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[25804] 二人のはやて(魔法少女リリカルなのはA's)
Name: 東壁堂◆4daf4c7d ID:4c112548
Date: 2011/02/03 23:17
 そこには闇が蹲っていた。

 闇の中に霞む様に、にも拘らずはっきりとわかる闇がそこにはあった。

 夜の闇の中になお暗い闇が、ただただあった。

 文明の利器が、夜の世界から闇を駆逐して久しい。

 煌々ときらめくネオンの光、行き交う車のヘッドライトの群。

 すでに夜の都市部には、暗闇の存在する猶予などありはしない。

 闇が人々に恐れられるのは、何故だろうか?

 闇の中に存在すると噂される物の怪の存在故だろうか?

 少なくとも、闇があれば、人の目ではその奥に何者が存在するか見通す事ができずない。

 周囲の確認を視覚に頼る人は、本能的に見えないと言う事に、恐怖するのだろう。

 故に、人は、闇への恐怖ゆえか、その存在を執拗に、妄執的に排除してきたのだ。

 にもかかわらず。

 やはり、闇は、ビルの谷間に、街角の街灯に、それでも街の至る所に点在した。

 そんな街角の闇。昼日中には多くのビジネスマンが行き来するオフィス街。

 それでも、夜の遅くの時間帯になれば、人々の息遣いは耐え、ひっそりと静まり返る。

 人の営みがなくなれば、自然とそこに闇は広がっていく。

 目をよくよく凝らしてみれば、そこはすでに人の生活領域ではなく、百鬼夜行の跳梁跋扈する姿が見えるのかもしれない。

 その異形なるもの達が実際に存在しているか否かは、別の議論だ。

 存在の証明は「いる」事と「いないこと」の証明を必要とするのだ。

 この場にての議論は不毛な結果に終わる可能性が高く、またその知見も少ない故に結論を下すのには時間がかかるのだから。

 それはともかく。

 オフィス街のビルの屋上に、蹲る闇が何者か、それは誰もその答えを知る者は居ない。

 だが、闇の中に闇がわだかまっている……、はっきりとは解らないが、そうとしか言えないのだから仕方ない。

 夜の闇よりもさらに濃い暗闇……その雰囲気をまとうものが、ビルの屋上から眼下の風景を見下ろしていた。 




 蹲る闇の背後に、新たなる闇が出現した。

 否、それを闇と言っては失礼かもしれない。

 現れた瞬間に『その男』の存在感は圧倒的だった。

 巌のような体躯の大男が、突如何もない空間から出現した。

 赤い色の槍を肩に担いでいる。

 男のみならず、その槍も明らかに強い力を放っている。

 その姿、誰もがこの男が優れた戦士であるという事を想像させた。

 そしてその想像は、おそらく間違いはないのだろう。

 「見つけたか?」

 声音は力強く、しかし声色は限りなく優しい。

 聞く者は、その太く優しげな声に、安堵を感じるのだろう。

 そして、その闇が静かに首を振った。否、それは闇……ではない。

 偶然だろうか?

 男が闇に向かって問いかけたその時、雲間から差し込む月明かりがその暗闇を照らし出した。

 黒い外套を身にまとった小柄な影は、おそらく人間。

 外套を身にまとった外見からすれば、背丈はそれ程高くはない。

 むしろ子供か少女ぐらいの身長だろうか?

 黒い外套の隙間から僅かに見える白磁の肌、真一文字に結んだ桜色の唇。

 凡俗な言葉になってしまう事をあえて承知の上でその存在を表現するならば、そは月の女神であろうか。

 この存在が男の問いかけに対して、僅かに反応するのは、その人物に意思というものがあるのか、あるいは条件反射か。

 その反応に、いずこからか出現した男は僅かに表情を曇らせる。

 一言で言えば落胆。確かに期待はしていなかったが、僅かながら心の片隅にはすがるような切望があった。

 刹那、それを隠す事に失敗した男だったが、すぐに表情を引き締める。

 外套の人物は、背後に出現した男の心のうちをまるで気にする風でもなく、その視線を、夜の街並みに注いでいる。

 それ故に、実際には男がどのような表情を浮かべたのかは知る由もないのだが。

 男にとって、自らの落胆をこの人物に悟られるのは望ましくないのだろう。

 男は、その端正な顔を引き締めた。

 しかし、この二人の人物。何を探しているのだろう。

 いや、それ以前に何者であるのだろうか。

 男は、まるで少女に気を使うかのように静かにその背後に直立する。

 その姿はまるで、可憐なる乙女を守る騎士の様。

 実際に、男の身にまとうは西洋の鎧にも似た、騎士甲冑そのものである。

 フルプレートと呼ばれる全身を覆う鋼の防壁を、まるで苦にする風でもなく容易くその身にまとっている。

 その手に持つ彼の獲物も決して、軽いものではない。

 おそらく、その身を守る甲冑を脱げば、その下には見事な肉体が出現するに違いない。

 端正な顔立ちと相俟って、惚れ惚れとする様な偉丈夫であった。

 そんな偉丈夫が、ピクリと眉を吊り上げる。

 「ふぇふぇふぇ、そうも簡単に見つかったら、苦労はせんて」

 男達のいる場所とは別の方向から声が聞こえた。その声に大男が盛大に舌打ちをする。

 先程とは違い、嫌悪の表情を隠す事はしない。

 そこには、灰色の外套ですっぽりと全身を覆い隠した人影が出現していた。

 しわがれた声、そして、腰の辺りから曲がっている姿を見ると、かなり高齢の人物のようだ。

 その手には、先端が二重に分かれた蛇を模した杖を握っている。

 まるで、物語の中から抜け出してきた魔法使いの老婆のようだった。

 今すぐにでも白雪姫の元へと飛んでいき、毒林檎を差し出しそうな人物だった。

 「長老殿か、言ってくれるな。しかし、姫の探知に引っかからぬとは、未だ活性の兆しは見えぬのか?」

 「ふぇふぇ、確かに活性化しておらねば、いくら姫でも見つからぬのも道理じゃが……」

 乱杭歯の様な口が笑みの形に歪む。

 男の顔は、しかめっ面に歪む。

 「では……」

 「否、活性化はしておるよ、昨今、この街周辺での奇妙な魔力反応は感知しておる。姫君も僅かなれど反応はしておられたであろう。されど、詳細な位置までは、完全には探知できぬ……やはり……」

 「なるほど。姫の力が、未だ十分ではないと言う事か」

 「欠損した姫の力では、感じるだけで精一杯じゃろうて。せめて姫君の『視覚』の範囲内で、『あれ』が力を使うか、魔力を喰らうかしてくれればまだしも。姫君とて努力はしておられるのじゃ、責めてくれるな、騎士殿」

 「誰も責めてはおらん。だがしかし不便なものだな」

 「うむ、姫の力が戻れば、例え不活性状態であっても容易に探知して見せようものを。ましてや、活性化しておれば、過つ事なく察知して見せようものじゃが。やはり、姫の力を取り戻すのが先決じゃの。じゃが、その為にも、『あれ』を回収せねばならぬ。その為の我等じゃて。それに主殿も『あれ』の回収をまずはお望みとの事じゃ」

 「姫の力を取り戻すためにも『あれ』が必要だと、されど、それを捕縛する為の姫の力は期待できぬ、か。ちっ、堂々巡りって言うわけかい……くそっ……あの……」

 「その言葉、そこでやめておいたほうが無難じゃの。主への不忠は騎士の恥、盲目の忠義こそ騎士の誉れじゃて。己の失言で失墜した騎士のなんと多き事よ。おぬし程の騎士がその様な凡百の騎士のような末路を辿る事もあるまいて?まして、姫君の前でその発言、いささか不遜と言うもの。そのように無駄に首を落とさずとも、姫君が、そうと望めば、おぬしは自ら差し出すであろうがの?」

 ふぇふぇふぇと笑い声を立てる老婆。ちっっと舌打ちをする槍の騎士。

 騎士として、主への忠義を盾にされては致し方ない。忠節を尽くしてこその騎士の存在である。

 逆に言えば主に忠節を尽くすからこそ騎士と呼ばれるのだ。

 それはいかなる世の中にあっても、いかなる世界であっても変わらない。

 だが、それはやはり、使えるべき主の人格が……否、やはり使えるべき主が別人であったらと考えるのは、不忠の極み。

 彼は、脳裏に浮かんだ『とある』考えを即座に打ち消した。

 「不満そうじゃな?」

 ふぇふぇふぇと壊れた笛の様な笑みを浮かべる老婆。

 だがしかし、この老婆の言う事もあながち過ちではない。

 いかなる思惑があるにせよ、主に使えてこその騎士なのだ。

 それに、現状は、彼の目的と主の目的はそれ程、かけ離れてはいる訳ではない。

 「今は、姫の為。そう思って我慢するしかあるまいて。それに現状は主殿と我等の目的は一致している」

 「ふぇふぇふぇ、おのが目的のためには主殿も利用するかの?その様な小賢しい猿知恵などおぬしには到底似合わぬ。それを考えるのはお主ではなく、わしの役目じゃろうて……」

 「まったく、俺を何の考えもなしの馬鹿だとでも思っているのかね……それはそうと、長老一人か?彼奴はどこに行った?」

 「おお、忘れておった。あやつめには別の仕事を頼んでおいた。合流はいま少し遅れるぞ」
 
 「おいおい、それは……」

 「まて、姫が何かを感知したようじゃ」

 抗議をしようとする男を、老婆が手と言葉で制した。

 老婆の言葉に男は、あの黒い外套の少女を振り向える。

 屋上の床に座り込んでいた小柄な影はいつの間にか立ち上がっていた。

 すっと、街の一箇所を指し示す。

 「見つけたか……」

 言葉に混じる愉悦の感情を男は隠しきれていない。そして、にやりと槍の騎士が獰猛な笑みを浮かべる。

 それは、猟犬が獲物を見つけたときに浮かべる笑みそのもの。明らかに戦いを娯楽として捕らえる者の表情。

 「あまり力は感じぬが、まぁ、散々待たせられたんだ。せめて憂さ晴らしぐらいの強さであって欲しいものだが」

 「やり過ぎぬ様にな。いくら『あれ』とて我等の求めるものじゃぞ?」

 「解っている、流石に『あれ』を破壊はするものかよ!」

 「どうだかの。お主がそんな物騒な笑みを浮かべているときは、まったくもって信用がならん。それはともかく、転送をかけるぞ」

 「ああ、やってくれ!」

 男の言葉に、老婆がこつん、こつんとコンクリートの床を杖で何度か叩く。

 男の足元に円と正三角形を組み合わせた魔法陣が浮かび上がった。

 その山のような体躯が淡い緑色の光で包み込まれる。

 「気をつけよ、この世界、魔導士は存在せぬものと思っておったが、おかしな魔力反応が点在しておる」

 「よもやベルカの騎士か?」

 「うむ……単に素質を持つものと言うだけであれば『ニエ』にしてくれようと思ったが…これは違うな。明らかに魔導士か騎士の反応よ。近くに一つ、遠方に二つ……いや三つか。『目』も幾つか、まるで食い扶持を探す野良犬のように嗅ぎ回っておるわ!自らが『魔力』と言う餌を撒き散らしておるとも気がつかずにな!」

