとは思いません。
この邸宅の土地・建物は 宏正会のお金で会長の自宅とするために 購入され建てられたものであり 決して宏正会会員のための研修施設として建てられたものではありません。
会員が知らない間に会員から集められた貴重なお金を数十億円も使いこのような豪邸を建て会長の自宅とすることは 会員に対する裏切り行為ではないでしょうか。
監督官庁である文部科学省はどうしてこのようなことを30年間も見過ごしているのでしょう。
宏正会はこの邸宅を会員の研修施設として届け出ていて 文科省は書面でしか審査していないのでわからないのでしょうか。監督官庁の審査といっても随分とイイカゲンなものですね。
会長には 宏正会の財布 上廣倫理財団の財布 そしてご自分の財布と3つの財布があります。
邸宅の隣接地はいつのまにか 宏正会から財団の方に移され そして会長のものになっています。
財団の代表者は会長ですから 財団から自分のものとするのに どのようにも出来ます。
邸宅の隣接地は16にも分筆され 売買とか交換名目で財団から会長に移されているようですから、売買価格が適切であったかどうか また交換に用いられた土地が交換に値する価値があるかどうかが確かめられなければならないでしょう。
特に交換に用いられた土地はどのような権利関係を有するのか どのような経緯で会長が取得することになったのかを 一つ一つ登記で確認する必要があると思います。
もし 財団から会長に移転するにあたり不正があれば 漢検の前理事長が逮捕されたように 会長も財団に対する背任として逮捕されてもしかたがないことでしょう。
 

シリウスさん

漢検の場合は収入が年間72億円でそのうち公益事業収入が56億円で無税であるのにその部分を不正流用したということです。「宏正会」は、総収入290億円のうち、95億円が寄付(お祝い金)、190億円が会費等でそれ自体は事業収入ではないし、雑誌書籍も一般書店で販売しておりませんので、出版事業ではありません。
あなたがいわれるようなことが、あるともないとも言えませんが、ま、あれだけのお人ですから、不正なことはしておられないだろうと思うわけですよ。


http://myahi.ikisugi.com/uMIf1ul/

なんかココさぁー名器に出会える確率チョー良すぎなんですけどwwww
こないだの子も中の構造がうまく説明出来ないくらいすげーグニュグニュでさw
出し入れする度にカリが刺激されてアヒャアヒャ声出しまくっちゃった(^^;
一回でも名器にハメると絶対忘れられないくらい気持ちいいからやってみ?ww

東経さん 
度々何も分らない私のお相手をして頂きましてありがとうございます。
漢検が○○億円 宏正会が○○○億円と言われましても 私にはよく分りませんが、会長が宏正会のお金で 自宅として松涛に数十億円の邸宅を建て そして邸宅隣接地を自分の所有としていることは確かなようです。
たまたま漢検の事がニュースで放送されていましたので関心を持ったのですが、私には これらの事は会長による会正会の私物化と思えて仕方がありません。
東経さんは「あれだけのお人ですから」と言われますが、私は太陽神さんの説得力のあるお話から 宏正会といいましても会長のことになりますが 嘘と虚飾で塗り固められているように思えます。
私は東経さんのように会長を信じることはできませんし、会長の自宅の件につきましても 色々な疑問が湧いてきました。
私は法律のことはよく分りませんし もうこの事については私の手には余ってしまいます。 
どなたか 関心のある方がおられましたら 疑問に思われている人達のためにも解明して下さるようお願いします。
東経さん 色々とありがとうございました。  
 

育児についてのお話と誘い、不幸になると脅して、時間と金を奪ってタダ働きさせているんだから普通に考えてカルトなんですよ。
日の丸掲げてる右翼なんですよ。
これからは老後の年金も奪いながら会長は贅沢しながら痛風にでもなって亡くなるんですよ。
この会の新たな被害者を出さないためには頒布を妨害することが一番効果的だと気付きました。それと一部の会員がおかしいと発言されていた方いますが、ほぼみんな(男性除く)おかしいですよ。男性は洗脳する対象では無いのでおかしくはなりません。男性には今まで通り働いてもらって、会場の警備員の役割を果たしていただければ良いので。

(雑感)

わたしは単なる一サポーターに過ぎませんが、「新しい歴史教科書」の道徳版を作るべく、昨年渡部昇一氏を座長にして、「道徳教育をすすめる有識者の会」が立ち上げられたとき、その道の大先達であられる上廣会長にもご参加をお願いしました。
会長としては、「宏正会」の会員の倫理力を高めることが先ず第一だとして、参加いただけませんでしたが、「朝起き会ワールド」の内部倫理の向上はもちろん大切ですが、そろそろ一般社会の倫理教育にも目を向けていただきたいところではあります。倫研の丸山会長はお入り下さいました。以前、「君が代斉唱のときに起立する運動」のときにも似たようなことはありましたが。

平成9年に「日本会議」が設立された時も 倫理研究所の丸山理事長は参加されたが 実践倫理宏正会の上廣会長は参加されませんでした。
どうも丸山理事長が出てくる場には 上廣会長は避けて出て来ないようだ。
倫研と宏正会の関係については太陽神様が詳細に検討されていて 太陽神様の言っておられる事に大筋に間違いはないと思うが、倫研の方では宏正会の初代会長の事を良く言っていないので 上廣会長は丸山理事長を良く思っていないであろう事が容易に想像される。
多くの者が集まる会議の場などで 同じ教義を持っている2つの団体の代表者が顔を並べれば 正統性に問題があり 色々と批判の多い宏正会は気が引けよう。
また 上廣会長は 宏正会の中では天皇のように有無を言わせない事が出来るが、このような会議の場ではそのようにはいかない。
所詮は 上廣会長は宏正会というお山の大将に過ぎないものと考えればよい。
   

6月6日は 宏正会の会長の誕生日で その日の朝起会に向けてのお誘いが行われているようだ。
6月6日午前6時に誰がうまれたでしょうか。
そうです。『オーメン』で 悪魔の子 ダミアンが生まれたのです。
「666」はキリスト教では 「獣の数字」ということで忌み嫌われているらしい。
宏正会の会長はその日の何時に生まれたのか分らないが、もし午前6時に生まれたなら 「666」で会長は「悪魔の子」ということになる。
会長について 多くの批判がされているが、どうしてテレビや雑誌が取り上げないのか 不思議ですね。
同じように批判の多い学会は 多くのマスコミに叩かれているのに 宏正会はマスコミに取り上げられることがない。
会長が自民党=権力に食い込んでいるからといわれているが 民主党に政権が移ったらどうなるのか。もっとも最近は政権交代を見越して民主党にも秋波を送っているようだが これではあまりにも節操がない。また自民党が政権を取り戻したした時には 手痛いしっぺ返しを受けることになるのでは。
宏正会は 国家権力による「ひとのみち教団」の弾圧事件を相当に恐れていることに間違いはない。


 


学会は 元は日蓮宗。日蓮宗は 歴史上幾度となく弾圧されたが、それを法難として耐えてきた。宗教というものは 「信じる」ことが不可欠なだけに それだけ強いものをもっている。
宏正会は 社会教育団体か宗教団体かはっきりしないが、そうであるからこそ 宏正会の会員は宗教団体の信者よりは信念は弱かろう。
会長がマスコミで非難などされたら 一気に瓦解する。それどころか 会長は会員に石を投げられる存在となろう。
宏正会は 歴史的な裏付けもなく 「会長への信頼」で会が成り立っているようなものであるから 元々その基盤は弱いものである。 


金玉にしたたり落ちるくらいの唾でフェラチオされたの初めてだよww
最近の大学生ときたら全く・・学校で何を勉強してんだぁ????
おかげでロリ専だった俺が大学生に目覚めてしまったじゃないかwwwwwww
まだチンコがウズウズしてるよチクショウwwww

http://korekara.au-au-a.net/GRCOMzu/

産後鬱になった主婦、家で赤ちゃんと二人きり。社会の事は分からない。夫は育児にも家事も協力してくれない。
そんな不安な女性の家に来た勧誘。
「宗教ではありません」

それから洗脳が始まる。
夫に嘘をつき、会にお金を使うようになる。会の教えを守り育児を放棄し、勧誘活動に時間を奪われ、毎朝3時に起きて修行をする。
しだいに「会長様」は神様のように思えてくる。
単純なことだ。
今までは親や教師の
言うことを聞いていればそれで生きてこれた。
しかし、母親には「絶対的に信じれる対象」が無い。
育児には、100%正しい答えが無い。
核家族化で身近に頼れる「お手本」がいない。
家の中で子供といてニュースでは不安になるものばかりだ。
そこに来た会員は言う「不安でしょう、大丈夫。毎日朝起き会に来なさい。」
そして一生を会に捧げることになる。
洗脳が進むと、会の活動以外は全て「無駄」な事だと思えてくる。働くことも、旅行も、ショッピングも、オシャレも。女性なら楽しむものも、無駄としか思えなくなる。
夫の稼ぎでは足りなくなり、パートに行くがパートの稼ぎ全て、会に捧げる。
死ぬ直前まで自転車で勧誘をする。
「決して宗教では無いのよ?安心して。素晴らしい素晴らしい学びができますよ」

倫理実践公正会のやり方。
 

今から約50年前に、両親が入会していました。・・・その当時はまだ高校生でしたが、春・秋の大会に参加人数確保の必要も有ったのでしょうか、支部で準備されたバスに乗車して参加したりしました。・・・・フェスティバルホールだったと記憶していますが、当時の佐藤大阪府知事の言葉が、今でも時々思い出されます。『得意の時端然・失意の時泰然』・・・・・・朝起き会に参加させて頂いて行動力が高まったと思いますし、思いがけない天の助け・気付きを頂く事が多々ありました。・・・・・・この事は体験して初めて納得出来る事です。・・・・・壮年団の金沢実践倫理記念会館での錬成会にも参加させていただきました。・・・・・今でも役に立つているのは、腹からの発生練習です。・・・・鍛えました、仕事の昼休みに淀川の河原で、上半身裸で全力発声に取り組んだ事を涙が出る程懐かしく・・・・阪神電車が淀川を渡り始め、渡り終わる迄の時間、全力発声を続けられた時の、ひそかな喜び。・・・・・・日本武道館での創立30周年記念式典に参加して、得た事は、段々薄れていますが、宏正誌に掲載された会長先生のご挨拶に息次をされた位置に印しを付け、お手本として発声練習した時に気付いた先生の偉大さを今も忘れません。・・・・・私は今65歳、前向きに・楽天的に生きれるのも、貴重な経験のお陰と感謝しています。

ま、毀誉褒貶あい半ばでありますが、「宏正会」拡張期の昭和47年10月に、上廣哲彦先師ご逝去、先師の意思を継いで皆頑張り、昭和51年頃には九段も松涛町も土地を確保、平成8年1月には念願の本部会館も竹中工務店により竣工しました。
その後も会員は増加を続け、資金は自動的に集まり、年間330億円の収入の使い道がなかなか見つからない状態であります。そこで「宏正会」が購入して建てた公邸の隣接地、松涛町1丁目26-38の如く、平成15年12月に上廣倫理財団が購入してそれを、18年6月には栄治師が個人で購入するようなことが惹起いたすことになりました。
会員数4百万を超える日本一の修養団体の会長が、あばら家に住むわけにもいかないでしょうから、それなりの理解を致さねばならないと思いますが、なかなか難しい問題ではあります。

宏正会の会員数が 400万人?
影倍加という犯罪行為による幽霊会員を含めればそんな数になるのかも知れないが、実働会員は 大会の動員人数のせいぜい4~5万といった所。こんな見せかけの会員数を誇って何になる。
会長の自宅を「あばら家」と今の松涛の邸宅を比較しても 極端で話にならない。
会長は自宅とするために 宏正会の金を使い松涛に豪邸を建て住んでいるのに どうしていままで問題にならなかったのか。それどころか 強欲な会長は小細工をして土地を自分のものとしている。
金銭至上主義を色々批判しているようだが 自分はどうなのだ。会員に金を出させて 自分のものとするための策略か。極悪人だよ 会長は。
公益法人を私物化しているのは漢検の理事長父子と全く同じ。漢検の理事長父子が逮捕されたのに なぜ会長父子も逮捕されないのか。
我々は会長一族が何をしようとしているのかをしっかり監視し、不正があれば直ちに刑事告訴をしなければならない。

 


これヤった後でパチ屋に行ったら勝率上がりすぎwwwwww

http://onarin.navi-y.net/PfpAPif/

ただの軍資金稼ぎのつもりでヤってたんだけど、
パチも負けねーもんだから金が余りまくりっす・・(^^;
まー金は余っても困らないからまだ続けるけどねーヽ( ・∀・)ノ
とりあえずBMWでも買うわwwwwwww

会員    345万人
維持会員   70万人
特別会員   25万人
(計    440万人)
という整合性ある数字により、会費174億円を申告していますので、400万人は、あながち間違っているとも思われません。もっとも会費は課税対象ではありません。 

宏正会の会費は、 
一般会員 月200円 維持会員 月500円 特別維持会員 月一口1000円以上 となっている。
最初は一般会員として月200円で会員となるが 朝起会に行くようになった会員は 「器を大きくする」とか言われて必ず特別会員になる事を求められる。それどころか家族まで特別会員にする事を求められ、特別会員は1人あたり月一口1000円以上であるから 一家族で月数万円を会費として払っている者も大勢いる。
普及実践に出るようになると 一月あたりのノルマを課せられ、新たに新人を入会させるか それが出来なければ自分で3000円を払う「影倍加」をする事を求められる。会はこのような事までして会員を増やし、会員から金を巻上げている。
会員数400万人とは そのほとんどが「影倍加」による見せかけの数字であり、その数の百分の一の会員が自腹で会費を払って 400万人という見せかけの数字を作っている。
「嘘 虚飾 虚栄」 という言葉で表されるのが宏正会であり、これはそのまま会長のことである。
「影倍加」は 有印私文書偽造罪という明らかな犯罪行為であり、「影倍加」を勧める者がいたら 「私は 犯罪を犯したくはありません」とキッパリ断るように。それでもしつこく勧めるのであれば 「警察に通報します」と言って返せ。
宏正会は 組織的に犯罪行為を行っている犯罪集団である。

 

  

いやはや宏正会も惨憺たるものですね。朝起きの古手にちょっと言ってみましたら、そんなことはあるはずがない、もし会長がそんなことをしているなら、天が見逃すわけがない、と言われました。天網恢恢粗にして漏らさずと言へり。
会長ともあろうお方が絶対にそんなことを、なさるはずがありません。ここに書かれていることがあながち、ウソでもないでしょうから、それは会長の取り巻き、宏正会の古手に、ロクなものがいない証拠でありましょう。

「会長ともあろうお方」とは どこを見て言っているのか。生の会長を知っているのか。普通の会員は大会で遠くから見るか、 倫風のフテブテシイ顔を見ているだけであろう。
会長が言っていることは ただ倫研の丸山敏雄の説に合うような話をアチコチから探し出して引用しているだけのこと。会長自身の言葉は何もない。
このブログは他の似たようなものに比べてレベルが高い。ここに書かれていることを会の幹部にぶつけてみれば 「会長ともあろうお方が絶対にそのようなことを、なさるはずがありません。」と訳のわからない事を言うくらいで 何も答える事はできまい。
宏正会に対する批判は徐々に会員の中にも広がっている。会が抑えようとすると返って反発するというもの。日本は北朝鮮と違い「言論の自由」が保障されている。どしどしと自分の意見を述べればよい。

現会長様のおことばは「大自然の摂理」。これこそご先代様も丸山先生も言及されなかった現会長様独自のおことばと申せましょう。
現世と宇宙が理でつながっているという思想で、これは過去幾多の聖人、賢人が唱えていますが、倫理のみを介在して彼岸に到達するとしたひとはおりません。
一種の小乗的な論理ではありますが、人智を超えた神や仏に頼らずとも、己の倫理観を養うことを基礎において、人類救済と世界平和を願われているものです。

宏正会が宗教団体だということを言いたいのか。
「大自然の摂理」については、すでに「太陽神」様が分りやすく解説されている。
このブログでは、宏正会の問題点を網羅的に述べられている「太陽神」様をはじめとして 「悲」さん 「シリウス」さん 等々とそれぞれの立場で宏正会の問題点に言及されている。既に会員である者も賛同する部分が多いであろう。
会長は一般の会員の前には出てこないが、講師なら出てくる事もあろう。講師にこれらの問題点をぶつけて見るがいい。どのような対応をするか楽しみではないか。逃げようとしたら 「何のために講師で飯を食っているのか」と吊るし上げてやれ。

久しぶりにこのサイトを見ました。何か大変な事になってますね。前にも書かせて頂きませたが、私も子供の時に可愛いがってもらった近所の大富豪の親会友さんの誘いに断れずに1年間、頑張って見たんですけど、何年も学んでいるはずのグループ長の私えの容赦無い差別、私が知らない間に無理やり入会させられた母親には親会友からの30万円のアムエイの鍋のセットの強引な押し売り、1回、断ると近所のご婦人会友どの5人、10人と度重なる押し売り、等々、私の母親はうつ病に成りました。その事を知った、私の父親が私の親会友のとこに怒鳴り込み行きました。何とか無事に脱会出来ました。

そろそろボーナスの時期となる。この時期になると宏正会では会員を集めて「金銭」についての座談会が開かれる。宏正会の魂胆は 要するに会員からボーナスの上前をはねようということだ。
「金銭による社会への奉仕」という教えでもって会員から金を引き出そうとするが、このブログの書き込みで明らかになったように 会長一族は宏正会に入った金を私物化している。「会長への金銭の奉仕」であることよくよく心すべきである。
地方の倫理会館には、宿泊のできる会長のための豪華な特別室が造られ 会長専用の黒塗りの高級車が用意されている。しかし会長は倫理会館には宿泊はせず高級ホテルの特別室に泊まるようである。車を使うのも年に2回の大会のときだけ。いったい全国にいくつの無駄な特別室があり 何台の無駄な車があるのだ。その延長が 東京の超高級住宅地 松涛の800坪の豪邸だ。宏正会の金で数十億の自分の自宅まで造っている。会長は公益法人である宏正会を全く私物化している。そして「上廣倫理財団」というトンネルを使って その土地を自分の所有としている。会員をバカにするにも程がある。
今は大変な不景気な時であり ボーナスが出なかったり 出ても大幅にカットされている会員はたくさんいるであろう。主婦が献立の品を減らしてまで節約して出したお金 年金生活の者が生活を切り詰めて出したお金を 会長はこのように自分のために無駄に 贅沢に使っているのである。もっともらしく金銭至上主義を批判しているが、会長こそが金銭欲の塊である。決して騙されないように。
座談会でえらそうに倫理を説き金銭の奉仕を勧める者に このブログに書かれていることを突きつけて吊るし上げてやれ。


 


もう飽きて別のプレー中心にするから、秘伝の技伝授しますね!
腹を押さえてGスポ刺激すんのは当たり前なんだけど
それだけじゃなくて指を交差して刺激すんの!!
ポイントは手先にグッと力を込めて手を震わせる事ね!
これやるだけで月50とか楽勝だからwww オヌヌメw

http://dashinuki.adult-value.com/vEyNl7x/


やっほー♪ 今日も網タイ破りやってきたよー(`・ω・´)
やっぱ破った後そのまま突っ込むのが重要だよねーwww
女の子も男らしくて最高っつって大喜びだしやめらんねーわヽ(´ー`)ノ
てかむしろ頼まなくても勝手に網タイ穿いてきてお願いされてるしwww

http://zebu.iphone5.net/YAMw8Zw/

もともと一会友が始められたこのスレッドは、宏正会応援サイトとして、鯰の髭は4本様始め虚無僧様、さくら様などご熱心な会友のご発言の場でありましたが、太陽神様たちが膨大な理論をもって、論陣を張られましたので,今は砂漠状態になってしまったように見受けます。
これらアンチ派の皆様方のご意見は、「宏正会」は「ひとのみち教団」から分かれた焼き直し版・宗教であり、知らない間に会員にする陰倍加などは違法である。又、「宏正会」や創始者の出自をタブーとしていることはけしからんということに収斂されましょう。
わたしは会友でありますが、いろいろ非難されているような目に会ったことは一度もありませんし、周りの先輩に聞きましてもそのような現象は見当たりません。会友として、発言権ありと認じ以下所感を申し述べます。

(1)太陽神様方のご意見は、2ちゃんねる、特に、「朝起き会(社)★実践倫理宏正会★1~20」の2万件になんなんとして書き込まれスレッドに、全て網羅されているといっても過言ではありません。わたしに言わしむれば、太陽神様の方が2ちゃんねるサイトのマインドコントロールにはまって、宏正会はけしからんという刷り込みがなされているのではないかと思います。
ま、長年の懸案であった、2ちゃんねるは、宏正会も入って書き込み規制がなされ、誹謗中傷も少なくなりましたので、ネット被害はこれにて収まると期待しています。

(2) わたしは、わが「宏正会」を、宗教と思っておりませんし、認定を受けている文科省からも何のご指摘もありません。
「ひとのみち教団」の奉ずる「神」の御本体については、その「教団設立趣意書・教義の趣旨」に「宇宙の大元霊」と記され、長文の説明がなされております。
これを見ると、むしろ「ひとのみち教団」が純粋宗教ではないというのが正しい見方であります。説明文のなかに、「大元霊」は「大きな心」という意味だとされており、およそ信仰の対象とはならないものであります。即ちこれは一つの道徳的思想体系に他ならない面を備えており、彼等自身が言っておるところですが、「神ながらのみち」ではなく「ひとのみち」=「人倫のみち」であるとして、「ひとのみち(人の道)」と名づけられました。主体は神でなく人(倫)なのです。

(3) 「倍加」「捨て育て」「愛和」「演談」などという数多くの独特の用語は、全て「ひとのみち教団」から来たもので、いまだに「倫研」でも「宏正会」でも使っています。ドストエフスキーを待つまでもなく、どんな宗教でも必ずその道徳を伴っていますので、線を引くのは難しいところですが、上記の言葉は、もともと信仰用語ではなく、彼等の道徳造語でありました。
もともとの「ひとのみち教団」が宗教ではなかったと言うのが正しいのでありまして、「ひとのみち教団」という宗教から出た「宏正会」は宗教という論は成り立たないのであります。

(4) いうところの陰倍加のこと。仮にあなたの愛する奥様が、あなたの知らない間に、黙って会員登録し、会費を払って陰ながらあなたの幸福を念じておられ、それを一切口外なさらないといたしますなら、法律や理屈云々でいうより、ま、善意の可愛い行為として受け入れてあげられると思います。陰倍加なんて、その程度のことで、黙認できる範囲にあると思います。

(5) 「宏正会」と創始者の経歴のこと。上廣哲彦先師は昭和10年、30才のとき「ひとのみち教団」に入信され、数々のご遍歴ののち、昭和21年9月、41才のとき「朝起会」を発足させられましたが、当初は師の主催する「小松」「福井」「三国」「富岡」「富山」の五ヶ所を丸山敏雄氏率いる「新文化研究所」の北陸グループとして登録されておりました。
これらの事実は、一般書籍などで公表されており、タブーとしていることはありません。

投稿諸氏へのお願いは、言論超自由のわが国で何を発言なさってもいいのですが、部外者が風聞や何かの書き込みを見てまた何かを書くといったことはお止めください。またご自分が何か被害に会われているのでしたら、敢然と立って正しい方法でご自分を守る気概を持ってほしいと思います。


遠隔ヴァイブ試してきたよーヽ( ・∀・)ノ
街中だってのにスイッチ入れる度にさっちゃんたら足ガクガクしちゃって・・・
見てて興奮しすぎて近くのビルのトイレでやっちゃったし(*´д`*)
ヴァイブ遊びってチョー楽しーよねー(´・∀・`)

http://meshiuma.tsukimisou.net/BDnu9gH/

「レイモンド」殿
貴殿のご発言について 小生の愚見を述べることにする。貴殿とは見解が異なるが この場は議論の場ということで ご容赦願いたい。
(1)の太陽神殿のご見解について
例え太陽神殿がご指摘されている宏正会の問題点が 既に2チャンネルに出ていたとしても 太陽神殿はご自身でそれらを深められ このような書き込みの場でありながら 宏正会の問題点を体系化し「宏正会論」にまで高めたことは他には見られない功績であろう。おそらくは 太陽神殿のご見解が 宏正会批判のスタンダードになるのではなかろうか。
(2)(3)の宏正会の宗教性についの貴殿の見解は あまりにも特異なもので一般には受け入れられないであろ。 貴殿の「純粋宗教」からは「ひとのみち教団」も宗教団体ではないとしているが、まずは貴殿の「純粋宗教」とはどのようなものであるかを世に問う必要があろう。貴殿は宗教というものを狭く解して宏正会はそれに入らないから宏正会は宗教ではないとするのであろうが もっと「純粋宗教」とやらを説明しそれから論証しなければ あまりにも自分独自の説となろう。
小生は宗教の専門家ではないが 宗教学者は挙って「徳光教」「ひとのみち教団」は当然として 宏正会も宗教団体であるとしている。もしこの点について異論のある学者がいたなら公表してもらいたいものだ。
宗教学者を精神科医とするなら 宗教学者も世間の者も宏正会は宗教団体であると見ているのに 宏正会が宗教団体でないと言うのは「キチガイが自分はキチガイではない」と言っているのと同じように小生には思える。
(4)の陰倍加ではあるが 貴殿は一応は宏正会会員であるようであるが あまり宏正会を知らないようだ。太陽神殿が 鯰の鬚は4本殿としか対話しなかったのは 貴殿のような者を意識してのことであったように推察する。
婦人会員が 夫や子供を内緒に会員にするまでは許容範囲といえるかもしれないが、それでも目標を達しない場合は知り合いをかたっぱしから会員とし、もっとひどい場合は 電話帳から適当な者を会員とすることまでしている。これは何ら情状を考慮することなく 明白な私文書偽造罪という犯罪行為となろう。
貴殿は小生の言っていることも 2チャンネルからの聞きかじりとするのであろう。貴殿は 壮年でしかもご高齢と察せられるが、宏正会は太陽神殿も言っておられるように 貴殿のような者を教化の相手にしていない。それどころか外部に漏れることを恐れて秘密にしている。ここのところ理解しなければこれからもずっと 宏正会の批判を聞きかじりだと否定するのことになるのであろう。なんとオメデタイことか。
(6)の創立者の経歴であるが、「一般書籍で公表されていれば 宏正会でタブーとならない」という説明は全く陳腐な説明だ。一般図書で公表されていたり 世間で言われている事を 会の中でまた会員の間で話題とする事をはばかれる状況をタブーと言うのである。このような状況が宏正会の中にはあるということである。貴殿は会場でこの事を話題にした事があるのか分らないが、一度この事を話題にして見ればよかろう。おそらく貴殿より詳しく知っている者は日本中の会員を探しても皆無であろうから 話題の中心となると思うが いかがなものであろう。
 
  

公益法人制度改革関連3法案が成立し 平成20年12月1日より施行されている。
従来の公益法人は特例民法法人とされ、平成25年11月30日までの5年間の間に 公益社団・財団法人または一般社団・財団法人 のどちらかを選択をしなければ解散となる。
公益社団・財団法人を選択すれば 税法上の優遇処置等があり また社会的な信用を受けることになるので 当然ながら宏正会も公益社団法人となるための準備が現在進められているであろう。
公益法人となるためには数々の要件を満たさなければならないが、7人の民間の委員からなる「公益認定等委員会」による「公益性」の認定が必要となる。その認定基準も設けられているが その中に「犯罪行為を行っていないこと」というのがある。
宏正会に対する批判のなかに「陰倍加」というものがあるが、これは刑法上の私文書偽造罪という明白な犯罪行為であり、この犯罪行為が日常的に行われているのが宏正会である。宏正会は本来ならば「公益性」の認定が受けられることはないのである。
たとえ宏正会が晴れて法益社団法人の認定を受けたとしても、改正法では「情報提供」制度が設けられていて 誰もがネットで監督官庁に苦情などを報告する事ができるようになっている。この報告が立入検査等の監督業務を行う際の参考になるので 宏正会が公益社団法人となれば 数多くの苦情の報告が寄せられて監督官庁も動かざるを得なくなるはずであり 公益性の認定も取り消されることになろう。
改正法では その他数多くの新しい制度が設けられていて 会員は宏正会をまた理事をしっかりと監督できるようになっているので おおいに活用して宏正会を改革すればよかろう。

現在の「公益認定等委員会」の委員は
  池田守男 〔委員長、資生堂相談役)
  雨宮孝子 (明治学院大教授)
  大内俊身 (常勤、元東京高裁判事)
  佐竹正幸 (委員長代理・常勤、元公認会計士協会常任理事)
  袖井孝子 (御茶ノ水女子大教授)
  出口正行 (国立民俗学博物館教授)
  水野忠恒 (一橋大教授)
以上の7名である。良識のある認定を期待する。

「公益法人 informaition」という公式サイトがあるので 新しい制度をよく検討して頂きたい。 
 


https://www.koeki-info.go.jp/
公式サイト 「公益法人 information」です。
前の投稿には information の綴りにミスがあったので訂正する。

(1) 太陽神様や武蔵様は知的、教養レベルが大変高く、その論考が世にあるさまざまな「宏正会」批判のスタンダードであるということ、全く異論はありません。

(2) 「純粋宗教」のカテゴリーとは;
     キリスト教 : エホバ
     ユダヤ教  : ヤハウェ
     回教    : アッラー
     浄土真宗  : 阿弥陀如来
    など明確な信仰対象をもっているものです。   
もう一方の方いわゆる、「第二宗教」としては:
     儒教       : 仁、義、礼、智、信
     「ひとのみち教団」 : 大元霊(広いこころ)
     丸山敏雄     : 全一統体
     上廣哲彦     : 宇宙絶対の理法
     上廣栄治     : 大自然の摂理
など、何らかの帰依する客体をもち、精神的共同体意識をもつものの集まり、と定義いたします。
なお上廣哲学は、日本仏教の超天才空海がもたらした真言思想と酷似していますが、空海はそれを大日如来という信仰に結実しており自ずと別のものです。

(3)「宏正会」がわたしのようなものを教化の相手にしていないということ、まことにその通りで、哲彦先師の設立動機は、多くのところで語っておられるように、「青少年の健全な育成」以外の何ものもでもありません。
「宏正会」は、まことに結構ではありますが、それに訴えたいことは「宏正会」ワールドに閉じこもらず、一歩を踏み出して、渡部昇一先生のご指導もいただいて、来年度中には発刊を目標としている、新しい「小中学生の道徳教科書」に絶大なるご協力をお願いしたいのです。
「宏正会」バッシングを繰り返す方々にも言いたいのですが、「宏正会」相手に、そんな行為を幾ら繰り返しても「宏正会」ワールドに閉じこもっているのと変わらないことをご認識いただき、是非そのエネルギーを外に向かって発散いただき、「新しい歴史教科書」の道徳版を作ることにいささかなりとも、ご協力いただきたいと思います。

(4)新公益法人関連三法に言及しておられますが、「宏正会」がこれ等をクリアーするのは論を待ちません。例えば私の言う、「可愛らしい」陰倍加はあっても、武蔵様のいわれるような、組織的陰倍加はありません。それでもなおかつ確信犯的犯罪が存在するといわれますなら、是非会友として参画いただき、そのなかから指摘・告発いただけたら、よりよき発展に資すること請け合いです。
太陽神様にも両三度申し上げましたように、もしご意見があるなら、部外者として外からご指摘いただくより、「宏正会」のうちから改革開放を唱ええていただく方がより効果的であるというのは、そのようなことであります。

実践倫理宏正会に第三者機関の調査が入り、
不正が正されるか、法人としての認可取り消しや解散に追い込まれるか...社会的審判を仰ぐべく、世間一般に広く問題として認知・提起されるためには

●寄付の強要、退会時の脅迫など具体的な被害は直に最寄りの警察署へ連絡する

●立証が難しい無断会員登録の疑惑や親類がマインドコントロールされているのではないかと言ったクレームは、社団法人として認可をして(しまって)いる文部科学省へ連絡する

●その他の不透明な金銭の流れや、法人としての不正と思われる行為の情報は直接警視庁へ連絡する

●全ての事実を新聞テレビ雑誌などの各メディアへ取り上げてもらうための働きかけをする

被害報告や情報を集約して公に...と考えていましたが、全国各地、多人数から「実践倫理宏正会という団体の会員が行った(行っている)行為」として直接の訴えがあった方が効果的かと思います。

上記の様な地道な行動を"実践する"に尽きます
※実践倫理宏正会へ直接のクレームや問合せをしても埒は明きません

関係が取り沙汰される政治家も、会の不正な部分は知らず、会の広告塔にされているにすぎない場合が多いと思われます。
問題が公になれば、すぐに会に対してそっぽを向き始めると思います。

恐れずに告発を続ける事です。

「レイモンド」殿  小生は 前にも述べたように宗教学については全くの門外漢であるが 敢えて誤解を恐れずに小生の意見を述べることにする。
確かに貴殿の言われるように 明確な信仰対象をもっているかいるかどうかにより宗教というものを二分することが出来るのかも知れない。しかし貴殿も「第二宗教」と言っておられるように この部類に含まれる団体についても 学者も多くの一般的の人も宗教団体と見ているのではないのか。
貴殿は ただ宗教と思われる団体を二分しただけで 何故に「第二宗教」と分類されている団体が宗教ではないとするのかの根拠に乏しいと思われる。
「第二宗教」を「何らかの帰依する客体をもち、精神的共同体意識をもつものの集まり」と定義しておられるが、帰依する客体である(儒教は別として)「大元霊」「全一統体」「宇宙絶対の理法」「大自然の摂理」といったものは 「純粋宗教」の信仰の対象とどこが違うのだ。「第二宗教」のこのような漠然とした帰依する客体を分りやすく偶像化したものが 「純粋宗教」の信仰対象ではないのか。小生は両者は同じものと思える。
貴殿は「精神的共同体意識をもつものの集まり」とするが、そこには指導者(教祖)がいて その指導者(教祖)の言っていること(教え)のもとに人々が集まっているのではないのか。
そしてその指導者(教祖)の言(教え)がその重きをなすのは それは人間である指導者(教祖)の考えではなく 「大元霊」「全一統体」「宇宙絶対の理法」「大自然の摂理」によるものだからではないのか。
この仕組みは 全く宗教そのものではないか。
貴殿は「第二宗教」というものを宗教ではないとし この範疇に属する「ひとのみち教団」「宏正会」を宗教でないとするが その根拠は全く乏しい。
小生は「儒教」は宗教ではないと思っている。「第二宗教」のように自分の説の根拠・拠り所を他に求めずに 孔子はあくまで自分の考えとして自らの説を述べているからである。
「宏正会」は 「徳光教」「ひとのみち教団」「倫理研究所」という教えの流れにおいて成立したとされている。そして最も根元の「徳光教」をおこした金田徳光は元々は真言宗を修行していたとされている。
徳光は 洗練された空海の大日如来という信仰の以前に立ち返り、素朴な原始宗教にも似た 人間を超えた大いなる存在を認めそれを「大元霊」としたものであろう。
宗教学者は 挙って宏正会を宗教団体としている。多くの者もそのように思っている。それを否定するにはもっと明確な根拠が必要であろう。貴殿の説明では全くその根拠となっていないように思える。

   

新規会員登録手続き(実践倫理宏正会で言う<倍加>)行為を不正に行う(無断で他人の名義を使用して会員登録する=<影倍加>として非難されている行為)事が、本部からの指示であると言う、このブログ上の"太陽神"の意見を裏付けるような出来事を記します。


<影倍加>によって、私の意思に反して私が非常にいかがわしいと思っている実践倫理宏正会(以下当会)の会員になっていた事が判明したので、当会本部へ電話し<倍加>行為について問い質すと当初<倍加>行為の存在自体を否定。翌日になって<倍加>行為がある事を認めた。※当時私は<影倍加>と言う言葉を知らなかったので「他人の名義を無断で使用登録する行為=倍加と思っており、そのような意味合いで<倍加>行為について追求していた。(担当者は総務事務局長[広報担当]Y氏)
所謂<影倍加>行為があるのであれば「本部からの指導では無いので、今後そのような事は無いように幹部への指導を徹底する」「個別に対応するので該当する会場名を教えて欲しい」と言われたが私は当会からの報復を恐れたので後者は遠慮した。

無断で会員登録させる様な団体の口約束を信用できる筈も無いので、私は口頭で確認した内容を後日書面にして当会へ送付し、内容に相違がなければ当会としての正式回答として署名捺印して返送して欲しいと伝えた所、当会は書面での回答、約束は頑に拒み、それを避けた。

「何故書面での誓約が出来ないのか」等と問い質している中で、「<影倍加>行為を当会として認めているのか」と問うた際、「認めていない」と口を滑らしてすぐに「当会としてそのような指導はしていない」と慌てて言い直した。その後「認めているのか」との問いに対しては「そのような指導はしていない」の繰り返し。

私が推察するに「当会として認めていない」と言ってしまえば、認められていないのだからやってはいけないと会員が<影倍加>をやらなくなり、会費収入が格段に減る事だろう。それは当会としては大打撃になる。(営利が目的でないんだから、それが本来の姿なのに、一度贅沢を覚えるともう元には戻れないのだろう)
「当会としてそのような指導はしていない」であれば会員が誤解してやっている事として責任を逃れられるとでも思っているのだろう。「当会の上役か弁護士から『認めていない』とは言うなと指示されているのか」との問いに対しては言葉を詰まらせていた。
黙認という熟語を知らないのだろうか。

尚、数年前にも同様の事情から電話をした事があるのだが、今回「あなた方の会はすばらしい活動をしている会ではないのか」なんて言ってみたら「そうです。こんな内容(苦情)の電話は始めてなのでびっくりしています。」ですって。。。よくもまあ。。。
※後になってこの部署担当者が短期で交代している可能性もあると思いそれについても聞いてみたが長期間担当しているとの答えだった。私も数年前の担当者名を記録していなかったのでこの担当者にとっては初めての苦情であった可能性もある事は認める。

いずれにせよ、書面での回答拒否といい、言葉の巧妙な使い回しといい、責任逃れの確信的行為と推察するが、お読みになった方々に於かれてはどのようにお考えになられるか。

この投稿が虚偽だと思うなら、同じ苦情・質問・要望を当会本部に対してしてみればいい。※但し「取材にはお答えできない」も常套手段なのでご注意を。責任逃れ、また、証拠が残らない様に書面での回答を避けるので録音機能付き電話をお持ちの方にはそのやり取りを録音してどこかの動画サイトにでもアップロードしていただく事を期待する
(この事実をここに公表する事で電話にすら出なくなる可能性も否めないか?)

一部マジメな会員さん方にとっては残念な話だがこれが現状実態です。

もう潮時なんですよ。
近々×××じゃないでしょうか。。。

匿名希望様
いわれます方法論としては全く正しいと思います。
ただ、寄付の強要、マインドコントロール、また不透明な資金の流れはありません。それら会への誹謗中傷は、ネットの他には聞いたことがありません。
あなたが7月11日付でご指摘の、会として文書では回答できないと言ったり、窓口の対応のまずさなどは、人生の達人に対する、若い職員の至らなさに他なりません。
少し費用はかかりますが、ご入会いただき、会員証をもって九段の本部をお尋ね下さいますと、本部職員がご納得の行く対応を致します。

武蔵様
(宗教かどうか)
山下龍二先生が儒教を宗教に分類されてこのかた、未だに決着がついておりません。わたくしは、儒教の基本テキスト五経の筆頭に上げられる「易経」に由来し、その「天意」というものの存在を肯定する儒学を「第二宗教」と呼んでおりますが、その流れから「大元霊」「大自然の摂理」も同じカテゴリーに入れております。もしあなたが「儒学」だけをはずすとおっしゃれば、同じ考えで「大自然の摂理」もはずせばよろしいかと思います。欧州の学者は宗教に入れる人が多いと思います。
すこし横道にそれますが、わが国では宗教法人も社団法人も、文科省生涯学習政策局社会教育課の同じ担当が扱っており、申請主義ですから拝む対象があるか無いかなど現場の調査は行わず、書類審査だけで進めます。
むしろ行政的な観点から課税対象かどうかが問題で、かの明治神宮のお賽銭は企業の寄付も含めて、年間40億円もありますが非課税で、その境内で結婚式場を営む、(株)明治神宮会館の収益や神社側に支払う土地の賃貸料は課税対象であります。

「レイモンド」殿 宗教についてなかなかお詳しいようであるが、ならば「第二宗教」とやらが宗教ではないという論文でも書かれて 専門の学者の間で論争されてみれば如何か。このような書き込みで素人ばかりを相手にしてもしょうもなかろう。さて学者がどのような評価をするのか、少なくとも今の時点では貴殿独自の異説と取られても仕方があるまい。
貴殿は一応は宏正会の会員のようであり 宏正会を擁護しているような話し振りではあるが、所々で宏正会への批判を促すような 煽るような言葉を出している。貴殿には何か含むものがあるように感じられる。そして「東経」殿 その他のいくつかの投稿名は 貴殿が名前を変えて投稿しているように思えるが如何か。

「匿名希望」殿
貴殿は 自分が陰倍加によって会員とされているのを知り本部に問い質したようであるが 大変勇気のいったことであろう。たとえ自分に理があろうとも 個人が組織 それも宏正会のように大きくなった組織と戦うことは大変なことである。
「陰倍加」であるが、本部の職員も言っているように
恐らくは会の本部は 指導としては会員に「陰倍加」をせよとは言っていないと思う。そのような指導をすれば 何かの時に直接に本部に被害が及ぶので 本部もそのようなバカなことはしないであろう。
本部は 直接には「陰倍加」をせよとは言わなが、各会場に毎月の新入会員の目標を立てさせ その完達を求めるのである。本部としてはワザワザ「陰倍加」をせよと言わなくてもそれで十分であろう。
各会場は毎月毎月そのような目標を達成できないから仕方なく「陰倍加」のようなことをするのである。
ノルマの厳しいセールスマンが ノルマが達成できたように見せるために自腹を切って 自分の知り合いの名前で商品を買ったり 自分の知り合いが保険に入ったようにするのと同じと思えばよい。会社はそのようなことを一応は禁止しているが 黙認しているのと全く同じことである。
本部も「陰倍加」を指導はしていないが黙認しているのである。「陰倍加」を止めるようにいくら会員に指導しても ノルマがきつければ会員はどうしてもするようになるのである。
小生の知人にも もう何年も毎月3人分の倍加として9000円を婦人会員に渡している者がいるが 名目はなんであれ会費の一部のように思っているようだ。最初のうちは 自分の親族とか知人の名前を挙げていたようであるが 毎月毎月なので今ではそのような知り合いも尽きて ただお金だけを渡しているのである。恐らく婦人会員がそのお金で適当な人を会員としているのであろう。宏正会ではもう何十年として常習として「陰倍加」と言う事を行っているので もうこの事が悪い事だとは思っていないようだ。
宏正会が公益社団法人となれば 情報提供制度が利用できるようになるので 誰もがネットで直接「監督官庁」にこのような苦情の情報を寄せることが出来るようになり、宏正会も今までのようには行かなくなるのではなかろうか。
現時点では 本部に「陰倍加」のことを質しても何の解決にもならないので、「陰倍加」が私文書偽造であるとして警察に告発するしか方法はないのであろう。日本中あちらこちらでこのような告発があれば 警察も動くようになるのではなかろうか。


  

皆様 最近の討論内容を読むと本当に残念です。もっと建設的な話をしましょう。私は最初宏正会の朝起き会に出席し、その後倫理研究所の朝起き会を知り、両方出席しましたが、今は倫理研究所の朝起き会だけにしています。

(1)早起きして朝の美しさを感じ、一日を朗らかに始めるという点では、どちらも同じです。朝起き会を続けるには、それなりのエネルギーが必要で、これらの会をお世話している方には敬意を表します。

(2)その後宏正会の方にお会いしますが、宏正会に戻ることを奨める人はいません。

(3)宏正会の会費は一年分3600円払っただけです。今は雑誌も買っていません。

(4)宏正会は元気はありますが、倫理研究所の方が円熟しています。宏正会はゲーム感覚で会員の
勧誘をしていますが、倫理研究所では他の人の幸福を願ってという倫理的な動機を感じます。

(5)倫理研究所では、大変立派な体験発表があり、ご夫婦のなかも大変良いようです。

(6)宏正会では上広会長に対する個人崇拝が強すぎるように思いますが、これは会員が自分で考えればよいことです。

(7)宗教か倫理かなどの議論は全く空虚です。要は、それによって、真に幸せを感じているか、良い家庭ができているか、子供がよく育っているか、職場で尊敬されるような人になっているかが問題なのではないでしょうか。

久しぶりにきてみましたが、残念です。

批判される会友私達に責任があるのだなと思いました。

実践倫理宏正会は、社団法人なので年に1度国税局の監査が入り、会費、倍加、寄付金は会長先生のお金にはならないと聞いています。

私思うんですが、例えば、口ではすごいことを言っても、日々の生活ででたらめなことをやっていたら、人って自然とわかるものなのではないでしょうか?

日々の生活と言うことが一緒だから、人は心打たれたり、感動したり、そうなんだって納得できたりするのではないでしょうか?

私も頒布に出て、やってることと言ってることが違えば、見知らぬ方でも対面してすぐ見抜かれてしまいます。

この度「より善い社会へ」という本を会長先生が発刊されました。その中に「宗教」という項があります。そこを読まれたら、なぜ宗教ではないのかがわかるとかと思います。

しかし、私は本会を宗教と言われる方を否定するのも何か違う気がして、宗教だと言われるのであれば、それはそれで構わないと思うのです。
頒布に出て「宗教はいいです」と言われてもわたしは否定しません。
きっと、頒布は私の第一印象が全てで「この人と話をしてみたい」と思っていただければ、きっとご理解いただけると思っています。

先代会長先生は、広島に原爆を落としたアメリカを「責めてはいけない」と、幼い現会長先生に諭しておられます。
実践倫理は、人を責めない生き方、受け止め方を教えてくれます。

人を責めたとしても「やっぱり違った」と思いを変えれたり、日々学ぶ中で時間をかけて違うんだと思えることが、すごいと思います。

実践倫理の原点は「人を責めない」だと思います。

先日主人の誕生日で、子ども達と主人の誕生日パ-ティーをしようと思ったら、主人がパチンコに行くと言います。パチンコに行くと何時に帰ってくるかわかりません。

きっと学んでなかったら「あなたの誕生日をするのに何でパチンコに行くの?」と言ってる私だとおもいます。
しかし、学んでいるから「あなたの誕生日だから、あなたのいいようにして下さい」って言えました。

学んでなくても言える人もいると思いますが、私は学ばなくちゃ、いつも自分の思いを人に押し付けてしまって、相手に嫌な思いをさせる自分なのです。

子ども達は「とうさん喜ぶかな?」と言いながら、主人のために目玉焼きを作ったり、絵をかいて待ちました。
とても幸せだと思うひと時でした。

ここにご批判など色々ありますが、自分のこととして受け止めて、気をつけたいと思っています。


ぴろりさん
 久し振り、本当の実践倫理の話を聞き、大変嬉しく思っています。色々な雑音もありますが、貴女の道を迷わず進んでください。

 「日々の生活と言うことが一緒だから、人は心打たれたり、感動したり、そうなんだって納得できたりするのではないでしょうか?」
「私も頒布に出て、やってることと言ってることが違えば、見知らぬ方でも対面してすぐ見抜かれてしまいます。」


 「実践倫理の原点は「人を責めない」だと思います。」 「子ども達は「とうさん喜ぶかな?」と言いながら、主人のために目玉焼きを作ったり、絵をかいて待ちました。とても幸せだと思うひと時でした」

 実践倫理も宗教も行き着くところは、「赦しの実践」になります。これは簡単にできることではありません。しかし人が一生をかけて求める値打ちのあるものです。

「ぴろり」殿
貴女は 実践倫理宏正会の優等生のようですな。
「鯰の鬚は4本」殿が壮年の優等生ならば 貴女は婦人の優等生。このブログには優等生が揃っているようだ。しかし、小生には貴女の言っておられる事は まるで朝起会の演壇原稿のようで少々気張っておられる様にも思えるが 如何なものか。
貴女が言っておられる事で一番引っかかるのは 宏正会の批判を 「会友私達に責任がある」「自分のこととして受け止めて、気をつけたい」と言っておられる事だ。宏正会の洗脳にかかるとこのような考え方をするようになるのか。
宏正会に対する批判は すべて宏正会の責任者である会長に対するものであって 会員に対するものは何もない。会の成り立ちにしても 会の私物化にしてもすべて初代会長・現会長のした事 している事。「陰倍加」にしても会からのノルマが厳しくて仕方なく会員がしている事。これら宏正会の批判がどうして会員の責任になるのだ。会員はただ純粋に会長に従っているだけであろう。会長は自分への批判を会員になすりつけるつもりか。とんでもない奴だ。
「人を責めない」ということを実践されているようだが
それはそれで立派なことである。しかし よくよくその本質を見極めなければ ずる賢い悪党に利用されているだけという事もあることを知らなければならない。もう一度 宏正会への批判を見直してもいいのではなかろうか。
「日々の生活と言っていることが違えば 人には分るもの」と言っておられるが 確かにそうであろう。
しかし世の中には巧みに人に分らぬように振舞っている者も存在する。現会長は初代会長とは違い大会で遠くから演壇するだけで一般の会員の前には出てこないそうだ。それは会員に悟られないようにするためではないのか。しかし、天はそれを見逃すはずがなく それがこのようなネットによる批判だと捉えれば 貴女も納得がいくのではなかろうか。
会長の最近の著作に宗教について書かれているようだが それについての小生の感想はまたの機会に譲ることにする。

被害者団体を作りたいのはやまやまですが、実際難しいでしょう。
何故なら、ネットを介しての情報交換になると思うのですが、正式な被害者団体となると(事務所の)住所や電話番号を公にする必要もあり、一部会員からの妨害や報復も考えられるので、被害者団体結成を望む方々も被害者として実名・個人情報をネット上でやりとりするのは不安があるでしょうから。

訴訟にしても、自分の家族や親類を訴えることになってしまう事象が多く、訴訟にかかる資金の問題などからも躊躇されるのでしょう。

だからこそそんな悔しい思いをされている皆さん、"実践"ですよ
※当たり前すぎて注釈も恥ずかしいですが、"実践"は偽善団体の用語、本を配り歩く事やある団体への入会勧誘する事を意味するんじゃありませんよ。
実際に行動を起こす事です。


そして、実践倫理宏正会会員が実践とのたまわり実践している迷惑行為、不当行為の根絶の為に私たちが実践出来る事は

●しつこい勧誘等に対しては「警察に言いますよ」じゃなく、団体名と会場名等を聞いて、実際に警察に電話する事。

●過去にきっぱり断ったので現在はもう関わりは無いが、過去に迷惑を被った方々も、事実を文部科学省へ報告して下さい。そして、何故このような団体が未だに認可を受けているのかを問うてみて下さい。

●そして、「何故メディアが取り上げないのか?」「どうせ政治の力で。。。」等と憶測しているそこのあなた、一度でもマスコミへの働き掛けの実践はしましたか?
全国津々浦々、インターネットの掲示板への投稿に負けず劣らず多数の情報が新聞社・雑誌編集部・TV局などへ届くのです。ですから、もし情報を受け取った担当者や一部の記者が興味を示したとしても、編集会議等で「これはニュースになる」と判断されないと取材が行われたり、記事になったりはしません。

いたずらや伝聞での情報提供はいけませんが、迷惑や恐怖を感じた経験がおありで会の不正行為を一度でも目撃しているのなら、インターネット掲示板への投稿でなく、新聞社・雑誌編集部・TV局への情報提供をしてください。市役所や区役所の消費者相談センターのような所でも構いません。とにかく迷わず、公の機関へ相談して下さい。

●その理念や教育趣旨に賛同して実践倫理宏正会の行事に参加している議員に対して直接、「こんな被害もある。どう考えるか」と、会員の活動が引き起こす副作用について訴えてみるのもいい。(繰り返すが伝聞では難しい。あくまでも証拠(被害経験)があり、事実である確証がないと)

●近所に会場があるなら、「倍加(その当人に無断で他者の名を署名し会員登録する事)は違法性の疑いがある行為です("違法"という確証があるのならもちろん「違法行為です」と表記しても可)。実践倫理宏正会は会としてそのような行為を指導していませんし、認めてもいません。そのような行為を強要したり遠回しにでも奨める会員がいたら実践倫理宏正会本部へ訴え出て下さい。」等と書いた紙を会場へ来た人達に配っても良いし、周辺に貼り紙をして無知で純粋な会員達へ警鐘を鳴らしてあげるのも良いでしょう。これは本来会の本部が行うべき会員に対する、なんてすばらしい無償の指導でしょうか。

●各地の地区センターなどにも「団体名を伏せ『子育ての為の勉強会』等と言って近づき勧誘してくる団体にはお気をつけ下さい。」などの貼り紙をお願いしても多少の効果はあるでしょう。

●"「実践倫理宏正会」で検索"と、最近よくある広告のような文言だけを書いた紙を大量に配るのもいいかも知れません。

とにかく、行政やメディアが放っとけない程に、要は「実践倫理宏正会」というキーワードが広く人目につく様になって論議されればいいんです。まあ、やましい事がないのなら宣伝にもなるのだから会にとっても悪い事ではないでしょう。

出来る事はあるはず、まともな判断ができる政治家やマスメディアもある事を信じて行動あるのみです。

武蔵様
ぴろりさまの御意見に御賛同でないようですね。

「貴女は 実践倫理宏正会の優等生のようですな。
「鯰の鬚は4本」殿が壮年の優等生ならば 貴女は婦人の優等生。このブログには優等生が揃っているようだ。しかし、小生には貴女の言っておられる事は まるで朝起会の演壇原稿のようで少々気張っておられる様にも思えるが 如何なものか。」

 武蔵様は現在の日本の宗教・倫理・教育についてどうお考えなのでしょうか。宗教・倫理・教育の目的は、ほっておいたら、万人が万人を敵として戦う、無秩序社会から、すこしでも、共生を享受できる社会に導く大切な社会のメカニズムです。そのためには法律と政治があればよいと言う人もいるでしょう。しかし法治主義では必ず法網をくぐる人間がでてきます。
 終戦直後では昔の宗教・倫理が残っていましたから、闇米を買うことを拒否して、あえて飢え死にした裁判官もいました。子どもがおぼれるのを助けるため、殉職した小学校の先生もいました。今はどうでしょう。小学校の学級参観でおしゃべりの止められない母親、何でも学校のせいにする、怪物ママ、何でも政府のせいにして、正確な記事をかかないマスコミ、自分の保身のために、金をばらまく官僚、住民エゴ丸出しの一般市民など目に余ることばかりです。
 倫理宏正会にしろ、倫理研究所にしろ、日本に正しい倫理を植え付けるため、努力している団体です。現実にこの朝おき会に出席し、そのなかで自分の至らなさに気付き少しでも、自分を磨き、よい家庭、よい職場環境をつくるのに成功」した方々は、沢山います。そのような成功例があるから、これらの団体は60年以上続いているのです。
 武蔵様は、倫理宏正会を批判されるのならば、日本の社会を少しでも良くするために、御自身でどのような実践をなさっているのでしょうか。倫理宏正会以上の実践活動はなかなか出来ないのではないと思います。安易な批判をする前に自分だったらどうするかと考えると、目につく欠点より、目に見えにくい大きな働きに気がつくとおもいますが、如何でしょうか。
 市民一人一人が自分の守備範囲で愛の実践を続けることで、日本の社会は変わります。そしてその原点は、ぴろりさんのおっしゃるとおり、「人を責めない」心を持ち続けることではないでしょうか。

 

「高貴高齢者」殿
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。もちろん「レイモンド」殿が言っておられるように ネットに載っていることはそのまま鵜呑みにすることは出来ないものであり その裏付けが必要であることも承知しているつもりである。
多くの者が調べ事をする場合 まずはウィキペディアを見るのではなかろうか。「実践倫理宏正会」で検索すると どの検索サイトでも最初にウィキペディアで説明されている。その後は 宏正会批判のサイトのオンパレード。
まず小生が疑問に思ったのは 「宏正会」が戦前の「ひとのみち教団」の流れをくみ 「倫理研究所」から分派したと説明がなされていたことである。小生にはそのような説明は何もなかった。ただ先代先生が原爆に遭われてから将来の日本を思われて宏正会を創設されたと説明されたのみであった。小生は宏正会について何かウサンクサイものを感じ 自分なりに「宏正会」について色々と調べてみた。2チャンネルを始め多くの宏正会批判のサイトがあるが このブログの「太陽神」殿は宏正会の成り立ちを文献に根拠を求めて詳細に説明され また宏正会の問題点を体系的に説明されている。小生はその文献に当たってみたり また実際に宏正会の会員また退会された人から話を聞き、自分なりの宏正会像というものが見えて来た。そこで小生もこのブログをお借りして愚見を披露してみたいと思った次第である。

貴殿は キリスト教の信者であり 日曜日には教会に行き 毎日は倫理研究所の朝起会へ たまには宏正会の朝起会に行っておられるようであり まことに殊勝なお方であると推察される。
小生も今の日本の現状に満足している訳ではなく道徳教育、倫理教育は必要であると思っている。
そのための組織である宗教団体また社会教育団体も必要であろう。しかし今の日本にこのような宗教団体、社会教育団体がどのくらい存在すると思っておられるのか。はっきりとした数字は分らないが 恐らく 数千 数万の団体があるのではなかろうか。宏正会にしても 戦前の「ひとのみち教団」に源があり 「ひとのみち教団」からは PL教団 倫理研究所 自然社なども成立している。また宏正会からは 講師をしていた永池栄吉氏が「スコーラ家庭教育振興協会」というのを作り今では大きくなっているようだ。四国でも宏正会にいた人が別に「倫薫」というものを作っているようである。このように一つの団体からも様々な分派が生じているのである。
このような団体の中には 「オウム真理教」「統一教会」「法の華 三法源」といった団体のように 信者・会員に一応の教えを説きながら 教祖の私利私欲のために作られたもので 社会的に非難されているような団体も多く存在する。
そのような団体であるかどうかは マスコミなどで報道されるまでは 一般には分らないのが普通である。そのためには 新たな被害者を出さないためにも その団体の内実を知っている者が力を合わせてその欺瞞性を暴く必要があろう。
宏正会も 今までは秘密にされていたこと 隠されてきたこと 暗部とされてきたきたことが ネットの普及により そして多くの人達の努力で続々と暴かれてきた。もはやこれらの批判を隠すことも 押しつぶすこともできまい。小生はこのような情報が多くの人達に共有されることで いま会員である人達のためにも 宏正会は批判されていることは正し、公明正大な宏正会になって行くことを期待するものである。 

色々コメントありがとうございます。

批判を自分のこととして受け止めるのは、会長先生の指導を実践し、普及、頒布するのは、会友の私だからです。
正直、必死になるとまわりが見えなくなるタイプなので、ここの批判や意見は、すごく役に立つというか、このように受け止めてる方もいることがわかるので、自分のこととして受け止めて普及頒布をしたいと思っています。


やはり、人を不快にしまううのは、そこに自分の強引な気持ちを人に押し付けようとするからだとおもいます。
会長先生は、普及活動はセールスでも勧誘でもないので、押し付けや、強要があってはならないと、指導されています。

「批判も非難も実践の師」と言っておられますから、やはり、間違いは素直に認め、改めていかなくてはと思ってます。

洗脳されてると言われるとそうなのかもしれないです・・・人に言われて初めて気がつきます・・・

しかし、倫理を学んで、生活が楽しくなりました。
これも自己満足ではなく、本当に家族に喜んでもらえる私でなくては、学んでる意味がなくなると思います。

私はいつも「感化」を心においています。言葉少なくなくとも、自分の姿を通して感じてもらう。全てを優しく包み込むそんな人柄を目指しています


そろそろ3人目の予定日が近くなっています。
上は2人の男の子です。
次は、どちらかな?と思うとワクワクドキドキします。


また、落ち着いたらきます。


ぴろりさま
 貴女のように、「人を責めない」心を持ち続け、自分守備範囲で「愛の実践」を続ける方を、キリスト教では、地の塩・世の光と呼びます。真の幸せを見つけられていることを本当に嬉しく思います。

武蔵様、太陽神様
 これはぴろり様だけではありません。このような愛の実践を続ける方は、倫理宏正会にも倫理研究所にも、キリスト教会にも沢山いらっしゃいます。それぞれ自分のまわりの人を幸せにし、自分も幸せになっています。
 倫理宏正会はこのような会員を生み出すという立派な機能をはたしているのです。これを洗脳というなら、この洗脳は、人の欠点を暴いて楽しむことを大衆に奨めているテレビ・新聞の洗脳よりはるかに立派な洗脳です。
 ぴろり様のような「愛の実践」、「人を責めない心を持ち続ける実践」を始められることを祈っております。

「ぴろり」殿 「高貴高齢者」殿
どうも小生の言っている事と ご両人の言っておられることが噛み合ってないように思える。
「批判を自分のこととして受け止める」「人を責めない」ということは 確かに素晴らしいことであり、そのような実践を心がけているご両人はご立派だと思います。このことは再三言ったはずである。
しかし、ただ盲目的に画一的にそのような実践を心がけるだけであれば 物事の本質が見えなく事があり、またその場面 場面の状況を見定めなければ的外れになる事もあるということである。
「ぴろり」殿は 普及 頒布の場で自分の強引さを反省されておられるが 「宏正会は強引な普及をしている」という批判であれば そのような批判を「自分のこととして受け止める」というのは その通りでよかろう。しかし、宏正会の成立ちや会長による会の私物化などの批判については 一会員が「自分のこととして受け止める」事でどうにもなるものではない。責任はあくまでも会長にあるのである。小生には「批判を自分のこととして受け止める」という指導は 会員が批判を会長に向けられることを回避するための「目くらまし」の指導のように思えてしかたがない。
そして、「人を責めない」ということであるが、もし殺人犯が貴女の子供を殺しておいて 犯人自身が「人を責めない実践をしなさい」と言ったとしたら 貴女はどう思いますか?
もし泥棒が貴女のお金を盗んでおいて 犯人自身が「人を責めない実践をしなさい」と言ったら 貴女はどう思いますか?
もし会長が 会の金を私物化しておいて「人を責めない実践をしなさい」と指導したら 貴女はどう思いますか?
「キリスト教」ではそのような教えがあるのかも知れないが、悪いことをした人が 又は批判されるようなことをした人が その批判をそむける為に「人を責めない」と言うことはモッテノホカではありませんか。
宏正会には素晴らしい教えもあろう。そして その教えを自分の周りで実践しようというのは立派なことである。しかし、よくよく物事の本質をよく理解した上でないと 的外れとなることがあることを理解してもらいたい。
 

武蔵様
「人を責めない実践をしなさい」という教えは、武蔵様が引用されている例を超えた崇高な理念があります。一言でいえば、インドを平和裡に独立させた、ガンジーの無抵抗運動を家庭の実践に奨めているのです。ガンジーは英国に反対しても、英国を憎まなかった、責めなかったのです。そのような心の余裕から、そのときとるべき最も効果的な方法を見つけることができたのです。米国での公民権運動でも成果を上げられるのは、無抵抗運動あるいは相手に対して、尊敬と愛情を失わない心です。

 「悪いことをした人が 又は批判されるようなことをした人が その批判をそむける為に「人を責めない」と言うことはモッテノホカではありませんか。」といわれますが、その時にも「責める心」より哀れみの心もつことが大切です。どのような理不尽なことを言われても、憎んだり責めたりしてはいけません。哀れみと悲しみの上にたった愛情を持ち続けなければなりません。そのような静寂な心で知恵を働かせてはじめてよい解決法が見つかるものです。家庭でお嫁さんとお姑さんが火花を散らしている光景を想像すればこのことはよくお分かりになると思います。

 宏正会に対する批判に「なかなか止めさせてくれない」ということがあります。これの簡単な解決法は倫理研究所の雑誌「新生」を入手し、宏正会の方に奨めるのです。そして倫理研究所のほうに移ることを奨めるのです。なかなかやめさせてくれない、しっこい人ほど、しっかりした信念のない人が多いので「新生」をみせられるとたじろぐのです。

 宏正会に対するもう一つの批判にお金の問題がるようですが、倫理研究所の「新生」をもっておればお金を強要されることはないと思います。

 私の経験では、脱会の困難もお金の強要も見たことがありませんが、以上は念のため。

もともとこのスレッドは稀に見る宏正会応援のサイトでありまして、「鯰の髭は4本」様、「虚無僧」様、「さくら」様、「ぴろり」様等が健筆を振るってくださいました。
「太陽神」さまの爆弾論文以来、ご常連がいささかたじろぎ、お見受けしなくなりましたが、「武蔵」様、「匿名希望」様、「ぴろり」様、「高貴高齢者」様が、それぞれのお立場からご議論くださり、大変興味を持って拝見しております。
2ちゃんねるに散見される低レベルの書き込みではなく、お四方は教養あふれる読み応えのある文章にて感心致しております。
論理の武蔵様、純粋無辜のぴろり様、崇高な精神を尊ばれる高貴高齢者様、いましばらくご継続願えれば、お互いがより深く相手を理解できるのではと愚考いたしております。
わたくしは会員でありますが、自他共に認める理論好きで低俗な輩で、まわりの諸会友に議論を吹っかけますので、ま、数のうちではありますが、正直嫌われている面もあります。不思議にわたしは、いろいろなお方に擬せられ、鯰の髭は4本様と思われましたことはまこと光栄の至りでありますし、また東経様に擬せられしことも身に余ることであります。

レイモンド様
 ぴろり様が奨められているように、「人を責めない実践をしなさい」ということが、宏正会でも倫理研究所でも基本姿勢です。これはガンジーが示したような崇高な思想であると同時に、ぴろり様が日常の体験で実感されているように、楽しく易しい道なのです。
 「人を責める」のは日本文化の特徴といってもよいかも知れません。「甘えの構造」の本に示されているとおり、自分が独立していないから、なにに対しても不満を並べる「くれない族」になってしまうのです。自分がすべてをしなければならないと覚悟を決めたときは、どんな小さなこと、あるいは的外れの親切でも、感謝して受け取れます。
 宏正会でも倫理研究所でも、自立心を育てることを奨めているのです。朝早く起きること、朝の気持ちのよい、美しい自然と対話することからはじまって、毎日の「人を責めない実践」により、愛されるより愛することの楽しさを味あうことを教えています。
 このような実践を積み重ねていくと、いつの間にか他の人からも心から愛されるようになり、自分の周りが、天国と感じられるようになります。ぴろり様もこのような、幸せを満喫されておられるのでしょう。
 もちろん多数の会員のなかには、自立心の足りない人がおり、皆様が指摘されたような問題がおこるのでしょう。これをすべて上広会長のせいにするのは、上広さんに気の毒です。
 「人を責めない実践」はキリスト教の倫理でもあります。その意味で宏正会も倫理研究所も、日本の特異な「甘え」の価値観を、世界標準の「自立」の価値観にかえていく努力の一段階のように見えます。色々な段階で問題はありましても、方向は正しいので、暖かく応援して上げましょう。
 
 

話が広がっているようである。小生は宏正会との関わりでのみ愚見を述べる。
「人を責めない実践」という言葉だけを捉えれば 全くその通りであり 異論唱える者は誰もいないであろう。また「ぴろり」殿が言われた「批判を自分のこととして捉える」ということも 「人のフリ見て 我がフリ直せ」という諺があるように 恐らくは異論をはさむ者を見つけるのは難しいであろう。
このように言葉だけを捉えれば 全くその通りで誰にも異論がないという言葉はあるのである。
「平和」とか「博愛」「愛和」という言葉も この部類にはいるであろう。
そして 言葉というものは 「誰が どのような時に言ったのか」 という事を考慮に入れなければ 全く違った意味合いにもなるのである。
「ぴろり」殿の発言について 小生が言いたかったのはこの事である。
宏正会の会長が言っている事は 実践の方向としては、「朝の五つの誓い」に代表されるように 異論のないものばかりである(一部には異論があるかも知れないが)。では何故に宏正会がかようにも批判されるのか。
それは 尤もな教えの裏にある。例えば 会の成り立ち。宏正会は「ひとのみち教団」「倫理研究所」の流れで成立したもので、宏正会の教えはこの両者によるものであること。初代会長は倫理研究所での師 丸山敏雄を裏切って独立したものであること。会長の松涛の自宅に代表される会の私物化。これらは教えを説いている会長に対するものである。
そして 多額の会費 倍加 陰倍加 お祝い金などは 会の表向きの教えの「奉仕」ということを 裏では会に都合のいいように曲げて解釈している。
また 頒布 勧誘などは 「無償の働き」といって会の教えを広めることが社会の奉仕だとしているのである。表向きの教えを 会に都合のいいように解釈をして 婦人会員を実践に駆り立てている。
 このように 宏正会は 表向きの異論のない教えというものを会の都合のいいように使い分けたり 曲げて教えとしているのである。
「人を責めない」「批判を自分のこととして受取る」ということを 会長はどのような場面で使ったのか分らないが 会や会長に対する批判を回避するためにも利用できるのである。またこの教えというものを予め徹底させることで予防線を張ることもできるのである。
宏正会は 「ぴろり」殿に代表されるような若い婦人を普及の実戦部隊としている。宏正会は まず「素直」であることが求められ 自分の思いというものは卑見な「我」であるとって徹底的に排除される。それから大自然の摂理である倫理つまり会長の説く教えを植え付けられる。その過程で会長は絶対であるというようにマインドコントロールされて行く。会長は会員を自由にあやつるようになるのである。
このように会員を自由にあやつるには 会員が会長を尊敬・信頼しなければならない。このような会長への尊敬・信頼を損なう会長への批判は 会としては絶対に会員にさせてはならないのである。
このようなネットでの宏正会批判が大きくなり また「太陽神」殿に代表されるような理論的な批判も出て来て、宏正会も当初はネットでの批判を無視する態度であったが 最近は方針を変えて排除するようになってきたようである。
宏正会はなかなか したたかである。いかに会員をあやつろうかということを考えている。会員は会長の指導の言葉の裏にあるものをしっかりと見極めなければならない。そうでなければ会員は会長に都合のいいようにあやつられるだけの存在となろう。

このブログのタイトルに従って一言で済ませるならばその答えは「矛盾だらけの会」。一言で済むだろう。

批判と弁護の両論をお読みなった賢明な方におかれては既にお判りかと思うが、当該法人の会員は様々な現実問題に対して「多少の問題があっても...」「たわいもない間違いだからその部分は....」「会長先生は...」「この会の教え(理念は)...」等と言って反論しますがそれはあたかも、「銀行強盗はいけないが万引きくらいは見逃してもいいではないか」「悪い商品ではないのだからその商法に問題があっても目をつぶって欲しい」「立派な理念を掲げている会社の社長に限って間違いは起こす筈も無い」「だから会にまつわる問題や批判は私たち会員(また時には一般の人までも含めて!)一人一人の責任だ」といった思考に陥いります。
一般的な社会通念とのずれが生じ、その際は上述の最後の例で挙げた様に(倫理が広まっていない)社会全体のせいにする事で自らの正当性を主張します。

論点をすり替え、言い訳を繰り返しているにすぎません。(その自らの言動にさえも気づかなくなってしまいます)

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小学生でも解る様な簡単な事過ぎて、改めてここに記載するのも恥ずかしいですが、当該法人を食品会社に例えるとすると下記の様になります。

その創設の際に「私たちは安心できる自然食品を真心込めて生産し、消費者へ提供する事で日本人の食への意識を高める、日本社会に貢献をする」という企業理念を掲げて創業したとする。
しかし、その後数十年の歴史を積み重ね、その発展と存続に伴い、1:「一部の商品で化学調味料は使っていないが、保存料を使ってしまった。しかしその広告には『化学調味料無添加』とだけ表示していた事に不満を持った消費者がクレームをつけた」2:「コストを抑える為に外国から輸入した商品を国産と偽ってしまった事が明るみに出た」3:「しつこい訪問販売員の営業活動に批判の声が上がった。」等の問題が噴出したとする。
上記3点が消費者間で問題になった時に、会社としての対応は、1:「『化学調味料無添加』である事は間違いない。法律で認められていない保存料を使用した訳ではない」2:「輸入物だが間違いなくオーガニック食品だった」3:「そのような指導はしていない」などの言い訳に終始し、また社員においては「私たちの会社と会社社長にはこれまでに日本人の食品に対する意識を高めて来た功績がある」、「『私たちは安心できる自然食品を真心込めて生産し、消費者へ提供する事で日本人の食への意識を高める事で社会貢献をする』という立派な理念・信念の元で企業活動をしているのだから今回の問題くらい目をつぶってくれてもいいではないか」「安さばかりを求めて、国産食品を食べなくなり、その結果国産品のコストが上がってしまったのだから国民全体の責任だ」との風潮が強いとします。
これは開き直り以外の何物でもないですね。

実践倫理宏正会についてもほぼ同じです。


この例で問題となったのは企業理念ではなく、その社員教育も含めた企業体質です。
「何を目標にしているか」が問題ではなく、「何をしてしまった(している)のか」が問題になっているのです。

営利目的の法人でさえ仮に上述したような過ちを犯せば、特に大企業であればある程社会的責任・影響も大きく、その対応の是非が問われますし、例に挙げた様な対応では済まされません(そのような対応自体まず考えられませんし、常日頃からそのように社員教育をしているはずです)

ましてや、非営利の教育団体がとなると放っておく訳にはいかないのです。

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大自然の摂理の中、地球と言う星の日本と言う国で、行政における認可を必要とするたかだか一法人の代表者ですから、私利私欲もあり、間違いを起こす事もありえるでしょう。
所詮一人の人間なのですから、そこまでは仕方がないとしても、それに気づかないフリを続けたり、間違いを認めなかったりではお天道様に顔向けできません。もしかしたら既にそうなってしまっているからコソコソと会員を増やす様な行為をしているのでしょうか。(一部の会員のせいではない。会員登録できてしまう会のシステム自体が根本的な問題)

倫理を逆手に取った苦しい言い訳で醜態をさらす行為に、そろそろ自ら終止符を打った方が良いでしょう。

それとも、絶対的な指導者として、その教え(教義)に間違いはなく、その教義を授ける者なのだからその者が率いる団体に間違いなどある筈も無いとでもお考えで、そこに君臨し続けたいのでしょうか。それならば、それこそ法人としての申請方法を間違えていると言えるでしょう。

まあ、『人間が創り出した(行政等も含む)システム(法則)も大自然の法則の一部に含まれるものだから法律が絶対ではない』[※1]なんて言い訳が聞こえてきそうだが、あんたがその大自然を創り出した訳でも大自然の根源でもないんですよ。会長さん。
[※1]実際そうであるからこそ『なるほど』と思ってしまうのだが、それこそがこの会のトリックになっているので、気をつけていただきたい。

自らのルーツを明かせない者が「日本の歴史を....」、自らの団体の会員の教育も出来ない者が「日本の教育を...」なんて冗談にも程がありますよ。
考えさせずにただ反復によって覚えさせる、信じ込ませる。結果、暗記型刷込み教育で記憶力はよいが理論が伴わない日本人の弱点と言われる教育をあんた方がそのまま実践してるじゃないか。
さすがはお国を興す第一歩だ。

大体、無償の働きなんて言っておきながら、自らの働きに対しては"会費"や"お祝い金"を納めさせる事で償を得てるじゃないか。『会(組織)を維持する為には勿論資本が必要だ』ってのもごもっともだが、あんた方の場合はそれすらもただの言い訳になるほど金を集め過ぎてダブつかせてるから批判が出ているんだ。またその集め方にも問題にがあるんだ。
会員に布教させてるくらいなら、このご時世、インターネットでその『ありがたい御本』の内容を公開すれば、それこそ会長さんあんたが無償で倫理の教えを広く提供できるじゃないか。

偉そうな事を言っていながら、その実おかしな事があれば、余計に反感も買うもんだ。

残念な事に上廣家では誇大妄想ばかり教えられ、反省する事や謝罪する事は教えられてこなかった様です。大事に何不自由無く甘やかされて育ったために、よく揶揄される二代目像そのままの『二代目』になってしまっているのでしょう。まあこの団体に於いては先代が偉いとも思えませんが。間違いを犯してしまった時、悪い事をしてしまった時、素直にそれを認めて「ごめんなさい」の一言は上廣家の人間には言えないのではないでしょうか。可哀想な事に幼少から小難しい事ばかり叩き込まれて、「ピノキオ」や「裸の王様」などの寓話を読んで聞かせてもらえず、嘘や傲慢さについてじっくり考える時間も無かったのでしょう。

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ここは、そもそも当該法人の会員が立ち上げたようで、擁護発言も目立ちます。

その匿名性からインターネット内の情報は信憑性も低いとされてしまっているが、実際にはネット内で犯行を示唆した者がすぐに捕まる例を挙げても、その発信地はすぐに判ります。
私は当該法人やその会員からの報復を恐れているので、ここへの投稿はぼちぼち控える事にします。

現状、穏健団体とは言われていますが、人がその妄信して来たものや財産を失う時にどのような狂気にかられるかは計り知れません。
O教のS弁護士の事件もある事だし、ここで宏正会の批判をされたみなさんも報復行為には気をつけて下さい。最近見かけない方々はご無事でしょうか。

私は、当該法人やその会員が逆の立場としてそうであるように、当該法人に対する弁護や擁護発言に一切耳を貸すつもりはないのです。
当該法人の不正実態の告発(法的にしろ社会的にしろ)のみを目的としているので、いちいち言い訳されていては前に進まないからです。

その言い訳は、世の中に広く実践倫理宏正会の実態が知られた際に見る目が変わるであろう家族や親戚、周囲の人達に対してとっておけばいいでしょう。

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マスコミ各社、行政機関、政治家などへ実践倫理宏正会の問題を提起する活動をしています。
不正行為の目撃者、実体験者、被害者の方々、ご協力お願い致します。

他の仕事が忙しくなれば頻繁な更新はできませんが、こちらへ情報提供願います。

http://blogs.yahoo.co.jp/jissenrinrikouseikai

「ぴろり」殿が 『より善い社会へ』という最近会長が発刊した本に「宗教」について書かれているとのご指摘があったので、小生も会長が宏正会の宗教性についてどのように説明するのか興味が湧いた。
知人に尋ねてみると この本は最近発刊されたばかりでまだ会員にも入手できない者がいるそうである。そして朝起会で毎朝この本を読んでいるので 借りて家でじっくり読むわけにもいかず その場で「宗教」について書かれている章を読ませてもらった。
小生の最初の感想は 肝心なところである「宏正会の宗教性」についての部分は「太陽神」殿が言っておられることと全く同じ説明をしているということである。もっとも結論は異なるが。
改めて「太陽神」殿のご理解の深さに感服するものである。
会長は「大自然の摂理」と「神」とは同じものではないとする。「神」は意思を持ち命ずるが 「大自然の摂理」はそのようなものを持たずただ存在するだけであり、そして「神」は人間が生んだものであり 「大自然の摂理」は人間を生んだものであり 人間を超越した絶対的なものとしている。
しかし この説明は全くの詭弁である。宏正会の会員は皆このような会長の詭弁に納得するのか。
「大自然の摂理」はその存在を誰が見出すのだ。会長ではないか。会長の言っていることが倫理ではないのか。宏正会では 生の人間である会長が大自然の摂理を見出し会員に伝えているのではないか。そうであるからこそ会長は会員に尊敬されているのであろう。
「神」も「大自然の摂理」も 結局は人間が造り出したものに過ぎない。両者にどこに違いがあるというのだ。
小生は 「神」とは色々な作者が造り出した劇画のヒーローのようなものだと思っている。その劇画の中ではそのヒーローが一番強いものとして描かれているが、他の作者が描いた劇画ではまたその劇画の中でのヒーローが一番強いものとして描かれている。従って 違う劇画のヒーローを比べてどのヒーローが一番強いのかと言い合うのは 全くナンセンスなことである。まるで子供のケンカのようなものである。従って 「神」についても その優劣を競うのは全くナンセンスなことである。
「大自然の摂理」についても 会長は「神」に優越したものとしているが、これは会長という作者が自分の劇画の中に他の劇画のヒーローを勝手に取り込んで自分の作ったヒーローが一番強いと言っているの同じことなのである。
「太陽神」殿が言っておられるように、宏正会は「徳光教」「ひとのみち教団」「倫理研究所」の流れにおいて成立したものである。「徳光教」「ひとのみち教団」では 宏正会のいう「大自然の摂理」というものを「アマテラス」とか「大元霊」という神ということで説明していた。戦後 丸山敏雄は宗教団体という衣から社団法人という衣に着替えるために 宗教色を排して「倫理研究所」を作った。しかし丸山の「純粋倫理」と言われるものの根底には 「純粋倫理は神の作法」と言っているように その淵源を「神」に求めているのである。宏正会では その実戦倫理の淵源を「大自然の摂理」に求めているが 言葉は違うが中身は「神」と全く同じものである。
「ひとのみち教団」の正統な後継である「PL教団」はそのようなゴマカシをせずに「大元霊」という神を祭っている。
そして宏正会の教えの中身は「ひとのみち教団」と全く同じもの。宏正会の沿革から見ても宏正会は宗教団体だといえるのである。
そして宗教学者は挙って宏正会は宗教団体としているのである。
前にも言ったことであるが、会長が宏正会が宗教団体でないというのは キチガイが自分はキチガイではないと言っているのと同じである。
  

武蔵様
 宗教と神について色々議論があるようです。私どもの理解では、神というものは人が名前をつけたときは、もう神ではなくなると考えられています。どのような名前をつけても、名前があるかぎり、それは神ではありません。
 しかし名前がないものを表現できないので、かりに名前をつけているだけです。ユダヤ教のエホバというのは神の名前ではなく、表現できないものを、表現するため、子音だけを集めたもので実際そのむかしどのように発音されていたか、今ではわからないのです。
 仏教の色々な仏様でも、それらは人間が仏様を感じたときのその気持ちを表現しただけです。観音様は慈悲を感じたとき、阿弥陀さまは永遠を感じた時、大日如来は宇宙を感じたときなどです。
 したがって神様仏様を議論の対象にすること自身に無理があります。議論の対象にしたとたんに神様でも仏様でもなくなってしまうからです。
 神様仏様は自分自身が感じるもの、自分の理解を超えるもの、然し自分の深い心に影響するものです。
 したがって宗教で、議論すべきことは、その倫理面・文化面だけです。その宗教がもつ文化と、それが説く倫理が、人類の将来また現在の異文化社会にどれだけ大きな普遍性をもっているかです。
 宗教か倫理かの議論はあまり実り多いものには見えません。私が接触した感じでは、倫理研究所は優れた宗教心を基礎とした倫理運動で、むしろ真正の宗教と言えます。伝統的な宗教より優れているように見えます。倫理宏正会は真正の宗教心ではなく、倫理普及運動に専念しているように見えます。

もうレベルの高さにおいて比類なきスレのご議論に感服しております。

「匿名希望」様
あなたの勇気あるご活動に賛意を送ります。
わたしは今ある宏正会批判は、「ネット世界の風聞による虚の批判(被害)」としていますので、実世界に反映されようとしても、虚から実への転換はなされない、4百万会員の極々一部の会員の不都合が誇大に伝えられたもので、数百人単位の不都合はあるかも知れないが、それとて表にでることはありません。それゆえあなたの活動を、続けていただくことで、白黒がはっきりすると思います。あなたご自身は匿名でもいいのですが、会側の名前は実名ででてきますので、その接点は何らかの方法を講ずることをお考え下さい。どうか途中で腰砕けになり、いくじなしと思われないようにお願いします。

「武蔵」様
立論は終始一貫しており、非の打ちどころがありません。わたしは「宏正会」を第二宗教と呼んでもかまわないと致しました。「大自然の摂理」を奉じ、いままで通り朝起き会に集い、いままで通り、喜んで働いて、幸福感を味わって生きていってもよろしいのではありませんか。
宗教分類学上、学者が宗教に分類するというなら、学問の自由もありますれば、会としても異論はさしはさみません。会としても思想信条の自由が保障されていますので、会としての信条をもって、ブレずに活動してゆきます。

敬虔な「高貴高齢者」殿に 「神とは」 「宗教心とは」 という宗教の真髄を教えてもらったようである。小生は「宗教心」というものを持ち合わせてなく「神」というものを理屈でもって理解していたようである。
しかし、「高貴高齢者」殿が言っておられる「神」と宏正会の言う「大自然の摂理」とは同じものとして良いのではなかろうか。「高貴高齢者」殿も宏正会が宗教団体とすることに異論はないと思うが 如何か。
そして、「宗教で議論すべきことは、その倫理面・文化面だけ」「それが普遍性をもっているか」ということについても小生には異論はない。
では宏正会はどうであろうか。表向きの教えについてはともかくも、会長の資質 会の運営方法に問題があるように思える。宏正会では今まで隠されたこと 押さえられていたことが噴出して もはやどうにもならなくなって来ている。
会が創設されてから60余年。その間 会長職は息子である現会長に譲られたが 会長も講師も もう何十年とその地位にある。そして齢も皆70歳を超えている。宏正会はもはや賞味期限を超えて すでに腐敗が始まっているように思え、宏正会の批判に対して対処する能力も活力も もはや無くなっているように思える。宏正会の行く末は か細いものであろう。
宏正会は 倫理の目的を「我も人もの仕合わせ」としている。そこから「共生」というものが出て来る。
宏正会では この「共生」ということに 「現実大肯定」とか「自分の役割」「我を捨てる」とかいった教えを重ねて、今ある秩序・体制を擁護するものとなっている。親子関係、嫁姑関係、上司と部下の関係等々。そして国の体制についても。
宏正会の教えというものは 地位や立場がある者、他を支配している者にとってまことに都合が良いものとなっている。
どこかに「倫理とは強者のためにある」という書き込みがあったが まさにその通りだと思う。
宏正会では この教えでもって会のトップである会長の地位を絶対的なものとし、会の秩序を保つためにも利用している。
しかし、フランスやロシアで革命が起きたように 日本で明治維新が成ったように 不合理に抑圧された大衆の不満のエネルギーはいつかは爆発するものである。
イラクのフセイン、フィリピンのマルコス、ルーマニアのチャウシェスク 世界の有名な独裁者はいづれもその地位を追われ 殺された者も大勢いる。
印象的であったのは チャウシェスクが民衆の喚声を自分に対する賞賛の喚声だと思っていたのが自分への非難の喚声だと知りうろたえた姿をニュースの映像として報道されたことである。その後 チャウシェスク夫妻は簡単な取調べでもって銃殺された。
北朝鮮の独裁者はどのような結末をむかえることになるのか。
宏正会の会長もこのような独裁者の姿に重なって見える。


 

難しい事は良く解りませんが、Mr,チルドレン、エグザイル、レット ホット チリ ペッパーズ、長渕剛などがLIVEを行う会場で馬鹿げた大会なんかして欲しくないです!音楽が腐ります!秋の大会から止めて下さい!


いやーなんか執事って今流行ってんじゃん???
だからそういうプレイで遊んでんだけど、女チョー喜びまくって財布の紐ゆるゆるになっちゃってんのwwwwwwww
こないだも一晩中パコパコしてたら痙攣しながらも10万くれたしwwwww
楽勝で飛びついてくるから試してみー?

http://okane.torya-acha.com/KrDhUHw/

「太陽神」様や「武蔵」様の暴論(ばくろん=爆弾論文)が破裂するといつも静かになります。
その特徴は、
(1)「宏正会は宗教である」という立論の過程は、文章を生業とされているからか、極めて論理的で誰も意義を差しはさめない。
(2)しかし、「宏正会はわるい」というネット世界の風聞、伝聞をすべて取り込んで、現実のものとされており、その虚の姿から実の世界への転換点において論理性が失われている。
(3)そしてよって来る原因は、一に「会長がわるいから」という観点から、会長をフセイン、マルコス、チャウシェスクと同列に置き、それらとともに非難中傷の対象とされている。
上記の繰り返しであり、第二、第三の「太陽神」様が現れても同じことである。上廣栄治会長が何と非難中傷されようがいっこうに構わないが、わたしが行っている朝起き会を見る限り、その崩壊の兆しはひとつもありません。
虚と実の世界を実力で切り開こうとした、「匿名希望」様も連休ゆえか、silent claimant になられてしまっているが、皆様のハイレベルのご議論をご継続願いたいものです。

「レイモンド」殿は 小生を「文章を生業としている」とお褒め頂きありがたいことであるが、小生が文章らしきものを書いているのは 本当にこのブログに書き込みをしている時ぐらいのもので、本業の方が見れば全くつたない文章と評するのではあるまいか。
貴殿は 色々と書き込みをした人の評論をされているようであるが、ご専門は何かわからないが 人を教える立場にいたように思える。そして、宏正会を知的好奇心の対象にされているようだ。一応は宏正会擁護の立場をとりながらも 宏正会批判を煽っておられる。何か宏正会についての論文か書物を書くための資料集めをしているようにも思える。
 小生の宏正会に対する基本的な視点は、「太陽神」殿が結論付けられた 「宏正会は上廣家の野望の産物」というものである。
「太陽神」殿は 会の成立ち 宏正会に対する批判を総合されてこのように結論付けられたが、小生の見る限り この視点でもって宏正会を見れば 多くの事が納得できるからである。
 貴殿は「宏正会の批判はネットによる風評を信じたもの」と言うのが常套句のようであるが、それは貴殿が宏正会の実体を知らないからなのか、それともこのように挑発してもっと宏正会についての資料を集めんがためなのか、他に秘めたるものがあるのか、今のところ不明である。前にも述べた事であるが 貴殿には何か含むものがあるようである。

 レイモンド様の御指摘、「上廣栄治会長が何と非難中傷されようがいっこうに構わないが、わたしが行っている朝起き会を見る限り、その崩壊の兆しはひとつもありません。」と、武蔵様のご指摘、「小生の宏正会に対する基本的な視点は、「太陽神」殿が結論付けられた 「宏正会は上廣家の野望の産物」というものである。」は、両方とももっともです。
 ここで思い出すのは、鄧小平の「黒い猫でも白い猫でも、ねずみを取る猫は良い猫だ」の発言です。
宏正会が黒い猫か白い猫かはよくわかりません。しかしいずれにせよ、ねずみはちゃんととっているようです。正しい倫理を社会に伝えているか否かが問題なのではないでしょうか。
 「宏正会は上廣家の野望の産物」であってもなくても、倫理が正しく国民に伝えられ、日本国の倫理が立ち直れば素晴らしい成果ではないでしょうか。

高貴高齢者殿 早く目を覚ましなさい!

軍艦島様
 ご忠告感謝します。軍艦島様は、現在の日本の倫理はどのようにすればよいとお考えでしょうか、また倫理のためにどのような実践をなさっておられるのでしょうか。
 日本国が今後1000年以上も続くためには、国民が合意できる安定した倫理が必要です。明治時代の倫理はそれなりに優れたものでした。戦後、わたくしどもは、明治時代の倫理を超えた、優れた倫理を新しくつくることに失敗しています。昔の人が次々なくなっています。危機を感じませんか。宏正会の倫理は完全なものではないででしょう。しかし明治時代の倫理をこえる何かをもっているように思います。
 私自身は「倫理研究所」の倫理のほうがより優れていると思いますが、宏正会もおなじ方向の努力とは思います。良い所を見ましょう。

「高貴高齢者」殿  それでは 貴殿にお尋ねする。
貴殿は、善行の裏で悪行を為している人物をどのように思われる。否、悪行を隠すために善行を装っている人物をどう思われるか。
では、例えば ある人物が 恵まれない人や身寄りのない老人のための福祉団体を作ると寄付金を呼びかけて財団を作ったとする。その呼びかけた理事長が集まったお金で各地にその施設を作るのは当然であるが、各地のその施設にはめったに訪れない理事長のために豪華な特別室を作り 専用の黒塗りの高級車を揃え、また福祉団体を作るためにと集めた寄付金で理事長の豪邸まで作ったとすると、貴殿はその理事長をどう思われる。否、その理事長は始めから そのつもりで福祉団体を作ったとしたら貴殿はどうお思われるか。
表向きの福祉事業をしていれば、陰でその理事長が何をしても構わないと言われるのか。
そして、貴殿は「正しい倫理が社会に伝えられえば良い」とするが、宏正会ではその方法が問題となっているのである。貴殿は倫理研究所の朝起会にも行かれており 両者を比較して倫理研究所の方が良いと度々言っておられるように、宏正会の普及の仕方には問題があるように感じられているのではなかろうか。
毎月の倍加のノルマ、出来なければ会員が身銭を出してまでその達成を装う陰倍加、毎月何十という倫風誌を会員に買取させる方法での強制的な頒布、「お祝い金」と称する寄付金、家事や子供の学校の行事さえ犠牲にしてまで会の行事に参加させる指導 等々、数え上げたらきりがない。
このような「実践」と称するもので会員をマインドコントロールし、その過程で「会長先生は絶対である」ということを これでもかこれでもかと会員の頭に植え付けられて行く。会員は会長のロボットと化していくのである。
貴殿や「レイモンド」殿は、壮年でしかもご高齢であろう事が推察されるので、前にも言った事であるが 宏正会は貴殿のようなものを教化の対象としてはいない。宏正会が教化のターゲットとしているのは「ぴろり」殿のような若い婦人である。宏正会に賛同しているようであるので「お客さん」という扱いであろう。
宏正会には 若い壮年よりも貴殿のようなご高齢の壮年の方が多いように見受けられるが、貴殿のようなものには 倍加や頒布、「お祝い金」といった話は来ないのではなかろうか。時間を持て余した高齢の壮年が 年間数千円の会費で若い婦人が毎日笑顔で接待してくれる所は朝起会ぐらいでのものであろう。宏正会の話も 年配者にとって心地よいものばかり。貴殿のような者にとって宏正会はいいことばかりで何も言うことはなかろう。
貴殿のような者にとっては宏正会は心地いい所でなくてはならないものかも知れないが、そのような裏には多くの犠牲があり 宏正会には色々と問題があることをよくよく理解しなければならない。

 


武蔵様
 ご討論を感謝します。まず日本の今後の倫理のあり方について、貴方様の御意見をお聞かせ下さい。宏正会のめざすことには、貴殿も賛同されると思いますがいかがでしょうか。
 ただ方法について、御不満があることは理解できます。これこそ宏正会が倫理研究所からわかれなければならなかった根本的な理由と思われるからです。教育と比較すると、幼児にたいしては、親は強制をしますが、大きくなると話し合いと理解に移ります。宏正会の強制的な方法は幼児にたいしては、親切な方法ですが、成人に対するものではありません。
 人間はいくら善を成すことを努力しても、必ず何かの悪を伴うものです。これは人間の業のようなもので、それからのがれることはできません。上広様とて同じです。
 武蔵様が指摘されるような例は、私は全然経験したことがありませんので、何ともお答えできません。
武蔵様が宏正会と倫理研究所の朝起き会に何日か出席されたら、自ずから答えがでるように思います。

武蔵様
「知的好奇心」、まいりました、そのかたまりです。
あなたの、「ひとこと要約」は言いえて妙でありますね。
「宏正会は上廣家野望の産物」
      v.s.
「批判はネットによる風評を信じたもの」。
7月21日付武蔵様書き込みにご指摘の、強制倍加、強制頒布、寄付強制、家事犠牲等々、ネット以外でお目にかかったことはありません。
これら虚の世界を実の世界につなごうとなさった「匿名希望」様は、S・弁護士事件例におびえて尻すぼみになられたのではないかと危惧いたしております。
宏正会はそのような変なものは無く、大変居心地のよいところです。
高貴高齢者様の言われる「黒い猫、白い猫」もまたいい得て妙ではありませんか。このことを鄧小平氏が南巡講話で話されたとき、わたしは偶々所要で中国におりまして、また感心したことを覚えております。
「高貴高齢者」様のご提言に大賛成!
「武蔵様」、どうか朝起き会にいらっしゃって下さい。わたしのように減らず口をたたいても、必ず必ず、暖かく迎え入れてくれてご疑問が晴れると思います。

「高貴高齢者」殿と「レイモンド」殿、このブログの常連でいるこのお二人を相手にしては話にはなりませんな。
このお二人は、小生が前回にも述べたように ご高齢の壮年で宏正会を心地よいものとしている。そして、色々と批判されていることについては、都合の悪いことにはトボケルという老人特有の悪知恵からなのか、「知らない」と言い張る。
「太陽神」殿が最初から「鯰の鬚は4本」殿としかお相手しないと宣言されたのは、このような事態になることを予測されていたようである。さすが「太陽神」殿という他はない。
こうなれば、小生の独白とするしかない。なんなりと評論なり、批判なりをされるがよい。どちらに理があるかは、このブログを読まれた方々が判断されよう。

「宏正会の宗教性」のところで述べた事であるが、宏正会では「大自然の摂理」に基づく倫理を会長が見出しそれを会員に伝えるという仕組みになっている。小生は「大自然の摂理」とは「神」と同じものとした。言うなれば、会長とは「神の代理人」ということである。会長の本では、「神の代理人が力を持った・・・」という事が書かれているが、それは会長自身のことである。
宏正会の人と話して見ると、「大自然の摂理に基づく倫理というものは 論証など必要がない厳正なる事実であり、私達は会長先生のご指導をただ実践するのみ」といった事を言われる。このような言い方こそが宗教というものであろう。
そして、宏正会の説く倫理は、「太陽神」殿が詳細に検討されているように、「ひとのみち教団」「倫理研究所」から持ってきたもの。否、宏正会では初代会長が唱導したものとしているので 「盗んできた」ものと言ってよいであろう。そうであるなら会長というものは「ニセ教祖」と言えるのではなかろか。
「ニセ教祖」であるからこそ、会の中では神の代理人として絶対的な地位にあることをいいことに私利私欲に走ってしまうのである。
「宏正会は現在の日本に日本伝統の美風である倫理というものを伝えるという意義がある」という者もいる。しかし、前にも述べた事であるが、このような団体は日本には数多くあるのである。
平成9年に設立された「日本会議」は、何十という日本の保守勢力が結集して設立された。日本の良き伝統、文化、精神を今の日本に広めようとする団体は宏正会だけではない事を知らなければならない。
この「日本会議」には、倫理研究所の丸山理事長は参加されているが、宏正会の上廣会長は参加していない。
日本に何千、何万と数多くある宗教団体や修養団体。その中にはイカガワシイ団体も数多くある。
小生は そのような団体は淘汰されて然るべきと思っている。多く批判されている宏正会が消滅したとしても その代わりの団体はいくらでもあり、今の日本にとって別にたいしたことはないのである。


 

今年の夏は 梅雨があけるのが遅いようであるが、今年もそろそろ 8月6日が巡って来ようとしている。
宏正会では、人類史上初めて原子爆弾が広島に投下された日を 会の原点としている。
それは、宏正会を創設した初代会長がこの原爆に遭い その後遺症の療養をしている時に思い巡らせた思想が宏正会の基本哲学であるとしているからである。
しかし、これは全くの嘘であることが既に証明されていると言ってよい。このブログでも「太陽神」殿と「鯰の鬚は4本」殿との遣り取りの中で詳しく説明されている。
宏正会の基本哲学は、初代が戦前に所属しその教師にまでなっていた「ひとのみち教団」の教えそのものである。
少年であった現会長が、まだ焼け跡が残る広島の初代である父を訪ねた時に 書物に囲まれて本を読んでいたという個所があるが、この書物の多くは「ひとのみち教団」の本であったように思われる。「ひとのみち教団」では、自前の出版社をもっていて 教団の教えを体系化した立派な本も数多く出していた。おそらく初代はこの時に一生懸命に「ひとのみち教団」の教義、組織を研究していたのではなかろうか。
また、宏正会の初代会長は 新世文化研究所(現在の倫理研究所)の丸山敏雄に師事し そこで活動することになるのであるが、少年であった現会長はその時点ではまだ発刊されていなかった「宏正」誌を頒布したという これまた嘘の記述がある。現会長が頒布したのは その時に既に発刊されていた「新世」でなけれればおかしいのである。
現会長は ひたすら「ひとのみち教団」「倫理研究所」との関係を隠そうとしている。そうでなければ、宏正会の成立ちがあまりにも貧相であるからである。そして、「原爆に遭われた会長先生が産み出されたすばらしい教え」だとして 原爆を普及のための宣伝文句にして会を大きくしていったのである。
もう これらのことは周知の事実だと思われるのであるが、宏正会は 今年もまた8月6日には多くの人を集めて 嘘の書かれた「倫理がひらく 君たちの未来」を読むのであろうか。
宏正会は いつまでこの嘘を言い続けるのであろうか。
この事実を知っている者は バカらしくて聞いていられないのであろう。オメデタイ宏正会の人が誘いに来たら このことを親切に教えてあげましょう。 


「太陽神」様は3月28日、最初ご降臨のとき、「レイモンド」、「高貴高齢者」、「虚無僧一路」の三人を忌避なさいました。刑事訴訟裁判官や今行われている裁判員制度でも取り入れられている「忌避」は、裁判上は許されるものながら、他の一般論争で「自分の都合の悪い相手を」忌避したら、その時点で負けたことになります。自分に都合のよい相手だけを選んで論争したら、勝つのは当たり前だからです。先ずこの科学的論争の基本をお分かり願いたいと思います。
まだまだお若い武蔵様に、「独白」なんて全くお似合いになりません。負けても、倒れても正々堂々と正面からぶつかる気概をお持ちになることを切に望みます。
「太陽神」様は、「・・・あるぞよ」と正に天から声をお下しになり、「武蔵」様になられてからは、平等の言葉使いになられましたが、学術論争は政治討論やアジテーションではありませんので、修辞法に余ほど気をつけていただかないと、「鯰の髭は4本」様等もそうですが、あなた様相手に論争する気になりません。
「太陽神」様の理論は整然として、結論に至る論理構成は満点です。それを受けて敷衍される「武蔵」様の論理構成も正しいといえます。
ただ残念ながら、「太陽神」様の与件はすべてこれ、ネット上の風聞、伝聞からの引用なのです。
別言いたしますと、「武蔵」様に発しているこのわたしの議論そのものもネット上のことにて、裁判上の証拠となるような性質のものではありません。式で表しますと;
 『屁』 × 『屁』 = 『屁』 
なのであります。
わたくしがまだ現場におりましたころ、卒論に「wikipedia」を引用する学生が少なからず出現したことがありまして、仲間うちでは「お子ちゃま論文」と陰口をたたいていたものでありす。
若いとおっしゃるあなた様がまだ学生であられるなら、くだらない論議に加わらないで学園にお帰りになることを切に望むものであります。

前回の追伸とする。
学校は夏休みとなり、朝起会の親御さんの中には子供達を朝起会に連れて行っている人もいよう。そして「倫理がひらく 君たちに未来」を子供達に読ませている親御さんもいよう。
前回 小生はこの本には嘘があるとした。今のところ明らかな嘘と言えるのは 二つのみであるが、いずれも宏正会という組織の根幹を成し 宏正会の性格を決めてしまう重要なものである。このような重要な所に嘘が書かれているとなると、この本すべてが疑わしくなって来る。
今では小学生でもパソコンを操作し ネットを使っている時代である。
この本には嘘が書かれていることを知れば、自分で物事を考えるようになる中学生位になると 「裏切られた」とか「騙された」いう気持ちになるに違いない。そして 宏正会や会長に反感を持つようになるのではあるまいか。
この「裏切られた」とか「騙された」とかという気持ちは 大変に心に大きな傷となるものであり、小生がこのように宏正会について色々と調べて見るきっかけとなったものである。
ネットではもはや常識となっている この宏正会の成り立ちの嘘を知っている者は 宏正会の中でどのくらいいるのであろうか。会の中ではタブーとなっているようであるので、表立っては口にしなくとも既に知っている者はかなりの数となっているはずである。この嘘を知っている者が一定の割合を超えると一気に爆発して、宏正会は押さえることが出来なくなるに違いない。
宏正会の幹部どもは、まだ安閑と構えているのであろうか。


過去にとらわれず、より善くしてくように考えたら?
歴史や過去は事実(ほとんど)だが、それを改善していくのが人間じゃないの?
過去にとらわれすぎだよ。病気?

「レイモンド」。
何度同じことを言っているのだ。このボケ老人は。
宏正会を知らない者が いくら屁理屈をならべても何も伝わってこないんだよ。

「朝起き大好き人間」。
立派なことを言っているようだが 会から言われることのオウム返し。人に言うだけで自分は何もしていない。それを反省 反省、至らない自分で演壇となる。それでも学んでいる自分は立派だと思っている。完全に病気。病気の集団感染=宏正会婦人会員。



「今日はディープスロートの練習させて!!ケースバイケースだから!!!」
昨日こんな事を言われたんだが・・・なんだよケースバイケースってwwww
使い方間違ってるよwwww てかこんなヴァカなのに何で金持ちなの??
すごいテンションでいつも10万くれるのはやっぱヴァカだから?wwwwww

http://netoge.bolar.net/0A3OZ7Q/

「レイモンド」とは 2chの有名な「現会員」だよ。他にも色々な名前で出ているみたいだけど。
神奈川県の○船支部に籍があるようだけど 入会歴もここ数年であまり朝起会に行っていないみたいね。
そのくせ =実践倫理塾= という会を代表するような看板を掲げて自分勝手なことを言っていたよ。
ようやく本性を現せてきたようだけど もっと刺激すると「ウスラバカ」と言ったり 関西のチンピラヤクザみたいな口調になるよ。
あまり関わらないほうが いいと思うけど。

『究明団』様

既にこれに類するスレッドで、2万件を越す「宏正会」に対する誹謗中傷投稿がありましたが、われわれと致しましては蚊が食ったほどの痛痒も感じておらず、何の変わりもなく、愉快に朝起き会を続けさせていただいておりますれば、どうぞご安心ください。
いささか会の存立理由から外れて申し訳なき仕儀ながら、今日も古い会友と話しましたことは、年をとって心の通う話し相手がいないことは、寂しいことだが、朝起き会を続けておれば、ま、老後のお友達にことかかず、仕合せのひとつではあろうということです。
本部の方では、会運営に必要な金員は、会費や寄付金などで潤沢に集まっていると聞いております。また会長ご一家が会の規模相応のお暮らしをなさっておられること、われわれ会員は心から受け入れており、むしろ誇りに思っておりますれば、どうぞご放心願わしう存じます。
 『究明団』様の知性と教養レベルに合わせた論文指導をさせていただきます。
多くの書き込みは、何の科学的論拠もなく、ただネットの書き込みや、自分以外のひとが発言したことを引用しています。これは証拠能力が欠如しているといいます。
下記に一例として、「現実とは全く関係ありませんが」諸子のご理解のため敢て証拠能力のある文章とはどんなものか、例文を記します。
 「平成21年7月25日、津田沼支部成田支舎において、松岸孝純本部教導講師ご臨席のもとに行われた「朝起き会」で、伊藤典子支部長は、62周年を節目に行われる来る秋季大会に向け、一人換算5万円を目標にお祝い金を集めるよう指示された」。
風評伝聞に終始するこのスレもそろそろ規制の時が来た感があります。

何か穏やかに議論する場であったこのブログが2チャンネルの様相を呈して来たようだ。
「レイモンド」殿は 宏正会の批判に対して「ネットによる風評を信じたもの」と度々その批判を封じてきた。小生もそのように封じられてしまうと もう話が続かないのでお相手できないとした。
確かに宏正会への批判にはそのようなものもあるかも知れないが、元会員であれば自分自身で経験して来たことであろうし、また親族、知人の話の中で聞いた者もいるであろう。多くはこのような体験に基づいたものであると思う。小生はこのようなネットの記述がきっかけであるが 何人かの元会員、現会員の話から裏付けがとれていると思っている。
しかし、レイモンド殿が示した例文のようなものは 例え匿名であろうとも差し障りががあり、またこのように日時、場所、個人名などを挙げると匿名としている人物が特定されてしまう可能性もあるのである。
従って、この例文のような場合は 「大会前には多額のお祝い金をするように求められる」というように抽象化してでないと書けないのである。
警察に犯罪行為を通報するならともかくも、「宏正会ではこのようなことが行われている」ということを言いたいのであれば この程度で十分なのである。
小生には レイモンド殿はどうも自己中心的であると感じられる。ご自分が教員をしていたからなのか 書き込みをする人を学生のように扱い その書き込みを自分への答案や卒論、レポートとの提出のように思っている。そして、宏正会の批判についても「厳密に日時 場所 具体的な事実を特定して自分に報告せよ そうでなければ自分には分らないではないか」と言っているのと同じようだ。
おせっかいながら言わせて頂くと よくよく場所をわきまえないと多くの人から忌避されるようになっても仕方があるまい。

 

私は2年間この会に在籍していた者です。最初の1年すぎ。2回の大会を得て、何かこの会はおかしいと思い始め、このままだ洗脳されてしまうと言う恐怖心から脱会を決意しました。しかし、なかなか簡単には辞めさせて貰いません。数々の脅迫を壮年リーダー、班長、グループ長から受けました。同じ町内のグループ長のご主人様は町の顔役(暴力団)です。そのご主人様から脱会すると町を歩けなくしてやると脅されました。それから1年、恐怖の日々が続きました。死ぬ覚悟で私の支部の責任者様に相談しました。責任者様は常識人でおられました。そして、グループ長の行為について呆れておられました。私からきつく叱っておくので安心して脱会して下さいと涙ながらにおっしゃて下さいました。おかげで現在は平和な日々が続いております。だから武蔵様がおっしゃる様に元会友、親族、知人のなどの真実の書き込みの方が多いんじゃないでしょうか。それをレイモンド様の様に都合の悪い書き込みには嘘だとかネットの産物とか言うのは、いかにも功正会らしい発想であり、功正会らしい言い訳に思えてしょうがありません。私の様な筆音痴からすると武蔵様や太陽神様の存在は本当に心強い物です。

 田中丸様の御経験は、武蔵様・レイモンド様の間の討論と私の経験をもとにすれば、真実を表しているようにみえます。
 宏正会は各支部によって非常に違うように思います。私が半年間かよっていた支部は割合常識的なので、武蔵様の指摘されるような問題は起こっていないようでした。しかし宏正会の空気が画一的・会長個人崇拝的で、昔のドイツのナチスと同じ様な会員獲得運動をしているのに、強い違和感を感じました。このような組織は危険なところがあり、組織の中間管理者が、名誉心、競争心・征服欲に駆られると歯止めの効かない状態になります。
 宏正会には残念ながら、このような暴走を止める機構は備わっていないようです。ですから武蔵様お指摘されていることは、事実だと思います。決してネットの産物ではないでしょう。
 しかしこのような暴走は上広会長が支持しているという発想は行き過ぎのように思います。上広会長は、個人崇拝をしないように奨めているのです。しかし名誉心、競争心・征服欲のある管理者を排除できませんから、暴走は起こるはずです。そのような暴走の種を組織に残すか否かで、宏正会は丸山敏雄の倫理研究所から分かれた(破門された)のだと推測しております。
 私は今は倫理研究所の朝起き会に出席しております。この会は真の宗教心を大切にし、倫理の実践を心から楽しんでいるようです。雑誌「新生」の頒布もしていますが、受け取る側の方にに細心の注意を払っています。日常生活のなかで、明朗・親切を心がけ、倫理の実践を大切にし、他人に慕われるような人格になるように研鑽を積んでいるようです。
 宏正会・倫理研究所・PL教団などは、すべて神道を教義化した「ひとのみち」教団の教えを受け継いでいます。「ひとのみち」教団の教えは、キリスト教・仏教など伝統宗教の教義をふくみ、更に日本の伝統文化の粋を加えた、非常に普遍的な教えです。これを伝えるのが、本当の目的で手段は上手につかい分ければよいでしょう。「白い猫でも黒い猫でも鼠をとる猫は良い猫です」。目的をよく見極めましょう。
 

「武蔵」様の書き込み(7.25)、文の立つお方にて全くその通りでありましょう。

(別の見方からひとこと)
武蔵様は「宏正会をこんなにしたのは、一に会長が悪い」という論理で話を展開されています。この点こそわたしが、異を唱えるところであります。
それは東京裁判のおりの少数意見でありましたが、「全ての戦争責任は天皇にあり」とした一派があり、いささか似ています。
仮にもし宏正会が本当に悪いとしたならば、A級戦犯は別におります。今の本部講師全員です。彼等は先師に選ばれた人たちで、先師のご在世当時は文字通り火の玉となって、普及につとめ先師の悲願であった本部会館建設に奔走しました。そして先師は昭和47年10月に亡くなられましたが、火の玉は消えず、何とそれから四半世紀を経て平成8年1月、皇居を望む一等地に会館が落成しました。
そしてその余勢は今も止まっておりません。
ま、言ってしまえばそれだけのことであります。

(1)「田中丸」様の書き込み(7.26)こそわたしのいう、「虚」の報の典型的なものにて、sample採取させていただきます。
「田中丸」sample(09.7.26) T-001
[要旨]
脅迫者: 壮年リーダー
      班長
      グループ長
      グループ長の主人(暴力団で、脱会すると 町を歩けなくすると脅す)

責任者: グループ長をきつく叱ると涙ながらにいい、安心して脱会せよという。

(2)「田中丸」sample(09.7.27)T-002
このスレでわたしが最も尊敬していますお一人の、「高貴高齢者」様がこのsampleを真実となさいました。
このようにひとつの「虚」報が一人歩きをして、いつの間にかその何十倍何百倍の「虚」報にあふれているというのが、わたしの論点です。

上記のことの正誤は知らず、真剣な「言語的勝負」の道程を示す意味で「田中丸」sampleを取り上げ、最も初歩的な手法で今後追跡してゆきますのでご覧ください。(なお不肖わたくしの、「高貴高齢者」様への尊敬の念は一向にゆるがず、多分お名前どおり、真実このスレ上の論客のなかでは最もご高齢のお方ではないかと拝察いたしております。)

「田中丸」殿は宏正会によって大変な思いをされたようだ。しかし今は脱退できて平穏な生活に戻れたということなので安心した。
しかし全国に数多くある宏正会の支部の中には このように酷い支部があるとは思わなかった。これではまるでヤクザ組織かオウム真理教のようなカルト教団と同じではないか。
このような支部が存在するのは 勿論その会場責任者に責任があるのは当然であるが、そもそも宏正会の体質に問題があるように思われる。
「高貴高齢者」殿は 会長を絶対とする宏正会の体質を 会長ではなく「組織の中間管理者」つまり会長の取り巻きの 名誉心や競争心、制服欲に駆られたものとする。しかし小生は 確かにそのような事もあるかも知れないが、その根本は会長にあるとする。
「高貴高齢者」殿は 例えるならば会長を戦前の天皇のように見ているようであるが、小生は会長を北朝鮮の独裁者のように見ている。
宏正会の初代会長はどのようにして宏正会を作ったのだ。
初代は 師事した丸山敏雄が何度も手紙で思いとどまるように諌めたにもかかわらず 己の野心のために聞き入れず独立して作ったのが宏正会であろう。初代が丸山の言を聞き入れておとなしく倫理研究所に留まっていれば、このように世間から多く批判されている宏正会は存在していなかったのである。既にこの時に宏正会というものの性格は決まっていると言ってよい。要するに 宏正会とは上廣家の野望の産物なのだ。
知人の所で 会の草創期の初代、現会長のグラビアが載っている本を見せてもらったことがあるが、この父子の顔は野心でギラギラしていて 見方を変えればまるでヤクザの親分とその後継ぎの息子のようにも見えた。とても戦前の天皇のように鷹揚としているものではない。
黙っていても人が集まって来るような人望のある人物がその組織のトップであれば その組織はゆるいものでもまとまるであろう。しかしそのような人望がない者が組織のトップとなると 規律の厳しいものとしなければその組織はまとまらない。そして軍隊なら戦闘をするように ヤクザなら抗争をするように、何らかの行動をする団体は上意下達の厳しい規律が必要とされる。実践ということを標榜する宏正会に当てはめればそのまま妥当するであろう。
宏正会は 会長自らがこの様な軍隊のような 暴力団のような上意下達の組織を作ったのである。
宏正会では 各地区を統括する講師自らが会長を絶対としていることを会員に現して会長に忠誠を誓っていることを示しているという。そして宏正会では会の幹部であったものがいつのまにか姿が消えているという。このことは 旧ソ連のスターリンや北朝鮮の独裁者のように 独裁者に異を唱える者は例え幹部であろうとも容赦なく消されていくのと同じである。
このような上廣家の独裁体制が会の隅々まで行き渡っているのが宏正会である。ここから色々な歪が生じ 「田中丸」のような事も起こってくるのである。

 


  

武蔵様、レイモンド様
 色々貴重なご意見を頂きまして感謝しています。私自身は宏正会の行き方には賛成しておりません。しかし宏正会のお陰で朝起き会があることを知り、それに参加しているうちに丸山敏雄先生をしり、倫理研究所の朝起き会に出席するようになりました。考えてみると、宏正会の積極的な活動がなかたら、丸山敏雄先生を知ることも、倫理研究所の朝起き会に参加することができなかったのです。ですから、宏正会にどのような非難があっても、倫理研究所への導き手として、その活動には敬意を払っております。
 宗教・倫理・道徳の基本目的は、放置したならば、万人が万人に対して戦うことになるという社会を、共生の社会に導くことです。このためには、人々の心にある、不安を除き、利己と同時に利他を楽しむ、緩やかな心をもつことが大切です。このために人々は色々な宗教・倫理を創ってきました。これらは種類は多くても、目指すところは一つ、共生の社会の実現です。
 キリスト教では、「汝の敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と教えています。これは大変難しい教えのようですが、実際に実行すると、大変守りやすい教えです。貴方の周りの人で、好きになれない人を、修行だと思って好きになるよう努力すると、いつの間にか、関係がよくなり、貴方自身の心も豊かになり、幸福感を味うことができます。その幸せを味うと、もう少し難しい相手との関係を良くするように、挑戦するようになります。
 このことを、宏正会でも倫理研究所でも、「相手を変えようと思うな、自分が変われ」と教えています。この実践は、「汝の敵を愛し、迫害するもののために祈れ」の別な表現で、同じことです。実際聖書のなかでも、「相手を変えようと思うな、自分が変われ」という教えもあります。
 このような努力のなかで、自分と相手をよりよく理解し、関係改善の工夫も立つものです。宗教の教義を問題にし過ぎると、宗教の本質を見失うことになりますので、注意が必要です。

「高貴高齢者」殿と対話していると どうも話が食い違って来たり 論点がズレて来る。
それは 小生が宏正会の教えの中身を問題にしているのではなく会長とか会の組織を問題にしているのに対して 「高貴高齢者」殿は宏正会の教えの中身について話されているからである。
小生は 宏正会の教えについては 「捨て育て」とか 一昔前の封建的な教えに批判もあるようだが、そのような教えを良しとして学ぼうとする者をどうこう言うつもりはない。しかし 宏正会の教えというものは 基本的には「ひとのみち教団」「倫理研究所」の教えそのものである。宏正会はこれについてあくまでも隠しとおし 初代の唱導したものとしている。
要するに宏正会の会長はよそから持ってきた教えでもって自分の飯の糧にしている。例えとして適当かどうか分らないが、学者が他の論文を(引用するのではなくて)盗用して自分の説とし それで飯を食っているとでも言ってよいのではなかろうか。
そして その教え(説)でもって会長絶対の組織を作り上げ 会員を実践、実践と普及に駆り立てて会を大きくして行った。その普及の方法とは 会員に宏正誌(倫風誌)を何十冊 何百冊も買い取らせて会員がそのお金を回収するためにはどうしても頒布しなければならないような状況にしたり、また会員に 毎月必ず目標人数に達成するように新入会員を勧誘することを求めて 目標に達しない場合は会員自らが自腹を切って「陰倍加」をしなければならないという状況を作り 会員に新入会員獲得に駆り立てるといった 全く強引なやり方である。
そして 会に奉仕することが社会の奉仕となり自分の「徳」となるという理屈で 会員から「お祝い金」という寄付金を求め、会員の中には会から言われるままに 一度に数十万円 数百万円 数千万円ものお金を出した者もいるのである。
会を大きくし 会員から集めたお金で 会長は麻生総理の自宅に匹敵するような 数十億円もする豪邸を松涛に建て 上廣一家は豪勢な生活をしている。
小生には 会長は教育家あるいは宗教家というよりもアクドイ事業家にしか見えない。
「朝起き大好き人間」殿は 宏正会の成り立ちの嘘を知りながらも 過去にとらわれずより善く生きるというように心がけているという。
「レイモンド」殿によれば 会の中では会長の豪邸のようなものはむしろ誇りとしているようである。
しかし 小生からすれば 朝起会に毎日行っていたりして宏正会の教えの中に漬かっていると このように洗脳されてしまうのかというように見えてしまう。
オウム真理教の信者達は世間からどのように言われようとも 教祖である麻原彰光を仰ぎ その教えを信じていた。
確かに 「高貴高齢者」殿が言われている宏正会の「共生」という教えや、「朝起き大好き人間」殿が言っておられる「過去にとらわれずにより善く生きる」という教えは オウム真理教のような悪い教えではなく立派な教えだといえるであろう。
しかし、教えとその背後にある宏正会あるいは会長というものを別けて考えなければ 会員はただ利用されているだけということを知らなければならない。
小生は前々から同じようなことを言っているようである。立派な教えとそれを教えるアクドイ会長。会の中にいると教えのみにとらわれて その背後の会長というものの本質が見えなくなるようだ。否、見えていても 「太陽神」殿が言われている「認知的不協和理論」でもって自分に納得のいくように都合のいいように考えを変え会長というものをすばらしいものとして見ているようだ。
宏正会のこのしたたかなこの仕組み。小生から見ればイライラして来るのであるが、多くのカルト宗教も同じなのであろうが 宏正会に入ってしまうとこのようになってしまうのか。 

  

 

武蔵様
 だんだん議論が煮詰まってきて、貴兄のご意見もよくわかるようになりました。まとめると次のようになるように思います。
(1)宏正会の教義は「ひとのみち教団」「倫理研究所」と同じものであり、問題ない。
(2)「宏正会」頒布の実践などに無理がある。
(3)宏正会の活動は上広会長の野心の上にたつものであり、悪である。会員は上広会長に騙されている。
 私は(1)(2)については、全く同意していますが、(3)については、同意しかねます。確かに上広会長には、丸山敏雄・竹秋・敏秋には無縁のギラギラしたものがあるでしょう。それだから分かれざるを得なかったのです。
 しかし宏正会がこれまで発展したのは、会員の強い、そして自発的な支持があったからではないでしょうか。上広会長の野望というような人間的な欠陥を浄化する会員の強い合意があったからではないでしょうか。会員を上広会長に洗脳されたロボットのようにみるのは、真面目な会員方に対して失礼のように思います。
 倫理研究会の朝起き会には、もと宏正会の朝起き会に出席されていた方が多くいらっしゃいます。宏正会で問題を感じる方は、倫理研究会に移ればすむことです。おそらく満足して頂けるでしょう。倫理研究会の入り口として、宏正会はよい働きをしているのです。上広会長が問題だからといって、宏正会の働きを評価しないのは、角を撓めて、牛を殺すことになりませんか。武蔵様も一度倫理研究所の朝起き会に出席されたらいかがですか。

「田中丸」sample T-003
この「虚」なる書き込みを、「武蔵」様も真実となさいましたが、「田中丸」様はおかくれになったまま、二度とでてこられないでしょう。
この、他に別してめずらしい、「ブログ人」・スレは平成17年2月から4年半続いています。他人の書き込みや伝聞のみによって、投稿した方々は、みんな消えていかれました。
「武蔵」様も一年後の平成22年7月末日には、もうお名前を見ないだろうと思います。論理構成は完璧でも、「虚」なるものをもてあそんでは、そんなに長く続くものではありません。
さて「高貴高齢者」様は、「武蔵」様を倫研・朝起き会に誘っておられます。宏正会・朝起き会のあるところ、必ず倫研・朝起き会もありますので、わたしも一度覗いてみようかなと思うようになりました。
わたしは学校の恩師に、「社会科学は、仮説⇒観察⇒検証の無限の繰り返しだが、成功のカギは、観察のとき、何度現場に足を運ぶかだ」といわれいわれしてきました。自然科学の場合は、紙とエンピツによる証明が必要な場合もありますが、社会科学ではそれはありません。
わたしは8月いっぱい、このスレを休ませていただきますが、一ヶ月経っても、進展していないだろうと思います。
とはいうものの、大いなる期待を込めてパソコンのフタを閉じさせていただきましょう。「高貴高齢者」様のように、自分の足で行って見て比べて、地に足のついた議論をしていきたいと思っています。

レイモンド様、貴殿は幸せですね、都合が悪い事は全部、嘘になってしまいますからね。私は真実しか書いておりませんよ。この際、支部も人物も実名で書きたいんですけど、今でもグループ長のご主人様が怖くてしょうがありません。レイモンド様、貴殿の頭の中はどうなっているのかさっぱり解りません。きっと朝早く起きすぎておかしくなったんでしょうね。

田中丸様
 貴兄のお話はよく分かります。しかし2年間も宏正会の朝起き会に出席されたのなら、朝起き会はお好きなのでしょう。是非倫理研究所の朝起き会に出席されることをお奨めします。丸山敏雄の著作に触れ、出席者の何ともいえないふくよかな雰囲気にふれると、倫理の本当の意味がわかります。本当に心から楽しんで、するのでなければ、倫理ではありません。

ようやく「高貴高齢者」殿と話が噛み合ったようである。
貴殿の指摘されている第三点について 前回は不十分であったのでもう一度小生の見解を繰り返す。
小生の独断であることは重々承知しているが、分りやすくするために極々単純化すると
「宏正会の会長は悪である事を知っていながらも どうして会員は会長を悪としないのか」ということである。
「朝起大好き人間」殿は宏正会の成り立ちの嘘を知っていながら それを過去の事として気にかけないようにしている。「レイモンド」殿の支部では会員は会長の豪邸をむしろ誇りにしているとしている。もし これらの事を政治家がしていたとしたらどうなのか。政治家が経歴を偽ったり、政治資金で豪邸を建てたりしたら 宏正会の会員でもこれを悪とし怒るはずであろう。どうして会長だったら悪としないのか。どうして怒らないのか。
普通であれば 人に良い事を説いている者が悪を為したとしたら 余計に非難されてしかるべきであろう。それが宏正会の会長ではそのようにならない。むしろ逆に会員は会長を擁護しようとしている。
この事が小生の疑問であり 腹立たしく思っている事である。そしてこれこそがカルト教団に共通する「洗脳」という事であり、宏正会はオウム真理教と同様のカルト教団と断定するのである。
小生の敬愛する「太陽神」殿は 「実践」を会員を洗脳する手段として位置付け 「認知的不協和理論」という心理学的な手法でもって説明されている。
宏正会の会員は 宏正会の中で心理的なトリックにかかてしまっているとするのである。
「太陽神」殿は 「悪い男に騙されたバカな女」というという何処にもあるような大変分りやすい例えを挙げられて説明されておられるが、小生はナルホドと思ってしまった。
ある出会いで男と知り合った女は その男の巧みな話術と魅力に引かれた(会員が宏正会の勧誘に遭い その教えに引かれた)。
その男は悪い男で数多くの女を自分のものにしようとしている(会員は新入会員獲得のノルマを課せられ それが出来ないと自費で3000円払って陰倍加しなければならない)。
女は男との付き合いが始まった(倫風誌を買う、朝起会に行ってみる、集会にも出席する)。
女は徐々に男との関係が深まっていく(毎日朝起会に行くようになり、頒布・人誘いもするようになる)。
そのうち女は男に完全にはまってしまい 男からの金銭の要求にも答えるようになる(会費を特別会費にし陰倍加もするようになり、お祝い金も出す)。
こうなってしまった女は周囲の者がいくらその男が悪い男だと言っても 聞く耳は持たなくなってしまう。返ってその男の良い所を挙げてどうして分ってくれないのかと反発するするようになる(宏正会は悪いと言っても聞く耳を持たずに返って反発するようになる)。
どうであろうか。まさに会員が宏正会にはまっていく過程をそのまま現している例えではなかろうか。
宏正会では 会長を絶対とし 宏正会の教えは会長先生から頂くものとしているから その悪い男とは会長ということになるのである。
「認知的不協和理論」とは ある行動を為すことにより思考が行動に同調するというものである。
女が男に身を捧げ 品物・金銭を貢ぐというような男に尽くすという行動により男から離れられなくなる。
宏正会では実践という行動をなすことで「宏正会脳」になってしまうということである。
朝起き、演壇、頒布、人誘い、倍加(陰倍加)、お祝い金 等々、宏正会で「実践」といわれているものはすべて「宏正会脳」となるための手段となっている。
この様な宏正会の中にいると どうしても真実の宏正会、真実の会長というものが見えなくなってしまうのであろう。そのためには「実践」からはなれること、宏正会から離れることしかないのであろう。
カルト教団から抜け出すのには 多大な努力が必要である事を示すものであろう。

武蔵様
 ご説はよくわかりました。それを確かめるため、御自身で宏正会の朝起き会と、倫理研究所の朝起き会に出席されることをお奨めします。宏正会の朝起き会をやめ、倫理研究所の朝起き会に変わることは至極簡単です。

武蔵様
 ”「宏正会の会長は悪である事を知っていながらも どうして会員は会長を悪としないのか」ということである。”
 宏正会の人は、ご指摘のような「会長の悪」を重々承知しながらも、その良い面、積極的な生きかたを支持しているのではないでしょうか。私は宏正会に問題を感じて、倫理研究所の朝起き会にうつりましたが、離れてみると宏正会の良い所も分かります。とにかく両方体験されて、ご意見を聞かせてください。


俺プェラでイけないんだけど、こないだ初めてプェラでイかされてしまったww
女が俺の息子を根元までググっと口に含んだ瞬間! 喉の奥をキュッキュと締め付けてきて・・・その感触はまるでマヌコそのものっすwwwwwwww
ディ-プスロ-トでも普通のプェラでもないんだけど、これ何て名前?wwww

http://sekurosu.protobem.com/hAMjA5h/

前回の続きとなる。
悪い男(宏正会)に騙され その男にのめり込んだ女(会員)はその後どのようになるのか。
宏正会が勧誘のターゲットとしている若い婦人であれば、 「すばらしい教えを学んでいる」という大義名分でもって 朝起会 頒布 集いに行くといった実践をする事は 子育てや家事で平凡な生活を送っている主婦にとって刺激があり楽しい事かも知れない。
宏正会の婦人会員は 学校の時にある程度成績が良かった者が宏正会のカモになっているという指摘がある。宏正会では若い婦人を実践で競わせて「お役」という上下関係を作っているので、学校の時成績が良かった者は 自尊心から宏正会の中でも認められようと一生懸命に実践に励むという訳である。
こうして 30代~40代の婦人会員がグループ長 班長として会の実践部隊として活動して行くのである。例えで言うならば、男と楽しく生活している時と言ってもいいであろう。
しかし この男は次々と若い女をモノにしようとしている。次第に新しくモノにした若い女に関心が向き 古い女は放って置かれるようになる。若い女にお役をつけ古い女は次第に会のお役から降り 出るような集会もなくなって来るのである。
男に関心をもたれなくなった女は この男から去って行くという者もいるが、多くは若い時に身も心も お金も注ぎ込んだ男からなかなか離れないでいる。
会の中では若い婦人に口を出して煙たがられ、家では会に金を注ぎ込み蓄えがなく いい年をして仕事に出るようになったり 宏正会での人との繋がりを利用してマルチ商法に走ったりするようになるのである。
宏正会の元会員であった者と話して見ると、現役の会員の時は大きなお役をもらいあれだけ熱心に宏正会の勧誘をしていた者が宏正会の批判をするのに驚くことがある。普通は自分のして来たことを否定する事は自分を否定する事になるからあまり否定したがらないものであるが、「実践」ということから離れると宏正会という枷から逃れ 真実の宏正会を見る事ができるようにようになったものと思われる。
   

武蔵さま
”宏正会の元会員であった者と話して見ると、現役の会員の時は大きなお役をもらいあれだけ熱心に宏正会の勧誘をしていた者が宏正会の批判をするのに驚くことがある。”
 このような方にであったら、倫理研究所の朝起き会を紹介してあげてください。きっと自分の生きかたをもう一度肯定し、さらに飛躍させることができるでしょう。宏正会で問題なのはお教えではなく、広め方だけなのです。今日わたくしは、倫理研究所の丸山敏雄著「万人幸福の栞」を、教会の牧師、カトリック教会の神父、聖公会の友人に差し上げました。とくに神父さんがよろこばれました。教えは大変普遍性のあるものです。


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高貴高齢者殿は何事につけて倫理研究所を宣伝しておられる。小生は倫理研究所についてはあまり知らないが、「法人会」というのが各地にあって 一般の家庭よりも企業(中小企業、個人企業)を普及対象にしているように感じられる。
教えの内容は宏正会と同じであろうから、小生が前に述べたように 倫理とは立場や地位のある者 他を支配している者にとって誠に都合のよい教えであることから、企業経営者にとって従業員に倫理を学ばせることは企業経営に都合のよいものとなるのであろう。しかし、このように企業を普及対象とする事で、宏正会のように個人から金を巻き上げるようなことはないのであろう。そして、上部からノルマを課せられて普及をするといったこともないようであるので あまり批判は聞かれないようである。

高貴高齢者殿は 「宏正会の人は 会長の悪を重々承知しながらも、その良い面 積極的な生きかたを支持しているのではないでしょうか」とされておられるが、そうであれば宏正会は自浄能力はないということになる。これでは会長というものは、「いい事さえ言っておけば 何をやってもお構いなし」といった誠に都合の良いものとならないか。これはどう見てもおかしくはないのか。
多くのカルト教団も同じような構造をしていると思われるが、一旦会員(信者)を洗脳してしまえば会長(教祖)というものは何をやっても会員(信者)から非難されることはない。
これでは宗教を金儲けの手段と考える者や、自分の野望実現のための手段と考える者が出てきてもおかしくはないであろう。
「教え」というものは どこにもころがってる。
とくに宏正会のような教えは 昔の道徳のようなものを集めればそれなりの教えとなる。それを大そうにも「大自然の摂理」に基づくものだと言っているだけである。誰でも宏正会のようなものを作ろうと思えば簡単である。自分の好きな生活訓を集めてそれを「大自然の摂理」と似たようなものに置き換えて 例えば「天の道理」に基づくものだとか 「宇宙の真理」に基づくものとかといった言葉で祭り上げればよいのである。
宏正会に自浄能力がないとなると、外部から宏正会を監督し是正するしか方法はないということになる。監督官庁である文科省は 批判の多い宏正会について監督を強化し 立ち入り検査をして不正を見つけなければならない。そのためには多くの者が文科省に数多くの告発をしなければならないであろう。
また犯罪と思われるものが行われているようだったら直ちに捜査機関に告訴しなければならない。
そして日々ノルマを課せられて普及活動をしている宏正会の実体を暴き 宏正会の真の姿を多くの者に知らせることが必要となろう。

 
 

いろいろ書いてありまして、大変勉強になります。

皆様 色々ご意見聞かせていただき感謝しております。私は倫理研究所が大好きですが、そのことについてお話したいと思います。
 家庭倫理の朝起き会の方が肌身離さず持っている本があります。これは丸山敏雄著の「万人幸福の栞」で、朝起き会ではその第一条「今日は最良の一日、今は無二の好機」で始まり、第十七条「人生は神の演劇、その主役は己自身である」で終わる十七か条を唱和し、その中の一条につき、解説を輪読します。
 この本の最後が、丸山敏雄の遺言のようなもので結ばれています。丸山敏雄の全人格を投影しているような箇所なので、引用させて頂きます。
 ”死の荘厳。  「昭和二十三年一月三十日、午後五時すぎ、ビルラ邸の庭園で開かれる祈りの会に出席するため、ガンジーは最近の断食で、いたいたしく衰えた姿を見せた時、一人の青年が、ピストルを手に、ガンジーに近づいてぶっ放した三発の弾丸。大腿の上部と腹と胸に命中し、くずれるように前に倒れたが、その瞬間、片手おあげて額にあてた。これは、ヒンズー教徒が、相手に許しを与えようとするしぐさである。彼はそのまま意識不明になって、午後五時四十五分、十六歳の孫娘、マニ嬢のひざを枕に、眠るが如く七十九年の偉大な生涯を終わった。」
 これは翁が永い生涯の光輝を、さんとかがやかした死の光景である。翁七十九年の生は凝って、このさん然たる一景を描いた。
 死は、これで人がなくなるのではない。「空」に入ってまことの命に生きるのである。」
 「一粒の麦、地に落ちてしなずば、唯一つにて在らん。もし死なば、多くの実を結ぶべし。己が生命を愛する者は、これを失い、この世にてその生命を憎む者は、これを保ちて、永遠の生命に至るべし。」 (「ヨハネ伝」十二ノ二十四~二十五)
 まことに生きぬいた人は、死によって、いろいろ広く、いよいよ高く生きがえり、生をまことになし得なかった者は、死も亦ほんとうに死たらしめない。
 生は死の仮相であり、死は永遠の生である。”

 ガンジー翁は、英国にたいする赦しの心を土台においた、無抵抗運動で、英国人の心と、インドの人たちの心をつかみ、祖国独立の大事業を成し遂げました。私たちの身近には、インドを支配した英国のようなものがあります。若いお嫁さんが感じるお姑さん、会社の不条理な上司など。そのような中で、小さなガンジーさんになることが求められているのではないでしょうか。
 丸山敏雄先生は、倫理運動の形でこれを示されました。みんなでこの運動を楽しくつづけて行きましょう。そして自分のまわりに「共生の天国、極楽浄土」をつくりましょう。いつか全世界もそうなることを、夢見て。


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「高貴高齢者」殿は お名前の示すとおりに真に高貴な方にて 小生のような者とは次元が異なるようである。
 宏正会の初代会長が草創期の新世文化研究所(倫理研究所)の丸山敏雄の元で活動してしていたことは疑いのない事実である。
初代会長も丸山を尊敬し 当初は親子以上の関係であったことも知られている。初代会長の本名は上廣三郎であるが、上廣に乞われて丸山が上廣哲彦という立派な名前をつけてやったことも周知のことであろう。
しかし、上廣は丸山から袂を別けるのであるが この間の事情については両者に食い違いがあるようである。この事については「太陽神」殿と「鯰の鬚は4本」殿との間で詳細な遣り取りがされている。小生にかかわらず皆も同じと思うが、諸般の事情を総合すると倫理研究所側の言っている事が真実味がある。
しかし、この間の事情について 倫理研究所の伝え方は控えめである。丸山の歩んだ足跡の一場面においてのみ上廣の事に触れているだけである。どこかの宗教団体ではないが、このような事情があればもっと宏正会を非難してもおかしくはないであろう。さすが倫理を説いている団体だといえよう。両者の「共生」を認めているようである。
丸山敏雄についても 世間では人格者ということで一致しているようである。
 どうして初代会長が丸山の言うことを聞き入れずに独立したのかを思うと、「太陽神」殿の言われるように「自己の野望実現のため」と言うしかないのであろう。その後の宏正会を見ればこの事を物語っているのではなかろうか。

高貴高齢者とか言って、言葉遊びのつもりだろうけど自らを「高貴」などと名乗る事自体どうかと思うね。
何かに付けて最期は「倫理研究所」の宣伝をするけど、この場で「実践倫理宏正会」と並べて「倫理研究所」の名前を出す事で反って「倫理研究所」の信用も損ねる恐れがある事に気づかないし、第一あんたみたいなのが今までの様に宣伝しているのも逆効果でしかないよ。何故なら、みんなあんたみたいなボケ老人にはなりたくない。
直近の引用だって、ガンジーの生き様と聖書からの引用じゃないか。そこに「倫理」や「丸山」の文言が出て来なくても成立するだろ。

全部ボケてるよ。
だからツッこませてもらう。

「倫理」が大切なものであるのならばそうであるほど、「倫理」と言う言葉自体に嫌悪感や不信感を抱かせてしまった「実践倫理宏正会」「上廣家」の罪は重いだろ。
それを宣伝材料に使おうなんて輩がいると思うと「倫理研究所」の先々も思いやられちゃうよ。

建設的にと言うが、「実践倫理宏正会」の不正を具体的にどう正すべきかを一切提案しない(できない)のは何故か?悪い所には目をつむってと言うのは文字通り盲目的な事で建設的じゃないぞ。

そのボケに自覚もなく、改善しようとも考えられないならこれ以上書き込まない方がいいよ。
今のところ、「高貴」どころか「後期」を通り越してただのボケ老人だよ。

ボケ老人様
 御注意ありがとうございます。ボケ老人だと家内からもいわれています。さて御注意の点について、私の考えを述べさせて頂きます。

”建設的にと言うが、「実践倫理宏正会」の不正を具体的にどう正すべきかを一切提案しない(できない)のは何故か?悪い所には目をつむってと言うのは文字通り盲目的な事で建設的じゃないぞ。”

 まずこの問題に対するもっとも有効な解決策は、倫理宏正会の方が、丸山敏雄をよく知ることだと思っています。それで私は倫理研究所の紹介を続けているのです。
 
 貴兄は上広会長の悪を暴くことに執念を燃やしておられるようですね。そのような戦いは勝ち目はありません。もし貴兄が大変協力的な弁護士の協力をえて、上広会長を裁判所に告発したとします。そして裁判が開かれたとしましょう。そのとき証人尋問がはじまったとすると、上広会長に有利な証言が不利な証言より、はるかに多く集まると思います。倫理宏正会は60年以上社会の中で、平穏に活動してきた団体ですから、それなりの社会貢献をしており、また会員の強い支援があるのです。
 もし裁判に勝とうとすれば、殺人とか障害とか立証できる、刑事事件を探さねばなりません。倫理宏正会はそのようなことはしていないと思います。していれば、今までに問題になっているはずです。
 
 倫理宏正会は、やはり問題がある団体だとは思います。しかしこれは支部の運営で大きな差があるように思います。倫理宏正会を変える最も有効な方法は争うことではなく、正しい情報を会員に知らせることだと思っています。

 倫理宏正会に問題を感じる方には、もう一つ倫理研究所の朝起き会があることをしらせ、そちらに移ることを奨めればよいと思っています。倫理宏正会が貴兄のおっしゃるような問題の多い団体なら、会員が倫理研究所に移ってしまって自然消滅するでしょう。実際にはそのような支部は少ないので、倫理宏正会はやはり発展するでしょう。
 あるいは倫理宏正会に賢い方がいて、倫理宏正会のなかに丸山敏雄の思想をとりいれ、会の脱皮をはかるようなことが起こるかも知れません。性格の変わった倫理宏正会に生まれ変わることも、ありえないことではありません。
 
 先日引用しました丸山敏雄の文章は、彼の死の二年前に書かれたものです。内容はよく知られている事でしょう。しかしあの言葉のなかに、丸山敏雄の人生と志が凝縮しています。命懸けの文章です。その重さを心の奥深く受け止めてください。

 さて今朝の倫理研究所の朝起き会で「中江藤樹」の話がでました。驚いたことに、「中江藤樹」のことをしっていたのは、7人のうち2人でした。戦前の修身の教科書には、江戸時代の寺子屋でも教えられてれていた、感動的な昔の人の物語と、明治政府
が作った物語が混じっています。私は明治政府の物語は忘れてしまいましたが、江戸時代の寺子屋でも用いられていた、ふるい物語はよく覚えています。「中江藤樹」の物語は修身の教科書で学び、子ども心でも、深い感動でうけとめましたが、その思想は丸山敏雄の思想と重なります。その意味で倫理運動は500年の歴史があるといってよいのではないでしょうか。倫理運動は日本人に江戸時代の倫理を再興する努力のようにも見えます。江戸時代の倫理は大変普遍性のあるもので、そのころの日本人は外国の人からも、「貧しくても、高い品性を備えている」と賞賛されています。

「高貴高齢者」殿に一言。
「上廣会長の悪を暴く事に勝ち目はない」と言っておられるが、刑事事件には殺人とか傷害といった犯罪ばかりではない。「東経」殿と「シリウス」殿が上廣会長の自宅について色々話されていたが、漢検の理事長父子が背任罪で逮捕されたように 上廣会長も社団法人である宏正会を私物化し、宏正会に損失を与え自分が利得を得たような場合は背任罪として逮捕される可能性はある。
上廣会長の自宅であるが、東京の超高級住宅地として全国的に有名な松涛に800坪の豪邸ということである。時価は数十億から百億にもなる代物ということであり、豪邸を見ようと見学ツアーもあったという近くの神山にある麻生総理の邸宅にも引けをとらないそうである。
登記簿によれば 家・屋敷も宏正会の名義となっているようであるが、この邸宅に会長一家は表札を「上廣」としては30年も自宅として使っているのである。これは背任とはならないのか。明らかに宏正会に損害を与え 会長は利得をしているではないか。 もしかしたらこの邸宅を宏正会の研修施設として文科省に届けているのかも知れないが、この邸宅は明らかに上廣一家の自宅として造られたものであり 会員の研修に使われた形跡は全くない。そうであれば全くのゴマカシである。会長一家が宏正会から賃借しているという形をとっているならば、その価値に見合う賃料としなければならないであろう。固定資産税が年間数千万円もするなら、会長一家は宏正会にそれだけの賃料を払っているのか。
この会長の自宅については背任となる可能性が高いのである。
そして 会長はこの屋敷の所有権を宏正会から一旦「上廣倫理財団」に移してから 多数に分筆してから自分に所有権を移している。ここにも色々な疑惑があるのである。
宏正会も上廣倫理財団も上廣会長父子が理事長であり理事となっている。ごまかそうと思えば何でも出来る。
法律が改正されて 宏正会も公益社団法人になるための準備がなされていると思われる。公益社団法人となれば色々と監督が厳しくなるので この時期に不明朗な宏正会の財産がどこかに渡っていたり隠される可能性がある。宏正会で何がなされてるのかをしっかり監視する必要があり、もし不正があれば直ちに官憲に告発しなければならない。
宏正会は 三代に渡って上廣家の者が独裁者として君臨しまた君臨しようとしている。
これでは宏正会の中でどのようなことがされているのか どのようなことがなされて来たのかが隠されてしまう。
今度の衆議選では 民主党が優勢であり、民主党が政権を取る可能性が高い。M元総理を始め自民党議員と結びついて来た宏正会もこれからは国会議員を後ろ盾として文科省に圧力をかけることも出来まい。これを好機として文科省は宏正会に一気にメスを入れる事が出来よう。

武蔵様 
 宏正会の疑惑の問題を宙ぶらりんのままにしておくことは、宏正会を支持する方にも、非難する側にも望ましいことではありません。文部科学省の担当部署に連絡して、公正な判断をうかがうことにしましょう。そのための、批判に耐えられる、公正な資料を集めて下さい。また法律専門家の意見も聞いて下さい。


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「ボケ老人」殿が言っておられる 「倫理という言葉自体に嫌悪感や不信感を抱かせてしまった実践倫理宏正会・上廣家の罪は重い」という事に小生は賛同するものである。
確か 「太陽神」殿も同趣旨の事を言っておられたと思うが、宏正会が倫理、倫理と言う事で 返って本来大切なものであるはずの倫理というものの価値を低めてしまった、倫理を安っぽくしてしまったと云うことである。
元々 宏正会の教えは、「ひとのみち教団」の教えに基づき丸山敏雄が体系化した『純粋倫理』そのものである。丸山の内弟子であった宏正会の初代会長は、自らの野望のために丸山の言を聞き入れずに この純粋倫理の『実践』ということを標榜して独立して作ったのが宏正会である。従って そもそも宏正会の会長というものは、会員に「実践、実践」と言うことしか能がないのである。
確かに 宏正会の言うように「倫理」というものは実行(実践)して初めて価値があるものと言えるかも知れない。しかし 朝の五つの誓いにある 例えば「人の悪を言わない」とか「腹を立てない」とか云ったことは、実行できればそれは素晴らしい事であるが なかなか実行できるものではない。会員は朝起会で毎朝この誓いを唱和しているが、どれだけ実行(実践)出来ているのか。実際に会員に実行(実践)が出来ていれば世間もそれなりの評価もしよう。実行(実践)が出来ていない者が、会員であるならば会から普及を強制されて強引に口先だけで倫理を説くからおかしくなる。
これは会の普及方針が悪いのである。朝起きが続くようになると会誌を何十冊も購入させられて、その元を取ろうとするためにはどうしても頒布に出て会誌を買って貰わなければならない。そして毎月新入会員のノルマがあり もしノルマが達成出来なければ自腹で3000円払い入会を装う陰倍加なるものをしなければならない。この様に宏正会は会員に「普及せよ それが出来なければ金を払え」というように会員を追い込んで普及させているのである。これではまともな普及はできまい。
そもそも 倫理の教えというものは、ある程度人生経験を積んでしみじみと心に沁みるというものではなかろうか。そのように心に感じて初めて実行(実践)しようと思うものではなかろうか。
宏正会は会長を始めとして 会の幹部も 役の付いている者はそれを言うことが出来る特権でもあるかのように「実践、実践」と言い立てている。できもしない「倫理の実践」ということを会長から末端の会員に至るまで世間に言い続けているのが宏正会であり、これでは「倫理」というものの価値を低めていると言われても仕方があるまい。
 そして宏正会は、会の成立過程の虚偽 会長である上廣家による会の私物化 多額のお祝金の要求 陰倍加 等々と何かと世間から批判の多いい団体である。この様な団体が「倫理」ということを説いているとなると、倫理=宏正会ということになり 「倫理」という言葉自体にまさに嫌悪感 不信感を世間に与えてしまっているのではなかろうか。
「高貴高齢者」殿が宣伝されている倫理研究所では、よく宏正会に間違えられて その時は「うちは あそこのようにヒドイ団体ではありません」と言っているように聞く。
「ボケ老人」殿が言っておられるように、本来大切なものであるはずの「倫理」というものを食い物にして「倫理」というものの価値を損ねてしまっている実践倫理宏正会そして上廣家の罪は重いと言うべきであろう。

 


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小生の発言にすかさず返答のあった「高貴高齢者」殿の返答がないようである。小生の意見に賛同したものと見てよいのであろうか。
それでは、独白を続ける。
 宏正会では、初代会長の孫にあたり 現会長の長男である哲治が会の理事となっており、宏正会の三代目の会長となるべく既に布石が敷かれている。また、哲治は「上廣倫理財団」の理事にもなっていて  上廣家は後継者については万全の体制を敷いているように見える。
 この哲治という名前は、初代の「哲彦」と現会長の「榮治」の一字ずつをとったものとされているが、初代の本名は「三郎」。「哲彦」という名前は、初代に乞われて丸山敏雄が付けてやったものである。初代が丸山から独立して宏正会を作った経緯からすれば、本来ならばこの名前も返上すべきものである。そうであるなら この三代目の名前は、「三治」としなければならないのである。
 また、この三代目は バツイチということであるから、会の唱導している「夫婦愛和」ということに関しては 脛に傷があるということになろう。
 この三代目は、会長職を継ぐべく 大会などで会長が出られない場合は会長の名代を務めたり、また 毎年夏に行われる金沢での練成会には、青年 壮年については出席しているという。
もっとも M講師という爺やが若殿のお供に付いているようであるが。
しかし、聞くところによると 練成会でこの若殿は 練成会のお膳立てをしている本部職員を 何度もこれ見よがしに参加者の目の前で叱りとばしているようである。現会長も 講師や本部職員を会員の目の前で叱りとばすことがあるようであるが、これは上司と部下という関係を利用して わざと自分の権威 権力がどのようなものであるかを会員に見せているのである。逆に言えば、このように自分の権力を見せ付けなければ 自分の権威が保てないということの現れである。
会長に叱りとばされた講師は 今度は会の幹部会員をよく叱りとばすようであるが、このように上の者が下の者を叱りとばすことが順々に会の末端まで及んで 会長を頂点とするピラミッドを作っているのが宏正会である。下の者は上の者に絶対服従の軍隊のような形態をとっているのである。ここにも 「自分の我をとり 自分の分を守る」とか 「序列を大切に」とかいった教えを利用してこの秩序を保っている。
 このような秩序の保ち方はヤクザ組織と同じである。組織の親分は 直接末端の組員を叱ったりせずに 躾がなっていないと幹部組員を叱りとばし、その幹部組員がその組員にお灸をすえる。このお灸というのが 殴ったり蹴ったり 時にはリンチに及ぶ悲惨なものである。このようにして組織の規律、 親分の権威を保っているのである。
 人間というものは 人から嫌なことをされてもそれに刃向うことが出来ない場合は、今度は自分が他人に同じ事をするもののようである。
宏正会では 上の者が下の者を叱りとばし 下の者がその下の者を叱りとばす事で秩序を保ち、ヤクザ組織では お灸をすえられた組員は 一般市民に凄味をきかせたり暴力的となって行くのである。
 宏正会のような組織は 同族会社にもありがちであるが、社長(会長)の息子であるという事ですぐに役員(理事)となり、自分の権威を示すために会員の目の前で叱り飛ばされる本部職員はたまったものではなかろう。
 練成会に出席した会員は この事をどのように見ているのか。三代目にビビッテ帰って来たのか。それとも 「親の権威を傘に着て威張っておりゃがる」と嫌悪感を持って帰って来たのか。
 上廣家の者が三代にわたって宏正会の会長の地位を継ぐとなると、今まで宏正会で行われた事が隠されてしまう。元々 上廣家の者は泥棒である。
宏正会の教えは 丸山の倫理研究所からもって来たものなのに 初代が唱導したものとしている。会長の絶対的な権力をいいことに 宏正会の金で自宅として松涛に800坪の豪邸を建てている。他にどんな悪事を為しているかわからない。
このような上廣家の者が三代にわったて宏正会の会長の地位に就いていいものか よくよく考えて見る必要があろう。 
 
 
 


 
 

 

反論がないようなので、独白を続けることにする。
 宏正会では、年に2回 春と秋に各地で「大会」を開催し、5年に一度 東京の武道館で「本部大会」と称するものを開催しているようである。
 会は、一応 この大会に向けの「実践目標」というものを掲げ 会員を実践に向わせているようであるが、小生の見る限り 宏正会の大会とは会員から金集を集めるための手段としか見えない。要するに 政治家が資金集めによくやっているパーティーと同じものである。
 宏正会では「大会」をお祝い事として 会員が大会に出席するためには 「お祝金」を出すことが求められる。結婚式や新築祝におよばれして 出席するためには「お祝金」を持って行かなければならないのと同じという訳である。このようなお金にもそれぞれ相場というものがあるように 小生の聞くところによれば最低が1万円で大方は数万円程度のようである。しかし、中には「大会は運命の節付け 徳を積みましょう」と言葉巧みに持ち掛けられて一度の大会に 何十万、何百万もの「お祝金」を出す者もいるようである。
 このような大会は、東京では武道館、大阪では大阪城ホールといったその地域を代表する大きな会場で 一万人規模で行われている。
 それでは、ある地域で 一万人が参加した大会でどれくらいお金が集まるのか。
もっとも最近はその地域で一万人を集めるのは大変で 参加をお願いしているとも聞くが そのような者からお金はとれまい。しかし、単純に 一人あたり一万円の「お祝金」を出すとして 一万人から集めれば一億である。その会場を借りる金はせいぜい数百万円程度であろう。一人最低が一万円だから 恐らくその地域で一度大会をすれば数億の金が宏正会に入って来ることになろう。このような大会が各所で行われているのである。宏正会はこのような大会を行う事で何十億もの金が入って来ることになるのである。まさに政治家のパーティー顔負けの資金集めの方法ということになろう。 
 宏正会の会員は一般の主婦が主流であるから、このような大きな会場に国会議員 知事 市長などが来賓として参列しているハレの場に盛装して参加することはめったにないことであり、大会に出席することは会員にとって楽しみであり誇りなのかもしれない。宏正会はこのような主婦の心理を巧みに付込んでいるようだ。
 しかし、このような大会に出席した会員に話を聞いて見ると面白い事がわかる。
ある会員歴の長い婦人会員(A)と若手の婦人会員(B)との大会直後の話。
A   「大会は素晴らしかったわよ」
小生 「何が素晴らしかったのですか?」
A   「会長先生のお話がものすごく良かったわよ」
小生 「どのような事を話されましたか?」
A   「えーと えーと (首を傾げる)」
B   「確か ○○のことを話されました」
小生 「では 前回の大会で会長先生はどのようなことを話されましたか?」
A・B 「・・・・ 古いお話は忘れました」
大会に出席した会員とはこの程度のものである。
もっとも大会での会長の話をテープで聞き直したり、会の発行している新聞に会長の話が載るようであるので これを読み直して勉強するのであろうが、半年もすれば前の大会の会長の話はすっかり忘れてしまっているのである。
 会としても このようなことはどうでもいいのであろう。会員を金づるとしか思っていないのが宏正会である。


   

 


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反論がないようなので 話を続けよう。
宏正会では、5年ごとに東京の武道館で行われる本部大会を重要な行事としている。
近くは再来年の5月に65周年というものが行われるようで、会の中では早くも65周年 65周年と言っているようである。
この本部大会の様子はビデオやDVD 写真集で見る事ができ、小生も知人の所で見せてもらった事がある。確かに、あの大きな武道館一杯に盛装した会員が埋め尽くし、内閣総理大臣 各省の大臣 多数の国会議員の他 財界 学会からも多くの来賓が出席したこの本部大会というものは盛儀というべきものであり、会員はこのような盛儀を催す事ができる宏正会に信頼と誇りというものを持つ事になるのであろう。否、宏正会はこのような効果を狙ってこのような盛儀を催しているというのが本当の所ではなかろうか。
 小生の聞くところによると、この本部大会に出席する会員は最低5万円のお祝金が必要と聞く。またこの本部大会に出席できない全国の多数の会員も会がこのようなお祝い事をするということで多額のお祝金を出す事を求められている。
要するに 宏正会はこの本部大会を開催する事により一日で何十億の金が入って来るのである。ボロ儲けとはこういう事を言うのであろう。
確かに このような来賓を多数呼ぶとなると出費も多いかも知れないが、このような多額の金が宏正会に入るとなると 50周年の時のように会の金で会の幹部が大挙してハワイやヨーロッパに研修と称する旅行をしたり 会長が宏正会の金で松涛に数十億とか100億とか言われる豪邸を建てることは容易いことであろう。
 しかし、この本部大会というものは「会長を称える事」 このことですべてが塗りつぶされている。そして会長の長男は会の理事であるから当然としても、普段は会とは全く関係のない会長の妻 娘 娘婿 それぞれの孫といった上廣家の家族が席の最前列に陣取っていて、これでは宏正会のお祝い事ではなく まるで上廣家のお祝い事に会員が招かれているようなものである。
 こうした演出をする事で 宏正会というものは上廣家のものであるという事をしっかりと会員に見せ付けているのであろう。
 宏正会は何故に早くから65周年 65周年と会員に云い続けているのか。
会員によれば 「65周年を目指して倫理を実践し幸せになり それを会長先生に見ていただく」ためだそうである。なるほど 表向きのもっともな理由というものがあるようである。しかし 宏正会では 毎年の春と秋の大会 5年ごとの本部大会で同じような事が云われているのであろう。それで会員はどれだけ幸せになったというのか。それなりの成果が見られれば世間も評価をしよう。それが世間どころか家族さえも評価しないのはどういう訳だ。何回 何十回 大会や本部大会に行けば幸せになるというのだ。どれだけお祝金を積めば幸せになるというのか。
会長から会員はただただもっともらしい表向きの理由に踊らされているように見える。確実なのは 宏正会は会員が幸せになろうがなるまいが 会員からお祝金と称する金を巻き上げ大金を手にすることだけである。
小生から見れば、会が早くに65周年と云い続ける事は 会員に65周年のお祝金を用意するようにと云っているように思える。皆はどのように思うのであろうか。
 (今度の衆院選では 民主党が優勢であり民主党が政権をとることが確実とされている。宏正会は今までは政権党である自民党一辺倒であったが、これからはどのようになるのか。65周年が見ものである。霞ヶ関の官僚のように政権交代を見越し早くから民主党の顔色を伺っているのか。今までの経緯からは簡単に自民党から民主党に乗り換えるわけにも行くまい。)
 


 
 

 


ユキちゃんとこちょばし合いしてたら、
いつの間にかセ ッ ク スしちゃってました(^^;

てか、ど ス ケ ベ行為を先にしたのはユキちゃんだからなwwwwww
いきなり手 コ キしてきてすぐにテ ィ ム ポ咥えてきたしwwwwww

いいとこ教えてくれて感謝っす☆( ・∀・) もうみんな工ロすぎwwwww

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でも前の本部大会には、当時民主党代表の前原誠治が来賓で出席しているし、菅直人は若いころからよく朝起会に出席しているそうだし、亀井静香は上廣会長のシンパだし・・・

つらつらりんぷう見てたら、
岡田克也も毎回名古屋の大会の来賓だね

2009衆院選の結果は 民主党 308 自民党 119。 
民主党の圧勝。
でも あと少しの所で 会長と親密な森は伐採できなかったよ。惜しかったなー。会長の次女が嫁いでいて会長と親戚になるという国民新党の綿貫は落ちたみたいだね。前回はホリエモンが自民党から立候補したことで有名になった会長と同じ郷里(広島県の北部)の亀井は余裕で当選したようだ。
近頃は民主党にも近づいているようだけど 会の教えとしては保守的な自民党の考えとなじむはずだし 会長があれだけ自民党の議員連中と親しく会としては自民党を応援してるんだから 民主党は本気で会とお付き合いする気はあるのか疑問だな。
しかし 会は「ひとのみち」教団の時代に当局ににこっぴどくヤラレタ苦い経験を持っているはずだから これからは自民党と距離をおいて民主党にしっぽを振ることも考えられるな。

 

会の教えは、民主党ともそんなに違和感なくなじむむのでは。ていうか、自民党と民主党の間に、思想的な違いはそんなにないんじゃない。社民党や共産党とは相容れないと思うけど。
鳩山代表はどうか知らないけど、菅直人、岡田克也、前原誠治は若いころから会長と親しいんだし、長老の藤井裕久や連立仲間の亀井静香は自民党時代からべったりで、小沢一郎も本部大会には出席しているから、会としては改めて民主党に近づく必要もないのでは。

確かに今の民主党は自民党と思想的にはあまり違わないようだね。
民主党は 鳩山代表を始めとして 小沢一郎 岡田克也 渡部恒三 羽田孜 藤井裕久 など重鎮は自民党の出身。最近、田中真紀子も民主党に入ったよ。
鳩山代表は宏正会に姿を見せないようだけど、昔 代表の父親 鳩山威一郎を会は一生懸命に応援していたみたいだから、もしかしたら会長には恩義を感じているかもしれないね。
しかし 鳩山代表や菅直人のような理工系の頭をした者が会の教えを理解できるのかな。小沢一郎は会に姿を見せているかも知れないけど 会長が政治家の倫理を説いているからか 小沢は会とはちょっと距離をおいているような感じがするなー。

レイプ容認発言「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」した太田誠一を推した支部を粛清せよ!

このまま放置することは許されない!

幹部ども、答えろや!

宏正会の機関紙「倫風」から いつのまにか会長の肖像写真が消えたようである。最新の「倫風」には会長の長男で三代目を約束されている現理事の哲治の練成会での写真が大きく載っている。このような事は「倫風」の前身である「宏正」以来初めての事らしい。
確かに以前は「倫風」の最初あたりに大きな会長の肖像写真があったはずであるが無くなっている。
宏正会もこのようにネットで会長の悪事が次々と暴かれて 今では巨悪とされている会長の顔を世間に晒すのが忍びなくなったようだ。それにしても会長の風貌はまるでヤクザの親分。とても教育家とか宗教家には見えない。宏正会では会長を始めとして講師連中も皆ヤクザのような風貌をしている。いつもヤクザと同じように会員や周りの者に威圧的な言動をとっているのでこのような風貌になって行くのであろう。
会長の息子の理事も今はお坊ちゃんのような顔をしているが、早くも本部職員を会員の前で叱り飛ばしているようであるので 親と同じようにそのうちヤクザの親分の風貌になって行くに違いない。
 宏正会を創設したとされる初代の肖像写真が各地の倫理会館に掲げられ また初代の銅像が何体か置かれているようであるが、これらはどのようになるのであろうか。
宏正会の初代については、すでに「太陽神」殿を始めとして色々な所で真の姿が暴かれている。
初代は師であり色々と世話になった丸山敏雄を裏切って宏正会を立ち上げた事、宏正会の教えというものは丸山の『純粋倫理』そのものであり 宏正会の会長はその『実践』を言っているに過ぎない事はすでに周知の事実であろう。このような事を知っている者が初代の肖像写真や銅像を見て 初代を敬うという気持ちが起きるであろうか。とてもそのような気持ちは起きないと思うが、それでも会が初代を敬うことを強制すれば返って初代に嫌悪感を持つようになるのではあるまいか。
会長の肖像写真が「倫風」から消えたように、初代の肖像写真や銅像は早晩に撤去される運命にあろう。

 

宏正会では 会長職は会長の長男である哲治が三代目を継ぐことが決まっているようであるが、会員を教導する立場にある講師はどのようになっているのか。
現在の講師陣のほとんどが初代会長の時から今に至るまでずっと講師を続けていて、年齢も会長と同年代の70歳前後ということである。かつては講師補という立場の者も居たようであるが その人物はいつのまにか姿を消し、今のところ少なくとも会員の前では講師を継ぐと目されている者は見かけないと云うことである。
恐らく宏正会としては、まずは三代目を継ぐ予定の会長の長男 哲治の立場を盤石なものにして、それから哲治を補佐するにふさわしい人物を講師として行くのであろう。そうすると哲治より年齢が少ない者で宏正会での経歴も哲治より浅い者ということになり、講師の人選はこれからということになるのであろう。
宏正会では とにかく「上廣家の安泰」を何よりも優先している。武家時代の「お家第一」と同じという訳である。主君の家(上廣家)が存続しなければ 藩(宏正会)は取り潰しにでもなるという事なのか。時代錯誤もはなはだしいと思うが、とにかくも それだけ宏正会では上廣家との主従関係が厳しいということである。
宏正会では ○○記念という節目を大事にしている。今は65周年、65周年と云っているようであるが、予測するに この本部大会において宏正会は新法の公益社団法人に脱皮し、批判が多く今では巨悪とされている現会長は哲治に会長職を譲り 現会長は名誉会長となり院政をしいて権力は手放さないものとなるのではなかろうか。小生の大胆な予測である。

 


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30分で女の子満足しちゃった(^^;

俺的にはもっと楽しみたかったけど、6 万もくれたし欲張っちゃダメだよな?w

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宏正会では、毎月2回 会員向の新聞である「倫理宏正新聞」というの出している。
9月上旬号によると
 9月12日(土) 東海地区 日本ガイシホール
 9月23日(日) 九州地区 マリンメッセ福岡
 9月15日(火) 広島地区 広島県立総合体育館
 9月23日(祝) 長野地区 ホクト文化ホール
 9月25日(金) 大阪地区 大阪城ホール
 9月26日(土) 東北地区 青い森ホール
 9月29日(火) 京滋地区 京都会館
10月 3日(土) 富山地区 富山県総合体育センター
10月 5日(月) 東京地区 日本武道館
10月10日(土) 金沢地区 実践倫理宏正会研修会館
宏正会は、以上10箇所で「秋の大会」を開催するようである。
小生は前に「宏正会の大会は政治家の資金集めのパーティーのようなもの」としたが、会長は一つの原稿でもって一ヶ月間 全国10箇所を周って、さて宏正会はこの秋の大会でどのくらい資金を集めることが出来るのであろうか。
会では会員に向けて「会長先生は大会に向けて死に物狂いの実践をしておられる」と云っている様である。なるほど このように会員に云うことで 会長を尊ばせ、また会員に「大会に向けての実践」ということを鼓舞させようとするものであろう。
しかし 聞くところによると、会長は地方の大会には前日 少しの時間 会館に姿を見せてすぐにその地方の一流ホテルの特別室に入って行くようである。そして大会では最初に演壇してすぐに自分だけは帰って行くそうである。要するに 会長は大会において最初に30分程度の自分の原稿を読んでとっとと帰って行くだけである。それを一ヶ月の間に10回繰り返すだけのことである。これが死に物狂いの実践といえるのか。会員が会長の真の姿を知らないことをいい事に 宏正会は会長というものを虚飾して全く嘘っぱちの虚像を作り上げている。
大会について色々と聞いて見ると、宏正会の大会には 資金集めの他に別の目的があることが分る。
つまり 会長を頂点とし 会長を絶対とするピラミッドの組織を作り上げるために大会を利用していることである。
このような一万人も集まる大会を開催するためには、イベント会社がするにしても組織化した多くの人手が必要となろう。それを宏正会では会員が手作りでしている。要するに 大会に携わる会員を役員として組織化し、会社では上下の役職があるように大会に携わる会員に上下の役職を就けて自分の地位・役割を自覚させ このことを会の中で会員を統治するために利用しているのである。そして大会の準備過程において 会長の絶対性というものを役員としての会員に見せつけるのである。こうした大会に役員として携わり会長の絶対性を身をもって体験した会員が会の幹部となり、下の会員に会長の絶対性を伝えていくという巧妙な仕組みである。
戦前の天皇のごとく会長を大元帥閣下と奉り 各地の師団の演習(大会)を大元帥閣下(会長)が閲覧し閲兵するのが大会である。
宏正会の大会とは、会が重要なものとしているだけあって会の色々な策略が込められているようだ。

 

前回 小生は、宏正会は会長を戦前の天皇のように奉っているとしたが、宏正会はこのように会長を奉る事で会の統制を維持しているのである。
戦前の軍隊では、天皇を神として敬い また天皇を大元帥として天皇が全軍を率いるものとしていた。そして軍を統制するにおいては「上官の命令は天皇の命令である」と絶対者としての天皇を持ち出した。
戦闘の場面で自の命を失うかも知れない時にも このように上官の命令に従うことを徹底的に叩き込まれた兵士は、命をも捨てる覚悟でその命令に従うのである。
宏正会も会長を戦前の天皇のような絶対者として奉り、上の立場の者が下の者を従わせる時に絶対者としての会長を持ち出している。「これは会長先生のご指導である」と言えば、戦前の天皇の詔勅のように誰も異を唱えることが出来なくなるのである。
宏正会は、このように会長を絶対者として奉ることによって ピラミッドの軍隊にも似た組織を作り 会を統制しているのである。
また宏正会にお金を奉仕する時も、会長先生に自由に使って頂くようにとお金を出していると聞く。そして会員が会から何か戴きもの(例えば 練成会での食事など)がある時も 会長先生から戴いたとするようである(会の金はすべて会員が出したものであるにもかかわらず)。
これらの事も全く戦前の天皇を真似ている。戦前は国のものはすべて天皇のものとし、国民の税金で天皇を養っているにもかかわらず、天皇からの戴き物を恩賜などと言って臣民はありがたがるのである。
会長が座る椅子は誰も座ることができないとし、その延長で 会長の乗る車は誰も乗ることが出来ないので地方の倫理会館には会長専用の黒塗りの高級車が用意されている。そして会員の会長に対する接し方はまるで天皇以上である。
このように宏正会は、会長を戦前の天皇のように奉り会を統制している。しかし、決定的な違いは 戦前の天皇は周りの重臣のする事に異を唱えることはなかったが、会長はすべて自分の意志で会を動かしている事である。従って、会の責任はすべて会長が負うのはしごく当然のことなのである。
 しかし、今の日本は戦前の日本とは異なり 民主主義の国である。会長は天皇でなければ 神でもない。会長も一国民であり、一国民として日本の法律に従わなければならない。
そして宏正会では天皇のように奉っている会長の真の姿が徐々に暴かれて来ている。会長が尊敬に値する人物かよくよく考えて貰いたいものである。

 

このブログには 知的で立派な文章を書かれている方々が大勢いらしゃいます。
「太陽神」様 「鯰の鬚は4本」様 「高貴高齢者」様 「武蔵」様 「東経」様 「シリウス」様 その他の方々 色々と教えて下さりありがとうございます。大変勉強になります。
私にはとても高度でこのブログに書かれている事がよく理解できない所もありますが、なんだか実践倫理宏正会が行っている手品のネタを教えてもらったようです。
会としてはこのようにネタがばれてしまっては 手品をする事が難しくなりまよね。
このブログは実践倫理宏正会を知るには とてもいい資料だと思います。

 

皆様
 実践倫理宏正会について調べるため、文部科学省に平成20年度の報告書を開示していただきました。その概要をお知らせします。
   会員数       340万人
   朝起き会場数  816 (一会場あたり4200人)
   寄付金収入    69億円 (2000円/人)
   会費収入     168億円 (4900円/人)
   出版事業より繰り入れ 12.9億円
   正味財産額    860億  (25,000円/人)
なおこの( )内は私が計算して入れたものです。
 この報告は数字だけ見る限り、至極穏当なものに見えます。しかし朝起き会に出席された方なら、一会場あたり、4200人は多すぎることがすぐわかります。数十倍の水増しがあるようですね。

久しぶりの「高貴高齢者」殿のご登場である。
宏正会について調べるために文部科学省にお問い合わせになられたようであるが、「高貴高齢者」殿のご苦労によって開示された報告書から何が読み取れるのであろうか。
まず、340万人という宏正会の会員数である。
日本国民が1億2000万人とすると、35人に1人が宏正会会員ということになる。我々の感覚では このような割合で宏正会会員がいるとは思えないであろう。その数には「高貴高齢者」殿が言っておられるように数十倍の水増しがあるのである。
全国の朝起き会場に月に一回でも集っている会員は、各地で行われる大会での総動員人数の5~6万人程度であろう。毎日の平均にすると、その3分の1 一日に全国で2万人程度が宏正会の朝起会に集っているのではなかろうか。
宏正会会員とは 毎月の会費を払っている者をいうのであるから、会員であればすべてが朝起会に集っている訳ではない。会員であっても朝起会に集っていない者もたくさんいる。実際 朝起会に集っていない会員の方がずっと多い。
では 月に一度でも朝起会に集っている人数の数十倍から百倍の会費だけの会員が実際にいるのかは疑わしい。それは宏正会独特の「陰倍加」というものが行われているからである。「陰倍加」がどのようなものであるかは 「太陽神」殿その他の方々が説明されているのでそちらを読んで頂きたい。
どの程度が「陰倍加」による幽霊会員であるか詳細は分らないが、小生の感覚では 実際に会費を自分で払っている会員は月に一度でも朝起会に集っている会員5~6万人の2~3倍程度ではなかろうか。そうだとすると340万人のほとんどが「陰倍加」による幽霊会員ということになる。
従って、「高貴高齢者」殿が会員一人当たりの会費・寄付金の額を計算しておられるが 実際の会員一人当たりのこれらの金額は その数十倍ということになり 莫大の金額を会員は宏正会に奉仕することになるのである。
宏正会について 「陰倍加」や「お祝金」というものが多く批判されているが、それはこのように会員は多額のお金を会に奉仕しなければならないからである。

このブログ 見させて貰ったけど 色々と書かれていますね。
検索サイトで「実践倫理宏正会」で調べて見るといっぱい出てくるけど、宏正会について知るには 質・量ともこのブログが一番では。 
皆さん まじめに書かれていて、何と言ってもレベルが高い。
こんなに宏正会そして会長について真実を暴かれてしまって、宏正会もどのように対処しようかと苦慮しているのでは。  

このブログ、4年半にわたって書かれたものですからかなりの分量があるし、一人の書かれている分量も多いので全部読むには結構時間がかかりました。
読んで見ると ブログ中程の「太陽神」様の登場によってこのブログの性質が変わったようです。
前半は宏正会の会員が宏正会について色々語っていますが、後半になると宏正会の批判派が擁護派を圧倒しています。両派の主張が白熱していて議論の遣り取りを面白く読ませてもらいました。
批判派は宏正会また会長の真の姿を暴くという形で議論していますので それが事実であれば擁護派としては反論のしようがないということでしょう。せいぜい「レイモンド」氏のように「宏正会の批判はネットによって嘘が広まったもの」と言うしかありませんよね。
ネットによる宏正会についての記述は ほとんどが宏正会批判で占められています。宏正会の良さは会員でなければ分らないということでしょう。
この点についても 「太陽神」様は認知的不協和理論ということで説明していますが。


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昨日 鳩山内閣が成立した。
戦後長い間自民党によって政権が担われてきが、この衆院選において民主党が圧勝し 初めて民主党によって政権交代がなされた。これからの政権運営が期待されるところである。
公益法人の監督官庁である文部科学大臣には、滋賀1区選出の 川端達夫氏(64)が任命された。
川端氏は民主党内では旧民社党グループの束ね役ということであるが、教育についてはかなり保守的な考えを持っていると云われている。
宏正会は 自民党政権下では文科大臣に取り入り5年に一度の本部大会には必ず文科大臣が出席し祝辞を述べていたが、次の65周年という本部大会はどのようになるのであろうか。
この衆院選では、麻生総理自ら本部会館を訪れ 会長に自民党への応援を要請し、事実 宏正会は電話などで自民党を応援していたようであるので 民主党は宏正会とは距離を置くように思われるが 如何なものであろうか。
しかし この内閣には、同郷ということで会長と親しい国民新党の亀井静香氏や自民党時代にはよく姿を見せていた藤井裕久氏が入閣し、また宏正会はかつて鳩山総理の父親 鳩山威一郎の参院選を応援し大会などによく祝辞を述べていたというから、この内閣は あながち宏正会と縁遠いとはいえないようである。
ともかく鳩山内閣は、いままでの自民党によるシガラミを断ち切り 清廉な政治を志向している姿勢が伺われる。
是非とも 文科大臣は宏正会との関係を疑われないように会とは距離を置き、世間から色々と批判され不明朗な会計を疑われている宏正会の監督を強化して貰いたいものである。


春の各地の大会の記事をりんぷうで見たら、岡田克也はじめ民主党も結構来賓でいるね。この秋の大会もっとすごいんじゃない。菅直人や前原誠治は昔から朝起会にもよく出席しているみたいだし、この会が自民党べったりで民主党と距離があったというよりも、民主党議員の絶対数が少なかったから来賓が少なかっただけのような気もする。
武蔵氏も言っているが、この会と民主党は決して縁遠いわけではないと思うから、会への監督が急に強化されることもないのでは・・・


うっひゃーはひー!!!!!!!!
初 体 験 は是非巨 乳ちゃんと決めてたけど
ましゃかほんとになるとわ思ってなかったわwwwwwwww

てかリアルに俺の顔じゃ一 生 童 貞だろって自覚してたけど
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監督官庁の文部科学省による監督強化?
そんな甘チョルイことで宏正会の疑惑を解明できると思っているの?。
強制捜査!強制捜査で徹底的に宏正会を洗って見ないと宏正会の疑惑は解明できないのでは。
容疑としては 「カゲ倍加」による大量の私文書偽造 会長の自宅に対する背任 何でもいい。
捜査機関が強制捜査に入るのには世間の風潮を気にするから もっともっと宏正会への批判を強めなければならない。

実践倫理宏正会の言っている『倫理』とは、戦前の「ひとの道教団」の教え そしてこの教団の教えを元に丸山敏雄が体系化した『純粋倫理』そのものであり、宏正会の会長はこの純粋倫理の実践ということを言っているに過ぎない事は もはや疑いのない事実となっている。
この事実が世間に知れるようになってから会長は、盛んに「我も人もの仕合わせ」ということを言い出している。端的に言えば、最近の会長はこれしか言っていないようだ。
倫理の究極の目標は「我も人もの仕合わせ」であり、個々人の欲望も「我も人もの仕合わせ」に資するものであれば良い・・・・。
日常生活における事柄から戦争、環境、宗教に関わる大きな問題まで すべての問題を「我も人もの仕合わせ」という一つ言葉で片付けている。
しかし この「我も人もの仕合わせ」とは 単なる「倫理」という言葉の言い替えに過ぎないものである。
辞書によると 『倫理とは 人として守るべき道。元来、「倫」とは「なかま」という意で なかまどうしの人間関係を律するきまりという意。従って、人間の社会関係や行為を行為を支配している道徳をいう。』とある。つまり「倫理」とは人間どうしが生活するうえでの決まり ということであり、「倫理」には人間が共に生きること=「共生」ということを当然の前提としている。「我も人もの仕合わせ」とは この「共生」ということに「仕合わせ」ということを付け加えたに過ぎない。
会長は、すべての問題について「倫理」をもってすれば解決するとしか言っていないのである。
この「仕合わせ」(幸せ)という部分であるが、これは丸山敏雄が 世間で倫理と言われている道徳律を「感謝」「親孝行」「愛和」「喜働」とかといった言葉で体系化したものが『純粋倫理』というものであり、この純粋倫理を踏み行う事(実践)で人間は幸せになるというものである。
従って 所詮は宏正会の会長は、丸山の『純粋倫理』の実践ということしか言うことが出来ないものである。
会長の講演や書いている本は、最近の情勢というものを新聞や雑誌で仕入れてその問題点を指摘し、そのすべてを「我も人もの仕合わせ」を目指して「倫理の実践」ということで解決できると締め括っている。小生には、「倫理の実践」という「打ち出の小槌」を一振りすれば何でも解決できるという会長の話には途方もない論理飛躍があるように思える。また、このような紋切り型な会長の話で会員は実践に向おうとする意欲が高まるのであろうか。小生にはとてもそのようには思えないが どうであろうか。
宏正会初代会長の書かれた本を読んで見ると、文脈には非論理的な部分が多いが 確かに会長自ら実践して来たということが伺われる。しかし現会長の話や本には 会長自ら実践したであろう事が何ら伺えない。ただただ「倫理を実践すれば解決する」 この事しか言っていない。
具体的な「倫理」の中身を言おうとすれば 丸山の説の引用になるし、かと言って自らは実践していない。会長の話がこのようになるのは仕方がない事なのであろう。

新興宗教と言われている団体には、「表の教え」と「裏の教え」があると云われている。
「表の教え」とは、教祖が本に書いたり 一般の人も集まる講演会などで話したりするもので その教団の教えの表面的な部分をなぞるだけで世間に対して当り障りのないものとなっている教えである。
そして「裏の教え」とは、教祖の本や講演会では触れていないその教団の本質的な部分で その教団に関心がありその教団の集まりに参加しているような者に対して初めて伝えられる教えであり、また この「裏の教え」には 段階があり信者の洗脳の程度によってより深くなって行くと云われている。
宏正会も新興宗教に分類されているだけあって、このような「表の教え」と「裏の教え」があるようである。
会長が 本や『倫風』に書いたり 大会で述べている事が「表の教え」と云うことができよう。
ここで会長の言っていることは、前回述べたように 今日的な問題を取り上げて 「我も人もの仕合わせを目指して 倫理の実践をせよ」といった紋切的なことしか言っていない。確かに 会長の言っている事は尤もなことであり これを聞いて倫理が素晴らしいと思のか 倫理を実践する気になるかどうかを別にして 別段非難すべき所は見当らない。
会員であれば自分がどのような勧誘の言葉で入会するようになったかを思い出して見ればわかると思うが、恐らく このような現会長の教えで入会したものは誰もいないのではなかろうか。 (次回に続く)
                  

  

母が長年会員です。父が死んでからは、毎日朝起会に参加してるようです。
ここで読まれている会員さんが真実の目を開かれることを切に望みます。
古今東西の宗教、哲学を学んだ方なら、この宏正会のいかがわしさがわかろうというものです。
3大宗教、儒教、老荘思想の継ぎ接ぎだらけの与太話とでもいいましょうか?(w
一人でも多くの方々が真実の目を開かれることを願っています。


ここ女多すぎて男の数足りてねーwwwwwww
まぁそのおかげで俺は得しまくりだからおkなんだけどな(^-^)
もー毎日シェックスしまくり!!!!!!!!!
良いマ ソ コ持ってる女は基本関係続けるけど・・・
まぁーめんどいしほとんど金貰ってバイバイー♪だな(^^;

でもみんなも基本そうっしょ?

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前回 小生は、他の新興宗教と同じように 宏正会にも「表の教え」と「裏の教え」があるとした。
「表の教え」とは、会長が自分の著作や『倫風』に書いたり 大会などで多くの会員に演壇している教えである。
「裏の教え」は、会長自ら文字で残したり会員の前で指導したりはしない。問題になった時に「会長はそのような指導はしていない」と言い逃れを作るためである。「裏の教え」は、裏のルートで会の幹部から地区の幹部へ そして各会場の幹部へと伝えられる。一般の会員へ伝えられるのは各会場の幹部を通してである。このように裏のルートを通して伝える事で 批判や非難が直接会の本部や会長に及ぶことを防ぐのである。

一般に新興宗教が信者を獲得する方法は、「人々の不安に付け入る」事と云われている。
宏正会では若い婦人をターゲットにしているから、子育てに不安であったり悩んでいる若いお母さんに「子育てにいい学びがありますよ」と誘っているようである。「子は親の鏡」とか「捨て育て」とかいった教えで引き付け孤独な主婦を宏正会の集まりに誘い、そこでの学びの終わりには「親としてもっと精進しましょう」と朝起会に誘うのが常套句である。この母親に対する教えは すべて「ひとのみち教団」そして丸山敏雄の教えであり、これを宏正会の初代が自分の教えとしたものである。現会長はこのような母親の琴線に触れるような細々な指導は全くしない。宏正会の大部分を占める婦人会員に対する指導は、現会長の一般的な指導とは無関係に 初代会長の教えというものに基づいて婦人部講師あるいは古参の婦人会員によってなされているのである。
これは現会長が苦手ということもあろうが、この教えは全く「ひとのみち教団」・丸山敏雄の教えであるために 現会長がこの指導をすることが憚れるためであろう。

現会長の本 「実践倫理講座 地の巻」の「宗教」の章で会長は 「神は意志をもってすべてを支配し、服従を要求します。その意志に背けば、罰しもします。・・・・・・・・・・実践倫理では大自然の摂理のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです。」と書いている。
しかし実際に会で行われている指導はどうなのか。
「倫理に外れると不幸になる」と会員を脅していることは会員の誰もが認めることであろう。「倫理を実践すれば幸せになる」と「倫理に外れれば不幸になる」とは全くの裏表であり、会長の言っていることは全くの詭弁である。
このように会長の言っていることと実際に会で行っている事が正反対の事は他にも数多くある。
                       (次回に続く)

 

(前回の続き)
宏正会では 「ハイ」の実践という教えがある。
目上や立場のある者の言うことを「ハイ」と何の疑問も言い訳もせずにそのまま受け入れると云う事である。旧日本軍の上官の命令のようなものである。
この「ハイ」が条件反射的に出て来るように練成会では、「ハイ、ハイ、・・・・・」と大きな声で何度も反復させられるようである。
確かに 旧日本軍ではこのように訓練させられたように効率的に組織が動くという面はあろう。
しかし この「ハイ」の実践というものを会が悪用したとしたらどうなるか。
「貴方は ○のお役をしなさい」「○人 勧誘しなさい」「○円 お祝金を出しなさい」と 会場の立場がある者が言ったら 会員はすべて「ハイ」と答えるしかないという事になる。これでは会員はたまらないであろう。このような会員の不満が高まってくると、会では「すべてを鵜呑みにするという意味ではなく まずはハイと受けるのですよ」とか 「ハイと受けてから それから考えるのですよ」とかと云った言葉で会員を納得させようとする。しかし 人間というものはいったん「ハイ」と答えたものを翻すということは余ほどの事でもないと出来ないものである。宏正会はこの人間の心理というものを巧みに利用している。
会の講師などは一応会員には「ハイの悪用」という事を云っているようであるが、これは馬の手綱を引いているようなもので 一方では「ハイの実践」を説き 会員にその不満が高まっていると感じたなら「ハイの悪用」というものを説いているのである。バカな会員はまるで馬のように手綱を引かれながら会の思うように引っ張られていくのである。
会員はもっと賢くならなければならないと思うが、会は「我を捨てよ」とか「素直が第一」とそれすらも捨てるように会員を持って行っている。これでは会の言う通りに会員が洗脳されるのもうなずけよう。
                           (続く)

 

宏正会の「表の教え」と「裏の教え」についてまだ言いたい事があるが、新しい「倫風」が出たのでこれについて小生の感想を述べることにする。
まず、会長の肖像写真が復活したことである。
確か2・3回ほど「倫風」から会長の写真が消えたはずであるが、「倫風 11月号」では冒頭の大きな肖像写真が復活し、大会で演壇している会長の写真が大きく載っている。
もう会長の写真は「倫風」に載る事はないだろうと思っていたが 熱心な会員からの要望があったのであろう また復活している。以前は威厳を示すためかフテブテシイ顔付きだったが 今度のはスマシタ顔をしている。会長への批判を少しでもかわそうと云う事であろう 撮影に工夫の痕が伺える。
9月12日の東海大会と9月13日の九州大会の様子がグラビアに載っているが、大会には ただの「講演会」と「記念式・講演会」というのがあるようだ。
九州の大会は「記念式・講演会」で 演壇近くの婦人会員は着物を着ているし 県知事や市長 国会議員が来賓として出席している。出席している来賓の顔ぶれを見ると 福岡市長は民主党推薦だったようであるが他の国会議員は皆自民党である。宏正会は自民党とは縁が切れていないように見受けられる。
 「倫風」の冒頭には「倫風宏話」というのがあるが、今月号は「今こそ我も人ものために」と題して会長が述べている。
会長は「我も人ものためは実践倫理の根本精神です。」と述べているが、最近の会長の言っていることは「我も人もの仕合わせ」だけの全くのワンパターン。小生が前に述べたように、「我も人ものため」とは「倫理」という言葉の単なる言い替えに過ぎないものである。そもそも「倫理」とは人間どうしが生活するうえでの決まりという事であり、人間が共に生きること=「共生」ということを当然に前提としている。「我も人ものため」とは「共生」ということと同義であり、それが「倫理」だと言ってもいいものである。
倫理を多くの者に説こうとする者が このようなワンパターンの言葉遊びをして何になる。この倫理の中身を分りやすく納得するように会員に説くのが会長の勤めというものであろう。会長は 色々な問題を ただ「我も人ものため」「倫理の実践」という言葉を持って来るだけで それで良しとしている。まるで会長はこの言葉を「打出の小槌」のように使っている。ただ「打出の小槌」を振るだけ 「我も人ものため」「倫理の実践」と言う事だけなら別に会長でなくても誰だって出来る。皆はもうお分りのように これは会長が「実践」という事を何もしていないので このような言葉遊びしか言うことが出来ないのである。

そして 会長は 「我も人もの仕合わせ」と「経済」との関係について述べている。
この説明に、「経済」という語を辞書で引いて 「経済という言葉は経世(国)済民という熟語から出たもので、世(国)を治め、民の生活を安定させること」だ
という意味のことが書かれているはずであるから、
「我も人ものため」と「経済」は関係があり、「我も人ものため」でなければ「経済」はなりたたない。・・・・・としている。
確かに 「経済」という言葉は 福沢諭吉が中国の古典の「経世(国)済民」という熟語から付けたようである。しかし この言葉は political economy から付けたものであり 国の政治 国の経済政策といった意味のものである。economy つまり「経済」とは モノ(財)やサービスを交換する仕組みとか 労働力の交換とされているもので 道徳や倫理などを含まないものである。
従って 「経済」という語がたとえ「経世(国)済民」から来たとしても 中国の古典の意味のように捉えなければならない必要は全くない。この事は「経済」という語ではなくて もし例えば「効率」という語を充てたとしたら と言えば分ってもらえるであろう。レッテルから中身を決めてはならないのである。
要するに 会長は自分の考えを経済という語の成り立ちで補強しているだけであって 経済という語の成立ちが会長の考えに繋がる訳ではないのである。
会長はよく言葉の本来の意味ということで辞書の語源から自説を展開しているようであるが、その言葉の使われ方をよく検討してみないと誤った論理展開になることを知らなければならない。


 



普段普通のリーマンしてんだけど、月3回くらいはコレやってんだよねw
まぁお小遣い稼ぎがてらの軽いノリでやったんだけど、
一発で10マンとか余裕で貰えるから普通に給料超えてんだけど何wwwwww

もうリーマン辞めようかと真剣に考えてる(´・ω・`)
てかぶっちゃけそれがベストだよなー?wwww

http://hole.hotohototo.net/9lx0a7n/

 はじめてコメントさせていただきます。
「いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ」
というサイトをつくっている者です。
 こちらのサイトは批判派が多数を占めている
ようですねえ。
全部の主張を読むのは大変なので、
さっと目を通しただけですが、
では、あなた方は世の中のために
何を実践されているのでしょうか。
 現代社会を改善するのに、朝起会は役に
立つか立たないかと言えば、私は役に立つ
と思います。
 会長先生を神のように崇拝することが気に
くわない方もいるようですが、何万人もの
ボランティア(というより自分でお金を出す)
会友を導いていくためには、その中心となる
人が必要なことなど自明の真理です。
 それが許せないというなら、聡明なあなた
たちが、民主的なNPOでも作って、世のため、
人のために努力してください。
(そもそも、あなた方は、会友ですか?
それとも部会者ですか?)

 「言うは易く行うは難し」です。

 しょせん、ネットとはそんなものです。

 ネット上の批判について、私なりに
まとめたものを引用させていただきます。
長文になり、すいません。

(引用開始)
朝起会へのネット上での批判分析と我が主張のまとめ

 デメリット情報です。

朝起会へのネット上での批判について
「いや夫」なりの分析をします。

 批判記事は読むのが疲れるので、
そんなには読んでいませんが。

<批判記事の分類>

1 会の発足の経緯をあやふやにしている

2 (カルト)宗教である

3 表と裏の世界がある

4 しつこい頒布活動への苦情

5 半強制的な入会のお誘い

6 親ががんばらないと不幸が起こる
  などの脅し

7 捨て育てへの批判・誤解

8 他宗教団体からの攻撃

9 ネットゴラムからの批判

10 悪ふざけ・デマ

11 教えへの批判

12 ともかく批判したい
   うんちくをたれたい

 こんな、分類でしょうか。

<いや夫の見解と関連記事>
1 会の発足の経緯をあやふやにしている
 別に気にしません。
 実際はwikiで書かれている通りでしょう。
8月6日の広島原爆の経験は、一つの区切り
だったのでしょうが、それ以前から別組織で
同じ様な思想で活動をされていたのでしょう。
しかし、思想が正しければ、それほどこだわる
ことでもないと私は判断します。
しかし、いつか『倫風』などで、
その経緯について釈明を加えた方がより
ベターかも知れませんね。

 ちなみに、イエス・キリストに妻がいても、
別にいいじゃありませんか。
復活してなくても、別にいいと私は思います。
(キリスト教徒にとっては、別にで済まない
とは思いますが…。)

2 (カルト)宗教である
 別にどっちでもいいんじゃないですか?
他宗教団体にとっては、大きな関心事なの
かもしれませんが…。
日本社会に貢献するか否か。
私は貢献していると思います。
だからこそ、63年間も続き、こんなに会友
が増えたのでしょう。

 関連記事
http://58807828.at.webry.info/200909/article_23.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_24.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_27.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_37.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_39.html

3 表と裏の世界がある 
 表については、批判されるようなことは
ありません。正しい教えです。
裏(倍加、お祝い金など)については、
お金が関わりますので、難しい問題です。
正直この点では、私は批判的です。
教えがすばらしいと思うだけに、こんなことで
批判されているのは残念ですね。

 何万以上の寄付金は本人からの自発的な
申し出以外ではもらうべきではないと思います。
100万単位なら、親族一同、遺産相続人
全員の許可も必要だと思います。
(我が家は寄付するほど裕福ではないので、
関係ないと思います。妻が内緒でやっていれば
別ですが。我が妻へ、大丈夫ですか?)

 本人の許可を得ての倍加はOKですね。
 陰倍加(本人の許可を得ない)についての
批判が多いようです。

(他サイト投稿より引用開始)
「かげ倍加」の真の意味は、本会とのご縁を
結ぶことで、陰乍らその方の「仕合せ」を願う
ことにあります。決して、倍加の「数合わせの
ために」行うものであってはならない、
と本会で教わっているはずです。
(引用終了)

 一般には、陰倍加で勝手に会友にされる
との批判記事がありますが、この点については
どうなのでしょう。
陰倍加は、入会用紙と違う用紙を使い、
誰を倍加したかは、他の会友(担当者は除く)には
知られないと思います。
よって、陰倍加を会友数に加えるのはおかしい
ですね。どうなっているのか、私などが知る
ところではありません。

 関連記事
http://58807828.at.webry.info/200909/article_7.html

4 しつこい頒布活動への苦情
5 半強制的な入会のお誘い
6 親ががんばらないと不幸が起こる
  などの脅し

 すべて会長先生が戒めていることばかり
のはずです。慎まねばなりません。
もしもですが、会長先生がそう言いながら
裏で幹部等にはっぱをかけているようなら、
私はこの会と縁を切りたいと思います。
 そうではなく、末端会友が普及をすすめ
たいがための悪弊であることを祈ります。
そうだとしても、もうそんな勧誘はやめましょう。
倫理に反する行いです。
苦情はネットで公開され、自分たちの首を
占めるだけです。
さらに、その苦情の投稿は永遠にネット上に
残り続け、消えることはありません。

 関連記事
http://58807828.at.webry.info/200909/article_6.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_9.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_12.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_17.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_20.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_21.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_25.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_28.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_47.html

7 捨て育てへの批判・誤解
 これはまったくの誤解です。
以前に記事を書いたので、それを読んで
ください。
 もし、捨て育てで本当に家事などを
おろそかにしているなら、本末転倒だと
思います。

 関連記事
http://58807828.at.webry.info/200909/article_14.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_15.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_16.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_18.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_19.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_26.html

8 他宗教団体からの攻撃
 これは大いに感じますよ。
正直、私のサイトへのアクセス数など
微々たるものですが、「朝起会」でぐぐって
トップ10入りです。
朝起会自体はそんなに注目されていない
と思います。
 それにも関わらず、2ちゃんねるでどうして
あんなに投稿が多くなるのか不思議です。
 朝起会は巨大な会友をかかえています。
他宗教にとっては、商売敵でしょうね。
(もちろん、朝起会は宗教ではありません。
不毛な争いにも首をつっこみません。)

 賢明なネットユーザーならおわかりと
思いますが、ネットの情報を鵜呑みにしては
いけません。いくらでも嘘や作り話が
できます。少なくとも常に疑って読むように
しましょう。

 ちなみに、私はキムタクによく似ているね
と言われます。


 もちろん、嘘です。モリタクには少し似ています。

 関連記事
http://58807828.at.webry.info/200909/article_20.html

9 ネットゴラムからの批判
10 悪ふざけ・デマ
 こんな奴らは気にすることないです。
住む世界が違います。
 ネットでしか表現する場がない点では、
 同情。 (私も同じか。)

 関連記事
http://58807828.at.webry.info/200909/article_2.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_29.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_30.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_32.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_34.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_37.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_51.html

11 教えへの批判
 単なる天の邪鬼ですね。
そんな奴には、一万人の前で講演して
見せてくれといいたい。どうせ震えて
ろくにしゃべれませんよ。
話せたとしても、何を言いたいのか
みんなには伝わりません。
建設的ではなく、単なる批判だから
です。

12 ともかく批判したい
   うんちくをたれたい 

 人間とはそんなものですね。
独裁政治やカルト宗教の蔓延を防ぐ
には大切な心構えではあります。
私なども、「うんちくをたれたい」派です。
しかし、「ともかく批判したい」派では
ありません。
良いものは良い、悪いものは悪いと
評価を変えるべきです。
 会長先生の言葉を批判できるような
すぐれた見識をお持ちの方は、
朝起会を超えるすぐれた会を作る
力をお持ちです。
ぜひ、実践して日本社会の復興に
力をふるってください。
 単なる批判だけなら、ネットゴラム
と五十歩百歩です。会友の心を
惑わす点では、それ以上に悪影響
です。(我がサイトもか?)


 以上、ともかく、コメントを無制限に
すべきではないというのが結論です。
朝起会について、建設的に討論したいと
いう人は、このブログではなく、
「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html
で、質問・投稿などされるといいでしょう。
(批判派が優勢のようです。)

 まちがっても2ちゃんねるなどで、
質問しないように。
「ミイラ捕りがミイラに」で、ネットゴラム
の仲間入りですよ。

結論
 私は、この世は末法で、私たちは末人だとの
指摘に賛同します。だから何かをせねばなら
ないと思います。
(関連記事)
http://58807828.at.webry.info/200909/article_35.html
(名ばかり会友が朝起会を擁護しているのも
その思いからです。)
朝起会は、今だからこそ大切な会だと思います。
批判などしていても、何も生まれません。
(物の無駄・時の無駄・心の無駄 )
批判ではなく、改善していくことが肝心です。

(引用終了)

 すいませんが、私のサイトはコメントを
受け付けていません。
不毛な争いやネットゴラムの低俗ないやがらせ
にうんざいしておりすので。

 武蔵殿に異論あり

 このサイトでは新参者ですが、
討論よろしくお願いいたします。

 さて、もっとも発言の活発な武蔵殿の投稿に
対して、批判いたします。
9月29日付、最新号の『倫風宏正』への評価に
ついてです。

(引用開始)
そして 会長は 「我も人もの仕合わせ」と「経済」との関係について述べている。
この説明に、「経済」という語を辞書で引いて 「経済という言葉は経世(国)済民という熟語から出たもので、世(国)を治め、民の生活を安定させること」だ
という意味のことが書かれているはずであるから、
「我も人ものため」と「経済」は関係があり、「我も人ものため」でなければ「経済」はなりたたない。・・・・・としている。
確かに 「経済」という言葉は 福沢諭吉が中国の古典の「経世(国)済民」という熟語から付けたようである。しかし この言葉は political economy から付けたものであり 国の政治 国の経済政策といった意味のものである。economy つまり「経済」とは モノ(財)やサービスを交換する仕組みとか 労働力の交換とされているもので 道徳や倫理などを含まないものである。
従って 「経済」という語がたとえ「経世(国)済民」から来たとしても 中国の古典の意味のように捉えなければならない必要は全くない。この事は「経済」という語ではなくて もし例えば「効率」という語を充てたとしたら と言えば分ってもらえるであろう。レッテルから中身を決めてはならないのである。
要するに 会長は自分の考えを経済という語の成り立ちで補強しているだけであって 経済という語の成立ちが会長の考えに繋がる訳ではないのである。
会長はよく言葉の本来の意味ということで辞書の語源から自説を展開しているようであるが、その言葉の使われ方をよく検討してみないと誤った論理展開になることを知らなければならない。
(引用終了)

 まず、あなたの説はまちがいだと思います。
「経済の語源」でぐぐったトップページ
「語源由来辞典」から引用します。

(引用開始)
http://58807828.at.webry.info/
経済は、古代中国の「経国済民」もしくは「経世済民」の略。「経国済民」「経世済民」は、国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語である。日本では、江戸時代の学者用語に「経済」は現れ、理念的な政治政策の意味として用いられていたが、しだいに経済運営の意味で使われるようになった。明治時代に入り、「economy(エコノミー)」の訳語として「経済」が選ばれ、現在用いられる意味で定着していった。
(引用終了)

 ということで、会長先生のとらえ方が一般的です。
 さらには、武蔵殿が何を言いたいのかが
よくわからない。批判をしたいから批判をされて
いるだけはありませんか?
 最新号(平成21年11月号)の「倫風宏正」は
秀作だと思います。
日本の経済のあり方をもう一度問い直そうと
いうお話です。
あなたの説に従えば、経済は倫理なんか
必要ないとおっしゃりたいんですか?
(違いますよね?)
まさに、そこが現代社会の荒廃の元凶
だということにお気づきではないのですか?

 さらに言うなら、あなたは、世の中は政治で
動いていると思っておられますか。
違います、経済で動いているのです。
戦争もまさにそうです。

 政治の裏には、常にそれを望む経済
(お金の力)が動いています。
そこから正さなければ、庶民が住みよい
国など作れないのです。

 あなたの説は、現代社会の問題点を
何ら解決しようとする意図がなく、
建設的な意見とは言えません。
単なる批判に過ぎないのではありませんか?

「倫風」平成21年11月号は、いい記事が
たくさん書かれていると私は思います。

 武蔵殿に反論したついでに、
最新号の要約などを、私のサイトから
転載させていただきます。
(就職前の子どもをお持ちの方は、
手に入れて読まれることをおすすめします。)

(転載引用開始)
 『倫風』は、朝起会(実践倫理宏正会)の
フラッグシップ(旗艦)です。
どのような記事が書かれているか、
「いや夫」が紹介します。
 なお、実物があればそれを読むのが一番です。
もっていない人は、朝起会の頒布があったときに、
快く受け取ってください。

(いや夫要約貼り付け開始)
「格言」P17
 学べば学ぶほど、自分が何も知らなかった事に気付く。
気付けば気付くほど、また学びたくなる。
 アインシュタイン

「倫風宏話」P18
 <タイトル> 今こそ「我も人ものため」に
 <内容>
 現代の諸問題の病根は「利己主義」と「金銭至上主義」です。あらゆる人の営みを「我も人もの仕合わせ」を前提として見直しましょう。ところが最近になって、何度か同じ疑問を寄せられるようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、経済だけは別なのではないか。厳しい経済環境の中で生き抜くには、まず、自分の利益、自分たちの企業の利益を優先しなければ生き残れないのではないか、と言うのです。
 そんなとき、私は「経済」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。「経済」という言葉は「経世済民」という熟語から出たもので、「世を治め、民の生活を安定させること」なのです。だとすれば、「我も人ものため」は少しも経済の邪魔にはなりません。むしろ、「我も人ものため」では経済が成り立たないのではなく、「我も人ものため」でなければ、「経済」は成り立たないのです。
 それでは、「金儲け」と「我も人もの仕合わせ」は両立できないのでしょうか。これも否です。
 私たちは「我も人ものため」を心掛けて、財を成した多くの人を知っています。また、江戸時代に一代で商いを成功に導いた近江商人たちの経営理念も、「売り手よし、買い手よし、世間よし」(売り手と買い手の双方に利益があって、世間のためにもなる)という「三方よし」の心構えでした。
 先に、利己主義と金銭至上主義が世界中に蔓延していると申しました。自分の儲けのためなら何をしてもいいと思っている人、世の中の価値を金銭の高だけで考える人、すなわち、他を顧みず、「我も我ものため」に金儲けに狂奔するする人々。そうした人々を許す社会が、ついには人の道を踏み外す人々を生み出すのです。
 現在の国際社会は、地球規模の市場競争と地球資源争奪戦の場に成り下がろうとしています。このままでよいのかと問えば、誰もが「否」と答えるに違いありません。では、どうしたらよいのでしょうか。
 経済活動もまた、「我も人もの仕合わせ」を目指して行わなければならないのです。

「時代を読む」P
 <著者>斎藤孝 明治大学教授 著書『声に出して読みたい日本語』他
 <タイトル> 身体の中心感覚が根本的な自信を生む
 <内容>
 最近の若者は体力が落ち、腰がすわっていない。中心感覚を喪失している。身体感覚は強い自己肯定力の根源である。脳だけでは、問題は解決しない。幼い頃からゲーム系のバーチャルな遊びで育った若者は、人と関わる、坐る、立つという根本的な形が軒並み崩れているのである。
 現代の若者が、すぐにキレて堪え性がないのも、身体感覚を通した自己肯定力がなく、他者と距離感覚をもって触れ合うコミュニケーション能力がないからだ。日本を活性化し、健全化するために、今、「腰肚文化」を再評価し、身体感覚を取り戻して、再び伝承していく方策を練ることが、大切なことだと、私は確信している。

「特集」
 <テーマ> 若者と仕事 -現在の就職事情を通して考える

 <著者1>作家 塩野米松
 <タイトル> 仕事で身につける倫理観と役割意識
 <内容>
 昔は職業の場が倫理観と社会人としてのあり方を磨く場だった。職人は使い手に喜んでもらえるいいものを作るためには、日々努力して自分の体と技と勘を鍛え続けることしか考えていなかった。職人気質というと、孤独で頑固というイメージを持つが、職人の世界はもっと柔軟で懐が深い。職人はさまざまな人との付き合いがうまくできて、はじめて職人としてやっていけた。社会の中で助け、助けられて生かされていることを実感していた。しかし、高度経済成長が始まり、多くの人が会社員になるようになり、基本的な職業観が薄まってしまった。さらに、コスト削減と能率向上が追求され、徒弟制度で培われた伝統的な職業観は加速度的に崩壊へと向かった。今、かつての職業観や倫理観を学校や家庭の教育だけで子どもたちに植えつけるのは不可能です。また、子どもの父親や母親の世代は、すでに手仕事の職業観から離れています。その世代の親が自分たちの実践していない倫理や生き方を子どもに説いたところで身につくはずもありません。人と職業のあり方が、このままでいいなどと思っている人はいないでしょう。やがて、人々が生き生きと働けるような新たな職業観が生まれてくると思います。それがいつになるかわかりませんが、私たちにできることは、職業観不在の時代にあっても、今、目の前にある自分の仕事に誠実に前向きにコツコツと取り組むことではないでしょうか。

 <著者2>フリーライター おばたかずゆき 著書『会社図鑑』他
 <タイトル> 仕事の中で自分が見えてくる
 <内容>
 まずは仕事を覚えろ。早すぎる職業選択は危険。仕事について考える機会はあってもいいが、しかし、好きなことを仕事にできる人間はごく一握りである現実も同時に教えるべきだ。何の職業経験もない者に『何の仕事に就きたいか』と結論を出させるのは順序が逆だし、やりたい仕事につかない子を追い詰めるだけである。なお、就職に関して世間的イメージと実態が大きくかけ離れている点がある。ここ最近、就職は『学歴より人柄』『学歴よりコミュニケーション能力』といった建前論が強くなり、多くの人は『そうかもしれない』と漠然と感じているようです。実際には、大企業の新卒採用では昔も今も一貫して大学名が重視されています。懸命に勉強してワンランク上の学校に入ることが、職業人生の選択肢を広げる。この構図はむしろ強まっています。ですから、親は子どもが勉強好きならサポートする。勉強が苦手な子なら手に職をつけることの強みを教える、基本は見守る姿勢で、ときには毅然と。こういう親時代の価値観は今でも通用しますし、それ以上の強要を大人は子どもにすべきではありません。

 <著者3>マーケティングアナリスト 三浦 展 著書『下流社会』他
 <タイトル> 「好きなこと」より「できること」
 <内容>
 子どもに『将来は自分の好きなことを仕事にしなさい』とアドバイスするのは大人として無責任だ。大人自身に確固たる価値観がないから言っているにすぎないのではないか。私は若者に対して「仕事はすきなことをやるのではなく、できることをやれ」とアドバイスしている。だいたい、何がなんでも好きなことを仕事にしようという人は『やめろ』『無理だ』と周囲がいくら止めても聞きませんよ。それ以外の人は、好きなことは趣味でやればいいんです。仕事とは社会や他者のニーズに応えることであり、それができた時、はじめて対価(お金)をもらえる。この法則をまず教えるべきです。若者の生きる力、生活能力の低下が指摘されているが、危ない遊びから子どもたちを遠ざけ、家の中で遊ばせて、生きる力を身につける場を子どもたちから奪ってきた大人の責任です。
 小学校から中学校、高校に上がるにつれて、授業についていけない子どもが増えてくるのは周知の事実の通りです。でも、そういう子でも入れる高校や大学があるから勉強しないし、職業訓練もしない。われわれは、高校生一人当たりに年間約七十万円の税金を投入しています。職業専門学校を作ってそこにその税金を投入すれば、子どもたちは無料で職業訓練を受けられるようになるのです。そうすれば勉強が不得意なのに無理に大学に進学して貴重な若い時間を無駄にすることもありません。満十七歳で社会に出て働けますから、フリーターも少なくなる。また、これからは、学校だけでなく、地域も協力して職業体験の時間を増やすべきです。

 <著者4>教育社会学博士 本田由紀 著書『「ニート」って言うな!』他
 <タイトル> 就職難の社会構造を変革する
 <内容>
 私たち大人は、若年労働市場の現状を正確に把握し、その改善を急ぐ必要があります。労働市場は厳しさを増し、不自然に歪んで、社会不安の元凶となりつつあるからです。フリーターに対して、夢を追って現実から逃避した甘ったれという見方をする人が多いですが、フリーターが急増した一番の理由は、学校経由の就職という従来のシステムが機能不全を起こしたからです。かつて、学校と企業はパイプラインのようなもので結ばれていて、学生や生徒はこれに乗って正社員になったのです。しかし、バブル崩壊後、パイプは一気に細くなり、そのルートから外れた若者はフリーターにならざるを得なかったのです。今は完全に、学校経由の就職ルートに乗れる学生(正社員)と乗れない学生(非正社員)のダブルトラック(二重)構造になっています。ようやく正社員になったからといって、幸せで安泰かというとそうでもありません。サービス残業や過重労働を強いられ、身心ともに疲れ果ててダウンする若者、退職する若者がうなぎ登りに増えています。
 若年労働市場を健全化するためには、社会全体で取り組まねばなりません。行政は、若者が学校や職業訓練校で職業能力を形成できる機会や制度を大幅に拡充整備すること。また、労働法など法的な知識を習得させることも大切です。
 企業は、目先の利益に縛られず、長期的視野に立って正社員・非正社員の敷居を低くし、いずれについても職業能力の形成とそれに見合った処遇の向上を目指すことです。

(いや夫の要約貼り付け終了)

 あ~疲れた。
すばらしい内容ばかりですので、
要約するだけでも大変です。
(今後要約を続けていくかどうかは、
不明です。)
 就職現場の状況や識者の意見は、
子どもを持つ親が必読の内容だと
思います。

 ぜひ、こんな素人の要約ではなく、
本物の『倫風』を読んでみてください。

 『倫風』とネットの書き込みの大きな
違いは、建設的であるかどうかだと思います。
批判だけなら誰でもできるんですよ。
(私やネットゴラムの皆さんでも)
しかし、ではどうすればいいかというと、
それを示すのは、何十倍も難しい作業です。
『倫風』は、ちゃんとそれを訴えています。
それを世論とし、政府に実行させることが
できるかどうかです。

 なお、今回の『倫風宏話』と同じことを
私は副島氏の本でよく読みました。

 現代社会を覆い尽くしている金銭至上主義
は、ユダヤ金融資本家たちの行動原理である
「合理」(ラチオ)です。
 「合理」を根本原理とすれば、今のような
社会になってしまうのは当然です。
私たちを支配しているのは、政治ではなく
経済です。そして、知らぬ間に「合理」に
よって支配されているのです。

 それに対して、副島氏は江戸時代の学者
富永仲基の「誠の道」こそ、これに対抗
しうる思想だと絶賛しています。
(『時代を見通す力』より)

(引用開始)
P114 どうやら、この「誠の道」というのは、
真面目に働いて、よい商品(製品やサービス)
を作って、これに正しい利益を乗せて、人々
にそれを売って、サービスを提供して、世の
中の役に立って、人々に喜んでいただいて、
それで暮らすという商人(町人)の生き方
である。そういう堅実でまっとうな生き方を
しろといった。この富永仲基の思想こそは、
まさしく松下電器産業(現パナソニック)の
創業者松下幸之助氏に受け継がれた優れた
生き方と思想だろう。
(引用終了)

 松下幸之助のような日本的な考え方が、
ユダヤ金融資本家の「合理」に対抗しうる
道だと説いています。
会長先生が書いた近江商人の「三方よし」
と同じ思想です。

追伸
 会長先生の言葉を要約したり、付け足し
をしたりすることは、朝起会実践者はおそれ
多くてできません。神のようにあがめたて
まつられています。
 しかし、私は部外者なので、優れた思想家
として紹介し、自分なりの解釈も付け加え
させていただきます。
(転載引用終了)

「いや夫」様
一度にずいぶんと一杯書き込んでおられますね。
リンク先もすべてご自分のブログのようですが 「朝起会」でぐぐって上位にくるようにとご自分のブログの宣伝に来られたのですか?
私には 貴方様は 宏正会でよく批判されている 自分さえ良ければいいという「自分勝手」「自己中心主義」のように思えます。
宏正会の教え自体は確かに良い教えだと思いますが、良い教えだからといって強引に人様に押し付けるのはどうでしょうか。
この「強引に」という所に 勧誘される人にとっても またこのように強引にでも勧誘しなければならない会員さんにとっても多くの批判があるのではないでしょうか。
この「強引に」ということは 宏正会自体に問題がある事と思います。
お誘いに来る人は宏正会のいい所ばかりを宣伝しますので 宏正会を知らない人に宏正会の本当の姿を知っていただくためには ネットでの宏正会の批判も有用なことではないかと私は思います。
このブログでは「太陽神」様や「武蔵」様を始めとする方々が「どうしてなのか」という所まで掘り下げて教えて下さっています。
宏正会を知るためにこのブログはとてもいい資料を提供してくれているなと私は思っています。
「いや夫」様は 奥さんが嫌々している朝起会を疑問を持ちながらも擁護しているようですが 貴方様のような長い長い「つぶやき」は貴方様のブログだけにしたらどうですか。

「いや夫」さん
貴方の書き込みは長文の引用ばかり。 ウザくて読む気しないよ。言いたい事をご自分の言葉で短くまとめたら。
それと 先の「匿名」さんも言っているように ご自分のブログの宣伝のためにこのブログを使うのは自分勝手だよ。奥さんのしている宏正会の倫理を擁護するんだったらご自分も実践したら。
「言うことは立派でもご自分は・・・」というのが会員への批判である事もよくご承知のはず。


匿名様
 
 コメントありがとうございます。
「自分さえよければそれでよい」通りの
人間です。
本来なら進んで朝起会に望む妻と、
一緒に朝起会の実践を行う夫婦なら
よいのですが、そのレベルの人間では
ありません。

 朝起会をいやいやながら実践している
(修行ですから大変なのです)妻が、少しでも
気持ちよく頒布に迎えるよう、朝起会肯定派の
意見をネットで述べようというだけです。
自分では、援護射撃のつもりですが、
逆に反感を買うだけかもしれませんね。

 宏正会の本当の姿とおっしゃいますが、
何をもって本当とされるのですか。
まさか、ネット上の投稿=本当と仮定されて
いるだけではありませんよね。

 私は、ネット上の投稿は虚実あいまじった
もので、決してネット上で本当の姿など
わかるはずはないと申し上げたい。

 私と私の妻の知る範囲での宏正会が、
私にとっての「宏正会の本当の姿」で
あって、会の発足時がどうだこうだとか、
財務情報の開示が足りないだとか、
その程度の話は、重箱の隅の話題としか
考えておりません。

 

テラ様
 
 コメントありがとうございます。
「匿名」様へ返事した通りのへたれです。
朝起会の教えを実践できるほど、徳の高い
人間ではありません。
しかし、朝起会の教えが間違っているか
どうかはわかるつもりです。

 自分のブログを宣伝する意図もあって、
こちらにて投稿させていただきます。
ネットゴラムの相手を、自分のブログで
するのは疲れるからです。

 その程度の人間です。
長文は、自分のブログを貼り付けた
省エネ投稿です。
反論される意図をしぼろうと、事前に
自分の考えを投稿させていただきました。
(引用ももちろん使いますが、ほとんどは
私の言葉ですよ。といっても、一個人の
私見なんて、誰かの言葉の寄せ集めに
すぎないのも事実です。)
反対派の人は、さっと流し読みしてください。
私も反対派の意見は、「口ばっかじゃん」と
ささやきながら、流し読みしております。

匿名様へ追伸

 「強引な勧誘」については、私も思うところがあります。
すでに投稿した記事で、下記の部分が相当します。
以下の記事には共感してもらえますか?

(引用開始)
4 しつこい頒布活動への苦情
5 半強制的な入会のお誘い
6 親ががんばらないと不幸が起こる
  などの脅し

 すべて会長先生が戒めていることばかり
のはずです。慎まねばなりません。
もしもですが、会長先生がそう言いながら
裏で幹部等にはっぱをかけているようなら、
私はこの会と縁を切りたいと思います。
 そうではなく、末端会友が普及をすすめ
たいがための悪弊であることを祈ります。
そうだとしても、もうそんな勧誘はやめましょう。
倫理に反する行いです。
苦情はネットで公開され、自分たちの首を
占めるだけです。
さらに、その苦情の投稿は永遠にネット上に
残り続け、消えることはありません。

 関連記事
http://58807828.at.webry.info/200909/article_6.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_9.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_12.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_17.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_20.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_21.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_25.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_28.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_47.html
(引用終了)

 と人に読んでもらうのは、ブログの順位を上げたいからでは?

 その通りです!!

 だって、「人生反面教師」様や
例の2ちゃんねるが、ぐぐって上位なんて
あり得ないでしょう。
まあ、しょせんネットはそんな世界ですが(笑)

 ちなみに、ネットで肯定派になった手前、
最近は動員に快く応じています。
今日もある会に参加してきました。
あなたは、どんな実践をなさっていますか?

 でも、私はあくまで部外者です。
なぜなら、
「人の悪を言わず 己の善を語りません」を
実践していないからです。

「いや夫」様に一言。
「いや夫」様は 会長が戒めているにもかかわらず どうして宏正会の会員さんが しつこい勧誘や強制的な勧誘をしているのかを考えたことがあります?
会員さんも本当の所はこのようなことはしたくはないでしょう。
どうして?倫理社会創建のため?
奥さんに一度聞いてみたらいかがですか。
まだまだ宏正会の仕組みについて あまりご存知ないようですね。

テラ様へ

 いわゆる裏の教えという奴ですね。
「武蔵」様のコメントから引用します。

(引用開始)
前回 小生は、他の新興宗教と同じように 宏正会にも「表の教え」と「裏の教え」があるとした。
「表の教え」とは、会長が自分の著作や『倫風』に書いたり 大会などで多くの会員に演壇している教えである。
「裏の教え」は、会長自ら文字で残したり会員の前で指導したりはしない。問題になった時に「会長はそのような指導はしていない」と言い逃れを作るためである。「裏の教え」は、裏のルートで会の幹部から地区の幹部へ そして各会場の幹部へと伝えられる。一般の会員へ伝えられるのは各会場の幹部を通してである。このように裏のルートを通して伝える事で 批判や非難が直接会の本部や会長に及ぶことを防ぐのである。

(引用終了)

 テラ様は、こういう記事を読んで、それが真実
だと判断されたのでしょう。
私は、ネット上の記事はそのまま信じることは
いたしません。
出典を示さない卒業論文みたいなものです。
そのようなものには、何の価値もありません。
(本当の会友さんの苦労話などは、読んでいる
と何となくわかります。同じように、これは作り
話っぽいなあと読んだりもします。)

 「武蔵」様か「テラ」様が会長先生より直接
そのような指示を聞いたのであれば、
それは一次資料です。
録音テープをユーチューブに投稿してください。
それで、この不毛な討論は解決します。
「武蔵」様や「テラ」様が最高幹部だとは
思えませんが、ちがいますか?

 もし、ネット上の記事をそのまま鵜呑みに
されているとしたら、自らの洗脳されやすさ
についても振り返ってみてください。

 私としても、集まったお金が無駄なことに
費やされるばかりなら、この会を擁護しません。
倫理普及のために、清濁併せのむ資金が
必要ということであれば、許容いたします。

 自分のブログでまじめな記事を書くのは正直
言って疲れます。
しかし、掲示板はネタが多くて楽ですね。
勝手に書き込みを続けさせていただきます。

 さて、ここに投稿をされている方は、
どのうな動機をお持ちでしょうか。
自らその経緯を明かしている方の話は、
背景がわかるだけに、すんなり理解できます。

 私の場合は、妻が朝起会をがんばって
(くれている、家族や夫のために)妻を応援する
意味で朝起会肯定意見を書いています。

 「鯰の髭は4本」様、「虚無僧一路」様、
「さくら」様、「倫」様など、実践を通して学ばれて
いる方が討論の中心におられるときは、
読んでいて勉強になりました。

 しかし、2009年3月24日に、
自称「太陽神」氏が投稿するようになり、
「武蔵」様もがんばるようになって、掲示板は
否定派が優勢になったようです。

 さて、自称「太陽神」氏や、「武蔵」様は、
どんな動機で投稿されているのですか?

 「いや夫」の予想
1 通りすがりの旅人
2 朝起会会友ながら評価されていない方
3 他の組織(たとえば「裏切られた」組織や、
  他の宗教組織)の一員

 私の予想は、3かな?
 本当のところをお伺いしてみたいところです。

(追伸)
 朝起会の「会長先生」という呼び方が
カルトっぽいとの批判を読みます。
では、自称「太陽神」はどうなのでしょうか?
所詮ネット上ですから、どんなニックネームを
使おうと自由ですね。
(そう言えば、自称プロサーファーもいました。)
しかし、自分で神をつける人の話など、まじめに
読むほど私は人間ができていません。
 「太陽神」様とか呼んで、ヒーローのように
おだてている方々が多いとお見受けしましたが、
「神様」と呼んで喜んでいるのですよ。
 あなた方の方がよっぽどカルトっぽくありませんか?
 どうぞ、新興宗教でも開いて、世のため、人の
ために何らかの貢献をしてください。

「いや夫」 いつまで一人でダラダラと続けるつもりだ。
ここはお前のブログではなかろう。イイカゲンにしろ。

究明団様
 
 「太陽神」氏や「武蔵」様にも同じように
批判してください。
自分の考えと同じならOK。
違うならイイカゲンにしろですか?
あなたは、どのような背景ですか?

「いや夫」 お前さんはダラダラ ダラダラ 一日でどれだけ落書きしたと思っているんだ。
よく読んでみろ。
「太陽神」「武蔵」両氏は 何日もかけて反応を見ながら対話しながら書き込んでおられる。決してお前のような一人よがりなものではない。
内容も月とスッポンだ。それに 第一お前さんは両氏の書かれたものを理解できていないようだ。的外れな批判をしている。
まー お前さんの書き込みは 恥じ下もなく世間に自分の馬鹿さ加減を披露したようなものだな。
それに お前さんは一応宏正会を擁護しているようだが 返ってお前さんのお陰で宏正会の品位というものを落としたんじゃないのか。
もういい加減にして 自分のブログでブツブツつぶやいていろや。

インターネット内の情報は信憑性が低いとされるのは、校正や検閲がないからだろう。

しかしながら、その意味では実践倫理宏正会の発行する諸書籍類も自費出版(自社出版)故にまったく同じ事が言えるはずである。

汚い言葉だろうが稚拙な言葉だろうが真実が記されている事もあるし、いくらきれい事や偉そうな事を書き並べても書き手の人間性は実際の行動に表れるのだ。

基本的な内容はほぼ盗作(だそう)で、まともな自費出版では元が取れない(売れない)から、(会員に何冊も買い取らせるという)ベストセラーシステムを作り上げたうえで、やっと独自の偉そうな事を書き並べてるだけではないか。

「武蔵」氏の経済についての事柄から阿呆な反論が飛び出したが、上宏に関しては全くもって日本という国や世の中をどうこう言える立場に無い。
先ずは自ら会長を務める会のやっている事を見つめ直してみろ。

何故、『倫理の実践』が『社団法人実践倫理宏正会発展の為の行動』に置き換わってしまうのか。

学んだ『倫理』を『実践』をする為には毎日朝起き会に出席したり、昼間布教(頒布)活動などしたりしていられない場合があるのに、会員の一人でもそのようなまともな事を後輩の会員に伝える事はあるのか。

仮に当該法人の発展のために行動する者が『倫理の実践』なのだとしたら、何故毎日朝起き会に通って、毎日布教活動をしているような『優れた実践者』は参加費を払って大会に出席するのに、たまにしか朝起きに行かず、布教活動もしない議員連中が来賓扱いなのか。

要は、権力に迎合または権力を利用して、(貧しい)一般市民から金を巻き上げる為のシステム構築をしているだけだ。

実際、上宏は本を書く事や講演以外に何をしているというのだ?(己の善は語らない?まったくよくできたお題目を作り上げたものだ。)
それらが日本の為になっているとも思えないし、ましてやいくら自分の懐が痛まない(会員に買い取らせる)からと言って売れない(読み手のいない)本を無駄に何冊も刷るってのは"物の無駄"ではないか。

ここを訪れた方々にはよくよく考えてみて欲しい。難しい事は何もない。

上宏はただの一法人の会長で、謳い文句は立派だが、その実、会の活動内容は矛盾だらけで、集金方法は極めて黒に近い。

究明団様

 ながながと書いたのは、このブログが批判派によって、長い期間朝起会の悪評を流し続けていたことに対して一刻も早く反論をしようとする意図があってのものです。朝起会を肯定する私の立場上、正当な権利と思います。そもそも、このブログは朝起会を実践する純粋な一会友さんが始めたもの。そのブログに批判記事ばかりを書き連ねる部外者たちの方が失礼なのではないか。百歩譲って、討論の場として当然と言うのなら、新参者の意見も聞いていただきたい。平にご容赦願いたい。
 朝起会実践者は、「人の悪を言わず 己の善を語らず」という教えがあって、最初から不利な立場なのですよ。私は実践者ではありませんので、しっかり批判の意見も述べます。

 「武蔵」様、「太陽神」氏と直接討論したいが、不在のようなので、今までの投稿に対して、私なりの反論を述べる。

 会長職の世襲制について
 これだけの規模の会を維持するには、この会を創り上げた家が継いでいくことは何の問題もない。本会では、現会長こそ適任であり、部外者にとやかく言われるゆわれはない。会友が尊敬していることがその証明である。三代目世襲については、まだまだ先のことなので、そのときにどれほどの人格を有しているかで、的確かどうかは、その時点で判断されれば良い。真意も不確かな断片的な情報でとやかく書くのはいかがなものか?部外者はだまっていなさい。
 トヨタもこの危機を乗り越えるために創業家に経営が託された。万国、血統は最重要のファクターなのである。どこの馬の骨ともわからない者がとやかく言うことではない。

 豪邸について
 ことの真意はよくわからない。記事を見ると、所有権は実践倫理宏正会のようである。そこに会長先生が住んでいるのはいけないとのことである。これを首相官邸と考えればよい。セレブであるのは確かである。国のトップクラスを客人としても迎える必要もあろう。会長先生には一流のところに住んでもらいたいという会友の気持ちがそうさせている面もある。
フィットネスクラブ、ベンツ、ゴルフetcの批判記事もあるが、それが会の代表としては当然の待遇である。庶民がひがんでもいたしかたない。
(愛知県に来たとき、ともかく一流のものを取りそろえようと会友は迎えている。各県の組織にとっての国賓なのである。)
 ちなみに、日本ではセレブを金持ちで贅沢な暮らしができる人という意味で使う。国際的には名声のある人物のことだ。

 なお、背任容疑でどうのこうの書いているが、豪邸の所有権が上廣家ならば、それに該当する場合もあろう。しかし、実践倫理宏正会所有なのである。何の問題があるのか?三代目会長が上廣家以外から出たら、その方が住むだけである。首相官邸のようなものだから当然のことだ。首相は家賃を払わねばならないのか?実践倫理宏正会にとっては、会長先生は首相以上の存在だ。
 さらには、豪邸の価格が80億円ということも批判の対象とされている。普通に考えればそうかもしれない。私も元経団連会長の土光敏夫氏のような生活を会長がされていた方がよりベターだと思うが、セレブのつきあいが許さないのだろう。
 これは、購入時期がいつかということでも評価が違ってくる。(こういう細かいことは、会友はあまり気にしない。調査好きな「太陽神」氏や「武蔵」様にご協力を仰ぎたい。)
 バブル前の購入であれば、会の資産の投資として良い策であったと言える。
 バブル期に購入したものであれば、資産運用としては失敗となる。
 しかし、そもそも資産運用として購入されたものではないので、どうということはない。
万が一、実践倫理宏正会が解散したときには、会の資産として債権者に分配されるはずである。

 (つづく)
 

ボケ老人様

 ご老人、お年を召された分、もっと丸くなってください。朝起会は長幼の序を大切にし、嫁姑の争いなど起きぬよう、嫁の至らなさを諭す会です。お嫁さんたちが謙虚な気持ちで生活しようと、日々実践につとめているのですよ。
 ネットができるようになり、最先端の情報に触れることができたと喜んでおられるようですが、所詮ネットは仮想現実の世界。倫理とは対極にある世界なのです。
 この掲示板は比較的礼儀が守られています。SNSだからです。しかし、2ちゃんねるユーザーとSNSユーザーが完全に二つに分かれているわけではありません。その両方に属しているユーザーもたくさんいるのです。まだ、ネットの愚かさをご存じなければ、2ちゃんねるをのぞいてみてください。罵詈雑言の荒らしですよ。これからは、その罵詈雑言が現実世界にもあふれ出すでしょう。そんな世の流れに抗しているのが朝起会なのです。
 実生活の場を中心に老後をお過ごしください。
 ネットの情報を元に朝起会を判断しているうちは、会の本質を知ることはできません。ご時間は豊富におありだと思います。「虎口に入らずんば、虎子を得ず」です。あなたの主張が正しいかどうか、お近くの朝起会に参加してみて、自分の目で耳で会を判断してください。
 その際、お願いがあります。
ネット上の投稿すべて(肯定派も否定派)を忘れて、先入観をもたずに参加してみてください。
 私がこの掲示板で憎まれながらも投稿しているのは、ネットで先入観をもたれることがたまらなく嫌だからです。

 世襲せねばならない辛さ

 トヨタを継ぐのは、それほど辛くはないでしょう。しかし、実践倫理宏正会を継ぐことがどんなに責任感が重く、人生を縛るものか想像できますか?
 我々庶民は、プライバシーの権利をもっています。普段誰にも気にされずに、自分の時間を自分のために使うことができる。しかし、会長先生は、常に世間の目を気にしながら、プライベート生活を過ごさねばならないのです。(たとえは悪いですが、芸能人が麻薬に手を出す最大の理由が、プライバシーがないことによるストレスだと思います。)
 会長を継がねばならない上廣家に私は同情し、敬意を表します。天皇家についても、同様だと思います。庶民が思うほど、(名声をともなう)セレブの暮らしは楽ではありません。
 フィットネスクラブ、ゴルフ、ベンツとかそんな批判記事を嬉嬉として書いている人がいて、それを喜んでいる人も多いようです。庶民のひがみ以外の何物でもありません。

(続く)

先入観云々など関係ない。
現実を知った上でネットへ投稿している。

"長幼の序を大切にしている"だと?
私が行ったある朝起き会場では新会員だと言う事で年配者に冬の寒空の中、駐車違反の見張り役をさせていたぞ。
会場内は洗脳候補者の若い奥さん方が暖房でぬくぬくとしていた。

大切にしているのは「今後どれだけ実践倫理宏正会に帰依し、寄付できるか、布教活動ができるか」なのだろう。

2チャンネルも見ている。
その上で、「稚拙な言葉や汚い言葉でも真実を記している事もある」と言っている。

"ネットができるようになり、最先端の情報に触れることができたと喜んでおられるようですが..."
どこからこのような憶測がでてくる?あんたのほうがよっぽど妄想家で恐ろしい。

"2ちゃんねるをのぞいてみてください。罵詈雑言の荒らしですよ。これからは、その罵詈雑言が現実世界にもあふれ出すでしょう。そんな世の流れに抗しているのが朝起会なのです。"
あんたが自ら言っているように、罵詈雑言を産み出しているのが実践倫理宏正会なのだよ。

当該法人の会員は、戦後乱れた日本の教育を正す云々とよく言うのを耳にするが、戦後の教育の乱れが実践倫理宏正会の発展と比例しているではないか。

あほらしい。

「野球の批判をするなら、まず野球を見よう」

 実践倫理宏正会は、「倫理」を「実践」し、「正しく」「宏める」会です。

 対してネット社会は、実践とは対極の口先・指先だけの世界。倫理など欠片ほどしかなく、罵詈雑言が飛び交う仮想(下層?)社会です。

 ネットで実践倫理宏正会の本当の姿を究明するなどということができるわけがない。

 例えば野球について、
「米国で発達した球技の一。九人編成の二つのチームが各9回ずつ攻撃と守備を交替しながら得点を争うもの。攻撃側は守備側の投手の投げる球をバットで打ち、四つの塁を回って得点する。明治6年(1873)日本に伝えられた。明治28年発行の「一高野球部史」以降、訳語として定着したとされる。ベースボール。」
と知ったところで何の意味があろう。
野球を知るには、まず野球を見ることである。
本当に知るためには、プレーをした方がよい。

 さて、ここは「実践倫理宏正会って何?」というサイトである。
 朝起会を批判している方々にお願いがある。
投稿にあたって、朝起会に何回参加された経験があるかを答えてから、批判記事を書いてもらいたい。

 私は自分の立場を明確にして投稿している。
動機は、皆さんも知っているだろう。
私は、批判記事を書いている人々の背景や動機も知りたい。その上で討論したい。
 日本は武士道の国である。(「武蔵」というペンネームもありましたな。)
戦いの前に、名乗りをあげるように、卑怯なまねを恥とする文化をもっている。ぜひ、ご賛同願いたい。

 ちなみに、私の場合なら、
「「名ばかり会友 のべ参加数30回程度」である。

ボケ老人様

 参加された経験がおありとのこと。
その上で、朝起会が長幼の序を大切に
していないとの指摘。何をかいわんやです。
誤った情報ですので、今後、そのような
書き込みは真実ではありませんので、
ご遠慮願いたいと思います。

 あなたの書き込みを読まれた会友さんは
がっかりしていると思います。

 私の参加する会場でも、老若の男性が
駐車場係を務めます。それが、長幼の序に
反することとは気づきませんでした。

 私などが反論するよりも、経験者が答える
方が適切だと思います。

 このサイトをご覧の実践者の方で、
駐車場係をやったことのある方へ

 「ボケ老人」様の「駐車場係問題」に
ついて、ご回答をお願いいたします。

 次に、戦後教育の乱れと朝起会との
相関関係について

 残念ながら、実践倫理宏正会にそれ
ほどの影響力はないと思います。
世情の流れが主原因だと思います。

ボケ老人様へ追伸

 私は聞く耳をもたない人間ではありません。

 貴殿の朝起会が集金機関化しているという指摘については、ごもっともな批判だと思います。
会友数340万人(水増しも含む)もの巨大組織を運営していくためには、財務の問題を抱えざるをえないのでしょう。
お金の問題については、私は否定派と実践者の中間に位置する立場です。

 私のブログを読んでいただければ、この点を問題視していることはご理解できると思います。
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_27.html

 ただし、否定派と私との根本的な違いがあります。
 それは、あなた方が「朝起会」の目的が「集金」だとおとしめているのに対し、私は、それが「手段」であって、「倫理普及」の「目的」のために生かされていると考えます。

 「倫風」は盗作か?

 「盗作」とは、出典も示さずに、それを自分の文章として発表することです。会長先生は「引用」をしているのです。表現がまちがっていますよ。
 いろいろな宗教や古今東西の知識から選りすぐりの言葉を集めて何が悪いのですか?
 それをしなければ、単なる馬鹿でしょう。
 私の文章もあなたの文章も、いろいろな本を読んだり、新聞を見たり、テレビを見たり、人から聞いたり、ネットで見たりしたことを元に、さも自分が考え出したように書いているだけです。自分の言葉であっても、純粋には自分の言葉ではないのですよ。
言い方を変えれば、私たちはあらゆる情報に洗脳されて生きているのです。
 ネットにウエイトを置く人もあれば、本にウエイトを置く人もある。その違いだけです。

 会長先生は、毎月原稿を書かねばならない。それをすべて自身の経験と考えだけで書けということですか。書けはするでしょうが、一個人の私見に過ぎなくなってしまいます。
 会長先生も倫理の実践者の一人として、この世に生きる(生きた)すべての者から学び続け、我々の生活に即した「倫理」の種を探して示しているのです。

 二千年以上も前に亡くなった一個人の言葉だけをありがたがって毎週読んでいるよりは、より生活に身近だと思いますが、いかがですか?
 

 最近やけに張り切っている「いや夫」です。
反対派の方々には、気分が悪いかもしれしれませんが、おつき合いください。

 以下は、先ほど自分のブログに書いた記事です。
反対派の方々は面倒くさくて読みにこられないと思いますので、引用させてください。
 反対派にも、肯定派にもよびかけたものです。

(引用開始)
「現場を見てもらいましょう」
<< 作成日時 : 2009/10/12 05:59

 「実践倫理宏正会って何?」のサイトでは、
反対派が圧倒しています。
今は一次的に「いや夫」が反撃に出ていますが、
そのうち、「炎上」してしまうかもしれません。

 「炎上」という意味がわからない方へ
(引用開始)
 炎上とは、ある特定のブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の日記などに、批判的なコメントやトラックバックが殺到する現象。「祭り」と呼ばれることもある。本来のコミュニケーションの場としての機能が果たせなくなり、サイトの閉鎖に追い込まれることもある。企業がブログやSNSを活用する事例が増えてきたが、そこでの対応が不適切であったがために炎上してしまうこともあり、周到な準備と誠実な対応が必要になる。

 インターネット上のコミュニケーションにおいては、相手の外見や表情、しぐさ、声の調子といった言葉以外の情報が得られないことから、論争が過熱すると感情的になって歯止めが効きにくくなることが多い。そのため、コメントやトラックバックが殺到して“炎上”し、サイトが閉鎖にまで追い込まれるような事態にもなる。コメントの内容が誹謗(ひぼう)中傷や執拗(しつよう)な個人攻撃などに至るケースも少なくない。

 炎上のきっかけは、ブログ運営者の失言や思い込みの強い意見、過激な発言などであることが多い。匿名で書き込めるインターネット上の掲示板などで、こうした発言が取りざたされ、コメントが雪だるま式に増えるパターンが目立つ。
(引用終了)

 もし、「炎上」したら、ネット社会はしょせん
そんなものだということがわかるでしょう。

 ネットは仮想現実(現実か?)の社会です。
「倫理」が「実践」される場ではありません。

 ネット社会と関わりをもたない実践倫理
宏正会は正しいと思います。

 その一方で、裏付けのない誹謗中傷が
渦巻いている状況は、一会友の夫として
捨て置けません。

 言論の自由が保障された場として、
私なりの意見をぶつけていきます。

 さて、私のブログのサブテーマは、
「ネットゴラム」の皆さんを現実社会に復帰
させることです。

 朝起会を批判する人の中で、実際に会場に
参加している人はどの位の割合でしょうか?
案外、参加したこともないくせに、ネット上の
情報を真実だと思い込んで、批判している人が
多いと思います。

 そこで、私は「実践倫理宏正会って何?」の
サイト上で、批判派に対しても、現場に足を運ぶ
(朝起会に集ってみる)ことを呼びかけます。
 自分たちが批判している人たちはどんな人たち
なのか、自分の目で見てもらおうと思います。

 世の中は、人と人とのつながりでできています。
コンピュータの前でわかるほど、世の中はせまく
ありません。

 朝起会がカルトかどうか?
会友がカルト信者かどうか?
見てもらえばいいのです。
(答えは、ご近所の善良なおばさん、おじさんです。)

 初顔の人がちょっとでも増えたら、
ネット経由の人たちかもしれませんので、
よろしくしてあげてください。
(引用終了)

 現場(朝起会会場)の皆さんは、我も人ものためにがんばっている、善良なおばさん、おじさんたちなのですよ。まず自分の目で見てみてください。
日にちはいつでもかまいません。毎朝やっています。飛び込みで大丈夫だと思います。
「朝起会がカルト宗教かどうか見に来た」と宣言されたらどうですか?白い目で見られるか、笑顔で返されるか、会場の案内係次第でしょうな(笑)

 ともかく、一度現場を見てから、建設的な討論をしましょう。

「いや夫」へ
またダラダラと書きなぐっているな。 休日をこんな書き込みで費やしているバカ。「ネットゴラム」とはお前さんのことだ。
最初に言っておくが お前さんは一応朝起会に顔をだしているようだが お前さんの知っている宏正会はほんのサワリ。本当の姿を何も知っていないということを自分でも知らなければならない。
ネットで批判されている事は嘘ばかりだと言っているのは「レイモンド」。お前さんは「レイモンド」と同類のようだな。
「会長の言っている事が盗作か」については 宏正会そのものが「ひとの道教団」と「倫理研究所」の盗作。会長はその教えに添うようなことを言っているだけ。会はそのことを何も言っていない。それどころかこの事についてはタブーとしている。
会がどのような反応をするか 一度お前さんの行っている朝起会でこのことを聞いて見るといい。
「会長の豪邸」については ネットで公表されるまではほとんどの会員は知らなかった。いつの間にかこのような豪邸を建て 30年間表札に「上廣」と掲げ自宅として住んでいた。これは私物化であろう。首相官邸に例えるような代物ではない。そして会長は小細工をして自分のものにしようとしている。
それでいいという者はそれでも結構だが 会長に不信感を持った者もいよう。世間に倫理を説いている会長はより一層私生活についても世間に不信感を与えないよう努めなければならないはずだ。

  

究明団様

 おつき合いありがとうございます。
「会長先生自宅は首相官邸に相当する」というのが私の私見ですので、それに対する反論は、そういう意見もあるのだなと、お聞きするだけにしておきます。

 土地の私有化(名義変更)については、私は詳しいことは専門家ではないのでわかりませんが、過去の投稿に指摘されている通り、「売買」ではなく「等価交換」だと理解しています。
 ただでもらったわけではなく、「等価交換」されたはずなので、その点まで究明しないと、片手落ち(両手落ち)だと、私は判断します。

15年間会友をしています。

 ボケ老人様

「私が行ったある朝起き会場では新会員だと言う事で年配者に冬の寒空の中、駐車違反の見張り役をさせていたぞ。
会場内は洗脳候補者の若い奥さん方が暖房でぬくぬくとしていた。」
 の件についてですが、新会員だからではなく、男だからだと察します。実践倫理宏正会は、男女の役割というのを大切にします。一年中、駐車場係は男性です。これをもし女性にさせていたなら、男尊女卑の会と批判を浴びることになるかもしれません。なお、駐車場係も奥が深く、決して日陰の仕事とは考えておりません。

駐車場案内担当様

 ご協力ありがとうございました。

ボケ老人様

 朝起会は長幼の序を大切にする会です。すべての会友が知っていることですので、尋ねてみてください。
 朝起会には参加された経験がおありとのことですが、会が訴えていることをはっきりさせるまで、改めて足を運んでみてはいかがでしょうか?根本的な認識が違うままでは、討論になりません。もちろん、強制はいたしません。

反論がないので、コメントを続けます。
(ちょっとしかあけてませんが…。)

 このブログは、「実践倫理公正会って何?」というタイトルが示す通り、この会について有用な情報がたくさん載せられています。

 しかし、知ることが必ずしも正しいとは限りません。このブログを読んだばかりに、朝起会に悪い先入観をもった方がいるでしょう。会友さんの中で、朝起会に不信の念をもたれた方もいるかも知れません。

 私は、ここに書かれたアンチ朝起会情報を全面否定するものではありません。
明らかに会友、または元会友で、朝起会の問題点を指摘しておられる方の投稿があります。組織として、誠実に改善していくべきです。

 一方、ネット上では褒めるよりもけなす方がはるかに簡単です。会友数340万人(水増しも含む=これが問題の一つです)もの巨大組織をたばねるためには、清濁併せのまねばならない場面があるのでしょう。批判があって当然です。これは、政治の世界でも同じです。叩けば、いくらでも埃が出てくるのではないでしょうか。
しかし、ここで問題にされている朝起会の「埃」は私にとって、たいしたものとは思えません。
・会開設時のいざこざ
   「自分が生まれる前だし」
・会長先生の私物化?
   「ちゃんと全部調べてから書いて」
・会長先生の贅沢な?暮らし
   「(本当の意味の)セレブだし。ひがみ?
    なんなら代わりにあなたがやってみる?」
・陰倍加 
 「これはいたいところ。改善しよう。資金は十分だろうから止めればいいのに。ただ、会友はその人の幸せを願って善意でやっているのも事実。会友数に加えなければ、問題にならないと思うけど…。どうなんだろう。」
・強引な勧誘やノルマ
 「その通り。反対。」

 程度のとらえ方です。
会友の皆さん、動揺する必要はありませんよ。
 
 このサイトでは批判派が攻勢でしたが、朝起会の「目的」や「教え」がまちがっているということでは、決してありません。むしろ、「教えは良い」との評価を、批判派もしています。自信を持ちましょう。

 ところで、私は、ネット上の情報を第一資料と考えることに反対です。嘘などいくつでもつけるのが、ネットです。
(朝起会の実践者は嘘をつけないので、不利ですね。ネット弱者です。)

 試しに、私も一つ嘘をつきました。
「駐車場案内係」は「いや夫」です。
わざわざ受け答えしたりする面倒な演出はしませんでしたが、このアホみたいな嘘に感づいた方は何割でしょうか?しょせん、ネットとは、そんなものです。

 私はブログ「いやいや朝起会をつづけている妻の夫のブログ」をもっています。たいしたアクセス数ではないのですが、ぐぐってトップ10入りを果たしました。こちらの討論にも加わる(宣伝する)ようになり、多少アクセスは増えましたが、ネット上で朝起会を検索している人は、思ったほど多くはないという印象です。

 さて、この「実践倫理公正会って何?」の中で、特に否定派の方へ質問です。

 あなた、嘘をついていませんか?
私が今やったような?

「いや夫」という イヤイヤ朝起会に行っている妻の夫が 殊勝にも妻のために宏正会を擁護する投稿を連続的に行っているようである。
これで太陽神 武蔵 その他批判派を逆襲していると思っているのであれば 全くオメデタイ男だ。
特に太陽神 太陽神を受け継いでおられる武蔵 両氏が宏正会について解明されていることは 「いや夫」のような者が10人いや100人が反論してもごうも揺らぐものではない。大人の足元でじゃれ付いている子供のようなものである。真実はどんなに多くの言葉で覆い隠そうとしても覆い隠せるものではない。
宏正会会員の投稿を見ていると 批判に対して何とか都合のいい言い訳を探し出して自分で納得しているように見える。そうでもしなければ自分のやっていることを否定することになり居たたまれない気持ちになるのであろう。
この事を 太陽神氏は「認知的不協和理論」という心理学の知見でもって説明しているが 誠に理にかなった説明である。   


昨日会った女の子、「舐 めまくりたい!!!!!」って言ってたから
よほどし ゃ ぶ り た いんだな(^^;って思ってたら
全身余すとこなく舐 めてきてビックリしたよー( ´д)
さすがに鼻舐 められた時は臭かったけど、
寝てるだけで7 万 ゲ ッ ト出来たし全然問題ありましぇんなwwwwww

http://pamp.gorioyaji.net/2b-4nio/

匿名様

 さすが匿名だけあって、反論らしい反論が何もできませんね。

 私は、反論しやすいように、論点を絞って投稿しています。せっかくなので、私の反論のどこが論理的に破綻しているのか、個別に説明してください。
 また、否定派の意見の引用でも結構ですので、私にもう一度ぶつけてください。

 それと、あなたの朝起会参加回数と投稿の動機や背景も教えていただくとありがたい。(匿名なのだから、別に隠す必要もないでしょう。)その方が討論の重点がはっきりすると思います。

匿名様へ追伸

 「認知的不協和理論」を朝起会も活用しているとの批判はありましたね。

 その通りだと思います。

 会友の皆さん、自分の本心からの「寄付金」「倍加」以上のお金を上納するのはやめましょう。

(私は、本当に朝起会肯定者なのだろうか?)

 ちなみに、私の場合、妻をとても愛しています。
その妻や母が続けている朝起会が悪い会なわけはないと、今でも信じているし、信じ続けます。
(賢明な妻なので「いやいや」なのか?)

 まあ、340万人も組織するには、心理学位勉強しとくのは当たり前でしょう。それが「清濁併せのむ」ということです。結果として、倫理が正され、家庭愛和が広がればOKです。

 たとえは悪いですが、徳川家康は権謀術数に優れた卑怯な男だと思います。しかし、その能力なくして、戦国時代を終わらせ、太平の世を築くことはできなかったはずです。三国志で勝ち残ったのも、正直者の劉備玄徳ではありません。
(別に、先代会長先生が権謀術数に優れていたと言っているわけではありません。人望が厚かったということだと思います。)

 wikiによると、提唱者レオン・フェスティンガー著
『認知的不協和の理論・社会心理学序説』(誠信書房) (1957年)という書籍が日本での初見でしょうか?
 それよりも先に気づくとは、さすが先代会長先生。(もしくは分派前の師匠)

 無知な私は「武蔵」様の投稿で初めて知りました。でも、ネット社会の現代では、かなり知れ渡っているようで、この理論がドラマの中にも出てきているようです。
 『LIAR GAME』(ライアーゲーム)
キャッチコピーは「一億円もらえるなら、どんな嘘だってつけるでしょ。」
あらすじを読むと、おこちゃま向けの荒唐無稽な設定。最近のドラマってレベルが低いですね。(少なくとも倫理的には)

 というわけで、「認知的不協和理論」を知っているだけで博学というわけでもないので、その点は留意しましょう。

(我ながら、だらだらな投稿ですなあ。早く否定派の真打ちが登場しないかなあ?)

言葉を出しさえすれば 勝っていると思っているバカ。
そこらのチンピラと同じ。
「いや夫」=「バカ夫」

小生の書き込みに反応がなかったので しばらくこのブログから遠ざかっていたのであるが ここに来てこのブログが賑やかになっている。
「いや夫」と称する者が これまでの鬱憤を晴らすかのように大量の投稿をしているが 何分膨大な量であるので小生は斜め読みで目を通しただけである。
なにやら小生と討論したいような事が書かれているが 論点が多岐にわたっているので何から始めれば良いのか当惑してしまう。
それでは 「いや夫」殿が最後の投稿に書かれている「認知的不協和理論」から小生の考えを述べることにする。
「認知的不協和理論」については「太陽神」殿が詳細に解説されているので そちらの方を読んでいただきたいが、この理論でもって宏正会の「実践」ということを統一的に説明されているのは卓見といえよう。
提唱者フェスティンガーが この理論を世に出したのは昭和32年であるから 宏正会設立のずっと後のことである。従って初代会長がこの理論を利用するということは不可能であり、また初代会長の経歴からしても学問的な理論を応用すると言った事は考えられない。
心理学の理論と言うものは 経験的なものを実験でもって証明し理論化したものである。従って 「実践の人」と云われる初代会長はこの理論が意味するところを経験的に知っていたと思われる。
新興宗教のマインドコントロールをこの理論で説明されているように 初代会長は「ひとのみち教団」「倫理研究所」時代に学んだのではなかろうか。
このように経験的に行われている洗脳の手段を 宏正会の「実践」に当てはめて説明したのが 「太陽神」殿の認知的不協和理論の説明である。
頒布したり勧誘する事等の実践が洗脳の手段となっていると認知的不協和理論では説明されるが、「いや夫」殿はこのブログで宏正会擁護の発言をする事でかなり洗脳されて行っているものと思われる。

もし 小生と討論したいのであれば 一つの論点に絞っていただきたい。そして説明も簡略化を願いたい。正直言って 貴殿の文章を読むのは苦痛である。


お待ちしておりました。
批判派の中心である太陽神と武蔵殿との直接討論を願っていました。
「認知的不協和理論」については、貴殿の説明に同意します。

 では、さっそく質問をいたします。

 今後は「回答」と「相手への質問」を交互に繰り返しましょう。お互いにネタがつきたり、どうどう巡りになったときに、他のギャラリーも討論に加わっていただくこととして、二人の間では、双方の意見以外は無視をして一対一の討論を希望いたします。
その日の討論を打ち切るときは、
「本日はここまで」もしくは「おやすみなさい」と入れましょう。

<質問>
1 朝起会参加数を教えてください。
2 朝起会を批判する動機を教えてください。
3 貴殿の情報源について教えてください。
4 「会長宅は会友にとっては首相官邸である」説
 (家賃を払う必要もなし)に、ご意見ください。
  *注1
5 「隣接の土地が上廣一族所有(私は未確認)が真実だと仮定して、そうだとしても、「等価交換」の経緯を確認するまでは批判してはいけないのではないかと思う」説について、ご意見ください。 *注2
6 「会長の裕福な(?)暮らしを会友が望むのも認知的不協和理論の一つだなあ」説にご意見ください。 *注3

注1・2 過去の投稿をご参照ください。

 武蔵殿に対しては以上です。

 次にギャラリーの皆様へ
これからの二人の討論を立会人として、しばらく見守ってくださいませんか。
10月13日(火)から開始します。
10月17日(土)までは、助太刀を遠慮願って、18日(日)から皆様にも討論に加わっていただきたく思います。わがままなお願いですが、ご協力いただけたら幸いです。

 関連する記事を、私のブログから引用します。
(引用開始)
 「実践倫理宏正会って何?」で討論中
<< 作成日時 : 2009/10/12 22:28

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 「実践倫理宏正会って何?」というサイトで「いや夫」
として討論に加わっています。

 朝起会を誹謗中傷する記事が攻勢を強めていたので、
反論しているところです。

 どんな会社でも、秘密の一つや二つはあるでしょう。
国家機密だって、無数にありますよ。

 肝心なのは、朝起会の実践者が見ている朝起会と
ネット上で批判を受けている朝起会とのギャップの
大きさです。

 「我も人ものために」がんばっている会友さんの
努力を、口先・指先だけでおもしろおかしく批判する
行為が許せません。私の妻も実践者です。

 ところで、なんで、ネット上に書かれると、皆さん
それを「真実」と鵜呑みにするのでしょう?

 「人類の月面着陸」でさえ疑う私ですから、
その素直さが信じられません。

 (朝起会実践者の誠意ある投稿は、あれで
いいのですよ。相手の批判にあわせて、
けんか腰になるのは最悪です。
その点、倫理を実践されている皆さんですので、
マナーをわきまえた投稿は、好感がもてます。)

 過去の投稿を読むのは大変ですが、
私の得意な妄想によると、同じ人物が複数の
ニックネームで投稿している臭いがプンプン
しています。
妄想でもなんでもないと、自信があります。

 朝起会会友さんで、データ分析が得意で、
時間の余裕のある方がいましたら、
特に否定派投稿意見について、
「投稿時間」「投稿日」「投稿者」で簡単な
表を作ってみるとおもしろそうな気がします。

 私の妄想では、AとBとCとDが同一人物かな?

 ぜひとも、A~Dの皆さんと、「同時」に討論して
みたいものです。

 それと、ネットユーザーって若者が中心なんですよ。

 偉そうにしているから、目上だとは思わない方がいい。

 おこちゃまほど、えばるのがネット社会です。

(引用終了)

武蔵殿へ追伸

 注3をわすました。

 注3
 会友はこんなに私が打ち込んでいる会の会長先生だから、セレブの暮らしをして、首相や国賓とおつきあいをしてもらいたいと願っています。

武蔵殿

まだ返信がないようなので、
すいませんが、先に寝ます。
私は、本日はここまで。

「武蔵・太陽神」様はお相手になられないでしょう。

昨日 「いや夫」殿は小生の返信を待っていたとの事。知らぬとはいえ貴殿に失礼をしたようである。
これまでの小生の投稿を見ていただければ分かるように 小生は一日に一度しか投稿しない。そして次の投稿も 翌日の時もあるし数日後のときもある。小生の投稿が連続しているように見えるのは他の者の投稿がないからその様に見えるだけのことである。これからもこの位のペースではないか思うのでご承知置き願いたい。
貴殿の質問であるが、論点を一つに絞るようにお願いしたはずであるが 1~6を見ると 1~3が小生に関する事で 4~6が会長の自宅、私生活のように二つに分類されるようである。
まず 小生に関する事であるが、ネットでの発言は匿名で自由にモノが言える事がいい所だと思っている(それが悪い事でもあるが)。そういう訳で極力プライバシーを明かさずに自由に発言したいと思っている。小生に関しては 貴殿の質問の意図にかなうかどうか分からないが このブログの7月13日での小生の投稿を読んで頂くという事でご容赦願いたい。
 次の会長の自宅、私生活についてであるが、小生は 会長の自宅に関する事実としては「太陽神」殿の指摘、「東経」殿と「シリウス」殿との遣り取り つまり所謂ネット上の事実以外は知らない。
この件については 客観的な事実とその評価 評価についても法的な評価と我々はどのように受け止めるかという評価とに分けて考えなけえばならないと思っている。
客観的な事実としては このブログで会長の自宅とされる物件の住所 その登記もグーグルの航空写真も公表されていて異論もないようなので事実として良いであろう(もし これが間違いとなると議論の根底がなくなってしまう)。
資産価値も数十億から百億としてもいいであろう。
登記を見ている「東経」殿によると この土地は昭和51年に宏正会名義で取得され 会長の自宅としての建物(宏正会名義)が建てられたようである。それから30年 会長の自宅としてこの土地・建物が使われて来たと言う事になる。
そして会長の自宅の隣接地が宏正会から上廣倫理財団に所有権が移され 平成16年にこの土地を16に分筆されて売買や等価交換で会長名義になっているということである。
法的判断としては このように宏正会のお金で会長の自宅とするために土地を買い自宅としての建物を建てること そこに住み続ける事が社団法人の私物化として背任になるかが問題になろう。
そして 自宅の隣接地を等価交換で上廣倫理財団
から取得したことについては 等価交換として使われた土地をどのようにして会長が取得したのかを一つひとつ調べる必要があろう。
色々と疑惑が感じられるが これら法的判断は専門家に任せるしかない。
この会長の自宅を我々がどのように評価するかであるが、賛否両論があるようである。
「レイモンド」殿の会場では「会員として誇りに思っている」との声が聞かれるようであるし 貴殿は「首相官邸」のようなものであると捉えている。会員は概ね肯定的に捉えているようである。
しかし 小生から見れば これも「認知的不協和理論」による洗脳の結果であると考える。
「認知的不協和理論」とは 二つの違った認知がある時は人間はとても不快で苦痛であるので 一方の認知を変えて他の認知に合わせようとする心の作用である。この場合は 会長は素晴らしいという認知と会長が宏正会のお金で豪邸に住んでいるという二つの認知である。会長がこのような自宅に住むのは悪いとすると 会長は素晴らしいとする認知と不協和を起こしてしまう。それはとても不快で苦痛であるので 会長がこのような自宅に住むのは誇りであるとか 首相官邸のようなものと捉えることによって会長は素晴らしいという認知と調和させているのである。会員でもあまり会長を素晴らしいと思っていない者は このような自宅に住んでいるのは贅沢だと思っても認知の不協和が生じないので会長に批判的な者もいよう。まして会員でない者はどのように思うであろうか。「会費やお祝金をいっぱい出しても会長の贅沢に使われるだけだ」と思うのが関の山であろう。
小生は 「太陽神」殿の結論である「宏正会は上廣家の野望の産物」という視点でもって宏正会を見ているので この自宅も会長の野望の一つの現れと思っている。

 

 武蔵殿 勝手に待っていただけですので、気にしなくて結構です。

 ご回答ありがとうございます。
プライベートに関する質問で恐縮ですが、念のため確認しておきたいと思います。(ご指摘の7月14日の投稿はすでに読んでおりました。)しかし、たったそれだけの理由なのかなあ、裏があるのかなあと思って質問しました。なお、7月14日の貴殿の投稿を引用させていただきます。

(引用開始)
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。もちろん「レイモンド」殿が言っておられるように ネットに載っていることはそのまま鵜呑みにすることは出来ないものであり その裏付けが必要であることも承知しているつもりである。
多くの者が調べ事をする場合 まずはウィキペディアを見るのではなかろうか。「実践倫理宏正会」で検索すると どの検索サイトでも最初にウィキペディアで説明されている。その後は 宏正会批判のサイトのオンパレード。
まず小生が疑問に思ったのは 「宏正会」が戦前の「ひとのみち教団」の流れをくみ 「倫理研究所」から分派したと説明がなされていたことである。小生にはそのような説明は何もなかった。ただ先代先生が原爆に遭われてから将来の日本を思われて宏正会を創設されたと説明されたのみであった。小生は宏正会について何かウサンクサイものを感じ 自分なりに「宏正会」について色々と調べてみた。2チャンネルを始め多くの宏正会批判のサイトがあるが このブログの「太陽神」殿は宏正会の成り立ちを文献に根拠を求めて詳細に説明され また宏正会の問題点を体系的に説明されている。小生はその文献に当たってみたり また実際に宏正会の会員また退会された人から話を聞き、自分なりの宏正会像というものが見えて来た。そこで小生もこのブログをお借りして愚見を披露してみたいと思った次第である。
(引用終了)

 ここから推察した、私の質問への返答は下記のようなものでよいでしょうか。
<前回の質問>
1 朝起会参加数を教えてください。  A 0回
2 朝起会を批判する動機を教えてください。
   A 好奇心と不正を暴きたいとの正義感
3 貴殿の情報源について教えてください。
   A ネット(が中心)+会員、元会員の話
4 「会長宅は会友にとっては首相官邸である」説についてご意見ください。
   A 会友は肯定するかもしれないが、部外者は納得できない。 
5 「隣接の土地が上廣一族所有(私は未確認)が真実だと仮定して、そうだとしても、「等価交換」の経緯を確認するまでは批判してはいけないのではないかと思う」説について、ご意見ください。 
   A ネット上の情報しか知らず、色々と疑惑が感じられるが、これら法的判断は専門家に任せるしかない。
6 「会長の裕福な(?)暮らしを会友が望むのも認知的不協和理論の一つだなあ」説にご意見ください。 (省略)

 なお、6については、会友の気持ちは逆だと思います。(平行線ですので、両論併記で終わりにしましょう。)
会友の思いは 「こんなに偉大な会長先生がカローラなんかに乗っているのは許せない。ベンツにしよう。」です。会友が会長先生に贅沢な暮らしをしていただきたいと望んでいる部分もあるということです。

 次に質問です。
(本当は、「回答」「相手へ質問」としたいのですが?)

 武蔵殿が上記のような動機で朝起会を批判することは非常に迷惑です。貴殿は、「会長は会を私物化し不正を行っている」という論陣をはっておられる。同じような言葉が、貴殿や取り巻き連中から、何度も書き込まれている。上記回答の4~6の様な、未究明のものを不正ときめつけてよいものか。仮に、不正があったのなら、会は大きな社会的制裁を受けることになる。一方、それが法にのっとった行為であり、何もやましいことがなかった場合の自分の責任を考えたことがおありか?
 ネットの様な虚実入り交じった不確定な情報を元に、それが真実だとなぜ言えよう。どう証明できよう。裏付けをとらずに投稿しているのなら、所詮悪評高い2ちゃんねらーと同じである。いや、理路整然とした文章を書けるだけに、会友の心を傷つける罪はより思い。
 そもそも批判の対象である会長先生に会ったことはあるのか?その生の声を(テープでも可)聞いたことがおありか?会長先生の書籍を先入観をもたずに読んだことがおありか?これほど名指しで不正を追及するのであるから、それ相応の真実の情報を得ていなければならないはずである。
 以上、名ばかり会友でさえ、怒りがこみあげてしまった。貴殿は、批判派のヒーローになったつもりであるかもしれないが、あなたの記事のために動揺する会友の気持ちもお察し願いたい。今後は、「書物」や「一次資料」を「出典明記」の上、批判を展開し、法的に未確定のものについては、「不正」などの言葉を厳に慎んでいただきたい。
 口調が荒くなったのは、「人の悪を言わず 己の善を語らない」会友の気持ちを察してのものとご理解ください。

 なお、「会友はいいんです、会長が悪いんです」の逃げ口上はおやめください。会長を心から尊敬する会友にとっては、一心同体なのです。(疑うことしか知らないちゃねらーである貴殿は「洗脳」と片付けるが、そうではない。「心の支え」「運命共同体」のような感覚だと思います。実践者ではないので本当はよくわかりませんが…。少なくとも貴殿よりはわかります。)

 なお、私はネットの情報に頼る人が嫌いです。
私のブログにいろいろ書いているので、そちらもお読みいただけるとありがたい。
http://58807828.at.webry.info/

 以上、再び読みにくい記事ですが、ご回答お願いいたします。

武蔵殿へ追伸(補足)

 補足です。すいません。我ながらだらだらだと反省します。

 会の起こりなどについて、書物で調べ追求したについては、その通りで結構です。(私はこだわっていません。)
 問題は、現在の不正の根拠についてです。
過去の投稿を引用します。

(今回の引用開始)
テラ様へ

 いわゆる裏の教えという奴ですね。
「武蔵」様のコメントから引用します。

(引用開始)
前回 小生は、他の新興宗教と同じように 宏正会にも「表の教え」と「裏の教え」があるとした。
「表の教え」とは、会長が自分の著作や『倫風』に書いたり 大会などで多くの会員に演壇している教えである。
「裏の教え」は、会長自ら文字で残したり会員の前で指導したりはしない。問題になった時に「会長はそのような指導はしていない」と言い逃れを作るためである。「裏の教え」は、裏のルートで会の幹部から地区の幹部へ そして各会場の幹部へと伝えられる。一般の会員へ伝えられるのは各会場の幹部を通してである。このように裏のルートを通して伝える事で 批判や非難が直接会の本部や会長に及ぶことを防ぐのである。

(引用終了)

 テラ様は、こういう記事を読んで、それが真実
だと判断されたのでしょう。
私は、ネット上の記事はそのまま信じることは
いたしません。
出典を示さない卒業論文みたいなものです。
そのようなものには、何の価値もありません。
(本当の会友さんの苦労話などは、読んでいる
と何となくわかります。同じように、これは作り
話っぽいなあと読んだりもします。)

 「武蔵」様か「テラ」様が会長先生より直接
そのような指示を聞いたのであれば、
それは一次資料です。
録音テープをユーチューブに投稿してください。
それで、この不毛な討論は解決します。
「武蔵」様や「テラ」様が最高幹部だとは
思えませんが、ちがいますか?

 もし、ネット上の記事をそのまま鵜呑みに
されているとしたら、自らの洗脳されやすさ
についても振り返ってみてください。

 私としても、集まったお金が無駄なことに
費やされるばかりなら、この会を擁護しません。
倫理普及のために、清濁併せのむ資金が
必要ということであれば、許容いたします。


投稿 いや夫 | 2009.10.10 06:31 午後

(今回の引用終了)

武蔵殿
 以前は、「お仲間」が勝手に相手を制してくれました。しかし、今回はギャラリーに立ち会いをお願いし一対一の討論ですので、ある程度まめに返してください。
 あなたの「お仲間」も、チェックして空振りに終わると残念だと思います。

「本日はこれまで」

「いや夫」はネットを否定しながらネット上で討論したり、自らのブログに誘い込んだり、さすがに実践倫理宏正会支持者。会の教えと実際の活動内容同様、矛盾のかたまりだ。

自らを「今でも月面着陸も信じていない疑い深い人間」としながら、「武蔵」氏の回答の裏を勘ぐり、さらには「疑う事しか知らない」と誹謗する。

あんたが「ネット上での会員の苦労話は読んでいて何となく真実と判る」のと同様に、私には「実践倫理宏正会がらみの迷惑の事実や家庭崩壊の一因になっている等の体験談」は痛い程よく解るのだ。

「いや夫」自らが認めたように、「戦後教育の腐敗と実践倫理宏正会の発展」に相関関係は無いのならそれはそれでよしとするとしても、「それほどの影響力はない」のなら、「お国を興す」様な事は到底出来ないのだから、無意義な存在である。(会員にとってだけ意義のある団体)
「世情」のせいにするようだが、「実践倫理宏正会の組織が巨大化してしまう様な世情」でもあった訳だ。

かろうじて、実践倫理宏正会会員が行なう(主として当該法人批判の根源となっている)「影倍加」や「強引な勧誘」などに対しては「止めた方が良い」というまともな判断ができているのだから、大嫌いなネット上での批判に対して反論するという実践よりも、会の行なっているそれら(不正・不当行為=「影倍加」や「強引な勧誘」)を止めるよう働きかける実践をするべきだろう。

会の内部からそのような自浄作用が働かないから、あんたらが一生懸命尊敬する(しようとしている)会長さんが批判されるのだ。
無論、会のトップとして「入会システムを改善」する等の実践をしないから批判されても当然なのだ。

類は友を呼ぶとはよく言ったものだが、「上廣」にしろ「いや夫」にしろ、よく「自家撞着」に陥らないものだ。よほど自らの言動を省みない人格形成がされているようである。

<再掲>
(引用開始)
 次にギャラリーの皆様へ
これからの二人の討論を立会人として、しばらく見守ってくださいませんか。
10月13日(火)から開始します。
10月17日(土)までは、助太刀を遠慮願って、18日(日)から皆様にも討論に加わっていただきたく思います。わがままなお願いですが、ご協力いただけたら幸いです。
(引用終了)

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_39.html


「ボケ老人」君へ

 疲れるなあ~、君は。
(引用開始)
「いや夫」自らが認めたように、「戦後教育の腐敗と実践倫理宏正会の発展」に相関関係は無いのならそれはそれでよしとするとしても、「それほどの影響力はない」のなら、「お国を興す」様な事は到底出来ないのだから、無意義な存在である。
(引用終了)
 
 謙虚(謙遜して)の発言を、逆手にとっているだけです。いわゆる「屁」理屈ですよ。


 さて、君が何者なのか、わからない。
朝起会に参加したことなどあるまい。
会場には入りにくそうだね?

素人によるプロファイリング
1 太陽神 武蔵殿を崇拝?
2 上記が窮地のとき登場
3 レイモンド氏や高貴高齢者様など明らかにお歳を召し、論の優れた方に対して「ボケ老人」と罵倒
4 朝起会が長幼の序を大切にしていることを知らない
5 朝起会会場については、駐車場案内係さんの様子しか知らなそう
6 ネット上の批判記事を盲信
7 会友の努力・良心を踏みにじっても平気
 (これが一番許せません。)

 以上より、「いや夫」なりに妄想すると、
A 太陽神→武蔵殿のサブキャラもしくは捨てキャラ
B 上記と別人の仲間、同志

 皆様の想像はおまかせします。
このブログで「ボケ老人」「究明団」等でそれぞれ検索してみてください。
(「テラ」ってアマ「テラ」スか?)

 年齢は?
C おこちゃま
D お年寄り

回答例
 A&Cの場合   おこちゃま君 卑怯ですよ。

 A&Dの場合
  一対一で闘いましょう。卑怯ですよ。
  「武蔵」と名乗るくらいなら。

 B&Cの場合
  君のヒーローである武蔵殿は、論客です。きっと「バカ夫」に過ぎない「いや夫」なんかに負けないよ。日曜日まで二人の討論を見守ってね。

 B&Dの場合の場合
  ご老人、過去の私のスレをすべてご覧になってからご投稿ください。あなたがレスするたびに、武蔵殿が疑われてしまいます。日曜日まで、討論に加わることはご遠慮願いたい。あなたもそれなりの論客だと思いますので、何なら、私のブログにて、一対一で討論してもかまいません。一対一の討論でしたら、あなたのコメントを削除するような「卑怯」なまねはいたしません。よければ、その旨我がサイトにてコメント願いたい。この掲示板は、朝起会肯定派が唯一正当性を主張することができるブログにて、ネット弱者の立場もご理解ください。しかし、くれぐれもネットの情報を鵜呑みにされませんように、お願いいたします。お年寄りのあなたなら、会場へ気軽に参加することができ、誰にも話しかけられるでしょう。朝起会会友は敵ではありません。あなたのご近所さんです。ネットの情報に頼らず、ご近所さんの実践者と支持者の意見をこそ、しっかり聞いてみてください。ネットという虚構空間ではなく、あなたのお住まいの街にて、ご活躍されますように。

 なお、卑怯を恥じるはずのお年寄りのあなたなら、こちらへ真摯に回答してからの討論をお願いいたします。
(日曜日以降ここで または すぐに我がサイトにて どちらでも結構です)

(引用開始)
さて、ここは「実践倫理宏正会って何?」というサイトである。
 朝起会を批判している方々にお願いがある。
投稿にあたって、朝起会に何回参加された経験があるかを答えてから、批判記事を書いてもらいたい。

 私は自分の立場を明確にして投稿している。
動機は、皆さんも知っているだろう。
私は、批判記事を書いている人々の背景や動機も知りたい。その上で討論したい。
 日本は武士道の国である。(「武蔵」というペンネームもありましたな。)
戦いの前に、名乗りをあげるように、卑怯なまねを恥とする文化をもっている。ぜひ、ご賛同願いたい。

 ちなみに、私の場合なら、
「「名ばかり会友 のべ参加数30回程度」である。

投稿 いや夫 | 2009.10.11 08:21 午後
(引用終了)

 武蔵殿へ

 じゃまが入ったので、投稿(切り捨て)ました。
ここは巌流島ではないので、当方はひまつぶしが可能(自分のブログを更新)なので、待たされてもいらいらはしません。しかし、「お仲間」はあなたがなかなかみえないので、フライングをされてしまいます。一対一の討論は、土曜日までなので、投稿ペースを少し早めてくださるようお願いいたします。

 

 

 

 

久しぶりに拝見しました。

すごい討論になっていますね^^。
びっくりしました。

みなさまお暇なのですね、みなさまには家庭がないのでしょうか?
家族で過ごす時間をもっと大切にしてください。

それから、人のことなどいいではありませんか。
朝起会員はネット上の批判など、気にしてはいませんよ。
ネット記事を本気にする方は、それまでの人なのでしょう。

みなさま、討論する前に朝起会に行ってご自分の目で見て、確かめてみてはいかがでしょうか?

その通り。頒布だ、お役だ、係だと言う間があったら、家庭で実践しましょう。

「いや夫」殿
貴殿がせかすので小生も大変である。貴殿はまだ始めであるので張り切っているようである。小生も始めは同じように張り切っていたように思うが 長くなって最近は少々気力が失せているように思う。このような投稿はある期間集中して行うものかも知れない。
 小生に関してであるが、朝起会参加を0としているが 朝起会の知人とは10数年来の付き合いであるので朝起会には全部で20回以上あるいは30回ほど行ったことになるのかも知れない。「壮年の集い」にも何度か参加したことがある。支部の会員には何人も知り合いがいるし 以前に地区の幹部をしていて今は朝起会から遠ざかっている者とも付き合いがある。
従って小生は宏正会に関する情報に関してはネットでの情報だけでなく会員あるいは元会員から充分に裏付けを取っていると思っている。
 貴殿は小生の7月13日の投稿の前半しかコピーして貼り付けていない。このように貼り付けるのであれば全部を貼り付けて欲しかった。前半だけでは小生の言っている事が尻きりとなるので 小生が何故このような投稿をしているのかについて述べた 後半を貼り付けることにする。
 
 『小生も今の日本の現状に満足している訳ではなく道徳教育、倫理教育は必要であると思っている。
そのための組織である宗教団体また社会教育団体も必要であろう。しかし今の日本にこのような宗教団体、社会教育団体がどのくらい存在すると思っておられるのか。はっきりとした数字は分らないが 恐らく 数千 数万の団体があるのではなかろうか。宏正会にしても 戦前の「ひとのみち教団」に源があり 「ひとのみち教団」からは PL教団 倫理研究所 自然社なども成立している。また宏正会からは 講師をしていた永池栄吉氏が「スコーラ家庭教育振興協会」というのを作り今では大きくなっているようだ。四国でも宏正会にいた人が別に「倫薫」というものを作っているようである。このように一つの団体からも様々な分派が生じているのである。
このような団体の中には 「オウム真理教」「統一教会」「法の華 三法源」といった団体のように 信者・会員に一応の教えを説きながら 教祖の私利私欲のために作られたもので 社会的に非難されているような団体も多く存在する。
そのような団体であるかどうかは マスコミなどで報道されるまでは 一般には分らないのが普通である。そのためには 新たな被害者を出さないためにも その団体の内実を知っている者が力を合わせてその欺瞞性を暴く必要があろう。
宏正会も 今までは秘密にされていたこと 隠されてきたこと 暗部とされてきたことが ネットの普及により そして多くの人達の努力で続々と暴かれてきた。もはやこれらの批判を隠すことも 押しつぶすこともできまい。小生はこのような情報が多くの人達に共有されることで いま会員である人達のためにも 宏正会は批判されていることは正し、公明正大な宏正会になって行くことを期待するものである。』    
以上が7月13日の小生の投稿の後半部分である。
 
 そして 今回の貴殿の質問である 小生が「不確かな情報でもって批判している」ということであるが、小生の言っていること全部をひっくるめて言っているようなので 何についてなのか 一つひとつ挙げて貰いたい。
会長の自宅に関してなら 確かに小生の情報はネットによるものである。しかし 前に述べたように客観的事実については 住所も登記も航空写真も公表されていながら何ら異論がない。そして貴殿も他の支部の会員もこれを前提としている。貴殿もいまさらこれは会長の自宅ではないとは言えまい。
 政治家とか芸能人いわゆる公人と言われる人は 一般の人よりもプライバシーが制限されている。多くの会員を率いる創価学会の池田会長は公人とされたようなので 宏正会の上廣会長も公人とされよう。公人とされる人は世間の注目を浴びその影響力が強いので私生活についても多くの批判に耐えなければならないのである。
宏正会の会長も公人として多くの批判に耐えなければならない。批判に対しては自らの方で証明しなければならないのである。
小生は 公益法人の私物化として会長の自宅は背任の疑いがあるとしているが そうでないとするなら会長の方でそうでないと証明する必要がある。それだけ公人としての会長は責任が重いのである。まして人の道として倫理を説いている会長ならなおさらこのような疑惑を生じるような事をしてはならないのである。
小生は「宏正会は上廣家の産物」と見ているので(太陽神殿の結論) 陰倍加とか強引な勧誘等の宏正会への批判はすべて会長の責任であり 会員に責任はないと思っている。
 

 

 
 


 武蔵殿 早々の回答ありがたい。過去の投稿から見て、貴殿との一対一の討論が終わった後、貴殿の信奉者が、一斉に私へ批判を浴びせることを予想している。
 今までも、正当な意見を述べてきた論客が、どこの馬の骨ともわからぬ輩に中傷批判され、討論の場から去ることを選んだ。
 
 さて、私は先人の同じ轍を踏まぬよう、武蔵殿に一対一の討論をお願いし、他の方々には不本意ながらも立会人として見守ることをお願いしている。
 こうして武蔵殿と冷静に討論できていることを感謝する。
 2ちゃんねるに比較すれば、高度な討論ができる場だと、認識を新たにしています。

 本題に入る。

 不本意ながら自らのプロフィールを明かしていただきありがたく思う。
 このブログにて、批判の言葉を書くことができるのは、このように朝起会について、一次情報を多数もつもののみである。

 2ちゃんねるの投稿記事や伝聞など、二次情報以下しかもたないものは、批判中傷は厳に慎まねばならぬ。

 では、貴殿のプロフィールについて
 普通の人なら、なるほどそうですかと認めるのが普通である。武蔵殿のファンは、これは頼もしいと思ったことだろう。
 しかし、これを単純に認めるほど、私はお人好しではない。
 「我思う ゆえに我あり」byデカルトの心構えが大切なのである。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_45.html

 「我は貴殿の投稿を読んだ ゆえに我あり」しか確かなことは何もない。
 貴殿を疑って悪いが、相手が嘘を書いている可能性があるからだ。

 元会友などが実在し、今までの本ブログで貴殿が断定したことをネット上で証明していただけることを期待する。ユーチューブをうまく活用されたり、監督官庁に、情報公開を請求して、宏正会の不正件数を調べたりするなど、確証を得た上で批判を展開してもらいたい。本ブログでも、自身の前後の発言を有効に活用しており、うさんくささを感じている。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_42.html

 今回のプロフィールと今までの投稿の整合性を検証していきたいが、しばらく時間をいただきたい。

 「宏正会の会長も公人として多くの批判に耐えなければならない。批判に対しては自らの方で証明しなければならないのである。」のが正しいと主張するなら、その疑惑を本部へ質問状にてただし、その結果を聞いた上でネット上に掲載されたい。
 法律に触れているかわからない状況で、貴殿は宏正会がお金儲けを目的に上廣家が設立したものとの論陣を張っている。
 このような批判ばかりの情報があふれていては、倫風頒布もままならず、有償(お金を出して「倫風」を買ってもらうこともより難しくなる。その分は、会友が負担を追うことになる。

 下記のようなデマが創作され、そのたぐいの投稿を有効に活用する貴殿のようなものによって、批判が何倍にもふくれあがっているのが実態ではないかと考えている。

<関連記事>
二重?ハンドルネームの例
http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html
必見記事! 書きっぱなしは変でしょ 
http://58807828.at.webry.info/200910/article_38.html

では、質問に移る。

<質問>
 私のこのブログで、最初に武蔵殿へ反論した下記の記事に関連して、武蔵殿が考える経済や日本のあり方についてご教示願いたい。
(引用開始)
武蔵殿に異論あり

 このサイトでは新参者ですが、
討論よろしくお願いいたします。

 さて、もっとも発言の活発な武蔵殿の投稿に
対して、批判いたします。
9月29日付、最新号の『倫風宏正』への評価に
ついてです。

(引用開始)
そして 会長は 「我も人もの仕合わせ」と「経済」との関係について述べている。
この説明に、「経済」という語を辞書で引いて 「経済という言葉は経世(国)済民という熟語から出たもので、世(国)を治め、民の生活を安定させること」だ
という意味のことが書かれているはずであるから、
「我も人ものため」と「経済」は関係があり、「我も人ものため」でなければ「経済」はなりたたない。・・・・・としている。
確かに 「経済」という言葉は 福沢諭吉が中国の古典の「経世(国)済民」という熟語から付けたようである。しかし この言葉は political economy から付けたものであり 国の政治 国の経済政策といった意味のものである。economy つまり「経済」とは モノ(財)やサービスを交換する仕組みとか 労働力の交換とされているもので 道徳や倫理などを含まないものである。
従って 「経済」という語がたとえ「経世(国)済民」から来たとしても 中国の古典の意味のように捉えなければならない必要は全くない。この事は「経済」という語ではなくて もし例えば「効率」という語を充てたとしたら と言えば分ってもらえるであろう。レッテルから中身を決めてはならないのである。
要するに 会長は自分の考えを経済という語の成り立ちで補強しているだけであって 経済という語の成立ちが会長の考えに繋がる訳ではないのである。
会長はよく言葉の本来の意味ということで辞書の語源から自説を展開しているようであるが、その言葉の使われ方をよく検討してみないと誤った論理展開になることを知らなければならない。
(引用終了)

 まず、あなたの説はまちがいだと思います。
「経済の語源」でぐぐったトップページ
「語源由来辞典」から引用します。

(引用開始)
http://58807828.at.webry.info/
経済は、古代中国の「経国済民」もしくは「経世済民」の略。「経国済民」「経世済民」は、国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語である。日本では、江戸時代の学者用語に「経済」は現れ、理念的な政治政策の意味として用いられていたが、しだいに経済運営の意味で使われるようになった。明治時代に入り、「economy(エコノミー)」の訳語として「経済」が選ばれ、現在用いられる意味で定着していった。
(引用終了)

 ということで、会長先生のとらえ方が一般的です。
 さらには、武蔵殿が何を言いたいのかが
よくわからない。批判をしたいから批判をされて
いるだけはありませんか?
 最新号(平成21年11月号)の「倫風宏話」は
秀作だと思います。
日本の経済のあり方をもう一度問い直そうと
いうお話です。
あなたの説に従えば、経済は倫理なんか
必要ないとおっしゃりたいんですか?
(違いますよね?)
まさに、そこが現代社会の荒廃の元凶
だということにお気づきではないのですか?

 さらに言うなら、あなたは、世の中は政治で
動いていると思っておられますか。
違います、経済で動いているのです。
戦争もまさにそうです。

 政治の裏には、常にそれを望む経済
(お金の力)が動いています。
そこから正さなければ、庶民が住みよい
国など作れないのです。

 あなたの説は、現代社会の問題点を
何ら解決しようとする意図がなく、
建設的な意見とは言えません。
単なる批判に過ぎないのではありませんか?

投稿 いや夫 | 2009.10.09 07:15 午後

(引用終了)

(引用開始)
「倫風宏話」P18
 <タイトル> 今こそ「我も人ものため」に
 <内容>
 現代の諸問題の病根は「利己主義」と「金銭至上主義」です。あらゆる人の営みを「我も人もの仕合わせ」を前提として見直しましょう。ところが最近になって、何度か同じ疑問を寄せられるようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、経済だけは別なのではないか。厳しい経済環境の中で生き抜くには、まず、自分の利益、自分たちの企業の利益を優先しなければ生き残れないのではないか、と言うのです。
 そんなとき、私は「経済」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。「経済」という言葉は「経世済民」という熟語から出たもので、「世を治め、民の生活を安定させること」なのです。だとすれば、「我も人ものため」は少しも経済の邪魔にはなりません。むしろ、「我も人ものため」では経済が成り立たないのではなく、「我も人ものため」でなければ、「経済」は成り立たないのです。
 それでは、「金儲け」と「我も人もの仕合わせ」は両立できないのでしょうか。これも否です。
 私たちは「我も人ものため」を心掛けて、財を成した多くの人を知っています。また、江戸時代に一代で商いを成功に導いた近江商人たちの経営理念も、「売り手よし、買い手よし、世間よし」(売り手と買い手の双方に利益があって、世間のためにもなる)という「三方よし」の心構えでした。
 先に、利己主義と金銭至上主義が世界中に蔓延していると申しました。自分の儲けのためなら何をしてもいいと思っている人、世の中の価値を金銭の高だけで考える人、すなわち、他を顧みず、「我も我ものため」に金儲けに狂奔するする人々。そうした人々を許す社会が、ついには人の道を踏み外す人々を生み出すのです。
 現在の国際社会は、地球規模の市場競争と地球資源争奪戦の場に成り下がろうとしています。このままでよいのかと問えば、誰もが「否」と答えるに違いありません。では、どうしたらよいのでしょうか。
 経済活動もまた、「我も人もの仕合わせ」を目指して行わなければならないのです。

(引用終了)

(引用開始)
 『倫風』とネットの書き込みの大きな
違いは、建設的であるかどうかだと思います。
批判だけなら誰でもできるんですよ。
(私やネットゴラムの皆さんでも)
しかし、ではどうすればいいかというと、
それを示すのは、何十倍も難しい作業です。
『倫風』は、ちゃんとそれを訴えています。
それを世論とし、政府に実行させることが
できるかどうかです。

 なお、今回の『倫風宏話』と同じことを
私は副島氏の本でよく読みました。

 現代社会を覆い尽くしている金銭至上主義
は、ユダヤ金融資本家たちの行動原理である
「合理」(ラチオ)です。
 「合理」を根本原理とすれば、今のような
社会になってしまうのは当然です。
私たちを支配しているのは、政治ではなく
経済です。そして、知らぬ間に「合理」に
よって支配されているのです。

 それに対して、副島氏は江戸時代の学者
富永仲基の「誠の道」こそ、これに対抗
しうる思想だと絶賛しています。
(『時代を見通す力』より)

(引用開始)
P114 どうやら、この「誠の道」というのは、
真面目に働いて、よい商品(製品やサービス)
を作って、これに正しい利益を乗せて、人々
にそれを売って、サービスを提供して、世の
中の役に立って、人々に喜んでいただいて、
それで暮らすという商人(町人)の生き方
である。そういう堅実でまっとうな生き方を
しろといった。この富永仲基の思想こそは、
まさしく松下電器産業(現パナソニック)の
創業者松下幸之助氏に受け継がれた優れた
生き方と思想だろう。
(引用終了)

 松下幸之助のような日本的な考え方が、
ユダヤ金融資本家の「合理」に対抗しうる
道だと説いています。
会長先生が書いた近江商人の「三方よし」
と同じ思想です。

追伸
 会長先生の言葉を要約したり、付け足し
をしたりすることは、朝起会実践者はおそれ
多くてできません。神のようにあがめたて
まつられています。
 しかし、私は部外者なので、優れた思想家
として紹介し、自分なりの解釈も付け加え
させていただきます。
(転載引用終了)


投稿 いや夫 | 2009.10.09 07:21 午後

(引用終了)

「本日はこれまで」

ここはあんたのブログじゃないんだよ。勝手に仕切るなよ。
「お願い」じゃなくて「強制」だな。

実践倫理宏正会への強引な勧誘を彷彿させるよ。

ボケ老人様

 コメントありがとうございました。
「強制」ととられてもいた仕方ありませんが、
過去の討論が多勢に無勢であったことを
考えれば、単にわがままなお願いだとは
思いません。今しばらく我慢くださいませんか。

 なお、あなたは、知らずに私を応援してくれました。
 人は自分の意見のレスを見たがるものなのです。
自分のコメントは肯定されているのだろうかどうかと。
特に否定されたときには、悔しくてコメントを返したくなるものです。
 よって、我が仮説

「必見記事! 書きっぱなしは変でしょ 発掘(4)」
http://58807828.at.webry.info/200910/article_38.html

の賛成意見に、清き一票をいただきました。

 これから、捨てキャラはなくなり、何度も斬りかかられそうです。武蔵殿の嘆きがわかります。しかし、それ以上の苦々しい思いを、肯定派論客の皆さんも味わったことをお忘れなく。

 私は逃げるのをやめました。
本音で語ります。どこかへ消えた太陽神よりも責任をもちたいと思います。
実は、武蔵殿のプロフィール公開への返答は難しいのです。
 私がネットの情報だけを信じるネットゴラムを批判する根拠そのものだからです。

 相手が言っていることは、嘘か本当か?

 答えは「わからない」からです。

 もし、武蔵殿が嘘をついていたことがばれれば、私の勝ちとできるかもしれません。
 しかし、膨大な投稿のどこにヒントがあるやら。
武蔵殿が真実ばかりを語ったと仮定すれば、矛盾点は見つけられないかもしれません。
 困っています。

 同じように、武蔵殿も困っていただきたい。
自身の前後の、自分に有利な投稿がさくら等ではないのか?太陽神と武蔵殿同一人物説を否定する証明ができるか?

 なかなか、おもしろいテーマです。
タイムリミットまでに結論が出るかわかりません。

 なお、このブログは私のものではないのは確かです。私の登場によって、荒らしが発生し、このブログの高度な討論が途絶えるのは忍びありません。

 私が原因の苦情で、荒らしになってしまうものは、かえってネットゴラムの方々の評判を落とすばかりです。真実の投稿なら、このブログへどうぞ。ただし、それが真実である証明をしてください。(これはできないというのが、私の仮説です。)
単なる悪口は、私のアドレス宛に送ってください。
 tu44@rainbow.plala.or.jp

 (ネットでメールアドレスを公開してはいけません。まねをしないでください。これも一つの実験です。)

 今は討論あい闘う立場ですが、武蔵殿の言われんとすることはわかります。
 ただ、武蔵殿は断定し過ぎる。
弱気な人々は、それだけでそうなんだと納得します。誠に変な世界です。

 嘘はいやなので、一つ明かします。

「なんちゃって会員」は我が妻です。
私が留守の間に投稿したそうです。
この討論やブログの更新に時間を使い過ぎて、家族のひんしゅくをかっています。
土曜日までは、ともかくがんばり、日曜日は家族サービスに努めます。

 皆様と、ここで知り合ったのも一つの縁。

 同じ日本人同志、日本をどうすればよいか、建設的な討論をしたいものです。

 武蔵殿とネットで朝起会の悪評を見聞きしたすべての皆さんへ。

  私は、自分のブログにも掲載した下記の投稿をもって、武蔵殿へ反論します。

 貴殿の大義名分はゆらいでいます。

 あなたのミスを責めるつもりはありません。

しかし、あなたはネットの悪評が生んだ

ヒーローでした。

そして、それゆえに負けたと言えるのでは

ないでしょうか?

 私も疲れています。

ここはいさぎよく武士のあり方を示してください。

なお、もし朝起会が不正をしていたことが

明らかになれば、立場が逆転することは、

重々承知しております。

<関連記事>
必見記事! 「書きっぱなしは変でしょ」を検証したら 発掘(6)

http://58807828.at.webry.info/200910/article_51.html


http://58807828.at.webry.info/200910/article_51.html

実践倫理宏正会の諸問題の病根は「利己主義」と「会の活動至上主義」です。あらゆる人の営みを「我も人もの仕合わせ」を前提として見直しましょう。ところが最近になって、ネットでの批判を目にするようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、実際に行なわれている(実践されている)のは「我も我もの仕合せ」ではないか。厳しい布教活動の中で生き抜くには、まず、自分の倍加数、自分たちの会の利益を優先することが「倫理」の「実践」だと言う様な活動内容をしている会員が多い、と言うのです。
 そんなとき、私は「倫理」とは何か「実践」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。「倫理」という言葉は「共同体における人と人との関係を律する規範・原理・規則など倫理・道徳を研究する哲学の一部門」なのです。「実践」と言う言葉は「主義・理論などを実際に自分で行うこと。"計画を実践(実行・実施)する"のように、実際に行なう意では相通じて用いられる。◇「実践」は理論・徳目などを、みずから実際に行う場合に多く使う」という意味なのです。
だとすれば、「我も人ものため」などと言いながら、非常識な早朝の電話や夕飯の家族団らんの時間に翌日の朝起き会参加確約者獲得の為に電話したり、夫にだまって夫が稼いできた収入から寄付したりするのはいかがなものかと思う訳です。「家族の仕合せの為の勉強」がいつの間にか「会へ参加する事と発展に寄与する事」に刷り変わってしまう恐れがあるのが事実です。むしろ、「我も人ものため」ではなく、「我も会ものため」でなければ、現状の「実践倫理宏正会」は成り立たないのです。
 それでは、「実践倫理宏正会の発展」と「我も人もの仕合わせ」は両立できないのでしょうか。これも否です。
 私たちは「我も人ものため」を実践して、名声を得た本物の哲学者や思想家を知っています。それらの先人達は悟りの道や哲学の追求にこそ人生を捧げたので、いくら弟子達が望もうと清貧を貫き、豪邸等に住んだり、贅沢な暮らしをしたりなどしませんでした。
それを会長自ら実践する事ができればそこではじめて世間から「一法人の会長」としてではなく、「哲学者・思想家」として認められるのでしょう。現在はまだ「哲学者・思想家の研究者もしくは紹介者である一法人の会長」であろうと思われます。
 先に、利己主義と会の活動至上主義が実践倫理宏正会内に蔓延していると申しました。会の発展のためなら何をしてもいいと思っている人、実践倫理宏正会の価値を会員数だけで考える人、すなわち、他を顧みず、「我も人ものため」のつもりで会員集めや頒布に狂奔するする人々。そうした人々を許す会長が、ついには人の道を踏み外す会員を生み出すのです。
 現在の実践倫理宏正会は、全国規模の倍加競争とお祝い金争奪戦の会に成り下がろうとしています。このままでよいのかと問えば、誰もが「否」と答えるに違いありません。では、どうしたらよいのでしょうか。
 実践倫理宏正会の活動こそ、「我も人もの仕合わせ」を実践してもらわなければならないのです。

まさに言うはやすしです。

「いや夫」殿
貴殿はこのブログでの討論をゲームとしているようである。勝手に自分で参加者を制限したり ルールを作って勝ち負けを争うのはゲームである。
そしてABCDとしてAB CDは同一人物とか Aのプロヒールを問題にしたり疑ったり 小生は何のためにこのような面倒な事に神経を使うのか不思議である。これもゲームの勝ち負けのための戦術なのか分からないが 全部匿名であるので投稿された文章だけでその内容を問題にすれば済むことである。
貴殿は小生に対して「批判派のヒーロー」とか「小生の信奉者」といった言葉で評しているが 小生はただ自分の思っている事を書き連ねているだけのことであり 小生をどのように評するかに関心はない。
 そして 前に「レイモンド」殿との討論の時にも言ったのであるが、宏正会について色々と批判することに それを裏付けるしっかりとした証拠を示す必要はないのである。警察に通報するにはそれなりの証拠が必要であろうし 裁判で人を裁くにはもっとしっかりとした証拠が必要であろう。しかし このようなネットでの遣り取りは所詮は単なる風評に過ぎないもの。確かに 批判される宏正会にとっては不愉快な事かも知れない。しかし これは宏正会が悪いのである。ある評判の悪い人物が 巷で色々と噂され批判されるのと同じ事。貴殿がもっと確かな証拠を見せろと言っているのは 評判の悪い人物が批判をしている人を見つけて「それなら証拠を見せろ」と言っているのと同じ事である。例えその場は治まったかも知れないが また同じような批判を繰り返すものであり どうすることもできないのである。
悪評の立った人がその悪評を消し去ることは容易ではないように 宏正会も悪評を消し去ることは容易ではなかろう。同じような事を続けていればもっともっとこの悪評は広がって行くのは明らかなこと。
例えば泥棒という悪評が立った人物がいれば 皆がその人物を警戒するように 風評・悪評も有意義な事もある。宏正会に対する批判も皆が警戒するようになり有意義なものであろうと小生は思っている。また このような宏正会に対する批判が宏正会に対する反省の材料となり 宏正会が変革する契機にもなり得るのではなかろうか。
 貴殿の質問である 「倫風」の「経済」についての小生の考えは次回とする。

 

 ゲームですね。
 しかし、最初にやっていたのはあなた(たち?)では?のべ何十人ものキャラのうち、実在するのは何人ですか?鉄男とか道男(鉄道)とか、現世とか現実とか、いいかげんなニックネームをつけて(ちゃんねらーはいつも「名無し」だから、ニックネームつけるの案外苦手なんだろう)、流れるような展開で。くさすぎます。一目でわかるでしょ。
 本物はわかります。自分の言葉を使えるから。

 聡明?なはずのあたなが、なぜこんなさくらの投稿を使うのか?それとも聡明じゃないあなたが、自分の投稿を補強するために打ったのか?

 どちらにしても、たいした奴ではないということです。
 というか確信犯だと自分で言っています。 

(引用開始)
宏正会について色々と批判することに それを裏付けるしっかりとした証拠を示す必要はないのである。警察に通報するにはそれなりの証拠が必要であろうし 裁判で人を裁くにはもっとしっかりとした証拠が必要であろう。しかし このようなネットでの遣り取りは所詮は単なる風評に過ぎないもの。確かに 批判される宏正会にとっては不愉快な事かも知れない。しかし これは宏正会が悪いのである。
(引用終了)

 風評を作っている張本人がよくもぬけぬけと言ったものである。
 しかし、腐っても鯛。否定派随一の論客であるあなたは宿題を解かねばならない。
 あなたはえばり過ぎました。「倫風宏話」にちゃちゃを入れるのはまずかった。。批判した以上は、それ以上の「建設的な」「武蔵講話」を期待しています。
 期待通りの内容でしたら、今後もぼちぼち批判をしにきます。
 「???」レベルのものなら、まあ、しょせんネットはそんなものと、なるべく気にしないようにします。

 それでは、あともう一つだけ投稿して、「いや夫」はレジャーに出かけます。

 会友の皆さん、彼らを説得するのは不可能です。たぶん、他の宗派の方なのでしょう。朝起会の風評被害を広めることが目的なのです。彼らの中傷に抗議の声を書いても無駄です。ニセの抗議の声もあるでしょう。ニセの「いや夫」が現れるかもしれません。彼らのくさい演技を楽しむのが、このブログの利用法です。

  もちろん、真実の声は、読めばわかります。いや夫が発掘して、我がブログに書き写していきます。

 ネットって変な世界ですねえ?

お時間のある方は、もう少しゲームを楽しみましょう。
課題「同一人物の投稿を見つけよう!」

 ちなみに、「たらこ」「よしこ」が同一人物で会をほめておいて、「どらえもん」がもうやめてもいいですね。など、多少の工夫は見られるようです。

 さあ、あなたはいくつ見つけられますか。

よければ、私のブログで教えてください。


http://58807828.at.webry.info/

 宗教がからむと大変だ。私の分析によると、かれらは朝起会に恨みがある宗派なのだろう。または、競合する新興宗教か?「さくら」を活用する会に入ったってろくなことがない。
 朝起会の金銭問題を批判しながら、警察や行政に働きかけない。嘘だから?自分たちもやっているから?大きな宗派の会長はベンツだろ。決まってる。そこらのお坊さんでもベンツに乗っているよ。

 本題は、朝起会は宗教か?
武蔵殿が「証明する必要はない」とのお墨付きを与えてくれたので、私見を述べる。

 実践宏正会の前進は、彼らの(言うとおり)ほにゃらら会だろう。でも、教祖がつかまっちゃたりするようなところとは、早く縁を切りたいのは人情。だいたい宗教なんて、いつも争うのたねだ。
 そうだ教育財団にしよう。それなら政治家も来賓に呼べる。朝起会の教えを政府にも後押ししてもらおう。
 要するにそういうこと。

 宗教から脱したことが、朝起会の功績です。

 まあ、私にとってまったく興味がない(口調にあらわれる)話題はどうでもいいのである。

 次の投稿をもって、しばらくここを後にします。

では、皆さん、ピーチク、パーチクやっててください。

自分のブログでまじめに論じます。

<用意していた最終原稿>予想通りでした。

回答ありがとうございます。

 貴殿は往生際が悪いと、私は思います。貴殿との討論は、大変な苦労ながらも、勉強になりました。しかし、もうお話することはありません。かいかぶっていただけのようです。
「無知の知」の意味をもう一度考えてみてください。

 あなたは、論理で私を負かすことしか頭にないようだ。ばかの一つ覚えみたいに、「認知的不協和理論」を使って会友が洗脳されていると結論づける。人間を簡単に心理学で片付けるな。

 それでは、貴殿が好きな権威ある理論で反論しよう。下記は数学者である藤原正彦氏著『国家の品格』から引用したものです。

P43より
(引用開始)
前略
 こんな例を出さなくても、人間が戦争を繰り返していることを見れば論理の限界なんて明らかでしょう。古今東西あらゆる時代のあらゆる場所で戦争をして、そべての人が「こんなバカバカしいことはない」と涙ながらに反省して、そしてまた戦争を繰り返してきました。どの戦争にも当事者双方に論理がありました。戦争が紛争解決の最善の手段であるかどうかは、いつも的確に判定できなかったのです。
 論理的に得られた結論は磐石ではないのです。いったん論理が通るやホッとして、往々にして他のもっと大切なものを忘れたり、他の解決法に目がいかなくなったりするのです。論理は魔物を言えるでしょう。

 ②最も重要なことは論理で説明できない

 論理だけでは破綻する第二の理由は、人間にとって最も重要なことの多くが、論理的に説明できないということです。
 もし、人間にとって最も重要なことが、すべて論理で説明できるならば、論理だけを教えていれば事足りそうです。ところがそうではない。論理的には説明出来ないけれども、非常に重要なことというのが山ほどあります。
 別の言葉で言うと、「論理は世界をカバーしない」ということです。数学のように論理だけで構築されているような分野でも、論理ですべてに決着をつけることは出来ないのです。
 この事実は数学的にも証明されています。1931年にオーストラリアの数学者クルト・ゲーテルが「不完全性定理」というものを証明しました。
 不完全性定理」というのは、大ざっぱに言うと、どんなに立派な公式があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定できない命題が存在する、ということです。正しいか正しくないかを論理的に判定できないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、ということをゲーデルは証明したのです。
 この不完全性定理が証明されるまで、古今東西の数学者は、こと数学に限れば、どんな命題でも正しいか誤りかのどちらか一つであり、どちらであるかいつかは判定できる。と信じ切っていた。ところがゲーデルはその前提を覆したのです。人間の頭が悪いから判定出来ないのではない。論理に頼っていては永久に判定できない、ということがある。それを証明してしまったのです。

 人殺しは悪いこと?

 不完全性定理は数学にとどまらず、哲学などにも大きなインパクトを与えました。アリストテレスの時代から、数学においても哲学においても「A」または「ノットA」というふうに決まっていた。1+1は2か、そうでないかに決まっている。三角形の内角の和は180度か、そうでないかに決まっている、と。そしてどちらが正しいか今は決められなくとも、いつかは必ず論理的に決めることができる、と信じていた。ところが「どちらとも永遠に決められないものがある」ということが、数学的に証明されてしまったのです。
 数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある。まして、一般の世界では、論理で説明できないことの方が普通です。
 例えば、「人を殺してはいけない」ということだって、論理では説明出来ません。
 十年ほど前にこんなことがありました。日教組の教研集会で、傍聴していた高校生が会の最後の方になって、「先生、なんで人を殺しちゃいけないんですか?」と質問した。そこにいた先生たちは、誰一人それを論理的に説明出来なかった。びっくりした文部省が、「人を殺してはいけない論理的理由をパンフレットに作成中」と新聞に書いてありました。読んで笑ってしまいました。
 人を殺していけない論理的理由なんて何ひとつない。私に一時間くれれば、人を殺してもいい理由を50ぐらいは発見出来ます。人を殺してはいけない理由も同じくらい見つけられます。論理というだけなら、良い理由も悪い理由もいくらでもある。
 人を殺していけないのは、「駄目だから駄目」ということに尽きます。「以上、終わり」です。論理ではありません。このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的には説明出来ないのです。

 会津藩の教え

 江戸時代、会津藩い日新館という藩校がありました。白虎隊も教えを受けていた藩校なのですが、ここに入る前の子弟に対して「什の掟」というのがありました。
 そこにはこう書いています。

一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三つ、虚言を言うことはなりませぬ
四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
七つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

 武士道精神に深く帰依している私には非常に納得できるものです。七つ目を除いて。そして、これら七か条の後は、こんな文句で結ばれます。

 ならぬことはならぬのです

 要するにこれは「問答無用」「いけないことはいけない」と言っている。これが最も重要です。すべてを論理で説明しようとすることは出来ない。だからこそ、「ならぬことはならぬのです」と、価値観を押しつ
けたのです。
(引用終了)

 要するに、重要なことの多くが、例えば「卑怯がいけない」ということすら論理では説明できないのです。 「あなた方」と討論して、ネットで討論することの虚しさに気づきました。朝起会の生き方とは、もっとも対極にある生き方です。

 
 ギャラリーの皆様へ

 「いや夫」はしばらくお休みします。
「いや夫」への擁護発言は不要です。批判への批判はエスカレートするだけ。荒しがおさまるまで待たねばなりません。「非暴力不服従主義」で彼らの反論を眺めてみましょう。
「いや夫」はどんなに切り刻まれ、殺されても、しょせんネットの上。
いつか生き返ります(簡単です)。(笑)

 なお、ちゃねらーが「いや夫」になりすまして、ひどい反論をしたり、ふざけたりすることが予想されますが、罵詈雑言は眺めてもむだです。むしろ、覗かないことをお勧めします。
私たちは、現実世界でがんばりましょう。(自分は実践していませんが。)

 ブログをおもちの方、私が発見した「書きっぱなしは変でしょ」クリーン作戦は、(今までの投稿に対しては)とても有効な方法だと思います。罵詈雑言を消してみて、あなたを応援する本物の言葉を見つけてください。

 さて、武蔵殿にさきほど、つきつけた我がブログの記事本文をこちらにも引用し、しばし筆を休めます。このブログの当初の書き込みと、「ほんとうのもの」との違いをくらべてみてください。

 深夜の作業で大変でした。そんなとき読んだ「まるまるまある」さんの詩に涙がこぼれました。
わかる人には、「ほんとうのもの」がきっと見えているのだと思います。

 それでは、しばしさようなら。やはり、家族と過ごす毎日の方が楽しいです。
ご清聴ありがとうございました。

 おそらく、本ブログ最長の投稿、
(引用開始)
必見記事! 「書きっぱなしは変でしょ」を検証したら 発掘(6)
最近次のステップ、として倍加を強く勧められています。「とりあえず10人すること!!」と言われとても戸惑っています。

いわゆる「かげ倍加」ですね。先輩会友さんからどの様にお勧めされたかのかは分かりませんが、もし納得できない説明しかされていないようでしたら、その辺をもう一度良く尋ねてみて下さい。
「かげ倍加」の真の意味は、本会とのご縁を結ぶことで、陰乍らその方の「仕合せ」を願うことにあります。決して、倍加の「数合わせのために」行うものであってはならない、と本会で教わっているはずです。(先輩会友さん、そうですね?)


>「人のなかで人になる」のは自分自身の問題であって、頒布されるほうは迷惑してる方がたくさんいらっしゃいます(実際私もそうでした)

確かに「良い事をしている」との自己満足で、押し付けがましい頒布に陥っているとすれば、厳に慎まなければなりませんね。(自戒も込めて)

ご存知のこととは思いますが、何よりも「我も人もの仕合せ」を目指して、本会は活動をしています。
とかく現代の風潮として「自分」と「他人」を切り離して考える人が大勢を占める中で、上記の疑問は至極当然のものかも知れません。

しかし、「我の幸せ」を目指すだけでは決して本当の「仕合せ」には辿り着くことは出来ません。「人のなかで人になる」のは自分自身の問題に限らず、自分が磨かれることで周囲の人々にも良き影響を与えることが出来るようになっていく、その過程をさしています。
「自らが仕合せにならずして、他人を仕合せには出来ない。」
「他の仕合せを願わず(実現せず)して、自らも仕合せになることは出来ない」
一見して矛盾する2つの言葉ですが、自分と他人(自分以外の人)は決して切り離すことは出来ません。また、切り離しては決して生きて行くことは出来ません(生命の維持すら覚束きません)。

確かに、突然訪問された側としては「迷惑」に感ずる人が多いとは思います。頒布の目的が「自分磨きだけ」であれば、のんさんが仰ったように躊躇する心も出てくると思います。
しかし、こう言うのも何ですが、のんさんご自身も頒布から本会にご縁を結ばれたのではないでしょうか?
理想は、仰るとおり「希望者にのみ訪問・頒布」ですが、それではごく限られた方にのみ本会の存在をお伝えすることしか出来ません。

「ならばCMでも何でもマスメディアを使えば」とのご指摘があるかも知れませんが、それでは一人ひとりの方にきめ細かくお世話することが叶わず、今以上に会に対する誤解が生じかねません。また、頒布等でお出会いした方であるからこそ、先輩会友さんも親身になってお世話しよう、との思いを抱くきっかけともなります。
理想論では、例えCMなどからの問い合わせに応じて訪問した方であっても、上記と同じ「親身なお世話」が出来るようになれば言うことはありませんが、人の性質として、余り苦労せずに手に入れたもの(人をもの扱いしてすみません。文脈上お許し下さい)に対しては、余り大切にしない習性を持っています。

「難有ってこそ有難い」との言葉がありますとおり、苦労を伴わないものは中々身に付かないこともお分かり頂けたらと思います。

再度、長々と失礼致しました。

投稿 鯰の鬚は4本 | 2006.06.10 08:15 午後

 倫理、そのものは正しい学び。その本質に、触れることのない投稿の数々。おそらく、懸命な会友は、コメントすらしないと思います。
 ただ、真髄に触れない会友と外野によって、何処までもねじまげられている事が残念。
 たまたま、目にし、余りのバカバカしさに、放っておこうと思いつつ、私は懸命な会友では、ないので、コメントしてしまいました。
 いやだったら、断ればいいだけの事。しつこかったら、本部に苦情でも訴えればよいのに。
いやな思いをされた方々。あなたにいやなことをした会友を本部や、お住まいの地区代表番号にお電話すれば良いでしょう。
きっと、あなたの言い分が正しければ、あなたの味方をしてくれる筈です。
 強引な勧誘や強要をした会友は、本部を通して、会場に本人に忠告がなされる事でしょう。

投稿 きるけ | 2006.07.06 06:41 午後

(引用貼り付け修正終了)

 いかがだろうか?

何が見えてくるだろうか?

以前書かれていた朝起会への批判は、幻だったのだ。

少なくとも、自分の投稿に特にこだわりをもたない方の投稿であることには同意していただけると思う。

 珠玉のポエムが投稿され、そして、罵詈雑言に
消し去られていった。これがネットの正体である。

 「実践倫理宏正会って何?」という一ブログである。

2ちゃんねるではない。

 これが2ちゃんねる内であったなら、さらにひどい

悪評が書き連ねられていることだろう。

 私がかのブログで討論している相手は、これら悪評を真実と思い込んでいる。(追加:嘘だと知ってて流用もしている)

少なくとも、真実が多数だと信じておられる。
かのブログより、その「武蔵殿」が朝起会を追求する
大儀名分を述べられているので、引用する。

(引用開始)

「高貴高齢者」殿
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。もちろん「レイモンド」殿が言っておられるように ネットに載っていることはそのまま鵜呑みにすることは出来ないものであり その裏付けが必要であることも承知しているつもりである。
多くの者が調べ事をする場合 まずはウィキペディアを見るのではなかろうか。「実践倫理宏正会」で検索すると どの検索サイトでも最初にウィキペディアで説明されている。その後は 宏正会批判のサイトのオンパレード。
まず小生が疑問に思ったのは 「宏正会」が戦前の「ひとのみち教団」の流れをくみ 「倫理研究所」から分派したと説明がなされていたことである。小生にはそのような説明は何もなかった。ただ先代先生が原爆に遭われてから将来の日本を思われて宏正会を創設されたと説明されたのみであった。小生は宏正会について何かウサンクサイものを感じ 自分なりに「宏正会」について色々と調べてみた。2チャンネルを始め多くの宏正会批判のサイトがあるが このブログの「太陽神」殿は宏正会の成り立ちを文献に根拠を求めて詳細に説明され また宏正会の問題点を体系的に説明されている。小生はその文献に当たってみたり また実際に宏正会の会員また退会された人から話を聞き、自分なりの宏正会像というものが見えて来た。そこで小生もこのブログをお借りして愚見を披露してみたいと思った次第である。

貴殿は キリスト教の信者であり 日曜日には教会に行き 毎日は倫理研究所の朝起会へ たまには宏正会の朝起会に行っておられるようであり まことに殊勝なお方であると推察される。
小生も今の日本の現状に満足している訳ではなく道徳教育、倫理教育は必要であると思っている。
そのための組織である宗教団体また社会教育団体も必要であろう。しかし今の日本にこのような宗教団体、社会教育団体がどのくらい存在すると思っておられるのか。はっきりとした数字は分らないが 恐らく 数千 数万の団体があるのではなかろうか。宏正会にしても 戦前の「ひとのみち教団」に源があり 「ひとのみち教団」からは PL教団 倫理研究所 自然社なども成立している。また宏正会からは 講師をしていた永池栄吉氏が「スコーラ家庭教育振興協会」というのを作り今では大きくなっているようだ。四国でも宏正会にいた人が別に「倫薫」というものを作っているようである。このように一つの団体からも様々な分派が生じているのである。
このような団体の中には 「オウム真理教」「統一教会」「法の華 三法源」といった団体のように 信者・会員に一応の教えを説きながら 教祖の私利私欲のために作られたもので 社会的に非難されているような団体も多く存在する。
そのような団体であるかどうかは マスコミなどで報道されるまでは 一般には分らないのが普通である。そのためには 新たな被害者を出さないためにも その団体の内実を知っている者が力を合わせてその欺瞞性を暴く必要があろう。
宏正会も 今までは秘密にされていたこと 隠されてきたこと 暗部とされてきたきたことが ネットの普及により そして多くの人達の努力で続々と暴かれてきた。もはやこれらの批判を隠すことも 押しつぶすこともできまい。小生はこのような情報が多くの人達に共有されることで いま会員である人達のためにも 宏正会は批判されていることは正し、公明正大な宏正会になって行くことを期待するものである。 

投稿 武蔵 | 2009.07.13 12:07 午後

(引用終了)

 まさに、朝起会のネット上の批判が、風評被害に
過ぎないことの証明と言えまいか。
 武蔵殿が正義感で、反朝起会の論陣を張っている。悪いのは上廣家である、会友は悪くないと、自分の主張に正当性を与えた。

 また、
(引用開始)
もちろん「レイモンド」殿が言っておられるように 
ネットに載っていることはそのまま鵜呑みにすることは出来ないものであり その裏付けが必要であることも承知しているつもりである。
(引用終了)

 私の分析では、知っているつもりで、実はわかっていない人が一番危ない。誤った情報を、自分の都合のいいように利用するからだ。

 彼はネットサーファーとしては一流かもしれないが、「ほんとうのもの」を発見する力に欠けているのである。

 さらには、
 
 (引用開始)
「オウム真理教」「統一教会」「法の華 三法源」といった団体のように 信者・会員に一応の教えを説きながら 教祖の私利私欲のために作られたもので 社会的に非難されているような団体も多く存在する。
 (引用終了)

とし、実践倫理宏正会がまさにそうであるという論陣を張ったのである。

<結論>

 朝起会にも、いろいろな問題があることは否定しない。しかし、そのほとんどが、2ちゃんねる等、無責任な中傷・創作のたまものである可能性が極めて高い。

 よって、会友は今まで通り、実践の正しさを信じ、
自分を磨いていってください。

<追伸>

 私は武蔵殿を論破したことを宣言したい。
これは、私一人の力では決してできなかった
ことである。

 朝起会否定派の意見に、耳を傾け、自説を説かれた先人の回答があったおかげです。

ありがとうございました。

 なお、当初の仮説
「本当の投稿は、書きっぱなしにしない」
のルールに従い、反対意見ばかりではなく、
肯定派意見も削除してあることを付言しておく。
 これが科学的に証明できたとは思っていない。
しかし、ネットの虚構を示す、貴重なデータには、
なりうると思う。

 付け加えるなら、虚構の世界であるネットに一切かかわらない朝起会の方針は正しい。

 余計に誤解の種をまくばかりである。

ガンジーの「非暴力 不服従主義」や宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が朝起会のスタンスである。

 最後に、削除されてしまった、
「私が個人的に本物の投稿だと思う」メッセージを
載せ、朝起会のさらなる改善を願う。

(引用開始)
私は朝起き会へ行ってない。
母は私を産んだ頃から朝起き会。
朝起き会は、彼女の生き甲斐です。
私は朝起き会へ行っていない。
でも『倫理』を正しく学んだ人間に育てられたから、私にも『倫理』が根付いている。感謝である。
昨年とても素敵な人と結婚した。
周りを見渡せば、同じ二十代も三十路を迎えた人も結婚できないでいる人が多い。
私が彼(夫)にしている当たり前の事を聞いて
「えぇ~私そんな事できなぁい」。
「できない」のではなく、「したくない」にしか聞こえない。
私が今「幸せ」と思えるのは、相手の役に立てるのが嬉しいからだ。心地いいのだ。
男は仕事をし、女は子供を産み・家を守る。
それぞれに「役割がある」という事。
たったそれだけの事を認めず、「女だって働ける」「女性軽視だ」と‘謙虚さ・控えめさ’を失くした結果が晩婚化・少子化である。
謙虚に、控えめに、夫を立てる事が、時代錯誤だ!女性軽視だ!とおっしゃるなら、そう言う前に女としての実力をちゃんと発揮すればいい。
しっかり炊事洗濯をして、沢山の子供を産む事ができたなら、そんな女性を誰が軽視するのでしょうか?
こういう思考でいられるのも、倫理を学ぶ母が育ててくれたからこそであり、苦労もあったが、今はとても幸せだ。
私は朝起き会へは行っていません。
でも理解できます。
『お金』重視で活動している人なんて見た事もありませんが、もしそういう方がいるとすれば、それは会に入っていても全く意味のない方ですね。早起きまでして…もったいない人だ。

投稿 被害者という方々へ | 2006.04.26 04:18 午後
(引用終了)

 彼女は私の妻に似ている。
朝起会は自分磨きの修行であり、社会への奉仕である。実践普及はつらいのである。

だから、彼女は「朝起き会に行っていない」

そして、妻は「いやいや行っている」

(実は、今日はさぼってまだ寝てます。へたれです。)

 こんな妻が気持ちよく実践に励むことができる

朝起会になってほしい。

 部外者の皆さん。

ネットは人の帰る家ではありません。

あなたのご近所で、がんばっている会友を

応援してあげてください。

1 「倫風」を快く受け取ってください。

2 ねぎらいの言葉をかけていただけるとありがたいです。

3 お金に余裕があれば、有償(300円)で買ってあげて

  ください。会友は大喜びします。

4 「倫風」を読んで、朝起会を知ってください。

 (3をされた方は、より深く読めます。

  これを「認知的不協和理論」といいます。

 お金を出したからには、しっかり読まなくっちゃ。)

5 そして、ぜひ朝起会に参加して、自分の目で

 確かめてください。

 その先はあなたの自由です。

その先じゃなくて、受け取る受け取らないも自由だろ。
ほんとにイカレてるな。

「いや夫」は 完全にイカレている。
ネット中毒のナレの果て。
「いや夫」の書いているのを読むと こっちがおかしくなる。
こんな奴の相手なんかする必要はない。

ネットに精通している「いや夫」殿は このブログでの遣り取りを勝ち負けのある一つのゲームとしている。そして どういう訳か分からないが自分で自分がこのゲームに勝ったとしている。随分と自分勝手な男だとは最初から思っていたが ここまで勝手だとは小生も予想していなかった。
 
 前回 小生が述べた事はこのようなネットでの投稿一般について述べたもので 小生が言っていることはきちんと裏付けを取っているつもりである。他の投稿にも小生の言っている事と同じようなものが多くあるが これは宏正会に対して共通の認識をしている者が多くいるという事の証左だといえよう。
 しかし このようなネットでの投稿は 残念ながら例え自ら実際に体験した事を嘘偽りのない言葉で真実を述べたとしても 「嘘でしょう じゃあ証拠を見せて」と言われれば 例え真実だとしても真実だということの証明はとても困難なことなのである。
「レイモンド」殿も同じであったが 「いや夫」殿のような者は 自分でも知っていてもここを突いてくるのである。「いや夫」殿は色々と言っているようだが 突いているのはこの事だけである。
しかし 前回述べたように ネットでの発言は警察に通報したり裁判で証拠として用いるものではないので 自ら体験したり思っている事を自由に発言していいのである。それを本当だと思うか嘘だと思うかは読んだ人が決めることである。もどかしいかも知れないが 泥棒がいてあちらこちらで被害にあっているという情報のように 皆か警戒心をもって宏正会を見ればそれで良しとしなければならないのである。
 「いや夫」殿は 非常にネットに精通していて 投稿の遣り取りで勝ち負けを決めるゲームに相当はまっていたのであろう。色々と戦術があるようである。
小生もこのような遣り取りをしていて 同じ人が名前を変えて発言しているのではという感じを受けることがあるが 所詮すべての人が匿名で発言しているのであるから そのような事を詮索して仕方がないことであり 発言内容を問題にすればよいと思っている。
「いや夫」殿は その様な者がいたらそこを突いて発言を押さえるという戦術なのか。小生はこのようなゲームをした事がないので分からないが このような作戦・戦術を色々と考えるのがゲームをやっている事の楽しさなのかもしれない。
しかし すべて匿名で投稿しているのにこのような事が分かるものなのか。勝手に自分で決め付けることにならないのか。
 「いや夫」殿は 小生の事を 色々な名前で投稿しているとか どこかの宗教団体の者であるとか 色々と決め付けているようだが 全くバカらしい。
確かにネットでの世界は架空のものであり 何が本当で何が嘘であるのか分からない世界である。この世界に嵌っていると色々と空想が広がり 見えない相手を勝手に自分で想像し形作っているのであろう。
小生は このような意味のないつまらないゲームに参加するつもりはない。発言の内容でもって議論したいものである。
 
 「いや夫」の発言の中で 小生は「認知的不協和理論」ばかり言っているという部分があったように思うが、考えて見ると宏正会の洗脳はすべてこの理論でもって行われているようである。
朝起会に行く 頒布 人誘い 大会や各種の集まりに参加する 会にお金を奉仕する・・・・・・ すべてが認知不協和の手段となっている。
このように会のために自分が動いたり 会のいい所を言ったり 会にお金を出したりすると 認知不協和が働き 会のことを悪く言うということが出来なくなってしまうのである。
逆に 会としては 会員がどの位朝起会に集っているか どの位頒布しているのか どの位会にお金を出しているか等で 会員の認知不協和の程度つまり洗脳の程度を測ることができるということになる。これらの事で会の役につくかどうか決められるのも納得が行くのである。
 
 会長が『倫風』に書かれている「経済」について小生が述べた事についてであるが、確かに この部分だけを取り出せば「批判のための批判」だとされても仕方がないかも知れない。
この部分は 小生が 最近の会長は「我も人もの仕合わせ」しか言っていない ということの続きで「倫風 11月号」の会長の経済についての説明に小生が異論を唱えたものである。
今まで小生の言って来たことを見て貰えれば分かることであるが 基本的には宏正会の教えは悪いとは言っていない。悪いのは会の組織であり活動であり このような組織を作り活動を指示している会長が悪い というのが小生の考えである。
 ここで会長は「経済活動もまた、我も人もの仕合わせを目指して行わなければならない」としている。
小生はこの部分については別に異論はない。小生が問題にしているのは このことの説明である。
会長は「経済」という言葉の語源が「経国(世)済民」という熟語から来たもので「世を治め、民の生活を安定させること」だから「我も人ものため」でなければ経済は成り立たない という説明をしている。
 「経済」という語源は確かに「経世(世)済民」から来たのかも知れないが 端的に言えば「経済」という言葉が自体がおかしいから この言葉の語源を持って来て説明するのはおかしいとするのである。
 「経世(世)済民」とは もともと国(王)の政治あるいは国(王)の経済政策のとるべき方向を意味するものである。国(王)ではない私企業あるいは個人の営利活動にこのような言葉を充てるべきではないのである。ウィキペディアの説明に「資生」という言葉も使われていたが「経済」という言葉が現在に残ったとされている。要するに「経済」という語は 江戸末期あるいは明治になってからの日本における造語である。別に「効率」という言葉であっても良かったのである。仮に「経済」という語ではなく「資生」とか「効率」という語が現在に残っていたとしたら 会長はこの言葉の語源を自分の説の説明には利用できなかったはずである。たまたま「経済」というレッテルが付けられたからと言ってその語源でもって自説を説明するのは論理的とは言えないという事である。
 

 
 

   



ぴゃーーー!!!!!!!!!
たまたまカキコ見て仕事帰りにやってみたんだが楽勝で食えるじゃん(^^;
こんなんあるって知ってたらもっと早くに童-貞卒業出来たのに・・・
今までの分取り返す勢いで毎日遊びまくってんだが、ちょい忙しすぎるwwww
でも嬉しい悲鳴だしいいや♪超ハッピー(・∀・)(・∀・)(・∀・)

http://hoge.nadamonty.net/kyu5t9w/

 レジャーから帰ってきました。

しばらくロムするだけにしようと思っていましたが、まだ斬り殺されていないようだし、武蔵君がレポートをごまかそうとしているようなので、ちょっと復帰しました。(本物です。君のために、わざわざ問題になっている「倫風宏話」の「全文」を我がブログにアップしときました。) 

武蔵君へ

 武蔵君 レポートの主旨がずれています。

「倫風宏話」への批判を書け、と言っているのではありません。

批判できる位なら、それを超える「建設的な理論」を披露してみてください。ということです。

 できたら、書いて示して欲しいです。

 一度位、「いや夫」をぎゃふんと言わせてください。そうでもしないと、私の苦労が徒労になります。 

 書けなかったら、「倫風宏話に匹敵するようなコラムを書くことはできません。私は批判しかできない男です。今までの投稿もすべて、実は批判ばかりなのです。」と素直に認めてください。

(引用開始)
ということで、会長先生のとらえ方が一般的です。
 さらには、武蔵殿が何を言いたいのかが
よくわからない。批判をしたいから批判をされて
いるだけはありませんか?
 最新号(平成21年11月号)の「倫風宏正」は
秀作だと思います。
日本の経済のあり方をもう一度問い直そうと
いうお話です。
あなたの説に従えば、経済は倫理なんか
必要ないとおっしゃりたいんですか?
(違いますよね?)
まさに、そこが現代社会の荒廃の元凶
だということにお気づきではないのですか?

 さらに言うなら、あなたは、世の中は政治で
動いていると思っておられますか。
違います、経済で動いているのです。
戦争もまさにそうです。

 政治の裏には、常にそれを望む経済
(お金の力)が動いています。
そこから正さなければ、庶民が住みよい
国など作れないのです。

 あなたの説は、現代社会の問題点を
何ら解決しようとする意図がなく、
建設的な意見とは言えません。
単なる批判に過ぎないのではありませんか?

投稿 いや夫 | 2009.10.09 07:15 午後

(引用終了)

 他の方々は、当分無視します。復活したとき反論しますので、それまで、どうぞご自由に。

追伸

 これが、武蔵君に超えて欲しい「倫風宏話」です。

今こそ「我も人ものため」に

http://58807828.at.webry.info/200910/article_53.html

いや夫様、もうそろそろ終わりにしましょう。と、「無視する」と公言している方に言っても無駄でしょうか。最初はできるだけ丹念に読ませて頂いていましたが、この頃は少々疲れます。倫風宏話への批判ではなくそれを超える「建設的理論」を述べよとのことですが、そもそもそんな「宿題」に答えなければならない道理はありませんし、会長を崇拝して止まない方にはそのようなものは存在しない筈です。「教えそのものは間違っていない。」私もそう思います。それだからこそ、もし誤った解釈や運営があるなら正していきましょう。いや夫様のような方こそそのように実践していただきたいと思います。

いや夫様、もうそろそろ終わりにしましょう。と、「無視する」と公言している方に言っても無駄でしょうか。最初はできるだけ丹念に読ませて頂いていましたが、この頃は少々疲れます。倫風宏話への批判ではなくそれを超える「建設的理論」を述べよとのことですが、そもそもそんな「宿題」に答えなければならない道理はありませんし、会長を崇拝して止まない方にはそのようなものは存在しない筈です。「教えそのものは間違っていない。」私もそう思います。それだからこそ、もし誤った解釈や運営があるなら正していきましょう。いや夫様のような方こそそのように実践していただきたいと思います。

すみません。同じものを二回投稿してしまいました。

小生にとって「いや夫」は全く理解不能な人物である。まるで宇宙人を相手にしているようである。
「いや夫」は小生との討論を勝手にゲームとし 自分で自分が勝ったとしているようであるが 小生は全く関知しない所である。好きにすればよかろう。
 
 今回も色々と言って来ているようなので一応答えておく。
 宏正会は成立してから60余年 その前の「倫理研究所」さらに「ひとのみち教団」さらには「徳光教」まで遡ると100年ぐらいの歴史がある。その間どの位の人達が自ら信じる教団 あるいは教祖・会長のために 新たな信者獲得のための勧誘活動に動いたのであろうか。
その間には どのような言葉で誘えば良いかとか 反論された時にはどのような言葉を返せば良いとかと云った多くの勧誘のテクニックが蓄積されていることであろう。
小生も 「朝起き一つできない者が何ができようか」とか 小生が批判したような言葉を出すと「あなたは会長先生より偉いと思っているの」とかいった言葉を聞いたような覚えがある。「いや夫」の妻の投稿とされる「なんちゃって会員」が「ネット記事を本気にする方は それまでの人なのでしょう」という「それまでの人」という言葉もこの部類の言葉なのであろう。
「太陽神」殿と「鯰の鬚は4本」殿との討論の中で 「鯰の鬚は4本」殿が「太陽神」殿に「貴方からすれば、本会は取るに足らないものでしょうから、ご自身で実践を深められれば、きっと本会に優るとも劣らない『実践集団』をお築きになれる事でありましょう。」と返しているのも この部類の言葉ではなかろうか。
このような言葉を初めて聞くと一瞬言葉に詰まるようであるが すぐにこれらの言葉は詭弁だということが分かるはずである。
 「いや夫」が言っている 「会長の倫風宏話を批判するならそれを超える事を言ってみろ」 というのもこの部類の言葉としてよいであろう。
「いや夫」が言っているのは「あなたは会長先生より偉いと思っているの」と同趣旨の言葉である。
 では 「偉いとされている人」に対しては同程度の「偉いとされている人」でしか「偉いとされている人」の批判をする事ができないのであろうか。
そうではなかろう。たとえ「偉いとされている人」でもすべての事に対して偉い訳でもないはずであるし 間違いもあろう。そして神の世界ではない人間の世界では何よりも立場の違い 意見の相違というものがある。また「偉い」ということを何をもって判断するのかという問題もある。
そうであれば一般に「偉いとされている人」である 政治家や会社の社長に対して一般の人は何も意見を言ったり批判することができなくなってしまうことになってしまう。
 小生は会長より偉いと思っている訳ではないし 会長より立派なことも言えないであろう。しかし では全く会長を批判してはならないのかというと そうではなかろう。会長が宏正会でやっている事は批判があろうし 会長の私生活も色々と問題があろう。
小生は他のものと同じくその事を批判しているのである。
また 何度も言っていることであるが 小生は宏正会の教えについては基本的に悪いとは言っていない。悪いのは会の組織であり会の活動であり その組織を作り活動を指示している会長が悪いとしている。
今回「いや夫」が問題にしている会長が倫風宏話で言っていることについても 小生は大筋に異を唱えている訳ではなくただ論理展開がおかしいと言っているだけである。
「いや夫」が反論するのであれば 小生が言っていることの何処がおかしいのかを指摘すべきであろう。それを超えて小生が会長の言っていることすべてを批判しているとして 「会長の倫風宏話を批判するならそれを超える事を言ってみろ」というのは全く的外れな批判である。


 


 
 

  

 


 暇まので、打ちます。

 宇宙人のいや夫への反論ご苦労様です。
地球人なら理論で何とかなりますが、宇宙人は思い込みが(あなたと同じ位激しいので)大変ですね。
 あなたと私の立場は反対ですが、言っていることは実はほとんど同じです。その点で高く評価させていただきます。

 ただ、以下の点では、まったく納得がいかず、論敵として批判させていただきます。

1 上廣家がお金目的に実践倫理宏正会を起こし、今もその目的で運営している。
2 武蔵殿は分身の術を使っているのではないか?
 (まだ証拠がないので?マークです。非常に失礼なのですが、あなたが会長先生を1のように断定しているので、おあいこです。)

 「レポート」の件、下記の反論で納得します。
(引用開始)
また 何度も言っていることであるが 小生は宏正会の教えについては基本的に悪いとは言っていない。悪いのは会の組織であり会の活動であり その組織を作り活動を指示している会長が悪いとしている。
今回「いや夫」が問題にしている会長が倫風宏話で言っていることについても 小生は大筋に異を唱えている訳ではなくただ論理展開がおかしいと言っているだけである。
「いや夫」が反論するのであれば 小生が言っていることの何処がおかしいのかを指摘すべきであろう。それを超えて小生が会長の言っていることすべてを批判しているとして 「会長の倫風宏話を批判するならそれを超える事を言ってみろ」というのは全く的外れな批判である。
(引用終了)

 会の教えの正しさを武蔵殿も認めているということは心強いです。

 ギャラリーの皆さん
 「倫風」はおすすめです。ぜひ、快く受け取ってください。(会友が身銭を切って頒布しています。)
 元々有料だから気が引ける方は、無料の広報雑誌「愛和」がときどき作られます。
武蔵殿も評価する教えを読んでみてください。
反論・批判はそれを読んでからでお願いします。
 念のため、朝起会の著作物への批判は、それを超える建設的な意見をおもちの方だけにしてください。それ以外は感想でお願いします。

 では、武蔵殿がレポートを書かないそうなので、ここは一つ代理に「ボケ老人」様にお願いいたします。

「投稿 ボケ老人 | 2009.10.11 06:38 午後」
にて、武蔵殿の違って「倫風」の内容自体をぼろくそに批判されております。
それほどのご見識をお持ちとは知らず、失礼をいたしました。建設的なレポートをお書きになり、ご高説をお聞かせくださいませ。

(私のいやみな性格がよく出る文書です。) 

「いや夫」殿は小生と意見が違わないということであるが、小生も ネットで批判されている宏正会の問題点の中で 会の成立ちや会長の自宅等の私生活に対しては自分なりに納得し 倍加や強引な勧誘などは自分でも認めているのであるから 宏正会のどのような批判が不満なのか 疑問に思っていた所である。あと残るところは「陰倍加」と「お祝金」ぐらいのものであろう。
 貴殿の話によると 貴殿はイヤイヤながらも実践している妻が このようなネットで宏正会の批判があると実践(頒布)しにくいから止めさせよう(そうでないと倫風代を自分で被ることになる)という 妻思いの誠に殊勝な心がけからということである。
 小生も多くの婦人会員さんを知っていて頒布の苦労や目標のために勧誘や倍加に必死になっている姿をよく見ている。だからこそこのような事をさせている宏正会そしてその指示をしている会長を批判しているのである。
要するに 貴殿とは思っている事は同じであるが 貴殿は妻のために宏正会を擁護しようとしている。
小生は 会員すべてのために宏正会の改革を望みまた宏正会を知らない人に対しては宏正会の実体を知ってもらおうと警告している。方向が違うだけということになろう。
 貴殿の質問の1である「上廣家がお金目的に実践倫理宏正会を起こし、今もその目的で運営している」ということであるが、「太陽神」殿は会の成立ちから説き起こし それぞれの会の活動に言及し 結論として「宏正会は上廣家の野望の産物」としている。
野望には 金銭欲以外にも名誉欲・権力欲も含まれているようであるが、小生は「太陽神」殿の言っておられる事を仮説とし自分なりに検証した結果 「太陽神」殿の結論を自説としたものである。
「宏正会は上廣家の野望の産物」という視点で宏正会を見ると宏正会の問題点のすべての事が納得が行くのである。
 「太陽神」殿も初代会長が日本を良くしようという気持ちがあったことは否定していないように、小生もすべて「お金目的」であるとは決め付けることはできない。
 会社を興す時も ただ金儲けだけでなくその事業によって社会に貢献しようという気持ちもあろう。男が仕事をする時も お客様に喜んでもらいたい その仕事を通して社会に貢献しているという気持ちがあるであろう。
それと同じように会長にも倫理を普及する事によって日本を良くしたいと気持ちが全くないとは言えないであろう。つまり 社会のためという事とお金儲けという事とは両立する。どちらに比重があるかはその人の気持ちの問題であり、それが外部に現れたことでしか我々は判断することができない。
会長のしてる事をどのように捉えるかは その人その人の問題ということになろう。
小生は「野望」の比重が重いと考えるが 貴殿はどのように考えるであろうか。
 質問の2については 貴殿が勝手に考えること。小生の関知する所ではない。


 
 


 
    

 2ちゃんねるとは違い、双方の意見を聞くべきところは聞いている点で、このブログは良いと思います。
 
 ゲームのように、他の方々の意見を制していたのも、このように建設的な討論を望んだからです。

 武蔵殿と私との相違点は、まさにそれです。

(引用開始)
小生も多くの婦人会員さんを知っていて頒布の苦労や目標のために勧誘や倍加に必死になっている姿をよく見ている。だからこそこのような事をさせている宏正会そしてその指示をしている会長を批判しているのである。
要するに 貴殿とは思っている事は同じであるが 貴殿は妻のために宏正会を擁護しようとしている。
小生は 会員すべてのために宏正会の改革を望みまた宏正会を知らない人に対しては宏正会の実体を知ってもらおうと警告している。方向が違うだけということになろう。
(引用終了)

 武蔵殿は、会友は悪くない会長が悪い、それを糾すのが自分の役割だと思っておいでです。
しかし、会長先生への批判はそのまま朝起会への風評被害となり、会友を苦しめています。
 このブログでも、朝起会に入るのをためらう意見もありましたし、我がブログの縁で知った方は、旦那さんは朝起会をやりたいのに、ネットの悪評を読んだ妻が反対しているという例もあります。

 以前にも書きましたが、「倫風」を受け取ったとき、ネットで調べてみるのは、当然でしょう。そのとき、どんな投稿を読むかで、朝起会の印象は違ったものになります。
 「倫風」を受け取るのも受け取らないもの自由だと思います。ただ、それをきっかけにして朝起会に興味をもった方が、あなた方の投稿をきっかけに会に拒否反応を示したとすれば、これは明らかに普及の妨害です。よって、批判をするにあたっては、確かな証拠と裏付けが欲しいと思います。

 さらには、

(引用開始)
それと同じように会長にも倫理を普及する事によって日本を良くしたいと気持ちが全くないとは言えないであろう。つまり 社会のためという事とお金儲けという事とは両立する。どちらに比重があるかはその人の気持ちの問題であり、それが外部に現れたことでしか我々は判断することができない。
会長のしてる事をどのように捉えるかは その人その人の問題ということになろう。
小生は「野望」の比重が重いと考えるが 貴殿はどのように考えるであろうか。
(引用終了)

のところでは、貴殿と私は全く逆の意見になります。倫理普及のためにちがいないと信じます。なぜ、あなた方はそのように疑い深いのかがわかりません。
 

 ご存知だとは思いますが、念のために、下記の説明をいたします。
 
 私は、朝起会の普及方法について、我がブログにてマルチまがいと同じ手法だと説明しています。会友が新しい会友をどんどん増やしていくシステムだからです。商品が高級品ではなく「倫風」に、「お金儲け」が「善意」にかわるだけです。商品である「倫風」が偽物なら、63年も続くわけがありません。それには同意していただけますね。

 さて、マルチまがい商法と同じようでいて、決定的に違う点があります。
 本物のマルチまがい商法では、会員を増やせば増やすほど儲かるようになっています。また、創業者や古参の会員など、早く始めたものほど利益を独占します。

 それに対して、朝起会では、新会友を会友しても、何ら金銭的なメリットはありません。偉くなっていくほど、会費は増え、「倫風」のノルマも増えて、出費が多くなるばかりです。がんばればがんばるほど損をするという、経済的にはまったく合理的ではないシステムです。これを支えているのは、会友の善意以外の何者でもありません。

 そこで、あなたは、その利益を上廣家が独占していると主張するのでしょう。
 しかし、私の見方はまったく違います。
 たくさんのお金を払ってまで実践をがんばる会友が幹部となり、本部の役員となっていきます。もし、会長が会の資産を私物化していたとしたら、お金に清貧な役員が、これを黙認するでしょうか?そんなことはあり得ないと考えます。

 レイモンド氏の投稿には、
(引用開始)
先代会長も本会を立ち上げた際、「倫理立国が成った暁には、この会を解散して、残余財産は全て国家に寄付をする」とまで申しております。
投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.03.28 04:19 午後

(引用終了)
 
 私はこれを純粋に信じます。

 また、太陽神の下記の投稿
(引用開始)
この様な「お祝い金」が行われるのは何故か
もちろん 会の本部 会長の指示によるものである
会は 各地区 各会場に目標金額のノルマを定めてその完達を求めるのである
そして各会場の責任者を集めて 完達の出来ていない者を吊るし上げるのである 営業成績の厳しい会社と同じことをやっているのだ
本来は自主的に「お祝い金」を出すべきものであるが 各会場ではノルマを課せられそのような余裕はなく仕方なく強制なようなものになって行くのである
それは営業マンがノルマがきつくて不正を行うようなものである
誰が責められるべきか 当然 会に責任があり 全責任は社長である会長に帰すべきものである
会の中で「お祝い金」を会員に要求する立場にあるものに警告しておく

投稿 太陽神 | 2009.05.02 05:53 午後
(引用終了)
 などについては、その証拠を示せと言いたい。

 マルチまがい方式は、一定の規模まではうまく作用します。しかし、同じ家に何度も訪れなければならなくなった時点で、今までよりはるかに普及が難しくなります。そんな状況で、あなた方のつくった悪評が何十倍、何百倍にもふくれあがっては、たまったものではありません。
  武蔵殿は正義感をもって行っているつもりですが、一般会友からすれば迷惑そのものということにもお気づきください。

前記投稿中、引用したのは、レイモンド様ではなく、「鯰の鬚は4本」様のものです。訂正します。

「倫理立国が成った暁には、この会を解散して、残余財産は全て国家に寄付をする」
=「実践倫理宏正会が政権を握ったら...」ですかね。
または、そのために政治家を取り込もうとしているのですかね。

無論、政教分離の観点から問題もあると思いますが、むしろ公然と政党を作って活動しているいくつかの宗教団体の方が潔い気さえします。

財団の奨学金制度も会友(会員)だけに適用されると(会員から)聞きました。
情報公開しない体質しかり、とてもクローズドな(閉ざされた)会だと思います。

「倫理」の名の下に、または「大自然の摂理」と言う理屈の下に、全てを取り込もうと、掌握しようとするのでしょうか。

最高権力者に一切意見を言えないような組織がもしそのまま国家になったと考えるとゾッとします。

第二次世界大戦時のドイツや日本、その他歴史から学ぶ事はないのでしょうか。


 過去の討論では、否定派が攻勢に出て、肯定派はそれに逐一反論しなければならないという不利な展開になっていました。しかし、今回のいや夫は、論敵を武蔵殿、太陽神のみに定め、余裕をもって反論できています。私がこのブログで主張を展開して以来(否定派から見れば「荒らし」、肯定派から見れば援護射撃)、肯定派からの擁護発言は一つもありません。これは、朝起会がネット上で組織的なピーアールを行っていない証拠でもあり、一ネットユーザーの私から見ても、好感が持てます。(創価学会はこれをやったがために、ネットゴラムから総攻撃を受けています。)

 このブログでは、否定派はなぜ実践倫理宏正会は、我々の追及する問題点に対して情報を公開しないのだと迫りますが、公開しない方が得なこともあるのです。よって、私のようなにわか朝起会支持者が、朝起会を擁護するという奇妙な状況におちいっています。(なお、肯定派指折りの論客であるレイモンド氏も、真剣な実践者ではないようです。本当にネット社会とは変なものです。)

 さて、本論に入ります。
私は、武蔵殿との討論を有利に進めるため、他の意見は無視しています。しかし、自分の投稿に有利になる投稿については、それを利用したいと思います。(柔道の「返し技」みたいなものですな。)

 「???」氏の投稿は、まさに返し技をかけるのに最適です。
(なお、反論は、集中的に投稿しますが、エデイタに書き留めて、コピペで貼り付けるだけです。分身の術等は使っていませんのであしからず。)

 (「???」氏への反論 その一でもあります。) 

政治にお金がかかるのは「常識」です。

 それではいけないと、「汚職はないか」「不正はないか」とピーピーピーピー騒ぐだけなら、どうなるかわかりますか?皮肉なことに、結果としてお金もちしか政治家になれなくなるのです。お金がないとろくな広報活動ができません。選挙で一番物を言うのは、残念ながらお金なのです。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_19.html

 実践倫理宏正会の興隆から現在までの政治状況は、まさに自民党の一党優位態勢(一党独裁と同じ)の時期と重なります。会の組織を拡大するには、体制側と友好関係を築くべきで、積極的に政治家へ働きかけをしていったのでしょう。(ちなみに、末端組織の各支部も、各地の首長や議員さんに、朝起会への参加を積極的にお願いに行っています。地域を支える優良な社会教育組織だと自負していますので、当然の行いです。やましいことはありません。これが「宗教法人」だと政教分離により、難しくなります。)

 ここから先は、いや夫の妄想です。首相や大臣クラスと付き合うということは、ただ友達になるということではなく、当然政治資金の援助を行う関係になるのでしょう。そのあたりの情報が一般に公開されるとあらぬ誤解を生むのかもしれません。

 情報公開に「慎重にならざるを得ない面」もあるのでしょう。

 また、政治家や経済界の人々との交流の中心は、いわゆる会議などではないと思います。

 ゴルフクラブや高級フィットネスクラブなど、趣味を通しての付き合いの場で、実は大切な情報交換がされているのです。(そんなのドラマでもやっています。「常識」です。)

 ちなみに、「副島隆彦氏の学問道場」というサイトでは、小沢一郎氏とお金の関係についておもしろい記事が載っていました。簡単に要約するとこうなります。

 (要約開始)
小沢一郎は昔自民党の幹事長だった。幹事長というのは、選挙資金を議員に割り振る権利をもっており、実質的には党のドンである。その当時の小沢氏は、
(引用開始)
横に人がついていて、リュックサックの中に何億円も入っていて、軍資金をぽんぽん配って回っていた。ところが、ある日、こんなことをしていたら、おれは捕まる、やられるんだとはっと気づいて、その生き方を小沢は捨てたんだ。
(引用終了)
 その後、小沢氏はお金のかからない選挙を実践し、自分についてくる者たちにもお金を配らなくなったそうです。そして、みかん箱の上で街頭演説を行うドブ板選挙を若手に指示し、今回の選挙に勝つことができたということです。総選挙前に、小沢氏の秘書が逮捕されるという「国策捜査」のような事件がありましたが、「お金の選挙をやめた小沢氏」を逮捕することはできなかったのです。
(要約終了)

 実践倫理宏正会にとって、会の拡大のために政治家に協力を仰ぐ(利用する)ことは当然です。自民党政権下では、もしかするとそれが政治資金を中心に行われていたのかもしれません。(これが私のよく使う「清濁併せ呑む」ということです。)

 民主党政権下では、その方法をあまり使わずにすむのかもしれません。財団法人の資金管理などについては法改正が予定されているようなので、実践倫理宏正会についても、財務状況の公開など今まで以上に必要となってくるのでしょう。それは、否定派にとっても肯定派にとっても良いことだと思います。

 私は朝起会に、お金のあまりかからない組織になって欲しいと思っています。
その点では、何と武蔵殿と同志になってしまいます。
ネットはつくづく不思議な世界です。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_43.html


 しかし、改めて書きますが、
荒唐無稽な「上廣家の野望説」は前面否定し、戦います。

(つづく)

( 「???」殿への反論 そのニでもあります。)

 「???」氏のコメント

(引用開始)
最高権力者に一切意見を言えないような組織がもしそのまま国家になったと考えるとゾッとします。
(引用終了)

について、会長先生に意見をする人もいると思います。
例えば、以前私が紹介した「倫風宏話」の
「今こそ我も人ものために」の中にも、

(引用開始)
ところが最近になって、何度か同じ質問を寄せられるようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、経済だけは別なのではないか。厳しい経済環境の中で生き抜くには、まず、自分の利益、自分たちの企業の利益を優先しなければ生き残れないのではないか、というのです。
(引用終了)

 このように会長先生に質問した人が銃殺刑にされたり、サリンで殺されたりはしていません。なぜなら、絶対的なのは、「大自然の摂理」であって、会長先生はそれを研究する研究者の一人であり、その点では他の会友と同じ立場なのです。

 また、このことは、あなた方が神とあがめる太陽神も書いています。

(引用開始)
宏正会では「倫風」誌の表紙の裏に「実践倫理とは」で説明しているように 教えの淵源を「大自然の摂理」に求めている
原理的に見れば 「神」を立てるところでは 教祖は神の意志を信者に伝える者 神と信者を取り次ぐ存在となる 
宇宙(大自然)は神によって動かされるもの つまり他律的な存在となる
宏正会のように「大自然(宇宙)の摂理」に基づくものが宏正会の教えだとすると 大自然(宇宙)は自ら意思を持つものとして自律的な存在となる
従って 会長は他の自然科学の法則と同じように人類の法則である倫理を「発見」する存在となる
神を立てるところでは 神との取次ぎをする教祖は信者とは異なる特別な存在となり いったん神とそのような存在である教祖というものを信じてしまえばそれなりにスッキリする
しかし宏正会の会長は 他の一般の会員と同じ立場で大自然の摂理である倫理を発見するという存在であり 宏正会の会長という立場というものはもともと不安定なのである

投稿 太陽神 | 2009.04.15 06:42 午後

(引用終了)

(つづく)

( 「???」氏への反論、その三でもあります。)

「???」氏の投稿について、


(引用開始)
最高権力者に一切意見を言えないような組織がもしそのまま国家になったと考えるとゾッとします。
(引用終了)

 朝起会会友は会長先生を天皇のように尊敬しています。
だからと言って、朝起会が国家権力のような支配力をもてると本気でお思いでしょうか?
そんなわけはありません。それは、朝起会を否定しているあなたたちが一番わかっているはずです。もう少し、真実味のあるコメントをお願いします。

 なお、国家権力に結びつかないまでも、倫理王国という程普及が進むか、という点についても難しいのが現状です。それは、朝起会が誰でもできる簡単なものではないからです。たとえば、過去の投稿を引用させていただくと。

(引用開始)
実践倫理宏正会は誰でも入会するものでもありません、また続けられるものでもありません。どんな人でも救う、そんな宗教的なものではありません。自分の力で生活改善出来るそんな向上心や余力のある人が学ぶところです。学んで実践して自分を知る、それを生かして幸せになる…それが全てです。幸せの形は人それぞれなのである現象だけを捉えて他人がとやかく言うものでは無いと思います。確かに言えることは世の中が荒んで来ていると言う事。自分が出来る事から一生懸命努力する事は素晴らしい事だと思います。批判ばかりで何もしない人が多い事は悲しい事です。

投稿 ママさん | 2007.12.10 01:58 午後
(引用終了)

 という会です。また、修行の難しさを他の宗教と比較すると、下記のようになります。(もちろん、朝起会は宗教ではありません。)

最も簡単 浄土真宗 「南無阿弥陀仏」と題目を唱えさえすればよい

       神道    たまに神社に行って、神様にお願い事をしたり、おみくじを引けばいい。

ちょっと大変 キリスト教 毎日曜日教会で礼拝。悪い事をしたら神父さんに懺悔をする。

とっても大変 イスラム教 一日5回、カーバ神殿に向かって礼拝。禁酒。ラマダンなど。
         朝起会の実践者 毎朝、朝起会に集う。演壇。頒布活動。金銭の奉仕。いわれなき悪評を受ける etc

 信仰心のうすい日本人の多くが、朝起会のように厳しい修行を望むわけはないのです。もっとも、真の実践者しか続けれらなければ、会友数を増やし続けることは不可能です。そこで、「倫風」を購読するだけの人や、たまに朝起会に足を運んでもらうだけの会友さん(会友による送り迎えもしています)など、会のすそ野を広げようとしています。

(つづく)

 (「???」氏への反論 その4でもあります。)

「???」氏の投稿、

(引用開始)
第二次世界大戦時のドイツや日本、その他歴史から学ぶ事はないのでしょうか。
(引用終了)

 について、あなた方よりは、日本や世界の大きな流れについて把握しているつもりです。
私は、「司馬史感」(司馬遼太郎が主導)などには惑わされず、副島氏の歴史観に共感するものです。我がブログにて、そのような記事も書いていますので、見てください。

http://58807828.at.webry.info/

 そう言えば、武蔵殿の最初の投稿は、「国民会議」に関するものでしたね。また、東経氏は「新しい歴史教科書をつくる会」に関わっているようです。歴史観についても、彼らと私の立場は異なりそうです。あなたもそうですか?


