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メディアリポート

【放送】ウィキリークス報道で露呈した各メディアの「立ち位置」

2011年2月10日

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写真:ウィキリークスの米公電暴露について、各紙の社説の意見は分かれた拡大ウィキリークスの米公電暴露について、各紙の社説の意見は分かれた

写真:元ガーディアン紙のエミリー・ベルは「ジャーナリズムにとって転換点となる瞬間だ」と指摘した元ガーディアン紙のエミリー・ベルは「ジャーナリズムにとって転換点となる瞬間だ」と指摘した

写真:「デモクラシー・ナウ!」に出演したダニエル・エルズバーグ博士は「アサンジ氏はテロリストではない」と擁護した「デモクラシー・ナウ!」に出演したダニエル・エルズバーグ博士は「アサンジ氏はテロリストではない」と擁護した

 従来とは比べようのないほどのマルチな次元とメガな規模で、情報の漏洩(ろうえい)、暴露といった現象が世界規模で起きて、権力をもった組織(そこにはマスメディアも含まれる)が揺さぶられている。

 ウィキリークスが暴露したイラク・バグダッドでの無差別銃撃映像を筆者が本誌で取り上げたのはもう随分以前のことだ(2010年6月号)。あの時点でさえ僕は、マスメディアの多数派が流出映像を報じることに決して積極的ではなかったことを指摘していたはずだ。それが、ウィキリークスが米国の外交公電を暴露し、創設者のダニエル・アサンジ氏がレイプ罪で逮捕されるや、今度はそれまで見向きもしなかったメディアも含め、ウィキリークスの一挙手一投足に注目が集まり大騒ぎとなった感がある。曰(いわ)く、情報には公にしていいものと悪いものがある。ウィキリークスがやったことは、パンドラの箱をぶちまけて、真相とともに人間のあいだの憎悪をも解き放ってしまったのだという、一見良心的にみえる解説もあった。

 だが、本当にそうだろうか。

 日本では、このウィキリークスの出来事に先立って、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐって、海上保安官によるビデオ「投稿」事件があって、大ニュースになった。漏洩した情報価値のインパクトにおいて両者には雲泥の差があると僕は考えているが、そこに通底しているのは、既成メディアの伝送路=ルートに加えて、オンラインという伝送路が、一時的とはいえ爆発的な影響力を発揮し、既成メディアのそれをはるかに凌駕(りょうが)したという現象なのではないか。このこと自体が来るべきメディア地図の姿の前兆だと受け止めるべきだと思う。

 ともあれ、今回のウィキリークスをめぐる一連の動きで、僕が最も興味深いと思ったのは、ウィキリークスに対する既成メディア側の評価にバラつき、ゆらぎが顕著にみられたことで、それぞれの「立ち位置」がはからずも露呈したことである。つまり、今回の出来事では、メディアの仕事に従事する一人ひとりの者に対して、次のような問いかけがなされているのではないだろうか。「あなたはウィキリークスの所業を一片の支持にも値しない行為だと思うのか、それとも支持に値する行為だと思うのか? だとすれば一体それはなぜなのか?」と。

●「閾値(いきち)」を超えたインパクトの容量

 ウィキリークスが25万件にものぼる外交公電を公表したのは昨年11月28日のことだ。今回も欧米主流メディアのいくつかと事前に連携して一斉公開という形をとっている。ウィキリークスと連携したのは、イギリスのガーディアン紙、ドイツのシュピーゲル誌、フランスのル・モンド紙、スペインのエル・パイス紙といった各国でも格段の影響力をもっているメディアである。これまで連携してきた米ニューヨーク・タイムズ紙は今回は連携を見送ったが、英ガーディアン紙経由で情報を入手して報じた。

 日本では折からの北朝鮮による韓国・延坪島砲撃事件に引っ張られた形で、暴露公電のうち、北朝鮮関連のネタに焦点が向けられた。例えば、北朝鮮の内部崩壊を視野に入れ、アメリカと韓国が南北統一後の対応を協議した際、韓国高官がアメリカ側に対して「北朝鮮の金正日総書記の死後、2、3年で北の体制は崩壊する」「中国は北朝鮮をもはや同盟国とみなしていない」などと伝えたことを記した公電が報じられた。