 「なるほど、だから『あれ』が活性化したか…しかし、なにものだ?よもや管理局とかいう連中か?たしかこの世界は奴らの言う管理外世界と言うものではなかったのかね。管理外世界が聞いて呆れるが……。それにしても余計な手間をかけさせてくれるものよ。だがな、今は放っておくしかあるまいがな」

 「ふぇふぇふぇ、まぁ、それがよかろうよ。されど、おぬしの事じゃ。横槍を入れてきたら……」

 「ああ、『あれ』共々に吹き飛ばしてくれる」

 「くれぐれも勢いあまって、消炭にしてしまわぬようにな。『断章(あれ)』の回収こそ我等の使命ぞ?念の為に、そなたを転送したら周辺に防御結界を張り巡らす。案ずる事はない、おぬしが敗れても、その槍は形見としてわしが回収してやる」

 「長老、誰に向かって物を言っている?」

 「心配はしておらぬよ、信用もしておらぬがな?」

 「言ってくれるわ!さっさと転送しろ、この似非魔導士!」

 「ふむ、転送に事故はつき物じゃ。あまりに急くと、文字通り『塁壁の騎士』になってしまうぞ?」

 流石に、その言葉には、怖いもの知らずの騎士もたじろいだ様な表情を浮かべた。

 「おいおい、気をつけてやってくれよ?」

 「かかか!このわしが失敗するとでも?すでに座標は割出済みじゃて、多分じゃがな。多分成功するであろうよ。そんなことよりも、まさかでも損じる事がなきよう、気を引き締めていくのじゃぞ?」

 「はん!何度も言うがこの俺が、敗れるとでも?……って、おい待て、こら!多分って何だ、多分って!」

 「安心するのじゃ、少なくとも、ここ最近は失敗した事はないわ」

 「以前ははあったのかよ」

 「かか!なんの、わしが魔法を失敗した事なんぞ、記憶にまるでないわ!」

 「忘れちまったのかよ!この耄碌婆!忘れねーぜ、あんたの儀式魔術の大失敗を!あんときゃ、俺たち全員が危うく氷付けになるところだったじゃねぇか!!」

 「そんな事もあったかもしれんのう。爺さんや、昼飯はまだかのぅ?」

 「呆けたか、クソババァ!てか、誰が爺さんだ、誰が!ったく……姫の事は頼んだぜ?」

 「解っておるわ。すぐにあやつも駆けつけてくる。こちらの心配は無用じゃ」

 魔法陣が、輝きを帯び、男の身体が透き通り始め、瞬間、男は光の粒子となって消滅した。

 転送の魔法が発動したのだ。

 今頃は、転送先に出現している事だろう。

 その証拠に、老婆は自らの生み出したサーチャー、探査用魔力スフィアで、確かに男の出現を感知した。

 それを確認した魔女は、杖を天に突き上げるように振り上げる。

 『閉じよ』

 こつん。

 コンクリートの床をただ一度だけ、手に持った杖で打ち鳴らす。

 そして、彼女を中心とした広大な結界が、街を包み込んだ。

 半径にして数キロメートル。それも瞬きをする程度の時間もかける事無く、である。

 驚くべきはその魔力。

 僅か一動作、僅かに一言、僅か一瞬。

 都市の全てを包み込む巨大な結界が僅かそれだけで完成した。




 私達の根源(はじまり)は、何だったのだろう?

 その頃の私は、自らを不幸のどん底にいるのだと思い込んでいた。

 ある意味それは、正しい事だったのだが、世の中には私程度の不幸な人間なんていくらでもいたのだ。

 けれど、色々と辛い事が連続して起こったばかりで、幼い自分の心が押し潰されそうになっていたのだ。

 理解(わか)ってはいる。それがただのいい訳だという事は。

 その頃の私は、それでも自分は大人だと思い込んでいたのだから、なお始末が悪い。

 孤独でいられる『ふり』をする事と、一人であると言う事は決して同義語ではない。

 一人では生きていけない事を自覚せずに『一人』でいるつもりでいるという事は、まったく身勝手で幼稚な事だったのだ。

 でも、現実にその事に気がつくのは実は、とても難しい。まして、『子供』でしかなかった私には、とてもではないが理解できる事ではなかった。

 だから最初はその『出会い』に驚くばかりだったけど。

 私達の出会いは、突然だったと。記憶している。

 彼女と私の出会い方は、ある意味突然で、刺激的で、幻想的で、破天荒だった。

 今にして思えば、私の常識からは、考えられない出会いをしたものだ。

 万に一つの偶然、いや、億に一つだったのかもしれないその出会いは、運命と言う言葉で表してしまえるほど陳腐なものではないと思っている。

 それは、この世界で何度も繰り返し行われる『出会い』の中のひとコマに過ぎないのかもしれない。

 しかし、私の中にある『何か』を変えてくれた大切なひとコマには違いがない。
 
 頑なだった、氷の様な心を溶かすのは、やはり心でだった。

 その事に気がつくまでに、かなりの長い時を要してしまったけれども。

 それを気づかせてくれたのも、また彼女だった。

 そんな風に思えるようになったのは、もっと、ずっと、ずっと後になってからの事だったのだけれども。

 だが、今は、出会えた事に、出会えた運命に感謝を捧げよう。

 特別な理由なんていらない。
 
 私達の運命の歯車は、いつまわりだしたのか?  

 時の流れの遥かな底から、その答えを拾い上げるのは、今となっては不可能に近い……。

 いや、思えば、出会ってしまったその瞬間から。

 私達を結ぶ運命の糸車は、意地の悪い運命の女神によって廻されていたのだろう。

 だが、確かにあの頃の私達は、多くのものを愛し、多くのものを憎み……。

 お互いを傷つけ、お互いに傷つけられ……。

 何度も立ち止まりながらも、それでも風の様に駆けていた……。

 青空に、笑い声を響かせながら……。

 これは今更語るまでもない、私達の過去の物語。

 それでも、今となっては懐かしい物語……決して帰ってこない思い出の中の物語。

 これは、私『やがみ はやて』と彼女『やがみ はやて』の物語。 


 あとがき

 はじめましての方ははじめまして。
 東壁堂と申します。

 これは、魔法少女リリカルのなのはA’sとStsの空白期の物語。
 夜天の書の主『八神はやて』とヴォルケンリッター達がであった
 もう一冊の魔導書と、その守護騎士達の物語です。
 投稿はゆっくりとになりますが、楽しんでいただけると幸いです。



[25804] 彼女達の前奏曲 その1
Name: 東壁堂◆4daf4c7d ID:4c112548
Date: 2011/02/03 23:36
 思えば、物語の始まりは、夕暮れ時のマンションの屋上が始まりだったと記憶する。