以上。

ということで、簡単に反論できるような投稿は、休み休み行ってください。私がいちいちするので、否定派の方が一番うんざりしていると思います。肯定派もうんざりです。(長文ごめんなさい。)

 こうやって、ぶつぶつと書いている分、我が子とのコミュニケーションがおろそかになってしまいます。上廣家では、家族の団らんの時間などなかったのでしょう。かわいそうだなあと同情します。

 なお、あなたが以前「倫風宏話」を茶化した投稿記事も、いつか活用しようと思っております。ご期待ください。

(一旦終わり)

 「どうぞご自由に」といいながら、こんなに反論していてはいけませんね。修行が足りません。

 今度の日曜(10月24日)までは反論しないことにします。

「いや夫」殿は 毎日毎日長文の投稿を続けておられるが よほど暇を持て余しているのか。
前に小生は「いや夫」殿を「理解不能な人物」とか「宇宙人」と評していたが 本心では精神異常者あるいは常人ではない変質者ではないかと疑っていた。短期間に大量の投稿を送りつけるといった非常識なやり方や 言っている事もバラバラで要領を得ていないし 全く一人よがりな事も言っている。 これは厄介な事になったと思ったのであるが 最近の投稿はまともなようである。
 
それでは 「いや夫」殿が小生に向けて言っておられる事について小生の見解を述べる。
 まず 会長への批判は朝起会への風評被害になるということであるが、小生は何度も言っているように「太陽神」殿の結論である「宏正会は上廣家の野望の産物」という視点でもって宏正会を見ている。
このような視点で朝起会への批判を見るとすべて会長に行き着くのである。
何故小生がこのような投稿をしているかは もう何度も言っている事なので繰り返さない。
確かにネットには宏正会への批判が数多くあるが 小生から見るとその多くは真実の声であるという事が分かる(「いや夫」は信じないであろうが)。
元会員(相当の数になろう)であれば 会から離れると(認知的不協和がなくなると)宏正会の本当の姿が見えて来るのである。また母親が熱心に実践している子供(これも相当な数であろう)であれば 母親がやっている実践というものを冷静に見ているであろう。このような人達が宏正会の不合理さを誰かに聞いてもらいたくてこのようなネットで必死に訴えているのである。わざと宏正会を陥れようととして偽の情報を流しているのであれば ここまで広がることはないであろう。明らかに宏正会自体に問題があるのである。
「いや夫」殿がいくらこのような批判を押さえようとしても全く無駄なことである。
「人が言うことには戸を立てられない」という諺があるように 宏正会自体が変わらなければこのような宏正会への批判の声は決してなくなりはしないのである。
 「批判をするにあたっては、確かな証拠と裏付けが欲しい」という事であるが、宏正会への批判の多くを「いや夫」殿は既に自分で納得したり自らで認めている。認めているものに証拠や裏付けは必要なかろう。まだ認めていのは「陰倍加」と「お祝金」ぐらいのものか(これについては後で述べる)。
 宏正会の普及方法についてであるが、宏正会はとにかく普及に熱心なことに特徴がある。
これは まず会員を普及に出させることで会員を洗脳する手段となっている(認知的f協和理論による)。そして会員を多く増やせば 会費 お祝金 倍加等で会の資金は豊かなものとなり 会長も多くの会員を擁する会の指導者として社会的地位も上がることになろう。また陰倍加などで幽霊会員を多くすることによって 会の年間の資金に対して会員という分母が多くなり 会員一人当たりの会への年間の出費額を低く見せることができよう。
 そして「多くのお金を注ぎ込んだ者が会の幹部となってもなんらメリットがない」ということであるが、確かに金銭的にはメリットがないかも知れないが 金銭ではない他のメリットがある。上のお役に就く事で下の者に色々と命令したり 偉そうな事を言ったりすることが出来るようになる。これは金銭では変えられない優越感なのであろう。別に社会的な地位のない何処にでもいる普通のオバサンやオジサンが上の役に就いているのは 自身は一般社会では味わえない優越感を会の中で感じることに喜びを感じているのであろう。このような人たちは いわば会長という権威の下で自分の権威を保っている訳であるので 会長に対して絶対に異を唱えることはない。むしろ会長を褒め称えることによってでしか自分の権威を保つことが出来ないのである。
このような仕組みのもとで 会長は易々と自分の野望を自由に成し遂げることが出来るのである。
 先代会長が本会を立ち上げた際、「倫理立国が成った暁には、この会を解散して、残余財産は全て国家に寄付をする」と言っていたという事であるが、これは小生が前に言った「宏正会に蓄積された勧誘の常套句」の一つである。
病人がいなくなれば医者はいらない。犯罪がなくなれば警察官がいらない。といった言葉と同じように 倫理立国が成ることは不可能であろう。要するに永遠に宏正会を存続させたいのである。会長には私心がないことをこのような言葉で誤魔化しているのである。全く子供騙しのような言葉である。
 
 「陰倍加」や「お祝金」の事を 「いや夫」殿は本当に知らないのか 知っていても知らないとしているのか分からないが、もし本当に知らないとしたら ハッキリと言って宏正会のモグリである。「太陽神」殿は「宏正会の半端者」としているが、この様なことを知らない者が宏正会についてアレコレ言う資格はない。知っている者からすれば 「いや夫」は全くの笑い者である。
「いや夫」殿は よくよく調べてモノを言うことである。これは笑い者にならないように「いや夫」殿への宿題とする。「いや夫」殿のように物事すべてを疑ってかかる人間が なぜこれらについて疑いをもって調べないのか不思議である。これも認知的不協和のなせる技か。それとも「いや夫」殿は世間や社会にはこのような目を向けることが出来ないただゲーム好きなお宅か。


 
 
 

20091022投稿への反論 その一

武蔵君、本当に君は嫌な奴だなあ。

たくさんの投稿は、太陽神や君が、がんばっている人をコケにするから。

(引用開始)
前に小生は「いや夫」殿を「理解不能な人物」とか「宇宙人」と評していたが 本心では精神異常者あるいは常人ではない変質者ではないかと疑っていた。短期間に大量の投稿を送りつけるといった非常識なやり方や 言っている事もバラバラで要領を得ていないし 全く一人よがりな事も言っている。 これは厄介な事になったと思ったのであるが 最近の投稿はまともなようである。
(引用終了)

  「最近の投稿はまとも」な理由がわかるかな?君が太陽神(キャラ)のように雲隠れしないように、追求の手を緩めているのです。一部意見が合うなどと君を立てたのも、同じ理由です。全く君を認めていません。でも、逃げないで討論につきあってね。

 私から見れば、君こそ変質者です。
君のプロフィールって「変」だよねえ。
以前、私はこんなコメントを打ったんだけど、これは演技なのです。

(引用開始)
実は、武蔵殿のプロフィール公開への返答は難しいのです。
 私がネットの情報だけを信じるネットゴラムを批判する根拠そのものだからです。
 相手が言っていることは、嘘か本当か?
 答えは「わからない」からです。
 もし、武蔵殿が嘘をついていたことがばれれば、私の勝ちとできるかもしれません。
 しかし、膨大な投稿のどこにヒントがあるやら。
武蔵殿が真実ばかりを語ったと仮定すれば、矛盾点は見つけられないかもしれません。
 困っています。
(引用終了)

 なんて書いたけど、実はちっとも困っていません。
だって、最初のプロフィールと、二度目に公開したプロフィールと矛盾だらけでしょう?
すぐ感じたんだけど、もう少し様子を見ようかなあと、君を泳がしているだけです。

(最初のプロフィール引用開始)
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。もちろん「レイモンド」殿が言っておられるように ネットに載っていることはそのまま鵜呑みにすることは出来ないものであり その裏付けが必要であることも承知しているつもりである。
多くの者が調べ事をする場合 まずはウィキペディアを見るのではなかろうか。「実践倫理宏正会」で検索すると どの検索サイトでも最初にウィキペディアで説明されている。その後は 宏正会批判のサイトのオンパレード。
まず小生が疑問に思ったのは 「宏正会」が戦前の「ひとのみち教団」の流れをくみ 「倫理研究所」から分派したと説明がなされていたことである。小生にはそのような説明は何もなかった。ただ先代先生が原爆に遭われてから将来の日本を思われて宏正会を創設されたと説明されたのみであった。小生は宏正会について何かウサンクサイものを感じ 自分なりに「宏正会」について色々と調べてみた。2チャンネルを始め多くの宏正会批判のサイトがあるが このブログの「太陽神」殿は宏正会の成り立ちを文献に根拠を求めて詳細に説明され また宏正会の問題点を体系的に説明されている。小生はその文献に当たってみたり また実際に宏正会の会員また退会された人から話を聞き、自分なりの宏正会像というものが見えて来た。そこで小生もこのブログをお借りして愚見を披露してみたいと思った次第である。
(引用終了)

 以上から言えるのは、絶対朝起会の会友になるわけがない人物。

しかし、二度目のプロフィール
(引用開始)
小生に関してであるが、朝起会参加を0としているが 朝起会の知人とは10数年来の付き合いであるので朝起会には全部で20回以上あるいは30回ほど行ったことになるのかも知れない。「壮年の集い」にも何度か参加したことがある。支部の会員には何人も知り合いがいるし 以前に地区の幹部をしていて今は朝起会から遠ざかっている者とも付き合いがある。
従って小生は宏正会に関する情報に関してはネットでの情報だけでなく会員あるいは元会員から充分に裏付けを取っていると思っている。
(引用終了)

 以上から言えるのは、「会友」である。壮年の集いに何度行ったかで、会友歴もわかりそうだ。

 上記二つのプロフィールの解釈として、

A 実は会友ではない。
 証拠を示せと迫られたので、会友歴があるふりをしただけ。だから、10数年来の付き合いの朝起会知人とか、元会員とかも架空の人物。ネットの情報がほどんど人間。

B 実は会友である。
 朝起会を疑いながらも、会友となり内部事情を探る。知人を平気で裏切る奴。2009年8月24日の投稿では、同じ支部の二人の婦人との会話を紹介しバカにする。今回の投稿も中傷そのものだ。
(引用開始)
そして「多くのお金を注ぎ込んだ者が会の幹部となってもなんらメリットがない」ということであるが、確かに金銭的にはメリットがないかも知れないが 金銭ではない他のメリットがある。上のお役に就く事で下の者に色々と命令したり 偉そうな事を言ったりすることが出来るようになる。これは金銭では変えられない優越感なのであろう。別に社会的な地位のない何処にでもいる普通のオバサンやオジサンが上の役に就いているのは 自身は一般社会では味わえない優越感を会の中で感じることに喜びを感じているのであろう。
(引用終了)

 朝起会に入れば、会友がどんなに純粋な気持ちで実践に打ち込んでいるかがわかるはずだ。しかし、そんな人々をこのように蔑んで嘲笑している、君こそ変質者だ。

 真実は、AかBか? あなたは会友ですか?

 まあ、どちらにしても、たいした奴ではないということだ。きっと、「別に社会的な地位のない何処にでもいる普通のオジサン」または「おこちゃま」なのだろう。

(続く)

20091022投稿への反論 その2

 討論相手のブログ位読んでみたら?
だいたい、このブログでの最初の投稿で書いているし・・・。おバカさん?

(引用開始)
 「陰倍加」や「お祝金」の事を 「いや夫」殿は本当に知らないのか 知っていても知らないとしているのか分からないが、もし本当に知らないとしたら ハッキリと言って宏正会のモグリである。「太陽神」殿は「宏正会の半端者」としているが、この様なことを知らない者が宏正会についてアレコレ言う資格はない。知っている者からすれば 「いや夫」は全くの笑い者である。
「いや夫」殿は よくよく調べてモノを言うことである。これは笑い者にならないように「いや夫」殿への宿題とする。「いや夫」殿のように物事すべてを疑ってかかる人間が なぜこれらについて疑いをもって調べないのか不思議である。これも認知的不協和のなせる技か。それとも「いや夫」殿は世間や社会にはこのような目を向けることが出来ないただゲーム好きなお宅か。
(引用終了)

 全部下記のブログに書いてます。
ちなみに、妻は二世だから、いろいろ知ってますよ。朝起会の年間支出は、毎年ハワイ旅行に行ける位だよ。
こういうと、バカの一つ覚えで「認知的不協和」のワンパターンで攻めてくるだけだから、言いたくないんだけどね。それだけの価値があると思って頑張っているの。

<関連資料>君の疑問に答える記事一覧(めんどくさいので、読みにきてね。)

お金について
http://58807828.at.webry.info/200909/article_7.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_18.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_27.html
 上記逸話の「宏正」が「新世」だというあなたたちの指摘は知っています。いちいち突っ込みは不要
http://58807828.at.webry.info/200910/article_28.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_29.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_30.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_43.html

社会について
http://58807828.at.webry.info/200910/article_46.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_47.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_48.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_49.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_50.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_58.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_59.html
 「国民会議」とか何とか言ってる君とは意見が違うでしょ?

ゲームについて
http://58807828.at.webry.info/200909/article_51.html
 俺、コンピュータゲームを全然やらないよ。人生の無駄使いだよ。

(続く)

20091022投稿への反論 その三

 「数多くの必死な訴え」はどこにいったの?

(引用開始)
何故小生がこのような投稿をしているかは もう何度も言っている事なので繰り返さない。
確かにネットには宏正会への批判が数多くあるが 小生から見るとその多くは真実の声であるという事が分かる(「いや夫」は信じないであろうが)。
元会員(相当の数になろう)であれば 会から離れると(認知的不協和がなくなると)宏正会の本当の姿が見えて来るのである。また母親が熱心に実践している子供(これも相当な数であろう)であれば 母親がやっている実践というものを冷静に見ているであろう。このような人達が宏正会の不合理さを誰かに聞いてもらいたくてこのようなネットで必死に訴えているのである。わざと宏正会を陥れようととして偽の情報を流しているのであれば ここまで広がることはないであろう。明らかに宏正会自体に問題があるのである。
「いや夫」殿がいくらこのような批判を押さえようとしても全く無駄なことである。
「人が言うことには戸を立てられない」という諺があるように 宏正会自体が変わらなければこのような宏正会への批判の声は決してなくなりはしないのである。
(引用終了)

 このブログでもそうだけど、朝起会への批判の投稿が書きっぱなしが多いのはなぜ?
必死に訴えてるんだったら、継続的に追求するはずでしょ。何で一度っきりの投稿で、「ほとんどか消えていくの?」
 答えは決まっている。ほとんどすべてが、少数の人物による複数投稿だからだ。多数のキャラを一緒に継続させるのが、「面倒なこと」だからだ。まあ、ときには、会話形式にして、さも多数の人物が同じ内容を追求しているふりをしたりするけどね。まあ、そんなのは後で、読めばわかるから、これからぼちぼち指摘させてもらう。

 とりあえず、今までの投稿をすべて分析してみた結果を見てちょ。
この「実践倫理宏正会って何?」のブログにて、3回以上投稿した人物をすべてピックアップしてみたがね。
期間は、私が「否定派はなりすましによる複数投稿をしている」と指摘した2009年10月12日までだがね。

見方は、
最初の投稿日:ニックネーム:発言回数:討論の立場:最終投稿日
1  20060307:鯰の鬚は4本:27回:肯定派:20090516
2  20060425:まるまるまある:6回:肯定派:20060525
3  20070506:実践倫理宏正会ウォッチャー:19回:中間派:20080804
4  20070609:どらえもん:4回:否定派:20070717
5  20070702:鉄男:4回:否定派:20070721
6  20070821:レイモンド:66回:肯定派:20090730
7  20070915:虚無僧一路:22回:肯定派:20090401
8  20080323:しもも:3回:肯定派:20080324
9  20080325:さすけ:3回:肯定派:20080329
10 20080329:さくら:23回:肯定派:20090423
11 20080401:倫:9回:肯定派:20080516
12 20080502:hana:10回:否定派:20080515
13 20080628:ぴろり:13回:肯定派:20090713
14 20081009:高貴高齢者:37回:中間派:20090910
15 20090207:高塚地蔵尊:6回:否定派:20090620
16 20090302:名無し:7回:否定派:20090320
17 20090305:お客様会友:6回:否定派:20090516
18 20090323:ami:3回:肯定派:20090327
19 20090324:シリウス:11回:否定派:20090531
20 20090324:太陽神:28回:否定派:20090507 
21 20090328:半兵衛:6回:否定派:20090412
22 20090514:東経:14回:否定派:20090623
23 20090602:武蔵:44回:否定派:現在
24 20090613:至誠会:5回:否定派:20090626
25 20090628:究明団:5回:否定派:現在
26 20090706:匿名希望:4回:否定派:20090715
27 20090809:ボケ老人:3回:否定派:現在
28 20090831:from2ちゃん:3回:否定派:20090918
29 20090901:鉄槌:3回:否定派:20090925
30 20091009:いや夫:20回:肯定派:現在

 以上たった30人だけである。
これを、初投稿した年度ごとに、肯定派対否定派の比率を見てみよう。

年度  肯定派  否定派
2006   2  対  0
2007   2  対  2
2008   4  対  1
2009  14  対  2

 ということで、2008年までは、このブログは肯定派が優勢だったのである。
武蔵が見た「宏正会批判のサイトのオンパレード」というのは、朝起会が作ったような良質なブログではなく、要するに「2ちゃんねる」なのである。

(太陽神、ボケ老人、from2ちゃんetc)どいつもこいつも、所詮「ちゃねらー」なのである。

2009年2月7日の「高塚地蔵尊」の攻撃以来、ちゃねらーがこぞって攻撃している、ただそれだけのことである。このブログでは武蔵は優等生の文章を書いているが、あちらではさぞかしひどい文を書いているのであろう。
「ネット記事を本気にする方は、それまでの人なのでしょう。」なのである。こんなのと討論していると、本当に時間の無駄だと思います。
でも、乗りかかった船なので、太陽神または太陽神キャラがご登場するまでがんばります。
 バカの一つ覚えの「認知的不協和理論」への反論は、彼にぶつける予定です。

早く出てこないかなあ?



(追伸)

(引用開始)
 「批判をするにあたっては、確かな証拠と裏付けが欲しい」という事であるが、宏正会への批判の多くを「いや夫」殿は既に自分で納得したり自らで認めている。認めているものに証拠や裏付けは必要なかろう。まだ認めていのは「陰倍加」と「お祝金」ぐらいのものか(これについては後で述べる)。
(引用終了)

 ちゃねらーの投稿なんてすぐに見破って無視しているよーだ。
本当の会友や元会友の話は認めているが、それは批判記事の二十分の一以下だよーだ。
勝手に「いや夫」が認めていることにするな。
たとえば、「田中丸」の投稿なんて信じてるの?(自分で打ったなら信じなきゃね?)

追伸

まちがい訂正

年度  肯定派  否定派
2006   2  対  0
2007   2  対  2
2008   4  対  1
2009   2  対 14

2009が逆ね。



んーーーぅぅうぅうううもみもみいいいいい!

会った瞬間に「おぱいぱいー!」って言いながらワシワシ乳 揉んだら
相手も思いっきりティン コしごいてきてちょーノリノリだたよお!!!

ヤ る前から3 万くれて終わってからまた5 万くれたし何この魔法www

http://mata.yescompile.com/xgb-bz4/

やらねー奴バカだろ(^^; 殿

 典型的なちぇねらー君だね。

「否定派は所詮ちぇねらーである」に
清き一票を投じてくれてありがとう。

 彼が、太陽神や武蔵君の仲間です。

「バカの一つ覚え」って、「我も人もの幸せ」ってお念仏のように繰り返してるあれのこと?

「バカの一つ覚え」って、「我も人もの幸せ」ってお念仏のように繰り返してるあれのこと?

小生もこのブログに投稿することが長くなってしまい 近頃は少々ダレ気味で論点も無くなってきたので 「いや夫」の挑発に乗ったのであるが 小生は「いや夫」と討論したという感覚はない。「いや夫」の言っている事に答えただけで それに対する反論というものが無ければ討論ではなかろう。 
「いや夫」も言うことが無くなったのか ただ訳の分からない「ちゃねらー」という言葉で小生のことを評するだけである。小生は全くのガキを相手にしていたようである。

「いや夫」は小生のプロフィールがおかしいとしているが、小生がネットを始めたのが今年になってからのことであり 朝起会について調べたのもそれからであるからこのような表現になったまでのこと。
妄想というものは色々と広がるようである。ご苦労なことだ。
 小生は「いや夫」のブログを眺めたことはあるが 中身は読んではいない。このブログで討論の相手とされる「いや夫」の書いたものさえ長いものは流し読みで論点らしき所を探して自分の意見を言っているだけである。
 「いや夫」は「朝起会への批判が書きっぱなしが多いのは何故?」と疑問に思っているようだが、別に不思議なことでもなかろう。人それぞれ忙しい生活があり たまたま何かのきっかけで朝起会の批判を書いたとしてもそれで満足した人も大勢いるのであろう 何ら不思議な事とは思えない。
  
 それでは本題に入る。「いや夫」は小生との討論をゲームとしているが、その勝負なら最初から決まっている。
「いや夫」は宏正会への批判の事実をすべて認めた所から小生との討論に入っている。
小生の見る限り宏正会に対する批判は  会の成り立ち 会長の自宅等の豪勢な私生活 会員の買取制による「倫風」頒布 強引な勧誘 倍加 陰倍加 お祝金 位のものであろう。これらの事実すべてを「いや夫」は認めている。それどころか「いや夫」の家では朝起会への年間支出は毎年ハワイ旅行に行ける位とまで自白している。
小生が前に「会長の自宅」について述べた時や「宏正会は会長のお金儲けのために作られのか」について述べた時に、同じ事実について宏正会を批判する人はそれらの事実に対して批判的に見るし 会員であれば色々な理屈を付けて肯定的に見ることを 敢えて小生は私見を交えず客観的に述べた。
要するに全く同じ事実であるのにを見方によって正反対な受取り方をすることが分かった。
 「いや夫」は根本的な過ちを犯している。
宏正会が批判されている事実を「いや夫」はすべてを認めてしまった。色々と批判されている事実が決して嘘ではない事を宏正会の会員であり宏正会を擁護している者が認めてしまった。「いや夫」のお陰で宏正会について批判されている事実がすべて本当である事が証明されてしまったのである。これは宏正会にとって致命的なことである。
後はこの事実に対する評価である。
「いや夫」の言っている事は宏正会の中で会員の間だけで言うのであればそれでもいいのかも知れない。しかし「いや夫」は世間に向けていい気になって色々と言っているのである。 「宏正会に批判的な人」は「いや夫」の言っている事をどのように捉えるであろうか?
「宏正会に入るとこのような考えになってしまうのか。宏正会 恐ろしや 恐ろしや」と思うに違いなかろう。「いや夫」が調子に乗って言えば言うほど「宏正会 恐ろしや 恐ろしや」という気持ちは高まろう。
要するに「いや夫」は全くピエロを演じていることになる。このことを残念ながら「いや夫」は全く分かっていない。哀れとしか言い様がない。
宏正会は会員にネットには関わらないようにと言っていると聞く。しごく賢明な方法である。それなのに宏正会の末端が全くバカな事をしてしまった。
これがヤクザ組織であったらどうなるか。
全くのチンピラである「いや夫」は世間では色々言われてはいるが組では秘密にしている事をすべてバラしてしまったのである。「いや夫」は世間に組の悪事をすべて認めていい気になってそれを弁明しているのである。
組としては「いや夫」の指を落とす位で落とし前はつくまい。山に埋められるか ドラム缶に詰められて海に沈められなければ落とし前はつくまい。
「いや夫」は対立する組はもとより自分の組にも狙われて孤立無縁の状態だ。もはや行き場はあるまい。
普通だったら娑婆から姿を消すしかないと思うが 「いや夫」はどうするつもりだ。 

   


 

武蔵君 君に負けているつもりはない。心配はご無用である。人の心配をする前に、自分の読解力のなさを心配しなさい。

 私は、このブログに書かれている朝起会に対する批判記事をすべて否定するつもりはない。もちろん、その批判をすべて肯定しているわけではない。おのおのの批判に対する反論を逐一書いている。

 私は、朝起会の点数を90点とする。足りない10点が私も感じる問題点だ。
 しかし、君たちの主張では、朝起会を何点と評価しているのだ。そもそも、社会のために何の努力もせず、ネットで批判ばかり書いているものが、朝起会を評価できるのか?

 理解力が乏しい君のために、論点を絞って我が論を述べる。


 まず、最初は会の成り立ちから私見を述べる。

 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」

 解説する。朝起会は、ひとのみち教団から派生した組織である。そのことは書籍などでも周知の事実なので、私はそれを否定しない。

 問題は、それをわざわざ朝起会が広報する必要があるかどうかということだ。
私は、その必要は全くないと考える。

1 君たちが書いている内容は、出典の不明確な中傷が多い。

2 たとえば、wikiの参考文献となっている「新宗教事典」では、ひとのみち教団を起源とする「倫理修養団体」と分類されており、他の新宗教とは明らかに取り扱いが違う。少なくとも宗教であるとの分類はされていない。

3 具体的に言えば、ひとのみち教団では、「教主が信徒の苦痛を身代わりして引き受け、信徒を救う」「教主が信徒の悩みや苦難に対して神秘直感によって直接診断、指導を与える」「教祖を神格化する」などが行われていたが、実践倫理宏正会では、これら宗教的要素を一切払拭している。

4 ひとのみち教団は、教祖が強姦の罪で逮捕されるなどイメージが悪い。

5 宗教団体は政府から弾圧を受けていた。

6 よってひとのみち教団から教えを引き継いだ部分があるとしても、その宗教色を除き、倫理修養団体として全く新たな組織を作ったのだ。

7 倫理研究所との確執など知ったことではない。分派がなぜいけないのだ。もし、分派がいけないとしたら、なぜこんなにもたくさんの宗教組織があるのだ。

8 上廣哲彦氏が原爆を体験し、それをきっかけとして、新しい倫理修養組織を作ろうとしたのは、まぎれもない事実だ。

9 ちなみにひとのみと教団は、PL教団へと形を変えている。今となっては、実践倫理宏正会とは、まったく関係のない組織だ。

10 朝起会は、会友に別の宗教に入っても構わないとしている。宗教組織ではないからだ。

 以上のことから、ひとのみち教団とのつながりを断って新たに作られた組織であるから、原爆を契機に朝起会を作ったという会の成り立ちを広報することには何の問題点もない。
ひとのみちより教団よりもよりよい組織を作ろうとすれば、当然の方法である。

 丸山敏雄氏との関係については、下記のような投稿もあり、特に問題点を感じない。否定派は反対意見を無視するばかりだから嫌だ。 おばかさん?

(引用開始)
会の草創期、先代会長の行動などは、以前から色々と言われていますね。私も頒布をしていて偶然にお会いした、あちらの会の方(どうやら会場責任者に相当する方らしいようです)から直接、先代会長は裏切り者である旨を聞かされた経験があります。
真相はと申しますと、正直な所、私も全ては存じません。ただ、その昔の講演で、先代会長が(言わばこちら側の思いとして)語ったことがあると、その講演内容をご存知の方から経緯を聞かされた所では、当時は戦後の混乱期でもあり、『ひとのみち教団』で知己であった丸山先生(倫理研究所創設者)と一緒に、倫理復興運動を立ち上げようとしたのは事実のようです。

先代会長としては、あちら側がとやかく言う事にも色々と弁解やら、思う所もあったであろうと推察しますが、その辺は事実のみを述べて、言い訳染みた事や『思い』は黙して語らなかったため、今以て不明の部分も多くありますが、「それぞれの活動が緒に就いた所で、己の信ずる道に向かうため別々に活動を始めた」旨を先代会長は語ったと聞いています。

なお、参考までに最も古い朝起会の開催記録は、昭和22年9月17日(石川県・小松天満宮にて。会ではこの日を以って朝起会発祥の日としている)ですので、あちら側が主張している『裏切り』以前に、この会の実質的な活動は始まっています。蛇足ながら付け加えますと、この日以降、今日まで「朝起会」は一日も欠ける事無く続いています。

もう一つ付け加えますと、『ひとのみち教団』は一般的な宗教とは違い、個人の精神修養を主体とした団体だったようで、この会のあり方に近い会員組織(団体)であったようです。先代会長はこの部分を更に推し進めるため、この会を『宗教法人』としてではなく、文部省(現在は文部科学省)の設立許可が必要な、社団法人の社会教育団体とすべく立ち上げたと聞いています。(この辺は丸山先生の倫理研究所も同様の趣旨ですね)
投稿 鯰の鬚は4本 | 2008.01.25 12:05 午後
(引用終了)

(引用開始)
丸山先生と先代会長の関係については、本会側・倫理研究所側含め色々とお聞きしておりますが、お書きの通り、丸山先生に先代会長が協力する(一般的には師事すると見られる)形であったようです。
「理論の丸山(倫理研究所創設者)、実践(実行力・普及力)の上廣(先代会長)」と呼ばれて、先代会長は丸山先生の右腕のような存在であったそうですね(これは倫理研究所の会員の方からお聞きしたものです)。

両者が互いに認め合って、その後も共にあればもっとより善い会が存在したのでしょうが、実際は今のような状況となっております。
その直接の原因が先代会長にあったのは、客観的に見ても明らかでしょうが、先代会長としても、そうせざるを得ない形になって行った旨を、これは本会の古参会友さんから聞いた事があります。
曰く、丸山先生は、先代会長の「人気が高く、自身の人気(カリスマ性)のなさを目の当たりにして、嫉妬をされるようになって行った」との事。
北陸地方で先代会長が普及を(担当)していた草創期、丸山先生がお入りになる場ではあまり人が集まらず、先代会長が入る場合とはまるで集まる人数が違ったようです(先代会長の意図があったかどうかまでは不明ですが)
(中略)
本会の創立日を昭和21年5月3日としているのは、その日を以って、先代会長が本会の活動を明確に決意し、行動に移した日(友人にその旨を手紙に書いて賛同を求めた、とも聞いています)としています。
批判するつもりはありませんが、倫理研究所が創立日を昭和20年9月とされたのは、それを知った丸山先生が、本会よりも先に「活動を開始した」証拠とするために、事後的に設けられた(少なくとも設立当時はなかった)と、これは第三者(どちらの会にも属さない人)から聞いた事もあります(真偽の程は不明です)。
どちらの「活動開始が先」かは、それこそ「水掛け論」にもなりますから、あまり論じたくはありませんが、上記のご友人(最古参の会友)は昭和21年6月に賛同の返事を出された(その会友さんはその日を「入会日」とされていた)、と聞いています。
投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.13 06:58 午前

(引用開始)
なお、上廣哲学が丸山敏雄氏の創作を取り入れたものだとして二三の用語を揚げておられますが、いささか事実と異なります。丸山/上廣両氏の用語は殆んどが「ひとのみち教団」から来ております。太陽神様が揚げておられます、「捨て育て」「倍加」「愛和(相和)」や「演談」などもひとのみちにあり、例えば「捨て育て」は、同じく太陽神様がreferしておられます、同教団教師心得第三章七節「育児」に解説されています。
ひとのみちには全く無く、丸山敏雄氏の創作で上廣哲学に取り込まれたものをあげるなら、丸山氏畢生の哲学論理「全一統体」の原理で、これは哲彦先師を通じて栄治会長にも継承され、文字通り会長最初の著作、「継踵」のなかの「技術と倫理」の節でこの言葉がでております。これは後年よく止揚昇華され、「大自然の摂理」として、まさに実践倫理の中心命題として、動かぬ地位を占めていること万人の認めるところであります。
投稿 レイモンド | 2009.04.14 04:45 午後
(引用終了)

(引用開始)
(5) 「宏正会」と創始者の経歴のこと。上廣哲彦先師は昭和10年、30才のとき「ひとのみち教団」に入信され、数々のご遍歴ののち、昭和21年9月、41才のとき「朝起会」を発足させられましたが、当初は師の主催する「小松」「福井」「三国」「富岡」「富山」の五ヶ所を丸山敏雄氏率いる「新文化研究所」の北陸グループとして登録されておりました。
これらの事実は、一般書籍などで公表されており、タブーとしていることはありません。
投稿 レイモンド | 2009.07.02 10:34 午後
(引用終了)

(続く)

 

20091026武蔵への反論 その二

(引用開始)
小生の見る限り宏正会に対する批判は  会の成り立ち 会長の自宅等の豪勢な私生活 会員の買取制による「倫風」頒布 強引な勧誘 倍加 陰倍加 お祝金 位のものであろう。これらの事実すべてを「いや夫」は認めている。
(引用終了)
 
 に対する反論は、まずこれである。
(引用開始)
ちゃねらーの投稿なんてすぐに見破って無視しているよーだ。
本当の会友や元会友の話は認めているが、それは批判記事の二十分の一以下だよーだ。
勝手に「いや夫」が認めていることにするな。
たとえば、「田中丸」の投稿なんて信じてるの?(自分で打ったなら信じなきゃね?)
(引用終了)

 これでは、平行線のままなので、もう一度(読解力が低い)武蔵君のために簡単に説明する。

「会のなりたち」について 前述

「会長の自宅等の豪勢な私生活」について、
(これについては、今までさんざん書いたので読んで理解してちょ。)
「実践倫理宏正会の会長にふさわしい暮らしへに対する部外者からの中傷。会長宅は首相官邸のようなもの。セレブのおつき合いも大変。(セレブとは本来お金持ちという意味ではなく、名声が高い人という意味である。日本人は勘違いしている。)プライバシーのない会長が息抜きしたり、政治家や経済界の重鎮と社交をされる場なのだろう。ひがむな。
 なお、会費は、同窓会費みたいなものである。営利事業で集めたものではないので、非課税だと思う。その使い方については、「内部の者」が検討すべきで、外部の者がとやかく言う資格はない。」
 <関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_19.html
かのブログ 投稿 いや夫 | 2009.10.22 06:06 午後

「会員の買取制による「倫風」頒布」 当然である。万人普及主義が朝起会の方針である。

「強引な勧誘」 後述する。

「倍加」  何ら問題なし

「陰倍加」  後述する。

「お祝金」  ネットでは金額を誇張した嘘の投稿が多いと感じる。
  私見としては、
 (引用開始)
  何万以上の寄付金は本人からの自発的な
申し出以外ではもらうべきではないと思います。
100万単位なら、親族一同、遺産相続人
全員の許可も必要だと思います。
 (引用終了)

なお、
(引用開始)
それどころか「いや夫」の家では朝起会への年間支出は毎年ハワイ旅行に行ける位とまで自白している。
(引用終了)

 別に自白したわけではない。俺は犯罪者か?
社会のために、これほどのお金を差し出しているというのに、何で武蔵ごときに文句を言われなければならないのだ。
 君は年間、いくら募金しているのかね?おそらく1000円も出していないのだろう。「我も我も」の人間のはずだ。

 朝起会に長年関わってきた妻は、その価値を高く評価し、その普及のためにこれほどのお金を差し出しているのだ。今年になって朝起会を知ったような新参者が批判することではない。

 なお、それほどまでに、朝起会を応援し、出費しているのかは後述する。

(続く)

20091026武蔵への反論 その三

「強引な勧誘」ついて

 悪意をもった投稿で、何十倍にも批判の声が誇張されていることは感じる。その上でも、強引な勧誘は止めようというのが、私見である。

 しかし、そんなことを言っていては、普及がなかなか進まないのも事実である。実践者は悩んでいる。

 なお、我が妻の母親も、勧誘を受けてから実際に会友になるまで何年もかかったそうである。今でこそ「終始一貫の会友」である母でさえ、そうなのである。ある程度粘り強い勧誘も必要なのであろう。

 この問題については、私の立場が下記のようなものだからである。

http://58807828.at.webry.info/200910/article_43.html

(続く)

20091026武蔵への反論 その四

 陰倍加については、私も全面的な支持はしない。
本部もそのような指導はしていないそうなので、なくせばいいとさえ思う。
その一方、会友自身が、その効能を信じて、積極的に行っている面もあるように感じる。
難しい問題だが、下記の鯰の鬚は4本氏の投稿の方が、私見より優れていると思い紹介する。

(引用開始)

陰倍加については私自身も色々と思う所はあります。単なる数合わせ・目標必達(集金?)のためのものであれば、他に『合法的』な形(会費の増額なり、寄付に回すなり)へと変更する必要があろうと思います。
今までにも述べましたが、本来の『陰倍加』(ウラ倍加?ではないもの)はその名の通り、陰ながらその人の仕合せを願う心の発露から行われているものです。
演談をお聞きになった会友さんが『陰倍加』をお勧めになったのも、結婚されたご親族の仕合せを、単純に願ってのものと推察致します。

仰る通り、この頃は世間一般にも法律遵守を殊更意識する風潮が出ていますので、その辺の配慮も必要になってくると思います。(余談ながら『Compliance』と言っても、米国では意味が通じないそうですね)
ただ、法律に詳しい方に聞いた所では、厳密に言えば『有印私文書偽造』に当たるかも知れないが、基本的に『被害(者)』が存在していない所から、一般的な解釈としてはシロ(事件としての立件は多分無理)ではないか、との事でした。
もう一つ、個人情報保護法の観点からも問題がありそうですが、こちらにしても、収集した個人情報を会として組織的に『悪用』するか、管理不徹底に拠る流出など、重大な過失事例がない限り法の趣旨には抵触しないようです。

法律論はともかく、全く見ず知らずの人々の名前をでたらめに流用するのは、道義的にも許容範囲を超えたものと私も感じます。が、ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲かと感じておりますが、如何でしょうか。
何れにせよ、これも『強要』されるのは問題ですから、その辺は『正しい実践』をと願うのみであります。

投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.08 08:49 午後
(引用終了)

 ちなみに、我が家の陰倍加は下記のようなものである。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_18.html

 やっと本人への反論に入れる。相手が一人でもこれだけ大変である。先人は、どこの馬の骨ともわからぬ複数の批判者に中傷され、討論に疲れた。理論ではまさっているにもかかわらずである。先人の投稿を活用できる私は幸せである。

さて、
(引用開始)
「いや夫」は小生のプロフィールがおかしいとしているが、小生がネットを始めたのが今年になってからのことであり 朝起会について調べたのもそれからであるからこのような表現になったまでのこと。
妄想というものは色々と広がるようである。ご苦労なことだ。
(引用終了)

 今まで、さんざん偉そうなことを書いてきたくせに、朝起会のことを何も知らない新参者ということになる。会の内部事情など知っているはずがない。
 太陽神を尊敬し、その紹介した書籍にすべてあたったなどと書いているが、どうせ真っ赤な嘘だろう。「新宗教事典」で、実践倫理宏正会が新宗教に分類されていないことさえ知らないようだ。2ちゃんねるや太陽神の投稿をうのみにしただけだ。

 以前の我が投稿を引用すると、
(引用開始)
A 実は会友ではない。
 証拠を示せと迫られたので、会友歴があるふりをしただけ。だから、10数年来の付き合いの朝起会知人とか、元会員とかも架空の人物。ネットの情報がほどんど人間。
(引用終了)

 ということだ。たいした奴ではなくて残念である。

やはり、早く太陽神に出てきてもらいたいものだ。
田中丸君でもいいけど・・・。

 

 武蔵君、知らないみたいだから教えておくね。

「壮年の集い」は一年に一回しかないんだよ。

{「壮年の集い」にも何度か参加したことがある}君が、何でこんな言い訳するの?

 会友からみれば、君のプロフィールは0点だよ。どう解釈すればつじつまがあうのかな???

 嘘を一つつくと、その嘘をがまかすために新たな嘘をつかないといけないようになるんだよ。
もっと正直に生きようね。


(引用開始)
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。
(引用終了)

(引用開始)
小生に関してであるが、朝起会参加を0としているが 朝起会の知人とは10数年来の付き合いであるので朝起会には全部で20回以上あるいは30回ほど行ったことになるのかも知れない。「壮年の集い」にも何度か参加したことがある。
(引用終了)

(引用開始)
「いや夫」は小生のプロフィールがおかしいとしているが、小生がネットを始めたのが今年になってからのことであり 朝起会について調べたのもそれからであるからこのような表現になったまでのこと。
妄想というものは色々と広がるようである。ご苦労なことだ。
(引用終了)

 みなさん、彼はどうも「狼少年」のようです。
彼の投稿は疑って読むようにしましょう。
ネットではそれが当たり前の読み方です。

20091027武蔵投稿への反論 続き

(引用開始)
これがヤクザ組織であったらどうなるか。
全くのチンピラである「いや夫」は世間では色々言われてはいるが組では秘密にしている事をすべてバラしてしまったのである。「いや夫」は世間に組の悪事をすべて認めていい気になってそれを弁明しているのである。
組としては「いや夫」の指を落とす位で落とし前はつくまい。山に埋められるか ドラム缶に詰められて海に沈められなければ落とし前はつくまい。
「いや夫」は対立する組はもとより自分の組にも狙われて孤立無縁の状態だ。もはや行き場はあるまい。
普通だったら娑婆から姿を消すしかないと思うが 「いや夫」はどうするつもりだ。 
(引用終了)

 心配してくれてありがとう。やさしいんだね君は。2ちゃんねる出身者の君は、朝起会をオウム真理教みたいな組織だと思い込んでいるようだね。そんな怖いところではないから、一度入会してくれたまえ。カルトではないということはわかってもらえると思う。(入会して、カルトだと思っている元会友も多いようなので困るが。)
 君のように、お金にうるさい人が会友に増えれば、それはそれで結構なことだと思う。男の感覚からすれば、そんなに朝起会にお金をつぎ込むべきではない。我が家でも、年間支出は「ハワイ旅行」レベルではなく「沖縄旅行」レベルでおさえてもらいたいというのが夫の本音だ。その点では、君たちが言っている「一部」は正しい。

 でも、これからも君たちの批判を続けます。

 我が妻がなぜ朝起会を続け、夫の私がなぜ応援しているのか?
 それは朝起会の教えがまちがっていないと思うからです。その教えをぜひ広めたいと思うし、そのために資金が必要なら差しだそうということです。正直言って、年間「ハワイ旅行に行ける位」というのは、痛すぎる出費です。でも、その位の価値はあるというのが、我が家の結論です。

 なお、朝起会の出費は、会場によっても経験によっても千差万別でしょう。二世会友で30冊の「倫風」頒布をノルマとしている妻なら、こんなものなのでしょう。(男の感覚からすれば、「高すぎる!」と思います。でも妻は妥当な額だと思っています。妻を愛していて、その位のお金は自由に使わせてあげたいと思うので、同意します。それだけの暮らしができていることに感謝し、社会に還元します。)

 もちろん、新会友からこんなにとってはいけません。それでは悪質商法です。会費だけの会友さんがたくさんいて、出してもいいよという人だけ、もう少しがんばるような会が理想だと思います。

 なお、妻は二世なので朝起会の目指す倫理感は自然と身についています。良妻賢母です。妻の母もそうです。だから、ある意味、もう朝起会をやめても別段困ることはないと思います。では、なぜ止めないのか?いやいやながら頑張っているのか?

 本人は自分が磨かれるからと言っています。

 私は、子どものことを思います。
 我が家の子どもたちをすくすくまともに育てる自信はあります。しかし、我が家の子どもが健全に育ったとしても、まわりに家庭愛和に恵まれず不幸な子どもたちがたくさんいたら、我が子は良い友達に恵まれるでしょうか?ちびまる子ちゃんの学校のようなのほほんとした教室が、今も存在しているのでしょうか?20年後の社会は、倫理面でどれほど荒廃しているのでしょうか?
 そういうことを考えると、我が家だけの家庭愛和では意味がないのではないかとも思えます。そんなこんなで、妻は朝起会を続け、私はブログで朝起会の良さを訴えています。

 いや夫はピエロで結構、でくのぼうで結構。善いものは善い、悪いものは悪いと、私見を書きます。

 なお、何度も書きますが、私は朝起会の実践者ではありません。「人の悪を言わず 己の善を語りません」ができない未熟者で嫌みな奴です。朝起会の実践者は、もっといい人ばかりです。

 私の投稿の一つの区切りは、太陽神と十分に討論することです。

 このブログは2008年までは、朝起会について賛成派と否定派のどちらもが意見を書くことができ、良質な討論がなされていました。とはいっても、朝起会実践者の素直な投稿をつぶす攻撃的な批判はありましたが・・・。それがネットの世界なのでしょう。

 しかし、2009年からは、否定派が圧倒的になり、朝起会のネガティブキャンペーンの様相をていしていました。

 しかし、その意見を読んでみると、どうでもいいことをねちねちねちねちねち追求するばかりではないですか。こんなのは簡単に論破できると「いや夫」がでしゃばってきた次第です。

 たとえば、会の成り立ちのことなんて、会友はまったく気にしてませんよ。
「原爆をきっかけに作った」ちゃんちゃんです。

 イエスはマリアがHをせずに生まれたらしいです。普通に考えればありえないけど、それでよしとみんな納得しているではないですか?そんな感じです。部外者はだまっといてというレベルのお話です。

 とりあえず、太陽神君、我が論
 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」
に反論があったらどうぞ。

 太陽神へ追伸

 君のはじめての投稿の直後の「月の女神」って何???
 とぼけているけど、君自身でしょ?
趣味が悪すぎるよ?みんな遠慮して書かないけど、私は書きます。

(引用開始)

我は 太陽神であるぞよ
古来より 人類どもは我を神と崇めてくれておる
エジプトの神しかり インカの神しかり 
大和の神しかり 
大和では古より我をアマテラスと呼んでるそうじゃな
そうそう明治の世になってから金田徳光が大そうにも我を祭ってくれた 
徳光が亡くなってからは 色々あったようじゃが
確か御木徳一という人物が徳光の跡を継いでくれたようじゃな 

(以下、wikiの引用なので省略)

投稿 太陽神 | 2009.03.24 07:28 午後

太陽神さま

陽あれば陰あり、陰あれば陽あり、
これ古来の道理。
世は平衡を希求したれば、
バランス欠くことあるべからず。
万が一にも己の幸福追求のため、
倍加、頒布を推奨し、またこれに励むものあらば、
必ず、必ず地獄に落ちるべし。
先師曰く、この道に添えば、必ず幸福になり、
添わざれば、必ず不幸になると。
再度言う、私心抱きて、倍加、頒布に励むものは、
地獄に落ちること必定、汝らこころせよ。

投稿 月の女神 | 2009.03.25 02:45 午後
(引用終了)

 太陽神が反論しやすいように、「いや夫」のコメントに通し番号を振っておこうと思います。

すでに打った、
投稿 いや夫 | 2009.10.27 10:37 午後 を、
1番 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」論

投稿 いや夫 | 2009.10.27 10:52 午後  を、
2番 「月の女神」って何???

とします。

では、本日の投稿。

3番 これも君の投稿でしょ?

 前回「月の女神」のきもち悪さについて述べました。同じように「月の男神」も気持ちわるいです。君は変人ですか?大人なら恥ずかしくて、こんな投稿はできません。きっと、おこちゃまなのではないかと疑っています。

 さらには、太陽神登場以前に、同じようなきもち悪い投稿があります。
 この「きもち悪さ」は太陽神(=月の女神)と同一人物が書いたとして思えないのですが、いかがですか?

 なお、「お客様会友」はこれが初の投稿です。「東光連」も初投稿です。

 ちゃねらーの投稿は意味不明で、私には全く理解不能です。


(引用開始)
名無し氏のご指摘も一面真実です。
実践倫理の普及活動されている方は、世事にうとく
なります。これは会自体の方針ではありませんが
うとくともいいんですよ。と言う考え方をしています。
世事に浮かれていては本当の仕合わせはきません。新聞、ニュースに心をを乱されないようにしょう
というスタンスで会員を誘導しています。
これには一理も二理もありますので良いか悪いかはそのかたのレベル、心境次第です。
結果として、自分で情報を嗅ぎ取って自分で判断
する能力は極端に低くなってしまいます。
個人として独立できないまま歳を重ねてしまうかた
もおいでです。
普及活動を通じて難しい場面を体験してこられた
訳ですから、人をうっとりさせるような、そして勇気
付けられるようなお人柄の完成を期待するのですが
どうしてか別のところに行ってしまわれるかたが
多いようです。

投稿 お客様会友 | 2009.03.05 11:12 午後

お客様会友様

世事に通じまた宏正会にも交わっておられるあなたからご覧になって、総体的に宏正会活動に賛成ですか。
純粋培養されたものは、耐菌性が低く大政翼賛会に陥る危険性が危惧されるのですが。


投稿 東光連 | 2009.03.06 09:16 午前

(引用終了)


 ドラマじゃないんだから、役割を紹介するようなセリフを入れるなよ(笑)。


 

 太陽神へ

4番 君って本当に「消えた」の?

 太陽神がこのブログに投稿したのは、2009年3月24日から5月7日までの28回である。その前後から、批判派の投稿が立て続けに行われるようになった。以前の3回以上投稿者から紹介すると、

(引用開始)
15 20090207:高塚地蔵尊:6回:否定派:20090620
16 20090302:名無し:7回:否定派:20090320
17 20090305:お客様会友:6回:否定派:20090516
18 20090323:ami:3回:肯定派:20090327
19 20090324:シリウス:11回:否定派:20090531
20 20090324:太陽神:28回:否定派:20090507 
21 20090328:半兵衛:6回:否定派:20090412
22 20090514:東経:14回:否定派:20090623
23 20090602:武蔵:44回:否定派:現在
24 20090613:至誠会:5回:否定派:20090626
25 20090628:究明団:5回:否定派:現在
26 20090706:匿名希望:4回:否定派:20090715
27 20090809:ボケ老人:3回:否定派:現在
28 20090831:from2ちゃん:3回:否定派:20090918
29 20090901:鉄槌:3回:否定派:2009092
(引用終了)
 
 というように、純粋な会友である「ami」さんを除いて、一斉に批判派の攻撃がはげしくなった。ここにはあげていないが、「書きっぱなし」の批判者もたくさんいる。

 彼らに共通するのは、「太陽神殿のご理解の深さに感服するものである」などと、太陽神をたたえまくっていることである。
 例えば、「太陽神」が最後の投稿を行った後に、いきなり登場して仲良しになった「東経」氏と「シリウス」氏が、「太陽神」様を称えながら、会長先生の豪邸や土地問題を解き明かすストーリーは、3流作家が書くようなセリフで、私は笑ってしまう。笑わないみなさんは、すでに洗脳されていると思います。(ちなみに、「シリウス」氏の最初の投稿は、「太陽神」初投稿の45分前。その後、ずっと沈黙していて(別のニックネームの投稿で忙しかったのだろう)、2回目の投稿が「東経」氏と仲良しこよしになるという、いかにも不自然なものである。)

 とまあ、そんな具合にこのブログを読むと、「変」なところが多すぎるのである。これら多数の批判派は、実はいったい何人なのかと疑う次第である。

 なお、「東経」氏「シリウス」氏、その他サブキャラや捨てキャラの批判派の投稿が続いた後、太陽神の後を「継いだ」のが、「武蔵」である。

 彼こそが、「太陽神」殿はすばらしいともっとも多く称えている人間である。(そういうのを「ナルシスト」と言って、世間では嫌われるんですけど。)

 さて、「太陽神」は本当にこのブログから消えたのであろうか?

 全然消えていない。(今も投稿してるし。)他のその他の者から何度も称えられて別格の扱いになっている。(2ちゃんねるの投稿をまとめただけなのに?)

 これを彼(ら)の好きな「マインドコントロール(笑)」で説明すると「権威」「多数者の影響力」ということになる。
 子供だましは、やめよう!

5番 君(たち)の言うことも一部正しい

 私のブログを読んでもらえばわかるが、朝起会を完全肯定しているわけではなく、デメリット情報も載せている。このブログでも、太陽神や武蔵の批判について、正しいものは認める。

 性悪説を説いた荀子の言葉より、
「是は是とし非は非とする、これを知といい、是を非とし非を是とする、これを愚という」

 太陽神や武蔵の情報源である2ちゃんねるも読んでおこうと、今読んでいます。しかし、あまりに膨大でまだまだ時間がかかりそう。

 かのサイトでは、「元会友」や勧誘されて迷惑している人が中心である。朝起会に対するネガティブな情報が多くなるわけである。

 しかし、その中に朝起会の問題点が含まれているのは事実である。

 まずは、「お金」の問題だろう。これは、我がブログでもまっさきにデメリット情報として挙げている。

 さて、この「朝起会を実践すればするほどお金がかかるようになる」ことを解決する方法はないのだろうか?

 A 頒布が「倫風」の自腹で行うことは、普及のために有効な手段であり、会友が自主的なものなら問題ない。

 B 倍加については、本人が納得すれば問題はそれほどない。(いつか後述)納得していないのにやらせることで、拒否反応を起こす人が多いようだ。

 C 陰倍加については、問題あり。前の投稿で触れた。

 D お祝い金について 大いに問題がある

 2ちゃんねるを読むと、「100万円のお祝い金を要求された」という投稿が多数見られる。誠に残念なことだ。

 この問題について、解説する。
長くなるので、一旦切ります。

(つづく)

6番 高額なお祝い金が横行している理由

 長文になりますが、否定派にも肯定派にも提言する内容ですので、お許しください。

 今現在も高額なお祝い金がふっかけられているのかどうかはわからないが、今までにそのようなことが多数行われていたのは事実なのだろう。(会場にもよると思う)

 その中心は、「女性」だと思う。

 2ちゃんねるより、「男性幹部」の投稿を紹介する。
いわゆる「過去スレ(パート1)から」
パート1
http://mentai.2ch.net/psy/kako/980/980142350.html


(引用開始)
373 名前: ある会友 投稿日: 2001/07/12(木) 03:47
はじめまして、会友歴12年の おそらく、まわりの方々からは実践倫理宏正会の「幹部」と見られている者です。 会から毎月発行されている小冊子をお持ちの方は御存じでしょうが、今この会は全国に
何百もの朝起き会場がございます。(集われる人数の少ないところは、載せてませんから千を超えるでしょう。) すると地域によって、だいぶ差があるのか、信じられない事が随分書かれてますね。
私のところでは、赤ん坊を家において頒布するなんて事はありえませんが? 「捨て育て」とは、母親が子供べったりにならないようにとの教えで、この実践は それぞれのお子さんの成長具合にもよりますが、小学生くらいからを奨めております。
とりあえず、そろそろ朝起きに行きますので、後程。
(略)

383 名前: ある会友 投稿日: 2001/07/13(金) 02:23
おれんぢさんへ

会の運営は、私も含め会友の会費と会誌代から成り立っております。 会費は、月額200円、500円、1000円の中から 本人の任意で選びます。(御存じだとおもいますが)
ちなみに私は、1000円を5口分、計5000円を納めております。 200円の会友さんが、ほとんどです。
会誌も普及に出たい方が、ご自分で求められるので、人それぞれです。 私は、20册(一冊300円)を持たせていただき職場の方々と友人にお買い求めいただいております。
他に、年に二回の大会に「お祝い金」が、あります。
これは、それこそ「参加させていただきたい方と、そうでも無い方が いらっしゃいますから、金額はいろいろです。」 私は、年二回3万円を納めております。
それこそ政治家の方々は「何としても参加させていただきたい。」 方が多いようで、高額の「お祝い」をお持ちになるようです。 さて、私が会に納めている金額は、おそらく12年継続している者としては
平均的な数字だと思います。我が家の生活にまったく支障をきたさない 範囲で、しかも同じような方々が全国に何百万人もいらっしゃるのですからたいへんな金額になります。
今後も御質問には知りうる限りお答えして行きたいと、思います。
(略)

412 名前: 元会友 投稿日: 2001/07/15(日) 01:15
私は、3年ほど真剣に倫理を学ばせていただきました者です。 会友さんたちは、みなさん生き生きとして充実しているように 感じました。夫婦で会友となり、家庭での話題も豊富になりお互いだらけかけていた家庭を見直すこともできました。
しかし、疲れました。気の休む暇がなく、いつも実践にむかって前向きに気を引き締めて生きていかなくてはいけないような雰囲気が会場にはあるのです。それ今度の講演会には何人お誘いの目標を達成させなさい。何冊頒布目標達成しなさい。実践が足らないから、お誘いもできないのです。倫理を勉強することはとても為になりました。


413 名前: 元会友 投稿日: 2001/07/15(日) 01:26
でも、ある大きな講演会の前ではっきりしました。
お祝い金を求められたのです。今までは、一桁のマン札を自分の意志で寄付していたのですが、3桁を求められました。天への貯金だそうです。この会で使われるお金はみんなの為に使うから、徳も積めるそうです。これは事実です。
一番下で動いている会友さんたちはみんな良い人です。辞めたくはありませんでした。

(略)
435 名前: ある会友 投稿日: 2001/07/16(月) 19:27
「徳積み○百万」とは、「どなた」が「どなた」に言われるのでしょう?
私の感覚では、信じられないのですが。
前にも書き込みさせていただきましたが、私は朝起き継続12年、(年数は短いけれど)地域の会場責任者以上のお役に就かれていらっしゃる方々なら皆さん私を御存じの筈です。
そんな私でさえ年二回の大会で三万円づつ、合計六万円のお祝い金しか納めておりません。
これで大会はもちろん、記念式典にも参加させていただきますし、「徳積みが足りない」と、言われたこともありませんし、おそらく今後も言われることはないでしょう。ご家庭により収入も違いますし、感謝の心も違いますから、何とも言えませんが
「○百万」なんて言われたら退会されません?
退会されてしまわれたら月額の200円さえ、いただけないでしょうに?
どうやら地域なのか、それとも会場によるのか、かなりの差があるようですね。
(中略)

456 名前: ある会友 投稿日: 2001/07/17(火) 23:45
皆様、こんばんわ
宏正会には、男性の会友さんもたくさん、いらっしゃいます。
会では、「壮年会友」と呼ばれ、やはり「奥さんのすることにいちいち口出しせず、あたたかく受け止めてあげなさい。」と、言葉は多少違いますが、婦人と同じことをお教えいただいております。
会の教えは、五つの誓いに添った生活実践により、「夫婦愛和」と「親孝行」をもっとも尊重し、そこから子育ても、地域社会もより良い方向へ・・・です。 これ以外はオマケです。

2代目会友さんは、「親孝行」のあまり、会の、あるいは教えの批判をされると、まるでお母さまを否定された気になるのでしょう。安心して下さい、皆さんあなたのお母さんを責めたりしていませんよ。
むしろ、ここに書き込みをされていらっしゃるほとんどの方が会のことを真剣に考えている方々ばかりです。

さて、さっそく全国の会友にお尋ねしましたところ
悲しいかな、いらっしゃいました。
信じられない金額をお祝に要求された方が・・・。
どうも偽わりの倍加にて千人いらっしゃるはずの会場なのに実際は五百人しか会友数が、いない。そんな所から道をはずされているようです。
「どうぞ、現役の会友さん、目標が達成できなくても何も災いなんかおこりませんよ。」大自然にお誓いした目標を、偽って報告しては「倫理を学んでます。」なんて言えませんよね。
みなで会を改善していきましょう。

(引用終了)

 少なくとも男性幹部は、ことの問題性を認識し、改善に努めようとしている。これは、男が社会で実際に働いているため、お金の価値について正しい認識をもっているからでもある。

 それに対して、女性は失礼だが、お金の価値をわかっていない人もいる。主人に内緒で何十万、百万単位のお祝い金を出したり、ふっかけたりする人は、常人の金銭感覚ではない。そんなことを言われてやめていく人が常人の感覚である。(そして、止めた人は、アンチ朝起会になってしまう。)なんと愚かな考え方であろう。

 ここからは、全くの私見だが、これは次のような男女の考え方の差からくるのではないだろうか!

問 ディズニーランドの「ミッキーマウス」は本当にねずみか?

答 違う。着ぐるみで人間が入っている。

 男の感覚はそうである。ミッキーと抱き合って素直に喜んでいる成人男性は、ごく少数である。

 一方、女性は全員大喜びで抱き合って、記念写真を撮る。本物のミッキーマウスだと思った方が楽しいからだ。高額のお祝い金も「きっと何かいいことがある。出した分、仕合わせとして戻ってくるはずだ。または、やっとかないと大変なことが起きる。」と純粋に信じてしまうのだろう。

 結論がへぼくて悪いが、「お祝い金」は所詮「金」である。「倫理」の尊さに比べれば、たいした者ではないはずだ。しかし、実生活ではとても大切だ。ディズニーランドで浮かれたような心理で、大切なお金を捨ててはいけません。

 お祝い金は、必ず「自主的」なもので、「自主的
な額にしましょう。
「強制」はダメだと、いろいろな書籍や倫風で書かれている。それこそを実行すべきです。
 この朝起会の悪い面を正すことができるかどうかは「男性幹部」にかかっていると思います。男性幹部の皆さん、改善に努めてください。

 批判派への反論に戻ります。

7番 バカの一つ覚えの「認知的不協和理論」。人間を心理学でくくるな。

 太陽神が2009年4月24日から披露した「認知的不協和理論」。これを使えば、どんな現象でも説明がつきます。だから、バカの一つ覚えで使っているのでしょう。

 たとえば、私の嫌いな2ちゃんねるを、批判派の意見も知るために覗き始めました。
(途中からは、有料のビューワーを使わないとみれません。そんなアホはページを見るために、お金を払うのはもったいないので、とりあえず古い投稿と最新の投稿を見たら、「いや夫」への批判が始まっていました。(笑)どうりでこっちではロムばかりしているわけです。まったく2ちゃんねるって奴は・・・。)

 で、話が戻って、2ちゃんねるの批判派には、元会友がとても多いようです。現会友が肯定の投稿をすると総攻撃にあいます。「洗脳されてかわいそう」という感じです。「いや夫」も洗脳されているそうです。

(「洗脳」については、別に投稿します。)

 彼らの大好きな「認知的不協和理論」を使うと、2ちゃんねるで朝起会がぼろくそに言われている一つの理由が説明できます。

 元会友は、朝起会を止めたわけですから、「朝起会がいい会」と認めると、大きな「不協和」が生じます。だから、「朝起会はとんでもない会」なんだと信じ込み批判的な投稿をするのが当然です。また、自分たちが、そんな会に入ってしまったこと自体が「不協和」を生みます。だから、「朝起会にマインドコントロールされたんだ」といういいわけをすれば、不協和は減るのです。

 という風に何にでも使えるんですよ。

 このブログでは太陽神が初めて取り上げましたが、この言葉自体ははるか昔から2ちゃんねるなどで取り上げられていたわけで、み~んな知っているのです。それなのに、「太陽神はすばらしい」とみんな(?)で褒め称えているというのが事実です。

 試しに、「認知的不協和理論 創価学会」で検索してみてください。いくらでも出てきますよ。宗教名を他のものに変えても一緒です。ようするに、ありきたりの理論なのです。

 別に「マインドコントロール論」についても投稿しますが、
<マインドコントロール概念は万能化されればされるほど陳腐化せざるをえない>(by南山大学人文学部キリスト教学科教授渡邉学)なのです。

 現会友で、太陽神の「認知的不協和理論」を読んで、自分もマインドコントロールされていたのかしらと思った皆さん。安心してください。これは、どの宗教でも攻撃できる理論なので、気にする必要などないのです。

 たとえば、これは私見に過ぎませんが、
ある人が給料は安いけど、ある仕事に生き甲斐を感じていたとします。
 しかし、「認知的不協和理論」を使うと、それは、給料が安いという不協和を消すために、生き甲斐を感じているだけなのだということになります。
 そんな馬鹿な理論など信じる必要はないのです。その仕事が好きだから、生き甲斐なんだと言い切ればよいのです。その方が人間の生き方として尊いと思いませんか?

 心理学の世界では、「認知的不協和理論」に異を唱える「自己知覚理論」というのがあるそうです。
http://hirominobenkyobeya.air-nifty.com/pleasecomein/2007/04/post_da91.html

(続く)
 

8番 反マインドコントロール論

 我がブログから引用します。太陽神が出てくるまでとっとこうと思ったんだけど、出しおしみはやめます。

(引用開始)
 かのブログで太陽神や武蔵が、「認知的不協和理論」を錦の御旗みたいに振りかざしている。バカの一つ覚えという言葉があるが、まさにそれである。

 この「認知的不協和理論」を「マインドコントロール」の手法として紹介したのが静岡県立大学准教授の西田公昭氏(日本脱カルト協会理事)である。しかし、彼の論文は、学会から批判の的となっているそうだ。

 彼が理事を務める「日本脱カルト協会」こそ、新宗教を攻撃している組織なのかもしれない。
そのサイトには、集団の「健康度チェック」なるものがある。実践倫理宏正会会友さんは、その「健康度チャック」を試してみるといい。朝起会がいかに「健康的」か再認識できる。

 「朝起きって健康だなあ」なのである。

 wikiで「マインドコントロール」を調べて、この思想を批判するサイトを知った。

火の粉を払え 空疎なマインドコントロール論
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-37.html

そして、批判を浴びた西田公昭氏も自身のサイトで、
マンイドコントロール論再考 を書いている。
http://nursing.u-shizuoka-ken.ac.jp/~nishidak/MCrevise.htm

(引用終了)

 マインドコントロール論の代表的な人物は「准」教授なんですよ。学会でどんな評価なのかは、おおよそ予想がつきます。いろいろな「教授」達に叩かれているようです。

 しかし、マインドコントロールはおもしろい理論なので、ちゃねらーは大好きです。学会の評価なんてどうでもいいのです。そういう低レベルの話し合いがなされている場所が2ちゃんねるなのです。
 朝起会は、そんなところで、ぼろくそに言われていることに誇りを持ちましょう(笑)。

 本当にいやみな投稿をする「いや夫」です。
2ちゃんねるに投稿したことがない(本当)だけの、ちゃねらーなのかもしれません。

 でもね、ネット弱者を擁護していると、案外いいことがあるのです。
「菊花賞」取りました。+5万8千円。
スクラッチ当たりました。+1万円。
 良いことをしているから、良いことがあったのだと信じます。
 ちゃねらーの皆さん、人の悪口ばっかり書いていて、本当に大丈夫ですか?

(続く)

9番 朝起会はカルトではありません

 「マインドコントロール論」は「カルト宗教」の分析の結果うまれた理論ですが、あらゆる宗教団体を批判する武器にもなっています。

 この「マインドコントロール論」を世に知らしめたのが、静岡県立大学准教授の西田公昭氏(日本脱カルト協会理事)です。

 そして、日本脱カルト協会(JDCC)のサイトでは、彼の作った「集団健康度チェック」があります。「実践倫理宏正会」の場合を試してみました。

 十分健康的と言えるのではないでしょうか?
カルトだという批判は他の組織に対して行ってください。

 「いや夫」のブログより引用します。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_73.html

(引用開始)
「JDCC集団健康度チェック」 をしてみました。

 JDCC(日本脱カルト研究会)の集団健康度チェックをやってみました。
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHI/index.html

集団健康度チェックについての解説
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHIweb/ol002_nishida.html

 回答者は「いや夫」なので、信憑性は低いです。勧誘を受けたことがないし(妻からこの会を紹介されて、実際に朝起会に参加して、会に入ってくれると聞くので、いいよんと答えただけです。)、自分は勧誘したことないし、脱会を思いとどまるように説得されたこともないし(笑)。
 元会友がチェックすると、違った結果になるのだと思います。 ちなみに、最高点は342点だそうで、得点が高い程「カルト」だそうです。
(解説から引用開始)
「ここの団体は危険なのではないのか」「私は、この団体は認めるわけにはいかない」、あるいは「これぐらいはしようがないという」、いわば線引き ― ライン ― を求めていくことが、今後、必要なのではないのかと考えています。
(引用終了)

 ということなので、朝起会は「これぐらいはしょうがない」組織です。カルト扱いはやめていただきたい。
ちなみに、この「日本脱カルト研究会」もカルト宗教の統一協会から信者を脱退させるために、拉致監禁を行い、それに対する批判の声もあるようです。

 人を何らかの形で感化しようとすれば、何らかの強制性が生まれるのは仕方がないのでしょう。
「元会友」はそれを組織が悪いからだと主張します。その意見をすべて肯定するのはフェアーではありません。その方が組織と合わない方だったともいえます。
 なお、「朝起会を続けたいのに、金銭的に続けられなかった」という方には、「いや夫」は同情します。もっとお金のかからない朝起会であって欲しいものです。

集団健康チェック判定結果
JDCC集団健康度チェック目録Ver1.0

1.入脱会の自由に対する侵害 1~15 の合計得点     12
2.信教・思想の自由に対する侵害 16~25 の合計得点 13
3.通信・居住の自由に対する侵害 26~32 の合計得点  0
4.性・子供の権利に対する侵害 33~42 の合計得点   0
5.健康・文化的生活の権利に対する侵害 43~ 60 の合計得点 3
6.民主教育に対する侵害 61~ 69 の合計得点      0
7.組織の民主制に対する侵害 70~ 87 の合計得点   5
8.プライバシーに対する侵害 88~93 の合計得点     1
9.その他の人権に対する侵害 94~114 の合計得点   11
総合健康度 全項目の合計 45

(引用終了)

 個別の質問の回答については、「いや夫」のブログをご覧ください。

10番 反マインドコントロール論(その2)

 「我らの不快な隣人 ~統一協会から「救出」されたある女性信者の悲劇」米森和広著を出典とします。

 米森氏は元々カルト宗教を批判するルポライターです。彼がカルト宗教を取材する過程で、反カルト宗教側にも問題行動があるということを追求した本です。
 カルト宗教の統一教会から信者を脱退させるのは困難を極めます。そこで用いられた方法が「拉致監禁」の上での説得という手法でした。統一教会という心の拠り所をなくし、家族による「拉致監禁」でPTSD(心的外傷性ストレス障害)になった元信者の過去と現在を描写した作品です。

<関連サイト>
拉致監禁をなくす会
 http://rachi.info/article/129942225.html
 元信者(宿谷麻子さん)自身のサイト
http://www5.plala.or.jp/hamahn-k/ 


 この本では、宗教を選ぶときに自己選択の影響が大きいはずなので、「マインドコントロール論」に執着せず、家族が中心になって、本人の自由意思を尊重しながら脱退の説得を行うべきだったと主張しています。

 宗教はある意味こわい面をもっています。
何事も一つのものにはまり過ぎてはいけません。「朝起会」についても、それはあてはまります。「朝起会」は他の宗教に入ることも何ら制限はなく、自由意思で行われるべき会です。違和感を感じる人は特に無理をしてはいけないのです。(無理をするから、やめざるを得ず、やめた方は「アンチ朝起会」に転向されます。お互いに不幸なことです。)

 「倫風」12月号の「倫風宏話」では、「もっと笑いを」というテーマで次のように書かれています。
(引用開始)
 やはり笑いの要諦は、お滝さんが直感していたように、肩の力を抜いて、心のびやかに保つことです。風呂に入ったときの、あの気分です。
 ぜひ一度、皆さんのご家族が「笑う門」になっているかどうかを振り返ってみてください。もしも、そうでないと気づかれたら、「笑う門」の実現を最優先していただきたいと思います。もちろん無理は禁物です。人に強制してもいけません。あくまで自然で素直な笑いでなければならないからです。
(引用終了)


(続く)

11番 反マインドコントロール論(その3)

 前述の元統一教会信者宿谷麻子さんのサイトより米森氏の主張を紹介した部分から引用します。

(引用開始)
マインドコントロール論の限界

 注目すべきは、このような非合法な行為がいまだに行われているのは、先進国では日本だけだという点だ。
 アメリカでも、一部宗教の信者などに対し、「ディプログラミング」と呼ばれる拉致監禁説得が、70年代から活発に行われていた。実行するのは、家族から雇われた「ディプログラマー」と呼ばれる、脱会のプロである。
 ところが、相次ぐ裁判を契機に、水面下で行われていたディプログラミングの実態が暴かれ、「犯罪行為」として社会の批判にさらされるようになる。80年代に入るとディプログラミングは徐々に衰退し、新たに臨床心理士や精神科医などが中心となって、信者の自主性を尊重した「強制力を伴わない説得」が模索されるようになった。
 これにはアメリカの風土も影響している。同国はプロテスタントが主流の多宗教国家だが、カトリックから迫害を受けたプロテスタントの歴史を教訓に、「自派とは別の宗教を弾圧する行為」には批判的で、国内の代表的な宗教団体である「全米キリスト教会協議会」は、早くも74年にディプログラミングに反対する決議を採択している。
 一方、ヨーロッパでは、カルトに厳しいのにディプログラミングという行為自体はほとんど行われていない。フランスはカルトを取り締まりの対象とする「反カルト法」を制定している。にもかかわらず、たとえカルトであっても信者を直接説得するのはあくまで家族が基本で、カウンセラーは信者本人に会うことはなく、もっぱら家族に助言を行う役割に徹している。「カルトは人権侵害団体だが、そのカルト信者をディプログラミングするのもまた人権侵害」というわけだ。
 このように見てくると、日本の特殊性が浮かび上がってくる。統一教会信者だけ(数年前までは一部「エホバの証人」信者にも)を対象に強制説得が行われ、そこにキリスト教の一部牧師が積極的に関わっている―という特殊性である。
 では、アメリカで衰退したディプログラミングがなぜ日本では逆に活発に行われるようになったのだろうか。
 おそらくそこには「マインドコントロール論」が影響している。93年に「私は統一教会にマインドコントロールされていました」と山崎浩子が記者会見で脱会宣言をして以降、オウム事件を媒介に、「マインドコントロール」という言葉が洪水の如くメディア上に溢れ、カルトといえば「マインドコントロールを駆使する団体」と考えられるようになった。そして、次のような言説によって”保護説得”は大義名分を獲得し、救出カウンセラーを名乗るキリスト教の牧師が、信者家族にとっては救世主となったのである。
<信者は自らの意志ではなく、マインドコントロールによって入信した。それを解くには、教団の影響下から隔離して洗脳を解かなければならない>
 いかにも説得力がありそうな言説だが、現実にはアカデミズムの分野ではすでに「マインドコントロール論」の有効性を否定する流れが主流となりつつある。私も”作られた言説”として批判(拙著『教祖逮捕』参照)したが、否定されるべき理由を2点に絞って、ごく簡単に説明しておく。
 マインドコントロール論を日本に普及させた社会心理学社の西田公昭(静岡県立大学看護学部助教授)によれば、「マインドコントロールとは、他者が本人に知覚されないままに個人の『意思決定過程』に心理的に影響を及ぼすことと同義語である」という(西田著・『マインド・コントロールとは何か』)。
 しかし、よく考えてみればわかることだが、そもそも「人が他者の影響を受けずに(つまり、マインドをコントロールされることなく)、商品を購入したり、政治的見解を述べたりなどと、何かを決定する」ことは、テレビのCMや流行を見れば明らかなように、本来、行り得ないことなのである。必要以上にマインドコントロール論が絶対化され、濫用されてきた、とも言えるだろう。
 もう1点、ぜひとも挙げておきたいのが、「マインドコントロールを使用している」とされる宗教団体の、実際の入信率の低さである。この点については統一教会も例外ではない。イギリスの著名な宗教学者、アイリーン・パーカーの調査によれば、「セミナーを受講した統一教会信者のうち、2年後も信者として残っている者」は、全体の4%に過ぎないという。さらに日本統一教会の元伝道部長、横山修が行った調査でも、「2日間合宿」を受講した者のうち、そのまま信者になった人問はわずか2%だ。仮に統一教会が何らかの”特殊な心理操作”を行っていたとしても、ひっかかるのは2~4%。有効性があるとは言い難いのだ。
 だが、反統一教会陣営にとっては、いまだに「マインドコントロール論」は有効なようだ。今年3月に「統一協会問題キリスト教連絡会」が出版した小冊子『これが素顔!』では、<あなたもかかるマインドコントロール>と注意を促し、次のように記している。<彼は自分は自由意思で入信したと思っているのです。しかし彼の『選択』は、あらかじめ組織が道筋をつけていた道を、操り人形のように進んできたに過ぎませんでした>
 昨年から今年にかけて統一教会・大宮教会に所属する2人の女性信者、そして新宿教会に所属する1人の女性信者が相次いで行方不明になった。3人とも「突然姿を消す理由」はまったくなかったし、うち1人は、仲間の信者の目の前で、工事作業員を装ったとみられる数人の男性によって強引に車に引きずり込まれている。いまだ、犯人や背後関係は不明である。
(引用終了)

 2ちゃんねるの「実践倫理宏正会」スレでは、元会友がこの会をぼろくそに批判しているようです。これは、下記のことを証明しているとも言えます。

1 脱退者が多いのは、マインドコントロールが有効でないからである。
2 脱退者が朝起会を批判するのは、マインドコントロールが簡単に解けるということだ。

 以上1、2から考えられるのは、「実践倫理宏正会」の「マインドコントロールが有効ではない」または、「マインドコントロールが行われていない」ということだと思いますが、いかがか?

 ちなみに2ちゃんねるの「元会友」の皆さんは、そこで朝起会の悪口を書くことで癒されておられるようです。


http://kuma.chala-head.com/4zsea6-/

ここの子、「めんどいから中-出しさせてよ!!!!」
つったらすんなりオーケー出たんww てかむしろ出して欲しいみたいなwww
イきながら腰カクカクさせるのって最高に気持ちいいよなー?
ま、中-出しした子なんて後々めんどいからすぐポイだけどなwwwwww

12番 反マインドコントロール論(その4)

 前述した
火の粉を払え 空疎なマインドコントロール論
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-37.html

より、そのまま引用します。

(引用開始)
用語と用語法③-マインドコントロール論

「マインドコントロール」も定義がはっきりしない用語である。この言葉をよく口にする“カルト”問題に関心がある人に質問しても、きちんと説明できる人は一人もいなかった。

 さすがに、この用語を日本に流布させた静岡県立大学准教授の西田公昭氏(日本脱カルト協会理事)は、自著の『マインド・コントロールとは何か』で、はっきり定義している。

それを要約すれば、マインドコントロールとは
①他者が自らの目的のために
②本人が他者からの影響を知覚しない間に
③意思決定過程に影響を及ぼすことである。


 この定義を真理が如く見せるために、認知的不協和理論や心理学の実験データーなどで補強し、西田氏は「マインドコントロール論」を仕上げた。

 しかし、既成の認知的不協和理論や実験心理学の報告を捨象すれば、マインドコントロールの定義は前述の3行に尽きる。

 ポイントは②の「本人が他者からの影響を知覚しない間に」だが、そんなことがあり得るとすれば「サブリミナル効果」以外にない。そのサブリミナルにしても効果があることは立証されていない。

そのため、西田氏は実験心理学のデータを駆使して、「知覚しない間」を補強するが、実験はあくまで実験にすぎず、複雑な現実世界を限らされた条件下の実験の場で再現することは不可能である。

 そうすると、西田定義はこうなる。
「他者が自らの目的のために(相手の)意思決定過程に影響を及ぼすこと」

これは、ごくあたりまえのことではないでしょうか。

他者が目的もなく相手に働きかける(影響を及ぼす)ことは、何一つとしてあり得ない。
販売員は商品を買ってもらいたいためにお客に影響を及ぼそうとする。
政治家は選挙で当選するために、自分の政党の影響を大衆に及ぼすために、街頭演説を行う。
挨拶一つとっても、意識はされていないが、相手との友好関係を維持するという目的がある。

 このように見ていけば、西田定義の前述の②はそもそもあり得ず、①はあたりまえのこと。そうなると③しか残らなくなる。結局のところ、西田氏が説くマインドコントロールとは「強い影響力を及ぼすこと」となってしまう。

 うーん、しかし、待てよ。
クリスチャンは聖書から、巨人ファンは読売球団から、テレショップ大好き人間はテレビから、共産党員は共産党から、統一教会員は統一教会から、強い影響力を受けている(マインドコントロールされている)。

マインドコントロール論を用いれば、統一教会への入信も、あるいは子どもが東大を目指すのも、はたまたアメリカ兵がイラクを占領し続けるのも、何だって説明がつく。

南山大学宗教学教授の渡邉学氏が「マインド・コントロール概念は万能化されればされるほど陳腐化せざるを得ない」と指摘する通りなのである。万能ゆえに何でも説明可能だが、同時に何も語っていないのに等しいのだ。
 
 当然のことながら、渡邉氏以外にも東京大学宗教学教授の島薗進氏、北海道大学宗教社会学教授の櫻井義秀氏、宗教学者の島田裕巳氏から批判の声があがった。
 統一教会の信者も『統一教会の検証』(光言社)で西田氏を批判した。

西田氏は、こうした批判に応え、「マインドコントロール論再論を書く」と2000年頃に公言したが、いっこうに実現されていない。

 彼が学位を取ったのは「マインドコントロール論」。もし、再論で自説の「マインドコントロール論」の一部か、かなりの部分を修正することになれば、それは自らの学位を(ひいては准教授という今の地位を)否定することになる。だから、再論を書くなどできないのだと思う。
 彼が書けるのは、せいぜい「騙されやすい人」といった通俗的レベルの話でしかない。テレビ局がワイドショーのコメンテーターとして西田先生を重宝するのもうなずける。

ただし、彼が自著で援用している、またマインドコントロール論者が依拠するロバート・チャルディーニの『影響力の武器』(誠心書房)は良書である。原書は88年、翻訳書は91年に出版。

チャルディーニがこの本で書いたのは「他者の意思決定過程に影響を及ぼす」テクニックについてである。
おそらく初めての人はドキドキしながら読むであろうことは間違いない。それだけ真に迫る本である。
もっとも、自分の日常的体験と照らし合わせながら、二読、三読すれば、ちょっと鼻白む。
なぜなら、チャルディーニは科学的法則ではなく人間の心理的傾向を書いているに過ぎないからだ。このことは『我らの不快な隣人』277~282頁で詳述したので省略する。

繰り返しになるが、「マインドコントロール」とは、西田氏が援用するチャルディーニの本のタイトルの通り、「他者への影響力」と同義なのである。

「カルト」と「マインドコントロール」用語は、結局のところなにもなく、空っぽである。

「カルトとはマインドコントロールを駆使する団体だ」といった定義をする人がいるが、この定義を言い換えると「カルトとは強い影響力を及ぼす集団だ」となり、テレビ会社も「カルト」の仲間入りすることになる。

マインドコントロール論」はすでに学問的には完全に破綻し、言い出しっぺの西田先生も批判への反論を書くことができないでいる。それにもかかわらず、相も変わらず、この理論にしがみついているのは強制説得を是とする牧師たちと、一部の弁護士たちだけである。認知的不協和の呪縛からいまだ逃れることができないでいるのであろう。

 空っぽであれば害はないが、「あの団体はカルト集団だ。メンバーは全員マインドコントロールされている」といった用い方をされると、とたんに差別用語に転じ、社会からその団体が排除されることになってしまう。

 また以前に書いたように、牧師がこんな使い方をすると、信者家族は「保護説得」に奔走することになる。

「統一教会はカルトであり、信者は統一教会からマインドコントロールされている。救出するには保護(拉致監禁)説得しかない」

「一筆(5)」で紹介した、オーウェルの『1984年』のスローガンを思い出す。

戦争は平和である。
自由は屈従である。
無知は力である。

これをもじれば、反統一教会陣営のスローガンはこうなろうか。

統一教会はカルトである。
自由はマインドコントロールからの解放である。
拉致監禁は力である。


●自分の子どもは「マインドコントロールされている」と思い込んでいる信者家族の方は、どうか、お子さんを拉致監禁する前に、西田氏の本(『マインド・コントロールとは何か』)と、マインドコントロール論を批判した『我らの不快な隣人』第12章(また同章で引用した先の学者の文献)とを、丁寧に読み比べてみてください。

●他方、統一教会をはじめとするカルト視される団体のメンバーの方は周囲から「マインドコントロールされている」といった批判をなされることが多いと思います。それに対して、「マインドコントロールなんかされていない。自分で考えて自分の意思でこの団体に入会したんだ」と、説得力のない反論(反発)をするだけでしょう。
そうした方も、ぜひ、2つの本を読み比べ、それこそ「マインド・コントロールとは何か」を学習されたほうがいいと思います。家族や友人と、感情の対立を背景にした不毛な論争をしないためにも。

(引用終了)
 
 知らないうちに洗脳されているなんてことはないんですよ。目上の会友や仲間の会友から刺激を受け、自分で判断しているのです。

 「洗脳」の例をしてよく挙げられる中国共産軍による米軍捕虜の洗脳成功例は、捕虜4500人中、最終的に中国共産党に同調したのはわずか11人(率にして0.002%)だそうです。「洗脳」は使い物にならなかったのです。
 洗脳よりは少しは洗練されたはずのマインドコントロールですが、その効果についても、誇張され過ぎているようです。

 「いや夫」の悪口が書かれた掲示板がありました。
20091030の朝に見つけて、自分のブログに関連記事を載せ、ここでもそれについて触れました。

20091030の夜に覗いてみたら、なくなっていました!
「いや夫」に気づかれたと消したのでしょうか?スレ主に「やましいこと」があるようです。幸い(彼にとっては不幸なことに)googleには「キャッシュ」というとんでもない機能がありまして、今ならそのキャッシュが見られます。見に行ってあげてください。せっかくの労作ですから。(googleでタイトルを検索し、「キャッシュ」で読みます。)これらの投稿の内、「彼」が打った投稿はいくつなのでしょうか?

 幸い、私は実践倫理宏正会のサイバー部隊員ではありません。(PC歴は長いですが、初心者とかわりません。)よかったですね。

 しかし、実践倫理宏正会の本部の方が見ていたら、こんなことができるかもしれません。
本会の風評が書かれているので、ログの提出をプロバイダーにお願いします。
スレ主の生IPアドレスを取得します。
投稿の中で、スレ主のもの(プロキシを通していると難しいのかな?)を確定。
後はご自由に。

 ネットが匿名というのは、ある意味幻想で、警察が動けば匿名でも何でもないのです。朝起会の風評被害がどのように行われているのかを明らかにする意味でも、上記のような試みをしていくのも一つの手です。

 スレ主の彼には、しばらくの間、ドキドキしてもらいましょう。

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://unkar.jp/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434
(googleでタイトル名で検索し、キャッシュを読みます。最新記事はキャッシュされていないので、我がブログへどうぞ。)
http://58807828.at.webry.info/200910/article_74.html

 いずれ、この掲示板とこことの関連についても検証してみようかなあと思っています。

(続く)

13番 この投稿は本物か?

 さきほど紹介した忽然と消えた掲示板
朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://unkar.jp/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434

 から、一つの投稿をクローズアップしたいと思います。

(引用開始)
87 :名無しさん@HOME[]:2009/08/15(土) 14:24:48 0
以前少しだけ入会していたものです。
朝起会を推進されてるみなさんはそれで幸せであるのでしょうから、
その方々にとってはとてもいいことなのだと思います。
私は2人目がお腹の中にいるときに朝起会に入ってました。
胎教にもいいから、子育てにもいいからと言われ、もちろん早起きは三文の得ともいいますし、
悪い事ではないと思い何度か足を運びました。妊婦だったので気遣っていただき会員の方が車で家まで迎えにきていただきました。
ある朝、あまりにお腹が張るので迎えにきていただいた会員さんを待っ「今朝はお腹が妙に張るのでお休みさせてください。」というと、
「折角だから出席(○をつける)だけでも行ったら?すぐ送ってあげるから。」といわれました。
わざわざ出席印のためだけに送迎していただくのは申し訳ないと思いお断りしたのですが大丈夫だと言われ
会場に向かい出席に○をふって頂いたので送ってもらおうと思ったら「座るだけ座ったら。」と言われました。
言葉に促されて座ると暫くして一枚の紙が私のところに回ってきました。
「もし、お腹の子が流れたとしてもそれは仕方がない事です。今はお話を聞いていくことが大切なことです」と書いてありました。
家族を大切にするはずの会でこんな言葉を聞くなんて思いもよらないことに私はすっかり動転し会場を飛び出していました。
その後を送迎してくださってる会員の人ともう1人の人が追いかけてこられ興奮する私に投げかけられたことばが
「私も流産の経験があるから気持ちはわかるわ。でも今はお話を聞くことが大事だと思うわよ。」と追い討ちをかけるような言葉を言われ、
私はショックで震えていました。朝起会に少しばかり心を許し安堵感さえ感じていた私でしたからこんな言葉が返ってくるとは思ってもみなかったので。
その後、朝起会に足が向かなくなったことは言うまでもありません。人間は不用意な言葉で知らず知らずのうちに人を傷つけてしまっていることは誰しもあることだと思います。
未だにその言葉を許せない私はとても心の狭い人間で情けないと思います。しかし、今でもあの時のことを考えると悲しい気持ちになります。
私の経験談をお話しました。
朝起会の方が私の家を訪ねてこられた時はこの経験をお話してお断りしています。

(引用終了)

 妊婦にこんな思いをさせるなんて許せませんね。ぜひこの方は、朝起会本部に訴えてもらいたいと思います。朝起会は、こういった問題に誠実に答える組織です。じきじきに陳謝し、関係者に注意を与えるでしょう。その方が会にとってプラスになります。
(以上が、朝起会会友の一般的な考え方です。)

 しかし、「いや夫」は実践者ではありませんので、それほど素直ではありません。ネット上の投稿などいくらでも創作できるのです。
 2ちゃんねるの投稿は、「あることないこと」ではなく、「ないことないことないことないことないことあること」位と考えた方がいいです。
 (「ウソをウソと見抜けないと(掲示板を)使うのは難しい」byひろゆき:2ちゃんねるを作った人)
 この投稿の場合、妊婦さんでも会場に連れていくというのは、真実味が高いです。演壇を聞かせることもあるでしょう。
 しかし、演壇中に、「もし、お腹の子が流れたとしてもそれは仕方がない事です。今はお話を聞いていくことが大切なことです」という手紙を渡す必然性は感じません。「妊婦」という同情を買う設定はうまいですが創作としては、70点位でしょうか?もちろん、もし創作なら倫理としては、マイナス1000点です。

 朝起会はカルトであると洗脳されている方は、100%信じるのでしょうね。

 ネットは「いや夫」位疑い深くて丁度いいと思います。(一方、すっかりだまされる会友さんの純真さを高く評価します。)

 私も真実が知りたいです。ご本人はぜひ本部へ訴えてください。
 その他被害に合われた方も、どうぞ本部へ訴えてください。

14番 倫理に一番反することは?

 今まで「いや夫」の独白につきあっていただきありがとうございました。
 ちゃねらーの悪評攻撃に反撃するという、私なりの使命は果たしたと思います。以前のように、会友さんも投稿できるブログに戻るといいですね。

 「いや夫」は太陽神など、強力な批判者があらわれるまで、投稿を控えようと思います。
 ブログの更新にかまけて、家庭愛和がなおざりになっているのが、最大の理由です。
 会友の皆様の実践を陰ながら応援させていただきます。なお、我がブログでは、ぼちぼち書いていきますので、よろしかったら見に来てください。
http://58807828.at.webry.info/

 では、最後の記事。つまらない投稿ばかりだったので、おもしろいプロの文章を引用します。
ベストセラー「負け犬の遠吠え」より
(引用開始)
 私はなぜ負け犬になったのか。(中略)しかし、負け犬は、何らかの罪を犯しているはずなのです。してその罪とは何なのかといえば、人生の根本の部分において享楽的にすぎる、ということなのではないかと私は思う。
 男であれ就職先であれ旅先であれ、何かを自分で決めなくてはならない時、目の前に二つの選択肢があったとしましょう。右側は、まっとうで安全、でもあまり面白みは無い感じの道。対して左側の道は、あぶなっかしいけれどスリリング、そしてアメイジング。
 その時に、「だってこっちの方が絶対に確実でしょう?何を迷う余地があるの?」と右側を選ぶことができるのが、将来、確実に勝ち犬となることができるタイプの人です。
 対して、右側の方がいいと頭ではわかっている上に、親だと友人だのからも「右にしろ」とさんざん言われているのに、「とはいっても、人生楽しまなくっちゃ意味ないっしょ~」と、どうしても左側を選んでしまうのが、負け犬を約束された人。(中略)
 たとえば23歳の若手OLが、同じ日に二人の男性から誘われたとしましょう。一人は、素朴で真面目で今のところは貧乏で話題の貧困な同い年の男性。彼は「東京一週間」に載っていた新しい居酒屋に行こうと言っています。
 もう一人は、既婚で物識りでマスコミの仕事をしている年上の男性。彼は、行きつけのフグ屋に行こうと言っています。
 その時、勝ち犬的素養を持つ女性であれば、たとえそれまでの人生の中で一度もフグを食べたことがなかろうと、「フグ屋には行ってはいけない」という天からの声を聞き、前者と居酒屋でデートをするはずです。
 ところが負け犬的素養を持つ女性は、「フグってどんな味なのか?」という好奇心に抗うことができません。ついフラフラとフグ屋に行ってしまった結果、てっさだのヒレ酒だのそして不倫だの、知らずに一生終えても何ら問題はない「面白いもの」の味を、覚えていくことになる。
 不倫は実際、負け犬の大量発生、晩婚化、ひいては少子化の大きな原因の一つとなっていると私は考えます。現代社会において不倫はごく日常的な出来事ですが、軽い気持ちで行った不倫が、独身女の婚期を遅らせる・・・だけならまだしも、その婚期を奪うということもままある。たとえ不倫を継続しなくとも、不倫によって年上の男性の経済力や包容力等の味を一度しめてしまった女性の目には、同年代の男性がつまらなく見えてしまうことも、ままあります。
 女性側だけの問題ではありません。不倫によって男性側の家庭には不幸の影が射し、幸せそうではない主婦が世間に溢れる。それを見た世の若人達は、「結婚って良いものではなさそうだなぁ」と思ってしまい、ますます晩婚化・少子化は進む。
(引用終了)

 さすが、プロの文章はおもしろいですね。こんな文章を書いてみたいものです。
 しかし、内容は倫理の世界とは正反対です。「現代社会において不倫はごく日常的な出来事」のようです。家庭愛和を第一とする「実践倫理宏正会」の受けが悪いわけです。不倫は「倫理にあらず」そのものですからね。

 本来、夫を立てる朝起会は、少なくとも夫にとってはうれしいはずの会です。(出費の面を除けばですが・・・。)妻の実践を「いや夫」のように応援する夫が増えてくれるといいなあと思います。

 なぜ、夫が反対するのか?
1 カルトだと思っているから。
(違います。決してカルトではありません。あなたが許せば、家庭愛和はまちがいありません。)
2 やさしくされると後ろめたいから。
(男ってばかな生き物ですからねえ。地獄への道ですよ。)


 また、享楽的過ぎたけれども結婚できた奥さん。これからは朝起会でかたぎな生き方を学びませんか?

 日本中に家庭愛和があふれますように。
しばし、さようなら~。

(ぼろくそに批判されたら、のこのこまた出てくるかも知れません。ニックネームは変えません。2ちゃんねるには、死んでも投稿しません。2ちゃんねるが嫌いだからです。)

知識、教養の無さが現れていますねww

IPも抜けない馬鹿夫w
否定派の一部が同一人物である根拠を示せw
IPが抜けるようになって出直して来いよww


おペーニスちょうだい!!!!!!


んなメールをフルテンションでいきなり送られて
今の女と始まったわけだが・・・

ずっとテンション高ぇから最近困ってんのよwwいやマジwww
ぶっちゃけ他にもいっぱい女いるしなー(^^;
でもやっぱなぁーウマいんだよなぁコイツが一番・・・

http://mika.acmahsjfms.com/lbf41m4/

あー悩むうううううううう!!!!!!!


http://morimori.menslip.com/lvbb74b/ ~-y(^.^;)これに群がる女ヤベwwwww
なんかよくわからんが寄ってくる女を適当に扱ってたら
ドM女が集まりまくっていつのまにか王様にされたしwwwwwww


ずっと童●だったんだが、早くこれやりゃよかったと後悔(^^;
ま!後悔した分毎晩やってるけどな!!(爆)


こんだけ稼いだら神気取ってもいいだろwwwwwww

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てか、ヤる事っつっても一緒に手淫して後は騎乗で
一方的に女に乱れてもらうだけなんだけどなwwwwwwww

今日もこれから5万稼いできやすwwwwwww楽すぎワロチwwwwww

 久しぶりに投稿します。いや夫です。
実践倫理宏正会について、唯一肯定派が書き込める本ブログも、残念ながら2ちゃんねる化しそうなので、書き込みをします。

 上記の「鉄槌」氏の「ww」の意味について説明します。
この「ww」は2ちゃんねる用語で、「肯定」の意味だそうです。

 ということで、私がいなくなってから投稿をしたのは、「鉄槌」氏「ぶっ飛びすぎwwwwww」氏「40歳真っ黒チンボ」氏「ワタシハ神ダ」氏のみであり、すべて「ちゃねらー」です。この4人か一人かわかりませんが、こういう人物が今までもいろいろな掲示板やブログで実践倫理宏正会の悪口を書き込んできたわけで、いくら会友が反論しようとなかなかその悪評を消すことはできません。(本ブログでは、「いや夫」が消火できたのではないかと思いますが、これが「2ちゃんねる」なら肯定派が優勢になることなど絶対に不可能です。)

 よって、ネットで実践倫理宏正会の悪評を今までに読んだことのある皆様へ。

 ネット上の情報には、そういった背景もあることをご承知いただきたいと思います。この会は地域を支える善良な市民が自主的に活動しています。ネットなどという虚実入り交じった不確かな情報に左右されず、先入観を持たずに、自分の目や耳で実践倫理宏正会について判断をしていただければ幸いです。

 ついでに、自分のブログの記事を引用します。このブログの投稿を一時控えることにした10月31日の記事です。

(引用開始)
論戦からは一時期離れます
>

 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/
からしばし離れます。論戦しようとすれば、勝負ですから、どうしてもいろいろと調べる作業が必要です。おかげで家族サービスがなかなかできず、「いや妻」にも不評でした。いつもの平和な生活に戻ろうと思います。

 このブログでは、ぼちぼち投稿していきます。

 ブログのカテゴリを整理しなおして、「実践倫理宏正会」がどのような会かを知ってもらえたらと思います。
 
 我がブログでは、「朝起会」の通称を多用していますので、「朝起会」でぐぐるとトップ3位にランクインするようになりました。うれしいことです。しかし、肝心の「実践倫理宏正会」でぐぐると、まだまだ下位です。こちらの方でも上位なるようがんばっていきます。

 しかし、正直な話、この会の話題は決してメジャーではありません。会友はネットサーフィンをしても嫌な思いをするだけだと気づいています。一方、批判派自体も投稿は多いですが、同じようなメンバーが繰り返し投稿しているだけのようです。我がブログへのアクセス数を分析するとわかります。
 ということで、朝起会のネット上の悪評など、あまり気にする必要はありません。突っ込まれないように、改善はしていくべきですが。

 なお、2ちゃんねるは「便所の落書き」とも揶揄されています。
便所に「実践倫理宏正会はすばらしい」と書かれていても嫌ですよね。
その位の受け取り方で十分なのですよ。
 だから、「いや夫」は2ちゃんねるには絶対に投稿しません。

 実践者は心の修行をしているのですから、幸福への道を歩いています。
 
 ちゃねらーは人や組織の悪口を書くのが生き甲斐の人ですから、それなりの人生しか歩けないでしょう。

 人それぞれの人生があって、いいではありませんか。
(引用終了)

 

先ほどの投稿を、
15番 やっぱり批判派は「ちゃねらー」のようです。
とします。

ついでに、もう一つ我がブログより引用します。

16番 しょうもない投稿への反論(その1)

(引用開始)
しょうもない投稿へのしょうもない反論(その1)
うちの会館ではこんなことご主人が言ってましたよ(演壇)
>「いつものように 帰宅すると妻は 23日の準備でPCの前に座って動かないので
>不足を思わず歩きに行った 帰宅しても一向に食事の用意をする気配がないので 
>お風呂に入った それでも動かないので お習いしているように不足を思わず妻はお役で忙しいと
>受け入れインスタントラーメンを作って食べた 不足を思わないで食べたので非常においしかった
>翌日には妻も悪いと思っていたのか御馳走でした」というような演談でした
>とても微笑ましいいいご夫婦です!!

どこが微笑ましいんですかね?
会の準備に追われ、旦那のご飯そっちのけで……。
会員達の旦那を立てるってこの程度のことなのですね。
人様に倫理説く前に旦那のご飯ぐらい準備しなさい!
会員夫婦ってどこまで馬鹿なんでしょうね。
(引用終了)

 実にしょうもない投稿です。
「23日」は何らかのお役があって、大変な日なのでしょう。「PCの前に座って動かない」のは、きっと奥さんはPCが苦手なのだと思います。その奥さんが、一生懸命苦手なPCに向かって何らかの作業をしているのです。(ちらしか何かを作っていたのでしょうか? )ともかく、時間が足りなくて切羽詰まっていたのだと思います。旦那さんは理解がある方のようで、そんな奥さんを気遣ってインスタントラーメンで夕食を済ましたようです。(私も同じ状況ならそうします。)きっと奥さんは旦那さんに「ごめんね。ありがとうね。」と感謝の言葉をかけたと思います。そして、翌日には反省の意味を込めてご馳走を作ったようです。
 この記事を書いた者へ
 引用するなら、出典のアドレスを明記しなさい。きっと夫婦愛和の見本になるサイトのはずです。一部のみ抜き取って批判の記事に利用するような卑怯な真似はやめなさい。ちなみに読解力のない君に説明します。わざわざ夫がこの演談をしたのは、妻が夕食を準備しなかったのが異例だからです。いつもそうなら、わざわざこんな演談はしません。実践倫理宏正会を批判するなら、その程度の読解力は身につけてからしなさい。

 こんなしょうもない投稿へ反論をしないといけないのは面倒です。もっと高度な批判をお願いします。
(引用終了)

追伸 上記の投稿ですが、前半部分を引用し忘れました。

(引用追加開始)
しょうもない投稿へのしょうもない反論(その1)
<< 作成日時 : 2009/11/09 20:54

  「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/
への否定派の投稿は下火になったようです。投稿が少なく閑散としています。
「このような人達が宏正会の不合理さを誰かに聞いてもらいたくてこのようなネットで必死に訴えているのである」と誰かが主張していましたが、案外それほど執着していないようですね。

 余裕ができたので、私の大嫌いな2ちゃんねるの投稿について、「我がブログで」反論していこうと思います。いや夫は2ちゃんねるで批判記事を書いている人物と「実践倫理宏正会って何?」で批判記事を書いている人物は全くの同一人物だと思っています。(2ちゃんねるでの反論など無意味なのです。倫理のない人と討論するのは時間の無駄以外の何物でもありません。)

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://unkar.jp/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434
より引用します。


(引用開始)
263 :名無しさん@HOME []:2009/11/07(土) 13:56:59 0
会員のブログのコメントからの引用

(追加引用終了)
 
 以上のコメントから前記の投稿に続きます。

また、馬鹿夫が下らん低能記事を投稿してるなww

 鉄槌殿へ

 あなたが次の討論相手になるつもりですか?
短いコメントばかりで楽ちんなキャラですね。それが2ちゃんねるでは「スタンダード」なのでしょうね。
あなたの今までの投稿が低能(脳)ではない例なのでしょうか?私はこんな投稿は無理ですので、相手をする気にはなりません。

(引用開始)
レイプ容認発言「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」した太田誠一を推した支部を粛清せよ!

このまま放置することは許されない!

投稿 鉄槌 | 2009.09.01 07:05 午後

幹部ども、答えろや!

投稿 鉄槌 | 2009.09.01 07:17 午後

知識、教養の無さが現れていますねww

投稿 鉄槌 | 2009.10.31 06:07 午後

IPも抜けない馬鹿夫w
否定派の一部が同一人物である根拠を示せw
IPが抜けるようになって出直して来いよww

投稿 鉄槌 | 2009.11.01 12:28 午前

また、馬鹿夫が下らん低能記事を投稿してるなww

投稿 鉄槌 | 2009.11.11 02:08 午前
(引用終了)

 一方、あなたは下記のようなプロフィール(のキャラ?)のはずです。その立場に応じた反論をされてみたらどうですか?
(引用開始)
母が長年会員です。父が死んでからは、毎日朝起会に参加してるようです。
ここで読まれている会員さんが真実の目を開かれることを切に望みます。
古今東西の宗教、哲学を学んだ方なら、この宏正会のいかがわしさがわかろうというものです。
3大宗教、儒教、老荘思想の継ぎ接ぎだらけの与太話とでもいいましょうか?(w
一人でも多くの方々が真実の目を開かれることを願っています。

投稿 鉄槌 | 2009.09.25 08:27 午後
(引用終了)

討論相手???
馬鹿も休み休み言い給えwww
それで、俺の論敵になれると思ってるのか?(ww

 鉄槌殿は私より論客だそうです。討論しても無駄のようですね。ネット上の討論(2ちゃんねるを含む)など無意味だという好例でしょう。
 本ブログは、会友が唯一肯定意見を書き込める貴重なブログでした。反対派との間で討論も行われ、実践倫理宏正会についての情報を得られるブログだと思います。
 しかし、2009年に、「高塚地蔵尊」氏「太陽神」氏「武蔵」氏「鉄槌」氏など「ちゃねらー」が論陣を張り、会友を罵倒し嘲笑するようになってからは、このブログの性質は変わってしまいました。簡単に言えば、「2ちゃんねる化」してしまいました。
 本ブログは「実践倫理宏正会のwiki」よりリンク紹介されている貴重なブログです。このままではいけないと「いや夫」が討論に加わった次第です。

 否定派の投稿に反論を加えるという当初の目的は達しました。「太陽神」氏が出てきても、出てこなくても、どちらでもよくなりました。今後も否定派への会や会友への中傷に対しては、私は反論をしていくだけです。

 なお、私は普及実践は一切していない名ばかり会友です。ちゃねらーの皆さんは、「いや夫」が会のそれなりの立場にいる者と誤解しているようですが、全く違います。しかし、第三者からみると、「いや夫」はオウム真理教の「ああ言えば上祐」のように見えてしまうのかもしれません。

 実践倫理宏正会は、本ブログで理解できるほど、浅はかなものではありません。もっと賢い組織です。我がブログより引用します。

(全体引用開始)
議論を避けよ(実践倫理宏正会の教えより)
<< 作成日時 : 2009/11/12 06:53

 実践倫理宏正会は、賢い組織です。「いや夫」は全く半端物でして、私のような者をこの会の代表的な人間だと誤解されては困ります。もちろん、それなりの地位にいるわけがありません。私のようなひねくれ者は、組織が大の苦手なのです。

 賢い実践倫理宏正会では、次のような教えがあります。「議論を避けよ」です。「いや夫」のやっていることと正反対であり、こちらの方が賢く優れた生き方ですので、紹介しておきます。
『明るい人生』上廣哲彦初代会長先生著 人を動かす十則 その三より

(引用開始)
三、議論を避けよ

 世の中には議論によって人を説き伏せ、議論によって人を動かすことが、人心統率法であると心得ている人が、なんと多いことでありましょう。私のところへ、多くの保険外交員や無尽会社の外交員の方々が来て、どのような説明をすれば相手を説得できるかお尋ねになるが、何と気の毒な考え方であろうかと私は思う。何故なら、これほど誤った考え方はないからであります。
 人を説得しようとして、議論を吹きかける時は九分九厘まで失敗に終わる、と知らなければなりません。何故なら、大体議論の結果というものは、論争者双方に、ますます自分が正しくて、相手が誤っている、という確信を強めるのみにとどまって、相手を動かすどころか、かえって自己の意見に固執せしめるばかりであるからであります。
 いいかえれば議論で勝つということは、如何なる人にもできないというのであります。もしも議論に負ければ、その人はいうまでもなく負けたのであり、たとえ議論に勝ってもやはり負けたのであります。その理由は極めて簡単です。すなわち、たとえ相手の議論を完膚なきまでに粉砕し得たとしても、それが果たして何になるか・・・多くの者は、我が意を得たりとばかりにいい気持ちになるでしょう。しかしこれだけでは相手の意見は少しも変わらないのであります。それどころか、いい負かされた相手の立場を考えてみると、彼は敗北感をなめさせられ、彼の全人格の誇りは傷つけられたのであります。人が自己の誇りを傷つけられた時ほど憤りを覚えることはありません。人にはそれぞれに自尊心があり、そして本来はほめられたい動物なのであります。ゆえに、人に高く評価されることほど、愉快なことはないと同様、けなされることほど、不愉快なことはないのであります。そこで彼はいい負かされたことを憤り、死んでも自分の意見は絶対にまげまい、と強く決心するでありましょう。
 ここで、たとえ相手の好意を失っても、その人の意見を変えることができれば、議論は幾らか仕甲斐があったといえるかもしれないが、今いったような結果にさせるようでは、決して相手の心を変化させることができないばかりでなく、ますます反発心を増長せしめて、結果は失敗に終わるのであります。
 従って、世の中に議論ほど無駄で、損なものはないのであります。議論ほど努力のむなしさを感じさせるものもありません。勝っても負けても毛ほども得るところがないからであります。
 若い時には誰でも、自己の見解を披瀝すべく議論を好むものであります。それは多く自称自讃の言であり、相手も自分の人格に関わりのない限り譲歩します。また自分の得意とするところは、口角沫を飛ばして得意満面となり、躍起になって勝ちを誇るのであります。この若い頃の、遊戯的な議論に勝った時の痛快味を忘れかねて、一言居士氏がいたり、そこまで極端でなくとも、少しでも意見の違う人には、直ちに議論を吹きかける者があります。しかしながら、人生はいつまでも討論会場ではありません。和楽を築くのが現実社会の目的ならば、お互いに議論に勝ったところで何一つ利なく、かえって議論のために反目する者がふえては、有害でさえある訳であります。
 人生の苦労を身をもって味わい、種々の経験を積むにしたがって、人は次第に議論が無益であることを悟るものであります。そして結局議論は、これを避けることが一番賢明であるという結論に達するのであります。
 実生活に際しては、ことに商売では、議論ほど有害で無益なものはありません。大会社、大商店の営業方針の第一条は「先ず議論するな」という言葉でなければなりません。とりわけ販売係や勧誘員、外交員にとって議論は最大の禁物であります。真のセールスマンシップは議論をたたかわすことではなく、むしろ議論を避けることにあります。
 例えば、一セールスマンが、ある新商品を売りに行く。先方は大抵の場合、従来親しんできた品のあること、その商品の優良さをほめて、勧誘をうるさく思うもので、売り込みに来た商品をわざとけなすものであります。その時、不慣れなセールスマンは、自分の売り込みが失敗に終わったなら大変だとばかり、躍起になって新商品を弁護し、はなはだしい場合は、先方の商品の欠点を指摘したりします。これに反して熟練したセールスマンは、決して先方の商品や競争品をけなさない。むしろ先方のいわれる意見を十分聞いた上で「ご使用の品は誠に結構な品です。あの品をお使いになれば、お間違いはありません。しかもあれは立派な会社の製品で、特にお取り扱いの販売店も信用あるお店ばかりです。」とほめるのであります。すると先方は急に無言になり、議論の相手を失ってしまうのであります。
 自分はこの品が良いと主張した。セールスマンもその通りですといってくれた。こうなっては、もはや議論の余地がありません。全く拍子抜けがして対抗意識は消え失せ、反抗、防御の武器はニッコリとして、鞘におさめられてしまうのであります。それからがこちらの主張のしどころであります。静かに自分の新品の特徴やら、好評を博していることやら、売れ行きの盛んなことやら、すべて議論でなく事実を述べたてるのであります。その結果はどうでありましょう。
 少なくとも相手は、幾らかでも新商品を注文してみようという気持ちになり、むしろ注文しなければ相手に済まないような気持ちになるのであります。
 以上二人のセールスマンを比較してみると、前者は自分の意見のみを押しつけ、議論によって相手を押さえつけようとして、予期だにせぬ失敗をし、後者は議論を一切避けて相手の意見に同意したことによって、相手の心を自由に動かし得ることができ、商品の売り込みに成功したのであります。
 セールスマン諸君よ。議論に勝って商売に負けるような、愚かなことをしてはなりません。そして議論に負けても商売に勝つことであります。
 人心統率の権威とうたわれたアメリカの製鉄王カーネギーの事業精神の信条をひいてみると、
一、常に得意先の便宜を計り、たとえ自己の損失となる場合でも忍んで実行。論争が起こったときは必ず相手に譲るべし。
というのがその第一条にのっています。彼はまたこういっています。
「辣腕とか敏腕とかいう評判は。大事業家にとってむしろ不名誉である。」
と。公正正義をもって貫いた彼の事業精神は、ついにカーネギー・スチール会社をして、名実ともに世界に君臨せしめたのでありました。
 人生に処するの道は万事において、
「捨つるは得るなり。」
先ず相手に負けて、そののち勝つのであります。
(引用終了)

(全体引用終了)

> なお、私は普及実践は一切していない名ばかり>会友です。

じゃぁ、黙っとけwヴォケwwww

鉄槌くんへ

 君も会友じゃないよね?
じゃあ、だまっといて。
君らが批判は書くから、「いや夫」が登場したの。
君らは会に関係ないんだから、ほかっといてください。
さようなら~。

俺の母親が会員なの。カルト宗教の被害者の家族として発言する義務があるわけ。俺は会を否定的に捉えているわけ。おまえは、馬鹿な為、肯定的に捉えてるだけ。おまえも会の真実の姿を見極めろw
創価学会にしろ、幸福の科学にしろ、生長の家にしろ、表向きは「常識的、倫理的教え」「奇麗事」を前面に打ち出しているが、その実、政治と関わり合い、政治家とつるんでいるわけ。宗教とは本来、政治の上位にあるべきで、政治と対等でもダメだし、下位に来ることなど言語道断。
政治家を壇上に上げる意味というものを、深く考えろ。無知蒙昧な会員は、壇上で演説(と言ってよいだろう)をブツ自らの信ずる宗教を肯定的に考える政治家に投票することは誰が見ても明らかだろう。
宗教は政治家、政治屋の手先となってはならないのである。

 まともな批判になったね。
(余計なおせっかいだけど、社会で生きていくには、敬語くらいは使えるようにしときましょう。)

 朝起会は宗教じゃないよ。
宗教だと、政教分離の原則があるから、政治家を呼べないの。
 実践倫理宏正会は、会友数が多いから、政治家は大会に参加したいと思ってるよ。それが政治家の本能。政治家の手先になっているわけではなく、持ちつ、持たれつの関係なの。対等でいいじゃん?なぜいけないの?政治家は国民の代表だよ。敵じゃないよ。当たり前だけど私や君より立派だよ。人のために尽くしているんだから。何か勘違いしてない?おこちゃま?

 もし仮に、政治家を大会に呼んでなかったら、どうなっていたかな?君のような愚息が、ネットで会をカルト扱いしているけど、それがそのまま会への評価にされてしまうところだったよ。政治家が大会に参加してくれることで、会の普及にもプラスなの。
 政治家は国政レベルでも地方自治レベルでも、実践倫理宏正会は健全な組織として評価してくれているの。会の教えを知れば、当然です。儒教に近く博愛の思想だからね。母親がかかわっているんだから、子どもの君が理解していないのがそもそもおかしいの。

 君は、会の批判をする前に、母親との関係を何とかしなさい。誰が書いたかもわからない(君もだけど・・・)くだらないネットの記事を信じるより、産んでくれただけでも、親に感謝し、じっくり話をしなさい。「親に反抗するおこちゃま」が、人にとやかく説教をたれる資格なないよ。

 君の母親には、「実践より家庭愛和が先でしょ」とお伝えください。

馬鹿夫w
まずは、宗教とは何か?を考えろw辞書を引けw
馬鹿夫はやっぱり相手にならんww

鉄槌くん

 本当に「母親が長年会友で、カルトの被害にあっている」んだったら、もっといろいろ反論できるでしょ?このプロフィール自体を「いや夫」は疑っています。正直に生きようね。その方が楽だよ。

馬鹿夫は消えなw
ここは馬鹿のおまえが来るようなところではないw

戦後、上廣は、日本人の金銭信仰というものを批判しながら、利益誘導型金権政治であるところの自民党政治の後押しをして、自民党と共に歩んで来た。この矛盾を突くだけで、この似非宗教がいかがわしいことがわかろうというものだw
政治家を呼ぶのなら、当時の社会党、社民党、共産党、みんなの党、新党日本の議員も呼ぶべきではないかね?(w

鉄槌くんへ

 このブログは
(引用開始)
はじめに、、、
 このページは(社)実践倫理宏正会の公式HPではありません。
 せっかくこの会について知りたいと検索してくださっても、それに応えるサイトが何も無いのでは申し訳ないと思い、一会友でしかない私ですが、機関紙等から抜粋することで、できるだけ私情を挟まず、正しい情報をお伝えさせていただきたいと、このページをつくりました。
 参考にしていただければ幸いです。
 なお、このページと(社)実践倫理宏正会は関係ありません。
 お問い合わせは受け付けてはおりません。
 ご興味をもたれた方は、地域で頒布されている機関紙「倫風」を御覧の上、地域の朝起会場へご連絡くださいませ。

投稿日 2005.02.09 学問 | リンク用URL
(引用終了)
なの。だから、「いや夫」の方がここでは正当派なのです。
 君こそ、君たちが正当派である「2ちゃんねる」に戻ったら?

 読解力がないのは仕方がないけど、ちゃんと過去スレを読もう。
(引用開始)

それはある意味、買い被り過ぎかと存じます。そこまで、自民党にしろ民主党にしろ頼りにされたり、会の影響力を行使出来たり、などと言うレベルにまでは至っていないと思います。
確かに、幾人か保守系の有力な議員先生と会長個人が懇意にしているのは事実ですが、党全体からすれば、精々多数ある支持団体の一つに過ぎない程度の貢献に留まっていると思います(それすら認識されていない可能性も十分にあります)。

そもそも選挙などの応援は飽くまで、会友が推薦するなど『人物本位』ですから、本会の活動に理解を示される方なら、自民党・民主党・国民新党・無所属などに拘わらず(言うなれば無節操に)応援しています(さすがに公明党・共産党関係は聞いた事がありませんが、社民党・旧社会党議員さえも、以前に聞いた事があります)。
大会などの来賓で自民党が最も多いのは、近しい考え方を持つ先生方が多いので、ある意味必然ですね。民主党員の方々も決して少なくありませんが、比較的若手の方が多いために、表(壇上)には出ないケースも少なからずあるようです。

投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.08 08:35 午後
(引用終了)

 ちゃ~んと野党議員も呼んでるよ。結果として政権党が多くなるだけ。これからは、民主党議員がより多く出席するだろう。来る者は拒まずだと思うけどね。(来賓扱いには限りがあるだろうけど)

 ちなみに、自分の考え以外を取り入れようとしないことを「バカの壁」といいます。
「いや夫」はちゃんと否定派の一部正しい意見を肯定しているぞ。もう少し広い目を持とう。

他人のレスを貼り付け、自分の言葉で語れない
馬鹿夫ww
もう来るなww
ここが荒れたら、管理人が閉鎖するだろw
おまえの知ったことじゃないw

民主党議員を呼ぶ回数が増えていることは、つまり、政権に擦り寄る宏正会の性質がまさにあらわれているってことw
権力にひれ伏したい馬鹿どもにとっては、ほんとに居心地のいい宗教団体だろなww


ぴゃーーーーーー!!!!!!!!!
ちょー聞いてー!! 隣に住んでる佐藤さんの仕 事判明wwwwwww

http://rakuraku.nnstarterpp.net/xhsxc2c/

やたら羽振りいいしおかしいと思ってたんだよなー(-.-;
俺もやってみたんだけど笑えるくらい簡単に稼 げ て会社行く気無くした(^^;
まー佐藤さんみたいな激デブでも稼 げ て るんだから簡単で当たり前だよなwww

「ちゃねらー」は無視します

 「鉄槌」くん、「あちゃ!おちゃ!うりゃ!」くんへ

 「ちゃねらー」は嫌いなので、無視しますね。「実践倫理宏正会」は「ちゃねらー」とは対極にある組織ですので、お互いに関わらないようにしましょう。

 ともかく私は無視します。

 お二人とも、就活や婚活をがんばってください。こんなところで人生を無駄にしていてはいけません。ストレス発散の一種なのでしょうが、そんなことをしているから仕合わせになれないのです。世の中が悪いのではなく、君たち自身の生き方が、己の不遇の原因です。よって、まずその生き方を直すことが大切です。特に、家族との関係修復に取り組みましょう。家庭愛和なくして、仕合わせにはなれないのです。(実践倫理宏正会は、そのような教えです。君たちは信じていないし、私たちは信じています。その違いです。人それぞの生き方があって、いいのではないでしょうか。)
 さようなら~。

おまえ、つくづく馬鹿なんだなw
俺の次に投稿してる人間は、業者自身かそのバイト野郎だよww
ほんと、ネットの常識も知らんでネットすんなよww
おまえがネットするのは100万年はえぇ~んだよwww


http://pyupyu.momoringo.net/b08b-lm/
ここで会ったオネエさんのマヌコすっごい滑るよ!!!!!
濡れ濡れでツルッツルだからめちゃくちゃ舐め甲斐あったわー(・з・)ぷぷぷ
でも舐めてすぐに潮どっさり吹くもんだから僕の顔面ビショビショo( ´_ゝ`)o
あまりに潮の量が多いからおかげで溺れるかと思ったよwwwwwww

嘘こけ。
君か、君の仲間だよ。
俺から見たら、一緒なんだよ。

 と無視しない私は未熟者。

「嘘こけ」と言う前にIP抜けるようになって出直して来い、馬鹿夫w
で、会友は倫理的に素晴らしい人達ばかりらしいがwww、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか。」と発言した太田誠一に、先の衆院選で投票を誘導しようとした馬鹿会友をどう処分する?おまえならww

是々非々で意見を述べる。

太田誠一の発言は絶対に許せん!
とんでもない奴だ!
本当にこんな奴への投票を呼びかけたのなら、批判は当然である。
(wikiによると、実践倫理宏正会が自民党の宏池会との結びつきが強く、太田誠一が宏池会の代表代理をつとめる人物であるようだが。)
その点は、君に賛同する。

 なお、こやつは、その失言で2003年の総選挙で落選、また、2009年の総選挙でも落選しているようだ。自民党が没落したら、ただの人になるのだろう。身から出たさびだと思う。

 しかし、このことだけで朝起会を全面否定するのは間違いである。

ちょっと待てやw
全面否定ではなく、この事実を認めろって話。
つまり、倫理的生活を自認する会友の一部がこのような選挙誘導を行った事実をどうおまえが評価するかだ。ほんとに正しい宗教なら、こんな下衆な輩を生まないはずである。この事実を持って、信ずるに足る宗教ではない、ということだ。


http://bisha.hun-kun.net/y7alxs9/
これ絶頂すぐるだろwwwwwwww

指で膣かき回したらイキ顔マックスで潮もマックス噴射だぜwwwwww
見てるだけじゃ俺の欲もおさまんねーし全力でお手伝いしますた(・(ェ)・´)
お互い満足してんのに俺だけ金貰って一挙両得wwwwww ヤター!(・∀・)

鉄槌へ この件については、君のいう通りでOK!以上終わり。

もう少し、身のある討論のできる相手はいないのかな?
 
 否定派はもっとたくさんいたはずだが・・・。

いい加減、目を覚まんか>馬鹿夫ww

以前夫婦で朝起きしてた者です。
今は独身ですが^^;

子供を3人引き取り男手で育ててますが、倫理で教えて貰った事が大事だったと、最近気が付きました。

しかし、朝起きに戻る事はないでしょう(身体がもたないので^^;)

夫婦愛和の意味が良く解ってなかったんでしょうね、きっと・・・

先代の書かれた本を読み直して心の糧にします。

「通りすがり」様

 家庭愛和の価値を教えてくださる貴重な投稿ありがとうございます。家庭愛和、夫婦愛和の本当の価値は、失って初めてわかるのかもしれません。誰もが身につまされるご意見だと思いました。

 文面を読ませていただいて、「通りすがり」様の謙虚なお人柄を感じました。男手一人で三人のお子様を育てるご苦労は、並々ならぬものがあると思います。しかし、きっと、お子様は父親の苦労と愛情を理解し、素直に育っていくことと思います。朝起きに戻らなくても、きっと家庭愛和を実現されていることでしょう。

 人は皆、現実大肯定しながら、日々の仕合わせを求めて、がんばっていくしかありませんね。
 ともかく、久しぶりの肯定派(とさせていただきます)の投稿ありがとうございました。


へい! 毎日毎日セ ク り ま く りでティッシュの消費量ハンパねえYO!!!
右手が恋人で自分の汁ばっか拭いてた俺が
例のにハマってから女の汁も拭きまくりだからなwwww

http://kami.nyanyanyan.com/ajqqhqu/
そりゃーティッシュ減るの早いって!!!!!!!!!
今日もこれから吹かせまくって拭きまくるわwwwwwwwwwww

何とでも言えますね。「夫婦で朝起きしてて、挙句の果て子供を引き取って(「引き取った」というからには死別などは無いのでしょう。)、と言うのは何でしょうか?夫婦愛和という言葉や理念を伝える会だと(自分たちでは)言っているのに、そのことはおざなりにしているということですね。生きた証人がわざわざ告白してくれているのはありがたいことであり、会の本当の目的(勿論、そんなことは社団法人の定款には書いてありません)が推測されようと、仕方ありませんね。著書に立派なことが書いてあるだけに、いけませんね。哲彦さんや榮治さんの論よると「通りすがり」さんは倫理実践の道、すなわち上廣一家が言う「人間が本来持つ正しい生き方、「倫理力)に基く生き方をしなかった人と言うことにならざるを得ない。本当にそうなのでしょうか?間違ったことがあるとすれば決然とした態度をとるべきです。それができれば健全な団体として社会的認知がされるでしょうし、会の発展に寄与することにもなります。そのことを自覚して個々人が生きてゆくことが上廣会長の教えではないのでしょうか。(上廣さんに別の目的があるとすれば話は根底からひっくり返りますが・・・)
朝起き会のために(倫理が言うところの)ダメになり
、それでもなお自己を否定した組織に縋る必要は無いのではありませんか。立派に生きて行けると思いますが。

Rくん

 君の作文力はひどすぎる。
2ちゃんねるでも、そのような文章があったが、君なのかね。

 大人の世界はいろいろ難しいんだよ。
君のようながきんちょがわかる世界ではないの。
子どもはおとなしく勉強していなさい。
作文力をつけて、大人が書いたと読める程度になってから投稿しなさい。

 以上。終わり。
後は、君を無視します。

「いろいろ難しい」 「いろいろある」 説明する能力のない人がとりあえず使う言葉ですね。自分のことを大人だと思っている人が都合の悪いことだけ無視していいのですか?無視する人に言っても無駄ですか・・・

Rくんへ

 「通りすがり」さんの気持ちを思いやれないから、子どもだと言っているのです。
 あなたの投稿は、明らかに中傷です。実践倫理宏正会にどんな恨みがあるのか知りませんが、「通りすがり」さんの投稿をネタにするのは適切ではありません。自分のマイナスの情報をあえてさらしてまで、家庭愛和の大切さを教えてくれる投稿なのです。私たちは、家庭愛和の価値を再認識すればいいのです。そのことに、肯定派も否定派も関係ありません。
 否定派だからと言って、何でもかんでもいちゃもんをつけるのは止めなさい。

題 「ちゃねらー」と一緒にするな

 ここでの討論が、2ちゃんねるでも取り上げられている。ちゃねらーはなりすましや創作ばかりやっているから、「通りすがり」さんの投稿も創作扱いしているようだ。何のための創作なの?頭悪すぎない?

 君たちと一緒にするな。

 肯定派は君たちとは違うんだよ。

 嘘がきらいなの。

 住む世界が違うの。

 「ちゃねらー」は「ちゃねらー」の内輪だけでピーチクパーチクやっていなさい。

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://unkar.jp/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434
より

(引用開始)

299 :名無しさん@HOME[]:2009/11/27(金) 01:17:33 0
>294
・・・今は、独身ですが子供3人引き取り、男手で育ててますが・・・・
この書き込みは全くの創作です。人心を迷わす、この手愉快犯的書き込みには
困ったものですね。
(引用終了)

「2ちゃんねるは終った」といいながら、2ちゃん
ねるにくぎづけになっている馬鹿夫!
^^;) エヘヘマークを付けてエサをまいたら、さっそく食いついて「通りすがり様」なんて大まじめに反応して、
はては「通りすがりさんの気持ちを思いやれないから
子ども」なんて、自分のお子ちゃま振りをさらけだした馬鹿夫!
創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界にまこと大まじめに取り組んで、「いやいやながら」女房の尻に
敷かれっぱなしでバカップルやってる、
天上天下唯我独尊、うすら・馬鹿夫に乾杯!

助けて

↑は私ではありません^^;

私の投稿で、いろいろと面倒かけてすみません^^;

ただ、「家庭愛和」「夫婦愛和」って失わないと解らなかった自分の浅墓さが痛感しましたね^^;

ここを訪れる方にはそうの様な事が無い様に今一度相手を、お互いに思い遣れる心を思い出して欲しいと願います。

「現実大肯定」・・・今の状況の中この言葉は重いです。ただ、離婚するまでは子供に真剣になって接してなかったので、今、真剣に接するいい機会だと捉えなきゃ^^;


久しぶりに倫理に触れると、自分の小ささを痛感します。

また、先代の御著書に触れて器を広げたいです。

「何の恨みがあるのか」とは・・・被害者だからこそ言うのではないか。

「何の恨みがあるのか」とは・・・被害者だからこそ言うのではないか。


http://daisuki.twwitta.net/5aei889/
このバ イ ト用に開設した口座しばらく見てなかったんだが
いつのまにか2 0 0 万超えてた(*゜∀゜)! 脇汗大量に出たしwwwwwww
どうもカナちゃんがセクってない時でも俺の為に生活費くれてたみたい(^^;
そら報 酬くれたうえに毎日1 万も振り込んでくれてたら嫌でも貯まるよなwww

通りすがり様へ

 鉄槌とか金槌とかRとか、みんなちゃねらーですから無視すればいいですよ。ネットで悪口を書くのが生き甲斐の人たちですから。諭しても無駄です。2ちゃんねるなら、こんな奴らが批判を浴びせて終わりですが、ここは2ちゃんねるではないので、どちらが正当な意見を述べているか、わかる人にはわかっています。
 こ奴らは、独身男で、結婚や子育ての喜怒哀楽も知らなさそうです。(投稿を読めば感じます。)相手にするだけ無駄です。

金槌、Rへ

(引用開始)
 住む世界が違うの。

 「ちゃねらー」は「ちゃねらー」の内輪だけでピーチクパーチクやっていなさい。
(引用終了)

 の意味がわからないみたいだね。(読解力をつけよう。)
 君たちの大好きな「2ちゃんねる」でピーチクパーチクやりましょう。
 ちなみに、私は君たちとは違って、仕事(や競馬の研究)で忙しいから、「2ちゃんねる」なんてたまにしか覗かないよ。君たちとは違うの。
 以上、終わり。どうせ反論するだろうけど、無視します。(とかいいながら、また関わっている私は未熟者。)

題 いや夫は馬鹿夫だそうです

 この「実践倫理宏正会って何?」の批判派と、「2ちゃんねる」の批判派は、ほとんど同一人物なのです。こちらでの投稿は、すぐに「2ちゃんねる」で引用されます。今までも、そうやって批判派が情報交換していたのです。それと同じことを、「いや夫」が逆向きに行っている状態です。(といっても、過去ログを読むのは有料!!なので、古~いスレと最新のスレしか読めませんが・・・。あんな馬鹿なサイトを見るためにお金を出している人の気が知れません。毎月30ドルなのかな?実践倫理宏正会の年会費と一緒だぞ。ということは、「ちゃねらー」は11人分倍加を毎年続けているのと同じ出費だなあ。)

 たとえば、今の「いや夫」への悪口

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://unkar.jp/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434
より

(引用開始)
300 :名無しさん@HOME[]:2009/11/28(土) 01:04:24 0
馬鹿夫は、後は、君を無視しますといいながら、返事を書き込んだり、相手にしないはずのこのスレ見たり
アタマ悪る過ぎww
(引用終了)

 認めましょう。その通りだね(笑)

17番 ここの批判派と「2ちゃんねる」の批判派が同じだという例

 今現在の2ちゃんねるでの実践倫理宏正会スレは、何度も引用しているように、こちらです。

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://unkar.jp/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434

 そして、このブログと見比べてみると、投稿の内容がまったく同じだとわかります。さらには、例のスレは2009年7月2日からのスレなのですが、
「実践倫理宏正会って何?」へのリンクが張られたのは、つい最近の2009年11月25日です。

以上のことよりわかることは、

一、「ちゃねらー」は、「実践倫理宏正会って何?」で批判記事を書きながら、「2ちゃんねる」でも同じ話題で悪口を投稿している。

一、「実践倫理宏正会って何?」のリンクを張らなくても、「ちゃねらー」たちは、このブログの書き込みをみ~んな知っている。

 ということになります。よって、このブログの批判派=「ちゃねらー」は、確からしいというのが、私の仮説です。そんなの、読み比べれば当たり前のことですが(笑)

 ちなみに、珍しい例ですが、このブログや「いや夫」のブログの存在を知らない「ちゃねらー」さんが、下記の投稿をしました。

(引用開始)
307 :名無しさん@HOME[]:2009/11/30(月) 17:21:50 0
「あるサイトで会を擁護している男性」とあるが
どこのサイト?
会を擁護している男性とは誰?
(引用終了)

鉄槌くん、Rくん、金槌くんへ

 出番だよ。2ちゃんねるで、この人に教えてあげてね。以下をコピペしてちょ。

「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/

「いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ」
http://58807828.at.webry.info/

下記の掲示板が一時消えたのは、全く別の理由でした。(ネット初心者の勘違いです。すいません。)

いつも紹介している、

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://unkar.jp/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434

は、実は2ちゃんねるの「ログ保管サイト」(2ちゃんねるを読みにいって、情報を保管するサイト)でした。その元のサーバーである、
http://unkar.jp/
が一週間ほど停止していたというだけでした。

 なお、上記のアドレスからは過去ログへ飛ぶことはできませんが、下記の2ちゃんねるの元スレからは、飛ぶことができます。念のため、お知らせしておきます。今後は、こちらの元スレのリンクを使います。

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434

「通りすがり」・「馬鹿夫」
 2009.11.30、二度目になされた、「通りすがり」 の投稿は、創作以下の稚拙極まりない作文。
 文章に 「^^;」 エヘヘマークをやたらにつけたり、三人のこどもを残して女房に逃げられ、男手一つで育てる男など、真の「実践倫理宏正会」では、絶対に排出しない。
「先代の御著書に触れて器をひろげたい」など、ヘソが茶をわかす。
「守れば必ず幸福になり、守らねば必ず不幸になる」と先師が断じた、「宇宙絶対の理法」を実践した男は、「^^;」マークは、死んでもつけない。
レベルの低いこの文章は、このスレにふさわしくないし、この文章の作者に「謙虚な人柄」と賛意を表し、おのれの読解力の低さを露呈した、「いやいや、エセ・宏正会肯定派」を自認する「馬鹿夫」の、知性と教養の低さには、驚き、桃の木、「いやはや」恐懼感激に堪えない次第であります。
しかして、「通りすがり」と「馬鹿夫」は同類項にて同病相哀れむの図であります。
「馬鹿夫」は年金をはみながら、女房の尻に敷かれて、競馬研究とスレ連投に浮き身をついやし、やたら自他の文章を引用して、冗長に堕する文と修辞法を弄するが、耐えるお方はそう多くおられまい。
いやいや朝起き会に来てくれても、カラダにもアタマにもよくない!そんな女房ひとり、正しく導けない男が、自ら宏正会・肯定派と名乗るはおこがましいにも程があるというもの。

競馬プラス収支なんだよね~。
費やしてないんだよね~。
趣味なんだよね~。

 人の悪口ばかり書いてると、本当に結婚できないぞ。

2ちゃんの情報によると、年会費が33ドルらしい。素早いレスポンスありがとう。
前のコメントは訂正します。
実践倫理宏正会の年会費と同じ位らしい。


(引用開始)
309 :名無しさん@HOME :2009/12/01(火) 08:11:08 0
まさにくぎずけ>>6状態ですね。

>毎月30ドルなのかな?実践倫理宏正会の年会費と一緒だぞ。
>ということは、「ちゃねらー」は11人分倍加を毎年続けているのと同じ出費だなあ。)

お支払いは一括US$33.00で1年契約!
料金は、月平均にすると約 350円程度!
倍加11人分は33000円

妄想や思い込みが酷い。

>「実践倫理宏正会って何?」へのリンクが張られたのは、つい最近の2009年11月25日です。

これも違う。過去ログをじっくり読んでみるんですね。
(引用終了)

 リンクが張られたのは、「21」版では初めてにまちがいないよ。それ以前の過去ログでは張られているという反論だね。どちらにしても、このブログと「2ちゃんねる」が表裏一体なのは事実だよね。君たち「ちゃねらー」にとっては何を今更という当たり前のこと。
 でも、中にはこのブログだけを見ている人もいるから、「いや夫」が説明しているの。
また、
(引用開始)
2ちゃんより善良なイメージのヤフーの知恵袋や教えてgooやベネッセのウイメンズパークの口コミやウィキペディアで書かれていることも同じなんですよね。
○○夫さんは、知恵袋や教えてgooやウイメンズパークやウィキペディアの莫大な書き込みも、やらせと言い切れるのでしょうか。
朝起き会に関する質問のピークは過ぎたようで、今は検索すると自分で質問しなくても、以前の質問と回答が見られるから、それを見て勧誘された人は判断してると思いますね。
(引用終了)

 についても、何度も書くけど、SNSユーザーと「ちゃねらー」は、まったく別々の存在ではなく、多くが掛け持してるよね。否定意見を書きたくてしょうがない輩は、「2ちゃんねる」にも、その他のブログ等にも書き込みをしているということ。なお、「いや夫」は全てがやらせなどとは言っていません。
 2ちゃんねるは、「ないことないことないことないことあること。」位、その他のブログ等では「ないことないことあること。」位の比率かな?
 wikiは中立的で正しい情報が書かれていると、「いや夫」も認めます。
 そして、そのwikiからリンクで紹介されている唯一のブログがここだということ。(2ちゃんねるにリンクが張られるほど、世の中は堕落していない。それだけが救い。)
 よって、このブログで「いや夫」が君たちと戦っているわけだ。
 金鉄槌レベルが相手では、辟易してるのも事実。一般の皆さんは、こんな人たちの意見を鵜呑みにしてたんだ~と、ある意味関心しています。

肯定派の皆様へ

 ちゃねらーが本性を現して、このブログも2ちゃんねる化させてしまい、すいません。全て「いや夫」が仕組んだことです。
 しかし、否定派が「ちゃねらー」であるという事実を明らかにできたという点で、なにとぞご容赦ください。

 
 以前の投稿についても、そういった観点で読み解いていただきたいと思います。これまでも、肯定派をつぶす悪意の投稿に満ちています。すでに2ちゃんねる化していたのです。

「馬鹿夫」に対して悪口など言っていない。批判しているのである。
「馬鹿夫」が実力のある人間と自認するなら、堂々と反論してこい!
思うにまかせぬ、「いやいや妻」を正しく教導もできず、さりとて実践も出来ず、自己への言い訳のため、宏正会のエセ・肯定派を演じて、一旦は無視するといった「ちゃねらー」と、ヒョロヒョロ、フラフラとたわむれている「馬鹿夫」は、見るに耐えない、死んだ方がましである。
程度の低い「馬鹿夫」がヒョロずくので、本来このスレにおられ、よき発言をなさっていた方々が、一人もおられなくなった。
「ちゃねらー」と戯れる「馬鹿夫」こそ死んで「2ちゃんねるのもくず」となれ!
わしも潮時、このクソスレとはこれにてグッドバイ!

金鉄槌くんへ

 君のはどう読んでも悪口だよ。君みたいな人に、「倫理」を説いても無駄だから、相手にしないということ。聞く耳をもたないのだから、堂々と反論もくそもないでしょ。
 武蔵くんは、まだまともな批判も多いから、討論していました。「いや夫」も一部正しいと認めています。しかし、君らと討論したつもりはありませんので、あしからず。

 では、さようなら~。
(もっとも、2ちゃんねるはロム専門ですが、見に行きますので、また、君の投稿をよまなきゃいけないんだろうね。とほほ。)

PS 2ちゃんねるに下記のリンクを張っておいてね。
  正々堂々と。
  我がブログで、2ちゃんねるの投稿に反論しておいたよ。

(引用開始)
鉄槌くん、Rくん、金槌くんへ

 出番だよ。2ちゃんねるで、この人に教えてあげてね。以下をコピペしてちょ。

「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/

「いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ」
http://58807828.at.webry.info/

(引用終了)

金槌氏へ。
>女房に逃げられ、男手一つで育てる男など、真の「実践倫理宏正会」では、絶対に排出しない。

確かに倫理を学ぶ者はそうならない様に実践すべきでしょう。しかし、私は極々一般的な小市民だと自分では思ってます。
人は誰しもミスしますし、その場の感情が優先する者だとも思ってます。ましてや、学んだ経験があるだけで、実践はトンとお座なりでした。
学べば誰しも直ぐに効果が出る様な学びではないと感じますし、学べば学ぶ程手が届かない様にも感じます。私は一度は学びましたが、安易で、容易い生活を選んだけ。

>「守れば必ず幸福になり、守らねば必ず不幸になる」と先師が断じた、「宇宙絶対の理法」を実践した男は、「^^;」マークは、死んでもつけない。

これはまた極論ですね、世の中いろんな人が居る事はご存知でしょうか?広い世界には人の数だけ表現があります。決め付けるのはどうかな?倫理を学ぶと顔文字は使えないの?文章が重くならないように顔文字を使うのは当たり前だとおもいますが?柔軟に対応する事も大事だとまなびましたが・・

あと、余計なおせっかいですが、何でも「決め付け」自分の意見を強弁」する事は世間では嫌われますよ?自分の周りの対応態度をよく観察しましょうね。

>レベルの低いこの文章は、このスレにふさわしくないし
このスレは元々実践を始めた方たちのために立ち上げられたと思いますが・・・
否定的な意見は確かに大事だとおもいますが、
あまりにも人を否定し、貶める文は如何なものかと思います。
それこそ「2ちゃん」で存分に書きつづったら如何?

以上ささやかな反論です。



http://mank.thebigmonitor.net/1feeo4b/
初 体 験やのに前 立 腺 マッサージまでされた!!!!!!!!!
エ ネ マグラ?突っ込まれた瞬間「ヒィ!」って声出たしwwwwww
もう頭真っっっっ白で連続でイきまくりやったでぇ(>_<)!!!!
今まで経験した事ないくらい気持ちよかったけどケツ2日間痛かった・・・
てか1 0 万貰えてんから文句言うたらアカンよな(^^;

通りすがり様

 ちゃねらーへの反論お疲れ様です。
「2ちゃんねる」とは違って、肯定派も反論できるのは、ブログだからこそですね。本当にちゃねらーって文章が下品で失礼で嫌ですね。まあ、その分実社会で苦労するのでしょう。哀れな人たちです。

 なお、このブログでは肯定派が反論できても、彼らは2ちゃんねるで悪口を書いてうさをはらしています。最初に自分のことが書かれているときには、嫌な気持ちがしましたが、私はもう慣れました。笑って読んでいます。言いたい奴には言わせて、肯定派はまじめに仕合わせを目指しましょう。

 なお、「いや夫」は「2ちゃんねる」の否定派の投稿でさえこころよく思っていないので、我がブログで反論記事を書いていきます。(さすがに「2ちゃんねる」で戦うなど、いやみな「いや夫」でも不可能ですので。)
 便所の落書き消し作業です。

<関連記事>
しょうもない投稿へのしょうもないけど労作(徒労?)でもある反論 前半(その4)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_2.html
しょうもない投稿へのしょうもないけど労作(徒労?)でもある反論 後半(その5)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_3.html

我がブログにて、

 「ネット上の批判派の主体は、会友の息子である」
http://58807828.at.webry.info/200912/article_4.html

 という記事をアップしました。このブログでの「金鉄槌」や「R」くんなどに該当します。他にもいっぱいいることでしょう。案外皆さんが気づいていない事実だと思います。

馬鹿夫ww
まだいたのかww
いい加減死ねよwww

馬鹿夫ww
ここにレスする暇があったら、ギリシャ哲学と経験論、大陸合理論を学んで来いw
おまえはレベルが低すぎなんだよww

馬鹿夫にはだーれも相手にしない。鉄槌氏のみが返事を書いて下さっていることに感謝して、いつものように、「返事を下さったことに感謝します」といって、いさんで馬鹿夫低能理論をここに展開せよ。
十年一日のごとく、同じ事を繰り返せ。

金槌くんへ

 じゃなかった、鉄槌くんへ
何度もお願いしているんだけど、


君たちの、
朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434

に、下記のリンクを張っておいてね。

どうして張らないの?何か不都合なことがあるの?
ちゃねらーの意見を聞く耳もってるよ。
(聞いても、くだらないのは無視するけど・・・。)

(引用開始)
鉄槌くん、Rくん、金槌くんへ

 出番だよ。2ちゃんねるで、この人に教えてあげてね。以下をコピペしてちょ。

「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/

「いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ」
http://58807828.at.webry.info/

(引用終了)


PS 別に「匿名希望」くんでも、誰でもいいよ。一緒だし。

鉄槌くんへ

(引用開始)
馬鹿夫ww
ここにレスする暇があったら、ギリシャ哲学と経験論、大陸合理論を学んで来いw
おまえはレベルが低すぎなんだよww
(引用終了)
 
 珍しく興味深い投稿だね。
どんなところが優れているのか、簡単に説明してみて。
ほんのさわりでいいよ。
それで、君の知的レベルを判断するから。

>珍しく興味深い投稿

はぁ?
低脳は死んどけよw

>どんなところが優れているのか、

優れている?何に対して?

このような最低限の知識もなく、「実践倫理」とは情けなくて涙が出るよw

それに、この「実践倫理」という命名は、哲廣がカントの「実践理性批判」からパクッたんではないのかね?(プププッww

鉄槌くんへ

 けちだね君は。
 私は哲学はあまり勉強していません。共通一次試験で「倫理」が簡単に点を稼げるというので、「倫理」の授業を選択しました。その先生は漫才みたいにおもしろい授業をするのですが、実際に哲学について話すのは、授業時間の10分の1あるかないかでした。よって、教科書を自分で読んで試験に臨んだようなものです。それでも平均点は楽々クリアーしましたよ。
 君は、これが専門なのかな?それでは、素人の私よりも知っているのでしょうね。素人にもわかりやすく説明してもらうとありがたいのだけど・・・。まあ、そういう知的レベルなのだと判断します。

 ヒントはあったので、カントの「実践倫理批判」について、下記のサイトを読んできました。
http://www.nagaitosiya.com/b/kritik_der_praktischen_vernunft.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88

 いろいろ書いてあるけど、要点としては、
「それゆえ正直で善良であるために、それどころか賢明で有徳であるために何をすべきかを知るためには学問も哲学も不要である。」というのは言えてるね。

 「無知の知」にも相通じるかな?

また、
(引用開始)
 「我々は何を知りうるか」、「我々は何をなしうるか」、「我々は何を欲しうるか」という人間学の根本的な問いがそれぞれ『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』に対応している。カントの批判とは否定ではなく吟味をさす。
(引用終了)

 から考えると、「実践理性批判」とは、「我々は何をなしうるかを吟味する」ということかな?これも、理論よりも実践が大切であるという意味ととれる。

 上廣会長は、古今東西の叡智を学んでいるから、カントも当然学んだのでしょう。そういうのを「パクリ」とは言わないよ(笑)。

 その上で、理論なんかよりも実践が大切だと説いているのだと思うけど?当たり前過ぎるけどね。

 結果的に、「最も重要なことは論理で説明できない」のだから「ならぬことはならぬのです。」と教えるしかないということでは?
(「いや夫」の投稿 いや夫 | 2009.10.16 08:27 午後 参照。「国家の品格」「会津藩の教え」)

(ちなみに、カントは生涯独身だったようだ。こういう七面倒くさいことばかりを考えていたら、彼女もできまい。経験がないのだから、家庭愛和の方法も知らないだろう。)


いやー坊主にして良かったよwwwwwww
クリに頭なすりつけたら気持ちよすぎて女の子みんな超狂っちゃってるもんww
http://play.donune.net/n71o24y/

この調子で一ヶ月100人切り達成するわ!!!!!!!!
うらやましいからって俺の坊主プレ_イマネすんじゃねーぞwwwwwwww

(ただいまの取り組み)

立行司
「てっついぃ~~
 てっついぃ~~」

(決まり手は)
「てつがくろぉ~ん」
「てつがくろぉ~ん」

(観衆)
「いやおちゃぁ~ん
 がんばってぇ~~~ン」

>ちなみに、カントは生涯独身だったようだ。こういう>七面倒くさいことばかりを考えていた

おまえみたいな馬鹿、低脳にはそう思えるってことw
自分のオツムのレベルを考えろw

『実践理性批判』の要諦は、定言命法であり、「汝の意志の格率が、常に、同時に、普遍的立法の原理として妥当し得るように行為せよ。」であり、第二法式「汝は、汝の人格並びに、他のすべての人格における人間性を、常に、同時に、目的として取り扱い、決して、単に、手段としてのみ取り扱うことのないように行為せよ。」である。

カントのこの命法等から、ヘーゲル、そしてマルクスの発展的理論が構築される。
この現代資本主義社会で倫理的に生きるということは、つまり、この資本主義社会に批判的でなければならないのである。現実原則容認から入ったのであっては、片手落ちもいいとこである。この時点で、「倫理」という名を冠することは許されない。(つづく)

鉄槌へ

 ちょっと哲学を学んだだけで、人を馬鹿とか低脳よばわりするな。哲学は、人はどう生きるべきかを学ぶものだろ。君は、倫理力のなさ丸出しだぞ。人間力がないのに、知識だけある頭でっかちの奴が一番問題なのだ。君がまさにそれだ。(と売り言葉に買い言葉で反論する私は未熟者。)

 まあいい、少しはまともな討論になりそうだ。

 格率は初めて聞いたので、調べた。
(引用開始)
かく‐りつ【格率/格律】

1 世間で広く認められている行為の基準。また、それを簡潔に表した言葉。格言。金言。処世訓。

2 《(ドイツ) Maxime 》カント哲学で、行為の普遍的な道徳法則に対して、主観的にのみ妥当する実践的原則(規則)。

[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
(引用終了)

 それで、君が紹介した文を素人が簡単に要約すると、、「汝の意志の格率が、常に、同時に、普遍的立法の原理として妥当し得るように行為せよ。」は、「法に触れないように心がけよ。」
「汝は、汝の人格並びに、他のすべての人格における人間性を、常に、同時に、目的として取り扱い、決して、単に、手段としてのみ取り扱うことのないように行為せよ。」は、「他のすべての人の人格を尊重せよ。」と、たいしたことは言っていないように思う。当たり前のことだ。(君も「いや夫」も実践できていないが・・・。)

 それがいきなり、
(引用開始)
この資本主義社会に批判的でなければならないのである。現実原則容認から入ったのであっては、片手落ちもいいとこである。この時点で、「倫理」という名を冠することは許されない。
(引用終了)
 となるのか、そのつながりが全くわからないぞ。

 そもそも、我々会友や一般庶民が言う「倫理」とは、「人として守り行うべき道ということで単なる思想ではなく行動面も重視される。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。 」であり、先の「格率」でいうなら、1の意味だ。

 これは、別にカントの専売特許でもなんでもない。はっきり言えば全く関係ない。カント以前にも、「倫理」はあったし、「カントの格率」などという七面倒くさいことを学ぶ必要などないし、99.999%知らない人間ばかりだ。
 実践倫理宏正会では、倫理とは「大自然の摂理」であり、君なんぞに教わるものではない。本に書書かれているものでもない。生活の中で実践を通して、みつけていくものだ。まあ、君も人間なんだから、心の底にはその種がそなわっているとは思うのだが・・・。人を馬鹿とか、低脳とか言って喜んでいるうちはだめだ。「他のすべての人格における人間性を、常に、同時に、目的として取り扱へ」。

>それがいきなり、
>(引用開始)
>この資本主義社会に批判的でなければならない>のである。

だろなw馬鹿だからw
この会に所属する前に、倫理学を学べ。
その後に、この会を選択しても何も言うまいw
学んだ後に俺にレスしろw
馬鹿と延々と、だべったくないからw

>それで、君が紹介した文を素人が簡単に要約
>すると、、「汝の意志の格率が、常に、同時に、
>普遍的立法の原理として妥当し得るように行為
>せよ。」は、「法に触れないように心がけよ。」

馬鹿もいい加減しとけよw
カントの導き出した命法をこんな捉え方する奴は日本でもおまえだけだ!!馬鹿夫!!
おまえは万死に値する!
一年間カント哲学を勉強しろ!これは俺の命令だ。
その後、俺にレスしろ。わかったか、馬鹿夫w

入門書でいいから、兎に角、「実践倫理」から離れ、
あらゆる方面からの「倫理」を学ぶのだ。
おまえは浅すぎる。上廣にとっては、無学文盲の方が御しやすいのだがw


(ただいまの取り組み)

立行司
「てっついぃ~」
「てっついぃ~」

(ただいまの決まり手)
「上手投げぇ~~」
「上手投げぇ~~」

とても勝負にはなりません。

  日が暮れて
   なお道遠し
      秋の夕
        「いやお」


 レベルが違いすぎる!

鉄槌へ

 それでは何か、倫理を学ぶにはカントを学ばねばならないのか?お前はカントおたくか?

 私や一般人が言っている「倫理」は、「倫理学」でもなければ、「カントの哲学」でもない。人として生きる道だ。日々の生活で心がければそれでいいのだ。言葉が似ているからと思って一緒にするな。「倫理」は机の上にあるんじゃない。現場にあるんだ。(パクリね。)同じことを何度も言わせるな。倫理学を学んだなら、学んだなりの文章を書け。

(以上は、鉄槌氏の知的レベルに合わせただけです。「いや夫」はこのようなはしたない言葉を使うことは好きではありません。今まで無視してきた理由もそれです。あしからず。ほんとうにちゃねらーって奴は・・・。)

鉄槌兼式守伊之助へ

 別人だと思われたかったら、もう少し時間差をもうけたらどうだい?

鉄槌へ
式守伊之助へ

 どっちでもいいから、かの掲示板にリンクを貼ってきておくれ。なぜ、貼らないの?みんなで「いや夫」を馬鹿にすればいいんでないかい?


(引用3回目開始)
君たちの、
朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434

に、下記のリンクを張っておいてね。

どうして張らないの?何か不都合なことがあるの?
ちゃねらーの意見を聞く耳もってるよ。
(聞いても、くだらないのは無視するけど・・・。)

(引用開始)
鉄槌くん、Rくん、金槌くんへ

 出番だよ。2ちゃんねるで、この人に教えてあげてね。以下をコピペしてちょ。

「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/

「いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ」
http://58807828.at.webry.info/

(引用終了)
(引用3回目終了)

ネラーとかはどうでもいいんだよw
内容で勝負しろ馬鹿w
古代における「倫理」、現代における「倫理」もまた違ってくる。が、カントはどの時代でもどの地域でも通用するような「倫理」を理論化したのである。
現代において、カントの言う「倫理」を応用すると、どのような解が導き出せるのか?よ~く考えろ。

そして、理解もしないで、無駄なレスはするな。
カント倫理学がどのようなものであるか、わかるまで
俺にレスするな。わかったか!池沼

カントがすべての君へ

 カントの理論については、君のいう通りでOK。別に構わない。

 しかし、お前が実践倫理宏正会を批判している以上、「いや夫」はその誤りを指摘する権利がある。

 お前の考える倫理の構造は、
順序としても、大小関係としても、

 カントの倫理>実践倫理
(カントの倫理を元にして、実践倫理を説いているが、カントの倫理の方が優れている。)

と考えているようだ。おめでたい人だ。

 一般人や実践倫理宏正会の「倫理力」は、

 カントの倫理∈実践倫理
(カントの倫理も一部含まれるかもしれない?私はそんな内容を読んだことはないが・・・。)もしくは、
 カントの倫理≪実践倫理
(カントの倫理など、非常に小さい)である。 

 はっきり言えば、まったく関係ない。書籍を読めばすぐにわかるが、哲学自体、実践倫理宏正会の教えのごく一部でしかない。西洋の話よりも、日本や中国の儒教の影響が大きい。実際に朝起会が考える「倫理力」については、我がブログで説明していくこととする。以上、このネタは終わり。

(最終戦)

立行司

「てっついやまぁ~」
「てっついやまぁ~」

(ただいまの決まり手)
「てつがくがいろん~ン」
「てつがくがいろん~ン」

(解説者)
いやー、丁々発止たるものありましたなー、ご両所の薀蓄には感心するところがありますが、どうみても、てっついやまに軍配です。
いやおなみは、当初てっついやまたちをちゃねらーのカテゴリーに入れ、ちゃねらーは相手にせずと何度も言いながら、だれも相手にしてくれないものだから、ついつい相手にしてくれる、てっついやまと四つに取り組んでしまい、論理面、一貫性、方法論、全てにおいて完敗です。
なお、幾度わめこうが、哀願しようが、いやおなみのブログなどには、誰も興味を持ちません。
今回、「以上、このネタは終わり」と宣言したが、決断力のにぶさと、寂しさから、またダラダラと続けることは必定。

「カント」は終わりね。関係ないし。
「倫理」は関係あるから、続けます。
省エネ投稿で、我がブログより引用貼り付けします。

(全体引用開始)
倫理力について(その1) 『必携 普及の実践』より
<< 作成日時 : 2009/12/09 07:17

 倫理力について、まったく誤解しているちゃねらーがいる。
(「実践倫理宏正会って何?」の鉄槌くんである。)

良い機会なので、実践倫理宏正会が定義する「倫理力」について紹介します。

『必携 普及の実践』P124より
(対話形式 A1、A2が会友、Bが上廣榮治会長先生)

(引用開始)
「倫理力」

 人間がもって生まれてくるさまざまな能力のうちで、
 プラスの側面に働く力のこと。
 ただし、自分だけのプラスに働くのではなく、
 「我も人もの」のプラスになるように働く能力を指します。
 自分もみんなも、共に仕合わせになろうという、
 人間として最も自然な心の働きが「倫理力」です。

A2 我も人ものプラスになるように働く「倫理力」。人間が生まれつきそうした力をもっているということを、具体的に知ることはできますか。
B 赤ちゃんの例はどうでしょう。赤ちゃんのまわりにいる人たちが、うれしい心を抱き、和気あいあいとしているときには、ほとんどの赤ちゃんは実にいい顔をして、ご機嫌でいるはずです。もちろん、自分も満腹で快適な状態ならが、です。けれども、自分が満ち足りているときでも、まわりの人たちの関係が険悪なものになれば、火がついたように泣いたり、むずがったりしますね。赤ちゃんは、みんなが一緒にいい気分でいてくれないと、満足できないのです。
A2 そういえば小さい子ども、小学校を終えるくらいまでの子どもって、「みんな一緒に」がうれしいようですね。なかには、幼いころから自己主張が激しい子どももいますが、それは特殊な環境で育ったり、特異な個性をもっている子どもなのでしょうね。ほとんどの子どもは、人と争うのを嫌いますし、みんなでいい気分でいたがるものです。
A1 幼児には、自分と外界との区別ができないからではありませんか。やがて自我が育ってくると、自己主張が強くなりますが。
B 自我が育つことは、自分と外界、とくに他者との関係を正しく認識するようになるということです。他者と自我との関係がわかったうえで、外界とより善い関係を結ぼうとします。つまり、倫理力が働いているのです。
A1 たしかに子どもたちには強く倫理力が働いていると思います。では、何が倫理力を衰退させてしまうのです。
B 倫理力は衰退するのではないと、私は思っています。ただ、他の何ものかに覆い隠されてしまうのです。たとえば、欲望や不安、不運な環境などが、せっかくの倫理力を覆い隠してしまうのです。とくに今日のような競争社会では、「我も人もの仕合わせ」などと言っていると、落伍者になってしまうのではないかという強迫観念にとらわれてしまうのです。しかし、だからといって倫理力がなくなってしまうわけではありません。
A2 競争社会ではありますが、どんな商売でも、自分だけ儲けようと思ったら失敗はしますよね。お客さんに喜んでもらえるにはどうしたらいいかを、真剣に考えている人が結局は成功なさっていますから。むしろ、倫理力を競う競争社会なのだと考えるべきなのではないでしょうか。
A1 たしかに、これからの企業は営利競争ではなく、倫理競争に勝たないと生き残れないともいわれていますね。一握りの勝者が大勢の敗者の上に君臨するという図式は、そう長くは続かない社会になってきたのではないでしょうか。しかも、人間誰しもがもって生まれてくる倫理力を発揮できないで暮らすというのは、とても不自然で不幸なことだと思います。人間誰しも倫理力を発揮する「いい人」だと思われたがっているはずですしね。
B 人間社会の歴史は、共生に始まって闘争に至り、闘争の惨禍から万人が共生を願い実現するようになる。そんな形で展開していくのではないかと思っています。
 そうでないと、人が生まれながらに倫理力をセットされていることの説明がつかないのです。「我も人もの仕合わせ」を願うのは、人間の本性なのです。ですから、倫理力という人間の本性に従って、自然に生きることができる社会。そんな社会が、早く実現できるといいですね。
(引用終了)

(全体引用終了)

> カントの倫理≪実践倫理
>(カントの倫理など、非常に小さい)である。 

何じゃこりゃw

> はっきり言えば、まったく関係ない。書籍を読め>ばすぐにわかるが、哲学自体、実践倫理宏正会>の教えのごく一部でしかない。西洋の話よりも、>日本や中国の儒教の影響が大きい。

現代資本主義社会においては、儒教の教えなど何の使い物にもならんのだよw

イスラム社会では貧者への施しは戒律で定められている。
http://www.trend-review.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=217688

1.神の唯一性とムハンマドが最後の予言者であるということに対する信仰
2.毎日の規則にかなった礼拝
3.貧しい者への施し
4.断食によって自己を清める行為
5.肉体的・金銭的に可能な者がメッカへ巡礼すること

「実践倫理」の教えは、イスラムの教えより劣ることは明らかである。

逆に信者(会友)から金を巻き上げているw

 理論の組み立てがなっていないが、討論にはなっているので、以前の罵り合いよりもはるかに有用だと思います。

 「現代資本主義」がいかほどのものだ?
資本主義は崩壊したのだ。
市場万能主義という、強者が弱者を痛めつけ、儲かりさえすれば何をしてもいいという反倫理の行いを極めたために自壊したのだ。資本主義にまさる生活の手段を知らないから、それにすがっているだけで、崩壊へのカウントダウンは始まっている。哲学ばかりを勉強していないで、経済学も学んだ方がいいよ。おすすめは副島隆彦氏の本だ。『ドル亡き後の世界』を読めば、「いや夫」が言っている意味を理解できるでしょう。

 君がいつ就活をするのか知らないが、副島氏の予言では、来年暮れにアメリカ経済は大幅に悪化するので、世界経済もそれに引きづられることになる。要するにアメリカ発世界恐慌だ。そして、2012年がどん底だそうだ。備えをしておきましょう。

 儒教はそれほどたいした教えだとは、「いや夫」も思っていない。しかし、現代社会の病理を治すには、儒教が説く程度の倫理力が必要なのは、いうまでもない。いわゆる企業倫理という奴だ。今回の金融危機も、これから起こる世界恐慌も、倫理をないがしろにした天罰だと考えなければならない。監視システムがなければ、人間は過ちを犯すのだ。

 急にイスラム教が出てくる必然性が、「いや夫」にはわからない。教えが実践倫理宏正会より優れていると君が判断するのは君の自由だ。一日5回カーバ神殿に向かって礼拝していなさい。

 しかし、イスラム教は所詮一神教である。他の宗教とけんかを繰り返し、同じ宗教内でさえ、血みどろの宗派対立をしている時点で、実践倫理宏正会より倫理の面で劣っているのは明らかだ。我が会は、宗教ではないから、おろかな争いはしない。会友同士がけんかをして死者が出るというようなことは、今後100年たってもないだろう。少なくともイスラム教やキリスト教より寛容な教えである。

 よって、「いや夫」は君の私見「実践倫理宏正会の教えはイスラム教より劣る」という仮説を全面的に否定する。

 宗教でもなんでもそうだが、教え自体より実態が大切だ。キリスト教もイスラム教も「平等」や「慈悲」を重んじていると思う。しかし、それは同じ信者間に限定されている。異教徒を人間扱いしない点で、看板倒れもいいところである。

 なお、「金を巻き上げている」と断言するからには、どのようにお金が流れ、どのように着服されているかを指摘せねばならない。実際には、会の教えに心酔する会友が家を売り払ってまで、浄財として会に差し出したいと願うようなケースもあり、会の意義を信ずるが上の自発的な行為である。それが会の発展や倫理の普及のために生かされていると会友は信じて疑わない。君らが指摘してきた金銭問題については、「いや夫」がすべて反論記事を書いている。それを上回る指摘をして欲しいものだ。

PS 小沢幹事長が、キリスト教は一神教であり、不寛容であると発言した。全く共感する。

>市場万能主義という、強者が弱者を痛めつけ、
>儲かりさえすれば何をしてもいいという反倫理
>の行いを極めたために自壊

理論的に批判してきた思想も知らんのか?
おまえみたく、イメージ批判は腐るほど聞いてきた。
理論的に批判しろ馬鹿夫w
副島に洗脳されてる馬鹿夫w
副島の哲学教育批判に関する点は同意できるが、馬鹿夫の全面的信仰には恐れ入るw
何故、「イスラム」を持ち出して来たか、わからんのか?(w
3.の、貧しい者への施し
が教えから抜け落ちているからである。
宗教間戦争批判は一面的批判に過ぎず、市井で生活している宗教的生活者は戒律を厳格に守りながら生活しているのである。
元会友たちがこれほど「倫理」の集金体質を批判しているにも関わらず、まだ擁護するのか?馬鹿夫w
その集金行為を、おまえの解釈ではなく、事実として認めろってことだ。

おまえみたいな低脳と話たくないから、これからのち俺にレスするな。何dも言わせるな、馬鹿夫

本日年配の女性お二人が『倫風』という本を配りにいらっしゃいました。受け取るのを固辞しましたが、このサイトをみて、お断りして本当に良かったと思いました。

18番 ネットの悪評の多くは創作である
   サブタイトル 創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界

 ちゃねらーは「馬鹿」を使わないと文が書けないようだ。
鉄槌が今まで、罵詈雑言を何回打ったか、数えてみた。

馬鹿・馬鹿夫 28回 低脳 3回 低能 1回 幹部ども 答えろや! 1回
ヴォケwwww 1回 下衆 1回  池沼 1回
(なお、「池沼」は、下記の意味をもつ2ちゃんねる用語です。
「池沼」(知的障害の略、「知障(ちしょう)」の主要なIMEでの第一変換候補が「池沼」であることから、読みは一般に「ちしょう」)

 「いや夫」はちゃねらーが大嫌いです。ちゃねらー以外の皆さんも同じだと思います。

 その一方で彼は、下記のようなまじめな文章を書くことができます。

(引用開始) 

母が長年会員です。父が死んでからは、毎日朝起会に参加してるようです。
ここで読まれている会員さんが真実の目を開かれることを切に望みます。
古今東西の宗教、哲学を学んだ方なら、この宏正会のいかがわしさがわかろうというものです。
3大宗教、儒教、老荘思想の継ぎ接ぎだらけの与太話とでもいいましょうか?(w
一人でも多くの方々が真実の目を開かれることを願っています。

投稿 鉄槌 | 2009.09.25 08:27 午後

(引用終了)

 ハンドルネームを使うブログだから、誰が打っているわかるだけです。
(このブログでも書きっぱなしの捨てハンドルネームが多用されていましたが、「いや夫」の指摘により、複数回打たなくてはいけなくなっただけです。鉄槌にとっては、2ちゃんねるとは勝手が違って大変なのでしょう。)
 2ちゃんねるなどの名無しの世界では、誰がいくつ打ったかなどわかるはずもありません。
2ちゃんねるのあまたの批判記事についても、その実人数はたかがしれているのです。
会友数400万人(実践者数万人)の巨大組織に比較して、否定派の実数はたいしたものではありません。

 鉄槌の親友(笑)である金槌が11月28日に打った下記の文章は、ネットの悪評がどのように作り出されているのかを明快に言い表した名言だと思います。
ネットとは、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」なのです。

 このようなちゃねらーの悪口に対しても、「いや夫」は逐一反論していきます。
(つづく)

鉄槌殿へ

 武蔵キャラの頃の方が与し易かったが仕方ない。あおられて同じような文章を書いていては、大人として情けない。「いや夫」は大人の文章を心がけます。

 万能資本主義批判がイメージ批判とは、初めて聞きました。社会のことを実は何もご存じないらしい。君がカントに洗脳されているように、「いや夫」は副島隆彦氏の著書に洗脳されているのは事実です。彼が本で予言してきたことは、ことごとく当たっています。それは、彼が霊能者だからではなく、英語圏の情報とネットワークをもっているからです。米欧知識層なら当然として知っている真実を、日本のマスゴミは報道しません。辺境の属国で、英語の原典に当たることができないほとんどの日本人(「いや夫」を含む)は知識的には土着民と一緒なのです。だから、君のように、資本主義が理想的に運用されていると信じているおめでたい人がたくさんいるのでしょう。

 副島氏によれば、株式市場も原油や穀物市場も、為替市場でさえも、自由取引などなされていないのです。大本で操作されているのです。資本主義が市場経済に立脚していること位は知っていますよね?その部分から腐っているのです。また、世界金融危機の背景くらい、NHKスペシャルでも見て、勉強しましょう。危機は脱したなんて、まっかな嘘なのです。
 こんな「いや夫」のつたない説明を読むより、『ドル亡き後の世界』一冊を読めば、現在と未来の世界の動きがわかります。読まなくても2012年には気づくでしょう。副島説への批判は、自分の首を絞めるだけですよ。

 次に、
(引用開始)
何故、「イスラム」を持ち出して来たか、わからんのか?(w
3.の、貧しい者への施し
が教えから抜け落ちているからである。
(引用終了)

については、君の言っている意味は理解します。「いや夫」は金銭面については、批判派も一部正しいことを言っていると認めています。
<関連記事>


 なお、イスラム教は、砂漠や乾燥気候という厳しい自然環境が背景にあるため、厳しい戒律と相互扶助は必然なのです。また、王政が続いているように、貧富の差が著しく大きく、富者が貧者を助けるのは当然の行為とされ、貧者もそれを好意ではなく、当然の権利と考えています。よって倫理的にすぐれているというよりも、身分の差や貧富の差がある社会で、不満をおさめる手段として貧しい者への施しがなされているのです。それは当然です。一夫多妻が認められているので、貧者は妻をなかなかもつことができません。それで施しも受けられなかったとしたら、イスラム教は、これほど普及しなかったでしょう。
 なお、wikiで、イスラム教の考える天国を読んでびっくりしました。
(引用開始)
イスラームにおける天国
イスラームにおける天国(جنّة jannah) は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされる。キリスト教と異なり、イスラム教の聖典『クルアーン』ではイスラームにおける天国の様子が具体的に綴られている。

イスラームでは男性は天国で72人の処女(フーリー)とセックスを楽しむことができる。彼女たちは何回セックスを行っても処女膜が再生する[9]ため、永遠の処女とされる。また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。[10]

後述する『ジハード』に関しても、過激派組織が自爆テロの人員を募集する際にこのような天国の描写を用いている場合が少なくないとされ、問題となっている。[11]

しかし、これらの描写は比喩的なものに過ぎないという意見もある。

(引用終了)

 独り身の鉄槌くんにはあってそうだね。ともかく、一夫一婦制の日本で、都合がよいからとイスラム教をネタに持ち出されても困ってしまいます。(馬鹿とかストレートな罵倒ではなくて、このようないやみや皮肉を利用した方が、本人が馬鹿にみられなくて有効ですよ。)

 さらに反論します。
 実践倫理宏正会内では、奨学金制度などもあり、相互扶助の仕組みがあります。貧富の差がイスラム社会ほど大きくない日本で、更に貧しい会友に施しをしろというのには、違和感を覚えます。それは、国や地方公共団体の仕事ですよ。(なおイスラム社会では、行政と宗教は一体です。日本では行政がやる社会福祉を、イスラムでは宗教が担っているに過ぎません。)
 次に、「集金体質」については、否定派はそのように見るのでしょう。仮に百万単位のお祝い金を強制する会友がいたなら、その人は洗脳されているのでしょう。「いや妻」をはじめ、普通の会友は自分のできる範囲での浄財だと考えて、できる範囲で奉仕しています。嫌なら払わなければいいだけのこと。部外者がとやかく言うことではないです。(というか君らが嘘ばっかり書いて、倫風の有償配布を妨害しています。一般会友は、君たちによって、損害を受けています。)
 もし問題点を指摘したいなら、会の「収入の部」ではなく、「支出の部」が公正かどうかを見なければ片手落ちです。社会教育財団であるから、適正な会計処理がなされ、収支報告がなされています。批判するなら、その収支報告のどこがどう問題なのかを明らかにしなさい。君たちが指摘してきた批判は、「いや夫」がすべて反論しています。ですから、どの反論がどうまちがっているのか、具体的に指摘してみなさい。
 
 というように、簡単に反論できるレベルの投稿を、偉そうな文章で書くのはやめなさい。

(引用開始)
おまえみたいな低脳と話たくないから、これからのち俺にレスするな。何dも言わせるな、馬鹿夫
(引用終了)

 同感です。そのためには、君が実践倫理宏正会を批判する投稿をしなければいいじゃない?賢い鉄槌くん

また長々と中身のない文を延々とw
引用すれば、賢くなったと勘違いしている馬鹿夫w

>のできる範囲での浄財だと考えて、できる範囲
>で奉仕しています

それを搾取と言うんだよw馬鹿夫w

ほんと長文を連ねてほんと時間は多分にあるんだろうな馬鹿男夫ww

倫理撲滅まで活動する。
またイスラム社会に関する文をwikiから引用している点で馬鹿そのものw

日本社会は行政自体が腐っているため、貧富の格差是正は行政の仕事にはなりえない。
馬鹿夫は社会分析もできないと見えるw

19番 2ちゃんねるの分析をした。

 「いや夫」はアンチ2ちゃんねるで、この10月から読み始めました。思った通り「便所の落書き」そのものです。便所の落書きを読んで、会をやめる方もいるようで、とほほです。

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434

の冒頭に、過去スレがすべて整理されています。

パート1 2001年1月22日~同8月19日 投稿数861件
 否定派と肯定派の討論がなされています。
パート2 2001年8月9日~同10月12日 523件
 否定派が圧倒しました。
パート3 2001年10月12日~2002年2月6日 626件
 以後は否定派の書きたい放題で、説明は省略。
パート4 2002年1月24日~同6月13日 794件
パート5 2002年6月13日~8月26日 720件
パート6 2002年8月16日~10月16日 909件
パート7 2002年10月15日~11月21日 1001件
パート8 2002年11月20日~3年3月11日 568件
パート9 2003年8月7日より これ以降過去ログ倉庫に入ってしまい、お金を払わないと読めません。
パート10 2003年8月21日より
パート11 2004年5月20日より
パート12 2005年2月4日より
パート13 2005年7月22日より
パート14 2006年1月2日より
パート15 2006年6月9日より
パート16 2007年2月6日より 
パート17 2008年1月3日より 
パート18 2008年5月17日より 
パート19 2008年8月2日より 
パート20 2008年10月15日より 
パート21 2009年7月2日~現在 324件
 パート21は最新スレなので、タダで見ることができます。

 すごく大変でしたが、否定派と肯定派と、どちらの投稿数が多いかを調査するため、パート8を分析してみました。他も同じようなものでしょう。現在に近づくほど、否定派がより優勢になっていることでしょう。

否定派 347件 肯定派36件
否定派へ反論 106件
中立意見 59件
無関係または空白 17件
倫理研究所の方 1件
エロ 2件

 でした。
 圧倒的に批判派が優勢です。意見を堂々と述べることができるのは否定派だけで、「いや夫」のように会を全面的に擁護する人物は一人もいません。(いたら袋だたきにあって終わりです。)
 その一方、否定派でハンドルネームを固定している人に対しては、肯定派が批判(あおり)を浴びせています。(ささやかな抵抗でしょうか?否定派からみると荒らしです。もっとも、悪口を書きまくっている現会友や元会友は、会自体を荒らしています。)
 双方自作自演や掲示板に執着することをののしりあい、どれが敵か味方かもわかりません。
 言えるのは、2ちゃんねるはしょうもないということです。便所の落書きです。こんなおろかな記事を読んで、会を判断されてはたまったものではありません。
 「会のいいとこ取りをして、あまりはまりこまない方がいい」という意見には、「いや夫」も賛同します。違和感を感じる方はやめればいいとさえ思います。そもそも「否会友」なんかを勧誘してしまったのが、大きな過ちだと思います。

 「いや夫」の目にとどまった投稿のみピックアップしてみます。

長くなるので、我がブログに続きます。
http://58807828.at.webry.info/200912/article_15.html


我がブログにて、

「2ちゃんねるに、もし「いや夫」が投稿するとしたら、こんな感じです。」
http://58807828.at.webry.info/200912/article_16.html
 
 をアップしておきました。
2ちゃんねるの実践倫理宏正会関係の掲示板は、スレ主自身が告白しているように、会友を減らして会を潰すことが目的なのです。圧倒的に否定派が支配をしているのです。このような情報を鵜呑みにして、会を判断されたくありません。

いや夫さんはこのスレ占領しちゃいましたね、だれもこんなに書けない。2ちゃんねるでやればよいのに、書き込みを人に頼むなんて、どうしました。
批判を浴びせられるとか何とか、その心底から真面目に2ちゃんねると対峙しておられること、可愛らしくほほえましいですが、おかしいですね。あなた程なお人がそんなにビビること全然ありません。
「宏正・ドンキホーテ」になられませんように。

法界坊殿

 ドン・キホーテも悪くはないですね。
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の「デクノボー」にも相通じるものがあります。望むところです。

 「いや夫」は2ちゃんねるを恐れているわけではありません。
ただ、相手を特定して討論したいのです。(限界はありますが、ハンドルネームがあるブログなら、ある程度可能です。)
たとえば、「武蔵」くんが嘘をついていることを明らかにすれば、このブログでの武蔵くんの投稿を鵜呑みにされる人も減るでしょう。というように、実践倫理宏正会への誤解を解くことが主目的なのです。ハンドルネームがなく、誰が誰を罵倒しているのかさえわからない2ちゃんねるでは、それが不可能だとわかっているからです。
 否定派の皆さんの疑問にも、わかる範囲でお答えしていきます。
 
 自分でリンクを貼りに行かないのは、浅はかなプライドですね。私は2ちゃんねるを認めていないぞという意思表示でもあります。

 実践倫理の定義している「倫理力」について、我がブログに紹介しました。
<関連記事>
「倫理力」について 『必携 普及の実践』より
http://58807828.at.webry.info/200912/article_11.html
倫理力(その一) 『大自然の摂理の下で』第三十六講より 
http://58807828.at.webry.info/200912/article_17.html
倫理力(その二) 『大自然の摂理の下で』第三十七講より 
倫理力(その二) 『大自然の摂理の下で』第三十七講より 
倫理力(その三) 『大自然の摂理の下で』第三十八講より 
http://58807828.at.webry.info/200912/article_19.html


 鉄槌くんは、カントの「実践理性批判」をパクったんだろうと勘違いをしていましたが、全~く違うのです。否定派の皆さんは、たとえば
(引用開始)
古今東西の宗教、哲学を学んだ方なら、この宏正会のいかがわしさがわかろうというものです。
3大宗教、儒教、老荘思想の継ぎ接ぎだらけの与太話とでもいいましょうか?(w
(引用終了)
 などと批判しますが、実際には会の教えをお読みになったことはありません。それは、太陽神くんや武蔵くんも同じです。批判するためにペラペラ探す程度のことはするのでしょうが、実際には何も見ていないのです。身銭を切って買うこともしないでしょう。書店では売ってないし。

 というように、実践倫理はあらゆる誤解や攻撃を受けています。「いや夫」がその誤解を少しでも解けるよう、説明していきたいと思います。

 さて、式守伊之助くん

「物言い」がつきましたよ。
もう一度判定してね。
「いや夫」はがんばったんだから、おもしろいのを頼むね。

(追伸 リンク忘れを追加)
倫理力(その二) 『大自然の摂理の下で』第三十七講より 
http://58807828.at.webry.info/200912/article_18.html

 このブログは取り消しや削除機能がないので、なりすましや嘘つきには不利なのです。
 以前の投稿で、「嵐」「嵐」「さとえ」のなりすましを見つけたときは、大爆笑してしまいました。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-1963714

 「いや夫」登場後の討論についてのまとめ

 「いや夫」が2009年10月9日に登場してから、2ヶ月がたちました。

「いや夫」の最初の投稿
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23091183

 否定派から見ると荒らし同然の「いや夫」ですが、ちゃんと文章で反論するから余計にたちが悪いのでしょうね。それまで否定意見を書き連ねてきた皆さんもロムを決め込み(一部除く)、「いや夫」が占領してしまっています。

 さて、この2ヶ月の投稿者を投稿の多い順に振り返ってみましょう。

1 「いや夫」&駐車場案内担当
         127回 肯定派
2 鉄槌     25回 否定派
3 エロ投稿   14回 否定派
4 武蔵      9回 否定派
5 R        6回 否定派
5 究明団    4回 否定派
6 ボケ老人   4回 否定派
7 匿名      3回 否定派
8 通りすがり様 3回 肯定派
9 ???     3回 否定派
10 金槌     3回 否定派
11 式守伊之助 3回 否定派
12 通りすがり様のなりすまし
           2回 否定派
13 匿名希望  1回 否定派
14 法界坊    1回 中立派?
15 なんちゃって会員
           1回 肯定派

 となっています。実人数では否定派が上回っているはずなのに(なりすましがなかったとしたらですが・・・。笑)、なんと肯定派が圧倒しているではありませんか!
 これがもし2ちゃんねるだったら、肯定派の方が実人数は少ないなんてことはだ~れもわかりません。
(実際の2ちゃんねるは、「いや夫」みたいな粘着質な否定派が、投稿しまっくている状況だと分析します。多いから実人数も勝っているとは限らないのです。)

 ということで、たった一人の意見で大きく左右されてしまうのがネット会なのです。もし、「いや夫」が否定派だったりすると、どんなブログになっていたかしれないのです。

 2ちゃんねるは、否定派の巣窟です。「いや夫」でもどうすることもできません。「いや夫」はまずこのブログを肯定派の砦としたいと思っています。

 もう一つ、上記の表からわかること。それは女性が圧倒的に少ないということ。唯一の女性は、
15 なんちゃって会員(実は「いや妻」)だけです。
 おかしいでしょ?こんなの?あり得ない話でしょ?

 まじめな女性会友はネットの悪評など気にせずにがんばっているのです。悪評を書き連ねているのは、会とはまったく関係ない野郎どもなのです。
相手するには、「いや夫」で十分なのです。

 否定派の投稿が罵詈雑言なのも、大歓迎!
このような投稿を不快に思う方々こそ、実践倫理を理解していただける方たちなのですから。
 「いや夫」の嫌みな投稿がいやな方も、実践倫理には向いています。
 「いや夫」はなんちゃって会員です。

ミサイル攻撃作戦

 2ちゃんねるに対しては、このブログからミサイル攻撃します。(朝起き頑張りっ娘様、お許しを。)「いや夫」が2ちゃんに直接乗り込んだら、斬り刻まれますが、こちらで批判すれば、相手が乗り込んでこないといけません。ここで討論するのは、「いや夫」も望むところです。このブログと2ちゃんねるが表裏一体の関係であることは、明らかになり、2ちゃんねるを読んだ人は、必然的にこちらも読むようになります。

 計画通りです。

投稿 いや夫 | 2009.12.09 11:01 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23725013

に対する
朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434
での下記の投稿を迎撃します。

(引用開始)
328 :名無しさん@HOME :2009/12/11(金) 08:14:03 0
>224
>大きな善に小さな悪は関係しない……。
小さな悪を批判されると、大きな善のためにはどうでもいいことだ……。
すべての反論はこの手法ですね。

>朝起会に対する誤解を解いて、
>妻の『倫風』頒布のノルマが楽に達成できますように

誤解を解く作業=犯人探しと憶測、会を批判する者に対し
執拗なまで粘着し、強引に屁理屈で打ち負かそうとする性格。
反対した身内や家族にこの姿をさらけ出すのです。
守れなかった実践者は離婚、家庭崩壊もあると認め、おまけに突き止めた犯人は
会員の愚息達がチャネラー化したと結論ずけ、その愚息達を大嫌いと……。
宏生会は当たるも八卦、当たらぬも八卦、占いの世界だったという事ですね。
Wikiに張られたブログにこの板のリンクを何度も張る行為がいかに愚かで
非常識なことかもわからない。
批判もチャネラーの愚息達も実践倫理宏生会が生み出したものですよ。
会員達には人の言葉に耳を傾けることもできなければ、解決能力も無いという事です。
鵜呑みはどちらなのか?それぞれが判断します。
会に入会し家族を巻き込むことこそ、余計なストレスというものです。

>実際には、会の教えに心酔する会友が家を売り払ってまで、
>浄財として会に差し出したいと願うようなケースもあり、

会員の口からこの事実を公表したことに感謝します。
(引用終了)

 君の呼び名「鵜1号」とします。

 「鵜1号」さん

 一部曲解がひどいですね。否定派の都合のよいように「いや夫」の投稿をねじ曲げておられる。あなたの解釈が正しいというのなら、このブログで「いや夫」と直接討論してぎゃふんと言わせてみてはいかがですか?
 「守れなかった実践者は離婚、家庭崩壊もあると認め」って、どこにそう書いているの?いいがかりもいいところだよ。さすがちゃねらーだね。
 400万人会友がいるとすれば、一般社会の離婚率に従えば、40万組近くは離婚していることになるんじゃないの?実際には、残念ながら離婚にいたる夫婦もおられるわけで、それは個人的な問題で、実践倫理とは直接関係ない話です。そして、世間一般の離婚率に比べれば、はるかに離婚は少ない会のはずです。(我が妻の会場では、一組も離婚されていません。それだけでも、会の存在意義があると思います。)


 ちなみに、愚息を生んだのは家庭愛和の失敗です。会をたよりとされた母親の方が正しいのだと「いや夫」は考えています。それを頭ごなしにカルト教のように取り扱い反対するから家庭愛和がなされなかったのです。愛する母親が選んだ会なら、どんな会なのか自分も顔を出してから判断すべきです。2ちゃんのような便所の落書きを読んで判断するから誤るのです。特に夫が頭ごなしに批判的な家庭もあるようで残念です。壮年の集いは一年に一回、1時間半程度で終わります。もし今まで参加していない会友の夫がいたら、ぜひ参加してください。2ちゃんがどれだけ嘘ばかりついているかわかりますから。

 「会の教えに心酔する会友が家を売り払ってまで、浄財として会に差し出したいと願うようなケースもあり、会の意義を信ずるが上の自発的な行為である。」については、そんな風に話している高齢会友さんがいるという噂を聞いただけで、実際にそうしたのかは不明。こういう記事だけで、ちゃねらーは尾ひれをつけて悪用するのだろう。くわばらくわばら。

 ちなみに、マザー・テレサみたいな清い気持ちだと思いますよ。マザー・テレサも洗脳だと言うのかな???あの世にお金はもっていけないし、遺産相続は家族崩壊の種だしね。
 

(先の投稿は「ミサイルその1」)

ミサイルその2

2ちゃんねる批判スレ パート1
http://mentai.2ch.net/psy/kako/980/980142350.html
の下記の投稿者
「未だに許せません」さんが、後にハンドルネームを改め、先に紹介した「否会友」さんです。

 初投稿は2001年8月11日
彼女が主のスレ パート8は2003年3月11日
そして、その後も過去スレに膨大な批判記事を残しておられるのでしょう。
女の恨みは恐ろしい~のです。
下記の投稿を読んで、なぜ実践倫理が批判されるのか、分析してみましょう。

(引用開始)
738 名前: 未だに許せません。 投稿日: 2001/08/11(土) 04:58

以前ここに書きましたが、ここの会に入ってる姑に
私の息子の眼の病気の事を「あなたが旦那さんを大事にしないから 大自然からの警告よ」と言われました。
息子の眼の病気は出産時のダメージによるものと科学的に証明されています。
腹がたってしょうがない。

こんな姑を作ってしまった会も大嫌いです。
学ぶ人によっては実生活に活かしている方もいらっしゃるのでしょうが
少なくともこの会に教えられた姑がそんな事を言い放ったという事実も
忘れないで下さい。
それからなんでも人に教わっただけの倫理を人におしつけないで。
なんでも教えられた倫理に基づいて決め付けないで。
本だって「いらない」って言ってるのに必ずくれる。
速攻捨てますけど。そんな捨てられる本を作る資源を無駄にしている
というのは倫理としてどうなんでしょうか?
(引用終了)

 「否会友」さんが怒る気持ちはわかります。自分ではどうすることもできないことで、さらに、自分自身ではなく愛する息子さんに関して中傷されたということです。いつまでも会を恨む気持ちはわからなくはないです。

 しかし、あえて反論しますと、実践倫理の教えはまさにそうなっていまして、病気は己の生活の誤りを教えてくれるシグナルとされています。
(該当する文章をいずれ我がブログにて紹介します。あなたがもし会友になったことがあるのであれば、読んだのかもしれませんが・・・。どうなのでしょうか?)

 姑さんは、素直に会の教えを流用されたわけでして、そこに悲劇が起きました。姑さんにそれほど悪気があるわけではなく、会の教えがそうなっているという行き違いから起きたことなのです。

 その一方、この一言が許せなくて、延々と実践倫理を批判し続けたのもいかがなものでしょうか?失礼ながら「倫理力」不足を感じます。だからこそ、姑さんはアドバイスをされたのだと思います。

 いつまで批判を続けたのかわかりませんが(過去ログが読めないので)、あなたのような方と討論し、誤解を解きたいものです。

 なお、今後もし投稿するなら、「否会友」はふさわしくありません。「会友」とは仲間のことです。会を批判する方は、すでに仲間ではありませんので、「否元会員」くらいがふさわしいと思います。

 目の不自由なお子様を育てる苦労があるからこそ、あらゆることに寛容に、広い心で生活されることを願います。それが仕合わせへの道だと思います。
 

投稿 いや夫 | 2009.12.11 09:49 午後

に追伸します。

 マザー・テレサのような行いは美談なのです。
しかし、そのマザー・テレサさんが、
「あなたもお祝い金を100万円払いなさい」と目下にいうと、即カルト扱いされるのです。
(「いや夫」もそう思います。)

 いまだにそのような方はいませんか?その一言が実践倫理をおとしめているのです。
 会の資金は潤沢です。真新しい会館などさほど必要ありません。倫理実践には不要です。
そして、2012年は世界恐慌まっただなかです。
お金は大切にしましょう。その上で、差しだそうという方が差し出せばいいのです。強制はいけません。倫風にもそう書いています。会長先生の教えに素直に従いましょう。

「鵜1号」さんへ追伸

「宏生会は当たるも八卦、当たらぬも八卦、占いの世界だったという事ですね。」とするなら、会友400万人の世帯数を100万組と仮定して、離婚または家庭崩壊している家族が半数の50万組いるわけですね。(先ほどの投稿の40万組は勘違い。20万組に訂正します。)

 最寄りの会場で調べて、それを証明してから書いてください。そのような学術的な批判をお願いいたします。

 ちゃねらーは思いつきだけで批判するから嫌だ。

たとえば鉄槌くんは、

(引用開始)
それに、この「実践倫理」という命名は、哲廣がカントの「実践理性批判」からパクッたんではないのかね?(プププッww
(引用終了)
 などというすっとんきょうな恥ずかしい投稿をしてしまう。

 鉄槌くんに、この歌を捧げよう

(引用開始)
イカイカイルカ
作詞:下山 啓 作曲:福田和禾子

イルカ イカイカ るるるる るるるる
イカイカ イルカ (はあっ)
るるるる るるるる

イルカの ルを とりゃ イカに なる
イカと イルカは にて いても
かおや スタイル にて いるか
はあっ はあっ はあっ
イルカは とっても いたずらで
イカは おこると すみを ふく

イルカ イカイカ るるるる るるるる
イカイカ イルカ (はあっ)
るるるる るるるる

イカに ルを たしゃ イルカだね
イカと イルカは にて いても
かおや スタイル にて いるか
はあっ はあっ はあっ
イルカに 十ぽん あし あるか
イカに しっぽや ひれ あるか

イルカ イカイカ るるるる るるるる
イカイカ イルカ (はあっ)
るるるる るるるる

イルカ イカイカ るるるる るるるる
イカイカ イルカ (はあっ)
るるるる るるるる

イルカ
はあっ はあっ はあっ はあっ
はあっ はあっ はあっ はあっ
はあっ はあっ はあっ はあっ
はあっ はあっ はあっ はあっ
はあ~っ
(引用終了)

 以上のように「いや夫」は嫌みな未熟者。
実践倫理を実践していないからである。

倫理力(その二) 『大自然の摂理の下で』第三十七講より 
http://58807828.at.webry.info/200912/article_18.html
で紹介された「源左」の足下にも及ばぬ凡夫です。
 
「いや夫」は「源左」を目指す実践者を尊敬しています。

 凡夫にできることは、ちゃねらーが書く「便所の落書き」を消すことだけです。

 「否会友」=「否元会員」さんと討論するには、まず実践倫理が「苦難」をどのようにとらえているかを知っていただかなくてはなりません。

 姑さんが毎月届ける倫風に書かれていたことでしょうし、二世さんである夫が当然知っているべきことだとおもいます。

 実践倫理では、「苦難福門」という言葉があり、「苦難は人生転機の好機」と考えられています。

 まだ作成途中ですが、我がブログにて関係の文章を打っているところです。これを読んでいただければ、誤解もいくらかは晴れるものと思われます。
<関連記事>
苦難福門(その一) 『大自然の摂理の下で』第二十一講より
http://58807828.at.webry.info/200912/article_20.html
苦難福門(そのニ) 『大自然の摂理の下で』第二十二講より
http://58807828.at.webry.info/200912/article_21.html

(続く)

PS なお、例の2ちゃんで、「どこかのblogで逆鱗に触れたようです。」という投稿がありましたが、「いや夫」は別にそれほど怒ってはいません。こんな風に誤解されているなら、こういう説明をすればいいなあとネタにさせてもらっています。皆さんの批判があるからこそ、投稿のネタがうまれているのです。これも「苦難福門」なのでしょう。

(ただいまの取り組み)
 不戦勝により
   「いや夫なみぃ~~」
   「いや夫なみぃ~~」

(解説者)
そーですねー、いや夫なみは「ちゃねらー」の投稿を、勝手にこのスレに引っ張ってきて、このすぐ上でもとどまるところを知らない、10連投というスレッドマナーとしてはイレギュラーな手法を駆使してせり勝ってはおられますが、この場に出てきて論理的に反論できるちゃねらーなど皆無なること、見越してやっておられます。
「いや夫」さんより、「いやみ」さんの方がふさわしいかも。氏は「いやみさんも、なかなかいいですね~」というご心境であられることでしょう。
ま、宏正会でもできない、便所掃除を体を張って買ってでて下さっているその心意気は諒としますが、400万会友に比べれば、スレッドをみて入会をあきらめるひとなど、ネグリジブルでむしろこの手の書き込みを本気で信じるようなお人は、いや夫さんが達しておられるほどに宏正会の深奥に迫れるレベルの人ではありませんので、本部も気にとめていないのであります。
いずれに致しましても、「いや夫」殿には「一人勝ち賞」という賞金を差し上げたいと思います。

式守伊之助さま

 公正な判定だと思います。
いやみな奴ですが、今後ともご指導お願いいたします。

 粘着質に否定派の意見に反論するのは、それまで2ちゃんねるにおよそ1万5千件くらいの批判記事が書き込まれてきたからです。

 そして、批判をするなら、大将クラスを対象にすべきです。

 「否会友」さんは、私とそっくりです。粘着質という意味ではありません。どんな意味かわかりますか?

 また、「いや夫」の仮説
「ネット上の批判派の主体は、会友の息子である。」にも関係があるのです。

 わかりますか?

 皆さんも考えておいてください。
後ほど、改めて投稿します。


とりあえずは今月の目標50万かなー?
そら毎日やってたら100万とか楽勝だけど俺淡白だし面倒だし(^^;
まー週3回ぐらいがベストっすわ!! そっちはやってどうだったよ??

http://yawaraka.okamikakushi.net/5899d7i/

馬鹿夫w
おまえほんとに暇なんだなww
俺が行楽している間のすごいレス量www
この暇人がw
こんなとこに張り付いていないで、読書とか
もっと有益なものに時間を割けw馬鹿夫ww
だから、いつまで経っても馬鹿夫なんだよwww

伊之助馬鹿夫
図に乗るなよw馬鹿の癖してw

それで、君が紹介した文を素人が簡単に要約
すると、、「汝の意志の格率が、常に、同時に、
普遍的立法の原理として妥当し得るように行為
せよ。」は、「法に触れないように心がけよ。」

練成会なるものは、軍隊そのものである。
戦前の国家主義の再来を夢みているのであろうw
これを否定する奴は馬鹿夫初め会友だけである。
常識人は、練成会に一度参加しただけで、この似非宗教の実態をみることになる。

それと、運営者よ!ここ読んでいることは読んでるんだろw

サイトの作り方を変えろw
ほんと、宏正会の馬鹿会友は融通が利かんなw
1ページに延々と投稿を追加させてどうする?
素人か?

ネットでは素人はお荷物なんだよw
できないなら、ここは閉鎖してしまえw
どうせ、馬鹿会友の代表、馬鹿夫の投稿がこのまま延々と続くんだからなww

>鉄槌くんに、この歌を捧げよう

おまえ、ドタマ大丈夫か?(w
マジで精神病院行って来いよw

家内が入会し、パートは辞めてしまうは、安っぽい会報誌を何十冊も買い込んだり、その他家計から不明なお金がどんどん出て行くようになりました。
子供のことも家事もほったらかしになったため、遂に私が切れて離婚調停中です。

酷いカルト宗教です。

マスコミにも問題にならないのは、かなりの金額を政治献金しているのでしょう。なにせ貧乏な家計からむしりとるだけむしりとってますので、とんでもない金額が集まっているはずです。


投稿 被害者 | 2005.11.25 02:33 午前

「お祝い金」100万請求され、
断ると、「癌」になる、と脅迫されました。
これって「倫理」なんでしょうか。

ここを立ち上げた貴女、説明できる?

投稿 被害者 | 2005.05.17 09:25 午前

 上記のように、たった一人の人物が、2ちゃんねるや他のブログにて、悪質な投稿を重ねてきたのです。名無しの世界ですから、創作したいだけ創作し、打ちたいだけ打てるのです。ネットなどそんなところです。
 私は「いや夫」というたった一つのハンドルネームで相手をしていきたいと思います。
 とりあえず、彼がどれほど粘着質なのか、観察します。

 先ほどの投稿の続きは、その後で・・・。

(追伸)
 疑い深い「いや夫」にしては、先ほどの投稿は素直過ぎますね。

 「とりあえず、彼または彼女がどれほど粘着質なのか、観察します。」に訂正します。

 なお、
(引用開始)
ネットでは素人はお荷物なんだよw
できないなら、ここは閉鎖してしまえw
(引用終了)

 には、否定派の焦りが感じられます。ネット会ではいじめられっ子でしかなかった実践倫理の肯定派が、こんなに抵抗しているのは初めての経験なのでしょう。負けちゃうかもと思っているのかもしれませんね。ますます貴重なブログだと思います。

 また、
(引用開始)
>鉄槌くんに、この歌を捧げよう

おまえ、ドタマ大丈夫か?(w
マジで精神病院行って来いよw

投稿 鉄槌 | 2009.12.12 09:25 午後
(引用終了)

 では、彼または彼女のユーモアの乏しさが感じられます。実践倫理は、この1万倍馬鹿にされてきたのです。そんなにむきになりなさんな。
 まあ、ぼちぼちいきましょう。

 せっかくの反論だから、利用しましょう。
投稿ご苦労様、ありがとうね。

さきほど改めて紹介してもらった
(引用開始)
「お祝い金」100万請求され、
断ると、「癌」になる、と脅迫されました。
これって「倫理」なんでしょうか。

ここを立ち上げた貴女、説明できる?

投稿 被害者 | 2005.05.17 09:25 午前


投稿 ダイヤモンド槌 | 2009.12.12 10:40 午後
(引用終了)

 は、下記のリンクの部分です。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-1031681

 ついでに前後を読んでいただければ、実践倫理がどのようにちゃねらーの攻撃を受けているかがよくわかります。
 「t」「kyo」「被害者(引用したもの)」「アーメン」と攻撃が続き、肯定派の「月輪熊」さんが一旦諭したものの、また、否定派の投稿が立て続けに行われていきます。
 実は、「月輪熊」さんの投稿の直後が、例の、
「嵐」「嵐」「さとえ」の歴然としたなりすまし投稿でして、これに気づきさえすれば、以下の批判記事も余裕で対処できるのです。
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html

 実践倫理の方々は良識的であるばかりに、書きっぱなしで捨てキャラの不自然極まりない批判記事を、それがあたかも現実のように討論をすすめておられます。私は、その素直さ、誠実さを高く評価します。
 今となっては、このブログの否定派の批判投稿のオンパレードは、会の悪評がどのように作り出され、増幅されてきたのかを探る貴重な資料なのです。
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_38.html

 上の関連記事を読んでもらって、赤い字だけ読み進めてみてください。見方ががらっと変わるはずです。否定派(きもいネットゴラムでもある)の悪意に満ちた攻撃によって、「まるまるまある」さんは、詩を投稿することをやめました。彼女を攻撃した「のん」のような人たちが、否定派の象徴です。私は、このような者たちと論戦し続けます。

ついでに「錬成会」について。

「いや夫」は実践倫理命ではないから、中立的なものの見方もします。だから、こういうことも我がブログのネタとして取り扱っています。否定派とは違った見方もあるのだと知ってください。
 PCに釘付けの君らには、想像のできない世界だからね~。朝礼とか、体操とかない職場に受かるといいね。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200909/article_39.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_5.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_15.html

 ということで、我がブログのPRができちゃうなあ~。否定派の皆さん、どうぞいろいろアドバイスをしてね。

「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」とは、
「実践倫理宏正会って何?」の「金槌」氏の名言である。

 このカテゴリは、どんな創作がなされているか、紹介するシリーズとします。

実践倫理宏正会批判スレ パート1
http://mentai.2ch.net/psy/kako/980/980142350.html
の下記の投稿を紹介します。

(引用開始)
17 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/03/02(金) 06:32

朝起き会が寄贈した生け花を駅で発見!
他の駅でもやってるのかな?公益性がある団体というイメージ作りのためか?
武道館の清掃のバイトの経験のあるヤツに聞いた話だけど、
この団体は催し物の前は会場に来て掃除とかするらしい。
しかし、終わった後のゴミの散らかりぶり、会場の汚しぶりはスゴかったそうだ。
もちろんみーんなさっさと帰ったのは言うまでもない。
ヤツは「矢沢栄吉のファンのヤンキー以下だ!あいつらサイテー」と怒っていたよ。
(引用終了)

 あほか。こんな嘘は、会友ならみんなわかるぞ。
大会は、ビックイベントなのである。失敗がないように、何ヶ月も前から準備やリハーサルが行われる。
会場には、前日から掃除をしにいく。(禊ぎ)という。
車ですぐ近くの会場でも、。(一般の公共交通機関利用者に配慮して)開会のはるか前に着くようにみんなでバスを借りたり、利用する電車の時間帯を割り振ったりするなどの配慮をしている。さらに、婦人部の大会に関しては、途中でお手洗いに行くことも難しいので、ほとんど水分を摂らないようにしているそうだ。
 そんな大会で、どんなゴミが出るというのだ?コンサートやプロ野球とは違うぞ。ビールもポップコーンも焼きそばもないぞ。何を散らかすというのだ。

(長くなるので、続きは我がブログに・・・)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_22.html

家内が入会し、パートは辞めてしまうは、安っぽい会報誌を何十冊も買い込んだり、その他家計から不明なお金がどんどん出て行くようになりました。
子供のことも家事もほったらかしになったため、遂に私が切れて離婚調停中です。

酷いカルト宗教です。

マスコミにも問題にならないのは、かなりの金額を政治献金しているのでしょう。なにせ貧乏な家計からむしりとるだけむしりとってますので、とんでもない金額が集まっているはずです。


投稿 被害者 | 2005.11.25 02:33 午前

「お祝い金」100万請求され、
断ると、「癌」になる、と脅迫されました。
これって「倫理」なんでしょうか。

ここを立ち上げた貴女、説明できる?

投稿 被害者 | 2005.05.17 09:25 午前

 「ダイヤモンド槌」くんは、過去の創作の投稿を何度も取り上げる省エネ且つ卑怯な方法で反撃されるおつもりのようだ。
 あなたが実際に受けた被害を訴えたら、いいのではないですか?
 「母親が会友で、家族は被害者だ!」のパターンでしょうか?

 なお、上の2つ投稿の「被害者」は別人ですね。今回、改めて打った方は、時系列でいうと後になっていて、下の「被害者」から7番目の投稿です。

http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-2030890

 この「被害者」はキャラの性別が違います。直前に「被害者」というハンドルネームが使われているのですから、「私も被害者」とか変えたらいいものを・・・。

 2ちゃんねるは、ハンドルネームを意識しないので、すべて名無しです。ブログの場合は、2ちゃんねるよりは討論をしようという意思の強い方が多いはずなので、自分のハンドルネームを固定するのが普通です。

 よって、この「被害者」というハンドルネームを使われた2名の方は、その後、自身の投稿に対して、どのような討論が続き、なぐさめの言葉がかけられるのかわからないのに、改めて討論に加わることをしないという「書きっぱなし」の方です。

 この投稿付近の方々は、「嵐」「嵐」(本当は書きっぱなしにするつもりが、まちがって「さとえ」さんの投稿を打ってしまったおっちょこちょい)を除いては、ほとんど書きっぱなしの捨てキャラなのです。

 ネットを使う上で、とても大事なことなので、「いや夫」も何度でも繰り返しましょう。
 このブログで当初立て続けに投稿されていた書きっぱなしの批判記事こそ、会をおとしめようとする否定派の攻撃である(いじめともいいます)ということです。ネットの世界は「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」なのです。

 こういう投稿をする者たちを、「パクリ屋」と命名します。

 たとえば、先の投稿前後に投稿した下記の者たちは、「パクリ屋」だと「いや夫」は判断しています。


 t、kyo、被害者、アーメン、嵐(さとえ)、現世、被害者、おじゃる丸、母が会友、あほ、見せかけだけの母、現実、み~ちゃ、うえひろさぶろう、元会友、高橋明彦、前田純太郎、大砲、質問です?、oso、フェイト、(空欄)、TKB?、マバリア・・・。

 この一つの投稿を実在の人物だと勘違いしているのは、おめでたい方々だと「いや夫」は思います。

<関連記事>
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-2030890

 なお、2ちゃんねるでは、固定ハンドルネームは少数派です。
(引用開始)
● コテハン、固定

固定ハンドルのことを指す。
普通の人は名無しさんで投稿するが、ある程度常連になってきたら自前のハンドルネームを使い始める者がおり。 コテハンの中には2ちゃんねる古参の者や、非常に変わった性格の者も多くいる。
目立つコテハンは「コテハン叩きスレ」の恰好の餌食となる。
(引用終了)

 さあ、卑怯なまねをせず、自身の被害のみにしぼって、コテハンで「いや夫」に反論しようという方は、どうぞ投稿してください。(被害者としては、当然の感情だと思います。)喜んで討論させていただきます。

> なお、上の2つ投稿の「被害者」は別人ですね。

だから何?
上で埋もれた投稿をこうやって再投稿してやってんじゃないか。
ここを見ている人たちがカルト宗教に騙されない為に。

ダイヤモンド槌くんへ

 実践倫理宏正会はカルト宗教ではありません。

 ここをご覧の皆さんが騙されないように、再度紹介しておきましょう。

投稿 いや夫 | 2009.10.30 06:25 午前
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23286854
(全体引用開始)
9番 朝起会はカルトではありません

 「マインドコントロール論」は「カルト宗教」の分析の結果うまれた理論ですが、あらゆる宗教団体を批判する武器にもなっています。

 この「マインドコントロール論」を世に知らしめたのが、静岡県立大学准教授の西田公昭氏(日本脱カルト協会理事)です。

 そして、日本脱カルト協会(JDCC)のサイトでは、彼の作った「集団健康度チェック」があります。「実践倫理宏正会」の場合を試してみました。

 十分健康的と言えるのではないでしょうか?
カルトだという批判は他の組織に対して行ってください。

 「いや夫」のブログより引用します。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_73.html

(引用開始)
「JDCC集団健康度チェック」 をしてみました。

 JDCC(日本脱カルト研究会)の集団健康度チェックをやってみました。
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHI/index.html

集団健康度チェックについての解説
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHIweb/ol002_nishida.html

 回答者は「いや夫」なので、信憑性は低いです。勧誘を受けたことがないし(妻からこの会を紹介されて、実際に朝起会に参加して、会に入ってくれると聞くので、いいよんと答えただけです。)、自分は勧誘したことないし、脱会を思いとどまるように説得されたこともないし(笑)。
 元会友がチェックすると、違った結果になるのだと思います。 ちなみに、最高点は342点だそうで、得点が高い程「カルト」だそうです。
(解説から引用開始)
「ここの団体は危険なのではないのか」「私は、この団体は認めるわけにはいかない」、あるいは「これぐらいはしようがないという」、いわば線引き ― ライン ― を求めていくことが、今後、必要なのではないのかと考えています。
(引用終了)

 ということなので、朝起会は「これぐらいはしょうがない」組織です。カルト扱いはやめていただきたい。
ちなみに、この「日本脱カルト研究会」もカルト宗教の統一協会から信者を脱退させるために、拉致監禁を行い、それに対する批判の声もあるようです。

 人を何らかの形で感化しようとすれば、何らかの強制性が生まれるのは仕方がないのでしょう。
「元会友」はそれを組織が悪いからだと主張します。その意見をすべて肯定するのはフェアーではありません。その方が組織と合わない方だったともいえます。
 なお、「朝起会を続けたいのに、金銭的に続けられなかった」という方には、「いや夫」は同情します。もっとお金のかからない朝起会であって欲しいものです。

集団健康チェック判定結果
JDCC集団健康度チェック目録Ver1.0

1.入脱会の自由に対する侵害 1~15 の合計得点     12
2.信教・思想の自由に対する侵害 16~25 の合計得点 13
3.通信・居住の自由に対する侵害 26~32 の合計得点  0
4.性・子供の権利に対する侵害 33~42 の合計得点   0
5.健康・文化的生活の権利に対する侵害 43~ 60 の合計得点 3
6.民主教育に対する侵害 61~ 69 の合計得点      0
7.組織の民主制に対する侵害 70~ 87 の合計得点   5
8.プライバシーに対する侵害 88~93 の合計得点     1
9.その他の人権に対する侵害 94~114 の合計得点   11
総合健康度 全項目の合計 45

(引用終了)

 個別の質問の回答については、「いや夫」のブログをご覧ください。
(全体引用終了)

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_73.html

PS 2ちゃんねるで執拗に攻撃し続け、このブログでもハンドルネームをコロコロ変えて攻撃し続けるその粘着性こそ、カルトっぽくないですか?

ダイヤモンド槌くんへ

 実践倫理宏正会をカルトだと言う理由を、自分の経験で説明してください。
 ネットでどうのこうのなどと言わないでね。
ネットは、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」です。

カルトの定義は、こいつ(「マインドコントロール論」の静岡県立大学准教授西田公昭)の定義とイーコールではない。馬鹿夫ならではの引用w

日本で一般に説明される「カルト」とは少数であっても熱烈な信者が存在するような宗教的団体を指す。
 「カルト」という言葉は、もともとは「礼拝、儀式」を意味する言葉である。朝の誓の連呼は儀式と呼べるものである。この五つの誓を基本にして会は纏まり、金科玉条の如く、信じ行うのである。
更に、政権党、行政との結び付きを重視し、国家主義復活の動きと看做されるものである。

これを否定する馬鹿夫などは洗脳されている証拠である。

ダイヤモンド槌くんへ

 ふ~ん。それ説明になってると思ってるの?
その知識レベルで討論するのって恥ずかしくない?
 「礼拝・儀式」を行うのはすべてカルトなんだ。
じゃあ、キリスト教も仏教もみんなカルトなんだね。
そういう意味で使ってたんだ~。
 でも、君たちの考え方って、本当に偏っているね。
そういうのを一般敵にはカルトっていうんだよ。
まぎらわしいから、「カルト」って使わないでね。
 他に反論があるなら、どうぞ。

(引用開始)
 実践倫理宏正会をカルトだと言う理由を、自分の経験で説明してください。
 ネットでどうのこうのなどと言わないでね。
ネットは、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」です。
(引用終了)

日本で一般に説明される「カルト」とは少数であっても熱烈な信者が存在するような宗教的団体を指す。


これは無視かね?馬鹿夫君w

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434
での(337)と(339)の投稿中、
実践倫理宏正会が「新宗教」に分類されているとのwikiの記述についてミサイル攻撃。

 反論は我がブログで述べていきますが、まだ工事中なので、とりあえず一発反論しておきます。
http://58807828.at.webry.info/200912/article_24.html

PS wikiの引用注釈はまったくなっていない。
「参照[7]弘文堂「新宗教事典」その他宗教学者文献、神渡良平「一粒の麦 丸山敏雄の世界」を参照」とのこと。何なんだこれは。大学で卒論にwikiを利用するおこちゃまがいて困っているそうだ。ネットでも、同様である。
 出典の原典にあたりなさい。否定派は、それをしないから騙されて洗脳ばかりされるのです。

「熱烈な信者が存在するような宗教的団体を指す。」なんだ。ふーん、出典はどこ?

wiki引用してるのは、お前だろw
馬鹿も休み休み言えww

「馬鹿」とか平気で使う人は無視させていただきます。ここは2ちゃんねるではありませんので・・・。

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434
の下記の投稿を応援します。

(引用開始)
340 :名無しさん@HOME:2009/12/15(火) 08:02:47 O
新興宗教に関して、宏正会出版物ではない第三者による書おせ~て
アマゾンで注文する
(引用終了)

 すばらしい心がけです。ネットなどという虚実いりまじったというか、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」の投稿を鵜呑みにしてはいけないのです。よい本をお探しください。
 私からのアドバイスとしては、「そのような本はないでしょう」です。カルト宗教なら本でよく取り扱われます。カルトでないので、ネタにはなりません。自民党がどうのこうのなどというのは、もちろん関係ありません。自民党を批判する本もたくさんあるでしょ? 実践倫理宏正会がまともな組織だから、本にしてもおもしろくないのです。もちろん、会の発行した本なら30冊くらいはあるのではないでしょうか?ネットを読んでいるより、はるかに有用ですよ。否定派は、せめて一冊位読んでから批判してほしいものです。

ば~かw
俺はもう消防の頃に読んでんだよw
おまえは今でもその内容を理解できないとみえるw

ば~かぁ~は~ 死ななきゃぁ~ぁ~なお~ぉぉらぁないぃ~♪~

ダイヤモンド槌くんへ

 やっぱり鉄槌くんじゃないか~。
「ネット上の批判派の主体は、会友の息子である。」に貴重な一票をありがとう。ネットの情報など鵜呑みにせず、お母さんと関係修復しようね。

 さて、2ちゃんねるの否定派を分析した記事を我がブログに投稿しときました。こちらにも引用します。君たちの知り合いで、ネット友達である「否会友」女史を批判する投稿なので、今まで以上に君たちは激高することだろう。しかし、同様の批判を君たちが会友にしてきたのだ。少しは批判される人々の気持ちも感じてください。
 
 否定派と戦うのも疲れてきたのも事実です。まめに反論することをしないかもしれないが、忙しいのだと理解してください。暇になったら、まとめて反論します。

長文失礼します。
http://58807828.at.webry.info/200912/article_31.html 引用

2ちゃんねる否定派の分析 その1「否会友」女史の場合 まとめ
>97 それは大変でしたね。私もこの会に入っている姑に大変嫌な目に遭わされて
   この会が大嫌いです。腹が立ってしょうがないですよね。ほんと、仰る通り、ぬかに釘。
   私からは姑には連絡せず、距離を置く事にしています。
   舅に「たまには電話してやって」なんて言われますけど、この会を辞めるまでは
   連絡なんかしません。ロボットを辞めるまでは。私、彼女を人間と思っていないので。
   そして彼女が人間でなくなってしまったのは彼女にも責任がありますが
   なによりこの会が存在している事が一番です。

   はっきり言って、私的には自分なりの幸せの家庭を築けているので
   こういう類の宗教にはうんざりです。迷惑です。
  
   この会の人達にはもう少し自分で考える力、それに対する自信を
   持ってもらいたいです。
   与えられた思考には価値なんてありませんよ。
   人に教えてもらうものではなく、自分で見出すものです。

109 名前: 未だに許せません 投稿日: 2001/08/24(金) 20:16
今日、舅づたいに「倫風」手渡されました。
いらない。紙が無駄なんでやめて欲しい。くだらない事しか書いてないし。週刊誌のほうがよっぽどマシです。
いらないって伝えてるのに・・・本当にいらないって言ってんのにしつこいなぁ。
私の実家とかに送るのも辞めて欲しいんだよ!全く。
舅が帰ったら速攻捨てました。
現会友さん、あなた自身、この会に「おだて育て」だか「誉め育て」だか知りませんが
そんな感じでいい気分にさせられてるの、気がついてください。
大人になると誉めてもらうのって極端に少なくなりますけど・・・
もっと自分を認めましょうよ。
それすら気がつかないなら知能が赤んぼ並み。

121 名前: 未だに許せません 投稿日: 2001/08/26(日) 04:49
↑要するに、やんわりと、しかし確実に恩着せながら脅す、という事ですね。

・・・性質悪い。

ところで、ここの会に入っている姑に捨て育てされたうちの旦那は
黙って勝手に財布の中から銀行のカードを持っていってお金をおろしたり
子供の貯金箱から(これも黙って)お金を持っていってしまって
困ります。金銭的にはあまり困っていないので別に痛くは無いんですが、
ちょっと人としておかしいと思っています。
どうせギャンブルでかなり負けてお金がなくなってしまったんだと思いますが・・・
毎月の給料(これは私が管理)の他に、自分専門の口座も持ってて、他の仕事の給料が入ってくるんですが・・
それでも足りないぐらい使うみたい。

今日はさすがに怒って言いたい事言ってしまいました。この件に関して。
でも私は間違っていないと思ってます。

以前もこんな感じの事は何度もあって、旦那のギャンブルの借金を
舅が全額返した事もあったんで、舅に電話してみました。なんとか巧く諭して欲しかったので。
そしたら「ちゃんとお小遣いはあげてるの?いくらあげてるの?」とかお門違いな返事。
おいおい・・・これだからここの会の人は・・・私のせいなのか?(笑)
どうやって教育してきたんだよほんとに。
そんな事より自分の子供がやってる事を現実として受け止めてくれよ。
旦那が使いたいだけ私が渡してたら貯金も何もできないでしょうが。

・・・だからって言って旦那は好きだけどね。でもこれは許せないよ~。
間違ってるもん。

あ~。なんか愚痴になってしまってごめんなさいでした。
ところで2ちゃんねるは大丈夫なんでしょうか、存続するのかな?

144 名前: 未だに許せません 投稿日: 01/08/28 00:57 ID:nSGZGoao
   
    うちの旦那は仕事が業界系なので、生活リズムがかなり不規則ですが
    家にいる時は今はお風呂ぐらいは一緒に入ってもらってますよ。(週1~2回)
    食事も週にこれまた1~2回しか一緒に食べれませんし。
    だからこそお風呂に一緒に入ってもらったり、週2回だけ保育園に連れていってもらう
    日を決めてあります。子供と旦那が一緒に過ごせる時間ってほんとそれぐらいかも。 >>140 脱会したいさん、ミルクの件ですが、びっくりしちゃいますよね、そんな事言われちゃ・・・
    

145 名前: 未だに許せません 投稿日: 01/08/28 00:59 ID:nSGZGoao
↑あ、なんかコピぺで最後が変になったまま投稿してしまいました

ごめんなさい。

146 名前: 未だに許せません 投稿日: 01/08/28 01:13 ID:nSGZGoao
続きです。   私は姑に「旦那様が(烏は白色だ)と言われたら、妻は間違っていると
      わかっていても(そうですね、白ですよね)といわなくちゃいけないのよ」
      なんて言われた事があります。
       ・・・そんなの夫婦じゃない・・・
      妻が絶対服従をしていれば(支配者と奴隷)まったりとした人生で
      問題も無い、と言うのでしょうが、トラブルがあって、その時夫婦で
     考えたり話し合ったり喧嘩しつつ、解決して、その後お互いの絆が
     もっと深まったりするのではないのでしょうか。会の提示する教えは
     その可能性すら奪ってしまいます。

この会の提示する通りにやってて、昔だったら家を子供を女が守り、
男が狩、収穫に出かけ、それで良かったのかもしれません。
でも今は2001年。そろそろ次の世代も出てくるだろうに、こんな倫理聞かせたら
大笑いされちゃいますよね。

私はこの少子社会の中で、将来息子が男としてたくましく生き残る為に
女のコに対する礼儀などの躾は厳しくしています。女のコは大切にするようにと。
間違ってもこの会の提示するような男尊女卑の考えにあぐらをかかないように。

日本の恥ずかしい部分の集大成ですね、この会は。

この会に入っている方で、留学経験や、海外旅行経験などして
海外の夫婦の有様を見てきた方、いらっしゃいますか?
私は知人夫婦を羨ましいな、と思いました。
この会の教えとは正反対の感じを受けました。
男が女を大事に扱う。女はそれで気分良く作業したり頑張ったりしてる。
女は男をもっと好きになる。なんかスムーズな関係でした。

149 名前: 未だに許せません 投稿日: 01/08/28 05:44 ID:nSGZGoao
>>148
うちもその感じです。>夜仕事して朝寝る

まぁうちの旦那はこの会の2世の割に(親が身の回りの事とか完璧にやりすぎるから旦那があっぱらぱーに
なっちゃったのかな、とも時々思います)めちゃくちゃ~~~ですので
入会するとは思えないので安心なのですが。。。(というかこんな実践彼には無理)藁

ところでヤオマサおぢさんって誰?八百屋???

うちの夫婦は単純じゃないんで、彼も単純な女は好きでは無いし。
何でも私がはいはい言ってたら逆に旦那は怖くなったり飽きたりすると思うって言っていました。

学力とか比べたくないけど私の方がその面では上って事になってしまうけど、
彼は私にわからない漢字があると聞いてきたりする、仕事の相談とかもしてくる。
私がわからない事は彼が知っていて教えてくれたりする。
お互いを認めて尊重してるからそれなりにうまく行くみたいです。
今のうちにこんな倫理持ち込んだら、あっという間に一家離散ですわ(笑)

うちの旦那は「はいはい」言って尽くしてくれる女は嫌みたいだけど・・・
北極1号と暮らしてる気になるのかしら。セックスだけやらせて後はせこせこ働いてろって???(藁
とは言え、旦那もオトコ。尽くしてもらうのは程度によっては嬉しいそうです。そりゃ男でも女でも同じだね。
(引用終了)

長文過ぎて引用できないのかも?再挑戦します。

2ちゃんねる否定派の分析 その1「否会友」女史の場合 まとめ
<< 作成日時 : 2009/12/15 23:59

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 先に紹介した彼女の投稿に「いや夫」なりの反論を赤字で書き加えようと思っていますが、あまりに膨大な投稿なので、その作業にはかなりの日数を要します。

 先に、「いや夫」の分析から書いておきます。

 彼女が実践倫理宏正会を憎む理由は、会友である姑から「あなたの息子の眼の病気は、あなたが夫を大事にしないから 、大自然からの警告よ」と言われたからです。極論すればそれだけです。 
 もう一つは、姑が彼女を陰倍加したことが許せないということです。倍加は本来、本人の承諾を得て行うものですが、嫁の性格を知っている姑は、本人に断りもなく行う倍加しかできなかったのでしょう。やがて、陰倍加されていたことが明らかになり、大げんかになったようです。
 「否会友」は、姑や舅から渡される倫風を即刻破り捨てるような人で、会の印刷物を一切読みません。その一方、ネットの情報はすべて盲信してしまい、実践倫理宏正会の悪評を収集します。元もと、2ちゃんねるというのは、便所の落書きと揶揄され、批判をすることが生き甲斐の人々がたまる場所です。基本的には、実践倫理宏正会は自らを厳しく律する修業を行う場ですから、会をやめたいと思っている会友も多くいます。そんな会友や元会友が、会の悪口を言うことで、互いに慰め合い、会が悪いから私たちは会を止めるのだと、自分たちを正当化しようとします。 
 その一方、現役会友も会の良さを主張し、否定派の情報は間違っていると投稿しますが、否定派は、それら会友を会に洗脳された哀れな人々と決めつけ、聞く耳をもちません。もっとも会に否定的で中心的役割を演じているのが否会友と元会友です。(元会友については、改めて分析します。いそがし過ぎてしないかもしれませんが・・・。)

 さて、否会友は、会について何を知っているのでしょうか?
彼女は会友になったことは一度もありません。
集会に参加したことも一度もなければ、会費などおさめるわけもありません。
倫風は破り捨て、会の本を一冊も読んだこともないのです。
ネットの情報と、己の推測だけで、会を批判し続けるのです。

 「いや夫」は2ちゃんねるの過去ログ倉庫を見ることができません。
過去ログで公開されているのが、パート8までで、そのスレ主が「否会友」であったために、否定派の分析として彼女をターゲットにしました。本人は、それまでにも、何度もスレを自分で立てようとしており、否定派の中心人物です。また、自らを「お山の大将」(02/06/20投稿より)とたとえておられます。

 2ちゃんねるの風評被害を受けている一会友として、敵である「否会友」の誤りを追求することは、正当防衛として当然の権利だと思います。ネット上のいじめられっ子である会を守りたいと思います。彼女が実践倫理宏正会の批判記事をすべてネット上から削除することが可能なら、許せますが、それは不可能です。今さらながらですが、「いや夫」が反論します。 (もちろん現役会友も同様の批判をし、悪口を書かないように依頼しましたが、彼女はことごとく拒否しました。「否会友」が正しい。会友は洗脳されているという理論です。 「いや夫」は彼女がネットの情報に洗脳されているのだと思います。)

 「否会友」さんが、姑さんと仲良くやっていけるような嫁なら、今回のようなトラブルは生じませんでした。実践倫理宏正会の会友である姑さんなら、このような発言をするのは、特殊なことではありません。(細木数子も同じことをいうでしょう。)しかし、真実を見る目がなく、人の悪いところしか見ようしない「否会友」は、姑を深く恨みます。
 彼女は、「姑は悪くない、会の教えが悪いのだ」と、会を攻撃する正当性を何度も主張しています。しかし、一方で、彼女の目的は
(引用開始)
136 名前: 否会友 投稿日: 02/11/29 06:03

仕事満杯でこんな時間だよー。

因みに私は会友じゃない。戻るもなにもない。
私が考えてんのはここの会を潰すことなのかなぁ。
姑を返せ。訴え続けて会友減らしてやるぅ。


同 2002年11月30日の投稿

 今幸せでも、昔やられた事ずーっと覚えてるタイプなのね、自分。
だから執拗にこのスレで会についてグダグダ言ってるの。別に今の姑を責めてるつもりは無いよ。
今の姑に教え込んだのは会。会に責任がある。
姑をそーっとしておくもなにもないんだけど。私は会本体に怒りぶつけてるつもり。
(引用終了)

 とあるように、会を潰す、または会友を減らすことなのです。
その一方で、
(引用開始)
648 名前: 否会友 投稿日: 02/08/11 10:11
私もこんな会無くなればいいのにって本気で思う。

でもたぶん、今の姑(この会に依存している)からこの会を取り上げたら
パニックを起こすのは確実だ。それも怖い。
(引用終了)

 会が姑になくてはならないものであることも知っていて、会への攻撃を続けるのです。

 要するに、彼女は、姑に復讐をし続けているだけなのです。簡単に言えば、嫁と姑のみにくい争いであり(恨んで遠ざかっているのは一方的に嫁)、実践倫理の教えからすれば、誤っているのは「否会友」なのです。

 「否会友」が姑の所属する実践倫理宏正会を正しく理解し、倍加を断らなければ、何のトラブルにもならず、家庭愛和が保たれたはずです。実際に、同じようなケースで、いやいやながらも実践倫理宏正会の会友になったお嫁さんも数多いはずです。

 ということで、全くの私事(一家庭の問題)で、会を逆恨みし、何年にもわたって攻撃し続けた「否会友」は批判されて当然である。本人は、カルト宗教から一般の人を救うヒーローのおつもりのようだが、その解釈自体がまちがっているのだ。なお、実践倫理宏正会に、批判を受ける問題も多いことは認める。金銭の問題については、「いや夫」も否定的だ。しかし、そこには、単純に批判できることばかりではない。
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_9.html
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_71.html

 たとえば、脅しがだめだと否定派は言う。また、「ハイ」の実践を否定する。
この2点に矛盾があることをお気づきだろうか?
何でもハイと目下の者が聞いてくれるなら、脅しを使う必要もないのだ。
ハイと聞かないから、方便として脅しが出てきてしまうだけなのだ。
また、脅しなどしなくても、会友が元気に活動している支部も多くあるはずだ。
ともかく、会に後ろ向きな者たちが話せば、自分に都合のいいように、会を悪く言うのは当然なのである。それは、割り引いて聞かなければならないのだ。
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_43.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_22.html


 なお、彼女が会を嫌いな理由は他にもある。自身が会社を経営しており、男女同権が当然だと考えているからだ。実践倫理を男尊女卑だと単純に勘違いしておられる。違うのだが、説明は別の機会にする。

 なお、子どもの目の病気については、かわいそうだと思う。ある意味、その責任を自分に押しつけられたことが、大きなトラウマとなったのであろう。自分の責任であるはずはないと、会に対する憎しみを爆発させているのだとも言えよう。しかし、実践倫理的には、一つの方法として、親が心や生活を改めてみると、子の病が治ったりするものだと教えており、それが親の救いになる場合もある。子どもが病に苦しんでいるとき、親は自分が変わってあげられたらと願うのが普通だろう。実践倫理は、その可能性を肯定する教えなのだ。神に祈るかわりに、親が倫理を実践し、心の修業を行う。それが、子どもや家族の仕合わせに生かされると考えるのだ。
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200912/article_25.html


 また、「否会友」は「子どもの目の病気」を障害とだけとらえる。一方会友は、「苦難福門」という言葉を信じていて、子どもの目の病気は、自らの生活の誤りを知らせてくれる「お催促」ととらえ、これを正すことで、仕合わせになれるとしている。姑の言葉をそのまま実践倫理的に解釈すれば、「あなたが夫を大事にすれば、家庭愛和がなって、子どもも仕合わせになれるのよ。」とそのレベルの言葉なのである。
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200912/article_20.html
http://58807828.at.webry.info/200912/article_21.html


 ともかく、実践倫理を信じ、仕合わせに生活している家庭も多いわけで(我が家もその一人)、実践倫理をどうとらえるかは勝手だが、推測に基づく批判はほどほどにして欲しいものである。

 彼女のような否定派の意見を鵜呑みにされないようお願いする。大切なのは、会を実際に自分の目で見ることだ。それをしないで批判し続ける「否会友」は卑怯である。

 なお、最も悪いのは否会友ではない。否会友がネットで批判記事を書いているのを知りながら、それを止めようとしない夫である。否会友は夫を愛しているのだろう。その夫は、実践倫理をやろうとはしない二世だ。やらない夫が正しいのだから、悪いのは実践倫理だとなっても、おかしくはない。しかし、夫からすれが、妻が自分の母親が信じている実践倫理を批判しまくっているのである。それをやめさせて、双方の仲を取り持つのが普通ではないのか?

 よって、「ネット上の批判派の主体は、会友の息子である。」であるに似たケースで、
http://58807828.at.webry.info/200912/article_4.html

 「ネット上の批判派の正体は、会友の息子の嫁である。」というのをつけ加えたい。


 最後に、「否会友」の怒りのすべてを表した当初の投稿を紹介して終わりにする。
彼女の主張は、結局これがすべてで、これだけなのである。
そして、それを何年間にもわたって批判し続けているのである。
女の恐ろしさを思い知るとともに、そのような面を本来もっている女性を、大和撫子のように導いている実践倫理のすばらしさを再確認しました。

(引用開始)
社団法人実践倫理宏正会について  ≪パート1≫
738 名前: 未だに許せません。 投稿日: 2001/08/11(土) 04:58
以前ここに書きましたが、ここの会に入ってる姑に
私の息子の眼の病気の事を「あなたが旦那さんを大事にしないから
大自然からの警告よ」と言われました。
息子の眼の病気は出産時のダメージによるものと科学的に証明されています。
腹がたってしょうがない。

こんな姑を作ってしまった会も大嫌いです。
学ぶ人によっては実生活に活かしている方もいらっしゃるのでしょうが
少なくともこの会に教えられた姑がそんな事を言い放ったという事実も
忘れないで下さい。
それからなんでも人に教わっただけの倫理を人におしつけないで。
なんでも教えられた倫理に基づいて決め付けないで。
本だって「いらない」って言ってるのに必ずくれる。
速攻捨てますけど。そんな捨てられる本を作る資源を無駄にしている
というのは倫理としてどうなんでしょうか?
(つづく)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_31.html

僕は馬鹿でした。ごめんなさい。

否会友でなく、非会友だろw
おまえ、つくづく馬鹿なんだなw

(我がブログより流用。省エネで失礼。)

題 「否会友」よりは、実践倫理をわかっている一会友の例

 否会友は実践倫理宏正会を批判することが趣味の人だ。それは同時に、「あなたの息子の眼の病気は、あなたが夫を大事にしないから 、大自然からの警告よ」と言った姑への復讐なのだろう。
 「いや夫」は2ちゃんねるの過去ログをパート8(03/03/11)までしか読めない(ビュアーの契約をしていないため)が、このパート8で、実践倫理が「否会友」の考えより優れている具体例があるので、紹介したい。

 先に投稿した下記の記事
★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★8★★☆ から一部をピックアップ
http://58807828.at.webry.info/200912/article_15.html
より

(引用開始)
261 名前: 育休中会友 投稿日: 02/12/09 09:43

昼の座談会に行って来ました。私以外みんなベテランさんで私のために開かれたような座談会で(単に参加者が少なかっただけ)
最初「およよよよー」と思いましたが、参加してよかったですよ~。
私は大反対押し切り結婚でいろいろあり、結婚以来夫の両親を無視し続けていたのですが、やはり長い間気になっていたのです。
やはり話はそのことになり・・・・・・。会に入ったことのある人はわかると思うけど、会では夫の両親を大切にしようといわれますよね。
座談会の後、思い立って、夫の両親に子供の写真を添えた手紙を送りました。長い間の心のつかえが取れた思いです。
昼の座談会しか参加していないのでえらそうなことはいえませんが、この会の良いところも知って欲しいと思ったので。
(当たり前のことなんだけど、改めていわれると、自分を改めて振り返るきっかけになる)
(引用終了)

 これこそが、実践理理の教えなのである。「否会友」が学ばなければならないのは、まさにこの事例なのである。しかし、彼女は盲目なので、「育休中会友」の投稿の価値をまったくわかっていない。自分は幸せだから、実践倫理宏正会なんて関係ないというのは大いに結構。しかし、冷静に考えてみなさい。否会友の舅・姑は、とんでもない嫁で不幸せなのだ。孫にもなかなか会えないだろう。孫は、母親と姑の仲が悪いことなど、敏感に感じてしまう。幼い心を痛めているに違いないのだ。家庭愛和とは、義理の父母も含めてのものだ。ちっとも仕合わせなんかではないのである。
 このことに気づいた「育休中会友」さんは、「否会友」よりは仕合わせに一歩近づいたと思う。「否会友」他否定派の考えに流されないで欲しいものだ。(少なくと、会の良さをわかっていると思うので、会の悪口はご遠慮願いたい。)

 なお、「否会友」よりも賢い投稿は他にもあった。
この投稿は大変すばらしい。「いや夫」は大いに共感する。

(引用開始)

185 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/30 23:54

2chを信用してたら、全ての生活が嫌になる罠。

就職板へ行けば、ほとんどの会社はブラック企業だし
実況板へ行けば、テレビ番組はほとんどやらせだと言われているし
学歴板へ行けば、東大以外は低学歴だと言われているし
メンタルヘルス板へ行けば、ほとんどの精神科が批判されているし
へるす板へ行けば、○○子は病気持ちと言うし
心と宗教板へ行けば、ほとんどの宗教は悪徳だと言われているし
etc
(引用終了)

 まったく、おっしゃる通りだ。
それをわかっていない人が多すぎて困る。

鉄槌くんへお願い

 鉄槌くんと、金槌くんと、ダイヤモンド槌くんと、馬鹿夫くんと、なんぞコレおもしろ!!!!くんと、高塚地蔵尊くんと、究明団くんと、ボケ老人くんの会話形式で、いや夫を批判してみて。単発の悪口には、いや夫は慣れっこだよ。

いつの投稿に納得してんだ?(w
おまえ、ほんとの馬鹿だろw

鉄槌へ

 馬鹿という奴が馬鹿なのだよ。
 年上の人を敬いなさい。
 君には、「イカイカイルカ」で十分だ。

 なお、「イカイカイルカ」の反応より、君がこの有名な歌を知らないことをプロファイリングした。
 よって、君には、子どもはいないという推測が成り立つ。要するにおこちゃまである。
そろそろ寝なさい。

 このブログでの論的のレベルが下がり「いや夫」は苦労しています。相手の知的レベルが高いほど、「いや夫」も反論しがいがありますが、「馬鹿」の繰り返しじゃね~。とほほ。
 上記のように、相手をからかうか、2ちゃんねるをミサイル攻撃する位しかないのも事実です。

 もう「いや夫」の役目は果たしたかな?

 この投稿は、妄想です。

 「いや夫」が我がブログで分析している「否会友」さんは、その後どうされたのでしょうか?(過去ログが見られないので、わかりません。)わかりませんが、あの調子なら、その後も会の批判を続け、このブログにも当然登場していることでしょう。(表裏一体ですから)

 そこで、クイズ「否会友」の投稿を探せ!

 「いや夫」がピックアップしたのは、次の投稿です。2ちゃんねるでは固定ハンドルで苦労をした分、よそのブログでは、他のハンドルネームで気楽に打うのではという推測です。文面から、あり得るものをピックアップしました。

(引用開始)
「お祝い金」100万請求され、
断ると、「癌」になる、と脅迫されました。
これって「倫理」なんでしょうか。

ここを立ち上げた貴女、説明できる?

投稿 被害者 | 2005.05.17 09:25 午前
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-1031681

>まるまるまあるさん

言わんとすることは解ります。
同様なことを私も先輩会友さんから言われます。仰ってることはわかりますが、「人のなかで人になる」のは自分自身の問題であって、頒布されるほうは迷惑してる方がたくさんいらっしゃいます(実際私もそうでした)
人から求められて倫風誌をお持ちするならわかりますが、そうでもないのに勧誘に行くのは来られる側は迷惑以外の何者でもありません。
頒布も倍加も自己満足としか思えません。

投稿 のん | 2006.04.27 07:06 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-3009273


>まるまるまあるさん
一人でポエジーで自己満足なレスだけ書いておいてこちらの質問にはまるで適当な返事ではお話しになりません。
こちらが疑問に感じていることについて教えてください。お願いします。

投稿 のん | 2006.04.28 11:29 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-3018527

ほんと迷惑。こないでほしい。
私の意志で子供は保育園に行かせてるし、それをあずけるなとか、余計なお世話もいいところ。住んでるところもここは高いから、県営や市営に移れとか、人それぞれ考え方があるんだから余計な事は言われたくない。何が学会じゃないからぁ~だよ。そんな事言ってくること自体がおかしい!!調べてみればこんなとこだし。こっちは家に家も忙しいし、何が夫をたてろだ!!たてるとこ立てて、家の中ではお互い協力しあわなきゃ、家庭なんてなりたつわけがない。ほんと洗脳って恐ろしいね。
みんながみんな同じ考え方なわけないし、それを人に押し付けるのは、それこそ相手の事を考えていなさすぎる。なぜ、福祉みたいなことをうたっていて、金を取る!おかしいーだろ。安いところに引っ越して、その分の金でも巻き上げようって?ありえん・・・。まじで来ないでほしい。時間の無駄。私は絶対入らない。人の迷惑考えろ。

投稿 あほ | 2006.06.14 02:00 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-3382052
(引用終了)

  「否」はフランス語では「ノン」ですね。「いや夫」の妄想に過ぎませんが、広い意味ではお友達でしょう。

 さて、「否会友」は、なりすましは嫌いなお方とお見受けします。2ちゃんねるで固定ハンドルを使うのも卑怯ではない行為だと思います。もし会にまだ不満をお持ちなら、このブログにて討論することは、「いや夫」も望むところです。その折りにはハンドルネームは、「否会友」のままでお願いいたします。
また、討論はしたくないし、以前の投稿は誤解だったということであれば、その旨伝えてください。無益な議論はしないにこしたことはありません。


年上?
おまえ、俺より年下だったらぶち殺すぞw

馬鹿夫には誰もまともに答えていない。
馬鹿につける薬なしww

 業務連絡のようになっていてすいませんが、2ちゃんねるとこのブログとは、表裏一体で、「いや夫」は死んでも2ちゃんねるに投稿しないので、おじゃまします。

http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23776315 

の記事で、「いや夫」が「新興宗教に関して、宏正会出版物ではない第三者による書おせ~て」に対して「そのような本はないでしょう」と返したところ


(引用開始)
せっかくご紹介したのに、そんな本はありませんとまで言い切られてしまい、悲しいです。
(引用終了)
と投稿されていました。「いや夫」が間違っているなら謝ります。

 もちろん、カルトや新宗教についての本はたくさんありますよ。しかし、実践倫理宏正会について、詳しく記述した本はないのではないでしょうか?
 太陽神の投稿を読んで、どきどきしながら「新宗教事典」を読んでみました。ところが書いてあることは、wikiに載っていることばかり。扱いも新宗教ではなく、修養団体で巻末に説明がある程度です。会の関係する部分は、我がブログに載せたのでどうぞ。この本を読んで、「太陽神」や「武蔵」の論に不信感を抱きました。

 紹介された本
『情報化社会における神々の再生 現代日本の新宗教』(創元社)と
いのうえせつこの『主婦を魅する新宗教』(谷沢書房)ですね。
 それほど実践倫理宏正会について、個別にページをさいているとは思えません。あまり期待はしていませんが、いつか読んでみます。
 こういう姿勢は大歓迎です。

鉄槌くん ダイヤモンド槌くんへ

(引用開始)
年上?
おまえ、俺より年下だったらぶち殺すぞw

投稿 鉄槌 | 2009.12.16 10:56 午後

馬鹿夫には誰もまともに答えていない。
馬鹿につける薬なしww


投稿 ダイヤモンド槌 | 2009.12.16 10:57 午後
(引用終了)

 じゃあなくって、二人の「会・話・形・式」にして!
得意じゃん!
その方がみんなも「いや夫」も楽しいもん。

 なお、「いや夫」は会話形式じゃなくても大丈夫。一人で十分否定派と戦えます。肯定派は安心して、「いや夫」にまかせてくれているのではないでしょうか?
「鉄槌」が馬鹿バッカ攻撃をして苦手なタイプだから「通りすがり」さんが助けてくれたけどね。
 実践者はネットなんか気にしないようにして、見ていないの。
 「いや夫」がアピールしているのは、「実践倫理宏正会」って何なんだと検索する新規のお方と、否定派の投稿に洗脳されてたけど、本当は会の教えの良さも知っている人なのです。
 君たちには興味関心はまったくなく、単なるだしに使っていますので、あしからず。
 

俺は馬鹿夫が死ぬまでここにいる。

 「鉄槌」がなぜこんなにしつこく「いや夫」にからみ続けるのかわかりますか?

 「いや夫」の登場以来、否定派は劣勢に立たされています。2ちゃんねるではあり得ないことです。彼らにしてみたら、初めての体験でしょう。

 2ちゃんねるで否定派が君臨できる理由は、そこが、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」だからです。
 
 否定派と肯定派が討論できていたこのブログでも、以前からなりすましは横行していました。そして、2009年2月8日の「高塚地蔵尊」や「名無し」などの本格的な攻撃が始まりました。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20489787
 これらの投稿をした人物こそ、「鉄槌」だと思います。

 そして、残念ながら肯定派の論客たちは、卑怯ななりすまし攻撃に嫌気がさして、このブログを去っていきました。

 後から登場した「いや夫」は、この単純なカラクリに、すぐに気づくことができました。じっくり読めば一目瞭然です。
 討論するにあたっては、ちゃんと対策をしたのです。その投稿は、
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23122849
です。
(引用開始)
 ところで、私は、ネット上の情報を第一資料と考えることに反対です。嘘などいくつでもつけるのが、ネットです。
(朝起会の実践者は嘘をつけないので、不利ですね。ネット弱者です。)

 試しに、私も一つ嘘をつきました。
「駐車場案内係」は「いや夫」です。
わざわざ受け答えしたりする面倒な演出はしませんでしたが、このアホみたいな嘘に感づいた方は何割でしょうか?しょせん、ネットとは、そんなものです。

 私はブログ「いやいや朝起会をつづけている妻の夫のブログ」をもっています。たいしたアクセス数ではないのですが、ぐぐってトップ10入りを果たしました。こちらの討論にも加わる(宣伝する)ようになり、多少アクセスは増えましたが、ネット上で朝起会を検索している人は、思ったほど多くはないという印象です。

 さて、この「実践倫理公正会って何?」の中で、特に否定派の方へ質問です。

 あなた、嘘をついていませんか?
私が今やったような?

投稿 いや夫 | 2009.10.12 06:13 午後
(引用終了)

 この投稿が、勝敗を決する天王山だったと思います。否定派は2ちゃんねると同じつもりで、なりすましや創作をしてきました。それは「名無し」が当然の世界だからです。
 しかし、このブログでは、その点を突かれることで、一転して苦境に追い込まれたのです。
武蔵が消えたのも、彼が嘘をついていたからです。

 この投稿によって、今までの分身攻撃は使えなくなりました。「いや夫」を攻撃するには、それまでに登場していたキャラでなければならないのです。
 それが「鉄槌」キャラです。

 彼はもう開き直っていますので、分身の術も平気で使います。「いや夫」にすれば、「どうぞご自由に」です。痛くもかゆくもありません。
 まあ、彼が狙っているのは、「いや夫」を挑発して暴言を引き出す、できれば、2ちゃんねるに投稿させるなどでしょう。

 絶対に投稿しないよ~だ。
 その手には乗らないよ~だ。

 「いや夫」はのんびりここにいるから、「鉄槌」もいたければいなさい。
 どちらの意見が正しいのかは、見ている人が決めることです。

http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23122849

訂正

武蔵が消えたのも、彼が嘘をついていたからです。

ではなく、

「武蔵」キャラが消えたのも、このキャラが嘘をついていたからです。

(我がブログからの省エネ投稿で失礼します。)

かなり重要な記事 倍加ではなく「陰倍加」が行われる例
<< 作成日時 : 2009/12/16 21:57

 「否会友」のケースから、「陰倍加」が行われる理由を考察する。
倍加とは、本人に断ってその人を会友として登録(本人自身による登録とは異なる)することである。そして、倍加を行った人物が相手の分の会費を納めるというシステムである。
 倍加については、「実践倫理宏正会って何?」の下記の説明が秀逸だと思うので引用します。
投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.08 08:49 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20853826

(引用開始)
陰倍加については私自身も色々と思う所はあります。単なる数合わせ・目標必達(集金?)のためのものであれば、他に『合法的』な形(会費の増額なり、寄付に回すなり)へと変更する必要があろうと思います。
今までにも述べましたが、本来の『陰倍加』(ウラ倍加?ではないもの)はその名の通り、陰ながらその人の仕合せを願う心の発露から行われているものです。
演談をお聞きになった会友さんが『陰倍加』をお勧めになったのも、結婚されたご親族の仕合せを、単純に願ってのものと推察致します。

仰る通り、この頃は世間一般にも法律遵守を殊更意識する風潮が出ていますので、その辺の配慮も必要になってくると思います。(余談ながら『Compliance』と言っても、米国では意味が通じないそうですね)
ただ、法律に詳しい方に聞いた所では、厳密に言えば『有印私文書偽造』に当たるかも知れないが、基本的に『被害(者)』が存在していない所から、一般的な解釈としてはシロ(事件としての立件は多分無理)ではないか、との事でした。
もう一つ、個人情報保護法の観点からも問題がありそうですが、こちらにしても、収集した個人情報を会として組織的に『悪用』するか、管理不徹底に拠る流出など、重大な過失事例がない限り法の趣旨には抵触しないようです。

法律論はともかく、全く見ず知らずの人々の名前をでたらめに流用するのは、道義的にも許容範囲を超えたものと私も感じます。が、ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲かと感じておりますが、如何でしょうか。
何れにせよ、これも『強要』されるのは問題ですから、その辺は『正しい実践』をと願うのみであります。
(引用終了)

 要するに、「陰ながらその人の仕合わせを願う」からの行いからであり、「ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲」だと「いや夫」も考えている。「否会友」を姑さんが陰倍加したのが、まさにこれに該当する。
 陰倍加と違って「倍加」は、本人の承諾を得て行われるものである。その人の分の会費を倍加を行った人が負担する点では、一緒である。本人の了承を得るのが「倍加」、本人の了承を得ないで行うのが「陰倍加」である。

 ちなみに「いや夫」家の陰倍加の例は下記のようなものである。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_18.html

 我が家の陰倍加は、親戚ではないのでグレーゾーンである。しかし、ご近所さんと仲良くやっていきたいと願う気持ちからであることは、ご理解願いたい。また、これは重要なことだと思うが、倍加されて会友数に数えられているだけの人と、実際に朝起会に参加している会友とは、明確に区別されている。少なくとも、一般会友は、私のご近所さんが、会友として登録されていることなど知らない。よって、ご近所さんに、何らかの迷惑がかかることは一切ないのである。ご近所さんの仕合わせを願いながら、年間3000円を会に納めている。
 それでもだめだと批判されるなら、仕方がない。批判は、甘んじて受けます。ただ、その狙いとすることについては、誤解をしないでいただきたい。
 (2ちゃんねるで、電話帳で適当に選んでなどという投稿があったが、全くの作り話である。「いや夫」はそう信じている。)

 さて、上記をお読みになった上で、姑さんが「否会友」を陰倍加したことは、それほどの罪と言えるのだろうか?
 二人は義理とは言っても親子である。何をめくじら立てて怒る必要があるのだ。
ところが「否会友」の場合はこうだ。

(引用開始)
65 名前: 否会友 投稿日: 02/02/07 19:47
退会したいさんへ

初めまして、私はこの会に10年以上入っている姑を持つ1児の母です。
お隣さんが会友なら、その後の近所付き合いもあるでしょうから
きっと悩まれている事だと思います。

私はこの会に自ら所属した覚えなどないのですが、姑に勝手に
名前を使われ、家族3人とも会員にされていました。一言の断りもなしに。
その事は、私から聞き出すまで隠していました。
普通から考えたら「人の名前を勝手に使う」なんてあり得ない事ですが、
この会では会費を肩代わりして他人を勝手に所属させる事を
「影の倍加」と称し、まるで「良い事」のように話しているみたいです。
盲目になる事は恐ろしいと実感してしまいます。

さて、勝手に名前を使われていた事がわかり、まったく解せないので
「退会届を出してその控えを私に渡して欲しい」
と伝えた所、逆ギレしていろいろ言われた挙句、
「子供(孫)に何があっても知らないわよ!」とまで言われました。

ここまで言われて私も納得がいきません。
息子の目の病気を「妻が旦那様を大事にしないから」と言って責められたり
した事もあります。
姑は実践に夢中になるあまり、家を空ける事もできなくなり、
ちょっとした買い物以外の外出や旅行は一切しなくなりました。

こんな風になってしまったのも、会にも責任があると私は考えています。

私が退会したいさんにお伝えできるのはこんな所でしょうか、
具体的にお役に立てるレスでなくてごめんなさい。

退会したいさん、がんばって下さい。
(引用終了)

(引用開始)
何故許されてないことが多いのかは皆さんが身を持って体験しているのでは。
そして、周りもその事実を伝えなければいけないのでは?
事無かれ誤魔化しでやりすごそうとするから後で歪んでくるのでは?

私は身を持って、姑から「よかれと思って」「勝手に倍加」させられて
いたわけですが、未だにその神経が理解できません。
「よかれと思う」ならなぜ「本人に入会手続きさせなかったのか」などなど。
よかれと思うなら、なんでもしてもええんかっちゅー話しですわ。
よかれと思ってやったことなら、何をしても結果的に保護されるべきもので、否定
されるべきものではないというんかー。
(引用終了)

 さて、この二つの投稿を読み比べて、次の私の問いに、皆さんはどう答えますか?

問い もし姑が「否会友」に倍加するよと知らせたとき、
   「否会友」はそれを認めたのだろうか?

答え 否

 そんなのは、彼女の投稿を読んでいけば、わかります。「否会友」はそんな人です。姑の言うことなんか聞きません。自分が絶対正しいという人です。また、姑を憎み軽蔑している人です。

(ちなみに、「いや夫」は妻(結婚前)と会に参加してみて、「実践倫理宏正会に入ってくれる?」と聞かれて、「いいよ~ん。」と答えて終わりである。倍加も認めたし、妻の愛情なのだと素直に思う。)

 なお、倍加自体が許せないという否定派もいるようです。実践者は、実践倫理宏正会がすばらしい教えだと信じています。この会に関わることによって、仕合わせに近づけると思っています。姑さんは、孫の目の病気が治ることを願って(陰)倍加していたのかもしれません。

 たとえるなら、神社で七五三のお祓いをしてもらうようなものです。一時間もかけないのに、結構なお金を取られませんでしたか?自動車のお祓いはどうですか?会友にとっては、似たようなものなのです。
また、3000円のお賽銭で、相手の仕合わせをお祈りするイメージが近いかもしれません。
庶民はおまじないや占いが大好きなのです。もっとも、実践倫理宏正会は宗教ではありません。
 <関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

 実は、「いや夫」と「否会友」の立場は似ているのです。

粘着質なところが?

そうかもしれません(笑)

 もう一つは会友二世の配偶者ということです。

 私の場合は、実践倫理の教えが正しいと直感し、舅・姑と良好な関係を築いていますし、「いや妻」も我が両親ととても仲が良いです。「いや妻」のような女性を生み出す実践倫理宏正会が、悪い会なわけがありません。
 しかし、「否会友」は、本も読まず、一度も会に参加せず、ネット上の情報をすべて正しいと盲信して、実践倫理宏正会(実は姑)を憎んでいるのです。どちらが、仕合わせでしょうか?少なくとも、「いや夫」は「否会友」よりも仕合わせだと思っています。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200909/article_56.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_1.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_23.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_21.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_5.html


批判派(否定派ではない)が劣勢なのではなくて、呆れて相手にしないだけ。それに、おかげでこの会に関わると(御縁があると)こうなるという見本を延々と見せてくれているのだから、大いに結構です。十分に役立っていますよ。どんどん続けて、被害拡大の防止に貢献して下さい。

いや夫さん、イヤイヤイヤイヤこっち向いてバー、
バーバーバー
あまり長すぎて、だーれも読んでない、
こっち向いて、バー
バーバーバー
精神的欠陥者ですね~。ン?

偉いね、よくわかっとる。いや夫は馬鹿だからここで延々に暴れるだろう。この場を提供してるのも会友だしw

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434
の下記の投稿をミサイル攻撃。

(引用開始)
349 :名無しさん@HOME:2009/12/16(水) 21:29:23 0
何でもいいけど、ガチガチに真面目なような几帳面な人が多いような・・・
ご主人達はたまんないだろうなあと思ったりする。
不足を言うとかそんなレベルではなく・・・
少しボーッっとしてニコニコしてる奥様の方がいいかもしれないね。
私の友人の会友は皆ご主人が浮気してた。
すべては必然。良い種をまけば良い芽が生えるはず。
なにが起きても絶対大丈夫、良くなるばかりなり♪でまったりいってもらいたいですね。
取り越し苦労、不安症候群は話するのつらいです。
喜び上手、受け取り上手でプラスでいってくださいな。
(引用終了)

君の友人の会友はみんな浮気してんだ~。
ふ~ん。
そんなわけないだろ。
浮気って隠れてするんとちゃうの?
地獄耳だね(笑)
それとも、そんなとんでもない地域に住んでるの?
引っ越した方が良くない?

 便所の落書き以下だなあ。
センスがなさ過ぎて哀れ。

題 かなり重要な記事
 倍加ではなく「陰倍加」が行われる例

<< 作成日時 : 2009/12/16 21:57

 「否会友」のケースから、「陰倍加」が行われる理由を考察する。
倍加とは、本人に断ってその人を会友として登録(本人自身による登録とは異なる)することである。そして、倍加を行った人物が相手の分の会費を納めるというシステムである。
 倍加については、「実践倫理宏正会って何?」の下記の説明が秀逸だと思うので引用します。
投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.08 08:49 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20853826

(引用開始)
陰倍加については私自身も色々と思う所はあります。単なる数合わせ・目標必達(集金?)のためのものであれば、他に『合法的』な形(会費の増額なり、寄付に回すなり)へと変更する必要があろうと思います。
今までにも述べましたが、本来の『陰倍加』(ウラ倍加?ではないもの)はその名の通り、陰ながらその人の仕合せを願う心の発露から行われているものです。
演談をお聞きになった会友さんが『陰倍加』をお勧めになったのも、結婚されたご親族の仕合せを、単純に願ってのものと推察致します。

仰る通り、この頃は世間一般にも法律遵守を殊更意識する風潮が出ていますので、その辺の配慮も必要になってくると思います。(余談ながら『Compliance』と言っても、米国では意味が通じないそうですね)
ただ、法律に詳しい方に聞いた所では、厳密に言えば『有印私文書偽造』に当たるかも知れないが、基本的に『被害(者)』が存在していない所から、一般的な解釈としてはシロ(事件としての立件は多分無理)ではないか、との事でした。
もう一つ、個人情報保護法の観点からも問題がありそうですが、こちらにしても、収集した個人情報を会として組織的に『悪用』するか、管理不徹底に拠る流出など、重大な過失事例がない限り法の趣旨には抵触しないようです。

法律論はともかく、全く見ず知らずの人々の名前をでたらめに流用するのは、道義的にも許容範囲を超えたものと私も感じます。が、ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲かと感じておりますが、如何でしょうか。
何れにせよ、これも『強要』されるのは問題ですから、その辺は『正しい実践』をと願うのみであります。
(引用終了)

 要するに、「陰ながらその人の仕合わせを願う」からの行いからであり、「ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲」だと「いや夫」も考えている。「否会友」を姑さんが陰倍加したのが、まさにこれに該当する。
 陰倍加と違って「倍加」は、本人の承諾を得て行われるものである。その人の分の会費を倍加を行った人が負担する点では、一緒である。本人の了承を得るのが「倍加」、本人の了承を得ないで行うのが「陰倍加」である。

 ちなみに「いや夫」家の陰倍加の例は下記のようなものである。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_18.html

 我が家の陰倍加は、親戚ではないのでグレーゾーンである。しかし、ご近所さんと仲良くやっていきたいと願う気持ちからであることは、ご理解願いたい。また、これは重要なことだと思うが、倍加されて会友数に数えられているだけの人と、実際に朝起会に参加している会友とは、明確に区別されている。少なくとも、一般会友は、私のご近所さんが、会友として登録されていることなど知らない。よって、ご近所さんに、何らかの迷惑がかかることは一切ないのである。ご近所さんの仕合わせを願いながら、年間3000円を会に納めている。
 それでもだめだと批判されるなら、仕方がない。批判は、甘んじて受けます。ただ、その狙いとすることについては、誤解をしないでいただきたい。
 (2ちゃんねるで、電話帳で適当に選んでなどという投稿があったが、全くの作り話である。「いや夫」はそう信じている。)

 さて、上記をお読みになった上で、姑さんが「否会友」を陰倍加したことは、それほどの罪と言えるのだろうか?
 二人は義理とは言っても親子である。何をめくじら立てて怒る必要があるのだ。
ところが「否会友」の場合はこうだ。

(引用開始)
65 名前: 否会友 投稿日: 02/02/07 19:47
退会したいさんへ

初めまして、私はこの会に10年以上入っている姑を持つ1児の母です。
お隣さんが会友なら、その後の近所付き合いもあるでしょうから
きっと悩まれている事だと思います。

私はこの会に自ら所属した覚えなどないのですが、姑に勝手に
名前を使われ、家族3人とも会員にされていました。一言の断りもなしに。
その事は、私から聞き出すまで隠していました。
普通から考えたら「人の名前を勝手に使う」なんてあり得ない事ですが、
この会では会費を肩代わりして他人を勝手に所属させる事を
「影の倍加」と称し、まるで「良い事」のように話しているみたいです。
盲目になる事は恐ろしいと実感してしまいます。

さて、勝手に名前を使われていた事がわかり、まったく解せないので
「退会届を出してその控えを私に渡して欲しい」
と伝えた所、逆ギレしていろいろ言われた挙句、
「子供(孫)に何があっても知らないわよ!」とまで言われました。

ここまで言われて私も納得がいきません。
息子の目の病気を「妻が旦那様を大事にしないから」と言って責められたり
した事もあります。
姑は実践に夢中になるあまり、家を空ける事もできなくなり、
ちょっとした買い物以外の外出や旅行は一切しなくなりました。

こんな風になってしまったのも、会にも責任があると私は考えています。

私が退会したいさんにお伝えできるのはこんな所でしょうか、
具体的にお役に立てるレスでなくてごめんなさい。

退会したいさん、がんばって下さい。
(引用終了)

(引用開始)
何故許されてないことが多いのかは皆さんが身を持って体験しているのでは。
そして、周りもその事実を伝えなければいけないのでは?
事無かれ誤魔化しでやりすごそうとするから後で歪んでくるのでは?

私は身を持って、姑から「よかれと思って」「勝手に倍加」させられて
いたわけですが、未だにその神経が理解できません。
「よかれと思う」ならなぜ「本人に入会手続きさせなかったのか」などなど。
よかれと思うなら、なんでもしてもええんかっちゅー話しですわ。
よかれと思ってやったことなら、何をしても結果的に保護されるべきもので、否定
されるべきものではないというんかー。
(引用終了)

 さて、この二つの投稿を読み比べて、次の私の問いに、皆さんはどう答えますか?

問い もし姑が「否会友」に倍加するよと知らせたとき、
   「否会友」はそれを認めたのだろうか?

答え 否

 そんなのは、彼女の投稿を読んでいけば、わかります。「否会友」はそんな人です。姑の言うことなんか聞きません。自分が絶対正しいという人です。また、姑を憎み軽蔑している人です。

(ちなみに、「いや夫」は妻(結婚前)と会に参加してみて、「実践倫理宏正会に入ってくれる?」と聞かれて、「いいよ~ん。」と答えて終わりである。倍加も認めたし、妻の愛情なのだと素直に思う。)

 なお、倍加自体が許せないという否定派もいるようです。実践者は、実践倫理宏正会がすばらしい教えだと信じています。この会に関わることによって、仕合わせに近づけると思っています。姑さんは、孫の目の病気が治ることを願って(陰)倍加していたのかもしれません。

 たとえるなら、神社で七五三のお祓いをしてもらうようなものです。一時間もかけないのに、結構なお金を取られませんでしたか?自動車のお祓いはどうですか?会友にとっては、似たようなものなのです。
また、3000円のお賽銭で、相手の仕合わせをお祈りするイメージが近いかもしれません。
庶民はおまじないや占いが大好きなのです。もっとも、実践倫理宏正会は宗教ではありません。
 <関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

 実は、「いや夫」と「否会友」の立場は似ているのです。

粘着質なところが?

そうかもしれません(笑)

 もう一つは会友二世の配偶者ということです。

 私の場合は、実践倫理の教えが正しいと直感し、舅・姑と良好な関係を築いていますし、「いや妻」も我が両親ととても仲が良いです。「いや妻」のような女性を生み出す実践倫理宏正会が、悪い会なわけがありません。
 しかし、「否会友」は、本も読まず、一度も会に参加せず、ネット上の情報をすべて正しいと盲信して、実践倫理宏正会(実は姑)を憎んでいるのです。どちらが、仕合わせでしょうか?少なくとも、「いや夫」は「否会友」よりも仕合わせだと思っています。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200909/article_56.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_1.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_23.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_21.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_5.html


PS 否定派からの予想されるつっこみ

「大きな善に小さな悪は関係しない……。 」という意見のようだ、うんたらかんたら。

 これだけ「否会友」を追求すると、さすがに見ている人もひきますね。
また、これらの投稿を「否会友」が読めば、どれほど嫌な気持ちになるでしょう。

 これこそ、皆さんに考えてもらいたいことなのです。
「否会友」は2ちゃんねるで実践倫理宏正会の悪口を書き連ねてきました。その理由として、プライベートの一部を明かし、姑を非難しています。なお、姑が悪いのではなくて、姑をこのようにした実践倫理宏正会が悪いのだと、自分を正当化したりしますが、その心は見透かされています。人間関係の観察眼が男以上に鋭い女性の皆さんが見れば、「否会友」が姑をネットを使っていじめていることはおわかりでしょう。

 今、中高生の間で、ネットによるいじめが大きな問題になっています。「否会友」はそれを2001年の時点で始めていただけです。ネットいじめがどれほど卑怯で悪質か、また、その被害の大きさは、想像以上です。ネットいじめを苦にした自殺は後を絶ちません。「否会友」も2ちゃんねるで肯定派の批判にさらされてはいますが、否定派が圧倒的に優勢なので、全然こたえていません。否定派はみんなアント実践倫理で結束し、仲良しこよしで悪口を書き続けているのです。(最近は、ネタも尽きてきて、低調のようですが・・・。)
 <関連サイト>
http://anti2ch.blog61.fc2.com/blog-category-19.html
(北朝鮮がどうのこうのとかは、「いや夫」は興味はありませんが、被害の例として紹介しました。)

 実践倫理宏正会を追求する2ちゃんねるの掲示板は、会や会友をターゲットにした、ネットいじめの場と化しています。(全部とは言いません。切実な声もありますし、会として反省する部分もあります。なお、あちらでは、肯定派が弱者なので、肯定派も「荒らし」をして戦っています。不毛な論争であることには、かわりはありません。)

 なお、「否会友」の大の仲良しに「元会友」がいます。彼こそ、何度も掲示板のスレ主を務めている方で、否定派の中心人物なのでしょう。
以前、「いや夫は」は、「否会友」を「お山の大将」と紹介しました。
しかし、実は大将は「元会友」です。
この人は、元会友で、会に所属した経験がありながら会を批判しているという、もっともたちの悪い人物です。
この「実践倫理宏正会って何?」にも、きっと登場していたはずです。

 「いや夫」がまず、「否会友」を攻撃したのは、「将を射んとすればまず馬を射よ。」って奴です。
嫌みな奴で「いや夫」ですが、「否会友」や「元会友」に対峙しようとするならば、この位のキャラでなければならないのも事実です。

 「実践倫理宏正会って何?」にて、「いや夫」は、この会がどのような攻撃を受けてきたのかをアピールしてきました。その当初の目標は果たしたのではないかと思っています。その一方、「いや夫」みたいな粘着質な人間が会友なのかと、かえって会の評判を落としてしまう可能性も十分にあります。倫理の普及にとっては弊害でしょう。(「いや夫」自身が倫理を守っていないのですから。)

 実践倫理宏正会は、「人の悪を言わず 己の善を語りません」を目指す会です。また「議論を避けよ」という教えもあり、賢い会なのです。(でも、それだけではネット社会においてはいじめられるだけだと、「いや夫」ががんばっている次第です。)
「倫理の普及は論争によって行われてはならないし、説得で普及の実が上がることもないのです。」(『より善い社会へ』P331)


 このまま、このブログで独白を続けていては、かえって会のためにならないのかもしれません。もう少し投稿を抑えていこうと思います。
(プライベートの問題で、以前も同じように討論にうつつを抜かし、家族サービスを怠ったことがありました。今、まさに同じ過ちを犯しています。「いや妻」は、ネットなんて全然気にしていないのです。頼んでもないから、やめて欲しいとさえ思っています。ほどほどにしときますね。)


 もちろん、鉄槌くんはじめ、ちゃねらーが活躍しだしたら、「いや夫」もできる範囲で反論していきます。

 次回の投稿を一つのけじめとして、発言を少し控えたいと思います。
(以前、何度も同じようなことを書いている「いや夫」です。これも策略の一つなのでしょうか?)

(先ほどは、二重投稿失礼しました。)

(2回目の)けじめの投稿

   目指すべきは「家庭愛和」です。

 実践倫理宏正会の二世で、この会を快く思っていないケースがあります。
その一方で、この会の教えはすばらしいと評価している二世も多いです。

 この違いは何でしょうか?
それは、その家庭が、「家庭愛和」を実現できていたかどうかだと思います。

 否定派の家庭の典型的な特徴としては、
「母親が熱心な会友、父親は猛反対」というケースでしょう。
本来、夫をたてるという教えですが、その夫は会を否定するのです。そんな状況で普及実践に努めている母親は大きな葛藤を抱いています。夫は会に反対だから、陰で倍加しないといけないとか、夫に内緒で倫風のノルマやお祝い金を払うなどの風習が生まれてしまうのでしょう。
 そして、そんな家庭の一番の被害者は子どもです。母親はイスラム教徒で、父親はユダヤ教徒みたいなものです。自分は何を信じればいいのかわからなくなって当然です。結局、会の本来の目標である「家庭愛和」が実現できないという矛盾が生まれます。そんな家庭で育った二世が、会を憎む気持ちもわからなくはありません。「鉄槌」くんもそうなのでしょう。

 さて、夫や二世はなぜ猛反対するのでしょうか?

 ネットで調べたら、実践倫理宏正会がカルト宗教のように批判されていたから?
そんな方は、「いや夫」のブログや、このブログの過去の投稿をすべて読んでみてください。
あなたは、愛する妻(または母)よりも、2ちゃんねるの意見を信じるのですか?

 家庭愛和の鍵を握っているのは「夫」(または二世)なのです。

 妻(母)の実践に反対している夫(二世)に「いや夫」からの忠告です。

 実践倫理宏正会はカルト宗教ではありません。
1 まず偏見を捨ててください。
2 一年に一度ある、壮年の集いだけでも参加してあげてください。
  (そういう夫が大半です。)
3 元朝式と原爆の日の朝起会に行くと、妻は喜びます。
4 倫風を読んで、会の教えを知ってください。
5 妻(母)がなぜ実践をがんばっているのか、その理由を肯定的に聞いてあげてください。

 以上で十分だと思います。(「いや夫」もこの程度の「名ばかり会友」です。)
会に猛反対しているときより、「家庭愛和」は簡単に実現するはずです。
以上の手順は、カルト宗教から信者を脱退させる手順と同じだと思います。
(否定派は、罠だとか思うのでしょうね。疑り深い人たちだから・・・。)
信じる信じないは、あなたの自由です。

 鉄槌くんはじめ否定派の二世へ

 両親は、朝起会が原因で不仲だったのかもしれませんね。ネットを読んだ君たちは、朝起会がカルトで、母親がだまされた哀れな人だというのでしょう。ネットの記事を読んだ、君たちの心中を察します。でもね、ネットなんてとんでもない世界なんだよ。試しに、君の母校に関する2ちゃんねるのスレを読んでみなさい。ぼろくそに書かれているから。それを真実だと認めるなら、そうしなさい。母親はカルト宗教にはまった人だと批判し続けなさい。でもね、いつかは母親は先に亡くなるのだよ。母親とこじれたまま見送るつもりですか。やがて後悔するときがくるでしょう。実践倫理宏正会はカルトではないのだから。会友はみんな知っていますよ。「いや夫」はちゃんと忠告しました。それでも信じられないなら、一生2ちゃんねる命で生きていきなさい。「いや夫」から見れば、君たちこそ熱烈な2ちゃんねる信者だ。カルトだ。その事実に気づきなさい。

 なお夫が、なまじ会の教えに賛同して、一緒に朝起会に参加し、その後幻滅して会を批判するというような真似は絶対にやめてください。
(2ちゃんねるスレ主の「元会友」のパターンです。きっと我が強く、うんちくをたれたい人だったのでしょう。自分が教祖になりたいという人なのかもしれません。そんな人は会には向いていないのです。そして「元会友」は今でもきっと、2ちゃんねる教で「教祖」をきどっておられることでしょう。「飛ぶ鳥跡を汚さず」のできないお方です。そんな人たちが会の悪口を書き連ねて、自分を正当化しようとするのが2ちゃんねるなのです。そして、そういった情報が作り出したのが「否会友」(実際には会を何も知らないのに批判する)や「鉄槌」などというネットモンスターなのです。
 いずれにしても、何かにはまりすぎるのはよくありません。ほどほどが一番だと「いや夫」は思っています。それは「実践倫理宏正会」についてもいえます。「いいとこどり」でいいんじゃないでしょうか?「いや夫」も朝起会肯定派はほどほどにしときます。)

 また、会への出費が多すぎて嫌だという夫は、その点は追求していっていいと思います。「家庭愛和」とはまったく関係ない部分です。お金を節約しようとする社会人としての感覚は大切だと思います。(ちなみに「いや夫」は65歳からしか年金をもらえません。5年間無年金の生活なんて、誰も実感していないのです。大変なことです。蓄えをしっかりすべきです。その点では、否定派と同じ意見です。)

 「いや夫」としては、倫風代だけを払う会友(年間3000円)がちまたにたくさんいて、主婦の井戸端会議のネタとして、倫風宏話や記事が使われる位になると、すばらしいと思います。お祝い金って何それ?でいいと思います。その方が、「いや妻」の倫風頒布のノルマも楽に達成されていることでしょう。
 
 以上が夫や子どもへ訴えたいこと。

 次に昔会友だった人で、会の悪口を書いている人たちへ。
あなた方の考え方が、会に合っていなかっただけではありませんか?
「飛ぶ鳥、跡を汚さず」で、便所の落書きでうっぷんを晴らすのはやめてください。あなたの味方をしたやさしい会友さんもいたのではないですか?

 家庭愛和は、実践倫理宏正会に入っていようが、いまいが大切なことです。
「いや夫」は次の投稿に共感します。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-3001459 より
皆さんも、それぞれの方法で家庭愛和を実現してください。
(引用開始)
私は朝起き会へ行ってない。
母は私を産んだ頃から朝起き会。
朝起き会は、彼女の生き甲斐です。
私は朝起き会へ行っていない。
でも『倫理』を正しく学んだ人間に育てられたから、私にも『倫理』が根付いている。感謝である。
昨年とても素敵な人と結婚した。
周りを見渡せば、同じ二十代も三十路を迎えた人も結婚できないでいる人が多い。
私が彼(夫)にしている当たり前の事を聞いて
「えぇ~私そんな事できなぁい」。
「できない」のではなく、「したくない」にしか聞こえない。
私が今「幸せ」と思えるのは、相手の役に立てるのが嬉しいからだ。心地いいのだ。
男は仕事をし、女は子供を産み・家を守る。
それぞれに「役割がある」という事。
たったそれだけの事を認めず、「女だって働ける」「女性軽視だ」と‘謙虚さ・控えめさ’を失くした結果が晩婚化・少子化である。
謙虚に、控えめに、夫を立てる事が、時代錯誤だ!女性軽視だ!とおっしゃるなら、そう言う前に女としての実力をちゃんと発揮すればいい。
しっかり炊事洗濯をして、沢山の子供を産む事ができたなら、そんな女性を誰が軽視するのでしょうか?
こういう思考でいられるのも、倫理を学ぶ母が育ててくれたからこそであり、苦労もあったが、今はとても幸せだ。
私は朝起き会へは行っていません。
でも理解できます。
『お金』重視で活動している人なんて見た事もありませんが、もしそういう方がいるとすれば、それは会に入っていても全く意味のない方ですね。早起きまでして…もったいない人だ。

投稿 被害者という方々へ | 2006.04.26 04:18 午後

(引用終了)

 以上で、「いや夫」の訴えたかったことのほとんどは伝えることができたと思います。
実践倫理宏正会への誤解が解け、家庭愛和が少しでも広まっていきますように。
  (2ちゃんねるやそれを信じる「ちゃねらー」が大嫌いな「いや夫」より)

肯定派の皆様へ

 否定派と討論しても無駄です。でも、中立の人には、ちゃんと伝わることでしょう。
 もし「いや夫」の投稿が使えるときは、自由に使ってください。ちゃねらーの批判には、すべて反論しているつもりです。

 まあ、討論に勝っても負けても不毛な争いですね。
 実践に生きる皆様の活躍を応援しています。

いやいやいやいやいや夫さんほどしつこくいやな人はみたことありません
こんな人を夫に持っている奥様の顔が見たいです。
会長先生は、ネットで何を書かれようと、かまわないという、ご方針ですが、いや夫さんは、おせっかいと言おうか、でしゃばりと言おうか、ネットの書き込みを見て、被害妄想に陥り、だれであろうが、何であろうが、とにかく反論!反論!反論!と躍起になっておられ、ほんとにお気の毒です。
ご本人が、意気軒昂であればあるだけ、何か痛々しいものを感じます。
鉄槌君はじめ、オチョクリック諸君、いや夫さんは、2ちゃんねるに、来るほどな、気力も勇気も持ち合わせの無い、小心者のお気の毒な人です。
こんなネットであたら、有能なエネルギーをついやすのも、いけません、そろそろ「完全シカト」で、無視し一切の書き込みをやめようではありませんか。
かれは1ヶ月ぐらいはダラダラ続けますが、いずれやめるでしょう。
  -いや夫の異様さに辟易している人間よりー

とりあえずのけじめといいながらの再登場失礼します。

 鉄槌くんへお礼を言うのをすっかりわすれていました。
 彼が「実践倫理宏正会って何?」のブログの存在を、わざわざ「いや夫」に教えてくれたのです。

 我がブログ「いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログのコメントに、
「「実践倫理宏正会って何?」で「太陽神」様や「武蔵」氏の投稿を読んで、会の真実を知ってください。」とコメントしてくれたのです。
自己ピーアールだったのかな?

 おかげで、二ヶ月間、(不毛な?)討論を楽しむことができました。ありがとうね。

 これは、妄想ではありません。
下記のサイトが証明していますね。(笑)
否定派はいろんなところで活躍しているのだねえ。
忙しいねえ~。さすがにつきあいきれないよ。
もう、お手上げ。ギブアップ(笑)
その粘り強さを、社会生活に生かしてください。
でも。人の投稿を速読できないようでは、まだまだだね。

(社)実践倫理宏正会/「朝の誓」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1214119691/ より

(引用開始)
616 :神も仏も名無しさん:2009/10/10(土) 11:57:48 ID:SF63CEKF
おい、ID:SYDCYzio

太田誠一がレイプ容認発言するのも自由ですか?


617 :神も仏も名無しさん :2009/10/10(土) 12:00:51 ID:kiFE82qi
>>553
「子育て支援センター」から来たと勘違いさせる様な言い回しで勧誘活動をする様だ。
>方便として、子育て支援や相談活動をきっかけと
>して、会を紹介していく形をとっています。

方便として、???

>我が家の場合、0歳の長男一人を家において、
>妻が頒布に出ることもありました。
0歳児を……容認できるんだ。
>我が家では2歳の下の子は抱きしめ、
>4歳の上の子は抱きしめるのを卒業させようとしています。

ハグはいくつになっても大事です。
この宗教は決めつけた考え方をするよね。
そして人にも強要するようになる。
>朝起会を毎日欠かさずがんばっている義母ですが
嫁は2世らしいが親の背中を見て育ったわりには
嫌々って?実践倫理宏生会ってなに?のHPに「いや夫」
で投稿しているけど…長すぎてスルーした。
(引用終了)

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200909/article_18.html

 ばいば~い!

また、否定派のボロをみつけてしまった。
もういいかげんにしたいのに・・・。
相手(鉄槌)が低脳すぎる。

http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23795358
で紹介した

朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434
のどうせ鉄槌は、

(引用開始)
349 :名無しさん@HOME:2009/12/16(水) 21:29:23 0
何でもいいけど、ガチガチに真面目なような几帳面な人が多いような・・・
ご主人達はたまんないだろうなあと思ったりする。
不足を言うとかそんなレベルではなく・・・
少しボーッっとしてニコニコしてる奥様の方がいいかもしれないね。
私の友人の会友は皆ご主人が浮気してた。
(引用終了)

その翌朝には、よその掲示板でも、こんな内容を打っています。
(引用開始)
704 :神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 09:41:10 ID:tS+1pJhc
スケベな奥様が多く、非倫理会員が多いですね。
もっと奥まで突いて~~、とひいひいいいますから!
(引用終了)

 さすが、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」の2chカルト信者。ご苦労様です。
でも、「いや夫」の忠告もちゃんと読んでね。
自己プロフィールも創作?
やっぱり他の宗教の攻撃なの?
あちらの掲示板では、倫研は評判がいいね。

PS こういう人と関わるのは危険です。
「いや夫」のようにプライバシーを隠し、用意周到な人間でないと大変な目にあいます。
関わらないようにしましょう。
ブログに自己プロフィールを明かしているなど、自殺行為です。討論はやめておきましょう。
自分のプロフィールを隠しただけでは、だめね。
仲間のブログにも攻撃がいきます。
「議論をさけよ」が賢明です。

また、馬鹿夫は連投してるなw
別人を同一人物と看做す低脳君ww
同一人物である証拠を見せな、基地外w
ここでは、上廣の人物、所業を確認するだけで充分である。
それを判断するのは、各人の判断で。
決して騙されないように。
オウムと何ら変わらんよw

354 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2009/12/18(金) 19:39:31 0

上廣一家の贅沢振りを知っているか。
東京の超高級住宅地 松涛に敷地800坪の豪邸に住み 車は親子共に大きなベンツ。
毎日 ホテルニューオータニのサウナに通い、高級ゴルフ場でゴルフ三昧。
海外旅行に、夜は料亭で会食 高級クラブで豪遊。
全国各地の支部からは当地最高の特産品の貢物を受け、上廣家の祝い事には幹部から
金が送られる。
会長の資産は一体どのくらいあるか。数十億どころではあるまい。数百億か。数千億か。
 
「倫理」というものを金儲けの手段とし、「倫理」を食い物にしている上廣家。
宏正会が「倫理」の普及することで 返って「倫理」というもの価値を台無しにして
してしまった上廣家の罪は大きい。

こいつ、他人の投稿まで俺の発言にしてるぜw
おまえ、精神病だから病院行ってきなw

わが敬愛する「いや夫」様

上記「ダイヤモンド槌」として、貼り付けられている、書き込みを見て、通常の知性と教養のある人は、これが真実であると、思うひとは、皆無でしょう。
どうか、いや夫さんは、上記二つの書き込みに対して、大真面目で、大反論をなさらないでください。
すれば必ず、彼等の餌食となって、またまた、面白くも無い、スレ合戦が繰り広げられ、われわれ実践者は眉をひそめる羽目に陥ります。
なお、書き込みが同一人物であるかどうかという、クイズ的興味は、ゲームとしては面白いかも知れませんが、宏正会賛同派のあなたが言えば滑稽にうつります。
こんなクズスレを、真面目に相手になさっている、いや夫さんは、あり難いのですが、また別の意味から好ましくありません。
不逞のやからは「完全無視」がわれわれの信条にて、出来ましたら、奥様とお話いただくのがよろしいと思います。
これがわたしたちの真の願いです。

>わが敬愛する「いや夫」様

おまえも一緒に精神病院行ってこいやw


あの女ー・・昨日チソコが痛くなるくらい手コ-キしてきたから
夕方に起きたらチソコ腫れまくってんじゃんかよーー!!!!!!
でもまぁ極太にサイズアップしたチソコ試したいし
今のうちに他の女にも突っ込んでくるとすっかー((o( ̄ー ̄)o))

http://kuruma.koreikura.net/6g0kg5k/

わずか3日間とはいえ この静けさに感謝

一人でいくつものネームを総動員して、無味な持論を展開している方の撤退こそ、このブログに必要、と思っているのは私だけではないでしょ

以前のように、「会」のあり方についての思いを真摯にやりとりするブログを期待します

ねえ、皆さん 

aji-sai様

まことその通りであります。
無意味な投稿で、茶化されても中傷されても何を言われても、完全無視で一切反応せず、淡々と真面目な者同士でやりとりをすればよいと思います。
名無しではなく、ハンドルネームをつける、このスレこそ一番ふさわしいところですね。

「皆さん」ってww
誰か、ここ読んでる奴いるのかよww


http://bite.bnpnstore.com/7qg25v3/
おい!!!これ毎日やったら、借.金2 0 0 万 円 3週間で返せたぞwwww
てかむしろ5 0 万貯金あるしなヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ
パチ屋のイベントに向けてあと5 0 万軍資金用意しとこっと( ̄▽+ ̄*)

7月30日以来離れておりました。いやもう大論争が続けられており、なかなか全部は読めません。文庫本1冊分くらいあるのではありませんか。
7月末時点では、同一人物であられる「武蔵・太陽神」様とあい対者との論争中でしたが、わたしはそのとき、「虚」なるものをもてあそんでいる、武蔵・太陽神様は来年の7月30日にはもうこのスレにはおられないだろうとの予測をいたしました。
風聞と伝聞による議論は「虚」なるものであるというわたしは、討論相手からはずされましたが、現在は武蔵・太陽神様はお見受けしないようですね。
「流言は知者のところで止められる」といいますが、言いえて妙と言うべきでしょう。隆盛時4百万人いた会員も、今年の本部公表人数は、338.4万人となり近年低下方向に向かっておりますので、どうかと思いますが、鳩山首相の資金管理団体も死者や架空の名義を語って問題になっているのですから、わが宏正会も正しく整理する時機かも知れません。仕合せを祈る気持ちから、実在する家族の方を登録することは、実情は家族全員の登録が多いですが、これは許容範囲ではありましょう。
われわれにとってこのブログは稀有なる存在で、来年はまた、「鯰の髭は4本」様、「虚無僧」様、「さくら」様、「高貴高齢者」様たちがご発言になった時代のように、なごやかな話し合いがなされることを切に希望致します。
ではよいお年を!

レイモンド・東経さま

 お初にお目にかかります。「いや夫」です。
「太陽神・武蔵」同一人物説は、レイモンドさんとのやりとりを読んでいて感じました。そして、彼(私は彼女だと思っていますが)は、実は会友ではなく、ネット上の情報だけで、会を批判しているのだろうとも感じました。「虚」がうみだした否定派のヒーローですね。レイモンドさんのおっしゃる通りです。

 彼らが追求している一部(会友からお金を取りすぎ)には、「いや夫」も賛同します。レイモンド氏もまったく同じ考えだと推察します。

 しかし、実践倫理宏正会自体は、社会を正す優良な組織だと思うので、今後も擁護を続けていくつもりです。(あまりに長文でだらだら書くので、否定派はもちろん肯定派にも、迷惑なので、多少投稿を控えています。)

 ともかく、ちゃねらーとは今後も討論していくしかないのでしょう。後は、第三者が判断していけばよいと思います。

 「東経」も、レイモンドさんだったのですね。それは「武蔵」も指摘していました。討論していると、相手は実際には少なそうだというのは、お互いにわかるのでしょう。

 「いや夫」はレイモンドさんに不利な投稿をした「田中丸」なんて、ちっとも信じていませんよ。信じる人は、おめでたすぎる人です。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-22389084
(2ちゃんねるの実践倫理宏正会批判スレ=パート1の投稿主が「田中」だから、それを使っておもしろがってつけたハンドルネームなのでしょう。いわゆる「鉄槌」です。)


 レイモンドさんの、下記の投稿に賛同します。
(引用開始)
われわれにとってこのブログは稀有なる存在で、来年はまた、「鯰の髭は4本」様、「虚無僧」様、「さくら」様、「高貴高齢者」様たちがご発言になった時代のように、なごやかな話し合いがなされることを切に希望致します。
(引用終了)
 
 ただし、上記のやりとりについては、逐一2ちゃんねるの批判スレにて、批判の材料に使われていることも留意した方がよいと思います。
 自分のプロフィールを他のブログなどで開かしている方は、別のハンドルネームを使い、メールアドレスは入力しない、URLは入れないなどの配慮をしましょう。相手はちゃねらーですから。

 では、よいお年を!

それで、君が紹介した文を素人が簡単に要約
すると、、「汝の意志の格率が、常に、同時に、
普遍的立法の原理として妥当し得るように行為
せよ。」は、「法に触れないように心がけよ。」

いや夫様

わたしの意見にご賛同いただき有難うございます。来年は、栄治師の倫理講座「人の巻」がでて三部作が完成すると思います。これは大変よい書物でして、明治の初め世に出た坪内逍遥の「実践倫理講話」を皮切りに、幾多の倫理書が出されましたが、この偏ることなく公平な論述は出色のできと思います。
先年「新しい歴史教科書」はできましたが、まだ道徳のそれができておりません。なんとか作るべくその端くれをお手伝いしておりますが、この三部作がよいお手本となると思っております。
来年は本スレも平穏になり、昔の仲間が戻ってきて、和やかな会話をしたいですが、どうぞあなたも輪に入っていただき、倫理の普及に努めましょう。

 レイモンド様

 「地の巻」「天の巻」は良書ですね。ネットゴラムと討論するためという不純な動機で斜め読みしましたが、すばらしい教えだと思います。一部は、我がブログでも取り上げました。
 なお、お仲間に入れていただいてありがたいのですが、事前に一点申し上げておきます。レイモンド様は、「新しい歴史教科書をつくる会」の関係者のようですが、「いや夫」は、こちらについては否定派です。小泉首相も安倍首相も、渡部 昇一氏(万が一ご本人でしたらすいません)も嫌いです。日中友好派の福田首相や田中角栄氏や小沢一郎氏や野中広務氏が好きです。そして、副島隆彦氏(新しい歴史教科書をつくる会に当初参加し決裂したと聞いています)を信奉する者です。「アジア人同士戦わず」という主張に共感します。レイモンド様とは思想的に相容れない点も多いと思いますが、このブログでは朝起会肯定派として仲良くしていただければありがたく思います。
 つくづくネットとは、奇妙な世界ですね。

ご無沙汰です。別件を検索していて、久々にこちらに迷いこんでしまいました。私のことが書かれていてビックリ。呼ばれたようですね、

「いや夫」様の孤軍奮闘の論説ぶりには敬服します。
私は「朝起き会」に入会して丁度5年経ちました。
思えば、リストラ退職、離婚、借金地獄でどん底の時、“お誘い”を受け、いろいろ自分を反省し、お蔭で、自己破産もせず、借金も返せて、今幸せを噛みしめています。


「この会は『朝起き会に入会すれば幸せにします』とは言いません。幸せになれる筋道を指し示します。それを実践して、幸せになれるか否かはあなた次第」と言われるとおり、この学びは「自力本願」です。

仏門にはいっても、僧侶仲間同士の嫉妬や競争など醜い点は俗世間以上。朝起き会もここで非難されているようなことは事実あります。それもすべて、善悪併せ呑んで実践です。要は自分次第。

私は、何事にもすぐ腹を立て、批判精神旺盛、他人を非難ばかりしていました。 しかし「朝起き会」で5年、ようやく、今年1年腹を立てず、周囲と愛和し、「相手の喜ぶことを」という気持ちで接してきましたら、仕事もどんどん来るようになりました。

「自分が変われば周囲も変わる。自分を変えなければ、何事も変わらない」ということを学びました。他人の非難ばかりしていたら、心は淋しいんじゃないですか。「もの言えば、唇寒し」です。

明日は全国の会場で等しく元朝式。北海道や北日本、北陸では、寒風と豪雪の中、集わなければならない会員さんもおられます。寒波襲来で大変と思うか、こちらはまだまだ恵まれていると思うか。価値観は相対的。すべては、その人の心の持ちよう。

雪が降ろうと、寒風吹き荒れようと、何事も無く、平常心で朝起き会に集う。世間の非難中傷も「風吹かば吹け」の心になれる。それが実践でしょうかね。

国家主義者は今すぐ死になさい!
これは命令だ!

「新しい歴史教科書をつくる会」は基地外の集まりです。これは疑いようもありません。
この会に賛同する人間が、朝起き会に集っています。将に基地外団体ですww

やる夫か馬鹿夫か知らんが、書き込んだ人間を誰かの書き込みと同一視するような低能な真似を今度してみろ!住所を探し出し、○害を加えてやるからそのつもりでいろ!

それで、君が紹介した文を素人が簡単に要約
すると、、「汝の意志の格率が、常に、同時に、
普遍的立法の原理として妥当し得るように行為
せよ。」は、「法に触れないように心がけよ。」

虚無僧一路さま

 実践者の投稿は勉強になります。「南無阿弥陀仏」と唱えていさえすれば(現世で)仕合わせになれるのなら、誰も不幸になどなりませんね。そんな虫の良い話があるはずはないから、皆様「自力本願」でがんばっておみえなのでしょう。

 「いや夫」はまだ、「何事にもすぐ腹を立て、批判精神旺盛、他人(否定派)を非難ばかりしている」凡夫です。そのせいで、このブログを2ちゃんねる化してしまってすいません。(肯定派が和やかに会話できた頃とは違っていますが、彼ら(2ちゃんねる)の流儀で、スルーしながら会話いたしましょう。)

 夏目漱石の「草枕」の冒頭より、
(引用開始)
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
(引用終了)

 まさに、この通りですね。「人でなしの国」がネットの仮想(下層)社会。人の世を住みよくする処世術を学ぶ道場が実践倫理宏正会なのだと思います。

 本日は、元朝式に参加しました。たまにしか集えない「なんちゃって会友」ですが、会を支えるすそ野の一石にでもなれればと思います。

馬鹿夫、たいがいしとけよ!てめぇ~!

レイモンドさまへ

 質問ですが、「月の女神」はレイモンドさんなのですか?もし、そうなら、我がブログの予想が現実なのかもしれません。それはとても困ります。いかがでしょうか?

 我がブログにて、このブログが、どのように否定派に乗っ取られたのか、2ちゃんねるとの関連を交えた分析を行いました。

 例によって、あまりに膨大な記事で長文なので、ここに引用するのは、(今のところは)控えます。

 ぜひ、皆様読んでみてください。明らかな誤りなどがあれば、ご教授お願いいたします。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200912/article_31.html
http://58807828.at.webry.info/200912/article_50.html
http://58807828.at.webry.info/200912/article_51.html
http://58807828.at.webry.info/201001/article_1.html
http://58807828.at.webry.info/201001/article_2.html
http://58807828.at.webry.info/201001/article_3.html
http://58807828.at.webry.info/201001/article_4.html

PS 「いや夫」は我ながら暇人&ネットモンスターですなあ。

いい加減消えろ池沼馬鹿夫

それで、君が紹介した文を素人が簡単に要約
すると、、「汝の意志の格率が、常に、同時に、
普遍的立法の原理として妥当し得るように行為
せよ。」は、「法に触れないように心がけよ。」

日本の宗教家の代表、親鸞、日蓮や一休、等々は私腹を肥やしている事実はない。共に万人をどうしたら救えるかを希求していった偉人なのだ。
この会長の現実を見よ!
名古屋市長の河村は、庶民の生活をしなければ庶民の気持ちはわからない、として、自ら低家賃の家に居を構えた。会長はこの政治家より劣る人間である。数億、数十億の資産を我が物とする金の亡者である。早く目を覚ましなさい。

「正気を取り戻せ」くんへ

 ハンドルネームを固定してね。(鉄槌くん?)
君のために、我がブログで反論しておくので、「いや夫」が正気を取り戻せるように、説明してください。すでに答えたことばかりなので、ここには引用を控えます。

http://58807828.at.webry.info/201001/article_8.html

低能は低能らしく、日本史や宗教史を学びなさい。
その後、私にレスしなさい。

・いや夫大先生は会の活動しない、実践と言いつつ支援者。実践せずに倫理を語る?実践倫理宏正会語れる。論戦相手に実践経歴を聞きながら毎日の実践話。投稿時間を見ても推測される。
宗教家を非難する前に、会の教育システムを指摘しては?倫理実践できるレベルに到達していない人が布教するから問題が起こる。古来の宗教では、大学もあれば、寒行もある。まず、自分が悟りを開いてから布教。
・今までの書き込みも、外野で支援者である以上、毒舌にすぎない。会からも一人よがりと判断されるかもしれない。
・同一者の書き込み投稿者を最初に捜しはじめたのは「いや夫」大先生ですよね?
・他人には、正体をあかせとしながら、プロフィールでは「ぱぱ」。平塚支部のかたですね。いや夫様=ブログ立て者と夫婦+反対派家族?
虚無僧一路 ヌォォオオ!!!!! 目覚めたら巨チンってぉぃ なんぞコレおもしろ!!!! ハゲプレイwwwww ボチボチでんなー!! オートマすぎるwwwww >ててティッシュ!!!!!! ぴょぷしゃーーー!!!!! すんげえーマヌコ!!!! すんげえーマヌコ!!!! あちゃ!おちゃ!うりゃ! ワタシハ神ダ 40歳真っ黒チンボ ぶっ飛びすぎwwwwww 生・・・・・・wwwww やらねー奴バカだろ(^^; こめしわふぁだふぁああん tu4●@rainbow.plala.or.jp これなんて魔法?www まぁ・・・!!!!! くらっちんぐ!!!! ふぇあっだぁおおおおあwww 楽してなんぼ!!!!!! ちょwwwwwwww マグローニャ  パイが世界を救う日 よーちよちよちよち!!!! だしゃーし!!!!!! じゃぶぁー!!!! これはいい使い捨てwwwww マヌコのような口 ケースバイケースwwww 執事は儲かりまんなーwwww ビー!ビー!ビー! ぴゃーふwwwww パヤッパーヽ(´ー`)ノ ふぇじょーーーあwwww フェラチオうまうま病 アッヒャァイイイハホwwww ユー、やっちゃいなYO! 俺なんかが売れたーよ こあぁぱおっふwww ピュワァーっっっっちゅwww さくら おたんこなす 実践倫理宏正会ウォッチャー しもも 大砲 前●●太郎 うえひろさぶらふ 倫理日誌 平塚支部です SATOKO  違いましたら陳謝します。ご家族のブログ?

万人布教主義のメリット・デメリット

 実践倫理宏正会は、万人布教主義をとっている。
メリット
 ・普及者が多く、たくさんの人によびかけることができる。
 ・普及を通して、自分を磨くことができる。

デメリット
 ・ひょっとしたら、失礼な人が普及をしているかもしれない。

 このデメリットについては、2ちゃんねるの中で誇張をされている。たとえば、例の「否会友」はさんざん朝起会の負の情報を吸収し、悪口を書きまくっていた。その彼女が、初めて頒布を受けたときの様子を語った投稿は、下記のようなものである。

 2ちゃんねる 実践倫理宏正会 過去スレパート3 よりhttp://life.2ch.net/psy/kako/1002/10028/1002812544.html


(引用開始)
41 名前: 否会友 投稿日: 02/02/04 23:03
知りたがりさんへ。

なるほど、そういう事なのですね。
でも匿名でHPを作っていらっしゃる方も結構いるから、(無料HP作成などで)
せっかくなのだから、インターネットですらこの会に関しては全く情報の少ない中、
もし知りたがりさんがこの会の分だけ匿名で作ろうかなって気になったなら
私は惜しみなく協力したいと思っています。(具体的にどうするんだ)

さて、今日のお昼ちょっと前、初めてです、産まれて初めて、
この会の人が訪問してきました。
「○○と申します、倫風と言う倫理の勉強会の本のご紹介に・・・」
「結構です」

これで終わりました。ビックリしました。(どっちが)
しつこい人ではなかったのでそこで終わりましたが
殆どの方はこんなにさらっとは話しが終わらないんでしょうね。
(私の言い方がきついっていうのもあるけど)
今度また来たら、姑の話しでもしてみようかな。
(引用終了)

 というように、実際にはさわやかな頒布が行われているのである。「否会友」の投稿を読めば、彼女がどんなに無礼な人物が想像がつくが、訪問した会友さんは、さわやかだったようだ。

 以上のように、頒布が失礼なケースはごくごく限られるはずである。少なくとも、「否会友」や「鉄槌」ほど、人間性が劣っている会友は、ほとんどいないだろう。

 なお、鉄槌は、
(引用開始)
倫理実践できるレベルに到達していない人が布教するから問題が起こる。古来の宗教では、大学もあれば、寒行もある。まず、自分が悟りを開いてから布教。
(引用終了)

 と言っているが、毎朝の集い自体が修業であり、頒布も修業である。「悟りを開いてから」とか気楽に凡人は書くが、悟りを開いた人間は、日本に何人いるのだ?仏陀クラスが何十年もかけて悟りを開くのだ。できもしないことを気楽に書くな。

 ちなみに、実践倫理宏正会の「悟り」の具体例が、「朝の五つの誓い」である。

(引用開始)
今日一日 三つの恩(親の恩・師の恩・社会の恩)を忘れず 喜んで進んではたらきます
今日一日 人の悪をいわず 己の善を語りません
今日一日 気付いたことは 身がるに直ぐ行います
今日一日 腹を立てず 不足の思いをいたしません
今日一日 三つの無駄(物の無駄・時の無駄・心の無駄)を排し 新しく大地に生き貫きます
(引用終了)

 以上の誓いを守れているちゃねらーは一人もいないと断言できるだろう。

肯定派の方々へ

 実践者はネットの悪口など気にしてないので、お目にかかることもないとは思いますが、ここを訪れた肯定派の方にとっては、「いや夫」がいちいち鉄槌みたいのに関わっていることに、眉をひそめていることでしょう。
 「いや夫」も変な奴にからまれちゃったと思っていたのですが、2ちゃんねるを分析するうち、鉄槌こそが、否定派の中心だということがわかりました。
 2ちゃんねるでおよそ1万5千件位の悪口が書かれていますが、その10分の1以上は、「鉄槌」が書いたものです。そのうち、我がブログにて、彼or彼女の分析もしていくつもりです。

 眉をひそめている肯定派の方は、「鉄槌」や「そのなりすまし」の投稿と、そして、それにいちいち反応ししている「いや夫」もネットゴラムの投稿として、読み飛ばしてください。

おまえ、人のHP荒らさんで、自分のHPで活動しろよw
おまえの話なんか、肯定派の馬鹿しか読んでいねぇ~んだからww

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1163902555/501 名前:名無しさん@HOME[sage] 投稿日:2009/10/20(火) 12:59:37 O
今年はじめ、子育ての勉強会があるからということで訪ねてこられて、その後何回か来たんですが、ある日責任者という人も付いてきて玄関先に上がり込まれ、ほぼ強制的な流れで入会書をかかされました。
その後子育ての勉強会や新入会者の集い、朝起き会など、誘われるとなかなか断れずに何度も参加しています。
でもこれ以上いくと頒布もやらないといけなくなったり、お金も払わされるようになるんですよね。
最近は色々と矛盾や宗教臭さも感じるようになってきました。
うまく縁を切る方法ないかなあ

虚無僧一路様

おめでとうございます。お正月から、懐かしいお人に出会ったような気が致します。ご健在であられるどころか、益々その実を挙げられておられますことご同慶の至りです。
いつも「実践に尽きる」というあなたの生き様のようなものに接し、それは宗教的な基盤をお持ちだからと勝手に解釈して、こころのよりどころとさせていただいております。
どうか本年もまたご心境をおきかせいただけると、あり難いです。

いや夫様

縦横無尽のご活躍ご苦労様です。一人でも正論をはいていくことが、事態の改善につながるというお気持ちには感服いたしております。
以前、わたくしは別のハンドルネームで、2ちゃんねるで四苦八苦した経験があります。こちらのサイトにおいてもそうなんですが、テーマ毎にハンドルを替えましたので、結果多数のハンドル保持者となり、いま思い返すと、あなたの言われるように、実際の討論者の数はずっと少ないということは極めて正しいと思います。
いずれに致しましても、今は、Going my way. といいますか、自然体の発言でいきたいと思います。
なお、私自身は「作る会」の会員ではありません。ここは一時期極めて低レベルないさかいを繰り返し、多くの人が離れました。その連中が同じくたもとを分かった八木秀次氏を中心に道徳教科書作りを目指しています。
あなたがあのひとびとのなかの一派がお好きでないと言われて、面白いと思っています。じつは道徳教科書を作るんだからと、その方面に賛同者(寄付)を働きかけたとき、栄治師にはきっぱりと断られ、倫研の秋山師にはご賛同を得て、発起人のひとりになってもらっております。
宏正会の考え方は、先師以来ガチガチの保守主義ではなく、なんというかいまの民主党的なところがありました。MoralがIsmに走ってはいけないといつも思っていますが面白いですね。

レイモンドさまへ

 「新しい歴史教科書をつくる会」に関する「いや夫」のコメントは、無礼ですね。おかげで、下記のような

(引用開始)
国家主義者は今すぐ死になさい!
これは命令だ!

投稿 ダイヤモンド槌 | 2010.01.01 12:35 午前

「新しい歴史教科書をつくる会」は基地外の集まりです。これは疑いようもありません。
この会に賛同する人間が、朝起き会に集っています。将に基地外団体ですww

投稿 鉄槌 | 2010.01.01 12:39 午前

(引用終了)

無知蒙昧な者による批判も行われ、気分を害されたことと思います。
 それにも関わらず、極めて穏便なご回答ありがとうございます。
「鉄槌」のようなネットおたくは、すぐに民族主義に走ったり、逆に戦争で戦った祖先を加害者扱いしたり、極端すぎます。すぐにだまされる人たちです。
 それで、「新しい歴史教科書をつくる会」などの活動も行われたのでしょうね。何事も、まずは深く知ることが大切ですね。イメージだけで批判をしていては、いけないのだと、「いや夫」も自戒いたします。

 「鉄槌」のような人間が少しでも減るよう、宏正会や新しい道徳教科書をつくる動きがあるのでしょう。いずれも日本の将来のために有用な活動だと感じます。

無知蒙昧な馬鹿はおまえのことだろww
寝言は寝て言えよww低能君ww

508 名前:広○県東○島市に実在[] 投稿日:2010/01/07(木) 21:26:00 0
近所に小学校の教員(女)で熱狂的な会員がいる。
娘同士が同級生なので何度かウチにやって来た。
「今みたいな訳が分からない世の中だから
親がしっかり勉強して子供を躾けないといけないの!」
好き勝手な能書きをタレ、鶴の表紙の小冊子を置いて帰って行った。
クラス担任であることを利用し受け持ち児童の家を訪問し母親を勧誘。
子供の担任だから・・・と断れずに入会させられた母親が多数存在。
旦那は婿養子で平日の昼間にパチンコ三昧
娘は大学進学を機に一人暮らしを始めたが、それまでの厳しい躾けの反動が爆発し
男、酒、タバコに溺れる日々・・・
実に素晴らしい教えだwww

 鉄槌は、しつこいですねえ。
嘘ばかりつく人だから、何も信用できないけれど、最初のプロフィールがもし正しいとすると、母親がアムウェイの幹部でもある元会友にだまされたことが、宏正会を恨む理由らしい。
 視野が狭くて困ります。
 マルチまがい商法のベテランなら、あらゆるネットワークを駆使して獲物を狙うわけで、宏正会をその手段としたんでしょう。「元」会友というのは、そういう理由だと思いますがねえ。
 「いや夫」も日本中の実践者も知らない、その「元」会友のせいで、実践倫理宏正会の悪口を書き連ねられても困ります。
 2ちゃんねるでも、このネタでず~~っと批判している鉄槌くんです。

 批判したいなら、相手の実名をフルネームで訴えればいいんじゃないの?その方が真実味があると思うけど?例によって創作かな?

レイモンドさまへ

 http://58807828.at.webry.info/201001/article_4.html
はお読みになりましたでしょうか?
このブログのスレ主「朝起き頑張りっ娘」さんが、ひょっとしたら批判派で、さらには、「太陽神」や「武蔵」なのではないかと、「いや夫」は疑っているのです。

 たとえば、ブログができたばかりの下記の投稿
(引用開始)
脱会したいのですが、、、させてくれません。てか入会した覚えすらない。法的手段をとるしかありません。詐欺ですね。

投稿 t | 2005.03.27 05:13 午前

以前京都方面の偉いとされる会友さんに、2000万円のお祝い金をしろと言われました。しないと身体を壊すと脅されました。この会って恐いところですね。会費も役職が付くと万単位で払わされていました。今は無理矢理脱会できましたが。この会は、どういう会なんでしょうか?洗脳??????P○教と大本は一緒と聞いたこともあります。謎です。

投稿 kyo | 2005.04.06 05:53 午後

「お祝い金」100万請求され、
断ると、「癌」になる、と脅迫されました。
これって「倫理」なんでしょうか。

ここを立ち上げた貴女、説明できる?

投稿 被害者 | 2005.05.17 09:25 午前

団体に属す限り数字としてみられる。政界の票確保ですな

投稿 アーメン | 2005.10.19 01:54 午前
(引用終了)
 
 などは、いかにも「否会友」や「鉄槌」が打ちそうな投稿です。また、これらの投稿によって、スレ主さんがびびって、以後投稿できなくなるというカモフラージュの役目をはたしているような気もします。

 「いや夫」は疑い深いので、そんな予想をします。
レイモンドさんは、2ちゃんねるでも戦っていた訳ですから、2ちゃんねるとこのブログとの結びつきで気づいた点などはないのでしょうか?

鉄槌へ

 2ちゃんねるで、実践倫理宏正会を知るための本として紹介されていた
『情報化社会における神々の再生 現代日本の新宗教』沼田健哉著を読みました。
いい本を紹介してくれてありがとう。宏正会の良さを客観的に述べた良書です。否定派と肯定派の両方がおすすめするこの本を皆様にもおすすめします。図書館で借りて読んでください。

 さて、この本の中で、「創価学会」について解説したページに、気になる文がありました。P169より
(引用開始)
 本門の戒壇とは、一国の総意をもって本尊を祀る道場を建てることを意味し、国立戒壇とは、本来的には天皇・将軍が法華経に帰依して、日蓮正宗を国教にするということを意味している。
 次に、牧口の価値論とは、人生の目的は幸福の追求にあり、幸福の追求とは価値の創造であるという主張である。彼は、新カント派の真善美の価値説の影響を受けつつ、そこから真を除いて利を入れ、美利善の三段階の価値体系を提示する。・・・
(引用終了)

 君が「カント」にこだわる理由はこれなの?
君はそちらの方で、宏正会攻撃(折伏)担当なのかな?

いや夫様

ご明示くださったURLで、ブログを拝見しました。いやはや考察力を働かせて、各方面からの推論はたいしたものですね。
2ちゃんねるをやっていましたときは、暗やみから機関銃を打たれているといった感じで、わたし自身相当のエネルギーを消耗していたように思います。それで、匿名でただただ他人を中傷する2ちゃんねるそのものが、教育上よろしくないという結論にいき着き、警視庁の係りと宏正会本部ともやりあいました。警視庁の言い分は、これを強制的に排除すると、必ず言論の自由を掲げて政治問題化してくる筋がいることと、秋葉原事件のときであったので、とても人員が足りないの言い訳に終始しました。宏正会本部は、「相手にせず」と、まことに見事に対応されました。
私見としては、自分は名乗らず人を中傷する卑怯な若者を生みだしたのは、戦後教育の欠陥と慨嘆しております、武士道では双方が名乗り終わるまで刀を抜かないのが絶対の掟でありました。
先月産経紙上で、2ちゃんの西村博之氏と勝間和代氏が、「ネット匿名・実名」論議を繰り広げておられましたが、勝間氏は「無責任を避けるため実名論」を、西村氏は「匿名の方が、相手の意見を踏まえて発言している」と匿名擁護で譲らず、行司役のある教授はネットコミュニケーション(マナー)教育の不足を嘆いていました。
ま、このスレは、とにもかくにも皆様ハンドルをつけておられますので、2ちゃんの「名無しさん」と「実名」派の中間で次善の策かと思っております。
なお、「武蔵・太陽神」様が「東経」を見破ったことは、わたしが彼等を同一人物だと言ったのと同じで、ふみ使いと修辞法で分かったものでIPアドレスではないと思います。「武蔵・太陽神」様は、敵ながら大変知性と教養の高いお方でちゃねらーではないと思います。

レイモンドさまへ

 2ちゃんねるは諸悪の根源だと思っております。世間では、現在でも長幼の序や敬語が大切なことは変わりないと思います。第三次産業中心の社会へ移行していく日本では、その重要性は今まで以上に増しているとさえ思います。
 しかし、2ちゃんねるは、匿名をよいことに、人間の愚かな部分をさらけ出してしまいました。こんな世界を知って育った若者が、長幼の序や敬語を身につけられるはずはありません。ネットなど発明されなければよかったのにとさえ思います。
 とはいえ、情報化社会の今となっては、仕方のないことですね。ちゃねらーには腹が立つことも多いですが、悪口ばかり書いている人間は、それなりの人生しか歩むことはできないのでしょう。身から出たさびで、仕方のないことだと思います。 「いや夫」も同じようにネットゴラム化してしまわないように留意します。

 我がブログを読んでいただきありがとうございました。 「太陽神&武蔵」氏と「鉄槌」氏では、知的レベルが全く違うようなので、「いや夫」も別人だと思っています。(演技で使い分けているなら、さらに手強いですが・・・。)
 結局、太陽神は、もう登場しないのでしょうかねえ?

私のコテハンでググってくれた方が居られましたら、ようこそです。。。

どうやら、様々な方面から、逆演繹して憶測したことですが…

一言で云えば、国家に反逆す個人を集めた集団(GANG)であると断じて良いでしょう。
朝起会で掲げられている日章旗は、単に、暴走族や右翼が掲げる旭日畑と代わりはありません。
同時に、「反逆」の旨を裏返した象徴であり、また、その旨は、教義ではなく「言動」に現れていると考えて良いでしょう。

以上

・仏壇の前で手を合わせるのも、朝晩行うというのは鍛錬です。集団で集まるより、個人の意思が左右されます。
・{いや夫}大先生が肯定派であるなら、倫理の実践をしないのも不思議、特別な集会には出られているようですが、本の布教、会員拡大、金銭の寄付をなぜしない。この三つが、この会にとって最大の幸運を招く事。
・いや夫様=ブログ立て者と夫婦+反対派家族?
虚無僧一路 実践倫理宏正会ウォッチャー しもも 大砲 うえひろさぶらふ さくら 倫理日誌 平塚支部です その他は同一ユーザーからの発信。{HTMLは、非公開情報ではなく、そこからの検索結果}多重人格者?それとも匿名性を利用したブログ投稿者?(後者だと思われます)
・会員が布教するデメリットを教えます。
 この会では、会員=営業マン。つまり、商品のよさ、営業マンとしての資質・道徳を身に着けないまま、ノルマだけ自己申告で押し付け社会に放り出すのです。教えを身に着けないまま、会の恥をさらすわけです。
・また、[いや夫]大先生は、高学歴で、見聞も高い方が、なぜ実践しないのでしょう。反倫理力が発生し不幸になりますよ。
引用開始
 ちなみに、実践倫理宏正会の「悟り」の具体例が、「朝の五つの誓い」である。
引用終了

悟りを開けないから禊の時間があるのでしょう。
でも、人間って我侭な動物です。権力を持ち、財力も持ちたい。であるなら、上級幹部も毎日四時には集う事を勧めます。


竿も玉もア○ルも全部隅々まで見られてガマン汁ドクドクっすよヽ( ´ー`)ノ
オマ○コたっぷり見るのもいいけど、見せる方にハマリそう(笑)
http://kuri.backblack.net/rbs9ywb/

 実践倫理宏正会は、「いや夫」ごときの非人格者が実践できるほど楽ちんな会ではありません。
 「人の悪を言わず 己の善を語りません」でさえ、守れない人間ばかりですよ、「いや夫」も否定派も。
 「毎朝朝起会に集う」のがどんなに大変なことか想像できる?「いや夫」には無理。
そうやって自己を磨くためにがんばっている会友を、そんな修行もできるはずのない「へたれ」たちが批判しているから、「いや夫」が反論しているだけです。
 実践はできないけど、会の教えには賛同して、擁護しています。縁あって、このブログを読んだ方も、否定派の悪口を鵜呑みにせず、会の良さを知ってください。「倫風」を読むだけの会友でも有りだと思います。すそ野の広い会であってほしいと思います。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200909/article_21.html


 これって、どういう風にしたら実証できるのか、説明してちょ?
(引用開始)
・いや夫様=ブログ立て者と夫婦+反対派家族?
虚無僧一路 実践倫理宏正会ウォッチャー しもも 大砲 うえひろさぶらふ さくら 倫理日誌 平塚支部です その他は同一ユーザーからの発信。{HTMLは、非公開情報ではなく、そこからの検索結果}多重人格者?それとも匿名性を利用したブログ投稿者?(後者だと思われます)
(引用終了)

 「ソース」を見るとかってやつ?何もわからないと思うけどねえ。リンクも全然違うじゃん。
書いた以上は、説明責任を果たして。
君ら、本当に嘘ばっかだねえ。

ぉい!馬鹿夫!先の日曜日も朝起き会終了後、班で飯食って、7:30頃帰ってきたぞ!!!

儒教の倫理では、当然、自分が飯を食う前に主人に飯を食わせる。これが当たり前だ。

おまえら、頭が狂ってるのか?(www

正気を取り戻せ(鉄槌)へ

 我が家では、ちゃんと朝ご飯を作ってくれるぞ。
個々の家庭の問題だろ。
自分のおかあちゃんに文句を言いなさい。
(いつも嘘ばかり書いているから、本当かどうかわかったものではないが・・・。)

 君の母は、アムウェイのごたごたで止めたんじゃなかったのかい?

馬鹿夫君、ちみは馬鹿かね?(w
俺が母親と一緒に暮らしてるわけねぇ~だろw
おまえは俺より年下だ。礼儀を弁えろ。

会の後、自分らだけ食事したことは事実だ。事実までも捻じ曲げようとする馬鹿夫w

お前のところでやってないということになると、全国的に規律が徹底されてない証左となるなw
碌でもない団体だから統率も取れるはずもなくwww

「正気を取り戻せ」は「鉄槌」だろ?
違うの?ややこしいね、君は。とほほだよ。

「大人」なのに、そんな文章しか書けないの?
武蔵くんレベルじゃなくて残念です。

朝食を作るのが「規律」なの?ふ~ん。

 ちなみに、家事は、母親として当然の役割です。
それができていないのは本末転倒だから、君の妻か母親かおばあちゃんか知らないが、まちがいを指摘しなさい。宏正会の責任などではなく、君の家庭の問題です。

 自分の家庭のことで、いちいち宏正会を批判しないで。いい迷惑です。

 また、たまのことなら、別にいいんじゃない?朝食位、自分で準備しなよ、いい大人なら。
君は、そうじゃなさそうだね。
早く自立しなさい。

 正直、君の相手をするのはうんざりです。君は正気のつもりかもしれないけど、ぜんぜん正気ではありません。
実践者が、君らを無視している気持ちがよ~くわかります。

 もっとレベルの高い討論をしましょうよ、「大人」なら。
(いちいち反応している「いや夫」は凡人です。)


http://feti.findeath.net/ds42blu/
ちょw ここに元カノがいるんだけど(´vωv`;)
一発セクったら3万出すとか何だよぉお!!!!!!
こんな金持ってんだったら別れなきゃ良かった・・・(´Д`)

>(いちいち反応している「いや夫」は凡人です。)

凡人でなく、馬鹿ですw

おまえは、文字が読めない文盲なのかww

班で飯食ったんだから、俺の家庭の問題ではないだろww

この支部がこの行為を認めたってことだw

文章読解力もない低能は今すぐ死ねよwww

正気を取り戻せ(=鉄槌)は、「いや夫」より賢いそうです。
はい、それで結構です。
君とはレベルが合わないので、低脳の「いや夫」になんか構わないでください。
高レベルの2ちゃんねるでがんばってください(笑)。
ともかく、私は君を一切無視します。
さようなら。

馬鹿が反論できなくて、尻尾巻いて逃げてったww

「正気を取り戻せ」ない鉄槌へ

 君にはかないません。尻尾を巻いて逃げることにします。だから、構わないで。
http://58807828.at.webry.info/201001/article_17.html

 『現代日本の新宗教』という本で、現代社会の家族の問題に、宏正会や新宗教がどのような解決方法を見いだしているかがまとまっています。
http://58807828.at.webry.info/201001/article_15.html

 結論から言えば、夫をたてる良妻賢母が望ましいということです。

 宏正会は、「夫婦愛和」をモットーとしていますが、最近の女性は、勝間和代女史に代表されるように、男と対等以上の関係になることを目指しすぎているように思います。
 社会でハンデを背負っている女性の立場には同情しますが、それを家庭に持ち込んでしまえば、夫とうまくいくわけがありません。「二兎を追う者は一兎をも得ず」となるのは必然でしょう。
 輝く女性の星勝間和代女史がバツ2なのが、それを証明しています。

 それに対して、宏正会で実践している女性は、夫を立てることに何の抵抗もありません。夫も、それに甘んじることなく、妻の信頼に応えようとし、妻をいっそう愛することができます。長幼の序として、男が先、女が後とした方が、何事もうまくいくことを会友はわかっているのです。夫は機関車で、妻は客車とのたとえだそうです。これが逆では困りますね。

 そんな単純な倫理もわからず、「夫をたてる」=男尊女卑だと決めつける女性がいることは、なげかわしいことです。(今は、機関車なんて走っていませんからねえ。電車は、どの客車にも動力がそなわっているので、順番なんて関係ないということなのでしょう。平等とかいいながら、自分が前に行きたいだけのような気もしますが・・・。)


 勝間和代女史と対照的な生き方をしている女性として、山口百恵さんがいます。(着うたで配信されるようになったというニュースをみて思い出しました。)芸能界という華やかな舞台を捨て、子育てに幸せを見いだした方です。彼女が専業主婦に専念してくれるおかげで、夫の三浦友和氏は、俳優として活躍しています。(『沈まぬ太陽』で助演男優賞をとりました。)

 キャリアウーマンを目指して家庭が不幸になるより、山口百恵さんのような生き方を目指してはいかがでしょうか?

(以下、例によって
鉄槌=現在は正気を取り戻せ!
が悪態をつきますが、「いや夫」はもう反応しないことに決めました。「いや夫」も少しだけ成長することにします。)

また、我慢できずに書き込む馬鹿夫ww

いや夫様

言い忘れておりました、あなたから上の方のスレで「武蔵・太陽神」様が、「月の女神」は私ではないかと指摘されたのは、当たっているかとのご質問がありましたが、まさしく当たっています。
「東経」も「月の女神」も見破られております。しかし同氏がわたしを忌避される以前に、やり取りをしていたとき、その知的レベルの高さに驚いておりましたので、この見破られたときも、はなしの論旨から見破ったのだなと納得し、それ以上のものではないと思っておりました。
さて、わたしのまわりの古参会員とくに女性の古参に、聞いたところでは、「わたしは当然家族全員を会員にしています」とか、「この会のお陰で、ほんとにうまくゆき、そんなときは、感謝の気持ちでお祝い金を出します」と、10万単位で出していると率直に言われます。
つまり、反対派のいうようなことも、全くのゼロではなく1%にも満たない一握りなのですが、へんな人がいるのは確かだと思います。
そのひとかけらのことを針小棒大に書き込み、ネットの大半が反対派なので自己増殖し、宏正会の悪印象のみが喧伝されているのだと思っております。
「武蔵・太陽神」様もそれ等を信じて会長罪悪論を吹聴しておられるわけで、たった1%にも満たないことをも、会長の責任というのならばそれまでですが、かの極東軍事裁判の判事のなかにでも、天皇の戦争責任を言ったひともおり、逆にA級戦犯も含め全員無罪を主張した判事もいるのですから、そんなことは各人の思想に属することにて、いってもせんないことだと思います。
「こんなスレッドなどない方がましだ」といわれる、あなたのご意見に心から賛同致します。

レイモンド様

 世の中には、いろいろな人がいて、いろいろな考え方があって当然ですね。お祝い金を喜んで払う会友もいれば、絶対嫌だという会友もいるのでしょう。それでよいと思います。宏正会が大きくなっていく過程では、それなりの資金も必要だったのでしょう。お祝い金などのお金も、そのためにいかされ、それを喜びとしていた会友さんもいるのだと思います。自分がそうだったから、目下の人にも当然のこととしてすすめるのでしょうね。
 お金にうるさい否定派が、そんなところを突いてくるのも当然なのかもしれません。宗教色を極力のぞいたのが宏正会のスタンスですが、その一方で、倫理修養団体として、がちがちに生活を縛るだけでは、なかなか会友も満足しないのでしょう。庶民は、おまじないや占いが大好きですから。結婚式は大安がいいに決まっていますし、厄年になったら、厄払いをするのが常識です。宏正会を生活の指針としている会友にとって、お祝い金や倍加は、家内安全の願掛けや厄払いの役割を果たしてきたのではないかと、「いや夫」なりに解釈しています。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

 2ちゃんねるや一時期のこのブログでも否定派がさんざん騒いできましたが、会友は、それほど気にもとめていませんね。朝起会をきっかけにして、幸せな人生を歩んでいる人の方が圧倒的に多いのですから。「いや夫」の知る会友の皆さんもまさにそうです。否定派の指摘は、針小棒大だと「いや夫」も思います。「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」からネタをひろってきては、いかにも自分が体験したことのように書き込みをし、増殖させるのですから。

 もっとも、「いや夫」は、このブログで否定派に対して一矢を報いることができたので、もうすでにかなり満足しています。また、否定派が騒いでいても、「ふ~ん、そういう風に考えるんだ~」という感じです。悪口も出尽くしていて、同じような話を何度もリピートしているだけですし・・・。

 そもそも、ネット上で評判がすこぶるよい修養団体や新宗教が存在することなど不可能ですので、そう気にする必要もないと思います。せめて、このブログを読んだ方の一部でも、ネットだけで物事の真偽などわかるはずがないことに気づいていただければ幸いです。
 

レイモンド よ!

天皇に戦争責任があるのは当然だろ!
馬鹿も休み休み言えよw
これは思想の問題でなく、明治憲法の問題,
法の問題なのである。

この会の信奉者は、国家主義的であり、戦前の天皇も肯定的に考える人間ばかりだ。

このことは、ギリシャ哲学や西欧民主主義思想を学んでないから、日本しか見ていない近視眼的思想に留まっているから、そのような利己主義的国家主義思想に寄り掛かるのだろう。

世界の思想を学んだ方がいいよw

いや夫様

いやはや、まじないと占いでお祝い金と倍加を解釈されたのは、このスレ広しといえどもあなたが初めてですね、言いえて妙というべきです。
「武蔵・太陽神」様との論争中にも言いましたが、わたしは宏正会を「第二宗教」という概念でくくってもよいとしています。栄治師はわが会が、宗教ではないということを、「信仰対象も拝殿もない」という事実で説明しておられ、宗教でないことは明瞭です。わたしの意見は、われら全てが、もっと宇宙の根源にあるところの、「大自然の摂理」を信奉して日々行じていることを指して第二宗教としています。
また、会を宗教だと言いはやして非難する筋も多々見受けることからそれらを封ずる意味もあります。武蔵様も、レイモンドがそう思うのだったら、学会で論じてくれとか言われ論争は終りました、これとて学問的な、categorizationの域をでるものではありません。

まずは、「宗教」という語を辞書で引きましょうw
「第二宗教」などと勝手な定義づけはやめましょうw

レイモンド様へ

 武蔵氏は、下記のように書きましたね。
(引用開始)
貴殿は「第二宗教」というものを宗教ではないとし この範疇に属する「ひとのみち教団」「宏正会」を宗教でないとするが その根拠は全く乏しい。
小生は「儒教」は宗教ではないと思っている。「第二宗教」のように自分の説の根拠・拠り所を他に求めずに 孔子はあくまで自分の考えとして自らの説を述べているからである。
「宏正会」は 「徳光教」「ひとのみち教団」「倫理研究所」という教えの流れにおいて成立したとされている。そして最も根元の「徳光教」をおこした金田徳光は元々は真言宗を修行していたとされている。
徳光は 洗練された空海の大日如来という信仰の以前に立ち返り、素朴な原始宗教にも似た 人間を超えた大いなる存在を認めそれを「大元霊」としたものであろう。
宗教学者は 挙って宏正会を宗教団体としている。多くの者もそのように思っている。それを否定するにはもっと明確な根拠が必要であろう。貴殿の説明では全くその根拠となっていないように思える。

投稿 武蔵 | 2009.07.07 04:26 午後
(引用終了)

 彼は何でも断言しますが、あまり真に受けてはいけません。すべてネットで仕込んだ知識と思ってまちがいないでしょう。
 「いや夫」が武蔵氏や鉄槌へ反論するときに使う資料も、かなりの部分はネットです。情報化社会ですから、何でも調べれば、それなりの文を打ててしまいます。だから、「いや夫」を含め、みんな偉そうです(笑)。
 しかし、しょせんは付け焼き刃ですので、すぐにぼろが出てきます。レイモンド様は、武蔵氏を高く評価していますが、「いや夫」の評価は違います。ネットで何でもわかったつもりのちゃねらーの典型であり、「ウィキペディアちゃん」です。学術書なんて読んでいないのです。

 『新宗教辞典』弘文堂でも、 『現代の新宗教』沼田健哉著でも、実践倫理宏正会は、新宗教に分類されていません。新宗教教団である「ひとのみち」から派生した修養団体として扱われています。

 レイモンド様の、「ひとのみち」が第二宗教に分類されるという論は、「いや夫」も否定します。「ひとのみち」は宗教団体です。

 そして、その教えから宗教色を極力除き、修養団体として再編成したのが、実践倫理宏正会です。

 ちゃねらーのいうことを、鵜呑みにしてはいけません。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200912/article_24.html
http://58807828.at.webry.info/201001/article_19.html

馬鹿じゃね?儒教も宗教だよw

いや夫様

(1)2009.7.5の書き込みで、わたしは純粋宗教として、キリスト教/ユダヤ教/回教/浄土真宗を例示し、第二宗教として、儒教/ひとのみち/全一統体(丸山敏雄)/宇宙絶対の理法(上廣哲彦)/大自然の摂理(上廣栄治)を例示しました。

(2)それに対し2009.7.7、武蔵様は、儒教は氏も宗教とは思わないとし、「宏正会」は、そもそも真言の行者金田徳光の「徳光教」に行き着くゆえ、多くの宗教学者はこぞって宗教としている、もしレイモンドが宗教でないと否定するのなら、より明確な根拠が必要といわれました。

(3)今回あなたは、『新宗教辞典』(弘文堂)でも、『現代の新宗教』(沼田健哉)でも「宏正会」が宗教に分類されておらず、ひとのみちから派生した修養団としてあつかわれている。自分としても、ひとのみちの宗教色を排したものが「宏正会」であるといわれております。

さて(1)に対し武蔵様は根拠を示せといわれましたが、第二宗教の定理は「何らかの帰依する客体をもち、精神的共同体意識をもつものの集まり」という一点において分類(categorize)したもので、わたしが創設したものゆえ他の出典を求めてもどこにもありません。武蔵様はこれに対しても、極めて賢明な反論を用意されましたが、他の理由で続けることが出来ず残念でした。
そして(2)の理由、即ちcategorizeをその生い立ち(歴史)に求めて宗教に分類する学者がいるというなら、論拠が明確ですから特に否定する理由はないと思います。
さてあなたのご意見(3)ですが、事実は全くおっしゃる通りです。ただ、この手の論戦で、辞書にないからということはあまり論拠として取り上げられません。あなたがおっしゃるように、ひとのみちが持っていた礼拝物や壮麗な拝殿を排して、修養に重きを置いているゆえ宗教ではないといえばその通りであります。
 ちなみに、「徳光教会教の栞」の教宣(宣言の意)に、「大元霊」を規定して、「神皇一体祖孫一心天人合一ノ大義」とありますが、なんだかよく分かりませんね~。

レイモンド様へ

 「いや夫」は、ひとのみち教団は宗教である
という見解です。
「教主が信徒の苦痛を身代わりして、信徒を救う」(「新宗教事典」P95より)などがあり、明らかに宗教的な行為です。

 レイモンド様は、「ひとのみち教団」も「実践倫理宏正会」も第二宗教としたために、武蔵氏に反論されました。
 「いや夫」は、「ひとのみち教団」とその直系の「PL教団」は宗教であり、「実践倫理宏正会」と「倫理研究所」は宗教団体ではないという意見です。これは、学者も認めていると思います。違うというのなら、その出典を明らかにしないといけません。武蔵氏は、それができない。なぜなら、本も学術書も読まない、一ちゃねらーに過ぎないからです。

 宏正会が宗教だと思って活動している会友などいないでしょう。そんな宗教組織があるはずがない。

 宗教組織は、他宗が邪魔で仕方がないから、すぐに攻撃をします。
 新宗教をカルト扱いして追求するサイトや組織がありますが、その裏をさぐると、何のことはない、他の宗教組織だったりするのです。
 マインドコントロール理論を広めた「脱カルト教会」の正体も、日本カトリック教会そのものなのです。
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_17.html


 実践倫理宏正会の立場は、
宗教組織のそういう不毛な争いはおろかである。
会友が他の宗教を信仰してもいっこうに構わない。
です。そんな宗教組織があるわけないのです。

 鉄槌がこんなにしつこいのは、他の宗教組織なのかなあなどと予想しています。

馬鹿夫はスルーも出来ない池沼野郎ww
おまえは俺のレスに対して、一切構うな。穢れる。
哲学を学んだ奴は、そうそうと宗教なんぞに
騙される人間はいないのだよww>馬鹿夫君ww


それはその一学者の論であって、他の学者も賛同している
ものでもないし、定説でもない。


そもそも、修養団体ならば、法人の利益は後回しにし、
人間そのものを啓蒙していくには、必要最低限の経費を
会友から捻出できれば良いのである。
各地の倫理会館の豪華さは誰の目にも明らかであろう。
また、最近、会誌を\100から\300に値上げしている。
家族に、3冊もの会誌の買取を要求。単行本も月に一冊購入している。
金儲けでなく何なのか?

会誌の見開きにある、会長のふんぞり返った写真。
あれは、暗に会長への忠誠心を鼓舞するものと看做すことができる。肖像や偶像を全面に出す宗教の末路は知れたものであるww

訂正
「日本カトリック教会」ではなく、「日本基督教団」でした。

ちなみに、先に紹介した
<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_17.html
の記事を書いた人物(=愚息)が誰だか、皆さんはお気づきでしょうか?

