ミンガス

Feb-10-2011



こういうものを出します↓

*詳しくは後日
http://natalie.mu/music/news/44853




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 この文章は明日消去されますが、理由はお読み頂ければお解りになります。先日、「長文は読まれない。読むのはストーカーだけだ」という、恐るべき指摘を受け(過去ログ参照)、実験的に短文と長文を弁当箱に詰めました所、予想外に大騒ぎになり(我らがスロヴォイ・ジジェクの魅力と併せ)なってしまいましたが、何を今更。ワタシが書いた事は、国技大相撲に関する、誰でも考えている凡庸な事を、面白おかしく書いたに過ぎません。

 更なる凡庸さを若干付け加えるならば、あの内用だと、インターネットによって量産される社会的な純真さ(幼稚と言い換える事が出来ます。90年代に西部氏は「チェイルディッシュ」と言い、00年代に東氏は「動物化」と言いましたが)のみが、人類学的な構造である社会の基底部、即ち「急所」を、子供なりの純真さで突いてしまう。すなわち「子供は急所を闇雲に突いてしまうから黙らせろ(=ネグレクトも友達付き合いみたいなのも止めて、親としてちゃんと育てろ)」とでもいった、再度凡庸な論旨に終始してしまった観がありますが、更に凡庸さを被せてゆくならば、これは賭博というポトラッチ関係を含む暴力団との関与を、近代化といったコンセプトによって切ろうとしたツケでもあり、内館氏や小暮閣下といった、守護神(であるが故に、彼らも力士とおなじ、クリーチャーたち)を失ってしまった。つマり護符が剥がれ、クリーチャーではない、普通の姿をした外部の人間を組織内に組み込んでしまったツケであり、つまり、角界自体にも近代化という不全が生じていた事も併せて指摘されるべきでしょう。近代化がいけないなどと、ロハスな事を言っているのではない。大相撲がもし近代化するのであれば、例えば力士用の特別な携帯の開発をすべきだったと言えるでしょう。元横砂の北尾関が、パソコンによって汚名を残してしまった事は先駆でした。

 古来、八百長は、我々総てがするように、阿吽の目と目で行われていた。もう一度申し上げますが、目と目。だったのです。現在皆様、目と目で処理される案件を生活上いくつお持ちか。ワタシは3つ持ってます。思ったらすぐに、何もかもを親指で入力するようになってしまったツケは、相撲界以外にも及んで行くでしょう。「未来の戦争は、ボタンひとつで行われるようになる」と、もう40年近く言われ続け、それは実際に現実の物となってきましたが、その「ボタン」が、「携帯のボタン」である、というイマジネーションは、文字通り土俵際ではっけよい残っている感があります。

 と、相撲の話はこの辺にして、力士並みの体躯を誇る、我らがチャールズ・ミンガスの話に移りますが、明日のドキュメンタリー映画際は、お陰さまで現在、残席30という状態になっていますので、つまりこれは、明日、当日で入ろうと、或はこれを読んで今から急いで前売りを買おうとしても、売り切れている可能性がある。という事ですのであしからず。これが、明日になったら消去される理由です。それでは明日、楽しい映画でも、悲しい映画でもありません。スラングを使わせて頂くならば、静かなキチガイを観る映画であります。では明日、高円寺で。ごきげんよう。