 この辺りの土地に引っ越してきたばかりの私は、とあるマンションの屋上から、目の前に広がる光景を眺めていた。

 真っ赤に染まる空を仰ぎ見て、次に、眼下に広がる地上の光景を見下ろす。

 空には夕日に染まるオレンジ色の雲がいくつも浮かんでいた。朱色の空に、ほんの微かに瞬く光は宵の明星だろうか、あるいは飛行機か。

 地上には、街角を行き交う人々が見える。

 帰宅を急ぐのか、急ぎ足で歩道を歩いて行くサラリーマン風の男。バス停で、バスがやってくるのを待ちながら、携帯を操作する女子高生。

 別の場所では、やって来た電車から吐き出され、交代するようにそして乗り込んでゆく雑多な人々の集団が見える。

 ほんのしばらく前までは、私も、あんな『風景』の中に埋もれた個人でしかなかった。

 気がつけば、そんな『集団』からはみだしてしまったけども。



 
 そんな私の目には、本来ならば、見えるはずのない光景が飛び込んでくる。

 昔は、そんな事はなかった。いつの頃かは覚えていないが、いつの間にか遠くが見える様になっていた。

 それが、どんな理由だかはよくは知らないが、私には遠くの光景がよく『視』える。

 意識しなければ、ごくごく普通の視覚に過ぎないのだが、私の視線はいつしか『飛ぶ』様になっていた。

 もっとも、その距離は無限ではなく、大体数百メートル、あるいは頑張って1キロぐらいの距離だった。
 
 そんなものが日々の生活にどれほどの役に立つかはよくは解らなかったけど。

 今の私にはさほどの役に立つものではなかったのは確かだった。

 それでも『異質』には違いない。




 もう一度、自分の立つ場所から足元を覗き込む。

 屋上には当然、落下防止のための金網が周囲に張り巡らされている。
 
 私が立っているのは、それなりに高いマンションの屋上である。

 ここから落ちれば私の命はないのは確実だ。まかり間違って、運悪ければ命が助かってしまうが、大抵の場合はまず助からないだろう。

 ああ、それもいいかもしれないな、と。その当時の心理状態の私は思ってしまった訳だ。

 そして、胸のうちにこみ上げてくるもう一つの想い。

 もしかしたら。万が一にも何かの奇跡が働いて。

 子供の事の夢の様に。『空』を飛べたらと…。

 私の身体が中空に舞い上がり鳥の様に飛翔するその姿を、夕暮れ時の空に幻視する事はとても魅力的だったけれども。

 残念ながら、現実には。私の背には、空を飛ぶための翼はなかったのである。

 私は小さく頭を左右に振り、そんな光景を脳裏からかき消した。

 夢は夢、現実は現実。実際に私の身体は重力に縛られ、この身体を中空に投げ出せば、地面に叩きつけられるだけである。

 それが解っているにもかかわらず、私は、金網に向かって一歩足を踏み出す。

 そして、フェンスに攀じ登らんが為、金網に手をかけた。

 その時、ふと、何かが聞こえたような気がした。

 はじめは、足元を行き交う人々の喧騒だと思った。

 ゆっくりと金網に足をかけて、フェンスをよじ登ってゆく。その行為は、なかなかに苦労した。これでも体重には気をつけていたつもりだったけど。

 やっとの思いで金網を跨げる所まで身体を持ってくる事ができた。

 普通の人間ならば、この高さで、この行為をする事の恐怖に打ち勝つ事ができるだけの度胸がある人間であれば、それ程苦にならない行為であったのだろう。

 実は、私にとっては、その恐怖はあまりたいした事ではなかった。

 恐怖はないが、別の意味の苛立ちと、もし仮にバランスを崩して落下してしまえば、色々なしがらみから開放されると言う期待があったのかもしれない。

 決して褒められる様な願望ではないのだが、金網に跨りながら苦笑をもらした。

 落下した時の事を想像してみたがやはり恐怖はわいてこなかった。むしろ暗い期待がふつふつと湧き出てくるのみ。故に私の心は壊れていたのかもしれない。

 だが、そんな考えを私のちっぽけな理性が打ち消す。

 それに、もし仮に助かってしまったら……そのときの煩わしさの方がある意味怖かった。

 目的は『そんな事』ではなかったのだが、ちらりちらりと脳裏をよぎるそんな想像に、暗い笑みを浮かべてしまう。
 
 とりあえず、その当時の私はそんな子であったと言う事だ。




 その時、また、声が聞こえた。

 不思議な事にその声は、地上から聞こえたものではなかった。当然、背後からのものでもない。こんな時間こんな場所に来る人間なんてほとんどいない。

 地上からでも背後からでもなければ、別の場所から聞こえたものだと言う事になる。

 まさかとは思いつつ、気がつけば、空を見上げていた。

 その姿が見えた時、私の心臓はどきりと跳ね上がった。

 目に見えるのは真っ赤な夕日。

 「-------------------ん!」

 やはり、聞こえる。女の子の声が。

 よく目を凝らす。先にも言ったけど、目には自信があったのだ。

 徐々に視点を遠くへ遠くへと『跳ばして』みた。

 やがて、私は、太陽の中に黒い染みのようなものがある事に気がついた。

 太陽の真ん中に染みの様に現れた黒い点は、徐々に大きくなり、次第に人の形を取ってゆく。

 「あかーーーーーーーーーーーーーーーーーん!」

 大きな声を上げながら、彼女は確かに飛んでいた。

 『彼女』は、白いベレー帽に、黒いインナーと、同じ色のミニスカート。帽子と同じ色のジャケットを身にまとった彼女は、確かに飛んでいた。

 夕暮れ時の太陽を背に、淡い光を纏った黒い翼で羽ばたきながら、空を飛ぶ少女。

 年頃は私と同じぐらい……いや、少し年下だろうか?

 スカートだったから少女と思ったけれど、あるいは少年かもしれない。

 黒い翼を持った天使……。

 後になって彼女の正体と本性を知ってみれば、実に腹がよじれるのだが、この時には、そんな風に思った。

 彼女の姿はそれ程、美しく、神秘的に見えたのだ。

 そんな少女が、見る見る間に大きくなっていく。

 最初はぼんやりと、やがてははっきりとその姿が確認できるようになる。

 美術か何かの授業で、遠近法と言うものを習わなかっただろうか?

 遠方にある物体は小さく、近くにある物体は大きく見えるというあれだ。

 どんどんと彼女の姿は大きくなっている。つまりは、彼我の距離が、かなりの勢いで狭くなっていた。

 はっと、気がついたときには、彼女は目の前にまで迫っていた。このままではぶつかる。間違いなく二人は衝突する。

 少なくとも双方が肉体を持った存在であれば、どちらかが避け様としない限りは接触事故を起こす。

 残念ながら、彼女にその気は無さそう。

 慌ててよけようとしたが、私は其の侭の勢いで彼女に体当たりをかまされていた。

 「あかーーーーーーーーーーーーーーーーーん!死のうなんてしたらあかーーーん!」

 ラグビーの試合でタックルをする選手のように私の腰にぶつかってくる彼女。

 肺腑の中にある空気が押し出されて、とても女の子とは言えない様な呻き声が、私の口から漏れる。

 「ぐほっ!?」

 勿論、言うまでもなく、不安定な姿勢で金網に跨っていた私は、まともに彼女の体当たりを受け、身体のバランスを崩して床に落下する。

 一応は、同じ年頃の少女の標準的な肉体的スペックを十分に満たしている自信はあったのだが、さすがに、この状態で体勢を立て直すのは無理だった。

 何せ、私は二人分の体重を支えなければならないからで、私に体当たりをしてきた天使あるいは悪魔は、間違いなく現実の肉体を持っていた訳で。

 その金網は、子供が落ちない様に2メートルくらいの高さがあり、金網を跨いでいた私は、必然的にその高さを落下する事になった訳で。

 二人分の体重を受け止めたまま落下した私は、したたかに私は腰を打ちつけた。頭を打っていたら怪我ではすまなかったところだ。

 一瞬目の前が真っ暗になり、続けて腰から鈍い衝撃がやってくる。

 「うぐ……いたたたた………」

 その激痛に、うめく私。

 幸いな事に、頭はぶつけなかったらしい。

 それでも、そのあまりの痛みに、しばらく声が出なかった。

 そんな私にお構いなしに、彼女は、私に馬乗りになったまま、大きな声で喚き立てる。

 「あかん、あかんで、自分!死のうなんて思ったらあかん!」

 その目にいっぱいの涙を浮かべながら、彼女は私に向かって命を粗末にするなと、私に向かって説く彼女。

 おかしなイントネーションは関西訛りだろうか?

 一瞬、何を言われたのか良く理解できなかったけど。

 だが、自分のしていた行為を思い出す。

 屋上の金網をよじ登ろうとしている少女が、仮に私の目の前にいたら。

 なるほど、端から見れば確かにそう見えるだろう。

 そして、彼女の言葉には私の心情的には、ほんの少しだけ事実が含まれていたから。

 彼女が心配するのも道理な訳で。そんな様子があまりにも滑稽で。

 「……」

 ただ呆然と、彼女の顔を見つめながら沈黙する私にじれたのか、怒った様な表情を浮かべる彼女。

 ぷくぅっと頬を膨らますのが、幼い顔立ちによく似合っていて、間違いなく怒ってはいる筈なのに、微笑ましく思えてしまう。

 「な、じ、自分、人の言ってる事聞いてるん!?」

 聞いている、聞いているさ。

 けれども、なるほど、私が死ぬ、死のうと思っているか……。

 そんな風に見えたのか……。

 何故だか、笑いが込み上げてきた。

 「ぷっ」

 「へ?」

 「あははは……あはははは、あはははははははは!」

 ずきずきとする腰の痛みを我慢しながら、それでも思わず爆笑してしまった。

 「あ、れ?」

 きょとんとする彼女。

 そんな彼女を余所に、私の笑い声は、しばらくこの屋上に響き渡るのだった。
 
 思えば、これが私達の最初の出会いだった。

 そして、これが彼女と私の『はじまり』。

 『やがみ はやて』と『やがみ はやて』の『はじまり』だった。



 あとがき

 とりあえず、今宵本日のお話は此処までとします。
 主人公達を出さない訳にもいきません。という訳で、二人のはやての
 登場シーンまでをおおくりしました。

 この話は、2時間特別番組みたいな感じで比較的短めの予定ですが
 すでに、中編以上の長さになる予感ひしひしです。ああ、文章を
 まとめる才能が、ないのだろうか、自分。

 関係在りませんが、某所で連載中の『彼女達の奮闘記』の方も
 お暇でしたら目を通していただけると幸いです。

 ちなみに、本章は、『はやて』の一人称、次章以降は三人称で
 文章を書いていく予定です。デバイスは基本的に日本語でしゃべって
 もらいます。東壁堂は外国語が苦手です。



[25804] 二日前 海鳴市都心部 AM 02:16
Name: 東壁堂◆4daf4c7d ID:4c112548
Date: 2011/02/04 20:06

 夜と闇が溶け合えば、やがて見えなくなってしまう。

 何故なら、お互いに持つ属性が同じなのだから。

 それは溶け合い混ざり合い、やがては二度と分ける事ができなくなるほどに混濁してゆくのだ。

 だがしかし、結果的にそれらはけっして最後までは交じり合う事はない。

 故に、その騎士が、闇の中にその身をおこうとも、その圧倒的な存在感を感じてしまうのは。

 やはりその騎士が闇とは相容れぬものだから、なのだろう。この男の本質が闇とは程遠いところにあるから、なのだろう。

 元々、この男の出自も闇とは相反するものではあったのだが、それは別の話としておく事にしよう。

 そんな闇とは相容れぬこの男に如何なる理由が存在するにしろ、その身を闇の中においているのは何故だろう?

 闇に乗じて行動を起こすなど、騎士ではなく、宵闇に暗躍する盗賊の如き所業なのだが。

 あえて、それを実行に移す、それは主への忠義か、それとも別の理由故なのだろうか?

 あるいはその両方の理由なのか。

 いずれにしろ、ビルの谷間にある男の、その存在は、存在感は。

 どれほど隠そうとも、遥か遠方に存在する魔導士の感知する事となる。

 遠方にあった気配が一つ、急速に、この場所に近づいてくる。

 おそらくは、いや、間違いなく、最近この辺りでよく感知する魔導士の気配に相違ない。

 ニヤリと唇に笑みが浮かぶ。

 「管理局の魔導士とやらに感知されたか。後どのくらいかかりそうだ?」

 その騎士は天空を仰ぎ見る。

 夜の空には重くどんよりとした雲がたちこめている。

 一瞬、雲間に雷光が走った。

 その男の傍らに立つ灰色のフード。

 男が長老と呼んでいた、あの老婆だ。

 「いま少しばかり、時間がかかるかの」

 騎士達の背後には、道路に倒れ付した男が一人。

 管理局の武装隊の制服をその身にまとっている。

 その格好から、倒れているこの男も、管理局の武装隊の人間だろうか?

 だが、そんな管理局の人間が、何故この場に倒れているのか。

 老婆はその手に何か持っている。

 砂時計にも似たその物体が、淡い不可思議な光を放ちながら明滅を繰り返している。

 その砂時計が光を発するたびに、足元に倒れた男が苦しげなうめき声を上げる。

 「すまんな、謝ってすむものとは思わんが、まぁ、野良犬に噛まれたとでも思ってくれや」

 騎士が足元に倒れている男にそう謝罪する。

 生憎と、この男には少しもすまなそうな表情が浮かんでいない。

 むしろ、この後に起こるであろう、荒事への期待に、目が輝いている。

 だが、あいも変わらず、あの老婆が騎士の愉悦に水を差す。

 「ふぇふぇふぇ、犬が犬に噛まれたとは言いえて妙じゃな」

 「はっはっはっは!この俺を犬と呼ぶか、クソ魔導士!」

 「吼えるなよ、駄犬。そんな事よりも接近してくる魔導士の遊び相手をして、いま少し時間稼ぎをしておれ。最低限、番犬としての役割を果たしてみせよ」

 「くくくっ、言うじゃねぇか」

 「戯言を言っている場合ではないぞ?なかなかに速いぞ、あの魔導士」

 老婆の言うとおり、あの魔導士らしき者の気配が急速に接近してきている。

 視線を夜空に移せば、東の空に一筋の赤い流星が見える。

 その星は天空に瞬くあの星である筈がない。

 天空を覆っているのは、今にも雨が降り出しそうな厚く重い雨雲だ。

 そんな雨雲の下を、滑るように近づいてくるその流星は速い、確かに速い。

 瞬く間に、赤い流星は、人の姿を形作る。

 そして何よりも、飛行魔法の速さはその術者の魔力の強さを指し示す。

 近づいてくる魔導士はかなりの実力者であるには違いなかった。
 
 男にとって、管理局の魔導士、その存在は、おそらくは羽虫の如き存在ではある。耳元で飛び回られては耳障りである。

 では、うるさい羽虫はどうするのか?