 答えは、「鉄槌」(高塚地蔵尊、究明団、ボケ老人、正気を取り戻せetcでもある)でしょう。まったく同一のプロフィールですから。

 今回は、実践倫理宏正会とはまったく関係のない投稿です。

 小沢問題は、日本人がマスコミによっていかに洗脳されてきたかを物語る事件です。
 マスゴミの連日の報道によって、小沢氏が悪人よばわりされ、追い詰められようとしています。
 しかし、真実はまったく違います。

 「いや夫」は、そもそも宏正会の肯定派というよりは、日本人の洗脳を解くことの方に生き甲斐を感じている人間です。

 一時討論は休戦して、否定派も肯定派も、日本の裏の世界について知ってください。
 
 関係ない記事(日本人なら関係あると「いや夫」は思っています)を載せてすいません。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/201001/article_27.html

>>422  
「いや夫」をネットにも炙り出してはどうかな。
「いや夫」を特定するには まず彼の奥さんを見つけ出すのが先決。
あの夫婦は東海地区(愛知 静岡 岐阜 三重)の或る会場に集っているようなので
東海地区の各会場の二世である若手の婦人会員をまず挙げる必要がある。
二世会員であるかどうかは演壇などですぐに分かるはず。各会場に数人ほどいるのでは。
この婦人会員が彼の奥さんの候補。
そして演壇などで「主人がネットに嵌って困っている」といったような話が出た人が
彼の奥さんに間違いがない。
そして増強日などに朝起会に姿を見せている彼女の主人が「いや夫」本人そのもの。
あの夫婦を知っている会員やあの夫婦が集っている会場の会員なら誰でも見当がつくはず。
「いや夫」のブログを丹念に読めば 特定するのにもっと有力な情報があるかも知れない。 

>それができない。なぜなら、本も学術書も読まな
>い、一ちゃねらーに過ぎないからです。

で、おまえは、それらを読んでも理解できない低能
ってことだなww

723 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2010/01/20(水) 13:18:46 ID:nvW5f7HW
「いや夫」さんは まだまだ学生気分が抜けていない子さま。
社会に出て奥さんもいるのに ネットにどっぷり漬かって意味の無い空想の世界に
遊んでいるのは 大人のする事ではありませんよ。
奥さんには「宏正会を擁護するため」とか言い訳をしているのでしょうけど
やっている事はチャネラーと全く同じゃないですか。
チャネラーを批判しているようですけど それは以前のご自分の事を反省して
言っているのでしょう。いくら言い訳しても 分かりますよ。
それでも止められなくて 今は宏正会を材料に遊んでいる。全く反省なし。


あのー、三 角 木 馬が家にあるってどんだけっすか???
またがってクリこすりつけてアンアン言いながら勝手にイッたぞ(^^;
スゲーと思って見てただけなのに3万くれたしイミフすぎwwwwww
http://onaona.mogmog55.net/qf8fq22/

 今回も、実践倫理宏正会とはまったく関係のない投稿です。(鉄槌がくだらない投稿で埋めるので、再度、掘り起こします。)

 小沢問題は、日本人がマスコミによっていかに洗脳されてきたかを物語る事件です。
 マスゴミの連日の報道によって、小沢氏が悪人よばわりされ、追い詰められようとしています。
 2ちゃんねるでは反小沢ムードが高まっています。植草一秀氏がえん罪で逮捕されたときも、一番おもしろがって揶揄していたのが、ちゃねらーです。「マスゴミ」とか呼びながら、一番洗脳されやすい愚かな人々です。

 小沢氏の会見が真実です。秘書の住宅を提供するために、個人の資産を貸し付けた。秘書は、小沢氏が大金をもっていることを世間に知られたくなくて(自分たちのために貸してくれたのですから)、銀行からの融資によって購入したことにしたかった。だから、収支報告を次年度にずらした。以上終わり。
(悪質性はなく、こんなくだらないことで、現職の国会議員を拘留しているのです。検察の横暴です。)

 「いや夫」は、そもそも宏正会の肯定派というよりは、日本人の洗脳を解くことの方に生き甲斐を感じている人間です。

 一時討論は休戦して、否定派も肯定派も、日本の裏の世界について知ってください。
 
 関係ない記事(日本人なら関係あると「いや夫」は思っています)を載せてすいませんが、一人でも多くの人の目に触れるよう、再掲載しました。他の人にも、広めてください。)

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/201001/article_27.html

45年間平和に暮らしてきましたが、家族がバラバラになりました。オーム真理教でさえ私の家族には何も害を及ぼしませんでしたが、実践ナントカはそれ以上のカルトです。

家計から不明なお金がどんどん出て行き、ある日押し入れの天井から何箱もに一杯に詰め込まれた安っぽい冊子が出てきました。エホバの証人が置いていくような感じの湿っぽいオーラを発散している冊子です。

今は、家内とも離婚し、子供も別居し、相変わらず家内は全財産をつぎ込んで毎朝念仏唱えに通っているんだと思います。彼女が地獄に落ちようがどうしようが、それこそ自業自得ですが、私と子供たちの平和を壊していき、「奥様の自由な意思です」としれっと言いのける幹部らしきおばさんたちに鳥肌が立ちました。
カルトって、こんなに恐ろしいものだとは。
次に生まれてくるときには、決してこんなカルトに入信しない女性を生涯の伴侶にしたいと思います。

これを読んだ信者の方、あなた方がその人とその人の家族の人生に何も責任を取れないのに、おためごかしを言って、他人の人生に割りこまないでください。それは人のためでも世間のためでもなく、あなたの人生を汚す行い以外の何物でもありません。

自分が何を信じるかは、その人の想いでしょうが、決して他人の人生に土足で踏み込むようなことをしないでください。世界の平和でも人の倫でも何でも自分たちだけで一生懸命に祈っていてください。決して平和に生活している他人を巻き込まないでください。その人たちが平和でないとか幸せでないとかあなた方が思うのは思い上がり以外の何者でもないことを「倫理」を勉強されているあなたたちであれば容易に理解できるでしょう。


できないのが、彼らなんです。
馬鹿夫を代表としてw

信者の家族さま

(引用開始)
45年間平和に暮らしてきましたが、家族がバラバラになりました。(中略)家計から不明なお金がどんどん出て行き、ある日押し入れの天井から何箱もに一杯に詰め込まれた安っぽい冊子が出てきました。エホバの証人が置いていくような感じの湿っぽいオーラを発散している冊子です。(中略)
今は、家内とも離婚し、子供も別居し、相変わらず家内は全財産をつぎ込んで毎朝念仏唱えに通っているんだと思います。彼女が地獄に落ちようがどうしようが、それこそ自業自得ですが、私と子供たちの平和を壊していき、「奥様の自由な意思です」としれっと言いのける幹部らしきおばさんたちに鳥肌が立ちました。
(引用終了)

 以上の投稿より分析させていただきます。実践倫理宏正会をカルトよばわりされているようなので、肯定派しては、厳しめに判断しますが、ご容赦ください。

 まず、このケースはいわゆる「熟年離婚」だと思います。子供が独立するまでは平和に暮らしていたのですから、夫婦愛和ができていたのかどうかが問題だと思います。
 元奥様は、あなたに尽くしていたと思うのですが、違いますか?それは、宏正会の教えを実践していたのだと思います。それに対して、あなたは彼女をオウム真理教以上のカルトに没頭しているとバカにしてきたのでしょう。夫婦愛和は無理と判断されて、離婚に応じたのかもしれません。

 宏正会会友で幸せな家庭愛和を実現している家族は多く、肯定派は肯定派の立場で会の良さを訴えていくばかりです。

 あえて、今回のケースで、問題点を挙げるなら、夫に承諾を得ないで、お金をつぎ込むべきではない。夫に反対されてまで、宏正会に没頭すべきではない。まず、夫の了解を得ることが夫婦愛和の第一歩である。
 といったところでしょうね。実践倫理宏正会に関わりなくても、家庭愛和・夫婦愛和を実現できている家庭はたくさんあります。それでいいと思います。
 宏正会で実践していくためにも、まずは、その家庭愛和・夫婦愛和を実現することを第一の目標にしていただきたいと願います。
 ネット上で否定派が悪口を書きまくっているうちは、妻に反対する夫が減らず、かえって夫婦愛和のさまたげになるのではと「いや夫」は訴えています。

 「信者の家族」さまは、「いや夫」のブログも読んでいただき、宏正会について、あなたとは違う評価をし、妻を応援している者もいることも知ってください。

倫理実践されていないいや夫さん家族が、家庭円満であるならば、倫理力は要らないでしょう!
いや夫さんは、毎日の集会、本の購入と布教、職業関係者の自腹での入会、節目の寄付金、会費の増額支払などすべて実践されているので、家庭円満。
一つでも実践怠れば、会の教えに反対した事になります。

追伸

「信者の家族」さまへ

 下記の投稿がそのまま該当すると思います。
http://58807828.at.webry.info/200909/article_23.html

いや夫さま
いや夫さまの奥様は、いやいや朝起き会にいっておられるとのことですが、いやなものはさっさと止めて、夫婦ともども好きなことをご一緒にやって、楽しい人生を送ってほしいと、思うのですが。そのことは憲法で保障されております。

(はじめて書き込みします)
会友としの立場から書き込みします。
いや夫さん、貴殿は、毎日朝起きをしていますか?お役や研修会、練成会(金沢など)参加し、深くかかわっていますか?
どうも違う状況と感じます。なぜなら自身の実践のかけた、言行不一致とお見受けするからです。本部講師(あるいは幹部たち)の発言を模してと見うける発言を行っていると感じております。しかしながら、上っ面で語ることは、会の精神に反します。また、貴殿の言葉は、本部講師になりかわって言う事ができるほどの、実践に基づくものですか? 本部講師になりかわって、他人に指導できるほどの質の高いものですか? それ以前に貴殿に本部講師になり代わって発言する資格はあるのですか?
会にとっても、貴殿自身にとっても、マイナスだけで得るものは何もないのではないですか。
もう2度とこのような場で発言することは、やめるべきでしょう。
そして、貴殿のブログは削除するべきでしょう。
この件で、もし、貴殿が不満、あるいは否と感じるならば、本部講師に相談しなさい。

ちょっと失礼さまへ

 「いや妻」が朝起会を続けている理由は、
http://58807828.at.webry.info/200909/article_4.html

 「いや夫」が朝起会を擁護している理由は、
http://58807828.at.webry.info/200909/article_1.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_2.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_5.html

 その他にも、「いや夫」のブログを読んでもらえばわかりますが、宏正会には関わっていくことでしょう。
 義母がやめたら、「いや妻」は喜んでやめるでしょうね。

ダメ会友さまへ

 「いや夫」が投稿している背景は、先ほど「ちょっと失礼」さまへ返信した通りです。

 「いや夫」の討論の立場は、下記です。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_43.html

 普及の実践者はいろいろな苦労をされており、「いや夫」ごときに言われたくないと思うのももっともです。
<関連記事>
「強引な勧誘はいけない」のジレンマ
http://58807828.at.webry.info/200910/article_22.html

 「いや夫」は実践者でも、純粋な肯定派でもありません。ネットゴラムの一員で、鉄槌みたいな否定派をいちいち相手にしている愚か者です。一方、「いや夫」の投稿などで、実践倫理宏正会の崇高な理念に、何もキズはつきませんので、気にとめないでください。(そもそもネットは、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」ですから。「ダメ会友」さまが、鉄槌でないことを祈ります。)

 もっとも、「いや夫」の投稿はひかえるべきというのは、「いや夫」もよ~くわかります。(鉄槌がいなくなればなあ~、と思うでのすが、鶏と卵のような関係なので・・・。)

 ここでは成りすましが横行していますので、我がブログに、

{「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください}
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html
というページを作りましたので、そちらにご意見をお寄せ下さい。今後の活動の参考にします。

 なお、そのページには、会友以外の投稿はご遠慮ください。

>>433
「いや夫」は「ちゃねらーのなれの果て」という言葉がピッタリだね。

「実践倫理宏正会って何?」というブログを乗っ取ったという「いや夫」だが
肝心の「いや夫」のスペックはと言うと どう見ても三流大学のそれも下位のレベル。
ハイレベルの宏正会批判派の論客に対して「いや夫」の反論は 他の肯定派の言った事
のコピペを貼り付けたり どこから本を探し出してそれをそのまま引用したりと
全く「いや夫」自身の言葉で書かれていない。
大学での答案やレポートを提出するのに このような事をしていたら完全に落第。
それでも大学を卒業していたとするなら よほどレベルの低い大学。
批判派の論客もレベルが低いのにイキガッテイル「いや夫」を相手にするのが
馬鹿馬鹿しくなって降りてしまっている。
低能な「いや夫」は相手が降りてしまって自分が勝ったと思っているかもしれないが
物が分かる人は皆 「いや夫」の言っている事は何も反論になってなくて 単なる
嫌がらせの類と見ているようだ。
「いや夫」が色々と批判派の言っている事を度々引用しているので 返ってアナウンス効果
として批判派の言っている事を宣伝することになっているんじゃないの。

いや夫さま
4つもURL教えてくださって、読め!というふうに聞こえましたが、あなたは高圧的でひとりよがりのお方ですね。3分の2ぐらいまでは何とか目を通しましたが、ブログが、あまりにごちゃごちゃ長すぎて全部は読めませんでした。
奥様としては、ほんとはすぐ止めたいのだが、お母様が、会員ゆえ止められないということは分かりましたが、言い訳でしかないように思えます。
このスレでは、いや夫さまご自身のお考えを素直にはっきりと表明なさると、もっと読むもののこころに響きます。
わるいヤツがいっぱいいるから、退治してやる、と言われると、実践もしないのに「何を言ってやがる」と軽蔑や反発を買って言い訳に聞こえ、入ろうか入るまいか、と思案しているものには、逆効果となりますよ。
それよりも、「奥様としては、ほんとは止めたい」という事実を知ると、あなたの書き込みをみて、入ろうと思っていた人も、入るの止めますよ。

いや夫さん
もう一度繰り返します

もう2度とこのような場で発言することは、やめるべきでしょう。というよりやめなさい。
そして、貴殿のブログは削除するべきでしょう。
この件で、もし、貴殿が不満、あるいは否と感じるならば、本部講師に相談しなさい。

実践をしていないあなたの発言内容は、教えを到底理解している内容ではありません、人に教えを行うには、まず自分が実践していることが大前提です。断言すれば、あなたの発言内容は間違っているし、そのレベルになく、その資格もありません。

本部講師に貴殿の行動の是非について教えを受けなさい。教えを受けるつもりがないなら、退会し、さらに、関係者らしい発言は以後一切やめなさい。

なお、これは貴殿への最後の助言とします。

実践をせずに擁護していても、
結局、布教ボランティアが出来ない貴方は、今の宏正会を理解していない。
つまり、反対派。仕事で忙しいは理由にならず。
倫理力も発生せず、反倫理力も現象としてない。
2ちゃんねるの投稿は三万スレ以上になるがその一割が、誠と仮定する。それを一人の投稿者と断定するには科学的に無理がある。
・同一投稿者捜しをはじめたのはあなた、説明責任及び証明はそちら側にある。
・宗教らしい根拠、会員の家族等に本人の承諾無しに入会させる行為を肯定するため、本人の幸福のためと証している。しかし、この会は実践しないと自然の摂理は身につかない会の力、倫理力は発動しない教育団体。矛盾ですよ、非科学的理論です。資本論、唯物論とも違います。
・営業マン=会員は、崇高な倫理力を身につけず、いや夫さんのように、悟れるまで、五つの誓いを実践し、本の布教・会員拡大・金銭の寄附の実践に移らない方々を愁いましょう。
いや夫さんが実践されない事は正しくその理解と生活態度、ライフスタイルは正しい。尊敬します。創始者を理解するには時間がかかります。会員も守る必要があります。
一般社会で営業マンが勉強せずに外交にでることはありえません。
・反対派

ダメ会友さまへ

 本部講師に教えを受けなさいとかどうのこうのとか、「いや夫」にはまったく関係のないことです。勘違いされているように思います。

 なお、実践倫理宏正会には、「議論をさけよ」という尊い教えがあり、ネット上の討論などばかげているという考え方なのは知っております。(それでも討論する愚か者なので、会友ではないと思っていただいて結構です。)
http://58807828.at.webry.info/200911/article_14.html

 ダメ会友さまは、鉄槌他否定派は投稿してもよし。「いや夫」は投稿してはダメということでしょうか?私も関係者ですので、投稿する権利はあると思いますし、あなたはどう判断されるかわかりませんが、肯定派の意見をおもに書いています。(ただ、宏正会は100点満点ですばらしい、とまでは思いませんので、デメリット情報もちゃんと載せています。それが気に入らないのかも知れませんが、どうせ否定派が書き連ねているので同じです。その悪口に対する解釈をしているだけです。)

 なお、「いや夫」は2ちゃんねるなどは、便所の落書きだと思っています。便所に落書きが書かれていて、それを放置することをよしとはしない人間です。便所の落書きを消すために、自分のできる範囲で書き込んでいます。

 なお、「くくくっww」は鉄槌ですので、スルーします。こいつがいなければ、「いや夫」はこんなに投稿する必要もないのですが・・・。
実践者?のあなたからみれば、鉄槌も「いや夫」も同じように見えるのでしょうね。

 なお、「いや夫」は否定派や肯定派が実際にどれだけいるのか知りたいと思います。あなたは鉄槌ではないとのことなので、我がブログにて意見を述べられたらいかがですか。ちゃんと討論の場を用意してあります。あなたのコメントを削除するなどという卑怯なまねはいたしませんので。

(引用開始)

 ここでは成りすましが横行していますので、我がブログに、

{「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください}
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html
というページを作りましたので、そちらにご意見をお寄せ下さい。今後の活動の参考にします。

 なお、そのページには、会友以外の投稿はご遠慮ください。
(引用終了)

 以前も、ボケ老人(=鉄槌)他、否定派と討論するために、我がブログにページを作りました。しかし、コメントは0です。
 仕方がないので、この場を借りて討論しているわけです。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_44.html

いや夫さま
「ダメ会友」さんは、全くのちゃねらーです。
真の会友は、こんなに人に命令したり上からもの言ったりは絶対にしませんし、あなたには言論の自由が保障されております。こんなくだらない人々の相手はなさらず、実践倫理について、あなたの本当のお考えを心から述べていただければ、それで十分読者に通じて、心ある方を引きつけることができます。どうぞ大きなこころで、このような人たちをも包含してあげて下さい。

ダメ会友さまへ

 長すぎてスルーするくらいの投稿しかできませんので、目くじらたてる必要もないのではありませんか。

 「いや夫」は、否定派へ反論する前に、投稿をほぼ分析してから始めました。あなたが、「いや夫」を論敵だと思うなら、ブログを読んでもらえるとありがたいです。少なくとも、引用よりは、「いや夫」本人の文章の方が多いですよ。カテゴリーはむちゃくちゃです。古い投稿から時系列に読む方がいいですし、長い投稿は斜め読みしてみてください。

 「いや夫」への意見は、さきほど紹介した我がブログのページへコメントください。そちらで、皆さんの意見がもっともだと思えば、こちらへの投稿を控えますので。

「討論は避けよ」様へ

 文章の構成からいって、 被害者への投稿をよびかけた「匿名希望」さんですね。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-22269304

 あなたに連絡をとった人たちで共謀して、一斉に「いや夫」への反撃開始ですか?
(あなたは、2ちゃんねるの「(社)実践倫理宏正会/「朝の誓」)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1214119691/

においても、同じ時期に同様の投稿を行っています。「SOR」というハンドルネームですね。
「匿名希望」とか「討論はさけよ」とか、姑息にハンドルネームを使い分けずに、コテハンでいきましょうよ。

 ちなみに、鉄槌は、コロコロハンドルネームを変える卑怯な奴です。少なくとも「実践倫理宏正会って何?」の否定意見の十分の一以上は、鉄槌が打っています。「いや夫」への反論者は、ほとんど鉄槌です。真実かどうかは、お仲間のあなたが一番知っているのではないですか(笑)。

 2ちゃんねるでも、「太田誠一」で検索したら、すぐみつかりますよ。宏正会に関するスレには皆勤賞で投稿をし、その都度けんかしている人物です。それを証明するのは不可能だから、十分の一と例えたまでです。無責任なのは、否定派も一緒でしょ?コテハンもできない、あなたたちに言われたくはありません。

 どうも、あなたは「否会友」さんではなさそうですね。会とどのような関わりがあって、なぜ、恨むのか教えていただけませんか?その方が討論の論点がはっきりすると思いますが?

いや夫さん
下記のところを、繰り返しておきます

実践をしていないあなたの発言内容は、教えを到底理解している内容ではありません、人に教えを行うには、まず自分が実践していることが大前提です。断言すれば、あなたの発言内容は間違っているし、そのレベルになく、その資格もありません。

わかっていない人が、わかっている気になって、会の代弁がごとく、間違った発言をすることは、批判されている方にとっても迷惑であるとともに、実践者にとって迷惑であるので、やめなさいということです。

439 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/26(火) 11:17:12 0
>>434
私の周りの人は いや夫さんの投稿はどれも長い引用ばかりで何を言っているのか
さっぱり分からないと言って読むのを諦めているよ。
その点 批判派の人の投稿は自分の頭で考えて自分の言葉で書いているから難しいけど
分かり易いと言っているよ。レベルの違いって分かるのよねー。


440 名前:名無しさん@HOME [] 投稿日:2010/01/26(火) 13:46:29 0
知的レベルや学歴なんてことより、人としての質、品格、男らしさ
どれも無いですね。
すべてに依存するタイプの男なのでは、義母に依存、女房に依存
会に依存、しかし見栄だけは張りたい。
しかし、自分が思う以上に周辺は自分を高く評価してくれない。
ちゃねらーを自分よりも低い存在と位置ずけ、それを叩くことで
満足しているのでしょう。現実を現実としてとらえ、解決していく
能力もなく、上廣教にすがるしかない人達です。
義母や嫁を怖がってないで、退会させるのが真の男では…。
男の甲斐性を会への献金額(ハワイ旅行に行けるほど…)で
図るような甲斐性なしでは、どうしようもないね。
こんな甲斐性なしで女を知らない男の女房が入る会ですよ。


441 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/26(火) 14:18:56 0
反対派も、果ては賛成派のひとまでも、書き込みやめてくださいと言ってるのに、
とくとくと、書き続けているのは、どういう神経なのでしょう。悪く言えば「無神経」
いま風に言えば、「KY」おとこなのね。
すぐ上の>>440さんが言っておられるように、男らしくないひとですね。

ダメ会友さん

(まず、あなたが会友であることを証明していただけませんか?否定派のなりすましではないかと思っています。とりあえず、我がブログにコメントを寄せてください。それだけで会友なんだと信用します。それから、いや夫の対応を考えます。)

 「人に教えを行う」などしているつもりはまったくありません。

 あなたが会友だという仮定で、お話すれば、言わんとすることはわかります。
http://58807828.at.webry.info/200909/article_55.html
より
(引用開始)
 一方、一応朝起会肯定派を自称するブログですので、
会の方針に著しく背くような記事はないとは思いますが、
誤った情報や偏った情報を流しているのではないかと
不安も感じます。

 もし、まじめに朝起会について知りたい方は、このような
まがいもののサイトの情報にたよらず、自身の目で確かめ
てください。

 朝起会のことをあまり知らない私でしたが、情報を得ようと
初めて会の本を一冊読み切りました。
『倫風随想』という本です。これは、『倫風宏話』を集めた
もので、とてもすんなり読めて、会の方針がよくわかりました。
現代社会の何が問題で、どう正していくべきかを、
古今東西の叡智を紹介しながら諭しています。
私は、会長先生のお話が100%正しいものと感じました。
倫理とは何かを追求した本だと思います。

 残念ながら、一般書店では手に入りません。
勧誘にきた会友さんがもっているかも知れませんので、
借りて読んでみたらいかがでしょうか。
この程度のブログを読んでいるより、はるかに有益な
情報が満載です。
(引用終了)

 おりに触れて、「いや夫」は実践者ではない、代弁しているつもりもない、「人の悪を言わず己の善を語らない」など守れない嫌みな人間だと広報しております。

 なお、「いや夫」の登場以前には、このブログでも否定派が罵詈雑言を書き連ねるばかりでした。こいつら何もわかってないくせに書いているばかりじゃんと討論に加わったわけです。結果として、本ブログでは「いや夫」が肯定派の先頭に立っていますが、
会を擁護して戦っているつもりなんてありません。会友の悪口=我が妻への悪口となるので、反論しているだけです。
 しょせん相手はちゃねらーですから、「いや夫」位狡くて嫌みな人間でないと議論にならないのも事実です。

 もっとも、実践者のあなたから見れば、「いや夫」は何も知らず、まちがったことを言うばかりだというのは分かりますよ。「いや夫」が否定派をばかにするのと同じ気持ちでしょう。

 しかし、真の実践者はネットで討論などできません。相手にやりこめられたり、無視されたり、なりすまし攻撃を受けて劣勢になります。そもそも、会は「議論をさけよ」ですから、あえてこんな場で討論しようとされないでしょう。「いや夫」はそれでいいと思っています。
 ただ、便所に落書きが書いてあって、それを無視するのは、「いや夫」の性には合いません。

 今後は、「いや夫」は「肯定派」を名乗らないことにします。
 「アンチ否定派」とします。

 ネットなど気にしないで、実践に励んでください。邪魔をしていたらすいません。それでも、鉄槌たちよりはましな投稿をしているつもりですので、お許しください。

 その他、このブログを見かけた皆さんも、ここでの不毛な論争など真に受けず、実社会の情報(人、書籍などの一次資料)で会を判断してください。

いや夫さんって、人を何度も何度も自分のブログに誘ってるが、普通の人は、絶対にそんなブログには行かないってことが、どうしても分からない、超真面目なひとなのね。
お義母さんや奥さんに対しても、ここへ書き込んでいるひとをも、いや夫さんがシンから褒める人は、ほとんどいないし、またいや夫さんに賛成したり褒めたりする人もいない、かわいそうな人ね。
いや夫さんを攻撃する人がいるかぎり、いつまでも反論し続けて、そこに心の安住を求める人だから、できたらもうみんなが、かかわるのを止めましょう。
ほんの少しでも、自分のことが書いてあったらくらいついてきて、それを不毛の論争と言いながら、抜け出られない気の毒な人だから相手にしないのが一番いいでしょう。
いや夫さんが、この書き込みに一切反応しなければ立派なお人です。

馬鹿夫には無理ですねww

(「いや夫」はどうせ否定派だろうと疑ってますが)ダメ会友さんへ

 「いや夫」がこのブログで投稿を続けている理由を、このブログ上からもう一度紹介しておきます。
(引用開始)

我が妻がなぜ朝起会を続け、夫の私がなぜ応援しているのか?
 それは朝起会の教えがまちがっていないと思うからです。その教えをぜひ広めたいと思うし、そのために資金が必要なら差しだそうということです。正直言って、年間「ハワイ旅行に行ける位」というのは、痛すぎる出費です。でも、その位の価値はあるというのが、我が家の結論です。
 なお、朝起会の出費は、会場によっても経験によっても千差万別でしょう。二世会友で30冊の「倫風」頒布をノルマとしている妻なら、こんなものなのでしょう。(男の感覚からすれば、「高すぎる!」と思います。でも妻は妥当な額だと思っています。妻を愛していて、その位のお金は自由に使わせてあげたいと思うので、同意します。それだけの暮らしができていることに感謝し、社会に還元します。)
 もちろん、新会友からこんなにとってはいけません。それでは悪質商法です。会費だけの会友さんがたくさんいて、出してもいいよという人だけ、もう少しがんばるような会が理想だと思います。
 なお、妻は二世なので朝起会の目指す倫理感は自然と身についています。良妻賢母です。妻の母もそうです。だから、ある意味、もう朝起会をやめても別段困ることはないと思います。では、なぜ止めないのか?いやいやながら頑張っているのか?
 本人は自分が磨かれるからと言っています。
 私は、子どものことを思います。
 我が家の子どもたちをすくすくまともに育てる自信はあります。しかし、我が家の子どもが健全に育ったとしても、まわりに家庭愛和に恵まれず不幸な子どもたちがたくさんいたら、我が子は良い友達に恵まれるでしょうか?ちびまる子ちゃんの学校のようなのほほんとした教室が、今も存在しているのでしょうか?20年後の社会は、倫理面でどれほど荒廃しているのでしょうか?
 そういうことを考えると、我が家だけの家庭愛和では意味がないのではないかとも思えます。そんなこんなで、妻は朝起会を続け、私はブログで朝起会の良さを訴えています。
 いや夫はピエロで結構、でくのぼうで結構。善いものは善い、悪いものは悪いと、私見を書きます。
 なお、何度も書きますが、私は朝起会の実践者ではありません。「人の悪を言わず 己の善を語りません」ができない未熟者で嫌みな奴です。朝起会の実践者は、もっといい人ばかりです。
投稿 いや夫 | 2009.10.27 10:26 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23261197
(引用終了)

 あなたが本当に会友で、「いや夫」の書くことがまちがいならば、具体的にどんどん批判してください。固定ハンドルの投稿者が増えるのは大歓迎です。

 否定派はなぜ、ず~っと固定ハンドルを使わないのでしょうねえ?

追伸

「いや夫」の唯一自慢できる手柄は、このブログに否定意見を書いている人たちが、ちゃねらーであり、「鉄槌」や「匿名」など、ごく限られた人物が、いろいろなハンドルネームを使って、罵詈雑言を書き連ねてきたことを暴いたことです。その弊害として、鉄槌が執拗に「いや夫」に攻撃をしかけているだけです。「いや夫」はまったく気にしていませんので(嘘です。うっとうしいハエめ~と思っています)、スルーするのが正解です。「いや夫」がいてもいなくても、2ちゃんねる化していたのです。過去の投稿ですと、
(引用開始)

肯定派の皆様へ
 ちゃねらーが本性を現して、このブログも2ちゃんねる化させてしまい、すいません。全て「いや夫」が仕組んだことです。
 しかし、否定派が「ちゃねらー」であるという事実を明らかにできたという点で、なにとぞご容赦ください。
 
 以前の投稿についても、そういった観点で読み解いていただきたいと思います。これまでも、肯定派をつぶす悪意の投稿に満ちています。すでに2ちゃんねる化していたのです。
投稿 いや夫 | 2009.12.01 09:27 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23635848
(引用終了)

 「いや夫」も少し成長して(というか、上記の目標は達したので)、ちゃねらーはスルーしておりますので、ご承知ください。

PS いい歳をして母親や義母を恨んで復讐しているような人たちの書くことを真に受けるのはやめにしましょう。

いや夫さん
結局、「実践してから言いましょう」につきます

貴殿が、自分のことを、自分の言葉で、身の丈にあった内容で発言するのは、当然ながら自由かもしれません。
しかし、会のことについて語るにあたっては、さらに他人に対して語るにあたっては、別です、以前書きました、下記のとおり。
(なお、私はここで書きこみを継続する意思はありません、これで終わりにします。これが貴殿への最後通告です)


いや夫さん、貴殿は、毎日朝起きをしていますか?お役や研修会、練成会(金沢など)参加し、深くかかわっていますか?
どうも違う状況と感じます。なぜなら自身の実践のかけた、言行不一致とお見受けするからです。本部講師(あるいは幹部たち)の発言を模してと見うける発言を行っていると感じております。しかしながら、上っ面で語ることは、会の精神に反します。また、貴殿の言葉は、本部講師になりかわって言う事ができるほどの、実践に基づくものですか? 本部講師になりかわって、他人に指導できるほどの質の高いものですか? それ以前に貴殿に本部講師になり代わって発言する資格はあるのですか?

444 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/27(水) 06:40:20 0
いや夫のブログを見ると まだ同一人探しに固執しているようだ。
いや夫は完全に狂っている。
同一人探しは あくまでもいや夫の勝手な主観によるもので立証は不可能なこと。
いや夫はまだ自分が泥沼に嵌っていることが分からないようだ。
全く哀れとしか言い様がない。
まーそうやって無駄な時間を費やしたら。ネットゴラム君。


445 名前:名無しさん@HOME [] 投稿日:2010/01/27(水) 08:19:50 0
>会友の悪口=我が妻への悪口となるので、反論しているだけです。
まるで子供だな。本当に妻を愛しているのか?
妻=宏正会 宏正会ぬきの妻の存在はどこにあるのだろう。
いや夫のように頭では会や妻を理解しているようだが
心は満たされていないようですね。
妻を通して宏正会の操り人形になっていることも
わからず、つられたまま暴れている状態なのでしょう。
これでは宏正会から半端者扱いされてもしかたがない。
しかしこのいや夫を通して、影倍加や倫風にはノルマが
あることetc…が真実であることも証明できた。
操り人形で幸せを感じるならそれはそれでいいのでしょうが
決して、他人の家庭まで操ろうとは思わないでほしいですね。

446 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/27(水) 12:31:33 0
指名手配されている「いや夫」さんですけど 「いや夫」さんご夫婦の行かれている
朝起会場では絶対に分かっているのでは。
奥さん 朝起会に行っているのかな。行きにくいと思うけど。
「いや夫」さん 奥さんのためと言いながら奥さんの足を引っ張っているのではないですか。


447 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/27(水) 15:05:35 0
「いや夫」さんのブログの趣旨を 26日付けで「実践もせずに肯定派はおこがましいので
『アンチ否定派』に訂正する」と変更していますが
肯定派ではなくて『アンチ否定派』って どういうこと?
「ちゃねらー」に徹するということ?
それとも ご自分が勝手に思う宏正会と違ったことを言っている人を攻撃して
ご自分の思っている宏正会を押し付けるということ?
奥さん 「いや夫」さんの頭の中 だいじょうぶですか。
最近 変わった様子は見られませんでしたか。
しっかりとご主人の様子を見てなければ 大変ですよ。

 

448 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/27(水) 18:16:09 0
>>444
「いや夫」君は もう同一人探しで遊ぶことくらいしか手がないんじゃないの。
勝手に一人遊びをやらせておけば。かわいそうな「いや夫」君。

449 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/27(水) 18:21:26 0
私の母が最近言動がおかしく、朝早く起きて出かけていたらこの団体でした。
人が変わったように人様に迷惑をかけるようになり、家事すらもしなくなりました・・

早起きしてたら許されるのかね・・・

くくくっwwは「鉄槌」です。

 「鉄槌」などというかっこいいハンドルネームはもったいないので、これからは「愚息」とします。

 「愚息」への反論で、このブログをけがすのももったいないので、「愚息」関係は、我がブログにて扱うこととします。

<関連記事>
「実践倫理宏正会って何?」での「愚息」(旧鉄槌)たちの成りすましの分析(その1)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_33.html

「実践倫理宏正会って何?」での「愚息」(旧鉄槌)たちの成りすましの分析(その2)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_34.html

(つづく)
 どこまでつづくかは「愚息」のみぞ知るところです。

 否定派の代表ご苦労様。

いや夫のブログなんかにだれも行かない、書き込まない。
いや夫は、赤字や青字で、だれがだれとか、当てっこばかりしている。
内容には内容をもって、男らしく、きちんと応えてもらわねば、女々しく馬鹿にみえる。

450 名前:いや夫大合唱[] 投稿日:2010/01/28(木) 01:03:11 0
2ちゃんねる
 いや夫いや夫で
      花盛り

書けば書くほど
 いや夫は
   書くよ
    かまって
     ほしいの
      いつまでも
 


451 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/28(木) 06:51:09 0
いや夫は またあのブログが批判派に占領されたら 自分のブログに書き溜めた
クダラナイたわ言を ミサイルで打ち込むと警告してんだろう。
いや夫が初めて出没した時のように 核爆弾を打ち込んで廃墟にすると脅して
いるんだから いや夫は北チョーセンと全く同じ。世界中の嫌われ者。
肯定派からも否定派からも嫌われているいや夫は存在自体が迷惑な存在。
世界の空気を読んで おとなしく自滅したら。世界平和のために。

452 名前:いや夫大合唱[] 投稿日:2010/01/28(木) 08:45:57 0
いや夫ちゃん
 今日も朝から
  書きまくり
   昼めし食ったら
    また書いて
     あっと気がつく
       日暮れ道

453 名前:名無しさん@HOME [] 投稿日:2010/01/28(木) 10:20:09 0
>ちゃねらーが本性を現して、このブログも2ちゃんねる化させてしまい、
>すいません。全て「いや夫」が仕組んだことです。
> しかし、否定派が「ちゃねらー」であるという事実を明らかにできたという
>「いや夫」がいてもいなくても、2ちゃんねる化していたのです。

よく言うね。このレスの書き込みを自分のブログや何?ってブログに
勝手に張り付け、つまらない批判を展開してバカにして喜んでいたのに。
否定派が「ちゃねらー」であるという事実に何の意味があるんだ?
個々の書き込みの内容を精査する能力もないんですね。
自分で仕組んだことだから、男らしく決着を。
もともと2ちゃんねる化してたからで、知らん顔か?
本当にここの連中は無責任にもほどがある。

454 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/28(木) 17:24:41 0
>>447
「いや夫」さんは 宏正会肯定派ではなくてただの「アンチ否定派」ということでしょう。
だったら 「いや夫」さんなんか放って置けばいいのよ。
皆が「いや夫」さんに絡むから 「いや夫」さんもムキになるのよ。
「いや夫」さんはただの「アンチ否定派」なんだから例え「いや夫」さんと討論しても
何の意味もなくて全く無駄なことでしょう。
「ちゃねらー」の人を相手をしていると 相手をする方も「ちゃねらー」になってしまいますよ。
あのブログ ちゃねらーの「いや夫」さんが出て来る前までは わりとキチンと議論
していたのに ちゃねらーの「いや夫」さんが出て来てすっかり変わりましたね。
議論の中身ではなくてチャネラーの姑息なテクニックで相手を負かそうとするから
ただ勝ち負けだけにこだわって 殺伐としたものになるのではないでしょうか。
もう「いや夫」さんに絡むのを 止めてはどうですか。
そうでないと無意味なやり取りが続くだけですよ。


455 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/28(木) 19:07:31 0
だがそれがいいw

456 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/28(木) 19:10:56 0
いや夫は 出てきた時から「これはゲームです」と言い切っていたな。
元々 いや夫が宏正会肯定派ってのがおかしいんだよ。
いや夫は ちゃねらーらしく疑い深く すべてを疑ってかかる副島隆彦の信奉者が 
宏正会肯定派な訳ないだろう。
たまたま奥さんが2世会員で「倫風」を受け取って貰うために肯定派の立場を
とっているだけで 本心はミエミエの否定派。
ただ宏正会のネタでゲームをやっているだけなんだから 勝負に勝つことに固執して意地になっている。
こんなチャネラーの相手なんかするのは馬鹿バカしいだけ。
いや夫が どんなにイヤラシくて 根性のひねくれた男かが世間に知られただけで十分。

457 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/28(木) 19:55:48 0
あのブログが殺伐となった元凶は ちゃねらーの「いや夫」が議論の中身ではなくて
個人攻撃に変えた所にある。
個人攻撃になれば お互いが感情的になり やられたらやり返すという事が
永遠に続く事になってしまう。イスラエルとアラブ諸国との関係と同じ。


458 名前:名無しさん@HOME[] 投稿日:2010/01/28(木) 20:03:28 0
馬鹿だから、それがわからんのですよw

 成りすましは男らしいのかい?

 ということで、以前に予告していた通り、ちゃねらーの攻撃が(2ちゃんねるにて)本格化しました。このブログにもおよんでくるかもしれませんね。
 2ちゃんねると「実践倫理宏正会って何?」のブログは表裏一体なのですよ、それを証明したのが、「いや夫」の唯一の功績です。

 さて、よい機会ですので、「いや夫」は一時休戦します。(和平条約ではないところが、確かに北朝鮮っぽいですね。)
「もう投稿を控えます」といいながら、いつもすぐ参戦してしまうので、またエスカレートします。
 もういいかげんにやめときたい自分がいて、悪口を書かれると反論したくなる自分もいます。
人間は愚かな生き物です。
「朝の誓」は尊い教えだと思いますよ。

 「いや夫」は「ダメ会友」殿が否定派だと疑っています。(我がブログにいっこうにコメントを寄せないからでもあります。)

 それでも、「議論を避けよ」というのは、実践倫理宏正会の教えそのものでして、その意味を「いや夫」も自覚しています。

 武蔵氏との討論は、やりがいもありましたが、「愚息(鉄槌・くくくっww他) 」君との罵り合いは、人生の無駄遣いそのものです。会の教えの価値を再確認している今日この頃です。

http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23783252

http://58807828.at.webry.info/200911/article_14.html


 よって、「議論を避けよ」殿を実践者の一意見と仮定して、2週間ほどこのブログへの投稿を控えます。(「いや夫」の成りすましが表れるなどのケースを除いて、罵倒されても我慢することとします。)
平穏なブログに戻れば、それにこしたことはありませんね。(「愚息」君次第でしょう。)

 そのままとんずらするのも一つの手なのですが、もし、炎上したままなら無責任すぎますね。
2週間後に、嫌われながらも戻ってくると思います。
そのときは、よろしく。

やっと馬鹿夫が消えるのかww
二日もせずに書き込むと思うがww


http://mune.naraduke.net/gpopx09/
早くちゃんちゃんにーあぁぁあ!!!!!!!!
って福井出身の子に言われて「?」って感じだったんだが
早くマ●コに入れてって意味だったんだなw
やっぱ方言セックヌはオモロイし燃えるし最高すぎだよな(≧▽≦)

認知的不協和理論の例え、
ネット上の批判的情報は会にとって害である
→現代のネット社会がいけない
→ネットを信じるべからず
→ネット情報をみるな

しかし、総務省は、公益法人法で情報を発信すべしと言う。


http://otasuke.cucuple.net/f5724hp/
オレの祖 チ ンがまさかの大活躍だぞ!!!
お姉さんに祖 チ ンもてあそばれて5万貰えて
俺もうtw;おいいhそあぁ最高!!!!!

「いや夫」さんは、認知的不協和理論を否定してはいませんね。
創始者の会長から、いや、徳光教から使われていた、素晴らしい集団心理療法(これを民間教育と言うかは別)と言っています。
マインドコントロールは、批判的です。
つまり、万有引力は理論付けられる前から存在し、ニュートンが科学的理論として体系づけたかのと同様です。
結果、オーム返しの様に異義派を否定するしかないのです。
この法則性を否定する事はできない。


これやるとき、一緒に買い物来てもらうほうがいいぞ!!!!
http://gb.tokorogadokkoi.net/apaolrx/

だってオレ、報酬とは別で、普通に欲しい物買ってもらってるしw
物買っても金が減らないシステム考えたオレ天才すぐる(`・ω・´)!
てか、逆に増えてるしなwwwwwうんめぇわぁwwwww

「いや夫」という正真正銘の『ちゃねらー』が出て来て このブログを荒らし捲くり とうとう草木も生えない廃墟にしてしまった。
「いや夫」は とにかくどうでもいいような事を書き捲くって 自分の領土でこのブログを占領している。
これが ちゃねらーの荒らしの初歩的な手法の一つ。
「同一人探し」ということで 相手を揺さぶっているが
これも「ちゃねらー」がよく使う手。
相手を「君」と呼び 「君」付けをして自分が優位に立つのが ちゃねらーの常套手段。
場合分けして「・・・の場合は・・・」「・・・の場合は・・・」とちゃねらーが相手を切り殺すやり方。
自分のブログで書き溜めた大量のクダラナイ文章をミサイルとして一気にコピペして貼り付けるやり方。
このように 
「いや夫」はちゃねらーの技術を駆使している。
このような技術を持っている「いや夫」は 相当この手のゲームに嵌っていたはずだ。「2チャンネルを使ったことがない」などという言い訳は許さない。 
宏正会関係のスレを見る限り このようなちゃねらーの技術を使っている者はいない。

「いや夫」は タイトルだけを見てそれらしきものをネットから探し出して一見賢そうに見せているが ただ貼り付けているだけで 何も自分の言葉で書かれていない。
自分で考えた文でないから 突付いて見るといくらでもボロが出て来るはずだ。

ちゃねらー「いや夫」に騙されないように!
 
 

 

 

嫁さんがこの宗教に狂っていますが、これが、主人に対しても勧誘と宗教的意見の押しつけが酷くて離婚しようと思っています。いいかげんにして欲しい!

「いや夫」には 批判派はもちろん 肯定派にも賛同者がいない。
「いや夫」の書いたものを読むと 何とも言えない厭な気分になるはずだ。
ちゃねらー独特の人を小馬鹿にした言い方。
全てを疑い 裏の裏を勘ぐる人間としてのいやらしさ。
ちゃねらーの書いたものは 誰もが不愉快になる。

「いや夫」は 自分に突かれる所がないように用意周到に準備してから相手を突いているが これがちゃねらーのやり方。「いや夫」は いつも相手から攻撃されるのではないかという強迫観念に怯え とにかく書き捲くっている。 
「いや夫」は ちゃねらーのそのもの。ちゃねらーの典型。
「いや夫」は 度々「ちゃねらーは・・・・・」とちゃねらーを馬鹿にしたような事を言っているが このように言っておけば自分がちゃねらーでないと誤魔化せると思っているのか。 まったく阿呆な男だ。

これからこのブログに書き込みをされる方は 「いや夫」が同一人探しが出来ないように 皆が統一したHN『匿名』にする事をお勧めする。 

  

「いや夫」さんが認知的不協和理論について述べている部分を見てみますと 「いや夫」さんはこの理論についてあまり理解できていないようですね。
 「いや夫」さんが「不完全定理」を例に出していますように 一つの理論でもって説明できない現象もあるでしょう。一つひとつの事象をその理論で説明できるかどうか検証をしてみる必要がありますね。
でも「馬鹿の一つ覚え」なんて言っていますと 「いや夫」さんはその馬鹿以下になってしまいますよ。
 この理論にも批判があるようですが 部分的なものであったり 説明の仕方に違いがあるだけでこの理論そのものを否定するものではないようです。
 「いや夫」さんは「ある人が給料は低いけど仕事に生き甲斐を感じている人もいる」という例を出して認知的不協和理論の適用を否定していますが、この例はこの理論の適用としてあまり相応しくありませんね。
なぜなら その人が本当に仕事自体に生き甲斐を感じていたとしたとしたら 給料の低いこととの間に認知的不協和が生じないからです。
認知的不協和理論は 矛盾した二つの認知がある場合にその不協和を解消するために一方の認知を変えて協和している状態にする心の作用を云ったものです。ですから この場合は認知的不協和理論は使えません。
「いや夫」さんは「1ドルの報酬実験」からこの例を用いたのでしょうけど この実験は作業を「つまらない単調な作業」とし この作業を「面白い作業」と伝えてその人の心理的な不協和を作り出すという前提があります。この実験と「いや夫」さんが用いている例には違いがあることを理解する必要がありますね。  
このような心理的な「不協和」が生じない場合を説明する理論が「いや夫」さんが引用しているベムの「自己知覚理論」です。この理論はフェスティンガーの「認知的不協和理論」に対抗して唱えられたものですが 最近では両者を補完し合って説明したり また両者を統合しようという動きがあるようです。
ベムの「自己知覚理論」とは 
人は通常 他者の行動からその人の態度を判断しますが 自分についても同様に自分のとった行動という外部的な手がかりから自分の態度を推論している というものです。
自分の態度があいまいで弱いときは自分の行動に基いて「自分はこうなんだ」と自分の態度を推論しはっきりさせるということです。
道に迷って困っている人を助けてあげて あらためて自分には親切なところがあると思う といった例が挙げられます。
「いや夫」さんの例ですと「私は毎日楽しく仕事をしている」という外部的なことを手がかりに 「私はこの仕事が好きなんだ この仕事を生き甲斐にしているんだ」と自分で自覚して行くということになりますね。
宏正会に当てはめますと
「太陽神」さんが 朝起き 演壇 頒布 人誘い 会費 倍加 お祝金 などといった「実践」について認知的不協和理論で説明していますけど これらの「実践」については自己知覚理論でも説明できます。
自己知覚理論ですと  朝起き 演壇 頒布 人誘い 会費 倍加 お祝金 などといった「実践」を私は行っている。このような外部的な行動を手がかりに このような実践をしている私は宏正会が好きなんだ 宏正会を大事に思っているに違いない と自分を判断して行くことになります。
逆に 宏正会としては会員にこのような実践をさせることによって会員の心をコントロールすることができるという事になります。
認知的不協和理論ですと その人に心理的な不協和が生じないと説明できませんが 自己知覚理論ですとこのような場合にも説明することが出来ます。

このように 宏正会の「実践」について 認知的不協和理論と自己知覚理論を補完し合って説明することができるということになります。
 

  


「いや夫」さんの書かれたものを 何とか目を通しましたけたど はっきり言って何も得るものはありませんでしたね。
 「武蔵」さんとのやり取りでは多少「いや夫」さんの意見らしきものがありましたが 後は「ちゃねらー」の本領を発揮して 同一人探しとか たわいないやり取りに終始していてウンザリです。
「いや夫」さんは この大量の書き込みのために他の多くを犠牲にして相当の時間を使ったと思いますが 何か意味がありましたか?
私は 無意味だったと思いますよー。
だって 私は「いや夫」さんの書かれたものを目を通して 時間の無駄をしたと思いましたもの。
 「いや夫」さんは ご自分のお陰で批判派の発言を押さえたと思っているのかも知れませんが、「いや夫」さんがどんなに頑張ったとしても批判派の方々は居なくならないと思いますし、批判派の登場の度にまた同じようなたわいのない書き込みのために時間を使うのは人生の無駄ですよー。 

   
 

うんうん確かに、いや夫さんの書き込みを読みはじめましたが、ご自分の考えというより、コピペが多すぎてもうフォローするのが、うんざりという状態になりました。「いや夫」理論では、わたしがバカだからなんでしょうね。

2.16 06.07 の匿名さんの、認知的不協和理論と自己知覚理論の解説はよく分かりますね

   「ひとのみち教団」系の団体のHP

 PL教団
http://www.perfect-liberty.or.jp/
 自然社
http://www.sizensya.or.jp/
 倫理研究所 
http://www.rinri-jpn.or.jp/index-s.html
 
 実践倫理宏正会
HPなし どうして?HPがあるとついでに宏正会の批判が載っている他のスレを見てしまうから?
 上廣倫理財団
http://www.rinri.or.jp/research_support.html
会長一族の資金管理団体との疑惑あり

[実践倫理宏正会から分派した団体] 
 
 スコーレ家庭教育振興協会
http://www.schole.org/contents_kotoba/kotoba_208.html
宏正会の講師をしていた永池栄吉氏が独立して設立

 NPO法人倫理生活指導センター
http://www1.ocn.ne.jp/~rinkun/index.html
宏正会の四国地区の幹部であった井上富男氏が独立して設立
 
 
 

私は「ちゃねらー」とは何なのかよく知りませんでしたが、「ちゃねらー」とは 単に2チャンネルに書き込みをしている人を言うのではなくて 「いや夫」さんのように 討論を内容よりも勝ち負けのあるゲームのように考えて ひたすら勝つことにこだわっている人を言うのですね。
「いや夫」さんは 「ちゃねらー」と言われている人がどのような人なのかを観察するのにはとてもいいサンプルです。
「いや夫」さんから「ちゃねらー」と言われている人の技術を見せて頂きましたし どのような考えをしどのような性格なのか またどのような生活をしているのかをいっぱい教えて頂きました。
「いや夫」さんはよく「ちゃねらーは云々」と言っていますが ご自分が「ちゃねらー」ですから「ちゃねらー」のことをよくご存知のはずですね。
「いや夫」さんは競馬をされているようですが 「ギャンブラー」と「ちゃねらー」 なんだか相性が合いそうです。どちらも独特の雰囲気があって 普通の人でしたらとても関わりたくない人です。
  
「いや夫」さんは 今では誰もが認めるミスター「ちゃねらー」君ですから 「いや夫」さんが「ちゃねらー」をアレコレ言うのは可笑しいですよ。  

「鯰の鬚は4本」のナレの果てが「いや夫」。

 せっかく「いや夫」は投稿を控えているのに、しつこいね「愚息」君。「いや夫」は消えたんだから、君も2ちゃんねるにお帰りください。
 ブログでは、名無しや匿名は卑怯なのですよ。ちゃねらーはそんなこともわからないみたいですね。誰も相手にされていないのは愚息君では?
 では、また当分消えます。愚息君が消えれば、永久に消えてもいいのにねえ。否定派も肯定派もその方が喜ぶと思うけどねえ?

追伸

 「愚息」ではない、本当の論客さんへ
「認知的不協和理論」と「自己知覚理論」うんぬんへの反論は、我がブログに投稿しときました。

http://58807828.at.webry.info/201002/article_27.html


ナプキンがどこまで液を吸収するのか実験してみたくて
ナプキンの上からマンクリ刺激して遊んでたんだが、、、、、、

2人とも潮 吹きすぎで、ナプキン全っっ然!役に立ってねぇwww
http://man5.jasdavis.com/1c4sxpu/

実験の結果、ナプキンの無駄遣いという結論になりますたw

皆さんが「匿名」で投稿しているのは 「いや夫」さんが議論の中身ではなくて同一人探しなどの嫌がらせを始めて個人攻撃をしているからです。
「卑怯」なんて言葉は「いや夫」さんの口から出す言葉ではないと思いますよ。
「ちゃねらー」の個人攻撃から自分を守るためにこの様にしているのですから 仕方がありませんね。
全員が「匿名」というHNですと 議論の中身で勝負するしかありませんので こちらの方がいいのではないでしょうか。 
 
「いや夫」さんの反論としては 「心理学で人間をくくるな」という事ですね。
確かに心理学の理論は 数学の公式のように「この理論を当てはめれば当然この様になる」というものではありませんね。そういう意味では「いや夫」さんの言われることにも一理あると思います。
宏正会の会員さんが同じように 朝起き 演壇 頒布 人誘い 会費 倍加 お祝金 などといった「実践」をしても 熱心な会員さんもいれば それほど熱心ではない会員さんもいるでしょうし 会から離れて行く会員さんもたくさんいると思います。
それでは これらの理論が正しくないのか 利用できないのかと言うと そうではないと思います。
例え 数パーセントでも宏正会のいう「実践」によって熱心な会員が残れば これらの理論の有効性は示されたと言っていいのではないでしょうか。
 宏正会のいう実践を立場がある人が言うので仕方なくイヤイヤながら実践し始めた人は認知的不協和理論で説明できますし とても素直な人ですんなりと実践できた人は自己知覚理論で説明できます(イヤイヤ始めた人がほとんどでしょうね)。イヤイヤ始めた人でも「実践」が楽しくなって来たのでしたら自己知覚論によるのだと思います。
 マザーテレサはどのような事がきっかけで慈善活動を始めたのか分かりませんが、宏正会では 意図的に朝起きから始めて徐々に徐々に「実践」ということを会員に課せて 会員の心をコントロールして行きます。
 この事は「武蔵」さんが言っていますように 初代会長が心理学を勉強してこれらの理論を利用したのではなくて 「ひとのみち教団」にいた時に「人を動かせば心が付いて来る」という事を経験的に学んだのではないでしょうか。

 

宏正会の歴史と、世界平和を掲げ、倫理力があれば幸福になると言い続けながら、分派が生まれるのでしょう。
その指導者に倫理力なる力は作用しなかった結果?
元幹部達ですよね分派者も

実践倫理宏正会と云うように名称に「実践」がついていて その名の通りに「実践」を重視する会ですが この「実践」について心理学の法則で説明している記事を興味深く読ませて頂きました。
私は 心理学のことはよく分かりませんが 「太陽神」さん 「いや夫」さん そして「匿名」さん 皆さん素晴らしいですねー。
皆さん 心理学を学んでいたのでしょうか。
先の「匿名」さんが
『それでは これらの理論が正しくないのか 利用できないのかと言うと そうではないと思います。
例え 数パーセントでも宏正会のいう「実践」によって熱心な会員が残れば これらの理論の有効性は示されたと言っていいのではないでしょうか。』
と言われている部分ですが、
例えば ある詐欺師が100人に詐欺を行って 騙された人が例え数人であったとしても 詐欺は詐欺ですよね。ほとんどの人が騙されていないとしても数人が騙されたとしたら その詐欺師は警察に捕まっちゃいますよね。
私は この様に理解したのですけど これでいいですか。
 
それと 「実践」について 認知的不協和理論と自己知覚理論を補完し合って使う というような事が言われていますが 私は認知的不協和理論で済むんじゃないかと思っています。
朝起きにしても 頒布にしても 最初から喜んでする人なんか絶対にいません。慣れた頃になると 次は開門と同時に出席とか 演壇 禊と次々と精進することを言ってこられますし 頒布にしても 10冊 20冊 30冊 50冊とどんどん増えてきます。
お祝金にしても 長くなって役を貰うとどんどん言って来る額が大きくなっていきますし お金を出すのに慣れることはないですねー。一応口では「会に感謝して」なんて言っていますが 心ではいつも不協和 不協和。
会は「実践」とか「精進」なんて言っていますが その人に不協和を作る方便じゃないかと思っています。


 

実践倫理宏正会は 戦前の「ひとの道教団」から発生したもの。
「ひとの道教団」の影響を強く受けているとか その内実は「ひとの道教団」そのものとか 云われています。
「ひとの道教団」についてネットから拾ってみました。
 
この教団の仮本殿があった「河内永和」についての記事です。
http://www.kaname.gr.jp/eiwa/rekishi01.htm
http://moch.daishodai.ac.jp/cgi-bin/usr/shoko/books/contents.cgi?mode=contents&toc_id=206&t_id=12

「ひとの道教団」について書かれた新聞記事です。
http://onido.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=173#y19351208sp1

この教団は 自前で出版社を持っていて 「倫風」と同じような「ひとのみち 何月号」という冊子を発行していたようです。
また 別に「ひとのみち婦人 何月号」も発行していて 当時から婦人を主な普及対象としていたようです。
http://www5.ocn.ne.jp/~kittyomu/history/gendai_si/gendaisi4.htm
http://www12.ocn.ne.jp/~tateyama/fujinnmono.html

「ひとの道教団」広島支部の写真です。
現在の平和公園の中にありました。
多くの信者の方が写っていますが この中に初代会長もいるのかな。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/nakajimacho/n082.html
 
MAINICHI PhotoBank というサイトです。
キーワードとして『ひとのみち』と入れて検索すると
いっぱい写真が見れます。
https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

 卑怯な「匿名」の皆様へ

(引用開始)
皆さんが「匿名」で投稿しているのは 「いや夫」さんが議論の中身ではなくて同一人探しなどの嫌がらせを始めて個人攻撃をしているからです。
「卑怯」なんて言葉は「いや夫」さんの口から出す言葉ではないと思いますよ。
「ちゃねらー」の個人攻撃から自分を守るためにこの様にしているのですから 仕方がありませんね。
全員が「匿名」というHNですと 議論の中身で勝負するしかありませんので こちらの方がいいのではないでしょうか。 
(引用終了)

 半分当たっていて、半分嘘です。
本当の理由は、
1 成りすましをするのが面倒
2 発言者の実数があまり多くないことを知られたくない
3 固定ハンドルだと負けそう
4 自分たちは、いつも「名無し」で投稿してきたし・・・。(2ちゃんねる出身で、ブログにも顔を出すようになった人たちです。)

 ともかく、君(愚息)ら(?)は2ちゃんねるがお似合いです。あちらでがんばりなさい。
(ちょっとだけ、お邪魔しました。また消えます。)

「宏正会成立の経緯」と「宏正会の宗教性」について 「いや夫」さんと「太陽神」さんの書かれている部分を読み比べています。
宏正会が宗教であるかどうかは 宏正会がどのように成立したのかという会の成立ちを見る必要がありそうですね。
「太陽神」さんは 宏正会の初代会長が戦前に「ひとの道教団」の信者であり 布教の最前線にいた教師をしていたことから 原爆と敗戦を契機に「ひとの道教団」と同じようなものを作り 自らが教祖になろうとしたもの としています。
そして どうしてこの様な団体を作ろうとしたのかについては、「ひとの道教団」の教祖が絶大な権力と金を手にしていたように 金と権力を手に入れるための「野心」からであるとしています。
 本当に宏正会と「ひとの道教団」は酷似していますね。
 教えとしては 親の恩とか 夫唱婦随だったりと「教育勅語」を教典にしてい「ひとの道教団」と全く同じような前近代的なものですし 「捨て育て」「喜働」「愛和」という言葉もすでにこの教団の教えにあったとされています。また 朝起き 倍加 白装束での練成などほとんどが「ひとの道教団」の活動をそのまま引き継いでいます。
 不思議と「徳光教-ひとの道」系の団体は 皆さん「日の丸」をシンボルとしていますね。
「ひとの道教団」は皆さん日の丸の「ひとみちバッジ」を付けて朝参りに行っていたとされていますし
PL教団を作った御木徳近は日章マークを礼拝していたようです。倫理研究所も宏正会も日の丸を正面に掲げていますし 宏正会の分派 NPO法人倫理生活指導センター(倫薫)も日の丸をモチーフにしたシンボルを掲げています。
徳光教は教祖の金田徳光が真言宗を修め それから神道に傾倒したとされていますから 真言宗の大日如来 神道の天照大神 これらはこの世の中心 太陽を象徴したものですよね。
それと朝起き。朝と言えば日の出 太陽が昇ってくる時をイメージしますよね。
「徳光教-ひとの道」系の団体が「日の丸」をシンボルとしているのは このように教義と重なっているからなのでしょうね。
ですから 宏正会の「日の丸」は国旗を掲げているのではなくて 徳光教から流れている教義をイメージしたものと言えるのではないでしょうか。

「いや夫」さんは 宏正会は「ひとの道教団」の流れにおいて成立したことは認めるけども、「ひとの道教団」よりもより良い団体とするために 神をたてること止め「お振替」のような宗教色を取って社団法人として新たに出発したのだから「原爆」を契機に成立したものとしていい というものですね。
同じものを見ても 見る人によっては色々な見方がありますけど 私からすれば「いや夫」さんの見方は宏正会に洗脳されてしまってゾンビになった人の見方なのではと思います。
 どうして宏正会はこのような教えの歴史を封印して初代会長ご自身が唱導したものとしているのでしょうか。宏正会の教えは「ひとの道教団」そして倫理研究所の丸山敏雄の説をそのまま宏正会の教えとしていることに間違いありません。
初代会長を偉大化し神聖化するための作り話なのではないですか。
 そして 宏正会は師事した丸山敏雄の作った倫理研究所の真似をして 「ひとの道教団」の宗教色を取り 社団法人として設立されています。
でも それが見せかけだとしたらどうでしょう。
宏正会はよく「社団法人の衣をまとった宗教団体」と云われています。宗教団体であるかどうかは この様な法形式ではなくてその実体に則して判断すべきなのではないでしょうか(宏正会の宗教性については 後日述べてみたいと思います)。
 そして一番肝心なところだと思うのですけど 初代会長が「どのような事を意図して宏正会を作ったのか」ということです。
「太陽神」さんの言われるように「お金 権力という野心のため」なのでしょうか。
宏正会の教えは 既に「ひとの道教団」や丸山敏雄にあるのですから 後は今に合うように言葉を変えたり付け足せばそれで済むわけです。
ですから会長が私生活でどのような生活をしているかが問題なのではないでしょうか。   
 

 

  


  

内容で勝負できない馬鹿夫wwww

「いや夫」は まだ「ちゃねらー」をやっているのか。
しつこいねー。このバカは。
「ちゃねらー」なんか相手にする必要いよ。

 長文の「匿名」さんは、武蔵くんではないようですね。中身があまり濃くありませんなあ。

 実践倫理宏正会は、ひとのみちから派生しましし、引き継いでいる教えが多数あるのも事実として認めます。そして、そこから宗教色を払拭したのが、実践倫理宏正会の存在意義なのです。
 「ひとのみち」どうこうなどというのは、そこから分派した過去の話なので、どうでもいいことなのです。うんちくをたれたかったら、PL教団の掲示板へどうぞ。当たり前のことばかり書いているから、「だから何?」と相手にされないと思いますよ。

 せっかく長文で反論しようというのなら、「いや夫」のまとめたものに、正面から反論してください。

(引用開始)
まず、最初は会の成り立ちから私見を述べる。

 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」

 解説する。朝起会は、ひとのみち教団から派生した組織である。そのことは書籍などでも周知の事実なので、私はそれを否定しない。

 問題は、それをわざわざ朝起会が広報する必要があるかどうかということだ。
私は、その必要は全くないと考える。

1 君たちが書いている内容は、出典の不明確な中傷が多い。

2 たとえば、wikiの参考文献となっている「新宗教事典」では、ひとのみち教団を起源とする「倫理修養団体」と分類されており、他の新宗教とは明らかに取り扱いが違う。少なくとも宗教であるとの分類はされていない。

3 具体的に言えば、ひとのみち教団では、「教主が信徒の苦痛を身代わりして引き受け、信徒を救う」「教主が信徒の悩みや苦難に対して神秘直感によって直接診断、指導を与える」「教祖を神格化する」などが行われていたが、実践倫理宏正会では、これら宗教的要素を一切払拭している。

4 ひとのみち教団は、教祖が強姦の罪で逮捕されるなどイメージが悪い。

5 宗教団体は政府から弾圧を受けていた。

6 よってひとのみち教団から教えを引き継いだ部分があるとしても、その宗教色を除き、倫理修養団体として全く新たな組織を作ったのだ。

7 倫理研究所との確執など知ったことではない。分派がなぜいけないのだ。もし、分派がいけないとしたら、なぜこんなにもたくさんの宗教組織があるのだ。

8 上廣哲彦氏が原爆を体験し、それをきっかけとして、新しい倫理修養組織を作ろうとしたのは、まぎれもない事実だ。

9 ちなみにひとのみと教団は、PL教団へと形を変えている。今となっては、実践倫理宏正会とは、まったく関係のない組織だ。

10 朝起会は、会友に別の宗教に入っても構わないとしている。宗教組織ではないからだ。

 以上のことから、ひとのみち教団とのつながりを断って新たに作られた組織であるから、原爆を契機に朝起会を作ったという会の成り立ちを広報することには何の問題点もない。
ひとのみちより教団よりもよりよい組織を作ろうとすれば、当然の方法である。

 丸山敏雄氏との関係については、下記のような投稿もあり、特に問題点を感じない。否定派は反対意見を無視するばかりだから嫌だ。 おばかさん?

(引用開始)
会の草創期、先代会長の行動などは、以前から色々と言われていますね。私も頒布をしていて偶然にお会いした、あちらの会の方(どうやら会場責任者に相当する方らしいようです)から直接、先代会長は裏切り者である旨を聞かされた経験があります。
真相はと申しますと、正直な所、私も全ては存じません。ただ、その昔の講演で、先代会長が(言わばこちら側の思いとして)語ったことがあると、その講演内容をご存知の方から経緯を聞かされた所では、当時は戦後の混乱期でもあり、『ひとのみち教団』で知己であった丸山先生(倫理研究所創設者)と一緒に、倫理復興運動を立ち上げようとしたのは事実のようです。

先代会長としては、あちら側がとやかく言う事にも色々と弁解やら、思う所もあったであろうと推察しますが、その辺は事実のみを述べて、言い訳染みた事や『思い』は黙して語らなかったため、今以て不明の部分も多くありますが、「それぞれの活動が緒に就いた所で、己の信ずる道に向かうため別々に活動を始めた」旨を先代会長は語ったと聞いています。

なお、参考までに最も古い朝起会の開催記録は、昭和22年9月17日(石川県・小松天満宮にて。会ではこの日を以って朝起会発祥の日としている)ですので、あちら側が主張している『裏切り』以前に、この会の実質的な活動は始まっています。蛇足ながら付け加えますと、この日以降、今日まで「朝起会」は一日も欠ける事無く続いています。

もう一つ付け加えますと、『ひとのみち教団』は一般的な宗教とは違い、個人の精神修養を主体とした団体だったようで、この会のあり方に近い会員組織(団体)であったようです。先代会長はこの部分を更に推し進めるため、この会を『宗教法人』としてではなく、文部省(現在は文部科学省)の設立許可が必要な、社団法人の社会教育団体とすべく立ち上げたと聞いています。(この辺は丸山先生の倫理研究所も同様の趣旨ですね)
投稿 鯰の鬚は4本 | 2008.01.25 12:05 午後
(引用終了)

(引用開始)
丸山先生と先代会長の関係については、本会側・倫理研究所側含め色々とお聞きしておりますが、お書きの通り、丸山先生に先代会長が協力する(一般的には師事すると見られる)形であったようです。
「理論の丸山(倫理研究所創設者)、実践(実行力・普及力)の上廣(先代会長)」と呼ばれて、先代会長は丸山先生の右腕のような存在であったそうですね(これは倫理研究所の会員の方からお聞きしたものです)。

両者が互いに認め合って、その後も共にあればもっとより善い会が存在したのでしょうが、実際は今のような状況となっております。
その直接の原因が先代会長にあったのは、客観的に見ても明らかでしょうが、先代会長としても、そうせざるを得ない形になって行った旨を、これは本会の古参会友さんから聞いた事があります。
曰く、丸山先生は、先代会長の「人気が高く、自身の人気(カリスマ性)のなさを目の当たりにして、嫉妬をされるようになって行った」との事。
北陸地方で先代会長が普及を(担当)していた草創期、丸山先生がお入りになる場ではあまり人が集まらず、先代会長が入る場合とはまるで集まる人数が違ったようです(先代会長の意図があったかどうかまでは不明ですが)
(中略)
本会の創立日を昭和21年5月3日としているのは、その日を以って、先代会長が本会の活動を明確に決意し、行動に移した日(友人にその旨を手紙に書いて賛同を求めた、とも聞いています)としています。
批判するつもりはありませんが、倫理研究所が創立日を昭和20年9月とされたのは、それを知った丸山先生が、本会よりも先に「活動を開始した」証拠とするために、事後的に設けられた(少なくとも設立当時はなかった)と、これは第三者(どちらの会にも属さない人)から聞いた事もあります(真偽の程は不明です)。
どちらの「活動開始が先」かは、それこそ「水掛け論」にもなりますから、あまり論じたくはありませんが、上記のご友人(最古参の会友)は昭和21年6月に賛同の返事を出された(その会友さんはその日を「入会日」とされていた)、と聞いています。
投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.13 06:58 午前

(引用開始)
なお、上廣哲学が丸山敏雄氏の創作を取り入れたものだとして二三の用語を揚げておられますが、いささか事実と異なります。丸山/上廣両氏の用語は殆んどが「ひとのみち教団」から来ております。太陽神様が揚げておられます、「捨て育て」「倍加」「愛和(相和)」や「演談」などもひとのみちにあり、例えば「捨て育て」は、同じく太陽神様がreferしておられます、同教団教師心得第三章七節「育児」に解説されています。
ひとのみちには全く無く、丸山敏雄氏の創作で上廣哲学に取り込まれたものをあげるなら、丸山氏畢生の哲学論理「全一統体」の原理で、これは哲彦先師を通じて栄治会長にも継承され、文字通り会長最初の著作、「継踵」のなかの「技術と倫理」の節でこの言葉がでております。これは後年よく止揚昇華され、「大自然の摂理」として、まさに実践倫理の中心命題として、動かぬ地位を占めていること万人の認めるところであります。
投稿 レイモンド | 2009.04.14 04:45 午後
(引用終了)

(引用開始)
(5) 「宏正会」と創始者の経歴のこと。上廣哲彦先師は昭和10年、30才のとき「ひとのみち教団」に入信され、数々のご遍歴ののち、昭和21年9月、41才のとき「朝起会」を発足させられましたが、当初は師の主催する「小松」「福井」「三国」「富岡」「富山」の五ヶ所を丸山敏雄氏率いる「新文化研究所」の北陸グループとして登録されておりました。
これらの事実は、一般書籍などで公表されており、タブーとしていることはありません。
投稿 レイモンド | 2009.07.02 10:34 午後
(引用終了)

(引用終了)

またまた「武蔵」様再登場で、いや夫大先生が、「だから何?」と誰にも相手にされないと思いますよ、と言ったまでは、満点。
結局、いや夫大先生ただ一人が、ご自分の理論は、スズメの涙ほどで、長い、長い、長い、コピペを貼っつけて、得々としているは、これいかに。

 直前の「匿名」さんへ解説

 長文を貼り付けたのは、自分の過去の発言をコピペ(活用とも言う)しただけで楽ちんだからですね。
 でも、正面切って答えてもらえていないので、仕方がないでしょう。この「いや夫」の
「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」
 また、「過去の歴史など広報する必要はない」という意見を論破していただかないと、どうどう巡りになるだけですから。

いや夫さんがおっしゃるように、誰ぁ~れも、相手にしてくれず、このコンチキ野郎のワタシひとりが、お相手つかまつっている、この状態をお分かりにならず、「・・・」と「」=カッコで、引用した、論理に論破していただかないと・・・といつまで、他人or evenn yourself の引用を続けていると、だぁ~れも相手にしてくれませんよ。
あなたのその「」をつけない、ご自分のおコトバで語られよ!!

「いや夫」さんは とうとう「ちゃねらー」から「スレ荒らし」にまで落ちぶれてしまったようですね。
ご自分の書かれたものや人様の書かれたものを何度コピペすれば気が済むというのですか。
「いや夫」さんと同じように「太陽神」さんの書かれたものをコピペすれば このブログはムチャクチャになってしまいますよ。
ただ場所を占領すればいいというものではないと思います。良識ある対応をお願いします。
 
「いや夫」さんが言われている
「過去の歴史など広報する必要はない」ということですが、「広報する」のと「わざと隠す」のとでは 天地の差があるのではないでしょうか。
宏正会の成り立ちについて 「いや夫」さんや「レイモンド」さんのように長くこの様なスレに関わって来られた方にはもう耳にタコができているような話かもしれませんが、古くからの会員さんはいまだに「宏正会の教えは 先代先生が実践の中で産み出されたもの」ということを信じています。若い会員さんはもうこの事は知っておられる方も多いと思いますが 会員さんの前でこの件について云々することはタブーとされていて とても口にするような雰囲気ではありません。
このことは「いや夫」さんも認めるのではないでしょうか。真実のことを話してどうしていけないのですか。
宏正会はわざと隠していて この件については封印しているのです。
「いや夫」さんの言っていることは 宏正会にとって本当に勝手な都合のいい理屈に過ぎないのではないでしょうか。

私は宏正会がこの様に会の成り立ちについて隠そうとしているのは 「倫理研究所」との間の確執にあるのではと思っています。
初代会長と倫理研究所を作った丸山敏雄との関係については 「いや夫」さんがコピペしていますようにこのブログで「太陽神」さんと「鯰の鬚は4本」さんとの間で大変素晴らしいやり取りがあります。
皆さん読まれたと思いますが どちらに真実味があると感じられましたか?
「太陽神」さんは本当に慎重に筆を進められていて結論としては「裏切り」説をとっています。
宏正会側の言い分とされる 
倫理研究所とは別に独自の活動をしていたとされる「生活倫理実践会」については 「倫理研究所の組織内組織に過ぎないもの」とし 
「双方の活動が緒に着くまでは協力し合う関係」という言い分については 「両者の関係は師弟関係であり この事はあくまでも初代会長の内心を言っているに過ぎない」としています。
「太陽神」さんも言っておられますが、私が一番問題だと思うのは 倫理研究所の側ではこのことに発言しているのに 宏正会の側ではあくまでも黙殺している点です。
「ひとの道教団」との関係にしても 「倫理研究所」との関係にしても 「本当だから何も言えない」ということなのでしょうね。そのように取られても仕方がありませんね。
師である丸山敏雄を裏切って初代会長は宏正会として独立したとなりますと 「三つの恩」の中の「師の恩」については 会長自ら反していることになります。初代会長のしたことは「恩を仇で返す」ということですから最もいけない事なのではないでしょうか。
 この事は 会長だけでなく会の幹部さん皆にもいえるのでは。下の会員さんには偉そうに立派なことを言ってもご自分では何も実践されていない幹部さんがいっぱいいると思いますよ。
 
このように 初代会長が倫理研究所の丸山敏雄を裏切って独立して作ったのが宏正会ですから 宏正会では倫理研究所について何も言うことができなくなり その元であった「ひとの道教団」についても何も言うことができなくなってしまった というのが本当の所ではないでしょうか。

もう一つの「いや夫」さんの言っていること
 「原爆を契機に会を発足した」については
「太陽神」さんの言っておられる事を「いや夫」さん風に言えば
 「そうです。初代会長は原爆を契機に金と権力という野心のために ひとの道教団と同じような宏正会を作ったのです」と言えば回答になりますね。

 


上の「匿名」様は賢明なお方ですから、何のeferennceを見なくとも、この文章だけでよく意味が分かります。この手の投稿はかくありたいと思います。

見せかけは 宗教色をとって社団法人にしているが
 組織の活動や教えの内容は「ひとのみち教団」と同じなら 会の成立の経緯というものを説明する義務があるんじゃないの。
今のままじゃ 「宏正会の教えは初代会長が唱導したもの」と多くの会員が騙されたように その会員がまたその嘘を伝えて どんどん嘘が広がっていくだけ。後で「ひとのみち教団」との関わりを知って 騙されたと反発を買うのが落ち。
後ろめたい事がないなら 他の団体のように会はホームページを作って きちんと広報するべきじゃないの。会員が数百万人もいて九段に立派な本部会館を持っている会なんだから そうすべきでしょう。 
違いますか。 

宗教らしい根拠、会員の家族等に本人の承諾無しに入会させる行為を肯定する。そのため、本人の幸福のためと称してい会費まで負担させる。しかし、この会は実践しないと自然の摂理は身につかない、倫理力は現れないと言う教育団体。矛盾ですよ

長文の「匿名」の方へ

 反論の主旨は理解します。
しかし、会友は「実践倫理宏正会」が宗教だなんて思っていないし、書籍等( 『新宗教辞典』弘文堂でも、 『現代の新宗教』沼田健哉著でも、実践倫理宏正会は、新宗教に分類されていません。新宗教教団である「ひとのみち」から派生した修養団体として扱われており、)でも、宗教とは分類されていません。宗教から脱したのですから、別の組織なのです。(それに対して、PL教団は宗教法人として「ひとのみち」をそのまま継承しています。)よりよく生まれ変わったのですから、過去のことなんてどうでもいいのです。そもそも先代会長先生が「ひとのみち」の講師?をしていた期間は大変短かったと書籍で読みました。(wikiくらいしか読まない君たちがどれだけ把握しているのか知りませんが・・・。)その程度の経験だけで、同一視されては困ります。

 なお、「いや夫」が引用が多いという苦情もありますが、素人が自己の体験に基づいて持論ばかり述べる方がよっぽど問題があるのではないですか?(wikiの「実践倫理宏正会」の記事に、
「ある支部では、強姦容認発言の太田誠一を投票誘導した。」
などと書き込む「愚息」のような人間が理想なのでしょうか?「いや夫」はそんなに思い上がってはいませんよ、こう見えても。専門家以外の一般大衆なんて、何かに洗脳されたお馬鹿さんなのです。その自覚があるので、引用が多いだけです。)

 否定派の皆様には、ぜひ「宏正会」が宗教であると断じている書籍や、会の不正を追及した書籍があれば、紹介してください。読んでから誠実にお答えします。
 しかし、残念ながら、あなた方の持論というのは、要するに2ちゃんねるの投稿をすべて真に受けて洗脳されているだけではありませんか?長文の「匿名」さんは、元会友ですか?それなら、その体験に基づいてのみ発言し、2ちゃんねる(「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」)からの引用は控えていただきたい。そうすれば、「いや夫」なりの持論で反論しましょう。実体験は、にわか擁護派に過ぎない「いや夫」がもっとも苦手な分野だと思いますが、どうですか?

 「倫理研究所」との関係については、太陽神派であるあなたは「裏切り」と読むようですが、太陽神以上に慎重に筆を進めておられる「鯰の鬚は4本」様の意見を読むと、「袂を分けた」と表現すればよいだけと思います。先代会長が「ひとのみち」の講師であった期間は大変短く、師弟関係と呼べるほどのものであったのですか?また、その後それぞれ自分で研究したことも多かったと思います。丸山氏との師弟関係については、「いや夫」もこのブログの投稿や書籍からの知識程度しか知りませんが、分派が悪いことだとは全く思いません。長幼の序はもちろん大切にしますが、弟子が師匠を乗り越えていくことは喜ばしいことでして、それを恨むようでは、そもそも師と呼べる存在ではなかったのかもしれませんね。
(この例えで、納得していただけませんか?
「宏正会」は宗教ではないですが、「浄土真宗」の親鸞が「浄土宗」の法然を裏切ったと、あなた方は解釈されるのでしょうか?
 違うでしょ?その程度の問題なのですよ。だからほかっといてというレベルです。「いや夫」の投稿を読めば、いわゆる宗教問題にいかに関心がうすいかわかっていただけると思うのですが・・・。)

 「いや夫」が持論で書くと、この程度です。こんな論争などつゆ知らず、実践者は実践をがんばっております。もちろん、自分たちが宗教を行っているなんて、ちっとも思っていません。そんな宗教団体がありますか?他の宗教と掛け持ちしている人が、このブログ上でも複数名おられます。そんな宗教団体がありますか?「宏正会」が宗教ではないからです。

PS 皆さん、本当にどうどう巡りですなあ。

「いや夫」様  早速 お願いをお聞き下さりありがとうございます。

宏正会の宗教性につきましては 「宗教とは何か」という大変大きなテーマに踏み入らないといけませんので 私の様な者がとても手に負えるような問題ではございませんけど 私が思っている事を後日述べさせて頂ければと思っています。

宏正会の初代会長と新世文化研究所(倫理研究所)の創設者 丸山敏雄との関係についてですが、「裏切り」なのか それとも「袂を分かつ」なのか 意見の別れるところです。
 でも 倫理研究所の側では 現理事長自らが著書で裏切りのような発言をしていますし 倫研の会員さんは「宏正会の初代は北陸の支部を引き連れて勝手に独立した悪い奴」という言い方をされ、これに対して宏正会の側はあくまでも黙殺という態度と云うのが 現時点での事実です。
 「裏切られた側は色々と言うけれども 裏切った側は黙っている」と云うのが 私なりの経験則ですので 私は「裏切り」説を取っています。

『一粒の麦』によりますと 初代が「ひとの道教団」に入信したのが昭和10年で昭和12年にはもう当局により解散させられていますので 初代がこの教団にいたのはほんの1・2年という事になります。
でも その間 初代は今までの仕事を止め教団専属の教師となり 熱心に北陸での布教に専念されていたようです。
教団は解散させられても信者の人は地下では活動されたようですから 初代もそのような活動をされていたかも知れません。
教団におきましては 丸山はナンバー2の准教祖の地位にあり 教団の冊子「ひとのみち」や「ひとのみち婦人」に度々執筆されていました。教団では初代は丸山から色々と指導を受けていたであろうことが想像できます。 
そして戦後 初代は昭和21年5月に宏正会の設立を決意し その年の9月に小松で初めての朝起会を始めたとされ、初代が友人を連れて丸山の所を訪れたのが昭和22年頃で そして昭和25年頃に丸山から離れたとされています。
倫研の冊子「新世」では 「当初は親子のように仲が良かったが 徐々に上廣は横柄になり公然と丸山を批判するようになった」というように書かれています。
 
確かに 多くの宗教団体は色々な分派に別れ 中には現在も争っている団体がありますね。
 でも 宏正会の教えの根本には「共生」とか「愛和」がありますし 朝の誓の「三つの恩」の中には「師の恩」を挙げています。
また会の教えで「お礼奉公」というのを聞いたことがあります。確か「職場を止める時は最後の一年はお礼奉公のつもりで働く」と云ったようなものだったと思います。
初代が師事しお世話になった丸山の倫研側からこのように悪く言われているという事は 初代は宏正会の教えに反する何かがあった事は確かなようです。
そして この事は「太陽神」さんが言っていますように 宏正会はずっとこの「十字架」を背負わなくてはならない運命にあることも確かでしょう。
 
「いや夫」さんは 親鸞と法然との関係を取り上げられていますが、「いや夫」さんは真宗の「正信偈」をご存知でしょうか。
「正信偈」は真宗の根本聖典「教行信証」の要となる部分を要約されたもので 門徒さんは毎日のお勤めで声を出して読むものです。
この「正信偈」の最初の部分では 親鸞の教えに繋がるインド 中国 日本の七高僧を称えています。源空(法然)は七高僧の最後で親鸞は「私のよき師」と称えています。この様に親鸞は自分の教えに繋がる師全部を毎日門徒の皆さんに唱えさせているのです。
もし 初代を親鸞に例えるのでしたら
宏正会では 毎日 朝の誓いの時に 徳光教の金田徳光 ひとの道教団の御木徳一 倫理研究所の丸山敏雄を称えるような言葉を会員が唱和しなければなりませんね。

今の社会で経歴をごまかしたとしたらどうなるのでしょうか。
会社に入る時に 高卒なのに大卒と偽って入社したとしても後で嘘が分かったらクビになってしまいます。経歴を捏造して議員をやめた議員さんもいました。
経歴というのは その人を判断するのにとても重要な判断要素です。
経歴をごまかすことに対して今の社会は相当に厳しいはずです。
初代会長にしても 宏正会にしてもその経歴を明らかにするは当然ではないでしょうか。

宏正会の立場からすれば 会成立から60数年も経ていて それなりの地位を築いているのですから 「ほっといてくれ」と云うのも分かります。定年間際になって高卒とばれても「いまさらー」と云うことになりますよね。
でも 宏正会はこれからも新しい会員を勧誘し 存続し続けるはずです。このままではいつかは行き詰まりとなるのではないでしょうか。

会の成立ちを明らかにするという事は 「いや夫」さんがしている同一人探しに似ていますよ。違ったHNを「いや夫」さんは同一人と追及しているのですから その人にとっては偽りの経歴を暴かれるのと同じですよね。
 


 

 
 
 

今回「いや夫」さんは、引用は全く止め、全部ご自分の言葉で語られましたので、一々引用先にとんでいく必要が無く、極めてスムーズに読むことができました。また論旨もはっきりと理解できました。
上の「匿名」様は、今回も理路整然として、全くブレがなく感銘を受けました。
いや夫さんと上の「匿名」様が、引用をせず、中心の論点に絞って、論理展開されるなら、読者全員が真面目に、討論に参加するでしょう。
短文による、「中傷」子などつけいるスキがありません。
さて、出自、生まれ、経歴が論点になってきております。政治家や学者は、人々と「思想」において、深くかかわり、経歴詐称は、いわば「変節」の露見ととらえられ、やはり許されるものではありません。
修養団体の創始者や宗教の祖師は、その信じて、実践するものの心に照らして、「心の平安」という、別言するなら、一種のご利やくをもたらすものですから、その効用がある限り、事実や論理で突き詰めていって難ずると言うのは当たらないと思います。
ただ、上記ご両所のような議論を、文化論として戦わしていただくのは、われわれ岡目八目陣からみて興味が尽きません。

長文の匿名様へ

 にわか擁護派の「いや夫」よりもはるかに広い知識をおもちになっている点で感服いたします。
 「倫理研究所」側が裏切りととらえているということにも納得しました。
 それでもあえて「いや夫」の私見を申しますと、「宏正会」が反論せず黙殺していることで大目に見ていただけばいいのではないでしょうか?「宏正会」側が、「倫理研究所こそ○○だ~」と反論しないので、お互いに反発しあわず、共存しているのだと思います。
 「宏正会は」、人の悪を言わず己の善を語らない組織ですので、このケースでは黙殺でよしとしているのでしょう。
 「倫理研究所」は「人は鏡、万象はわが師」との教えがあるようですので、弟子が分派していったことも一つの教えと解釈していただき、お許し願いたいと思います。

 いずれにしても、「いや夫」の生まれるはるか前のことでして、会のルーツを原爆以前にもとめることなど、その必要性を感じておりません。

「いや夫」さんは、人の善を語り、己の悪を語れる人です、以前にも宏正会の問題点を指摘していました。
また、精神修養団体の説明をしなければなりません。特に「倫理力」とは何か、どのように修養すれば身につくのか。

「いや夫」さんは 会のルーツを求めることの必要性を感じていない とされていますが、そうでしょうか。
私は 今の「その人」を知るためには「その人」の経歴を知る必要があると思います。
現に議員として立候補するためには経歴を示す必要がありますし 就職する時には必ず履歴書を提出するようになっているは 「その人」を知るためには経歴を見て判断する必要があるからなのではないですか。
「その人」が(親 先祖を含めた)過去のあり方で今の「その人」があるように 宏正会もそのルーツや歴史があるからこそ今の宏正会がある訳ですから 今の宏正会を理解するためには是非ともそのルーツや歴史を知る必要があるのではないでしょうか。
 「徳光教」「ひとのみち教団」「倫理研究所」という流れで宏正会は成立したのですから 宏正会はこの流れにおいて 何処を受け継ぎ何処を新しくしたのか これらの団体はどのようなことを目指してどのような活動をしてきたのか どのように発展しどのように継承されどのように分派したのか 等を知ることは今の宏正会を理解するためにはとても重要なことと思います。
もっと詳しく理解するためには 会成立から60数年 会はこの間にどのような変化があったのか 指導者が初代から現会長に変わってどのように変わったのかとか 原点である徳光教は日本のどのような思想の中で出て来たのかと色々調べる事がありますね。

「いや夫」さんは 宏正会は「ひとの道教団」の宗教色や悪い所を排して より良いものとして生まれ変わった団体 というような捉え方をされていますがそれでいいのでしょうか。
確かに 宏正会は表面的には宗教色をとり 社団法人として設立された団体です(宗教性については後日述べます)。
「いや夫」さんは 「新宗教辞典」(弘文堂)の宏正会に関わる部分を書き込んでいますので 宏正会の一応の流れはご存知だと思います。
でも この本は「辞典」ですから性質上執筆者の主観を押さえた表面的な記述になっていますし 争いがある場合には当り障りのない表現になっていることは 疑い深い「いや夫」さんですからお分かり頂けますね。

「ひとのみち教団」の教義は別の機会に述べたいと思いますが、その組織 活動 教主の地位については どのようにお考えですか。
批判派の方々はこの事について批判しているのではないでしょうか。
 「ひとのみち教団」は この辞典におきましても
「教祖の神格化が著しい」「カリスマ的な教主」とか 「あまりにも教祖中心 教団中心で排他的 独善的あった」というように書かれていますね。
この事は宏正会に当てはまるのではないですか。
「会長先生 会長先生」と宏正会では (「尊敬」という表現を使っていますが)会長は独裁的な地位にあり カリスマ化され 神格化されたように扱われているのは疑いはありません。
また 宏正会では会の行事と運動会や卒業式といった子供の学校行事が重なる時には会の行事を優先するように指導していますね。大会の役員をされている壮年の方は仕事を休んでまで会のお役を優先してますね。これは「教団(会)中心」と言えるのではないですか。
 
「ひとの道教団」では 普及の先頭にいた教師はその集めた資金の額によって序列や月給が決まり
教師は競争して信者から金を集めたようです。
そして全てのお金を教団に捧げ無一文になった信者は身献(みささげ)という肉体奉仕までしていました。この様にして巨額の資金を集めた教団は広大な本部の殿堂や野球場まで造っていたのです。
初代は教団では教師の立場にいましたので この様な競争での資金集めをしていたと思いますし 教団の資金の集め方を充分に学んだのではないでしょうか。
宏正会では「お祝金」という方法で会員から資金を集めていますが 「ひとのみち教団」での資金の集め方を利用したものと考えられます。

一部を紹介しただけですけど この様に宏正会のルーツ 歴史を知ることで今の宏正会を理解できる事がたくさんあるのではないでしょうか。  

  

   
 


無毛同士でセクロスやべぇ。。。。。。。
うまく言えないが、成熟してない初物マヌコを
ムチャクチャにハメまくってる気分だわ((ミ ̄エ ̄ミ))
http://misekun.xabrina.net/vni1e5z/
オナ見せ合いで終わらせなくて良かったw

 長文の匿名様へ

 ひとのみち教団などについてもかなり詳しいようですね。特に負の情報ばかりを一生懸命集められているような気がします。あなたの背景を知りたいものですなあ。

 「いや夫」はひとのみち教団や徳光教については、書籍で読んだ程度しか知りません。興味がないからです。それでも、議論の出発点として、資料が必要だと思いますので、我がブログに下記の記事を掲載しておきました。貴殿はすでに読まれてようですね。

「実践倫理宏正会」誕生前の先代会長が関わった宗教組織について(『新宗教辞典』弘文堂より)
http://58807828.at.webry.info/201002/article_39.html

 同じ資料を読んでも、否定派と肯定派では意見が二つに分かれてしまうようです。2ちゃんねるを読むときにも、否定派はそのまま鵜呑みにするし、「いや夫」は「嘘ばっかじゃん。同じことを何度も書いて馬鹿じゃね」と読んでいますので、平行線ですね。

 すくなくとも、上記の記事の原稿を書いた対馬路人氏は、宗教社会学の権威のようで、「実践倫理宏正会」を「修養団体」と定義されています。
 以前、太陽神が宗教の専門家は「宏正会」を新宗教と分類していると断言していましたが、「真っ赤な嘘」です。あなたはどうかわかりませんが、あなたの仲間たちは書籍など読まずに2ちゃんねるに釘付けですので、誤った情報をそのまま信じ込んでいるので困ります。(お金がどうのこうのと批判するときには、いつ、誰が、いくら、どのように奪われたなど、具体的に訴えてください。ネットでは・・・は、よしといてください。自身の経験のみお書きください。)

 先の記事を読んでいただければ、徳光教→ひとのみち教団→パーフェクトリバティー教団の流れが正当な流れだと理解できるでしょう。

 それに対して、「倫理研究所」と「実践倫理宏正会」は、「修養団体」として再編成されたものであり、さらに後者の方がより宗教色を脱したと理解できます。

 否定派は経歴がどうのこうのとこだわっておいでですので、例えで反論します。

 それぞれの組織を、飲食店とします。

 徳光屋は、大正元年創業の老舗のうなぎ屋です。店の壁にはっている十八条の家訓がすばらしく、味もまずまずでした。都市の中間層が主な客層でしたが、初代は大正8年になくなったため、あまり発展はしませんでした。そもそも店主がカリスマとして店を仕切っていたため、後継者問題で、お店は分裂状態になったのです。

 そのごたごたの中で、徳光屋をくびになった御木徳一氏は、先代の味をそのまま継承しながら、二十一カ条の家訓をかかげた「ひとのみち屋」を開きました。このリニューアルと早朝営業が評判を呼び、チェーン店が各地にできるほど発展しました。

 しかし、時代は戦前・戦中の不穏な時代です。ぜいたくは敵だと「うなぎ屋」は当局に目をつけられていました。社長が店の娘にふしだらな行いとしたとの名目で逮捕され、チェーン店は解散させられてしまいました。

 なお、この「ひとのみち屋」の幹部の一人に丸山敏雄という男がいました。「うなぎ屋」は贅沢すぎてだめだという調書を上申し、釈放されました。丸山氏は、このまま「うなぎ屋」をやっていくのは危険だと判断し、より庶民的で誰でも入りやすい店を作ろうと考えました。そして、「ひとのみち屋」から「独立」する道を選んだのです。(否定派はこちらも「裏切り」と表現するのでしょうか?)

 丸山氏は、早朝営業の方法など一部を継承しながら、牛丼屋として事業を起こしました。この店の壁にも「幸福の栞17カ条」なる家訓が貼ってありました。そこそこ繁盛したようです。

 そして、もう一人新しい事業を起こした人物がいました。上廣哲彦氏です。彼は、「ひとのみち屋」のあるチェーン店の料理人を2年くらい務めたところで、お店が解散してしまいました。そこで、丸山氏が始めた牛丼屋の事業に協力することにしました。

 しかし、上廣氏は、自分の店を持ちたいという起業家精神が旺盛でした。研究熱心な彼は、どうやったら牛丼屋をより繁盛させることができるかを常に考えていたのです。その手腕は、すでに丸山氏を超えていたともいわれています。結局上廣氏は、自分の事業を起こすため、「独立」しました。

 その後、丸山氏の「牛丼の倫研屋」と「牛丼の宏正屋」は互いにチェーン店を増やし発展していきました。より発展したのは「宏正屋」のようです。この二つのお店は、同じ牛丼を扱うライバルでもあり、互いの交流はありません。それは仕方のないことだと思います。

 その後、上廣哲彦氏はカリスマ性を発揮し、全国の従業員から慕われました。その哲彦氏が昭和47年に亡くなり、今は二代目の上廣榮治氏が経営を引き継ぎ、チェーン店を拡大しました。「宏正屋」も早朝営業が売りですが、家訓は5カ条と覚えやすくオリジナルな点が受けています。

 しかし、お店が多い分、クレーマーや商売敵からいやがらせを受けることも多いです。特に、初代社長が「ひとのみち屋」から味を盗んだんじゃないか、経歴詐称だなどというようなクレームも受けています。ところが、あちらは「うなぎ屋(宗教)」、こちらは「牛丼(修養団体)」です。素材もたれも違うので、初代店長がうなぎの「ひとのみち屋」で働いてたことがあることなど、誰も何も気にしていないのが実情です。

 「独立」は善いことなのです。

「一身独立して一国独立す」by福沢諭吉
他の店に雇われていたのは、企業のための勉強に過ぎません。あえて触れる必要もないのです。きっと、自分のお店の方がいい店だと思っている人は、昔働いていたお店なんかアピールしないと思いますよ。

 もう、他のネタに変えませんか?

企業→起業 に訂正

「会の行事を何より優先」
について言及し忘れました。

 「いや夫」もへたれですので、否定的です。
家族や仕事を優先してもいいような気はします。
しかし、そうすると「終始一貫」は達成できないのでしょうね。

 ちなみに、講師の方は、「終始一貫」にはまったくこだわっていないのかもしれません。そんな講演があったことを「いや妻」から聞きました。

 「終始一貫」だから偉いなんて大間違いで、人格ができていなければ何にもならない。全然「終始一貫」でなくても、また、会に関わらなくても人徳のある人はたくさんいますという内容だったそうです。
 だからこそ、人徳の足りない人は、実践に励まなければねとも語っていたようです。
(また聞きなので、全然違うかもしれませんが、ご参考までに。)

どなたか、
「精神修養団体」と
「倫理力」について説明願います。
「いや夫」さんでは難しい状態です。
歴史では、広島の原爆が開教の一端と言い続け、金沢が発祥地は疑問。
また、核兵器廃絶を訴えないのも疑問。
公益法人改正では、末端組織まで会計を透明にする必要あり、対策は?(ホームページも持たない団体、財団を上部に持つ団体が認可可能か?)

「いや夫」さんは 宏正会の成立ちをお店の独立に例えて説明されていますが とても分かりやすい説明の仕方ですね。
一つの物を見ても 見る人によって色々な見方があります。否定派の人も肯定派の人もそれぞれ自分に都合のいい所ばかりを見てしまうのは仕方のない事ですね。
でも それでいいのではないでしょうか。後は それぞれの人がご自分で判断なさればいいことですから。
 
私の理解では(もっと複雑ですけど簡略化します)
祖父(金田徳光)の興した事業を 父(御木徳一)が継ぎ 戦後 国により解散された事業をどのように復興するかについて子供達の中で争いが起きます。
跡取である長男(二代目教祖 御木徳近)は 組織の形態はそのままで 教えを現代的な表現にするという形で PL教団を興し、次男(准祖 橋本郷見)は祖父(徳光教)の所に養子に入り 父(ひとのみち教団)の事業をそのままの形で再興し 自然社を興しました。
三男(准祖 丸山敏雄)は 父の事業の反省から組織を見直し 教えは同じようなものですが 新たな形態の組織で出直し 倫理研究所を興しました。
一番年下でまだ未熟であった四男(教師 上廣哲彦)は 自分で父(ひとのみち教団)の事業を北陸で再興しようとしますがうまく行かず 三男を頼り三男の所で修行します。三男はてっきり弟が自分の事業を手伝ってくれるとものと思い 周囲の幹部達もそのように思っていましたが 四男には「自分の教団を作る」という野心がありました。最初からそのように言っていたのでしたら問題はなかったのですが そのことは四男の胸に秘めていました。
ここが 倫理研究所と宏正会の争いの元ではないでしょうか。四男が独立したことに対して 丸山(倫研)側としては当然裏切りになるでしょうし 上廣(宏正会)側の言い訳としては「両者の活動が軌道に乗るまで協力した」ということになるのでしょう。
同じような事は 共同して起業する時にもよくある事ではないでしょうか。 
どのように判断されるかは 皆さんにお任せしたいと思います。
 
丸山と上廣 その人物像について「太陽神」さんは最初に比較しています。
丸山は広島高等師範に二度入り直すような学究派で 教団に入る前には校長にまでなっています。
上廣が入信した時には准祖の地位にあり 上廣から見れば丸山は雲の上の存在であったはずです。
上廣は反物屋の丁稚から入信し 教団では教師の地位です。教団では教師は布教の最前線にあり 入信させた信者の数 集めた資金の額で序列や月給が決まっていましたので 上廣は一生懸命に布教していたのではないでしょうか。

中央集権的な組織でカリスマ的な教主の下では教主の性格がそそままにその教団に出てきます。
丸山と上廣 この両者の性格がそのままに倫理研究所と宏正会に出ているのではないでしょうか。
上廣は 下から這い上がった野心家 「成り上がり」です。金銭欲 権力欲 名誉欲は人並み以上に強いはずです。会長の豪邸 ベンツ 贅沢な生活 会の中での神聖化 上廣倫理財団 などはこの流れにおいて理解できます。
これらはすべて「ひとのみち教団」にあったのです。
教団の教主ななればこの事は約束されていたのです。上廣がどうしても自分の教団を作りたかったのはこの様な野心からではなかったのではないでしょうか。
この事についても 皆さんのご判断にお任せいたします。
 矢沢栄吉さんは確か広島出身で貧しい生活から音楽で成功して「成り上がり」という本を書いていますね。宏正会の会長と似ていますね。
 
  
   
 

ご両所のご議論は、大変よく分かります。もう読者は自分でどちらをとってもよいと思います。どうも有難うございました。

講演会で講師が言ったこと
『全然「終始一貫」でなくても、また、会に関わらなくても人徳のある人はたくさんいますという内容だった・・・。』
当たり前でしょう。
 
『だからこそ、人徳の足りない人は、実践に励まなければねとも語っていた・・・。』
朝起きして 頒布して 学びに出て お金をいっぱい奉仕して それで人徳が身につくの?
もう会員が証明しているのじゃないの。

 


長文の「匿名」様へ

 あなたはたとえがなかなか上手でおもしろいです。

 2ちゃんねるでたとえ話が最も上手だったのが「否会友」です。同じ位上手ですね。

 長文さんのたとえ話と、「いや夫」のたとえ話のどちらを選択するかは、読んでいる人が選択すればいいと思います。
 まあ、競馬の予想みたいなものですね。

 どちらをとるのも自由ですが、素直な人間は、だまされてもいいから人としてあるべき道を選ぶものです。お金とか名誉欲くなど気にしません。そんなことを気にしているから不幸になるのです。

 上廣哲彦先代会長は、会友に慕われながら最高の人生をまっとうされました。

 否定派がいうような名誉欲や金銭欲ばかりの人間が、そのような幸せな人生を歩めるとは、「いや夫」は思いません。

 否定派のように疑い深い人は、家族なども疑うのでしょう。不幸な人生ばかりを歩き続けたいようですな。

否定派の皆様へ

 いつも否定派が疑問を投げかけるばかりなので、たまには「いや夫」から質問します。
 「匿名」の皆様、全員ご回答ください。その回答の善し悪しで、実人数を数えたいと思います。

 さて、「宏正会」は家庭愛和を目指す会でした、仕合わせの第一歩は「家庭愛和」と「夫婦愛和」に有りとしています。そんなことは当たり前で、儒教の根本原理でもあります。家庭愛和なくして幸福はないのです。

 ところが、否定派の皆様は、どうも家庭愛和が苦手でいらっしゃる。
 「愚息(高塚地蔵尊、究明団、ボケ老人、田中丸兼ねる)」は母親を憎んでいます。
 「否会友」は会友である義母を憎むがゆえに、「宏正会」をつぶすことを願っています。

 また、2ちゃんねるをのぞいてみると、同じように家族(配偶者の家族を含む)を憎む投稿がすぐにみつかります。

(引用開始)
373 :名無しさん@HOME:2009/12/22(火) 23:18:11 0
>>361です。
仰せの通り、義母も同じ事をやり会費の自己負担をしておりました。
しかも、番犬までもが会友登録されていた事実に「こいつらの会は完全に狂っている !」と、
かすかな殺意さえ芽生えた記憶があります。

415 :名無しさん@HOME:2010/01/18(月) 00:30:07 0
ご名答 ! その通りです。

インターネットの掲示板の内容なんて全て嘘ばかりなんだって・・・と、
古参の会友ババアがのたまっており、思考停止に飼い慣らされております。
因みに、このババアとは嫁の母親で、私の義母にあたる愚かな女であります。

弘前支部と大館には頻繁に出向いているようですが、亭主が反対してから今年で何年経過していると思うんだバカ女。
(引用終了)

 「いや夫」が思うに、君たちって世間一般よりおかしな人たちなのではないですか?家庭愛和ができなくて、仕合わせになれると思っておいでですか?

 なお、これは君たちが大好きな「認知的不協和理論」で説明できるのです。

 世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。その不協和を解消するためには、その相手が「宏正会」という極悪な組織にだまされてい愚か者とすればよいのだ。

 なかなかするどい指摘だと思いますが、いかがですか?
 長文の「匿名」さんには、客観的な回答を期待したいものです。その位でないと、相手にとって不足です。「愚息」はまともな回答ができないでしょうね。期待していません。

「討論は避けよ」さんへ

 「倫理力」は我がブログでも説明しています。
http://58807828.at.webry.info/200912/article_17.html
http://58807828.at.webry.info/200912/article_18.html
http://58807828.at.webry.info/200912/article_19.html

 上記の記事の中の「源左」が生まれつきもっているのが「倫理力」です。しかし、生まれながらにこのような「倫理力」をもっている人間は限られます。そして、不幸な人生を歩まざるを得ないのです。

 くどいですが、「家庭愛和」ができない人には、「倫理力」などありません。「倫理力」があれば、家族の誰かがどんなに愚かでも愛することができるはずだからです。

 このように、「倫理力」はなかなか得難いものでして、その「倫理力」を身につけるためにあるのが、「精神修養団体」です。

 「いや夫」でも説明できたのではありませんか?

 ちなみに、「いや夫」は「倫理力」を持ち合わせていません。「否定派」との討論をいつまでも続けているからです。それでも、「いや妻」がいやいやながら「宏正会」で修行してくれているおかげで、「夫婦愛和」「家庭愛和」がなっていて、仕合わせです。

 否定派の皆様、「いや夫」をやっつけようなどというちんけな目標のために、物の無駄・時の無駄・心の無駄 をせず、「家庭愛和」のために全力を尽くしてはいかがですか?

また いや夫はちゃねらーの本性を現して来た。
せっかく いい内容が続いていたのにこれでは台無し。
自分が不都合になって「ちゃねらーいや夫」には メクラ撃ちの個人攻撃しか手がないようだ。
哀れな いや夫。

「いや夫」は認知的不協和理論が全く理解で出来ていない。
「いや夫」の言っている事は意味不明。
それでも自分では 「なかなかするどい指摘だと思いますが、いかがですか?」と自画自賛。
恥ずかしいとは思わないのか この「バカ夫」は。


ここは ちゃねらーの来る所じゃないよ。
投稿した人の 同一性や背景なんかどうでもいい事。
「いや夫」のやっている事なんかは誰も関心がないよ。
ただ目障りなだけ。
きちんと議論したくないなら 2チャンネルでも行ったら。
「いや夫」は そっちの方が合っているんじゃないの。 

いや夫様

いろいろと、呼びかけてくださって、ご苦労様でございます。
しかし、あなたにまともに、お相手するひとも、いないようですし、あなたのブログの呼びかけに応えて、真面目にブログに応えているひとも皆無です。
「匿名」は全く不連続、またHNつけても、次のときはまた違うHNつけたりも出来ますし、なりすましも出来ますので、「匿名」とほぼ同じポジションです。
「匿名」とは、「一回きり」、「一期一会」、「読みきり小説」、と同じ性質で、それだけで一つの思想を表す、完成系ととらえねばなりません。そう思うからこそ、その人たちは「匿名」で書き込んでいるのです。
その投稿子たちの、「心」や「気」を察しないで、どれかとどれかをくっつけようとしたり、全体で何人かなどという、あなたの好奇心の押し付けに、両派とも嫌気がさしているのです。
「憎まれっ子世にはばかる」のならい、心あらば空気読んで、倫理の士として泰然と構えられよ。

倫理力とは、科学的な力とは違い、道徳 「いや夫」さんの時代なら修身となりますか。
確かに学校では進学が再優先で出来ていないのは事実ですね。
源左が、登場したのも、宗教色があり面白い。
であるなら、会社組織の場合、会員拡大事業の営業の場合、営業マンを修練させてから、社会に出すべきでしょう。同感されると思います。
また、倫理力を精神修養する団体から、二橋派も分派するのも面白い。
夫婦愛、家族愛を再優先するのなら、時間の無駄、金品の無駄では、会員拡大は専門に任す、本は余分に買わない、所得は家庭のために使う。みなさん賛同されると思います。自分は精神修養に努める。五つの誓い、妻の三十箇条など実践しましょう。
幹部が豪遊するのは倫理力がそなわっていない証拠。?
源左が豪華な私生活をしたとは思えん。

朝起会にも数える程しか行っていない いや夫さんに 「倫理力」などの説明を求めても無理。

宏正会もいや夫さんも 虚飾を剥がされて散々ですねー。ご愁傷様。 

>上廣哲彦先代会長は、会友に慕われながら最高の人生をまっとうされました。
 否定派がいうような名誉欲や金銭欲ばかりの人間が、そのような幸せな人生を歩めるとは、「いや夫」は思いません。
  
ふぅーん それで今はどうなの?
今では 「ひとのみち教団と同じものを作った」とか「師である丸山を裏切った」とか ボロクソに言われているんじゃないの。
最近は宏正会でも初代会長のことをあまり口に出さないみたいですよ。
他の団体ではどこでも 創設者は祭り上げられているのに カワイソウですね。
初代会長が金銭欲 名誉欲ばかりの人間だったからじゃないの。

アリャリャ、2ちゃんねるがダウンしている。「宏正会」があやつったわけではありませんが、このまたとない、2ちゃんねる不在の、状態を活用して、日頃2ちゃんを語っている諸子が、この「・・って何」において、引用/コピペのない、討論をお願いする次第です。

実に清々しますな~、今までも言いいいしてきましたが、「宏正会」の準備金を利用して、もうこの2ちゃんを買い取って、バカな書き込みなんかの無い、このように、品性の落とす場のない世の中を作りたいものです。
ひろゆきさんが、一昨年2ちゃん売却したときが、チャンスでしたが、また到来ですね。

いや夫様

あははははー、あなた2ちゃんねんるに投書したことなく、九死に一生を得ましたなー。
いま、手繰り寄せておりますが、一回でも書き込んだひとは、もうチョンバレです。
世の中正にクワバラクワバラですね。

宏正会は 初代会長が戦前に入信していた「ひとのみち教団」という宗教団体を表面上は宗教色を取ったように見せかけて社団法人として復活させたものです。
ですから 随所に合理的な説明ができない宗教的なものが見られます。
 例えば 色々批判されています「陰倍加」ですけど
「いや夫」さんは「その人の幸せを願って入会してもらうこと」とし 「鯰の鬚は4本」さんは「陰ながらその人の仕合わせを願う心の発露から行われている」としています。
会員に陰倍加をさせるため会が指導している理屈としては この様なものでしょうね。
 でも この様に本人が知らない間に勝手に宏正会に入会していることになったその人は 仕合わせになるのでしょうか?
 もしそれでその人が仕合わせになると言うのでしたら 宏正会に入会するという事は「お守り」のようなものということになりますね。これって宗教ですよね。
 私の理解では宏正会の教えは実践して初めて仕合わせになれるというものですから 多分 「陰倍加をする人」についての実践ということになると思います。
 「いや夫」さんの奥さんは ご近所のボス的なおばさんに うまくお付き合いできますようにと陰倍加をして つきあいは良好みたいですね。
「いや夫」さんは「倍加するという行為自体が相手を許し肯定することになるので慈悲の心が高まる」と説明していますけど、大変いい所に目を付けられているのではないでしょうか。
 この様なことを心理学的に説明したものが「認知的不協和理論」です。
苦手な嫌いなおばさんとは あまり関わりたくないですよね。ですからその人のために大切なお金を使うということは 「どうして私は嫌いなおばさんにお金を使ったのでしょう」と心に不協和が起きてしまいますね。
でも敢えてその人の仕合わせを願って3000円というお金を会に払うという不協和を作り出してしまうと その不協和を解消するために心の中ではそのおばさんは私にとって大切な人なんだ だから私は大切なお金を使ったんだというように不協和を解消させるために心を変容させて行きます。
このように自分の心が変容した態度で苦手な嫌いだったおばさんと接するとおばさんの方でも心が柔らいで良好な人間関係が築けるということになるのでしょう。
 
 親や兄弟 恋人といった自分にとって大切な人に陰倍加をするのは「自己知覚理論」によって説明できます。「私はこの人に大切なお金を使っている。この様な行為をしている自分を自分で知覚して改めてこの人は私にとって大切な人なのだと自覚する。」というように説明するのだと思います。
 
ですから 「陰倍加」という実践も「陰倍加をする人」にとっては一定の効果はあると思います。
決して「陰倍加される人」ではありません。 

「自分が変われば相手が変わる」という教えが宏正会にもあるように 自分が「陰倍加」によって変わって相手との関係が良好なものとなるとしたら その相手も仕合わせになるとは言えそうですね。

「会に入会する事で会とご縁ができ それで仕合わせになる」とか 「お徳に守られる」といった説明は宗教じゃないと説明できないものですね。
宏正会では 「ひとのみち教団」から受け継いだものが数多くありますから 一つひとつ検討してみる必要があるのではないでしょうか。

 


 

「ひとのみち教団」から引き継いだものが、数多くあるから、一つひとつ検討してみる必要があるという「匿名」様

その必要性がなぜあるかを、是非われわれにわかりやすくご説明お願いします。
あなたの、論旨はその通りだと思います。日本人の心のなかには、あなたのおっしゃる「陰倍加」の底辺に流れる、氏神信仰の「お陰」や「お守り」と共通の思想があります。
あなたのおっしゃるように、もし陰倍加をする人に、一定の効果があれば、すばらしいことではありませんか。
あなたが、宗教学や民俗学にご興味がおありで、一つ一つ比較検討されるならば、それはまた素晴らしい、分析学になると思いますが、いま「宏正会」で実践して、幸福を感じている人々とは余り関係のないことです。
キリスト教神学においては、ダーウイニズムを容認する学派が半分ですが、大多数の善良なる一般クリスチャンは、人間は神によって作られたのではなく、サルから進化したものだと信じているわけではありません。

長文の匿名さんへ

 こちらへのご回答はスルーですか?
また、認知的不協和理論を説明されていますが、そんなこじつけ必要ないでしょう。ストレートに「汝の隣人を愛せよ」ですよ。

 「愚息」は回答をはぐらかして、「匿名」でたくさん「いや夫」を中傷するばかりです。

 せめて「長文さん」位は、客観的な回答をお返しください。それとも、あなたご自身が義母を許せないケースなのですか?

(引用開始)
 「いや夫」が思うに、君たちって世間一般よりおかしな人たちなのではないですか?家庭愛和ができなくて、仕合わせになれると思っておいでですか?

 なお、これは君たちが大好きな「認知的不協和理論」で説明できるのです。

 世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。その不協和を解消するためには、その相手が「宏正会」という極悪な組織にだまされてい愚か者とすればよいのだ。

 なかなかするどい指摘だと思いますが、いかがですか?
 長文の「匿名」さんには、客観的な回答を期待したいものです。その位でないと、相手にとって不足です。「愚息」はまともな回答ができないでしょうね。期待していません。


投稿 いや夫 | 2010.02.27 10:52 午後
(引用終了)

 2ちゃんねるが停止しているようですね。
日本人の大多数が歓迎していることでしょう。
ここにおられる「匿名」の皆様、マイホームが停止して残念でしたなあ。

 我がブログに、

2ちゃんねるは「終わっとる」
http://58807828.at.webry.info/201003/article_1.html

 「いや夫」をちゃねらー呼ばわりするなど、皆さん「自虐的」ですねえ。「ちゃねらーは恥ずかしい存在である」ということを、自分たちで認めていらっしゃる。そのことにもお気づきではない。哀れですねえ。

 短文の「匿名」さまへ

 下記の投稿をされた方へ

(引用開始)
その投稿子たちの、「心」や「気」を察しないで、どれかとどれかをくっつけようとしたり、全体で何人かなどという、あなたの好奇心の押し付けに、両派とも嫌気がさしているのです。
(引用終了)

 「両派」はまちがいです。肯定派は、ネット上の投稿など気にもとめていません。少しは興味があるとしたら、いったい何人位が投稿しているのだろう程度です。よって「いや夫」が「愚息」をおちょくりながら、否定派の実数がぜんぜん多くなさそうだということを示すだけで、満足されると思います。
 「いや夫」の詮索を一番迷惑がっているのが、「愚息」です。「いや夫」も「愚息」以外に「いや夫」に討論を挑む者はいないのかと感じていたところです。そして久しぶりに、長文の「匿名」さんが討論に復帰されました。

 http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23098106 

 以上の投稿と「テラ」キャラ以来ですなあ。

討論しがいがあればいいなあと思っているところです。
 
 短文の「匿名」様は、固定ハンドルで苦労されたので、「匿名」を使われていますね。それはそれで良いと思います。(どなたかは、ご存じあげております。)

 貴殿のご忠告に関わらず「いや夫」は相手の人数を数え続けますし、いずれ分析結果を報告するつもりです。今現在の感想ですが、「いや夫」が最初にこのブログに投稿した当時の勘がスバリ当たっていたなあと思っている次第です。もっと多くの否定派の論客にご登場いただきたいものです。


(当ブログへの投稿を控えることによって、競馬研究の時間がとれました。先々週は+3000円。先週は+15000円でした。少し余裕ができたので、投稿をしているところです。)

また ミスターちゃねらー「いや夫」君 が復活したようだ。
お前さんが どんなに2チャンネルを否定しても 「いや夫」はちゃねらー。誰もが認めていること。いい加減に少しは自分でも自覚したらどう。
「いや夫」はまともに討論しないで また何人が投稿しているかとか 愚息だのテラだのとあてずっぽな名前を挙げて こんな事は当事者以外に誰も関心がないの。はっきり言って じゃまで目障りなだけ。
 
このブログ 今googleで検索するとウィキに次いで3番目にランクされていて 投稿しないだけで肯定派の人 会員もいっぱい見ているはず。
ちゃねらーのすることばかりをしないで まともに討論したら。
そうでないと会員 肯定派の人は「いや夫」に失望するよ。

 


 「愚息」はスルーね。
 
 コメントへのショートカットは、うまく表示されないようですね。

 「いや夫」の
コメントへのあてずっぽな予想によりますと、長文の「匿名」さんは、いや夫へ「最初に反論した人物」だと思っております。「愚息」以外の数少ない投稿者です。
 
 その投稿は、下記のものです。

投稿 匿名 | 2009.10.10 10:16 午前


投稿 テラ | 2009.10.10 12:32 午後


投稿 テラ | 2009.10.10 05:12 午後

 「愚息」のケースでも、さんざん成りすましを指摘しておりますが、違うといのうなら、なぜその違うご本人が反論してこないのでしょうか?
 不思議ですねえ(笑)

「いや夫」さんへ
なりすましは、していないと宣言、宣誓しましょう。

私が「陰倍加」について述べたことについて意見を述べられている匿名様。
 
 宏正会はあくまで宗教団体ではないとし 会長は「実践によって人格が向上しその結果仕合わせになる」としていますね。
そうでないと修養団体ではなくなってしまいます。
でも私は「ひとのみち教団」から受け継いだもの つまり宗教的なものが宏正会には数多く残っているのでは と思っています。
前回は「陰倍加」について述べましたが、「お守り」とかいった事柄を持ち込むと会の教えと矛盾するのではないでしょうか。
会長の著書では念仏を唱える他力本願の宗教を批判していますように あくまで自力で運命を切り開くというのが宏正会の教えのはずです。
ですから「陰倍加された人」は何も実践していませんので ただそれだけでは仕合わせにはならないはずです。
 でも会では「陰倍加された人」が「会とご縁をつなげることで仕合わせになる」とか 「お徳に守られる」といったことを会員に言っていますね。そのように言って会員に陰倍加をさせていますね。
これは会の教えと矛盾していませんか?
 何故この様な会の教えと矛盾するような事を言っているのかと言いますと それは多く批判されているような 会員数をごまかすためだとか 入会金を会の資金とするため ということになるのではないでしょうか。
この様に私は 矛盾しながらも宗教的なことを会は利用しているのでは と思っています。
 
「いや夫」様

また 投稿者が何人だとか 誰と誰とが同一人といった ちゃねらーがする事をしていますね。
私もこのようなものを見るとウンザリしています。
「いや夫」さんがどのように思われようとご自由ですが それをいちいち書き込むというのはどうでしょうか。
ギャラリーの方々は ただ鬱陶しいだけでこの様なものには関心がないと思いますよ。
 
私が陰倍加について「認知的不協和理論」で説明したのは 心理学から見ればこの様に説明できるのでは と思っただけです。 
「いや夫」さんは こじつけずにストレートに「汝の隣人を愛せよ」と言っていますが それならそれでもいいですよ。
枯葉が落ちるのを見て 詩的に思うか それとも物理的に考えてみるか との違いでしょうね。
でも 上の「宗教的のもの」でも述べましたように 合理的に物事を見ないと ごまかされてしまうことになりますよ。

「いや夫」さんが次のように言っていることについて。 
「世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。その不協和を解消するためには、その相手が「宏正会」という極悪な組織にだまされてい愚か者とすればよいのだ。」

「いや夫」さんの言われていることの意味がよく読み取れませんが、多分「いや夫」さんはこの様な事を頭に置いておられるのではないでしょうか。

実践者の家庭では よくお母さんが息子さんを人数合わせのためでしょうか増強日などに無理やり起こして連れてきたりしますよね。また日頃 倫理でもって息子さんにお説教なんかもしているのでしょうね。それで いつもその息子さんはお母さんにもそのような事をさせる宏正会にも反感を抱いている。そこでネットで宏正会の批判記事を見て「それ見たか」ということで日頃のうっぷんを晴らすように自分も宏正会の批判を書き込む と言うような事ですね。
 
「いや夫」さんは 「世間一般では、家庭愛和するのが当然だ」という事と「自分は家族を嫌っている」という事との「不協和」を言っていますが、「いや夫」さんは 観念的な「世間一般では、家庭愛和するのが当然だ」という事を持って来て 無理やり「不協和」をこじつけていますね。
その人の心の状態は ただ「自分は家族を嫌っている」という事ですね。
「いや夫」さんのように 観念的なものを持って来てその人の心の状態に結びつければ いくらでも「不協和」を作り出せることになってしまいますよ。
心理学は「実験」で証明するように科学的なものです。現実の心の状態を対象にします。この様な観念的なものを結びつけた心を対象にしません。
「いや夫」さんが認知的不協和理論で説明したことは適切ではないと思います。


 

 

   

”宗教的なもの”・「匿名」様

「あなたのおっしゃるような・宗教的なもの」は確かに残っております。
知らずに「倍加された」ひとは、そのことによっては、仕合せにならない、というあなたの論理は全く正しいです。
「倍加された人が、会とご縁ができて、仕合せになる」と、会では言っておりません。ひとは実践によって、仕合せになるのです。
会の教えに矛盾するようなことを、言っているのは、多くのちゃねらーと、一部の末端朝起き会員です。その相乗効果で、ネット論議が盛んになされているというわけであります。
あなたがよく実践倫理の、本旨を理解しておられるのには、感心致しております。まわりを見れば、ちゃねらーや、一部古参女性会員に、あなたが主張してやまない、宗教的「お陰・お守り」倫理もありますが、出来ればそんなことは無視して、あなたの実践にお励み下さい。

いや夫様

いやはやあなたの、「愚息」を本命にした種々なる予測は、◎△×をつければ、それなりに面白いことは十分分かります。
ただ多くの投稿子が、そのことのみを、嫌悪する書き込みをしていることも事実ですので、程ほどにお願いします。わたしが3/4年前、2ちゃんねるで、書き込んでいるときは、すさまじい集中攻撃にあい、何度も昇天しましたが、それでもネットの相手は、Max/Max、10人程度かなと感じておりました。
わたしは、あなたの論理部分にはそれなりに、賛意を表しております、ジャコはあしらわれる程度に願います。

いや夫は もう ちゃねらーとして嫌がらせをするしか方法がないのだから いや夫のやっている事を気にせずに放っておけば。
しかし いや夫は 妻も子供も二人もいて いい年をした者が まだちゃねらーから足を洗えないなんて恥ずかしくないのかねー。
もう いい加減にしたら。

長文さんへ

 「いや夫」はあなたをテラと予想していますが、それはいかがですか?

 さて、あなたの投稿、
(引用開始)
心理学は「実験」で証明するように科学的なものです。現実の心の状態を対象にします。この様な観念的なものを結びつけた心を対象にしません。
(引用終了)

 上記の表現には「いや夫」も賛同します。心理学など、所詮実験でどうのこうのという一般的な傾向を分析する学問です。一般的なケースもあれば、それにあてはまらいケースもあるのです。

 しかし、「認知的不協和理論」は万能な理論でして、何にでもこじつけられる理論なのです。あなたは否定していますが(自身が該当するからなのでしょう)、「世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。」というのは、一般的なケースに相当し、不協和がうまれる場合が大多数を占めます。それでも、不協和が生まれないとあなたはおっしゃるので、あなたは特異なケースなのでしょう。

 やはり、「人間を心理学でくくるな」という「いや夫」の提案に、あなたは同意していただいたことになります。

 所詮心理学など、その程度のものでして、特に「認知的不協和理論」については、どんなことにでも応用が利くという点で、「<マインドコントロール概念は万能化されればされるほど陳腐化せざるをえない>(by南山大学人文学部キリスト教学科教授渡邉学)」に該当します。

http://58807828.at.webry.info/200910/article_78.html

 なお、「宗教的なもの」匿名さまへの反論については、すでに「いや夫」が投稿していますので、参考にしてください。

http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

長文さんへ

 「いや夫」はあなたをテラと予想していますが、それはいかがですか?

 さて、あなたの投稿、
(引用開始)
心理学は「実験」で証明するように科学的なものです。現実の心の状態を対象にします。この様な観念的なものを結びつけた心を対象にしません。
(引用終了)

 上記の表現には「いや夫」も賛同します。心理学など、所詮実験でどうのこうのという一般的な傾向を分析する学問です。一般的なケースもあれば、それにあてはまらいケースもあるのです。

 しかし、「認知的不協和理論」は万能な理論でして、何にでもこじつけられる理論なのです。あなたは否定していますが(自身が該当するからなのでしょう)、「世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。」というのは、一般的なケースに相当し、不協和がうまれる場合が大多数を占めます。それでも、不協和が生まれないとあなたはおっしゃるので、あなたは特異なケースなのでしょう。

 やはり、「人間を心理学でくくるな」という「いや夫」の提案に、あなたは同意していただいたことになります。

 所詮心理学など、その程度のものでして、特に「認知的不協和理論」については、どんなことにでも応用が利くという点で、「<マインドコントロール概念は万能化されればされるほど陳腐化せざるをえない>(by南山大学人文学部キリスト教学科教授渡邉学)」に該当します。

http://58807828.at.webry.info/200910/article_78.html

 なお、「宗教的なもの」匿名さまへの反論については、すでに「いや夫」が投稿していますので、参考にしてください。

http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

「認知的不協和理論」を盲信する君たちへ

 このような理論は、アメリカにおいては70年代にさかんに訴えられ、カルト信者を脱会させるための説得手法(ディプログラミング)として活用されました。しかし、それは大きな誤りであったとして、すでに1974年にはそのディプログラミングを禁止する法律ができたのです。

 日本は宗教分野においては、発展途上国なので、今になって同じ手法が用いられ、裁判ざたになっているのです。

 君らが得意がって書いていることなど、時代遅れの代物でして、あまり偉そうに投稿していると、恥の上塗りですので、ご留意ください。

良識的な「匿名」さまへ

 否定派はMAX10名程度というのに、「いや夫」も賛同いたします。というか、「愚息」がそのうちの4名を占めていると思いますので、MAX6名程度だと思います。

 なお、このブログにては、「いや夫」に絡んだ否定派は、3名とカウントしております。ほとんどは「愚息」ですので。

 などということは、貴兄はとっくに見抜いておられますね。しかし、純粋な一般市民は、「愚息」のなりすまし投稿さえ、素直に信じてしまいますので、「いや夫」が暴いている次第です。

 なお、2ちゃんねるで大活躍の「愚息」ですが、このブログでは「ちゃねらーは愚かである」といういことに賛同してくれています。ということで、やはり2ちゃんねるの投稿など気にするはない、所詮便所の落書きであると、「否定派随一の論客」である「愚息」君(=生粋のちゃねらー)も認めてくれたということで、非常に喜ばしいことだと思います。

 しかし、残念ながら、2ちゃんねるでは、「愚息」他少数名の否定派投稿を鵜呑みにして、会友から否定派に転向してしまった例がありますので、紹介いたします。

宏正会否定派が2ちゃんねるで誕生する例を紹介 「密偵が趣味」→「一号隊員」の場合
http://58807828.at.webry.info/201002/article_32.html

 このような実例を見ますと、「いや夫」が「愚息」の成りすましを暴き続けることも必要悪だと感じております。ご容赦ください。

PS 2ちゃんねるが消えてなくなれば(そうなりそうかも(笑)、「いや夫」が「愚息」に構うことも控えるつもりです。

「いや夫」は 愚息=鉄槌の亡霊にとり憑かれている。
祈祷師のところでも行って 鉄槌の除霊をしてもらったら。
「愚息の成りすまし」だと誰が証明できるの?
亡霊にとり憑かれた「いや夫」が勝手に思っているだけ。
勝手に自分にされた鉄槌もいい迷惑だねー。
「いや夫」の予測はこの程度のもの。
「いや夫」はすべて以前に自分と関わった者に結び付けている。
バカだねー。

「いや夫」 重複投稿なんかすんな!汚いぞ。

自分の言っている事が否定されたら 言い訳。
その言い訳が否定されたら また言い訳。
いったい「いや夫」の言っている事は 何なのだ。
「いや夫」の書いたものは 全部 「落書き」ということ。
もうこれ以上 落書きで汚すな!
とっとと消えてしまえ!

ビョーキ、ビョーキどこからみても、いや夫はビョーキなのよ。

「いや夫」様
 
「認知的不協和理論」について述べられている部分ですが 私には意味がよく分かりません。
「いや夫」さん独自の見解ですか?皆さんに通じるといいですね。
ここは心理学について述べるところではありませんので もうこの位でいいでしょう。

私は 正直に言わせて頂くなら 「いや夫」さんの書かれているものに 何も見るべき所がありませんでした(失礼)。
でも 「宗教的なもの」に関して「いや夫」さんが付けているURLを見て びっくりしました。
私が思っている事をすでに「いや夫」さんがズバリと述べていらしたのですね。これは反論ではなくて私の言っている事と同趣旨のものです。
どうして ここに披露なさらなかったのですか。
「いや夫」さんは 一応宏正会肯定派の立場をとっていますので 宏正会にとって都合の悪い事は言えなかったのかも知れませんね。
大変素晴らしいので 勝手ながら私の方でコピーさせて頂きます。

(以下 「いや夫」さんのブログからの引用)
『副島隆彦氏は「時代を見通す力」の中で、日本の神道は中国伝来の道教が原型だと仮説を述べています。

(引用開始)P109
 小さな社がやがて大きな神社になってくると、足利(室町)時代の吉田兼倶(1435-1511)みたいな人物が現れてくる。この人が吉田神道というのを作った。吉田神道系は大きな神社勢力になる。
 実は、吉田神道は裏側はすべて呪いと占いだ。だから道教そのものだ。本当のことをいうと吉田神道は道教であり、真実は陰陽道(道教、易学)の思想だ。だから神社の神主といいながら、実は陰陽師である。風水師もやっていた。陰陽五行の易もやった。おみくじを引かせて吉凶の占いもやった。病気退散の厄除けの呪いと、運勢の占い(近未来予測)をやった。何故ならそういう呪いと占いをしてあげないと民衆は喜ばないのだ。民衆にとっていちばん大事なのは、自分たちの健康のことと、近い将来の自分と家族の運命についてだ。
 民衆というのはいつの時代も自分たちの近い未来のことを知りたい。特に女性はそうだ。だから占い師は大事なのである。先祖崇拝も大事だ。それから商売繁盛の祈願だ。自分にふりかかった災厄から逃れるための厄除けの呪いをしてもらいたい。こういうことが個々の人間にとっていちばん大事なことであって、それ以外のことはどうでもいい。今でもそうです。私はしみじみとこのように考えるようになった。だから私は、自分も世の中の為になる占い師(近未来予言者)になろう、と思うようになった。
(引用終了)

 日本古来のものと考えられている神道が、実は道教を原型にしていて、呪いや占いを行うことで庶民の人気を集め、組織を拡大することができたそうだ。私もこの考えに同意します。

 さて、この考え方で「実践倫理宏正会」を分析してみます。(以下、「いや夫」の私見です。)

 実践倫理宏正会は、「倫理修養組織」であり、道徳的な教えを実践しなけれがならない厳しい組織である。その教えは「儒教」に通じるものがあると思う。その一方で、「儒教」は君子が国を治めるために庶民に秩序の大切さを学ばせようと利用することが多く、「君子の思想」である。民衆は、本来「君子の思想」は嫌いなのである。
 実践倫理宏正会では、この倫理を「君子の思想」ではなく、自己の幸福に結びつくものと捉え直した。すなわち「福徳一致」の思想によって、「守れば例外なく幸福になり、はずれれば不幸になるという、真に正しい人間の生活道」として、自然の法則による倫理を打ち立てたのである。
 しかし、中国民衆が実は儒教を嫌うように、倫理の修養だけを説いていてはおもしろみに欠ける。
 そこで取り入れたのが、倍加やお祝い金である。これは、ある意味呪いと占いの要素を含んでいる。倍加を行うことで、その人の幸福を願ったり、または苦手な人と仲良くなれたり、自分に災いをもたらさないですむようにとの呪いの意味が含まれていると考える。多額のお祝い金が横行してきたようだが、お金を出すことで幸福がもたらされたり、災いを避けることができると信じて行われている。お賽銭に通じる考え方である。実践倫理宏正会では、「自ら進んで出す事によって人としての『器』が拡がり(人格が磨かれ)、大きくなった分だけ入る量(器の容量)も増える」としており、お賽銭以上にその見返りを肯定している。

 ということで、本来おもしろみに欠ける倫理修養に、呪いや占いのような要素を加えて民衆の要望に応えたのが、倍加やお祝い金の風習であろうというのが、「いや夫」の私見である。そして、この風習を好むのが女性である。おそらく、このような呪い・占いの要素が取り入れられていなかったら、実践倫理宏正会はこれほど組織を拡大することはできなかっただろう。』 (引用 終了)
 
大変素晴らしい 分析ですね。
「いや夫」さんは 倍加やお祝い金を「本来おもしろみに欠ける倫理修養に、呪いや占いのような要素を加えて民衆の要望に応えた」と言うように述べられていますが、私の立場では 「呪いや占いのような要素を宏正会は利用した」という事になります。

私は 今の宏正会が成り立ち発展したのは 会長が著書や倫風また大会で説いているような表面的な倫理ではなく 「ひとのみち教団」から続く宗教的なもの(呪いや占い)なのではないかと思っています。
このように捉えれば 古参会員が会長の説いている倫理と相容れないような宗教じみた事を言っているのも理解できますし、呪いや占いといった事が大好きな婦人会員が会員の多くを占めているのも理解できるのではないでしょうか。

宏正会は まさに宗教団体である「ひとのみち教団」の実体に表面上は宗教色をとり社団法人としていますので 多くの矛盾を抱えることになります。
会員の多くは宏正会の根底に流れる宗教的なもので繋がっているのに 会長は表の顔として宗教色を排した倫理を説かなければならない。この両者のぶつかり合いが宏正会の根本原理となっています「大自然の摂理」という言葉に象徴されているのではないでしょうか。 


 


  

  

上の、「宗教」・「匿名」様

このスレ随一のIQの持ち主よ、脱帽します。
コピペという、いや夫さんの専売特許を、ここ一番に持ち出した、心憎さよ。
わたしの持論も少しく容認し、わが敬愛して止まない尊師と一般会員を両極に置いて、その作用・反作用をして、わが、「宏正会」の根本原理と断ずる、論理の明快さは尊敬します。
素直な感応に頼れば、あなたは会員ではあられないと思いますので、あえて否定はいたさず、本編打ち止めと願わしゅう。

 長文さんへ

 我が投稿をご紹介くださり、ありがとうございます。

 呪い・占いがお嫌いのようですから、あなたのお子さんには、ぜひ仏滅に結婚式をさせてあげてください。お金がかからなくて得ですよ。あなたが一番こだわっている大事なお金が無駄にならずに済みます。

 初詣に行くのも止めましょう。これは、実は命明治時代に私鉄の戦略で広まった風習でして、国民は洗脳されているのです。今は7割もの国民が初詣にでかけ、あなたにとって何よりも大切なお金を、お賽銭というあくどい方法で搾取されているのです。

 あなたは、宗教色を一切否定したいらしいから、そのような生活をしなさい。

 私は、子供に多少割高でも大安の日に結婚式を挙げさせたいし、初詣で家内安全を願ってきます。もちろん、お賽銭も出しますよ。

 実践者は、このような六曜や初詣のお賽銭のような感覚で「倍加」や「お祝い金」を信じているというだけです。それを批判するならどうぞ。痛くもかゆくもありません。

「匿名」の否定派の方々へ

 複数の論客が投稿していると思えるような知的な投稿をお願いします。でないと、「愚息」とまったく見分けがつきません。また、2ちゃんねるを馬鹿にしているのか信奉しているのかをはっきりさせてください。どうも君(たち?)の攻撃矛盾しているように感じます。

 ついでに、せめて「いや夫」のブログや肯定派の投稿を読んでいただき、肯定派が反論していない部分を責めてください。そうでないから引用による反論で済んでしまうのです。

関連記事
http://58807828.at.webry.info/201003/article_4.html

 では、競馬研究にシフトしますので、一旦さようなら。

あなたと同じでは?
宏正会を肯定しながら、一番大切な「実践」をしない。
また、パクリ、なりすましはしていないと宣誓しましょう。ちゃねらーでないせめてもの証明

討論は避けよさんへ

 「愚息」ではないというあなたの主張を事実だと仮定して、否定派三号とカウントしておきましょう。
(一号は「愚息」、二号は「長文さん」その他)

 だから、すでにコメントした内容でいちいち攻撃せず、新味のある攻撃をしてください。(競馬研究のついででも、反論できてしまう内容です。)

 「実践倫理宏正会」は、誰にでもつとまるような楽ちんな会ではないのです。ちゃねらーに構っているような「いや夫」には無理なのです。

 また、引用しないといけない。ブログの読み込みが少ない相手では疲れるなあ。
(引用開始)
実践倫理宏正会は誰でも入会するものでもありません、また続けられるものでもありません。どんな人でも救う、そんな宗教的なものではありません。自分の力で生活改善出来るそんな向上心や余力のある人が学ぶところです。学んで実践して自分を知る、それを生かして幸せになる…それが全てです。幸せの形は人それぞれなのである現象だけを捉えて他人がとやかく言うものでは無いと思います。確かに言えることは世の中が荒んで来ていると言う事。自分が出来る事から一生懸命努力する事は素晴らしい事だと思います。批判ばかりで何もしない人が多い事は悲しい事です。

投稿 ママさん | 2007.12.10 01:58 午後
(引用終了)

 「批判ばかりで何もしない人」である否定派に応戦すること位が、「いや夫」には丁度よいのです。

 また、
(引用開始)
 ちなみに、「いや夫」は「倫理力」を持ち合わせていません。「否定派」との討論をいつまでも続けているからです。それでも、「いや妻」がいやいやながら「宏正会」で修行してくれているおかげで、「夫婦愛和」「家庭愛和」がなっていて、仕合わせです。

 否定派の皆様、「いや夫」をやっつけようなどというちんけな目標のために、物の無駄・時の無駄・心の無駄 をせず、「家庭愛和」のために全力を尽くしてはいかがですか?

投稿 いや夫 | 2010.02.27 11:06 午後
(引用終了)

 あなたも、「愚息」ではないというなら、長文さん位オリジナルティーあふれる投稿をするなり、それができないなら討論を避けて、投稿を控えるなりされたらどうですか?

いや夫は 否定派を相手に ちゃねらーをやって遊んでいるということ。
まー 妻のやっている宏正会を擁護してんだという大義名分を振りかざしてるんだろけど 暇だねー。

見る限り ここの住人で ちゃねらーと言えるのは いや夫だけ。
一人のちゃねらー振り回されている。
ここにいる人はみんなやさしいよ。
とくに長文の匿名さんのように 基本のスペックがいや夫よりはるかに上回っている人なら いや夫を追い出すのは簡単なはず。
 蛇の生殺しのように ネチネチといや夫をいたぶってやれば いや夫も根を上げるはずだ。
まー いや夫を見れば分かるように こんなことをやっていれば根性悪くなるけどね。
妻も子供もいるいい年をしたいや夫が まだこんなことを続けているのは よほどのバカ。
いや夫も 相手がやさしい人にばかりでなんとか生き長らえているということ。 


「いや夫」さんへ
この会の教えは崇高であり、簡単に実践するのは困難と申しています、しかし、ご夫婦方は、実践によって平和を獲得できると信じ、布教、会員拡大など「実践」しています。
この事実から論理的に導き出せるのは、ご夫婦方は、崇高な「倫理を」理解し体得されている。「いや夫」さんは体得されないまま論理を構築された、これすべて結果として空虚であると証明をしている。
また、せめても、なりすましはしていないと宣誓しちゃねらーでない証明をされよ。
どうどうめぐりです。

いや夫さんから「ちゃねらー」取ったら 何が残るというの?
中身は空っぽじゃないの。
肯定派といっても何も実践してないし ただ素朴な否定派の人を姑息なちゃねらーの技術で弄んで喜んでる イヤラシイ人。

すぐ前の匿名さんにまったく同感。
いや夫 いつまでこのブログにいるつもりなのか。
見かけ倒しの空威張り ちゃねらー ネットゴラム 粘着質で意地の悪い性格 競馬狂い 人の弱みに付け入って喜ぶ趣味の悪さ・・・・・
こんな事を 世間に晒すだけなのが 分かんないのかなー。  

出来れば、「いや夫」さん以外のお方、全員が「匿名」で、書き込んだら、
自分で目が覚めると思います。3/4日間でいいから、「匿名」で、皆んなが今のように、どんどん書き込んだら、この大将、キリキリマイするはずです。さ~

ほんとだ、20か30の書き込みして、どれが「愚息」か、「鉄槌」か、はたまた「金槌」か、「討論避けよ」か宛ててもらいましょう。こんなどうでもいいバカらしいことを~


これマジでやべーよ!!!!
http://yarutumori.net/tep/nwx7hc7/
色んな女から誘われてハメまくってたら、10日で50万ゲットしたぜぇぇぇ!!!!

最近ふと気になったが、初代会長が被爆したかどうかも疑わしいんじゃないか?
感動を喚び、入信させる為に原爆さえもネタにする??
まあ、現時点では憶測だけだが、果たして被爆者名簿に"なんちゃら三郎"の名はあるのだろうか。
暇な人いたら問い合わせてみて下さい。
実践倫理宏正会または個人として被爆者団体への寄付は行なっているのだろうか。
あ、己の善は語らないから内緒で寄付してるのかな(皮肉)


そんな被爆者名簿に載っているはずはありません。


「会長先生」という言葉は 水戸黄門の印籠。
印籠を出せば会員はひれ伏し 幹部は会員を黙らせる。
幹部にとって「絶対的な独裁者の会長」は 自分の立場を守り 自分が威張るためには必要。

天皇や殿様の側近 ワンマン社長のゴマスリ社員
暴力団組長の手下 番長の取りまき ・・・・・
みんな虎の威をかりて 自分が威張っている。
宏正会の幹部も同じ。
会は会長に忠誠を誓う者を幹部とし 他に威張る所がないツマラナイ者が「会長先生 会長先生」と会長をおだて上げ 会に大金を出して忠誠を示し 幹部になりたがる。会の幹部になって威張りたがる。
会長と会の幹部は 「持ちつ持たれつ」の関係。
こんな会に 入りたいと思う?


 

あなたは入りたくないでしょう。でも既に入って、幸福に過ごしている人はに、ケチをつけることもないでしょう。
こんなスレで、非難するのもしないのも、入るのも入らないのも、自由なのです。
ひとのやることに、ケチをつけるやからは、クズなのです。

既に入って、幸福に過ごしている人?
他に威張る所がないツマラナイ者で「会長先生 会長先生」と会長をおだて上げ 会に大金を出して忠誠を示している幹部。

どこにでもいる何の資格もない ジジ ババが会の言っている倫理を説く事で威張っている。
会の中でないと誰も相手にされないカワイソウナ人。
会の中の ミニ会長 ミニミニ会長にとって虎の威を借りるための虎=絶対者の会長は必要ということ。

>こんなスレで、非難するのもしないのも、入るのも入らないのも、自由なのです。
ひとのやることに、ケチをつけるやからは、クズなのです。

そう。自由です。しかし 知らない人に会の内情を教えて上げることも必要。
そのために このようなスレがある。
どのように受取るかは 読まれた人の自由。
人の言っていることにケチをつけるだけの アンタもクズ。
 

宏正会の会員の皆様

会が社団法人としているのは 宗教団体をごまかすためのだった偽装だったことは残念でした。
会の創設者が 師を裏切るような偽善者で残念でした。
初代会長が唱導したとしている倫理が 実は初代が入信していた「ひとの道教団」の教えだったのは残念でした。
会の活動も「ひとの道教団」と同じで残念でした。
尊敬している会長一家の人が 金銭欲に取り付かれた守銭奴で残念でした。
「実践」というのは 心理学の認知的不協和理論を悪用していたのに残念でした。

このような会に入会したことが残念でした。
このような会 会長のもとで会員であることが残念でした。


朝起き会に行ってこんなに生き生きとなって、幸せなのに、残念といわれて、残念。
そのように言われると、もしかしてと、ヘンなキモチにさせられましが、罪なお方ですネェ~、残念。

他のスレで
「先代会長は旧組織の内部紛争の責任を問われて広島を追われ落ち延びた先が自分の担当地域であった石川県小松市でした。」という指摘がある。

「ひとの道教団」が当局によって解散させられたのが昭和12年。
その後 この教団の信者は終戦まで地下に潜って活動することになるが 終戦後 再建するに際には内部で主導権争いがあったことは知られている。
野心家で自信家の初代会長は 内紛の当事者であったことは十分に考えられる。
その内紛に敗れ 責任を問われて広島を追われ落ち延びた先が「ひとの道教団」の時の自分の担当地域であった石川県小松市だった というのは十分に考えられること。
これが朝起会発祥の地が広島でなく小松であることの本当の理由なのであろう。
会長が小学生の時に頒布したのは「宏正誌」ではなくて倫理研究所の「新世」だったはずなのに「宏正誌」と嘘をついてまで会の成立の経緯を秘密にいているくらいだから このような事情があってもおかしくはない。

宏正会を見ると 倫理というものは会の言っていることは全く正反対で 自分が実践するものではなく相手に押し付けるもの。支配者が大衆を支配するための道具。会長が会員に押し付けるもののようだ。
師の恩を説きながら 自分は平気に師を裏切る。
朝起きを説きながら 自分の家族は朝起きしていない(会長や講師の家族が朝起きしている姿を見た者はいない)。
清貧を説きながら 自分の家族は贅沢三昧。
会員には自分の「分」を説くことで 自分は安泰。
会員に人の悪を言わずと誓わせて 自分への批判をかわす。
会長にとって倫理は会員を支配するための道具に違いない。


 いつの間にここは2ちゃんねるになったの?

 やだなあ~、「ちゃねらー」は、せっかくのブログなのに、2ちゃんねる化してしまって。
(といいつつ、そうなることを知っていながら、下記のような2ちゃんねるのスレと、この「実践倫理宏正会って何?」が表裏の関係であることを暴いたのが、「いや夫」なんだけどね。)

★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★21★★☆
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434

(社)実践倫理宏正会/「朝の誓」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1214119691/

 さて、上記に書き連ねられている「愚息(鉄槌)」の成りすまし投稿はスルーして、「いや夫」が注目しているのが「長文さん」。

 「いや夫」のブログ記事を読んで、また、雲隠れしてしまうのだろうか?
http://58807828.at.webry.info/201002/article_27.html

 上記の投稿は、「いや夫」が投稿を控えていた時期に書いたもので、「長文さん」とは、その後討論をしました。

 討論してみて感じたことは、やっぱり「武蔵だ」です。

 「武蔵」も「長文さん」も、ある「匿名」さんが指摘しているように、「IQ」はそこそこ高そうです。(この方は、「長文さん」が会員でないことも見抜いておいでです。「いや夫」の言わんとすることをすでに気づいていらっしゃる。ネットを使う方は、見習っていただきたいものです。)
 そして、二人に共通するのは、「いや夫」の説明は意味不明と無視するか、論点をすりかえる。たとえ話がとっても上手。相手を罵倒するのがうまい。さすがはちゃねらーです。そんなちゃねらーと、互角に罵詈雑言をぶつけあっている「いや夫」も「いや夫」ですが・・・。まあ、自覚しているだけ、彼女よりはましです。なりすましても、長文だとごまかしがききませんなあ。

 ともかく、「武蔵」はいつ復帰するのかなあ?と思っていた「いや夫」です。そして、その頃から、「武蔵」=「太陽神」=「テラ」他=「否会友」(=「匿名希望」これは自信はあまりなし)であり、そして、「長文さん」だと思っています。

「いや夫」がなぜ、こんなにも「否会友」を追求するのか?(表の理由)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_50.html

「いや夫」がなぜ、こんなにも「否会友」を追求するのか?(裏の理由)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_51.html

続 「いや夫」がなぜ「否会友」にこんなにこだわるのか
http://58807828.at.webry.info/201001/article_1.html

「否会友」への追求 最終章(前編)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_2.html

「否会友」への追求 最終章(後編)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_3.html

 そもそも「武蔵」がこのブログから消えたのは、壮年の集いが年に一回しか開かれないことを知らないために、自身のプロフィールが嘘だと「いや夫」に見破られてしまったからです。その程度のことなら、開き直って討論を続ければいいのに。
 「武蔵」には、他にも知られたくない「嘘」がたくさんあったのでしょう。「いや夫」はその嘘を見破る奴だと直感したのだと思います。

 しかし、執念深い「否会友」がこの程度で消えるはずがない、いつかは表れるだろうと予想していました。
 たとえば、「愚息」がこのブログで紹介した下記の投稿について、

(引用開始)
723 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2010/01/20(水) 13:18:46 ID:nvW5f7HW
「いや夫」さんは まだまだ学生気分が抜けていない子さま。
社会に出て奥さんもいるのに ネットにどっぷり漬かって意味の無い空想の世界に
遊んでいるのは 大人のする事ではありませんよ。
奥さんには「宏正会を擁護するため」とか言い訳をしているのでしょうけど
やっている事はチャネラーと全く同じゃないですか。
チャネラーを批判しているようですけど それは以前のご自分の事を反省して
言っているのでしょう。いくら言い訳しても 分かりますよ。
それでも止められなくて 今は宏正会を材料に遊んでいる。全く反省なし。

投稿 くくくっww | 2010.01.22 08:40 午後

(引用終了)

 この投稿の原典は、
(社)実践倫理宏正会/「朝の誓」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1214119691/

 でして、上記の投稿に連続する投稿が下記です。

(引用開始)
724 :神も仏も名無しさん:2010/01/20(水) 13:30:26 ID:nvW5f7HW
723です。「いや夫」さんは 私を誰かさんに結び付けたいのでしょう。
       さて 私は誰でしょう。貴方のお遊びの世界が広がりましたか?
(引用終了)

 「いや夫」も、この意味深な投稿をする人物に興味があります。「長文さん」だと思いますが、違いますか?本人が説明するのが一番わかりやすいと思います。(「愚息」自身が書いて、引用しているという可能性もあるのでしょう。)

 男のふりをした女性と討論するのはまっぴらごめんで、「長文さん」がちゃんと(きつい)女性の文章で打ってくれているので、うれしく思っていたのですが・・・。

 それとも、「短文さん」で打っているのでしょうか?そうすると、「愚息」と同一人物説も現実味をおびてきます。人を馬鹿にする力は、「愚息」並みなのは確かです。
(これは、「いや夫」でも、真意の程はわかりません。しかし、疑っているのは事実でして、たとえば、次のようなコメントで触れております。

(引用開始)
鉄槌殿へ

 武蔵キャラの頃の方が与し易かったが仕方ない。あおられて同じような文章を書いていては、大人として情けない。「いや夫」は大人の文章を心がけます。

投稿 いや夫 | 2009.12.10 06:32 午後


(引用終了)
 
 ともかく「短文キャラ」の「ちゃねらー」は無視ね。
 「長文さん」お待ちしております。

また ちゃねらーいや夫が出て来たねー。
自分の言っていることが全部否定されて ちゃねらーとして嫌がらせをするしかいや夫には手がないようだ。
こんなもの 気にしないで放っとけばいいの。

今回のちゃねらーいや夫のやり方。
まず 相手側と同じぐらいの場所を占領している。
多くののコピペを貼り付けたり クダラナイことでも何でもいいから大量に書き込んで自分を大きく見せる事が第一歩。
そして 多くのリンク先を貼り付けて相手を撹乱させている。
自分がちゃねらーにされた時は 直接それに反論するのではなく 2チャンネルを批判して自分がちゃねらーではないとごまかそうとする。これはいや夫が毎回やっていた事だが まだ通じると思っているのかね。

また「いや夫」が 同一人探しをやってるよ。
競馬の予想の後は 同一人の予想ってこと。
「いや夫」にとって同じ事なんだろね。
競馬は結果が出るけど 同一人探しは「いや夫」の予想の押し付けだもんねー。
もう誰も興味ないんじゃないの。
「いや夫」はもうこんな事でもしないと板を埋められないなんて 哀れだねー。
もうスレ荒らしと言ってもいいんじゃないの。

誰もいや夫の相手などしてないじゃない。

「いや夫」様

競馬の結果はどうでしたか?
私について色々と想像されていますが どうぞご自由にご想像下さい。
私も家の事が色々ありますので このスレばかりに構っていられるような身分ではありません。
そして 否定派の方はどなたも同じだと思いますが 思っていること 言いたいことが終わってしまえばもうこれ以上このスレにいる必要がありませんので消えてしまいます。「いや夫」さんのようにいつまでもダラダラと続けるつもりはありませんので ご承知置きを。
 それから 「武蔵」さんとのお話で「いや夫」さんは壮年の集いは年に一度しかないようなことを言っていますが 地区によってまた今と以前とでは違うのではないでしょうか。
確か 以前は年に地区の壮年の集いとブロックの壮年の集いがあったように思いますし 以前は地区の壮年の集いも年に何度か開催されていたように思います。よく確かめて下さい。

では 今回「いや夫」さんは中身については何も言っておられないようですので 前回の続きとなります。

私だって 大安や仏滅を気にします。初詣にも毎年地元の神社に家族でお参りし賽銭をあげて一年の無事をお祈りします。週刊誌の占いだって必ず見ていますよ。
私はこのような呪いや占いが嫌いだとは言っていません。
私が言いたいのは 「いや夫」さんも私も ほとんどの人が気にしているこのような「呪いと占い」といった宗教的なもの 宏正会はこのような日本人でしたら誰もが心の奥底に潜んでいる呪いと占いといった心情を 会員を会にまた会長に結び付けるために利用しているのではないか という事です。
 宏正会では 前に出ました陰倍加の他に「お祝金」というものがありますね。
会員さんが倒産 病気 子供の非行といった不幸の時も 家の新築 就職 結婚といった幸せいっぱいの時も 会では「お祝金」のことを言って来ます。
会ではこのような時には「お祝金」を出すのが普通になっていますね。
 人は不幸な時はもちろんですが 幸せいっぱの時も「この幸せが続かないのでは」と不安になりますよね。会はそこに付け込んで 不幸な時は「徳が切れているから徳積みしましょう」と 幸せいっぱいの時は「徳が切れないように」とお祝金の話を持って来るのです。会員さんは賽銭と同じように幸せを願ってお祝金を差し出して安心するのです。
どこの新興宗教も同じことをしてお金を集めていると思いますが これは誰もが持っている呪いと占いという感情に付け込んでお金を集めていることになりませんか?
初詣での賽銭でしたら 初詣をするのもしないのも自由。どこの神社に行こうと自由ですね。
でも 宏正会では毎日の朝起会や日々の実践で会員をしっかり管理しています。
こうした中でのお祝金ですから 初詣の賽銭とは異なり強制に近いものがあるのではないでしょうか。
また お祝金を言ってくる人は会員さんの資産の状態をよく把握していますので 賽銭と違って資産家の会員さんには何百万円 何千万円といった高額なお祝金を要求して来るのではないでしょうか。

「宗教的なもの」ということで 金銭についてばかり
となりましたが 金銭の他にも宗教的なものがあると思います。
「いや夫」さんは聞いたことがあるかどうか分かりませんが 宏正会では 腰が痛いのは身軽腰軽に動かないからだとか ネズミが出るのは食べ物を粗末にするからだとか 子供がアトピーになるのは・・・(忘れてしまいました) 癌になるのは金銭に執着するからだとかいった事がまことしやかに言われています。
全く根拠がないとは言えないと思いますが ちょっと宗教的ですね。
 初代会長は「ひとの道教団」の信者でしたので このような宗教的なことをいっぱい言っていたのではないでしょうか。そして会員の皆さんはこのような宗教的なことを言っている初代会長にカリスマ性を感じていたのではないでしょうか。
現会長は「ひとの道教団」について知りませんので このような宗教的なものを捨て去った表面的な倫理を説くばかりですので 初代会長のようなカリスマ性は感じられないと思います。
このように宏正会には初代会長から続く宗教的なもの(これは古参会員に受け継がれています)と現会長が説く宗教色を取り去った倫理が混在していて多くの矛盾を抱えていると思います。
そして私は会員さんが会と繋がっているのは表面的な倫理の教えではなくて 宏正会の根底に流れている宗教的なもの「呪いと占い」では と思っています。

それでは 宗教的なものが出たところで 「宏正会の宗教性」に移りたいと思います。
「いや夫」さんは 宏正会は宗教団体ではないとしていますね。
私が見るところでは 理由としているのは 会の成り立ちのところで述べている 
宏正会では「ひとの道教団」にあった「おふりかえ(身代わり)」のような宗教的なものを排している事と宏正会では別に他の宗教に入ってもかまわないとしている事のようですね。
そして「新宗教辞典」が修養団体に分類していることを錦の御旗として何度も引用していますね。
でも この程度のことでしたら小学生でも言えますよ。
では 「いや夫」さんに宿題です。
宏正会が宗教団体ではないとするためには 
「私は宗教をこのように思っているから(その中では宗教の定義や区別のメルクマールも含まれます)
宏正会は宗教団体ではありません」としなければなりませんね。
「いや夫」さんは宗教をどのようにお考えですか。
そして このことの関連で宏正会の基本原理「大自然の摂理」についてどのように説明されますか。
「いや夫」さん特有のコピーを貼り付けたり 参照のURLを貼り付けるのではなくて 「いや夫」さんご自身の言葉でお願いします。
そうでないと落第ですよ。

 

 
  
 


 

長文さんへ

 「宗教をどう定義しているのか?」という宿題を受けましょう。少しだけ、考える時間をください。

 「長文さん」も「いや夫」の以前の質問に正面きって答えてください。

(引用開始)
 「いや夫」が思うに、君たちって世間一般よりおかしな人たちなのではないですか?家庭愛和ができなくて、仕合わせになれると思っておいでですか?

 なお、これは君たちが大好きな「認知的不協和理論」で説明できるのです。

 世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。その不協和を解消するためには、その相手が「宏正会」という極悪な組織にだまされてい愚か者とすればよいのだ。

 なかなかするどい指摘だと思いますが、いかがですか?
(引用終了)

 あなたの回答は、増強日がどうだとか、ネットの批判記事がどうだとか、観念的がどうだとか、まともな反論にはなっていない。わざと、論点をすり替えています。

 あなたは、攻撃性が「武蔵」=「否会友」ほどではないようだし、会友であった可能性もありそうなので、「元会友」と名づけておきましょう。(ちなみに、2ちゃんねるでは、数々のスレの投稿主を務めており、「否会友」の親友にあたる方のハンドルネームです。)

 たとえば「否会友」のネット上での批判は、まさに「認知的不協和理論」の実例であるのではないですか?

 「否会友」のことは、よくご存じだと思いますので、改めてリンクを貼ることはいたしません。ぜひ、「客観的」な解説をお願いいたします。

 競馬の結果を聞いていましたね。
-2300円でした。
勝つ日もあれば、負ける日もある。
そこがおもしろいのですよ。

 人生も一緒です。山あり谷ありだからおもしろいのだと思います。

「長文さん」の宿題「宗教の定義など」についての回答(その1)

「実践倫理宏正会って何?」で論戦中です。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/

投稿 匿名 | 2010.03.09 03:35 午後
の下記の投稿で宿題が出されたので、それに回答します。

 まず、宿題以前の部分について、言及する投稿とします。

(引用開始)
「いや夫」様

競馬の結果はどうでしたか?
私について色々と想像されていますが どうぞご自由にご想像下さい。
私も家の事が色々ありますので このスレばかりに構っていられるような身分ではありません。
そして 否定派の方はどなたも同じだと思いますが 思っていること 言いたいことが終わってしまえばもうこれ以上このスレにいる必要がありませんので消えてしまいます。「いや夫」さんのようにいつまでもダラダラと続けるつもりはありませんので ご承知置きを。
 それから 「武蔵」さんとのお話で「いや夫」さんは壮年の集いは年に一度しかないようなことを言っていますが 地区によってまた今と以前とでは違うのではないでしょうか。
確か 以前は年に地区の壮年の集いとブロックの壮年の集いがあったように思いますし 以前は地区の壮年の集いも年に何度か開催されていたように思います。よく確かめて下さい。

では 今回「いや夫」さんは中身については何も言っておられないようですので 前回の続きとなります。

私だって 大安や仏滅を気にします。初詣にも毎年地元の神社に家族でお参りし賽銭をあげて一年の無事をお祈りします。週刊誌の占いだって必ず見ていますよ。
私はこのような呪いや占いが嫌いだとは言っていません。
私が言いたいのは 「いや夫」さんも私も ほとんどの人が気にしているこのような「呪いと占い」といった宗教的なもの 宏正会はこのような日本人でしたら誰もが心の奥底に潜んでいる呪いと占いといった心情を 会員を会にまた会長に結び付けるために利用しているのではないか という事です。
 宏正会では 前に出ました陰倍加の他に「お祝金」というものがありますね。
会員さんが倒産 病気 子供の非行といった不幸の時も 家の新築 就職 結婚といった幸せいっぱいの時も 会では「お祝金」のことを言って来ます。
会ではこのような時には「お祝金」を出すのが普通になっていますね。
 人は不幸な時はもちろんですが 幸せいっぱの時も「この幸せが続かないのでは」と不安になりますよね。会はそこに付け込んで 不幸な時は「徳が切れているから徳積みしましょう」と 幸せいっぱいの時は「徳が切れないように」とお祝金の話を持って来るのです。会員さんは賽銭と同じように幸せを願ってお祝金を差し出して安心するのです。
どこの新興宗教も同じことをしてお金を集めていると思いますが これは誰もが持っている呪いと占いという感情に付け込んでお金を集めていることになりませんか?
初詣での賽銭でしたら 初詣をするのもしないのも自由。どこの神社に行こうと自由ですね。
でも 宏正会では毎日の朝起会や日々の実践で会員をしっかり管理しています。
こうした中でのお祝金ですから 初詣の賽銭とは異なり強制に近いものがあるのではないでしょうか。
また お祝金を言ってくる人は会員さんの資産の状態をよく把握していますので 賽銭と違って資産家の会員さんには何百万円 何千万円といった高額なお祝金を要求して来るのではないでしょうか。

「宗教的なもの」ということで 金銭についてばかり
となりましたが 金銭の他にも宗教的なものがあると思います。
「いや夫」さんは聞いたことがあるかどうか分かりませんが 宏正会では 腰が痛いのは身軽腰軽に動かないからだとか ネズミが出るのは食べ物を粗末にするからだとか 子供がアトピーになるのは・・・(忘れてしまいました) 癌になるのは金銭に執着するからだとかいった事がまことしやかに言われています。
全く根拠がないとは言えないと思いますが ちょっと宗教的ですね。
 初代会長は「ひとの道教団」の信者でしたので このような宗教的なことをいっぱい言っていたのではないでしょうか。そして会員の皆さんはこのような宗教的なことを言っている初代会長にカリスマ性を感じていたのではないでしょうか。
現会長は「ひとの道教団」について知りませんので このような宗教的なものを捨て去った表面的な倫理を説くばかりですので 初代会長のようなカリスマ性は感じられないと思います。
このように宏正会には初代会長から続く宗教的なもの(これは古参会員に受け継がれています)と現会長が説く宗教色を取り去った倫理が混在していて多くの矛盾を抱えていると思います。
そして私は会員さんが会と繋がっているのは表面的な倫理の教えではなくて 宏正会の根底に流れている宗教的なもの「呪いと占い」では と思っています。

それでは 宗教的なものが出たところで 「宏正会の宗教性」に移りたいと思います。
「いや夫」さんは 宏正会は宗教団体ではないとしていますね。
私が見るところでは 理由としているのは 会の成り立ちのところで述べている 
宏正会では「ひとの道教団」にあった「おふりかえ(身代わり)」のような宗教的なものを排している事と宏正会では別に他の宗教に入ってもかまわないとしている事のようですね。
そして「新宗教辞典」が修養団体に分類していることを錦の御旗として何度も引用していますね。
でも この程度のことでしたら小学生でも言えますよ。
では 「いや夫」さんに宿題です。
宏正会が宗教団体ではないとするためには 
「私は宗教をこのように思っているから(その中では宗教の定義や区別のメルクマールも含まれます)
宏正会は宗教団体ではありません」としなければなりませんね。
「いや夫」さんは宗教をどのようにお考えですか。
そして このことの関連で宏正会の基本原理「大自然の摂理」についてどのように説明されますか。
「いや夫」さん特有のコピーを貼り付けたり 参照のURLを貼り付けるのではなくて 「いや夫」さんご自身の言葉でお願いします。
そうでないと落第ですよ。

投稿 匿名 | 2010.03.09 03:35 午後
(引用終了)

 忙しいのは、家事だけではないですね。2ちゃんねるへの投稿でもいそがしいのではありませんか?
「いや夫」の見解は、下記のままです。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_38.html

 「いや夫」が書きっぱなしはおかしいと当然の指摘をしたから、連続して投稿する人も増えましたが、それ以前は(今もね)成りすましが横行していたのです。


 まず、はじめにおことわりしておきますが、「いや夫」は無神論者で、一度たりとも宗教組織に所属したことはありません。よって、「宗教」については、全くの門外漢でして、そんな凡夫の持論などまったく意味はもたないのですよ。

 しかし、ちゃねらーは専門家でもないのに、持論を書き殴ります。出典も何もあったものではありません。そんなものは学術的に全く意味をなさないのです。その点、いくらかでも自覚をもつ「いや夫」は、専門家の文をよく引用します。それは、当然の行為だと思っています。よって、下記の「いや夫」自身の文章にも、それなりの書籍等の情報が含まれている場合もあるし、「いや夫」個人の感想のようなものが入り交じったものであることをご承知ください。

 よって、「実践倫理宏正会」の考え方と「いや夫」の考え方は、全く別物であることを前提として述べます。

 まず、長文さんの投稿の大部分を「いや夫」は肯定します。「いや夫」は是々非々で意見を述べます。それが、「ちゃねらー」との根本的な相違点だとの自負をもっています。

 長文さんは、
 「宏正会」は占いや呪いなどを活用していて、その例が倍加やお祝い金だとしています。これは、すでに、「いや夫」自身が下記の投稿で述べた通りでして、「いや夫」の持論です。

呪いと占いをしてあげないと民衆は喜ばない
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

 長文さんは、これを完全に否定的にとらえているが、「いや夫」は組織の戦略として、許容範囲だと考えます。お賽銭箱の置いていない神社や寺がありますか?お祈りをするときに、お賽銭をすることは、庶民も望んで納得しているのです。神様にお祈りをするのだから、大切なお金を差し出すのは当然だという感覚ですね。長文さんは、会友にそれを課している点で、一般の参拝者のお賽銭とは違って強制的であると批判されています。その点についても、その通りだと思います。

 そもそも、「いや夫」は「倍加」や「お祝い金」については、否定派の意見とあまり違いはありません。
下記のような投稿ですでに何度も触れています。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_27.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_28.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_30.html

(長文さんが、「いや夫」への罵倒を控えているのは、このような「いや夫」の意見を読んだ上でのものでしょう。)

 そして、さらに長文さんが指摘する、古参の会友ほど、倍加やお祝い金に固執しているというのも、もっともな意見だと思っています。そして、それを新入会友に強制することが普及の大きな妨げになっているとさえ思います。これは、レイモンドさんも同じ意見のようです。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_30.html
http://58807828.at.webry.info/200912/article_44.html

 以上の点では、長文さんと「いや夫」の見解の相違はまったくありません。

 しかし、アンチ否定派としては、否定派の無差別攻撃を許すわけにはいきませんし、「宏正会」側の事情も考慮します。

 まず、お賽銭について考えてみましょう。
 もし、そんなものは存在しないと思いますが、「お賽銭箱の置かれていない神社」があったとします。そんな神社にお祈りにいく参拝者がいますか?お祈りするには、お賽銭を払わなきゃ、そうでなければご利益があるはずがないと思うのが、世間一般の感覚なのですよ。あなたもお賽銭を払うのも、それは万人共通の思いだからです。よって、「お賽銭箱の置かれていない神社」は参拝者は限りなくゼロに等しくなり、存在意義のない神社となってしまいます。


 結論。お賽銭は神社や寺を運営するためになくてはならないものです。たくさんの参拝者を集めるには立派な社が必要で、そのためにもお賽銭はなくてはなりません。信者を増やすには、教えも大切ですが、最後にものを言うのは残念ながらお金なのです。組織であるなら、当然の帰結です。戦略の優れた神社はお賽銭集めが上手で、だからこそ信者を増やすことができるという好循環が生まれます。

 長文さんは、組織をつくるからお金が必要になるのだと批判していますが、これはことの真理を理解していないお子ちゃまの意見だと言わねばなりません。

(自民党が長年にわたって政権を独占できたのは、お金集めがうまかったからです。鳩山首相が民主党をまとめることができるのも、巨額の資産をもっているからです。それが、人間組織の現実です。)

 「実践倫理宏正会」は「倫理」を日本中に広めることを目的としており、そのためには組織が必要であり、必然的にお金も必要になるのです。特に、会の規模を拡大する過程においては、組織の運営や職員の給料、倫理会館の建設などに莫大な費用が必要であったのは事実でしょう。否定派が主張するような金銭による浄罪が半ば強制されていたのかもしれません。それを悪と言うのなら、それなりの組織や建造物をもった宗教団体はすべて悪ということになります。「いや夫」はそれは違うと思います。なお、そうして集められたお金は、会の運営のために有効に活用されていると「いや夫」は信じています。その一つの財産が、会長や著名な知識人が記事を寄せている『倫風』やあまたの書籍です。「いや夫」は立派な倫理会館などには何の価値も認めない人間ですが、これらの出版物には大いに敬意をもっています。

 また、長文さんは「倍加」や「お祝い金」を金儲けの手段だと断定したいようですが、先に紹介した記事でも述べているように、庶民が「占い」や「お呪い」を欲していて、それを満足させてあげられなければ、組織は拡大しないというのも事実だと思います。「朝の誓」のような、一見ありふれているようで実際には厳しい生活規律だけを教え込むような組織は、大きくなれるわけがないのです。長文さんは、それを矛盾と表現しています。否定派から見ればそうなのでしょう。「いや夫」から見れば、立派な経営戦略だと思います。結果として、会が発展し倫理普及の原動力になるなら、容認してもいいのかなと思います。その点で、「倍加」や「お祝い金」が「占い」や「お呪い」に相当するとか、「宏正会」は認めないだろうし、認める必要もないということです。なお、「社会に差し出すお金」という説明はされていますので、これは広い意味で「お賽銭」だと言っているようなものです。会が発展することで倫理が社会に広まれば、それで良しと考える会友が多いということです。
(といいつつ、本音は否定的です。君らの2ちゃんねるで、「宏正会」の収入が減っていることが報告されていたではないですか?それは、会が金銭の実践を強制しないようにしようと努めている成果だと思います。強制も以前よりは減っているのでしょう。君らのネット上の無責任な罵詈雑言の影響もあるのでしょう。)

 なお、ちゃねらーが偉そうに2ちゃんねるやブログで「持論」を書いて悦に入っていますが、いまだに『倫風宏話』の一つの記事さえ超えたものはありません。それは客観的な事実です。2ちゃんねるの便所の落書きで仕合わせになる人間はいませんが、「宏正会」の教えによって仕合わせになっている家庭は数多くあります。我が家がその一例です。

 よって、金銭の問題を否定したいがために、否定派が「宏正会は上廣家の野望でつくられた」だの「会長の豪邸」がどうのこうのだの「セレブの暮らし」がどうのこうのだのと言い出すので、「宏正会」の存在意義を信じる「いや夫」が戦っているわけです。君らちゃねらーにとっては、戦術の一環に過ぎないけれども、会友にとってはたまったものではありません。

 自分自身が世のため人のためとの思いで一生懸命実践し、貴重なお金まで浄財として差し出している組織を、どこの馬の骨ともわからぬちゃねらーが罵倒しているのです。尊敬する会長先生を悪党だと決めつけるのですから、許せるはずはないのです。そのような理不尽なちゃねらーの攻撃を受けても、ほとんどの会友がこれを無視しているのは、人間的に立派だと思います。「朝の誓」をまさに実践しています。(これに比して、創価学会などは、会員によるネット工作を露骨に行ったために、ちゃねらーの目の敵になっています。「宏正会」が賢明な対応をしている謙虚な例でしょう。ネットによる広報など、「実践」には何の役にも立たないし、むしろ障害なのです。君たちちゃねらーを生まれ変わらせることなど、キリストにも仏陀にもできないのです。)

 というわけで、君たちの無差別な攻撃については、実践者ではないアンチ否定派の「いや夫」が戦っている次第です。その位で十分なのですよ。しょせん相手は何の実践もしないちゃねらーなのですから。

(続く)

「長文さん」の宿題「宗教の定義など」についての回答(その2)


 さて、本題の宿題に移りましょう。

(引用開始)
それでは 宗教的なものが出たところで 「宏正会の宗教性」に移りたいと思います。
「いや夫」さんは 宏正会は宗教団体ではないとしていますね。
私が見るところでは 理由としているのは 会の成り立ちのところで述べている 
宏正会では「ひとの道教団」にあった「おふりかえ(身代わり)」のような宗教的なものを排している事と宏正会では別に他の宗教に入ってもかまわないとしている事のようですね。
そして「新宗教辞典」が修養団体に分類していることを錦の御旗として何度も引用していますね。
でも この程度のことでしたら小学生でも言えますよ。
では 「いや夫」さんに宿題です。
宏正会が宗教団体ではないとするためには 
「私は宗教をこのように思っているから(その中では宗教の定義や区別のメルクマールも含まれます)
宏正会は宗教団体ではありません」としなければなりませんね。
「いや夫」さんは宗教をどのようにお考えですか。
そして このことの関連で宏正会の基本原理「大自然の摂理」についてどのように説明されますか。
「いや夫」さん特有のコピーを貼り付けたり 参照のURLを貼り付けるのではなくて 「いや夫」さんご自身の言葉でお願いします。
そうでないと落第ですよ。

投稿 匿名 | 2010.03.09 03:35 午後
(引用終了)

 子どもには無理ですよ。本を読まないから。それはほとんどの「ちゃねらー」にも当てはまります。

 「長文さん」は本を読むようなので、「いや夫」も討論しがいがあります。
ネット上の討論も、かくありたいものですなあ。

 この投稿は、「いや夫」自身の言葉で答えていきます。
(次の投稿では、リンクや引用も使って、より学術的な投稿を心がけることとします。)


 では、「宗教」とは何か?

1 神の存在を肯定
2 世の中は神がつくったものと規定
3 神が人間の幸不幸を決める
4 神は人間を救いもするし、罰っしもする

 そのような教えを説いたものは教義の「宗教」でしょうね。

 次に、儒教は宗教か?という点について。
レイモンド氏が少し触れていましたが、これについては、学会でも意見が分かれるのではないでしょうか?一般的には宗教と分類されているでしょうね。

 「神」が「天」に変わり、自身の心や行動を律することで仕合わせになれるという徳目を説いていると言えます。そもそも、信教は、いかに幸福になれるかという庶民の願望が元になっていると思うので、儒教にも相通じるところがあります。

 結論としては、儒教が宗教であるということが100%学会で認められているのなら、「宏正会」も宗教であるとするのは間違いではないということになります。

 では、儒教は本当に宗教なのでしょうか?「いや夫」はそうとは言い切れないと考えます。

1 「天」が「神」とは違うものだと思います。これは感覚的なものですね。
2 「天が世の中をつくった」などということはどこにも書かれていないのではないでしょうか?詳しくはありません。wikiも調べずに書いているので。
3 「天」が人間の幸不幸を決めるのではなく、行いが幸不幸を生むという思想だと思います。
4 「天罰」という言葉が儒教で書かれているなら、上記の4にあてはまりますね。これは調べてみなければわかりません。

 以上のように、儒教には明確な「神」が定義されておらず、もっぱら人として生きる道はいかにあるべきかという人生訓、処世訓が中心にあります。そして、それらの人生訓や処世訓は、「宏正会」の教えとまったく同じものがたくさんあります。

 なお、「大自然の摂理」はまさに、儒教の「天」と同じものでしょう。「神」ではないと思います。人としてあるべき道はおのずと決まっているので、それは、儒教でも「宏正会」でも同じことを処世訓にするのです。その道は、何も人間界に限ったことではなく、自然・宇宙・ミクロ・遺伝子などなどの世界で、およそ人知を超えた法則性が存在するわけで、それを宗教では「神の業」と呼び、「宏正会」では「大自然の法則」と呼んでいるだけなのだと思います。

 まあ、しょせん同じ世界に生きているのですから、感じることは一緒なのですよ。
少しだけ引用すると、西行が伊勢神宮でお参りしたときに詠んだ歌ですが、
 「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさの 涙こぼるる」

 このような感覚を、国も世代も風習も超えて、人類共通の感覚としてもっているということでしょう。
これを「神」ととらえるか、「大自然の摂理」ととらえるかの違いでしょう。

 否定派の武蔵(あなた?またはあなたの親友)が少し触れていましたが、それを「神」と規定すれば、その神と大衆を取り次ぐ神官が現れるのでしょう。一方「宏正会」については、「大自然の摂理」は本来誰にでもそなわっているはずのものでして、特定の「神官」など必要ないのです。会長先生でさえも、その倫理的な生き方を生涯にわたって研究し続ける一研究者でしかないのです。そうはいっても、会友から見れば、倫理を極めたカリスマ的権威であるのは事実です。それでも、「教皇」でも「法皇」でも「大神官」でもないのです。
(ちなみに、否定派は「会長先生」という呼称に違和感を覚えるようですが、会友はまったく違和感を感じません。それは、会友からすれば、会長先生は、倫理的な生き方を教えてくれる先生だからです。小学生が「校長」と校長先生を呼び捨てにするのは変でしょ。それとまったく同じなのです。会友が「会長」と呼び捨てにしないのは、先生と慕っているからであって、全く違和感はないのです。)

 以上、「いや夫」の持論でいけば、「実践倫理宏正会」は「神」を立てず、お祈りをせず、「神官」をおかず、ただあるべき人の道を実践によって学ぶ道場だという点で、宗教ではないということです。それでも、儒教は宗教だから、「宏正会」も宗教であると論ずる学者がいたとしたら、「いや夫」の討論できる相手ではありません。幸い、「いや夫」は「宏正会は宗教組織である」と断言する学者の書籍を読んだことがないので、そう思っています。違うというなら、そのような書籍をご紹介ください。

 まあ、以上が、「いや夫」の持論ですが、専門外の一市民の投稿など、たいした意味はないのです。後日になるかかも知れませんが、今度は、引用を多用した少しは学術的な「宗教論」を書きたいと思います。

PS 否定派がみんな長文さんのように、礼儀をわきまえる方ばかりなら、「いや夫」の嫌みな文をいちいち書く必要がなく、両派にとっても望ましいことですなあ。「愚息」は「長文さん」を見習いなさい。(といいつつ、頭の片隅では、長文さん=愚息の疑いを5%位はもっている「いや夫」でした。)

(続く) 

やっぱりどうしてもいや夫は頭が悪いんだな。。。

いや夫さんは もしかして振込み詐欺師?
次々と言葉を並べて まくし立てる言い方は詐欺師の典型。

「いや夫」様

長文の書き込み ご苦労さま。
すぐ前にあるのですから私の書き込みをそのまま取り入れなくてもいいのでは と思いますが。
ちゃねらーの戦術としては そこまでしてもご自分の領土を確保したいということですか?

「いや夫」さんは 余ほどご自分の認知的不協和理論を適用した事例が気に入っているようですね。
前にも言いましたように 私は「いや夫」さん独自の見解にこれ以上お付き合いするつもりはありません。
もし納得ができないのでしたら心理学に詳しい人に聞いて見てはいかがですか。

そして 宏正会で行われている陰倍加 お祝金について 「呪いと占い」をどのように理解するかついて
「いや夫」さんは 認めるけども組織の経営戦略として許容範囲ということですね。
「いや夫」さんは 会長の豪邸やセレブな生活についての批判については 「庶民のひがみ(なんなら代わりにあなたがやってみる?)」と反論しています。
どちらも 端的に言えば「認めるけど それがどうしたの?」という言い方ですね。
 
「いや夫」さんはこれで反論になっていると思っているのかも知れませんが このような言い方では多くの人の反感を買う事になりますよ。
 「いや夫」さんご自身についての批判でしたらこのような言い方で突っぱねることも許されると思いますが この場合「いや夫」さんは一会員として宏正会擁護の発言をしているのですから どうしても宏正会側の発言になってしまいます。
もし宏正会の本部がこのような発言をしたらどうなります?
 例え会員の一会員がこのような発言をしていると思っている人も 「宏正会の会員になると こんな考えになるんだー」と宏正会に恐ろしさを感じるようになると思いますよ。
 ですから 「いや夫」さんはご自分では批判を突っぱねたといい気になっているかも知れませんが 宏正会としては「いや夫」さんの発言はとても不都合なはずです。
会員の皆さんも「いや夫」さんにいい顔をしないのは こういう事です。
「いや夫」さんも もし宏正会擁護の気持ちがあるのでしたら ご自分のことだけでなく宏正会のことも考慮に入れないと 会員さんからも多くの反発を買うことになりますよ。
 もっとも 「いや夫」さんが ちゃねらーとしてただ批判派とのやり取りで遊んでいる というのでしたら話は別になりますけど。

私の宿題になりますが 「いや夫」さん ご自身の言葉でよく頑張って書かれていると思いますよ。
また 大変いい所に目を付けられている部分もあります。
もっと言わせて頂くなら 古代より現代まで数多くの宗教が存在していますが 「人間はどうして宗教を必要としているのか」という所にまで踏み込んで答えて頂くともっと深みが増すと思いますよ。
それでは 頑張って下さい。


 
    

「いや夫」様

長文の書き込み ご苦労さま。
すぐ前にあるのですから私の書き込みをそのまま取り入れなくてもいいのでは と思いますが。
ちゃねらーの戦術としては そこまでしてもご自分の領土を確保したいということですか?

「いや夫」さんは 余ほどご自分の認知的不協和理論を適用した事例が気に入っているようですね。
前にも言いましたように 私は「いや夫」さん独自の見解にこれ以上お付き合いするつもりはありません。
もし納得ができないのでしたら心理学に詳しい人に聞いて見てはいかがですか。

そして 宏正会で行われている陰倍加 お祝金について 「呪いと占い」をどのように理解するかついて
「いや夫」さんは 認めるけども組織の経営戦略として許容範囲ということですね。
「いや夫」さんは 会長の豪邸やセレブな生活についての批判については 「庶民のひがみ(なんなら代わりにあなたがやってみる?)」と反論しています。
どちらも 端的に言えば「認めるけど それがどうしたの?」という言い方ですね。
 
「いや夫」さんはこれで反論になっていると思っているのかも知れませんが このような言い方では多くの人の反感を買う事になりますよ。
 「いや夫」さんご自身についての批判でしたらこのような言い方で突っぱねることも許されると思いますが この場合「いや夫」さんは一会員として宏正会擁護の発言をしているのですから どうしても宏正会側の発言になってしまいます。
もし宏正会の本部がこのような発言をしたらどうなります?
 例え会員の一会員がこのような発言をしていると思っている人も 「宏正会の会員になると こんな考えになるんだー」と宏正会に恐ろしさを感じるようになると思いますよ。
 ですから 「いや夫」さんはご自分では批判を突っぱねたといい気になっているかも知れませんが 宏正会としては「いや夫」さんの発言はとても不都合なはずです。
会員の皆さんも「いや夫」さんにいい顔をしないのは こういう事です。
「いや夫」さんも もし宏正会擁護の気持ちがあるのでしたら ご自分のことだけでなく宏正会のことも考慮に入れないと 会員さんからも多くの反発を買うことになりますよ。
 もっとも 「いや夫」さんが ちゃねらーとしてただ批判派とのやり取りで遊んでいる というのでしたら話は別になりますけど。

私の宿題になりますが 「いや夫」さん ご自身の言葉でよく頑張って書かれていると思いますよ。
また 大変いい所に目を付けられている部分もあります。
もっと言わせて頂くなら 古代より現代まで数多くの宗教が存在していますが 「人間はどうして宗教を必要としているのか」という所にまで踏み込んで答えて頂くともっと深みが増すと思いますよ。
それでは 頑張って下さい。


 
    

皆さん 済みませーん。
私の手違いで 二度送ってしまいました。

やさしいね~このひと。
決して、いや夫を見捨てない。
いや夫は、ヒザ枕してもらって、ゴロニャ~ン。

長文さんへ

 さすが「匿名」さん。人に宿題を出しておいて、反論がへぼ過ぎませんか?「武蔵」なら、もう少し鋭い反論をするだろうから、あなたは武蔵ではないらしい。「否会友」の親友の「元会友」というのが正解ですか?「長文さん」は、この程度の反論しかできないようだから、否定派のちゃねらーの皆さんもどしどし反論(罵倒や無視というごまかしではなくて)を書いてよこしてください。

 「武蔵」氏のときのように、ギャラリーに遠慮してもらう必要もなさそうです。宗教論について、どんどん反論しなさい。まとめてお答えします。

 さて、「いや夫」の投稿も会にとって迷惑であるという指摘について。

 そういう面もあるでしょう。「宏正会」の見解とはまったく別物ですから。しかし、一会友の夫の発言でゆらぐほど、「宏正会」はやわな組織ではありません。「いや夫」の記事など、会長先生の御著書の千分の一の価値もありません。こんな投稿を読んで、会を判断することなどナンセンスなのです。ぜひ、御著書をお読みください。(「倫風」でも十分その尊さはわかります。わからない人は、それなりの人なのでしょう。)

 ともかく、「いや夫」が登場しなくても、君らちゃねらーが一方的な批判を書き連ねるだけだから、こうして反論する人間がいることも全く無駄なことではありません。「いや夫」の投稿を読んで、「宏正会」を嫌う人もいるでしょう。しかし、君らの投稿を読んで嫌う人間の方がはるかに大きい。君らは「いや夫」の一万倍迷惑で無責任な人間たちです。

 たとえば、「認知的不協和理論」なんての持ち出して攻撃しだしたのは君らの方だが、いざ、自分たちがその実例になると、一切認めずはぐらかす。「いや夫」は是々非々で書くから、何度も自分で認めているぞ。

 尊敬する義母や愛する妻が「我も人ものために」がんばっている「宏正会」がネットで悪口を書かれていることに大きな不協和を感じる。ちゃねらーは大馬鹿者の集まりだ。

 これは、(間接的に)妻が悪口を言われているので、反論してやろうという単純な怒りと同じものだ。何も高等な心理でも何でもない。

 人に宿題を出しておいて、あなたは答えないから、模範解答を示そう。

 客観的な人間なら、この位は書きなさい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 「否会友」さんの例は、まさに「認知的不協和理論」の実例だと思います。障害をもつ子どもがいることに対して、義母は「否会友」の心のあり方が悪いのだと指摘をしました。一方、嫁は義母に対して愛和の心をもって接しなければなりません。よって、大きな不協和が生まれます。そこで、義母は愚かなのであるとすれば不協和が減るのです。それでも、やはり義母を直接軽蔑すること自体にも、不協和が生じます。そこで、義母が大切にしている「宏正会」が極悪の組織で、義母がだまされているのだとすれば不協和はなくなるのです。さらに、「宏正会」の会友を激減させ、会を潰せば、義母は普通の人間に戻ることができるので、2ちゃんねるで会の罵詈雑言を書き連ねるのは正しい行いなのです。義母の悪口なんて、書いてはいません。悪いのは「宏正会」なのです。
 これが、「否会友」の心理状態なのだと思います。

 なお、私「匿名」の場合は、自身も一時会友でしたが、(        )という理由でやめてしまいました。もし、「宏正会」が良い組織ならば、それをやめたことに対して、大きな不協和が生まれます。しかし、「宏正会」が悪い組織なのだとわかれば、不協和は減るのです。そうだ、2ちゃんねるでスレを立てよう。思った通り、みんなが悪口をどんどん書いてくれる(「否会友」「愚息」他)。やっぱり私が正しかったのだ。

 ところが、「実践倫理宏正会って何?」にて、肯定派が反論をしている。2ちゃんねるでは、否定派が圧倒しているのに。大きな不協和だ。「いや夫」は自分たち以上に2ちゃんねるに精通したちゃねらーにちがいない。そう考えれば不協和が減る。こんな相手なら「匿名」で攻撃しよう。みんなでよってたかって馬鹿にしても卑怯ではない。相手はちゃねらーだもん。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 これが一つの回答例です。
ご自身の場合はどうですか?
人に宿題を課したのだから、自分も宿題にまじめに取り組んでください。自分をみつめることが、一番難しいことなのですよ。
 (    )の理由をぜひ知りたいものです。

 なお、いちいちあなたの投稿を引用しているのは、せっかく宿題をするなら、我がブログの記事にしようと、先に記事にしたからです。他意はありません。

 あなたは、宿題もやらない無責任なちゃねらーだが、「いや夫」はせっかくの機会だから、既に投稿したくだらない持論の投稿よりも、もっと学術的な「宗教論」(当然引用が中心)を書くつもりです。興味のないネタにいつまでも関わるのも嫌なので、まとめの投稿にします。我がブログの方へ先に書いてから、このブログにも投稿することでしょう。もう少しお待ち下さい。
 

おやさしい長文「匿名」さんが、いや夫を相手にするもんだから、いや夫は、えたりやおーと、超長文をトクトクと書き込む、ウンザリコンコンだなー。

いや夫さんは、やはりちゃねらーだったのですね、自分でお認めになっています。
まりすましに関して、していないと宣誓出来ないのもそこにあります。
また、「実践」をされずに会を語るから、観念論的に、空ですね。いくら論破されようとも、宏正会の見解ではない。あなたの考えたこと。会からみても空です。

 なりすましは一度だけしました。「駐車場案内係」です。君たちちゃねらーの常套手段である成りすましを実践した例として、ばかばかしいですが成りすましました。しかし、君たちちゃねらーとは違って、「成り済まさず」、すぐに自分から正体を明かしましたので、厳密にはなりすましではありません。「討論は避けよ」はこのブログで今まで何というハンドルネームで打ってきたのですか?正直に告白しなさい。

 また、「長文さん」はどのハンドルネームを使ってきたのですか?武蔵君はどれとどれとどれとどれと・・・ですか?「田中丸」も君ですか?

 「愚息(鉄槌他)」はどうせ白状しないから、別に明かさなくて結構です。下品で攻撃的で、「いや夫」以上に嫌みで、ユーモアのセンスがない投稿は、すべて君でしょう。2ちゃんねるにふさわしく、ブログには不似合いな人間です。否定派がお馬鹿さんだという実例そのもので、「いや夫」はある意味、君の存在意義を認めています。いつまでも、そこにいたければいなさい。「いや夫」は無視します。(といいながら、相変わらず反応している自分がいる。)

 ともかく、「いや夫」の問いかけに正面から回答できない雑魚は消えなさい。その方が、スペースも読む人の手間もはぶける。

 君たちは、仮面ライダーで例えると「イィー」といいながら、次々に倒されていく「ショッカー戦闘員」なのです。誰も君たちに注目していないし、早く消えろよ、「長文さん」と「いや夫」のバトルだけでいいんだよ、と蔑まされているのです。ドラマとは違って、誰もが主人公になれるネットだから、自分たちも主人公のつもりだろうけど(自分の人生では自分が主人公です。それは認めます。だったら主人公になれるような文章を書こうね。)、君たちの書いていることは、「イィー」と五十歩百歩です。

 さて、ショッカーは戦略なき愚かな組織の典型です。なぜなら、たくさんの怪人を製造する能力をもちながら、一匹ずつ仮面ライダーに立ち向かわせ続けては破れるという愚かな戦術を採り続けているからです。とてもナチス・ドイツを参考にしたとは思えません。

 卑怯者の代表であるちゃねらーの皆さんは、ショッカーのような愚かな戦術をとらず、一人ひとりが「長文さん」のように、自身のもつ知恵を振り絞って、長文で「いや夫」に討論を挑みましょう。一対一では分が悪そうだけど、ちゃねらーがみんなで力を合わせれば、「いや夫」など恐るるに足らないはずです。どんな長文の投稿がいくつ書かれるのか、楽しみに待っています。
(今から一週間くらいでカウントして、実人数を研究する資料にしますね。)

 さて、無責任な「長文さん」の宿題に取り組み、我がブログの宗教に関する記事をすべてカテゴリーに分類しました。

http://58807828.at.webry.info/
に行って、「朝起会は宗教か」というカテゴリーに31の投稿が整理されています。それをすべてお読みになれば、「長文さん」の宿題にはすべて回答できることになります。でも、まとめの記事は、改めて作りましょう。

 ですが、「長文さん」が「いや夫」からの宿題を無視するという暴挙に出ましたので、せっせと新しい記事を考えるだけというのも癪にさわります。幸い、反論のために自分のブログを読んでいたら、これが答えになっているじゃんというのをさっそく見つけてしまいました。もちろん、会長先生の教えです。

 「いや夫」の投稿なんか、いくらでも反論できると思うし、ディベートなら立場を変えて自分自身で反論することも可能です。しかし、会長先生の下記のコラムに、正面切って反論をできる人間はそう多くはいないでしょう。「太陽神」や「武蔵」くらいですかねえ。再登場は「いや夫」も望むところです。

 では、(強烈な)ジャブとして、会長先生の宗教論を紹介します。


『よりよい社会へ 実践倫理講座地の巻』より


(引用開始)
第21講 宗教(その一)

 人類の最終戦争は宗教戦争だという学者がいます。パレスチナやアフガニスタン、イラクなどの紛争はその現れだとする人々もいます。今、再び宗教の意味が問われています。

 日本人の信仰心

 日本人には「信仰心」がなくなったとよくいわれます。たしかに核家族化の進行とともに、家庭から仏壇や神棚が姿を消していきました。ふだん神社仏閣を訪れる人のほとんどは観光目的でえ、信心のためではありません。自分の家の宗旨さえ知らない人たちも増えています。
 しかし、私たちの日常生活を子細に見れば、まだ多くの宗教的なしきたりが、しっかりと根づいています。結婚式は神道式かキリスト教式で、葬式は仏教式で行うのが普通です。初詣にお彼岸にお盆、年忌法事や墓参り、縁日にお祭り、お宮参りに七五三、家内安全や厄除けのお札、安産祈願に合格祈願、地鎮祭に縁起物の達磨や熊手、そして車の中にも海外旅行にも交通安全のお守りは欠かせません。はてはキリスト教徒でもないのに、クリスマスからバレンタインデーまで日常生活の中に取り込んでいます。
 これら一つの神を絶対唯一の存在とし、その教えを心の拠り所として生きるという意味の信仰とは無縁です。しかし、八百万の神々や仏様を認めて、生活上のさまざまな願いを託すのは、日本人が昔から馴染んできた宗教的なものへのかかわり方です。特定の宗教の信徒のように、はっきりした輪郭は持たないものの、人知を越えたものを信じ、それにすがろうとする意味では、これもまぎれもなく信仰心だといえるでしょう。
 このように、豊かな信仰心を持っているように見える日本人ですが、こと宗教となると無関心どころか、昨今は警戒心さえ持つようです。たとえば、私たちの実践活動も、宗教ではないのかという警戒の目で見られることがよくあります。
 理由は明らかです。とかく物質万能、科学万能、合理主義一辺倒の世の中で、心のあり方の大切さを説く会は、自分たちとはまるで違った価値観を持つもの、たとえば新興宗教のようなものに見えてしまうのでしょう。
 もちろん実践倫理は宗教ではありません。神様もいなければ偶像もありません。礼拝や読経も、呪術的n儀式もありません。あの世について語ることもいたしません。宗教に関していえば、私たちは宗教の持つある面についてはこれを認め、別のある側面は認めません。(それについては後でお話したいと思います。)
 ともかく、信仰心は宗教の基礎ではあっても、宗教心と同じではありません。つまり、現代の日本人の信仰心がなくなったのではなく、宗教心が薄れたのです。
 
 宗教の発生

 宗教は人間の歴史とともにあったといわれています。たしかに歴史的に見て、およそ宗教を持たなかった民族はありません。人間は常に宗教を必要としてきたのです。なぜなら、人間は自らを弱い存在だと意識してきたからです。
 私たち人間は、ついこの間まで自然の恵みのままに生きてきました。しかし、自然の営みは人間の意のままにはなりません。豊かな実りを願っても、干ばつや洪水に見舞われることもしばしばでした。さまざまな天変地異に対して人間はあまりに無力で、明日の自分の運命さえ定かではありません。
 もし、未来を予測できるとしたら、事故もトラブルも起きないはずです。誰もが容易に望む仕合わせを獲得できるはずです。しかし残念なことに、人間には一瞬先が闇なのです。その意味では、ただ不安だけがありました。
 では、無力な人間はどうやって、そうした不安を取り除き、あるいは希望の実現を図ろうとしたのでしょうか。いうまでもなく、超越的な力、すなわち神に祈ることで、人間の力の及ばないことを解決しようとしたのです。すべての民族が宗教を必要としたのは、そのためでした。
 その超越的な力とは何でしょう。自然崇拝に宗教の起源を求めるのが一般的です。日本の場合はその典型でした。
 遠い昔に思いを馳せてください。里には深く鎮まりかえった森があり、そこには幾千年を生きたかと思える巨木があります。遠くには里を育むように聳える雄大な山々があり、永遠の時を刻んだ巨岩や満々と水をたたえる湖があります。山麓の湧水は清冽な流れとなって里を潤しつづけます。
 しかしときには、自然はその姿を一変させます。噴火や洪水、日照りや冷害、嵐や吹雪で人々を圧倒します。有限の時間しか持たないちっぽけな人間にとって、無限に生々流転して止まぬ壮大な大自然の姿は、そのままで神聖なもの、畏怖すべきものと感じられたことでしょう。
 山と森に囲まれた緑豊かな土地で、田畑を耕して生きる人々にとって、作物の生育と豊穣を願う心は、生命の誕生や子どもの成長を祈る心と一つのものでした。それらは生命の営みをつかさどる人知を越えた力、万物を生み育てる神秘の力のなせる業だと感じられたことでしょう。人々はそうした力に神を直感したに違いないのです。
 太陽も大地も緑も水も、大自然のすべてが天の恵みであり、祈りの対象だったのです。とりわけ、鎮守の森や見上げる山は神の住みなす聖なる領域と意識され、古木や巨岩は神が依代として祀られました。
 彼らにとっては祖先もまた永遠の生命の流れにつながる存在でした。人は死んで祖先となり、やがて大自然に溶け込んで神となると直感されていたのでしょう。死者の霊は山に行き、浄められ、祖霊となって里人や田畑を守ってくれると考えられたのです。祭はそうした祖先の神々と里人の交流のひとときでした。人々は自分たちもまた自然の一部だと実感しながら暮らしていたに違いありません。
 こうした自然崇拝の伝統の中から、おそらく弥生時代の稲作農業を母体にして神道が生まれ、六世紀には仏教が伝わって、土着の信仰と混淆することで日本列島に定着していきました。その後、戦国時代にキリスト教が伝わりますが、大きな影響を及ぼすには至りませんでした。
 一神教が日本で力を持ちえなかったのは、おそらくいかなる神も、太古から日本人が心の底に宿してきた「大自然の摂理」に対する畏敬の念を超えることができなかったからだと思います。日本においては宗教もまた、大自然の摂理の内に包み込まれてしまうのです。八百万の神々が共存する信仰の風土が、こうしてできあがったと思われます。

 宗教の歴史

 世界に目を向けると、古代社会では、自分たちの運命を神の力で切り開こうとしましたから、より強い神、より人々の要請にかなった宗教が一世を風靡しました。厳しい自然環境で生きる人々や苦難に喘ぐ人々には、とくに強力な神が必要でした。事実、オリエントの砂漠に生まれたある神は、強大な力を持ち、人々に絶対的は服従を求め、他の神や他の民族に対しては徹底的に「不寛容」でした。
 やがて、万人の仕合わせを実現しようとする「寛容」な世界宗教が誕生します。釈迦はカーストの軛に苦しむ人々に万人の平等を説き、キリストは汝の敵を愛せよと教え、ムハンマドは特定の人間の特権を否定し、貧者に進んで施しをするように求め、強制にによる改宗を禁じました。仏教やキリスト教やイスラム教が世界宗教となることができたのは、いずれも万人の仕合わせの実現を目指したからでした。
 しかし、人々が神に頼れば頼るほど、神を祀る人々の力がどんどん強くなっていきます。彼らは自分たちの教団に都合のいいように律法(戒律)をつくり、あるいは教義のの解釈を変え、自分の世俗的な権力欲や財欲を満足させるようになっていきます。神の名で異教徒を弾圧し、イスラム教に対するキリスト教の十字軍のように、大虐殺さえ辞しませんでした。神の代理人がすべてを支配する社会になったのです。
 神の名を振りかざす神の代理人から、人間的な仕合わせを取り戻そうとする動きが現れるのは必然でした。ヨーロッパのように、宗教の支配が厳しかった社会では、宗教からの人間解放が課題となったのです。
 激しい改革運動によって、あるいは、人々の思いが積み重なって、人々は少しずつ教会の呪縛から解放されていきました。人間の仕合わせを実現するものは、神ではあっても、神の代理人ではないと意識されるようになったのです。
 近代になると、諸科学の勃興によって、それまで神の領域とされていたものが次々と人間のものになって行きました。さまざまな自然現象も生命の神秘も、科学によって解明されていったのです。病気なら医者に駆け込んだほうがいいと、誰もが知るようになったのです。
 では、現代人は神を必要としなくなったのでしょうか…。

第22講 宗教(そのニ)

 世界の各地で、異なる宗教を持つ人々の間での紛争が続いています。人々を仕合わせにするはずの宗教が、なぜ、かくも多くの涙を流させるのでしょうか。宗教の負の側面について考えます。

 現代人と宗教

 現代人はもはや神を必要としなくなったのかというと、そうではありません、重病人を抱えた家族は、医者にすべてを委ねた後で「神に祈る」のです。
 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。人にできることを尽くした後は、神にすがるしかないのです。その心情は今も昔も変わりません。科学の最先端国であるアメリカの大統領でさえ、テロとの戦いの宣言を「神のご加護あらんことを」という言葉で締めくくりました。
 近代以降、諸科学が飛躍的に発展したからといって、それは自然の摂理のほんの一部分がほのかに見えたにすぎないのです。私たちが獲得した「人間の領域」は「神の領域」に比べれば、まだまことに微少なものでしかないのです。
 では今後、科学の進展に比例して、神の領域が縮小していくかというと疑問です。社会が高度化し複雑化すればするほど、人は自然な状態から遠ざかり、生活実感が希薄になって、自分の存在の意味を見失います。そして、そうしたストレスや不安、生き甲斐の喪失や孤独感などからの救いを宗教に求めることになるからです。
 人間が弱い者、悩む者、命に限りある者であるかぎり、人は神なしには生き難いといえそうです。
 ちなみに、インターネットで世界をかけむぐって話題となった『世界がもし100人の村だったら』には、こう書かれています。
 世界が百人の村だったら、「33人がキリスト教、19人がイスラム教、13人がヒンドゥー教、6人が仏教を信じています。5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています。24人は、ほかのさまざまな宗教を信じているか、あるいはなにも信じていません」。

 宗教の負の側面

 全講で、実践倫理の考え方からすると、宗教には困ったマイナスの側面とすぐれたプラスの側面があると言いましたが、まず、その前者、宗教のマイナス面について考えます。それは一言で言えば、「唯一絶対」という考え方、つまり、ただ一つの神だけが正しいという考え方によるものです。
 この「唯一絶対」という考え方が、どんなに困ったことであるかを暗示する有名な実験があります。猫は生後まもなく、視覚をつかさどる脳の一部が完成するのだそうです。そのため、その時期の猫を縦の線だけのを描いた筒の中で育てると、やがて、その猫は縦の線だけを見分けるようになって、横に差し出された棒などは認めることができなくるなるというのです。
 反対に横の線の筒の中で育てれば、縦の線が見えなくなります。縦の線、あるいは横の線だけが「唯一絶対」の存在になってしまったのです。
 こうした偏った刷り込みによって、認識に欠陥が生じるという現象は、猫の場合に限ったことではありません。私たち人間の場合にも、よく似た例はたくさんあります。
 たとえば、特定の社会状況を共有し世代に通用するものの見方や考え方というものがあります。戦争体験の有無による世代間の意識の違いなどはその典型です。
 あるいはまた、一つの主義しか認めない独裁的な社会で教育を受けた人のほとんどが、みな同じ断定的な発想をします。およそ他の意見、別の側面からのものの見方を理解することができません。「唯一絶対」の考え方だけが断定的に刷り込まれているために、それ以外のものの見方を認識する能力を失ってしまっているのです。
 この現象は特殊な社会だけにあるのではありません。どんな社会にあっても、特定の主義に頑なに信奉する人たちには、事実を事実として見られない傾向があります。現実を特定の主義というスクリーンを通して見るために、見えなくなってしまう部分があるのです。
 そして、困ったことに、この「唯一絶対」という暗い側面が宗教において最も顕著なのです。
 古来、人間は仕合わせに生きるための拠り所を神に求めてきました。ところが、この神の名による仕合わせにも大きな落とし穴があったのです。それは神が「唯一絶対的な存在」だという大前提です。「絶対」とは、比較対照するものがない、ただ一つしか存在しないということです。
 しかし、現実には、これこそが絶対に唯一の神だと信じている複数の集団が同時に存在しているから困ったことになるのです。自分たちの信ずる神様が「唯一絶対」なのですから、ほかの神様は全部間違いだということになります。当然、間違いとされたほうは怒り、争いとなります。
 こうして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの「唯一絶対」の神を奉ずる集団同士の抗争や戦争が繰り返されてきたのです。
 そもそもユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、大本のところは同じ神様だったらしいのですが、もはやそんなことは問題になりません。長い間の確執で四分五裂し、もつれにもつれてしまったからです。
 「唯一絶対」による抗争は、異なる宗教同士の間ばかりではありません。同じ宗教の中でも、教義の解釈をめぐる対立が起こり、分派ができて、戦争や虐殺にまで行き着くこともしばしばでした。キリスト教における、カトリックとプロテスタントの宗教戦争などはその代表例です。
 しかも、これらの宗教がからむ紛争の当事者たちは、とりわけ意思堅固な人たちだから困るのです。なぜなら、自分たちの神を信じきっている狂信的な人たちだからです。当然、主張は平行線をたどり、戦争は長引き、相手を抹殺し尽くそうとする悲惨なものとなりがちです。
 なかでも厄介なのが、この「唯一絶対」を教条的に突き詰めて、他の存在を許さない「原理主義」者の存在です。その偏狭な排他性は、人類が共存していくうえで大きな障害になっています。それは、万人の仕合わせを目指す実践倫理とは最も遠い、傲慢な考え方です。
 ではなぜ、そうした原理主義が出てくるのでしょうか。
 「唯一絶対」の理屈(それが宗教の教義であろうが、イデオロギーであろうが)を信じて一致団結した集団ほど強いものはなく、自らの思いを貫徹しようとする指導者たちにとっては、最も効率的で都合のいい集団だからです。
 しかし幸いなことに、原理主義で統制された体制が長く続いたためしはありません。人間は、生活から精神まで画一的に非人間的な体制には、ついには絶えられなくなるのが自然だからです。
 ナチス・ドイツも、軍国主義の日本も、ソ連や東欧の社会主義国家も、それらはたった一つの考え方しか許さない原理主義の国家でしたが、時の勢いを失ったとき、いずれも崩壊せざるをえませんでした。
 ここで誤解しないでいただきたいことがあります。宗教すべてが「唯一絶対」派だというのではないことです。まして、すべての宗教が教条主義的で排他的な「原理主義」だなどというのではありません。
 たとえば、古代ギリシャや古代ローマの人々は多くの神々を祀りました。多神教ですから、容易に異邦の神も受け容れて、自分たちの神にしてしまいました。神々が絶対的な服従を求めることもありませんでした。まして日本は八百万の神々の国でいたから、「唯一絶対」とは無縁でした。
 では、一神教の場合はどうでしょう。
 ユダヤの神は、有名な十戒で「我は汝の神、唯一にして全能の神なり。我以外の如何なるものも神とすべからず」「我は嫉妬深き神なれば、我を憎む者には子々孫々まで罪を問い、我を愛し、我が戒めを守る者には千代までの恵みを与えん」(『旧約聖書』出エジプト記)と不寛容な「唯一絶対」の神であることを宣言しました。
 これに対して、すべての人の救済を目指したキリストは、「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(『新約聖書』マタイ伝)と寛容を説きました。「敵」とは異教の民であったはずです。
 また、それから六百年後に生まれたイスラム教も、交易の盛んな社会を背景にして生まれたために、当初から排他性が薄く、他の宗教との共生の立場をとりました。
 しかし、集団には世俗的な勢力争いはつきものです。キリスト教でもイスラム教でも、さまざまな教義の解釈や分派が生まれ、排他的で不寛容な教派や戦闘的な原理主義を奉ずる集団も発生します。それは、ある意味では「唯一絶対」の神が持つ宿命だったのかもしれません。

第23講 宗教(その三)

 現代科学の粋を集めた宇宙船に乗って地球を見た宇宙飛行士の多くが、その後の人生を宗教活動に捧げています。
 孫悟空が雲に乗って地の果てまで飛んだと思ったら、お釈迦様の掌の中だったと知る話と似ています。
 宇宙を貫く「大自然の摂理」と「神」との関係を見据えます。

宗教は必要か
 
 前講では、宗教の持つ宿命的ともいえる「負の側面」、排他性について見てきました。しかし、そうした負の側面は、宗教が絶対に避けられない宿命なのかというと、違います。
 神が人を愛し、宗教が万人の救済を究極の目標とするならば、排他的であることは、むしろ神の本質に反します。非人間的で偏狭な教義や原理は、「聖なるもの」とはほど遠いものであり、それは一部の人々が世俗的な権勢欲や物欲を満足させるためにつくった、自分たちに都合のいい単なる決め事にすぎません。
 ただ、神の持つ「唯一絶対」性は、そうした排他性や非人間性を生み出しやすいとはいえるでしょう。それはちょうど、縦の線だけが描かれた筒の中で育てられた猫が視野の偏向から抜け出せないのと同じです。実践倫理のように、縦の線も横の線も斜めの線もある現実を、あるがままに認め、より善い道を求めることが難しいからです。それなら、宗教は否定されるべきものかというと。それも違います。
 現代社会には、宗教を持たない人、神を否定する人がたくさんいます。そうした、人間を超えたものを信じない人には、自分以上の存在を認めないという傾向があります。もし彼が、自分は何でもできるし、何をしても許されると思い込んでいるとしたら、それは恐ろしいことです。
 なぜなら、不完全な人間が自分だけを信じて行動するのですから、どこへ行き着くか皆目見当がつかないからです。しかも、彼が人の仕合わせを思わず、自分だけの仕合わせを思っているとしたら、それは非常に危ない生き方に思われます。自分の欲望のほかに突き動かすものがない人は、大黒柱を欠いた家のように頼りなく、また、危険な存在でもあります。
 人間は何でもできるし、何をしてもよい、と思い込んでいる人を「神をも恐れぬ人」といいます。この神をも恐れぬ人々の行動が、これまで社会に大きな禍根を残してきました。自分の利益のためなら何をしても憚らない人々が、人類を何度でも滅亡させるほどの核兵器を作り出し、地球規模で公害をまき散らし、オゾン層を破壊し、戦争で無数の生命を奪ってきたのです。
 今、改めて宗教が取り沙汰されるようになったのは、二十世紀を通じて、神をも恐れぬ人間の営為が相当に際どいところまで地球と人間を追い詰めてしまったからに違いありません。
 人間とは自らをも滅ぼしかねない愚かしくも弱い存在なのです。今こそ、私たちは謙虚さを取り戻し、人知を超えたものを畏れ、行いを正し、人事を尽くして万人の共生と仕合わせを目指さなくては、地球も人類も滅びるほかはないのです。
 その意味で、宗教は人間にとって有用なのです。人が正しく生きるために、神を信じることはよいことなのです。
 しかし、神の名とその教義は一つではないということも忘れてはいけません。人間一人ひとりが自分たちの仕合わせのために、また万人の仕合わせのために、いちばん親しい神の名を呼べばいいのです。すべての宗教が万人の仕合わせを実現しようとするならば、一宗教、一宗派の絶対正義を言ってはならないのです。宗教もまた共存しなくてはならないのです。
 とりわけ、対立や戦争に神の名を持ちだしてはいけません。前講で、「人間の領域」と「神の領域」ということを言いました。対立や戦争がこの人間の「領域」にとどまるかぎり、どのような対立も人事を尽くせば解決できます。しかし、それが人間を超えた「神の領域」に属したとき、もはや人間では解決できなくなってしまうからです。
 たとえば、パレスチナでの争いを宗教対立ととらえる人たちがいます。しかし本来、パレスチナ問題とは、第一次世界大戦の戦後処理と第二次世界大戦に際しての戦費調達のために結ばれた密約から生じた土地問題なのです。中東のなかでは豊かな土地に住んでいた人々が、ある日突然、故郷を追い出された。彼らは土地を取り戻そうとし、土地を得た側は取り戻されまいとする。それがこの問題の本質なのです。両者はたまたま異なる宗教を持っていたにすぎないのです。
 もし、パレスチナ問題が純粋に土地問題として扱われていたなら、解決の方法もあったのではないかと思われます。しかし、その対立に「唯一絶対」の神の名が持ち出されたとき、もう、どちらか一方が滅ぶまで解決はできなくなってしまうのです。神の名を収め、問題の本質に立ち返って人事を尽くす。それ以外に解決の道筋はないのです。
 宗教間の対立を煽ろうとする者とは、人間の仕合わせを奪う者、人間の生存そのものを脅かす者といってよいでしょう。そしてもし、ある宗教がそうした偏頗な方向、他の宗教の存在を否定する方向へ向かうとしたら、万人の仕合わせのために、その神は死すべきでしょう。
 あらゆる対立や紛争において、人は万人の仕合わせのために「人事を尽くす」道を選ぶべきなのです。間違っても神をそこに持ち込んではならないのです。

実践倫理と宗教の関係

 人間は絶対ではありません。今この瞬間に何が起ころうとしているのか、明日はどうなるのか。日が昇り星がめぐり、万物が生々流転するのはなぜなのか。人間には何一つ確かなことはわからないのです。そのため、人は誰でも人知を超えたもの、私たちを今あるようにあらしめるもの、宇宙と人間の運命をつかさどる不可知の力が確かにあると感じてきたのです。その不可知の力のことを実践倫理では「大自然の摂理」と呼びます。
 人々はこの力を「聖なるもの」として敬い、多くの人がそこに「神」を見たのです。そうした思いは「人間にとって自然なこと」でした。実践倫理が宗教を肯定するのはそのためです。
 しかし、「大自然の摂理」と「神」は同じではありません。
 「神」は意志を持ってすべてを支配し、服従を要求します。その意志に背けば、罰します。これに対して「大自然の摂理」は宇宙を貫徹する原理ではあっても、「神」のような意志は持たず、命じもしません。すべての存在を「大肯定」するだけです。ただ、実践倫理では「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです。
 また、実践倫理は現実世界に生きる人間の仕合わせのための知恵の体系ですから、宗教のように死後の世界について語ることもありません。
 実践倫理では、宗教の教義と活動が「大自然の摂理」にそったものであるかぎり、これを支持します。その一部が「大自然の摂理」にそったものであれば、その一部を認めます。しかし、その宗教を「絶対」だとはいたしません。「人間が生んだ」宗教が「絶対」ではありえないからです。
 それに対して「大自然の摂理」は「人間を生んだ」ものです。私たちを今あるようにあらしめているものです。それゆえ、人間を超越した「絶対的なもの」です。いっさいの人為を超越したものですから、宗教もその原理の下にあるのです。
 日本においては、こうした「大自然の摂理」と「神々」の関係は、ごく自然のうちに予感されていたように思います。宗教を含めて、あらゆる人為が「大自然の摂理」の掌の上に乗せられていると知っていたから、あらゆる神々を受け容れる土壌があったのではないか、と思われるのです。
 この日本人の心情を象徴的に表している歌があります。
 「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」
 西行法師が伊勢で詠んだ歌です。何の神様が祀られているかさえ問題にならないのです。ただその場に宗教を超えた聖なるもの、大自然の摂理ともいうべきものを感じ、ひざまずき、涙を流しているだけなのです。

(引用終了) 

 否定派が気づいているように「いや夫」は純粋な会友ではまったくなく、会長先生の投稿にさえ、自分なりの解釈をあてはめてしまう男です。

 上記の会長先生の文章の中に、
「現代科学の粋を集めた宇宙船に乗って地球を見た宇宙飛行士の多くが、その後の人生を宗教活動に捧げています。
 孫悟空が雲に乗って地の果てまで飛んだと思ったら、お釈迦様の掌の中だったと知る話と似ています。」

 というものがあります。アポロ計画を疑っている「いや夫」の解釈は自身のブログのコメント欄に書き足した下記のものです。「いや夫」は神も仏も信じない無神論者です。

(引用開始)
 上記の記事中で「現代科学の粋を集めた宇宙船に乗って地球を見た宇宙飛行士の多くが、その後の人生を宗教活動に捧げています。」について、「いや夫」の解釈は、会長先生とは全く違います。
 私は、「人類の月面着陸はなかっただろう論」に賛同する者です。おそらく、アポロの宇宙飛行士は、月面着陸という夢の実現のために人生の大半を捧げたのにも関わらず、月面に降り立つことができなかったのでしょう。さらには、そのことを誰にも話すことができず、英雄として人々から讃えられていることに、大いなる葛藤があるのだと思います。その贖罪の意味で宗教活動に残りの人生を捧げているのだといや夫は予想しています。
(引用終了)

「いや夫」様

また いっぱい書かれていますね。
「いや夫」さんは 普段でもこのように饒舌なのですか?

それでは 「いや夫」さんがご自分で宿題を出しておいてご自分が解答されている認知的不協和理論について述べてみたいと思います。
「いや夫」さんが宿題とされたものは 
『世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。その不協和を解消するためには、その相手が「宏正会」という極悪な組織にだまされてい愚か者とすればよいのだ。』という事例でしたね。
「いや夫」さんがこの場合に不協和としているのは
「世間一般では、家庭愛和するのが当然だ」という事と「自分は家族を嫌っている」という事ですが このような観念的な「世間一般では、家庭愛和するのが当然だ」というような事を持って来てこじつければいくらでも不協和を作りだせてしまいます。
「皆さん楽しそうなのに」私は楽しくない
「皆さんお金を持っているのに」私にはお金がない
「幸せなのが当然なはずなのに」私は不幸だ
このように現実の心に観念的なものを付け加えればすべて不協和ということにこじつけられます。
認知的不協和理論での不協和は その人の現実の認知の不協和を問題にします。
今回「いや夫」さんの示されている「否会友」さんの事例ですと 「否会友」さんの現実の義母に対する感情の不協和でなければなりません。私は義母が好きか嫌いか 尊敬しているか軽蔑してるか 大切に思っているか大切に思っていないか といった現実の感情です。このような相反する認知が存在する時は不快ですから一方の認知を低減して他の認知と協和させようとする心の作用を説明したのが認知的不協和理論です。  
「嫁は義母に対して愛和の心をもって接しなければなりません」という事は観念的なものですね。
ですから このようなものを付け加えて「否会友」さんの心の不協和を言うのは適当ではありません。
でも 「いや夫」さんが「否会友」さんについて言っている事はありえそうですね。
この事をもし心理学で説明するのでしたら 認知的不協和理論ではなくて ハイダーの「バランス理論」によるものと思います(もっとも認知的不協和理論はバランス理論から発展したものとされていますが)。
私(否会友さん) 義母 宏正会を三角形で示し 私と義母との関係が+ 私と宏正会との関係が- の時 義母と宏正会との関係が+ではバランスが悪く-の時はバランスが良い というものです。
「バランス理論」は心理学ではよく知られた理論でどこにも説明があると思います。「いや夫」さんは 調べるのが得意でしょうから お調べになって下さい。

もう一つの事例ですが(「いや夫」さんが尊敬する義母や愛する妻が「我も人ものために」がんばっている「宏正会」がネットで悪口を書かれていることに大きな不協和を感じる というのも同じです)
これは「いや夫」さんの言っていますように認知的不協和理論で説明できると思います。
よく認知的不協和理論の説明で 「自分ではとてもいいものだと思って高い買い物をした時 その商品が悪いものという情報に接すると不協和を起こしとても不快になるのでその情報に対しては自分なりに言い訳をして自分のした事を納得しようとする」というのがありますね。
逆も同じです(悪い商品だと思っていたのに良い商品だとする情報に対しては不協和を起こす)。
この商品を宏正会に置き換えると全く同じになりますね。
宏正会が悪いと思っている人にとっては宏正会が良いとする情報に対しては不協和を起こし 逆に宏正会が良いと思っている人が宏正会が悪いという情報に対しては不協和を起こす これは認知的不協和理論で説明できると思います。

これで理解して頂けましたか?

確かに認知的不協和理論は一般的な理論ですけど 宏正会はこの理論を「実践」ということでもって会員さんを会に引き付けるために利用しているということは知っておくべき事ではないでしょうか。

「いや夫」さんは ご自分のことを 
『「いや夫」の投稿を読んで、「宏正会」を嫌う人もいるでしょう。しかし、君らの投稿を読んで嫌う人間の方がはるかに大きい。君らは「いや夫」の一万倍迷惑で無責任な人間たちです。』
と 正当化していますが そうでしょうか。
「いや夫」さんは 一応は肯定派の立場で批判派の方々を攻撃していますが 批判派の言っていること 陰倍加 お祝金にしても 会の成り立ち 会長の豪邸やセレブな生活にしても事実と認めていますね。
(「いや夫」さんはご自分のことを明らかにしてこのスレに登場していますが 宏正会についてもこのように明らかにした方が批判派と討論する上で都合が良かったのでしょうね)
確かに「いや夫」さんはその事実について「私はこのように考えています」と反論しています(中には「それがどうしたの」と開き直った挑発的な反論もあります)。
 でも 一会員である「いや夫」さんが批判派の言っている事実を事実と認める事は 批判派の方々が一万倍言っている事よりも余ほど価値あることなのではないでしょうか。
そして事実を事実として認めたのでしたら それをどのように理解するかは皆様一人ひとりの問題です。
「いや夫」さんが言っている反論は 宏正会の一会員が「このように思っている」ということ以外に価値はありません。
それどころか 前回にも言いましたように 宏正会についてよく知らない人が「いや夫」さんの言っていることを見たら 宏正会はとても恐ろしい所に思えるでしょうね。
ですから 宏正会にとって「いや夫」さんは 質の異なった批判者 批判者を超えた批判者ということになりませんか?
つまり 「いや夫」さんは宏正会を擁護しているとご自分では思っているかも知れませんが 宏正会にとって一番都合の悪い人は多くの批判者ではなくて「いや夫」さんのはずです。

「いや夫」さんは『尊敬する義母や愛する妻が「我も人ものために」がんばっている「宏正会」がネットで悪口を書かれていることに大きな不協和を感じる』ということで 批判派に反論しているようですが 批判派の方々もそれなりの理由があるはずです。
「いや夫」さんと討論されていた「武蔵」さんはとても論理的で説得力ある持論を展開されています。
「いや夫」さんは「尊敬する義母や愛する妻のため」というとっても小さなごく内輪なものですけど 批判派の方々は何も知らないで宏正会に入ろうとする人達に本当の宏正会の姿を教えてあげないと可哀想なのでは といったもっともっと大きな目的があります。
ですから いくら「いや夫」さんが批判派を攻撃した所で批判派の方々は無くならないと思います。

もし「いや夫」さんの奥さんが宏正会を止められたとしたら 「いや夫」さんはどのようになります?
今までの様に宏正会に肯定的でしょうか。
きっと「いや夫」さんのことですから 一番の批判派になると思いますよ。
「いや夫」さんの奥さんはイヤイヤ会員を続けているようですので 「尊敬する義母」さんがお亡くなりになられた時には 奥さんはたぶん宏正会から離れて行ってしまうのではないでしょうか。

では 宏正会の宗教性になりますが
前回 私が言いました 「人間はどうして宗教を必要としているのか」につきましては 会長さんの著書の引用で済ませちゃいましたね。
会長さんの言っておられますこの部分につきましてはごく一般的でどなたも異論はないと思います。

「いや夫」さんは「大自然の摂理」について 次の様に述べています。 
『「大自然の摂理」はまさに、儒教の「天」と同じものでしょう。「神」ではないと思います。人としてあるべき道はおのずと決まっているので、それは、儒教でも「宏正会」でも同じことを処世訓にするのです。その道は、何も人間界に限ったことではなく、自然・宇宙・ミクロ・遺伝子などなどの世界で、およそ人知を超えた法則性が存在するわけで、それを宗教では「神の業」と呼び、「宏正会」では「大自然の法則」と呼んでいるだけなのだと思います。』
「いや夫」さんのこの説明では 「大自然の摂理」は儒教の「天」と同じとし「神」ではないとしながら「神の業」と「大自然の法則」とは同じものとしています。どういうことですか?
「いや夫」さんが 「神の業」と「大自然の法則」とは同じものとしているとします。
一般には神というものは人間には計り知れない偉大なものを分かりやすいように人間に見立てたものと説明されています。このように人格化された神でしたら人間と同じように意志をもつことになりますが
 「いや夫」さんは 「神の意志」は「大自然の法則(摂理)」と同じとしているのでしょうか?
もし 同じではないとするのでしたら 「神の業」と「神の意志」はどうして違うのか説明して下さい。

 


 
 



この上の「匿名」様の論文(4500字)ほどの完璧なものを、他に知りません。ここの批判派には、いや夫さんに十分賛成しておりますが、論理の勧め方において、「武蔵・太陽神」様を超えておられます。

否定派カウント一人目

 さすがは長文さん。「ショッカー戦闘員」とは雲泥の差です。しかし、「いや夫」はこの投稿を「完璧」とは思いません。

1 観念的はだめって何?

 また、「観念的」とか何とかごまかしていますが、「家族を嫌っている」ことに不協和が生まれないはずはないのでは?少なくとも「いや夫」はそう思います。観念的ではだめで、実験で確かめられるように、明らかなものでなければならないということでしょうか?それなら、そもそも心理学の存在意義はないでしょう?矛盾してません?全く納得のいく説明とは思えません。「観念的ではダメ」と論じているサイトを紹介してください。失礼ながら、あなたの説明では、よくわかりませんので。


2 例を(わざと)ごまかしてますね?

 バランス理論は調べる必要はありません。あなたの説明でわかりました。

 しかし、あなたは賢いくせに、わざとごまかすようだ。あなたの説明は嘘です。あなたはずる賢い人だ。
(引用開始)
私(否会友さん) 義母 宏正会を三角形で示し 私と義母との関係が+ 私と宏正会との関係が- の時 義母と宏正会との関係が+ではバランスが悪く-の時はバランスが良い というものです。
(引用開始)

 わざと説明を偽造している。
実際は、

私(否会友さん) 義母 宏正会を三角形で示し 私と義母との関係が- 義母と宏正会との関係が+ の時 私と宏正会との関係が+ではバランスが悪く-の時はバランスが良い ということです。

 そんなのは当たり前すぎて、バランス理論とか名前をつけなくても済む話です。

 義母が私「否会友」に悪口を言った。
 義母は「宏正会」を愛している。
 私は「宏正会」を憎む=義母を憎むでもある

 バランスはばっちり。しかし、不幸のバランスだけどね。


 認知的不協和理論がバランス理論から発展したそうだが、何度も言うように、何にでも適用できるありふれた感情に過ぎないということです。

 というように、「長文さん」は自分でもわかっていながら、+-をうまくごまかして説明するというような姑息さがみえみえです。

 「長文さん」が宏正会をやめた理由の(     )は何ですか?宏正会を否定する十分な理由となっているのですか?それとも、自身を正当化するために、さきほどの例のようにごまかしているだけではありませんか?


 (ここからは、「長文さん」とは直接関係ないとは思いますが、「認知的不協和理論」によってアンチ「宏正会」となった「元会友」の例を紹介し、追求します。)

 ちなみに、「否会友」の親友で2ちゃんねるの歴代スレ主である「元会友」というのが、やはり「認知的不協和理論」の典型的な人物です。
 「元会友」は男なのですが、妻と一緒に3年間宏正会で学び、倫理についていろいろと勉強しました。しかし、修業が厳しすぎてついていけなくなったころ、100万円のお祝い金を要求されたことで宏正会を退会しました。

 やめたければやめればいいと思いますよ。お祝い金を100万円も要求する人は異常だ。残念ながら、そんな状況なら仕方がない。

 でもね、3年間も修業をしたなら、宏正会の良い面もたくさん知っているはずだ。「会友はみんないい人たちだった」とも書いているし、一生懸命励んで充実していた時期もあったと書いている。ところが彼は退会後10年近くにわたって会の批判を書き連ねているわけです。なぜか?

 それは、修業の厳しさに負けた己の弱さをごまかし、「宏正会」が極悪な組織だとしたいからだ。

 会友の中には、何十年もその厳しい修行に耐え、仕合わせをつかんでいる人もいる。ところが、自分は3年でやめてしまったことに不協和が生じる。そこで、「宏正会」は極悪の組織とすることで不協和を減らすことができる。
 そういう人です。倫理力なんてないから、2ちゃんねるで批判意見ばかり書き連ねることができるのだ。仕合わせを実現している会友のことなんか、知ったことではない。自分の不協和を消すのが一番大切だし、それは、自分のような犠牲者を生むことを防ぐ正義の行いだ。と納得しているのでしょう。

 しかし、倫理力のある人は、退会しても2ちゃんねるで批判記事なんて書かないものですよ。「元会友」は元々倫理力が不足しているから、宏正会の修業に耐えられなかったのでしょう。ただ、それだけの話です。

 ちなみに、「いや夫」の場合は、義母が会友で、妻が「いやいや会友」なので、宏正会を擁護(自分ではそのつもり)していますが、例え、妻がやめても、「宏正会」の批判記事など書くつもりはありませんよ。会の書物を読んで共感することばかりだし、世の中のためになる組織だと信じています。妻がやめるとしたら、修業の厳しさに負けた弱さですので、それを素直に認め、立つ鳥跡を濁さずを心がけますよ。ところが、2ちゃんねるの元会友たちは、それができない人ばかりだ。所詮ちゃねらーですから。

 「いや夫」も倫理力が足りません。そんな奴が「宏正会」の修業なんて耐えられるはずがないから、足をつっこまないようにしているのです。

 「元会友」の場合は、妻がやっているのに夫がそれにあぐらを書いているのは最低だ、と一緒に実践を始めたようです。それがまちがいの元だったのです。「いや夫」のように、実践をせずに、妻の愚痴を聞いて励ましてあげる位にしとけばよかったのです。
 
 また、「お祝い金100万円払って」と言われて払うような人間なんてそうそういないはずです。みんな断っているでしょう。(最初からそんなこと言わなきゃいいのに。実際の話として批判します。百害あって一利なしの発言だ。)だから、いやです払いません。万札一桁が精一杯ですとつっぱねることはできるし、実際に断っている人もいるのでは?でも、会をやめる口実としては最適でしたね。そして、話をふくらませて、「元会友」自身のやっていることが倫理で、「宏正会」のやっていることは反倫理だと断定しているのです。

 自分が会にあっているかどうか位、わからなかったのでしょうか?本当に迷惑な人たちです。こんな人たちのために、普及が難しくなり、「みんないい人たち」の会友が苦しみを増すことになっているのです。

 だいたい、2ちゃんねるで「○○高校」と検索すると、悪口ばっかりです。他校の奴らが馬鹿にしておもしろがるし、その学校に通っていたけど、合わなかった者も悪口を書き放題です。たった「三年間の我慢」もできずに退学していった連中が、悪口を書いてうさを晴らしているのです。

 「宏正会」は三年間では終わりません。何十年と続く厳しい修行なのです。高校の厳しさのレベルとは格段の違いがあります。だから、脱落者もたくさんいることでしょう。やめた方が楽なのは分かりますが、だからといって「宏正会」の悪口を書き連ねるというのはどうかと思います。

 長文さんも以上のような例に該当するのではないですか?「宏正会」を批判する経緯を明かしてください。

 以上、いやいやながらも続けようとがんばっている妻の夫の意見です。

 脱線したので、「神の業」は別に投稿します。

ここまでくると、長文「匿名」さんvs「いや夫」さん論争もたいしたもんだ。がっぷり四つに組んでいる、なかなか常人にはできない。
もともと、2ちゃんねるの存在そのものが、「悪」であるというのが、わたしの論理であったし、いまも変わらないが、こっちのスレは、こんな大立ち回りを見られるのだから、それなりに興味があります。
個人的には、いつもいや夫さんに賛意を評していますが、長文さんのレベルも可なり高いと見えます。

 ご質問の「神の業」と「大自然の摂理」の関係について。
(「大自然の法則」=「大自然の摂理」の打ち間違えです。失礼しました。)

 まず、「神の業」と「神の意志」については、下記のうちの、「2」が「神の業」で、「3」と「4」が「神の意志」に該当します。

(引用開始)
 では、「宗教」とは何か?

1 神の存在を肯定
2 世の中は神がつくったものと規定
3 神が人間の幸不幸を決める
4 神は人間を救いもするし、罰っしもする

(引用終了)

 宗教が1~4をすべて満たしたものが多いのに対して、儒教の「天」については、それを満たしていないのではないかと推論しました。よって、「神」と「天」のどちらが「大自然の摂理」に近いかというと、「天」でしょうと回答しました。

 そして、「神の業」と「神の意志」と「大自然の摂理」の関連についてですが、世の中には、人知・尽力を超えたものがたくさんありますよね。一例を挙げれば、遺伝子の偉大さです。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_12.html
http://58807828.at.webry.info/200911/article_13.html

 すばらしい記事なので、引用をお許しください。
(引用開始)
サムシング・グレートの存在

 平和の実現に調和が不可欠であることは遺伝子も教えている。
 私たちを構成している肉体は、60兆個もの細胞からできているが、最初はたった一つの受精卵だった。この受精卵が細胞分裂と遺伝子のコピーを繰り返して、個別の機能を持つ細胞に分化していく。あるものは髪の毛になり、ある細胞は心臓になり、さまざまな器官を形成し、やがて人間の形になったのだ。
 実はこれら60兆個もの細胞を、他の細胞と調和しながら、それぞれの役割を果たすべく見事にコントロールしているのが遺伝子なのである。しかも、遺伝子は一個の細胞に一つずつあり、その中にはさらに32億という情報が書き込まれている。この情報を本にすると、千ページの百科事典3200冊分に相当する。この膨大な情報が、一グラムの二千億分の一という極微な物の中に書き込まれているのである。
 これらの遺伝子情報は、人間だけでなく、動物や植物、微生物に至るまで、地球上に存在するありとあらゆる生き物のすべてが保有しているものなのだ。
 すべての生き物の細胞に遺伝子情報を書き込み、それを整然と働かせている大いなる存在に、私は思いを馳せずにはいられない。その存在を敢えて言葉にすれば、ある人は「神」、ある人は「仏」、またある人は「大自然の摂理」と言うかもしれない。
 生命科学は素晴らしい勢いで進歩し、今まで生命に関する多くの謎が解明されてきた。しかしその科学力をもってしても、わずか細胞一個の生命体である大腸菌一つもつくることはできない。世界の富を集め、ノーベル賞級の学者の英知を集め何十年研究しても、生命をつくり出すことは不可能なのである。
 生命をつくり遺伝子暗号を書き込んだ、人間の想像も及ばない何か大きな存在を「偉大なる何者か」という意味で、私は「サムシング・グレート」と呼んでいる。
 私たちが無意識に呼吸をし、心臓を動かして生きていられるのも、60兆個もの細胞が整然と自他を生かす見事な働きをしているからだ。だとすれば、サムシング・グレートがつくったこの素晴らしい協調の仕組みは、個人と個人、さらには個人と社会、あるいは人間と地球との関係にも当てはまるのではないだろうか。
(引用終了)

 ということで、「神の業」と「大自然の摂理」が同じものを違う言葉で表現していると考えていいいと思います。

 一方、宗教では「神の意志」がありますが、「宏正会」の「大自然の摂理」には、「意志」はありません。

 会長先生の説明がもっとも適切でしょう。

(引用開始)
 人々はこの力を「聖なるもの」として敬い、多くの人がそこに「神」を見たのです。そうした思いは「人間にとって自然なこと」でした。実践倫理が宗教を肯定するのはそのためです。
 しかし、「大自然の摂理」と「神」は同じではありません。
 「神」は意志を持ってすべてを支配し、服従を要求します。その意志に背けば、罰します。これに対して「大自然の摂理」は宇宙を貫徹する原理ではあっても、「神」のような意志は持たず、命じもしません。すべての存在を「大肯定」するだけです。ただ、実践倫理では「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです。
(引用終了)

 ということで、「いや夫」の説明に、矛盾はないと思います。

「賛意」を表して下さる匿名様、ありがとうございます。

 「いや夫」もこのブログは、しっかりした討論がなされ、2ちゃんねるとは雲泥の差だと思います。
 このような建設的な討論なら、否定派にとっても、肯定派にとっても価値がありますね。

お世辞ではありませんが、このごろのいや夫さんの書き込みは、肩の力が抜けて、分かりやすく、愛読者になってしまいました。Thank you very much.


お姉たまのオ*ンコ気持ちよすぎだよぉぉぉ!!!!
まじ10回くらい発射したんじゃないか?(笑)オ*ンコから凄い量のザーメソあふれてたぞwww
てか俺がイきまくったのが喜んでもらえたみたいで、報酬8万も貰えちゃったゼ(* ̄ー ̄)v
http://yes.chibatetsuya.com/nymgryt/

いや夫 特有の強がりでごまかしているようだが
どう見ても いや夫は土俵際まで追い込まれているねー。 
俵に足をかけて回り込みながら なんとかしのいでいる状態じゃないの。

神とは明らかに違うが、摂理とは「万象を支配している理法」であって、それに意志がないとは言い切れない。

いろいろ心理学用語で説明しようとしているが、本質は、アンビバレンツで、一概に決め付けることは出来ないのですね。

「ショッカー戦闘員」3名登場。
テレビなら3人一緒に映さないといけないから、エキストラが3人必要だが、ネットなら一人でも大丈夫。怪人クラスの投稿は「長文さん」のみというのが、途中経過のようです。

実践をせずに擁護していても、
結局、布教出来ない貴方は、今の宏正会を理解していない。
反対派。仕事で忙しいは理由にならず。
認知的不協和です、妻は宏正会に猛遂している、私は、会の哲学を受容出来ない、しかし、妻が信じる会は擁護したい。矛盾点をつくスレは反対派、論破したい。自分が宏正会に思う矛盾は封印する、論破することで自分の不協和を解消したい。
当然です、奥様と別れたくないから。
でも、実践しない貴方は反対派?宏正会疑問派?
また、なりすましも、二種類あります、名前を使って別人が投稿。
匿名と同じかな?

事実例
引用、介護体験者のブログより
投稿者---〇〇〇(2007/11/27 )


朝起会の小冊子は、『倫風』と書いて、『リンプウ』と読むらしいのですが、先月やっとの思いで退会した知り合いの話しでは、1冊幾らとかで自分で買い取って頒布するそうですね。
その知り合いの彼女は、何十冊も買っていたそうです。

たくさん買い取って、配って回り、1人でも多くの会友を新たに増やす事がグラフで営業成績の様に競わされるんですって。

ノルマもあるから信者になると必死だそうで、それで入会するまではしつこくしつこく食い下がるらしいです。
1度や2度断わられても、そんなのは断わられた内に入らないって言われるそうですから、たまりませんね。

知り合いの彼女は神奈川県在住ですが、大体年に100万円以上のお金を実践倫理の為に使っていたのだそうで、年収600万前後のご主人に、これ以上続けるのなら、即離婚だと言われ、渋々退会したらしいです。

まだ入会して1年2ヶ月位だったそうなので、改心出来たのかも・・・。
退会の際も先輩会友数人から、それはそれは嫌がらせや脅しめいた事を、毎日散々言われて、夜はうなされて眠れない日々が続いたそうな。

恐ろしいですねえ。身震いしますよ、本当。
夫にバレて、本当に離婚までいくケースも後を絶たないとか。恐いです。

皆さん、郵便受けなどに、留守中黙って置いていかれる『倫風』にも十分に警戒して下さいっ!!
後日必ず、『お読み頂けましたか?』と本当にチャイムを鳴らされたり、あがり込まれたりしますから。
読めばひと目で、これは怪しい!!絶対に新興宗教っ!!って事がわかりますよ。
も彼女からの残っていた『倫風』を読んで、思わず顔が青ざめ、吐気がしましたからね。

「討論は避けよ」さまへ

 長文の部類には入りませんなあ。自分の言葉で語った部分は、ごくわずか。

 引用した投稿は長文ですが、これも単なるコピペ。実例だという証拠はありません。
本ブログでの投稿の例でいうなら、成りすましの投稿として何度も紹介している、

投稿 嵐 | 2005.11.14 10:21 午前
投稿 嵐 | 2005.11.15 11:11 午後
投稿 さとえ | 2005.11.15 11:12 午後

の成りすまし投稿の一種とも考えられます。

 実例とは、自分自身がいつ、どこで、どのような被害にあったのかを書くべきで、また、こんなところに書いていないで、警察や行政に訴えればよいのです。(本部に訴えても、ちゃんと解決すると思いますよ。)

 「討論は避けよ」さんが引用した「実例」とやらですが、

(引用開始)
事実例
引用、介護体験者のブログより
投稿者---〇〇〇(2007/11/27 )
(引用終了)


本文中の文章「朝起会の小冊子は、『倫風』と書いて、『リンプウ』と読むらしい」でぐぐってみたところ、

私の介護体験&こぼしちゃうおコーナー
http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?anankaigo+651

 というブログを発見できました。しかし、このブログは既に閉鎖されているのです!
(googleの「キャッシュ」に残っていたので見つけることできました。)
http://74.125.153.132/search?q=cache:Knnxk8B2M4UJ:www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi%3Fanankaigo%2B651+%E6%9C%9D%E8%B5%B7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%86%8A%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%80%81%E3%80%8E%E5%80%AB%E9%A2%A8%E3%80%8F%E3%81%A8%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%81%E3%80%8E%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%A6%E3%80%8F%E3%81%A8%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja

質問
 「討論は避けよ」さんは、どこのブログからこの文を引用されたのですか?教えてください。
 同じ人物が2ちゃんねるやいろいろなブログで、複数投稿を繰り返している例として、検証させていただきます。

 それとも、あなたご自身の投稿ですか?  

「討論は避けよ」さまへ

 質問をしたからには、あなたの投稿にも一応答えておきましょう。「ショッカー戦闘員」レベルの投稿なので、返答に苦労はしませんし。

「いや夫」の回答を(  )にします。

妻は宏正会に猛遂している、私は、会の哲学を受容出来ない、しかし、妻が信じる会は擁護したい。

(妻は会の修行が大変だからいやいや続けています。「猛逐?」ではありません。会の哲学には非常に共感しております。しかし、組織と活動していくからには、いろいろな課題もあるのでしょう。ちゃんと是々非々で述べております。)

矛盾点をつくスレは反対派、論破したい。自分が宏正会に思う矛盾は封印する、論破することで自分の不協和を解消したい。

(矛盾は封印せず、わがブログにてデメリット情報も載せております。なぜ、そうなるのかの「いや夫」なりの分析もあります。君らちゃねらーが普及の邪魔をしているのは事実なので、それと「討論?」している次第です。ちゃねらーごときが、何を偉そうに書いているのだとの不協和はあります。)

当然です、奥様と別れたくないから。

(相思相愛なので、会を続ける続けない、会を擁護するしないとの相関関係はありません。会が原因で離婚するのは異例のケースです。もし、あるとしたら、その原因を作り出しているのが、君らちゃねらーです。)

でも、実践しない貴方は反対派?宏正会疑問派?

(アンチ否定派です。)

また、なりすましも、二種類あります、名前を使って別人が投稿。
匿名と同じかな?

(ふ~ん、どれ?具体的に指摘してください。こちらも質問として追加します。)

題 岩波新書『日本宗教史』を読んでいますが、やはり「宏正会」は宗教ではないと確信。

 「長文さん」とのおつきあいで、まったく個人的に興味のない「宗教論」を語るために、岩波新書『日本宗教史』末木文美士著を購入。読み始めました。とりあえず、論争に使える部分をメモしときます。

 前述の投稿で述べた「いや夫」の持論と相通じる部分が多くあります。
「宗教とは何か?」という定義はとても難しく、こののブログ程度で述べられる問題ではないようです。
「宗教の定義は大問題であり、研究者の数だけ異なる定義があるといわれる。いまここでそれを厳密に定義しようとしてもあまり意味はないであろう」と書かれています。なお、著者の末木文美士氏の宗教の定義は、
「宗教はこの世界の合理的な秩序を越える問題と関わるということである」と述べられており、その点で儒教は宗教ではないと分類されております。「実践倫理宏正会」はこの世界でどう生きるべきかを追求するものであり、あの世のことには関わりませんので、「宗教ではない」といえます。思った通りですし、当たり前です。
 「宏正会は宗教だ」といっているのは、「ちゃねらーの否定派」だけで、宗教学会でそんなことを言っている人は、一人もいません。(「いや夫」の知る限り。違うというなら、コメントで教えてください。)

(引用開始)

P5より

「宗教」とは?

 ところで、先に思想史/宗教史という書き方をしたが、なぜ特に宗教に焦点を当て、宗教史という形を取る必要があるのだろうか。それにはまず、宗教とは何かということを考える必要がある。「宗教」という言葉はもともと仏教語であるが、今日のような使い方ははるかに新しく、第十章で述べるように、明治初めに欧米のreligionはキリスト教の長い歴史を受けているので、当然キリスト教的な形態が範型となっている。そこから「宗教」は個人の心に関わる信仰の問題として、かなり強い意味合いを持つようになった。
 しかし、日本の仏教にせよ、神祇崇拝(神道)にせよ、習俗化し、制度化していて、必ずしも個人の強い信仰を必要としない。洗礼や信仰告白のようなこともない。そうなると、なかなか翻訳語としての「宗教」にぴったり当てはまらない。とりわけ神道は、戦前の国家神道が宗教に非ざるものと規定されたため、戦後「宗教」の中に組み込まれても、必ずしもすっきりしないところがある。日本人の「無宗教」がしばしば問題になれる所以である。
 また、江戸時代の儒教(儒学)が宗教に入るかというとかなり微妙である。心学なども宗教と倫理の中間に位置するものであり、厳密な意味では宗教の範疇に入りにくいかもしれない。しかし、それらの思想を抜きにして江戸時代の宗教を語ることはできない。神・仏・儒の三教を中心として江戸時代の思想は展開するのであり、その一角を欠いた議論は不可能である。そうなると、宗教の概念をどこまで広げるかが問題になる。
 それでは、宗教をどのように規定したらよいであろうか。宗教の定義は大問題であり、研究者の数だけ異なる定義があるといわれる。いまここでそれを厳密に定義しようとしてもあまり意味はないであろう。ただ言えることは、宗教はこの世界の合理的な秩序を越える問題と関わるということである。科学はもちろん、倫理もこの世界の中の人間関係を問題とする限りは、その中で完結しており、宗教と直接には関係しない。しかし、この世界の中で解決のつかない問題に突き当たったとき、合理的に検証できる領域を越えなければならなくなる。それが宗教の問題である。儒教があくまで現世の倫理のみの問題である限り、宗教とは無関係であるが、それが神や死者の問題と関わるときには、否応なく宗教の問題に足を踏み入れることになるのである。なお、宗教の定義の問題には、本書の最後(十二章)でもう一度戻ることにしたい。

(引用終了)

「いや夫」様

前回紹介しました「バランス理論」ですけど 
私がこの理論を説明するための参考として挙げた事例を「いや夫」さんは偽造とか嘘つきなんて言っていますが 私は別に他意はなくて よく考えずに一つの説明としての事例として挙げただけです。
「いや夫」さんは 私の挙げた事例でよくこの理論を理解されましたね。
三者を三角形にしてその間の関係を+と-で現して どのようなパターンが心のバランスが取れていて どのようなパターンが心のバランスが取れていないかを示すものです。
「いや夫」の挙げています事例でしたら 「いや夫」さんの説明でいいと思いますよ。
理想でしたら 私(元会員)は義母を尊敬していて そのような義母が学んでいる宏正会に私も学んでみたいと思う(宏正会を良い会と見ている) というものでしょうね。三者の間がすべて+の場合です(「いや夫」さんのお家のようですね)。
このように 人の心というものは 常に安定性とか統一性・一貫性とかといったものを求めているようです。
認知的不協和理論はバランス理論を発展させたものと言われていますが バランス理論は私と二つの対象との関係についての安定性(不協和) 認知的不協和理論は私と一つの対象についての安定性(不協和)を説いているようです。

では また宏正会の宗教性に戻ります。
私は 「いや夫」さんがベタベタと引用を貼り付けて済ませるのではなくて ご自分で考えて頂きその思考の過程がよく分かるように質問の形式で「いや夫」さんに問い掛けていますが 「いや夫」さんは会長さんの著書の引用で済ませちゃっていますね。
でも これからは会長さんの著書の引用では済みませんよ。ご自分で考えて下さいね。

「いや夫」さんの言っていることを見ますと
「大自然の摂理」と「神(その存在と意志は違うとしていますが)」 儒教で言うところの「天」はすべて同じものとしているように思えます。
つまりこれらは 人知を超えたもの 人間には計り知れない偉大なもの  サムシング・グレートを言っているのではないですか?
もし違うというのでしたら その違いを分かりやすく説明して下さい。
そして (儒教の天についてはひとまず置くとします)「神の意志」でしたら神の代理人(神官)が神秘的な方法で大衆に伝えることになりますが 「神の存在」と同じとする「大自然の摂理」に基く倫理は誰がどのようにして見出して説くのですか?
「太陽神」さんは宏正会の会長は物理学者や生物学者といった科学者と同じような存在として捉えて「倫理を発見する」としていますが「いや夫」さんも同じですか?
 このことと関連しますが 宏正会(会長)の説く倫理は 優れた先人達の説いている哲学 倫理学といったもの また世間一般で言われている道徳とどこが違うのでしょうか?

 

  
 

「いや夫」さんも「匿名」さんもなかなかレベル高く、面白い議論が続きますね~。今回、「匿名」さんが言われるところの、他の学者の言い分はそれでよいから、「いや夫学者」さんご自身の意見を聞かせてくださいということに、賛成です。
「いや夫」さんレベルのお方なら、ご自分のご意見こそ、心にしみてきます。
(雑音入れるようで申し訳ありませんが、わたしの意見を少し述べます)
「いや夫」さんの言われるように、宗教の定義は学者の数だけありますので、ここで議論しても意味がないと思います。
ネット上の議論は「勧誘のとき宗教ではない、というのがけしからん」ということに尽きますが、現行、「宗教法人法」による認定主体は、文部科学大臣と都道府県知事で、現在182,636法人が認められています。新規申請した場合現場検証をかなり厳しくしており、礼拝物及び、その礼拝施設が整っているかが検査されます。(新規は、年2/3百も認められるという年は少ないです)
それで、学問的な議論を推し進めるのはもちろん結構ですが、我が「宏正会」に関しては、この法人法の「礼拝物と礼拝の施設」でラインを引き、現行法下、宗教ではないという、「宏正会」の考えでよろしいと思います。

 直前の「匿名」さまの意見にまったく賛同しております。「宏正会」は宗教ではないといのは、当然の帰結ですね。

 しかし、「いや夫」は「宏正会」の擁護派というよりは、「アンチ否定派」ですので、「否定派」のいいがかりを無視するのは性分に合いません。全く興味のない宗教論におつきあいして、否定派に納得してもらいたいと思います。(といっても、どうせ納得するはずはないですね。会長先生の説明でさえ理解されないようですから。批判することが目的なのでしょう。「討論は避けよ」が正解です。)

 さて、長文さんの質問にお答えしましょう。長文さんも、「いや夫」の質問にお答えください。

(引用開始)
 長文さんも以上のような例に該当するのではないですか?「宏正会」を批判する経緯を明かしてください。
(引用終了)

 「神」「天」「大自然の摂理」は、人知を超えた偉大な力(サムシンググレート)を表したもので、呼び名は違いますが、同じものです。

 ただし、この力を、「神」や「仏」と呼ぶ人は、
1 神(仏)の存在を肯定
2 世の中は神(仏)がつくったものと規定
3 神(仏)が人間の幸不幸を決める
4 神(仏)は人間を救いもするし、罰っしもする
上記の1~4についても信じています。これを宗教と呼びます。(「いや夫」の定義)

 それに対して、「天」と呼ぶ儒者は、「神」「仏」の存在には言及せず、2~4についてもあいまいなままです。

 「大自然の摂理」と呼ぶ「宏正会」実践者は、「神」「仏」とは全く無関係であり、「神の意志」など知ったことではありません。
 しかしながら、こう生きれば仕合わせになれるという道を常に考え、その通りに行動しようと心がけます。それは、会長先生に教えられることもありますが、自分自身でも正しい道だと思うからです。もちろん、「大自然の摂理」には「意志」はありません。本来一人ひとりの人間に備わっている「大自然の摂理」を各自で発見すればよいのです。その点では、すべての実践者は「大自然の摂理」を探し続ける研究者であり、その代表的な研究者が会長先生であると言えます。

 たとえば、「ちゃねらーだからと言ってばかにしてはいけない。現実社会での行いでわかってもらうべきだ。討論は避けねばならない。」というのが、「大自然の摂理」から導き出される最善の方法なのです。徳のある人は、それを実践します。
 徳のない「いや夫」は、それが最善の策だと「わかっていながら」、長文さんと討論しているわけです。知っているだけでは無意味で、実践しなければ意味がないという実例でもあります。
 ちゃねらーの皆さんは、「道徳を知っている」からそれで十分だ、「宏正会」など必要ないとの意見のようですが、知っているだけではだめなのです。

 「成りすましは卑怯だと知っていながら、成りすましをする。」
「人を馬鹿よばわりするのは、いけないことだと知っていながら、馬鹿にする。」
「自分が会をやめたから、会を批判する。現役の会友には迷惑なのは百も承知だが、そんなことは構っていられない。自分の不協和を消すのが大切だ。」というように、本来人間は自己中な生き物なのです。

 「道徳」は人としてあるべき道を説くだけです。
 それに対して、実践によってそれを行動に移せるようにしようというのが、「宏正会」という組織なのでしょう。(「いや夫」説)

 知っているということは、実は全くたいしたことではないのです。実践(行い)が大切です。「いや夫」が徳がないことは自覚しています。
皆さんも、徳がないことを自覚しましょう。

長文さんへ追伸

 「仮面ライダー」で例えると「怪人」クラスは「長文さん」だけです。
(「いや夫」が仮面ライダーで正義のヒーロー、「長文さん」が「怪人1号」で悪者いう設定です。失礼なのは重々承知しております。しかし、このブログは会友さんの個人的なブログですので、否定派は悪者です。「愚息」をはじめあなたのお仲間が下品なため、悪者がお似合いですので、お許しください。なお、あなた方のボームグランドである2ちゃんねるでは、「いや夫」への罵詈雑言が書き連ねられていますので、おあいこだと思います。)

 ということで、「いや夫」の思った以上に「怪人クラス」はなかなか登場しないので、長文さんとの討論を深めたいと思います。

1 バランス理論の実例をもう一つ挙げます。

 2ちゃんねるは、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」であることは、ちゃねらー自体が認めています。そして、本ブログでも、ちゃねらーの「創作、パクリ、盗み、取り込み&成りすまし」が横行しています。しかし、その事実に言及したのは、レイモンド氏と「いや夫」だけです。なぜ、皆さんは、それに気づかないのでしょうか?

 実践者は純粋だから気づかないのです。
 否定派は、自身も行っていることだから気づいていますが、あえて言及することはしません。
 第三者は、どうかというと、「気づかないふりをしている」のだと「いや夫」は考えます。

 ネットには、残念ながら「宏正会」の負の情報があふれています。それは、「愚息」「否会友」「元会友」などのちゃねらーが私情で会を憎み、会の罵詈雑言を書き連ね続けているからです。実践者は、そのような背景を感じているので、なるべくネットを見ないようにしています。賢明です。
 では、ネットで「宏正会」を検索しているのは、どんな人たちでしょう?

A 勧誘を受けた人
B 会友だが、実践の厳しさについていけずにできればやめたいと思っている人

 が中心だと思います。両者に共通するのは、できれば厳しい修行はしたくない、会と関係ない生活をする方が楽でいいという気持ちでしょう。よって、ネット上に会の悪口が書かれていることは、自己にとって都合が良いのです。入会を断ったり、退会したりする理由になるからです。よって、一部の否定派が成りすましの投稿をたくさん行っていたとしても、それがすべて実在の人物の真実の投稿だと信じた方が都合がよいということになります。

 まったく単純で当たり前のことに過ぎませんが、これをバランス理論で説明できます。

A(B)は、できれば会と関わりをもちたくない。(-)
否定派は会を成りすましも使ってぼろくそに言う(-)
A(B)は、否定派の言うことを信じる。(+)

 このようなバランスによって、否定派の成りすましが横行してきたのです。そうでなければ、「嵐」「嵐」「さとえ」の成りすましに誰も気づかないなどということはありえないと思います。皆さん、疑うことをしないのですなあ。
 「いや夫」がいる限りは、これらの成りすましを可能な限り暴いていきます。
 (「討論は避けよ」さんが、「いや夫」の質問に正面きって反論できるかどう試していることなども検証の一種です。)

2 宗教論におつきあいをしてもいいけど、そんな「論」って大事なの?

 「長文さん」は論理で、「いや夫」を負かしたいみたいだけど(お互い様ですな。笑。)、それほど論理が大切だと思っておいでなのですか?

 以前にも指摘しましたが、『最も重要なことは論理で説明できない』という「いや夫」が紹介した記事への読み込みが甘すぎます。
 「長文さん」=怪人クラスでもこのような状況ですから、ギャラリーの皆さんが理解しているとは思えません。大事な記事なので、再度紹介させていただきます。(コピペお許しを。いちいちリンクを読みにいくのは面倒だとの指摘もありますので。)

投稿 いや夫 | 2009.10.16 08:27 午後 より

(全体引用開始)

藤原正彦氏著『国家の品格』から引用したものです。

P43より
(引用開始)
前略
 こんな例を出さなくても、人間が戦争を繰り返していることを見れば論理の限界なんて明らかでしょう。古今東西あらゆる時代のあらゆる場所で戦争をして、そべての人が「こんなバカバカしいことはない」と涙ながらに反省して、そしてまた戦争を繰り返してきました。どの戦争にも当事者双方に論理がありました。戦争が紛争解決の最善の手段であるかどうかは、いつも的確に判定できなかったのです。
 論理的に得られた結論は磐石ではないのです。いったん論理が通るやホッとして、往々にして他のもっと大切なものを忘れたり、他の解決法に目がいかなくなったりするのです。論理は魔物を言えるでしょう。

 ②最も重要なことは論理で説明できない

 論理だけでは破綻する第二の理由は、人間にとって最も重要なことの多くが、論理的に説明できないということです。
 もし、人間にとって最も重要なことが、すべて論理で説明できるならば、論理だけを教えていれば事足りそうです。ところがそうではない。論理的には説明出来ないけれども、非常に重要なことというのが山ほどあります。
 別の言葉で言うと、「論理は世界をカバーしない」ということです。数学のように論理だけで構築されているような分野でも、論理ですべてに決着をつけることは出来ないのです。
 この事実は数学的にも証明されています。1931年にオーストラリアの数学者クルト・ゲーテルが「不完全性定理」というものを証明しました。
 不完全性定理」というのは、大ざっぱに言うと、どんなに立派な公式があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定できない命題が存在する、ということです。正しいか正しくないかを論理的に判定できないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、ということをゲーデルは証明したのです。
 この不完全性定理が証明されるまで、古今東西の数学者は、こと数学に限れば、どんな命題でも正しいか誤りかのどちらか一つであり、どちらであるかいつかは判定できる。と信じ切っていた。ところがゲーデルはその前提を覆したのです。人間の頭が悪いから判定出来ないのではない。論理に頼っていては永久に判定できない、ということがある。それを証明してしまったのです。

 人殺しは悪いこと?

 不完全性定理は数学にとどまらず、哲学などにも大きなインパクトを与えました。アリストテレスの時代から、数学においても哲学においても「A」または「ノットA」というふうに決まっていた。1+1は2か、そうでないかに決まっている。三角形の内角の和は180度か、そうでないかに決まっている、と。そしてどちらが正しいか今は決められなくとも、いつかは必ず論理的に決めることができる、と信じていた。ところが「どちらとも永遠に決められないものがある」ということが、数学的に証明されてしまったのです。
 数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある。まして、一般の世界では、論理で説明できないことの方が普通です。
 例えば、「人を殺してはいけない」ということだって、論理では説明出来ません。
 十年ほど前にこんなことがありました。日教組の教研集会で、傍聴していた高校生が会の最後の方になって、「先生、なんで人を殺しちゃいけないんですか?」と質問した。そこにいた先生たちは、誰一人それを論理的に説明出来なかった。びっくりした文部省が、「人を殺してはいけない論理的理由をパンフレットに作成中」と新聞に書いてありました。読んで笑ってしまいました。
 人を殺していけない論理的理由なんて何ひとつない。私に一時間くれれば、人を殺してもいい理由を50ぐらいは発見出来ます。人を殺してはいけない理由も同じくらい見つけられます。論理というだけなら、良い理由も悪い理由もいくらでもある。
 人を殺していけないのは、「駄目だから駄目」ということに尽きます。「以上、終わり」です。論理ではありません。このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的には説明出来ないのです。

 会津藩の教え

 江戸時代、会津藩い日新館という藩校がありました。白虎隊も教えを受けていた藩校なのですが、ここに入る前の子弟に対して「什の掟」というのがありました。
 そこにはこう書いています。

一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三つ、虚言を言うことはなりませぬ
四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
七つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

 武士道精神に深く帰依している私には非常に納得できるものです。七つ目を除いて。そして、これら七か条の後は、こんな文句で結ばれます。

 ならぬことはならぬのです

 要するにこれは「問答無用」「いけないことはいけない」と言っている。これが最も重要です。すべてを論理で説明しようとすることは出来ない。だからこそ、「ならぬことはならぬのです」と、価値観を押しつ
けたのです。
(引用終了)

 要するに、重要なことの多くが、例えば「卑怯がいけない」ということすら論理では説明できないのです。 「あなた方」と討論して、ネットで討論することの虚しさに気づきました。朝起会の生き方とは、もっとも対極にある生き方です。

(全体引用終了)

 この文章の中に、「長文さん」が「いや夫」に質問していることの答えが入っています。(「いや夫」自身の言葉でとか注文をつけるけど、別に持論のようにこれらの文章を書くことなどできるのですよ。しかし、それは卑怯だし、恥ずべきことだと「いや夫」は考えています。持論しか語らない人と討論したいなら、どっかの酒場に行って、よっぱらいと討論してきてください。「本を読まない人はろくな人間ではないし、ネットで投稿する資格もない」というのが「いや夫」の持論です。)

 長文さんの質問の、
(引用開始)
宏正会(会長)の説く倫理は 優れた先人達の説いている哲学 倫理学といったもの また世間一般で言われている道徳とどこが違うのでしょうか?
(引用終了)

ですが、「宏正会」の追求する倫理=「大自然の摂理」の中に、「優れた先人達の説いている哲学 倫理学といったもの また世間一般で言われている道徳」は含まれています。「大自然の摂理」をそれにそって生きることのできる偉人がいる一方で、人類は馬鹿な戦争を繰り返し続けているわけで、結局、倫理が机上の空論で、実践されていないわけです。論理を超えて、実践が大切だというのが、「宏正会」であって、説いていることは道徳と一緒だと思います。(「いや夫」論)

 みんなが道徳的(倫理的)に生きていれば、「宏正会」も必要ないし、こんなに住みにくい世の中になっているはずはないのです。

 では、今度は、「長文さん」へ質問。

「人殺しはなぜいけないのですか?」
あなたの好きな「論理的」に説明してください。
できますか?

「討論は避けよ」さんへ追伸(追い討ち)

 「怪人」クラスが全然増えないので、「ショッカー戦闘員長」クラスのあなたとの討論を深めたいと思います。

 あなたが紹介した、「実例」の投稿とやらは、
2ちゃんねる内でも、リンクを貼って誘導していた人物がいます。この様子は、我がブログの下記の記事内でも触れています。

<関連記事>
しょうもない投稿へのしょうもない反論 (その6)
>
http://58807828.at.webry.info/200912/article_14.html

 そして、
 「討論は避けよ」さん=2ちゃんねるの、
318 :名無しさん@HOME:2009/12/04(金) 10:06:23 0

 なのではないかというのが「いや夫」の予想です。

(引用開始)
318 :名無しさん@HOME:2009/12/04(金) 10:06:23 0
「私の介護体験&こぼしちゃおコーナー」というBBS。
ttp://bbslog.realint.com/?serverid=2&bbsid=anankaigo&page=2
No.635~712あたり、朝起き会を中心にカルトや霊感商法・悪徳商法の話題です
(シロアリ詐欺と一緒にされて語られているのがなんともw)。
特にNO.643 NO.651などは、はっきり県名も書いてあって、とてもリアルです。
ぜひ御熟読いただきたいです。

(典型的な創作の例です。ちゃねらーが普通のブログにも投稿しているだけです。きりがありません。)

(引用終了)

 なお、昨年の12月4日頃と言えば、「鉄槌」「金槌」「ダイヤモンド槌」「R」などといういわゆる「愚息」(=ちゃねらー)と討論していたときに当たります。

追加の質問
 「討論は避けよ」さんは、その頃、何というハンドルネームを使っていたのですか?

「いや夫」様

「いや夫」さんは宗教論には興味がないようですが 
「宏正会が説く倫理は宗教であるのか」「宏正会は宗教団体なのか」は 宏正会の基本的な性格を現す重要なものですからもう少しお付き合い下さい。

「宗教の定義は大問題であって研究者の数だけ異なる定義がある」とされているようですが そうであれば私達も自由に自分自身が思う宗教というものを言い合えることが出来るのではないでしょうか。
そして 後は皆さんがどのようにお考えになるかにお任せすればいいのではないでしょうか。 

まず 前回私が述べたすぐ後の「匿名」さんが 宗教法人であるかどうかで宏正会が宗教団体ではないとしている意見について 私の意見を述べます。
確かに 宏正会は法人格としては社団法人であって宗教法人ではありません。
でも それぞれの設立過程を見ますと ある団体を宗教法人するか 或いは社団法人とするかは 国の定めているどの設立手続に沿って設立されたかに過ぎません。そうであれば国の法律が宗教団体であるかどうかを決めてしまうことになります。
ですから ある団体が宗教団体であるかどうかは このような法人格の違いでなくて その実態で判断しなければなりません。
確かに 宗教法人法では「礼拝の施設」を有することを要件としていますが これはこの法律ができた時の伝統的な宗教団体を考慮したもので 「礼拝の施設」のない宗教団体も存在します。
例えば 幸福の科学は大川総裁にキリストや仏陀が降りて来て大川総裁がその声を伝えるというような仕組みですので 本来は「礼拝の施設」のようなものは必要なかったのですが 宗教法人法では「礼拝の施設」を必要としていますので わざわざ「礼拝の施設」を作って宗教法人として設立したのです。
他に 手をかざして病気を治すという宗教団体がありますが この団体も別に「礼拝の施設」は必要ありませんでしたが  宗教法人とするためにわざわざ「礼拝の施設」を作りました。
このように「礼拝の施設」を要件とする宗教法人であるかどうかで その団体が宗教団体であるかどうかを判断する事は適当ではありません。
宗教法人として設立された団体が宗教団体ではないということは普通には考えられませんが 宗教法人ではないけれども宗教団体であるという団体はいっぱいあります。
まず このような法人格を有していない小さな任意団体が数多くあるはずです。そして例え社団法人や財団法人 NPO法人といった法人格を有しているけどもその実態は宗教団体という団体もあるはずです。もしかしたら株式会社というような会社組織になっているけどもその実態は宗教団体というのもあるかも知れません。
ですから 先ほどの「匿名」さんのように宏正会は「礼拝の施設」がなく宗教法人法で設立されていないから 宗教団体ではないとする論は適当ではありません。
宏正会の宗教性はその実態で判断しなければなりません。

それでは 「いや夫」さんとの討論に戻ります。

「いや夫」さんは
『「神」「天」「大自然の摂理」は、人知を超えた偉大な力(サムシンググレート)を表したもので、呼び名は違いますが、同じものです。』 としていますね。
私も同じものを言っていると思います。

そして「いや夫」さんは「太陽神」さんと同じように 宏正会の会長は「大自然の摂理」を探求する研究者という捉え方をしていますね。
しかし 宏正会の会長は研究者ではなく「神の代理人(神官)」である というのが私の考えです。
会長を研究者と考えるにはどうしても宏正会の実態に副いません。
「いや夫」さんが引用していますように会長は著書で

『人間は絶対ではありません。今この瞬間に何が起ころうとしているのか、明日はどうなるのか。日が昇り星がめぐり、万物が生々流転するのはなぜなのか。人間には何一つ確かなことはわからないのです。そのため、人は誰でも人知を超えたもの、私たちを今あるようにあらしめるもの、宇宙と人間の運命をつかさどる不可知の力が確かにあると感じてきたのです。その不可知の力のことを実践倫理では「大自然の摂理」と呼びます。
 人々はこの力を「聖なるもの」として敬い、多くの人がそこに「神」を見たのです。そうした思いは「人間にとって自然なこと」でした。実践倫理が宗教を肯定するのはそのためです。』 と述べています。

でも「人知を超えたもの、私たちを今あるようにあらしめるもの、宇宙と人間の運命をつかさどる不可知の力」を会長はどのようにして発見しそれを伝えるのでしょうか。
「大自然の摂理」つまり 人知を超えた偉大な力 神  サムシンググレート これらは人間が感じるもので言葉に出来るものではないのではないでしょうか。
ただただ人間は このような偉大なものに驚嘆し畏れるしかないのではないでしょうか。
もしこの偉大なものの言葉を伝えるとしたら それは神自身であるか 神の代理人(神官)でしかないはずです。
ですから 「大自然の摂理」に基く倫理を伝えるとされる会長は神とはされていませんので 神の代理人(神官)でしかありえないはずです。
もし 会長が研究者とするのでしたら 「大自然の摂理」というものは 単に素晴らしいとか立派なとかいった修飾語の最上級の言葉に過ぎないことになります。
また宏正会(会長)の説く倫理は 優れた先人達の説いている哲学 倫理学といったもの また世間一般で言われている道徳と同じもので ただ宏正会(会長)の説く倫理はそれよりも素晴らしいものですよと自分で誉めているだけで質的には異ならないものとなるはずです。
生物学は遺伝子を解明しつつあり神の領域に迫ろうとしています。 また物理学ではビッグ・バンを始めとして宇宙の始まりまで解明しようとしています。
でも どんなに科学が進歩しても決して人間は神と同じにはなれません。
しかし 宏正会では会長の説いている倫理は絶対の真理としていますね。世間一般で言われている倫理とは質の異なったものとしていますね。
それは 宏正会(会長)の説く倫理は 会長が神の代理人(神官)として 神の意思を伝えているからに他なりません。
ですから 宏正会(会長)の説く倫理が「大自然の摂理」に基づくものとする事は そのことで宏正会が自らで宗教団体であるということを認め 世間に公表していることになります。
  

  

奥様は五年以上に渡って、いやいや会の実践をされているのですね。そこから、倫理力は発生していますか。
そろそろ内情も理解されたでしょう、内部浄化されるか、会から離れるか判断される時期。自然の摂理は、特定のターゲットに不幸は齎しません。
論戦の見解として、観念論では、灰色は黒にもなれば白にもなります、「物の見方考え方」なる本が昔あったと思います、紹介まで。
会は、宗教と言えば、類似品でしょう。しかし、発祥は宗教団体から分派したのは、事実です。この問題点は、公益法人認可まで待つのも一つの方法。財務管理、会費などの証書管理、金銭出納管理は、末端の組織まで管理、報告の義務があります。倫風に、会場及び連絡先もありますので整理は楽でしょう。
実践をせずに擁護していても、
結局、貴方は肯定派でもないでね。
デメリットがあるなら、会に具申しないのも不思議。
事実例はサイトからのコピペです、虚偽捏造情報と思えんのでそのまま掲載です。判断は読者に任せます。「倫風」と検索かけて下さい。(キャッシュを見た方ですのでご存じ)難しいルートはたどりません。
私は、まだ、労働者です、自分の道徳感から投稿です。蚊か刺と思って下さい。

長文さんへ

 「怪人」クラスが一人しかいなくて、大変ですね。がんばってください。
 「長文さん」が「宗教論」がどうのこうのともったいぶって自信満々に書いていたので、こちらも理論武装しておこうと岩波新書『日本宗教史』を読んでいます。まったく興味のない内容で、小難しいので、読むのが苦痛で、時間がかかっています。長文さんには、ぜひ「いや夫」の労力に見合うだけの討論をお願いしたいものです。

 しかし、残念ながら、もったいぶった割には大した反論ができていません。「ショッカー戦闘員」は、いや夫が土俵際とか何とかという下らないジョークで援護射撃をしていますが、「長文さん」が土俵際なのではないかと「いや夫」は思います。

 では、質問に答えます。
 
 「大自然の摂理」は自然界を支配する法則であり、また、当然自然の一部である人間の中にも存在します。たとえば、「神の業」としか思えない遺伝子の仕組みを我々は備えていますし、科学では決して作り出すことが不可能な「命」をもっています。

 幸い、人類には知能があるので、自身の体の中にも含まれ、自然を支配している「大自然の摂理」を感じることができるはずなのです。この世の中で、仕合わせな人生を歩んでいる人は、本人の自覚があるなしに関わらず、「大自然の摂理」にそった生活をしているということです。

 以前紹介した、
http://58807828.at.webry.info/200912/article_17.html
http://58807828.at.webry.info/200912/article_18.html
http://58807828.at.webry.info/200912/article_19.html

 の中の「源左」のような生き方が典型的なものです。

 よって、「実践倫理宏正会」において、会長先生が神のように尊敬されているのは事実ですが、会長先生といえども「大自然の摂理」を研究する一研究者に過ぎないのです。(前回の投稿でもそのように説明しています。同じことを何度も言わせるのはやめてください。)
 「大自然の摂理」は、徳のある人物はもちろん、一般市民、凡夫でも発見することができるものなのです。

 なお、このことは、君たち「ちゃねらー」が神のように崇拝している「太陽神」君が説明してくれています。彼の言うことなら納得していただけますか?

( 「いや夫」はこのブログでの討論を開始するにあたり、まず全投稿を読んで、各意見を理解することに務めました。よって、過去の投稿で述べられたことをいちいち説明するのがおっくうなのです。だから、引用(コピペ)で済ましてしまいます。苦情を言う前に、目新しい独創的な反論をお願いします。)

 「太陽神」君の説明

(引用開始)
宏正会では「倫風」誌の表紙の裏に「実践倫理とは」で説明しているように 教えの淵源を「大自然の摂理」に求めている
原理的に見れば 「神」を立てるところでは 教祖は神の意志を信者に伝える者 神と信者を取り次ぐ存在となる 
宇宙(大自然)は神によって動かされるもの つまり他律的な存在となる
宏正会のように「大自然(宇宙)の摂理」に基づくものが宏正会の教えだとすると 大自然(宇宙)は自ら意思を持つものとして自律的な存在となる
従って 会長は他の自然科学の法則と同じように人類の法則である倫理を「発見」する存在となる
神を立てるところでは 神との取次ぎをする教祖は信者とは異なる特別な存在となり いったん神とそのような存在である教祖というものを信じてしまえばそれなりにスッキリする
しかし宏正会の会長は 他の一般の会員と同じ立場で大自然の摂理である倫理を発見するという存在であり 宏正会の会長という立場というものはもともと不安定なのである
恐らく 会長は他の会員とは格段の差のある実践精進をしていると説明するのであろうが 「実際にそうなのか」という疑問で来られれば窮するのである                          (つづく)

投稿 太陽神 | 2009.04.15 06:42 午後

前回の続きとなるが 繰り返すと
宏正会は神を立てていない 従って 大自然(宇宙)は自ら意思を持つものとして自律的な存在となる
根本的な教えを宏正会流に言えば 「大自然は一定の秩序と法則によって動いている 人間も大自然の一部であり 大自然の法則に従って生きるべきであり」となり 後は「その法則に外れた我の生き方から不幸が生じる」というのは同じである
倫研の丸山は「特定の神を立てると独善に陥るから
特定の神を立てない」とした
恐らく 特定の神を立て 教祖がその神と信者の取次ぎをする時に恣意が入り込む余地があるのでそのようにしたのではなかろうか
丸山の神の演出の作法である純粋倫理は教祖が神と取次ぎをして得られたものではなく それを「発見」するという事になるのであろう
宏正会は丸山の考えを一歩進めたものといえる
「発見」となれば まさに研究であり「倫理研究所」とは当をえている
元々 徳光教 ひとのみち教団 においては 苦痛はその人の心のあり方が形をとって現れたものとして神からの「みしらせ」とし 教祖より神からの「みおしえ」を下付してもらい 自分の心の偏りを知り 日常生活の中で神の御心にかなった心になる精進をする というものであるから 宗教と言っても修養的である そして日常生活の中で神の御心にかなった処世訓として 18ヵ条または21ヵ条を挙げている
従って 徳光教 ひとのみち教団から道徳律だけを取り出せば倫研 宏正会のような修養団体は成立するのである
しかし その道徳律というものは 倫研の万人幸福の栞17ヵ条 宏正会の五つの誓いを見ればわかるように一見ありきたりなもので 道端にも転がっているようなものである
どこにもいる親が子に言い聞かせるようなもので 普通の子なら聞き流すようなものである
威厳のある親 尊敬される親であれば子供も言う事を聞くように 立派な大人に理解されるためにはそれなりの権威が必要となる
それが「神」であり 「大自然の摂理」なのである

途中に横道に反れてしまったが
宏正会において会長という存在は 大自然の摂理である倫理を「発見」する存在であるから 他の自然科学の法則を発見するのと同じと考えてよい 
会長とは いわば物理 化学 生物等の自然科学の研究所の所長のようなもので その研究所の所長だけが自然界の法則を発見できるのではなく 他の所員 また他の研究所の研究者だって発見できるはずである
従って 会長だけが また上廣家の者だけが大自然の法則である倫理を発見するということにはならないのである
  
投稿 太陽神 | 2009.04.16 03:56 午後

(引用開始)

 なお、「太陽神」君は、「朝の誓」を、
「一見ありきたりなもので 道端にも転がっているようなものである。どこにもいる親が子に言い聞かせるようなもので 普通の子なら聞き流すようなものである」と述べておられる。「宏正会」関係者から言わせてもらうと、そんな偉そうなことを言えるのは、これを実践できている者のみである。そのような人物は、2ちゃんねるはもちろん、このブログには一人もいない。「いや夫」を含め、どいつもこいつも倫理的には「おこちゃま」以下なのである。その自覚をもちましょう。

 さて、「いや夫」はあなたの質問に逐一答えています。「長文さん」も答えてください。質問しっぱなしは卑怯ですよ。

(引用開始)
 長文さんも以上のような例に該当するのではないですか?「宏正会」を批判する経緯を明かしてください。


「人殺しはなぜいけないのですか?」
あなたの好きな「論理的」に説明してください。
できますか?
(引用終了)

「討論は避けよ」さんへ

 あなたの意見は理解しました。しかし、納得するわけにはいきません。ネット上に、「宏正会」の罵詈雑言が増殖されていく一端を、あなたが担っているからです。

 また、自ら「ちゃねらー」であることを明かしていただき感謝します。他のちゃねらーはいさぎよくないと思います。

 「いや夫」の反論を(  )で加えます。

(引用開始)
実践をせずに擁護していても、
結局、貴方は肯定派でもないですね。

(アンチ否定派です。自分自身で認めています。)

デメリットがあるなら、会に具申しないのも不思議。

(実践者である妻に迷惑がかかるからです。「宏正会」自身がネットに関わらないようにしています。「いや妻」も、夫が「いや夫」として討論していることに反対の立場です。ネットの情報など信じる人はそれなりの人なのでしょう、と諦めています。あなたがまさに「それなりの人」です。しかし、「いや夫」は誤解されたままではだめだろうと、討論している次第です。
「いや妻」の唯一の投稿

(引用開始)
久しぶりに拝見しました。

すごい討論になっていますね^^。
びっくりしました。

みなさまお暇なのですね、みなさまには家庭がないのでしょうか?
家族で過ごす時間をもっと大切にしてください。

それから、人のことなどいいではありませんか。
朝起会員はネット上の批判など、気にしてはいませんよ。
ネット記事を本気にする方は、それまでの人なのでしょう。

みなさま、討論する前に朝起会に行ってご自分の目で見て、確かめてみてはいかがでしょうか?

投稿 なんちゃって会員 | 2009.10.15 03:13 午後
(引用終了)


事実例はサイトからのコピペです、虚偽捏造情報と思えんのでそのまま掲載です。判断は読者に任せます。「倫風」と検索かけて下さい。(キャッシュを見た方ですのでご存じ)難しいルートはたどりません。
私は、まだ、労働者です、自分の道徳感から投稿です。蚊か刺と思って下さい。

(「偽造捏造情報と思えん」のはなぜですか?他の罵詈雑言の投稿についても同じ考えですか?このブログ上で、否定派の投稿の何割が実例だとお考えですか?実例と偽の例の見分け方を「論理的」に説明してください。
 「愚息」の例を見れば明らかなように、本ブログも開始直後から、否定派の成りすましによる攻撃を受けていることは明らかなのです。2ちゃんねると表裏一体なのは、あなたご自身が十分にわかっていることです。あなたは、ちゃねらーだから、2ちゃんねるの投稿をすべて鵜呑みにするのでしょう。当然「宏正会」否定派になることでしょう。私に言わせれば「鵜一号」だ。「否会友」「元会友」「愚息」らの私情による悪意に満ちた投稿さえ見抜けないだまされやすい人間なのです。そんな単純な人の道徳観は、かえって迷惑なのです。
 あなたは、「宏正会」とどのような直接的なつながりをお持ちですか?その範囲においてのみ判断し、ネット上の投稿をそのまま「実例」などと紹介するのはやめていただきたい。)

(引用終了)

 なお、あなたたち「ちゃねらー」は、ネットで書かれていたから真実だと思い込んじゃったと、今まで、人の罵詈雑言を書き連ねてきました。しかし、今回、最高裁で画期的な判断がくだされたことをご承知おきください。

<関連記事>
ネット上の中傷書き込みで名誉棄損罪確定 最高裁初判断
http://58807828.at.webry.info/201003/article_16.html


 今後は、ネットの偽の情報に騙されて、名誉毀損を行ったとしても、社会生活と同等に罪が問われることになります。道徳観などという言い逃れは通用しません。本判断は、過去の事例(たとえば2ちゃんねるの30位の過去スレ)にも、当然適用されます。「宏正会」などのネット弱者には、喜ばしい判断です。

ネット上の中傷書き込みで名誉棄損罪確定 最高裁初判断
http://58807828.at.webry.info/201003/article_16.html

 「いや夫」も名誉毀損しているじゃないかという方は、警察へ訴えてください。訴えが通って、2ちゃんねるや本ブログの投稿者のIPアドレスがすべて調べられたとしても、痛くもかゆくもありません。否定派はいったい何人なんだろうという、個人的疑問が明らかになってよいと思います。

長文さんの、
下記の投稿について、

(引用開始)
宗教法人として設立された団体が宗教団体ではないということは普通には考えられませんが 宗教法人ではないけれども宗教団体であるという団体はいっぱいあります。
まず このような法人格を有していない小さな任意団体が数多くあるはずです。そして例え社団法人や財団法人 NPO法人といった法人格を有しているけどもその実態は宗教団体という団体もあるはずです。もしかしたら株式会社というような会社組織になっているけどもその実態は宗教団体というのもあるかも知れません。
ですから 先ほどの「匿名」さんのように宏正会は「礼拝の施設」がなく宗教法人法で設立されていないから 宗教団体ではないとする論は適当ではありません。
宏正会の宗教性はその実態で判断しなければなりません。
(引用終了)

 「財団法人 NPO法人といった法人格を有しているけどもその実態は宗教団体という団体もあるはずです」ならば、その実例を調べて教えてください。きっとかなり少ないと思いますが?

 逆に、宗教団体ではないのに、宗教法人として登録している団体は星の数ほどあると思います。もちろん、優遇税制があるからです。

二つ情報提供します。
・内閣府は、法人認可の一つとして、インターネット上への情報公開を強く進めています。
・最高裁判決で公的政党のビラでさえ玄関等に、「各種ビラの投函お断り」と書かれ、それに反して投函すれば、不法侵入になり実刑です。たしか罰金刑でした。

「討論は避けよ」さんへ

 まさに討論を避けていますね。「いや夫」の反論にはまったく答えることをせず、自身の意見を短文で書くだけです。

 2ちゃんねるではないのだから、情報発信者として、それ相当の責任を果たしてください。

(引用開始)
(「偽造捏造情報と思えん」のはなぜですか?他の罵詈雑言の投稿についても同じ考えですか?このブログ上で、否定派の投稿の何割が実例だとお考えですか?実例と偽の例の見分け方を「論理的」に説明してください。
(引用終了)

・ネット上の情報公開が必要条件となれば、そうするでしょう。「倫理研究所」のHPのようなものなら、すぐに作ることができると思います。現在は努力義務程度だと思いますが、その必要はないというのが本部の意向だと思います。倫理力の乏しいちゃねらーは普及の対象からもっとも遠い存在です。

・ビラ配布も不法侵入になるという事例は、今回の反論としてふさわしいのですか?

その事件は、下記のものです。

立川反戦ビラ配布事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%8F%8D%E6%88%A6%E3%83%93%E3%83%A9%E9%85%8D%E5%B8%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 反戦・反基地運動を行ってきた団体が、イラク派遣反対のビラを自衛隊東立川駐屯地の官舎戸別郵便受け(新聞受け)に配布したことを不法侵入として罰したものです。
 「犯人」は75日間の勾留を受け接見を禁止されたそうです。
 国家権力による国民の表現の自由を奪う不当な判決です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%8F%8D%E6%88%A6%E3%83%93%E3%83%A9%E9%85%8D%E5%B8%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「いや夫」様

宗教論は膨大ですから 何について知りたいのかという目的意識をもって勉強しないと 途方もなく広大な森の中で迷子になってしまいますよ。 

今回の回答は 「いや夫」さんの最大の論敵であるはずの「太陽神」さんからの引用ですか。
「太陽神」さんは 宏正会の会長を研究者として捉えたとても明晰な論述を展開されています。
でも このような説明は宏正会の根本原理「大自然の摂理」を曲解するようになってしまいます。
前回述べましたように会長を研究者とすると 「大自然の摂理」というものが 単に素晴らしいとか立派なとかいった修飾語の最上級の言葉に過ぎないことになってしまいます。
会長も著書で述べているように この「大自然の摂理」は 人間界の素晴らしいものを表しているのではなく 人知を超えた偉大な力 神  サムシンググレートといったものを表している事は明らかです。

古来より科学の発達した現在に至るまで 人間は偉大なものを感じ ただ驚嘆し畏れる存在でしかありません。そして人間はどんなに神に近づこうとしても神にはなれません。
ですから 人間は決して偉大なもの(神)の言葉を語ることができないのです。
唯一語る事ができるとされているのが宗教です。
宗教と言われているものは 一つの世界を作り上げてこの世の始まりからこの世の終わりまですべての事柄について語ってくれます。
でも この宗教の世界は人間世界の合理的なものから逸脱した世界ですから そこには「信じる」という要素が不可欠となります。
「信じる」のですから 人間界の合理的なものを持て来て批判しても意味がありません。
そしてその宗教の信者の集まりである一つの宗教団体の中ではこの神の意思を伝える神の代理人(神官)は信者に対して絶対的な地位を有することになります。
私は何らかの教えに宗教にとって不可欠な要素「信じる」ことが必要とされればその教えは宗教なのでは と思っています。

宏正会の会長は 大自然の摂理に基く倫理を説くとされていますから 人間でしたら到底語ることができない神の言葉を語ることになります。
ですから 宏正会は宗教団体であり会長は神の代理人(神官)としなければ説明がつきません。

宏正会の会員さんは 会長が神の代理人(神官)と思っているかどうかは別にしましても「会長先生 会長先生」と絶対者として崇めていますね。
また 会員さんは会長の語っている言葉はご指導として何も疑う事を許されない絶対的なものとしています。あの疑い深い「いや夫」さんですら会長の言葉は一字一句を絶対的なものとして受取ろうとしていますね。
これらは 宏正会の宗教性を物語っているいる事柄ではないでしょうか。

「いや夫」さんが引用している会長の著書で 会長は次のように述べています。

『 しかし、「大自然の摂理」と「神」は同じではありません。
 「神」は意志を持ってすべてを支配し、服従を要求します。その意志に背けば、罰します。これに対して「大自然の摂理」は宇宙を貫徹する原理ではあっても、「神」のような意志は持たず、命じもしません。すべての存在を「大肯定」するだけです。ただ、実践倫理では「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです。』

この部分につきましては 私がこれまで述べましたように 私は 「大自然の摂理」は「神」と同じように意志を持つものとしています。
「大自然の摂理」が「神」と同じ存在とするのでしたら その言葉を語るのは神の代理人(神官)でしかありえません。
ですから会長は神の代理人(神官)ということになります。そして会長が語る倫理は神の言葉を神の代理人(神官)として伝える神の意志ということになります。
会長の説く倫理は確かに
『「神」は意志を持ってすべてを支配し、服従を要求します。その意志に背けば、罰します。』といったようなことはないかも知れません。
でも 『「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです』というように言っていますね。
この事は「大自然の摂理に反して生きると不幸せになる」ということを暗黙のうちに言っている事になります。
そうすると
「大自然の摂理は意志を持ってすべてを支配し、服従するかどうかは自由ですが その意志に背けば不幸せになります。」というように言い換えることが出来るのではないでしょうか。
「罰する」と「不幸せになる」は同じものですね。


 


「大自然の摂理」を究明することが、「宏正会」を理解するうえで、重要ポイント思われてきました。
朝起き会では、「五つの誓い」を実践することが、仕合せにつながると説いています。
これは、「五つの誓い」は、「大自然の摂理」から発せられているものであると解釈すればいいのでしょうか。それをつなぐ論理はなく、もう「大自然の摂理」とは、そのようなものであると、信じておればよいのでしょうね。

見損ないました。
単なる長文さんへ

 全く不毛な討論だね。
君につきあうのは疲れます。人の意見をまったく受け入れないからです。武蔵君は、ちゃんと反論を受けとめてから、きちんと反論をしています。君は、まったく反論をうけつけずに、持論が正しいと主張するばかりです。まるで、幼稚園児とお話をしているような気がします。君は武蔵君とは違って、「いや夫」の討論相手として全く不足です。こじつけばかりで、論理的な組み立てがまったくなっていません。持論を盲信する者にいくらいっても無駄です。あなたこそ、「我も我も」のカルト信者だ。

 「宏正会」は「宗教にちがいない」と「信じる」
 「持論」が絶対正しいと「信じる」
 「宏正会は悪の組織だと「信じる」
 自分は正しいことをしていると「信じる」

 君のその「信じる」自信はどこからくるのですか?宗教の専門家ですか?どうも違うようだ、こんな長文しか書けないようなら。違いますか?

 君の盲信は、まさに宗教だ。何教ですか?

 長文で返すのは面倒なので、君の持論の問題点を箇条書きにします。
・「前回述べましたように会長を研究者とすると 「大自然の摂理」というものが 単に素晴らしいとか立派なとかいった修飾語の最上級の言葉に過ぎないことになってしまいます」が全く意味不明。
・「人間は決して偉大なもの(神)の言葉を語ることができないのです。唯一語る事ができるとされているのが宗教です。」は、その通り。「宏正会」は宗教ではないから、誰でも「大自然の摂理」をみつけることができます。「実践者」なら、「こんな長文さんと討論するのは無駄である」ということにすぐ気づくなども、「大自然の摂理」のほんの一部です。
・「人間でしたら到底語ることができない神の言葉を語ることになります。」 「神」ではない。何度も言わせるな!いいかげん、腹が立ちます。
・「私は何らかの教えに宗教にとって不可欠な要素「信じる」ことが必要とされればその教えは宗教なのでは と思っています。」なら、「正直は正しいと信じる人=正直教」「万引きはいけないと信じる人=万引きいけない教」「2ちゃんねるの投稿は正しいと信じる人=2ちゃんねる教」あなたは「2ちゃんねる教」だ。
・「「会長先生 会長先生」と絶対者として崇めていますね。」
人の投稿を少しは読みなさい。いいかげんにしなさい。
(引用開始)
次に、『会長先生』の名称に付いても色々と掛かれてありますが、確かにあまり一般的な表現ではありませんね。先代会長も現会長も、自分を『会長先生』と呼べと言った事はないはずですが、会員側から自然と、倫理を「教え、学びを受ける師」としての一般的な尊称である「先生」を付けて呼ぶようになったことが発端であろうと思います。
私も以前、役職名に尊称を付けるのは日本語的にもおかしい旨を、先輩会友さんに話したこともありましたが、その方曰く「校長先生と同じと思えば?」。決して「会長」と呼んでは失礼であるという訳ではないが、日本語的に云々と目くじらをたてる程ではない、などと諭された思い出があります。
(引用終了)

(引用開始)
(ちなみに、否定派は「会長先生」という呼称に違和感を覚えるようですが、会友はまったく違和感を感じません。それは、会友からすれば、会長先生は、倫理的な生き方を教えてくれる先生だからです。小学生が「校長」と校長先生を呼び捨てにするのは変でしょ。それとまったく同じなのです。会友が「会長」と呼び捨てにしないのは、先生と慕っているからであって、全く違和感はないのです。)
(引用終了)

・「会員さんは会長の語っている言葉はご指導として何も疑う事を許されない絶対的なものとしています。あの疑い深い「いや夫」さんですら会長の言葉は一字一句を絶対的なものとして受取ろうとしていますね。」
 過去の投稿をちゃんと読みなさい。
(引用開始)
(引用開始)
最高権力者に一切意見を言えないような組織がもしそのまま国家になったと考えるとゾッとします。
(引用終了)

について、会長先生に意見をする人もいると思います。
例えば、以前私が紹介した「倫風宏話」の
「今こそ我も人ものために」の中にも、

(引用開始)
ところが最近になって、何度か同じ質問を寄せられるようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、経済だけは別なのではないか。厳しい経済環境の中で生き抜くには、まず、自分の利益、自分たちの企業の利益を優先しなければ生き残れないのではないか、というのです。
(引用終了)

 このように会長先生に質問した人が銃殺刑にされたり、サリンで殺されたりはしていません。なぜなら、絶対的なのは、「大自然の摂理」であって、会長先生はそれを研究する研究者の一人であり、その点では他の会友と同じ立場なのです。
(引用終了)

 「大自然の摂理」は、万人に共通のものなので、「会長先生」と「いや夫」のそれぞれが考えても、共通することが多いというだけです。なお、「いや夫」は会長先生の経済の説明に補足を加えたり、アポロ飛行士の宏話の裏側を憶測したりしちゃいます。「実践者」はそんなことしないけどね。

・「この部分につきましては 私がこれまで述べましたように 私は 「大自然の摂理」は「神」と同じように意志を持つものとしています。
「大自然の摂理」が「神」と同じ存在とするのでしたら その言葉を語るのは神の代理人(神官)でしかありえません。
ですから会長は神の代理人(神官)ということになります。そして会長が語る倫理は神の言葉を神の代理人(神官)として伝える神の意志ということになります。」

 なんだ、この理論は?私はこう信じるから、こうだと言っているだけでしょう。弁証法を使いなさい。
・「でも 『「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです』というように言っていますね。
この事は「大自然の摂理に反して生きると不幸せになる」ということを暗黙のうちに言っている事になります。
そうすると
「大自然の摂理は意志を持ってすべてを支配し、服従するかどうかは自由ですが その意志に背けば不幸せになります。」というように言い換えることが出来るのではないでしょうか。
「罰する」と「不幸せになる」は同じものですね。」

 裏から読むとそう読めてしまうのですね。やめようという会友を引き留めるときに脅しとして使ってしまう人もいるのでしょう。しかし、会をやめてマイナスになるというのは本来おかしい。何もやらないのを0として、「大自然の摂理」に従った生き方をすれば必ず+になります。従わないと0に戻るとするのが論理的です。
 しかし、反倫理的な生き方なのですから、自然と-になってしまうのでしょう。あなたも不幸だから、こうやって「宏正会」を攻撃することで癒されているタイプですか?ますます-になりません?


 まず「いや夫」の問いにちゃんと答えなさい。答えたら、君のくだらない宗教論におつきあいしましょう。

(引用開始)
 長文さんも以上のような例に該当するのではないですか?「宏正会」を批判する経緯を明かしてください。


「人殺しはなぜいけないのですか?」
あなたの好きな「論理的」に説明してください。
できますか?
(引用終了)


武蔵くんへ

 準「怪人」クラスが一人しかいなくて、「いや夫」は討論のし甲斐がありません。「ショッカー戦闘員罵倒作戦」をすれば、君と君の親友?の「太陽神」君が出てくるのではないのかなあ、討論が大変だぞ~と覚悟をしておりました。しかし、一週間たっても「長文さん」と「討論は避けよ」さんしから挑んできません。やっぱり君たち否定派って、成りすましばっかりで実人数はとても少ないのではないですか?
 そろそろ「いや夫」は競馬研究モードに入りますが、武蔵君のするどいつっこみを期待しております。

 なお、君は以前、
(引用開始)
 貴殿は小生に対して「批判派のヒーロー」とか「小生の信奉者」といった言葉で評しているが 小生はただ自分の思っている事を書き連ねているだけのことであり 小生をどのように評するかに関心はない。
 そして 前に「レイモンド」殿との討論の時にも言ったのであるが、宏正会について色々と批判することに それを裏付けるしっかりとした証拠を示す必要はないのである。警察に通報するにはそれなりの証拠が必要であろうし 裁判で人を裁くにはもっとしっかりとした証拠が必要であろう。しかし このようなネットでの遣り取りは所詮は単なる風評に過ぎないもの。確かに 批判される宏正会にとっては不愉快な事かも知れない。しかし これは宏正会が悪いのである。ある評判の悪い人物が 巷で色々と噂され批判されるのと同じ事。貴殿がもっと確かな証拠を見せろと言っているのは 評判の悪い人物が批判をしている人を見つけて「それなら証拠を見せろ」と言っているのと同じ事である。例えその場は治まったかも知れないが また同じような批判を繰り返すものであり どうすることもできないのである。
悪評の立った人がその悪評を消し去ることは容易ではないように 宏正会も悪評を消し去ることは容易ではなかろう。同じような事を続けていればもっともっとこの悪評は広がって行くのは明らかなこと。
例えば泥棒という悪評が立った人物がいれば 皆がその人物を警戒するように 風評・悪評も有意義な事もある。宏正会に対する批判も皆が警戒するようになり有意義なものであろうと小生は思っている。また このような宏正会に対する批判が宏正会に対する反省の材料となり 宏正会が変革する契機にもなり得るのではなかろうか。
(引用終了)
 
 などと投稿し、上廣家の野望説を書き連ねましたね。

 「いや夫」は、
(引用開始)
 武蔵殿は、会友は悪くない会長が悪い、それを糾すのが自分の役割だと思っておいでです。
しかし、会長先生への批判はそのまま朝起会への風評被害となり、会友を苦しめています。
 このブログでも、朝起会に入るのをためらう意見もありましたし、我がブログの縁で知った方は、旦那さんは朝起会をやりたいのに、ネットの悪評を読んだ妻が反対しているという例もあります。

 以前にも書きましたが、「倫風」を受け取ったとき、ネットで調べてみるのは、当然でしょう。そのとき、どんな投稿を読むかで、朝起会の印象は違ったものになります。
 「倫風」を受け取るのも受け取らないもの自由だと思います。ただ、それをきっかけにして朝起会に興味をもった方が、あなた方の投稿をきっかけに会に拒否反応を示したとすれば、これは明らかに普及の妨害です。よって、批判をするにあたっては、確かな証拠と裏付けが欲しいと思います。

(引用終了)

 今回、「いや夫」の主張を裏付ける最高裁判決が出ました。あんたの一連の投稿は、明らかな中傷で、「宏正会」「会長先生」「会友」の人権を侵害しています。今後2ちゃんねるやブログ等で投稿するときには、「投稿責任」に留意してください。

<関連記事>
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2010031802000046.html

中日(東京)新聞 社説

ネット書き込み はびこる中傷への警告
2010年3月18日

 インターネットの書き込みも、名誉棄損の基準は新聞などと同等だ-。最高裁の初判断は、根拠のない中傷などが氾濫(はんらん)する現状への警告だろう。情報の発信者もあらためて責任を自覚してほしい。

 飲食店の運営会社を「母体はカルト集団」と男性がホームページに虚偽の書き込みをした。名誉棄損罪に問われた男性の上告を最高裁は棄却し、有罪が確定する。

 一審はネットでは反論が可能なことや、信頼性が低いことなどを理由として、男性は無罪だった。二審は逆転有罪で、最高裁もそれを支持した。

 実際に、ネット上で反論しても、損なわれた名誉の回復は容易ではない。新聞通信調査会によれば、メディアの信頼度は「新聞」が七〇・九点、「民放テレビ」が六三・六点に対し、「インターネット」が五八・二点と、「雑誌」の四六・四点をしのいでいる。信頼性が低いとはいえまい。

 重要な点は、最高裁が「ほかの表現手段と比べ、より緩やかな要件を適用すべきでない」とし、名誉棄損が成立するハードルを新聞やテレビなどのメディアと同等と判断したことにある。

 名誉棄損が罪にならない場合は、公共性がある内容で、公益目的で発信され、情報が真実なときだ。誤報であったケースでも、真実だと誤って信じたとする「相当の理由」などが必要だ。

 今回の判断も「(誤信について)確実な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められるときに限る」と示した。事実無根の情報や中傷であふれる現状に歯止めをかけることになろう。

 名誉棄損やプライバシー侵害など、ネット上での被害やトラブルは深刻だ。法務省によれば、ネットでの人権侵犯で救済に乗り出した件数は、二〇〇八年が五百十五件と〇五年に比べ、約二倍になっている。

 勝手に「交際相手を求める」などと他人の住所や電話番号を掲載したり、罪を犯した少年の写真や実名を掲載した悪質なケースなどもある。

 背後には無数の被害が潜んでおり、泣き寝入りしている人々も多いはずだ。いったんネットに情報が書き込まれると、瞬時に不特定多数の者が閲覧できる状態になる。名誉やプライバシーが踏みにじられては取り返しがつかない。まさにネット時代の暗部である。

 最高裁の判断は、匿名性という“あぐら”の上で、無責任な情報を垂れ流す者への戒めだ。
(引用終了)

短文の「匿名」さまへ

 「大自然の摂理」と「五つの誓い」について言及された、あなたの投稿は有意義だと思います。討論の流れに沿ったものであり、過去の投稿にて、特に触れられていない点だと思うからです。

(「長文さん」のように、過去スレをまったく読まず、理解しようとせず、過去の貴重な資料を無視して「持論」が全てというような投稿者を「いや夫」はもっとも忌み嫌います。学会なら、あり得ない態度だ。博士号はおろか、一単位でさえとれないでしょう。やれやれです。長文さんも反省してくれるといいのですが・・・。)

 今回は、一切書籍にたよらず「いや夫」の持論のみを述べます。「宏正会」の見解とは別物であることをご了解ください。

まず、両者の関係は、
「朝の誓」∈「大自然の摂理」
(「朝の誓」は「大自然の摂理」の一部として含まれる)
「朝の誓」≪「大自然の摂理」
(「朝の誓」は「大自然の摂理」より極めて小さい)

 だと思います。「大自然の摂理」は日々の生活の中で一生探し求めるものですので、その数は膨大なものになります。それを毎朝復習することなどできません。そこで、これだけはまず守ろう、実践に当たってもっとも大切なものを毎朝唱和して心がけようと選び出したのが5つの「朝の誓」なのだと思います。

 なお、「宏正会」と直接の関係はありませんが、先代会長が一時アルバイトをしていた「ひとのみち屋」という鰻屋さんには21カ条、ライバルである牛丼屋の「倫理研究所」には、17カ条の誓いがあるようです。

 しかし、そんなにたくさんの誓いは覚えられないし、即座には思い浮かびません。実践もぼやけがちになるでしょう。「倫理研究所」では「幸福の栞17カ条」としていますが、「栞」に印刷しないと覚えられないということだと思います。

 それに対して、「宏正会」は広く普及をすることが第一の目標ですから、庶民でもすぐに覚えることができる(なんちゃって会友である「いや夫」でさえ覚えられるように)5カ条に絞ったのだと思います。

 5つに絞ったからといって、その価値が大きく劣るわけではありません。たとえば、下記のような痛ましい事件が毎日のように起きております。

(引用開始)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/369757/
乳児・揺さぶられ死で24歳母「育児せぬ夫に悩み」

 堺市中区のマンションで生後2カ月の女児が頭を揺さぶられ死亡した事件で、殺人容疑で逮捕された母親の武中明日香容疑者(24)が、「夫が育児に協力的でないので悩んでいた」と供述していることが17日、捜査関係者への取材で分かった。武中容疑者は育児を相談していた堺市中保健センターに「首を絞めてしまうこともある」と話していたことも判明。府警は武中容疑者が孤立感を深めて虐待に及んだとみて、同日午後に殺人容疑で送検、育児状況を詳しく調べる。

 捜査関係者などによると、夫(23)は綾音ちゃんが昨年11月に生まれる前には堺市の出産前教室に参加することもあったが、誕生後は積極的に育児に関わっていなかったという。

 武中容疑者は出産後、夜泣きなどでストレスを募らせており、夫に対して「育児態度に不満を持っていた」と供述。その一方で、「夫と交際していたころの生活に戻りたかった。綾音がいなくなればいいと思っていた」とも話しているという。

 堺市によると、武中容疑者は事件3日前に堺市中保健センター職員が自宅を訪問した際に「子供がかわいいと思えない。首を絞めてしまうこともある」と訴えていたという。
(引用終了)

 この鬼畜のような母親が、五つの誓のたった一つでも実践することができたなら、この事件は起きなかったのです。それほど人間の生き方の指針になるものなのです。

(引用開始)
今日一日 三つの恩(親の恩・師の恩・社会の恩)を忘れず 喜んで進んではたらきます
今日一日 人の悪をいわず 己の善を語りません
今日一日 気付いたことは 身がるに直ぐ行います
今日一日 腹を立てず 不足の思いをいたしません
今日一日 三つの無駄(物の無駄・時の無駄・心の無駄)を排し 新しく大地に生き貫きます
(引用終了)

 なお、「実践者」は、「朝の誓」の価値をこのようにとらえておられます。

(引用開始)
『朝の誓』は、一見(一瞥)すれば『ありふれた処世訓』に見えるかも知れませんが、噛めば噛むほど(実践すればする程)に『味』が出てくるものです。スルメに例える方もありますが、いつかは『味』が枯れるスルメと違い、噛み締める程にいつまでも『味』が出て参ります。
文学的・学問的には、丸山先生の『万人幸福の栞17ヵ条』に劣るものに見えるかも知れませんが、これほど実践に即したものはないと思います。

朝起会を大切にしているはず会友の中にも、これ程までに『朝の誓』を重視していない方があるのも悲しいかな事実ですが、仏教用語ではありませんが、実践は『朝の誓』に始まって『朝の誓』に終わると言っても過言ではないものと思っております。

投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.19 11:38 午前

(引用終了)

なるほど、いろいろと議論はあるようですが、ま、シンプルに、「朝の誓い」を実践すること、「ただそれだけ~」といく道もあるのですね。

長文の匿名さんは あの太陽神を論破されましたねー。
しょうもない事を言って野次っているだけのいや夫なんか放っといて もっと続けて貰いたいねー。

あなたや、「いや夫」さんや、長文「匿名」さんは、太陽神さんの論文読んで理解して議論するのだから、すごい。わたしはついてゆyけませんねー。一般ちゃねらーのレベルとは全然違います。


「あなた」 長文「匿名」さん 太陽神さんは すごい。
「いや夫」はただ偉ぶって見せているだけで 中身は空っぽ。
「いや夫」の言っている事はすべて論破されて 今ではただの落書きになっている。
「いや夫」をすごいと思っている人は 「いや夫」の見せかけを見破れない IQの低い人。

もっとも 見せかけを作る技術は一流だね。
「いや夫」は 一流のちゃねらーと言うこと。


ふ~ん♂

長文の匿名とされている者ですけど

『 「五つの誓い」は、「大自然の摂理」から発せられているものであると解釈すればいいのでしょうか。それをつなぐ論理はなく、もう「大自然の摂理」とは、そのようなものであると、信じておればよいのでしょうね。』と言っておられる匿名さん

『ま、シンプルに、「朝の誓い」を実践すること、「ただ それだけ~」といく道もあるのですね。』と言っておられる匿名さん

ご両人様の仰る通りでよろしいのでは と思います。

私は 宏正会について未熟な私見を述べさせて頂いておりますが 宏正会の教え自体については他の批判派の方と同じように何も悪いとは言っておりません。
他の宗教と同じように それぞれ教えの素晴らしさがあると思います。信仰し心の安らぎを得られたり より善い自分を目指して精進したり 信者(会員)同士が親しくなったりと それぞれ教団(会)には良い所がいっぱいあると思います。 
そうでないと こんなに多くの教団(会)が存在し 多くの信者(会員)が存在することはありませんよね。

宗教というものは 人間が人間として思考を持ち始めたときから存在していたのではないでしょうか。
果てしなく広大で永遠の宇宙 大自然から見れば人間というものはとてもちっぽけな存在で 明日の命も知れないとても弱い存在です。またどんなに知性が発達してもこの世界には分からないことばかり。そして誰しも幸せになりたいという願望を持っています。
このような存在の人間は この果てしなく広大で永遠の宇宙 大自然の中に神(人知を超えた偉大なもの サムシング・グレイト)を見出したのではないでしょうか。
最初の人類は このような偉大なもの(神)をただ畏れ崇めるだけだったと思います。そして次第に神と人間を取り次ぐ神官が現れて神の言葉を大衆に伝えるようになったのではないでしょうか。
それは人間ががどうしたら生きていけるか どうしたら幸せになれるかということを神に求めたからだと思います。
神は人間の目には見えないそれぞれの人間の心にあるものですから 神の意志を知るためには言葉が必要となります。
ですから どうしても神と人間を繋ぐ神官(神の代理人)が必要となります(生きている人間をそのまま神とする宗教もあると思いますが)。

このような 偉大なもの(神)から神官が何を伝えるかによって数多くの宗教が発生しました。
この偉大なものからいったん人格的な神を見出し名前を持った特定の神(アッラー キリスト 仏陀)を措定しその神の意志を伝えるものもあれば 特定の神を立てずにその偉大なものから直接にその意志を伝えるものもあります。
宏正会では この偉大なものから一定の法則性を見出したのではないでしょうか。
「地球が一日に一度自転し 一年で太陽を一周する」といった法則性ですね。そして自然の中に法則性があるように 人間の世界にも法則性があってそれが宏正会のいう倫理ということですね。
ですから 宏正会は特定の神を立てずにこの偉大なものから直接神の意志である倫理というものを導き出しているということになると思います。
つまり この偉大なもの(神)=大自然の摂理に基く倫理ということになります。


出た出た「ショッカー戦闘員」

 「長文さん」は、「イィー」
 「太陽神」も、「イィー」
 「長文」さんは「太陽神」よりも、「イィー」

 でも、「いや夫」は、「イヤァー」

 「ショッカー戦闘員」数名分を一人で演じている憐れな君へ。第三者もコメントを返してくれてよかったね。おめでとう。

 「いや夫」以上の論客である君が、短文の「ショッカー戦闘員」などしているのはもったいない。怪人クラスの投稿で「いや夫」をぎゃふんと言わせてやろう。

 そうだ、君には必殺技の「カント攻撃」があるではないか。特に、今回の討論の流れでは、「カント」と「ひとのみち教」とのつながりで攻撃するのが有効だ。健闘を祈る。

「長文さん」へ

 貴殿の
 投稿 匿名 | 2010.03.19 03:39 午後

の通りで構いません。その通りです。大自然の摂理は個々の人間の内にもありますので、各自でみつけていきます。ただ、それだけではまとまりがないので、会長先生や講師陣、全国の会友が発見した「大自然の摂理=倫理」を『倫風』や著作物にまとめ、会友に紹介します。また、日々の普及の実践の中でも、修業をしながら探します。その成果を、毎朝各会友が演談で発表し合い、研鑽を深めています。

 よって、会長先生のみ「大自然の摂理」の発見者で、「神」の取り次ぎをすると言っていた貴殿の以前の説明は誤っており、今回の貴殿の説明が正解です。納得していただけましたか?

そうですねー、今回の長文「匿名」さんの、解説は素直でよく分かりますね。
はなし変わりますが、なるほど、ことばは大切ですね。
聖書を開けば、福音書で一番重要な、ヨハネ傳は、「始めにことばあり・・」で始まりますし、神道は、のりとで始まるし、「朝起き会」は、「朝の誓い」で始まる、ことばで始まらないものはない。
シンプルなのがいいですわ。先師や現尊師も、演説とか、文章で指導してくれており、「朝起き会」の作法などは手取り足取りはご指導されませんでしたね。
わたしは、上のスレで、IQ低いと、やられましたが、シンプルならそれなりにわかります。

 「長文さん」を大いに見なおしました。
「君子豹変」の投稿だと理解してよろしいでしょうか?
先の投稿に「いや夫」は120%同意します。
宗教は神の言葉を取り次ぐ神官を必要とします。
しかし、「宏正会」では、「意思をもつ神」、すなわち、人間を救いも罰しもする者の存在を否定します。「大自然の摂理」は、そのようなわがままで独善的な神の存在を否定するのです。
 このような厳しい神は、乾燥地帯など、厳しい自然環境が生んだものです。厳しい戒律を定めて守ることでしか、生き延びていけないからです。

 一方、「宏正会」は日本の風土にマッチした、おおらかな教えです。 海外の厳しい自然環境で生まれた一神教は、日本の風土になじむものではなく、もっと広い心をもった多神教の教えの方が、「宏正会」は近いと言えます。
 ただ、「宏正会」は宗教を肯定しながら、「神」の存在にはこだわりをもちません。
 よって、「宗教論」は「宏正会」批判の題材としては不適切なのです。
 唯一確かなこととして、「大自然の摂理」にそった生き方をする人間は必ず仕合わせになれると説くのです。これを「徳福一致」といいます。


 もっとも、「長文さん」はそんなことはご存じです。おそらく元会友なのでしょう。
 なお、「太陽神」君も「武蔵」君も、会の教えは正しいと認めてくれています。
(会の教えを否定しているのは、「ショッカー戦闘員」である「愚息(鉄槌)」だけです。
 「愚息」くんは、「いや(み)夫」に対してIQで攻撃するのは不利です。EQで攻撃すれば、まだ勝算があるかもしれませんよ。
 自慢になって悪いけど、一年半受験勉強しただけで東大のボーダーには届いた「いや夫」ですので、IQは君よりは高いと思います。ちなみに、国立大は一校しか受けられないので東大はやめておきました。ということで、「いや夫」をバカ呼ばわりするのはやめておいた方が賢明ですよ。)

 普通、「愚息」のような哀れな人物をバカにすると、バチが当たるものです。しかし、「いや夫」は本日、めでたく競馬で31400円勝ちました。これは、「愚息」が今まで、2ちゃんねるやこのブログでいろいろな人物を中傷しては楽しんでいたバチがあたったのであろうと、「いや夫」は考えます。これも「大自然の摂理」です。)


 「長文さん」へ

 「宏正会」の実践で苦労をされたことと思います。会長先生の言葉をそのまま信じず(「倍加」などには一切言及していません。「勧誘については、期を待つこと。」「肩肘はらず、楽しい実践を心がけること」など正しい教えばかりです。)、金銭の実践を強制しようとする人や、ノルマを課す人が多い会場だったのではないかと思います。

 そんなときに、ネットでの「宏正会」に対する罵詈雑言を読んで、それを信じてしまったのでしょう。しかし、しょせんネットは、「創作、パクリ、盗み、取り込み、成りすましの大三元のスレ界」なのです。いかに、嘘が多いかは、「いや夫」のブログでご確認ください。
 なお、ネットで話題になっている「会長先生」の自宅について改めて説明させていただくと、このような背景が予想されます。(「いや夫」説)

 まず、この自宅については、「宏正会」名義であり、会長先生が替われば、その方が住むことになります。これは「首相官邸」と同じです。よって、上廣家の私物化というちゃねらーの指摘は根本的に誤っています。
 一方、自宅の一部?を会長名義にしていることについては、ちゃねらーのみならず、肯定派の中にも、やり過ぎではとの指摘があります。しかし、「いや夫」はこれを擁護します。

1 創業者利益として当然の権利です。
 そもそも上廣家がなければ、「宏正会」は誕生しませんでした。一方、株式会社では、上場に際して創業者は莫大な利益を得ます。よって、上廣家が自宅の一部のみを私有することなど、まったく問題はありません。

2 上廣家は、一家を挙げて「宏正会」のために働いています。
 上廣家は、先代会長先生、会長先生、次期会長先生が生涯を通して働いています。たとえば、もっと報酬は多くて当然ですが、仮に年収800万円で計算してみると、下記のようになります。

 800万円×40年×3人=9億6000万円
です。
これが、年収に応じて下記のように変わります。
年収1600万円→19億2000万円
   2400万円→28億8000万円

 なお、名古屋の市議会議員の報酬は年間2120万円ですので、「会長先生」がその程度の収入を得るべきなのは当然だと思います。これは、実践者の誰もが納得するでしょう。もし、「会長先生」の年収が800万円でしかなかったら、会友には大きな「不協和」が生じるはずです。

3 資産運用が成功していると思います。

 詳しくは調べていませんが、会長先生の自宅を取得したこと自体が、「宏正会」の資産運用として、すばらしい優れていたものと思います。

 話題になっている一等地は、昭和51年に取得したとのことです。バブルの絶頂期は昭和63年頃と思われるので、この土地を買うだけで、大きな収益を生んだのは確かでしょう。おそらく固定資産税を考慮に入れても+会計なのだと予想します。バブルがはじけたとはいっても、価値のある土地は、値下がりは少なく、土地の二極化が進んでいます。
 以上の予測が正しいとすれば、平成16年に、「等価交換によって」自宅の一部を上廣家名義にした説明がつきます。
 自宅を購入したこと自体で「宏正会」は資産運用に成功した。会長先生は、全国各地に普及の拠点として自分名義の土地をもっている(先代会長先生は全財産をつぎ込んで会の発展に尽力したのでしょう。)この際、それらの土地と、自宅の土地の一部を等価交換して、上廣家の私財とすべきだろうと幹部がすすめたのだと思います。一等地は平成16年当時は、再度地価が上がったのではないでしょうか?そして、地方の土地は値下がりを続けていたものと思います。よってこのタイミングで等価交換を行ったのは、資産運用の点からみれば、ベストタイミングだったわけです。 


4 ちゃねらーは頭が悪いので、何が問題になっているのか全く理解せず、「私物化」と言っているだけなのです。

 上廣家は自宅についても「私物化」はしていません。その多くは「宏正会」名義です。さらには、分筆した土地を上廣家名義にするにあたっても、「等価交換」によって行われたものであり、自分がもっていた土地と交換しただけなのです。このことを理解しているのは、「ちゃねらー」の5%位でしょう。

 何も悪いことはしていないのに、お馬鹿さんたちだけが騒いでいるのです。トホホです。

 参考資料。下記の投稿は、背景を全て理解した上での批判内容です。否定派も肯定派も、まず下記の投稿を理解することが、討論の出発点です。
(引用開始)
背任行為とかは分かりませんが、登記的なことだけ言いますと、この16件すべて、名義は上廣栄治氏個人となっています。それで、ちょとやりすぎでは、と言ったまでです。等価交換は土地でなければならず、たしかプラマイ20%しか認められないので、通常それにあわせて分筆します。これ以上は、渋谷の法務局で謄本を閲覧しないと分からないと思います。
九段の一等地に本部会館を建設するまでは、皆一丸となって寄付集めに奔走したが、完成後も同じペースで集まってきたため、お金の使い道が分からないということでしょう。古手の会員でもその点はご存知ないのではありませんか。

投稿 東経 | 2009.05.23 01:33 午後
(引用終了)


 以上、ちゃねらーがこぞって批判している会長先生の自宅問題については、「いや夫」に言わせればまったく問題なしです。そんなことを10年間も追求して喜んでいるちゃねらーはお馬鹿さんということです。そして、一番お馬鹿さんなのが、わざわざ会長先生の自宅を偵察しに行き、2ちゃんねるにて自信満々で初めて投稿した「否会友」です。
 み~んな、こんな「否会友」や「愚息」にだまされてきたということです。早く目覚めてください。

>自慢になって悪いけど、一年半受験勉強しただけで東大のボーダーには届いた「いや夫」ですので、IQは君よりは高いと思います。ちなみに、国立大は一校しか受けられないので東大はやめておきました。

ネットでは何だって言えるもんねー。
子供じみた いや夫の書いたものを見れば 眉唾もん。
そんなこと誰も信じてない。残念でした。
もしそうなら いや夫が出た大学が泣くんじゃないの。
何学部? 専門は何?

>会長の自宅

会長の自宅は 九州の財閥の御曹司 麻生元総理の自宅と比べても引けをとらない程の豪邸。
公益法人の会長が 会の金を使ってこんな豪邸を建てて住んでいいのかな。
漢検の理事父子のように公益法人の私物化じゃないの。
法律的にどうなるか分からないが 
社会に奉仕するためとか 徳づみとか言われて わずかな年金を節約したり 夕食の献立の一部を削ってまで節約して会費やお祝金を出している会員の気持ちを逆なでしているんじゃないの。


いや夫は 論争相手の言っていることはなんとか理解しているようだ。
しかし コピペをベタベタ貼り付けるだけで 自分の言いたいことを論理的に説明できていない。
どうも一流大学卒というのはウサンクサイ。

いや夫さん、会の代弁者のごとくの発言はやめて
ください。率直な意見として、会にとって迷惑です。

「東大合格のボーダーラインまで行っていた俺に
反論する資格が無いだろう、IQが低いはずだ」
の主旨としか考えられない発言は、非倫理的以前
ですよ、恥ずかしい発言ですよ。
通常現実社会でもこのような発言をするんですか
ネットでならOKというのは間違いですよ。

そういう考え方にあわせて言わせてもらえば
東大卒の方には、いや夫さんは、ひれ伏して、反論
しないことになりますよ。
更にあなたの考え方にあわせれば、私も東大卒で
はありませんが、大手予備校の受験模擬試験で
全国一番をとったことがります。同じ試験を受けた
全東大合格者より私は成績は上だった事になりま
す。
いや夫さんの論理で言えば、IQが高いから、いや
夫さんは、私には反論するのは、意味が無く、その
資格も無いのですか?

いや夫さん、せめて、投稿前に文書を読み返し
非倫理的発言がないかどうか、考えた方が良い
でしょう。

 EQの低い「いや(み)夫」なので、失礼なのは仕方がないですね。でも、お馬鹿さんなちゃねらーと会話するのはうんざりしているので、IQは残念ながら低くはないですよと自慢させてもらいました。まあ、大したことはないです。しょせん小市民ですから。


Mさんすごいね!
初登場で、「全国一位」なんだ!!
今後、どんな高度な討論ができるか楽しみです。
「ちゃねらー」=「ショッカー戦闘員」はお呼びではないですね。Mさんがんばってください。

 

 3月20日にいやみ丸出しの投稿は、競馬で勝って気分よくお酒を飲んで、ちょっと否定派と討論してみるかと読んでみたら、「愚息」がIQがどうのこうのと書いていたので、攻撃してしまいました。「いや夫」は普段はこんな自慢はしません。職場の誰も、そんなことは知りません。でも、ひそかに心では、自信になっていて、精神的に得をしているのは事実です。
(上記の発言で、2ちゃんねるでは、罵詈雑言が書き連ねられることでしょう。それも想定内です。2ちゃんねるとこのブログは表裏一体ですから。笑)

 なお、本日も競馬で大勝しました。土日で10万7千円儲けました。「愚息」くんや「ショッカー戦闘員」を馬鹿にしても、バチは当たらないようです。

 この程度の人格の「いや夫」に対して、ちゃねらーに何と言われようとがんばっている実践者は立派です。「いや夫」は単なる「アンチ否定派」に過ぎませんので、誤解されませんように。

いや夫さん
貴殿は根本的な勘違いをしています。
私は貴殿と討論をするため書き込みをした訳ではありません。

貴殿が会の代弁者がごとき発言をすることは、
会にとって非常に迷惑であること、
現会友にとって非常に迷惑であること
更に貴殿が、少なくとも、家族とともに会友でありながら
発言内容が、会の教えに反する内容であり、会友で
教えが全く生きていない、非常に悲しい状態であること

それを、自己の発言を省みて感じてほしいという主旨です

現会員らしきミスターMが「いや夫」を諌めているが こんな事ぐらいで「いや夫」はちゃねらーを止めないよ。
おこちゃま「いや夫」から おもちゃを取り上げたら駄々をこねて 拗ねちゃうよ。  

Mさまへ

 あなたのおっしゃることはよくわかります。再三申し上げておりますように、「いや夫」は「人の悪をいい、己の善を語る」人間です。ネット社会でも現実社会でも嫌われるタイプです。そんな「いや夫」でも現役会友の妻をもつことで、仕合わせに生活できており、家庭愛和を実現できています。「いや夫」からすれば、「宏正会」によって「いや夫」は仕合わせになれたといっても過言ではありません。本来なら、自らも実践者となったり、会の教えに従ってネットになど関わらないようにしたりするのが正しい道だとは思います。しかし、「いや夫」は未熟者ですので、厳しい会の修業についていけるはずもありませんし、ネットで「宏正会」の悪口が書かれていると、「いや妻」の悪口を書かれているような気分となり、だまってはおれません。

 よって、「いや夫」は「いや妻」を守りたいという個人的な理由で、「アンチ否定派」を務めているだけです。そして、たまたま「宏正会」の擁護派をやっているという状態です。「いや夫」の立場は、下記です。

朝起会を擁護しようかなあ
http://58807828.at.webry.info/200909/article_1.html

少なくとも夫にとっては良い会だと思います。
http://58807828.at.webry.info/200909/article_23.html

「人の悪を言わず 己の善を語らない」のは難しい
http://58807828.at.webry.info/200910/article_23.html

私の討論の立場
http://58807828.at.webry.info/200910/article_43.html

 よって、実践者の皆様からすると、「いや夫」を「肯定派」と思うと違和感が生まれるのは当然です。そこで、「いや夫」を「否定派」を攻撃するのが得意な「変な奴」と思っていただけばよいのではないでしょうか?

 たまたま、このブログで一番目立っているので、「肯定派の代表」みたいになっていますが、そんな人間ではないと自他共に認めております!
 EQの低い人間ですので、大目にみてやってください。

 さて、「実践者」は実社会と同様にネット上でも、「討論を避けよ」、「人の悪をいわず、己の善を語らず」を守ろうとするでしょう。実社会では、その方が最終的に信頼を得ることができるでしょう。
 しかし、ネットはそんななまやさしい世界ではありません。すぐに討論がけんかになり、罵詈雑言がとびかう世界です。「実践者」は典型的な「ネット弱者」になってしまいます。そして、本ブログでも、一時期否定派が占拠して、肯定派は書き込みを控えざるをえない状況でした。そこで、「いや夫」のようないやみなタイプが登場してきたわけです。

 ネットで活躍できる順(「いや夫」説)
1 EQが低く、IQが高い人間
2 EQが低く、IQが普通の人間
3 EQが低く、IQが低い人間
4 EQが普通の人間
5 EQが高く、IQが低い人間
6 EQが高く、IQが普通の人間
7 EQが高く、IQが高い人間

 ちなみに、「いや夫」は「1」です。ずる賢いタイプです。
 「愚息」は「3」だと思います。たちが悪いタイプです。
 Mさんは、「7」なのではと察します。人格者タイプです。実社会では、もっとも信頼され仕合わせになれるタイプでしょう。しかし、ネット上では「実践者」や「M」さんでは、「愚息」の攻撃でさえ防ぐすべをもちません。よって、ネット弱者の方々は投稿を控えるようになり、EQが低いネット強者が討論をしているという状況だと思います。

 ネットとは、本当に変な世界です。ネットに関わりをもとうとしない「宏正会」の方針はまったく正しいです。

Mさまへ

 Mさまのおっしゃることはよ~くわかっておりますので、また再び「いや夫」は投稿を控えることといたします。
 少し長くごぶさたをして、4月末までは、よほどの事情がない限りはロム専門にしようと思います。(否定派のちゃねらーが罵詈雑言を書き連ねるばかりとなったら、復帰の時期を早めるかもしれません。そのときには、お許しください。)

>ちなみに、「いや夫」は「1」です。ずる賢いタイプです。

違うね。
いや夫は EQが低く、IQはせいぜい普通で ずる賢く たちが悪いタイプ。

>「いや夫」は「人の悪をいい、己の善を語る」人間です。ネット社会でも現実社会でも嫌われるタイプです。

当たり前。
現実社会では誰からも嫌われて社会を避けている陰湿な男。 
そんな奴だから 休日には競馬に熱中 得意なネットの世界で威張ろうとする。 
唯一の理解者がいや夫の妻。
だから いや夫は必死で妻を守ろうとしている。
いや夫のやっている事は自分の出来る妻への愛情だと思ってんだから いや夫は絶対に止めないよー。 
いや夫は 哀れな男だよ。妻と一緒に宏正会で修行したら。

自称IQが高いと言っている「いや夫」のやり方

批判派の言っていること ← ちゃねらー 成りすましと言いがかりをつけて攻撃

批判派が論証 ← 大量のコピペを貼り付けて相手を混乱させ 自分が偉そうに見せつける

批判派の論証が成功 ← さも自分が言っていたかのように見せかける

「いや夫」の言っている事は全部否定されて 大量のゴミがこのブログに撒き散らされ腐臭を放っている。
結局 「いや夫」は中身は空っぽのただの「ちゃねらー」ということ。
もっとも 「いや夫」はそれで満足しているのだから 「いや夫」はこのスレを荒らしに来ていると断定していい。
「いや夫」はスレ荒らし!

   


(∵) ホッ!

いや夫さん
更に、貴殿は根本的な勘違いをしています。

暫く投稿を休んで、また同じ事を繰り返すのであれば、
休むこと自体に何の意味もありません。
実践していようがいまいが、会友として発言している事
その重要性を理解し、過去の自分の発言内容が、会の
教えに反していることを理解し、会友として、会を辱める
発言をしないようにということです。

現会員らしきミスターMは
「私も東大卒ではありませんが、大手予備校の受験模擬試験で全国一番をとったことがります。同じ試験を受けた全東大合格者より私は成績は上だった事になります。」と 東大合格ボーダーラインの「いや夫」よりもIQが上だと自慢しているが 「いや夫」のように批判派の言っている事を反論しないのか。
それとも全て事実だから反論出来ないのか。

いや夫は 自分のブログでも4月末までここで討論することを休止すると言っている。
しかし いや夫は
「ちゃねらーの言っている事はすべて論破している」と嘯いている。
しかし いや夫の言っている事は全て否定されて いや夫の残した大量の落書きが残骸となって腐臭を放っている。
自分が負けたことを絶対に認めないのが いや夫流らしい。
いや夫はそのように言っておいて自分のプライド保とうとしているのであろうが いや夫独特の 見せかけ 誤魔化しが分からない者は 自分のIQが低いと思って間違いない。

いや夫は 5月から自分をリセットしてまた出て来るようだが いや夫は 粘着質で全く反省がない男だ。

なにやら難しい議論ばかりで、わかりません。
「大自然の摂理」って何ですか?大自然の法則こそが正しいなら、「弱肉強食」の自然界ですから、人を殺すのも是、犬猫のように不倫、乱交も是、アザラシやライオンのように一夫多妻も是となりませんか?
夜徘徊する動物もいるのですから、夜型の人間がいてもいいではないですか。「なぜ、朝早く起き、名も無く (我を捨てる)、清く、貧しく(妻は働いてはいけない)生きることが倫理なのでしょう。

「なぜ人を殺してはいけないのか」もわかりません。
法律でも「人を殺してはいけない」とは書いてありません。
 刑法 第二十六章 殺人の罪 第199条(殺人)
「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」

とあって、「殺したら、それなりの罰を受ける」というだけです。合法的に死刑は許されていますし、アメリカは「自由と正義のために」と言って、よその国まで行って人を殺しています。なぜアメリカは罰せられないのでしょう。

大自然の法則、倫理のためなら、倫理にもとる人間は殺してもいいのではないですか?

「民の口を防ぐには、水を防ぐよりも甚だし」と3千年の昔、周時代の故事は言う。
批判を封殺し続けた王は、ついには民衆に追放されたそうだ。
ネット時代の民の口は往時の比ではない。

宏正会には 言ってはいけない会や会長へのタブー 秘密が多すぎる。
どんなに会が秘密を守ろうと躍起になっても ネット時代の今 世間や会員の口を防ぐことはできない。

会長は 大自然の摂理に基く倫理を説く偉大な人。
大自然は言葉を話せないはずなのに 会長はその言葉を聞くことができて 倫理という形で私たちに教えてくれる。
会長は普通の人間ではない。会長は神様だ。
しかし その言葉はどこかの団体が言っていることと同じなのは どういう訳? 
宏正会の会長は ニセモノの神様?

なんかピントはずれな質問をしたからでしょうか?。3/28以来止まっているのは、どうしたのかしら?。
「大自然の摂理こそ正しい」と云いますが、 弱肉強食の獣には 倫理も道徳も無いでしょう。人の道に
はずれることを「けだもの! 」と言うのでしょう?。
「大自然の摂理」って何?誰か教えて。



8万で童☆貞買ってもらったぜ!!
しかも生セックルな!めちゃ気持ちよくて、軽く昇天しかけたっての!!(爆)
てかこんなの知ったら、もうオ ナ ホとか使う気おきねぇwwwww
http://kasira-d.net/jam/j425qed/

実践倫理宏正会は社団法人であって宗教団体ではないとするのなら 仰々しい「大自然の摂理」なん言葉を使って人を惑わすんじゃないよ。
上廣会長の説く倫理を「大自然の摂理」に責任を転嫁するのは卑怯。
正々堂々と上廣会長が説く倫理 「上廣流の倫理」にしたらどうなのだ。
それにしても 会長の説く倫理は
倫理=共生=我も人もの仕合わせ といったただ言葉を言い替えただけのものや、
幸せになりたい → 幸せになりたいと思え といった 問いをもって問いに答えるような内容の空虚なものが多い。
それでも会員は「倫理は奥が深い」と言って会長を称えている。

会の立場がある者は「感謝が足りないのですよ」等と偉そうにさも鬼の首を取ったかのようにこれらの言葉を言って下の者を叱っているが、
五つの誓いにあるような事は すべて程度の問題で誰も完璧にできる者はいない。
宏正会はこのような言葉をまるで神の言葉(会では大自然の摂理によるものとしている)の様に金科玉条にして、幸 不幸を決めるのはこれらの言葉の実践によるとして すべてをこれらの言葉に集約している。
このような言葉を言える立場の人が会では威張っていて その頂点にいるのが会長ということ。

宏正会は世間にありふれたいくつかの徳目を拾い上げて それが大自然の摂理に基くものと祭り上げてその実践を説くものと言っていい。
しかし 新興宗教はどこでも同じように その教えや活動の中に教祖(会長)の野心が隠されている事を忘れてはいけない。
宏正会では 会費 会誌 著書 倍加 お祝金 名目で会員から金を巻き上げ 会長一家は贅沢三昧な生活をしていることは もうネットでは常識になっていること。
「会に金を出さない者は倫理が分からない」とほざいている者もいる位だから 会の性格が分かるというもの。 

  

 

>に死刑は許されていますし、アメリカは「自由と正
>義のために」と言って、よその国まで行って人を
>殺しています。なぜアメリカは罰せられないので
>しょう。

いいこと言いますね。この問いに会長は明確な答え
を出すことはできないでしょうw

彼は資本主義思想というものを理解できてないです
からw

それに支持母体であるアメリカ大好きな自民党とベッタりなアメリカを批判できるわけがありませんw

榮治は、現実の問題に答える能力を持ち合わせておりません。役に立ちません。所詮新興宗教のコピーのそのまた二代目です。三代目は尚更話になりません。もう百万単位の寄付金(人の弱みや気持ちに付け込んだ集金)も辞めさせます。やっと騙されていたことに気付いた頃には取り返しのつかないことになってます。被害にあっておられる方、ご家族を説得するのは至難の業ですので、次世代のために闘って下さい。ダメな者は切り捨てる覚悟を強いられます。それが実践倫理宏正会です。

はじめまして!最低な私です某朝起会場で受付をさせていただいています!会友になって3年が過ぎました。いろいろありました。だんだん毎朝集うのが大変になっています!終始一貫毎月狙ってますが今年はまだ1月もできてません!なんとか今月はと思ってますけど…

「最低な私」さんへ

「いろいろありました。だんだん毎朝集うのが大変になっています!」
と書かれていますが 差し支えない程度でいいですから具体的に教えて欲しいな。

 「最低な私」さんは、「匿名」と同一人物なのだろうか?流れからいくと、「匿名」が一人で打っているのがむなしいので、違う人物を装っている可能性もある。
久しぶりにロムしよっと。

 「匿名」は「大自然の摂理」は弱肉強食なのだから人殺しだって可だとまで言い切る愚かな人物。こんなのと関わっているのは時間の無駄ですが・・・。

宏正会は 「ひとのみち教団」から多くのものを受け継いでいる あるいは「ひとのみち教団」そのものだ と言われています。

「ひとのみち教団」の二代目教祖 御木徳近は戦後 PL教団を設立しましたが 宏正会の初代会長 上廣三郎(哲彦)も「ひとのみち教団」の教師をしていたことから戦後 「ひとのみち教団」をまねた宏正会を設立を設立しました。

「ひとのみち教団」の写真は
毎日新聞社のMAINICHI PhotoBankで
キーワードを「ひとのみち」と打ち込んで見ることができます。
https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

この教団の仮本殿の写真が当時の絵葉書になっていました。
このサイトの大阪の戦前の建物の中にあります。
http://www.pocketbooks-japan.com/index.php/manufacturers_id/27/sort/1a/filter_id/2100/page/4
当時としては相当に豪華な建物だったのでしょうね。
この仮本殿は今の「永和」という駅の付近にあって 周りにはこの教団の施設が数多く建設されていました。 この教団の信者の子供は親と離れて集団生活していたため小学校も持っていたようです。
宏正会に布施支部 東大阪支部ができた時には 初代会長は感慨深いものがあったのではないでしょうか。
この地域に古くから住んでいる人から 当時の様子が聞けるかもしれませんね。
このサイトに当時の様子が書かれています。
http://www.kaname.gr.jp/eiwa/rekishi01.htm

「ひとのみち教団」は戦前に当局によって解散させられましたが
「新宗教新聞」に 「「ひとのみち青年教師の死」と題する一文が載っています。 
http://www.shinshukyo.com/press/923/press2.html

ひとのみち裁判のさなか当時結び体(裁判中の二代教祖を再び世に出して布教ができるようにするための教師の秘密組織)
があったようですね。
宏正会の初代会長もこの教団の広島支部の教師でしたから 当然にこの組織に入っていたはずですけど どのような活動をしていたのでしょうかね。
内部で争いがあって 初代会長は広島を追放されて北陸に逃れたとされています。
初代会長は北陸担当の教師でしたから この地の知り合いを頼ったのでしょうね。
この様な事情から 宏正会では発祥の地を北陸しているのですね。

通称「朝起会」 (社)実践倫理宏正会の機関紙『倫風』をこの会の会員さんが一軒一軒 頒布して回っている。
この『倫風』の冒頭「倫風宏話」においてこの会の会長が毎回 一文を寄せているが
最新の7月号では[理念と実践」と題しての会長の一文がある。
 幕末 江戸城無血開城に尽力し 「武士道」を著わした山岡鉄舟を題材として「正しい理念に基いた たゆまぬ実践」と会員に実践を鼓舞した内容のようである。
しかし 現在では山岡鉄舟の「武士道」について疑念が出されている。
そもそも 現在多くの人が持っている「武士道」のイメージは新渡戸稲造の「武士道」に依っていると思われるが この新渡戸の「武士道」は現在 色々と批判されている。
・管野覚明 『武士道の逆襲』 2004(平成16年)講談社
・佐伯真一 『戦場の精神史』 2004(平成16年)日本放送出版協会

「武士道に関する書物といえば 日本古来の武士道とはほとんどつながりのない新渡戸の武士道がまず挙げられる という摩訶不思議な事態」(佐伯) 
「今日における武士道概念の混乱を招いている 最も大きな原因の一つ」(菅野)
とさえ言われている。

現在いわゆる「武士道」については
武士が発生した平安時代中期から江戸時代の始まりまでの 武士本来の精神である「兵の道」
武士にとって戦乱が治まり太平の世となる江戸時代の 儒教道徳によって説明される「士道」と呼ばれるもの
そして明治になり武士という身分が無くなった後で 明治20年代の日清戦争の頃に盛んに言われ始めた「明治武士道」と現在呼ばれるもの
以上 「武士道」の概念を三つに分けて説明されている。
この点の説明にについては 専門の研究者ではないようであるが 山本勝通氏の「武士道精神の変遷について」と題する論文で分かりやすく説明されている。
http://library.pref.oita.jp/information/paper-publication/study-contest/h18/ippan.pdf

そして 
「武士道は 武士という特異な人々の生活実感から生まれた思想である。
具体的現実的に根ざさない思想には一文の価値もないとするなら 当事者たる武士のリアリティーに内在しないで語られる武士道もまた言葉の遊びにすぎない。」
「新渡戸武士道は 明治国家体制を根拠として生まれた近代思想である。
それは 大日本帝国臣民を近代文明の担い手たらしめるために作為された国民道徳思想の一つである。」(菅野)
とされている。

そして山岡鉄舟の「武士道」であるが
鉄舟の「武士道」は この本の編者である安部正人が 鉄舟が明治20年に弟子を集めて行なった武士道講話記録を弟子であった籠手田安定から譲り受け 各章にその評論を勝海舟が加えたもので 明治35年に出版されたものである。
(新渡戸の「武士道」は 明治32年にアメリカで刊行され 翌年日本でも刊行された。)
鉄舟の講話は 
まず 仏教の四恩を語り 次いで社会の堕落と科学の発展を語った後 日本には古来 天地未発の前から皇祖皇宗に伴って武士道が存在していたと語り それが衰えつつあることが社会の乱れの原因デアルトシテ武士道精神を根本に据えることが必要であると説く。
先祖崇拝 皇室崇拝 道義 仏教 儒教などを日本古来の伝統文化であると肯定し それに対して 科学 西洋文明 物質主義 利己主義 権利の主張などを日本の伝統を毒するものとして批判的に扱う。そして前者の代表が武士道であるとする(宏正会の教えそのもの)。
しかし 鉄舟の武士道は
「もし学問的 思想史的な研究者として見ようとするなら むしろ欠点だらけであり ナンセンスでさえあろう」(勝部真長)
「歴史的記述としての粗野さにかけては新渡戸の武士道の比ではない」「ほとんど荒唐無稽ともいえる内容」(佐伯)
と評されている。
そして何よりも 近時 鉄舟の「武士道」は編者である安部正人の創作ではないかとの疑念が ロシアの国費留学生 アンシン・アナトーリ氏から出されている。
「生没年も経歴も その人となりもよく分からない安部正人なる人物が身近な歴史に足跡を残した武人 山岡鉄舟の名を借りて 自分の武士道論の作者にした」とするのである。
氏の論文は説得力があるように思えるので参考にされたい。
http://www.tesshu.info/index.html

会長は
「金もいらぬ 名誉もいらぬ 命もいらぬ人は始末に困る。しかし、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と西郷は鉄舟を賞賛したと している。
しかし
維新の後 庄内藩の藩士が西郷に教えを請うた時の話をまとめた『南翁洲遺訓』では この部分については
「命モイラヌ 名モイラヌ 官位モ金モイラヌ人ハ 仕抹ニ困ルモノナリ
此仕抹ニ困ル人ナラデハ 艱難ヲ共ニシ 国家大業ハ成シ得ヲレヌナリ」
とされている。
『南翁洲遺訓』では 「艱難ヲ共ニシ」とあり 明確に鉄舟を指してはいない。
西郷の周りには鉄舟のような人物が大勢いたのである。
鉄舟の信奉者である安部正人がこの『南翁洲遺訓』から創作して勝にこの様に言わせたと考えられる。

会長は「鉄舟自身が 武士道という言葉は自分が創ったと書いている」とそのまま抜き出しているが 「武士道」という語が最初に記された書物は「甲陽軍鑑」とされているし 鉄舟以前の書物には「武士道」という語が使われているものは 数多くある。

また 会長は「鉄舟が武士道を構築し その正しさを実証した後には 新渡戸稲造 内村鑑三や加納治五郎らが これに倣って武士道という理念を自分のものとし やすやすと実践し 発展させることができたのです」としているが まさに荒唐無稽 ムチャクチャの論である。
「明治武士道」には 井上哲次郎のような国家主義者によるもの(鉄舟もこの立場)と 新渡戸稲造 内村鑑三(新渡戸と内村は札幌農学校の同期で友人同士) 上村正久らキリスト教徒によるものとの二つがあり 国家主義的なものが圧倒的であった。
内村の「武士道に接木されたるキリスト教」というのは 当時のキリスト教徒達の間では一般的であったようであるが 内村の「不敬事件」でみられるように 内村と井上は対立していた。
キリスト教徒は 西洋に対しては自分たち日本人がキリスト教徒たりうることを説明しなければならず 逆に日本に対しては自分たちが西洋の手先ではないことを説明しなければならないという両面作戦を強いられていた。
内村 新渡戸の武士道は 武士道の皮をかぶったキリスト教である。
国家主義的な武士道とキリスト教徒の武士道は元々は水と油のようなもので 両者はたまたま時を同じくして合流したに過ぎない。
鉄舟のような国家主義的な武士道にキリスト教徒の武士道がこれに倣って発展させたということは全くありえない。会長の全くの誤解である。

会長は 内村の「武士道に接木されたるキリスト教」ということに倣って 「実践倫理に接木された私の人生」ということを言いたかったのであろうが 「先師が樹立した実践倫理の理念」ということに疑念があるのは鉄舟 新渡戸の武士道と同じである。
「先師」すなわち宏正会の初代会長が唱導した実践倫理は その多くを「ひとの道教団」「倫理研究所」の教えを引き継いでいるとされている。
その実証的な検証が待たれるところである。

また 会長は「金もいらぬ 名誉もいらぬ 命もいらぬ人」として鉄舟を紹介しているが 会長自身はどうなのか。
会長は (金)については豪華な自宅等において会の金で贅沢な生活をしていると噂され (名誉)については 「上廣倫理財団」などと自分の名前を付け 先代の銅像を建て 先代が国から褒章をもらったり 天皇の園遊会に出席したことを宣伝につかったりと名誉に固執し (命)については 今まで政権党であった自民党の代議士との親密さをアピールして自分の身を守ろうとしたり と鉄舟と正反対の 全くの俗物にしか見えない自分の姿はどう説明するのか。
会長自らが言っていることと正反対のことをしては 何も会員には届くまい。

  
 


 


 

先の投稿で 『南翁洲遺訓』とあるのは 『南洲翁遺訓』の間違いであるので訂正する。 

 否定派の長文の投稿に対して、少しだけリアクションしときます。
(ほどほどにしときます。)

 『倫風宏話』は倫理実践宏正会の旗艦ですから、これに正面きって反論しようとする長文の「匿名」くんの姿勢は買います。
しかし、共感できるかと言えば、全く共感しません。以前「武蔵」くんが同じように、「経済」の語源に関していちゃもんをつけていましたが、大変似ていますね(笑)

 良い機会ですので、一般の皆様も『倫風』7月号を手に入れていただき、『倫風宏話』に対する「匿名」くんの反論が、一体どんな価値があるのか読み比べてください。(私はそうしました。そして、揚げ足取りだなあ~という感想しかもてませんでした。後半の批判はいつものワンパターンですし、つくづく討論の対照にならない人たちだなあと思った次第です。今回は会友である身内(母?)などに対する罵詈雑言がないだけましですが・・・。)

  内容的には、ネットで話題にのぼるような次のような批判(「修行もしていない会友が実践するのが誤りなのだ」「どうしてみんな同じ意見なの?」)などに対する回答になっていますので、否定派も読んでみましょう。


 さて、「匿名」くんが何と言おうと、山岡鉄舟氏が偉人なのはまちがいありません。そんな偉人でさえ、論理から実践に歩みだすのに長年の時間がかかったという例で引用されています。武士道の思想史の系譜について、異質のものを一連の流れとしてとらえることを「匿名」くんは批判しています。しかし、学問というのは、常に異論が対立しながら積み重ねられたものであり、会長先生の引用方法に誤りがあるとは感じません。山岡鉄舟氏以降に武士道に対する思想が深まったのは事実でしょう。

 いろいろいちゃもんをつけてはいますが、重箱の隅をつつくような意見です。今回の倫風は通巻711号ということですが、今回も良い話だなあと、会友の心に十分届いておりますのであしからず。

 ともかく、批判だけは誰でもできるので、うんちくをたれたい長文の「匿名」さんには、次回の『倫風宏話』を上回るようなありがたい講話を書いていただきたいものです。どうせ書けないことは知っていますが・・・。

 なお、該当の『倫風宏話』直前のページにある格言は、「武蔵」くん、「太陽神」くん、「匿名」くん、そして私「いや夫」など、どこの馬の骨ともわからない人々が心がけるべきものなので紹介しておきます。


 「有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする」(バーナード・ショー)

 では、またさようなら。

「いや夫」ちゃんはねー イヤミだけは一人前に言えるけど 何も反論できないの。
だから 落書きばかりしているの。
おバカさんだよねー。

 ↑
「いや夫」さんの勝ち~

「いや夫」の書いているのを見てみろよ。
大量のクダラナイ書き込みで ウンザリ。
まともな事を言っているようなものは 全部否定されて廃墟の山 山 山。
肯定派の「いや夫」としては 否定派の書き込みに嫌がらせをすることだけが目的。
これが分からない人は よほどIQの低い人。

鉄舟の武士道に疑惑があるなら 会長の言っている事そのものに説得力がなくなる。
100年以上も前に書かれた本をだけを鵜呑みにして自説に用いるのはあまりにも怠慢で能がない。
会長は自分の言っている事を会員に説得できて なんぼの者。
長文さんの書かれたことは 「ウンチク」とか「重箱の隅をつつく」とかいった問題ではない。


武士道論議が盛んでありますな~。
長文さんの言わんとする事実はその通りでありましょう。でも会長が言いたかった、接木論はそれはそれなりに、正しいのですら、
こころは、よろしいのではありませんか。合理主義の嚆矢、福沢諭吉も、「痩我慢の説」では、珍しく武士道の「仁・義」を礼賛して
いますので、長文さんの前に出てきた、南州翁も福翁もこころにおいては、同じくすることがあります。

↑・・正しいのですから・・

「それなりに、正しいのですから」
「・・正しいのですから・・」

この程度の評価でしかない 哀れな会長・・・

会長の言っている事はすべて本からの引用。
引用の仕方が間違っていたり その本自体に誤りがあれば 言っていることに何も説得力がなくなってしまう。 
会員に実践を説くのなら 会長自身が少しは実践して自分の体験から導き出したことを言って見たらどうなのか。
あちらこちらの本からの引用だけでは 何も伝わるものがない。


管野覚明 『武士道の逆襲』を読んでみた。
いままでは曖昧なイメージでしかなかった武士また武士道というものがすっきり整理されていて 目から鱗とはこのような事をいうのであろう。素晴らしい本である。 

宏正会の説く倫理は正に「明治武士道」。
戦後は民主主義の世となったので 「明治武士道」から天皇への忠を取ってはいるが 宏正会は明治期に興った「武士道」という国民道徳を戦後の日本に広めようとしたもの と言っていい。

学門的な引用方法はまことに上述のお方のいわれる通りですね。
先師の著作の初版本をいくつか所持していますが、「成就の法則」という書物に、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」を、孫子として引用されています。これは孟子ですから、学術論文ならば、首をかしげますが、修養会の手引書ならば、ま、いいかと思っていました。
あなたのレベルでは、「・・この程度の評価・・」といわれてしまいますね。
この会に身を置いて、肯定派、否定派なんて考えたことはありませんが、あなた流にいえば、この程度であります。明治の武士道でもいいと思いますが、管野覚明是非読んでみたいです。

 武士道論議が盛んですな。
不毛な罵詈雑言よりも、テーマがあるだけましな討論だと思います。
実践倫理宏正会は、日本古来の伝統を大切にする会ですから、当然武士道精神の良い面も引き継いでいます。
 以前いや夫が
投稿 いや夫 | 2009.10.16 08:27 午後

にて引用した「会津藩の教え」のような内容も、宏正会の方針に沿ったものだと思います。立場や思想を超えて良いものは良いという当然の帰結です。

 ちなみに
武士道∈大自然の摂理
であって、
武士道∋大自然の摂理
ではありませんので、誤解のないように。
通巻711分の1のネタとして、偉人山岡鉄舟氏を取り上げたまでです。

 それにしても「カント」がどうのこうのなどというトンチンカンな議論よりも進歩した点で、否定派の成長を喜ばしく思います。

 孟子と孔子の勘違いなどいいではありませんか。校正で気づかなかった方々にも責任はあります。会長先生も人間であり、当然過ることもあるというだけです。
 私たちの投稿に、どれだけ誤字脱字があることか・・・。気づいた後のまつりで、ほかっておくしかありません。
 
 なお、これは、会長先生は神ではなく、宏正会は宗教ではないという一例でもあります。会長先生も会友と同じく、日々学び続けているのです。

 しかし、今回の武士道の引用が誤りだなどとは微塵も思いません。匿名くんが勘違いして、いちゃもんをつけているだけです。
 それにしても、このブログでうんちくをたれている私たちよりは、はるかに博識だと思います。

(春のG1シリーズも終わり、ゆとりの時間ができたので、ばんばん投稿いたします。)

 「会長の言っている事はすべて本からの引用」と批判した匿名くん(=どうぜ愚息)へ。

 それがなぜおかしいの???

