2009年8月28日

犬の去勢・避妊についての賛否両論 (2) - メス編

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乳腺腫瘍を抱えた犬。

「メスに生まれたからには一度は仔を産ませてやりたい」と、年配の女性飼い主が自身を犬に投影する場面に出くわすことがある。そんなことを言っていてはキリがないのだが。

前回の「オスの去勢」に続き、今回はメスの避妊について考えてみよう。

メスの避妊はオスの去勢とはまたちょっと異なる視点からの問題となる。

避妊のメリット

  • 予定外の妊娠防止
  • 乳腺腫瘍の危険性を下げる
  • 子宮膿腫の回避
  • ヒート中のストレスの軽減

オスの去勢と同じく予定外の妊娠を防ぐ目的は動物保護の場面において大変重要な意味合いを持つ。単純な理論で言えば1頭のオスは100頭のメスと交配が可能なため予定外の繁殖を抑えるには交配可能なメスの数を減らす避妊の方が効果的なのである。

ヒートが来ると交配相手を探すのはオスだけじゃない、メスだってヒート中には飼い主の声を無視してオスを探しに出掛けてしまう。自然が種の繁栄に都合の良いようそうしたのだ、だからドイツ語ではメスのヒートのことを「laeufig(歩き回る)」という...とまあ、これは余談だが。ノーリードの散歩時に姿を消し帰ってきたら妊娠していたとか、外飼いの場合には気が付いたら仔犬が産まれていたなんてこともあるし、結果として産まれてきた雑種犬たちは現在殺処分される犬の中でもトップを飾っていることを考えると、そうそう笑って見過ごすわけにもいかない。

さて、次に獣医学的な視点からメスの避妊について考えた場合、必ず真っ先に掲げられるのが乳腺腫瘍の危険性について。というわけでここでまず乳腺腫瘍の罹患率について見てみよう。

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非避妊個体の罹患率を1として比較(「Factors Influencing Canine Mammary Cancer Development and Postsurgical Survival.」より)。

非避妊個体の罹患率は犬種による差もあるが、一般的に非避妊メス10万頭のうち最低258頭(0.258%=400頭に1頭)といわれる。ちなみにメスに現れる腫瘍疾患の52%は乳腺からのもの、うち20-40%が悪性で、疾患の平均年齢は9歳である。

乳腺腫瘍細胞は性ホルモン(エストロゲン)の受容体を持つため、エストロゲンが分泌される発情前期を迎えた回数により乳腺腫瘍の罹患率は変わってくる。初ヒート前では非避妊の場合に比べ20分の一、数字で遊ぶならば、早期に避妊手術を行うことで0.258%の罹患率が0.00129%に下がるということになる。そしてヒート回数が増える毎にその数字は顕著に上昇し、6回ヒートを経験したメスでは非避妊個体とほぼ変わらぬ罹患率だ。

ヒートの後に偽妊娠を示すメスではさらに乳腺腫瘍の危険性は高まることも含め、避妊により乳腺腫瘍の危険を回避したいならばできるだけ早期にということになる。

しかし小型犬のように生後5-6ヶ月ですでに初ヒートを迎えてしまう場合、その避妊手術の時期の見極めが非常に難しくなる。じゃあ本当に早いうちに、と生後3-4ヶ月で避妊手術をしてしまうと今度は体が充分に成熟しづらいという問題が出てくるのである。

避妊手術の時期はいつでも良いわけではない。メスの性ホルモンは発情周期により揺れ、一番良いのはその揺れが最も少ない無発情期。発情期の1-2ヶ月後あるいは4-5ヶ月前がその時期である。一番揺れの大きい発情前期から発情期(排卵期)、発情休止期にかけて避妊手術を行うとその後の合併症(出血や免疫力低下による傷口からの感染症、ヒート現象の継続)が引き起りやすい。

また、発情前期に他のメス犬に対し攻撃性を示すメスでは避妊により静かになり、食欲不振などのストレスを軽減することになる。そしてもちろん子宮を除去するので子宮系の疾患の心配も全くなくなる。なお、ここでは「ヒートによる出血がなくなり部屋が汚れない」という飼い主の都合はあえて省略しておく。

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[Photo by sean94112]

避妊の副作用

今度は避妊により現れる副作用を挙げてみよう。

  • 尿失禁
  • 攻撃性の増加
  • 肥満傾向の増加:食欲の増加と消化効率の上昇
  • 被毛の変化:仔犬のような被毛(パピーヘア)が生える
  • 脱毛
  • 陰部の皮膚炎
  • 骨肉腫の罹患率増加などなど

尿失禁は避妊の副作用として最も多くあげられるもののひとつ。手術後半年から数年経過してから現れ、非避妊のメスでは同じような尿漏れ現象は高齢になってから現れやすい。統計によると体重20kg以上の避妊メスで31%に対し、小型の避妊メスでは9.3%、また避妊時期別では初ヒートの前だと9.7%(約10頭に1頭)で1回以上ヒートを経験した避妊メスでは20%(5頭に1頭)がこの尿漏れがおまけとして付いてきている。細かく言えばもちろん犬種によっても発症に差があるのだけど。