 そんなものは決まっている。叩き潰すに限る。

 それに、と。

 にやりと笑みを浮かべる。

 あの忌々しい老魔導士が、自らの仕事をこなすまでの暇つぶしには丁度いいか。

 いい加減、退屈してきたのだ。

 「まぁ、長老殿は自分の仕事をしていろ。あまりに、ちんたら仕事をしていると一緒に吹き飛ばしちまいそうだがな」

 「ふぇふぇふぇ、おぬしに吹き飛ばされるほど、愚鈍ではないつもりじゃよ、わしは」

 「それは残念だな」

 「期待に添えなくて申し訳ないの」

 「なになに、いつでも遠慮なしに言ってくれ、むしろ遠慮はするな。当然、遠慮してもぶちかましてやるがな。親切は押し売りしてこそ親切だ」

 「ふぇふぇ、含蓄のある言葉じゃな、誰の言葉だ?」

 「ふふん、俺様だ!」

 「寝言は寝てから言ってくれんかの。ほれほれ、来たぞ」

 その言葉に、騎士は空を仰ぐ。

 天空を流れる、赤い流星は、今でははっきりと人の姿に見える。

 赤い騎士甲冑を身にまとい、同じ色の帽子の両側にはのろいウサギのワンポイント。

 右手には、小ぶりなハンマーが握られていた。そして、赤い髪の毛をおさげにしている。

 夜天の主八神はやての守護騎士ヴィータである。

 闇の書事件のあと、管理局にその身を置くことになったヴィータがその姿を現したと言う事は、やはり男達のしている事は犯罪行為なのであろうか。

 地面に降り立った少女はぶぅんとハンマーを男に突きつける。

 「管理局のものだ!管理外世界の無許可での魔法の行使による現行犯でお前達を拘束する!直ちに武装を解除し、投降しろ!他にお前達には『魔導士襲撃事件』の容疑がかかっている。武装を解除して、素直に投降をすれば、こちらにも情状酌量にょっ……の余地がある!」

 「噛んだな?」

 「こちらにもじょうにょ……」

 「情状酌量だな、うん、言いたい事はよくわかったから、無理はするな?」

 「うるせぇ!」

 「しかし、まぁ、何だ、ガキか……」

 男の顔に落胆の色が浮かぶ。

 あからさまなその表情に、ヴィータが噛み付くように声を荒げた。

 「なんだとぉ!」

 ガキと呼ばれ激昂するヴィータに男はからからと笑う。

 そんな男にますますヴィータは怒りが募ってゆく。
 
 もともと、いちいち事前通告を行うのはヴィータの性格にあっていない。

 問答無用で叩き潰すほうが性に合っていると、自分でも思うのだ。

 しかし、あまり無茶をすれば、主のはやてに迷惑がかかると思って大人しくしているのだ。

 「それなりに大きな魔力だったから、それなりの奴を期待していたんだが。来たのがこんなガキとはな、ちっ……期待はずれだったぜ……」

 「てめぇ……」

 「なぁ、お嬢ちゃん。悪い事はいわね。よい子はお家に帰っておねんねする時間だぜ?ママが心配するから早く家に帰りな?」

 騎士は子供を諭すような表情でそう言った。

 その言葉にヴィータは暗い笑みを浮かべる。

 「ふっふっふっ……グラーフアイゼン……カートリッジリロード……」

 ガシュンガシュンとヴィータのデバイス、グラーフアイゼンがカートリッジをリロードする。

 「ん?どうしたお嬢ちゃん」

 「ラテーケン!!」

 グラーフアイゼンの姿が組み変わる。

 魔力がデバイスの先端のハンマーに収束していく。

 爆発するような魔力の増加に、男は大いに慌てる。

 「お、おい、ちょっと、まて!」

 だが、すでに、ヴィータはグラーフアイゼンを振りかぶり、デバイスはすでにラケーテンフォルムに姿を変えていた。

 そのハンマーの片側から魔力がロケットエンジンの推進剤のように噴出している。

 ヴィータはハンマーの柄を握り、アイゼンの噴出す魔力流の、その勢いでぐるぐると回転を始める。

 にやりとヴィータが笑みを浮かべる。

 勿論、やる気……いやいや、殺(や)るきは満々である。

 「またねぇ!ハンマーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 魔力を後方に撒き散らしながら、ヴィータが騎士の男に向かって突っ込んでくる。

 その勢いはまさに破壊の鉄槌。

 鉄槌の騎士の名前に相応しい、破砕の一撃である。

 その攻撃は、如何なる防御も貫き通す破壊の攻撃である。

 かつて、闇の書事件の折、高町なのはの魔法防御すら容易に突き抜けた、鋼の一撃であった。

 故に、いくら男と言えども、その攻撃を受け止める事は不可能、できるはずがない。

 はずであった。

 「鉄鋼結界多重展開!」

 男の正面に、ベルカ式の魔法陣が出現する。

 その魔法陣がヴィータのもつグラーフアイゼンと激突し激しい光を周囲に撒き散らした。

 瞬間、激しい音が轟く、まるで落雷があったかのような雷鳴にも似た衝撃音。

 男の使用した、魔法防壁がヴィータのアイゼンの攻撃によって破壊された音だ。

 だが、自信満々で笑みを浮かべていたヴィータの表情が驚愕の色に染まっていく。

 当たり前である。

 「く……」
 
 破壊された魔法陣の下に、また魔法陣が出現したのだ。 

 その魔法陣が、勢いを減衰させたグラーフアイゼンの攻撃を再び受け止めた。

 最初の魔法陣を突き破るのに、それなりの魔力を消費した。

 しかしながら、カートリッジを使用したアイゼンの攻撃は、まだまだ魔力の蓄えは十分だ。

 もう一枚ぐらい、結界を突き破り、この犯罪者に一撃を加えるのには、何の問題もない。

 この得体の知れない犯罪者に出し惜しみをする必要もない。

 だからヴィータは、アイゼンにカートリッジにリロードを命じる。

 「アイゼン!カートリッジリロード!」

 【ヤーヴォール】

 ガシュンッと再びアイゼンのカートリッジがリロードされる。

 爆発的な魔力がアイゼンとヴィータに充填される。

 「もう一度!打ち砕けーーーーーーーーー!アイゼン!!」

 ピシリと男の防御壁に再びひびが入る。

 なんだ、この程度だったか。ちょっぴり焦ったが、たいした事ねーなと、ニヤリとヴィータが笑みを浮かべた。

 然程、労せず目の前の男の防御壁は打ち破れるだろう。

 だが、少しばかり驚いた。

 目の前の犯罪者、いやいや、まだ容疑者か、の男の魔法術式である。

 この男の術式は、ヴィータ達守護騎士の使用する古代ベルカ式の魔術式だった。
 
 ベルカ式と呼ばれる魔術形態はそれなりにな珍しいのだが、別に廃れたわけではないし、術者が希少な訳ではない。

 管理局内にも、身体能力の優れた術者に使用する者が多い。蛇足だが、それらを古代ベルカ式と区別するために、あえて近代ベルカ式と呼ぶ事もある。

 だが、その術式の前身である古代ベルカ式と呼ばれる魔術式となると話は違う。

 最近になって、ヴォルケンリッターたちが管理局に加わったが、それ以前では、管理局内のベルカ教会に所属する魔術師…ベルカ風に言えば騎士達のみであった。

 その騎士たちの中でも純粋に古代ベルカ式の魔術を継承した物の数は、本当に極僅かな数だった。つまりは、それ程珍しい術式形態だった。

 ヴィータ達の周囲には、それこそ、はやてやシグナムをはじめ古代ベルカ式を使用する術者ばかりだから、あまり希少な術に見えないのがあれだが。

 はやてやヴォルケンリッター達の術式を除けば、そのほとんどが、文献や古書の中にしか存在しないのがベルカ式なのだ。
 
 しかし、目の前の男は確かに、古代ベルカの術式を使用していた。

 となれば、この男は、やはり、ベルカ教会の関係者かあるいは……。

 しかし、今は関係ない。

 そんな事は、この男を叩きのめして、とっ捕まえてから聞き出せばいい。

 ヴィータはさらにアイゼンの魔力を高める。

 だが、徐々にヴィータの顔に焦りの色が浮かび始める。

 いくら魔力をこめようとも、男の防御壁が破れる気配がない。

 確かに、ヴィータも己の魔力は、限界には至っていない。
 
 しかし、男の力も、未だ本気には程遠いようにも見える。

 更なる魔力をこめようかどうか、ヴィータが迷い始めた時、男がヴィータに問いかける。

 「その程度か?」

 「なんだと?」

 「お前の力はその程度か、と聞いている」

 「はぁ!?てめぇ、何言ってやがる!」

 「少しは暇つぶしになるかと思ったが、これでは退屈凌ぎにもならん」

 「くっ……」

 男の声には落胆の色が隠せない。

 ヴィータは直感する。

 この男は戦いを喜びとするタイプの男だと。

 ぺろりと唇をなめる。

 彼女のそれほど短くはない経験の中で、あるいは闇の書の守護騎士として稼動してきた時も含めて。

 決して短くはない経験の中でこんな相手に出会うのは珍しい事だ。

 やりにくい相手でもある。

 あの、高町なのは以上にやりにくい相手かもしれない。

 だからと言う訳ではない。

 ヴィータは一度、アイゼンにこめた魔力を霧散させ、背後に大きく後退し、男とは距離をとった。

 ほぅ……と男の眉が僅かに跳ねる。

 大きくグラーフアイゼンを天空に掲げ、地面に叩きつける。

 鈍い音がして、地面に消して小さくはない窪みが形成された。

 そして、プシューッと魔力の煙を排気する。

 「もう一度言うぜ、武装を解除して投降しな!そうすれば、お前たちの事情も聞く余地はあたし達にはある」

 「残念だが、それはできない相談だな、お嬢ちゃん」

 「へっ、だよな。だったら……あんたを叩きのめして『オハナシ』を聞かせてもらうぜ!」

 「おいおい、物騒な『オハナシ』だなぁ、おい!」

 しかし、男は、ニヤリと笑みを浮かべる。物騒なオハナシ、大いに結構!

 それこそ、間違いなく、男の嗜好である。

 「けっ!違うな、そんときは、『悪魔めっ』って台詞を言うのさ!」

 「ほうほう、それはまた、物騒だな。で、言ったらお前はなんて答える気なんだい?」

 「決まってる。『悪魔でいいもん、悪魔らしくお話聞かせてもらうから』って答えるのさ」

 「おいおい、マジで物騒じゃねぇか。でもいいね、お前ら式『オハナシ』、大いに結構!気に入った!」

 「『高町式オハナシ合い』って言うんだぜ、管理局じゃ!」

 「はっはっは!拳と拳での話し合いかぁ!?いいのか、それで、管理局の騎士さんよ!」

 「いいんじゃねぇか?実際、あたしも、やられたしな」

 「おいおい、本当に大丈夫か、お前のところ」

 気がつけばヴィータは涙を流していた。なにか嫌な思い出でも思い出したのか。

 「あ、いや、おい。本当に大丈夫か?」

 「あー、まー、たぶん、な。それはともかく、行くぜ?」

 「ああ、来い!」

 「鉄槌の騎士、夜天の守護騎士ヴィータ、参る!」

 「塁壁の騎士、ラルゴ、推して参る!」



[25804] 彼女達の前奏曲 その2
Name: 東壁堂◆4daf4c7d ID:4c112548
Date: 2011/02/05 14:32
 ひとしきり笑った後、顔を上げると、たいそう御立腹な様子の彼女の顔が合った。

 改めてよくよく彼女の姿を見ると、私よりも年下だろうか?