 だが、暴露された公電には、その他にも一級のスクープに値するような内容があった。

 例えば、09年7月31日付の米国務省のクリントン長官発の公電では、潘基文国連事務総長ら国連幹部の通信パスワードや携帯電話番号、クレジットカード番号、さらには生体情報(DNA情報や指紋など)を入手するように米外交官に指示する内容が含まれていた。あきらかに「スパイ行為」を働くように命じていたことが暴露されてしまったのだ。また、サウジアラビアのアブドラ国王が、核開発計画をやめさせるためにイランに攻撃を仕掛けるよう再三アメリカに対し働きかけていた事実も暴露された。さらには、中国共産党政治局の指示で同国工作員が02年以降、グーグルのコンピューターにハッキングをかけていた事実まで報告されている。

 考えてもみようではないか。これらのニュースは、もし単体の入手文書として既成メディアが暴露していれば、それぞれがトップニュースになり得るほどのインパクトのある情報ではないか。今回のウィキリークスの場合、それがあまりにも多種かつ大量の情報が一気に暴露されたので、インパクトの容量が「閾値」を超えてしまったのである。つまり既成メディアの側も情報価値を評価するこれまでの基準が有効に機能していない面があるのではないか。

 案の定、アメリカ政府をはじめ関係各国の外交当局はパニックに陥った。クリントン国務長官は「国際社会に対する攻撃である」として激しく非難し、ホワイトハウスも「外交官や情報機関の職員の人命を危機にさらした」と怒りをあらわにした。米議会においても「ハイテク・テロリスト」とアサンジ氏を糾弾する声があがり、スパイ罪の適用(同法は1917年制定)を求める動きが公然化した。メディアでは「外交の9・11」との表現もみられた。米国務省に至っては、省内の職員に対して、ウィキリークスのサイトにアクセスしないように通達を出した。いわく、自宅のパソコンでもアクセスを禁じる、と。

 ちなみに僕自身は昨年8月末までコロンビア大学のSIPA(国際公共政策大学院)の研究員として在籍していたが、驚いたことに、昨年12月2日、大学当局が同学部の学生に対して一斉メールで「ウィキリークスのサイトにアクセスして、リンクを張ったり、フェイスブックやツイッターでコメントしたりしないように(国務省が)勧告している」とご丁寧にアドバイスしてきたそうだ。まるで青少年に対して「有害サイトにアクセスしてはいけません」と説くPTA的な態度だ。だが、これが民主主義の国アメリカで実際に起きた事柄なのである。

●メディアに問われる「公益」とは何か

 さすがに欧米メディアは新聞であれテレビであれ、ウィキリークスにアクセスするな、などとは主張していない。だが、ウィキリークスに対する評価において大きな差異がみられたことも事実である。私たち日本のメディアにおいても、そのような「立ち位置」の違いがみられた。

 ニューヨーク・タイムズは「公開文書は重要な公共の関心を満たし、米外交の目標や成否に光を当てるものだ」として、情報の公益性(Public Interest)を強調した。これに対しウォールストリート・ジャーナルは「提携を持ちかけられたが断った」と説明、ウィキリークスに否定的な論者の見解を多く掲載している。右派テレビのフォックスでは、「フォックス・ビジネス・ショー」で民主党のボブ・ベッケルがアサンジ氏を「撃ち殺したい」旨の過激な発言をした。

 日本では朝日新聞が社説で「ウィキリークスの情報発信活動への評価は(中略)公開する情報が最終的に市民の利益になるか、つまり公益の重さを中心に判断すべきである」と明言していた。これに対して、読売新聞は「内部告発サイト 公益性欠く米外交文書の暴露」と題する社説で「のぞき見趣味に迎合するかのような、無責任な暴露と批判されても仕方あるまい」とかなり強い調子で非難している。日本経済新聞の社説は「メディアであれば報道した後にも責任を負わなければならない。(中略)そうした配慮がウィキリークスにあるだろうか。(中略)ネットが国や国民の安全を危うくするような機密情報を垂れ流す道具になることには、強い懸念を持たざるを得ない」と懐疑的だ。

 だが、社説とは無関係にこれらの各紙ともそろって公電の内容の主だった部分は熱心に報じているのである。ここで疑問が浮かぶのは、「公益」の定義とは何か、ということだ。そして公益性がある、ないは一体誰が決めるのか、ということだ。