 人類の叡智が積み重ねられているのは、書物を置いて他にないのです。長文くんのうんちくも書物によるもの。「いや夫」の脳の中にある知識も、元をたどれば、書物の受け売りです。

 文字が発明されたことによって、知恵の蓄積が可能になり、文明が生まれたのです。

 書物をろく読まず、テレビやネットやwiki程度のくだらないうんちくを信じている人間は、議論に加わる資格はないのではないでしょうか?ご回答ください。

人間は誰でも誤りをする一例

 ここ数日の「いや夫」の投稿における誤字脱字一覧

 倫理実践宏正会→実践倫理宏正会
 対照→対象
 それにしても→いずれにしても
 どうぜ→どうせ
 ろく読まず→ろくに読まず
   

いや夫は自分を聖人君子と同列において論じている。どこまで思い上がってるんだろう。

 2ちゃんねる慣れした匿名くん(愚息)は、短いコメントで中傷するのみ。

 どこが「聖人君子と同列」なのだ???

 誤字脱字をするは、しばらく投稿を控えていたのが、実は趣味である競馬の研究を優先していたことを暴露するは、徳の低い人間(普通の人間)だと自ら明らかにしているのだが・・・。

 君の思考回路はおかしいぞ。いいかげん自覚しなさい。

 以上のように否定派をおちょくる「いや夫」は、会友にも迷惑な存在なのです。(少し反省。)

 しかし、「いや夫」が投稿を控えると、このブログも静かになるということは明らかになりました。それはそれで喜ばしいことです。(「いや夫」は安心して、競馬研究をしていました。)

 ところが、その間にも、愚息くんは他のブログや2ちゃんねる(倫理と正反対の世界)で宏正会の悪口を書き連ねていたのです。「いや夫」がばんばん投稿しているのも、3ヶ月の沈黙を破ってのことなので、大目にみてください。

 追伸 他のブログで、宏正会に関する罵詈雑言を読んでいた皆さん。そこにカキコしていたのは、当ブログにおていは、「匿名」としか名乗れない「ちゃねらー」たちですので、信用してはいけません。その投稿のかなりの部分は、成りすましでして、「愚息」が中心人物です。このブログを読み込んでいただければ、否定派の正体(愚かな息子を何とかしたいがために実践に励む母。それが正しいとすると、自分が愚息であることを認めることになるので、宏正会を否定せざるを得ない愚息。そして、会友である義母が大嫌いだから宏正会をつぶそうと画策してきた嫁。そんな人たち。)を知っていただきたいと思います。

鉄舟の武士道についての疑惑は 「孫子」が「孟子」の間違いとかいったこととは質的な違いがあり ましてただの語句の打ち間違いと比較するのは問題外。事をあまりにも矮小化している。
昨年の倫風10月号か11月号について「武蔵」氏が指摘された「経済という語の語源」につての誤りと同様に 言いたいことを導くための話の前提に誤りがあると その話にまるで説得力がないのは自明。
それでも会長を擁護するというのなら 宏正会の洗脳の結果であり 部外者は立ち入ることはできない。ただただ洗脳の恐ろしさを実感するだけ。
 
「初代会長は本当に厳しい実践を通しての言葉で語られたが 現会長は会員には 実践 実践といいながら 会長自身は本当に実践しているのだろうか」と疑問に思われているのは事実。
現会長は先代の教え(これは「ひとのみち教団」「倫理研究所」の言っていることらしいが)が正しいのだと ただあちらこちらの本から探し出してその説明に終始しているだけ。
倫風7月号の「理念と実践」で会長が述べている事はその典型。
本当に会長が実践しているかどうかは その語り口から分かるもの。
どこの組織も同じだがトップが姿勢を示さなければ下の者はついてこない。
会員に実践を促すのであれば 会長自ら実践を示さなければ会員がついてこないのは当たり前。


「実践」についてのお考え、全くその通りであります。
先師が亡くなられて、約40年経ちますが、現会長はただただ使徒として、先師のことばをそのまま、伝えられているに過ぎませんし、ご自分が実践を重ねられていると、おっしゃったことは一度もありません。
この40年で登録会員数は、4倍になってはおりますが、おっしゃるように説得力がなくなり、人々の心に響かなくなれば、会員数は減っていくでしょう。
あなたが、そう思われるのでしたら、無理に会員になる必要はありません。
聖書、諸経、資本論など、思想、信教は文字/言葉で後世に伝えていくものにて、そんなものであります。」

 「経済」の語源は、「経世在民」であるというのが事実。それを「武蔵」くんは訳の分からない説明でいちゃもんをつけているだけなのです。「武蔵」くんは自信満々で偉そうに書くから、彼の言っていることが正しいのではないかと、君たち否定派は納得してしまうので困ります。読解力をつけましょう。

 (引用開始)「武蔵」くんのいちゃもん
そして 会長は 「我も人もの仕合わせ」と「経済」との関係について述べている。
この説明に、「経済」という語を辞書で引いて 「経済という言葉は経世(国)済民という熟語から出たもので、世(国)を治め、民の生活を安定させること」だ
という意味のことが書かれているはずであるから、
「我も人ものため」と「経済」は関係があり、「我も人ものため」でなければ「経済」はなりたたない。・・・・・としている。
確かに 「経済」という言葉は 福沢諭吉が中国の古典の「経世(国)済民」という熟語から付けたようである。しかし この言葉は political economy から付けたものであり 国の政治 国の経済政策といった意味のものである。economy つまり「経済」とは モノ(財)やサービスを交換する仕組みとか 労働力の交換とされているもので 道徳や倫理などを含まないものである。
従って 「経済」という語がたとえ「経世(国)済民」から来たとしても 中国の古典の意味のように捉えなければならない必要は全くない。この事は「経済」という語ではなくて もし例えば「効率」という語を充てたとしたら と言えば分ってもらえるであろう。レッテルから中身を決めてはならないのである。
要するに 会長は自分の考えを経済という語の成り立ちで補強しているだけであって 経済という語の成立ちが会長の考えに繋がる訳ではないのである。
会長はよく言葉の本来の意味ということで辞書の語源から自説を展開しているようであるが、その言葉の使われ方をよく検討してみないと誤った論理展開になることを知らなければならない。
(引用終了)

「いや夫」反論 
(全体引用開始)

 まず、あなたの説はまちがいだと思います。
「経済の語源」でぐぐったトップページ
「語源由来辞典」から引用します。

(引用開始)
http://58807828.at.webry.info/
経済は、古代中国の「経国済民」もしくは「経世済民」の略。「経国済民」「経世済民」は、国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語である。日本では、江戸時代の学者用語に「経済」は現れ、理念的な政治政策の意味として用いられていたが、しだいに経済運営の意味で使われるようになった。明治時代に入り、「economy(エコノミー)」の訳語として「経済」が選ばれ、現在用いられる意味で定着していった。
(引用終了)

 ということで、会長先生のとらえ方が一般的です。
 さらには、武蔵殿が何を言いたいのかが
よくわからない。批判をしたいから批判をされて
いるだけはありませんか?
 最新号(平成21年11月号)の「倫風宏正」は
秀作だと思います。
日本の経済のあり方をもう一度問い直そうと
いうお話です。
あなたの説に従えば、経済は倫理なんか
必要ないとおっしゃりたいんですか?
(違いますよね?)
まさに、そこが現代社会の荒廃の元凶
だということにお気づきではないのですか?

 さらに言うなら、あなたは、世の中は政治で
動いていると思っておられますか。
違います、経済で動いているのです。
戦争もまさにそうです。

 政治の裏には、常にそれを望む経済
(お金の力)が動いています。
そこから正さなければ、庶民が住みよい
国など作れないのです。

 あなたの説は、現代社会の問題点を
何ら解決しようとする意図がなく、
建設的な意見とは言えません。
単なる批判に過ぎないのではありませんか?
(全体引用終了)

 「武蔵」くんがまちがえているというのに、「武蔵」くんが正しいと思い込んでいるのは、君らが洗脳されているからか、君?自身が頑固で誤りを認めたくないのか?

 前回も今回もいちゃもんです。終わり。

 「いや夫」はほとんど部外者なので、会長先生がいつ頃まで頒布をしていたか知らないが、子どもの頃からやっていたと本には書かれている。頒布はもう卒業しているのだろう。会長先生に頒布をして欲しいと願っている会友などいないと思うぞ。

 宏正会の実践の一つが、普及の実践。会長先生自らが頒布に出向くのは時間の無駄。それよりも、宏正会の旗艦である『倫風』や著作に力を注げばいいのである。人には人それぞれの役割がある。受付をやっている人がいれば、駐車場係をやっている人もいる。そして会長を務めている人もいる。それぞれの仕事に貴賤の別ははく、すべて大切な仕事なのである。

 『倫風宏話』に正面きって反論をしようという否定派の姿勢は大歓迎。納得できるまでつきあいましょう。

「貴賤の別はなく」に訂正

誤字についていや夫の言ってることは、「自分は本来完璧な人間で、漢字など間違うはずはないが、競馬研究などに、憂き身を費やしている間に、ついついこんな間違いを犯してしまった。ゆえに偉い人でも、字の一つや二つ間違うものである。そんなことがあっても、騒ぎ立てるものではない。」となり、あくまで自分でさえ・・という自己中心の理論。
自己中でないひとは、こまごまとこんなことを言わないもので、膨大なこのスレでも、誤字訂正をした人は多くいるが、そんなことを言ったひとはいない。

昨年11月号の倫風において会長が経済と倫理の関係について述べた部分に 「武蔵」氏が経済という語の語源について疑問を出されているが 「いや夫」が引用した部分は「武蔵」氏が最初に述べた部分。
「武蔵」氏は「いや夫」が理解できていないようなので 2009.10.17. に再度次のように説明している。

『ここで会長は「経済活動もまた、我も人もの仕合わせを目指して行わなければならない」としている。
小生はこの部分については別に異論はない。小生が問題にしているのは このことの説明である。
会長は「経済」という言葉の語源が「経国(世)済民」という熟語から来たもので「世を治め、民の生活を安定させること」だから「我も人ものため」でなければ経済は成り立たない という説明をしている。
 「経済」という語源は確かに「経世(世)済民」から来たのかも知れないが 端的に言えば「経済」という言葉が自体がおかしいから この言葉の語源を持って来て説明するのはおかしいとするのである。
 「経世(世)済民」とは もともと国(王)の政治あるいは国(王)の経済政策のとるべき方向を意味するものである。国(王)ではない私企業あるいは個人の営利活動にこのような言葉を充てるべきではないのである。ウィキペディアの説明に「資生」という言葉も使われていたが「経済」という言葉が現在に残ったとされている。要するに「経済」という語は 江戸末期あるいは明治になってからの日本における造語である。別に「効率」という言葉であっても良かったのである。仮に「経済」という語ではなく「資生」とか「効率」という語が現在に残っていたとしたら 会長はこの言葉の語源を自分の説の説明には利用できなかったはずである。たまたま「経済」というレッテルが付けられたからと言ってその語源でもって自説を説明するのは論理的とは言えないという事である。』

「武蔵」氏は economy という訳語に本来間違った語源をもつ「経済」という語がたまたま現在使われているのだから 会長のように逆にその語源でもって economy を説明するのはおかしい としている。
「武蔵」氏の言っていることは 正論。 

「いや夫」がまた持ち出しているのは「武蔵」氏のこの説明でも「いや夫」はまだ理解できていない証拠。 バカだねー。

「いや夫」は自分が言っていることが全部否定されて廃墟となっているのが分からないのか その廃墟から「灰になったもの」を拾い出して まだ云々と言っている。往生際が悪いねー。
「いや夫」が何か言い出すと 必ず否定派が現れて潰される。
「いや夫」は否定派の呼び水と云うことか。
また一つ廃墟の山が築かれることになるんだるう。

呼び水とはうまくいった、バカというより、純粋子供なのだ。

 「匿名」くんは、「武蔵」くんではないのでしょう。間違いを理解できていません。わかりやすいように、箇条書きで説明します。ついてきてね。

1 英語の「economy」という言葉が伝わる以前にも、日本では経済活動が行われていた。たとえば、大阪では世界最古の先物取引が米を対象に行われていた。

2 経済の語源はまちがいなく「経世済民」である。

3 江戸時代に一代で商いを成功に導いた近江商人たちの経営理念も、「売り手よし、買い手よし、世間よし」(売り手と買い手の双方に利益があって、世間のためにもなる)という「三方よし」の心構えであり、「経世済民」にそったものであった。

4 ところが、現代の「経済」は、「利己主義」と「金銭万能主義(稼げば勝ち)」が蔓延し、諸問題の病根となっている。

5 これを改めるには、経済活動もまた、「経世済民」の語源にたちかえって、「我も人もの仕合わせ」を目指して行わなければならないのです。

(以上が会長先生の述べたことを失礼ながら簡単にまとめたもの。ちなみに、要約は、下記にあり。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_3.html
 上記のまとめは、ごく一部なので、真の価値を知るには、平成21年11月号の『倫風』を読んでください。)


 これに対して、「武蔵」くんのいちゃもんは下記のもの。

A 「economy」の訳語に「経済」が選ばれたからといって、「経済」の語源を話のネタにするのは誤りである。「economy」の訳語が、「資生」や「効率」になっていたらどうするのだ!
(意味不明?いわゆる「economy」が外国から伝来した訳ではなく、外国には「economy」と呼ぶ経済があり、日本には「経済」と呼ばれる経済があったのです。「economy」とは「経済」のことだなと、両国の言葉を結びつけただけです。)

B 「economy」には、「経世済民」などという意味はない。日本が勝手に考えたことなのである。
(その通りだよ。そこが中国人や日本人の偉いところじゃないの。)

C よって、(武蔵曰く)本来は意味の違う「economy」と「経済」を結びつけたのが間違いなのである。
(勝手に吠えてなさい。それじゃ、「経済」以上にしっくりくる訳語を作って広めなさい。「資生」?「効率」?何それ。誰が賛成するの?ちゃねらーや否定派や、この上の「匿名」くんだけだよ。)

D 会長は話のネタによく言葉の語源を使うが、以上のように使い方を誤ってはいけないのである。
(あの・・・。会長先生は、何も使い方を誤っていないんですけど?「武蔵」くんの論法はおかしすぎますよ。本人なら気づいていると思うけど・・・。読書百編自ずからなるです。原本(倫風)をもっと読み返してみてください。)


 以上です。
 「武蔵」くんは「いちゃもんをつけているだけ」と「いや夫」が言っている意味がわかりましたか?「匿名」くん。

 「経済」で話題の『倫風宏話』の原本はこちらです。

今こそ「我も人ものために」 「倫風宏話」 平成21年11月号より
http://58807828.at.webry.info/200910/article_53.html

 会長先生が言っていることが誤っているのか、はっきりさせましょう。
 「いや夫」は200%の自信をもって、会長先生の意見に賛同します。
 そして、「武蔵」くんは何いってんの?と討論を挑んだ次第です。
 それでもわからなければ、わかるまでとことん説明しますよ。

「いや夫」くん、榮治が迷惑するからもうやめなよ。

「いや夫」君 何を言っているの?
自分の言っている事がまだ正しいと思っているの?
根拠の無い自尊心だけは一流。
それを「ガキ」という。

いや夫さま
GⅠ競馬研究が終ってカムバックいただいたとたん、ずーっと死んでいたこのスレが急に盛り上がり、有難うございます。
いつも倫理が競馬研究のお邪魔をしていること深くお詫び申し上げます。
 あなたが申さば
      百人踊る
       踊るアホウに
          言うアホウ

ガキはガキでも 「いや夫」のような生意気なガキは「糞ガキ」。
いっぱい書き込んで それが皆糞になって 糞の山。
臭くてしょうがない。
やっぱり「いや夫」は「糞ガキ」。
糞を撒き散らすんじゃないよ。この糞ガキ。

負け戦 煙くすぶる 焼け跡に
  骸骨見つけ 再起を計る

「いや夫」は一体何をクドクドと言っているのか。

1 について 当たり前。 世界中どこの国でも古代より経済活動はおこなわれていた。
2 について 誰もが認めていること。
3 について 江戸時代すべての商人が「三方よし」を実行していたはずがない。一つの思想であり理想論。現在も同じ。
4 5 については 「武蔵」氏は問題にしていない。

A ついて 「資生」という訳語も当時会ったようだし「経済」という語が現在まで使われているのは偶然。「経国済民」という語源を意識して使った人がどの位いるの?
『日本には「経済」と呼ばれる経済があった』
ここが 「いや夫」の誤解の根元。よく考えて見たら。

B について  西洋の「経国済民」というものは経済政策( political economy )。

C について Aで述べたようにそれは偶然。 

D について 宏正会について詳しくないので 私は知らない。

以上 「武蔵」氏の言っていること正論であり 「いや夫」の言っていることは 取るに足らないたわ言。


直前の君は、その程度の意見でよく反論してくるね。

 何なに?
「4 5 については 「武蔵」氏は問題にしていない。」
 これが問題だから、会長先生は『倫風宏話』を書いているんですけど。原本読んだ?長文は読めないの?

(『日本には「経済」と呼ばれる経済があった』
ここが 「いや夫」の誤解の根元。よく考えて見たら。)

 何を言っているの???「economy」という言葉が使われる前から「経済」はあったし、「経済」という言葉も江戸後期には使われていたのです。君たちがそれを認めようとしないから、わざわざわかりやすいように説明しているの。いいかげん理解しなさい。

 何を「いや夫」が誤解しているのか、もう一度わかりやすく説明してごらん。

 残りのハエは反論にも何もなっていない。「愚息」レベルなのでスルー。
レベルアップを望む。 

 

「武蔵」くんへ

 君を盲信する信者が、訳のわからないことを書き連ねて迷惑です。そこそこ賢い君なら、「経済」の話については、「いや夫」に軍配が上がるのはお気づきのはず。これ以上は恥の上塗りをするだけなので、「武蔵」を名乗って、素直に認めてください。ここは2ちゃんねるではありません。

はははは、ここのところが、お子ちゃま「いや夫」、武蔵がほんとに出てくる思って、ご苦労さん、ご苦労さん。

 「武蔵」くんの格調高い(だけで中身は伴わないけど)文章を読解できない否定派が多いので、

投稿 いや夫 | 2010.07.01 09:49 午後
に「箇条書き」で解説を加えました。

 中2レベルなら納得できる文章です。

 これを理解できない人は、お子ちゃまですので、投稿する前にお勉強をしてきなさい。

 具体的な反論をできないところを見ると、本当は「いや夫」の説明の方が正しいと、さすがに気づいているからなのでは?それなら、まだ救いようがありますが・・・。

 反論は具体的にね。「愚息」くん。

次は「ちゃねらー」くんたちのカキコの番だね。

どんなレベルの投稿をするのかな?

いったい何人かな?

ああ神よ、いや夫を許したまえ。
この期に及んでまだ、武蔵が出てくると信じて、呼びかけ、呼びかけして、心待ちにしている。
お子ちゃまを通り越して赤ちゃん「いや夫」になっちまった。
まあよい、こんな純真なひとを、これ以上からかうとバチが当たる。

あいかわらずの低レベル。
人間は、そんなに簡単にはレベルアップできないね。君の他にはいないのかい?
誰かとチェンジして。

 彼曰く「いや夫は、まだ武蔵殿が登場すると思っているお子ちゃま」だという指摘。

 「いや夫」は、「武蔵くん登場してね」とは言ってはいるが、本当に登場するなんて思っていません。「太陽神」も「武蔵」も「鉄槌」も「ボケ老人」も「高塚地蔵尊」も、今では、み~んな「匿名」としか名乗れない低レベルな方々。
 みんなで「匿名」と名乗れば、「いや夫」がおろおろするともくろんでいたおめでたい「ちゃねら~」たちですから。(2ちゃんねるにて、その話題で盛り上がっておられました(笑))

 確かに君(たち)には、「匿名」がお似合いです。

(でも、「愚息」の相手をするのはいやだから、せめて「武蔵」くんや「太陽神」くんと討論したいと思っているのも事実なんだけどね。)

相手にならん。
「経済」の討論については、「いや夫」の圧勝。違うというなら「武蔵」くん、反撃のチャンスだ!味方のギャラリーがたくさんいるぞ。

 出てこない時点で、この話題はおしまい。
「武蔵」くんの「経済」論は、勘違いによる「いちゃもん」でした。以上で、このネタは終わり。(蒸し返したい人は、具体的な反論をしよう。ギャラリーの読解力は心もとないので、箇条書きをおすすめする。)

 では、次の論点に移りましょう。
 今回「武蔵」くん、じゃなかった「匿名」くんが取り上げた「山岡鉄舟」に関する『倫風宏話』の原本を載せておきました。討論の出発点として、否定派の君たちも読んでおきましょう。
 実りある討論になるといいですねえ。

「理念と実践」  『倫風宏話』平成22年7月号より
http://58807828.at.webry.info/201007/article_1.html

季節の風物詩のように、暇になったいや夫くん低レベルの書き込みを始めたね。実践者には迷惑な話だろう。見当違いな擁護をされてもね。 擁護派はバカだと思われてしまう。多くの実践者が預かり知らないところで、せっせと足を引っ張っている輩がいるなんて、不幸だ。もうやめてあげてください。

 君ら否定派の投稿は、同じレベルの脳(一つの脳?)からしか発せられていないのでしょうか?

 相手を馬鹿にする行為は、確かに低レベルですね。しかし、それは君らが始めたこと。君らに対するには、「いや夫」位いやみな奴じゃないと無理なのです。

 また、君らがハイレベルと考えている「太陽神」くんにも「武蔵」くんにも、当初から討論で負けるつもりはありませんでした。例えば、「武蔵」くんの「経済論」なんて突っ込みどころ満載だと、討論開始当初から思っていましたよ。そんなことさえわからない人たちは、2ちゃんねるでピーチクパーチクやってるだけにしときましょう。

 (箇条書きの一つの投稿を除いては、「いや夫」の反論の)内容には触れようとせず、「実践者には迷惑」攻撃に終始しはじめました。(少なくとも、君らほどには、迷惑ではないと思うけどねえ~。)

 本当に迷惑に思っている実践者の方は、こちらへ苦情をお寄せください。

「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html


 君は相手にとって不足ですので、チェンジしてください。(=君がいくら知恵をしぼっても、レベルアップは不可能ですので、他の人に変わってもらいましょう。)
次の方、どうぞ。

 いや夫への反論は、具体的にお願いします。

皆さん 「いや夫」の正体を見ましたか。

「いや夫」は 自分では偉ぶっているけど本当のキャパシティはこの程度の低レベル。

「いや夫」は以前こんなことも言っていたな。

>自慢になって悪いけど、一年半受験勉強しただけで東大のボーダーには届いた「いや夫」ですので、IQは君よりは高いと思います。ちなみに、国立大は一校しか受けられないので東大はやめておきました。

これも「いや夫」特有の虚飾。肩書き詐欺のようなもの。本当ならこんな低レベルな筈がない。

そして 今まで書かれたものを見たら分かるように絶対に自分の負けを認めないのが「いや夫」流。
今回でも わめき散らして誤魔化している。
典型的な子供。子供は子供でも聞き分けの無い「幼児」。

「いや夫」特有の人を舐め 人を小バカにした言い方。 
挑発的な語り口。
目の前に「いや夫」がいたら 誰もが半殺しではすませないだろう。
批判派からは目障りで 肯定派からも迷惑な 糞ガキ「いや夫」。 
もう二度と出て来るな。

ほら吹き 「いや夫」。
「いや夫」の言っていることは ぜーんぶ 糞。

ほら吹き 「いや夫」。
「いや夫」の言っていることは ぜーんぶ 糞。

 「低レベル」なはずの「いや夫」の反論の中身には一切触れない。

 「低レベル」と言うなら反論も簡単でしょうに? 

 「いや夫」の反論は逐一、中身への反論なのですが、君は違いますねえ。

 IQの低さを自覚しているからなのでしょうか?

 少しはIQの高さを感じてもらえるように、中身で反論してね。同じことを何度も言わせないで。できないなら、チェンジプリーズ。

負け戦 負けを認めぬ バカ夫
   ゲーム機壊す 幼児に似たり

「経済」という語源については 「武蔵」氏の言われていることで十分納得できる。
「いや夫」の屁理屈は 先の箇条書きを批判された方によって 「いや夫」はとどめを刺されている。
その後の「いや夫」の言っていることは 言い訳 弁解 ホラ 虚飾 ・・・  見苦しい。
男だったら 潔く負けは負けを認めなさい。
「いや夫」は 自分で自分の首を締めているのが分からないのか。

これで また「いや夫」が廃墟を一つ築いて 蒸し返しのクダラナイ遣り取りが終わったようだ。

ありゃりゃりゃりゃ~
おこちゃま「いや夫」が、言い訳始めた。「武蔵」くん登場するなんて思っていません、という尻から、ほんとは「武蔵」くんと話したいと、おのれの期待の本音をもらして、菅総理よりなおわるい、失格ぅ~。
「勝った、勝った、勝った」と競馬を優先して、こんな思想的解釈の議論にまで、「勝った、勝った、勝った」といいたいなんて、正直小学6年生ラベル。
このような、匿名スレで言い合うマナーにも欠けている。もしかして、IQは低くないかもしれないが、執着癖といささかのアスペルガー症候群によって、言語的勝負の適応性はない。
希望的言辞を弄して挑戦しているつもりだが、取り合うものがだれもいないことが分かっていないところの、正に「ジコチュウ」人間。

「新宗教」について、『平凡社世界大百科』では、次のように説明している。

[日本の新宗教] 
日本の早い時期の新宗教には,19世紀初期に成立した,やや早咲きの如来教や黒住教,19世紀中期に成立した天理教や金光教や禊教など があり,明治期に成立したものには丸山教,蓮門教,大本教などがある。この段階までのものは,しばしば〈民衆宗教〉の名でよばれている。もっとも大きな勢 力を築いた教団は,大正末から戦後にかけて成立したもので,ひとのみち(後の PL 教団),霊友会,生長の家,世界救世教,立正佼成会,創価学会,真如苑などである。
新宗教のおもな宗教史的な源泉としては,江戸時代に活発化していた, (1)神仏習合的な社寺を参詣のセンターとし,山伏,行者などの民間宗教家を媒介としつつ,講社に寄り集まった人々が支えた民俗宗教の諸集団(〈習合宗 教〉の伝統とよぶこともできよう)と,(2)在家信徒が積極的に参加する日蓮系の講(題目講),(3)石田梅岩が創始した石門心学に代表されるような修養 道徳的な大衆運動などが考えられる。 
新宗教の宗教思想の特徴は〈現世救済思想〉の語で要約できる。それまで有力だった仏教の救済観が現世離脱的,来世志向的であったのに対し,新宗教は現世 の身近な生活の改善がそのまま究極の幸福に通じるものととらえる。どちらかというと死や死後の世界に関心が薄く,死後の世界に関心を払う場合でも,この世 の幸福に影響してくる限りで来世を問題にするという傾向が強い。
中心的な礼拝対象は〈親神〉であったり〈仏〉であったりするが,しばしば〈宇宙大生命〉と よばれる。典型的な教えでは,宇宙万物も人間も同じ宇宙大生命から派生した存在としてとらえ,他者や環境と調和した関係を結ぶことによって宇宙の生命力と 合体していけると説かれる。
調和した関係を取り結ぶ鍵は個々人の〈心〉にある。清らかで曇りのない心,愛情豊かで落ち着いた平静な心を保つことによって宇 宙的生命の流露する幸福な生活を実現できるとする〈心なおし〉の教えも広く共有されている。これらが〈生命主義的救済観〉とよべるような教えを構成している。 
本来的な充実した生活はまず家族において実現するとされ,家族の和が尊ばれる。家族を守る存在として先祖が尊ばれる教団も多い。
日本の国が特別な価値や 使命をもつとするナショナリズムは広く認められる。ただし,天皇をある程度尊ぶとしても,崇拝する教団はむしろ少数派である。
教祖やそれをつぐ教主らは生き神的な存在として崇拝されることが多い。
教主を中心にカリスマ的な指導者が地域に根を張り,仲間的な小集団を抱え込むというような多重的な組織を作るも のが多かった。
(島薗 進)

この解説から宏正会を見てみる。
宏正会は新宗教「ひとのみち」に起源があり(初代会長は「ひとのみち」の教師であった)、3)石田梅岩が創始した石門心学に代表されるような修養 道徳的な大衆運動に分類される。
宏正会では 現世離脱的,来世志向的思考は明確に否定され 『五つの誓い』に見られるように「現世 の身近な生活の改善がそのまま究極の幸福に通じるものととらえる」。
宏正会では 〈宇宙大生命〉と似た「大自然の摂理」という言葉を使い 「宇宙万物も人間も同じ宇宙大生命から派生した存在としてとらえ,他者や環境と調和した関係を結ぶことによって宇宙の生命力と 合体していける」と同様な考えを教えのを根本にしている。
宏正会も 「調和した関係を取り結ぶ鍵は個々人の〈心〉にある」と「心癖」「我を捨てる」などの〈心なおし〉が教えの中心となっている。
宏正会も まず「家庭愛和」が説かれ 「本来的な充実した生活はまず家族において実現するとされ,家族の和が尊ばれる」というのは全く同じ。
「日本の国が特別な価値や 使命をもつとするナショナリズム」も 日本古来の風習・しきたりを重視するなど宏正会の教えにも見られる。
「教祖やそれをつぐ教主らは生き神的な存在として崇拝されること」については 会長やそれに次ぐ講師を「尊敬」という言葉を使い「崇拝」と同じように絶対視している。
特に「会長」はカリスマ的な指導者として会の中では絶対的な地位を有している。

以上 宏正会は新宗教の要素をすべて備えている。むしろ宏正会は新宗教の典型例と言える。

なるほど、言い々々してきましたが、ここで事あらためて島薗定義を突きつけられると、その通りでありますね。
スレの議論上、会員を信者に読み替えるとそれなりに、解釈できてしまいます。
比ぶべくもないが、日本相撲協会の方は、賜杯を保持している上、大正時代ご下賜金までついていたわけだから、現在おこっている問題は、はるかに大きく、宏正会の方は宗教と解釈するなら、納得できる点多いですね。
朝起き会の古参会員のなかには、宗教だっていいじゃないという人おりますが、分かっているのかも知れません。
なおひとのみちが大きくなったとき、最初「協会」として届け出たが、府庁の方から拝殿まであるのだから、宗教法人として届けるように指導され、やり直した経緯があり、現在を省みて面白いことです。

 これら批判派を個々の人物だとすると、中2レベルの説明も理解できないお馬鹿さんの集まりということになります。

 小学生でもわかるように解説するから、何とかついてきてね。

 「新宗教」くんは、後から相手するから待っててね。

 まずは、「経済」のやりとりを理解できないお子ちゃまたちへ。

(説明開始)
基礎(きそ)1
 むか~しむかし、ちゅうごくという国に、王がいました。王様は、国をおさめなければなりません。それには、国民が飢えて死んでしまわないように、食べさせることが大切でした。それを「経世済民(けいせざいみん)」と言ったんだよ。

基礎2
 おとなりの日本(みんなの住んでいるこの国のことだよ)でも、「経世済民」の言葉が伝わり、やがて、「経済(けいざい)」という言葉が生まれたんだ。世をおさめることを政治(せいじ)と呼び、みんなを食べさせることを経済(けいざい)と呼ぶようになったんだろうね。江戸時代の後半には、「経済」という言葉が使われいたみたいだよ。

基礎3
 経済で大切なのは、お客様の信用を得ることなんだ。「我も我も」ともうけることばかりかんがえている店なんて、みんな大嫌いだからね。例えば、近江(今の滋賀県)の商人は、「、「売り手よし、買い手よし、世間よし」(売り手と買い手の双方に利益があって、世間のためにもなる)という「三方よし」の心構えをもっていたんだ。こんな店なら、みんなも嬉しいよね。遠足のおやつは、こういう店で買うといいよ。

基礎4
 英語では、「経済」のことを「economy」って言うのだけれど、別に日本人には関係のないことだもんね。英語の「economy」なんて言葉を知らなくても、日本には「経済」っていう言葉があるんだもの。

基礎5
 ところがね、日本人の中には、おかしなことを言う人たちがいるんだよ。
 「economy」の日本語訳が「経済」だというのはおかしいっていうんだ。
 「え~!」「どうして~?」みんなもそう思うよねえ。

 でも、全然説明をしないの!

先生がまちがえているんだって、理由も言わずに馬鹿にしてくるんだよ。人を馬鹿にする人が馬鹿なのにね。

 「economy」の日本語訳が「経済」なのが、どうしておかしいんだろうねえ?きっと、その人たちの頭がおかしいんだろうね。そんな人の言うことを聞いてはいけないよ。

基礎6
 今の世の中はね、「稼げば勝ち」と考える人や、「競争に勝ちさえすればいいんだ」と考える人や会社が増えてしまって、いろいろな問題を引き起こしているんだよ。

 だからこそ、「経済」の言葉の意味である、「経世済民」の考え方を思い出すことが必要なんだよ。それは、「我も人もの」ことを考えることにもつながるね。
 
基礎7
 さっきの頭の悪い人たちは、そんなの理想論だ、などと馬鹿にするんだけれど、そんなことはないんだよ。

 松下幸之助さん(panasonicの創業者)の考え方なんて、まったくその通りだし、日本を代表する企業の創業者精神は、常に「世のため人のため」だったんだ。だからこそ、日本はこんなに発展できたんだよ。

基礎8
 結局、アメリカの「金銭至上主義(お金がすべて)」をまねするから、こんな嫌な世の中になったんだ。

 もう一度、日本の古き伝統やすばらしさを取り返したいものだね。

(解説終わり)

 もういいかげん理解しようね。
(アホを相手にすると疲れるなあ。)

 「武蔵」くんの「経済の語源を引用するのは、論理的ではない」という馬鹿みたいないちゃもんを擁護しているうちは、君らに勝ち目はありません。続ければ続けるほど(君たちの主張とは裏腹に)、「武蔵」くん(=「太陽神)って、案外低レベルなんだ~という事実が明らかになるだけですよ。

 「いや夫」の小学生(本当は幼稚園児)向けの解説をネタにして、正面から反論してみてちょ。どうせでけえせんやろ。アホやもん。

勝手に一人でわめいていたら。
アホらしくて 誰も相手にしないから。

 「相手にしない」ではなく、「反論ができない」というのが事実。

 どちらがアホか、はっきりさせましょう。

「武蔵」くんやその取り巻きのアホらの論法(いちゃもん)がどのようにまちがっているのか、今度は数学的(笑)に証明しましょう。

「武蔵」批判1
 「economy」の訳語が「経済」になったのが間違いである。

 反論1
  もっともふさわしい訳語が生き残る。
  日本でいうところの「経済」と、英語でいうところの
  「economy」がもっともふさわしく、改訂される気配もない。
  それは、同じことを表現する言葉だからだ。
  よって、「批判1」は「真」ではない。


「武蔵」批判2
  「経世済民」は、英語でいうところの「political economy」である。
  「economy」自体には、「経世」などという意味はない。

 反論2 「経済」の語源は「経世済民」なので、「経世」の意味を内包している。
     英語の訳など、「全く関係のない事象」(いちゃもん)である。
     批判2は「真」であるが、争点には全く関係ない。
     (ここが、「武蔵」くんやアホらが一番勘違いしている点である。)


 「武蔵」批判3
  もし、「economy」の日本語訳が「経済」でなかった
  (例えば「資生」や「効率」)としたら、
  「経済」の語源で説明するのは論理的ではない。

 反論3 単なる仮定(否定派の希望的観測)の話である。
    「economy」の日本語訳は誰が何と言おうと「経済」である。
     以上で終わり。
     批判3は「偽」である。
    (嫌なら入社試験で「economy」の日本語訳を問われたら
     「資生」と書きなさい。まちがいなく落ちます。)


 以上でも納得しないなら、君ら否定派の別名を、
「いちゃもん団」とさせていただきます。


さ、あとはいや夫くんにまかせましょう。放っておいても厭味と思い込みをどんどん垂れ流します。倫風宏話から何を学んでるんだか。上廣が見たら批判そっちのけで迷惑がるだろうな。ご愁傷さま。

会長先生は、ご自分に対する批判には、それがいかに的外れなものであっても真摯に、そして明快にお答えになられます。 他方、会友が間違った解釈や自分勝手な考えで倫理を捉えることを厳しく戒められています。批判派は前者、いや夫さんはさしずめ後者にあたるでしょう。どちらが会にとって問題か、言わずもがなですが、考えて発言しましょう。

 「経済」ネタはいくらひっぱても、「いちゃもん団」に勝ち目はないので、延々つきあってあげてもよいのだけれど、他のギャラリーは退屈するので、次の話題に移りましょう。(勝ってるつもりなら、そのネタで具体的な反論をどうぞ。左団扇でお相手します。)

 直前の「新宗教」論について、当ブログでは全然目新しい攻撃ではなく、ありきたりのものです。

{実践倫理宏正会は新宗教である「ひとのみち」から派生した倫理修養団体である}でOK。

 大自然の摂理は、細かいことにはこだわらず、是は是、非は非として認めます。宗教にも当然良い面があるわけで、大自然の摂理(倫理)に内包されております。

 「ひとのみち」の直系の一つが「PL教団」であり、実践倫理宏正会とは全く別の組織です。宗教色を排した倫理修養団体として新たに生まれたのが「実践倫理宏正会」です。

 その他に何かいちゃもんがありますか?
まずは「いや夫」の下記の過去の投稿を論破してみてちょ。

(引用開始)
武蔵君 君に負けているつもりはない。心配はご無用である。人の心配をする前に、自分の読解力のなさを心配しなさい。

 私は、このブログに書かれている朝起会に対する批判記事をすべて否定するつもりはない。もちろん、その批判をすべて肯定しているわけではない。おのおのの批判に対する反論を逐一書いている。

 私は、朝起会の点数を90点とする。足りない10点が私も感じる問題点だ。
 しかし、君たちの主張では、朝起会を何点と評価しているのだ。そもそも、社会のために何の努力もせず、ネットで批判ばかり書いているものが、朝起会を評価できるのか?

 理解力が乏しい君のために、論点を絞って我が論を述べる。


 まず、最初は会の成り立ちから私見を述べる。

 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」

 解説する。朝起会は、ひとのみち教団から派生した組織である。そのことは書籍などでも周知の事実なので、私はそれを否定しない。

 問題は、それをわざわざ朝起会が広報する必要があるかどうかということだ。
私は、その必要は全くないと考える。

1 君たちが書いている内容は、出典の不明確な中傷が多い。

2 たとえば、wikiの参考文献となっている「新宗教事典」では、ひとのみち教団を起源とする「倫理修養団体」と分類されており、他の新宗教とは明らかに取り扱いが違う。少なくとも宗教であるとの分類はされていない。

3 具体的に言えば、ひとのみち教団では、「教主が信徒の苦痛を身代わりして引き受け、信徒を救う」「教主が信徒の悩みや苦難に対して神秘直感によって直接診断、指導を与える」「教祖を神格化する」などが行われていたが、実践倫理宏正会では、これら宗教的要素を一切払拭している。

4 ひとのみち教団は、教祖が強姦の罪で逮捕されるなどイメージが悪い。

5 宗教団体は政府から弾圧を受けていた。

6 よってひとのみち教団から教えを引き継いだ部分があるとしても、その宗教色を除き、倫理修養団体として全く新たな組織を作ったのだ。

7 倫理研究所との確執など知ったことではない。分派がなぜいけないのだ。もし、分派がいけないとしたら、なぜこんなにもたくさんの宗教組織があるのだ。

8 上廣哲彦氏が原爆を体験し、それをきっかけとして、新しい倫理修養組織を作ろうとしたのは、まぎれもない事実だ。

9 ちなみにひとのみと教団は、PL教団へと形を変えている。今となっては、実践倫理宏正会とは、まったく関係のない組織だ。

10 朝起会は、会友に別の宗教に入っても構わないとしている。宗教組織ではないからだ。

 以上のことから、ひとのみち教団とのつながりを断って新たに作られた組織であるから、原爆を契機に朝起会を作ったという会の成り立ちを広報することには何の問題点もない。
ひとのみちより教団よりもよりよい組織を作ろうとすれば、当然の方法である。


投稿 いや夫 | 2010.02.23 07:29 午後
(引用終了)

 本当にワンパターンな奴らだなあ。

「知ったことではない」、「それがなぜいけない」 といった類が理論だとは… やはり幼児。

「7 倫理研究所との確執など知ったことではない。分派がなぜいけないのだ。もし、分派がいけないとしたら、なぜこんなにもたくさんの宗教組織があるのだ。」

についてだね。では、具体的に反論すればいいじゃん。

さあ、どうぞ。

さあ、どうぞ、さあ、どうぞと、自分だけが正論をはいていると思っているが、いままでのスレで、具体的反論している人など一人もいない。
意気軒昂と、ご自分で何かに立ち向かっているつもりに、なっているが、だれも相手にしていない。
一生懸命「武蔵」の胸を借りて、ヤリを繰り出していくが、「武蔵」本人も、そのホカも相手にしてくれないところの、偉大なる「いや夫・ドンキホーテ」。
みんなで、よってたかって、いや夫をイジメテいる構図でもあるが、「憎まれっ子、世にはばかる」のたぐいでもありましょう。

馬鹿夫、まだいたのかww

 「いままでのスレで、具体的反論している人など一人もいない。」と「いちゃもん団」も認めておられます。「反論できない」のを「相手にしない」とごまかすのは、例の「認知的不協和」って奴ですね(笑)

 まさに「のれんに腕押し」の情けない相手。それが誰かと言えば、「愚息」くん。いつもの短いコメントと、いまだに「ww」でしめくくる哀れなちゃねらー。
 最近は、お母さんの悪口を書かない点で、進歩しました。さすがに、自分がおかしいということに気づき始めたのでしょう。

 「いつまでも あると思うな 親と金」
 「孝行したいときに 親はなし」

 親孝行しなよ。

 さて、「いや夫」に論理的に反論できる人物はいないのでしょうか?
次の方、どうぞ。

論理的に反論する人はいないでしょうね。
相手が論理的(それは、間違っていても、論理性に首尾一貫性があるということ)ならば、論理的に反論もできるが、支離滅裂論議に、論理的反論はできません。「いや夫」流に支離滅裂反論ならできるが、普通の人は、アホラシクテしません。するのは「愚息」のみ。

確かに「いや夫」の言っている事は支離滅裂。 
精神分裂病の兆しが見える。
「いや夫」の家系にはそのような人がいませんか?
奥さん 最近ご主人の様子がおかしくありませんか?

来年は会創立65周年の大節(大きな節目)です。
会長先生は 65周年を目指して何でもいいから実践をして喜びの成果を持って65周年をむかえましょうとご指導頂いています。
皆さん 何を実践するかという目標を持ちましたか。
ダイエットとでも禁煙でも何でもいいのです。必ず実践をやり遂げて65周年をお迎えいたしましょうね。
そして 65周年という大節ですので しっかりとお祝いさせていただきましょう。
皆さん お分かりですね。
徳を天に積む。天に「徳」という貯金を積んでおくこと これを徳積みといいます。天に貯金すると必ず善いことが返って来ます。
皆さん 息をしていますね。吐いたら吸う。吐いたら吸う。これは自然です。ですから 出したものは必ず返ってくるのです。
私達はこの大自然の中で生かされています。
空気や水 塩 石油・・・ 私たちが必要なものを 大自然は無償で与えてくれます。大自然はタダで与えてくれるのですよ。感謝しないとどうなるんですか。
感謝を具体的な実践でもって奉仕する。お返しする。恩返しをする。これが人間としての筋道じゃありませんか。そうでしょう。
会は 皆さんの幸せのために活動しています。
会のために奉仕をすることは 大自然にお返ししたことになるのですよ。
大自然の無償の愛に感謝して お返しする。恩返しをする。奉仕する。
人間としての筋道を実践しましょうね。
勿論 徳を積む 奉仕をするというのは お金だけではありませんよ。
でも お金というのは 皆さん命の次に大切なものでしょう。その大事なものを奉仕するということは とても大きな徳を積むことになるのですよ。
皆さん せっかくですから 65周年の大節に徳積みをさせていただきましょうよ。

馬鹿夫は低脳だから、相手してはいけませんww

呆れられ、バカにされ、ボロボロになりながら、「次の奴、かかって来い」って喚いてる哀れないや夫くん。よく頑張るね。

反論してくるのは、愚息だけかよ。

するのは「愚息」のみ。なんて、しらじらしい。
成りすましの作戦とはいえ、自分で「愚息」と認めているのは、進歩だな。


誰か他にいないのか?
一般的には、批判派はたくさんいることになっているはずだが・・・。

「非論理的」な批判など、痛くも痒くもないよ。
幼稚園児向けの箇条書きの説明に、一切反論しない時点で、君らの負けは確定なのよ。「基礎何番」でもいいから、反論してちょ。でけえへんやろ。アホやもん。

 「徳積み」の話は、女性会友の中ではそのように話されているようですね。男性会友(壮年さん)は、そいう風習をほかっといていいのでしょうかねえ。反論はしません。

 一人くらい国公立または有名私大出身程度のおつむの人はいないのかい?

 中2向け
投稿 いや夫 | 2010.07.01 09:49 午後

 小学生と幼稚園児向け
投稿 いや夫 | 2010.07.03 07:49 午後


 高校生向け
投稿 いや夫 | 2010.07.03 08:36 午後

 のどれでもいいから、「論理的に」反論してみなさい。「武蔵」くんが勘違いした投稿をしても、気づかない時点で、このブログの討論のレベルは知れているのです。「いや夫」が安心して、参戦できたのも、相手を見下しているからです。(「上から目線」とか「偉そうに」とかいう批判がくるんだろうなあ。)

 さあ、「武蔵」くんを超える、論理をどうぞ。
(と言っても、反論はできず、どうせ悪口が続くだけ・・・。「お前の母さんでべそ」と捨てゼリフをはくがきんちょと同じレベルの人たちです。)

皆さん、読んでますか? 幼稚園児がジタバタやってます。可哀想ないや夫くん。会長先生にもっと学んでみたら? アホのせいで家族が泣くと叱られます。実践しておられる奥さんが可哀想。自分がバカだけならまだいいのでしょうけど。倫風宏話を引き合いに出す割りには中身を読めていない小学生のよう。奥様によく教えてもらってね。 もう遅いなんて言わないでね。 人生やり直せる(治せるのほうが適切かな)筈です。リハビリ頑張ってね、いや夫くん

私はこのブログを 鉄舟の武士道について現代の学説を引用して述べられている長文さんの投稿から読ませて頂きましたが その後「経済の語源」について色々と議論されているようですね。
私は「武蔵」氏の論考からこのような考えがあるのだということを始めて知り するどい指摘に感心しましたが 「いや夫」さんが色々と反論されています。
知的レベルの高い方々おられるこのブログに投稿することは勇気が要りますが 私なりの考えを述べてみたいと思います。 

鉄舟の「武士道」また「経済の語源」についても 論者は会長の云う結論を問題にするのではなく その結論を導くための前提を問題にしています。ここをしっかり押さえておかないと議論がすれ違い また批判が的外れなものとなってしまうように思います。
ですから 私もここに論点を絞って考えてみます。

「いや夫」さんは再三に渡って「武蔵」氏の論考を批判されていますが 「いや夫」さんは文章は箇条書きにして文章を細切れにされていますので 私のようなものにとってとても論旨を把握するのに苦労します。「いや夫」さんは理系の勉強をされて来た方のようですね。

私が見るところでは 「武蔵」氏の論考に対する「いや夫」さんの批判の根底は
『英語の「economy」という言葉が伝わる以前の江戸時代後期には日本には「経済」とよばれる経済があった』ということですね。
そこから「いや夫」さんの批判が出発し 色々と述べられている「いや夫」さんの批判のすべてがここに収斂しています。
(これは 「いや夫」さんを批判された「匿名」さんの『Aについて・・・「日本には[経済]と呼ばれる経済があった」ここが「いや夫」の誤解の根元。よく考えてみたら』に触発されたものです。)

この点について 私なりに調べてみました。
(wikiの「経世済民」の項 その他をネットで調べたものですが もしネットで調べたものは信憑性がないというのでしたら 逆にそれを否定する根拠を挙げるべきでしょう)

確かに 会長の言われるように「経済」という語は 中国の古典の「経国(世)済民」に由来し 「国(世)を治め 民を救済すること」を意味していたことには 異論がありません。
それが どのように日本に入ってきて どのように発展(変化)を見る必要があります。

この言葉は古くから日本に入って来たと思われますが 近 世以前の日本では「経国(世)済民」が一つの言葉として用いられることはあまりなく 「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多く 近世(江戸時代)になって これらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになったとされています。
その背景 には 「経世論」が流行したことが関わっていて この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「經濟」の語を 書名とした太宰春台『経済録』(18 世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであったとされています。
このような思想が成立した背景にあるのは、幕藩体制の下で進行した領主財政の窮乏 統治機構の形骸化・腐敗 農民の疲弊 商人高利貸資本への富の集中など さまざまな社会矛盾の顕在化であり 経世論は、これらの 問題にいかに対応するかという権力者への献言・献策として執筆・刊行されたとされます。

つまり この経世論は中国の古典が広く「政治」を意味していたように 商人などの一般庶民を対象とするのではなくて 国を治める者つまり為政者のための論だったのです。

しかし江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調 されるようになり 19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは 謬なり」とあるように(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していたと云うことです。

つまり 江戸後期の世間では「貨殖興利」を「経済」と云っていたということです。ですから 江戸後期の商人などの一般庶民は「経済」を貨殖興利として捉えていたのです。現代と同じですね。

「いや夫」さんは「江戸時代後期には日本には「経済」とよばれる経済があった」とされていますが どういう意味でしょうか。もし 江戸後期の商人などの一般庶民が「経済」を「経国(世)済民」と捉えていたとするのでしたら明らかな誤りということになります。

「いや夫」さんは 会長が言っています近江商人の「三方よし」を挙げられていますが これにつきましては「いや夫」さんを批判された「匿名」さんと同じように 私も これは近江商人における一つの思想であってすべての商人に共有されていた訳ではなく またそれは「理想論」であり近江商人であってもそのすべてがそのように実践されたものではないと思います。

以上のことから 「いや夫」さんの言われる『英語の「economy」という言葉が伝わる以前の江戸時代後期には日本には「経済」とよばれる経済があった』というのは 誤解ということになります。
もし「いや夫」さんに反論があるのでしたら 具体的な根拠を挙げて反論して下さい。


その後の展開につきましては wikiの「経世済民」の項を引用します。
幕 末期になり、新たに交流が始まったイギリスなどから古典派経済学の文献が輸入されるようになると、「経済」の語は新たに"economy"の訳語として用いられるようになるが、それにはいくつかの段階がある。まず、1862年(文 久2年)に刊行された堀達之助らの『英和対訳袖珍辞書』では"economy"を「家事する、倹約する」とし、"political economy"(古典派経済学において「経済学」を意味する語)に「経済学」の訳語を与えている(西周によると後者は津田真道の執筆)。ついで日本における最初の西洋経済学入門書として知られる神田孝平訳の『経済小学』(1867年(慶 応3年)刊)では「経済学」を「ポリチャーエコノミー」と読ませており、同年末に刊行された福沢諭吉の『西洋事情 外篇』巻の3でも同様の用法として「経済学」の語が見える(なお前年1866年(慶 応2年)刊の『西洋事情 初篇』巻の1には「経済論」の語がある)。
しかし「経済(学)」がエコノミーもしくはポリティカル・エコノミーの訳語として定着するには若干の問題があり、例えば西周は『百学連環』(1870年(明 治3年)刊)で、エコノミーとポリティカル・エコノミーの区別を重視して前者に「家政」、後者については国家の「活計」を意味するものであり、津田の訳語 「経済学」では活計の意味を尽くしていないとして「制産学」の訳語を与えている。
このように個人(もしくは企業)の家計・会計と国家規模の経済運営を分け て考える立場はしばらく影響力を持ち、前者については「理財」 の訳語が用いられることもあり(1881年刊『哲学字彙』では"economics"の訳語)明治初期の大学・専門学校の学科名としては「理財学」がしばしば用いら れた。
しかし国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括して「経済」とする用法が次第に普及することになり、現在に至っている。
また江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続したため、本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となった。

また、この新しい用法は本来の意味の「經濟」という語を生み出した中国(清)にも翻訳を通じて逆輸 出され、以後東アジア文化圏全域で定着した。(以上 原文を引用)

以上で分かるように 個人・企業レベルでは 江戸後期には「貨殖興利」(国家レベルでは「経国(世)済民」)という語が使われ 幕末・明治初期には「家政」「理財」(国家レベルでは「活計」「制産学」)という語が使われていたようです。 
その後 国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括して「経済」とする用法が普及した ということになりますが
会長の言っていることは  個人・企業レベルの経済に国家レベルの経済の理想を持ち込もうとしているものです。確かに その教えとしては正しいのでしょう。
でも その論拠として国家レベルの「経済」という語の語源である「経国(世)済民」から導くのは論理的ではないと思います。
結論としまして 私は「武蔵」氏の論考に賛同します。

 まともな討論相手が現れて安心しました。
 今までの否定派の反論とは、全く次元が違います。優れた解説です。討論というのは、お互いの言っていることを双方が理解している上で成り立つものなので、やっと、討論に入れることになります。
幼稚園児から高校生までわかるように説明を尽くした甲斐がありました。

 上記の「匿名」さんは、賢い方のようなので、「賢いさん」と呼ばせていただきます。

 「賢い」さんのおっしゃる批判は、これはこれで当然の指摘であり、「武蔵」くんよりハイレベルな論考です。

1 「経世済民」から「経済」への流れを歴史的に説明されています。

2 国家の経済と、民間の経済を分けて考えるべきだとの主張をされています。

3 「economy」の日本語訳について、「経済」以外の候補があったことを具体的に説明されています。

 では、「賢いさん」への反論に移ります。

 まず、紆余曲折があるにせよ、最終的には、江戸時代後期には、少なくとも知識人の間では「経済」という言葉が使われていたということで良いですね。

 そうすると、「賢いさん」の下記の投稿は「偽」です。

(引用開始)
以上のことから 「いや夫」さんの言われる『英語の「economy」という言葉が伝わる以前の江戸時代後期には日本には「経済」とよばれる経済があった』というのは 誤解ということになります。
(引用終了)

 「賢いさん」は、近江商人のような例は特異なケースであって、一般に広く共有されるようなものではないという理由で、上記のように述べられています。

 しかし、それは理由にはなりません。解説します。

 まず、近江商人の話は特異なものと仮定して論考します。

 そうだとしても、
『英語の「economy」という言葉が伝わる以前の江戸時代後期には日本には「経済」とよばれる経済があった』は、「偽」にはなりません。「真」です。

A 日本には(どんな国でも)、文明のうまれたときから「経済」はありました。
B 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていました。
C 「経済」の語源を「経世済民」と、当時の人が意識していたかどうかは、ここでは問いません。意識されていないとしても、「いや夫」の指摘には、影響はありません。

 否定派が「経済」が外国の「economy」を導入したもののように勘違いした批判をしているので、まわりくどい書き方をしただけで、「いや夫」の言っていることは、
「江戸時代後期には、経済という言葉が使われていた」と同じ意味です。これを否定することはできません。

 よって、以下の論考は付け足しにすぎませんが、続けます。


 次に、近江商人の心得が特異なものであるかどうかについてですが、「いや夫」は「倫理」や「道徳心」については、現代社会よりは江戸時代の方がすぐれていたと思っていますので、「特異」とよばれるほうど特異なケースだとは思いません。幼稚園児向けの「基礎3」「基礎7」にて解説したように、信用なくして商売は成り立たないはずです。日本は、世界最古と言われる企業が多数存在しているのも、その好例でしょう。

 また、「経済」の語源を庶民が「経世済民」と知っていたはずがないとの批判についでですが、おそらく知っていたと思いますが、知っていなかったとしても構いません。江戸時代も現代も、「経済」の語源が忘れられているようなので、会長先生が経済も「我も人もの」ものであるべきだと、取り上げたまでです。

 最後に、国家の経済と民間の経済は区別されるべきものであるとの主張については、それも一理あると思います。しかし、民間の経済は、営利を追求するのが普通と考えているから、いろいろな問題が引き起こされているわけで、そのことを憂いて、会長先生がそれではいけないと説いているわけです。

 みなさんと同じ問いかけ(経済は営利追求するもの)は、すでに会長先生になされています。それに対する反論として、話題になっている『倫風宏話』を今一度読み返してみてください。冒頭の部分をまず、引用します。

(引用開始)
今こそ「我も人ものために」 「倫風宏話」 平成21年11月号より
http://58807828.at.webry.info/200910/article_53.html

今こそ「我も人ものため」に

 先の見えない閉塞感が社会を覆っています。不況、倒産、非正規雇用、派遣切り、雇用不安、自殺、消えた年金、天下り、先細る医療と介護、少子化、いじめ、覚醒剤、万引き、振り込め詐欺・・・。社会が壊れかけているようです。先日の総選挙での政権党の地滑り的な敗北も、人々の不満と不安が一挙に爆発した結果でしょう。
 なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。私はその根っこには「利己主義」と「金銭至上主義」という、現代の病根があると思っています。
 今、世界は百年に一度の経済危機の最中にあるといわれます。1929年の世界大恐慌以来の危機だというのです。大恐慌と今の大不況、この二つの世界的な経済危機を招いたのもまた、利己主義と金銭至上主義であると、私は考えています。
 1929年、ニューヨーク株式市場の過熱と大暴落に端を発した大恐慌は、自由奔放な「市場原理主義」の行き着いた結果でした。その反省から、ルーズベェルト大統領はニューディール政策を掲げて、政府が市場に大々的に介入することで、ようやく長い不況から抜け出すことができたのでした。
 そしてまた、昨年来の世界的な金融危機も、元をただせば、アメリカの行き過ぎた市場原理主義がもたらした災いです。そべてを市場の自由に委ねるというこの思想は、そこに倫理観がなければ、容易に利己主義と金銭至上主義の温床となり、やがて人々を暴走に駆り立てます。
 今回の金融危機も、金儲けの欲望に膨れ上がったウォール街が、住宅や自動車から、クレジットカードに至るまで、あらゆるローンを証券化して世界中に売りまくり、信用バブルがはじけたことから始まりました。
 それにもかかわらず、利己主義と金銭至上主義は今も世界に蔓延したままです。人々は「儲けたもの勝ち」の競争に狂奔して、状況をよりいっそう過酷なものにしているように思われます。もし、このまま、弱肉強食の市場原理主義の横行を許すとすれば、経済だけでなく、地球環境も人の心も、破滅の淵に追い詰められてしまうでしょう。
 もちろん、多くの人がこれでいいとは思っていないはずです。しかし、まだ誰も、市場原理に代わる原理原則を見つけることができずにいます。
 日本で市場原理主義がもてはやされ、成果主義やリストラがブームとなり、非正規雇用が急増してきたのは、世紀の変わり目前後からだったように思います。
 その頃から私は、折に触れて「我も人もの仕合わせ」ということを申し上げてまいりました。あらゆる人の営みを「我も人もの仕合わせ」を前提として見直してみよう。どんな問題でも、「我も人もの仕合わせ」を前提として捉え直せば、自然により善い解決に導かれるはずだと考えたからです。
 たとえ市場原理に基づく経済活動であっても、この前提に立つかぎり、勝者と敗者、加害者と被害者という結果にはならないはずだ、と考えたのです。
 そもそも「我も人ものため」は実践倫理の根本精神です。我が会が提唱していることは、すべて「我も人ものため」の上に成り立っているものばかりです。当然、会友の皆様なら、すぐにご納得いただけるはずでした。日々の仕事や営利活動にも生かしていただけると思いました。
 しかも、私たちの社会には「お互いさま」を大切にする伝統があります。「自分だけ」より、「みんな一緒」が好まれるのです。だから、会友であろうとなかろうと、共感していただけると考えたのです。
 ところが最近になって、何度か同じ質問を寄せられるようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、経済だけは別なのではないか。厳しい経済環境の中で生き抜くには、まず、自分の利益、自分たちの企業の利益を優先しなければ生き残れないのではないか、というのです。
(引用終了)

(続く 上記の問いかけに対する会長先生のお話です。)

(引用開始)
 そんなとき、私は「経済」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。なぜなら、ちゃんとした辞書には、「経済」という言葉は「経世(国)済民」という熟語から出たもので、「世(国)を治め、民の生活を安定させること」だという意味のことが書かれているはずだからです。
 「経済」が「世を治め、民の生活を安定させること」だとすれば、「我も人ものため」は少しも経済の邪魔にはなりません。それどころか、「我も人ものため」を前提にしなければ、世を治めることはできないはずです。「我も人ものため」を優先しないで、「自分のため、自分さえ」であれば、一家ですら治まりません。まして、社会を安定させることなどできようはずがないのです。「我も人ものため」を知らない社会は、利己的な金銭至上主義が、際限なく闘争を激化させる、熾烈で混乱した競争社会、国民生活の安定からは、ほど遠い社会といえるでしょう。
 つまり、「我も人ものため」では「経済」が成り立たないのではありません。「我も人ものため」でなければ、「経済」は成り立たないのです。
 なぜ、こんな誤解が生じたのでしょうか。答えは明らかです。多くの方が「経済」とは「金儲け」のことだと誤解しているからです。繰り返しになりますが、「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること」であり、生産活動を調整して、人々の仕合わせな暮らしを実現するシステムと活動なのです。
 それでは、「金儲け」と「我も人もの仕合わせ」は両立できないのでしょうか。これも否です。
 私たちは「我も人ものため」を心掛けて、財を成した多くの人を知っています。また、江戸時代に一代で商いを成功に導いた近江商人たちの経営理念も、「売り手より、買い手よし、世間よし」(売り手と買い手の双方に利益があって、世間のためにもなる)という「三方よし」の心構えでした。
 一方、他者を犠牲にして不当な金儲けをした人、法律を悪用し奸智を巡らして金儲けに走った人、職権を乱用して私服を肥やした人、利益追求をすべてに優先させて社会に迷惑をかけて恥じない企業。そんな事例も私たちは数多く知っています。その悪行がテレビや新聞で暴かれ、糾弾されたから知っているのです。
 先に、利己主義と金銭至上主義が世界中に蔓延していると申しました。自分の儲けのためなら何をしてもいいと思っている人、世の中の価値を金銭の高だけで考える人、すなわち、他を顧みず、「我も我ものため」に金儲けに狂奔する人々。そうした人々を許す社会が、ついには人の道を踏み外す人々を生み出すのです。
 現在の国際社会は、地球規模の市場競争と地球資源争奪戦の場に成り下がろうとしています。このままでよいのかと問えば、誰もが「否」と答えるに違いありません。では、どうしたらよいのでしょうか。
 経済活動もまた、「我も人もの仕合わせ」を目指して行われなければならないのです。
(引用終了)

 以上起承転結も、論理や倫理の筋もしっかりした名文だと思います。批判されるような内容では決してありません。

 さて、改めて上記の会長先生の提言を批判する材料がおありでしょうか?
 会長先生のおっしゃる「結論」については、肯定派も否定派も異議はないものと思います。異議のある方は、どうぞご自由に反論ください。小市民の「いや夫」がことごとく論破してみせます。

 次に、「賢いさん」が指摘した、「結論を導くための前提」についても、批判派が糾弾できるような論理の破綻は存在しません。

・私企業の経済は、国家の経済のように「経世済民」を反映するべきものではない、というような意見に対しては、会長先生が明確に反論しています。

・「economy」の日本語訳など、まったく議論に関係のない、いいがかりです。

・言葉の語源について考えるのは、当然の行いであり、批判されるようなものではありません。そして、今回のケースでは、語源にさかのぼることによって、経済がどうあるべきかが明らかにされており、まさに正しい指摘です。

 「愚息」はもう消えてしまっていいので、「賢いさん」の反論をお待ちします。

 ついでに、会長先生の「経済」に関する『倫風宏話』を補足する資料として、「いや夫」が以前投稿した下記の文章を再掲します。
 「近江商人の心得は理想論で特異なものである」との批判派の反論に対して、
 「日本人が本来もっていたすぐれた経済思想である」とする副島隆彦氏の論考を紹介したものです。
(「大自然の摂理」「倫理」は、本来個々の人間にも備わっています。よって、違う書物にて、同じ様な思想に遭遇することはごく当たり前のことです。会長先生の言っていることと、副島隆彦氏の言っていることは同じことであり、どちらも正しいことです。)

(全体引用開始)

 なお、今回の『倫風宏話』と同じことを
私は副島氏の本でよく読みました。

 現代社会を覆い尽くしている金銭至上主義
は、ユダヤ金融資本家たちの行動原理である
「合理」(ラチオ)です。
 「合理」を根本原理とすれば、今のような
社会になってしまうのは当然です。
私たちを支配しているのは、政治ではなく
経済です。そして、知らぬ間に「合理」に
よって支配されているのです。

 それに対して、副島氏は江戸時代の学者
富永仲基の「誠の道」こそ、これに対抗
しうる思想だと絶賛しています。
(『時代を見通す力』より)

(引用開始)
P114 どうやら、この「誠の道」というのは、
真面目に働いて、よい商品(製品やサービス)
を作って、これに正しい利益を乗せて、人々
にそれを売って、サービスを提供して、世の
中の役に立って、人々に喜んでいただいて、
それで暮らすという商人(町人)の生き方
である。そういう堅実でまっとうな生き方を
しろといった。この富永仲基の思想こそは、
まさしく松下電器産業(現パナソニック)の
創業者松下幸之助氏に受け継がれた優れた
生き方と思想だろう。
(引用終了)

 松下幸之助のような日本的な考え方が、
ユダヤ金融資本家の「合理」に対抗しうる
道だと説いています。
会長先生が書いた近江商人の「三方よし」
と同じ思想です。


投稿 いや夫 | 2009.10.09 07:21 午後
(全体引用終了)

 さらに追伸として、「二宮尊徳」も会長先生と同じ意味の言葉を残しているようですので、紹介します。

http://www.geocities.jp/sybrma/31ninomiyaouyawa.html より


(引用開始)
一七六 翁曰、経済(ケイザイ)に天下の経済あり、一国一藩(パン)の経済あり、一家又同じ、各々異にして、同日の論にあらず、何となれば、博奕(バクエキ)をなすも娼妓(シヤウギ)屋をなすも、一家一身上に取ては、皆経済と思ふなるべし、然れ共政府是を禁じ、猥(ミダリ)に許さゞるは、国家に害(ガイ)あればなり、此の如きは、経済とは云べからず、眼前一己の利益のみを見て、後世の如何を見ず、他の為をも顧(カヘリミ)ざるものなればなり、諸藩にても、駅宿に娼妓を許して、藩中と領中の者、是に戯(タハム)るるを厳禁(ゲンキン)す、是一藩の経済なり、此の如くせざれば、我が大切なる一藩と、領中の風儀を害すればなり、米沢藩にては、年(トシ)少(スコ)し凶なれば、酒造を半に減(ゲン)じ、大に凶なれば、厳禁(ゲンキン)にし、且(かツ)他邦より輸(ユ)入をも許さず、大豆違作なれば、豆腐(タウフ)をも禁(キン)ずと聞けり、是自国の金を、他に出さゞるの策(サク)にして、則一国の経済なり、夫天下の経済は此の如くならずして、公明正大ならずばあるべからず、大学に、国は利を以て利とせず、義を以て利となす、とあり、是をこそ、国家経済の格言と云べけれ、農商一家の経済にも、必此意を忘るゝ事勿れ、世間富有者たるものしらずばあるべからず
(引用終了) 

 批判派で読解可能なのは、「賢いさん」と「武蔵」くんだけだろうね。

 「いや夫」は、真実を知ることが好きですので、自説に有利な論ばかりを選んで並び立てるのはよしとしません。

 一般には、「economy」を「経済」と訳したのが福沢諭吉で、「経世済民」から命名したとされています。

 wikiの「経済」でも、次のように引用されています。

(引用開始)
日本語である経済という語は、はじめpolitical economyの訳語として導入された。この訳語の作者は福澤諭吉であり、世の中を治め、人民を救うことを意味する経世済民(若しくは経国済民)を略したものといわれる
(引用終了)

 しかし、この説には異論もあるようなので、あえて、これを否定する経済の専門家のサイトも紹介します。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=215052

(引用開始)
 「経世済民」という意味ですと、経済学という言葉は、古代中国の時代からあります。ところが新しい意味においての「経済学」という言葉が日本語として定着したのは、福沢諭吉の恩恵であります。福沢諭吉が「経世済民」を説いたというのは間違いです。これほど可哀想な誤解はございません。「経世済民」的な、お上が民に命令するような学問であってはならないのだと、民が自分たちを律するという、そういうモラルに裏付けられた学問、これが「経済学」なのだと、彼は考えたのです。

 これがJ・S・ミルの思想と結びついてアジアに広まったのです。その福沢諭吉の思想に基づく「経済学」という言葉が、日本語の新しい造語として、アジアに定着したということであります。「エコノミー」も「ポリティカル・エコノミー」から「ピュア・エコノミクス」という形で、一応人民の、人々の生活だという方向に流れていったのです。これはいろいろ誤解されておりますので、是非分かっておいていただきたいと思います。
(引用終了)

 この説は、「武蔵」くんや「賢いさん」に有利なものです。(しかし、それでも「経済の語源が経世済民であるのは、間違いがありませんので、会長先生の説は正しいです。)

 なお、上記のサイトには、新たな情報も載っています。

(引用開始)
「エコノミー」という言葉には、「神の摂理」という意味があります。節約とか始末するとか効率的にするとかいう意味は、後に出てきた訳であり、「エコノミー」は「神の摂理」であります。

 神さまがこの世の中を創ってくれた時に、いろいろな法則的なものを創りました。それを発見することである、ということなのです。アジアでは「経世済民」、つまり世の中を立てて民を救うという、こういうものでありました。

 近代の経済学はこれを引っくり返すことから始まりました。神が作った世の中でなく、私たち人間が、とくに市民が作った世の中なのだと。ですから支配者とか権力者が民に命令するのではなく、まして強い国家を造るためではなく、市民生活の豊かさを創り出すものだという意味で、「エコノミー」を、「神の摂理」から「市民の動き方」という方向に解釈し直しました。これは未だ、アダム・スミス段階では無理でした。J・S・ミルから変わったと私は思っております。
(引用終了)

 「economy」についても、語源を考えることは大切ですね(笑)。「神の摂理」は宏正会の言うところの「大自然の摂理」の一部なのでしょう。これは、会長先生に有利なネタになります。

 ともかく、アダム=スミスが名付けたという「神の見えざる手」は、現代社会ではあまりうまく機能していないことは明らかです。それは、弱肉強食=金銭至上主義をすすめる方便として、人間が悪用しているからです。今の経済のあり方が正しいはずはないのです。

 上記の引用先はこちらの方が適切ですね。どうぞ、お読みください。

新しい金融秩序への期待
http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/a4cd84e665142182cc29d1e02e55f42e

 「経済を国家レベルのものと、民間とに分けて考えるべきだ」などという批判派に対して、明確なアンチテーゼになっています。ここで述べられていることは、まさに会長先生の『倫風宏話』に共通しています。

皆さん 「いや夫」のずる賢さを見ましたか。
負けを負けと認めない「いや夫」特有のゴマカシ方を。

自分が負けたと思った時には 相手を一応持ち上げ
それでも自分の言っていることも正しいと屁理屈を付け加える。
そして 論点と関係ないことを延々と述べ 読者を煙にまいて 意識をそらせるやり方。

「いや夫」のような「根っからの詐欺師」が世間にはいますので 気を付けないといけないということです。 

ずる賢い詐欺師は宏正会が大本。
その手先となって擁護している「いや夫」は 詐欺的な手段を使わないと擁護しきれないということ。
哀れな「いや夫」。
まー それが「いや夫」の天性の性分だから 熱心に書き込んでいるのだろう。

「経済」
上廣会長が、「我も人も」は、広辞苑などの辞書が、「経済」の語源としている、「経世済民」とおなじことだから、経済活動において、「我も人も」を実践することは、いっこうに矛盾しないと言われるので、そのまま受け入れればよいと思います。
経済学者の浜矩子氏がグローバル化に対して、盛んにいうところの、「国富論」ではなく「キミ富論」でないと益々国際間格差が広がるということとも同根の論理で、われわれ「宏正会」人には、抵抗なく理解できます。
語源を歴史や国漢(国語漢文←古すぎるか)の問題として議論するのは一向に構わないわけですが、会として倫理を論ずるときは、発言者のコトバの思惑通り、受け入れればそれでよいと思います。

「いや夫」さん 早速のお返しの投稿 ありがとうございます。
色々と書かれていますが 私の投稿への反論は下記のものということですね。

(以下 引用)
『英語の「economy」という言葉が伝わる以前の江戸時代後期には日本には「経済」とよばれる経済があった』は、「偽」にはなりません。「真」です。
A 日本には(どんな国でも)、文明のうまれたときから「経済」はありました。
B 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていました。
C 「経済」の語源を「経世済民」と、当時の人が意識していたかどうかは、ここでは問いません。意識されていないとしても、「いや夫」の指摘には、影響は ありません。
 否定派が「経済」が外国の「economy」を導入したもののように勘違いした批判をしているので、まわりくどい書き方をしただけで、「いや夫」 の言っていることは、「江戸時代後期には、経済という言葉が使われていた」と同じ意味です。これを否定することはできません。
(以上 引用)

私には「いや夫」さんが何のためにこのようなことを言われているのか理解で来ませんが 一応私の意見を述べます。 
A については 異論はありません。
B について 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていたことは事実です。
しかし 前の投稿に述べましたように その「経済」という言葉は 当時の経世論において権力者への献言・献策のためという国家レベルで使われたものです。個人・企業レベルで使われた言葉ではありません。
C について そうですか。

と言うことになりますが 何か意味のあることなのでしょうか。

前の投稿で述べましたように 個人・企業レベルでは 江戸後期には「貨殖興利」(国家レベルでは「経国(世)済民」)という語が使われ 幕末・明治初期には「家政」「理財」(国家レベルでは「活計」「制産学」)という語が使われ その後 国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括して「経済」とする用法が普及し現代に至っています。
このように 当初は別の語を与えられていたのに「経済」という語が 個人・企業レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括してしまったことによって 私たちが混乱を起こして理解しにくい原因になっているのではないでしょうか。
本来でしたら 当初のように国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーにそれぞれ別の語を与えるべきだったのではないでしょうか。
このことが「武蔵」氏の「経済という言葉が悪い」という表現になったのだと思います。

会長は 企業人の質問に答えるという形で 「経済」と言う語の語源を説明しています。
つまり 会長は個人・企業レベルのエコノミーの問題に対して国家レベルのエコノミーの語源であった「経国(世)済民」で説明しています。個人・企業レベルのエコノミーについては たまたま「経国(世)済民」を語源とする「経済」という名前が付いていますが 「経国(世)済民」ということが語源ではありません。
語源でもって説明するということは「○○という語は 本来は・・・という意味だったのだから、・・・することが正しい」と「・・・」を説得するための方法だと思います。
会長がこのような「経済」と言う語の語源を持ち出すのではなく 『経済活動もまた、「我も人もの仕合わせ」を目指して行われなければならない』と説明するのでしたらそれでいいのですけど もし 質問をした企業人が「経済」という語の成立ちを知っている人でしたら「会長は何を言っているのか」とバカにしてしまうのではないでしょうか。

 直前の「匿名」さんの意見が正論です。

 「いや夫」がいろいろ述べているのは、否定派の反論にすべて答える(実際は否定する)という、自己満足の徒労をやっているだけです。どうせ、相手は納得しませんが、論理的に負けるつもりはないので、逐一せっせと反論しています。

(これは、「宏正会」の教えに反する行いですし、「宏正会」を擁護しているわけではありません。アンチ否定派として、否定派と討論しているだけです。)

「宏正会」は「議論を避けよ」をモットーとする賢い組織です。

投稿がかぶってしまいました。先ほどの「直前」とは、その「前の前」のことです。

「・・・そのまま受け入れればよいと思います。」
「・・・われわれ「宏正会」人には、抵抗なく理解できます。」
「・・・会として倫理を論ずるときは、発言者のコトバの思惑通り、受け入れればそれでよいと思います。」

何 これ?

「宏正会」人ではない人はどうするの?
毎日 「宏正会」人ではない人にリンプー頒布しているんじゃないの?

「宏正会」人になると カイチョーが間違ったことを言っても そのまま受け入れなければならないの?

カイチョーの言うことを「そのまま受け入れる」ということを続けていくうちに カイチョーは絶対 カイチョーは神様 というように洗脳されていく訳ね。
宏正会 恐ろしいー 


 


 「賢いさん」への反論に移ります。

「武蔵」くんと「賢いさん」の意見を要約すると、

 「国家の経済」と「個人・企業の経済」は別物である。一口に「経済」と言っても、江戸時代後期の時点では、「経済」は「国家の経済」をさしていたのであって、民間の経済は「経済」とは呼ばれていなかったはずだ。

 ということですね。

 以上の論考がどれほど現実味をおびたものか、「wiki」の記述だけではわかりません。

 福沢諭吉が「economy」を「経済」と訳したとき、「経世済民」から命名したというのが通説ですが、違うという人もいます。違うという人は、「武蔵」くんや「賢いさん」と同じような主張をしているのかもしれません。

 福沢諭吉は経済論には精通していますので、「economy」が「国家の経済」と「民間の経済」を内包したものを意識した上で、この二つを区別することなく「経済」と訳しました。彼は漢学の素養が高いので、「経世済民」(または「経国済民)以外に「経済」の語源があるはずはありません。「経済」が「国家の経済」と「民間の経済」の両方を総括するものであることは、十分意識されていたはずです。

 「国家の経済」と「民間の経済」は、そんなに目くじらたてて区別するものなのでしょうか?これは車の両輪のようなもので、お互いに連動するものです。
「国家の経済」だけでも、「民間の経済」だけでも「経済」は成り立たないはずです。

 「民間の経済」だから、「経世済民」の意識など必要ないというのは、大きな誤りです。今後補足しますが、さきほど紹介した、
「経世済民」由来に反論するサイトにおいても、下記のような記述があります。

(引用開始)
 「経世済民」という意味ですと、経済学という言葉は、古代中国の時代からあります。ところが新しい意味においての「経済学」という言葉が日本語として定着したのは、福沢諭吉の恩恵であります。福沢諭吉が「経世済民」を説いたというのは間違いです。これほど可哀想な誤解はございません。「経世済民」的な、お上が民に命令するような学問であってはならないのだと、民が自分たちを律するという、そういうモラルに裏付けられた学問、これが「経済学」なのだと、彼は考えたのです。

 これがJ・S・ミルの思想と結びついてアジアに広まったのです。その福沢諭吉の思想に基づく「経済学」という言葉が、日本語の新しい造語として、アジアに定着したということであります。「エコノミー」も「ポリティカル・エコノミー」から「ピュア・エコノミクス」という形で、一応人民の、人々の生活だという方向に流れていったのです。これはいろいろ誤解されておりますので、是非分かっておいていただきたいと思います。
(引用終了)

 ここで指摘されていることは、「お上が民に命令するような学問ではあってはならない」との批判であり、「民が自分たちを律するという、そういうモラルに裏付けられた学問、これが「経済学」なのだと、彼は考えたのです。」とあるように、民が自らを律する必要性を考慮しています。

 そしてまた、
(引用開始)
「エコノミー」も「ポリティカル・エコノミー」から「ピュア・エコノミクス」という形で、一応人民の、人々の生活だという方向に流れていったのです。
(引用終了)

 というように、常に「人民の人々の生活を安定させる」という意味合いを含んでいるのです。

 「武蔵」くんも「賢いさん」も、意識して「経国済民」を多用しているようですが、「経世済民」方が語源としてふさわしいと思います。これは国家の経済だけではなく、民間の経済も内包した意味合いをもっていたはずです。
 

「・・そのまま受け入れる」とは、裏の裏をいちいち詮索せず、字義通り受け入れるということ、それはあなたに対しても、会長に対しても、同じです。
「宏正会」人でないひとに、「倫風頒布」はしますが、賛同されるなら、「朝起き会」に来ていただければよし、賛同されないものを、無理やり引っ張って来ようというものではありません。
会長が言った事が、間違っていると思っても無条件で受け入れなさいとは、絶対に言いません。
くどいようで、申し訳ないが、実際出席せず、スレだけ読んでると、そのようにも思えますが、そんな専制君主みたいなことは、絶対にありません。
だから、「宏正会」人としては、なにも引っかかるものがないということです。

 上の投稿の方に賛同します。
 会長先生の『倫風宏話』を読んでおかしいと思う人はどうかしていると思います。常に倫理的な文章で、非の打ち所がありません。批判する人は、最初から批判したいがためにあら探しをしているだけだと思います。

 しょせん、このブログのような論争は、倫理とはかけはなれた不毛な争いです。レベルの低い否定派と争うのは、徳の低い「いや夫」だけで十分であり、実践者の方々は、日々の実践に邁進されればよいと思います。(普及実践の邪魔をしていたら、ごめんなさい。それにしても、「愚息」や「武蔵」くんほどには、迷惑はかけていないと思っています。)

 先に紹介した下記のサイト

新しい金融秩序への期待
http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/a4cd84e665142182cc29d1e02e55f42e

 では、古き良き日本経済が、アメリカの戦略によって破壊された経緯が述べられています。一部「経済論」のいろはについても、述べていますので、今回の「経済論」論争の資料にもなります。

 言っていることは、会長先生と同じことです。昔は互いに支え合う経済(特に優れた金融制度)だったのが、アメリカの仕掛けた罠である「金融自由化」によって変貌を遂げたというような内容です。何で日本がこんな風になったのかが、簡潔にまとめられています。また、今後の日本の進むべき道(アメリカの属国から脱する)を示す、すぐれた論考ですので、読まれてはいかがでしょうか?

 先のブログでは、記事一覧から「日本のゆくえ」の(1)から(6)を読み継げばよいです。順番にたどるのが割と面倒なので、我がブログにも転載しておきました。

引用記事  日本のゆくえ(上)  (「経済」論争の資料として)
http://58807828.at.webry.info/201007/article_2.html

同(下)
http://58807828.at.webry.info/201007/article_3.html

 上記の結論は、

(引用開始)
つまり「結」とか「連」とか、そういう日本的な文化の再発掘ができれば、私たちは生きていけるのではないかなと思います。
(引用終了)

 言葉は違いますが、同じ内容を訴えていると思います。

 改めて「賢いさん」に反論します。

(引用開始)
B について 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていたことは事実です。
しかし 前の投稿に述べましたように その「経済」という言葉は 当時の経世論において権力者への献言・献策のためという国家レベルで使われたものです。個人・企業レベルで使われた言葉ではありません。
(引用終了)

 についてですが、「wiki」では、そのような説明はなされていません。貴殿が引用した部分を「wiki」から引用します。
(あなたは、「経世済民」をわざわざ「経国(世)済民」と打ち替えておいでですね。姑息な性格が出ていますよ。)

(引用開始)
古典的用法としての「経世済民」「経済」 [編集]
近世以前の日本では、「経世済民」(あるいは経国済民)が一つの言葉として用いられることはあまりなく、「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多かったが、近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。その背景には、明末清初の中国で発展した考証学者による「経世致用の学」の影響を受け、日本でも儒学者・蘭学者などによる同種の「経世論」(経世済民論)が流行したことが関わっている。この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

しかし江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた[4]。以上のような用法の変化は、明・清代の中国の俗語において、金銭・財務に関連する(古典的用法と異なる)用法が広まったことの影響とする杉本つとむの見解[5]もある。
(引用終了)

 上記の中で、争点に関する部分のみをピックアップします。

1 近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。

2 日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

3 江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。

です。

要約すると、
1 江戸時代には「経世済民」(あるいは「経済」)という言葉が広くもちいられるようになった。

2 この頃の「経世済民」は、今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

3 江戸後期には「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、今日の用法に近い「経済」が普及していた。

 と解読すべきです。
 江戸時代の後期には、経済は「国家の経済」のことではなく、「民間の経済」のことも「経済」と呼ぶようになったということです。

 3の説明で使われている下記の例も、それを補足するものです。

(引用開始)
19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。
(引用終了)

 これを「武蔵」くんや「賢いさん」は、「貨殖興利を以て経済と云ふは謬(誤り)なり」と字面の通りに解釈されています。
 それは勘違いです。
 事実は、「「今(江戸時代後期)世間(一般)に貨殖興利(お金儲け)を以て経済という」ようになったのです。これに対して、考祺が「(経済の語源は経世済民なのであるから)お金儲けを経済というのは間違いである」と倫理的に批判しているのです。
 上廣会長先生と同じ批判を、江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていたということになります。

 よって、「武蔵」くんや「賢いさん」(どうせ同一人物なのでしょう)がこだわっている、江戸時代後期の「経済」とは「国家の経済」をさしていたという主張は「偽」なのです。

 反論をどうぞ。

訂正

 今気づきましたが、「賢いさん」は以前は、勘違いしていませんでしたね。

(引用開始)
つまり 江戸後期の世間では「貨殖興利」を「経済」と云っていたということです。ですから 江戸後期の商人などの一般庶民は「経済」を貨殖興利として捉えていたのです。現代と同じですね。
(引用終了)

 それが、
(引用開始)
B について 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていたことは事実です。
しかし 前の投稿に述べましたように その「経済」という言葉は 当時の経世論において権力者への献言・献策のためという国家レベルで使われたものです。個人・企業レベルで使われた言葉ではありません。
(引用終了)

 と変節されています。
 貴殿は、正しいことを論じたいのではなく、宏正会を批判したいだけではありませんか?

宏正会の方々ってとても不思議。学者や偉人の理論や教えを指して、「会長先生のおっしゃっていることと同じことを言っている」と言って酔い痴れている。実際は逆なのだが。過去、現在を問わず、著名な方の話を都合よく引き合いに出して「これこそ私の言う倫理だ」と述べていることが多い。「我が意を得たり」という表現も頻出する。他人を利用して自分を権威付けする手法。結果的には先達に迎合しているので、批判はされにくい。それでも信者には「倫理の教えを解りやすくご指導下さっているのよ」ということになるらしい。だったら上廣なんぞ必要なかろうに。そもそも自分が見出だした事象などないのなら仕方のないことか。この際偉人の注釈書の専門家を名乗った方がいい。余計なことをされた諸先生は迷惑するだろうが。

 「倫理」(「大自然の摂理」)は、あるべき正しい道のことなので、誰でも気づけるものなのです。「いや夫」も、「愚息」でもね。

 正司考祺氏、福沢諭吉氏、副島隆彦氏、本山美彦氏、etc、そして会長先生が、時代を超えて同じことを訴えているのは、「倫理」(「大自然の摂理」)は、変わらずそこにあるからです。

 人間が本当に賢く、偉人の書物をみんなが読んで、その通りに実践できるなら、誰もが幸福になり、「実践倫理宏正会」は必要ありません。

 しかし、実際には同じ倫理をたくさんの人々が訴えてきたにも関わらず、人間はまた同じ過ちを繰り返し、不幸になっているのです。「理論」を聞いて、すぐに実践できる人など、ごく少数だからです。

 また、正しいことを言っても、それは違うと揚げ足をとるような人々が続々と現れ、正道・正論が追いやられていきます。

 このような誤りだらけの世の中だからこそ、「倫理」(「大自然の摂理」)を究明し、実践する「宏正会」の存在意義があるのです。

 否定派諸君が「倫理」を実践できるなら、まず、「会長先生」の論考の方が、「武蔵」くんや「賢いさん」の論考よりも優れているということを素直に認めるはずです。

 しかし、それはできない。「いや夫」なんかに負けたくないという邪心が「倫理」を上回っているからです。人間は愚かなのです。
(と、自慢してします「いや夫」も愚か者。)

そう。実践できる人は一般にはいない。ごく僅かな人物を除いては。その偉大な先達を差し置いて、我が会だけがその全てを超越したものだと言い張っている思い上がった凡人が威張っているというのが宏正会の実態である。

匿名 | 2010.07.07 04:12 午前  さんの言われている事は もっとも。よく理解されています。
宏正会は 設立自体が「ひとのみち」「倫理研究所」の教えを持ってきて設立したもの。
それを初代会長が実践の中で産みだしたものとしている。
全くの嘘から出発したのが宏正会。

>過去、現在を問わず、著名な方の話を都合よく引き合いに出して「これこそ私の言う倫理だ」と述べていることが多い。「我が意を得たり」という表現も頻出する。他人を利用して自分を権威付けする手法。結果的には先達に迎合しているので、批判はされにくい。

これが現会長のやり方。

宏正会は「他人のフンドシで相撲をとっている」ということ。 
ドロボーと同じ。

「いや夫」ちゃんは 「論理的に負けるつもりはないので、逐一せっせと反論しています。」と言っているけど 一体どこまで思い上がっているのかなー。

今まで「いや夫」ちゃんが言ってきたこと ぜーんぶ否定されてしまって「廃墟の山」になっていることが分からないのー。
「いや夫」ちゃんのホラに騙されている人は だーれもいませんよー。
「いや夫」ちゃんは ただのビッグ・マウスということは誰もが思っていることだよー。

それでも 自分では論争に勝っているつもりなのかなー。
そうじゃないと こんなにせっせと書かないよねー。
だって 「いや夫」ちゃんは 自分の世界しか見えない 子供だもん。

いつまで 「廃墟の山」を造り続けるのかなー。
この論争の廃墟の山 もうずいぶんと大きくなって来ているよー。 
資源の無駄じゃないのー。もう いい加減にしたら。


 

今回も 「いや夫」さんが私の言っていることに反論されている部分について 私の意見を述べたいと思います。

「いや夫」さんと対話していますと 「いや夫」さんの心が私にも伝わってきて 段々と自分の心がすさんで来るのが感じられます。

それでは「いや夫」さん言っていることに 私の反論を付け加えます。

 >貴殿が引用した部分を「wiki」から引用します。(あなたは、「経世済民」をわざわざ「経国(世)済民」と打ち替えておいでですね。姑息な性格が出ていますよ。)

一般には「経国済民」と「経世済民」は同じように扱われています。会長が「経国(世)済民」というように使っていますので 私もそれに倣っただけのことです。別に他意はありません。もし別に扱わなければ意味が異なるという場面でしたら 私も区別して使うようにします。


「いや夫」さんは 「江戸時代にも経済はあった」としなければ自分の論が成り立たないので 無理にこじつけていますね。

「いや夫」さんは wikiの「経世済民」の項から 争点に関する部分のみを3個ピックアップし 番号の下の>の様に「いや夫」流に要約しています。私見は>>で述べます。
1 近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。
>1 江戸時代には「経世済民」(あるいは「経済」)という言葉が広くもちいられるようになった。

>>「盛んに」をわざと「広く」に変えていますね。「広く」とすると学者以外の一般庶民にも広がっていたと受取られますからね(キタナイですね)。「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられていたのは あくまでも経世論を説いていた学者の間でのことです。


2 日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義 なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするもの であった。

>2 この頃の「経世済民」は、今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

>>ここでも「經世濟民(經濟)の學」を「経世済民」として「學」と言う語をわざとはずしていますね。
「いや夫」さんの立場では 学者以外の一般庶民にも広がっていたとしなければなりませんからね。
「經世濟民(經濟)の學」はあくまでも 権力者への献言・献策のための論です。

3 江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調され るようになり、19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているもの の)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。
>3 江戸後期には「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、今日の用法に近い「経済」が普及して いた。

>>経世論はあくまでも国家レベルの問題に対して権力者への献言・献策のための論です。ですから当然 この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものでした。民間レベルでのいわゆる経済(経済学)もその範囲の中に入っています。国の政策においても民間のことも知らないと政策に反映出来ませんからね。
そして 『江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調され るようになり』というのは 「經世濟民(經濟)の學」の民間レベルでのいわゆる経済(経済学)が学者の間でも一般庶民の間でも盛んになったということでしょう。

「いや夫」さんは この様に自分流に解釈して 次のような結論に無理やり持っていっていますね。

>江戸時代の後期には、経済は「国家の経済」のことではなく、「民間の経済」のことも「経済」と呼ぶようになったということです。

>>どうして このような結論になるのですか。一般庶民(世間では)「貨殖興利」としていたのではないですか。

また「いや夫」さんは 次のように補足していますね。

>3の説明で使われている下記の例も、それを補足するものです。
(引用開始)19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法 に近い「經濟」が普及していた。(引用終了)
 これを「武蔵」くんや「賢いさん」は、「貨殖興利を以て経済と云ふは謬(誤り)なり」と字面の通りに解釈されています。それは勘違いです。 事実は、「「今(江戸時代後期)世間(一般)に貨殖興利(お金儲け)を以て経済という」ようになったのです。これに対して、考祺が「(経済の語源は経世 済民なのであるから)お金儲けを経済というのは間違いである」と倫理的に批判しているのです。 上廣会長先生と同じ批判を、江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていたということになります。

>>「今(江戸時代後期)世間(一般)に貨殖興利(お金儲け)を以て経済という」ようになった としていますが 一般庶民は「経済」という語で呼んでいません。
wikiの「経世済民」の項の最後のほうでは 『江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続した』とあります。

確かに考祺にとってこのような世間の風潮は苦々しく感じられた人だったのでしょう。
「上廣会長先生と同じ批判を、江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていた」としていますが
考祺なる人物が上廣会長先生よりもずっと先に生きていた人ですから
「江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていた批判を 現在同じように上廣会長先生が行なっている」ということになります(もっともこのような考えをしている人は上廣会長先生以外にもたくさんいますが)。

    ↑
なるほど、あなたはほんとに頭のよい方ですね。
さりげなく、しかし鋭い結論に帰納されます。

  

 「賢いさん」へ。「いや夫」は「賢いさん」は「武蔵」くんだと95%思っています。「武蔵」くんには、さんざん馬鹿にされたので、いやみな書き方になります。
後述の理由により、あなたを「ずる賢いさん」だと思っております。

 逐一反論します。

(引用開始)
会長が「経国(世)済民」というように使っていますので 私もそれに倣っただけのことです。
(引用終了)

 違います!!!!!
 会長先生は「経世(国)済民」としか表記していません。
 ところが、あなたは、自分の論が有利になるように、wikiを引用するときに、下記の部分を打ち直しているのです。

 (「経世済民」とwikiで検索したのに、どうして「経国済民」と、わざわざ打ち直すのですか?コピペだけしておればいいものを・・・。)

 あなたが、wikiの文を打ち直した部分を《  》で、示します。

(引用開始)
この点について 私なりに調べてみました。
(wikiの「経世済民」の項 その他をネットで調べたものですが もしネットで調べたものは信憑性がないというのでしたら 逆にそれを否定する根拠を挙げるべきでしょう)

確かに 会長の言われるように「経済」という語は 中国の古典の《「経国(世)済民」》(wikiは「経世(国)済民」)に由来し 「《国(世)》(wikiは世(国))を治め 民を救済すること」を意味していたことには 異論がありません。
それが どのように日本に入ってきて どのように発展(変化)を見る必要があります。

この言葉は古くから日本に入って来たと思われますが 近 世以前の日本では《「経国(世)済民」》(wikiは「経世済民」(あるいは経国済民)が一つの言葉として用いられることはあまりなく 「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多く 近世(江戸時代)になって これらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになったとされています。

(引用終了)

 以上、全く言い訳できないと思うのですが、あなたは言い訳をする人物なのでしょう。思った通り(あなた=???)です。

さて、

 江戸時代後期には、現代と同じ意味(「国家の経済」だけをさすのではなく、「民間の経済」もふくめて)で「経済」の語が用いられるようになった。
 というのが、wikiを読んだ「いや夫」の解釈です。それが普通だと思います。

 あなたの説、
(引用開始)
>>「今(江戸時代後期)世間(一般)に貨殖興利(お金儲け)を以て経済という」ようになった としていますが 一般庶民は「経済」という語で呼んでいません。
wikiの「経世済民」の項の最後のほうでは 『江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続した』とあります。
(引用終了)

 については、そうなのでしょうかねえ?

 江戸時代は町人・職人など商業に関わっていた人口はかなり多く、識字率も高かったはずです。彼らが、自身の商売に関わる「経済学」も知らず、「経済」という言葉も知らず、「経済の語源が経世済民だと知らなかった」はずはないと思うのですが・・・。

 あなたの言うように、
「(お金儲けを)一般庶民は「経済」という語で呼んでいません。」とは断言できないと思いますよ。断言したいなら、それを証明する資料を探してみてください。

 「いや夫」も、wiki以外に、一般庶民が貨殖興利を「経済」と呼んでいた例を探そうと思います。

 いずれにしても、この討論は一見次元が高そうですが、全然そんなことはありません。

 「経済」の語源は「経世済民」である。これは、国の経済にだけあてはまる言葉ではなく、民間の経済でも心がけるべきである。

 という至極当然の結論について、その前提をどうのこうのと言い争っているだけです。そして、いちゃもんをつけているのは、否定派の君たちです。

 江戸時代の後期に、今と同じ意味で経済が使われていたかどうかは、宿題として、その後、明治期には、「経済」が一般的になったのは自明ですよね。世間が「economy」とは「経済」のことだと判断したということです。その具体例を下記のサイトから引用します。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi?ppid=nipponianippon&mode=comment&art_no=937193
より

(引用開始)
1877(明治10)年,東京開成学校は,東京医学校と合併して,東京大学と改称された。
1878(明治11)年には、アメリカから弱冠25歳のフェノロサがお雇い外国人教師として東大に招かれた。フェノロサは政治学・理財学・哲学を担当した。1978年の東京大学発足当時は、経済学ではなく、理財学という科目名であった。

 井上哲次郎の談話がある。(石井研堂「明治事物起源」第七学術 による)
「経済学」といふ言葉も、経済雑誌など〉、世間では既に使つてゐましたが、大 学では、経済は余り広過ぎる、政治学も何も入つてゐるやうなものだから、「 リティカル・エコノミー」の訳としてはいかぬといふて、私は、之を理財学と訳 し、大学でも、初め「理財学」としてあり、慶応大学は、今日尚之を用ひて居り ます。理財は、支那の昔の言葉によつて定めたのでした。だが、世間では依然と して経済と言ふてるので、たう/\それに負けて、帝大の方も、経済学になつて しまひました。
井上哲治郎(いのうえ てつじろう、 1856(安政2)~ 1944(昭和19)年明治時代に活躍した日本の哲学者・東京帝国大学教授

 井上哲治郎によると、慶応大学はエコノミクスの翻訳として「理財学」を用いたのに、東京大学は「経済学」を採用し、一般の語としては「経済学」が流通するようになったと述べている。
 エコノミイを「経済」と訳した福澤諭吉の慶応大学では、エコノミクスに「理財学」をあてて使い、東京大学では初期の「理財学」から一般社会に流通するようになっていた「経済学」へと科目名を変えていたことがわかる。
(引用終了)

 「民間の経済」と「国家の経済」は分けるべきだという君の考え方は負けたのです。経済には、「国家の経済」もあり、「民間の経済」もある。そして、そのどちらもが経済なのであり、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」ためにあるべきものなのです。


 ちなみに、「economy」自体にも、同様の語源があります。だから、どちらの言葉の語源をさかのぼってもらっても、会長先生(他、正司考祺ら多数の良識的な人々)が言っていることが正しいのです。

 いいかげん、あきらめたら。本当に自分の言っていることが正しいと思っているのですか?

http://www.be-styles.jp/archives/2541

より
(引用開始)
"経済(economy)"の語源

経済・経済学という語は、ギリシャ語のオイコノミア(Oikonomia)、オイコノミクス(Oeconomicus)からきている。これは、オイコス(家)とノモス(法またはルール)を組み合わせた語で、家計を管理する方法、ひいては「共同体の在り方」を示すという。

『経済ってそういうことだったのか会議』

エコノミクスって、ギリシャ語の『オイコノミクス』からきているんです。オイコノミクスとはどういう意味かといいますと、共同体のあり方、という意味なんです。経済学は、利己的な利益の追求を理論づけるだけの学問だと思っていた僕は、その言葉に少なからぬ感動さえ覚えてしまった。我々が、個人としてだけでなく、みんなでどのように生きたら皆で幸せになる事が出来るか?それを発端とする学問がオイコノミクス、つまり経済学の始まりだったのです。株も税も、世の中全体がうまくいく為に我々の祖先が考え出したことなのです。

個人のルールではなく、家・社会のあり方やルール、それが経済であり、それを研究するのが経済学ということらしい。ギリシャ語のキリスト教関係文献では、神が治める家のルール「摂理」としてもこの語句が使われる。父が稼いだ食べ物を子供たちに分け与えるように、神が民草に恵みを垂れたもう配分の計画というわけか。A・スミスの「神の見えざる手」という言葉もこれを踏まえているのかもしれない。
(引用終了)

追伸
 引用されている本『経済ってそういうことだったのか会議』を書いたのが、日本の良き共同体を破壊した張本人竹中平蔵だというのは皮肉ですが・・・。

 これも、理念(理論)より実践の一例ですな。

追伸
 こちらへの返答はされないのですか?
あなたが触れたくない部分なのでしょうねえ。
「嘘」をごまかすと、どんどん苦しくなりますよ。

(全体引用開始)

 今気づきましたが、「賢いさん」は以前は、勘違いしていませんでしたね。

(引用開始)
つまり 江戸後期の世間では「貨殖興利」を「経済」と云っていたということです。ですから 江戸後期の商人などの一般庶民は「経済」を貨殖興利として捉えていたのです。現代と同じですね。
(引用終了)

 それが、
(引用開始)
B について 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていたことは事実です。
しかし 前の投稿に述べましたように その「経済」という言葉は 当時の経世論において権力者への献言・献策のためという国家レベルで使われたものです。個人・企業レベルで使われた言葉ではありません。
(引用終了)

 と変節されています。
 貴殿は、正しいことを論じたいのではなく、宏正会を批判したいだけではありませんか?

(全体引用終了)

「いや夫」さんは ご丁寧にも色々と言っておられるようですね。ご苦労様です。
前回にも言いましたように 「いや夫」さんの書かれたものを読んでいく内に 私の中でどうしようにもないほどに怒りの感情がムクムクと盛り上がって来ます。
「いや夫」さん独特の「人を挑発し 人を小バカにした口調」で書かれれば どんな人だってこのような感情になって来るのではないでしょうか。

「いや夫」さんがどのような人なのかを このブログを遡って見てみました。
大量に投稿されていますので ザーと目を通しただけですけど「いや夫」さんが どのような意図で投稿しているのか その性格は 論理の運び方はと私なりに勉強させて頂きました。
「いや夫」さんは「武蔵」氏だけではなく皆にバカにされていますね。それは「いや夫」さんの語り口が原因なのではないでしょうか。「バカ」と言われたら「バカ」と返すのが人間ですから。
「いや夫」さんは 真実を求めるのではなくて とにかく宏正会を擁護する立場のようですね。
そのためには手段を選ばない。相手の戦意を喪失させるために相手のスキを探し出していたぶる。言葉尻を捕らえて揚足をとる。言質をとる。証拠の捏造だって何だってする。そういう人ですね。「いや夫」さんは。
それなら それなりに私も覚悟する必要があります。
私が見る限り 皆さんが言っておられるように 「いや夫」さんは大量に書き込んいますが そのすべてが否定されいるようです。「宏正会の成り立ち」「認知的不協和理論」「宏正会の宗教性」・・・「いや夫」さんが反論していることは 否定派の人によってすべて崩されています。
こんなにもボロボロになりながら「いや夫」さんはどうして投稿を続けているのでしょうか。
奥さんの頒布に支障になるからですか? 競馬をするのと同じようにゲームを楽しんでいるのですか?

「いや夫」さんは それなりに知性がある方のようですので 「いや夫」さんに反論するためには その一つひとつを潰して行く方法しかないようですね。
「いや夫」さんの言っていることをシラミ潰しのように一つひとつ潰して行って「いや夫」さんがもう行き場がないように追い詰める方法です。
「いや夫」さんは 罪を逃れるために言い訳をして絶対に罪を認めない容疑者みたいなような人ですから 取調室で検察官が容疑者の言っていることを一つひとつ潰して行って追い詰め 最後には根を上げて罪を認めさせる(自白させる)やり方です。 


それでは 「いや夫」さんが言われている事について 順に私の意見を述べます。

> 「上廣会長先生と同じ批判を、江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていた」としていますが考祺なる人物が上廣会長先生よりもずっと先に生きていた人ですから「江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていた批判を 現在同じように上廣会長先生が行なっている」ということになります(もっともこのような考えをし ている人は上廣会長先生以外にもたくさんいますが)。 

と私が述べた部分ですですけど 前回私が投稿する前に他の「匿名」さんが『・・・過去、現在を問わず、著名な方の話を都合よく引き合いに出して「これこそ私の言う倫理だ」と述べていることが多い・・・』と述べられたことに示唆をうけ 会長のこの部分も同じだと思って付け加えました。


私が「経国(世)済民」としている事への「いや夫」さんの反論
>違います!!!!! 会長先生は「経世(国)済民」としか表記していません。 ところが、あなたは、自分の論が有利になるように、wikiを引用するときに、下記の部分を打ち直しているのです。
> 以上、全く言い訳できないと思うのですが、あなたは言い訳をする人物なのでしょう。思った通り(あなた=???)です。

>>しょうもないことに揚足を取っていますね。こんな事に揚足をとって嬉しいのですか?
前回にも述べましたように 私は「経世済民」であろうが「経国済民」であろうが どちらも同じだと思っています。「国を治める」も「世を治める」もどちらも同じで 国家レベルの問題です。
「いや夫」さんは「経世済民」だと「民間の経済」も含まれて 「経国済民」だと「民間の経済」は含まれないとするのですか? 私にはとっぴな解釈としか考えられません。 


「いや夫」さんの下記の言葉について
>江戸時代後期には、現代と同じ意味(「国家の経済」だけをさすのではなく、「民間の経済」もふくめて)で「経済」の語が用いられるようになった。 というのが、wikiを読んだ「いや夫」の解釈です。それが普通だと思います。

>>今まで述べたように私はそのように思っていません。


「いや夫」さんの下記の言葉について
>江戸時代は町人・職人など商業に関わっていた人口はかなり多く、識字率も高かったはずです。彼らが、自身の商売に関わる「経済学」も知らず、「経 済」という言葉も知らず、「経済の語源が経世済民だと知らなかった」はずはないと思うのですが・・・。
あなたの言うように、「(お金儲けを)一般庶民は「経済」という語で呼んでいません。」とは断言できないと思いますよ。断言したいなら、それを証明する資料を探してみてくださ い。「いや夫」も、wiki以外に、一般庶民が貨殖興利を「経済」と呼んでいた例を探そうと思います。

>>そもそも「いや夫」さんは 江戸時代後期の庶民のどの位の人が「経済」という言葉を使っていたら この言葉が使われていたとするのですか? 少数の庶民のインテリがその言葉を使っていればそれで使われていたとするのですか?
私は庶民一般に広く普及し誰もがその意味が通じる言葉ではなければ 使われていたとは言えないとします。
江戸時代後期の一般の庶民は「貨殖興利」の言葉も知らずに 私は言葉は知りませんが「商いの方法」といったような言葉で 現在の「経済」と言う語と同じような使い方をしていたのではないでしょうか。


「いや夫」さんの下記の言葉について
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi?ppid=nipponianippon&mode=comment&art_no=937193
「民間の経済」と「国家の経済」は分けるべきだという君の考え方は負けたのです。経済には、「国家の経済」もあり、「民間の経済」もある。そして、 そのどちらもが経済なのであり、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」ためにあるべきものなのです。

>>引用されたサイトの言っている事から どうして このようになるのですか?
勝手に決め付けてはいけませんよ。
現在の「経済」という語には 「国家の経済」も「民間の経済」も含まれていますが 「経世(国)済民」という語源は「国家の経済」に対するものです。ですから「民間の経済」を「経世(国)済民」という語源でもって説明するのは論理的ではありません。
もういい加減に分かってもらえないでしょうか。私は何度もこんな説明をしなければならないのが 馬鹿馬鹿しく思っています。


「いや夫」さんの下記について
http://www.be-styles.jp/archives/2541   『経済ってそういうことだったのか会議』

>>これは "経済(economy)"の語源の説明であって  「民間の経済」を「経世(国)済民」という語源でもって説明することについて 直接には関係ありません。


「いや夫」さんの追伸について

またしょうもない揚足を取っています。「いや夫」さんの根性は 姑や小姑のようにイヤラシイですよ。
私が 『つまり 江戸後期の世間では「貨殖興利」を「経済」と云っていたということです。ですから 江戸後期の商人などの一般庶民は「経済」を貨殖興利として捉え ていたのです。現代と同じですね。』と述べているころの「経済」という語の前に「現在で云うところの」という言葉を付け加えて下さい。

こんな事は私の論旨から分かることじゃないですか。
こんな小賢しい揚足を取ったりしないで 堂々と本論で勝負してはいかがですか。

ますます深みにはまってますな。どんどん読みにくくなってます。批判者に対していちいち反論しない方がよいのでは?もう放っておいても良いような気がしますが。実践倫理の本旨と関係ない話は終わりにしたらどうですか。批判派、擁護派共に主旨を逸脱したところで喧嘩している状態です。

 直前の方の投稿が正解です。主旨を逸脱したところで喧嘩をしている。まさにその通りですね。

 実践者の方は、読む必要もありませんし、暇もありませんね。

 お暇な方のみ、流し読みしましょう。

 競馬研究の必要もなくなったので、「賢いさん?」におつきあいします。

 「経世済民」も「経国済民」も、もともとは政治的な意味合いが強かったというのは、その通りです。しかし、「経世済民」の方は、対象が「世」ですから、これは国に限らず民間をすべて包括しています。それに対して「経国済民」の方は、対象が国ですから、為政者の政策がより強調されます。
 あなたは、経済の語源は、本来「国家の経済」のあり方をさしたものであり、「民間の経済」のことではないという主張をしようとしました。
 そのためには、語源は「経世済民」よりも「経国済民」の方がよいわけです。そして、意図的にwikiで「経世済民」とあったところを、「わざわざ!」「経国済民」と打ち替えているのです。
(おそらく、全文をコピペしてから、その言葉だけを打ち替えたのでしょう。十分姑息だと思いますよ。)

 「economy」の語源の話が、理解できませんでしたか?それとも、理解できないふりですか?

 今、争点になっているのは、経済の語源である「経世済民」を、「民間の経済」にまであてはめるのは論理的かどうか、ということだと思います。

 そのネタとして、君たち否定派は、「economy」の訳し方が間違えだったのだなどというすっとんきょうな意見を持ち出しています。

(関係ないんだってば。日本の話なんだから。日本には江戸時代に「経済」はすでにあったんだよ。)

 すっとんきょうだということを自覚していないので、「economy」の語源についても、「共同体のあり方」ですよ、と教えたまでです。自分さえよければいいのではなくて、共同体のみんなが仕合わせになるようにするのが「economy」の意味なのです。「経世済民」と同じです。

 だから、日本の「経済」についても、外国の「economy」についても、「世のため人のため」という考え方が常に内包されているのですよ。

 倫理力のある人はしっくり理解できます。揚げてもいない揚げ足を取ろうとする君たちには理解できないのでしょうが・・・。

 「変節」に説明は、納得いかんなあ~。
 以前は、
「江戸後期の世間では「貨殖興利」を「経済」と云っていたということです。」とその言葉の通りの考えだったんでしょ?「貨殖興利」のことだから、「経世済民」なんか関係ないんだ、という主張だったと思います。

 ところが、実はどちらにしろ「民間の経済」を「経済」と呼んでいたことを認めたら負けとはっきりしたから、変節したのだというのが、「いや夫」の予想です。

 まあ、いいです。どちらにしても、「経済」の語源は「経世済民」なんだし。
(君の主張は全て理解した上で、馬鹿馬鹿しいいちゃもんだと思っていますので。)

 ちなみに、「いや夫」の言っていることにいちゃもんをつけるお馬鹿さんはたくさん(実は少数だけどね)いることは知っていますが、論理的に論破できた人はいないと思います。君らはおめでたい人たちだ。 

 「賢いさん?」はつい最近(山岡鉄舟の話を批判した「別の」匿名さんが現れた頃)このブログを読み始めたそうだ。

 では、「いや夫」がなぜこんなに批判派を馬鹿にするのか説明しましょう。

 当ブログは元々純真な一会友さんが「実践倫理宏正会」について知ってもらうために始めたブログである。
 批判派は当初から成りすましによる攻撃を加えていた。代表的な例が「嵐」=「さとえ」の偽投稿だ。(ちなみに、この「嵐」=「高塚地蔵尊」=「鉄槌」=「愚息」だろう。)
(参照記事)
http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html

 それでも、当時は実践者の投稿が多く、意義のある情報交換が行われており、肯定派が優勢であった。

 ところが、2009年2月に「高塚地蔵尊」他ちゃねらーが一斉攻撃を開始し、実践者を罵倒するようになった。実践者は誠実な話し合いを心がけたが、批判派は口ぎたなく罵り続けた。そして、実践者はこのブログに投稿できなくなっていったのである。

 その後、「太陽神」「レイモンド」「武蔵」「田中丸」などが宏正会に対する批判記事を書き連ねるようになった。

 そのような状況で、「いや夫」が討論に加わったのである。「いや夫」はたった一人で敵陣に切り込んだようなものである。討論というより「闘論」である。実践者のように、穏和な話し方などできるはずはない。討論相手は、「武蔵」くんだったが、「いや夫」以上にいやみな奴だった。理論的に語りながら、実践者を蔑み馬鹿にする最低な奴だった。「いや夫」をいやみ全開で、討論することになった。

 ちなみに、上記の否定派のうち、「いや夫」が直接討論したのは、「武蔵」くんだけである。しかし、「いや夫」はそうだとは思っていない。ぜ~んぶ同じ人物だと当初から見抜いて参戦した。
 
 そして、今も戦っている。だいたい、それぞれ、さんざんこのブログで投稿を続けて、何でばったり消えるのか?一時消えたとしても、自分の投稿がどんな評価を受けているのか気になってのぞきにくるのが普通だろう。「山岡鉄くん」や「賢いさん?」もどうせ同じ人物だろうと思っている。

 さらには、元のニックネームを使わず、「匿名」としている時点で、負けを認めているようなものだ。

 なお、「武蔵」くんの正体は「否会友」であるというのが、「いや夫」の推論である。

 「賢いさん?」へ、

(引用開始)
「いや夫」さんの根性は 姑や小姑のようにイヤラシイですよ。
(引用終了)

 というのは、あなたから見た見方です。姑や小姑から見ると、何とひどい嫁をもらってしまったんだろうと思っていることでしょう(笑)。



 

訂正

 「レイモンド」さんは実践者です。大変な失礼をしました。

 「シリウス」の打ち間違いでした。
 とんでもない間違いをしてしまい申し訳ございません。

ま、論争はどうでもいいですが、印象的総体的採点で、「引き分けぇ~」。
「我も人も」とか「世のため人のため」という思想は汎用的なもので、「我も人もの、経済学」、「我も人もの、金儲け」、「我も人もの、江戸時代」、「我も人もの、平成時代」、「我も人もの、朝起き会」、「我も人もの、民主党」、と上廣理論専用でもなく、こと新しいものでもありません。
要は、その思想を「実践するかどうか」という、ただ一点をとりあげて、会の名前にも、『実践』を冠して修養、努力しているだけでありまして、どちらが賛成派でどちらが否定派かに、あまり関心がありません。
論争するのも自由ですが、『実践』するのも自由ですので、人のやっていることに、あまりいろいろ言わないでほしいものです。

 上記の方のおっしゃる通りです。
 「実践倫理宏正会って何?」というブログではありますが、さかんに投稿しているのは、「名ばかり会友」というのも恥ずかしい、全くの部外者「いや夫」と、会を批判することが目的の否定派です。会の本質とは、まったく関係のないくだらない討論です。

 理論より実践。当然のことですね。自制も含めて、また、この格言を引用します。

 「有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする」(バーナード・ショー)

 この永遠に続くかと思われた不毛な「経済」論争を終わりにする資料がみつかりましたので紹介します。

 ネットで「経世済民」と検索しても、どいつもこいつもwikiからの引用ばかりなのです。昔レイモンド氏がwikiで論文を書く学生をばかにして「おこちゃま論文」と揶揄していました。
 同じ資料をネタにして、「おこちゃまいや夫」と「おこちゃま賢いさん?」の下らない論争が続いていたわけです。
(「いや夫」の読み方があっていると思っているので、負ける気は全然しませんでしたが・・・。そして、やはり、その読み方が正しいと後述の論文が証明してくれています。)

 このうすっぺらなwikiの解説を超え、今回の論争にまったくぴったりの学術的な講義録を発見しました。

 大東文化大学教授馬場宏二教授の退官記念講演
「経済という言葉 -意味・語源・歴史-」です。
http://ci.nii.ac.jp/els/110004722530.pdf?id=ART0007466244&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1278598301&cp=


 最も関連する部分を引用します。

(引用開始)
 8.江戸時代後期、18世紀初頭以降「経済」の文字が多用されるようになりました。その大筋は岩波の『日本思想大系』で掴めます。先に結論を言っておくと、それは経世済民から始まり、その含意で使われながら、しだいにモノカネ経済の比重を高めて行く。それでも最後まで権力者の経済、財政や経済政策の意味が吹っ切れない。むろん使っているうちに民間経済の比重がますます高まるのですが、最後まで第一義的に民間経済とはならなかった。そこを吹っ切ったのが、ギリギリ幕末の慶応年間に現れた英書の経済学の邦訳で、神田孝平の『経済小学』と福沢諭吉の『西洋事情』外編でした。
 (中略)
 日本における「経済」の語義は、18世紀初頭から19世紀初頭にかけて、決定的に今日の意味の方向へ変わりつつあったのです。後に見るヨーロッパでの語義変化を比べてもさほど遅くはなかった。
(引用終了)

「賢いさん?」は、
(引用開始)
>>そもそも「いや夫」さんは 江戸時代後期の庶民のどの位の人が「経済」という言葉を使っていたら この言葉が使われていたとするのですか? 少数の庶民のインテリがその言葉を使っていればそれで使われていたとするのですか?
私は庶民一般に広く普及し誰もがその意味が通じる言葉ではなければ 使われていたとは言えないとします。
江戸時代後期の一般の庶民は「貨殖興利」の言葉も知らずに 私は言葉は知りませんが「商いの方法」といったような言葉で 現在の「経済」と言う語と同じような使い方をしていたのではないでしょうか。
(引用終了)

 提言されておいでです。
 少なくとも「経世済民」の意味の「経済」は庶民には知れ渡っていたと思います。「世を治め 民を救う」という言葉ですから、庶民にとっては好都合なものです。自然に口コミで広がりますよ。

 そして、19世紀には、この「経済」が「民間の経済」(自分たちの日々の行い)も含むものなのだと解釈の広がりがみられたのは確かです。

 「賢いさん?」が言うように、「国家の経済」が第一義的な意味として残ったのは事実ですが、「民間の経済」を意味する比重がどんどん高まったのです。

だから、
(引用開始)
19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。
(引用終了)

 は「真」です。

 以上、「経済」の論争は(いつもと同じように)「いや夫」の勝利で終了しました。

 もう飽きたので、次のネタに移りましょう。

自分の愚かさに全く気付いていない 自称「勝者」。さぁ、次ってまだやるつもり?もういっそのことこの人は無視して、ちゃんとした宏正会論議をした方がいい。いちいち反応すると嬉しがってゴミを撒き散らすだけだ。幸い、いや夫くん自身は実践者でもなく、宏正会にもさして興味はないようなので、どうしても趣味で暴れたければ、他へ行ってやってくれるだろう。 新たに荒らされるところは迷惑千万だろうが、そんなこと、いや夫くんはお構いなし。さりとて現在不快に感じ、迷惑しているところに永久に受忍を強いるのも理が通るまい。荒らしに対する強制執行が不可能な以上、取り敢えず相手にしないのが一番だ。 きっといや夫くんは「負けを認めるわけね。はい、次」といった内容の書き込みをするだろう。 他人の文章をその都度見つけてきて、「この人がこう言っている。だから私は正しい、○ よって私の勝ち。おしまい。」 を繰り返しているだけ。文献を注意深く検証し、自分で理論構成をしていた以前の投稿者とは大違いだ。幾らでも後付けをしなければならなくなる。やはり、相手にするのは無駄だ。

負けを認めるわけね。はい、次。

 「賢いさん」は少なくとも、「いや夫」の論を問題点を一つ一つ挙げながら反論している。当然のやり方だ。

 しかし、批判派の理論派は、現在「賢いさん?」一人だけ。いつも、「いや夫」に対抗しようとする理論派は一人で、その他のギャラリーは、内容に踏み込まずに、「いや夫」を中傷するばかり。いわゆる応援団役を決め込む。まるで「ショッカー」だ。上記の「匿名」などが書いているのは、「いや夫」には、「イィー」としか読めない。今回は、「賢いさんはイィー」だ。

 応援だけしてないで、参戦しなさい。内容でね。

 レベル的には、幼稚園児向けの解説があっているだろう。幼稚園児向けの説明位、論破してみなさい。それさえできない奴に、人の悪口をいう資格はない。

 批判派には、「太陽神」「シリウス」「武蔵」「田中丸(笑)」「(山岡鉄舟)の匿名」「賢いさん?」「否会友」など論客揃い(のはず)だ。一度に「いや夫」と討論すれば、話が早いはずだ。なぜ、できないのか?きっと頭がこんがらがるからなのだろう。毎回着ぐるみを着替えてくるだけのお馬鹿さんだ。

 「経済」の語源がよりすっきりしたところで、会長先生の講話を再び読んでみましょう。

(引用開始)
 そんなとき、私は「経済」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。なぜなら、ちゃんとした辞書には、「経済」という言葉は「経世(国)済民」という熟語から出たもので、「世(国)を治め、民の生活を安定させること」だという意味のことが書かれているはずだからです。
 「経済」が「世を治め、民の生活を安定させること」だとすれば、「我も人ものため」は少しも経済の邪魔にはなりません。それどころか、「我も人ものため」を前提にしなければ、世を治めることはできないはずです。「我も人ものため」を優先しないで、「自分のため、自分さえ」であれば、一家ですら治まりません。まして、社会を安定させることなどできようはずがないのです。「我も人ものため」を知らない社会は、利己的な金銭至上主義が、際限なく闘争を激化させる、熾烈で混乱した競争社会、国民生活の安定からは、ほど遠い社会といえるでしょう。
 つまり、「我も人ものため」では「経済」が成り立たないのではありません。「我も人ものため」でなければ、「経済」は成り立たないのです。
 なぜ、こんな誤解が生じたのでしょうか。答えは明らかです。多くの方が「経済」とは「金儲け」のことだと誤解しているからです。繰り返しになりますが、「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること」であり、生産活動を調整して、人々の仕合わせな暮らしを実現するシステムと活動なのです。
(引用終了)

 実にすんなり受け入れられる説明です。これが「倫理」「大自然の摂理」だからです。

 金銭至上主義の現代で、厳しい競争にさらされている私企業でも、「我も人ものため」を社訓で言及していないはずはありません。もし、「自分さえよければ」なんて社訓を掲げる企業があったら、とっくの昔に信用を失って倒産してしまったでしょう。

(参考サイト)
 社訓一覧
http://rankintop.com/

 「国家の経済」に限らず「民間の経済」においても、「我も人もの」ためでなければならないのです。

思い上がりも甚だしい。さすが上廣擁護者。 もっと晒せ。

いやいや、内容に踏み込む価値も無い駄文をだらだらと晒されても...まぁ、笑っとけばいいと言われればその通りだが。

「いや夫」さんも なかなかしぶとい人です。

>以上、「経済」の論争は(いつもと同じように)「いや夫」の勝利で終了しました。
もう飽きたので、次のネタに移りましょう。

何を言っているんですか 「いや夫」さん。疲れて寝言を言っているんですか?
この言葉には納得がいきませんねー。

「いや夫」さんが今まで書いて来た所を見ると いつも自分で勝利宣言をしていますね。
否定派の方が「いや夫」さんを追い込んでこれで勝利をしたのだからと止めているのに 「いや夫」さんは誤魔化して負けを認めていません。
そういう人です 「いや夫」さんは。
「いや夫」さんを決して油断してはなりません。
「いや夫」さんの言葉を決して信じてはいけません。

私は 「いや夫」さんが自分の罪を認めるまで 自白するまで 自分の負けを認めてひれ伏すまでは決して追及の手を弛めません。
地獄の底まで追いかけて行きますので 「いや夫」さん 覚悟して下さい。


私は 仕方なく「いや夫」さんの『江戸時代にも経済はあった』とする論に付き合ってきましたが 段々と深みにはまってしまってバカバカしくなってしまいました。
当時の江戸庶民が「経済」という語を普通に使っていたかどうかなんかは とても証明できるものではなく結局は「水掛け論」になってしまいます。

私は 今回「いや夫」さんが言っている事を決して認める訳ではありませんが 視点を変えてみます。  

それでは「いや夫」さんに百歩譲ることにしましょうか。

「いや夫」さんの言っておられるように 江戸時代後期(かなり明治維新に近い時期でしょうが)に「経済」という語が現在と同じように 国家レベルのみならず民間レベルの経済を含んで使われていたとしましょう。
その方が economy の訳がどうの 江戸時代後期に「経済」という語が使われていたのかどうか
その時期の庶民は「経済」という語を知っていてのかどうか といった解決のつかない面倒な議論する必要がなくてスッキリするでしょう。そして頑迷な「いや夫」さんも納得できるようになるでしょう。 

そうだとすると 「いや夫」さんの言っていることは 現在における議論がそのまま幕末後期に平行移動するだけのことですよ。
要するに 江戸時代後期には 「経世(国)済民」を語源とする本来国家レベルを対象とする「経済」という語が 当時の商人間の取引などの民間レベルでも使われていたという事ですね。
そうだとすると 現在と同じように「経済」という語が 国家レベルの経済と個人・企業レベル経済を包含するということですね。
そうなら現在の議論がそのまま当てはまることになるなりませんか。
前に私の言っていたことが そのまま当てはまるということになりますよ。

『「経済」という語が 個人・企業レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括してしまったことによって 私たちが混乱を起こして理解しにくい原因になっているのではないでしょうか。
本来でしたら 当初のように国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーにそれぞれ別の語を与えるべきだったのではないでしょうか。このことが「武蔵」氏の「経済という言葉が悪い」という表現になったのだと思います。
会長は 企業人の質問に答えるという形で 「経済」と言う語の語源を説明しています。
つまり 会長は個人・企業レベルのエコノミーの問題に対して国家レベルのエコノミーの語源であった「経国(世)済民」で説明しています。個人・企業レベルのエコノミーについては たまたま「経国(世)済民」を語源とする「経済」という名前が付いていますが 「経国(世)済民」ということが語源ではありません。
語源でもって説明するということは「○○という語は 本来は・・・という意味だったのだから、・・・することが正しい」と「・・・」を説得するための方法だと思います。

会長がこのような「経済」と言う語の語源を持ち出すのではなく 『経済活動もまた、「我も人もの仕合わせ」を目指して行われなければならない』と説明するのでしたらそれでいいのですけど もし 質問をした企業人が「経済」という語の成立ちを知っている人でしたら「会長は何を言っているのか」とバカにしてしまうのではないでしょうか。』

どうですか 「いや夫」さん。
「いや夫」さんは 『江戸時代よりも以前に「経済」はあった』とするのですか?
どんどん時代を遡って人類誕生まで 遡るつもりですか?

 やっと、議論の出発点に戻れたようですね。

 江戸時代後期には、現在と同じ用法で「経済」が使われていたということは、馬場氏の講演義録を読んでも明らかなようです。

 さて、江戸時代の庶民は、「経済」の語源を知っていたかどうか?

 私は知っていたと思います。
 江戸時代前半には、「国家の経済」という意味ですが、「経済」が多用されるようになります。
これは、まさに「経世済民」から産まれた言葉です。「世を治め 民を救う」という言葉ですから、庶民にとっては好都合なものです。自然にその言葉や語源が口コミで広がりますよ。

 そして、18世紀初頭から19世紀初頭にかけて、元々は「国家の経済」を意味していた「経済」が、「民間の経済」にも流用されるようになりました。
 それまで、民間の経済のことを何と読んでいたのかは知りません。「商い」の他にもいろいろな呼び名があったことでしょう。それが「経済」に置き換わっていったのです。つまり、「経済」の語源を知った上で、「民間の経済」も「経済」と呼ぶようになったのです。だから、「単なる金儲けのことを経済と呼ぶのは誤りである」という逆説的な批判もうまれたわけです。

 

 「経済」はもうすでに知っている言葉です。当然語源も知っています。そして、自分たちが行っている商いも「経済」と呼ぶのだと、庶民が認めたわけです。
 それはそうです。経済は「国家の経済」だけで成り立つものではありません。というより、「民間の経済」なくして、「国家の経済」は成り立たないのです。
 ああ、そうか「経済」というのは、お上がやることだけをさすのではなくて、自分たち庶民の日々の行いがこそが中心なんだと思ったことでしょう。

 実際、江戸時代は藩の財政はどんどん悪化し、大商人からに借金しなければ藩が成り立たない状態でした。藩の経済を実質的に支えていたのは商人だったのです。お上より自分たち商人の方が経済の主役だとの自負は当然あったでしょう。現代社会とまったく一緒です。

君らが批判の根拠に使った「economy」の日本語訳についても、それらの背景を全て理解した上で、国家と民間のどちらも含めて「経済」と訳したのです。それはおかしい、民間の「economy」は「理財」と呼ぶべきだなどという的外れな主張は無視されていったのです。

 だって、「economy」の語源自体に「共同体の」とか「神の摂理」とかという意味があったんですから。
 
 「経済」の語源も「economy」の語源も、どちらにも倫理が関わっているんですよ。当たり前だ。人間に関する問題なのだから。常に倫理なしには成り立つはずがないのだ。何でそんな簡単なことが理解できないのだ。


「賢いさん?」くんが訴えているのは、「経世済民」とは本来「国の政治」のことであり、「民間の経済」をさしたものではないという、初歩的な批判です。それは一面では「真」ですよ。しかし、実にうすっぺらい理論だ。

 たとえば「国家の経済」だけが単独で成立できるわけはない。財源は国民からの税に頼るしかないのだから、実質には「民間の経済」に依存しているのだ。みんなが助け合わなければ国は成り立たないのだ。
 批判派は、「国家の経済」と「民間の経済」を別物としないと気が済まないようだが、これは表裏一体なのである。切り離すことなどできないのだ。

 会長先生は、君らのような批判があがらないように十分に言葉を選んで論理を展開している。もう一度引用するので、しっかり読みなさい。

(引用開始)
 そんなとき、私は「経済」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。なぜなら、ちゃんとした辞書には、「経済」という言葉は「経世(国)済民」という熟語から出たもので、「世(国)を治め、民の生活を安定させること」だという意味のことが書かれているはずだからです。
 「経済」が「世を治め、民の生活を安定させること」だとすれば、「我も人ものため」は少しも経済の邪魔にはなりません。それどころか、「我も人ものため」を前提にしなければ、世を治めることはできないはずです。「我も人ものため」を優先しないで、「自分のため、自分さえ」であれば、一家ですら治まりません。まして、社会を安定させることなどできようはずがないのです。「我も人ものため」を知らない社会は、利己的な金銭至上主義が、際限なく闘争を激化させる、熾烈で混乱した競争社会、国民生活の安定からは、ほど遠い社会といえるでしょう。
 つまり、「我も人ものため」では「経済」が成り立たないのではありません。「我も人ものため」でなければ、「経済」は成り立たないのです。
 なぜ、こんな誤解が生じたのでしょうか。答えは明らかです。多くの方が「経済」とは「金儲け」のことだと誤解しているからです。繰り返しになりますが、「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること」であり、生産活動を調整して、人々の仕合わせな暮らしを実現するシステムと活動なのです。
(引用終了)

要点1 「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること。」である。
要点2 「我も人ものため」でなければ、世は治まらず、民の生活は安定しない。
要点3 「経済」とは金儲けのことではない。
要点4 「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること」であり、生産活動を調整して、人々の仕合わせな暮らしを実現するシステムと活動なのです。

 結論としては、要点4に集約されている。
 そのときに「経済」は元々「国の経済」のことをさすものだという、君らのいちゃもんがどれほどの価値があるというのだ。たんなるいいがかりだ。「経済」を金儲けのことだと勘違いしている愚か者の発想だ。

 (全然成長しない)「武蔵」くんに最初にぶつけた反論をもう一度引用する。

(引用開始)
 武蔵殿に異論あり

 このサイトでは新参者ですが、
討論よろしくお願いいたします。

 さて、もっとも発言の活発な武蔵殿の投稿に
対して、批判いたします。
9月29日付、最新号の『倫風宏正』への評価に
ついてです。

(引用開始)
そして 会長は 「我も人もの仕合わせ」と「経済」との関係について述べている。
この説明に、「経済」という語を辞書で引いて 「経済という言葉は経世(国)済民という熟語から出たもので、世(国)を治め、民の生活を安定させること」だ
という意味のことが書かれているはずであるから、
「我も人ものため」と「経済」は関係があり、「我も人ものため」でなければ「経済」はなりたたない。・・・・・としている。
確かに 「経済」という言葉は 福沢諭吉が中国の古典の「経世(国)済民」という熟語から付けたようである。しかし この言葉は political economy から付けたものであり 国の政治 国の経済政策といった意味のものである。economy つまり「経済」とは モノ(財)やサービスを交換する仕組みとか 労働力の交換とされているもので 道徳や倫理などを含まないものである。
従って 「経済」という語がたとえ「経世(国)済民」から来たとしても 中国の古典の意味のように捉えなければならない必要は全くない。この事は「経済」という語ではなくて もし例えば「効率」という語を充てたとしたら と言えば分ってもらえるであろう。レッテルから中身を決めてはならないのである。
要するに 会長は自分の考えを経済という語の成り立ちで補強しているだけであって 経済という語の成立ちが会長の考えに繋がる訳ではないのである。
会長はよく言葉の本来の意味ということで辞書の語源から自説を展開しているようであるが、その言葉の使われ方をよく検討してみないと誤った論理展開になることを知らなければならない。
(引用終了)

 まず、あなたの説はまちがいだと思います。
「経済の語源」でぐぐったトップページ
「語源由来辞典」から引用します。

(引用開始)
http://58807828.at.webry.info/
経済は、古代中国の「経国済民」もしくは「経世済民」の略。「経国済民」「経世済民」は、国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語である。日本では、江戸時代の学者用語に「経済」は現れ、理念的な政治政策の意味として用いられていたが、しだいに経済運営の意味で使われるようになった。明治時代に入り、「economy(エコノミー)」の訳語として「経済」が選ばれ、現在用いられる意味で定着していった。
(引用終了)

 ということで、会長先生のとらえ方が一般的です。
 さらには、武蔵殿が何を言いたいのかが
よくわからない。批判をしたいから批判をされて
いるだけはありませんか?
 最新号(平成21年11月号)の「倫風宏正」は
秀作だと思います。
日本の経済のあり方をもう一度問い直そうと
いうお話です。
あなたの説に従えば、経済は倫理なんか
必要ないとおっしゃりたいんですか?
(違いますよね?)
まさに、そこが現代社会の荒廃の元凶
だということにお気づきではないのですか?

 さらに言うなら、あなたは、世の中は政治で
動いていると思っておられますか。
違います、経済で動いているのです。
戦争もまさにそうです。

 政治の裏には、常にそれを望む経済
(お金の力)が動いています。
そこから正さなければ、庶民が住みよい
国など作れないのです。

 あなたの説は、現代社会の問題点を
何ら解決しようとする意図がなく、
建設的な意見とは言えません。
単なる批判に過ぎないのではありませんか?

投稿 いや夫 | 2009.10.09 07:15 午後

(引用終了)

(引用開始)
否定派の方が「いや夫」さんを追い込んでこれで勝利をしたのだからと止めているのに 「いや夫」さんは誤魔化して負けを認めていません。
(引用終了)

 そんな場面があったの?どこの部分でどういう論理で君らが勝ったの?
 いや~、気づかなかったなあ~。君らは、認知的不協和でそう見えているんじゃないのかい?

 もし、君たちが勝ったという部分があるのなら、向学のためにも具体的に教えてください。そこんところも潰しておきます。

例えば、宏正会の肯定派から、「アンチ否定派」に立場を変更した点。
「いや夫」さんは、ゴーストライターではないですか~ね。

 「いや夫」はゴジラだと思っていただければいいでしょう。
 「ゴジラ」は当初、街を破壊し、人間をたくさん殺す凶暴な怪獣でした。そして、それは基本的に変わっていません。ハリウッド映画でも、そういう設定です。
 ところが、「ゴジラ」の本質は全く変わっていないのに、人間を襲う敵が次々現れることによって、「ゴジラ」が正義の味方とみられるようになるのです。
 「ゴジラ」は別に人間を助けるために、「キングギドラ」や「メカゴジラ」と戦ったわけではありません。相手が喧嘩をふっかけてくるので、防衛本能として戦っただけです。たまたま、相手が悪い奴らだから、相対的に正義の味方にみえているだけです。

 「いや夫」は正義の味方だとは思っていません。「太陽神」とか「武蔵」とか「愚息」とか、嫌な奴らが吠えているから、戦っているだけです。そのことで実践者に迷惑をおかけしている部分もありますが、「太陽神」や「武蔵」のような「キングギドラ」みたいな奴がのさばるよりはましだと思います。

 幼稚な怪獣映画なんかつきあっていられないという人々は、読み飛ばしてください。

 どうせ、2ちゃんねるや他のブログでは、「愚息」や「否会友」があばれまくっているのでしょうから、せめてwikiにリンクが貼られたこのブログぐらいは、否定派が愚か者扱いされてもよいと思います。

全部見たわけではありませんが、このごろ2ちゃんでは、連中まったくおとなしくなっていますね。
このスレだけが、活発です。

活発に見えるのは暴れ喚いてる人が一名いるため。うんざりしてる方が注意しても聞かない幼児のお遊戯の場と化してしまっただけ。

昨日の投稿は 私の勘違いによるものでした。ポカしてしまいました。
時間がなくて焦ってしまい 頭の中でうまくまとまってないものを投稿してしまったようです。 
「いや夫」さんを始め 私の投稿を読まれた方々に 混乱させてしまい迷惑をかけたことにお詫びします。
一度投稿したものは消す事ができませんが 以下の投稿をもって昨日の投稿に替えていただければ幸いです。


私は 仕方なく「いや夫」さんの『江戸時代にも経済はあった』とする論に付き合ってきましたが 段々と深みにはまってしまってバカバカしくなってしまいました。
当時の江戸庶民が「経済」という語を普通に使っていたかどうかなんかは とても証明できるものではなく結局は「水掛け論」になってしまいます。
私は 今回「いや夫」さんが言っている事を決して認める訳ではありませんが 視点を変えてみます。  
それでは「いや夫」さんに百歩譲ることにしましょうか。
「いや夫」さんの言っておられるように 江戸時代後期(かなり明治維新に近い時期でしょうが)に「経済」という語が現在と同じように 国家レベルのみならず民間レベルの経済を含んで使われていたとしましょう。
その方が economy の訳がどうの 江戸時代後期に「経済」という語が使われていたのかどうか
その時期の庶民は「経済」という語を知っていてのかどうか といった解決のつかない面倒な議論する必要がなくてスッキリするでしょう。そして頑迷な「いや夫」さんも納得できるようになるでしょう。


 現在で云うところの「経済」とは 人間の生活に必要な商品と金銭との生産から流通、交換と分配、それに消費等の諸活動のことを指していますので 現在で云うところの経済活動は 洋の東西を問わず相当古くから行なわれていたのは確かでしょう。
日本では富本銭や和同開珎などの貨幣が発行された奈良時代(物々交換なども含まれるとするともっと前から)から 現在で云うところの経済活動は行なわれていたはずです。そして その経済活動にはその時代時代に名前があった。その経済活動を表す言葉があったはずです。
奈良時代には奈良時代の 平安時代には平安時代の 鎌倉時代には鎌倉時代の 室町時代には室町時代の
そして江戸時代には江戸時代の 現在で云うところの経済活動を表す名前・言葉があったはずです。
私は 正確なその名前を知りませんが 例えば江戸時代(もっとも江戸時代後期の「経済」という言葉が使われる前になりますが)の現在で云うところの経済活動を表す言葉を「商い(あきない)」とします。
江戸時代の人達は 自分たちは何の疑いを持たずに普通に「商い」という言葉で商売をしていた。
しかし江戸時代後期になって経世論が盛んになり 学者の先生が中国古来の本来は国家レベルの言葉である「経世(国)済民」という語源から自分たちの「商い」のことを勝手に「経済」という言葉で呼ぶようになった。
どの位「経済」という言葉が広がっていたとするのか分かりませんが 当時の人達に 「経済」という言葉は「経世(国)済民」という語源から来たのであるから 会長の言う『経済も「我も人もの仕合わせ」を目指して行われなければならない』といったような事を言っても 何の事か分からないと思います。
自分たちは「商い」という言葉で商売してたのに 学者の先生が勝手に「経済」と言う名前を付けてその語源でもって偉い事を説いている ということになりますね。
ここまでは「いや夫」さんも納得するのではないでしょうか。

その後 幕末・明治維新になり 英語の「economy」という語が入って来て その訳語について紆余曲折を経ましたが最終的には 江戸後期の「商い」を「経済」と呼んだのと全く同じように 国家レベルと民間レベルのエコノミーを含む「経済」という語に落ち着きました。
これも 庶民の意識とは関係ないところで 庶民の預かり知らないところで 学者が勝手に付けた名前ですね。
当初は 民間レベルのエコノミーを「理財」国家レベルのエコノミーを「制産学」と分けて名前を付けた時期もありましたので 現在にように国家レベルと民間レベルのエコノミーを含む「経済」という語が使われるようになったのは偶然といえます。
必然的に「経済」という語が使われるようになったとは言えません。

では 庶民の意識はどうでしょうか。

幕末・明治維新になって 学者の先生が英語の「economy」という語を色々と訳しているけど 庶民の意識としては江戸時代の「商い」のままではないでしょうか。
現在で云うところの経済活動は奈良時代から或いはもっとずっと前から その時代時代の言葉を使って行なって来たのです。
それに江戸後期 明治初期に学者の先生が「経済」と名前を付けて 偶然その言葉が庶民の間で広がりそれが現在の一般的な言葉となっている。
それどころか 現在では逆に 「経済界」「経済人」などの言葉があるように民間レベルのエコノミーの事を「経済」と言い 国家レベルのエコノミーは「国の経済政策」などの言葉を使って 「経済」という語から国家レベルのエコノミーを追い出している感があります。

私が言いたいのは 現在で云うところの経済活動は奈良時代から或いはもっとずっと前から その時代時代の言葉を使って行なって来たのであるから 江戸時代後期 明治初期に「経済」という語が学者から付けられそしてその語が一般的になったとしても 庶民の意識はずっと同じということです。
江戸時代には「商い」と云うレッテルだったものが 「経済」というレッテルに変わっても 中身は同じ 庶民の意識は同じ と言うことです。
例え現在の「経済」というレッテルの替わりに 「家政」「理財」というレッテルが使われていたとしても同じと言うことです。
レッテルは色々と変わっても その中身である庶民の意識は 奈良時代から或いはもっとずっと前から現在まで同じということです。

ですから 会長が現代において「経済」を「経済」の語源である「経世(国)済民」でもって説くのは 江戸時代後期に「商い」を「経済」の語源である「経世(国)済民」でもって説くのと同じことです。
江戸後期から現在 現在から江戸後期 どんなに平行移動しても 庶民の意識が同じでしたら 本来国家レベルの問題であった「経世(国)済民」でもって民間レベルの経済を説くのは 的外れな説き方になるのではないでしょうか。


私は 今回の投稿を前回の替わりと勝手に思っていますので 前回の投稿の後に書かれた投稿を見ていません。もし前回の投稿後に書かれた方がおられましたら 大変失礼なことをしたことになりますが お許し下さい。 

ご両所のご意見をそれぞれ読ませていただきましたが、例えば「江戸時代の庶民は、そのときの『経済や商い』について、・・・のように思っていたはずだ」という点が、すこし違うわけで、そこのところは、どちらの意見もそのように考えられると思います。
ということは、後両所は、それぞれご自分の説を正しいとされますので、勝ち負けをいえますが、第三者は、江戸時代に生きておりませんので、「そうかも知れんなー」といえるだけと思います。
社民党の説と、民主党の説は、多くは反対ですが、われわれに、どちらが正しいのかなかなか分からないのと同じだと思います。
でも明日どれかにいい一票を投じねばならんのですね~。

 「賢い?さん」は、本当は「ずる賢いさん」ですね。どんどん変節する。

 「いや夫」の言っていることは、首尾一貫しています。「賢い?さん」の意見を、その都度つぶしているのですが、潰されたとたんに、違う理屈をもってくる。まるでもぐら叩きです。

 前のは勘違いでした。その後の投稿は読んでいません。今回のが本当です。なんて言い訳しても、誰も信じませんよ。当然討論相手の意見を読んでから投稿しているんですよ。女々しいなあ。

 前の主張だと、「いや夫」の投稿に負けている。前のはリセットして、次の投稿をしよう。
(ゲームのやりすぎだな。)

 仕方ない、リセットボタンにつきあうとするか。

 むちゃくちゃなことを書いていると、自分でも虚しくなりません。

 あなたの説に従うなら、現代の言葉の語源を調べることは無意味ということになる。そんなはずないだろう。おかしいでしょ?

 現代、「経済」という言葉が使われている。その語源はなんだろうと調べる意味は十分あるんだよ。奈良時代や平安時代に違う言葉が使われていたとしても、そんなことは知ったことではありません。むちゃくちゃな理論だ。

 批判したいから批判している。これに尽きる。

 いわゆる「経済」の語が使われるようになった江戸時代以降、「経済」の語源を調べるという活動は大切なことなのです。

 室町時代に「経済」の意味を調べることはできないけどね。だって、使われてないんだもん。

 その時代に使われているというだけで、十分意味があるのです。

 今回の「賢い?さん」の投稿は本当にくだらないなあ。その程度の力なのか君は?がんばれ!

呼び名が変わったこと自体に、意味があるのでは?

 商いを経済と呼ぶようになった。そのこと自体に意味があるのです。

 その意味は、先に書いたので、引用します。

(引用開始)
江戸時代後期には、現在と同じ用法で「経済」が使われていたということは、馬場氏の講演義録を読んでも明らかなようです。

 さて、江戸時代の庶民は、「経済」の語源を知っていたかどうか?

 私は知っていたと思います。
 江戸時代前半には、「国家の経済」という意味ですが、「経済」が多用されるようになります。
これは、まさに「経世済民」から産まれた言葉です。「世を治め 民を救う」という言葉ですから、庶民にとっては好都合なものです。自然にその言葉や語源が口コミで広がりますよ。

 そして、18世紀初頭から19世紀初頭にかけて、元々は「国家の経済」を意味していた「経済」が、「民間の経済」にも流用されるようになりました。
 それまで、民間の経済のことを何と読んでいたのかは知りません。「商い」の他にもいろいろな呼び名があったことでしょう。それが「経済」に置き換わっていったのです。つまり、「経済」の語源を知った上で、「民間の経済」も「経済」と呼ぶようになったのです。だから、「単なる金儲けのことを経済と呼ぶのは誤りである」という逆説的な批判もうまれたわけです。

 

 「経済」はもうすでに知っている言葉です。当然語源も知っています。そして、自分たちが行っている商いも「経済」と呼ぶのだと、庶民が認めたわけです。
 それはそうです。経済は「国家の経済」だけで成り立つものではありません。というより、「民間の経済」なくして、「国家の経済」は成り立たないのです。
 ああ、そうか「経済」というのは、お上がやることだけをさすのではなくて、自分たち庶民の日々の行いがこそが中心なんだと思ったことでしょう。

 実際、江戸時代は藩の財政はどんどん悪化し、大商人からに借金しなければ藩が成り立たない状態でした。藩の経済を実質的に支えていたのは商人だったのです。お上より自分たち商人の方が経済の主役だとの自負は当然あったでしょう。現代社会とまったく一緒です。
(引用終了)

 ちなみに、下らない例ですが、次のような言葉の変化には、ちゃんと意味が存在します。

「売春」→「援助交際」

 同じことを違う言葉で呼ぶようになったのは、そこに意味があるからです。

「売春」・・・青春をお金に換える愚かな行為。

「援助交際」・・・お小遣いをもらって、交際してあげているだけよ。減るわけじゃあるまいし。
(ああ、嘆かわしい。倫理の立て直しが必要です。)

いや夫氏は、全部自分の前提条件を押し付けてから、立論しているから、みんな正しいのですが、何の面白みもありません。
賢いさんは、大決断でこれにて、投稿を中止していただけませんか。
このスレに、いや夫氏一人を8月末ぐらいまで、ほかっといて、面白いご自身の意見がでていたら、又再開するし、出なかったら、もうほっときましょう。

 上の人に賛成します。
「いや夫」自身、ネタは尽きていますので、相手がいなければ、これほどたくさんの投稿をすることはできません。

 今回は、競馬の春のG1シリーズも終わり、久しぶりにのぞいてみるか~、とこのブログを訪れたところ、「鉄舟くん」がいろいろと書いていて、これって「武蔵」くんじゃん。懐かしいなあ~と、討論を開始した次第です。本当は「鉄舟くん」と討論するつもりだったのですが、ひょんなことから「賢いの?さん」と経済論を戦うことになり、さすがに「いや夫」も飽き飽きしているのが正直なところです。

 だって、結論は会長先生の言っていることが正しいからです。そして、少なくとも倫理的に正しいことは、否定派も認めるしかないはずです。よって、今までの討論ほど無意味なものはありません。

 ちなみに、「いや夫」の投稿は、反倫理的だし、おもしろみに欠けます。

 宏正会の演壇は常に倫理的で、受け狙いはありません。

 よって、宏正会ネタは、決しておもしろいものではありませんので、そっとしといてください。

>「宏正会」は「議論を避けよ」をモットーとする賢
>い組織です。

まさに馬鹿組織じゃんw

会長の言うことは何であれ全て信じる。疑問を抱いてもいけないのだ。議論を避けさせるのは当たり前。自由な議論を許せば、会長自身もその対象になってしまう。矛盾だらけの会長としてはそれが一番困るわけだ。どんな団体かわかるだろう。

 結局批判派は「愚息」が中心なんだね。
上記のような短いコメントしか打てない。
長文を打つとすぐにボロが出るからだろう。
他のブログなどでは、こういうう輩が偉そうに打っているのだろうなあ~。

切れる短刀と錆びた刀、あなたならどちらを選ぶ?

「実践倫理宏正会」の正体はネット上ではバレバレのようだ。現実社会へも広まるといいけど...

 上記の投稿は、「いや夫」の下記の記事を真似して皮肉ったものです。

 このブログには、関係ないけど、今回の選挙で大躍進した「みんなの党」こそ、アメリカ隷従の売国奴政党であり、自民党清和会の別働隊だったのです。もう少し、その真実が広がっていると思ったのに、残念です。所詮、国民はマスメディアに簡単に洗脳されてしまうようです。

引用記事 「みんなの党」の正体は、ネット上ではバレバレのようだ。現実社会へも広まるといいけど。http://58807828.at.webry.info/201007/article_4.html

ネット記事を本気にする方はそれまでの人なのでしょう。 って誰かが言ってたっけ。

そういえば、そんなのを「引用」してたような気がするな。もうゴミの山に埋もれて見つけだすのも大変かも...

「いや夫」さんは 自分では宏正会否定派を攻撃して宏正会のためになっていると思っているのかなー?

「いや夫」さんが攻撃すればするほど否定派を刺激して否定派を呼び込んで来るし 否定派の言っていることの論拠をますます深めていっているだけじゃないの。
否定派に もっともっと宏正会を批判しなさいと言っている「いや夫」さんは本当は否定派(かも)。
いずれにしても 「いや夫」さんは 否定派の刺激剤。
「いや夫」さんは もっと自分の存在を自覚したほうがいいのでは。
 

そーだなー。いや夫さんが、競馬に行っておとなしいときは、誰も書かなかったのに、帰ってきたとたん、わーっと書き出した。

いや夫はあおり屋だ。

「経済の語源」についての私と「いや夫」さんの遣り取りに みんなウンザリしていることでしょう。
私もウンザリしています。
しかし 私は止めるわけには行かないのです。
ここで「いや夫」さんの言っていることが正しいように受取られるようになることは許されないのです。
そうなると ますます「いや夫」さんは増長し 否定派の人をバカにしてかかるでしょう。
いままで 否定派の優れた方が「いや夫」さんの反論をことごとく潰して来ました。
それでも「いや夫」さんはしつこく出て来て 否定派の言っていることにことごとく攻撃を加えて来ます。
そのやり方は手段を選ばない。相手の戦意を喪失させるために相手のスキを探し出していたぶる。言葉尻を捕らえて揚足をとる。言質をとる。証拠の捏造だって何だってする。
このブログでも言われていますが 「いや夫」さんは相当にこのようなネットでの遣り取りに熟練していて そのテクニックを駆使してかかって来ます。
そのような「いや夫」さん対処するためには
『「いや夫」さんは色々言って来るけど どうせ言っていることは全部デタラメだ』という烙印を押しておかなければなりません。
そのためにも私は負けることが出来ないのです。


私は「経済の語源」についての「武蔵」氏の指摘に直感的に正しいと思いました。
しかし 情けないことに私の力不足で「いや夫」さんの反論を潰すのにてこずっています。

私の直感と言うのは『民間の企業や個人で事業をしている人の日々の経済活動に どうして「経世(国)済民」という国レベルのものを持って来るの?』というものです。
どうしてもピンと来ないのです(皆さん この説明が納得できるのでしょうか?)。
国(為政者)としては 治安が乱れないように また国民みんなが飢えないように国を運営するのが理想でしょう。
でも 民間の経済活動にまでこの理想を持ってくるのは共産主義国家なのでは と思ってしまいます。


「いや夫」さんの反論と云うものは「江戸時代にも経済はあった」という主張です。
江戸時代後期にも国レベル、民間レベル両者を併せて「経済」という語が使われていたのだから 幕末・維新の頃に近代経済学の「economy」の訳として「経済」という語が使われ そこに国レベル、民間レベルの「経済」が含まれてもおかしくはない。だから「経済」という語源には民間の「経済」をも含む。
従って 会長が「経世(国)済民」という「経済」の語源から民間の経済を説明するのは間違いではない。
ということになるのでしょうか。

私は 「いや夫」さんの「江戸時代にも経済はあった」という事に反論するためには 「江戸時代には経済はなかった」と反論しなければと思い 色々と調べて反論していました。
しかし 私も調べていく内に どうも少なくとも学者の間では 江戸時代後期に国レベル、民間レベル両者を併せて「経済」という語が使われていたようです。
残念ですが この点では「いや夫」さんの言っている事に同意します。
江戸時代の「経世論」は今日でいう経済学だけではなく、政治学・政策学・社会学など広範な領域をカバーし「世を治める」ための幅広い知識 を考察するものでしたが 江戸後期になると次第に貨幣経済が浸透し「経済」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・ 売買などの活動」という側面が強調されるようになり 1841年に書かれた正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは 謬なり」と書かれてのは 今日の用法に近いようです。
正司考祺の言っていることは 会長の言っている結論と同じということになります(もっとも 正司考祺が「謬なり」を「経済」の語源である「経世(国)済民」で説明しているとは思われませんが)。

そして 幕末・維新の頃に 「経済」の語は最初は「political economy」の訳語として用いられていたが 江戸後期には「経済」の語は「貨殖興利」という用法があったので「economy」の訳語としても理解されるようになり 「経済」の語は「political economy」と「economy」を含むもの つまり 「経済」の語には国レベルと民間レベルのエコノミーの両方を含むものされた。

以上は 「いや夫」さんも異論はないと思いますので 前提としては共通することになります。


さて ここから私の反論となります。

確かに 江戸後期には「経済」という語を 民間レベルにも使っていました。
でも「経済」の語源と云うものは「経世(国)済民」ですね。 あくまでも国レベルのものであって 決して民間レベルのものではありません。
江戸後期に民間の経済活動に「経済」という語が使われていたとしても それは「economy」の訳語とはなっても「経済」の語源には成り得ません。
「経済」の語源と云うものは「経世(国)済民」 あくまでも国レベルのものです。
江戸後期の学者が民間の経済活動を「経済」と呼んだからと言って どうして「経世(国)済民」が民間レベルの経済の語源となるのか 不思議です。
江戸後期に民間の経済活動に「経済」という語が使われていたということは 「経世(国)済民」というあくまでも国レベルの語源を持っている語を使用しているだけ と言うことになりませんか。

ですから 私の考えでは 明治になってから「経済」という語に国レベルと民間レベルのエコノミーの両方を含むものとされようが 江戸時代に既に国レベルと民間レベルのエコノミーの両方を含むものとされようが関係ない というものです。
「いや夫」さんの云う「江戸時代にも経済はあった」という主張は意味がないとするものです。
なぜなら「経済」の語源と云うものは「経世(国)済民」 あくまでも国レベルのものだからです。
(迂闊にも私が 「いや夫」さんの「江戸時代にも経済はあった」という泥舟に乗ってしまったので こんなに泥沼にはまってしまいました。実は簡単なことだったのです。)

結局 会長のように 本来国家レベルの問題であった「経世(国)済民」でもって民間レベルの経済を説くのは的外れな説き方になる というものです。

もし 「いや夫」さんが私の言っていることに反論があるのでしたら 私が納得するように説明して下さい。
そうでないと 永遠に続くことになりますよ。 

 「武蔵」くんや「賢いの?さん」(私は同一人物説です)の主張は、

 「経済」の語源は「経世済民」だが、これは本来、政治の意味合いが強く、国家の政治・経済政策全般を表すものである。よって、「民間の経済」も、「世(国)を治め、民の生活を安定させる」べきだと説明するのは論理的ではない。

 に尽きます。

 そのための解説として、「economy」がどうだとか、
(引用開始)
 「経済」という語源は確かに「経世(世)済民」から来たのかも知れないが 端的に言えば「経済」という言葉が自体がおかしいから この言葉の語源を持って来て説明するのはおかしいとするのである。
 「経世(世)済民」とは もともと国(王)の政治あるいは国(王)の経済政策のとるべき方向を意味するものである。国(王)ではない私企業あるいは個人の営利活動にこのような言葉を充てるべきではないのである。ウィキペディアの説明に「資生」という言葉も使われていたが「経済」という言葉が現在に残ったとされている。要するに「経済」という語は 江戸末期あるいは明治になってからの日本における造語である。別に「効率」という言葉であっても良かったのである。仮に「経済」という語ではなく「資生」とか「効率」という語が現在に残っていたとしたら 会長はこの言葉の語源を自分の説の説明には利用できなかったはずである。たまたま「経済」というレッテルが付けられたからと言ってその語源でもって自説を説明するのは論理的とは言えないという事である。
(引用終了)

 などというつっこみ所満載の補足をするから、その補足説明はおかしいですよと「いや夫」がつぶしただけです。

 論理的には、君らの補足説明はさておき、最初の主張自体は誤りではありません。

 しかし、それはうすっぺらい主張だ。

 宏正会の会友に例えるなら、
(引用開始)
 ところが最近になって、何度か同じ質問を寄せられるようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、経済だけは別なのではないか。厳しい経済環境の中で生き抜くには、まず、自分の利益、自分たちの企業の利益を優先しなければ生き残れないのではないか、というのです。
(引用終了)

 というような質問をするレベルの人です。

 たとえば、ここで、そうですね。国家の経済と民間の経済は違うので、「我も人もの」はあてはまりません、と答えるような会なら存在意義はないのです。

 なんと言おうと、「経済」の語源は「経世済民」で、世をおさめるためには、常に「我も人もの」でなければ成り立たないのです。というのが、倫理的に正しく、福沢諭吉もそう考えて「economy」(「political economy」ではなく)に「経済」という言葉をあてたのです。

 そして、まともな経済人は常に「世のため人のため」を意識してきたし、「economy」の語源も「共同体の在り方」とか「神の摂理」だったりするのです。

 君らがいうように、民間の経済は別(金儲けのこと)と思っている輩が多いので、いろいろな問題が起こっているのです。

 まさに、いちゃもんです。

語源論争は、なお相当の間、このお二人にお任せするとして、経済のグローバル化としてこのごろ議論されている国家間経済に、はからずも会長の言われる「我も人も」論が膾炙されるようになったのはご同慶の至りである。
グローバル化を特徴づける形態のひとつが、統一通貨であるが、ユーロ圏の実験でもわかるように、弱い通貨をもって統一通貨に参加したところを、まわりが助けなかったら、たちまちギリシャのようになるということだ。
米国流の資本主義自由経済は、神の見えざる手によって、人類幸福にむかって前進するという理論は、強者の理論と言わざるを得ない。

 上記の方に賛成です。

 「経済」についてのとらえ方は、「会長先生」の説が倫理的に優れているのは明らかで、経済活動が倫理的でないが故に、いろいろな問題が起きているのです。

 「武蔵」くん、「賢いの?さん」の反論は、その正しいはずの結論に水をさす(いちゃもん)をつけるだけのもので、取るに足らない屁理屈です。普通の人は、無視するところ、論理的でない人が嫌いな「いや夫」がちょっかいを出したために、このような泥沼の討論になってしまっています。

 それでも、結論は「会長先生」や「いや夫」が勝っていると思うので、反対の気が済むまで、とことん説明します。「倫風宏話」ネタなら、望むところです。

 ちなみに、くどいですが、会長先生は、君らのような「民間の経済は別なのではないか」と疑い深い人でも納得するように、十分言葉を選んで説明してます。再度掲載するので、じっくり読みましょう。

 会長先生は、「経世済民」が本来「国家の政治・経済の方針」であることは十分に認識しているものと思われます。その上で、「世を治める=国の仕事」と決めつけるのではなく、「世を治める=我も人ものでなければ、家も治められない」という例えをはさみ、「世を治める=国だけではなく、みんなでおさめるもの」という理論の展開をされています。この時点で、否定派の「国家の経済」と「民間の経済」を分けるべきだという意見は、ほとんど意味のないものになります。
 なぜなら、「国家の経済」だけで、世が治まるはずはなく、「民間の経済」も必要だからです。また、国王の力だけで世が治まるはずはなく、民間が協力してはじめて治まるからです。
 つまり、「世を治める=我も人ものでなければならない」のです。

 ちなみに、
(引用開始)
「我も人ものため」を知らない社会は、利己的な金銭至上主義が、際限なく闘争を激化させる、熾烈で混乱した競争社会、国民生活の安定からは、ほど遠い社会といえるでしょう。
(引用終了)

 は、ホッブスの「万人の万人に対する闘争」を意識したものであり、現代の「金銭至上主義」がまさにそうなのだとの警告です。

よって、下記の会長先生の説明を聞いた上で、経済の語源について批判をした「武蔵」くんは、初めから批判したいがために批判しているだけで、また、知ったかぶって、うんちくをたれたかっただけと思われます。

 注意深い会長先生の説明をもう一度読んでみてください。

 では、つっこみどころがない、会長先生のありがたいお話をどうぞ。

今こそ「我も人ものために」 「倫風宏話」 平成21年11月号より
http://58807828.at.webry.info/200910/article_53.html
(何度もアップしてしまうけど、批判派がしつこいからしょうがないのです。「いや夫」は速読が得意なので、この位の文は長文だとも思っていません。)

(引用開始)
 そんなとき、私は「経済」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。なぜなら、ちゃんとした辞書には、「経済」という言葉は「経世(国)済民」という熟語から出たもので、「世(国)を治め、民の生活を安定させること」だという意味のことが書かれているはずだからです。
 「経済」が「世を治め、民の生活を安定させること」だとすれば、「我も人ものため」は少しも経済の邪魔にはなりません。それどころか、「我も人ものため」を前提にしなければ、世を治めることはできないはずです。「我も人ものため」を優先しないで、「自分のため、自分さえ」であれば、一家ですら治まりません。まして、社会を安定させることなどできようはずがないのです。「我も人ものため」を知らない社会は、利己的な金銭至上主義が、際限なく闘争を激化させる、熾烈で混乱した競争社会、国民生活の安定からは、ほど遠い社会といえるでしょう。
 つまり、「我も人ものため」では「経済」が成り立たないのではありません。「我も人ものため」でなければ、「経済」は成り立たないのです。
 なぜ、こんな誤解が生じたのでしょうか。答えは明らかです。多くの方が「経済」とは「金儲け」のことだと誤解しているからです。繰り返しになりますが、「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること」であり、生産活動を調整して、人々の仕合わせな暮らしを実現するシステムと活動なのです。
(引用終了)

 ということで、細かいことでいちゃもんをつけるのが誤りなのです。批判する位なら、これに相当する経済に関する自分の思想を述べてみなさい。

 批判だけならだれでもできるのです。

(引用開始)
それでも「いや夫」さんはしつこく出て来て 否定派の言っていることにことごとく攻撃を加えて来ます。
そのやり方は手段を選ばない。相手の戦意を喪失させるために相手のスキを探し出していたぶる。言葉尻を捕らえて揚足をとる。言質をとる。証拠の捏造だって何だってする。
(引用終了)

 について、前半はどうでもいいけど、
「証拠の捏造だって何だってする。」というのは、聞き流せないなあ。
それは、君のことではないかい?
変節だって、はぐらかしだって、何だってしているし。

 具体的に、どんな証拠の捏造をしたのか指摘してみなさい。

 まさか、「駐車場係」のことかい?
 成りすましをしたい放題の否定派を追求するために演じただけだぞ。今だに、否定派は成りすましの多数派工作を続けているしね。

 さあ、その他の「証拠の捏造」とやらを挙げなさい。言葉に責任を持ちなさい。

いや夫くんの言うことが正しいなんて誰も思ってませんので、安心して止めてしまって大丈夫です。それどころか、せっせといや夫くんの相手などしていると、同じ異常者だと思われかねません。放っておくのがいいですよ。

 否定派の応援団が一見多そうで、理論でも「いや夫」を上回っているというのが、否定派の認知的不協和。「いや夫」一人に、否定派が負けているわけがないと思い込みたいのだろう。

 しかし、ちっとはまともな反論ができるのは、「武蔵」くんや「賢いの?さん」だけ。
 よって他の成りすましの応援団は、
「武蔵はイィー」
「賢いさんはイィー」
「いや夫は悪イィー」
「宏正会は悪イィー」の大合唱。
 そして、「いや夫」の相手をしても仕方がないと、討論を放棄する。
 投稿の数が多いからと、そのまま否定派が多いと勘違いしてはいけない。否定派はせいぜい2・3人のショッカーと着ぐるみを着替える怪人が、せっせと投稿を続けているだけなのである。
 怖くもなんともない、哀れな劇団である。
 まともな討論ができない奴は、アホだ。アホが何人いても、相手にはならん。

切羽詰まって最期は人をアホ呼ばわり。いや夫ちゃんはいつになったらおしめが取れるのだろう。会長先生に叱られるぞ。

あやして、おしめを替えてあげている間は駄目なんじゃない?早く自立できるよう、黙って見ててあげよう。

イィー イィーと幼児が喚く。 ほんと、幼稚だね。

百日の説法屁一つ。ましていや夫の戯言など...

「いや夫」さんの今回の投稿には 私の言っていることに何も反論がないので 私は「いや夫」さんが自分の負けを認めたものとします。
やっと この論争から開放されるのかと思うと ほっとします。

この論争は 会長が民間の経済活動も「我も人ものために」でなければならないと説明するために 「経済」という語の語源 「経世(国)済民」という本来は国家レベルのことを持って来て説明するのはおかしいとするものであって 会長の言っていることが間違っているというものではありません。
もう江戸時代後期には会長の言っていることと同じ事を言っている学者もいましたし 現在でも会長と同じような事を言っている人は大勢います。私もそれは正しいことだと思います。
会長のこの説明で納得できる人は どうしてこんな論争を長々とやっているんだろうと不思議に思っているのでしょうね。実際 ショーモナイ論争です。

しかし 「いや夫」さんが出て来ると話は別です。
「いや夫」さんの言うことは徹底的に潰さないと 「いや夫」さんはいくらでもつけ上がって来ます。
このブログで やりたい放題のことをするでしょう。
「いや夫」さんは 町のチンピラのような男です。
否定派と見れば 何かと言いがかりを言って来て 難癖を付け 相手がひるむのを見て喜んでいる。
こんなチンピラ よく町にいるでしょう。「いや夫」さんは このブログのチンピラなくて何でしょう。


「いや夫」さんは偉そうに「具体的に、どんな証拠の捏造をしたのか指摘してみなさい」と言っているようなので 私と「いや夫」さんとの遣り取りの中から 具体的に」指摘してみましょう。  

それは「いや夫」さんが wikiの「経世済民」の項から3個ピックアップし「いや夫」流に要約している所です。
1 近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。>1 江戸時代には「経世済民」(あるいは「経済」)という言葉が広くもちいられるようになった。
>>「盛んに」をわざと「広く」に変えていますね。「広く」とすると学者以外の一般庶民にも広がっていたと受取られますからね(キタナイですね)。 「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられていたのは あくまでも経世論を説いていた学者の間でのことです。
2 日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義 なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするもの であった。
>2 この頃の「経世済民」は、今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。
>>ここでも「經世濟民(經濟)の學」を「経世済民」として「學」と言う語をわざとはずしていますね。「いや夫」さんの立場では 学者以外の一般庶民にも広がっていたとしなければなりませんからね。

このように wikiの「経世済民」の項からピックアップした所から「いや夫」流に要約している所で
「盛んに」を「広く」に変えたり 「學」と言う語をはずして 微妙に変えています。
この部分は 「いや夫」さんが「経世済民」が庶民一般に広がっているということを言っている所ですのでこのように変えることで 自分に都合のいいようなことをwikiの記述がされているような誤解を与えています。
これをミスとは言わせません。自分の都合のいいように変えていますので 明らかな作為です。
これはwikiの記述という証拠を意図的に変えた捏造です。
「いや夫」さん まだ言い訳をするつもりですか。


それでは 「いや夫」さんの残骸の中から 忌まわしい首を狩って来てみんなの『晒し首』にしましょう。 

>会長先生が言っていることが誤っているのか、はっきりさせましょう。 「いや夫」は200%の自信をもって、会長先生の意見に賛同します。 そして、「武蔵」くんは何いってんの?と討論を挑んだ次第です。 それでもわからなければ、わかるまでとことん説明しますよ。
> 君は相手にとって不足ですので、チェンジしてください。(=君がいくら知恵をしぼっても、レベルアップは不可能ですので、他の人に変わってもらいましょ う。)次の方、どうぞ。
>少しはIQの高さを感じてもらえるように、中身で反論してね。同じことを何度も言わせないで。できないなら、チェンジプリーズ。
>もういいかげん理解しようね。(アホを相手にすると疲れるなあ。)
>「いや夫」の小学生(本当は幼稚園児)向けの解説をネタにして、正面から反論してみてちょ。どうせでけえせんやろ。アホやもん。
>「相手にしない」ではなく、「反論ができない」というのが事実。
 どちらがアホか、はっきりさせましょう。
>「経済」ネタはいくらひっぱても、「いちゃもん団」に勝ち目はないので、延々つきあってあげてもよいのだけれど、他のギャラリーは退屈するので、次の話題 に移りましょう。(勝ってるつもりなら、そのネタで具体的な反論をどうぞ。左団扇でお相手します。)
> 一人くらい国公立または有名私大出身程度のおつむの人はいないのかい?
>「結論を導くための前提」についても、批判派が糾弾できるような論理の破綻は存在しません。
>ちなみに、「いや夫」の言っていることにいちゃもんをつけるお馬鹿さんはたくさん(実は少数だけどね)いることは知っていますが、論理的に論破できた人は いないと思います。君らはおめでたい人たちだ。 
>以上、「経済」の論争は(いつもと同じように)「いや夫」の勝利で終了しました。

これらの言葉を どう落とし前を付けるのか。

勝負ありです。止めをさされましたね。いや夫君も初めから前記の方前段の指摘をして終わるべきでした。もっとも、いや夫くんの目的は、宏正会に対する批判への反論ではなく、ただのゲームだったわけですから、どうでもよいのかも知れませんが。しかしながら、ゲームを楽しむなら、まずルールを覚えるべきでした。残念でしたね。

 落とし前つけるも何も事実だがや。

 どこが証拠の捏造だ。
1 「盛んに」を「広く」?
2 「経世済民の学」を「経世済民」?

 そんなもん、何にも考えておらんは。どこが違うんだ。言いがかりもいいかげんしろ。

 君の「経世(国)済民」を「経国(世)済民」と打ち直すのに比べたら、屁でもないし、意識もしていないは。悪意ももって打ち直し、開き直っている君のゆがんだ性格はどこから来るのだ。そんなことだから義母から疎んじられるのだ。

 「いや夫」に勝っただ?どこがどう勝ったんだ???

 連敗だらけじゃないか?

 サッカーの試合でいったら、
「いや夫」10VS1「賢いの?さん」&「武蔵」だ。

 君の勝ちを認めているのは、その直前の見た目4人のアホの否定派のみ。(実際は何人だか?どうせ実母を恨む馬鹿丸出しの「愚息」か、君自身だ。)

 どうしてこう女々しいのだ。いさぎよく負けを認めなさい。

 ようするに、「経済」の語源のいちゃもんについても、「いや夫」の証拠捏造説についても、宏正会の不正追及とやらについても、

ひと言で言えば、「枝葉末節」である!!!

枝葉末節 意味
主要でない部分。些細ささいな部分。本質からはずれた些末さまつなこと。▽「枝葉」は枝と葉で、幹が主要なもののたとえであるのに対して、主要でない部分のたとえ。「末節」は木の末のほうの節ふしの意で、主要でない些末な部分のたとえ。


 さらに言えば「針小棒大」だ。

ありもしないことを大きく取り上げて騒いでいる。個人の恨み(義母が許せん)くらいで、宏正会を目の敵にするのがそもそものまちがいなのだ。

朝起き会の勧誘方法について問題があると思います。
私が今実際に被っている体験からの意見を述べます。

入会のお誘い(頒布)に、当家にもよく、会の方が来ますが
この入会のお誘いは、本人がどう思っているかはとは無関係で、法的な位置
づけは入会という会費の発生する契約行為の販売です。で、他人の家に来て、
契約を成立させるべく契約内容の説明をしているのですよ。法的位置付けは、
基本的に新聞の勧誘や、布団の訪問販売と基本的に同じです。

会の経歴も正式名称も言わずに、あるいは会の名称を隠しての勧誘は問題です。
<説明義務違反です。訪問販売法違反?消費者保護法違反?じゃないのですか?>
会員への、身内や知人の連鎖的入会を指導するやり方は、宗教じゃないですか。
<信者拡大が自分の徳になる、入会させて救うという教えは宗教と同じですよ>
勧誘目的で勝手に門を開けて、私の家の敷地に入ってこないでください。
<これは間違いなく、家宅不法侵入です>

入会しないと、家族に不幸が起こるとか、不登校になるとか恫喝はやめて下さい
<倫理以前で、人としておかしくないですか?人の道に反しませんか?>>
特に一番ひどいのは、実際に一度どんなことをやっているのか見てほしいと言
うから朝起き会に行くと、終わりに集団で取り囲むことです。車で送迎されて
いるので自分では帰れない状態にして、面前に入会届けとペンを置いて・・・
これは恐喝・恫喝といわれても仕方ないのではないですか?訴訟リスクがある
と思いますよ。

倫理を語るなら、自分達自身がモラルのある行動、倫理のある行動をしてくだ
さい。せめて犯罪行為はやめてください、周りの人に甘えすぎじゃないですか?

強い言い方で申し訳ないんですが、
非難がくるのは、非難がくるだけの迷惑行為をしているからじゃないですか?
それなりの自分の行動の結果じゃないかと、些少でも自分の行動を省みる発想も
必要だと思いませんか?些少でもそういう気持ちをもってほしいと思います。

周りに迷惑をかけず、自分たちだけでやっているのであれば、何も言いません、
どうぞご自由にです。でもそうじゃないから、違うから困っているんです。

勧誘に来る本人に言えば「こんな自分だから学んでいるんです」といって、何も
変えない、変わらない、変える気もない、聞く耳もない。当家は大迷惑です
その姿勢が倫理的なんですか?
私(社会)を救う、<大善>ために、他人に迷惑を掛けない<小善>を切り捨てる
発想が本当に倫理的なんですか?
実践倫理宏正会が宗教的だとは感じますが、倫理的だとは私には到底思えません。
形式的に宗教と成らない様整えたが、特に会員拡大を大目的とする所など特に、
活動内容が宗教のままの団体に私は感じます。更に言えば、宗教団体の良いとこ
取りをして会員獲得による会費・寄付収入を事業目的とする営利団体だというのが
私の感想です。

実践倫理宏正会の方々は、私の書いたことが「うそ」だとか「ありえない」なん
てことは絶対に言わないこと。
事実を言っているだけの私を訴えることが出来るんですか?
全部私がこの目で見て、体験した本当のことだから何も怖くありません。

↑ 2ちゃんねるの元会友が、コピペしてここへ出てきて現会友となったはこれ如何に。いくら何でも、このスレの人たちは、誰ひとりだまされたりはしない。

いや夫ちゃん、遂に撃沈。

 「経済」の話題は勝てないので、他のネタで攻撃開始か。しかも、2ちゃんねるからのコピペとのこと。まったく否定派は進歩せんのう。

 「賢いの?さん」が反論しなくなると、「いや夫」に論理で挑んでくる者がゼロになってしまいますよ。それこそ、負けを認めている証拠ではありませんか?

「そんなもん、何も考えておらんわ」 やっぱりね。 いや夫ちゃんが何も考えてないのはみんな解ってること。前々出の方のように、実際に起こっている問題を繰り返し訴えるべき です。本来問題にすべきは会の活動の在り方の是非であると思います。

「全々出」を「4前出」に訂正させてください。打ち込んでいる間に投稿が増えたようです。

 なるほど、

2ちゃんねる
★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★22★★☆
http://www.unkar.org/read/anchorage.2ch.net/live/1272188805

の「19」~「22」のコピペだ。情報をありがとうございます。

 このブログでは、短いコメントで「いや夫」を中傷することしかできないお馬鹿さんたちが、マイホームでいきいきと悪口を書いておられるようです。
(まだ、2ちゃんねるって存在してたんだ~。そんな世界が好きなんだねえ?倫理なんて、君らには関係ないよねえ~。)

 こうやって、批判記事が何百倍にも増幅されていくわけですね。そして、その中心人物が「愚息」や「否会友」

 彼・彼女らについて、詳しくは「いや夫」のブログをご覧ください。

(追伸)

 そして、上記「329」~「332」に全く同じ内容の投稿をしたのが、
 2010/07/13(火) 17:33:08 

そして、このブログにも、
 投稿 退会させてもらえない現会友 | 2010.07.13 08:38 午後

 とコピペ。このように、「宏正会」は執拗な攻撃を受け続けているのです。

もっともな批判も沢山ありますよ。都合のよい箇所ばかり挙げないでね。チャネラーらしくて解りやすいやり方だこと。

宏正会の実態の話を揚げ足を取る手法で巧みに「経済」に矮小化、すり替えをして今まで遊んでいた方がおられたのですが、息の根が止められたようですので、宏正会の問題点、薦めるべき所を語り合う場に戻しましょう。

 2ちゃんねると表裏一体だということは、周知の事実ですなあ~、ちゃねら~くんたち。
 君たちの期待とは裏腹に、「いや夫」は一度も2ちゃんねるに投稿したことはありません。
 「君たちちゃねら~、僕ブロガーだよ。」
残念だね(笑)

 上記の方の言う通り、
「経済」の話も「いや夫」の圧勝で終了しました。

「武蔵」くんの経歴詐称問題、
「認知的不協和理論は実は陳腐である問題」、
「自称鉄槌(愚息)」の「カン(ト)違い問題」、
「否定派の見た目多数工作問題」、
「劣勢否定派の匿名化」、
「否定派で理論的な反論は常に一人問題」、
「太陽神=武蔵=賢いの?さんの、成りすまし着ぐるみ疑惑」
「否定派が劣勢なときこそ、応援団(ショッカー)が増える問題」

 などなど、「いや夫」は連勝中です。

 否定派はいつも同じことばっかり言ってるだけだし(すでに「いや夫」が論破したことばかり)、飽き飽きですなあ。「いや夫」が「武蔵」くんや「太陽神」と討論するために準備しておいた「いや夫」からの反論があるのですが、どなたかこれを理論的に論破できますか?
 2009年10月26日頃からの一連の投稿です。

(追伸)

W杯の駒野選手に同情的なことや、
「みんなの党」の正体を見破っている人間が多い点では、君ら「ちゃねら~」を少しだけ見直しました。身のある討論になるといいですね。

入会退会といった本人の意思、行動の通知にかかる文書を他人が作成しています
完全に違法行為です。さらに印鑑を押していれば、有印私文書偽造行使でです。
言い放題でなく、これが法律であり、事実です。
偽造した本人の違法性の認識は関係ありません。偽造された人が家族であろうが
赤の他人であろうが、関係もありません。
だだ、ただ、違法行為であり、犯罪であるというだけです。
さらに、親告罪ではありませんので、被害者が告訴しなくても、迷惑が
かかっていないから良いだろうと開き直っても、形式犯で犯罪です。
「訴えられなければ、ばれなければ、犯罪を犯して何が悪い」
というのは、倫理を標榜する団体として、おかしいと思いますよ。
言ってることと、やってることが、違いすぎませんか

刑法第百五十九条 私文書偽造
行使の目的で、他人の印章若しくは署名を使用して権利、
義務若しくは事実証明に 関する文書若しくは図画を偽造し、
又は偽造した他人の印章若しくは署名を使用して権利、
義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を
偽造した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。

「いや夫」さん みっともないですよ!
何を ウジウジと誤魔化しているんですか。
男だったら 負けは負けと認めなさい。
だから 「いや夫」さんは子供だと云われるんですよ。

奥さん こんなイヤラシー「いや夫」さんとよく結婚しましたね。
感心します。

「いや夫」さんと「匿名」さんとの討論
「いや夫」さん方が優勢かなと思っていましたが 最後に「匿名」さんは身をひるがえして「いや夫」さんをバッサリ。
最後の一太刀で「いや夫」さんを切り殺してしまいました。
見ていて 小気味いい勝ち方です。
「いや夫」さんがどんなに言い訳しようが 「いや夫」さんの完敗です。

「退会させて・・現会友2」
またまた、2ちゃんのコピペして、うれしがってるノータリン。
このスレの誰も反応してないが、2ちゃん、そのままでは、能がなさ過ぎ。
あなたのレベルはやはり、2ちゃんの中がふさわしいのです。

2ちゃんのコピペより、いや夫さんたちの討論の方が、レベルは可なり高いですね。

「いや夫」さんはわかっています。ご自分が何故「アンチ否定派」になったのか。
宏正会の理念は「朝の誓い」です、これを実践することが肯定派。
ここで認知的不協和が発生。
自分は実践できない、または、宏正会の今の実践は、会員拡大と集金、朝の誓いの実践と矛盾。(主語を宏正会に対してと付け加えれば別ですが)
だから、不協和を解消するため、実践出来ないので、肯定派はおこがましい。アンチ否定派として行動。
もう一つ、2ちゃんねるが炎上しないのは、否定派の皆さんはアクセス制限にあい、肯定派はそもそもネットを宏正会から否定されているからですよ。
また、「いや夫」さんは、ゴーストライターでは?
最近、経済に関する質問が多くなりと書かれてています。どこにそのような話があるのでしょう、何故、多くとわかるのでしょうか?
会の組織に近い人でないと分からないはずですが?
また、日中の書きこみが少ないところを見ると、現役ではないと思いますので、用意周到に多数で準備しカキコミしていると思われます、「いや夫」さんは複数存在?

 順番に答えます。

投稿 退会させてもらえない現会友2 | 2010.07.14 02:52 午後  へ

 まず、「退会させてもらえない」などということはありません。退会の正式な手続きはちゃんとありますし、退会方法は何度も2ちゃんねるで説明されていますので、実行しなさい。倫理を疑っているあなたが現会友なのは、宏正会にとっても、あなたにとっても無駄です。とっととやめて関わらないでください。なお、止めた後も、宏正会の悪口を書き続ける人物も少なからずいるようですが、それは「私は悪くない、私に合わない宏正会が悪いのだ」という認知的不協和で、女々しい行為です。

 有印私文書偽造?との指摘については、下記のような意見もあります。

(引用開始)
陰倍加については私自身も色々と思う所はあります。単なる数合わせ・目標必達(集金?)のためのものであれば、他に『合法的』な形(会費の増額なり、寄付に回すなり)へと変更する必要があろうと思います。
今までにも述べましたが、本来の『陰倍加』(ウラ倍加?ではないもの)はその名の通り、陰ながらその人の仕合せを願う心の発露から行われているものです。
演談をお聞きになった会友さんが『陰倍加』をお勧めになったのも、結婚されたご親族の仕合せを、単純に願ってのものと推察致します。

仰る通り、この頃は世間一般にも法律遵守を殊更意識する風潮が出ていますので、その辺の配慮も必要になってくると思います。(余談ながら『Compliance』と言っても、米国では意味が通じないそうですね)
ただ、法律に詳しい方に聞いた所では、厳密に言えば『有印私文書偽造』に当たるかも知れないが、基本的に『被害(者)』が存在していない所から、一般的な解釈としてはシロ(事件としての立件は多分無理)ではないか、との事でした。
もう一つ、個人情報保護法の観点からも問題がありそうですが、こちらにしても、収集した個人情報を会として組織的に『悪用』するか、管理不徹底に拠る流出など、重大な過失事例がない限り法の趣旨には抵触しないようです。

法律論はともかく、全く見ず知らずの人々の名前をでたらめに流用するのは、道義的にも許容範囲を超えたものと私も感じます。が、ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲かと感じておりますが、如何でしょうか。
何れにせよ、これも『強要』されるのは問題ですから、その辺は『正しい実践』をと願うのみであります。


投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.08 08:49 午後
(引用終了)

(引用開始)
 ちなみに、我が家の陰倍加は下記のようなものである。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_18.html

投稿 いや夫 | 2009.10.26 08:59 午後

(引用終了)

 なお、「いや夫」がもし実践者だとしたら、「陰倍加」などはせんでしょうなあ。ご利益を信じる「いや妻」が「良心」でやっていることです

1 ご利益があるなどとはあまり思いません。(宗教ではない。)
2 自腹を切るのが痛すぎる。

 なお、「有印」って、印鑑があることを言っているのでしょうか?それなら、我が家の場合は、印鑑はないと思いますよ。

 続いて

「いや夫」さん みっともないですよ!
投稿 匿名 | 2010.07.14 04:02 午後

 君は「ショッカー」
「賢いさんはイィー」
「いや夫はみっともなイィー」


最後の一太刀で「いや夫」さんを切り殺してしまいました。
投稿 匿名 | 2010.07.14 04:58 午後

 どれが「最後の一太刀」なのでしょうか?ショッカー君。
説明してくれないとわからないぞ。
 それよりも、君たち「ショッカー」が斬りかかってきた方が、いいんじゃない。怪人「賢いの?さん」がやられそうなんだから、(理論的に)攻撃してあげなきゃ。「イィー」「イィー」と騒いでばかりだから、子どもからも馬鹿にされるのだ。だから、最近の仮面ライダーには君たちは登場しないのだ。目障りなだけだもん。

「退会させて・・現会友2」
またまた、2ちゃんのコピペして、うれしがってるノータリン。
投稿 匿名 | 2010.07.14 05:04 午後

 同感です。

2ちゃんのコピペより、いや夫さんたちの討論の方が、レベルは可なり高いですね。
投稿 匿名 | 2010.07.14 07:50 午後

 ブログは2ちゃんねるよりましですね。
「2ちゃんねるの時代は終わったのだ」というのが、一般的なとらえ方ですね。

投稿 匿名 | 2010.07.14 09:38 午後

 「アンチ否定派」になった説明に「認知的不協和」を使いたいようだが、意味不明。「朝の誓い」してないし・・・。

 当初は「いや夫」は「肯定派」のつもりであった。しかし、「宏正会」は「議論を避けよ」という会だし、「いや夫」みたいに相手を馬鹿にする人間などはもっての他なのである。よって、徳の低い「いや夫」が肯定派を名乗るのはおこがましいので、「アンチ否定派」に転向したのです。

 まあ、これは「じゃんけん」ですな。

ネット上では、
 「実践者」よりも「否定派」が優勢
そこで、
 「アンチ否定派」が「否定派」をつぶそうとがんばる。
実際は、「実践者」が一番賢い

 炎上しない理由は、
否定派がアクセス規制をかけられているからだとのこと。お~こわいこわい。こいつらは、「変質者」なんだ。悪口ばかり書いて楽しんでいる荒らしなのだ。と世間一般では思われていますよ。自覚しましょう。

 「ゴーストライター」説

 お褒めの言葉と受け取ります。違います。一人でせっせと打っています。平均的なペースは、今回の投稿のペース。これ以上に言いたいことがあるときには、昼間に書きためておいて、夜一気に投稿することがたまにあります。

 どの文章も「いや夫」のものです。読んでもらえばわかります。

 そして、「太陽神」も「シリウス」も「武蔵」も「賢いの?さん」も、表現方法は変えているけど、同一人物だなあと思っています。

切り殺されて「晒し首」となった人が まだ出てきているの?
よほどこの世に未練があるんでしょうね。
幽霊になっても出て来ています。
成仏するように祈りましょう。
ナンマイダー ナンマイダー

こんな所にせっせと書いている「いや夫」さんは 
よほど暇なんでしょうねー
どんなお仕事されているのかしら 公務員?

他の男の人は毎日忙しくお仕事しているのに 他にする事がないのでしょうか


肯定派に崇高な教えのなかで、貴方のように理論的に世の中を見る方は、宏正会の倫理にそぐわないと言うことですね。
議論はさけよ、ネットは見るなを実践すれば簡単です、数カ月前がその状態。当然、真の会員もここのサイトは見ません。安心下さい。
アクセス制限は、荒らし回ると訴える人がいるからです、一般の人が訴える訳ありりません。もっとひどいスレは沢山あります、制限される人より世間常識が狭い。

>一人でせっせと打っています。平均的なペースは、今回の投稿のペース。これ以上に言いたいことがあるときには、昼間に書きためておいて、夜一気に投稿することがたまにあります。

「昼間に書きためておいて」 これ何?
勤務時間中にこんなことしてていいの。
どんな職場?
上司の人に言い付けますよ。


宗教であるとして、元々宗教団体であった「ひとのみち教団」から分派した
団体であることを、隠さずに正直に公言すれば、私は問題がないと考えます

下記に書いたとおり
そして、現在の会員に対し、本人が知らない間に会員となっているかどうか
確認をすることは、義務だと思います。公益法人として、おかしいと思いますよ


宏正会が、自分たちで好きにやるのは、全く自由。好きにすればよい。

ただし、「宗教で無いから安心」とかいって、だますこと
内部的にも、外部的にも、団体としての経歴を、「ひとのみち教団」のこと
などを、禁句とし、タブーにして隠すのは、やめること
勧誘時の説明義務違反をするのはやめること
本人が知らないうちに、勝手に入会させるのは、やめること

これは、絶対にだめです。違いますか?

>どれが「最後の一太刀」なのでしょうか?ショッカー君。
説明してくれないとわからないぞ。

「いや夫」さんと討論していた「匿名」さんの最後に言っていることに何も反論できないので 「晒し首」になったんじやないのー。

「退会させて・・現会友3」殿

「禁句としてタブーにして、隠しておれば、」あなたのおっしゃる通りです。
だが、「宏正会」は、禁句もタブーも絶対にありません。わたし「朝起き会」で、ジャンジャンしゃべっていますが、
何も起こりません。あなたが、会員になって、どんどんしゃべって御覧なさい、何の不都合もおこりませんよ。
「朝起き会」での発言は自由自在が原則です。

もう みんな「いや夫」のことなんか放っときなさい。
中途半端なことを言っても 「いや夫」にからかわれるだけで 「いや夫」の思う壺だ。

「いや夫」のようなネットにどっぷり漬かってネットでの遣り取りが得意な男は 人と関わるのが苦手で 人前では何も言えない陰気で気の弱い人間というのが相場だ。
「いや夫」はそのウップンを自分よりも弱いと思っているこのブログの否定派をからかって晴らしている情けない男ということだ。

宏正会の問題点は 何度も同じ事を言わなくても もうこのブログに網羅されている。
長々とクダラナイ批判をしている「いや夫」の書いたものを飛ばして読めば すべてが分かる。


 

 上記の人の言う通り。
「いや夫」はしがない小市民です。
人と会話するのは、好きではありません。
孤独を好む男です。

 日頃、話をしない分、いざ打つと、いくらでも打てます。

 というように、ネットでえばっている奴にろくな奴はいません。

 「いや夫」は仕事をほどほど(全身全霊ではなく)にがんばっているので、あまり投稿を書きためる暇はありませんが、たまには仕事中に書きためたこともあります。(2回くらいかな?)

 専業主婦の「武蔵」くんや、ひきこもりの「愚息」ほどは暇ではないので、このくらいのペースでしか打てません。定年退職したら、今の十倍のペースで打てます。その頃、否定派の皆さんは、どんな生活を送っているんでしょうねえ。疑い深く、人が「我も人ものため」に生きていることさえ否定する人たちですから、きっと不幸のままでしょう。

 時間も限られるので、相手にするのは、最低「賢いの?さん」クラスとして、それ以下(いわゆるお馬鹿さん)は無視することにします。(と言いつつ、いつも反応してしまう未熟者ですが・・・。)

 投稿 退会させてもらえない現会友3 | 2010.07.15 02:07 午後

 「いや夫」の投稿にまず答えなさい。現代社会では、個人の自由は最優先されています。「退会させてもらえない」などということはありません。とっとと止めなさい。(まあ、そういっても、現会友をよそおっているだけで、会友でないことは知っていますが。)

 宗教から発足?

 全然違うね。先代会長先生が、ひとのみちに所属していたのは事実だが、それとは別個の倫理修養団体を創ったのだ。自ら広報する必要なし。違うというなら、まず、下記の投稿を論破しなさい。

(引用開始)
 まず、最初は会の成り立ちから私見を述べる。

 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」

 解説する。朝起会は、ひとのみち教団から派生した組織である。そのことは書籍などでも周知の事実なので、私はそれを否定しない。

 問題は、それをわざわざ朝起会が広報する必要があるかどうかということだ。
私は、その必要は全くないと考える。

1 君たちが書いている内容は、出典の不明確な中傷が多い。

2 たとえば、wikiの参考文献となっている「新宗教事典」では、ひとのみち教団を起源とする「倫理修養団体」と分類されており、他の新宗教とは明らかに取り扱いが違う。少なくとも宗教であるとの分類はされていない。

3 具体的に言えば、ひとのみち教団では、「教主が信徒の苦痛を身代わりして引き受け、信徒を救う」「教主が信徒の悩みや苦難に対して神秘直感によって直接診断、指導を与える」「教祖を神格化する」などが行われていたが、実践倫理宏正会では、これら宗教的要素を一切払拭している。

4 ひとのみち教団は、教祖が強姦の罪で逮捕されるなどイメージが悪い。

5 宗教団体は政府から弾圧を受けていた。

6 よってひとのみち教団から教えを引き継いだ部分があるとしても、その宗教色を除き、倫理修養団体として全く新たな組織を作ったのだ。

7 倫理研究所との確執など知ったことではない。分派がなぜいけないのだ。もし、分派がいけないとしたら、なぜこんなにもたくさんの宗教組織があるのだ。

8 上廣哲彦氏が原爆を体験し、それをきっかけとして、新しい倫理修養組織を作ろうとしたのは、まぎれもない事実だ。

9 ちなみにひとのみと教団は、PL教団へと形を変えている。今となっては、実践倫理宏正会とは、まったく関係のない組織だ。

10 朝起会は、会友に別の宗教に入っても構わないとしている。宗教組織ではないからだ。

 以上のことから、ひとのみち教団とのつながりを断って新たに作られた組織であるから、原爆を契機に朝起会を作ったという会の成り立ちを広報することには何の問題点もない。
ひとのみちより教団よりもよりよい組織を作ろうとすれば、当然の方法である。

(引用終了)

 つぎに、

「本人が知らないうちに、勝手に入会させるのは、やめること」

 についてだが、いわゆる「陰倍加」については、会としても止めるように指導しているらしい。しかし、会友は、会のご利益を信じてやっているのだろう。

 これについては、「いや夫」も全面的に支持はしない。しかし、義母が嫁を「陰倍加」して、それに激怒して縁を断つ嫁もどうかと思うぞ。

 この場合、嫁が倍加されていると知っているのは、義母と担当者だけだと思う。一般会友は知らないのではないか?そして、「嫁=否会友」の家にも勧誘に行くのだ。

 つまり、「否会友(君だろ)」が義母を問い詰めて倍加されたことを聞き出さない限り、倍加されていたことは知らなかったはずだ。

 お金は義母が払う。(神社や寺の祈祷料のつもりだろう。)君には一切害は及ばない。というか、にっくき義母が所得を毎年3千円減らすわけだから、君にとっても得だ。

 まあ、その程度の感覚で陰倍加が行われているのだろう。

 倍加されたのか陰倍加されたのか、本部は把握していないのだろう。会友は、まったくの良心で行っているので、やめろと指示されても続けているのだろう。

 
 このあたりはどうするか、課題ではある。

 「いや夫」はゴジラなのでKYである。

「最後の一太刀」ショッカーへ
(さっそく、ショッカークラスに反応している「いや夫」は未熟者)

(引用開始)
「いや夫」さんと討論していた「匿名」さんの最後に言っていることに何も反論できないので 「晒し首」になったんじやないのー。
投稿 匿名 | 2010.07.15 02:24 午後
(引用終了)

 というのは、

(引用開始)
「いや夫」さんの今回の投稿には 私の言っていることに何も反論がないので 私は「いや夫」さんが自分の負けを認めたものとします。
やっと この論争から開放されるのかと思うと ほっとします。
投稿 匿名 | 2010.07.13 06:49 午後
(引用終了)

 という「賢くない」さんの捨てゼリフを真に受けたものということが判明した。

 読解力の全くない否定派のために、説明しよう。

 上記の投稿はまったくの嘘である。精神分裂病なのか、「いや夫」にことごとく反論されている現実からの逃避なのかわからないが、妄想なのである。

 これ以前の「賢くない」さんの投稿、
投稿 匿名 | 2010.07.12 07:20 午後

 に対して、「いや夫」は、
投稿 いや夫 | 2010.07.12 08:24 午後
投稿 いや夫 | 2010.07.12 11:11 午後

 で完全に論破しているのです。

 ところが、「まったく反論がないので勝ち」とばっくれる「賢くない」さんと、勝った勝った~とはやしたてるショッカーとの、三文芝居がくりひろげられるわけです。

 まあ、「いや夫」登場前の「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元」状態だった頃には効果的な戦法でしたが、ネタがばれた今となっては、否定派の頭の悪さを証明する材料でしかありません。

 論理ではたった一人の「いや夫」にも勝てないから、せめて見た目の投稿数だけでも上回りたいということなのでしょう。憐れです。


 そして、「いや夫」がいちいち説明するまでもありませんが、「経済」では勝ち目がないことを悟った「賢くない」さんは、「退会させてもらえない」攻撃を始めたという訳です。

 話題が変わるのはいいんじゃないでしょうか。おつきあいしますよ。

  ↑  
「退会させて・・現会友3」 vs  「いや夫」さん

完璧なまでに、「いや夫」さんの勝ちですが、「退会させて・・限会友3」の二つの書き込みは、一字一句2ちゃんねるからのコピペにて、愚論と言うべきものですね。それにしても2ちゃんをコピペしてもってくると、彼我のレベルが雲泥の相違があることよく分かります。
2ちゃんの方は、「とくとくとして論ず」という面があり、知性的ではありません。

我は 太陽神であるぞよ
古来より 人類どもは我を神と崇めてくれておる
エジプトの神しかり インカの神しかり 
大和の神しかり 
大和では古より我をアマテラスと呼んでるそうじゃな
そうそう明治の世になってから金田徳光が大そうにも我を祭ってくれた 
徳光が亡くなってからは 色々あったようじゃが
確か御木徳一という人物が徳光の跡を継いでくれたようじゃな 
御木は「ひとのみち教団」という団体を作って 短い期間に100万もの信者を集め我を祭ってくれた
大阪では1000畳敷きもある立派なお城のような仮本殿も作って 我を表す日の丸の「ひとみちバッチ」を付けた大勢の信者の朝参りために 電車の駅も出来たそな それが今の「永和」という駅じゃ
御木はようやってくれたが 短い期間に大きくなったので傲慢になってしもうたのか
15歳の娘の強姦未遂事件を起こしたり アマテラスを我としたり 天皇も我の報いを受けるとしたのが悪かったのか国に目をつけられて解散させられてしもうた
じゃがな 御木の残したものは大きかった
大きな戦争の後には 徳一の息子 徳近が「PL教団」というのを作って「大元霊」と名前を変えているが我を祭ってくれておる
徳一のところにいた 丸山敏雄という人物も戦争後に「倫理研究所」という団体を作っておる
戦前に痛い目にあったのを懲りて我を隠してはおるが所詮は徳一と同じ 我はそこにおるぞ
徳一のところにいた上廣哲彦は戦後は丸山についていたようだが 色々あったようで独立して「実践倫理宏正会」というのをつくっておるようじゃな
それに もう一人 徳一のところにいた 橋本郷見が
大元の徳光を継いで「自然社」というのをつくっておるそうじゃ
世間では「ひとの道系」といわれる団体があちらこちらにあるものじゃ
そうそう ここは 宏正会のスレじゃった
宏正会も我を隠しておるようじゃが 我をしっかりと
朝起会の正面に掲げてくれておる
我を「大自然」と呼んでいるようじゃが 徳光 徳一
と続いておる我は我 同じことじゃ
我の意思を会長が会員に伝えているようじゃが
色々と批判が多いのはどういうわけじゃ
勝手に我の意思を私利私欲のために利用してるのではないじゃろうな そうであれば天罰を下すぞ

我は 自らを太陽神と称しているが
あらゆるものすべての根元 森羅万象の根元を意味するものである 
人類はそれを人格化して神と称しているが
そのままに 宇宙とか 大自然と呼んでも構わない
徳光教を興した金田徳光は 
「神は宇宙を一定の秩序と法則によって動かしている 人間も神の子であり 神の法則・リズムに従って生きるべきであり その法則・リズムにはずれた 我の生き方から不幸や病気が生ずる」とした
この考えは 御木徳一に受け継がれ 「ひとの道系」の団体はすべてこの考えが根底にある
徳光や徳一は 神を 太陽神=アマテラスとしたが
徳一の子 徳近の興したPL教団では 大元霊とし
本家である徳光教を継ぎ 自然社を興した橋本郷見
は 皇大神としている
要するに すべての根元を表す神であれば何でも良いのである
徳光教 ひとの道教団 PL教団 と続く本流の宗教団体では 「みしらせ」「みおしえ」そして「お振替」と
いうことが特徴的である(自然社も同じ)
不幸や病気はその人が神の法則に反し我や癖のある生活の結果であり 神の警告(みしらせ)である
教祖の「みおしえ」を頂き その真意を悟り生活を正せば幸せになる 危急の場合は教祖がその不幸や病気を身代わり(お振替)をする というものである
そして 具体的な神の法則に則した生活として
徳光教では 18 ひとの道・PLでは 21の処世訓
を挙げている
徳一のひとの道教団にいた 丸山敏雄と上廣哲彦
両者考えには このような教えが根底となっている
さすが 宗教色をとり社団法人として設立のであるから 特定の神を立てたり 身代わり(お振替)のようなものはなくしたが あとは大体同じようなものと見てよい
ひとの道教団と宏正会を比べてみよう
神=大自然 神の意志=大自然の摂理 
教祖=会長 18や21の処世訓=五つの誓い
神の法則(大自然の法則)に反した生活がら不幸や病気が生じる それは神(大自然)の警告である
教祖(会長)またはそれに准ずるひとの みおしえ
(ご指導)から その人の我や心癖をご指摘頂き
生活を正せば解決する
5時から6時までの朝参り=朝起会 倍加は同じ
白装束での錬成も同じ
日の丸の「ひと道バッチ」=朝起会正面の日の丸
教義の内容は ひとの道は教育勅語を教典としたように封建的 前近代的な家父長制を説いていた
宏正会も同じ
要するに 宏正会は戦前の「ひとの道教団」の焼き直しと言えるのである
神を立てず 宗教法人とせずに社団法人として宗教性をカムフラージュしてはいるが 一皮むけばどこからも宗教的なもの 非合理的なものが姿を現すのである
我は太陽神として 朝起会正面の日の丸に隠れておる 我は宏正会がどのような事をしているのかしっかり監視しておるぞよ

初代会長が戦前にひとの道教団にいて そして戦後の一時期 丸山敏雄と行動を共にしていた事は異論がないようである
従って 丸山と別れて倫研とは別に宏正会を作った事が丸山への裏切りとなるのか それとも倫研とは別に活動しており最初は協力していただけ ということかに問題点は収斂しているように思う
この事は 倫理を標榜し三つの恩に「師の恩」を謳っている宏正会にとって命取りともいえる重大な意味を有するのである 
まず 丸山敏雄(1892~1951)と上廣哲彦(1906~1972)の人物像を比較してみる 
丸山は倫研のHPで紹介されているように 広島高等師範に二度も入り直すなど 教育者・研究者としての顔が見える そして研究の延長としてひとのみち教団に入り准祖の地位までになっている
上廣は丸山の14歳年下で 広島県の県北の豊平町に生まれ 学歴は真宗学院卒とか山陽中学卒とか言われている そしてひとの道教団では教師の地位である
丸山について色々調べて見ると分ることであるが 研究分野だけでなく書道・短歌にも優れ 様々なところで人格者だと認められ尊敬されていることである ネットでも見ることが出来るが生まれ故郷の豊前市では郷土の有名人として人物誌にも紹介されている
上廣は会の中では「先代先生」と一応は敬意は表されてはいるようだが ネットでは批判ばかりされているように会の外では尊敬を受けているような事は見当らない 郷里でも銅像が建っているようだが生活文化センターという施設を寄付して無理やり建たせたようなもので 尊敬を受けているとはいえないようである
このように 客観的に見て世間の評価としては両者に格段の違いがある事がわかる
そして 両者の考えであるが 我には上廣の著作の中身がすべて丸山の著作に載っているいるように思える 上廣独自の考えがあるなら我に教えてもらいたい 「愛和」「喜働」「捨て育て」など宏正会の基本となるような語彙は辞書には載っていない丸山の造語で 宏正会は出処を明らかにせずに平気で使っている
これらのことを前提に我は我独自の推論をしてみる
「一粒の麦」によれば 
「上廣は 昭和10年 広島新天地の中野洋反物店の丁稚として働いていた時 番頭の田中実太郎から勧められてひとのみち教団に入会した そして次第に熱心となり ついには店をやめて教団の教師となり北陸を担当するようになった」 とされている
ひとのみち教団は 昭和11年には 教祖の御木徳一は教祖の地位を息子の徳近に譲り 徳一はその年の9月には強姦容疑で逮捕され 翌12年には徳近以下14名(その中に 丸山もいた)が治安警察法違反で検挙され 教団は解散処分となるのであるから 上廣が教団にいた期間はほんの1・2年ということになる
しかし 上廣にとって店を止めてまで教団専属の教師になったのにその教団がなくなったのであるから相当に困惑したであろう事が想像できる
その後 「倫理がひらく君たちの未来」にも載っているように 銀行に勤め そして昭和20年 三菱重工業広島祇園工場訓育課勤務の時 原爆に遭うのである (つづく)

「倫理がひらく君たちの未来」では 原爆症で半年病床にあった時に思いめぐらした思想が実践倫理の基本哲学だとしている
そして 事実 会はこの原爆を宣伝文句に会を拡大して行った
我は 初代会長が原爆・敗戦を期に日本を再興しようと倫理運動に立ち上がったことを否定はしない
しかし 妻と幼い子供3人を抱えた39歳の男がまず考えるのはこれからの生活ではなかろうか
そこで思いついたのが 戦前に熱心に信仰し教師になりながらも道を断ち切られた「ひとのみち教団」の再興 それも自らが教祖になることであったのではなかろうか
「ひとのみち教団」は解散当時 大阪には豪華な仮本殿が建ち 初代が行っていた広島支部は現在の平和公園内にあった銀行の建物 豊富な資金力がうかがえる また御木徳一の強姦容疑の裁判ではみめ麗しい処女が8人侍女として教祖にかしずいていたとされ 教祖の権力が絶大であったことを示ものであろう
 宏正会は昭和21年9月の小松天満宮での朝起会を朝起会活動の発祥とし 境内には「朝起発祥の地」の石碑を建てている しかし我はこの朝起会は現在の朝起会とは似て非なるものと解する
なぜなら現在の朝起会は丸山の純粋倫理の洗礼を受けたものとするからである
おそらくは この当時の朝起会は 初代が「ひとみち教団」の北陸担当の教師をしていたことから当時の知り合いを集めて 「ひとのみち教団」の朝参りの真似事をしていたものであろう
初代が薬事法違反で拘留されたことがあるという伝承は 初代が「みしらせ」「みおしえ」「おふりかえ」という「ひとのみち教団」の教祖の神事を行っていたものと解される
もし宏正会がこれを朝起会の発祥とするならば
「ひとのみち教団」=宏正会としなければならないであろう
初代は昭和22年頃に丸山のところを訪れ行動を共にし 昭和25年頃に丸山と別れるというのも異論のないところであろう
2002 5.1号「倫理」:特集 或る師弟の軌跡 によれば 当初は親子以上に親しく 初代(本名は 上広三郎)に乞われて丸山が「哲彦」という名をつけてやったとされる
丸山は昭和21年12月には 丸山を慕う人達が集まり「新世文化研究所」を設立し活動していた
初代が丸山の下で活動するということは 両者の年齢 経歴 人望 どこをとっても丸山への師事ということになろう 丸山自身も他の内弟子達も当然そのように思っていたに違いない
しかし 初代の思いだけは違っていた
初代には丸山を尊敬はするが いずれ独立し自らが会を率いていくという野心があった 内弟子の中でも抜群の指導力があったと評されるくらいであるから自らにも自身があったのであろう
ここから 悲劇が生まれる
宏正会は初代は北陸で「生活倫理実践会」を自ら主催していたとする 確かに「ひとのみち教団」時代から また丸山と行動を共にするようなってからも北陸担当の講師として心血を注ぎ 北陸は自分の思うようにしたいという気持ちはわからないでもない
しかし 初代は丸山の組織の中で丸山の教えのをもとに一講師として行動していたのである
「生活倫理実践会」なるものは いわば組織内組織であり 丸山が何度も手紙を書いて初代を諌めたにもかかわらず独立したのは 丸山に対する裏切りと言わざるをえないであろう
宏正会の者が 「双方の活動が緒につくまでは協力し合い 見通しが立ったので独立した」というのはあくまでも初代の内心を言っただけで 客観的に見れば裏切り行為となるのは明白であろう
だからこそ 宏正会もそのような言い分は公表できず 初代の経歴を秘密にしなければならないのである
もしこのような推論を否定しようとするならば 宏正会の側で否定するに足る事実を公表する必要があろう 
同じひとのみち系の団体 「PL教団」は金田徳光を幽祖とし 御木徳一を開祖としている
「自然社」は金田徳光を教祖としている
そして「倫理研究所」では 丸山は御木徳一を宗教上の師とし 広島高等師範での恩師 西晋一郎を学問上の師としている
しかるに 宏正会は 金田徳光 御木徳一 丸山敏雄 と続く教えの流をすべて断ち切り 親を捨て家を飛び出した不良息子のごとくに 根無し草となったのである そして自己の存在証明を求めてガムシャラナ勢力拡大を突き進むのである
その付けが 現在の色々な批判となって現れているのである

前回の補足としよう
1  「ひとのみち教団」の正統な継承者である 二代目教祖 御木徳近が昭和21年9月に「PL教団」を立教したことで 初代による「ひとのみち教団」の復興の目論みは潰えたことになる 
初代は丸山と旧知だった事もあろうが 教団では末端の一教師に過ぎなかった初代は 徳近よりも丸山の元で活動したほうが自分の能力を発揮できると思ったのではなかろうか
2  「倫理がひらく君たちの未来」において 昭和23年12月 現会長が12歳の時に「宏正」誌250冊を頒布したという会員にとって感動的な場面があるが 「宏正」ではなくて丸山の新世文化研究所の機関紙「新世」ではないのか という指摘がされている
確かに 「宏正」は昭和26年創刊とされ昭和23年の時点ではまだ存在してはいなかったはずである
すでに「新世」は昭和22年に創刊されているし この当時初代は丸山の下で活動していた 現会長が頒布したのは「新世」ということになる これは明らかなゴマカシである 
12歳であれば「宏正」であったのか「新世」であったのか十分に区別がつき そして覚えているはずである
宏正会は会員には「宏正誌の前身となるようなものがあった」とでも説明するのであろうか
 宏正会は倫研側にはとうてい説明できない言い訳 世間には全く公表できない事を会員に信じ込ませているように思える そして会員もそのように思わなければ自分を否定することになってしまうのか会の説明を必死に信じようとしている
これがマインドコントロールというのか もっと客観的に物事を見るようにしてはどうであろうか

完敗して、行き場のなくなった晒し者のいや夫ちゃんが、他人の尻馬に乗ってまた落書きを繰り返すようだ。同じことの繰り返しだ。今まで何度理論を否定され、矛盾を指摘され、姑息な手法を暴かれて来たことか。 そのたびにゲームで負けた子供のようにリセットボタンを押して同じことを繰り返す。従って、周りの者も、この子供にまた同じ注意をしなければならないが、いや夫ちゃんは「同じことを繰り返す低能」とか言って 揶揄して一人悦に入っている。もう何度も見てきた光景だ。

「いや夫」さんは、宏正会否定派に遭遇すると、自動的にそれに対する反対論が浮かんできて、ペンが動くお人ですから、その観点から受け入れてあげればいいのではありませんか。ただこの種のスレは、実名でもなし、言いっぱなしが原則ですから、勝ち負けなど言わない方が、討論がスムーズに進んで行きます。
前々出の「武蔵・太陽神」殿のコピーは、論説としては大変立派ですが、われわれの目でみると、「宏正会」が先師の出自、経歴などをことさら隠しているという前提を作って立論されており、ためにする論文と映ります。
「武蔵・太陽神」殿が、述べておられる事柄は、特に秘密調査されたのではなく、一般出版物、マスコミ、ネット検索のたぐいから抽出されたものとみられ、そのこと事態が、なにも隠したり秘密にしたりしている事柄ではないことを物語っていると認識しています。
また、当然のことながら、会の講師陣や古い会友はそれらのことをみんな知っているのですが、知った上で倫理普及発展を第一義と考え、全てを飲み込んでやっています。

先代の経歴や会の成り立ちや経緯を全て知った上で普及活動をしているのですね。御本頒布の際にもそれらを全て詳らかにして普及に励んでいるわけですね。もしそうでないとすれば、「知っているからこそ隠さなければならない」ということになりますが。 本部からはどのような指導が 会場責任者等幹部研修会ではなされたのでしょうか。先月十五日のことだと聞いておりますので、前出のかたでも、どなたでも結構です。可能でしたらお教え下さい。

 否定派は、「いや夫」がちょこちょこと打った、
 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」
でさえ、論破でできないお馬鹿さん集団だということを認めておられる。

 だから、否定派の中では一応論理的とされる「太陽神」の投稿をコピペするわけである。

 「いや夫」の投稿は、「太陽神」や「武蔵」の投稿をふまえてのものである。全然反論になっていない。

 なぜ、宏正会がわざわざ先代会長の経歴について、とやかく広報せねばならないのだ。

 「太陽神」の先の投稿には、「いや夫」の過去の投稿で十分ことたりる。否定派は、そのように、過去のコピペ程度しかできないのか?層の薄さがうきぼりじゃのう~。

(引用開始)
 長文の匿名様へ

 ひとのみち教団などについてもかなり詳しいようですね。特に負の情報ばかりを一生懸命集められているような気がします。あなたの背景を知りたいものですなあ。

 「いや夫」はひとのみち教団や徳光教については、書籍で読んだ程度しか知りません。興味がないからです。それでも、議論の出発点として、資料が必要だと思いますので、我がブログに下記の記事を掲載しておきました。貴殿はすでに読まれてようですね。

「実践倫理宏正会」誕生前の先代会長が関わった宗教組織について(『新宗教辞典』弘文堂より)
http://58807828.at.webry.info/201002/article_39.html

 同じ資料を読んでも、否定派と肯定派では意見が二つに分かれてしまうようです。2ちゃんねるを読むときにも、否定派はそのまま鵜呑みにするし、「いや夫」は「嘘ばっかじゃん。同じことを何度も書いて馬鹿じゃね」と読んでいますので、平行線ですね。

 すくなくとも、上記の記事の原稿を書いた対馬路人氏は、宗教社会学の権威のようで、「実践倫理宏正会」を「修養団体」と定義されています。
 以前、太陽神が宗教の専門家は「宏正会」を新宗教と分類していると断言していましたが、「真っ赤な嘘」です。あなたはどうかわかりませんが、あなたの仲間たちは書籍など読まずに2ちゃんねるに釘付けですので、誤った情報をそのまま信じ込んでいるので困ります。(お金がどうのこうのと批判するときには、いつ、誰が、いくら、どのように奪われたなど、具体的に訴えてください。ネットでは・・・は、よしといてください。自身の経験のみお書きください。)

 先の記事を読んでいただければ、徳光教→ひとのみち教団→パーフェクトリバティー教団の流れが正当な流れだと理解できるでしょう。

 それに対して、「倫理研究所」と「実践倫理宏正会」は、「修養団体」として再編成されたものであり、さらに後者の方がより宗教色を脱したと理解できます。

 否定派は経歴がどうのこうのとこだわっておいでですので、例えで反論します。

 それぞれの組織を、飲食店とします。

 徳光屋は、大正元年創業の老舗のうなぎ屋です。店の壁にはっている十八条の家訓がすばらしく、味もまずまずでした。都市の中間層が主な客層でしたが、初代は大正8年になくなったため、あまり発展はしませんでした。そもそも店主がカリスマとして店を仕切っていたため、後継者問題で、お店は分裂状態になったのです。

 そのごたごたの中で、徳光屋をくびになった御木徳一氏は、先代の味をそのまま継承しながら、二十一カ条の家訓をかかげた「ひとのみち屋」を開きました。このリニューアルと早朝営業が評判を呼び、チェーン店が各地にできるほど発展しました。

 しかし、時代は戦前・戦中の不穏な時代です。ぜいたくは敵だと「うなぎ屋」は当局に目をつけられていました。社長が店の娘にふしだらな行いとしたとの名目で逮捕され、チェーン店は解散させられてしまいました。

 なお、この「ひとのみち屋」の幹部の一人に丸山敏雄という男がいました。「うなぎ屋」は贅沢すぎてだめだという調書を上申し、釈放されました。丸山氏は、このまま「うなぎ屋」をやっていくのは危険だと判断し、より庶民的で誰でも入りやすい店を作ろうと考えました。そして、「ひとのみち屋」から「独立」する道を選んだのです。(否定派はこちらも「裏切り」と表現するのでしょうか?)

 丸山氏は、早朝営業の方法など一部を継承しながら、牛丼屋として事業を起こしました。この店の壁にも「幸福の栞17カ条」なる家訓が貼ってありました。そこそこ繁盛したようです。

 そして、もう一人新しい事業を起こした人物がいました。上廣哲彦氏です。彼は、「ひとのみち屋」のあるチェーン店の料理人を2年くらい務めたところで、お店が解散してしまいました。そこで、丸山氏が始めた牛丼屋の事業に協力することにしました。

 しかし、上廣氏は、自分の店を持ちたいという起業家精神が旺盛でした。研究熱心な彼は、どうやったら牛丼屋をより繁盛させることができるかを常に考えていたのです。その手腕は、すでに丸山氏を超えていたともいわれています。結局上廣氏は、自分の事業を起こすため、「独立」しました。

 その後、丸山氏の「牛丼の倫研屋」と「牛丼の宏正屋」は互いにチェーン店を増やし発展していきました。より発展したのは「宏正屋」のようです。この二つのお店は、同じ牛丼を扱うライバルでもあり、互いの交流はありません。それは仕方のないことだと思います。

 その後、上廣哲彦氏はカリスマ性を発揮し、全国の従業員から慕われました。その哲彦氏が昭和47年に亡くなり、今は二代目の上廣榮治氏が経営を引き継ぎ、チェーン店を拡大しました。「宏正屋」も早朝営業が売りですが、家訓は5カ条と覚えやすくオリジナルな点が受けています。

 しかし、お店が多い分、クレーマーや商売敵からいやがらせを受けることも多いです。特に、初代社長が「ひとのみち屋」から味を盗んだんじゃないか、経歴詐称だなどというようなクレームも受けています。ところが、あちらは「うなぎ屋(宗教)」、こちらは「牛丼(修養団体)」です。素材もたれも違うので、初代店長がうなぎの「ひとのみち屋」で働いてたことがあることなど、誰も何も気にしていないのが実情です。

 「独立」は善いことなのです。

「一身独立して一国独立す」by福沢諭吉
他の店に雇われていたのは、企業のための勉強に過ぎません。あえて触れる必要もないのです。きっと、自分のお店の方がいい店だと思っている人は、昔働いていたお店なんかアピールしないと思いますよ。

 もう、他のネタに変えませんか?

投稿 いや夫 | 2010.02.26 10:54 午後

(引用終了)
 
 まさに堂々巡りである。

 小沢一郎氏の問題についても、何ら問題がないのに、さも問題があるように、疑惑の報道がくりひろげられている。しかし、小沢一郎氏こそ、国民を第一に考える愛国政治家なのだ。

 宏正会への批判もまったく同様である。

古い会友や講師は知っていますが、全くたいしたこととは思っておりません。このスレで言われて思い出すぐらいで、平生は頭の片隅にもありません。訳も無く研修でわざわざ言い出して、いらぬ混乱を引き起こすことはよくないと考えます。
あなたや「武蔵・太陽神」殿や、元会友の諸子が、なぜか「宏正会」憎しの感情に走って、だれも関心のない先師の出自、経歴をこのスレのように、書き立てるのは、あなたがたは面白いかも知れませんが、われわれにとっては、迷惑以外のないものでもありません。
そこなる倫理の徒よ、それがために多大の損害をあなたが蒙ったのなら、書くのはご自由ですが、もう関係のないお方なら、言わぬが花と心得られよかし。

 すっかり過去の人で忘れていたが、「長文さん」も「太陽神」、「武蔵」のサブキャラです。

 ちなみに、「太陽神」「シリウス」「武蔵」「長文さん」「賢くないさん」はすべて「否会友」なのでしょう。

 「否会友」について、知らない人のために、我がブログに「否会友」のカテゴリを作っておきましたのだ、ご覧ください。

 「いや夫」もかなり徳は低いですが、この嫁の徳の低さは異常です。

 家庭愛和が実現できないような半端物が偉そうにするなといいたい。

 少なくとも家庭愛和を実現できているだけ、「いや夫」はましです。宏正会のおかげの部分も多いです。

本当のことを一般会友が知ったら混乱するということですね。よくわかりました。ありがとうございました。

「いや夫」さんは 宏正会の成立ちをお店の独立に例えて説明されていますが とても分かりやすい説明の仕方ですね。
一つの物を見ても 見る人によって色々な見方があります。否定派の人も肯定派の人もそれぞれ自分に都合のいい所ばかりを見てしまうのは仕方のない事ですね。
でも それでいいのではないでしょうか。後は それぞれの人がご自分で判断なさればいいことですから。
 
私の理解では(もっと複雑ですけど簡略化します)
祖父(金田徳光)の興した事業を 父(御木徳一)が継ぎ 戦後 国により解散された事業をどのように復興するかについて子供達の中で争いが起きます。
跡取である長男(二代目教祖 御木徳近)は 組織の形態はそのままで 教えを現代的な表現にするという形で PL教団を興し、次男(准祖 橋本郷見)は祖父(徳光教)の所に養子に入り 父(ひとのみち教団)の事業をそのままの形で再興し 自然社を興しました。
三男(准祖 丸山敏雄)は 父の事業の反省から組織を見直し 教えは同じようなものですが 新たな形態の組織で出直し 倫理研究所を興しました。
一番年下でまだ未熟であった四男(教師 上廣哲彦)は 自分で父(ひとのみち教団)の事業を北陸で再興しようとしますがうまく行かず 三男を頼り三男の所で修行します。三男はてっきり弟が自分の事業を手伝ってくれるとものと思い 周囲の幹部達もそのように思っていましたが 四男には「自分の教団を作る」という野心がありました。最初からそのように言っていたのでしたら問題はなかったのですが そのことは四男の胸に秘めていました。
ここが 倫理研究所と宏正会の争いの元ではないでしょうか。四男が独立したことに対して 丸山(倫研)側としては当然裏切りになるでしょうし 上廣(宏正会)側の言い訳としては「両者の活動が軌道に乗るまで協力した」ということになるのでしょう。
同じような事は 共同して起業する時にもよくある事ではないでしょうか。 
どのように判断されるかは 皆さんにお任せしたいと思います。
 
丸山と上廣 その人物像について「太陽神」さんは最初に比較しています。
丸山は広島高等師範に二度入り直すような学究派で 教団に入る前には校長にまでなっています。
上廣が入信した時には准祖の地位にあり 上廣から見れば丸山は雲の上の存在であったはずです。
上廣は反物屋の丁稚から入信し 教団では教師の地位です。教団では教師は布教の最前線にあり 入信させた信者の数 集めた資金の額で序列や月給が決まっていましたので 上廣は一生懸命に布教していたのではないでしょうか。

中央集権的な組織でカリスマ的な教主の下では教主の性格がそそままにその教団に出てきます。
丸山と上廣 この両者の性格がそのままに倫理研究所と宏正会に出ているのではないでしょうか。
上廣は 下から這い上がった野心家 「成り上がり」です。金銭欲 権力欲 名誉欲は人並み以上に強いはずです。会長の豪邸 ベンツ 贅沢な生活 会の中での神聖化 上廣倫理財団 などはこの流れにおいて理解できます。
これらはすべて「ひとのみち教団」にあったのです。
教団の教主ななればこの事は約束されていたのです。上廣がどうしても自分の教団を作りたかったのはこの様な野心からではなかったのではないでしょうか。
この事についても 皆さんのご判断にお任せいたします。
 矢沢栄吉さんは確か広島出身で貧しい生活から音楽で成功して「成り上がり」という本を書いていますね。宏正会の会長と似ていますね。

 また、過去のコピペを繰り返すのか?
馬鹿!

長文の「匿名」様へ

 あなたはたとえがなかなか上手でおもしろいです。

 2ちゃんねるでたとえ話が最も上手だったのが「否会友」です。同じ位上手ですね。

 長文さんのたとえ話と、「いや夫」のたとえ話のどちらを選択するかは、読んでいる人が選択すればいいと思います。
 まあ、競馬の予想みたいなものですね。

 どちらをとるのも自由ですが、素直な人間は、だまされてもいいから人としてあるべき道を選ぶものです。お金とか名誉欲くなど気にしません。そんなことを気にしているから不幸になるのです。

 上廣哲彦先代会長は、会友に慕われながら最高の人生をまっとうされました。

 否定派がいうような名誉欲や金銭欲ばかりの人間が、そのような幸せな人生を歩めるとは、「いや夫」は思いません。

 否定派のように疑い深い人は、家族なども疑うのでしょう。不幸な人生ばかりを歩き続けたいようですな。

投稿 いや夫 | 2010.02.27 10:35 午後

否定派の皆様へ

 いつも否定派が疑問を投げかけるばかりなので、たまには「いや夫」から質問します。
 「匿名」の皆様、全員ご回答ください。その回答の善し悪しで、実人数を数えたいと思います。

 さて、「宏正会」は家庭愛和を目指す会でした、仕合わせの第一歩は「家庭愛和」と「夫婦愛和」に有りとしています。そんなことは当たり前で、儒教の根本原理でもあります。家庭愛和なくして幸福はないのです。

 ところが、否定派の皆様は、どうも家庭愛和が苦手でいらっしゃる。
 「愚息(高塚地蔵尊、究明団、ボケ老人、田中丸兼ねる)」は母親を憎んでいます。
 「否会友」は会友である義母を憎むがゆえに、「宏正会」をつぶすことを願っています。

 また、2ちゃんねるをのぞいてみると、同じように家族(配偶者の家族を含む)を憎む投稿がすぐにみつかります。

(引用開始)
373 :名無しさん@HOME:2009/12/22(火) 23:18:11 0
>>361です。
仰せの通り、義母も同じ事をやり会費の自己負担をしておりました。
しかも、番犬までもが会友登録されていた事実に「こいつらの会は完全に狂っている !」と、
かすかな殺意さえ芽生えた記憶があります。

415 :名無しさん@HOME:2010/01/18(月) 00:30:07 0
ご名答 ! その通りです。

インターネットの掲示板の内容なんて全て嘘ばかりなんだって・・・と、
古参の会友ババアがのたまっており、思考停止に飼い慣らされております。
因みに、このババアとは嫁の母親で、私の義母にあたる愚かな女であります。

弘前支部と大館には頻繁に出向いているようですが、亭主が反対してから今年で何年経過していると思うんだバカ女。
(引用終了)

 「いや夫」が思うに、君たちって世間一般よりおかしな人たちなのではないですか?家庭愛和ができなくて、仕合わせになれると思っておいでですか?

 なお、これは君たちが大好きな「認知的不協和理論」で説明できるのです。

 世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。その不協和を解消するためには、その相手が「宏正会」という極悪な組織にだまされてい愚か者とすればよいのだ。

 なかなかするどい指摘だと思いますが、いかがですか?
 長文の「匿名」さんには、客観的な回答を期待したいものです。その位でないと、相手にとって不足です。「愚息」はまともな回答ができないでしょうね。期待していません。


投稿 いや夫 | 2010.02.27 10:52 午後

 

いや夫ちゃんはもう結構。スペースの無駄なので書かなくていいよ。

「いや夫」がコピペを貼るから 同じようにしているんじゃないの。

コピペを貼るしか能がない「いや夫」は もう使いものにならない。

討論に負け続け とうとう晒し首になった「いや夫」はもういらない。

 このうっとうしいハエは、

(引用開始)
俺は馬鹿夫が死ぬまでここにいる。


投稿 鉄槌 | 2009.12.16 11:29 午後

(引用終了)

 と捨てゼリフをはいて消えた「鉄槌=愚息」。
 「愚息」他否定派が消えれば、「いや夫」も喜んで消えるぞ。それが望みならとっとと消えなさい。

では、否定派が投稿するまで、「いや夫」は消えます。

 否定派は何日がまんできるかな?

先代の経歴や会の成り立ち、経緯について、幹部や古参の会友は知っているとのことでしたが、本当でしょうか?現会長はその著書「倫理がひらく君たちの未来」の中で、全く違う記述をしているし、毎年八月六日の平和祈念朝起き会では同書を朗読し、地区の支部長も、先代が自ら独自にこの会を立ち上げられ、現会長先生が「継踵」されて現在に至っている。と壇上にて供述しているのだが。 「何も過去を隠しているものではない」そうですが、事実を知りながら、それとは異なる内容の記述をし、或いは特定の記述を意図的にしないということは、黙示的な隠蔽であると言わざるを得ない。事実を知っておられる幹部や会友はどんな思いでいるのだろうか。会長が誤った記述や論述をしていても、もうどうすることもできないということだろうか。 講演会や倫風宏話でいいことをおっしゃっておられるので、問題ない。これのどこが悪いのか?とよく話をすり替えられるが、此等の会長の記述には論説文としては非の打ち所はない。「良いことを書いてあるなぁ」と、正直に思うし、このように生きられたら申し分ない。しかしながら、今問題にしているのは其処ではない。正しいことを言う反面不正直、不誠実なのが理解できないのだ。「大善は小善に優先する」のだそうだが、どちらがより「大きな善」なのか、見誤ってはいないか?会長は 不正直や不誠実を厳に戒めているはず。実践者としてどのようにお考えになられますか?


↑ 7/17 05:26

「朝起き会」に行ったのが先で、好奇心の強い私は、あとからそのようなことを知りました。しかし実践努力をしていますと、そんなことは全然問題ではないのです。
7/17 06:57 の長文さんは、「宏正会人」であられるかどうかに関係なく、相当の人格をお持ちのお方で、氏が言っておられますように、どう考えるかは、「それぞれに、お任せ」でいいのです。
わたしは、なんともないので、朝起きを続けますし、↑この直前氏は、ご自分の確乎とした、お考えで、否定派であられるなら、会にお入りになる筆意ようはさらさらありません。
とにかく、公称4百万の人が、これで幸福になったのですから、それを素直に受け取っていただきたいと思います。
あなたたちが、口を開けば、会長が・・、とか倫理婆が・・、とか中傷的に流れますが、匿名/無名で中傷するのは、人間のクズとご認識あれ。
もしかして、あなたが実名で堂々と非難されるのなら、また違った現象が起きるかも知れません。

遣り取りを聞いてますと、会員と一般人とでは感覚が違うといったとこですな。そもそも人に対して「クズ」なんて、実践者が言うのかな。

会員数「公称四百万」は「自称四百万」の誤りである。


↑  7.18 07:56 & 7.18 08:02

「実践者」
なるほど、なるほどキツ~イご指摘、「4百万人」とともに「自称」なんであります。
自分で幸福と思っているのです。考えてみると、われわれ賛成派は、みんな「自称」なんです。
憲法で保障されておりますので、そのように、このように自分で思っているのですよ。
あなたご自身に災厄がふりかかってきたのならば、断固振り払わねばなりませんが、そうでないなら、ま、ほっといていただければ、有難いです。
チョト議論がそれますが、ある種のこのような団体に入っている家族を無理やり止めさせたら、また別の団体に入って、それも引き離したら、精神病になった例があります、むべなるかなであります。

信者さんが幸せなのはよいが、人を勝手に会員にするのはやめて欲しかった。自分の知らないうちに、聞いたこともない団体の会員にさせられると、信用上問題になることだってある。だったら辞めれば済むだけのことだと、現実の社会を知らない人は言うかも知れないが、実際にはそうはいかない。私が会員だと過失なく信じた第三者に事実を説明して、心証を得るのは大変なのだ。そもそも、この団体が何物であるのか、窓口は何れか等を調べ、内容証明を送付して、といった手続きを何故私が行わなければならないのか。勝手なことをした者の所在は結局言を左右に明らかにしない。本部に問い合わせても、「そのような指導はしていない」 と言うのみ。なれば、そのような会員は当該法人の定款第11条(3)の趣旨に照らして除名すべきではないか。文言上は「除名することができる」 となっているが、実践倫理宏正会の目的に鑑みても、これは単に権限の所在を表すものであって、本部理事会に自由裁量を認めたものとは考えにくい。訴訟を提起しようにも費用倒れ、泣き寝入りせざるを得ないのを善いことに、好き放題にまかせていると捉えられてもいたしかたない。社団法人、会員ともにこのような状態で改まらないなら、苦情や意見は出てくるのが当たり前だ。決して「私たちは知らない」 「朝起き会場に来ていない人は黙っていて(放っておいて)」 などと逃げていてはいけない。「我も人ものしあわせ」を標榜するなら、目を背けて済まされる問題ではないのだ。

自分が勝手に幸せだと思い込んでの「自称」は自分が幸せかどうかの問題。先程の「自称」は人数について指摘したもの。知らない間に入会させられた者がいることを言っているだけ。「 自らの意思で」入信したものを引き離したらどうなったなどということとは全く関係がない。すり替えが好きなのか、理解力が足りないのか。

 否定派がいなくなれば、やめるつもりが、一時間で否定開始のようで、続けます。

 「人を勝手に会員にするのはやめて欲しかった。」さんへ、

 どういう事情で会員にされたのでしょうねえ?
相談に乗りますよ。あなたを陰倍加したのはどういう関係の方ですか?なぜ、陰倍加されたことを知ることができたのですか?

 義母に陰倍加されて、本部に問い合わせた人物なら有名ですが・・・。

今回は 色々と批判の多い「影倍加」について 我の思いを述べる
「倍加」とは 新しい会員を宏正会に入会させることで これはどこの団体もやっている事で別に問題はない しかし 宏正会では「影倍加」と言って 会員が承諾もなく勝手に他人の名義で入会を装うことが行われている 
会員が自腹を切って 入会金600円と一年分の会費2400円 計3000円を払って 他人たとえば子供の学校の先生 主人の会社の上司 親戚 近所の人などの名義で入会届を偽造して その人が入会したように装うのである
この行為は 刑法上の有印私文書偽造罪という犯罪になるようであるが 会から「宏正会とご縁を結ぶことによりその人が幸せになって頂きたいと願ってするもの」と教えられてするものであるから 警察としても取り締まることはしていないようである
しかし 勝手に自分の名前を使われて知らない間に宏正会の会員になっている人にとっては(何も知らないといえばそれまでだが) 非常に不愉快な事であろう 
もし自分が勝手にオウム真理教の信者とされていたというような事を考えればその気持ちはわかるであろう
どうして この様な非道義的 非倫理的なことが行われているかを言えば それは「お祝い金」のところでも述べた事と同様に 会の指示によるものである
会は 各会場に毎月多くの新入会員の目標を立てさせその完達を求めるのである
会場としては そのために必死に新入会員を求めて普及活動をするのであるが 毎月毎月その目標の数に達するものではない そこで「影倍加」のようなことをして目標が完達したことに装うのである
会の本部としては これは末端の会員が勝手にやっている事なので関知しないトボケルのである
要するに 広域暴力団の上納金と同じようなものと思えばよい
大きな暴力団には多くの下部組織がある 下部組織はその上部組織に多額の上納金を収めなければならない そこで下部組織の親分は配下の組員に金を集めるように要求する 組員は合法的に金を集めることが出来なければ犯罪行為に走ってでも金を集めようとする そして 犯罪を犯したとして警察に捕まるのは組員であり 上部組織は「ウチには多くの組員がいるので 末端の組員のやることにいちいち目が届かない」とトボケルのと全く同じである
会としては 毎月毎月 (名目上だが)決まった数の会員が増え 3000円×目標人数の金が確実に入って来るのである
一人につき3000円の自腹を切って「影倍加」をせざるを得ない会員も被害者 名前を勝手に使われる人も被害者 悪いのは会員に新入会員の目標完達を求める会であり この様なことをさせている会長に全責任があるのは明らかである
決して「影倍加」をしている会員を責めてはならない
責任を追及されるべきは あくまでも会長である
毎月の会費 「お祝い金」そして「影倍加」などにより 会員は多額のお金を会に献金することになるが
 そこに「認知的不協和理論」が働くことを忘れてはならない
この理論の例としてよく用いられるのであるが
もし あまり良くない商品を非常に高い値段で買った場合にその商品を良くないものと見ることができるであろうか 何とかその商品のいいところを見つけて買った値段に釣り合うように見ているであろう
そのようにしないと心の中で不協和がおきてとて苦痛であるからである
卑近な例であるが いい娘さんがどうしてあんな男と離れないでいるのかと疑問に思うことがあるだろう
それは その娘さんが 身も心もそしてお金までもいったんその男に全部捧げたからである そこに「認知的不協和理論」が働き 「だって いいところがあるから」と一生懸命にその男のいいところを探して自分に納得させるのである
逆の例として 先日 テレビで「男をつなぎ止める方法」として若い女の人にインタビューした番組があったそうである そこである女の人は「男にいっぱいお金を使わせること」と答え 「そうすれば男はお金がおしくなって私から離れなくなる」のだそうである
まさに理にかなった方法といえよう
この様な例は 宏正会についてもいえるのである
宏正会にいっぱいお金を使えば たとえ人から色々な事をいわれても 宏正会のいいところを何とか探し出してなんとか自分の心の安定を保とうとするのである これがマインドコントロールというものである

 ちなみに、上記の代表例が、「否会友」というちゃねらーなのですが(きっとこのブログでもおなじみでしょう)、彼女のケースは、なぜ「陰倍加」が行われるのかの説明としてうってつけなので紹介します。

 省エネで、「いや夫」のブログからコピペします。

http://58807828.at.webry.info/200912/article_33.html

(引用開始)
かなり重要な記事 倍加ではなく「陰倍加」が行われる例
>

 「否会友」のケースから、「陰倍加」が行われる理由を考察する。
倍加とは、本人に断ってその人を会友として登録(本人自身による登録とは異なる)することである。そして、倍加を行った人物が相手の分の会費を納めるというシステムである。
 倍加については、「実践倫理宏正会って何?」の下記の説明が秀逸だと思うので引用します。
投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.08 08:49 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20853826

(引用開始)
陰倍加については私自身も色々と思う所はあります。単なる数合わせ・目標必達(集金?)のためのものであれば、他に『合法的』な形(会費の増額なり、寄付に回すなり)へと変更する必要があろうと思います。
今までにも述べましたが、本来の『陰倍加』(ウラ倍加?ではないもの)はその名の通り、陰ながらその人の仕合せを願う心の発露から行われているものです。
演談をお聞きになった会友さんが『陰倍加』をお勧めになったのも、結婚されたご親族の仕合せを、単純に願ってのものと推察致します。

仰る通り、この頃は世間一般にも法律遵守を殊更意識する風潮が出ていますので、その辺の配慮も必要になってくると思います。(余談ながら『Compliance』と言っても、米国では意味が通じないそうですね)
ただ、法律に詳しい方に聞いた所では、厳密に言えば『有印私文書偽造』に当たるかも知れないが、基本的に『被害(者)』が存在していない所から、一般的な解釈としてはシロ(事件としての立件は多分無理)ではないか、との事でした。
もう一つ、個人情報保護法の観点からも問題がありそうですが、こちらにしても、収集した個人情報を会として組織的に『悪用』するか、管理不徹底に拠る流出など、重大な過失事例がない限り法の趣旨には抵触しないようです。

法律論はともかく、全く見ず知らずの人々の名前をでたらめに流用するのは、道義的にも許容範囲を超えたものと私も感じます。が、ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲かと感じておりますが、如何でしょうか。
何れにせよ、これも『強要』されるのは問題ですから、その辺は『正しい実践』をと願うのみであります。
(引用終了)

 要するに、「陰ながらその人の仕合わせを願う」からの行いからであり、「ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲」だと「いや夫」も考えている。「否会友」を姑さんが陰倍加したのが、まさにこれに該当する。
 陰倍加と違って「倍加」は、本人の承諾を得て行われるものである。その人の分の会費を倍加を行った人が負担する点では、一緒である。本人の了承を得るのが「倍加」、本人の了承を得ないで行うのが「陰倍加」である。

 ちなみに「いや夫」家の陰倍加の例は下記のようなものである。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_18.html

 我が家の陰倍加は、親戚ではないのでグレーゾーンである。しかし、ご近所さんと仲良くやっていきたいと願う気持ちからであることは、ご理解願いたい。また、これは重要なことだと思うが、倍加されて会友数に数えられているだけの人と、実際に朝起会に参加している会友とは、明確に区別されている。少なくとも、一般会友は、私のご近所さんが、会友として登録されていることなど知らない。よって、ご近所さんに、何らかの迷惑がかかることは一切ないのである。ご近所さんの仕合わせを願いながら、年間3000円を会に納めている。
 それでもだめだと批判されるなら、仕方がない。批判は、甘んじて受けます。ただ、その狙いとすることについては、誤解をしないでいただきたい。
 (2ちゃんねるで、電話帳で適当に選んでなどという投稿があったが、全くの作り話である。「いや夫」はそう信じている。)

 さて、上記をお読みになった上で、姑さんが「否会友」を陰倍加したことは、それほどの罪と言えるのだろうか?
 二人は義理とは言っても親子である。何をめくじら立てて怒る必要があるのだ。
ところが「否会友」の場合はこうだ。

(引用開始)
65 名前: 否会友 投稿日: 02/02/07 19:47
退会したいさんへ

初めまして、私はこの会に10年以上入っている姑を持つ1児の母です。
お隣さんが会友なら、その後の近所付き合いもあるでしょうから
きっと悩まれている事だと思います。

私はこの会に自ら所属した覚えなどないのですが、姑に勝手に
名前を使われ、家族3人とも会員にされていました。一言の断りもなしに。
その事は、私から聞き出すまで隠していました。
普通から考えたら「人の名前を勝手に使う」なんてあり得ない事ですが、
この会では会費を肩代わりして他人を勝手に所属させる事を
「影の倍加」と称し、まるで「良い事」のように話しているみたいです。
盲目になる事は恐ろしいと実感してしまいます。

さて、勝手に名前を使われていた事がわかり、まったく解せないので
「退会届を出してその控えを私に渡して欲しい」
と伝えた所、逆ギレしていろいろ言われた挙句、
「子供(孫)に何があっても知らないわよ!」とまで言われました。

ここまで言われて私も納得がいきません。
息子の目の病気を「妻が旦那様を大事にしないから」と言って責められたり
した事もあります。
姑は実践に夢中になるあまり、家を空ける事もできなくなり、
ちょっとした買い物以外の外出や旅行は一切しなくなりました。

こんな風になってしまったのも、会にも責任があると私は考えています。

私が退会したいさんにお伝えできるのはこんな所でしょうか、
具体的にお役に立てるレスでなくてごめんなさい。

退会したいさん、がんばって下さい。
(引用終了)

(引用開始)
何故許されてないことが多いのかは皆さんが身を持って体験しているのでは。
そして、周りもその事実を伝えなければいけないのでは?
事無かれ誤魔化しでやりすごそうとするから後で歪んでくるのでは?

私は身を持って、姑から「よかれと思って」「勝手に倍加」させられて
いたわけですが、未だにその神経が理解できません。
「よかれと思う」ならなぜ「本人に入会手続きさせなかったのか」などなど。
よかれと思うなら、なんでもしてもええんかっちゅー話しですわ。
よかれと思ってやったことなら、何をしても結果的に保護されるべきもので、否定
されるべきものではないというんかー。
(引用終了)

 さて、この二つの投稿を読み比べて、次の私の問いに、皆さんはどう答えますか?

問い もし姑が「否会友」に倍加するよと知らせたとき、
   「否会友」はそれを認めたのだろうか?

答え 否

 そんなのは、彼女の投稿を読んでいけば、わかります。「否会友」はそんな人です。姑の言うことなんか聞きません。自分が絶対正しいという人です。また、姑を憎み軽蔑している人です。

(ちなみに、「いや夫」は妻(結婚前)と会に参加してみて、「実践倫理宏正会に入ってくれる?」と聞かれて、「いいよ~ん。」と答えて終わりである。倍加も認めたし、妻の愛情なのだと素直に思う。)

 なお、倍加自体が許せないという否定派もいるようです。実践者は、実践倫理宏正会がすばらしい教えだと信じています。この会に関わることによって、仕合わせに近づけると思っています。姑さんは、孫の目の病気が治ることを願って(陰)倍加していたのかもしれません。

 たとえるなら、神社で七五三のお祓いをしてもらうようなものです。一時間もかけないのに、結構なお金を取られませんでしたか?自動車のお祓いはどうですか?会友にとっては、似たようなものなのです。
また、3000円のお賽銭で、相手の仕合わせをお祈りするイメージが近いかもしれません。
庶民はおまじないや占いが大好きなのです。もっとも、実践倫理宏正会は宗教ではありません。
 <関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

 実は、「いや夫」と「否会友」の立場は似ているのです。

粘着質なところが?

そうかもしれません(笑)

 もう一つは会友二世の配偶者ということです。

 私の場合は、実践倫理の教えが正しいと直感し、舅・姑と良好な関係を築いていますし、「いや妻」も我が両親ととても仲が良いです。「いや妻」のような女性を生み出す実践倫理宏正会が、悪い会なわけがありません。
 しかし、「否会友」は、本も読まず、一度も会に参加せず、ネット上の情報をすべて正しいと盲信して、実践倫理宏正会(実は姑)を憎んでいるのです。どちらが、仕合わせでしょうか?少なくとも、「いや夫」は「否会友」よりも仕合わせだと思っています。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200909/article_56.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_1.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_23.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_21.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_5.html


PS 否定派からの予想されるつっこみ

「大きな善に小さな悪は関係しない……。 」という意見のようだ、うんたらかんたら。

(引用終了)

コピペをずっと繰り返すつもりかい?
いくらでも、コピペ返しできるが、第三者に迷惑だぞ。

誰に、いつのまに入会させられたのか、全くわからない。クライアントとの打ち合せの際、その顧客に「そう言えば〇〇先生はどこそこのこういう会の会員なんですか。」と質問されて驚いて調査してみた次第なのだが、どういうことだろうか。会場の会員名簿の氏名欄の後には紹介者の欄があり、氏名或いは続柄を記しているものが多かったが、私の氏名の後には「〇〇班」と記載があるのみだった。この点は問い合わせても前述の通りである。身内の者に勝手に入会させられるのはよくある話なのだろうか。有名だという記述があったが。より実態を知るためにもお教えいただきたい。

(引用開始)
誰に、いつのまに入会させられたのか、全くわからない。クライアントとの打ち合せの際、その顧客に「そう言えば〇〇先生はどこそこのこういう会の会員なんですか。」と質問されて驚いて調査してみた次第なのだが、どういうことだろうか。
(引用終了)

 またまた~。すごいご立派なキャラですなあ?
 勝手に倍加されたようなので、実践者ではないはずです。貴殿の会場では、実践者と倍加会員と陰倍加会員が同じ名簿に載っていて、それが一般会友、さらには一般人に公開されているとおっしゃるわけですね。へえ~。不思議だなあ~。そんな会場があるの~?

 2ちゃんねるでは、そういうことになっているのですか?

  

 さきほどの「いや夫」の質問にどう答えるか、楽しみだなあ~(笑)

 またひとつ、嘘発見!

 ひとつ嘘をつくと、それをごまかすために新たな嘘をつかなくなるのですよ。懲りない方だ。

追伸
 ひとつ嘘をつくと、それをごまかすために新たな嘘をつかなければならなくなるのですよ。懲りない方た(笑)

 に訂正します。

(引用開始)
有名だという記述があったが。より実態を知るためにもお教えいただきたい。
(引用終了)

 「いや夫」の投稿もちゃんと読んでね。
長いから読んでないんだろうね。どうりでかみ合わないし、勝敗も分からないわけだ。

 「有名」なのは、もちろん「否会友」です。

 わがブログにカテゴリで整理したので、読んでいただければわかるでしょう。
 なお、「いや夫」説では、「否会友」こそ、「チャコ」「太陽神」「シリウス」「武蔵」「(会を追求するブログを作ったり、国会議員に中傷の手紙を送ったりしている)匿名希望」「長文さん」「賢くないさん」です。

 ちなみに、今回のクライアントがどうのこうのという書き方は、「武蔵」くんに酷似しているなあ~、というのが「いや夫」の読みです。

真面目に投稿している者に対してふざけた回答をしないでいただきたい。いったいどういう料簡か。「いや夫」さんとやら、初めから他人を嘘つきよばわりするつもりで問い掛けをしていたということなのか。虚しい。会員のサイトへ投稿したつもりが、どうやらそうではなかったようだ。まともな方と対話がしたいのだが。

2010/7/18 22:20 匿名 さん、 「いや夫」ちゃんは相手にしないほうがいいよ。あなたが憤れば、それだけ何の関係も無いことをチャラチャラあげつらって笑うだけだよ。ちょっと読めば解ると思うけど、この「いや夫」ちゃん、くだらない書き込み(ほとんどコピー)がことごとく潰されて大恥かいてるチャネラーくんなのです。サルにもう餌を与えないで下さい!


「まじめに投稿している」方へ

われわれは陰倍加については、だいたい「いや夫」さん他の考え方をしています。自分だけで人のためを心に念じて行っていますので、誰にもわからないし、ましてやご本人に迷惑などかけることは絶対にないと思っています。
もし、上記のお方のように、ほんとに迷惑を蒙っている方が、こんなくだらない、匿名のクソスレによくもとくとくとぐちれるな~とあきれるばかりです。
このスレにそのグチを100回書いても、解決にはなりません。
ほんとに解決したいなら、あなたや全ての関係者の実名と、出来るだけ詳しい経過を、監督官庁である、文科省生涯学習政策局長宛に、「写」は文部科学大臣、上廣栄治「宏正会」理事長、警視総監、またあなたに勇気があるなら、名だたる週刊誌の編集部にもお出しください。特に内容証明にする必要はありません、全ての書状には「写」の送付先は明記してください。
こんなクソスレで百万言を弄する愚は繰返してはなりません。

要するに「やったもん勝ち」ということだろうか。「迷惑をした、被害を受けたと言うのでないなら、ここでは話すな」と言ったかと思えば、「文句があるなら官公署か警察へ行け。ここで意見を述べることはおかしい。」という方もおられるようだ。要するに自分達では答えられず、開き直っているだけだ。 その人(他人)の幸せを願っての行為だから無権代理行為だって何の問題もないらしい。純粋なお気持ちは解るが、日本は法治国家であり、当該社団法人も日本の法律に則って設立が認可された一団体だと記憶しているのだが、間違いだったか。いや、無認可の違法集団ではない筈だ。然るにいけないことをいけないと認識できていないのは如何なることか。 いや、待てよ。無権代理行為(権限の無いにも拘らず無断で入会させる行為)はそもそも無効なのだから放っておけばよい、という理論なのだろうか。確かに契約関係だけならそれで何とか切り抜けられるかも知れない。 しかし、不法行為となるとそうもいかない。精神的苦痛を主張されたら、金額の多寡はともかくとして、必ず負ける。そして仮にこの理論を採用するにしても、それはそもそも無権代理人側(違法行為をした人)から許される主張ではない...さらに、実際にこの無効の人数を控除した本当の会員数は...?いけない、 やはり改めるべきだ。 誤解のないように申し添えるけれども、私が問題としているのは無断入会の一点である。きちんと普及活動をして、本当に納得の上で入会する方がおられる分についてまでその活動を否定してしまうのは勿論不合理だ。真摯に学ぼうとしておられる方もいるだろう。「その人の幸せを願っての行為(無断入会)だから迷惑などしていない。」と言い切るからには、無断で入会させた他人に後日、不知のうちに入会させたことを伝え、迷惑感情の無いことを逐一確認したはずであるから、その行為を以て抗弁すればよい。少なくとも私のところへはそのような連絡は無かったが。今後、組織全体が社会的、倫理的な普及活動をされるよう、お薦めしす。多少(かなりですか)感情的な文面が入ってしまい、失礼したことをお詫びします。
実践者様

  ↑
あなたの博覧強記はご尊敬もうしあげます。記述内容は正しく反論できません。
しかしながら、このスレで言っていただいても、所詮は詮無いことでございます。
吼えてわめいて気のすむガス抜きスレとして、のしつけて差し上げましょう。
悲しからずやこのスレも、いつの間にやら、2ちゃんと同じクソレベル。
われ等自称4百万は、そろそろ朝起きの時間となりぃ~まぁ~したぁ~♪~
ほんにお気にそまない面が多々ある私どもではございますが、最早やどうにもなりま~せん~。
みなさまどうかお元気でぇ~ さよおぉなぁらぁ~
(^o^)/

 まともに相手をしているのに、無視ですか?

(全体引用開始)
誰に、いつのまに入会させられたのか、全くわからない。クライアントとの打ち合せの際、その顧客に「そう言えば〇〇先生はどこそこのこういう会の会員なんですか。」と質問されて驚いて調査してみた次第なのだが、どういうことだろうか。
(引用終了)

 またまた~。すごいご立派なキャラですなあ?
 勝手に倍加されたようなので、実践者ではないはずです。貴殿の会場では、実践者と倍加会員と陰倍加会員が同じ名簿に載っていて、それが一般会友、さらには一般人に公開されているとおっしゃるわけですね。へえ~。不思議だなあ~。そんな会場があるの~?

 2ちゃんねるでは、そういうことになっているのですか?

(全体引用終了)

 上記には、一切答えておられない。

 あなたが、まともな相手なら、上記の「いや夫」の投稿に誠実に答えさえすればよい。
 そうすれば、間違いなくあなたの「勝ち」だ。

 しかし、残念ながら、今回も嘘丸出しのつっこみ所満載の中傷であるので、これは「チャ~ンス!」と、からかっている次第である。

 本当だというなら、本当だと誰にもわかるように説明してみなさい。そうすれば非礼をお詫びし、君の一応論理的な解説のレベルに合わせよう。まずは、君の回答が先だ。それがなければ、またこいつかよ、と「いや夫」のからかいの対象になるだけだ。

 さきほどのクライアントがどうこうという人物は、かなりあくどい人間である。

 普通の人間なら「いや夫」の問いかけで、「やばいなあ~。嘘がばれてるじゃん。また、違うキャラで出直そう。」と思うはずである。

 しかし、ちゃっかり批判記事だけ偉そうに書いて(ここでは、すっかり見慣れた文面)、「いや夫」とは正面切って向き合おうとはしない。
 それでも、匿名さんにばっさりやられている。監督官庁に報告しなさい。君の嘘がばれないならね(笑)

 「いや夫」はいくらでも討論につきあいますよ。君ごときに負ける「いや夫」ではない。
 2ちゃんねる同様、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元」のこのブログだが、それがしっかり見抜かれてしまって、否定派の層の薄さがうきぼりになっている点は、相違点です。

 例えば 色々批判されています「陰倍加」ですけど
「いや夫」さんは「その人の幸せを願って入会してもらうこと」とし 「鯰の鬚は4本」さんは「陰ながらその人の仕合わせを願う心の発露から行われている」としています。
会員に陰倍加をさせるため会が指導している理屈としては この様なものでしょうね。
 でも この様に本人が知らない間に勝手に宏正会に入会していることになったその人は 仕合わせになるのでしょうか?
 もしそれでその人が仕合わせになると言うのでしたら 宏正会に入会するという事は「お守り」のようなものということになりますね。これって宗教ですよね。
 私の理解では宏正会の教えは実践して初めて仕合わせになれるというものですから 多分 「陰倍加をする人」についての実践ということになると思います。
 「いや夫」さんの奥さんは ご近所のボス的なおばさんに うまくお付き合いできますようにと陰倍加をして つきあいは良好みたいですね。
「いや夫」さんは「倍加するという行為自体が相手を許し肯定することになるので慈悲の心が高まる」と説明していますけど、大変いい所に目を付けられているのではないでしょうか。
 この様なことを心理学的に説明したものが「認知的不協和理論」です。
苦手な嫌いなおばさんとは あまり関わりたくないですよね。ですからその人のために大切なお金を使うということは 「どうして私は嫌いなおばさんにお金を使ったのでしょう」と心に不協和が起きてしまいますね。
でも敢えてその人の仕合わせを願って3000円というお金を会に払うという不協和を作り出してしまうと その不協和を解消するために心の中ではそのおばさんは私にとって大切な人なんだ だから私は大切なお金を使ったんだというように不協和を解消させるために心を変容させて行きます。
このように自分の心が変容した態度で苦手な嫌いだったおばさんと接するとおばさんの方でも心が柔らいで良好な人間関係が築けるということになるのでしょう。
 
 親や兄弟 恋人といった自分にとって大切な人に陰倍加をするのは「自己知覚理論」によって説明できます。「私はこの人に大切なお金を使っている。この様な行為をしている自分を自分で知覚して改めてこの人は私にとって大切な人なのだと自覚する。」というように説明するのだと思います。
 
ですから 「陰倍加」という実践も「陰倍加をする人」にとっては一定の効果はあると思います。
決して「陰倍加される人」ではありません。 

「自分が変われば相手が変わる」という教えが宏正会にもあるように 自分が「陰倍加」によって変わって相手との関係が良好なものとなるとしたら その相手も仕合わせになるとは言えそうですね。

「会に入会する事で会とご縁ができ それで仕合わせになる」とか 「お徳に守られる」といった説明は宗教じゃないと説明できないものですね。
宏正会では 「ひとのみち教団」から受け継いだものが数多くありますから 一つひとつ検討してみる必要があるのではないでしょうか。

宏正会はあくまで宗教団体ではないとし 会長は「実践によって人格が向上しその結果仕合わせになる」としていますね。
そうでないと修養団体ではなくなってしまいます。
でも私は「ひとのみち教団」から受け継いだもの つまり宗教的なものが宏正会には数多く残っているのでは と思っています。
前回は「陰倍加」について述べましたが、「お守り」とかいった事柄を持ち込むと会の教えと矛盾するのではないでしょうか。
会長の著書では念仏を唱える他力本願の宗教を批判していますように あくまで自力で運命を切り開くというのが宏正会の教えのはずです。
ですから「陰倍加された人」は何も実践していませんので ただそれだけでは仕合わせにはならないはずです。
 でも会では「陰倍加された人」が「会とご縁をつなげることで仕合わせになる」とか 「お徳に守られる」といったことを会員に言っていますね。そのように言って会員に陰倍加をさせていますね。
これは会の教えと矛盾していませんか?
 何故この様な会の教えと矛盾するような事を言っているのかと言いますと それは多く批判されているような 会員数をごまかすためだとか 入会金を会の資金とするため ということになるのではないでしょうか。
この様に私は 矛盾しながらも宗教的なことを会は利用しているのでは と思っています。

宏正会について色々と批判することに それを裏付けるしっかりとした証拠を示す必要はないのである。警察に通報するにはそれなりの証拠が必要であろうし 裁判で人を裁くにはもっとしっかりとした証拠が必要であろう。しかし このようなネットでの遣り取りは所詮は単なる風評に過ぎないもの。確かに 批判される宏正会にとっては不愉快な事かも知れない。しかし これは宏正会が悪いのである。ある評判の悪い人物が 巷で色々と噂され批判されるのと同じ事。貴殿がもっと確かな証拠を見せろと言っているのは 評判の悪い人物が批判をしている人を見つけて「それなら証拠を見せろ」と言っているのと同じ事である。例えその場は治まったかも知れないが また同じような批判を繰り返すものであり どうすることもできないのである。
悪評の立った人がその悪評を消し去ることは容易ではないように 宏正会も悪評を消し去ることは容易ではなかろう。同じような事を続けていればもっともっとこの悪評は広がって行くのは明らかなこと。
例えば泥棒という悪評が立った人物がいれば 皆がその人物を警戒するように 風評・悪評も有意義な事もある。宏正会に対する批判も皆が警戒するようになり有意義なものであろうと小生は思っている。また このような宏正会に対する批判が宏正会に対する反省の材料となり 宏正会が変革する契機にもなり得るのではなかろうか。


このようなネットでの投稿は 残念ながら例え自ら実際に体験した事を嘘偽りのない言葉で真実を述べたとしても 「嘘でしょう じゃあ証拠を見せて」と言われれば 例え真実だとしても真実だということの証明はとても困難なことなのである。
「レイモンド」殿も同じであったが 「いや夫」殿のような者は 自分でも知っていてもここを突いてくるのである。「いや夫」殿は色々と言っているようだが 突いているのはこの事だけである。
しかし 前回述べたように ネットでの発言は警察に通報したり裁判で証拠として用いるものではないので 自ら体験したり思っている事を自由に発言していいのである。それを本当だと思うか嘘だと思うかは読んだ人が決めることである。もどかしいかも知れないが 泥棒がいてあちらこちらで被害にあっているという情報のように 皆か警戒心をもって宏正会を見ればそれで良しとしなければならないのである。

「いや夫」ちゃんの言っていることは ぜーんぶコピペか同じ事の繰り返し。
こんな幼稚でおバカな「いや夫」ちゃんにはコピペで十分。
ここの過去の投稿には 「いや夫」ちゃんをなだめるための材料がいっぱいあるよ。


 また、過去スレのコピペ。
層が薄いのう~、否定派は(笑)。

 理論で「いや夫」に渡り合える奴は、一人もいないことの証明ですなあ~。

 では、またこちらもコピペで応えよう。

(「愚息」のせいで、どんどん2ちゃんねる並のクソスレになってしまった。

 「愚息(元鉄槌)」についても、我がブログでカテゴリに分類しましたので、知らない方は、そちらをお読みください。この最低の男が、否定派の中心人物です。)

(コピペ引用開始)
長文の匿名さんへ

 こちらへのご回答はスルーですか?
また、認知的不協和理論を説明されていますが、そんなこじつけ必要ないでしょう。ストレートに「汝の隣人を愛せよ」ですよ。

 「愚息」は回答をはぐらかして、「匿名」でたくさん「いや夫」を中傷するばかりです。

 せめて「長文さん」位は、客観的な回答をお返しください。それとも、あなたご自身が義母を許せないケースなのですか?

(引用開始)
 「いや夫」が思うに、君たちって世間一般よりおかしな人たちなのではないですか?家庭愛和ができなくて、仕合わせになれると思っておいでですか?

 なお、これは君たちが大好きな「認知的不協和理論」で説明できるのです。

 世間一般では、家庭愛和するのが当然だ。ところが自分は家族を嫌っている。よって大きな不協和がうまれる。その不協和を解消するためには、その相手が「宏正会」という極悪な組織にだまされてい愚か者とすればよいのだ。

 なかなかするどい指摘だと思いますが、いかがですか?
 長文の「匿名」さんには、客観的な回答を期待したいものです。その位でないと、相手にとって不足です。「愚息」はまともな回答ができないでしょうね。期待していません。


投稿 いや夫 | 2010.02.27 10:52 午後
(引用終了)


投稿 いや夫 | 2010.03.02 06:19 午後

(コピペ終了)

(コピペ2開始)

 ゲームですね。
 しかし、最初にやっていたのはあなた(たち?)では?のべ何十人ものキャラのうち、実在するのは何人ですか?鉄男とか道男(鉄道)とか、現世とか現実とか、いいかげんなニックネームをつけて(ちゃんねらーはいつも「名無し」だから、ニックネームつけるの案外苦手なんだろう)、流れるような展開で。くさすぎます。一目でわかるでしょ。
 本物はわかります。自分の言葉を使えるから。

 聡明?なはずのあたなが、なぜこんなさくらの投稿を使うのか?それとも聡明じゃないあなたが、自分の投稿を補強するために打ったのか?

 どちらにしても、たいした奴ではないということです。
 というか確信犯だと自分で言っています。 

(引用開始)
宏正会について色々と批判することに それを裏付けるしっかりとした証拠を示す必要はないのである。警察に通報するにはそれなりの証拠が必要であろうし 裁判で人を裁くにはもっとしっかりとした証拠が必要であろう。しかし このようなネットでの遣り取りは所詮は単なる風評に過ぎないもの。確かに 批判される宏正会にとっては不愉快な事かも知れない。しかし これは宏正会が悪いのである。
(引用終了)

 風評を作っている張本人がよくもぬけぬけと言ったものである。
 しかし、腐っても鯛。否定派随一の論客であるあなたは宿題を解かねばならない。
 あなたはえばり過ぎました。「倫風宏話」にちゃちゃを入れるのはまずかった。。批判した以上は、それ以上の「建設的な」「武蔵講話」を期待しています。
 期待通りの内容でしたら、今後もぼちぼち批判をしにきます。
 「???」レベルのものなら、まあ、しょせんネットはそんなものと、なるべく気にしないようにします。

 それでは、あともう一つだけ投稿して、「いや夫」はレジャーに出かけます。

 会友の皆さん、彼らを説得するのは不可能です。たぶん、他の宗派の方なのでしょう。朝起会の風評被害を広めることが目的なのです。彼らの中傷に抗議の声を書いても無駄です。ニセの抗議の声もあるでしょう。ニセの「いや夫」が現れるかもしれません。彼らのくさい演技を楽しむのが、このブログの利用法です。

  もちろん、真実の声は、読めばわかります。いや夫が発掘して、我がブログに書き写していきます。

 ネットって変な世界ですねえ?

お時間のある方は、もう少しゲームを楽しみましょう。
課題「同一人物の投稿を見つけよう!」

 ちなみに、「たらこ」「よしこ」が同一人物で会をほめておいて、「どらえもん」がもうやめてもいいですね。など、多少の工夫は見られるようです。

 さあ、あなたはいくつ見つけられますか。

よければ、私のブログで教えてください。


http://58807828.at.webry.info/

投稿 いや夫 | 2009.10.16 07:59 午後

(コピペ2終了)

 「クライアントがどうのさん」へ

 他の投稿でごまかそうとしてもダメですよ。
 さあ、出ておいで。ホレホレ。

 ねぜ否定派が過去スレ攻撃をするのか解説しよう。

 「いや夫」登場以来、真っ向から討論を挑んできたのは、たくさんいることになっているが、実際には、「武蔵」と「愚息」だけなのです。戦っている本人が一番わかります。

「武蔵」=「長文さん」「鉄舟くん」「賢いくないさんん」「クライアントがどうのくん」などなど。

「愚息」=「ボケ老人」「至誠団」「鉄槌」「金槌」ダイヤモンド槌」他数えきれず。

 そして、「いや夫」にことごとく敗れ去り、今はみ~んな「匿名」と名乗らざるを得なくなっています。

 固定ハンドルが継続できない時点で、何と言おうと彼女と彼は負けているのです。

 「いや夫」登場以前は、この二人による連携プレーで、肯定派を抹殺することも可能でしたが、成りすましを見破られた今となっては、そんな手は通用しません。
 
 それでも、「武蔵(否会友)」は2ちゃんねるで10年間も否定派の中心人物として活躍してきた自負があるので、何度も「いや夫」に挑んできます。

 君との討論は、頭を使うのでおもしろいよ。「愚息」の一万倍、その力を認めているので、リアルタイムで討論しようよ。

 しかし、「武蔵」も「愚息」もリアルタイムの討論ででは、「いや夫」にかないそうにないことを悟ったようです。

 では、どうすればいいか。
リアルタイムの討論に持ち込まなければいい=過去スレ攻撃だ!

 というわけです。

 予想以上に、層が薄いのう~。

>理論で「いや夫」に渡り合える奴は、一人もいないことの証明ですなあ~。

笑ちゃうじゃありませんか。
このコピペで反論になってるの?
自分の空想の世界を得意そうにしゃべっているだけじゃないの。
「いや夫」ちゃんはやっぱり幼稚でおバカなお子様。
「いや夫」ちゃん論理の世界よりも空想の世界にいるんだね。
だから 「晒し首」になちゃうんだよ。

「いや夫」ちゃんはもう過去の人。
同じオツムからは同じ言葉しか出て来ないの。
「いや夫」ちゃんのたわいのない繰り返しには もう飽き飽きしているの。
「いや夫」ちゃん もう帰って来なくてもいいよ。
お疲れ様でした。

>「いや夫」にことごとく敗れ去り、今はみ~んな「匿名」と名乗らざるを得なくなっています。

ここは宏正会について意見を述べる場であって ゲームをやっているんじゃないのだから「匿名」でいいんじゃないの。
「いや夫」は完全にゲーム感覚でやっているので「同一人探し」などのゲームのテクニックが使えないので そのグチを言っているということ。

>リアルタイムの討論ででは、「いや夫」にかないそうにないことを悟ったようです。

何を言ってるの?
リアルタイムの討論をやった後で 「いや夫」がコピペを貼ったり 同じ事を言っているので その時のコピペを貼っているだけじゃないの。 

「いや夫」の言い訳にはいつも脱帽するねー。
自分の負けや都合の悪い事は 巧みに違う論点にすりかえてゴマカスやり方は「いや夫」の専売特許。

良い子は「いや夫」のような真似をしてはいけませんよ。
「いや夫」のような 世間に背を向け陰湿で根性の曲がった大人になっちゃいますよ。

「いや夫」は会社の苦情処理係にでもなれば出世するんじゃないの。 


「武蔵太陽神」とおぼしき、このところの長文否定派随一の論客と「いや夫」さんとは、IQが同レベルでありましょう。このスレ自体の効用は、論客氏が言うほどのものではありませんが、すこし論点をずらせた、「水かけ永久運動」はこんごも止むことなく続いていくことでしょう。
ご両人は、こんなスレには珍しい、論文執筆能力の備わったお方で、面白い見ものをいつもありがとうございます。

私から見れば 「いや夫」は論述内容はもちろんだけど 色々なネット上のテクニックを用いてガムシャラに立ち向っているけど いつも跳ね返されているやんちゃな子供という印象だけど。

「いや夫」の言っていることで まともなもの あるの?
ただただ 批判派の言っていることに いちゃもん付けているだけじゃないの。

「武蔵くん」は経歴詐称で消えました。
「長文さん」も同じように、バランス理論でごまかしをして苦戦したり、宗教論で「変節」を繰り返し墓穴を掘りました。
「賢くないさん」も、やはりごまかしと変節を指摘され、消えました。
「クライアントがどうのこうのさん」は、嘘がばればれでもう現れないでしょう。

 これで、否定派曰く、自分たちが勝っているつもりなのだからあきれてしまいます。ゲーム以前の次元ですなあ。

 相手のカードが見えるポーカーみたいなものです。つまらん奴らじゃのう~。

人様を嘘つき呼ばわりするからには、証拠をみせろ。いつも人に証拠を要求するなら、自分もそうしろ。 中身で反論できないからって、見苦しいねぇ〜。もうおわってるいや夫。

 証拠は「クライアントどうこうくん」自身が、自分は嘘などついていませんという説明をすればすむことなのだよ。真実ならば、実に簡単なことじゃ。

自分の居住地域やなんかを明らかにしろってせまってるのと同じことじゃん。そんなこと、するわけないだろ。バカじゃないの?なんか、投稿を勝手にゲームにしてるようだけど、 ゲームたのしみたかったらまずルールを覚えろよ!さ、嘘だという証拠をだしてみ。ほれ、ほれ。

かなわないと見るや、議論を放棄して、「そんなの嘘だ!証拠を見せろ」って喚いて見ないふりをする。ぜ〜んぶ目をつむって、耳をふさいで、相手が呆れて相手にしなくなったところで、勝手に無理矢理自分が勝ったことにする。いや夫の最近見つけたお決まりのやりかた。もう、ばれてる。自分でもむなしく、哀しいだろうに。可哀そう。

「いや夫」ちゃんの言っていることは 誰も信用していないから もう放っといたら。
「いや夫」ちゃんは幼児性が抜けていないようだから 自分が負けるということを受け入れることが出来ないんじゃないの。
要するに 駄々をこねている子供と同じ。

良い子は 絶対に「いや夫」ちゃんの真似をしてはダメだよ。
大人になっても「いや夫」ちゃんのようだったら 皆にバカにされちゃうよ。 

両陣営、「水掛不動永久運動論」で、続いておられるようだが、論述が長すぎて論点がぼやけます。
例えば、いうところの「陰倍加」については、「いや夫」さんとわたしが、素直にその心を汲んで、よしとしています。
ご両所に、このことだけを、現実に即してmax800字(30行)ぐらいで議論していただければ、ギャラリーそれぞれが、200字(10行)以内の短評ができると思います。

 別に住所を教える必要はない。個人情報を明かせなど言っていない。宏正会関係者からすると、「クライアントがどうのくん」のプロフィールは0点ですよ、もう少しましな嘘をついてみてね、採点するからというだけである。

 一向に再登場しないのが、真実を物語っている。
(今回は10行で十分。雑魚は字数の都合上無視ね。そういえば、最初から無視するって宣言してたし・・・。安心して悪口が書けるね。と泳がせるのも手。)

 早く出ておいで「クライアントがどうのくん」(笑)

 みんな短評で、完全にクソスレの2ちゃんねるそっくりだぞ。君の慣れ親しんだ舞台に近づいてうれしかろう。仲間のショッカーも待っているぞ。

カモン!カモン!

このようなネットでの投稿は 残念ながら例え自ら実際に体験した事を嘘偽りのない言葉で真実を述べたとしても 「嘘でしょう じゃあ証拠を見せて」と言われれば 例え真実だとしても真実だということの証明はとても困難なことなのである。
「レイモンド」殿も同じであったが 「いや夫」殿のような者は 自分でも知っていてもここを突いてくるのである。「いや夫」殿は色々と言っているようだが 突いているのはこの事だけである。

>いうところの「陰倍加」については、「いや夫」さんとわたしが、素直にその心を汲んで、よしとしています。

今回は 色々と批判の多い「影倍加」について 我の思いを述べる
「倍加」とは 新しい会員を宏正会に入会させることで これはどこの団体もやっている事で別に問題はない しかし 宏正会では「影倍加」と言って 会員が承諾もなく勝手に他人の名義で入会を装うことが行われている 
会員が自腹を切って 入会金600円と一年分の会費2400円 計3000円を払って 他人たとえば子供の学校の先生 主人の会社の上司 親戚 近所の人などの名義で入会届を偽造して その人が入会したように装うのである
この行為は 刑法上の有印私文書偽造罪という犯罪になるようであるが 会から「宏正会とご縁を結ぶことによりその人が幸せになって頂きたいと願ってするもの」と教えられてするものであるから 警察としても取り締まることはしていないようである
しかし 勝手に自分の名前を使われて知らない間に宏正会の会員になっている人にとっては(何も知らないといえばそれまでだが) 非常に不愉快な事であろう 
もし自分が勝手にオウム真理教の信者とされていたというような事を考えればその気持ちはわかるであろう
どうして この様な非道義的 非倫理的なことが行われているかを言えば それは「お祝い金」のところでも述べた事と同様に 会の指示によるものである
会は 各会場に毎月多くの新入会員の目標を立てさせその完達を求めるのである
会場としては そのために必死に新入会員を求めて普及活動をするのであるが 毎月毎月その目標の数に達するものではない そこで「影倍加」のようなことをして目標が完達したことに装うのである
会の本部としては これは末端の会員が勝手にやっている事なので関知しないトボケルのである
要するに 広域暴力団の上納金と同じようなものと思えばよい
大きな暴力団には多くの下部組織がある 下部組織はその上部組織に多額の上納金を収めなければならない そこで下部組織の親分は配下の組員に金を集めるように要求する 組員は合法的に金を集めることが出来なければ犯罪行為に走ってでも金を集めようとする そして 犯罪を犯したとして警察に捕まるのは組員であり 上部組織は「ウチには多くの組員がいるので 末端の組員のやることにいちいち目が届かない」とトボケルのと全く同じである
会としては 毎月毎月 (名目上だが)決まった数の会員が増え 3000円×目標人数の金が確実に入って来るのである
一人につき3000円の自腹を切って「影倍加」をせざるを得ない会員も被害者 名前を勝手に使われる人も被害者 悪いのは会員に新入会員の目標完達を求める会であり この様なことをさせている会長に全責任があるのは明らかである
決して「影倍加」をしている会員を責めてはならない
責任を追及されるべきは あくまでも会長である
毎月の会費 「お祝い金」そして「影倍加」などにより 会員は多額のお金を会に献金することになるが
 そこに「認知的不協和理論」が働くことを忘れてはならない
この理論の例としてよく用いられるのであるが
もし あまり良くない商品を非常に高い値段で買った場合にその商品を良くないものと見ることができるであろうか 何とかその商品のいいところを見つけて買った値段に釣り合うように見ているであろう
そのようにしないと心の中で不協和がおきてとて苦痛であるからである
卑近な例であるが いい娘さんがどうしてあんな男と離れないでいるのかと疑問に思うことがあるだろう
それは その娘さんが 身も心もそしてお金までもいったんその男に全部捧げたからである そこに「認知的不協和理論」が働き 「だって いいところがあるから」と一生懸命にその男のいいところを探して自分に納得させるのである
逆の例として 先日 テレビで「男をつなぎ止める方法」として若い女の人にインタビューした番組があったそうである そこである女の人は「男にいっぱいお金を使わせること」と答え 「そうすれば男はお金がおしくなって私から離れなくなる」のだそうである
まさに理にかなった方法といえよう
この様な例は 宏正会についてもいえるのである
宏正会にいっぱいお金を使えば たとえ人から色々な事をいわれても 宏正会のいいところを何とか探し出してなんとか自分の心の安定を保とうとするのである これがマインドコントロールというものである


しかし 前回述べたように ネットでの発言は警察に通報したり裁判で証拠として用いるものではないので 自ら体験したり思っている事を自由に発言していいのである。それを本当だと思うか嘘だと思うかは読んだ人が決めることである。もどかしいかも知れないが 泥棒がいてあちらこちらで被害にあっているという情報のように 皆か警戒心をもって宏正会を見ればそれで良しとしなければならないのである。

 コピペのごまかしなんか無視ね。

 武士道に反する行いは、見苦しいの~~~。

 出ておいで。「クライアントがどうのくん=武蔵」くん。ホレホレ。こっちの水はあ~まいぞ!

 否定派の卑怯な過去スレ攻撃に、過去スレ返しをするのは第三者に迷惑ですので、しばし、過去スレ返しを控えます。

 リアルタイムの討論で、否定派の層の薄さをご覧にいれましょう。


「影倍加」
上の長文氏の論点は、「会からの指示で毎月毎月一定数の会員が増え、3000円×目標人数の金が確実に入ってっくる・・」けれども、「会からの指示」の証明が出来ないので、こうして述べることを、信じる人は信じてくれるだけでいいのだ。お互いに注意しあって、泥棒に入られないようになればいいといわれる。
われわれの反論はいつも、「会からそんな指示はしていない」と言い、水掛不動尊論になっている。
傍証としていうならば、一昨年度の会公表会員数は、
3,441,624人で、昨年度は、3,384,727人、実に5万7千人も減少しており、今年度は約10万人減ると思われる。
再度申し上げるが、会のほうから、「影倍加」なんて絶対に指示していないので、長文氏に習って、「信じようが信じまいが」、いつの世でも、Believe it or not.であります。

 上記の方のいう通り。否定派は嘘ばっかりつくのです。「いや夫」がいつも勝つのは、嘘をつかないから。否定派は、いつになったら、嘘は損だと気づくのでしょう。ちゃねら~だから、死ぬまで気づかないのでしょうね。

 なお、一見さんの中には、「上の長文氏」が過去スレのコピペだということを知らない人がいるかもしれないので、念のため教えておきましょう。

 「いや夫」にリアルタイムで何度も討論を挑んでは、切り捨てられている「武蔵」くんのものです。
(1 武蔵 2 長文さん 3 賢くないさん 4 クライアントがどうのくん)

投稿 武蔵 | 2009.10.17 05:22 午後

私の会員手帳は存在します。しかし、会に入った記憶はありません。
会が指導していないと言い切るなら、指導者が悪いとなる。いづれにせよ更正を望む。

 え~!それが「クライアントがどうの」くんの回答なの???

 全然疑問に答えてないじゃん。なぜ、具体的に説明しないの?余計に疑われてしまうよ。君は、まがりなりにも、否定派随一の論客なんだよ。今回のことは、君にとって実に有利な話のはずだ!会の問題点をただす意味でも、しっかり訴えよう。怖いものなんて何もない。「いや夫」も応援するぞ。

 さあ、「クライアントがどうの」くん。事の次第を説明してご覧。ホレホレ。

あれ、いや夫くん、人違いはやめて、証拠、証拠早、く早く。おばかさん。

嘘だという証拠は?やっぱり出せないのね。おバカちゃん。もうあんたの負けはわかっちゃってるよ。中身でやってね。バカには無理だろうけど。

あれ?論理派の方にいや夫さんはどうしてきちんとその内容で答えないの?正当な理論には得意のコピペが通用しないからかな。いや夫ちゃん、もうとっくに死んでるよ。

いや夫、やっぱり負け犬。ちゃんと理論でどうぞ。先頃の方に何も答えられていませんね。得意の理論とやらはどうしたの?

  連続投稿は、同一人物だとすぐわかるから、ちゃんと間隔を開けなさいという「いや夫」のアドバイスを忠実に守り、30分づつ開けての連続投稿ご苦労さん。

 必死だなあ~(笑)

 ショッカー(=愚息)も、今回の「クライアントがどうのくん」の失態が、否定派にとってかなり致命的だということがわかっているらしい。

 第三者に説明しよう。

 「クライアントがどうの」くんが、「愚息」ならば、何のこともない、いつもの否定派のお馬鹿さん攻撃である。

 ところが、これが実は理論派であるはずの、「武蔵」くんによるもの。

投稿 匿名 | 2010.07.18 10:32 午前
投稿 匿名 | 2010.07.19 02:18 午前

を読めば、それは明白である。

 これまで、なるべく自分が「武蔵」であることを悟られないために、「長文さん」や「賢くないさん」で、性別を変えて(こちらが実際の性)投稿してきたが、ことごとく「いや夫」に破れてきた。

 もう「いや夫」には成りすましはバレバレなので、開き直って、偉そうで上から目線の以前使っていた「武蔵」の文面で投稿を始めてしまったのである。

 そういえば、「武蔵」くんは、成りすましはそんなに簡単に見破れるものではない、中身で判断すればいいというようなことを書いていたけど、今回もそんな風にごまかして「なかったこと」にするつもりなのでしょうか?そんなことはさせません。否定派が嘘ばっかりついていて、否定派随一の理論派が、やっぱり、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元」ババアだということを証明する絶好のチャンスなのです。

 むか~し、むかし、「いや夫」が登場する以前の「武蔵」は、否定派の論客として大活躍をしていました。しかし、過去の栄光を取り戻したくて、つい昔の文面を真似してしまったのでしょう。一人で、いろいろ演じるから、そんな墓穴を掘るのです。いいかげん成長しなさい。といっても、自分が一番のアラフォー女に成長しろと言っても無理か?(女性は年齢をごまかすから、本当はアラフィーかもしれんな。)

 さあ、自分は「武蔵」ではないというのなら、「クライアントどの」、出ておいで。

「クライアントに」 さんにやり込められて(何もいえなくて)打つ手がないいや夫さん。中身はないのに、どうするんだろう。

 いつ「いや夫」が「クライアントがどうのさん」に「やりこめられた」のかな?

 「クライアントがどうのさん」は、逃げまくっていて、出てこないのだが???

 こうやって、愚息などにいちいち構ってしまうほど、「いや夫」は暇をもてあましているぞ。
 仮想現実の世界にひたっていると、幻想が見えるようになるのかね?

「クライアントに」 さんに「いや夫」がいつもの言い掛かりをつけているようだが こんな言い掛かりなんか放っておけばいい。
事実を述べた投稿には 必ず「いや夫」は「嘘でしょう」「証拠は?」と言って来る。
こんなのに怖気づいていたら ますます「いや夫」は付け上がって来る。
こんな時は「信じないのならそれで結構。」とでも言って突き放しておきなさい。
それを信じるか信じないかはこのブログを読んだ人が決める事だから それで十分。
それ以上「いや夫」を相手にする必要はない。

それから 投稿した人を「いや夫」は色々な人と結び付けてくるが これも「いや夫」の常套句。
こんなのも放っておけばいい。
「いや夫」は否定派を少数とすれば自分にとって都合がいいので 必ず誰かと結びつけてくる。
こんなものは あくまでも「いや夫」の想像の世界のだから 勝手に想像させておけばいいこと。
「いや夫」以外全部「匿名」なのだから このブログを読んだ人は書いている内容を見ているのであって 誰が書いているかをいちいち気にしている人はいない。

「いや夫」は常にこのブログの読者を意識していて 都合のいいように自分を飾っている。
しかし このブログを見ている人は 2chと違ってレベルの高い人。
「いや夫」は自分では頭がいいと思っていて 他の投稿者やこのブログを見ている人をバカにしているようだが大間違い。
「いや夫」の子供だましのようなゴマカシはすべてお見通し。
自分では騙せていると思っている「いや夫」は道化師。まったくのお笑い者。
どうぞ「いや夫」を笑ってやって下さい。

もしこのブログを見ている人で「いや夫」のゴマカシを見破れない人は 自分のIQが低いと思って下さい。

相手の話の内容に反論できないで、バカなことを言ってる状態でしょ。そういうのを「やりこめられた」って言うんだよ。常識の無いいや夫くんは知らなかったのかな?

もうこのブログは終わったようですなー。
原因は「いや夫」にあるのは明白でしょう。
「いや夫」は同じ事ばかり言っているので コピペを貼られてそれで済まされてしまっている。
これでは永遠に こんなことが続いて行くことになる。

今の「いや夫」は 討論では負け続けとうとう晒し首になった屈辱を クダラナイ言い掛かりを付けて必死に誤魔化している 哀れな奴だ。
「いや夫」は長い間このブログに居座っているけど 「いや夫」の言っている事でまともなものがあるのか。
何か残っているものがあるのか。
ただ否定派にイチャモンを付けているだけで 結局「いや夫」の言っている事で記憶に残るものは何もない。

そもそも 「いや夫」はゲームならのゲームのルールというものがあるはずなのにそれを無視している。
自分の負けを後から屁理屈を付けて自分が勝ったことにするのは もうゲームではない。
晒し首にされて誰もが納得する結末で負けても それすらも自分が勝ったとするのはもう普通の人間ではない。
精神異常者として「いや夫」を見るしかない。
「いや夫」を普通の人間として見ては 皆 頭がおかしくなって来る。
老人に「まだらボケ」というのがある。
一見 話を聞いているとまともなようだけど しばらく話をしていると所々おかしな所が見えて来る。
まさしく「いや夫」はこの「まだらボケ」。
ウサギの糞のような切れ切れの文章しか書けない幼稚な「いや夫」の書いたものを見るという殊勝な人がいたら この事をあらかじめ頭に入れておかないと 話が通じなくなってしまう。

もっとも「いや夫」は意図的にこのような「まだらボケ」のような状況を作っているのだろうが「いや夫」には小さな子供がいるんだろう。
例えゲームと割り切っているにしろ オヤジがこんな嘘・ゴマカシをしていると 今のその心・精神というものは必ず子供に通じて行くことになる。
「いや夫」も自分の子供には 自分の状況を誤魔化し自分を繕う大人に成長してほしくはないのではないのかな。


このブログで所々に顔を出しているご老人。
「いや夫」に好意的なことを言っているようだけど かなり脳軟化症が進んでいるようですなー。
しっかりと書かれたものを読んでないと 「いや夫」特有のゴマカシに騙されてしまいますよ。
あなたも 「いや夫」といっしょに 皆に笑われてしまいますよ。

倫風8月号「倫風宏話」で 会長は『今日一日を「好日」に』という一文を載せている。

「日日是好日」という禅語を宏正会流に解釈したもののようである。
言っていることは 真にもっともな事で誰も異をはさむ者はいないであろう。

しかしだが 宏正会はいつの間に「禅宗もどき」になったのか。
宏正会の教えは「ひとのみち教団」や「倫理研究所」の丸山敏雄の教えのパクリだと云われ続けているので 禅宗の方に方向転換をしたのか。
春の大会では臨濟録から「随処作主 立処皆真」を引用している。
聞く所では これまでにも「十牛図」「一期一会」「隻手の声」などの禅語が引用されたようである。
禅語というものはたくさんあるから これからもネタには事欠かないはずだ。

宏正会の初代会長は戦前の「ひとのみち教団」の教師をしていたことはもう周知の事実。
「ひとのみち教団」は徳光教の流れを汲むものであるが 「ひとのみち教団」の教祖 御木徳一は徳光教の教祖 金田徳光に師事する前は黄檗宗(禅宗の一派)から得度し愛媛県松山の安楽寺の住職をしていた。
また徳一の長男で「ひとのみち教団」の二代目教祖であり戦後PL教団を創った御木徳近は 小学校を卒業後 黄檗宗の大本山 万福寺の沙弥黌に入って修行をしている。
「ひとのみち教団」では初代 二代目共に教祖が禅宗の修行をしており その教えには禅語を用いていたことが十分に考えられる。
ということは 宏正会が禅語を使って教えを説くということは すでに「ひとのみち教団」からされていたことであり 宏正会もそれを受け継いだものということができる。
結局 宏正会は「ひとのみち教団」の再現と云ってよいのであるまいか。 

禅宗についてよく知らないが 禅宗では座禅とか禅問答などで修行を重ねて「無」の境地に至ることが「悟る」ということらしい。
宏正会は いかにも大阪を発祥とし現世利益を求める徳光教の流れを汲むものであるから 宏正会の教えも現世利益的な教えを引き継いでいる。
宏正会は「実践倫理」宏正会と名前を付けているように 「倫理」を標榜しているからには人との関わりを説かなければならない。
そのためには「我も人ものため」という言葉ははずせないということなのであろう。
また「実践」と云う語を付けているので 会長としては会員を実践に駆り立てる教えでなくてはならない。

これからも 会長は禅語を引用して 「我も人ものため」という言葉を付け会員を実践に向けて解釈するという 宏正会流解釈は続いて行くのではあるまいか

 さあ、「クライアントがどうのくん」
早く出ておいで。

 君のお仲間(実は君自身だけど)がいっぱいだから心強いぞ。

 「いや夫」なんかにおじけづいていないで、とっとと出てきなさい。

 「クライアントがどうのくん」以外の投稿は無視して、読んでもいません。

 早く出てきて欲しいなあ・・・。ホレホレ。

投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後
は、どうみても「武蔵」くん。

 ひきょうだねえ~~。

 いくらでも相手してやるは。待っていろ。

 その前に、「クライアントはどうのこうの」のキャラの落とし前をつけろ。それが先だ。すっとぼけるのもいいかげんにしろ。

 さあ、「クライアントがどうの」くん(キャラ)。早く出ておいで。そうでないと、否定派は嘘ばっかりじゃん、と見下されてしまうぞ。自分の発言には責任を持ちなさい。今は君がこのブログの主人公だ。主人公抜きで話をすすめるわけにはいかんのだよ。待たせるのはいいかげんにしておくれ。

 ホレホレ。書け!書け!

ブログ開設者のご婦人は何故登場しない。これだけ掻き回されて。
家庭円満なら、ここにはこないだろうし、宏正会に入会もしなければ、肯定もしないだろう。
朝の誓いの実践を家庭内で実践していれば、何も問題は起こらない。それが、会員拡大、金の集金の為の合言葉に変身したがかめに問題が噴出し続けている。

 愚息がショッカーをやっている分には、低レベルな奴だから仕方がないと見逃すが、今回は武蔵がショッカーを始めたので許せん。

 投稿 匿名 | 2010.07.20 10:46 午前
 投稿 匿名 | 2010.07.20 01:56 午後
 投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後

 は、どうやら「武蔵」らしい。自分でタネをまいた「クライアントがどうの」で、「いや夫」にさんざん挑発されて、どうしようもなくなって自分で自分を弁護を始めるという開き直りを見せている。

 「いや夫」にことごとく破れているくせに、自分が勝っていると虚言を吐いているのが憐れである。

 弱い者いじめは嫌いだが、あまりに開き直るのでもう許せん。

 否定派がどれほど「いや夫」に破れてきたか、ちゃんと説明してあげよう。

 いかなる中傷も、過去スレのコピペも無視する。お前達の言っていることが、いかに妄想がすべてかき立ててやろう。

 ちなみに、「クライアントがどうの」くんが現れたら、作戦は即刻変更して、彼女とのリアルタイムの討論に移る。その方が第三者も楽しかろう。

 否定派がいじめられているのも見ても、実践者は何もうれしいとは思わないだろう。君らとは違うのだ。

 なお、このブログでは、「いや夫」がまるでいじめっ子みたいだが、それは勘違いである。

 宏正会の実践者は、2ちゃんねるでことごとくいじめられてきたのである、。このブログでも、「まるまるまあるさん」「ぴろりさん」「高貴高齢者さん」など、人格的にすぐれた方々が、罵詈雑言を浴びせられて投稿できなくなったのだ。

 「いや夫」がいる限り、そのようないじめは絶対に許さない。いじめっ子をいじめるのは、それほど悪いことだとは思わない。「いや夫」はその程度の徳なのだ。だから、実践者と違って、よってたかって否定派が攻撃しようとびくともしないのだ。

 愚息がショッカーをやっている分には、低レベルな奴だから仕方がないと見逃すが、今回は武蔵がショッカーを始めたので許せん。

 投稿 匿名 | 2010.07.20 10:46 午前
 投稿 匿名 | 2010.07.20 01:56 午後
 投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後

 は、どうやら「武蔵」らしい。自分でタネをまいた「クライアントがどうの」で、「いや夫」にさんざん挑発されて、どうしようもなくなって自分で自分を弁護を始めるという開き直りを見せている。

 「いや夫」にことごとく破れているくせに、自分が勝っていると虚言を吐いているのが憐れである。

 弱い者いじめは嫌いだが、あまりに開き直るのでもう許せん。

 否定派がどれほど「いや夫」に破れてきたか、ちゃんと説明してあげよう。

 いかなる中傷も、過去スレのコピペも無視する。お前達の言っていることが、いかに妄想がすべてかき立ててやろう。

 ちなみに、「クライアントがどうの」くんが現れたら、作戦は即刻変更して、彼女とのリアルタイムの討論に移る。その方が第三者も楽しかろう。

 否定派がいじめられているのも見ても、実践者は何もうれしいとは思わないだろう。君らとは違うのだ。

 なお、このブログでは、「いや夫」がまるでいじめっ子みたいだが、それは勘違いである。

 宏正会の実践者は、2ちゃんねるでことごとくいじめられてきたのである、。このブログでも、「まるまるまあるさん」「ぴろりさん」「高貴高齢者さん」など、人格的にすぐれた方々が、罵詈雑言を浴びせられて投稿できなくなったのだ。

 「いや夫」がいる限り、そのようないじめは絶対に許さない。いじめっ子をいじめるのは、それほど悪いことだとは思わない。「いや夫」はその程度の徳なのだ。だから、実践者と違って、よってたかって否定派が攻撃しようとびくともしないのだ。

逆鱗に触れた?何故、猛反対しようとするのか?組織に近い存在であり、ゴーストライターでは?自分の論理(理論ではなく)が間違っていると困る?

 いかに否定派は敗れてきたか その1

 まずは、「いや夫」登場直後から「武蔵」登場までの討論を振り返る。

 もう遠慮はせん。いやみ全開で解説する。

(引用開始)

投稿 いや夫 | 2009.10.09 06:58 午前
 まず、自己紹介と、否定派の分析(今となってはほとんど図星)を載せ、討論開始の意志をつげる。


投稿 いや夫 | 2009.10.09 07:15 午後
 「武蔵」の「経済」へのいちゃもんについて、その論理の破綻と、無意味さを載せ、反論を待つ。


投稿 いや夫 | 2009.10.09 07:21 午後
 「倫風」の要点を載せ、いかに価値のある記事が載っているかを紹介する。また、「経済」について、会長先生と同様の考え方である副島隆彦氏の思想について紹介する。


投稿 匿名 | 2009.10.10 10:16 午前
 「いや夫」も実践者も自己中であるとの批判。今までのブログでは大変めずらしい「匿名」である。「いや夫」の投稿を読んで、ただものではないと警戒してのこと。そして、その文章はまさに「武蔵」が本来の性別にもどったときのもの。ちゃっかり「匿名」でさぐりを入れているのである。用心深い「武蔵=否会友」である。「いや夫」はすでに、そのつもりで討論しています。

投稿 テラ | 2009.10.10 12:32 午後
 うざくて読む気しないと、2ちゃんねる丸出しの悪口。これが「否会友」本来の口調。出た出たと「いや夫」ほくそ笑んでおりました。


投稿 いや夫 | 2009.10.10 02:09 午後
 「匿名」に対して、ネットで本来の姿がわかるのかという根本的な疑問で反論。ちゃねら~はネットで何でもわかると思っている。それがそもそもの間違いなのだ。


テラ様
 
 コメントありがとうございます。
「匿名」様へ返事した通りのへたれです。
朝起会の教えを実践できるほど、徳の高い
人間ではありません。
しかし、朝起会の教えが間違っているか
どうかはわかるつもりです。

 自分のブログを宣伝する意図もあって、
こちらにて投稿させていただきます。
ネットゴラムの相手を、自分のブログで
するのは疲れるからです。

 その程度の人間です。
長文は、自分のブログを貼り付けた
省エネ投稿です。
反論される意図をしぼろうと、事前に
自分の考えを投稿させていただきました。
(引用ももちろん使いますが、ほとんどは
私の言葉ですよ。といっても、一個人の
私見なんて、誰かの言葉の寄せ集めに
すぎないのも事実です。)
反対派の人は、さっと流し読みしてください。
私も反対派の意見は、「口ばっかじゃん」と
ささやきながら、流し読みしております。

投稿 いや夫 | 2009.10.10 02:19 午後
 テラへ、「いや夫」は徳がないこと、否定派の投稿など嘘ばっかだと全面否定して馬鹿にする。


投稿 いや夫 | 2009.10.10 02:29 午後
 「匿名」へ、「強引な勧誘」については、「いや夫」も思うところがあることをつげる。「いや夫」は常に是は是、非は非で討論する。何でもかんでも否定する嘘つきのちゃねらーと最も違う点であり、それが強みである。


投稿 テラ | 2009.10.10 05:12 午後
 まだまだ宏正会の仕組みについて あまりご存知ないようですね。と「いや夫」を馬鹿にする。

テラ様へ

 いわゆる裏の教えという奴ですね。
「武蔵」様のコメントから引用します。

(引用開始)
前回 小生は、他の新興宗教と同じように 宏正会にも「表の教え」と「裏の教え」があるとした。
「表の教え」とは、会長が自分の著作や『倫風』に書いたり 大会などで多くの会員に演壇している教えである。
「裏の教え」は、会長自ら文字で残したり会員の前で指導したりはしない。問題になった時に「会長はそのような指導はしていない」と言い逃れを作るためである。「裏の教え」は、裏のルートで会の幹部から地区の幹部へ そして各会場の幹部へと伝えられる。一般の会員へ伝えられるのは各会場の幹部を通してである。このように裏のルートを通して伝える事で 批判や非難が直接会の本部や会長に及ぶことを防ぐのである。

(引用終了)

 テラ様は、こういう記事を読んで、それが真実
だと判断されたのでしょう。
私は、ネット上の記事はそのまま信じることは
いたしません。
出典を示さない卒業論文みたいなものです。
そのようなものには、何の価値もありません。
(本当の会友さんの苦労話などは、読んでいる
と何となくわかります。同じように、これは作り
話っぽいなあと読んだりもします。)

 「武蔵」様か「テラ」様が会長先生より直接
そのような指示を聞いたのであれば、
それは一次資料です。
録音テープをユーチューブに投稿してください。
それで、この不毛な討論は解決します。
「武蔵」様や「テラ」様が最高幹部だとは
思えませんが、ちがいますか?

 もし、ネット上の記事をそのまま鵜呑みに
されているとしたら、自らの洗脳されやすさ
についても振り返ってみてください。

 私としても、集まったお金が無駄なことに
費やされるばかりなら、この会を擁護しません。
倫理普及のために、清濁併せのむ資金が
必要ということであれば、許容いたします。


投稿 いや夫 | 2009.10.10 06:31 午後
 裏の教えがどうこうというのが、実はネット上の空想に過ぎないことを指摘。本当だというなら、ユーチューブに投稿してみろ。幹部でもない部外者のお前たちが何を知っているというのだ。ボケ。

投稿 いや夫 | 2009.10.10 07:58 午後
 否定派がどんな意図で批判を繰り返しているのか、その理由を明かすよう要求する。ほとんど正直に答える奴はいなかったけどね。唯一明かしたのは「愚息」だけ(笑)。他の宗教からの攻撃の疑いが強いとの「いや夫」の感想を明かす。
 なお、これは基本的に今も一緒です。「否会友」が個人的な義母に対する恨みで宏正会を攻撃するという特異な例はありますが、それ以外は、他の宗派の攻撃だと思っていいでしょう。
 一応会友である実母を恨んでいるというプロフィールを明かした「愚息」ですが、こやつは「カントおたく」です。そして、2ちゃんねるでも、リアルタイムでいまだにカントがどうのこうのと投稿しています。

★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★22★★☆
http://www.unkar.org/read/anchorage.2ch.net/live/1272188805
より
(引用開始)
356 :名無しさん@HOME:2010/07/15(木) 22:42:03 P
カントでは、かの有名な定言命法、
「汝の意志の格率が、常に、同時に、普遍的立法の原理として妥当し得るように行為せよ。」
つまり、

「汝の人格における、並びに、すべての人格における人間性を、常に同時に、目的として取扱い、
決して単に、手段としてのみ取り扱うことのないように行為せよ。」

そのように行う人である。
この思想はフィヒテ、シェリング、ヘーゲルの思想へと発展し(ドイツ観念論)、マルクスに受け継がれる。
マルクスを理解するには、カント哲学の理解が必要になる。
(引用終了)

 さて、なぜ「愚息」はこんなにもカントに執着するのでしょうか?その答えは、「いや夫」のブログにて説明しています。

 創価学会の教えの中で、カントは重要な意味をしめているようです。
 創価学会は以前から、日蓮正宗こそが真実の教えであり、他の宗派は邪教であるとして、攻撃を加えてきた。折伏という。表だっての折伏は控えるようになったらしいが、ネットではこれを続けているのである。否定派がなぜこんなに執拗に攻撃し続けるのかを考えたとき、「愚息」だからという理由よりも、宗教がからんでいると思った方がしっくりくる。おそらく、「愚息」のプロフィール(会友である実母を恨んでいる)も事実であり、創価学会の信者でもあるのだろう。

(引用開始)

鉄槌へ(「いや夫」注:愚息のこと)
 2ちゃんねるで、実践倫理宏正会を知るための本として紹介されていた
『情報化社会における神々の再生 現代日本の新宗教』沼田健哉著を読みました。
いい本を紹介してくれてありがとう。宏正会の良さを客観的に述べた良書です。否定派と肯定派の両方がおすすめするこの本を皆様にもおすすめします。図書館で借りて読んでください。
 さて、この本の中で、「創価学会」について解説したページに、気になる文がありました。P169より
(引用開始)
 本門の戒壇とは、一国の総意をもって本尊を祀る道場を建てることを意味し、国立戒壇とは、本来的には天皇・将軍が法華経に帰依して、日蓮正宗を国教にするということを意味している。
 次に、牧口の価値論とは、人生の目的は幸福の追求にあり、幸福の追求とは価値の創造であるという主張である。彼は、新カント派の真善美の価値説の影響を受けつつ、そこから真を除いて利を入れ、美利善の三段階の価値体系を提示する。・・・
(引用終了)
 君が「カント」にこだわる理由はこれなの?
君はそちらの方で、宏正会攻撃(折伏)担当なのかな?
投稿 いや夫 | 2010.01.07 10:52 午後
(引用終了)


投稿 究明団 | 2009.10.10 08:15 午後
 「愚息」が本性をあらわした投稿をする。
(引用開始)
「いや夫」 いつまで一人でダラダラと続けるつもりだ。
ここはお前のブログではなかろう。イイカゲンにしろ。
(引用終了)


投稿 いや夫 | 2009.10.10 09:11 午後
 「太陽神」や「武蔵」にも言えと反論。


投稿 究明団 | 2009.10.11 02:35 午後
 「太陽神」や「武蔵」の投稿の方がすぐれておるは。自分のブログでつぶやいていろと高飛車。ちゃねらーでアホだから仕方ないな、こいつは。


投稿 ボケ老人 | 2009.10.11 06:38 午後
 また「愚息」。やれやれ。「倫風」の悪口を書く。(この投稿のために、後々「いや夫」にレポートの提出を命令されることになる。)

投稿 いや夫 | 2009.10.11 07:05 午後
 長々と書いているのは、否定派が今まで占拠してきたからだ。お前らの言っていることなんか、簡単に論破できるは、と豪邸がどうのこうのへ反論。う~ん、簡潔な主張だなあ~。今でも、この「いや夫」の投稿を論理的に破った者はゼロ。否定派は層が薄いのう~。


投稿 いや夫 | 2009.10.11 07:27 午後
 ボケ老人が「愚息」であることは百も承知で、からかう。

投稿 いや夫 | 2009.10.11 07:37 午後
 宏正会の先代会長の息子として産まれてしまったばかりに、会長職を継がねばならない世襲のつらさを論ずる。血も涙もない否定派は「世襲のつらさ」などには、まったく考えが及ばないのである。

投稿 ボケ老人 | 2009.10.11 07:55 午後
 長幼の序に反する例として、お年寄りが駐車場係をつとめていたと反論。


投稿 いや夫 | 2009.10.11 08:21 午後
 各自、本当に宏正会を知っているのか?参加したことがあるのか?それを明らかにせよ、と批判派によびかける。

投稿 いや夫 | 2009.10.11 08:49 午後
 ボケ老人が宏正会が長幼の序を大切にしていることさえ知らないことを指摘。駐車場係について、経験者の投稿を呼びかける。(これは成りすましの実験への布石。)

投稿 いや夫 | 2009.10.11 09:59 午後
 本を読んで書くのがなぜいけないのだと、反論。読まない奴は馬鹿じゃん。当たり前だろ。


投稿 いや夫 | 2009.10.12 06:10 午前
 「現場を見てもらいましょう」と呼びかける。

投稿 究明団 | 2009.10.12 07:29 午前
 会長宅について反論。


投稿 いや夫 | 2009.10.12 09:59 午前
 一部を等価交換じゃ。その内容まで調べねば両手落ちだ。レベルが低いくせに反論するなと一喝。


投稿 駐車場案内担当 | 2009.10.12 03:13 午後
 成りすましの実験として、「いや夫」が駐車場係さんの気持ちになって投稿。否定派はいつもやっていること。しかし、肯定派が行ったのは、これが始めて。


投稿 いや夫 | 2009.10.12 04:41 午後
 ボケ老人わかったか、ちゃんと参加してから投稿しろと、いう内容を(相手は、成りすましでも何でもする、とんでもない奴だということはわかっていながら。)ていねいに諭す。


投稿 いや夫 | 2009.10.12 06:13 午後
 ネットはうそばっかりで当てにならない例として、「いや夫」自身の成りすましを告白。そして、否定派が今までさんざん成りすましをしていたことを明らかにする。

 ここが、このブログの一つの分岐点ですな。
それまでは、成りすましをする奴が優勢でした。
しかし、これ以降は成りすましをしている奴が、「いや夫」によって、次々と化けの皮をはがされ消えていくのです。ゲームの始まり、始まり~。まあ、この時点で、否定派の層の薄さにはうすうす気づいていた「いや夫」ではあります。しかし、思った以上に層が薄いなあ~というのが、今の感想。


投稿 匿名 | 2009.10.12 06:26 午後
 出た出た「匿名」。実は「武蔵」である。「太陽神」や「武蔵」を讃える。本当にナルシストな奴だ。てめえが「太陽神」で「武蔵」でもあることなんぞ、ばればれなんだよ。


投稿 これなんて魔法?www | 2009.10.12 06:59 午後
 エロ投稿攻撃。馬鹿だねえちゃねら~は。愚息のしわざです。


投稿 いや夫 | 2009.10.12 07:36 午後
 「匿名」よ~。お前の正体はわかっているんだよ。どんなプロフィールか明かしてみろよ。という内容を紳士的に投稿。


投稿 いや夫 | 2009.10.12 08:40 午後
 「認知的不協和理論」がおこちゃま向けのくだらない理論で、ひとのみちよりはるか後に日本で紹介されたことを、wikiから指摘。まあ、「武蔵」も所詮ウィキペディアちゃんのお子ちゃま論文なので、ちゃかちゃかっと反論できるのである。


投稿 匿名 | 2009.10.13 09:01 午前
 論理では負けるので中傷を始める。
(引用開始)

言葉を出しさえすれば 勝っていると思っているバカ。
そこらのチンピラと同じ。
「いや夫」=「バカ夫」

(引用終了)

 お~、いやだいやだ。たった一人の「いや夫」が、この頃はいやみの半分も出していない左団扇状態なのに、劣勢になって切れている。否定派の育ちの悪さが丸出しだ~。否定派が劣勢なので、この後、いよいよ真打ち「武蔵」が登場するのである。

 続きはまた明日。

 早く出てこいよ~。「クライアントがどうのこうの」くん。

このスレで「宏正会」を擁護しているのは、実質的に「いや夫」さんと、たまにでてくるわたしぐらいで、他の人は、「武蔵・太陽神」殿を筆頭に、なぜか一生懸命非難をしています。
中傷された脳軟化症のアタマを振ってみても、「そうかも知れんが、ああかも知れん」と、永久水掛け論が続いていきますな~。
それはさておき、お願いは、も少し短く語っていただきたいことです。戦中派は兵学校に習って、一つのレポートは、Hの鉛筆を尖らせて、一銭五厘の切手の裏に書ける長さとしごかれたものです。
心配ご無用です。言いたいことをどんどん言ってください。「実践」してるのは、爺婆ばかりです。それがどうなろうと、あなた達に関係ないでしょう。

いや夫さん、また、外れのあてっこと、的外れな屁理屈恥曝しを。相手にされなくなって、淋しいのだろう。文面や内容を見ればわかることだけど、相手は大人だよ。いつまでも幼児相手に遊んではくれないんだよ。見捨てられて気の毒だけどね。ただ人を不快にさせれば満足なんて、もうお止めになったほうがいいです。これ以上の醜態ははっきり言って見苦しいだけです。

そもそも論(理論ではなく)で裏の活動があると、表で発言する組織はない。
漢検が良い例かと。裏表が存在しないのが当然。
この組織は、民間教育団体、修養団体と言いつつ、会員拡大、集金方法を軌道修正出来ずにいる、これは多く語られている現実事実。

バカ夫 無謀な戦に挑むも負け続け 遂には晒し首

今では バカにされ 相手にもされず

残る道は 奈落の底

最後の叫びは 無間地獄への断末魔

 

「いや夫」さん 何をいっぱい書いているの?

ゲームに参加していない人には こんなこと書かれても無意味  
いちいち読む気しない


宏正会の初代会長は倫理研究所の丸山敏雄に師事したとされています。
倫理研究所を創設して「純粋倫理」を宣布した丸山敏雄は そのエッセンスを17ヵ条の標語に要約して生活の指針としました。宏正会の「五つの誓い」のようなものですね。

万人幸福の栞
第1条 今日は最良の一日、今は無二の好機【日々好日】
第2条 苦難は幸福の門【苦難福門】
第3条 運命は自らまねき、境遇は自ら造る【運命自招】
第4条 人は鏡、万象はわが師【万象我師】
第5条 夫婦は一対の反射鏡【夫婦対鏡】
第6条 子は親の心を実演する名優である【子女名優】
第7条 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号【疾病信号】
第8条 明朗は健康の父、愛和は幸福の母【明朗愛和】
第9条 約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う【破約失福】
第10条 働きは最上の喜び【勤労歓喜】
第11条 物はこれを生かす人に集まる【万物生々】第12条 得るは捨つるにあり【捨我得全】
第13条 本を忘れず、末を乱さず【反始慎終】
第14条 希望は心の太陽である【心即太陽】
第15条 信ずれば成り、憂えれば崩れる【信成万事】
第16条 己を尊び人に及ぼす【尊己及人】
第17条 人生は神の演劇、その主役は己自身である【人生神劇】

この第一条の「日々好日」は 言葉としては「倫風8月号」の倫風講話「今日一日を好日に」と同じようですね。
倫理研究所のHPの解説は 
 『寒い日、暑い日、晴れた日、雨の日といろいろあるけれども、どの日がよくてどの日がわるいということはない。今日が、いちばんよい日である。その今日は、 今のこの一秒の集積にほかならない。今が最良のときだと心得て、気づいたことを直ちに行おう。』 としています。

また ある倫理法人会の解説では 少し詳しく次のように解説しています。 
『今日はまたとめぐって来ない。昨日は過ぎ去った今日であり、明日は近づく今日である。今日の外に人生は無い。人の一生は、今日の続きである。 昨日を悔い、明日を憂える人がある。これは今日の影法師にびくついている人。 今日一日、これは光明に輝き、希望にみちみちた、またなき好き日である。今日しなければ、何時その日が廻って来よう。今日をとりにがす人は、一生をとりにがす人である。 「気づいた時、気がるに喜んでさっと処理する。」「気づくと同時に行なう。」-これは成功の秘訣、健康の秘法である。ずぼら者、ぐずつく人、これは皆「今」をとりにがす人。光陰矢の如し。 気づいた時-それはその事を処理する最高のチャンスである。それをのばせば、次第に条件がわるくなる。事情の最も高潮に達した時、その波動が、人の脳に伝わって気が付くようになる。これは、「気づくとすぐする」という、ほんの日常の、しかし絶対な生活倫理の実践によって証明せられる。 気が付いても、いっこうに手を出さず、強情をつっぱって、なまけ心、心配性が顔を出して、せっかくのチャンスを取りにがす。世の中には宝の山に入りながら、素手でぶらぶら引返す人が、どれだけあるであろうか。思い立つ日が最上吉日である。』

「日々好日(日々是好日)」を倫理研究所では宏正会の「五つの誓い」の三番目「気付いたことは 身がるに直ぐ行ないます」のように解釈しているようです。
宏正会の会長は 『昨日のこと、明日のことに思い煩わされることなく、「今日一日を生かしきって、好日にせよ』と解釈しています。そして 今日一日を生かしきる心得については『「随所に主となる」ことによって、一日を生かしきることができるのです。』としています。
宏正会では「気付いたことは 身がるに直ぐ行ないます」が別に誓いの一つとして掲げられていますので倫理研究所のような解釈はできないのでしょうね。

倫理研究所では「思い立つ日が最上吉日だから日々好日(日々是好日)なんだ」 宏正会では「より善く、より見事に日々好日(日々是好日)にせよ」ということでしょうか。

皆さんはどちらの解釈が肌にあうのでしょうか。
私は 宏正会の解釈の仕方は「・・・しなければならない」といったなんだかストイックな感じがするのですけど 倫理研究所の解釈の方は「あ そうなんだ」と心の機微に入って来るという感じですね。
こんな解釈の一つからも 宏正会と倫理研究所の性格が現れているのではないでしょうか。

 否定派の妄言を切り捨てるシリーズ 「武蔵」討ち死に解説編

否定派がどのように破れていったかを、今回は「武蔵」見参から敗走の場面を紹介する。

投稿 武蔵 | 2009.10.13 04:52 午後
 久しぶりの投稿とことわる。嘘だな、「匿名」も「テラ」も自分だろ。間隔が開きすぎだ。サブキャラでは勝てないから、いよいよ真打ち登場である。「認知的不協和理論」が宏正会発足前に唱えられたものであることを認めながら、「経験」によって知っていたと解説。

投稿 いや夫 | 2009.10.13 07:02 午後
  待っていたぞ。互いに一対一で正々堂々と勝負じゃ。とりあえず、宏正会の経験を明かしなさい。「いや夫」の質問に答えてみなさい。なお、君が成りすましをたくさんやっていることなど見抜いていますよと、ほのめかす。

投稿 いや夫 | 2009.10.13 07:05 午後
 「認知的不協和理論」は何にでも応用がきく=陳腐なものである例を、追伸する。
(引用開始))
 会友はこんなに私が打ち込んでいる会の会長先生だから、セレブの暮らしをして、首相や国賓とおつきあいをしてもらいたいと願っています。
(引用終了))

投稿 いや夫 | 2009.10.13 10:15 午後
 全然返信が来ないので寝るぞ。

投稿 亀 | 2009.10.13 10:29 午後
 ショッカー?か本人か?第三者か?
「武蔵・太陽神」様はお相手になられないでしょうとのクソレス。

投稿 武蔵 | 2009.10.14 05:04 午後
 プロフィールは7月13日に書いてあるので、それを読みなさい。私の情報源はネットです、との返答。会長宅については、ネットからの情報しかしらないが、それで批判するのは当然であるとの意見。そのとらえ方について、馬鹿の一つ覚えの「認知的不協和理論」で解説。

投稿 いや夫 | 2009.10.14 07:46 午後
 何だ、全然宏正会に参加した経験はないじゃないか。偉そうに言っているくせに、ネットからの情報ばかりか。いいかげんにしろ、このちゃねら~ばばあ!お前のせいでどれだけ実践者が迷惑をこうむっているか少しは考えろ、という内容を伝える。

投稿 いや夫 | 2009.10.14 08:05 午後
  追伸として、お前(武蔵)が打った「裏の教え」の情報源を言ってみろと詰問する。

投稿 いや夫 | 2009.10.14 11:03 午後
 早く返信しろよ。一対一の討論なんだぞ、と投稿する。

投稿 ボケ老人 | 2009.10.14 11:51 午後
 「武蔵」を擁護する「愚息」。ネット上でも真実の声は多数あるのだと批判する。

投稿 いや夫 | 2009.10.15 03:45 午前
 一対一の討論の邪魔をするな雑魚と、「ボケ老人」の正体について分析して、切って捨てる。「武蔵」がとっとと返信せんからだと投稿する。

投稿 なんちゃって会員 | 2009.10.15 03:13 午後
 ネットなどの討論はくだらない。そんなものを信じるのはそれまでの人なのでしょうとの投稿。実は「いや妻」が勝手に投稿したもの。「いや夫」がこんなくだらないブログへの投稿にうつつを抜かし、家庭サービスを怠っていることが不満なのである。これが「いや妻」の投稿であることは、後になって「いや夫」に教えてくれた。

投稿 R | 2009.10.15 03:49 午後
 その通り。頒布だ、お役だ、係だと言う間があったら、家庭で実践しましょう。との投稿。こやつは、この後、ちょくちょく顔を出すが、最終的にはやはり「愚息(鉄槌)」であったことが後々判明する。

投稿 武蔵 | 2009.10.15 04:25 午後
 投稿をせかすなと苦情。宏正会関係者との付き合いは長く、会へも30回は参加。元地区幹部の知り合いもいるとの投稿。壮年の集いにも何度か出たとプロフィールを変更する。「いや夫」に体験者ではないことを指摘されて、このようなプロフィールを創作した。これが後々命取りになるとも知らずに・・・。
 ネットでうわさされること自体、宏正会に問題があるのだと身勝手な主張をする。

投稿 tu44@rainbow.plala.or.jp | 2009.10.15 09:52 午後
 「武蔵」の二番目にあげたプロフィールなら、批判を書く資格もあるだろう。逆に言えば、このように一次情報をもつ者のみが批判できるのだ。ネットの情報をうのみにするやつは馬鹿だと批判。(本当は、「武蔵=否会友」だと読んだ上で、嘘つきやがってと思いつつ、騙されたふりをしながら、ちゃねら~全員を批判する。)
 その一方で、プロフィールの嘘などいくらでも書けるから、実は信じていないよと打っておく。
 その後、「経済」についての「いや夫」の指摘に答えるよう要求する。

投稿 いや夫 | 2009.10.15 10:28 午後
 「本日はこれまで」

投稿 ボケ老人 | 2009.10.15 11:01 午後
 ショートコメントで中傷。

投稿 いや夫 | 2009.10.16 02:23 午前
 ボケ老人のコメントを利用して、
「必見記事! 書きっぱなしは変でしょ 発掘(4)」
http://58807828.at.webry.info/200910/article_38.html
の正しさを訴える。このブログでは不自然な書きっぱなしの中傷が何度も繰り返されてきたのである。なりすましによる攻撃なのは明らかである。「いや夫」が登場してから相手をしていたのも、「武蔵=否会友」と「ボケ老人他=愚息」の二人だけだと思われる。
 相手はちゃねら~なので、どんな卑怯な攻撃をしてくるかわからない。個人的な恨みは、「いや夫」宛に直接メールするように伝える。また、「なんちゃって会員」が妻であることを明かす。

投稿 いや夫 | 2009.10.16 05:51 午前
 <関連記事>
必見記事! 「書きっぱなしは変でしょ」を検証したら 発掘(6)
http://58807828.at.webry.info/200910/article_51.html
 を使って、このブログでいかになりすましが横行してきたか。また、その中心人物が「武蔵」や「ボケ老人」などであることを追求する。見破られた以上は、武蔵の負けだと挑発する。

投稿 ??? | 2009.10.16 10:58 午前
 「経済」の「倫風宏話」を使って、宏正会を風刺し中傷する。どうせ「愚息」かいるとしたらもう一人のちゃねらー。

投稿 武蔵 | 2009.10.16 04:52 午後
 ブログはゲームではない。なりすましなど見破れるはずはない。宏正会への批判を裏付ける証拠を見せる必要などない。と開き直る。評判の悪い人物が悪いのだ、というちゃねらーの論理をふりかざす。

投稿 いや夫 | 2009.10.16 07:59 午後
 なりすましというゲームを始めたのはお前たちだ。お前らのなりすましなど、すべてお見通しだ。もっとまともなニックネームを考えろ。「武蔵」自身がなりすましを活用しているじゃねえか。風評を作っているお前が開き直るんじゃねえ。
 まあ、いずれにしろ、お前はえばり過ぎだ。否定派を代表して「いや夫」の「経済」に対する質問に答えてみろ。それまで「いや夫」はレジャーに出かけると投稿。

投稿 いや夫 | 2009.10.16 08:27 午後
 否定派が執拗に攻撃してくる裏に、他の宗教からの攻撃の可能性があることに言及。宏正会は宗教ではない、ほかっとけと反論。
 いったんけじめをつける投稿を行う。
 藤原正彦氏著『国家の品格』より
・最も重要なことは論理で説明できない
・「人殺しはなぜいけないのか」でさえ論理では説明できない
・会津藩の教え「ならぬものはならぬのです」こそが正しい
 このブログで、なりすましの投稿を削除すれば、真実の投稿のみが明らかになる例を示す。以前は、実践者の誠実な意見が交わされた、良質なブログだったのだ。
必見記事! 「書きっぱなしは変でしょ」を検証したら 発掘(6)
http://58807828.at.webry.info/200910/article_51.html
 なお、投稿が長すぎて全文コピペできず。ブログを読めば、「いや夫」の伝えたかったことがよりわかります。

投稿 ??? | 2009.10.17 02:06 午前
 「いや夫」はイカレてると中傷。これは「愚息」が書いたもの。

投稿 究明団 | 2009.10.17 09:06 午前
 「いや夫」はネット中毒のナレの果てと中傷。これも「愚息」が書いたもの。

投稿 武蔵 | 2009.10.17 05:22 午後
 「いや夫」の指摘について、弁明をする。
・批判の証拠をネットで証明するのは困難である。(うそこけ!資料を監督官庁に提出したり、ユーチューブを活用すれば簡単だ。できないのは「ねつ造」だからだ。)
・「いや夫」は成りすましをあばく作戦のようだが、その証明は不可能だ。
・経済の回答はこうだ。とこじつけの反論をする。

投稿 こめしわふぁだふぁああん | 2009.10.17 10:42 午後
 エロ投稿。これも「愚息」が書いたもの。

投稿 いや夫 | 2009.10.18 01:54 午前
 レポートをごまかすな。「倫風宏話」にけちをつける位なら、それを上回る建設的な意見を述べてみよ。と挑発。

投稿 R | 2009.10.19 02:14 午後
 もうそろそろ終わりにしましょう。と礼儀正しく「いや夫」を諭す。しかし、これも実は「愚息」成りすまし。

投稿 武蔵 | 2009.10.19 04:54 午後
 「いや夫」は宇宙人のように理解不能の人物であると解説。
「会長の倫風宏話を批判するならそれを超える事を言ってみろ」というのは全く的外れな批判であると反論。

投稿 いや夫 | 2009.10.20 11:15 午後
 「武蔵」が会長先生の宏話で言っている内容自体を批判したものではないということで、レポートは免除する。少しおだてておいて、まだ雲隠れさせないようにする。代わりに「倫風」をぼろくそに批判していた「ボケ老人」にレポートを課す。
 「倫風宏話」を批判するなら、それを越える講和を書いてみろ、できるわけないだろ。

投稿 武蔵 | 2009.10.21 04:28 午後
 会長は野望で会を運営していると批判。

投稿 いや夫 | 2009.10.21 06:32 午後
 会長先生への中傷は、会友全体を苦しめるものであると、会長先生への中傷を全面的に否定する。野望などというのはちゃねら~の妄想である。
 会友がどんなに純粋な気持ちで実践に励んでいるか、マルチまがい商法との相違点を元に解説。否定派の中傷が普及のさまたげになっていると批判。

投稿 ??? | 2009.10.22 12:06 午前
 先代会長先生の「倫理立国が成った暁には、この会を解散して、残余財産は全て国家に寄付をする」発言などに対して中傷する。

投稿 いや夫 | 2009.10.22 06:04 午後
 宏正会が今までどのように攻撃されてきたかを語る。「???」へ返し技で反論をする旨告げる。

投稿 いや夫 | 2009.10.22 06:06 午後
 「???」へ反論その一 政治にお金がかかるのは常識。政治資金の援助も当然するだろう。お金がどうのこうのというから、実際にはお金もちしか当選できなくなるのだ。

投稿 いや夫 | 2009.10.22 06:08 午後
 「???」へ反論その二 会長先生は研究者の一人。独裁者でも「神」でもないと説明。

投稿 いや夫 | 2009.10.22 06:12 午後

 「???」氏への反論 その三 宏正会は誰にでもつとまるほど楽な会ではないと説明。
いい投稿なので、再び紹介。
(引用開始)
実践倫理宏正会は誰でも入会するものでもありません、また続けられるものでもありません。どんな人でも救う、そんな宗教的なものではありません。自分の力で生活改善出来るそんな向上心や余力のある人が学ぶところです。学んで実践して自分を知る、それを生かして幸せになる…それが全てです。幸せの形は人それぞれなのである現象だけを捉えて他人がとやかく言うものでは無いと思います。確かに言えることは世の中が荒んで来ていると言う事。自分が出来る事から一生懸命努力する事は素晴らしい事だと思います。批判ばかりで何もしない人が多い事は悲しい事です。

投稿 ママさん | 2007.12.10 01:58 午後
(引用終了)

投稿 いや夫 | 2009.10.22 06:17 午後
 「???」への反論その四 歴史認識についても、ネト右翼のお前らより広い見識をもっているぞと反論。

 「どうぞご自由に」といいながら、こんなに反論していてはいけませんね。修行が足りません。

 今度の日曜(10月24日)までは反論しないことにします。

投稿 いや夫 | 2009.10.22 06:23 午後
 「どうぞご自由に」と24日まで反論しない旨を伝える。(本当は「菊花賞」の研究をしたかったからだが。)

投稿 武蔵 | 2009.10.23 04:59 午後
 自分は風評被害を与えているわけではない。「太陽神」の結論である「宏正会は上廣家の野望の産物である」を全面的に支持しているだけだ。どこにでもいるオジサン、オバサンが会の中で出世して威張れるからがんばっているだけだ。「陰倍加」や「お祝い金」のことを「いや夫」は知らないのか?「いや夫」はゲーム好きのおたくか?と中傷。

(もう許せん、このくそばばあの「否会友」め!「太陽神」はお前自身だろ!すっとぼけるのもいいかげんにしろ!会友をこけにしやがって許せん。絶対つぶしてやる。と「いや夫」は決意する。)

 以下は、大切な部分なので、そのまま載せることとする。


20091022投稿への反論 その一

武蔵君、本当に君は嫌な奴だなあ。

たくさんの投稿は、太陽神や君が、がんばっている人をコケにするから。

(引用開始)
前に小生は「いや夫」殿を「理解不能な人物」とか「宇宙人」と評していたが 本心では精神異常者あるいは常人ではない変質者ではないかと疑っていた。短期間に大量の投稿を送りつけるといった非常識なやり方や 言っている事もバラバラで要領を得ていないし 全く一人よがりな事も言っている。 これは厄介な事になったと思ったのであるが 最近の投稿はまともなようである。
(引用終了)

  「最近の投稿はまとも」な理由がわかるかな?君が太陽神(キャラ)のように雲隠れしないように、追求の手を緩めているのです。一部意見が合うなどと君を立てたのも、同じ理由です。全く君を認めていません。でも、逃げないで討論につきあってね。

 私から見れば、君こそ変質者です。
君のプロフィールって「変」だよねえ。
以前、私はこんなコメントを打ったんだけど、これは演技なのです。

(引用開始)
実は、武蔵殿のプロフィール公開への返答は難しいのです。
 私がネットの情報だけを信じるネットゴラムを批判する根拠そのものだからです。
 相手が言っていることは、嘘か本当か?
 答えは「わからない」からです。
 もし、武蔵殿が嘘をついていたことがばれれば、私の勝ちとできるかもしれません。
 しかし、膨大な投稿のどこにヒントがあるやら。
武蔵殿が真実ばかりを語ったと仮定すれば、矛盾点は見つけられないかもしれません。
 困っています。
(引用終了)

 なんて書いたけど、実はちっとも困っていません。
だって、最初のプロフィールと、二度目に公開したプロフィールと矛盾だらけでしょう?
すぐ感じたんだけど、もう少し様子を見ようかなあと、君を泳がしているだけです。

(最初のプロフィール引用開始)
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。もちろん「レイモンド」殿が言っておられるように ネットに載っていることはそのまま鵜呑みにすることは出来ないものであり その裏付けが必要であることも承知しているつもりである。
多くの者が調べ事をする場合 まずはウィキペディアを見るのではなかろうか。「実践倫理宏正会」で検索すると どの検索サイトでも最初にウィキペディアで説明されている。その後は 宏正会批判のサイトのオンパレード。
まず小生が疑問に思ったのは 「宏正会」が戦前の「ひとのみち教団」の流れをくみ 「倫理研究所」から分派したと説明がなされていたことである。小生にはそのような説明は何もなかった。ただ先代先生が原爆に遭われてから将来の日本を思われて宏正会を創設されたと説明されたのみであった。小生は宏正会について何かウサンクサイものを感じ 自分なりに「宏正会」について色々と調べてみた。2チャンネルを始め多くの宏正会批判のサイトがあるが このブログの「太陽神」殿は宏正会の成り立ちを文献に根拠を求めて詳細に説明され また宏正会の問題点を体系的に説明されている。小生はその文献に当たってみたり また実際に宏正会の会員また退会された人から話を聞き、自分なりの宏正会像というものが見えて来た。そこで小生もこのブログをお借りして愚見を披露してみたいと思った次第である。
(引用終了)

 以上から言えるのは、絶対朝起会の会友になるわけがない人物。

しかし、二度目のプロフィール
(引用開始)
小生に関してであるが、朝起会参加を0としているが 朝起会の知人とは10数年来の付き合いであるので朝起会には全部で20回以上あるいは30回ほど行ったことになるのかも知れない。「壮年の集い」にも何度か参加したことがある。支部の会員には何人も知り合いがいるし 以前に地区の幹部をしていて今は朝起会から遠ざかっている者とも付き合いがある。
従って小生は宏正会に関する情報に関してはネットでの情報だけでなく会員あるいは元会員から充分に裏付けを取っていると思っている。
(引用終了)

 以上から言えるのは、「会友」である。壮年の集いに何度行ったかで、会友歴もわかりそうだ。

 上記二つのプロフィールの解釈として、

A 実は会友ではない。
 証拠を示せと迫られたので、会友歴があるふりをしただけ。だから、10数年来の付き合いの朝起会知人とか、元会員とかも架空の人物。ネットの情報がほどんど人間。

B 実は会友である。
 朝起会を疑いながらも、会友となり内部事情を探る。知人を平気で裏切る奴。2009年8月24日の投稿では、同じ支部の二人の婦人との会話を紹介しバカにする。今回の投稿も中傷そのものだ。
(引用開始)
そして「多くのお金を注ぎ込んだ者が会の幹部となってもなんらメリットがない」ということであるが、確かに金銭的にはメリットがないかも知れないが 金銭ではない他のメリットがある。上のお役に就く事で下の者に色々と命令したり 偉そうな事を言ったりすることが出来るようになる。これは金銭では変えられない優越感なのであろう。別に社会的な地位のない何処にでもいる普通のオバサンやオジサンが上の役に就いているのは 自身は一般社会では味わえない優越感を会の中で感じることに喜びを感じているのであろう。
(引用終了)

 朝起会に入れば、会友がどんなに純粋な気持ちで実践に打ち込んでいるかがわかるはずだ。しかし、そんな人々をこのように蔑んで嘲笑している、君こそ変質者だ。

 真実は、AかBか? あなたは会友ですか?

 まあ、どちらにしても、たいした奴ではないということだ。きっと、「別に社会的な地位のない何処にでもいる普通のオジサン」または「おこちゃま」なのだろう。

(続く)

投稿 いや夫 | 2009.10.25 12:40 午前


20091022投稿への反論 その2

 討論相手のブログ位読んでみたら?(以後略)

投稿 いや夫 | 2009.10.25 12:42 午前

20091022投稿への反論 その三

 「数多くの必死な訴え」はどこにいったの?

 このブログでもそうだけど、朝起会への批判の投稿が書きっぱなしが多いのはなぜ?
必死に訴えてるんだったら、継続的に追求するはずでしょ。何で一度っきりの投稿で、「ほとんどか消えていくの?」
 答えは決まっている。ほとんどすべてが、少数の人物による複数投稿だからだ。多数のキャラを一緒に継続させるのが、「面倒なこと」だからだ。まあ、ときには、会話形式にして、さも多数の人物が同じ内容を追求しているふりをしたりするけどね。まあ、そんなのは後で、読めばわかるから、これからぼちぼち指摘させてもらう。

 とりあえず、今までの投稿をすべて分析してみた結果を見てちょ。
この「実践倫理宏正会って何?」のブログにて、3回以上投稿した人物をすべてピックアップしてみたがね。
期間は、私が「否定派はなりすましによる複数投稿をしている」と指摘した2009年10月12日までだがね。

見方は、
最初の投稿日:ニックネーム:発言回数:討論の立場:最終投稿日
1  20060307:鯰の鬚は4本:27回:肯定派:20090516
2  20060425:まるまるまある:6回:肯定派:20060525
3  20070506:実践倫理宏正会ウォッチャー:19回:中間派:20080804
4  20070609:どらえもん:4回:否定派:20070717
5  20070702:鉄男:4回:否定派:20070721
6  20070821:レイモンド:66回:肯定派:20090730
7  20070915:虚無僧一路:22回:肯定派:20090401
8  20080323:しもも:3回:肯定派:20080324
9  20080325:さすけ:3回:肯定派:20080329
10 20080329:さくら:23回:肯定派:20090423
11 20080401:倫:9回:肯定派:20080516
12 20080502:hana:10回:否定派:20080515
13 20080628:ぴろり:13回:肯定派:20090713
14 20081009:高貴高齢者:37回:中間派:20090910
15 20090207:高塚地蔵尊:6回:否定派:20090620
16 20090302:名無し:7回:否定派:20090320
17 20090305:お客様会友:6回:否定派:20090516
18 20090323:ami:3回:肯定派:20090327
19 20090324:シリウス:11回:否定派:20090531
20 20090324:太陽神:28回:否定派:20090507 
21 20090328:半兵衛:6回:否定派:20090412
22 20090514:東経:14回:否定派:20090623
23 20090602:武蔵:44回:否定派:現在
24 20090613:至誠会:5回:否定派:20090626
25 20090628:究明団:5回:否定派:現在
26 20090706:匿名希望:4回:否定派:20090715
27 20090809:ボケ老人:3回:否定派:現在
28 20090831:from2ちゃん:3回:否定派:20090918
29 20090901:鉄槌:3回:否定派:20090925
30 20091009:いや夫:20回:肯定派:現在

 以上たった30人だけである。
これを、初投稿した年度ごとに、肯定派対否定派の比率を見てみよう。

年度  肯定派  否定派
2006   2  対  0
2007   2  対  2
2008   4  対  1
2009   2  対  14(間違いを後で修正)

 ということで、2008年までは、このブログは肯定派が優勢だったのである。
武蔵が見た「宏正会批判のサイトのオンパレード」というのは、朝起会が作ったような良質なブログではなく、要するに「2ちゃんねる」なのである。

(太陽神、ボケ老人、from2ちゃんetc)どいつもこいつも、所詮「ちゃねらー」なのである。

2009年2月7日の「高塚地蔵尊」の攻撃以来、ちゃねらーがこぞって攻撃している、ただそれだけのことである。このブログでは武蔵は優等生の文章を書いているが、あちらではさぞかしひどい文を書いているのであろう。
「ネット記事を本気にする方は、それまでの人なのでしょう。」なのである。こんなのと討論していると、本当に時間の無駄だと思います。
でも、乗りかかった船なので、太陽神または太陽神キャラがご登場するまでがんばります。
 バカの一つ覚えの「認知的不協和理論」への反論は、彼にぶつける予定です。

早く出てこないかなあ?

(追伸)

(引用開始)
 「批判をするにあたっては、確かな証拠と裏付けが欲しい」という事であるが、宏正会への批判の多くを「いや夫」殿は既に自分で納得したり自らで認めている。認めているものに証拠や裏付けは必要なかろう。まだ認めていのは「陰倍加」と「お祝金」ぐらいのものか(これについては後で述べる)。
(引用終了)

 ちゃねらーの投稿なんてすぐに見破って無視しているよーだ。
本当の会友や元会友の話は認めているが、それは批判記事の二十分の一以下だよーだ。
勝手に「いや夫」が認めていることにするな。
たとえば、「田中丸」の投稿なんて信じてるの?(自分で打ったなら信じなきゃね?)

投稿 いや夫 | 2009.10.25 12:44 午前

投稿 やらねー奴バカだろ(^^; | 2009.10.25 06:19 午前
 エロ投稿をする「愚息」。アホすぎる。ちなみに「やらねー奴バカだろ」とは、「いや夫」はゲームなんてやらないと書いたから。ちゃねらーはゲームをやらない人間も信じられないようだ。一生ゲームをやって、現実逃避してろ!

やらねー奴バカだろ(^^; 殿

 典型的なちぇねらー君だね。

「否定派は所詮ちぇねらーである」に
清き一票を投じてくれてありがとう。

 彼が、太陽神や武蔵君の仲間です。

投稿 いや夫 | 2009.10.25 09:02 午後

「バカの一つ覚え」って、「我も人もの幸せ」ってお念仏のように繰り返してるあれのこと? (「いや夫」注:こやつは愚息です。)

投稿 R | 2009.10.26 02:23 午後
 二重投稿をする。こ奴はよく誤って二重投稿をする。愚息以外のちゃねらーである可能性もある。

投稿 武蔵 | 2009.10.26 04:39 午後
 「いや夫」は小生のプロフィールがおかしいとしているが、小生がネットを始めたのが今年になってからのことであり 朝起会について調べたのもそれからであるからこのような表現になったまでのこと。と苦しい言い訳をする。(ぼろが出てきたなあと「いや夫」はほくそ笑む。)
 「いや夫」は最初から宏正会の問題点を認めた上で討論しているのであるから、自分の勝ちに決まっていると発言。

投稿 いや夫 | 2009.10.26 07:10 午後
20091026武蔵への反論 その一
 会の成り立ちについて、「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」論で反論する。

投稿 いや夫 | 2009.10.26 08:51 午後
20091026武蔵への反論 その二
 嘘の投稿など見抜いているのだボケと反論。「武蔵」らが批判している内容について、「いや夫」なりの解釈を是々非々で述べる。

投稿 いや夫 | 2009.10.26 08:57 午後
20091026武蔵への反論 その三
 粘り強い勧誘が行われるわけを解説。「いや夫」が擁護しているのが実は「宏正会」ではなく、会友である妻であることを明らかにする。

投稿 いや夫 | 2009.10.26 08:59 午後
 20091026武蔵への反論 その四
 「陰倍加」について持論を述べる。

<大切な投稿なので、原文を残します>

 やっと本人への反論に入れる。相手が一人でもこれだけ大変である。先人は、どこの馬の骨ともわからぬ複数の批判者に中傷され、討論に疲れた。理論ではまさっているにもかかわらずである。先人の投稿を活用できる私は幸せである。

さて、
(引用開始)
「いや夫」は小生のプロフィールがおかしいとしているが、小生がネットを始めたのが今年になってからのことであり 朝起会について調べたのもそれからであるからこのような表現になったまでのこと。
妄想というものは色々と広がるようである。ご苦労なことだ。
(引用終了)

 今まで、さんざん偉そうなことを書いてきたくせに、朝起会のことを何も知らない新参者ということになる。会の内部事情など知っているはずがない。
 太陽神を尊敬し、その紹介した書籍にすべてあたったなどと書いているが、どうせ真っ赤な嘘だろう。「新宗教事典」で、実践倫理宏正会が新宗教に分類されていないことさえ知らないようだ。2ちゃんねるや太陽神の投稿をうのみにしただけだ。

 以前の我が投稿を引用すると、
(引用開始)
A 実は会友ではない。
 証拠を示せと迫られたので、会友歴があるふりをしただけ。だから、10数年来の付き合いの朝起会知人とか、元会員とかも架空の人物。ネットの情報がほどんど人間。
(引用終了)

 ということだ。たいした奴ではなくて残念である。

やはり、早く太陽神に出てきてもらいたいものだ。
田中丸君でもいいけど・・・。

投稿 いや夫 | 2009.10.26 09:13 午後

 武蔵君、知らないみたいだから教えておくね。

「壮年の集い」は一年に一回しかないんだよ。

{「壮年の集い」にも何度か参加したことがある}君が、何でこんな言い訳するの?

 会友からみれば、君のプロフィールは0点だよ。どう解釈すればつじつまがあうのかな???

 嘘を一つつくと、その嘘をごまかすために新たな嘘をつかないといけないようになるんだよ。
もっと正直に生きようね。

(引用開始)
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。
(引用終了)

(引用開始)
小生に関してであるが、朝起会参加を0としているが 朝起会の知人とは10数年来の付き合いであるので朝起会には全部で20回以上あるいは30回ほど行ったことになるのかも知れない。「壮年の集い」にも何度か参加したことがある。
(引用終了)

(引用開始)
「いや夫」は小生のプロフィールがおかしいとしているが、小生がネットを始めたのが今年になってからのことであり 朝起会について調べたのもそれからであるからこのような表現になったまでのこと。
妄想というものは色々と広がるようである。ご苦労なことだ。
(引用終了)

 みなさん、彼はどうも「狼少年」のようです。
彼の投稿は疑って読むようにしましょう。
ネットではそれが当たり前の読み方です。

投稿 いや夫 | 2009.10.26 10:47 午後


投稿 いや夫 | 2009.10.27 10:06 午後
 20091027武蔵投稿への反論 続き 宏正会はカルトではないと反論。

<大切な投稿なのでそのまま載せます>

 我が妻がなぜ朝起会を続け、夫の私がなぜ応援しているのか?
 それは朝起会の教えがまちがっていないと思うからです。その教えをぜひ広めたいと思うし、そのために資金が必要なら差しだそうということです。正直言って、年間「ハワイ旅行に行ける位」というのは、痛すぎる出費です。でも、その位の価値はあるというのが、我が家の結論です。

 なお、朝起会の出費は、会場によっても経験によっても千差万別でしょう。二世会友で30冊の「倫風」頒布をノルマとしている妻なら、こんなものなのでしょう。(男の感覚からすれば、「高すぎる!」と思います。でも妻は妥当な額だと思っています。妻を愛していて、その位のお金は自由に使わせてあげたいと思うので、同意します。それだけの暮らしができていることに感謝し、社会に還元します。)

 もちろん、新会友からこんなにとってはいけません。それでは悪質商法です。会費だけの会友さんがたくさんいて、出してもいいよという人だけ、もう少しがんばるような会が理想だと思います。

 なお、妻は二世なので朝起会の目指す倫理感は自然と身についています。良妻賢母です。妻の母もそうです。だから、ある意味、もう朝起会をやめても別段困ることはないと思います。では、なぜ止めないのか?いやいやながら頑張っているのか?