 小学生かな。

 小さな身体に……アニメか何かのコスプレのような格好をしている。

 実際に空を飛んでいたことから推測すると、コスプレとは訳が違うと思うけれど。

 背中からはえた黒い羽は、ちょっと格好良く見えた。

 背丈から想像するに、彼女は小学生ぐらいだろうか?

 私から見ても愛らしい顔がに怒りの表情を浮かべているのが、実にアンマッチ。

 余計に笑いがこみ上げてくるのだ。

 「なんや、自分!どうゆうつもりか知らへんけど、せっかく助けたのに、そないにけらけら笑うもんやないで!」

 言いたい事はよく解るが、実際に私は彼女が思っているような事をするのが目的ではなかった。

 頬をいっぱいに膨らませて、まなじりを吊り上げる彼女。

 愛らしい丸い顔が怒った表情を作り出しているけど、あんまり迫力がない。

 「ちょ、ちょい、自分!人の言っている事は真剣に……」

 「はいはい、聞いてる聞いてる」

 目に浮かんだ涙をぬぐいながら、私は答える。

 「ふ、ふざけとらんとやね!」

 「別に、私にふざけているつもりはないけど?そもそも、私、『あなたの思っている様な事』なんて自分からするつもりないんだけど」

 偶然、足が滑って落下する事を内心期待するのは、積極的なそれとは呼ばないだろう。微妙な言い回しの違いに、彼女も気がついた様子はない。

 意地の悪い言い回しだと言う事は認めるけどね。

 結果的に、それが起こったとした場合、マスメディアや官憲の多くの人々は、私の『事故』の原因を『そうである』と決め付けるのは間違いがない。

 実際に、彼女もそんな考えに思い至ったのだろう。

 案の定、私が『そうではない』と否定すると、先程までの怒気はどこへやら、きょとんとした顔で目を白黒させている。

 「え、え、ええ?」

 「だから、違うんだってば」

 「だったら、だったら、なんであないな危険な真似するんや!下手したらそれこそ大怪我じゃすまへんかもしれんのやで!?」

 「落ちても、運がよければ怪我ですむわよ」

 「そりゃ、ごっつ幸運な場合は、や!」

 「一生分の幸運を使えば助かるかもよ?大丈夫、大丈夫。私、まだ、今年役満3回しか上がっていないから」

 ネットゲームだけどね。リアルでやる相手なんていないんだけどさ。

 「あ、あかん!使いきっとる、使いきっとるで、それ!」

 「なら、来年の幸運の前借でもいいかしら」

 使えなければ命がないのだから、間違いなく一生分の幸運の前借だ。

 私の場合は、おそらく助かるだけの幸運値は無いだろうけど。

 不幸自慢をする訳ではないが、私の短い人生で私の幸運は使い果たしている自信はある。

 そんな自信、何の自慢にもならないが。

 「そないな幸運、前借なんかせんでもええ!」

 彼女の言っている事は至極尤もな事だが、素直にそうだねと言う事ができるほど、私の性根は真っ直ぐには育っていない。

 再び、語気を荒くしてゆく少女に私は肩をすくめて、立ち上がり、再び金網に向かって歩いていく。

 だいぶ痛みが薄らいだつもりだったが、立ち上がった時に鈍い痛みが走った。

 でも、歩けない程の事でもないか。

 「あ、ちょっと、待ちや!危ないって言うてるやん」

 「それは初耳」

 危ないからやめろとは、言われてない。

 彼女の制止を無視して、改めて金網に手をかけると、肩を掴まれた。

 その力はそれ程強いものではなかったけど、振り払えない程度のものではあった。

 「危ないから、やめときって言ってるやろが!」

 再び、彼女の怒りを含んだ声がする。

 けれど、彼女がどこの誰かは知らないけれど、見知らぬ少女に止められる理由はない。

 ましてや、実在の人間である事が証明できない存在にそんな事を言われる覚えもない。

 いや、こうして肩をつかまれている感覚は実際のものだから、人間の証明と言うべきか。

 あるいは天使、悪魔という人外の存在かもしれないし。

 ま、どちらにせよ、私は態度を改めるつもりはない。

 先も言ったが、私は、見も知らぬ人間の言葉に従う素直な人間ではない。

 「貴女には関係のない事と思うけど?」

 「関係ない事あらへん!」

 「関係ないでしょう?私と貴女は見ず知らずの赤の他人。赤の他人が何をしようとも関係のない事です」

 「くぅーーーーーっ!!ああ言えばこう言う!せめてあんたが何でそないな危険な真似をするかは教えてくれんか!」

 それこそ、関係のないあなたに教えてやる義理は無いけれど……。

 「そう言えば……」

 私はくるりと踵を返して少女のほうを振り向いた。

 「赤の他人にこんな事を聞くのは野暮なんだけど……」

 私は金網から手を離した。

 「なんや?」

 私が思いとどまると考えたのか、ぱぁっと明るい顔をする彼女。

 「あんた、空飛んでなかった?」

 「へ?」

 質問の意味が理解できなかったのか、ぽかんとした表情を浮かべる彼女。

 しかしながら、徐々に私の質問の意味が脳に浸透していったのか、顔が青ざめていく。

 反応が鈍いよ。

 「え、あ、あ、あ……あああああーーーーーーーー!」

 甲高い絶叫が、屋上に響き渡る。

 私は、思わず耳をふさぐ。

 「うるさい」

 「あ、ごめん。じゃ、なくて……見たんか?」

 「それはもう、ばっちりと。と、言うかそこで否定はしないんだね」

 見たかと言う確認。

 それは、彼女が飛んでいたと言う事実を認めた事と同じ台詞。

 実際に、彼女もその事は否定するつもりはないらしい。

 「……否定しても無駄やろ?」

 「それはもう。あんたの言う『自殺』……」

 「それは、確かにあたしの勘違いや、すまん」

 「……『危険』な行動をしている最中にばっちりと。ま、空を飛ぶ事に比べれば、私のしようとしている事なんて簡単な事だってば。大丈夫、いけるいける!」

 「そっか…それもそうやな。でも、それはそれや!って、誤魔化されへんで!あたしの質問のが先や!」

 「けどさ。ふーん、飛べるんだ……へぇ……」

 「なんや、その目は……と、言うか、驚いとらんな、自分」

 「十分に驚いているよ、この見えない心の中をあんたに見せてあげたいぐらい」

 「ああ、もう!話をはぐらかさないでくれんか!」

 「別にそんなつもりじゃないんだけど」

 「だったら!」

 「じゃぁ、変わりにあれ、お願い」

 私はすっと指を刺す。

 彼女は私の指の先に視線を向けると、小さく息を呑んだ。

 そこにはフェンスと屋上の張り出しとの間に子猫がうずくまっていた。

 カタカタと震えながら、すでに鳴き叫ぶだけの体力も使い果たしたのか、微かにニーニーと鳴く声が途切れ途切れに聞こえる。

 フェンスと床の隙間は悪戯ができないように、思った以上に狭く、無理やりに子猫を引きずり出すだけの隙間は無い。

 うかつに手を出せば、人を警戒した子猫が逃げ出してしまい、下手をすれば屋上から落下してしまうかもしれない。

 「あ……」

 「悪餓鬼共の悪戯かなにかでしょ。中々に酷い事をする」

 「あんた、あの子を助ける為に?」

 「わかってるよ、そんな風には見えないって言うんでしょ?」

 「そんな事はないで!でも、あの子にどうやって気がついたん?」

 「悪餓鬼どもの後をつけたわけじゃないよ?そんな事をするぐらいだったらそうなる前に張り倒してるもの」

 と言うか、殴り飛ばしている。例え相手が年上だって何者だって噛み付いてやる自信はある。

 だから地元では結構煙たがられていた訳だけどね。

 ま、世間の目から見れば、いい子ちゃんではない訳だ、私という人間は。

 「じゃぁ、どうやって?」

 「私ね……『目』はいいのよ」

 「はぁ?目?まさか、地上からこの子を見つけたとか言うん?」

 そうだよ、丁度餓鬼共が屋上から子猫を落とそうとしたところが見えたのさ。

 偶々偶然、屋上の張り出しの上に落ちたんだが……。

 流石に、この高さから落下すれば、いくら猫でも助かる筈もない。

 「ま、そんな事はどうでもいいけど。あんた、人助けが趣味でしょ?そうじゃなきゃ、空を飛んでまで、私を助けに来たりしない、違う?」

 「趣味かどうかはともかく……あーもう、あの子を助ければいいんやろ!」

 「おやおや、中々に聡い事で……」

 厭味を言う私に、今度は彼女のほうが肩をすくめた。

 彼女は小さく、二言三言何かを呟いた。

 瞬間、彼女が薄い光に包まれ、その足元に複雑な幾つか図形が組み合わさった様な紋様が現れた。

 魔法みたいだと、その時は思った。

 まさか、本物だとは思わなかったのだけれども。

 「Der Flugel des Sturmes」

 ふわりと彼女が浮かび上がる。

 「へぇ……」

 「悪いんやけど……この事は秘密にしといてくれんか?」

 思わず感嘆の声を上げる私に、彼女は片目を閉じて、人差し指を唇に当てながら言った。

 こうして目の前で本当に人が浮かび上がるところを見ると、やはりすごい。

 というか……綺麗だと……そう思った。

 けれど、私の口からこぼれたのは憎まれ口だった。

 「そんな事言われなくても、誰も信じないって」

 「それもそうやな」

 彼女は小さくうなずくと 光の軌跡を残しながら、音も無く空へと飛び上がった。




 マンションの近くの公園で子猫を放す。

 そもそも野良だったのか、すぐに近くの茂みの中に姿を消してしまった。

 礼を言って欲しいわけではなかったが、少しばかり冷たくはないだろうか。

 それにしても、先程までは私の腕の中で震えていたのだから、現金なものだと苦笑をもらす。

 そう言えば……。

 私も似たようなものか。

 確かに、彼女が指摘したとおり、危ない真似をして、下手をすれば大事故を起こすところだった。

 心の奥底で、そうなる事を望んでいたのかもしれないけれども。

 彼女が手伝ってくれなければ、万が一にも、事故が起こる可能性があったのは否定できない事だ。

 なるほど、私が彼女に命を救われた……というのは言いすぎかもしれないが、助けられたのは間違いない事のようだ。

 にもかかわらず、別れ際に、彼女に礼の一言も言ってはいない。そう言えば、名前も聞いてなかったっけ。

 私は、彼女が飛び去った方角の空に向けて、手を差し出す。

 「私の名前は『はやて』……やがみ はやて。君の名前は?」

 勿論、帰ってくる答えなどありはしない。

 すでに暗くなっている公園には、ベンチを照らし出す、薄暗い街頭の明かりが灯っているだけだった。

 不思議と笑いがこみ上げてくる。今日は、よく笑う日だと思った。

 なんと滑稽な事だろう。

 私の立場は、今つい先程、私の手から逃げ出した子猫と同じだったのだ。

 私に子猫を手渡して飛び去った彼女も、私の事を、礼を欠く人間だと思っているのだろうか?