気になる骨肉種の罹患確率についての調査によると、そもそも骨肉腫にかかる頻度が多い犬種のロットワイラーでは1歳以下の避妊・去勢によりオスでは3.8倍、メスで3.1倍に発症頻度が上がったという(「Endogenous gonadal hormone exposure and bone sarcoma risk.」より)。

肥満の犬では避妊処置により陰部が縮小し股の間に押しつぶされるような状況となることで皮膚炎の原因となることもあるが、そんなことよりも避妊後はメスの行動が雄性化することの方が顕著だろう。

体の中のホルモンバランスの変化によるこの雄性化の攻撃性は、避妊によって強化されたりあるいは避妊後に初めて現れる。だから避妊前(の無発情期)に攻撃性を示すメスの問題解決法としてはまず不適切である。初ヒートの前の避妊では仔犬のような振る舞いや活発さ、他の犬との協調性の方が術後に残り、これはむしろデメリットよりもメリットとして数えられてもいる。

さてさてあちらを立てればこちらが立たず、どのリスクを背負うのが一番マシか、結局はネガティブな選択になってしまうのだろうか?大変に悩むところであるが、飼い主としてはどこかで覚悟を決めなければいけないのだと思う。

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コメント

はじめまして。いつも拝見させていただいています。

我が家には、一歳半のラブラドールがおりますが、一歳の誕生日を過ぎところから、尿失禁するようになりました。獣医さんに相談したところ、生後六か月でしたヒート前の避妊が原因といられました。特にラブラドールに多いと言われました。ヒート後のほうが、避妊手術にはよかったといわれたのですが(手術自体は、他でしました)記事とは、反対になると思うのですが、どちらが本当なのでしょうか?

避妊のメリットについては、よく聞いていましたが、
デメリットもこんなに有るんですね。
攻撃性の増加と肥満しか知りませんでした。

うちの場合は、最初ブリーダーさんの元で、繁殖させようか、と思っていたのですが、性格的に臆病だったり小柄だったり、その上薬品にアレルギーが有る事が分り、その話はなくなりました。

で、獣医さんからは、避妊を勧められたりもしたのですが、
(これも何人かの獣医さんは勧めるけれど、何人かの獣医さんは勧めません。)うちのイタグレの場合、麻酔が心配なのと薬品アレルギーが心配なので、その危険を冒して避妊手術を施す気になれません。

猫の話ですが、身近で、避妊手術を受け麻酔が覚めなくて、そのまま帰ってこなかったって泣いても泣ききれない事件がありました。こんな話を聞くと、麻酔に弱いと言われる細犬の飼い主は、なかなか踏み切れません。

いつも興味深く読ませていただいてます。
5歳のバーニーズの女の子がいます。避妊については、女性としての機能を全うさせてあげたい(出産はしてませんが)、というなんの根拠もない理由でしていません。避妊についてのコメントをずっと心待ちにしていました。

先日繊維性エプリスのため、麻酔をして切除してもらいました。年齢も高いので、同時に避妊を勧められたのですが断りました。

今後、避妊をせずに暮らしていくうえで、どんなことに注意すればいいのか教えていただきたいです。衛生面や食生活やメンタル面などで注意することがあるのでしょうか?

京子さん、はじめまして。
我が家の犬(ゴールデンレトリーバー♀)は避妊済みです。
なんと2回も手術しまして。
手術した筈なのにヒート様の症状があり、検査したところ左の卵巣と、右の卵巣の一部が残っておりました。
ベテランの先生ということでお任せしたのですが…
犬の体にかかった負担は相当なものだったと思います。こういう手術の失敗もデメリットの1つでしょうか。(まあ滅多にない事でしょうけれど)
攻撃性云々に関しては、マッタリボンヤリ食う寝る寝るなので(笑)ちょっと分からないです。これから激しくなったりするのでしょうか。

いずれにせよ、我が家では万が一、犬が妊娠してしまって出産となった時、それに伴う愛犬のケア(金銭的にも時間的にも)が行き届かない環境であること、
また産まれた仔犬の引き取り手を見つけるバックボーンが整っていないこと等を考え避妊手術に至りました。

『やるべきやらざるべき』で片付けられない難しい話ですし、私自身いろいろと思うところがあった避妊手術でありました。

初めまして。来週、ドーベルマンのメスを迎えることになっており、できれば、初ヒート前に避妊手術をしようと思っていました。
すでに11歳になる雑種犬(オス)がおり、彼は10才の時に前立腺肥大に罹り、その時に去勢を勧められ、去勢。
未去勢のデメリットなどは知っていたのですが、よく言うように「うちに限って」などと根拠なく思っていたのでした。
話は逸れましたが、そういった経緯を踏まえ、また高齢になってからの手術は本当に辛そうだったので、次に迎える犬は時期をみて避妊(去勢)をしようと思っておりました。
でも、今回の記事を拝見し、メリットデメリットを考えると、、、単に「去勢・避妊はいい事尽くめ」とは言えないのだな、と分かりました。
後は、飼い主の判断・責任ですね。
前回の去勢のお話に引き続き、興味深く拝読させて頂きました。