 一義的には報道機関がそれぞれに判断する事柄だろう。今回のウィキリークスの暴露情報のなかには、日米間の迎撃ミサイル共同開発を進めるため、日本の武器輸出三原則の見直しをアメリカ側が迫っていたという内容の公電があった。実際、この公電に沿った動きがゲーツ国防長官来日時にあった。そして菅政権が現実に三原則の見直し議論に進もうとした。こういう公電の意味するところを精密な後付け作業と評価をしたあとに報じることには十分な意味があるだろう。公益性がある。ましてや全く「のぞき見趣味」などではない。

 また、日経社説の言うように、ウィキリークスを既成メディアと同様の報道機関ととらえるのも誤りだろう。彼らは情報のデジタル化時代に出現した大量情報のいわば「出荷者」であって、情報の「発信者」ではないと思うのだ。それゆえ、既成メディアとの連携関係がなければ、存続は困難になるのではないか。この「出荷者」と「発信者」の協働は今後も増えていくに違いない。そしマスメディアのありようの新しいモデルの一つになるだろう。

 今回、ウィキリークスとの連携でキーパーソンとなったのは、英ガーディアン紙の名物記者ニック・デービスで、彼が他社に先駆けてアサンジ氏と接触したのは昨年6月にさかのぼる。その意味でガーディアン紙は、ウィキリークス情報掲載に至るまでの中心的なメディアとなった。このため同紙は、ウィキリークス情報の掲載の是非に関しても、もっとも積極的に論議を提起している。アメリカのメディアが正面からの議論に消極的なのとは対照的だ。

●ウィキリークスの情報に報道機関が価値を与えた

 ウィキリークス入手の米外交公電を最初に報じた日付の同紙社説では、「そもそも300万人もの米政府職員が(イントラネットで)アクセスできる情報の秘密性とはいかなるものなのか」と根本的な疑問を投げかけていた。さらには、ガーディアンをはじめとする報道機関が関与したからこそ、情報の精査と分析がなされ、単なる情報に、「コンテクスト(価値評価の文脈)が与えられたことは、米政府でさえ認めざるを得ないではないか」と報道の正当性を強調していた。そして「歴史家にとって夢のような事態が、まさに外交官にとっては悪夢でもあるのだ」と結んでいた。また同紙において別のコラムニストは、たとえ違法な手段で入手された情報であっても「公益」の観点から報じる理由があると判断した場合は、メディアは報じるべきなのだと明言していた。

 ここまではたいして目新しい主張とも思えなかったのだが、今回の事態を、既存の政治権力とインターネットの潜在力との初の本格的な闘争であるとの位置づけをする論者がガーディアン紙上に登場したことは、きわめて注目に値すると思う。同紙に18年間記者として働き、ガーディアンのオンライン版編集長を長らくつとめ、現在は米国コロンビア大学教授となったエミリー・ベルの論考「いかにしてウィキリークスはジャーナリズムの目を覚まさせているか」や、メディア学者ジョン・ノートンの論考「ウィキリークスとともに生きるか、あるいはインターネットを閉鎖するか、それはあなたが選ぶことだ」は、政治権力に対する監視チェック機能を弱体化させてしまった既成メディアの一部が、政治権力とともにウィキリークス攻撃に走るさまを痛烈に批判する。

 ノートンによれば、「今回のウィキリークス事件によってもっともよくわかった教訓は、これが既成秩序とインターネット文化の間の真に持続的な対立を表しているということである。以前は小競り合いにすぎなかったものが、今回は本物なのだ」(昨年12月6日付コラム)。そして、米政府の圧力により、アマゾンやイーベイ、ペイパルといったインターネット・サービスが相次いでウィキリークスへのアクセス提供を遮断した現実に触れて、ネットの未来に強い懸念を表明している。

 いかに既成秩序がインターネットの潜在力を恐れているか。ノートンは皮肉たっぷりに、クリントン長官が昨年1月に行ったインターネットの自由に関する基調演説を紹介している。当時はグーグルに対する中国からのサイバー・アタックが話題になっていた頃である。演説は中国を意識したものだった。「情報というものは決してそれほど自由であったためしがありません。けれども、独裁国家においてさえ、情報のネットワークは人々が新たな事実を発見し、政府に説明責任を迫ることを助けてくれるのです」。このように発言していたクリントン長官がウィキリークスには怒り狂い、今度は全く逆のことをやり出しているようにみえる。インターネットへの統制である。なぜそれほど怒り狂うのか。「なぜならウィキリークスは政治エリートたちがいかに有権者をだましていたかを暴露してしまったから」だとノートンは断じている。

