インドネシアのユドヨノ大統領がコツコツと物事に取り組んで、いつの間にかインドネシアに政治的安定をもたらして国に中間層が増えたという話を書いた。
それに比して、タイはタクシン・シナワット氏が登場してから、常に混乱と議論が巻き起こって、あれほど政治的安定があったと思われていたタイはずっと国民分断が続いている。
政治家は自国を安定的に発展させるのが仕事だから、能力が必要なのだが、それは対外的に何かを「勝ち取る」ための仕事をしていると言ってもいい。
しかし、勝ち取りに行くスタイルが違っていて、それがその国の命運を分けることになっているのだと思える。
大雑把に言えば、織田信長と徳川家康の対比などが日本人には分かりやすいのかもしれない。
信長的なリーダーは強引に勝ちに行くスタイルだ。攻撃スタイルとも言っていいだろう。
家康的なリーダーはそうではなく、どちらかと言えば積極的に勝ちに行かないが負けないという防御スタイルと言ってもいい。
そういう目で見ると、ブッシュ大統領は間違いなく攻撃スタイルだったし、オバマ大統領は防御スタイルである。
フランスのサルコジ大統領やイタリアのベルルスコーニ首相は攻撃スタイルだし、ドイツのメルケル首相などは防御スタイルだろう。
東南アジアでは、タイのタクシン元首相は攻撃スタイルだったし、インドネシアのユドヨノ大統領、フィリピンのアキノ大統領は防御スタイルだ。
国としてはどちらがいいのだろうか。
攻撃スタイルがいいのか、それとも防御スタイルがいいのか……。
〓 攻撃スタイル
派手で、短期決戦で、大きな議論を生み出す攻撃スタイルは、ナショナリズムを高揚させる効果がある。
相手を威嚇し、そして相手を屈服させる。それは勝っているほうの民族からみれば痛快ですらある。
勝つために、限度がなく、手段を選ばない。
ライバルを肉体的に破壊するような手も平気で打つし、嘘も、謀略も、買収も、中傷も、とにかく打てる手は全部打とうとする。
相手を叩きのめし、二度と浮き上がってこないようにする。
だから、思惑通りにコトが運んだ時、このような攻撃スタイルのリーダーは大きな成果を手にすることになる。
そんな攻撃スタイルのリーダーに比べて防御スタイルのリーダーは目立たない。
徹底的に相手を叩き潰すことがないので、完全な勝利というのがあり得ないのだ。
勝つとしても、いつもほどほどに勝っている。政権も、ほどほどに安定しているという歯切れの悪い状況だ。
限界があるから相手を破綻させることもない。同じ問題をいつまでも引きずり、はっきりしない。完全な勝ち方をしないが、完全な負け方もしない。
このような防御スタイルの政権が続くと、妙に国の中がぬるま湯のようになってしまう。ぬるま湯だからリーダーも国民も怠惰になって劣化する。
すると、本当の危機がやってきてもそれが危機と認識できなくなる。
熱湯の中にカエルを入れると驚いて飛び出るが、ぬるま湯を徐々に熱しいくとカエルは知らない間に茹でられて危機に対応できずに死ぬ。
高揚感もない。すっきりしない。少しずつ悪くなっているようにも思う。
痛快な勝利、高揚感、そして民族の誇りを鼓舞できるのは攻撃スタイルのリーダーでしかあり得ない。
〓 防御スタイル
ところが、攻撃スタイルは劇薬のようなものでもある。
永遠に勝ち続けることができないのは世の中の常である。それは浮沈の激しいスポーツ界が一番よく示している。
不滅の名を欲しいままにしたアスリートも、やがて信じられないような負け方をして限界を露呈する。
輝かしければ輝かしいほど、その凋落は惨めに見えるはずだ。
攻撃スタイルを持ったリーダーは、失敗したときは激しい混乱を巻き起こすのである。
ドイツ国民は、アドルフ・ヒトラーでそのような人物の危険性を骨身に染みて知っているはずだ。
第一次世界大戦に負けて懲罰的な賠償金を請求されたドイツが再復活できたのは、この豪腕の指導者がいたからだった。
しかし、ヒトラーは拡張主義を極限まで実行し、やがてはドイツを灰塵に追い込んでしまった。
相手を追い込んで破滅させるような方法を取ってしまうと、立場が変わったときに自分が破滅させられるということになる。
ヒトラーがドイツ帝国と一緒に自滅し、タクシン・シナワット氏がクーデターで追い落とされたのは、そういった典型的な例だったのだろう。
攻撃スタイルは長続きしない。
一時的に勝っても、そのあとが続かない。必ず誰かに足を引っ張られて自滅していく。しかも、自滅したあとの混乱がひどい。
国の運営というのは短期決戦ではなく、長期戦なのだから、極端に激しい攻撃スタイルのリーダーが出てくると、その失敗のツケは相当な年月に渡って続く。
防御スタイルのリーダーはその点、うまくやっている。
適当に妥協するので何事にも勝ったのか負けたのか微妙な判定になってしまうのだが、それだから逆に失敗しても国を破綻させるほどの失敗には至らない。
傷は浅く、いつでも取り返しがつく。だから、防御スタイルのリーダーは柔軟に物事に対応することができる。
そのような柔軟性が国に安定感を与え、やがて多くの中間層を生み出して、国がより豊かになっていく。
行政も機能して、国民は自分の人生をのびのびと生きることができるようになる。
国は敵を作らないので隣国を憎んだり攻撃したりする必要がなく、多くの友人を作ることが可能だ。
〓 バランスを保つためには次はどちらか?
そう考えると、どちらがいいのか決まった答えはないということに気がつく。
攻撃スタイルでも防御スタイルでも、メリットとデメリットがあって、バランスが取れなければどちらでも破綻する確率が高いと言えるはずだ。
攻撃スタイルのリーダーばかりが続く国は早期に破綻する。しかし、防御スタイルのリーダーばかりの国でも危機の対応が遅れてやがては破綻する。
バランスが取れないと意味がない。
攻撃しかできないボクサーも、防御しかできないボクサーも、共に勝てないのと同じような意味合いだ。
攻撃的なスハルト大統領のあとに大混乱が続いたインドネシアが、やがて防御スタイルのユドヨノ大統領で安定したのは時代の趨勢だったのだろう。
攻撃スタイルなブッシュ大統領のあとに防御スタイルのオバマ大統領が出てきたのもそうだ。アメリカ人はバランスを取ったのだ。
そして、攻撃スタイルのタクシン・シナワット氏のあとに紆余曲折を経て防御スタイルのアピシット政権が立っているのも時代の趨勢だったのだろう(今は微妙な状況に追い込まれているが)。
では、日本はどうなのだろうか。
このまま判で捺したように防御スタイルの政治が続いたほうがいいのだろうか。
それとも、攻撃スタイルの政治家がリーダーになったほうがいいのだろうか。
防御スタイルの政治家が続いて追い込まれているのであれば、逆に攻撃スタイルの政治家が出てきてもいいはずだ。
対外的に強硬路線を貫いて、日本の主権を主張する。そういう政治に転換して、やっとバランスが取れたということになる。
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