>メルももさん
避妊による尿失禁の発症比較は以下の文献を参考にしています。

・The relationship of urinary incontinence to early spaying in bitches.
 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11787155

・Urinary Incontinence in spayed bitches: prevalence and breed disposition.
 European Journal of Campanion Animal Practice. 131, 259-263.

この2つの文献はあちこちの文献の引用として使われている有名なものです。
逆の説の文献をまだ私は見ていないのですが、もしかして見落としているのかしら?
もしよろしければお手数ですが獣医さんのお尋ねになり、新しく参考になる文献があればご紹介いただけると幸いです。

>miniwindiさん
デメリットについて、もっと細かく上げるとこれだけではすまないようで、しかしあまり細かな差を書き連ねても仕方がないので今回の記事ではその部分をカットし、代わりに参考文献を紹介し詳しくはそちらをご覧頂きたいと思います。
麻酔から覚めなくて帰ってこなかった、といえば最近の話ではマイケル・ジャクソンの死亡がそれでしたね。彼は獣医学でもよく使われるプロポフォルの過剰投与で心肺機能が停止しました。
麻酔は必要でなければしない方が良いと私も考えています。
ですから歯石除去などでも、軽度の歯石ですぐに全身麻酔してまでピカピカに、というのには抵抗を感じます。特に体脂肪の少ない細犬ではね。
麻酔しなくても他の方法で対処できるならそれに越したことはありませんもの。
あ、麻酔の話、別の機会にテーマとしてあげてみますね。

>kちゃんさん
そうですね、5歳になってしまうと避妊のメリットが減ってしまいますから、いまさらという感じではあります。
衛生面では室内で暮らしている限りはあまり気をつけることも無いと思いますが、もしも外飼いであれば当たり前の衛生観念で対応することで充分です。
また生殖器系の疾患に限らず食生活とメンタル面においては犬の自然に基づくことが万病を防ぐ第一歩だと思います。
特に慢性的なストレスは免疫力の低下に繋がりますし、病気にかかっても回復が遅れる原因にもなります。
高齢での肥満も良いことはありません。
体の負担になるような薬物類はできるだけ体に入れず、しかし適度に汚れと接し体を動かすこと、代謝のフットワークを軽くしておくことは心がけたいですね。

>オードリーさん
あ、取り残し...(^^;)時々聞きます。
もちろん手術のデメリットですが、避妊手術においては欠陥手術といわれます。
一方で子宮のみ除去するという避妊法もあり、とはいえこれでは「妊娠することができないだけ」(まあ、本来の意味での「避妊」ではありますが)で卵巣からは引き続きホルモンが分泌されるのでこれでは子宮以外の生殖器系疾患は防げません。この方法はもちろん一般的ではありません。
避妊手術は獣医師にとってルーチンワークのひとつだから、慣れで卵巣の存在を確認しなかった場合取り残しとなってしまうことがあります。
また避妊手術の時期によりますが、攻撃性は必ず現れるというものではありませんよ。
私も避妊・去勢は犬と飼い主の状況によりそれぞれが決定し、その一方でその決定の責任も負ってゆくものだと思います。
だからこのコメント欄での皆さんのお話はいろんな意味で良い参考になると思います。

>ずんさん
今の風潮では避妊・去勢のメリットはいろいろなところで聞きますが、デメリットもしっかり説明してくれる獣医さんは少ないと聞きます。
いずれにしても心の準備が必要なことなのですけど、絶対に良いという方法はないということ、現実的にはそんなに世の中都合良くはないということですね。(笑)
ただ単に生きているだけでもいろんな疾患に見舞われるわけですから。
どちらの決定にも長所と短所があり、ケース・バイ・ケースで押しなべて良さそうな方法をそれぞれ期待して選ぶ、ということになると思います。
みなさんのお話も含め、参考になれば幸いです。

京子さん、お返事ありがたく拝見いたしました。
欠陥手術と言うのですね。
手術の失敗に関しては、心中穏やかざるものがありましたが
避妊手術は、飼い主である私にとっては、ベストの選択だったと思っています。
特に雌のレトリーバーなので、避妊による疾患回避、予防という観点からも、メリットの大きさは見逃せないものでありました。

あと、これは全くの余談となりますが
「女の子なんだから子供を産ませてあげたい」「可愛い愛犬の子供が見たい」などといった安易な理由による素人の繁殖行為が無くなることを願ってやみません。

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