●ジャーナリズムの転換点となる瞬間

 一方、エミリー・ベルはノートンに賛意を表しながら、「今回の事態は、ジャーナリストや報道機関に対して、彼らがどの程度まで既成権力に取り込まれてしまっているかを自ら立証するように迫っている」「ジャーナリズムにとっての転換点となる瞬間だ」と述べている。転換点となる瞬間。そのような自覚が僕らにあるだろうか。前記のガーディアン紙のコラムニストは、「なぜアメリカのジャーナリストたちはウィキリークスを支持し損なったのか?」という論考で、今やアメリカではウィキリークスを支持し、アサンジ氏の訴追に公然と反対するメディアはごく少数派になっていると指摘する。

 既存のテレビ・メディアは、せいぜい新聞の報じた内容を後追いしたに過ぎない。肝心の政治権力とウィキリークスをはじめとするネット・メディアがはらむ根本的な緊張関係にまで考究したものはほぼ皆無と言うしかない。こうしたなかで、一貫してウィキリークスの立場を支持してきた米独立系インターネット放送「デモクラシー・ナウ!」は、今回のアサンジ氏のレイプ罪での逮捕という事態を、ウィキリークスの所業に対する報復的な弾圧としてとらえ、1971年のいわゆるペンタゴン文書事件の現代版がこのウィキリークス事件であるとの立場を堅持している。

 筆者は、同番組のキャスターでもあるエイミー・グッドマンにインターネット電話で意見を聞く機会があったが、彼女の主張はゆるぎないものだった。

 僕の方から「ウィキリークスによって、外交官は危険にさらされ、これまでのような働きができなくなったとの意見があるが……」と水を向けると、「これまでのような働き方自体が間違っているのです。市民に対してウソを言ってきたことが暴露され、今までのようにできなくなったと言うのなら、その方がいいんじゃないですか」と。

 「デモクラシー・ナウ!」には、ペンタゴン文書事件の主役、ダニエル・エルズバーグ博士も頻繁に出演して、ウィキリークス支持の姿勢を明確にしている。昨年12月31日に出演した際エルズバーグ氏は、次のように言い切っていた。「もし私が今日、1971年の時のようにペンタゴン文書を公表したとしたら、全く同じ理屈でもってこう呼ばれるでしょう。あの時と同じように『裏切り者』と呼ばれるばかりか、『テロリスト』とさえ呼ばれるでしょうね。アサンジ氏とブラッドリー・マニング上等兵(ウィキリークスに情報を漏洩したとされる人物)はテロリストなんかじゃない、私がそうじゃないのと同様にね」

●アサンジ氏に迫る米司法省による訴追

 日本のテレビでは、ウィキリークスの問題はもはや過去の出来事のように徐々に関心の圏外に去りつつあるが、在日アメリカ大使館から発せられた5700件に及ぶ外交公電のかなりの部分がまだ未公表であり、場合によっては超弩級(ちょうどきゅう)の時限爆弾が仕掛けられているかもしれない。それを報じる際の情報の精査と分析は僕らに与えられたきわめて重い課題である。

 この原稿を書いている時点で、米司法省が、ツイッター社に対して、アサンジ氏やウィキリークス関係者、シンパのアイスランドの国会議員の個人情報の提供を求めているとのニュースが入ってきた。米司法省はアサンジ氏への訴追作業を真剣に進めている。フェイスブックやグーグルにも同じように情報提供を求めているとの情報もある。おそらく起きてはならないことが起きようとしているのだ。

 かつて僕がモスクワに勤務していた頃に聞いた有名なアネクドート(政治風刺小話)がある。スターリン時代にウオツカで酔っ払った男が屋外で「スターリンの大馬鹿野郎!」と大声で叫んだところ、たちまち秘密警察がやってきて男を逮捕した。酔っ払っていた男が尋ねた? 「罪は何だ?」「国家機密漏洩罪だ!」。ソ連時代のロシア人にはこういうことを笑い飛ばすセンスがまだあった。

 今のアメリカの司法省にはそのような笑いのセンスはおそらく皆無なのだろう。(「ジャーナリズム」11年2月号掲載)

   ◇

金平茂紀(かねひら・しげのり)

TBSテレビ執行役員。同局「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長、アメリカ総局長などを経て2010年9月より現職。著書に『報道再生』『テレビニュースは終わらない』など。

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