 本人は自分が磨かれるからと言っています。

 私は、子どものことを思います。
 我が家の子どもたちをすくすくまともに育てる自信はあります。しかし、我が家の子どもが健全に育ったとしても、まわりに家庭愛和に恵まれず不幸な子どもたちがたくさんいたら、我が子は良い友達に恵まれるでしょうか?ちびまる子ちゃんの学校のようなのほほんとした教室が、今も存在しているのでしょうか?20年後の社会は、倫理面でどれほど荒廃しているのでしょうか?
 そういうことを考えると、我が家だけの家庭愛和では意味がないのではないかとも思えます。そんなこんなで、妻は朝起会を続け、私はブログで朝起会の良さを訴えています。

 いや夫はピエロで結構、でくのぼうで結構。善いものは善い、悪いものは悪いと、私見を書きます。

 なお、何度も書きますが、私は朝起会の実践者ではありません。「人の悪を言わず 己の善を語りません」ができない未熟者で嫌みな奴です。朝起会の実践者は、もっといい人ばかりです。

投稿 いや夫 | 2009.10.27 10:26 午後

 私の投稿の一つの区切りは、太陽神と十分に討論することです。

 このブログは2008年までは、朝起会について賛成派と否定派のどちらもが意見を書くことができ、良質な討論がなされていました。とはいっても、朝起会実践者の素直な投稿をつぶす攻撃的な批判はありましたが・・・。それがネットの世界なのでしょう。

 しかし、2009年からは、否定派が圧倒的になり、朝起会のネガティブキャンペーンの様相をていしていました。

 しかし、その意見を読んでみると、どうでもいいことをねちねちねちねちねち追求するばかりではないですか。こんなのは簡単に論破できると「いや夫」がでしゃばってきた次第です。

 たとえば、会の成り立ちのことなんて、会友はまったく気にしてませんよ。
「原爆をきっかけに作った」ちゃんちゃんです。

 イエスはマリアがHをせずに生まれたらしいです。普通に考えればありえないけど、それでよしとみんな納得しているではないですか?そんな感じです。部外者はだまっといてというレベルのお話です。

 とりあえず、太陽神君、我が論
 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」
に反論があったらどうぞ。

投稿 いや夫 | 2009.10.27 10:37 午後

<「いや夫」解説>
 こうして、「武蔵」キャラは「いや夫」に切り捨てられたのです。
 これ以降は、「いや夫」は討論の対象を「太陽神」にしぼり、論点を独白していくことになります。成りすましが見破られ、オオカミばばあであることがばれた「武蔵」は、姿を消したのです。否定派ギャラリーが助太刀しているというのに。
 会に所属していたとすると、同じ会場に所属していた婦人をさんざん馬鹿にしてきた変質者だということがあきらかになります。
 会に所属していなかったとすると、今まで偉そうに書いてきたけれども、すべてネットを鵜呑みにしたものであることが明らかになります。
 ネットを始めたのがここ一年であるという大嘘をついたために、もう逃げ場はなくなりました。ごまかしきれなくなって消えたのです。
 これが、否定派が崇拝する「武蔵」の実態。その正体は、「いや夫」のブログにて予想している通り「否会友」でしょう。
 会に所属していた論理派は、2ちゃんねるには他にもいますが、「武蔵」はどうも違うなと感じていました。討論をしたので、確信できます。こやつは会に所属をしていない。「壮年の集い」に出たこともない奴だと。そうなると「否会友」しかいないでしょう。
 そして、まちがいなく、「太陽神」は「武蔵」です。
 「太陽神」が逃げ隠れて出てこないことが、その事実を物語っています。
 もっとも、「否会友」がこれ以降投稿していないということでは決してありません。「匿名」として、その後に何度も「いや夫」に挑んできては、切り捨てられ続けるのです。

 否定派随一の論客とされる「武蔵」が、このように切り捨てられ敗走したというのに、その事実を歪曲し、「いや夫」が負けているのだと妄言を吐くしかないのが否定派なのです。
 
 以上のような「真実」を一切認めず、

(引用開始)
 バカ夫 無謀な戦に挑むも負け続け 遂には晒し首
(引用終了)
 と現実逃避した中傷を繰り返し続ける「否定派」なのです。

 憐れよの~。お前たちの好きな「認知的不協和理論」で、お前達の頭の中を解説してやってもいいが、説明するまでもないな。「負け惜しみ」だ。

 早く出てこないかなあ?「クライアントがどうの」くん。「否会友」も会社を経営しているなどという妄言を吐いていたが、どうせ内職のことだろう。
 さあ、早く書け、書け!ホレ!ホレ!
いつもお前が主人公だ。

 肯定派の「匿名」さまへ

 また、長文ですいません。どうせ否定派は読みたくないので読まんだろうし、肯定派も実践で忙しくてそれどころではないので、読み飛ばしていただければ結構です。

 リアルタイムで「いや夫」と「武蔵」の討論を読んでいた人にとっては、単なるダイジェスト版です。

 「いや夫」10VS1「武蔵」
の試合のはずが、否定派曰く「いや夫」の負けだとクレームをつけるので、白黒はっきりさせてだけです。否定派が嘘つきなのは、今に始まったことではありません。なが~いなが~い水掛け論にはなりますが、見る人が見れば、公正なジャッジが下されるものと思いますので、ご容赦ください。

 否定派の妄言を切り捨てるシリーズ(あと3回くらいかな?)が終わったら、なるべく短い投稿を心がけます。

投稿 匿名 | 2010.07.21 05:37 午後

 お前が「クライアントがどうの」くんだと言うことなどお見通しだ!

 話題を変えようと必死だなあ。ごまかしてないで、続けろよ。別に、義母が悪口を言ったことをネタにしてもいいぞ。2ちゃんねるではあんなに饒舌だったのに、なぜ、このブログではひと言も触れないんだ。自分がおかしいことに気づいたのか?
だったら、宏正会を攻撃すること自体がおかしいだろ?いいかげんにしろ。

 ほれ、「クライアントがどうの」くん、続きを書け!
ホレ!ホレ!

いや夫が何やらダラダラ書いているが、全ていや夫の根拠の無い勝手な思い込みを前提としているので、残念ながら全くの無価値。結果はおろか、行為そのものに価値がない。初めの数行で見切られておしまい。本人だけが気付いていない。

 こいつが明日解説の対象になる「愚息」です。
 この無意味な投稿しかできないアホが2ちゃんねるでは、最多の投稿者なのです。

 否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その三
  相手が「雑魚」だがらこそ苦労する編
 (「鉄槌(愚息)との不毛な罵詈雑言記)

 「武蔵」が破れ去った後は、「いや夫」がこのブログの主導権を握ることになる。「太陽神」を挑発する投稿を繰り返すが一向に現れず。「武蔵」キャラによる敗退で、自信をなくしたのだろう。結局、「鉄槌」などというちゃねらーの権化の相手をせざるをえなくなる。「武蔵」や「太陽神」と討論する方が一万倍ましだと思いながらも、「愚息」以上のいやみを発揮し、これを駆除することに成功する。(実際には、「鉄槌」などという固定ハンドルを捨てさせることに成功しただけで、この後も「愚息」は永遠に中傷を繰り返し続けることになる。このバカから見たら、「負けていない」ということなのだろう。一番手に負えないのが「きちがい」である。)

 「武蔵」駆除後、当分の間は、「いや夫」が太陽神を挑発する独白が続く。
 一 「月の女神」って何?
 二 「月の男神」って何?なんでお前達の成りすましは、そんなにベタなの?
 三 お前はナルシストだよなあ。
 四 お前は本当に消えたの?いや違う「武蔵」もお前だ。
 五 君(たち)の言うことも一部正しい(一部は認めてやるから出てこい。討論してやるから。)
 六 高額なお祝い金が横行している理由
 七 バカの一つ覚えの「認知的不協和理論」。人間を心理学でくくるな。
 八 反マインドコントロール論
 九 朝起会はカルトではありません
 十 反マインドコントロール論(その2)
 十一 反マインドコントロール論(その3)
 十二 反マインドコントロール論(その4)

投稿 いや夫 | 2009.10.30 10:56 午後
  「いや夫」の悪口が書かれた掲示板発見。それが急に消えたので、何かを恐れてのことと予想。(実際には、コピーサイトの単なる不具合と後に判明))

 太陽神挑発に戻る。
 十三 この投稿は本物か?

(否定派の典型的で悪質な創作の例として、原文をそのまま載せます)

 さきほど紹介した忽然と消えた掲示板
朝起き会(社)実践倫理宏正会21
http://unkar.jp/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434

 から、一つの投稿をクローズアップしたいと思います。

(引用開始)
87 :名無しさん@HOME[]:2009/08/15(土) 14:24:48 0
以前少しだけ入会していたものです。
朝起会を推進されてるみなさんはそれで幸せであるのでしょうから、
その方々にとってはとてもいいことなのだと思います。
私は2人目がお腹の中にいるときに朝起会に入ってました。
胎教にもいいから、子育てにもいいからと言われ、もちろん早起きは三文の得ともいいますし、
悪い事ではないと思い何度か足を運びました。妊婦だったので気遣っていただき会員の方が車で家まで迎えにきていただきました。
ある朝、あまりにお腹が張るので迎えにきていただいた会員さんを待っ「今朝はお腹が妙に張るのでお休みさせてください。」というと、
「折角だから出席(○をつける)だけでも行ったら?すぐ送ってあげるから。」といわれました。
わざわざ出席印のためだけに送迎していただくのは申し訳ないと思いお断りしたのですが大丈夫だと言われ
会場に向かい出席に○をふって頂いたので送ってもらおうと思ったら「座るだけ座ったら。」と言われました。
言葉に促されて座ると暫くして一枚の紙が私のところに回ってきました。
「もし、お腹の子が流れたとしてもそれは仕方がない事です。今はお話を聞いていくことが大切なことです」と書いてありました。
家族を大切にするはずの会でこんな言葉を聞くなんて思いもよらないことに私はすっかり動転し会場を飛び出していました。
その後を送迎してくださってる会員の人ともう1人の人が追いかけてこられ興奮する私に投げかけられたことばが
「私も流産の経験があるから気持ちはわかるわ。でも今はお話を聞くことが大事だと思うわよ。」と追い討ちをかけるような言葉を言われ、
私はショックで震えていました。朝起会に少しばかり心を許し安堵感さえ感じていた私でしたからこんな言葉が返ってくるとは思ってもみなかったので。
その後、朝起会に足が向かなくなったことは言うまでもありません。人間は不用意な言葉で知らず知らずのうちに人を傷つけてしまっていることは誰しもあることだと思います。
未だにその言葉を許せない私はとても心の狭い人間で情けないと思います。しかし、今でもあの時のことを考えると悲しい気持ちになります。
私の経験談をお話しました。
朝起会の方が私の家を訪ねてこられた時はこの経験をお話してお断りしています。

(引用終了)

 妊婦にこんな思いをさせるなんて許せませんね。ぜひこの方は、朝起会本部に訴えてもらいたいと思います。朝起会は、こういった問題に誠実に答える組織です。じきじきに陳謝し、関係者に注意を与えるでしょう。その方が会にとってプラスになります。
(以上が、朝起会会友の一般的な考え方です。)

 しかし、「いや夫」は実践者ではありませんので、それほど素直ではありません。ネット上の投稿などいくらでも創作できるのです。
 2ちゃんねるの投稿は、「あることないこと」ではなく、「ないことないことないことないことないことあること」位と考えた方がいいです。
 (「ウソをウソと見抜けないと(掲示板を)使うのは難しい」byひろゆき:2ちゃんねるを作った人)
 この投稿の場合、妊婦さんでも会場に連れていくというのは、真実味が高いです。演壇を聞かせることもあるでしょう。
 しかし、演壇中に、「もし、お腹の子が流れたとしてもそれは仕方がない事です。今はお話を聞いていくことが大切なことです」という手紙を渡す必然性は感じません。「妊婦」という同情を買う設定はうまいですが創作としては、70点位でしょうか?もちろん、もし創作なら倫理としては、マイナス1000点です。

 朝起会はカルトであると洗脳されている方は、100%信じるのでしょうね。

 ネットは「いや夫」位疑い深くて丁度いいと思います。(一方、すっかりだまされる会友さんの純真さを高く評価します。)

 私も真実が知りたいです。ご本人はぜひ本部へ訴えてください。
 その他被害に合われた方も、どうぞ本部へ訴えてください。

投稿 いや夫 | 2009.10.30 11:12 午後

14番 倫理に一番反することは?(「不倫」である。そして、その不倫が横行している現実社会の退廃ぶりを『負け犬の遠吠え』を引用して紹介する。そして、否定派が消えたので、「いや夫」も投稿を控えることを告げる。)

投稿 いや夫 | 2009.10.30 11:32 午後

(「いや夫」が投稿を控えるといったことで、否定派の「鉄槌(愚息)」たちがわき出てきて中傷を始める。)
 

知識、教養の無さが現れていますねww

投稿 鉄槌 | 2009.10.31 06:07 午後

IPも抜けない馬鹿夫w
否定派の一部が同一人物である根拠を示せw
IPが抜けるようになって出直して来いよww

投稿 鉄槌 | 2009.11.01 12:28 午前

 (その後「鉄槌(愚息)」が連続エロ投稿攻撃をする。典型的なちゃねらーである。)


 久しぶりに投稿します。いや夫です。
実践倫理宏正会について、唯一肯定派が書き込める本ブログも、残念ながら2ちゃんねる化しそうなので、書き込みをします。

 上記の「鉄槌」氏の「ww」の意味について説明します。
この「ww」は2ちゃんねる用語で、「肯定」の意味だそうです。

 ということで、私がいなくなってから投稿をしたのは、「鉄槌」氏「ぶっ飛びすぎwwwwww」氏「40歳真っ黒チンボ」氏「ワタシハ神ダ」氏のみであり、すべて「ちゃねらー」です。この4人か一人かわかりませんが、こういう人物が今までもいろいろな掲示板やブログで実践倫理宏正会の悪口を書き込んできたわけで、いくら会友が反論しようとなかなかその悪評を消すことはできません。(本ブログでは、「いや夫」が消火できたのではないかと思いますが、これが「2ちゃんねる」なら肯定派が優勢になることなど絶対に不可能です。)

投稿 いや夫 | 2009.11.09 07:48 午後
 久しぶりに投稿する。上記の一連の投稿こそ、否定派の本性であり、下品なちゃねらーであることを指摘する。
 十五 やっぱり批判派は「ちゃねらー」のようです。
 
投稿 いや夫 | 2009.11.10 05:43 午後
 十六 しょうもない投稿への反論(その1)として、2ちゃんねるの記事を引用する。

また、馬鹿夫が下らん低能記事を投稿してるなww

投稿 鉄槌 | 2009.11.11 02:08 午前

 (これを契機として、「鉄槌」との罵り合いがスタートする。ネットの世界の愚かさを示す不毛な痴話げんかに突入する。やれやれである。)

投稿 鉄槌 | 2009.11.11 02:08 午前
 鉄槌の過去の投稿がいかに下品か紹介する。

 (以下は罵詈雑言に終始し下らなさすぎるので割愛。肯定派の応援もあり、最終的には「鉄槌」は次々とニックネームを変えていかざるを得なくなる。)

投稿 いや夫 | 2009.11.30 11:31 午後
 17番 ここの批判派と「2ちゃんねる」の批判派が同じだという例を、2ちゃんねると比較して明らかにする。
 なお、珍しく「いや夫」を知らない者もいたので、リンクを貼ってあげなと愚息らに言うが、一向に貼らない。自分たちの愚かさを明かしたこのブログや「いや夫」の存在を知られたくない臆病者なのだ。

馬鹿夫ww
ここにレスする暇があったら、ギリシャ哲学と経験論、大陸合理論を学んで来いw
おまえはレベルが低すぎなんだよww

投稿 鉄槌 | 2009.12.05 10:38 午後
 という投稿をきっかけに、始めて愚息と少しだけまともな討論をする。「愚息」カントで攻撃するが、まとはずれでな批判で後に恥を書く。カントおたくなのは、創価学会と関係するようだ。その後、イスラム教がどうのとか、エロ攻撃とかを繰り返すが、ことごとく中傷返しをされ、ややおとなしくなる。)

(中傷返しの例)

鉄槌へ

 それでは何か、倫理を学ぶにはカントを学ばねばならないのか?お前はカントおたくか?

 私や一般人が言っている「倫理」は、「倫理学」でもなければ、「カントの哲学」でもない。人として生きる道だ。日々の生活で心がければそれでいいのだ。言葉が似ているからと思って一緒にするな。「倫理」は机の上にあるんじゃない。現場にあるんだ。(パクリね。)同じことを何度も言わせるな。倫理学を学んだなら、学んだなりの文章を書け。

(以上は、鉄槌氏の知的レベルに合わせただけです。「いや夫」はこのようなはしたない言葉を使うことは好きではありません。今まで無視してきた理由もそれです。あしからず。ほんとうにちゃねらーって奴は・・・。)

投稿 いや夫 | 2009.12.09 12:18 午前

鉄槌兼式守伊之助へ

 別人だと思われたかったら、もう少し時間差をもうけたらどうだい?
(と「愚息」の成りすましを茶化す。)

投稿 いや夫 | 2009.12.09 12:21 午前

 十八 ネットの悪評の多くは創作である
   サブタイトル 創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界

 十九 2ちゃんねるの分析をした。(成りすましの横行と、このブログとの一体性を指摘。)

投稿 いや夫 | 2009.12.11 06:45 午後
 「倫理力」がカントとはまったく関係ないことを、ブログに膨大な資料を準備して反論。
 「鉄槌」のカン(ト)違いであることを明らかにして、「イカイカイルカ」の歌でバカにする。

 その後、2ちゃんねるに対して、このブログからミサイル攻撃。「否会友」を例に、否定派の正体をあばく。

 (いいかげんに「愚息」がうっとおし過ぎて、嫌気がさす。バカは無視しながら、たまにおちょくるだけにする。「愚息」への反論の中で、「否会友」への追求を続ける。「いや夫」は「否会友」と「愚息」は別人であるとの立場だが、一方では、同一人物である可能性も否定できないと考えている。その位は平気でやる女である。)

(おちょくりの一例)

鉄槌くんへお願い

 鉄槌くんと、金槌くんと、ダイヤモンド槌くんと、馬鹿夫くんと、なんぞコレおもしろ!!!!くんと、高塚地蔵尊くんと、究明団くんと、ボケ老人くんの会話形式で、いや夫を批判してみて。単発の悪口には、いや夫は慣れっこだよ。

投稿 いや夫 | 2009.12.16 08:04 午後

(「鉄槌」キャラの最後の投稿が下記。これを忠実に実行し、いまだに「いや夫」を中傷し続ける変質者である。)

俺は馬鹿夫が死ぬまでここにいる。

投稿 鉄槌 | 2009.12.16 11:29 午後

(「鉄槌」のしつこさについて解説する。原文のまま残す。)

 「鉄槌」がなぜこんなにしつこく「いや夫」にからみ続けるのかわかりますか?

 「いや夫」の登場以来、否定派は劣勢に立たされています。2ちゃんねるではあり得ないことです。彼らにしてみたら、初めての体験でしょう。

 2ちゃんねるで否定派が君臨できる理由は、そこが、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」だからです。
 
 否定派と肯定派が討論できていたこのブログでも、以前からなりすましは横行していました。そして、2009年2月8日の「高塚地蔵尊」や「名無し」などの本格的な攻撃が始まりました。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20489787
 これらの投稿をした人物こそ、「鉄槌」だと思います。

 そして、残念ながら肯定派の論客たちは、卑怯ななりすまし攻撃に嫌気がさして、このブログを去っていきました。

 後から登場した「いや夫」は、この単純なカラクリに、すぐに気づくことができました。じっくり読めば一目瞭然です。
 討論するにあたっては、ちゃんと対策をしたのです。その投稿は、
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23122849
です。
(引用開始)
 ところで、私は、ネット上の情報を第一資料と考えることに反対です。嘘などいくつでもつけるのが、ネットです。
(朝起会の実践者は嘘をつけないので、不利ですね。ネット弱者です。)

 試しに、私も一つ嘘をつきました。
「駐車場案内係」は「いや夫」です。
わざわざ受け答えしたりする面倒な演出はしませんでしたが、このアホみたいな嘘に感づいた方は何割でしょうか?しょせん、ネットとは、そんなものです。

 私はブログ「いやいや朝起会をつづけている妻の夫のブログ」をもっています。たいしたアクセス数ではないのですが、ぐぐってトップ10入りを果たしました。こちらの討論にも加わる(宣伝する)ようになり、多少アクセスは増えましたが、ネット上で朝起会を検索している人は、思ったほど多くはないという印象です。

 さて、この「実践倫理公正会って何?」の中で、特に否定派の方へ質問です。

 あなた、嘘をついていませんか?
私が今やったような?

投稿 いや夫 | 2009.10.12 06:13 午後
(引用終了)

 この投稿が、勝敗を決する天王山だったと思います。否定派は2ちゃんねると同じつもりで、なりすましや創作をしてきました。それは「名無し」が当然の世界だからです。
 しかし、このブログでは、その点を突かれることで、一転して苦境に追い込まれたのです。
武蔵が消えたのも、彼が嘘をついていたからです。

 この投稿によって、今までの分身攻撃は使えなくなりました。「いや夫」を攻撃するには、それまでに登場していたキャラでなければならないのです。
 それが「鉄槌」キャラです。

 彼はもう開き直っていますので、分身の術も平気で使います。「いや夫」にすれば、「どうぞご自由に」です。痛くもかゆくもありません。
 まあ、彼が狙っているのは、「いや夫」を挑発して暴言を引き出す、できれば、2ちゃんねるに投稿させるなどでしょう。

 絶対に投稿しないよ~だ。
 その手には乗らないよ~だ。

 「いや夫」はのんびりここにいるから、「鉄槌」もいたければいなさい。
 どちらの意見が正しいのかは、見ている人が決めることです。


http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23122849

投稿 いや夫 | 2009.12.17 06:14 午前

訂正

武蔵が消えたのも、彼が嘘をついていたからです。

ではなく、

「武蔵」キャラが消えたのも、このキャラが嘘をついていたからです。

投稿 いや夫 | 2009.12.17 06:27 午前

<「いや夫」解説>
 「いや夫」の一番苦手な相手は「きちがい」です。「鉄槌(愚息)」がまさにきちがいです。自分が常に勝っていると思い込み、いまだに負けを認めようとせず、永遠に「いや夫」を中傷し続けるアホです。まあ、こんなアホでも、自分たちが負けたことを心の中では認めていて、「匿名」に成り下がっているのですから、大目にみて無視することにします。こんな奴の投稿を読むのは、人生の無駄そのものです。しかし、残念ながら、2ちゃんねるでもっとも多くの投稿をし、もっとも影響力の大きな否定派は、「否会友」ではなく、この「愚息」なのです。残念ながら、バカが一番強いのが、2ちゃんねるなのです。
 なお、「いや夫」も当初はちゃねら~は中学生や高校生が主体であるという認識をもっていたのですが、現在の実態は変化したそうです。最近の中高生は、2ちゃんねるを敬遠して、ブログに投稿する方が多いそうです。2ちゃんねるのレベルの低さに嫌気がさした人々は、どんどんブログに移行しており、残るのはバリバリのちゃねら~=変質者だけだそうです。年齢層としては、昔中高生で、今は引きこもりの中年男(40代)が中心なのです。「痛い」話ですね。「愚息」がその典型であることは明らかです。彼の生き甲斐は2ちゃんねるであり、これを全面的に否定する「いや夫」を許せないのでしょう。

<参考記事>
2ちゃんねる、男女比は「6:4」。年齢層は「20代」が最小・「40代」が最多
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1171167.html

 なお、「愚息」についての調査結果は、我がブログにカテゴリとして整理しています。
こいつが成りすましを多用する卑怯者なのはまちがいがありませんが、その目的については、様々な可能性が考えられます。

一 自ら明かしたプロフィールが正しいと仮定すれば、会友の「愚息」だから。
  「ネット上の批判派の主体は、会友の息子である。」
  http://58807828.at.webry.info/200912/article_4.html
二 他宗教からの攻撃 カントにこだわる点で、「○価学会」関係者の可能性もあります。
三 「ちゃねら~」として「アンチちゃねら~」の「いや夫」が許せない。
四 実は「否会友」の成りすまし

 まあ、どうでもいいです。単なるきちがいですから。

誰が「愚息」だって? またはずれ。一番得意(と言うよりそれしか出来ない)ことではずしまくってどうするの? いや夫の言うことはただひとつ。 「批判派の言うことは全部ウソ。」それなら話は楽だもんな。苦手な議論から逃げられるもの。それにしても、断末魔の声ってのはやはり心地よいものではないですな。もうすぐ止むだろうから放っておきましょか。

投稿 匿名 | 2010.07.22 01:08 午前
は「否会友」だそうです。

 クライアントの話を続けろ?
 義母への恨みでもいいぞ。
 
 「愚息」でも「否会友」でもないというのなら、違うという証明に、宏正会との関わりについて明かしてみなさい。どうせ、びびってできんだろ?
 「雑魚」は誤差の範囲だ。プロファイリングする必要もない。

 「いや夫」は登場以来、自らの立場を明確にし、否定派についても、なぜ宏正会を否定するのか、また、宏正会に参加した経験はあるのか、それぞれの立場を明らかにすることを呼びかけてきた。
 しかし、それに素直にしたがった者は一人もいない。
 「いや夫」が過去の投稿から推測し、かまをかけて明らかにできたのが、「武蔵」と「愚息」だけである。
 否定派は何をそんなにおびえる必要があるのだろうか?
 それは、自分たちがいかに少数で、取るに足らない理由で攻撃しているかが明らかになるのが嫌なのだ。また、他の宗教からの攻撃ならば、身分を隠すのもうなづける。
 いずれにしても、理解不能なクズなのである。しょせんちゃねら~なので、まともに相手をする必要はまったくないのである。

再確認、「アンチ否定派」であり、肯定派デハナイ。その理由は、崇高な倫理事実についていけず、お金の最大限の寄附もなさそう。
研究所の17箇条に反論なし、アンチ否定派なのに?
やはり、細かいところを本人は突くが、字句の作為的変更はさらりと流す。
上手ですね

ゴマカシ ゴマカシ

「いや夫」は 論争ではまったく歯が立たないので 否定派の中傷に論点をすりかえている

「いや夫」は もう終わり。


 

負け戦 負けを認めぬ バカおっと
ゲーム機壊す 幼児がごとし


バカおっと 戦に負けて 晒し首
高まる無念 あらしを起こす


ご臨終 これがバカ夫の 断末魔
長き呻きに 皆あきれ果て


バカおっと あなたを待つは 阿鼻(あび)地獄
ゴマカシきかぬ 閻魔様なり

「いや夫」さん とうとう壊れちゃたようですね

 否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その四

 ただのショッカー戦闘員編 前編

 ちゃねら~からの「いや夫」へのクレームで多いのが、否定派のなりすましについて、勘違いしているというものである。
 「その投稿は愚息じゃなくて、俺の投稿だ。」ということらしい。
 そのような連中には悪いが、「いや夫」の眼中にあるのは、「武蔵」「太陽神」「長文さん」「賢くないさん」「クライアントがどうのこうの」レベルまでで、それ以下の層については、まったく気にしていない。こいつらは、仮面ライダーのショッカー戦闘員に過ぎないと思っていて、その中でもやけにはりきっている人物が「元鉄槌(愚息)」で、ひまつぶしに間違って相手をしてしまっただけである。仮面ライダーではありえない事故のようなものである。その他のショッカーについては、同じ覆面をかぶって「イィー」「イィー」と叫んでいるだけなので、「いや夫」も見分けることはできないし、見分ける必要も感じていないのである。

 どうしても見分けて欲しいというのなら簡単だ。
 自らのプロフィールを明かして自己紹介し、討論をお願いしますと呼びかければよい。「いや夫」はちゃんとそうしたぞ。それが大人の常識というものだ。それができん奴は、いくら自分が主人公だと思ったところで、脇役のショッカー戦闘員の一匹に過ぎないのだ。芸能界は礼儀が一番大切なのだ。
 さて、仮面ライダーの場合は、ショッカー戦闘員にセリフがないので、本人たちも脇役だと自覚しているが、君らにはその自覚がなさ過ぎる。自由に発言できるとは言え、君らは脇役なのだ。そして、最近の仮面ライダーではめざわりなだけだから、一切登場しなくなったのだ。きっと制作会議で、「ショッカー戦闘員って、目触りなだけでいらないよねえ。昔は、「イィー」「イィー」の叫び声が話題を呼んだけど、もうみんな飽き飽きだからねえ。切った方がすっきりするんじゃない?」「賛成!賛成!」とコストカットで真っ先に切られたのだ。

 「俺、昔ショッカーやってたんだ~。毎回一番目に倒される役が俺だったんだぜ。」と自慢したところで、相手も返答に困るだろう。

 今、君らが、「俺の投稿を愚息と混同するな」と言うのは、それとまったく同じことだ。「愚息」と混同されるような低レベルの投稿しかできないことを、君らがまず自覚せねばならないのだ。

 よって、今後も低レベルの投稿は、すべて「愚息」として「統計処理」する。君らは「誤差の範囲」だ。許せ!
(もっとも、違う違うと「愚息」が打っている可能性もかなり高い。どちらにしても、どうでもよい連中だ。TVなら放映前にカットできるが、ブログはそういう訳にもいかないのが残念だが・・・。ブログ主の「朝起き頑張りっ娘」くんは懐が深いのう(笑))


追伸

 たとえば、もうすでに過去の投稿で、その存在さえ忘れていた「討論を避けよ」というショッカー戦闘員がいた。(今回過去スレを読んで思い出した。)ちゃねらーであるショッカー戦闘員がどんなに無様に切り刻まれているのかの一例として紹介しておく。

 宗教怪人「長文さん」がある程度健闘していた横で、「ィー」「イィー」と騒いでいたショッカー戦闘員「討論は避けよ」をついでに切り捨てた場面です。
 なお、こやつは2010年1月25日以来、のべ17回の投稿をしてきたが、やがて、(このハンドルネームでは)姿を消した。(実際には、現在の上記の投稿のいくつかは、こやつのものだ。)

 なお、こやつの生前の投稿では、こんなことも言っていた。いかに否定派が嘘つきであるのかという良い証明である。こんなのは氷山の一角に過ぎないのが残念だが・・・。

(引用開始)

「いや夫」さんへ
なりすましは、していないと宣言、宣誓しましょう。

投稿 討論は避けよ | 2010.03.03 07:38 午前


あなたと同じでは?
宏正会を肯定しながら、一番大切な「実践」をしない。
また、パクリ、なりすましはしていないと宣誓しましょう。ちゃねらーでないせめてもの証明

投稿 討論は避けよ | 2010.03.05 07:40 午前


(引用終了)

 そんな大見得を切った「討論を避けよ」と「いや夫」のバトル(というより「いや夫」によるいじめだな。「いや夫」はKYだから、みんなに嫌われるわけだ。何もショッカー戦闘員ごときに、本気を出さなくてもいいのに・・・。)をどうぞご覧ください。

(引用開始)


事実例
引用、介護体験者のブログより
投稿者---〇〇〇(2007/11/27 )


朝起会の小冊子は、『倫風』と書いて、『リンプウ』と読むらしいのですが、先月やっとの思いで退会した知り合いの話しでは、1冊幾らとかで自分で買い取って頒布するそうですね。
その知り合いの彼女は、何十冊も買っていたそうです。


たくさん買い取って、配って回り、1人でも多くの会友を新たに増やす事がグラフで営業成績の様に競わされるんですって。

ノルマもあるから信者になると必死だそうで、それで入会するまではしつこくしつこく食い下がるらしいです。
1度や2度断わられても、そんなのは断わられた内に入らないって言われるそうですから、たまりませんね。

知り合いの彼女は神奈川県在住ですが、大体年に100万円以上のお金を実践倫理の為に使っていたのだそうで、年収600万前後のご主人に、これ以上続けるのなら、即離婚だと言われ、渋々退会したらしいです。


まだ入会して1年2ヶ月位だったそうなので、改心出来たのかも・・・。
退会の際も先輩会友数人から、それはそれは嫌がらせや脅しめいた事を、毎日散々言われて、夜はうなされて眠れない日々が続いたそうな。

恐ろしいですねえ。身震いしますよ、本当。
夫にバレて、本当に離婚までいくケースも後を絶たないとか。恐いです。

皆さん、郵便受けなどに、留守中黙って置いていかれる『倫風』にも十分に警戒して下さいっ!!
後日必ず、『お読み頂けましたか?』と本当にチャイムを鳴らされたり、あがり込まれたりしますから。
読めばひと目で、これは怪しい!!絶対に新興宗教っ!!って事がわかりますよ。
も彼女からの残っていた『倫風』を読んで、思わず顔が青ざめ、吐気がしましたからね。

投稿 討論は避けよ | 2010.03.15 01:23 午後

「討論は避けよ」さまへ

 長文の部類には入りませんなあ。自分の言葉で語った部分は、ごくわずか。

 引用した投稿は長文ですが、これも単なるコピペ。実例だという証拠はありません。
本ブログでの投稿の例でいうなら、成りすましの投稿として何度も紹介している、

投稿 嵐 | 2005.11.14 10:21 午前
投稿 嵐 | 2005.11.15 11:11 午後
投稿 さとえ | 2005.11.15 11:12 午後

の成りすまし投稿の一種とも考えられます。

 実例とは、自分自身がいつ、どこで、どのような被害にあったのかを書くべきで、また、こんなところに書いていないで、警察や行政に訴えればよいのです。(本部に訴えても、ちゃんと解決すると思いますよ。)

 「討論は避けよ」さんが引用した「実例」とやらですが、

(引用開始)
事実例
引用、介護体験者のブログより
投稿者---〇〇〇(2007/11/27 )
(引用終了)


本文中の文章「朝起会の小冊子は、『倫風』と書いて、『リンプウ』と読むらしい」でぐぐってみたところ、

私の介護体験&こぼしちゃうおコーナー
http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?anankaigo+651

 というブログを発見できました。しかし、このブログは既に閉鎖されているのです!
(googleの「キャッシュ」に残っていたので見つけることできました。)
http://74.125.153.132/search?q=cache:Knnxk8B2M4UJ:www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi%3Fanankaigo%2B651+%E6%9C%9D%E8%B5%B7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%86%8A%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%80%81%E3%80%8E%E5%80%AB%E9%A2%A8%E3%80%8F%E3%81%A8%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%81%E3%80%8E%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%A6%E3%80%8F%E3%81%A8%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja

質問
 「討論は避けよ」さんは、どこのブログからこの文を引用されたのですか?教えてください。
 同じ人物が2ちゃんねるやいろいろなブログで、複数投稿を繰り返している例として、検証させていただきます。

 それとも、あなたご自身の投稿ですか?  

投稿 いや夫 | 2010.03.15 05:48 午後

「討論は避けよ」さんへ追伸(追い討ち)

 「怪人」クラスが全然増えないので、「ショッカー戦闘員長」クラスのあなたとの討論を深めたいと思います。

 あなたが紹介した、「実例」の投稿とやらは、
2ちゃんねる内でも、リンクを貼って誘導していた人物がいます。この様子は、我がブログの下記の記事内でも触れています。

<関連記事>
しょうもない投稿へのしょうもない反論 (その6)
>
http://58807828.at.webry.info/200912/article_14.html

 そして、
 「討論は避けよ」さん=2ちゃんねるの、
318 :名無しさん@HOME:2009/12/04(金) 10:06:23 0

 なのではないかというのが「いや夫」の予想です。

(引用開始)
318 :名無しさん@HOME:2009/12/04(金) 10:06:23 0
「私の介護体験&こぼしちゃおコーナー」というBBS。
ttp://bbslog.realint.com/?serverid=2&bbsid=anankaigo&page=2
No.635~712あたり、朝起き会を中心にカルトや霊感商法・悪徳商法の話題です
(シロアリ詐欺と一緒にされて語られているのがなんともw)。
特にNO.643 NO.651などは、はっきり県名も書いてあって、とてもリアルです。
ぜひ御熟読いただきたいです。

(典型的な創作の例です。ちゃねらーが普通のブログにも投稿しているだけです。きりがありません。)

(引用終了)

 なお、昨年の12月4日頃と言えば、「鉄槌」「金槌」「ダイヤモンド槌」「R」などといういわゆる「愚息」(=ちゃねらー)と討論していたときに当たります。

追加の質問
 「討論は避けよ」さんは、その頃、何というハンドルネームを使っていたのですか?

投稿 いや夫 | 2010.03.17 06:45 午前


奥様は五年以上に渡って、いやいや会の実践をされているのですね。そこから、倫理力は発生していますか。
そろそろ内情も理解されたでしょう、内部浄化されるか、会から離れるか判断される時期。自然の摂理は、特定のターゲットに不幸は齎しません。
論戦の見解として、観念論では、灰色は黒にもなれば白にもなります、「物の見方考え方」なる本が昔あったと思います、紹介まで。
会は、宗教と言えば、類似品でしょう。しかし、発祥は宗教団体から分派したのは、事実です。この問題点は、公益法人認可まで待つのも一つの方法。財務管理、会費などの証書管理、金銭出納管理は、末端の組織まで管理、報告の義務があります。倫風に、会場及び連絡先もありますので整理は楽でしょう。
実践をせずに擁護していても、
結局、貴方は肯定派でもないでね。
デメリットがあるなら、会に具申しないのも不思議。
事実例はサイトからのコピペです、虚偽捏造情報と思えんのでそのまま掲載です。判断は読者に任せます。「倫風」と検索かけて下さい。(キャッシュを見た方ですのでご存じ)難しいルートはたどりません。
私は、まだ、労働者です、自分の道徳感から投稿です。蚊か刺と思って下さい。

投稿 討論は避けよ | 2010.03.17 08:35 午後


「討論は避けよ」さんへ

 あなたの意見は理解しました。しかし、納得するわけにはいきません。ネット上に、「宏正会」の罵詈雑言が増殖されていく一端を、あなたが担っているからです。

 また、自ら「ちゃねらー」であることを明かしていただき感謝します。他のちゃねらーはいさぎよくないと思います。

 「いや夫」の反論を(  )で加えます。

(引用開始)
実践をせずに擁護していても、
結局、貴方は肯定派でもないですね。

(アンチ否定派です。自分自身で認めています。)

デメリットがあるなら、会に具申しないのも不思議。

(実践者である妻に迷惑がかかるからです。「宏正会」自身がネットに関わらないようにしています。「いや妻」も、夫が「いや夫」として討論していることに反対の立場です。ネットの情報など信じる人はそれなりの人なのでしょう、と諦めています。あなたがまさに「それなりの人」です。しかし、「いや夫」は誤解されたままではだめだろうと、討論している次第です。
「いや妻」の唯一の投稿

(引用開始)
久しぶりに拝見しました。

すごい討論になっていますね^^。
びっくりしました。

みなさまお暇なのですね、みなさまには家庭がないのでしょうか?
家族で過ごす時間をもっと大切にしてください。

それから、人のことなどいいではありませんか。
朝起会員はネット上の批判など、気にしてはいませんよ。
ネット記事を本気にする方は、それまでの人なのでしょう。

みなさま、討論する前に朝起会に行ってご自分の目で見て、確かめてみてはいかがでしょうか?

投稿 なんちゃって会員 | 2009.10.15 03:13 午後
(引用終了)


事実例はサイトからのコピペです、虚偽捏造情報と思えんのでそのまま掲載です。判断は読者に任せます。「倫風」と検索かけて下さい。(キャッシュを見た方ですのでご存じ)難しいルートはたどりません。
私は、まだ、労働者です、自分の道徳感から投稿です。蚊か刺と思って下さい。

(「偽造捏造情報と思えん」のはなぜですか?他の罵詈雑言の投稿についても同じ考えですか?このブログ上で、否定派の投稿の何割が実例だとお考えですか?実例と偽の例の見分け方を「論理的」に説明してください。
 「愚息」の例を見れば明らかなように、本ブログも開始直後から、否定派の成りすましによる攻撃を受けていることは明らかなのです。2ちゃんねると表裏一体なのは、あなたご自身が十分にわかっていることです。あなたは、ちゃねらーだから、2ちゃんねるの投稿をすべて鵜呑みにするのでしょう。当然「宏正会」否定派になることでしょう。私に言わせれば「鵜一号」だ。「否会友」「元会友」「愚息」らの私情による悪意に満ちた投稿さえ見抜けないだまされやすい人間なのです。そんな単純な人の道徳観は、かえって迷惑なのです。
 あなたは、「宏正会」とどのような直接的なつながりをお持ちですか?その範囲においてのみ判断し、ネット上の投稿をそのまま「実例」などと紹介するのはやめていただきたい。)

(引用終了)

 なお、あなたたち「ちゃねらー」は、ネットで書かれていたから真実だと思い込んじゃったと、今まで、人の罵詈雑言を書き連ねてきました。しかし、今回、最高裁で画期的な判断がくだされたことをご承知おきください。

<関連記事>
ネット上の中傷書き込みで名誉棄損罪確定 最高裁初判断
http://58807828.at.webry.info/201003/article_16.html


 今後は、ネットの偽の情報に騙されて、名誉毀損を行ったとしても、社会生活と同等に罪が問われることになります。道徳観などという言い逃れは通用しません。本判断は、過去の事例(たとえば2ちゃんねるの30位の過去スレ)にも、当然適用されます。「宏正会」などのネット弱者には、喜ばしい判断です。

ネット上の中傷書き込みで名誉棄損罪確定 最高裁初判断
http://58807828.at.webry.info/201003/article_16.html

 「いや夫」も名誉毀損しているじゃないかという方は、警察へ訴えてください。訴えが通って、2ちゃんねるや本ブログの投稿者のIPアドレスがすべて調べられたとしても、痛くもかゆくもありません。否定派はいったい何人なんだろうという、個人的疑問が明らかになってよいと思います。


投稿 いや夫 | 2010.03.17 09:27 午後

二つ情報提供します。
・内閣府は、法人認可の一つとして、インターネット上への情報公開を強く進めています。
・最高裁判決で公的政党のビラでさえ玄関等に、「各種ビラの投函お断り」と書かれ、それに反して投函すれば、不法侵入になり実刑です。たしか罰金刑でした。

投稿 討論は避けよ | 2010.03.17 10:18 午後

「討論は避けよ」さんへ

 まさに討論を避けていますね。「いや夫」の反論にはまったく答えることをせず、自身の意見を短文で書くだけです。

 2ちゃんねるではないのだから、情報発信者として、それ相当の責任を果たしてください。

(引用開始)
(「偽造捏造情報と思えん」のはなぜですか?他の罵詈雑言の投稿についても同じ考えですか?このブログ上で、否定派の投稿の何割が実例だとお考えですか?実例と偽の例の見分け方を「論理的」に説明してください。
(引用終了)

・ネット上の情報公開が必要条件となれば、そうするでしょう。「倫理研究所」のHPのようなものなら、すぐに作ることができると思います。現在は努力義務程度だと思いますが、その必要はないというのが本部の意向だと思います。倫理力の乏しいちゃねらーは普及の対象からもっとも遠い存在です。

・ビラ配布も不法侵入になるという事例は、今回の反論としてふさわしいのですか?

その事件は、下記のものです。

立川反戦ビラ配布事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%8F%8D%E6%88%A6%E3%83%93%E3%83%A9%E9%85%8D%E5%B8%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 反戦・反基地運動を行ってきた団体が、イラク派遣反対のビラを自衛隊東立川駐屯地の官舎戸別郵便受け(新聞受け)に配布したことを不法侵入として罰したものです。
 「犯人」は75日間の勾留を受け接見を禁止されたそうです。
 国家権力による国民の表現の自由を奪う不当な判決です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%8F%8D%E6%88%A6%E3%83%93%E3%83%A9%E9%85%8D%E5%B8%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

投稿 いや夫 | 2010.03.18 07:48 午前

(引用終了)

 「キャッシュを見ただ~???難しいルートはたどりませんだ~???」
 バレバレだ~!!!

 「ショッカー戦闘員は、いつもこの程度だから、「元鉄槌(愚息)」以外「いや夫」の記憶には全く残っていないのだ。

 さあ、「クライアントがどうの」くん。早く書け!

 「ショッカー戦闘員」VS「いや夫」なんて番組はつまらなさすぎる。
速攻でチャンネルを変えられてしまうじゃないか。


 上記のべ4匹のショッカー戦闘員なんかでごまかそうとするな。

 君も、「討論は避けよ」ちゃんを見習って、

「パクリ、なりすましはしていないと宣誓しましょう。
ちゃねらーでないせめてもの証明」と宣言しといたらどうだい?

 「いや夫」がちゃんと暴いてあげますから。

 なお、ショッカー戦闘員である君らが、このような状態でも、「勝っている」と誤解しているとしたら、「いや夫」にも一つだけ思い当たることがある。

 それは、次回のネタにしよう。

整いました~。

否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その五

 ただのショッカー戦闘員編 後編
「なぜ、ショッカー戦闘員(ごきぶり)はこんなに高飛車なのか?」

 残念ながら、アホで長文が読めないショッカー戦闘員は、「いや夫」の投稿をほとんど読まないために、どんな攻撃をしてもこたえない。ネットで一番強いのは、論理的は人間ではなく、きちがいなのである。しかし、最強なのは、彼&彼女らの頭の中だけで、客観的には、

 「ショッカー戦闘員より「いや夫」の方が賢い」のは事実である。200%間違いない。

 しかし、ネットにおいては、賢さは一つの武器にはなるが、それをもってショッカー戦闘員を駆除することは不可能なのである。ネット上のショッカー戦闘員は、斬られても斬られても、斬られたリアクションさえせずに再び復活したり、別のHNで攻撃してくるのである。全国有数の頭脳(M)をもってしても、イエスや仏陀が挑んでも、これをおさえることはできないのだ。

 できることと言えば、「いや夫」がやっているように、こやつらの馬鹿さ加減を教えてあげて、本人に気づかせるしかないのである。しかし、一人も自分の馬鹿さかげんに気づいたものはいないというのが、現状である。

 さて、それにしても、何でショッカー戦闘員ごときが、このブログでは偉そうにしているのだろうか???

 単なる負け惜しみだと思っていたが、今回過去の投稿を読み直して、あることに気づいた。

 それは、ショッカー戦闘員は、

「いや夫」の投稿休止を、自分たちの手柄だと誤解しているということだ!

 
 解説する。

「いや夫」はこのブログにおいて、たびたび投稿を休止する期間を設けている。

一 「武蔵」との討論中の、2009年10月16日~10月18日
二 「愚息」他ショッカー戦闘員をからかい中の、2010年1月28日~(2/18)~2月23日
三 「長文さん」との討論中の、2010年3月5日~3月8日
四 「長文さん」をKOした後の、2010年3月23日~(5/25)~6月23日

「一」については、「レジャーに行ってきます」「レジャーから帰ってきました」と宣言している通りです。

しかし、「ニ」については、その直前に、

(引用開始)
正気を取り戻せ(=鉄槌)は、「いや夫」より賢いそうです。
はい、それで結構です。
君とはレベルが合わないので、低脳の「いや夫」になんか構わないでください。
高レベルの2ちゃんねるでがんばってください(笑)。
ともかく、私は君を一切無視します。
さようなら。

投稿 いや夫 | 2010.01.15 09:59 午後

馬鹿が反論できなくて、尻尾巻いて逃げてったww

投稿 正気を取り戻せ! | 2010.01.16 01:10 午前

「正気を取り戻せ」ない鉄槌へ

 君にはかないません。尻尾を巻いて逃げることにします。だから、構わないで。
http://58807828.at.webry.info/201001/article_17.html

投稿 いや夫 | 2010.01.16 10:27 午後

(引用終了)

 とのやりとりがあるし、さきに紹介した「討論は避けよ」とか「 くくっww 」とか「ダメ会友」とかに批判されて、「いや夫」は投稿を控えた筋書きになっています。

また、「三」では、やはり「M」とか「匿名」などに説得されて、「いや夫」が投稿を控える展開です。

 これらの投稿がすべて「ショッカー戦闘員」の成りすましであることなど、ちゃんとお見通しですし、ブログでもそう打っています。

Q それではなぜ、「いや夫」は投稿を控えるのか?


A1 否定派がへぼすぎるから。

 「いや夫」登場直後のグログより

(引用開始)

 「実践倫理宏正会って何?」で討論中
http://58807828.at.webry.info/200910/article_32.html
<< 作成日時 : 2009/10/12 22:28

(中略)

 過去の投稿を読むのは大変ですが、
私の得意な妄想によると、同じ人物が複数の
ニックネームで投稿している臭いがプンプン
しています。
妄想でもなんでもないと、自信があります。

 朝起会会友さんで、データ分析が得意で、
時間の余裕のある方がいましたら、
特に否定派投稿意見について、
「投稿時間」「投稿日」「投稿者」で簡単な
表を作ってみるとおもしろそうな気がします。

 私の妄想では、AとBとCとDが同一人物かな?

 ぜひとも、A~Dの皆さんと、「同時」に討論して
みたいものです。

 それと、ネットユーザーって若者が中心なんですよ。

 偉そうにしているから、目上だとは思わない方がいい。

 おこちゃまほど、えばるのがネット社会です。

(引用終了)

 というように、このブログに投稿する時点で、論理的な投稿をできるのはたった一人で、「太陽神」「武蔵」「シリウス」etcであると見抜いていたのです。そして、思った通り、否定派の論客は常に一人で、「いや夫」以下の力しかないことが明らかになり、がっかりしているのです。

 もう、「いや夫」の役割はもう果たしたなと思っていたのです。たとえば、

(引用開始)
レイモンド様

 世の中には、いろいろな人がいて、いろいろな考え方があって当然ですね。お祝い金を喜んで払う会友もいれば、絶対嫌だという会友もいるのでしょう。それでよいと思います。宏正会が大きくなっていく過程では、それなりの資金も必要だったのでしょう。お祝い金などのお金も、そのためにいかされ、それを喜びとしていた会友さんもいるのだと思います。自分がそうだったから、目下の人にも当然のこととしてすすめるのでしょうね。
 お金にうるさい否定派が、そんなところを突いてくるのも当然なのかもしれません。宗教色を極力のぞいたのが宏正会のスタンスですが、その一方で、倫理修養団体として、がちがちに生活を縛るだけでは、なかなか会友も満足しないのでしょう。庶民は、おまじないや占いが大好きですから。結婚式は大安がいいに決まっていますし、厄年になったら、厄払いをするのが常識です。宏正会を生活の指針としている会友にとって、お祝い金や倍加は、家内安全の願掛けや厄払いの役割を果たしてきたのではないかと、「いや夫」なりに解釈しています。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

 2ちゃんねるや一時期のこのブログでも否定派がさんざん騒いできましたが、会友は、それほど気にもとめていませんね。朝起会をきっかけにして、幸せな人生を歩んでいる人の方が圧倒的に多いのですから。「いや夫」の知る会友の皆さんもまさにそうです。否定派の指摘は、針小棒大だと「いや夫」も思います。「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」からネタをひろってきては、いかにも自分が体験したことのように書き込みをし、増殖させるのですから。

 もっとも、「いや夫」は、このブログで否定派に対して一矢を報いることができたので、もうすでにかなり満足しています。また、否定派が騒いでいても、「ふ~ん、そういう風に考えるんだ~」という感じです。悪口も出尽くしていて、同じような話を何度もリピートしているだけですし・・・。

 そもそも、ネット上で評判がすこぶるよい修養団体や新宗教が存在することなど不可能ですので、そう気にする必要もないと思います。せめて、このブログを読んだ方の一部でも、ネットだけで物事の真偽などわかるはずがないことに気づいていただければ幸いです。
 

投稿 いや夫 | 2010.01.17 09:58 午後

(引用終了)

 この投稿などは、ショッカー戦闘員(年齢は40代だが、精神年齢は幼稚園児並のちゃねらーたち)とのやりとりに嫌気がさし、自らの「引退」を意識した投稿なのです。

ちなみに、「レイモンド」さんは、ショッカー戦闘員とのやりとりのむなしさを一番理解しながら、彼らを上手にコントロールされている立派な方です。

ということで、「いや夫」の休止は、ショッカー戦闘員の手柄などではないのです。


A2 「いや夫」はちゃねら~が大嫌いなのです

 「いや夫」がこの世で一番嫌いなのがちゃねら~です。

<参考記事>
ネット社会はほどほどに。
http://58807828.at.webry.info/200909/article_29.html

人間の愚かさをさらしたネット社会
http://58807828.at.webry.info/200909/article_30.html


 そして、なりゆきとは言え、その大嫌いなちゃねらーと討論=会話をしているのです。

これほど精神的に苦痛なものはありません。今でこそ、無視が一番と達観しました(?)が、ともかく、「愚息」とか「討論は避けよ」とかを切り捨てながらも、こんな奴らにどうして関わらなければならないのだと自問自答していたのです。

 これは、ちゃねらーが強いということでは、決してありません。

 奴らは「ごきぶり」なのです。開き直れば、スリッパで何匹でもぶっつぶすことは可能です。しかし、それをしたところで、「ぐちゃ」とつぶれたり、潰したはずなのに、変な粘液を出しながら、

(引用開始)
「いや夫」さん とうとう壊れちゃたようですね

投稿 匿名 | 2010.07.22 11:21 午前
(引用終了)

 などと強がりを言い続けるごきぶりが気持ち悪くてしょうがないのです。

 「いや夫」がいるばかりに、こんなごきぶりどもを呼び寄せてしまったのは悪かったとの思いもあるのです。

 以上も、「いや夫」が投稿を控える理由の一部でした。

A3  そして、「本当の理由」は、「私事都合」です。
 実は、AもBもそれほど大きな理由ではありません。
 その証拠に、今もせっせとごきぶり潰しをやっています。

 では、その「私事都合」とは何か?

 もちろん、「競馬」です(笑)

 何度も正直に告白しているのに、どうして否定派は「いや夫」の行動パターンを読めないのだろうと不思議に思います。

休止期間の「二」~「四」は、競馬研究をするために、投稿を休止しただけなのです。

<競馬と「いや夫」の投稿休止期間との相関一覧>

「ニ」の期間
 日経新春杯(GⅡ) アメリカJCC(GⅡ) 京都記念(GⅡ) フェブラリーステークス(GⅠ!)

「三」の期間
 弥生賞(GⅡ)

「四」の期間=春のGⅠレース期間と同一
 高松宮賞(GⅠ!) 桜花賞(GⅠ!) 皐月賞(GⅠ!) 
 天皇賞(GⅠ!) NHKマイルC(GⅠ!) ビクトリアマイル(GⅠ!)
 オークス(GⅠ!) 日本ダービー(GⅠ!) 安田記念(GⅠ!)
 (宝塚記念GⅠ GⅠレースの間があくので、この前にブログに復帰しました。)


 ということで、競馬好きの「いや夫」が、競馬研究のために投稿を控えたのが理由という、実に下らないことを君らちゃねら~は単純でお馬鹿さんだから、「自分たちの力だと勘違い」していただけなのです。残念ながら、これが現実ですので、今までの妄想(「いや夫」に勝った)は忘れましょう。

 なお、「いや夫」は君たちとは違っていつも正直ですので、上記の内容はちゃんと明かしています。しっかり読まないから、「いや夫」に勝てないし、バカにされるんだぞ。

(引用開始)

(春のG1シリーズも終わり、ゆとりの時間ができたので、ばんばん投稿いたします。)

投稿 いや夫 | 2010.06.29 10:20 午後


(引用終了)

(注:春のGⅠシリーズ最終戦が、6月27日の宝塚記念です。)

 ということで、「いや夫」が元気で、挑発的なのは、競馬研究をしないといけないという弱点が今はなくなっているからだ。

 下らない理由(本人にとっては真剣)で君らをぬか喜びさせたことは謝る。

 君らは立派なごきぶりだ。忌み嫌われながらもしぶとく生きろ。

 お前たちなど眼中にない!!!  

 頼むから俺の歩く足の下を通らないでくれ。つぶす方の身にもなれ!

↑ キチガイ

ははははは~、ま「いや夫」さんの完全勝利ですね。
でも、全部読めないひとは、内容に関係なく、中傷短文で投稿するでしょう。
そのときは、今回の五回シリーズ全部のコピペをドーンと流していただくと、初めて見た人は、中傷投稿が無意味なものと悟るでしょう、それにしても、「いや夫」さんの文筆力はたいしたものです。
いつの日にか、総合雑誌への論文投稿をお考え下さい。もしお気持ちがでてきたとき、このスレでおっしゃって下されば、それなりに、ご協力できます。

これが「いや夫」流の 荒らし方ということか。

こんなに荒らされては このブログも閉鎖となるね。

しかし 「いや夫」もこんなことをして 虚しいくはないのかねー。
「いや夫」にはプライドと云うものはない下劣な人間ということか。
どんなに自分で自分を褒めても こんなことをしていたら みんな軽蔑するだろうね。

 論文投稿のお褒めの言葉ありがとうございます。しかし、所詮wikipediaちゃんのお子ちゃま論文の域を出ませんので、おとなしく(笑)、「ごきぶりセンサー」として、趣味の範囲でぶつぶつつぶやかせていただきます。
 彼らはちゃなら~(ごきぶり)でありながら、「いや夫」との論争上、自分たちはちゃねら~(ごきぶり)ではないと強弁せざるを得なくなっているのが、おもしろいところですね。
 いつか単なるセンサーではなく、「ごきぶりホイホイ」並の文筆力を備えて、彼らを駆除したいものです。ご協力お願いいたします。

否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その六

 宗教怪人「長文さん」敗退編

 「いや夫」が春のGⅠシリーズで投稿を休止する前に戦ったのが「長文さん」という「匿名」です。まあ、「武蔵」でしょう。「いや夫」は君は武蔵ではなさそうだ、とかたまに書いたり、「武蔵」に呼びかけたりしていますが、嘘です。2ちゃんねるに「否会友」の親友の「元会友」というのがいるのですが、こやつも迷惑な奴なので、それを紹介するために、お前は「元会友」の可能性があるなどと遊んだだけです。「長文さん」はまちがいなく「否会友」であり、「武蔵」でもあり、「太陽神」でもあると思っています。

 なお、今回は「宗教論」で戦ったのですが、最初の方は「長文さん」は大健闘をしており、五分五分の討論でした。事前に攻撃のために勉強したりしてきたのでしょう。しかし、リアルタイムの討論をすすめるうちに、必ずボロが出てくるのが「長文さん」「武蔵くん」の共通点です。最後の方は、めろめろで、「私はこうだと信じる」としか言わなくなってしまいました。がっかりです。これで、否定派は「いや夫」がやられていると言うなら、アホとしかいいようがありません。

 彼女の弱点は、その場その場で思いつきを打ってしまうので、いつのまにか変節しているという点です。毎回そうです。「太陽神」も同一人物だと思っているのですが、今回は、「太陽神」で自分が打ったことをすっかり忘れて、正反対の主張をぶつけてきてしまいました。もちろん、正しいのは、「太陽神」の頃の意見でして、「いや夫」を倒したいばかりに、持論をねじ曲げてしまうのです。そんなことでは「いや夫」には勝てません。
 では、バトルの一部始終を紹介します。
 (なお、「いや夫」はナルシストで自慢している訳ではありません。否定派が「いや夫」が負けたんだと言うから、違うのではないですかと客観的に説明しているだけです。)

投稿 匿名 | 2010.02.14 04:33 午後
 「いや夫」はちゃねらーの技術を駆使している。ちゃねらー「いや夫」に騙されないようにと中傷。

嫁さんがこの宗教に狂っていますが、これが、主人に対しても勧誘と宗教的意見の押しつけが酷くて離婚しようと思っています。いいかげんにして欲しい!

投稿 泉 | 2010.02.15 08:50 午後  (と、次の自分の投稿が有利になる前振り)

投稿 匿名 | 2010.02.15 09:33 午後
 「いや夫」の人間性を中傷。「いや夫」が同一人探しが出来ないように「匿名」にする事をすすめる。

(以上が準備段階で、次に「武蔵」ならではの投稿を開始する。相手の説を引用しつつ、自分の方がより詳しいことを自慢してみせる。その後、それを上回る理論を自分は知っていますよという、ワンパターンの論述方法。今回は、本来の性に戻って書いているので、「いや夫」も気づくまいと思ったのだろうか?参考までに、全文を掲載しときます。)

「いや夫」さんが認知的不協和理論について述べている部分を見てみますと 「いや夫」さんはこの理論についてあまり理解できていないようですね。
 「いや夫」さんが「不完全定理」を例に出していますように 一つの理論でもって説明できない現象もあるでしょう。一つひとつの事象をその理論で説明できるかどうか検証をしてみる必要がありますね。
でも「馬鹿の一つ覚え」なんて言っていますと 「いや夫」さんはその馬鹿以下になってしまいますよ。
 この理論にも批判があるようですが 部分的なものであったり 説明の仕方に違いがあるだけでこの理論そのものを否定するものではないようです。
 「いや夫」さんは「ある人が給料は低いけど仕事に生き甲斐を感じている人もいる」という例を出して認知的不協和理論の適用を否定していますが、この例はこの理論の適用としてあまり相応しくありませんね。
なぜなら その人が本当に仕事自体に生き甲斐を感じていたとしたとしたら 給料の低いこととの間に認知的不協和が生じないからです。
認知的不協和理論は 矛盾した二つの認知がある場合にその不協和を解消するために一方の認知を変えて協和している状態にする心の作用を云ったものです。ですから この場合は認知的不協和理論は使えません。
「いや夫」さんは「1ドルの報酬実験」からこの例を用いたのでしょうけど この実験は作業を「つまらない単調な作業」とし この作業を「面白い作業」と伝えてその人の心理的な不協和を作り出すという前提があります。この実験と「いや夫」さんが用いている例には違いがあることを理解する必要がありますね。  
このような心理的な「不協和」が生じない場合を説明する理論が「いや夫」さんが引用しているベムの「自己知覚理論」です。この理論はフェスティンガーの「認知的不協和理論」に対抗して唱えられたものですが 最近では両者を補完し合って説明したり また両者を統合しようという動きがあるようです。
ベムの「自己知覚理論」とは 
人は通常 他者の行動からその人の態度を判断しますが 自分についても同様に自分のとった行動という外部的な手がかりから自分の態度を推論している というものです。
自分の態度があいまいで弱いときは自分の行動に基いて「自分はこうなんだ」と自分の態度を推論しはっきりさせるということです。
道に迷って困っている人を助けてあげて あらためて自分には親切なところがあると思う といった例が挙げられます。
「いや夫」さんの例ですと「私は毎日楽しく仕事をしている」という外部的なことを手がかりに 「私はこの仕事が好きなんだ この仕事を生き甲斐にしているんだ」と自分で自覚して行くということになりますね。
宏正会に当てはめますと
「太陽神」さんが 朝起き 演壇 頒布 人誘い 会費 倍加 お祝金 などといった「実践」について認知的不協和理論で説明していますけど これらの「実践」については自己知覚理論でも説明できます。
自己知覚理論ですと  朝起き 演壇 頒布 人誘い 会費 倍加 お祝金 などといった「実践」を私は行っている。このような外部的な行動を手がかりに このような実践をしている私は宏正会が好きなんだ 宏正会を大事に思っているに違いない と自分を判断して行くことになります。
逆に 宏正会としては会員にこのような実践をさせることによって会員の心をコントロールすることができるという事になります。
認知的不協和理論ですと その人に心理的な不協和が生じないと説明できませんが 自己知覚理論ですとこのような場合にも説明することが出来ます。

このように 宏正会の「実践」について 認知的不協和理論と自己知覚理論を補完し合って説明することができるということになります。
 
投稿 匿名 | 2010.02.16 06:07 午後

投稿 匿名 | 2010.02.17 03:38 午後
 「いや夫」の書かれたものは、無意味だと罵倒。

投稿 匿名 | 2010.02.18 05:05 午後
 「ひとのみち教団」系の団体のHP一覧を紹介。


私は「ちゃねらー」とは何なのかよく知りませんでしたが、「ちゃねらー」とは 単に2チャンネルに書き込みをしている人を言うのではなくて 「いや夫」さんのように 討論を内容よりも勝ち負けのあるゲームのように考えて ひたすら勝つことにこだわっている人を言うのですね。(略)
投稿 匿名 | 2010.02.18 06:37 午後
 (注:「今まで2ちゃんねるの常連だった自分たち」は「ちゃねらー」ではなく、「いや夫」のような人を「ちゃねらー」と言うのだと自己弁護。(笑))

投稿 いや夫 | 2010.02.18 10:51 午後
しつこい。せっかく「いや夫」が(競馬研究のためだが)投稿を控えているんだがら、お前らも消えろと「愚息」に命令。

追伸
 「愚息」ではない、本当の論客さんへ
「認知的不協和理論」と「自己知覚理論」うんぬんへの反論は、我がブログに投稿しときました。
http://58807828.at.webry.info/201002/article_27.html

投稿 いや夫 | 2010.02.18 10:57 午後
 「武蔵」の再登場を知る。まだ、(GⅠフェブラリーSは2月21日で)本格的な討論を開始するつもりはないので、自分のブログを読んどけと指示。なお、この記事を読んでもらえば、否定派が一斉に「匿名」を使い出した背景や、「いや夫」が脳天気に競馬研究にいそしんでいたことがわかります。

投稿 匿名 | 2010.02.19 03:09 午後
 「匿名」を使うことを弁護。「いや夫」の自己知覚理論を認めながらも、宏正会は認知的不協和理論や自己知覚理論を悪用していると批判。

投稿 匿名 | 2010.02.20 01:03 午後
 別人の「匿名」を装いながら、自己の理論を補強する論を述べる。いつも姑息な奴。

投稿 匿名 | 2010.02.20 06:18 午後
 「ひとのみち教団」の資料を列挙。

投稿 いや夫 | 2010.02.23 06:29 午前
否定派が「匿名」で打つ理由を解説。また、消える。
 (注:まだ、競馬研究を続けさせてくれ。もう少しほかっといても、後で挽回可能だな。)

投稿 匿名 | 2010.02.23 04:36 午後
 「太陽神」を讃えながら(ナルシストめ!)、「ひとのみち教団」と宏正会とのつながりや先代会長先生を中傷。

投稿 いや夫 | 2010.02.23 07:29 午後
 過去レスのコピペで済ます。(まだ競馬研究したいのだ~。)

投稿 匿名 | 2010.02.24 11:51 午前
 「広報する必要はない」と「わざと隠す」は違うと反論。

投稿 匿名 | 2010.02.24 06:03 午後
 HPを作って広報しろと要求

投稿 いや夫 | 2010.02.24 11:41 午後
 仕方なく長文で本格反論開始。宏正会を宗教団体とする書籍は存在しない。先代会長先生は裏切ったのではない。独立したのだ。「浄土真宗」の親鸞は「浄土宗」の法然を裏切ったとでも言うのか?本当にどうどう巡りだなあ。

投稿 匿名 | 2010.02.25 03:57 午後
 倫研の『一粒の麦』から倫研側から見たら裏切りなのだと批判。親鸞と法然については、「正信偈」で「いや夫」説を論破。(これはお見事。)先代社長の「経歴詐称」を追求。お前「武蔵」の経歴詐称はどうなんだ。成りすまし悪用者が、そんなことを言えるのか?)

投稿 いや夫 | 2010.02.25 07:45 午後
 倫研に「裏切りだ~」と言われようと、宏正会が反論せず黙殺していることで大目にみたらいいのでは?

投稿 匿名 | 2010.02.26 06:17 午後
 経歴を明らかにすることは大切なことだと反論。

投稿 いや夫 | 2010.02.26 10:54 午後
 「ひとのみち」からのいきさつを飲食店のたとえで説明。
「ひとのみち」は「うなぎ屋(宗教)」、こちらは「牛丼(修養団体)」です。素材もたれも違うので、初代店長がうなぎの「ひとのみち屋」で働いてたことがあることなど、誰も何も気にしていないのが実情です。独立はよいことなのです。

投稿 匿名 | 2010.02.27 04:13 午後
 例え話で反論。矢沢永吉の「成り上がり」にも言及。

投稿 いや夫 | 2010.02.27 10:35 午後
 先代会長先生は、会友に慕われながら最高の人生をまっとうされた。否定派がいうような名誉欲や金銭欲ばかりの人間が、そのような幸せな人生を歩めるはずはない。

投稿 いや夫 | 2010.02.27 10:52 午後
 否定派は家庭愛和ができない人間が中心であり、おかしな人たち。なぜ宏正会を攻撃するのかを認知的不協和理論で解説。

投稿 いや夫 | 2010.02.27 11:06 午後
 倫理力について解説

投稿 匿名 | 2010.03.02 04:26 午後
 陰倍加を認知的不協和理論で説明。

投稿 いや夫 | 2010.03.02 06:19 午後
 そんな難しい説明は不要。「汝の隣人を愛せよ」だ。否定派が家庭愛和できずに認知的不協和で会を攻撃しているという問いかけはスルーですか?

投稿 いや夫 | 2010.03.03 07:23 午前
 「長文さん」は「テラ」だな。

投稿 匿名 | 2010.03.03 03:06 午後
 家族を嫌っているというのは観念的なもので、不協和がうまれるかどうかはわからない。よって、その説明は不適切。心理学は「実験」で証明するように科学的なものです。現実の心の状態を対象にします。この様な観念的なものを結びつけた心を対象にしません。

投稿 いや夫 | 2010.03.03 07:57 午後
 「人間を心理学でくくるな」という「いや夫」の提案に、あなたは同意していただいたことになる。所詮心理学など、その程度のもので、特に「認知的不協和理論」については、どんなことにでも応用が利くという点で、「<マインドコントロール概念は万能化されればされるほど陳腐化せざるをえない>(by南山大学人文学部キリスト教学科教授渡邉学)」に該当します。

投稿 いや夫 | 2010.03.03 08:19 午後
 「認知的不協和理論」など時代遅れの理論なのだ。

投稿 匿名 | 2010.03.04 02:59 午後
 「認知的不協和理論」の説明はわからん。「いや夫」の言うことは得る所なし。ただし、「いや夫」氏のブログは大変素晴らしい分析ですね。「いや夫」さんは 倍加やお祝い金を「本来おもしろみに欠ける倫理修養に、呪いや占いのような要素を加えて民衆の要望に応えた」と言うように述べられていますが、私の立場では 「呪いや占いのような要素を宏正会は利用した」という事になります。

投稿 いや夫 | 2010.03.04 10:24 午後
 呪い・占いがお嫌いのようですから、あなたのお子さんには、ぜひ仏滅に結婚式をさせてあげてください。お金がかからなくて得ですよ。あなたが一番こだわっている大事なお金が無駄にならずに済みます。初詣に行くのも止めましょう。これは、実は明治時代に私鉄の戦略で広まった風習でして、国民は洗脳されているのです。今は7割もの国民が初詣にでかけ、あなたにとって何よりも大切なお金を、お賽銭というあくどい方法で搾取されているのです。

投稿 匿名 | 2010.03.08 06:19 午後
 ひとのみちと先代会長先生のつながりについて解説。

投稿 いや夫 | 2010.03.08 08:40 午後
「いや夫」が注目しているのが「長文さん」。
 「いや夫」のブログ記事を読んで、また、雲隠れしてしまうのだろうか?
http://58807828.at.webry.info/201002/article_27.html
 ともかく、「武蔵」はいつ復帰するのかなあ?と思っていた「いや夫」です。そして、その頃から、「武蔵」=「太陽神」=「テラ」他=「否会友」(=「匿名希望」これは自信はあまりなし)であり、そして、「長文さん」だと思っています。
「いや夫」がなぜ、こんなにも「否会友」を追求するのか?(表の理由)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_50.html
「いや夫」がなぜ、こんなにも「否会友」を追求するのか?(裏の理由)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_51.html
続 「いや夫」がなぜ「否会友」にこんなにこだわるのか
http://58807828.at.webry.info/201001/article_1.html
「否会友」への追求 最終章(前編)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_2.html
「否会友」への追求 最終章(後編)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_3.html
 そもそも「武蔵」がこのブログから消えたのは、壮年の集いが年に一回しか開かれないことを知らないために、自身のプロフィールが嘘だと「いや夫」に見破られてしまったからです。その程度のことなら、開き直って討論を続ければいいのに。
 「武蔵」には、他にも知られたくない「嘘」がたくさんあったのでしょう。「いや夫」はその嘘を見破る奴だと直感したのだと思います。
 しかし、執念深い「否会友」がこの程度で消えるはずがない、いつかは表れるだろうと予想していました。

投稿 匿名 | 2010.03.09 03:35 午後
 宏正会には宗教的な部分も多い。宗教ではないというなら、「いや夫」さんの宗教の概念を説明してください。「大自然の摂理」についてはどのように説明されますか。

投稿 いや夫 | 2010.03.09 08:12 午後
 宿題を受けました。あなたを「元会友」と名づけておきましょう。「否会友」の親友です。あなたもお答えください。「否会友」がネット上での批判は、まさに「認知的不協和理論」の実例だと思いまず。ぜひ「客観的」な解説をお願いいたします。

投稿 いや夫 | 2010.03.09 11:07 午後
「長文さん」の宿題「宗教の定義など」についての回答(その1)
 倍加やお祝い金は神社のお賽銭と一緒。お金集めが上手な神社が発展する。お賽銭箱の置いていない神社なんて、誰もお参りにいかない。組織の運営にはお金が必要なのは当たり前。会が発展し、倫理の普及がすすむならばよし。

投稿 いや夫 | 2010.03.09 11:09 午後
「長文さん」の宿題「宗教の定義など」についての回答(その2)
 「宗教」とは何か?
1 神の存在を肯定
2 世の中は神がつくったものと規定
3 神が人間の幸不幸を決める
4 神は人間を救いもするし、罰っしもする
 そのような教えを説いたものは教義の「宗教」でしょうね。
 儒教は宗教ではなく、よって宏正会も宗教ではない。「大自然の摂理」は儒教の「天」と同じもの。

 認知的不協和理論がどうのこうのは興味なし。「いや夫」さんの私見は、宏正会にとって迷惑では?宗教論についてはよく頑張っていますが、「人間はどうして宗教を必要としているのか」という所まで踏み込んで頂くと深みがましますよ。

長文さんへ

 さすが「匿名」さん。人に宿題を出しておいて、反論がへぼ過ぎませんか?「武蔵」なら、もう少し鋭い反論をするだろうから、あなたは武蔵ではないらしい。「否会友」の親友の「元会友」というのが正解ですか?「長文さん」は、この程度の反論しかできないようだから、否定派のちゃねらーの皆さんもどしどし反論(罵倒や無視というごまかしではなくて)を書いてよこしてください。

 「武蔵」氏のときのように、ギャラリーに遠慮してもらう必要もなさそうです。宗教論について、どんどん反論しなさい。まとめてお答えします。

 さて、「いや夫」の投稿も会にとって迷惑であるという指摘について。

 そういう面もあるでしょう。「宏正会」の見解とはまったく別物ですから。しかし、一会友の夫の発言でゆらぐほど、「宏正会」はやわな組織ではありません。「いや夫」の記事など、会長先生の御著書の千分の一の価値もありません。こんな投稿を読んで、会を判断することなどナンセンスなのです。ぜひ、御著書をお読みください。(「倫風」でも十分その尊さはわかります。わからない人は、それなりの人なのでしょう。)

 ともかく、「いや夫」が登場しなくても、君らちゃねらーが一方的な批判を書き連ねるだけだから、こうして反論する人間がいることも全く無駄なことではありません。「いや夫」の投稿を読んで、「宏正会」を嫌う人もいるでしょう。しかし、君らの投稿を読んで嫌う人間の方がはるかに大きい。君らは「いや夫」の一万倍迷惑で無責任な人間たちです。

 たとえば、「認知的不協和理論」なんての持ち出して攻撃しだしたのは君らの方だが、いざ、自分たちがその実例になると、一切認めずはぐらかす。「いや夫」は是々非々で書くから、何度も自分で認めているぞ。

 尊敬する義母や愛する妻が「我も人ものために」がんばっている「宏正会」がネットで悪口を書かれていることに大きな不協和を感じる。ちゃねらーは大馬鹿者の集まりだ。

 これは、(間接的に)妻が悪口を言われているので、反論してやろうという単純な怒りと同じものだ。何も高等な心理でも何でもない。

 なお、いちいちあなたの投稿を引用しているのは、せっかく宿題をするなら、我がブログの記事にしようと、先に記事にしたからです。他意はありません。

 あなたは、宿題もやらない無責任なちゃねらーだが、「いや夫」はせっかくの機会だから、既に投稿したくだらない持論の投稿よりも、もっと学術的な「宗教論」(当然引用が中心)を書くつもりです。興味のないネタにいつまでも関わるのも嫌なので、まとめの投稿にします。我がブログの方へ先に書いてから、このブログにも投稿することでしょう。もう少しお待ち下さい。
 

投稿 いや夫 | 2010.03.10 08:54 午後
 さすが「匿名」さん。人に宿題を出しておいて、反論がへぼ過ぎませんか?
 人に宿題を出しておいて、あなたは答えないから、模範解答を示そう。
 客観的な人間なら、この位は書きなさい。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 「否会友」さんの例は、まさに「認知的不協和理論」の実例だと思います。障害をもつ子どもがいることに対して、義母は「否会友」の心のあり方が悪いのだと指摘をしました。一方、嫁は義母に対して愛和の心をもって接しなければなりません。よって、大きな不協和が生まれます。そこで、義母は愚かなのであるとすれば不協和が減るのです。それでも、やはり義母を直接軽蔑すること自体にも、不協和が生じます。そこで、義母が大切にしている「宏正会」が極悪の組織で、義母がだまされているのだとすれば不協和はなくなるのです。さらに、「宏正会」の会友を激減させ、会を潰せば、義母は普通の人間に戻ることができるので、2ちゃんねるで会の罵詈雑言を書き連ねるのは正しい行いなのです。義母の悪口なんて、書いてはいません。悪いのは「宏正会」なのです。
 これが、「否会友」の心理状態なのだと思います。
 なお、私「匿名」の場合は、自身も一時会友でしたが、(        )という理由でやめてしまいました。もし、「宏正会」が良い組織ならば、それをやめたことに対して、大きな不協和が生まれます。しかし、「宏正会」が悪い組織なのだとわかれば、不協和は減るのです。そうだ、2ちゃんねるでスレを立てよう。思った通り、みんなが悪口をどんどん書いてくれる(「否会友」「愚息」他)。やっぱり私が正しかったのだ。
 ところが、「実践倫理宏正会って何?」にて、肯定派が反論をしている。2ちゃんねるでは、否定派が圧倒しているのに。大きな不協和だ。「いや夫」は自分たち以上に2ちゃんねるに精通したちゃねらーにちがいない。そう考えれば不協和が減る。こんな相手なら「匿名」で攻撃しよう。みんなでよってたかって馬鹿にしても卑怯ではない。相手はちゃねらーだもん。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 これが一つの回答例です。ご自身の場合はどうですか?
人に宿題を課したのだから、自分も宿題にまじめに取り組んでください。自分をみつめることが、一番難しいことなのですよ。(    )の理由をぜひ知りたいものです。

投稿 いや夫 | 2010.03.10 11:21 午後
 我がブログで「宗教」についてのカテゴリ分けをしました。宗教については、会長先生の著書に記述されていたので引用します。

投稿 匿名 | 2010.03.12 04:57 午後
 観念的な感情はだめ。否会友の場合ならバランス理論の方がふさわしい。
私(否会友さん)義母 宏正会を三角形で示し 私と義母との関係が+ 私と宏正会との関係が- の時 義母と宏正会との関係が+ではバランスが悪く-の時はバランスが良いというものです。「神の業」と「神の意志」はどうして違うのか説明して下さい。
 
投稿 いや夫 | 2010.03.12 10:48 午後
 「観念的」ではダメって何?心理学の存在意義がないでしょ?それを紹介したサイトを教えて。バランス理論の例をわざとごまかしてます。姑息ですよ。
私(否会友さん) 義母 宏正会を三角形で示し 私と義母との関係が- 義母と宏正会との関係が+ の時 私と宏正会との関係が+ではバランスが悪く-の時はバランスが良い ということです。
 そんなのは当たり前すぎて、バランス理論とか名前をつけなくても済む話です。
 義母が私「否会友」に悪口を言った。
 義母は「宏正会」を愛している。
 私は「宏正会」を憎む=義母を憎むでもある
 バランスはばっちり。しかし、不幸のバランスだけどね。
 2ちゃんねる否定派「元会友」の行動について、「認知的不協和理論」で説明。

投稿 いや夫 | 2010.03.12 11:29 午後
 まず、「神の業」と「神の意志」については、前述のうちの、「2」が「神の業」で、「3」と「4」が「神の意志」に該当します。
 そして、「神の業」と「神の意志」と「大自然の摂理」の関連についてですが、世の中には、人知・尽力を超えたものがたくさんありますよね。一例を挙げれば、遺伝子の偉大さです。倫風記事「サムシング・グレートの存在」を載せる。
 ということで、「神の業」と「大自然の摂理」が同じものを違う言葉で表現していると考えていいいと思います。
 一方、宗教では「神の意志」がありますが、「宏正会」の「大自然の摂理」には、「意志」はありません。
 会長先生の説明がもっとも適切でしょう。
(引用開始)
 人々はこの力を「聖なるもの」として敬い、多くの人がそこに「神」を見たのです。そうした思いは「人間にとって自然なこと」でした。実践倫理が宗教を肯定するのはそのためです。
 しかし、「大自然の摂理」と「神」は同じではありません。
 「神」は意志を持ってすべてを支配し、服従を要求します。その意志に背けば、罰します。これに対して「大自然の摂理」は宇宙を貫徹する原理ではあっても、「神」のような意志は持たず、命じもしません。すべての存在を「大肯定」するだけです。ただ、実践倫理では「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです。
(引用終了)

投稿 いや夫 | 2010.03.15 08:00 午後
題 岩波新書『日本宗教史』を読んでいますが、やはり「宏正会」は宗教ではないと確信。 「宗教の定義は大問題であり、研究者の数だけ異なる定義があるといわれる。いまここでそれを厳密に定義しようとしてもあまり意味はないであろう」と書かれています。なお、著者の末木文美士氏の宗教の定義は、
「宗教はこの世界の合理的な秩序を越える問題と関わるということである」と述べられており、その点で儒教は宗教ではないと分類されております。「実践倫理宏正会」はこの世界でどう生きるべきかを追求するものであり、あの世のことには関わりませんので、「宗教ではない」といえます。思った通りですし、当たり前です。

投稿 匿名 | 2010.03.16 04:33 午後
 礼拝物がないだけで宗教ではないとはいえない。財団法人 NPO法人といった法人格を有しているけどもその実態は宗教団体という団体もあるはずです。
「いや夫」さんの言っていることを見ますと
「大自然の摂理」と「神(その存在と意志は違うとしていますが)」 儒教で言うところの「天」はすべて同じものとしているように思えます。
つまりこれらは 人知を超えたもの 人間には計り知れない偉大なもの  サムシング・グレートを言っているのではないですか?
もし違うというのでしたら その違いを分かりやすく説明して下さい。
そして (儒教の天についてはひとまず置くとします)「神の意志」でしたら神の代理人(神官)が神秘的な方法で大衆に伝えることになりますが 「神の存在」と同じとする「大自然の摂理」に基く倫理は誰がどのようにして見出して説くのですか?
「太陽神」さんは宏正会の会長は物理学者や生物学者といった科学者と同じような存在として捉えて「倫理を発見する」としていますが「いや夫」さんも同じですか?
 このことと関連しますが 宏正会(会長)の説く倫理は 優れた先人達の説いている哲学 倫理学といったもの また世間一般で言われている道徳とどこが違うのでしょうか?

投稿 いや夫 | 2010.03.16 08:03 午後
 「神」「天」「大自然の摂理」は、同じものです。
 ただし、この力を、「神」や「仏」と呼ぶ人は、
1 神(仏)の存在を肯定
2 世の中は神(仏)がつくったものと規定
3 神(仏)が人間の幸不幸を決める
4 神(仏)は人間を救いもするし、罰っしもする
上記の1~4についても信じています。これを宗教と呼びます。(「いや夫」の定義)
 それに対して、「天」と呼ぶ儒者は、「神」「仏」の存在には言及せず、2~4についてもあいまいなままです。
 「大自然の摂理」と呼ぶ「宏正会」実践者は、「神」「仏」とは全く無関係であり、「神の意志」など知ったことではありません。
 しかしながら、こう生きれば仕合わせになれるという道を常に考え、その通りに行動しようと心がけます。それは、会長先生に教えられることもありますが、自分自身でも正しい道だと思うからです。もちろん、「大自然の摂理」には「意志」はありません。本来一人ひとりの人間に備わっている「大自然の摂理」を各自で発見すればよいのです。その点では、すべての実践者は「大自然の摂理」を探し続ける研究者であり、その代表的な研究者が会長先生であると言えます。
 「道徳」は人としてあるべき道を説くだけです。
 それに対して、実践によってそれを行動に移せるようにしようというのが、「宏正会」という組織なのでしょう。(「いや夫」説)

投稿 いや夫 | 2010.03.16 11:10 午後
 長文さんの質問の、
(引用開始)
宏正会(会長)の説く倫理は 優れた先人達の説いている哲学 倫理学といったもの また世間一般で言われている道徳とどこが違うのでしょうか?
(引用終了)
ですが、「宏正会」の追求する倫理=「大自然の摂理」の中に、「優れた先人達の説いている哲学 倫理学といったもの また世間一般で言われている道徳」は含まれています。「大自然の摂理」をそれにそって生きることのできる偉人がいる一方で、人類は馬鹿な戦争を繰り返し続けているわけで、結局、倫理が机上の空論で、実践されていないわけです。論理を超えて、実践が大切だというのが、「宏正会」であって、説いていることは道徳と一緒だと思います。(「いや夫」論)
 みんなが道徳的(倫理的)に生きていれば、「宏正会」も必要ないし、こんなに住みにくい世の中になっているはずはないのです。
 では、今度は、「長文さん」へ質問。
「人殺しはなぜいけないのですか?」
あなたの好きな「論理的」に説明してください。
できますか?

投稿 匿名 | 2010.03.17 04:28 午後
 宏正会の会長は研究者ではなく「神の代理人(神官)」である というのが私の考えです。宏正会では会長の説いている倫理は絶対の真理としていますね。世間一般で言われている倫理とは質の異なったものとしていますね。
それは 宏正会(会長)の説く倫理は 会長が神の代理人(神官)として 神の意思を伝えているからに他なりません。
ですから 宏正会(会長)の説く倫理が「大自然の摂理」に基づくものとする事は そのことで宏正会が自らで宗教団体であるということを認め 世間に公表していることになります。

投稿 いや夫 | 2010.03.17 08:54 午後
 反論がへぼい。否定派は「いや夫」ががけっぷちとかいうが、あなたががけっぷちなのでは?
 「大自然の摂理」は自然界を支配する法則であり、また、当然自然の一部である人間の中にも存在します。たとえば、「神の業」としか思えない遺伝子の仕組みを我々は備えていますし、科学では決して作り出すことが不可能な「命」をもっています。
 幸い、人類には知能があるので、自身の体の中にも含まれ、自然を支配している「大自然の摂理」を感じることができるはずなのです。この世の中で、仕合わせな人生を歩んでいる人は、本人の自覚があるなしに関わらず、「大自然の摂理」にそった生活をしているということです。
 以前紹介した、「源左」のような生き方が典型的なものです。
 よって、「実践倫理宏正会」において、会長先生が神のように尊敬されているのは事実ですが、会長先生といえども「大自然の摂理」を研究する一研究者に過ぎないのです。(前回の投稿でもそのように説明しています。同じことを何度も言わせるのはやめてください。)
 「大自然の摂理」は、徳のある人物はもちろん、一般市民、凡夫でも発見することができるものなのです。
 なお、会長先生は一研究者に過ぎないと「太陽神」も書いていて、その通りです。
 さて、「いや夫」はあなたの質問に逐一答えています。「長文さん」も答えてください。質問しっぱなしは卑怯ですよ。
(引用開始)
 長文さんも以上のような例に該当するのではないですか?「宏正会」を批判する経緯を明かしてください。

「人殺しはなぜいけないのですか?」
あなたの好きな「論理的」に説明してください。
できますか?
(引用終了)
 
投稿 いや夫 | 2010.03.17 10:10 午後
 「財団法人 NPO法人といった法人格を有しているけどもその実態は宗教団体という団体もあるはずです」ならば、その実例を調べて教えてください。きっとかなり少ないと思いますが?
 逆に、宗教団体ではないのに、宗教法人として登録している団体は星の数ほどあると思います。もちろん、優遇税制があるからです。


(めろめろになった「長文さん」の反論。いかにひどい論か、ここからは、双方のやりとりの全文を掲載します。)

「いや夫」様

宗教論は膨大ですから 何について知りたいのかという目的意識をもって勉強しないと 途方もなく広大な森の中で迷子になってしまいますよ。 

今回の回答は 「いや夫」さんの最大の論敵であるはずの「太陽神」さんからの引用ですか。
「太陽神」さんは 宏正会の会長を研究者として捉えたとても明晰な論述を展開されています。
でも このような説明は宏正会の根本原理「大自然の摂理」を曲解するようになってしまいます。
前回述べましたように会長を研究者とすると 「大自然の摂理」というものが 単に素晴らしいとか立派なとかいった修飾語の最上級の言葉に過ぎないことになってしまいます。
会長も著書で述べているように この「大自然の摂理」は 人間界の素晴らしいものを表しているのではなく 人知を超えた偉大な力 神  サムシンググレートといったものを表している事は明らかです。

古来より科学の発達した現在に至るまで 人間は偉大なものを感じ ただ驚嘆し畏れる存在でしかありません。そして人間はどんなに神に近づこうとしても神にはなれません。
ですから 人間は決して偉大なもの(神)の言葉を語ることができないのです。
唯一語る事ができるとされているのが宗教です。
宗教と言われているものは 一つの世界を作り上げてこの世の始まりからこの世の終わりまですべての事柄について語ってくれます。
でも この宗教の世界は人間世界の合理的なものから逸脱した世界ですから そこには「信じる」という要素が不可欠となります。
「信じる」のですから 人間界の合理的なものを持て来て批判しても意味がありません。
そしてその宗教の信者の集まりである一つの宗教団体の中ではこの神の意思を伝える神の代理人(神官)は信者に対して絶対的な地位を有することになります。
私は何らかの教えに宗教にとって不可欠な要素「信じる」ことが必要とされればその教えは宗教なのでは と思っています。

宏正会の会長は 大自然の摂理に基く倫理を説くとされていますから 人間でしたら到底語ることができない神の言葉を語ることになります。
ですから 宏正会は宗教団体であり会長は神の代理人(神官)としなければ説明がつきません。

宏正会の会員さんは 会長が神の代理人(神官)と思っているかどうかは別にしましても「会長先生 会長先生」と絶対者として崇めていますね。
また 会員さんは会長の語っている言葉はご指導として何も疑う事を許されない絶対的なものとしています。あの疑い深い「いや夫」さんですら会長の言葉は一字一句を絶対的なものとして受取ろうとしていますね。
これらは 宏正会の宗教性を物語っているいる事柄ではないでしょうか。

「いや夫」さんが引用している会長の著書で 会長は次のように述べています。

『 しかし、「大自然の摂理」と「神」は同じではありません。
 「神」は意志を持ってすべてを支配し、服従を要求します。その意志に背けば、罰します。これに対して「大自然の摂理」は宇宙を貫徹する原理ではあっても、「神」のような意志は持たず、命じもしません。すべての存在を「大肯定」するだけです。ただ、実践倫理では「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです。』

この部分につきましては 私がこれまで述べましたように 私は 「大自然の摂理」は「神」と同じように意志を持つものとしています。
「大自然の摂理」が「神」と同じ存在とするのでしたら その言葉を語るのは神の代理人(神官)でしかありえません。
ですから会長は神の代理人(神官)ということになります。そして会長が語る倫理は神の言葉を神の代理人(神官)として伝える神の意志ということになります。
会長の説く倫理は確かに
『「神」は意志を持ってすべてを支配し、服従を要求します。その意志に背けば、罰します。』といったようなことはないかも知れません。
でも 『「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです』というように言っていますね。
この事は「大自然の摂理に反して生きると不幸せになる」ということを暗黙のうちに言っている事になります。
そうすると
「大自然の摂理は意志を持ってすべてを支配し、服従するかどうかは自由ですが その意志に背けば不幸せになります。」というように言い換えることが出来るのではないでしょうか。
「罰する」と「不幸せになる」は同じものですね。

投稿 匿名 | 2010.03.18 03:51 午後

見損ないました。
単なる長文さんへ

 全く不毛な討論だね。
君につきあうのは疲れます。人の意見をまったく受け入れないからです。武蔵君は、ちゃんと反論を受けとめてから、きちんと反論をしています。君は、まったく反論をうけつけずに、持論が正しいと主張するばかりです。まるで、幼稚園児とお話をしているような気がします。君は武蔵君とは違って、「いや夫」の討論相手として全く不足です。こじつけばかりで、論理的な組み立てがまったくなっていません。持論を盲信する者にいくらいっても無駄です。あなたこそ、「我も我も」のカルト信者だ。

 「宏正会」は「宗教にちがいない」と「信じる」
 「持論」が絶対正しいと「信じる」
 「宏正会は悪の組織だと「信じる」
 自分は正しいことをしていると「信じる」

 君のその「信じる」自信はどこからくるのですか?宗教の専門家ですか?どうも違うようだ、こんな長文しか書けないようなら。違いますか?

 君の盲信は、まさに宗教だ。何教ですか?

 長文で返すのは面倒なので、君の持論の問題点を箇条書きにします。
・「前回述べましたように会長を研究者とすると 「大自然の摂理」というものが 単に素晴らしいとか立派なとかいった修飾語の最上級の言葉に過ぎないことになってしまいます」が全く意味不明。
・「人間は決して偉大なもの(神)の言葉を語ることができないのです。唯一語る事ができるとされているのが宗教です。」は、その通り。「宏正会」は宗教ではないから、誰でも「大自然の摂理」をみつけることができます。「実践者」なら、「こんな長文さんと討論するのは無駄である」ということにすぐ気づくなども、「大自然の摂理」のほんの一部です。
・「人間でしたら到底語ることができない神の言葉を語ることになります。」 「神」ではない。何度も言わせるな!いいかげん、腹が立ちます。
・「私は何らかの教えに宗教にとって不可欠な要素「信じる」ことが必要とされればその教えは宗教なのでは と思っています。」なら、「正直は正しいと信じる人=正直教」「万引きはいけないと信じる人=万引きいけない教」「2ちゃんねるの投稿は正しいと信じる人=2ちゃんねる教」あなたは「2ちゃんねる教」だ。
・「「会長先生 会長先生」と絶対者として崇めていますね。」
人の投稿を少しは読みなさい。いいかげんにしなさい。
(引用開始)
次に、『会長先生』の名称に付いても色々と掛かれてありますが、確かにあまり一般的な表現ではありませんね。先代会長も現会長も、自分を『会長先生』と呼べと言った事はないはずですが、会員側から自然と、倫理を「教え、学びを受ける師」としての一般的な尊称である「先生」を付けて呼ぶようになったことが発端であろうと思います。
私も以前、役職名に尊称を付けるのは日本語的にもおかしい旨を、先輩会友さんに話したこともありましたが、その方曰く「校長先生と同じと思えば?」。決して「会長」と呼んでは失礼であるという訳ではないが、日本語的に云々と目くじらをたてる程ではない、などと諭された思い出があります。
(引用終了)

(引用開始)
(ちなみに、否定派は「会長先生」という呼称に違和感を覚えるようですが、会友はまったく違和感を感じません。それは、会友からすれば、会長先生は、倫理的な生き方を教えてくれる先生だからです。小学生が「校長」と校長先生を呼び捨てにするのは変でしょ。それとまったく同じなのです。会友が「会長」と呼び捨てにしないのは、先生と慕っているからであって、全く違和感はないのです。)
(引用終了)

・「会員さんは会長の語っている言葉はご指導として何も疑う事を許されない絶対的なものとしています。あの疑い深い「いや夫」さんですら会長の言葉は一字一句を絶対的なものとして受取ろうとしていますね。」
 過去の投稿をちゃんと読みなさい。(「経済」で会友が会長先生に質問した例:省略)

 「大自然の摂理」は、万人に共通のものなので、「会長先生」と「いや夫」のそれぞれが考えても、共通することが多いというだけです。なお、「いや夫」は会長先生の経済の説明に補足を加えたり、アポロ飛行士の宏話の裏側を憶測したりしちゃいます。「実践者」はそんなことしないけどね。

・「この部分につきましては 私がこれまで述べましたように 私は 「大自然の摂理」は「神」と同じように意志を持つものとしています。
「大自然の摂理」が「神」と同じ存在とするのでしたら その言葉を語るのは神の代理人(神官)でしかありえません。
ですから会長は神の代理人(神官)ということになります。そして会長が語る倫理は神の言葉を神の代理人(神官)として伝える神の意志ということになります。」

 なんだ、この理論は?私はこう信じるから、こうだと言っているだけでしょう。弁証法を使いなさい。
・「でも 『「大自然の摂理」のままに生きたほうが、人は仕合わせになれるという真理を説くだけです』というように言っていますね。
この事は「大自然の摂理に反して生きると不幸せになる」ということを暗黙のうちに言っている事になります。
そうすると
「大自然の摂理は意志を持ってすべてを支配し、服従するかどうかは自由ですが その意志に背けば不幸せになります。」というように言い換えることが出来るのではないでしょうか。
「罰する」と「不幸せになる」は同じものですね。」

 裏から読むとそう読めてしまうのですね。やめようという会友を引き留めるときに脅しとして使ってしまう人もいるのでしょう。しかし、会をやめてマイナスになるというのは本来おかしい。何もやらないのを0として、「大自然の摂理」に従った生き方をすれば必ず+になります。従わないと0に戻るとするのが論理的です。
 しかし、反倫理的な生き方なのですから、自然と-になってしまうのでしょう。あなたも不幸だから、こうやって「宏正会」を攻撃することで癒されているタイプですか?ますます-になりません?

 まず「いや夫」の問いにちゃんと答えなさい。答えたら、君のくだらない宗教論におつきあいしましょう。

(引用開始)
 長文さんも以上のような例に該当するのではないですか?「宏正会」を批判する経緯を明かしてください。

「人殺しはなぜいけないのですか?」
あなたの好きな「論理的」に説明してください。
できますか?
(引用終了)

投稿 いや夫 | 2010.03.18 07:00 午後

長文の匿名とされている者ですけど

『 「五つの誓い」は、「大自然の摂理」から発せられているものであると解釈すればいいのでしょうか。それをつなぐ論理はなく、もう「大自然の摂理」とは、そのようなものであると、信じておればよいのでしょうね。』と言っておられる匿名さん

『ま、シンプルに、「朝の誓い」を実践すること、「ただ それだけ~」といく道もあるのですね。』と言っておられる匿名さん

ご両人様の仰る通りでよろしいのでは と思います。

私は 宏正会について未熟な私見を述べさせて頂いておりますが 宏正会の教え自体については他の批判派の方と同じように何も悪いとは言っておりません。
他の宗教と同じように それぞれ教えの素晴らしさがあると思います。信仰し心の安らぎを得られたり より善い自分を目指して精進したり 信者(会員)同士が親しくなったりと それぞれ教団(会)には良い所がいっぱいあると思います。 
そうでないと こんなに多くの教団(会)が存在し 多くの信者(会員)が存在することはありませんよね。

宗教というものは 人間が人間として思考を持ち始めたときから存在していたのではないでしょうか。
果てしなく広大で永遠の宇宙 大自然から見れば人間というものはとてもちっぽけな存在で 明日の命も知れないとても弱い存在です。またどんなに知性が発達してもこの世界には分からないことばかり。そして誰しも幸せになりたいという願望を持っています。
このような存在の人間は この果てしなく広大で永遠の宇宙 大自然の中に神(人知を超えた偉大なもの サムシング・グレイト)を見出したのではないでしょうか。
最初の人類は このような偉大なもの(神)をただ畏れ崇めるだけだったと思います。そして次第に神と人間を取り次ぐ神官が現れて神の言葉を大衆に伝えるようになったのではないでしょうか。
それは人間ががどうしたら生きていけるか どうしたら幸せになれるかということを神に求めたからだと思います。
神は人間の目には見えないそれぞれの人間の心にあるものですから 神の意志を知るためには言葉が必要となります。
ですから どうしても神と人間を繋ぐ神官(神の代理人)が必要となります(生きている人間をそのまま神とする宗教もあると思いますが)。

このような 偉大なもの(神)から神官が何を伝えるかによって数多くの宗教が発生しました。
この偉大なものからいったん人格的な神を見出し名前を持った特定の神(アッラー キリスト 仏陀)を措定しその神の意志を伝えるものもあれば 特定の神を立てずにその偉大なものから直接にその意志を伝えるものもあります。
宏正会では この偉大なものから一定の法則性を見出したのではないでしょうか。
「地球が一日に一度自転し 一年で太陽を一周する」といった法則性ですね。そして自然の中に法則性があるように 人間の世界にも法則性があってそれが宏正会のいう倫理ということですね。
ですから 宏正会は特定の神を立てずにこの偉大なものから直接神の意志である倫理というものを導き出しているということになると思います。
つまり この偉大なもの(神)=大自然の摂理に基く倫理ということになります。

投稿 匿名 | 2010.03.19 03:39 午後

「長文さん」へ

 貴殿の
 投稿 匿名 | 2010.03.19 03:39 午後

の通りで構いません。その通りです。大自然の摂理は個々の人間の内にもありますので、各自でみつけていきます。ただ、それだけではまとまりがないので、会長先生や講師陣、全国の会友が発見した「大自然の摂理=倫理」を『倫風』や著作物にまとめ、会友に紹介します。また、日々の普及の実践の中でも、修業をしながら探します。その成果を、毎朝各会友が演談で発表し合い、研鑽を深めています。

 よって、会長先生のみ「大自然の摂理」の発見者で、「神」の取り次ぎをすると言っていた貴殿の以前の説明は誤っており、今回の貴殿の説明が正解です。納得していただけましたか?

投稿 いや夫 | 2010.03.19 07:05 午後

そうですねー、今回の長文「匿名」さんの、解説は素直でよく分かりますね。
はなし変わりますが、なるほど、ことばは大切ですね。
聖書を開けば、福音書で一番重要な、ヨハネ傳は、「始めにことばあり・・」で始まりますし、神道は、のりとで始まるし、「朝起き会」は、「朝の誓い」で始まる、ことばで始まらないものはない。
シンプルなのがいいですわ。先師や現尊師も、演説とか、文章で指導してくれており、「朝起き会」の作法などは手取り足取りはご指導されませんでしたね。
わたしは、上のスレで、IQ低いと、やられましたが、シンプルならそれなりにわかります。

投稿 匿名 | 2010.03.20 12:31 午前

投稿 いや夫 | 2010.03.20 10:49 午後
 「長文さん」を大いに見なおしました。
「君子豹変」の投稿だと理解してよろしいでしょうか?
先の投稿に「いや夫」は120%同意します。
宗教は神の言葉を取り次ぐ神官を必要とします。
しかし、「宏正会」では、「意思をもつ神」、すなわち、人間を救いも罰しもする者の存在を否定します。「大自然の摂理」は、そのようなわがままで独善的な神の存在を否定するのです。
 このような厳しい神は、乾燥地帯など、厳しい自然環境が生んだものです。厳しい戒律を定めて守ることでしか、生き延びていけないからです。

 一方、「宏正会」は日本の風土にマッチした、おおらかな教えです。 海外の厳しい自然環境で生まれた一神教は、日本の風土になじむものではなく、もっと広い心をもった多神教の教えの方が、「宏正会」は近いと言えます。
 ただ、「宏正会」は宗教を肯定しながら、「神」の存在にはこだわりをもちません。
 よって、「宗教論」は「宏正会」批判の題材としては不適切なのです。
 唯一確かなこととして、「大自然の摂理」にそった生き方をする人間は必ず仕合わせになれると説くのです。これを「徳福一致」といいます。


<「いや夫」解説>

 これ以降「長文さん」は投稿しなくなる。「いや夫」が愚息たちと言い合いをしたり、「M」氏に宏正会にとっても迷惑だと言われたからという設定になっている。
 事実は、「長文さん」を論破した「いや夫」としては、「武蔵」が再び現れるまでは、このブログに全く興味がない訳で、「M」氏に言われたからという口実で休養したかったのである。もちろん、競馬のためで、春のGⅠシリーズがまさに開幕しようとしていたからだ。(3月28日の高松宮記念を皮切りに毎週GⅠレースが開かれることを言う。)
 きっかけとつくってくれた「M」氏には、感謝をしているのである。

 以上が、「いや夫」VS「長文さん」の討論の全てである。「いや夫」は勝ったと思っているが、否定派はそうは思いたくないのだろう。
 自分たちのレベルでは、到底「いや夫」を言い負かすことはできず、「武蔵」「長文さん」「太陽神」などに、「いや夫」を倒してもらいたいと願っているに違いない。だから、
 「武蔵はイィー」「長文さんはイィー」「いや夫はイャー」と叫び続けているのであろう。哀れなごきぶり達だ。

 なお、長文さんが答えられなかった「人殺しはなぜいけないのですか?」については、「いや夫」ならこう答えます。
 これは、先生たちの全国集会で会場にいたある高校生が質問したものだそうです。先生方はどう答えればいいのか、返答に窮したそうです。実は「ならぬものはなるぬのです」としか説明できないのです。
 でも、もう少しスマートな解決方法があります。
 この質問をした高校生をビルの屋上に連れていきます。そして、彼を屋上の端に立たせて、「人を殺してもいいのですか?」と聞けばいいでしょう。「いいです」とは言わないでしょう。「いいです」といったら、冗談で押して落としてあげましょう。彼曰く悪いことではないのですから。

 こんな馬鹿な高校生をうみださないためにも、倫理の普及は大切ですね。

「いや夫」は 精神病の一つパラノイアの疑いがある。


偏執病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

偏執病(へんしゅうびょう、パラノイア、英: paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。自らを特殊な人間であると信じるとか、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格的に常人と大して変わらない点が特徴。

これが日常生活に支障をきたすレベルに達したものが、妄想性人格障害(paranoid personality disorder)とされる。
症状 [編集]

* 被害妄想 - 挫折・侮辱・拒絶などへの過剰反応、他人への根強い猜疑心(さいぎしん)。
* 誇大妄想 - 数を誇大に示したり、大げさな表現を好むなど。
* 激しい攻撃性 - 誹謗中傷など。
* 自己中心的性格。
* 異常な独占欲。

パラノイア「いや夫」 いつまで続けるつもり?

だーれも「いや夫」の書いたもの見てないよ。

いや夫 の落書きの中に隠れていた投稿を見つけたよ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

倫風8月号「倫風宏話」で 会長は『今日一日を「好日」に』という一文を載せている。

「日日是好日」という禅語を宏正会流に解釈したもののようである。
言っていることは 真にもっともな事で誰も異をはさむ者はいないであろう。

しかしだが 宏正会はいつの間に「禅宗もどき」になったのか。
宏正会の教えは「ひとのみち教団」や「倫理研究所」の丸山敏雄の教えのパクリだと云われ続けているので 禅宗の方に方向転換をしたのか。
春の大会では臨濟録から「随処作主 立処皆真」を引用している。
聞く所では これまでにも「十牛図」「一期一会」「隻手の声」などの禅語が引用されたようである。
禅語というものはたくさんあるから これからもネタには事欠かないはずだ。

宏正会の初代会長は戦前の「ひとのみち教団」の教師をしていたことはもう周知の事実。
「ひとのみち教団」は徳光教の流れを汲むものであるが 「ひとのみち教団」の教祖 御木徳一は徳光教の教祖 金田徳光に師事する前は黄檗宗(禅宗の一派)から得度し愛媛県松山の安楽寺の住職をしていた。
また徳一の長男で「ひとのみち教団」の二代目教祖であり戦後PL教団を創った御木徳近は 小学校を卒業後 黄檗宗の大本山 万福寺の沙弥黌に入って修行をしている。
「ひとのみち教団」では初代 二代目共に教祖が禅宗の修行をしており その教えには禅語を用いていたことが十分に考えられる。
ということは 宏正会が禅語を使って教えを説くということは すでに「ひとのみち教団」からされていたことであり 宏正会もそれを受け継いだものということができる。
結局 宏正会は「ひとのみち教団」の再現と云ってよいのであるまいか。 

禅宗についてよく知らないが 禅宗では座禅とか禅問答などで修行を重ねて「無」の境地に至ることが「悟る」ということらしい。
宏正会は いかにも大阪を発祥とし現世利益を求める徳光教の流れを汲むものであるから 宏正会の教えも現世利益的な教えを引き継いでいる。
宏正会は「実践倫理」宏正会と名前を付けているように 「倫理」を標榜しているからには人との関わりを説かなければならない。
そのためには「我も人ものため」という言葉ははずせないということなのであろう。
また「実践」と云う語を付けているので 会長としては会員を実践に駆り立てる教えでなくてはならない。

これからも 会長は禅語を引用して 「我も人ものため」という言葉を付け会員を実践に向けて解釈するという 宏正会流解釈は続いて行くのではあるまいか。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


宏正会の初代会長は倫理研究所の丸山敏雄に師事したとされています。
倫理研究所を創設して「純粋倫理」を宣布した丸山敏雄は そのエッセンスを17ヵ条の標語に要約して生活の指針としました。宏正会の「五つの誓い」のようなものですね。

万人幸福の栞
第1条 今日は最良の一日、今は無二の好機【日々好日】
第2条 苦難は幸福の門【苦難福門】
第3条 運命は自らまねき、境遇は自ら造る【運命自招】
第4条 人は鏡、万象はわが師【万象我師】
第5条 夫婦は一対の反射鏡【夫婦対鏡】
第6条 子は親の心を実演する名優である【子女名優】
第7条 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号【疾病信号】
第8条 明朗は健康の父、愛和は幸福の母【明朗愛和】
第9条 約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う【破約失福】
第10条 働きは最上の喜び【勤労歓喜】
第11条 物はこれを生かす人に集まる【万物生々】第12条 得るは捨つるにあり【捨我得全】
第13条 本を忘れず、末を乱さず【反始慎終】
第14条 希望は心の太陽である【心即太陽】
第15条 信ずれば成り、憂えれば崩れる【信成万事】
第16条 己を尊び人に及ぼす【尊己及人】
第17条 人生は神の演劇、その主役は己自身である【人生神劇】

この第一条の「日々好日」は 言葉としては「倫風8月号」の倫風講話「今日一日を好日に」と同じようですね。
倫理研究所のHPの解説は 
 『寒い日、暑い日、晴れた日、雨の日といろいろあるけれども、どの日がよくてどの日がわるいということはない。今日が、いちばんよい日である。その今日は、 今のこの一秒の集積にほかならない。今が最良のときだと心得て、気づいたことを直ちに行おう。』 としています。

また ある倫理法人会の解説では 少し詳しく次のように解説しています。 
『今日はまたとめぐって来ない。昨日は過ぎ去った今日であり、明日は近づく今日である。今日の外に人生は無い。人の一生は、今日の続きである。 昨日を悔い、明日を憂える人がある。これは今日の影法師にびくついている人。 今日一日、これは光明に輝き、希望にみちみちた、またなき好き日である。今日しなければ、何時その日が廻って来よう。今日をとりにがす人は、一生をとりにがす人である。 「気づいた時、気がるに喜んでさっと処理する。」「気づくと同時に行なう。」-これは成功の秘訣、健康の秘法である。ずぼら者、ぐずつく人、これは皆「今」をとりにがす人。光陰矢の如し。 気づいた時-それはその事を処理する最高のチャンスである。それをのばせば、次第に条件がわるくなる。事情の最も高潮に達した時、その波動が、人の脳に伝わって気が付くようになる。これは、「気づくとすぐする」という、ほんの日常の、しかし絶対な生活倫理の実践によって証明せられる。 気が付いても、いっこうに手を出さず、強情をつっぱって、なまけ心、心配性が顔を出して、せっかくのチャンスを取りにがす。世の中には宝の山に入りながら、素手でぶらぶら引返す人が、どれだけあるであろうか。思い立つ日が最上吉日である。』

「日々好日(日々是好日)」を倫理研究所では宏正会の「五つの誓い」の三番目「気付いたことは 身がるに直ぐ行ないます」のように解釈しているようです。
宏正会の会長は 『昨日のこと、明日のことに思い煩わされることなく、「今日一日を生かしきって、好日にせよ』と解釈しています。そして 今日一日を生かしきる心得については『「随所に主となる」ことによって、一日を生かしきることができるのです。』としています。
宏正会では「気付いたことは 身がるに直ぐ行ないます」が別に誓いの一つとして掲げられていますので倫理研究所のような解釈はできないのでしょうね。

倫理研究所では「思い立つ日が最上吉日だから日々好日(日々是好日)なんだ」 宏正会では「より善く、より見事に日々好日(日々是好日)にせよ」ということでしょうか。

皆さんはどちらの解釈が肌にあうのでしょうか。
私は 宏正会の解釈の仕方は「・・・しなければならない」といったなんだかストイックな感じがするのですけど 倫理研究所の解釈の方は「あ そうなんだ」と心の機微に入って来るという感じですね。
こんな解釈の一つからも 宏正会と倫理研究所の性格が現れているのではないでしょうか。

 また、ごまかそうとしているな。
あいかわらず姑息だな。

 明らかに「武蔵」「長文さん」「賢くないさん」が書いたもの。いずれ相手をしてあげるが、

 まず「クライアントがどうの」のけじめをつけてからだ。

 ホレ!書け!

否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その七

 経済怪人「賢くないさん」敗退編 前半
(長すぎて投稿できなかったので、半分ずつにします。前半は、江戸時代後期の「経済」は「民間の経済」も含むか論争。結局「いや夫」説の「含む」が正解でしたが、それまで不毛な論争が続きました。)

 パラノイア(被害妄想・激しい攻撃性・誹謗中傷など)とは、「愚息」「否会友」を中心とするお前達否定派のことだ。ろくな反論もできんくせに、「俺たちは勝った」「いや夫は負けた」と妄言を書き続け、また、「クライアントがどうの」などという証拠捏造を続けているので、いいかげんにせよと、この「否定派の妄言を切り捨てるシリーズ」が始まったわけだ。お前達が勝ったなどと思っているのは、お前達のおめでたい(いかれた)脳みそ(もっているのか?)の中だけだ。

 「いや夫」が討論した最も新しい相手が経済怪人「賢くないさん」である。いわゆる「武蔵」であり、「長文さん」なのだが、本人が別人を装っているので、別の呼び名にしただけである。中身は一緒で、やはり「いや夫」の相手ではなかった。(「武蔵」は「いや夫」に経歴詐称を見破られたことがよほどこたえたようで、その後はずっと「匿名」なのである。相変わらず姑息ななりすましも続けている。)
 なお、「賢くないさん」は最初からこのニックネームだったわけではない。「いや夫」も当初は討論相手を尊重して、「賢いさん」とニックネームをつけてあげたのだ。これは、ちゃねらーをあしらっているレイモンドさんの対処法から学んだものだ。「いや夫」は日々成長しているのである。
 序盤は「経済」の語源について、まずまず高度な討論ができた。しかし、「いや夫」が
 大東文化大学教授馬場宏二教授の退官記念講演
「経済という言葉 -意味・語源・歴史-」
http://ci.nii.ac.jp/els/110004722530.pdf?id=ART0007466244&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1278598301&cp=
 という資料を発掘した時点で勝負は決した。江戸時代後期には、現在とほぼ同じ意味で「経済」の語が使われていたようで、「武蔵」や「賢くないさん」の主張が覆されたからだ。「賢くないさん」の最初の投稿がwikiの丸写しであったように、お子ちゃま論文クラスでは、「いや夫」を倒すことはできないのだ。いいかげん気づきなさい。
 彼女のニックネームは、「賢いさん」→「賢いさん?」→「賢い?さん」→「賢いの?さん」→「ずる賢いさん」→「賢くないさん」とランクダウンしていくのだが、後述の討論の流れをみれば、それも仕方のないことだと思う。
 ちなみに、彼女は別人だと言っているが、「長文さん」と「賢くないさん」が別人だと思っているおめでたい人は一人もいないだろう。姑息(wikiの改ざん)だし、変節するし、ボロ負けなのに勝ったと開き直るし、「長文さん」とまったく同じである。いくら別人を装っても、議題を変えても、結果は同じだろう。
 だいたい、別人を装うからには、文章構成や修辞法を変える位の工夫はしてほしいものである。ちゃねらーの成りすましもたかがしれており、簡単に見破れるのである。(ショッカー戦闘員=ごきぶりを見分けるのは無理ね。たまに、「愚息」=チャバネゴキブリと違うごきぶり=ニホンゴキブリがいるかも?と思うことはあるが、ごきぶりであることにはかわりはないからだ。論理で向かってこない奴は相手したらん。)
 否定派が一生懸命褒め称え加勢をした「賢くないさん」=否定派のヒーロー・ヒロイン(「武蔵」「長文さん」「否会友」etc)も、たいしたことはないというのが「いや夫」の率直な感想である。


投稿 いや夫 | 2010.06.30 09:11 午後
 「武蔵」の「経済」の話がいちゃもんであることを解説

投稿 匿名 | 2010.07.01 07:16 午前
 「武蔵」の2009.10.17.の投稿を紹介し、「武蔵」氏は economy という訳語に本来間違った語源をもつ「経済」という語がたまたま現在使われているのだから 会長のように逆にその語源でもって economy を説明するのはおかしい としている。
「武蔵」氏の言っていることは 正論と主張。

投稿 いや夫 | 2010.07.01 09:49 午後
 「武蔵」の誤りを中学生向けの文章で箇条書きで解説。

投稿 いや夫 | 2010.07.01 10:37 午後
「経済」で話題の『倫風宏話』の原本を紹介。
今こそ「我も人ものために」 「倫風宏話」 平成21年11月号より
http://58807828.at.webry.info/200910/article_53.html

投稿 匿名 | 2010.07.02 04:13 午後
 箇条書きで、アホな反論をする。

投稿 いや夫 | 2010.07.02 07:52 午後
 馬鹿の分際で反論するな。
(『日本には「経済」と呼ばれる経済があった』
ここが 「いや夫」の誤解の根元。よく考えて見たら。)だ~?
 何を言っているの???「economy」という言葉が使われる前から「経済」はあったし、「経済」という言葉も江戸後期には使われていたのです。君たちがそれを認めようとしないから、わざわざわかりやすいように説明しているの。いいかげん理解しなさい。

投稿 いや夫 | 2010.07.02 08:51 午後
 「武蔵」へ。君自身がまちがいを認めなさいと呼びかける。

投稿 いや夫 | 2010.07.02 11:38 午後
 相手にならん。
「経済」の討論については、「いや夫」の圧勝。違うというなら「武蔵」くん、反撃のチャンスだ!味方のギャラリーがたくさんいるぞ、と挑発。

投稿 いや夫 | 2010.07.03 07:03 午前
 否定派はアホばっかだなあ。君らがハイレベルと考えている「太陽神」くんにも「武蔵」くんにも、当初から討論で負けるつもりはありませんでした。例えば、「武蔵」くんの「経済論」なんて突っ込みどころ満載だと、討論開始当初から思っていましたよ。そんなことさえわからない人たちは、2ちゃんねるでピーチクパーチクやってるだけにしときましょう。

(否定派がアホ過ぎるので、小学生や幼稚園児にもわかるように解説。全文を掲載しときます。ちゃねら~でも、この位は理解して欲しいものだ。できないなら、「いや夫」にからむな。お前たちとは次元が違うのだ。)

 これら批判派を個々の人物だとすると、中2レベルの説明も理解できないお馬鹿さんの集まりということになります。

 小学生でもわかるように解説するから、何とかついてきてね。

 「新宗教」くんは、後から相手するから待っててね。

 まずは、「経済」のやりとりを理解できないお子ちゃまたちへ。

(説明開始)
基礎(きそ)1
 むか~しむかし、ちゅうごくという国に、王がいました。王様は、国をおさめなければなりません。それには、国民が飢えて死んでしまわないように、食べさせることが大切でした。それを「経世済民(けいせざいみん)」と言ったんだよ。

基礎2
 おとなりの日本(みんなの住んでいるこの国のことだよ)でも、「経世済民」の言葉が伝わり、やがて、「経済(けいざい)」という言葉が生まれたんだ。世をおさめることを政治(せいじ)と呼び、みんなを食べさせることを経済(けいざい)と呼ぶようになったんだろうね。江戸時代の後半には、「経済」という言葉が使われいたみたいだよ。

基礎3
 経済で大切なのは、お客様の信用を得ることなんだ。「我も我も」ともうけることばかりかんがえている店なんて、みんな大嫌いだからね。例えば、近江(今の滋賀県)の商人は、「、「売り手よし、買い手よし、世間よし」(売り手と買い手の双方に利益があって、世間のためにもなる)という「三方よし」の心構えをもっていたんだ。こんな店なら、みんなも嬉しいよね。遠足のおやつは、こういう店で買うといいよ。

基礎4
 英語では、「経済」のことを「economy」って言うのだけれど、別に日本人には関係のないことだもんね。英語の「economy」なんて言葉を知らなくても、日本には「経済」っていう言葉があるんだもの。

基礎5
 ところがね、日本人の中には、おかしなことを言う人たちがいるんだよ。
 「economy」の日本語訳が「経済」だというのはおかしいっていうんだ。
 「え~!」「どうして~?」みんなもそう思うよねえ。

 でも、全然説明をしないの!

先生がまちがえているんだって、理由も言わずに馬鹿にしてくるんだよ。人を馬鹿にする人が馬鹿なのにね。

 「economy」の日本語訳が「経済」なのが、どうしておかしいんだろうねえ?きっと、その人たちの頭がおかしいんだろうね。そんな人の言うことを聞いてはいけないよ。

基礎6
 今の世の中はね、「稼げば勝ち」と考える人や、「競争に勝ちさえすればいいんだ」と考える人や会社が増えてしまって、いろいろな問題を引き起こしているんだよ。

 だからこそ、「経済」の言葉の意味である、「経世済民」の考え方を思い出すことが必要なんだよ。それは、「我も人もの」ことを考えることにもつながるね。
 
基礎7
 さっきの頭の悪い人たちは、そんなの理想論だ、などと馬鹿にするんだけれど、そんなことはないんだよ。

 松下幸之助さん(panasonicの創業者)の考え方なんて、まったくその通りだし、日本を代表する企業の創業者精神は、常に「世のため人のため」だったんだ。だからこそ、日本はこんなに発展できたんだよ。

基礎8
 結局、アメリカの「金銭至上主義(お金がすべて)」をまねするから、こんな嫌な世の中になったんだ。

 もう一度、日本の古き伝統やすばらしさを取り返したいものだね。

(解説終わり)

 もういいかげん理解しようね。
(アホを相手にすると疲れるなあ。)

投稿 いや夫 | 2010.07.03 07:49 午後
 
「武蔵」くんやその取り巻きのアホらの論法(いちゃもん)がどのようにまちがっているのか、今度は数学的(笑)に証明しましょう。

「武蔵」批判1
 「economy」の訳語が「経済」になったのが間違いである。

 反論1
  もっともふさわしい訳語が生き残る。
  日本でいうところの「経済」と、英語でいうところの
  「economy」がもっともふさわしく、改訂される気配もない。
  それは、同じことを表現する言葉だからだ。
  よって、「批判1」は「真」ではない。

「武蔵」批判2
  「経世済民」は、英語でいうところの「political economy」である。
  「economy」自体には、「経世」などという意味はない。

 反論2 「経済」の語源は「経世済民」なので、「経世」の意味を内包している。
     英語の訳など、「全く関係のない事象」(いちゃもん)である。
     批判2は「真」であるが、争点には全く関係ない。
     (ここが、「武蔵」くんやアホらが一番勘違いしている点である。)

 「武蔵」批判3
  もし、「economy」の日本語訳が「経済」でなかった
  (例えば「資生」や「効率」)としたら、
  「経済」の語源で説明するのは論理的ではない。

 反論3 単なる仮定(否定派の希望的観測)の話である。
    「economy」の日本語訳は誰が何と言おうと「経済」である。
     以上で終わり。
     批判3は「偽」である。
    (嫌なら入社試験で「economy」の日本語訳を問われたら
     「資生」と書きなさい。まちがいなく落ちます。)

 以上でも納得しないなら、君ら否定派の別名を、
「いちゃもん団」とさせていただきます。

投稿 いや夫 | 2010.07.03 08:36 午後

(「いや夫」の挑発に乗り、とうとう本人「武蔵」が登場しました。おまちしておりました。今回は「賢くないさん」です。討論の始まり始まり~。)

私はこのブログを 鉄舟の武士道について現代の学説を引用して述べられている長文さんの投稿から読ませて頂きましたが その後「経済の語源」について色々と議論されているようですね。
私は「武蔵」氏の論考からこのような考えがあるのだということを始めて知り するどい指摘に感心しましたが 「いや夫」さんが色々と反論されています。
知的レベルの高い方々おられるこのブログに投稿することは勇気が要りますが 私なりの考えを述べてみたいと思います。 (略)

投稿 匿名 | 2010.07.05 05:54 午後
 「賢くないさん」初見参。wikiそのままの説明で、要するに、経世済民は「国家の経済」のことだと言いたいらしい。

投稿 いや夫 | 2010.07.05 08:10 午後
『英語の「economy」という言葉が伝わる以前の江戸時代後期には日本には「経済」とよばれる経済があった』は、「偽」にはなりません。「真」です。
A 日本には(どんな国でも)、文明のうまれたときから「経済」はありました。
B 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていました。
C 「経済」の語源を「経世済民」と、当時の人が意識していたかどうかは、ここでは問いません。意識されていないとしても、「いや夫」の指摘には、影響はありません。
 否定派が「経済」が外国の「economy」を導入したもののように勘違いした批判をしているので、まわりくどい書き方をしただけで、「いや夫」の言っていることは、
「江戸時代後期には、経済という言葉が使われていた」と同じ意味です。これを否定することはできません。

投稿 いや夫 | 2010.07.05 08:12 午後
 「倫風宏話」原文を紹介。

投稿 いや夫 | 2010.07.05 10:10 午後
 会長先生の「経済」に関する『倫風宏話』を補足する資料として、「いや夫」が以前投稿した下記の文章を再掲。「近江商人の心得は理想論で特異なものである」との批判派の反論に対して、「日本人が本来もっていたすぐれた経済思想である」とする副島隆彦氏の論考を紹介したもの。

投稿 いや夫 | 2010.07.05 10:47 午後
 さらに追伸として、「二宮尊徳」も会長先生と同じ意味の言葉を残しているようですので、紹介。 http://www.geocities.jp/sybrma/31ninomiyaouyawa.html 
 批判派で読解可能なのは、「賢いさん」と「武蔵」くんだけだろうね。

投稿 いや夫 | 2010.07.05 11:02 午後
 economyの語源に「神の摂理」という意味があることを紹介。経済の語源と相通じるものがある。
新しい金融秩序への期待
http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/a4cd84e665142182cc29d1e02e55f42e

投稿 匿名 | 2010.07.06 05:21 午後
B について 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていたことは事実です。
しかし 前の投稿に述べましたように その「経済」という言葉は 当時の経世論において権力者への献言・献策のためという国家レベルで使われたものです。個人・企業レベルで使われた言葉ではありません。

投稿 いや夫 | 2010.07.06 06:18 午後
 福沢諭吉は経済論には精通していますので、「economy」が「国家の経済」と「民間の経済」を内包したものを意識した上で、この二つを区別することなく「経済」と訳しました。彼は漢学の素養が高いので、「経世済民」(または「経国済民)以外に「経済」の語源があるはずはありません。「経済」が「国家の経済」と「民間の経済」の両方を総括するものであることは、十分意識されていたはずです。
 「国家の経済」と「民間の経済」は、そんなに目くじらたてて区別するものなのでしょうか?これは車の両輪のようなもので、お互いに連動するものです。
「国家の経済」だけでも、「民間の経済」だけでも「経済」は成り立たないはずです。

投稿 いや夫 | 2010.07.06 10:26 午後
引用記事  日本のゆくえ(上)  (「経済」論争の資料として)
http://58807828.at.webry.info/201007/article_2.html
同(下)
http://58807828.at.webry.info/201007/article_3.html
 を紹介する。
 言っていることは、会長先生と同じことです。昔は互いに支え合う経済(特に優れた金融制度)だったのが、アメリカの仕掛けた罠である「金融自由化」によって変貌を遂げたというような内容です。何で日本がこんな風になったのかが、簡潔にまとめられています。また、今後の日本の進むべき道(アメリカの属国から脱する)を示す、すぐれた論考ですので、読まれてはいかがでしょうか?

(引用開始)
古典的用法としての「経世済民」「経済」 [編集]
近世以前の日本では、「経世済民」(あるいは経国済民)が一つの言葉として用いられることはあまりなく、「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多かったが、近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。その背景には、明末清初の中国で発展した考証学者による「経世致用の学」の影響を受け、日本でも儒学者・蘭学者などによる同種の「経世論」(経世済民論)が流行したことが関わっている。この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

しかし江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた[4]。以上のような用法の変化は、明・清代の中国の俗語において、金銭・財務に関連する(古典的用法と異なる)用法が広まったことの影響とする杉本つとむの見解[5]もある。
(引用終了)

 上記の中で、争点に関する部分のみをピックアップします。

1 近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。

2 日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

3 江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。

です。

要約すると、
1 江戸時代には「経世済民」(あるいは「経済」)という言葉が広くもちいられるようになった。

2 この頃の「経世済民」は、今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

3 江戸後期には「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、今日の用法に近い「経済」が普及していた。

 と解読すべきです。
 江戸時代の後期には、経済は「国家の経済」のことではなく、「民間の経済」のことも「経済」と呼ぶようになったということです。

 3の説明で使われている下記の例も、それを補足するものです。

(引用開始)
19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。
(引用終了)

 これを「武蔵」くんや「賢いさん」は、「貨殖興利を以て経済と云ふは謬(誤り)なり」と字面の通りに解釈されています。
 それは勘違いです。
 事実は、「「今(江戸時代後期)世間(一般)に貨殖興利(お金儲け)を以て経済という」ようになったのです。これに対して、考祺が「(経済の語源は経世済民なのであるから)お金儲けを経済というのは間違いである」と倫理的に批判しているのです。
 上廣会長先生と同じ批判を、江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていたということになります。

 よって、「武蔵」くんや「賢いさん」(どうせ同一人物なのでしょう)がこだわっている、江戸時代後期の「経済」とは「国家の経済」をさしていたという主張は「偽」なのです。

 反論をどうぞ。

投稿 いや夫 | 2010.07.06 11:13 午後
「wiki」では、そのような説明はなされていません。貴殿が引用した部分を「wiki」から引用します。
(あなたは、「経世済民」をわざわざ「経国(世)済民」と打ち替えておいでですね。姑息な性格が出ていますよ。)
1 江戸時代には「経世済民」(あるいは「経済」)という言葉が広くもちいられるようになった。

2 この頃の「経世済民」は、今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

3 江戸後期には「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、今日の用法に近い「経済」が普及していた。

 と解読すべきです。
 江戸時代の後期には、経済は「国家の経済」のことではなく、「民間の経済」のことも「経済」と呼ぶようになったということです。

 3の説明で使われている下記の例も、それを補足するものです。

(引用開始)
19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。
(引用終了)

 これを「武蔵」くんや「賢いさん」は、「貨殖興利を以て経済と云ふは謬(誤り)なり」と字面の通りに解釈されています。
 それは勘違いです。
 事実は、「「今(江戸時代後期)世間(一般)に貨殖興利(お金儲け)を以て経済という」ようになったのです。これに対して、考祺が「(経済の語源は経世済民なのであるから)お金儲けを経済というのは間違いである」と倫理的に批判しているのです。
 上廣会長先生と同じ批判を、江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていたということになります。

投稿 いや夫 | 2010.07.06 11:35 午後
  今気づきましたが、「賢いさん」は以前は、勘違いしていませんでしたね。
(引用開始)
つまり 江戸後期の世間では「貨殖興利」を「経済」と云っていたということです。ですから 江戸後期の商人などの一般庶民は「経済」を貨殖興利として捉えていたのです。現代と同じですね。
(引用終了)
 それが、
(引用開始)
B について 江戸時代後期には「経済」という言葉が使われていたことは事実です。
しかし 前の投稿に述べましたように その「経済」という言葉は 当時の経世論において権力者への献言・献策のためという国家レベルで使われたものです。個人・企業レベルで使われた言葉ではありません。
(引用終了)
 と変節されています。
 貴殿は、正しいことを論じたいのではなく、宏正会を批判したいだけではありませんか?

今回も 「いや夫」さんが私の言っていることに反論されている部分について 私の意見を述べたいと思います。

「いや夫」さんと対話していますと 「いや夫」さんの心が私にも伝わってきて 段々と自分の心がすさんで来るのが感じられます。

それでは「いや夫」さん言っていることに 私の反論を付け加えます。

 >貴殿が引用した部分を「wiki」から引用します。(あなたは、「経世済民」をわざわざ「経国(世)済民」と打ち替えておいでですね。姑息な性格が出ていますよ。)

一般には「経国済民」と「経世済民」は同じように扱われています。会長が「経国(世)済民」というように使っていますので 私もそれに倣っただけのことです。別に他意はありません。もし別に扱わなければ意味が異なるという場面でしたら 私も区別して使うようにします。


「いや夫」さんは 「江戸時代にも経済はあった」としなければ自分の論が成り立たないので 無理にこじつけていますね。

「いや夫」さんは wikiの「経世済民」の項から 争点に関する部分のみを3個ピックアップし 番号の下の>の様に「いや夫」流に要約しています。私見は>>で述べます。
1 近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。
>1 江戸時代には「経世済民」(あるいは「経済」)という言葉が広くもちいられるようになった。

>>「盛んに」をわざと「広く」に変えていますね。「広く」とすると学者以外の一般庶民にも広がっていたと受取られますからね(キタナイですね)。「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられていたのは あくまでも経世論を説いていた学者の間でのことです。


2 日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義 なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするもの であった。

>2 この頃の「経世済民」は、今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

>>ここでも「經世濟民(經濟)の學」を「経世済民」として「學」と言う語をわざとはずしていますね。
「いや夫」さんの立場では 学者以外の一般庶民にも広がっていたとしなければなりませんからね。
「經世濟民(經濟)の學」はあくまでも 権力者への献言・献策のための論です。

3 江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調され るようになり、19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているもの の)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。
>3 江戸後期には「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになり、今日の用法に近い「経済」が普及して いた。

>>経世論はあくまでも国家レベルの問題に対して権力者への献言・献策のための論です。ですから当然 この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものでした。民間レベルでのいわゆる経済(経済学)もその範囲の中に入っています。国の政策においても民間のことも知らないと政策に反映出来ませんからね。
そして 『江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調され るようになり』というのは 「經世濟民(經濟)の學」の民間レベルでのいわゆる経済(経済学)が学者の間でも一般庶民の間でも盛んになったということでしょう。

「いや夫」さんは この様に自分流に解釈して 次のような結論に無理やり持っていっていますね。

>江戸時代の後期には、経済は「国家の経済」のことではなく、「民間の経済」のことも「経済」と呼ぶようになったということです。

>>どうして このような結論になるのですか。一般庶民(世間では)「貨殖興利」としていたのではないですか。

また「いや夫」さんは 次のように補足していますね。

>3の説明で使われている下記の例も、それを補足するものです。
(引用開始)19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法 に近い「經濟」が普及していた。(引用終了)
 これを「武蔵」くんや「賢いさん」は、「貨殖興利を以て経済と云ふは謬(誤り)なり」と字面の通りに解釈されています。それは勘違いです。 事実は、「「今(江戸時代後期)世間(一般)に貨殖興利(お金儲け)を以て経済という」ようになったのです。これに対して、考祺が「(経済の語源は経世 済民なのであるから)お金儲けを経済というのは間違いである」と倫理的に批判しているのです。 上廣会長先生と同じ批判を、江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていたということになります。

>>「今(江戸時代後期)世間(一般)に貨殖興利(お金儲け)を以て経済という」ようになった としていますが 一般庶民は「経済」という語で呼んでいません。
wikiの「経世済民」の項の最後のほうでは 『江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続した』とあります。

確かに考祺にとってこのような世間の風潮は苦々しく感じられた人だったのでしょう。
「上廣会長先生と同じ批判を、江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていた」としていますが
考祺なる人物が上廣会長先生よりもずっと先に生きていた人ですから
「江戸時代後期に、正司考祺なる人物が行っていた批判を 現在同じように上廣会長先生が行なっている」ということになります(もっともこのような考えをしている人は上廣会長先生以外にもたくさんいますが)。

投稿 匿名 | 2010.07.07 06:48 午後

投稿 匿名 | 2010.07.07 10:23 午後
 一般には「経国済民」と「経世済民」は同じように扱われています。会長が「経国(世)済民」というように使っていますので 私もそれに倣っただけのことです。別に他意はありません。もし別に扱わなければ意味が異なるという場面でしたら 私も区別して使うようにします。
 開き直って「いや夫」もわざとごまかしていると理不尽ないちゃもんをつける。

 投稿 いや夫 | 2010.07.07 10:58 午後
 あなたを95%「武蔵」だと思っているので、いやみな反論になります。あなたはずる賢い。会長先生は「経世(国)済民」としか表記していません。
 ところが、あなたは、自分の論が有利になるように、wikiを引用するときに、下記の部分を打ち直しているのです。
 (「経世済民」とwikiで検索したのに、どうして「経国済民」と、わざわざ打ち直すのですか?コピペだけしておればいいものを・・・。)

投稿 いや夫 | 2010.07.08 05:51 午前
 変節の指摘はスルーですか?

投稿 匿名 | 2010.07.08 06:49 午後
 「いや夫」の理論がすべて否定されていると妄言。(それはお前のことだろ。)
>>そもそも「いや夫」さんは 江戸時代後期の庶民のどの位の人が「経済」という言葉を使っていたら この言葉が使われていたとするのですか? 少数の庶民のインテリがその言葉を使っていればそれで使われていたとするのですか?
私は庶民一般に広く普及し誰もがその意味が通じる言葉ではなければ 使われていたとは言えないとします。(他はたいしたことを言っていないのでカット)
「いや夫」さんの追伸について
またしょうもない揚足を取っています。「いや夫」さんの根性は 姑や小姑のようにイヤラシイですよ。
私が 『つまり 江戸後期の世間では「貨殖興利」を「経済」と云っていたということです。ですから 江戸後期の商人などの一般庶民は「経済」を貨殖興利として捉え ていたのです。現代と同じですね。』と述べているころの「経済」という語の前に「現在で云うところの」という言葉を付け加えて下さい。
こんな事は私の論旨から分かることじゃないですか。
こんな小賢しい揚足を取ったりしないで 堂々と本論で勝負してはいかがですか。
(と苦しい説明。)

(反論を全文掲載)

 「経世済民」も「経国済民」も、もともとは政治的な意味合いが強かったというのは、その通りです。しかし、「経世済民」の方は、対象が「世」ですから、これは国に限らず民間をすべて包括しています。それに対して「経国済民」の方は、対象が国ですから、為政者の政策がより強調されます。
 あなたは、経済の語源は、本来「国家の経済」のあり方をさしたものであり、「民間の経済」のことではないという主張をしようとしました。
 そのためには、語源は「経世済民」よりも「経国済民」の方がよいわけです。そして、意図的にwikiで「経世済民」とあったところを、「わざわざ!」「経国済民」と打ち替えているのです。
(おそらく、全文をコピペしてから、その言葉だけを打ち替えたのでしょう。十分姑息だと思いますよ。)

 「economy」の語源の話が、理解できませんでしたか?それとも、理解できないふりですか?

 今、争点になっているのは、経済の語源である「経世済民」を、「民間の経済」にまであてはめるのは論理的かどうか、ということだと思います。

 そのネタとして、君たち否定派は、「economy」の訳し方が間違えだったのだなどというすっとんきょうな意見を持ち出しています。

(関係ないんだってば。日本の話なんだから。日本には江戸時代に「経済」はすでにあったんだよ。)

 すっとんきょうだということを自覚していないので、「economy」の語源についても、「共同体のあり方」ですよ、と教えたまでです。自分さえよければいいのではなくて、共同体のみんなが仕合わせになるようにするのが「economy」の意味なのです。「経世済民」と同じです。

 だから、日本の「経済」についても、外国の「economy」についても、「世のため人のため」という考え方が常に内包されているのですよ。

 倫理力のある人はしっくり理解できます。揚げてもいない揚げ足を取ろうとする君たちには理解できないのでしょうが・・・。

 「変節」に説明は、納得いかんなあ~。
 以前は、
「江戸後期の世間では「貨殖興利」を「経済」と云っていたということです。」とその言葉の通りの考えだったんでしょ?「貨殖興利」のことだから、「経世済民」なんか関係ないんだ、という主張だったと思います。

 ところが、実はどちらにしろ「民間の経済」を「経済」と呼んでいたことを認めたら負けとはっきりしたから、変節したのだというのが、「いや夫」の予想です。

 まあ、いいです。どちらにしても、「経済」の語源は「経世済民」なんだし。
(君の主張は全て理解した上で、馬鹿馬鹿しいいちゃもんだと思っていますので。)

 ちなみに、「いや夫」の言っていることにいちゃもんをつけるお馬鹿さんはたくさん(実は少数だけどね)いることは知っていますが、論理的に論破できた人はいないと思います。君らはおめでたい人たちだ。 

投稿 いや夫 | 2010.07.08 08:05 午後

投稿 いや夫 | 2010.07.08 09:37 午後
 「いや夫」がなぜこんなに無礼なのか、否定派の今までの非道を説明する。
 なお、「武蔵」くんの正体は「否会友」であるというのが、「いや夫」の推論である。
 「賢いさん?」へ、
(引用開始)
「いや夫」さんの根性は 姑や小姑のようにイヤラシイですよ。
(引用終了)
 というのは、あなたから見た見方です。姑や小姑から見ると、何とひどい嫁をもらってしまったんだろうと思っていることでしょう(笑)。

(大事な投稿なので、全文掲載)

 この永遠に続くかと思われた不毛な「経済」論争を終わりにする資料がみつかりましたので紹介します。

 ネットで「経世済民」と検索しても、どいつもこいつもwikiからの引用ばかりなのです。昔レイモンド氏がwikiで論文を書く学生をばかにして「おこちゃま論文」と揶揄していました。
 同じ資料をネタにして、「おこちゃまいや夫」と「おこちゃま賢いさん?」の下らない論争が続いていたわけです。
(「いや夫」の読み方があっていると思っているので、負ける気は全然しませんでしたが・・・。そして、やはり、その読み方が正しいと後述の論文が証明してくれています。)

 このうすっぺらなwikiの解説を超え、今回の論争にまったくぴったりの学術的な講義録を発見しました。

 大東文化大学教授馬場宏二教授の退官記念講演
「経済という言葉 -意味・語源・歴史-」です。
http://ci.nii.ac.jp/els/110004722530.pdf?id=ART0007466244&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1278598301&cp=

 最も関連する部分を引用します。

(引用開始)
 8.江戸時代後期、18世紀初頭以降「経済」の文字が多用されるようになりました。その大筋は岩波の『日本思想大系』で掴めます。先に結論を言っておくと、それは経世済民から始まり、その含意で使われながら、しだいにモノカネ経済の比重を高めて行く。それでも最後まで権力者の経済、財政や経済政策の意味が吹っ切れない。むろん使っているうちに民間経済の比重がますます高まるのですが、最後まで第一義的に民間経済とはならなかった。そこを吹っ切ったのが、ギリギリ幕末の慶応年間に現れた英書の経済学の邦訳で、神田孝平の『経済小学』と福沢諭吉の『西洋事情』外編でした。
 (中略)
 日本における「経済」の語義は、18世紀初頭から19世紀初頭にかけて、決定的に今日の意味の方向へ変わりつつあったのです。後に見るヨーロッパでの語義変化を比べてもさほど遅くはなかった。
(引用終了)

「賢いさん?」は、
(引用開始)
>>そもそも「いや夫」さんは 江戸時代後期の庶民のどの位の人が「経済」という言葉を使っていたら この言葉が使われていたとするのですか? 少数の庶民のインテリがその言葉を使っていればそれで使われていたとするのですか?
私は庶民一般に広く普及し誰もがその意味が通じる言葉ではなければ 使われていたとは言えないとします。
江戸時代後期の一般の庶民は「貨殖興利」の言葉も知らずに 私は言葉は知りませんが「商いの方法」といったような言葉で 現在の「経済」と言う語と同じような使い方をしていたのではないでしょうか。
(引用終了)

 提言されておいでです。
 少なくとも「経世済民」の意味の「経済」は庶民には知れ渡っていたと思います。「世を治め 民を救う」という言葉ですから、庶民にとっては好都合なものです。自然に口コミで広がりますよ。

 そして、19世紀には、この「経済」が「民間の経済」(自分たちの日々の行い)も含むものなのだと解釈の広がりがみられたのは確かです。

 「賢いさん?」が言うように、「国家の経済」が第一義的な意味として残ったのは事実ですが、「民間の経済」を意味する比重がどんどん高まったのです。

だから、
(引用開始)
19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。
(引用終了)

 は「真」です。

 以上、「経済」の論争は(いつもと同じように)「いや夫」の勝利で終了しました。

 もう飽きたので、次のネタに移りましょう。

投稿 いや夫 | 2010.07.09 12:32 午前

否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その七

 経済怪人「賢くないさん」敗退編 後半
(江戸時代後期の「経済」は「民間の経済も含む」ことが明らかになって以降の論争です。めろめろ状態の「賢くないさん」の妄言をお楽しみください。これでも「勝ち」というのなら、否定派は無敵だ。誰もお前達を倒すことはできない。本当にネットはくだらない世界だ。)


投稿 匿名 | 2010.07.09 02:17 午前
 「いや夫」を自称「勝者」と中傷。

 応援だけしてないで、参戦しなさい。内容でね。

 レベル的には、幼稚園児向けの解説があっているだろう。幼稚園児向けの説明位、論破してみなさい。それさえできない奴に、人の悪口をいう資格はない。

 批判派には、「太陽神」「シリウス」「武蔵」「田中丸(笑)」「(山岡鉄舟)の匿名」「賢いさん?」「否会友」など論客揃い(のはず)だ。一度に「いや夫」と討論すれば、話が早いはずだ。なぜ、できないのか?きっと頭がこんがらがるからなのだろう。毎回着ぐるみを着替えてくるだけのお馬鹿さんだ。


投稿 いや夫 | 2010.07.09 06:06 午前

投稿 いや夫 | 2010.07.09 06:36 午前
  社訓一覧 http://rankintop.com/ を紹介。どの会社も「我も人ものため」を掲げている。「国家の経済」に限らず「民間の経済」においても、「我も人もの」ためでなければならないのです。


(「賢くないさん」は高飛車な割には、へぼい反論なので、以後はそのまま掲載。いかに否定派が妄言をはいているか、お読みください。)

「いや夫」さんも なかなかしぶとい人です。

>以上、「経済」の論争は(いつもと同じように)「いや夫」の勝利で終了しました。
もう飽きたので、次のネタに移りましょう。

何を言っているんですか 「いや夫」さん。疲れて寝言を言っているんですか?
この言葉には納得がいきませんねー。

「いや夫」さんが今まで書いて来た所を見ると いつも自分で勝利宣言をしていますね。
否定派の方が「いや夫」さんを追い込んでこれで勝利をしたのだからと止めているのに 「いや夫」さんは誤魔化して負けを認めていません。
そういう人です 「いや夫」さんは。
「いや夫」さんを決して油断してはなりません。
「いや夫」さんの言葉を決して信じてはいけません。

私は 「いや夫」さんが自分の罪を認めるまで 自白するまで 自分の負けを認めてひれ伏すまでは決して追及の手を弛めません。
地獄の底まで追いかけて行きますので 「いや夫」さん 覚悟して下さい。

私は 仕方なく「いや夫」さんの『江戸時代にも経済はあった』とする論に付き合ってきましたが 段々と深みにはまってしまってバカバカしくなってしまいました。
当時の江戸庶民が「経済」という語を普通に使っていたかどうかなんかは とても証明できるものではなく結局は「水掛け論」になってしまいます。

私は 今回「いや夫」さんが言っている事を決して認める訳ではありませんが 視点を変えてみます。  

それでは「いや夫」さんに百歩譲ることにしましょうか。

「いや夫」さんの言っておられるように 江戸時代後期(かなり明治維新に近い時期でしょうが)に「経済」という語が現在と同じように 国家レベルのみならず民間レベルの経済を含んで使われていたとしましょう。
その方が economy の訳がどうの 江戸時代後期に「経済」という語が使われていたのかどうか
その時期の庶民は「経済」という語を知っていてのかどうか といった解決のつかない面倒な議論する必要がなくてスッキリするでしょう。そして頑迷な「いや夫」さんも納得できるようになるでしょう。 

そうだとすると 「いや夫」さんの言っていることは 現在における議論がそのまま幕末後期に平行移動するだけのことですよ。
要するに 江戸時代後期には 「経世(国)済民」を語源とする本来国家レベルを対象とする「経済」という語が 当時の商人間の取引などの民間レベルでも使われていたという事ですね。
そうだとすると 現在と同じように「経済」という語が 国家レベルの経済と個人・企業レベル経済を包含するということですね。
そうなら現在の議論がそのまま当てはまることになるなりませんか。
前に私の言っていたことが そのまま当てはまるということになりますよ。

『「経済」という語が 個人・企業レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括してしまったことによって 私たちが混乱を起こして理解しにくい原因になっているのではないでしょうか。
本来でしたら 当初のように国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーにそれぞれ別の語を与えるべきだったのではないでしょうか。このことが「武蔵」氏の「経済という言葉が悪い」という表現になったのだと思います。
会長は 企業人の質問に答えるという形で 「経済」と言う語の語源を説明しています。
つまり 会長は個人・企業レベルのエコノミーの問題に対して国家レベルのエコノミーの語源であった「経国(世)済民」で説明しています。個人・企業レベルのエコノミーについては たまたま「経国(世)済民」を語源とする「経済」という名前が付いていますが 「経国(世)済民」ということが語源ではありません。
語源でもって説明するということは「○○という語は 本来は・・・という意味だったのだから、・・・することが正しい」と「・・・」を説得するための方法だと思います。

会長がこのような「経済」と言う語の語源を持ち出すのではなく 『経済活動もまた、「我も人もの仕合わせ」を目指して行われなければならない』と説明するのでしたらそれでいいのですけど もし 質問をした企業人が「経済」という語の成立ちを知っている人でしたら「会長は何を言っているのか」とバカにしてしまうのではないでしょうか。』

どうですか 「いや夫」さん。
「いや夫」さんは 『江戸時代よりも以前に「経済」はあった』とするのですか?
どんどん時代を遡って人類誕生まで 遡るつもりですか?

投稿 匿名 | 2010.07.09 03:46 午後

 やっと、議論の出発点に戻れたようですね。

 江戸時代後期には、現在と同じ用法で「経済」が使われていたということは、馬場氏の講演義録を読んでも明らかなようです。

 さて、江戸時代の庶民は、「経済」の語源を知っていたかどうか?

 私は知っていたと思います。
 江戸時代前半には、「国家の経済」という意味ですが、「経済」が多用されるようになります。
これは、まさに「経世済民」から産まれた言葉です。「世を治め 民を救う」という言葉ですから、庶民にとっては好都合なものです。自然にその言葉や語源が口コミで広がりますよ。

 そして、18世紀初頭から19世紀初頭にかけて、元々は「国家の経済」を意味していた「経済」が、「民間の経済」にも流用されるようになりました。
 それまで、民間の経済のことを何と読んでいたのかは知りません。「商い」の他にもいろいろな呼び名があったことでしょう。それが「経済」に置き換わっていったのです。つまり、「経済」の語源を知った上で、「民間の経済」も「経済」と呼ぶようになったのです。だから、「単なる金儲けのことを経済と呼ぶのは誤りである」という逆説的な批判もうまれたわけです。

 「経済」はもうすでに知っている言葉です。当然語源も知っています。そして、自分たちが行っている商いも「経済」と呼ぶのだと、庶民が認めたわけです。
 それはそうです。経済は「国家の経済」だけで成り立つものではありません。というより、「民間の経済」なくして、「国家の経済」は成り立たないのです。
 ああ、そうか「経済」というのは、お上がやることだけをさすのではなくて、自分たち庶民の日々の行いがこそが中心なんだと思ったことでしょう。

 実際、江戸時代は藩の財政はどんどん悪化し、大商人からに借金しなければ藩が成り立たない状態でした。藩の経済を実質的に支えていたのは商人だったのです。お上より自分たち商人の方が経済の主役だとの自負は当然あったでしょう。現代社会とまったく一緒です。

君らが批判の根拠に使った「economy」の日本語訳についても、それらの背景を全て理解した上で、国家と民間のどちらも含めて「経済」と訳したのです。それはおかしい、民間の「economy」は「理財」と呼ぶべきだなどという的外れな主張は無視されていったのです。

 だって、「economy」の語源自体に「共同体の」とか「神の摂理」とかという意味があったんですから。
 
 「経済」の語源も「economy」の語源も、どちらにも倫理が関わっているんですよ。当たり前だ。人間に関する問題なのだから。常に倫理なしには成り立つはずがないのだ。何でそんな簡単なことが理解できないのだ。

「賢いさん?」くんが訴えているのは、「経世済民」とは本来「国の政治」のことであり、「民間の経済」をさしたものではないという、初歩的な批判です。それは一面では「真」ですよ。しかし、実にうすっぺらい理論だ。

 たとえば「国家の経済」だけが単独で成立できるわけはない。財源は国民からの税に頼るしかないのだから、実質には「民間の経済」に依存しているのだ。みんなが助け合わなければ国は成り立たないのだ。
 批判派は、「国家の経済」と「民間の経済」を別物としないと気が済まないようだが、これは表裏一体なのである。切り離すことなどできないのだ。

 会長先生は、君らのような批判があがらないように十分に言葉を選んで論理を展開している。もう一度引用するので、しっかり読みなさい。

(引用開始)
 そんなとき、私は「経済」とは何か、辞書を引いてみてくださいとお答えするようにしています。なぜなら、ちゃんとした辞書には、「経済」という言葉は「経世(国)済民」という熟語から出たもので、「世(国)を治め、民の生活を安定させること」だという意味のことが書かれているはずだからです。
 「経済」が「世を治め、民の生活を安定させること」だとすれば、「我も人ものため」は少しも経済の邪魔にはなりません。それどころか、「我も人ものため」を前提にしなければ、世を治めることはできないはずです。「我も人ものため」を優先しないで、「自分のため、自分さえ」であれば、一家ですら治まりません。まして、社会を安定させることなどできようはずがないのです。「我も人ものため」を知らない社会は、利己的な金銭至上主義が、際限なく闘争を激化させる、熾烈で混乱した競争社会、国民生活の安定からは、ほど遠い社会といえるでしょう。
 つまり、「我も人ものため」では「経済」が成り立たないのではありません。「我も人ものため」でなければ、「経済」は成り立たないのです。
 なぜ、こんな誤解が生じたのでしょうか。答えは明らかです。多くの方が「経済」とは「金儲け」のことだと誤解しているからです。繰り返しになりますが、「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること」であり、生産活動を調整して、人々の仕合わせな暮らしを実現するシステムと活動なのです。
(引用終了)

要点1 「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること。」である。
要点2 「我も人ものため」でなければ、世は治まらず、民の生活は安定しない。
要点3 「経済」とは金儲けのことではない。
要点4 「経済」とは「世を治め、民の生活を安定させること」であり、生産活動を調整して、人々の仕合わせな暮らしを実現するシステムと活動なのです。

 結論としては、要点4に集約されている。
 そのときに「経済」は元々「国の経済」のことをさすものだという、君らのいちゃもんがどれほどの価値があるというのだ。たんなるいいがかりだ。「経済」を金儲けのことだと勘違いしている愚か者の発想だ。

 (全然成長しない)「武蔵」くんに最初にぶつけた反論をもう一度引用する。(略)

(引用開始)
否定派の方が「いや夫」さんを追い込んでこれで勝利をしたのだからと止めているのに 「いや夫」さんは誤魔化して負けを認めていません。
(引用終了)

 そんな場面があったの?どこの部分でどういう論理で君らが勝ったの?
 いや~、気づかなかったなあ~。君らは、認知的不協和でそう見えているんじゃないのかい?

 もし、君たちが勝ったという部分があるのなら、向学のためにも具体的に教えてください。そこんところも潰しておきます。

投稿 いや夫 | 2010.07.09 09:06 午後

昨日の投稿は 私の勘違いによるものでした。ポカしてしまいました。
時間がなくて焦ってしまい 頭の中でうまくまとまってないものを投稿してしまったようです。 
「いや夫」さんを始め 私の投稿を読まれた方々に 混乱させてしまい迷惑をかけたことにお詫びします。
一度投稿したものは消す事ができませんが 以下の投稿をもって昨日の投稿に替えていただければ幸いです。

私は 仕方なく「いや夫」さんの『江戸時代にも経済はあった』とする論に付き合ってきましたが 段々と深みにはまってしまってバカバカしくなってしまいました。
当時の江戸庶民が「経済」という語を普通に使っていたかどうかなんかは とても証明できるものではなく結局は「水掛け論」になってしまいます。
私は 今回「いや夫」さんが言っている事を決して認める訳ではありませんが 視点を変えてみます。  
それでは「いや夫」さんに百歩譲ることにしましょうか。
「いや夫」さんの言っておられるように 江戸時代後期(かなり明治維新に近い時期でしょうが)に「経済」という語が現在と同じように 国家レベルのみならず民間レベルの経済を含んで使われていたとしましょう。
その方が economy の訳がどうの 江戸時代後期に「経済」という語が使われていたのかどうか
その時期の庶民は「経済」という語を知っていてのかどうか といった解決のつかない面倒な議論する必要がなくてスッキリするでしょう。そして頑迷な「いや夫」さんも納得できるようになるでしょう。

 現在で云うところの「経済」とは 人間の生活に必要な商品と金銭との生産から流通、交換と分配、それに消費等の諸活動のことを指していますので 現在で云うところの経済活動は 洋の東西を問わず相当古くから行なわれていたのは確かでしょう。
日本では富本銭や和同開珎などの貨幣が発行された奈良時代(物々交換なども含まれるとするともっと前から)から 現在で云うところの経済活動は行なわれていたはずです。そして その経済活動にはその時代時代に名前があった。その経済活動を表す言葉があったはずです。
奈良時代には奈良時代の 平安時代には平安時代の 鎌倉時代には鎌倉時代の 室町時代には室町時代の
そして江戸時代には江戸時代の 現在で云うところの経済活動を表す名前・言葉があったはずです。
私は 正確なその名前を知りませんが 例えば江戸時代(もっとも江戸時代後期の「経済」という言葉が使われる前になりますが)の現在で云うところの経済活動を表す言葉を「商い(あきない)」とします。
江戸時代の人達は 自分たちは何の疑いを持たずに普通に「商い」という言葉で商売をしていた。
しかし江戸時代後期になって経世論が盛んになり 学者の先生が中国古来の本来は国家レベルの言葉である「経世(国)済民」という語源から自分たちの「商い」のことを勝手に「経済」という言葉で呼ぶようになった。
どの位「経済」という言葉が広がっていたとするのか分かりませんが 当時の人達に 「経済」という言葉は「経世(国)済民」という語源から来たのであるから 会長の言う『経済も「我も人もの仕合わせ」を目指して行われなければならない』といったような事を言っても 何の事か分からないと思います。
自分たちは「商い」という言葉で商売してたのに 学者の先生が勝手に「経済」と言う名前を付けてその語源でもって偉い事を説いている ということになりますね。
ここまでは「いや夫」さんも納得するのではないでしょうか。

その後 幕末・明治維新になり 英語の「economy」という語が入って来て その訳語について紆余曲折を経ましたが最終的には 江戸後期の「商い」を「経済」と呼んだのと全く同じように 国家レベルと民間レベルのエコノミーを含む「経済」という語に落ち着きました。
これも 庶民の意識とは関係ないところで 庶民の預かり知らないところで 学者が勝手に付けた名前ですね。
当初は 民間レベルのエコノミーを「理財」国家レベルのエコノミーを「制産学」と分けて名前を付けた時期もありましたので 現在にように国家レベルと民間レベルのエコノミーを含む「経済」という語が使われるようになったのは偶然といえます。
必然的に「経済」という語が使われるようになったとは言えません。

では 庶民の意識はどうでしょうか。

幕末・明治維新になって 学者の先生が英語の「economy」という語を色々と訳しているけど 庶民の意識としては江戸時代の「商い」のままではないでしょうか。
現在で云うところの経済活動は奈良時代から或いはもっとずっと前から その時代時代の言葉を使って行なって来たのです。
それに江戸後期 明治初期に学者の先生が「経済」と名前を付けて 偶然その言葉が庶民の間で広がりそれが現在の一般的な言葉となっている。
それどころか 現在では逆に 「経済界」「経済人」などの言葉があるように民間レベルのエコノミーの事を「経済」と言い 国家レベルのエコノミーは「国の経済政策」などの言葉を使って 「経済」という語から国家レベルのエコノミーを追い出している感があります。

私が言いたいのは 現在で云うところの経済活動は奈良時代から或いはもっとずっと前から その時代時代の言葉を使って行なって来たのであるから 江戸時代後期 明治初期に「経済」という語が学者から付けられそしてその語が一般的になったとしても 庶民の意識はずっと同じということです。
江戸時代には「商い」と云うレッテルだったものが 「経済」というレッテルに変わっても 中身は同じ 庶民の意識は同じ と言うことです。
例え現在の「経済」というレッテルの替わりに 「家政」「理財」というレッテルが使われていたとしても同じと言うことです。
レッテルは色々と変わっても その中身である庶民の意識は 奈良時代から或いはもっとずっと前から現在まで同じということです。

ですから 会長が現代において「経済」を「経済」の語源である「経世(国)済民」でもって説くのは 江戸時代後期に「商い」を「経済」の語源である「経世(国)済民」でもって説くのと同じことです。
江戸後期から現在 現在から江戸後期 どんなに平行移動しても 庶民の意識が同じでしたら 本来国家レベルの問題であった「経世(国)済民」でもって民間レベルの経済を説くのは 的外れな説き方になるのではないでしょうか。

私は 今回の投稿を前回の替わりと勝手に思っていますので 前回の投稿の後に書かれた投稿を見ていません。もし前回の投稿後に書かれた方がおられましたら 大変失礼なことをしたことになりますが お許し下さい。 

投稿 匿名 | 2010.07.10 12:08 午後

ご両所のご意見をそれぞれ読ませていただきましたが、例えば「江戸時代の庶民は、そのときの『経済や商い』について、・・・のように思っていたはずだ」という点が、すこし違うわけで、そこのところは、どちらの意見もそのように考えられると思います。
ということは、後両所は、それぞれご自分の説を正しいとされますので、勝ち負けをいえますが、第三者は、江戸時代に生きておりませんので、「そうかも知れんなー」といえるだけと思います。
社民党の説と、民主党の説は、多くは反対ですが、われわれに、どちらが正しいのかなかなか分からないのと同じだと思います。
でも明日どれかにいい一票を投じねばならんのですね~。

投稿 匿名 | 2010.07.10 02:28 午後

 「賢い?さん」は、本当は「ずる賢いさん」ですね。どんどん変節する。

 「いや夫」の言っていることは、首尾一貫しています。「賢い?さん」の意見を、その都度つぶしているのですが、潰されたとたんに、違う理屈をもってくる。まるでもぐら叩きです。

 前のは勘違いでした。その後の投稿は読んでいません。今回のが本当です。なんて言い訳しても、誰も信じませんよ。当然討論相手の意見を読んでから投稿しているんですよ。女々しいなあ。

 前の主張だと、「いや夫」の投稿に負けている。前のはリセットして、次の投稿をしよう。
(ゲームのやりすぎだな。)

 仕方ない、リセットボタンにつきあうとするか。

 むちゃくちゃなことを書いていると、自分でも虚しくなりません。

 あなたの説に従うなら、現代の言葉の語源を調べることは無意味ということになる。そんなはずないだろう。おかしいでしょ?

 現代、「経済」という言葉が使われている。その語源はなんだろうと調べる意味は十分あるんだよ。奈良時代や平安時代に違う言葉が使われていたとしても、そんなことは知ったことではありません。むちゃくちゃな理論だ。

 批判したいから批判している。これに尽きる。

 いわゆる「経済」の語が使われるようになった江戸時代以降、「経済」の語源を調べるという活動は大切なことなのです。

 室町時代に「経済」の意味を調べることはできないけどね。だって、使われてないんだもん。

 その時代に使われているというだけで、十分意味があるのです。

 今回の「賢い?さん」の投稿は本当にくだらないなあ。その程度の力なのか君は?がんばれ!

投稿 いや夫 | 2010.07.10 05:28 午後

呼び名が変わったこと自体に、意味があるのでは?

 商いを経済と呼ぶようになった。そのこと自体に意味があるのです。

 その意味は、先に書いたので、引用します。

(引用開始)
江戸時代後期には、現在と同じ用法で「経済」が使われていたということは、馬場氏の講演義録を読んでも明らかなようです。

 さて、江戸時代の庶民は、「経済」の語源を知っていたかどうか?

 私は知っていたと思います。
 江戸時代前半には、「国家の経済」という意味ですが、「経済」が多用されるようになります。
これは、まさに「経世済民」から産まれた言葉です。「世を治め 民を救う」という言葉ですから、庶民にとっては好都合なものです。自然にその言葉や語源が口コミで広がりますよ。

 そして、18世紀初頭から19世紀初頭にかけて、元々は「国家の経済」を意味していた「経済」が、「民間の経済」にも流用されるようになりました。
 それまで、民間の経済のことを何と読んでいたのかは知りません。「商い」の他にもいろいろな呼び名があったことでしょう。それが「経済」に置き換わっていったのです。つまり、「経済」の語源を知った上で、「民間の経済」も「経済」と呼ぶようになったのです。だから、「単なる金儲けのことを経済と呼ぶのは誤りである」という逆説的な批判もうまれたわけです。

 「経済」はもうすでに知っている言葉です。当然語源も知っています。そして、自分たちが行っている商いも「経済」と呼ぶのだと、庶民が認めたわけです。
 それはそうです。経済は「国家の経済」だけで成り立つものではありません。というより、「民間の経済」なくして、「国家の経済」は成り立たないのです。
 ああ、そうか「経済」というのは、お上がやることだけをさすのではなくて、自分たち庶民の日々の行いがこそが中心なんだと思ったことでしょう。

 実際、江戸時代は藩の財政はどんどん悪化し、大商人からに借金しなければ藩が成り立たない状態でした。藩の経済を実質的に支えていたのは商人だったのです。お上より自分たち商人の方が経済の主役だとの自負は当然あったでしょう。現代社会とまったく一緒です。
(引用終了)

 ちなみに、下らない例ですが、次のような言葉の変化には、ちゃんと意味が存在します。

「売春」→「援助交際」

 同じことを違う言葉で呼ぶようになったのは、そこに意味があるからです。

「売春」・・・青春をお金に換える愚かな行為。

「援助交際」・・・お小遣いをもらって、交際してあげているだけよ。減るわけじゃあるまいし。
(ああ、嘆かわしい。倫理の立て直しが必要です。)


投稿 いや夫 | 2010.07.10 05:45 午後

(ショッカー戦闘員のくだらないショートスレも一部残しておきます。これを誰が打っているかわかりますか?おそらく「否会友」=「賢くないさん」でしょう。「愚息」は「や夫」に「さん」なんかつけるはずはありませんから。)


「いや夫」さんは 自分では宏正会否定派を攻撃して宏正会のためになっていると思っているのかなー?

「いや夫」さんが攻撃すればするほど否定派を刺激して否定派を呼び込んで来るし 否定派の言っていることの論拠をますます深めていっているだけじゃないの。
否定派に もっともっと宏正会を批判しなさいと言っている「いや夫」さんは本当は否定派(かも)。
いずれにしても 「いや夫」さんは 否定派の刺激剤。
「いや夫」さんは もっと自分の存在を自覚したほうがいいのでは。
 

投稿 匿名 | 2010.07.12 09:35 午前

そーだなー。いや夫さんが、競馬に行っておとなしいときは、誰も書かなかったのに、帰ってきたとたん、わーっと書き出した。

投稿 匿名 | 2010.07.12 05:09 午後

いや夫はあおり屋だ。

投稿 匿名 | 2010.07.12 06:26 午後

「経済の語源」についての私と「いや夫」さんの遣り取りに みんなウンザリしていることでしょう。
私もウンザリしています。
しかし 私は止めるわけには行かないのです。
ここで「いや夫」さんの言っていることが正しいように受取られるようになることは許されないのです。
そうなると ますます「いや夫」さんは増長し 否定派の人をバカにしてかかるでしょう。
いままで 否定派の優れた方が「いや夫」さんの反論をことごとく潰して来ました。
それでも「いや夫」さんはしつこく出て来て 否定派の言っていることにことごとく攻撃を加えて来ます。
そのやり方は手段を選ばない。相手の戦意を喪失させるために相手のスキを探し出していたぶる。言葉尻を捕らえて揚足をとる。言質をとる。証拠の捏造だって何だってする。
このブログでも言われていますが 「いや夫」さんは相当にこのようなネットでの遣り取りに熟練していて そのテクニックを駆使してかかって来ます。
そのような「いや夫」さん対処するためには
『「いや夫」さんは色々言って来るけど どうせ言っていることは全部デタラメだ』という烙印を押しておかなければなりません。
そのためにも私は負けることが出来ないのです。


私は「経済の語源」についての「武蔵」氏の指摘に直感的に正しいと思いました。
しかし 情けないことに私の力不足で「いや夫」さんの反論を潰すのにてこずっています。

私の直感と言うのは『民間の企業や個人で事業をしている人の日々の経済活動に どうして「経世(国)済民」という国レベルのものを持って来るの?』というものです。
どうしてもピンと来ないのです(皆さん この説明が納得できるのでしょうか?)。
国(為政者)としては 治安が乱れないように また国民みんなが飢えないように国を運営するのが理想でしょう。
でも 民間の経済活動にまでこの理想を持ってくるのは共産主義国家なのでは と思ってしまいます。

「いや夫」さんの反論と云うものは「江戸時代にも経済はあった」という主張です。
江戸時代後期にも国レベル、民間レベル両者を併せて「経済」という語が使われていたのだから 幕末・維新の頃に近代経済学の「economy」の訳として「経済」という語が使われ そこに国レベル、民間レベルの「経済」が含まれてもおかしくはない。だから「経済」という語源には民間の「経済」をも含む。
従って 会長が「経世(国)済民」という「経済」の語源から民間の経済を説明するのは間違いではない。
ということになるのでしょうか。

私は 「いや夫」さんの「江戸時代にも経済はあった」という事に反論するためには 「江戸時代には経済はなかった」と反論しなければと思い 色々と調べて反論していました。
しかし 私も調べていく内に どうも少なくとも学者の間では 江戸時代後期に国レベル、民間レベル両者を併せて「経済」という語が使われていたようです。
残念ですが この点では「いや夫」さんの言っている事に同意します。
江戸時代の「経世論」は今日でいう経済学だけではなく、政治学・政策学・社会学など広範な領域をカバーし「世を治める」ための幅広い知識 を考察するものでしたが 江戸後期になると次第に貨幣経済が浸透し「経済」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・ 売買などの活動」という側面が強調されるようになり 1841年に書かれた正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは 謬なり」と書かれてのは 今日の用法に近いようです。
正司考祺の言っていることは 会長の言っている結論と同じということになります(もっとも 正司考祺が「謬なり」を「経済」の語源である「経世(国)済民」で説明しているとは思われませんが)。

そして 幕末・維新の頃に 「経済」の語は最初は「political economy」の訳語として用いられていたが 江戸後期には「経済」の語は「貨殖興利」という用法があったので「economy」の訳語としても理解されるようになり 「経済」の語は「political economy」と「economy」を含むもの つまり 「経済」の語には国レベルと民間レベルのエコノミーの両方を含むものされた。

以上は 「いや夫」さんも異論はないと思いますので 前提としては共通することになります。

さて ここから私の反論となります。

確かに 江戸後期には「経済」という語を 民間レベルにも使っていました。
でも「経済」の語源と云うものは「経世(国)済民」ですね。 あくまでも国レベルのものであって 決して民間レベルのものではありません。
江戸後期に民間の経済活動に「経済」という語が使われていたとしても それは「economy」の訳語とはなっても「経済」の語源には成り得ません。
「経済」の語源と云うものは「経世(国)済民」 あくまでも国レベルのものです。
江戸後期の学者が民間の経済活動を「経済」と呼んだからと言って どうして「経世(国)済民」が民間レベルの経済の語源となるのか 不思議です。
江戸後期に民間の経済活動に「経済」という語が使われていたということは 「経世(国)済民」というあくまでも国レベルの語源を持っている語を使用しているだけ と言うことになりませんか。

ですから 私の考えでは 明治になってから「経済」という語に国レベルと民間レベルのエコノミーの両方を含むものとされようが 江戸時代に既に国レベルと民間レベルのエコノミーの両方を含むものとされようが関係ない というものです。
「いや夫」さんの云う「江戸時代にも経済はあった」という主張は意味がないとするものです。
なぜなら「経済」の語源と云うものは「経世(国)済民」 あくまでも国レベルのものだからです。
(迂闊にも私が 「いや夫」さんの「江戸時代にも経済はあった」という泥舟に乗ってしまったので こんなに泥沼にはまってしまいました。実は簡単なことだったのです。)

結局 会長のように 本来国家レベルの問題であった「経世(国)済民」でもって民間レベルの経済を説くのは的外れな説き方になる というものです。

もし 「いや夫」さんが私の言っていることに反論があるのでしたら 私が納得するように説明して下さい。
そうでないと 永遠に続くことになりますよ。 

投稿 匿名 | 2010.07.12 07:20 午後

 「武蔵」くんや「賢いの?さん」(私は同一人物説です)の主張は、

 「経済」の語源は「経世済民」だが、これは本来、政治の意味合いが強く、国家の政治・経済政策全般を表すものである。よって、「民間の経済」も、「世(国)を治め、民の生活を安定させる」べきだと説明するのは論理的ではない。

 に尽きます。

 そのための解説として、「economy」がどうだとか、
(引用開始)
 「経済」という語源は確かに「経世(世)済民」から来たのかも知れないが 端的に言えば「経済」という言葉が自体がおかしいから この言葉の語源を持って来て説明するのはおかしいとするのである。
 「経世(世)済民」とは もともと国(王)の政治あるいは国(王)の経済政策のとるべき方向を意味するものである。国(王)ではない私企業あるいは個人の営利活動にこのような言葉を充てるべきではないのである。ウィキペディアの説明に「資生」という言葉も使われていたが「経済」という言葉が現在に残ったとされている。要するに「経済」という語は 江戸末期あるいは明治になってからの日本における造語である。別に「効率」という言葉であっても良かったのである。仮に「経済」という語ではなく「資生」とか「効率」という語が現在に残っていたとしたら 会長はこの言葉の語源を自分の説の説明には利用できなかったはずである。たまたま「経済」というレッテルが付けられたからと言ってその語源でもって自説を説明するのは論理的とは言えないという事である。
(引用終了)

 などというつっこみ所満載の補足をするから、その補足説明はおかしいですよと「いや夫」がつぶしただけです。

 論理的には、君らの補足説明はさておき、最初の主張自体は誤りではありません。

 しかし、それはうすっぺらい主張だ。

 宏正会の会友に例えるなら、
(引用開始)
 ところが最近になって、何度か同じ質問を寄せられるようになりました。「我も人もの仕合わせ」は素晴らしい教えです。でも、経済だけは別なのではないか。厳しい経済環境の中で生き抜くには、まず、自分の利益、自分たちの企業の利益を優先しなければ生き残れないのではないか、というのです。
(引用終了)

 というような質問をするレベルの人です。

 たとえば、ここで、そうですね。国家の経済と民間の経済は違うので、「我も人もの」はあてはまりません、と答えるような会なら存在意義はないのです。

 なんと言おうと、「経済」の語源は「経世済民」で、世をおさめるためには、常に「我も人もの」でなければ成り立たないのです。というのが、倫理的に正しく、福沢諭吉もそう考えて「economy」(「political economy」ではなく)に「経済」という言葉をあてたのです。

 そして、まともな経済人は常に「世のため人のため」を意識してきたし、「economy」の語源も「共同体の在り方」とか「神の摂理」だったりするのです。

 君らがいうように、民間の経済は別(金儲けのこと)と思っている輩が多いので、いろいろな問題が起こっているのです。

 まさに、いちゃもんです。

投稿 いや夫 | 2010.07.12 08:24 午後

(引用開始)
それでも「いや夫」さんはしつこく出て来て 否定派の言っていることにことごとく攻撃を加えて来ます。
そのやり方は手段を選ばない。相手の戦意を喪失させるために相手のスキを探し出していたぶる。言葉尻を捕らえて揚足をとる。言質をとる。証拠の捏造だって何だってする。
(引用終了)

 について、前半はどうでもいいけど、
「証拠の捏造だって何だってする。」というのは、聞き流せないなあ。
それは、君のことではないかい?
変節だって、はぐらかしだって、何だってしているし。

 具体的に、どんな証拠の捏造をしたのか指摘してみなさい。

 まさか、「駐車場係」のことかい?
 成りすましをしたい放題の否定派を追求するために演じただけだぞ。今だに、否定派は成りすましの多数派工作を続けているしね。

 さあ、その他の「証拠の捏造」とやらを挙げなさい。言葉に責任を持ちなさい。

投稿 いや夫 | 2010.07.12 11:17 午後

「いや夫」さんの今回の投稿には 私の言っていることに何も反論がないので 私は「いや夫」さんが自分の負けを認めたものとします。
やっと この論争から開放されるのかと思うと ほっとします。

この論争は 会長が民間の経済活動も「我も人ものために」でなければならないと説明するために 「経済」という語の語源 「経世(国)済民」という本来は国家レベルのことを持って来て説明するのはおかしいとするものであって 会長の言っていることが間違っているというものではありません。
もう江戸時代後期には会長の言っていることと同じ事を言っている学者もいましたし 現在でも会長と同じような事を言っている人は大勢います。私もそれは正しいことだと思います。
会長のこの説明で納得できる人は どうしてこんな論争を長々とやっているんだろうと不思議に思っているのでしょうね。実際 ショーモナイ論争です。

しかし 「いや夫」さんが出て来ると話は別です。
「いや夫」さんの言うことは徹底的に潰さないと 「いや夫」さんはいくらでもつけ上がって来ます。
このブログで やりたい放題のことをするでしょう。
「いや夫」さんは 町のチンピラのような男です。
否定派と見れば 何かと言いがかりを言って来て 難癖を付け 相手がひるむのを見て喜んでいる。
こんなチンピラ よく町にいるでしょう。「いや夫」さんは このブログのチンピラなくて何でしょう。


「いや夫」さんは偉そうに「具体的に、どんな証拠の捏造をしたのか指摘してみなさい」と言っているようなので 私と「いや夫」さんとの遣り取りの中から 具体的に」指摘してみましょう。  

それは「いや夫」さんが wikiの「経世済民」の項から3個ピックアップし「いや夫」流に要約している所です。
1 近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。>1 江戸時代には「経世済民」(あるいは「経済」)という言葉が広くもちいられるようになった。
>>「盛んに」をわざと「広く」に変えていますね。「広く」とすると学者以外の一般庶民にも広がっていたと受取られますからね(キタナイですね)。 「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられていたのは あくまでも経世論を説いていた学者の間でのことです。
2 日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義 なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするもの であった。
>2 この頃の「経世済民」は、今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。
>>ここでも「經世濟民(經濟)の學」を「経世済民」として「學」と言う語をわざとはずしていますね。「いや夫」さんの立場では 学者以外の一般庶民にも広がっていたとしなければなりませんからね。

このように wikiの「経世済民」の項からピックアップした所から「いや夫」流に要約している所で
「盛んに」を「広く」に変えたり 「學」と言う語をはずして 微妙に変えています。
この部分は 「いや夫」さんが「経世済民」が庶民一般に広がっているということを言っている所ですのでこのように変えることで 自分に都合のいいようなことをwikiの記述がされているような誤解を与えています。
これをミスとは言わせません。自分の都合のいいように変えていますので 明らかな作為です。
これはwikiの記述という証拠を意図的に変えた捏造です。
「いや夫」さん まだ言い訳をするつもりですか。


それでは 「いや夫」さんの残骸の中から 忌まわしい首を狩って来てみんなの『晒し首』にしましょう。 

>会長先生が言っていることが誤っているのか、はっきりさせましょう。 「いや夫」は200%の自信をもって、会長先生の意見に賛同します。 そして、「武蔵」くんは何いってんの?と討論を挑んだ次第です。 それでもわからなければ、わかるまでとことん説明しますよ。
> 君は相手にとって不足ですので、チェンジしてください。(=君がいくら知恵をしぼっても、レベルアップは不可能ですので、他の人に変わってもらいましょ う。)次の方、どうぞ。
>少しはIQの高さを感じてもらえるように、中身で反論してね。同じことを何度も言わせないで。できないなら、チェンジプリーズ。
>もういいかげん理解しようね。(アホを相手にすると疲れるなあ。)
>「いや夫」の小学生(本当は幼稚園児)向けの解説をネタにして、正面から反論してみてちょ。どうせでけえせんやろ。アホやもん。
>「相手にしない」ではなく、「反論ができない」というのが事実。
 どちらがアホか、はっきりさせましょう。
>「経済」ネタはいくらひっぱても、「いちゃもん団」に勝ち目はないので、延々つきあってあげてもよいのだけれど、他のギャラリーは退屈するので、次の話題 に移りましょう。(勝ってるつもりなら、そのネタで具体的な反論をどうぞ。左団扇でお相手します。)
> 一人くらい国公立または有名私大出身程度のおつむの人はいないのかい?
>「結論を導くための前提」についても、批判派が糾弾できるような論理の破綻は存在しません。
>ちなみに、「いや夫」の言っていることにいちゃもんをつけるお馬鹿さんはたくさん(実は少数だけどね)いることは知っていますが、論理的に論破できた人は いないと思います。君らはおめでたい人たちだ。 
>以上、「経済」の論争は(いつもと同じように)「いや夫」の勝利で終了しました。

これらの言葉を どう落とし前を付けるのか。

投稿 匿名 | 2010.07.13 06:49 午後

 落とし前つけるも何も事実だがや。

 どこが証拠の捏造だ。
1 「盛んに」を「広く」?
2 「経世済民の学」を「経世済民」?

 そんなもん、何にも考えておらんは。どこが違うんだ。言いがかりもいいかげんしろ。

 君の「経世(国)済民」を「経国(世)済民」と打ち直すのに比べたら、屁でもないし、意識もしていないは。悪意ももって打ち直し、開き直っている君のゆがんだ性格はどこから来るのだ。そんなことだから義母から疎んじられるのだ。

 「いや夫」に勝っただ?どこがどう勝ったんだ???

 連敗だらけじゃないか?

 サッカーの試合でいったら、
「いや夫」10VS1「賢いの?さん」&「武蔵」だ。

 君の勝ちを認めているのは、その直前の見た目4人のアホの否定派のみ。(実際は何人だか?どうせ実母を恨む馬鹿丸出しの「愚息」か、君自身だ。)

 どうしてこう女々しいのだ。いさぎよく負けを認めなさい。

 ようするに、「経済」の語源のいちゃもんについても、「いや夫」の証拠捏造説についても、宏正会の不正追及とやらについても、

ひと言で言えば、「枝葉末節」である!!!

枝葉末節 意味
主要でない部分。些細ささいな部分。本質からはずれた些末さまつなこと。▽「枝葉」は枝と葉で、幹が主要なもののたとえであるのに対して、主要でない部分のたとえ。「末節」は木の末のほうの節ふしの意で、主要でない些末な部分のたとえ。

 さらに言えば「針小棒大」だ。

ありもしないことを大きく取り上げて騒いでいる。個人の恨み(義母が許せん)くらいで、宏正会を目の敵にするのがそもそものまちがいなのだ。

投稿 いや夫 | 2010.07.13 08:27 午後

「いや夫」さんと「匿名」さんとの討論
「いや夫」さん方が優勢かなと思っていましたが 最後に「匿名」さんは身をひるがえして「いや夫」さんをバッサリ。
最後の一太刀で「いや夫」さんを切り殺してしまいました。
見ていて 小気味いい勝ち方です。
「いや夫」さんがどんなに言い訳しようが 「いや夫」さんの完敗です。

投稿 匿名 | 2010.07.14 04:58 午後

 どれが「最後の一太刀」なのでしょうか?ショッカー君。
説明してくれないとわからないぞ。
 それよりも、君たち「ショッカー」が斬りかかってきた方が、いいんじゃない。怪人「賢いの?さん」がやられそうなんだから、(理論的に)攻撃してあげなきゃ。「イィー」「イィー」と騒いでばかりだから、子どもからも馬鹿にされるのだ。だから、最近の仮面ライダーには君たちは登場しないのだ。目障りなだけだもん。

投稿 いや夫 | 2010.07.15 06:37 午前

「いや夫」さんと討論していた「匿名」さんの最後に言っていることに何も反論できないので 「晒し首」になったんじやないのー。

投稿 匿名 | 2010.07.15 02:24 午後

 というのは、

(引用開始)
「いや夫」さんの今回の投稿には 私の言っていることに何も反論がないので 私は「いや夫」さんが自分の負けを認めたものとします。
やっと この論争から開放されるのかと思うと ほっとします。
投稿 匿名 | 2010.07.13 06:49 午後
(引用終了)

 という「賢くない」さんの捨てゼリフを真に受けたものということが判明した。

 読解力の全くない否定派のために、説明しよう。

 上記の投稿はまったくの嘘である。精神分裂病なのか、「いや夫」にことごとく反論されている現実からの逃避なのかわからないが、妄想なのである。

 これ以前の「賢くない」さんの投稿、
投稿 匿名 | 2010.07.12 07:20 午後

 に対して、「いや夫」は、
投稿 いや夫 | 2010.07.12 08:24 午後
投稿 いや夫 | 2010.07.12 11:11 午後

 で完全に論破しているのです。

 ところが、「まったく反論がないので勝ち」とばっくれる「賢くない」さんと、勝った勝った~とはやしたてるショッカーとの、三文芝居がくりひろげられるわけです。

 まあ、「いや夫」登場前の「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元」状態だった頃には効果的な戦法でしたが、ネタがばれた今となっては、否定派の頭の悪さを証明する材料でしかありません。

 論理ではたった一人の「いや夫」にも勝てないから、せめて見た目の投稿数だけでも上回りたいということなのでしょう。憐れです。

投稿 いや夫 | 2010.07.15 09:50 午後

 そして、「いや夫」がいちいち説明するまでもありませんが、「経済」では勝ち目がないことを悟った「賢くない」さんは、「退会させてもらえない」攻撃を始めたという訳です。

 話題が変わるのはいいんじゃないでしょうか。おつきあいしますよ。

投稿 いや夫 | 2010.07.15 09:52 午後


<「いや夫」解説>
 否定派の妄言は、「ショッカー戦闘員」も怪人「賢くないさん」も同じである。悪役はだいたいそういうものだ。本当は負けているのがわかっているのに、哀れである。ちゃねら~ってつくづくバカの集団だと思い知った。それにしても、今回の「賢くないさん」の負け方はいさぎよくなさすぎる。「経済」で負けが決定的になったというのに、勝ったと宣言して消えて、「退会させてもらえない」攻撃をしかけてきたのである。しかし、調子にのって「クライアントがどうの」という嘘丸出しの投稿をしてしまったおかげで、今「いや夫」にさんざんからかわれている状態である。アホそのものである。これだけ追い詰められて、また、「なかったこと」にするつもりだろうか?
 そもそも、「否会友」が宏正会を恨んでいるのは、会友である義母への復讐のためである。「いや夫」に負けるということは、義母に負けるのと同じ意味なのだろう。その執念たるや、「生き霊」レベルである。ひょっとして、永遠にこのへぼい討論は続くのだろうか?
 相手をしてあげてもいいけど、まず、「クライアントがどうの」の落とし前をつけなさい!それが先だ!

 ホレ!書け!「武蔵」
 ホレ!書け!「賢くないさん」
 ホレ!書け!「否会友」

 以上の「否定派の妄言を切り捨てるシリーズ」でたくさんのスペースを使ってしまいました。

 否定派が妄言をはき続けているので、白黒をはっきりさせるためです。お許しください。

 なお、自称無敗の「いや夫」ですが、自分でも気づかないうちに、「負けている」部分があるのかもしれません。もし、そんな部分がありましたら、
 いつ、誰との討論で、どういう討論の流れで「いや夫」説が負けているのか、具体的にご指摘ください。そこんところもつぶしておきます。

 それ以外で、「いや夫」が負けているという表現は、否定派の妄言=負け惜しみと解釈しますので、ご了承ください。 

訂正

否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その七

 経済怪人「賢くないさん」敗退編 前半 の

(引用開始)
ショッカー戦闘員=ごきぶりを見分けるのは無理ね。たまに、「愚息」=チャバネゴキブリと違うごきぶり=ニホンゴキブリがいるかも?と思うことはあるが、ごきぶりであることにはかわりはないからだ。論理で向かってこない奴は相手したらん。
(引用終了)

 で、
誤 ニホンゴキブリ
正 ヤマトゴキブリ
でした。

 (虫の)ゴキブリくんへ 
 変な奴ら(否定派)の例えに勝手に使ったり、名前を間違えたりして、ごめんね。


いや夫くんは誰も見てなくても構わないの。自己正当化工作をしたいだけだから、どうでもいいわけ。こういうことは一人でやって、勝手に満足するもの。不安になって次々と書き足すところは、以前にも指摘を受けているよ。まだまだ続くでしょう。しかし、もはや倫理がどうということとは全く関係なくなってる。いや夫くんは初手から宏正会議論に仮託して誰でもいいから言いがかりをつけるのが目的なのだろう。まるでどこかの小チンピラだ。

 嘘が嫌いなだけ。
君ら否定派が勝っていると言い張るなら、それは嘘だと、いつまででも証明を続けよう。

 成りすまし=嘘
 「クライアントがどうの」=嘘
 負けているのに勝ったと言う=嘘
 他の宗教からの攻撃なのに、それを明かさない=嘘
 義母が許せないのを隠して宏正会を攻撃=嘘

 嘘つきはどろぼうの始まりだ。
 それらの嘘のおかげで、会友は甚大な被害を受けている。会友の努力をふみにじっているどろぼう行為だ。

 こんなに自己中心で性格が悪い「いや夫」がなぜ否定派に勝てるかわかるか?
 嘘をつかないからだ。それがお前達否定派との最大の違いだ。

お得意の「=嘘」 の根拠をどうぞ。できなければ、いや夫は嘘つきと推定します。

 否定派の嘘など、はいて捨てるほどあるぞ。

 「嵐」「嵐」「さとえ」って知らないのか?このブログは始まった当初から、嘘の投稿だらけなのだ。そして、そいつらが今は「いや夫」を攻撃対象にしているだけだ。

 どうせ、「嵐」はお前か、お前の仲間だろ。

 とりあえず、代表的な例として、我がブログよりコピペをする。

http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html

二重?ハンドルネームの例 発掘(3) 
>


 ネットは嘘が簡単につける世界です。

私は実は「○○」である。

と宣言したら、○○でない証明をするのは

かなり難しくなります。

書いたもん勝ちです。

 2ちゃんねるには、嘘のネタが無数にころがっています。

 朝起会実践者は、複数のハンドルネームの

活用など、卑怯なことはしません。

 しかし、ちゃねらーは常用します。

 「宏正会って何?」で、二重ハンドルネームの

例を引用します。

この 「嵐」兼「さとえ」というオカマは、

他にいくつのハンドルネームを使っているのでしょう。

たぶん、「荒らし」の意味でつけたんでしょうね。

知性の低さがにじみ出ています。

 ちなみに、文面を読めばわかりますが、

2度目の「嵐」は、自分が「さとえ」に化けて

書いたつもりが、前の投稿時のハンドルネームが

残っていて(バカですね~。)、

それに気づいて、すぐにハンドルネームを

「さとえ」に変えて投稿したものでしょう。

 哀れ過ぎて涙が出ます。

おこちゃまは、ちゃんと勉強してから、

コンピュータを使おうね。

(引用開始)
とある知り合いで実際に起きたケースです。
この会では、離婚し子供のある将来に不安をもった女性を会に引き込み、一般社会の中では結婚できない変わり者の会員の男性をくっつけて、女性を男性に依存・隷属させ、女性には働くことをさせず、会の活動に専念させ、男性の稼ぎで生活し、会なしでは生きていけないように仕向けることまでするようですよ。統一教会と同じですよね。
いずれにせよ、この会では、女性は男性に依存・隷属し、男性(旦那)に言葉の上では尊敬を表し、男性を気持ちよくせて、稼いだ金をまき上げ、それを会に納めさせることで、会の世界の中だけで、気持ちよくさせるってことが常套手段です。
女性、特に将来ある子供をもたれている方々へ:正常な精神をお持ちのうちに脱会して、現実の世界でがんばって生活したほうがよさそうですよ。

投稿 嵐 | 2005.11.14 10:21 午前

以前無理やり入らされたものです。(今はもうかかわりがありません)私を誘った女性は、子供は捨て育てするため、小さな子供がいる人でも子供を置いて頒布活動をし、朝起き会に出席するのだと聞きましたが本当ですか。あと、女性は三つ指ついて主人に仕え、決して働くことはないのだとも聞きました。どんなに生活が苦しくても、妻は家を守り、旦那さんにはどんな風に無理してでも働いてもらうという趣旨のようでした。はっきりとは彼女はいいませんでしたが、話していてそういう意味なんだなぁと思いました。


投稿 嵐 | 2005.11.15 11:11 午後

以前無理やり入らされたものです。(今はもうかかわりがありません)私を誘った女性は、子供は捨て育てするため、小さな子供がいる人でも子供を置いて頒布活動をし、朝起き会に出席するのだと聞きましたが本当ですか。あと、女性は三つ指ついて主人に仕え、決して働くことはないのだとも聞きました。どんなに生活が苦しくても、妻は家を守り、旦那さんにはどんな風に無理してでも働いてもらうという趣旨のようでした。はっきりとは彼女はいいませんでしたが、話していてそういう意味なんだなぁと思いました。


投稿 さとえ | 2005.11.15 11:12 午後

(引用終了)

これも「嘘」

 「クライアントがどうの」の作り話はありえないのだよ。誰が陰倍加されているなど、他の会友が知るわけがない。ましてや一般人が知っているはずがない。「いや夫」にこれだけ挑発されても、論文記述能力が「武蔵」「長文さん」「賢くないさん」レベルである人物が、ばっくれて消えてしまったのがその証明だ。

 「クライアントがどうの」よ、お前が出てこないと、今「いや夫」に質問した否定派が恥を書くぞ。何だ、やっぱり否定派って嘘ばっかりなんだと思われてしまうぞ。(そんなことは第三者は百も承知だ!)

その他の嘘の例

 膨大すぎるので、とりあえずこの7月限定。

・wikiの「経世(国)済民」を「経国(世)済民」と自説に有利になるようにコピペを改ざんした「賢くないさん」
・上記の言い訳に、会長先生が「経国(世)済民」を使っているからと嘘をついた「賢くないさん」
・「いや夫」が反論しているのに、反論していないと嘘をついた「賢くないさん」
・討論に負けたのに、勝ったと嘘を言って消えた「賢くないさん」
・「賢くないさん」が負けたことは明らかなのに、「勝った」と言い張るお前たち。
・負けたのが悔しくて「退会させてもらえない」攻撃を始めた「賢くないさん」
・その投稿が実は、2ちゃんねるのコピペで、元会友を現会友と改ざんした「賢くないさん」

 否定派の中では、人望があついと思われる人物でも嘘のかたまりだ。
否定派は嘘つきばかりという好例だ。

 「いや夫」はちゃんと答えたぞ。

では、君に質問だ。
Q 「元鉄槌(愚息)」(お前じゃないのか?)が嘘をついていないとでも言うのか?

いや夫によると、影倍加するのはされた方の知り合いに決まってる。ということ。それ以外は「有り得ない」という誤った前提。それじゃ、「クライアントさんから」さんのいうことなんか、都合が悪くて仕方ないので嘘。ってことにしなければいけないのね。もうお話になりませんね。相手にされなくなって当たり前。「クライアントから..」さんが言っておられる内容は何も応えられませんね。いや夫の 競馬狂いの中毒で、仕事はいい加減にやっていて、宏正会員の奥さんがいる。 っていう「キャラ」 もたいしたもんです。本当かな。本当だと言うなら、証拠をどうぞ。 いや夫の奨励しているやりかたなので、率先して「実践」願います。証拠をでしたね、バカ少年でない証拠を。

やっぱりいや夫は負け犬。勝てなかった相手を罵倒するしかなくなってる。もうとっくに切り捨てられたことを自覚している証拠。相手にしてくれないのは当たり前。自分のバカさ加減を誤魔化そうと必死なのが可哀想。

(「いや夫」の解説を<で加える>)


いや夫によると、影倍加するのはされた方の知り合いに決まってる。ということ。それ以外は「有り得ない」という誤った前提。

<そんなことは一言も言っていない!
(引用開始)
 勝手に倍加されたようなので、実践者ではないはずです。貴殿の会場では、実践者と倍加会員と陰倍加会員が同じ名簿に載っていて、それが一般会友、さらには一般人に公開されているとおっしゃるわけですね。へえ~。不思議だなあ~。そんな会場があるの~?
(引用終了)
とからかったように、誰が陰倍加されているのかなどわかるわけはないのだ。「否会友」が義母を疑い徹底的に問い詰めて聞き出すなどの特別な場合をのぞいてはな。>


それじゃ、「クライアントさんから」さんのいうことなんか、都合が悪くて仕方ないので嘘。ってことにしなければいけないのね。

<非常に都合がいいぞ。リアルタイムでぜひ討論をしたいのじゃ。200%嘘だからな。「クライアントがどうの」が正しいこと打っているなら、ぜひ、出てきて「いや夫」と討論せよ。お前一人で、「いや夫」の今までの活躍を凌駕することもできる。俺がもし否定派ならば、必ずそうするだろう。
ホレ書け!早く出てこい!
 出てこないのかが、「嘘つき」である証明なのだ。
 実は一番このネタから脱したいと思っているのが、この
投稿 匿名 | 2010.07.26 12:53 午前
だ。そんなのは幼稚園児でも見破れるは。
苦しいの~。>


もうお話になりませんね。相手にされなくなって当たり前。「クライアントから..」さんが言っておられる内容は何も応えられませんね。


<ちゃんと答えておる。しかし、相手が白紙答案並のへぼい回答しかできないから、「0点」と採点して、「赤点だ!もう一度やり直して提出しろ!」と回答を突き返した次第だ。「クライアントがどうの」の前提自体があり得ないのだから、どう頭をひねって考えたところで、0点は0点にしかならないのだよ。「いや夫」とリアルタイムの討論をしたら、0点どころかマイナス1000点で、否定派にとって致命的な汚点(「嵐」「嵐」「さとえ」以上)になるのだ。

「いや夫」と「クライアントがどうの」のやりとりは、別記事で投稿する。>


いや夫の 競馬狂いの中毒で、仕事はいい加減にやっていて、宏正会員の奥さんがいる。 っていう「キャラ」 もたいしたもんです。本当かな。本当だと言うなら、証拠をどうぞ。 いや夫の奨励しているやりかたなので、率先して「実践」願います。証拠をでしたね、バカ少年でない証拠を。

<こういうのを「悪魔の証明」と呼ぶのだが、「いや夫」はそれなりに説明できる。これも別記事にする。>

 お前の2番目の投稿はスルーね。

「いや夫が負けた」という前提が全く誤っている。そんなことを言うのは、アホの否定派だけだ。違うというなら、下記に答えよ。何度も書かすな!
どうせ書けんだろ?「嘘」だからだ。

(引用開始)
 なお、自称無敗の「いや夫」ですが、自分でも気づかないうちに、「負けている」部分があるのかもしれません。もし、そんな部分がありましたら、
 いつ、誰との討論で、どういう討論の流れで「いや夫」説が負けているのか、具体的にご指摘ください。そこんところもつぶしておきます。

 それ以外で、「いや夫」が負けているという表現は、否定派の妄言=負け惜しみと解釈しますので、ご了承ください。 

投稿 いや夫 | 2010.07.25 05:56 午前
(引用終了)

 お前の投稿が、小難しい心理学でも何でもない
単なる「負け惜しみ」だ。

 「いや夫」がいかに競馬研究が好きか、今春のGⅠシリーズの自己の予想と結果を一部公表する。「いや夫」は嘘が嫌いだから、わざと華々しい成績を偽造するなどという姑息な手はとらない。負けは負けと素直に認める男だ。お前たち否定派と違う点だ。

<高松宮記念>
 今までの馬場状態の推移から外差し優位と仮定して予想。差す競馬が強い3番人気エイシンフォワードを本命に(これは正解。3着に粘る。)とし、対抗に 13番人気ピサノパテックとアルティマトーレを選んだ、三連複で攻める。
 アルティマトーレは引退レースで実力も十分だったのだが、ゲートでつまづき出遅れたため、0.1秒差の5着と惜敗した。
 ピサノパテックは、尊敬する競馬予想家須田鷹雄氏の推奨馬だった。サンデーサイレンス最後の直仔で末脚はするどい。外差し馬場なら一発があってよく、配当妙味が満点なので対抗の一頭とした。しかし、実際の馬場状態は前残りが有利で、先行から中団までしか入賞できなかったため届かず、予想ははずれた。これは後になって知ったことだが、前日のグリーンチャンネル『明日の勝ち馬検討社』で馬場状態の変化に言及していた。録画した番組を見なかったのが最大の敗因である。

<桜花賞>
 自身はラップギア分析を得意としており、このレースのその通りの決着となり、プラスになった。瞬発戦に強い馬がそのまま上位にきた。1番人気アパパネは、瞬発戦適性があり前走も本命にして勝てたので、そのまま本命とした。対抗には、瞬発戦適性と配当妙味から、11番人気エイシンリターンズと12番人気ワイルドラズベリーの2頭を選び、ヒモ7頭に流す三連複で勝負した。
 結果は、本命アパパネ1着、ヒモのオウケンサクラ2着、対抗のエイシンフォワード3着で、見事に勝てた。なお、ワイルドラズベリーはアパパネに第4コーナーではじかれた不利がありながら、0.5秒差で10着だったので、もしあの不利がなかったら、入賞を果たしていたかもしれない。遊び半分で、アパパネ、エイシン、ワイルドの三連単も買っていたので、おそらく30万円位はついただろう。まあ、競馬とはそういうものである。
 なお、桜花賞は、自分自身の予想でも当たり、須田鷹雄氏の推奨買い目でも当たり、Wでゲットできた。負けるときには負け、勝つときには勝つ。これだから、競馬はやめられない。
 なお、グリーンチャンネルの「明日の勝ち馬検討社」では、データ推奨馬としてあげた4頭だけで、パーフェクトに予想していた。
 また、同「ホテルクラシック」では古屋コンシェルジュがわずか6点で三連単を的中させている。
 競馬は、宝くじやパチンコと違って、予想で勝負できる頭のスポーツなのだ。

<皐月賞>
 1番人気ビクトワールピサは強いので、そのまま本命に。対抗の2頭には、栗東坂路で50秒を切る調教時計を出していた4番人気エイシンアポロンと、末脚するどい6番人気ヒルノダムールを選び、ヒモ5頭に流す三連複を中心に勝負した。
 結果は、ビクト1着、ヒルノ2着は当たったが、3着に、同じエーシンながら、11番人気エーシンフラッシュが入り、撃沈した。この馬は瞬発戦しか経験していなかったので、平坦戦適性が必要なこのレースでは消したのだが、実は平坦戦適性があったということだった。エイシンアポロンは距離が長すぎたようだ。本当に競馬は難しい。

<昨日の函館記念>
 自分は、三連複中心の予想だが、予想がまったく大外れすることは少ない。だいたい3頭中2頭はひろい、1頭を取り逃すパターンが多い。皐月賞のように人気薄の1頭を選べないのはあきらめがつくが、穴党なので、人気馬を切って後悔することが多く、まだまだ未熟である。昨日の函館記念がまさにそれである。
 このコースは平坦戦適性が必要で、ハンデ戦なので、荒れるケースが多い。瞬発戦に強い馬はスパッと切り、平坦戦適性がある馬のみで勝負した。
 本命は須田鷹雄氏推奨馬でもあった2番人気マイネルスターリー。平坦戦適性もあった。今回は一頭軸ヒモ6頭の三連複とし、ヒモに、7番人気スマートステージ、3番人気フィールドベアー、14番人気サクラオリオン、4番人気ドリームサンデー、6番人気マンハッタンスカイ、10番人気マヤノライジンを選んだ。なお、なくなくヒモからはずしたのが、15番人気エイシンドーバー、11番人気エアジパングであった。
 結果は本命のマイネルが快勝。しかし、残り20mでジャミールが差して2着に入り、逃げ粘っていたドリームサンデーが3着になった。
 録画したTVで観たのだが(家族で行楽に行っていた。行き先まではプライベートで明かさないよん。)ジャミールが差してきた瞬間、悲鳴を上げてもんどり返ってしまった。1番人気のジャミールをヒモに選んでおくべきだった。いつも大穴狙いで失敗するのである。
 しかし、ジャミールが届かない可能性もあったので、それほどは後悔していない。一番人気ジャミールを選んでいるうちは、15番人気のエイシンドーハーや11番人気のエアイジパングをヒモに加えることはできない。このレースで4着だったのは、11番人気エアジパングだった。穴狙いのおもしろさはここにある。もし、ヒモ選びでエアジバングをいれておいて、ジャミールが届かなかったら、三連複でも2万円前後はついたはずだ。今回の三連複の4080円など惜しくはない。(嘘。本当は当てたい。)「いや夫」は穴党なのだ。(でも、一番人気はヒモには加えるだろ普通。アホだなあと後悔している自分もいる。)当たらない競馬でも、こうやって、一戦一戦学ぶことができるのが楽しさだ。


 いちゃもんをつけてきた「匿名」へ
 以上、競馬好きの証明をしたが、もっと必要か?
いくらでも説明してやるぞ。
プライベートの方は、我がブログを読め。それも信じられんというのか?創作だと言うのか?

 「いや夫」はちゃんと答えたぞ。次はお前の番だ。以下の質問にきっちり回答しろ。

(引用開始))
 さて、ここは「実践倫理宏正会って何?」というサイトである。
 朝起会を批判している方々にお願いがある。
投稿にあたって、朝起会に何回参加された経験があるかを答えてから、批判記事を書いてもらいたい。

 私は自分の立場を明確にして投稿している。
動機は、皆さんも知っているだろう。
私は、批判記事を書いている人々の背景や動機も知りたい。その上で討論したい。
 日本は武士道の国である。(「武蔵」というペンネームもありましたな。)
戦いの前に、名乗りをあげるように、卑怯なまねを恥とする文化をもっている。ぜひ、ご賛同願いたい。

 ちなみに、私の場合なら、
「「名ばかり会友 のべ参加数30回程度」である。

投稿 いや夫 | 2009.10.11 08:21 午後
(引用終了)

 この問いかけにいやいや答えたのは、「武蔵」一人だけだ。そして、そのたった一人でさえ「経歴詐称」が明らかになった。
どうせ、お前もそうだ!
違うというなら、ちゃんと答えろ!
どうせでけえせんやろ! 嘘つきのアホばかりだ。消えろごきぶり!

「いや夫」は いつまで自分の言い訳を続けるのでしょうか。
こうして書き続けることで 自分に都合のいい架空の世界を創り上げているんだろうね。
「いや夫」はどう見てもパラノイアだからね。


偏執病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

偏執病(へんしゅうびょう、パラノイア、英: paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。自らを特殊な人間であると信じるとか、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格的に常人と大して変わらない点が特徴。

これが日常生活に支障をきたすレベルに達したものが、妄想性人格障害(paranoid personality disorder)とされる。
症状 [編集]

* 被害妄想 - 挫折・侮辱・拒絶などへの過剰反応、他人への根強い猜疑心(さいぎしん)。
* 誇大妄想 - 数を誇大に示したり、大げさな表現を好むなど。
* 激しい攻撃性 - 誹謗中傷など。
* 自己中心的性格。
* 異常な独占欲。

不存在証明、いわゆる悪魔の証明を他人に強いておきながら、自分のこととなると逃げてしまう。いや夫を試してみたが、やはり無駄だった。

とうとう競馬報告まで始めた。話をそらさないとやっていけなくなったか。ずっと前からそうだけど、困り果てての自殺行為。哀れないや夫を見送ってあげよう。

チーン ナンマイダー

 主婦は暇でいいの~。
30分おきに午前中3回投稿して、夕方またクソスレ!

 ちゃねら~(ごきぶり以下)はスルーね。

 一匹のごきぶりがいたら、実際には30匹いると思えと言われる。

 このブログには否定派のごきぶりが少なくとも3匹位はいる。

 このたったごきぶり3匹が、今まで何件の批判記事を書いてきたか計算してみよう。

 このブログだけでも各自一日1回ずつ打っていると仮定する。ホームグランドの2ちゃんねるへの投稿は、もっと活発で一日2回投稿すると仮定する。その他のブログへも各自1回投稿すると仮定する。こ奴らはショートスレかコピペしかしないから、この位の回数を打つのは簡単で、実際にはもっとハイペースで投稿しているのだ。

 3人とも、過去10年間このペースを続けてきたと仮定する。

 以上の前提で計算すると、

(1+2+1)×365日×10年×3人
=43800件

 たった3人でも、43800件もの否定記事を書けるのである。
 実践倫理宏正会についてネットを調べた人は、自然とこのごきぶり3人の嘘の投稿を何度も何度も読んでいるのだ。
 このブログを読んだことのない人は、その背景さえ気づかないだろう。

 ネットなど所詮、そんな「人でなし」の世界なのだ。

 映画「踊る走査線」では、パート1~3まで、すべて犯人はちゃねらーのおたくなのである。ちゃねら~=犯罪者の巣窟&予備軍なのだ。

 ちゃねら~の受けが非常に悪いことを自覚して、自分たち否定派はちゃねら~ではない、「いや夫」がちゃねら~なのである、という自虐的な攻撃しかできないのが、否定派の現状である。

 憐れよの~。誇りもなにもなく生きておるの~。みじめよの~。

 プロフィールも語れない卑怯者は、2ちゃんねるだけにしろ。こっちには出てくるな。

 否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その八(ちゃねら~の継続希望に応えて)前編

(また、長文だが、「いや夫」はこの位は数分で読める。ちなみに「いや夫」が大嫌いな勝間は本を2分30秒位で読めるようだ。否定派がまだまだ妄言をはきつづけるので、シリーズの終了を撤回する。苦情は「いや夫」になんくせをつけたくせに、回答を拒む卑怯な否定派と「クライアントがどうの」に言ってちょ。)

投稿 匿名 | 2010.07.26 12:53 午前
のごきぶりちゃねら~は、「いや夫」にいちゃもんをつけっぱなしで、消えた。いつもこうである。本当に討論するつもりなら、自らのプロフィールと宏正会を否定する理由を明かして正々堂々と討論すればよい。それができない時点で負けは決まっているのである。「いや夫」はがんばっても東大に入れるかどうか程度だ。(東大も国際ランキングでは22位程度らしい。)たいしたことはないので、そんなに恐れずに理論で挑んできなさい。何をそんなに恐れているのだ。ちゃねら~はやはりごきぶりと似て、臆病なんだね(笑)。
「 否定派の妄言を切り捨てるシリーズ」は「その七」で終えたつもりだったが、この「匿名」君のリクエストに応えて、続けることにする。

 否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その八(ちゃねら~の継続希望に応えて)

 ごきぶり(ちゃねら~)より、「クライアントがどうの」の説明がどうおかしいのですか、教えてくださいとの質問をいただいた。

投稿 いや夫 | 2010.07.26 05:45 午前
 にて既に回答したのだが、重大な過失に気がついた。否定派のごきぶりは「バカ」なのである。幼稚園児向けの説明をしても、その中身が論理的だと、ひと言も反論できないのだ。それでは、「いや夫」の独白が続くだけで、まるで「いや夫」はいじめっ子である。「バカ」でもわかるように、もっと簡単に説明してあげる必要があることに気づき、この投稿をする。(否定派のバカにも読めるように簡単にしたから読んでね。この位は読めないと「いや夫」に勝つことなど夢のまた夢だぞ。がんばれちゃねら~!)

 まず、問題になっている「クライアントがどうの」くん(「いや夫」との「経済論争」に破れた「賢くないさん」のサブキャラ)と「いや夫」とのやりとりの全文を掲載する。ちなみに、「クライアントがどうの」キャラは、2010年7月18日に投稿を開始し、「いや夫」にそのプロフィールが創作だと攻撃されて、わずか一日で消えた。その後は、別のキャラを使って「いや夫」を攻撃し、他の話題に変えさせようと必死である。これでごまかせると思っている否定派はバカすぎて、憐れである。いじめるのもほどほどにしといてあげようかと思う、今日この頃ではある。しかし、「嘘」をつき通しているうちは許せんな。やっぱり。


<引用開始>

投稿 退会させてもらえない現会友 | 2010.07.13 08:38 午後
 勧誘方法の問題がありとの中傷。
実践倫理宏正会の方々は、私の書いたことが「うそ」だとか「ありえない」なん
てことは絶対に言わないこと。
事実を言っているだけの私を訴えることが出来るんですか?
全部私がこの目で見て、体験した本当のことだから何も怖くありません。
(とあったが、実は2ちゃんねるのコピペ。否定派は全員ちゃねら~なのだ。そして、これが後の「クライアントがどうの」くん。笑)


↑ 2ちゃんねるの元会友が、コピペしてここへ出てきて現会友となったはこれ如何に。いくら何でも、このスレの人たちは、誰ひとりだまされたりはしない。

投稿 匿名 | 2010.07.13 09:23 午後

 「経済」の話題は勝てないので、他のネタで攻撃開始か。しかも、2ちゃんねるからのコピペとのこと。まったく否定派は進歩せんのう。

 「賢いの?さん」が反論しなくなると、「いや夫」に論理で挑んでくる者がゼロになってしまいますよ。それこそ、負けを認めている証拠ではありませんか?

投稿 いや夫 | 2010.07.13 10:29 午後

 なるほど、

2ちゃんねる
★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★22★★☆
http://www.unkar.org/read/anchorage.2ch.net/live/1272188805

の「19」~「22」のコピペだ。情報をありがとうございます。

投稿 いや夫 | 2010.07.13 10:41 午後

(追伸)

 そして、上記「329」~「332」に全く同じ内容の投稿をしたのが、
 2010/07/13(火) 17:33:08 

そして、このブログにも、
 投稿 退会させてもらえない現会友 | 2010.07.13 08:38 午後

 とコピペ。このように、「宏正会」は執拗な攻撃を受け続けているのです。

投稿 いや夫 | 2010.07.13 11:12 午後

もっともな批判も沢山ありますよ。都合のよい箇所ばかり挙げないでね。チャネラーらしくて解りやすいやり方だこと。

投稿 匿名 | 2010.07.13 11:23 午後  (自らちゃねら~であることを吐露。割と良識的なちゃねら~であり、希少な存在。)

 2ちゃんねると表裏一体だということは、周知の事実ですなあ~、ちゃねら~くんたち。
 君たちの期待とは裏腹に、「いや夫」は一度も2ちゃんねるに投稿したことはありません。
 「君たちちゃねら~、僕ブロガーだよ。」
残念だね(笑)

 上記の方の言う通り、
「経済」の話も「いや夫」の圧勝で終了しました。

「武蔵」くんの経歴詐称問題、
「認知的不協和理論は実は陳腐である問題」、
「自称鉄槌(愚息)」の「カン(ト)違い問題」、
「否定派の見た目多数工作問題」、
「劣勢否定派の匿名化」、
「否定派で理論的な反論は常に一人問題」、
「太陽神=武蔵=賢いの?さんの、成りすまし着ぐるみ疑惑」
「否定派が劣勢なときこそ、応援団(ショッカー)が増える問題」

 などなど、「いや夫」は連勝中です。

 否定派はいつも同じことばっかり言ってるだけだし(すでに「いや夫」が論破したことばかり)、飽き飽きですなあ。「いや夫」が「武蔵」くんや「太陽神」と討論するために準備しておいた「いや夫」からの反論があるのですが、どなたかこれを理論的に論破できますか?
 2009年10月26日頃からの一連の投稿です。

投稿 いや夫 | 2010.07.14 06:17 午前

入会退会といった本人の意思、行動の通知にかかる文書を他人が作成しています
完全に違法行為です。さらに印鑑を押していれば、有印私文書偽造行使でです。
言い放題でなく、これが法律であり、事実です。
偽造した本人の違法性の認識は関係ありません。偽造された人が家族であろうが
赤の他人であろうが、関係もありません。
だだ、ただ、違法行為であり、犯罪であるというだけです。
さらに、親告罪ではありませんので、被害者が告訴しなくても、迷惑が
かかっていないから良いだろうと開き直っても、形式犯で犯罪です。
「訴えられなければ、ばれなければ、犯罪を犯して何が悪い」
というのは、倫理を標榜する団体として、おかしいと思いますよ。
言ってることと、やってることが、違いすぎませんか

刑法第百五十九条 私文書偽造
行使の目的で、他人の印章若しくは署名を使用して権利、
義務若しくは事実証明に 関する文書若しくは図画を偽造し、
又は偽造した他人の印章若しくは署名を使用して権利、
義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を
偽造した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。

投稿 退会させてもらえない現会友2 | 2010.07.14 02:52 午後

「退会させて・・現会友2」
またまた、2ちゃんのコピペして、うれしがってるノータリン。
このスレの誰も反応してないが、2ちゃん、そのままでは、能がなさ過ぎ。
あなたのレベルはやはり、2ちゃんの中がふさわしいのです。

投稿 匿名 | 2010.07.14 05:04 午後

2ちゃんのコピペより、いや夫さんたちの討論の方が、レベルは可なり高いですね。

投稿 匿名 | 2010.07.14 07:50 午後

 順番に答えます。

投稿 退会させてもらえない現会友2 | 2010.07.14 02:52 午後  へ

投稿 いや夫 | 2010.07.15 06:20 午前
 「退会させてもらえない」などということはありえん。「有印」って、印鑑があることを言っているのか?あるわけないだろ。


「退会させて・・現会友2」
またまた、2ちゃんのコピペして、うれしがってるノータリン。
投稿 匿名 | 2010.07.14 05:04 午後

 同感です。

2ちゃんのコピペより、いや夫さんたちの討論の方が、レベルは可なり高いですね。
投稿 匿名 | 2010.07.14 07:50 午後

 ブログは2ちゃんねるよりましですね。
「2ちゃんねるの時代は終わったのだ」というのが、一般的なとらえ方ですね。

投稿 いや夫 | 2010.07.15 06:37 午前

宗教であるとして、元々宗教団体であった「ひとのみち教団」から分派した
団体であることを、隠さずに正直に公言すれば、私は問題がないと考えます

下記に書いたとおり
そして、現在の会員に対し、本人が知らない間に会員となっているかどうか
確認をすることは、義務だと思います。公益法人として、おかしいと思いますよ


宏正会が、自分たちで好きにやるのは、全く自由。好きにすればよい。

ただし、「宗教で無いから安心」とかいって、だますこと
内部的にも、外部的にも、団体としての経歴を、「ひとのみち教団」のこと
などを、禁句とし、タブーにして隠すのは、やめること
勧誘時の説明義務違反をするのはやめること
本人が知らないうちに、勝手に入会させるのは、やめること

これは、絶対にだめです。違いますか?

投稿 退会させてもらえない現会友3 | 2010.07.15 02:07 午後

「退会させて・・現会友3」殿

「禁句としてタブーにして、隠しておれば、」あなたのおっしゃる通りです。
だが、「宏正会」は、禁句もタブーも絶対にありません。わたし「朝起き会」で、ジャンジャンしゃべっていますが、
何も起こりません。あなたが、会員になって、どんどんしゃべって御覧なさい、何の不都合もおこりませんよ。
「朝起き会」での発言は自由自在が原則です。

投稿 匿名 | 2010.07.15 04:20 午後

投稿 いや夫 | 2010.07.15 09:20 午後
 「陰倍加」の感想を述べる。

 そして、「いや夫」がいちいち説明するまでもありませんが、「経済」では勝ち目がないことを悟った「賢くない」さんは、「退会させてもらえない」攻撃を始めたという訳です。

 話題が変わるのはいいんじゃないでしょうか。おつきあいしますよ。

投稿 いや夫 | 2010.07.15 09:52 午後

  ↑  
「退会させて・・現会友3」 vs  「いや夫」さん

完璧なまでに、「いや夫」さんの勝ちですが、「退会させて・・限会友3」の二つの書き込みは、一字一句2ちゃんねるからのコピペにて、愚論と言うべきものですね。それにしても2ちゃんをコピペしてもってくると、彼我のレベルが雲泥の相違があることよく分かります。
2ちゃんの方は、「とくとくとして論ず」という面があり、知性的ではありません。

投稿 匿名 | 2010.07.15 10:01 午後

先代の経歴や会の成り立ちや経緯を全て知った上で普及活動をしているのですね。御本頒布の際にもそれらを全て詳らかにして普及に励んでいるわけですね。もしそうでないとすれば、「知っているからこそ隠さなければならない」ということになりますが。 本部からはどのような指導が 会場責任者等幹部研修会ではなされたのでしょうか。先月十五日のことだと聞いておりますので、前出のかたでも、どなたでも結構です。可能でしたらお教え下さい。

投稿 匿名 | 2010.07.16 08:56 午後

古い会友や講師は知っていますが、全くたいしたこととは思っておりません。このスレで言われて思い出すぐらいで、平生は頭の片隅にもありません。訳も無く研修でわざわざ言い出して、いらぬ混乱を引き起こすことはよくないと考えます。
あなたや「武蔵・太陽神」殿や、元会友の諸子が、なぜか「宏正会」憎しの感情に走って、だれも関心のない先師の出自、経歴をこのスレのように、書き立てるのは、あなたがたは面白いかも知れませんが、われわれにとっては、迷惑以外のないものでもありません。
そこなる倫理の徒よ、それがために多大の損害をあなたが蒙ったのなら、書くのはご自由ですが、もう関係のないお方なら、言わぬが花と心得られよかし。

投稿 匿名 | 2010.07.16 10:05 午後

 すっかり過去の人で忘れていたが、「長文さん」も「太陽神」、「武蔵」のサブキャラです。

投稿 いや夫 | 2010.07.16 10:05 午後

投稿 いや夫 | 2010.07.16 10:09 午後
 否定派は家庭愛和が実践できないおかしな奴らである。

では、否定派が投稿するまで、「いや夫」は消えます。

 否定派は何日がまんできるかな?

投稿 いや夫 | 2010.07.17 04:20 午後 (ちょっと休んでみようかなと打った。)

投稿 匿名 | 2010.07.17 05:26 午後
 いきなり批判開始。先代の経歴がどうのこうの。後の「クライアントがどうの」っぽい。嘘つきばっかりのお前らがよく言えるものだなあ~。)


信者さんが幸せなのはよいが、人を勝手に会員にするのはやめて欲しかった。自分の知らないうちに、聞いたこともない団体の会員にさせられると、信用上問題になることだってある。だったら辞めれば済むだけのことだと、現実の社会を知らない人は言うかも知れないが、実際にはそうはいかない。私が会員だと過失なく信じた第三者に事実を説明して、心証を得るのは大変なのだ。そもそも、この団体が何物であるのか、窓口は何れか等を調べ、内容証明を送付して、といった手続きを何故私が行わなければならないのか。勝手なことをした者の所在は結局言を左右に明らかにしない。本部に問い合わせても、「そのような指導はしていない」 と言うのみ。なれば、そのような会員は当該法人の定款第11条(3)の趣旨に照らして除名すべきではないか。文言上は「除名することができる」 となっているが、実践倫理宏正会の目的に鑑みても、これは単に権限の所在を表すものであって、本部理事会に自由裁量を認めたものとは考えにくい。訴訟を提起しようにも費用倒れ、泣き寝入りせざるを得ないのを善いことに、好き放題にまかせていると捉えられてもいたしかたない。社団法人、会員ともにこのような状態で改まらないなら、苦情や意見は出てくるのが当たり前だ。決して「私たちは知らない」 「朝起き会場に来ていない人は黙っていて(放っておいて)」 などと逃げていてはいけない。「我も人ものしあわせ」を標榜するなら、目を背けて済まされる問題ではないのだ。

投稿 匿名 | 2010.07.18 10:32 午前 (後の「クライアントがどうの」に間違いなし。)

 否定派がいなくなれば、やめるつもりが、一時間で否定開始のようで、続けます。

 「人を勝手に会員にするのはやめて欲しかった。」さんへ、

 どういう事情で会員にされたのでしょうねえ?
相談に乗りますよ。あなたを陰倍加したのはどういう関係の方ですか?なぜ、陰倍加されたことを知ることができたのですか?

 義母に陰倍加されて、本部に問い合わせた人物なら有名ですが・・・。

投稿 いや夫 | 2010.07.18 05:03 午後

投稿 匿名 | 2010.07.18 05:31 午後
 「武蔵」の「陰倍加」批判の過去スレをコピペ

投稿 いや夫 | 2010.07.18 05:38 午後
 陰倍加が行われる理由を、「否会友」のような鬼嫁を例に解説。

コピペをずっと繰り返すつもりかい?
いくらでも、コピペ返しできるが、第三者に迷惑だぞ。

投稿 いや夫 | 2010.07.18 05:45 午後


(「いや夫」注:次の投稿が問題の「クライアントがどうの」さん。今までのは前振りです。ここから「いや夫」と少しだけからんで、いそいで消えた「クライアントがどうの」さんでした。なぜ????????????そんなの決まっている。「嘘」だからです。)


誰に、いつのまに入会させられたのか、全くわからない。クライアントとの打ち合せの際、その顧客に「そう言えば〇〇先生はどこそこのこういう会の会員なんですか。」と質問されて驚いて調査してみた次第なのだが、どういうことだろうか。会場の会員名簿の氏名欄の後には紹介者の欄があり、氏名或いは続柄を記しているものが多かったが、私の氏名の後には「〇〇班」と記載があるのみだった。この点は問い合わせても前述の通りである。身内の者に勝手に入会させられるのはよくある話なのだろうか。有名だという記述があったが。より実態を知るためにもお教えいただきたい。

投稿 匿名 | 2010.07.18 06:27 午後 (「いや夫」注:クライアくんの投稿その一)

(引用開始)
誰に、いつのまに入会させられたのか、全くわからない。クライアントとの打ち合せの際、その顧客に「そう言えば〇〇先生はどこそこのこういう会の会員なんですか。」と質問されて驚いて調査してみた次第なのだが、どういうことだろうか。
(引用終了)

 またまた~。すごいご立派なキャラですなあ?
 勝手に倍加されたようなので、実践者ではないはずです。貴殿の会場では、実践者と倍加会員と陰倍加会員が同じ名簿に載っていて、それが一般会友、さらには一般人に公開されているとおっしゃるわけですね。へえ~。不思議だなあ~。そんな会場があるの~?

 2ちゃんねるでは、そういうことになっているのですか?

投稿 いや夫 | 2010.07.18 08:38 午後

 さきほどの「いや夫」の質問にどう答えるか、楽しみだなあ~(笑)

 またひとつ、嘘発見!

 ひとつ嘘をつくと、それをごまかすために新たな嘘をつかなければならなくなるのですよ。懲りない方だ。

投稿 いや夫 | 2010.07.18 08:42 午後

(引用開始)
有名だという記述があったが。より実態を知るためにもお教えいただきたい。
(引用終了) (「いや夫」注:とぼけることで成りすます。お前のことだ!)

 「いや夫」の投稿もちゃんと読んでね。
長いから読んでないんだろうね。どうりでかみ合わないし、勝敗も分からないわけだ。

 「有名」なのは、もちろん「否会友」です。

 わがブログにカテゴリで整理したので、読んでいただければわかるでしょう。
 なお、「いや夫」説では、「否会友」こそ、「チャコ」「太陽神」「シリウス」「武蔵」「(会を追求するブログを作ったり、国会議員に中傷の手紙を送ったりしている)匿名希望」「長文さん」「賢くないさん」です。

 ちなみに、今回のクライアントがどうのこうのという書き方は、「武蔵」くんに酷似しているなあ~、というのが「いや夫」の読みです。

投稿 いや夫 | 2010.07.18 08:59 午後

真面目に投稿している者に対してふざけた回答をしないでいただきたい。いったいどういう料簡か。「いや夫」さんとやら、初めから他人を嘘つきよばわりするつもりで問い掛けをしていたということなのか。虚しい。会員のサイトへ投稿したつもりが、どうやらそうではなかったようだ。まともな方と対話がしたいのだが。

投稿 匿名 | 2010.07.18 10:20 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿そのニ)

2010/7/18 22:20 匿名 さん、 「いや夫」ちゃんは相手にしないほうがいいよ。あなたが憤れば、それだけ何の関係も無いことをチャラチャラあげつらって笑うだけだよ。ちょっと読めば解ると思うけど、この「いや夫」ちゃん、くだらない書き込み(ほとんどコピー)がことごとく潰されて大恥かいてるチャネラーくんなのです。サルにもう餌を与えないで下さい!

投稿 匿名 | 2010.07.18 10:57 午後 (「いや夫」注:おそらくクラくんの投稿その三)


「まじめに投稿している」方へ

われわれは陰倍加については、だいたい「いや夫」さん他の考え方をしています。自分だけで人のためを心に念じて行っていますので、誰にもわからないし、ましてやご本人に迷惑などかけることは絶対にないと思っています。
もし、上記のお方のように、ほんとに迷惑を蒙っている方が、こんなくだらない、匿名のクソスレによくもとくとくとぐちれるな~とあきれるばかりです。
このスレにそのグチを100回書いても、解決にはなりません。
ほんとに解決したいなら、あなたや全ての関係者の実名と、出来るだけ詳しい経過を、監督官庁である、文科省生涯学習政策局長宛に、「写」は文部科学大臣、上廣栄治「宏正会」理事長、警視総監、またあなたに勇気があるなら、名だたる週刊誌の編集部にもお出しください。特に内容証明にする必要はありません、全ての書状には「写」の送付先は明記してください。
こんなクソスレで百万言を弄する愚は繰返してはなりません。


投稿 匿名 | 2010.07.18 11:43 午後

要するに「やったもん勝ち」ということだろうか。「迷惑をした、被害を受けたと言うのでないなら、ここでは話すな」と言ったかと思えば、「文句があるなら官公署か警察へ行け。ここで意見を述べることはおかしい。」という方もおられるようだ。要するに自分達では答えられず、開き直っているだけだ。 その人(他人)の幸せを願っての行為だから無権代理行為だって何の問題もないらしい。純粋なお気持ちは解るが、日本は法治国家であり、当該社団法人も日本の法律に則って設立が認可された一団体だと記憶しているのだが、間違いだったか。いや、無認可の違法集団ではない筈だ。然るにいけないことをいけないと認識できていないのは如何なることか。 いや、待てよ。無権代理行為(権限の無いにも拘らず無断で入会させる行為)はそもそも無効なのだから放っておけばよい、という理論なのだろうか。確かに契約関係だけならそれで何とか切り抜けられるかも知れない。 しかし、不法行為となるとそうもいかない。精神的苦痛を主張されたら、金額の多寡はともかくとして、必ず負ける。そして仮にこの理論を採用するにしても、それはそもそも無権代理人側(違法行為をした人)から許される主張ではない...さらに、実際にこの無効の人数を控除した本当の会員数は...?いけない、 やはり改めるべきだ。 誤解のないように申し添えるけれども、私が問題としているのは無断入会の一点である。きちんと普及活動をして、本当に納得の上で入会する方がおられる分についてまでその活動を否定してしまうのは勿論不合理だ。真摯に学ぼうとしておられる方もいるだろう。「その人の幸せを願っての行為(無断入会)だから迷惑などしていない。」と言い切るからには、無断で入会させた他人に後日、不知のうちに入会させたことを伝え、迷惑感情の無いことを逐一確認したはずであるから、その行為を以て抗弁すればよい。少なくとも私のところへはそのような連絡は無かったが。今後、組織全体が社会的、倫理的な普及活動をされるよう、お薦めしす。多少(かなりですか)感情的な文面が入ってしまい、失礼したことをお詫びします。
実践者様

投稿 匿名 | 2010.07.19 02:18 午前 (「いや夫」注:クラくんの投稿その四)

  ↑
あなたの博覧強記はご尊敬もうしあげます。記述内容は正しく反論できません。
しかしながら、このスレで言っていただいても、所詮は詮無いことでございます。
吼えてわめいて気のすむガス抜きスレとして、のしつけて差し上げましょう。
悲しからずやこのスレも、いつの間にやら、2ちゃんと同じクソレベル。
われ等自称4百万は、そろそろ朝起きの時間となりぃ~まぁ~したぁ~♪~
ほんにお気にそまない面が多々ある私どもではございますが、最早やどうにもなりま~せん~。
みなさまどうかお元気でぇ~ さよおぉなぁらぁ~
(^o^)/


投稿 匿名 | 2010.07.19 03:29 午前

 まともに相手をしているのに、無視ですか?

(全体引用開始)
誰に、いつのまに入会させられたのか、全くわからない。クライアントとの打ち合せの際、その顧客に「そう言えば〇〇先生はどこそこのこういう会の会員なんですか。」と質問されて驚いて調査してみた次第なのだが、どういうことだろうか。
(引用終了)

 またまた~。すごいご立派なキャラですなあ?
 勝手に倍加されたようなので、実践者ではないはずです。貴殿の会場では、実践者と倍加会員と陰倍加会員が同じ名簿に載っていて、それが一般会友、さらには一般人に公開されているとおっしゃるわけですね。へえ~。不思議だなあ~。そんな会場があるの~?

 2ちゃんねるでは、そういうことになっているのですか?

(全体引用終了)

 上記には、一切答えておられない。

 あなたが、まともな相手なら、上記の「いや夫」の投稿に誠実に答えさえすればよい。
 そうすれば、間違いなくあなたの「勝ち」だ。

 しかし、残念ながら、今回も嘘丸出しのつっこみ所満載の中傷であるので、これは「チャ~ンス!」と、からかっている次第である。

 本当だというなら、本当だと誰にもわかるように説明してみなさい。そうすれば非礼をお詫びし、君の一応論理的な解説のレベルに合わせよう。まずは、君の回答が先だ。それがなければ、またこいつかよ、と「いや夫」のからかいの対象になるだけだ。

投稿 いや夫 | 2010.07.19 06:13 午前

 さきほどのクライアントがどうこうという人物は、かなりあくどい人間である。

 普通の人間なら「いや夫」の問いかけで、「やばいなあ~。嘘がばれてるじゃん。また、違うキャラで出直そう。」と思うはずである。

 しかし、ちゃっかり批判記事だけ偉そうに書いて(ここでは、すっかり見慣れた文面)、「いや夫」とは正面切って向き合おうとはしない。
 それでも、匿名さんにばっさりやられている。監督官庁に報告しなさい。君の嘘がばれないならね(笑)

 「いや夫」はいくらでも討論につきあいますよ。君ごときに負ける「いや夫」ではない。
 2ちゃんねる同様、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元」のこのブログだが、それがしっかり見抜かれてしまって、否定派の層の薄さがうきぼりになっている点は、相違点です。

投稿 いや夫 | 2010.07.19 06:42 午前

 例えば 色々批判されています「陰倍加」ですけど
「いや夫」さんは「その人の幸せを願って入会してもらうこと」とし 「鯰の鬚は4本」さんは「陰ながらその人の仕合わせを願う心の発露から行われている」としています。
会員に陰倍加をさせるため会が指導している理屈としては この様なものでしょうね。
 でも この様に本人が知らない間に勝手に宏正会に入会していることになったその人は 仕合わせになるのでしょうか?
 もしそれでその人が仕合わせになると言うのでしたら 宏正会に入会するという事は「お守り」のようなものということになりますね。これって宗教ですよね。
 私の理解では宏正会の教えは実践して初めて仕合わせになれるというものですから 多分 「陰倍加をする人」についての実践ということになると思います。
 「いや夫」さんの奥さんは ご近所のボス的なおばさんに うまくお付き合いできますようにと陰倍加をして つきあいは良好みたいですね。
「いや夫」さんは「倍加するという行為自体が相手を許し肯定することになるので慈悲の心が高まる」と説明していますけど、大変いい所に目を付けられているのではないでしょうか。
 この様なことを心理学的に説明したものが「認知的不協和理論」です。
苦手な嫌いなおばさんとは あまり関わりたくないですよね。ですからその人のために大切なお金を使うということは 「どうして私は嫌いなおばさんにお金を使ったのでしょう」と心に不協和が起きてしまいますね。
でも敢えてその人の仕合わせを願って3000円というお金を会に払うという不協和を作り出してしまうと その不協和を解消するために心の中ではそのおばさんは私にとって大切な人なんだ だから私は大切なお金を使ったんだというように不協和を解消させるために心を変容させて行きます。
このように自分の心が変容した態度で苦手な嫌いだったおばさんと接するとおばさんの方でも心が柔らいで良好な人間関係が築けるということになるのでしょう。
 
 親や兄弟 恋人といった自分にとって大切な人に陰倍加をするのは「自己知覚理論」によって説明できます。「私はこの人に大切なお金を使っている。この様な行為をしている自分を自分で知覚して改めてこの人は私にとって大切な人なのだと自覚する。」というように説明するのだと思います。
 
ですから 「陰倍加」という実践も「陰倍加をする人」にとっては一定の効果はあると思います。
決して「陰倍加される人」ではありません。 

「自分が変われば相手が変わる」という教えが宏正会にもあるように 自分が「陰倍加」によって変わって相手との関係が良好なものとなるとしたら その相手も仕合わせになるとは言えそうですね。

「会に入会する事で会とご縁ができ それで仕合わせになる」とか 「お徳に守られる」といった説明は宗教じゃないと説明できないものですね。
宏正会では 「ひとのみち教団」から受け継いだものが数多くありますから 一つひとつ検討してみる必要があるのではないでしょうか。

投稿 匿名 | 2010.03.02 04:26 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その五)

宏正会はあくまで宗教団体ではないとし 会長は「実践によって人格が向上しその結果仕合わせになる」としていますね。
そうでないと修養団体ではなくなってしまいます。
でも私は「ひとのみち教団」から受け継いだもの つまり宗教的なものが宏正会には数多く残っているのでは と思っています。
前回は「陰倍加」について述べましたが、「お守り」とかいった事柄を持ち込むと会の教えと矛盾するのではないでしょうか。
会長の著書では念仏を唱える他力本願の宗教を批判していますように あくまで自力で運命を切り開くというのが宏正会の教えのはずです。
ですから「陰倍加された人」は何も実践していませんので ただそれだけでは仕合わせにはならないはずです。
 でも会では「陰倍加された人」が「会とご縁をつなげることで仕合わせになる」とか 「お徳に守られる」といったことを会員に言っていますね。そのように言って会員に陰倍加をさせていますね。
これは会の教えと矛盾していませんか?
 何故この様な会の教えと矛盾するような事を言っているのかと言いますと それは多く批判されているような 会員数をごまかすためだとか 入会金を会の資金とするため ということになるのではないでしょうか。
この様に私は 矛盾しながらも宗教的なことを会は利用しているのでは と思っています。

(「いや夫」注:過去スレのコピペ合戦は省略します。)

 「クライアントがどうのさん」へ

 他の投稿でごまかそうとしてもダメですよ。
 さあ、出ておいで。ホレホレ。

投稿 いや夫 | 2010.07.19 09:17 午前

 なぜ否定派が過去スレ攻撃をするのか解説しよう。

 「いや夫」登場以来、真っ向から討論を挑んできたのは、たくさんいることになっているが、実際には、「武蔵」と「愚息」だけなのです。戦っている本人が一番わかります。

「武蔵」=「長文さん」「鉄舟くん」「賢いくないさんん」「クライアントがどうのくん」などなど。

「愚息」=「ボケ老人」「至誠団」「鉄槌」「金槌」ダイヤモンド槌」他数えきれず。

 そして、「いや夫」にことごとく敗れ去り、今はみ~んな「匿名」と名乗らざるを得なくなっています。

 固定ハンドルが継続できない時点で、何と言おうと彼女と彼は負けているのです。

 「いや夫」登場以前は、この二人による連携プレーで、肯定派を抹殺することも可能でしたが、成りすましを見破られた今となっては、そんな手は通用しません。
 
 それでも、「武蔵(否会友)」は2ちゃんねるで10年間も否定派の中心人物として活躍してきた自負があるので、何度も「いや夫」に挑んできます。

 君との討論は、頭を使うのでおもしろいよ。「愚息」の一万倍、その力を認めているので、リアルタイムで討論しようよ。

 しかし、「武蔵」も「愚息」もリアルタイムの討論ででは、「いや夫」にかないそうにないことを悟ったようです。

 では、どうすればいいか。
リアルタイムの討論に持ち込まなければいい=過去スレ攻撃だ!

 というわけです。

 予想以上に、層が薄いのう~。

投稿 いや夫 | 2010.07.19 10:04 午前

>理論で「いや夫」に渡り合える奴は、一人もいないことの証明ですなあ~。

笑ちゃうじゃありませんか。
このコピペで反論になってるの?
自分の空想の世界を得意そうにしゃべっているだけじゃないの。
「いや夫」ちゃんはやっぱり幼稚でおバカなお子様。
「いや夫」ちゃん論理の世界よりも空想の世界にいるんだね。
だから 「晒し首」になちゃうんだよ。

「いや夫」ちゃんはもう過去の人。
同じオツムからは同じ言葉しか出て来ないの。
「いや夫」ちゃんのたわいのない繰り返しには もう飽き飽きしているの。
「いや夫」ちゃん もう帰って来なくてもいいよ。
お疲れ様でした。

投稿 匿名 | 2010.07.19 10:15 午前 (「いや夫」注:クラくんの投稿その六)

>「いや夫」にことごとく敗れ去り、今はみ~んな「匿名」と名乗らざるを得なくなっています。

ここは宏正会について意見を述べる場であって ゲームをやっているんじゃないのだから「匿名」でいいんじゃないの。
「いや夫」は完全にゲーム感覚でやっているので「同一人探し」などのゲームのテクニックが使えないので そのグチを言っているということ。

>リアルタイムの討論ででは、「いや夫」にかないそうにないことを悟ったようです。

何を言ってるの?
リアルタイムの討論をやった後で 「いや夫」がコピペを貼ったり 同じ事を言っているので その時のコピペを貼っているだけじゃないの。 

「いや夫」の言い訳にはいつも脱帽するねー。
自分の負けや都合の悪い事は 巧みに違う論点にすりかえてゴマカスやり方は「いや夫」の専売特許。

良い子は「いや夫」のような真似をしてはいけませんよ。
「いや夫」のような 世間に背を向け陰湿で根性の曲がった大人になっちゃいますよ。

「いや夫」は会社の苦情処理係にでもなれば出世するんじゃないの。 

投稿 匿名 | 2010.07.19 12:04 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その七)

「武蔵太陽神」とおぼしき、このところの長文否定派随一の論客と「いや夫」さんとは、IQが同レベルでありましょう。このスレ自体の効用は、論客氏が言うほどのものではありませんが、すこし論点をずらせた、「水かけ永久運動」はこんごも止むことなく続いていくことでしょう。
ご両人は、こんなスレには珍しい、論文執筆能力の備わったお方で、面白い見ものをいつもありがとうございます。

投稿 匿名 | 2010.07.19 01:11 午後
(「いや夫」注:さすが長老様。相手が誰か見抜いておられます。)

私から見れば 「いや夫」は論述内容はもちろんだけど 色々なネット上のテクニックを用いてガムシャラに立ち向っているけど いつも跳ね返されているやんちゃな子供という印象だけど。

「いや夫」の言っていることで まともなもの あるの?
ただただ 批判派の言っていることに いちゃもん付けているだけじゃないの。

投稿 匿名 | 2010.07.19 01:42 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その七)

「武蔵くん」は経歴詐称で消えました。
「長文さん」も同じように、バランス理論でごまかしをして苦戦したり、宗教論で「変節」を繰り返し墓穴を掘りました。
「賢くないさん」も、やはりごまかしと変節を指摘され、消えました。
「クライアントがどうのこうのさん」は、嘘がばればれでもう現れないでしょう。

 これで、否定派曰く、自分たちが勝っているつもりなのだからあきれてしまいます。ゲーム以前の次元ですなあ。

 相手のカードが見えるポーカーみたいなものです。つまらん奴らじゃのう~。

投稿 いや夫 | 2010.07.19 01:50 午後

人様を嘘つき呼ばわりするからには、証拠をみせろ。いつも人に証拠を要求するなら、自分もそうしろ。 中身で反論できないからって、見苦しいねぇ〜。もうおわってるいや夫。

投稿 匿名 | 2010.07.19 02:21 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その八)

 証拠は「クライアントどうこうくん」自身が、自分は嘘などついていませんという説明をすればすむことなのだよ。真実ならば、実に簡単なことじゃ。

投稿 いや夫 | 2010.07.19 02:41 午後

自分の居住地域やなんかを明らかにしろってせまってるのと同じことじゃん。そんなこと、するわけないだろ。バカじゃないの?なんか、投稿を勝手にゲームにしてるようだけど、 ゲームたのしみたかったらまずルールを覚えろよ!さ、嘘だという証拠をだしてみ。ほれ、ほれ。

投稿 匿名 | 2010.07.19 03:56 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その九)

かなわないと見るや、議論を放棄して、「そんなの嘘だ!証拠を見せろ」って喚いて見ないふりをする。ぜ〜んぶ目をつむって、耳をふさいで、相手が呆れて相手にしなくなったところで、勝手に無理矢理自分が勝ったことにする。いや夫の最近見つけたお決まりのやりかた。もう、ばれてる。自分でもむなしく、哀しいだろうに。可哀そう。

投稿 匿名 | 2010.07.19 04:54 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十)

「いや夫」ちゃんの言っていることは 誰も信用していないから もう放っといたら。
「いや夫」ちゃんは幼児性が抜けていないようだから 自分が負けるということを受け入れることが出来ないんじゃないの。
要するに 駄々をこねている子供と同じ。

良い子は 絶対に「いや夫」ちゃんの真似をしてはダメだよ。
大人になっても「いや夫」ちゃんのようだったら 皆にバカにされちゃうよ。 

投稿 匿名 | 2010.07.19 06:09 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十一)

両陣営、「水掛不動永久運動論」で、続いておられるようだが、論述が長すぎて論点がぼやけます。
例えば、いうところの「陰倍加」については、「いや夫」さんとわたしが、素直にその心を汲んで、よしとしています。
ご両所に、このことだけを、現実に即してmax800字(30行)ぐらいで議論していただければ、ギャラリーそれぞれが、200字(10行)以内の短評ができると思います。

投稿 匿名 | 2010.07.19 07:44 午後

 別に住所を教える必要はない。個人情報を明かせなど言っていない。宏正会関係者からすると、「クライアントがどうのくん」のプロフィールは0点ですよ、もう少しましな嘘をついてみてね、採点するからというだけである。

 一向に再登場しないのが、真実を物語っている。
(今回は10行で十分。雑魚は字数の都合上無視ね。そういえば、最初から無視するって宣言してたし・・・。安心して悪口が書けるね。と泳がせるのも手。)

投稿 いや夫 | 2010.07.19 08:02 午後

 早く出ておいで「クライアントがどうのくん」(笑)

 みんな短評で、完全にクソスレの2ちゃんねるそっくりだぞ。君の慣れ親しんだ舞台に近づいてうれしかろう。仲間のショッカーも待っているぞ。

カモン!カモン!

投稿 いや夫 | 2010.07.19 08:21 午後

投稿 匿名 | 2010.07.19 08:43 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十二)
 「武蔵」の過去スレで攻撃。

 コピペのごまかしなんか無視ね。

 武士道に反する行いは、見苦しいの~~~。

 出ておいで。「クライアントがどうのくん=武蔵」くん。ホレホレ。こっちの水はあ~まいぞ!

投稿 いや夫 | 2010.07.19 08:53 午後

 否定派の卑怯な過去スレ攻撃に、過去スレ返しをするのは第三者に迷惑ですので、しばし、過去スレ返しを控えます。

 リアルタイムの討論で、否定派の層の薄さをご覧にいれましょう。

投稿 いや夫 | 2010.07.19 09:09 午後


「影倍加」
上の長文氏の論点は、「会からの指示で毎月毎月一定数の会員が増え、3000円×目標人数の金が確実に入ってっくる・・」けれども、「会からの指示」の証明が出来ないので、こうして述べることを、信じる人は信じてくれるだけでいいのだ。お互いに注意しあって、泥棒に入られないようになればいいといわれる。
われわれの反論はいつも、「会からそんな指示はしていない」と言い、水掛不動尊論になっている。
傍証としていうならば、一昨年度の会公表会員数は、
3,441,624人で、昨年度は、3,384,727人、実に5万7千人も減少しており、今年度は約10万人減ると思われる。
再度申し上げるが、会のほうから、「影倍加」なんて絶対に指示していないので、長文氏に習って、「信じようが信じまいが」、いつの世でも、Believe it or not.であります。

投稿 匿名 | 2010.07.19 10:00 午後

 上記の方のいう通り。否定派は嘘ばっかりつくのです。「いや夫」がいつも勝つのは、嘘をつかないから。否定派は、いつになったら、嘘は損だと気づくのでしょう。ちゃねら~だから、死ぬまで気づかないのでしょうね。

 なお、一見さんの中には、「上の長文氏」が過去スレのコピペだということを知らない人がいるかもしれないので、念のため教えておきましょう。

 「いや夫」にリアルタイムで何度も討論を挑んでは、切り捨てられている「武蔵」くんのものです。
(1 武蔵 2 長文さん 3 賢くないさん 4 クライアントがどうのくん)

投稿 武蔵 | 2009.10.17 05:22 午後

投稿 いや夫 | 2010.07.19 10:32 午後

私の会員手帳は存在します。しかし、会に入った記憶はありません。
会が指導していないと言い切るなら、指導者が悪いとなる。いづれにせよ更正を望む。

投稿 匿名 | 2010.07.19 10:32 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十三。何なんだ、この回答は?こんなのでごまかせると思っているのか、このバカは?アホすぎて唖然!)

 え~!それが「クライアントがどうの」くんの回答なの???

 全然疑問に答えてないじゃん。なぜ、具体的に説明しないの?余計に疑われてしまうよ。君は、まがりなりにも、否定派随一の論客なんだよ。今回のことは、君にとって実に有利な話のはずだ!会の問題点をただす意味でも、しっかり訴えよう。怖いものなんて何もない。「いや夫」も応援するぞ。

 さあ、「クライアントがどうの」くん。事の次第を説明してご覧。ホレホレ。

投稿 いや夫 | 2010.07.19 10:39 午後

あれ、いや夫くん、人違いはやめて、証拠、証拠早、く早く。おばかさん。

投稿 匿名 | 2010.07.20 04:04 午前 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十四)

嘘だという証拠は?やっぱり出せないのね。おバカちゃん。もうあんたの負けはわかっちゃってるよ。中身でやってね。バカには無理だろうけど。

投稿 匿名 | 2010.07.20 04:33 午前 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十五)

あれ?論理派の方にいや夫さんはどうしてきちんとその内容で答えないの?正当な理論には得意のコピペが通用しないからかな。いや夫ちゃん、もうとっくに死んでるよ。

投稿 匿名 | 2010.07.20 05:02 午前 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十六。こ奴は忍耐力がないので、同一人物だとばれないように感覚を空けるとしても、30分が限界らしい。それほどあせっているのが手に取るようにわかる。「バカ」ほど行動が予想しやすいのじゃ。)

いや夫、やっぱり負け犬。ちゃんと理論でどうぞ。先頃の方に何も答えられていませんね。得意の理論とやらはどうしたの?

投稿 匿名 | 2010.07.20 05:58 午前 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十七。今回は我慢して一時間空けることができた。よくがんばったね。偉いよ。でも誰も別人だなんて思っていないから、無駄な努力だけどね。)

 否定派の妄言を切り捨てるシリーズ その八(ちゃねら~の継続希望に応えて)後編

  連続投稿は、同一人物だとすぐわかるから、ちゃんと間隔を開けなさいという「いや夫」のアドバイスを忠実に守り、30分づつ開けての連続投稿ご苦労さん。

 必死だなあ~(笑)

 ショッカー(=愚息)も、今回の「クライアントがどうのくん」の失態が、否定派にとってかなり致命的だということがわかっているらしい。

 第三者に説明しよう。

 「クライアントがどうの」くんが、「愚息」ならば、何のこともない、いつもの否定派のお馬鹿さん攻撃である。

 ところが、これが実は理論派であるはずの、「武蔵」くんによるもの。

投稿 匿名 | 2010.07.18 10:32 午前
投稿 匿名 | 2010.07.19 02:18 午前

を読めば、それは明白である。

 これまで、なるべく自分が「武蔵」であることを悟られないために、「長文さん」や「賢くないさん」で、性別を変えて(こちらが実際の性)投稿してきたが、ことごとく「いや夫」に破れてきた。

 もう「いや夫」には成りすましはバレバレなので、開き直って、偉そうで上から目線の以前使っていた「武蔵」の文面で投稿を始めてしまったのである。

 そういえば、「武蔵」くんは、成りすましはそんなに簡単に見破れるものではない、中身で判断すればいいというようなことを書いていたけど、今回もそんな風にごまかして「なかったこと」にするつもりなのでしょうか?そんなことはさせません。否定派が嘘ばっかりついていて、否定派随一の理論派が、やっぱり、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元」ババアだということを証明する絶好のチャンスなのです。

 むか~し、むかし、「いや夫」が登場する以前の「武蔵」は、否定派の論客として大活躍をしていました。しかし、過去の栄光を取り戻したくて、つい昔の文面を真似してしまったのでしょう。一人で、いろいろ演じるから、そんな墓穴を掘るのです。いいかげん成長しなさい。といっても、自分が一番のアラフォー女に成長しろと言っても無理か?(女性は年齢をごまかすから、本当はアラフィーかもしれんな。)

 さあ、自分は「武蔵」ではないというのなら、「クライアントどの」、出ておいで。

投稿 いや夫 | 2010.07.20 06:00 午前

「クライアントに」 さんにやり込められて(何もいえなくて)打つ手がないいや夫さん。中身はないのに、どうするんだろう。

投稿 匿名 | 2010.07.20 06:24 午前 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十八)

 いつ「いや夫」が「クライアントがどうのさん」に「やりこめられた」のかな?

 「クライアントがどうのさん」は、逃げまくっていて、出てこないのだが???

 こうやって、愚息などにいちいち構ってしまうほど、「いや夫」は暇をもてあましているぞ。
 仮想現実の世界にひたっていると、幻想が見えるようになるのかね?

投稿 いや夫 | 2010.07.20 07:07 午前

「クライアントに」 さんに「いや夫」がいつもの言い掛かりをつけているようだが こんな言い掛かりなんか放っておけばいい。
事実を述べた投稿には 必ず「いや夫」は「嘘でしょう」「証拠は?」と言って来る。
こんなのに怖気づいていたら ますます「いや夫」は付け上がって来る。
こんな時は「信じないのならそれで結構。」とでも言って突き放しておきなさい。
それを信じるか信じないかはこのブログを読んだ人が決める事だから それで十分。
それ以上「いや夫」を相手にする必要はない。

それから 投稿した人を「いや夫」は色々な人と結び付けてくるが これも「いや夫」の常套句。
こんなのも放っておけばいい。
「いや夫」は否定派を少数とすれば自分にとって都合がいいので 必ず誰かと結びつけてくる。
こんなものは あくまでも「いや夫」の想像の世界のだから 勝手に想像させておけばいいこと。
「いや夫」以外全部「匿名」なのだから このブログを読んだ人は書いている内容を見ているのであって 誰が書いているかをいちいち気にしている人はいない。

「いや夫」は常にこのブログの読者を意識していて 都合のいいように自分を飾っている。
しかし このブログを見ている人は 2chと違ってレベルの高い人。
「いや夫」は自分では頭がいいと思っていて 他の投稿者やこのブログを見ている人をバカにしているようだが大間違い。
「いや夫」の子供だましのようなゴマカシはすべてお見通し。
自分では騙せていると思っている「いや夫」は道化師。まったくのお笑い者。
どうぞ「いや夫」を笑ってやって下さい。

もしこのブログを見ている人で「いや夫」のゴマカシを見破れない人は 自分のIQが低いと思って下さい。

投稿 匿名 | 2010.07.20 10:46 午前 (「いや夫」注:クラくんの投稿その十九)

相手の話の内容に反論できないで、バカなことを言ってる状態でしょ。そういうのを「やりこめられた」って言うんだよ。常識の無いいや夫くんは知らなかったのかな?

投稿 匿名 | 2010.07.20 12:42 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その二十)

もうこのブログは終わったようですなー。
原因は「いや夫」にあるのは明白でしょう。
「いや夫」は同じ事ばかり言っているので コピペを貼られてそれで済まされてしまっている。
これでは永遠に こんなことが続いて行くことになる。

今の「いや夫」は 討論では負け続けとうとう晒し首になった屈辱を クダラナイ言い掛かりを付けて必死に誤魔化している 哀れな奴だ。
「いや夫」は長い間このブログに居座っているけど 「いや夫」の言っている事でまともなものがあるのか。
何か残っているものがあるのか。
ただ否定派にイチャモンを付けているだけで 結局「いや夫」の言っている事で記憶に残るものは何もない。

そもそも 「いや夫」はゲームならのゲームのルールというものがあるはずなのにそれを無視している。
自分の負けを後から屁理屈を付けて自分が勝ったことにするのは もうゲームではない。
晒し首にされて誰もが納得する結末で負けても それすらも自分が勝ったとするのはもう普通の人間ではない。
精神異常者として「いや夫」を見るしかない。
「いや夫」を普通の人間として見ては 皆 頭がおかしくなって来る。
老人に「まだらボケ」というのがある。
一見 話を聞いているとまともなようだけど しばらく話をしていると所々おかしな所が見えて来る。
まさしく「いや夫」はこの「まだらボケ」。
ウサギの糞のような切れ切れの文章しか書けない幼稚な「いや夫」の書いたものを見るという殊勝な人がいたら この事をあらかじめ頭に入れておかないと 話が通じなくなってしまう。

もっとも「いや夫」は意図的にこのような「まだらボケ」のような状況を作っているのだろうが「いや夫」には小さな子供がいるんだろう。
例えゲームと割り切っているにしろ オヤジがこんな嘘・ゴマカシをしていると 今のその心・精神というものは必ず子供に通じて行くことになる。
「いや夫」も自分の子供には 自分の状況を誤魔化し自分を繕う大人に成長してほしくはないのではないのかな。


このブログで所々に顔を出しているご老人。
「いや夫」に好意的なことを言っているようだけど かなり脳軟化症が進んでいるようですなー。
しっかりと書かれたものを読んでないと 「いや夫」特有のゴマカシに騙されてしまいますよ。
あなたも 「いや夫」といっしょに 皆に笑われてしまいますよ。

投稿 匿名 | 2010.07.20 01:56 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿その二十一。「武蔵」の口調と「賢くないさん」の口調がまざった変な文章。いかに動揺しているかがよくわかる。女は案外単純だなあ~。)

倫風8月号「倫風宏話」で 会長は『今日一日を「好日」に』という一文を載せている。

「日日是好日」という禅語を宏正会流に解釈したもののようである。
言っていることは 真にもっともな事で誰も異をはさむ者はいないであろう。

しかしだが 宏正会はいつの間に「禅宗もどき」になったのか。
宏正会の教えは「ひとのみち教団」や「倫理研究所」の丸山敏雄の教えのパクリだと云われ続けているので 禅宗の方に方向転換をしたのか。
春の大会では臨濟録から「随処作主 立処皆真」を引用している。
聞く所では これまでにも「十牛図」「一期一会」「隻手の声」などの禅語が引用されたようである。
禅語というものはたくさんあるから これからもネタには事欠かないはずだ。

宏正会の初代会長は戦前の「ひとのみち教団」の教師をしていたことはもう周知の事実。
「ひとのみち教団」は徳光教の流れを汲むものであるが 「ひとのみち教団」の教祖 御木徳一は徳光教の教祖 金田徳光に師事する前は黄檗宗(禅宗の一派)から得度し愛媛県松山の安楽寺の住職をしていた。
また徳一の長男で「ひとのみち教団」の二代目教祖であり戦後PL教団を創った御木徳近は 小学校を卒業後 黄檗宗の大本山 万福寺の沙弥黌に入って修行をしている。
「ひとのみち教団」では初代 二代目共に教祖が禅宗の修行をしており その教えには禅語を用いていたことが十分に考えられる。
ということは 宏正会が禅語を使って教えを説くということは すでに「ひとのみち教団」からされていたことであり 宏正会もそれを受け継いだものということができる。
結局 宏正会は「ひとのみち教団」の再現と云ってよいのであるまいか。 

禅宗についてよく知らないが 禅宗では座禅とか禅問答などで修行を重ねて「無」の境地に至ることが「悟る」ということらしい。
宏正会は いかにも大阪を発祥とし現世利益を求める徳光教の流れを汲むものであるから 宏正会の教えも現世利益的な教えを引き継いでいる。
宏正会は「実践倫理」宏正会と名前を付けているように 「倫理」を標榜しているからには人との関わりを説かなければならない。
そのためには「我も人ものため」という言葉ははずせないということなのであろう。
また「実践」と云う語を付けているので 会長としては会員を実践に駆り立てる教えでなくてはならない。

これからも 会長は禅語を引用して 「我も人ものため」という言葉を付け会員を実践に向けて解釈するという 宏正会流解釈は続いて行くのではあるまいか

投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿そのニ十二。『倫風宏話』へのいちゃもんなら、「いや夫」も相手をするだろうという精一杯の投稿。「いや夫」の注意を「クライアントがどうの」より引き離したくて仕方がないのである。)

 さあ、「クライアントがどうのくん」
早く出ておいで。

 君のお仲間(実は君自身だけど)がいっぱいだから心強いぞ。

 「いや夫」なんかにおじけづいていないで、とっとと出てきなさい。

 「クライアントがどうのくん」以外の投稿は無視して、読んでもいません。

 早く出てきて欲しいなあ・・・。ホレホレ。

投稿 いや夫 | 2010.07.20 07:28 午後

投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後
は、どうみても「武蔵」くん。

 ひきょうだねえ~~。

 いくらでも相手してやるは。待っていろ。

 その前に、「クライアントはどうのこうの」のキャラの落とし前をつけろ。それが先だ。すっとぼけるのもいいかげんにしろ。

 さあ、「クライアントがどうの」くん(キャラ)。早く出ておいで。そうでないと、否定派は嘘ばっかりじゃん、と見下されてしまうぞ。自分の発言には責任を持ちなさい。今は君がこのブログの主人公だ。主人公抜きで話をすすめるわけにはいかんのだよ。待たせるのはいいかげんにしておくれ。

 ホレホレ。書け!書け!

投稿 いや夫 | 2010.07.20 07:43 午後

ブログ開設者のご婦人は何故登場しない。これだけ掻き回されて。
家庭円満なら、ここにはこないだろうし、宏正会に入会もしなければ、肯定もしないだろう。
朝の誓いの実践を家庭内で実践していれば、何も問題は起こらない。それが、会員拡大、金の集金の為の合言葉に変身したがかめに問題が噴出し続けている。

投稿 匿名 | 2010.07.20 07:47 午後 (「いや夫」注:クラくんの投稿そのニ十三。逃げ場がなくなって、ブログ主に八つ当たりしている。どこまでもわかままなばばあだ。)


(次の投稿が、なぜ「否定派の妄言を切り捨てるシリーズを始めたのかの理由です。「いや夫」は猛烈に怒っています。怒り狂っています。「武蔵」「賢くないさん」「クライアントがどうの」そしてその本体「否会友」を決して許しません。今までの「いや夫」はミニラ程度で相手をしてきましたが、これからはゴジラ並にがんばるつもりです。)


 愚息がショッカーをやっている分には、低レベルな奴だから仕方がないと見逃すが、今回は武蔵がショッカーを始めたので許せん。

 投稿 匿名 | 2010.07.20 10:46 午前
 投稿 匿名 | 2010.07.20 01:56 午後
 投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後

 は、どうやら「武蔵」らしい。自分でタネをまいた「クライアントがどうの」で、「いや夫」にさんざん挑発されて、どうしようもなくなって自分で自分の弁護を始めるという開き直りを見せている。

 「いや夫」にことごとく破れているくせに、自分が勝っていると虚言を吐いているのが憐れである。

 弱い者いじめは嫌いだが、あまりに開き直るのでもう許せん。

 否定派がどれほど「いや夫」に破れてきたか、ちゃんと説明してあげよう。

 いかなる中傷も、過去スレのコピペも無視する。お前達の言っていることが、いかに妄想がすべてかき立ててやろう。

 ちなみに、「クライアントがどうの」くんが現れたら、作戦は即刻変更して、彼女とのリアルタイムの討論に移る。その方が第三者も楽しかろう。

 否定派がいじめられているのも見ても、実践者は何もうれしいとは思わないだろう。君らとは違うのだ。

 なお、このブログでは、「いや夫」がまるでいじめっ子みたいだが、それは勘違いである。

 宏正会の実践者は、2ちゃんねるでことごとくいじめられてきたのである、。このブログでも、「まるまるまあるさん」「ぴろりさん」「高貴高齢者さん」など、人格的にすぐれた方々が、罵詈雑言を浴びせられて投稿できなくなったのだ。

 「いや夫」がいる限り、そのようないじめは絶対に許さない。いじめっ子をいじめるのは、それほど悪いことだとは思わない。「いや夫」はその程度の徳なのだ。だから、実践者と違って、よってたかって否定派が攻撃しようとびくともしないのだ。

投稿 いや夫 | 2010.07.20 09:07 午後

投稿 匿名 | 2010.07.21 05:37 午後
 「日々是好日」の「倫風宏正」について、倫研の「万人幸福の栞」を使って攻撃。明らかに「長文さん」「賢くないさん」の文章。ともかく話題を変えようと必死。


投稿 匿名 | 2010.07.21 05:37 午後 へ

 お前が「クライアントがどうの」くんだと言うことなどお見通しだ!

 話題を変えようと必死だなあ。ごまかしてないで、続けろよ。別に、義母が悪口を言ったことをネタにしてもいいぞ。2ちゃんねるではあんなに饒舌だったのに、なぜ、このブログではひと言も触れないんだ。自分がおかしいことに気づいたのか?
だったら、宏正会を攻撃すること自体がおかしいだろ?いいかげんにしろ。

 ほれ、「クライアントがどうの」くん、続きを書け!
ホレ!ホレ!

投稿 いや夫 | 2010.07.21 10:03 午後


投稿 匿名 | 2010.07.24 03:29 午後
 「いや夫 の落書きの中に隠れていた投稿を見つけたよ。」と自分が書いた(徒)労作
 
 投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後 (「武蔵」風:笑)
 投稿 匿名 | 2010.07.21 05:37 午後 (「長文さん」風&「賢くないさん」風:爆笑)

 をコピペ。どうやら中身はある投稿のようだが、「クライアントがどうの」を追求することしか考えていない「いや夫」は実は読んでいない。この話題から「いや夫」を引き離そうと寝ずに考えた投稿なのだろうが、知ったことではない。ご苦労さんなお馬鹿さんである。

 また、ごまかそうとしているな。
あいかわらず姑息だな。

 明らかに「武蔵」「長文さん」「賢くないさん」が書いたもの。いずれ相手をしてあげるが、

 まず「クライアントがどうの」のけじめをつけてからだ。

 ホレ!書け!

投稿 いや夫 | 2010.07.24 06:18 午後

これも「嘘」

 「クライアントがどうの」の作り話はありえないのだよ。誰が陰倍加されているなど、他の会友が知るわけがない。ましてや一般人が知っているはずがない。「いや夫」にこれだけ挑発されても、論文記述能力が「武蔵」「長文さん」「賢くないさん」レベルである人物が、ばっくれて消えてしまったのがその証明だ。

 「クライアントがどうの」よ、お前が出てこないと、今「いや夫」に質問した否定派が恥を書くぞ。何だ、やっぱり否定派って嘘ばっかりなんだと思われてしまうぞ。(そんなことは第三者は百も承知だ!)

投稿 いや夫 | 2010.07.25 11:16 午後

(以下、冒頭に紹介したやりとり
投稿 匿名 | 2010.07.26 12:53 午前  へと続く。)

 (以上、引用終了)

<「いや夫」注>

 せっかくの(おそらく睡眠時間を削って考えた)投稿を生かす方法を教えてあげよう。

 今から「いや夫」が書いてみせてあげるレベルの反省文を書いて謝りなさい。「いや夫」は寛大だから、嘘を認めさえすれば、それ以上は追求せん。その方がかえって楽だぞ。人生が劇的に好転するのはまちがいない。お前は義母と和解しさえすれば幸せになれるのだ。そこがお前の最大の過ちなのだ。反対派といえども、宏正会について研究したのだから、良い部分は生かせ。是々非々で討論しないから、「いや夫」に勝てないのだ。

 「(君子)過ちては則ち改めるに憚ること勿れ」じゃ。

(反省文の例)
 私は「賢くないさん」と「いや夫」さんに呼ばれているものですが、「いや夫」さんとの討論に破れた上に、さんざん「いや夫」さんにこけにされたものですから、成りすましによる攻撃を行いました。「いや夫」さんがご指摘の通り、「クライアントがどうの」は私の創作です。この創作が0点であることは、「いや夫」さんの投稿を読んで気づきました。これは致命的なミスを犯したと気づいたのですが、自信のサブキャラである「武蔵」による攻撃、「長文さん」による攻撃を行ってしまい、どんどん墓穴を掘ってしまいました。ことここに至り、これ以上ごまかすことは不可能と判断し、こうして真実を打ち明け、お詫びします。もちろん、私が「否会友」であることも認め、今までの投稿をすべて、馬鹿な過ちとして否定します。とは言っても、今まで2ちゃんねるやこのブログにて投稿した数千にも及ぶ否定記事を消し去ることはできません。宏正会や実践者の方々に多大な迷惑をかけた罪はつぐないようはありませんが、自己の愚かさを自覚し、まっとうな人間に生まれ変わりたいと思いますので、なにとぞお許しください。
 お詫びといっては何ですが、まず、2ちゃんねるへの投稿は今後一切行わないことをお誓いいたします。私にとっては、「いや夫」さんの競馬研究に匹敵する生き甲斐なのですが、二度と同じ過ちを繰り返さないように、これを断つ覚悟です。おばさんに二言はありません。
 次に、義母に事の次第を一切打ち明け、謝罪をします。およそ許される行為ではありませんが、このブログにおける討論を通じて、家庭愛和の大切さと、自らの行いの非道さに気づくことができました。ぜひ、義母との関係を修復することで、人生をやり直したいと思っております。
 「いや夫」さんにつきましては、討論しているときには、憎んでも憎みきれない極悪な奴と思っておりました。しかし、今ならわかります。私が戦っていた相手は、実は「いや夫」さんなのではなく、鏡に映った私自身だったのです。私の醜さを身を以て教えてくれた「いや夫」さんに、今は感謝の気持ちさえもてるようになりました。
 これまでさんざん迷惑をかけた自分が言うのもおかしいですが、宏正会の発展を陰ながら応援したいと思います。
 それでは、皆様、失礼します。ご迷惑をおかけしてすいませんでした。
(以上)

 さて、「否会友」殿、
 「クライアントがどうの」で挑んでくるか、反省文を書くか、どちらにする?
(どっちもしないことなど、百も承知だが・・・。)

 ここは2ちゃんねるではない。
それなのに、否定派で自らの討論の立場を明かしたのは「武蔵」と「愚息」だけ。
 2ちゃんねるを見ると(否定派を潰す研究のためね)、昔は嬉々として自信の宏正会との関わりと、討論の立場を明かしている者が多かった。(「否会友」や「元会友」のように。)その頃は、実践者との間で、切実な議論が交わされたようである。

 しかし、ちゃねら~が本性を現し、成りすましによる集中攻撃を始めてからは、2ちゃんねるはほぼ否定派一色になってしまった。

 このブログも、まったく同じ道を歩んだ。しかし、「いや夫」が登場してからはどうか?否定派が主導権を握ったことがあるのか?あるとしたら、「いや夫」が競馬研究を優先したときだけだ。

 「太陽神」が君臨したのは、
20090324~20090507 のわずか一ヶ月足らず
 「武蔵」の天下は、
20090602~20101026 の5ヶ月間(「いや夫」が倒しました。)
 「長文さん」は、
20100216~20100329 の一ヶ月ちょっと
 「賢くないさん」は、
20100705~20100713 の一週間ちょっと
 「クライアントがどうの」くんは、
20100718~20100719 のわずか一日!

 と劣勢なのは一目瞭然なのである。

 その影響もあって、2ちゃんねるでも、肯定派が大いに盛り返している。「いや夫」はまったく参加していなくてもである。まさか、2ちゃんねるで、肯定派がこれだけ健闘できるとは、思ってもいなかった。やはり、否定派は見かけだけで、層はかなり薄いようだ。

 
 え~~~!怪人がたった一日で消えちゃうの~~。「いや夫」よりも怪人のファンのお子ちゃまもたくさんいるというのに!
「クライアントがどうの」くんは、「武蔵」風の投稿も、「長文さん」風の投稿も、自由自在に記述できる論文力をもっているというのに???
 長老さんも、君の実力(と正体)を認めてくれているぞ。

 何を、そんなに恐れているのだ。
「長文さん」が5ヶ月もったのは、実は「いや夫」が三ヶ月競馬研究で休止しただけで、いつも討論に疲れ果てているとはいえ、そんなことでめげていてはだめだ。
 たしかに「いや夫」は勝ちゲームだから疲労はあまりない。それにくらべて君はいつも劣勢だから、何倍もしんどいだろう。でも、負けては休めるし、キャラの成りすましもし放題だし、その点ではおあいこだ。

 「クライアントがどうの」くんと「いや夫」とのバトルを、否定派のショッカー戦闘員は楽しみに待っているぞ。
 さあ、ショーの始まりだ~。
 お友達が待っているぞ。早く着ぐるみを着るんだ。

 では、よい子の皆さん!みんなで呼びかけよう!

「クライアントさ~~ん、出ておいで~~」

やっぱり、負けた相手が憎いのね、いや夫ちゃん。「これで勝ったと思うなよ〜」 ってことね。ショッカーとはよくご自分で名付けられました。それらしい言い訳だけで、何も言えないでいるものね。それより、〇〇と☆☆◎◎と??が同一だという証拠はどうしたの?「俺が思うから」じゃなくて、きちんとお願いね。自分で言い出したことなんだから、責任もってね。「キャラ」いや夫ちゃん。

「ここは2チャネルではない」? 「確かにそうだ、ならどうしてお前がいるんだ?バカ夫。」と言われてしまいます。これまで自己証明を他人に無理強いした結果、自身が応えられず、自滅して、自らが消えようとしている。いい面の皮 。 面白いから、今度は競馬の話を結果が出る「前」に連載してね。結果がわかってから下ららない言い訳しても仕方ないじゃん。後付け、屁理屈はもう飽きたよ。ま、誰かが見てくれるかもね。 奥さんもいるらしいから、苦労かけずにちゃんと生きようね。あ、これもネットのために作った「キャラ」ちゃんだっけ。反証を出せない以上そうみなします。自身が用いた手法なのでそのままお返ししますね。「そんなの無理だ!」とおっしゃるなら、数々の雑言をご撤回あそばせ。大人なら出来るけど、やっぱり無理ですね。いや夫ちゃんの保護のためにさっさと後見人を付けてしまいましょう。御親族のかた、手遅れにならないうちに、最寄りの家庭裁判所へどうぞ。因みに本人も申し立てが出来る場合がありますので、いや夫ちゃんが自分でいらしても結構です。奥さん(キャラ)に付き添ってもらってください。後はお医者さんに行ってくださいね、

 誰と誰が一緒だの分析は、いずれ
「成りすまし分析シリーズ」として、公表しよう。

 まだ、時間がかるので、とりあえず同一人物が好んで使う語句などを検索してみるのはおもしろいぞ。

 例えば、否定派がよく使う「人達」。
案外、このブログでも、出てくる回数は限られるのだが、なぜか否定派はこの言葉が大好きで、まず漢字表現をする。肯定派では、レイモンドさんが一度だけ使ったが、残りはすべて否定派だ。

 ブラウザの「編集」「検索」で「人達」を検索してみるとよい。

 そのほかの方法として、

日本語文章校正ツール
http://www.japaneseproofreader.com/

 などで、成りすましの疑いのある人間の投稿をすべて校正してみるのもおもしろい。一般的には誤った表現を好き好んで使っている場合があるからだ。

 なお、成りすましを見分けるには、文章表現に着目する方法と、内容で考える方法がある。

 全然分析はしていないのだが、否定派の論客と呼ばれる者たちと、次々と戦ってきて、違う相手とは感じないのはなぜだろうか?その理由を、他の人にもわかりやすいように、分析をする必要がありそうだ。

 これは、「いや夫」自身へのレポートとしよう。

 競馬の話をその前にしろには、従わん。
 「いや夫」は競馬予想家ではない。本職の予想家でも競馬新聞記者でもはずしまくるのが、競馬の世界なのだ。事前予想で的中できるほど甘くはないのだ。

 ブログの討論では、連戦連勝の「いや夫」だが、競馬の的中率は穴狙いなので10%そこそこだ。それでも、何とか回収率はプラスだ。正直に言うと、5月15日のビクトリアマイルで大もうけして以降(一日で+10万円)、ほとんど負け続けだ。よって、ここ数ヶ月の終始は残念ながらマイナスである。
 ごきぶり退治ほどには、競馬はうまくないので、事前公表は断る。ごきぶりの要望を何でも聞く義務はない。

 だいたい、「いや夫」が自身のことをこれだけ明かしているというのに、ごきぶり否定派は誰一人として、投稿理由や宏正会との関わりを明かさない。

 ごきぶりのかわりに明かしてやろう。

(ごきぶりの自己紹介)
 私どもごきぶりは、実は○○学会の宏正会攻撃部隊員です。バカな「愚息」が「カント攻撃」をしかけてしまい、勘の鋭い「いや夫」さんにヒントを与えてしまいました。

 ちなみにグーグルで「○○学会 カント」で検索をかけると約49000件ヒットします。

 他の宗教で検索しても、これほど多くはヒットしません。例えば今絶好調の真如苑では、1000件にも満たないのです。

 カント理論を取り入れた仏教という独自のスタイルは自慢なのです。ばれてしまっては仕方がないですね。 

 ともかく「いや夫」さんは、本当に勘がするどく、何とかつぶさねばと罵詈雑言をあびせているところです。

 我々○○学会員は、ネット上で布教を進めることで有名ですが、他の宗教への攻撃も手を抜きません。
 
 このブログには、「いや夫」さんという強敵がいますが、我々は決してあきらめませんし、どのような攻撃にもひるみません。
 日蓮様の御遺命である全世界広宣流布を実現するためには、どんな論敵も許すことはいたしません。覚悟をしてください。

やはり、ことごとく逃げたな。「自身を明かしてる」って、あなたの大好きな証拠とやらはどこ?いや夫は所詮この程度。受けた指摘(それも自分から言い出したこと)からは逃げまくって、言い訳と後付けばかりしている。競馬の勝率穴狙い、ブログの落書き当てずっぽ。困った時は他からコピペ。自分は何も考えませんね。だから上廣が好きなのか。でも残念ながら、あんな風にボロ儲けはできないよね。だからやっぱり穴狙いか。 なるほど。でも賭事一割、理屈零の勝率ではねぇ。もう止めたほうがいいよ。

「いや夫」様 ご苦労様です。

毎日毎日 こんなにいっぱい書くの大変でしょう。
否定派の一言に自分が否定されるのではないかと怯えて 何十倍 何百倍も書き捲くらなければ安心しないのでしょうね。

強迫観念に駆られ 怯えた毎日を過ごさなければならないには どうして?

教えて上げましょうか。

それは自分で自分を騙しているからですよ。
自分では論争に負けているという自覚があるくせに自分が勝ったことに誤魔化そうとしているからですよ。
人を騙すのも 自分を騙すのも大変ですね。
毎日毎日 一生懸命に言い訳を続けなければならないのですから。

いつまで続くのでしょうか。
このブログが存在している限り 永遠に続けなければならないのでしょうね。
だって 「いや夫」さんが消えたとたんに今まで書いて来た膨大な量の書き込みがすべて否定されてしまいますからね。
それと同時に「いや夫」さんへの軽蔑やバカにした言葉が書き続けられて 「いや夫」さんの人格そのものも否定されてしまうのは目に見えていますからね。

「いや夫」さん  どのようにするつもりですか?

「いや夫」さん  どのようにするつもりですか?

投稿 匿名 | 2010.07.27 03:09 午後

 どうもせん。ごきぶりはスルーね。

 理論で挑んでくるものは、本日もいませんでした。開店休業状態だ。

 ショッカー戦闘員相手なら、ごきぶりホイホイで十分だ。ゴジラが出動するまでもない。 

みんなで成りすましの投稿を見つけよう!

 「いや夫」も地道に探していくつもりですが、時間も労力も限られます。もし、時間のある人がいましたら、下記の方法で成りすましをみつけることができるかもしれませんので、見つけたらこのブログに報告してください。

 文体診断ロゴーン
http://logoon.org/

を使うと、いろいろ分析してくれるようです。「嵐」「さとえ」の同一人物の文章を比較してみても、似ている作家などは変わってしまいます。「文体の一致指数」の方で、有効な手がかりがみつかるのかもしれませんが、まだ、分析には着手していません。かなり手間はかかりそうですが、ぼちぼちやっていくつもりです。

 その他、有用なサイトや、分析方法などをご存知の方がおられましたら、情報をお寄せください。

 「いや夫」がなぜ、こんなに高飛車なのか説明しよう。(ちなみに、「ショッカー戦闘員」が高飛車なのは単なる勘違いであることは、すでに述べたので、そちらもご参照ください。)

 それは、相手がへぼすぎるからである。

 「いや夫」の初登場の投稿
投稿 いや夫 | 2009.10.09 06:58 午前
で事前に分析した通りの展開。

 二度目の投稿
投稿 いや夫 | 2009.10.09 07:15 午後
にて挑戦状をたたきつけた否定派随一の論客を打倒。そして、彼女のたびかさなる成りすましによる挑戦をすべて退け、今もこのブログの主導権を握っている。

 「いや夫」を中傷するごきぶりやハエはいるが、所詮ごきぶりやハエなので、その声はほとんど「いや夫」には届きません。投稿のネタとして使うこともあるし、スルーすればいいし、独白は苦手なので、うまく利用しています。

 これから先も、きっと同じでしょう。

 「いや夫」に討論を挑んでくるのは、なぜかいつもたった一人です。「いや夫」の脳はこの程度ですが、いつも勝てる相手ばかりです。まるで仮面ライダーみたいな展開ですなあ。
 「リング」に上がってくるのは、いつも同じ実力しかもたない別々の挑戦者なのか、それとも同じ人物が着ぐるみを着替えて挑んできているのか?
 後者だろうというのが、戦っている「いや夫」自身の感想です。

 なお、やけに高飛車なので、第三者の反感をかうであろうことは、十分にわかっています。それでも、「いや夫」の高飛車はかわらないでしょう。変わるとすれば、討論で破れたときです。それはいつなのでしょうねえ?「いや夫」もわかりません。
 「ショッカー戦闘員」をコケにしまくっていじめのようですが、それでいいのです。こんな奴らは、もっともっといじめてやらねばならない。

 「いや夫」はこのブログにて討論を挑むにあたって、このブログの過去スレと2ちゃんねるの過去スレを十分に読んでから参加しました。
 「否定派のごきぶりどもめ~、ぶっつぶしてやる」という気持ちが出発点です。誠実な実践者を卑怯な成りすまし攻撃で中傷してきた奴らの手口は、絶対に許しません。成りすましは明らかですが、それを科学的に証明するのは、なかなかに困難です。しかし、こいつらはアホですので、「嵐」「嵐」「さとえ」のような証拠はいくらでもあるのです。

 今回の「クライアントがどうの」はまさに、それに匹敵する失態なのです。徹底的に追求します。

 この静けさに感謝。

 否定派も、劣勢を自覚しとるようだ。

 「ショッカー戦闘員」=ごきぶりが消えれば、ごきぶりセンサー=「いや夫」が独白を続ける必要もなし。

 では、実験開始。
否定派が投稿するまで、「いや夫」は投稿を控えます。
 前回の記録は「1時間」。
 さて、今回はどれだけ我慢できるかなあ~(笑)。

 それでは、皆さん、しばし(or永遠)の別れ!

「いや夫」さんは文体診断なんかして成りすましを追及しているようですけど こんなことして何か意味があるの?
「成りすまし」があってもなくても そんなものどうでもいいのでは。
このブログ見ている人が知りたいのは宏正会についてなので 誰が書いているかどうかには別に関心がないと思いますよ。
「いや夫」さん一人ではしゃいでいるように見えますが。

否定派の人が出て来ないのは 「いや夫」さん相手にするのがバカらしくなったからからなのでは。
「いや夫」さんは否定派の人が出て来ないことをいいことに 好き勝手に書き捲くっていますが これは誰が見ても「荒らし」です。
「いや夫」さんは否定派の人が出てこないのでご自分のしていることに満足しているかも知れませんが これはどう見ても肯定派による荒らし行為ですから 「いや夫」さんそして宏正会が批判されるのは仕方がないことですよ。

そして このブログ見ている人は「いや夫」さんがどんなにいっぱい言い訳し誤魔化しても騙されるような人ではありません。
「いや夫」さんが書けば書くほど軽蔑していますから。
このことを どうぞ御承知置き下さい。
 

いや夫さんは、肯定派ではありません。これはご本人が認める事実です。
アンチ否定派、
否定派潰しゲームをしているだけで、
会を擁護・肯定している訳ではないです。確認の為。

ははは、いや夫さんですね。
荒らしはいけません。

いや夫はゲームをしてるだけ。そんなことはもうとっくにわかってる。ただ、大好きなゲームも成績が悪すぎるのが残念。ただただ、ひたすらそれだけ。

「否定派」のリクエストにより「いや夫」復活!

 馬鹿だねえ~否定派は。
「いや夫」の予想通りだ。競馬予想より百倍簡単だぞ。成長しなよ。
「いや夫」にそんなに投稿を続けて欲しいのかい?
仕方がないなあ、リクエストに応えて、復活します。
(今回は一日だけ我慢できましたね。)

 では、復活投稿第一弾
(ちなみに、復活する時用に事前に準備していたものです。)

「いや夫」の
投稿 いや夫 | 2010.07.28 05:56 午前
で、

(引用開始)
 では、実験開始。
否定派が投稿するまで、「いや夫」は投稿を控えます。
(引用終了)

 を打った理由について解説します。

 まず、前提として、
Q 否定派は批判記事を投稿するかどうか?
についてですが、
A 必ず投稿する
と読んでいます。

 否定派の仮説は、

 「いや夫」は討論に負けてばかりで、苦しい言い訳ばかりをしている

というものです。彼ら否定派が心の底からそう思っているのなら、

 「いや夫」が投稿を控えること=敗走

なのですから、あえて反論を投稿する必要はありません。
彼らの説に従うなら、「いや夫」の投稿など誰も信じていなくて、「腐臭を放っている」からです。
(ちなみに、この「腐臭を放っている」というのは、「いや夫」が敬愛する植草一秀氏がマスコミの情報工作を批判した表現です。否定派は何だかんだいいながら、「いや夫」の影響をかなり受けているようです。)

 しかし、彼ら否定派は、我慢ができずに反論を投稿しました。

 このまま「いや夫」が消えれば、「太陽神」以上にやっかいな存在になることを自覚しているのです。彼らは討論で「いや夫」に負けていることを自覚しているのです。

 よって、「いや夫」は負けているという仮説を、「否定派」自身が否定したことになります。
(彼らは常に自虐的です。「ちゃねら~」でありながら、「ちゃねら~」を馬鹿にする、精神が錯誤した連中なのです。)

 これは、麻雀に例えるなら、「いや夫」の「勝ち逃げ」なのです。さんざん否定派に勝っておいて、そのまま先に帰るのは卑怯だろうという否定派の思いなのです。せめて、最後の一回だけでも自分が上がって、「いや夫」に一矢を報いたいと思っているのです。自分たち否定派が負けていることを、十分に自覚しているということです。

 なお、「否会友」は「愚息(元鉄槌)」ほど単細胞ではありません。

 これは彼女の投稿でしょう。
(引用開始)
「いや夫」さんは文体診断なんかして成りすましを追及しているようですけど こんなことして何か意味があるの?
「成りすまし」があってもなくても そんなものどうでもいいのでは。
このブログ見ている人が知りたいのは宏正会についてなので 誰が書いているかどうかには別に関心がないと思いますよ。
「いや夫」さん一人ではしゃいでいるように見えますが。

否定派の人が出て来ないのは 「いや夫」さん相手にするのがバカらしくなったからからなのでは。
「いや夫」さんは否定派の人が出て来ないことをいいことに 好き勝手に書き捲くっていますが これは誰が見ても「荒らし」です。
「いや夫」さんは否定派の人が出てこないのでご自分のしていることに満足しているかも知れませんが これはどう見ても肯定派による荒らし行為ですから 「いや夫」さんそして宏正会が批判されるのは仕方がないことですよ。

そして このブログ見ている人は「いや夫」さんがどんなにいっぱい言い訳し誤魔化しても騙されるような人ではありません。
「いや夫」さんが書けば書くほど軽蔑していますから。
このことを どうぞ御承知置き下さい。

投稿 匿名 | 2010.07.28 02:08 午後

(引用終了)

 実に知的な回答です。120点です。 
さすがは怪人さんレベルです。
自らは「否定派ではない」という立場を設定し「いや夫」の反論を抑えた上で、

1 成りすましを暴くのは意味がない
2 「クライアントがどうの」は、「いや夫」さんが一人ではしゃいでいるだけ
3 否定派が反論を控えているのは、「いや夫」さんの相手をするのが馬鹿らしくなったから
4 「いや夫」のやっていることは「荒らし」に過ぎない
5 「いや夫」さんそして宏正会が批判されるのは仕方がないこと
6 このブログを見ている人は「いや夫」さんなんかには騙されない
7 「いや夫」なんて、軽蔑の対象だ

と言いたい放題を、この短い投稿の中に凝縮して表現しているのです。
さすがは、「いや夫」の討論相手であり、長老さんが褒める訳です。

 このまま、否定派が一切投稿しなければ、

 否定派は、「いや夫」の予想以上に賢い

ということになり、「いや夫」は反論できないまま、このブログを卒業することになります。さすがは、「否会友」です。
「クライアントがどうの」くんキャラが消えても不自然ではなくなりますね(笑)。


 しかし、現実にそうなるかと言えばならないでしょう。
「否定派」は、全員が「否会友」ほどずる賢いわけではないからです。
必ず「いや夫」をこけにする投稿が続くはずです。

 「いや夫」は「ショッカー戦闘員=ごきぶり」をさんざん馬鹿にしてきました。
 こ奴らが、「いや夫」への反論を投稿しないまま、「いや夫」を卒業させるはずはないのです。

 かならず、

「いや夫」が逃げた 

 などという下らない投稿をするはずです。(奴らの投稿はいつも下らないのです。)

 すべて「想定内」です。しょせん相手はちゃねら~(愚息レベル)ですから、「いや夫」には、相手の心など手に取るようにわかるのです。

追伸
 この投稿は事前にエディターに書いておいたものです。
否定派が投稿したら、すぐにコピペするつもりでした。
そして、使えたみたいです。

 「いや夫」(=討論の名人)を復活させてしまった君。
自らの愚かさを自覚しなさい。
これで、また「クライアントがどうの」への追求も再開です。
「否会友」に恨まれますよ。

 否定派の成りすましを暴けシリーズ その1

 内容で比べてみよう編

 今回は投稿内容の比較で否定派の成りすましの可能性について追求します。
残念ながら、「嵐」「嵐」「さとえ」のように、成りすましにまちがいないと断言できるレベルのものは、なかなかみつからないでしょう。(と、言いつつ、かなり有力な「尻尾」をつかんでいる「いや夫」です。次回をお楽しみに。)
 でも、こういう疑いがありますよと提言することは、「成りすまし」の下らない投稿に第三者がだまされないためにも、有効なことです。

 「成りすましを暴く意味などない」というのが否定派の意見ですが、「成りすまし愛好者」の妄言にだまされてはいけません。

 『嘘を嘘と見抜ける人でないと2chは難しい』 by西村ひろゆき氏

の箴言にあるように、「嘘」の情報をそのまま受けとってはいけないのです。そのまま受けとる人はどんどん馬鹿になっていくのです。
「成りすまし=嘘」なので、成りすましの投稿など、「馬鹿め」とスルーしなければならないのです。

 「いや夫」にはそれができます。「人類の月面着陸」でさえ信じないほど用心深いからです。

 一番強いのは「嘘」ではなく、「真実」であることも知っています。だから、成りすましの効用がどれほど大きいのかを知っていながら、このブログでは固定ハンドルである「いや夫」でしか発言していません。(否定派の成りすましを暴くネタとして「駐車場案内係」を演じたことはあります。しかし、それも作戦の一つに過ぎず、すぐに真実を明かしたので「成りすまし」ではありません。)

 よって、平気で「嘘」をつく「成りすまし人間」より、「嘘」をつかない「いや夫」の方が、より真実を語っていると判断すべきです。

 成りすましを平気でする「嘘つき」にだまされないでください。もっともっと賢く、用心深くなってください。

 では、否定派の正体を明かすべく、その「尻尾」の例を挙げていきましょう。


 まず、「武蔵」さんと「賢くないさん」の投稿について、「中身」が意外な部分で共通する例を示します。

(引用開始)
学会は 元は日蓮宗。日蓮宗は 歴史上幾度となく弾圧されたが、それを法難として耐えてきた。宗教というものは 「信じる」ことが不可欠なだけに それだけ強いものをもっている。
宏正会は 社会教育団体か宗教団体かはっきりしないが、そうであるからこそ 宏正会の会員は宗教団体の信者よりは信念は弱かろう。
会長がマスコミで非難などされたら 一気に瓦解する。それどころか 会長は会員に石を投げられる存在となろう。
宏正会は 歴史的な裏付けもなく 「会長への信頼」で会が成り立っているようなものであるから 元々その基盤は弱いものである。 

投稿 武蔵 | 2009.06.05 02:58 午後
(引用終了)

 ちなみに、「おなべ」の「武蔵」さんは、このときは宏正会は「宗教ではない」とおっしゃっていますね。


(引用開始)
宗教と言われているものは 一つの世界を作り上げてこの世の始まりからこの世の終わりまですべての事柄について語ってくれます。
でも この宗教の世界は人間世界の合理的なものから逸脱した世界ですから そこには「信じる」という要素が不可欠となります。
「信じる」のですから 人間界の合理的なものを持て来て批判しても意味がありません。
そしてその宗教の信者の集まりである一つの宗教団体の中ではこの神の意思を伝える神の代理人(神官)は信者に対して絶対的な地位を有することになります。
私は何らかの教えに宗教にとって不可欠な要素「信じる」ことが必要とされればその教えは宗教なのでは と思っています。

宏正会の会長は 大自然の摂理に基く倫理を説くとされていますから 人間でしたら到底語ることができない神の言葉を語ることになります。
ですから 宏正会は宗教団体であり会長は神の代理人(神官)としなければ説明がつきません。
(略)

投稿 匿名 | 2010.03.18 03:51 午後

(引用終了)

 「宏正会」は宗教であるかどうかについては、「武蔵」くんは「宗教ではない」、「長文さん」は「宗教である」という正反対の主張です。
しかし、よく読むと、両者の主張は、

 「信じる」ということが宗教の根本である

 というユニークな案で共通しています。 

 また、
(引用開始)


 「いや夫」は両名を同一人物だと思います。思わない人は、簡単にだまされる、おめでたい人だと思います。

 「宏正会」は宗教であるかどうかという点で、正反対の主張をしていますが、それは単なる「変節」です。

「太陽神」「武蔵」キャラの頃は、会長先生といっても、単なる研究者であり、弱い立場なのである、という説を攻撃材料としました。

しかし、宗教怪人「長文さん」は、それでは「いや夫」に勝てないので、会長先生は神の声の代理人であると「変節」したのです。
彼女にとって、目的は宏正会(=義母)への攻撃であって、真実を明らかにすることではないのでしょう。そんなんだから、何度挑戦しても「いや夫」に勝つことなどできないのです。

 「両名が同一人物だと見抜けないと、このブログを理解することは難しい」by「いや夫」
なのです。

 なお、「武蔵」くんの発言は、創価学会を擁護する発言です。言葉の節々に、「心の声」がにじみ出ているようです(笑)。

「リクエスト」? 「応えて」? まったく相変わらずどうかしている。惜しまれつつ退いて、熱い要望に応えて再登場....したつもりなのか??? 正しく妄想、自作自演。流石、これぞいや夫の本領発揮といったところだ。唖然とする他の者には委細構わず、勝手に復活宣言だって。しかも初めから用意しておいての計画と来ているからお笑い草だ。(何も自白しなくてもいいのに) だ〜れも期待してないし、注目もしていないのに、勝手に飛び出て大恥かいて、嗚呼、哀れ、惨めの晒し者。まだまだ続くか、このおバカ。 「そうか、そうか、やっぱりな。俺の話が聞きたいか。仕方ないから聞かせてやろう...」 周りは迷惑、早う気付け。 恥ずかしいからもうおやめ。哀れな迷子のいや夫ちゃん、早くお家の人に迎えに来てもらってね。保護者の言うことをよく聞いて、おとなしくしててね。いつものヒステリーは体の毒だから起こさないように。よい子でおねんねしてましょう。 とっくに息の根止まってるんだから。残念、残念。

結局 「成りすまし」と云うことは嘘なの?
そうかなー。
今では皆さん「匿名」なので 「成りすまし」にはならないし 嘘にはならないと思いますよ。
それに 宏正会について論じているのでしたら誰が書いているかなんて気にしません。
「成りすまし」を追及なんて ゲームをしている人の一つのテクニックに過ぎないんでしょう。
そんなものここで証明できるものではないし 放って置かれたらそれでお終いなのでは。
もっとも「いや夫」さんのように 言いがかりの手段として利用して コメント欄をそれで埋め尽くして「荒らし」の手段にはなるでしょうが。

それよりも「いや夫」さんの「成りすまし」の予測の方が余ほど嘘臭いですよ。
負けを負けと認めずに誤魔化して自分が勝ったことたり 証拠を捏造する 卑怯な「いや夫」さんの方が よほど「嘘つき」で信用がないことをご自分では全く分かっていらしゃらないようですね。
「いや夫」さんが固定のハンドルネームを使っているのは これも「成りすまし」などの言いがかりを付けるためのゲームのテクニックの一つなのでしょうが こんなゲームの遣り取りなんか 見ていて全然面白くないですね。
早く 前のように宏正会について自由にモノが言えるようなブログに戻って欲しいですね。 

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        緊急告知
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「いや夫」は宏正会のサイバー要員であることが判明。

宏正会は従来よりネットでの悪評は無視する方針をとり 会員にはネットを見ないように指導していたが、このブログの記述は他の巨大掲示板等に比して頗る宏正会にとって不都合なことが書かれているためその対策が急がれていた。
その対策として白羽の矢がたったのが「いや夫」である。

「いや夫」の妻は東海地区の或る支部に所属し 二世会員ではあるが表立っては活動していない。
その夫である「いや夫」は学生の時より2チャンネル等のネットに嵌り、ネットでのテクニックに長けていることが知られていた。
「いや夫」は宏正会当局よりこのブログにおける宏正会批判の投稿を排除するよう命をうけたものである。
当然 報酬が渡されていると思われるが、「いや夫」の書き込みの量からすると 一行あたり○○円としたものと考えられる。

これで「いや夫」が連日 膨大な量の書き込みをしているのが納得できる。 
 

 

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        緊急告知
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 否定派の成りすましを暴けシリーズ その2
(=否定派の成りすましを見破る重要な投稿)


 「文体」で比べてみよう編
(「いや夫」の怪人見破り術 「タネあかし」編)


 はじめに

  本日も「ショッカー戦闘員」=ごきぶりが馬鹿な投稿をして喜んでいます。
今までは、作戦上この投稿を「愚息」君のものとしていましたが、実は「武蔵」なのです。

 もう、「彼女を泳がせること」は終わりにします。

どういう意味が、皆さん、じっくり読んで、真実を知ってください。

 本論

 前回、否定派の論客はたった一人であるという仮説を提案しました。
もし、そうでないとすると、それぞれの論客は、「いや夫」が否定派を否定する投稿をばんばんしているというのに、反論もせずに消えていったということになります。「いや夫」との討論に破れて投稿を続けられなくなった人物もいますが、人間というものはそのまま素直に引き下がるものなのでしょうか。そんなはずはありません。悔しいので、何度でも挑んでくるのが普通だと思います。その際、このブログが固定ハンドルのままだと、非常にやりにくくなります。疑い深い「いや夫」が成りすましに気づいてしまうからです。戦略としては、次のような方法を当然とります。

1 2ちゃんねるのように、「匿名」で投稿するように誘導する。
 (実際にこれを行ったのが「長文さん」投稿準備キャラの下記の投稿です。
 投稿 匿名 | 2010.02.14 04:33 午後 )

2 このみんなで「匿名」にしようぜ!という呼びかけは、事前に2ちゃんねるで相談していたようです。
  実践倫理宏正会関係業務連絡 「って何?」に「匿名」が増えた理由
 http://58807828.at.webry.info/201002/article_27.html


 「匿名」を使うようになると、成りすましの分析がしにくくなるのは事実ですね。では、それが見破れないかというとそんなことはありません。CIAとかなら、こういうのを解析するプログラムなんかももっていて、ちょちょいのちょいと否定派の実数をはじきだすでしょう。「いや夫」はCIAのスパイでも、宏正会のサイバー対策班でもありませんから、そんな便利なソフトはもっていません。よって、本来なら

 文体診断ロゴーン
http://logoon.org/

 日本語文章校正ツール
http://www.japaneseproofreader.com/

 などで、地道に分析するしかありません。これでもある程度の分析は可能です。


 しかし、今回、「いや夫」は、否定派の成りすましを見破る単純な技(と言えるほど、高レベルではありませんが:笑)を明かしてしまいます。
(太っ腹な「いや夫」です。)

 実は、「いや夫」はいつも怪人の投稿をすべて把握しながら、討論を続けてきたのです。
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」なのです。
 もう相手の実力は見切ってしまいましたので、「タネあかし」をしちゃいます。今後成りすましの分析が難しくなるのは事実ですが、討論はどうせ「いや夫」が勝ちますので、その位のハンデは与えてもいいでしょう。


 では、本題に入ります。
成りすましの分析は素人の「いや夫」ですが、

このブログの「怪人」の成りすましは、簡単に見破ることができます。

 例えば、一昨日の投稿者、
(引用開始)
「いや夫」さんは文体診断なんかして成りすましを追及しているようですけど こんなことして何か意味があるの?
「成りすまし」があってもなくても そんなものどうでもいいのでは。
このブログ見ている人が知りたいのは宏正会についてなので 誰が書いているかどうかには別に関心がないと思いますよ。
「いや夫」さん一人ではしゃいでいるように見えますが。

投稿 匿名 | 2010.07.28 02:08 午後
(引用終了)

 ですが、「いや夫」はこれを「武蔵」=「否会友」だと分析しています。
彼女の投稿の特徴は、「、」を打たないです。
(意識的に「、」を使う場合もあるようですが、これは研究途上です。)

 もちろん、本日の上記の「ショッカー戦闘員」レベルの投稿も同一人物です。
投稿 匿名 | 2010.07.29 02:32 午後  
 「匿名」なのだから、成りすましではない。

投稿 匿名 | 2010.07.29 03:25 午後
 「いや夫」は宏正会のサイバー要員だ。(お褒めの言葉と受け取ります。実は、相手が「馬鹿」なだけなんだけどね。)


 彼女は、このブログができた当初から、投稿をしています。例えば、これもそうでしょう。

(引用開始)

私は会友さんから 頒布してもらい その方が 月に何度かうちに来てくれる様になり 親しく悩みを話すようになった頃 座談会に誘われました。
その時 会場責任者さん他 会友さんに取り囲まれ「誰の紹介?いまどんな仕事しているの?」に始まり「家族構成は?旧姓は?実家はどこ?旦那さんの職業は?勤め先はどのあたり 子供は 何歳?」などと いろいろ聞かれ「なんで こんなことまで 聞いてくるんだろう。」思いましたが 家族間の不和や心配なことがありましたので 聞かれるままに 答えてしまい その後 入会を勧められ 入りました。
会友さんの頒布があり 私の様に入会し 朝起き会に集うようになった方々もいると思いますが、頒布で この会に疑問を持つ方も少なくないように思います。
 こちらの主旨を伝えることも大切だと思いますが、相手の方の領分に必要以上に 踏み込まないことも また マナーではないのか?と思います。

投稿 私もここに書きこんでいいですか | 2006.05.05 03:04 午前


どうも句読点の打てない、変な文章を書く人が多いことがきになる・・

投稿 みな | 2006.05.14 07:32 午前

(引用終了)

 上記は、「否会友」の創作なのですが、「みな」という方は、その文体の不自然さにさっそく気づいておられます。成りすましが横行していることを感じたのでしょう。
みなさんが、「みな」さんのように賢い方ばかりだと良いのですが・・・。現実はそうではありません。簡単にだまされてしまいます。


 「論客」の中で、「、」を使わないのは、次の人物達です。
(引用開始)
原理的に見れば 「神」を立てるところでは 教祖は神の意志を信者に伝える者 神と信者を取り次ぐ存在となる 
宇宙(大自然)は神によって動かされるもの つまり他律的な存在となる
宏正会のように「大自然(宇宙)の摂理」に基づくものが宏正会の教えだとすると 大自然(宇宙)は自ら意思を持つものとして自律的な存在となる
従って 会長は他の自然科学の法則と同じように人類の法則である倫理を「発見」する存在となる

投稿 太陽神 | 2009.04.15 06:42 午後
(引用終了)

(引用開始)

私はズブの素人ですが 登記をみられた東経さんのお話からの中から色々と疑問が湧いて来ました。
まず 土地については東経さんのお話で分りましたが 家についての所有者名義人は会長ですか それとも宏正会ですか?
次に 土地が実際にどのように細分化されているのかわかりませんが 土地 26-38 については 会長が上廣倫理財団から購入した後に16件の土地に分筆され別の名義人となっているようです。その名義人とは会長の子供とか孫とかといった会長の親族ですか?
会長の邸宅部分 26-26 26-27 26-32 は依然として宏正会の名義のようですが、航空写真やストリートビューで見る限り この土地は高い塀で全部を取り囲まれ 立派な門には「上廣」と書かれた表札が掛かっていて 会長はこの家に30年も住んでいるのですから、この邸宅は誰が見ても会長の自宅と思ってしまいます。

投稿 シリウス | 2009.05.20 04:08 午後
(引用終了)

(引用開始)
「ぴろり」殿が 『より善い社会へ』という最近会長が発刊した本に「宗教」について書かれているとのご指摘があったので、小生も会長が宏正会の宗教性についてどのように説明するのか興味が湧いた。
知人に尋ねてみると この本は最近発刊されたばかりでまだ会員にも入手できない者がいるそうである。そして朝起会で毎朝この本を読んでいるので 借りて家でじっくり読むわけにもいかず その場で「宗教」について書かれている章を読ませてもらった。
小生の最初の感想は 肝心なところである「宏正会の宗教性」についての部分は「太陽神」殿が言っておられることと全く同じ説明をしているということである。もっとも結論は異なるが。
改めて「太陽神」殿のご理解の深さに感服するものである。

投稿 武蔵 | 2009.07.16 01:13 午後
(引用終了)

(引用開始)
皆さんが「匿名」で投稿しているのは 「いや夫」さんが議論の中身ではなくて同一人探しなどの嫌がらせを始めて個人攻撃をしているからです。
「卑怯」なんて言葉は「いや夫」さんの口から出す言葉ではないと思いますよ。
「ちゃねらー」の個人攻撃から自分を守るためにこの様にしているのですから 仕方がありませんね。
全員が「匿名」というHNですと 議論の中身で勝負するしかありませんので こちらの方がいいのではないでしょうか。 
 
「いや夫」さんの反論としては 「心理学で人間をくくるな」という事ですね。

投稿 匿名 | 2010.02.19 03:09 午後  =「長文さん」
(引用終了)

(引用開始)
昨日の投稿は 私の勘違いによるものでした。ポカしてしまいました。
時間がなくて焦ってしまい 頭の中でうまくまとまってないものを投稿してしまったようです。 
「いや夫」さんを始め 私の投稿を読まれた方々に 混乱させてしまい迷惑をかけたことにお詫びします。
一度投稿したものは消す事ができませんが 以下の投稿をもって昨日の投稿に替えていただければ幸いです。


私は 仕方なく「いや夫」さんの『江戸時代にも経済はあった』とする論に付き合ってきましたが 段々と深みにはまってしまってバカバカしくなってしまいました。

投稿 匿名 | 2010.07.10 12:08 午後  =「賢くないさん」
(引用終了)

(引用開始)
禅宗についてよく知らないが 禅宗では座禅とか禅問答などで修行を重ねて「無」の境地に至ることが「悟る」ということらしい。
宏正会は いかにも大阪を発祥とし現世利益を求める徳光教の流れを汲むものであるから 宏正会の教えも現世利益的な教えを引き継いでいる。
宏正会は「実践倫理」宏正会と名前を付けているように 「倫理」を標榜しているからには人との関わりを説かなければならない。
そのためには「我も人ものため」という言葉ははずせないということなのであろう。

投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後 =「日々是好日さん」
(引用終了)

 どうでしょうか?

 このブログの過去スレで、「、」を打たない人の投稿を読んでいってください。成りすましをしたり、自分に有利になるようにくさい演技をしたり、自分自身のキャラを持ち上げたり、「いや夫」を中傷したり、バレバレなのです。だから、「いや夫」はさんざん否定派をバカにしてきたし、いつも圧勝していると自負しているわけです。

 皆さん、「いや夫」がなぜ自身満々なのかおわかりいただけましたでしょうか?
否定派の中心人物こそ、実に単純(愚か)な奴なのです。

 もちろん、この怪人は、「ショッカー戦闘員」として、「いや夫」の中傷にも精を出す働き者(笑)です。

(引用開始)
もう みんな「いや夫」のことなんか放っときなさい。
中途半端なことを言っても 「いや夫」にからかわれるだけで 「いや夫」の思う壺だ。

「いや夫」のようなネットにどっぷり漬かってネットでの遣り取りが得意な男は 人と関わるのが苦手で 人前では何も言えない陰気で気の弱い人間というのが相場だ。
「いや夫」はそのウップンを自分よりも弱いと思っているこのブログの否定派をからかって晴らしている情けない男ということだ。

宏正会の問題点は 何度も同じ事を言わなくても もうこのブログに網羅されている。
長々とクダラナイ批判をしている「いや夫」の書いたものを飛ばして読めば すべてが分かる。

投稿 匿名 | 2010.07.15 05:25 午後
(引用終了)

(引用開始)
「いや夫」がコピペを貼るから 同じようにしているんじゃないの。

コピペを貼るしか能がない「いや夫」は もう使いものにならない。

討論に負け続け とうとう晒し首になった「いや夫」はもういらない。

投稿 匿名 | 2010.07.17 11:59 午前
(引用終了)

 この「怪人のバカな投稿はさがせばいくらでも見つかります。

 上記の見分け方を知ってから、もう一度このブログを読んでみてください。
印象ががらっとかわるはずですよ。

 このブログは、「いや夫」登場以前は、彼女の天下。
そして、「いや夫」登場後は、「いや夫」VS「彼女」の不毛な論争が続いてきただけなのです。
「彼女」がどんな人間なのか、その一連の投稿を読んで、判断してあげてください。
ひと言で言えば、「卑怯者」です。


 結論:否定派は怪人クラスも含めバカである。


追伸

 「、」抜きの文体を使わない「クライアントがどうの」くんは、実は「否会友」ではないのでしょう。そう思いながらも、とりあえず「否会友」の投稿ということにして(いつもはこいつばかりだから)、からかっていた「いや夫」なのでした。それもご愛嬌ということで・・・。

 否定派の成りすましを暴けシリーズ その3

 エンディングは美しくしましょう 編

 さて、前回の投稿で、「武蔵」くんが、ずっと別の怪人に成りすまし、「ショッカー戦闘員」にもなって、「いや夫」を中傷してきたことが明らかになりました。刑事ドラマならば、もうエンディングなのです。

 「いや夫」が好きな刑事ドラマは「刑事コロンボ」です。彼は、天才的な勘で犯人の目星をつけることができます。犯人は、捜査に協力する態度を見せながらも、何とかコロンボの目をごまかそうとします。犯人は段々コロンボを不快に思うようになり、捜査に非協力的になっていきます。しかし、最後には、コロンボの見事な推理に完敗したことを認め、紳士・淑女として逮捕されます。エンディングのいさぎよさが、このドラマをより魅力的なものにしています。

 さて、「いや夫」の好敵手だった「武蔵」くん。いや「否会友」さん。最後は、自身の素性を明らかにして、なぜ宏正会を攻撃してきたのか、自分自身の心を明かしていただけませんか?

 それは、否定派にとっても、肯定派にとっても有用な提言となるはずです。

肯定派の皆様へ

 宏正会の会友で、ネットを検索し、苦々しい思いをしてきた皆様。否定派の正体は、「いや夫」が暴いた通りなのです。

 宏正会自体は、ネットは「実践」の対極にあるものとして、ネットとの関わりを断とうとしています。

 「いや夫」もその通りだと思います。

 しかし、このブログでは、「いや夫」の努力により否定派を駆除することができたと自負していますが、他のブログや2ちゃんねるでは、いまだに宏正会に対する罵詈雑言が書き連ねられています。

 「いや夫」は「2ちゃんねるには投稿しない」信条ですので、今後も否定派の罵詈雑言を消し去ることはできないでしょう。

 「いや夫」は、wikiの「実践倫理宏正会」に唯一リンクされたこのブログこそ、宏正会の会友の真実の声を伝えるべき場なのではないかと思います。

 ただし、実践者が真摯な討論を行ったとしても、今後も否定派の成りすまし攻撃や中傷は続くでしょう。それでも、だまって耐えているよりは、自分の声を発信したいとは思いませんか?

 真実の声は、伝わるべき人には伝わると思います。

 「いや夫」は宏正会の存在意義を讃えながらも、この会を100点満点だとは思っていません。否定派に攻撃されるような要素が、残念ながら残っているからです。そんな状態では、「倫理王国」を実現することなど不可能なのだと思います。

 では、どうせ現状が、壁にぶつかって普及が進んでいないとしたら、このブログで実践者が改革の方向を話し合うことも無駄ではないと思うのです。

 これは、かえって、否定派につけいるすきを与える「両派の剣」なのは事実です。

 しかし、そんな否定派の攻撃で会友を減らすような会なら、今後の発展が望めないのも事実だと思います。

 ネットは、新規会友を開拓する場ではありません。そんな安直な考えて会友になったところで、長続きはしないでしょう。
 しかし、情報化社会の現代で、勧誘された人が、ネットで調べないはずはないのです。
 そのときに、否定派の罵詈雑言ばかりを読むのか、「いや夫」や実践者の真実の声にたどりつくことができるのかで、その方の入会するかどうかの判断は大きく左右されるはずです。その方自身の生き方を左右することになるかもしれません。

 「いや夫」は宏正会がブログで広報する必要性は感じません。否定派の中傷を避ける意味でも、ネット広報は無益です。

 しかし、「いや夫」他宏正会実践者やファンが、宏正会はすばらしいとネットで表現することは、決して無駄なことだとは思いません。

 さあ、肯定派の皆さん。以前のように、このブログで有益な情報交換をもう一度始めませんか?
 「いや夫」はそうなることを願って、今まで否定派と戦ってきたのです。そして、これからも戦うつもりです。

 「いや夫」が投稿を開始したのは、皆さんが、このブログを去ってしまった後でした。皆さんの投稿を読んで、実践者がネット上でどんなに辛い思いをしたのかが、よく分かります。

 無理にとは、言いませんので、いずれ気が向いたら、お一人お一人の思いを投稿していただけませんでしょうか?

 実践者は「嘘」が嫌いだと思いますので、できれば固定ハンドルでお願いしたいところです。

 ここは、2ちゃんねるではなく、ブログなのですから。

 「否定派、ちゃねら~。ボク(我ら)、ブロガ~」ですからね(笑)。

 (なお、2ちゃんねるで必死に宏正会を擁護されている方がいます。「いや夫」よりも勇気のある方です。成りすましなどせず、堂々とちゃねら~と戦っておいです。このような方は「ちゃねら~」とは言いません。2ちゃんねるでさえ、「嘘」を放置することをよしとしない立派な方です。)

 なお、プライベートを明かす必要はありません。個人のブログをもっていて、そこにプロフィールや個人を特定できる情報を公開してしまっている方、ブログ仲間がたくさんいて、自身がここに投稿すると、その仲間に害が及ぶことを恐れる方は、素性を明かさないように、細心の注意を払ってください。
 
 今もこれからも、卑怯な否定派が虎視眈々と攻撃材料を探しているはずだからです。

( 「いや夫」がちゃねら~である否定派をコケにできるのは、用心深く、尻尾を出さないように行動しているからなのです。)

「いや夫」君 今回もいっぱい書いていますね。
宏正会から金で雇われたサーバー要員の「いや夫」君としては書けば書くほどお金が儲かるという訳だ。

[成りすまし]なんか他愛のないことを追及しても みんな読んでない。
論争で勝たないと 意味がないんじゃないの。
「いや夫」には 論争に勝つ能力がないから、こんなテクニックで誤魔化そうとしている低脳なサイバー要員ということだ。
宏正会も どうせならもっとましなサイバー要員を雇ったらどうなんだろうね。

「いや夫」君は ここで稼いだ小遣いで競馬でスッタ金の穴埋めにしようとするのかな。
宏正会も会員から金を毟り取り、ネットで批判されると「いや夫」君のようなサイバー要員をネット対策として雇って批判を抑えようとする訳か。
宏正会に金を出すのはバカらしいんじゃないの。

「いや夫」が宏正会のサイバー要員とすると納得することが多いな。
毎日毎日 「いや夫」の書き込む量は尋常じゃないからな。
「いや夫」は宏正会の犬という訳か。

もっともこのスレは「いや夫」が晒し首になった時点で「いや夫」の全敗ということで終わっているのだから、「いや夫」がどんなに書いたって無駄だけどね。
既に死体になったサイバー要員なんて哀れですねー。
哀れなサイバー要員「いや夫」、まだ頑張るの?

討論のとき相手に呼びかけるのに便利なためハンドルネームをつけ、もともとは数人の賛成派と、もう少し多い反対派が議論していた。
議論に行き詰ると、ハンドルを変えてまたやったものだから、結果的にそれぞれの陣営が20~30のハンドル使っていた。
いや夫さんが来られてから、どれとどれが同じ人物というパズルを始められ、各人いやけがさして、みんな匿名になられた。匿名と匿名は議論しにくいので、スレに残ったのはみんな、コテハンのあるいや夫さんに敵対するものだけとなった。
すこし行き詰ると、適当にハンドル変えながら会話を続けてゆき、テーマが変わったらまた違うハンドルという自由さがあってもよいだろう。ネットの世界に整合性を求めてもなかなか難しい。
現状、反対派も賛成派も一種の言論封殺に会ったように感じて、いや夫さんに敵対するものばかりというスレも寂しいものだ。

 お前たちの相手は、「いや夫」の分身である、この「ゴジラ」で十分だ。「「いや夫」はお前達には一切関わらない。
 「いや夫」はお前たちを一切無視する。

 「いや夫」の投稿をどんなに貴様らが無視しようと、第三者には、おめえらがどんな卑怯なごきぶりかよくわかっている。それで十分だ。

 今後は、ごきぶりどもを相手するのは、「いや夫」の唯一の成りすまし(明かしているので、厳密には成りすましではありません。)キャラである「ゴジラ」にまかせます。
 ご承知おきください。

投稿 匿名 | 2010.07.30 12:36 午後
投稿 匿名 | 2010.07.30 07:05 午後

は、どうせ「否会友」だ。

「、」を打たない馬鹿

ということを紹介されて、今度は、ちゃんと「、」を打っている。この自己中ババアは、本当にわかりやすい奴だ。

 エンディングを美しく飾れば、手加減してやろうと思っていたが、絶対に許せん。

 刑事コロンボに例えるなら、真実をあばかれたとたん、ナイフを持ち出してコロンボに斬りかかるヒステリーばばあだ。こんな奴が否定派の代表者だとは、否定派も情けなかろう。

 お前の成りすましは、我がブログで徹底的に説明し、追求するから覚悟しておけ!

 追い詰められた「否会友」の攻撃ネタは、

「いや夫」はサイバー部員だ

ということらしい。「いや夫」がお金をもらっているだ~?それなら、かなり稼いでいるだろうなあ。そんなわけないだろ?「いや夫」家は、宏正会への支出は毎年ハワイ旅行に行けるほど、収入はゼロだ。

 馬鹿も休み休み言え、ボケ!
 お前の投稿は、いつも馬鹿、丸出しだ!

 だいたい、否定派の言い分は、

「いや夫」は宏正会を肯定しながらも否定している愚か者

という設定だったんじゃないのか?

 議論に勝ちたいばっかりに、ころころ変節しているから、お前なんぞに勝ち目はないのだ。いいかげん気づけ。

 お前が、今までどんなに卑怯な手を使ってきたか、明らかになった以上、俺は「いや夫」のように生ぬるい追求はせん。「いや夫」のもっている「いやみ」全開で貴様をたたきつぶす。そのつもりでいろ!

投稿 匿名 | 2010.07.30 07:05 午後

「それぞれの陣営が20~30のハンドル使っていた。」だと~~~!!!

 否定派はその通りだ!!!

 肯定派は一切成りすましなどしておらん!

 レイモンドさんも、正直に打ち明けているし、「匿名」になってからも、自身の投稿だとわかるように投稿している。

 肯定派の成りすましは0だ!!!

 自分たちが成りすましばかりを使う卑怯者だからといって、肯定派にいいがかりをつけるな。

 肯定派の成りすましがあると言うのなら、証明せよ。

 俺は、否定派の成りすましをしっかり証明したぞ。

 お前もそうしろ!!!

肯定派の皆様へ

 否定派の攻撃は、我が分身「ゴジラ」におまかせください。

 本体「いや夫」は、否定派を完全無視し、肯定派のみで誠実な会話をしたいと望んでいます。

 否定派の妄言は完全無視して、このブログを肯定派の手に取り戻しませんか?

 ご協力をお願いいたします。

 「いや夫」は今まで、意識的に一人で戦おうとしました。

 否定派の正体が明かされた今、もう、戦いは終わったのです。残党狩りは、「ゴジラ」で十分ですので、どうかご安心ください。

我がブログに、

2ちゃんねるでの「否会友」のその後は?
http://58807828.at.webry.info/201007/article_14.html

 という記事を載せました。

 このブログでの「武蔵」=「怪人」の数々の成りすましは、すでにお見通しです。

 あとは、こいつが誰なのか、2ちゃんねるの過去レスから特定できれば、「いや夫」の推理は完成します。

 なお、「武蔵」=「否会友」という予想をしていますが、「いや夫」は2ちゃんねるについては、無料の過去レスしか読めません。

 パート8までは追跡しています。その後の「否会友」についての情報を、我がブログの方にコメントしていただけませんか?

 情報提供をお願いいたします。

遂にいや夫が(ネットの)表見理論上も分裂を始めた。元々精神分裂だったので、予想通りだが。意味の無い「成りすまし批判」は、当然相手にされなかった。複数の鑑定ツールを用意して呼び掛けても応答なし。 当たり前のことを繰り返し言うのも馬鹿らしいが、意味の無いことには誰も相手はしません。そうか、だから多くの人が いや夫なんか無視するように勧めてるのか。「もはや存在意義が認められない」 ってことだからね。しかし、自身で言葉の限りを尽くして批判し、バカにた分身を(形の上とは言え)行うとは、呆れ果てた御人だ。いや、とっくのに昔に理論矛盾、自己破綻しているいや夫なのだから当たり前だと思って失笑しているというところだろう。死んだ後、爆発、分裂。いや夫くん、安らかに。さようなら。このブログが正常にもどるための条件はあなたのような悪質な荒らしがいなくなることただひとつだよ。みんなそれを望んでる。正義を気取るなら、潔く引いてくれないものかな。 いや夫ちゃんに「潔さ」? それは無理か。これからもいや夫の「戦闘員」や「着ぐるみ要員」 が「イイ-」ってやるだろう。あ、直前出の稚拙な表現について、は全て「いや夫」くんが過去に思いついて用いた表現をそのまま使いました。誤解のございませんよう。
「いや夫」の後の 「ちゃん」や「くん」は、同一文のなかで故意に変えてあります。しかし、これまでの投稿と同一と予想できるヒントを単語レベルで残してあります。 いつの投稿と同一なのか、指摘してみてください。よろしくね、いや夫さま。

付け加えます。消えて欲しいと願いながら、投稿を促すようなことを言いましたが、いや夫得意の妄想と屁理屈以外は出来ないのを見越してのことですので、悪しからず。

 「タネ明かし」をしたのは、今までお前をさんざん泳がせて、もう泳がせる必要などなくなったからだ。

 今後、お前が否定派の投稿の中に隠れても、いちいちお前を特定せん。

 これからは、「武蔵」は「愚息」を上回る卑怯者の代名詞だ。

 今回の宿題(私の投稿には、昔の投稿と関連があるものがあるので、探しなさい」などには、一切価値がないので、応じん。

 しかし、「タネ明かし」以前に、お前がどんな成りすましをしてきたかは、しっかり追求する。

 このブログを汚すのは、もうほどほどにしたいので、我がブログにて、カラーでわかりやすく、その卑怯さを示す。

 それで、十分だ。今後、このブログで「長文」は必要ない。お前らの大好きな短文の中傷で事足りるだろう。お前らは「嘘」つきなので、討論するに値しない。

 今後一週間以内に、肯定派が「いや夫」の呼びかけに応じなければ、「いや夫」も「ゴジラ」も、このブログから消えてやろう。まだ老兵と呼ばれる歳ではないが、否定派の正体を明かすという使命は果たした。他の肯定派がこのブログに投稿したいと思わないのなら、いつまでもごきぶり退治をしても意味はない。

 否定派の「太陽神」が雲隠れしたように、私も雲隠れしても、一向に構わん。その分、競馬を研究するゆとりも増えるだろう。夏競馬もバカにしてはいけない。

だから、私は「武蔵」さんじゃありませんって。 外れてるから言ってるのに。 因みに他にも「武蔵」さんと間違えられている人が最低一人いると思う。私の書き込み以外で「武蔵」さんではないかといや夫から妄想されている人がいるからだ。その人が「武蔵」さん本人でないとしたら、いや夫はこれで少なくとも二人分、あてっこを間違えていることになる。同じ理屈で同じ間違いをしているのだから、いや夫は自称得意のあてっこゲームに於いてすら、殆どが外れということだろう。エサ撒けば食い付いて簡単にボロを出す。 あ、念のために言っておくけど、単語レベルのヒントがあるってのは本当だからね。表現のレベルじゃないよ。いや夫ちゃんの能力で解るかどうかは別だけど。落書きの口実にエサは食っても、不味い(都合の悪い)ところは捨てます(答えません)か? いかにもいや夫ちゃんらしい。無理もないか。出来ないんだもんね。挙げ句の果てに人任せ。だったら最初から出て来ちゃいけませんぜ。不適格者さん。

 何だ雑魚か。
 雑魚は眼中にない。失せろ!

はずれを認めたバカ夫。もうおしまい。

どうしょうもなくなって相手を故なく「雑魚」扱いして逃げる。負け犬らしくてわかりやすい。雑魚は自分だろ?

いや夫さんは
典型的なこれもんですよ


<宏正会会員状況>
宏正会に都合の悪いこと、教えに反する発言に対しては、下記の反応をします
1ステップ:聞いてない、あるいは理解できない
2ステップ:本に書いてあること、会の誰かの言ったことの、そのままを言い返す
3ステップ:逆切れして、罵倒しだすか、誹謗中傷しだす
→結果的に、本人の言葉としての理由も、説明も、具体的なものは何も出てきません
 ただ、ただ、会の教えをオウムのように繰り返すだけで、自分の言葉はでききません

この人たちにとっては「宏正会を否定されること=自分を否定されたこと」に
なるので、大変です。鵜呑みにした理屈ですから、自分の言葉では語れません
ですから、逆切れして暴言、罵倒、誹謗中傷に走り、倫理そっちのけの言動が
始まります。でも、本人はご満悦です。

「いや夫」=「ゴジラ」は いっぱい書いているようだけど、結局は「成りすましは卑怯、だから追及する」としか言っていない。
「いや夫」=「ゴジラ」には、もう持ち駒がこれしかないのだろうね。

「いや夫」=「ゴジラ」が自分の推理を書いているようでけど、一体誰がこの大量の書き込みを読んで分析すると思うのか?
成りすましを追及して意味があるのか?
今では否定派は全部「匿名」書いているんだから「成りすまし」も何も関係ない。
第一「いや夫」=「ゴジラ」の推理は外れている。
自分が負けた相手はすべて同一人としているけど、否定派の論客は他にもいるのは間違いない。

そして「卑怯」なのは「いや夫」=「ゴジラ」。
討論で負けたのに後付けで理屈を付けて自分が勝ったことにするのは 卑怯以下。
卑怯以下の「いや夫」=「ゴジラ」には人を卑怯呼ばわりする資格なんてさらさらない。
そもそもゲームのルールを無視する人はゲームをする資格はない。即刻退場。
即刻退場のはずなのに、ズルズルと居座っている「いや夫」=「ゴジラ」はゴミ。
このブログにいても誰もゴミ扱いにしかしない。
ゴミは早く消去れ。


 

15時35分発送
 本日の小倉記念は、
穴狙いで、本命5 ドモナラズ
対抗 3ナリラクリスタル 6ホワイトピルグリム
ヒモ 4オースミスパーク
10 アルコセニューラ
9 アドマイヤオーラ
2 ステップシチー

 お金があれば、
12 メイショウレガーロ
11 バトルバニヤン
13 ラインプレアー
15 サンレイジャスパー
17 トーホーレーサー
まで。

人気の 15サンライズベガと
1スマートギアはあえて切る。

 三連単平均が50万円のレースなので、大降りする(そんなお金はないので、実は三連複でせこく攻めるしかなし。)

いや夫も消えましたので
この掲示板を、本来あるべき、自由な討論の場に
しましょう。
実践倫理宏正会の、問題点や、改善点、ではどうするか
あるべきすがたを、語り合う場所にしましょう。

今、私が、宏正会に対して、非常に困っていること
それは、私が退会したいと言って、退会しているはず
なのに、当家に来て、断っているのに、倫風をおいて
いくことです。
勝手において行くだけなら、まだいいけど、
「300円」とだけ言って、手を突き出して、請求するの
は、なぜ?その神経が、わからんです

しかも、夕方の忙しいときに、いきなり来て、勝手に
玄関開けて、入ってくるのは、なぜ?

いくらいっても、だめ?
改善してくれない

会として、通達出して、やめさせてほしい

これって、そういう会の方針なの?
これが通常のやりかたのなの?

 否定派のリクエストに応えて事前予想。
一発で当てるとかっこよかったが、そんなに競馬は甘くない。
「いや夫」が競馬好きなことを証明するために解説はしときます

(結果)
穴狙いで、本命5 ドモナラズ(7番人気11着)
対抗 3ナリラクリスタル(2番人気4着)
6ホワイトピルグリム(5番人気8着)
ヒモ 4オースミスパーク(6番人気13着)
10 アルコセニューラ(10番人気9着)
9 アドマイヤオーラ(事前6番人気で除外)
2 ステップシチー(13番人気で5着)

 お金があれば、
12 メイショウレガーロ(8番人気16着)
11 バトルバニヤン(4番人気2着)
13 ラインプレアー(11番人気12着)
15 サンレイジャスパー(12番人気6着)
17 トーホーレーサー(14番人気17着)
まで。

人気の 15サンライズベガ(3番人気7着)と
1スマートギア(1番人気3着)はあえて切る。

 三連単平均が50万円のレースなので、大降りする(そんなお金はないので、実は三連複でせこく攻めるしかなし。)

<解説>
 本命ドモナラズは後ろから行きすぎて、ダメ。
斤量3kg増で嫌われて配当妙味があったが、残念。展開が向かなかった。
 1スマートギアは、1枠不利をよく克服して3着に入ったのは立派。さすが、武豊。しかし、1番人気が入ると3連複は払い戻しが激減するので仕方ない。
 外枠は不利と考え、切った18番ニホンピロレガーロが来ては、どうしようもない。

 ナリタクリスタル4着、ステップシチー(13番人気5着)、サンレイジャスパー(12番人気6着)を狙っていたことでよしとします。

 穴狙いは、滅多に当たりませんが、当たると大きいです。

「表見理論上の分裂・・」氏や「だからわたしは、武蔵さんじゃないって・・」氏など、いや夫さんより、レベルの高い方がでてこられ、いや夫さんは予想屋になっちゃった。

雑魚相手はつまらんのう。
寝てよ。

事実、困っていること、迷惑に思うことなど、具体的な事例は、

会員にとって、会の改善のためにも、
今、勧誘を受けている方にとっての情報としても
貴重だと思います。

体験談など、どうぞ書き込んでください
だたし、伝聞とか、うわさでなく

自分自身の体験のみを、書きましょう

それこそ、貴重な意見なのです

それを、無視するのであれば、公益法人として失格ですし
倫理を学ぶ人たちとしても失格になります、またその資格もありません

とうぜん、聞く耳はありますし、改善の参考とするのが当然ですから

公益法人でも、学校法人でも、ISO9001などの認証を受けているところが
多いですね
品質の改善のためには、クレームの処理が重要な課題になります。

あるいは、内部者通報制度、これは企業であれば設置が義務付け
られます。内部統制のためにです。もちろん、公益法人ですから
クレーム処理ですとか、違法行為などは許させませんし、発覚すれば
内部統制不備として、監査法人が、監査報告書に指摘をすることに
なります。

 ネットは嘘ばかりなので、意味がない。監督官庁に直接苦情を寄せよ。
 他に被害を集約するブログなどを作っても、閑古鳥がないておる。否定派の投稿が成りすましによる罵詈雑言をする変質者によるものが大多数だからだ。このブログはその実態を明かす貴重な資料である。

 とりあえず、我がブログに、

「実践倫理宏正会って何?」に否定派の成りすましが横行していたことが判明(その1)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_1.html

「実践倫理宏正会って何?」に否定派の成りすましが横行していたことが判明(その2)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_2.html

 を載せておりますので、ご覧ください。まずは、否定派がどんな奴らかを知ることが大切です。

とりあえず、「武蔵」の卑怯な成りすましを明かす例として、「レイモンド」氏を攻撃した一連の投稿をご紹介しましょう。

 全部同一人物による成りすましです。今まで、私たちは、こいつ一人にだまされてきたのです。
嫌ですね~、ちゃねら~は(笑)

 「いや夫」から「ゴジラ」が生まれたのを精神分裂と呼ぶのなら、こ奴こそ、元祖だな。
彼女がいかに「精神分裂症」なのか、このブログの投稿から研究していくことにする。

 すべて「、」のない、変な文章。とエロ投稿攻撃。

(引用開始)
「レイモンド」。
何度同じことを言っているのだ。このボケ老人は。
宏正会を知らない者が いくら屁理屈をならべても何も伝わってこないんだよ。

「朝起き大好き人間」。
立派なことを言っているようだが 会から言われることのオウム返し。人に言うだけで自分は何もしていない。それを反省 反省、至らない自分で演壇となる。それでも学んでいる自分は立派だと思っている。完全に病気。病気の集団感染=宏正会婦人会員。

投稿 究明団 | 2009.07.25 09:32 午前


「今日はディープスロートの練習させて!!ケースバイケースだから!!!」
昨日こんな事を言われたんだが・・・なんだよケースバイケースってwwww
使い方間違ってるよwwww てかこんなヴァカなのに何で金持ちなの??
すごいテンションでいつも10万くれるのはやっぱヴァカだから?wwwwww

http://netoge.bolar.net/0A3OZ7Q/

投稿 ケースバイケースwwww | 2009.07.25 09:52 午前


「レイモンド」とは 2chの有名な「現会員」だよ。他にも色々な名前で出ているみたいだけど。
神奈川県の○船支部に籍があるようだけど 入会歴もここ数年であまり朝起会に行っていないみたいね。
そのくせ =実践倫理塾= という会を代表するような看板を掲げて自分勝手なことを言っていたよ。
ようやく本性を現せてきたようだけど もっと刺激すると「ウスラバカ」と言ったり 関西のチンピラヤクザみたいな口調になるよ。
あまり関わらないほうが いいと思うけど。

投稿 神も仏も名無し | 2009.07.25 12:15 午後


何か穏やかに議論する場であったこのブログが2チャンネルの様相を呈して来たようだ。
「レイモンド」殿は 宏正会の批判に対して「ネットによる風評を信じたもの」と度々その批判を封じてきた。小生もそのように封じられてしまうと もう話が続かないのでお相手できないとした。
(略)

投稿 武蔵 | 2009.07.25 05:03 午後

(引用終了)

 自分で罵詈雑言を投稿しておいて、2ちゃんねるのようになったなどと、よくもぬけぬけと言えるものである。さすがは、精神分裂症だ!

投稿 匿名 | 2010.08.01 06:49 午後
さんへ

 これは、否定派の投稿ではない可能性がありますね。

 「ゴジラ」が失礼しました。否定派の投稿はほとんど読み飛ばすので、一緒になってしまいました。

 部外者で宏正会に関心をもっているのは、ほとんど否定派ですので、ネットで改善点を書かせる=成りすましによる罵詈雑言を誘導するだけではないでしょうか?

 「自分自身の体験」と言いながら、嘘ばっかりなのがネットの世界です。

 以下は同一人物だ。

(引用開始)


いや夫も消えましたので
この掲示板を、本来あるべき、自由な討論の場に
しましょう。
実践倫理宏正会の、問題点や、改善点、ではどうするか
あるべきすがたを、語り合う場所にしましょう。

投稿 匿名 | 2010.08.01 03:59 午後

(引用終了)

(引用開始)
事実、困っていること、迷惑に思うことなど、具体的な事例は、

会員にとって、会の改善のためにも、
今、勧誘を受けている方にとっての情報としても
貴重だと思います。

体験談など、どうぞ書き込んでください
だたし、伝聞とか、うわさでなく

自分自身の体験のみを、書きましょう

それこそ、貴重な意見なのです

それを、無視するのであれば、公益法人として失格ですし
倫理を学ぶ人たちとしても失格になります、またその資格もありません

とうぜん、聞く耳はありますし、改善の参考とするのが当然ですから

投稿 匿名 | 2010.08.01 06:49 午後

(引用終了)

 そして、「いや夫」と呼び捨てにしている時点で、否定派決定である。実践者は、決して呼び捨てにしない。(次回からは、「さん」とかつけるんだろうなあ。単純な奴だから。)

 馬鹿だねえ~、こいつは!

 自身の成りすましが見破られたから、ともかく話題を変えようとしている。馬鹿はすくわかるんだよ、「否会友」。

 最近、このブログを読み始めた人へ

 過去の投稿で、「、」を打たない変な文章を書く成りすまし愛好者が否定派の中心人物です。

 そのことを、「いや夫」が明かしたばかりです。

 以後、「、」なしの文章はパッタリとなくなりました。そして、「、」がない文章のうち、自分の投稿がまぎれているなどという「ショッカー戦闘員」が馬鹿なことを書いていますが、そいつ自身です。

 なお、この成りすまし愛好者は、「、」を意識して打たない訳で、逆に考えれば、「、」を打つ成りすましも当然していた可能性があります。

 そのことを明かした記事を我がブログに載せましたので、ご覧下さい。

「実践倫理宏正会って何?」に否定派の成りすましが横行していたことが判明(その3)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_3.html

 「匿名希望」「ボケ老人」「愚息(鉄槌)」そして、「クライアントがどうの」などについても、「否会友」である可能性があります。まあ、そう考えた方が、つじつまが合いますね。とんでもない奴です。

 追伸、
当然、「高塚地蔵尊」「田中丸」も、最重要成りすまし容疑キャラである(笑)。

 一度、検索してみてください。否定派の本性そのものです。そして、これがやはり、「武蔵」の自作自演である可能性が高まっています。

「いや夫」さんの分析も佳境に入ってきましたね。

そういえば、「太陽神」殿の文章も、あまり「、」がありませんね。ま、内容は「武蔵」殿と同じですから、同一人物かも知れません。

 討論していて、「怪人」はまったく同じ文章だなあといつも思っていました。

 「いや夫」が投稿を始めた当初に攻撃してきた、「匿名」「テラ」「究明団」「ボケ老人」などは、「武蔵」本人に違いない、成りすましによる自己弁護だ、と当初から気づいていました。(あとは、「ボケ老人」らの尻尾をつかまえれば、予想は完成です。)

 なお、「、」なしで共通の事実に気づいたのは、つい最近です。結果的に怪人の成りすましの横行を許す結果になりましたが、今となっては、それがこいつの首を自分自身で絞めて、惨めなことになっています。

 ざまあみろですね。
ネットでも、「正直者が勝つ」というのを証明したいと思います。

 情報関係の大学に行っている諸君へ。

 ブログと2ちゃんねるの関係、成りすましの横行、成りすましの行動分析、ネットの問題点、などを調べる資料として、このブログは貴重です。
 調べて、卒論のテーマにしてみては?
(もちろん、教授に事前に了解を得てね。「こんな嘘ばかりのブログを研究しても、何のためにもならん。ブログといえども、2ちゃんねると同様、創作、パクリ、盗み、取り込み大三元なのは常識だ」、と却下されるかもしれません。)

否定派との論争にぜーんぶ負けた「いや夫(ゴジラ)」の書いているものは、結局ぜーんぶゴミの山ということ。
このブログはゴミ、ゴミ、ゴミの山。
「いや夫(ゴジラ)」の書いているものは、全く見る価値がないということ。
「いや夫(ゴジラ)」は「成りすましの追及」ということでなんとか自分の存在意味を見つけようとしているということ。
哀れな「いや夫(ゴジラ)」だねー。
こんなことに興味がある人は、「いや夫(ゴジラ)」に付き合ったらいいんじゃないの。

このブログでの論争は「いや夫(ゴジラ)」が論争に負けて見せしめとして「晒し首」になった時点で終わっているので、そのあたりまでスクロールするといいよ。
それから後は「いや夫(ゴジラ)」の自分の負けを認めないゴマカシや言い訳、成りすましの追及ばっかり。
ウンザリすると思うよ。

宏正会のサイバー要員 「いや夫」=「ゴジラ」君。
頑張って書いているようだね。
競馬のためのお小遣いが必要だからね。
書けば書くほど宏正会からお金が貰えるもんねー。

会員から会費、陰倍加、お祝金などで集めたお金で「いや夫」=「ゴジラ」君は競馬に使っているよ。
宏正会に出したお金は社会のために役立てているなんか全くの嘘。
会員から集めたお金は会長一家の贅沢に使われ、ネットで批判されると「いや夫」=「ゴジラ」君のようなサイバー要員を雇って批判を封じようとしているということです。
会に出したお金が競馬に使われるなんて バカらしいと思いませんか。

 我がブログより引用します。

(引用開始)
「実践倫理宏正会って何?」にて、たった一人の怪人が成りすまし、18万字+αの批判記事。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_4.html

 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/

にて、たった一人の怪人が「太陽神」「シリウス」「武蔵」「テラ」「長文さん」「賢くないさん」その他数々の成りすましにより、膨大な投稿をしていたことが明らかになった。
 全部抜き出してみたら、約18万字である。なお、これは、「、」がない文章のみをピックアップしただけであり、これ以外に「、」のある成りすましを行っていた可能性は高い。それら、膨大な資料を分析するには、まだまだ時間がかかる。

 とりあえず、今後の分析の見通しだけ発表し、ゆっくり解明していくことにします。

すでに掲載分

「実践倫理宏正会って何?」に否定派の成りすましが横行していたことが判明(その1)
 テーマ 「いや夫」の怪人見破り術 「タネあかし」 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_1.html


「実践倫理宏正会って何?」に否定派の成りすましが横行していたことが判明(その2)
 テーマ 「いや夫」登場時までの成りすましを紹介 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_2.html


「実践倫理宏正会って何?」に否定派の成りすましが横行していたことが判明(その3)
 テーマ 「、」を打つ成りすましもいそうだ 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_3.html

今後掲載予定の記事

その4 「いや夫」VS「武蔵」 「ショッカー戦闘員」は本当にいるのか? 編

その5 「愚息」は実在するのか?「愚嫁」なのでは? 編

その6 2chとの一体性 「くくくww 」を手がかりに 編

その7 ブログと2chを時系列に並べてみた 編

その8 成りすましは犯罪である 編

その9 否定派の正体は? 編


 先は長いです。しばらくお待ちください。

肯定派の皆様からの情報提供も大歓迎です。
特に、2chの過去レス パート8~20までの情報がありません。「否会友」その他の情報をお寄せください。

 サイバー要員なら、2chの過去レスも見るだろ、普通。

 もう、攻撃ネタが尽きたようだな(笑)

 2chの会費を払ってまで、お前につきあうつもりはない。タダの情報だけで、お前の正体を暴く!
覚悟していろ!

宏正会のサイバー要員「いや夫=ゴジラ」さんは 宏正会に批判的な書き込みを抑えるということと 宏正会の批判記事を書いている人を探すという命令を宏正会から受けている訳ですね。

それで「いや夫=ゴジラ」さんの推理は当たっているの?

それよりも「いや夫=ゴジラ」さんの身元が判明する方が余程簡単なのではないでしょうか。

「いや夫=ゴジラ」さんの推理小説が楽しみですね。
でも 「いや夫=ゴジラ」さんの云う正体を暴いたとして、何が残るのでしょうか。
「いや夫=ゴジラ」さんの推理小説が完結したということで、「いや夫=ゴジラ」さんが有終の美を飾ってこのブログから消えることができるということですか。
それなら みんな喜ぶと思いますけど。
でも 今まで「いや夫=ゴジラ」さんの書いたものを見てますと 事実と違っていますよ。
残念ながら あくまでも「いや夫=ゴジラ」さんの考える推理小説となるでしょうね。

 ちゃんと「、」のない文章を打っているね。

 どうして、「、」を打ったり、打たなかったりしたの?訳がわからないから、説明して?

 上記のような、自身が不利になる質問には、今までも一度も答えてこなかった。

 それで、いきなり「勝った」と妄言を吐いている。

 馬鹿なお前のために、「否定派の妄言を切り捨てるシリーズ」を掲載したのだが、徒労のようだ。

 映画「シックスセンス」で、自身の都合の悪いことは一切見ようとしない亡霊が登場していたが、こ奴も一緒だ。

 何度「いや夫」に斬り殺されても、「死んでません」と復活して、何度も挑んでくる。もう幽霊だから、死なないわけだ。

 否定派を全員倒したつもりが、「たった一人の変質者」の相手を延々と一年弱も続けてきたという訳だ。自慢にも何にもならない、不毛な討論だったということだ。

 お前が勝ったと言い張るなら、「いや夫」が説明したように、

 「いつ、どのキャラが、どんな論法で」勝ったのか、説明してみろ。お前は一度もまともな説明ができてないぞ!

 ホレ!書け!

あのね、いや夫ちゃん、あなたの言っていることって、どうにもならないことだって言われてるのがわからないの?「、」 が有る無しなんかではなくて、ある人の投稿の、特定の「単語」や「その使い方」から、分析、類推をしてみてごらんって言ってるの。小学生レベルの話にしないでほしいな。 そりゃ、いや夫ちゃんは解りやすいよ。なにせ、「バカ」 「雑魚」 「ゴキブリ」 の類だもの。自分のレベルの低さに、周りを無理矢理引き下げないでよ。まぁ、そうしないと話ができないんだから、仕方ないのかな。いや夫ちゃんと他の方との違いが最も顕著なのがこういった「推論」の分野だ。いや夫ちゃんは未だ、妄想の域を出ない。大人の世界にいたければ、勉強をすること。

「いや夫=ゴジラ」君は所詮はゲーム坊やという事だ。
このブログの論争を読めば勝敗は明確。
「いや夫=ゴジラ」君は間違いなく全敗。
「いや夫=ゴジラ」君は何も言い訳できない。
このブログの読者をバカにしてはいけない。
自分が勝ったと誤魔化している「いや夫=ゴジラ」君を皆が軽蔑していることを自覚しなさい。
いくら「いや夫=ゴジラ」君が成りすましの嘘を追及しようが、自分の嘘・誤魔化しはどう説明するのか。
自分が真っ黒の人間が、どうして人の嘘を追及できるのかね。
嘘つきが人の嘘の追及しても、それが嘘と思われるのが関の山と思うが。

そもそも宏正会の嘘・誤魔化しを追及するのと、それを抑えるのとどちらに正義があるのか。
成りすましを追及するのが好きな「いや夫=ゴジラ」君。
宏正会の嘘・誤魔化しを追及する方が余程正義があると思われるが、どうかね。
宏正会こそが、成りすましの親玉じゃないのかね。
もし「いや夫=ゴジラ」君が宏正会の批判を抑えるのが正しいとするのなら、宏正会の息の掛かった人間としか見えないだろう。

宏正会は、「ひとのみち教団」の教師をしていた初代会長 上廣三郎が戦後「倫理研究所」の所長 丸山敏雄に師事し、師匠である丸山の言うことを聞かずに独立したのが始まりだ。
丸山から付けてもらった「哲彦」を使って上廣三郎とは別人に成りすまし、教えは「ひとのみち教団」と丸山敏雄の教えそのものなのに、宏正会の教えは自分が実践の中で見出したものと嘘で固めて宏正会を創ったのだ。
現会長もその嘘・誤魔化しを引き継いでいる。
このことは誰も言い訳できない。
「いや夫=ゴジラ」君の言い訳なんぞは、全く取るに足りない代物だ。
お前の言い訳なんぞは聞く耳を持たない。

どうも宏正会の人間は、嘘・誤魔化しに麻痺しているようだ。
宏正会の嘘・誤魔化しが会員に染み付いて、嘘・誤魔化しが悪いことだと思わなくなって来ている。
まったく 恐ろしい所だ。

「いや夫=ゴジラ」さん、とうとう、言われちゃいましたね。ばっさりと、また斬られてしまいました。これで何度目でしょうか。でもまだ 情けをかけておられているようです。優しいと言うより、手緩いですな。それともいつでも止めを刺せる状態で放っておくというのは、むしろ酷いのか。いずれにせよ、みっともない「いや夫=ゴジラ」 さん。

 お前が「、」を打たない投稿を打ちまくった馬鹿自身だということなどお見通しだ!