 なるほど、私はあの野良猫と同じか。いろいろな意味で…。

 不思議な出来事だった。

 ほんの僅かな邂逅ではあったけども、私の心に深く刻まれる出来事だったのは間違いない。

 そんな偶然は二度と起こらない。

 そんな風に思っていたけれど。

 『二人の風』の邂逅は、すでに運命付けられていたのかもしれない。

 さて……私は、服に付いてしまったあの子猫の毛を手で払い、帰路に付く事にした。

 明日からは新しい学校に通う事になる。

 私立聖祥大学付属中学校。

 色々と思うところはあるけれど、私と言う人間の再出発点となる筈の場所だった。


 あとがき

 これが二人のはやての偶然の邂逅。そして物語は回り始めます。
 御意見、御感想をお聞かせください。 



[25804] 二日前 海鳴市都心部 AM 02:28
Name: 東壁堂◆4daf4c7d ID:4c112548
Date: 2011/02/06 22:54
 ラルゴと名乗った騎士。

 その男の巨大な体躯がヴィータの前に立ちふさがる。

 オフィス街のビルの谷間に仁王立ちするその偉容は、その名の通り、まさに砦の城壁。

 許されぬ者は、この先通る事、一切まかりならぬと、物言わずとも物語る。

 彼の背後では、怪しげな黒フードが周囲の魔力を収集している様子が見える。

 その老婆の足元に倒れているのは、明らかに管理局の武装隊員だ。

 最近、この辺りの都市、特に海鳴市に集中して発生している『魔導士襲撃事件』の調査の為に送り込まれた魔導士だ。

 しかし、ここ最近……と言っても、ここ数日の僅かな期間になのだが、送り込まれた魔導士が逆に襲撃の対象になりつつある。

 最初はただの管理局が異世界での魔法術式が無断に行使された痕跡の調査であったらしかった。

 偶々その時に近くに駐留していた次元管理局所属の次元航行艦アースラのスタッフが派遣された。

 別にアースラが手を抜いた訳ではない。それなりに選りすぐりの武装隊の人間を送り込んだつもりだった。

 現地調査であると言う事で派遣されたスタッフが、無事に帰還する事はなかった。

 何者かに襲撃された武装隊の人間が発見されたのは、その翌朝だった。

 最悪の事態までは至ってはいなかったが、局員はその怪我により、未だ意識が戻る事はない。 

 ミイラ取りがミイラになるとはこの事だが。

 少なからず一般市民にも犠牲者が出ている可能性もあるのだから、安易に引き上げる訳にもいかない。

 現状は魔導士を狙い、襲撃を繰り返しているが、その対象が魔導士であるとは限らない。

 犯人の凶刃が、いつ一般市民、しかも、管理外世界の、魔法の存在を知らぬ市民に向かないとも限らない。

 その為にも、まずは犯人と接触し、その目的を探らなければならない。

 その上で捕縛、拘束をせねばならない。なんと困難な事だろう。

 だから、襲撃者にも対応でき、相手を捕縛することができるだけの実力を持った魔導士を派遣する必要がある。

 高ランク魔導士の存在は気象である、それでいて管理局に所属し、この管理外世界にも詳しい者たち。

 それゆえのアースラスタッフであり、ヴォルケンリッター達だった。無論、主たる八神はやての了承もと行われた派遣だが。

 現状で犯人捜査で動いているのが鉄槌の騎士ヴィータと、烈火の将シグナム、そして湖の騎士シャマルの3人である。

 守護獣ザフィーラははやての護衛で待機。はやても現状は待機状態だった。

 だが、それでも襲撃事件はやまなかった。現在だけでも犠牲者は5人にのぼる。

 初めて犠牲者が発生して期間にして一週間。

 ヴォルケンリッター達も、未だ姿を見せぬ襲撃者に忸怩たる思いを感じていた。

 管理局もこの襲撃事件を重く見ているのか、近くに執務官が派遣されて来ると言う。

 その話を、アースラ艦長のクロノ・ハラオウンから聞いて、その前に事件を解決してやるけどな、と、ヴィータは息巻いていた。

 別にヴォルケンリッター達を軽視した発言では決してなかったが。

 自分達が不甲斐ないばかりに犠牲者を悪戯に増やしているのだと言う思いはある。

 先の『闇の書事件』では、闇の書、今では夜天の書と呼ばれる魔導書の守護騎士である彼ら自信が事件の加害者であったのだ。

 それゆえの使命感である。あるいは罪悪感かもしれないが。

 海鳴と言う街は、管理外世界に所属する街でありながら、こうも魔法絡みの事件が連発するのは、呪われているに違いない、と。

 その事件の一つに関与した守護騎士のヴィータは思う。

 その両方に関わっている二人の魔導士の少女も、この街の住人だし。

 『ジュエル・シード事件』そして『闇の書事件』、双方ともこの海鳴と呼ばれる街を舞台にした、管理局史に残る大事件だったのだ。

 下手をすれば、この世界は、丸ごと消滅していたかもしれなかったのだ。

 そんな状況だったから、不信な魔力反応を感じて様子を見に来たヴィータだった訳だが、今回は『当たり』だったようだ。

 塁壁の騎士ラルゴと名乗る、魔導士。

 いや、ヴィータ達、守護騎士と同じく古代ベルカ式を行使する以上、騎士と呼ぶべきか。

 実際に、男自身も自らを『騎士』と名乗っている。

 その背後で、周囲に浮遊する魔力を、おそらく何らかの魔力機器で回収している黒フード。

 見慣れぬその形、明らかに魔力を放つその異様、もしかしたら、別の世界から持ち込まれたロストロギアかもしれない。
 
 塁壁の騎士と言う言葉が記憶のどこかに引っかかるが、とりあえず、現状を見るに、この二人が間違いなく襲撃事件の犯人に違いない。

 実際に、この二人が武装隊の隊員を襲撃した現場に出くわした訳でもなく、それ故に証拠も乏しいが、状況証拠が間違いなくそれを物語っている。

 問題は。今まで、この短期間に犠牲者が5人、5人もの人間がこの犯罪者達に襲撃されたのだが、その事件の規模、内容。

 だから、アースラスタッフはこの事件の犯人を複数犯であると予測している。

 仮に犯人ではないとしても、襲撃現場で怪しげな行動をしておりなおかつ、明らかに違法な魔術行使をしている以上、逮捕は可能だ。

 ロストロギアらしきものの不法所持も現行犯だ。

 目の前にいる『怪しい連中』は二人、確かに複数犯なのは間違いがない。

 だが、ヴィータはこの町の何処かにいるシグナムに念話を送る。ベルカ式ではそれを思念通話と呼ぶのだが。
  
 『見つけたぜ、例の魔導士の襲撃事件の犯人だ。たぶんな』

 『たぶん?場所は?』

 『海鳴の中心部のオフィス街の中心だ。前にはやてと来たアイスクリーム屋の近くだ』

 そういえば、あのアイスはギガうまだったっけ。

 『わかった、今行く』

 『………』

 また行きたいな……。

 『ヴィータ?』

 『あ、ああ!待て、シグナム。こいつはあたしだけでいい』

 『なんだ、一人で相手をするつもりか?相手は一人なのか?』

 『いや、二人だ』

 『待て、ヴィータ。相手が複数なら危険ではないのか?』

 『あぶなそーなのは一人だけだ。こいつならあたし一人でもなんとかなる。それよりも、シャマルと一緒にほかにおかしなことをしている連中がいないかどうか探してくれ。なんか、どっかから見られているような気がする』

 『ふむ、第三者がその場にいるのか。了解した、だが、油断はするなよ?』

 『はんっ!誰にものを言っている!』

 『ふっ……心配はせぬが、今の我らは昔と違う。怪我でもすれば、それだけで主が悲しまれる事を忘れるな』

 『わかってるよ!』

 『ならばよし。聞こえてるな、シャマル』

 『もちろんよ、シグナム』

 『ヴィータを探査範囲内に入れつつ、この周辺に探査魔法を。我等と武装隊員以外での魔力反応があったら連絡をくれ。私は上空から、他の魔導士を探す。確かにヴィータのいる場所以外にもおかしな魔力を感じる』

 『了解よ、シグナム、なら、私達はいったん合流したほうがいいわ。ヴィータちゃんも気をつけてね』

 『ああ』

 「終わったのかい?」

 「すまねぇな、待たせちまったな」

 「なに、気にする必要はない。どの道時間稼ぎは必要なんでね」

 ヴィータとヴォルケンリッター達の思念通話を律儀に待っていたラルゴ。

 それはこの男の性格が律義なものゆえか、それとも単純に余裕があるのか。

 あるいはその両方かもしれない。

 男は、先程から一歩も動かず、微動だにしていない。

 あいも変わらず、巨大な赤い魔槍を肩に担いだままの姿。

 ヴィータの攻撃を防いだ時も、僅かに利き腕とは逆の腕を、僅かに動かし、手のひらを打ち込まれるグラーフアイゼンに向けたのみ。

 その手の正面で展開した、ベルカ式の魔法陣が、ヴィータの攻撃を完全に防いだのだ。

 もっとも、初撃で、その魔法防御の魔法陣をいくらかは打ち砕いたのだ。

 決して攻撃が通らぬわけではない。しかし、その防御を貫き通すためには、いささか苦労をしそうだ。

 故に、この騎士の特性は防御に特化したものと推定される。

 しかし、断定するのは、この男が、未だ初手を見せぬ事から危険ではある。

 加えて魔力反応もヴィータに負けず劣らず高い。

 そんな騎士が彼女を、この先、一歩も行かせまいと、山の様に立ちはだかっている。

 自ら『塁壁の騎士』と名乗りを上げた以上、やはりその防御力は自信があるのだろう。

 こうして見ているだけで、巨大な城塞を目の当たりにしたかのような重圧感を感じる。

 かつて、ヴォルケンリッターで難攻不落の砦を攻略した時にも似た、いやそれ以上のプレッシャーをこの男からは感じる。

 難しい表現はよそう。

 ヴィータは、この目の前の人物を『強い』と評価した。

 最初にからかわれた事に対しては、とうに頭が冷めている。
 
 だから、冷静に彼女は判断する。 
 
 それでも、自分に貫けぬ、破壊できぬ壁はなし。

 何故なら、自分は『鉄槌の騎士』であり、自分の相棒は『鋼の伯爵(グラーフアイゼン)』なのだから。

 ヴィータはふわりと浮かぶ。

 男とは一度距離をとった。

 追ってくる気配はないが、その視線はしっかりとヴィータを追跡する。 

 この距離なら、近接攻撃は届かない。

 それに、おそらくは近接攻撃は相手に有利な戦いの距離だ。

 攻城戦に置いて尤も厄介なのは、城塞近くでの攻防にある。

 防御側は硬い城壁で攻め寄る兵士を食い止めながら、ゆるゆるとその敵を往なしていけばいい。

 無論、攻撃側も手を抜くわけではないのだが、防御壁が硬ければ硬いほど、その攻撃の勢いを失してしまう、減じられてしまう。

 だから、古来において攻城戦は防御側が圧倒的に有利なのだ。

 犠牲あっての城塞戦の攻略なのだ。故に攻撃側は防御側の三倍の兵力が必要となると言うのはその辺りが理由なのだ。

 だが、ベルカの歴史も何度か記載があるように。

 城塞の中から兵士を引きずり出してしまえば、後は野戦となんら変わりない。

 そのときこそは、兵力の差、錬度の差、あるいは将の差がものを言う戦いになる。

 もう一つ、致命的な問題があったりする。

 主にその背丈あたりで?

