選考委員

写真森村 誠一氏

埼玉県熊谷市生まれ。青山学院大卒。9年間のホテル勤務を経て、「高層の死角」で江戸川乱歩賞、「腐蝕の構造」で日本推理作家協会賞を受賞。「人間の証明」「青春の証明」「野生の証明」の「証明」三部作で現代日本を代表する推理小説作家に。その後も歴史・時代小説、ノンフィクションなどへも作品の幅を広げ、精力的に執筆活動を展開している。



写真夏樹 静子氏

東京生まれ。慶応大学英文科在学中に「すれ違った死」が江戸川乱歩賞の最終候補に。NHKの「私だけが知っている」のシナリオ執筆を笹沢左保氏らとともに務め、「ガラスの鎖」で作家デビュー。「天使が消えていく」が江戸川乱歩賞次席、「蒸発」で日本推理作家協会賞、「第三の女」はフランス訳され、冒険小説大賞に。女流推理作家の草分け的存在。


写真北方 謙三氏

唐津市生まれ。中央大学法学部卒。「明るい街」で作家デビュー後、純文学作品を発表。『弔鐘はるかなり』で初めてエンターテインメント作品を書き、人気作家に。『眠りなき夜』で第1回日本冒険小説協会大賞と吉川英治文学新人賞、『渇きの街』で日本推理作家協会賞、『明日なき街角』で日本文芸大賞、『破軍の星』で 柴田錬三郎賞など。


第14回九州さが大衆文学賞 笹沢左保賞受賞作
お試し期間 水城亮
 
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  私は、東海地方のある小都市の、ごく普通の家庭に生まれた。
 父は小さな土産物店を経営していて、母はその父を手伝っていた。夫婦仲は、人並み以上に良かったと思う。両親はどちらも温厚な性質で、私は、彼等が喧嘩をしたり、言い争ったりするような場面を、ほとんど見たことがなかった。
 一人子だった私は、両親から充分な愛情を受けて育った。彼等は、私を滅多なことでは怒らなかったし、父母に叩かれたような記憶はなかった。大切にされていたというよりも、甘やかされていたといった方が正確かもしれない。特別、恵まれていた家庭環境ではなかったが、私は満足していた。不満らしい不満はなく、このまま、なにごともなく、ありきたりな日々が過ぎていくことに、なんの疑問を持っていなかった。
 そんな平穏な日常も、私が小学校を卒業した年に、あっけなく崩壊した。
 その頃、私の家によく出入りしていた男がいた。姓は確か、瀬川といった。男は、父の学生時代からの友人であった。人当たりがよく、多弁で、快活。自分たちにはない長所をいくつも兼ね備えていた男のことを、両親は信用し切っていた。私もまた、男が我が家を訪ねてくるのが楽しみだった。単純な私は、男に遊んでもらったり、宿題を見てもらったり、いろいろなものを買い与えられたりしたことで、すっかり手懐けられていた。
 ある日、男が父に借金を申し入れてきた。資金繰りが苦しいので助けてほしいと、男は父に懇願した。父は同情したが、男の要求する金はとても、用意できないと断った。すると男は、それならば、借金の連帯保証人になってほしいと頼んだ。単に名義を借りるだけで、絶対に迷惑はかけないと男はいった。日頃、明朗な彼が、涙ながらに訴える姿を見て、父は哀れに思ったのだろう。男に快諾を与えた。海千山千の男からすれば、篤実なだけが取り柄の父をあざむくことなど、造作もないことだっただろう。まもなく、男は行方をくらませた。後には、男が残した借金だけが残り、父が保証人として肩代わりをしなければならなかった。父は初めて、男に騙されたことを知った。
 詐欺。
 新聞やテレビなどのマスコミの世界では、ありふれた用語だった。が、まさか自分たちの身に振りかかってこようとは、想像もできなかった。両親は、突如、襲ってきた不幸に対し、まったくの無防備であった。対処する術も思い付かず、呆然自失となった。債権者たちが、店の権利書をはぎ取るように持ち去っていった日の夜、父は睡眠薬を大量に飲んで、自殺した。父の生命保険金のおかげで、借金は全て消えた。が、母のずたずたに切り裂かれた胸奥の傷は、癒えることはなかった。日をおかずして、母も心労で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
 一人、残された私は、唯一の係累であった、横浜に住む母方の伯母に引き取られた。それは同時に、生まれ故郷を離れるということであった。幼く、無力な私は、大人の決定に従うしかなかった。
 伯母は未婚で、子供がなかったこともあって、私のことを可愛がってくれた。が、私は、伯母の愛情に、心のどこかで疑念を抱いていた。伯母が信じられないわけではなかった。が、私は、人間というものが、いつかは裏切るものだと、常に神経を尖らせていた。
 私は伯母の前では、明るく、屈託のない子供を演じた。周囲に対しても、礼儀正しく、心優しい少年として振る舞った。それでいて、私は誰に対しても、本心を明かそうとはしなかった。伯母は、そんな私の扱いに、内心、困ったことであろう。伯母は必要以上に、私に気をつかった。それは、私も同様だった。二人の会話はいつも、腫れ物に触るような、差し障りのないものばかりだった。私は伯母のことを、常に恩人と思い、感謝していた。それだけに、私は問題ひとつ起こさない「優等生」であり続けた。が、私と伯母との間には、本当の親子ならばあるのであろう、感情のぶつけ合いのようなものはなかった。
 それは、伯母にだけではなかった。学校でも友達はできたが、それも私にとっては、あくまで、学生生活に必要な小道具に過ぎなかった。他人に裏切られないようにするには、他人になにも期待してはいけなかった。そして、自分の中の真実を、何人にもさらけだしてはいけなかった。
 そんな私に、真に心を通わす相手が現れるはずもなかった。同級生とは、それなりに仲良くやっていたが、どこか、私だけが除け者にされているような、疎外感があった。女性とも何人か付き合ったが、いずれも長続きはしなかった。彼女たちは、決して心を許そうとしない私に気付くと、幻滅し、一様に哀れむようなまなざしを残して、私から去っていった。私の胸の奥は、いつも荒涼としていた。が、私はそれでいいと思っていた。他人を信用して裏切られるよりも、孤独感に苛まれている方が、はるかにましであった。
 私は高校を出たら、進学はせずに就職するつもりだった。これ以上、伯母に迷惑は掛けられなかったし、とにかく独立したいという気持ちが強かった。が、伯母に反対された。変な遠慮はやめてちょうだい、と伯母はいった。伯母には、決して反抗しないと決めていた私は、やむなく伯母の勧めに従った。
 ただし、条件を付けた。伯母の家を出て、一人暮らしをしたいと申し出た。伯母は渋っていたが、最後は諦め顔で許してくれた。私は、巣鴨にアパートを借りて住んだ。
 私は、アルバイトによって得た収入で、学費と生活費をまかなった。伯母は、わざわざ私の口座をつくって、毎月の生活費を振り込んでくれた。が、私は、伯母の送金には一切、手を付けなかった。意固地になっていたわけではなかったが、そうしたかった。私は、それとなく伯母に、仕送りの必要がないことを訴えた。が、伯母は、毎月の振り込みを欠かすことはなかった。私は、増える一方の預金残高を見る度に、伯母の愛情を踏みにじっているのだという実感がひしひしと込み上げてきて、罪悪感との葛藤に苦しんだ。自分が、たまらなく惨めで、最低の人間に思えた。自身への嫌悪感に、吐き気すらした。
 私が遠藤千里と出会ったのは、ちょうど、そんなころだった。