 ちょっと位論理的な文章を書けるから自分では賢いつもりかもしれんが、こんなに証拠を残しておいてばれないわけないだろ?

 お前は、本当に馬鹿だなあ~!

 「、」のある投稿については、お前の言うように、他の視点で追求することにする。

 とりあえず、「、」のない奴と「、」のある奴があうんの呼吸で攻撃していた当時の様子をまとめといたから読んで、せいぜい言い訳を考えろ。誰も信じないと思うがな。

 一つ嘘をつくと、それをごまかすために、また嘘をつかなければならなくなるんだぞ、と教えてやっただろ。いいかげん気づけ!

「宏正会って何?」成りすまし横行(その4) 「ショッカー戦闘員」は本当にいるのか編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_5.html

「宏正会って何?」成りすまし横行(その4)続「ショッカー戦闘員」は本当にいるのか編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_6.html

この一つ上にもお出ましになられた、反対派の理論派随一(唯一)、「武蔵・太陽神」様にお尋ね致します。
結果論だけで申しますと、「宏正会」は、なお四百万人に近い会員数を維持し、相当の財産を保有し、法治国家のもと、数十年にわたり活動を続けております。
会員としては特に不都合はなく、会長に対しても、尊敬を払い、自分自身の存在感や幸福感を感じながら生活しております。
われわれは、それなりにやっておりますのに、何ゆえ悪口雑言を繰返されますか。
どなたかが、「宗教法人」としてやるなら、問題はないと言われましたが、あなたの論理はそんなところでありましょうか。
         あなたには、相手にしてもらえず
         いつもボケ老人と中傷されているボケ老人

 上記の方に賛同する。

 武蔵キャラのときにも述べたが、貴様がネット上のデマをあたかも自身が体験したように数々の成りすましキャラをもって投稿したことは犯罪である。我が妻や多くの実践者が、「世のため人のため」と積み重ねている日々の努力を踏みにじり、己の怨念のみに取り憑かれ、このブログで否定意見を書き連ねてきた罪を私は決して許さない。
 「いや夫」との討論以後にこのブログを読んだ方は、ある程度否定派の成りすましに気づいたことだろう。しかし、それ以前に読んだ方は、否定派の投稿を鵜呑みにし、宏正会に負のイメージをもったのはまちがいない。何万人もの人々の誠意を、貴様は愚弄し続けてきたのである。
 貴様の意見は偏っていると、数多くの実践者が誠実に話し合い、諫めようとした。しかし、貴様は卑怯にも、成りすましキャラを悪用し、これらの誠実な実践者が発言できないように追い込んだ。その一部始終は、我がブログにて、徹底的に追求する。

 「いや夫」が武蔵キャラのときに、貴様に言ったことを覚えているか?

(引用開始)
 武蔵殿が上記のような動機で朝起会を批判することは非常に迷惑です。貴殿は、「会長は会を私物化し不正を行っている」という論陣をはっておられる。同じような言葉が、貴殿や取り巻き連中から、何度も書き込まれている。上記回答の4~6の様な、未究明のものを不正ときめつけてよいものか。仮に、不正があったのなら、会は大きな社会的制裁を受けることになる。一方、それが法にのっとった行為であり、何もやましいことがなかった場合の自分の責任を考えたことがおありか?
 ネットの様な虚実入り交じった不確定な情報を元に、それが真実だとなぜ言えよう。どう証明できよう。裏付けをとらずに投稿しているのなら、所詮悪評高い2ちゃんねらーと同じである。いや、理路整然とした文章を書けるだけに、会友の心を傷つける罪はより思い。
 そもそも批判の対象である会長先生に会ったことはあるのか?その生の声を(テープでも可)聞いたことがおありか?会長先生の書籍を先入観をもたずに読んだことがおありか?これほど名指しで不正を追及するのであるから、それ相応の真実の情報を得ていなければならないはずである。
 以上、名ばかり会友でさえ、怒りがこみあげてしまった。貴殿は、批判派のヒーローになったつもりであるかもしれないが、あなたの記事のために動揺する会友の気持ちもお察し願いたい。今後は、「書物」や「一次資料」を「出典明記」の上、批判を展開し、法的に未確定のものについては、「不正」などの言葉を厳に慎んでいただきたい。
 口調が荒くなったのは、「人の悪を言わず 己の善を語らない」会友の気持ちを察してのものとご理解ください。

 なお、「会友はいいんです、会長が悪いんです」の逃げ口上はおやめください。会長を心から尊敬する会友にとっては、一心同体なのです。(疑うことしか知らないちゃねらーである貴殿は「洗脳」と片付けるが、そうではない。「心の支え」「運命共同体」のような感覚だと思います。実践者ではないので本当はよくわかりませんが…。少なくとも貴殿よりはわかります。)
(引用終了)

(引用開始)
 本題に入る。

 不本意ながら自らのプロフィールを明かしていただきありがたく思う。
 このブログにて、批判の言葉を書くことができるのは、このように朝起会について、一次情報を多数もつもののみである。

 2ちゃんねるの投稿記事や伝聞など、二次情報以下しかもたないものは、批判中傷は厳に慎まねばならぬ。

 では、貴殿のプロフィールについて
 普通の人なら、なるほどそうですかと認めるのが普通である。武蔵殿のファンは、これは頼もしいと思ったことだろう。
 しかし、これを単純に認めるほど、私はお人好しではない。
 「我思う ゆえに我あり」byデカルトの心構えが大切なのである。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_45.html

 「我は貴殿の投稿を読んだ ゆえに我あり」しか確かなことは何もない。
 貴殿を疑って悪いが、相手が嘘を書いている可能性があるからだ。

 元会友などが実在し、今までの本ブログで貴殿が断定したことをネット上で証明していただけることを期待する。ユーチューブをうまく活用されたり、監督官庁に、情報公開を請求して、宏正会の不正件数を調べたりするなど、確証を得た上で批判を展開してもらいたい。本ブログでも、自身の前後の発言を有効に活用しており、うさんくささを感じている。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200910/article_42.html

 今回のプロフィールと今までの投稿の整合性を検証していきたいが、しばらく時間をいただきたい。

 「宏正会の会長も公人として多くの批判に耐えなければならない。批判に対しては自らの方で証明しなければならないのである。」のが正しいと主張するなら、その疑惑を本部へ質問状にてただし、その結果を聞いた上でネット上に掲載されたい。
 法律に触れているかわからない状況で、貴殿は宏正会がお金儲けを目的に上廣家が設立したものとの論陣を張っている。
 このような批判ばかりの情報があふれていては、倫風頒布もままならず、有償(お金を出して「倫風」を買ってもらうこともより難しくなる。その分は、会友が負担を追うことになる。

 下記のようなデマが創作され、そのたぐいの投稿を有効に活用する貴殿のようなものによって、批判が何倍にもふくれあがっているのが実態ではないかと考えている。

<関連記事>
二重?ハンドルネームの例
http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html
必見記事! 書きっぱなしは変でしょ 
http://58807828.at.webry.info/200910/article_38.html

(引用終了)

 以上は、否定派の成りすましの横行に気づきながらも、まさか否定派随一の論客である貴様が、これほどまでの成りすましの首謀者であることに気づく前のものだ。

 今の私の怒りは、当時の何十倍も大きい。

 貴様が自身の意見が正しいと言うのなら、せめて上記の投稿者の意見に誠実に答え、自身の被害体験のみを明かせ!それがこの討論の本当の出発点である。それは貴様の責務である。

またいや夫がヒステリーを起こした。何度も指摘されてるけど、「、」なんて意味がないの。自己の絶望的な状況に耐えられなくなってから、同じことの繰り返し。情けなや、恥ずかしや。ひどい被害妄想だね。「いいかげん気付け」 ってのはあなたのことよ。いや夫の知能では初めから無理だった。

他の視点で追及?屁理屈や後付け無しね。できるかな...いや夫の頭で。

会員数400万 は飽く迄も「自称」。 実数はその嘘にははるかに及ばない。そんなことから知りながら目を背けおいて「お尋ねする」もないでしょう。会友さん。そんな嘘つきに嘘を前提に答えを強要されたって、答えてくれるわけないじゃん。「いや夫=ゴジラ」やその仲間達が、自分達よりレベルの高い人がでてくると、その度に一気に慌てて乱れるところって、見てて面白いよね。賢い人とバカの遣り取りってやつ。いや夫とその周辺にはいつまでもバカでいてもらった方が見てる人は面白くて笑えるのかなぁ。でも相手してくれる真人間には気の毒か。何と言っても何度斬り殺されて、晒し首になっても「まだ死んでませんっ!」 のいや夫だもんね。これからどれだけ口汚くなって、知性と教養の無さを今まで以上に曝け出してくれるか、楽しみだわ。

 何の被害も受けていないものが、宏正会を批判する権利があるのか?

 武蔵キャラのとき、正直に言っただろ?自身は被害を受けたわけではないが、2ちゃんねるを見ると、そうだから訴えていると。「太陽神」の投稿で、目覚めたなどということも書いていたな?

 ところが、お前自身が「太陽神」であり、お前自身が2ちゃんねるでも、このブログでも「嘘」の投稿を書き連ねてきたことが明らかになったのだ。

 今さらくさい複数の雑魚キャラごときでごまかせる訳ないだろ?

 貴様は、どんな被害を受けたというのだ?
 なぜ、罵詈雑言を書き連ねるのだ?

 昔は「武蔵」と名乗り、武士道にも詳しいようだから、正直に書け!書かない訳にはいかないはずだ。
 

だから、間違った前提で話をするなって。誰が昔「武蔵」だったって?そんなことも解らずに何を言ってもダメ。投稿してる者が失笑してるんだよ。さらに、実際に被害を受けたと訴えたら、「どこの支部の誰かを明かせ」などと、言い掛かりをつける。これまで一貫してそうだったね。違法行為の主体にはきちんと告げている。いや夫ちゃんに報告する義務はない。近所のおばさんを勝手に入会させておいて「グレーゾーン」と平然と言って退ける無知蒙昧さ、迷惑はかけていないと開き直る厚顔無恥。それを正当化するための見当外れの罵詈雑言と誤魔化し、妄想。こんな知能の低い人間も珍しい。賢こぶりたいけど全く適わない出来損ない。ダメ夫ちゃん、もういいよ。無理して頑張らなくても。これ以上見るに耐えない。

極めて単純に、「武蔵・太陽神」様に、「なぜ機嫌よくやってる、他人に悪口雑言をいうのですか」と尋ねているだけです。
お答えいただけない場合は、極めて不思議に思うだけであります。

(それ以外のお方が、短文による中傷をされますが、ま、2ちゃんねるなみですね。)

     どうしてもお相手いただけないボケ老人


(会員数)
ウソかマコトかを論議しているのでは、ありませんが平成21年3月31日現在として、会が文科省に報告して公表した会員数は、3,384,727人です。
仮にあなたの言われていることが、全部本当であったとしても、人が機嫌よくやっていることを、何ゆえ悪口雑言をあびせるのかと、聞いているのであります。
何か不都合があり、あなたが社会正義に燃えて改善なさろうというのならば、このスレで悪口雑言を並べるのは、極めて知性と教養にもとる行為なのではありませんか。
          ボケ老人 
           

投稿 匿名 | 2010.08.03 10:35 午後

 君は関係ないから、出てくるなよ。

 上記の方も、「ゴジラ」も「太陽神・武蔵」に訊いているだけだよ。
 「、」を打たない投稿者で、今までほぼ皆勤賞でこのブログに投稿し、今もかぶりつきの奴。7月30日、8月2日にも打った奴。

 お前は、「、」を打つ人間なんだろ?では、人違いだ。お呼びでないんだよ。「太陽神・武蔵」が出てくるまで、部外者は出てこないでくれ。

 さあ、「、」を打たない奴、出てこいよ。お前が主人公だ。

自分だけ機嫌がよければ、他のことはどうでもいいってことですね。会の性質がよくわかる証言でした。ありがとうございました。

「ボケ老人」様

私が一つひとつお答えさせて頂きます。

>「宏正会」は、なお四百万人に近い会員数を維持し

文科省に届け出ている会員数はその位の数字かも知れません。
でも、その数字には相当の水増しがあるのは誰もが認めていることですね。
宏正会では「陰倍加」と云う制度があって、会員が自分で入会金を払って当人には知らない所で知り合いの人を会員とするものです。
毎月何人ものノルマを課せられている会員さんは、一人当たり3000円の入会金は相当の負担になっています。
この制度は有印私文書偽造罪といって犯罪になっているようです。
「その人の幸せを願って」という会からの口実は、「会に入会することはお守りのようなもの」となりますので、「実践によって幸せになる」という会の根本精神と矛盾することを会は言っていることになります。

>相当の財産を保有し

そうですね。
宏正会は東京の一等地に立派な本部会館があり、各地にも数多くの倫理会館を有していますので、宏正会は莫大な資産を有していることになります。
しかし、それは全部 会員さんが出したお金です。
問題なのは、その莫大な資産を会が会員からどのように引き出しているかということです。
そして、会員から引き出した莫大なお金から 会長の豪華な自宅など会長が自分の資産としていることです。

>法治国家のもと、数十年にわたり活動を続けております。

宏正会は来年に創立65周年を迎えるようです。
前に述べましたように「陰倍加」は明らかに犯罪行為です。当局に摘発されないからといって、犯罪行為を会員に強いていいのでしょうか。
宏正会は、今まで政権党でありました自民党(特に森派)と強く結び付き、大会などでは自民党議員が多数参列しています。
「違法」かどうかという問題の他に、「相当」かどうかという問題があります。
こうした政権党との強い結びつきから、監督官庁であります文科省に財務調査などにおいて圧力を加えているとされています。

>会員としては特に不都合はなく、会長に対しても、尊敬を払い、自分自身の存在感や幸福感を感じながら生活しております。

このようなネットが広がるまでは、多くの会員もそして世間の人も何も知りませんでした。
果たしてそれで良かったのでしょうか。
会員も世間の人も何も知らないことを良いことに、会長や会を嘘で固めて会を大きくして行き、会長は私利私欲を計って来ました。
これが許されることでしょうか。
公益法人に天下り、渡りを繰り返して大金をせしめる高級役人以上にヒドイのではないでしょうか。
会員は嘘・偽りの会長像を植え付けられ、「尊敬」という言葉で会長を称えるように洗脳された会員は幸せなのでしょうか。

>われわれは、それなりにやっておりますのに、何ゆえ悪口雑言を繰返されますか。

既に会員となり それなりにやっている人がいるのは事実でしょう。
でも、宏正会は毎日毎日 新しい会員を増やすことに懸命です。
宏正会に勧誘する時には 会のいい所ばかりを言って勧誘するでしょう。
本当の会の実態は どうですか?
会員になれば 直ぐに家族倍加です。器を大きくさせるために会費を大きくさせるように言われて、会費だけでも月に何万円。
ボーナス時、大会前には「お祝金」。家族にお祝い事があったら「お祝金」。家族に不幸があっても「お祝金」。
何事につけて会員からお金を搾り取ろうとするのが宏正会ではありませんか。
会員の弱みに付け込んで会員からお金を引き出し、会は莫大な資産を有し 会長は大金持ちになっているのが実態ではありませんか。
このような宏正会の本当の姿を知って頂くために このようなスレがあるのではありませんか。
宏正会に批判的な書き込みを抑えるというのは、宏正会の本当の姿を知らせるのを邪魔をするということですから、宏正会の嘘・偽りに加担しているということですよ。違いますか?

>どなたかが、「宗教法人」としてやるなら、問題はないと言われましたが、あなたの論理はそんなところでありましょうか。

宏正会が「宗教法人」であろうと「公益法人」であろうと関係がありません。
宏正会は、会が言う所と違った偽りの成立ちを持っていること。
宏正会の活動には、お金のこと、勧誘の方法など多くのスレで述べられているような問題点があることを多くの人に知って頂く必要があります。

「武蔵」氏がこの点について述べられていることを引用します。

小生も今の日本の現状に満足している訳ではなく道徳教育、倫理教育は必要であると思っている。
そのための組織である宗教団体また社会教育団体も必要であろう。しかし今の日本にこのような宗教団体、社会教育団体がどのくらい存在すると思っておられるのか。はっきりとした数字は分らないが 恐らく 数千 数万の団体があるのではなかろうか。宏正会にしても 戦前の「ひとのみち教団」に源があり 「ひとのみち教団」からは PL教団 倫理研究所 自然社なども成立している。また宏正会からは 講師をしていた永池栄吉氏が「スコーラ家庭教育振興協会」というのを作り今では大きくなっているようだ。四国でも宏正会にいた人が別に「倫薫」というものを作っているようである。このように一つの団体からも様々な分派が生じているのである。
このような団体の中には 「オウム真理教」「統一教会」「法の華 三法源」といった団体のように 信者・会員に一応の教えを説きながら 教祖の私利私欲のために作られたもので 社会的に非難されているような団体も多く存在する。
そのような団体であるかどうかは マスコミなどで報道されるまでは 一般には分らないのが普通である。そのためには 新たな被害者を出さないためにも その団体の内実を知っている者が力を合わせてその欺瞞性を暴く必要があろう。
宏正会も 今までは秘密にされていたこと 隠されてきたこと 暗部とされてきたきたことが ネットの普及により そして多くの人達の努力で続々と暴かれてきた。もはやこれらの批判を隠すことも 押しつぶすこともできまい。小生はこのような情報が多くの人達に共有されることで いま会員である人達のためにも 宏正会は批判されていることは正し、公明正大な宏正会になって行くことを期待するものである。 

そう、犯罪行為を「機嫌よく」行い、指摘があると、 「そんなのは枝葉末節だ」 「法律が何と言おうが俺たちには関係ない」 などと嘯く輩、団体だということを、何度も彼らは告白している。反社会的勢力なのは明らかだ。「一部のものがやっていること」と言い訳をするが、それが本当なら理事会の決議のもと、会長の名でそういった輩を退会或いは除名の処分をしなければなるまい。 できるわけないのは、会員さんならわかりますよね。それとも、ここでもまたシラをきりますか? 「そんなこと知らない」 「有り得ない」 それはもう通じませんよ。

>人が機嫌よくやっていることを、何ゆえ悪口雑言をあびせるのか  といっている人へ

宏正会が今いる会員のままで続けて、そして会員の皆さんがそれで満足でしたら、どうぞご勝手にされたらいいでしょう。
でも、宏正会は日々新しい会員を勧誘しているでしょう。
今のままの勧誘を続けるのは、嘘をついて勧誘することになるのですよ。
また、今いる会員さんだって宏正会の活動方法に疑問を感じている人もいっぱいいると思いますよ。 
本当の会長の姿を知れば会員であることを止める会員さんもいるはずです。
宏正会は 嘘をついて会員さんや世間の人を騙して今のような活動を続けていいのでしょうか。
このようなことが、倫理を標榜する団体として許されるのでしょうか。

もし「人が機嫌よくやっている団体」を批判することが認められないのでしたら、あの「オウム真理教」だって批判できないということになりますが、それでいいのですか?
「オウム真理教」は批判する人を「ポア」という殺人行為までして、教団にとって都合の悪い人を抹殺して来ました。
宏正会も批判されるということは、それなりの理由があるからです。
もし、宏正会への批判を封じるというのでしたら「オウム真理教」とどこが違うのですか。
会にとって都合が悪いことは抹殺しようとするのは「オウム真理教」と全く同じではありませんか。
宏正会への批判を抹殺しようとしている人、よくよく考えて見たらどうですか。
宏正会への批判を抹殺しようとするのは、決して正義の味方ではありません。
麻原彰光の手先となって邪魔な人をポアした信者と同じように、それは悪の手先となっているのです。

(08.04.08.52)

ご本人がご回答下さり有難うございます。
わたしは「宏正会」を知って57年になります。
現役時代数十年のブランクの後、またご縁を結んでいます。現在わたしの見聞いたす限りでは、各方面でご指摘があるようなことはありません。
ご賢明なあなたの、おっしゃるようにこれ以上は水掛け論になりますので致しません。
「宏正会」も世代交代を控え、古い体質を脱すべく、懸命に努力を致している最中にて、数年を待たずに、わたくしなりには70周年までには、全く新しい会に生まれ変わると期待しています。
短文による中傷子は論外ながら、あなたほどな文章力のある立派なお方が、このようなスレの投稿子になっておられることに、再度疑問を呈するにとどめおきます。
              ボケ老人

 何も答えてないではないか?
 
(引用開始)
 貴様が自身の意見が正しいと言うのなら、せめて上記の投稿者の意見に誠実に答え、自身の被害体験のみを明かせ!それがこの討論の本当の出発点である。それは貴様の責務である。

投稿 ゴジラ | 2010.08.03 07:59 午後

(引用終了)

 自身の被害と、宏正会との関係を書けと言っているのだ。

 お前は、ネット上の伝聞をすべて真実と仮定して投稿をしているのみだ。実際は、貴様一人が何百もの投稿を繰り返しているように、何百倍にも批判が増幅されているだけだ。
 陰倍加やお金がかかりすぎるなどは、確かに課題で、「いや夫」もブログにて早々にデメリット情報として載せている。
 しかし、貴様が書いたような、上廣家野望説などというのは、荒唐無稽な創作だ。陰倍加については、上記の匿名の方がたびたびおっしゃっているように、本部としてそのようなことをしないよう指導している。地域によっては、その指導が徹底していないところもあるのだろう。また、宏正会の正しさを信じるあまり、お守りがわりに陰倍加を活用しようという会友がいるからだ。我が妻のケースがまさにそうだ。この問題について、討論するというのなら、あとからじっくり討論してやる。

 しかし、まずは貴様が質問に答えるのが先だ。
貴様は裏の教えがあるなどと、「武蔵」キャラのときも、「テラ」キャラのときも俺に言ったよな?そんな裏の教えを、関係者でもないお前がどうやって知ったのだ。ネットで読んだだけだろ?お前はそういう奴だ。「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ」をそのまま鵜呑みにする馬鹿の権化だ。

 お前自身の被害を書け。
 お前と宏正会との関わりを書け。
 裏の教えを知る経緯を書け。
 
 批判ができるのは、一次情報をもつ者のみだ!

 長くなったので、「経歴を明かす」どうこうの言い訳については、別の記事にする。

 「いや夫」は立場を明確にしている。

 母親が会友である妻をもつ夫。
 母親は宏正会の勧誘を5年間断りつづけた過去もあるが、今は毎日の実践を欠かさずはげんでおられる。この会に所属してから、それまで以上に幸せになり、子どもたちもそれぞれ幸福な人生を歩んでいる。宏正会のおかげで幸せになれたと心から思っている。
 妻はそんな母をもって育ち、二世として会に所属している。会の活動には、それほど熱心ではないが、会の良さはよく理解しているので、大変だと嘆きながらもできる範囲で活動している。
 会の出費は毎年ハワイにいけるほど。「いや夫」はもっと減らして欲しいと思っているが、妻はそれだけの価値があると思っている。頒布のノルマは30冊。有償では難しいので、無償で配布しているのがほとんである。たまに、有償で買ってもらえるとすごくうれしいらしい。

 夫の「いや夫」は、「倫風」や関係する書籍を読み、会の思想に大いに賛同する。乱れた日本になくてはならない組織だと思っている。義母や妻が心の底から「我も人ものしあわせ」を願い実践に励んでいることを知っているので、応援している。
 しかし、自分自身は、面倒くさいことが嫌なので、たまに朝起会に参加する位で、足をつっこまないことにしている。
 ネットに宏正会に対する負の情報があふれていることを知り、一部は正しいが、多くは嘘の情報なので、苦々しく思う。特に、明らかに成りすましによる連続投稿が横行していることを察し、その成りすましを明らかにするべく、自身のブログをつくり、このブログへの討論に加わる。
 一年近くの討論を通し、成りすましの首謀者を特定できたところである。その首謀者(貴様だ)が、何者なのかを、ぜひ明らかにし、宏正会、会長先生、会友への罵詈雑言の汚名を晴らしたいと願っている。

 この程度のプロフィールを明かしても、何の支障もない。

 何も、住所、氏名、年齢、趣味、特技、好きな異性のタイプなどのプライバシーを明かせといっているわけではない。

 成りすましを悪用し、これほどの罵詈雑言を書き続けた貴様が、その討論の立場を明かさないのはおかしいだろうと言っているだけだ。

 ホレ!書け!
 簡単だし、当然の行いだ!

追伸

 オウム真理教と同一視する発言は、名誉毀損であり、法を犯している。そのような妄言が普及の妨げとなり、会友に害を及ぼしている。

 一次情報をもつ者が、自身の体験にそって、一つの固定ハンドルで討論を続けるのならば、構わない。(捏造である可能性も高いが・・・。)しかし、貴様は、数々の成りすましを行い、ネット上の伝聞をそのまま自身の体験したことのように得意がって投稿した。これは犯罪である。

(引用開始)
 今回、「いや夫」の主張を裏付ける最高裁判決が出ました。あんたの一連の投稿は、明らかな中傷で、「宏正会」「会長先生」「会友」の人権を侵害しています。今後2ちゃんねるやブログ等で投稿するときには、「投稿責任」に留意してください。

<関連記事>
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2010031802000046.html

中日(東京)新聞 社説

ネット書き込み はびこる中傷への警告
2010年3月18日

 インターネットの書き込みも、名誉棄損の基準は新聞などと同等だ-。最高裁の初判断は、根拠のない中傷などが氾濫(はんらん)する現状への警告だろう。情報の発信者もあらためて責任を自覚してほしい。

 飲食店の運営会社を「母体はカルト集団」と男性がホームページに虚偽の書き込みをした。名誉棄損罪に問われた男性の上告を最高裁は棄却し、有罪が確定する。

 一審はネットでは反論が可能なことや、信頼性が低いことなどを理由として、男性は無罪だった。二審は逆転有罪で、最高裁もそれを支持した。

 実際に、ネット上で反論しても、損なわれた名誉の回復は容易ではない。新聞通信調査会によれば、メディアの信頼度は「新聞」が七〇・九点、「民放テレビ」が六三・六点に対し、「インターネット」が五八・二点と、「雑誌」の四六・四点をしのいでいる。信頼性が低いとはいえまい。

 重要な点は、最高裁が「ほかの表現手段と比べ、より緩やかな要件を適用すべきでない」とし、名誉棄損が成立するハードルを新聞やテレビなどのメディアと同等と判断したことにある。

 名誉棄損が罪にならない場合は、公共性がある内容で、公益目的で発信され、情報が真実なときだ。誤報であったケースでも、真実だと誤って信じたとする「相当の理由」などが必要だ。

 今回の判断も「(誤信について)確実な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められるときに限る」と示した。事実無根の情報や中傷であふれる現状に歯止めをかけることになろう。

 名誉棄損やプライバシー侵害など、ネット上での被害やトラブルは深刻だ。法務省によれば、ネットでの人権侵犯で救済に乗り出した件数は、二〇〇八年が五百十五件と〇五年に比べ、約二倍になっている。

 勝手に「交際相手を求める」などと他人の住所や電話番号を掲載したり、罪を犯した少年の写真や実名を掲載した悪質なケースなどもある。

 背後には無数の被害が潜んでおり、泣き寝入りしている人々も多いはずだ。いったんネットに情報が書き込まれると、瞬時に不特定多数の者が閲覧できる状態になる。名誉やプライバシーが踏みにじられては取り返しがつかない。まさにネット時代の暗部である。

 最高裁の判断は、匿名性という“あぐら”の上で、無責任な情報を垂れ流す者への戒めだ。
(引用終了)

「根拠のない中傷」だって?実際「いや夫」の家族自身が違法行為をしていることを認めてるじゃないか。「事実」なんですよ。いや夫自身がそう言ってるんだから間違いない。ただ違法な行為を勝手に「違法じゃない」と実体法の根拠なく言っているだけ。勿論、事実であっても名誉毀損は成立するが、実際の告発事案では「事実無根」を争うことが圧倒的に多い。いや夫の言い分もそういったことなのだろうが、それでは勝ち目はない。違法行為の事実を挙げられてたちまち窮してしまう。それどころか、これまで隠してきたことが争訟の場で明らかになってしまえば、係争事案とは別に、厳しい行政処分が課せられることは間違いない。何れにせよいや夫自身が違法行為を認めているのだから、「事実無根・根拠がない」といった主張はもとより意味がないのだ。いや夫が口汚く罵れば罵るほど、その浅はかさ、知的レベルの低さが露見してしまう。可笑しなことだ。

(引用開始)
(陰倍加については)我が妻のケースがまさにそうだ。この問題について、討論するというのなら、あとからじっくり討論してやる。
(引用終了)

 これは、後から討論ね。

 まず、
(引用開始)
 成りすましを悪用し、これほどの罵詈雑言を書き続けた貴様が、その討論の立場を明かさないのはおかしいだろうと言っているだけだ。

 ホレ!書け!
 簡単だし、当然の行いだ!
(引用終了)


 これに答えてみろよ。
答えられたら、いくらでも討論を続けてあげよう。
 
 お前は「卑怯」の塊だな。

またまた逃げの一手ですね。最近のいや夫さんを見てると書き込みの内容には触れずに、「貴様の〇〇を明かせ」 の一点張りで、つまらない。そんなことしなくたって答えられるでしょうに。内容で勝負しろと言っていたのに、これでは試合放棄と同じじゃないですか。

追伸
 なぜ、このブログがぐぐって上位に表示されないのだ?

 「武蔵・愚息」くん、工作してるんじゃない?このブログを読まれると困るの?

 否定派の工作活動に対抗している「いや夫」のブログを宣伝しときます。

 「武蔵・愚息」くん、2ちゃんねるでも、宣伝しておいてくれよ。

  「実践倫理宏正会って何?」のブログに注目してください。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_7.html

 実践倫理宏正会の存在意義
http://58807828.at.webry.info/201008/article_8.html

 否定派(武蔵)も必死だなあ(笑) グーグル工作するなよ。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_9.html

「工作されてる」なんて根拠のない妄想に浸り始めたな。相手の方がレベルが上だとこうなってしまうしかないのか。 「我々は攻撃を受けている、誰かが妨害している!」なんて妄想... かつての、どこかのカルト集団を思い出させる台詞だ。宏正会はともかく、いや夫自身はそういった類なのだとわかってよろしい。

<書き直しの再投稿だが、重要な事実のため、あえて繰り返し>
自転車に乗っていて、急に左折してきた車に、巻き込まれそうになったことがあります。
(正確には当て逃げかな? 大事に至りませんでしたが、下手すると死んでた)

夜帰宅のため、自転車で駅方面から家のほうに走っていました、
交差点の少し手前で、後ろから来たミニバンが私を追い抜いてきて、
(30km制限の道ですが、60~70km位で追い抜いてきたと思う)
信号機が赤点滅している交差点ですが、一時停止無視で、私を巻き込むように
左折してきました(一時停止違反とスピード違反の交通法規違反ですね)

驚きました、前が塞がれて、車に巻き込まれるか、ブロック塀にぶつかるか
2つにひとつで、自転車に乗ったまま、家のブロック塀にぶつかる方を選びました

ミニバンは、そのまま、左折して、走って行ってしまいました

怪我は、擦り傷位で済んでいましたが、スーツの左腕部分が痛んでしまいました
気を取り直して、交差点を渡ろうとすると、近くの電車の踏み切りが閉まったままで
なんと、さっきのミニバンが、少し先に、まだ居るではありませんか

車に近づくと、運転席に40代?の女性が居て
(銀縁の小さいメガネ、天パーぽい髪を結いた、きつそうな感じの女性)
助手席と後ろにも男の子がいて、こちらをじっと見ています。
私が、「あそこで今、この車に巻き込まれそうになったんだよ、危ないじゃないか」と
言いました
(女性が返答←頭のてっぺんから出るような声で絶叫)
「何言ってんの、危ないのはそっちでしょ、あなたがいるの、ちゃんと見てたんだからね」

私、絶句しました。
(この人、人がいるの知ってて、左折したんだ)
(しかも、逆切れしてる)
(じゃあ、この人は私を殺そうとしたのか? わざとひき逃げしたのか?)

車の中から子供達も、こちらを見ています、
信じられない人間だと思いました、しかも自分の子供の前で、こんな事を言うのか・・・、

恥ずかしながら、車から引きずり出して殴ろうかとも、思ってしまいました。
しばらく、この人たちのことを眺めて、なんだか非常に落胆して、というかあきらめて
というか「ちゃんと運転しなさいよ」と、言って終わりにしました

で、まだ続きがあります・・・
倫理の勉強をしている会がある、とのことで誘われて、「朝起き会」に行くと・・・
するとそこに、その「ひき逃げ女性」が居るんです。長い会員さんだそうです
しかも、皆の前に立って、立派なことを言っている・・・
「なんじゃ、こりゃ?意味無いじゃん」って思った私は、間違っているでしょうか

で、この人曰く、反省している様子は感じられません
「そんな私だから、学んでいるんです」
その一言で、全部解決されてしまいました

「意味ない」どころでしょうか?

つまり、結論

人の話なんか、聞いていません
「自己満足」「独善」
が、この会の人たちの、特色なのです
自分で考えることが出来ないから、この会の本にかいてることなどを
そのまま、言うことで、自己満足して、立派になったつもりになる
できる、その気になれる、逃げることが出来る

そういう会だと、私は判断しています

<上記の続き>
上のことだけで、もちろん判断付けたのではありません

会にたまに行って、参加しているだけだったり
本だけ読んでいても、会の実態はわかりませんよ

お役をやり(自分の会場だけでなく、ブロックやその他)
大会や研修などに、いろいろ出てみたり
深くかかわると、色々見えてきます。

上っ面で、ものごとを判断してはいけませんよ
さらに、自分の判断を押し付けるのはもってのほか

私は、自分の実経験やその実体験から考えたことを
情報提供しているだけ

判断は見た人がすればよい

「いや夫」は 今ではみんなスルー

誰が誰の成りすましなんて どうでもいい
いちいち考えるのが面倒

このようなネットで どうしてプロフィールを明らかにしなければならないのか 不思議

「いや夫」がつまらないことをいっぱい書くから このスレ読んでも面白くない
「いや夫」が消えれば このスレ読む人増えると思う

「いや夫」の言っていること同じことの繰り返し
もう 「いや夫」は消えたら


「いや夫」は やはりバカだった。

宏正会の批判を封じるのは「オウム真理教」と同じだ、と言っているだけで宏正会が「オウム真理教」と同じだとは言っていないよ。


刑法第230条の2(公共の利害に関する場合の特例)
1.前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に関わり、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときには、これを罰しない。
2.前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3.前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときには、これを罰しない。

この解釈としては「いや夫」が引用しているのでいいんじゃない。

『名誉棄損が罪にならない場合は、公共性がある内容で、公益目的で発信され、情報が真実なときだ。誤報であったケースでも、真実だと誤って信じたとする「相当の理由」などが必要だ。
今回の判断も「(誤信について)確実な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められるときに限る」と示した。』

宏正会の会長は、数百万人の会員を有する公益法人のトップに立ち、社会的な影響力が強いから「公人」とされるんだよ。
「公人」だったら、「公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合」と同様に解釈されて、公共性がある内容、公益目的はなくても、「事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときには、これを罰しない。」ことになるんだよ。
そして、「真実性の証明」についても、(誤確実な資信について)確実な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められるときは罪にはならないんだ。

だから、宏正会については、「確実な資料、根拠に照らして相当の理由がある」なら、どんなに批判しても罪にはならないんだよ。
宏正会で批判されている 「陰倍加」「お祝金」、会長の豪華な自宅、会の成り立ちの嘘など、全部根拠があることだよ。
もし裁判にでもなれば、いくらだって証拠が出て来るよ。
もし宏正会が裁判で勝てるんだったら、裁判を起こせばいいんじゃない。

いったい「いや夫」が根拠ないと言っているのは 何?

 解説しよう。
成りすましを明かすことなんて意味がないと大合唱しているのは、成りすましを明かされるととても困る裏返しなのである。

 何とか話題を変えようと、必死に攻撃を繰り返している。

 攻撃は最大の防御か?

 武蔵に質問する。

(引用開始)

 成りすましを悪用し、これほどの罵詈雑言を書き続けた貴様が、その討論の立場を明かさないのはおかしいだろうと言っているだけだ。

 ホレ!書け!
 簡単だし、当然の行いだ!
(引用終了)

追加の質問

 レイモンドもお前だよな?
正直に吐けよ。

 上記の匿名が「、」のある投稿や、「、」のない投稿をミックスしているように、こ奴も、まるっきり馬鹿ではないので、成りすましをするときには、「、」の有無で使い分けてきたのである。

 しかし、悲しいかな、「、」のない文章を打つこと自体が奇妙な行動であるため、自身の成りすましの「半分」は特定されてしまったのである。

 馬鹿だねえ~。
 半分の投稿が一人の人物だと特定できたおかげで、残り半分についても、成りすましを見破ることが容易になった。これからじょじょに暴いていきます。

 否定派に読んでもらうためにやっていることではない。肯定派と第三者に、成りすましの横行を知らせるのが目的である。それは、このブログに最初に登場したときからの目的でもある。そう打って登場したぞ!

 否定派はせいぜいスルーしなさい。プロフィールも明かせない「ショッカー戦闘員」は、そもそも眼中にない。「武蔵」自体がその「ショッカー戦闘員」で、がっかりしているところだ。

訂正します

 前の前の投稿の、「レイモンド」は「シリウス」のまちがいでした。

 二度目の間違いです。すいません。

 否定派は5つの成りすまし投稿をしているから、あと2つ打っておくとしよう。

 成りすましを見破るには、
(引用開始)
 過去の投稿を読むのは大変ですが、
私の得意な妄想によると、同じ人物が複数の
ニックネームで投稿している臭いがプンプン
しています。
妄想でもなんでもないと、自信があります。

 朝起会会友さんで、データ分析が得意で、
時間の余裕のある方がいましたら、
特に否定派投稿意見について、
「投稿時間」「投稿日」「投稿者」で簡単な
表を作ってみるとおもしろそうな気がします。

 私の妄想では、AとBとCとDが同一人物かな?

 ぜひとも、A~Dの皆さんと、「同時」に討論して
みたいものです。

 それと、ネットユーザーって若者が中心なんですよ。

 偉そうにしているから、目上だとは思わない方がいい。

 おこちゃまほど、えばるのがネット社会です。

(引用終了)

投稿 いや夫 | 2009.10.13 07:02 午後

(引用終了)

 「いや夫」がこのブログに登場して三日目の投稿です。このブログは、始まった当初から否定派の成りすましによる攻撃にさらされていたのですよ。

 成りすまし攻撃の主役が途中で交代したなどということはあり得ない。今も成りすましをしている奴が、このブログ当初から成りすましをしているのです。

 このブログで一番恥ずかしい成りすましをした人物!「嵐」「嵐」「さとえ」は、実は「武蔵」なのです。

え~!そうなの~!

 皆さんもびっくりですね。それが真実なのです。ネットなんてそんなものなのですよ。

二重?ハンドルネームの例 発掘(3)
http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html

 お前って、本当に馬鹿だな。
論理的文章を書けるだけが取り柄のようだ。

 5つ目の投稿だが、「武蔵」の成りすましが多すぎて、ネタが尽きない。いったいどれだけ、分析すればいいのだ。

 「武蔵」の成りすましネタだけで、一ヶ月は持ちそうである。

 我がブログに、次の投稿をしておきました。

 「まるまるまある」さんの詩が続くようなブログだったら良かったのになあと「いや夫」は思います。

 いつか、実践者が気楽に情報交換できるブログに戻る日が来るのでしょうか?

詩人「まるまるまある」さんを攻撃したのも「武蔵」です
http://58807828.at.webry.info/201008/article_10.html

「実践者と、元実践者が自由に情報交換できる」
ブログのほうが、有益だと思います

実体験に基づかない
本からの、感想をのべるのは自由ではあえります
ただし、押し付けるのは、
倫理以前の問題で、常識に反しますね

しかしながら、常識がないから、
更にいえば、社会にうまく適応できないからこそ
この会にいる、この会に、自分の居場所をみつけている人
がいるのも、事実のように感じます

そういう意味では、この会は、存在価値があるとも思います

 じゃあ、裁判を起こせよ。
 会の資金は潤沢だぞ。奪い取れるかもしれないぞ。

 もちろん、会は一流の弁護士をつけているので、貴様らがネットの情報だけで勝てるとは思えないがな。それより、裁判の過程で、貴様の成りすましが明らかになって、困るのは貴様だろ?

 貴様は、
ネットの情報=確実な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められる

 としているようだが、それは、貴様がちゃねら~で馬鹿だからだ。それが、そもそもの誤りなのだ。お前たちの反論など、すべて「いや夫」が覆したことばかりだ。

「陰倍加」→本部は陰倍加はやめなさいと指導している。会友が、「倍加しました」とごまかして登録しているのだろう。印はないので、有印ではない。神社の絵馬に、「○○さんの健康を願って」と書く感覚だ。神社の絵馬なら、誰かが見るかもしれないが、誰が倍加されているなど、他の会友は知らない。「クライアントがどうの」などはまったくの創作なのである。(宏正会は宗教ではないが、それ以上に生活に役立ち、ご利益があると会友は信じている。自分に関わる人とのご縁をよりよいものにするためにと、そのご利益を信じて行っているのである。もちろん「信じている」=宗教ではない。そんなことを言う奴は馬鹿の「武蔵」くらいだ。)

呪いと占いをしてあげないと民衆は喜ばない
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html

かなり重要な記事 倍加ではなく「陰倍加」が行われる例
http://58807828.at.webry.info/200912/article_33.html

我が家の陰倍加
http://58807828.at.webry.info/200910/article_18.html

「お祝金」→会友が納得して行っている。行わない会友もいる。あくまで自主的なものだ。町内会の盆踊りで寄付金を募るようなものだ。それが、なぜ犯罪なのだ?なるというなら、神社の寄付も犯罪か?そんなわけないだろ馬鹿!


会長の豪華な自宅→一見自宅に見えるが、正確には会長宅だ。首相公邸が豪華なように、宏正会は資金が潤沢なので、会長公邸(公的な機関なんだろ?)は豪華なのである。セレブの付き合いがあるからだ。もっとも、ここは宏正会名義なので、昭和51年に取得したおかげで、資産運用としても優秀なのである。固定資産税を上回る投資利益を得ているかもしれない。なお、会長公邸なので、会長を退くと、ホームレスになりかねない。それではあまりにも創業家がかわいそうということで、会長公邸の「隣接地」の「一部」を「等価交換」によって、個人名義にかえただけだ。それがなぜいけないのだ?宏正会の創業家利益としては、少なすぎるくらいだ。その隣接地の面積や評価額は否定派のお前らが調べろ。等価交換の土地(もともと上廣家のもの)をどのように入手したのかまで、調べろ。そんなこともせずに批判しているから、お前らは馬鹿なんだ。


会の成り立ちの嘘→嘘はついていない。先代会長先生も語ったことがあると書いているだろう。ただし、昔アルバイトでうなぎ屋に務めていた程度の経歴である。わざわざ広報する必要などないのだ。何度も言わせるな。

「実践倫理宏正会」誕生前の先代会長が関わった宗教組織について(『新宗教辞典』弘文堂より)
http://58807828.at.webry.info/201002/article_39.html

(引用開始)
武蔵君 君に負けているつもりはない。心配はご無用である。人の心配をする前に、自分の読解力のなさを心配しなさい。

 私は、このブログに書かれている朝起会に対する批判記事をすべて否定するつもりはない。もちろん、その批判をすべて肯定しているわけではない。おのおのの批判に対する反論を逐一書いている。

 私は、朝起会の点数を90点とする。足りない10点が私も感じる問題点だ。
 しかし、君たちの主張では、朝起会を何点と評価しているのだ。そもそも、社会のために何の努力もせず、ネットで批判ばかり書いているものが、朝起会を評価できるのか?

 理解力が乏しい君のために、論点を絞って我が論を述べる。


 まず、最初は会の成り立ちから私見を述べる。

 「一言で言えば、原爆を契機に会を発足したとする朝起会の主張に同意する」

 解説する。朝起会は、ひとのみち教団から派生した組織である。そのことは書籍などでも周知の事実なので、私はそれを否定しない。

 問題は、それをわざわざ朝起会が広報する必要があるかどうかということだ。
私は、その必要は全くないと考える。

1 君たちが書いている内容は、出典の不明確な中傷が多い。

2 たとえば、wikiの参考文献となっている「新宗教事典」では、ひとのみち教団を起源とする「倫理修養団体」と分類されており、他の新宗教とは明らかに取り扱いが違う。少なくとも宗教であるとの分類はされていない。

3 具体的に言えば、ひとのみち教団では、「教主が信徒の苦痛を身代わりして引き受け、信徒を救う」「教主が信徒の悩みや苦難に対して神秘直感によって直接診断、指導を与える」「教祖を神格化する」などが行われていたが、実践倫理宏正会では、これら宗教的要素を一切払拭している。

4 ひとのみち教団は、教祖が強姦の罪で逮捕されるなどイメージが悪い。

5 宗教団体は政府から弾圧を受けていた。

6 よってひとのみち教団から教えを引き継いだ部分があるとしても、その宗教色を除き、倫理修養団体として全く新たな組織を作ったのだ。

7 倫理研究所との確執など知ったことではない。分派がなぜいけないのだ。もし、分派がいけないとしたら、なぜこんなにもたくさんの宗教組織があるのだ。

8 上廣哲彦氏が原爆を体験し、それをきっかけとして、新しい倫理修養組織を作ろうとしたのは、まぎれもない事実だ。

9 ちなみにひとのみと教団は、PL教団へと形を変えている。今となっては、実践倫理宏正会とは、まったく関係のない組織だ。

10 朝起会は、会友に別の宗教に入っても構わないとしている。宗教組織ではないからだ。

 以上のことから、ひとのみち教団とのつながりを断って新たに作られた組織であるから、原爆を契機に朝起会を作ったという会の成り立ちを広報することには何の問題点もない。
ひとのみちより教団よりもよりよい組織を作ろうとすれば、当然の方法である。

(引用終了)

 お前らの悪口など、つまるところ、「いや夫」一人で簡単に反論できるレベルで、犯罪には一切該当しない。そして、犯罪に該当しないことを、成りすましによって中傷する貴様の行為は、明らかな犯罪である。

 宏正会が関わる裁判のことなど聞いたこともないが、あるのか?被害者家族の会とかいうブログも閑古鳥が鳴いているなあ。それもそうだ、否定派は成りすましばかりだからだ。

 被害者集まれ!  「は~い」
あれ、何で一人なの? 「ほとんどボクがうったんだよ。すごいでしょ。」

 え、じゃあ、君とボクでこんなにうっちゃったんだ。

「武蔵」も「太陽神」も君なの? 「うん、すごいでしょ?」
「ショッカー戦闘員」も? 「半分はボク。残りの半分は誰か知らない。」
それは、ぼくだよ。

 こんな感じだ。

 よって、犯罪を犯しているのは、お前である。

 お前たちが裁判を起こす可能性は限りなく0に近いが(起こしたければどうぞ。貴様の正体がわかって楽しみ)、宏正会が、貴様個人に特定して裁判を起こす可能性はあるだろう。(やっぱり、ないか?宏正会はちゃねら~なんて相手にしてないからね。でも、裁判起こしてほしいなあ~。)

 「いや夫」の最大の関心事は、「武蔵」がどんな奴かということである。

<上記の続き>
実践していない人は、会友でも、控えめで発言する
べきでしょう。
ただし、質問や、押し付けでない自分の感想を述べるのは
有益でしょう

あるいは、勧誘されている人が、質問をする、
実体験を述べるのも、有益だと思います

会として、参考にするべきだからです

沿革については、上場企業であれば情報公開の
一環として、義務となります。
ましてや、公益法人であれば、公開するのが当然です
有価証券報告書でも記載事項です。
記載しなければ、あるいは沿革を偽装すれば、
会社法違反となります。
会社案内でも、HPでも沿革は記載が通常です

申し訳ありませんが、これは、議論の余地はありません。

会員を募集して、会費を徴収するのであれば
情報提供は、義務になります。

これも、議論の余地はありません

消費者保護法違反になりえますよ

会長の自宅のことは、よくわかりませんが

(1)
いえるのは、公益法人は会の事業継続に必要な
以上の利益をあげていあいけないということと
(2)
代表者、理事などは、報酬を得すぎてはいけない
ということですね

上記(1)(2)からすれば
利益が上がっているかどうか、とんとん位でやら
ばければいけない、つまり、もうかっていない企業
の役員くらいの報酬しかもらえない

ということで、だからこそ、公益法人で非課税だと
いうことです。

もちろん、印税やら何やらで、所得が高いのであれば
問題はないでしょう。
実態は、わからないので、なんとも言えませんが

ただ1つ言えるのは
公益法人の代表者は、所得が高すぎると、世間的に
まずいんじゃないですかね?

これが、宗教法人の代表者であれば、何の問題も
ありませんが、公益法人なので・・・

<上記の続き>
上記(1)(2)は
公益法人の認可の定義であり、これに違反すると
法律違反で、認可を取り消されてしまいますよ

実践倫理宏正会が、ひとのみち教団という
宗教団体が、起源?である等ということは

事実であれば、公益法人であれば、公開するべきです

それば、会として必要であるかどうか、
あるいは、今いる会員が必要か判断することでは
ありません

勧誘された方に、判断材料を提供することが、重要である
からです。もし、宗教団体が起源?等をしって、入会
しなかったという判断をするかたが、もしいるなら、
かならず、情報提供が必要です。

それが常識ですし、それが勧誘時などには、義務になります

これも、議論の余地はありません

倫理研究所も、きちんと、ホームページで
ひとのみち教団からの流れを公開していますよ

隠さずに

ちなみに、私は元実践者です

「印」がないので 「有印」ではない?絵馬と同じ? うゎあ、とんでもないことを。行使の目的で、他人の「印章若しくは署名」を使用して、「権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画」を偽造し、又は偽造した他人の「印章若しくは署名」を使用して「権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画」を偽造することを禁じたのが刑法159条の規定ですよ。他人の名前を勝手に書いてもいけないんですよ。今の条文は読みやすいので、注意して読めばわかるはずですが...陰倍加をする以上、他人の署名を偽造(勝手に書いて)して、入会届けという「権利、義務に関する文書」を作成するわけでしょう。それとも陰倍加にあたっては、「私は〇〇を本人の意思とは無関係に入会させます」とでも書くのでしょうか? また、「会費を立て替えていて、本人も知らないのだから、被害はない」という主張をよく聞きますが、文書偽造罪が成立するためには、「抽象的に文書の信用を害する危険があれば足り、特定の人に対し具体的に損害を与え、または与える危険があることを要しない」とされています。(大判明.43.12.13) 「クライアントから」氏が言う事案は正しくこれにあたります。行えばやはり犯罪行為なのです。 絵馬に〇〇さんの幸福を祈願するのは、おっしゃる通り私文書の偽造にはあたりません。絵馬などはそもそも、そのものが「権利、義務若しくは事実証明」に関する文書ではないからです。仮に例え話だとしても、全く前提知識のない話なのです。もう無茶苦茶ですよ。知らないで書いてるととんでもないことになります。これは法律論であって、勝手な思い込みやこじつけとは違うのです。「構成要件に該当し、違法かつ有責な行為」を犯罪と呼ぶことは争いのないことですね。よく考えてみることです。

本部は陰倍加はやめるよう指導している... それでもいや夫の家族はそれを無視し、指導に反して陰倍加を行っている。そしてあろうことかそれを「その人の幸せを願って」のことだと述べて会の指導に反した行動を正当化しようとしている者までいる。反倫理的な会員の行動と言わざるをえないが、一体どうとうことか。この会員に常識はなく、組織の責任者に指導を徹底するだけの意思もないと言うわけだ。表向きは禁止を指導してはいるが、会員は平気でそれを破ってよく、組織も把握できないとシラを切る。もし、本当に会員を指導出来ないようなら、それこそこの組織は体をなさないことになるが、どっちなんだろう。どちらにしてもとんでもないことだ。

 貴様の文章力はたいしたものだ。それは認めよう。話題をすりかえる能力も一流だな。上記の指摘にはいちいち答えてやろう。

 ところが、これほどの文章能力を誇る人物が、会を批判する動機を明かせ、会との関わりを示せということに関しては、

(引用開始)
ちなみに、私は元実践者です

投稿 匿名 | 2010.08.05 10:17 午後

(引用終了)

 でごまかそうとしている。このギャップは何だ。
 
 「いや夫」は嘘はいやだから、我が家も「陰倍加」してますよと、不利になるとわかっていることも、しっかり書いている。

 お前は嘘だらけだ。

 会を批判する動機は、昨日の「ひかれそうになった男」なのか?成りすましが多すぎて、どれが答えなのかわからんぞ。

 では、貴様の攻撃に対する反論は、別投稿として、まず、これに答えなさい。

問  貴様が実践者だというなら、「武蔵」キャラのプロフィールは大嘘でしたと認めるということでいいですね。実践者なら、あんなつじつまの合わないプロフィールなど書かない。0点だ。

 「実践倫理宏正会」は新たに生まれた組織なのです。

 先代会長先生が、1・2年?(よく知らん)所属しただけの別組織が起源なの?それはPL教団でしょ?

 倫研の発足にも協力したようだが、しょせん別組織でしょ?

 「ひとのみち」「倫研」よりもよい組織にしようと、先代会長先生が一身独立して設立したのが、この会なのです。きっかけは広島での被爆。今日がその日です。

 宏正会は、「ひとのみち」「倫研」よりもすばらしい組織なのです。自身の会より劣る会に所属したことを公表する必要はないし、そもそもそれは個人的な経歴に過ぎず、公的な機関である会そのものの経歴とは別個のものです。

 「陰倍加」は、「いや夫」も肯定はしていない。これは会員数に数えるべきではなく、もしカウントされていたとしたら、削除すべきである。
 本部もその必要性を十分に認識して、この風習をやめるよう指導をしているのだろう。
 それが、公開されている会友数の減少とも関係しているものと思われる。
 地域によっては指導が徹底されているところもあるだろうし、会のためにお金を差し出したいと熱心なところは、この風習が残っているのだろう。自身の地域は後者のような気がする。

 陰倍加をなくした地域は、おそらく会友一人当たりの負担も少ない地域だろう。
 負担が少ない地域と、負担が多い地域と、普及が進んでいるのはどちらだろう?
 おそらく、負担の少ない地域に違いない。

 そのような具体的なデータを集約し、陰倍加をなくす、お祝い金を減らすことが、逆に会の発展につながることを全国の支部に広報していくべきだと思う。「いや夫」などが提言するまでもなく、本部はやっていると思う。

お早ようございます。朝早くから投稿しておられますね。今日は特別な日ですからね。わたしもこれから平和祈念朝起会に行ってきます。

 投稿 匿名 | 2010.08.05 11:17 午後
が正論であることは認めよう。

 しかし、一部
(引用開始)
「クライアントから」氏が言う事案は正しくこれにあたります。行えばやはり犯罪行為なのです。
(引用終了)

 は、違います。「クライアントがどうの」の言っていることが事実ならば、その通りだが、これはまっかな嘘です。本人が倍加されていることを第三者から告げられるなどということはありえない。まったくの創作です。

 よって、陰倍加を行う会友は、本人には決してばれない(会費は自身が払う)ので、本人にはまったく迷惑がかからず(というか、幸福がおとずれると信じています。)、そのおかげで、両者のおつきあいもうまくいくと信じて行ってきた慣習なのです。

 いつもより早起きです。
「名ばかり会員」に過ぎない私も、こういう節目の日には、集うことにしています。
 不毛な討論で汚れた心を、少しでも洗えたらよいなと思います。

 ネットは不毛な世界です。「嘘」がいくらでもつけるからです。

 「嘘」がスタンダードの馬鹿な世界より、誠実さが大切にされる実生活の方がはるかにすばらしい世界です。

 ブログなんかより、実世界をみることが大切です。

 本日は宏正会が発足した記念日ですので、動員がかけられています。一見さんも参加しやすいと思うので、否定派の方もどうぞご参加ください。ネット上の宏正会よりは、よい会だと思います。

 嘘の投稿をたくさん読んで、負の先入観をもっているのが心配ですが、会友が「我も人ものため」に活動していることは、十分伝わるのではないかと思います。ネットの情報などに洗脳されないでください。

 なお、ネットが嘘ばかりという例で、下記の記事を引用します。

 本日各地の朝起会会場をおとずれていただいて、この投稿が馬鹿による嘘の中傷だということを確かめてください。

 宏正会は、「飛ぶ鳥跡を濁さず」の会です。ネットは、世界中を濁しまくる便所の落書きです。

(引用開始)
「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」とは、
「実践倫理宏正会って何?」の「金槌」氏の名言である。

 このカテゴリは、どんな創作がなされているか、紹介するシリーズとします。

実践倫理宏正会批判スレ パート1
http://mentai.2ch.net/psy/kako/980/980142350.html
の下記の投稿を紹介します。

(引用開始)
17 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/03/02(金) 06:32

朝起き会が寄贈した生け花を駅で発見!
他の駅でもやってるのかな?公益性がある団体というイメージ作りのためか?
武道館の清掃のバイトの経験のあるヤツに聞いた話だけど、
この団体は催し物の前は会場に来て掃除とかするらしい。
しかし、終わった後のゴミの散らかりぶり、会場の汚しぶりはスゴかったそうだ。
もちろんみーんなさっさと帰ったのは言うまでもない。
ヤツは「矢沢栄吉のファンのヤンキー以下だ!あいつらサイテー」と怒っていたよ。
(引用終了)

 あほか。こんな嘘は、会友ならみんなわかるぞ。
大会は、ビックイベントなのである。失敗がないように、何ヶ月も前から準備やリハーサルが行われる。
会場には、前日から掃除をしにいく。(禊ぎ)という。
車ですぐ近くの会場でも、。(一般の公共交通機関利用者に配慮して)開会のはるか前に着くようにみんなでバスを借りたり、利用する電車の時間帯を割り振ったりするなどの配慮をしている。さらに、婦人部の大会に関しては、途中でお手洗いに行くことも難しいので、ほとんど水分を摂らないようにしているそうだ。
 そんな大会で、どんなゴミが出るというのだ?コンサートやプロ野球とは違うぞ。ビールもポップコーンも焼きそばもないぞ。何を散らかすというのだ。

(長くなるので、続きは我がブログに・・・)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_22.html

投稿 いや夫 | 2009.12.13 08:27 午前

(引用終了)

先程の書き込みに失礼な表現を用いてすみませんでした。ただ、繰り返しになりますが私が問題にしたいのは犯罪に該当するか否かの法律論であって、行為者の動機たる主観とは無関係だと言いうことです。「人の幸福を願う」ことはとても善いことで、人間として、そう在れたら素晴らしいことだと思います。しかし、法律上の問題は未だクリアできていません。器物損壊罪を例にとると、他人の物を損壊、傷害する意思(行為者の主観、故意)がなければ過失になります。しかし、器物損壊罪には過失を処罰する規定がないので無罪になります。この理屈そのものは文書偽造罪に於いても同じですが、問題なのはどうも、「文書偽造という犯罪行為を行う」という行為者の意思(主観、故意)と、その前段階にある行為者の動機(人の幸福を願う)とを同列に捉えようとしているところにあるのではないでしょうか。犯罪に該当する行為を行うという意思が存在する以上、「犯罪を用いて善いことをしょう」ということにしかならないのです。先程も言いましたが、その動機は大変素晴らしいものです。「我も人もの幸せ」という教えの原点ともいえるでしょう。ただ、だからと言ってそのためと手段として陰倍加を用いるのはよくない、と言っているのです。会が禁止しているのは当たり前ですよね。また、そうした行為が「法たる慣習」であるとまでは認められないということです。会を広げることは大事なことでしょうから、ここはきちんと理解しておくべきです。その上で正しい普及活動をしてはどうでしょう。

 上記の意見には賛同します。

 貴殿も、「成りすまし」などという犯罪行為はおやめください。そして、過去の成りすましについて謝罪してください。

「陰倍加」について 色々と議論があるようですね。

まず、「陰倍加」というのは 会員さんが入会金と一年分の会費の合計 3000円を自腹で払って、当人が知らないところで その当人の名前・住所・印鑑を使って勝手に入会届を作り、宏正会の会員とすることですね。

何故 このような事が行なわれているのか と言いますと、宏正会の利益になるからではないでしょうか。
思いつくままに 上げて行きますと、
まず、会員数400万人とかいった数字を上げて、こんなに世間で認められている会ですとよと、勧誘の時の宣伝になります。
そして、会の事業費を国に報告する時に、会員数が多ければ多いほど 分母が大きくなりますから、会員一人当たりの出費の額を低く見せることができます。
そして、当然 一人入会したとしますと3000円が会の入って来ますから、会の収入になります。
また、宏正会は「実践」を手段として会員を「認知的不協和理論」で洗脳していますので、会員にお金を出させることで認知的不協和を作り出し洗脳の手段となります。

このように「陰倍加」ということは、色々と会の利益になりますので、会員に「陰倍加」をさせるための口実が必要です。
そのために、まず会員に「普及実践」と称して、毎月の倍加人数の目標を立てさせ、それは必ず達成させなければならないと指導します。
ここまでは、別に問題がないようですが、「目標は必達」という所がミソで、もし毎月の目標人数に達しない場合は、「陰倍加」ということになるのです。
そのための理屈が「その人の幸せを願って、宏正会の会員になって頂く」ということですね。
要するに、会は「毎月目標人数の新しい人を勧誘しなさい。それが出来なければ自腹を払って誰かを入会したことにしなさい」つまり「新しい人を勧誘するか、それともお金を払うか」といった形で会員を追い込んでいるのです。
毎月 何人も新しい人を勧誘することなんか出来ませんので、会員さんは毎月の目標が5人でしたら 15000円、3人でしたら 9000円を「陰倍加」して毎月の目標人数が達成したことに装っているのです。
会としては、毎月必ず目標人数の新人が入会し、その入会金が入って来る という会員さんを犠牲にしながら、会にとって本当に都合のいい仕組みです。

もし会が本当に「陰倍加」をなくすのでしたら、「目標の必達」ということをなくさなければ「陰倍加」はなくなりません。
会としては、「陰倍加はいけません 本当に新しい人を勧誘しなさい」と言っておきながら「目標必達」となりますと、会員さんはどうしたらいいのでしょう。
今までと同じように「陰倍加」をするしかないのでしょうね。

「陰倍加」するために会が用意している「その人の幸せを願って、宏正会の会員になって頂く」という理屈は、会の基本的な教えと全く矛盾しているのです。
宏正会の基本的な教えは「実践して自分が変わらないと幸せにならない」とするものです。
そうでしたら どうして自分が宏正会の会員になっているか知らない人が何も実践しないで幸せになるのですか?
おかしいでしょう。
宏正会の教えでは「陰倍加」してもその人は幸せにはならないのです。
それでも「その人の幸せを願って陰倍加する」ということが普通に行なわれているなんて、会は詐欺師? 
宏正会の会員さんは皆さんオメデタイ人?

教えて、偽名に対する偽名のなりすましも違法ですか。

↑↑
そうそう、その通りです。宏正会のひとはみんな、オメデタク、仕合せで、幸福なんです。だから、ケチつけずほっといてよ。

>器物損壊罪を例にとると、他人の物を損壊、傷害する意思(行為者の主観、故意)がなければ過失になります。しかし、器物損壊罪には過失を処罰する規定がないので無罪になります。
この理屈そのものは文書偽造罪に於いても同じですが、問題なのはどうも、「文書偽造という犯罪行為を行う」という行為者の意思(主観、故意)と、その前段階にある行為者の動機(人の幸福を願う)とを同列に捉えようとしているところにあるのではないでしょうか。

つまり、たとえ行為者の動機(人の幸福を願う)は正しくても、「文書偽造という犯罪行為を行う」という行為者の意思(主観、故意)は存在するから、私文書偽造罪という犯罪行為は成立する ということですね。

従って、
>犯罪に該当する行為を行うという意思が存在する以上、「犯罪を用いて善いことをしょう」ということにしかならないのです。

ということになるのですね。
よく分かりました。

でも、「犯罪を用いて善いことをしょう」ということですが、本当に「善いこと」ですか?
宏正会の会員になることを嫌っている人にとっては、勝手に宏正会の会員にされることは嫌なことではありませんか?
善意の押し付けになりませんか?
自分では宏正会の会員になっているかどうか分からないので、それでもいいいと言われるのですか?
もしも貴方が陰倍加によって「オウム真理教」の信者になっていたとしても 同じような事が言えますか?

私には、陰倍加とは 「犯罪を用いて悪いことをしょう」と言うように思えますが。

おっしゃる通りです。陰倍加をするということは、悪いことをしていることに違いありません。私が述べたかったのは、本人が善いことをしていると思っているとしても(故意がなくても)、或いは本当に善いことをしていたとしても、文書偽造という犯罪は成立するのですよ、動機が何であれそれは関係ないですよ。ということです。「犯罪を用いて〜」の文に「あたかも・・・しているようなもの」と付け加えた方がよかったです。幾分、混乱を招いたようです。すみませんでした。

今月に入ってから朝起会では「倫理がひらく 君たちに未来」を読んでいるようです。
でも、この本には嘘が書かれているとされています。

(以下 引用)
「倫理がひらく君たちの未来」において 昭和23年12月 現会長が12歳の時に「宏正」誌250冊を頒布したという会員にとって感動的な場面があるが 「宏正」ではなくて丸山の新世文化研究所の機関紙「新世」ではないのか という指摘がされている
確かに 「宏正」は昭和26年創刊とされ昭和23年の時点ではまだ存在してはいなかったはずである
すでに「新世」は昭和22年に創刊されているし この当時初代は丸山の下で活動していた 現会長が頒布したのは「新世」ということになる これは明らかなゴマカシである 
12歳であれば「宏正」であったのか「新世」であったのか十分に区別がつき そして覚えているはずである
(以上 引用)

初代会長が戦前に「ひとのみち教団」の教師をしていたことはよく知られています。
「ひとのみち教団」は昭和12年4月に当局によって解散させられました。
でも、信者達はその後、終戦まで地下活動を行なっていました。

「新宗教新聞」に次のようなことが載っています。
(以下 引用)
「昭和19年、ひとのみち裁判のさなか、当時『結び体』(裁判中の二代教祖を再び世に出して布教ができるようにするための教師の秘密組織)の一員であった長田正男先生が特高警察につかまり、拷問によって事実無根の調書が作られ、そのため二代教祖は東京警視庁に留置され、また他の結び体員も多数捕らえられました。
いわゆる『ひとのみち第二次検挙』です。その責任を強く感じた長田先生は郷里海田市の先祖の墓で自決されたのです」。
 1945(昭和20)年4月3日、全体主義国家の強権に抗することもできず、思い悩み、戦後のわれわれには、はかり知ることのできない苦しみのなかで、29歳の青年教師は、風光明媚なこの墓地で果てたのである。その約4カ月後にこの地に原爆が投下され、敗戦となり、師を苦しめた体制は崩壊した。
(以上 引用)

「二代教祖」とは、戦後にPL教団を創った御木徳近のことです。
初代会長は長田正男と同じ広島の「ひとのみち教団」の教師でしたから、当然に『結び体』(裁判中の二代教祖を再び世に出して布教ができるようにするための教師の秘密組織)に入っていたはずです。
初代会長が、この『結び体』でどのような活動をしていたか分かりませんが、
初代会長が昭和21年2月に疎開先から広島に出てから、その年の5月に「宏正会」を起こすまでに、この『結び体』の教師達の間で争いがあり、初代会長は追放され、それで自分で独立した会を創ろうとしたのでしょう。
広島の『結び体』の教師達の間で追放された初代会長ですから広島では活動することができず、戦前に「ひとのみち教団」の教師だった時には北陸が普及拠点でしたので、その当時の知り合いを頼って「ひとのみち教団」の教祖と同じようなことをしたのが宏正会の始まりとされています。
北陸で自分で始めた活動は、うまく行かなかったのでしょう。
その後、「ひとのみち教団」の准教祖であった丸山敏雄を頼り、丸山が創った「新世文化研究所」(現在の倫理研究所)で講師として活動します。
「新世文化研究所」の講師としては抜群の指導力があったようですが、昭和25年頃から徐々に横柄になり丸山を公然と批判するようにもなり、そして とうとう丸山の必死の願いも聞き言えずに独立していまいました。
丸山は昭和26年12月に59歳で亡くなりますが、初代会長の独立への心労が、丸山の死を早めたと言われています。

初代会長は「ひとのみち教団」の時代に、教祖と准祖の間には格段の差があり、講師ではダメで組織のトップにならなくてはならないとの意識があったと思います。
その意識があったから独立したのではないでしょうか。


 

↑ & ↑↑

なるほど、法律家はすごいなー、もう感心しきりであります。
いまはむかし、鼠小僧次郎吉なるものがおりまして、貧乏人にどんどん金をくれましたので、大人気をはくし、お芝居にまでなりましたが、土蔵破りというれっきとした犯罪を犯しておりました。
さしずめ宏正会は、鼠小僧次郎吉ですか。
煮ても焼いても食えない、池田大作先生も、お仲間のなかでは、「庶民の味方」「庶民の王」として温家宝首相様直々にご訪問なさいます。
ところ変われば品変わる。それぞれのひとびとには、それぞれの、考え方があるのですよ。それを余りクソマジメにお考えあそばすな。

↑↑
(どんどん論文が投稿されるので、ヤジルシ↑一本がすぐ上、そのまた上が、二本としていても、終ってみると、もう新しいものが投稿されている)

先師は、おっしゃる通り、大変独立心に富んだ、ほお骨の張った、好青年でしたよ。
日本の歴史は、いつも先師を踏み越え、踏み越え、同志のしかばねを踏んで前進したものです。
われら宏正会アイトは、それもこれも結果よしとして受け止め、あなたのように、それをホジクリません。

 成りすましの謝罪はなしか?

 情け容赦なく貴様の成りすましを暴くことができるね。

 成りすましによる中傷は犯罪なのではないですか?

 法律に詳しい君の意見をどうぞ。

 貴様が宏正会を中傷する理由が、他の宗教の攻撃担当者だというなら、その行いを理解してやろう。卑怯ではあるが、自身の「信じる」ことからの発露だろう。

 しかし、下記のようなしょうもない理由だったら、決して許しはしない。今まで貴様が中傷してきた分、お前の卑怯さを徹底的に暴く。

(引用開始)

7番 バカの一つ覚えの「認知的不協和理論」。人間を心理学でくくるな。

 太陽神が2009年4月24日から披露した「認知的不協和理論」。これを使えば、どんな現象でも説明がつきます。だから、バカの一つ覚えで使っているのでしょう。

 たとえば、私の嫌いな2ちゃんねるを、批判派の意見も知るために覗き始めました。
(途中からは、有料のビューワーを使わないとみれません。そんなアホはページを見るために、お金を払うのはもったいないので、とりあえず古い投稿と最新の投稿を見たら、「いや夫」への批判が始まっていました。(笑)どうりでこっちではロムばかりしているわけです。まったく2ちゃんねるって奴は・・・。)

 で、話が戻って、2ちゃんねるの批判派には、元会友がとても多いようです。現会友が肯定の投稿をすると総攻撃にあいます。「洗脳されてかわいそう」という感じです。「いや夫」も洗脳されているそうです。

(「洗脳」については、別に投稿します。)

 彼らの大好きな「認知的不協和理論」を使うと、2ちゃんねるで朝起会がぼろくそに言われている一つの理由が説明できます。

 元会友は、朝起会を止めたわけですから、「朝起会がいい会」と認めると、大きな「不協和」が生じます。だから、「朝起会はとんでもない会」なんだと信じ込み批判的な投稿をするのが当然です。また、自分たちが、そんな会に入ってしまったこと自体が「不協和」を生みます。だから、「朝起会にマインドコントロールされたんだ」といういいわけをすれば、不協和は減るのです。

 という風に何にでも使えるんですよ。

(引用終了)

 「飛ぶ鳥跡を濁さず」ができないキチガイなのか?

 どうせ元会友も嘘だろ?お前は嘘ばっかりの奴だ。「武蔵」のプロフィールなんて嘘の塊だったからな?

武蔵のプロフィール

(引用開始)
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。もちろん「レイモンド」殿が言っておられるように ネットに載っていることはそのまま鵜呑みにすることは出来ないものであり その裏付けが必要であることも承知しているつもりである。
多くの者が調べ事をする場合 まずはウィキペディアを見るのではなかろうか。「実践倫理宏正会」で検索すると どの検索サイトでも最初にウィキペディアで説明されている。その後は 宏正会批判のサイトのオンパレード。
まず小生が疑問に思ったのは 「宏正会」が戦前の「ひとのみち教団」の流れをくみ 「倫理研究所」から分派したと説明がなされていたことである。小生にはそのような説明は何もなかった。ただ先代先生が原爆に遭われてから将来の日本を思われて宏正会を創設されたと説明されたのみであった。小生は宏正会について何かウサンクサイものを感じ 自分なりに「宏正会」について色々と調べてみた。2チャンネルを始め多くの宏正会批判のサイトがあるが このブログの「太陽神」殿は宏正会の成り立ちを文献に根拠を求めて詳細に説明され また宏正会の問題点を体系的に説明されている。小生はその文献に当たってみたり また実際に宏正会の会員また退会された人から話を聞き、自分なりの宏正会像というものが見えて来た。そこで小生もこのブログをお借りして愚見を披露してみたいと思った次第である。
(引用終了)
 
 「太陽神」もお前じゃん。
「、」なしで打たなければよかったな。

 よって、以上を要約すると、
「私が2ちゃんねるの批判情報をまとめました」だ。

 ただしくは、
「私が、2ちゃんねるにもせっせと批判記事を書き、その情報をまとめました」だ。

 お前が風評を広げている張本人だ。

(引用開始)
 小生に関してであるが、朝起会参加を0としているが 朝起会の知人とは10数年来の付き合いであるので朝起会には全部で20回以上あるいは30回ほど行ったことになるのかも知れない。「壮年の集い」にも何度か参加したことがある。支部の会員には何人も知り合いがいるし 以前に地区の幹部をしていて今は朝起会から遠ざかっている者とも付き合いがある。
従って小生は宏正会に関する情報に関してはネットでの情報だけでなく会員あるいは元会員から充分に裏付けを取っていると思っている。
(引用終了)

 なのは、要約すると、
「2ちゃんねるで情報交換している」だ。

 そして、

(引用開始)
小生も多くの婦人会員さんを知っていて頒布の苦労や目標のために勧誘や倍加に必死になっている姿をよく見ている。だからこそこのような事をさせている宏正会そしてその指示をしている会長を批判しているのである。
要するに 貴殿とは思っている事は同じであるが 貴殿は妻のために宏正会を擁護しようとしている。
小生は 会員すべてのために宏正会の改革を望みまた宏正会を知らない人に対しては宏正会の実体を知ってもらおうと警告している。方向が違うだけということになろう。
(引用終了)

 などと、偽善者ぶっているが、貴様の(成りすましによる膨大な)批判記事により、普及実践の努力を台無しにされているのが会友だ。

 貴様は、本当は会友の苦労など何とも思っていない。

(引用開始)
宏正会の普及方法についてであるが、宏正会はとにかく普及に熱心なことに特徴がある。
これは まず会員を普及に出させることで会員を洗脳する手段となっている(認知的f協和理論による)。そして会員を多く増やせば 会費 お祝金 倍加等で会の資金は豊かなものとなり 会長も多くの会員を擁する会の指導者として社会的地位も上がることになろう。また陰倍加などで幽霊会員を多くすることによって 会の年間の資金に対して会員という分母が多くなり 会員一人当たりの会への年間の出費額を低く見せることができよう。
 そして「多くのお金を注ぎ込んだ者が会の幹部となってもなんらメリットがない」ということであるが、確かに金銭的にはメリットがないかも知れないが 金銭ではない他のメリットがある。上のお役に就く事で下の者に色々と命令したり 偉そうな事を言ったりすることが出来るようになる。これは金銭では変えられない優越感なのであろう。別に社会的な地位のない何処にでもいる普通のオバサンやオジサンが上の役に就いているのは 自身は一般社会では味わえない優越感を会の中で感じることに喜びを感じているのであろう。このような人たちは いわば会長という権威の下で自分の権威を保っている訳であるので 会長に対して絶対に異を唱えることはない。むしろ会長を褒め称えることによってでしか自分の権威を保つことが出来ないのである。
(引用終了)

 というように、会友の善意による努力を、嘲笑し踏みにじっている。貴様は絶対に許すことはできん。何万人もの実践者を傷つけて幸せな人生など歩むことはできん。それが大自然の摂理だ。

 義母と犬猿の仲で、とうとう離婚でもしたのか?そうだとしても、宏正会を攻撃する理由にはならんぞ。

 なお、我が妻は二世会友なので、熱心にやれば必ず引き上げられる。それがいやだから、いやいややれる程度で実践している。宏正会は厳しい修行なのだ。偉くなればなるだけハードなのだ。それをこなせるのは、それそうおうの人徳があるからだ。ちんけな名誉欲程度でつとまる会ではない。

 結局、お前は会とは無関係で、会友の努力の様子など見ていないのだ。

 だから、
下記のようなタネあかしで、「武蔵」キャラは消えたのである。

 「武蔵」だけでなく、他のキャラでも成りすましや嘘を書いてきたことがばれて、開き直っている「武蔵」です。

(引用開始)
 やっと本人への反論に入れる。相手が一人でもこれだけ大変である。先人は、どこの馬の骨ともわからぬ複数の批判者に中傷され、討論に疲れた。理論ではまさっているにもかかわらずである。先人の投稿を活用できる私は幸せである。

さて、
(引用開始)
「いや夫」は小生のプロフィールがおかしいとしているが、小生がネットを始めたのが今年になってからのことであり 朝起会について調べたのもそれからであるからこのような表現になったまでのこと。
妄想というものは色々と広がるようである。ご苦労なことだ。
(引用終了)

 今まで、さんざん偉そうなことを書いてきたくせに、朝起会のことを何も知らない新参者ということになる。会の内部事情など知っているはずがない。
 太陽神を尊敬し、その紹介した書籍にすべてあたったなどと書いているが、どうせ真っ赤な嘘だろう。「新宗教事典」で、実践倫理宏正会が新宗教に分類されていないことさえ知らないようだ。2ちゃんねるや太陽神の投稿をうのみにしただけだ。

 以前の我が投稿を引用すると、
(引用開始)
A 実は会友ではない。
 証拠を示せと迫られたので、会友歴があるふりをしただけ。だから、10数年来の付き合いの朝起会知人とか、元会員とかも架空の人物。ネットの情報がほどんど人間。
(引用終了)

 ということだ。たいした奴ではなくて残念である。

やはり、早く太陽神に出てきてもらいたいものだ。
田中丸君でもいいけど・・・。

 

投稿 いや夫 | 2009.10.26 09:13 午後

 武蔵君、知らないみたいだから教えておくね。

「壮年の集い」は一年に一回しかないんだよ。

{「壮年の集い」にも何度か参加したことがある}君が、何でこんな言い訳するの?

 会友からみれば、君のプロフィールは0点だよ。どう解釈すればつじつまがあうのかな???

 嘘を一つつくと、その嘘をがまかすために新たな嘘をつかないといけないようになるんだよ。
もっと正直に生きようね。


(引用開始)
小生が宏正会に関心を持ち色々と調べるきっかけになったのは 知人に朝起会に誘われたことからである。最近はネットというものが発達し色々なことを手軽に調べることが出来るようになった。
(引用終了)

(引用開始)
小生に関してであるが、朝起会参加を0としているが 朝起会の知人とは10数年来の付き合いであるので朝起会には全部で20回以上あるいは30回ほど行ったことになるのかも知れない。「壮年の集い」にも何度か参加したことがある。
(引用終了)

(引用開始)
「いや夫」は小生のプロフィールがおかしいとしているが、小生がネットを始めたのが今年になってからのことであり 朝起会について調べたのもそれからであるからこのような表現になったまでのこと。
妄想というものは色々と広がるようである。ご苦労なことだ。
(引用終了)

 みなさん、彼はどうも「狼少年」のようです。
彼の投稿は疑って読むようにしましょう。
ネットではそれが当たり前の読み方です。

投稿 いや夫 | 2009.10.26 10:47 午後

(引用終了)

「陰倍加」について一会友の気持ちを代弁

 頒布のノルマ30冊を抱えている「いや妻」は大変である。これをすべて他人に渡しきるのは、なみたいていのものではない。タダだから気安くもらってくれるというわけではない。

 (どこかの馬鹿が、成りすましの投稿でさんざん宏正会を中傷しているからな。そんな奴が他にも、いて負の情報だらけである。)

 配れなかった分は、自腹を切るし、そもそも有償で出すことなど「いや妻」はこだわっていないので、お金が惜しいなどとは思っていない。「社会のために差し出すお金」と考えている。

 ちなみに、倍加一人分と頒布一人分は金銭的な負担は同じである。

 よって、頒布30冊のノルマをかかえている「いや妻」にとっては、ご近所さん一人の「陰倍加」の負担が増えることなど、大してかわらない。

 頒布は見ず知らずの人に行う行為なので、修業にはなるが、人間関係がどうこうなるというメリットはまったくない。

 しかし、ご近所さんを陰倍加すれば、必ず人間関係がうまくいき、安いものなのである。それは、会友が今まで、陰倍加の効果を実際に感じ、伝統的に行われてきたものなのだ。いくら本部がやめよと指示を出しても、会友は、「陰倍加」を「倍加しました(=許可を得ました)」と偽って報告してしまうのだろう。それほど、費用対効果の高いものと考えられているのだ。(「いや夫」説。)

 実質、本人にも他の会友にも知られず、自分一人がお金を払ってその人の幸せを願うのである。ばれはしないのだ。よって、本人も傷つかない。知らないんだもん。

 ちなみに、勝手に「オウム真理教」の信者にされるのは「いや夫」は嫌だ。しかし、「実践倫理宏正会」はカルトでもなければ、宗教でもない。例えとしては不適切である。

 「いや夫」が例えると、
ある地域に住むと、ほぼ強制的にある神社の氏子にされ、氏子費をはらわなければならないとする。そんなときに、地区のまとめ係をしている者が、日々お世話になっている人の氏子費をかわりにはらっといてあげる。そんな感覚だ。
(我ながら、つっこみどころ満載だな。)

 だが、貴様の成りすましもつっこみどころ満載だから同じだ!

 結局、過去20年間近く宏正会への2ちゃんねるやブログへの中傷が繰り広げられてきた訳だが、唯一否定派が勝てるのは、「陰倍加」だけである。

 他の批判については、すべて「いや夫」が論破した。否定派は話を何万倍にもふくらませて嘘ばっかりである。どんな嘘をついてきたか、このブログの当初の誹謗中傷を見ればよい。

 そして、誹謗中傷の中心人物こそ、この「武蔵」なのである。

 自身の非は一切認めない、自己中なキチガイである。論理的な文章を書けるだけにたちが悪い。倫理が備わっていなくて、知識だけもってる奴が一番役に立たない人間なのである。どうせ、宏正会の中傷を生き甲斐にしている変人なのだろう。

 いかに変人かは、我がブログにて説明していきます。しばし、時間をいただきます。

 「陰倍加」についてはあっさり折れる「いや夫」です。

 「いや夫」は嘘が大嫌いです。討論でも、決して嘘はつかない。それが「武蔵」と根本的に違うところです。

 「いや夫」の陰倍加に対する考えは、

(引用終了)
 本人の許可を得ての倍加はOKですね。
 陰倍加(本人の許可を得ない)についての
批判が多いようです。

(他サイト投稿より引用開始)
「かげ倍加」の真の意味は、本会とのご縁を
結ぶことで、陰乍らその方の「仕合せ」を願う
ことにあります。決して、倍加の「数合わせの
ために」行うものであってはならない、
と本会で教わっているはずです。
(引用終了)

 一般には、陰倍加で勝手に会友にされる
との批判記事がありますが、この点については
どうなのでしょう。
陰倍加は、入会用紙と違う用紙を使い、
誰を倍加したかは、他の会友(担当者は除く)には
知られないと思います。
よって、陰倍加を会友数に加えるのはおかしい
ですね。どうなっているのか、私などが知る
ところではありません。

(引用終了)

 であり、、また、

(引用開始)
20091026武蔵への反論 その四

 陰倍加については、私も全面的な支持はしない。
本部もそのような指導はしていないそうなので、なくせばいいとさえ思う。
その一方、会友自身が、その効能を信じて、積極的に行っている面もあるように感じる。
難しい問題だが、下記の鯰の鬚は4本氏の投稿の方が、私見より優れていると思い紹介する。

(引用開始)

陰倍加については私自身も色々と思う所はあります。単なる数合わせ・目標必達(集金?)のためのものであれば、他に『合法的』な形(会費の増額なり、寄付に回すなり)へと変更する必要があろうと思います。
今までにも述べましたが、本来の『陰倍加』(ウラ倍加?ではないもの)はその名の通り、陰ながらその人の仕合せを願う心の発露から行われているものです。
演談をお聞きになった会友さんが『陰倍加』をお勧めになったのも、結婚されたご親族の仕合せを、単純に願ってのものと推察致します。

仰る通り、この頃は世間一般にも法律遵守を殊更意識する風潮が出ていますので、その辺の配慮も必要になってくると思います。(余談ながら『Compliance』と言っても、米国では意味が通じないそうですね)
ただ、法律に詳しい方に聞いた所では、厳密に言えば『有印私文書偽造』に当たるかも知れないが、基本的に『被害(者)』が存在していない所から、一般的な解釈としてはシロ(事件としての立件は多分無理)ではないか、との事でした。
もう一つ、個人情報保護法の観点からも問題がありそうですが、こちらにしても、収集した個人情報を会として組織的に『悪用』するか、管理不徹底に拠る流出など、重大な過失事例がない限り法の趣旨には抵触しないようです。

法律論はともかく、全く見ず知らずの人々の名前をでたらめに流用するのは、道義的にも許容範囲を超えたものと私も感じます。が、ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲かと感じておりますが、如何でしょうか。
何れにせよ、これも『強要』されるのは問題ですから、その辺は『正しい実践』をと願うのみであります。

投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.08 08:49 午後
(引用終了)

 であり、
(引用開始)
・陰倍加 
 「これはいたいところ。改善しよう。資金は十分だろうから止めればいいのに。ただ、会友はその人の幸せを願って善意でやっているのも事実。会友数に加えなければ、問題にならないと思うけど…。どうなんだろう。」
(引用終了)

 と度々、良き風習ではないと認めているのである。

 本部の方へ、「陰倍加」を会友数に数えないですむ方法を提案しましょう。「陰倍加」をやめなさいと会友に指導したところで、かならずやる人が出てきます。会のすばらしさを認めているからの行いです。であるなら、「陰倍加」の名称を改め、会員に数えないで、その人の幸せを願うシステムにかえればいい。占いでも、宗教相談でも、身の上相談でも、相手の氏名や関係、場合によっては生年月日などの情報を得ようとします。でなければ、占いは成り立ちません。それは、決して犯罪には当たりません。絵馬に「○○さんの幸せを願います」と書いても犯罪になりません。そのような仕組みを整え、本部も会友も否定派も納得できる仕組みに変えましょう。

 こんな些細なことで、変質者のちゃねら~に、鬼の首をとったように攻撃されるのは、終わりにしたいところです。

先代先生が好青年であられた頃をご存じの方がおられたなんて、すごいです。しかも、それほどご高齢の方がネットへ書き込みまでこなされるなんて素晴らしい!・・・!

言葉尻のレベルを超えていると思われるので、指摘を
させていただきます。

>こんな些細なことで、変質者のちゃねら~に、
>鬼の首をとったように攻撃されるのは、終わりに
>したいところです。
>投稿 いや夫 | 2010.08.06 10:18 午後

些細なことかどうかは、被害を与えた側から言う
べきではありません。
たとえ微罪であったとしても、犯罪は犯罪であり
被害を受けた本人が、どう思うかが問題であって
被害を与えたものが、どう思うかを、押しつける
ことは、してはいけませんね。

これは、常識の問題で、議論の余地はないと
思います。

貴殿は、通常社会生活でも、このような発想で
コミュニケーションをとっているのですか?
そのようなことは、現実社会ではしていない
はずです。
ネットでも、コミュニケーションのマナーは同じ
ですよ。

あと、微罪とはいえ、犯罪であるとともに
数がそろって、しかも、公益法人であるとすれば
これは問題が違ってきますよ。

例えをつかうのは私は嫌いですが、例えれば
(違う設定に置き換えると、論理がずれるので)
道端に、1人がちり紙を1個捨てるのと
数万の人間が、1人50個ずつ捨てるのとは
大きな違いがあります
しかも、組織で、そういう仕組みになっている
のであれば、しかも、非課税の公益法人がで
あれば、まったく次元が違ってきますよ

自分の敷地に、鼻かんだちり紙を、1つ捨てられるのと、
数万の人間が、1人50個ずつ、あちこちで、花かんだちり紙を捨てるのでは、問題がぜんぜん違うよね

さらに、自分の敷地にごみを捨てられて、文句をいったら、捨てたやつから
「こんな些細なことで、鬼の首を取ったみたいに、文句いうじゃないよ。おまえ変質者か?」って、いわれちゃうわけだ。で、さらに、団体でそういう方針であると、しかも、えらそうに、倫理を語る、と、
いうことと、やることが、ちがいすぎるとおもいますねえ

前二つで投稿された方にも関係しますが、少し補足をしておきたいと思います。私は私文書偽造について二稿を投稿しました。前の方がそれを踏まえておられるかどうかは定かではありませんが、文書偽造の罪について言いますと、これが守ろうとしている法律上の利益は偽造をされた人の利益もさることながら、「偽造された文書が流布されることによって、世の中の文書の真正性が犯される」という公の利益に主眼が置かれているのです。従って、指摘をなさっていた「被害を受けた人がどう思うか」ということとも実は関係なく文書偽造は成立してしまうのです。文書を偽造して他人名義で契約(例えば携帯電話)を結んだ。その間の料金債務は自分(偽造者)が弁済し、初期の目的を果たしたところで契約を解除したとしましょう。この場合でも、偽造された人は何が行われたのかは預かり知らない。債務の弁済も全て終わっているのだから、迷惑もかからない。したがって文書偽造は成立しない。といった理屈が通用するかどうか。他人のためを思ってやったのだから構わないと言えるかどうか。(他人のために電話料金等の支払い実績をあげることで信頼を作ることなどですが、実際には不動産取引を用いてよく行われます。)括弧内の例は、勿論当事者の合意のもとに合法的に行うのですが、もしこれを一方が勝手に行うとやはり犯罪になりますよ、ということです。公の利益を守る規定である以上、「相手に迷惑がかかっていないから構わない」という論法は一切通用しないのです。たとえ事後的に相手の了承を得たとしても、それは酌量による減刑の対象になるに止まり、違法性までが阻却される(なくなる)わけではないのです。少し細かいですが、こうしたことを踏まえて考えないと、会が本来求めている普及の在り方をも見誤ることになってしまいます。

(引用開始)
文書偽造の罪について言いますと、これが守ろうとしている法律上の利益は偽造をされた人の利益もさることながら、「偽造された文書が流布されることによって、世の中の文書の真正性が犯される」という公の利益に主眼が置かれているのです。
(引用終了)

 で、ちなみに、
「「偽造された文書が流布されることによって、世の中の文書の真正性が犯される」
ことは決してありません。流布されません。だから、「陰倍加」された本人が知ることは決してありません。

 「鼻かんだちり紙」というたとえ自体がおかしいのであって、

 各会友個人の庭に、「○○さんの幸せを願って」花を植え、年間3千円分くらいの出費で肥料や水をあげて世話をするイメージです。「陰倍加」なのかどうかは、会友個々の問題でして、公共の空間とは無縁です。お金を払っているのは、個人なのですから。

 会友の家の庭の美しい花が、ご近所さんの幸せを願ってのものだとは、ご近所さんも知りません。

 そのような間隔ですので、あしからず。
同じ「はな」でも、否定派と肯定派は根本的に違うのです。

 しかし、「陰倍加」を会員数に数えると、上記の説明も意味のないものなることは認めます。数えないで欲しいなあ~。公称会員数が減ってもいいから、もう一度そこから始めたらどうでしょう、というのが「いや夫」の本音です。

 君はやけに法律に詳しいが、保険のおばさんのパートでもやっているのかね?

 話題を変えようと必死に「陰倍加」について攻撃しているが、真の話題の中心は、

「武蔵」(君)は、どれだけの成りすましを行ってきたのか?

 だ。「いや夫」は自身に不利(嘘。陰倍加がなくなるのは、「いや妻」にとっても「いや夫」にとっても、別に問題ではない。)なこともちゃんと認めているぞ。君も自信の過ちを自ら認め白状しなさい。

 「情状酌量の余地」を生かすべきでは?

 我がブログに、
「シリウス」→「太陽神」→「至誠会」→「武蔵」の「、」なし人間が、同一人物に間違いないという分析結果を載せておきました。ご覧ください。

 これが、↑↑こ奴の触れて欲しくない話題です。

「宏正会って何?」成りすまし横行(その5) 「愚息」は「武蔵」そして「否会友」なのでしょう 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_11.html

文書偽造の定義にいう「流布」とは、不特定多数に頒布された状態であることを意味しません。ただ使用を目的とした偽造文書を作成された状態、人目に触れる危険性がある状態のことを指すと解されています。「文書に対する公共の信用を保護する」というのが立法趣旨ですから当然のことで、この点については争いはありません。考えもせずに都合のよい勝手な解釈はいけませんよ。そのようにして、自分のなさったことを正当化しようとしてきたとしたら問題ですね。

ハインリッヒの法則を使わせてもらえば、特定の投稿者を捜すのが無意味に感じる。
一つのアクシデントの背景には300のインシデントが存在する。
疑問点が多い団体という事。
否定派ではなく、疑問派が多い。考え方に問題ありと言う方は少ない。
もっと本質を議論しては?
総務省は、情報公開でホームページ作製を推奨しています。また、会員証は、ダイレクトメールで発送し毎年更新する。
このくらいは、社会常識、淪落です。
公益法人は八割が公益事業に使えともなっています。

ここは本来、実践倫理宏正会について意見を書き込む場所じゃなかったの?それを無理矢理[成りすまし]と決め付けて そのあてっこの場にすり替えたのはいや夫だろ?それを真の話題の中心だと?笑わせるな! いや夫が誤魔化し、すり替えた話題が本来の姿に戻ると、理論の苦手ないや夫は困るらしい。レベルが自分より高いヤツが出てくると、そのたびに大量書き込み(引用)して、話題そらしに一生懸命。でも結局話を持っていける先は意味のないあてっこだけ。情けないやつだ。でもそれがいや夫の目的なんだから本人は一人満足してるのか。バカなヤツ。

成りすましの追及とかという理由で、大量のコピペを貼るのはルール違反だよ。
そんなものは自分のブログでしたら。
ここでは、もし反論があるのならちゃんと議論すればいいじゃないの。
議論すれば負けてばかりだから、成りすましの追及なんてことに話題にすりかえて誤魔化しているということですね。

コピペを貼るか、同じことばかりを言っているようですので、もうこのブログから消えたほうがいいのでは。
このままここに居ても、皆さんに迷惑がられ、軽蔑されるか バカにされるだけでしょうね。

>成りすましによる中傷は犯罪なのではないですか?

「成りすましによる中傷」なんて犯罪は存在しません。
「中傷」が名誉毀損罪になるかどうかという問題だけです。

いや夫=ゴジラは、自分の存在感を示すために、必ず否定派と同量かそれ以上の書き込みをしています。
そのために いつも大量のコピペをするのです。

 大量のコピペをしてきたことは認めよう。
それは、一人の人物が大量の投稿をしながら、別人のように装っており、その事実を明らかにするためだ。「いや夫」のように、固定ハンドルで、一人の人物が打っていることが明らかなら、その投稿の信憑性は、第三者も判断しやすい。

 しかし、貴様の成りすましは、一見巧妙(実は尻尾丸出し)で、あたかも複数の被害者が多数の中傷記事を投稿しているように装っており、これを真実だと誤解する(おめでたい)人間はたくさんいる。

 討論の出発点として、
・宏正会を訴える裁判などはない。
・多数の被害者など存在しない。
・ネットの膨大な批判記事は、少数の者が大量の投稿をし、多数の意見のように装っているからである。

 という事実を明かす必要があるのだ。

 いつまで往生際悪く、抵抗しているのだ。

 私(武蔵)は、成りすましをたくさんしました。○○、○○、○○、○○○、○○○、○○○○、○○、○○、○○、○○○、○○○、○○○○、
○○、○○、○○、○○○、○○○、○○○○、
○○、○○、○○、○○○、○○○、○○○○
は全て私です。

 と白状せよ。そうすれば、「いや夫」がいちいち追求する必要もない。それを一切せんから、追求しているのだ。そのために、大量のコピペが必要になっているのだ。

 貴様は成りすましの一つでさえ認めようとしとらん。それは、一つを認めたら、全部の成りすましが見破られそうで恐ろしいからだ。ダムがありの一穴で決壊するようにな。

 貴様の成りすましを明かすことは、これまでのネット上の中傷記事が、どのように増殖され根拠のないものであったかの良き証明になるのだ。

 その点では、このブログに2ちゃんねるの嘘の中傷をせっせとまとめ投稿してくれた君の努力は、かえって都合がよい。これをつぶせば、宏正会への汚名は晴らされるのだ。

 「いや夫」がこのブログや2ちゃんねるの膨大な中傷記事に、「ありの一穴」を開けてやる。

 「大量のコピペ」を少なくするために、我がブログに、解説を載せていきます。

 そちらもご覧いただきたい。

「宏正会って何?」成りすまし横行(その5) 続「愚息」は「武蔵」そして「否会友」なのでしょう 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_12.html

 「いや夫」が競馬で忙しい土日がチャンスだぞ。

 反論をせいぜい投稿していなさい。

 その投稿も、後々成りすましの分析の貴重な資料になるだろう。

いや夫ちゃん、まだ言ってるよ。バカじゃないの? いやもうとっくにバカ丸出しだった。理論で勝てないいや夫ちゃん、討論できないいや夫ちゃん。たった一つ、できることは、同一人物ネタのでっちあげと言い掛かり。自分こそ謝罪しろよ。

土・日は競馬で忙しく、それ以外の日は暇で仕方がない人がいるらしい。真面目に働いてる人たちには想像もつかない優雅なニート生活だ。しかし、パラサイトってそんなに楽しいのかな。それとも、精神病の大金持ちかな。自分が暇で大量のコピペをしてるもんだから、匿名が全部同一人物だと思えるんだろうな。社会人はそんなに暇じゃないよ。 同一人物説のお遊びは、いや夫特有のニート事情を根拠にしたただの妄想だということ。そう考えればあの異様なまでの執着心も納得できる。法律論に詳しい人が出てきたら「保険のパートのおばさんでもしてるのか」などと嘯いてみせるのも、知識では勿論のこと、職業面でも社会的劣等感があることの裏返しか。人や社会をなめ切った表現をして恥ずかしくないのかねぇ。

 図星のようだな。

また出た得意の「 あぁ勘違い。」 みんな笑ってる。 文章読めないパラサイト。あぁ恥ずかしい。早く謝罪しろ、言い掛かり付けのゴロツキめ。

 「保険のパートのおばさん」に反応してきたので、解説しよう。

 根拠はちゃんとある。

「宏正会って何?」成りすまし横行(その5) 「愚息」は「武蔵」そして「否会友」なのでしょう 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_11.html

で明らかになったのは、

「、」のない文章を打つ成りすまし投稿者の投稿時間の中心は、午後3時~8時であること。
特に、4時台に集中していること。

 平日午後3時からの投稿は、普通の会社員では無理であること。


 以上から、「主婦でパートをしている人物」と想定した。

 主婦でパートをしている人間にしては、法律にやけに詳しすぎるし、それを自慢しているようなので、おそらく、お勉強をしたことをこのネットで生かしているのだろうと想定した。

 上記の条件をしっかり満たすのは、「保険のおばさん(外交員)」である。

 日々接客しているので、口はたつ。
精神的にハードな仕事であるので、そのうさをネットでの中傷で晴らしているともいえよう。
 「否会友」にぴったりだなあ~。

 これは、プロファイリングの一種である。

 「いや夫」がニートなどという否定派の中傷は、何の根拠もなく、妄想である。

 「いや夫」がやったように、「いや夫」の投稿日時のパターンを分析してみよ。

 否定派は、分析は苦手のようだ。ばかだもん。

あっはっは。 図星なのはいや夫のほうだろ? 心理がよく表れてるね。勝手にどんどんはまっていってる。喋る晒し首、いい見世物になってきた。

たったそれだけかよ。情けない。それならもしかしたら学生かも知れないし、飲食業の者かも知れない。自分で決め付けた(たまたま思いついた)結論以外は何も思い浮かばない、と言うより考えるという回路がないのだろう。今までずっとそうだもんな。これじゃあ ハイレベルな投稿者が嫌気がさして相手にしなくなるわけだ。ほんと、「いや夫」とはよく言ったものだ。はからずも名が体を表してる。

いや夫=ゴジラ君には、成りすましの追及といって誰かを悪人に仕立てるしか手が残っていない。
前は確か「愚息」だったようだけど、いつの間にか「武蔵」になっている。
次は誰になるのかな。

連敗記録更新中のいや夫=ゴジラ君。
意味のない大量のゴミを撒き散らして、いや夫=ゴジラ君には何が残るのかな。
低脳な反論をして、結局は批判派の論述を深めるためだけに存在しているようだけど。
いや夫=ゴジラ君は批判派のための良きサンドバッグになってくれているのか。
ボロボロになって使いの物にならないように頑張ってほしいな。


いや夫のプロファイリングは、ムチャクチャ。
誰がそんなもの信じるの?
亡霊にうなされて、当たり構わずに刀を振り回しているキ・チ・ガ・イ。

なんだかわけがわからなくなってきた。つまり、「いや夫」論に従うと、「いや夫」自身は、仕事をこなしながら、片手間に勉強している保険のパートの人に、知識や理論では遠く足元にも及ばないということになってしまうのだが。こんなことを自ら証明して(実はしたつもりになっているだけだが)何が嬉しいのだろうか。墓穴を掘っていることに全然気が付いていないぞ。「いや夫」は果たして敵か、はたまた愉快なみんなのペットか?餌を与えれば与えるほど下手な芸を見せてくれるぞ。皆さん何かそれを楽しんでいる風情さえ感じますね。

 何をそんなにあせって、必死に否定しているのだ?当たりすぎていて困っているのか?

 では、これも当たっているのか?

(引用開始)
 義母と犬猿の仲で、とうとう離婚でもしたのか?そうだとしても、宏正会を攻撃する理由にはならんぞ。

(引用終了)

 以前は、2ちゃんねる丸出しの投稿は、きっすいのちゃねら~キャラである「愚息(鉄槌)」だと勘違いし、「武蔵」とは別の人物だと想定していた。

 それが、「武蔵」自身の成りすましだとわかり、さらに怒りが膨れ上がっているところだ。

 このような成りすましの中傷により、会や会友、会長先生を傷つけてきた罪は重い。

(どうやって分析するかのアイデアはすでにある。じっくり明かしていくので、楽しみに待っていなさい。より確かに証明する必要が出てきたら、2ちゃんねるの過去レスを見るために、一年間だけ2ちゃんねるに出費すればいい。そうすれば、貴様の成りすましの宝庫だから、より完璧に成りすましの証拠を暴いてみせよう。)

 会や会友が貴様を許しても、「いや夫」は許さない。「大自然の摂理」に従えば、貴様が幸せになれるわけがない。不幸な人生を歩んでいるはずだ。

 しかし、それは他の誰のせいでもない。自分自身が招いたことだ。

はずれ過ぎて笑ってます。頭の悪いいや夫はそんなことにも気付かず、またお決まりのコピペ。明日からまた暇だそうだからどんどん引用しまくるぞ。相変わらずちゃんとした理論、理屈はなしだろうな。なるほど、「片手間勉強以下の頭脳」とは面白いことを読み取ったな。言われてみれば確かにその通りだ。いや夫の勇気ある告白に拍手!自ら息の根を止めたいや夫よ、さようなら。

平均的会員はだいたい、5/6人の人を裏倍加していると言われている。自分の家族と、知人のあのひと、このひとの住所や名前を、せっせと書いてその本人に成りすまして、申し込みを行っているのだ。
400万会員のうち5分の1の80万人は、真性会員としても、あとの320万人は、言うところのなりすまし会員である。
武蔵殿が愚息、鉄槌など数々の成りすましになって、宏正会批判を行っているとしても、まさか320万人のなりすましをおこなってはいないだろう。
武蔵殿が、なりすます度に、賛成したり、反対したりすれば、問題だが、終始一貫批判を繰り広げているなら特に問題ないし、現行のように、匿名で批判する場合は、何千回投稿しようが全くもんだいない。匿名はもともと匿名という性質で、1人から無限大の不特定多数の人が、自由に無限に発言しているだけだ。
いや夫さんが、匿名になった暁には、どのひとがいや夫さんか、みんなで当てっこ遊びをいたしましょう。

 「いや夫」の成りすまし暴露を打ち消すのに必死だなあ。

 どうあがいていも無駄だ。このブログも2ちゃんねるの過去ログも消せはしない?

 成りすましの証拠は膨大で、貴様がどんなにごまかしても無駄なのだ。じたばたするだけ、貴様の人間性の低さが露呈するだけだ。

 刑事コロンボのエンディングの話をしてやっただろう?ドラマでは、犯人はあっさり罪を認め、素直に捕まるのだ。

 ところが、貴様は刑事コロンボに斬りかかり、車に飛び乗って、道路を疾走している。自分がつかまらないためには何でもしてやる、信号なんかおかまいなし、という感じだ。

 「いや夫」は知的に否定派の成りすましを分析して、ネットでも成りすましを暴けるんだ~、と驚きと喜びを感じているところだ。

 貴様が素直に罪を認めておれば、これほど詳細に分析をすることもなかったはずだが、微塵も反省の態度がみられないので、遠慮なく貴様の成りすましの証拠を暴いてみせよう。

 貴様は、過去にこんなことを打っていたね。
自身が逆の立場になることなど、想像もしていなかったのだろう。哀れでである。

注:「いや夫」さん→「武蔵(否会友)」さんに変更。
(彼女は、知的な投稿を装うときには、ちゃんと「さん」づけします。しかし、ちゃねら~の投稿に成りすますときには、「いや夫」と呼び捨てです。そういう奴です。)

(引用開始)
「武蔵(否会友)」さんは それなりに知性がある方のようですので 「武蔵(否会友)」さんに反論するためには その一つひとつを潰して行く方法しかないようですね。
「武蔵(否会友)」さんの言っていることをシラミ潰しのように一つひとつ潰して行って「武蔵(否会友)」さんがもう行き場がないように追い詰める方法です。
「武蔵(否会友)」さんは 罪を逃れるために言い訳をして絶対に罪を認めない容疑者みたいなような人ですから 取調室で検察官が容疑者の言っていることを一つひとつ潰して行って追い詰め 最後には根を上げて罪を認めさせる(自白させる)やり方です。
(引用終了)

(引用開始)
武蔵殿が、なりすます度に、賛成したり、反対したりすれば、問題だが、終始一貫批判を繰り広げているなら特に問題ないし、現行のように、匿名で批判する場合は、何千回投稿しようが全くもんだいない。匿名はもともと匿名という性質で、1人から無限大の不特定多数の人が、自由に無限に発言しているだけだ。
(引用終了)

 どさくさにまぎれて、認めているね。

 問題ないわけないだろ!ば~か!

 貴様がどんなに卑怯な奴か、あらいざらい示す。問題があるかどうかは、読む人が決めることだ。成りすましをしている貴様が書くな!ボケ!


典型的な、宏正会会員状況になってますね
この掲示板をみたみなさんも、宏正会会員の本音が
よくわかったと思います、一皮むけば、これが実態です

今、勧誘されている方、会員でもまだ歴の浅い方
寄付金などを請求されていない「お客様会友」レベルの
方は、参考になったと思います


<宏正会会員状況>
宏正会に都合の悪いこと、教えに反する発言に対しては、下記の反応をします
1ステップ:聞いてない、あるいは理解できない
2ステップ:本に書いてあること、会の誰かの言ったことの、そのままを言い返す
3ステップ:逆切れして、罵倒しだすか、誹謗中傷しだす
→結果的に、本人の言葉としての理由も、説明も、具体的なものは何も出てきません
 ただ、ただ、会の教えをオウムのように繰り返すだけで、自分の言葉はでききません

この人たちにとっては「宏正会を否定されること=自分を否定されたこと」に
なるので、大変です。鵜呑みにした理屈ですから、自分の言葉では語れません
ですから、逆切れして暴言、罵倒、誹謗中傷に走り、倫理そっちのけの言動が
始まります。でも、本人はご満悦です。

「太陽神・武蔵」へ

 とりあえず、

「、」なし投稿は全て私ですと、素直に白状しなさい。

 我がブログより、引用。
(本当にサイバー要員がやるように大変な作業である。相手が嘘つきだと疲れるなあ~。)

(引用開始)
「宏正会って何?」の「、」無し投稿 曜日・時間帯分析データ(資料編)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_13.html

 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

は、宏正会否定派が成りすましによる中傷をどれだけ行ってきたかを明かす資料として、価値のあるブログです。
 このブログでは、否定派は実は少数で、特に一人の人物がたくさんの人物に成りすまし、膨大な中傷を投稿し、肯定派を倒すために、謀略をしかけていることが明らかになりました。

 その中心人物こそ「太陽神・武蔵」であり、
「、」を打たない文章を、成りすましのときにも使っていたため、「いや夫」に尻尾をつかまれてしまいました。
 なお、こ奴は、「、」のある成りすましも当然行っていたようで、今後、その解明をすすめていきます。

 資料として、かのブログで、「、」無し投稿のみを下記にピックアップしました。

 「、」無し投稿者の投稿パターンには、大きな特徴が見られます。

 平日については、午前11:30~午後2:30までの投稿が極めて少ない

 上記のような特徴が見られるのは、これらの投稿のほとんどがたった一人の人物(おそらくパートの主婦)によって行われてきたことを示す有力な証拠です。投稿者が二人、三人と増えていくにつれ、偏った特徴は薄れていくものと思われるからです。


 表の見方

 (「異」がついたものだけが、上記の投稿パターンから逸脱したものです。異なるもののみ、その投稿内容を<  >で解説します。)

 以下、2010年8月1日までの、260もの「、」無し投稿について、「太陽神・武蔵」のものではないと思われるものは一つもありません。
 「太陽神・武蔵」へ、違うというなら、番号で指定して、言い訳してね。


NO   パターン   曜日  平日か休日    投稿者 投稿日時

1 金 平 投稿 私もここに書きこんでいいですか | 2006.05.05 03:04 午前
2 金 平 投稿 質問です | 2007.03.09 02:58 午後
3 木 平 投稿 モモ | 2008.10.30 07:03 午後
4 火 平 投稿 シリウス | 2009.03.24 05:41 午後
5 火 平 投稿 太陽神 | 2009.03.24 07:28 午後
6 水 平 投稿 太陽神 | 2009.03.25 04:30 午後
7 木 平 投稿 太陽神 | 2009.03.26 06:51 午後
8 土 休 投稿 太陽神 | 2009.03.28 11:32 午前
9 日 休 投稿 太陽神 | 2009.03.29 04:07 午後
10 火 平 投稿 太陽神 | 2009.03.31 05:24 午後
11 水 平 投稿 太陽神 | 2009.04.01 05:35 午後
12 木 平 投稿 太陽神 | 2009.04.02 05:54 午後
13 月 平 投稿 太陽神 | 2009.04.06 03:45 午後
14 月 平 投稿 太陽神 | 2009.04.06 04:58 午後
15 火 平 投稿 太陽神 | 2009.04.07 05:20 午後
16 木 平 投稿 太陽神 | 2009.04.09 07:19 午後
17 金 平 投稿 太陽神 | 2009.04.10 06:17 午後
18 日 休 投稿 太陽神 | 2009.04.12 04:20 午後
19 月 平 投稿 太陽神 | 2009.04.13 06:56 午後
20 水 平 投稿 太陽神 | 2009.04.15 06:42 午後
21 木 平 投稿 太陽神 | 2009.04.16 03:56 午後
22 金 平 投稿 太陽神 | 2009.04.17 03:04 午後
23 土 休 投稿 太陽神 | 2009.04.18 07:34 午前
24 火 平 投稿 太陽神 | 2009.04.21 06:29 午後
25 木 平 投稿 太陽神 | 2009.04.24 04:00 午後
26 金 平 投稿 太陽神 | 2009.04.25 04:59 午後
27 日 休 投稿 太陽神 | 2009.04.27 06:15 午後
28 土 休 投稿 太陽神 | 2009.05.02 05:53 午後
29 日 休 投稿 太陽神 | 2009.05.03 04:24 午後
30 月 平 投稿 太陽神 | 2009.05.04 06:05 午後
31 火 平 投稿 太陽神 | 2009.05.05 04:30 午後
32 木 平 投稿 太陽神 | 2009.05.07 07:29 午後
33 金 平 投稿 シリウス | 2009.05.15 02:41 午後
34 月 平 投稿 シリウス | 2009.05.18 04:25 午後
35 火 平 投稿 匿名 その2 | 2009.05.19 09:53 午前
36 水 平 投稿 シリウス | 2009.05.20 04:08 午後
37 金 平 投稿 シリウス | 2009.05.22 04:21 午後
38 土 休 投稿 シリウス | 2009.05.23 11:36 午前
39 土 休 投稿 シリウス | 2009.05.23 05:24 午後
40 日 休 投稿 シリウス | 2009.05.24 07:13 午前
41 異 月 平 投稿 シリウス | 2009.05.25 11:11 午前
    <会長の自宅に関する疑問点を記述。同一人物だろう。>
42 金 平 投稿 シリウス | 2009.05.29 03:36 午後
43 日 休 投稿 シリウス | 2009.05.31 10:54 午前
44 火 平 投稿 武蔵 | 2009.06.02 03:39 午後
45 木 平 投稿 トミー | 2009.06.04 05:32 午後
46 金 平 投稿 武蔵 | 2009.06.05 02:58 午後
47 土 休 投稿 至誠会 | 2009.06.13 06:08 午後
48 異 火 平 投稿 至誠会 | 2009.06.16 12:19 午後
    <「陰倍加を批判。同一人物だろう。>
49 月 平 投稿 至誠会 | 2009.06.22 10:20 午後
50 水 平 投稿 至誠会 | 2009.06.24 10:04 午後
51 金 平 投稿 至誠会 | 2009.06.26 10:04 午後
52 異 月 平 投稿 究明団 | 2009.06.29 11:25 午前
    <会長先生自宅のグーグルマップURLを貼る中傷。同一人物だろう。>
53        金 平 投稿 武蔵 | 2009.07.03 09:42 午後
54 土 休 投稿 武蔵 | 2009.07.04 04:21 午後
55 土 休 投稿 武蔵 | 2009.07.04 04:45 午後
56 火 平 投稿 武蔵 | 2009.07.07 04:26 午後
57 木 平 投稿 武蔵 | 2009.07.09 03:48 午後
58 土 休 投稿 武蔵 | 2009.07.11 12:19 午後
59 異 月 平 投稿 武蔵 | 2009.07.13 12:07 午後
   <この頃、「ぴろり」さん、「高貴高齢者」さん、「レイモンド」さんが反論をしていたので、これをつぶすために、投稿パターンを変更して攻撃。営業の合間に、ネットカフェなどを利用したのかもしれない。>
60 異 火 平 投稿 武蔵 | 2009.07.14 12:30 午後
61 水 平 投稿 武蔵 | 2009.07.15 03:54 午後
62 異 木 平 投稿 武蔵 | 2009.07.16 01:13 午後
63 金 平 投稿 武蔵 | 2009.07.17 05:14 午後
64 月 平 投稿 武蔵 | 2009.07.20 06:11 午後
65 異 火 平 投稿 軍艦島 | 2009.07.21 11:15 午前
   <短文の中傷。>
66 水 平 投稿 武蔵 | 2009.07.21 04:49 午後
67 木 平 投稿 武蔵 | 2009.07.22 05:28 午後
68 金 平 投稿 武蔵 | 2009.07.23 06:04 午後
69 土 休 投稿 武蔵 | 2009.07.24 03:21 午後
70 日 休 投稿 究明団 | 2009.07.25 09:32 午前
71 日 休 投稿 神も仏も名無し | 2009.07.25 12:15 午後
72 日 休 投稿 武蔵 | 2009.07.25 05:03 午後
73 火 平 投稿 武蔵 | 2009.07.27 04:59 午後
74 水 平 投稿 武蔵 | 2009.07.28 03:19 午後
75 金 平 投稿 武蔵 | 2009.07.31 05:49 午後
76 土 休 投稿 武蔵 | 2009.08.01 12:32 午後
77 木 平 投稿 武蔵 | 2009.08.06 06:47 午後
78 土 休 投稿 武蔵 | 2009.08.08 07:00 午後
79 木 平 投稿 武蔵 | 2009.08.13 05:10 午後
80 土 休 投稿 武蔵 | 2009.08.15 04:18 午後
81 火 平 投稿 武蔵 | 2009.08.25 05:18 午後
82 木 平 投稿 武蔵 | 2009.08.27 04:14 午後
83 金 平 投稿 武蔵 | 2009.08.28 06:27 午後
84 月 平 投稿 ロンリー | 2009.08.31 03:59 午後
85 火 平 投稿 ロンリー | 2009.09.01 04:00 午後
86 水 平 投稿 武蔵 | 2009.09.02 05:36 午後
87 金 平 投稿 武蔵 | 2009.09.04 03:16 午後
88 月 平 投稿 武蔵 | 2009.09.07 03:45 午後
89 水 平 投稿 武蔵 | 2009.09.09 07:06 午後
90 水 平 投稿 匿名 | 2009.09.09 09:15 午後
91 木 平 投稿 武蔵 | 2009.09.10 10:02 午後
92 土 休 投稿 匿名にします | 2009.09.12 09:59 午前
93 土 休 投稿 匿名にします | 2009.09.12 02:25 午後
94 木 平 投稿 武蔵 | 2009.09.17 04:58 午後
95 日 休 投稿 宏正会を糾せ! | 2009.09.20 04:14 午後
96 火 平 投稿 武蔵 | 2009.09.22 05:59 午後
97 金 平 投稿 武蔵 | 2009.09.25 05:22 午後
98 月 平 投稿 武蔵 | 2009.09.28 06:10 午後
99 火 平 投稿 武蔵 | 2009.09.29 04:10 午後
100 木 平 投稿 武蔵 | 2009.10.01 04:28 午後
101 土 休 投稿 匿名 | 2009.10.10 10:16 午前
102 土 休 投稿 テラ | 2009.10.10 12:32 午後
103 土 休 投稿 テラ | 2009.10.10 05:12 午後
104 土 休 投稿 究明団 | 2009.10.10 08:15 午後
105 日 休 投稿 究明団 | 2009.10.11 02:35 午後
106 月 平 投稿 究明団 | 2009.10.12 07:29 午前
107 月 平 投稿 匿名 | 2009.10.12 06:26 午後
108 火 平 投稿 匿名 | 2009.10.13 09:01 午前
109 火 平 投稿 武蔵 | 2009.10.13 04:52 午後
110 水 平 投稿 武蔵 | 2009.10.14 05:04 午後
111 木 平 投稿 武蔵 | 2009.10.15 04:25 午後
112 金 平 投稿 武蔵 | 2009.10.16 04:52 午後
113 土 休 投稿 究明団 | 2009.10.17 09:06 午前
114 土 休 投稿 武蔵 | 2009.10.17 05:22 午後
115 月 平 投稿 武蔵 | 2009.10.19 04:54 午後
116 水 平 投稿 武蔵 | 2009.10.21 04:28 午後
117 金 平 投稿 武蔵 | 2009.10.23 04:59 午後
118 木 平 投稿 武蔵 | 2009.10.26 04:39 午後
119 金 平 投稿 くくくww | 2010.01.22 08:20 午後
120 金 平 投稿 くくくっww | 2010.01.22 08:23 午後
121 金 平 投稿 くくくっww | 2010.01.22 08:40 午後
122 月 平 投稿 くくくっww | 2010.01.25 07:33 午後
123 火 平 投稿 くくくっww | 2010.01.26 06:43 午後
124 火 平 投稿 くくっww | 2010.01.26 10:10 午後
125 水 平 投稿 くくっww | 2010.01.27 07:16 午後
126 木 平 投稿 くくくっww | 2010.01.28 08:06 午後
127 木 平 投稿 くくくっww | 2010.01.28 10:45 午後
128 日 休 投稿 匿名 | 2010.02.14 04:33 午後
129 月 平 投稿 匿名 | 2010.02.15 09:33 午後
130 火 平 投稿 匿名 | 2010.02.16 06:07 午後
131 水 平 投稿 匿名 | 2010.02.17 03:38 午後
132 木 平 投稿 匿名 | 2010.02.18 05:05 午後
133 木 平 投稿 匿名 | 2010.02.18 06:37 午後
134 木 平 投稿 匿名 | 2010.02.18 09:16 午後
135 金 平 投稿 匿名 | 2010.02.19 03:09 午後
136 土 休 投稿 匿名 | 2010.02.20 01:03 午後
137 土 休 投稿 匿名 | 2010.02.20 06:18 午後
138 火 平 投稿 匿名 | 2010.02.23 04:36 午後
139 火 平 投稿 匿名 | 2010.02.23 07:03 午後
140 火 平 投稿 匿名 | 2010.02.23 07:17 午後
141 水 平 投稿 匿名 | 2010.02.24 11:51 午前
142 水 平 投稿 匿名 | 2010.02.24 06:03 午後
143 木 平 投稿 匿名 | 2010.02.25 03:57 午後
144 金 平 投稿 匿名 | 2010.02.26 06:17 午後
145 土 休 投稿 匿名 | 2010.02.27 12:29 午後
146 土 休 投稿 匿名 | 2010.02.27 05:32 午後
147 日 休 投稿 匿名 | 2010.02.28 01:55 午後
148 日 休 投稿 匿名 | 2010.02.28 05:10 午後
149 異 月 平 投稿 匿名 | 2010.03.01 10:38 午前
   <短文による中傷。パートに出る直前にいそいで打ったのだろう。>
150 月 平 投稿 匿名 | 2010.03.01 02:57 午後
151 火 平 投稿 匿名 | 2010.03.02 04:26 午後
152 水 平 投稿 匿名 | 2010.03.03 07:04 午前
153 水 平 投稿 匿名 | 2010.03.03 03:06 午後
154 水 平 投稿 匿名 | 2010.03.03 07:18 午後
155 木 平 投稿 匿名 | 2010.03.04 06:50 午前
156 木 平 投稿 匿名 | 2010.03.04 09:23 午前
157 木 平 投稿 匿名 | 2010.03.04 02:59 午後
158 土 休 投稿 匿名 | 2010.03.06 07:37 午前
159 土 休 投稿 匿名 | 2010.03.06 10:40 午前
160 土 休 投稿 匿名 | 2010.03.06 11:26 午前
161 日 休 投稿 匿名 | 2010.03.07 06:23 午後
162 月 平 投稿 匿名 | 2010.03.08 06:53 午前
163 異 月 平 投稿 匿名 | 2010.03.08 10:53 午前
    <短文による中傷。同一人物だろう。>
164 月 平 投稿 匿名 | 2010.03.08 06:19 午後
165 火 平 投稿 匿名 | 2010.03.09 07:18 午前
166 火 平 投稿 匿名 | 2010.03.09 10:02 午前
167 火 平 投稿 匿名 | 2010.03.09 03:01 午後
168 火 平 投稿 匿名 | 2010.03.09 03:35 午後
169 水 平 投稿 匿名 | 2010.03.10 01:05 午前
170 水 平 投稿 匿名 | 2010.03.10 09:21 午前
171 水 平 投稿 匿名 | 2010.03.10 02:52 午後
172 水 平 投稿 匿名 | 2010.03.10 03:01 午後
173 金 平 投稿 匿名 | 2010.03.12 04:57 午後
174 日 休 投稿 匿名 | 2010.03.14 11:28 午前
175 火 平 投稿 匿名 | 2010.03.16 04:33 午後
176 水 平 投稿 匿名 | 2010.03.17 04:28 午後
177 木 平 投稿 匿名 | 2010.03.18 03:51 午後
178 異 金 平 投稿 匿名 | 2010.03.19 11:27 午前
179 異 金 平 投稿 匿名 | 2010.03.19 11:34 午前
     <短文による中傷。同一人物だろう。>
180 金 平 投稿 匿名 | 2010.03.19 03:39 午後
181 日 休 投稿 匿名 | 2010.03.21 04:33 午後
182 月 祝 投稿 匿名 | 2010.03.22 11:23 午前
183 火 平 投稿 匿名 | 2010.03.23 06:28 午後
184 火 平 投稿 匿名 | 2010.03.23 06:35 午後
185 木 平 投稿 匿名 | 2010.03.25 07:02 午前
186 土 休 投稿 匿名 | 2010.03.27 12:28 午後
187 日 休 投稿 匿名 | 2010.03.28 04:25 午後
188 土 休 投稿 匿名 | 2010.05.01 01:36 午後
189 金 平 投稿 匿名 | 2010.05.14 02:42 午後
190 金 平 投稿 最低な私 | 2010.05.21 09:33 午後
191 土 休 投稿 匿名 | 2010.05.22 09:39 午前
192 土 休 投稿 匿名 | 2010.05.29 11:12 午前
193 木 平 投稿 匿名 | 2010.06.17 05:13 午後
194 木 平 投稿 匿名 | 2010.06.17 05:34 午後
195 土 休 投稿 匿名 | 2010.06.26 04:07 午後
196 火 平 投稿 匿名 | 2010.06.29 07:11 午前
197 火 平 投稿 匿名 | 2010.06.29 04:13 午後
198 火 平 投稿 匿名 | 2010.06.29 04:52 午後
199 火 平 投稿 匿名 | 2010.06.29 10:51 午後
200 水 平 投稿 匿名 | 2010.06.30 09:10 午前
201 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.01 07:16 午前
202 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.01 04:02 午後
203 金 平 投稿 匿名 | 2010.07.02 07:08 午前
204 異 金 平 投稿 匿名 | 2010.07.02 10:49 午前
205 異 金 平 投稿 匿名 | 2010.07.02 11:37 午前
      <短文による中傷。同一人物だろう。>
206 金 平 投稿 匿名 | 2010.07.02 04:13 午後
207 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.03 07:10 午前
208 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.03 07:26 午前
209 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.03 07:30 午前
210 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.03 08:49 午前
211 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.03 09:25 午前
212 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.03 11:21 午前
213 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.03 03:57 午後
214 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.03 08:13 午後
215 日 休 投稿 匿名 | 2010.07.04 11:54 午前
216 日 休 投稿 匿名 | 2010.07.04 03:32 午後
217 月 平 投稿 匿名 | 2010.07.05 05:54 午後
218 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.06 07:20 午前
219 異 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.06 11:13 午前
     <短文による中傷。同一人物だろう。>
220 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.06 05:21 午後
221 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.06 05:50 午後
222 異 水 平 投稿 匿名 | 2010.07.07 11:42 午前
     <短文による中傷。同一人物だろう。>
223 水 平 投稿 匿名 | 2010.07.07 06:48 午後
224 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.08 06:49 午後
225 金 平 投稿 匿名 | 2010.07.09 03:46 午後
226 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.10 12:08 午後
227 月 平 投稿 匿名 | 2010.07.12 09:35 午前
228 月 平 投稿 匿名 | 2010.07.12 07:20 午後
229 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.13 06:49 午後
230 水 平 投稿 匿名 | 2010.07.14 04:58 午後
231 異 木 平 投稿 tokumei | 2010.07.15 11:58 午前
     <短文による中傷。同一人物だろう。>
232 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.15 12:19 午後
233 異 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.15 02:03 午後
     <短文による中傷。同一人物だろう。>
234 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.15 05:25 午後
235 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.17 11:59 午前
236 土 祝 投稿 匿名 | 2010.07.19 10:15 午前
237 月 祝 投稿 匿名 | 2010.07.19 12:04 午後
238 月 祝 投稿 匿名 | 2010.07.19 01:42 午後
239 月 祝 投稿 匿名 | 2010.07.19 06:09 午後
240 異 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.20 10:46 午前
241 異 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.20 01:56 午後
    <長文の中傷で、成りすましがどうのは意味がないと自己弁護。ピンチになると投稿パターンを崩して攻撃する彼女です。>
242 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.20 03:51 午後
243 異 水 平 投稿 匿名 | 2010.07.21 12:35 午後
    <短文による中傷。同一人物だろう。>
244 水 平 投稿 匿名 | 2010.07.21 05:37 午後
245 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.22 08:48 午前
246 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.22 10:21 午前
247 異 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.22 11:21 午前
    <超短文による中傷。同一人物だろう。>
248 金 平 投稿 匿名 | 2010.07.23 06:33 午後
249 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.24 10:32 午前
250 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.24 01:13 午後
251 土 休 投稿 匿名 | 2010.07.24 03:29 午後
252 月 平 投稿 匿名 | 2010.07.26 10:03 午前
253 月 平 投稿 匿名 | 2010.07.26 05:08 午後
254 火 平 投稿 匿名 | 2010.07.27 03:09 午後
255 異 水 平 投稿 匿名 | 2010.07.28 02:08 午後
    <成りすましがあってもなくてもどうでもいいと自己弁護。>
256 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.29 02:32 午後
257 木 平 投稿 匿名 | 2010.07.29 03:25 午後
258 金 平 投稿 匿名 | 2010.07.30 09:20 午前
259 異 金 平 投稿 匿名 | 2010.07.30 12:36 午後
    <「いや夫」を「サイバー要員」と攻撃し、自己弁護。>
260 日 休 投稿 匿名 | 2010.08.01 03:04 午後

 これだけの有力な情報をつきつけてもしらを切るのでしょうか?

 「、」なし投稿を全て読んでいけば、それが同一人物であることなど、誰でもわかるのですが・・・。
 キチガイの取り調べは大変である。
(引用終了)

刑事コロンボか。確かにかっこいい。しかし、劇中の彼はとても知的だ。自分の英雄に自らをなぞらえるのは子供らしくていいが、身の程をわきまえないと、さらなる恥をかくことになる。もっと自分を研いてからにすることだ。そもそもどうでもいい、意味のない行為に無い頭を使おうとするのもどうかと思うが。本来の議論ができないなら続けてなさい。

 ちゃねら~である上記の「匿名」は、こうおっしゃっています。


( 成りすましの中傷などというのは、2ちゃんねるでは当然行っていることであって、私「太陽神・武蔵」は日常茶飯事で行っているのである。そのように、)

そもそもどうでもいい、意味のない行為に無い頭を使おうとするのもどうかと思う

(のだ。2ちゃんねるは、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」なのだ。「いや夫」も大人になって、そのような成りすましに慣れろ!)

 と言っているわけだ。貴様のホームグランドである2ちゃんねるではそうなのだろう。しかし、ここはブログだ。

 「君たちちゃねら~、僕ブロガー」だ!

 成りすましは卑怯な行為として批判の的だ。2ちゃんねるでもばれたら批判されるはずだ。「嘘つき」は、現実社会でも仮想(下層)社会でも軽蔑されるのだ。

 嘘つきの卑怯者の貴様に人を批判する資格はないのだ!

 成りすましをしっかり暴いてから、討論に戻ってやろう。

 「否定派の妄言を切り捨てるシリーズ」でも読んで、どこかつっこめるネタがないか、せいぜい探しておけ。

本来実践倫理宏正会について語る場であるのだから、あてっこゲームなんて、本来意味がなく、「そもそも」どうでもいいことだと言ってるの。やっぱり頭悪いね。こじつけもいいかげんにしたら?

いや夫さんのやっていることで何が分かるの?
何か意味があるの?

まさか名前や住所が分かるはずないのだから、投稿を止めさせることなんてできないのでは。
こんなもの無視されたら、おしまい。
いや夫さんはずっとこのブログで「成りすまし」「成りすまし」と言い続けるつもり?
ご苦労さまですね。

いや夫さんの言うところでは、結局 保険屋のオバサンに東大に入るくらいの実力のあるいや夫さんが負け続けていることになるの?

いや夫さんも情けないですね。

「全部嘘に決まってるじゃん。

全部嘘に決まってるじゃん。

(引用開始)
いや夫さんのやっていることで何が分かるの?
何か意味があるの?


まさか名前や住所が分かるはずないのだから、投稿を止めさせることなんてできないのでは。
こんなもの無視されたら、おしまい。
いや夫さんはずっとこのブログで「成りすまし」「成りすまし」と言い続けるつもり?
ご苦労さまですね。

投稿 匿名 | 2010.08.09 02:50 午後
(引用終了)

 こ奴の言うことが、残念ながら正解。ネットなんてそんなものです。

 こ奴は馬鹿だから、「、」なし投稿を膨大に残して証拠は十分ですが、宏正会は穏健・寛大な組織でして、きっとこ奴を訴えるようなこともしないでしょう。

 これがオウム真理教なら、とっくの昔に住所・氏名をつきとめられポアされていたはずです。こ奴は、宏正会がカルトではなく、安全な組織だとわかった上で、このような卑怯な成りすまし投稿をし、今も開き直っているのです。

 健全な精神の相手なら「いや夫」も戦えますが、きちがいと戦ってもむなしいだけです。「武蔵」が「愚息」なのだとわかった時点で、もう討論などしても仕方がないことを悟りました。「武蔵」には勝てても、「愚息」には勝てません。ネットで一番強いのは、きちがいなのです。

 なお、「愚息」のHNは、もう廃止します。こ奴は、「愚元嫁」だと思います。会友の息子は、これほど馬鹿ではない。母親を尊敬する息子がほとんどのはずです。

 よって、下記の投稿は没とします。
ネット上の批判派の主体は、会友の息子である。
http://58807828.at.webry.info/200912/article_4.html

 かわりに、
「ネット上の批判派の主体は、会友の子どもの嫁または婿である」と訂正します。


 
 さて、以前は、実践者が誠実な話し合いをしていたこのブログも、今は固定ハンドルは「いや夫」と「ゴジラ」のみ。まわりは「匿名」だらけで、2ちゃんねるそのままです。

 卑怯な成りすましが見破られても、無視すれば終わりと開き直る卑怯者。それをだれも糾弾しない。ある意味2ちゃんねる以下のブログと言ってもいい。

 「いや夫」も近々こんなクソスレできちがいの相手をすることなど卒業し、自分の時間を取りもどすつもりです。

 今まで知ったどの人間よりも卑怯な奴の相手をして、いらぬストレスを抱えるのがばからしくなりました。

 とりあえず、こ奴の成りすましのすべてを明かした後、消えるつもりです。

 成りすましをする人間は卑怯者です。卑怯者が素直に成りすましを認めるはずがない。裁判でも、自白をする被告は少数派で、ほとんどは無罪を主張するのでしょう。

 貴様が成りすましを白状することはないのでしょう。
 それでも、「いや夫」は自分にできることをするだけです。君が認めなくても、読んでいる人が成りすましに気づきさえすればいい。2ちゃんねるもこんな感じなんだなとわかりさえすればいいのです。

 我がブログに、新しい分析記事を載せました。

「宏正会って何?」の「、」無し投稿 曜日・時間帯分析データ(資料編)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_13.html

 「、」無し投稿者の投稿パターンが固定されていることを示し、同一人物であると説明しています。

  「宏正会って何?」ブログ、「、」の有る投稿者も同じ投稿パターン(資料)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_14.html

 「、」有り投稿者についても、その投稿の多くが同じ投稿パターンであり、かなりの部分を同一人物が打っている可能性を指摘しました。長くなったので、「くくくww」登場まで。

 後々追求しますが、「くくくww」は重要参考人です。

  続「宏正会って何?」ブログ、「、」の有る投稿者も同じ投稿パターン(資料)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_15.html
 
 「くくくww」以後、現在にいたるまで、投稿パターンが似通っている一方、討論が白熱すると「、」の有無にかかわらず投稿パターンを崩している傾向を指摘しました。

  普段は打たない時間帯に、「、」のない投稿と「、」のある投稿。その意味は?
http://58807828.at.webry.info/201008/article_16.html

 今まで打っていない平日の昼間に、「、」のない投稿と「、」のある投稿が行われている特異な例を分析し、同一人物が「、」の有無で成りすましを装っていて、そのことが不自然であることを追求しました。

 貴重な休日の半分を分析についやしました。いったん私用で留守にし、もう一度、成りすまし解明完結編を載せて終わりにします。

 この徒労もあと少しで終わりです。

自分で「徒労」と認めたか。お疲れさまでした。


いや夫さんが膨大な書き込みを実に正確緻密な手法で点検作業をおこなわれたこと 感心するというより尊敬する気持ちの方が大きいです ただ小生がお詫びするというのは論理的に納得するものではありません。
あちらのちゃんねるやこちらのスレに複数のハンドルで非難論を書きました。その出自である いわゆるなりすましのご指摘はおおむね間違ってはおりません しかし個々のテーマに対する論理的な反論をいただいておりませんので 論戦を戦わせたという感じは持っておりません。
今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です ただ現状では ハンドルはいや夫さんしか使っておられませんので 当方「匿名」でも いや夫さんが上記点検で指摘なさったように 相手を間違われることはないと思います けだし ハンドルつけるかどうかは書き手の自由に任せるのが当然と思うからです。

「成りすまし」をするのが卑怯者?
じゃー 自分の負けをごまかして自分が勝ったことにするのは?
もっともっと卑怯なのでは。
主体を偽るのと、内容を偽るのとではどちらが卑怯か ということです。
「いや夫=ゴジラ」は、論争に負けてばかりなので、なんとか一矢を報いようと必死のようです。

「成りすまし」の分析は、「いや夫=ゴジラ」のあくまでも勝手な推測です。
何も確証はありません。
でも、論争の勝ち負けは明白に証拠が残っています。
「いや夫=ゴジラ」は、自分のことは棚に上げて人を卑怯呼ばわりするとんでもない「卑怯者」ということですね。

そんなに「成りすまし」の追及が生き甲斐でしたら、「成りすまし」「成りすまし」と 一生このブログで意味のない無駄な時間を費やしたらどうですか?

自作自演の「小生」さん、あなた以外の匿名も沢山いるので、誤解を招く書き込みはしないで下さい。もっとも、後段の一部には同感です。いや夫は確かに議論はしていません。しかし、できないとわかっていることを強要して、またゴミを撒き散らされても困ります。いや夫の存在意義は既に失われてしまいましたので、これ以上お誘いすることもないと思います。

 近所のおばさんが母親の元にたびたび「倫風」を配布に来るので一体どんな団体かと検索したところ当ページに行き当たりました。

 以下、伝聞ではなく私の身近な実体験を書きます。そのおばさんは明るく社交的な印象で、4人のお子さんも立派に成人しています。(「捨て育て」をされていましたが爺さん婆さんがいる田舎でしたので問題はなかったようです。現代的な核家族において「捨て育て」は即ネグレクトに繋がるので問題点が多いのではないでしょうか?)
 地域の偉いさんのようで、ここで言われている陰数倍加のようなことも実際に行われているようです。近所関係ということもあり、ただで「倫風」をいただくのも悪いのでその料金は払っているのですが他の費用は向こうで持って下さることがあります。
 会で開く「若者向けの集い」? のようなものに大学時代の私も勧誘されたされたことがあります。おばさん一人と大学生二人(男の子と綺麗目の女の子でした)を連れ、計4人で勧誘されました。若者が集って倫理的な発表や話し合いをするということでした。私はその日は用事があると言って断りましたが、近くの同世代の友人はいないかと聞かれました。どうも頭数を集める必要があるみたいでした。
 母の会への印象は「倫風には非常にいいことが書いてある。でも、会長様とか言う雰囲気はついて行けない」というものでした。

 続いてこのコメント欄への感想。まず、コメント数にぎょっとしした。それでもなんとか読んでいくと最初のほうは具体的な個々の事案が多く、「こんな人もいるんだ」と参考になりましたし、議論も批判にせよ肯定にせよ参考になりました。しかし中盤以降不毛です。有益な情報を得ようにもジャンク(ごみ屑)が混じり過ぎているのです。
 いや夫さんという方の行動はコモンズを如何に駄目にするか、無益なものにするか? の代表例でそれで卒業論文が書けそうです。「①帰結していない議論において一方的な勝利宣言(脳内勝利)を繰り返し行う②競馬予想などの関係のない書き込みをする(2ch的です)③引用を駆使した異常に長い書き込みを繰り返す④希薄な根拠の成り済まし工作についてこれが本筋とばかりに繰り返す(それを否定する書き込みも成り済まし認定をする。彼のやっていることは悪魔の証明を求めていることに他なりません)」などの行為です。無意味に膨大な書き込みを行い全体の議論を希釈する等の高等テクニックを用いているので情報工作員か何かと疑いましたが、ブログを拝見するにこの方はこの方で真面目なようです。
 彼の場に合わない引用の多用は嫌がらせや文章量を増すことで説得力を増すという戦略ではなく、副島隆彦先生の文体の模倣だったんですね。副島先生の信奉者なら悪魔の証明の意味もよくよくおわかりになっていると思います。(自分に都合の良いときしか使わないようですが)いや夫さんには今後もブログにおける活躍を期待しています。副島隆彦の信奉者であるという名を汚さないように緻密な分析能力を駆使して言論を組み立てていかれることを願っています。

 何か書き込みがあるごとに無意味なことで絡まれるので、本当に困ったことがあってインターネットを検索してこのページに辿り着いた人は書き込むことにかなりハードルがある空気になっている感じがします。分析力や情報収集能力に優れている人などは別ですが、初めて来た人はただ素朴に自分の見た実践倫理宏正会の姿を誇張なく素朴に書き込んでみてはいかがでしょうか? 所詮匿名、所詮インターネットという壁はありますがこのような場所でできる具体例による集合知の実現にはそれしかないのではないでしょうか。それを信じる、信じない、正しいかどうか判断する、は結局は個々人の情報リテラシーに拠るしかありませんが……。でわでわ。


↑その通り、いや夫さんがこのスレのなかでは、一番生真面目なお方ですね。ゴジラではなく、「いや夫・ドンキホーテ」であられるのですよ。
「太陽神・武蔵」殿という、スレにでてくるにしては、稀代の論理家が、一種の批判論を展開されたものですから、生真面目ないや夫さんは、全知全能を働かせ、それなりのパズルはやってのけられました。
何百かある書き込みで、彼に賛同されている方はほんのわずかです。彼流にいえば、賛同している人々は、殆んど成りすましですね。
無視しただけでは、なかなかおさまりませんよ。適当に、なりすましてでも、褒めて上げて下さい。
みんなで、10回も褒め上げれば、あほらしくなって、消えられます。


実際いやはや全く恐懼感激に堪えません。
このところ、そのご本人が気楽にご登場くださってのご発言、いちいちごもっともでございます。
いや夫流パズルはやらなくても、匿名のやりとりで「意おのずから通ず」でございますね。
勝間和代氏を加え2ちゃんの西村博之氏と、「実名か匿名か」を論争したとき、ひろゆき氏は、こんなスレは絶対に「匿名」でないと成り立たないと主張されましたが、今になってその趣旨が理解できるようになりました。

このブログが荒れたのは、「いや夫」さんがこのブログで議論をするというのではなくて、ゲームを始めたからなのではないでしょうか。

議論の内容よりも、相手をとにかくこのブログから追い出すことで勝敗を競うゲームですね。
「いや夫」さんは、この種のゲームに嵌っていたのでしょう、色々な技術をお持ちのようです。
「成りすまし」の追及もそのような技術の一つなのでしょうね。

「いや夫」さん ご自身もそうですが、会員二世の奥さんだってそんなに会の活動に熱心ではないようです。
ですから「いや夫」さんは、そもそも宏正会の批判に対して目くじらを立てて反論するような立場の人ではないのです。
それにもかかわらず、こんなに時間と精力を使って宏正会の批判をしている人に攻撃をしているのは、ゲームにのめり込んでしまって、どうしてもゲームに勝ちたいという意地だけなのでしょうね。
「いや夫」さんが競馬に勝ちたいために、一生懸命に馬のデータを研究しているのと同じことをこのブログでしていると言う事ですね。


いや夫さんについては、上記のほか、
ここでしか、他人との接点がない人のように感じます
自己表現の場所が、どこにもない、
寂しい印象を感じます
さらに、他人との関係を維持する経験が
非常に乏しいように感じます

なぜそう感じるかといえば、ここでのやり取りを見ても
(1)
一方通行で、やり取りでない、一方的な自己主張です
会話やコミュニケーションではなく、一方通行の主張のみです
(2)
相手を説得するというスタンスはありません
あるいは、情報交換をしてともに思考をするというスタンスも
ありません

たんなる、自分の思ったことを、つらつらと、垂れ流すだけ
ですので、現実社会では、孤立することになります
会社でも相手にされません、
コミュニケーションの取れない、非常に寂しい人間だと思います
ここで、投稿することが、自分の立ち位置を、生きていることを
感じることができる、数少ない場所なんだと思います

だから、いや夫さんは、別に実践倫理宏正会を守るとか
そういった特段の意思はないと思います
べつに本人も、奥さんも、一生懸命ではない
単に、きっかけや、とっかかりでしかないと思います

実践倫理宏正会で、朝起会にいって、なじめない
タイプだと思います。
演壇も、いけば、たまにはやることになりますが
すごく、苦手なんでしょうね

わかります

というか、いや夫さん、演壇したことある?
まさか、お役とかもやったことなくて
語ったりしてないですよね

伝聞だけで、語ってる、批判方と、まったく同じ次元の
人になってしまいますよね


はははは、鬼のいぬまのなんとやら。
いや夫さん欠席裁判で、ケチョンケチョンですね。
さもあらん、ゲームはよく分かりますが、論述する、「こころ」がさっぱり伝わってきませんね。
われわれにはあまり興味のない、ゲームの成果ばかりを、強調されても、困ります。

なお、いや夫さんに助け舟をひとつ。
このブログは、2005.2.9から、オリジナルメンバーで、みったらもったら、やっておりました。そこへ、2009.3.28、「太陽神である」という名文句でご登場になったお方が、そのたぐい稀なる論理力で、主に先師と現会長の責任を追及するという構えに、常連一同言葉を失い、なかなかお相手できない状態に陥りました。あるものは去り、あるものは、「匿名」投稿に退かざるをえない状況のとき、このわれ等が「いや夫」さんが、ご登場になり、かたくなまでの固定ハンドルのもと、ひとの言うことには耳を貸さず、ブルドーザーのごとく、進撃を開始され今に至っています。
彼に対する批判は上記のスレで述べられた通りでありますが、いったんは休止状態にまで追い込まれたスレを、とにもかくにもまた、活性化された功績は大と認めざるを得ません。
いや夫さんがお隠れになったのちは、いささかまた以前の自由な雰囲気が戻っております。どうか実験と思ってくださって、天の岩戸にお隠れあそばしますよう。ときいたらば、アメノウズメノミコトが必ず岩戸の前で踊りますので、またお出ましくださいますよう。

 自由な投稿が増えるのは何よりです。
「いや夫」は今しばらく天の岩戸に隠れることにします。

 一応解説を加えておきますと、

投稿 匿名 | 2010.08.10 11:49 午前
は、「太陽神・武蔵・鉄槌」でして、さすがに「いや夫」の成りすまし追求から言い逃れできないことを悟り、{「いや夫」の分析がかなり正確である}={自身は2ちゃんねるでもこのブログでも成りすましをして攻撃しました}ということを白状する記念すべき投稿です。しかし、謝罪の意思はまったくないそうです。

 それに続く投稿は、「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし、もしくはその他の否定派による「いや夫」への中傷ですが、どちらなのかは「いや夫」にはわかりません。(「、」なし投稿は同一人物というネタを明かしてしまったからです。)

 そんな否定派に対峙しいているのが、肯定派の論客です。この方は、2ちゃんねるでも堂々と否定派と渡り合っているお方で、「いや夫」以上にしたたかで賢い方です。自身のブログ(基地)をもたずに、否定派に負けていないのは、立派というしかありません。


 この「論客さん」の投稿
投稿 匿名 | 2010.08.12 01:07 午前
は、ともて含蓄のあるコメントで、このブログの中でも叡智の結晶だと思います。わかる人にはわかります。

 「いや夫」は安心して、天の岩戸に隠れておりますので、しばし「いや夫」抜きで討論をおすすめください。

「いや夫」のブログで成りすましの分析をしたものをザーと目を通したけど、結局「いや夫」の言う所の否定派というのは一人ということ?
バカじゃないのか 「いや夫」は。
これじゃあー 競馬に負けるはずだわ。
「いや夫」の分析は恣意的。
自分の思いが入っていて客観的な分析ができていない。
こじつければ誰だって結び付けられる。
「いや夫」のこんなアサハカな成りすましの分析なら、追い詰めるどころか返ってバカにされて笑われるのが落ち。

「いや夫」はこのブログの否定派の書き込みを巨頭一人の仕業にしておいて、他の否定派がその巨頭の書き込みにされるのを嫌がって書き込むことを控えるであろうことを狙っているのだろうが、思い違いも甚だしい。

「いや夫」のことを色々言っているようだけど、なるほど当たっているようですなー。
もう一つ付け加えると、「いや夫」はハッキリ言って昔から女には縁のない男。
「いや夫」がどこかで自分で自分の容姿はたいしたことないような事を言っていたし、「いや夫」のような陰険で同調性のない性格では男でも女でも近づく者はいない。

「いや夫」は東大に入る実力があったと言っているようなので、それなりの大学を出て、公務員かそれなりの会社に入って、それなりの生活ができているのだろうから、どういう縁か分からないが、やっと結婚することができたのが会員二世という現在の妻ということなのだろう。
こんな「いや夫」だから自分の結婚相手となってくれた妻を大事に大事に思っている。
本来、副島隆彦の信奉者である「いや夫」のような男が、宏正会を批判するのなら分かるが、宏正会を擁護するような男ではない。
それほど「いや夫」は妻のご機嫌をとっているということ。

それに、「いや夫」のような男はイジメに遭う典型的なタイプ。
小さい頃からイジメを受けていた「いや夫」は、ネットに嵌って、ネットでこのようなゲームに勝つことで何とか自分の存在感を保てていたのだろう。
小さい頃からの習性から、「いや夫」はこのブログでも勝たないと自分の存在感がなくなることを畏れて必死に頑張っているということだろうね。
「いや夫」は かわいそうな男なんだ。

「いや夫」の行き先は、天の岩戸といったしゃれた場所なんかじゃない。
「いや夫」の行き先は奈落の底だ。
これで お前はこのブログとオサラバするつもりか。

ホラ 出て来い 出て来い。
出て来て成りすましと言ってみろ。
一生 このブログで成りすまし、成りすましと言っているのがお前の人生だ。
この「バカ夫」めが。

ちょっと整理
「いや夫」さんが肯定派の論客?
間違えています。
「アンチ否定派」決して肯定派ではない。
会を擁護はしているが、異義・疑問派です。
皆さんで確認しましょう。

人間にはその深層心理に、虐待・いじめの特性をもっています。子供が蛙の腹を割いたり、トンボの羽をむしったりするのと同根じです。
「いや夫」さん以外、肯定派も否定派もことごとく「匿名」人になり、「いや夫」さんだけが、ハンドルメイトとして残られましたので、全ての中傷・非難は「いや夫」さんに集中する羽目になりました。
ほーっておかれるのが得策です。同じことを20回~30回言ったらだれでも飽きるのです。
実験・実験と考えて、生真面目にならずにほーっておいたら、一番すがすがしいですよ。

「いや夫」がコテハン使っているのは、出て来る時から成りすましの追及をしようと思っていたから。
自分が「匿名」では成りすましの追及なんてできない。
コテハン使えば集中攻撃を受けることは、ネットが得意な「いや夫」は十分に承知しているはず。

「いや夫」が今 雲隠れしているのは、尻に敷かれ頭の上がらない妻に「ネットばかりしないで 夏休みくらい子供達を連れてどこかに行ったら」と叱られたため。

どこに行っても頭の上がらない「いや夫」。
少しばかりでも威張れるのはネットの世界だけ。

でも、ネットでもバカにされている「いや夫」。
一体どうすればいいの。

「いや夫」は、自分でも言っているように反否定派。
決して肯定派ではない。
反否定派だから、否定的な書き込みを否定すること、そして否定派をこのブログから追い出すことが目的。
「いや夫」の膨大な書き込みは、ただただ否定派を攻撃しているものだから、「いや夫」の書いているものを読んでも何も記憶に残らない。
大量のゴミをこのブログに撒き散らして、否定派の書き込みをゴミの中に埋めていくことが「いや夫」流のやり方。
要するに、このブログを荒らすことが「いや夫」の目的。
こんなに時間をかけて いっぱい書き込んで、それでも否定派が宏正会の批判を書き込めば「いや夫」のやってきた事はすべて無駄だったということ。

「いや夫」は永遠に「成りすまし」「成りすまし」と言って、このブログに張り付いて行くことになるのだろう。
一度乗ってしまった船、「いや夫」はどうするつもりかねー。


自然の摂理とは具体的何でしょう?実例で説明出来たらお願いします。つまり、自然の法則に従うならば、夏も5時、冬も5時はおかしいですね。日本古来の時の文化を使うべき、和時計です。日出に集い、日没には家に入る。現代社会はそこからおかしい事になります。また、
・捨て育て、野菜はそんなことをしたら、全て枯れます(これまた自然の法則)。毎日の世話で収穫の結果が違う。これこそ自然相手ですから。
子育ても同じように思います。甘やかしても実りはない、しかし、放置しては雑草に負け、実りは期待できない。
解釈が解らなくなります。

宏正会の云う「大自然の摂理」とは、会長先生のご指導そのもの。
会長先生は、大自然の声(大自然のお経)を聞くことができ、それを皆様にお伝えすることができる この世でただ一人の尊いお方。
だから、私たちは尊い会長先生のご指導をありがたく頂戴して 実践することしかないのです。

具体例は私たちの周りにあります。
私たちが一日一日を「より善く」と真剣に生きようとした時に見えて来るもの、それが倫理です。
「今、私にとって必要なもの」それが倫理です。
いくら具体例の説明を聞いても倫理は分かりません。
人それぞれに個性や環境が異なりますので、「今、私にとって必要なもの」は違ってきます。
「今、私にとって必要なもの」は、毎日の朝起会に出席して、会長先生のご倫話や会員さんの演壇を聞いていると自然に分かって来ます。
それでも分からない時には、先輩さんが教えて下さるでしょうし、各地区などには生活指導をされている方もおられるはずです。



個人崇拝がすさまじいですね
倫理研究所は、脱宗教ということで、その辺からは脱却したようですが・・・

池田大作氏と並び称せられる「個人崇拝」と「信者拡大」優先こそが
倫理研究所との大きな違いになっていると思います
同じ公益法人でありながら、内容は、宗教だと思いました
武道館での大会にも行きましたが、ものすごい違和感を感じました
これが「宗教法人」であれば、よいのですが
「宗教じゃないから安心」「文部科学省の外郭団体だから」などと
私も言うように教育されてきたからこそ、違和感を感じます
「これは詭弁だと」「いってることと、やってることが違いすぎる」

実際に会のなかで色々活動してみての感想を述べました


それだけ、違和感をお持ちになって、今はもう会をお止めになったのでしょうか。



また、以前の思いを述べるという、雰囲気のスレに戻ってきましたね、楽しみです。
ものすごい理論で、ガーンとたたくのはこのスレにはあまりそぐいませんので、どうかこのように、なごやかにお願いします。

会長の考え一つ、腹積り一つ、時には思い付き一つが「大自然の摂理」だということ。「大自然の摂理」が本来の自然と矛盾していたとしても、それは一人の人間の考えや都合の内に過ぎないのだから、の当たり前のこと。事実、「大自然の摂理」=会長の私見の内容にも相互矛盾があったり、説明のつかない部分があったりする。だがそれらをいちいちつついてみても、それは「大自然の摂理」そのものが生まれながらに内包せざるを得ない問題なのだから解決の仕様がない。あとはそれを信じるか、信じないかだけのこと。「大自然の中での人間の生き方の一つを広める宗教」位の受け止め方が妥当だろう。



あなたは真理をほんとによく理解しておられます。その考え方そのものが、大自然の摂理であり、また会の考え方でもあるのです。
丸山敏雄先生⇒「全一統体」
上廣哲彦先生⇒「大宇宙の理法」
上廣栄治先生⇒「大自然の摂理」
とみなさま、それぞれの表現で、この宇宙には人智でははかり知れないものが存在するということを、宣言なさったのであります。
理事先生はまた、理事先生で、その時代に一番ピッタリする、ご自分なりの表現をなさるはずです。
おっしゃる通り、それで全くよいのであります。
別のことながら、その表現があなたに合わねば、もっとあなたに合った思想を求められればいいのであって、完全に自由なのですよ。
チョットでも入った限りは、何が何でも、これだっ!と縛っていると思われているような、発言が多いので、ここが一番重要なポイントなること付言しておきます。

そうか、三代目は三代目でまた適当な騙し文句を考えている最中であると。社会経験も殆どないと言うのに、教祖一族というのはご苦労なことである。



まことに、その通りでご苦労さまなことですね。
天皇家に生まれれば、その何百倍何千倍もの重圧がのしかかってくるわけですが、それに文句をいったお方は、歴史上もあまりおられないわけですし、大自然の摂理とは、ま、そのようなものであるとご理解ください。
それぞれに自分の運命を受け入れて、普通に生きる、他人をうらやんだり、ねたんだりしないということです。
あなたさまはあなたさまの運命を生きられよ。

>丸山敏雄先生⇒「全一統体」
上廣哲彦先生⇒「大宇宙の理法」
上廣栄治先生⇒「大自然の摂理」
とみなさま、それぞれの表現で、この宇宙には人智でははかり知れないものが存在するということを、宣言なさったのであります。
理事先生はまた、理事先生で、その時代に一番ピッタリする、ご自分なりの表現をなさるはずです。


実践倫理宏正会も倫理研究所もPLも、元はすべて「ひとのみち教団」。

PLは「ひとのみち教団」の二代目教祖が創った。

『PLの基本的な教え』

人間の本質
 人がこの世に生きているのは、生命を持っているからですが、この生命は自分のものであっても、自分の自由にはならないものです。どこからこの生命が与え られたのかは、まだはっきり科学的に解明されてはいません。しかし、宇宙の一部として人間が生存し、宇宙のどこかからこの生命が来ていることは言うまでも ないことです。
 PLではこの広大無辺の宇宙全体を神と認識し、そこに生命の根源があると考えています。人間はこの宇宙全体(神)の一部としてこの世に生きているのですから、神の子(宇宙全体の一部)であり、自分の力で生きる能力を持つとともに、神によって生かされている存在でもあるわけです。
 このように、生かされて生きている、ということを自覚しますと、自分の力でなんでもできるという自我意識が錯覚であることがはっきりし、自分を生かしめ ている神(宇宙全体)に帰依する心を持たざるを得なくなります。そして、自己は神の子であると認識し、神に依る表現をするとき、はじめて神から賦与された 自己の力のすべてを発揮することができるのです。 「人生は芸術である」というPL理念は、自己の力を発揮し自己を顕現していくところに人生の真義があることを解明するものです。

>実践倫理宏正会は、PLの神をただ「大自然」と言っているだけ。

神律と人律
 このように宇宙の初めから、自然界の諸現象および人間世界には、そのあらゆる出来事を支配する法則があり、これを神律と言います。
 「PL処世訓21か条」は、すべて神律を明らかされたものです。
 その神律とともに、人間の世界を形成する法則として、人律があります。人律とは二人以上の人が集まって決定したことです。個人間の約束をはじめ会社や学校などでの規、国家の法律、国際間の条約等人間の意志によって取り決められたことが、社会生活のル-ルとして人間の表現を規制する法則になるのです。
 例えば、人と人とが一旦約束し、あることを決めますと、そのことを守らない行為に対して罰が与えられます。個人的には、約束を守らない人は信用を失うと かして、十分な自己表現ができなくなります。社会的には、法律を守らないとか、社会的規則を守らない人は、その社会から締め出されたりします。
 従って、世の中には人律の面で「あんなに好い人が…」と言われていた人でも、神律にはずれたあり方をすると、心身のバランスを失って楽しくない生活にな りますし、あるいは、人律の面で「あんなにいいかげんな人なのに、どうして」と言われるような人なのに、その時点で神律の方向性にかなったあり方をしてい るならば、毎日をけっこう楽しく生活しているというケースもあり得ます。
 つまり、人間の真の善悪というのは、神律・人律の両方に照らし合わせてみて、初めて決められるのです。

>実践倫理宏正会は、PLの「神律」を「大自然の摂理」と呼び変えているだけ。
そして「PL処世訓21か条」は、「朝の五つの誓い」に変えている。

私たちが生きている宇宙には、秩序があり法則 があります。人間の力を超えた何らかの働きが、そこにあると言わざるをえません。
  PLでは、そういう働きを含めて、一切の根源である宇宙全体を神と認識し、大元霊(みおやおおかみ)と申し上げています。
PLでは「神を拝む」という内容を、神にお願いし、神の恩恵を頂くために拝むのではなく、「自分が今からしようと することの決意を神に誓い、その決意を形に表していくことができるように祈る」ことと考えている。神はこの宇宙全体であり、宇宙を構成する秩序と法則であ り、人間の願いによって動かされるような神(超自然的存在)はないと考えている。

>実践倫理宏正会は神は立てていないので、「神」に誓うのではなくて「大自然」に誓うとしている。

丸山敏雄先生⇒「全一統体」
上廣哲彦先生⇒「大宇宙の理法」
上廣栄治先生⇒「大自然の摂理」
これらは、「ひとのみち教団」やPLの「大元霊」という神の言い替えに過ぎない。
どのような言葉を使っても中身は皆同じもの。
実践倫理宏正会は、「ひとのみち教団」のパクリ。
PL、倫理研究所と中身はほとんど同じと言っていい。

「ひとのみち教団」の教祖、PLの教主そして実践倫理宏正会の会長は、その時代のその時々にふさわしい 神律(大自然の摂理)に基く教えを説くものとされている。
もっと言えば、5年後、10年後を予測して説いているもので、必ず世界はそのようになるからと信者や会員を崇拝させている。

大自然の摂理は、自然の法則と全く異なる事理解できました。
宇宙の言葉は、丸山敏雄先生と会長先生しか聞けない事も理解出来ます。
帰結として、日常生活・家庭を守るよりはるかに優れ、会の行動提起が最優先される、これが「実践」になると理解します。
理事先生が伝えるお言葉は、理事先生の意思(感情が入るのは人間の性)が入りますので、会長先生の正解な意志ではない事も理解できました。会長先生が代替わりするたびに、その教えが変化・変質する訳ですね。いかなる生命も、同化と異化を繰り返す大原則が在るわけですが、会長先生が変わるたびにお言葉が変わるのも珍しいです。団体の大黒柱がしっかりしていないのでしょうか。
また、一つ疑問、お金は、自然世界に存在せず、人間の欲で造られた物です。「宇宙や大自然」では、どのように解釈されるのでしょう?
また、草花が枯れても「実践」の前にはしかたがない事なのですね。


「宗論は、どちら負けても釈迦の恥」
お釈迦様の思想は、東南アジア地域では、小乗仏教に、一番離れた日本では大乗仏教として理解されています。それをことばに表した教典の数はまだ正式に数えられておらず、万巻のお経としか言いようがありません。
空海も最澄も親鸞もお釈迦さまの思想を、パクッたともいえましょうし、進化させたともいえましょう。
われわれ宏正会アイトは、現会長がその根本原理を深化発展させて下さったと思っています。
生々流転、この流れは永遠に続いてゆくものでありましょう。
われわれは、PLも倫研も間違っているなんて、思ったこともありません。
「大自然の摂理」とはそういうものだと理解し納得しているのです。
あの、9.11グランド・ゼロから、数百メートルしか離れていないところに、イスラム大寺院の建設計画があり、われわれ部外者でさえ理解に苦しむのに、オバマ大統領は、反対してはいけないと言っています。
ケネディーが生きていても同じことを言ったでしょう。
思想とか信教はそれほど尊重しなければならないことに思いを致さねばなりません。
それに相通じることとして、現会長がよく言われることば、「今あるものを受け入れよ」が、「大自然の摂理」の一面でもありますね。


基本的に、物事の見方として、観念論的発想の中には、勝ち負けは存在しません。
その考えを、弱い立場の人に勧め、幸福になると押し付けが問題。セクハラと同じ。

全てに通ずる「大自然の摂理」と言いながら、おかしなことを言っていても大したことではない、挙げ句の果てには「あなたはあなたの人生を生きろ」 ですって。倫理はおろか、宗教の風上にも置けませんな。

まぁ、仕方ないんじゃないですか。どんな宗教にせよ、教えにせよ、聞く気が無い者は相手にしてくれませんよ。要らないことは言わない方がいい。

>「宗論は、どちら負けても釈迦の恥」
>空海も最澄も親鸞もお釈迦さまの思想を、パクッたともいえましょうし、進化させたともいえましょう。
われわれ宏正会アイトは、現会長がその根本原理を深化発展させて下さったと思っています。

空海も最澄も親鸞もお釈迦さまを崇拝し、自分に繋がる師匠を尊敬し、それを前提としてお釈迦さまの教えを自分なりに解釈したものとしています。
このように、ちゃんと自分の考えに至る教えの流れを踏まえているなら教えを深化発展させたと言えるかもしれません。
それなのに、宏正会はどう?
宏正会の教えはすべて初代会長が自らの厳しい実践の中で産み出したものと会員に説いています。
本当は他人の教えなのに、それを隠して自分の教えとするのはパクリというんじゃないの。
それに、宏正会の教えは「ひとのみち」」「PL」の教えそのもので、深化発展させたものとはとても言えません。

宏正会がこのように教えの流れを秘密にしているのは、倫理研究所との間に確執があるから。
初代会長は倫理研究所の所長 丸山敏雄のお世話になりながらも丸山の必死の願いを聞き入れずに勝手に独立したから、「ひとのみち」→「倫理研究所」→「宏正会」という流れを公表できない事情がある。
倫理研究所の側では、宏正会は裏切り者が創った悪い団体としている。

上廣は宗教を利用して金儲けしようとしてるだけなのだから、そこここに嘘や誤魔化しがあるのは当たり前。それに気付かない(信じた)人たちを対象とした商売をしているということ。そうした人たちを増やすために、また嘘や騙しを重ねることになるのです。インチキ宗教ではよくあることじゃないですか。別に驚くには当たりませんよ。

>帰結として、日常生活・家庭を守るよりはるかに優れ、会の行動提起が最優先される、これが「実践」になると理解します。

戦前の昭和12年に、当局により「ひとのみち」は解散させられてしまいますが、約10年で100万人の信者を集めたエネルギーは、終戦までは地下活動をするしかありませんでしたが、終戦により一気に爆発します。
二代目教祖はPLを創り、准祖であった丸山敏雄は倫理研究所を、橋本郷見は自然社を創りました。
教師であった上廣三郎は最初は一人で細々と活動していましたが、丸山を頼り倫研で講師として活躍し 自信をつけた所で独立して宏正会を創りました。
昭和20年代、30年代、40年代 いわゆる日本の高度経済成長に歩を合わせるようにこれらの団体は成長を続けましたが、日本の経済と連動するかのように現在ではこれらの団体は衰退を始めています。

これらの団体はすべて「ひとのみち」の信者が創ったものですから、これらの団体の教えなり活動は多少のバリエーションはありますが、ほとんどが「ひとのみち」と同じと言ってもいいものです。

「ひとのみち」の教えの根底は、「私たちが生きている宇宙には、一定の秩序があり法則 がある」というものです。
それを「ひとのみち」や「PL」「自然社」のように、一切の根源である宇宙全体を神と認識し大元霊とするか、「倫理研究所」のように純粋倫理とするか、「宏正会」のように大自然の摂理とするかは言葉の違いでしかありません。
もっとも「神」とすれば宗教法人となり、「神」とせずにただの法則とすれば公益法人とすることができることになりますが。

これらの団体では「私たちが生きている宇宙には、一定の秩序があり法則 がある」としていますが、その団体(教祖、教主、会長)が説くところの法則は他の一般的な倫理道徳と比して絶対的なものとしているところに特徴があります。
他の一般的な倫理道徳は人間が作ったもの(人律)で相対的なものでしかないとし、これらの団体が説く教えは神の法則であったり、大自然の摂理であったりと誰も疑問をはさむことが絶対的な真理としています。
このような絶対的な真理を説く一般的な倫理道徳はその団体では絶対的な地位を有することになるのは当然の事です。

もっとも、これらの団体が説く絶対的な真理の教えと言っても所詮は人間が説く教えでしかありませんので、「ひとのみち」「PL」「倫研」「宏正会」の21か条の処世訓や栞、五つの誓いを見て分かるように、世間で言われている所のいわゆる一般的な倫理道徳の中からこれらの団体の教祖、教主、会長が選び出したものに過ぎません。
要するにこれらの団体は、教祖、教主、会長が言うところの法則(教えや倫理)が絶対的な真実であって、その絶対的な真実を述べる教祖、教主、会長は絶対的な存在であるとするために存在しているものです。
信者や会員は、これらの団体の教祖、教主、会長が絶対的な存在であることの証明のための存在であって、信者や会員がいなければこれらの団体の教祖、教主、会長はただの口うるさいオジサン、オバサンに過ぎません。

「私たちが生きている宇宙には、一定の秩序があり法則 がある」を根底の教えとする「ひとのみち」から発生した団体は、
現在「PL」「自然社」「倫理研究所」「宏正会」そして、宏正会から派生した「スコーレ家庭教育振興協会」「NPO法人 倫理生活指導センター」など数多くあります。
そして、それぞれの団体の指導者、「PL」は御木貴日止が、「自然社」は橋本のり子が、「倫理研究所」は丸山敏秋が、「宏正会」は上廣栄治が、「スコーレ家庭教育振興協会」は永池栄吉が、「NPO法人 倫理生活指導センター」は井上富男がそれぞれ、この宇宙に存在する一定の秩序なり法則(教え、倫理)を説いています。
また、これらの団体の教祖、教主、会長が亡くなれば、次の教祖、教主、会長がその団体の教えを説くことになります。

これらの団体が説く「この宇宙に存在する一定の秩序なり法則(教え、倫理)」というものは、団体によっては 21条の処世訓や栞、五つの誓いなど予め明示されたものがありますが、他はその団体の教祖、教主、会長が思うところのものがその法則(教え、倫理)です。
「ひとのみち」の時代から、教祖はその時代にその時々にもっとも適した法則(教え、倫理)を説いているとされていましたから、これらの団体の教祖、教主、会長が思うところのを説けばそれがその団体の法則(教え、倫理)となるのです。
これらの団体の教祖、教主、会長は、一応はもっともな教えを説いていますが、その教え中にその団体のため、その団体の教祖、教主、会長にとって都合のいい教えが紛れ込んでいることが問題となります。
絶対的な真実という教えの中に、このような都合のいい教えが紛れ込んでいると見分けがつかなくなることが恐ろしい所です。



どうも有難うございます。論理的で寸分の狂いもない解説であられます。
よくご研究なされて、感心いたします。
われわれ宏正会会員は、そうかも知れないし、そうでないかも知れないと思いますが、会長は会員に対しては、都合のよいことを押し付けたりはなさらないと、信じて日々実践致しおりますれば、ご放念たまわりますよう。
先師がよく言っておられましたが、実践については、自分の代である段階まで行き着いたと確信するが、教学については、時間もないし出来なかった、次代はこれに重きを置くようにと。
そして現会長の代になって、上廣倫理財団を設立今も多くの学者に研究してもらっております。
あなた様も、また色々研究発表をお願い致します。

>一つ疑問、お金は、自然世界に存在せず、人間の欲で造られた物です。「宇宙や大自然」では、どのように解釈されるのでしょう?
また、草花が枯れても「実践」の前にはしかたがない事なのですね。

「ひとのみち」のニ代目教祖が設立した「PL」では、金銭の本質を次のように説明しています。

● お金に恵まれる在り方
 お金には、追い掛けられると逃げるが、入ってくる筋道をつけなければ入ってこないという性質がある。
追い掛けると逃げる、儲(もう)けようとしないとお金は入ってこない、という二律背反を克服することが金儲けの秘訣(ひけつ)である。 
そういう意味で、金儲けは非常に難しい。
しかし、お金に恵まれ、豊かな生活をすることは、金儲けほど難しくはない。
 金や物に恵まれる秘訣は、まず第一に、お金に対する執着を持たないことである。
お金に執着するのは、お金自体に価値があると思うからであろうが、お金自 体に価値があるのではなく、それを使っての自己表現に価値があるのだから、自分の人間としての働きを高め、大きくしていくことが金や物に恵まれる在り方で ある。 
ひとのみち時代には、「働くということは傍(はた)を楽にすることだ」という語呂合わせのような教えが説かれていた。
これは単なる語呂合わせではなく、 人間の本質を言い表している教えで、人は人のためにどれだけ役に立つかによって、その人の価値が決まるのである。
換言すれば、社会的貢献度によって、その 人の価値が計られ、収入も決まってくるのである。 
例えば、同じ会社の社宅においても、豊かな生活をしている人もいれば、いつもお金に困って貧しい生活をしている人もいる。
そういう違いは、その人の働き によって、お金の働きも違ってくるからである。
同じような給料をもらっていても、誠を持って努力し、創意工夫しながら仕事をしている人の働きと、嫌々なが ら、適当にサボって仕事をしている人の働きとを比べれば、どちらが大きな働きをしているかは言うまでもない。
そして、その働きの違いは、他の人にははっき りと分かるものである。
それだけではなく、たとえ同じ額の給料をもらっていても、その給料はその人の働きに応じた結果をもたらすことになる。
 誠で働いている人の給料は、その額以上の働きをしてその人に豊かさをもたらすが、怠けている人の給料はその額以下の働きしかしないことになるのである。
そして、怠ける人ほど自分の不運を嘆き、自分は割りを食っていると不足不満を持って暮らさなければならないことになるようである。
● 人のためにお金を使う
 お金に恵まれる第二の心得は、自分のためだけでなく人のためにお金を使うということにある。
お金の働きは、使う目的によって大きくもなり、小さくもな る。
自分一人の喜びのために使われたお金は、一人に役立つにすぎないが、家族のために使われたお金は家族全員の喜びに役立つ働きをすることになる。
さらに 社会に大きく貢献することに使われたお金はそれだけ大きな働きをする。したがって、生活に余裕があれば、できるだけ多く人のためにお金を使うことを配慮す ることが大切である。
お金を大きく社会のために働かせることは自分の働きを大きくすることでもあり、それだけ自分の心の豊かさ、喜ぴを増やすことになる。 
 特に、教団の布教ヘの協力は、多くの人々を救う働きを自分の表現に加えることになり、人間としての内容律を高めるだけでなく、宝生袋に込められたおしえおやの遂断を頂き、お金や物に対する執着を去って、自由に芸術する心境を悟らせていただけるのである。 
お金の本質をしっかりと把握し、自己表現の素材として、お金を自由無碍(むげ)に芸術することが人生を有意義に生きる道であることを知って、豊かな芸術生活を送っていただきたい。
(芸生新聞 2006年4月24日より転載)


以上のように、
金や物に恵まれる秘訣として
第一に、お金に対する執着を持たないこと
第二に、自分のためだけでなく人のためにお金を使うということ
としています。

宏正会も大体同じような説明をしているようです。
第一に、お金に対する執着を持たないこととして、宏正会ではお金に執着すると癌になると言っていると聞きます。
このように、会員にお金に対する執着心を捨てさせて、会にお金を出しやすくする教えのようです。
第二に、自分のためだけでなく人のためにお金を使うということとして、
宏正会でも
社会に貢献するためにお金を社会に奉仕する→宏正会は多くの人の幸せのために活動している→宏正会にお金を奉仕することは大きく社会に貢献していることになる
という理屈で、会員に「お祝金」という名目で会に献金させているようです。

このように、金銭についてもっともらしい教えを説いて、いつの間にか会に献金するのが当然のように導いているようです。

こうして会員から集めたお金は、もちろん会の活動のために使われるのは当然ですが、会長一家の人達はこのお金で 東京の超高級住宅地 松涛に豪邸を建て、贅沢な暮らしをしているようです。

「お金に執着すると癌になる」 上廣榮治やその跡取り達が癌にかからない限り、それは嘘である。


お金に対する考え方は宏正会でもどこでも、似たり寄ったりですね。
会長が松涛に住んでおられることは確かですが、贅沢な暮らしをしておられるということは当たらないと思います。
贅沢というのは、極めて主観的相対的なもので、敷地の広さだけでいいますと、天皇家が日本一でありましょう。その人の収入や地位や、こころの持ち方でどうにでも感じられます。わたしは、わたしなりに生活できて大変仕合せですが、この幸せが会長の仕合せより小さいと思ったことはありません。
「うらやむな、ねたむな、ケチつけな」が、仕合せのもとです。他人をうらやんだり、ねたんだり、ケチつけたりしてごらんなさい、幸せなんて感じられませんよ。
お祝い金ということばが、またいささかねたましい響きで登場しましたね。
地方もあり、一概には言えませんが、首都圏の公表実数を申し上げましょう。
前々年度の、\2,352,719,500-が前年度、
\902,291,000-へと半分以下になり、今年はもっと減ります。
古い体質では、おっしゃるようなことが絶対なかったとも言えないと思いますが、新しい宏正会はそんな殻を打ち破ります。


↑ 数字の前の「\」は、 円記号です、sorry。

お金の問題点は違いますよ。
会が襟をただしたのではなく、監督官庁の指導でしょう。
今、特例民法法人となり、公益法人に移行する場合、収入に対して五割を公益事業に使う必要がある。また、収入も透明性が経理上求められ、誰から誰にどのくらい寄付・種々の金が動いたか開示報告が求められているからです。
虚偽があると、公益法人認可不可能、取り消しとなる訳で、会としては絶対避けたい。
その結果です。

>お金に対する考え方は宏正会でもどこでも、似たり寄ったりですね。

違います。
宏正会の初代会長は「ひとのみち」の教師をしていました。
「ひとのみち」の教師は、信者からの献金の額で序列や給料が決められていましたので、教師達は必死になって信者からお金を集めていました。
そのため「ひとのみち」は信者から多くのお金を集め、豪華な仮本殿を造り、各地に支部や野球場、キャバレーなども造っていたのです。
教祖は長者番付に載るくらいの大金持ちでした。
PLは「ひとのみち」二代目教祖が創ったものですので「ひとのみち」と同じ手法でお金を集めていますが、宏正会も「ひとのみち」を真似て同じ理屈でもってお金を集めているのです。
要するに、宏正会はお金集めの手法も「ひとのみち」の手法のパクリと言うことです。

>贅沢というのは、極めて主観的相対的なもの

確かに贅沢というものは、そのようなものかも知れません。
でも、ある程度の尺度というものはあるのではないでしょうか。
会長の自宅は、渋谷区松涛一丁目の戸栗美術館の東隣、観世能楽堂の間にある一辺が40m×70mもある 敷地800坪に建つ豪邸です。
近くの神山にある麻生元総理の自宅にも匹敵する豪邸です。
公益法人の代表者が住むような自宅でしょうか。
このような豪邸に住んでいるということは、会長一家の人達はそれなりのセレブな生活をしているということです。
会員は、社会に奉仕するためにと生活を切り詰めてお金を会に献金したものです。会長にこのような贅沢な生活をさせるために献金したものではないはずです。
もしそうでしたら会員の皆さんは、会長の自宅がどのようなものであるかを知っていたはずです。でも、ほとんどの会員さんは知りません。どうしてですか?

>「うらやむな、ねたむな、ケチつけな」が、仕合せのもとです。他人をうらやんだり、ねたんだり、ケチつけたりしてごらんなさい、幸せなんて感じられませんよ。

会員にはこのような指導をしておいて、会長は陰で私服を肥やしているということですね。
会のもっともな指導は、会長の「隠れ蓑」ということですか?
たぶん多くの新興宗教の教祖が信者にこのようなことを説いておいて、教祖は信者から集めたお金で贅沢三昧をしているのでしょうね。
このようなことが世間で許されるのでしょうか。
大自然の摂理に反していると思いますが。
もしかして会長は大自然の摂理を操れるとでも思っているのでしょうか。
なんと神をも畏れぬ尊大な人でしょう。

「贅沢は極めて主観的、相対的なもの」 なるほど、会長が世間一般から見て、贅沢三昧していようとも、信者はそう思っていないから構わない、放っておいてくれ、私たちが貢いだ金なんだからどのように使おうが文句はない ということか。「敷地の広さだけなら天皇家が一番」 何を引き合いに出すかと思ったら、天皇家とは。頭がおかしいのではないか。天皇の存在は日本国憲法上にその根拠を有し、皇室の系統などは皇室典範に、経済に関しては皇室経済法にその定めがある。一般人の活動とは体系的にも、経済的にも同一に論ずることなどできる筈がないではないか。 翻って、実践倫理宏正会の存在根拠たるものは何か、考えてみてほしい。宏正会は実態とは関係なく法律上、公益法人なのである。公益法人たる要件、義務等はこのブログでも再三指摘がなされているのでなるべく重複は避けるが、それらに照らし合わせてどうなのか?が問題なのだ。各種公邸や議員宿舎もある人から見れば贅沢だろうし、公共の職責を担う立場からすれば当然だと見る人もあるだろう。だが、勘違いしないで欲しい。それらはとにもかくにも現行の法律上、違法な支出とは言えないのだ。宏正会は税金を使っているわけではないので構わない、と言いたいかも知れないが、そもそも公益、営利を問わず法人はその目的の範囲内でしか権利能力を持たないのであるから会長の大きな邸宅の存在を正当化するには、それが会の目的を達成するため必要な事業であると疎明するか、会長の報酬がその資産を得、維持する額相当でも妥当であると主張するしかない。後者の主張も営利法人の役員ならば総会の承認を得れば問題ないが、公益法人ではそうした決議そのものが違法性を帯びかねない。これらは「こころの持ち方」で どうにかなる問題ではないのである。宏正会が公益法人としてこれらの問題を説明しているならば、私の勉強不足なのでその文献を教えていただきたい。信者の方は「説明するまでもないこと」 とおっしゃるかも知れない。繰り返しになるが、「こころの持ち方」で片付く問題ではないことは銘記しておくべきである。

「倫理がひらく 君たちの未来」で会長は、有名高校、中学、小学校、幼稚園に行くことに目の色を変えている親、子供について、「私は、こうした傾向を、実に情けなく思います。」と書いている。

会長自身が、「私には、さる私立の名門大学で、前々から行きたいと思っていた学校がありました。」というのは慶応大学。
自分では行きたい大学に行けなっかたので、会長の子供はみんな慶応に行かせている。
それも、カネ・コネがなければ入れないことで有名な幼稚舎から大学までずっと慶応。
会長が福沢諭吉について色々言っているのは、子供がみんな慶応で福沢諭吉のことが話題になるから。

会長さん、言っていることとしていることが違うんじゃないの。


それで、会長のおこちゃま達はその福沢諭吉先生を小遣いとして思い切り使っていると。なるほどな。

だ〜か〜ら、ここの会長の言うことと、やることが違うのは今に始まったことでも何でもないでしょ。初めから偽りでスタートしてる会なんだから、そんなこと、何とも感じていないわけ。むしろ、一つの間違いや矛盾を認めると、それが会の創設時にまで遡及して、命取りになってしまうのです。姿勢を正すことなんて有り得ない。

 「否会友」(サイコばばあ)が調子こいとるなあ~。
成りすましを暴かれたのに、まったく反省せず。
ここで負けたら嘲笑の的だからと、必死になってこのブログを占領しようとがんばっている。
「いや夫」と「ゴジラ」がいなければ、それも可能だと思っているのか?
 だったら、wikiのリンクを削除するなよ(笑)
 負けてるからリンクを削除しているんだろ?
 強がってはいるが、本当はわかっているようだ。

 否定意見を一人で打ってきて虚しいの~。

 「いや夫」は「アンチ否定派」ではなく、「アンチ否会友」に転向しました。こんなやつに関わるのは、まっぴらごめんですが、こんな奴に他の人が傷つけられないように、たまに釘を刺しにきます。

 今回は、少しだけ「否会友」研究の中間発表をしにきました。

 否定派の投稿の9割を打ってきた「否会友(このブログでは「太陽神・武蔵・鉄槌他」」について、我がブログで研究しているので、読みにきてください。特に、初めてこのブログを読む方は、まず、「いや夫」の「否会友」研究にざっと目を通してから、このブログを読むようにしましょう。そうしないと、成りすましの嘘つき投稿を読まねばならず、時間のムダですよ。

 前回からの更新分

「宏正会って何?」と2ちゃんねるの関係を暴くシリーズ1 「くくくww」の周辺の投稿
http://58807828.at.webry.info/201008/article_17.html

「宏正会って何?」と2ちゃんねるの関係を暴くシリーズ2 「くくくww」の投稿を追跡
http://58807828.at.webry.info/201008/article_18.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編1
http://58807828.at.webry.info/201008/article_19.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編2
http://58807828.at.webry.info/201008/article_20.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編3
http://58807828.at.webry.info/201008/article_21.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編まとめ
http://58807828.at.webry.info/201008/article_22.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」のお友達の「討論は避けよ」は「元会友」なのだろう。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_23.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の正体は? 仮説1 他宗教の攻撃部員 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_24.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の正体は? 仮説2 「否会友」だろう 編(こっちが本当だろう)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_25.html

「太陽神・武蔵」=「鉄槌」の別の証拠
http://58807828.at.webry.info/201008/article_26.html

2ちゃんねるの投稿は、ごく少数の否定派が水増し投稿をして作ったもの
http://58807828.at.webry.info/201008/article_27.html

天の岩戸通信 その1 否定派は、ほとんど一人
http://58807828.at.webry.info/201008/article_28.html

天の岩戸通信 その2 過去スレ21に、「否会友」の自己美化投稿
http://58807828.at.webry.info/201008/article_29.html

天の岩戸通信 その3 「否会友」の探し方
http://58807828.at.webry.info/201008/article_30.html

天の岩戸通信 その4 「否会友」は、提訴するならどうぞとおっしゃってくれています。しちゃいましょう。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_31.html

天岩戸通信 その5 まだかのブログに復活しなくてもよさそうです。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_32.html

wikiのリンクが削除されている!
http://58807828.at.webry.info/201008/article_33.html

天の岩戸通信 その6 宏正会はお金のかからない体質へ改革を進めているようです。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_34.html

天の岩戸通信 その7 「否会友」は「密偵が趣味」で会に潜入しているかも?
http://58807828.at.webry.info/201008/article_35.html

 この後、「否会友」の自作自演の中傷投稿が続きますので、お楽しみください。
 では、さようなら~。

明日、会場に松岸本部講師がやってくるそうな。それはそれは必死になって動員をかけている。しつこい誘いの電話 、所謂「お声かけ」も懸命にやっている。迷惑なのもさることながら、どうも首を傾げてしまう。本当に価値のあるものなら、無理してそのようなことをしなくても人は集まると思うのだが。目標を定めて努力することそれ自体は悪いこととは思わないが、無理をして実態より大きな見せ掛けを創ることで本部に対して良い顔をしようとするのはどうかと思う。無理矢理集めた二百人と、自ら是非にと集まった五十人と、どちらに価値があると捉えているのだろうか。どうも見ていて、本末転倒と言うか、滑稽に思えるのだが考えや感想をお持ちの方がいらしたら、お聞かせ戴きたい。

上記に関連すると思うので、再び入れます。



個人崇拝がすさまじいですね
倫理研究所は、脱宗教ということで、その辺からは脱却したようですが・・・

池田大作氏と並び称せられる「個人崇拝」と「信者拡大」優先こそが
倫理研究所との大きな違いになっていると思います
同じ公益法人でありながら、内容は、宗教だと思いました
武道館での大会にも行きましたが、ものすごい違和感を感じました
これが「宗教法人」であれば、よいのですが
「宗教じゃないから安心」「文部科学省の外郭団体だから」などと
私も言うように教育されてきたからこそ、違和感を感じます
「これは詭弁だと」「いってることと、やってることが違いすぎる」

実際に会のなかで色々活動してみての感想を述べました

松岸本部講師には、私も、妻も、指導を頂きました。
喉を悪くされていて、大変そうでしたが、それはさておき
頒布、会員拡大を、実践のひとつとする発想は、違和感を感じます
自分たちでやるのは結構、でも、会に入れることで、他人を救う
会員拡大こそが、他人をもすくう・・・・・

実践倫理宏正会のなかで、ぼろくそに、言っている、創価学会と
そういう意味では、まったく同じだと思いました

会に入れば救われる、入らなければ、救われない

実質宗教そのものです

でも、いいとこどりで、公益法人になって、勧誘のときだけは
「宗教なないから安心」いっていることと、やっていることが
ちがいすぎると思います

実際に、会の中で、お役もやり、かかわっての、感想です

よく、宏正会に入れば幸福になる。入らなければ(辞めれば)不幸になる、というような話をしているとおっしゃっているのを聞きますが、私自身支部長や講師の話や会長の著書からは「この道を踏み行えば必ず幸福になり、外れれば必ず不幸になる、その筋道」と説明していると読み取れるのですが。つまり、入会することそれ自体は入り口に過ぎず、正しい生活態度を実際に行うことが本旨であるということなのだと思います。その中身、内容に対する批判や疑問はあるとしても、冒頭のような脅迫めいたことや押しつけがましい説教を少なくとも私は聞いたことがありません。輸送の係などを引き受けた時にはその役目は責任を持ってやる。それ以外それ以上の干渉は受け付けないといったスタンスでいますが、それをけしからんと詰問するようなことはなかったと感じています。多少「しつこいな」と思うくらいのことはありますがこちらがきちんと断れば強制されるようなことはありません。誤解されて伝えられている部分があるのは残念です。

>多少「しつこいな」と思うくらいのことはありますがこちらがきちんと断れば
>強制されるようなことはありません。
>誤解されて伝えられている部分があるのは残念です。

「倫理を学んでいないから、子供が不登校になる、家族の不和になる」
これは、勧誘のときの常套文句ですよ
さらに
退会したいというと、子供に悪いことが起こる、不登校になる
家族内で悪いことが起こる、と散々脅すじゃないですか

どこが「多少「しつこいな」」ですか???????

しかも、それを言うことが、通常だし、指導じゃないですか

いってることと、やってることが違いすぎますよ

実際に、会で活動しているものの、実体験としていいます

活動している者の実体験 というからには、この人もそんな恐ろしいことをやっているのか?内部のしかも経験者の告白であり、宏正会の実態を知るよい資料になります。いかがわしい組織だとわかっているのに何故か辞められない人がいるという不可解な事象を解きあかすことへの一助ともなりますので、体験談をできればお願いします。 決然とした態度で臨み、きちんと意見が述べられる人には弱腰で、少しでも弱みを見せた者は食い物にする一種のカルトの手法が隠れているような気がしてなりません。

「言っていることと、やっていることが違いすぎる」
これが、今の私の実感です

御本の内容、そして教え本体は、否定しておりません、よいと思います
だからこそ、会にとどまっています

しかし、頒布、勝手に家族を入会させることが、当然である等
「倫理とはかけ離れた行動」が、多いと感じています
宗教団体の形式を外した、実質活動内容は宗教だとおもいます
わたしは「宗教団体」であるとして、活動をしています
そう思えば違和感は消えます。しかし「宗教団体でない」
というのを、前面に出していることには、非常に違和感を感じています

会長先生についても、
大川隆法さんなどの様な、宗教団体の教祖さま、と同様に
あるいは、牛丼屋のオーナー社長などと同様に考えれば
色々いう方もいる、家屋敷、収入、そして会友からみたあり方など
違和感はありません

しかし、
倫理研究所の丸山さんなどと同じ、公益法人の代表者として
見た場合、これは「非常に」違和感を感じます

内部のものとしての意見です


議論百出ですが、わたしは違和感なんて感じたことはありません。も少しおおらかに、太っ腹になってみる必要がありましょう。
会の言っている趣旨はよいというなら、趣旨はよいのですからそれでよいのです。それに反することを言うひとがいても、いちいち引っかかっていたら、この書き込みのなかにもおられる元会友諸子のように、ケチばかりつけるようになるのです。
よいところだけをみて、ヘンなことを言う人は、あなた自身は無視して、笑いとばして進んでください。
何?笑いとばせないって、あなたにこの会は合いません、すぐ止めることです。

趣旨(=言っていること)が良くても
(貴殿の言うように)実際の行動が伴わなくてよいなら、
はっきりいえば何の意味も無いと思います

(貴殿の言うように)良いところだけを見て、問題は無視するなら
百害あって、一理なしになりえます
言い訳のために、倫理を学ぶことを、言い訳にしてはいけないと思います

笑い飛ばして、無神経を他人におしつけてはいけません
それこそが、倫理学びの倫理しらずになってしまいますよ

そうならないように、私はもがいているのです
同じようにもがいている方は、私だけではありませんよ

実践を伴わなくて良い、実際の行動が倫理的でなくても良い
というのであれば、
貴殿がこの会を去るべきでしょう

本当の意味で、倫理を実践するつもりのある「真面目な人」のみ
残ってほしいと思います

変革が必要だと思います、変革つぶすようなことはやめてください


あらあら、ことば通りにお願いします。
趣旨がよいなら、そのよい趣旨通りに実践をお願い致します。あなたが、わるいとおもわれることは、行わなくともよろしいのです。
わたしにとって、「朝起き会」は百利(言いえて妙ですが、『理』ではありません、)あって一害なしです。
どうか、もがかないで下さい。もがきながら「朝起き会」にいくのは意味がないし、会長先生もそんなこと望んでおられません。
「朝起き会」が楽しくなくなったら、わたしは止めます。楽しくてしようがないから、続けます、ひとの自由を妨げないでください。
マジメが一番!ただしその前に「クソ」がつくのは、あまり好ましくありません。
わが尊敬する、新潟大学、安保徹教授の名著「『まじめ』をやめれば、病気にならない」は、けだし至言であります。

社団法人実践倫理宏正会に改革の兆しがあるようには見えません。それを憂いてあなたがいくらもがいても、何も変わりません。変革を望んでいる方がいるかのようなおっしゃりようですが、ご存じの通り、この会は会長の考えが全てです。講師連中も皆同じです。指摘されたように、早く退会して、全うな生き方をすべきです。貴方の内心そのものが支配されていて、難しいのはわかりますが、自己を誤魔化す言い訳を勇気をもって捨て去ることです。

自分に利があれば、他人が迷惑がろうがどうでもよい。全く関知せず、自分達だけ(会の中だけが)が楽しければそれでよい。常識を持った会員がもがき悩む必要すらない。どうも「会長先生」とらやの倫理はその程度ものらしい。あまつさえ、悩んでいる人を見下すような申し様。正しく、会長からの上意下達、誰に何を尋ねても同じ「金太郎飴」の状態ですね。宏正会の 実像、本質を会員であるあなたから証言いただき、とても参考になります。ありがとうございました。


いえいえどういたしまして、みなさまにご理解いただきたいことは、あなたもわたしも完全に自由なのです。
自由自在、一切の束縛なし。あなたが思うとおりに生きられよ。
この季節、日中とは違い、すでに冷気を感ずる朝まだき、集える時間はまさに朝日が出るあとさき。
全ったき自由をこころに念じつつ朝日を拝むとき、大自然の摂理そのものに感応します。
おのれに素直に邪心なく集われよ。

他人に迷惑かけるなよ。あなたはあなたの人生を生きられよ、と言うくせに、「我も人もの幸せ」 というお念仏を唱えて、上廣宗教を押し付ける。上廣自身が親子孫で欺瞞と嘘しか言えないのだから、その信者は手に負えない。何が倫理か。

ここの信者はやはり何も気付いていない。「気付いたことは身軽にすぐ行う」が、自分達(正しくは上廣榮治)に都合が良いことだけ「気付き速行」だ。現代最悪の淫嗣邪教だ。どの宗教よりも悪質。



ははははは~、「朝起き会」も嫌われましたな~。
結構、結構、いやなら、来なくても、入らなくても、全然いいのですよ。
杞憂に過ぎないと思いますが、あなたも他のヒマ人と同じく、卒業生であられましょうなぁ~。
万々ガ一、現役世代のお方でしたら、こんなスレ相手にするのを、スグ止めてください。
顔も知らない、素性も知らない、関係もない、われわれに、そんな悪態ついてるヤカラは、ロクな人間になりませんよ。会社にも役にたたない、社会にも役に立たない、絶対に出世もしない、もしかしてインポテンツのクズ人間として、青白い顔して、パソコン抱いて一生をお暮らしください。

宏正会の会員というのは、かくも下品で知性のないものなのか。自らの行為で実態が暴かれて結構、結構。

批判派の人間は、実際に見たり聞いたり、読んだりして体験したことを踏まえて投稿している。それに対して数少ない擁護派の者は、それこそ会ったことも、見たこともない他人に対して役立たずだの、出世しないだの、挙げ句の果てにはインポだのクズだのと、罵詈雑言を並べ立てている。本当に程度が低い。きちんとしたことが言えない人間の集まりなのか、それとも会の本質の部分で正しいことを言えない何かの事情でもあるのだろうか。好き嫌い関係なく疑わざるを得ない。

「いや夫」にしても、「レイモンド」にしても肯定派は、否定派の言っていることに何一つ反論できない。
なぜなら、否定派の言っていることはすべて真実だから。
だから肯定派は、否定派の人にイチャモンをつける位しか手がない。
ここの所をしっかり押さえておかないと、肯定派に誤魔化されてしまうよ。

社会的信用って大切ですよね、人間の説く言葉は絶対ではなく相対です。
家庭教育振興会は、公共放送NHKの評価もえているのに、何故、本家のこの会はマスメディアから評価薄いのでしょうか?
分家の方が真面目な実践をしている証に思えます。
キレた汚い言葉は使わないですよね。

人の説く言葉は相対的であって絶対的ではない。その通りだろう。しかし、それを認めたがらないのが宗教というもの。実践倫理宏正会の会長も「我が会(=私の会、すなわち私自身)だけがただひとつの真理たる大自然の摂理を説くもの」であるとしている。それらに対する疑問や批判にまともに応えることはは初めから念頭にないのである。会員(信者)がヒステリックになったり、倫理(上廣流ではなく世間一般で認識されている倫理)に反して程度の低い中傷で人を罵ったりするのも、カルトの体質から察すれば当然のことなのだろう。


お前たち、よく分かっているではないか。このスレは、下品で知性もなく、きちんとしたことが言えず、マスメディアの評価も低いクズの集まりなのである。
2ちゃんは、ひろゆき氏が権利を売り渡した時点で、金で転ぶこと分かり、規制もかけられて、ちゃねらーが、このスレに流入、「クズ」を通り越して「クソスレ」に落ちぶれてしまった。
こんなクソスレにとくとくと書き込んでいる、お前たちも、いつの間にかそれに劣らぬ人間に成り下がっておる。
このスレを、見ただけ、書き込んだだけで、お前の人格は、このスレのレベルまで落ちるぞ。
もう二度と来るな!!そのわるいドタマどついてほしかったら、また来い!


典型的なこれもんですね
実践倫理宏正会の人たちの、本音は、実態は
やっぱりこれなんですね
これを見て、会に今、勧誘されているかたなど、
参考になったと思います。


<宏正会会員状況>
宏正会に都合の悪いこと、教えに反する発言に対しては、下記の反応をします
1ステップ:聞いてない、あるいは理解できない
2ステップ:本に書いてあること、会の誰かの言ったことの、そのままを言い返す
3ステップ:逆切れして、罵倒しだすか、誹謗中傷しだす
→結果的に、本人の言葉としての理由も、説明も、具体的なものは何も出てきません
 ただ、ただ、会の教えをオウムのように繰り返すだけで、自分の言葉はでききません

この人たちにとっては「宏正会を否定されること=自分を否定されたこと」に
なるので、大変です。鵜呑みにした理屈ですから、自分の言葉では語れません
ですから、逆切れして暴言、罵倒、誹謗中傷に走り、倫理そっちのけの言動が
始まります。でも、本人はご満悦です。

議論ができない者は、悪い頭を自分で叩いておけばよろしい。ブログを貶めているのはあなたのような理論的思考をもたない信者(若しくは信者を装った悪意者)だ。また荒らすおつもりか。きちんとした話ができないなら、自分こそ出てくるべきではない。


ありゃりゃりゃりぁ~
遂にでました、元会友。
2ちゃんのフルメンバーがそろいつつありますなー。
正真正銘の「クソスレ」転落記になりました。
いや夫さんならいざ知らず、こちらのもとの住人には、とてもお相手できないクソガキどもです。
このクサイわしが、よほど好きなのか、ちゃんねる超えてまで、ようまとわりついて来るもんだ。シッ シッ! シッ シッ!
こういうても、何してもついて来るんじゃお前さん。
憎まれっ子世にはばかる ← わし 。

荒らしは相手にせず、宏正会論をやりましょう。「クソスレ」にしてしまおうと躍起になっているチャネラーは無視して、きちんと論議をしましょう。それができない方こそここに来るべきではない。


おまいさん、またおんなじことばかりほざいてぇ~
何がそのドタマと筆使いで、論議をしましょうじゃ。
「武蔵・太陽神」殿以上のこと論ずるのだったら、いつでも論議とやらに参画してやる。
一番上のスレ主の趣旨説明にもある通り、もともとここは会員どうしが自分達の悩みなどを語りあうところであったのじゃ。ちゃねらーもたまに来て、チョロチョロ悪口、中傷をたれている間はよかったが、「武蔵・太陽神」殿というたぐい稀なる、理論家が登場なされて、こちとらひとことも発言できなくなった。
それは、よきにつけ悪しきにつけ終始一貫論理が通っているからである。
おまいたちみたいな、おこ子ちゃまには、論理的論争は無理、子供の教育のように、あたまドツキながらでも正しいことを教えていく必要があるのじゃ、ドアホッ!
 ひとつだけ言うといたる。かの国の将軍様にも匹敵する、われらが現会長殿を誹謗する向きがあるが、そのこと事態論理を超えて間違っている。

まだ、ちゃねら~が残っているんだ~。

「いや夫」が消えたというのに、暇なんだね~。

 「ゴジラ」が少しお相手しましょう。

 君らごきぶりがいつも引用する下記の投稿について、

(引用開始)
<宏正会会員状況>
宏正会に都合の悪いこと、教えに反する発言に対しては、下記の反応をします
1ステップ:聞いてない、あるいは理解できない
2ステップ:本に書いてあること、会の誰かの言ったことの、そのままを言い返す
3ステップ:逆切れして、罵倒しだすか、誹謗中傷しだす
→結果的に、本人の言葉としての理由も、説明も、具体的なものは何も出てきません
 ただ、ただ、会の教えをオウムのように繰り返すだけで、自分の言葉はでききません

この人たちにとっては「宏正会を否定されること=自分を否定されたこと」に
なるので、大変です。鵜呑みにした理屈ですから、自分の言葉では語れません
ですから、逆切れして暴言、罵倒、誹謗中傷に走り、倫理そっちのけの言動が
始まります。でも、本人はご満悦です。

(引用終了)

1 について、「何を聞いていない」?なの?
  「何を理解できない」?なの?
 具体的に書いてごらん。すべて、このスレですでに「いや夫」が答えたことばかりのはずだ。

2 について、
 「本に書いてあること」「会の誰かの言ったこと」が正しいから引用しているだけだよ。逆に、本にも書いていない、バカ(君ら)の発言なんて、何の価値もないんじゃない?

 例えば、義母を恨む「否会友」って奴(お前)がいるんだけど、宏正会の書籍の中では、まさに悪い例なんだよ。家庭愛和がこの会の基本中の基本であり、それを守ろうとしない奴なんて、我が会は相手にしないの。それは、いくら議論を重ねても同じこと。平行線のまま。だから、わざわざ宏正会会友のブログにやってこないで、君らのホームグランドの2ちゃんねるで延々スレを創作していなさい。いずれ、君が訴えられたら、どれだけの件数の創作や成りすましをしていたから明らかになるから、それはそれで楽しみです。

3 になるのは、お互い様。君らごきぶりを相手にして、紳士ぶっても仕方ないだろう?スリッパで叩くか、殺虫剤をかけるのが普通の対応だ。そうされたくなければ、紳士淑女の投稿をせよ。(半分はできるけど、成りすましだと罵詈雑言だもんな~、お前は。汚い奴だな~。)

 ということで、お前の言っていることなんで、すでに何十回も否定されたことばかりだ~!

 「いや夫」みたいに、新ネタを次々出していけよ!

 同じネタばかり繰り返すな!アホ!もっと頭を使え!

追伸
 まだ、ごきぶりが残っているようなので、「ゴジラ」を置いていくことにします。(「いや夫」)

 我がブログの前回以後の記事を紹介しておきます。

 ぐぐってわかること
http://58807828.at.webry.info/201008/article_36.html

 「いや夫」のブログを読んでもらえばわかるように、宏正会否定派は、かなり減っています。実は、非常にマイナーなネタで、新規の否定派などほとんどいないのです。「否会友」と「元会友」が投稿の9割を占め、成りすましで多数派工作をしているだけです。いつか始まる裁判を楽しみにしましょう。


天の岩戸通信 その8 「否会友」を生んだ二人の男 その1
http://58807828.at.webry.info/201008/article_37.htm

 「否会友」という否定派の「サイコばばあ」を生み出したのは、2ちゃんねるの「元会友」であることを書きました。「いや夫」は「否会友」以上にこ奴が嫌いです。「否会友」は赤の他人である会友を攻撃していますが、「元会友」は昔の仲間をバカにして攻撃しているのです。こいつが最低の奴です。宏正会にだまされないようになどという大義名分を掲げていますが、真っ赤な嘘です。会の倫理の高さに合わなかった(ネットでの発言がそれを証明しています)己の未熟さを棚にあげて、自分がやめた会を否定しようとしているのです。要するに、「認知的不協和理論」です。

天の岩戸通信 その9 アンチ否定派の我がブログがぐぐって2位に。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_38.html

 否定派は、自分たちで何度もクリックをする多数派工作をして、グーグルのランキングを捜査しています。昔「鉄槌=否会友」に、2ちゃんねるのスレの順位がむちゃくちゃ低い(誰も読んでいない)ことをからかったら、新規にコピーページを作って、その順位を上げる工作活動をしました。今は、もっとランキングが下がっています。それはそうだ。一人or少数で成りすまし投稿をしても、ランキングは上がるはずがない。だから、いつも「実践倫理宏正会って何?」の方がランキングが上なのだ。そして、一切工作をしていない「いやいや朝起き会を続けている夫のブログ」にさえ、とうの昔に抜かされているのだ。
(関連記事
 「鉄槌」くんと愉快な仲間たち(いるとしたら、だけど
http://58807828.at.webry.info/201001/article_7.html
 なお、この頃は、「鉄槌」と「太陽神・武蔵・否会友」は別人だと思っていました。)
 ちなみに、「被害家族の会」のサイトはいつも上位だが、多数派工作みえみえである。

 このブログの読み方
http://58807828.at.webry.info/201008/article_39.html

 「いや夫」のブログはどこから読んだらいいかわからないので、説明しました。「否会友」のことだけ読んでもらえば十分です。それで、否定派の投稿の7割はカバーできますので・・・。そして、その成りすましや創作の多さも、実感できると思います。

 天の岩戸通信 その10 「否会友」を生んだ二人の男 その2
http://58807828.at.webry.info/201008/article_40.html

 「サイコばばあ」の「否会友」を生み出したもう一人の男は、その夫であることを解説しました。

 上記の投稿がなぜ、この「実践倫理宏正会って何?」に関係するかというと、昔も今も、否定派は、「否会友」と「元会友」だと断言してもよい位、「こ奴らだけ」なのです。

 違うというごきぶりさ~ん。
はい、順番に自己紹介をお願いね。

 「いや夫」がこのブログに登場したとき、「いや夫」にからんできたのは、「ボケ老人」以外はすべて「、」無し投稿の成りすましで、要するに「武蔵」本体であった。話の流れからみれば、「ボケ老人」も本人で、要するに「武蔵」しか反論してこなかった。
 卑怯な武蔵は、いきなり「いや夫」の相手をするのが怖いから、「匿名」「テラ」「究明団」「ボケ老人」などのサブキャラで、「いや夫」を中傷し追い払おうとした。それでもだめだから、「小生の書き込みに反応がなかったので しばらくこのブログから遠ざかっていたのであるが ここに来てこのブログが賑やかになっている。」などと言う、恥ずかしい大嘘をついて、「いや夫」との論戦に臨んだ。そういう卑怯者なのである。最初の論戦がそんなだまし討ちのようなものであったのは、今までも、その時も、今も、それがこ奴の卑怯な戦術なのである。

 何で、このブログは「匿名」ばかりなんだ?
 ここは2ちゃんねるか?
 否定派が「匿名」になったのは、唯二の否定派である「否会友」と「元会友」が否定派になったからだ。ただ、それだけである。他のごきぶりは、こ奴らの成りすましまたは、雑魚で気にする必要はない。

 肯定派(実際はアンチ否定派&アンチ否会友)は、「いや夫」兼「ゴジラ」のみが固定ハンドルを通している。

 否定派が「匿名」なのはわかる。固定ハンドルでは成りすましがやりにくいからだ。ただ、それだけの理由だ。

 では、なぜ、肯定派が「匿名」につきあう必要があるの?
 こんなごく少数の卑怯な否定派に、何をおびえているの?
 不思議だ。

 肯定派の方々へ

 否定派の正体は、我がブログをお読みください。
「否会友」も「元会友」もろくでもない奴だから、ネットで偉そうに書いているだけです。成りすましがすべての奴らですので、恐れるに足りません。

 これまで、「いや夫」が否定派に対して、「宏正会の経験を明かしてください」と言って、答えた者がいますか?プロフィールを自ら明かしたものがいますか?

問い  なぜ、答えないのか?
答え  成りすましができなくなるから

 それが全てなのです。

 肯定派は、初めから自己紹介をして会話をしていました。それは、ここが「ブログ」だからです。それで良いのです。「匿名」はブログには似合いません。ちゃねら~につきあって、レベルダウンする必要はない。

 今はちゃねら~の荒らしによって、投稿しにくくなっているのは事実ですが、こんな奴らは無視すればよいのです。一応、ちゃねら~対策として、「ゴジラ」が迎撃します。

 肯定派の方は、こんなちゃねら~など恐れず、一切無視して投稿されたらどうですか?

 「いや夫」は、
2ちゃんねるは「便所の落書き」だと思っています。そして、そのちゃねら~が、このブログにも「便所の落書き」をしているので、これと戦っています。

 しかし、「いや夫」のやっていることは、落書きだらけの便所に、
 「落書きすんじゃねえ!ちゃねら~!とっととマイホームの2ちゃんねるに帰れ!お前の成りすましや正体なんて、とっくの昔にお見通しだ!最初から予想した通りだ!バカ!」というような張り紙を貼る行為です。これでは、便所はきれいになるはずがありません。

 まともな管理人になら、汚い便所をまずきれいにそうじをし、「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます。」と張り紙をし、きれいな花などを飾ったりするでしょう。

 「いや夫」が思うに、ちゃねら~を追い出すには、肯定派の方々が、ちゃねら~の投稿は一切無視をして、昔のような投稿をする。できたら、「まるまるまある」さんの心洗われる詩があったりしたら最高です。

 そして、否定派の投稿に対しては、「ゴジラ」と「論客さん」だけが相手をするなんてのはどうでしょう?

 試してみる価値はあると思いますが?

過去の書き込みは、あまり見ていないので良く分らないが
ここで出ている宏正会の問題点(当たり前のことで、批判ではない)を
宏正会の中で話しても何にも意味はないと思います、
妄信している会員にとって、会の教えに反することを言う、とんでもない奴
がいるというだけです。聞く耳は全くありません。
なぜなら、裏倍加や、徳積みなどの件は、今の主要会員にとって、最大の
貢献事項を否定することになり、いままでの時間も、お金も、無駄だった
間違いだったなんて、認めることはありえません。会場の幹部クラスに
至っては、その人の今までの人生を否定することに、等しいからです。
今いる、会場の人たちから、宏正会が変わることは有り得ないと思います。

非積極的ですが、インターネットなどの影響力で、議論、あるいは
情報提供し、一定の影響を与えることも、意味はあると思います。

この掲示板を見ている人が、騙されないように、情報提供すること。
現会員で、妄信に至ってない人が、この掲示板を見て正しい判断をすること。
最低限、違法行為をしないこと、できれば退会すること。

一定の情報が広がれば、文部科学省などが、公益法人に対する管理として
宏正会本部にたいする指導も有り得ればと、希望も持ちます
今いる、妄信会員には、違法行為(本人が知らない入信届)をさせないこと
勧誘時に正しい情報提供をすること(元々宗教団体であること、活動内容は
宗教であること、など)
本部には、現会員に本人がしらないうちに入信させられいる会員がいないか
本人確認させること

いえるのは、今いる会員はもう無理としても、でもこれ以上被害が広がらない
ようにすることは、この掲示板や、インターネットの影響力は有効だと思います

宏正会内で活動することで、本人によってプラスになっている人がいるのも事実です。今更、止める訳にいかない人もいるし、一定の関与で有効になってる人もいます。それ自体は否定できません。
当家も、妻は実働会員です、私は月に1回位、妻の監視目的で行っていますが、内実は否定派です。問題点を演壇で語ることもありますが
「毎日朝起きして、それから言いましょう」と言われてしまいます。
一種、その通りで、たまにきて文句言うのも失礼ではあります。
でも、毎日行く気はありません。
私が改革する必要も、義務もありませんし、ミイラ取りがミイラに なってしまいます。
良かったのは、子供たちは「宗教はやだ」といって嫌っていることです。妻が「宗教じゃない」と言っても、子供は理解しているようです。
妻も、一定の関与であれば、エホバや統一よりは、はるかにましだと思うので、成り行きにまかせている状況です。

ゴジラさんは、非常な思い違いをしています。
ゴジラさんは、実践をしいませんし、この掲示板での発言は、倫理以前ともいえる内容ですし、会のことも、よそから聞いたことなどで、実体験によるものではありまません。会友にjとって、迷惑以外の何物でもありません。
自分が、実践倫理宏正会の代表がごとくの言い方は、非常に失礼ですし、迷惑ですよ。

勝手に入会させることは、刑法違反であるとともに
信教の自由を侵す、憲法違反です。
当家の子供も妻が勝手に入会させてしまいましたが、朝起き会のことを「これは宗教だから、いやだ」と言っていました。
小学校低学年の子供でもそう感じていました。

どんなに、屁理屈をこね、逃げ回っても、最低でも本人が宗教だと感じ、嫌がっているものであれば、1人でもこれは宗教であると感じ嫌がっていれば、信教の自由を侵しているにちがいありませんよ。

宏正会が、自分たちで好きにやるのは、全く自由。好きにすればよい。

ただし、
①内部的にも、外部的にも、団体としての経歴を、「ひとのみち教団」のことなどを、禁句とし、タブーにして隠すこと 
②勧誘時の説明義務違反をすること
③本人が知らないうちに、勝手に入会させること

これは、絶対にだめです。違いますか?

 投稿 匿名 | 2010.08.24 11:42 午後
は、否定派が初めてプロフィールを明かした、「画期的な投稿」です!!

 ふむふむ、妻が会友で、監視のために週一回参加している夫と・・・。(メモしとこ・・・。)

 ところが、残念ながら、これも「否会友」の創作なのです(とほほ・・・)。

 検索機能が発達した現代では、コピペはすぐにわかるのだ。
(「一定の情報が広がれば、文部科学省などが、公益法人に対する管理」でぐぐってみなさい。)


 上記の発言は、
★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★21★★☆
http://www.unkar.org/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434
の、

503 :名無しさん@HOME:2010/02/05(金) 10:33:01 0
504 :名無しさん@HOME:2010/02/05(金) 10:33:55 0

のコピペそのもの。

 その前後には、膨大な「、」無し投稿が続いており、「否会友」(当時は「くくくww」キャラ)の仕業だとすぐにわかります。(もしくは、「元会友」の合いの手投稿)

 <関連記事>
「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編2
http://58807828.at.webry.info/201008/article_20.html

 よって、今回の投稿の冒頭部分、
「過去の書き込みは、あまり見ていないので良く分らないが 、ここで出ている宏正会の問題点」という部分で、新規否定派を装った成りすましの投稿であることは明らかなのです。

 書けばかくほど、嘘をつき続ける「否会友」なのでした。一つ嘘をつくと、それをごまかしために、新たな嘘をつかねばならないと忠告しているんだぞ。いいかげんに気づきなさい。

 君が成りすましを悪用しなければ、一つ一つの問題点について、真摯に討論しましょう。しかし、いくら「いや夫」が説明をしても、違うキャラに成りすまして、攻撃をし続けるのが否定派なのだ。

 現実世界の便所の落書きは、一つ一つ手作りで落書きされますが、ネットの落書きは、コピペで何十倍にも増殖することができる。

 ちゃねら~(「否会友」「元会友」)へ
 そういう、卑怯な手をやめろと言っているのだ。

 以前、こんなことを打ったね。

(引用開始)
いや夫さんが膨大な書き込みを実に正確緻密な手法で点検作業をおこなわれたこと 感心するというより尊敬する気持ちの方が大きいです ただ小生がお詫びするというのは論理的に納得するものではありません。
あちらのちゃんねるやこちらのスレに複数のハンドルで非難論を書きました。その出自である いわゆるなりすましのご指摘はおおむね間違ってはおりません しかし個々のテーマに対する論理的な反論をいただいておりませんので 論戦を戦わせたという感じは持っておりません。
今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です ただ現状では ハンドルはいや夫さんしか使っておられませんので 当方「匿名」でも いや夫さんが上記点検で指摘なさったように 相手を間違われることはないと思います けだし ハンドルつけるかどうかは書き手の自由に任せるのが当然と思うからです。

投稿 匿名 | 2010.08.10 11:49 午前
(引用終了)

 「今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です」とのこと。

 では、討論を開始しましょう。

 テーマは、「否会友」の行いは正当な行為か?

 いいかげん、開き直って、「否会友」のハンドルネームで挑んでこいよ。
 嫌なら仕方がない。「元会友」でも、その他でも構いません。お好きなコテハンをつけてください。卑怯な成りすまし投稿はお止めください。 


<追伸>

 前回以降の、我がブログの更新部分

以前の記事 「ネットサーフィン時の心得」を検証 ちゃねら~の表と裏 「否会友」の場合
http://58807828.at.webry.info/201008/article_41.html

wikiを改悪しているのも、「元会友」または「否会友」なのだろう
http://58807828.at.webry.info/201008/article_42.html

言い出した方から明らかにするのもルールでしょう。毎日参加、何処の集会場に参加、大会へは何処に行くなど、疑問を抱く方が公開するかは相対的なものですが。

「いや夫」=「ゴジラ」は、まだこのブログに張り付いているようだな。
このアホは、議論では否定派に連戦連敗のクセして、自分では勝ったとウソブク 大嘘つき野郎。
議論では勝ち目がないので、「成りすまし」「成りすまし」と一人で騒ぎ立てている 幼稚なゲームお宅。
自分のお遊びは自分のブログだけにしておけ。
これ以上このブログにゴミを撒き散らすんじゃない。
このブログは、「いや夫」=「ゴジラ」のくだらない書き込みのゴミの山が腐臭を放っている。

成りすましばかりで、実際は少人数なら、影響が少ないので、文部科学省も、相手にしないのでは。

「いや夫」さんにとっては、否定派は少人数の方が都合がいいのでしょう。
否定派の多くの人を「成りすまし」と称して、勝手に同一人としています。

このブログや2チャンネル、他のブログも参考にしているようですけど、「いや夫」さんは多くの否定派の人の話を一つにして架空のストーリーを作っているようです。
所詮は匿名のスレで「成りすまし」なんか見破るなんて無理なことです。
「いや夫」さんは勝手に自分の都合のいいストーリーを作って、このストーリーの筋書きによって否定派を攻撃しているということです。
いかにも「いや夫」さんらしいやり方じゃないですか。
でも、勝手に「成りすまし」とされた人は「いや夫」さんの稚拙な三文劇に笑っているでしょうね。
その証拠に「いや夫」さんがいくら「成りすまし」と言っても否定派の書き込みは一向になくなりませんね。
「いや夫」さんの成りすましの分析は痛くも痒くもないからでしょうね。


実践倫理宏正会とその内情について語る場所ですよね。ただ他人を馬鹿扱いするしか能のない信者はいりません。まともな者が嫌気をさして出でいくことが目的なのは明らかですが、そうするしかないのでしょうね。きちんとした会員のかた以外は無視したらよいでしょう。

 匿名で討論しても構わないと言った口の音も乾かない内に、匿名の成りすましで攻撃している憐れな「否会友」。

 「いや夫」の分析のどこが間違っているのか説明してごらん?

 ちなみに、
投稿 匿名 | 2010.08.25 10:41 午前

は、「、」無し投稿と「、」有り投稿が混在した、まさに訳の分からない「否会友」の錯乱状態がみてとれる。

 成りすましはもういいから、開き直って「否会友」の固定ハンドルで挑んでこいよ。

 今から、「匿名」はこ奴の成りすましとして、一切無視。こ奴と「いや夫」の討論を決着させようぜ。

 何度も「いや夫」が勝っているけど、それを夢幻と思い込みたいようだから。

 さあ、始めよう。

問い 「否会友」の行いは正当か?

 双方、質問をしては、相手の質問に答える。
または、回答しては、相手に質問するという形式で行こう。

 その他雑魚は、どうせこ奴の成りすましだから、出てくるな。出てきてもいいが固定ハンドルにしなさい。もちろん、肯定派も投稿OK。ここは2ちゃんねるではない。

 なお、
(引用開始)
言い出した方から明らかにするのもルールでしょう。毎日参加、何処の集会場に参加、大会へは何処に行くなど、疑問を抱く方が公開するかは相対的なものですが。

投稿 匿名 | 2010.08.25 07:40 午前

(引用終了)

 今更だが、「いや夫」のプロフィールを明かしておく。会場は、妻に迷惑がかかるので明かさない。

 義母は何年間もの勧誘の末入会。義父は亭主関白で厳しい人で夫婦仲良くは本来難しいタイプだが、義母が宏正会で学んで夫を立てることができるので、家庭愛和を保てた。義母は宏正会の効能を十分に理解して活動している。子どもたちは皆社会人、または主婦として幸せになっており、やはり宏正会のおかげと考えている。
 その義母に育てられた「いや妻」は、夫を立ててくれる大和撫子である。「否会友」とは正反対の女性だ。
 「いや夫」の両親ともとても仲がよく、本当にいいお嫁さんをもらったと喜ばれている。
 「いや夫」は妻にぞっこんである。容姿ももちろんだが、その大和撫子のような女性らしさがすばらしい。そして、それは、実践倫理宏正会の目指す女性像と重なるのである。
 「いや妻」のようなすばらしい女性を生み出している宏正会を、「いや夫」は良い会だと信じている。
 会場の関係者に会っても、みんないい人ばかりだ。それは2ちゃんねるのどのスレにも最初に書かれている通りだ。

(引用開始)
(社)実践倫理宏正会、通称「朝起会」は子育ての会としてご婦人を 中心に活動しています。
会友さんたちは、人のいい方ばかりなのですが・・・
(引用終了)

 「いや夫」自身の朝起会への参加は、
名ばかり会友で、のべ35回位参加。
元朝式、原爆の日、妻にお願いされたときなどに参加し、「壮年の集い」には、都合がつく限り喜んで参加している。
 しかし、頒布などの活動には一切関わろうとせず、錬成会に誘われても断り続けている。それでも、毎年誘いに来られるので、毎年断るというのが恒例である。誘いに来られる壮年さんは大変立派な方で、断るのは気が引けるのだが、やりたくないものはやりたくないので、さわやかにはっきり丁寧に断ることにしています。
 ネットで宏正会を擁護しようと思ったきっかけは、ネットの記事を読んだ妻ががっかりしていたから。
2ちゃんねるは、過去スレパート1~8と、21、22を読んだ。成りすましばっかりだとの印象。
 2ちゃんねるやちゃねら~が大嫌いなので、2ちゃんねるに投稿するつもりは一生ないが、幸いwikiの「実践倫理宏正会」にリンクされたこのブログの存在を知り、討論を開始した。討論開始にあたっては、全投稿を読み、成りすましの横行を直感。相手は卑怯で実は実力が全然ない奴だと見抜いて参戦。その通りだった。
 否定派のいう問題点も「いや夫」なりにわかっており、我がブログでもデメリット情報として触れているが、それで、宏正会の存在意義を否定されるようなものでないことは十分にわかっている。
 それよりも、否定意見はごく少数の成りすまし投稿者によるもので、そんな馬鹿な投稿を読んで、会を止めたり、入るのをためらったり、万が一離婚を招いたりしているのは許せないと、ちゃねら~の成りすましを追求している。
 そして、その首謀者が「否会友」と「元会友」であり、そ奴らと今、まっこうから討論できることを喜んでいる。
 
 以上。

 では、「否会友」さん、自己紹介をどうぞ。

訂正

 匿名で討論しても構わないと言った口の音も乾かない内 →
 固定ハンドルで討論しても構わないと言った口の音も乾かない内

訂正
 口の音も乾かない内 →
舌の根も乾かない内

 「いや夫」は誤字脱字だらけの所詮二流国立大出だぞ。何も恐れることはない、固定ハンドルで挑んできなさい。ひょっとすると、今回は勝てるかもしれないぞ。

またいや夫が荒らしをはじめてますね。相変わらず理論で勝負できないままです。いや夫の頭と性分の悪さは既に証明されていることですね。いや夫は宏正会とは関係なく落書きしているだけなので、一切無視して差し支えありません。中身の無いものですからね。

 「今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です」と「、」無し投稿そのままに投稿したのに、なぜ尻尾を巻いて逃げているのかね?「いや夫」がもうこのブログに現れないと想定したからかな?(お前が消えれば、もう止めるつもりだっだんだけどね。ところが、一向に消えないから、今まで以上にお前を我がブログで晒して、お前が調子こいたところで、一気にたたきつぶす作戦に変更したの。貴様が自らまいた境遇なのだから、けじめをつけなさい。)

 「いや夫」の調査報告があまりに当たり過ぎていて、おじけづいたか?

 天の岩戸通信 その2 過去スレ21に、「否会友」の自己美化投稿
http://58807828.at.webry.info/201008/article_29.html

 には、成りすましの天才である「否会友」もびびったことだろう。
 「武蔵」キャラで、このブログでえばっていた頃に、2ちゃんねるでは、自らの正体を明かしていたのだから、致命的だ。

 義父の寿命を縮め、家庭愛和を台無しにしているのは、義母ではなく鬼嫁である「否会友」だ。これまで、義母に復讐するために宏正会を攻撃してきた貴様だが、「いや夫」がいる以上、もう好き勝手にはせない。

 「ネットの中だからって、何でもやっていいと思ったら、大間違いだ~!」(by 映画サマーウォーズより)

 匿名の言い逃れはいいから、「否会友」の固定ハンドルで反論を始めてみろよ。

 ホレ!書け!

 お前が正しいんだろ?だったら、なぜ逃げるのかな(笑)

 リンクを読みにいくのも面倒でしょうから、

 天の岩戸通信 その2 過去スレ21に、「否会友」の自己美化投稿
http://58807828.at.webry.info/201008/article_29.html
を引用しておきます。

(引用開始)
「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

 での投稿を休止(天の岩戸に隠れている)状態の「いや夫」です(笑)。

 かのブログで否定派の9割の投稿を成りすましで打ってきた「太陽神・武蔵・鉄槌」の正体を追求していきます。

 「いや夫」説では「否会友」にちがいないです。2ちゃんねるの過去スレパート8から、いきなり?と疑っている人も多いでしょう。

 確かに「いや夫」は2ちゃんねるの有料会員ではないので、過去スレパート8までと、過去スレ21と、現行の22までしか読んでいません。過去スレパート9~20までを読んでいない分は、想像に過ぎないのですが、おそらく間違いないでしょう。今も彼女は、宏正会を攻撃し続けているのです。


 例えば過去スレ21の始まった当初にも、「否会友」のものと思われる投稿があるので紹介します。


B ★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★21★★☆
http://www.unkar.org/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434

 (引用開始)
28 :名無しさん@HOME:2009/07/15(水) 09:42:39 0
義父がICUに入りました。
主人の顔もわからない、主人は仕事に戻っていきました。
何度も何度も酸素マスクをはずそうとする義父。
酸素マスクを手に持ち、私はず~と義父の体をさすり続けた。
売店でパンをかじり再びICUに戻ると義父は私の名前を呼び
自分の手を腰にあてさするまねをする。
涙がでてきた。朝起き会員の身内によって、、義父との
心のすれ違いの修復に心を乱され続けた日々も最後に
私の名前を呼んでくれた義父の心にやっと触れた気がした。
その後義父は意識を回復していません。
病室からICUに移ったとき、荷物がかごの中にひとまとめにされ
ベットのそばに置かれていた。荷物を最小限にし、家に持ち帰った。
整理していると会員の身内と義父の交換ノートみたいなものがでてきた。
義父に対する感謝が書かれ、それに義父はいつもすまない、すまない
と返答していた。しかし、毎日病院にいってこんなに義父に仕えていると
言っていたはずなのに、日付は10日2週間と間隔が空いている。、義父にもっていったとされる
見舞いの品のスーパーの請求書は毎日だったのに。やっぱり嘘だったのですね。
交換ノートには義父が来てほしいと懇願しているくだりもあります。
自分の家庭の愛和のためならなりふりかまわす、自己の思いのまま行動し続ける。
会員の恐ろしさ、そして会に反対するものを徹底的に悪にしたてていくやり方。
関わったものでしかわからない怖さです。
荷物の中には5本のハサミがありました。「ハサミがない」「ハイ」その結果がこの本数なんでしょうね。
でも最後に私の名前を呼んでくれた。それだけですべて忘れることにします。
多くの家庭多くの身内がこの会で不幸にならないことを祈っています。

36 :名無しさん@HOME:2009/07/22(水) 08:26:03 0
義父が亡くなりました。
3年ぶりに見る、朝起き会員の身内は見るからに
老け、片方の瞼がたれており腰も少し曲がっているように
見えました。他の親戚もその変貌ぶりに驚いていました。
独特なオーラが漂っています。過酷な修行のためでしょうか?
義父の援助で大学をでた孫はデキ婚現在妊娠7ヶ月の嫁を伴って出席していました。
なんだか嫁はご機嫌が悪いらしく、控え室の椅子に夫婦で腰掛ヒソヒソ話、
どうも通夜、葬儀の日でも嫁を4時に起し、朝起き会に
出席させたらしい。もう一泊予定のつもりだったらしいが
葬儀が終わったらすぐに帰りたいと懇願していた様子。
葬式に出席するだけでも妊娠中の体には大変な負担
まして、はじめて会う親戚連中との関わりで神経を使っただろうに‥‥。
会員の家庭がどうなろうと、私にとってはどうでもいいことだけど。
今度は義母が洗脳されないよう注意しなければならない。
なんの責任もない人にこれ以上かき回されたくない。
はがき、手紙、メモによる両親への感謝感謝の総攻撃。
狂気としかいいようがない。非常識な人間を相手にするのは
本当につらい。義母の通帳と印鑑がないと連絡があり
その残高が680円だか860円だったか、に驚愕してから朝起き会の本性を知ることになり
長い戦いでした。相手はカルトだ。洗脳されているのだからしかたない。
と心で思いながらもつねに心をかき乱された4年間でした。
男尊女卑世代の両親を持った方は本当に注意してもらいたい。
特に若い母親達よ。貴方達は教団のカモですよ。絶対入ってはいけない。


(引用終了)

 「朝起き会員の身内」とは、義母です。こ奴は、まるで今まで義父を慕って面倒を見てきたようなことを書いていますが、真っ赤な嘘です。義母とつきあいたくないために、この家には滅多に顔を出さず、疎遠にしてきたのです。孫の顔をろくに見せようとしなかったのです。

 本人がちゃんと書いています。義母には3年間会っていなかったのです。何という嫁だ!
 それではいけないと、たまに、嫁と姑の仲を取り持つために義父が「否会友」の家を訪問し、実践倫理宏正会への誤解を解くために「倫風」を届けに来たりするのですが、速攻破り捨てる鬼嫁なのです。

 おそらくこんな嫁をもらったおかげて、義父の寿命は5年位は縮まったことでしょう。(「否会友」へ、そういう自覚がありますか?いいかげん気づきなさい。)

 そもそも子どもがありながら、クラブで遊びほうけることが趣味のヤンママだったので、義母にも義父にも良くは思われていない、そういう人間なのです。だから、最後まで、義母を恨み、義父ともろくにまともなつきあいをせずに過ごしていたのです。

 義父がICUに入って、仕方なく看病につきあったのでしょう。そのときの場面だけ、おもいっきり美談にしたてあげています。数々の成りすまし投稿を読めばわかるように嘘ばっかりなのです。こ奴の投稿を、そのまま鵜呑みにしてはいけません。(と言いつつ、文章表現能力も、嘘をつく才能もかなり高いので、普通の人はころっとだまされてしまうのでしょう。宏正会が理由で、嫁、姑の仲が悪くなっている家庭のうち、かなりの割合で、こ奴の投稿を鵜呑みにした嫁が存在しているものと思います。誠に残念なことです。)

(引用開始)
朝起き会員の身内によって、、義父との
心のすれ違いの修復に心を乱され続けた日々も最後に
私の名前を呼んでくれた義父の心にやっと触れた気がした。
(引用終了)

 などと書いていますが、まったく正反対です。実践倫理宏正会で学んだまともな義母から、「あなたの息子の耳に障害があるのは、あなたが人の意見を聞く耳をもたないからですよ」と一言言われたことで、憎悪の念に燃え、義母を絶対に許さないと、ネットで宏正会への攻撃を続けている「否会友」なのです。一生懸命仲を取り持とうとした義父は大きなストレスを抱えて生きてきたことでしょう。そして、ストレスを抱えたまま亡くなったのです。そのストレスの原因を作った張本人は、義母ではなく「否会友」なのです。こんな鬼嫁でなければ、家庭愛和に恵まれ、幸せな晩年を過ごせたはずなのです。

 こ奴は、自己を正当化し、美化する投稿しかしません。客観的な考え方は一切せず、己の考えがすべての人間なのです。2ちゃんねるで、何人もの肯定派が、「否会友」の生き方の誤りを指摘し忠告してきましたが、一切聞く耳を持たず、成りすましの罵詈雑言も使って、それら肯定派を抹殺してきた女なのです。まさに生き霊です。

 宏正会には「苦難福門」という教えがあります。病気や災いが起きるのは、己の生き方の誤りを知らせてくれる知らせに過ぎず、その誤りを正すことで幸せになれるという考え方です。

 そこで、否定派が追求するように、

(引用開始)
109 :名無しさん@HOME:2009/08/29(土) 15:32:33 0
「朝起き会」で言われることには、土俗的な迷信や勘違いが混ざっているのでは?
と思うことがままあります。地方や支部長の質によるとは思いますが。
一例を挙げると…。
「頭痛」→「目上に逆らう所為」
「吹き出物」→「不平不満が多いから」
「虫歯」→「良くない言葉を吐くから」
「腰痛」→「てきぱきと働かないから・腰が重いから」
「爪を噛む」→「未練がましい性格だから」
「足が悪い」→「兄弟仲が悪いから」
「アトピー」→「夫婦の仲が悪いから」
「子供が発熱」→「夫婦の摩擦」
「瀬戸物が割れる・欠ける」→「家庭が円満でないから」
「ねずみが出る」→「食べ物に感謝しないから」
といったようなことが、「大自然の教え」としてまことしやかに唱えられ、
会友は有り難がって聞き、私の母はうのみにしていました。
私の爪噛みの癖は、小さい頃父親に爪切りのたびに血が出るほどの深爪にされ、
それが痛くて嫌だったので、父親に爪が伸びているのを見られまいとせんがための苦肉の策(爪切りは子供が触ってはいけないことになっていた)だったのに、
母に勝手に「倫理的反映」にされていしまいました。
父をたしなめず、理論的根拠無くわが身を責める母に怒りを覚えたものです。
あとは、トイレを"使用"した後、トイレットペーパーの端を三角形に折る実践というわけの解らないものもありました。
あれは、掃除の人の「清掃済み」のサインでしかないのに。
こんなまぎらわしいことをすることが「徳を積む」ことだそうですよ…(笑)

(引用終了)

 上記のような解釈が、よく使われます。(世間的な評判はかんばしくないので、本部の方では、そのようなことはあまり言わないように指導しているのでしょうか?ネットでそんな投稿を見かけました。)しかし、末端の会友の中では、ばりばりに使われているものと思われます。(なお、「ねずみが出る」→「食べ物に感謝しないから」 は事実です。食べ物をしっかりしまっておかないから、ねずみが出るのは当然です。)

 「あなたの息子の耳に障害があるのは、あなたが人の意見を聞く耳をもたないからですよ」と言われて「否会友」がショックを受けたのはもっともでしょう。息子の障害と母親の性格が連動するはずがないというのが科学的な結論です。

 しかし、「否会友」の場合は、「人の意見を聞く耳をもたない」というのは明らかでして、残念ながら上記のような迷信を否定する例にはなりません。むしろ、実際にそうなのだという実例になっています。

 「否会友」=人の言うことを聞かない=いつも人と喧嘩=いつもストレスを抱えて生きている=障害をもつ子が生まれる可能性が高まる などの関連性が多少はあるのかもしれません。

 もちろん、一般には、温厚な母親からも障害児は産まれるますので、単なる迷信です。

 ところが、「否会友」の場合は、まったくその通りなので困る訳です。

 対処の方法としては大きく、三つあります。

1 義母の言うことを信じて、人の意見を聞くようにしよう。あり得ないことだけれども、万が一息子の耳がよくなるためなら、何でも実践してみよう。
2 お母さん、そんなのは関係ないですよ、そんなことを言わないで下さいね。とお願いして、以後も普通のつきあいをする。
3 息子の耳の障害を私の性格のせいにするというのか?このくそばばあ。お前は絶対に許せん!そうだ宏正会を攻撃してやる。こんなあほなことを言うのはカルトに間違いない!

 「否会友」は3を選びました。義母を憎んでいるからです。
 会友の義母に従って会友になるお嫁さんは、1の道を選択したわけです。
 普通のお嫁さんは、2を選択します。

 1または2を選ぶ嫁は、家庭愛和を実現できます。3を選ぶ嫁は、家庭愛和を実現できません。宏正会の本質を誤解し、義母をカルト信者とバカにしているからです。

 不登校の生徒が増えていますが、原因の一つは家庭不和でしょう。両親の不仲が原因のケースも多いでしょうが、おそらくそれ以上に多いのは、嫁・姑の仲が悪いことだと思いいます。産まれてからずっと、人間の醜さを見ながら育った子どもは大きなストレスを抱えることでしょう。義母を憎む「否会友」の子どもがまともに育つはずはないと思います。


 なお、上記のような迷信も、案外大切にされているのも事実です。

 『トイレの神様』という歌がヒットしましたね。まさにこの例です。

(引用開始)
作詞:植村花菜・山田ひろし 作曲:植村花菜 編曲:寺岡呼人

小3の頃からなぜだか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた

毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレ掃除だけ苦手な私に
おばあちゃんがこう言った

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
その日から私はトイレを
ピカピカにし始めた
べっぴんさんに絶対なりたくて
毎日磨いてた

買い物に出かけた時には 二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねたおばあちゃんを
泣いて責めたりもした

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
少し大人になった私は おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて 居場所がなくなった

休みの日も家に帰らず 彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも 二人の間から消えてった

どうしてだろう 人は人を傷付け
大切なものをなくしてく
いつも味方をしてくれてた おばあちゃん残して
ひとりきり 家離れた
 
 
上京して2年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて 細くなってしまった
おばあちゃんに会いに行った

「おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと
昔みたいに言ってみたけど ちょっと話しただけだったのに
「もう帰りー。」って 病室を出された
 
 
次の日の朝  おばあちゃんは
静かに眠りについた

まるで まるで 私が来るのを
待っていてくれたように

ちゃんと育ててくれたのに 恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を待っててくれたんやね
 
 
トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は 今日の私を
べっぴんさんにしてくれてるかな

トイレには それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで
 
 
気立ての良いお嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせとトイレを ピーカピカにする

おばあちゃん
おばあちゃん ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう

(引用終了)

 いい歌ですねえ~。

 この歌のような祖母と孫の関係なら、孫も立派に美しく育つでしょう。
「トイレを毎日きれいにしたら、べっぴんさんになれる」
科学的な根拠はありませんが、うなずけます。
「トイレそうじを頑張る」→「心が洗われる」→「表情が美しくなる」

 これと同じような感覚で、義母は「否会友」に、
「あなたの息子の耳に障害があるのは、あなたが人の意見を聞く耳をもたないからですよ」と言ったのでしょう。
それは、生き方のアドバイスだったのです。そんなに悪気はなかったのだと思います。
この言葉には、
「あなたが人の意見を聞くようになれば、心穏やかに、笑顔で生活でき、幸せになれるでしょう。そうすれば、必ず息子の心にも身体にも良い影響を与えるはずです。」という生き方のアドバイスが含まれているのです。

 「太陽神・武蔵・鉄槌」=「否会友」へ

 どうせ、読んでいることだろう。攻撃のネタを探すためだけではなく、よりよい生き方のアドバイスとして、このブログを読んでみたら?

 「いや夫」から「否会友」へのアドバイス

 嘘つきは泥棒の始まりだ。嘘をつかないようにしよう。
 人の意見をちゃんと聞こう。
 実践倫理宏正会はカルトではない。君がまちがっているのだ。
 義母と仲直りしなさい。それが、君と息子を幸せにする最善で唯一の方法だ。
 そうすれば、もう宏正会を攻撃する必要もなくなるはずだ。

 さて、「否会友」さん、聞く耳をお持ちですか?
(引用終了)

 ついでに、「いや夫」の上記の問い、
「義母と仲直りしなさい。それが、君と息子を幸せにする最善で唯一の方法だ。」については、「否会友」が、真逆の回答をすでに2ちゃんねるに吐露していいたので、紹介します。

 こんな奴が否定派の中心ということで、さすがは2ちゃんねるである。ろくでもない奴らである。

天の岩戸通信 その4 「否会友」は、提訴するならどうぞとおっしゃってくれています。しちゃいましょう。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_31.html

より、


(引用開始)
312 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/12/14 19:48

育休中会友さん

自分の両親を大事にして。夫もその両親もしょせん他人だよ?
夫のために生きるの?夫の両親のために貴方はあるの?
夫のためなら妻(の方の両親)は二の次でいいの?宏正会は戦前の考えつよいから
女(側)より男(側)を優先しろというよ。育休さん、会の教え分析してみ?
夫婦愛和の教え見るとさ、夫とその両親との協調ばかりいって妻のこと何も書いて
ないじゃん。「妻は夫に合わせ夫の両親を立てて生活するよう」な~~んてこと
ばっかりでさ。男が見ても腹立つよ、女の立場考えてないし。
ま、男尊女卑の男には都合がいいかもね。男性会友みたいな。あ、会長みたいなか(爆笑)

(引用終了)

 上記の投稿は、「、」無し投稿の約2時間後に打たれたもので、100%「否会友」のものです。一応、男に成りすましたつもりのようです(笑)。

 「育休中会友」さんが、会友の説得に応じて、夫の両親と関係を修復したことに対して、

(<関連記事>
 「否会友」よりは、実践倫理をわかっている一会友の例
 http://58807828.at.webry.info/200912/article_32.html )

それは違う(違わんだろ!ボケ!)と反論したものです。自分自身が「育休中会友」さんと、まったく同じ立場なのに、義母との関係を修復するつもりの全くない「否会友」が、必死に「育休中会友」を洗脳しようとしているのです。お前だけ抜け駆けするんじゃねえと・・・。本当に、自己中な考え方しかできない鬼嫁なのです。
(引用終了)

またペタペタと...やっぱりそれが精一杯。皆、失笑。「宏正会についての」理論でどうぞ。無理でしょうけど。

皆このスレへの書き込みをやめよう。

(引用開始)
皆このスレへの書き込みをやめよう。

投稿 匿名 | 2010.08.26 12:30 午前
(引用終了)

 に、大賛成。もちろんやめるのは、否定派のちゃねら~たちだけだ。肯定派は、ぜひ、固定ハンドルで話し合いを続けてください。ちゃねら~なんかに負けていてはいけません。そもそも、詩人まるまるまあるさんを攻撃するような馬鹿な書き込を許してはいけないのだ。

 ここは2ちゃんねるではない。ネットの中では唯一といっていい位、肯定派が真摯に話し合いができたブログなのだ。

 2ちゃんねるに洗脳されたちゃねら~は消えろ。
 2ちゃんねるで、「否会友」に洗脳され続けて、家庭崩壊の道を勝手に進みなさい。または、「否会友」のような、「我も我も」の人間をパートナーに選んで、夫婦愛和の難しさを実感しなさい。
 2ちゃんねるは、宏正会とは対極のものなのである。最初に思った通りだ。

 <関連記事>
 web上での朝起会
>
http://58807828.at.webry.info/200909/article_2.html

 なお、否定派が投稿を止めるのなら、罵詈雑言オンパレードの「いや夫」もこのブログから去りましょう。
 「「サイコばばあ」の「否会友」!あほなちゃねら~ども!」とののしるばかりでは、便所もきれいになりません。

 後は、わがブログにて、便所掃除を続けますのでと、PR。

(引用開始)
このブログの読み方 (「いや夫」のブログのこと)

 このブログは、いやいや朝起き会を続けている妻をもつ夫である「いや夫」が、実践倫理宏正会を擁護しようかなあと始めたものです。

 まさか、「実践倫理宏正会」でぐぐって2位になるとは、予想していなかったので、カテゴリもいいかげんで、思いつきのまま投稿をしてきました。

 読んであげようという方は、最初の投稿、

朝起会を擁護しようかなあ
作成日時 : 2009/09/13 07:37
http://58807828.at.webry.info/200909/article_1.html

 から、時系列に読んでいただくのが、結局話の流れがよくわかると思います。

 なお、内容のほとんどは、

「実践倫理宏正会って何?」

での論戦記のようなものです。

 核心に迫る部分のみ読みたいという方は、次の投稿以後を時系列で読んでいただければよいでしょう。

 2ちゃんねる否定派の分析 その1「否会友」女史の場合①
>
http://58807828.at.webry.info/200912/article_26.html

 時間がまったくないという方は、次の投稿以降でも、何となく内容はつかめるはずです。


  2ちゃんねるでの「否会友」のその後は?
>
否定派の成りすましを暴けシリーズ その4
 2ちゃんねるでの「否会友」のその後は? 編
http://58807828.at.webry.info/201007/article_14.html

 なぜ、いきなり「その4」なのかというと、「その1」から「その3」は、

「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/

の方に書いてしまったからです。

 かのブログと、このブログを時系列に順を追って読んでいただければ、「いや夫」の全思想と、否定派の正体を解き明かしていく推理の過程が分かります。
(引用終了)

訂正 上記の投稿の「このブログの読み方」(「いや夫」のブログのこと)を修正して、引用します。

(引用開始)
このブログの読み方
>

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 このブログは、いやいや朝起き会を続けている妻をもつ夫である「いや夫」が、実践倫理宏正会を擁護しようかなあと始めたものです。

 まさか、「実践倫理宏正会」でぐぐって2位になるとは、予想していなかったので、カテゴリもいいかげんで、思いつきのまま投稿をしてきました。

 読んであげようという方は、最初の投稿、

朝起会を擁護しようかなあ
作成日時 : 2009/09/13 07:37
http://58807828.at.webry.info/200909/article_1.html

 から、時系列に読んでいただくのが、結局話の流れがよくわかると思います。

 なお、内容のほとんどは、

「実践倫理宏正会って何?」

での論戦記のようなものです。

 核心に迫る部分のみ読みたいという方は、次の投稿以後を時系列で読んでいただければよいでしょう。

2ちゃんねる否定派の分析 その1「否会友」女史の場合 まとめ
http://58807828.at.webry.info/200912/article_31.html

 上記の直前に、下記の1①~⑤まで、2ちゃんねるの「否会友」の投稿をピックアップした資料編があります。否定派の「否会友」を研究するためのものですが、あまりに膨大なので、ていねいに読む人はいないでしょうね。しかし、読めば、「実践倫理宏正会って何?」の「太陽神・武蔵・鉄槌」に共通するものを感じ取れるはぜす。)

 2ちゃんねる否定派の分析 その1「否会友」女史の場合①
>
http://58807828.at.webry.info/200912/article_26.html

 時間がまったくないという方は、次の投稿以降でも、何となく内容はつかめるはずです。


  2ちゃんねるでの「否会友」のその後は?
>
否定派の成りすましを暴けシリーズ その4
 2ちゃんねるでの「否会友」のその後は? 編
http://58807828.at.webry.info/201007/article_14.html

 なぜ、いきなり「その4」なのかというと、「その1」から「その3」は、

「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25657608

の方に書いてしまったからです。

 かのブログと、このブログを時系列に順を追って読んでいただければ、「いや夫」の全思想と、否定派の正体を解き明かしていく推理の過程が分かります。

(引用終了)

いや夫ちゃん、いいかげん、邪魔しないで消えてくれる?あなたに論理も脳みそもないのはとっくに分かっていますので、もう十分です。最近少しまっとうになっていたのに、台無しですね。無知な自爆テロは放っておいて「議論」をしましょう。議論の場には頭の悪いいや夫は入って来られないから、安心です。さらっと無視してそれぞれの書き込みを続けましょう。やめさせるゲームが大好きなバカ夫はまたペタペタやるでしょうが、もうご存じの通り、何の内容もありませんので無視して有益な遣り取りだけでいきましょう。

仕方ないね。何といってもいや夫は「保険のパートのおばさん」と勝手に決め付けた相手に何の反論もできず、半分以下の脳みそしかないと、自分で認めてしまっている輩だから。ほんと、頭が悪いやつです。

「いや夫」=「ゴジラ」がまた大量の糞尿を垂れ流して、このブログを荒らしまくっている。
宏正会の会員は批判されるとムキになって、キチガイのように宏正会を擁護する。
「いや夫」=「ゴジラ」がその典型例。
よく宏正会会員の本性を見るがいい。
宏正会の洗脳の恐ろしさを。

「いや夫」=「ゴジラ」は議論にすべて負けて、もはや死体(シニタイ)。
論点が出ても、議論に負けてカスになったコピペを貼るか、ただ同じ事を言うだけ。
そんな「いや夫」=「ゴジラ」が唯一自分の拠り所にしているのが「成りすましの追及」。
しかし「いや夫」=「ゴジラ」の分析の成果というものは、スレに出てきた否定派のプロフィールをつなぎ合わせて一人の人物に仕立てたもので、全くの空想の産物。
全く事実と異なっているため、「いや夫」=「ゴジラ」のやっていることは屁にもならない。
「いや夫」=「ゴジラ」は多くの時間をかけて全く無駄なこと 徒労なことをしているということ。バカですねー。

「いや夫」=「ゴジラ」をからかって挑発して「いや夫」=「ゴジラ」に無駄な時間を費やせるのも一つの手だろうけど、こんな「荒らし屋」がいるブログから他のブログに乗り換えるのも一つの方法。
例えば、検索の上位にある「朝起会(実践倫理宏正会)被害家族の会」
http://asaokihigai.blog32.fc2.com/
は、今のところコメントには承認はいらないようだが、荒れてくると承認制にするようだから「いや夫」=「ゴジラ」のような肯定派の荒らし屋が荒らすこともなく、自由に発言できるはずだ。

いや夫は成りすまし追及を自ら「徒労」と認めていたはず。意味の無いことであると気付いていながら、愚挙をやめられない。そのようなことにかし己の存在意義を見いだせない救いようのない愚か者だ。もはや、頭が悪いのを通り越した異常者という他ない。少しは上廣信者である奥さんにでも学んだらどうか。いくら宏正会と謂えども、いや夫にはよい説教になるだろう。迷惑がられることは明らかだが、勇気を持って校正してみたらどうか。恥をかかないために、まずはジュニア向けの本を読むことをお勧めする。もしいや夫の頭で理解できたら、然る後に奥様とお話を。

このブログ、以前は宏正会について優れた論客の方が色々と論じていて勉強になりましたが、最近はずいぶんと荒れているようですね。
肯定派の「いや夫」さんが出てきて、最初は否定派の方と討論していましたが、最近はずっと「成りすまし」の追及をしているようです。
否定派の言っている事はすべて事実に基いていて、その論理構成も正確ですので、肯定派の方が否定派の言っていることを崩すことは始めから困難なことでした。
「いや夫」さんは自分なりの論拠をもって登場したようですけど、
宏正会の成り立ち
(「ひとのみち」「倫理研究所」との関係)
宏正会の宗教性
(宏正会はその実質は宗教ではないのか)
認知的不協和理論
(宏正会のいう実践とは、この理論を利用したものではないのか)
陰倍加
(その犯罪性、それが行なわれている意図)
お祝い金
(大会、ボーナス時、会員の生活に大きな変化が起きた時に要求される)
会長の贅沢な生活
(松涛の豪邸・父子ともにSクラスのベンツ、月100万円のエステ、地方の会館の会長専用の特別室・高級車、子息は幼稚舎から大学まで慶応、名門ゴルフ場の会員など)
そして、このようなネットでの書き込みが名誉毀損罪になるかどうかについて。
経済の語源についての論争もありました。
「いや夫」さんは討論に負けて、「晒し首」になっていますね。
どう見ましても すべて否定派の言っていることに説得力があります。
いくら「いや夫」さんが論争に勝ったと言っても、それはご自分で言っているだけで 何方も認めないでしょう。

このように討論では「いや夫」さんはすべて否定派の方には敵わないようです。
「いや夫」さんは、討論で敵わなくても否定派をこのブログから追い出せば勝ちといったゲームでもって勝負しようと、「成りすまし」ということを言い続けています。
「いや夫」さんの分析では、「否会友」と言う人が宏正会関係のスレで9割方書いているような言い方をしていますが、2チャンネルの「否会友」が「太陽神」「武蔵」「鉄槌」その他の成りすまし?
そしてその「否会友」が義母に恨みを抱くオバサン?
そのオバサンに東大に入れる実力があったという「いや夫」さんは全敗したという訳ですね。
すごいオバサンですね。
これで「いや夫」さんは成りすましを暴いたとしているのですか?
これで否定派の投稿がなくなると思っているのですか?

もっとも「いや夫」さんは、以前は「ちゃねらー」という事をを攻撃対象にしていましたが、今度は「否会友」というオバサンを攻撃対象にしている訳ですね。
「いや夫」さんは、このように攻撃対象を定めておいた方が攻撃しやすいのでしょうね。
でもね、攻撃対象が全くの的外れの人でしたら何にも効果がありませんよ。
「いや夫」さんの一人芝居で長々と書き込んでもただ鬱陶しいだけ。
「いや夫」さんが書き込んだものを「ゴミ」とか「糞尿」と言われても仕方がありませんね。
「いや夫」さんはネットから否定派の書き込みを排除しようといった壮大な目的があるのかも知れませんが、そんなことはとても無理なことです。
せいぜいこのブログを監視して、嫌がらせの書き込みをするしかないようですね。
ご苦労様です。


私は、実践倫理宏正会は宗教であると考えて実践している会友です。
宗教かそうでないか、それは実践してみて自分が判断すればいいとおもいます。宗教ではないと、勧誘時に考えを押し付けることは、間違いだと思いますし、やってはいけないと思い、私はその旨で行動しています。また、逆に宗教だといわれれば、それでいいと思います。
会の中でも自分の立ち位置など知って活動することが大切だと思いますので、会友含め知っていただきたく、下記参考として紹介します。


宗教学上、実践倫理宏正会は、
「新宗教」の内の「修養団体」のカテゴリに分類され、また、下記のように、類型化さ

れています(隠す必要はまったくないし、それでいいと思います)

<引用文献:新宗教事典(弘文堂)>

新宗教の教えの類型>修養道徳型の教えの特徴

この類型の教団では超現世的な世界の表象はきわめてうすい。したがって創始者が神か

ら受けた超現世的な啓示の言葉が残されているわけでもないし、形而上学的な事柄につ

いての思弁をめぐる論述の書があるわけでもない。教えの主要な主要な内容は、日常生

活での心のもち方やふるまいについての平易な指示であり、世間で通用している道徳的

言説とあまり隔たりのないものが多い。一般社会では修養の言葉は生活信条として箇条

書にされたり、格言としてまとめたれたり、手短な訓話の形で示されたりする。修養道

徳型の教団や団体では、これらと似た形で教えが示されることが多い。黒住教の「日々

家内心得之事」七カ条やひとのみち教団の人訓二一カ条や社団法人実践倫理宏正会の朝

の誓のような箇条書き、PLの御木徳近の「人生は芸術である」や実践倫理宏正会の上

広哲彦・上広栄治の著作のような訓話集はその典型的な例である。(中略)神への崇拝

はあまり重視されない。人間が従うべきなのは、神の意思というより天地自然の法則な

どとよばれる抽象的な理法である。(中略)政治的道徳的には既存の社会秩序を重んじ

るので、どちらかというと保守的である。企業の経営者に和の精神を説いたり、主婦に

夫への従順を説くことが多いほか、天皇への崇拝も強調される。


生活規律と倫理観>新宗教と生活倫理

日本の新宗教の思想においては、倫理はかなり重要な要素となっている。ほとんどすべての教団の教義に、倫理的内容が盛り込まれている、と考えることができる。新宗教で説かれる倫理は、日常生活の中でどのように生きるべきか、そのように心を持つべきか、どのような心であるべきか、といったことが多く、生活規律、あるいは生活倫理とよぶことができるような内容を持っている。具体的には「腹を立てるな」「不足の心をもつな」「わがままになるな」といった通俗的な道徳が説かれることが多い。(中略)黒住教のように、心のもち方そのものに重点を置き、心の修養を強調する教団や、ひとのみち教団のように実践道徳を強調する修養道徳型の教団の中に、新宗教で説かれている倫理の典型的な例が見られる。こうした教団で説かれる倫理は、社団法人実践倫理宏正会や「最高道徳」を説くモラロジー研究所のように宗教よりむしろ倫理・道徳に重点を置く倫理修養団体で説かれていることとよく似ている面を持っている。

 敵前逃亡をする卑怯者へ、省エネで我がブログよりコピペ

タイトル
「否会友」は「匿名」のまま、2ちゃんねると「被害家族の会」へとんずらするようだ

「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

で、「太陽神・武蔵・鉄槌」として成りすましを悪用し君臨してきた「否会友」が、かのブログから「匿名」のままとんずらするつもりらしい。

(引用開始)
「いや夫」=「ゴジラ」がまた大量の糞尿を垂れ流して、このブログを荒らしまくっている。
宏正会の会員は批判されるとムキになって、キチガイのように宏正会を擁護する。
「いや夫」=「ゴジラ」がその典型例。
よく宏正会会員の本性を見るがいい。
宏正会の洗脳の恐ろしさを。

「いや夫」=「ゴジラ」は議論にすべて負けて、もはや死体(シニタイ)。
論点が出ても、議論に負けてカスになったコピペを貼るか、ただ同じ事を言うだけ。
そんな「いや夫」=「ゴジラ」が唯一自分の拠り所にしているのが「成りすましの追及」。
しかし「いや夫」=「ゴジラ」の分析の成果というものは、スレに出てきた否定派のプロフィールをつなぎ合わせて一人の人物に仕立てたもので、全くの空想の産物。
全く事実と異なっているため、「いや夫」=「ゴジラ」のやっていることは屁にもならない。
「いや夫」=「ゴジラ」は多くの時間をかけて全く無駄なこと 徒労なことをしているということ。バカですねー。

「いや夫」=「ゴジラ」をからかって挑発して「いや夫」=「ゴジラ」に無駄な時間を費やせるのも一つの手だろうけど、こんな「荒らし屋」がいるブログから他のブログに乗り換えるのも一つの方法。
例えば、検索の上位にある「朝起会(実践倫理宏正会)被害家族の会」
http://asaokihigai.blog32.fc2.com/
は、今のところコメントには承認はいらないようだが、荒れてくると承認制にするようだから「いや夫」=「ゴジラ」のような肯定派の荒らし屋が荒らすこともなく、自由に発言できるはずだ。

投稿 匿名 | 2010.08.26 09:50 午前
(引用終了)

 負け惜しみも、ここまでくると憐れである。なお、
 「朝起会(実践倫理宏正会)被害家族の会」
http://asaokihigai.blog32.fc2.com/
は、「否会友」自身か、「否会友」の十年来のネット友達である「元会友」がつくったブログである。最後の砦としてたてこもるらしい(笑)。そして、コンピュータの再起動を繰り返しては、何度もアクセスし、googleの検索ロボットをだます魂胆のようだ。今後は、そこをホームグランドとして、天才的(でも尻尾が見える)な成りすまし投稿をくり返すのだろう。宏正会の気が変わって、訴訟を起こしたら、袋のねずみなので、それも一興である。一時はネット上で君臨した否定派随一の論客「否会友」も落ちぶれたものだ。ちゃねら~はちゃねら~らしく、ブログに投稿するな!

 それにしても、最後まで卑怯な奴よの~。最後の最後に、
{私は「いや夫」さんの追求した通り「否会友」です。義母への恨みを晴らすために宏正会を成りすましで攻撃してきましたが、今は反省しています。ご迷惑をおかけしました。}とでも投稿すれば、手加減をしてやるのだが、しらばっくれたまま、かのブログから逃げるつもりらしい。

 「いや夫」は負けたとさんざん妄言を吐きながら、消えていくおばかさんである。以前に、かのブログに書いた投稿を引用します。

(引用開始)
 ここは2ちゃんねるではない。
それなのに、否定派で自らの討論の立場を明かしたのは「武蔵」と「愚息」だけ。
 2ちゃんねるを見ると(否定派を潰す研究のためね)、昔は嬉々として自信の宏正会との関わりと、討論の立場を明かしている者が多かった。(「否会友」や「元会友」のように。)その頃は、実践者との間で、切実な議論が交わされたようである。

 しかし、ちゃねら~が本性を現し、成りすましによる集中攻撃を始めてからは、2ちゃんねるはほぼ否定派一色になってしまった。

 このブログも、まったく同じ道を歩んだ。しかし、「いや夫」が登場してからはどうか?否定派が主導権を握ったことがあるのか?あるとしたら、「いや夫」が競馬研究を優先したときだけだ。

 「太陽神」が君臨したのは、
20090324~20090507 のわずか一ヶ月足らず
 「武蔵」の天下は、
20090602~20101026 の5ヶ月間(「いや夫」が倒しました。)
 「長文さん」は、
20100216~20100329 の一ヶ月ちょっと
 「賢くないさん」は、
20100705~20100713 の一週間ちょっと
 「クライアントがどうの」くんは、
20100718~20100719 のわずか一日!

 と劣勢なのは一目瞭然なのである。

 その影響もあって、2ちゃんねるでも、肯定派が大いに盛り返している。「いや夫」はまったく参加していなくてもである。まさか、2ちゃんねるで、肯定派がこれだけ健闘できるとは、思ってもいなかった。やはり、否定派は見かけだけで、層はかなり薄いようだ。

 
 え~~~!怪人がたった一日で消えちゃうの~~。「いや夫」よりも怪人のファンのお子ちゃまもたくさんいるというのに!
「クライアントがどうの」くんは、「武蔵」風の投稿も、「長文さん」風の投稿も、自由自在に記述できる論文力をもっているというのに???
 長老さんも、君の実力(と正体)を認めてくれているぞ。

 何を、そんなに恐れているのだ。
「長文さん」が5ヶ月もったのは、実は「いや夫」が三ヶ月競馬研究で休止しただけで、いつも討論に疲れ果てているとはいえ、そんなことでめげていてはだめだ。
 たしかに「いや夫」は勝ちゲームだから疲労はあまりない。それにくらべて君はいつも劣勢だから、何倍もしんどいだろう。でも、負けては休めるし、キャラの成りすましもし放題だし、その点ではおあいこだ。

 「クライアントがどうの」くんと「いや夫」とのバトルを、否定派のショッカー戦闘員は楽しみに待っているぞ。
 さあ、ショーの始まりだ~。
 お友達が待っているぞ。早く着ぐるみを着るんだ。

 では、よい子の皆さん!みんなで呼びかけよう!

「クライアントさ~~ん、出ておいで~~」


投稿 いや夫 | 2010.07.26 11:48 午後

(引用終了)

 2ちゃんねるでは「お山の大将」だった「否会友」も、「いや夫」の相手ではなかったということだ。嘘つきに負ける「いや夫」ではない。嘘より真実が強いのだ。

 なお、「、」無し投稿がトレードマークの「太陽神・武蔵・鉄槌・否会友」は、かのブログでこんな投稿もしている。

(引用開始)
いや夫さんが膨大な書き込みを実に正確緻密な手法で点検作業をおこなわれたこと 感心するというより尊敬する気持ちの方が大きいです ただ小生がお詫びするというのは論理的に納得するものではありません。
あちらのちゃんねるやこちらのスレに複数のハンドルで非難論を書きました。その出自である いわゆるなりすましのご指摘はおおむね間違ってはおりません しかし個々のテーマに対する論理的な反論をいただいておりませんので 論戦を戦わせたという感じは持っておりません。
今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です ただ現状では ハンドルはいや夫さんしか使っておられませんので 当方「匿名」でも いや夫さんが上記点検で指摘なさったように 相手を間違われることはないと思います けだし ハンドルつけるかどうかは書き手の自由に任せるのが当然と思うからです。

投稿 匿名 | 2010.08.10 11:49 午前
(引用終了)

 なかなかかっこいいじゃん。成りすましをさんざんしたことは認めます。しかし、誤るつもりはありません。固定ハンドルで「いや夫」との討論に望んでも構いませんという、ちゃねら~にしては上出来の投稿である。望む所だ。

 ところが、「いや夫」が復活して、固定ハンドルで討論しましょうと下記のように呼びかけたところ、
最初に紹介した投稿のように、「匿名」のまま敵前逃亡をはかっているのである(笑)。

(引用開始)
 「今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です」と「、」無し投稿そのままに投稿したのに、なぜ尻尾を巻いて逃げているのかね?「いや夫」がもうこのブログに現れないと想定したからかな?(お前が消えれば、もう止めるつもりだっだんだけどね。ところが、一向に消えないから、今まで以上にお前を我がブログで晒して、お前が調子こいたところで、一気にたたきつぶす作戦に変更したの。貴様が自らまいた境遇なのだから、けじめをつけなさい。)

 「いや夫」の調査報告があまりに当たり過ぎていて、おじけづいたか?

 天の岩戸通信 その2 過去スレ21に、「否会友」の自己美化投稿
http://58807828.at.webry.info/201008/article_29.html

 には、成りすましの天才である「否会友」もびびったことだろう。
 「武蔵」キャラで、このブログでえばっていた頃に、2ちゃんねるでは、自らの正体を明かしていたのだから、致命的だ。

 義父の寿命を縮め、家庭愛和を台無しにしているのは、義母ではなく鬼嫁である「否会友」だ。これまで、義母に復讐するために宏正会を攻撃してきた貴様だが、「いや夫」がいる以上、もう好き勝手にはせない。

 「ネットの中だからって、何でもやっていいと思ったら、大間違いだ~!」(by 映画サマーウォーズより)

 匿名の言い逃れはいいから、「否会友」の固定ハンドルで反論を始めてみろよ。

 ホレ!書け!

 お前が正しいんだろ?だったら、なぜ逃げるのかな(笑)

投稿 いや夫 | 2010.08.25 10:00 午後

(引用終了)


 えっ~!今回は、敵前逃亡するつもりなの~?
否定派の代表は、卑怯者なだけでなく、臆病者らしい。まさに、「ごきぶり」である。確かにこういう奴が一番生き残れるのだろう。もっとも、生存競争には勝ち残れるだろうが、こ奴が幸せになれるとは思えない。「ごきぶりホイホイ」か「ごきジェットプラス」におびえて生きていけ。

 義母の家族が、「いや夫」のブログを読んだら、すぐに察しがつくことだろう。そういう展開もおもしろい。

 「否会友」へ
  そのときには、逆上して包丁を振り回すなよ。観念して自らの非を認めろ。少なくとも義母は、お前よりは懐の深い人に違いないのだ。


 否定派諸君へ
  「いや夫」からの真摯なアドバイス

 悔しいのはわかるが、「過ちては則ち改めるに憚ること勿れ」だ。「否会友」みたいな「サイコばばあ」を、
「太陽神」様~!「武蔵」どの~!とおがめたてまつっているから、「いや夫」程度の粘着質なことが取り柄なだけのブロガーに負けているのだ。
 宏正会は宗教ではないが、宗教関係のブログで肯定派が上位にくることなど、google史上まれなことだろう。
 「いや夫」は、ぐーぐるの検索ロボットの優秀さに感心しているところだ。

 本当は、君らが圧倒的に有利な立場だ。宗教関係(宏正会は宗教ではないが)では、否定派が圧倒的に強いはずなのだ。君らが「いや夫」を負かすには、「否会友」を切り捨てるしかない。「いや夫」のブログを読めばわかるように、わがままで自己中で馬鹿な鬼嫁なので、同情する必要はないのだ。

 何なら、「否会友」の本性(=宏正会関連以外)のこ奴の投稿を読んでみるといい。幼い子どもがいながら、クラブで遊びほうけて、踊りまくることしか頭にない「アラフォー何とか結婚できた自己中女」だということがわかるであろう。

 嘘だと思うなら、「nSGZGoao」でぐぐってみなさい。それが、否定派代表「否会友」の全てだ。
 

 よって、「否会友」を認めている内は、「いや夫」には勝てませんよ。今までは否定派の原動力だった「否会友」も、今となってほとんだお荷物だ。実社会でもネット界でも、一番嫌われるタイプの「サイコばばあ」だったのだ。そして、こんなアホの投稿を鵜呑みにしてきた、君たち否定派が一番馬鹿なのだ。

 これは、考古学で「ゴットハンド」と異名をとった馬鹿エセ学者と同じ例である。功名のためだけに、自分で石器を埋めては、新発見を繰り返すという、幼稚園児以下の行いで、旧石器時代研究の集積を破壊した馬鹿だ。

 ちょっと位論文記述能力、創作能力があると思って、「お山の大将」となっていた「否会友」は、この馬鹿学者と同類なのである。そして、「否会友」の成りすましや「ネタ」(=2チャンネル用語で「創作」のこと)にあぐらをかいてえばっていた君らが、それ以上に馬鹿なのである。

 「虎の威をかる狐」という言葉があるが、君たちは「狐の威をかるごきぶり」に落ちぶれていたというこだ。

 君らは、ちゃねら~のくせに、基本中の基本がわかっていないのだ。いいかげん気づきなさい。

 『嘘を嘘と見抜ける人でないと2chは難しい』 by西村ひろゆき氏
 
 「否会友」の洗脳を自ら解き、宏正会を否定することは本当に正しいのだろうかというところから、検証しなおしなさい。
 会友の家族がいる者については、間違っているのは会友ではなくて、自分なのではないのだろうかというところから見直しなさい。

投稿 改革派会友 | 2010.08.26 04:09 午後 さんへ

 あなたがそう思うのは自由です。別にいいんじゃない、個人の思想ですから。あなたは、儒教も宗教だというのでしょう。

 「いや夫」は実践倫理宏正会は、儒教的道徳観を一番反映した会だと思います。良くも悪くも日本の伝統に儒教は大きな影響を与えています。儒教的道徳観は、武士道にも取り入れられ、日本人の血肉と一体化してきました。
 しかし、その道徳観が、失われつつあるのも事実です。

 西洋は、キリスト教、アラブはイスラム教が道徳の代役を果たしています。元々道徳(倫理)意識の高かった日本人ですが、どんどん西洋かぶれして、個人主義が蔓延してしまいました。
 夫もその両親も他人と思うような鬼嫁(「否会友」のこと)がえばりくさる世の中です。
 こんな日本に、古き良き日本の伝統を復活させるべくがんばっているのが宏正会です。
 儒教の道場があるのかどうだか知りませんが、宏正会は、それに近い活動を行っています。

 なお、宏正会の公式見解も、実態も、宏正会は宗教ではありませんので、お間違いなく。
 宏正会は、会友にどんな宗教を信仰しようと構わないと言っています。宗教ではないからです。よって、他の宗教と掛け持ちしている会友さんは多いようです。

 貴殿の意見は、一会友の意見として、お伺いしましたが、「いや夫」は賛同しません。ただ、儒教が宗教だとするなら、宏正会を宗教とトカテゴライズすることも可能でしょう。しかし、実際は「倫理修養団体」です。貴殿が紹介した『新宗教事典(弘文堂)』でも、新宗教とは別の編で、巻末近くに「倫理修養団体」とカテゴライズされています。
 宏正会を新宗教と規定しているのは、wikiだけで、それは「否会友」や「元会友」が改ざんしているだけですので、あしからず。

 いずれにせよ、会友にはまったく無関心の話題です。
 あなたは、どうせ否定派の成りすましだと想像していて、間接的に否定派を応援する投稿と予想します。固定ハンドルで応戦とは、貴殿のことでしょうか(笑)

 その予想が当たっていようとはずれていようと、全く興味関心のない話題です。


わるいけど、あんた邪魔、消えて!

実際に、活動してる人どうしで意見交換したいの
想像力で割り込む人は、しばらく黙っててほしいね

まじめに、実践してる人で、会話したいから
あんたじゃま

しばらく消えてなさい

何にも知らないくせに、入り込むんじゃないよ

いっとっけど、あんたのいってることは、実践もしないで、会とは、かけはなれた、とんでもないこといっててえ、わたしは、すごいはらたってるんだよ。
このばかおやじが、なにしらないで、かって言ってんじゃないよ。
まず朝起きして、実践してから、いいなさいよ。
会場でも、同じこと、言われてるはずだよ
ほんとに、会友ならね

とにかく、あんた消えろ

会友の恥だ

 ちゃねら~が本性を現しました。

 宏正会に、このような投稿をする奴はおらず、「否会友」なのです。会友のふりをすると「いや夫」が不利になることを知ってはいますが、そんなネタでだまされるほど、世間は甘くありません。

 見苦しいの~。

 それでも、固定ハンドルにしたことは褒めてあげましょう。

とにかくあんた、会場レベルじゃなくて
本部講師、できれば、松岸本部講師に、一旦相談しなさい

あの人は、すごいから、なんた、おかしいよ
自分を振り返りなさい

とにかく、あんたのやってることは、会友の恥だよ

 上記の投稿者を、真の会友と仮定して、
「いや夫」もリスクを抱えましょう。

 他の会友で、「改革派会友」氏が正しいと思う否定派はロムしてください。
 それはおかしいだろうという会友は、固定ハンドルで「いや夫」を擁護してください。

 本日から三日以内に擁護意見が出なければ、「いや夫」はこのブログから消えます。良かったね「否会友」。でも我がブログでは君を追求し続けます。

 では、(永遠にorちょっと)さようなら~。
(今週はキーンランドCだな。)

実践してから、いいましょう
これにつきます

実践のない想像力での会話は「やめてくれ」
いや「やめろ」

あす、あるいは、土日でいいです、仕事もあるでしょう

会場に行って、いま、あなたが言っていること、その内容が
正しいのかどうか、省みてください

そして、松岸本部講師に相談してみてください

私は、松岸本部講師とお話できる機会の多い地域ですので
松岸本部講師を指定していますが、この方が、この件であれば
本当にいいと思います

直接、本当のことを、うそなく、正しく話して、松岸本部講師が
許すなら、いいでしょう、でも、違うと思いますよ

とにかく、一旦、根本から、自分のことを、見直すことが必要ですよ

あなたは

さらに言えば
いや夫=ゴジラさん
あなたこそ、朝起の実践が必要です
というより、自分が変わると思いますよ
「心かわり」ができると思います

必要なのは、奥さんでなく、あなただと思います

実践倫理宏正会が正しい、反論はすべて許さない
という、あなたのスタンス(私は一部改革が必要だと思いますが)を、そのとおり、実践すればいいじゃないですか
ちがいますか

でも、ここで、あなたが、いいといっている、この会の教え(私もよいと思っています)を
「実践」すれば、あなたは変わりますよ

でも、実践しないで口だけなら、百害あって一利なし
かえって悪になるだけです

口だけの、毒にしかなりませんよ

何も言わないのが一番いいですね。

「いや夫」流のゲームのルールでは、とにかくこのブログに居座って書き続けることがゲームに「勝った」ことになるらしい。
そういう訳で、「いや夫」は議論に負けても負けても、それをゴマカシ 誤魔化しこのブログに張り付いて書き続けているということらしい。
それで「いや夫」のように暇があり ずる賢い粘着質のネット中毒の輩がネットの世界では威張っていると言うことか。
もっとも「いや夫」はこのブログでは、低脳とバカにされ続け、サンドバッグのように叩かれてもまた出てくるM男だがね(笑い)。

「宏正会の宗教性」が論点として出てきたようだが、「いや夫」は「興味がない」と議論から逃げる姿勢を見せ(「いや夫」が興味を示すのはゲームだけ。「いや夫」はゲームおたく。)、「学者は修養団体に分類している」と相変わらず同じ事を繰り返している。

宏正会が宗教じゃないのだったら、宏正会の言っている「大自然の摂理」をどう説明するの?

学者は宏正会を修養団体に分類された宗教団体としているんじゃないの。
このブログにも引用されていじゃないか。

(以下 引用)

「新宗教」について、『平凡社世界大百科』では、次のように説明している。

[日本の新宗教] 
日本の早い時期の新宗教には,19世紀初期に成立した,やや早咲きの如来教や黒住教,19世紀中期に成立した天理教や金光教や禊教など があり,明治期に成立したものには丸山教,蓮門教,大本教などがある。この段階までのものは,しばしば〈民衆宗教〉の名でよばれている。もっとも大きな勢 力を築いた教団は,大正末から戦後にかけて成立したもので,ひとのみち(後の PL 教団),霊友会,生長の家,世界救世教,立正佼成会,創価学会,真如苑などである。
新宗教のおもな宗教史的な源泉としては,江戸時代に活発化していた, (1)神仏習合的な社寺を参詣のセンターとし,山伏,行者などの民間宗教家を媒介としつつ,講社に寄り集まった人々が支えた民俗宗教の諸集団(〈習合宗 教〉の伝統とよぶこともできよう)と,(2)在家信徒が積極的に参加する日蓮系の講(題目講),(3)石田梅岩が創始した石門心学に代表されるような修養 道徳的な大衆運動などが考えられる。 
新宗教の宗教思想の特徴は〈現世救済思想〉の語で要約できる。それまで有力だった仏教の救済観が現世離脱的,来世志向的であったのに対し,新宗教は現世 の身近な生活の改善がそのまま究極の幸福に通じるものととらえる。どちらかというと死や死後の世界に関心が薄く,死後の世界に関心を払う場合でも,この世 の幸福に影響してくる限りで来世を問題にするという傾向が強い。
中心的な礼拝対象は〈親神〉であったり〈仏〉であったりするが,しばしば〈宇宙大生命〉と よばれる。典型的な教えでは,宇宙万物も人間も同じ宇宙大生命から派生した存在としてとらえ,他者や環境と調和した関係を結ぶことによって宇宙の生命力と 合体していけると説かれる。
調和した関係を取り結ぶ鍵は個々人の〈心〉にある。清らかで曇りのない心,愛情豊かで落ち着いた平静な心を保つことによって宇 宙的生命の流露する幸福な生活を実現できるとする〈心なおし〉の教えも広く共有されている。これらが〈生命主義的救済観〉とよべるような教えを構成している。 
本来的な充実した生活はまず家族において実現するとされ,家族の和が尊ばれる。家族を守る存在として先祖が尊ばれる教団も多い。
日本の国が特別な価値や 使命をもつとするナショナリズムは広く認められる。ただし,天皇をある程度尊ぶとしても,崇拝する教団はむしろ少数派である。
教祖やそれをつぐ教主らは生き神的な存在として崇拝されることが多い。
教主を中心にカリスマ的な指導者が地域に根を張り,仲間的な小集団を抱え込むというような多重的な組織を作るも のが多かった。
(島薗 進)

この解説から宏正会を見てみる。
宏正会は新宗教「ひとのみち」に起源があり(初代会長は「ひとのみち」の教師であった)、3)石田梅岩が創始した石門心学に代表されるような修養 道徳的な大衆運動に分類される。
宏正会では 現世離脱的,来世志向的思考は明確に否定され 『五つの誓い』に見られるように「現世 の身近な生活の改善がそのまま究極の幸福に通じるものととらえる」。
宏正会では 〈宇宙大生命〉と似た「大自然の摂理」という言葉を使い 「宇宙万物も人間も同じ宇宙大生命から派生した存在としてとらえ,他者や環境と調和した関係を結ぶことによって宇宙の生命力と 合体していける」と同様な考えを教えのを根本にしている。
宏正会も 「調和した関係を取り結ぶ鍵は個々人の〈心〉にある」と「心癖」「我を捨てる」などの〈心なおし〉が教えの中心となっている。
宏正会も まず「家庭愛和」が説かれ 「本来的な充実した生活はまず家族において実現するとされ,家族の和が尊ばれる」というのは全く同じ。
「日本の国が特別な価値や 使命をもつとするナショナリズム」も 日本古来の風習・しきたりを重視するなど宏正会の教えにも見られる。
「教祖やそれをつぐ教主らは生き神的な存在として崇拝されること」については 会長やそれに次ぐ講師を「尊敬」という言葉を使い「崇拝」と同じように絶対視している。
特に「会長」はカリスマ的な指導者として会の中では絶対的な地位を有している。

以上 宏正会は新宗教の要素をすべて備えている。むしろ宏正会は新宗教の典型例と言える。


各個人個人が、付け焼き刃で、実践倫理宏正会が宗教かどうかを
議論する意味は無いと思います。自分がどう思うかは必要です
しかし、付け焼刃で議論して、相手に押し付けることはダメです
だから、私は勧誘のときに「宗教じゃないから」という、勧誘時の
言葉はいいません。「宗教でしょ」といわれれば、否定もしません
実際にやってみて、自分に役に立つかどうかで、判断してもらえばよい
と思っています。

ただし、自分の立ち位置として、
付け焼刃でない、宗教学者にとって、どういう分類をされているか
さらに、自分たちの行っている活動が、他の団体でどうなのか
ひとのみち教団からの流れでどうなっているのか、倫理研究所で
はどうなのかは、知る必要があると、私的には思っています
なぜなら、他人を勧誘して、説明する、義務があるからです

<引用文献:新宗教事典(弘文堂)>
そういう意味では、上記文献を見ることをお勧めします。
大き目の図書館であれば、市立図書館でも、置いてあるところが
多いいです。
末尾の索引で、「社団法人実践倫理宏正会」をみて、
該当ページの前後をみると、ずいぶん参考になると思います
該当ページの前後を見るだけで、半日は必要だとおもいます。

すいません、上記補足
半日かかるというのは、宏正会を、見る結果、関連して
ひとのみち教団、倫理研究所は併せて、よくみる必要があるし
PL教団、モラロジー研究所なども、大枠を見る必要が出てくる
からです

さらに、という意味では
私の場合は、学生時代を主に、思想?関連の興味で色々な団体を
調べました。
本だけでなく、体験、実感という意味で、中核派、民生、
創価学会、真光、統一教会、など、実際に体験してみました
創価学会は勤行も体験で1月くらいやってみました、
統一教会は、なかの人たちのピュアさが、新鮮でした

>各個人個人が、付け焼き刃で、実践倫理宏正会が宗教かどうかを
議論する意味は無いと思います。自分がどう思うかは必要です
しかし、付け焼刃で議論して、相手に押し付けることはダメです

『平凡社世界大百科』において「日本の新宗教」について書かれている 島薗 進 氏は現在東京大学の教授。
島薗氏の書かれている新宗教の定義によれば、宏正会は明らかに新宗教とされる。
逆に、宏正会は自分では宗教団体ではないと言っているけど、宗教学者で「宏正会は宗教団体ではない」と言っている学者はいるのか?
もし、そのような学者がいるのなら公表してもらいたい。

宗教学者のすべてが宏正会は宗教団体と言っているのに自分では宗教団体ではないと言い張るのは、精神科の医者はみんな精神異常者と言っているのに自分では精神異常者ではないと言い張るのと同じ。
みんな、精神科の医者を信じればいいのか、それとも「自分はキチガイではない」と言い張っている人を信じればいいのか。
答えは明白。

「付け焼き刃」とは何を言うのか。
学者の考えの筋道を辿ってその結論を述べるのは、普通「付け焼き刃」とは言わない。
そして、相手への押し付けにもならない。
相手もその思うところを述べればいい。
両者の議論の中で、立場の違いや誤解が分かって来ることもあり、また言っていることのゴマカシが明らかにされることもある。
それでいいと思うが。
ここは、人を宏正会に勧誘する場ではないということを自覚して貰いたい。

上記、匿名氏、まともな方が出てきた印象です

たとえば、宏正会が、宗教かどうかは、宗教学者がどう分類している
かを、文献などで知ることが大切である旨を、私はいっているつもりです
ところが、まず結論「宏正会は宗教ではない」という、ところを理由づける
ために「付け焼刃の知識で」理由つけることは、おかしいと私は
いっているのです。

さらに、自分で思うだけならよいが、他人にそれを押し付けるのはダメだと

人でも組織でも、過去があって今がある。過去をきちんと知って
公開することが、当たり前だといいたい。

「宏正会は新宗教である」というのが、宗教学者の通常の分類です
それはそれで、うけういれればいいと思います。

>宗教学者で「宏正会は宗教団体ではない」と言っている学者はいるのか?

なんで、私にそんなこと聞くのか、私は「宗教学者は宏正会を
新宗教に分類している」といってるのだから、損あんこと知る分けない
そんことを言っている学者を探してほしいのは、私のほうである
私自身も、会の言っていることと違い、宗教だと思って活動している

>ここは、人を宏正会に勧誘する場ではないということを自覚して貰いたい。

なんで、あなたが勝手に決めるの? そんな仕切る権利があるの?
ただし、会友でありながら、さらに、他人に宏正会のことを語りながら
自分は実践しないという人間(いや夫、ゴジラ)は、会友として
いてはいけない人間です、百害あって一理なしだとは思います

>みんな、精神科の医者を信じればいいのか、それとも「自分はキチガイではない」と言い張っている人を信じればいいのか。
>答えは明白。

だから、宗教学者が宏正会をどう分類しているか、新宗教事典その他
文献を見て、自分の立ち位置をまず知ることが大切だと、それが
人を勧誘したりするときの基本だと、私は言ってるうです

なんで、そんなことを、わたしにいうのか、わからんです


皆さんよく研究されていますね。「宏正会」が宗教か否かを検討されており、強いていえばそれは宗教分類学に属しますが、いまそれを研究している学者はおりません。
分類は学者によって異なり、議論するほどの価値はないからです。「宏正会」は島薗先生の定義では、宗教に分類されますが、わが国の現行「宗教法人法」の分類では宗教には入っておりません。
もともと新憲法の「信教の自由を守る」という目的で定められた「宗教法人法」は出来てから60年も経ち、何度も改正されていますが、一般的にはこの法解釈で特に問題はありませんでした。
宗教法人は申請主義ですから、国の方からおまえは○○だなどといいませんが、審査項目の一つに「礼拝施設を有すること」とありますので、この法律の趣旨からは、「宏正会」は宗教ではありません。
現行行政上の定義では宗教ではありませんので、「宏正会」をだれかが宗教ではないと言っても、あながち絶対間違いとも言えないわけですね。
話題提供的になりますが、「ひとのみち教団」が最初大阪府庁に申請したのは、その時代はやりの修養団体でしたが、受付の係りがこんな大きな本殿があるのだから、宗教団体で出せと言われてそうした由です。

 投稿 匿名 | 2010.08.27 11:05 午後
さんの意見に賛成。

 他の奴らはどうせ「否会友」の成りすましの自作自演だから、読むだけ無駄。

 本当にずる賢い奴だなあ。ある意味感心。

 「否会友」の宗教がどうの疑似論争記事で、「いや夫」の「賭け」が忘れられるのも癪なので、我がブログの投稿をPRしときます。

 読みに来てね。

 「いや夫」は「いや夫」ができることをやるだけです
http://58807828.at.webry.info/201008/article_46.html

 「いや夫」は会友の気持ちを試しています
http://58807828.at.webry.info/201008/article_47.html

 「改革派会友」がこだわる「松岸講師」で2ちゃんねるをぐぐってみたら、新発見!
http://58807828.at.webry.info/201008/article_48.html

 「いや夫」が消えると、また、いじめが蔓延するよ。

 このブログでは、余命二日かもしれない「いや夫」より、業務連絡でした。

 

だから、しつこなあ、いや夫きえろ
今日は、朝起いったか? それからまず派はじめなさい
口だけは、一番ダメ

松岸本部講師は、私がこだわる? 
会友に聞いてみなさいよ、実際に自分の会場で
それから、いろいろ、いいなさい、まず、現場で、実際の
会友に聞いて、それで、語りなさい、
想像力、ネットでの書き込みを、あつめて、それだけで判断
しているのは、「あんただ」それが一番の、間違いの
根本

実践に、一番ほど遠いのはあんた、「いや夫だ」

まず、現場を、しってから、ものをいえ

現実に、現場を知って、それを語れる人間だけがきなさい
聞いたことや、本で見たこと、ネットでの情報だけで語る人間は
くるな(=いや夫)

>松岸本部講師にこだわる????

いや夫、あんたは、朝起にでたこと、ほんとにあるの?
にせ会友だろ、会を語る資格なしだ

会長先生が朝起きに出てきて、会話できる状況ではないでしょ

実際に、本部の方が来て、指導してくれるのは、誰だ・・・

ひょっとして、松岸本部講師のことを、しらなかったの?
で、それでも、ネットの情報で、まだ、なんにもしらないで、
かたりはじえてるの???

きえろ、きえろ、きえろ いや夫、会友の恥だ

  そっくりそのまま君(=「否会友」)にお返しする。

 宏正会を批判しようというなら、
会友になって、実際に自分の会場で、いろいろ、いいなさい。
まず、現場で、実際の会友に聞いて、それで、語りなさい。
(密偵として潜入しているのかもしれないが・・・。)
想像力、ネットでの書き込みを、あつめて、それだけで判断
しているのは、「否会友」だ。
それが一番の、間違いの根本

 万が一(0.01%の確率)で、「改革派会友」が本当に会友だったら、失礼。
ちゃねら~としか思えない文章を書き、宏正会が宗教であるなどと妄言を吐く君が悪いのだ。
この状況で、「否会友」を擁護する会友がいるはずないだろ!ボケ! 
 


 こんな「否会友」の開き直りも、皆さんは見抜けないのでしょうか?

 我がブログ新記事

前回の「松岸講師」で2ちゃんねるをぐぐってみたら、新発見! の答え
http://58807828.at.webry.info/201008/article_49.html

会友の恥=いや夫よ

今日は、朝起きしたか? まずそれをしろ
なんでできない

ネットの情報だけで、語るな、現場を見て、話をして
現実を知れ、ずべてはそれからだ

まず、自分のいっていることが、実践をしている会友が
どう感じるか、聞いてみなさい、
松岸本部行使の件、話をして見なさい、ネットの情報でなく
会友に聞いてみなさい、自分が知らなければ、会友は
みんなしらないのか? 
ボケ、会友の恥、きえろ、いや夫


あははははー、「成りすまし」同士のののしり合いの輪に陥りましたな~。
ご両所様ともこのところ唯一のコテハン派であられますが、コテハン投稿としての当然の帰結でもありますね。
コテハンというのは、「匿名・偽名」と紙ひとえのものではありますが、一定の論争をしている間は、名前の代用品の役割を果たしますので、その論争をエスカレートさせます。「実名匿名論争」のとき、ひろゆき氏がそのことも指摘して、普通(平静)な論争をしようと思うなら、絶対に匿名でする方がよいとされましたが、むべなるかなであります。

>この状況で、「否会友」を擁護する会友がいるはずないだろ!ボケ! 
 こんな「否会友」の開き直りも、皆さんは見抜けないのでしょうか?

宏正会の会友には 色々な人がいます。
「改革派会友」さんも会友のお一人でしょうね。
「いや夫」さんは完全にゲーム脳に凝り固まっていて、本当のことが見えなくなっているようです。
もっとも、「いや夫」さんは批判派をぜーんぶ「否会友」にこじつけて満足しているのでしょうが(もう皆さん 飽きれています)。

いや夫は批判派を成りすましとか言ってるけど、いや夫というのも所詮はコテハンだろう。
成りすましが卑怯だというのなら、正々堂々といや夫は自分の支部を明らかにして、本名で出てくるのが筋だろう。
最初から成りすましの追及でこのブログでゲームをしようと出て来たいや夫に、卑怯という言葉を使う資格はない。
それに いや夫の成りすましの分析は、ど壷に嵌って完全に自滅してる。
いや夫は もはや存在意味がない。
 

いや夫

あんたを擁護する、会友はいるはずがない
実践をしていない、
実践していないのに、勝手に発言をしている
実践に基づかないから、とんちんかんの発言をしている
会友の恥である、発言をしている
教えに反した行動をしている
なのに自分が会友の代表で指示してもえらえると期待している
→その根拠はなにもない、指示されるわけ無い

まず、会場jにいって、現実にみなの様子を見ろ
みなに、隠さず、自分のやっていることを、歪曲せずはなしてみろ
→話せるわけが無いだろう

実践に基づかない、現実も知らない、朝起きもしていない
他の会友と会話もしていない、本部講師の存在も知らない

実際に、会場で、どのように学んでいるのかのしらない
知る気もない、知る行動もできない=実践ができない

「そんな いや夫に、会友としてかたる資格はない」

*まず、朝起きして、会場に行きなさい
*他の会友と語りなさい
*実際に行動して、学び、ネットや本だけでない、学びをしなさい

まず、それをしない人間に、会友として語る資格はない

 お前の成りすまし投稿などお見通しだ。
何で会友が否定派と仲良しこよしなんだ?
もう少し工夫しろよ。
騙される奴など一人もいないぞ。

 それでも「黙して語らず」「討論は避けよ」と真の会友が選ぶのなら仕方がない。

 「いや夫」もいさぎよく、このブログ(砦)を明け渡してやろう。そうなると嬉しいのう~「否会友」。

 とりあえず、遺書として、

 このブログの見方

 「いや夫」が長文の投稿をし過ぎたので、読みにくくなっているのは事実。どこで、どんな記事が書かれているか、目次を作ります。
(shihtを押しながら、別にタブを開くと便利です。)

<草創期>
  投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-727174

  はじめから否定派の成りすまし投稿が続く。
  典型的な成りすまし中傷記事が、「嵐」「嵐」「さとえ」が典型。2番目の「嵐」は名前を訂正し忘れたのです。ばかだね~。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-1963714

 すでに、この頃「、」無し投稿もあり。
投稿 私もここに書きこんでいいですか | 2006.05.05 03:04 午前
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-3056502
(その直前の投稿「まるまるまある」さんも、「、」無し。謎は深まりますなあ。スレ主の自作自演か?)


<肯定派歓談期>
 肯定派が自由に投稿できた黄金期。

投稿 鯰の鬚は4本 | 2007.08.03 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-6298553

<ちゃねら~襲撃期>
投稿 高塚地蔵尊 | 2009.02.07 以降、
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20484833

続々とちゃねら~が攻撃開始。代表選手は「、」無し投稿をする「太陽神」「シリウス」

<武蔵全盛期>
投稿 武蔵 | 2009.07.03 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-22124719

<「いや夫」VS「、」無し成りすまし「武蔵」他期>
投稿 いや夫 | 2009.10.09 以降

http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23091183

 「太陽神・武蔵」が「、」無しのなりすまし文で「いや夫」を迎撃するも、経歴詐称で敗れました。

<「いや夫」VS「、」有りちゃねら~「鉄槌」他期>
投稿 鉄槌 | 2009.10.31 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23302382

 ばりばりのちゃねら~が本性を現し「鉄槌」他のキャラで「いや夫」を攻撃。不毛な罵詈雑言が続きます。この期間は、読む価値なしです。

<小康期>
投稿 レイモンド・東経 | 2009.12.28 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23893180

 久々に肯定派同士が会話できる状態になりました。


<「、」無し「くくくww」の2ちゃんねる攻撃期>

投稿 くくくww | 2010.01.22 08:20 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-24093762

 ひさびさに登場した「、」無し投稿=「太陽神・武蔵・否会友」は、自分がバリバリのちゃねら~で、2ちゃんねるでも成りすまし投稿を続けて攻撃していることを証明してくれました。


<宗教怪人「長文さん」敗退期>

投稿 匿名 | 2010.02.14 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-24317178

 この頃卑怯な「否会友」は成りすましを見破られないように「匿名」をはじめました。(だけど、「、」無し投稿なのでバレバレ)
宗教にこだわる「匿名」は「長文さん」と命名しましたが、破れて消えていきました。

<「経済」怪人「賢くない」さん敗退期>
投稿 匿名 | 2010.07.01 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25445054

 あいかわらず「、」無しで「経済」論戦を挑んできた「太陽神・武蔵・鉄槌・否会友」くんですが、やっぱり負けていきました。

<タネ明かし期>
投稿 いや夫 | 2010.07.29 05:25 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25659967

 否定派の首謀者が「、」無し投稿を繰り返す一人の人物で、「、」有り投稿のかなりの部分もこ奴(「否会友」)の仕業だと証明をしました。 

<「いや夫」後>

 「賭け」に破れた「いや夫」が消えた
2010年8月30日 以降

 どんなブログになるのでしょうねえ?
ロムして、我がブログの材料に使います。

匿名 | 2010.08.27 11:05 午後 さんの投稿は、非の打ちようがないですな。
しかし、あまりにも優等生の模範解答のようで面白みがないので、少々思う所を述べてみましょう。

>「宏正会」が宗教か否かを検討されており、強いていえばそれは宗教分類学に属しますが、いまそれを研究している学者はおりません。
分類は学者によって異なり、議論するほどの価値はないからです。

学者の先生方は、いま宗教分類学について研究されておられないようですが、宏正会については宗教団体と見ているのは確かではありませんか。
「新宗教辞典」また島薗氏が、宏正会を精神修養系の宗教団体と分類しているのに他の学者に異を述べる者がいないということは、他の学者の先生方はすべてこのことを認めていると言う事ができるのではないですか。


>「宏正会」は島薗先生の定義では、宗教に分類されますが、わが国の現行「宗教法人法」の分類では宗教には入っておりません。
もともと新憲法の「信教の自由を守る」という目的で定められた「宗教法人法」は出来てから60年も経ち、何度も改正されていますが、一般的にはこの法解釈で特に問題はありませんでした。
宗教法人は申請主義ですから、国の方からおまえは○○だなどといいませんが、審査項目の一つに「礼拝施設を有すること」とありますので、この法律の趣旨からは、「宏正会」は宗教ではありません。

その通り。
確かに国が法人組織と認めるに当たって、○○という組織が宗教団体か否かを国が決めるのは「信教の自由」に反することになるのかも知れない。
このような理由から、国はそれぞれの法人に一定の要件を定めて、宗教法人として申請して来て その要件を満たせば宗教法人として認め、社団法人として申請して来て その要件を満たせば社団法人として認める という事になっているのでしょうな。
要するに、一般的には宗教団体とされているものが、申請の仕方によって宗教法人にもなり 社団法人にもなるということ。

宏正会は、その教え・その活動の仕方の多くを「ひとのみち」をマネたもの。
宏正会は「ひとのみち」からどのようにマネているかは「太陽神」氏が述べられているが、「ひとのみち」のニ代目教祖が創った宗教法人の「PL」のHPを見ればおおよその見当がつく。
PLは大元霊という神を立てているが、宏正会は「大自然の摂理」ということに変えているが実質はPLの神と同じものといえる。
現在PLは「お振替」は行なっていないので、PLの「みしらせ」は宏正会では「生活の赤信号」、PLの「みおしえ」は宏正会の「ご指導」に言葉を変えているが実質は全く同じもの。
宏正会では一応「礼拝施設」と言えるものがないので宗教法人の要件を満たしてはいないが、朝起会場また大会の舞台には必ず「日の丸」を掲げている。
「日の丸」は本来は国旗であるが、「ひとのみち」を見ても、そこから派生したPL、倫理研究所その他を見ても、「日の丸」をその団体のシンボルとしている。
本来は「日の丸」は太陽を意味しているが、これらの団体は「日の丸」を神または大自然とシンボライズしている。
このように見ると、各朝起会場を「礼拝施設」と言えなくもない。
宏正会は倫理研究所をマネて社団法人にしたのであろうが、「新興宗教」というレッテルは世間ではいかがわしいものと受取られる恐れがあるのと、初代会長が宏正会の教えを産みだしたとするには宗教団体であった「ひとのみち」とは別物に見せかける必要性があったということなのであろう。

まー宏正会は、一応は社団法人の衣をまとってはいるが、その実質は「ひとのみち」「PL」と同じような宗教団体。
こう言って間違いはない。


>現行行政上の定義では宗教ではありませんので、「宏正会」をだれかが宗教ではないと言っても、あながち絶対間違いとも言えないわけですね。

宏正会を宗教団体ではないというのは、要するに ゴマカシだと言うこと。


>話題提供的になりますが、「ひとのみち教団」が最初大阪府庁に申請したのは、その時代はやりの修養団体でしたが、受付の係りがこんな大きな本殿があるのだから、宗教団体で出せと言われてそうした由です。

そうですか。よく知っておられますな。
どこにそのようなことが載っているのか 公表して頂きたい。
戦前も 宗教法人の設立の手続は現在と同じという訳ですな。


↑  (08.28 04.55 午後)

このスレに論理的思考のお出来になるお方が二人おられます。「武蔵・太陽神」殿とあなた様です。
おっしゃる通り面白くもなんともないことにて、書籍などはありません。
昭和初期に始まった諸弾圧は、新宗教も目標にし、昭和11年の2.26事件の前後で、より先鋭化しました。昭和10年12月の大本教弾圧、昭和12年4月の「ひとのみち教団」摘発もその一連の事件です。
以後ひとのみち裁判は戦時中も含め延々と続き、昭和20年10月31日マッカーサー司令部命令による無罪釈放まで、8年半の長きにわたりました。
その大審院裁判記録は、今も最高裁に保管されておりますが、被告側資料としては、PL教団にも残っています。記録には被告のいった一言一句余さず記録されていますが、いま、再読研究の価値はないでしょう。
わたしの知識はそれらの、拾い読み程度ですが、あなたの言及されていますことをひとつだけ敷衍させていただきましょう。
現在、PL教団の立てている神は確かに「大元霊」ですが、もともとは、「ひとのみち教団」が、「神様のご本体」として、あがめていたのが、「大元霊」であります。
PLカントリークラブで、一般人にまじった三木徳近教祖が、娘さんに押させた車椅子でクラブを振っておられた、お姿を間近に拝したわたしは、信者ではありませんが、ただ懐かしい気持ちがいたします。


 お話中失礼。前期の投稿者は「否会友」ではありませんね。 

 我がブログよりコピペします。

(全体引用開始)

「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、やはり「否会友」なのでしょう。
<< 作成日時 : 2010/08/28 22:30

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 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

で、「改革派会友」と賭けをしている「いや夫」です。

 おそらく、「いや夫」は賭けに負けて、かのブログを卒業しそうです。

 では、今までの研究のまとめを残しておきましょう。

 このブログが作られたのは、

投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24 01:58 午後

とあるように、2005年2月24日。

それ以来、このブログ主は「一度も投稿していない」ということになっています。

そんな不自然なブログがあるでしょうか?


 なお、偶然の一致というには、不自然なのが、

wikipediaで「実践倫理宏正会」の記事が新規作成されたのが、

このブログが作られた前日の「2005年2月23日」なのです。

 そして、wiki新規作成者(211.9.162.39)は、明らかに否定派です。

wikiの最初の版は下記のようなものです。

(引用開始)
実践倫理宏正会(じっせんりんりこうせいかい)は、1950年5月に創立した社団法人である。
一般的には、朝起き会(あさおきかい)の名称で知られている。本部は東京都千代田区九段北、靖国神社のすぐ脇に本部ビルを持つ。
会長は上廣栄治、創設者の上廣哲彦の長男である。

概要
精神修養団体の中で、最大の勢力を誇る団体で、会員数は主婦層を中心に公証で400万人といわれているが、詳細は不明。大規模な組織にも拘らず公式ホームページを持たず、広報活動は会誌のみであり、入会するまで会の詳細を知らされることは少ない。 主な活動内容は、実践倫理を実行するため、毎日朝5時から6時まで、日本各地にある会場で、集会を開く朝の集い(あさのつどい)である。

当会は1945年に広島県で被爆した先代が東北の金沢でひらいたと当会の著書に記されているが、実際は1912年に「御獄教・徳光大教会」として発祥し、1936年に「ひとのみち」となり、戦時中天皇の解釈で弾圧、解散。終戦後宗教法人法の改正にともない、宗教弾圧を避けるため「社団法人」として1946年に「倫理研究所」と「PL教団」に分派。その後倫理研究所北陸地区の布教責任者であった「上廣哲彦」が1950年に倫理研究所から独立して「実践倫理宏正会」を発足させた。
登記は教育団体で宗教ではないとしているが、一部の宗教学者は、これを戦後の新宗教としている。

強引な勧誘方法や、金銭面でのトラブルが発生しており、幼い子供をおいて頒布(会を広める)する「捨て育て」という行為が推奨されるなど、問題点が指摘されている。

教義
朝の誓い

参考文献
上廣栄治 「倫理がひらくきみたちの未来」
(引用終了)

 ちなみに、wikiの新規作成者は、IPから東京都?在住の可能性があります。会長先生宅にも気軽に見学に行けますね。

 上記の二つの不自然な事実をつなぎあわせると、次のような仮説が浮かびます。

 wikiの否定派の新規作成者が、「実践倫理宏正会」のブログも作った。

 なお、wikiに「実践倫理宏正会って何?」へのリンクを貼った人物は、肯定派のようです。このブログが一会友が作ったものと信じていたのだと思います。

 結局、このブログはwikiから唯一リンクされた宏正会について話し合うブログとなり、一時肯定派が情報交換できたときをのぞき、宏正会への誹謗中傷が書き連ねることが多くなりました。

 ブログ主の意図通りの役割を果たしていました。

 しかし、その邪魔をしたのが私「いや夫」です。2ちゃんねるではありえないことですが、否定派の怪人の攻撃を次々と論破し、肯定派の砦のようにしてしまいました。

 我慢できなくなった否定派の誰かが、
2010年7月9日 (金) 19:36
に、このブログへのwikiのリンクを削除しました。

 ちなみに、そのIDは「125.55.195.100」、wikiを否定派の好き放題に改悪している人物です。

 リンクが削除された理由は、下記の投稿でしょう。

(全体引用開始)

 「賢いさん?」はつい最近(山岡鉄舟の話を批判した「別の」匿名さんが現れた頃)このブログを読み始めたそうだ。

 では、「いや夫」がなぜこんなに批判派を馬鹿にするのか説明しましょう。

 当ブログは元々純真な一会友さんが「実践倫理宏正会」について知ってもらうために始めたブログである。
 批判派は当初から成りすましによる攻撃を加えていた。代表的な例が「嵐」=「さとえ」の偽投稿だ。(ちなみに、この「嵐」=「高塚地蔵尊」=「鉄槌」=「愚息」だろう。)
(参照記事)
http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html

 それでも、当時は実践者の投稿が多く、意義のある情報交換が行われており、肯定派が優勢であった。

 ところが、2009年2月に「高塚地蔵尊」他ちゃねらーが一斉攻撃を開始し、実践者を罵倒するようになった。実践者は誠実な話し合いを心がけたが、批判派は口ぎたなく罵り続けた。そして、実践者はこのブログに投稿できなくなっていったのである。

 その後、「太陽神」「シリウス」「武蔵」「田中丸」などが宏正会に対する批判記事を書き連ねるようになった。

 そのような状況で、「いや夫」が討論に加わったのである。「いや夫」はたった一人で敵陣に切り込んだようなものである。討論というより「闘論」である。実践者のように、穏和な話し方などできるはずはない。討論相手は、「武蔵」くんだったが、「いや夫」以上にいやみな奴だった。理論的に語りながら、実践者を蔑み馬鹿にする最低な奴だった。「いや夫」をいやみ全開で、討論することになった。

 ちなみに、上記の否定派のうち、「いや夫」が直接討論したのは、「武蔵」くんだけである。しかし、「いや夫」はそうだとは思っていない。ぜ~んぶ同じ人物だと当初から見抜いて参戦した。
 
 そして、今も戦っている。だいたい、それぞれ、さんざんこのブログで投稿を続けて、何でばったり消えるのか?一時消えたとしても、自分の投稿がどんな評価を受けているのか気になってのぞきにくるのが普通だろう。「山岡鉄くん」や「賢いさん?」もどうせ同じ人物だろうと思っている。

 さらには、元のニックネームを使わず、「匿名」としている時点で、負けを認めているようなものだ。

 なお、「武蔵」くんの正体は「否会友」であるというのが、「いや夫」の推論である。

 「賢いさん?」へ、

(引用開始)
「いや夫」さんの根性は 姑や小姑のようにイヤラシイですよ。
(引用終了)

 というのは、あなたから見た見方です。姑や小姑から見ると、何とひどい嫁をもらってしまったんだろうと思っていることでしょう(笑)。


投稿 いや夫 | 2010.07.08 09:37 午後

(全体引用終了)

 「いや夫」が明かしてはいけない秘密を明かしてしまったからです。

 なお、リンクを切ったIDは茨城県?のようなので、前述の人物とは違う可能性もあります。
(プロバイダの本社の住所を示しているだけかもしれませんが・・・。)

 もし、ブログ主と、wikiのリンクを切った人物が別人だとしても、二人がお友達として情報交換している可能性はあります。否定派は十年来のつきあいですから(笑)。


 では、ブログ主は誰でしょう。

 「いや夫」は「否会友」だと、ずっと疑っていました。
(「被害者の会」のブログの方は、「元会友」だと予想しています。)


 <関連記事>
  「太陽神」や「武蔵」の勘がするどいわけは?
   作成日時 : 2010/01/01 22:51
 http://58807828.at.webry.info/201001/article_4.html
 
 「太陽神」も「武蔵」も「レイモンド」さんの成りすましを見抜いていたので、実はブログ主自体なのではないかと疑問を呈した記事です。そして、それが「否会友」なのだろうと・・・。

 
 以上の仮説を裏付けるように、「太陽神・武蔵・鉄槌・否会友」は成りすましを駆使し、執拗に「いや夫」を攻撃してきました。

 それは、肯定派VS否定派という構図だけではなく、

 自分(=「否会友」)の城(=「実践倫理宏正会って何?」)を乗っ取ろうとする敵(=「いや夫」)への死にものぐるいの抵抗だったのかもしれません。

 そう考えた方がしっくりきます。

 「まるまるまある」さんが「、」無し投稿をしている謎も解けます。
 「否会友」は詩も好きで、ネタとして肯定派キャラも創造することができるのかもしれません。
 「高貴高齢者」さんが、「田中丸」の話を鵜呑みにしたのも、否定派と示し合わせた芝居であった可能性があります。

 「いや夫」の中では、すべての謎がすでに解けています。このブログを、持ち主である「否会友」(=今は「改革派会友」&「匿名」)に返してあげましょう。

 さすがの「いや夫」も生き霊と化した敵の城を乗っ取ることは不可能です。

PS 鉄槌がスレ主に文句をいう投稿もあるので、それが自作自演でなければ、スレ主が別人である可能性もあります。まあ、いずれにしても、ネットは何でもありの世界なので、何でも鵜呑みにはしないことです。
 
(全体引用終了)

 今さら説明するまでもないですが、

投稿 匿名 | 2010.08.28 04:55 午後

 は、「武蔵」くんそのもの。

 男のすなる投稿も、女のすなる投稿も、自由自在に操り、「まるまるまある」さんという、「いや夫」でさえ騙される肯定派キャラを創作できる成りすましの帝王こそ、「否会友」なのです。

 天才は狂気と紙一重。

 惜しむらくは、「、」無し投稿をちょこちょこと残してしまう癖はいまだに抜けず、先の投稿他、随所に「、」の有る無し投稿を残しておられます。

 そのおっちょこちょいを直せば、「いや夫」の追跡もかなり難しくなることでしょう。

 我がブログにて、ゲームとして、君(ネットモンスター&「サイコばばあ」)を追跡してみます。

 「いや夫」亡き後のこのブログで、君の成りすましを見抜ける人物は現れないでしょうなあ。

 良かったね!「否会友」

 これで、思う存分、義母への恨みを晴らせるね。


 でも、きっと義母が亡くなった後、さすがに後悔すると思うよ。義母に悪気はまったくないのだから。

 「いや夫」は勘違いして、「否会友」のご子息は耳が不自由と誤った情報を記述してしまいました。

 目が不自由でしたね。

 義母が忠告したのも、

「否会友」が人の意見を聞かない、などではなく、

夫を大切にしない、

 でしたね。訂正します。

 本当は「否会友」さんも、人の意見を聞けるのかもしれません。

 2ちゃんねるで毒舌を吐きまくって、肯定派の中傷を浴び、ネットモンスターと化してしまったのでしょう。

 しかし、本当の敵は、宏正会でも、会長先生でも、会友でも、ありません。(「いや夫」はまちがいなく敵ですが・・・。)

 あなたの心に巣くっている、どろどろした邪悪な心です。それは、君を追求し続ける「いや夫」の中にもあります。

 そろそろ、そのどろどろを水に流して、義母と仲直りしてはいかがですか?

 これは皮肉抜きで、「いや夫」の本心です。

 家庭愛和無くして、人は幸せになれないのです。

 あなたの愛する夫を育てた母ですよ。その人を愛せなくて、夫婦愛和・家庭愛和が実現できると思いますか?

 もう一度冷静に考えてみてください。

 なお、息子の目の不自由を、自分のせいにされたあなたのお怒りはもっともだと思います。

 しかし、現実に、その後のあなたの理不尽な宏正会への攻撃は、あなたが怒りにまかせて盲目になってしまう人間であることを証明しています。

 宏正会では、これを「大自然の摂理」からの知らせだと捉えています。どうか、気づいてください。

 ちなみに、
「子どもの耳が悪くなるのは、母親のあなたが人の意見を聞かないからだ」と宏正会で言われているのは事実です。(本部はやめろと言っているとかいないとか。実践をしない「いや夫」はあまり詳しくはありません。)

 そういうことを言われるので、我が家の子どもが中耳炎になっても、「いや妻」は決して他の会友には明かしません。先の苦言を言われることがわかりきっているからです。

 その程度で受け流せばよいのです。そんなつまらないことで、義母と決裂したまま、永遠に別れてよいのでしょうか?

 いつまでもあると思うな義母と金 ですよ。

 「いや夫」からの忠告でした。

いや夫の妄言は既に論破され、否定されて意味の無いものとなっているので、読みとばしてしまったほうがよい。いや夫の書き込みだけ省いてみると意味の通じるブログになることに気付くだろう。荒らしの泣き所は無視されると自身ではどうしょうもないところだ。元々議論の筋とは関係ない代物であるからいや夫が何を書き込もうが無駄なのだが、頭の悪いネット中毒者はそんなことにも気付かないようだ。皆でこれまで散々馬鹿げた投稿に付き合って遊んであげたのだから、もう構ってやる必要もないだろう。たとえ出ていけと言ってもまたいつものヒステリーを起こして続けるであろうから、無視してまともな者だけで続けるのがよろしかろう。

「実践倫理宏正会は宗教団体であるか否か」についての意見が多く見られるようになった。以前からもこういった議論はなされて来たが、この問題については肯定する見解と否定する見解双方の根拠にそれなりの理由があるように思われる。肯定派の主な論拠となっているのは、宏正会の成り立ちとその教えや活動の内容とを考察した上で、宏正会は宗教色を多く受け継いでおり、その実態は宗教そのものに他ならない、とする見解であり、これが最も有力である。一方、否定派の意見は、肯定派の論拠となっている宏正会の教えや活動内容をどのように捉えるかは個人の考えや会との関わりの度合いによって違うものであり、一概に宗教で有る無しを決するのは妥当ではないとし、さらに有力な根拠として、実践倫理宏正会の成立根拠は民法上の社団法人にあるのであって、宗教法人法に依拠するものではないと述べているようである。 肝心の宏正会自体の認識はどうであろうか。本部講師の松岸氏は先月、会友の演壇を批評する中で次のように述べていた。「何か、皆さんのご演壇を聞いていると、『実践倫理のおかげで自分が変わることができた』とおっしゃっているが、これでは何かの新興宗教のように聞こえる。皆さん、自分が変わることができた、とおっしゃればよい。そしてなぜ変われたかと問われればそれは『実践倫理のおかげで変われました』と言えばいいのです。」 この発言は明らかに宏正会の宗教性を否定するものであるが、その論拠は必ずしも明らかにはならない。むしろ、「実践倫理おかげで」といった表現に少なからず宗教色を感じる。また、先日故人になられたが、中国地区の前地区長は「何かを拝んだりするのではないから宗教ではない」ということを述べていた。私の知る幹部のかたの僅かな発言からだけでは、宗教性を否定するのに十分な説明は見いだせないようである。しかし、そのことを以て「実践倫理宏正会は宗教団体に他ならない」と結論付けることには疑問符が付く。以下は宏正会の説く「生活実践」等の内容に触れなければ述べられないので、後日改めて自分の現在の見解とともに投稿させてもらう。「改革派会友」様はじめ、参考になるご意見や書籍、文献があれば、新たな考察の一助としたいので、お教えください。

 「いや夫」は、このブログを去りますので、
今後は、我がブログの下記の記事から、
否定派の首謀者を追求し続けますので、
ご承知おきください。

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宏正会に対する否定派首謀者追求ポータル 
http://58807828.at.webry.info/201008/article_51.html
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宏正会に対する否定派首謀者追求ポータル 
http://58807828.at.webry.info/201008/article_51.html
の2010年8月29日版の本文をコピペしておきます。

 長文失礼。「いや夫」がいなくなると、読みやすくなりますな。

(全体引用開始)

宏正会に対する否定派首謀者追求ポータル 2010年8月29日版

 「否会友」のケースから、「陰倍加」が行われる理由を考察する。
倍加とは、本人に断ってその人を会友として登録(本人自身による登録とは異なる)することである。そして、倍加を行った人物が相手の分の会費を納めるというシステムである。
 倍加については、「実践倫理宏正会って何?」の下記の説明が秀逸だと思うので引用します。
投稿 鯰の鬚は4本 | 2009.04.08 08:49 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20853826

(引用開始)
陰倍加については私自身も色々と思う所はあります。単なる数合わせ・目標必達(集金?)のためのものであれば、他に『合法的』な形(会費の増額なり、寄付に回すなり)へと変更する必要があろうと思います。
今までにも述べましたが、本来の『陰倍加』(ウラ倍加?ではないもの)はその名の通り、陰ながらその人の仕合せを願う心の発露から行われているものです。
演談をお聞きになった会友さんが『陰倍加』をお勧めになったのも、結婚されたご親族の仕合せを、単純に願ってのものと推察致します。

仰る通り、この頃は世間一般にも法律遵守を殊更意識する風潮が出ていますので、その辺の配慮も必要になってくると思います。(余談ながら『Compliance』と言っても、米国では意味が通じないそうですね)
ただ、法律に詳しい方に聞いた所では、厳密に言えば『有印私文書偽造』に当たるかも知れないが、基本的に『被害(者)』が存在していない所から、一般的な解釈としてはシロ(事件としての立件は多分無理)ではないか、との事でした。
もう一つ、個人情報保護法の観点からも問題がありそうですが、こちらにしても、収集した個人情報を会として組織的に『悪用』するか、管理不徹底に拠る流出など、重大な過失事例がない限り法の趣旨には抵触しないようです。

法律論はともかく、全く見ず知らずの人々の名前をでたらめに流用するのは、道義的にも許容範囲を超えたものと私も感じます。が、ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲かと感じておりますが、如何でしょうか。
何れにせよ、これも『強要』されるのは問題ですから、その辺は『正しい実践』をと願うのみであります。
(引用終了)

 要するに、「陰ながらその人の仕合わせを願う」からの行いからであり、「ご親戚などを『陰倍加』するのは、一般的に見ても許される範囲」だと「いや夫」も考えている。「否会友」を姑さんが陰倍加したのが、まさにこれに該当する。
 陰倍加と違って「倍加」は、本人の承諾を得て行われるものである。その人の分の会費を倍加を行った人が負担する点では、一緒である。本人の了承を得るのが「倍加」、本人の了承を得ないで行うのが「陰倍加」である。

 ちなみに「いや夫」家の陰倍加の例は下記のようなものである。
http://58807828.at.webry.info/200910/article_18.html

 我が家の陰倍加は、親戚ではないのでグレーゾーンである。しかし、ご近所さんと仲良くやっていきたいと願う気持ちからであることは、ご理解願いたい。また、これは重要なことだと思うが、倍加されて会友数に数えられているだけの人と、実際に朝起会に参加している会友とは、明確に区別されている。少なくとも、一般会友は、私のご近所さんが、会友として登録されていることなど知らない。よって、ご近所さんに、何らかの迷惑がかかることは一切ないのである。ご近所さんの仕合わせを願いながら、年間3000円を会に納めている。
 それでもだめだと批判されるなら、仕方がない。批判は、甘んじて受けます。ただ、その狙いとすることについては、誤解をしないでいただきたい。
 (2ちゃんねるで、電話帳で適当に選んでなどという投稿があったが、全くの作り話である。「いや夫」はそう信じている。)

 さて、上記をお読みになった上で、姑さんが「否会友」を陰倍加したことは、それほどの罪と言えるのだろうか?
 二人は義理とは言っても親子である。何をめくじら立てて怒る必要があるのだ。
ところが「否会友」の場合はこうだ。

(引用開始)
65 名前: 否会友 投稿日: 02/02/07 19:47
退会したいさんへ

初めまして、私はこの会に10年以上入っている姑を持つ1児の母です。
お隣さんが会友なら、その後の近所付き合いもあるでしょうから
きっと悩まれている事だと思います。

私はこの会に自ら所属した覚えなどないのですが、姑に勝手に
名前を使われ、家族3人とも会員にされていました。一言の断りもなしに。
その事は、私から聞き出すまで隠していました。
普通から考えたら「人の名前を勝手に使う」なんてあり得ない事ですが、
この会では会費を肩代わりして他人を勝手に所属させる事を
「影の倍加」と称し、まるで「良い事」のように話しているみたいです。
盲目になる事は恐ろしいと実感してしまいます。

さて、勝手に名前を使われていた事がわかり、まったく解せないので
「退会届を出してその控えを私に渡して欲しい」
と伝えた所、逆ギレしていろいろ言われた挙句、
「子供(孫)に何があっても知らないわよ!」とまで言われました。

ここまで言われて私も納得がいきません。
息子の目の病気を「妻が旦那様を大事にしないから」と言って責められたり
した事もあります。
姑は実践に夢中になるあまり、家を空ける事もできなくなり、
ちょっとした買い物以外の外出や旅行は一切しなくなりました。

こんな風になってしまったのも、会にも責任があると私は考えています。

私が退会したいさんにお伝えできるのはこんな所でしょうか、
具体的にお役に立てるレスでなくてごめんなさい。

退会したいさん、がんばって下さい。
(引用終了)

(引用開始)
何故許されてないことが多いのかは皆さんが身を持って体験しているのでは。
そして、周りもその事実を伝えなければいけないのでは?
事無かれ誤魔化しでやりすごそうとするから後で歪んでくるのでは?

私は身を持って、姑から「よかれと思って」「勝手に倍加」させられて
いたわけですが、未だにその神経が理解できません。
「よかれと思う」ならなぜ「本人に入会手続きさせなかったのか」などなど。
よかれと思うなら、なんでもしてもええんかっちゅー話しですわ。
よかれと思ってやったことなら、何をしても結果的に保護されるべきもので、否定
されるべきものではないというんかー。
(引用終了)

 さて、この二つの投稿を読み比べて、次の私の問いに、皆さんはどう答えますか?

問い もし姑が「否会友」に倍加するよと知らせたとき、
   「否会友」はそれを認めたのだろうか?

答え 否

 そんなのは、彼女の投稿を読んでいけば、わかります。「否会友」はそんな人です。姑の言うことなんか聞きません。自分が絶対正しいという人です。また、姑を憎み軽蔑している人です。

(ちなみに、「いや夫」は妻(結婚前)と会に参加してみて、「実践倫理宏正会に入ってくれる?」と聞かれて、「いいよ~ん。」と答えて終わりである。倍加も認めたし、妻の愛情なのだと素直に思う。)

 なお、倍加自体が許せないという否定派もいるようです。実践者は、実践倫理宏正会がすばらしい教えだと信じています。この会に関わることによって、仕合わせに近づけると思っています。姑さんは、孫の目の病気が治ることを願って(陰)倍加していたのかもしれません。

 たとえるなら、神社で七五三のお祓いをしてもらうようなものです。一時間もかけないのに、結構なお金を取られませんでしたか?自動車のお祓いはどうですか?会友にとっては、似たようなものなのです。
また、3000円のお賽銭で、相手の仕合わせをお祈りするイメージが近いかもしれません。
庶民はおまじないや占いが大好きなのです。もっとも、実践倫理宏正会は宗教ではありません。
 <関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200911/article_1.html


 実は、「いや夫」と「否会友」の立場は似ているのです。

粘着質なところが?

そうかもしれません(笑)

 もう一つは会友二世の配偶者ということです。

 私の場合は、実践倫理の教えが正しいと直感し、舅・姑と良好な関係を築いていますし、「いや妻」も我が両親ととても仲が良いです。「いや妻」のような女性を生み出す実践倫理宏正会が、悪い会なわけがありません。
 しかし、「否会友」は、本も読まず、一度も会に参加せず、ネット上の情報をすべて正しいと盲信して、実践倫理宏正会(実は姑)を憎んでいるのです。どちらが、仕合わせでしょうか?少なくとも、「いや夫」は「否会友」よりも仕合わせだと思っています。

<関連記事>
http://58807828.at.webry.info/200909/article_56.html
http://58807828.at.webry.info/200910/article_1.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_23.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_21.html
http://58807828.at.webry.info/200909/article_5.html


PS 否定派からの予想されるつっこみ

「大きな善に小さな悪は関係しない……。 」という意見のようだ、うんたらかんたら。

(引用終了)


投稿 いや夫 | 2010.07.18 05:38 午後

(引用終了)

 否会友がどんなに攻撃的でえげつない女なのかは、原典である2ちゃんねるの過去スレを読んで感じてください。その恐ろしさは、引用などでは表現できません。「いや夫」は、当初より、否定派の中心人物は「否会友」ではないかとの疑問をもっていました。そして、「武蔵」と討論してみて、その人間性の低さおよびちゃねら~そのものの理屈から、「否会友」に間違いないと確信をしました。彼女の成りすましを暴いたのちの、こ奴の開き直りの態度を見ても、「否会友」らしいと思えます。

 「否会友」は、宏正会とはまったく無関係な人間です。こ奴の情報源はすべてネットで、会の負の情報しか見ていません。そして、会友であれば、常識であるはずの、壮年の集いが一年に一回しか行われていないということさえ知らず、誤ったプロフィールを書いたがために、その創作を「いや夫」に見破られて消えたのです。きっと、こ奴は、「いや夫」が、自身の正体を明かす危険な人物だと察知したのでしょう。その予感は当たっていたと思います。そして、今、こ奴の正体について、書いているわけです。

 こ奴ほど、争論が巧みで、相手を中傷し、創作や成りすましが見事な人間は、そうそういるものではありません。2ちゃんねるでは、ずば抜けた存在であり、「実践倫理宏正会って何?」の「太陽神・武蔵」クラスの投稿が可能なのです。そして、中傷文を書かせると、まさに「鉄槌」並みに罵詈雑言でたたみかけてくるのです。

 2ちゃんねるには、「元会友」その他の否定派もいますが、「太陽神・武蔵・鉄槌」を演じきれるほどの切れ者はいません。よって、「太陽神・武蔵・鉄槌」が「否会友」であると予想することなど、たやすいことなのです。これは、2ちゃんねるの過去スレを読まない限りわかりませんが、読めばすぐにわかります。

 「いや夫」は当初から、「太陽神・武蔵」は「否会友」だと確信できたので、「否会友」に対するつもりで投稿を書きました。対抗上、罵詈雑言や中傷をしなければ、対等に渡り合える相手ではなく、予想通りの中傷合戦になりました。こ奴は卑怯なので、成りすましによる中傷も多数行いましたが、「いや夫」が本気で応じているうちは、一度たりとも負けることはありませんでした。

(追伸 「太陽神・武蔵・鉄槌」=「否会友」の証拠になる記事

「太陽神・武蔵」=「鉄槌」の別の証拠
http://58807828.at.webry.info/201008/article_26.html
 (ここでも、wikiを活用しています。)

天の岩戸通信 その2 過去スレ21に、「否会友」の自己美化投稿
http://58807828.at.webry.info/201008/article_29.html

「長文さん」(=「太陽神・武蔵・鉄槌」)も「否会友」も「宗教の定義」に執着しています
http://58807828.at.webry.info/201008/article_44.html

天の岩戸通信 その3 「否会友」の探し方
http://58807828.at.webry.info/201008/article_30.html

天の岩戸通信 その7 「否会友」は「密偵が趣味」で会に潜入しているかも?
http://58807828.at.webry.info/201008/article_35.html )
 

 こ奴は、そんなことはない、「いや夫」が負けっぱなしなのだと妄言を吐くでしょうが、それは嘘です。
「実践倫理宏正会って何?」の「いかに否定派は敗れてきたか=否定派の妄言を切り捨てるシリーズ1~5」は、くつがえしようがない事実なのである。否定派が嘘だ嘘だと今後も投稿を続けるのだろうが、わかる人にはわかるはずである。それで十分だ。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25598993

 しかし、さすがの「いや夫」も「否会友」の相手をするのがおっくうになり、もうかのブログを引退するつもりなのです。成りすましを暴かれてしまった「否会友」は、ここぞとばかり反撃の投稿を続けているが、もう相手はしたらん。勝ち逃げして、幸せな人生を歩むことにしたのです。

 ちなみに、ずる賢いこ奴が、かのブログで打った最近の投稿で、よく当たっているところがある。我がブログをせっせと読むようになったのであろう。もっと早くに読んでおれば、これほどまでに「いや夫」に負かされはしなかっただろうに。

・「いや夫」は、なかなか結婚できず、やっと結婚してくれた「いや妻」に感謝している。
(その通りである。とても美人で、「美女と野獣」とよく言われる。その上に、宏正会の教えを身につけた大和撫子で、彼女と結婚できて「いや夫」は幸せなのである。「否会友」などという日本最低レベルの妻をもった夫に同情する。)

・「いや夫」がかのブログで投稿をやめているのは、「いや妻」にネットばかりしていないで子どもの面倒を見なさいと命じられたため。
(半分当たっている。せっかくのお盆なので、家族サービスをしたいのである。子どもたちにたくさんの思い出を作ってあげたいと思うのである。その意味では、かのブログで「否会友」と不毛な論争を繰り返すことは、まったく逆の行いである。もう、こ奴の卑怯さと、否定派は実はちゃねら~ばかりで、ネットの情報を盲信し、また創作しているということを伝えたので、「いや夫」の役割を果たせたのである。「太陽神」が雲がくれ(ばっくれた)したように、「いや夫」も消えるつもりである。なお、当たっていない半分は、妻の強制などないのである。「いや夫」が「父」をしたいだけなのだ。鬼嫁の「否会友」とは違うのである。自分が鬼嫁だからって、他の嫁も一緒にするな!貴様とは人間のレベルが違うのだ!)

 さて、せっかくだから、まだ触れていない「否会友」に関するネタを明かしておこう。

 「否会友」は結婚した当初から、会友である義母によくは思われていなかったようである。こ奴は、それを義母のせい、そして、宏正会のせいと逆恨みしたわけである。そして、およそ12年間にわたって、宏正会を攻撃し続けていることになる。

 さて、「否会友」は「どんな嫁」なのだろうか?そんなことは、今まで記事にはしなかったが、「いや夫」は知っているのである。

 2ちゃんねるの過去スレパート1には、「否会友」が「未だに許せません」とうハンドルネームで投稿した下記の記事がある。

(引用開始)
146 名前: 未だに許せません 投稿日: 01/08/28 01:13 ID:nSGZGoao
続きです。   私は姑に「旦那様が(烏は白色だ)と言われたら、妻は間違っていると
      わかっていても(そうですね、白ですよね)といわなくちゃいけないのよ」
      なんて言われた事があります。
       ・・・そんなの夫婦じゃない・・・
      妻が絶対服従をしていれば(支配者と奴隷)まったりとした人生で
      問題も無い、と言うのでしょうが、トラブルがあって、その時夫婦で
     考えたり話し合ったり喧嘩しつつ、解決して、その後お互いの絆が
     もっと深まったりするのではないのでしょうか。会の提示する教えは
     その可能性すら奪ってしまいます。

この会の提示する通りにやってて、昔だったら家を子供を女が守り、
男が狩、収穫に出かけ、それで良かったのかもしれません。
でも今は2001年。そろそろ次の世代も出てくるだろうに、こんな倫理聞かせたら
大笑いされちゃいますよね。

私はこの少子社会の中で、将来息子が男としてたくましく生き残る為に
女のコに対する礼儀などの躾は厳しくしています。女のコは大切にするようにと。
間違ってもこの会の提示するような男尊女卑の考えにあぐらをかかないように。

日本の恥ずかしい部分の集大成ですね、この会は。

この会に入っている方で、留学経験や、海外旅行経験などして
海外の夫婦の有様を見てきた方、いらっしゃいますか?
私は知人夫婦を羨ましいな、と思いました。
この会の教えとは正反対の感じを受けました。
男が女を大事に扱う。女はそれで気分良く作業したり頑張ったりしてる。
女は男をもっと好きになる。なんかスムーズな関係でした。

236 名前: 未だに許せません改め否会友 投稿日: 01/09/04 23:08 ID:0eKvoEqk
誘導ありがとうございます、早速そちらに書き込んでおきました。

今後とも宜しくお願いいたします。

(引用終了)

 当時は、IDが表示される設定だったのである。
「nSGZGoao」「0eKvoEqk」のどちらでぐぐってみても、「東京キリストの協会」をカルトとして批判する掲示板に投稿しており、どちらも彼女のIDであることはまちがいない。この頃カルトについて学んだのか、もしくは脱カルト協会のメンバーであるのかはわからないが、反カルトの知識は十分なのだろう。前の記事では、日蓮正宗の攻撃部員説を挙げたが、脱日本カルト協会=日本基督教団の他宗教攻撃部隊のメンバーである可能性もなくはない。

 一方、より注目すべきは、「nSGZGoao」でぐぐった結果である。それぞれ実際に検索してみるといいが、いわゆる遊び人である。ヤンキーママなのだろう。子どもがいながら、頭の中は、クラブで遊ぶことや、好きなDJの音楽で踊り狂うことばかりなのである。実践倫理宏正会とは正反対の生き方なので、会友である義母が「良くは思わない」のは当然なのである。

 よって、母親でありながら、クラブで遊びほうけているような人間が、実践倫理宏正会を偉そうに批判し続けているわけで、まったく理不尽な行動なのである。2ちゃんねるの「元会友」は、こんなヤンキーママを2ちゃん友として、一緒に宏正会を批判し続けているわけである。

(追伸 ヤンママでも、会で学んで家庭愛和を実現している妻もたくさんおられます。ヤンママ自体を否定しているわけではありません。「否会友」みたいな自己中な妻を嫌っているだけです。こんな妻は嫌だよ~。)

(全体引用終了)

 長すぎるようで、前半が切れました。

 こちらを前に付け足ししてください。

(全体引用開始)
 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

の他、2ちゃんねるでも膨大な批判中傷記事を書いている「否会友」を追求している「いや夫」です。
今までは、かのブログ(否会友自身がブログ主の可能性さえある)から、情報発信していたのですが、
「賭け」に負けたので、卒業することになります。

 今後は、否定派首謀者の追求は、我がブログで続けていくことになります。
そこで、この記事を
 「宏正会に対する否定派首謀者追求ポータル」として、窓口にします。


 とりあえず、以前紹介した、

「太陽神・武蔵・鉄槌」の正体は? 仮説2 「否会友」だろう 編(こっちが本当だろう)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_25.html

 をポータルのベースとしておきます。今後も修正していくつもりです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 「いや夫」は、「実践倫理宏正会」でぐぐってみて、あまりの否定意見の多さに驚いて、宏正会を擁護するブログを作り始めた。擁護するためには、否定派の意見も読まねばならない。そこで、「実践倫理宏正会って何?」や2ちゃんねるのスレを読んだのである。

 
 2ちゃんねるについては、過去スレパート1~8を読み、リアルタイムの21を読んだ。そして、「実践倫理宏正会って何?」の否定派が、2ちゃんねるでも投稿しているちゃねら~にちがいないと感じた。2ちゃんねるの過去スレで、異様な存在感を示していたのが、「否会友」である。こ奴の横暴で女王様のような振る舞いから、「いや夫」のもっとも嫌悪する人間であることを読み取った。誠実な実践者が、こ奴の中傷によって、抹殺されていったのである。

 「否会友」の人間性があまりに低いので、肯定派からは目の敵にされ、2ちゃんねるでは、肯定派が実質的に荒らしをし、「否会友」を攻撃するという状況になっていく。それでも、「否会友」は荒らしの攻撃をものともせず、パート8ではスレ主にさえなって、宏正会を攻撃し続けたのである。

 こ奴についての説明は、すでに、このブログにてさんざん行っている。「実践倫理宏正会って何?」のブログにも投稿した下記の記事を参照願いたい。


「否会友」はこわずぎる
http://58807828.at.webry.info/200912/article_40.html

続 「否会友」は怖すぎる
http://58807828.at.webry.info/200912/article_41.html

 なお、下記の投稿は、「太陽神・武蔵」と「鉄槌」は別人なのだろうと勘違いしていた頃のものです。「太陽神・武蔵」がもう少しましな人物だと思っていたのです。しかし、その期待は裏切られ、「鉄槌」も同一人物であることが判明しました。やはり、「太陽神・武蔵・鉄槌」は「否会友」であるとの確信を強めた「いや夫」です。

(引用開始)

いつの間にここは2ちゃんねるになったの?

 やだなあ~、「ちゃねらー」は、せっかくのブログなのに、2ちゃんねる化してしまって。
(といいつつ、そうなることを知っていながら、下記のような2ちゃんねるのスレと、この「実践倫理宏正会って何?」が表裏の関係であることを暴いたのが、「いや夫」なんだけどね。)

★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★21★★☆
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/live/1246521434

(社)実践倫理宏正会/「朝の誓」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1214119691/

 さて、上記に書き連ねられている「愚息(鉄槌)」の成りすまし投稿はスルーして、「いや夫」が注目しているのが「長文さん」。

 「いや夫」のブログ記事を読んで、また、雲隠れしてしまうのだろうか?
http://58807828.at.webry.info/201002/article_27.html

 上記の投稿は、「いや夫」が投稿を控えていた時期に書いたもので、「長文さん」とは、その後討論をしました。

 討論してみて感じたことは、やっぱり「武蔵だ」です。 (追伸 「、」無し投稿です。)

 「武蔵」も「長文さん」も、ある「匿名」さんが指摘しているように、「IQ」はそこそこ高そうです。(この方は、「長文さん」が会員でないことも見抜いておいでです。「いや夫」の言わんとすることをすでに気づいていらっしゃる。ネットを使う方は、見習っていただきたいものです。)
 そして、二人に共通するのは、「いや夫」の説明は意味不明と無視するか、論点をすりかえる。たとえ話がとっても上手。相手を罵倒するのがうまい。さすがはちゃねらーです。そんなちゃねらーと、互角に罵詈雑言をぶつけあっている「いや夫」も「いや夫」ですが・・・。まあ、自覚しているだけ、彼女よりはましです。なりすましても、長文だとごまかしがききませんなあ。

 ともかく、「武蔵」はいつ復帰するのかなあ?と思っていた「いや夫」です。そして、その頃から、「武蔵」=「太陽神」=「テラ」他=「否会友」(=「匿名希望」これは自信はあまりなし)であり、そして、「長文さん」だと思っています。 (追伸 みんな「、」無し投稿です。まだ、この頃はそれに気づいていないので、予想でした。今は真実です。)

「いや夫」がなぜ、こんなにも「否会友」を追求するのか?(表の理由)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_50.html

「いや夫」がなぜ、こんなにも「否会友」を追求するのか?(裏の理由)
http://58807828.at.webry.info/200912/article_51.html

続 「いや夫」がなぜ「否会友」にこんなにこだわるのか
http://58807828.at.webry.info/201001/article_1.html

「否会友」への追求 最終章(前編)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_2.html

「否会友」への追求 最終章(後編)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_3.html

 そもそも「武蔵」がこのブログから消えたのは、壮年の集いが年に一回しか開かれないことを知らないために、自身のプロフィールが嘘だと「いや夫」に見破られてしまったからです。その程度のことなら、開き直って討論を続ければいいのに。
 「武蔵」には、他にも知られたくない「嘘」がたくさんあったのでしょう。「いや夫」はその嘘を見破る奴だと直感したのだと思います。

 しかし、執念深い「否会友」がこの程度で消えるはずがない、いつかは表れるだろうと予想していました。
 たとえば、「愚息」がこのブログで紹介した下記の投稿について、

(引用開始)
723 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2010/01/20(水) 13:18:46 ID:nvW5f7HW
「いや夫」さんは まだまだ学生気分が抜けていない子さま。
社会に出て奥さんもいるのに ネットにどっぷり漬かって意味の無い空想の世界に
遊んでいるのは 大人のする事ではありませんよ。
奥さんには「宏正会を擁護するため」とか言い訳をしているのでしょうけど
やっている事はチャネラーと全く同じゃないですか。
チャネラーを批判しているようですけど それは以前のご自分の事を反省して
言っているのでしょう。いくら言い訳しても 分かりますよ。
それでも止められなくて 今は宏正会を材料に遊んでいる。全く反省なし。

投稿 くくくっww | 2010.01.22 08:40 午後

(引用終了)

 この投稿の原典は、
(社)実践倫理宏正会/「朝の誓」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1214119691/

 でして、上記の投稿に連続する投稿が下記です。

(引用開始)
724 :神も仏も名無しさん:2010/01/20(水) 13:30:26 ID:nvW5f7HW
723です。「いや夫」さんは 私を誰かさんに結び付けたいのでしょう。
       さて 私は誰でしょう。貴方のお遊びの世界が広がりましたか?
(引用終了)

 「いや夫」も、この意味深な投稿をする人物に興味があります。「長文さん」だと思いますが、違いますか?本人が説明するのが一番わかりやすいと思います。(「愚息」自身が書いて、引用しているという可能性もあるのでしょう。)

(追伸 「、」無し投稿です。まちがいなく同一人物です。)


 男のふりをした女性と討論するのはまっぴらごめんで、「長文さん」がちゃんと(きつい)女性の文章で打ってくれているので、うれしく思っていたのですが・・・。

 それとも、「短文さん」で打っているのでしょうか?そうすると、「愚息」と同一人物説も現実味をおびてきます。人を馬鹿にする力は、「愚息」並みなのは確かです。
(これは、「いや夫」でも、真意の程はわかりません。しかし、疑っているのは事実でして、たとえば、次のようなコメントで触れております。

(引用開始)
鉄槌殿へ

 武蔵キャラの頃の方が与し易かったが仕方ない。あおられて同じような文章を書いていては、大人として情けない。「いや夫」は大人の文章を心がけます。

投稿 いや夫 | 2009.12.10 06:32 午後


(引用終了)
 
 ともかく「短文キャラ」の「ちゃねらー」は無視ね。
 「長文さん」お待ちしております。

投稿 いや夫 | 2010.03.08 08:40 午後


(引用終了)

(引用開始)
ちなみに、上記の代表例が、「否会友」というちゃねらーなのですが(きっとこのブログでもおなじみでしょう)、彼女のケースは、なぜ「陰倍加」が行われるのかの説明としてうってつけなので紹介します。

 省エネで、「いや夫」のブログからコピペします。

http://58807828.at.webry.info/200912/article_33.html

(引用開始)
かなり重要な記事 倍加ではなく「陰倍加」が行われる例
>

(全体引用終了)

 それでは、「いや夫」はこのブログを卒業することとします。

 どうもここは、敵(否定派)がブログ主っぽいなあと疑いつつ、のっとってしまえと討論してきました。

 戦術としては、
「真田氏の第二次上田合戦」
敵(否定派)をわざと城に呼び込み、一気に叩くというイメージでした。

 敵を呼び込み、応戦するところまではイメージ通りだったのですが、肝心の援軍はほとんど期待できませんでした。

 「いや夫」が否定派の罵詈雑言を防ぎ、肯定派が情報交換できる状況を作れば、のっとりも可能だったのですが、そうはなりませんでした。

 宏正会は、「討論を避けよ」「黙して語らず」がモットーの会でして、「いや夫」のように討論する奴は半端物なのです。

 会友さんは、ネットには興味がないようです。

 真田氏が城を守れたのは、部下だけではなく、領民にも武器をもたせて一緒に戦わせたからです。徳川方にとって、何よりの驚異は、農民や女が武器をもっておそってきたことでしょう。

 「いや夫」は孤軍奮闘状態ですので、このブログ(砦)を放棄することにします。

 なお、「いや夫」の戦術は、専売特許でもなんでもなく、このブログにて、すでに行っている人物がいます。

 それは、「否定派」のブログ主
「朝起き頑張りっ娘」=「太陽神・武蔵・鉄槌」
なのだろうというのが、「いや夫」の読みです。

 考えてみると、「いや夫」の作戦がうまくいって、肯定派が投稿をできるようになっても、否定派の攻撃が永遠に続いたことでしょう。

 そうなると、肯定派は、ちゃねら~で毒されて、醜い中傷合戦が続くことになったかもしれません。

 それは、創価学会がネット上での普及や弁護に力を入れ、ちゃねら~の総反撃をくらっている状況と同じになります。

 ここは、無益な争いは避けて、逃げるが勝ちが賢明であると判断しました。

 勿論「いや夫」は否定派に負けた気などさらさらございません。

 気分良く勝ち逃げさせていただきます。

 第三者の方へ

 このブログや我がブログを読んでいただければわかるように、ネット上の宏正会への批判記事は、成りすましや創作によって、何百倍にも増殖されたものです。

 存在もしない被害者を創作して書かれた投稿も数多くあります。

 ネットなど、しょせん
「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」
なのです。

 これに立ち向かった「いや夫」は「ドンキホーテ」に過ぎないのですが、
風車に対してではなく、否定派の正体に挑みかかれただけで満足しています。

 今後は、我がブログをベースにアンチ否定派として投稿を続けていきますので、そちらも見に来てください。

 なお、このブログは否定派の成りすまし投稿の宝庫として貴重な資料です。

 今後、否定派がいろいろと書き続けることと思いますが、「誰が」「何の目的で」それを書いているのか?それは「創作」なのではないかと疑って読むようにしてください。

 では、ネット上、最高傑作の誰かの投稿を引用して、「いや夫」はこのブログを去ることとします。長文をたくさん書き込んで、ご迷惑をおかけしました。
さようなら。


(全体引用開始)

 なお、「否会友」よりも賢い投稿は他にもあった。
この投稿は大変すばらしい。「いや夫」は大いに共感する。

(引用開始)

185 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/11/30 23:54

2chを信用してたら、全ての生活が嫌になる罠。

就職板へ行けば、ほとんどの会社はブラック企業だし
実況板へ行けば、テレビ番組はほとんどやらせだと言われているし
学歴板へ行けば、東大以外は低学歴だと言われているし
メンタルヘルス板へ行けば、ほとんどの精神科が批判されているし
へるす板へ行けば、○○子は病気持ちと言うし
心と宗教板へ行けば、ほとんどの宗教は悪徳だと言われているし
etc
(引用終了)

 まったく、おっしゃる通りだ。
それをわかっていない人が多すぎて困る。

投稿 いや夫 | 2009.12.16 06:18 午後

(全体引用終了)

いや夫いついては、もう、何か言う意味は無いようですね

実践倫理宏正会のために、発言しているということではないですね
そういつつもりはないようです。
また、奥さんのためでもないようです
自分のためでしかないようです

会にいるのであれば、実践し、「心変わり」「根性直し」により
(これについては、私はここで解説するつもりはないので、宗教学の
文献などで興味ある人はお調べください)
彼のためになるとも思いましたが、実践するつもりもないようです
また、かなりの人数のいる、壮年などでの、土日朝起出席
のついても、行うつもりは無いようです。これをおこなえば
会の実情もわかりますし、会について理解できるとも思い
ましたが、違うようですね、聞く耳はないようです

私についていえば、母が不熱心な会友であり、名ばかり会友
でしたが、いつの間にか、妻が会友になっており、班長になりました
私は、仕事もあり、土日に参加がやっとですが、当会場では
そういう壮年がほとんどです。平日参加の男性はリタイア後の
方とかになります。でも、壮年の参加は貴重ですので、私も
スポットのお役をずいぶん行いました。いや夫も、そういう流れ
になれば、変わるかとも思いましたが、無理のようです。

いわゆる、実践倫理宏正会のいいとこどりをして、やったつもりで
いい気分だけ、味わう、「百害あって一理なし」の方だけのようです

もう、彼については、いうのをあきらめますが
「実践していない、なにもしらないで、発言するのは、会友の恥」
と、だけ、念押ししておきます

******
この掲示板は、個人設営のものですが
この状況であれば、管理人氏は、いや夫の書き込みを削除
してよいと思いますよ、逆に削除しないと、会からクレームがつく
可能性があると思います、あるいは、こころある会友なら
削除するべくだとも思います

以上

「いや夫」は、自分でこのブログから消えるといいながら、まだ書き続けている。
これも遺書の続きなのか。まだ遺書の続きがあるのか。永遠に遺書を書き続けるのか。いい加減にしろ。
往生際が悪い男だ。消えるなら 早く消えろ。

「いや」夫は、批判派を「成りすまし」「嘘つき」「卑怯」と言っているが、お前はどうなんだ。
批判派との議論には負け続け、議論に勝ったと思って消えた批判派の人を後付けで屁理屈を付けて自分が勝ったことにするずる賢さ。
何度もこれを繰り返して、自分が批判派との議論ですべて勝ったように見せかける大嘘つき。
自分ではこのブログの主役のような顔をしているが大間違い。
皆には ピエロとしか見られていないことが分からない大バカ野郎。

批判派との議論では敵わないと思って「いや夫」がやり始めたのが「成りすまし」の追及というゲーム。
ネット上のわずかな手がかりで、成りすましを明らかにするのは所詮は不可能なこと。
「いや夫」は、このブログや2チャンネル その他のブログの批判派の投稿からプロフィールを繋ぎ合わせて一人の架空の人物を創り上げ それを2チャンネルの「否会友」とし、その「否会友」とは義母に恨みをもつ嫁としている。全くのあてずっぽ。
「いや夫」が何度も何度も「否会友」=義母に恨みをもつ嫁を批判する書き込みをこのブログや自分のブログにしているから、このプロフィールで書き込んだ人からの悲痛な思いを2チャンネルに寄せている。

(以下 引用)

443 :名無しさん@HOME :2010/08/28(土) 12:03:33 0

実践倫理宏正会 会員 いや夫様。
ゴキブリたたきゲームは面白いですか?
ゴキブリが書いた、落書きを利用しなければ会擁護もできない人。
「それまでの人なんでしょう」では済まされません。
会員とは恐ろしいものですね。
便所のらくがき、批判者をゴキブリ以下と扱いながらそのごきぶりが投稿した便所の落書きも、会擁護に利用し個人をこれほどまでに冷酷に非難できるものだ。
それもとんでもない妄想で。
会本来への批判と個人への誹謗中傷の区別もつかないようです。

http://58807828.at.webry.info/201008/article_29.html

>義父の命は5年間も縮まった………

などと、見ず知らずの赤の他人の会員が……。なんとも残酷な仕打ちですね。
2度もこの会に殺された気分です。
面白いですか?楽しいですか?いや夫さん。
私を鬼嫁と批判し、自己を美化しているという批判は御自由です。
しかしあなたのブログへの義父の死亡記事の転記と義父の生命を縮ませたとあらぬ、憶測記事で誹謗中傷、利用するのは、おやめください。削除を要請します。
いつかレスは過去へ終われるものと思っておりましたが……。
貴方のように、見ず知らずの赤の他人にでも、このような言葉を吐く会員の姿は嫌というほど見てまいりました。
貴方によって、会擁護に利用され、私が義父の命を縮ませた犯人のごとく扱われるのは耐えられません。
貴方がどう想像、妄想 同一人探しゲームをしようが勝手ですが、>義父の命は5年間も縮まったor縮めたという表現は
捨て置けません。削除してください。


446 :名無しさん@HOME :2010/08/29(日) 08:38:16 0
実践倫理宏正会 会員 いや夫様
貴方ほど会員の素の姿を、見せてくれた方はいないと思っています。
人生も、いいとこどりだけで、生きているのですね。
しかし、とり残った部分も誰かが、引き受けていることも忘れないでほしいですね。
無駄な話ですが……。
義母は会員ではありません。影会員です。現在私が義母のお世話をしています。
義父の葬式以降、会員は一度も義母を見舞ってはおりません。
ごきぶりですから、嘘は当然と思われても、本当と思われても結構ですが
貴方のブログの「義父の寿命を5年間も縮まった」という一文は削除してください。
削除要請があれば、検討、削除するというのが常識ではないでしょうか?
まさかごきぶりよりも常識が無い?倫理を学ばれた方の常識を信じます。
あなたのブログにコメントしょうと思いましたが、どなたかのIPアドレスの記載をみましたので、こちらに書かせていただきました。
大変憤りを感じております。再度削除を要請します。

(以上 引用)

「いや夫」よ お前はこの書き込みをどう思っているのだ。
これも批判派が業とらしい細工をしているとするのか。
お前はゲームをして遊んでいるだけかも知れないが、お前の勝手な妄想、勝手な作り話で大変な迷惑をしている人がいるということだ。お前の責任は重大だ。
お前は本当に このブログの「「太陽神」「武蔵」「鉄槌」その他の批判派が2チャンネルの「否会友」=義母に恨みを持っている嫁と思っているのか。
もし間違っていたら多くの人に迷惑をかけるとは思ってみたことはないのか。
批判派はゴキブリのようなものだから どうだっていいと思っているのか。

「いや夫」のようなゴロツキが、宏正会二世の嫁の夫で 朝起会にも行っているのだから、宏正会も値打ちを下げたものだ。

「いや夫」の所属している支部では「いや夫」が誰かと想像できているはず。
東海地区で 嫁が二世会員。嫁は「倫風」を数十冊を持っているが 実践にあまり熱心ではない。毎年ハワイ旅行に行ける位のお金を会に使っている。子供は小さい子が2人。「いや夫」は増強日などに姿を見せるが、あまりしゃべらない陰険そうな男。
「夫がネットに嵌って家族サービスをしてくれない」という話があったら間違いなくその夫が「いや夫」。

「いや夫」の正体が割れたら その支部の会員は「いや夫」に忠告してもいいはずだ。

「いや夫」さんが消える?ほんとかなー
嘘つき「いや夫」さんのことだから また出てくるんじゃないのー

もっとも「いや夫」さんは このブログではとっくに死んでいたのだから関係ないけどー

じゃまなゴミがなくなって読みやすくなるなるので大歓迎。

ブログ主は自由にここの書き込みを削除することができるの?
だったら 「いや夫」さんの書き込みを削除することに賛成。
だって 「いや夫」さんは議論にぜーんぶ負けたのだから残している意味はないし、「いや夫」さんの成りすましの分析は間違いだらけ。
「いや夫」さんの書き込みを削除したらこのブログ ぜんぜん見やすくなるし、ずっと軽くなるんじゃないの。

 


いや夫がこのブログと2chとの関係を暴いただって?ご冗談を。いや夫がココを2chにしているだけ。ただ一人、程度の低いバカがほざいて迷惑をかけている。何度指摘されても、頭が悪いからわからない。遺書を書いて自殺するそうだが、是非そう願いたい。我が身も顧みず散々人様を卑怯者呼ばわりしてきたのだから、自分の発言には今度こそ責任をもっていただきたい。バカチャネラーの息の根が止まって喜ばしい。

いや夫w
俺はここに書き込みするのは約8ヶ月ぶりだw
見えない敵といつまで戦ってるのか?(w
精神病院池よw
2ch見れば、俺の書き込み見ればわかるだろうw
馬鹿夫表現を頻繁にするのは俺だけだw

いや夫のやっていることは、犯罪だ。
他の多くの批判派を たまたま自分のプロフィールを書いている一人の批判派の人にこじつけて、これでもかこれでもかと何度も執拗に批判を繰り返すのは 完全な名誉毀損行為。
警察に通報してもいい。

いや夫はこの人に あやまれ。
自分のブログを閉鎖して ネットの世界から消えろ。

 タイムリミット(20:50分)まで、時間があるので、打っちゃお。今回は、他のちゃねら~にも応援を頼んだのかな?