 しかし、これは故意に無視する、するったらする。

 だから、あの狭い場所での戦い、近接戦闘は、鉄壁の防御を誇る騎士にとってはその場所そのものが城塞。

 攻撃側のヴィータが圧倒的に不利なのだ。

 だったら、どうする?

 何も敵に有利な状況で戦う必要はない。

 自分に有利な戦闘状況に敵を引きずり出せばいいのだ。

 ヴィータの好みとする戦いは近接の直接的な攻防だ。

 これはベルカ式を選択する騎士の多くに共通する、いわば戦士の性なのだ。

 しかしながら、実際には、ヴィータの持つその特性は、どちらかと言えば戦場全体を視野にいれた近中距離戦域をカバーするオールラウンダーなのだ。

 兵種でいえば、遊撃部隊。戦況にあわせて戦場を縦横無尽に駆け回る、多才の持ち主。必要とあらば、あらゆる手段を選択できる柔軟な戦闘スタイルの持ち主。

 負けぬ事を選択するならば、そのスタイルにこだわりを持たないのもヴィータのよき特性の一つであった。

 故に、彼女は中空にその身を浮遊させ、眼下に男の姿をおさめる。

 こうなると、狭い路地裏と言う地形が男の動きを束縛する。

 防御壁を貼れば確かに鉄壁の、絶対の守りとなるだろう。

 しかし、それはそれでヴィータも安全な距離から攻撃を仕掛ける事ができる。

 そうなれば、どちらかの魔力が尽きるまでの、キャパシティの勝負となる。

 あるいは、シグナムか、クロノを呼びつけ、一気に制圧すればいい。

 クロノも彼女のデバイスを通じて、現在の状況を把握している筈だ。

 それは最後の手段にしておきたいが、それでもこの犯罪者を見逃すよりは遥かにましである。

 それはそれとして。

 まずは、頭を取る。

 つまりはヴィータは敵の上空に位置すると言う絶対的な有利の状況に位置したのだ。

 己の持つ古代ベルカ式の術式の中から、攻撃のための術式を呼び起こす。

 足元に、赤い、ベルカ式魔法陣が浮かび上がる。

 ヴィータの目の前に、鈍い鋼色の光を放つ魔力球が浮かび上がった。数にして4つ。

 「いくぜ、アイゼン、仕切りなおしだ!」

 【シュワルベフリーゲン】

 アイゼンを振りかぶり、浮かんだ鋼球を地面に向けて打ちつけた。

 4筋の鋼色の光弾が、男に向かって唸りをあげて飛んでゆく。

 4つの弾が、避けようともしない男に着弾し、爆煙を吹き上げた。

 「やったか……?」
 
 薄れてゆく魔力の残滓の中に、三角形の光が見える。

 すでに何度目かの防御魔法陣だ。
 
 「な、訳ねーよな」

 ラテーケンの一撃を防いだ防御力を誇る騎士だ。

 この程度の攻撃、牽制にもなるまいとは思う。

 だから、次の手は打ってある、いや撃ってある。

 いままでヴィータの攻撃はすべて完全に防がれている。

 カートリッジを使用してまで放ったラテーケンハンマーを完全に防がれたのは確かに痛い。

 しかしながら、あの攻撃は『防がれた』のだ。『避けられた』訳ではない。

 防御魔法陣はその使用に魔力を消費する。

 まして、強力な魔力をこめた魔法を防ぐためには、守る側もそれなりの代償、魔力を必要とする。

 実際には、連続行使は難しいのだ。

 高町なのは?

 あれは別、まったくの別物。

 管理局の白い悪魔の力、魔力は化け物か?

 魔力の煙が晴れ、こちらを見上げる騎士にヴィータはニヤリと笑みを浮かべる。

 実際にはヴィータはそこまで考えてはいない。

 単にでかいのをぶちかまして、あの防御を打ち抜こうと考えているだけなのだが。

 だが、結果としてはまったくかわりはない。故にその思考過程なんて置いておいてかまわない。

 彼女の周辺にはすでに、魔力をこめた魔弾がいくつも浮かんでいる。数にして32。

 どこぞの雷撃魔導士が組み立てたファランクスシフトと呼ばれる術式が存在するが。

 流石にこれだけの魔術を使用するのはきつい、だから一度カートリッジをリロードする。

 「ほう?」

 すっかり煙の晴れた、路地裏の中央に立つ騎士の顔つきが流石に変わる。

 「へっへっへ、流石にこれは受けきれねーだろ?降参するなら今のうちだぜ?」

 【シュワルベフリーゲン・シュトゥルム・フォルム!】

 ぺろりとヴィータは唇を舐めた。流石にこれだけの数の魔力塊を制御するのはきつい。

 しかしながら、全身を駆け巡るカートリッジの魔力に助けられて制御可能な最大数のそれを自分の周囲に発生させた。

 「おいおいおいおい!こりゃ、すげえな!」

 件の男は、実に楽しそうな声を上げた。やはり顔には楽しげな笑みが浮かんでいる。

 「凄いだろ!」

 「すげえすげえ!こりゃおでれーた!」

 「受けてみろよ?」

 「遠慮はするな!貫いてみせろ!鉄槌の騎士!」

 「ああ、後でほえ面かくなよ、塁壁の騎士!」

 始まりは静かに、だが結果的には轟音を轟かせながら、二人の魔力はぶつかり合った。

 あとがき

 東壁堂です。なかなか戦闘シーンは難しいものがあります。
 だから、あんまり進んでいません。時間軸もね。
 ヴィータ可愛いよ、ヴィータ。というわけでまずはヴィータの戦闘シーンです。

 御意見御感想をお聞かせくださいませ。


 投稿用に書き溜めたのは実は此処まで。
 この先は、前言通り、ゆっくりのんびりペースになってしまいます。



[25804] 彼女達の前奏曲 その3
Name: 東壁堂◆4daf4c7d ID:4c112548
Date: 2011/02/09 23:26
 私の朝の目覚めは、目覚まし時計の電子的なアラーム音によるものだった。

 時間を見れば、そろそろ起き出して朝食の準備をするなら、始めなければならない時間だ。

 眠たいまなこをこすりながら、心地よい誘惑を撥ね退けてベッドから起き上がった。

 人気の無いマンションの一室を素足でぺたぺたと歩きながら、キッチンの冷蔵庫の中から牛乳のパックを取り出しす。

 その中身をコップに注ぎ、一息に飲み干した。

 冷たい液体が、一気に私の覚醒を促した。

 何気なしにキッチンを見渡し、机の上に残された、惣菜のパックを確認し小さくため息をついた。

 気がつけば、留守番電話にメッセージが残されている。

 まったく、その気にはならなかったのだが、仕方なく点滅している留守番電話の確認ボタンを押した。

 『はやてちゃんですか、お母さんです。御免なさい、今日はお仕事が忙しくて帰れそうにありません。ちゃんと戸締りをしておいてください。お願いします』

 ピーと電子音が鳴り、機械的な音声でメッセージが1件だった事を告げた。

 「今日『も』だろうに……」

 その小さな愚痴を聞く人間は、私一人だった。

 録音時間は23時を大きく過ぎている。

 もう日付が変わりそうなタイミングだった。

 私は電話の呼び出し音が苦手だったから、いつも電話の音の大きさを最小にしている。

 そして就寝してしまえば、ちょっとやそっとの物音では目覚める事がない。

 ある意味特技なのだが、自慢できるものでもないか。

 だから、気がつく事はなかったのだろう。

 だいたい、こんな時間に電話をかけてくる方がどうかしていると思う。

 最近はみんな携帯電話を持っていて、四六時中電話をしているようなイメージがあるのだけれど。

 普通に家庭の電話だったら完全に迷惑電話である。

 携帯だって、正直この時間の電話は願い下げである。

 それに生憎と、私は携帯は持っていない。

 かける相手もかかってくる相手もいないのだから別に不便でもなんでもない。

 ここに来る前には持っていたのだが、とある事情から捨てた。

 確かに持っていれば便利ではあるのだが、それでも、つながらなくてもいいものまでつなげてしまうのが欠点だろう。

 着信拒否をすればいいのは確かだが、それもいちいち面倒くさい。


 