カット
 私は、東京の大学に進学した。
 大学には気のいい連中が多く、居心地は悪くなかった。なによりありがたかったことは、彼等が私に対して、余計な干渉をしてこないことだった。若者らしく、彼等の関心は、もっと刺激的で、愉快で、好奇心を満足させる対象に向けられていた。私は、それまで通りに、目立たないよう、大勢いる仲間のひとりとして振る舞い、他人には、極力、無関心で過ごした。私は淡白な日々を、黙々と送っていた。なにも望まず、なにも期待しなかった。なんの目的も持たず、流されるままに日々が過ぎていった。
 そんなある日、私のクラスの男達が、他の学部の女子を誘っての合同コンパを企画した。私たちの学部は女子が少なかったため、他から調達して楽しくやろうというのが趣旨であった。私までが、人数合わせのためか、参加メンバーに加えられていた。いつもならば、この類いの誘いは適当な理由を付けて断るのだが、このときは、クラスメイトの強引さに、押し切られてしまった。
 会場は、渋谷にある安手の居酒屋だった。最初の乾杯と簡単な自己紹介の後は、それぞれのテーブルごとで談笑した。私も、グラスを傾けながら、席が近い女の子と、とりとめのない話しをした。作り笑いは得意だった。空疎な会話にも慣れていた。女の子たちがなにを言っても、私は愛想よく、聞き流していた。が、彼女たちの笑顔も、お喋りも、印象にはまったく残らなかった。私は、顔に浮かべた笑みとは裏腹に、参加したことをひどく悔いていた。一次会が終わったら、うまく脱けて帰ろうと、その場が一刻も早く終わることばかりを願っていた。
 そんなとき、なにげなく流した私の視線が、たまたま離れた席に座っていた一人の女性とかち合った。女性は、長い黒髪に、どこか陰のある面立ちをしていて、化粧気はまったくなかったが、男の探求心をそそるような、謎めいた魅力を感じさせた。
 彼女は無表情で、すぐさま視線を私から逸らした。私も、目線を手元に戻した。
 私のクラスメイトたちが、彼女の周りを取り囲んで、しきりと話しかけていた。彼女の容姿は、コンパに参加した女性たちの中でも、出色といっていいくらいに、ひときわ目立っていた。それだけに、彼等は必死になって、彼女の関心を引こうとしていた。が、当の彼女は、ひどくつまらなそうにしていて、上の空といっていいくらいの、すげない態度で報いていた。それでも、隣に座っていた彼女の友人らしき女性が、うまく間を取り持っていたから、かろうじて場が白けることは免れていた。変わった娘だと思ったが、私はすぐに興味をなくし、彼女のことを意識から消した。
 やがて時間となり、その場はいったんお開きとなった。すでに、次の会場が用意されていて、大半がそちらに流れる様子だった。が、私は、故意に歩みを遅め、自然と集団からはぐれて、彼等の姿が見えなくなったところで方角を変えて、一人、駅に向かった。
 人々の喧騒と、きらびやかなネオンにごったかえす繁華街を、前屈みに歩いていると、前方、斜め向かいに見えてきた石段下に、腰を下ろしている女性の姿が目に映った。
 彼女だった。

 彼女は、心ここにあらずといったような遠い目をして、疲れ果てたように一人、膝を立てて座り込んでいた。黒のジャケットに藍色のジーパン。およそ飾り気のないラフな格好だったが、なぜか私には、それが彼女に最もふさわしい服装に思えた。

 
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