 「、」無し投稿して、今も「、」が有ったり無かったりする投稿で「いや夫」を中傷している成りすましへ。

 「いや夫」に謝罪を求める権利が貴様にあると思っているのか???

 たった一人で、数多くのキャラを使いこなし、誹謗中傷を繰り広げてきた貴様に!

 まず、お前が正直になりすましのすべてを明かし、創作で中傷してきたことを謝罪することが先だ!

 それをしたのなら、「いや夫」も対応を考えよう。

 「会友は義母ではなくて、義妹だという方へ」
 2ちゃんねるは、調査途中ですので、あなたの投稿が真実かどうか考えてから、我がブログにコメントします。
 あなたが、2ちゃんねる他での、否定記事を削除していただければ、「いや夫」も善処しましょう。
 おそらく、あなたが仮に「否会友」ではないとしても、義妹や宏正会への中傷を繰り返してきたはずですので、全く罪はないとは思えません。
 「否会友」は義父母の寿命を確実に5年間は縮めていますが、あなたも、1年程度は縮めているのでは?ちなみに、2カ所「、」が抜けていますよ。

 「改革派会友」へ
  今回のキャラは、プロフィールを明かし、「。」無し投稿をわざと特徴とするキャラで、「、」無し投稿をしないところまではパーフェクト!
 成長したのう「否会友」。
 しかし、君は男のキャラなのだから、女言葉は使ってはいけないのだ。そういうおっちょこちょいのところを直しなさい。 残念でした~。


否定派の「匿名」へ

 つけるべき「、」を忘れること23回だ。(8月25日よりカウント)成長してから、中傷しろ。

 「鉄槌」へ

 何が8ヶ月ぶりだ!しらじらしい。毎日打ってるではないか?

 なぜ、「いや夫」が「さよなら~」と打ってから出てくるのだ?

 最初から最後まで、何で否定派は怪人がいつも一人ずつしかかかってこないのだ。固定ハンドルの君が、
 「いや夫」逃げるんじゃない!残れ!
と一言打ってくれれば、否定派からおすみつきをいただいたということで、残ってあげるぞ。
 
 さあ、書いてみろ。
 「改革派会友」「匿名」「鉄槌」「否会友」VS「いや夫」の4対1の勝負だ。有利でいいんじゃない?


 下記は「いや夫」が登場したときの状況ですが、「いや夫」が去るときもまったく同じ状況のようです。

(引用開始)
 「いや夫」がこのブログに登場したとき、「いや夫」にからんできたのは、「ボケ老人」以外はすべて「、」無し投稿の成りすましで、要するに「武蔵」本体であった。話の流れからみれば、「ボケ老人」も本人で、要するに「武蔵」しか反論してこなかった。
 卑怯な武蔵は、いきなり「いや夫」の相手をするのが怖いから、「匿名」「テラ」「究明団」「ボケ老人」などのサブキャラで、「いや夫」を中傷し追い払おうとした。それでもだめだから、「小生の書き込みに反応がなかったので しばらくこのブログから遠ざかっていたのであるが ここに来てこのブログが賑やかになっている。」などと言う、恥ずかしい大嘘をついて、「いや夫」との論戦に臨んだ。そういう卑怯者なのである。最初の論戦がそんなだまし討ちのようなものであったのは、今までも、その時も、今も、それがこ奴の卑怯な戦術なのである。

(引用終了)

 では、2回目のさようなら~。

おまえは、そもそも議論する資格はないw
人を他の人間と同一視し、認定している。
その時点で議論は終わりだ。

仮に、成りすましがあったとしても、論を戦わせるだけで、その人が何者であるかはどうでもいいことである。

武蔵氏や太陽神氏がどういう人物か知らないが、
私とは別人であり、多分、彼らも別人だろう。

俺は日本西部に在住している。

最後に言うが、俺が上で記した、カントの定言命法を理解しろ。話はそれからだ。あんな解釈してたら誰にも相手にされない。馬鹿でなければ理解できるぜw

じゃぁなw

 思った通りの「鉄槌」の反応である。

 「いや夫」逃げるな、討論しようぜ!位書けばかっこいいのだが。

 「いや夫」が残ると困るようだ。

 否定派は、IPを見られるのは嫌なようだが、肯定派がつくったはずのこのブログは安心のようだね(笑)。だって、自分のブログだもんなあ。

 君のブログにじゃましたな。じゃあな「太陽神・武蔵・鉄槌・否会友」

  「太陽神・武蔵」=「鉄槌」の別の証拠
http://58807828.at.webry.info/201008/article_26.html
 我がブログの方が、色をつけてみやすいので、ぜひ見にきてくれたまえ。もう見てると思うが。

 お前のキャラは、スレ主とも喧嘩するんだなあ(笑)。アホだな。
 
(引用開始)
「太陽神・武蔵」=「鉄槌」の別の証拠
>

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 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

 の成りすまし首謀者である「否会友」は、「、」無し文と、「、」有り文を意識的に打ちわけて、より多くの投稿者が投稿しているように見せかけている。

 「武蔵」が消え、「くくくww」が現れるまでのおよそ三ヶ月間は、「鉄槌」が「いや夫」の討論相手となり、その投稿パターンが「太陽神・武蔵」と同じであることは、すでに示した。

<関連記事>
「宏正会って何?」成りすまし横行(その5) 「愚息」は「武蔵」そして「否会友」なのでしょう 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_24.html
「宏正会って何?」成りすまし横行(その5) 続「愚息」は「武蔵」そして「否会友」なのでしょう 編
http://58807828.at.webry.info/201008/article_12.html
「宏正会って何?」の「、」無し投稿 曜日・時間帯分析データ(資料編)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_13.html
「宏正会って何?」ブログ、「、」の有る投稿者も同じ投稿パターン(資料)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_14.html
続「宏正会って何?」ブログ、「、」の有る投稿者も同じ投稿パターン(資料)
http://58807828.at.webry.info/201008/article_15.html
普段は打たない時間帯に、「、」のない投稿と「、」のある投稿。その意味は?
http://58807828.at.webry.info/201008/article_16.html

 以上で、「、」の有無に関わらず、同一人物による成りすましの疑いがかなり高いことはわかる。

 しかし、上記だけでは疑いが強いというだけで、確かな証拠とは言い切れない。

 やはり、「鉄槌」が「、」無し文を打っているケースをつきとめることが大切である。

 そのような文は、かのブログにはない。しかし、他の掲示板にはあるのである。

 (社)実践倫理宏正会/「朝の誓」
http://www.unkar.org/read/gimpo.2ch.net/psy/1214119691

 より

 「鉄槌」はちゃねら~の権化なので、何とこの掲示板ではスレ主(松山正治氏)と喧嘩をしているのである。それで、たくさんの足跡を残してしまっている。バカが墓穴を掘っているのである。

 「、」無し投稿を赤字
 「鉄槌」の投稿を下線とする。

(引用開始)
455 :神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:55:02 ID:BeN50z+1
レイプ容認発言「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」した太田誠一を推した支部を粛清せよ!

このまま放置することは許されない!
456 :神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:55:44 ID:BeN50z+1
この洗脳野郎が!ふざけんなよ!!!

457 :神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:57:53 ID:BeN50z+1
>>443
君もいたのか?政治板にいたよね?
この糞団体をどうすべきか?共に考えよう。

462 :神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 08:12:51 ID:evG+FrNE
>>461
まぁはっきり言うと、朝起き会で倫理の多数の人間から勧められたということだ。
一人とか少数ではない、ということだ。それを黙認した支部の責任はあるのではないか。
元々、痔眠支持の奴は多いんだしw
痔眠でも後藤田とかまともな人間もいる。が、しかし、太田誠一だ。
こいつは犯罪を容認する発言「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」
をした屑中の屑だ。倫理、道徳を教える宏正会の会員多数が元々社会党支持の人間に
勧めるとはどういうことだ?この件ははっきりさせてもらうぞ!
俺の家系は元々社会党(現在の民主・社民)支持で、痔眠に投票したのはこれが初めて。
絶対に許さない!
政治のせの字も知らない馬鹿親を洗脳することは許されない!!!

463 :神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 13:37:45 ID:evG+FrNE
この似非倫理団体がwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

464 :神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 13:52:44 ID:evG+FrNE
更に前々回の衆院選挙でこいつが落ちたのは、この発言で創価婦人部の
猛反発を食らったからでもある。勿論、従来からの保守層の女性票も離れてた
からでもあるが。前回当選したからとて、発言自体が消えたわけではないのである。
日頃思っていることはポロリと出るもので、これがその人間の本音なのである。
この思いは今も続いているはずである。

490 :神も仏も名無しさん:2009/09/12(土) 08:52:04 ID:+ZF2P8Em
>大会不要

いえ必須ですよ。それがあって会が運営できるのです。

>同じ講演稿をあちこちで棒読み、なにが面白い? 上広栄治君

こいつらを騙すのには同じ講演稿で十分です。換えるだけ無駄。

ところで 建てました。
http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%EF%BC%88%E7%A4%BE%EF%BC%89%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AE%8F%E6%AD%A3%E4%BC%9A

( 493 :神も仏も名無しさん:2009/09/12(土) 22:41:38 ID:AktcP7ku
朝起会のあ字もしらない人が
朝起会批判サイトを建てましたね。

http://shukyohigai.wiki.fc2.com/wiki/%EF%BC%88%E7%A4%BE%EF%BC%89%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AE%8F%E6%AD%A3%E4%BC%9A)

499 :神も仏も名無しさん:2009/09/17(木) 12:07:14 ID:c/gMOoa9
>朝起会のあ字もしらない人が 朝起会批判サイトを建てましたね。

批判ではなく WIKIですから、誰でも書き込めますよ。盲信者さんもどうぞ。まあいずれにしろ破壊的カルトですけどね。

しかしあいかわらず信者は 苦し紛れの言い訳のみですねw

504 :神も仏も名無しさん[sage]:2009/09/22(火) 00:22:45 ID:UMxttcME
自民党こうなっちゃって これからどうなるのかなw

527 :神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 21:58:23 ID:gwNMwd51
>何回同じことを書き込んでんだよ。この低能のカスめが!!!

繰り返し繰り返し 尊い台詞を吐き続ける。    それが 破壊的カルト。

528 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 02:25:01 ID:i6iXabrT
ttp://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html?cid=22740968#comment-22740968
実践倫理宏正会って何?

大体、古今東西の宗教や哲学を学んだ人なら、こんな屑団体、目もくれないはずw
俺の馬鹿母親と来たら、仏教の「ぶ」の字も知らん癖に、倫理一辺倒ww
俳句や短歌、高尚な文学などに触れた教養のある人間は見向きもしない代物ww
いい加減目を覚ませやww

(529 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 06:45:06 ID:yMtz8If5
馬鹿親から馬鹿子
大自然の摂理ですね)

(530 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 06:45:21 ID:mFVp1kG9
馬鹿親から馬鹿子
大自然の摂理ですね)

(531 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 06:46:15 ID:WPRpkJ5R
馬鹿親から馬鹿子
大自然の摂理ですね)

532 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 11:05:41 ID:8Td659YW
>>529 >>530 >>531 馬鹿の連鎖。馬鹿が馬鹿をよぶ。これも大自然の摂理。

533 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 11:29:01 ID:ghlgFU+h
WWW

534 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 11:43:02 ID:CDHUTbqO
>>532
>馬鹿が馬鹿をよぶ。

自白?

535 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 13:36:05 ID:8Td659YW
>>534   >>532は>>528とは別人だ。こんなクダラナイ遣り取りは止めておけ。

536 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 15:39:45 ID:i6iXabrT
>>534
馬鹿乙w
最初の馬鹿は>>529で、その馬鹿が呼んだのが>>530-531なんだよw

(537 :松山正治:2009/10/04(日) 17:31:34 ID:I2AbbX1P
喧嘩すきな人は書き込むな!)

538 :神も仏も名無しさん[sage]:2009/10/04(日) 19:34:33 ID:ncm1XKM3
>>537
それもまた挑発。

547 :松山正治:2009/10/05(月) 21:53:31 ID:9l7pcJAW
>>538

おれに挑戦する勇気あったら、
HNを付けてください・・・


事実に基づいて、宏正会を批判も擁護も自由です。

552 :神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 07:30:08 ID:EVgbA5bm
>>547

松山正治よ。エエ度胸しているじゃないか。表に出てもらおうか。
表とは お前さんが作ったこのスレのことだ。
喧嘩おさめてないで お前さんの意見をノタモウてもらおうか。

553 :神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 08:02:37 ID:ZJlQgKN2
奥さんが会友という人が最近会擁護のブログを開いたみたいだけど、
擁護するつもりが、陰倍加が実際行われてることや、
会報を自己負担で買取っていることとかを、公にしてしまっていて、
結果として会擁護になっていないことに気づいていないのかな?
あれを読んで、
「陰倍加はその方の幸せを願って会友登録をして
会費を変わりに出してあげることなのね、素晴らしいわ」と思う人も、
300円の会報を30冊買い取って頒布するのを体の良い搾取だと気づかない人も、
少ないと思う。
捨て育ての体験を誇らしげに書く人も同じだけど。
そういう社会性のない人しか、この会に引っかからない、ということなのだろうけど。
しかし、男性だよ。
会社組織で陰倍加のようなことをしたら、どういうことになるのか、わからないのだろうか?
今鳩山でも大騒ぎになってるじゃないですか。
実践倫理宏正会って、正式に社団法人に登録してあるわけだし。

554 :神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 11:20:42 ID:EVgbA5bm
>>547

オイ。松山正治 出て来い。
「おれに挑戦する勇気があったら」? 上等じゃないか。
お前は 宏正会に何が言いたいのか 言ってみろ。

(555 :松山正治:2009/10/06(火) 20:41:00 ID:Ykxn9kYu
>>554

ごくうろうさま・・・
HNを付けたら・・・)

561 :翔:2009/10/07(水) 09:08:03 ID:GGHPpkfW
>>555 >>556

同じ文句の繰り返しか。薄っぺらいのー。せいぜいこのスレで警備員やっておれや。

(566 :松山正治:2009/10/07(水) 20:56:13 ID:d0yHRoOG
>>561

はじめまして?翔、勇気あるねwww
同じセリフを繰り返すのはおれの自由
文句あったら、2ちゃん警備員に言いなさい。

ところが、お前は宏正会に何が言いたいのか 言ってみろ。)

567 :神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 21:02:51 ID:CCAefakt
>>566
会員が「おまえ」かw
上廣にチクルぞww

568 :神も仏も名無しさん[sage]:2009/10/07(水) 22:05:31 ID:m5wP+TzH
俺はこの会を宗教だとは思わない。
ただ、カルトであるだけだ。
会員は多様性を認めず、価値観を一つにしようとする。
そうではないと主張しているが、結局は何よりも倫理が大事。
俺に倫理を押し付けようとする。気持ちの悪い、善意の押し付け馬鹿だ。
目は柔和で、語り口もにこやかだが、人を絡め取ろうとする触手の様な意思が肌に絡みつく。
気持ちが悪い。相手が善意であるだけに絶対に折れないしな。
大勢が同じところを見て、同じ顔をして、同じ事を唱える。
ただの全体主義だよ。ある意味ファッショですらある。
故にカルトだ。

「論語」?社会や文化がやっと根付いてきた時代の処世術に何の意味がある?
二宮尊徳?大昔の一地方官僚に何を学べと?

569 :神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 22:56:14 ID:TI8akGVw
文部科学省管轄の社団法人だそうですね>実践倫理宏正会

しかし団体名でググってもHPがないですね。
いまどき法人格をもっててサイトが無い団体って。
そのかわり朝起き会の苦情や被害のスレがいっぱい!

全国大会ですか?首相が参加とかありますが麻生さんなんかも出席し
てたんんですか?
苦情の多いこと、倍加などという不正を行っていること。
会員による雑誌の買い取りと配布による資金流入の不明確なこと。

歴代首相は知ってたのか? 
知らなかったじゃあ、そんなボンクラに一国のかじ取りは任せられない。
知ってて参加ならあきれ果てた話だ。

574 :神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 06:40:16 ID:mBRc+5Ah
>>566 このスレ主は宏正会について何も知らないようだね。
    それで同じ事の繰り返しや 意味不明の事を言っている馬鹿ばかり集まる。
    これも大自然の摂理。

577 :神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 16:53:26 ID:vRkOKTay
折からの不況で転職を余儀なくされる人がいる。
再就職したものの仕事に意欲や希望を持てないとの声も聞く。
そうした現実に直面した時、どう考えたらいいのか?
米国のテーマパークでインターンシップ(就業体験)に参加した女子学生の話題を掲載します。
その学生が研修で与えられた仕事は予想に反して、客の少ない商品販売店での簡単な仕事だった。
意欲を失い、帰国しようとも思った。
ある時、客の一言を聞く。「私はここで買い物をするのが好き。ここの人はとってもいい人たちだから」。
壁を作っていたのは自分だと気づく。すると職場の人の良さもわかり、仕事に誇りを感じられるようになった、
と自分にとってはつまらない仕事でも、世の中の役に立っている仕事がある。そう考えて、すべてのものが尊く見えるようにならないといけない。
どんな仕事でも不必要な仕事はない。

578 :神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 17:42:23 ID:+97YvIJp
だから何?

579 :神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 18:02:26 ID:zyTpbcNF

スレ主は誰?
そんなことは重要ではありません。
それより、誰がスレ21をつくってくれ

580 :神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 21:19:10 ID:xcVELDA7
群盲が像を撫でる

581 :神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 21:46:02 ID:mBRc+5Ah
スレ主 どこから「松山正治」って名前付けたのか分かんないけど
「松山正治」ってありふれた名前じゃないの。
こんなHN付けて実名の人に迷惑じゃないのかな。

(582 :松山正治:2009/10/08(木) 21:53:08 ID:Ao7nBcWA
松山正治はおれの実名www)

583 :神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 22:09:14 ID:mBRc+5Ah
そうなんだ。悪しからず。 全国の同姓同名の方 ご愁傷さま。 

584 :神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 23:07:07 ID:+97YvIJp
>>582
どこに住んでんの?
会いに行くからw

588 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 07:04:27 ID:SUJhkIqq
ようするに「こんなに素晴らしいことを言ってんだから従え」というわけですね。

で 従いたい皆さんが従うと。 そしてロボットになる。良いんじゃないですか?お客さん。

で みんなでここで愚痴を言って 終わり。

589 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 10:29:33 ID:RfJZLZso
会長の素晴らしい教えといっても 宏正会の教えは 「ひとの道教団」「倫理研究所」の教えのパクリ。
会長は「この教えは大自然の摂理に基づくものだから 実践しなさい」と言っているだけ。
ただ「実践」「実践」と言うだけなら 誰だってこんな事言える。
最近は会長が自分で考えたもので悦に浸っているのか 「我も人もの仕合わせ」
という事ばかり繰り返し言っているようだけど、こんな倫理の入口の事ばかり言っていないで
もっと宏正会独自の倫理というものを世間に向けて言ったらどうなの。
会員から集めたお金で超セレブな生活してんだから こんなこと当たり前でしょう。
 
 
590 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 11:09:57 ID:j2LD+HHl
>会長は「この教えは大自然の摂理に基づくものだから 実践しなさい」と言っているだけ。

世の破壊的カルトや啓発本とおんなじだね。 尊い文言はどこからでも拾って来れる。それを利用してマインドコントロールする。

これが 最も有効な、集金システムである。

http://sky.geocities.jp/sonnna_ahona4649/arucult.html

592 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 14:08:51 ID:RfJZLZso

このスレ 数ある実践倫理宏正会のスレの中で最低じゃないの。
1番~591番まで馬鹿のオンパレード。支離滅裂な欲求不満の吐け場所。
一年と数ヶ月 よく続いたもんだよ。

593 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 15:05:41 ID:VKi93IsV
>>592[実践倫理宏正会]自体が非倫理で最低だもの、あたりまえだ。

594 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 15:59:49 ID:BcgD7lSH
592は   信者だなw  自らの馬鹿さを棚に揚げ


604 :松山正治:2009/10/09(金) 20:48:55 ID:9gJ/efHr
>>583
あんたはわけの分らんやつ、迷惑だよ


>>584
金沢に住んでる


>>592
はじめまして、支離滅裂君
いきなり 1番~591番すべてを否定して、
なにを言いたい?

605 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 20:53:09 ID:7nkfqX1b
>>604
ちょっと遠いなw
レイプ容認発言をした太田誠一を推した支部があるが、意見を聞かせて貰おうw
606 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 21:15:45 ID:7nkfqX1b
倫理に行ってる奴は、俺の母親も含めて、教養のない低能馬鹿連中w
文学の「ぶ」の時、哲学の「て」の字も知らん池沼連中www
教養があれば、こんな胡散臭い団体見向きもしないw
ドストエフスキーとか読んだことねぇ~だろwww

607 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 21:35:26 ID:TwrH3ius
606=528?

親を否定する人、すごいですね

608 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 21:40:19 ID:7nkfqX1b
>>607
親の否定でなく、事実を言ってるまでだw

609 :神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 21:42:26 ID:7nkfqX1b
自分で世界の歴史や哲学を学ぼうとせず、すべてが上廣の受け売りw
情けない奴らww

610 :神も仏も名無しさん[sage]:2009/10/10(土) 07:46:47 ID:SYDCYzio
自由こそ何より大切だ。
例えそれが、混沌に繋がるものであったとしても。
階級や身分、統制に抑圧、権威に従属し支配と隷属では公平に利益を分配されない。
この自由、自主、自立(自律)、自尊の精神を掲げるために、
何人の人間が死んでいったと思っているんだ。
行過ぎた自由など無い。
それは、自分が自由を有効に使えない人間だといっているだけだ。

>>606
確かにね。教養が無い人たちを多く見受ける。
でも君の文章も品格を欠くと思うと思うよw

>>607
もし間違っているなら、親でも神でも否定しなさい。
それが、会長であってでも。
「会長が間違っている筈が無い」
それは、権威に縋って生きている人間が陥る精神状態だよ。
間違っているはずが無いのでは無く、間違って欲しくないと縋っている
自分の心を鏡で見ているようなものさ。

611 :神も仏も名無しさん:2009/10/10(土) 07:48:22 ID:W3Nb1c9Q
>>608

おまえの母親は倫理馬鹿だから、
おまえは「捨て育て」されたんでしょう?

612 :神も仏も名無しさん:2009/10/10(土) 08:04:30 ID:58GMX19s
>行過ぎた自由など無い。

君の自由が他方に不自由を強いることはないか?
君の自由と他者の自由が衝突することはないか?
自由は制約付きもの。

613 :神も仏も名無しさん:2009/10/10(土) 08:46:10 ID:98NALAg/
「援助交際たって自由じゃん」と女子高生が言いました。

614 :神も仏も名無しさん[sage]:2009/10/10(土) 10:46:08 ID:SYDCYzio
>>612
私はこうも言っている。

>例えそれが、混沌に繋がるものであったとしても。

人権と自由は必ず衝突しあうものだ。
それを互いが話し合いで解決するか、知恵を使い事前に回避するか、
暴力で抗争するか。
それは自由の責任じゃない。それを主張し実行する個人の責任だ。
システムや法、大自然の摂理とやらで自由を制約しるやり方は、大昔から行われている。
考えるな。従え。王様、貴族。領主、御館様、殿様、権威に従え。
それで、人間は幸せだったか?納得していたか?
考えても見ろ、奴隷制から民主主義、神授王権から市民権、階級制から人権主義。
人は長いを掛けて、自由を確立してきた。自由を求めてきた。
何度でも言う。

行 過 ぎ た 自 由 な ど 無 い 。

混沌に落ちるのは、自由の責任じゃない。扱う人間や人間たちが馬鹿なだけだ。

615 :神も仏も名無しさん[sage]:2009/10/10(土) 10:59:28 ID:SYDCYzio
>>613
恥知らず、犯罪者が行った事は自由とは言わない。
また、犯罪を行うことまで自由にして良いとは誰も言わない。
人は人として生きるために、社会の中で生きるために、ルールを作りそれを守るのは当然のことだよ。
その事と、俺の言っている事は相反しない。
俺が言っているのは、自分の自由を守り、相手の自由を尊重しなよ。ってことさ。
一つのルールで制約するなと言っているんだ。
何故、一つのルールで制約してはいけないか。それは、もし、完全なルールがあったならもう全人類が知っているからさ。
今までの、宗教、哲学、社会学がなしえていないなら、それは簡単な答えではないんだ。

616 :神も仏も名無しさん:2009/10/10(土) 11:57:48 ID:SF63CEKF
おい、ID:SYDCYzio

太田誠一がレイプ容認発言するのも自由ですか?

617 :神も仏も名無しさん :2009/10/10(土) 12:00:51 ID:kiFE82qi
>>553
「子育て支援センター」から来たと勘違いさせる様な言い回しで勧誘活動をする様だ。
>方便として、子育て支援や相談活動をきっかけと
>して、会を紹介していく形をとっています。

方便として、???

>我が家の場合、0歳の長男一人を家において、
>妻が頒布に出ることもありました。
0歳児を……容認できるんだ。
>我が家では2歳の下の子は抱きしめ、
>4歳の上の子は抱きしめるのを卒業させようとしています。

ハグはいくつになっても大事です。
この宗教は決めつけた考え方をするよね。
そして人にも強要するようになる。
>朝起会を毎日欠かさずがんばっている義母ですが
嫁は2世らしいが親の背中を見て育ったわりには
嫌々って?実践倫理宏生会ってなに?のHPに「いや夫」
で投稿しているけど…長すぎてスルーした。

653 :神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 08:06:59 ID:ClWJhhOB
>>650
馬鹿は俺にレスすんなw

654 :松山正治:2009/10/18(日) 09:43:09 ID:aQvVrwyT
喧嘩しないように・・・


事実に基づいて、宏正会を批判も擁護も自由です。

喧嘩すきな人は書き込むな!

664 :神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 00:31:29 ID:OpomwZzV
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4145/1196767722/278

こういう妄想を言い 信じさせ、コントロールする。 それが破壊的カルトの眼目です。

仏教系でもキリスト教系でも それは換わりません。 そして、騙す為にどこかおかしな言説が発生してしまいます。

そこに注意すれば カルトの罠から逃れることが出来ます。

720 :神も仏も名無しさん:2010/01/19(火) 14:41:17 ID:IbDBgEDA
>>719
今年の年頭之辞ですね。
今回の年頭之辞の内容には頷けた。
会の教義だけを見れば、ためになる話はけっこう多いと思う。

問題なのはダメ会友の暴走。

721 :神も仏も名無しさん:2010/01/19(火) 17:52:40 ID:Xjz+Mnfr
「いや夫」という男が 2チャンネルの投稿者を色々と分析しているようですね。
しかし 同一人物としているところを見て思わずと笑ってしまいましたよ。
せいぜい空想でミステリーを楽しんだら・・・・(笑)
投稿者は「いや夫」が思っているほど少人数ではありませんよ。
登場人数が少ない方が物語りの筋としては面白いかも知れませんが
残念ながらもっともっと一杯いますよ。
では、あしからず。(元会員?より)


722 :神も仏も名無しさん:2010/01/19(火) 19:38:51 ID:J5JFW1G+
いや夫は馬鹿夫だからwww

723 :神も仏も名無しさん:2010/01/20(水) 13:18:46 ID:nvW5f7HW
「いや夫」さんは まだまだ学生気分が抜けていない子さま。
社会に出て奥さんもいるのに ネットにどっぷり漬かって意味の無い空想の世界に
遊んでいるのは 大人のする事ではありませんよ。
奥さんには「宏正会を擁護するため」とか言い訳をしているのでしょうけど
やっている事はチャネラーと全く同じゃないですか。
チャネラーを批判しているようですけど それは以前のご自分の事を反省して
言っているのでしょう。いくら言い訳しても 分かりますよ。
それでも止められなくて 今は宏正会を材料に遊んでいる。全く反省なし。

724 :神も仏も名無しさん:2010/01/20(水) 13:30:26 ID:nvW5f7HW
723です。「いや夫」さんは 私を誰かさんに結び付けたいのでしょう。
       さて 私は誰でしょう。貴方のお遊びの世界が広がりましたか?

725 :神も仏も名無しさん:2010/01/21(木) 09:33:23 ID:D2DNRtOA
馬鹿夫は同一人探しのど壷にはまって身動きがとれなくなっている。哀れな馬鹿夫!

726 :神も仏も名無しさん:2010/01/22(金) 19:34:45 ID:mM8IKJId
哀れな馬鹿

749 :当会と票乞食:2010/02/18(木) 19:32:19 ID:/cZhoJPH
当地では 票乞食の市議と 箔の欲しい当会の 持たれ合いが 現実です。
元旦には 市長も 出席して 挨拶しました。
ギリギリの 当落票を 当会は 握っています。
正面切って 当会の悪口をいう 議員先生は いません。
会員は 班長の指示に 「ハイ」といって従い 投票します。 当地では。

(引用終了)


 「鉄槌」→「くくくww」への変化の過程をしっかり示した掲示板です。
 他の掲示板では、管理人が登場しないか、ばりばりの否定派なので、好き勝手に成りすましや罵詈雑言を書けますが、この掲示板は違うようです。そこで、スレ主に喧嘩を売っているというわけです。

 (松山正治氏へ あなたがどのような方かは存じ上げませんが、もし、宏正会が「太陽神・武蔵・鉄槌」に対して訴訟を起こすことになりましたら、その訴訟理由として「いや夫」のブログを検証してみてくだささい。訴訟を起こすに足る資料はあると思います。訴えが通って、ログを回収できれば、「いや夫」がこれほど苦労して分析するまでも事実が明らかになると思います。そのときを、楽しみにしています。)

 特に、下記の投稿は、「鉄槌」に間違いなく、この時は、「、」無し投稿です。「、」無しも「、」有りもどちらも打っているから、こういう混乱が起こるのでしょう。ちなみに、こいつの頭の中は、最初から混乱しています。君「否会友」の標的は、宏正会でも「いや夫」でもありません。会友である義母なのです。それがそもそも過ちだということを認めないから、いつまでも不幸なのです。このままだと、本当に不幸な人生を歩み続けることになるぞ。

(引用開始)

552 :神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 07:30:08 ID:EVgbA5bm
>>547

松山正治よ。エエ度胸しているじゃないか。表に出てもらおうか。
表とは お前さんが作ったこのスレのことだ。
喧嘩おさめてないで お前さんの意見をノタモウてもらおうか。

>>547

オイ。松山正治 出て来い。
「おれに挑戦する勇気があったら」? 上等じゃないか。
お前は 宏正会に何が言いたいのか 言ってみろ。

(引用終了)

何だ?このコピペはww
マジ精神病院行ってこいやww

同一人物であるとの根拠が、句読点の打ち方かwww

松山正治って誰やww

「いや夫」は、例え自分の成りすましの分析が間違っていて一人の批判派の人に他の人がした批判的な書き込みを全部なすりつけても あやまることはしないそうだ。
この男は、批判派をぜんぶ敵だと思っているので誰がどの投稿をしたかは関係がないのだろう。
それでいい加減な分析でも満足しているという訳だ。

「いや夫」は、2chで書いている人が言っているように、ただ「成りすまし」という理由だけで宏正会の批判を個人の批判にすりかえている。
「いや夫」のやっていることは、ただのゲーム。
宏正会会員は、「いや夫」は一応は宏正会を擁護しているようだけが、「いや夫」は宏正会を擁護しようという意思は全くないことを知らなければならない。
「いや夫」に騙されてはいけない。


「いや夫」は、また随分とコピペを貼り付けたなー
これが「いや夫」の置き土産ということか。
最後の最後までこのブログを荒らしてして行くとは、「いや夫」の本性丸出し。
最初からこのブログを荒らすのが「いや夫」の目的。
このブログの管理者さん、「いや夫」の書き込みを全部削除したら。

先に引用した2chの方が、「いや夫」がこのブログに書いたコメントを読まれて、次のようなコメントを寄せている。

(以下 引用)

447 :名無しさん@HOME :2010/08/29(日) 23:49:13 0
実践倫理宏正会 会員 いや夫様

実践倫理宏正会って何?に投稿してくださった方ありがとうございます。
>今回は、他のちゃねら~にも応援を頼んだのかな?
貴方という方は……。
私は一度も…何?というブログには書きこんだことはありません。といっても(信じないでしょ)
貴方に何をいっても無駄、利用されるだけとわかった上で、バカみたいに削除依頼をだしたかわかりますか?
私が「義父の寿命を5年間も縮めてた」という一文に何故こんなに拘ったか?
わかりますか?貴方は介護の経験はありますか?そして人、一人が亡くなることが どういうことか、わかりますか?貴方が何気に使っている否会友は義父母の寿命を確実に5年間は縮めていますが……。
この言葉がどんなに、介護者を侮辱しているかわからないのですか? 人を思いっきり侮辱することを楽しんでいる方にはわからないでしょうね。削除は無理とわかりました。

いいですか、私は批判も肯定も自由に発言できる掲示板に書き込みをしました。
それを貴方はパクって、創作、私を否会友というまったくの別人にしました。
そして嘘、妄想 誹謗中傷の数々を掲示板以外で書きましたね。
「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界」をやってるのは貴方です。

それに対しての回答がこれですか?
>「会友は義母ではなくて、義妹だという方へ」
>2ちゃんねるは、調査途中ですので、あなたの投稿が真実かどうか考えてから、
>我がブログにコメントします。
>あなたが、2ちゃんねる他での、否定記事を削除していただければ、
>「いや夫」も善処しましょう。おそらく、あなたが仮に「否会友」ではないとしても、
>義妹や宏正会への中傷を繰り返してきたはずですので、全く罪はないとは思えません。
>「否会友」は義父母の寿命を確実に5年間は縮めていますが、
>あなたも、1年程度は縮めているのでは?ちなみに、2カ所「、」が抜けていますよ
>我ブログにコメントします。
要は調査するぞ、削除しろ、謝れ、罪を償え、って脅しですか?
心理的ダメージを与えて、喜んでいるだけですね。悪趣味。
削除する意思が無いなら、コメントもいらないです。内容はわかります。

(以上 引用)

このコメントを読んでもまだ「いや夫」は、宏正会に批判的な書き込みをしている黒幕は「否会友」=義母に恨みを抱く嫁とするつもりか。
お前の成りすましの分析というのは、「、」があるなしで決める単純なもので、また「、」があるなしを使い分けているというのだから、分析の手段としては全く無意味なもの。
こんな幼稚な手段で分析しているので、分析の結果というものは全く恣意的なもので、「いや夫」の妄想の産物。
こんな妄想の産物で、たまたま自分のプロフィールを明らかにしていた先の2chの方を「否会友」と決め付け、批判派の黒幕としてこのブログや自分のブログで執拗に批判し続けているのだ。
「いや夫」にしてみれば宏正会に批判的な書き込みをしている人は少ない方が都合がいいのだろう。
「いや夫」は批判派の黒幕を一人に決め付け、その黒幕のプロフィールを暴き、その黒幕を執拗に攻撃することで、宏正会に対して批判的な書き込みがなくなるとでも思っているのだろう。
しかし、ネットでの批判的な書き込みに黒幕のような者はいない。それぞれが独自にその思う所を書き込んでいるだけ。
しかし「いや夫」は無理やり黒幕を仕立て上げ、それを「否会友」とし、そのプロフィールを先の2chの方にこじつけている。
「いや夫」の勝手な妄想で、「否会友」に仕立て上げられ、その「否会友」のプロフィールは自分とされ、他の批判者の書き込みを自分の書き込みと押し付けられ、執拗に攻撃を受けている先の2chの方はたまったものではない。

>貴方は介護の経験はありますか?そして人、一人が亡くなることが どういうことか、わかりますか?貴方が何気に使っている否会友は義父母の寿命を確実に5年間は縮めていますが……。
この言葉がどんなに、介護者を侮辱しているかわからないのですか?

この言葉には、実際に経験された者でしか分からない真実味がある。
それを「いや夫」は、ただのゲームの手段として利用しているのである。
人間のカケラもない男だ。このような男が宏正会二世の嫁の夫で、朝起会にも行っているというのだ。
宏正会がどんな所か分かるだろう。
自分(あるいは宏正会)を守るためには、どんな手段を使ってもいいという訳だ。
「いや夫」は批判派の攻撃にさらされてすべてを疑っているのだろうが、ここまでお前の分析が間違っていることが証明されれば、お前だって自分の分析が間違っていることが分かるはずだ。

「いや夫」よ 自分が間違っていれば、先の2chの人に謝るのが当然ではないのか。
自分のブログで謝り、2chの方が言っている部分を削除するのが人間のすることじゃないのか。

 


<いや夫に、最後の進言>

いうからには、朝起きに出席しなさい、

毎日でなくてもよい、土日の何れかでもいいです、
実践しなくても、単に、週1回でも、行くだけでいいです

で、会場では
他の会友に話しかけなくてもいいです、座って話を聞いているだけでよい
演壇を勧められたら、あきらめて、1言2事だけでもいいからしましょう

朝起きの後に、壮年の座談会などを行っている会場が多いそうです
月一とかでありますので、その日だけ、朝起きに参加するのも
いいと思かもしれません

いや夫にとっては、迷惑かもしれないが

せっかく会友なのだから、実践しないのは、寂しいですし、
実践の無い会友は、意味がありませんよ

もし、その気があれば、拒まれることは、絶対に無いとおもいます

フレンドリーアドバイスとして

「いや夫」の成りすましの分析は、「いや夫」の作り話ということが分かったはずだ。
「鉄槌」も出ている、「改革派会友」も出ている、この方々も含めて2chの「否会友」とするつもりか、お前は。
お前の勝手な作り話のために、こんなにも悲痛な思いをしている人がいるのが分からないのか。

お前は、批判派の黒幕というのを勝手に作り上げ、その黒幕が多くの成りすましをして宏正会の批判を書き続けているとし、それを「否会友」=義母に恨みをもつ嫁としているが、これは大間違い。
「いや夫」の勝手な創作。

「いや夫」はこの結論を崩すと自分がやって来たことが根底から崩れることになり、いままでの自分の苦労が水の泡となるので意地でも押し通すのであろう。

「いや夫」そしてその妻は、東海地区のある朝起会場に姿を見せているはずだ。
「いや夫」を探し出すには、その妻を見つけ出すのが先決。
宏正会の二世会員ということだから、これだけで凡そ見当がつくはず。小さな子供が二人いるようだから恐らく30代だろう。
毎月「倫風」30冊を頒布しているようだが、本人はあまり会の活動には熱心ではなく会の中では目立たないようにしているということだ。
これだけ情報があれば、「いや夫」の妻の会場の会員は十分に特定できるはずだ。
その夫で、会の増強日にたまに姿を見せる口数の少ない陰険そうな男が「いや夫」ということだ。
「いや夫」は「美女と野獣」と言っているが、美女は贔屓目としても「いや夫」がブ男ということは間違いなかろう。

この「いや夫」が、散々このブログを荒らし、勝手な妄想で「否会友」とされている人を黒幕と仕立てて何度も何度も執拗に批判しているのだ。

>貴方は介護の経験はありますか?そして人、一人が亡くなることが どういうことか、わかりますか?貴方が何気に使っている否会友は義父母の寿命を確実に5年間は縮めていますが……。
この言葉がどんなに、介護者を侮辱しているかわからないのですか?

この言葉にも疑いを向ける「いや夫」は、人間ではない。
仮にも「いや夫」を知っている会員なら、宏正会の名誉のためにも「いや夫」に自分のブログから削除することを忠告すべきであろう。



とにかく、「いや夫」さんひとりが出てこられると、ことの善悪は別にして、ブログの流れが、ギクシャク、ギクシャクしてきます。
いまは、みんな匿名になっているのですから、話す相手は、そのときどき話している(討論している)相手に、思いのたけを述べて、それでよしとするのが、この種のスレのマナーです。
きのうや、おととい、またずっと過去にさかのぼって、お前はこう言っただろうと議論を吹っかけてゆくのは、全員が実名でマジメに討論するときです。
そのときどきの相手に、それぞれが、こころの内を述べて、話し合い(討論しあい)、あすになったら、また新たな気持ちで、述べ合うという、水の流れのようにサラサラと流れていきたいものです。


それから、「宏正会」の本部としての考え方ですが、ブログは、匿名・偽名であることないこと、また真実でないことを無秩序に並べるところと、理解し現在も今後も一切かかわらないということです。
会友にもそのことをよく説明し、取り合わないようにすすめています。
知性と教養のある会友は、現実のスレを見たとしても、ことの次第を十分に理解しスレを信じることはありません。
学会はじめ大きな団体は考え方はみな同じで、スレの書き込みにいちいち取り合ってはおりません。

「いや夫」が「否会友」とこじつけている2chの方が、「いや夫」が無視しているのでまたコメントを寄せている。

(以下 引用)

451 :名無しさん@HOME :2010/08/31(火) 08:24:13 0

実践倫理宏正会 会員 いや夫様

いや夫さんは今頃、私の過去の記事をさがして、こ奴は……からはじまる文章でも考えているのでしょうか?
いや夫さん、私はあなたに謝罪してほしいとは言っていません。
私もこの会、貴方に謝罪するつもりもありません。
ただ、文中「義父の寿命は5年位は縮まったことでしょう」の一文のみ削除を要請しています。
「文中、不適切な文言がありました。削除します」で結構です。
そんなに難しいことですか?
後は私が否会友さんではない、文章の中身は貴方の創作、会の教えだと思っています。

>「宏正会をカル扱いして誹謗中傷しているので、別に構いません。

義父の入院以来、立ち替わり、入れ替わり身内の会友が我が家を訪れることになりましたが…。
多くの会友の方々、また身内の行動、言動を見て私が、カルトだと思ったまたはカルトと思わなければ介護はできなかったという事です。

実践倫理宏正会って何?に取り上げていただき、ありがとうございました。
いや夫さんとは最後にしたいと思います。 
奥様がされている会、そしてその会からもたらされた仕合せを日々感じているならゲームに利用する、いや夫さんの感覚は私には理解できません。
そしていつも不思議に思うのが、こういった会員をいさめる会員がいないことです。
いや夫それはおかしいよ。人としてやってはいけないよ。と言っているのは常に批判者といわれている方です。

★「いや夫」よ 自分が間違っていれば、先の2chの人に謝るのが当然ではないのか。
自分のブログで謝り、2chの方が言っている部分を削除するのが人間のすることじゃないのか。

★この言葉にも疑いを向ける「いや夫」は、人間ではない。
仮にも「いや夫」を知っている会員なら、宏正会の名誉のためにも「いや夫」に自分のブログから削除することを忠告すべきであろう。

いや夫さんに呼び掛けて頂いた方々に、本当に感謝します。
ありがとうございました。

(以上 引用)

「いや夫」のことだから、2chの方と今これを書いている私が同一人で「成りすまし」をしているとするか、あるいは二人はつるんでいるとするのであろう。
(ネットにどっぷりと漬かっていると、「いや夫」のように何でも疑ってかかる、根性の悪い人間になるようだ)

言っておくが、私は2chの方の書かれているものも読んでいない。
ただ「いや夫」が批判派の黒幕を「否会友」とし、この「否会友」が成りすまし多くの批判的な書き込みをしているとこじつけていることが間違いだと思っていた。
そこに2chの掲示板に、「いや夫」が散々批判している「否会友」=義母に恨みをもつ嫁という方が出て来られたのだ。

私は、この方の言っておられる事はすぐに真実だと感じた。とても創作で書けるような言葉ではない。実際に体験した人でなければこのようなことは書けるはずがない。
そして、この方に大変な悲痛な思いをさせ、ゲームとして利用している「いや夫」に激しい憤りを感じた。

「いや夫」は、ネットで宏正会に批判的な書き込みをしている人の正体を暴き、批判的な書き込みを止めさせようというバカげた目的をもって出て来たのだろう。
このブログや2ch、他のブログなど丹念に見ているようだが、どういう根拠からか分からないが「否会友」を黒幕と断定している。
その「否会友」を義母に恨みをもつ嫁として、何度も何度も汚い言葉を使って罵倒している。
「いや夫」はこのように多くの成りすましをし黒幕として宏正会の批判的な書き込みをしているとしている「否会友」を罵倒し続けることで宏正会に対する批判的な書き込みがなくなると思っているのだろう。
しかし、「いや夫」の成りすましの分析は、今までの投稿の流れからから分かるように、全くのあてずっぽの作り話。

「いや夫」は当初の目的を成し遂げたと自分で思い込みたいがために、またこのブログでのゲームに勝ったと自分で思い込みたいがために、勝手に「否会友」=義母に恨みをもつ嫁というのを黒幕に仕立てて執拗に攻撃している。
しかし、「いや夫」に勝手に黒幕の「否会友」とされ、他の多くの批判者の書き込みを自分がしたと擦り付けられ、「義父の寿命は5年位は縮まったことでしょう」と心を引き裂く言葉で罵られた2chの方を、お前はどう思っているのだ。

「いや夫」は宏正会に批判的な書き込みをする人をゴキブリとしている。そして「いや夫」はそのゴキブリを踏み潰しているといった表現をしている。
「いや夫」は批判派の人を心を持った人間とは思っていないらしい。
オウム真理教は、坂本弁護士一家の人達を皆殺しにしたりと、この教団を批判する人を数々殺害した。
また、地下鉄サリン事件を起こして罪もない一般市民も多く殺害した。
カルト教団は、自分の教団がすべてで、自分たちの教団を批判する人は人間だとは思わなくなるらしい。
「いや夫」の心情は、まさにオウム真理教の信者達と全く同じだ。


「いや夫」は上記のように、表現的にも人権派的なひとの、気持ちを逆なでする傾向があるし、(も少し「いや夫」よりの表現をすると、人権派的なひとに、揚げ足をとられるような傾向があるし)、このスレでの活躍には不向きな面が多いようである。

>とにかく、「いや夫」さんひとりが出てこられると、ことの善悪は別にして、ブログの流れが、ギクシャク、ギクシャクしてきます。
>きのうや、おととい、またずっと過去にさかのぼって、お前はこう言っただろうと議論を吹っかけてゆくのは、全員が実名でマジメに討論するときです。

このブログ、この手のスレとしては割とマジメニ議論していたのに、このように荒れて来たのは「いや夫」さんが「成りすまし」と言って個人攻撃を始めたから。
「いや夫」さんの後半はぜーんぶ「成りすまし」について。
それに、どう見ても「いや夫」さんのあてずっぽ。
あてずっぽで「否会友」とされて「いや夫」さんに散々批判された2CHの方もカワイソウ。

「いや夫」さんは、黒幕とする人は誰でも良かったのでは。
たまたま2CHの方のプロフィールが記憶に残っていて、この人なら執拗に宏正会を批判しそうだといった あてずっぽで黒幕にしたような気がします。
「いや夫」さんは、まさかこの人が出て来るとは思わなかったのでは。

「いや夫」さんは、もうこのブログで書き続けることが億劫になっていたようです。
このブログを去ることは、「いや夫」さんの流儀では負けたことになりますので、去るに当たってはそれらしい理由が必要となります。
そこで、この人に黒幕になってもらって一つのストーリーが完成したら、「いや夫」さんは役割が終わったということで、「いや夫」さんはこのブログを去って行く理由としたのではないでしょうか。

でも悪いことはできませんねー。
最後の最後になって、「いや夫」さんが黒幕とした「否会友」さんが出て来てしまいました。
まるで映画「太陽がいっぱい」のラストシーンのようです。
主役のアラン・ドロンがすべてがうまく行ったと思って微笑んでいた時、陸揚げされるヨットに引かれて死体が上がって来てしまった。
「いや夫」さん、残念でしたね。
「いや夫」さんのストーリーは完全に破綻してしまいました。


とにかく、「いや夫」さんの大活躍で、「宏正会会員は、ことばの使い方も、ヘンなんだなー」という印象を、このブログをのぞきに来たひとに与えかねない、事態にたちいたりました。
チョット手がすべっただけなのでしょうが、わるいイメージだけひとり歩きするのもいけませんので、謝る必要はありませんが、ご指摘の部分のみ、だまって削除して、そのことについて、これ以上言及されることを、避けていただきたく思います。
けだし、会長先生の何度も言われる「議論せず」は至言でありますね。

何が「至言」だ馬鹿ww
ソクラテスはソフィストとの対決において、議論において打ち負かしていったのである。
宗教団体が議論を避けよとは、珍しいものよのぅw

「いや夫」が自分のブログで、勝手に黒幕の否会友としている2chの方への返答を書いている。
案の定、「いや夫」は危惧された通りに、謝るどころかさらに
「こ奴は・・・」と激しい批判を加えている。
これで「いや夫」は人の心を持っていないサイボーグのような無機的な人間ということが分かった。
もし自分が間違っていたらということを考えたことはないのか。
否、「いや夫」の返答を見れば分かるように、例え間違っていても宏正会を批判する人間は「いや夫」は人間とは思っていないので、オウムの信者がいとも簡単に殺人を犯すように人を傷つけることなどは何とも思っていない。
再度言っておくが、「いや夫」のような非人間的な男が宏正会二世の妻の夫であり、「いや夫」自身も朝起会に姿を見せ、偉そうなことをこのブログや自分のブログにノタモウテいるのである。
「いや夫」の書いたものを読む時は、このことをしっかりと頭に入れて置かなければずる賢い「いや夫」に簡単に騙されることになることに注意を促しておく。

これ以上「いや夫」に何を言っても無駄のようだ。
返って「いや夫」はさらに2chの方に攻撃を加えることになる。
そうなるとやぶ蛇だ。
「いや夫」は人間のカケラもない非人間的な奴で、書いていることは嘘ばかり、成りすましの分析は「いや夫」の作り話であることが証明されたのだから、後は「いや夫」に自分のブログで勝手に妄想させておけばよかろう。
「スレ荒らしには反応を示さないのが一番の対処法」と言われているようだから、これ以上「いや夫」を話題にしないのがいいのかも知れない。


おやおやおやご本人のご登場、我が「いや夫」くんが、太陽神・武蔵・否会友全てをあなた様の成りすましとして、なにやらご迷惑の段、真に申し訳なく、深くお詫び申し上げます。
「議論せず」の真意でございますが、もちろんあることがらにたいして、話し合い討論することまで禁じているわけではございませんが、今回の「いや夫」くんのように、討論より先に、その発言したひとに、「お前は何々と何々の成りすましであるが、けしからん」と一種の個人攻撃、個人中傷にまで及ぶことを懸念いたし、一般論ながら、倫理を口にするぐらいの会友は討論などするものではない、と戒めているのでございます。
いずれに致しましても、あなたさまのように、古今の哲人の理に通暁されているお方に、討論を仕掛けるというはなはだご無礼を致しましたる段、再度ひとえに陳謝する次第でございます。

>「いや夫」さんの大活躍

このブログを荒らしているのが大活躍?

>チョット手がすべっただけ

「いや夫」さんは宏正会の批判の黒幕は「否会友」としているんじゃないの?
そして ゲームに利用しているんじゃないの?

>謝る必要はありませんが、

どうして?
間違えているんだから 謝る必要があるのでは。
それに 実際に介護していた人に「義父母の寿命を確実に5年間は縮めていますが……。」というようなことを言ってはいけませんね。
例えゲームに利用するにしても。
いいえ このようなことをゲームに利用してはいけません。

>「スレ荒らしには反応を示さないのが一番の対処法」と言われているようだから、これ以上「いや夫」を話題にしないのがいいのかも知れない。

「いや夫」さんはこのブログを卒業したとおっしゃっていますので もうここに書くことはないはず(嘘でなければ?)。

>おやおやおやご本人のご登場、我が「いや夫」くんが、太陽神・武蔵・否会友全てをあなた様の成りすましとして、なにやらご迷惑の段、真に申し訳なく、深くお詫び申し上げます。

先の「匿名」さんがブログ主???


「知性と教養のある会友」って、そんなのいるのかな?


まこと、ひとの噂ほど興味のあるものあはありませんが、また本人にとって気になること、しきりであります。
打ち捨てておくのが、最良の道ではありますが、なかなかそうも行かないのがひとの常でもあります。
「いや夫」君のことは過ぎ去った夢のまた夢として忘却のかなたに放置いただければ、好都合でございますれば、何卒ご斟酌のほど宜しくお願い申し上げます。
実践倫理宏正会は、毀誉褒貶あい半ばなること承知しておりますが、次なる継承(継踵)を控え、それらの残滓を取り除くべく努力もしておりますれば、いま暫く、大方の襟度とご寛恕のほど願いあげます。

>「知性と教養のある会友」って、そんなのいるのかな?

どの程度の知性と教養かな。
高校、短大、4年制の大学、大学院、大学の教員 (もちろん、学歴だけではありませんが)。

この会は、会長先生から倫理を学びそしてその学びを実践するというものですから、ある意味では学校生活に似ています。

学びの場では、講師の研修や会の幹部が指導して、会友はその学びを受けてどのように心境が深まり、どのように実践したかを発表します。
学びの深まりの程度、その実践の程度が成績ということになるのでしょうか。
その優等生は、立場をもらって新しい会友を指導したり、会の実践の場で指示をしたりします。

ですから、ある程度の知性と教養のある人(いわゆる高学歴の人)は、プライドがありますので会の幹部になって自分のプライドを満たそうと頑張っているようです。幹部にならないと、自分より程度の低いと思っている人に命令されるのがバカらしくなって会から去って行きます。
もっと程度の高い人は、「いいとこ取り」というのでしょうか、会の活動にあまり熱心ではなくてちょっと離れて会を見ている感じです。
このような人は、人数としては少ないようです。

厄介なのは、それなりの人。
学生時代は、自分よりも成績がいい人に追いつこうとしたけど追いつけなくて悔しい思いをしていた人。
その悔しい思いをこの会の中で挽回しようと頑張っているようです。
そして、学生時代には成績が悪かった人。
この会は「人生大学」として、大学では学べないもっと大切なことを学んでいると会友のプライドをくすぐっていますので、ご自分では大学に行って学んでいるような気がするのでしょうね。学生時代の劣等感を取り戻すように頑張っているようです。
会としては、このような人が狙い目ということになるのでしょうね。

ご自分は学生時代には成績が良くて、ある程度の学歴を持っているという方には、先ほどの言葉の様にこの会の皆様を見ているのかも知れませんね。



上手なご解説恐れ入ります。

下記のついて、私も、コメントします

(1)
>ですから、ある程度の知性と教養のある人(いわゆる高学歴の
>人)は、プライドがありますので会の幹部になって自分のプラ
>イドを満たそうと頑張っているようです。幹部にならないと、
>自分より程度の低いと思っている人に命令されるのがバカらし
>くなって会から去って行きます。

(2)
>もっと程度の高い人は、「いいとこ取り」というのでしょうか、
>会の活動にあまり熱心ではなくてちょっと離れて会を見ている
>感じです。このような人は、人数としては少ないようです。

(1)については、実際に朝起きに熱心に集う人たちに言える内容になります。基本的に女性になりますが、男性でもリタイア後等の方などになります。

(2)については、下記の2パタンになります
①リタイア後等の男女で、暇つぶしやお茶のみ、地域参加などの意味で来ている方。(朝起きはするが、つらい実践はしないので、居心地がいいと感じている方)
②奥さんが会友で、たまに連れてこられる方(奥さんが会友だと、男尊女卑のいい雰囲気が感じられて、居心地がいいと感じている方)
「いいとこ取り」のいいところは、実践しないが、してる気分になれること、皆が話を聞いてくれるので、たまに行ってお客様扱いしてくれて、話を聞いてくれていい気分になれること。奥さんが男尊女卑してくれること。
ただし「程度が高い人」ではないと思います。

会で熱心に実践している会員さんは、高卒か短大卒で、進学校でない普通の高校である程度成績が良かった人。
このような人は、会の教えを素直に聞けて、上の立場の人に優等生の様に着いて行けるから。
婦人会員で4年制の大学に行った人はあまりいない。
そのような人は理屈が分かるので会の教えが程度の低いものと見えたり、会の活動に疑問をもっていて、皆さんと一緒に活動するのが馬鹿らしいのでしょう。もしいたら、幹部候補。



なるほどなるほど、婦人会員で、4年制大学卒はあまりいないとのこと。
ならば知性と教養の高い人は、(仮に4年制大学卒は、一般的にそうだとして)、だましたり、だまされたり、することが、あまりないということになりますね。

今朝、私の集っている会場の先輩から、当サイトについていろいろ聞かれました。どうやら、本部にこのサイトのことで匿名の電話がはいったようです。

“いや夫”氏が誰なのか、秘かに詮索が指示されたようですが、本部としては、“いや夫”氏の口撃を止めさせることも、かかるネットに介入することも一切しないようです。「他人を批判しない」というのもこの会の学びですから。あくまでご本人の気づきでしょう。

因みに私は、毎朝参加していますが、いろいろ思うところもあり、“いいとこ取り”だけして、人生の糧とさせてもらっています。 『改革派』さんのような人がもっと出てきて、世間で言われている おかしな点を
正すべきは正す方向に持っていけたらと、願っています。


「虚無僧一路」さんは、「いや夫」さんと同じ東海地区でしたね。

>“いや夫”氏が誰なのか、秘かに詮索が指示されたようですが、本部としては、“いや夫”氏の口撃を止めさせることも、かかるネットに介入することも一切しないようです。

意味が良く分かりません。
本部としては一切ネットに介入しないということなのに、「密かに詮索が指示された」ということはどういうことでしょうか?
本部に電話された方にはそのような事を言っておきながら、密かに本部から東海地区に詮索の指示があったのでしょうか。
それとも、東海地区が独自に詮索しようと各会場に詮索の指示を出しているのでしょうか。

いや夫 指名手配されているのか・・・・・
二世会員の奥さん探せばいいんだから、見つかるのは時間の問題。
いや夫 奥さんのためと言ってるけど、奥さん 朝起会に行けなくなるんじゃないの。
奥さんはイヤイヤ行っているんだからそれでもいいのかな・・・・・
でも奥さんのお母さん(いや夫の義母)は悲しむはずだね。

所詮、いかがわしい組織なので、整合性などないのです。期待しては駄目ですね。


その地方(or支部)の「いや夫」さんを、こころよく思わないお方が、その思いも込めて、言っておられるだけでしょう。
本部が、ネットにl口出しすることは、ありません。
菅内閣や鳩山さんじゃあろうまいし、こんなケチなことで、その信念を変える本部ではありません。

2chを見たら分かるように、この人は本部に電話している。

>どうやら、本部にこのサイトのことで匿名の電話がはいったようです。
というのは2chの人。

>“いや夫”氏が誰なのか、秘かに詮索が指示されたようです
たとえ本部はネットに介入しないとしても、もしもの対応のために「“いや夫”氏が誰なのか」を把握しておく必要があるのでは。
「秘かに詮索が指示された」というのは、本部から東海地区に指示し、地区から各会場にその指示が伝わったと考えるのが妥当なところ。


いや夫は自分のブログで、今度は「改革派会友」 こ奴が批判派の首謀者でスパイをして宏正会の破壊工作をしているとしている。
本部に電話した人がいても全く反省している様子はない。
いや夫が首謀者としたのは2chの「否会友」じゃなかったのか。
「否会友」=「改革派会友」ということ?
いや夫の言っていることは、支離滅裂。
勝手に誰かを首謀者と決め付けて攻撃しているだけ。

いや夫は偉そうなことを言っているが、イヤイヤ宏正会の会友している二世会友妻のただのバカ夫。
宏正会をダシにゲームをして遊んでいる子供。

「改革派会友」さん 今度はあなたが本部に電話してみては。


いや夫が無理やり「否会友」とこじつけた2chの人が書いてる。

455 :名無しさん@HOME :2010/09/04(土) 11:36:11 0
私の書いた記事は、個人のその時の心情、愚痴のようなもので、辛い時に吐きだしたようなものだと思っています。
会を批判したと言われれば、そうですとしかいいようがないですね。それが気に入らない晒し者だとするなら、それは私は止められません。
しかし、私をまったくの別人(否会友)にし、非難中傷そして過去も追及するぞ、おまえが削除したら、応じてやると言われれば これ以上本人とは、無理と判断。本部に相談するというのは当然のことと思います。電話しました。
>本部にこのサイトのことで匿名の電話がはいったようです。
とありますが、私はいや夫さん個人のブログに関しての、相談、お願いしました.


>私をまったくの別人(否会友)にし、非難中傷そして過去も追及するぞ、おまえが削除したら、応じてやる・・・

いや夫! お前はまだこの人を「否会友」とこじつけて批判し続けるつもりか。
2chの人を「否会友」として批判したものは、いや夫のブログだけでなくこのブログにもいっぱいコピペして貼り付けている。
いや夫 あやまれよ。
このブログに貼り付けたものはお前には削除できないが、お前のブログは削除できるだろう。
あやまって、削除しろよ。

今度は「改革派会友」を首謀者とするつもりか。
お前が2chからコピペしたものがどうして「改革派会友」のものと分かるんだよ。
ただお前が勝手に想像しただけで、全くのあてずっぽだろ。
あてずっぽ、あてずっぽで2chの書き込みをここでの投稿者に結びつけて批判するんじゃないよ。
また2chに書いた人と同じ事をするつもりか。

東海地区ではもう「いや夫妻」を特定できてるんだろう。
いや夫は「いや夫妻」の尻に敷かれているんだろうから、「いや夫妻」に言えばいや夫は自分のブログから削除するはずだ。

「いや夫」が自分のブログでエラソウニ言っている。

>他人を批判しない」のは尊いことですが、否定派は誹謗中傷=いじめをしているのですから、これをほかっているのは、いじめを黙認するのと同じなのです。
 「いや夫」はいじめが嫌いです。ネット上だからといって、いじめを見過ごすわけにはいきません。

否定派は誹謗中傷=いじめをしている?
「誹謗中傷=いじめ」をしているのは「いや夫」だろう。
2chの方を勝手に「否会友」と決め付け、何度も何度も執拗に攻撃しているのは「いや夫」。2chの方を否定派の首謀者とこじつけて何の根拠もないのに他の否定派の書き込みまでこの方の仕業となすり付けて攻撃している。
2chで「いや夫」に削除するように言っても、さらに攻撃を強める「いや夫」。
「いや夫」にいくら言っても無駄だと本部に電話しても何の反応を示さないだけでなく、「いや夫」は今度は「改革派会友」を否定派の首謀者として攻撃している。
「いや夫」は否定派の誰かを首謀者と晒して血祭りに上げる作戦をとっている。

否定派は宏正会について当然のことをいっているだけ。反論があれば、否定派の言っていることに反論すればいいだけのこと。
「いや夫」も最初は反論していたが、自分の反論がすべて潰されて、個人攻撃に作戦を変えている。
否定派はあくまでも一個人であり、巨大組織の宏正会に比べればとてもちっぽけな弱者。弱者が強者を批判することを「イジメ」とは言わない。
>「いや夫」はいじめが嫌いです。
とは、よくも言ったものだ。
「いや夫」とは、ヌケヌケとこんなことを平気で言ってのける奴だということをしっかりと覚えて置くように。


>「いや夫」は落書きが嫌いです。便所の落書きと揶揄される2ちゃんねるですが、便所だから落書きをしていいわけではなく、便所だって落書きしてはいけないのです。

このブログを見てみろよ。「いや夫」の大量の落書きで埋め尽くされているじゃないか。「いや夫」の書いたもので意味があるものがあるのか。
毎日毎日、落書きを書き続けている張本人が「いや夫」だろう。
よくもこんなことを平気でいったものだ。


>「ネットの中だからって、何でもやっていいと思ったら、大間違いだ~!」(by 映画 サマーウォーズより)なのです。

この言葉は「いや夫」について言った言葉だ。よく覚えておけ。


>宏正会が否定派首謀者の成りすましによる誹謗中傷に対して訴訟を起こさないなら、「いや夫」がこ奴(ら)を追求するしかありません。

何を言っているんだ こ奴は。
「いや夫」は、たかがイヤイヤ会員をしている二世会員を妻に持っているだけの男。宏正会についてどうこう言うような立場の者では全くない。
こんな男が、「こ奴(ら)を追求するしかありません」。 笑わせるんじゃないよ。
正直に言ってみろよ。
「私は、宏正会のスレでゲームをして遊ばせてもらっています」だろう。大嘘つくんじゃないよ。


>(起こせばいいのに。「信用毀損罪・業務妨害罪」なら勝てると思うぞ。裁判の過程で、否定派首謀者の人数と素性が明らかにできるし。問題点は、その後のバッシングは今まで以上に激しくなるだろう。そう考えると、ちゃねら~を全面的に敵に回すのもよくない。よって、宏正会の方針は及第点です。)
 「いや夫」は「いや夫」のやれることをやるだけです。

「名誉毀損罪」ではなくて「信用毀損罪・業務妨害罪」?
会員からカネを集めるのが宏正会の「業務」だと言っているのか。
よく宏正会の本性を言い当てたもんだなー。それでもいいんだったら訴訟でも起こせばいいんじゃないの。

お前のやり方は、例え間違っていても関係ない(どうせ宏正会を批判している)と、2chの書き込みをあてずっぽでこのブログの投稿者に結び付けて批判するというキタナイやり方。
とにかく批判者を晒して血祭りに上げ、宏正会を批判するとこうなるんだという見せしめにするやり方。
お前のやり方で、本部にまで電話した人がいることを忘れるんじゃないよ。


いや夫ちゃんへ。「追求」ではなく「追及」ね。あんたに保険屋さんに間違えられた法律職でした。


実名を出すのがいやだから、偽名・「匿名」で書いている書き込みを、また別の偽名・「匿名」の書き込み手のなかから、当てっこするという、トランプの「神経衰弱ゲーム」と同じ遊びをされて、大真面目にひとを誹謗・中傷する「いや夫」さんは、迷惑以外の何ものでもない。
非常に迷惑であるから、関係地方支部長に、「いや夫」を探し出し除名処分にしてもらうしかなかろう。
みんなでどんどん、本部に電話をし進めてもらいましょう。
本部の窓口担当は、ネットにはかかわらないと、オウム返しに言うが、かかわってもらう必要はないが、迷惑を撒き散らす会員を除くのは、本部の役目でもありましょう。
思うに、匿名でよいから、多くの抗議電話を掛けることによってそれを実行させよう。

東海地区の責任者は誰や。
アンタの地区の会員が、ネットで悪さをしているのを知らのんか。
早よー手うたんと、今に管理責任問われるのとちゃうかー。


「いや夫」さんのことで、一番困る点は、「いや夫」さんご自身が、「成りすまし」という行為は、いかなる場合も人間として「悪」であり、それをあばくことは、人間として、よい行いであると信じこんでいる点である。
誰かが、小沢一郎さんに成りすまして、思ってもいない、菅さんの悪口を言ったり、自民党を非難したりすれば、関係者は皆困るので、なんとか犯人を探し出して、止めさせようとする。
そこへ、第三者が躍り出てきて、確たる証拠もないのに、あの悪口は、あのひとが言っている。この悪口は、この人が言っている、なんてやりだしたら、関係者一同たまったものではない。
とくに、言った人どうしが、偽名・匿名でやっている、ところへ、単に想像だけで、引き合わせられたら、混乱に拍車をかけられる。
「いや夫」非難の大合唱は、「宏正会」側の陣営からも出てきていることを、肝に銘じてもらいたい。

東海地区があるのは、「名古屋実践倫理会館」。
ネットで調べれば、住所も電話番号もすぐに分かるはず。
東海地区の責任者もここにいるはずだから、「いや夫」についての管理責任を問うならここに電話すればいいのでは。

「いや夫」は色々書かれても何とも思っていない。
カマをかけて(誰かを首謀者に仕立て上げて)、どのような反応を示すか様子を伺っている。
自分のプロフィールを書いている人は、いつ「いや夫」に首謀者に祭り上げられてるか分からないから注意しなければならない。
「いや夫」は、言っている事が嘘でなければもうこのブログに出てこないはずだから、放っといて勝手に自分のブログで一人芝居をやらせておけばいいのでは。
もう誰も「いや夫」の言っていることを信じる者はいないはず。
変に反応すると「いや夫」の策略に引っかかるだけ。
既に、このブログでの論点が「いや夫」の策略によって、宏正会から首謀者は誰かの論点に変えられている。


馬鹿夫が分析なんてできるわけねぇ~だろよw

身の程を知れ、馬鹿夫w


その名もゆかし「「いや夫」さん
非難の嵐吹き荒れて
岩もくだけと吹く風に
身を挺してぞ立ち向かう
身を挺してぞ立ち向かう
その名もゆかし「いや夫」さん

その名もゆかし「いや夫」さん
人心ときに乱れきて
非難の嵐ごうごうと
会と自身にふりかかる
ものともせずに立ち向かう
その名もゆかし「いや夫」さん

その名もゆかし「いや夫」さん
サンテミリオンかアババネか
はたまたエイシンフラッシュか
競馬はいつも当たります
その名もゆかし「いや夫」さん

ところがどっこい「いや夫」さん
成りすまし者の当てっこは
はずれるどころかピーカピカ
やってる本人マジメでも
はたから見たらピーカピカ
どっこい転んだ「いや夫」さん

低脳な癖してゲームだけは得意な「いや夫」ちゃんが、またバカなことを言っている。

『 本部の方へ
 こ奴を対象にすれば、刑事裁判でも民事裁判でも勝てるのでは?成りすましによる風評の流布を行っていますので、「偽計業務妨害・信用毀損罪・業務妨害罪」など、訴訟理由は何とでもなります。』

「成りすましによる風評の流布」?
なんだ、これは。意味不明。

信用毀損罪は経済的な信用、つまり支払能力などの信用を毀損する罪。
ネットでの書き込みに宏正会の経済的な信用を毀損したものは一つだってない。
返って、宏正会は会員からいっぱいお金を集めてお金が有り余っているように書かれている。

業務妨害罪の「業務」には、宏正会の活動も入るかも知れないけど、手段として「偽計」又は「威力」を用いる必要がある。
このようなネットでの書き込みは、「威力」は問題にならないけど、一応「偽計」にあたるかどうか問題になる。
「偽計」になるかどうかは、宏正会について嘘を言って業務を妨害しているかどうかが問題。
会の成り立ち、陰倍加、お祝い金、会の宗教性など、どこに嘘があるの?
もし嘘だとするのなら宏正会が嘘だと証明しなければならないけど、それでいいの?
いくらだって証拠があるよ。
「名誉毀損罪」だって同じ。
もし訴訟を起こすなら、宏正会はネットでの批判が嘘であることを証明しなければならないけど、それは不可能。
無理にでも訴訟を起こせば、裁判の場でいっぱい証拠が出て来て、返ってやぶ蛇になることは宏正会も十分に知っているはず。

「いや夫」ちゃん いい加減なことを言っていると、ますますバカにされちゃうよ。



とにもかくにも、「いや夫」さんが、九段の本部を尋ねて、刑事訴訟することを、じっくり話し合うことが必要です。
↑前項のお方、「それでいいの?」とご親切様なれど、それはあちら様のこと、要はやってみることが一番です。
さて、誰も相手にしてくれない場合、義侠心に燃えた「いや夫」さんのことですから、ここは一番、ご自身で、悪を告発お願いします。
こうなると、もう「いや夫」さんご自身が、思う存分お得意の、「成りすまし見破り術」を駆使して、ご活躍できるのです。
告訴費用は、「いや夫」さんが1回ハワイ家族旅行をお控えいただくと、相当のおつりがくる程度ですよ。

告訴費用?
刑事告訴するのに費用は要らない。
「名誉毀損罪」は親告罪。
「いや夫」は告訴権がないので告訴することができない。

民事訴訟では、「いや夫」は損害がないので
訴訟を起こすことはできない。


うーん、「いや夫」さんはれっきとした会員ですから、そこらの弁護士以上の法律知識の持ち主であるあなた様の、お知恵を動員すれば、何か方策はないでしょうか。

低脳な「いや夫」が、自分のブログでまたバカなことを書いていますなー

「いや夫」は、首謀者としている「否会友」を義母に恨みをもつ嫁から今度はこのブログの開設者に変更しているようだ。
「いや夫」独特のネチネチといたぶるのは2chの方にしたことと同じやり方。
こうして執拗にこのブログ主をいたぶって根を上げさせて、このブログを宏正会に渡させてしまおうという作戦らしい。
いつもながら「いや夫」らしいずる賢い作戦としか言い様がない。

もう一つ、「いや夫」のずる賢いやり方がこれだ。

首謀者自身が、成りすましの投稿があるとして、本人の自供としているのは、「レイモンド」の投稿。
「レイモンド」は、「いや夫」が大量のコピペを貼り付けるものだから、勝手に否定派に成り代わって謝り、「いや夫」の荒らし行為を止めさせようとしたのだろう。
「いや夫」も充分に分かっていても、否定派が謝っているとして自分のために利用している。
いかにも「いや夫」らしいじゃないか。
ちなみに
>2ちゃんねるで懸命に戦っている方もいますが、このお方はたびたび「いや夫」を批判し、足を引っ張ってくれています
というのも「レイモンド」。
「レイモンド」は、宏正会をただ知的好奇心の対象としているので、一応肯定派の立場を取っているが、時として否定派の立場に立つことがある。


それでは、「いや夫」が言っている肝心のところについて述べてみよう。

>成りすましによる誹謗中傷は、「偽計業務妨害」に該当します。宏正会が警察に訴えれば、確実に捜査が行われます。

>成りすまし投稿は確実に犯罪です。ネットの中では成りすましで誹謗中傷していいなどという法律はないのです。誹謗中傷をしたら犯罪なのです。その程度に応じて、警察が動くかどうかで、有罪かどうかが決まるだけです。このケースでは、まちがいなく有罪です。

「いや夫」は、成りすまし、成りすましとシツコク言っているが、誹謗中傷に犯罪が成立するかどうかに成りすましは関係ない。
コテハンであろうがなかろうが、ここに書いている人は全部匿名。
本名で書いている人は誰もいない。
言うなれば、全員が成りすまし。

ネットで言われている宏正会への批判について犯罪が成立するかどうかだが、問題になるのは「名誉毀損罪」と「いや夫」が言っている「偽計業務妨害罪」。
「名誉毀損罪」は、言っていることが嘘であろうがなかろうが、名誉を傷つける行為をしたら犯罪となる。
それでは憲法で保障されている「表現の自由」が守れなくなるのでその調整のための規定が「真実性の証明」。
宏正会また会長の場合、言っていることが嘘ではないと証明されれば犯罪とはならない。たとえ証明されなくても、確実な証拠でもってそのように誤信したなら犯罪とはならないと、証明が軽減されている。
ネットで書かれている、会の成り立ち、陰倍加、御祝い金、会長の豪邸などは簡単に証明されることがら。
会の成り立ちの嘘なんかは、倫理研究所が言っていることだし、本にも書いてある。陰倍加、御祝い金なんかはどこの会場でもやっていること。会長の豪邸は登記をみたり、現地に行って見れば分かること。
「認知的不協和理論」とか、宏正会の宗教性などは、抽象的な議論だから「事実」を述べたことにはならない。
だから、このようなことをネットで書いたとしても例え名誉毀損罪になるにしても簡単に証明されてしまうので告訴するバカはいない。返って裁判でこのようなことが証明されてしまい、宏正会はこのようなことをしているとお墨付きを与えるようなもの。
何より、名誉毀損罪が成立しないことが分かっておりながら嫌がらせのために告訴したということなら、宏正会の方こそが「誣告罪」という犯罪が成立することになってしまう。
だから宏正会がネットでの批判について関知しないというのは、妥当なところ。

そして「いや夫」の言っている「偽計業務妨害罪」についてだが、確かにこの犯罪は親告罪でないから誰でも警察に告訴することはできる。
しかし、この犯罪は「虚偽の風説を流布し」とか「偽計を用いて」 業務を妨害する犯罪。
要するに、嘘を言って業務を妨害する犯罪。
警察としては、嘘かどうかを証明しなければ犯罪とならないので宏正会に事情を聞きに行くことになる。裁判のためにはその裏付けを取らなければならないので、実際には宏正会についてこれらの事について捜査することになる。
宏正会は警察の事情聴取にこれらの事が嘘といえるのか。宏正会は、警察に捜査されてもいいのか。
また例え捜査が行なわれても、捜査の過程でこれらの事はすべて嘘ではないことがわかるだろうから、宏正会にとって何の得にもならない、ただ迷惑なことということになるはずだ。
 何よりも、「偽計業務妨害罪」よりも容易に犯罪が成立するはずの「名誉毀損罪」で告訴しないのに、警察が「偽計業務妨害罪」で動くはずがない。

「いや夫」は次のように言っている。

>2ちゃんねるを対象に裁判を起こすのは、費用対効果の面で有効ではありません。かえって、ちゃねら~の反感を買い、創価学会と同様に、宏正会が攻撃の対象になる恐れがあります。
 よって、2ちゃんねるを対象に訴訟を起こすことは控えるべきです。

「いや夫」は、2chに書き込みをしている人を「ちゃねらー」と軽蔑したようなことを書いている。
「いや夫」のやり方を見れば分かるように、「いや夫」は2chで相当この手のゲームに熱中していたはず。そうでなければ「いや夫」のように色々なテクニックを使えるはずがない。
2chを提訴すれば「いや夫」の正体が分かることを恐れているようだ。


>なお、「いや夫」が提訴できないというのも事実です。そんな資格もないし、つもりもないし、みすみすちゃねら~の攻撃の的になる愚かな行為をするはずはありません。

>なお、もし本部が提訴することになっても、「いや夫」が裁判で証言するなどの協力はいたしかねますので、ご承知ください。ちゃねら~は大嫌いですが、「いや夫」が戦えるのは仮想(下層)現実の社会だけです。反論能力が人並み以上であるという唯一の武器で戦っているだけで、実態はしがない小市民です。独身なら気軽に協力してもよいですが、守るべき妻や子どもがいるので、ちゃねら~と現実世界で対立することは避けたいと思います。御理解ください。

そろそろ「いや夫」のところに探索の手が及んで来て、怯えているようだ。


なるほどなるほど、だいたいそれぞれの法的ポジションの現状は、言い尽くされていると思います。
あなたほどな法律知識はありませんが、結果的には、「宏正会」も、「いや夫」さんも法的行動を起すことはないようですね。
2ちゃんねるが、はてしない中傷論争を繰り広げていますので、教育上よろしくないと思い、警視庁に設置されている、サイバーパトロールというグループに、取り締まる方策はないのかと話をしたことがあります。
あなたの指摘された、名誉毀損は親告罪ということが、今思いおこされもしましたが、そのとき彼等が言ったのは、殺すとか死ねとか、犯罪に結びつく直接的なことだけでも、手がまわらない状況で、警察の方からそこまではできない。また、2ちゃんねるのようなネットの書き込みに何か言い出すと、決まって「言論の自由」の妨害とかをを言い出す筋があり、いまの人数では手がまわらない、というようなことでありました。
このスレでも、みんな言いたいことは言ってるわけだし、どこかの国のような、言論統制もないし、ま、ワイワイできるだけ仕合せと思っていけばいいのでしょうか。
あなた様のご高見をお聞かせ願えれば幸甚です。

全く、この会友どもは、自らの行いを反省するどころか、警察に通報するとは、とんだ間抜け野郎どもだなw

仕合わせとか、訳のわからないこと言ってるしw
一回死んで霊界で修行し直して来いやw



ははははは~ 議論もせずに、短文による訳の分からない中傷が始まったな~
2ちゃん化炭素ね(^^)

おまえもそのレベルに落ちていることに
気づきなさい。

「いや夫」は2chに投稿している人を「ちゃねらー」と呼んで軽蔑したような言い方をしているが、「いや夫」こそが典型的な「ちゃねらー」というのではないのか。
「いや夫」の書いているものを見ると、「いや夫」は相当2chでこの手のゲームで遊んでいたことが分かるはず。
「いや夫」ほど2chを知っている者はいない。

自分のブログを作って他のブログに行き来し、自分のブログに書き溜めたものを大量に貼り付けて荒らすやり方(ちゃねらーの間ではこれをミサイル攻撃と言うらしい)。
討論相手を「君」付けで呼び、相手を自分よりも下に置くやり方。
場合分けをして「・・・」なら・・・、「・・・」なら・・・と相手を切り捨てるやり方。
相手を見極めるためにカマをかけて首謀者というのを仕立て上げ執拗に攻撃し、根を上げさせて相手を絞っていくやり方。
討論で自分の言っていることが否定されたら、「そのとおり」と以前から自分はそのようなことを言っていたように誤魔化したり、相手が討論に勝ってこのブログから消えた後で後付けの屁理屈を付けて自分が勝ったことにするやり方(「いや夫」の言うには「いや夫」はこのブログで連戦連勝だそうだ)。
討論相手を「ちゃねらー」「成りすまし」とワンフレーズで決め付けて、自分は正義の味方で相手は悪い人間だからいくら激しい口調で罵っても構わないとして自分は強いのだと見せつけるやり方。
そして、とにかく毎日毎日 書きまくっている。必ず相手が書く分量より多くを書いて面積でも自分の優位を示そうとする。
そのためにはコピペを大量に貼り付けることも厭わない。
また多くのリンク先を貼り付けて、相手を混乱させて煙にまくやり方もよく使っている。
ギャンブラーは「勝ち」にこだわる。「いや夫」は競馬に凝っているように、宏正会の討論でも相当に「勝ち」にこだわっているのが分かるはずだ。
そして勝つためにはどのような汚い手段を使っても構わないのが「いや夫」のやり方。

他にも「いや夫」はこの手のゲームのテクニックを使っているはずだ。
「いや夫」のテクニックには感心する。
宏正会関係のスレに「いや夫」のようなテクニックを持った者はいるのか。
「いや夫」は言っている中身はたいしたことはないが、このようなテクニックを使って今まで執拗に書き続けている。
「いや夫」は2chに投稿したことはないと言っているが、これこそ大嘘。
「いや夫」は相当2chに凝っていたはずだ。このようなテクニックはその場で思いつくものではないことは誰にも分かるはず。
「いや夫」は2chで散々に痛い目に遭い、悔しい思いをして研究したものを今使っているということだ。
「いや夫」こそが、プロのちゃねらーということが分かったと思う。


いずれにしまても、「いや夫」さんがでてこられないと、このスレも平穏にて、あの6尺フンドシのような、長い書き込みを見せられ、ウンザリしないだけでも大変仕合せです。

糞 な・ま・い・き・な 「いや夫」を仮想空間から現実社会に引きずり出したれ。

東海地区でいやいや朝起きをしている二世会員が「いや夫妻」だから、「いや夫」が誰かはとっくに見当がついているはずだ。
どこの会場だ。


それが、全く見当もつかない。おかしな話だが、以外に「宏正会」が大きく、二世とかいやいやなんていったってなにも分からん。

↑ どこの地区の会員さん?
東海地区の会員さんでないと分かるはずないでしょう。
婦人部で二世会員の人は、そんなにはいない。
大きな会場でも数人、小さな会場ではいるかいないか程度のはず。
どんなに表に出たくない人だって何度かは演壇には立っているでしょうから、その会場の会員さんだったら絶対に分かっているのでは。
本部に電話があって地区に探索の指示が出ているのでしたら、地区はもちろん本部もすでに知っているはず。
ネットに出てこないのは身内をかばっているから。
そのうち何処かに出てくるかも。


「いや夫」は自分のブログで

>「ちゃねら~」が「ちゃねら~」を馬鹿にし、「いや夫」をちゃねら~に仕立て上げようとする情けない投稿
>ブログ主=「ちゃねら~」が「ちゃねら~」を馬鹿にし、「いや夫」をちゃねら~に仕立て上げようとする情けない投稿をしておいでだ。

と、否定派がちゃねらーであって自分はちゃねらーではないと懸命に反論している。

>「いや夫」のネット上での討論の能力をかなり高く評価しているようだ。

そのような言い方をするのか。
高く評価しているのは「いや夫」の「討論の能力」というよりも、ちゃねらーとしての技術。
分かる人には分かると思うが、「いや夫」の宏正会についての討論の中身に見るべきものは何もない。
はっきり言えば「いや夫」が言っていることは、全部否定されてクズのようなもの。
それでも、今まで執拗に書き続けておられるのは、ちゃねらーとしての能力によるもの。
もっとも今は自分のブログで、ただちゃねらーとしての遊びに熱中しているようだが。

このブログの設営・運営している人を「いや夫」は否定派としているが、誰もそのようには思ってはいないだろう。
ここのブログ主は大変心が広い方のようで、否定派であろうが肯定派であろうが区別することなく載せて頂いている。
もし否定派なら、とっくに「いや夫」の書き込みはすべて削除しているはずだ。
「いや夫」の書き込みには明らかに「荒らし行為」と言えるものが大量にある。
もし「いや夫」のブログにこのような否定派の書き込み来たらどうするつもりだ。
「いや夫」の言っていることは、他愛もない言い掛かりということ。

>貴様の希望的観測とは裏腹に、「いや夫」は一度も2ちゃんねるに投稿したことがないので「ちゃねら~」ではない。違うというなら、「いや夫」が膨大な貴様の投稿を2ちゃんねるから収集してきたように、貴様も「いや夫」の投稿とやらを収集してこい!いいがかりをつけるからには、当然の責務だ。九十九里浜の砂の中から、ダイヤモンドを見つけるより難しいぞ。だって一度も打ってないんだもん。

確かに「いや夫」が2chに投稿したものを実際に見つけるのは困難。
しかし、2chにしろ他のスレやブログにしろ「いや夫」が一時期この手のゲームに熱中していたことは誰でも容易に想像できる。
「ちゃねらー」とは、ただ2chに投稿している人を言うのではないだろう。
ネットという架空世界の討論で、討論の場から相手を追い出すことで勝負を決めるゲーム、そのようなゲームをしている人を指す言葉じゃないのかな。
たまたま2chでそのようなことをしているから「ちゃねらー」と言うのではないのかな。
「いや夫」が書いたものを見れば、そのような いわゆる「ちゃねらー」の技術をふんだんに使っている。
もし、この手のゲームをしようと思う人がいたら、「いや夫」のやり方を見ればいい勉強になると思うが。
「いや夫」だって今のテクニックを習得するまでは、相当悔しい思いをして研究したはずだ。
違うかねー 「いや夫」君。


いや夫についての、情報は下記のとおりだね
特定できるんじゃないの?

会にとって、外部の人間がいろいろ言うのは、関係ないし、しかたない、クレームは抹殺できない。会の外に人間に自分たちの教えを強要もできない。

でも、内部の人間はちがう。内部の人間だから、管理義務がある。しかも、会の名前を出して、会友が、倫理そっちのけの発言をしているのは、非常に困る。しかも、実践をしておらず、本だけの情報で、実態を何にも知らないのに、会の教えに反した発言で、敵を作りまくっている。会としては、反論でなく、自分の行動で、自分が変わることで、他人に影響を与え、我も人もの幸せを求めるという「実践」を、活動の原点としているのに、創価学会のごとく、折伏、議論で相手を説得しようという、全く会の教えに反する会友を、放置できないからだ。このままでは、創価学会のようになるだけである。
宏正会は、自分の実践、行動で、他人に影響を与え、仲間を増やし、倫理社会の創建をめざしているのである。創価学会のように、戦い、打ち負かす宗教ではない。

いや夫は、会の根本を理解できていない。実践していないからだ。


<いや夫の情報>

BIGLOBEでプロバイダ契約をしている可能性が高い。
メアドで「***@***.biglobe.ne.jp」を使用する場合がある。

妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている(いやいやながら)。
義母は、朝起会を毎日欠かさずがんばっているが、妻はよくさぼっている。。
本人は名ばかり会友で、年間5回位は、妻との義理で会に足を運んでいる。
本人は、練成会には誘われるが、性に合わないとして出たことが無い。

競馬に一時期はまってしまい、毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ
勝負を続けている。

0歳から2歳までの子育ての最高のバイブルは、「子育てハッピーアドバイス」万年堂出版 明

橋大二著と考えている。

妻が続けている朝起会を擁護しようとプログをつくりせっせと更新しているが、妻曰く「ブログ

の更新ばかりで、つまならない。」と言われている。本人も妻や子どもとのコミュニケーション

はおろそかになり、趣味の競馬研究や釣りを楽しむ余裕もなくなったと反省している。
朝起会に参加している年齢層は、嫁よりも姑の方が圧倒的に多い。

ネットで掲示板を始めたのは、今から10年位前。

昔カナダに行ったことがある。

妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している。本人の両親は、夫婦で暮らしてい

る。兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる。本人の両親の住居はマンション。本人は賃貸住宅。
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命。

(2009年9月28日の本人談)海のそばのキャンプ場に行った。最近釣りに目覚めた本人は、朝早く

から起きだし、釣りをしていた。

社会人になって、仕事帰りにゲームセンターに寄ることも時々あった。一つのゲームに熱中して

、1000円近く使う程度だった。

今ではコンピュータゲームは一切しない。パソコン歴は、ウィンドウズ3.1の頃から(本人と

しては割とベテランと思っている)

次男。独立して結婚生活を営んでいる。本人は結婚が遅かった。 

民主党支持者、更に小沢さんを特段に支持している
石田純一が嫌い
テレビ番組のロンドンハーツが嫌いだが、妻は大好きなので、いやいや見ていると言っているが

、芸能関係の話は実は結構好きのようだ。。

夫婦別姓は反対、千葉景子議員ら推進者もハロー効果で嫌っている

モリタク(森永卓郎)に少し似ている。(本人談)

当夫婦世帯は、核家族で、夫婦、子供2人の4人世帯。
当夫婦世帯では、宏正会に8人分の会費を払っている。家族四人、私の両親二人、私の兄一人、
苦手?なご近所さん一人。

副島隆彦氏の妄信的な信者ともいえる支持者(本人談:信念をもって、Cを選んだ方の情報源は

何ですか?私の場合は、副島隆彦氏の本です。彼は、日本と世界の歴史や現在の国際社会をもっ

ともよく理解している人だと思います。予言者と呼んでもよいかもしれません。私は、副島隆彦

氏の本の信者です。「洗脳」されています)

*上記、改行がおかしくなって読み難いので、下記部分のみ再び入れます


<いや夫の情報>

BIGLOBEでプロバイダ契約をしている可能性が高い。
メアドで「***@***.biglobe.ne.jp」を使用する場合がある。

妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている(いやいやながら)。

義母は、朝起会を毎日欠かさずがんばっているが、妻はよくさぼ
っている。
本人は名ばかり会友で、年間5回位は、妻との義理で会に足を運
んでいる。
本人は、練成会には誘われるが、性に合わないとして出たことが
無い。

競馬に一時期はまってしまい、毎週1万円位すってしまうほどだ
ったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている。

0歳から2歳までの子育ての最高のバイブルは、「子育てハッピ
ーアドバイス」万年堂出版 明橋大二著と考えている。

妻が続けている朝起会を擁護しようとプログをつくりせっせと更
新しているが、妻曰く「ブログの更新ばかりで、つまならない」
と言われている。本人も妻や子どもとのコミュニケーションはお
ろそかになり、趣味の競馬研究や釣りを楽しむ余裕もなくなった
と反省している。
朝起会に参加している年齢層は、嫁よりも姑の方が圧倒的に多い。

ネットで掲示板を始めたのは、今から10年位前。

昔カナダに行ったことがある。

妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している。
本人の両親は、夫婦で暮らしている。兄夫婦は、少し離れた所に
住んでいる。本人の両親の住居はマンション。本人は賃貸住宅。
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命。

(2009年9月28日の本人談)海のそばのキャンプ場に行った。最近
釣りに目覚めた本人は、朝早くから起きだし、釣りをしていた。

社会人になって、仕事帰りにゲームセンターに寄ることも時々
あった。一つのゲームに熱中して、1000円近く使う程度だ
った。

今ではコンピュータゲームは一切しない。
パソコン歴は、ウィンドウズ3.1の頃から(本人としては割と
ベテランと思っている)

次男。独立して結婚生活を営んでいる。本人は結婚が遅かった。 

民主党支持者、更に小沢さんを特段に支持している
石田純一が嫌い
テレビ番組のロンドンハーツが嫌いだが、妻は大好きなので、い
やいや見ていると言っているが、芸能関係の話は実は結構好きの
ようだ。。

夫婦別姓は反対、千葉景子議員ら推進者もハロー効果で嫌ってい

モリタク(森永卓郎)に少し似ている。(本人談)

当夫婦世帯は、核家族で、夫婦、子供2人の4人世帯。
当夫婦世帯では、宏正会に8人分の会費を払っている。家族四人
、私の両親二人、私の兄一人、苦手?なご近所さん一人。

副島隆彦氏の妄信的な信者ともいえる支持者(本人談:信念をも
って、Cを選んだ方の情報源は何ですか?私の場合は、副島隆彦氏
の本です。彼は、日本と世界の歴史や現在の国際社会をもっとも
よく理解している人だと思います。予言者と呼んでもよいかもし
れません。私は、副島隆彦氏の本の信者です。「洗脳」されてい
ます)

名古屋地区?の会場の方は、通常の会話や、演壇その他で、該当する人間に検討がつくと思います。
会友の面汚しですので、会場責任者は、本部に指示を仰いでください。
本部から、本人に指導を行ことになるはずです。

いや夫の発言内容を見て、会友にこんな人間がいることが、認知されると、会として非常う困ります。

勧誘された人間が、もし、断れば、もし否定的な発言をしたら、いや夫のような会友がいて、いや夫のような会友に取り囲まれて、「こ奴は」とか言い出して、とんでもないことを言い出すとすれば、恐怖以外の何者でも無くなります。

地域からも、いや夫のような人間になる、そういう会だ、一皮向けば、いや夫のような人間の集まりだ、と、みられます

実践して、自分が変わり、周りによい影響を与えていくという、会の考え方を全く理解できない、するつもりもない いや夫は、会友の面汚しだし、邪魔している以外の何物でもない



上記ぐらいの情報では、ぜんぜんぬかに釘です。会員は誰も真剣に取り組んではくれません。
実際、本部も本人さがしなんかしてませんね。

↑ 何言っているの。

これだけ「いや夫」さんのプロフィールが公表されれば、「いや夫」さん周辺の人は直ぐに分かるはず。
「いや夫」さんは気が気ではないのでは。
あまり激しい口調で非難すると、自分で自分を追い詰めてしまうことになると思うけど。
それに「虚無僧一路」さんは東海地区の壮年会員さんで、朝起会の先輩会員さんに色々と尋ねられているようですので、会の中では「いや夫」さんを調べられているのは確実。

「いや夫」さん夫婦は、核家族で、夫婦、子供2人の4人世帯。

「いや夫」妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている(いやいやながら)。
義母は、朝起会を毎日欠かさずがんばっているが、妻はよくさぼっている。
本人は名ばかり会友で、年間5回位は、妻との義理で会に足を運んでいる。
本人は、練成会には誘われるが、性に合わないとして出たことが無い。

次男。独立して結婚生活を営んでいる。本人は結婚が遅かった。
モリタク(森永卓郎)に少し似ている。(本人談) 

妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している。
本人の両親は、夫婦で暮らしている。兄夫婦は、少し離れた所に
住んでいる。本人の両親の住居はマンション。本人は賃貸住宅。
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命。

「いや夫」さんの奥さんは、今では朝起会に行っていないかも知れませんね。
だから「いや夫」さんはまだ批判派について色々と言えるのかも。


こんな情報では、全くお話になりません、本人らしい人にも行き着きません。
とくとくとして、おやりになっている、この「いや夫さんは、どなた?」当てっこゲーム遊びは、「いや夫」さんがしていた、「あの成りすましは、この成りすまし」当てっこゲームと、本質的に同レベルの児戯でしかありません。
遂にこのスレは、「いや夫」さんのレベルが感染して、こんな当てっこゲームスレに堕したのでしょうか。
仮に、「いや夫」さんご本人がどこの何の何兵衛ということが分かったとして、それが何の益になるのでしょうか。
当てっこゲーム、「一等賞ぅ~~」ぐらいのものでありましょう。」
こんな低レベルな、「いや夫」なんかにかかずらわる愚をおかし給うな。

いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。同じ会友からのクレームや批判への聞く意味がなく、自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、同じ会友からのクレームや批判があっても、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。ネット上の討論で良かった。面と向かって

討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。

<わかりやすく、再投稿>

いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。



もう「いや夫」さんは、このスレに出てこなくなったんだから、何度もネチネチとうらみつらみを言うのは、知性と教養のある人はやめましょう、と言っております。
あなたのように、これでもかこれでもかと、論理的でもなく、ただただ「いや夫」さんを、バカにし、中傷する文章を書いている人は、あなたこそ、あの相当のバカ者の、「いや夫」さんより、もっとバカで、ものごとに対する、「理解力」の欠如した人間である、自己証明そのものである。
「いや夫」さんのことは、ずーっと過去の、夢のまた夢、全く語るに落ちるひと。

もうそろそろ死者に鞭打つのはやめよう。たとえ、愚かで馬鹿な奴だったとしても、死んだ者の悪口は言わない方がいい。

いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

<わかりやすく、再投稿>

いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。

上記の投稿は、
いや夫が、水面に写った自分の姿を見て、ワンワン吠えている犬と
全く同じ状況だと、言う意味ですよ。
理解できないようですが。

さらにいえば、
いや夫が、鏡に映っている自分の姿を罵倒して、石を投げつけたら
壁にぶつかって、戻ってきた石が、自分の顔に見事に当たって、
鼻血だしてるような状況だよ

陳腐だねえ


↑ & ↑↑

まことにその通りであります。

同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、・・「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。

わたしは会友ですが、上記におっしゃる通り「いや夫」さんは、正しく実践しているとは思われません。
もし、いままでの「いや夫」バトルをご覧になられて、「宏正会」に疑問を持たれたお方がおられましたら、
「いや夫」さんは、真の会友の姿ではないと、ご理解いただきたく思います。
またしつこく、しつこく、ネチネチと「いや夫」さんを攻撃されているお方も、会友ではありません。人をいじめて快感を覚える、すこし心にやまいをいだいた方たちです。
正しい実践は、「それはそれとして」、くだらないことは、一度だけ難じて、あとは忘れて尾を引かないことです。
真の「宏正会」の姿を、をよろしく観じていただきますよう。

2009年度の立入検査にて、社団法人実践倫理宏正会は所管の文部科学省より、入会手続き等、会の活動に不透明な点があるとして改善をするよう指導を受けました。

いや夫
今回だけは、特別、
いや夫は、上記の書き込みに対して、回答するべき
違う
回答しなさい

回答しないといけない

違いますね
逃げるな、回答しろ

でも、いや夫は、
1回は、書き込みしていいけど、2度はダメ
1回だけ、特別に書き込みしてOK
で、最後、一生、帰ってくることは、ダメ
自分で言ったことを、守れ

 何だ、「いや夫」に、まだ投稿してもらいたいのか?ややこしい性格だな?お前。

 「いや夫」が登場しないと、一人で成りすましをするばかりでつまらないということか?

 「いや夫」は会友とはほど遠いとの指摘について

 その通りである。「いや夫」は「いや妻」が実践しているだけで、ほとんど会のことは知らない。ただ、否定派が家庭愛和ができない大馬鹿者であることは知っているので、その正体を暴いているだけである。否定派をいじめているわけではなく、否定派が会友をいじめているのを攻撃しているだけである。これは、いじめをとめることだから、正当防衛である。いじめが蔓延するのは、傍観者が多すぎるからだ。「いや夫」は傍観者になりたくない。「いや夫」を嫌うなら結構。同じように否定派を嫌いなさい。

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 文部科学省の立ち入り検査がどうのこうのについて

 また嘘の捏造か?文部科学省のサイトで検索をかけても何も出てこないぞ。公的機関なら、ちゃんと公表しているはずだ。出典資料を示せ。そうでなければコメントのしようがないだろう?

 この一回の投稿だけで満足したか?「いや夫」はもう十分だ。サイコばばあのブログ主と関わりたくはない。呼ぶな。

 呼ばれたついでに、PRしとく。

 このブログを卒業した後も、「いや夫」はこのブログ主をはじめとする宏正会否定派の追求を続けています。ぜひ読んで、知られざる否定派の真実の姿を知ってください。

 実践倫理宏正会に対する否定派首謀者追求ポータル1 20100908版
 http://58807828.at.webry.info/201008/article_51.html


いやはや、「いや夫」様、お久しぶりにご登場、おなつかしく存じます。
全くおっしゃる通りです。関係者に尋ねてみましたが、文科省の立ち入り検査は絶対にありません。ただそれだけです。
ご趣味のご研究も、進んでおられるのでしょうが、このスレにはなじみませんので、どうかあなたさまのブログで、大奮闘されますよう、お祈りいたします。
いつか時間的な余裕ができましたときには、またあなたのブログの成果を拝見することを楽しみにしております。


低脳馬鹿夫w

ここんとこ、確定ですね


<わかりやすく、再投稿>

いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。


↑ & ↑↑

まことにその通りであります。


いや夫、本人も認めて、
会友も認めて
いる、
確定しました

いや夫、本人も認めて、
下記も、正式に、確定しました



上記の投稿は、
いや夫が、水面に写った自分の姿を見て、ワンワン吠えている犬と
全く同じ状況だと、言う意味ですよ。
理解できないようですが。

さらにいえば、
いや夫が、鏡に映っている自分の姿を罵倒して、石を投げつけたら
壁にぶつかって、戻ってきた石が、自分の顔に見事に当たって、
鼻血だしてるような状況だよ

陳腐だねえ


いや夫、本人も認めて、
下記も、正式に、確定しました



いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ


「いや夫」さんは、ビョーキ、ビョーキなんですよ、もうこれ以上彼に関する書き込みを止めましょう。
もっと生産的なことがらを、話し合いましょう。

低能いや夫、謝罪に来たのかと思えば、また下らんことを言っているな。相変わらず頭が悪い。

「いや夫」はただ宏正会のスレでゲームをして遊んでいるだけの人だから、放っといて一人遊びをさせておけばいいの。
「ちゃねらー」の相手なんかする必要はないの。

今は、このブログの設営者を否定派の首謀者としているようだけど、これも「いや夫」の策略の一つ。
ブログ主を攻撃して、ブログ主がどのような反応を見せるか、否定派がどのような反論をするかと「いや夫」は様子を伺っている訳。

このブログに古くからの投稿している人は、アホらしくて笑っているでしょうね。
ねー 「レイモンド」さん。


>自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛
>び込めばいいのに
>奥さん大喜びだと思うよ

ワロタww

記念として、下記を作詞いたいしました。
著作権フリーと致しますので、どうぞご自由にお使いください。
曲をつけるなりして、ニコニコ動画で「歌ってみた」などにもどうぞ。

「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です



おお、これは名歌だ、よくできた。


「いや夫」節

今は昔のそのむかし
「いや夫」先生おりました、おりました
毎日パソコンたたいては
「、」(テン)とか「。」(マル)をば研究し
出した論文、「成りすまし」、「成りすまし」

「A」は「B」とて、「C」は「D」
なるほど適中ピッタンコ、ピッタンコ
でもそれだけでは何のこと
名前も住所も不明です、不明です
何の役にも立たないで
骨折り損とはなりにけり

遂にあるとき「宏正会」
とうとうアタマにきてしまい
刑事訴訟と打って出た、打って出た
警察権は強いです
強制捜査のそのはては
このスレ主のお方から
メ・アドもデータも差し出させ
「いや夫」も「武蔵」も「太陽」も
「鉄槌」「へっつい」どっこいしょ
皆んなお縄となりました

「いや夫」がシコシコやったとて
何の役にも立たないと
そのとき知ってもそりゃ遅い
サイコロ・バーサンいうてるが
自分がチンコロ・オッサンと
いうことチットモ
分かっとらん
クソスレさっさと卒業し
バイバイサイナラ
サヨオ~ナ~ラァ~♪~


一支部の母親の属する班長に、ここで言われていることが真実なのかどうなのか確かめる為に、話し合いたいと申し出でても、絶対会わない。
また支部長にも話をさせろ、と言っても無視。
こんな倫理修養団体がこの世にあるだろうか?
教会でもお寺でも「相談があるので、伺いたい」と
申し出れば、快く応じてくれる。
こんな似非宗教(事実上宗教である)は絶対に信じてはならない。保守政治家との繋がりがあり、この団体は、その政党の集票マシーンに過ぎない。
また、戦前中国人虐殺はなかったと妄言を吐く
渡部昇一を師としているらしいww



その支部の支部長がおかしいのです。
本部の代表番号に電話して、相談窓口を呼び出してください。
そして、あなた様のお母様の支部名その他をハッキリ名乗っていただければよろしいです
そしてその支部長に関する個別的問題として、相談してください、それ相応に必ず、対応いたします。

ただ、一般問題として、ネットの書き込みは、正しいのですか、のようなことでしたら、何度もいうようですが、「宏正会」としては、ネットの書き込みそのものを、無意味なものとしている関係上、対応はいたしかねます。
だんだんに申し上げてきましたが、「いや夫」さんが、賛成してくれようがくれまいが、会としてスレの性質を研究検討した結果、これは「無意味なもの」との結論に達しましたので、よろしくご理解いただきたいのです。
このわたしの書き込みも、あなたの書き込みも、こんなスレで、何が書いてあっても、「無意味」なのです。

今いる会友で、会に不満のない、有効に機能している会友にとっては、ここでの書き込みは「無意味」かもしれません。
しかしながら、今後の会のためには、また、現に勧誘されている人にとっては、会の不備を補填する機能を有していることも、事実だと思いますよ。
下記のとおり。


ここで出ている宏正会の問題点(当たり前のことで、批判ではない)を、宏正会の中で話しても何にも意味はないと思います、妄信している会員にとって、会の教えに反することを言う、とんでもない奴
がいるというだけです。聞く耳は全くありません。
なぜなら、裏倍加や、徳積みなどの件は、今の主要会員にとって、最大の貢献事項を否定することになり、いままでの時間も、お金も、無駄だった、間違いだったなんて、認めることはありえません。会場の幹部クラスに至っては、その人の今までの人生を否定することに、等しいからです。
今いる、会場の人たちから、宏正会が変わることは有り得ないと思います。

非積極的ですが、インターネットなどの影響力で、議論、あるいは情報提供し、一定の影響を与えることも、意味はあると思います。

この掲示板を見ている人が、騙されないように、情報提供すること。
現会員で、妄信に至ってない人が、この掲示板を見て正しい判断をすること。
最低限、違法行為をしないこと、できれば退会すること。

一定の情報が広がれば、文部科学省などが、公益法人に対する管理として宏正会本部にたいする指導も有り得ればと、希望も持ちます。
今いる、妄信会員には、違法行為(本人が知らない入信届)をさせないこと、勧誘時に正しい情報提供をすること(元々宗教団体であること、活動内容は
宗教であること、など) 、本部には、現会員に本人がしらないうちに入信させられいる会員がいないか
本人確認させること、
いえるのは、今いる会員はもう無理としても、でもこれ以上被害が広がらないようにすることは、この掲示板や、インターネットの影響力は有効だと思います。

上記の>以下は、いわゆる「コピペ」であるが、内容自体は、まさにとの通りであると、私も思います。
なぜなら、私も会友として、会にいて、同じ感想を持っています。

本人が知らないうちに、入会の手続きをします。そのように会場の皆から、指導されます。少なくとも同居家族の入会手続きは、義務です。
入会時に「ひとのみち教団」などとの関係、いわゆる会の経歴などの説明はありませんでしたし、頒布その他、説明はしませんし、私もされていません。
天へ徳を積むという寄付金は、はっきり言って、閉口しています。入会時には「月の会費しかかかりません」とハッキリいわれましたが、事実は違います。

これは、コンプライアンス上も問題ですし、ましてや公益法人でもあり、改善が必須だと思います。

12.29に書いた匿名よ。
俺は陰倍加を問題する。
おまえが何を釈明しようと、事実がそこにあるだけだw
これから行政とも一悶着やるからなw
覚悟しとけよw

キリスト者と仏教者を巻き込んで、実践倫理宏正会を追い詰める。これが俺の役割だw

簡易保険の契約者は親父である。
妻の為にと保険をかけてあげてるのに、
宏正会は親父に内緒でその保険を妻(俺の母)に勝手に解約させた。
その後、妻(俺の母)は子宮筋腫となり、
保険が下りなかった。

この責任はどうなるのか?上広さんよw

公益社団法人認可の役所は文科省生涯学習科
公益法人担当 小島氏

陰倍加等被害に遭われた方はどしどし電話してください。文科省代表電話でOKです。

実際電話してみると、そういう報告は認可して60年ほどだが、一件もないとのたまわったw

文科省と宏正会は一体である。

>このわたしの書き込みも、あなたの書き込みも、
>こんなスレで、何が書いてあっても、「無意味」な
>のです。

果たして、そうかな?(w

<名前が知れると、いや夫が、家に乗り込んできて、ブスッとやられるかも知れませんよ、下記の通り>


いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。

さらに下記の通りである、怖い


いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ


上記、2つの いや夫の行動に関する内容は
本人が、認めているのである、他の会友も認めている

つまり、いや夫は、被害者・批判者に対して、このように行動すると
公言しているのである。

これが、いや夫(=会友)の実態であり、本音とは

こわい


↑ 09.17 01.17 pm
09.17 0147 pm

あなたほどな知性と教養のあるひとが、そんな悪が行われているのを目撃していながら、こんなスレに書くだけで、よしとするなんて、あまりにも卑怯です。
インターネットにどんどん書き込んでいけば、いつかよくなるなんて、甘すぎます。
わたしはこのスレが始まった、ちょうど5年前に会員になりましたが、オリジナルメンバーの5人ほどは、誰もそんな、裏倍加や頒布とかを言われたものはおりません。
いまだに、会側にたって書き込むのはこの5人だけ、いや現在はわたしひとりのようですが、その他大勢の反対勢力は、みんなこの手のスレの書き込みを見て、尻馬に乗って書き込んでいるように見えます。

>卑怯
?、なにが、どう卑怯といわれるのかわかりません。どういう意味で卑怯なのでしょか? また「こんなスレ」で書き込むだけと、なぜ思ったのですか? 毎日の活動の一環で書き込みはしましたが。

>そんな悪
私は悪とは思いません。バットではないと思います、しかし、公益法人としてはベターとはいい難いとおもいます。勧誘時に私個人としては金銭などありのままの説明を心がけします。
ちなみに、「裏倍加」という言葉は、会の中では私は聞いたことがありません。しかし家族をまず入会させるというのは、それはそれで許容範囲と思います。ただし、今後の改善は必要とおもいますが。

>裏倍加や頒布とかを言われていません
「裏倍加」という言葉は、繰り返しますが、少なくとも私の会場では使いませんし、私はネット以外では」聞いたことがありません。しかし、自分の家族くらいは入会させて、後付でも、参加させるくらいは、いいとも思います。貴殿もなされたほうがいいんじゃないですか。5年程たてば、そのくらいは実践の一環として必要だと思います。
頒布は、言われていない、やったことがないというのは、非常に寂しいですね。ぜひ、自分からおりやになるよう、積極的にご参加くださればと思います。せっかくですから。

はぁ?

中国人虐殺はなかったと言っているコテコテの右翼の渡部昇一が寄稿してる冊子をどうして売り歩かなければならんのだ?

池沼か?おまえはww

『裏倍加』はないと思いますが、『陰倍加』は、いや夫さんも存在を認めていますよ。
会員手帳は家族一人ひとりに渡っていますか?

「陰」と「裏」はどう違うのか?
説明してください。

あまりに酷いんで、
ちょっと、牧師に相談してみます。

馬鹿の癖して、あの偉そうに写ってる写真
は何なのか?
自分を神様だと思っているのか?

池沼じゃないのか?

会の中では神や天皇みたいなもんでしょう。しかしその癖、金に目が無く腹黒い。これって何なの?

悪魔

そりゃ、悪魔に失礼だ。悪魔が必死で銭数えてる印象はないがなぁ。


↑ 09.18 07.55 am

わが尊敬する匿名・「武蔵・太陽神」殿のコピペをして、「何が卑怯なのでしょうか」と問われたあなた。
コピペも通じて「宏正会」は、あたかも陰倍加や頒布、経歴説明などで、不当な行為があるとのご指摘でありましたが、一方「家族をまず入会させることは、許容範囲であり、貴殿もなされた方がよい」と、いささか矛盾した論理をまず指摘いたしましょう。
さてわたしの「卑怯」と申しましたのは、会員であるあなたが、あなたの身近で会の好ましからざる行為を目撃していながら、こんなスレにとくとくと書き込んで、よしとしておられることを指したものです。
もし本当にそんな行為があったのなら、改善の実践をされるべきでありましょう。道は二つです。一つは九段の本部に申し出ること、二つ目は文部科学省の担当部課に告発することです。
いささかの勇気がいりましょうが、スレ上にはあなたのプライバシーは絶対に出さないことを条件に、いかようにもご協力いたしますので、おっしゃってください。他のスレでありましたが、この段階で当方への連絡方法を書きましたら、沈黙なさった筋がニ/三ありましたので、まずご意向をお聞きする次第です。


失礼ながら、率直に申し上げると、頓珍漢というか、意味がわかりません。貴殿は、会友では無いようですね、あるいは会にあまり参加されていないか、少なくとも深くは関わっていないようにかんじます。
まず、頒布をしてみてはどうですか?頒布とは何かがまず理解されていないように感じます。

2つの道?ですか? 自会場含め、本部の方、ブロック長、他の会場の方ともお会いして、いろいろ改善も、問題点も話し合っていますよ。なぜ、直訴ですか?告発ですか?文部科学省含め。
貴殿は、他人任せですか? 本当に会友ですか?
日々の行動で、改善もしていますし、会話もしていますよ。実践なくて、口だけで、空論では何の意味もないですよ。
金沢の練成会にいったときも、その話は出ていますし、問題点は改善する行動は、当たりまえですよ。

「いささかの勇気」なんて、なにもいりませんよ。

しかしながら、不正があるとは、私は思いませんしいってもいまません。改善が必要であるとはもちろん思います。一部、問題点提起や、外部の方の苦情を、誹謗中傷扱いする方もいますが(真の実践者ではない)それは、間違いです。真摯に受け取るは受け取り、改善すべきは改善する。それが、倫理以前の、あたりまえの行動でしかないと思いますが。

貴殿は、まず、実践をされたらどうですか?
そして、会場の方と、会話されたらどうですか?
実際どうなっているのか、そして、自分の行動から、その会場も変えましょうよ。というより、もう変わってきていますよ。

>わが尊敬する匿名・「武蔵・太陽神」殿のコピペをして

尊敬しているのに、だけが書いたのかも、いいかげんでは
おかしいですね、本当に尊敬しているんですか?

当コピペは、2ちぇんねるの「元会員(×会友)」の書き込みですよ

会の中で、末端の一会員がどうこう言ってみたところで会長も会も変わることはない。
会長一家の者は宏正会をウエヒロ一族のものと思っているいるのだから、トカゲのしっぽを切るように批判者を切り捨てるだけ。
初代会長はどうして師匠の丸山を裏切って宏正会を造ったのか知っているだろう。
金や権力を手にするためじゃなかったのか。
このDNAはウエヒロの代々の血筋にずっと流れて行く。
宏正会がどんなに世間から批判されようが、宏正会がどんなに衰退しようが、会長一家は変わるはずがない。
なぜなら宏正会は、ウエヒロ家のものだから。

自分達がおかしなことをやっておいて、それを指摘されたら、「お前はやったことがあるのか?まずやってみろ」とはどういうことか。違法行為を行っておいて、「あんたもやってみな。意外と楽しいぞ。やってみればわかるって」 と言ってるようなものだ。実際会員(信者)が大会(榮治が集金のために行う特別な集会)の勧誘に行った先が留守だったため、近所中に行き先や帰宅時間を聞き回って大迷惑をかけ、あわや警察沙汰になりかけた。支部にクレームが来たことを支部長が発表していた。明日がその大会の当日。支部地区設立記念の特別開催ということで、榮治としては、臨時の集金先が増えてホクホクというところだ。十箇所程度で同じ原稿を読み歩いて(しかも原稿を読み終わると、他の者は残して自分だけさっさと帰ってしまう。おそらくその地方のゴルフ場にでも遊びに行くのだろう)大金をせしめて行くのだからやめられないのだな。こんなのに加担して自分の金と時間を貢ぐのは勝手だが、まともな生活をしている一般人を巻き込もうとするなよ。自分達の迷惑さ加減に気も付かずに、「あなたは会友ではありませんね」だと?頭がおかしいのではないか。


なんつったら、良いんだろうか。この一つ上のカキコをみて、腹抱えて笑ってしまった。いわゆる、偏差値の低さモロダシすぎ(爆笑)
まず、主語と述語が省略しすぎた文章でわかりづらいけど、書いてる本人が主語がわからなくなってるから、論理が入れ替わって、無茶苦茶になってる。たぶん書いてる途中で、もう、自分で何言ってるかもう、思考が途切れてるんだろうね。
おまえは、爬虫類か(大爆笑)

おれは、否定派だけど、同じ否定派として、おまええみたいな、爬虫類脳みそが、いるのも、楽しめてうれしいです(感謝)

でも、国語、落第ね(再爆笑、笑いすぎて、超ハラいてーーーー)

とりあえず、自分が、誰に対して言ってるのか、何に対して言ってるのか、根拠は何なのか、あるのか、
それが、言ってる途中で、入れ替わると、ダメね、
笑えて、面白いけど、(爆笑)

(命名)君を、トカゲ君と名づけよう

次に投稿するときは、匿名でなく
「トカゲ君」
と、言うネームで、投稿すること
これ、絶対命令だからね
(再爆笑)

他人の投稿を批判するのは大いに結構。ただ、人を爬虫類やトカゲ呼ばわりする中学生のような方はいりません。「絶対命令」とおっしゃるが、「命令」というからには、何らかの法令根拠、あるいはそれらに委任を受けた裁量権によるものなのでしょう。ご教示願いたい。もしそれらの根拠がなければ「命令」ではなく、「要請」等の文言を用いるべきである。言葉を知らないとはおそろしい。正しく爆笑ものだ。

確かに、推論ができなければ読み取れない投稿は避けたほうがよいでしょう。さもないと、馬鹿な子供が文句を言ってくるぞ。よい教訓とするか、難しい文章で馬鹿を排除するかのどちらかだ。

人様の書いた文章がそんなに可笑しいのでしたら、さぞや立派な文章が書けるお方なのでしょうね。
どのような文章が書けるのか、一度見せて頂きたいものです。
人様の批判はいくらでもできますよ。

↑ 09.20 04.20 mp

いやはや、スレ上で会友同士が論じ合うなんて稀有のことにて、わたしのいう意味がお分りにならないとのご指摘、舌足らずを反省いたしますと共に、今すこしご辛抱いただき、お付き合い願いますよう。

1.わたしは正真正銘の会友にて、有効なる会友手帳を保持いたしております。

2.あなたは、会友として実践をなさっている上、金沢の練成会にも行かれたよし、大変結構と思います。またいつも改善に努めてくださり、もう変ってきているとのこと、ご同慶の至りです。

3.さて、わたくしの舌足らずを補いますと、あなたが、公益法人としてのコンプライアンス上問題ありとして、指摘されました、
  ①本人の知らないうちに、入会手続きをするように
   指導していること。
  ②「ひとのみち教団」などに関係する経歴の
    説明がなかったこと。
  ③「毎月の会費しかかからない」とハッキリ言われ
    たのに、天へ徳を積むという寄付金に閉口
    しておられること、等々が記されておりました。

4.わたくしの論点は、上記①③は、先師も現会長も絶対に望んでおられないし、そんなことを言われたことも書かれたこともなく、ご存知のように、むしろ強制してはならないと常々ご指導いただいております。あなたの書き込みがありましたので、もしそれでお困りならば、本部に一緒に行きましょうと言ったのです。
②については、そのようなことを言う向きもあると承知していますが、とくに隠しているわけでもありませんので、わざわざ言う必要はないと思っております。

似非倫理団体よ。
潔く、神仏の裁きを受けなさい。

陰倍加やお祝金について、会長が本に書いたり、大会で多くの会員を前に言って証拠を残すわけないだろ。
アホか お前は。
世間というものが何にも分かっていないガキだなー。

会長が言っているのは、「奉仕」とか「感謝」とかいった、誰もがもっともと思うものだけ。
このような抽象的な言葉から会員に金を出させるのが幹部の役割。
この会は暴力団に似ていると云われているのを知らないのか。
会長(組長)が周りの幹部に集める会員の数や金の額を言えば、幹部は必死になって集める訳。
それが陰倍加であり、お祝金。
幹部会員(子分)に罪をなすりつけて、会長(組長)は絶対に罪を負わないような仕組みを作り上げている。
本部に言っても、「会としてはそのような指導はしていない」とあしらわれるだけ。
「ひとのみち」から受け継いで来たのか知らないが、したたかな仕組みを作り上げたものよなー。
したたかな悪党がいつの世にもはびこるということ。


↑ 09.20 04.20 pm

金沢の練成会にも行かれて、わたしを頓珍漢といわれた会友であられる、「あなた」!
このスグ上の書き込みで、「アホか お前は」と書き込まれたお方が、このスレの一般的平均的な、お方です。
さて、わたしに対してでも、この上のスレに対してでも、あるいは既に上で、同じような書き込みもありますれば、あなた様のご高見をお聞かせください。
けだし、会長と本部の方針は、如何なるスレといえども、とるに足らずとしておられます。
いずれにいたしましても、会友であられるあなたが、スレに書き込まれた勇気は賞賛に値します。

>賞賛に値します

私にとってはちがいます。ネットで、実践してもいないのに、教えに反して、色々書き込みされる方がいるから、仕方がないから、書いているというのが、私にとって事実です。

>「会長と本部の方針は、如何なるスレといえども、とるに足らず」と、「議論はさけよ、ネットは見るな」

ここでいう「とるに足らず」の意味は、ネットで会友外の方からの、クレームや悪い評価が出ていても、日々、自分たちが実践し倫理に即した行動をしていれば、現実社会で我々と接した会友外方々は、理解してくれる、恐れるな、という意味です。

そういう意味上として「議論は避けよ、ネットは見るな」となります。

これは、ネットでのクレームや悪い評価に対し、ネットで言い訳するな、反論するな、という意味です。現実社会での、クレーム対応、顧客対応と基本は同じになります。(詳しくは、中途半端にここで説明しても理解は難しいので、企業のクレーム対応に関する書籍など沢山ありますのでご参照ください)
クレームや悪い評判に対し、言い訳や反論は、絶対にしませんし、してはいけません。それが基本になります。クレームや悪評は、改善の宝なのです。
また、特に小売業等、地域の多くの方と接する企業での発想で、宏正会で正に合致すると思うのが、店員(会友)が、店で(会場で)、悪い印象を持つような行動、あるいは悪い言い方をした場合、表面に出るクレームにはならないということです。表面に出るクレームにはならず、その顧客(勧誘された方、退会した方)が、ただ消えていく、2度と来てくれない、ということです。で、地域で、たとえば商圏(その支部の地域)の住民で、来てくれない人(悪いイメージを持つ方)の人数が少しずつ、累積されていき、結果、人が来なくなる。で、店はつぶれる(会はつぶれる)。
クレームでも、クレーマーというような、特殊暴力的な方もいますが、これは、店の担当者(個々会友)での対応はしませんし、させません。本当のクレーム、悪いイメージを待つに至ったことを、無視して、変なことを、言ってしまっては大変ですし、組織としてそのようなことはさせません。

また、勝手に反論などしたら、負の連鎖で、悪評は、増幅するだけです。(そういう意味では、いや夫氏は、まさに「会友の恥」だと、思います)

会でも、外部の方が、いろいろ言うのは仕方ない、とにかく聞くだけ、反論はしない。それが基本です。しかし、それに反論するのはもってのほか、特にネットで反論するなど、論外、というのが、基本スタンスです。反論でなく、自分たちの実践で、理解を求めるということになります。そういう意味で、いや夫氏は、実践している会友の足を引っ張る、妨害者以外の何者でもないとおもいます。

会友は「ネットは見るな」ですが、悪い評判、問題点、今後どうするかなど、会友が考えるという意味では、見るのは有益だと思います。

「会友は見るな」という指示が出ていることはまさに、ここで批判派が批判している諸々の事柄は真実だと言いたいのかね?(w

会長が、ヘビースモーカーで最新ベンツを乗り回し、
高級ホテルのスポーツクラブ会員なのか?
末端の信者は午前3時起き。会長は毎日実践しているのか?
愛和な生活を説く会長の息子は離婚をしたのか?
これはすべて真実なのか?

はっきりさせておきたい。


↑ 09.23 11.58 am

なるほど、最初の印象通り会員であられるなかでは、知性と教養において秀逸なお方ですね。
特に企業のクレームに対する、顧客対応になぞらえて、会友のネットへの接し方を説かれたところは、いままでにない論法であります。
会友で投稿する人が大変少なくなりましたが、あなた様のご活躍が期待されるところであります。

>店員(会友)が、店で(会場で)、悪い印象を持つような行動、
>あるいは悪い言い方をした場合、表面に出るクレームには
>ならないということです。

上記について、補足しておきます。

クレーム、苦情として、その場で、表面化するのであればわかりやすいが。自分の地域であり、知り合いもいるような場面では、その場では文句を言わず、表面化しないクレーム事項が多いのです。(宏正会の各朝起会場と共通部分があります)

都市部であれば、すぐに、クレームとなり、わかりやすい。対応しやすい。

しかし、特に東北などでは、文句が出ていないから、クレーム発生していないからと、安心していてはいけない。逆に、表にみえないから、逆に心配である、問題が深刻化する、ということです。
自分たちが気づかないところで、評判を落として、地域の人たちの支持を失っていく。それが累積していく。それを、リサーチして、拾い上げていく必要がある。
いや夫氏のように、それを誹謗中傷だなどといっていたら、あっという間に、信頼を失います。さらに言えば「敵」を作ることは、非常に問題です。
店舗であれば、一人でも嫌がらせをする人間を作れば大変です。地域警察との連携も必要ですが、対応は難しいです。もともとの原因が、こちらに些少でも落ち度があれば、地域全体を敵に回しかねません。ほんの些細なクレームが、恨み骨髄に発展して、さらに殺人事件になることさえも、有り得える時代です。

この件については、宏正会でも、参考とする部分はあると思います。クレーム対応上、会友は、店舗の店員と似ている部分があります。
自重願いたいですね
(とくにいや夫氏は、各会場の皆さんに、直接の迷惑をかけている、尻拭いを強いている、という事実を認識願いたい)

会社で言えば、会員拡大、雑誌の販売促進は営業マンの仕事。
それはこの会では会員、指導者は支部長・講師・会長。
つまり、末端の不祥事を、トカゲの尻尾切り処理は出来ない。監督責任を負うのでは?


↑ 09.23  05.00 pm

09.18 よりお付き合いいただいているものです。
あなたから、「貴殿は、まず実践をされたらどうですか?」とご指導もいただきました。会の名前にもある「実践」ということばは、会友のあいだでもいつも口にのぼっています。
あなたが「実践」といわれた場合、具体的にどういうことを意味しているのかご教示くだされば幸甚です。

「実践」

ネットで聞くのでなく、会場に行くことから始まるのではないでしょうか

(1)
ここに書き込むのは、やめること

(2)
朝起きして、会場で、会話すること

これにつきるとおもいます


一番よくないのは、御本だけ読んで、わかったつもりになること、やればできる、やらないだけ、という気持ちを持つことだと思います。
「実践」と、難しく考えないで、今、できることを、やればいいんじゃないですか?


↑ 10.36 pm

なるほど、すれ一番のご回答を賜り深謝いたします。
ここに書き込むのをやめる前に、上でお願いしました
 ↑ 09.23 05.00 pm 様の、ご高見を拝聴した上でやめたいと思います。


10.36 pm = 09.23 05.00 pm

です

異常な団体であることに早く気づけww

(1)意見を言うことをやめること。
(2)朝起き行って洗脳されること。
そうすれば御本を読むだけで、無駄心が無くなり、上廣の奴隷になれます。 ということらしい。 会長先生万歳!!

先日のこと一般的に、孫の誕生日に1番で会場に駆け付ける、孫の幸せの為と言うが、親は入会を知っているのか?朝起き会一番乗りすると幸せになるのか?
朝から誕生日プレゼントとケーキ作ったほうが幸せ


↑ 9.25 08.38 am

これはしたり、同一人物であられましたか。
スレ一番の知性と教養を備えた実践者、申し分ありません。
ご活躍を切にお祈りして、筆を置くことに致します。

宏正会の会長さんが言うには、イデオロギーや宗教などは特定の個人や集団のもので絶対ではないが、「実践倫理」は「すべての人が幸せに生きるためのルール」で絶対的なものだそうだ。

ふぅーん そうなら、今度の中国船の衝突事件に関する一連の報道について「実践倫理」ならどう解決をつけるのかなー。
「実践倫理」は「すべての人が幸せに生きるためのルール」なのだから、「実践倫理」によれば中国と日本の両国が納得の行く解決方法があるんじゃないの。
会長さん、どうしたらいいんですか?
教えて下さいよ。
そんな立派な解決方法があるんだったら、菅総理に進言して下さいよ。
すべてのイデオロギーや宗教といったものを超越した「実践倫理」を説いているんでしょう。
それとも「実践倫理」とは口先だけのものですか。
宏正会の会長さんは、口先だけで自分で自分の言っていることを絶対のものといっているのですか?
本当に口先だけでないのなら具体的な解決方法を言って見ないと誰も信用しないよ。
会長さん自身で自分の説く「実践倫理」が絶対と言っているのは、大詐欺師か精神異常者と言われても仕方がないですよ。


榮治に「具体的な解決方法」など求めるのは無理。そんな真似事でもしようものなら、たちまちインチキがばれてしまうではないか。今までそうやって自身の言葉では何も語らず、そのときどきに都合の良い格言や過去の偉人の言葉を辞書で調べて、更に勝手な解釈を加え、「これこそが我が実践倫理である」と妄言を述べて来ただけなのだ。所詮金儲けのための新興宗教なのだから、この程度で人が騙せればよいのだ。「具体的な方法」を言っているとすれば、精々「朝起きをしなさい」 「御本頒布に歩きなさい」 「倍加をしなさい」 「錬成に参加して自分を乗り越えなさい」 といった会の活動に加われということだけ。 またそうした会のために尽くさせる活動の中からも具体的指針は当然出て来ようがない。それらは個人の実践によって見付けだせるという理屈らしい。 なれば、教祖の後継ぎでありながら、具体的指針を何も示せない榮治自身、何の実践も出来ていないということだろう。あれだけ偉そうにしているセンセイにしては実に情けない。

「倫理」というものは、人間同士が共に生きていくための道理を説いているのじゃないのか。
だったら、倫理を説く者は具体的な場面、場面にどうしたらいいのかという行動基準を指し示すのが当然のはずだ。
「このような場面ではどうしたらいいのですか?」と聞かれたら、「この場合は、こうしたらいいのです」と答えるのが倫理を説いている者の役割だろう。違いますか?
それで飯を食っているのが宏正会の会長さんだろう。
そうなら、中国船衝突事件に関する一連の問題についても、宏正会の会長さんは日本は「こうしたらいいのです」と倫理に基く日本の取るべき指針を示すべきだろう。
一個人だったらその行動基準を示すことができるが、国だったらその行動基準を示すことができないと言うのか。
だったら、「実践倫理はすべての人が幸せに生きるためのルールで絶対的なもの」と、偉そうなことを言うんじゃないよ。
こんな大きな事を言って会長さんはさも自分は立派なんだと世間に見せつけたいのかも知れないが、皆の笑いものにされるだけ。
宏正会は世間に数多くある「修養団体」の一つと言っておけばいい。

「実践倫理はすべての人が幸せに生きるためのルール」というのは、秋の大会で会長が言った言葉。
他にも、
「(何でもいいから)実践による成功体験」
「主体的な問題発見と、主体的な問題解決」と、具体的な倫理の内容を何も言っていなくてただ「実践せよ」と言っているだけ。
具体的な倫理の内容を言おうとすると「ひとのみち」や「倫理研究所」と同じものになるので会長としては言うことができない。
会員を「実践」に向わせるには、会員に「そうか、なるほど。じゃー実践してみようか」という気持ちにさせることが必要なはず。
会長の言葉には何もそのような気持ちにさせる迫力、魅力がない。会長がただ本を読んだ知識でもって言っているだけで自分では何も実践というものをしていない証拠。
こんなことも言っている。
「実践倫理とは、具体的な行動すなわち実践によってよりよい暮らしを実現するすべての営みのこと」
「よりよい暮らしを実現できる実践は、すべて実践倫理」
こうなると、宏正会(会長)の言っている倫理の中身というものは全く空虚なものとしか言いようがない。
「何らかの行動(実践)をして良い結果が出たららこれが実践倫理」というのだから、行動規範としての倫理というものを何も示していない。
結果がよければ実践倫理になるというのであるから、中国漁船衝突事件についても、「日本政府の対応が結果として良ければ実践倫理に基いたものと言えばいいし、結果として悪かれば実践倫理に基いていないと言えばいい」と言うことになる。
全くのご都合主義。
結果を見て、良ければ後付けの理由を付けてそれが実践倫理と言えばいいだけのこと。
会長は倫理の中身を何も言わずにただ「実践」「実践」と言っていればいいのだから、宏正会の会長はバカでもなれる。
会長に就任してから38年になっても、結局言っていることはだだ「実践」ということだけ。

「聖人の言葉は、殺人者でも泥棒でも言える。キリスト教や儒教が現在にまで続いているのは、それをキリストや孔子が説いたから」
「西郷隆盛は、軍事では大村益次郎に、政治的能力では大久保利通には及ばず、世界情勢や将来の予測では勝海舟に及ばないのに多くの人々に慕われているのは、西郷が無私無欲の人であったから」
こんな言葉を会長が言っていいのか。
自分で自分の墓穴を掘るだけじゃないのか。
会長が松涛の豪邸に住み、贅沢三昧の生活をしていることはもう知れ渡っていること。
「無私無欲」どころか、誰よりも権力欲、金銭欲が強く、自分の息子を三代目に就けようと着々と準備を進めていることは誰もが知っていること。
おめでたい事に会長は自分が北朝鮮の独裁者になぞらえられているのを知らないようだ。


「倫理社会の創建」と言い続けて65年、未だ目的が果たせないどころか、世の中が混迷の度を増していると会長自ら認めている。そりゃ、会(会長)の主張が間違っているか、一応正しいことを言っているが、手法がまるで見当違いで的外れであるか、或いは初めから「倫理社会の創建」に仮託して、全く違う目的(権威付けと金儲け)をもって行動して来たかのいずれかだろう。前二者の理由なら、会長は無能であり、三番目の理由ならまことにしたたかで巧妙だということだ。実際のところはどうなのか、会長に訊いてみたいものだが、おそらく答えられないだろうな。

北朝鮮の指導者 
金日成 → 金正日 → 金正雲

宏正会の会長
上廣哲彦 → 上廣榮治 → 上廣哲治

どちらも専制的な独裁者が自分の地位を代々息子に譲り、金王朝 上廣王朝の安泰だけを考えている。
余程その地位はいいものらしい。
究極の私利私欲。


元々は倫理研究所の一員であったが、お金集めに執着したために脱会、独自でこの会を創設した。倫理自体の根本の考え方は間違っていなかったのだが、お金集めの為に湾曲した考え方に進んでしまったのだろう。
お金を掛けずに倫理を勉強したければ倫理研究所に入ったら良い。今のままが幸せだと思うならそのままで居たら良い。ただし周りに迷惑を掛けないのが前提だけど・・・。

長い日本の歴史において、金のかかる倫理は存在しない。
もし金のかかる倫理があれば、それでは日本は救えない。

宏正会の個人崇拝は大変なもの。人の文や発言を勝手に用いているウエヒロに告訴れるので、全文は掲載できないが、その会歌の三番によく顕れている。世界平和を実現するには倫理を日々行うこと。ここまでは、理解できなくもないプロットだが、会歌では、その教えに学ぶのではなく、教えて下さる「人の名」を高く仰ぐのだそうだ。発言の内容が空虚であろうと嘘であろうと(実際に宏正会は嘘で始まり、それを覆い隠すために役に立たない空論を続けている)兎に角「ウエヒロ」を仰ぎ奉るということを、会の歌で高らかに宣言しているのだ。その地位は、イルソン三郎(会では哲彦と称している)からジョンイル榮治へ、そしてジョンウー哲治(本来は三治)へと受け継がれようとしている。来年の65周年は北朝鮮と同じく大事な年らしい。権威を示し金を集める最大の好機であり、ウエヒロ王朝がこれからも続くと信者に知らしめる必要があるからだ。公益法人化への根回しも進めていることだろう。このような団体に対して文化庁が正しい判断を下すことを望むが、被害者から声をあげることも大事だと思う。こういったブログを有効に活用していけばよい。

会長は秋の大会で西郷隆盛について色々と述べているようだが、西郷が晩年よく口にし揮毫したとされる「敬天愛人」という語彙について、会長は「敬天」は大自然の摂理に従うこと、「愛人」は人と愛和することとして、宏正会の教えと同じとしている。

「天」とは、一般には宇宙であり神であり仏でありサムシンググレイトとされているが、中国伝統思想では「上帝」とされている。
しかし近時の研究によると、西郷隆盛の「敬天愛人」という言葉は、儒教等の古典にあるのではなく、中村正直(敬宇)「敬天愛人説」および『西国立志編』に由来すること、さらに原拠を探れば、清の康煕帝である、とされている。
元静岡大学名誉教授 田村貞雄氏のブログ  
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/keitennaijin.htm#saisho

西郷が説いた「敬天愛人」とは、「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。 天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。」
(道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。「西郷南洲顕彰会発行・南洲翁遺訓より」)という教えである。
これは、マタイの福音書22章37〜39節にあるイエスの教え「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を 尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同 じようにたいせつです。」と酷似している。
 また、マタイの福音書5章43〜45節には次のようなイエスの教えがある。「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがた は聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子ど もになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」

「敬天愛人」の典拠は、サミュエル・スマイルズ著、中村正直(敬宇)訳述の『西国立志編』(原書は『自助論』)である。同書は一八七一年(明治四)全一三編が静岡 で刊行されているが、訳者の「緒論」に「民委官(メンバー・オブ・パーリメント=国会議員)なる者」が「敬天愛人の心ある者」であるとか、「西国古今儁傑」たちが、「敬天愛人の誠意に原づき、もってよく世を済い、民を利するの大業」を行なっているとするくだりがある。
当時中村 敬宇は静岡学問所の教授であった。静岡藩権大参事大久保一翁(忠寛)は、中村敬宇から同書の草稿を見せられ、「敬天愛人」の出典について中村に問い合せている。中村が「旧新約書」(聖書)と返事をしたところ、大久保はこの成句は漢籍にはなく、「西洋物漢訳書」にのみあると納得している。

中村敬宇は、幕末にイギリスに行ったが、一八六八年(慶応四)帰国するや、すぐに徳川家に従い、駿府に移った。そこで「敬天愛人説」上下二篇(原漢文)を執筆している。「何をか愛人という、曰く、天を敬するがゆえに人を愛す。わが同胞を愛するは、わが父を敬するによる。」という一節があるが、この父は「天上の父」つまりキリスト教の神である。

西郷隆盛はおそらく『西国立志編』を読んで、「敬天愛人」の語を知り、これに共鳴したのであろう。西郷隆盛の「敬天愛人」が、中国の儒教の教典から直接発想されたのではなく、儒教的教養を土台としつつも、幕末・維新期の西洋文明とキリスト教理解から抽出された観念を受容することによって生まれたものである。

以上によると、宏正会の「大自然の摂理」はキリスト教のGodと同じということになる。
宏正会は「神」を立てないから宗教団体ではないというような言い方をするが、会長が「大自然の摂理」が西郷の「敬天愛人」の「天」と同じとするなら、宏正会は宗教団体ではないとはいえないだろう。


Hしてお金もらえるって最高だな!!!!
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もう仕事辞めて、これ一本で食ってくわ!!!!(* ̄ー ̄)v
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2010/9/30/17:37 様 榮治がそのようなことを知った上で発言しているはずがない。これまでも適当に読み齧った程度の低い知識を「倫理」と称して来た。引用された側は迷惑極まりないだろうが、ウエヒロ教の信者を誑かすにはあの程度で十分だということだ。主力部隊たる御夫人方に高等教育は必要ないと説くのも頷ける。宏正会は本部女子職員も結婚したら辞めさせるという前近代的なことを平気でやっている宗教組織。争いになったら確実に負けるので、信者を徹底的に洗脳している。榮治は常識が通用する人物ではないのだ。

宏正会の機関紙『倫風』11月号において、会長は「今、この時を楽しく生ききろう」と題する一文を載せている。
会長自らが時々を上機嫌で楽しく生ききろうと実践し、会員にこの実践を勧めている内容のようだが、このこと自体は真に結構なことである。
しかし問題は、
『歳をとるとともに、・・・・・・ 批判や悪口に対しても、「ずいぶん変わった意見だなあ」「面白い発想だな」「人それぞれで面白い」と思うようになったのです。』としている部分である。
このように言っているところを見ると、会長にも会や自分への批判が耳に入って来ているのは確かなようだ。
それでいながら会長は、「ずいぶん変わった意見だなあ」「面白い発想だな」「人それぞれで面白い」と全く意に介さない態度のように見受けられる。
しかし、果たしてこのような態度でいいのであろうか。
会や自分への疑惑や批判に対して言うことがあるなら堂々と反論すべきであろうし、それが会員の疑問を解き、会や一般社会のためにもなるのではなかろうか。
宏正会の成り立ちにおける倫理研究所との関係に見られるように、疑惑や批判について一切言及を避け、沈黙を通すのが宏正会流の処世術のようである。
グラビアの会長の顔を見ると、上機嫌の実践の姿を見せたかったのであろう、以前のふてぶてしい顔から幾分柔和な顔になっているようにも見受けられる。会長からこのような顔を撮るようにと注文を受けていたはずのカメラマンも、さぞや大変だったであろう。

このように、会長は会や会長自身の疑惑や批判を‘おかめ顔’で受け流しているようだが、誤魔化されてはいけない。
宏正会では北朝鮮と同じように後継者問題を抱えている。
独裁的な権力者がその権力を自分の後継者に移譲する時に、様々な軋轢が生じて来たのは歴史が示す通りである。三代も続けて会長の息子が会長を継ぐとなれば、「世襲」との批判を免れないであろう。
そのためには現会長が確かなうちに、息子の理事が会長となるのが当然というような既成事実を積み重ねておくことが必要となる。
現会長は‘おかめ顔’で世間の批判をかわし、息子の理事がその地位にあることを利用して‘しかめ面’で本部職員や地区幹部を叱り飛ばすことによって徐々に権力を手にして行くという策略のようである。
バツイチであると言われている息子の理事は、皮肉屋でイヤミな性分をしていて、よくヒステリーを起こすらしい。

現会長が上機嫌を装い‘おかめ顔’で疑惑や批判をかわそうとしても、事の本質は全く変わるものではない。そして、息子の理事がどのような動きをするのかを注意深く観察する必要があるように思われる。

ついに「いや夫」も「匿名」になったみたいだな

実践倫理宏正会は、上廣哲彦(本名は三郎)が昭和21年5月3日に設立したとされている。
上廣は広島の三菱重工で訓育の仕事をしていた時に原爆に遭い、幸いにも命をとりとめたが、終戦後 教員がストライキをするのを見て、倫理の頽廃を救うために広島の街角で辻説法を始めたのが始まりとされている。
上廣が今日の実践倫理宏正会の教理またその活動方法をどのように形成して来たのかは不明である。
会はこの事については明らかにせず返って会員がこの事を話題にするのはタブーとされている。
会としては一応、「初代会長先生は、戦前に諸宗教を研究され、なかでも黒住教、金光教等の研究に従事し、いくつかの教団に関係したが、その卓越した力量故に、すぐに抜てきされかかったが、一宗一派に凝り固まることを恐れるが故に、それぞれの教団に長くはいず、すべての宗教と思想を研究した後に、人類史上、空前絶後の快挙ともいえる実践倫理宏正会の教理体系を確立するに至った」と説明し、会員に納得させて来た。
そして今日色々と云われている、戦前の「ひとのみち」そして終戦当初の新世文化研究所(現在の倫理研究所)との関係についても、上廣が関係したいくつかの教団そして研究した宗教・思想の中に含まれていると説明する。

確かに、上廣が「ひとのみち」に関係したのは一年あまり、新世文化研究所とは数年と、期間としては短いといえる。
しかし、上廣が「ひとのみち」に入信したのが昭和10年(その後 教団は昭和12年4月に当局により解散処分を受け、地下活動を行なうことになる)、戦後 上廣が友人を伴って上京し、新世文化研究所を設立した丸山敏雄(「ひとのみち」時代には教祖に次ぐ准祖の地位にあった)に師事したのが昭和22年頃、そして丸山と袂を分けるのが昭和25年の夏頃とされているので、上廣が「ひとのみち」に関係したのは足かけ15年間の歳月が流れていることになる。

池田昭(「ひとのみち教団不敬事件関係資料集成」の編者)は「ひとのみち教団から派生したすべての教団(PL、自然社、倫理研究所、実践倫理宏正会など)は、その教義内容において、ひとのみちの教義の範囲を抜け出していない」とみなしている。
実践倫理宏正会は、「ひとのみち」の教理なり活動をどのように取り入れているのかを見て行くことにする。

[ひとのみち教団の教義]

「ひとのみち」は、当時から宗教らしからぬ宗教であると見なされ、日常道徳の実践を強調したのが特色とされていた。
救済方法としての教義も、現実生活における実践倫理に終始し、体系された形而上学的な宇宙論は存在しなかった。
崇拝の対象としては、元霊=天照大神、皇霊=歴代天皇の神霊、祖霊=先祖代代の神霊があったが、それらに対する礼拝ではなく、その時その時における心の持ち方をどうするか、というような指導が重要視された。
教義は、教育勅語、元訓6ヶ条、人訓21ヶ条などの箇条書きの処世訓が中心であった。

教育勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽

現代口語訳

私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。
我が臣民 は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学 び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨きげ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇 敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。
これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではな く、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけで なく外国においても間違いなき道です。 
私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいね が)っています。
明治二十三年十月三十日
(天皇陛下の署名と印。)

元訓6ヶ条

(1) かみは万象の根元なり
(2) きみは国土の主権なり
(3) ひとはかみの表現なり
(4) 夫はうます力の持主なり
(5) 婦はうむ力の持主なり
(6) 世はかみわざの実現なり

人訓21ヶ条

(1) かみ[神]は一体である ばんしん [万神]なきことを知れ
(2) かみ[神]は国のたからである
(3) 陛下は国民の親でる
(4) 親の心はかみ[神]の心である
(5) 世の中にいきるものの元はみず[水]である 其のもとはひ[日]である
(6) 天地は一切のものを育て大きくする
(7) 世の中の一切のものは かげひ[陰陽]でもつ
(8) 世の中にあらわれたる一切のものは 皆ひとをいかす為にうまれたるものと知れ 
(9) 宇宙に顕れたる一切のものはみち[道]としれ
(10) 世は鏡 ひとは鏡 子は鏡である
(11) ひとは万物の霊長である ひとより尊きものはないことをしれ
(12) ひとは天性を働かし中間を守れよ
(13) 何事も其元を忘れず行へよ
(14) 何事も約束を違へるな
(15) 己を虚しくして ひとを尊むぶし
(16) 何事も行はぬが故に苦痛となり 行なえば苦痛とならぬ
(17) 怒り急ぐ憂へ悲しむは物事を崩す
(18) 苦痛は善悪のさかひ[境]と知れ
(19) 幸福は己を捨つるにあり
(20) 何事も悟ると共に働かせよ
(21) 国を尊び家を大切にし 身を堅固にせよ

(注 [ ]内の漢字は投稿者が当てた)

この21ヶ条の中の、(1)、(5)、(8)は教祖 御木徳一が考えたものであるが、他のすべては徳一の師 金田徳光が言い現したものである。

徳一は徳光教の金田徳光の下で教師を務め、その死の直前、「現在の教訓18条に3ヶ条追加して教えを完成する人が出るか ら、その人の元に行くように」と言われるが、徳光の死後教団を辞して釣りなどをして過ごしていた徳一に神からその3ヶ条が授かり、後継者とは自分で あったと確信したとしている。

「ひとのみち」教団は、創唱時の大正14年(1925)4月から、弾圧を受けた昭和12年(1937)4月まで、わずか12年間に、都市中間層、すなわち一方では浮動化した商工業の旧中間層、他方では大正期以降に成立・展開し、流動化したホワイト・カラーの新中間層の双方の階層を、公称100万、警察推定80万、実質50万ほどに、大規模に組織した一宗教的大衆思想運動である。
「ひとのみち」が展開した大正末から昭和初期にかけては、日本資本主義は独占段階に入り、しかもその進行するなかで、階級矛盾が激化した時期であった。
この宗教セクトは、発展の時期あるいは信者の階層から見ても、戦前における日本独占資本主義によって形成され、かつその構造的危機(慢性的な不況や恐慌)をまともに受けざるを得なかった都市中間層の大衆、すなわち現代資本主義社会一般に特有な大衆を主に吸収し発展し、イデオロギーの点では日本ファシズムの思想的中核「惟神(かんながら)の道」と教育勅語が積極的に説かれ、天皇至上主義が謳われていたことから、ドイツのファシズム、「ナチ党」に近いものとみなす見解もある。

[朝起会]

実践倫理宏正会は、別名「朝起会」と言われるように、朝起を非常に重要視し、全国約800の朝起会場において、原則として朝5時から6時まで年中無休で「朝起会」が行なわれている。
会は、「倫理は研究することによって分かるものではなく、実践することによってのみ、その素晴らしさが実感される」と主張し、そのためには、まず朝起が必要であり、「朝起は生活倫理の第一歩」「早起きひとつできない者に何事かできようか」「自己完成は、まず早起きから」「早起きは、幸福をもたらす第一歩」といった標語でもって「朝起会」への勧誘を行なっている。

この「朝起会」の源流は「ひとのみち」の「朝詣」にある。
「ひとのみち」の朝詣は、昭和5,6年(1930、1931)頃から行われたものであり、出勤あるいは仕事まえに本部・支部の教会へ行き、教団の教えを学び、信者がその体験発表を行ったものである(ナチズムがこれに似たモルゲンファイエルン[朝の祭祝]を行なったのは昭和8年[1933]である)。
今日の「朝起会」の原型はここにある。
この朝詣は、当時の多くの大衆にアピールし、教団の発展に寄与した(もっとも、この朝詣は教団の教義の根幹にかかわるものと思われる)。

「ひとのみち」の朝起観は、次のようなものである。
「人は日と共に起きて働くのが約束である。即ち日が昇らぬ前又は日の出と共に起き出で、日中は働いて夕方日が入ると共に体を休めるのがみちである。
朝日が出て後まで寝ていたり、日中横になって寝そべっていたり、夜遅くまで起きているのはみちではない。
朝寝をする家は決して栄えぬし、商売人であればその家は繁盛しない。朝寝昼寝夜更かしをする人は自然長生きをすることができぬ。
朝眼が覚めたら何時と云うことをきかずに直ちに起き上がる習慣をつけるべきである。
それには朝眼がさめたらぐずぐずせずに決然と跳ね起きて、その日すべき仕事を人より一寸でも余計にやるだけの努力が必要である。」
これはそのまま実践倫理宏正会の朝起観であることは明らかである。
「朝眼が覚めたら何時と云うことをきかずに直ちに起き上がる」「朝眼がさめたらぐずぐずせずに決然と跳ね起きて」については、「朝何時であろうと目覚めと共に飛び起きる」という語で現されている。
また、「ひとのみち」の朝詣奨励標語の一つ、「朝起一つできぬようなことで何ができようか」は、そのままの形で用いられている。

「ひとのみち」の朝詣については、その精神と内容について明確な規定がなされていて、それによれば、まず人は日出と共に働き始め、日没と共に休息するのがみちであるが、さらに朝詣の積極的意義として、実行力の修錬があげられている。
意思を強固にする修錬は、まず朝起から始める。朝詣の場は、教えの内容をそしゃくして、日常生活に同化する訓練がなされる場、すなわち教信徒の心の洗濯場・行の修錬道場として位置付けられていた。
このこともそのまま実践倫理宏正会の朝起会についても云われていることである。

「ひとのみち」は、昭和3年には急速に教勢が発展し、同年4月22日に新本部を落成。新本部は大阪府中河内郡布施町大字永和(現在の東大阪市) の1000坪の敷地に100畳敷の神殿広間を持つ建物であった。
昭和9年10月には、開教10周年を迎えるために、仮本殿を新築落成した。仮本殿とは言っても、1000畳敷の大広間には柱一本ないという、当時としては画期的な鉄筋コンクリートの建物で、教祖は将来300万坪の広さを持つ永遠の本部を作らねばならぬという気概からこれを仮本殿と名づけた。
この仮本殿には当時日本一の収容人数を誇る食堂を備えていた。
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「ひとのみち」の朝詣には無料の朝食が提供されたこともあって、信徒獲得の有効な手段となったとされている。
実践倫理宏正会の朝起会には無料の朝食を提供されることはないが、朝起会場によっては鏡開きには「おしるこ」が振舞われたり、日曜日の朝起会の終了後にお茶やお菓子が出されたりすることがあるのは、そのなごりといえる。

「ひとのみち」に源のある団体はこの朝詣を取り入れていたが、ニ代目教祖が設立した直系の「PL」では昭和40年以降、朝起を一部を除いて中止している。
倫理研究所では、実践倫理宏正会の朝起会とほぼ同様の「おはよう倫理塾」を行なっている。
会場の正面には、両団体とも「日の丸」(倫理研究所では会章も)を掲げ、その両脇にはスローガンが書かれた垂れ幕を下げている。
倫理研究所では、「日の丸」の右側には、「今日一日 朗らかに安らかに 喜んで進んで働きます」と、どういう訳か実践倫理宏正会の「結びの誓い」と全く同じ文言が書かれ、左側には「朝起きは再建の第一歩」(おはよう倫理塾)、「朝起きは繁栄の第一歩」(倫理法人会のモーニングセミナー)という文言が書かれている。
実践倫理宏正会では、「日の丸」の右側は「朝起きは、お国を興す第一歩」、左側は「子供の善導は親の倫理実践から」と書かれている。

[みそぎ]

実践倫理宏正会は、原則として朝5時から6時まで、年中無休で「朝起会」を行い、会の教え(倫理)を学び、また修行(実践)の場として会の重要な布教活動である。
朝起会場は朝4時が開門とされ、会員は開門されると直ちに朝起会のための準備や会場・トイレ等の掃除などの「みそぎ」を行う。
終始一貫の朝起きが続くようになった会員には、次のステップとして「みそぎ」を行なうように勧められ、役のついた会員は「みそぎ」は義務的なようになっている。

「禊(みそぎ)」は、辞書的には「海や川の水で体を清め、罪や穢(けが)れを洗い流すこと」と書かれているように、本来は神社神道が伝統的に保持してきた儀礼である。
語源としては、「み(身)そそ(濯)ぐ」「みず(水)そそ(濯)ぐ」の音変化(「身滌ぎ」)とか、罪・穢れを身体から取り去る「みそ(身削)ぎ」から来たものなどと諸説がある。

伝統的な日本の神道では、「八百万の神」というように、神は宇宙の万物に顕現するとされる。
それは流出論的意味で本体と現象の関係である。
人については、人の御霊(みたま)は神の分霊(わけみたま)とされる。
つまり人の本質である御霊は神から分かれたものであり、人は元々神として生まれてきた、とされる。従って、人は皆例外なく、その人自身にしかない神の美しい光を持っているのが、その美しい光をさえぎり曇らせるもの、それを罪・穢れとする。神道では、この罪・穢れを祓うことに主眼が置かれる。
人は神に近づこうと修行するのではなく、もともと人は神なのだから、その美しさを妨げるものは祓っておくということである。
海や川の水で体を清めるのは、霊力があると信じられた水で身を清め、罪・穢れを祓うという禊という儀礼の典型である。
「ひとのみち」は、このような伝統的な神道におけるような非日常的な「禊(みそぎ)」という儀礼を、ひとのみち=現実生活の倫理の実践に置き換えたことが特徴的であるといえる。

神と現象社会は、流出論的意味で本体と現象の関係をもっていた。従って、現象社会の一つの人間は、神の一つの現れ、その「分霊」であった。それゆえに人間は、このことを自覚し、神の意志するところを人は本来意志しなければならないし、また「かむわざ」に即して「本性」を働かし、行動しなければならない。
ところが人間は、「我を出すために充分に人の天性を発揮し得ない」とされ、「我」もしくは「自我」ののために、「神の意志」「天性」もしくは「本性」が発揮できずにいる。
この「我」もしくは「自我」のために、物事に対し「不足心」が生じ、この「不足心」のゆえに、「怒り急ぐ憂え悲しむ」心が生じ、「本性」を正しく働かすことが出来ず、「まとまる等のものが纏まらず、成就すべきものが成就せず、良くなることが悪くなる」のであり、「物事はこわれる」のである。
すなわち不幸=苦難が生ずるとされるのである。
これが「ひとのみち」の根本をなす教義である。

「ひとのみち」は、本質的には儀礼を尊重しなかった。
信者に携帯させていた『信徒手牒』の「信者の心得」には、「人生は、現実を以って終始する。現実を離れて人生なし。吾が ひとのみち は現実生活の大道を明示し、以って人生の幸福を完うせしむるなり。拝むに非ず、祈るに非ず、終始一貫、みおしえの実行を以って、信仰の本義となす」とあり、礼拝・祈願をともなう儀礼は原理的に否定され、専ら現実生活における実践が強調された。
従って、神道儀礼のなかで重要であった非日常的儀礼の「みそぎ」は、日常的労働として理解した。
この意味では、「ひとのみち」は宗教の合理化を推し進めていったといえる。
本来、「みそぎ」は、神社神道の伝統的に保持していた儀礼で、「垢離をとる」という一種の水行で、現世利益を願う民衆は、これを救済方法として考えていた。ところが、「ひとのみち」は、「みそぎ」を「身を削ぐ」また「自我没却」と解釈し直して、それを日常的労働のなかに見出した。
「みそぎとは、一身を犠牲にして世のために働くことである」「働くとは端を楽にすることである」「みそぎは、真に己を捨てた喜びの働きでなければならなず、単に体を動かせばいいというものではない」「己を捨てて国家のために働くところに真のみそぎの精神がある」と、「ひとのみち」は、「みそぎ」を幸福=現世利益を得る救済方法として「自我没却」の日常的労働として説いたのである。

「ひとのみち」の二代目教祖であり「PL]を設立した御木徳近は、『この「みそぎ」は、「神道徳光教会」ですでに説かれていた。そこでは「人ノ為ニ自分ノ身ヲ犠牲ニスル、身ヲソグ・・・・・身ヲ清浄ニ祓ヒヲスル、罪穢レヲ祓フ・・・・・働ク、端ヲ楽サスト云フヤウナ風ニ自分ト云モノヲ犠牲ニ致シマシテ、サウシテ他ノ為ニ尽クスト云ツタ気持」とされ、また「ひとのみち」でも、「一身を犠牲にして世の為人の為に働くことである。人は元来此の世の中を経理すべき使命を以って、神より生かされているのであって自分はない筈である』と述べていた。
すなわち、「みそぎ」は、「世」「人」のために犠牲的精神をもって尽くすことであるとされていたのである。
この「みそぎ」の集団功利主義は、「人ノ嫌ガルコトヲ自ラ進ンデ引受ケテ、縁ノ下ノ力持チ」になることとされ、集団行動のエートスとなっていた。
たとえば、「朝詣」における「下足番」、青年会・婦人会・奉仕員会の行事における「下積み仕事」、支部の建築・道路・神社の清掃など、広く教団内外の社会奉仕の労働は、このエートスに基いていた。

以上の「みそぎ」に関する「ひとのみち」の考え方そしてその実践については、そのまま実践倫理宏正会に云えることではなかろうか。
朝4時の開門と同時に「みそぎ」をするたには、少なくとも起床は3時台ということになるが、今日の社会生活においてはどうしても無理が生じよう。
一般のサラリーマンにとって毎日の「みそぎ」(朝起会も同じ)は困難なことである。
必然的に時間を自由に使える自営業者、家庭の主婦、そして高齢者が中心とならざるを得ない。
実践倫理宏正会の創設時から活動の主役は婦人会員であり、そして今日、朝起き会員が減少し、また高齢化が進んでいると云われているのは「時代の流れ」といえるのではなかろうか。

[時間像]

「ひとのみち」の時間像は、始めもなく、終わりもなく無限無窮に変転するというものである。
この変転の一つは、「時々刻々」「一瞬一刻」に、「つぎつぎ」「だんだん」と過ぎ行くものであり、それは無限に細分化された時間の継起を示している。
いま一つは、「しらずじらず」「自ら」、神業の「まにまに」というように、無自覚、他律的に変転するというものである。
これは、「現象世界の一切は、神が顕現したもの」とする「ひとのみち」の教理から来ている。
この場合、ある時点から次の時点もしくはその次の時点で、
(1) 同質のものが連続的に展開することも、
(2) 質的に相違するものが継起することも、
(3) 同質、異質に関係なく、ときには忘却された状態が突如として現れることも、ありうる。
(1)の事例。
「まこと」を尽くすならば、「よりよき完成」「よりよき充実によりそれ以上の充実へと進展」する、あるいは「一つの誠を尽くせば其の誠は人々の誠を呼びだし、其の誠が次の誠を呼ぶというやうに無限に拡がり永遠に伝わって行くもの」。逆に、「誠ならざる行為」もそうである。
このように同質のものが時間の展開につれ、連続的に末広がりに拡大する。
(2)の事例。
「万古不易」の不変の真理を前提とし、時代々の現実が整序づけられ、解釈されるのではない。むしろ、「真理は時とともに移り、時代とともに進んでやまぬものでなくてはならぬ」とされ、真理は、時代とともに変化し、真理が「その時その時」に説かれることがよいとされる。
(3)の事例。
苦難の根拠、すなわち、遠い祖先の「我」「自我」が突如として因果的に応報するとするというものがある。
無限の過去に遡り得る祖先の「我」「自我」が、「しらずしらず」のうちに突如として自己の鏡のように「そのままの姿」で映し出され、応報されるというのである。
人間は、祖先の「我」「自我」によって「何時如何なる場合、如何なる みしらせ をいただくやも計り知れず、失敗あり、蹉跌あり、行詰りあるを免れない」のである。
つまり、不可知な祖先の業が、自己に、常時に、しかも分からないままに、鏡のように反映、展開する。
このように「ひとのみち」のこの因果応報論は、極めて濃厚なペシミズムをもっている。だからこそ、信者はより一層救いを求めることになるのである。

「ひとのみち」によると、苦難は以上の三つの型をもって訪れてくるが、いずれにせよ、これらの苦難が、「時々時々」「一瞬一刻」と変転極まりない時間系列の一時点のものとして自己に映じてくる。
そうすると、苦難の現時点は、苦難を幸福に転換させるか、それともそのまま甘受するかの分岐点となる。
言い換えれば、幸か不幸かの分岐点、さらには善をなすか、それとも悪を続けるのかの「善悪の分岐点」として把握される。
このさい、「何事も行はわぬが故に苦痛となり 行へば苦痛とはならぬ」(人訓第16条)といわれ、苦難の解決にかんし、倫理的に解明すべく、熟慮、議論するよりも、「実践」・「実行」が優先し、それに向って、大胆かつ勇敢な「捨身」の決意、覚悟が要請される。
前に述べたように、現象世界の一切は、無限の過去より無限の未来に向って進展・発展し、止むことを知らない。それに応じそれらは、「萎靡沈滞しべきもの」「現状を維持するもの」ではなく、むしろ現状を突き破り、進展極まりなく発展する方向をとるのである。
このような、現状を打破し、発展する思想は、暁雲を破り、燦然と輝く太陽の光に譬えられる。
記紀神話の「葦芽の萌え騰る」生命のエネルギーに代わる、立ち登る太陽の勢いである。
この勢いのために、歴史の苦難の一時点の「現在」は、一挙に暗黒の世界から光明の世界へと転換し得るのであり、しかも永い暗い過去から洋々たる未来が開けてくる一時点となるのである。
ここから、「実践」「実行」の方向は、楽天的に限りなく前進の方向に向う。それは、「一歩退いて守りを固くするよりも、一歩進んでこれを(誤った心を)攻める」方向をとり、しかも「攻めて攻めて攻めまくる」無限の攻撃をし、その止まるところを知らない。

こうした時間像、すなわち楽天主義は、昭和初期の不況、不振、行詰まり喘いでいた都市中間層に共感を呼び、彼らに現実打破への期待と将来への夢を懐かせたのである。

実践倫理宏正会の時間像はどうであろうか。
この事は会全体を考察して分かることであるが、象徴的な教義を拾ってみる。
現会長は、「古来より日本人は任意に時の始まりとした」と述べ、「始めもなく、終わりもなく無限無窮に、つぎつぎ しらずしらず 変転する」という「ひとのみち」の時間像を言い表している。
また、「ひとのみち」の苦難の三つの型は、そのままに会の教えとなっている。
(2)の事例について云えば、会長が時々のニュースや話題になっている本を題材にしているのは、「真理は、時代とともに変化し、真理がその時その時に説かれることがよい」とされることによる。
そして、「善悪の分岐点」となる苦難は、「苦痛・苦難は生活の赤信号」と言い表し、幸福実現のための「みしらせ」として倫理実践を促している。
「ひとのみち」の現状を打破し、発展する思想については、現会長は幕末・維新の剣豪 伊庭想太郎の「剣にかぎらず物事には万策尽きて窮地に追いこまれることがある、そのときは瞬息に積極的行動に出よ、無茶でもなんでもいい、捨て身の行動に出るのである、これがわが流儀(心形刀流)の極意である 」との言葉を引用して述べている。
「ひとのみち」の思想を象徴的に表す「太陽」は、「ひとのみち」のみならず「ひとのみち」を源にする「PL」「倫理研究所」もシンボルとしての会章などにイメージしているが、実践倫理宏正会は朝起会場の「日の丸」で表している(「太陽」はもっと根源的な教義に由来するが、このことについては後日述べることにする)。
「ひとのみち」の楽天的な思想については、「楽天的であれ」と楽天主義を会の教えとし会員の心構えとしている。
会の「実践」「実行」の方向も、限りなく前進の方向であり、会は「実践、実践」と会員を実践に駆り立て、「攻めて攻めて攻めまくる」実践を会員に指導しているのは言うまでもないことである。

こうして見ると実践倫理宏正会の時間像は、「ひとのみち」の時間像そのものであることが分かるのである。

[空間像]その一

「ひとのみち」の空間像は、時間像が「時々刻々」に「つぎつぎ」と無限に細分化された時間の継起をしめしていたように、「千差万別」の無限の多様性のある諸相を示していた。

現象世界の一切は、「夫々天賦の性能」を具えている。たとえば「世の中に現れた一切のものには、皆名称がある。・・・・・その名に因んでの、それぞれの性能がある。・・・・・座布団は『ざぶとん』と云う名に因んで、人を気持ちよく座らせる、と云うはたらき(性能)をもっている」と。
このように、現象世界の一切が、それぞれの固有の性能と働きをもっているのである。
人間もまたそうである。それは、他の諸現象とは相違し神から「人間としての性能」を与えられている。さらに人間の各々は、この「人間としての性能」を夫々異にし、「千差万別」の諸相を示している。
この「千差万別」の人間の性能は、各々の「個性」ともいわれ、尊重すべきものとされている。

さらに、この「千差万別」の諸相は、時間像が「しらずしらず」「自ら」、神業の「まにまに」と無自覚・他律的に変転するように、無自覚・他律的に「融和」し結合し、「千差万別」の諸形態を呈することになる。
つまり、「千差万別」の諸相は、「融和」し結合することによって「千変万化」するのである。

この「融和」し結合する構成要素ば、「千差万別」の諸相のうち、相対する陰陽の二つの単位とされる。
人訓第7条「世の中の一切のものは陰陽で持つ」とあるように、現象世界の一切は、陰と陽から成り立っているとしている。
「大きなものに例を求むれば・・・・・天と地・・・・・小さなものにその例を求むれば、・・・・・針と糸・・・・・これは皆陰陽によって成り立つのである。・・・・・我々人間も・・・・・陽であるところの男と、陰であるところの女」と。
こうした陰陽の構成は、社会像についてもいえる。上下関係がそうである。
「世の中は一切を陰陽でもつとあるが如く、目上目下は陰陽の関係にある」と。
また労働者と資本家の関係においてもそうである。
「世の中は、一切のことを陰陽で持ってゐる。・・・・・会社に於ては資本家と労働者である。夫々その名に因んだ働きがあるので、資本家ばかりでも会社は成立せず、と云って労働者ばかりでも生活はできない」と。

この相対する陰と陽が夫々の働きという特質を持っているとはいっても、それらが相互に相容れない特質ををもち、二元的に対立しているという意味ではない。むしろその意味は、それらが一元的存在の二局面であり、しかも補完的関係に立っているということである。
また、この陰と陽の一元的存在の二局面は、平等ではなく「差のある関係」であることが重要である。
人間と神との関係では、人間は神の分霊、あるいは神の顕現とされ、一元的存在の二局面と見ることができるが、神と人間の関係は、本体と現象の関係のように、平等には捉えられていない。
たとえば資本家と労働者にかんし、「資本家が資本家として現在あることは先祖のまことに因る場合もあり、本人の努力まことの賜である場合もある。・・・・・と同様に現在労働者としてあることは、労働者として働かねばならぬ丈の努力の不足の場合もある。同時に先祖のまことならぬ家の流れを汲んでゐる場合もある。故に労働者として生まれた事を不足に思ひ、世を不公平と考えたりすることは間違ひである」と。
資本家と労働者は、「まこと」の有無にしたがって差別されて位置づけられているのである。

陰陽の結合の仕方はどうであろうか。
それは、人間と神の合一に比せられる。
たとえば、目上と目下の結合は、陰と陽の結合として、しかも「相和」して合一しなければならないとされる。目上は、目下に対し「無理を云う」「不足を思ふ」「粗末にしたり」するのではなく、むしろ「心から愛し」「包容し」「導き教へ」なければならない。また、目下は、目上に対し「意見を持ったり」「反抗したり」「軽蔑したり」するのではなく、むしろ「尊敬」「服従」しなければならない。
かくして両者は、神と人間の「合一」するように「相和」して結合する。
神と人間の合一が、「しらずしらず」「自ら」神業の「まにまに」と無自覚的になされるように、この結合も理屈抜きに「融和」する。この結合はしばしば「抱擁」と表現される。
こうしてこそ、目上と目下は「陰陽相和し天地の法則にかなふから幸福な生活を得る」とされる。

(注)「ひとのみち」の「相和」という語について、実践倫理宏正会では「愛和」という語に置き換えている。また会のパンフレットの名称としている。
「愛和」という語は、倫理研究所の丸山敏雄が造語したものであるが、意味する所は同じである。

「陰陽」と「相和」の原理は、「ひとのみち」の空間像の構成要素と結合の基本様式となっている。
生活像については、「惟神の道」=「自然的生活」は、「我々が真に自己を知って、宇宙の大生命の目的に合致した生活」、いいかえれば神と人間の「合一」の世界とされる。
従ってかかる「合一」の世界を経験すると、この「合一」の世界=「自然的生活」は、自然的であろうと、文明的であろうと、その区別なく質的に相違する生活、たとえば「炭焼き男」の生活、「技師」の生活などを「融合」し、「抱擁」してしまう。いいかえると、それらは、すべて「自然的生活」のもとに同一視される。
社会像については、階級的相違があっても、階級相互は結合し、「融合」してしまう。
「現実」といふのは、「神業であって、世の中は神が昔から階級があるようにしてゐる」が、現在「段々国民としての思想が面白くないことも生まれてゐり・・・・・、(ある階級は)「平等を叫」び「間違って」きている。したがって、「私共はこれと戦ひ、さうしてこのみちを広めることが、皇国は申すに及ばず、世界人類の和平を来す唯一のみちであると心得て、これを広めさしていただいてゐる」のである。
「まこと」をもって「皇室を中心とし奉って」「世の為に仕事を」するならば、「皇国」は、「万代の泰きにおく」ことができる。というのも各人は、「体は異ってゐても心は一つであり」、「異体同心」の国家、いな世界人類は、皇室のもとに結合できるとしている。

このように「千差万別」の諸相は「結合」したが、これらの結合にも限界があった。
結合の限度は功利主義的枠によって規定されていた。たとえば教祖は、当時の反共の思潮にしたがって「アカ」を嫌っていた。

[空間像]その二

以上の「ひとのみち」の空間像は、明治憲法下における天皇中心主義の教えを除けば、そのまま実践倫理宏正会の空間像になっている。
「ひとのみち」の教祖が、教義からすれば「千差万別」の諸相は「結合」するにもかかわらず「アカ」を嫌っていたのは、実践倫理宏正会の初代会長が「終戦後 教員がストライキをするのを見て」会を創設する契機とされているのに繋がっている。

このように、空間像が「千差万別」と「千変万化」の諸相と諸態様を示すと、苦難は、些細な現象に現れてくる。それが、いかなる事象に現われてくるかも知れない。
従って、時間像とともに空間像もまた、恐ろしくペシミスティックな苦難感を形成する。
こうした苦難感から、「宇宙に顕れたる一切なものはみちとしれ」、あるいは現象世界の一切が「神が人にみちを知らしめ、人のために、と顕はし給ふところのもの」であるので、人間は、「一切のものからみちを悟っていかねばならない」ことになるのである。
(実践倫理宏正会の初代会長は、このことを「自然のお経を聞け」という言葉で言い表している。)
したがって人間は、一切の現象世界の諸相・諸態様をよくみつめ、それに対処しなければならない。
そこで、「細心の注意」が強調される。
たとえば「開かれてゐる戸を閉めるとか、乱れている下駄を揃へるとか言ふやうな日常些細のこと」これらの対象に対し、人間は周到に注意を払わねばならない。
(このことは、実践倫理宏正会では、『朝の誓い』第3条「気付いたことは 身がるに直ぐ行います」に現われている。)
「細心の注意」は、「日常の些細なこと」と同時に主体自身の心情にも向けられた。
「ひとのみち」では、苦難の根拠は「我」「自我」と考えられたために、「自我没却」(我を捨てること)が説かれていたのであるが、この「我」「自我」の心情は多様であると思われていたから、それは無限の自己否定をともなうことになる。
(実践倫理宏正会では、日常の些細な出来事のことを会員間では「これも自然」という言葉で表し、倫理実践の契機と捉えている。それは、日常の些細な出来事のことから自分をみつめ直すことにより自我を捨てることであり、自己否定をともなうものである。実践倫理宏正会の「倫理の実践」とは、詰る所「自我没却」(我を捨てること)を意味している。)

こうした「自我没却」の無限の自己否定が要請されることとは反対に、「周囲に捉はれない」「些細にこだわらない」心情が強調された。対象を「神業」として「すなほに」「ありのまま」に受けいれ、既与の事実をそのまま肯定することが望まれたのである。
たとえば「世の中はどうにもならぬと承認をして生活する。暴風雨のこともあれば、ぽかぽかとした小春日和もあるといふように、変転し複雑なる相をとってゐるのが世の中なのであるから、それ等の一切を、神業として受けいれる心を作らねばならぬ」のであると。
心情の変革を通じ、既与の事実に不満をいだかず、「ありのまま」に耐えて行くことが説かれたのである。
(実践倫理宏正会の云う所の「現実大肯定」ということである。「神業」は「自然」とう言葉で置き換えられている。)

「千差万別」と「千変万化」の諸相と諸態様に対して「自我没却」の無限の自己否定が要請されることと現状肯定は、論理的には矛盾している。
しかしそのことが矛盾と感じられなかったのは、時間像と同様に、空間像も、ペシミズムを容易に楽天的に転換し得る構造をもっていたからである。
時間像が無限の未来に向って進展するものであったように、空間像もまた、「茫漠」として無限に拡大するものであった。
たとえば明治天皇の「朝みどり すみわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな」を引用し、「あの大空、大空は一切を呑んでゐる、大空の下では、一切の善、一切の悪が行はれてゐる。それを大空は包んで、広々とひろがり蔽ふてゐるのであります。すなはち、神は一切を包み給ふてゐるのであります」といい、「茫漠」と拡がる無限の空間によって現象世界の一切、とりわけ苦難が包容され、肯定され、そのうえ苦難の諸相が「太陽の明るい光」のもとに照り出されてくる。
たとえ苦難の「一切」の諸事象があろうとも、「すすんで積極的にやってゆく」ならば、「一切の物事」は成就することになる。
(このことは、倫理研究所の「おはよう倫理塾」右側の標語そして実践倫理宏正会の「朝起会」の結びの誓い「今日一日 朗らかに安らかに 喜んで進んで働きます」に現われている。また実践倫理宏正会の『朝の誓い』第5条「今日一日・・・・・新しく大地に生き貫きます」も同じ。)
このように、「千差万別」「千変万化」の暗い諸相、諸態様は、容易に明るい諸相、諸態様に転換し得るのである。

[生活態度]

これまで見てきたように、「ひとのみち」の時間像は「つぎつぎ」と「しらずしらず」に変化し、空間像は「千差万別」と「千変万化」の諸相と諸態様を示すものであった。
このことは、神の在り方でもあった。それは、神の諸相と諸態様なのである。
これは、「ひとのみち」の神観念が、キリスト教、あるいは儒教とも相違した無定形なアニマ的力であったことから理解される(この事については後述する)。
このような「ひとのみち」の時間像と空間像は、丸山真男の歴史意識(「つぎつぎになりゆくいきほい」)と著しく一致している。こうした「ひとのみち」の神観念は、日本人のそれを示すといえるかも知れない。

かかる無定形なアニマ的力、いいかえると一定の抽象化され、体系化された規範の欠けた状態のもとで、現象世界の一切に対する生活態度はどうであろうか。
まず、「つぎつぎ」と変転していく無限に細分化された時間像と「千差万別」の諸相を示している空間像に相応し、生活態度は、「その時その場」の態度が強調された。
普遍主義的規範に従うのではなく、むしろ個別主義的態度が望ましいものであった。
「如何なる仕事」をする場合でも、既定の方針があってはいけない。それは、「神業の変化の模様に」従って、「臨機応変の自由自在な心構へ」をもって変更されなければならない。
「神業のままにすなほなる心で自由に遊泳して」いくことが「道」なのである。だから、「その時その場の神業に対して」従順でない心が、「怒り急ぎ憂え悲しむの我」であり、「そこに病苦災難あらゆる不幸」が生ずるのであるとされたのである。
さらに、「しらずしらず」に変化する時間像と「千変万化」する空間像に相応し、「不即不離」の生活態度が強調された。
元訓第1条「神は万象の根元なり」に示されるように、絶対的な神の顕現したものとして、既与の現象世界の一切を考え、それを受け入れなければならないために、徹底した自我没却が主張されたが、さりとて既与の一切に夢中となり、それを固守し、それに即き過ぎてはならない。変化する現象世界の一切の動きに対応する必要があるからである。
このことは、自我没却が度を越すと、自己忘却が生じ、元訓第3条「人は神の表現なり」の主旨に沿うた「自分は神の表現であるのに、神の表現たることの自覚を失う」ことになると解釈される。
かくして「不即」が主張される。
一方、「不即」を強調するあまり、既与の一切から離脱することは、元訓第6条「世は神業の実現なり」に沿い、とくに功利主義の立場から、現実逃避として否定されねばならない。
この意味で、「不離」が主張された。
かくして、「しらずしらず」と「千変万化」の時間と空間の事態は、この「不即不離」の生活態度によって処理された。この「不即不離」は、「中間を守る」とも云われたのである(人訓第12条「人は天性を働かし中間を守れよ」)。
かかる「不即不離」の生活態度は、昭和初期の経済的不安をもつ大衆を満足させた。心情的レベルでは、現状に対する不安がなくなり、生活利害のレベルでは、現状の動きに即応し、現実主義的効果があった。

実践倫理宏正会においても、この「その時その場」の態度、そして「不即不離」の生活態度(「中間を守る」「中道」「中庸」)が説かれている。
これは実践倫理宏正会が、「ひとのみち」の時間像・空間像そのものであるから、至極当然のことなのである。

「ひとのみち」の神とは、「無定形なアニマ的力」であり、「ひとのみち」は宗教としては呪術レベルのものであることについては、「宗教の起源」について考える際に述べる。

その前に、「ひとのみち」の[時間像][空間像][生活態度]について述べた際に触れたことであるが、「ひとのみち」の「教義」についてもう少し詳しく見ていく。

教義としては、大宇宙の原則であると同時に世の中に生きていく人々の生活道を示したものとされる「宇宙の元則」(元則6か条)と「人訓21か条」、さらに「教育勅語」がある。
そして、実際に信者が行なうべき信仰実践として「神宣」(みおしえ)の実行があった。
これは「神示」(みしらせ)[人間に現われる病気、怪我、災難など、本人が苦痛と感じられるものの原因をその人間の心癖に求め、それに対する神の警告]と対になっていて、この神示を解決するためにあるべき心の持ち方や行いを示したものが「神宣」であった。
これは教祖や教師[布教師のこと]のなかでも心境が進み、教祖の意思を悟るとされた准祖が示した。
病気や事故など、その神示の内容が緊急の場合には、その苦痛を本人の代わりに一時的に教祖や准祖に引き受けてもらう「お振替」(おふりかえ)があった。
生活上の具体的なアドバイスを教師が信者に個人的に行なう「おみちびき」もあり、このようなお振替の実行の容易さや神宣の解説、「おみちびき」は、当時において都市化につれ核家族が広がり、互助組織のなかった都市中間層の人々に受容される要因の一つであった。

実践倫理宏正会では、「お振替」はないが、「神示」は「生活の赤信号」という言葉で表し、「神宣」「おみちびき」と同様の事は「生活指導」と言葉を変えて、講師または幹部会員が行なっている。
「ひとのみち」直系の「PL]では、「みしらせ」「みおしえ」は「ひとのみち」と全く同じであるが、「お振替」は行なわれていないので、実践倫理宏正会と同じと云うことができる。

[家庭]その一

家庭においては、まず男女(夫婦)のあり方が示される。
人訓第7条は「世の中は一切のものをかげひ(陰陽)で持つ」とし、男(夫)を「ひ(陽)」、女(妻)を「かげ(陰)」の働きをもつ者とした。
そして、「ひ」、「かげ」それぞれの働きを、「夫は生ます力の持ち主なり」(元則第4条)、「婦は産む力の持主なり」(元則第5条)とした[「元訓」としたが「元則」の間違いであるので訂正する]。
男の持つ「生ます力」とは単に子供を生ませるということのみでなく、一切の幸福、不幸を生み出すことにまで及ぶとし、それは女の「産む力」においても同様である。
これらの男女の働きが発揮されるためには、女の男への「絶対服従」が前提とされる。
「陰は絶対に陽に対して服従する」という「陰陽の約束(きめごと)」を根拠とし、女は男に絶対服従することによって神から与えられた天性、すなわち「産む力」を発揮することができ、それによって男は「生ます力」を発揮することが可能であるとした。
「ひとのみち」で説く男女のあり方は、家庭を基盤とする夫婦を対象にしたものであり、夫婦が世の中の基本であることを強調した。直系制について強調されることは少なく、まず夫婦があって後で親子関係が生じるとしている。
「子育て」については、子供に「縁をつける」ことは親の我であり、神慮に任せて「捨て育て」にすべきであると説かれていた。
「ひとのみち」はこのように夫婦が世の中の基本であることを強調し、夫と妻の関係は「異心同体」であると説いたが、それは夫婦の役割分業と対等でない関係を明確化するものであった。
妻には意見はないものとし、妻の行いや心持は夫に対する「絶対服従」に徹していなければならず、夫の心の反映でなければならないとした。
妻の夫に対する絶対服従は窮屈な思いをして従うのではなく、自分から喜んで進んで服従することが重要であり、どのようなことも事務的な気持で行なうのではなく、趣味をもつような気持で「生活を芸術化」することの必要性が説かれた。
夫は妻の心次第でどんなにも変わるものであり、例えば短気な夫も妻によって理想的な夫になると説かれていた。
妻の夫に対する「絶対服従」によって、結果的には妻自身の意志を実現する、すなわち幸福になることができるとしたのである。
妻のあるべき姿は「妻の道」とされ、それは「神宣」のなかでも信者に説かれた。
そこでは信者自らが考える必要がなく、教祖によって示された道をただ喜んで進めばよいとしていたのである。
このような「ひとのみち」の夫婦のあり方が信者に受容された背景として、都市部における核家族の広がりと、そこで小規模な自営業を営む人々にとって実際に夫婦が頼りであったことが一つの理由としてあげられる。
「ひとのみち」は職業別に夫婦のあり方を説いており、例えば、商業を営む信者に対しては「夫婦仲をよくせよ。一言にして言えば、商売繁盛の秘訣、金儲けの奥の手は、これを除いて絶対にあり得ない」と述べている。

↑「匿名」様

小生このスレッドに何回か投稿いたしたものですが、今回はもしかして、あなた様は池田昭先生ではないかと、思いながら、感銘をもって読ませていただいております。

[家庭]その二

夫婦を重視する目的は信者にとっては家庭の安泰であった。
しかし、「ひとのみち」が説く夫婦のあり方の社会的位置付けをみると、妻の夫に対する「絶対服従」を基本とする根拠として、こうした「夫婦の道」を拡大させていくことが、忠、孝、信、義に繋がることになると述べている。
もともと「絶対服従」は妻が夫に対して行なうべきこととしてのみ述べたものではなく、国民は天皇に、子供は親に、弟妹は兄姉に、雇人は主人に「絶対服従」することが「陰陽の約束」であり、社会を安泰にするものであるとした。
妻の夫に対する「絶対服従」の下に成り立つ「家」を基盤とし、この夫婦の関係を親子、主人と雇人、そして国民と天皇の間には「縦一本」の服従系統が存在するとして、「ひとのみち」の説く夫婦のあり方はその根底において家族国家観を支えた。
「ひとのみち」には[時間像]において述べたことであるが、「祖孫一心」(「家の流れ」とも云われる)ということが説かれていた、。
「祖孫一心」とは、先祖と子孫の心は一つであり、離切することができないということであり、先祖の持った心は必ず子孫に現われるとされる。
先祖が持っていたものは、好いものにつけ悪いものにつけ、リレー競争と同様に、子孫に受け継がれていく。従って我々の為すべきことは、先祖の心ないし行為の良い面を伸ばし、足らざる面を匡正しまことを尽くし、子孫に残すことなのである。
「親孝行」は当然の義務とされる。子は親に絶対服従することが「みち」なのであるから、服従しない者は、「徳福一致」の教理よりしても当然に不幸になり、孝行な者は必ず成功するとする。
しかし13歳以下の子供については、「子供のみしらせは、親のみしらせ」とし、夫婦の問題に還元している。
「子は親の鏡」であり、子供のあり様はその両親の過去・現在の姿を映し出しているとした。夫婦が仲良くすることによって、子供のみしらせは解決するのであり、そのために「夫婦の道」が説かれた。
「ひとのみち」では、「女が偉そうになる」と女が職業をもつことに対しては否定的であり、家事に専念すべきものとしている。
また、夫婦はすべての単位であるとし、単に子供が生まれるだけでなく、家の財産、夫の社会的地位、子供の出来不出来、自分の運命まで一切のものが生まれる基盤であると説いている。
夫婦間のセックスを「夫婦の式」と言い、物事が成し成就する根本であるとし、神聖な神業を女自らも積極的にすべきであると「みおしえ」などによって示された。
(当時の新聞には、次のように書かれていた。)
http://onido.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=173#y19351208sp1

その他、家の相続、夫婦の縁、恋愛、結婚、妊娠と出産、育児、嫁姑、身だしなみ、料理、さらには食べ物の食べ方に至るまでの、きめ細かい指導がなされていた。

[金銭]

金銭に関しては、神は人が金を生かして働かす程度、その人の徳の程度に応じてその人に金を恵み給う。
節約を旨とすべきであるが、使う時には出し惜しみせず、喜んで使うべきである。
貸借に関しては、人間がまこと一つで働いていれば、金は自然に神より恵まれるのであるから、生活に困ることは有り得ない。従って、軽率な金の貸し借りは、神の意志に背くものとされる。

[職業観]

「ひとのみち」の[空間像]で触れたことであるが、
人はこの世をよりよくするために、各自独特の使命をもって、神より現わされ、生かされている。
人はそれぞれの個性を発揮し、自己を限りなく積極的に表現していくべきである。
社会における分業は、神業の現われであるから、人々は与えられた地位立場に応じて個性を限りなく社会に表現して行ったらよい。
従って、職業に貴賎の別はなく、その職業によりどの程度に自己の個性を表現するかによって、その人の価値が決まる。
自己が与えられる社会的地位・名誉あるいは財産は、その人のまことの実現の量に対する、神の公平な適わしい報酬である。従って、与えられた現実は当然の結果なのだから、嫌がったり不足に思ったりせず、喜んで働かなければならない。
さらに商売人・俸給生活者・労働者・農業家のそれぞれの心構えが説かれていた。
特に労働者に対しては、不満を抱かぬように説得している。
世の中の一切は陰陽でもっている。資本家と労働者は、ともに必要であり、資本家だけがえらく労働者だけが卑しいのではなく、両者が目上・目下の関係によって統一されることにより、会社は存続できる。
資本家と労働者の差異は、先祖もしくは本人のまこと、努力の差異による。従って、労働者と生まれた事を不足に思い、世を不公平と考えることは間違いである。
いたずらに待遇改善、賃金値上を要求するのは、義務を忘れて、権利のみ主張することになる。
ところがこれこそ大きな誤りなのである。何故なれば、此の世には唯尽くすべき義務があるのみで、人間に権利などないのである。権利は唯神のみに属しているのである。

[天候]

天候も神の恩恵により人を生かすべく与えられているのであるから、人はいかなる天候に対してもうらんだりせず、よろこんで順応すべきである。

[天災]

天災は、大自然からの、人間の誤った心もしくは生活の警告、すなわち「みしらせ」である。

この「みしらせ」の教理は、「ひとのみち」において重要な位置を占めているが、その強調は、現代の日本における易や占い、オカルト・ブームより前進的な主張をしている。
「ひとのみち」の教理よりすれば、不幸災難は、自己の心の誤りより生じるのであるのに、そのことを知らぬ者は、その原因を外的の力または事象に原因を求め、分かりもせぬ対象物に祈願したり、頼ろうとするが、それは迷信である。人は神の分身であり、万物の霊長であるから、一切のものを支配統一する立場にある。
日に吉凶はなく、方位家相・厄年や年廻り、丙午もすべて迷信であり、それを憂えることは、ますます不幸を増大させるだけである。
ここからは、運命は、自己によってある程度までは、切開かれるという積極的な思考様式がうかがわれる(実践倫理宏正会では「運命自招」という言葉が使われている)。

[芸術]

芸術に対しては、さながらな境地にある時は、立派な芸術品が生まれ、心の平静を失っている時は芸術は
できず、「みしらせ」の原因を作っている時とみなされる。
従って、芸術の修錬により、まことの境地をつかんでゆくことができるとされている。
「ひとのみち」では変わった芸術の定義がされている。
「芸術とは、人が世の為めに対象(物象・事象)を通じて自己の個性をさながらに表現することである」と。
人訓第9条「宇宙に顕れたる一切のものは道としれ」であるから、芸術も娯楽もすべて「みち」を悟ることに通じるのである。

「ひとのみち」の教義を一通り見てきたが、それは「福徳一致」の思想(正しい行為ができてこそ幸福になれるということ。「徳福一致」はギリシャ時代からの典型的な哲学的アポリアの一つである。)である。
そしてその中身は「陰陽の約束」、つまり妻の夫に対する「絶対服従」を基本として、それを家庭に止まらず、社会・天皇にまで拡大していった封建的で前近代的な教えである。
しかし、「ひとのみち」が展開した大正末から昭和初期にかけては、日本資本主義は独占段階に入り、しかもその進行するなかで、階級矛盾が激化した時期でもあった。

「ひとのみち」においても、幸福財の配分に関し倫理的な意味が問われ、苦難の不公正と不公平の問題に対処することが求められた。
これに対して、「善を為すもの必ずしも幸福ならず、不善を為すもの必ずしも不幸ならずとの考えが非常に強いように思ひます。例へば正直一方の人が貧乏をする。正しい勤勉な人が病気をする。その反対に、かけ引ばかり・・・・・で働かず、人をごまかすことばかり考へてゐる人が、大金を得たり、上役に重要視されたりする。衛生家必ずしも健康でないといふ類であります。世の中の表面だけをざっと見ればかかる実例は各人の親戚、交友の間などにまで沢山見出されるやうに思ひます」と、一応は正しい人が不幸になっているように見え、正しくない人が幸福になっているように思われる現実が世間に沢山あることは認めている。
しかし、この『善悪と幸不幸の不一致観』を捉えて、「これは現在既成宗教が世の不幸の原因中の基礎となる、こまかい、平易な日常生活に於ける一切の『心』の動きについて説くことを怠ってゐるからである。一切の不幸の原因はその人の心にあり、之を要するに『怒急憂悲』となり更に約すれば『不足の心』となる。現代人の不幸は、この不足心から来るものが多く、殊に、急ぎ心、憂ひ心から出づるものが多い。教団に於いては、その人その人の不幸の原因を神宣によって明示することが出来る。教へられた通りに実行すれば、その不幸は必ず解決して掌をかへすが如く幸福になることが出来る。かかる実行(正しき心、正しき道)によって除去し得ない不幸は世の中にはないのである」と。
つまり既存の宗教の教えや今までの道徳は、人がどうしても践まねばならぬ大自然の法則のほんの一部しか説いていないとし、大自然の意志の一部しか合致しないものをもって、世の中全体を解釈しようとするところに無理が生じるとするのである。
「ひとのみち」は、人が生きて行く上の幸・不幸を現実に決定する神の意志(大自然の法則)をその時その場で説くのであるから、教えられた通りに実行すれば必ず幸福になるとするものである。
そしてその教えというものは、きわめて主観主義的な「心の用い方」にすべてを還元している。
(善悪と幸不幸の不一致という不満に対して「そのような不足心が不幸になる」と詭弁を弄して刃を返しているとも言える)
世に人格者と言われる者でも、心の用い方、生活の仕方を誤ると、不幸不運に陥るとし、近代西洋において理念として捉えられているような、倫理や人格というような概念はなく、すべて「心の用い方」に帰するのである。

善・悪と幸・不幸の不一致という、苦難の不公正・不公平に対し、「ひとのみち」は積極的に不公正・不公平を求める(不満を述べる、公平を求める行動をする、政府に働きかける、争議を起こす、革命を起こす、等)のではなく、また現世否定をすすめる(彼岸、天国、浄土、等)ことなく、代りに不幸の原因を単純に心・道の過誤の問題に帰着せしめていた。
「ひとのみち」は、苦難を解決するにあたって、日本における伝統的な、呪術的レベルの勧善懲悪の呪縛にとらわれていたのである。

「ひとのみち」の教義と実践倫理宏正会の教えを、一つひとつ比較検討することはしない。
言える事は、「ひとのみち」の基本思想、そしてその教義は、多少の表現の違いはあるがそのままに実践倫理宏正会の教えとなっているという事である。
「ひとのみち教団から派生したすべての教団(PL、自然社、倫理研究所、実践倫理宏正会など)は、その教義内容において、ひとのみちの教義の範囲を抜け出していない」のである。
特に実践倫理宏正会においては、表向きは「ひとのみち」との繋がりを隠し、また宗教法人ではなく社団法人という衣をまとっている関係上、「ひとのみち」そのままの教えをすべて「大自然の摂理」に還元していて、大変に分かりにくいものになっている。
実践倫理宏正会の教えを理解するためには、その元になっている「ひとのみち」の教義の内容を理解することが不可欠であり、そしてその教義をどのように変容したのか、しないのか(単に言葉を変えただけなのか)を見ていくことが必要なのである。
(現会長は教えを説くにあたり、初代会長のみならず、それ以上に「ひとのみち」の教本・その機関紙を参照しているように感じられる)

「ひとのみち」の説く「福徳一致」を皆はどのように考えるのであろうか。
特に「ひとのみち」が資本家と労働者の関係について説いている論理からすれば、「道徳的な優者が経済的社会的優者であり、経済的劣者は、道徳的にも劣者である」ということになるが、それは真理なのか。
「人それぞれに《いわれのない》悲しみが多いとはいえ、それがあまりにも多すぎた。そのうえ《奴隷の道徳》から見てだけでなく、支配層だけが持つ独自の尺度にあわせて測ってみても、もっとも善き者たちではなく、《悪しき奴ら》ばかりのあまりに華々しく栄えてゆくことが、なんとしても多すぎるのであった。」
とのウェーバーの言葉を引用するに止めておく。
(実践倫理宏正会の会長についても、色々と詮索されているようである。)

「ひとのみち」においては、教団の説く「みち」は大宇宙の法則であるから、信者自らが何も考える必要がなく、教祖によって示された道をただ喜んで進めばよいとしていた。そうすれば、「真の自由」が発揮でき、それぞれの「個性が実現」し、各人が「自己実現」できるとした。
しかし重要なことは、この「自由」「個性」がそれ自身固有の価値をもつものではなく、功利主義的観点から評価される相対的価値をもつ「自由」「個性」であるということである。
「ひとのみち」における「自由」「個性」とは、それ自身追求されるべき目的ではなく、手段価値として捉えられる相対的なものであった。
例えば、「ひとのみち」の職業観、権利観をみると、一応「職業選択の自由」もしくは「職業の平等」が唱えられていた。
既に[空間像]において見たように、「千差万別」の諸相は、夫々固有の「個性」をもっていた。職業も、個人の「個性」にふさわしく、自然的に(天性として)具わっているものと捉えられ、その意味で「選択の自由」が存在したとされる。また「千差万別」の諸相がすべて「働き」をもっているという意味で、職業の「平等」が存在したとされる。しかし「選択の自由」と「平等」は、功利主義的目的、「世のため人のため」に存在した。それらは、この功利主義的目的の手段価値として評価されていたのであって、決してそれ自身の価値として評価されなかった。この意味でそれらは「限定付きの」「選択の自由」「平等」であったのである。
権利についても、同様であった。
それは「人に遠慮したり、人を忖度したりする必要はないのである。豪末の妥協を要しない」のであるが、しかし「吾々に与へられている権利に就いては、一に国家のために是を完全に活用し、完全にはたらかすことがみちである」とし、その権利は、国家の功利主義的観点から、「限定付き」で是認されるものであったのある。
「ひとのみち」のいう近代の諸概念は、功利主義的観点から考えられており、その意味で手段的価値、相対的価値が存在していたに過ぎず、従ってそれらは、かかる観点から、いつでも放棄される運命をもっていたのである。

実践倫理宏正会においても基本的には「ひとのみち」の教えと同様である。
ただ、戦後の民主主義社会において設立された団体であることから、国家主義的な功利主義は影をひそめ、「ひとのみち」の「世のため人のため」と云う言葉を「我も人もの仕合わせ」という言葉に変え、色々な場面で頻繁に使っている。
「我も人もの仕合わせ」と云うと個人の権利を重視するようなニュアンスがあるが、「世のため人のため」と同様の功利主義的観点からする限定(制限)の言葉に過ぎない。
実践倫理宏正会においても、近代の諸概念はそれ自身追求されるべき目的ではなく、手段価値として捉えられる相対的なものに過ぎないものであり、「我も人もの仕合わせ」+「自分を捨てる(我を捨てる)」でいとも簡単に放棄されることになるのである。
そして、実践倫理宏正会は、「ひとのみち」での「陰陽の約束」は「自分の分を守る」という言葉に置き換えられているが、その意味するところは同じである。
そこでは一応 相和(愛和)の実践が説かれているが、目上(夫、資本家、上司など)も目下(妻、労働者、部下など)も相和(愛和)の実践を為さなかったらどうなるか。そこには目上の目下に対する「服従せよ(分を守れ)」という支配の教えが残るだけとなる。「実践」とは、ある目的(教え)のために、それを実行に移すことであり、あくまでも努力目標に過ぎないものである。
「ひとのみち」も実践倫理宏正会も、その教えは、結局は『強者』(地位にある者、体制側にある者、目上など)のためのものであることを知らなければならない。

「ひとのみち」、そしてその教義をそのままに引き継ぐ実践倫理宏正会の教えは、『強者』のためのものである。
『弱者』は、『強者』の支配に服従することが人の「みち」であり、「大自然の摂理」なのである。
『弱者』は、『強者』の支配に服従することが相和(愛和)ということであり、ひいては世界平和へと繋がって行くとするものである(実践倫理宏正会では、「愛和から大和へ そして平和へ」とスローガン化されている)。
実践倫理宏正会では会長を頂点とする強固なヒエラルキーを形成しているが、会の教えそのものがそのようなヒエラルキーを形成し維持しているのである(会の教えを利用している)。
政権党との結びつきについても、会の教えからすれば至極当然のことなのである。
より「強者」には従うのが会の論理であり、より「強者」には従順であり、あるいは媚びるのが「弱者」の「みち(倫理)」なのである。
このような教えからは、「弱者」に甘んじることを潔しとしない者は、「強者」にならなければならない。
新世文化研究所(後の倫理研究所)との関係についても、このような視点から見て行くことができる。

実践倫理宏正会の創設者・初代会長 上廣哲彦(本名は上廣三郎)は、昭和10年頃「ひとのみち」の信者となるが、教団は昭和12年に当局により解体されてしまった。
熱心な信者となっていた初代は、解散直前には北陸の「ひとのみち」の教師(布教師のこと)になっていた。
初代は広島県北部の農家に生まれ、旧制中学を中退した学歴の者とされ、解散後、鉄工所で働いたり、銀行に勤めていたり、商売をしたりしていたが、原爆投下の時には、三菱重工広島工場で訓育の仕事をしていた。
初代は、銀行に勤めていた時には、預金の獲得で日本一の成績を上げたという実績を持ち、人の心を把握する生来の才能を有していたとされ、後の実践倫理宏正会の発展に際し、初代のこの種の才能が大きく貢献したものと思われる。
初代と丸山との関係を知る資料は、実践倫理宏正会の側が初代が「ひとのみち」の教師であったことは無論であるが、倫理研究所との関係についても隠さないまでも知らせたがらず、あくまでもその独立性を強調するため、倫理研究所側の資料による他はない。
戦後の昭和21年、「ひとのみち」の准祖であった丸山敏雄は「新世文化研究所」を設立していたが、昭和22年頃 初代は丸山に師事し、友人を伴って上京しては、丸山にいろいろ指導を受けていたようである。
現在、実践倫理宏正会・倫理研究所の両社団法人で、重要な布教手段として位置付けられている会誌頒布は、最初は上野駅などで行なっていたが、その後、アメリカのセールスマンのやり方を模倣して、個別訪問売りをするようになった。この会誌頒布による布教は、初代が自分が銀行に勤めていた頃の預金獲得の体験を語ったりして、この方向が定まったとされている。
倫理研究所の幹部であった 青山一真(「丸山敏雄先生の生涯」)によると、
初代は新世文化研究所の所員となってからも北陸の普及を担当し、「上廣の北陸に於ける信望は次第にまして、さながら一つの団体を構成するところにまでなっていた。・・・・・その勢いは志友協議会に反映して当たるべからざる勢となり、協議会の空気は次第に緊張の度を加えていた」とする。
両者の決裂は、次の如くである。
「それは丸山が死ぬ一年前の昭和25年のある日のことである。上廣はかねがね北陸に於ける活躍ぶりが華々しく伝えられ、丸山も大変信任していたが、いつのまにか丸山と異なった意見をもつようになり、ついに8月7日の夜、所員教育指導の一切を、丸山の手よりことごとく我に委ねられたしと要求するにいたった。・・・・・・
丸山は、この上廣の申し出を、静かに、しかしはっきりと、学道の順逆を説いてしりぞけた。ここにいつのまにか上廣の気持が、丸山をはなれていることが明らかになった。・・・・・丸山は懸命に師弟の道を説いた。『順』はそれ自体が弟子の唯一道であると共に、その極点が、真の倫理者となる唯一道でもあるからであった。論文『学道』は、『倫理者の態度』は、いずれもこの弟子を思う熱涙をふるって書かれたものであった。しかし、・・・・・ついに悲しむべき別れを見るに至ったのである。かくして又、大きな期待をかけた弟子の一人は、師辺を去ってしまった。」
倫理研究所側の話によると、初代は商人的な才能に富み、人の下に立つのが何より嫌いな男であったとされる。
実践倫理宏正会の側では、初代が倫理研究所に関係していたことは否定しないが、北陸での活動「生活倫理実践会」は初代独自の活動であったとし、初代と丸山との関係は、ほぼ対等であり、理論面を丸山が、実践活動の面を初代が分担し、それぞれ研究所を指導していたとする。

両者の言い分は食い違っているが、その事実関係は歴史的資料によって検討するしかない。
しかし、「ひとのみち」時代においては、丸山は准祖という教祖に次ぐ要職にあり、初代は入信一年余りで教師になったばかりの名もない新参者。常識で考えれば、初代が丸山もとを訪れるということは師弟関係以外にはないはずであり、対等であるとは考えられない。
商人的な才能に富み、人の下に立つのが何より嫌いな男であったと評されるほどの自信家の初代にとって、一つの組織で一講師として丸山の下にいることは耐えられなかったのではなかろうか。
そして、そこには「ひとのみち」から流れている『強者のための倫理』があったのではなかろうか。
(丸山の説く「学道の順逆」も詰る所は、師[強者]に弟子[弱者]は従わなければならないということである)

「ひとのみち」の教義を引き継ぐ実践倫理宏正会の教えは、一言で云えば『強者のための倫理』である。
『弱者』は、『強者』の支配に服従することが人の「みち」であり、「大自然の摂理」なのである。
弱者の不満や、不足の心に対しては、「そのような不足心が不幸になる」と進退両難のどつぼに嵌め、ひたすら「自分を捨てる」「我を捨てる」ことで対処しようとする。
なんでも「ハイ」と受け入れ、現実を大肯定し、「すべてこれでいいのだ」と受け入れ、自我没却を繰り返し教え込まれるのである。
会の教えは、自由・平等・独立を前提とし、自我の確立した個人主義的人間という、西欧近代主義の理念とされている「市民」という概念からすれば全く対照的な人間が目指されている。学校教育で教え込まれたこのような西欧近代主義の理念は、「それは間違いである」と繰り返し繰り返し教え込まれ、徹底的に排除される。

ここで重要なのは、戦後教育を受けたはずの人間が、どうしてこのような教えを受けいれることができるのかということである。
その要因としては、学校での理念と、実際の日本社会の行動原理とは、大きく異なっているということが考えられる。学校教育では、男女平等を教え込まれた近代女性も、企業に勤めたり、結婚して家庭の主婦となる過程において、男女平等が理念であっても現実でないことを知るに至る。
「ひとのみち」から派生した教団(PL、自然社、倫理研究所、実践倫理宏正会など)が現在少なからず存続しているのは、実際にその教義によって、少なくとも主観的には、救われた、より幸福になれたと思う人間が多く存在していることを示している。
「ひとのみち」から派生した教団にみられる教義に類似したものは、他の新興宗教にも多く見られる。特に、霊友会、立正校正会の日常道徳レベルにおける教えは、ほぼ同じとしてよい。

実践倫理宏正会の教えを守ることにより、上昇可能となったサラリーマンに対して、安丸氏は次のように指摘している。
「一般的にいえば、通俗的道徳的自己規律の真摯な実践は、現存支配体制の内部でのささやかな上昇を可能にして、支配体制を下から支える役割をはたし、社会体制の非合理的なカラクリを見えにくくするものとしなければならない。むしろ通俗的道徳を教える思想家は、現存の支配体制をすすんで極めておめでたく賛美している場合が多い」(安丸良夫「日本の近代化と民衆思想」)
実践倫理宏正会の教え(自我没却)を実践すると、主観的にはともかく客観的には、現体制を維持することになり、その体制での主観的なささやかな幸福を感じることができるのかも知れない。

実践倫理宏正会では、この『強者のための倫理』を自己の体制(会長を頂点とする強固なヒエラルキー)を維持・存続させるために利用している。
会は、会長以下、末端の会場に至るまで「お役」と称する細分化した階級支配体制を構築し、軍隊式の「上意下達」の支配体制を作り上げているである。
そこでは、会の教えを自己の体制の維持・存続の為に利用し、下の者は上の立場の人には絶対服従の『強者のための倫理』を徹底して実践することを教え込まれている。

このような『強者のための倫理』の倫理を実践するためにひたすらの「自我没却」を実践している人の心理状態はどのようであるのか。
朝起会では、会員は自我没却の過程を「自分を見つめる」という方式で演壇を行なっている。この「演壇」は、自責的思考様式を中核とする「内観法」に類したものと思われるが、すべてを「大自然の摂理」に帰している会の教えで自己を納得させ問題を解決することができるのであろうか。
その成功事例が見られるからこの方式が続いているのであろうが、多くの会員の前で話すことで自己満足している会員が多くなれば、ただの形式に堕すると思われる。
『強者のための倫理』を植え付けられ、それを自明とし何も疑問を感じないようになれば、その人は、その体制でより「強者」になることを望むであろう。より「強者」となって今度は「弱者」に対して「自我没却」を求めることを希望するであろう。
ここに競争が生まれる。その競争は、その体制の支配者にとって非常に都合のよいものである。その競争をその体制を発展させるために利用することができるのである。
(会では、「競わす」ということで会員間の競争を煽っている。会員を新たな会員獲得に向けて競わせ、会の拡大・発展に利用しているのである。)
また、このような「自我没却」の心理は、いびつな形で出てくることもある。
「強者」に対して、媚び、へつらい、ゴマをすったりする手法で「強者」に取り入り、「強者」の贔屓を得ようというものである(外見では従順な態度を装いながらも、その内心では強者をたぶらかそうとするものである)。
このような者は、その集団では多くの者に憎まれる存在となるであろう。そして、そのようなことが常態となっている集団は、やる気のない集団となり、腐敗し、いずれは崩壊することになろう。

『強者のための倫理』を実践するための「自我没却」は、様々な様相を現出することになるのである。


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「ひとのみち」から派生した教団(PL、自然社、倫理研究所、実践倫理宏正会など)、立正校正会、霊友会、創価学会等、戦後に発展した新宗教の家族倫理をみると、多少の差異はあるが、共通点も大きい。
いずれの教団においても、伝統的家族倫理(封建的、前近代的とも言い得る)が濃淡の差こそ説かれている。
親孝行や強い父親の復権とそのための母親の協力をくり返し教え、子供の教育や躾に関しては、過保護や過干渉の弊害を説き、上級学校進学中心主義に反対している。
「妻は夫をたてるべき」という主張は、多くの教団において、程度の差こそあれ存在している。

「相手の態度を変えようと思うなら、まず自分が変わることが先である。そうすれば、その結果として、相手の態度変容が生じる。」という教えも、また多くの教団においてみられる。
この教えは、「間人主義」社会である日本において、きわめて適合的なものと云うことができる。

(注) 濱口恵俊 『「日本らしさ」の再発見』
間人主義の社会において要請されるのは、自分と他者との間での円滑な相互性の確保である。
[濱口]によれば、日本においては連帯的自立性が優位であり、各自の自己表出は、当人の属する上位システムとの関係において、良好なホメオスタシスを保つために、戦略的に限定せざるをえない。日本人に生来的に自己主張が欠如しているのではなく、ただその自我の表出が、西洋人のように剥き出しのものとならず、社会的に高度に洗練された形態をとるに過ぎないとされる。

戦後日本の教育においては、自己主張を中心とする倫理がよいものとされている。しかし、実際の日本社会の行動原理とは大きく異なっている。また、現代の日本人にも、深層には伝統的な日本古来の倫理が影をひそめているのかも知れない。
日本人の自己主張を悪とする伝統、自罰性が高い伝統は、現代でも息づいていると云える。

実践倫理宏正会では、『強者のための倫理』を実践するため、その修行方法の一つとして、朝起会において自らの自我没却の過程を多くの会員の前で披露するという「演談」が行なわれている。
この「演談」は、日本で開発された精神療法としての「内観法」に類似したものである。
内観法の開発者である吉本伊信は、浄土真宗の「身調べ」の最中に「世界中の人が助かっても、私だけは地獄行きだ」と判った瞬間の悦びを伝えんがために、内観法を始めたとされる。
内観法の具体的なやり方は、父母、兄弟姉妹、配偶者、祖父母というような身近な人に対して、「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という3つの観点で自分自身を調べていくというものである。
内観は、行なった人の外罰性を減少させ、無罰性と内罰性を増加させる。内観は、自己評価を低下させ、他者に対する評価をプラスの方向に大きく変化させる。このような、他者像の肯定的変化は、日常生活における対人関係を好転させる。
内観を行なったことにより、次のよう事例があったとされる。
ある主婦が集中内観後、喧嘩別れした主人が元通りになりたいと言って帰って来たのに対し、「私のような罪深い、こんな汚い心を持っている者でも良かったら一緒にいかしていただきます」という言葉が出たという。その主婦は生かされている感動を、「自分が生きているんだという気負った気持ではなくて、何かもうすべてが大自然によって生かさせて下さっているというような尊い感じです。」と表現したという。

このような現象は、実践倫理宏正会の会員の間にひろく見られるものである。
夫や姑の方が悪いと信じこんでいた主婦が、自己のいたらさに気づき、涙ながらに、こんな自分を今まで相手してくれた主人や義母に感謝するという「演談」が繰り返し行なわれている。

内観により、自分の罪悪を知り、自分の醜さが分かれば、我執もなくなり、周囲の恩恵が分かるようになるとされているが、この現象は実践倫理宏正会に共通するものであり、また、多くの新宗教教団もしくは修養団体においても見られるものである。

とりとめもなく書き連ねた感があるが、前に予告したように、これより「宗教」について述べて行くことにする。

「朝起会は宗教ではないと言っているが、本当は宗教ではないのか」という言葉が世間ではよく聞かれる。
ご承知のとおり実践倫理宏正会は、表向きは「宗教法人」ではなく「社団法人」として設立されている。
実際、会では神をたてず、礼拝の対象もないように見え、その教えは「あの世」での幸せではなく「この世」での倫理を説き、会の教える倫理を実践すれば「この世」での苦難から救われ「仕合わせ(幸せ)」になるとしている。
そして、現会長は著書において明確に「宗教ではない」と断言している(その理屈は粗雑であるが)。

実践倫理宏正会は、宗教団体であった「ひとのみち」の教師(布教師のこと)をしていた初代会長が戦後に設立したものであり、その教えは「ひとのみち」の教義を引き継いでいることは前に見てきた通りである。
「ひとのみち」では、一応、崇拝の対象としては、元霊=天照大神、皇霊=歴代天皇の神霊、祖霊=先祖代々の神霊があり、宇宙の原則を説いているとされる人訓21か条には「神」という言葉が度々出て来る。

「ひとのみち」の神について、人訓第1条は「神は一体である 万神なき事を知れ」としている。
ここには、キリスト教と同様の唯一神教的神観念が存在するように思われるが、それはキリスト教の唯一神と同一ではなく、むしろそれは、単一神教的なものであって、原理的に他の神・仏を否定するのではなく、唯一の神が、諸々の神・仏を統一し支配しているというものである。
さらに、神と人間の関係はキリスト教とは相違し、断絶しているのではなく、同一化することが可能なのである。
人訓第5条「世の中にいきるもの、元は皆みづ[水]である其元はひ[日]である」、あるいは「教理体系」の「宇宙はそれ自体の本体が力と発動して顕現したるものである。それ既に完に顕現相として顕現したる全統一体であって、その中心は太陽である・・・・・すなわち宇宙は太陽を中心として顕現したるものである」に示されるように、この唯一神(太陽とも天照大神ともいう)は、キリスト教における超世俗的人格神ではなく、むしろ儒教における非人格的超神的力に近く、しかしこれとも相違し普遍的な宇宙の理法というよりは、むしろ無定形なアニマ的力である。そしてこのアニマ的力としての唯一の神は、神・仏を含めて宇宙の万物に顕現するのである。

「ひとのみち」は宗教団体であったが、儀礼の非日常的性格をなくし、救済方法としての教義は現実生活における実践倫理に終始した。
しかし、そこには体系化された形而上学的な宇宙論はまったくと言っていいほどに存在しなかった。
「ひとのみち教団ト云フ宗教団体ハ他ノ宗教団体ニ較べマシテ非常ニ特質ノアッタ団体デゴザイマシタ・・・・・教団デハ系統的ニ神観ヲ説イテ、ソレニ基イテ実践道ヲ説クト云フイコトデハナク・・・・・実践道ヲ教示シテ行ク・・・・・信者ガ教団ニ参リマストモ所謂オ詣リデハナクテ、其ノ時其ノ時其ノ日其ノ日ノ日常生活ニ於ケル心ノ持チ方ヲドウスルカト云フコトヲ教ヘテ貰フタメニ来テ居ッタ・・・・・」とされる。
「ひとのみち」において、教団独自の神観、それに基いた教義体系の展開、したがってそれに応じた実践倫理の展開は見られない。「ひとのみち」は宗教類型のうえでは呪術に属するので、呪術の本質上、活動が関心の中心にあるのであって、かかる神観、教義と実践倫理の体系化は問題外であり、「ソノ時ソノ日」の日常実践の問題に即し、実践の在り方を指示することが重要であった。
しかし、組織的拡大がなされ、内部的統制の必要が迫られてくると、布教の先端にたった教師(布教師のこと 初代会長はこの教師であった)のために、場合網羅的に個人・家族・国家の諸生活の諸項目を設定し、個別的に説明を施したマニュアルを作成した。「ひとのみち」の説く規範は曖昧であるだけに、それを説明する場合には、諸生活における細目=徳目が必要であったからである。
「ひとのみち」から派生した「実践倫理宏正会」は、この「ひとのみち」のマニュアルをもとに会の唱導する倫理として再構成(取り出した)ものといえる。

実践倫理宏正会は宗教団体なのか?宗教とは何か?につて「宗教の起源」から考えてみることにする。

「宗教と何か」ということを厳密に定義することは困難である。
以下、どのレベルのものを宗教と考えるのであろうか。
(1)キリスト教、仏教、イスラム教など広く一般に知られている既成の伝統的な宗教
(2)明確に聖なるものを立てた思想・哲学体系や新興宗教
(3)自らは宗教を自称しないが、明らかに論理的でない思考を行い、それを超越的理論で補うもの  
例えば、一部の自己啓発セミナーや、団体など
(4)ある程度論理的で一部の人々にに支持され認知されているが、決定的な根拠や論理性を欠き、その部分を超越的思考で補うような道徳観など。一般に「宗教的」と表現されているような事柄。
例えば、過去には明らかに反道徳的であったが、現在では明確に反道徳的とは言えないにもかかわらず、一部の人々によって強く嫌悪されるようなこと。多くの社会的習慣など。
イデオロギーもこの部類に入るかも知れない。

また、
中国の儒教は宗教なのか。
日本の神道は宗教なのか。


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世界の宗教を見ると、その起源は共通し、そしてその発展には法則性があるとされている。
これから「ひとのみち」そして実践倫理宏正会を、この法則性の中で見て行こうとするものである。
最初に、これから述べて行く事の概略を示す。

「宗教とは」
宗教とは何かという定義は始めからは厳密にはできない。しかし何も定義しないと理解が難しいので、とりあえず、宗教とは「神や宇宙の秩序に関係していること」と仮の定義をしておく。

「神とは」
神とは「崇拝の対象となっている超感性的人格」とする(超感性的とは「目に見えない、あるいは感覚的には捕らえることができない」という意味)。
たとえば日本には日本の神々を崇拝し祭っている神道という宗教がある。日本人なら大体の人が訪れたことのある神社は、そうした日本の神々を祭っている所である。あるいは日本人の家の中に祭ってある神棚は、やはり日本の神々を崇拝するために作られたものである。つまり神道とは「日本の神々の崇拝に関わっていること」と言うことができる。
世界宗教であるキリスト教にはヤハウェ(ヤーヴェ)、あるいはエホバと云われている神がいる。イスラム教にはアラー(アッラー)という神がいる。

「神のいない宗教」
ところが、世界宗教の中には神のいない宗教もあるのである。
それは、第一に仏教である。仏教とは紀元前6世紀頃、今から2500年前にインド、正確にはネパールに現れたゴータマ・シッダールタ、通常ブッダと呼ばれている人が唱えた教えである。
仏教には神がいない。神の代わりに仏教にはダルマというものがある。仏教のダルマ(Dharma)とはこの宇宙の法則、究極の定めという意味である。

中国には仏教と同じ紀元前500年頃、孔子によって始められ、支配階級によって確立された、儒教という宗教がある。この儒教にも神はいない。代わりに「天」というコスモス(宇宙の秩序)がある。
天とは何かを表す言葉に、「天は人の下に人を造らず、人の下に人を造らず」という福沢諭吉の言葉がある。この言葉は福沢諭吉がアメリカの独立宣言から取ったものと言われているが、アメリカ人が神と言うところを、福沢は「天」と言い換えたもの、つまりキリスト教的な「神」を福沢は儒教的な「天」と同じものとみなしたのである。
西郷隆盛の「敬天愛人」もキリスト教の聖書の言葉を儒教的な言葉で表したものであり同様である。

インドでは仏教以前にヒンドゥー(またはヒンズー)教が発達した教えを持っていた。その根幹にはカルマ(因果応報)やサンサーラ(輪廻転生)という観念がある。
カルマとは「人はその行いのすべての報いを受ける。善い行いをすれば良い報いを受け、悪い行いをすれば悪い報いを必ず受ける」という観念であり、カルマ(因果応報)はこの世の定めと言うよりはあの世も含む宇宙の定めという観念ある。カルマとはもし人がその行いの報いをこの世でうけないなら ば、その報いはあの世で受けるという信仰である。あの世とは「人が死んだ後の世界」ということ(キリスト教ではあの世のことを天国と地獄と呼んでいる)。
ヒンドゥー教では人が死んだら、その魂はこの世で次の生命体に生まれ変わると信じられて来た。どのように生まれ変わるかというと、死んだ人の魂はこの世で場合によっては牛や虫の命に乗り移って生まれ変わると信じられてきた。この教えをサンサーラ、輪廻転生と呼んでいる。つまりサンサー ラとは「魂は一つの生命体から次の生命体に乗り移り、この世で永遠に存在する」という観念である。

仏教、儒教およびヒンドゥー教における「ダルマ」「天」「因果応報」そして「輪廻転生」は、すべて「コスモス(宇宙の秩序)」を意味する言葉であり、コスモスとは「宇宙を司る法則や原理」と言うことである。

「神かコスモスか」
世界には神を崇拝するキリスト教、イスラム教、神道などの他に、神の代わりにコスモス(宇宙の秩序)を第一に信じている仏教、儒教、ヒンドゥー教というようにに区別できる。
もちろん中国やインドにはさまざまが神々が祭られ信じられているが、そうした神観念は別なコスモスという観念の下に位置するものと考えられてきた。ヒンドゥー教にはシバ神、ヴィシュヌ神と言った神々がたくさんいるが、それらもすべてカルマの法則を逃れることはできず、その行いによって次の世では人間や虫などに生まれ変わると信じられてきた。 神とコスモスの違いは人格観念にある。神もコスモスもともに超感性的力なのであるが、神は人格的存在であり、コスモスは非人格的な存在なのである。

つまり、西洋では、神がこの宇宙を創造したとするのに対して、東洋では、広大無辺であり永遠に続くこの宇宙にはコスモス(宇宙の秩序)があるとする思想・世界観がその根底にある。

「宗教の三要素」
宗教には3つの要素がある。
それは第一に崇拝という要素である。宗教には崇拝、すなわち拝むという観念や行為が入っている。

宗教の要素の第二は教えである。「宗教」の「教」という字は「教え」という意味である。仏教とは仏の教えという意味であり、儒教とは孔子の教えであり、キリスト教とはイエスの教えであり、イスラム教とはムハマドの教えである。
教えが書き記されている書物を教典(経典)と呼んでいる。キリスト教には聖書、イスラム教にはコーラン(クルアーン)、仏教には大乗経典をはじめ二千以上経典、儒教には四書五経、ヒンドゥー教にはヴェーダをはじめとするいくつかの経典がある。
宗教の教えの中心には倫理がある。倫理とは人間関係における規範ということが出来る。
ユダヤ教に「十戒」という教えがあるが、このうちの「父母を敬いなさい」という教えはキリスト教にも儒教にも仏教にも共通した倫理の教えである。

第三の要素は「救い」である。

世界の宗教をこの三つの要素から見ると、さまざまな特徴が見えて来る。
たとえば日本の神道には崇拝があるが、倫理的な教えとか救いという要素はない。イスラム教と儒教には救いの教えがない。仏教には崇拝というものがあまりないが、救いの教えがある。

会員数について教えてください。
実践倫理宏正新聞の発行部数をご存知の方、部数はどのくらい?基礎の数に近いと思いまして

公表会員数: 3,384,727
実践倫理宏正新聞の発行部数は公表されておりません。
なお想像による詮索は、何度やっても無意味です。
↑↑この大論文は、このスレ始まって以来というより、この種、「宏正会」研究論文としては、前代未聞ですね。(拍手喝采!)

[宗教の起源]その一

宗教の起源の第一歩は「カリスマ」を認識することにある。
現在の日本において、カリスマ美容師とか、カリスマ外科医、カリスマ料理人といったように、カリスマ○○というよな使われ方がよくされている。
人間業とは思えない、神業ともいえる卓越した技量の持主を「カリスマ○○」とするようである。
このように私達は、まれにしか見られない何か特別な存在に対して「びっくり」したり、「感動」を覚えたり、「畏れ」を抱き「畏敬」したりする。
古代の人達は、どのようなモノにこのような感情を抱いたのであろうか。
まず、地震や雷、滝、巨石や巨木などのまれにしか見られない自然物、自然現象が考えられる。
(現在でも、滝、巨石、巨木などにしめ縄が張られ、神聖な場所とされている)
次に、剣、鏡、玉など古代人にとって今まで見たことのない優れた人工物に対してもこのような感情を抱くのではなかろうか。
(剣、鏡、玉は、多くの神社の御神体とされている)
また、戦いを勝利に導くすぐれた戦士、絶大な権力を有する王、非凡な政治家(例えばヒトラー)、まれに見ぬ才能を有する人物にも同じような感情を抱くものと思われる。
(日本の神社では、このような人物を神と祀っているところが多い。明治以降も明治天皇を祀る明治神宮、乃木希典を祀る乃木神社、東郷平八郎を祀る東郷神社、吉田松陰を祀る松陰神社などが建立されており、業績を後世に残すための記念館的な意味を有する。ともかく、祀られる者とそれを祀る者が存在すれば神として祀られる。) 
このように、まれにしか見られない何か特別な存在(=非日常的な力)を「カリスマ」と呼ぶ。

次の段階は、「霊(スピリット)」の存在を認めることである。
雷を例にすると、雷は大きな音が轟き、鋭い光を発するがその本体は見えない。その本体は見えないが、そこには何らかのモノが存在していて、その力によってそのような現象が起きていると考えるようになる。
このように、物質の背後に存在する目に見えない超感性的な存在を「霊(スピリット)」と呼ぶ。
特に人に住みつく霊を魂と呼ぶ。
人が死ぬとその魂が抜け出るという感覚を現在でも多くの人が持っている。
モノや人に一時的に住まう霊(魂)を信じる信仰を「霊魂信仰(アニミズム)」と呼び、霊魂信仰以前のカリスマ的自然物・人物をそのまま敬う信仰は「プレ・アニミズム」と呼ばれる。

このように人類が「霊」の存在を認めるようになって来ると、そこに登場してくるのが「呪術師(シャーマン)」である。
呪術師は霊(=超感性的存在)を操り、命令したり強制する力を持っているとされるカリスマ的存在である(実際にそのような力を持っているかどうかは別にして、そのように信じられている人物である)。
現在でも、祈祷師や東北地方にはイタコと呼ばれている人が存在している(西洋では映画でお馴染のエクソシストがそうであろう)。歴史的には卑弥呼が「鬼道に仕え大衆を惑わす」(魏志倭人伝)とあるように呪術師であったとされる。
呪術師は、ものに取り付かれた状態(神憑り)となり(忘我、エクスタシー)、また大衆を狂騒(オルギー
)状態にして、霊を操作しようとする。

このように人類は「霊」の存在を認めるようになって来たのであるが、人間に於も自分にとって都合のいい人(利益をもたらす人)と自分にとって都合の悪い人(自分に害悪をもたらす人)とを区別するように、「霊」についても区別するようになった。
つまり「霊」についても、人間に益をもたらす霊と人間に害をもたらす霊とに分けるようになったのである。
人間に害をもたらす霊は、悪霊、鬼、デーモン、サタン等とされ、呪術師によって強制され追い払うものとされた。現代でも、病は悪霊が憑いたものとされ、祈祷師によってその悪霊を追い払うことが行なわれている。
では、人間に益をもたらす霊はどうか。
崇拝するようになったのである。ここに「神」観念が出て来たのである。つまり、人間に益をもたらす霊は、神や仏として崇拝の対象になったのである。
人間が他の人に対する態度を見てみると、自分より弱いと思われる人に対しては、命令したり支配しようとする。しかし自分と同等と思われる人に対しては、取引関係(ギブアンドテイク)となり、そして自分よりも強者に対しては、へりくだり、敬意をはらい、好意を得ようとする。
このような態度が「霊」に対しても行なわれるのである。
「霊」というものが強大でとても操作、命令、強制できるようなものでないことを知るようになり、そして人間に益をもたらすと考えられた「霊」に対して人間は崇拝の態度で臨むようになったのである。
強大な王に対して民衆は、うやうやしく敬意をはらい、従順な態度を見せ、好意を得ようと贈り物をしたりまた嘆願したりする。
このように、「神」に対して、うやうやしく礼拝し、祈り(呼びかけによる崇拝)、捧げ物をしたりして崇拝するようになったのである。古代のインカ帝国などでは、祭壇で人間の首を切り落とし人間の命を神に捧げていたが、これはそのようにすれば神が喜ぶと信じられていたからに他ならない。

このように「霊」が「神」に発展するためには、二つの前提が必要である。
その第一は、「霊」が一時的なものでなく永続するものと観念されるようになって来たこと。
その第二は、祭司の存在である。
「霊」は、崇拝する者がいなければ「神」に発展しない。「霊」は崇拝し祭儀を行なう祭司がいて初めて「神」に発展することが出来るのである。そして祭司は職業として祭儀を行なう者であるから、そのためにはその社会集団(国、村落など)が存在しなければならない。祭司はその社会集団に付属する祭司団の一員でなければ存在することができないのである。

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[宗教の起源]そのニ

前回、宗教の起源の第一歩は人類が「カリスマ」(非日常的な力あるいは非凡な能力)を認識することであり、次に物質の背後に存在する目に見えない超感性的な存在(霊)を認めるようになったことであると述べた。
そして、その超感性的力(霊)が有益なものをもたらし、永続的存在であり、崇拝の対象であると人々が信じるようになったとき「神」と呼ばれるようになり、そこには祭司の存在が欠かせないものとした。
祭司は、一定の場所で祭壇や神社を作り、定まった方法で祈ったり、供物(犠牲)を捧げたりして、特定の神を崇拝し、その神の好意(力)を得ようと努める。
この祈りや犠牲(奉納)といった神崇拝の方法を「儀式」と呼ぶ。儀式は、呪術師が霊を操作・強制するために行なう様々な呪術の方法を洗練化し、形式化したものである。

西洋では、このように超感性的力(霊)が神観念に発展して行った(日本の神道も同様)が、東洋では別な方向を辿った。
この超感性的力が「神」という人格的な存在ではなく、非人格化の方向へ展開して行ったのである。
この展開を担ったのは、祭司ではなく呪術師と知識人であった。
そこには地理的・歴史的な要因が関わる。
インドでは、BC 1500~BC 1000 頃、アーリア人がインド大陸に移動し、次々と原住民を征服していき、BC 1000~ BC 700 頃にはガンジス川を東進し、都市国家をつくった。
この過程でアーリア人は戦争と移動が繰り返され、一定の場所に留まることが少なく祭司が定着できなかった。祭司は一定の場所に祭壇をつくりたり、神社をつくって祭儀を行なう者だからである。
代りに、バラモンという呪術的カリスマを持った人々が台頭し、超感性的力を身につけ操作することに関わってきた。
中国でも、最初の指導者、つまりカリスマを持った指導者は呪術師であった。
呪術師の雨を降らせる力が、黄河上流の古代国家に小麦の豊作と社会秩序の安定をもたらしたのである。
以来、中国の支配者は呪術的カリスマを持つものと信じられ、天地の超感性的力に犠牲を捧げる最高祭司の役割も独占し、祭司階級は成立しなかった。

超感性的力を「崇拝」する祭司とは反対に、呪術師は超感性的力を「強制」し「操作」しようとする。
従って、呪術師が支配的な世界では神観念や祭司階級は発達せず、代りに知識によって得ることのできる超感性的力の「法則」や「秩序」の観念や呪術師や知識人階級が発達した。

このように、物質の背後に存在する目に見えない不思議な超感性的力は「神」観念に、あるいは「宇宙秩序」にへと合理化され、そして体系化されていったのである。


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[宗教倫理の展開]その一

前に概略を示した時、宗教には「崇拝」「教え(倫理)」「救い(救済)」の3つの要素(宗教の三要素)があり、世界の宗教をこの三つの要素から見ると、さまざまな特徴が見えて来るとした。
「崇拝」については、神観念の発展において述べたので、「教え(倫理)」について述べる。

各宗教においてそれぞれ特色のある教えが説かれているが、その教えの中心には倫理がある。倫理とは人間関係における規範ということが出来る。
では、宗教においてどのように倫理が展開して来たのであろうか。
宗教において倫理が説かれるようになったのは、帝国が出現して戦争が止み、社会が非軍事化したことがその背景にある。殺戮と略奪が日常化し、それが正当なものと思われている社会では倫理は芽生えることは出来ない。
平和のなかで、都市が出現し経済が営まれ、法や習律が生まれた。このように社会秩序の安定が要請されるようになった社会では倫理が必要とされる。
しかし、宗教において倫理が説かれるのは、弱い存在という人間の本質が関わっている。
私達に不幸なことが起きたり、突然の災難に見舞われたときどのように思うであろうか。
「(他の人はそうではないのに)なぜ<私に>そのような不幸が起るの?」「(他の人はそうではないのに)なぜ<私が>そのような災難に遭はなければならないの?」「なぜ私は苦しまなければならないの?」と自問・自答を続けることになるのではなかろうか。
原因が分かるものであればそれなりに納得することもでき対処をすることもできるが、原因が分からない苦悩も多い。自然科学では解明できない原因に苦悩するのは今も昔も変わらない。そこに宗教が発展して来た要因がある。
私達はこの自問・自答の中で、その原因を「あいつのせいだ」と外に向ける場合もあれば、その原因を「私のせいなのでは」と内に向ける場合もある。その原因を「私が悪いから」と自分に向けたとき、そこに倫理が生まれる。
その原因を自分とは無関係な「悪霊のせいだ」とすれば、悪例を追い出す力を持っているとされる呪術師の登場である。現代の日本人でも「お札」や「お守り」を持っている人も多い。また「占い」を信じている人も多い。このような超感性的な存在に影響を与えることができるとされる呪術は現代でも決して廃れることはない。むしろこのような呪術信仰を大衆は求めているといえる。

では、「それは神の怒りだ」と教え諭す人がいればどうなるであろうか。
「どうして神が怒るの?教えて」ということになる。
「それは神の命令に反したから」「それは神の意に添わないからだ」とすると、今度は「どうしたらいいの?}と尋ねることになる。
その答えとしては「神の命令を守りなさい」「神の意に添うようにあなたの行動を変えなさい」と、お祈りや捧げ物といった儀礼的なものを求めることもあるし、倫理的な行動に改めるように諭すこともある。
この神の命令あるいは神の意に添うという倫理的な教えは、苦難の原因を内なる自分に求める心情にうまく溶け込んでいくのである。
このような人々の災いや苦しみについて神の意志や命令と知識を教える人、個人的な宗教的相談人(カウンセラー)のことを「たましいの教師」と呼ぶ。

余談になるが、現代においても「私には身に覚えがないのに何故?」という問いかけに対しては、およそ次の三つの回答に集約される。
一つは「それは、あなたがより善き人間になるための神の訓練だ」とするもの。
一つは「それは、あなたが身代わりになっている」とするもの。
一つは「それは、あなたの栄光のため」とするもの(キリスト教的な回答)。


鈴以外のもんもアンアン鳴らしてきますたwww
あんなに響くとは思わなかったけどな~!!
いいプレゼントになっただろな、あれは♪
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[宗教倫理の展開]そのニ

超感性的な存在は、西洋では人格的な「神」に展開したが、東洋では非人格的なコスモス(宇宙の秩序・法則)という方向へ展開して行った。
空間的には広大無辺、無限に広がり、時間的には始めもなく終わりもなく無限無窮、永遠に続くこの宇宙には、コスモス(宇宙の秩序・法則)があるとする。このコスモス(宇宙の秩序・法則)がこの宇宙を支配しているとするのである。
神々はこのコスモスの下に存在していて、コスモスに支配され、コスモスに縛られているとする。
このコスモス(宇宙の秩序・法則)は、初めは倫理や救済観念とは無関係なものとされていた。
しかしこのコスモスにも、前回述べたような社会背景そして人間の要求から倫理が入るようになったのである。
しかし、東洋の宗教における倫理は、支配者が民衆を支配するための倫理、支配者のための身分倫理という色彩が強い。

インドでは、アーリア人がインド大陸を征服し、900~100 BC にかけてヒンズー教聖典ヴェーダが成立した。初期のヒンズー教のコスモスは「リタ」と呼ばれた儀式的秩序だった。聖典成立の過程でウパニシャド哲学が輪廻転生(サンサーラ)と因果応報(カルマ)思想を確立し、ヒンズー教は教えの中に取り込んだ。
輪廻転生(サンサーラ)とは、「人の魂は一つの生命体から次の生命体に乗り移り、この世で永遠に存在する」という観念である。人が死んだら、その魂はこの世で次の生命体に生まれ変わり、どのように生まれ変わるかは、場合によっては人ではなく牛や虫の命に乗り移って生まれ変わると信じられた。
因果応報(カルマ)とは、「人はその行いのすべての報いを受ける。善い行いをすれば良い報いを受け、悪い行いをすれば悪い報いを必ず受ける」という観念であり、この世の定めと言うよりはあの世も含む宇宙の定めという観念ある。カルマとはもし人がその行いの報いをこの世でうけないなら ば、その報いはあの世で受けるという信仰である。
ヒンズー教の教えに倫理的観念(因果応報)が入ると「ダルマ(法)」と呼ばれるようになった。
このようにコスモス(秩序・法則)に倫理性が入ってきて、倫理的な秩序・法則に発展したのである。
インドでは、カースト制という厳しい身分秩序が成立していた。
カーストとは、バラモン(祭司とされるが、その起源は呪術師)、クシャトリア(武人)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)という4つの基本身分に職業、生まれ、言語などの違いによって多数の集団が相互に閉鎖的な関係をもった社会制度である。カーストにはそれぞれ掟(タブー)があり、それを破った人は破門追放され、アンタッチャブル(不可触賤民)として扱われた。
ヒンズー教では、輪廻転生と因果応報を結合して「現在のカーストを守れば次の世では高いカーストに生まれ変わる」と教えた(現在の低いカーストは前世の報いということになる)。
これがヒンズー教の救いの観念であり、その本質は支配者の身分倫理である。
仏教はこのヒンズー教の輪廻転生という鎖から開放されたい、抜け出したいがために、永遠の魂というものを否定した。魂が不滅だから次々と他の生命体に乗り移って、永遠に機械じかけのように存続いく。仏教はそのような魂というものは存在しないとして否定したのである。
しかしインドで生まれた仏教は、インドでは現在ほとんど存在していない。「仏教はヒンズー教の胎内から呱々の声をあげ、ふたたびその腹中にのみこまれていった」(山折哲雄)のである。

中国では、道教の「タオ(道)」は神秘的無作為なコスモスで、そこには倫理も救済もない。これに対して儒教の「タオ(道)」には倫理的コスモス(徳)が入っている。
儒教には神も救済の教えもなく、あるのは支配層(官僚)のための世俗倫理である。儒教は宗教的要素を極小化した倫理のみの宗教といえる(儒教については別の機会に述べる)。

[預言者]

宗教における倫理そして救済観念の発展に重要な役割を果たすのが「預言者」である。
預言者は「予言者」とは異なる。
予言者は、ノストラダムスの大予言といったように、将来の出来事を予め言い当てる人のことであるが、これに対して預言者とは、「新しい宗教的啓示を説くカリスマ的個人」をいう。
「啓示」とは、「人生と世界に対する統一的意味の提示」である。
人の知性に語りかけて「知識」を教えるのではなく、人の感情に訴えて「意味」を説くのが預言者である。
預言者という啓示カリスマは「目からうろこが落ちる」といった感動と霊感を与え、人に新しい人生の目的と意味を示すことで、その人の価値観を180度変え、その人の生き方を変える。
預言者には、「使命預言者」と「模範預言者」という二つのタイプがいる。
使命預言者とは、神の命令を伝える人であり、神の道具(使い)としての召命の自覚がある者である。
アモス、イザヤ、エレミヤといったイスラエルの預言者やキリスト教をおこしたイエス、イスラム教をおこしたマホメットが挙げられる。
模範預言者とは、自らが達成した救いの道を(自らが模範となって)示し教える人であり、救いの容器(達成者)としての召命の自覚がある者である。
仏教をおこしたブッダ、ジャイナ教をおこしたマハービーラが挙げられる。


おマンチョ丸見えでスゲェ興奮した!!
指3本ぬゅるんって吸い込まれていったわww
ポコーティンもすんなりでしたよwww
http://2hwbtaw.simo.naraduke.net/

いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。

いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

上記の投稿は、
いや夫が、水面に写った自分の姿を見て、ワンワン吠えている犬と
全く同じ状況だと、言う意味ですよ。
理解できないようですが。

さらにいえば、
いや夫が、鏡に映っている自分の姿を罵倒して、石を投げつけたら
壁にぶつかって、戻ってきた石が、自分の顔に見事に当たって、
鼻血だしてるような状況だよ

陳腐だねえ

記念として、下記を作詞いたいしました。
著作権フリーと致しますので、どうぞご自由にお使いください。
曲をつけるなりして、ニコニコ動画で「歌ってみた」などにもどうぞ。

「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

いや夫は、もう議論の息の根を止められて死んだ人。蒸し返して、死人に鞭打つようなことはやめてあげよう。

↑ はい、賛成!

連載いただいている、まことに稀有なる、「実践倫理宏正会」にかかわる、大論文を拝読しようではありませんか。
今は、宗教の倫理的側面についての考察がなされておりますが、「実践倫理宏正会」は、言わば倫理の面をかぶっている、性向が大。論理の行方を見守りましょう。


見事に大成功しまっすた~!!
http://o4dlu34.noah.topemope.net/
俺の読みに間違いは無かったッ!!

前回「預言者」について述べたが、世界史的に見るとBC 700~BC 500年代は「預言者の時代」と呼ばれる特異な年代である。
この時期に、現代にも影響を及ぼしている偉大な預言者や優れた思想家が多数現われている。
イスラエルの預言者、アモス、ホセアは BC750年頃、イザヤ、ミカはBC700年頃、エレミヤは BC600年前後に現われた。
ギリシャの科学者・哲学者、ピタゴラスはBC582~497年、ソクラテスは BC467~399年、現在のイランでゾロアスター教をおこしたゾロアスターはBC660~583?年の人。
インドでは、仏教をおこしたブッダがBC563~483年、ジャイナ教をおこしたマハービーラがBC546~477年、中国では、道教の老子がBC500年代、儒教の孔子はBC551~479年の人である。
(ちなみに、キリスト教をおこしたイエスはBC7~AD30年、イスラム教をおこしたマホメットはAD570~632年である)
そしてこれらの預言者は、エジプト文明、メソポタミア文明、バラモン文化によるインド大陸統一、殷・周王朝による中国統一といった世界帝国あるいは統一文化圏の成立の後、当時の文明の中心地ではなくその周辺から現われている。
その優れた文明文化に対する驚きとその意味の問いかけが、これらの預言者たちに宗教的な啓示をもたらしたものと考えられる。

現在のイランより西を西洋の宗教、東を東洋の宗教と分けることができるが、キリスト教にしてもイスラム教にしても(ユダヤ教、ゾロアスター教も)西洋の宗教における神は、唯一神、創造神的な神である。
これらの宗教は中東、アラビア、エジプトなどのいずれも砂漠地帯から生まれた。何もない砂漠の中に当時の文明の中心地に巨大都市が建設されていたのである。
何もない砂漠の中に巨大都市があるというのは、唯一の神がこの世の中を作り出した、唯一の神がこの宇宙を創造したというイメージに重なるのである。


http://sq-ft60.less.g-killing.net/
「はやく出しなさいよ!!」とか言いながら高速責め&バキュームの嵐だもんなwww
最後クチまんでたっぷり吸い出されてゴックンしてもらったよーwwwww

[神議論]

宗教にいかにして倫理が入って来たかを述べた。
こうして多くの人々が倫理というものを意識し倫理的な世の中を求めるようになると、この世の倫理的不完全性の問題に行き当たるようになる。
「なぜ悪人が栄え、正直者がバカを見るのか」「なぜ心当たりのない災いがのぞむのか」「なぜこの世には正義と公平が行なわれないのか」「なぜ貧困や、戦争や、災害や、事故や苦難があるのか」と。
今日の私達にもこのような「現世の不完全性」あるいは「人生の無意味性」に思い悩む人も多いのではなかろうか。
西洋的な唯一神を信じている人々ならば、「もし神が全知全能の創造者であるなら、なぜ不完全な世界を創ったのか」「現世の悲しみや苦しみをなぜ神は与えるのか」「不義や不平等をなぜ神は見過ごされるのか」ということになる。
このような世界の倫理的不完全性について、知識人たちは思索による解決を試みた。これを「神議論」という。
呪術的世界観が支配している社会では神議論は発生しない。なぜなら災いや苦難は超感性的な存在つまり悪霊の仕業によるものであるから、呪術師がその悪霊を操作・強制することになる。
また多神論的世界観が支配する社会には神議論は発達しにくい。多神論というのは、この世に神様は一人ではなく「山の神」「地の神」「海の神」・・・・・・といった様々な神を崇拝するものであり、その神の中には「災いの神」も存在する。以前「人に害をもたらす霊は呪術師が操作・強制し、人に益をもたらす霊は神として崇拝するようになった」としたが、このように明確に二分されるものではない。「災いの神」のように、災いをもたらさないようにという意味で崇拝の対象となる神も存在する。

神議論には様々なバリエーションがあるが、究極的には純粋型は次の三つであるとされている。
一つは、ゾロアスター教の二元論である。
この論は、この世は善と悪、光と闇、聖と汚れの二つの対立する原理によって成り立っているとする。そして神とサタン、善と悪の戦いであり、最終的にはハルマゲドンの戦い(最後の審判)によって神や善が勝利し、善なるものは天国に行き、悪なるものは地獄に落ちるとする。
日本において「水戸黄門」など勧善懲悪の物語がもてはやされるように、「正義は必ず勝つ」というのが人間の基本的な性向として存在する。人々は非倫理的な世の中よりも倫理的な世の中を望んでいる。
このゾロアスター教は現在は廃れているが、ササン朝ペルシャにおいては国教とされた。
重要なことは大乗仏教つまり日本に入っている仏教にゾロアスター教が多大な影響を与えたことである(後述する予定である)。
一つは、これまで何度か述べたヒンズー教のカルマ(因果応報)論である。
人の行いはそのすべてが来世において報われる。善い行いをした人は上の身分に再生し、悪い行いをした人は下の身分に再生する。現在の災いは前世の報いとするものである。
一つは、キリスト教の予定説(カルビン主義)と言われるものである(予定説については、現在でもキリスト教内においても色々と論議がある)。
この論は、「すべてのことは神がよしとしている(災いや苦難も)。神の計り知れない決断は人知の到底及び得ない。」「救いは生まれる前から定められている。人間のどんな業も神の決断に影響を与えることはできない。」「創られた者は創った者に文句が言える存在ではない。神には我々人間の人智によってとうてい知る事が出来ない奥深い摂理があるのだ。」「人間には不条理に見えることも、それは人間の知性の限界だからそう見えるのであって、実は神には神の計画があってそれはやがて教えられるけど今は教えることは出来ない。なぜなら人間は堕落した存在だから。」と大変悲壮なものである。
しかしこの予定信仰は、「救いの確証」をイエスの「木はその実によって知られる」という言葉からその行動に求めた。ここに合理的精神が生まれ、資本主義経済へと発展し世界に大きな影響を与えていくことになるのである(この流れについては割愛する)。

このように神議論は苦難の神議論が中心であるが、正当性のための神議論もある。
特権階級の人々、つまり経済的政治的に満たされた人々は宗教に救済を求めない。
存在するのは、特権(現在の支配秩序)の超感性的力による保証である。


うっひょぁぁぁぁぁ!!!!足でされんのさいこぉぉぉぉぉっ!!!!www
ちょっとマニアかなと思ってたけど、気持ちいいじゃんかよ━━━(゚∀゚≡゚∀゚)━━━!!!!

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いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。

上記の投稿は、
いや夫が、水面に写った自分の姿を見て、ワンワン吠えている犬と
全く同じ状況だと、言う意味ですよ。

自分のことを棚にあげて、自分の醜さ、下品さ
見えていない陳腐さ、
うんこの投げあいをして、相手の顔がうんちだらけ
になっているのを、わらって、ばかにしている自分
の顔も、うんちだらけになっているのに、まったく
気づかない、理解もしていない、
そんな状況

理解できないようですが。

さらにいえば、
いや夫が、鏡に映っている自分の姿を罵倒して、石を投げつけたら
壁にぶつかって、戻ってきた石が、自分の顔に見事に当たって、
鼻血だしてるような状況だよ

陳腐だねえ

いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

記念として、下記を作詞いたいしました。
著作権フリーと致しますので、どうぞご自由にお使いください。
曲をつけるなりして、ニコニコ動画で「歌ってみた」などにもどうぞ。

「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ


最初は見せてるだけだったのに、いきなりパクっって(笑)
正直あんまコースって関係ないよな。。
まぁち金欠だったし、あれだけで5万とか、おいしすぎっしょwww
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あういぇ━━━━(゚∀゚)━━━━い!!!!
こんなポークビッツでも10人斬り余裕だったよ!!!!www

みんな「かーわーいーいー♪」とか言って興味津々www
こんなウマウマ(゜∀゜)バイトあんならもっと早く教えてほしかったYO!!
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倫理研究所に入所するにはどうすればいいのでしょうか?お金はいくらかかるのでしょうか。HPを見てもわからないので誰かおしえてください。


お姉たまにまたがられてグィングインやられちった!!
リードしてくれたから緊張せずにイケたぜ!!
つか卒業+5万もらえるとか、マジ最高っすな!!ヽ(*゚∀゚*)ノ
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なんつーか肌の感じから感触まで、何から何まで違うんだよな!!
後これはマメ知識なんだけど、歳いった女!とくに人妻!!ヤバいっす。。
俺なんて男なのにシ朝吹かされちゃったもん(笑)
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[救い]

宗教に倫理入って来るとこの世の倫理的不完全性の問題に行き当たり、知識人たちは思索による解決を試みたことについて前回に述べた。
一般大衆は貧困や借金(経済的苦難)、病や障害(生理的苦難)、破壊や強制(政治的苦難)といった苦難からの救済つまり物質的感情的救済を求める。
しかし知識人たちは人間の欲や衝動、この世の無常からの救い、罪や汚れや悪からの救いといったもっと知的で心理的な救済を求める。
そして知識人たちは「今ここで」の具体的な救済財の獲得から「救いの信仰」へと理想の世界像を創り上げた。
「どこ」から「どこ」に救われるかという救済財について、次のようなイメージとしての理想世界を創り上げている。
ユダヤ教は、政治的身分的に虐げられた状態からメシアの国の支配者へ
ヒンズー教は、現在の低いカーストから高いカーストへの再生
キリスト教は、根源悪と罪の支配から父なる神のもとの自由へ
ゾロアスター教は、汚れと悪霊とサタンの国から清く聖なる霊と神の国へ
仏教は、この世の無常、生の渇望から瞑想の静寂の安息へ
このようにそれぞれ理想の世界像を持っているが、この理想像が異なることでその後の展開が違って来た。
線路が違っていたから違った場所に行き着いたのである。
そもそも「救い」という観念が出てくる前提には、「この世は完全ではない」「この世から救われたい」「この世は自分の目標ではない」という『現世拒否』がある。
(イスラム教や儒教には「救い」の観念はない(現世肯定)。あるとすれば物質的感情的救済である。)
無神論者なら「この世は完全ではない。だから社会を変革する必要がある。」ということになるのであろうが、いくら社会を変革しても個人の災いや苦難は無くなることはないであろうし(自分や愛する人の死を避けることはできない)、来世に希望を託し日々を安寧に暮らしている人々を否定することはできない。

「救済」については、救済の方法としての自力救済(儀式、善行、自己完成)、他力救済(救世主、信仰)など色々と述べることがあるが省略する。
しかし重要なことは、信仰の世界に入ることで救いが現世で(今ここで)すでに始まっていることである(聖化)。「生まれ変わった」「新しい自分になった」というような今までの生活態度や感情が変わって来るようになることである。
また世界史を見れば、あれほど世界で暴れ回っていたモンゴル民族やバイキングが仏教やキリスト教が入ることによっておとなしくなった。このように宗教には人を馴致させる力がある。


ねっとりとオレのパターキンに絡みついてきて、絞り取られるみたいに感じまくったよ!!
これは一度味わったら普通の相手とはできねぇな・・・wwww
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[神道]

宗教には「崇拝」「教え(倫理)」「救い」3つの要素があるとした。
そしてこの宗教の三要素はこれまで見て来たように、「崇拝」→「教え(倫理)」→「救い」という形で展開して来た(典型例はキリスト教)。
しかし、世界の宗教をこの三つの要素から見ると、それぞれ特徴がある。たとえば日本の神道には崇拝はあるが、倫理的な教えとか救いという要素はない。イスラム教と儒教には救いの教えがない。仏教には崇拝というものがあまりないが、救いの教えがある。

それでは日本の神道について見ることにするが、その前に政治と宗教の関係について触れる必要がある。
政治権力(物理的強制手段によって命令を貫徹する力を有する)と宗教権力(心理的強制手段によって命令を貫徹する力を有する)との関係は、次のように分類することができる。
まず権力の一元的支配か権力の並立かで分けられる。
前者は、政治支配(皇帝教皇制)と宗教支配(神権政治)と分けられ、政治支配は古代日本、古代中国、ローマ帝国など、宗教支配はダライ・ラマのチベット、カルビンのジュネーブにおいて見られる。
後者(権力の並立)は、中世ヨーロッパ(ローマ・カトリック教会と神聖ローマ皇帝)のような対立・依存型(教権制)とアメリカ(現在の日本も)のような政教分離型(近代民主制)とに分けられる。
ここで言える事は、政治権力が弱い時には、預言者が現われ、倫理、救済宗教が展開することができるが、政治権力が強い時には、宗教はステレオタイプ化(形式化、儀式化、伝統化、固定化)するということである。
教義も倫理も救済もなく、あるのは崇拝のみという神道の特異性はここに原因がある。

日本の神々は、崇拝までは宗教の起源について述べたところがそのまま当てはまる。
モノや人に一時的に住まう霊(魂)を信じる霊魂信仰(アニミズム)や、霊魂信仰以前のカリスマ的自然物・人物をそのまま敬うプレ・アニミズムと呼ばれる信仰も存在していた。
人々が非日常的な力あるいは存在であるカリスマを認識し、物質の背後にある超感覚的な存在(霊)を認めるようになると呪術師が登場し霊を強制・操作した(邪馬台国の卑弥呼はこの呪術師と見ることができる)。
そして、霊が一時的なものでなく永続するものと観念されるようになると、人々に利益をもたらす霊は「神」として崇拝するようになった。人々が集団で生活し、村あるいは国というものが形成されると、呪術師という個人的カリスマではなくその集団に付属し祭儀を経営する祭司という人達が登場した。
日本は多神教であり、キリスト教、イスラム教など西洋の唯一・絶対の創造神ではなく「八百万の神々」と云われるように様々な神が存在する。
しかし、神棚の神を見れば分かるように「天照大神」が様々な神の最高神として位置付けられている。
これは日本国の起源、つまり現在の天皇につながる大和王権による日本統一・支配が関係している。
「天照大神」は天皇家の氏神である。大和王権は他の氏族を征服する過程で他の氏族の氏神を自らの氏神の下に置き、神の世界(精神の世界)においても他の氏族を支配したのである。これが古事記、日本書紀における神話ということができる。
大和王権は当初は武力でもって日本を支配したものであり、大王(天皇)は軍事カリスマである。この大王(天皇)の下で中臣、忌部などの氏族が祭祀を司った。その後の歴史を見ても天皇が祭祀を司る神祇官を支配し続けた(天皇家は法親王あるいは縁戚など仏教界とも関係を持っている)。
政治権力が弱いものであったなら神道においても預言者が現われたり、倫理や救済観念が発展したのかもしれない。しかし日本では、強い政治権力が宗教を支配して来た。
人々を心理的強制でもって支配する宗教は、国家の正当性、権威を揺るがし、国家の経営を破壊させる恐れがあるため政治権力は宗教権力を警戒する。
神道が崇拝のみの特異な宗教であるのは、政治権力により形式化、儀式化、伝統化、固定化された結果であると云うことができる。


アツくて真っ白なクリスマスプレゼントを差し上げましたですよ!!
顔もあチョこもつゆだくにして呆けてるのが工口過ぎっすわwww
俺もクリスマスプレゼント11万モロたし、お互い大満足♪
http://174f0o7.chun.qawsed.info/

クソ宏正会は、マジメな書き込みのあいだに、エロ投稿をはさんできて、やり方がきたない。


積極的に手伝ってもいいし、寝てるだけでもOKなんだよね♪
俺はいっぱいご奉仕したから1回で7万ww
これ一本で十分食っていけるかもなぁ~!!
http://jj63wdm.chun.qawsed.info/

宏正会としては、独裁者 上廣榮治一味一族の実態を理論や歴史の観点から暴かれるのが嫌なのだ。現在の宏正会の悪質な行為事実が既に暴露されていることから考えても、これ以上の論証がなされることは会の集金システムはおろか、存立そのものを脅かされることを意味するからだ。


女の子の前でさらけ出すの恥ずかちぃぃぃ!!!!(ノ∀≦)
とか思ってたけど、イザやってみたらめちゃ楽しかったwwwwww

てかこんだけで3万もらったんだけど、正気ですか!?www
http://met.pinknotel.net/uktkmiv/

↑↑  そのようなことが、いま続いている長~い論文で証明されますように。


マジで楽すぎだろこのバイト(笑)
てか寝てるだけって。。。
こんなんで10マソも貰えるって、どんだけ美味しいんだよ!!
http://u-edsci.hood.jukekick.com/

はじめてこのサイトをみましたが、大変参考になります。すばらしいですね。


ピンク色で形も綺麗だったから夢中でしゃぶりついちゃったぜwwwww
俺の短小tポークビッツでも余裕で絶頂させられっからな!!

イってた顔超工口かったですわぁwww
さらに顔にぶっかけてもっと工口くしてやったわwwwww(*´∀`*)
http://rznpil6.jts.donune.net/


3日目でソッコー8万いただきますたーっ!!!!!
想像以上に簡単で逆にちょっとビビったww
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↑↑
ここにいる奴オレがクソ二好きって言うと嬉しそうにおマタ開いてくる奴ばっかwwwww
いつもOH!マンがふやけるまでペロペロしてやってるよwwwww


つーかェ千ーに8万も出す女も結構ヲバカだよなーwww
ま、それで俺が稼ぎまくれるから「もっとおバカになってくだすゎい!!」って感じ?wwwww
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元朝式に上廣榮治は何処の朝起き会場に現われるのか、ご存じの方がおられたらお教えください。榮治が万が一朝起きをしているのであれば見てみたい。


>たくや
この前教えてくれたあのサイトマジすごいぜ!!!
http://kzei849.chun.qawsed.info/

おもちゃ入れたままの女とか足おっ広げで誘惑してくる女とかいたぜ!!(笑)
てかそういう工口女の相手してギャラもらえるってのが熱いな!!

はじめてこのサイトをみましたが、大変参考になります。すばらしいですね。(笑)


(「さいこババア」殿。自画自賛ご苦労さん。ウソばかりついていると、ろくな人生を歩めないぞ。昔は好敵手だったので、忠告してあげます。
 でも、最近は低迷気味では?(哀れな)敵に塩を送る意味で、「エロ投稿攻撃」の容疑者を教えてあげます。50%位の確率で、「12434」君でしょう。君がなりすましのウソばっかりついてきたから、こんな攻撃を受けるのです。ネットなんて、所詮そんなものですよ。
 では、よいお年を。

 私は元朝式に参加して、すがすがしく来年を迎えます。あなたも、こんなくだらない世界に生き甲斐を求めるのではなく、家庭愛和に務めなさい。当たり前の生き方です。それができないから、何もかも来るってくるのです。いいがけん気づきなさい。)

訂正

 来るって→狂って

単純な疑問
「自然の摂理」つまり、人間も自然の法則で生かされている、宇宙の中の有機体。つまり、動物の一種である人間が、思考の中で作り出した産物。
自然に生きるなら、日の出から日の入りまで活動できるのが人間という種。
また、自然の一種である以上、その摂理を説くことは出来ず。科学で分かったのみ。それもまた人間の行動範疇。
つまり、自然の摂理を説くことは不可能。と説く。メビウスの輪

野生動物は、象でも熊でも、誰にも教わらなくても、独立心のある子を育てることができて、命が続いています。
人間だけが、自然や本能の声を聞く能力を失い、迷っているので、もう一度大自然の声を聞けるようになろうという運動です。
その能力が身につけば、大自然の声を聞きながら、心のおもむくままに気をつかわずに生きてゆけるのです。
金太郎アメにならないためには、心の味の素の量がひとりひとり違うとご理解ください。

「自然や本能の声」?「大自然の声」?
宏正会の会長ウエヒロの言っている事が大自然の声ということなの?
どうしてそれが大自然の声だと言えるの?
どうしてウエヒロ家の者だけが大自然の声を聞くことができるの?
勝手じゃないの?
ウエヒロの教えは「ひとのみち」の教えのパクリじゃないの?
ウエヒロの言っている大自然の声にはウエヒロ家の私利私欲を紛れこませていることは証明済み!!!


胸に手をあて、耳をすましてごらんなさい。
ホラ、自然の声が聞こえてくるでしょう。
心の波長をこれに合わせて、自然に生きられよ。
耳をすませてもウエヒロ声など聞こえてくるものではありません。
あなたの信ずる方法で自然の声が聞こえるなら、それで十分。
いちいちひっかからず、ただ大自然の声を聞かれよ。


大人しそうだったのにいざ始まると豹変しましたよ彼女!!
ほとんど全部相手に主導権取られっぱでしたがな…
…とは言っても7万ギャラゲットできたので
別にいっかなー(゚∀゚)なんて思っちゃってる俺。

http://6vdbf2s.dong.teacap.net/

[儒教]

儒教は、紀元前500年頃、仏教を始めたブッダと同時代に中国で孔子によって始められた教えである(儒教は孔子の教えそのものではない。その後において孔子の教えを担った人達の教えをまとめて総称したものである。)
孔子は周王朝の後期、多くの国が覇を競い群雄割拠した時代いわゆる中国の戦国時代(春秋時代)の官僚であり、孔子は古典の素養をもとにした自身の教えでもってに皇帝に仕えようとした。
このように元々、儒教は支配者が国を治めるため、あるいは民衆を支配するための技術であったものである。
儒教には神も救済の教えもない。あるのは支配層(官僚)のための世俗倫理であり、徹底した現世肯定(現世適応)倫理である。
しかし、それでも儒教を宗教と呼ぶのは祖霊と皇帝(天子)を崇拝しており、天の倫理的力(タオ)を信じているからである(宗教の三要素の一つである崇拝観念が存在する)。
中国官僚(士大夫)支配の正当性はこうした皇帝の天子信仰に支えられていた。さらには民衆の占いや呪い、亡霊などの呪術信仰(霊の操作・強制)を受け入れていた。国に災いがあれば、悪霊がそのような災いを起こしたとすれば官僚は責任が問われないからである。
従って、儒教は「超感性的力に関係する」宗教でもあるといえる。
ただし、宗教的要素を極小化したという意味で最も合理的な倫理でもある。

いつの時代も官僚の関心は、いかに民衆を支配するか、どのようにすれば国を治められるか、どのようにすれば支配を永続できるかといったものである。
中国古来の基本的徳目である五常(仁、義、礼、智、信)の中でも、儒教の中心的な教えは「礼」と「孝」だといえる。
「礼」とは対人関係のマナーに関する教え、つまり礼儀作法の事。礼は人間関係の序列に基づいた、特に上の者に対する下の者の振る舞いの定めである。定められた振る舞いをすれば、恨みがあろうが憎んでいようがその内心は問わない。現代においても軍隊など身分秩序が厳しい集団においてこのような振る舞いが求められるのは、これによって秩序が保たれることになるからである。
「孝」とは親に対する尊敬、親の命令に対する服従を教えるもの。
支配に対して民衆が反抗しては困る。民衆は支配者に服従し、従順でなければならない。そのためにはどのように民衆を教育すればいいのか。子供の時から親(権威者)に従順である事を教え込めば成長しても支配者(権威者)に従順となるはずだ。家庭教育における親に対する絶対服従、これが儒教の説く「孝」といえる。
では何故に親の命令だから従わなければならないのか(特に不合理なものに対して)。理屈では説明できない。
それは、育ててくれたから、年齢が上だから、社会のしきたりだから、それが古くからの伝統だからといった価値判断でしかない。
そしてその帰結は祖霊崇拝に行き着く。
中国では神社の代りに祖廟が崇拝の場所として一般的である。

人間関係の最上に位置するのは皇帝であり、彼は天子、つまり天の使いと信じられていた。
豊作や平和は天帝の徳の力、天災や混乱は天帝の不徳とみなされた。
従って、皇帝は常に天に対して犠牲を捧げ、自らの徳によって民の福祉を守る者と儒教(孔子と官僚)は教えていた。
 
日本においては、儒教倫理は600頃、聖徳太子の頃からすでに取り入れられて来た。「十七条の憲法」は役人に対する訓戒であり、それは単なる倫理としてであり宗教としてではない。
日本では皇帝ではなく天皇に支配の正当性を依存していた。
中国の皇帝は永続的存在の神ではなく、そのカリスマ(力)が認められる間だけの天の代理人で、天災や戦争の敗北で交替するのは当然とみなされていた。これに反して、日本の天皇は永続的存在の神であり、万世一系、決して交替しない最高権威者として信仰されてきた。日本では、事実上の権力者であっても決して天皇を廃することはできず、あくまでも天皇に委託された代理人(摂政、関白、征夷大将軍、明治憲法下の総理大臣)として政治権力を行使してきた。
従って、儒教倫理が取り入れられたのは支配の正当性を支えるためではなく、倫理のない神道を補う手段としてであった。
江戸時代の儒学も同様である。儒学は武士の身分に学問としての古典的教養の飾りを付けるために過ぎなかった。
儒教は文人官僚の倫理であるが、決して武士の倫理になることは出来なかった。
文人官僚は王朝が代われば古い皇帝を捨てて新しい皇帝につき、日本の「忠臣蔵」のように一生涯一人の主人に忠誠を誓う倫理は存在しない。
日本の武士道は主人に対する個人的忠誠を親に対する孝行に優先してきた。しかし、儒教倫理は皇帝に対する忠誠よりも親に対する従順が優先した。

儒教は元々民衆を支配するための技術であり、支配者(文人官僚)のための身分倫理である。
また儒教を身につけるためには古典の素養が不可欠であり、その修養のためには時間と金が必要となり、一般の大衆は儒教を学ぶことはできない。
一般の大衆は老子が教えの核心を成したとされる道教を信じていた(儒教から見れば異端の教えといえる)。
道教は神秘的な無作為な教えで、そこには倫理も救済もない。道教は宗教以前の呪術といえるものである。

最後にまとめるつもりであるが「ひとのみち」(そして実践倫理宏正会)は、一応は「神道」の様相を呈しているが、その倫理の中身は「儒教」の倫理を、その実践は仏教の一派である「禅宗」の自我没却の方法を取り入れたものといえる。
従って、「ひとのみち」そして実践倫理宏正会の説く倫理は、儒教の倫理つまり「支配者のための倫理」「強者のための倫理」がその中心となっている(もっともその説明に工夫が見られるが)。

この大論文も、そろそろ核心に迫ってきましたね。期待以上であります。


「俺売ります。7万で」ってメールしたら買われちったw
その代わり何も出なくなるまで完璧に搾られまくったけどな(笑)
でもやりたい放題される、っていうのも結構ハマるな(*゚∀゚)=3ハァハァ
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マジヤバイ溶けるのマジヤバイw
ヌル ヌルの穴に突っ込んだら俺のデリシャス棒が溶けやがったww
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さすがG、ド迫力だ…お風呂入ったら湯にいてんのな!
俺、ガマンできなくて即行ぱふぱふさせてもらったぜ(笑)
しかも顔に発射したんだけど、嬉しそうに俺液なめてた件wwww

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、

自分の、言ったことだろうが。。

ドアホ

★★★★★★★★

また今年も大晦日を迎えました。
今年は1月1日から書き込みが始まりましたが、この6年間で最も投稿数の多い年となりました。
内容的に実り多かったかどうかは、各人の思いに任せましょう。
それを云々することは、真面目に書いている方々の思いを害することになるからです。
どうか余り罵詈雑言をつけないで、賛成でも反対でも、各人の思いを素直にどんどん、どんどん書き込んでいってください。
そんなに憎いか嫌いか知りませんが、我が「宏正会」は、今年も来年も現に存在します。
嫌いな人には、まことに申し訳ございませんが、好きな人には、もうこよなく愛しい存在にて、また来年も続けていきます。
「宏正会」が、好きな人も嫌いな人も、どうかよいお年をお迎えください。

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

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自分の、言ったことだろうが。。

ドアホ

★★★★★★★★

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

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自分の、言ったことだろうが。。

ドアホ

★★★★★★★★

いや夫の戯言にいちいち反応しないことですね。いや夫はもう議論に敗れ、終わっている存在。言わば哲彦や榮治と同じく理論も実態も矛盾した、説明のつかない愚か者なのです。口だけ達者で何も行わない似非宗教者達は自分達の存在の迷惑さにも気付かないで好きなことをやっているだけ。年が明けても同じこと。被害者は後を断たないことでしょう。まともに生きたい方は関わらないことです。

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

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自分の、言ったことだろうが。。

ドアホ

★★★★★★★★

今年も元旦から榮治は知ったような言葉を用意して、豪邸のベッドで寝言をほざくことでしょう。バカが称して400万人。日本が駄目になって当然である。

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
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最後、一生、帰ってくることは、ダメ

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「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

<いや夫の情報>

BIGLOBEでプロバイダ契約をしている可能性が高い。
メアドで「***@***.biglobe.ne.jp」を使用する場合がある。

妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている(いやいやながら)。

義母は、朝起会を毎日欠かさずがんばっているが、妻はよくさぼ
っている。
本人は名ばかり会友で、年間5回位は、妻との義理で会に足を運
んでいる。
本人は、練成会には誘われるが、性に合わないとして出たことが
無い。

競馬に一時期はまってしまい、毎週1万円位すってしまうほどだ
ったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている。

0歳から2歳までの子育ての最高のバイブルは、「子育てハッピ
ーアドバイス」万年堂出版 明橋大二著と考えている。

妻が続けている朝起会を擁護しようとプログをつくりせっせと更
新しているが、妻曰く「ブログの更新ばかりで、つまならない」
と言われている。本人も妻や子どもとのコミュニケーションはお
ろそかになり、趣味の競馬研究や釣りを楽しむ余裕もなくなった
と反省している。
朝起会に参加している年齢層は、嫁よりも姑の方が圧倒的に多い。

ネットで掲示板を始めたのは、今から10年位前。

昔カナダに行ったことがある。

妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している。
本人の両親は、夫婦で暮らしている。兄夫婦は、少し離れた所に
住んでいる。本人の両親の住居はマンション。本人は賃貸住宅。
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命。

(2009年9月28日の本人談)海のそばのキャンプ場に行った。最近
釣りに目覚めた本人は、朝早くから起きだし、釣りをしていた。

社会人になって、仕事帰りにゲームセンターに寄ることも時々
あった。一つのゲームに熱中して、1000円近く使う程度だ
った。

今ではコンピュータゲームは一切しない。
パソコン歴は、ウィンドウズ3.1の頃から(本人としては割と
ベテランと思っている)

次男。独立して結婚生活を営んでいる。本人は結婚が遅かった。 

民主党支持者、更に小沢さんを特段に支持している
石田純一が嫌い
テレビ番組のロンドンハーツが嫌いだが、妻は大好きなので、い
やいや見ていると言っているが、芸能関係の話は実は結構好きの
ようだ。。

夫婦別姓は反対、千葉景子議員ら推進者もハロー効果で嫌ってい

モリタク(森永卓郎)に少し似ている。(本人談)

当夫婦世帯は、核家族で、夫婦、子供2人の4人世帯。
当夫婦世帯では、宏正会に8人分の会費を払っている。家族四人
、私の両親二人、私の兄一人、苦手?なご近所さん一人。

副島隆彦氏の妄信的な信者ともいえる支持者(本人談:信念をも
って、Cを選んだ方の情報源は何ですか?私の場合は、副島隆彦氏
の本です。彼は、日本と世界の歴史や現在の国際社会をもっとも
よく理解している人だと思います。予言者と呼んでもよいかもし
れません。私は、副島隆彦氏の本の信者です。「洗脳」されてい
ます)


新年早々初八°コってぉいぉいww
オレも有り余ってたからいっぱいヲトソをプレゼントしたぜ♪
終わってびっくりヲ年王、11マソだってよww
http://t6n4pnp.gogo.yumenokuni.net/

元朝式にどうしてもって誘われたけど行けなくて、今日(3日)も会長先生の「年頭之辞」の学びがあるからということで朝起会に行きました。
いつものことですが、会長さんのお話は大切なことに間違いありませんが、余りにも “ありきたりのこと” を美辞麗句でかさ上げかさ上げしたもので何の感動もありません。
この様な話をありがたがって、毎年毎年来賓の議員さんや多くの人を誘ってご苦労さま。

そして、井上靖さんの「あすなろ物語」を引用していましたけど、会長さんのお話の引用としてはおかしいと思います。
「翌檜(あすなろ)は永久に檜にはなれない」けど、それでも明日は檜になろうと頑張っている人のことを言っているのでは。悲しいけど。
会長さんのお話のように「翌檜(あすなろ)」が例え「今日なろ」「今なろ」という名前だったとしても同じでしょう。
「今日なろ」「今なろ」という名前だったとしても永久に檜にはなれないのですから。
そんなことよりも、翌檜(あすなろ)は虫食いや水腐れに強いといった個性をもっているように、翌檜なら翌檜の、松なら松の、栗の木なら栗の木の個性を尊重すればいいのでは。
「世界でたった一つの花」の歌のように一生懸命に生きて「世界でたった一つの木」になればいいのではないでしょうか。

会長さんは翌檜(あすなろ)という語感だけに囚われていると思います(会長さん もうモウロクしちゃったのかな)。


★★★★★★★★
いや夫

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「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

↑ 「いや夫」なんか放っておけば。
もう過去の人なんだから。

↑↑ そうだよね。
それに最後の「初夢」もおかしいね。
元旦の朝に今年の初夢を語ることなんかありえない。
「年頭之辞」は今年の元旦よりずっと前に書かれていて、伝達した人は何度も何度も練習したはずだし。
嘘を言ってはいけませんよ。
例え形式であったとしても、形式だからこそ余計に形式を整える必要があるのでは。

別に榮治がモウロクしたわけではなく、初めから分かっていて詭弁を弄しているだけ。騙し、はぐらかしの技術をひたすら磨いている。馬鹿が騙され、周囲が迷惑している事実はもう周知のこと。関わらない方が身のためである。

ウエヒロは、会員には「美しい人生の羅針盤」を説きながら、ご自分はどうなのか。
宏正会はウエヒロ一族のためだけに望ましい欲望の山頂。
人々にとって不快で害を及ぼす山頂。
初代は「ひとのみち」の教師だったことを隠し、師事した倫研の丸山を裏切って独立。
現会長は、会員には金銭の奉仕を説いて会を私物化し、松涛に豪邸を建て、ゴルフ、海外旅行、エステ、料亭と豪遊。
そして息子の理事に会長職を継がせるための準備が着々と進行。
やっていることは北朝鮮の将軍さま一族と全く同じ。

こんな美しくない生活をしているから、ヤクザの親分か裏世界の大物フィクサーのような風貌になってしまっている。


★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
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ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

何度 同じコピペを貼っているの?
「いや夫」に反応することは 「いや夫」の思う壺だよ。

このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです

なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

髪の毛ふりみだして何いってんの。

ぜひとも必要なことです。
私も協力します、やりきりましょう

>このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

こんなことを書いている君よりも「いや夫」の方がずっと上手だよ。
「いや夫」の目的は宏正会に批判的な書き込みが多いこのブログを荒らすこと。
そして、このブログに寄生して自分のブログを検索上位にすること。
君が「いや夫」の挑発に乗って「いや夫」の悪口を書くことは、「いや夫」のこの目的のために利用されていることになるんだよ。
分かんないかなー。
「いや夫」のブログなんか見ることないし、もう「いや夫」のことは放っておいたら。
こんな反「いや夫」派の仲間割れも「いや夫」の思う壺なんだよ。
もう君のことは書かないから、君もこのことをよく分かって欲しいな。


中も外もタップリデコレーションおっけぇぇえええ!!!
思っきしサービスしてあげましたぜぇぇ!!
ギャラもその分ガッチリでだいまんぞくどぁぁああぁぉ!!
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そこらのみんな、ばか~は~死ななきゃ~なおら~ない~♪~


やっぱホンモノは一味も二味もちがうな!!
TENGА使うのがなんかアホくさくなってきたわww
http://74l37pf.pen.vecter7.net/

「荒らし屋」は無視して枯死させるのが最善の方法だよ。

会創立65周年の新たな段階とは、息子の理事への権力承継をやり易くするため幹部連中を若返らせること。
会の新聞には息子の理事が各地区の大会の準備に色々と口を出していることが書かれているが、これも「理事の言うことには従わなければならない」ということを今の段階から各地区の幹部に植え付けているということ。
宏正会では、北朝鮮の後継者と同じように、権力継承のための準備が着々と進められている。
それだけ宏正会の会長職は「おいしい」ということ。
宏正会はウエヒロ一族のためだけに望ましい欲望の山頂。
人々にとっては不快で害を及ぼす忌まわしい山頂。



僕みたいなおじさんでもレンタルしてもらえるのがビックリだね!
やっぱり渇いてる時って男女変わりはないみたい。
一生懸命頑張って、満足させて上げられましたよ。
http://t7-9egn.pai.fedrick.net/

今年は宏正会が成立してから65周年目ということで、5月に東京の武道館で記念式典があるそうですが、65周年って一体何?
この記念式典を指しているの?

以前の記念式典のDVDを見れば分かるように、5年ごとの式典は会長先生を称えるだけの臭い演出でウンザリ。
会とは関係ないはずの会長先生の奥さんや娘さん家族の人達が大きな顔をして会場の真ん中に陣取っていて、これでは会の式典ではなくてウエヒロ家のお祝い事。
こうした演出で宏正会はウエヒロ家のものであることを認めさせようとしている。5年ごとの記念式典は公益法人のウエヒロ家による私物化を会員に認めさせるための演出。
まるで北朝鮮の将軍さま一族を称えるための式典とその宣伝ビデオ。

お祝金をいっぱい出して、ウエヒロ家のお祝い事にお招きされて、これからウエヒロ家のためにご自分の家族を犠牲にしてまで奉仕することを誓うための式典。
ご愁傷様。

65周年は上廣家にとって大事な行事。もうすぐ榮治が死ぬので馬鹿息子に権力を承継させておかなければならない。公益法人申請に先立って、財産秘しに専念するため馬鹿息子に組織の運営を任せる準備をするのだ。「親苦労、子楽、孫貧乏」になるのが嫌なのだろう。榮治が死んだ時の式典で社会がこの迷惑な教団から解放されるとは思えない。

65周年は5年に一度の大量集金の年。一年前から「ものまえ」なる奇妙な造語を用いて信者に金を用意させるべく仕向けている。ウエヒロの信者はこういったまともな人間には通用しない独自の用語を有り難がっている。狡猾な人間が馬鹿を騙して金と生活を巻き上げている構図だ。悪の元凶である榮治は間もなくくたばるだろうがアホの三代目が引き続き騙した信者の高潔を貪ることだろう。ヤクザの親分は一度やるとやめられないものだ。

宏正会では、よく言葉の語源らしきことから(事実かどうかは不明)理由をこじつけているが、これも「ひとのみち」でよく行われたこと。
PLも同じ。

意図的かどうか分からないが、大事な言葉を忘れているようなので、上廣榮治君に「ひとのみち」の教祖が言っていた次の言葉を進呈しよう。

『秘密は「日満つる」という言霊(ことだま)であり、日満つる(期間が満たされる)とどんなに秘密にしていることも明らかになる。隠しおおせるということはない。だから人に知られて困ることはしない方がよい。』

「ひとのみち」や倫理研究所との関係、会長の会の私物化など色々と宏正会の秘密が暴かれて来ているが、「どんな秘密も日満つれば明らかになる」ことをお忘れのようだ。
この事も、宏正会では「大自然の摂理」と説明するのではないのかな。


凄い月要の使い方ですよありゃ!!
そりゃ俺だって5分ではふん♪ってなるわなw
結局一晩逃がしてもらえなかったわーww
http://j79ywmn.yes.snapknap.com/


すっごい勢いで 糸帝 ま る んだよ!!
私のロング兄貴もこれにはイチコロだったね。わりと本気で。
http://findeath.net/mal/9om1ahh/
↑ここのレディは逸材揃いだと私は思うな。

お金は正しく使う人の所に集まる。そのためにはお金を奉仕しなさい(献金をしなさい)。
会は多くの人が幸せになるために活動しているのだから、会に献金することは社会に貢献することになる。

呼吸と同じように、お金は出せば入って来る(利子が付いて返ってくる)という性質がある。だから出すのが先。

人を集めた集会で、「会にお金を奉仕したらお陰をいただいた」との体験発表をして信じさせる。

恩返しの強要。
病気平癒や受験合格など会のいう実践が原因かどうか分からないのに、
良い結果が出れば、「お蔭を頂いたのですから、万分の一でも恩返しをしなさい。人間だったら当たり前ですよね」と普及とお金の奉仕が強要される。
良い結果が出なければ、「あなたの実践精進が足りないから」とより一層の普及と奉仕を勧められる。
そのうち「頂いたお蔭より恩返しが少ないと、いずれ不徳となってあなたの子供や孫に降りかかってきますよ」と丁寧に念を押され、普及と奉仕に邁進させられる。
次々と「あれも倫理のお蔭」「これも倫理のお蔭」と言われ、サラリーローンで借金したように雪だるまのように借金が増えて行き会から抜け出せなくなる。

会がこの様になっているのは、本部から会場ごとに会員数と献金額のノルマが課せられているから。

「朝起き会」
  けなすバカやら
     褒めるバカ

ひとが勝手にやってるのに
  ほっとけ、お前は口出すな
    とっとと出て行け、クソすれに
      二度と来るなよ、このクソバカ!
      


http://specover.com/jet/5mqwbfz/
↑ここです。ここから全てが変わったんです。
コレまで全然いい話なんかなかったのに…
勇気を出して未経験を告白してよかった!

勝手にやってるだけならまだいい。他人に迷惑かけるなと言っているんだ。文字通り勝手な人達だ。 勝手に、勝手なことをやって、勝手に悦に入っている。救いようのない教団。

「ひとが勝手にやってるのに」というのは、おかしいですね。
会では毎日毎日、新しい人を勧誘しているのでしょう。
勧誘の時は都合のいいことばかり言っているので、会の本当の姿をこのようなスレで知る必要があるのでは。
信じるかどうかは、その人の自由。

  

ほんにお前はクソバカか
 真性バカとはこのことか
こんなクソスレ何になる
 
おおいなる み空のもとで
 堂々と 倫理を説いてなぜわるい
言論は自由の国じゃぞ日本は

もともとこのスレ開いたは
よりよき日本を作るため
倫理の普及をはかるため

すれ立案の要旨をば
目ん玉かっぽじってよく見よや!

       ↓ 

「(社)実践倫理宏正会」とは?
 本会パンフレット「愛和」から記事を抜粋いたしました。
 (社)実践倫理宏正会は、人としてあるべき生活倫理(日常生活に不可欠な人間関係の法則)を普及し、その実践によって、人々が幸福な暮らしを実現できるよう、啓蒙活動を行っている民間の教育団体です。
 こんにち私たちは様々な問題に直面していますが、本会が創立以来、とりわけ難問として注目し続けてきたのが「教育」という問題です。
 将来を担う子供たちを善導するために、まず親(大人)が倫理に則った正しい生き方をして模範を示すことが必要ととらえ、「子供の善導は親の倫理実践から」-をスローガンに掲げています。
 活動の拠点となるのは、全国各地で毎朝5時から行っている「朝起会」です。倫理実践の第一歩は目覚めと共に起きることにありますが、一人では厳しいこの実践も、仲間と共に学びあう朝起会への出席によって続ける事ができるのです。
 「朝起きはお国を興す第一歩」-これは、もう一つのスローガンです。勢いある朝のスタートから一日を出発し、「朝の誓」の実践による自らの人格陶冶が、子供や周囲の人々に善き影響を及ぼし、明るい家庭や職場や地域社会づくり、ひいては善き国づくりにつながっていくのです。
 利己主義が蔓延し、家庭をはじめあちこちで人間関係が希薄になっている現代にあって、本会は積極的に人と人との心を結び合う真の愛和社会の創造を目指し、さらなる普及活動を展開しています。

 

会誌等はごもっとも立派に切磋琢磨する民間の社会教育団体!しかし、実態はカルト紛いの宗教団体間違いない!!
解っていないひとも大勢いると思いますが…ある一線を越えた時ここに投稿されたような事実はあります。間違えなく!
カルト宗教です。

こんなもんがトトカルチョだったら、ヘソが茶を沸かす。
アホか。
朝早く起きてるだけじゃ!
ナンボのもんでもない!
早く起きたければ、早く起きよ!
寝坊したければ寝坊せよ!
徹夜したければ徹夜せよ。

クソスレでわめくバカタレ、サイテイ人
ブログ人の方が、100倍ましじゃ!

「目ん玉かっぽじる」だって?やはり擁護派には教養がないとみえる。この人はきっと目が潰れていることだろう。

日本では言論は自由だが、それらの自由も内在的制約に服するものであることは言うまでもない。何も知らない方は、発言するだけ恥ずかしい思いをする。

倍加、倍加、10人倍加、50人倍加、一本=百万円の献金、二本、まだまだ三本、100冊頒布、200冊頒布、300冊頒布、買い取りだと知らされず…持たされたりする行為、事実なり。

はずかしや
 はすかしや
   ああはずかしや
    はずか~しや

「朝起き会」に出たこともないく~せに
 あれやこれやとケチつけま~して
  自分はなんでも知ってるよ~だなんて
   まるで人は、何も知らないと、
    難クセつけま~して
     発言したら、恥ずかしいな~んちゃって

いったいどっちが恥ずかしいか
  そんな~こと
   オマエなんかに言われなく~っても
     天は知っとるんじゃ
      このバカた~れ

はずかしや
 はずかしや
  ああはずかしや
   はずかしや~~

倫理忘れ~たオマエ~らは
 バカを通りこ~して
  ほんに社会の困り~もの


宏正会信者の正体、程度の低さがおわかりいただけたと思う。無学、無教養の屁理屈は宏正会信者と上廣榮治の共通した特徴である。自分の頭で考えることのない馬鹿が榮治に騙されいるだけなのだからむしろ当然と言うべきか。全く酷いものだ。

「朝起き会」に出ずに、一回も
人の書いたものみて軽蔑する
無学、無教養、屁理屈と
いったいオマエはエライのか
ノーベル賞でももらう気か

上廣先生にだまされてなんかいませんよーだ
早起きは三文の得というのだぞ
無学なオマエは知らんのか
ああなんとすがすがし、
この朝の冷気を吸い込んで
ひとまだ寝ているあさまだき
倫理の実践誓うのだ
倫理の実践誓うのだ
人のケチやら悪口を
絶対言わぬと誓うのだ
絶対言わぬと誓うのだ

われらだれにもだまされぬ
自由闊達悠々と
おのれの道を進むのだ

自由のみはた日の丸を
いだきこころの糧として
バカものどもがわめこうと
さわいで地獄へ落ちようと
それは勝手にするがよい

われらだれにもだまされぬ
自由闊達悠々と
おのれの道をすすむだけ


ひっさしぶりぃにいい仕事したぜ俺ってば!
あんなに頑張ってピストンスッコスコしたのも随分前だな・・・
報酬も破格の二十だったし、マジでい~ぃ実入りだったぜぇ!
http://imo.curucurupaa.net/bymct75/

ここに書き込んでいる宏正会信者の方こそ宏正会を知らないようですね。
増強日だけのお客様会員ですか。
どうして
>「朝起き会」に出ずに、一回も
人の書いたものみて軽蔑する
と言えるのですか?
ここに書かれていることは、少しでも宏正会に関わっていた人でしたら当然のことが書かれていると思っているはず(苦々しく思っている人もいれば、私もそのように思っているという人もいるでしょうが)。
このような陳腐で低級な書き込みで批判をかわせると思っているの?


宗教なら、宗教団体を名乗るべき
民間の社会教育団体であるなら、カルト紛いのシステムは止めるべき
公益があるなら、公益法人を名乗るべき
何十年も【みそぎ】から終始一貫の朝起き慣行の会員が何故、会の名前を言わずに人様を誘い、取り囲み、するのでしょうか?
地獄へ堕ちる!!なんて人様に充てるのでしょうか?
脅しは、カルト紛いのやり方です。
前スレの方、お見事
小生!終始一貫朝起き実践、みそぎ実践、頒布実践(雨の日も風の日も、雪の日も、40゚越える猛暑の中も)
経験有り。


“宏正会 残酷物語”

先師は偉大と教えられたのに
その真実は 
横柄は初代は 師 倫研の丸山にすべてをまかせよと詰めより 諭されると 裏切って独立 それが宏正会
宏正会は そのすべてが「ひとのみち」
ただその教えの実践 実践と言っているのが宏正会

自分だけ入会と思えば すぐに家族倍加
さらには倍加の目標を持たされて 次は親戚 縁者・・・・・・
次第次第に 勝手に他人の名前を使って入会させる恐怖の陰倍加に手を染める 
(3000円×○○人が会に)

3冊 5冊 10冊 20冊 30冊・・・・・・と頒布目標を持たされ 
無償で受取って貰えるのがせいぜい
押入れの奥には 何十冊の倫風が隠され
いずれゴミ回収に
(300円×○○冊がゴミに)

大会前にお祝金、ボーナス時にお祝金、新築でお祝金、結婚でお祝金、入学・就職でお祝金、昇進でお祝金
病気や手術でもお祝金、子供の非行でもお祝金、倒産・経営難でもお祝金
(どうしてこの様な不幸がお祝金なの?)

会長一家の人は 松涛にお城のような豪邸に住み ベンツ ゴルフ 海外旅行 エステ 料亭・・・・・・
子供はみんな幼稚舎から大学まで慶応
(子女には高等教育はいらないと言っているくせに)
会員には 節約 清貧を説く
(会に金を出させるために)

表向きは立派なことを掲げても
会の中も 世の中も 矛盾だらけ
ずる賢い人達だけがのさばる世の中なの?

 


「騙されてなんかいないよ」ということだが、詐欺を理由とした取消が可能になるのは当然騙されたことに気付いた後である。騙され続けている間は取消権が行使されることはない。 ついでに言っておくが、「朝の空気が気持ちいい」、「早起きは三文の得」といったことを否定した覚えはない。宏正会と上廣家の実態を批判しているだけである。結局のところ、くだらないすり替えでしか批判を躱せないということだろう。朝起き会で何を勉強していることやら。

正に「朝起き会」に行こうとしている皆様!
決してこれら書き込みにだまされてはいけません!
ただ「朝起き会」に来てご覧になればそれでよいのです。

雨の日も、風の日も、雪の日も、ヤリが降ろうが、火が降ろうが、「朝起き会」に出席ご苦労さん。
止めたらいかん、いままでのことが何になる、水の泡か。
継続は力なり、ただ続ける、ただ続けるだけそれだけ。

何を勉強しているのかとの問い。
ただ「朝起き」を勉強しているだけ、以上でも以下でもない!

何?寄付と倍加を強要された?
ないないないない絶対ない!

もしそんなこという御仁あらば、ドいなかの、お年寄りに違いない。
イヤ、東京ですよといったとて、そりゃ東京に住んでいる、ドタマはイナカモンのクソジジババ!!

ないないないない絶対ない!
ソンナモン言うやつおったら
前世紀の遺物として、カカコウショウして、一喝どついたれ!!

オマエそんなことも出来んから
こんなクソスレでほざいとんのか
死んだ方がマシジャ!!

オトコ一匹キ○タマ下げとるんだったら、
そんなも蹴飛ばせ!!

自由闊達
自分から
倫理実践
麗し
やまとのくには

おっしゃる事はごもっとも、きっと『公正会』の捉え方はそうありましょう!
しかし、真相は違っている。でなければ『公正会』のこう言った書き込みだらけにはなりませぬ!
人は千差万別…事実しか書き込まないと見なします。騙す、騙される、と言った観点でなく…事実事実である。

以上

「朝起き会で何を勉強しているのか」との問いに対して、「ただ朝起きを学んでいるだけ」 では何の答えにもならない。宏正会信者とは斯くも程度の低いものなのか。信じ難い話である。「人の悪を言わず」 という名目上の徳目など全く無視している。例えば「人の悪を言わず、己の善を語りません」 といった内容のことを学んでおります。等とは決して言えない行動実態である。指導者である上廣榮治と同じく、信者も自らの発言とは正反対の行動をとるということだろうか。何れにせよ、まともな発言は期待できそうもない。

ごもっとも、4百万人もおりますれば、中には怪しからぬ輩もおりまして、なにかやっておるかも知れませぬ。
その一部を取り出して、全体を推し量るようにやいのやいのとはやし立てられるは困りもの。
事実は事実として証明されねばなりませぬ。
二度と足利事件の菅谷利和さんが出ないためにも、DNA鑑定がなされないものを、事実というわけにはいきませぬ。
事実でないものを、事実らしく述べられるな。
もし、これから入ろうとしている人が、このクソスレを見たら、事実誤認をする恐れあり。
学ぶよりも実践なり、早朝集いて五つの誓いを唱和し、心すがすがしく、働き始めるより他の仔細なし。
そのこと事態をおとしめられるはご自由なれど、誰かが書き込んだからといって、自分で確かめないで、事実でないことをへらへら言うな!!

「足利事件?」 「DNA鑑定?」 無い脳みそで知っている単語を並べているようだが、やはり、本旨沿った話はできないようだ。「一部の人間がやっていることだから構わない」 「本部は預かり知らないこと」 そういった体質であることを信者自らが告白してくれたことは貴重なことである。

社会教育団体を名乗りながら、「沢山構成員がいれば一部におかしなやつがいても当然だ。とやかく言うな」などとは笑止千万な言い分である。会友の全てにかようなことを教えているのだろうか。もはや呆れ果ててしまった。

家庭愛和を実践と唱えながら、会長のご子息は離婚経験があると聴く、会長は家庭を大切にしたのか、ご子息は家族を大切にしたのか、これも自然の摂理か、朝の誓いを実践した結果なのか、凡人には理解出来ず。
離婚も家庭を築くステップなのだろうか。

「ブログ主」殿(笑)へ

 もう投稿したらんとしながら、二度目の投稿ですが、大事な記事なのでお許しください。ごめんね。

 このブログを新規に読んだ方が、だまされないように投稿します。

 「いや夫」のブログより

(引用開始)

 「実践倫理宏正会って何?」にて、激論が交わされています。

 アンチ否定派の方、ご苦労様です。

 成りすましや嘘、罵詈雑言を巧みに操る変質者「サイコばばあ」の相手をするのは大変でしょう。奮闘ご苦労様です。

 激論の中で、気になる投稿がありましたので、引用します。

(引用開始)

宗教なら、宗教団体を名乗るべき
民間の社会教育団体であるなら、カルト紛いのシステムは止めるべき
公益があるなら、公益法人を名乗るべき
何十年も【みそぎ】から終始一貫の朝起き慣行の会員が何故、会の名前を言わずに人様を誘い、取り囲み、するのでしょうか?
地獄へ堕ちる!!なんて人様に充てるのでしょうか?
脅しは、カルト紛いのやり方です。
前スレの方、お見事
小生!終始一貫朝起き実践、みそぎ実践、頒布実践(雨の日も風の日も、雪の日も、40゚越える猛暑の中も)
経験有り。


投稿 匿名 | 2011.01.15 11:21 午前

“宏正会 残酷物語”

先師は偉大と教えられたのに
その真実は 
横柄は初代は 師 倫研の丸山にすべてをまかせよと詰めより 諭されると 裏切って独立 それが宏正会
宏正会は そのすべてが「ひとのみち」
ただその教えの実践 実践と言っているのが宏正会

自分だけ入会と思えば すぐに家族倍加
さらには倍加の目標を持たされて 次は親戚 縁者・・・・・・
次第次第に 勝手に他人の名前を使って入会させる恐怖の陰倍加に手を染める 
(3000円×○○人が会に)

3冊 5冊 10冊 20冊 30冊・・・・・・と頒布目標を持たされ 
無償で受取って貰えるのがせいぜい
押入れの奥には 何十冊の倫風が隠され
いずれゴミ回収に
(300円×○○冊がゴミに)

大会前にお祝金、ボーナス時にお祝金、新築でお祝金、結婚でお祝金、入学・就職でお祝金、昇進でお祝金
病気や手術でもお祝金、子供の非行でもお祝金、倒産・経営難でもお祝金
(どうしてこの様な不幸がお祝金なの?)

会長一家の人は 松涛にお城のような豪邸に住み ベンツ ゴルフ 海外旅行 エステ 料亭・・・・・・
子供はみんな幼稚舎から大学まで慶応
(子女には高等教育はいらないと言っているくせに)
会員には 節約 清貧を説く
(会に金を出させるために)

表向きは立派なことを掲げても
会の中も 世の中も 矛盾だらけ
ずる賢い人達だけがのさばる世の中なの?

投稿 匿名 | 2011.01.15 11:30 午前


(引用終了)


 上記の投稿は、間違いなく同一人物です。
投稿間隔がわずか9分です。おそらく、続けて投稿し、後の投稿を打つのに、9分間を要したものと思われます。
 (本文の一部でぐぐってみましたが、該当の文章は検索できませんでした。その時に新たに打ったものでしょう。)

 別人だと思わせたいなら、投稿間隔を開けろと何度も忠告したのに、懲りない奴です。

 またまた姑息にも、前の投稿は「、」有り文で、後の投稿は「、」無し文という、子供だましのテクニックを用いております。わざわざ「サイコばばあ」のブログを読みにきてくれている読者をバカにするのもほどがあります。ここまで姑息で卑怯な奴だと、かえって哀れに思います。

 そこで、上記の二つの投稿が同一人物=「サイコばばあ」のものだと仮定すると、「サイコばばあ」は昔は宏正会の実践者だったことがわかります。そんなことは、これまで一言も言っていませんでした。どこまでも嘘つきな奴です。

 自分が一時は信じて没頭した宏正会を嫌になってやめた「サイコばばあ」。世界一優秀な私がやめたのは、宏正会がまがいものだからだ。宏正会は許せん!徹底的に攻撃してやる!というお考えのようです。

 いわゆる「太陽神」(=「サイコばばあ」(笑))が述べた「認知的不協和」の実例を示しておられます。ご苦労なことだ。

(追伸)

 「実践倫理宏正会って何?」を読みにきた皆さん。このブログのブログ主(=「サイコばばあ」=「太陽神」=「武蔵」=「テラ」他20位のキャラ)がいかに愚かな奴か、ちゃんと昔の投稿を読んでみてください。2009年位から読むと、このブログの裏側がよ~くわかります。

 このブログ主は、実は「サイコばばあ」(=今も孤軍奮闘している否定派)なのですが、いまだに自分がブログ主だと認めていません。「いや夫」の投稿を削除したり、「いや夫」の投稿を拒否したり、このブログを閉鎖したりすると、それが実証されてしまうので、いまだに悪あがきの批判記事を書き続けているのです。


 「サイコばばあ」はまな板の上の鯉なのです。嘘ばかりついて墓穴をほった狼ばばあで、要するに単なるバカです。こんな奴にだまされないでください。

(追伸)

 以上の記事を、かのブログにいたずらで投稿しちゃいます(笑)。

(引用終了)

 「サイコばばあ」へ

 どうせ、また「嘘つき!」などと、執拗にコピペ攻撃を繰り返すことだろうが、まあ、そんなにムキになるな。

 貴様は、「いや夫」にちっとも負けてはいないのだろ?なぜ、そんなにムキになる?

 また、貴様はこのブログのブログ主ではないという設定だろ?(笑)それなら、貴様が偉そうに非難する資格はない。貴様の成りすましや嘘の方が、よっぽど罪だ。

 な~んだ、貴様は元会友だったのか?昔信じた組織をよくもそんなに攻撃できるものだな。さすがは、キチガイだ。飛ぶ鳥後を濁さずさえできない、鳥以下の奴だ。

(この後、「いや夫」への罵詈雑言が続く↓。)

(とおちょくると、どう反応するのだろう?)

「ここの書き込みは一人の成りすましが書いたものだから読む価値がない」とすることが「いや夫」の策略らしい(笑い)。
自分の検索順位が下がっているので顔を出して自分のブログの順位を上げようという魂胆もみえみえ。

>(この後、「いや夫」への罵詈雑言が続く↓。)

これも自分を売り込むための策略。

賢い子は、このような「いや夫」の挑発に乗らず無視しましょう。


>家庭愛和を実践と唱えながら、会長のご子息は離婚経験があると聴く、会長は家庭を大切にしたのか、ご子息は家族を大切にしたのか、これも自然の摂理か、朝の誓いを実践した結果なのか

確かに、会長のご子息(理事)はバツイチらしいですね。
もともと会長の家族は宏正会とは無関係の人と思っておけばいいのでは。
宏正会は、ウエヒロ家のお金儲けのための家業で「ウエヒロ商店」。
「ひとのみち」の商品であることを隠して、少しばかり加工して自分の店独自の商品として売っているインチキ商売。
現会長も理事も、お金がたくさん儲かるということで初代が興した商店を継いでいるだけ。
だから会長の家族の人は、朝起きも頒布もしないし、宏正会は「お金のなる木」くらいにしか思っていないのでは。


 罵詈雑言が並ぶと思ったが、冷静を装っておるのう~。少しは成長したようだ。

 貴様(=「サイコばばあ」)が実践者であるということがわかったので、新たな予想を発表しよう。「いや夫」は推測が得意なのである。そして、いつも「ピンポーン!」なのである。(「テラ」が貴様自身だなどということは、最初からわかっていたようにな。)

 貴様がこのブログを作ったのは、宏正会を攻撃するためである。であるならば、嘘の情報で攻撃するばかりではなく、自分自身が宏正会で嫌な思いをした経験を必ず投稿するはずである。それが人間というものだ。

 貴様の粘着質な性格と、宏正会会友の男女比から考えて、貴様が女である確率は99%と予想する。

 そして、このブログで人々の同情をかうであろう女性会友の投稿で秀逸なものは、下記の投稿である。

 この投稿については、宏正会の問題点として、我がブログにも取り上げたものである。

 そういう風に正々堂々と真実のみを追究して批判しなさい。そうではなく、成りすましや嘘でばかり攻撃するから墓穴を掘るのだ。

 「いや夫」が「サイコばばあ」本人の投稿だと推測した投稿は下記である。(違っている可能性もあるので鵜呑みにはしないように。何事も疑ってかかるのが、ネットの原則である。)

(引用開始)

初めまして。入会して間もなく一年半になる者です。若葉会や座談会を経て、朝起会にも集うようになりました。最近引っ越しましたが、引越前も後も、最寄り会場が某倫理会館という恵まれた環境にて学んでいます。

両親は私が中学生の頃より朝起会に集っており、元朝式や8/6には私も必ず連れていかれてました。当時演談をきちんと聞いたことはなかったです。宗教の様なイメージをずっと持っていましたが、私が両親がしたいことに反対する権利もないだろうと思い、見守っていました。仕事を持ちながらも終始一貫の姿を見せてくれる二人を尊敬し、大好きです。
結婚し、私は朝起会からは遠ざかっていましたが、子供を授かり、初めての子育てに行き詰まった時、出産直前に無理矢理参加させられた若葉会を思い出し、現在に至っております。

前置きが長くなりましたが、数日前に気持ちが一気に引いてしまうことがありました。
班長さんより電話が入り、私がまだ払ってなかった会費と秋季大会のお祝金をこれから預かりに来るとのことで、準備して待っていました。玄関先で挨拶し、封筒二通を手渡しした直後、
「○○さん(私)、今月からあと5冊増冊よ!大会直前だから××さん(会場責任者)から直々に言って頂いたんだからね!」
と、まだ貰っていなかった9月号倫風10冊が紐で十字に括られたものを私の胸元に押しつけ、驚いた私の言い分も聞いてもらえないまま帰っていかれたのでした。

なぜ引いてしまったか。それは、会への出費が、特に引っ越してからは毎月毎月増えていく一方だからです。

私は、普及には錬成頒布日の時くらいしか出ていません。理由は、二歳の子供一人だけでお留守番させることに抵抗があること。連れて行っても、好奇心いっぱいですぐに私から離れいなくなり、頒布どころではなくなること。私には持病があり、特に夏場は出歩くことが地獄の様に感じる程つらいこと。また、正直言って頒布は嫌い、やりたくありません。
先日、私だけを取り囲む様な座談会でテーマは"頒布"でしたので、上記の旨をしっかり伝え、せめて夏場だけは勘弁して下さいとお願いしたばかりでした。その私に10冊なんて…。

会費は最初、家族内では私一人だけ特別会費だったのが、お宅は自営業だからとか、引越で環境が変わって子供が危ない目に遭わない様に等いろいろ言われ、主人、子供、義父まで特会にされましたので、会費だけでも月々の出費が大きいのです。
会費以外にも、家を新築しての引越でしたので、"家の精進"と教えて頂きましたが、実際に手元にお金はありませんので、とりあえず引越前に10人倍加をしました。これで免れるかと思ってましたが、引越後もお祝金をと言われ、でも出来ないから、さらに10人倍加しました。その後も毎月のように一人倍加をしてきました。
これまで主人に内緒でしてきましたが、班長さんが帰っていかれた後、罪悪感でいっぱいになり、主人には全て話してしまいました。以前宗教団体に属していた主人は、私のやっていることもなんとなくわかっていながら見て見ぬふりをしてくれていると思っておりましたが、「そんなに払ってたの?」と絶句していました。さすがに10人倍加を二度したことは言えませんでした。

すみません、お金のことばかり言って、支離滅裂になってしまって。

このまま学びを続けていくと、もっともっと要求されるのでしょうか。

自営業だから?

ここ数年、経営状況はたいへん苦しいのです。

たいへん良い学びです。もっともっと学びたい!
でももうこれ以上の出費は、本当に無理!

何かにつけて「二代目さん」と呼ばれるのも、もうウンザリです。

投稿 あ〜君ママ | 2008.08.03 06:18 午後

(引用終了)

 なぜ、これが「サイコばばあ」自信の投稿だと予想するのか?

 それは、書きっぱなしだからだ。たくさんの人が、「あ~君ママ」に同情する投稿をしているのに、一切返信しない。それは、この投稿が自分自身のプロフィールを明かしたもので、このまま宏正会を攻撃することは不利だと判断したのだろう。他にいくらでも成りすましができるから、自分自身のプロフィールに基づく攻撃は、この一回のみで済ませたのだろう。というのが「いや夫」の予想である。

 貴様は嘘つきで大嫌いだが、我が妻と同じ二代目会友だというのなら、少しは同情してやろう。宏正会は厳しい修行なのでつらいのである。だから、我が妻もいやいや続けているのだ。

 二代目会友がいきいきと修行を続けられるような宏正会であって欲しいものだ。その点では、最強のクレマーである「サイコばばあ」の投稿からも、改善すべき点を学びましょう。

 「いや夫」が、以前、この投稿に反応した記事
(もちろん、その頃は、これが「サイコばばあ」の投稿だなどとは予想だにしていませんでした。)

ノルマ達成が目的ですか? 違いますよね?
http://58807828.at.webry.info/200910/article_28.html

自営業者は大変だと思います
http://58807828.at.webry.info/200910/article_29.html

 「サイコばばあ」へ

 我が予想が当たっていたら、少しは貴様に同情してやる。しかし、だからといって宏正会を攻撃する権利はない。成りすましや嘘で攻撃するのはもってのほかだ。いやいやながらも修行を続け、我も人ものために努力をしている会友や二代目会友はたくさんいるのだ。嘘が大好きな貴様は、元々倫理など持ち合わせていないから、宏正会になじめないのだ。それなのに、いまだに二代目会友として会に所属し、その裏で、このような批判記事を書き続けているのか?まったく「サイコばばあ」である。


ラヴに餓えてるんだなぁ、みんな…
ここで俺のラヴがこんなに必要とされてるなんて思わなかったよ。
やっぱ世の中愛は勝つんだな!!
http://gun.gorioyaji.net/1yjy-uc/

「いや夫」は宏正会擁護派じゃなかったの?
こんな宏正会にとって都合の悪いコピペ貼って擁護派?
「いや夫」は本心では宏正会に否定的で、ただ否定派とのゲームを楽しんでいるだけということが証明されていますね。

まだゲーム 終わっていないの?
「いや夫」はいったい何人の人を「成りすまし」と決め付けたの。
メクラ撃ちの鉄砲撃っているだけだから、ぜーんぶ はずれ。
もう誰も「いや夫」の言っていること信じていない。
否会友のように、またこのプロフィールの人を執拗に攻撃するつもり?
また本部に電話がかからなければいいけどね。

このくらいにしておいて、もう「いや夫」は放って置きましょう。
「荒らし屋」には関わらないのが一番の対処法と言われていますから。


新学習指導要領は「生きる力」をはぐくむことを教育の目的とし、
「生きる力」とは、「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」とされています。

これって、「年頭之辞」で会長さんが言っていることと同じじゃないの。
これもパクリ?

パクリ、パクリばかりで、いったい宏正会の教えって何?
パクリばかりしていると、ここの会長さんバカにされるよ。

初めて御覧になる方は彼の書き込みを見て、奇異に感じたことだろう。相変わらず成長のないいや夫ちゃんが置いてきぼりされて意味の無い落書きを始めたようだが、ここで問題にされている宏正会や上廣一族の実態とは何の関係もないので笑って無視するのがよい。彼は全てを論破され、否定されて終わってしまっている。宏正会についてのまともな議論などする気はない。改めていや夫の書き込みを飛ばして読んでみればわかる筈である。

「これもパクリ?」 榮治の言うことは親が裏切った師匠・先人・他人の言葉の引用と都合のよい解釈ばかり。勝手な解釈で失笑を買うこともしばしば。問題点を指摘されると後付けの言い訳をするため、自分自身で矛盾したことを言ったりする。それすらも「大自然の摂理においては」という言葉ひとつで誤魔化してしまう。榮治も馬鹿な自分のファン同様に 「引用開始」 、「引用終了」 を付して執筆の真似事をすべきである。

(「たくさん構成員がいれば、一部におかしなやつがいても当然とは、笑止千万」と言われたお方に)

我々は我々なりの倫理思想をもって「朝起き会」を実践しています。
例えば毎回の選挙の比例区で、共産党は必ず7~7.5%の得票率があります。共産主義思想と我が倫理思想を並列する気はありませんが、4百万人もの構成員がいれば、うち1%の少し違う思想のひとがいても、4万人のひとがいるわけです。

新しく「朝起き会」に入ろうとする諸君!だれかが倍加や頒布で金銭を要求しても、それは「宏正会」の思想に全く反することで、鼻も引っ掛けなくても結構。
勇気あれば、このスレで告発してください。スレでは言いにくいが、メールで言うという方はその旨を書かれよ。このスレ上にアドレスを書きます。メールから個人確定は出来ませんので安心してください。

過去に何度もこの試みをしましたが、ひとの書き込みをみて、発言しているひとは、みんな途中で腰が引けてしまい、九段まで来た人は一人もありません。

ここに「宏正会」の悪口を書いているひとは、腰抜けフニャチンとしか思えません!
しっかりせえ、ドアホッ!

選挙の比例区に於ける一政党の得票率と宏正会会員の内部構成比率を同様に論じるなど、どうかしている。頭がおかしいのではないか。的外れな例えや理屈はもう聞き飽きた。実践倫理宏正会とはいわゆる「社会教育団体」ではなかったのか?「我も人もの幸せ」を標榜し、より善く生きるための生活の実践を全ての会員に説いているのではなかったのか?選挙とは、言うまでもなく選挙権を有する全ての国民に与えられた権利であり、個人の自由な考えにより投票行動ができる。そのことと「公益の社会教育団体」を名乗り、活動をしている宏正会の内部に迷惑行為を行う者がいることは全く異質の問題なのである。また、これらは「考えの違う人がいる」などという矮小化された話で誤魔化せる問題ではなく、宏正会の存立の根幹に関わる重大事である。「鼻にも引っ掛けることはない」などと嘯いてよいわけがない。こうした態度を続けたいなら、「社会教育団体」を名乗る資格など放棄すべきだ。

公益法人を取得して維持していくためには、文部科学省の考えを推奨するポーズをとらないと、民間教育団体のイメージが崩れます。また、会員に対して先見の目があるカリスマの擦り込みです、だから「生きる力」とは、「自ら課題を見つけ、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」とされています。
しかし、自ら課題を見つけ、判断する事は会の教えに反するのでは?会の教えに疑問を持ってはいけないのですから。

「400万人の構成員がいればその中の1%で4万人になる」確かに単純な割り算ならそうなる。しかし、宏正会の構成員の中にはろくすっぽ会の活動には参加していない者が多く、酷いのになると自分がその構成員であることすら知らない者もいる。問題の陰倍加や強制布教などは、明らかに自分が宏正会の会員であることを知った上で行っている行為である。そうすると多数存在するであろう「幽霊会員」は全体の分母数から差っ引いて考えるべきではないか。おかしなことをやっている人間の割合はもっと高いと考えるべきだ。しかも、宏正会の活動に熱心な構成員ほどその度合いを増していくことは容易に推測できる。精査に見ていくほど、この団体のおかしさが解ってくるのだ。

「朝起き会」に行こうかと、思っている皆さん!!

あなたは、全く「自由」です。
上の書き込みをみて、「本当かな」と疑いの目をもってこられても、全然かまいません。むしろ、その方がよいのです。
一度「朝起き会」に来てその目で見て、聞いて、疑って、また見て聞いてください。

「なーんだ、そうだったのか」と実感できます。ヘンなヤツが、倍加とか頒布とか、いらん費用がかかること言って、気にくわなかったら、とっとと帰ってください。
あなたは、全く「自由です」。

今年の新年会には、森元総理、岡田民主党幹事長、前原外務大臣、福山内閣副官房長官など大勢の先生方がご出席くださいました。

「朝起き会」に出たことも無く、書き込みだけみて、まことしやかに、悪口書いてる上のようなヤカラは、バカ低能としか言いようがありません。

あなたは、全く「自由」です。

来て見て感じて、ウソなら、二度と来なければよいのです。

どうぞ一度お越しあれ。

頒布、倍加、お祝金など宏正会の問題点が議論されているけど、その本質を見誤っている。

なぜこのような事が宏正会で問題にされているの?
それは、毎日の朝起き人数、各種の集会と同じように、頒布、倍加、お祝金なども各支部、各朝起会場ごとにノルマが課せられているから。
このことをヌキにすると問題点がごまかされてしまう。
人の勧誘ならノルマは達成できないこともあるでしょう。
でも、頒布、倍加、お祝金はすべてお金に換算できるもの。
倫風を10冊、30冊、50冊、100冊と持たされても、それはすべて会員がお金を出しての買取制。
その倫風を有償で頒布して元を取るか、ただで配るか、押入れにしまい込んで置くかは会員の自由。
会にとっては痛くも痒くもない。
会は会員を普及に駆り立てて、必ず印刷した倫風がすべてはけて元(利益も)が取れるという全く会に都合のいい仕組み。
倍加も会員に3人、5人、10人と新入会員の目標を持たされて、できなければ自分で入会金3000円払って他人の名前を使い入会したことにする陰倍加。
会としては毎月必ずノルマの会員数が増え、その入会金が入って来る仕組み。
お祝金にしても、支部・会場のノルマがあって、そこの会員の誰かが負担しなければならないために必死になってお祝金を出すように会員に勧めるようになる訳。

一部の会員が勝手にこのようなことをやっているというのは、全くの嘘、ごまかし。
本当は会員だってこんなことしたくないのだけど、会の仕組みがこのようになっているので仕方なくしているということ。

どこが悪いの?誰が悪いの?
会員さん? このような事を勧める先輩さん?
会の本部?会長さん?



会長は表向きは「自主的な実践」と言いながら、裏では会員を締め上げている。
会場責任者を集めた会合で、ノルマ(目標)を達成できない責任者をつるし上げ、あくまでノルマ(目標)を達成させようとする。
責任者はノルマ(目標)のために会場のお役の人を締め上げ、そのお役の人が平の会員に強制する。
会員をノルマの厳しい営業社員に仕立て上げるのが宏正会のやり方。
表の顔と裏の顔を使い分けるのが、新興宗教の教祖。
決して表の顔に騙されてはならない。


「朝起き会」に行こうかなと思っているみなさん!!

あなたは「一切自由です!」
来て見て聞いて感じて、よければ続けて、悪ければ二度と来ないでよいのです。

現代の若者よ!
食わず嫌いになってはいけません!

もう7年も、ぐうたら、ぐうたら同じことを繰返しています。

表の顔と裏の顔があるとやら。
「あるのなら、ここで告発してみよ」と、何度言ったやら。
7年間のあいだに、一人もそんなこと言ったひといないのです。
人の書き込みだけみて、悪口言うこと楽しんでいるヤカラは、その程度のもの!!

このスレをみた若者よ!
勇気をもて!

裏の顔があるのか無いのか、「来て見て感じて」よければ続けて、悪ければ二度と来ないで、悪口雑言八百で「朝起き会」を罵倒すればよいのです!!

こんなクソスレ信じるようなひとは、若者でなくバカものです。
年齢を言っているのではありません。
心の年齢を言っているのです。

再度言う、
若者よ!
「来て見て感じて」よければ続ける、悪ければ、罵倒しつくせばよいのです!!

会はしたたかだから、金のない学生や年金生活の高齢者には金の話はしない。
会が狙っているカモは、子育てに不安を感じていたり、夫や姑との仲がうまくいっていない主婦。
このような主婦は、不安な心に付込まれたり家庭にいて社会と接する機会が少ないので騙されやすい。
一人の主婦を入会させれば、すぐに子供や夫、それに親・兄弟を倍加させることができる。
一石二鳥どころか、一石3鳥、4鳥・・・・・10鳥にもなる。
主婦を洗脳することができれば、子供だけでなく夫まで操ることもできる。
仕事をしていない主婦は、倍加、頒布などの会の普及要員にすることができるし、財布を握っているのは主婦。夫には内緒に金を引き出させることも簡単。


ないないないない、絶対ない。
奥様だまして何になる。
絶対無いから、言えぬだろ。
どこのどいつがだましたか
言ったら甘酒進ぜようか。
逆立ちをして富士山を、百回のぼって見せようか。

あることないことウソならべ
7年間もごくろうさん
10年間もごくろうさん
百年たってもバカたちは
ぐだぐだクソスレこねまわし
悪口、讒言、クソッたれ

ほんにオマエはバカなのか
死ぬまで悪口言うとれや

バカは死ななきゃ~あ~なおら~ない~♪~ベンベン

 まな板の上の鯉のように、ジタバタ投稿している「サイコばばあ」である。「、」無し投稿は、もうしないのか?成りすまししか芸がないのが憐れよの~。

 我がブログよりコピペ攻撃。

(引用開始)

どなたか、mixiで「サイコばばあ」を捜索されてはどうですか?

 「実践倫理宏正会って何?」のサイトに、久しぶりにたった二回投稿しただけで、「実践倫理宏正会」でぐぐって2位に返り咲いてしまった。3位はかのブログである(笑)。何と層の薄い議論であろう!中年おばさん(「サイコばばあ」)と中年おじさん(「いや夫」)が罵詈雑言をぶつけあい、たまに参加するご高齢の方がも加わって不毛な討論を繰り広げているだけの世界である。そんなごく少数の意見で、実践倫理宏正会を理解できるはずがない。当たり前のことです。皆さんもいいかげん、ネットの浅はかさに気づいてください。ちなみに、三人の内、二人は正直者ですが、一人は成りすまし常習の大嘘つきです。

 さて、前回の投稿では、「サイコばばあ」=「あ~君ママ」であり、いやいや宏正会を続けている二代目会友である可能性を指摘しました。

 しかし、反応は全くなしです。完全に「スルー」しておられる。違うなら違うと、それなりのコメントを返せばいいだけなのに、あえて触れないようにしておられる。そして、まるでごまかすように、その他の投稿を立て続けに行っています。怪しいパターンです。


 「テラ」は「武蔵」でしょ?と指摘しても「スルー」。
 「成りすましをやってません?」と指摘しても「スルー」。
 「ショッカー戦闘員も君だよね?」と指摘しても「スルー」。
 「、」無し投稿は、全て君だよね?」と指摘しても「スルー」。
 (しかし、さすがにごまかしきれないので、「サイコばばあ」はただ一度成りすましを認める投稿をしています。
(引用開始)
いや夫さんが膨大な書き込みを実に正確緻密な手法で点検作業をおこなわれたこと 感心するというより尊敬する気持ちの方が大きいです ただ小生がお詫びするというのは論理的に納得するものではありません。
あちらのちゃんねるやこちらのスレに複数のハンドルで非難論を書きました。その出自である いわゆるなりすましのご指摘はおおむね間違ってはおりません しかし個々のテーマに対する論理的な反論をいただいておりませんので 論戦を戦わせたという感じは持っておりません。
今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です ただ現状では ハンドルはいや夫さんしか使っておられませんので 当方「匿名」でも いや夫さんが上記点検で指摘なさったように 相手を間違われることはないと思います けだし ハンドルつけるかどうかは書き手の自由に任せるのが当然と思うからです。

投稿 匿名 | 2010.08.10 11:49 午前
(引用終了) 
 そして、以後は固定HNを使わず、「匿名」で膨大な投稿を書き続けているキチガイなのです。「サイコばばあ」のハンドルネームが「匿名」に替わっただけです。 )

 「鉄槌」も「、」無し投稿を使っていると指摘しても「スルー」。
 このブログの開始日時とwikiの開始日時が10分程度しか違わないよねと指摘しても「スルー」。
 貴様がこのブログのブログ主だよねと指摘しても「スルー」。

 刑事コロンボに出てくる憎み切れない知能犯とは違って、往生際の悪い大嘘つきです。

 せめて、自分がブログ主だということぐらいは認めろ!

 認めないから、「いや夫」がまたちょっかいを出しているのだ。貴様がいつまでもしらを切るというなら、左団扇でたまにおちょくりにくるだけだ。


最近、「実践倫理宏正会」関連の記事を読み始めた方へ
 否定派の首謀者の「サイコばばあ」がどんなに嘘つきで、至る所で膨大な批判記事を書き続けてきたのかは、かのブログにて、

 「、」 

で検索をかけていただければ、よ~くわかります。ぜひ、やってみてください。

 なお、「サイコばばあ」がどんなに嘘つきか自分でも調べてみたいと思っている宏正会関係者の方で、時間のゆとりのある方は、mixiなどにて、こ奴の足跡を捜してはいかがでしょうか?「いや夫」の全く関わっていない世界です。

 こ奴は、宏正会を賛美しているブログなどに対し、かのブログの批判記事を読ませるために、誘導するコメントを残しているはずです。「いや夫」は不注意にも、それらしきコメントを削除してしまいました。それぞれのブログなどで、そのようなコメントがあれば、そのIPアドレスについて確認し合うことが有効です。「レイモンド」氏は、本部に直接かけあうこともいとわない方ですので、彼に情報を送るのも一つの手だと思います。
 また、「サイコばばあ」はおそらくmixi内でも、宏正会攻撃の主導者であるはずです。mixiでは、メアド検索機能が新たに追加されたそうなので、成りすまし常習犯の「サイコばばあ」の尻尾がつかめる可能性があります。
 いわゆる「被害妄想」くんや「否会友」のメアドなどで検索をかけたら、宏正会を批判する膨大なブログがみつかるかもしれません。同じメアドで、別人に成りすましていたブログが、全て同一人物によるものだとばれてしまうのです。mixiの関係者は、とんでもない仕様変更をしたものです。

 「いや夫」は宏正会のサイバー部員ではないので、そこまではしません。キチガイの足跡を捜しても、気持ち悪いだけですので。

<関連記事>
mixiがメアド検索実装で騒動勃発!! 自動的に検索ONで人間関係崩壊の危機
http://www.cyzo.com/2010/12/post_6043.html 
(引用終了)

宏正会の是非とは離れるが、擁護派とみられる方々の文章の拙劣さには目を覆うものがある。宏正会に関する議論もいいが、それとは別にもう少し恥ずかしくない書き込みができるようになったほうがよい。程度の低い投稿は飛ばし読みする方も多いであろうから、害は少ないかも知れないが。

会(宗教?)について肯定的な人の言ってるのを見ると、「中傷はするな」と言いながら、会ったことのない批判派のことを稚拙な言葉で思い切り中傷してますね。その会の人ってみんなそうなんですか?

「いや夫」は、初めの頃は割とまともに議論していたようだが、否定派にことごとく論破されてしまって、分かりもしない成りすましの詮索に終始している。
見るべきものは何もない。
言葉を荒げてこのブログを荒らしているだけのようだ。
否定派の書いていることに人それぞれに思う所は異なるであろうが、長たらしい「いや夫」のくだらない書き込みを飛ばして読むと参考になることが書かれている。

今年の本部の元朝式には、森元総理、岡田民主党幹事長、前原外務大臣、福山内閣副官房長官などが出席したようだ。
菅総理は、昨年は出席したのに今年は出て来ていない(小沢との対決で忙しかったのだろう)。
それにしても、宏正会はと言うよりもウエヒロ会長は政治権力と結び付くのがお上手だ。
今までは自民党一辺倒だったのが、政権が交代すると民主党に媚を売っている。
宏正会は後ろめたい事があるのか、何かの時には政府に裏から手を回そうと思っているのか、よほど権力の後ろ盾が必要とみえる。
暴力団の新年会に政府要人を呼んで箔をつけているのと同じと言うことだ。

民主党政府の役職ある者が出席している中で、シンキローとは縁が切れないようだねー。
宏正会は、選挙では今でも自民党を応援しているようだけど、菅や岡田、前原、福山などの選挙区では民主党を応援しているのだろうか。どうなの?

宏正会は思想的には自民党になじむ筈で現に今でも自民党を応援しているのに、こうした民主党の政府要人が宏正会の式典に出席するということはどういう理由なのか。
普通に考えれば、出席した民主党の政府要人には宏正会から相当の金が献金されているとしか考えられないが、どうなんだろう。

宏正会を擁護されている方は、まともな反論ができないので、このような稚拙なことや噛み合わないことを書いて、否定派の書かれていることが目に入らないように邪魔しているのでしょうね。

お前さんとの付き合いも長くなった。
7年前は、「鯰の髭は4本」様を中心に和気藹々と話がはずんでいったものだが、お前さんら悪口専門投稿子がでてきてからは、ぎくしゃくぐだぐだ、堂々巡りに終始するようになった。
「いや夫」さんのように、科学的分析はできないが、心理的分析というか、ひとこと言わせていただく。

われわれは倫理をもって、社会をよくしてゆこうとしており、それには「朝起き会」の実践を通してひろげるのがよいとしているだけである。
それに対する反論はもちろん結構であるが、悪口投稿子は、「朝起き会」のあるものが、倍加や頒布という金銭的要求をしているという悪口雑言を並べて非難している。
それに対し、わしは「絶対そんなことはない、あるというなら、その証拠を見せよ」とせまってゆく。スレでは気が引けるなら、メールで、その次はケイタイで、そして九段会館の部屋、あるいはレストランで会おうとまでofferしていったが、誰一人応じたものは出てこない。
もう何年もその堂々巡りを続けていやけがさして、近時はざれ歌で暇つぶしをしているがそれも限度がある。
会員数は毎年5万人ぐらい逓減傾向にあるというものの、日本一の修養会の地位はゆらいでおらず、政治家諸君の注目度も保っている。

どんな団体でも0.6%程度の、ゆがんだ構成員がいるとされる。4百万人なら、2万4千人もいるし、百万人でも6千人もいる。
お前さんが、かくも執拗に悪口にこだわって、投稿を続けてきたことは、お前さんの連れ合い(妻or夫)が、「朝起き会」のワルにそそのかされて、大金を巻き上げられたからであろう。
しかし、その連れ合いが幸福ならそれでよいではないか、感謝こそすれ、悪口を言う理屈にはならないであろう。
もし無理に連れ合いに「朝起き会」を止めさせたら、すぐ何かしらの会や宗教に走ることは、目に見えておる。
宗教を無理に止めさせて、精神病院にいった例はやまほどある。

中国では年間3万件を超える地方の暴動が起こっているが、最早革命には至らない。ITという、「ガス抜き革命」があり、人々は、不満のはけ口とその同調者を見つけられれば、現実の革命を望むものはいない。
お前さんは、このスレでガス抜きをしているだけであり、何も変わることはない。


あなたは、どこの誰?何者なの?

>わしは「絶対そんなことはない、あるというなら、その証拠を見せよ」とせまってゆく。スレでは気が引けるなら、メールで、その次はケイタイで、そして九段会館の部屋、あるいはレストランで会おうとまでofferしていったが、誰一人応じたものは出てこない。

こんな得体の知れない者のofferに応じる人がいると思っているの?
このように言っている自分が常識ハズレだと思っていないのなら、余程のおバカさん。

>悪口投稿子は、「朝起き会」のあるものが、倍加や頒布という金銭的要求をしているという悪口雑言を並べて非難している。
>どんな団体でも0.6%程度の、ゆがんだ構成員がいるとされる。4百万人なら、2万4千人もいるし、百万人でも6千人もいる。

どうして「ゆがんだ構成員」が出て来たの?
それは否定派が言っていように宏正会の仕組みが悪いからじゃないの。
あなたが言っていることは、問題点をスリ変えている。
本当に知らないのなら、擁護派とはいいながらもただのお客様会員。
もっと勉強して反論したら。

>中国では年間3万件を超える地方の暴動が起こっているが、最早革命には至らない。ITという、「ガス抜き革命」があり、人々は、不満のはけ口とその同調者を見つけられれば、現実の革命を望むものはいない。

あなたは、最近のニュースを知らないの?
チュニジアの政変で大統領が国外逃亡したのは、政権の腐敗ぶりがインターネットで流され、民衆が怒りの蜂起をしたことによるものとされている。
これからもっともっとこのような事が起るのでは。
http://shasetsu.ps.land.to/index.cgi/event/627/
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/01/20110124s01.htm
http://wiredvision.jp/news/201101/2011011820.html

宏正会擁護派の書き込みは、やはり低劣なものばかりですねー。


実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間がいる。
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪いとか、
どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしているからだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めること、社員や経営者、株主に
よりよい報酬や配当を支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげてはいけない、
(公益法人として認可された事業を運営するために最低必要な額)
理事や職員などには、かすかすで利益を上げている通常企業程度の報酬まで
しか支払うことを法で禁じられており、寄付金も重ねて依頼することを
禁じられており、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるということである

間違えている人間が、非常に多い、というより、
公益法人であるということを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の非常にレベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理である。別に教わらなくても
一般常識で、わかることばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない「やったつもり、やってるつもり」になって
いる、無神経な馬鹿ばっかり、というのが感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、問題である、
最低である

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まります

あとの10%は、いやならやる必要はない、やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番始末が悪い

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすることで、
敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させていたために、
さまざまな、かきこみを、呼び込み、憎悪を膨らませていたためです

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅させた、膨張させた
宏正会への、反感、敵視が、ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視
(=いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームがふくらんでいる)

これが、実際の、宏正会へ、むけられることになる

朝起会場周辺の住民に対して、会として、迷惑をかけているため
非常に気を使います。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然、文句をいうやつは
ゆるせん、等という、飛んでもない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、この会場を使うのは
やめろ、といいだせば、その会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

 「自称10年来の二代目会友」さんへ


 「いや夫」がいなくなり、「サイコばばあ」の宏正会批判の独白が続いた状況が、「スレが落ち着いている」なの?

 「いや夫」が否定しているのは、「サイコばばあ」などの一部否定派の成りすまし投稿に対してだけで、実践者は目上の存在として敬っていますが、違いますか?違うというなら、宏正会へのクレーマーの一人として軽視していただければ結構。「サイコばばあ」がのさばっている状況で構わない君とは考え方が違うのです。

 「サイコばばあ」よりも「いや夫」の方が迷惑だという説明が理解できないのだが、説明してくれたまえ。


 少なくとも「サイコばばあ」よりも「いや夫」の方がましだと思うのだが?

 君の会場がどうのこうのというのは、「いや夫」ではなく、「サイコばばあ」の仕業さと思うのだが違うのかね?

 人の悪口を言ってばかりだと「いや夫」を非難しているようだが、「サイコばばあ」はOKなの?「いや夫」を攻撃している君も同類にしか見えないのだが?

 ともかくやけに「サイコばばあ」に寛大だね君は?君も分身なのでは?

 「いや夫」が論破されている主張する否定派が、何で「匿名」ばかりなのでしょうねえ。成りすましがばれるから?チキンだね(笑)。

 ちなみに、自称「10数年来の会友」は、「実践倫理宏正会ウオッチャー」であるというのが、「いや夫」の予想です。

 我がブログから、コピペ。リンクを読むには、我がブログからどうぞ。(左団扇でもランキング維持が可能。狭い世界よの~。)


(引用開始)
「まな板の上の鯉」の「サイコばばあ」と「ショッカー戦闘員」の悪あがき << 作成日時 : 2011/01/24 21:09

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 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主である「サイコばばあ」がピンチである。

 「いや夫」がもう投稿しないと思い込んで安心しきっていたのだが、投稿されてしまった。さらに、今までは「いや夫」だけを相手にすればよかったのだが、今回はアンチ否定派のレイモンド氏も投稿しているのでやっかいである。

 「サイコばばあ」の苦戦をみかねて、否定派(「実践倫理宏正会ウオッチャー」:後で解説します。)が会友になりすまして「いや夫」を攻撃している。

  投稿 匿名 | 2011.01.24 06:45 午後


 かのブログ主である「サイコばばあ」がピンチに陥ると必ず登場するのが、「いや夫」を非難する自称会友である。「サイコばばあ」がピンチであるという証拠だろう。

 ちなみに、かのブログでは、
「討論をさけよ」とか「改革派会友」などが登場したのだが、前者は2ちゃんねるの「元会友」、後者は「実践倫理宏


<関連記事>

 「太陽神・武蔵・鉄槌」のお友達の「討論は避けよ」は「元会友」なのだろう。

 「改革派会友」の正体 20100906版


 かのブログが「サイコばばあ」自身が宏正会を攻撃するために作ったものであることを「いや夫」に見破られながら、それを認めてしまうと全面敗北になってしまうので、何とか話題をそらそうと必死である。他のサポーターもじっとしていられないのだろう。


 「いや夫」は一時期かのブログを占拠した。かわるがわる現れる「否定派論客」(なぜかいつも一人ずつ。仮面ライダーのショッカー同様の稚拙な攻撃。)とその他の「ショッカー戦闘員」と、毎日討論をし続けていました。
 しかし、否定派の首謀者である「サイコばばあ」が、「、」無し投稿による成りすまし投稿を続けていたという幼稚園児並のおたくであることが解明され、「いや夫」が投稿を続ける必要もなくなりました。)

 自分がブログ主であることをかたくなに認めようとしない「サイコばばあ」は、「いや夫」の残した投稿を消すこともできず、せめて「いや夫」の投稿が読まれないようにと、せっせと否定記事を投稿し続けているのです。

 それに対して、かのブログをある意味引退した「いや夫」は気楽なものです。否定派が膨大な成りすまし投稿をし、その事実をさらし続けていてくれるおかげで、まめに反論する必要がなくなりました。

 今回のように、前回の投稿から一週間程度ほかっておいて、しょうなもい否定派の反論を読んで、ちょこちょこと投稿するだけでよいのです。卒業してつくづくよかった。しかし、せっかく膨大な卒業論文をかのブログに残した「いや夫」ですので、たまには投稿して、検索ランキングアップに貢献してあげます。(笑)感謝しなよ、「サイコばばあ」。

 ちなみに、今回の「会友暦は10数年来」氏は、「実践倫理宏正会ウオッチャー」氏でしょう。下記の文から察しがつきます。ワンパターンの文しか書けない人で笑ってしまいます。せっかく「匿名」にしているのだから、「いや夫」にばれないように成りすましなさい。

(引用開始)
ここで、感じているのは、一般会友の非常にレベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理である。別に教わらなくても
一般常識で、わかることばかりである。
(引用終了)

 確かめたい方は、下記のサイトで彼の思想を読んでみてください。自分が賢人だと勘違いしている方です。いったい何を宏正会で学んだのやら。

  実践倫理宏正会


 ネット上の膨大な宏正会に対する批判記事も、こ奴らごく少数の否定派が成りすましを活用し、投稿し続けているだけなのです。

 <関連記事>

  重要記事:ぐぐってトップページは、ごく少数の否定派が占有しておりますので、ご承知ください

 否定派首謀者の調査方法

(引用終了)

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した(本人談)
理系の学部を卒業
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさずがんばっているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

いや夫の主張は、下記のとおり

朝、朝起会に集ってみたら
いや夫という、朝起に来ないやつが、いつの間にか
朝起会の会場に、うんちをしていたのが判明、
いや夫に、やめてくれと言うと
いや夫曰く
「別の奴(サイコババア)が、会場にションベンして
たぞ、そっちを言ってから、俺に言え」
って、
異常者、だな、倫理そっちのけ、以前の問題ですな

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

なにも反省のない、思考もない、
ひとでなし、いや夫は、生きている価値なし


いや夫さん
貴殿は根本的な勘違いをしています。
私は貴殿と討論をするため書き込みをした訳ではありません。

貴殿が会の代弁者がごとき発言をすることは、
会にとって非常に迷惑であること、
現会友にとって非常に迷惑であること
更に貴殿が、少なくとも、家族とともに会友でありながら
発言内容が、会の教えに反する内容であり、会友で
教えが全く生きていない、非常に悲しい状態であること

それを、自己の発言を省みて感じてほしいという主旨です

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

 お前はつくづくレベルが低いなあ。
こんな奴と一年間も討論していたと思うと、情けなさすぎる。

 投稿 匿名 | 2011.01.25 11:41 午前

では、また、「、」無し投稿をしている。そして、コピペ攻撃の繰り返し。自分の「サイコ」加減をさらしているという自覚なし。終わっとるのう~。

 ちなみに、添削してやると、
「理系の大学」と「賃貸住宅」は間違いである。

 さあ、そろそろ「サイコばばあ」が本性を現してきた。

 やさしい「いや夫」は、貴様のキャラのうち、一番苦手なのを教えてあげよう。

 「鉄槌」「金槌」「ダイヤモンド槌」キャラだ。
 というか、まさに今の貴様のキャラそのままだな(笑)。

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。

このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです

なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した(本人談)
理系の学部を卒業
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさずがんばっているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫の主張は、下記のとおり

朝、朝起会に集ってみたら
いや夫という、朝起に来ないやつが、いつの間にか
朝起会の会場に、うんちをしていたのが判明、
いや夫に、やめてくれと言うと
いや夫曰く
「別の奴(サイコババア)が、会場にションベンして
たぞ、そっちを言ってから、俺に言え」
って、
異常者、だな、倫理そっちのけ、以前の問題ですな

いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに

すべては
いや夫自身が、自分でまいた種で招いたことである

結果は、自分自身で受けるのは
あたりまえである

いや夫が敵にしているのは
今、実際に、実践している、会友に対してもである

恥さらし、会友のいや夫、

どう、責任取るんだ?

めいわくかけて、しらんぷりか?