 こうした全くもって親子らしくないコミュニケーションも何時もの事だ、気にしても仕方がない。

 これがコミュニケーションなのかと言われても、私としては困るのだが。

 少なくとも『あの人』がそうだと思っているのだから仕方がない。

 とは言え、世間一般の人々が思う『コミュニケーション』を『あの人』とやれと言われても、私のほうから願い下げなのだが。

 そう言えば、ここ2週間ほど、あの人の顔を見た記憶が無いなと思った。

 私は、もう習慣になっている行動をとる事に決めた。

 台所の机の上にのっている、すっかり冷たくなった惣菜のパックの中身を生ゴミのゴミ袋に投入した。
 
 ほんの少し躊躇して、惣菜のパックも同じ袋に投入してやった。

 世の中はエコブームと言う事で分別にうるさくなっているのは承知している……このマンションも御他聞にもれず……ごめんなさい。




 新しい制服に袖を通した。

 心機一転のはずだったが、非常に気が重い。

 茶系統のブレザーにスカートと一見すると地味な制服だが、実は某有名デザイナーによるものらしく、制服だけでも結構値が張るらしい。

 今日から通う事になる私立聖祥大学付属中学校は、名前にあるとおり、私の暮らすことになった海鳴市にある私立聖祥大学の付属中学であり、女子中学である。

 パンフレットによれば小学校からのエスカレーター式の女子校で、このあたりの都市では結構な名門らしい。

 小学校だけは共学らしいが、今の私にはあまり関係のない話か。

 そんなわけで、入学金とか寄付金とか結構な額になる筈なのだが、そこはあの人の見栄なのかもしれないが、私の心配する事ではない。

 中学校のある場所までは、海鳴市を巡回しているバスに乗り込んで向かう。

 バス停で時刻表を確認すると、もうしばらく時間はある。

 だから、近くにコンビニに入り込んで、おにぎりを二つとサンドイッチを一つ購入する。

 飲み物は紅茶で。甘いのとレモン入りは苦手だからストレートで。

 ほんとはこれでも甘すぎると感じる。残念ながらノンシュガータイプのものは無かったので、良くあるシンプルな種類を購入。

 別にダイエットをしているわけではない、単純に甘いのが苦手なだけ。

 好き嫌いは多いほうだと自覚している。ピーマンとかにんじんとかは別に平気なのだけど。

 私は、バス停のベンチに座ってコンビニのビニル袋からおにぎりを取り出してその包みのビニールをぺりぺりとはがしていく。

 この時間は通勤や通学の時間と重なるのか、背広姿のサラリーマンや、制服姿の学生がちらほらいる。

 つまり、人目があるのだが、残念ながら、そんな事を気にするほど、私の神経は繊細ではない。

 世間のマナーを言われると、それはそれで痛いのだけど、昨今の若者をなめるな、そんな事を気にしていたら生きていけない。

 誉められた事ではないのは確かだけど。
 
 だから遠慮することなく、おにぎりをぱくついた。

 購入した2個をお腹に収めた後、はがしたビニールはちゃんとコンビニのビニル袋の中に収納、それごと、学校指定のかばんの中にしまい込む。

 流石にそれを捨ててしまうほど、私は図太くはない。エコにはちゃんと気を使うのだ、たまにはだけど。

 ま、朝の態度と矛盾しているのはしょうがない。

 そのときの気分で生きるのが昨今の現代人というものだ。

 その時、丁度バスがやってきたから、バス停に並んだ群衆と一緒に、バスに乗り込んだ。

 ちなみに、定期券はまだ準備していないので、お金を投入口に入れて乗車する。




 興味もなさげにぼんやりと流れる風景を眺めているうちに学校に到着。

 所要時間にして15分ぐらい。

 なるほど、歩くのはちょっときつい距離だ。
 
 さて、校門に立ったのは構わないが、どうしよう、職員室に来るように言われているのだが、場所がわからない。

 本来ならば保護者と一緒に来るように言われていたのだが、どうせ『あの人』の事だ、そんな事すら忘れているに違いない。

 ちなみに、私は編入試験にちょろっと来たぐらいなので、この学校の構造なんて覚えていない。

 確か、あの時は生徒指導室か何かに案内されたんだったっけ?




 小さくため息をつく。

 校門の前に立って、戸惑っている……風に見える、私の横を生徒達が通り過ぎてゆく。

 見慣れない私の姿に、不審そうな顔を浮かべるが、声をかけてくるものなんていない。知り合いでもない人間に早々親切にする人間なんている訳も無いか。

 ……と、思っていた。

 「あの……なにか、お困りですか?」

 迷っているうちに声をかけられた。

 振り返ると、私と同じ制服に身を包んだ二人組みの少女。

 一人は大人しそうなロングヘアの女の子、もう一人は……金髪の気の強そうな女の子。

 声をかけてきたのは大人しげな少女のほうだった。




 職員室に案内してもらって、取り合えず、彼女達にお礼の言葉を述べて、私は室内に入り込む。

 近くにいた教師風の女性に、私が来た目的を告げると、しばしその場で待たされた後、一人の女性の前に案内された。

 どうやら、これから私が所属する事になるクラスの担任教師らしい。

 ショートヘアに眼鏡をかけた優しげな表情をした人だった。

 教師の名前?その時、確かに自己紹介をされたような気がするけど、すぐに私の記憶の中から消えてしまった。

 だって、興味が無かったし、彼女の名前なんて、この先、関係があるとは思っていなかったから。

 勿論、色々とあって、改めて後から聞き直した訳だけど。

 その時は、覚えてなかったのぉ~と、よよよと泣き崩れてしまった。

 尤も、あだ名だけは、皆がそう呼ぶものだから覚えていたのだけど、その時、その事を告げるのはなんとなく酷な気がしたものだ。

 『えーりん』だったけ?

 思わず、歌いだしてしまいそうだったが、そんな事はさておき。

 彼女の後に着いて教室まで案内される。

 教師の後に続いて、私も教室の中に入る。

 彼女が教室に入ると、ざわついていた教室が、一瞬で静まり返る。

 良家の子女が通っている事もあって、さすがにしつけが行き届いているようだ。

 つい先月まで私が通っていた学校とは大違いである。

 しかしながら、教室の座席に座る彼女達の瞳に浮かぶ好奇心の光は消す事ができない。

 「はい、皆さん注目!」

 教師がそんな事を言うが、言うまでもなく 皆が皆、教室にやって来た私の事を注目している。

 教室を見渡せば、あの金髪と、ロングヘアの女の子の姿がある事が確認できた。なんだ、同じクラスなのか。

 「今日から、皆さんと一緒にお勉強する事になった『やがみ はやて』さんです」

 一瞬、あの二人の表情がかわる。

 何かに驚いたかのように目をまん丸に広げている。

 お互いに顔を見合わせて、顔を寄せて何か話している様だった。

 私は『目』はいいのだが『耳』は人並みなのだ。

 彼女達が何を言っているのかまでは聞こえない。

 けれども、別に興味は無い。

 この先、彼女達もまた、他の大多数の人間と同じ様に、私の『背景』でしかないのだから。

 「『やがみ』さん、自己紹介を」

 私はホワイトボードに自分の名前を書き込んだ。

 「矢上 はやて です。よろしく」

 「はい、矢上さんでした。でも、ちょっとシンプルな自己紹介ね、他に何か一言ないかしら?」

 余計なお世話だと思うけど。何か一言……ね?

 「特にありません。しいて言うなら、私に関わらないようにお願いします」

 「え、え?」

 「皆さんのお勉強の邪魔をするような事はしませんから、私のことは放置の方向でお願いします」

 「あ、あはははは…」

 まさかそんなことを言うとは思っていなかった教師は「えっとぉ……」と、乾いた笑いを浮かべるとあいている窓際の席を指差した。

 それもそうだ、こんな事を言われれば、普通はドン引きするものだし、私もワザと言っている。

 アニメや小説でわざわざこんな事を言う奴がいて、それの真似をしてみた訳です。

 ネタかと思われるかなーと心の中では考えていたけれど、それはそれ。

 おかしな子だとか、扱いにくい子だとか思って、あまりかかわりを持とうとしないでくれれば、それでよかったのだから、まずはその教師の反応は上々な結果だった。
 
 「あ、えっとぉ……それじゃぁ、矢上さんはあそこの空いている席に座ってくれるかな?」

 「はい」

 勿論、生徒達の視線も変わっている。

 転校早々、あんな事を言われるとは思ってもいなかったのだろう。

 周囲には戸惑いとか躊躇いとかいった雰囲気が満ちていた。 




 ありがたい事に、まず一番最初に行った私の宣言が功を奏したのか、思ったよりは、あの転校生特有の質問攻めの被害は軽微だった。

 勿論、そんな事はお構いなしに、私の席の前までやってきて色々とプライベートな事を質問してくる輩がいたのだが、そのすべてを無視した。

 やがて、そんな私の態度に興を削がれたのか、それとも、これ以上質問を繰り返しても労力の無駄だと悟ったのか、皆、私の席の前から姿を消していった。

 以前は『他人』と友達付き合いもしていたのだが、今の私にとっては単にうっとおしいだけの存在でしかない。

 他人の声はただの騒音で、その姿は書割の背景でしかない。

 自分の周囲は静寂に支配されているべきだと思っていた。

 それは単純に、自分がとても臆病で、他人との触れ合いを怖れていたからに他ならないのだが。

 無論、その時だって心の奥底で、自分の中にある弱い心の事は十分に自覚していたから、自分の周りから人がいなくなる事に安堵していた。

 3時限目の授業まではそれでよかった。

 とりあえず、教科書や参考資料の類は事前に渡されていたから、誰かに頼る事はなかったし、質問され答えなければならない状況もなかった。

 転校初日と言う事もあって教師陣も多少の手加減をしてくれただけかもしれないけど。

 ただ、授業の内容はあまり頭の中に入ってはこなかった。

 私は、ただただぼんやりと、学校の校庭を眺めてつまらない時間をやり過ごしていた。

 3時限目の授業が終わると、周囲がざわつき始め、クラスの皆が席を立って教室から出て行く。

 気がつけばうつ伏せになって寝ていたようで、周囲の椅子を引く音で目を覚ましたのだ。

 何事かとは思ったが、別に興味のある事ではないので、もう一度頭を伏せた。

 その時であった。

 「あの……」

 控えめな声が私にかかる。

 僅かに頭を上げ、声をかけてきた子を見る。

 長いロングヘアの女の子、ああ、今日の朝、校門で私に声をかけてくれた子か。

 何か私に用でもあるのだろうか……でも、生憎と私のほうに用はないので、とりあえず無視を決め込む事にしてまた頭を伏せた。

 「あの…」

 もう一度声をかけてくる。控えめで、優しげな声だった。

 そう言えば、顔立ちも整っておりなかなかの美人な子だった。

 おっとりとした雰囲気があるが、実際にそんな子なのだろう。
 
 「ちょっと、あんた!すずかが呼んでいるんだから返事ぐらいしなさいよ!」

 今度は、キンキンとした声がする。

 どうやら、私の安眠を妨害する人間が一人増えた様だった。

 だが、今度は頭を上げて、その人間の姿を確認しようともしない。

 完全に無視を決め込む。

 「あ、あんたね!人の話を聞きなさいよ!」

 声の主は私の肩をつかみゆさゆさと揺さぶる。

 だが、私は顔をあげようともしない、その気もない。

 「あ、アリサちゃん……」

 たしなめる様な声がするが、なに、あんたが気にする必要はない。

 無視をしている私のほうが悪いのだから。

 でもわかった事が一つ、いや二つ。

 おっとりとした方の声の主が『すずか』、もう一人の怒っているほうが『アリサ』と言う名前と言う事だ。
  
 「くぅ~~!!もういいわ!行きましょ、すずか!」

 人の気配が遠ざかってゆく。

 「あ、あのね、矢上……さん?次の時間は音楽だから、教室移動なんだよ?」

 「すずか!そんな奴ほっとく!」

 「アリサちゃん……」

 「ああ、もう!ああ、もう!もう!いい事!音楽室はこの棟の3階にあるから!絶対に来なさいよ!あたしは別にどうでもいいけど!すずかがあんたの事を心配してるんだから!来なかったら承知しないんだからね!!ほら、行くわよ、すずか!」

 「うん、今、行くね、アリサちゃん。矢上さんもはやくきてね?」


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