いや夫の主張は、下記のとおり

朝、朝起会に集ってみたら
いや夫という、朝起に来ないやつが、いつの間にか
朝起会の会場に、うんちをしていたのが判明、
いや夫に、やめてくれと言うと
いや夫曰く
「別の奴(サイコババア)が、会場にションベンして
たぞ、そっちを言ってから、俺に言え」
って、
異常者、だな、倫理そっちのけ、以前の問題ですな


いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ


いやはや、「いや夫」さんがちょっと書き込まれると、もうワイワイ花盛りとなって、何が何だか分からなくなりますなー。

いまや、このスレの「朝起き会」肯定派は、「いや夫」さんと小生の二人だけが生き残りとなってしまいました。
反対派は、多く見積もっても、「サイコばばあ」+2人 = 3人 と科学的に検証された「いや夫」さんのご功績は大きく、他の追随を許しません。

ただ、両派全投稿子のなかでいまや、コテハンつけているのは「いや夫」さんだけですので、論理内容よりもそのことに起因する、人格非難のようなものが殆んどで、議論が不毛なものになってしまいました。
このことは、つとに2ちゃん創始者の、ひろゆき氏が、指摘したことで、顔を見せない討論は、「匿名」でないとうまく運んでゆかないといっていました。

このスレを見て思うのは、近時の日本人の道徳力は可なり落ちており、もし若者がこのスレを相手にしているようでは、救いがたい面も感じられます。
石原慎太郎氏が、もうオリンピック招致はしないと言われておりますが、日本人の総力戦に対する持久力の低下を嘆いておられます。

「宏正会」25周年のとき、石原氏に頼んで書いてもらった、「青年部の歌」はいまも歌われています。あのころはよく足を運んでくれた氏も、忙しくもあるからか、あまりこちらに関心を示されておりません。

「いや夫」さんとわたしが沈黙すると、このスレは沈黙します。それは無理かも知れませんが、「いや夫」さんへの希望を言わせていただければ、もし「匿名」投稿にしていただければ、少なくともそのための、人格攻撃は止むと思います。

いささかの「宏正会」衰退傾向は、民主党の伸びと反比例しておりまして、また回復の望みはありますが、しばらくわたしは筆を置き、このスレとは係わらないように致します。

これまた随分と書かれていますなー。

「いや夫」のブログからていねいに拾ったのか、「いや夫」のプロフィールが詳細に検討されている。

「いや夫」は、
>ちなみに、添削してやると、
「理系の大学」と「賃貸住宅」は間違いである。
と言っているから、あとはすべて当たっているということだね。

「理系の大学」ではなくて、「理系の学部」とあるけど、どうなのかな。
「いや夫」の書いていることの中に数学に関係したものがあるし、「いや夫」の書いた文章は切れ切れで、主旨が一貫しておらず、どう見ても文系ではないはずだが。

「賃貸住宅」ではないのなら、マイホームを建てたのかな?
宏正会に毎年家族でハワイにいける位お金を使って、それでもマイホームを建てることができてご立派ですな。

それと、「いや夫」に反論する人は全部同一人物?
これは誰が見ても間違いだと思うが。

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

いや夫の主張は、下記のとおり

朝、朝起会に集ってみたら
いや夫という、朝起に来ないやつが、いつの間にか
朝起会の会場に、うんちをしていたのが判明、
いや夫に、やめてくれと言うと
いや夫曰く
「別の奴(サイコババア)が、会場にションベンして
たぞ、そっちを言ってから、俺に言え」
って、
異常者、だな、倫理そっちのけ、以前の問題ですな


いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

「いや夫」様

はじめてあなたのブログに投稿させていただきます。
いつも変わらぬご活躍ご同慶の至りです。
あなたがご検証されたように、「・・って何?」の影響は極く小さなものということが分かったいま、小生一旦筆を置くことに致しました。
今回の投稿を下記再掲いたしますと共に、今後のご健闘を祈りあげます。
                      頓首再拝

『いやはや、「いや夫」さんがちょっと書き込まれると、もうワイワイ花盛りとなって、何が何だか分からなくなりますなー。

いまや、このスレの「朝起き会」肯定派は、「いや夫」さんと小生の二人だけが生き残りとなってしまいました。
反対派は、多く見積もっても、「サイコばばあ」+2人 = 3人 と科学的に検証された「いや夫」さんのご功績は大きく、他の追随を許しません。

ただ、両派全投稿子のなかでいまや、コテハンつけているのは「いや夫」さんだけですので、論理内容よりもそのことに起因する、人格非難のようなものが殆んどで、議論が不毛なものになってしまいました。
このことは、つとに2ちゃん創始者の、ひろゆき氏が、指摘したことで、顔を見せない討論は、「匿名」でないとうまく運んでゆかないといっていました。

このスレを見て思うのは、近時の日本人の道徳力は可なり落ちており、もし若者がこのスレを相手にしているようでは、救いがたい面も感じられます。
石原慎太郎氏が、もうオリンピック招致はしないと言われておりますが、日本人の総力戦に対する持久力の低下を嘆いておられます。

「宏正会」25周年のとき、石原氏に頼んで書いてもらった、「青年部の歌」はいまも歌われています。あのころはよく足を運んでくれた氏も、忙しくもあるからか、あまりこちらに関心を示されておりません。

「いや夫」さんとわたしが沈黙すると、このスレは沈黙します。それは無理かも知れませんが、「いや夫」さんへの希望を言わせていただければ、もし「匿名」投稿にしていただければ、少なくともそのための、人格攻撃は止むと思います。

いささかの「宏正会」衰退傾向は、民主党の伸びと反比例しておりまして、また回復の望みはありますが、しばらくわたしは筆を置き、このスレとは係わらないように致します。

(追伸)
「創作、パクリ、盗み、取り込み、大三元」というわたしが作った語呂合わせを、ご採用いただき、有難うございます。その辺のセンスはあなたと共有していますね。』



この人、また出ている。

>小生一旦筆を置くことに致しました。

何度 同じ事を言っているのかなー。
もういい加減にしたら。

>論理内容よりもそのことに起因する、人格非難のようなものが殆んどで、議論が不毛なものになってしまいました。

これは「いや夫」が始めた事でしょう。
「目には目、歯には歯」というのが人間の本性なのでしょうね。
「いや夫」も十分に承知しているはず。

>「いや夫」さんへの希望を言わせていただければ、もし「匿名」投稿にしていただければ、少なくともそのための、人格攻撃は止むと思います。

「いや夫」は散々に「匿名」投稿をバカにしたのだから、「いや夫」に少しでもプライドあるのでしたら無理でしょうね。
それに、「いや夫」の書き方は独特だからすぐに「いや夫」だと分かってしまう。

どうして見れなくなったの?

 ここ二日忽然と消えたこのブログがまた復活している。

 我がブログでの下記の記事で、トンズラは不可能だと察して、再開したのだろう。「サイコばばあ」は懲りずに恥さらしを続けるつもりらしい。

我がブログより

(引用開始)

「実践倫理宏正会って何?」のブログが忽然と消えました(笑)
>

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 「サイコばばあ」が自作自演で実践倫理宏正会を批判するために作ったかのブログが忽然と消えました。

 「いや夫」の攻撃なんて全然たいしたことはない、「いや夫」なんて論破されっぱなしだと、いきがっていた「サイコばばあ」でしたが、本当はかなりのダメージを受けていたようです。馬鹿みたいに「、」無し投稿の成りすましを続けていたのですから、当たり前です。よくここまで我慢してブログを削除しなかったものだと感心していたくらいです。

 嘘つきは誰からも相手されなくなるのです。

 今さら説明するまでもありませんが、かのブログは最初から「サイコばばあ」の自作自演だったのです。このブログの関連記事を読んでいただければ、納得いただけると思います。ごまかしようはありません。かのブログの記事をほとんど、「魚拓」として保存してあるので、暇があったら新たに追求しますが、その必要もなさそうですね。

 ともかく、かのブログや他のブログ、2ちゃんねる他の掲示板で、執拗に宏正会を攻撃し続けてきた「サイコばばあ」(自称「巨頭」)(笑)が存在し、そんな大嘘つきが今までもこれからもネット上で宏正会を攻撃しているのだとご承知置き下さい。


 実践倫理宏正会の本部の方へ

 「サイコばばあ」がさんざん批判記事を成りすましのまま投稿し攻撃し続けて、そのままトンズラしようとしております。こ奴は、また他のブログや掲示板で、同じような攻撃を続けるつもりなのでしょう。そのまま逃してよいのですか?今なら、プロバイダーに請求すれば、ログを提出してくれると思います。将来、訴訟を起こさねばならなくなったときに、貴重な資料となりますよ。別に、今訴訟を起こすつもりがなくとも、一つの資料として手に入れておいても無駄にはなりません。ネット上での宏正会の批判記事がどのように増殖されてきたのかを知る手がかりにもなります。また、投稿者のIPから、否定派首謀者全員をある程度把握することも可能です。気が向いたらやってみては?
私のIPも知られるでしょうが、別に気にしません。やましいことはありませんから。

(引用終了)

 我がブログより引用開始

(引用開始)

「実践倫理宏正会って何?」の「魚拓」をとりましょう
>

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 「実践倫理宏正会って何?」がぐぐっても検索できなくなりました。

 まずは、めでたし、めでたしです。ネットでも嘘つきは嫌われるのですねえ。

 私が、このブログは「サイコばばあ」という変質者(=太陽神、武蔵、長文さん、賢くないさん、自称「巨頭」、他多数のショッカー戦闘員)の自作自演によるものであるということを見破られ、とうとう削除するしかないと決断したようです。そして、やはりブログ主が「サイコばばあ」自信であることを完璧に証明してくれました。

 かのブログは、「ブログ」なのです。ブログ主が、日々のできごとを記事にして書き綴っていくべきものです。ところが、かのブログは、ブログ主の投稿はブログ設置の主旨を書いた一つの記事のみ。そして、その記事に対するコメントが延々と続けられるという極めて不自然なものでした。これは、最初からそのつもり(ブログではなくて、掲示板がわり=2ちゃんねると同じ)で、実践倫理宏正会を批判するために否定派の「サイコばばあ」が開設したものだったのです。

 「サイコばばあ」が今までどんなに卑怯な成りすましの攻撃を続けてきたのかを知ることができる貴重なブログでもあったのですが、消えてしまいました。私も膨大な投稿を残していますので、少し惜しい気もします(笑)。

 今なら、「魚拓」がとれますよ。(サイトの内容を保存しておくこと。)情報系大学の卒論のテーマの材料にいかがでしょうか?

 卒論テーマ
   ネット社会の虚構性 「創作、パクリ、盗み、取り込み、大三元」の世界
    ~「実践倫理宏正会って何?」における誹謗中傷記事を通して~

 「魚拓」を残す方法

  http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/  からは開けませんが、

  
  http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html  からは開けます。

 そして、「ファイル」「名前をつけて保存」で保存することができます。

 「サイコばばあ」の最後のきちがいのような執拗な投稿を読んで、こ奴の異常さを知ってください。
 「レイモンド」氏の最後の投稿も、「サイコばばあ」を追い詰めたようです。

(引用終了)

 上記の投稿で、「サイコばばあ」は逃げてもごまかせないと、再度このブログを公開したのだろう。

 この状況でどうするつもりだろうねえ。

 往生際が悪い奴である。刑事コロンボの憎めない犯人たちとはまったく異質なタイプである。

「実践倫理宏正会って何?」のブログがまた再開されました(笑)
<< 作成日時 : 2011/01/28 18:24

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 「サイコばばあ」が自作自演でつくったかのブログが、少なくとも昨夜から今朝にかけては忽然と消えていたのですが、さっきみたら再開されていました。

 「サイコばばあ」がトンズラしても、その成りすましの数々はしっかり「魚拓」として残してあるぞと、前回「いや夫」が記事にしたのが、理由の一つかもしれません。

 まあ、かのブログを閉鎖しても、「サイコばばあ」はよそにいって、同じ様な攻撃を繰り返すに違いありませんから、どっかの影で攻撃されるよりも、かのサイトで攻撃を続けてもらった方が、「いや夫」の迎撃は楽ちんです。

 苦難福門ということで、不毛なバトルを、のんびり続けます。

 帰ってきた「サイコばばあ」に、さっそく質問があります。

 「サイコばばあ」は「いや夫」の投稿に対して、ことごとく激しい反論をしますが、この質問は一切無視をして、決して触れようとはしません。50回位指摘しきましたが、一切答えようとしません。その反応が、バレバレです(笑)。


 <質問>

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した(本人談)
理系の学部を卒業
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない
(その反動でネットではいくらでも書き込める) 
学生の時はイジメを受けていた

仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさずがんばっているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分所のの出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
妻を宏正会に誘っている義母に対しても快く思っていない
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て

 ごまかしはもう結構。答えろよ。

<質問>

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?


 添削

「妻を宏正会に誘っている義母に対しても快く思っていない」の出典を示せ!

 「いや夫」は義母を尊敬し感謝している。

 嘘ばっかりだな、お前は。

 義母に嫌われる否会友や、義妹を憎むちゃねら~の貴様たちとは違うのだ。自分がそうだからって一緒にするな。

(引用開始)

朝起会を続けるのは大変なのは確かでしょう。
>

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(朝起会は実践倫理宏正会の通称です)

 なぜ妻がいやいやながらも朝起会
(実践倫理宏正会)を続けているのか?
それは「二世」だからだと、私は思います。
ここでいう二世とは、親も朝起会をやっていて、
その子供が朝起会を続けていることを言います。
実際には、二世はそれほど多くはないようです。
親が朝起会をがんばっていると、子どもは
小さいうちは喜んで会場に足を運びます。
しかし、中学生くらいになると面倒になって、
実践活動からは遠ざかっていくようです。
妻は貴重な二世です。しかし、本人は
「母親がやっていなければ、私もやめたい」
とよくこぼしています。
(他の二世が続けていないように、本人さえ
決意すればやめるのはさほど難しいことでは
ないと思いますが、どうなのでしょうか?
実践のお誘いを拒み続け、朝起会をさぼって
いれば、自然に名ばかり会友になります。
実は、この名ばかり会友というのが、
会友のかなりの部分をしめていると思います。
私も名ばかり会友です。)

 朝起会は、私から見ると完全なボランティア
活動です。
人の仕合わせ(幸せ)を願うことにより、
「我も人もの仕合わせ(幸せ)」を実現しよう
という崇高な会です。
かくいう私は、自分の幸せを求めるばかり
ですので、朝起会から距離をおいています。
ともかく、今より仕合わせになるために、
人のため社会のために尽くそうという会
ですから、続けていくには多くのエネルギーが
必要なのでしょう。そのかわり、続けている人
には、自然に人徳が身についていくように
思います。
妻もその母親もまさに良妻賢母ですし、
会友の皆さんを見ていても、すばらしい方々
ばかりとお見受けします。
一般社会人よりは、前向きに生きていることは
まちがいなく、ネットで批判されているような、
変な人々ではないことはまちがいありません。
(私に言わせれば、ネットで文句ばっかり
書いている人たちこそ変な人々です。)
(と、ネット住人の悪口を書いている自分も
変人の一人ですね。)

(引用終了)

★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★

いや夫の主張は、下記のとおり

朝、朝起会に集ってみたら
いや夫という、朝起に来ないやつが、いつの間にか
朝起会の会場に、うんちをしていたのが判明、
いや夫に、やめてくれと言うと
いや夫曰く
「別の奴(サイコババア)が、会場にションベンして
たぞ、そっちを言ってから、俺に言え」
って、
異常者、だな、倫理そっちのけ、以前の問題ですな


いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

あちこちの掲示板で
朝起会の本質的、人格、
馬鹿男のいや夫が、罵倒の嵐にあっている

ここでも、きらわれまくって、現実の身のまわりからも、嫌われて
いるのは、目に見えている。どうみても、そうしか見えない

でも、自分だけは無神経で、理解できない

奥さんも、あきてれるんじゃないの?

こういう人間を生産していくが朝起会というのではない、
こういう人間だから、朝起会にしがみついているんだろう


まあ、非常に参考になった

いや夫の主張は、下記のとおり
下記が、実態の本質だろうね、まさに、いいあててると思う
宏正会にも迷惑をかけて、宏正会に迷惑を受けている人の
人格も無視、自分だけがご満悦、無神経の塊、


朝、朝起会に集ってみたら
いや夫という、朝起に来ないやつが、いつの間にか
朝起会の会場に、うんちをしていたのが判明、
いや夫に、やめてくれと言うと
いや夫曰く
「別の奴(サイコババア)が、会場にションベンして
たぞ、そっちを言ってから、俺に言え」
って、
異常者、だな、倫理そっちのけ、以前の問題ですな

 ごまかしはもううんざりだ。貴様の異様なコピペ攻撃など、痛くも痒くもないし、貴様自身がいかに「サイコ」か証明しているだけだ。

 史上最低のブログだなあ、ここは。便所の落書き以下だ。こんなとこに投稿してやる寛大な「いや夫」に感謝しなさい。

 ごまかしてないで、下記の質問に答えよ。

 貴様がごまかしているうちは、貴様に形勢逆転の目はないのだ。いいかげん観念しろ。

<質問>

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?

なに脳内妄想してんだ、「2度とここにくるな」といってるんだ
もういちどいう、2度とくるな

さらにいう、すくなくとも、おれは、ここのブログ主じゃない
なに、脳内妄想の、くりかえししてんだ
異常者か?やっぱり、おまえ、いや夫は

★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★

いや夫、
もう2度とここに、くるな
消えろ

消えうせろ、じゃまだ

 ちょっと反応したな(笑)。新展開だ。

「すくなくとも、おれは、ここのブログ主じゃない

 「、」無し投稿を攻撃を繰り返す貴様が、よくもぬけぬけとしらを切るものだ。

( ブログ主ではないというなら、「来るな」という資格もあるまい。貴様は「いや夫」が批判記事を書くなと打ったら、やめるのか?)

 では、次の投稿について、自分がやったことではないと証明してみよ。

(引用開始)
wikiを改悪しているのも、「元会友」または「否会友」なのだろう
>

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 wikiの「実践倫理宏正会」の編集履歴を読んでみて、新たな発見がありましたので、紹介します。

 「いや夫」はあまりwikiを読みませんが、否定派がせっせと悪口の改悪を繰り返し、一部肯定派が、せっせとそれに応戦して直していることがわかりました。結局は粘着質=キチガイの否定派が圧倒している状況です。

 否定的な改悪を行っているIPアドレスを紹介します。

A 最初にwikiに記事を作ったもの=「211.9.162.39」
 (2005年2月23日。翌日「実践倫理宏正会って何?」の初投稿。その6分前に2ちゃんねるパート12の「81」でPRをしている(笑)。すべて「サイコばばあ」の仕業です。
B たびたび改悪を行っている主導者=「125.55.195.100」
   (IP検索では、茨城県の可能性あり)
C 「ある支部では、強姦容認発言の太田誠一を投票誘導した。」と記述=「220.59.10.113」(福岡県の可能性あり)
D たまに改悪を行う者=「126.101.129.115」(東京都の可能性あり)
 

 なお、以前の我がブログの記事に、wikiの記述に触れたものがあります。

 弘文堂「新宗教辞典」では、実践倫理は新宗教に分類されていない。wikiが誤っている。
  作成日時 : 2009/12/15 07:19
http://58807828.at.webry.info/200912/article_24.html

 この時は、「実践倫理宏正会って何?」で「鉄槌」と中傷合戦をしていた頃です。
その頃(2009年12月近辺の2ちゃんねる過去スレパート21を読むと、
http://www.unkar.org/read/anchorage.2ch.net/live/1246521434)
明らかな「元会友」と「否会友」の投稿があるので引用します。

 「元会友」の投稿は、黄字
 「サイコばばあ」=「否会友」の投稿は、赤字とします。(「、」無し投稿を多用します。)


(引用開始)
306 :名無しさん@HOME:2009/11/30(月) 17:14:20 0
朝起会には 青年部 女子青年部というものがあって若い人もいるようだが
皆 親が朝起会に行っている者の子供か?
親とは関係なく自分で朝起会に行くようになった者もいるのか?


318 :名無しさん@HOME:2009/12/04(金) 10:06:23 0
「私の介護体験&こぼしちゃおコーナー」というBBS。
ttp://bbslog.realint.com/?serverid=2&bbsid=anankaigo&page=2
No.635~712あたり、朝起き会を中心にカルトや霊感商法・悪徳商法の話題です
(シロアリ詐欺と一緒にされて語られているのがなんともw)。
特にNO.643 NO.651などは、はっきり県名も書いてあって、とてもリアルです。
ぜひ御熟読いただきたいです。

 (「いや夫」注:この投稿者は、「実践倫理宏正会って何?」の「討論は避けよ」と同一人物で、「いや夫」は「元会友」と予想しています。)

337 :名無しさん@HOME:2009/12/14(月) 18:08:38 O
VisWiki
(引用開始)
起源
神道系の新宗教であった御木徳一(1871 - 1938)の「ひとのみち教団(当初は御嶽教徳光大教会)」は、
戦時中弾圧により解散させられたが、戦後に三つに分派し復活した。

一つは御木徳近(1900 - 1983)の「パーフェクト リバティー教団」(PL教団)公式HP、
一つは丸山敏雄(1892 - 1951)の「倫理研究所」公式HP、
もう一つが倫理研究所から更に分派した上廣哲彦(1906 - 1972)の「実践倫理宏正会」である。

ただし、宏正会としては1945年に広島市国鉄横川駅構内で原子爆弾に被爆した初代会長の上廣哲彦が、
翌1946年に石川県小松市の小松天満宮で「朝起会」活動を開始したのが発祥である
としている(小松天満宮境内に「朝起発祥之地」の石碑がある)。

ひとのみち教団の信者であった上廣哲彦は、ひとのみち教団の准祖の一人であった
丸山敏雄が主宰している「倫理研究所」で活動しており[6]、発足間もない両者(丸山敏雄と上廣哲彦)が互いに同じ目標(倫理性の復興)を目指していることから双方の活動が緒に着くまでは協力し合っていたと考えられるが、
宏正会側の見解では、初めから「朝起会」を主体とした活動(生活倫理実践会=後の「宏正会」)を上廣哲彦自ら主催してい
起源
神道系の新宗教であった御木徳一(1871 - 1938)の「ひとのみち教団(当初は御嶽教徳光大教会)」は、戦時中弾圧により解散させられたが、戦後に三つに分派し復活した。一つは御木徳近(1900 - 1983)の「パーフェクト リ
バティー教団」(PL教団)公式HP、一つは丸山敏雄(1892 - 1951)の「倫理研究所」公式HP、もう一つが倫理研究所から更に分派した上廣哲彦(1906 - 1972)の「実践倫理宏正会」である。

ただし、宏正会としては1945年に広島市国鉄横川駅構内で原子爆弾に被爆した初代会長の上廣哲彦が、翌1946年に石川県小松市の小松天満宮で「朝起会」活動を開始したのが発祥であるとしている(小松天満宮境内に「朝起発祥之地」の石碑がある)。

ひとのみち教団の信者であった上廣哲彦は、ひとのみち教団の准祖の一人であった丸山敏雄が主宰している「倫理研究所」で活動しており[6]、発足間もない両者(丸山敏雄と上廣哲彦)が互いに同じ目標(倫理性の復興)を目指していること (つづく)


339 :名無しさん@HOME:2009/12/14(月) 18:14:50 O
VisWiki
(引用開始)
ただし、宏正会としては1945年に広島市国鉄横川駅構内で原子爆弾に被爆した初代会長の上廣哲彦が、
翌1946年に石川県小松市の小松天満宮で「朝起会」活動を開始したのが発祥であるとしている(小松天満宮境内に「朝起発祥之地」の石碑がある)。

ひとのみち教団の信者であった上廣哲彦は、ひとのみち教団の准祖の一人であった丸山敏雄が主宰している「倫理研究所」で活動しており[6]、
発足間もない両者(丸山敏雄と上廣哲彦)が互いに同じ目標(倫理性の復興)を目指していることから双方の活動が緒に着くまでは協力し合っていたと考えられるが、
宏正会側の見解では、初めから「朝起会」を主体とした活動(生活倫理実践会=後の「宏正会」)を上廣哲彦自ら主催していたとし、
倫研側としては上廣哲彦のこの行動を丸山敏雄への師事と受け止め、
後の独立は丸山に対する裏切り行為と捉えており、双方の主張は噛み合っていない。

なお、実践倫理宏正会の「社団法人」設立許可日は1953年(昭和28年)4月1日で、
文部科学省生涯学習政策局所管の社会教育団体であり、
会は宗教的な教義を行っていないとしているが、
「ひとのみち教団」の影響を多く受け継いでおり(ひとのみち教団が早朝に各教会に詣で信徒集会を行う慣行を信徒獲得の有効な手段としていたこと、
共に箇条書きの人生訓の唱和をすること、白装束での錬成(心身教育訓練)を行うこと、個人崇拝と「会長先生」「ご著書」「学ばせて頂き」「感謝です」等の用語を使用すること、
ひとのみち教団は教育勅語を経典にしていたが、宏正会も教育勅語の復活と12徳の実践を目指している事等)、宗教学的にも宏正会は戦後の新宗教と分類されている[7]。

343 :名無しさん@HOME:2009/12/15(火) 13:30:45 0
公立図書館の宗教関係の棚の本を見られればよいと思います。
上の方が書いておられる弘文堂の「新宗教辞典」はもちろん、
宗教・新宗教についての多くの本が置かれていて、
その多くに実践倫理宏正会のことが書かれています。
実践倫理について詳しく書いたものとしては、
弘文堂の「新宗教事典」の編者のひとりでもある沼田健哉の
「情報化社会における神々の再生 現代日本の新宗教」(創元社)や
いのうえせつこの「主婦を魅する新宗教」(谷沢書房)などがあります。
どちらもちょっとした図書館にはあると思います。

ちなみに弘文堂の「新宗教事典」にはこんなことも書かれています。
〝日本の新宗教において指導者が崇拝されているのは顕著な事実であるが、
それらは彼らが広い意味での教祖であるからだとは限らない。
創価学会の三代目会長(のち名誉会長)池田大作や、
社団法人実践倫理宏正会の二代目会長上廣栄治への会員の崇敬は相当なものであるが、
彼らは決して新しい教えの創始者とみなされてるわけではない。〟

今勧誘された多くの方は図書館までいかないで、
ネット、特にウィキペディアで検索し、ご自分で判断されるのでしょう。
ウィキペディアには確かにでたらめも多いですが、
会員のご家族の方も実践倫理の項については大方中立で書かれてるとおっしゃっていますし、
その方ご自身が登録上の会員数は400万人と認められ、会報の買取配布も認められていますね。
それをどうとるかは検索された人次第です。

私が勧誘されたころは、図書館まで行って調べなければわからなかったでしょうね・・・
行ってから気づく、という感じで・・・・・

347 :名無しさん@HOME:2009/12/16(水) 17:18:24 0
宏正会の初代会長は 師である倫理研究所の丸山敏雄を裏切って独立。
現会長は嘘までついてそれをひたすら隠し通している。
宏正会がどのような団体か見当がつくはず。

354 :名無しさん@HOME:2009/12/18(金) 19:39:31 0
上廣一家の贅沢振りを知っているか。
東京の超高級住宅地 松涛に敷地800坪の豪邸に住み 車は親子共に大きなベンツ。
毎日 ホテルニューオータニのサウナに通い、高級ゴルフ場でゴルフ三昧。
海外旅行に、夜は料亭で会食 高級クラブで豪遊。
全国各地の支部からは当地最高の特産品の貢物を受け、上廣家の祝い事には幹部から
金が送られる。
会長の資産は一体どのくらいあるか。数十億どころではあるまい。数百億か。数千億か。
 
「倫理」というものを金儲けの手段とし、「倫理」を食い物にしている上廣家。
宏正会が「倫理」の普及することで 返って「倫理」というもの価値を台無しにして
してしまった上廣家の罪は大きい。


365 :名無しさん@HOME:2009/12/21(月) 11:21:40 0
影倍加の本質は 会の本部が各支部に毎月の新入会員獲得目標の必達を求める所にあるということ。
本部が毎月毎月このような厳しいノルマを課しているから 支部は仕方なく影倍加という
方法で帳尻を合わせて ノルマが達成したかのように装い本部に報告している。
問題はこのような方法が会創立当時から何十年も全国の各支部で行われて来て 本部が
それを黙認しているという事。
本部は当然 影倍加の事実を知りながら ノルマを課す事を止めると会員が新入会員獲得に
動かなくなり会への収入が減るから 止めようにも止められない。
会員が影倍加について言っていることは 会が会員に影倍加をさせるために用意している屁理屈。
勧誘の時には絶対に影倍加というようなものがあるとは言わないので 宏正会の会員になったら 
このような影倍加をしなければならないという事を予め知ってもらえれば それでいいのでは。
    

372 :名無しさん@HOME:2009/12/22(火) 11:35:55 0
>>368
宏正会のすべての支部・会場でもう何十年も行われているので、影倍加している人は
数万人 数十万人になるのでは。
最初は月200円の最低の会費と入会金600円 合わせて一年3000円ということで気軽に
入会させといて 次には必ず主人や子供など家族の者全員を入会させるように持って
行かれて これって影倍加でしょう。
それから親や兄弟 親族 近所の人 主人の上司 学校の先生と徐々に広げられ行く
ので段々と感覚がマヒして来る訳。
そうして最後には影倍加をする知人がいなくなっても毎月毎月のノルマがあるので 
電話帳から適当に名前と住所を引いて入会したことににまでしなければならない。
一人当たり3000円の入会費用はすべて会員持ち。
その結果が会員400万人という全く嘘でデタラメな会員数。
会からは「その人の幸せを願って」と言い包められて 会の見せかけの会員数と
会の資金のために利用され搾取される哀れな会員さん。
誰が悪いの?影倍加をしている会員さん?よーく考えて見て。

(引用終了)

 以上より、A~Cのいずれかが、「元会友」または「否会友」のIPである可能性はかなり高いと思われます。
 Bは特殊な投稿なので、「鉄槌」本人=「否会友」でしょうか?
 そうすると、Aが「元会友」になるのでしょうか?

 ともかく、wikiは、強引なキチガイが力ずくで改悪するので、信憑性は薄いのです。
 現在のwikiは、A「125.55.195.100」の創作です。非中立的な否定派の意見そものです。

例えば、
「宏正会を宗教学者は新宗教と分類している」というのはまったくの嘘で、「倫理修養団体」と分類されています。

(引用終了)

 そんな一言でごまかせると思っているのか?お前バカだな。それともごまかすしかないからしらを切り通すつもりか?余計にバカだな。

<質問>

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?

なに脳内妄想してんだ、「2度とここにくるな」といってるんだ
もういちどいう、2度とくるな

さらにいう、すくなくとも、おれは、ここのブログ主じゃない
なに、脳内妄想の、くりかえししてんだ
異常者か?やっぱり、おまえ、いや夫は

★★★★★★★★

いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★

あちこちの掲示板で
朝起会の本質的、人格、
馬鹿男のいや夫が、罵倒の嵐にあっている

ここでも、きらわれまくって、現実の身のまわりからも、嫌われて
いるのは、目に見えている。どうみても、そうしか見えない

でも、自分だけは無神経で、理解できない

奥さんも、あきてれるんじゃないの?

こういう人間を生産していくが朝起会というのではない、
こういう人間だから、朝起会にしがみついているんだろう


まあ、非常に参考になった

 防戦に必死だなあ(笑)

「いや夫」が「鉄槌キャラ」は苦手だと打ったら、「鉄槌キャラ」一色だね?「サイコばばあ」の本性のまま戦えばいいものを。ブログ主だと認めたくないから、男を装うということか?嘘まみれ、うんちまみれで憐れよのう~。

 今度は、「いや夫」と対戦したことがない「太陽神キャラ」で挑んできてはどうかな?案外効果的かもしれないぞ(笑)。

 私は、ちょっとからかっているだけで、こんな便所の落書きのようなブログを占拠するつもりはないので安心したまえ。

 ただ、貴様がブログ主だと認めるまでは、何度でも指摘してやる。それが闘論の出発点だ。逃げるな、チキン女郎。


 「すくなくとも、おれは、ここのブログ主じゃない」
そんな一言でごまかせると思っているのか?
お前バカだな。
それとも「ごまかすしかない」からしらを切り通すつもりか?余計にバカだな。

<質問>

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?


 我がブログより、ミサイル攻撃

http://58807828.at.webry.info/201008/article_50.html

(引用開始)

「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、やはり「否会友」なのでしょう。
>

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 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

で、「改革派会友」と賭けをしている「いや夫」です。

 おそらく、「いや夫」は賭けに負けて、かのブログを卒業しそうです。

 では、今までの研究のまとめを残しておきましょう。

 このブログが作られたのは、

投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24 01:58 午後

とあるように、2005年2月24日。

それ以来、このブログ主は「一度も投稿していない」ということになっています。

そんな不自然なブログがあるでしょうか?


 なお、偶然の一致というには、不自然なのが、

wikipediaで「実践倫理宏正会」の記事が新規作成されたのが、

このブログが作られた前日の「2005年2月23日」なのです。

 そして、wiki新規作成者(211.9.162.39)は、明らかに否定派です。

wikiの最初の版は下記のようなものです。

(引用開始)
実践倫理宏正会(じっせんりんりこうせいかい)は、1950年5月に創立した社団法人である。
一般的には、朝起き会(あさおきかい)の名称で知られている。本部は東京都千代田区九段北、靖国神社のすぐ脇に本部ビルを持つ。
会長は上廣栄治、創設者の上廣哲彦の長男である。

概要
精神修養団体の中で、最大の勢力を誇る団体で、会員数は主婦層を中心に公証で400万人といわれているが、詳細は不明。大規模な組織にも拘らず公式ホームページを持たず、広報活動は会誌のみであり、入会するまで会の詳細を知らされることは少ない。 主な活動内容は、実践倫理を実行するため、毎日朝5時から6時まで、日本各地にある会場で、集会を開く朝の集い(あさのつどい)である。

当会は1945年に広島県で被爆した先代が東北の金沢でひらいたと当会の著書に記されているが、実際は1912年に「御獄教・徳光大教会」として発祥し、1936年に「ひとのみち」となり、戦時中天皇の解釈で弾圧、解散。終戦後宗教法人法の改正にともない、宗教弾圧を避けるため「社団法人」として1946年に「倫理研究所」と「PL教団」に分派。その後倫理研究所北陸地区の布教責任者であった「上廣哲彦」が1950年に倫理研究所から独立して「実践倫理宏正会」を発足させた。
登記は教育団体で宗教ではないとしているが、一部の宗教学者は、これを戦後の新宗教としている。

強引な勧誘方法や、金銭面でのトラブルが発生しており、幼い子供をおいて頒布(会を広める)する「捨て育て」という行為が推奨されるなど、問題点が指摘されている。

教義
朝の誓い

参考文献
上廣栄治 「倫理がひらくきみたちの未来」
(引用終了)

 ちなみに、wikiの新規作成者は、IPから東京都?在住の可能性があります。会長先生宅にも気軽に見学に行けますね。

 上記の二つの不自然な事実をつなぎあわせると、次のような仮説が浮かびます。

 wikiの否定派の新規作成者が、「実践倫理宏正会」のブログも作った。

 なお、wikiに「実践倫理宏正会って何?」へのリンクを貼った人物は、肯定派のようです。このブログが一会友が作ったものと信じていたのだと思います。

 結局、このブログはwikiから唯一リンクされた宏正会について話し合うブログとなり、一時肯定派が情報交換できたときをのぞき、宏正会への誹謗中傷が書き連ねることが多くなりました。

 ブログ主の意図通りの役割を果たしていました。

 しかし、その邪魔をしたのが私「いや夫」です。2ちゃんねるではありえないことですが、否定派の怪人の攻撃を次々と論破し、肯定派の砦のようにしてしまいました。

 我慢できなくなった否定派の誰かが、
2010年7月9日 (金) 19:36
に、このブログへのwikiのリンクを削除しました。

 ちなみに、そのIDは「125.55.195.100」、wikiを否定派の好き放題に改悪している人物です。

 リンクが削除された理由は、下記の投稿でしょう。

(全体引用開始)

 「賢いさん?」はつい最近(山岡鉄舟の話を批判した「別の」匿名さんが現れた頃)このブログを読み始めたそうだ。

 では、「いや夫」がなぜこんなに批判派を馬鹿にするのか説明しましょう。

 当ブログは元々純真な一会友さんが「実践倫理宏正会」について知ってもらうために始めたブログである。
 批判派は当初から成りすましによる攻撃を加えていた。代表的な例が「嵐」=「さとえ」の偽投稿だ。(ちなみに、この「嵐」=「高塚地蔵尊」=「鉄槌」=「愚息」だろう。)
(参照記事)
http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html

 それでも、当時は実践者の投稿が多く、意義のある情報交換が行われており、肯定派が優勢であった。

 ところが、2009年2月に「高塚地蔵尊」他ちゃねらーが一斉攻撃を開始し、実践者を罵倒するようになった。実践者は誠実な話し合いを心がけたが、批判派は口ぎたなく罵り続けた。そして、実践者はこのブログに投稿できなくなっていったのである。

 その後、「太陽神」「シリウス」「武蔵」「田中丸」などが宏正会に対する批判記事を書き連ねるようになった。

 そのような状況で、「いや夫」が討論に加わったのである。「いや夫」はたった一人で敵陣に切り込んだようなものである。討論というより「闘論」である。実践者のように、穏和な話し方などできるはずはない。討論相手は、「武蔵」くんだったが、「いや夫」以上にいやみな奴だった。理論的に語りながら、実践者を蔑み馬鹿にする最低な奴だった。「いや夫」をいやみ全開で、討論することになった。

 ちなみに、上記の否定派のうち、「いや夫」が直接討論したのは、「武蔵」くんだけである。しかし、「いや夫」はそうだとは思っていない。ぜ~んぶ同じ人物だと当初から見抜いて参戦した。
 
 そして、今も戦っている。だいたい、それぞれ、さんざんこのブログで投稿を続けて、何でばったり消えるのか?一時消えたとしても、自分の投稿がどんな評価を受けているのか気になってのぞきにくるのが普通だろう。「山岡鉄くん」や「賢いさん?」もどうせ同じ人物だろうと思っている。

 さらには、元のニックネームを使わず、「匿名」としている時点で、負けを認めているようなものだ。

 なお、「武蔵」くんの正体は「否会友」であるというのが、「いや夫」の推論である。

 「賢いさん?」へ、

(引用開始)
「いや夫」さんの根性は 姑や小姑のようにイヤラシイですよ。
(引用終了)

 というのは、あなたから見た見方です。姑や小姑から見ると、何とひどい嫁をもらってしまったんだろうと思っていることでしょう(笑)。


投稿 いや夫 | 2010.07.08 09:37 午後

(全体引用終了)

 「いや夫」が明かしてはいけない秘密を明かしてしまったからです。

 なお、リンクを切ったIDは茨城県?のようなので、前述の人物とは違う可能性もあります。
(プロバイダの本社の住所を示しているだけかもしれませんが・・・。)

 もし、ブログ主と、wikiのリンクを切った人物が別人だとしても、二人がお友達として情報交換している可能性はあります。否定派は十年来のつきあいですから(笑)。


 では、ブログ主は誰でしょう。

 「いや夫」は「否会友」だと、ずっと疑っていました。
(「被害者の会」のブログの方は、「元会友」だと予想しています。)


 <関連記事>
  「太陽神」や「武蔵」の勘がするどいわけは?
   作成日時 : 2010/01/01 22:51
 http://58807828.at.webry.info/201001/article_4.html
 
 「太陽神」も「武蔵」も「レイモンド」さんの成りすましを見抜いていたので、実はブログ主自体なのではないかと疑問を呈した記事です。そして、それが「否会友」なのだろうと・・・。

 
 以上の仮説を裏付けるように、「太陽神・武蔵・鉄槌・否会友」は成りすましを駆使し、執拗に「いや夫」を攻撃してきました。

 それは、肯定派VS否定派という構図だけではなく、

 自分(=「否会友」)の城(=「実践倫理宏正会って何?」)を乗っ取ろうとする敵(=「いや夫」)への死にものぐるいの抵抗だったのかもしれません。

 そう考えた方がしっくりきます。

 「まるまるまある」さんが「、」無し投稿をしている謎も解けます。
 「否会友」は詩も好きで、ネタとして肯定派キャラも創造することができるのかもしれません。
 「高貴高齢者」さんが、「田中丸」の話を鵜呑みにしたのも、否定派と示し合わせた芝居であった可能性があります。

 「いや夫」の中では、すべての謎がすでに解けています。このブログを、持ち主である「否会友」(=今は「改革派会友」&「匿名」)に返してあげましょう。

 さすがの「いや夫」も生き霊と化した敵の城を乗っ取ることは不可能です。

(引用終了) 

「いやいや夫」さんへ
ぞろぞろ、こじつけ自論はお辞めになってはいかがですか?
会に聞くなりして肯定されるべきと思いますが。
特定社団法人も自らの公益性と財務内容を公開せねばなません。
よって、以前の話題で経済の言葉の普及起源など、現在では「スレ・タイ」の起源普及も説は多数でしょう。
また、かのブログがPCで閲覧できなかったら短絡に逃げたは常識的ではない、携帯では閲覧できていた。
現状に対する結論が短絡的では?

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 
理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)

性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない
(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 
学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない

仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て

このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

 あ~、またごまかしとる。話題をそらすのに必死だなあ。

 ごまかしがきかなくなったから、このブログを削除したんだろ?携帯で見えていたっていってんの誰?どうせ「サイコばばあ」自信の成りすましだろ?

 このブログを「ブログ主」で検索すると、50個あった。ほとんど「いや夫」が「、」無し投稿を繰り返した「サイコばばあ」がブログ主自身であることを追求したものだ。

 50回も追求されて、かえってきた言葉が下記の一言だけ。それも、返答しないのは不自然だろうと「いや夫」に言われていやいや打っただけだ。

 「すくなくとも、おれは、ここのブログ主じゃない」

 そんな一言でごまかせると思っているのか?お前ばかだな。

 「サイコばばあ」はいつもすっとぼけている。さんざん成りすましをしておきながら、それを認めたのはたった一度だけだ。

(引用開始)

いや夫さんが膨大な書き込みを実に正確緻密な手法で点検作業をおこなわれたこと 感心するというより尊敬する気持ちの方が大きいです ただ小生がお詫びするというのは論理的に納得するものではありません。
あちらのちゃんねるやこちらのスレに複数のハンドルで非難論を書きました。その出自である いわゆるなりすましのご指摘はおおむね間違ってはおりません しかし個々のテーマに対する論理的な反論をいただいておりませんので 論戦を戦わせたという感じは持っておりません。
今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です ただ現状では ハンドルはいや夫さんしか使っておられませんので 当方「匿名」でも いや夫さんが上記点検で指摘なさったように 相手を間違われることはないと思います けだし ハンドルつけるかどうかは書き手の自由に任せるのが当然と思うからです。


投稿 匿名 | 2010.08.10 11:49 午前

(引用終了)

 上記のような謝罪とはほど遠い言い逃れだけで、成りすましによって何万件にも及ぶ批判記事を書いてきた罪が許されると思うのか?

 そして、今も成りすましで攻撃を続けている。

 なぜ、このブログ主はこんなに「いや夫」の攻撃に弱いのか説明しよう。

 ここは掲示板替わりに使われていて、ブログの長所を生かし切れていない。
・ブログの投稿は編集できるが、コメントの文は編集できない。
・ブログの投稿日時は修正できるが、コメントの投稿日時は修正できない。
・ブログの記事は順番を入れ替えることができるが、コメントは入れ替えることができない。

 よって、膨大な成りすまし投稿の証拠を残してしまった「サイコばばあ」は、たとえブログ主であったとしても、それをなかったことにすることは難しいのである。

・不都合なコメントを削除することはできるが、自分がブログ主であることを証明することになる。
・「いや夫」のコメントを拒否する設定はできるが、自分がブログ主であることを証明することになる。
・よって、大嫌いな「いや夫」に自分のブログにコメントされるのが許せないのだが、止めるすべがないのである。

 よって、ブログ主=「サイコばばあ」がとることのできる手は、あくまでしらを切り通すか、いっそ、このブログを削除して、トンズラすることだった。

 そして、いよいよ観念して、1月27日に、一旦このブログを削除したのだろう。

 しかし、「いや夫」が、
・やっぱりこのブログは「サイコばばあ」の自作自演だったことが証明された!
・今ならまだ「魚拓」がとれますよ
とちょっかいを出したので、逃げ切れないとみて、復活させたのだろう。ご苦労さんなことである。

(宏正会の方針が変わって、ネット上の否定派への訴訟を始めるまで、このブログを続けてくれたまえ。削除されてしまった後に訴訟を起こすには難しいだろうが、リアルタイムなら簡単だ。「サイコばばあ」も「ブログ主」も困るだろうが、どうせ同一人物だ。)

 「いや夫」は「サイコばばあ」がブログ主だと認めないうちは、何度でもちょっかいをかけにきてあげよう。(認めても、ちょっかいをかけにくるけど、そのときは、もうこのブログはないだろうね(笑))


 <51回目の質問>
「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?

「実践倫理宏正会って何?」は、最初からブログ主の自作自演コメント
<< 作成日時 : 2011/01/29 17:55

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 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主である「サイコばばあ」。

 すでに紹介したように、こ奴はwikiでも宏正会を攻撃し始めると同時に、かのブログを作って攻撃を開始しようとしました。2ちゃんねるにも、わざわざPRにいっています。

 しかし、だ~れもコメントを寄せてくれません。
 
 そこで、せっせと自分自身で成りすましをしてコメントをしていたのです。

 引用します。

(引用開始)

コメント
こんにちは。
実践はじめてまだ少ししかたっていませんが、
これから頑張ろうとおもいます。
昔の「倫風」のよい記事や、
行事予定がありましたらご紹介ください。
まだまだ寒くて頒布は大変ですが、
がんばりまーす。

投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24 01:58 午後

実践倫理宏正会には公式ホームページがないんですか?全国に会場があるのだから作ればいいのに。
よくお誘いを受けるんですが、朝5時からの朝起会や頒布?に行くとなると、その間子供の世話とかどうすればいいんでしょうか。まだ小さいと家に置き去りにするのも危ないですし。

投稿 会友さんけっこういますね | 2005.02.24 04:37 午後

朝からすがすがしい気分ね。


投稿 SATOKO | 2005.02.25 02:29 午後

こちらでは会費は年間3000円です。


投稿 平塚支部です | 2005.02.28 10:28 午前

倫理日誌です。
ご感想をお願いいたします。
60周年という節目の年です。
がんばりましょう。

投稿 倫理日誌 | 2005.03.01 12:18 午後

脱会したいのですが、、、させてくれません。てか入会した覚えすらない。法的手段をとるしかありません。詐欺ですね。

投稿 t | 2005.03.27 05:13 午前

以前京都方面の偉いとされる会友さんに、2000万円のお祝い金をしろと言われました。しないと身体を壊すと脅されました。この会って恐いところですね。会費も役職が付くと万単位で払わされていました。今は無理矢理脱会できましたが。この会は、どういう会なんでしょうか?洗脳??????P○教と大本は一緒と聞いたこともあります。謎です。

投稿 kyo | 2005.04.06 05:53 午後

「お祝い金」100万請求され、
断ると、「癌」になる、と脅迫されました。
これって「倫理」なんでしょうか。

ここを立ち上げた貴女、説明できる?

投稿 被害者 | 2005.05.17 09:25 午前

団体に属す限り数字としてみられる。政界の票確保ですな

投稿 アーメン | 2005.10.19 01:54 午前

会に関わると 色々な場面に出会うと思います。
残念ながら 盲目的というか 宗教的というか、とにかく朝起きさえしていれば大丈夫、お金を出せば大丈夫などずいぶんな思い違いをしている人がいることも否めません。ただ、kyoさんや 被害者さんは 離れた所(ここ)でゴチャゴチャ書き込んでる暇があるのなら 言われた方本人に 直接 ぶつけてみたら如何ですか?
 
最近の学びから
「照顧脚下」 自分は何者か、何をなすべきか、足元から   見直し点検せよ。
「他者我映」 相手の姿は自分の姿である。

素直に自分の非を認め、反省したら潔く「自己改革」せよ(個人的には 言うは易し行うは難しなんですけど・・・)


投稿 月輪熊 | 2005.10.25 09:36 午前

とある知り合いで実際に起きたケースです。
この会では、離婚し子供のある将来に不安をもった女性を会に引き込み、一般社会の中では結婚できない変わり者の会員の男性をくっつけて、女性を男性に依存・隷属させ、女性には働くことをさせず、会の活動に専念させ、男性の稼ぎで生活し、会なしでは生きていけないように仕向けることまでするようですよ。統一教会と同じですよね。
いずれにせよ、この会では、女性は男性に依存・隷属し、男性(旦那)に言葉の上では尊敬を表し、男性を気持ちよくせて、稼いだ金をまき上げ、それを会に納めさせることで、会の世界の中だけで、気持ちよくさせるってことが常套手段です。
女性、特に将来ある子供をもたれている方々へ:正常な精神をお持ちのうちに脱会して、現実の世界でがんばって生活したほうがよさそうですよ。

投稿 嵐 | 2005.11.14 10:21 午前

以前無理やり入らされたものです。(今はもうかかわりがありません)私を誘った女性は、子供は捨て育てするため、小さな子供がいる人でも子供を置いて頒布活動をし、朝起き会に出席するのだと聞きましたが本当ですか。あと、女性は三つ指ついて主人に仕え、決して働くことはないのだとも聞きました。どんなに生活が苦しくても、妻は家を守り、旦那さんにはどんな風に無理してでも働いてもらうという趣旨のようでした。はっきりとは彼女はいいませんでしたが、話していてそういう意味なんだなぁと思いました。


投稿 嵐 | 2005.11.15 11:11 午後

以前無理やり入らされたものです。(今はもうかかわりがありません)私を誘った女性は、子供は捨て育てするため、小さな子供がいる人でも子供を置いて頒布活動をし、朝起き会に出席するのだと聞きましたが本当ですか。あと、女性は三つ指ついて主人に仕え、決して働くことはないのだとも聞きました。どんなに生活が苦しくても、妻は家を守り、旦那さんにはどんな風に無理してでも働いてもらうという趣旨のようでした。はっきりとは彼女はいいませんでしたが、話していてそういう意味なんだなぁと思いました。


投稿 さとえ | 2005.11.15 11:12 午後

妻は、旦那の性欲を全て解消する義務もあるようですよ。セックス拒否なんて許されないわけです。お使えする旦那様には、常に体を捧げる必要があります。愛情なんて必要ないのです。心は会に通うことによって豊かになり、会に通い続けるためには、旦那様に体を捧げ、それによって家庭円満、扶養家族としての義務を果たすって感じでしょうか。女性蔑視の考え方ですよ、女性の高等教育にも否定的ですし。そりゃそうです、賢い女性なら、こんなまやましの会にだまされませんから。
噂によれば、会の男性幹部は、盲目的な会員を性欲の解消に使っているとか。高級ホテルに寝泊りしてる幹部なんか特に。
この会、要は、バカな女と賢い男で出来ている会ってことなんでしょうね。ご愁傷様。

投稿 現世 | 2005.11.16 10:36 午後

(引用終了)


 説明しましょう。

 このブログのリピーターはすでにご存じだと思いますが、「嵐」「嵐」「さとえ」は同一人物の成りすましなのです。(その位すぐに気づいてください。気づかない方は、お人好し=とろい、と思います。)


 「嵐」「嵐」「さとえ」というバレバレの成りすまし攻撃の証拠を残してしまったのです。誰も気がつかないうちに削除しとけばよかったのに、「いや夫」にみつけられてしまって、消すに消せなくなったのです。


  二重?ハンドルネームの例 発掘(3)
  http://58807828.at.webry.info/200910/article_37.html


 さらにさらに、

<質問>

 「嵐」の直前の「月輪熊」の投稿を読んで、何か気がつきませんか?

<答え>

 
 「、」無し投稿です(笑)。

 このブログでは最初から最後(今現在)まで孤軍奮闘「サイコばばあ」が成りすましによる宏正会攻撃を続けていたのです(笑)。

 一時は、ネットを宏正会に対する罵詈雑言で埋めることに成功した「サイコばばあ」ですが、「いや夫」にその成りすましの一部(「いや夫」の知らない世界でまだまだ成りすましています。)を明かされ、否定派首謀者の層の薄さを露呈しています。ネットに関わろうとしない宏正会にとって、否定派首謀者がこんなに大嘘つきで馬鹿な奴だとわかったのは、好都合でした。このブログは、ネットの虚構性を示す最適な資料として、もっともっと続いて欲しいものです(笑)。

「サイコばばあ」は「モンスターマザー」なのだろう。
>

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 2ちゃんねるの過去スレを全部読むためには、年会費を払わねばならないと思い込んでいましたが、2ちゃんねるのコピーページを活用すると、案外ただで読めてしまうことを発見しました。

 グーグルで「実践倫理宏正会 unkar」で検索すると、今までは過去ログ倉庫に入っていて見られなかった過去スレを見ることができました。のんびり、資料を収集します。さっと読んで気づくのは、

 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

 と2ちゃんねるが表裏一体だということ。否定派が両方を掛け持ちしていること位、普通の知能ならすぐに分かる。2ちゃんねるの投稿が成りすましによって水増しされていることなど、一目瞭然だ。
 この頃のスレはIDがついていたようだが、コンピュータを再起動すれば変わってしまうとのこと。そうやって、何度も再起動をしては、投稿していたようだ。「否会友」や「元会友」のコンピュータはさぞ寿命が短いことだろう。

 こ奴らの成りすまし投稿が功を奏して、否定派の投稿に洗脳されるおめでたい人がいるようだ。

 その代表的な例として、下記のブログを紹介しよう。
★★朝起き会(社)★実践倫理宏正会★19★★☆
http://www.unkar.org/read/gimpo.2ch.net/psy/1217682063

 の「65」にリンクされていたブログです。「だれにもいえない」とかいって、ネットでいってんじゃん?実生活より、仮想=下層社会が大切なお方のようです。


 だれにもいえない
 http://gumigumiblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_761a.html

 内容は、宏正会一家に嫁にきたブログ主が、2ちゃんねるの投稿に洗脳され、宏正会をカルトと勘違いをして、夫に嫌われているということだ。離婚寸前までいっているらしい。さっと読んだだけだが、夫より、義父母や義祖父母より、2ちゃんねるに書かれていることを信用している時点で、アホ丸出しである。本当に離婚をし、本人も娘も不幸になったらかわいそうだが、否定派の罵詈雑言を信じてしまったのがそもそもの誤りであるので、同情はできない。まあ、それほど「否会友」や「元会友」の偽装成りすまし投稿は巧妙だということだが、2ちゃんねるを鵜呑みにしてはいけないのだ。

 ちなみに、「この妻」と「いや夫」は、男女が入れ替わっただけで、全く同じ立場だ。同じように2ちゃんねるを読んでも、「嘘ばっかじゃん」と思い、愛する妻を擁護しようと思う「いや夫」に対し、このブログ主は、「え~本当なの~!」とびっくりして、愛していた夫をカルト信者扱いしており、正反対の対応である。「いや夫」に言わせると、ネット(仮想=下層社会)が生んだ悲喜劇としかいいようがない。本人は自ら招いたタネなので仕方がないが、かわいそうなのは幼い娘さんである。まだ、離婚してないなら、「いや夫」のブログをしっかり読んで、否定派の正体について疑問をもちなさい。

 あなたが不幸になって喜んでいるのが、「否会友」だ。自分が家庭愛和ができないから、家庭愛和できている会友を憎み、嫉妬して攻撃しているだけなのだ。

 その位見抜きなさい!

 と言っても、見抜けるはずがないわなあ~。一番悪いのは「否会友」だ。

 この妻とまったく同じ立場なのに、幸せいっぱいの「いや夫」のプロフィール

「実践倫理宏正会って何?」のブログより

(全体引用開始)
 今更だが、「いや夫」のプロフィールを明かしておく。会場は、妻に迷惑がかかるので明かさない。

 義母は何年間もの勧誘の末入会。義父は亭主関白で厳しい人で夫婦仲良くは本来難しいタイプだが、義母が宏正会で学んで夫を立てることができるので、家庭愛和を保てた。義母は宏正会の効能を十分に理解して活動している。子どもたちは皆社会人、または主婦として幸せになっており、やはり宏正会のおかげと考えている。
 その義母に育てられた「いや妻」は、夫を立ててくれる大和撫子である。「否会友」とは正反対の女性だ。
 「いや夫」の両親ともとても仲がよく、本当にいいお嫁さんをもらったと喜ばれている。
 「いや夫」は妻にぞっこんである。容姿ももちろんだが、その大和撫子のような女性らしさがすばらしい。そして、それは、実践倫理宏正会の目指す女性像と重なるのである。
 「いや妻」のようなすばらしい女性を生み出している宏正会を、「いや夫」は良い会だと信じている。
 会場の関係者に会っても、みんないい人ばかりだ。それは2ちゃんねるのどのスレにも最初に書かれている通りだ。

(引用開始)
(社)実践倫理宏正会、通称「朝起会」は子育ての会としてご婦人を 中心に活動しています。
会友さんたちは、人のいい方ばかりなのですが・・・
(引用終了)

 「いや夫」自身の朝起会への参加は、
名ばかり会友で、のべ35回位参加。
元朝式、原爆の日、妻にお願いされたときなどに参加し、「壮年の集い」には、都合がつく限り喜んで参加している。
 しかし、頒布などの活動には一切関わろうとせず、錬成会に誘われても断り続けている。それでも、毎年誘いに来られるので、毎年断るというのが恒例である。誘いに来られる壮年さんは大変立派な方で、断るのは気が引けるのだが、やりたくないものはやりたくないので、さわやかにはっきり丁寧に断ることにしています。
 ネットで宏正会を擁護しようと思ったきっかけは、ネットの記事を読んだ妻ががっかりしていたから。
2ちゃんねるは、過去スレパート1~8と、21、22を読んだ。成りすましばっかりだとの印象。
 2ちゃんねるやちゃねら~が大嫌いなので、2ちゃんねるに投稿するつもりは一生ないが、幸いwikiの「実践倫理宏正会」にリンクされたこのブログの存在を知り、討論を開始した。討論開始にあたっては、全投稿を読み、成りすましの横行を直感。相手は卑怯で実は実力が全然ない奴だと見抜いて参戦。その通りだった。
 否定派のいう問題点も「いや夫」なりにわかっており、我がブログでもデメリット情報として触れているが、それで、宏正会の存在意義を否定されるようなものでないことは十分にわかっている。
 それよりも、否定意見はごく少数の成りすまし投稿者によるもので、そんな馬鹿な投稿を読んで、会を止めたり、入るのをためらったり、万が一離婚を招いたりしているのは許せないと、ちゃねら~の成りすましを追求している。
 そして、その首謀者が「否会友」と「元会友」であり、そ奴らと今、まっこうから討論できることを喜んでいる。
 
 以上。

 では、「否会友」さん、自己紹介をどうぞ。

投稿 いや夫 | 2010.08.25 06:53 午後

(全体引用終了)

 ちなみに、「いや夫」は妻(結婚前)と会に参加してみて(このブログ主の妻と同じ元朝式である)、「実践倫理宏正会に入ってくれる?」と聞かれて、「いいよ~ん。」と答えて、後は何の問題もなく家庭愛和を実現している。否定派がこだわっている「倍加」とか「お祝い金」とか、嫌ならやらなければいいだけで、何の問題もない。そんなくだらないことで、家庭愛和を台無しにし、娘を不幸のどん底に突き落とそうとするこのブログの妻の気持ちは、全く理解できない。


追伸 紹介したブログの妻へ
 2ちゃんねるなんて読んでないで、「実践倫理宏正会って何?」や「いや夫」のブログを読みなさい。もし、2ちゃんねるに洗脳されていたことに気づいたら、素直に夫に謝りなさい。

(全体引用終了)


 上記の記事は、「だれにもいえない」と「サイコばばあ」が別人であり、実践倫理宏正会否定派は、少数の成りすましによるものだから、目を覚ましなさいという内容である。

 しかし、今回は、その裏まで読めてしまった。

 この「だれにもいえない」のブログ主こそ、「サイコばばあ」なのである。

 「だれにもいえない」の方は、自らのプロフィールをしっかり明かしているので、これ以上宏正会を攻撃し続けると、自分の正体がばれてしまうのである。そして、一切更新しなくなった。(こ奴は2ちゃんねるの常連であり、他の批判派も、このブログにブログ主を心配するコメントを寄せている。)

 ちなみに、宏正会否定派首謀者は、極めて少数の集団なのである。

 そして一会友(朝起き頑張りっ娘)に成りすまして、「実践倫理宏正会って何?」で攻撃を続けてきたのである。

 その可能性は、50%であろう。
  
 以上が、「いや夫」の最終結論である。

 我ながら、コロンボ顔負けの洞察力である。

 「サイコばばあ」の言い訳を楽しみに待つことにしよう。


実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

 「いや夫」の怒濤の3連発投稿は、キチガイの「サイコばばあ」でさえ、かなりこたえていることだろう。

 この期に及んで、「鉄槌キャラ」や「太陽神キャラ」で応戦するつもりか?

 まさか、くだらんコピペでごまかすつもりではないだろうなあ!!

 誰もコメントしない貴様のブログに、新規コメント(できたてホヤホヤ)を3つも寄せてやったのだ。

 ない知恵を振り絞って、怒濤の反撃を見せてみよ!

 もうリーチがかかっているぞ!
 
 コピペ反撃でごまかしたら、貴様の全面敗北確定だ!

 ホレ、答えよ!
ホレ、書け!

<質問1(52回目)>
「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?

<質問2>
 「嵐」「嵐」「さとえ」も貴様だよねえ?
 なぜ、すぐに削除しなかったの?
 バレバレの二重投稿だと気づかなかったの?
 馬鹿?

<質問3>
 「月輪熊」も貴様だよね?
 会友に成りすますのが上手だね。
 会友に成りすます投稿をして、会友をおびきだすためだったんでしょ?
 このブログって、まさに映画「サイコ」に出てくる殺人鬼が経営するモーテルにそっくりだね(笑)

<質問4>
 「だれにもいえない」のブログ主も貴様でしょ?

<質問5>
 貴様が会友に離縁されたからって、宏正会を攻撃していいの?違うでしょ?元夫は、成りすましを平気でするその「倫理力」のなさが許せなかったんだと思うけど、どうなの?まだ反省してないの?

<質問6>
 そうやって、宏正会を攻撃し続けることで、会友の元夫に復讐してんじゃないの?
 それってむなしくない?

<質問7>
 そんなことしてて、愛する娘が喜ぶと思う訳?
 「いじわるばあさん」の「モンスターマザー」は、自分が夫を恨み続けても、娘を不幸にするだけだと気づいて改心して、ハッピーエンドで終わったんだけど、その方が正しい生き方だと思わないの?

 さあ、このブログの余命も、あとわずかでしょう。

 「魚拓」をしっかりとっておきましょう。

あちこちの掲示板で
朝起会の本質的、人格、
馬鹿男のいや夫が、罵倒の嵐にあっている

ここでも、きらわれまくって、現実の身のまわりからも、嫌われて
いるのは、目に見えている。どうみても、そうしか見えない

でも、自分だけは無神経で、理解できない

奥さんも、あきてれるんじゃないの?

こういう人間を生産していくが朝起会というのではない、
こういう人間だから、朝起会にしがみついているんだろう


まあ、非常に参考になった

いや夫の主張は、下記のとおり

朝、朝起会に集ってみたら
いや夫という、朝起に来ないやつが、いつの間にか
朝起会の会場に、うんちをしていたのが判明、
いや夫に、やめてくれと言うと
いや夫曰く
「別の奴(サイコババア)が、会場にションベンして
たぞ、そっちを言ってから、俺に言え」
って、
異常者、だな、倫理そっちのけ、以前の問題ですな


いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★

このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

いや夫というより
「宏正会の加藤」といったほうが、ピッタリだと思う。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない
仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)
作家では副島隆彦を信奉している 民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい
宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て
このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

ここで、一応回答
他の書き込み者はしらんが、俺に対しては
いや夫の、質問は、全部的外れ

あんたの 脳内妄想、

根拠なしで なにいってんだ、どあほ

 そんなんで反撃になってると思っているのかね?

 想像以上にへぼい攻撃でがっかりです。もう少し知恵を絞れよ。おいつめられてパニクってんの?

 「いや夫」の4つの新規投稿に対して、コピペ攻撃で数合わせ。

 そして、「サイコばばあ」の唯一の新規投稿は、上記のへぼさ。

 「いや夫」がこ奴が女だと見抜いているので、しらをきり通す覚悟で、男のふりをしている(笑)。

 憐れよの~。

 貴様が「長文さんキャラ」や「賢くないさんキャラ」で本来の性である女の文章で「、」無し投稿をしてくれていたときは、やっとオナベをやめてくれたかと、喜んだ「いや夫」であった。

 しかし、ここで、男の振りをしているのが、成りすましバレバレのこ奴の憐れな姿である。

 最初は、「朝起き頑張りっ娘」で、ある意味正直に女として投稿を開始したのだから、最後は女に戻れ!気色悪いぞ、貴様。

 もう、こ奴のへぼさはさんざん示すことができたので、そろそろ、ロンとしよう。

 この「サイコばばあ」がブログ主だという科学的根拠。

 そんなの当たり前のことだが、一応とっておきのネタということでとっておいた。

 このブログでは、「、」無し投稿の発見に匹敵する視点である。

 などと、もったいぶるまでもなく当たり前のことなのだけれど・・・。

 みんな、本当に次の投稿のような事実に気づいていないのですか?それとも、気づいていて、ムシしているのかな?

 (続く)

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

あちこちの掲示板で
朝起会の本質的、人格、
馬鹿男のいや夫が、罵倒の嵐にあっている

ここでも、きらわれまくって、現実の身のまわりからも、嫌われて
いるのは、目に見えている。どうみても、そうしか見えない

でも、自分だけは無神経で、理解できない

奥さんも、あきてれるんじゃないの?

こういう人間を生産していくが朝起会というのではない、
こういう人間だから、朝起会にしがみついているんだろう


まあ、非常に参考になった

いや夫の主張は、下記のとおり

朝、朝起会に集ってみたら
いや夫という、朝起に来ないやつが、いつの間にか
朝起会の会場に、うんちをしていたのが判明、
いや夫に、やめてくれと言うと
いや夫曰く
「別の奴(サイコババア)が、会場にションベンして
たぞ、そっちを言ってから、俺に言え」
って、
異常者、だな、倫理そっちのけ、以前の問題ですな


いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおりであるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

さらにいえば、いや夫は、人間のクズである
自分でもいやな性格だといっている
自分でも自覚しているのだから、電車にでも飛び込めばいいのに
奥さん大喜びだと思うよ

★★★★★★★★
いや夫

なに書き込みしてんだ、うそつき
自分が言ったことだろ
一生、もう2度と、書き込みするな
ドアホ、 クソ馬鹿、

最後、一生、帰ってくることは、ダメ

自分で言ったことを、守れ

2度とくるな、ドアホ、ドアホ、ドアホ、
うそつき、うそつき、うそつき、うそつき、

2度と、ここに、書き込みするな、
自分の、言ったことだろうが。。
ドアホ
★★★★★★★★


「い」いってる事と、やることが違いすぎるの、あの夫(いや夫)
「や」やめてほしいの人間を
「夫」夫(いや夫)は森永○郎似
「は」話すことなんて、もうないの
「人」人として失格、浮きまくり
「間」間に入った妻の私は、ストレスだらけ
「の」のうのうと、お気楽気分は夫(いや夫)だけ
「ク」臭い、汚い、無神経
「ズ」ズーズーしいだけが取り柄です

 <とっても重要な投稿です。要注目!>

 そろそろ、とどめをさしましょう。

 「サイコばばあ」がブログ主である証明をします。

 弁証法で解説します。

1 このブログの「ブログ主」は否定派である。
 理由 「サイコばばあ」の成りすまし投稿を、見逃し、一切指摘しない。ブログ主は、コメント者のIPアドレスをみることができるのである。ブログ主なら、「いや夫」に指摘されるまでもなく、「サイコばばあ」が同じIPアドレスから、膨大な成りすまし攻撃をしていることを知らないはずはない。そして、もし本当にブログ主が肯定派なら、必ずそれを指摘し、「サイコばばあ」の攻撃にくぎを差すに違いないのである。しかし、一切それをせず、「サイコばばあ」のブログ占拠を黙認している。よって、このブログのブログ主が否定派である確率は100%である。

2 このブログのブログ主は、ブログ主であることを明かさずに、このブログにコメントをしているはずである。

 1が「真」なら、このブログの開設の目的は、100%宏正会を攻撃するためである。であるなら、目的を達成するために、本人がコメントをするはずである。

 コメントする確率は、人間の性(さが)から想定して、99%以上である。

3 投稿数から、「サイコばばあ」がブログ主である確率は95%以上である。

 2が「真」なら、このブログに登場した否定派の中にブログ主がいることになる。

 否定派による一つ一つの投稿が、ブログ主のものであることが同様に確からしいと仮定すると、投稿数の多いものほど、ブログ主である確率が高くなる。

 はっきりいって、このブログにおける否定派首謀者は、ほとんど3名だけである。

 「サイコばばあ」「元会友」「実践倫理宏正会ウオッチャー」

 だけといって差し支えない。

 もちろん、「キャラ」は数え切れないほど存在するが、そのほとんどは「サイコばばあ」の自作自演である。「ショッカー戦闘員」自体が自作自演で、そうではないという奴がいる可能性がなくはないが、誤差の範囲内である。

 「いや夫」の概算によると、否定派の投稿数の三人の比率は、

「サイコばばあ」97%
「元会友」 2%
「実践倫理宏正会ウオッチャー」 1%である。

 よって、1・2・3が真だと仮定すると、「サイコばばあ」がブログ主である確率は、

 1×0.99×0.97=0.9603≒1

 つまり、

 「サイコばばあ」がブログ主である

 は限りなく「真」である。というのが数学的結論である。

 弁証法なんか用いなくても、わかるけどね(笑)

 さあ、ロンだぞ!白状しろよ(笑)

(引用開始)

もうリーチがかかっているぞ!
 
 コピペ反撃でごまかしたら、貴様の全面敗北確定だ!

 ホレ、答えよ!
ホレ、書け!

<質問1(52回目)>
「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?

<質問2>
 「嵐」「嵐」「さとえ」も貴様だよねえ?
 なぜ、すぐに削除しなかったの?
 バレバレの二重投稿だと気づかなかったの?
 馬鹿?

<質問3>
 「月輪熊」も貴様だよね?
 会友に成りすますのが上手だね。
 会友に成りすます投稿をして、会友をおびきだすためだったんでしょ?
 このブログって、まさに映画「サイコ」に出てくる殺人鬼が経営するモーテルにそっくりだね(笑)

<質問4>
 「だれにもいえない」のブログ主も貴様でしょ?

<質問5>
 貴様が会友に離縁されたからって、宏正会を攻撃していいの?違うでしょ?元夫は、成りすましを平気でするその「倫理力」のなさが許せなかったんだと思うけど、どうなの?まだ反省してないの?

<質問6>
 そうやって、宏正会を攻撃し続けることで、会友の元夫に復讐してんじゃないの?
 それってむなしくない?

<質問7>
 そんなことしてて、愛する娘が喜ぶと思う訳?
 「いじわるばあさん」の「モンスターマザー」は、自分が夫を恨み続けても、娘を不幸にするだけだと気づいて改心して、ハッピーエンドで終わったんだけど、その方が正しい生き方だと思わないの?

 さあ、このブログの余命も、あとわずかでしょう。

 「魚拓」をしっかりとっておきましょう。

投稿 いや夫 | 2011.01.29 11:00 午後

(引用終了)

いや夫というより
「宏正会の加藤」といったほうが、ピッタリだと思う。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない
仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)
作家では副島隆彦を信奉している 民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい
宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て
このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

すべては
いや夫自身が、自分でまいた種で招いたことである

結果は、自分自身で受けるのは
あたりまえである

いや夫が敵にしているのは
今、実際に、実践している、会友に対してもである

恥さらし、会友のいや夫、

どう、責任取るんだ?

めいわくかけて、しらんぷりか?

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

 「サイコばばあ」がコピペで反撃しないので、「いや夫」もコピペで、とどめの投稿を繰り返しコピペしよう。

 なぜ、答えないの?反論すればいいのに。

(全体引用開始)
<とっても重要な投稿です。要注目!>

 そろそろ、とどめをさしましょう。

 「サイコばばあ」がブログ主である証明をします。

 弁証法で解説します。

1 このブログの「ブログ主」は否定派である。
 理由 「サイコばばあ」の成りすまし投稿を、見逃し、一切指摘しない。ブログ主は、コメント者のIPアドレスをみることができるのである。ブログ主なら、「いや夫」に指摘されるまでもなく、「サイコばばあ」が同じIPアドレスから、膨大な成りすまし攻撃をしていることを知らないはずはない。そして、もし本当にブログ主が肯定派なら、必ずそれを指摘し、「サイコばばあ」の攻撃にくぎを差すに違いないのである。しかし、一切それをせず、「サイコばばあ」のブログ占拠を黙認している。よって、このブログのブログ主が否定派である確率は100%である。

2 このブログのブログ主は、ブログ主であることを明かさずに、このブログにコメントをしているはずである。

 1が「真」なら、このブログの開設の目的は、100%宏正会を攻撃するためである。であるなら、目的を達成するために、本人がコメントをするはずである。

 コメントする確率は、人間の性(さが)から想定して、99%以上である。

3 投稿数から、「サイコばばあ」がブログ主である確率は95%以上である。

 2が「真」なら、このブログに登場した否定派の中にブログ主がいることになる。

 否定派による一つ一つの投稿が、ブログ主のものであることが同様に確からしいと仮定すると、投稿数の多いものほど、ブログ主である確率が高くなる。

 はっきりいって、このブログにおける否定派首謀者は、ほとんど3名だけである。

 「サイコばばあ」「元会友」「実践倫理宏正会ウオッチャー」

 だけといって差し支えない。

 もちろん、「キャラ」は数え切れないほど存在するが、そのほとんどは「サイコばばあ」の自作自演である。「ショッカー戦闘員」自体が自作自演で、そうではないという奴がいる可能性がなくはないが、誤差の範囲内である。

 「いや夫」の概算によると、否定派の投稿数の三人の比率は、

「サイコばばあ」97%
「元会友」 2%
「実践倫理宏正会ウオッチャー」 1%である。

 よって、1・2・3が真だと仮定すると、「サイコばばあ」がブログ主である確率は、

 1×0.99×0.97=0.9603≒1

 つまり、

 「サイコばばあ」がブログ主である

 は限りなく「真」である。というのが数学的結論である。

 弁証法なんか用いなくても、わかるけどね(笑)

 さあ、ロンだぞ!白状しろよ(笑)

(引用開始)

もうリーチがかかっているぞ!
 
 コピペ反撃でごまかしたら、貴様の全面敗北確定だ!

 ホレ、答えよ!
ホレ、書け!

<質問1(52回目)>
「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?

<質問2>
 「嵐」「嵐」「さとえ」も貴様だよねえ?
 なぜ、すぐに削除しなかったの?
 バレバレの二重投稿だと気づかなかったの?
 馬鹿?

<質問3>
 「月輪熊」も貴様だよね?
 会友に成りすますのが上手だね。
 会友に成りすます投稿をして、会友をおびきだすためだったんでしょ?
 このブログって、まさに映画「サイコ」に出てくる殺人鬼が経営するモーテルにそっくりだね(笑)

<質問4>
 「だれにもいえない」のブログ主も貴様でしょ?

<質問5>
 貴様が会友に離縁されたからって、宏正会を攻撃していいの?違うでしょ?元夫は、成りすましを平気でするその「倫理力」のなさが許せなかったんだと思うけど、どうなの?まだ反省してないの?

<質問6>
 そうやって、宏正会を攻撃し続けることで、会友の元夫に復讐してんじゃないの?
 それってむなしくない?

<質問7>
 そんなことしてて、愛する娘が喜ぶと思う訳?
 「いじわるばあさん」の「モンスターマザー」は、自分が夫を恨み続けても、娘を不幸にするだけだと気づいて改心して、ハッピーエンドで終わったんだけど、その方が正しい生き方だと思わないの?

 さあ、このブログの余命も、あとわずかでしょう。

 「魚拓」をしっかりとっておきましょう。

投稿 いや夫 | 2011.01.29 11:00 午後

(引用終了)

投稿 いや夫 | 2011.01.30 01:23 午前

(引用終了)

 アジアカップ決勝、延長戦突入。
すばらしい試合である。

 ところが、このブログでは、チキンな相手が逃げ回っていてくだらない消耗戦が続いている。こんな奴とずっと討論していたのかと思うと、情けなくなる。

 新規投稿で答えろよ、卑怯者!

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

「いや夫」と名乗る人のせいで宏正会についての議論がなされなくなってしまった。こういうことが狙いなのだろうか。批判に対してはきちんとした所見で反論すべきなのに。見ていると宏正会派の人はまともな意見を述べられていないし、いや夫さんは宏正会の是非とは全く関係のない書き込みで嫌がらせをしているようにしか見えない。こんなことだと本当に「実践倫理宏正会って何?」と思われてしまう。この会の人たちはこんな程度なのかと。擁護・批判双方のために、いや夫さんには妨害行為をやめてもらいたい。その上できちんとした擁護派の方の意見を聞きたいと思う。

いや夫

おまえは、ここへは2度と来ないと自分で言っただろう
どあほ 人間のくず、

2度とこない、書き込みしない人間が、質問することは
ありえないだろうが、
このどあほ

倫理そっちのけの、倫理語り、
いってることと、やってることが違いすぎる
まさに、厚顔無恥の、人間のくず、
くぞどあほ、そのもの、

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
みなさん、よくわかったでしょう、いや夫(=会友)という人間、
これが、実践倫理宏正会の会友の本音、正体です
おもてっつら、いいこと言ってても、これが実態、中身です
なにか、ちょっとでも都合の悪いことが起これば、これが表に
出てきて、大変な事態になるんですよ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
いや夫は、ここに、2度と書き込みするな、
消え去れ、

電車にでも飛び込めばいいのに、
おくさんも、大喜びだと思うよ

「いや夫」がさも得意げに論証をしているようなので、お相手してあげましょう。 


> 「サイコばばあ」がブログ主である証明をします。
弁証法で解説します。
1 このブログの「ブログ主」は否定派である。
 理由 「サイコばばあ」の成りすまし投稿を、見逃し、一切指摘しない。ブログ主は、コメント者のIPアドレスをみることができるのである。ブログ主なら、「いや夫」に指摘されるまでもなく、「サイコばばあ」が同じIPアドレスから、膨大な成りすまし攻撃をしていることを知らないはずはない。そして、もし本当にブログ主が肯定派なら、必ずそれを指摘し、「サイコばばあ」の攻撃にくぎを差すに違いないのである。しかし、一切それをせず、「サイコばばあ」のブログ占拠を黙認している。よって、このブログのブログ主が否定派である確率は100%である。

『こんな理由で、ここのブログ主が否定派とは限らないでしょう。
ここのブログ主は心の広い方なので、否定派、肯定派の書き込みをそれぞれ認めて下さっているようですね。
もし否定派ならとっくに「いや夫」の荒らしの書き込みをすべて削除しているであろうし、「いや夫」のIPを公表しているはずなのでは。
このように出発点が間違っているから、「いや夫」の論証はすべて意味をなしません。 残念でした。』

>2 このブログのブログ主は、ブログ主であることを明かさずに、このブログにコメントをしているはずである。
1が「真」なら、このブログの開設の目的は、100%宏正会を攻撃するためである。であるなら、目的を達成するために、本人がコメントをするはずである。
コメントする確率は、人間の性(さが)から想定して、99%以上である。

『1が真とは限らないから、2は成り立ちませんね。
それに、たとえブログ主が否定派だとしても控えめな性格ということも考えられるし、自分の論述に自信がないのでコメントを控えることも考えられるでしょう。
「99%以上」というのはあくまでも「いや夫」の独断的な偏見。』

>3 投稿数から、「サイコばばあ」がブログ主である確率は95%以上である。
2が「真」なら、このブログに登場した否定派の中にブログ主がいることになる。

『1も2も「いや夫」のように言い切れませんので、3も意味をなしませんね。』

> 否定派による一つ一つの投稿が、ブログ主のものであることが同様に確からしいと仮定すると、投稿数の多いものほど、ブログ主である確率が高くなる。

『これも「いや夫」の独りよがりな独断。
ブログ主がたとえ否定派だとしても、より的確な論述をされる人が出てくれば任せてしまうこともあり得るのでは。違います?』

> はっきりいって、このブログにおける否定派首謀者は、ほとんど3名だけである。
「サイコばばあ」「元会友」「実践倫理宏正会ウオッチャー」だけといって差し支えない。もちろん、「キャラ」は数え切れないほど存在するが、そのほとんどは「サイコばばあ」の自作自演である。「ショッカー戦闘員」自体が自作自演で、そうではないという奴がいる可能性がなくはないが、誤差の範囲内である。
「いや夫」の概算によると、否定派の投稿数の三人の比率は、
「サイコばばあ」97%
「元会友」 2%
「実践倫理宏正会ウオッチャー」 1%である。

『これも「いや夫」の勝手な想像を言っているだけでしょう。
何も証明されてはいませんよ。』

> よって、1・2・3が真だと仮定すると、「サイコばばあ」がブログ主である確率は、
1×0.99×0.97=0.9603≒1
つまり、
「サイコばばあ」がブログ主である
は限りなく「真」である。というのが数学的結論である。

『残念でした。
この論証が意味をなさないことがお分かりですか?』

以上のように、「いや夫」の論証は全く無意味なシロモノでした。
答案でしたら「落第点」どころか「0点」ですね。
「いや夫」は皆さんが言っているように本当にお馬鹿さんのようですね。
もういい加減にクダラナイ投稿、止めたら。
もっと時間を有意義に使った方がいいと思うよ(お節介ながら)。

 上記6つの質問に「正直に」(笑)答えたら、喜んで消えてやろう(笑)。少なくとも、貴様よりは、正直者の「いや夫」だ。

 とりあえず、言い逃れをしておく(笑)

 もう「投稿したらん」と一時は宣言したが、賭けをした相手の「改革派会友」が本当は会友ではなくて、否定派だと気づいたので復帰することにした。(口実。本当は、そんなこと最初から気づいていたけど、ご愛敬だ。(笑)「サイコばばあ」の成りすましに比べたら、かわいい嘘だ。許せ。貴様曰く、貴様のブログではないのだろ?一会友のブログなんだろ(笑)。だったら、「いや夫」の復活も大歓迎のはずだ!)

 「改革派会友」と「自称十年来の会友」へ

 君が本当に会友で、会場のみんなが困っているというのが真実なら、相談にのらないことはない。

 会場のみんなに呼びかけて、下記に苦情をお寄せください。善処したします。

 「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html

 ともかく「サイコばばあ」は「いや夫」の復活が許せんらしいが、

 「ブログ主の朝起き頑張りっ娘」さん、許してね。

 黙認なら、承認したものと判断します(笑)。


 だいたい、「いや夫」がもう投稿したらん、と宣言しても、そんなことはないだろうと、貴様は予想していたではないか?期待に応えたまでだ。

(引用開始)
「いや夫」さんが消える?ほんとかなー
嘘つき「いや夫」さんのことだから また出てくるんじゃないのー

もっとも「いや夫」さんは このブログではとっくに死んでいたのだから関係ないけどー

じゃまなゴミがなくなって読みやすくなるなるので大歓迎。

ブログ主は自由にここの書き込みを削除することができるの?
だったら 「いや夫」さんの書き込みを削除することに賛成。
だって 「いや夫」さんは議論にぜーんぶ負けたのだから残している意味はないし、「いや夫」さんの成りすましの分析は間違いだらけ。
「いや夫」さんの書き込みを削除したらこのブログ ぜんぜん見やすくなるし、ずっと軽くなるんじゃないの。

投稿 匿名 | 2010.08.29 12:12 午後

(引用終了)

 「、」無し投稿=「サイコばばあ」本人の本音である。

 「いや夫」の投稿を削除する口実として打った投稿なのだ。

 さあ、どうぞ、消したまえ。望むところだ!
 
 さあ、消せ!

 「サイコばばあ」=ブログ主。

 これだけ、見透かされると、さすがに消しにくいのう~。
 

ばか、いや夫、なんどいったらわかるんだ
おれは、全部、否、全部不該当

脳内妄想のくそどあほが
早く死ねよ、脳状態なんだから、くそどあほ

★★★★★
このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

これも、もう一回入れとこう
くそどあほの、いや夫、もう2度くるな、はやく死ねよ

いや夫

おまえは、ここへは2度と来ないと自分で言っただろう
どあほ 人間のくず、

2度とこない、書き込みしない人間が、質問することは
ありえないだろうが、
このどあほ

倫理そっちのけの、倫理語り、
いってることと、やってることが違いすぎる
まさに、厚顔無恥の、人間のくず、
くぞどあほ、そのもの、

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
みなさん、よくわかったでしょう、いや夫(=会友)という人間、
これが、実践倫理宏正会の会友の本音、正体です
おもてっつら、いいこと言ってても、これが実態、中身です
なにか、ちょっとでも都合の悪いことが起これば、これが表に
出てきて、大変な事態になるんですよ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
いや夫は、ここに、2度と書き込みするな、
消え去れ、

電車にでも飛び込めばいいのに、
おくさんも、大喜びだと思うよ

 コピペで攻撃するしか手がない憐れな「サイコばばあ」

 貴様がへぼい理由を教えてあげよう。

 嘘がバレバレで、その上、見破られても開き直るからだ。いいかげん気づきなさい。

 いっそのこと、「いや夫」の投稿だけ削除すれば、いいのに。貴様らしい浅はかな手段で、「いや夫」も大歓迎だぞ!

 下記の問いに「正直に」(今更無理なのは百も承知だが(笑))答えない限り、貴様の勝ち目はないのだよ。

(引用開始)

もうリーチがかかっているぞ!
 
 コピペ反撃でごまかしたら、貴様の全面敗北確定だ!

 ホレ、答えよ!
ホレ、書け!

<質問1(55回目)>
「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、君だよねえ。いいかげん、認めたら?

<質問2>
 「嵐」「嵐」「さとえ」も貴様だよねえ?
 なぜ、すぐに削除しなかったの?
 バレバレの二重投稿だと気づかなかったの?
 馬鹿?

<質問3>
 「月輪熊」も貴様だよね?
 会友に成りすますのが上手だね。
 会友に成りすます投稿をして、会友をおびきだすためだったんでしょ?
 このブログって、まさに映画「サイコ」に出てくる殺人鬼が経営するモーテルにそっくりだね(笑)

<質問4>
 「だれにもいえない」のブログ主も貴様でしょ?

<質問5>
 貴様が会友に離縁されたからって、宏正会を攻撃していいの?違うでしょ?元夫は、成りすましを平気でするその「倫理力」のなさが許せなかったんだと思うけど、どうなの?まだ反省してないの?

<質問6>
 そうやって、宏正会を攻撃し続けることで、会友の元夫に復讐してんじゃないの?
 それってむなしくない?

<質問7>
 そんなことしてて、愛する娘が喜ぶと思う訳?
 「いじわるばあさん」の「モンスターマザー」は、自分が夫を恨み続けても、娘を不幸にするだけだと気づいて改心して、ハッピーエンドで終わったんだけど、その方が正しい生き方だと思わないの?

 さあ、このブログの余命も、あとわずかでしょう。

 「魚拓」をしっかりとっておきましょう。

投稿 いや夫 | 2011.01.29 11:00 午後

(引用終了)

投稿 いや夫 | 2011.01.30 01:23 午前

(引用終了)

 アジアカップ決勝、延長戦突入。
すばらしい試合である。

 ところが、このブログでは、チキンな相手が逃げ回っていてくだらない消耗戦が続いている。こんな奴とずっと討論していたのかと思うと、情けなくなる。

 新規投稿で答えろよ、卑怯者!

投稿 いや夫 | 2011.01.30 01:54 午前

(引用終了) 

 読者もたくさん集まっているぞ。コピペ攻撃だけなのはなぜかな?劣勢過ぎて、反論できないの?数少ない君のファンががっかりするぞ。

 がんばれ、「サイコばばあ」!辛いだろうが、新規投稿で答えるのだ! ない知恵を絞れ!

 それとも、ヒステリーで髪を振り乱して、頭が働かないのか?だから、女は困る。「いや夫」のように、冷静に反論したまえ。どうやったら、反撃できるか、考えよ。でないと、「いや夫」がわざわざ攻撃する価値もない。

しつけーな、いや夫
おめえとの会話は、おわってるんだよ

2度とここにくるな

自分の言ったこと守れ、2度と来ない人間に
質問する、資格なし

どあほ、消えろ、
電車にとびこめよ

自分で、いやな人間だと、みとめたんだから
いってることと、やってることが、違いすぎだぞ

倫理しらずの、倫理そっちのけの、
倫理の会の会友???? 
どあほ、きえろ、生きる価値なし、
めいわくだ、いや夫

おめえの、いってることは、おれには、
全部 該当なし

脳内妄想の、異常者、きえろ、いや夫

おめえが、いるだけで、周りの人間が、どれだけ
いやな思いをしているか、
現実社会でも、会社でも、家庭でも、
無神経で、のうのうとしてるのは、おめえだけだぞ

ちっとは、脳みそ、つかえ、
無神経やろう、

だいいち、サイコバアアって、なんだ???

おめえの、作り出した、勝手な 亡霊??

精神科にとにかく、いったん行け

暗闇に、向かって、叫んでる、異常者だぞ、おまえは

 かつての論敵(「サイコばばあ」のこと)が、あまりにへぼ過ぎてがっかりである。

 所詮「サイコばばあ」はその程度の奴なのである。

 自分では、「巨頭」とうぬぼれながら、「いや夫」からみれば、単なる嘘つきのチキン女郎である。

 こ奴が大きな顔をできたのは、「いや夫」がいないときだけなのだ。

・「いや夫」登場前
・「いや夫」が競馬研究を優先して投稿を休んだとき
・「いや夫」が「もう投稿したらん」と一時かのブログを卒業したとき。(ちなみに、偶然だが(笑)秋のGⅠシリーズでもあった。)

 そして、「いや夫」がおもしろ半分に、膨大な新規投稿を寄せると、防戦一方なのである。数の上では、「いや夫」を上回る投稿数で応じているが、中身はすべて「コピペ」と「罵詈雑言」の繰り返しであり、まったく返答していないのである。

 「いや夫」が何度も質問している「6つの質問」に答えようとしない。正確には、あまりに図星で、答えることができないのである。

 ということで、「いや夫」と「サイコばばあ」の実力の差は歴然なのである。

 それはそうだ、自分自身のブログでありながら、アンチ否定派の「いや夫」に、1年間占拠されてしまった、へぼい「ブログ主」の「サイコばばあ」なのである。「いや夫」がちょっと本気で攻撃したら、このていたらくなのである。

 これだけ、馬鹿にされて悔しくないのか?(悔しいから罵詈雑言をしている彼女です。)

 悔しかったら、「新規投稿」で答えよ!

いや夫が
精神に以上をきたした?

サイコバアアってのは、いや夫の、自作自演か?

自問自答を、勝手にやってたりして??

現実社会で、話し相手がいなくて、ここで、自分で作り出した
妄想のあいてと、自問自答???

怖すぎだな

ばか、いや夫、なんどいったらわかるんだ
おれは、全部、否、全部不該当

脳内妄想のくそどあほが
早く死ねよ、脳状態なんだから、くそどあほ

★★★★★
このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

いや夫というより
「宏正会の加藤」といったほうが、ピッタリだと思う。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない
仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)
作家では副島隆彦を信奉している 民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい
宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て
このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

 それが精一杯の反撃なの?笑えるね?

 それで、「巨頭」と自画自賛していたとは、恥ずかしくないの?

 「サイコばばあ」とは君のことだよ。しらを切るしか手がないようだね(笑)。

 いわゆる「、」無し投稿を繰り返す大嘘つきで、このブログの否定派コメントの約97%を打っている人物です。

http://58807828.at.webry.info/201008/article_23.html
 

(全体引用開始)

「太陽神・武蔵・鉄槌」のお友達の「討論は避けよ」は「元会友」なのだろう。
>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 「実践倫理宏正会って何?」
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen

 の昨日の投稿に、

(引用開始)
「いや夫」のブログで成りすましの分析をしたものをザーと目を通したけど、結局「いや夫」の言う所の否定派というのは一人ということ?
バカじゃないのか 「いや夫」は。
これじゃあー 競馬に負けるはずだわ。
「いや夫」の分析は恣意的。
自分の思いが入っていて客観的な分析ができていない。
こじつければ誰だって結び付けられる。
「いや夫」のこんなアサハカな成りすましの分析なら、追い詰めるどころか返ってバカにされて笑われるのが落ち。

「いや夫」はこのブログの否定派の書き込みを巨頭一人の仕業にしておいて、他の否定派がその巨頭の書き込みにされるのを嫌がって書き込むことを控えるであろうことを狙っているのだろうが、思い違いも甚だしい。

(略)

投稿 匿名 | 2010.08.12 03:26 午後

(引用終了)
 
 という、「、」を打ったり打たなかったりする投稿があるが、「太陽神・武蔵・鉄槌」である。

 自分自身を別人に成りすまして「巨頭」と表現している、恥ずかしい奴である。「太陽神様~!」の自画自賛と全く同じである。トホホ。


 「いや夫」の回答としては、ほとんど一人である。それは、こ奴自身がよ~くわかっている。しかし、一割くらいは、別人が投稿している。(しかし、「いや夫」の眼中にはない雑魚である。無視しても支障はない。)

 というのが分析結果である。以前は、「鉄槌」を違う人物だと仮定していたが、これも同一人物となったので、投稿の割合では9割近くを「太陽神・武蔵・鉄槌」が占めている。これは、時期にもよるが、こ奴が活発に活動しているときには、まさにその通りである。だから、「いや夫」への攻撃が激しいときでさえも、「誰もいや夫の相手をしていない」と、唯一相手をしているこ奴がコメントしているのである。

(以下略)

(全体引用終了)


 さあ、君の反撃の番だ。

 自分は「サイコばばあ」とは別人だと、科学的に証明してくれたまえ(笑)。

訂正

 「一割くらいは、別人が投稿している」
とありますが、それは当時の分析。

 現在の分析では、約3%程度に過ぎません。

 直前の君が、その3%なの?(笑)

 これだけ一方的だと、まるでいじめですね。

 「いや夫」は別に、再度このブログを占拠するつもりなんてさらさらなくて、アジアカップの日本対オーストラリアみたいに、真剣な討論を望んでいるだけなのですが?

 「ちゃねら~」の君は、すぐに相手に対して死んで欲しいとか、とんでもないことを打ってしまうけど、「ブロガー」の「いや夫」はそんなこと、ちっとも思っていません。ネットに洗脳されたのか、洗脳しているのかどちらかわかりませんが、憐れな君とその娘が改心して幸せになってくれたらいいなあと思います。

 君(「サイコばばあ」)にも、じっくり考える時間を差し上げましょう。

 上記6つの質問に一度に答えよなんて、酷すぎますね。はたからみれば他人事で、どうでもいいこですが、あなたにとっては死活問題ですから。

 では、とりあえず、次のたった一つの質問に答えてください。その位はできるでしょ?

<質問>

 直前の投稿の「君」は、「、」無し投稿をした人物ですか?それとも別人ですか?もし、別人だと言い張るのなら、誰?(どんな「キャラ」?)

ばか、いや夫、なんどいったらわかるんだ
おれは、全部、否、全部不該当

脳内妄想のくそどあほが
早く死ねよ、脳状態なんだから、くそどあほ

★★★★★
このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

これも、もう一回入れとこう
くそどあほの、いや夫、もう2度くるな、はやく死ねよ

いや夫

おまえは、ここへは2度と来ないと自分で言っただろう
どあほ 人間のくず、

2度とこない、書き込みしない人間が、質問することは
ありえないだろうが、
このどあほ

倫理そっちのけの、倫理語り、
いってることと、やってることが違いすぎる
まさに、厚顔無恥の、人間のくず、
くぞどあほ、そのもの、

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
みなさん、よくわかったでしょう、いや夫(=会友)という人間、
これが、実践倫理宏正会の会友の本音、正体です
おもてっつら、いいこと言ってても、これが実態、中身です
なにか、ちょっとでも都合の悪いことが起これば、これが表に
出てきて、大変な事態になるんですよ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
いや夫は、ここに、2度と書き込みするな、
消え去れ、

電車にでも飛び込めばいいのに、
おくさんも、大喜びだと思うよ

しつけーな、いや夫
おめえとの会話は、おわってるんだよ

2度とここにくるな

自分の言ったこと守れ、2度と来ない人間に
質問する、資格なし

どあほ、消えろ、
電車にとびこめよ

自分で、いやな人間だと、みとめたんだから
いってることと、やってることが、違いすぎだぞ

倫理しらずの、倫理そっちのけの、
倫理の会の会友???? 
どあほ、きえろ、生きる価値なし、
めいわくだ、いや夫

おめえの、いってることは、おれには、
全部 該当なし

脳内妄想の、異常者、きえろ、いや夫

おめえが、いるだけで、周りの人間が、どれだけ
いやな思いをしているか、
現実社会でも、会社でも、家庭でも、
無神経で、のうのうとしてるのは、おめえだけだぞ

ちっとは、脳みそ、つかえ、
無神経やろう、

だいいち、サイコバアアって、なんだ???
おめえの、作り出した、勝手な 亡霊??
精神科にとにかく、いったん行け
暗闇に、向かって、叫んでる、異常者だぞ、おまえは

いや夫というより
「宏正会の加藤」といったほうが、ピッタリだと思う。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない
仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)
作家では副島隆彦を信奉している 民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい
宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て
このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

すべては
いや夫自身が、自分でまいた種で招いたことである

結果は、自分自身で受けるのは
あたりまえである

いや夫が敵にしているのは
今、実際に、実践している、会友に対してもである

恥さらし、会友のいや夫、

どう、責任取るんだ?

めいわくかけて、しらんぷりか?

あちこちの掲示板で
朝起会の本質的、人格、
馬鹿男のいや夫が、罵倒の嵐にあっている

ここでも、きらわれまくって、現実の身のまわりからも、嫌われて
いるのは、目に見えている。どうみても、そうしか見えない

でも、自分だけは無神経で、理解できない

奥さんも、あきてれるんじゃないの?

こういう人間を生産していくが朝起会というのではない、
こういう人間だから、朝起会にしがみついているんだろう


まあ、非常に参考になった

いや夫さんへのたった一つの質問です、「いや夫」 プロフィールは 正しいのですか?間違いをご訂正下さい。

 「サイコ」は自分自身が「サイコ」だと気づいていないからたちが悪い。

(引用開始)

だいいち、サイコバアアって、なんだ???
おめえの、作り出した、勝手な 亡霊??

(引用終了)

 にて、「、」無し投稿しちゃってるじゃん(笑)
 習慣って怖いね。
 
 さらに、

(引用開始)

いや夫というより
「宏正会の加藤」といったほうが、ピッタリだと思う。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない
仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)
作家では副島隆彦を信奉している 民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい
宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て
このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

投稿 匿名 | 2011.01.30 10:16 午後

(引用終了)

 上記の投稿でも、「、」無し投稿を多用しているし(笑)。

 しらばっくれるのもいい加減にしたら?

 虚しくない?

 だいたい、上記の「いや夫」のプロフィール追求攻撃は、「2ちゃんねる」で貴様が始めたものじゃん。

 しらばっくれるのもたいがいにしろよ。

 「、」無し投稿で、「実践倫理宏正会って何?」や「2ちゃんねる」で膨大な成りすましによる批判記事を書いた奴が「サイコばばあ」で、

 それは、「貴様」だと、「いや夫」は指摘している訳よ。(日本人なら当然わかる文章を書いているので、とぼけようもないはずだが。馬鹿?)

 だから、「妄想だ」と言い張るつもりなら、どの部分がどう妄想なのかを論理だてて主張しろよ。

 貴様は盗んだパンティーを履いたまま、盗んでいないといいはる変質者と同じだぞ。

(引用開始)

>>422  
「いや夫」をネットにも炙り出してはどうかな。
「いや夫」を特定するには まず彼の奥さんを見つけ出すのが先決。
あの夫婦は東海地区(愛知 静岡 岐阜 三重)の或る会場に集っているようなので
東海地区の各会場の二世である若手の婦人会員をまず挙げる必要がある。
二世会員であるかどうかは演壇などですぐに分かるはず。各会場に数人ほどいるのでは。
この婦人会員が彼の奥さんの候補。
そして演壇などで「主人がネットに嵌って困っている」といったような話が出た人が
彼の奥さんに間違いがない。
そして増強日などに朝起会に姿を見せている彼女の主人が「いや夫」本人そのもの。
あの夫婦を知っている会員やあの夫婦が集っている会場の会員なら誰でも見当がつくはず。
「いや夫」のブログを丹念に読めば 特定するのにもっと有力な情報があるかも知れない。 

投稿 くくくww | 2010.01.22 08:20 午後

(引用終了)

<関連記事>

「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編1
http://58807828.at.webry.info/201008/article_19.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編2
http://58807828.at.webry.info/201008/article_20.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編3
http://58807828.at.webry.info/201008/article_21.html

「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編まとめ
http://58807828.at.webry.info/201008/article_22.html

「、」無し投稿を、2ちゃんねるスレからもピックアップ 資料編 その1
http://58807828.at.webry.info/201009/article_1.html

「、」無し投稿を、2ちゃんねるスレからもピックアップ 資料編 その2
http://58807828.at.webry.info/201009/article_2.html

 

追伸

 プロフィールの添削は、我がブログでやってあげます。

 「いや夫」の問いに対する「サイコばばあ」の反撃は、ほとんどコピペの罵詈雑言ばかりだが、唯一まともに反論した下記の記事に、反論しよう。

(引用開始)

「いや夫」がさも得意げに論証をしているようなので、お相手してあげましょう。 


> 「サイコばばあ」がブログ主である証明をします。
弁証法で解説します。
1 このブログの「ブログ主」は否定派である。
 理由 「サイコばばあ」の成りすまし投稿を、見逃し、一切指摘しない。ブログ主は、コメント者のIPアドレスをみることができるのである。ブログ主なら、「いや夫」に指摘されるまでもなく、「サイコばばあ」が同じIPアドレスから、膨大な成りすまし攻撃をしていることを知らないはずはない。そして、もし本当にブログ主が肯定派なら、必ずそれを指摘し、「サイコばばあ」の攻撃にくぎを差すに違いないのである。しかし、一切それをせず、「サイコばばあ」のブログ占拠を黙認している。よって、このブログのブログ主が否定派である確率は100%である。

『こんな理由で、ここのブログ主が否定派とは限らないでしょう。
ここのブログ主は心の広い方なので、否定派、肯定派の書き込みをそれぞれ認めて下さっているようですね。
もし否定派ならとっくに「いや夫」の荒らしの書き込みをすべて削除しているであろうし、「いや夫」のIPを公表しているはずなのでは。
このように出発点が間違っているから、「いや夫」の論証はすべて意味をなしません。 残念でした。』

>2 このブログのブログ主は、ブログ主であることを明かさずに、このブログにコメントをしているはずである。
1が「真」なら、このブログの開設の目的は、100%宏正会を攻撃するためである。であるなら、目的を達成するために、本人がコメントをするはずである。
コメントする確率は、人間の性(さが)から想定して、99%以上である。

『1が真とは限らないから、2は成り立ちませんね。
それに、たとえブログ主が否定派だとしても控えめな性格ということも考えられるし、自分の論述に自信がないのでコメントを控えることも考えられるでしょう。
「99%以上」というのはあくまでも「いや夫」の独断的な偏見。』

>3 投稿数から、「サイコばばあ」がブログ主である確率は95%以上である。
2が「真」なら、このブログに登場した否定派の中にブログ主がいることになる。

『1も2も「いや夫」のように言い切れませんので、3も意味をなしませんね。』

> 否定派による一つ一つの投稿が、ブログ主のものであることが同様に確からしいと仮定すると、投稿数の多いものほど、ブログ主である確率が高くなる。

『これも「いや夫」の独りよがりな独断。
ブログ主がたとえ否定派だとしても、より的確な論述をされる人が出てくれば任せてしまうこともあり得るのでは。違います?』

> はっきりいって、このブログにおける否定派首謀者は、ほとんど3名だけである。
「サイコばばあ」「元会友」「実践倫理宏正会ウオッチャー」だけといって差し支えない。もちろん、「キャラ」は数え切れないほど存在するが、そのほとんどは「サイコばばあ」の自作自演である。「ショッカー戦闘員」自体が自作自演で、そうではないという奴がいる可能性がなくはないが、誤差の範囲内である。
「いや夫」の概算によると、否定派の投稿数の三人の比率は、
「サイコばばあ」97%
「元会友」 2%
「実践倫理宏正会ウオッチャー」 1%である。

『これも「いや夫」の勝手な想像を言っているだけでしょう。
何も証明されてはいませんよ。』

> よって、1・2・3が真だと仮定すると、「サイコばばあ」がブログ主である確率は、
1×0.99×0.97=0.9603≒1
つまり、
「サイコばばあ」がブログ主である
は限りなく「真」である。というのが数学的結論である。

『残念でした。
この論証が意味をなさないことがお分かりですか?』

以上のように、「いや夫」の論証は全く無意味なシロモノでした。
答案でしたら「落第点」どころか「0点」ですね。
「いや夫」は皆さんが言っているように本当にお馬鹿さんのようですね。
もういい加減にクダラナイ投稿、止めたら。
もっと時間を有意義に使った方がいいと思うよ(お節介ながら)。

投稿 匿名 | 2011.01.30 05:25 午後

(引用終了)

 まず、前提として、上記の反論をした者が、「サイコばばあ」自身かどうかが、問題となります。

 100%「サイコばばあ」でしょう(笑)

 よって、まず、このブログの否定派の投稿の96%は「サイコばばあ」の自作自演であるという証拠の一例として対処します。

 まず、「1」について討論しましょう。

「サイコばばあ」は、「心の広い方なので」という抽象的な表現でごまかしています。

 確かに、以前「いや夫」は下記のような投稿をしました(笑)。

(引用開始)

 よって、今後も低レベルの投稿は、すべて「愚息」として「統計処理」する。君らは「誤差の範囲」だ。許せ!
(もっとも、違う違うと「愚息」が打っている可能性もかなり高い。どちらにしても、どうでもよい連中だ。TVなら放映前にカットできるが、ブログはそういう訳にもいかないのが残念だが・・・。ブログ主の「朝起き頑張りっ娘」くんは懐が深いのう(笑))
(略)

投稿 いや夫 | 2010.07.22 05:51 午後

(引用終了)

 しかし、「懐が深いのう」の後の「(笑)」にご注目ください(笑)。そんな懐の深い会友なんて、存在するはずがないのです。そんなことはこのブログに投稿しはじめた頃からうすうす気づいていて、この当時は確信していたのです。

 「サイコばばあ」が主張するように、実践倫理宏正会会友で肯定派がブログ主だと仮定して、そのブログ主が、「サイコばばあ」の執拗な成りすまし攻撃を黙認する確率は、どれほどのものでしょうか?

 そんなことがありえるはずがない。あったとしても、1%以下の誤差の範囲でしかないというのが、「いや夫」の見解です。

 「朝起き頑張りっ子」さんに、直接聞いた方が、てっとりばやいですね。

 あなたは、肯定派ですか?否定派ですか?

しつけーな、いや夫
おめえとの会話は、おわってるんだよ

2度とここにくるな

自分の言ったこと守れ、2度と来ない人間に
質問する、資格なし

どあほ、消えろ、
電車にとびこめよ

自分で、いやな人間だと、みとめたんだから
いってることと、やってることが、違いすぎだぞ

倫理しらずの、倫理そっちのけの、
倫理の会の会友???? 
どあほ、きえろ、生きる価値なし、
めいわくだ、いや夫

おめえの、いってることは、おれには、
全部 該当なし

脳内妄想の、異常者、きえろ、いや夫

おめえが、いるだけで、周りの人間が、どれだけ
いやな思いをしているか、
現実社会でも、会社でも、家庭でも、
無神経で、のうのうとしてるのは、おめえだけだぞ

ちっとは、脳みそ、つかえ、
無神経やろう、

だいいち、サイコバアアって、なんだ???
おめえの、作り出した、勝手な 亡霊??
精神科にとにかく、いったん行け
暗闇に、向かって、叫んでる、異常者だぞ、おまえは

ばか、いや夫、なんどいったらわかるんだ
おれは、全部、否、全部不該当

脳内妄想のくそどあほが
早く死ねよ、脳状態なんだから、くそどあほ

★★★★★
このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

これも、もう一回入れとこう
くそどあほの、いや夫、もう2度くるな、はやく死ねよ

いや夫

おまえは、ここへは2度と来ないと自分で言っただろう
どあほ 人間のくず、

2度とこない、書き込みしない人間が、質問することは
ありえないだろうが、
このどあほ

倫理そっちのけの、倫理語り、
いってることと、やってることが違いすぎる
まさに、厚顔無恥の、人間のくず、
くぞどあほ、そのもの、

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
みなさん、よくわかったでしょう、いや夫(=会友)という人間、
これが、実践倫理宏正会の会友の本音、正体です
おもてっつら、いいこと言ってても、これが実態、中身です
なにか、ちょっとでも都合の悪いことが起これば、これが表に
出てきて、大変な事態になるんですよ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
いや夫は、ここに、2度と書き込みするな、
消え去れ、

電車にでも飛び込めばいいのに、
おくさんも、大喜びだと思うよ

 「サイコばばあ」自身がブログ主なのだから、「朝起き頑張りっ子」さんに呼びかけても、コメントをするはずがありません。そのことも、「いや夫」の主張を補強する事実です。

 では、「2」について

(引用開始)

『1が真とは限らないから、2は成り立ちませんね。
それに、たとえブログ主が否定派だとしても控えめな性格ということも考えられるし、自分の論述に自信がないのでコメントを控えることも考えられるでしょう。
「99%以上」というのはあくまでも「いや夫」の独断的な偏見。』

(引用終了)

 「サイコばばあ」の主張を認めて、
「1」が真でないと仮定した場合を考えてみましょう。
要するに、下記の条件を全て満たしたということになります。

ア ブログ主は「肯定派」
イ 「サイコばばあ」の宏正会への成りすまし攻撃を黙認
ウ 自身のブログに一切コメントしない

 では、何のためにこのブログを開設したのでしょうか?矛盾が多すぎます。よって、統計的には、そのようなケースはあり得ない=誤差の範囲ということになります。「サイコばばあ」はこれを何%の確率だと主張するのでしょうか?

 一方、

「それに、たとえブログ主が否定派だとしても控えめな性格ということも考えられるし、自分の論述に自信がないのでコメントを控えることも考えられるでしょう。」

 の方は、前者の主張よりは、多少現実味があります。

 そして、それがもし「真」だと主張するなら、
「1」の{ブログ主は「否定派」である}を補強する材料になります。

 結果として、「2」に対する「サイコばばあ」の反論は、「1」が「真」であることを自ら認めていることにもなります。

 次に、「3」について。

(引用開始)

> 否定派による一つ一つの投稿が、ブログ主のものであることが同様に確からしいと仮定すると、投稿数の多いものほど、ブログ主である確率が高くなる。

『これも「いや夫」の独りよがりな独断。
ブログ主がたとえ否定派だとしても、より的確な論述をされる人が出てくれば任せてしまうこともあり得るのでは。違います?』

(引用終了)

 百歩譲って、「サイコばばあ」の反論の方が確からしいと仮定しましょう。

ア ブログ主は否定派
イ 的確な記述をされる人(こ奴曰く「サイコばばあ」のこと)にまかせている

 上記の指摘は、「1」を認めていることになります。

 よって、「サイコばばあ」の「2」「3」に対する反論は、「1」の「ブログ主は否定派である」という「出発点」を認める記述なのである。

 なお、

(引用開始)
もし否定派ならとっくに「いや夫」の荒らしの書き込みをすべて削除しているであろうし、「いや夫」のIPを公表しているはずなのでは。
(引用終了)

 については、そうしたくてもできない理由をすでに説明している。「会友である」と偽っているから、そうできないのである。悔しいの~(笑)

(引用開始)

 「実践倫理宏正会って何?」を読みにきた皆さん。このブログのブログ主(=「サイコばばあ」=「太陽神」=「武蔵」=「テラ」他20位のキャラ)がいかに愚かな奴か、ちゃんと昔の投稿を読んでみてください。2009年位から読むと、このブログの裏側がよ~くわかります。

 このブログ主は、実は「サイコばばあ」(=今も孤軍奮闘している否定派)なのですが、いまだに自分がブログ主だと認めていません。「いや夫」の投稿を削除したり、「いや夫」の投稿を拒否したり、このブログを閉鎖したりすると、それが実証されてしまうので、いまだに悪あがきの批判記事を書き続けているのです。


 「サイコばばあ」はまな板の上の鯉なのです。嘘ばかりついて墓穴をほった狼ばばあで、要するに単なるバカです。こんな奴にだまされないでください。

(引用終了)


 そして、「いや夫」の投稿に対して、膨大な罵詈雑言をコピペ攻撃して応戦するのが精一杯なのだ。上記で引用した投稿の「追伸」に書いた通りだ。

(全体引用開始)
 「サイコばばあ」へ

 どうせ、また「嘘つき!」などと、執拗にコピペ攻撃を繰り返すことだろうが、まあ、そんなにムキになるな。

 貴様は、「いや夫」にちっとも負けてはいないのだろ?なぜ、そんなにムキになる?

 また、貴様はこのブログのブログ主ではないという設定だろ?(笑)それなら、貴様が偉そうに非難する資格はない。貴様の成りすましや嘘の方が、よっぽど罪だ。

 な~んだ、貴様は元会友だったのか?昔信じた組織をよくもそんなに攻撃できるものだな。さすがは、キチガイだ。飛ぶ鳥後を濁さずさえできない、鳥以下の奴だ。

(この後、「いや夫」への罵詈雑言が続く↓。)

(とおちょくると、どう反応するのだろう?)

投稿 いや夫 | 2011.01.17 10:38 午後

(全体引用終了)

実践倫理宏正会の会友で、
倫理研究所の悪口を、散々言いまくっている人間
がいる。 (=いや夫)
倫理研究所と宏正会とで、どっちが良いとか、悪い
とか、 どちらに、悪いやつがいるとか、いないとか、
その行為自体が、非常に陳腐である。

まさに倫理そっちのけ
正体が見える、倫理というものを、商売にしている
からだ

公益法人である、宏正会
牛問屋とは違う、
牛丼(=倫理)を売る店舗(=会場)を運営し、
牛丼代(=会費)を徴収する。

ここで、一緒にして駄目なのは、決定的な違いは
牛問屋は、より多い収益を上げて税金を納めるこ
と、社員や経営者、株主によりよい報酬や配当を
支払うことを目的とする、株式会社であるということ

宏正会は、事業運営に必要な以上の収益をあげ
てはいけない、 (公益法人として認可された事業
を運営するために最低必要な額) 理事や職員な
どには、かすかすで利益を上げている通常企業
程度の報酬までしか支払うことを法で禁じられて
おり、寄付金も重ねて依頼することを禁じられて
おり、民間企業のような私物化は禁じられており
だからこそ、非課税である、公益法人であるという
ことである

間違えている人間(=いや夫)が、非常に多い、
というより、 公益法人というものを、理解していない
というより、
公益法人であるということを、悪用している?
とさえ、思える

私は、会友である
会友暦は10数年来で、母も会友である
(母は不熱心な会友であった)
世帯家族全員会友である。
会場だけでなく、ブロックのお役も行っている。

ここで、感じているのは、一般会友の異常な
レベルの低さである。
無神経さにあきれるばかりである。
会の教えは、良いが、いわゆる、普通の倫理で
ある。別に教わらなくても一般常識で、わかること
ばかりである。

実際にやっているか(実践しているか)、
やらないか(実践しないのか)
だけに、かかっていることでしかない、
というか、それにつきる

これが逆に会友はできていない
「やったつもり、やってるつもり」になっている、
無神経な馬鹿(=いや夫)ばっかり、というのが
感想である

しかし、無駄ではない、

だからこそ、朝くるんだし、
些少は、よくなっているんだろうとは期待する

しかし、本だけ読んで、
やってない(実践してない)のに、
やってる(実践してる)ひとの、側に立つ人間が、
問題である、 最低である(=いや夫)

会の実践は、楽チンである
朝早く来て、会場で座っていれば良い
それだけで、90%は、完了である
それで、実践しているか、いないかは、決まる

あとの10%は、いやならやる必要はない、
やりたければやればよい
いやなら、それでOK

無神経の、馬鹿でも、ちっとは、ましになります、
それでOK

いうまでも、ないが、
私も、無神経の、馬鹿です

ちっとは、ましになったかな、と期待しております

どこかの、ブログの、ばかたれのように
全肯定、全否定の、脳みそなしの、馬鹿が一番
始末が悪い(=いや夫)

社会と、強調しない、倫理は意味はない、
他人を否定することから、非難するところから、
倫理はありえない
まったくの、ダメダメである(=いや夫)

いや夫が消えたことで、スレが落ち着いている
いや夫が、自己満足のだけの書き込みをすること
で、敵を作り、いらぬ、批判を、反感を増幅させて
いたために、 さまざまな、かきこみを、呼び込み、
憎悪を膨らませていたからだ

今、書き込みが、減ったのは、そのいや夫が増幅
させた、膨張させた、宏正会への、反感、敵視が、
ここにでなくなったためです
いや夫への(=宏正会)への反感、敵視 が現実
の会友の活動に、支障を生じさせている。
いや夫が、無責任に言った言葉で、クレームが、
ふくらみ、現実化し、これが、実際の、宏正会へ、
むけられることになる

早朝であるが故、朝起会場周辺の住民に対して、
会として、迷惑をかけているため、非常に気を使い
ます。朝早くから、騒がしいのは、確かに迷惑で
気を使うのは当然。
しかし、いや夫が、敵を、作って平気、それが当然
、文句をいうやつはゆるせん、等という、飛んでも
ない言動をしているために、大変です

朝起会場周辺で、1人でも、朝早くから、迷惑だ、
この会場を使うのはやめろ、といいだせば、その
会場で、朝起きはできません。
会場変更です。

それが、当会場でもおこりました。

いや夫のせいかもしれません。

いや夫、自覚せよ。
迷惑だ

試行錯誤して、努力している
私たちを、侮辱し
迷惑をかけている、いや夫

とんでもない

会友に迷惑をかけて平気か、あんたは

とんでもない

しつけーな、いや夫
おめえとの会話は、おわってるんだよ

2度とここにくるな

自分の言ったこと守れ、2度と来ない人間に
質問する、資格なし

どあほ、消えろ、
電車にとびこめよ

自分で、いやな人間だと、みとめたんだから
いってることと、やってることが、違いすぎだぞ

倫理しらずの、倫理そっちのけの、
倫理の会の会友???? 
どあほ、きえろ、生きる価値なし、
めいわくだ、いや夫

おめえの、いってることは、おれには、
全部 該当なし

脳内妄想の、異常者、きえろ、いや夫

おめえが、いるだけで、周りの人間が、どれだけ
いやな思いをしているか、
現実社会でも、会社でも、家庭でも、
無神経で、のうのうとしてるのは、おめえだけだぞ

ちっとは、脳みそ、つかえ、
無神経やろう、

だいいち、サイコバアアって、なんだ???
おめえの、作り出した、勝手な 亡霊??
精神科にとにかく、いったん行け
暗闇に、向かって、叫んでる、異常者だぞ、おまえは

 「いや夫」を止めるには、下記のブログに苦情を寄せるしかないだろう。なぜ、そうしないの?
大歓迎だよ(笑)

(引用開始)

上記6つの質問に「正直に」(笑)答えたら、喜んで消えてやろう(笑)。少なくとも、貴様よりは、正直者の「いや夫」だ。

 とりあえず、言い逃れをしておく(笑)

 もう「投稿したらん」と一時は宣言したが、賭けをした相手の「改革派会友」が本当は会友ではなくて、否定派だと気づいたので復帰することにした。(口実。本当は、そんなこと最初から気づいていたけど、ご愛敬だ。(笑)「サイコばばあ」の成りすましに比べたら、かわいい嘘だ。許せ。貴様曰く、貴様のブログではないのだろ?一会友のブログなんだろ(笑)。だったら、「いや夫」の復活も大歓迎のはずだ!)

 「改革派会友」と「自称十年来の会友」へ

 君が本当に会友で、会場のみんなが困っているというのが真実なら、相談にのらないことはない。

 会場のみんなに呼びかけて、下記に苦情をお寄せください。善処したします。

 「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html


 ともかく「サイコばばあ」は「いや夫」の復活が許せんらしいが、

 「ブログ主の朝起き頑張りっ娘」さん、許してね。

 黙認なら、承認したものと判断します(笑)。

(引用終了)

「いや夫」は、まるでトランプの神経衰弱ゲームが思うようにいかないので駄々を踏んでいる子供。
あるいは、見えない亡霊に所構わず刀を振り回している狂人。
いきがっているようだが、もう尻に火がついている。
ここまで「いや夫」のプロフィールが明らかにされたら、「いや夫」の所属している支部や名前、住所がネットに出てくるのは時間の問題。
ゲームオーバーは近いと思うが。
「いや夫」は、自分が特定されても出てくる勇気があるのか。

意見を言わせて頂きます

朝起会では、会場周辺に住んでいる方々にたい
して非常な注意を払っています。
いや夫さん、貴殿の言う、「困っているのが真実
なら、相談にのらないことはない」????
いや夫さん、あなたは、本当に、困る、各会場で
実際に、地域の方がたと、接して、活動しいてい
る人たちのことを、理解してほしい。

周辺に住んでいる方は、応援してくれる人ばかり
ではありませんよ。受験生も、赤ん坊もいるかも
しれない、夜勤明けで、寝始めた人もいるかもし
れない。
そういった人たちに、協力願いたいとは、言って
はいけないんですよ。協力願うんでなくて、迷惑を
かけないように、気を使い、集まる経路も、会話も
控え、共存するんですよ。
文句が出たら、対応します、謝罪します。相手に
悪意があれば、最悪です。でも、仕方ありません
迷惑をかけているんですから。

いや夫さん、貴殿のスタンスは、最悪です、最初
から、敵を作ってなんぼの対応は、不可です。
やめていただきたい。
会場によりますが、早朝であること、あまり使用
料をはらえないことにより、公的な会場を借りて
朝起きをしているところが多いのが実態です。
(自前の会場を待てているところは、別格です)
そういったことろでは、一部でも、悪意を持つ人間
がでれば、使用できなくまります。
公益法人とはいえ、あくまで、一般の使用者です
異論が出れば、会場替えが必要になるんです。

敵は作りたくないのです、いや夫さん、勝手な発
言は控えていただきたい。
貴殿が相談に乗っても、無意味です
尻拭いは、各会場でしかできません、当たり前で
す。貴殿にしてほしいのは、反省と、これからの
改善です。

朝起会に出席したらどうですか?
そこで、みなに、きちんと話して、みなから、意見
聞くことを、してほしいですね。

たぶん、私と、同じようなことを言う人が、多くいる
と思いますよ。


ここまで公表されているのだから、「いや夫」の家族を知っている人ならすぐに分かるはずだよ。
宏正会の恥さらしを何とかしたら。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 
理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)

性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない
(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 
学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない

仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て

このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

私は、
会友でない方々が、いや夫さんの発言を見て、

「実践倫理宏正会の会友が、こんなことを、言っている」
と、思われることが非常にいやです。
自制を求めたい

「いや夫」と批判派の罵り合いがいつまで続くのやら。
奥さんや義母さんは「いや夫」のやっていることをご存知なのかな。
どのように思われているのかね。



全々知りませんよ、パソコン依存症だからしょうがない。

「いや夫」は宏正会に関する議論ではすべて批判派に敗北しているので、批判派の人格を攻撃する事で「いや夫」対批判派の罵りあいに論点を摩り替えている。
こうする事で、宏正会に批判的な書き込みを封じ込めようということ。
小賢しい「いや夫」流の荒らし方。
もっとも、多くの人はとっくに承知していて「いや夫」の書いたものは飛ばして読んでいるはずだから意味がないと思うけど。
「いや夫」は自己満足のために無駄な労力、無駄な時間を使えば。


 せめて投稿数だけでも「いや夫」を上回ろうと、「サイコばばあ」が成りすましによる短文投稿を続けている。

 しかし、

 長文の下記の文末の投稿については、「サイコばばあ」のものではなく、実践者の者である可能性もある。

(引用開始)

敵は作りたくないのです、いや夫さん、勝手な発
言は控えていただきたい。
貴殿が相談に乗っても、無意味です
尻拭いは、各会場でしかできません、当たり前で
す。貴殿にしてほしいのは、反省と、これからの
改善です。

朝起会に出席したらどうですか?
そこで、みなに、きちんと話して、みなから、意見
聞くことを、してほしいですね。

たぶん、私と、同じようなことを言う人が、多くいる
と思いますよ。

投稿 匿名 | 2011.01.31 04:04 午後

(引用終了)

 宏正会の実践者は、このように穏やかな投稿を心がけ、相手を全面否定するようなことはしないのである。

 よって、この方の投稿については、「いや夫」の至らない点として、真摯に受け止めたい。

 「いや夫」がこのブログでアンチ否定派を続けているのは、会友である妻が気持ちよく実践に励むことができるよう、ネット上の否定派の正体を暴くことであった。そして、それはすでに達成されているのである。

 しかし、このブログのブログ主である「サイコばばあ」の成りすまし攻撃に対して応戦し、その成りすましを暴く過程において、相手に挑発されたとはいえ(お互い様)、彼女の目的を明らかにするために、彼女の性格の悪さを公表してしまい、個人的な恨みをかった点は反省すべきである。少なくとも、実践倫理宏正会の教えには、まったく反する行為なのである。

<関連記事>
議論を避けよ(実践倫理宏正会の教えより)
http://58807828.at.webry.info/200911/article_14.html

 宏正会のこの教えこそ正しいのだと、「サイコばばあ」との不毛な罵り合いを続けている「いや夫」も実感しています。

 しかし、「いや夫」登場以前は、否定派が好き勝手に成りすましによる批判記事を書き連ねている状況であり、「いや夫」としては、そんなきれい事を言っている場合ではないと判断し、自らの意志で否定派と討論(闘論)を行いました。その判断はまちがいではなかったと今でも思っています。

 「いや夫」が討論することで、下記の事実を明らかにしました。
・否定派は実は少数である。
・否定派は膨大な成りすましを行っている。
・否定派は会友になりすますことが多い。
・「実践倫理宏正会って何?」と「2ちゃんねる」は表裏一体である。
・否定派の牙城と化していた「実践倫理宏正会って何?」のブログ主自身が否定派首謀者である。
・こ奴「サイコばばあ」は、wikiでもさんざん改悪を繰り返している。

 上記の功績は、一部会友も認めており、我がブログに好意的なコメントを寄せていただいております。

 よって、「いや夫」としても、会友が「いや夫」の行為をどう思っているかは、ぜひ知りたいと思い、下記の記事を我がブログに載せました。

 「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html


 ところが、コメントはまったく寄せられていません。まじめな実践者は、ネットが否定派首謀者による嘘の攻撃でおおいつくされていたことを知っているので、読もうともしないのです。「いや夫」が否定派首謀者の正体を明らかにしたことさえ知らない会友がほとんどです。

 本当に、「いや夫」の行いを制止したいと考える会友が存在するのなら、当然、「実践倫理宏正会って何?」のような否定派首謀者の巣窟に投稿なんてしてないで、我がブログに直接苦情を寄せるべきなのです。それをしない時点で、また、いつもの否定派首謀者自身が会友になりすまして、「いや夫」の反撃を封じようとしているとしか思えません。

 違うというなら、ぜひ、上記の記事にコメントしてください。会場のみんなが迷迷惑しているというのなら、会場のみんなに呼びかけて、一人一人長文で、それぞれの意見を書き込んでください。短文の個人的な意見は、否定派首謀者が簡単に成りすまして投稿できるので、それぞれの会友歴・実践の様子、「いや夫」の投稿によってどんな迷惑をこうむっているのかを真摯に記述してください。もちろん、同じIPアドレスから投稿しないように注意してください(笑)。

 ということで、上記の反論が我がブログに寄せられない以上は、今回の忠告も、「どうせ元会友かサイコばばあの自作自演だろう」と判断しています。

<関連記事>
「実践倫理宏正会って何?」での「愚息」(旧鉄槌)たちの成りすましの分析(その1)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_33.html

「実践倫理宏正会って何?」での「愚息」(旧鉄槌)たちの成りすましの分析(その2)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_34.html

 「太陽神・武蔵・鉄槌」のお友達の「討論は避けよ」は「元会友」なのだろう。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_23.html


 「改革派会友」の正体 20100906版
http://58807828.at.webry.info/201009/article_4.html

「まな板の上の鯉」の「サイコばばあ」と「ショッカー戦闘員」の悪あがき
http://58807828.at.webry.info/201101/article_13.html

 上記のリンクをいちいち読みにいくような律儀な方は、「サイコばばあ」や「元会友」による成りすましの投稿にだまされるようなことはないでしょう。ネットを使うからには、その位、騙されないように心がけて欲しいものです。

 以上の投稿を読んでいただければ、わかると思いますが、先に紹介した会友が、本当の会友だなんて思っていません。いつも、「サイコばばあ」の援護をしているからです。会友が打つだろう投稿を打つことができる「元会友」だとは思っています(笑)。

 違うというなら、我がブログにコメントをお寄せください。

いや夫は
だれが書いたか だけにしか 興味がないのか?

内容にたいして、向き合う気持ちがないのでは
悲しい人間としか、言いようがないね

向上心も、改善の心も、何もない
真摯な心もない、単なる、妄信者

これが、会友の品質か・・・
だから、人の話を聞いていない、逆切れといわれるん
だよ

IPアドレスを知りたいから、おれのブログに書き込め
って
本気かよ、だれも、怖くて書き込めないよwwww
現実社会で、会話してるの?本当に
コミュニケーション能力、欠けてるぞ

「いや夫」は自分で東大に入るくらいの実力があったと言っているくらいだから、自分のIQに相当の自信があるはず。
それが、ここの否定派との議論でまるで子供扱いにされて、ことごとくやり込まれしまったのが相当ショックだったらしい。
その亡霊が「いや夫」の言っている「サイコばばあ」。
「いや夫」は、自分を否定する否定派の多くを「サイコばばあ」と決め付けているように、「サイコばばあ」の亡霊に取り憑かれている。

「いや夫」は次のように言っている。

(以下 引用)
「いや夫」が討論することで、下記の事実を明らかにしました。
・否定派は実は少数である。
・否定派は膨大な成りすましを行っている。
・否定派は会友になりすますことが多い。
・「実践倫理宏正会って何?」と「2ちゃんねる」は表裏一体である。
・否定派の牙城と化していた「実践倫理宏正会って何?」のブログ主自身が否定派首謀者である。
・こ奴「サイコばばあ」は、wikiでもさんざん改悪を繰り返している。
(以上 引用)

「いや夫」は膨大な量の書き込みをしているが、その成果はこの程度か。
それに、否定派の多くを一体の亡霊の分霊としているようだし、その亡霊がここのブログ主としたり、wikiを改悪しているというのは根拠がない。
また、その亡霊がいかなる人物かの分析はことごとく失敗している。

ここの否定派の人達は、宏正会の数々の嘘、欺瞞を暴いてきた。
いまやチュニジア、エジプトなどインターンットが権力者の横暴を暴き、社会を改革するための有力な手段となっている。
宏正会も今までのように会員を自由に操ることは出来なくなって来ている事を知るべきではなかろか。


先に、いや夫さんに意見を言わせていただいた、
会友です。
私が、IPアドレスをさらして書き込みするならば信用
するかもしれない、さらに私の会場の会友の署名も
連記しろの旨の様ですが、
些少というか、かなり、呆れたというか、悲しいですね。

くりかえしますが、いや夫さんは、会場の皆さんと
あるいは、奥さんと、会話をしているのでしょうか
この件で・・・

会友はネットで実践倫理宏正会に対して、どの様
なことがいわているのか、興味がない、見ないと
いっていますが、違いますよ。
皆さん、よく見ています。年配の方は、別かもしれ
ませんが、少なくとも壮年は会社でもネットを当然
使用していますし、当たり前として、自然に検索を
して、掲示板もみていますよ。演談ではさすがに
いいませんが、座談会などでも、その話はでること
はあります。
それが当たり前だと思いますし、そうなっています。
見ないはずもない。見ていますよ。
検索したら、山ほど出てきますから。

しかし、さすがに、書き込みをしたという人は、聞いたことはありません。表立って言い難いですから・・

会友はだれも見ないから、いや夫さんが、ここで何
を言ってもいい、あるいは、会友はだれも気づかな
いから問題ないといった発想は不可です。
それ以前に、会友以外の多くの方が、実際の会友
が、こんな発言をするのか・・・・
(いやないいかたですが「倫理そっちのけ」は、あ
てはまると思います)
そういった、事実をさらさないで頂きたい。
外部の方でなく、会友が言っているという事実は
重いですよ。認識していただきたいですね。

言われたから、とか、そういった発想でなく、
自分はどうあるべきか、

とにかく、会場の方と話して、自分の立ち位置を
見つめ直すことが大切だと思いますよ。

なお、いや夫さんの、自分のブログに、会場の皆の
署名を添えて、IPアドレスをさらして書きこめば
信用しないでもない、相談にのらないこともない
旨のご提案は、非常に失礼な、無礼な、発言です
ので、対応はできかねます。

私からの発言は以上です。

「いや夫」は、奥さんの義理で年に何度か朝起会に顔を見せているだけの奴。
「いや夫」には倫理を学ぼうとか、実践しようという気持は微塵もない。
それに、否定派を攻撃しているのは奥さんの頒布する「倫風」を受け取ってもらえるようにとか、会員が減ると「いや夫」の家からの出費が増えるからといった全く自分本位の利己的な理由。
今は、ただ宏正会をだしにこのブログで勝つか負けるかのゲームをしているだけ。
こんや奴に「宏正会がどうの」と言う資格は全くない。
だから、「いや夫」は否定派どころか会員からも嫌われているのは当然。
それが分からない「いや夫」はバカ。


 「十年来の会友」が逃げている。

 予想通りの反応である。(笑)

 以前、君が「改革派会友」として、我がブログにコメントを載せたけれど、IPアドレスは公開していないぞ。今回も、公開しないから、ぜひ、コメントを寄せた前。何だかんだと拒否しているが、バレバレなのまえ。下記の記事にコメントを残すことを恐れるのは、成りすましが通用しないからだ。違うというなら、コメントしてもらいたい。それをしないなら、君は100%「元会友」だと判断する。

 会場を借りれなくなりそうで困っているのだろ?だったら、「いや夫」の要求をのんで、真摯な苦情をコメントするだけで済むではないか?何でそんなに「いや夫」が怖いのだ?(「いや夫」は嘘をすぐ見破るからだろうね。)

 ということで、一週間以内にコメントが寄せられないなら、「会友を装う、いつもの手」ということで、相手にする必要なしである。

(引用開始)

 よって、「いや夫」としても、会友が「いや夫」の行為をどう思っているかは、ぜひ知りたいと思い、下記の記事を我がブログに載せました。

 「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html

(引用終了) 2011年2月1日現在、コメント0

 さて、「ネトウヨ」をwikiで調べると、下記のような解説が載せられている。

(引用開始)
小田嶋隆(コラムニスト)は、2009年に第45回衆議院議員総選挙が行われた際、選挙前の世論調査ではニコニコ動画やインターネット掲示板における麻生内閣の支持率が高かったことについて、選挙の結果が判明する前に論評するなかで(『踊る阿呆の「祭り」のあとに』)、「ネット右翼が大量発生しているのか、少数のネット右翼が、大量書き込みをしているのか、本当のところはわからない。結局、ネットというのはそういう場所なのだ」「違うのだよ麻生さん。ネトウヨは数が多いのではない。クリックの頻度が高いだけだ。つまりただのパラノイアだ」と書いている[11]。
(引用終了)

 別に「ネトウヨ」自体に関連は、ないのだが、下記の部分は大いに関連する。

(引用開始)
ネトウヨは数が多いのではない。クリックの頻度が高いだけだ。つまりただのパラノイアだ。
(引用終了)

 「いや夫」が指摘するまでも、なく、このブログは、たった一人のパラノイア(=「サイコばばあ」のこと)と、ごく少数の応援団によって、膨大な成りすまし投稿が行われてきたのである。

 どうせこ奴らは、「いや夫」こそパラノイアだ、などとくだらん反論をするのだろうが(wikiの引用をそのまま活用したりするのだろう(笑))、固定ハンドルで正々堂々と戦っている「いや夫」と、膨大なハンドルネームを使いこなし、成りすましがバレた後も、上記のように「匿名」で成りすましの攻撃を続けている「サイコばばあ」のどちらが、パラノイアに近いかは、自明の事実である。

 相手がパラノイアだから、「いや夫」が逐一反撃をしなければならないだけで、相手が正々堂々と固定ハンドルで戦っていれば、このような罵詈雑言や皮肉を駆使する必要もなかったのである。
(ちなみに、パラノイアの相手をするのは、非常に疲れるし、徒労なので、ゆとりがあるときにしかできない。「いや夫」の好きな競馬が、GⅠシリーズに突入すると、「いや夫は投稿を休止したり、一旦卒業したりしているのである。)

 「サイコばばあ」があまりに、偏執病で、バレバレの成りすましを認めようとしないので、「いや夫」はその解明に、日々努力を続け、成りすましを暴き続けているのである。

 「サイコばばあ」が一人で膨大な記事を投稿していることに、第三者はとっくに気づいている。それを認めていないのは、本人とその数少ない応援団だけだ。

 「十年来の会友」=「元会友」も、「サイコばばあ」の成りすましの事実を知っているくせに、仲間だからかばっているだけなのである。

 パラノイアであるネットおたくが、どれほど頻繁にクリックを繰り返しているかの好例が、プロ野球で2003年に川崎投手がオールスターに選ばれた事件(川崎祭)である。

 wikiより

(引用開始)
川崎祭(かわさきまつり)とは2003年に2ちゃんねるで起こされた、当時中日ドラゴンズに所属していた川崎憲次郎投手をオールスターゲームの人気投票で1位にするためネット上で繰り広げられた嫌がらせ騒動である。

 (中略)

川崎憲次郎は2000年オフにFA宣言をし、ヤクルトスワローズから中日ドラゴンズに移籍して、年俸2億円で3年6億円(4年契約で4年目は出来高制)という多額の年俸を複数年契約によって得ていた。しかし、中日移籍後の2年間は度重なる右肩痛でほとんど登板がなく、年俸2億(2年で4億)という年俸に全く見合わない成績しか残していなかった[1](中日に移籍してから2004年までの登板実績は、2002年にウエスタン・リーグで2度登板し、0勝2敗・防御率9.00)。

中日移籍3年目となる2003年、4月25日に2ちゃんねるのプロ野球板において、「川崎憲次郎をオールスターファン投票1位にしよう。」というスレッドがたった。中日への移籍以降、高額年俸に見合わない成績であったセ・リーグの先発投手部門のファン投票で1位を獲得させ、川崎を晒し者にするための投票が行われた。

5月14日、東京スポーツが「FA移籍後1度も登板なし 川崎が球宴投票で上位の怪」と川崎がネットでの呼びかけでファン投票で上位に来ていることを報じたことにより、ネット外でも川崎祭が知られるようになる。

6月17日には、セ・リーグの先発投手部門において川崎は阪神タイガースのエースであり当時セ・リーグ最多勝であった井川慶を抜いて、1位となった。セ・リーグの先発投手部門のファン投票では、最終的に川崎は91万1328票を獲得し、2位の井川の86万3460票に4万6868票差をつけて1位を獲得した。川崎は「球宴は今シーズン、実績を残している選手が出る場所」として、オールスター出場辞退を表明した。オールスターゲームは故障などを除いて基本的に辞退することが許されず、正当な理由なくして辞退すると10日間の出場停止処分が下されるが、コミッショナー事務局は事情を鑑み、特例として出場停止処分は下さなかった。川崎が辞退したため、ファン投票枠は2位の井川が繰り上がった。なお、全体におけるネットでの投票が占める割合は32%だったが、川崎投手の場合はネットによる投票の割合は70%以上であった。

(引用終了)

 以上のように、ネット上の投稿数は、投稿者実数とは大きくかけはなれているのである。

 このブログの投稿者も、見かけよりは圧倒的に少ない。


 「いや夫」登場以後は、「いや夫」がおそらく投稿数の半数を占めている。その他アンチ否定派もごくたまに発言するが、その割合は1%以下である。

 同じように、否定派の投稿の大部分を成りすましで打っているのが「サイコばばあ」なのである。戦っている「いや夫」が一番わかっている。そして、今回のように、「サイコばばあ」がピンチに陥ると、「元会友」や「実践倫理宏正会ウオッチャー」が援護射撃の投稿を寄せているだけなのである。

 おおざっぱに観れば、「いや夫」登場以後の、かのブログは、
 「いや夫」VS「サイコばばあ」 の痴話喧嘩である。

 「サイコばばあ」のようなキチガイの相手をしている「いや夫」も我ながら変わり者だと思うが、成りすましを一切せず、固定ハンドルで戦っている点で、天と地との差がある。

 正直ものの「いや夫」と大嘘つきの「サイコばばあ」との戦いであり、最後は正直者が勝つのである。

 「サイコばばあ」や「ショッカー戦闘員」は決して認めないが、「いや夫」が常に「サイコばばあ」の成りすましをことごとく見破り、いつもギャフンといわせているのである。

 その何よりの証拠が、否定派のどいつもこいつも「匿名」で、成りすましがバレないように、おびえていることである。

 このブログの関係者に、固定ハンドルで「いや夫」に太刀打ちできる者は存在しない。いるなら、どうぞ(笑)。

<パラノイアとは>wikiより

偏執病(へんしゅうびょう、パラノイア、英: paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。
 

訂正

(誤り) コメントを寄せた前。何だかんだと拒否しているが、バレバレなのまえ。

(訂正) コメントを寄せたまえ。何だかんだと拒否しているが、バレバレなのだ。

補足1

(引用開始)

「いや夫」は、奥さんの義理で年に何度か朝起会に顔を見せているだけの奴。
「いや夫」には倫理を学ぼうとか、実践しようという気持は微塵もない。
それに、否定派を攻撃しているのは奥さんの頒布する「倫風」を受け取ってもらえるようにとか、会員が減ると「いや夫」の家からの出費が増えるからといった全く自分本位の利己的な理由。
今は、ただ宏正会をだしにこのブログで勝つか負けるかのゲームをしているだけ。
こんや奴に「宏正会がどうの」と言う資格は全くない。
だから、「いや夫」は否定派どころか会員からも嫌われているのは当然。
それが分からない「いや夫」はバカ。

投稿 匿名 | 2011.02.01 08:01 午後

(引用終了)

 上記の投稿について、その通りだと認めよう。「いや夫」はしょせん「いやいや朝起き会を続けている妻」をもつ夫である。

 朝起会は、厳しい修行だから、いやいやながらもがんばっている妻に対して、よくがんばっているねえと感心し、影ながら(少なくとも「いや夫」的には)応援しているだけである。たまたま討論に加わったら、否定派が成りすましの膨大な記事をかきまくる「サイコ」の相手だったので、その解明をゲーム感覚で行っている。見破るのはなかなかおもしろいし、その程度の楽しみがなければ、キチガイ相手なんてやってられません。

 よって、「いや夫」は正しくは「会友」ではない。「なんちゃって会友」と名乗るのもはばかられる奴なのである。そもそも宏正会は「議論を避けよ」をモットーとする会なので、「いや夫」はその教えの真逆の行いをしている。そういう奴なのである。

 だから、もちろん、会友で「いや夫」を疎ましく思う人もいるだろう。そういう人は、「いや夫」を肯定派ど思うからそう思うのであって、否定派の亜種だと解釈すればいい。「サイコばばあ」よりはまともな人間であると自負している。

 例えば、最後はわかりあえたと思いたいが、レイモンド氏もたびたび「いや夫」を中傷していた。「サイコばばあ」に罵詈雑言を浴びせることをいましたのだろう。(彼も同じことをやってたと思うんだけど・・・。)

 今回、レイモンド氏が「金槌」だったことを暴露し、さすがの「いや夫」も気づいていなくて、まだまだ洞察力が足りないなあと反省しているところである。

 当時の「レイモンド氏」の「いや夫」への罵倒

(引用開始)

「2ちゃんねるは終った」といいながら、2ちゃん
ねるにくぎづけになっている馬鹿夫!
^^;) エヘヘマークを付けてエサをまいたら、さっそく食いついて「通りすがり様」なんて大まじめに反応して、
はては「通りすがりさんの気持ちを思いやれないから
子ども」なんて、自分のお子ちゃま振りをさらけだした馬鹿夫!
創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界にまこと大まじめに取り組んで、「いやいやながら」女房の尻に
敷かれっぱなしでバカップルやってる、
天上天下唯我独尊、うすら・馬鹿夫に乾杯!

投稿 金槌 | 2009.11.28 08:04 午後

(引用終了)

 ひどいものである。その彼でさえ、最後には、

(引用開始)
「いや夫」様

はじめてあなたのブログに投稿させていただきます。
いつも変わらぬご活躍ご同慶の至りです。
あなたがご検証されたように、「・・って何?」の影響は極く小さなものということが分かったいま、小生一旦筆を置くことに致しました。
今回の投稿を下記再掲いたしますと共に、今後のご健闘を祈りあげます。
                      頓首再拝

『いやはや、「いや夫」さんがちょっと書き込まれると、もうワイワイ花盛りとなって、何が何だか分からなくなりますなー。

いまや、このスレの「朝起き会」肯定派は、「いや夫」さんと小生の二人だけが生き残りとなってしまいました。
反対派は、多く見積もっても、「サイコばばあ」+2人 = 3人 と科学的に検証された「いや夫」さんのご功績は大きく、他の追随を許しません。

ただ、両派全投稿子のなかでいまや、コテハンつけているのは「いや夫」さんだけですので、論理内容よりもそのことに起因する、人格非難のようなものが殆んどで、議論が不毛なものになってしまいました。
このことは、つとに2ちゃん創始者の、ひろゆき氏が、指摘したことで、顔を見せない討論は、「匿名」でないとうまく運んでゆかないといっていました。

このスレを見て思うのは、近時の日本人の道徳力は可なり落ちており、もし若者がこのスレを相手にしているようでは、救いがたい面も感じられます。
石原慎太郎氏が、もうオリンピック招致はしないと言われておりますが、日本人の総力戦に対する持久力の低下を嘆いておられます。

「宏正会」25周年のとき、石原氏に頼んで書いてもらった、「青年部の歌」はいまも歌われています。あのころはよく足を運んでくれた氏も、忙しくもあるからか、あまりこちらに関心を示されておりません。

「いや夫」さんとわたしが沈黙すると、このスレは沈黙します。それは無理かも知れませんが、「いや夫」さんへの希望を言わせていただければ、もし「匿名」投稿にしていただければ、少なくともそのための、人格攻撃は止むと思います。

いささかの「宏正会」衰退傾向は、民主党の伸びと反比例しておりまして、また回復の望みはありますが、しばらくわたしは筆を置き、このスレとは係わらないように致します。

(追伸)
「創作、パクリ、盗み、取り込み、大三元」というわたしが作った語呂合わせを、ご採用いただき、有難うございます。その辺のセンスはあなたと共有していますね。』

投稿 匿名 | 2011.01.27 01:09 午後

(引用終了)

 というように、「いや夫」の成りすまし解明の努力をちゃんと認めてくださっている。これは、ネットでは、一番大切なことなのだ。

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」 by 西村 博之

追伸 上記の二つの投稿をそのまま解釈すると、「金槌」=「レイモンド」氏となる。それとも、「レイモンド」氏が2ちゃんねるで、「「創作、パクリ、盗み、取り込み、大三元」という言葉を投稿し、それを別人である「金槌」が引用した可能性もある。

 という風に、ネットなんてどっちにしても、くだらない世界なのである。

 チュニジアやエジプトがどうのこうのと言っているが、片腹痛いわ!「サイコばばあ」のこのブログにおける独裁政治を、「いや夫」が暴いて倒しているところだ。攻守が逆である。

 いったいどの投稿のどの部分で「いや夫」を論破したというのだ?

 教えてくれたまえ。そこんとこ、つぶしておきます。

上記の「いや夫」の書き込みの二つ前の、自称「先に、いや夫さんに意見を言わせていただいた会友です」の意見は拝聴に値する。
意見そのものに、価値を感じるのであて、その匿名さんが、「サイコばばあ」であるかどうかには、全然興味なし。
内容が面白ければ、外野は興味を持って、今後も読ませていただきます。

いや夫さん

意見を言わせていただいた会友です
貴殿には、何を言っても無駄のようですね、

希望的観測として、いや夫さんが、会友でない、
単なる、自称であることを、期待します。

最後に、
会友であれば、会友として、守るべき義務事項が
当然あります。会友として、守るべきことは、守っ
て頂きたいですね。

いや夫さんからの回答は、無用です。
単なる、私の独り言で、結構。

以上、私からは、終了

 どうしてそんなに「いや夫」のブログにコメントすることを恐れているのですか?

 私は、「宏正会をつぶしてやる」と2ちゃんねるで宣言していた「サイコばばあ」と戦っているわけで、敵の敵は味方なのではないですか?

 あなたが本当に会友なら、我がブログに直接コメントすればよい。どういうコメントを控えて欲しいのか、具体的に要望してください。反映できる点は反映するよう努力はします。

 幸い我がブログは承認制なので、私が承認しない限りは、表示されません。表示をしないで欲しいと書いていただければ、決して表示しません。

 あなたがこんな敵のの牙城で、敵を援護するような投稿ばかりしているから疑われるのです。我がブログへコメントしていただければ、見方もかわってきます。特に、下記のような、明らかに大勢の個々のコメントだとわかるものを寄せていただけるとありがたいですな。そういったコメントが多ければ多いほど、貴殿の忠告を受け入れましょう。

(引用開始)

 「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html


 ところが、コメントはまったく寄せられていません。まじめな実践者は、ネットが否定派首謀者による嘘の攻撃でおおいつくされていたことを知っているので、読もうともしないのです。「いや夫」が否定派首謀者の正体を明らかにしたことさえ知らない会友がほとんどです。

 本当に、「いや夫」の行いを制止したいと考える会友が存在するのなら、当然、「実践倫理宏正会って何?」のような否定派首謀者の巣窟に投稿なんてしてないで、我がブログに直接苦情を寄せるべきなのです。それをしない時点で、また、いつもの否定派首謀者自身が会友になりすまして、「いや夫」の反撃を封じようとしているとしか思えません。

 違うというなら、ぜひ、上記の記事にコメントしてください。会場のみんなが迷迷惑しているというのなら、会場のみんなに呼びかけて、一人一人長文で、それぞれの意見を書き込んでください。短文の個人的な意見は、否定派首謀者が簡単に成りすまして投稿できるので、それぞれの会友歴・実践の様子、「いや夫」の投稿によってどんな迷惑をこうむっているのかを真摯に記述してください。もちろん、同じIPアドレスから投稿しないように注意してください(笑)。

 ということで、上記の反論が我がブログに寄せられない以上は、今回の忠告も、「どうせ元会友かサイコばばあの自作自演だろう」と判断しています。

<関連記事>
「実践倫理宏正会って何?」での「愚息」(旧鉄槌)たちの成りすましの分析(その1)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_33.html

「実践倫理宏正会って何?」での「愚息」(旧鉄槌)たちの成りすましの分析(その2)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_34.html

 「太陽神・武蔵・鉄槌」のお友達の「討論は避けよ」は「元会友」なのだろう。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_23.html


 「改革派会友」の正体 20100906版
http://58807828.at.webry.info/201009/article_4.html

「まな板の上の鯉」の「サイコばばあ」と「ショッカー戦闘員」の悪あがき
http://58807828.at.webry.info/201101/article_13.html

 上記のリンクをいちいち読みにいくような律儀な方は、「サイコばばあ」や「元会友」による成りすましの投稿にだまされるようなことはないでしょう。ネットを使うからには、その位、騙されないように心がけて欲しいものです。

 以上の投稿を読んでいただければ、わかると思いますが、先に紹介した会友が、本当の会友だなんて思っていません。いつも、「サイコばばあ」の援護をしているからです。会友が打つだろう投稿を打つことができる「元会友」だとは思っています(笑)。

 違うというなら、我がブログにコメントをお寄せください。


投稿 いや夫 | 2011.01.31 10:10 午後

いや夫は
だれが書いたか だけにしか 興味がないのか?

内容にたいして、向き合う気持ちがないのでは
悲しい人間としか、言いようがないね

向上心も、改善の心も、何もない
真摯な心もない、単なる、妄信者

これが、会友の品質か・・・
だから、人の話を聞いていない、逆切れといわれるん
だよ

投稿 匿名 | 2011.01.31 11:43 午後

IPアドレスを知りたいから、おれのブログに書き込め
って
本気かよ、だれも、怖くて書き込めないよwwww
現実社会で、会話してるの?本当に
コミュニケーション能力、欠けてるぞ

投稿 匿名 | 2011.01.31 11:56 午後

「いや夫」は自分で東大に入るくらいの実力があったと言っているくらいだから、自分のIQに相当の自信があるはず。
それが、ここの否定派との議論でまるで子供扱いにされて、ことごとくやり込まれしまったのが相当ショックだったらしい。
その亡霊が「いや夫」の言っている「サイコばばあ」。
「いや夫」は、自分を否定する否定派の多くを「サイコばばあ」と決め付けているように、「サイコばばあ」の亡霊に取り憑かれている。

「いや夫」は次のように言っている。

(以下 引用)
「いや夫」が討論することで、下記の事実を明らかにしました。
・否定派は実は少数である。
・否定派は膨大な成りすましを行っている。
・否定派は会友になりすますことが多い。
・「実践倫理宏正会って何?」と「2ちゃんねる」は表裏一体である。
・否定派の牙城と化していた「実践倫理宏正会って何?」のブログ主自身が否定派首謀者である。
・こ奴「サイコばばあ」は、wikiでもさんざん改悪を繰り返している。
(以上 引用)

「いや夫」は膨大な量の書き込みをしているが、その成果はこの程度か。
それに、否定派の多くを一体の亡霊の分霊としているようだし、その亡霊がここのブログ主としたり、wikiを改悪しているというのは根拠がない。
また、その亡霊がいかなる人物かの分析はことごとく失敗している。

ここの否定派の人達は、宏正会の数々の嘘、欺瞞を暴いてきた。
いまやチュニジア、エジプトなどインターンットが権力者の横暴を暴き、社会を改革するための有力な手段となっている。
宏正会も今までのように会員を自由に操ることは出来なくなって来ている事を知るべきではなかろか。

投稿 匿名 | 2011.02.01 10:11 午前

先に、いや夫さんに意見を言わせていただいた、
会友です。
私が、IPアドレスをさらして書き込みするならば信用
するかもしれない、さらに私の会場の会友の署名も
連記しろの旨の様ですが、
些少というか、かなり、呆れたというか、悲しいですね。

くりかえしますが、いや夫さんは、会場の皆さんと
あるいは、奥さんと、会話をしているのでしょうか
この件で・・・

会友はネットで実践倫理宏正会に対して、どの様
なことがいわているのか、興味がない、見ないと
いっていますが、違いますよ。
皆さん、よく見ています。年配の方は、別かもしれ
ませんが、少なくとも壮年は会社でもネットを当然
使用していますし、当たり前として、自然に検索を
して、掲示板もみていますよ。演談ではさすがに
いいませんが、座談会などでも、その話はでること
はあります。
それが当たり前だと思いますし、そうなっています。
見ないはずもない。見ていますよ。
検索したら、山ほど出てきますから。

しかし、さすがに、書き込みをしたという人は、聞いたことはありません。表立って言い難いですから・・

会友はだれも見ないから、いや夫さんが、ここで何
を言ってもいい、あるいは、会友はだれも気づかな
いから問題ないといった発想は不可です。
それ以前に、会友以外の多くの方が、実際の会友
が、こんな発言をするのか・・・・
(いやないいかたですが「倫理そっちのけ」は、あ
てはまると思います)
そういった、事実をさらさないで頂きたい。
外部の方でなく、会友が言っているという事実は
重いですよ。認識していただきたいですね。

言われたから、とか、そういった発想でなく、
自分はどうあるべきか、

とにかく、会場の方と話して、自分の立ち位置を
見つめ直すことが大切だと思いますよ。

なお、いや夫さんの、自分のブログに、会場の皆の
署名を添えて、IPアドレスをさらして書きこめば
信用しないでもない、相談にのらないこともない
旨のご提案は、非常に失礼な、無礼な、発言です
ので、対応はできかねます。

私からの発言は以上です。

投稿 匿名 | 2011.02.01 07:02 午後

「いや夫」は、奥さんの義理で年に何度か朝起会に顔を見せているだけの奴。
「いや夫」には倫理を学ぼうとか、実践しようという気持は微塵もない。
それに、否定派を攻撃しているのは奥さんの頒布する「倫風」を受け取ってもらえるようにとか、会員が減ると「いや夫」の家からの出費が増えるからといった全く自分本位の利己的な理由。
今は、ただ宏正会をだしにこのブログで勝つか負けるかのゲームをしているだけ。
こんや奴に「宏正会がどうの」と言う資格は全くない。
だから、「いや夫」は否定派どころか会員からも嫌われているのは当然。
それが分からない「いや夫」はバカ。


投稿 匿名 | 2011.02.01 08:01 午後

 「十年来の会友」が逃げている。

 予想通りの反応である。(笑)

 以前、君が「改革派会友」として、我がブログにコメントを載せたけれど、IPアドレスは公開していないぞ。今回も、公開しないから、ぜひ、コメントを寄せた前。何だかんだと拒否しているが、バレバレなのまえ。下記の記事にコメントを残すことを恐れるのは、成りすましが通用しないからだ。違うというなら、コメントしてもらいたい。それをしないなら、君は100%「元会友」だと判断する。

 会場を借りれなくなりそうで困っているのだろ?だったら、「いや夫」の要求をのんで、真摯な苦情をコメントするだけで済むではないか?何でそんなに「いや夫」が怖いのだ?(「いや夫」は嘘をすぐ見破るからだろうね。)

 ということで、一週間以内にコメントが寄せられないなら、「会友を装う、いつもの手」ということで、相手にする必要なしである。

(引用開始)

 よって、「いや夫」としても、会友が「いや夫」の行為をどう思っているかは、ぜひ知りたいと思い、下記の記事を我がブログに載せました。

 「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html

(引用終了) 2011年2月1日現在、コメント0


 さて、「ネトウヨ」をwikiで調べると、下記のような解説が載せられている。

(引用開始)
小田嶋隆(コラムニスト)は、2009年に第45回衆議院議員総選挙が行われた際、選挙前の世論調査ではニコニコ動画やインターネット掲示板における麻生内閣の支持率が高かったことについて、選挙の結果が判明する前に論評するなかで(『踊る阿呆の「祭り」のあとに』)、「ネット右翼が大量発生しているのか、少数のネット右翼が、大量書き込みをしているのか、本当のところはわからない。結局、ネットというのはそういう場所なのだ」「違うのだよ麻生さん。ネトウヨは数が多いのではない。クリックの頻度が高いだけだ。つまりただのパラノイアだ」と書いている[11]。
(引用終了)

 別に「ネトウヨ」自体に関連は、ないのだが、下記の部分は大いに関連する。

(引用開始)
ネトウヨは数が多いのではない。クリックの頻度が高いだけだ。つまりただのパラノイアだ。
(引用終了)

 「いや夫」が指摘するまでも、なく、このブログは、たった一人のパラノイア(=「サイコばばあ」のこと)と、ごく少数の応援団によって、膨大な成りすまし投稿が行われてきたのである。

 どうせこ奴らは、「いや夫」こそパラノイアだ、などとくだらん反論をするのだろうが(wikiの引用をそのまま活用したりするのだろう(笑))、固定ハンドルで正々堂々と戦っている「いや夫」と、膨大なハンドルネームを使いこなし、成りすましがバレた後も、上記のように「匿名」で成りすましの攻撃を続けている「サイコばばあ」のどちらが、パラノイアに近いかは、自明の事実である。

 相手がパラノイアだから、「いや夫」が逐一反撃をしなければならないだけで、相手が正々堂々と固定ハンドルで戦っていれば、このような罵詈雑言や皮肉を駆使する必要もなかったのである。
(ちなみに、パラノイアの相手をするのは、非常に疲れるし、徒労なので、ゆとりがあるときにしかできない。「いや夫」の好きな競馬が、GⅠシリーズに突入すると、「いや夫は投稿を休止したり、一旦卒業したりしているのである。)

 「サイコばばあ」があまりに、偏執病で、バレバレの成りすましを認めようとしないので、「いや夫」はその解明に、日々努力を続け、成りすましを暴き続けているのである。

 「サイコばばあ」が一人で膨大な記事を投稿していることに、第三者はとっくに気づいている。それを認めていないのは、本人とその数少ない応援団だけだ。

 「十年来の会友」=「元会友」も、「サイコばばあ」の成りすましの事実を知っているくせに、仲間だからかばっているだけなのである。

 パラノイアであるネットおたくが、どれほど頻繁にクリックを繰り返しているかの好例が、プロ野球で2003年に川崎投手がオールスターに選ばれた事件(川崎祭)である。

 wikiより

(引用開始)
川崎祭(かわさきまつり)とは2003年に2ちゃんねるで起こされた、当時中日ドラゴンズに所属していた川崎憲次郎投手をオールスターゲームの人気投票で1位にするためネット上で繰り広げられた嫌がらせ騒動である。

 (中略)

川崎憲次郎は2000年オフにFA宣言をし、ヤクルトスワローズから中日ドラゴンズに移籍して、年俸2億円で3年6億円(4年契約で4年目は出来高制)という多額の年俸を複数年契約によって得ていた。しかし、中日移籍後の2年間は度重なる右肩痛でほとんど登板がなく、年俸2億(2年で4億)という年俸に全く見合わない成績しか残していなかった[1](中日に移籍してから2004年までの登板実績は、2002年にウエスタン・リーグで2度登板し、0勝2敗・防御率9.00)。

中日移籍3年目となる2003年、4月25日に2ちゃんねるのプロ野球板において、「川崎憲次郎をオールスターファン投票1位にしよう。」というスレッドがたった。中日への移籍以降、高額年俸に見合わない成績であったセ・リーグの先発投手部門のファン投票で1位を獲得させ、川崎を晒し者にするための投票が行われた。

5月14日、東京スポーツが「FA移籍後1度も登板なし 川崎が球宴投票で上位の怪」と川崎がネットでの呼びかけでファン投票で上位に来ていることを報じたことにより、ネット外でも川崎祭が知られるようになる。

6月17日には、セ・リーグの先発投手部門において川崎は阪神タイガースのエースであり当時セ・リーグ最多勝であった井川慶を抜いて、1位となった。セ・リーグの先発投手部門のファン投票では、最終的に川崎は91万1328票を獲得し、2位の井川の86万3460票に4万6868票差をつけて1位を獲得した。川崎は「球宴は今シーズン、実績を残している選手が出る場所」として、オールスター出場辞退を表明した。オールスターゲームは故障などを除いて基本的に辞退することが許されず、正当な理由なくして辞退すると10日間の出場停止処分が下されるが、コミッショナー事務局は事情を鑑み、特例として出場停止処分は下さなかった。川崎が辞退したため、ファン投票枠は2位の井川が繰り上がった。なお、全体におけるネットでの投票が占める割合は32%だったが、川崎投手の場合はネットによる投票の割合は70%以上であった。

(引用終了)

 以上のように、ネット上の投稿数は、投稿者実数とは大きくかけはなれているのである。

 このブログの投稿者も、見かけよりは圧倒的に少ない。


 「いや夫」登場以後は、「いや夫」がおそらく投稿数の半数を占めている。その他アンチ否定派もごくたまに発言するが、その割合は1%以下である。

 同じように、否定派の投稿の大部分を成りすましで打っているのが「サイコばばあ」なのである。戦っている「いや夫」が一番わかっている。そして、今回のように、「サイコばばあ」がピンチに陥ると、「元会友」や「実践倫理宏正会ウオッチャー」が援護射撃の投稿を寄せているだけなのである。

 おおざっぱに観れば、「いや夫」登場以後の、かのブログは、
 「いや夫」VS「サイコばばあ」 の痴話喧嘩である。

 「サイコばばあ」のようなキチガイの相手をしている「いや夫」も我ながら変わり者だと思うが、成りすましを一切せず、固定ハンドルで戦っている点で、天と地との差がある。

 正直ものの「いや夫」と大嘘つきの「サイコばばあ」との戦いであり、最後は正直者が勝つのである。

 「サイコばばあ」や「ショッカー戦闘員」は決して認めないが、「いや夫」が常に「サイコばばあ」の成りすましをことごとく見破り、いつもギャフンといわせているのである。

 その何よりの証拠が、否定派のどいつもこいつも「匿名」で、成りすましがバレないように、おびえていることである。

 このブログの関係者に、固定ハンドルで「いや夫」に太刀打ちできる者は存在しない。いるなら、どうぞ(笑)。

<パラノイアとは>wikiより

偏執病(へんしゅうびょう、パラノイア、英: paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。
 

投稿 いや夫 | 2011.02.01 10:08 午後

訂正

(誤り) コメントを寄せた前。何だかんだと拒否しているが、バレバレなのまえ。

(訂正) コメントを寄せたまえ。何だかんだと拒否しているが、バレバレなのだ。


投稿 いや夫 | 2011.02.01 10:10 午後

補足1

(引用開始)

「いや夫」は、奥さんの義理で年に何度か朝起会に顔を見せているだけの奴。
「いや夫」には倫理を学ぼうとか、実践しようという気持は微塵もない。
それに、否定派を攻撃しているのは奥さんの頒布する「倫風」を受け取ってもらえるようにとか、会員が減ると「いや夫」の家からの出費が増えるからといった全く自分本位の利己的な理由。
今は、ただ宏正会をだしにこのブログで勝つか負けるかのゲームをしているだけ。
こんや奴に「宏正会がどうの」と言う資格は全くない。
だから、「いや夫」は否定派どころか会員からも嫌われているのは当然。
それが分からない「いや夫」はバカ。

投稿 匿名 | 2011.02.01 08:01 午後

(引用終了)

 上記の投稿について、その通りだと認めよう。「いや夫」はしょせん「いやいや朝起き会を続けている妻」をもつ夫である。

 朝起会は、厳しい修行だから、いやいやながらもがんばっている妻に対して、よくがんばっているねえと感心し、影ながら(少なくとも「いや夫」的には)応援しているだけである。たまたま討論に加わったら、否定派が成りすましの膨大な記事をかきまくる「サイコ」の相手だったので、その解明をゲーム感覚で行っている。見破るのはなかなかおもしろいし、その程度の楽しみがなければ、キチガイ相手なんてやってられません。

 よって、「いや夫」は正しくは「会友」ではない。「なんちゃって会友」と名乗るのもはばかられる奴なのである。そもそも宏正会は「議論を避けよ」をモットーとする会なので、「いや夫」はその教えの真逆の行いをしている。そういう奴なのである。

 だから、もちろん、会友で「いや夫」を疎ましく思う人もいるだろう。そういう人は、「いや夫」を肯定派ど思うからそう思うのであって、否定派の亜種だと解釈すればいい。「サイコばばあ」よりはまともな人間であると自負している。

 例えば、最後はわかりあえたと思いたいが、レイモンド氏もたびたび「いや夫」を中傷していた。「サイコばばあ」に罵詈雑言を浴びせることをいましたのだろう。(彼も同じことをやってたと思うんだけど・・・。)

 今回、レイモンド氏が「金槌」だったことを暴露し、さすがの「いや夫」も気づいていなくて、まだまだ洞察力が足りないなあと反省しているところである。

 当時の「レイモンド氏」の「いや夫」への罵倒

(引用開始)

「2ちゃんねるは終った」といいながら、2ちゃん
ねるにくぎづけになっている馬鹿夫!
^^;) エヘヘマークを付けてエサをまいたら、さっそく食いついて「通りすがり様」なんて大まじめに反応して、
はては「通りすがりさんの気持ちを思いやれないから
子ども」なんて、自分のお子ちゃま振りをさらけだした馬鹿夫!
創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ界にまこと大まじめに取り組んで、「いやいやながら」女房の尻に
敷かれっぱなしでバカップルやってる、
天上天下唯我独尊、うすら・馬鹿夫に乾杯!

投稿 金槌 | 2009.11.28 08:04 午後

(引用終了)

 ひどいものである。その彼でさえ、最後には、

(引用開始)
「いや夫」様

はじめてあなたのブログに投稿させていただきます。
いつも変わらぬご活躍ご同慶の至りです。
あなたがご検証されたように、「・・って何?」の影響は極く小さなものということが分かったいま、小生一旦筆を置くことに致しました。
今回の投稿を下記再掲いたしますと共に、今後のご健闘を祈りあげます。
                      頓首再拝

『いやはや、「いや夫」さんがちょっと書き込まれると、もうワイワイ花盛りとなって、何が何だか分からなくなりますなー。

いまや、このスレの「朝起き会」肯定派は、「いや夫」さんと小生の二人だけが生き残りとなってしまいました。
反対派は、多く見積もっても、「サイコばばあ」+2人 = 3人 と科学的に検証された「いや夫」さんのご功績は大きく、他の追随を許しません。

ただ、両派全投稿子のなかでいまや、コテハンつけているのは「いや夫」さんだけですので、論理内容よりもそのことに起因する、人格非難のようなものが殆んどで、議論が不毛なものになってしまいました。
このことは、つとに2ちゃん創始者の、ひろゆき氏が、指摘したことで、顔を見せない討論は、「匿名」でないとうまく運んでゆかないといっていました。

このスレを見て思うのは、近時の日本人の道徳力は可なり落ちており、もし若者がこのスレを相手にしているようでは、救いがたい面も感じられます。
石原慎太郎氏が、もうオリンピック招致はしないと言われておりますが、日本人の総力戦に対する持久力の低下を嘆いておられます。

「宏正会」25周年のとき、石原氏に頼んで書いてもらった、「青年部の歌」はいまも歌われています。あのころはよく足を運んでくれた氏も、忙しくもあるからか、あまりこちらに関心を示されておりません。

「いや夫」さんとわたしが沈黙すると、このスレは沈黙します。それは無理かも知れませんが、「いや夫」さんへの希望を言わせていただければ、もし「匿名」投稿にしていただければ、少なくともそのための、人格攻撃は止むと思います。

いささかの「宏正会」衰退傾向は、民主党の伸びと反比例しておりまして、また回復の望みはありますが、しばらくわたしは筆を置き、このスレとは係わらないように致します。

(追伸)
「創作、パクリ、盗み、取り込み、大三元」というわたしが作った語呂合わせを、ご採用いただき、有難うございます。その辺のセンスはあなたと共有していますね。』

投稿 匿名 | 2011.01.27 01:09 午後

(引用終了)

 というように、「いや夫」の成りすまし解明の努力をちゃんと認めてくださっている。これは、ネットでは、一番大切なことなのだ。

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」 by 西村 博之

追伸 上記の二つの投稿をそのまま解釈すると、「金槌」=「レイモンド」氏となる。それとも、「レイモンド」氏が2ちゃんねるで、「「創作、パクリ、盗み、取り込み、大三元」という言葉を投稿し、それを別人である「金槌」が引用した可能性もある。

 という風に、ネットなんてどっちにしても、くだらない世界なのである。

 チュニジアやエジプトがどうのこうのと言っているが、片腹痛いわ!「サイコばばあ」のこのブログにおける独裁政治を、「いや夫」が暴いて倒しているところだ。攻守が逆である。

 いったいどの投稿のどの部分で「いや夫」を論破したというのだ?

 教えてくれたまえ。そこんとこ、つぶしておきます。

投稿 いや夫 | 2011.02.01 10:53 午後

上記の「いや夫」の書き込みの二つ前の、自称「先に、いや夫さんに意見を言わせていただいた会友です」の意見は拝聴に値する。
意見そのものに、価値を感じるのであて、その匿名さんが、「サイコばばあ」であるかどうかには、全然興味なし。
内容が面白ければ、外野は興味を持って、今後も読ませていただきます。

投稿 匿名 | 2011.02.01 11:28 午後

いや夫さん

意見を言わせていただいた会友です
貴殿には、何を言っても無駄のようですね、

希望的観測として、いや夫さんが、会友でない、
単なる、自称であることを、期待します。

最後に、
会友であれば、会友として、守るべき義務事項が
当然あります。会友として、守るべきことは、守っ
て頂きたいですね。

いや夫さんからの回答は、無用です。
単なる、私の独り言で、結構。

以上、私からは、終了

投稿 匿名 | 2011.02.02 12:29 午前

(引用終了)


 敵の牙城だけ、敵の援護をするようにほざいている者の忠告など、聞く耳もちません。

 敵とその仲間は、成りすましの達人ですから。その点は認めていただけますよね?

 では、さようなら。「元会友」殿(今のところの「いや夫」の見方)。

 上記の投稿で、引用箇所をまちえました。

 すいません。

 「朝起き頑張りっ子」殿へ

 上記の

投稿 いや夫 | 2011.02.02 06:18 午前

 「のみ」削除をお願いいたします。

 それに乗じて「いや夫」の投稿を全部消さないでね(笑)。

 引用ミスを修正して、再投稿します。

(全体引用開始)

 どうしてそんなに「いや夫」のブログにコメントすることを恐れているのですか?

 私は、「宏正会をつぶしてやる」と2ちゃんねるで宣言していた「サイコばばあ」と戦っているわけで、敵の敵は味方なのではないですか?

 あなたが本当に会友なら、我がブログに直接コメントすればよい。どういうコメントを控えて欲しいのか、具体的に要望してください。反映できる点は反映するよう努力はします。

 幸い我がブログは承認制なので、私が承認しない限りは、表示されません。表示をしないで欲しいと書いていただければ、決して表示しません。

 あなたがこんな敵の牙城で、敵を援護するような投稿ばかりしているから疑われるのです。我がブログへコメントしていただければ、見方もかわってきます。特に、下記のような、明らかに大勢の個々のコメントだとわかるものを寄せていただけるとありがたいですな。そういったコメントが多ければ多いほど、貴殿の忠告を受け入れましょう。

(引用開始)

 「いや夫」が実践倫理宏正会を擁護するのは迷惑かどうか、ご意見をお寄せください
http://58807828.at.webry.info/201001/article_28.html


 ところが、コメントはまったく寄せられていません。まじめな実践者は、ネットが否定派首謀者による嘘の攻撃でおおいつくされていたことを知っているので、読もうともしないのです。「いや夫」が否定派首謀者の正体を明らかにしたことさえ知らない会友がほとんどです。

 本当に、「いや夫」の行いを制止したいと考える会友が存在するのなら、当然、「実践倫理宏正会って何?」のような否定派首謀者の巣窟に投稿なんてしてないで、我がブログに直接苦情を寄せるべきなのです。それをしない時点で、また、いつもの否定派首謀者自身が会友になりすまして、「いや夫」の反撃を封じようとしているとしか思えません。

 違うというなら、ぜひ、上記の記事にコメントしてください。会場のみんなが迷迷惑しているというのなら、会場のみんなに呼びかけて、一人一人長文で、それぞれの意見を書き込んでください。短文の個人的な意見は、否定派首謀者が簡単に成りすまして投稿できるので、それぞれの会友歴・実践の様子、「いや夫」の投稿によってどんな迷惑をこうむっているのかを真摯に記述してください。もちろん、同じIPアドレスから投稿しないように注意してください(笑)。

 ということで、上記の反論が我がブログに寄せられない以上は、今回の忠告も、「どうせ元会友かサイコばばあの自作自演だろう」と判断しています。

<関連記事>
「実践倫理宏正会って何?」での「愚息」(旧鉄槌)たちの成りすましの分析(その1)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_33.html

「実践倫理宏正会って何?」での「愚息」(旧鉄槌)たちの成りすましの分析(その2)
http://58807828.at.webry.info/201001/article_34.html

 「太陽神・武蔵・鉄槌」のお友達の「討論は避けよ」は「元会友」なのだろう。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_23.html


 「改革派会友」の正体 20100906版
http://58807828.at.webry.info/201009/article_4.html

「まな板の上の鯉」の「サイコばばあ」と「ショッカー戦闘員」の悪あがき
http://58807828.at.webry.info/201101/article_13.html

 上記のリンクをいちいち読みにいくような律儀な方は、「サイコばばあ」や「元会友」による成りすましの投稿にだまされるようなことはないでしょう。ネットを使うからには、その位、騙されないように心がけて欲しいものです。

 以上の投稿を読んでいただければ、わかると思いますが、先に紹介した会友が、本当の会友だなんて思っていません。いつも、「サイコばばあ」の援護をしているからです。会友が打つだろう投稿を打つことができる「元会友」だとは思っています(笑)。

 違うというなら、我がブログにコメントをお寄せください。


投稿 いや夫 | 2011.01.31 10:10 午後

(引用終了)

 敵の牙城だけで、敵の援護をするようにほざいている者の忠告など、聞く耳もちません。

 敵とその仲間は、成りすましの達人ですから。その点は認めていただけますよね?

 では、さようなら。「元」会友殿(今のところの「いや夫」の見解)。

投稿 いや夫 | 2011.02.02 06:18 午前

 では、「いや夫」対「サイコばばあ」の直接対決を再開しましょう。

 「いや夫」の数学的証明 1~3 は、まだ論破されていません。

 「サイコばばあ」がブログ主である証拠は、この3つだけに限らず、10位はあるのですが、第三者にもすぐわかるように、3つのエッセンスのみを選んだものです。そのたった3つの「いや夫」の指摘を打破できないようでは、「サイコばばあ」の成りすましもたいしたことはありません。否定派の卑怯さを印象づける恥さらしです。

 反論をどうぞ。もう頭が回らないということであれば、一つづついきましょうか?「1」について、どうですか?

(全体引用開始)

 「いや夫」の問いに対する「サイコばばあ」の反撃は、ほとんどコピペの罵詈雑言ばかりだが、唯一まともに反論した下記の記事に、反論しよう。

(引用開始)

「いや夫」がさも得意げに論証をしているようなので、お相手してあげましょう。 


> 「サイコばばあ」がブログ主である証明をします。
弁証法で解説します。
1 このブログの「ブログ主」は否定派である。
 理由 「サイコばばあ」の成りすまし投稿を、見逃し、一切指摘しない。ブログ主は、コメント者のIPアドレスをみることができるのである。ブログ主なら、「いや夫」に指摘されるまでもなく、「サイコばばあ」が同じIPアドレスから、膨大な成りすまし攻撃をしていることを知らないはずはない。そして、もし本当にブログ主が肯定派なら、必ずそれを指摘し、「サイコばばあ」の攻撃にくぎを差すに違いないのである。しかし、一切それをせず、「サイコばばあ」のブログ占拠を黙認している。よって、このブログのブログ主が否定派である確率は100%である。

『こんな理由で、ここのブログ主が否定派とは限らないでしょう。
ここのブログ主は心の広い方なので、否定派、肯定派の書き込みをそれぞれ認めて下さっているようですね。
もし否定派ならとっくに「いや夫」の荒らしの書き込みをすべて削除しているであろうし、「いや夫」のIPを公表しているはずなのでは。
このように出発点が間違っているから、「いや夫」の論証はすべて意味をなしません。 残念でした。』

>2 このブログのブログ主は、ブログ主であることを明かさずに、このブログにコメントをしているはずである。
1が「真」なら、このブログの開設の目的は、100%宏正会を攻撃するためである。であるなら、目的を達成するために、本人がコメントをするはずである。
コメントする確率は、人間の性(さが)から想定して、99%以上である。

『1が真とは限らないから、2は成り立ちませんね。
それに、たとえブログ主が否定派だとしても控えめな性格ということも考えられるし、自分の論述に自信がないのでコメントを控えることも考えられるでしょう。
「99%以上」というのはあくまでも「いや夫」の独断的な偏見。』

>3 投稿数から、「サイコばばあ」がブログ主である確率は95%以上である。
2が「真」なら、このブログに登場した否定派の中にブログ主がいることになる。

『1も2も「いや夫」のように言い切れませんので、3も意味をなしませんね。』

> 否定派による一つ一つの投稿が、ブログ主のものであることが同様に確からしいと仮定すると、投稿数の多いものほど、ブログ主である確率が高くなる。

『これも「いや夫」の独りよがりな独断。
ブログ主がたとえ否定派だとしても、より的確な論述をされる人が出てくれば任せてしまうこともあり得るのでは。違います?』

> はっきりいって、このブログにおける否定派首謀者は、ほとんど3名だけである。
「サイコばばあ」「元会友」「実践倫理宏正会ウオッチャー」だけといって差し支えない。もちろん、「キャラ」は数え切れないほど存在するが、そのほとんどは「サイコばばあ」の自作自演である。「ショッカー戦闘員」自体が自作自演で、そうではないという奴がいる可能性がなくはないが、誤差の範囲内である。
「いや夫」の概算によると、否定派の投稿数の三人の比率は、
「サイコばばあ」97%
「元会友」 2%
「実践倫理宏正会ウオッチャー」 1%である。

『これも「いや夫」の勝手な想像を言っているだけでしょう。
何も証明されてはいませんよ。』

> よって、1・2・3が真だと仮定すると、「サイコばばあ」がブログ主である確率は、
1×0.99×0.97=0.9603≒1
つまり、
「サイコばばあ」がブログ主である
は限りなく「真」である。というのが数学的結論である。

『残念でした。
この論証が意味をなさないことがお分かりですか?』

以上のように、「いや夫」の論証は全く無意味なシロモノでした。
答案でしたら「落第点」どころか「0点」ですね。
「いや夫」は皆さんが言っているように本当にお馬鹿さんのようですね。
もういい加減にクダラナイ投稿、止めたら。
もっと時間を有意義に使った方がいいと思うよ(お節介ながら)。

投稿 匿名 | 2011.01.30 05:25 午後

(引用終了)

 まず、前提として、上記の反論をした者が、「サイコばばあ」自身かどうかが、問題となります。

 100%「サイコばばあ」でしょう(笑)

 よって、まず、このブログの否定派の投稿の96%は「サイコばばあ」の自作自演であるという証拠の一例として対処します。

 まず、「1」について討論しましょう。

「サイコばばあ」は、「心の広い方なので」という抽象的な表現でごまかしています。

 確かに、以前「いや夫」は下記のような投稿をしました(笑)。

(引用開始)

 よって、今後も低レベルの投稿は、すべて「愚息」として「統計処理」する。君らは「誤差の範囲」だ。許せ!
(もっとも、違う違うと「愚息」が打っている可能性もかなり高い。どちらにしても、どうでもよい連中だ。TVなら放映前にカットできるが、ブログはそういう訳にもいかないのが残念だが・・・。ブログ主の「朝起き頑張りっ娘」くんは懐が深いのう(笑))
(略)

投稿 いや夫 | 2010.07.22 05:51 午後

(引用終了)

 しかし、「懐が深いのう」の後の「(笑)」にご注目ください(笑)。そんな懐の深い会友なんて、存在するはずがないのです。そんなことはこのブログに投稿しはじめた頃からうすうす気づいていて、この当時は確信していたのです。

 「サイコばばあ」が主張するように、実践倫理宏正会会友で肯定派がブログ主だと仮定して、そのブログ主が、「サイコばばあ」の執拗な成りすまし攻撃を黙認する確率は、どれほどのものでしょうか?

 そんなことがありえるはずがない。あったとしても、1%以下の誤差の範囲でしかないというのが、「いや夫」の見解です。

 「朝起き頑張りっ子」さんに、直接聞いた方が、てっとりばやいですね。

 あなたは、肯定派ですか?否定派ですか?

投稿 いや夫 | 2011.01.31 12:23 午前

(全体引用終了)

 上記の反論に対して、「サイコばばあ」は罵詈雑言で逃げる。

(全体引用開始)

しつけーな、いや夫
おめえとの会話は、おわってるんだよ

2度とここにくるな

自分の言ったこと守れ、2度と来ない人間に
質問する、資格なし

どあほ、消えろ、
電車にとびこめよ

自分で、いやな人間だと、みとめたんだから
いってることと、やってることが、違いすぎだぞ

倫理しらずの、倫理そっちのけの、
倫理の会の会友???? 
どあほ、きえろ、生きる価値なし、
めいわくだ、いや夫

おめえの、いってることは、おれには、
全部 該当なし

脳内妄想の、異常者、きえろ、いや夫

おめえが、いるだけで、周りの人間が、どれだけ
いやな思いをしているか、
現実社会でも、会社でも、家庭でも、
無神経で、のうのうとしてるのは、おめえだけだぞ

ちっとは、脳みそ、つかえ、
無神経やろう、

だいいち、サイコバアアって、なんだ???
おめえの、作り出した、勝手な 亡霊??
精神科にとにかく、いったん行け
暗闇に、向かって、叫んでる、異常者だぞ、おまえは

投稿 匿名 | 2011.01.31 06:39 午前

ばか、いや夫、なんどいったらわかるんだ
おれは、全部、否、全部不該当

脳内妄想のくそどあほが
早く死ねよ、脳状態なんだから、くそどあほ

★★★★★
このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです


(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」のクレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげて、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
 愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの? 文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
 ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと腹をさされていたかもしれない。

 いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかりだが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は一切なされていないが、きっとそうだ。
 そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けていると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
 だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、追求を続けていく。
 「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。


(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。

投稿 匿名 | 2011.01.31 06:41 午前

これも、もう一回入れとこう
くそどあほの、いや夫、もう2度くるな、はやく死ねよ

いや夫

おまえは、ここへは2度と来ないと自分で言っただろう
どあほ 人間のくず、

2度とこない、書き込みしない人間が、質問することは
ありえないだろうが、
このどあほ

倫理そっちのけの、倫理語り、
いってることと、やってることが違いすぎる
まさに、厚顔無恥の、人間のくず、
くぞどあほ、そのもの、

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
みなさん、よくわかったでしょう、いや夫(=会友)という人間、
これが、実践倫理宏正会の会友の本音、正体です
おもてっつら、いいこと言ってても、これが実態、中身です
なにか、ちょっとでも都合の悪いことが起これば、これが表に
出てきて、大変な事態になるんですよ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
いや夫は、ここに、2度と書き込みするな、
消え去れ、

電車にでも飛び込めばいいのに、
おくさんも、大喜びだと思うよ


投稿 匿名 | 2011.01.31 06:43 午前

(全体引用終了)

 実に執拗な罵詈雑言である。ちなみに、「いや夫」攻撃のために、


 「愛知県でおきた老女惨殺事件」に触れた攻撃があるが、このオリジナル投稿は、「いや夫」のものである。「いや夫」の秀逸なブラックジョークが、「サイコばばあ」自身のプロフィールに見事に合致し、許せないのだろう。「いや夫」の投稿のセンスを一番高く評価してくれているのは、「サイコばばあ」ということになる(笑)。 (後で解説します。)

 これに対する、「いや夫」の補足。

(全体引用開始)

 「サイコばばあ」自身がブログ主なのだから、「朝起き頑張りっ子」さんに呼びかけても、コメントをするはずがありません。そのことも、「いや夫」の主張を補強する事実です。

 では、「2」について

(引用開始)

『1が真とは限らないから、2は成り立ちませんね。
それに、たとえブログ主が否定派だとしても控えめな性格ということも考えられるし、自分の論述に自信がないのでコメントを控えることも考えられるでしょう。
「99%以上」というのはあくまでも「いや夫」の独断的な偏見。』

(引用終了)

 「サイコばばあ」の主張を認めて、
「1」が真でないと仮定した場合を考えてみましょう。
要するに、下記の条件を全て満たしたということになります。

ア ブログ主は「肯定派」
イ 「サイコばばあ」の宏正会への成りすまし攻撃を黙認
ウ 自身のブログに一切コメントしない

 では、何のためにこのブログを開設したのでしょうか?矛盾が多すぎます。よって、統計的には、そのようなケースはあり得ない=誤差の範囲ということになります。「サイコばばあ」はこれを何%の確率だと主張するのでしょうか?

 一方、

「それに、たとえブログ主が否定派だとしても控えめな性格ということも考えられるし、自分の論述に自信がないのでコメントを控えることも考えられるでしょう。」

 の方は、前者の主張よりは、多少現実味があります。

 そして、それがもし「真」だと主張するなら、
「1」の{ブログ主は「否定派」である}を補強する材料になります。

 結果として、「2」に対する「サイコばばあ」の反論は、「1」が「真」であることを自ら認めていることにもなります。

 次に、「3」について。

(引用開始)

> 否定派による一つ一つの投稿が、ブログ主のものであることが同様に確からしいと仮定すると、投稿数の多いものほど、ブログ主である確率が高くなる。

『これも「いや夫」の独りよがりな独断。
ブログ主がたとえ否定派だとしても、より的確な論述をされる人が出てくれば任せてしまうこともあり得るのでは。違います?』

(引用終了)

 百歩譲って、「サイコばばあ」の反論の方が確からしいと仮定しましょう。

ア ブログ主は否定派
イ 的確な記述をされる人(こ奴曰く「サイコばばあ」のこと)にまかせている

 上記の指摘は、「1」を認めていることになります。

 よって、「サイコばばあ」の「2」「3」に対する反論は、「1」の「ブログ主は否定派である」という「出発点」を認める記述なのである。

 なお、

(引用開始)
もし否定派ならとっくに「いや夫」の荒らしの書き込みをすべて削除しているであろうし、「いや夫」のIPを公表しているはずなのでは。
(引用終了)

 については、そうしたくてもできない理由をすでに説明している。「会友である」と偽っているから、そうできないのである。悔しいの~(笑)


(引用開始)

 「実践倫理宏正会って何?」を読みにきた皆さん。このブログのブログ主(=「サイコばばあ」=「太陽神」=「武蔵」=「テラ」他20位のキャラ)がいかに愚かな奴か、ちゃんと昔の投稿を読んでみてください。2009年位から読むと、このブログの裏側がよ~くわかります。

 このブログ主は、実は「サイコばばあ」(=今も孤軍奮闘している否定派)なのですが、いまだに自分がブログ主だと認めていません。「いや夫」の投稿を削除したり、「いや夫」の投稿を拒否したり、このブログを閉鎖したりすると、それが実証されてしまうので、いまだに悪あがきの批判記事を書き続けているのです。


 「サイコばばあ」はまな板の上の鯉なのです。嘘ばかりついて墓穴をほった狼ばばあで、要するに単なるバカです。こんな奴にだまされないでください。

(引用終了)


 そして、「いや夫」の投稿に対して、膨大な罵詈雑言をコピペ攻撃して応戦するのが精一杯なのだ。上記で引用した投稿の「追伸」に書いた通りだ。

(全体引用開始)
 「サイコばばあ」へ

 どうせ、また「嘘つき!」などと、執拗にコピペ攻撃を繰り返すことだろうが、まあ、そんなにムキになるな。

 貴様は、「いや夫」にちっとも負けてはいないのだろ?なぜ、そんなにムキになる?

 また、貴様はこのブログのブログ主ではないという設定だろ?(笑)それなら、貴様が偉そうに非難する資格はない。貴様の成りすましや嘘の方が、よっぽど罪だ。

 な~んだ、貴様は元会友だったのか?昔信じた組織をよくもそんなに攻撃できるものだな。さすがは、キチガイだ。飛ぶ鳥後を濁さずさえできない、鳥以下の奴だ。

(この後、「いや夫」への罵詈雑言が続く↓。)

(とおちょくると、どう反応するのだろう?)

投稿 いや夫 | 2011.01.17 10:38 午後

(全体引用終了)

投稿 いや夫 | 2011.01.31 07:09 午前

(全体引用終了)

 このブログは、いつもどうどうめぐりである。
都合が悪くなると、すぐに話題を変える「サイコばばあ」のせいである。逃げずに(話題を変えずに)、みっちり話し合おうではないか。

 反論をどうぞ。もう頭が回らないということであれば、一つづついきましょうか?「1」について、どうですか?


このキチガイを相手にしない方がいいよ
 

いや夫は、パラノイアの典型。
一度 病院で診てもらったら。

<パラノイアとは>wikiより

偏執病(へんしゅうびょう、パラノイア、英: paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。

「いや夫」はどうしても亡霊の正体を掴もうと思っているようですね。
でも亡霊は「いや夫」の頭の中で作り出したものだから、いくら正体を掴もうと思っても掴みようがないのではないですか?

では、「いや夫」がどうしても納得がいかないようですので、「いや夫」の思っている亡霊がここのブログ主かどうかについて「いや夫」に反論しましょう。

まず言える事は、「いや夫」は自分の思っている亡霊がここのブログ主であるかどうかと云う事と、ここのブログ主が肯定派か否定派かと云う事をごっちゃにしています。
ここでの反論は、ここのブログ主が肯定派か否定派かということになります。

1 について

> 「サイコばばあ」が主張するように、実践倫理宏正会会友で肯定派がブログ主だと仮定して、そのブログ主が、「サイコばばあ」の執拗な成りすまし攻撃を黙認する確率は、どれほどのものでしょうか?
 そんなことがありえるはずがない。あったとしても、1%以下の誤差の範囲でしかないというのが、「いや夫」の見解です。

『このブログの最初の方を見ますと、ここのブログ主の方は宏正会の初心者という感じですね。
でも、それから6年が経っています。人の心は年月が経つと変わってきますから今はどうでしょうか。
バリバリの実践者になっている?
そうでしたら、普通なら「いや夫」の言っているように自分のブログを否定派が占領するのは許せなくなるでしょうね。
でも、勉強のために宏正会に否定的な人はどのように言っているのかと興味をもって見ているかも知れませんよ。
「いや夫」の言うように1%以下という確率は言い過ぎでは。
「いや夫」妻の程度の実践を今も続けている?
そうでしたらどうでしょう。
宏正会にはこんな問題点があったんだ、なるほどね、といった感じで見ているかもしれませんね。
今では宏正会に嫌気を感じている、今では宏正会から離れているとしたら、否定派の人もっと頑張って、ということになるでしょうか。
一応、分かりやすいように三つのタイプに分けましたけど、人の気持は色々ですから実際はもっともっと細かく分かれるのでしょうね。
ここのブログ主の方は、心の広い方のようで否定派の方も肯定派の方も、また荒らし的な書き込みでも分け隔てなく受け入れて下さっています。
ここのブログ主の方を否定派とか肯定派とか決め付けずに、ニュートラルと思っていればいいのではないでしょうか。』

2 について

> 「サイコばばあ」の主張を認めて、
「1」が真でないと仮定した場合を考えてみましょう。
要するに、下記の条件を全て満たしたということになります。
ア ブログ主は「肯定派」
イ 「サイコばばあ」の宏正会への成りすまし攻撃を黙認
ウ 自身のブログに一切コメントしない
 では、何のためにこのブログを開設したのでしょうか?矛盾が多すぎます。よって、統計的には、そのようなケースはあり得ない=誤差の範囲ということになります。「サイコばばあ」はこれを何%の確率だと主張するのでしょうか?
一方、
「それに、たとえブログ主が否定派だとしても控えめな性格ということも考えられるし、自分の論述に自信がないのでコメントを控えることも考えられるでしょう。」
の方は、前者の主張よりは、多少現実味があります。
そして、それがもし「真」だと主張するなら、
「1」の{ブログ主は「否定派」である}を補強する材料になります。
 結果として、「2」に対する「サイコばばあ」の反論は、「1」が「真」であることを自ら認めていることにもなります。

『ア ブログ主は「肯定派」 イ 「サイコばばあ」の宏正会への成りすまし攻撃を黙認 ウ 自身のブログに一切コメントしない
これは、1で述べたようにバリバリの実践者でしたら否定派が宏正会についてどのように思っているのかの勉強のためにこのブログを続けていると考えられますし、「いや夫」妻の程度の実践者でしたら、宏正会の問題点を興味をもって見ているということになるでしょうね。
必ずしもここのブログ主の方が否定派と断定することはできません。
もちろん今では宏正会に否定的になっているという事も考えられます。』

3 について

>百歩譲って、「サイコばばあ」の反論の方が確からしいと仮定しましょう。
ア ブログ主は否定派
イ 的確な記述をされる人(こ奴曰く「サイコばばあ」のこと)にまかせている
 上記の指摘は、「1」を認めていることになります。
 よって、「サイコばばあ」の「2」「3」に対する反論は、「1」の「ブログ主は否定派である」という「出発点」を認める記述なのである。

『もちろん、今では宏正会に否定的になっているのでしたら、そのように言えるかも知れません。』
 

>なお、
(引用開始)
もし否定派ならとっくに「いや夫」の荒らしの書き込みをすべて削除しているであろうし、「いや夫」のIPを公表しているはずなのでは。
(引用終了)
 については、そうしたくてもできない理由をすでに説明している。「会友である」と偽っているから、そうできないのである。悔しいの~(笑)

『ここのブログ主の方が完全な否定派で、最初から宏正会を陥れるためにこのブログを始めたとしたら、また「いや夫」のようにずる賢くて恥知らずであれば、削除したり、IPを公表したりする事もできるでしょう。
でも、ここのブログ主については色々と考えることができますので、前に述べましたように肯定派、否定派と決め付けずに、ニュートラルと思っていればいいのではないでしょうか。
(私は、「いや夫」妻程度の実践者か、今は宏正会から離れているけどそんなに宏正会に対して憎しみを持っていない心やさしい方だと想像しますが。ブログ主さん、色々と詮索してゴメンナサイ。)
「いや夫」は、ただ杓子定規に論理をあてはめて自分は絶対に正しいと思っている「分からず屋」、家族にしても、職場にしても、こんな「いや夫」の周りにいる人は、大変でしょうね。』

「いや夫」が揚足を取るといけませんので補足しておきます。

『もちろん、今では宏正会に否定的になっているのでしたら、そのように言えるかも知れません。』
と述べたのは、「的確な記述をされる人にまかせている」と言っているだけで、私が「いや夫」の言っている亡霊だと認めたわけではありません。
「いや夫」が勝手に付け加えたことでしょう。

いや夫みたいな気違いなんか相手にしてないで、宏正会についてちゃんと議論しようよ。関係のない荒らし屋は無視、無視。

 投稿 匿名 | 2011.02.02 05:46 午後

については、「これだけ読むと」論理の破綻はないね。

 なくはないケースです。でも、そうかなあ?

 じゃあ、君、じゃなかった、ブログ主はどうして、このブログを否定派が占拠している2ちゃんねるにリンクを紹介して、わざわざ投稿を呼びかけたの?
 否定派に書き込みをさせるため、というよりか、バリバリの否定派である君、じゃなかった、ブログ主が攻撃の拠点とするためでしょ?

 もう一度説明しよう。

我がブログより

2005年の2ちゃんねるが「鍵」です。
http://58807828.at.webry.info/201009/article_7.html

 このときは、まだ2005年の2ちゃんねるを読んでいない「いや夫」ですが、全てのカギはこの時の2ちゃんねるにあることを予想しています。

 そして、ミラーサイトを使えば、ただで読めるちゃいました(笑)。

 我がブログより

重要な記事:思った通り、「実践倫理宏正会って何?」はちゃねら~の自作自演でした!!!
http://58807828.at.webry.info/201009/article_27.html

(全体引用開始)

>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 「いや夫」は、「実践倫理宏正会って何?」が宏正会否定派首謀者の「サイコばばあ」(「太陽神・武蔵・鉄槌」)が作ったものであるということを見抜いていますが、また、新たな証拠が見つかりました。

 「いや夫」は2ちゃんねるが大嫌いなので、2ちゃんねるの過去スレを見るためにお金を払うことはくだらないことだと考えています。よって、これまでは、過去スレのパート10~15を読むことができませんでした。

 しかし、2ちゃんねるのミラーサイトからは、それも読めることに気づきました。
「にくちゃんねる」(今は休止中)というミラーサイトです。これで、今まで空白であった資料も読むことができますので、「いや夫」の否定派首謀者追求は、より正確になります。(といいつつ、秋のGⅠシリーズが始まり忙しいので、のんびり追求します。)

 関連サイト
  http://makimo.to:8000/cgi-bin/search/search.cgi?q=%8E%C0%91H%97%CF%97%9D%8DG%90%B3%89%EF&sf=2&all=on&view=table

 さっそく「実践倫理宏正会って何?」のブログが始まった頃の2ちゃんねるを読んでみましたが、「ビンゴ!」です。
思った通り、否定派ちゃねら~の自作自演だと確信しました。

 さて、かのブログの最初の投稿者は、スレ主である「自称」会友「朝起き頑張りっ子」です。

(引用開始)

こんにちは。
実践はじめてまだ少ししかたっていませんが、
これから頑張ろうとおもいます。
昔の「倫風」のよい記事や、
行事予定がありましたらご紹介ください。
まだまだ寒くて頒布は大変ですが、
がんばりまーす。

投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24 01:58 午後

(引用終了)

 そして、この同じ日に、2ちゃんねるで下記の投稿がされています。

 【元宗教】実践倫理宏正会12【朝起き会】
 http://mimizun.com/log/2ch/psy/1107502719
 より

(引用開始)

81 :名無しさん@3周年:05/02/24 13:52:46 ID:JLMrwr5t
こちらが会友さんの作成したサイトです。
どんどん問い合わせて、お金返金してもらいましょ。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/

(引用終了)

 投稿のタイムラグは「マイナス6分」!
2ちゃんねるの方が、ブログ主より6分早いみたいだ(笑)
アホだなあ!ブログの投稿の方を先にしろよ!(笑)
もっとタイムラグを作れよ!(笑)
こ奴(ブログ主)はアホそのものである。
10ヶ月討論してきたが、いつも尻尾が見えているので笑ってしまう奴である。

(ちなみに、wikiで「実践倫理宏正会」の記事が始まったのが、2005年2月23日であり、関連がないはずがないのである。せっせ、せっせと一人で批判記事を書きまくっている「サイコばばあ」である。)

 こんな最初から嘘で始まり、今も嘘だらけのブログが、ぐぐって上位なのだから、お笑いである。こんなブログを真に受ける人は、それまでの人なのでしょう。
「いや夫」がいなければ、こんな単純な事実にさえ誰も気づかない。ネットとは、本当に下らない世界だ。


PS 嘘つきが作ったかのブログを読む方へ忠告

  登場してくる投稿者のプロフィールをいちいち鵜呑みにするのはやめましょう。成りすましを見破られた否定派首謀者は、別の人物に成りすまそうとしたり、自身のプロフィールを混乱させるために、偽の情報を流したりするのです。そんなのは当たり前です。
 また、「サイコばばあ」か「改革派会友=実践倫理宏正会ウォッチャー」だかが、クレーム対応がどうのこうのとか書いて、会友を装っているけど、そんな嘘にだまされないように。こいつ自身がクレーマーそのもので、その正体を見破られたくないばかりに、クレーマー追求をしている「いや夫」を批判しているだけです。
 「いや夫」がいないと、否定派の天国のようだ。やはり、宏正会はネット弱者です。

 関連記事
  http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-26045742

(全体引用終了)

 こ奴はさらに、同時にwikiでも攻撃を開始しています。(笑)。怒濤の攻撃開始というわけだ(笑)。

 我がブログ

「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、やはり「否会友」なのでしょう。
http://58807828.at.webry.info/201008/article_50.html

(全体引用開始)

 なお、偶然の一致というには、不自然なのが、

wikipediaで「実践倫理宏正会」の記事が新規作成されたのが、

このブログが作られた前日の「2005年2月23日」なのです。

 そして、wiki新規作成者(211.9.162.39)は、明らかに否定派です。

wikiの最初の版は下記のようなものです。

(引用開始)
実践倫理宏正会(じっせんりんりこうせいかい)は、1950年5月に創立した社団法人である。
一般的には、朝起き会(あさおきかい)の名称で知られている。本部は東京都千代田区九段北、靖国神社のすぐ脇に本部ビルを持つ。
会長は上廣栄治、創設者の上廣哲彦の長男である。

概要
精神修養団体の中で、最大の勢力を誇る団体で、会員数は主婦層を中心に公証で400万人といわれているが、詳細は不明。大規模な組織にも拘らず公式ホームページを持たず、広報活動は会誌のみであり、入会するまで会の詳細を知らされることは少ない。 主な活動内容は、実践倫理を実行するため、毎日朝5時から6時まで、日本各地にある会場で、集会を開く朝の集い(あさのつどい)である。

当会は1945年に広島県で被爆した先代が東北の金沢でひらいたと当会の著書に記されているが、実際は1912年に「御獄教・徳光大教会」として発祥し、1936年に「ひとのみち」となり、戦時中天皇の解釈で弾圧、解散。終戦後宗教法人法の改正にともない、宗教弾圧を避けるため「社団法人」として1946年に「倫理研究所」と「PL教団」に分派。その後倫理研究所北陸地区の布教責任者であった「上廣哲彦」が1950年に倫理研究所から独立して「実践倫理宏正会」を発足させた。
登記は教育団体で宗教ではないとしているが、一部の宗教学者は、これを戦後の新宗教としている。

強引な勧誘方法や、金銭面でのトラブルが発生しており、幼い子供をおいて頒布(会を広める)する「捨て育て」という行為が推奨されるなど、問題点が指摘されている。

教義
朝の誓い

参考文献
上廣栄治 「倫理がひらくきみたちの未来」
(引用終了)

(全体引用終了)

 上記の事実は、半年も前に「いや夫」が明かしていて、ごまかしようがないのだけれど、

この話題に「敵」がのってきたのは好都合です(笑)。

 では、本人の苦しい「言い逃れ」をみんなで聞いてみましょう。(笑)

 我ながら見事な作戦です(笑)。

おい、いや夫、意味のないアホごとは自分のブログだけでやっとけや。相手にしてもらえないからまたのこのこ荒らしに来たのか。お前が気違いなのはもうよくわかったから、さっさと枕でも抱いて、バカに生まれたことを恨んどけ。もう出てくるな。目障りだ。

 苦しくなると、「鉄槌キャラ」でごまかすから「サイコ」なのです。

 ごまかしはたくさんだ!

 さきほどの多少は品が良いが、偉そうなキャラで言い逃れしてみろ!

 我がブログより、ミサイル攻撃!

 開き直って、君のこのブログの機能を有効活用したらどうだい。コメントで掲示板がわりにしようなんてのが浅はかだったのです。(ちゃねら~にとっては、それで十分だったのだろうね。「君たち、ちゃねら~、僕ブロガ~」の差は大きいのう~。)

(全体引用開始)

「サイコばばあ」の偏執度チェック
http://58807828.at.webry.info/201102/article_3.html

<< 作成日時 : 2011/02/02 23:23

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主が、「いや夫」に追い詰められ苦境におちいっている。一つ嘘をつくと、また嘘をつかなくなり苦しくなるのだ。一生嘘の言い逃れを続けていろ!貴様のくさい言い逃れを読んで笑ってやる。

 「サイコばばあ」は自分自身がかのブログのブログ主であることを、誰からも見抜かれているのに、決して認めようとしない。

 しかし、かのブログの初投稿と、wikiの初記事と、2ちゃんねるでのかのブログへの攻撃開始が、下記のようにほぼ同時に行われている事実は、言い逃れのしようがないのである。

1 wikiで「実践倫理宏正会」の記事を「新規」作成 
  2005年2月23日 (水) 14:56 211.9.162.39 (会話) (2,240バイト) (新規作成)

2 2ちゃんねるで「実践倫理宏正会って何?」を攻撃しようと紹介
(引用開始)
81 :名無しさん@3周年:05/02/24 13:52:46 ID:JLMrwr5t (「1」の翌日)
こちらが会友さんの作成したサイトです。
どんどん問い合わせて、お金返金してもらいましょ。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/
(引用終了)

3 「実践倫理宏正会って何?」でのブログ主の最初で最後のコメント
(引用開始)
こんにちは。
実践はじめてまだ少ししかたっていませんが、
これから頑張ろうとおもいます。
昔の「倫風」のよい記事や、
行事予定がありましたらご紹介ください。
まだまだ寒くて頒布は大変ですが、
がんばりまーす。

  投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24 01:58 午後(「2」から6分後)
(引用終了)


 そして、「2」と「3」の順序が逆で、6分しか違わないのが、真実を物語っている。

 「サイコばばあ」の当時の気持ちを予想してみよう。

(「サイコばばあ」の頭の中から引用開始)

 おのれ~!会友の身内め~!貴様が愛する宏正会をネットで攻撃してたたきつぶしてやる!まずは、「実践倫理宏正会って何?」というブログをつくって準備完了。ブログ主として会友を装ったので、否定派のブログだとは気づくまい。しめしめ。昨日はwikiで新規作成して攻撃を開始したし、今日は、我が牙城の2ちゃんねるに、かのブログを紹介して、攻撃開始だ!

 カチャカチャカチャ(こちらが・・・・・返金してもらいましょ。) クリック。

 あっ、ブログの方は、コメントしてなかった。誰もコメントしないと不自然だわ。急いで打たなきゃ。

 カチャカチャカチャ(はじめまして・・・がんばりまーす。) クリック

 これでよしと。否定派の人が投稿しやすいように、さくらで投稿をしなきゃね。本当の目的は、会友をこのブログに誘い出して、たたきのめすことだから、最初は、会友が投稿しやすいように、会友になりすまさなきゃ。私の怒濤の攻撃は、会友をおびき出してからよ。ワクワク。

(お~怖。「サイコばばあ」の頭の中から引用終了)

 今までは、「いや夫」のこの攻撃を完全に無視することでやり過ごしてきた「サイコばばあ」であったが、「いや夫」が仕掛けたワナ(「サイコばばあ」がブログ主である数学的証明の投稿)にひっかかって、上記の事実について、言い逃れをせざるを得ない状況に陥ったのである。

 投稿が人並み以上に巧みな「いや夫」が「サイコばばあ」だったとしても、上記の追求に反論することは不可能である。いつも上から目線で偉そうな「サイコばばあ」がどんな反論をするか楽しみである。

 きっといつものように「スルー」だろうが(笑)。

 それとも、またかのブログをいきなり削除するのだろうか(笑)。

 それも、エンディングとしてはおもしろい。ワクワク。


 さて、「サイコばばあ」のくさい言い逃れを待つまでに、「サイコばばあ」がいかに「サイコ」(偏執病)か、統計的に分析してみよう。

 かのブログに、約束を破って「いや夫」が二度目の投稿をした後の、こ奴の投稿から分析する。全ての投稿が、「サイコばばあ」自身のものと仮定して分析するし、そうに違いない。

 本文はおいておいて、投稿の間隔を紹介します。

1  投稿 匿名 | 2011.01.25 11:41 午前
2  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:18 午後(15時間37分後 これはOK)
3  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:22 午後(4分後)
4  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:25 午後(3分後)
5  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:28 午後(3分後)
6  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:55 午後(27分後)
7  投稿 匿名 | 2011.01.25 04:26 午後(31分後)
8  投稿 匿名 | 2011.01.25 04:33 午後(7分後)
9  投稿 匿名 | 2011.01.25 05:21 午後(48分後)
10 投稿 匿名 | 2011.01.25 05:27 午後(6分後)
11 投稿 匿名 | 2011.01.25 05:42 午後(15分後)
(12) 投稿 いや夫 | 2011.01.25 08:54 午後

 なんだこの「サイコ」な投稿間隔は!

 こ奴は、「武蔵キャラ」の頃は、

(引用開始)
これまでの小生の投稿を見ていただければ分かるように 小生は一日に一度しか投稿しない。そして次の投稿も 翌日の時もあるし数日後のときもある。小生の投稿が連続しているように見えるのは他の者の投稿がないからその様に見えるだけのことである。これからもこの位のペースではないか思うのでご承知置き願いたい。
(引用終了)

 などと偉そうなことをほざいていた。それが、今では、「いや夫」に追い詰められ、このざまである。

 ちなみにこ奴は、「いや夫」対「武蔵キャラ」の直接討論に入る前に、例によって「、」無し投稿で、下記の、全て成りすまし投稿で応戦していたのである。

 卑怯だねえ~。

 そして、いきなり「匿名」で攻撃しているところに、こ奴の姑息さがにじみ出ています(笑)。

1  投稿 匿名 | 2009.10.10 10:16 午前
2  投稿 テラ | 2009.10.10 12:32 午後
3  投稿 テラ | 2009.10.10 05:12 午後
4  投稿 究明団 | 2009.10.10 08:15 午後
5  投稿 究明団 | 2009.10.11 02:35 午後
6  投稿 ボケ老人 | 2009.10.11 06:38 午後
7  投稿 ボケ老人 | 2009.10.11 07:55 午後
8  投稿 究明団 | 2009.10.12 07:29 午前
9  投稿 匿名 | 2009.10.12 06:26 午後
10 投稿 匿名 | 2009.10.13 09:01 午前

 そして、雑魚キャラでは太刀打ちできないので、「武蔵キャラ」で応戦開始。

(引用開始)
小生の書き込みに反応がなかったので しばらくこのブログから遠ざかっていたのであるが ここに来てこのブログが賑やかになっている。
「いや夫」と称する者が これまでの鬱憤を晴らすかのように大量の投稿をしているが 何分膨大な量であるので小生は斜め読みで目を通しただけである。
(引用終了)

 遠ざかってないじゃん(笑)。

 なお、上記の「雑魚キャラ」のうち、「鉄槌キャラ」と同じ性格設定である「究明団」の投稿は、特に笑えるので紹介しておこう。

(引用開始)
「いや夫」 いつまで一人でダラダラと続けるつもりだ。
ここはお前のブログではなかろう。イイカゲンにしろ。

投稿 究明団 | 2009.10.10 08:15 午後

(「いや夫」注:「ここは俺(本当は女)のブログだ~!」と言いたい訳です。)

(引用終了)

 「サイコばばあ」がブログ主だと認めないなら、それはそれで構いません。こ奴がいかに恥知らずの大嘘つきであるかが、証明されるだけですから。
 
(全体引用終了)

訂正

誤 一つ嘘をつくと、また嘘をつかなくなり苦しくなるのだ。

正 一つ嘘をつくと、また嘘をつかなければならなくなり苦しくなるのだ。

スレ荒らしの「いや夫」を無視して、宏正会について語りましょう。

そもそも宏正会の嘘や不正を暴く事(否定派)と、それを邪魔しようとする事(肯定派=「いや夫」)、どちらに正義があるの?


このスレが再度炎上したのも、家庭愛和の会の倫理観から始まったように思います。
つまり、会長のご子息が結婚され、家庭愛和を築けないまま離婚されたと、以前のネット上で書かれ、親であり、倫理の指導員である会長の導きはなかったのか、ここら辺を議論してはいかが?
否定派、肯定派、アンチ否定的派、疑問維持派などそれぞれの立場で。

2011年2月3日 朝日新聞

内部告発者の解雇無効 自治労共済敗訴 松江地裁判決

上司のパソコンから無断で移し替えた情報を使って内部告発した職員の解雇が認められるかが争われた訴訟の判決が2日、松江地裁であった。三島恭子裁判官は「解雇権の乱用にあたる」と判断。被告の全日本自治体労働者共済生活協同組合(自治労共済)島根県支部による解雇処分を無効とし、未払い賃金約90万円などを支払うよう命じた。

 原告は、同支部の元嘱託職員の男性(58)。判決によると、自治労共済は1997年ごろから組合員と生計が異なる別居親族に共済加入を認めたり、交通事故を起こした組合員が事故以前に共済に加入していたように装って共済金を支払ったりしていた。

 男性はこうした契約偽装問題を自治労共済本部に通報したが、是正措置がとられていないと判断。上司のパソコンに保存された契約偽装問題に関する情報を私用のUSBメモリーに移し替え、2008年10月、自治労共済を監督する厚生労働省に告発した。その後、このUSBメモリーが同支部事務所のソファの上に置かれているのが見つかり、同支部は09年8月、男性の情報取得行為を就業規則違反として解雇した。

 判決は、男性がUSBメモリーに情報を移し替えた行為について(1)内部告発以外の目的で情報が外部に流出したとは認められない(2)自治労共済の法令違反の是正につながった――などと指摘。「男性は情報を移し替える前に自治労共済本部に通報するなどの手順を踏んでおり違法性は高くない」とし、同支部の解雇権の乱用を認定した。

(以上引用)
世間で非難の多いい宏正会も内部告発して是正を求める職員や幹部会員が出てもいいのでは。

倫理の指導者と称する榮治の息子が愛和家庭を築くことなく離婚したのは何故か? 父親の指導はなかったのか? といったことから議論してはどうかということだが、結論から言うと自らが口で言っていることと、実際の生活態度とは全く関係がないということだろう。上廣の言う所謂「倫理」と称するものは、既に指摘がなされているように商売の道具か、或いは商品に過ぎない。自社の商品が本当に善いものであれば社長自らもそれを使用するだろうが、宏正会はそうはなっていないというわけだ。指導者でありながら自己流のうわべだけの「倫理」は通用しないのは判っている。さりとて息子をきちんと導くすべも知らない、という驚くべき実態だ。こんな人間に「より善く生きる」方策など教授されたら不幸になること受け合いではないか。上廣榮治に学ぶべきことはそんなことではなく、金儲けの手腕だろう。もっともそんなことを他人に教えてしまうようなことはするまいが。自分達さえよければいいのだから。

 あなたがどうしても、自身がブログ主であることを認めようとされず、おそらく私怨によって宏正会を攻撃し続けようというのであれば、致し方ありません。

 あなたを説得(馬鹿にするともいう)することはあきらめ、あなたがいかに卑怯な人間で、信用できない大嘘つきであるかを、繰り返しこのブログに記録し、第三者がだまされないように努力するしかありません。

(これから何度でも引用させていただきます。)

 この「実践倫理宏正会って何?」のブログは、下記で紹介したように、宏正会否定派の首謀者が、宏正会を攻撃するために作ったものです。

 これまで、複数の投稿者に見せかけて、宏正会を批判するコメントが寄せられていますが、そのほとんどは、たった一人の首謀者が書き連ねたものです。
 彼女は、以前は「、」無し投稿で成りすましを繰り返していたのですが、私「いや夫」がそれを指摘したため、今は「、」有り投稿を心がけるようになりました。しかし、ほとんどが彼女一人の投稿であることには変わりはありません。

 このブログを訪れた第三者の方は、このブログ主である否定派首謀者のいうことなど信用しないでください。

 彼女は、宏正会会友である身内を恨んでいる人物で、その身内に復讐するために宏正会を攻撃しているものと私「いや夫」は予想しています。

 詳しくは、我がブログ
「いやいや朝起き会を続けている妻の夫のブログ」にて、「論戦中」のカテゴリの記事を読んでいただければ、ご理解いただけるものと思います。

 では、この「実践倫理宏正会って何?」が作られた経緯について紹介します。

(全体引用開始)

「サイコばばあ」の偏執度チェック
http://58807828.at.webry.info/201102/article_3.html

>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主が、「いや夫」に追い詰められ苦境におちいっている。一つ嘘をつくと、また嘘をつかねばならなくなり苦しくなるのだ。一生嘘の言い逃れを続けていろ!貴様のくさい言い逃れを読んで笑ってやる。

 「サイコばばあ」は自分自身がかのブログのブログ主であることを、誰からも見抜かれているのに、決して認めようとしない。

 しかし、かのブログの初投稿と、wikiの初記事と、2ちゃんねるでのかのブログへの攻撃開始が、下記のようにほぼ同時に行われている事実は、言い逃れのしようがないのである。

1 wikiで「実践倫理宏正会」の記事を「新規」作成 
  2005年2月23日 (水) 14:56 211.9.162.39 (会話) (2,240バイト) (新規作成)

2 2ちゃんねるで「実践倫理宏正会って何?」を攻撃しようと紹介
(引用開始)
81 :名無しさん@3周年:05/02/24 13:52:46 ID:JLMrwr5t (「1」の翌日)
こちらが会友さんの作成したサイトです。
どんどん問い合わせて、お金返金してもらいましょ。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/
(引用終了)

3 「実践倫理宏正会って何?」でのブログ主の最初で最後のコメント
(引用開始)
こんにちは。
実践はじめてまだ少ししかたっていませんが、
これから頑張ろうとおもいます。
昔の「倫風」のよい記事や、
行事予定がありましたらご紹介ください。
まだまだ寒くて頒布は大変ですが、
がんばりまーす。

  投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24 01:58 午後(「2」から6分後)
(引用終了)


 そして、「2」と「3」の順序が逆で、6分しか違わないのが、真実を物語っている。

 「サイコばばあ」の当時の気持ちを予想してみよう。

(「サイコばばあ」の頭の中から引用開始)

 おのれ~!会友の身内め~!(元夫か?義母か?義妹か?「サイコばばあ」のみぞ知る。)貴様が愛する宏正会をネットで攻撃してたたきつぶしてやる!まずは、「実践倫理宏正会って何?」というブログをつくって準備完了。ブログ主として会友を装ったので、否定派のブログだとは気づくまい。しめしめ。昨日はwikiで新規作成して攻撃を開始したし、今日は、我が牙城の2ちゃんねるに、かのブログを紹介して、攻撃開始だ!

 カチャカチャカチャ(こちらが・・・・・返金してもらいましょ。) クリック。

 あっ、ブログの方は、コメントしてなかった。誰もコメントしないと不自然だわ。急いで打たなきゃ。

 カチャカチャカチャ(はじめまして・・・がんばりまーす。) クリック

 これでよしと。否定派の人が投稿しやすいように、さくらで投稿をしなきゃね。本当の目的は、会友をこのブログに誘い出して、たたきのめすことだから、最初は、会友が投稿しやすいように、会友になりすまさなきゃ。私の怒濤の攻撃は、会友をおびき出してからよ。ワクワク。

(お~怖。「サイコばばあ」の頭の中から引用終了)

 今までは、「いや夫」のこの攻撃を完全に無視することでやり過ごしてきた「サイコばばあ」であったが、「いや夫」が仕掛けたワナ(「サイコばばあ」がブログ主である数学的証明の投稿)にひっかかって、上記の事実について、言い逃れをせざるを得ない状況に陥ったのである。

 投稿が人並み以上に巧みな「いや夫」が「サイコばばあ」だったとしても、上記の追求に反論することは不可能である。いつも上から目線で偉そうな「サイコばばあ」がどんな反論をするか楽しみである。

 きっといつものように「スルー」だろうが(笑)。

 それとも、またかのブログをいきなり削除するのだろうか(笑)。

 それも、エンディングとしてはおもしろい。ワクワク。


 さて、「サイコばばあ」のくさい言い逃れを待つまでに、「サイコばばあ」がいかに「サイコ」(偏執病)か、統計的に分析してみよう。

 かのブログに、約束を破って「いや夫」が二度目の投稿をした後の、こ奴の投稿から分析する。全ての投稿が、「サイコばばあ」自身のものと仮定して分析するし、そうに違いない。

 本文はおいておいて、投稿の間隔を紹介します。

1  投稿 匿名 | 2011.01.25 11:41 午前
2  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:18 午後(15時間37分後 これはOK)
3  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:22 午後(4分後)
4  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:25 午後(3分後)
5  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:28 午後(3分後)
6  投稿 匿名 | 2011.01.25 03:55 午後(27分後)
7  投稿 匿名 | 2011.01.25 04:26 午後(31分後)
8  投稿 匿名 | 2011.01.25 04:33 午後(7分後)
9  投稿 匿名 | 2011.01.25 05:21 午後(48分後)
10 投稿 匿名 | 2011.01.25 05:27 午後(6分後)
11 投稿 匿名 | 2011.01.25 05:42 午後(15分後)
(12) 投稿 いや夫 | 2011.01.25 08:54 午後

 なんだこの「サイコ」な投稿間隔は!早く夕飯の準備をしろよ!

 こ奴は、「武蔵キャラ」の頃は、

(引用開始)
これまでの小生の投稿を見ていただければ分かるように 小生は一日に一度しか投稿しない。そして次の投稿も 翌日の時もあるし数日後のときもある。小生の投稿が連続しているように見えるのは他の者の投稿がないからその様に見えるだけのことである。これからもこの位のペースではないか思うのでご承知置き願いたい。
(引用終了)

 などと偉そうなことをほざいていた。それが、今では、「いや夫」に追い詰められ、このざまである。

 ちなみにこ奴は、「いや夫」対「武蔵キャラ」の直接討論に入る前に、例によって「、」無し投稿で、下記の、全て成りすまし投稿で応戦していたのである。

 卑怯だねえ~。

 そして、いきなり「匿名」で攻撃しているところに、こ奴の姑息さがにじみ出ています(笑)。

1  投稿 匿名 | 2009.10.10 10:16 午前
2  投稿 テラ | 2009.10.10 12:32 午後
3  投稿 テラ | 2009.10.10 05:12 午後
4  投稿 究明団 | 2009.10.10 08:15 午後
5  投稿 究明団 | 2009.10.11 02:35 午後
6  投稿 ボケ老人 | 2009.10.11 06:38 午後
7  投稿 ボケ老人 | 2009.10.11 07:55 午後
8  投稿 究明団 | 2009.10.12 07:29 午前
9  投稿 匿名 | 2009.10.12 06:26 午後
10 投稿 匿名 | 2009.10.13 09:01 午前

 そして、雑魚キャラでは太刀打ちできないので、「武蔵キャラ」で応戦開始。

(引用開始)
小生の書き込みに反応がなかったので しばらくこのブログから遠ざかっていたのであるが ここに来てこのブログが賑やかになっている。
「いや夫」と称する者が これまでの鬱憤を晴らすかのように大量の投稿をしているが 何分膨大な量であるので小生は斜め読みで目を通しただけである。
(引用終了)

 遠ざかってないじゃん(笑)。

 なお、上記の「雑魚キャラ」のうち、「鉄槌キャラ」と同じ性格設定である「究明団」の投稿は、特に笑えるので紹介しておこう。

(引用開始)
「いや夫」 いつまで一人でダラダラと続けるつもりだ。
ここはお前のブログではなかろう。イイカゲンにしろ。

投稿 究明団 | 2009.10.10 08:15 午後

(「いや夫」注:「ここは俺(本当は女)のブログだ~!」と言いたい訳です。)

(引用終了)

 「サイコばばあ」がブログ主だと認めないなら、それはそれで構いません。こ奴がいかに恥知らずの大嘘つきであるかが、証明されるだけですから。
 
(全体引用終了)

内部情報などを告発しょいにも、自分自身が会員であることすら知らない状況で何が出来るのか?
会員拡大と言いながら本人未承諾の入会、祈願成就のお守りではないのです。倫理の矛盾。

ブログ主が、自分から名乗ることは絶対にありえないし、はたと困りましたなー、いや夫さん。
ご自分がブログ主でない人は、1ヶ月間(即ち、3月3日のひな祭りの日まで)何も投稿しないようにしようではありませんか。
いや夫さんとブログ主だけを、このスレに残しておけば、何かが見えてきますよ。

その通りですね。自分の名前や情報が勝手に使用されている場合など、告発も何も出来ようがない。だからこそ、こういった被害は被害者自身の側からはわかりにくい。裏を返せば判明したよりも遥かに多数の被害者が潜在的に存在しているということが容易に推測できる。本当に人の幸福を願うのであれば、きちんと説明し、納得させたうえで入会の承諾を得るのが筋でしょう。なぜこのようなことを行われているのか、きちんとした説明ができないでいるのが宏正会側の弱み・矛盾だと思う。そもそも、こんなことをしても「会の教え」を広めたことにはならないのに可笑しい。

すべて「いや夫」のなりすまし、自作自演とか? 自分の得意業だから妙に詳しいとかだったら面白い。

 「「サイコばばあ」がブログ主である数学的証明」に反論したキャラは、予想通り消えたみたいですね。

 そして、また話題を変えて、第三者キャラを演じておられる。ご苦労なことです。

 あなたとの一騎打ちの討論は、一時興味深いときもありましたが、ほとんどは徒労でした。あなたはすぐ嘘をつくからです。ネットとは、嘘のつき放題が黙認される愚かな世界なのだなあと、あなたを通して学びました。

 もうあなたと議論する必要はなさそうです。

 「事前に」用意していた、投稿を貼り、今後は、あなたの「実践倫理宏正会って何?」のブログにて、あなたに「議論」をふっかけることは控えます。

 しかし、あなたは大嘘つきですので、何も知らない第三者をだまそうとするでしょう。そうならないように、過去の我が投稿を繰り返し再掲し、ブログ主を信じないように、呼びかけ続けることはいたします。その方が楽チンですから。

 なお、「実践倫理宏正会って何?」での「議論」はするつもりはありませんが、我がブログにて、「否定派首謀者の分析」は続けていきます。

 「実践倫理宏正会って何?」のブログの裏側を知りたい方は、「いや夫」のブログも読んでみてください。

「いやいや朝起き会を続けている妻の夫のブログ」
http://58807828.at.webry.info/

(全体引用開始)

ネット上でも、「議論を避けよ」は正しいですね。ネット上の討論はほどほどにします。
http://58807828.at.webry.info/201102/article_5.html
 「実践倫理宏正会って何?」での討論をメインテーマとしてきたこのブログですが、もう馬鹿らしくてやってられなくなりました。

 かのブログは、自らを「巨頭」と自認する否定派首謀者「サイコばばあ」の自作自演です。

 討論を始めた当初は、「武蔵キャラ」「長文さんキャラ」「賢くないさんキャラ」など、なかなか討論の手応えのあるキャラで応戦してきた彼女ですが、最近は「いや夫」の議論をはぐらかし、「鉄槌キャラ」で応戦しているだけです。彼女がかのブログ主であるという当然の事実でさえ認めようとせず、しらを切り通して、宏正会への攻撃を続けるおつもりのようです。

 こんな馬鹿と議論をするのは、「物の無駄・時の無駄・心の無駄」以外の何物でもありません。彼女とこれ以上の不毛な「議論」をすることは避けたいと思います。

 かのブログで、「サイコばばあ」はいつまでも宏正会を攻撃するつもりでしょうが、たまに「いや夫」が、こ奴は「サイコ」で大嘘つきです、と我がブログを紹介するだけで十分でしょう。

 賢い人は、「サイコばばあ」の成りすましに気づいて、彼女の動機に疑問を抱くはずです。それに気づくこともせず、鵜呑みにされる方は、「それまでの人」なのでしょう。「いや夫」とは対極にある、だまされやすい人であり、憐れな人です。

 さて、実践倫理宏正会は、「議論を避けよ」をモットーとしています。つくづくその方針は正しいです。特にネットでは、匿名を隠れ蓑に、成りすましによる不毛な論争が果てしなく続いています。かのブログにおける、「サイコばばあ」対「いや夫」の討論がその一例です。実にくだらない痴話喧嘩です。

 宏正会の教えより、関連記事を紹介します。

<関連記事>

「議論を避けよ(実践倫理宏正会の教えより)」
http://58807828.at.webry.info/200911/article_14.html

(一部引用開始)

 世の中に議論ほど無駄で、損なものはないのであります。議論ほど努力のむなしさを感じさせるものもありません。勝っても負けても毛ほども得るところがないからであります。

 和楽を築くのが現実社会の目的ならば、お互いに議論に勝ったところで何一つ利なく、かえって議論のために反目する者がふえては、有害でさえある訳であります。

 人生の苦労を身をもって味わい、種々の経験を積むにしたがって、人は次第に議論が無益であることを悟るものであります。そして結局議論は、これを避けることが一番賢明であるという結論に達するのであります。

(一部引用終了)

 以上の言葉の意味を、かのブログ主との不毛な議論によって貴重な時間を浪費した「いや夫」は、身をもって体験しました。

 「いや夫」は「お山の大将」を卒業し、かのブログのブログ主と、直接討論して打ち負かすことにこだだわらないようにします。

 また、次のような教えも秀逸です。すばらしい教えですので、全文再掲します。

<関連記事>

 「普及(その三) 『より善い社会へ』 第四十ニ講より」
http://58807828.at.webry.info/200912/article_38.html

(全体引用開始)

『より善い社会へ』 第四十ニ講 普及(その三) より

 民主主義であればよいというものではありません。
 倫理の規範に支えられた民主主義であってはじめて、
 人々の仕合わせに寄与することができるのです。
 では、いかにすれば倫理を普及することができるのでしょうか。

なぜ、倫理の普及が必要なのか
 私たちは、何事であれ多数決が正しいと思っています。しかし、多数意見が必ず正しいという保証は何もないのです。それどころか、誤った多数意見が人々を破局に導いた例は、歴史の中にたくさんあります。戦前の挙国一致の軍国主義とその結末については、改めてお話するまでもないでしょう。
 ここでは、国を破局に導きかねなかった多数意見と、社会の未来を過つことなく「見分ける目」を持った一人の幕末の政治家のエピソードをご紹介しておきたいと思います。
 日本が近代を迎えようとしていた幕末は、外交を軸にして歴史が展開された時代です。当時、外交問題で激昂していた志士たちの間で、最も人気があったのが尊皇攘夷論の旗手、前水戸藩主の徳川斉昭でした。斉昭は最後の将軍徳川慶喜の父でもあります。
 1854年11月、有名な安政の大地震が発生し、おりから伊豆の下田港に停泊中のロシア戦艦ディアナ号が津波のために大破して、修理のため戸田へ回航中に沈没。乗組員が沿岸の漁民に救助されるという事件が起こりました。
 これを知った当時きっての人気者の水戸の老公斉昭は、幕府にある策を提案します。二度にわたって出されたこの策は、志士たちも大喜びし、諸手を挙げて賛成するほどの「良策」でした。
 しかし、じつはこれが大変な「ご意見」だったのです。ロシアの艦船が沈んで乗組員が帰る手段を失った。これは好機だ。この機に乗じて、乗組員を一カ所に集めて焼き殺してはどうか。すべてを燃やしてしまえば、ロシア本国にもわからない。断固決行すべし、というものでした。
 これに対して、幕閣の筆頭だった老中阿部正弘は、懇切丁寧な返書を送っています。よく考えてみると、よろしくないと思います。五百人もの外国人密殺が噂にならないはずがなく、これが本国に知れたなら、その恨みはどれほどでしょう。必ず「復讐の兵」を派遣するに違いありません。他の列強も日本を「言語道断無道の国」だとして、占領しにかかるでしょう。何より倫理観がない国だと侮られることが問題ですと、噛んで含めるように書いています。
 現代人なら、どちらがまともか論ずるまでもありませんが、当時は徳川斉昭のほうが圧倒的に支持されたのです。つまり、景気がいいだけの非人間的で倫理に悖る暴論が世の多数意見であったのです。しかし幸いなことに、当時は多数決制ではありません。老中阿部正弘の良識は、この流行の非倫理的な「良策」を採用することはありませんでした。
 多数意見が重んじられる現代では、私たちがこの阿部正弘と同じように、正否を過つことなく「見分ける目」を持たなければならないのです。
 では、そうした正否を見分ける確固たる基準がはたしてあるのかどうかです。じつはその「基準」は誰の心の内にもあるのです。「倫理力」がそれです。
 もし、誰もが何事かに直面したとき、まずこの倫理力を発動して、倫理に照らして判断するならば、倫理に悖る意見は否定され、倫理にかなった意見が常に多数となるはずです。そしてそれは、倫理的であるがゆえに、必ず人々の仕合わせに寄与するに違いありません。
 この「基準」に照らせば、斉昭の「良策」は直ちに暴論として否定されるたぐいのものでした。しかし私たちも、この倫理を忘れた暴論を笑うことはできません。現代の日本の現実もまた、人々が倫理を忘れているために、幕末同様に混迷の度を深めているからです。
 たとえば、平成17年のJR西日本の列車事故のあと、JR職員に対する嫌がらせや暴行が頻発したといいます。車掌室に入り込んで暴言を吐く、運転手を蹴飛ばす、女性運転手をホームから突き落とす、駅の器物を破損するなど、数百件のトラブルが報告されています。
 世間の多数が自分の味方だと思い込んで、自分の正義に酔いしれた人たちの仕業です。反日ムードに乗せられて、激情に押し流されるままに暴徒と化した中国の若者たちと同じ種類の人々です。
 多くの人は、「彼らは少数の特殊な人間だ、自分たちとは関係ない」と言うかもしれません。たしかに、彼らの行動は論外です。常人のものではありません。しかし彼らは、大多数の人々がJR西日本を憎んでいる。だから何をしても許させると見切ったからこそ、卑劣な暴行に及んだのです。はたせるかな、彼らの周辺にいたはずの常人たちが、彼らを制止したという話は聞きません。つまり、彼らの周辺の常人たちにも、「倫理に照らす」という発想がなかったと言わざるをえないのです。
 幼児虐待やイジメ、万引きや援助交際、汚職や不祥事などの報道に接するたびに、彼らの周辺にいた人たちは、いったい何をしていたのだろうという疑問にとらわれます。個人の自由だから、悪事を放置していたというのでしょうか。
 周囲の人たちもまた、倫理観が欠如していたと言われても仕方がありません。倫理に照らして判断し行動できる人々が、社会の多数を占めてさえいれば、それらの事件の多くは起こらなかったはずなのです。
 すなわち、未来を過つことなく社会を運営するために、最も求まられているものは、多数意見が倫理的な発想で占められていることなのでしょう。そうした健全な多数意見を形成するために、「倫理の普及」を急がねばならないのです。

感応による普及

 現代社会は、金銭を至上とする人や、利己的で自分勝手な人であふれています。彼らは、自由や権利という言葉を盾にして、頑なに「自分の意見」を押し通します。そんな彼らは、人間本来の倫理力を忘れ果て、不自然な「自分の意見」を盲信して、他者の意見には耳を傾けようといたしません。
 そうした人々の間で行われる議論が、いかに不毛であるかは、国会審議やテレビの討論番組を思い出せばすぐにわかります。自分の言いたいことを言い合うだけで、対話によって自分の意見を変えることがないのです。
 この場合、いずれの論が正しいかではなく、いずれの牙が鋭いか、力が強いかで勝負を決するのです。しかし、牙と牙で雌雄を決するのは、倫理を普及しようとする者のとるべき道ではありません。倫理の普及は論争によって行われてはならないし、説得で普及の実が上がることもないのです。
 では、論による説得が無駄だとすれば、何によって普及の実を上げることができるのでしょうか。究極の普及は「感応」による普及です。
 実践倫理では、「感応」は子どもの教育において最も有効だとしています。「子供の善導は親の倫理実践から」の標語の通り、親が真摯に倫理実践に取り組んで日々に人としての輝きを増していけば、純真な子どもの魂はその輝きに感応して、素直に健やかに育っていく、という考え方です。
 しかし、人間的な輝きに感応するのは、一人、子どもだけではありません。私たち大人もまた、子どもが大きくなった存在にすぎないのです。大自然の摂理のままに生きる、常に上機嫌な人の放つ輝きには、誰もが影響を受けないはずがありません。そんな人が笑顔で語る一語一語は、素直に相手の心にしみ込みます。
 歴史を振り返れば先人たちもまた、普及や教育が論によっては行い難いことを知っていました。
 ラテン語で教育を意味する「エデュカティオ」は、生徒の内にあるものを「引き出す」という言葉でした。教育とは、生まれながらに持っている「善きもの」を「引き出す」ことだと、古代ローマの人々は知っていたのです。
 また、菩提樹の下で悟りを開いた仏陀のもとには、その徳を慕って多くの善男善女が集まりました。仏陀の「論」にではなく、「徳」に感応したのです。イスラム教もまた、理屈ではなく美しい詩の詞によって急速に受け容れられたといわれます。
 中国の荘子は自分の正義を相手に押しつけようとすることを、馬車の車輪に立ち向かうカマキリにたとえて、その無謀を諭し、とりわけ暴君に対しては、諫言によらず、その徳によって、相手に自ら悟らせよと教えています。いずれも説得の無力と限界を知っていたのです。
 何らかの意図をもって相手を説得しようとすれば、相手もまた、あなたの意図を疑い、心を開こうとはしないものです。何ものにもとらわれず、大自然の摂理のままに、心を無にして相手に対したとき、はじめて相手も心を開いて語り出します。それを、心をこめて聞くことです。対話はそこから始まります。
 最後に二つのことを確認して、この講を終わりたいと思います。まず、普及は倫理を実践する者の美しさに相手が感応したとき、はじめて道が開かれるということ。そして、人間が人間であるかぎり、内なる倫理力を眠らせ続けることはできないということ、この二つです。つまり、誰に対しても、感応によれば、倫理の普及は必ず成るということです。
 
(全文引用終了)

 今の「いや夫」にとって、大変ためになる教えです。

 現実世界でも、多数決が正しいとは限りません。

 成りすましが横行しているネットでは、多数決そのものが意味を成さないのですから、なおさらです。

 かのブログは、「川崎祭り」と同様に、「サイコばばあ祭り」が行われているだけなのです。

 嘘が嫌いな私の関わるべき世界ではありません。


 宏正会否定派の罵詈雑言なんか読んでいても、何も学ぶことはありませんが、宏正会の教えに従っていけば、まちがいなく幸せになれるものと確信します。

 ネットでのアンチ否定派の躍進は、もう終わりにして、憐れなちゃねら~たちに、彼らの「居場所」を返してあげることとします。仮想の世界であるネットと、実践にのみ生きる宏正会は対極の存在ですから、永遠にわかりあえるはずはありません。現実世界で誠意を尽くすしかありませんね。

追伸

 なお、かのブログへの新規投稿は控えるつもりですが、第三者が彼女の成りすまし投稿にだまされないように、我がブログではたまに、謎解きをしていきます。しかし、「議論」はしないつもりです。

 否定派首謀者にだまされないようにするためには、下記ブログが必読です。

 「いやいや朝起き会を続けている妻の夫のブログ」
  http://58807828.at.webry.info/

(全体引用終了)

「いや夫」、もう出てこないの?ほんとかなー。
このブログを卒業すと大見栄をきったはずなのに、また出てきた大嘘つきの「いや夫」だからなー。
嘘つきは嫌いだとほざいている奴が一番の大嘘つき。
それは「いや夫」。

それで結局、否定派の首謀者をブログ主になすりつけて解明できたと思っているの?
ブログ主を首謀者と決め付けて、このブログを閉鎖するように心理的な圧迫を加えようという魂胆がみえみえ。
今では誰も「いや夫」の分析を信じている者はいないはず。
「いや夫」のやって来た事はすべて徒労。

唯一の例外が、この人 ↓。

> ブログ主が、自分から名乗ることは絶対にありえないし、はたと困りましたなー、いや夫さん。
ご自分がブログ主でない人は、1ヶ月間(即ち、3月3日のひな祭りの日まで)何も投稿しないようにしようではありませんか。
いや夫さんとブログ主だけを、このスレに残しておけば、何かが見えてきますよ。

投稿 匿名 | 2011.02.03 11:51 午後

この人は、本当に「いや夫」の言っていることを信じているのかな?
そうだとすると、「嘘もつき続ければ本当になってしまう」という、いかにも「いや夫」らしい策略が功を奏していることになるが。

しかし、この人は「いや夫」の言っていることを信じるような程度の低い人なのか、それとも第二の「いや夫」になるような策略家なのか。


「いや夫」の最後の投稿は、否定派に『無条件降伏』宣言をして退散したものとみなします。

「いや夫」は、宏正会に関する議論ではすべて敗北。
「いや夫」の言っていることに見るべきものはありません。
「いや夫」は自分では議論に勝ったように誤魔化していますが、それが誤魔化しだと分からない人は議論の中身が分かっていないIQの低い人だと思って下さい。

議論では敵わないと思った「いや夫」が次にしたのが、成りすましの追求。
膨大な量の書き込みをしていますが、結局解明できたのは「このブログに成りすましがいるらしい」ということだけ。
ハンドルネームで書き込むこの手のスレに、成りすましの書き込みがあるのは常識。
それを「いや夫」は嘘つき、嘘つきと騒ぎ立てて、競馬分析のような膨大な量の書き込み。
これは、「スレ荒らし」といっていいのではないですか。
そして、首謀者の追及。
これも「いや夫」はことごとく失敗。
最後は、ここのブログ主に擦り付けて退散。
常識的に見れば、ここのブログ主はだだ議論の場所を提供しているだけということは分かるはず。

とうとう「いや夫」は手詰まりになって、敗北宣言をしてこのブログから退散、というのが真相。

結局、「いや夫」のやって来たことは無駄な努力と浪費した時間。
そしてこのブログに残していったゴミの山。
バカな奴だよ。


ご投稿をお控えくださった皆様、まことに有難うございます。
静かになりましたね。
ブログ主かどうかはいざ知らず、このブログには大変優秀な論客が、三人おられました。「太陽神」殿、「武蔵」殿、そして、昨年9月ごろから投稿され、2010.10.23 02:40 からは「ひとのみち」に始まる比較宗教論を述べられたお方です。最初のお二人は、筆勢で同じお方と分かりましたので当初より「武蔵・太陽神」殿とお呼びしていました。三人目のお方はその論旨の緻密さから、思わず「池田昭先生ではありませんか」(2010.11.08 12:56)と言ってしまいましたが、別のお方と分かりました。
「いや夫」さんの、成りすまし研究が始まってからは、当方匿名を提唱したこともあり、全員が「匿名」氏に成りすまされました。
わたしは2ちゃんねる時代、「宏正会」擁護派で何度も討死にをしましたが、その都度別のハンドルで生き返り、都合十数個のハンドルを使いました。このブログでも主に擁護派でしたが、すこし違った思いを述べるときには、また別のハンドルを使いましたので、やはり相当数のハンドルを使いました。
 絶対価値論からすると、同一人物が「成りすまし」て、他人として論ずることは「悪」であります。先見の明でそれを見越してか、ひろゆき氏は討論で2ちゃんねるの、絶対的基盤は、「匿名」であるといわれました。
わたしは「一つの思想には、一つのハンドル論」を展開、自身も違う意見を言うときには違うハンドルを使いました。わたしがたくさんのハンドルを使ったことは、絶対価値論からすると、人倫にもとる大悪党でありましょう。
ただ名誉のためにいっておきます。「いや夫」さんご自身も誤解しておられましたが、ブログ中ただ一人の「いや夫」さん擁護派のわたしは、「いや夫」さんご自身に対しての非難はしておりませんし、罵詈雑言をあびせることなど絶対にありませんでした。
 ときに相反する意見を、ハンドルを換えて発する快感は、絶対価値論から言うと「悪魔の快感」なのであります。「成りすまし」を一つ一つあばいてゆく快感と相通ずるものでありましょう。
 しかし最後に一つの真実を申しあげますと、「ブログ主」のみはそれを知っているという事実=救いなのです。それゆえにこそブログ主とわたしの一体感はそれを実行しているものしか感得することが出来ないのであります。

↑ いったい何が言いたいのか分からないのですが。

もう一度、皆さんにお尋ねします。

宏正会の嘘や不正を暴く(否定派)のと、それを邪魔する(肯定派)のと、どちらに正義があるのですか? 教えて下さい。

「一部の者がやっていること」では済まされないのが公益法人。大相撲協会を見ればわかるだろう。400万人いればおかしな奴がいるのも当然などといった言い訳は通用しない。さらに申し開きしたいなら、それならそれで、迷惑行為を行った者を処分するのが筋。しかしそうすると、幽霊会員を除く多くの信者がその対象となってしまい、宏正会の財産基盤が危うくなる。上廣榮治の頭にあるのは公益法人としての正しい在り方よりもこのことだろう。自分の教え(実は他人から盗んだものだが)を貫徹させると贅沢ができなくなる。矛盾するようにも見えるが、「教えを説く」者は昔からそういう生活をしてきたものだろう。金儲けしたいなら、株式会社にすればよいのだ。榮治等はそういったことを知らないか、若しくは知っていて悪用しているのだろう。公益法人の見直しを再来年に控えて、所管省庁はこういう問題法人を厳しく処断すべきである。

結局、いや夫の書いたものはすべてが下らないジャンク(ガラクタ、廃品、役に立たないもの)ということだね。
成りすましの分析かどうか知らないが、長たらしいジャンクを飛ばしながら読んで行くと、なかなか面白いことが書かれている。
肯定派のいや夫がここを荒らしたのも頷ける。
いや夫は、膨大な量のジャンクを撒き散らして宏正会の批判をそのジャンクで埋め込んでしまおうとした訳だ。

 「サイコばばあ」との議論はやめました。

 今後、「いや夫」のブログへのリンクは、下記投稿へ集約してください。

 重要記事:ぐぐってトップページは、ごく少数の否定派が占有しておりますので、ご承知ください
http://58807828.at.webry.info/201010/article_3.html

 上記の投稿は2010年10月5日のかなり前の記事です。

 この時点で「サイコばばあ」VS「いや夫」の討論は、「いや夫」の快勝で決着がついているのです。

 成りすまし投稿を恥と思っていない「サイコばばあ」が、「まな板の鯉」でジタバタしているのが現実です。

 こんな大嘘つきの「サイコばばあ」に、「いや夫」登場以後にだまされる方はとろすぎます。ネットに関わるのは止めた方が無難ですよ。

(全体引用開始)

重要記事:ぐぐってトップページは、ごく少数の否定派が占有しておりますので、ご承知ください >

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PS 下記は、ちょっと古い投稿ですが、「実践倫理宏正会」または「朝起き会」で検索する方に、まず知って欲しい事実です。我がブログへのリンクも、ここに貼って頂くとよいと思います。
   http://58807828.at.webry.info/201010/article_3.html


 「実践倫理宏正会」でぐぐるとこんなサイトがトップページを飾る。「サイコばばあ」が作成または主導するものは赤で、その他少数の否定派首謀者の手によるものは黄でハイライトします。

(10月5日19時現在)

1位 実践倫理宏正会 - Wikipedia
社団法人実践倫理宏正会(しゃだんほうじん じっせんりんりこうせいかい)は、1946年(昭和21年)5月3日に創立した文部省(現在の文部科学省)認可の社団法人。一般的には、朝起会(あさおきかい)の名称で知られている。 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AE%8F%E6%AD%A3%E4%BC%9A
(「いや夫」解説) 「履歴表示」を見ればわかるように、最初に「実践倫理宏正会」の記事が投稿されたのは、2005年2月23日。バリバリの否定派である「211.9.162.39」が宏正会を批判するために作成したことがわかる。そして、それは「実践倫理宏正会って何?」(2005年2月24日初投稿)のブログ主である「サイコばばあ」である。否定派と肯定派が修正合戦をしていたが、結局、否定派=キチガイの方がゴリ押しが強く、極めて悪意に満ちた非中立的な内容となっている。)


2位 朝起き会?? - 社会・職場 - 教えて!goo
2010年3月14日 ... 朝起き会?? 親戚に朝起き会?に行っているおばちゃんがいて、しつこく勉強会やら講演会やらに誘われて困ってい ... ご本尊がない(まあ、会長先生なる人を必要以上に持ち上げてる時点で、池田大作と同じような気もしますが)、宗教法人では ...
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5752011.html

(「いや夫」解説) 何で2位なのか、訳がわからないほど内容薄のページ。おそらく、否定派首謀者自身が返信をして、PCの再起動とクリックを繰り返してランキングアップをはかっているのか???キチガイのやることは理解できない。他のおそらく千にも及ぶであろういろいろなブログに、せっせと批判投稿を繰り返す否定派首謀者たちなのである。

3位 朝起会(実践倫理宏正会)被害家族の会
あなたのご意見をお聞かせ下さい。 ここでは、実際に困った状況になっている家族が居る事を朝起き会の方々に知ってもらい、早く目を覚まして家族を大事にして頂きたいと思っています。被害を受けている方のご意見をお待ちしています。
http://asaokihigai.blog32.fc2.com/

(「いや夫」解説) ブログ主は、2ちゃんねるでは「元会友」「×元会友」「SOR」他、 「実践倫理宏正会って何?」では「匿名希望」「討論は避けよ」などのHNで、粘着質に批判を続けている否定派首謀者。裏切り者であり、「サイコばばあ」の友達でもある。

 PS 政治家の皆様へ あなたのブログなどに宏正会批判の苦情を寄せたり、苦情のFAXを送ったりしているのが、こ奴「SOR」です。こ奴は、宏正会批判の2ちゃんねる掲示板のスレ主を長年つとめている否定派首謀者でバリバリのちゃねら~です。こんなちゃねら~の戯言など苦にせず、善良な市民団体である宏正会の行事にどんどん出席してください。こ奴から苦情が寄せられたときには、実践倫理宏正会本部へ情報提供をされてはいかがでしょうか?本部の重い腰が上がって、否定派首謀者への訴訟を起こすことを期待している「いや夫」でした。

 関連サイト 社団法人 実践倫理宏正会の不正を問う
 (同一人物制作) http://blogs.yahoo.co.jp/jissenrinrikouseikai/

4位 社団法人 実践倫理宏正会
実践倫理宏正会では、上廣哲彦が創唱した「朝の誓」が、古今東西の全ての宗教・哲学・思想の根本となる「倫理」であるというが、それら五か条は単なる人生訓・出生訓にしか過ぎないものであり、また人生訓・出生訓を掲げる点は、ひとの道教団や倫理研究 ...
http://dakkai.org/jissenrinri.html

(「いや夫」解説) 「新宗教からの脱会を考える会」というサイト名の日蓮正宗勧誘サイト。新宗教から脱会させて、日蓮正宗にひきづりこもうという魂胆。ちゃんと本性を現しているだけ良心的である。なお、この日蓮正宗は、いわゆる創価学会ではなく、分派である。宗教はすぐに仲間割れして争うからだめなのである。宗教ではない実践倫理宏正会はそんな争いが大嫌いなのだ。宗教ではないのだらか、ほっといてくれ。
 
 

5位 朝起き会(社)実践倫理宏正会⑦
(社)実践倫理宏正会、通称「朝起き会」は子育ての会としてご婦人を 中心に活動しています。会友さんたちは、人のいい方ばかりなの ...... 素直な気持ちで、実践倫理宏正会が掲げる5つの誓いを生活に取り入れるなんて凡人には、急に出来ないでしょう。 ...
http://life.2ch.net/psy/kako/1034/10346/1034671572.html

(「いや夫」解説)数多い2ちゃんねるのスレの中で、なぜか最近常にトップ面に出てくる。否定派首謀者がPC再起動とクリックを繰り返し、ランキングアップをはかっているのはまちがいない。スレ主が「否会友」だから?2ちゃんねるのスレのうち、唯一肯定派が「否会友」の性格の悪さに怒って「荒らし」をしているから?意味不明である。このスレでは被害者ぶっている「否会友」だが、それまでは成りすましを悪用して、実践者への罵詈雑言の限りを尽くしていたのである。それで、肯定派にマークされた「否会友」は、自身のプロフィールを明かすことを一切やめ、匿名でますます宏正会への攻撃を繰り返しているものと思われる。「サイコばばあ」の最有力候補。

6位 実践倫理宏正会
最初にお断りしておきますが、このページは実践倫理宏正会の正式なホームページではありません。ただ、会が正式にホームページを持とうとせず、間違った情報が流通している状況に業を煮やしつつ、実際に朝起き会をやっている人たちのぬるさにも業を ...
http://www.ukon-clan.jp/PracticalEthics/index.html

(「いや夫」解説) 要するに自分が教組でなければ気が済まない身の程知らずである。こんな奴ほど会友をばかにしているが、実際は会友からうぬぼれたアホであると本性を見透かされてしまっているのである。そんな事実に気づかず、偉そうにブログを晒している裸の王様。読めば誰だか特定されると思うのだが、平気なのか?「実践倫理宏正会って何?」では「実践倫理宏正会ウオッチャー」「あいうえお」(自分が教組になるとしたら・・・などと投稿している)のHNで、中立派の投稿。最近は「改革派会友」で「いや夫」にいちゃもんをつけてきたが、自身が「実践倫理宏正会ウオッチャー」であることを「いや夫」に明かされ、速攻消えてしまった。2ちゃんねるでは、バリバリの否定派であり、レイモンド氏と罵詈雑言をぶつけあっている。「実践倫理宏正会って何?」では、レイモンド氏と誠実な会話を交わしており、否定派の二重人格(ジキルとハイド)を体現している。その点「サイコばばあ」と共通する。「類は友を呼ぶ」のだろう。

 関連記事  「改革派会友」の正体 20100906版
         http://58807828.at.webry.info/201009/article_4.html


7位 いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ/ウェブリブログ
いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)。(朝起会は実践倫理宏正会の通称です)ネット(の一部?)では、批判の対象となっている朝起会(実践倫理宏正会)。その朝起会をいやいやながらもけなげにがんばっている ...
http://58807828.at.webry.info/ - キャッシュ

(「いや夫」解説) 「サイコばばあ」をはじめとする、気持ち悪い否定派の連中にはさまれながら、けなげに否定派首謀者と戦っているアンチ否定派のブログ。「いや夫」以前には、知られなかった否定派の正体を知ることができる貴重なブログだと自負しております。

8位 実践倫理宏正会(朝起き会)を辞めたい! | OKWave
2003年11月1日 ... 実践倫理宏正会(朝起き会)を辞めたい! 昨年7月頃、見ず知らずの中年女性が家に訪ねて来られて「育児にいい話しが ... うちの親戚にもそういう朝起き会の幹部みたいな事をやっている人がいるんですが・・・。(いとこの奥さん) ...
http://okwave.jp/qa/q694016.html; その他(ライフ)

(「いや夫」解説) ちゃねら~がブログに質問したり、回答したりして宏正会を批判している一例。


9位 朝起き会しつこい掲示板(掲示板@お悩み) 勧誘しつこい 実践倫理宏正会 朝起き会
投稿 21 件 - 最新の投稿: 1月23日
朝起き会しつこい。去年の年末に 実践倫理宏正会(後で正式名を知った)と.
http://onayamifree.com/threadres/1229012/

(「いや夫」解説)
 2010年1月23日に怒濤のように宏正会批判記事を書き連ねた掲示板。
複数の投稿者を装ってはいるが、明らかに一人の否定派首謀者が
連続投稿を繰り返している確かな証拠なのである。
ちなみに、「、」無し投稿もあり、それが「サイコばばあ」によるものである
ことがわかる(笑)。キチガイだ。

 関連記事  「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編まとめ
        http://58807828.at.webry.info/201008/article_22.html

10位 実践倫理宏正会って何?
(社)実践倫理宏正会は、人としてあるべき生活倫理(日常生活に不可欠な人間関係の法則)を普及し、その実践によって、人々が ... このページは(社)実践倫理宏正会の公式HPではありません。 せっかくこの会について知りたいと検索してくださっても、それに ...
http://rinrikko777.blogzine.jp/

(「いや夫」解説) 実践倫理宏正会を調べるときに、大変役に立つ貴重なブログ。ブログ主は自称「朝起き頑張りっ娘」だが、実際はバリバリの否定派である「サイコばばあ」が作ったもの。前日にwikiで新規作成。翌日投稿開始。その6分前(笑)にちゃんと2ちゃんねるでPRしている。肯定派を誘い出し、それを抹殺するために作られた罠なのである。一時期、肯定派対否定派との真摯な討論がなされたが、「太陽神・武蔵・シリウス」らの猛攻によって肯定派は投稿できなくなった。そこに現れた「いや夫」が次々と否定派を論破していく過程が見物である。そして、否定派が実はほとんどたった一人の「、」無し投稿をする「サイコばばあ」であることが明らかになり、「、」有り投稿をする「鉄槌」などの2ちゃんねるキャラも「サイコばばあ」であることを「いや夫」が明らかにした。
 否定派=卑怯なちゃねら~ であることを証明したブログであるとともに、肯定派(アンチ否定派)が優位にたつことができた希有なブログ。それだけに、トップ10から消えることは惜しい。みんなでせっせとクリックしてランキングアップをはかりましょう。今となっては、否定派も肯定派も読むべき(笑)ポータルサイトなのである。

 関連記事 重要な記事:思った通り、「実践倫理宏正会って何?」はちゃねら~の自作自演でした!!!
        http://58807828.at.webry.info/201009/article_27.html


 以上。
 ということで、ネット上の情報は、これらごく少数の否定派首謀者が10年以上にわたって書き連ねただけであり、アンチ否定派の「いや夫」個人が論破できるくだらない奴らのたわごとなのです。要するに、自分が偉い、宏正会会友はばかであると書き連ねてグーグル上位にランキングされることが生き甲斐の変質者か、宏正会を攻撃することで信者を増やそうとする「倫理研究所」の信者の仕業なのです。

 関連記事  否定派首謀者はやはり、倫理研究所の信者のようだ
         http://58807828.at.webry.info/201009/article_29.html


 (ちなみに、一番偉そうなのが「いや夫」自身なのですが、それは否定派首謀者が卑怯で姑息でわがままで成りすまし常習なので、相対的に馬鹿にせざるを得ないだけで、「いや夫」は一実践者の足下にも及ばない凡夫であることを自覚しておりますので、誤解のなきようにお願いいたします。会友はみなさん謙虚な方ばかりで、だからこそ修業を続けておられるのです。宏正会を知るには、「サイコばばあ」などの罵詈雑言だらけのネットなどではなく、自身の目でお確かめください。)


PS 以上、「実践倫理宏正会」でぐぐったトップ面を簡略化すると、次のようになる。

1位 「サイコばばあ」
2位 うすっぺらな批判記事
3位 「元会友」
4位 日蓮正宗
5位 「否会友」がスレ主の2ちゃんねる
6位 「実践倫理宏正会ウオッチャー」
7位 「いや夫」
8位 否定派首謀者のブログ掲示板

9位 「サイコばばあ」
10位 「サイコばばあ」   ネットって、本当にくだらないなあ~。


<追伸>

 「いや夫」のブログは、いろいろな投稿がgoogleにランキングされています。その分、アクセスが分散してしまって困ります。

 それに対して、「実践倫理宏正会って何?」はブログのくせに投稿が一つしかないので(笑)、アクセスが集中して有利です。それでも、我がブログに負けているのが憐れです(笑)。所詮大嘘つきの「サイコばばあ」のブログですから当然です。

 分散したアクセスを集中すべく、この投稿を我がブログのポータルとしたいと思います。 

 「いや夫」のブログへのリンクは、この投稿へお願いいたします。

 重要記事:ぐぐってトップページは、ごく少数の否定派が占有しておりますので、ご承知ください
 http://58807828.at.webry.info/201010/article_3.html
 
<関連記事>
続 否定派首謀者はやはり、倫理研究所の信者のようだ
http://58807828.at.webry.info/201010/article_4.html

宏正会を攻撃し続けた倫研信者へ 丸山敏雄氏が泣いているぞ
http://58807828.at.webry.info/201010/article_5.html

政治家の皆様へ業務連絡 実践倫理宏正会を攻撃しているのはちゃねら~です
http://58807828.at.webry.info/201010/article_6.html

読者激減しても、ぐぐってランキング維持。よほど検索されていないようだ。
http://58807828.at.webry.info/201010/article_13.html

「実践倫理宏正会って何?」で「武蔵(笑)」が独白
http://58807828.at.webry.info/201010/article_15.html

「実践倫理宏正会って何?」で独白を続ける「サイコばばあ」
http://58807828.at.webry.info/201010/article_16.html

都合の悪いことには答えない「サイコばばあ」
http://58807828.at.webry.info/201011/article_3.html

へぼ過ぎるぞ!「サイコばばあ」 ぐぐって3面へ陥落か?
http://58807828.at.webry.info/201011/article_9.html

「サイコばばあ」の攻撃を、真っ向から受けてあげよう
http://58807828.at.webry.info/201011/article_10.html

 リンクを貼るのに疲れたので、途中省略します。
省略しても、「サイコばばあ」の正体に、誰もがお気づきいただけるものと確信します。

「実践倫理宏正会って何?」は「ブログ」ではなく、「2ちゃんねる」そのもの
http://58807828.at.webry.info/201102/article_8.html

「朝起き頑張りっ子(笑)」殿は、初コメントの5分前にも、2ちゃんねるで「PR」していた!
http://58807828.at.webry.info/201102/article_9.html

(全体引用終了)

 宏正会会友でありながらネットを見ている少数派の方々へ

 そろそろ、このブログは「サイコばばあ」自身の手によって、削除されてしまうことでしょう。

 今の内に、「魚拓」を保存しておきましょう。

 

>かのブログへの新規投稿は控えるつもりです

と言いながら、また出てきた「いや夫」。
何度、嘘ついているんだよ。
お前こそ、大嘘つきじゃないか。
こんな大嘘つきが分析したものなんか、誰も信じないよ。

このブログ削除なんか絶対にされない。削除されると思う、その感覚がいや夫の、致命的な知覚欠陥で、もし削除されなかった暁にはそれをいや夫が自覚せねば、迷惑の循環が終らない。

「いや夫」は、もう出てこないと言った、その口の乾かないうちにもう出てきたのか。
「嘘つき」「ずる賢い」「恥知らず」とかいった言葉は、「いや夫」のためにあるようですなー。

それで、「いや夫」は否定派とは議論しないけども、自分のブログで書き留めておいたものをこのブログに貼り付けると言っているのか。
要するに、ジャンクを撒き散らしてこのブログを荒らしてやるということだね。
そうしてこのブログを閉鎖に追い込んでやると言っているのだろう。
「いや夫」は余程このブログに恨みを持っているらしい。
「いや夫」は、否定派に散々にやられたからねー。
また、肯定派の「いや夫」が荒らしてやると言っているように、それほどこのブログには宏正会にとって都合が悪い事が書かれているということだ。

「いや夫」の言っていることは、「この批判的な書き込みが誰々が書いている」ということのみだけど、皆こんなことに興味かあるのかなー。
競馬の予想屋のように、色々と予想しているようだけど、このブログでもことごとく失敗しているのだから、全く当てにならない代物と思っていたほうがいいだろう。

いや夫は 、自分のぼろブログがgoogle 検索でランキングが下がっているので、ここに顔を出して宣伝に来たということ。

もう、みんな いや夫のクダラナイ競馬予想にはウンザリしている。
それがランキングに現われているのに、いや夫はまだ自分のやっていること興味を示すはずだと、一人ではしゃいでいる哀れな奴。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 
理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)

性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない
(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 
学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない

仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て

このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる


このような「いや夫」が、このブログで宏正会をだしにゲームをして遊んでいるだけ
ゲームには負けても負けても、負けを認めないで出てくる「恥知らず」
今では、このブログを荒らすことしか考えていないただの「スレ荒らし」

出走馬が10頭で与件が10種あれば、100通りの予想談義ができる。「Aを書いた人はBと同一人物であろう」という予想は、書いた各人が意思をもった人間であるので、出走馬の与件どころかいく重もの与件が絡み合い、なかなか理解も予想も難しい。それを読む他人は、また個々に関心をもっている観点(与件)が違うため、いや夫の予想には興味がなくただガラクタにしか過ぎない。
また一般的には上の書き込みのように、中味・内容には興味はあるが、それを誰が書いたかにはあまり興味が無いという向きもあろう。
そのことが分かる感性がいや夫に欠如している。

「いや夫」はこのブログや検索上位のサイトの批判者を○○と決め付けているけど、例え万が一そうだとしても、それはただのHN.
どこの誰かさんとは特定できません。
「いや夫」の決め付けなんて何とも思っていないのでは。
それに比べて、「いや夫」は個人として特定されてしまうよ。

もう「いや夫」は何の意味もない存在。
ただ構ってもらいたいだけだから、放っておいたら。

普通なら、この「いや夫」の投稿で、「実践倫理宏正会って何?」は終わるはずなのだが・・・
>

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 先ほど、「実践倫理宏正会って何?」に、ユニークな投稿をしてきましたので、紹介します。

 「いや夫」は「サイコばばあ」が気持ち悪すぎて関わりたくないので、ほぼコピペで投稿してきました。

 たとえば、ブログ主が、「成りすまし」はするけど、ばれたら恥ずかしいと思うような正常な神経の持ち主なら、さっさとかのブログを閉じるでしょう。

 しかし、残念ながら、かのブログ主は「サイコ」な「ばばあ」なので、これからも見苦しい言い訳を繰り返すことでしょう。それは、「まな板の上の鯉」がピチピチ暴れているだけに過ぎません。

 こ奴は、鯉以上にしぶとい奴だから、たとえ頭をぶった切られても、ピクピク反論を続けるのでしょう。気持ち悪すぎます。

 まともな第三者は、「サイコばばあ」の成りすましに気づいてください。

(全体引用開始)

 「サイコばばあ」との議論はやめました。

 今後、「いや夫」のブログへのリンクは、下記投稿へ集約してください。

 重要記事:ぐぐってトップページは、ごく少数の否定派が占有しておりますので、ご承知ください
http://58807828.at.webry.info/201010/article_3.html

 上記の投稿は2010年10月5日のかなり前の記事です。

 この時点で「サイコばばあ」VS「いや夫」の討論は、「いや夫」の快勝で決着がついているのです。

 成りすまし投稿を恥と思っていない「サイコばばあ」が、「まな板の鯉」でジタバタしているのが現実です。

 こんな大嘘つきの「サイコばばあ」に、「いや夫」登場以後にだまされる方はとろすぎます。ネットに関わるのは止めた方が無難ですよ。


(全体引用開始)

重要記事:ぐぐってトップページは、ごく少数の否定派が占有しておりますので、ご承知ください >

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PS 下記は、ちょっと古い投稿ですが、「実践倫理宏正会」または「朝起き会」で検索する方に、まず知って欲しい事実です。我がブログへのリンクも、ここに貼って頂くとよいと思います。
   http://58807828.at.webry.info/201010/article_3.html


 「実践倫理宏正会」でぐぐるとこんなサイトがトップページを飾る。「サイコばばあ」が作成または主導するものは赤で、その他少数の否定派首謀者の手によるものは黄でハイライトします。

(10月5日19時現在)

1位 実践倫理宏正会 - Wikipedia
社団法人実践倫理宏正会(しゃだんほうじん じっせんりんりこうせいかい)は、1946年(昭和21年)5月3日に創立した文部省(現在の文部科学省)認可の社団法人。一般的には、朝起会(あさおきかい)の名称で知られている。 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AE%8F%E6%AD%A3%E4%BC%9A
(「いや夫」解説) 「履歴表示」を見ればわかるように、最初に「実践倫理宏正会」の記事が投稿されたのは、2005年2月23日。バリバリの否定派である「211.9.162.39」が宏正会を批判するために作成したことがわかる。そして、それは「実践倫理宏正会って何?」(2005年2月24日初投稿)のブログ主である「サイコばばあ」である。否定派と肯定派が修正合戦をしていたが、結局、否定派=キチガイの方がゴリ押しが強く、極めて悪意に満ちた非中立的な内容となっている。)


2位 朝起き会?? - 社会・職場 - 教えて!goo
2010年3月14日 ... 朝起き会?? 親戚に朝起き会?に行っているおばちゃんがいて、しつこく勉強会やら講演会やらに誘われて困ってい ... ご本尊がない(まあ、会長先生なる人を必要以上に持ち上げてる時点で、池田大作と同じような気もしますが)、宗教法人では ...
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5752011.html

(「いや夫」解説) 何で2位なのか、訳がわからないほど内容薄のページ。おそらく、否定派首謀者自身が返信をして、PCの再起動とクリックを繰り返してランキングアップをはかっているのか???キチガイのやることは理解できない。他のおそらく千にも及ぶであろういろいろなブログに、せっせと批判投稿を繰り返す否定派首謀者たちなのである。


3位 朝起会(実践倫理宏正会)被害家族の会
あなたのご意見をお聞かせ下さい。 ここでは、実際に困った状況になっている家族が居る事を朝起き会の方々に知ってもらい、早く目を覚まして家族を大事にして頂きたいと思っています。被害を受けている方のご意見をお待ちしています。
http://asaokihigai.blog32.fc2.com/

(「いや夫」解説) ブログ主は、2ちゃんねるでは「元会友」「×元会友」「SOR」他、 「実践倫理宏正会って何?」では「匿名希望」「討論は避けよ」などのHNで、粘着質に批判を続けている否定派首謀者。裏切り者であり、「サイコばばあ」の友達でもある。

 PS 政治家の皆様へ あなたのブログなどに宏正会批判の苦情を寄せたり、苦情のFAXを送ったりしているのが、こ奴「SOR」です。こ奴は、宏正会批判の2ちゃんねる掲示板のスレ主を長年つとめている否定派首謀者でバリバリのちゃねら~です。こんなちゃねら~の戯言など苦にせず、善良な市民団体である宏正会の行事にどんどん出席してください。こ奴から苦情が寄せられたときには、実践倫理宏正会本部へ情報提供をされてはいかがでしょうか?本部の重い腰が上がって、否定派首謀者への訴訟を起こすことを期待している「いや夫」でした。

 関連サイト 社団法人 実践倫理宏正会の不正を問う
 (同一人物制作) http://blogs.yahoo.co.jp/jissenrinrikouseikai/


4位 社団法人 実践倫理宏正会
実践倫理宏正会では、上廣哲彦が創唱した「朝の誓」が、古今東西の全ての宗教・哲学・思想の根本となる「倫理」であるというが、それら五か条は単なる人生訓・出生訓にしか過ぎないものであり、また人生訓・出生訓を掲げる点は、ひとの道教団や倫理研究 ...
http://dakkai.org/jissenrinri.html

(「いや夫」解説) 「新宗教からの脱会を考える会」というサイト名の日蓮正宗勧誘サイト。新宗教から脱会させて、日蓮正宗にひきづりこもうという魂胆。ちゃんと本性を現しているだけ良心的である。なお、この日蓮正宗は、いわゆる創価学会ではなく、分派である。宗教はすぐに仲間割れして争うからだめなのである。宗教ではない実践倫理宏正会はそんな争いが大嫌いなのだ。宗教ではないのだらか、ほっといてくれ。
 
 

5位 朝起き会(社)実践倫理宏正会⑦
(社)実践倫理宏正会、通称「朝起き会」は子育ての会としてご婦人を 中心に活動しています。会友さんたちは、人のいい方ばかりなの ...... 素直な気持ちで、実践倫理宏正会が掲げる5つの誓いを生活に取り入れるなんて凡人には、急に出来ないでしょう。 ...
http://life.2ch.net/psy/kako/1034/10346/1034671572.html

(「いや夫」解説)数多い2ちゃんねるのスレの中で、なぜか最近常にトップ面に出てくる。否定派首謀者がPC再起動とクリックを繰り返し、ランキングアップをはかっているのはまちがいない。スレ主が「否会友」だから?2ちゃんねるのスレのうち、唯一肯定派が「否会友」の性格の悪さに怒って「荒らし」をしているから?意味不明である。このスレでは被害者ぶっている「否会友」だが、それまでは成りすましを悪用して、実践者への罵詈雑言の限りを尽くしていたのである。それで、肯定派にマークされた「否会友」は、自身のプロフィールを明かすことを一切やめ、匿名でますます宏正会への攻撃を繰り返しているものと思われる。「サイコばばあ」の最有力候補。

6位 実践倫理宏正会
最初にお断りしておきますが、このページは実践倫理宏正会の正式なホームページではありません。ただ、会が正式にホームページを持とうとせず、間違った情報が流通している状況に業を煮やしつつ、実際に朝起き会をやっている人たちのぬるさにも業を ...
http://www.ukon-clan.jp/PracticalEthics/index.html

(「いや夫」解説) 要するに自分が教組でなければ気が済まない身の程知らずである。こんな奴ほど会友をばかにしているが、実際は会友からうぬぼれたアホであると本性を見透かされてしまっているのである。そんな事実に気づかず、偉そうにブログを晒している裸の王様。読めば誰だか特定されると思うのだが、平気なのか?「実践倫理宏正会って何?」では「実践倫理宏正会ウオッチャー」「あいうえお」(自分が教組になるとしたら・・・などと投稿している)のHNで、中立派の投稿。最近は「改革派会友」で「いや夫」にいちゃもんをつけてきたが、自身が「実践倫理宏正会ウオッチャー」であることを「いや夫」に明かされ、速攻消えてしまった。2ちゃんねるでは、バリバリの否定派であり、レイモンド氏と罵詈雑言をぶつけあっている。「実践倫理宏正会って何?」では、レイモンド氏と誠実な会話を交わしており、否定派の二重人格(ジキルとハイド)を体現している。その点「サイコばばあ」と共通する。「類は友を呼ぶ」のだろう。

 関連記事  「改革派会友」の正体 20100906版
         http://58807828.at.webry.info/201009/article_4.html


7位 いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ/ウェブリブログ
いやいや朝起会を続けている妻の夫のブログ(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)。(朝起会は実践倫理宏正会の通称です)ネット(の一部?)では、批判の対象となっている朝起会(実践倫理宏正会)。その朝起会をいやいやながらもけなげにがんばっている ...
http://58807828.at.webry.info/ - キャッシュ

(「いや夫」解説) 「サイコばばあ」をはじめとする、気持ち悪い否定派の連中にはさまれながら、けなげに否定派首謀者と戦っているアンチ否定派のブログ。「いや夫」以前には、知られなかった否定派の正体を知ることができる貴重なブログだと自負しております。


8位 実践倫理宏正会(朝起き会)を辞めたい! | OKWave
2003年11月1日 ... 実践倫理宏正会(朝起き会)を辞めたい! 昨年7月頃、見ず知らずの中年女性が家に訪ねて来られて「育児にいい話しが ... うちの親戚にもそういう朝起き会の幹部みたいな事をやっている人がいるんですが・・・。(いとこの奥さん) ...
http://okwave.jp/qa/q694016.html; その他(ライフ)

(「いや夫」解説) ちゃねら~がブログに質問したり、回答したりして宏正会を批判している一例。


9位 朝起き会しつこい掲示板(掲示板@お悩み) 勧誘しつこい 実践倫理宏正会 朝起き会
投稿 21 件 - 最新の投稿: 1月23日
朝起き会しつこい。去年の年末に 実践倫理宏正会(後で正式名を知った)と.
http://onayamifree.com/threadres/1229012/

(「いや夫」解説)
 2010年1月23日に怒濤のように宏正会批判記事を書き連ねた掲示板。
複数の投稿者を装ってはいるが、明らかに一人の否定派首謀者が
連続投稿を繰り返している確かな証拠なのである。
ちなみに、「、」無し投稿もあり、それが「サイコばばあ」によるものである
ことがわかる(笑)。キチガイだ。

 関連記事  「太陽神・武蔵・鉄槌」の成りすまし「くくくww」を追跡 資料編まとめ
        http://58807828.at.webry.info/201008/article_22.html


10位 実践倫理宏正会って何?
(社)実践倫理宏正会は、人としてあるべき生活倫理(日常生活に不可欠な人間関係の法則)を普及し、その実践によって、人々が ... このページは(社)実践倫理宏正会の公式HPではありません。 せっかくこの会について知りたいと検索してくださっても、それに ...
http://rinrikko777.blogzine.jp/

(「いや夫」解説) 実践倫理宏正会を調べるときに、大変役に立つ貴重なブログ。ブログ主は自称「朝起き頑張りっ娘」だが、実際はバリバリの否定派である「サイコばばあ」が作ったもの。前日にwikiで新規作成。翌日投稿開始。その6分前(笑)にちゃんと2ちゃんねるでPRしている。肯定派を誘い出し、それを抹殺するために作られた罠なのである。一時期、肯定派対否定派との真摯な討論がなされたが、「太陽神・武蔵・シリウス」らの猛攻によって肯定派は投稿できなくなった。そこに現れた「いや夫」が次々と否定派を論破していく過程が見物である。そして、否定派が実はほとんどたった一人の「、」無し投稿をする「サイコばばあ」であることが明らかになり、「、」有り投稿をする「鉄槌」などの2ちゃんねるキャラも「サイコばばあ」であることを「いや夫」が明らかにした。
 否定派=卑怯なちゃねら~ であることを証明したブログであるとともに、肯定派(アンチ否定派)が優位にたつことができた希有なブログ。それだけに、トップ10から消えることは惜しい。みんなでせっせとクリックしてランキングアップをはかりましょう。今となっては、否定派も肯定派も読むべき(笑)ポータルサイトなのである。

 関連記事 重要な記事:思った通り、「実践倫理宏正会って何?」はちゃねら~の自作自演でした!!!
        http://58807828.at.webry.info/201009/article_27.html


 以上。
 ということで、ネット上の情報は、これらごく少数の否定派首謀者が10年以上にわたって書き連ねただけであり、アンチ否定派の「いや夫」個人が論破できるくだらない奴らのたわごとなのです。要するに、自分が偉い、宏正会会友はばかであると書き連ねてグーグル上位にランキングされることが生き甲斐の変質者か、宏正会を攻撃することで信者を増やそうとする「倫理研究所」の信者の仕業なのです。

 関連記事  否定派首謀者はやはり、倫理研究所の信者のようだ
         http://58807828.at.webry.info/201009/article_29.html


 (ちなみに、一番偉そうなのが「いや夫」自身なのですが、それは否定派首謀者が卑怯で姑息でわがままで成りすまし常習なので、相対的に馬鹿にせざるを得ないだけで、「いや夫」は一実践者の足下にも及ばない凡夫であることを自覚しておりますので、誤解のなきようにお願いいたします。会友はみなさん謙虚な方ばかりで、だからこそ修業を続けておられるのです。宏正会を知るには、「サイコばばあ」などの罵詈雑言だらけのネットなどではなく、自身の目でお確かめください。)


PS 以上、「実践倫理宏正会」でぐぐったトップ面を簡略化すると、次のようになる。

1位 「サイコばばあ」
2位 うすっぺらな批判記事
3位 「元会友」
4位 日蓮正宗
5位 「否会友」がスレ主の2ちゃんねる
6位 「実践倫理宏正会ウオッチャー」
7位 「いや夫」
8位 否定派首謀者のブログ掲示板

9位 「サイコばばあ」
10位 「サイコばばあ」   ネットって、本当にくだらないなあ~。


<追伸>

 「いや夫」のブログは、いろいろな投稿がgoogleにランキングされています。その分、アクセスが分散してしまって困ります。

 それに対して、「実践倫理宏正会って何?」はブログのくせに投稿が一つしかないので(笑)、アクセスが集中して有利です。それでも、我がブログに負けているのが憐れです(笑)。所詮大嘘つきの「サイコばばあ」のブログですから当然です。

 分散したアクセスを集中すべく、この投稿を我がブログのポータルとしたいと思います。 

 「いや夫」のブログへのリンクは、この投稿へお願いいたします。

 重要記事:ぐぐってトップページは、ごく少数の否定派が占有しておりますので、ご承知ください
 http://58807828.at.webry.info/201010/article_3.html
 
<関連記事>
続 否定派首謀者はやはり、倫理研究所の信者のようだ
http://58807828.at.webry.info/201010/article_4.html

宏正会を攻撃し続けた倫研信者へ 丸山敏雄氏が泣いているぞ
http://58807828.at.webry.info/201010/article_5.html

政治家の皆様へ業務連絡 実践倫理宏正会を攻撃しているのはちゃねら~です
http://58807828.at.webry.info/201010/article_6.html

読者激減しても、ぐぐってランキング維持。よほど検索されていないようだ。
http://58807828.at.webry.info/201010/article_13.html

「実践倫理宏正会って何?」で「武蔵(笑)」が独白
http://58807828.at.webry.info/201010/article_15.html

「実践倫理宏正会って何?」で独白を続ける「サイコばばあ」
http://58807828.at.webry.info/201010/article_16.html

都合の悪いことには答えない「サイコばばあ」
http://58807828.at.webry.info/201011/article_3.html

へぼ過ぎるぞ!「サイコばばあ」 ぐぐって3面へ陥落か?
http://58807828.at.webry.info/201011/article_9.html

「サイコばばあ」の攻撃を、真っ向から受けてあげよう
http://58807828.at.webry.info/201011/article_10.html

 リンクを貼るのに疲れたので、途中省略します。
省略しても、「サイコばばあ」の正体に、誰もがお気づきいただけるものと確信します。

「実践倫理宏正会って何?」は「ブログ」ではなく、「2ちゃんねる」そのもの
http://58807828.at.webry.info/201102/article_8.html

「朝起き頑張りっ子(笑)」殿は、初コメントの5分前にも、2ちゃんねるで「PR」していた!
http://58807828.at.webry.info/201102/article_9.html

(全体引用終了)

投稿 いや夫 | 2011.02.06 07:45 午後

 宏正会会友でありながらネットを見ている少数派の方々へ

 そろそろ、このブログは「サイコばばあ」自身の手によって、削除されてしまうことでしょう。

 今の内に、「魚拓」を保存しておきましょう。

 

投稿 いや夫 | 2011.02.06 07:52 午後

(全体引用終了)

絶対にこのブログは終らない。いや夫の感覚はどうかしている。

いや夫以外は、反宏正会で大合唱をしている。
Aばばあが;「お祝い金をとる宏正会はけしからん」
Bばばあが;「上廣家が金を巻き上げるのはけしからん」
Cばばあが;「公益法人が利益をあげるのはけしからん」
と発言ししている。
「AはBに成りすましているからけしからん」と言ったって、AとBは同一人物で、反宏正会発言をしているのだから、当たり前であり、取り立てていうほどのことはない。
いや夫以外は、「サイコばばあ」というたった一人の人物が反宏正会の論陣を張っているのかも知れぬ。
それに反対するのなら、「誰れが誰れ」なんて全然意味がない。その内容について反論しなければならない。

いや夫は宏正会への批判に対して内容で反論することはもはやできない。既に完膚なきまでに敗北してしまっているからだ。止むを得ず話を逸らしてスレの内容を宏正会の実態から引き離そうと考えたわけだ。しかし、それも無駄なことだとさえ気付かないでいる。まことに愚かと言う他ない。もういや夫を発言の内容面で相手にしている人はいないわけだが、それでも迷惑行為を止めないだろう。いや夫とはそういう人間である。

前2名のおっしゃることでもう決着がついていると思う。宏正会についての論議に戻そう。関係のないバカは無視していけばいい。

そもそも「いやいやながら、朝起き会を続ける妻」を持つ夫と言いながら、のうのうと朝起き会を擁護するなんて、全く日本人の風上にも置けぬ輩である。
何が実践倫理だ。このような家族がいるだけで、社会が汚れる。
やはり宏正会は、害毒を流している。
一皮むけば、こんな輩がうようよいる会なんて、無い方がよい。

 君(たちではない)と「議論」はしませんが、引用(=我がブログのPR)はします。

(引用開始)


「サイコばばあ」の妄言に、つい反論したくなる「いや夫」
<< 作成日時 : 2011/02/07 23:37

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 「実践倫理宏正会って何?」の「サイコばばあ」が、やっと「成りすましの事実」を認めはじめた(笑)。また、「、」有り投稿を心がけている。

 成長したの~。

(引用開始)

絶対にこのブログは終らない。いや夫の感覚はどうかしている。

いや夫以外は、反宏正会で大合唱をしている。
Aばばあが;「お祝い金をとる宏正会はけしからん」
Bばばあが;「上廣家が金を巻き上げるのはけしからん」
Cばばあが;「公益法人が利益をあげるのはけしからん」
と発言ししている。
「AはBに成りすましているからけしからん」と言ったって、AとBは同一人物で、反宏正会発言をしているのだから、当たり前であり、取り立てていうほどのことはない。
いや夫以外は、「サイコばばあ」というたった一人の人物が反宏正会の論陣を張っているのかも知れぬ。
それに反対するのなら、「誰れが誰れ」なんて全然意味がない。その内容について反論しなければならない。


投稿 匿名 | 2011.02.07 08:47 午後

(引用終了)

 お前(「サイコばばあ」)の感覚だどうかしているのだ!

 まあ、それにしても、「Aばばあ」も「Bばばあ」も「Cばばあ」も同一人物(「サイコばばあ」)だと自ら(自身が「ばばあ」だということも)認めた点は評価してあげよう。
「サイコばばあ」が成りすましの事実を認めた下記の投稿以来、二度目の正直な投稿である。

(引用開始)
いや夫さんが膨大な書き込みを実に正確緻密な手法で点検作業をおこなわれたこと 感心するというより尊敬する気持ちの方が大きいです ただ小生がお詫びするというのは論理的に納得するものではありません。
あちらのちゃんねるやこちらのスレに複数のハンドルで非難論を書きました。その出自である いわゆるなりすましのご指摘はおおむね間違ってはおりません しかし個々のテーマに対する論理的な反論をいただいておりませんので 論戦を戦わせたという感じは持っておりません。
今後はテーマ毎に反論を願えればその論戦に対しては 特定ハンドルをつけて続けることは可能です ただ現状では ハンドルはいや夫さんしか使っておられませんので 当方「匿名」でも いや夫さんが上記点検で指摘なさったように 相手を間違われることはないと思います けだし ハンドルつけるかどうかは書き手の自由に任せるのが当然と思うからです。


投稿 匿名 | 2010.08.10 11:49 午前
(引用終了)

(「いや夫」注:上記の投稿では、「いや夫」に対して「尊敬」という言葉まで使っている。このような大人の投稿を続けていれば、「いや夫」も「サイコばばあ」などと反撃せずに済んだのである。しかし、こ奴は、ちゃねら~の本性をあらわにして、その後も卑怯な反撃を続けたのである。よって「サイコばばあ」と「いや夫」に反撃されても仕方がないのである。)

 「サイコばばあ」との議論をやめることにした「いや夫」は、こんな低レベルの言い訳に、いちいちつきあう必要はない。しかし、すぐに反論したくなる「いや夫」です。修業が足りません。

 上記の投稿の意見は、次の点に集約されます。

・成りすましはOK。
・持論を述べるのに、成りすましをした方が多数意見と装うことができるから効果的。
・その成りすましを、いちいち明らかにするのは無粋なのでやめて欲しい。

 とんでもない暴論です。さすがは、「ちゃねら~」です。
これは、「川崎祭り」はOK、と同じ意味です。

<関連記事>
  かのブログには苦情を寄せて、このブログにはようコメントできない「自称10年来の会友」
 http://58807828.at.webry.info/201102/article_2.html

 「川崎祭り」とは、「ちゃねら~」が主導をして、故障により過去2年間登板さえままならなかった川崎選手が、高額の年俸をもらっていることに嫉妬して、彼に制裁を加える目的で、オールスターのファン投票で一位にした運動のことです。

 「サイコばばあ」の論理では、

・一人で何回ファン投票に応募(クリック)してもOK。
・活躍しないのに高額の年俸をもらっている川崎選手が悪い。
・我々は正しいことをしている。

 ということです。

 要するに、KYなキチガイです。

 自分自身が「会友の身内」から嫌われているのか、嫌っているのか知りませんが、それはたった一人の感情です。どうしてもネットで発信したいなら、固定ハンドルで、自身の状況を誠実に書き(個人が特定されない範囲の情報で)、個人の意見を述べればよい。

 それは、表現の自由として許されることです。
 宏正会は、その批判を分析して、活動方針の参考にすべきです。

 その範囲なら、「いや夫」があえて追求したりはしません。
 「いや夫」もそのように、宏正会を擁護している一人ですから。
 「みんなちがって、みんないい」なのです。

(しかし、できれば、その「みんなちがって、みんないい」を、せめて家族の中では実践していただけませんか?身内の会友に誘われても、嫌なら嫌と断ればいい。しつこく勧誘されても、身内なのだから仕方ないと、さわやかに断り続ければいい。「いや夫」も一応肯定派ですが、実践は何にもしていませんし、頒布も一生しないでしょう。いずれにしろ、「身内の会友」は、宏正会の正しさを信じて修業を続けているのです。その思いを知っていれば、気軽にネット上で批判などできないはずです。私は応援しています。
 だいたい、「サイコばばあ」みたいな大嘘つきの連中が書き連ねた嘘の投稿を鵜呑みにして、身内の会友の言葉を信じようとしない時点で、否定意見を書いている人は「ちゃねら~」に洗脳されているのです。そんなとろいほぼ「ちゃねら~」は「2ちゃんねる」にだけ投稿しておればいい。そこまで、「いや夫」は追いかけていきません。しかし、「ちゃねら~」に洗脳されたまま、真実がわかったつもりでブログに書くのは困ったものです。ネットで真実を知ることなどできないのです。デマを拡散するのはやめてください。) 


 ところが、「サイコばばあ」の場合は、

1 「会友である身内」に復讐するために、宏正会や会長先生や会友を攻撃している。
2 実践倫理宏正会の会友を減らそう、できたら潰そうと画策している。
3 そのために、膨大な成りすまし投稿を行い、否定派が多いのだと装っている。
4 嘘のプロフィールを書いたり、事実無根の罵詈雑言も書いている。
5 成りすましを暴かれた後も成りすましを続けて反撃している。

 など、目にあまる行いをしているのです。こんな奴が、倫理力を備えた「身内の会友」に愛されるはずがありません。たとえ、身内が会友でなくても、家庭愛和を破壊する愚かな奴なのです。

 そして、残念ながら、宏正会へのネット上の攻撃は、「サイコばばあ」と似通った環境にある愚かな「会友の身内」から発信されているのです。


 選挙でも一緒ですよね。

 「清き一票」が大切なのです。

 しかし、「サイコばばあ」は成りすましでドロドロの「汚れた何万票」で宏正会を攻撃し続けているのです。

(引用終了)

「いや夫」は、とっくに死んだ人。
すでに死体になっている人間。
まだこの世に未練があるのか、幽霊になって出てきている。
あの世で成仏できるように、お経をあげてあげましょう。
ナンマイダー ナンマイダー ・・・・・

このブログを荒らしているのは、この男。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 
理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)

性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない
(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 
学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない

仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て

このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

「いや夫」は、宏正会に関する議論で敗北した腹いせに、首謀者をここのブログ主と決め付けて執拗に攻撃している変質者。

まー話題の整理をしましょう。
#1陰倍加はあるのか?入会者本人が最低一年間会員になることを知っているが。
#2会計処理は正確なのか?各支部の運営費、祝い金などの寄付、会費と領収証の発行など。
#3離婚は、家庭愛和に繋がるのか。

あと、まだ特定社団法人ではないかと思いますが、公益法人を認可された期日を教えてください。

いや夫は、所詮はあてずっぽを言っているに過ぎないものだから何の効果もない。
荒らすためには、それでいいのかも知れないが。

いや夫がこれほどにまでこのブログを荒らしているのは、このブログに書かれていることが宏正会にとって非常に都合の悪い事が書かれていることの証明になっている。

いや夫の書いているものや他のジャンクを飛ばして読めば、頭のいい人が宏正会の問題点を鋭く追及しているのが分かる。一読あれ。

 「議論」はしませんが、引用はします。

 我がブログより

(全体引用開始)

「2ちゃんねる」と「実践倫理宏正会って何?」がいかに表裏一体(コピペ)かを、示します(笑)
>821
いや夫というより
「宏正会の加藤」といったほうが、ピッタリだと思う。


827 :名無しさん@HOME:2011/01/29(土) 11:02:07 0
「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)
性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない
仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている


828 :名無しさん@HOME:2011/01/29(土) 11:03:35 0
妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)
作家では副島隆彦を信奉している 民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい
宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て
このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる


829 :名無しさん@HOME:2011/01/29(土) 18:30:28 0

批判する奴も擁護する奴もどっちもバーーーカ

830 :名無しさん@HOME:2011/01/29(土) 18:34:39 0
それでは、829はバーーーカ
になるwww


831 :名無しさん@HOME:2011/01/29(土) 18:54:02 0
批判も擁護も、肯定も否定もしないんでバーーカではアリランす。

0120婆オシャレーーして、頒布と称し午前の情事に出向くので熱田神宮。

832 :名無しさん@HOME:2011/01/30(日) 09:48:13 0
なんでもかんでも「サイコばばあ」と叫んでいるバカには
お役でもつけ、3時に叩き起こし、会員をお出迎えさせるべきです。
倫風100冊でも少ない、休みには競馬何ぞやってないで、妻と頒布にでもださせろ。
いや夫が会場に、「こない」ことを言い訳にする前に、壮年のつどいには首に
縄でもつけて強制連行でもしない限り、倫理なんぞ身に付かない。
会員一人、正しい方向に導けない団体に何の意味があるの。
それともこの方は、匿名いや夫ですから、会からみれば会員を名のる成りすましと判断
しているのでしょうか。
いや夫が会に出てくることが、義母、妻への孝行です。
しつこいほど、いや夫をお誘いするのが、会員の役目では。
厳しいノルマとお祝い金を科すべきです。そうしないと「人の悪を語らない」の会に反します。


833 :名無しさん@HOME:2011/01/30(日) 10:39:53 0
このコピペjは、
「いや夫」への教育のためです
またここに「絶対に戻らせない」「書き込みさせない」為です。
これが「本人の為」だからです。

永遠に、定期的に、このコピペは、必要です
そしてこれは「人助け」で「社会奉仕」なのです


なぜ、そんなことが必要なのか、しなくてはいけないのか
「いや夫」は下記のとおりの人間であり、
それを、「本人も認めているのです」そんな恐ろしい人間だからです
<続く>


834 :名無しさん@HOME:2011/01/30(日) 10:42:11 0
<続き>

(1)
いや夫が、
「実践倫理宏正会って何」や某ボログ(×ブログ)にて、「被害者」からの宏正会への正当なクレームや、
「被害者、批判者」から発信される宏正会にとって都合の悪い事実の隠滅をしようと、被害者や批判者
への誹謗中傷を必死でやっている。
同じ会友から「いや夫は会友の恥、やめろ」「実践もしておらず何も知らないで何いってるんだ」の
クレームや批判も全く聞く意思も理解する能力もなく、いや夫自らの倫理そっちのけの発言は、棚にあげ
て、「被害者、批判者」憎しで突き進んでいくつもりのようだ。
愛すべき実践者たちとは違って、地域社会や地域住民ならのクレームや批判を逆恨みして、何が悪いの?
文句を言う「被害者、批判者」が悪いのよ!見つけ出して殺してやる!というタイプの人間なのだろう。
おそろしい奴と、討論を続けてしまったものだ。くわばらくわばら。
ネット上の討論で良かった。面と向かって、いや夫と討論していたら、今頃「被害者、批判者」はぶすっと
腹をさされていたかもしれない。
いや夫が住むらしい愛知県で、ある女が、見ず知らずの老女を地下鉄駅で惨殺する事件が起きたばかり
だが、まちがいなくちゃねら~(=いや夫と同類の逆恨み人種)の仕業だろう。まだ、そのような報道は
一切なされていないが、きっとそうだ。
そして、実践倫理宏正会への正当なクレームや、宏正会にとって都合の悪い事実を公にすることを続けて
いると、きっと、こ奴ら(=いや夫)から同じように危険な奴らにあわされるかもしれず危険かもと思う。
だからといって、こ奴ら(=いや夫)の誹謗中傷を見過ごす訳にはいかない。身の危険を感じながらも、
追求を続けていく。
「被害者、批判者」は「被害者、批判者」のできることをやるだけである。
<続く>


835 :名無しさん@HOME:2011/01/30(日) 10:45:30 0
<続き>

(2)
いや夫は、実践倫理宏正会の会友である。
ここでわかることは、実践倫理宏正会の会友は、腹のなかは、本音はこのとおり
であるということである。
倫理そっちのけ、少しでも、会に都合の悪いことを言い出したら、逆切れして、
大変なことになるようだ。
この掲示板を見て、みなさん、参考になったと思います。

自分が実践して、自分が変わって、周囲を変えるなんてとんでもない。
自分のことは棚に上げて、周囲を罵倒する、それが、いや夫(=会友)らしい。


836 :名無しさん@HOME:2011/01/30(日) 14:25:07 0
65周年記念搾取が
最後の晩餐になる。

実践倫理宏正会劇場閉幕


837 :名無しさん@HOME:2011/01/30(日) 14:26:42 0
新しい服が大好きな王様の元に、二人組の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来る。
彼らは何と、馬鹿や自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織る事が出来るという。
王様は大喜びで注文する。仕事場に出来栄えを見に行った時、目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。
王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当の事は言えず、見えもしない布地を褒めるしかない。
家来は家来で、自分には見えないもののそうとは言い出せず、同じように衣装を褒める。
王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。
見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、
その中の小さな子供の一人が、「王様は裸だよ!」と叫んだ。
ついにみなが「王様は裸だ」と叫ぶなか王様一行はただただパレードを続けた。


838 :名無しさん@HOME:2011/01/31(月) 11:57:45 0
裸の王様はいや夫?
詐欺師はレイモンド?
で子供はサイコばばあ(批判者)


839 :名無しさん@HOME:2011/01/31(月) 18:33:08 0

婆サマは裸だァ
萎びた乳が垂れてるよぉ

840 :名無しさん@HOME:2011/02/01(火) 19:37:51 0
裸の婆様?


841 :名無しさん@HOME:2011/02/02(水) 21:16:27 0
今大相撲の公益法人取消しかとかいわれているが、なんでこのクソみたいな宗教団体が公益法人なんだよな。


842 :名無しさん@HOME:2011/02/03(木) 01:29:48 0

朝鮮人参のMサイズ1ダースと
特上キムチ800g譲って下さい。

代引きで結構です。時間指定はありません。
九段工場からの出荷になりますか?


843 :名無しさん@HOME:2011/02/03(木) 08:22:00 0
子育ての……
あ~倫理…朝早く集まる…あ~
確か、会長さんは……
いや夫さんて方ですよね……
最近、こなくなった……


844 :名無しさん@HOME:2011/02/04(金) 09:51:06 0
理解力の無いバカが倫理を学ぶと
まさに毒薬だと、いや夫で学ぶ。


845 :名無しさん@HOME:2011/02/05(土) 13:28:46 0
その倫理という毒薬は
人はごきぶりにしか映らず、批判者にはストーカー
のような恐怖を味あわせる。
「悪魔の快感」を与えてくれるらしい。

子育てセミナーは悪魔の囁き。
頒布者は悪魔の使者。
そして夫婦愛和とは夫婦共々「そんな人なんでしょう」
と他人を見下し暮らすこと。

それにしても今更、レイモンドは何、カミングアウトしてるんだ。

(……宏正会って何?のブログのレイモンド投稿より)
>わたしは2ちゃんねる時代、「宏正会」擁護派で何度も討死にをしましたが
>その都度別のハンドルで生き返り、都合十数個のハンドルを使いました。
>ときに相反する意見を、ハンドルを換えて発する快感は、
>絶対価値論から言うと「悪魔の快感」なのであります。

一番大事な人の心、相手を思いやる心、人を察する心。相手の立場に立って考えられる心……。
くれぐれも心を無くす、倫理という毒薬は口にしてはいけませんね。


846 :名無しさん@HOME:2011/02/06(日) 17:30:46 0
会の中では、頒布の冊数が多いほど、新入会員を勧誘した数が多いほど、
会に献金した金額が多いほど出世するシステム。
だから、お役をもらって偉そうにしたい人が必死になって頑張るわけ。
(会に利用されていることも分からずに・・・)
この会で偉そうにしている人って、どれほどの人?
どこにでもいるごく普通の主婦やその辺にいる壮年じゃないの。
そんな人が、ただお役に就いているということで、講師や会の幹部を
マネして偉そうに振舞ったり、偉そうに言ったり。
ただ物まねが上手なだけでは皆さんにバカにされていますよ。
こんなにレベルの低い人達が会の幹部になるのでは、この会も先はありません。


847 :名無しさん@HOME:2011/02/06(日) 20:06:48 0
都道府県の幹部になるとお祝い金とか上納するときに多少中ぬきできるって話だよね。


848 :名無しさん@HOME:2011/02/07(月) 10:16:14 0
>>847
そうなの?
久しぶりに従姉妹に会ったらコレに入ってて、正直言って40代無年金・老後資金無しのド貧乏なのに
どこにお布施してるお金なんかあるんだろうかと思ってた。
偉くなると中抜き出来るなら、そりゃ頑張っちゃうよねえ。


849 :名無しさん@HOME:2011/02/07(月) 22:59:24 0
>>828
>宏正会に8人分の会費を払っている
>(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
>兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる

兄嫁が倍加されてない。
兄嫁は縁を結ぶ、対象ではない。
以前、否会友にされた方といや夫はよく似た環境だな。
それで首謀者のターゲットにされたのか。
いや夫も同じようなことをしていたのかな?
それで、首謀者に仕立てあげて、恨みをはらしたってこと。
それに飽き足らず、実践倫理宏正会って何?のブログ
主をサイコババアという架空人物を作り上げ
首謀者に仕立てて、荒らしまくっている。

2世の嫁、会員の鏡のような義母、華麗なる会員一族の婿が
毎日、仕事から帰ってきてPCの前で、会を批判した
批判したのは誰だ「ぶっ殺してやる」とばかりの形相
で投稿記事を書いてる姿を想像するだけで、恐ろしいな。

逃れられない環境と会への出費を考えたら、競馬で小遣い稼ぎ
してる自分がなさけなくなるよね。そりゃストレスも溜まるでしょ。
家庭のストレスを批判者叩きで、発散してるとしか思えない。
競馬で負けた時なんか恐ろしいほどのコピペしてんじゃない。

850 :名無しさん@HOME:2011/02/08(火) 06:17:42 0
>>848
中にはいるだろうな

どれだけ集まったかなんて、幹部クラスにしかわからないから

(全体引用終了)

(全体引用終了)

「公益法人information 国・都道府県公式公益法人行政統合情報サイト」で見てみますと、実践倫理宏正会は今のところ特例民法法人のままのようです。

公益法人につきましては、これまでの公益法人制度を抜本的に変える、公益法人制度改革関連三法が平成18年6月2日に公布され、平成20年12月1日から全面的に施行されました。

新制度では、これまで一体であった法人の設立と公益性の判断が分離され、登記のみで法人が設立できる制度(一般社団法人・一般財団法人制度)が創設されました。そのうちの公益目的事業を行うことを主たる目的とする法人については、民間有識者からなる合議制の機関の意見に基づき、行政庁(内閣総理大臣又は都道府県知事)が新たな公益法人に認定する制度(公益社団法人・公益財団法人制度)も創設されました。

これまでの公益法人は、新制度施行後5年間(平成25年11月30日まで)の移行期間は、特例民法法人として存続できます。この間に、合議制の機関の意見に基づく行政庁の認可又は認定を受けて、一般社団法人・一般財団法人に移行するか、新たな公益社団法人・公益財団法人に移行するかを選択する必要があります。

移行期間中に移行しなかったこれまでの公益法人(特例民法法人)は、解散したものとみなされます。

従いまして、実践倫理宏正会も平成25年11月30日までに一般社団法人、あるいは新たな公益社団法人に移行する手続をとりませんと解散したものとみなされてしまいます。
一般的には、「公益法人を選択すると税制上は優遇されているが、法人運営面では制約があり大変になる」、「一般法人を選択すると法人運営は自由であるが、税制面ではあまり優遇されていない」とされていますし、社会的な信用という面からしましても、公益社団法人に移行すべく現在準備中というところでしょうか。

公益性の認定(国の場合)は、「公益認定等委員会」が行ないます。
現在の委員は、以下の7名です。

雨宮孝子 (元明治学院大学大学院法務職研究科教授)
池田守男 (株式会社資生堂相談役)
海東英和 (元財団法人日本青年会館理事 元合同会社リーボン代表社員)
門野泉 (清泉女子大学長)
北野達明 (公認会計士 有限責任監査法人トーマツパートナー)
出口正之 (元国立民俗学博物館教授)
堀裕 (弁護士 千葉大学理事・副学長)

2010年8月時点で国・都道府県所管の公益法人約24,000のなかで申請件数は国への申請432件、都道府県への申請は478件と全体の数%にとどまっており、類似の活動事業の他の法人の認可の可否の様子を見ているのではないかといわれています。
(最近の状況は、「公益認定等委員会だより」を見て下さい)

「いや夫」は、「議論はしませんが、引用はします」と言って、2CHのコピペを貼り付けている。

こいつは、一体何を考えているんだ。
妻も子供もいて、いい年をしたおっさんがやる事ではなろう。
恥ずかしくないのか。
お前は、中学生程度の精神年齢か。
もういい加減にしろ。


いや夫ちゃん、「議論ができないので引用で済ませます」が正しいだろう。とうとう自分で認めてしまった。まったくアホな奴だ。

 「議論」はしていません(笑)。引用だけします。

(全体引用開始)

前の投稿に出てきた「松山正治」さんで検索すると、「サイコばばあ」が発狂している
>522
「Y(=松山正治)」という人が「宗教板」に「実践倫理宏正会 22」というスレを立てたから
ここのスレ主が怒っている。
どうして「Y(=松山正治)」は「22」というスレ番号までパクッタのかなー
今までは「宗教板」ににあったこのスレがこちらに移動したのをいいことに、
伝統あるこのスレを利用したということだね。
これでは ここのスレ主が怒るはずだわ。
宏正会のスレ立てるなら別の名前を付けるのが礼儀だよねー
いくらネットでも礼儀を守らなければいけないよ。

 (以下略:同様の中傷が638まで続いている。2011年1月3日現在で。)

(引用終了)


 なぜ、松山氏は、「サイコばばあ」の執拗な攻撃を受けているのか?

 それは、松山氏のスレに「サイコばばあ」=「鉄槌」キャラがけんか腰の低レベルの投稿をしたために、スレ主である松山氏に忠告されたことを逆恨みしたからである。

 お~怖っ! 本当に「サイコ」な「ばばあ」である。

 「いや夫」は本名を明かさなくてよかった。


<関連記事>

  「太陽神・武蔵」=「鉄槌」の別の証拠
 http://58807828.at.webry.info/201008/article_26.html

 ちなみに、その2ちゃんねるでは、「、」無し投稿をしておいでだ(笑)
 「、」無し投稿で、複数の人物に成りすまして、「いや夫」をさっそく攻撃している。
 2年半前から進歩なしだな~、お前。変わったのは「、」無し投稿をやめただけだ。

 「いや夫」がタネ明かしをしてくれてよかったの~~~。
 太っ腹だな~「いや夫」は。感謝しろよ。
私が教えててやらなければ、「実践倫理宏正会って何?」のブログ(じゃなかった掲示板)は、今でも「、」無し投稿だらけだったはずだ(笑)。

 しかし、証拠はもう十分である。しらを切り通しているのは、貴様だけだ。

 往生際悪く反論している貴様が「サイコばばあ」だなんて、とっくにお見通しだ~。


PS 松山正治さんへ

 あなたをネット上で中傷しているのは、「実践倫理宏正会って何?」のブログ主である「サイコばばあ」です。プロバイダーに請求して、こ奴の素性を調べてはいかがですか?てっとり早くは、訴訟を起こしてはいかがでしょうか?


(全体引用終了)

 「サイコばばあ」がブログ主であることなんて当然すぎて、いつまで「いや夫」は「サイコばばあ」なんかに関わっているのだとお思いの方もいるでしょう。

 そういう方にとっては、あまり長文を引用するのもどうかと思いますので、上記投稿もはしょりました。

 我がブログでは、全文読めますし、リンクにも飛びやすいですし、ここに引用する以上の投稿を載せているので、お越し下さい。

 上記投稿の引用元はこちらです。

 前の投稿に出てきた「松山正治」さんで検索すると、「サイコばばあ」が発狂している
http://58807828.at.webry.info/201102/article_21.html

わたしは訴訟なんて絶対にしないし、このブログ止めるつもりもぜーんぜんありませーん。
わたしはわたしでこのブログで、やりたいようにやってるだけ~。
なりすましなんて何回やったかぜーんぜん覚えてない~。
いや夫さんなんてぜーんぜん知りませーん。ゴメンネ。

「いや夫」。 
もういい加減に子供みたいな遊びは止めておけ。
こんな事をいつまでも続けて、自分の妻や子供に恥ずかしいと思わないのか。


>「議論」はしていません(笑)。引用だけします。

これは、「コピペを貼って、このブログが閉鎖されるまで荒らし続けます」という事だろう。

「いや夫」の言っていることは、何もかも「サイコばばあ」。
否定派=「サイコばばあ」と言っているようなもの。
こんな分析だから、「いや夫」の競馬予想に誰も見向きもしない。
「サイコばばあ」の亡霊に取り憑かれた「いや夫」には、もうみんな飽き飽きしている。

 「実践倫理宏正会って何?」にて、「サイコばばあ」自身がブログ主であることを認める投稿を「初めて」行った。

 画期的である。

 「いや夫」の指摘が当たりすぎていて、さすがの「サイコ」さんでさえ、もうしらを切り通すのは不利と判断したようだ。

 「いや夫」の引用ミサイルに耐えられなくなったのだろう。

 あえて、「実践倫理宏正会って何?」には、まだ投稿していなかった我がブログの下記の記事なんかを読んで、もう逃げられないと悟ったのだろう。

 「「いや夫」の敵は、「キチガイ」です。残念ながら常識は通用しません。」
 http://58807828.at.webry.info/201102/article_22.html

 

 そして、上記のように開き直りの投稿をしている。

 それでも

「いや夫さんなんてぜーんぜん知りませーん。ゴメンネ。」

などというまるで幼児のような捨てゼリフをし、懲りずに別人に成りすまして、すかさず「ショッカー戦闘員」としてフォローしているのが憐れである。もう少し「工夫」をしなさい。

 いよいよ「サイコばばあ」が、ちゃねら~としての本性を現すつもりらしい。

 見物(みもの)である。

  今後は、「いや夫」は投稿拒否されるのかもしれない。試しに投稿してみます。

 「サイコばばあ」が自白をした「画期的」な投稿↓

(引用開始)
わたしは訴訟なんて絶対にしないし、このブログ止めるつもりもぜーんぜんありませーん。
わたしはわたしでこのブログで、やりたいようにやってるだけ~。
なりすましなんて何回やったかぜーんぜん覚えてない~。
いや夫さんなんてぜーんぜん知りませーん。ゴメンネ。
投稿 サイコばばあ | 2011.02.08 11:35 午後

「いや夫」。 
もういい加減に子供みたいな遊びは止めておけ。
こんな事をいつまでも続けて、自分の妻や子供に恥ずかしいと思わないのか。

投稿 匿名 | 2011.02.09 06:38 午前

(引用終了)

会友の皆さんへ

 「実践倫理宏正会って何?に投稿するのは危険です。「サイコばばあ」に関わり合いにならない方が無難ですよ。

 それも承知で投稿しようという方は、下記にご留意ください。

・Eメール欄に、馬鹿正直に本当のアドレスを載せない。

・URLに、自分の素性がばれるようなサイトを載せない。

 相手は、キチガイですので、十分に注意しましょう。



「サイコばばあ」とういHNでの投稿は、「いや夫」の自作自演か、また「レイモンド」が小細工をしたもの。
いずれにしても、肯定派の策略。

このブログを荒らしているのは、この男。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 
理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)

性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない
(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 
学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない

仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て

このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

「いや夫」は、宏正会に関する議論で敗北した腹いせに、首謀者をここのブログ主と決め付けて執拗に攻撃している変質者。

「いや夫」がこのブログを荒らしているのは、荒らしてしまいたいほどに宏正会に都合の悪い事が書かれている証拠。
「いや夫」の膨大なジャンクを無視して、スクロールしながら読むといいよ。


こんな遣り取り、何時まで続くのかねー

「いや夫」は、このブログが閉鎖となるまで「サイコばばあ」「サイコばばあ」と言い続けて、批判派の書き込みを封じ込めようとするつもりでしょう。

そんなにこのブログに書かれている事が怖いの?
そんなに宏正会の真の姿を隠したいの?

宏正会の本当の姿を知ってもらうのと、それを一生懸命に覆い隠そうとすろのと、どちらが正しいの?

「いや夫」は自分のぼろブログに<追伸>を加えている。

><追伸>本ブログのサブテーマを、
「愛国者 植草一秀氏 愛国政治家 小沢一郎氏応援ブログ」と変更し、宏正会否定派首謀者の追求はほどほどにすることとします。今後は「議論を避けよ」を、なるべく(笑)守ります。

>(追伸)
 実践倫理宏正会否定派首謀者の「サイコばばあ」の正体をつきとめてしまい、もうそれほど戦う必要もなくなったので、今は競馬研究をメインテーマにしております。ご承知ください。


「いや夫」は、あくまでも自分の負けを認めず、強がりを言っているようですな。
議論では全敗、「いや夫」のこじ付けだけで何一つ解明されたものがない成りすましの追求、もう手がなくなって逃げ出した「いや夫」をみんなで笑ってあげましょう。

(*^o^*)(笑)
だれが他人の付けたハンドルネームで自分であるという人がいるのであろか?
とにかく、「いや夫」は完全に登場しないでしょうから、疑問点を討論出来ます。

 そんな小細工でだませると思ってるの?おめでたい人だ。

(引用開始)

「サイコばばあ」の自白投稿の裏を読む。やっぱり本人です。
http://58807828.at.webry.info/201102/article_24.html

<< 作成日時 : 2011/02/09 22:02

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 前の記事で触れたように、「実践倫理宏正会って何?」に下記の投稿がされました。

(引用開始)


(引用終了)

 やったのは、「いや夫」ではありません。

 やるとしたら、否定派ではなく、肯定派です。だとすると、レイモンド氏がやった可能性もあります。もし、そうなら、彼は正直にカミングアウトするでしょう。

 「いや夫」の予想する犯人は、「サイコばばあ」自身だと思います。

 あえて、「サイコばばあ」というHNをつけることで、自分自身の投稿ではなく、肯定派が成りすましをして投稿したことにして、ブログ主追求を茶化す目的だと思われます。

 そう思うのは、その後の下記の投稿からです。

(引用開始)


「サイコばばあ」とういHNでの投稿は、「いや夫」の自作自演か、また「レイモンド」が小細工をしたもの。
いずれにしても、肯定派の策略。

投稿 匿名 | 2011.02.09 01:56 午後

このブログを荒らしているのは、この男。

「いや夫」 プロフィール

東海地区(名古屋周辺)に在住
年齢はアラ4世代(40歳前後)
家族構成は妻と幼い子供二人の四人家族
大学は東大に入る実力があったけど他の大学した 
理系の学部を卒業
(あくまでも本人談 言っていることを見ると大いに疑いあり)

性格 誇大妄想、被害妄想が顕著に見られ、異常な執着をみせることことからパラノイア(偏執病)の疑いあり
人付き合いは苦手 人とあまり話さない
(その反動でネットではいくらでも書き込める)
以前はゲーセンに熱中していた 
学生の時はイジメを受けていた
典型的な “オタク”で、それは今でも変わっていない

仕事は適当にこなすだけ あまり熱心ではない 
次男 独立して結婚生活を営んでいる 結婚は遅かった
妻の実家は近所で、妻は頻繁に自分の実家に顔を出している
兄夫婦は、少し離れた所に住んでいる
本人の両親の住居はマンション 本人は賃貸住宅?
夫婦双方の実家の祖父祖母、曾祖父曾祖母が存命
妻は美人で「美女と野獣」の組み合わせと言われている(本人談)
自分はモリタク(森永卓郎)似としている

妻は二世会員
近所に住む義母は朝起会を毎日欠かさず頑張っているが、妻はよくさぼっている
本人は名ばかり会友で、年間5回位の増強日に妻との義理で朝起会に足を運んでいる
宏正会に8人分の会費を払っている
(家族四人、自分の両親二人、兄一人、苦手なご近所さん一人)
イヤイヤながらも妻は「倫風」毎月30冊のノルマを抱えている
(妻の頒布する「倫風」を受取って貰えるようにと、宏正会に否定的な書き込みを攻撃している)
宏正会には年間 家族でハワイ旅行がいける位使っている
(本人は不満 もっと金がかからないようにと願っている)

作家では副島隆彦を信奉している 
民主党支持者で政治家では小沢一郎の崇拝者
(本来、このような者が宏正会となじむはずがない)
趣味は競馬 以前は毎週1万円位すってしまうほどだったが、今は、毎週2千円だけ勝負を続けている
週末は競馬分析に忙しい

宏正会に批判的な書き込みを攻撃しているが、本心では宏正会に懐疑的(あるいは批判的)
宏正会の評判が悪いと、妻の持っている「倫風」を受取って貰えず、また新しい人が入会しないと自分の家の出費が減らないからと、あくまでも自己中心的な理由
口では義母を尊敬していると言っているが、妻を宏正会に誘っている義母に対して快く思っていない
(結婚しても朝起会を続けることが結婚の条件だったので、何も言えない)
あくまでもやっと結婚してくれた妻への義理立て

このようにまず婦人を洗脳し、その子供そして夫まで取り込んで行くのが宏正会のやり方
「いや夫」の場合は、娘の夫まで取り込んだ例として見る事ができる

「いや夫」は、宏正会に関する議論で敗北した腹いせに、首謀者をここのブログ主と決め付けて執拗に攻撃している変質者。

「いや夫」がこのブログを荒らしているのは、荒らしてしまいたいほどに宏正会に都合の悪い事が書かれている証拠。
「いや夫」の膨大なジャンクを無視して、スクロールしながら読むといいよ。


投稿 匿名 | 2011.02.09 02:11 午後

(引用終了)


 上記の投稿の間隔は、いつものようにたった15分です。

 別人に見せるためには、もっと投稿間隔を開けろと、「いや夫」がさんざん忠告しているのに・・・。

 まあ、どうでもいいです。

 そして、いつものように「サイコばばあ」の投稿です。

 「サイコばばあ」は自分自身がブログ主ですので、投稿者のIPアドレスを見ることができます。「いや夫」が打っても、「レイモンド」氏が打っても、どんなHNをつけようとお見通しなのです。

 ところが、誰が打ったのだ?ととぼけている。バレバレだ~!

 アイデアは悪くありませんが、残念ながら抜けています。ヤレヤレ。

(引用終了)

 君が「、」無し投稿を多用した理由は、下記の説明で正解なの?

(引用開始)

「いや夫」の敵は、「キチガイ」です。残念ながら常識は通用しません。
http://58807828.at.webry.info/201102/article_22.html

>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 「いや夫」の読みが甘過ぎました。

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主が「サイコばばあ」自身だということなど、我がブログを読んでいただければ、100%正しいことがわかります。

 「サイコばばあ」が「、」無し投稿を繰り返していた事実も明かしたことで、かのブログは、たった一人の否定派首謀者が膨大な投稿を繰り返していたことは明らかなのです。

 よって、「いや夫」の中では、かのブログでの「サイコばばあ」との討論など、すでに終わっていたのです。いずれこっそりとかのブログを削除するのだろうと予想をしていました。

 そして、実際に、2011年1月27日に、「サイコばばあ」は一旦削除したのでしょう。

 そのときは、表示されなくなりました。

(「いや夫」注:この現象は、ブログ自体の障害だと、おそらく本人が2ちゃんねるで解説しています。そうなのでしょう。)


 止せばいいものを(少なくとも、もう少し時間を空ければいいものを)、かのブログの「魚拓」を取りましょう、今ならまだ取れますよと、「いや夫」が呼びかけてしまったばっかりに、「サイコばばあ」がかのブログを復活させてしまいました。

 ということで、「サイコばばあ」との不毛な争いはおそらく永遠に続きます。

 半分残念ですが、半分構いません。

 「サイコばばあ」が潜伏して、また別のキャラで膨大な批判記事を書き続けることは、これまでの行動パターンからみても、まちがいないのです。

 このまま野に放すよりは、「実践倫理宏正会って何?」という「サイコばばあ」の膨大な成りすまし投稿を示すブログを存続させ、これに「サイコばばあ」をつなぎとめておくことによって、いかに否定派首謀者がいかに卑怯で姑息で嘘つきな奴なのかを、第三者に伝えることができるからです。

 よって、かのブログが残り続けるなら、それはそれで結構。「サイコばばあ」の「サイコ」さを、これからも分析し続けてあげます。

 たとえば、「サイコばばあ」が「、」無し投稿を多用した理由について分析します。

 彼女は、たった一人で複数の否定派を演じているので、多数の投稿者が打っているように見せかけるために文体や性別の違ったキャラを打ち分けているのです。

 その一環として、「、」無し投稿と「、」有り投稿の打ち分けも行ったようです。

 しかし、これは実に愚かな考えなのです。

 日本人は、みんな句読点を打ちます。当たり前です。

 「、」を打たない日本人なんて、一万人に一人位もいません。

 ところが、「サイコばばあ」は、別人を装うために「、」無し投稿を行ったことで、それが一人の人物による投稿であることをばらしてしまったのです。

 そんな、小学生でもわかる危険性を、「サイコばばあ」は気づかなかったのです。

 「サイコばばあ」がもし、「、」無し投稿を行っていなかったら、「いや夫」が「サイコばばあ」の成りすましを、これほど見事に暴くことはできなかったでしょう。次の「まるまるまある」や「私もここに書きこんでいいですか」が「サイコばばあ」だなんて、見抜くことはできなかったでしょう。

 それに対して、さっそく成りすましの事実に気づいた、下記の「みな」さんは、極めて賢い方です。みなさんも見習いましょう。

 かのブログより、「サイコばばあ」の「、」無し投稿だけど天才的な成りすまし投稿(結局は大馬鹿だけど・・・)と、それをすかさず見破った一会友の賢い投稿を引用。

(引用開始)

昔はよ 畑 うないは 鍬でしたものよ。
今の若いもんは 年寄りですら 鍬ひとつ
もったことがねえ みんなきれいな手して
力仕事するもんの 手 見たことあるか
あんたら 土まみれになり 汗流してする仕事 するもんばかにしてねえか
力入れて 鍬もって 手 肉刺だらけにして 荒地を 畑にしたもんよ
今 お前さんに でぎっか・・・
穴があったら うめるんだよ 石があったら 拾うんだよ 
 体をかがめて 足 痛いっていうなよ
一鍬 一鍬 丁寧に 腰入れて 体の ばね 使って よっこらしょって 土をおこしていくんだよ
そして おてんとうさんと 水
これが なくては 芽はでないんだよ
わがっつかあー それが

・・・どこでか 誰かに聞いたこと 今でも思い出す。たくましさとつよさ だけどどことなくと ああそうだ と思わせる そんな話し方 その方の生き方にまで 思わせてしまう。私は くわをもったことも 畑を耕したこともない 私の手は そこそこ まだ見せられると思っていた・・・

・・・人と人との中を 生活 暮らしていく 私たち 
      善 悪 利
どこにいっても どこにいても 人は 一人では暮らせない 

「人の中で 人になりなさい」

これが こういうことなのか と思ったとき とても落ち込んだ。
かなわないと 頭(こうべ)下げたのでもなく 打ちのめされたと思ったときでもなく こういう人もいるんだと思ったときだった。

しかし、その中でも 生きられるように その中でも しっかり 自分の考えを持ち 明るく 元気に前向きに生活できるように そうなれるように リハーサルさせてもらっているのですよ とやさしく話していただいたときには もう人を信じない と硬くなった気持ちが ふっと楽になったものだった。

知らないこと 体験したことのないことに会うと不安になったり しり込みしたり 自分の意に沿わないと 腹立たしく思うこともある。これをやっていなければ 会わなくてすむものも ある
だけど ときどき これで 私は 自分が耕されたと 思うことがある。それがずうーと後に そうだったんだと思うことがある。

まだまだ 何もしていない なにも知らない なんにもわからないんだと 感じるようになった。・・・


    


   

 


投稿 まるまるまある | 2006.04.27 09:12 午前

>まるまるまあるさん

言わんとすることは解ります。
同様なことを私も先輩会友さんから言われます。仰ってることはわかりますが、「人のなかで人になる」のは自分自身の問題であって、頒布されるほうは迷惑してる方がたくさんいらっしゃいます(実際私もそうでした)
人から求められて倫風誌をお持ちするならわかりますが、そうでもないのに勧誘に行くのは来られる側は迷惑以外の何者でもありません。
頒布も倍加も自己満足としか思えません。

投稿 のん | 2006.04.27 07:06 午後

はい すみません。
ありがとうございました。

投稿 まるまるまある | 2006.04.28 09:02 午前

>まるまるまあるさん
一人でポエジーで自己満足なレスだけ書いておいてこちらの質問にはまるで適当な返事ではお話しになりません。
こちらが疑問に感じていることについて教えてください。お願いします。

投稿 のん | 2006.04.28 11:29 午後

>のんさん
私の書き込みで 腹を立てさせてしまったようで すみませんでした。
そして 書き込みが遅くなりすみません。
入会4ヶ月とのこと 成果がでている喜びの反面、先輩会友さんの引き上げ(倍加 等)に 抵抗を感じているとのことと。
私も のんさんと同じような心境を繰り返し 今にいたります。
私は演談すらも嫌 苦手で 不足いっぱいで演談をしてしまったり(やりたくても やれない人がたくさんいるのにね 演談後、なんと感謝が足りなくなっていたなあ だから私が演談だったんだなあとと気付かせて頂いたこともありました)、頒布 倍加 抵抗なく喜んで出来るときと 難儀だなあ どうして?と疑問を持ちながら の時もあります。
この会は どんなことも「強制はない」とお聞きします。
迷ったり 悩んだりしてしまう時、どうしても今回は納得がいかない、できないと思った時は やんわりその気持ちをお伝えしてもいいのではないでしょうか・・・と私がいっていいことではない様に思いますが・・・(これまた ほかの方のお怒りに触れましたら お許しください。)
そして、迷ったり悩んだ時ほど 基本の「朝起き会」に行き そこで ああ そうなのか。こういうことなんだ。と自分で納得し 答えを見つけていくのかとも思いました。 
葛藤、不信、納得を何度も繰り返し 少しずつ 身についていく 前に進んでいける様に思うのですがどうでしょうか。(えらそうにすみません 私にも書き込みながら言い聞かせている感じです。)

のんさんに つっつこまれ えっ私?と思いましたが 書き込みさせていただき いろんなことに 気づかせていただきました。ありがとうございました。

長々とすみませんでした。  

投稿 まるまるまある | 2006.05.01 09:20 午前

私は会友さんから 頒布してもらい その方が 月に何度かうちに来てくれる様になり 親しく悩みを話すようになった頃 座談会に誘われました。
その時 会場責任者さん他 会友さんに取り囲まれ「誰の紹介?いまどんな仕事しているの?」に始まり「家族構成は?旧姓は?実家はどこ?旦那さんの職業は?勤め先はどのあたり 子供は 何歳?」などと いろいろ聞かれ「なんで こんなことまで 聞いてくるんだろう。」思いましたが 家族間の不和や心配なことがありましたので 聞かれるままに 答えてしまい その後 入会を勧められ 入りました。
会友さんの頒布があり 私の様に入会し 朝起き会に集うようになった方々もいると思いますが、頒布で この会に疑問を持つ方も少なくないように思います。
 こちらの主旨を伝えることも大切だと思いますが、相手の方の領分に必要以上に 踏み込まないことも また マナーではないのか?と思います。

投稿 私もここに書きこんでいいですか | 2006.05.05 03:04 午前

どうも句読点の打てない、変な文章を書く人が多いことがきになる・・

投稿 みな | 2006.05.14 07:32 午前

憎む心 恨む心 怨む心 妬む心・・・
自分を活き活き 生かそうする心を覆ってしまっている。
倫理力が 間違った欲望で覆われてしまっている時。

  「恩と感謝を忘れない。」

演談から 人の話から その場から 
学びを自分に あてはめ 聞く。
自分の エッセンスとして。

悲しかった思い 苦しかった思い たまらなかった思い・・・
胸の奥にしまわれた 重くつらかった思い出が 
ひとりさびしかった思いが 
後から 後から 涙とともに なだれ落ちていく。

  「ことばは ことだま。」

学びの言葉に ひとつ ひとつ ほぐされ あがなえられていく。

そして 前向きに 生き抜こうとする。
ほとばしる ちからがみなぎる。

  これこそが 『倫理力』
  「倫理力は 覆い隠されることはあっても 
  まったく なくなってしまうことはありません。」

倫理力を 自分で覆い隠してしまっているとき。
  「教育とは 引き出すこと」
倫理力を 引き出してくれる人との出会い。

しかし 理想とあこがれと 実践の狭間に さまよう気持ち 
そして 現実の 人間模様に苦しむ。

投稿 まるまるまある | 2006.05.25 09:45 午前

(引用終了)

 「サイコばばあ」の目的は、宏正会を攻撃して、「会友の身内」に復讐することなのです。そのためには、否定派一色でかのブログを占拠するよりも、会友をおびき寄せておいて、その後に抹殺することを企んだのです。

 そのために「サイコばばあ」が成りすました会友キャラが「まるまるまある」なのです。
 これを攻撃する「のん」も「サイコばばあ」自身で、こちらの方は「、」有りで打っただけなのです。

 なお、「みな」さんは、ちゃんと句読点を打たないのはおかしいですよとアドバイスしています。そのアドバイスの重要性に気づかずに、「、」無し投稿を続けてしまった「サイコばばあ」は、「いや夫」に正体を見破られて、窮地に陥っているというわけです。馬鹿過ぎます。

(引用終了)

「いや夫」よ。
お前は、自分の負けを誤魔化すために、そしてこのブログを荒らすために一生懸命に物語を創作しているが、虚しいと思わないのか。
自分が哀れだと思わないのか。
こんな子供みたいな遊びをずっと続けて、妻や子供にどう説明するのか。
夫として、父親として恥ずかしいと思わないのか。
宏正会を擁護しているように見せかけているが、お前のやっている事が宏正会や会員さんに迷惑をかけていることを思った事はないのか。
「いや夫」よ、逃げないでみんなに説明してみろや。

「いや夫」は、自分の知能の低さと精神的幼稚さを、恥じ気もなくみんなに晒しているだけ。バカだよねー。

もー いや夫ちゃんか レモンちゃんか知らないけど 何いつまでも ぐだぐだいってんのよ~ バカみたいぃ~
知らないったら 知らないってば~

「サイコばばあ」がどうの、「、」無し投稿がどうのと、一年も二年も同じ事をだらだらと書き続けられるもんだ。
こんなこと、いちいち読んでいる人がいると思っているのか。
資源の無駄。時間の無駄。

「いや夫」は、もう放っといたら。
東大に入る実力があったとかいうプライドも何も捨てて意地になっているんだから、何を言っても無駄。
「荒らし」には相手にしないのが最良の対処法とされているはず。
「いや夫」も、とっくに死んだ奴なんだから、いくら書きまくろうが誰も相手にしないさ。

帰結ありきの理論誘導(統計も含め)は常套手段として、ビジネス界で多様されるが、スレ主捜しの手法としては適当ではない。
「いや夫」が人権侵害など調停なり法的に行動すれば明確に。ただ、「サイコばばあ」の名付け親でありますのでお忘れなく。(今は差別用語)
話しを、陰倍加、名称を隠す子育て座談会、離婚と家庭愛和、支部の会計処理などたくさんの話題はあると思います。
と振ってみると、揉み消しの為に連投し、すり替えをまた繰り返すかな、様子を見ますと布石を打ちます。

 「、」無し投稿を繰り返す否定派首謀者が存在する。

 それは否定派にとっても恥ずべき行為である。

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ開設時にも、肯定派会友とは思えない行動をしている。

 いずれも恥ずべき行為である。

 以上は、肯定派、否定派の壁を越えて共通なのではないですか?

 「実践倫理宏正会」では、これは「大自然の摂理」と呼びます。

 そうでない方が存在するのは、信じられません。「サイコばばあ」の分身以外には考えられないのですが?

 なぜ、君(達ではない)は、そんなに成りすましに頼るの?

 どうして「匿名」なの?

 なぜ、実践倫理宏正会を憎むのか、自らの被害を明らかにして批判した方がいいんじゃないの?

 それなら、相談に乗りますよ。

追伸
 しまった!
 「議論」をしようとしている。
もうやめたはずなのに・・・。
俺は未熟者だなあ~。
「サイコ」さんにいつまでも関わるべきではないのに・・・。

 「サイコばばあ」くんもちゃんと一時間以上空ける投稿を心がけています。

 成長しましたね~。賢いねえ~。

(引用開始)

「いや夫」よ。
お前は、自分の負けを誤魔化すために、そしてこのブログを荒らすために一生懸命に物語を創作しているが、虚しいと思わないのか。
自分が哀れだと思わないのか。

(引用終了)

 について、いつどこで「いや夫」が負けたのだ?
投稿を引用して示せよ。

 今まで具体的に示したことは一度もないじゃないか?今回もどうせそうだろう。

 あったら具体的に示せ。そこんとこ潰しておきます。

 たとえば、2010年7月の時点で比較しても、「賢くない」さん=「サイコばばあ」は「姑息」な嘘を活用しながらも、「いや夫」に大敗しているのだが・・・。

 お前、往生際が悪いなあ~。

<関連記事>

その他の嘘の例

 膨大すぎるので、とりあえずこの7月限定。

・wikiの「経世(国)済民」を「経国(世)済民」と自説に有利になるようにコピペを改ざんした「賢くないさん」
・上記の言い訳に、会長先生が「経国(世)済民」を使っているからと嘘をついた「賢くないさん」
・「いや夫」が反論しているのに、反論していないと嘘をついた「賢くないさん」
・討論に負けたのに、勝ったと嘘を言って消えた「賢くないさん」
・「賢くないさん」が負けたことは明らかなのに、「勝った」と言い張るお前たち。
・負けたのが悔しくて「退会させてもらえない」攻撃を始めた「賢くないさん」
・その投稿が実は、2ちゃんねるのコピペで、元会友を現会友と改ざんした「賢くないさん」

 否定派の中では、人望があついと思われる人物でも嘘のかたまりだ。
否定派は嘘つきばかりという好例だ。

 「いや夫」はちゃんと答えたぞ。

では、君に質問だ。
Q 「元鉄槌(愚息)」(お前じゃないのか?)が嘘をついていないとでも言うのか?

投稿 いや夫 | 2010.07.25 11:27 午後

(引用終了)

 ちなみに、「賢くないさん」(お前のこと)は「、」無し投稿をしている。

 最近やっと、「、」有り投稿を心がけることになったからって、開き直るって、くさいごまかしをするな!


追伸

 しまった~!!!
 また、つい反論してしまった!

「倫理は実践でしか分からない」ことが分かりました。大変参考になるサイトです。

警告

 具体的な投稿を示すこともなく、「いや夫」が負けているという妄言はやめなさい。
それ以上続けるなら、「否定派の妄言を切り捨てるシリーズ1~7」を再掲します。

 長文過ぎて、みんなに迷惑だから、私はそうしたくはありません。

 それでも君が挑発するなら、再掲するまでです。

追伸

 しまった~!!!!
 否定派に対して警告までしてしまった~!
 「議論を避けよ」が正しいのに~。
 どうも、ネットではすぐにけんかが始まってしまっていかんなあ~。

 まあ、「いや夫」の場合は、「サイコばばあ」と違って、全く「怒って」なくて、遊んでいるだけだけど・・・。

 なぜか「のれんに腕押し」の堂々巡りなのだが、「反論」を始めてしまったついでに、2010年7月の時点の投稿を引用する。

 この頃、すでに明らかになった、「否定派首謀者の成りすましの事実」を認めた上でしか、議論は成り立つはずがないのだが、違うのか?

 「いや夫」がこのブログでやけに強いのは、「正直」だからだ。「自らのプロフィールを明かして」、「自分の立場を明確にして」闘ったからだ。

 議論を始める絶対条件だ。

 「嘘つき」には、用はない。

 否定派には、正直者が一人もいないのか?

 「自らのプロフィールを明かして」、正々堂々と「固定ハンドル」で「いや夫」に立ち向かおうという奴はいないのか?

 そんなんで、よく2ちゃんねるで偉そうにしているな?

(引用開始)

 「いや夫」がいかに競馬研究が好きか、今春のGⅠシリーズの自己の予想と結果を一部公表する。

http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25641369

  (中略)

 いちゃもんをつけてきた「匿名」へ
 以上、競馬好きの証明をしたが、もっと必要か?
いくらでも説明してやるぞ。
プライベートの方は、我がブログを読め。それも信じられんというのか?創作だと言うのか?

 「いや夫」はちゃんと答えたぞ。次はお前の番だ。以下の質問にきっちり回答しろ。

(引用開始))
 さて、ここは「実践倫理宏正会って何?」というサイトである。
 朝起会を批判している方々にお願いがある。
投稿にあたって、朝起会に何回参加された経験があるかを答えてから、批判記事を書いてもらいたい。

 私は自分の立場を明確にして投稿している。
動機は、皆さんも知っているだろう。
私は、批判記事を書いている人々の背景や動機も知りたい。その上で討論したい。
 日本は武士道の国である。(「武蔵」というペンネームもありましたな。)
戦いの前に、名乗りをあげるように、卑怯なまねを恥とする文化をもっている。ぜひ、ご賛同願いたい。

 ちなみに、私の場合なら、
「「名ばかり会友 のべ参加数30回程度」である。

投稿 いや夫 | 2009.10.11 08:21 午後
(引用終了)

 この問いかけにいやいや答えたのは、「武蔵」一人だけだ。そして、そのたった一人でさえ「経歴詐称」が明らかになった。
どうせ、お前もそうだ!
違うというなら、ちゃんと答えろ!
どうせでけえせんやろ! 嘘つきのアホばかりだ。消えろごきぶり!

投稿 いや夫 | 2010.07.26 07:11 午前

(引用終了)


上記を書いている、いや夫という人は
実践倫理宏正会の会友である

この掲示板を見ているかたは、非常に参考に
なったと思います。
すこしでも都合の悪いことがあると、このように
逆切れして、倫理そっちのけ
恐ろしいことになるようです

くわばら、くわばら

「バカ夫」が一人でわめいている。
このブログが閉鎖されるまで荒らすらしいよ。このキチガイは。
こんな奴が宏正会の会員で、宏正会を擁護しているというんだから、宏正会のいい宣伝になっているんじゃないの。

(引用改訂返信開始)


上記を書いている、「匿名」という人は
「実践倫理宏正会って何?」のブログ主で「否定派首謀者(サイコばばあ)」で分身です。(こ奴は「身内の会友」を憎んで、活動する「生き霊」です。)

この掲示板を見ているかたは、非常に参考に
なったと思います。
すこしでも都合の悪いことがあると、このように
成りすましの投稿で返すだけなのです。
へぼい奴です。

投稿 匿名 | 2011.02.11 12:24 午前

「サイコばばあ」が一人でわめいている。

(引用改訂返信終了)


 「いや夫」は厳密にいうと、「会友」ではありません。

 会友である妻(彼女なりに実践をがんばっています)を、結果的に蔑んできた否定派首謀者「サイコばばあ」の成りすましや嘘を分析し、皆さんに広報しているのです。

 「いや夫」の偉そうで挑発的な発言は、「サイコばばあ」が成りすましの指摘に対してしらを切り通すことに対して発せられたものです。

 嘘つきが大嫌いなので、こうなります。彼女が成りすましの事実、ブログ主である事実を認めさえすれば、こんな下品な言葉を使う必要もありません。

 しかし、実際は、すっかり成りすましがバレているのに、延々とくだらない反撃をしているだけなのです。

 「実践倫理宏正会」でぐぐってみて、さっそくこのブログを見つけた人は、幸いです。否定派首謀者の成りすましや嘘に気づくことができるからです。

 本ブログは、否定派首謀者がその成りすましの半分で「、」無し投稿をしていますので、「素人の皆様」でも成りすましを見破ることができます。

 また、「、」有り投稿のうち、どれが彼女のものかを予想しながら読む楽しみも残されております。(「、」有りもほとんどこ奴なので、あんまりおもしろくはありませんが・・・。)

 では、このブログにて、「創作、パクリ、盗み、取り込み大三元のスレ」界のばかばかしさにお気づきください。

 我がブログより

「実践倫理宏正会って何?」のブログの歴史を整理。
http://58807828.at.webry.info/201102/article_25.html

(全体引用開始)

 「実践倫理宏正会って何?」のブログ主は、膨大な成りすまし投稿を続けている否定派首謀者です。そいつはかのブログだけではなく、2ちゃんねるやその他のブログでも、膨大な成りすまし投稿を続けています。

 あまりに執拗で粘着質なので、「いや夫」は「サイコばばあ」と命名しました。
どんなに成りすましの証拠をつきつけても、しらを切り通します。
刑事コロンボは、いつも一人で犯人に会いに行きます。
犯人が「サイコばばあ」なら、あっという間に殺されて、ドラム缶詰めされて海に沈められるはずです。現実世界ではなく、仮想世界だけでの関わりで良かった。
一生会いたくないタイプの人間(?生き霊?)です。

 まず「実践倫理宏正会って何?」の歴史について解説します。

 大きく分けると、次の期間に分類できます。

1 開設期 2005年2月24日
   wikiで攻撃→2ちゃんで攻撃指令投稿2つ→ブログに初コメント
   投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24 01:58 午後
   http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-727174

2 否定派成りすまし期 2005年2月24日~10月19日
   さっそく成りすましで攻撃開始。
   投稿 会友さんけっこういますね | 2005.02.24 04:37 午後
   http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-727451

3 肯定派成りすまし期 2005年10月25日~2006年3月1日
    会友をおびき寄せた方が楽しいのではと思い直し、会友を装う。
    投稿 月輪熊 | 2005.10.25 09:36 午前
    http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-1845338

4 肯定派参入期 2006年3月7日~2009年2月4日
    「サイコばばあ」にだまされて、会友が集う。平穏で、肯定派が優勢。
    投稿 鯰の鬚は4本 | 2006.03.07 07:30 午前
    http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-2651591

5 「サイコ」殺人期 2009年2月7日~2009年7月30日
    「サイコばばあ」が本気を出して、成りすまし攻撃で会友を次々と抹殺。 
    投稿 高塚地蔵尊 | 2009.02.07 05:51 午前
    http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20484833

6 「武蔵」独白期 2009年7月30日~10月4日
    くせ者(失礼)レイモンド氏を「田中丸&高貴高齢者W攻撃で暗殺後、独占。
    投稿 田中丸 | 2009.07.30 10:00 午後
    http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-22416044

7 「いや夫」論破期 2009年10月9日~2010年7月29日
    「いや夫」参戦。「武蔵」「鉄槌」「長文さん」「賢くないさん」を連破。
    投稿 いや夫 | 2009.10.09 06:58 午前
    http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23091183

8 「成りすまし」解明期 2009年7月29日~8月28日
    膨大な成りすましの証拠を列挙。特に「、」無し投稿は(普通なら)致命傷。
    投稿 いや夫 | 2010.07.29 06:58 午前
    http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25657599

9 「ブログ主」解明期 2010年8月28日
    成りすまし首謀者の「サイコばばあ」自身がブログ主であることを解説。
    投稿 いや夫 | 2010.08.28 10:34 午後
    http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25861300

10 往生際が悪い期 2010年8月29日~現在(永遠か?)
    言い訳できるはずがないのに言い訳を続けている。
    投稿 改革派会友 | 2010.08.29 09:27 午前
    http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25862666

 同様に、「実践倫理宏正会って何?」でも、かのブログの目次として、下記の投稿をしております。

 投稿 いや夫 | 2010.08.28 04:07 午後
 http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25860078

(引用開始)

 お前の成りすまし投稿などお見通しだ。
何で会友が否定派と仲良しこよしなんだ?
もう少し工夫しろよ。
騙される奴など一人もいないぞ。

 それでも「黙して語らず」「討論は避けよ」と真の会友が選ぶのなら仕方がない。

 「いや夫」もいさぎよく、このブログ(砦)を明け渡してやろう。そうなると嬉しいのう~「否会友」。

 とりあえず、遺書として、

 このブログの見方

 「いや夫」が長文の投稿をし過ぎたので、読みにくくなっているのは事実。どこで、どんな記事が書かれているか、目次を作ります。
(shihtを押しながら、別にタブを開くと便利です。)

<草創期>
  投稿 朝起き頑張りっ娘 | 2005.02.24以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-727174

  はじめから否定派の成りすまし投稿が続く。
  典型的な成りすまし中傷記事が、「嵐」「嵐」「さとえ」が典型。2番目の「嵐」は名前を訂正し忘れたのです。ばかだね~。
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-1963714

 すでに、この頃「、」無し投稿もあり。
投稿 私もここに書きこんでいいですか | 2006.05.05 03:04 午前
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-3056502
(その直前の投稿「まるまるまある」さんも、「、」無し。謎は深まりますなあ。スレ主の自作自演か?)


<肯定派歓談期>
 肯定派が自由に投稿できた黄金期。

投稿 鯰の鬚は4本 | 2007.08.03 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-6298553

<ちゃねら~襲撃期>
投稿 高塚地蔵尊 | 2009.02.07 以降、
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-20484833

続々とちゃねら~が攻撃開始。代表選手は「、」無し投稿をする「太陽神」「シリウス」

<武蔵全盛期>
投稿 武蔵 | 2009.07.03 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-22124719

<「いや夫」VS「、」無し成りすまし「武蔵」他期>
投稿 いや夫 | 2009.10.09 以降

http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23091183

 「太陽神・武蔵」が「、」無しのなりすまし文で「いや夫」を迎撃するも、経歴詐称で敗れました。

<「いや夫」VS「、」有りちゃねら~「鉄槌」他期>
投稿 鉄槌 | 2009.10.31 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23302382

 ばりばりのちゃねら~が本性を現し「鉄槌」他のキャラで「いや夫」を攻撃。不毛な罵詈雑言が続きます。この期間は、読む価値なしです。

<小康期>
投稿 レイモンド・東経 | 2009.12.28 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-23893180

 久々に肯定派同士が会話できる状態になりました。


<「、」無し「くくくww」の2ちゃんねる攻撃期>

投稿 くくくww | 2010.01.22 08:20 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-24093762

 ひさびさに登場した「、」無し投稿=「太陽神・武蔵・否会友」は、自分がバリバリのちゃねら~で、2ちゃんねるでも成りすまし投稿を続けて攻撃していることを証明してくれました。


<宗教怪人「長文さん」敗退期>

投稿 匿名 | 2010.02.14 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-24317178

 この頃卑怯な「否会友」は成りすましを見破られないように「匿名」をはじめました。(だけど、「、」無し投稿なのでバレバレ)
宗教にこだわる「匿名」は「長文さん」と命名しましたが、破れて消えていきました。

<「経済」怪人「賢くない」さん敗退期>
投稿 匿名 | 2010.07.01 以降
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25445054

 あいかわらず「、」無しで「経済」論戦を挑んできた「太陽神・武蔵・鉄槌・否会友」くんですが、やっぱり負けていきました。

<タネ明かし期>
投稿 いや夫 | 2010.07.29 05:25 午後
http://rinrikko777.blogzine.jp/jissen/2005/02/post_1.html#comment-25659967

 否定派の首謀者が「、」無し投稿を繰り返す一人の人物で、「、」有り投稿のかなりの部分もこ奴(「否会友」)の仕業だと証明をしました。 

<「いや夫」後>

 「賭け」に破れた「いや夫」が消えた
2010年8月30日 以降

 どんなブログになるのでしょうねえ?
ロムして、我がブログの材料に使います。

投稿 いや夫 | 2010.08.28 04:07 午後

(引用終了)

(全体引用終了)

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