2009年03月04日

<モサドと911事件の知られざる関係>

元記事:Mossad Link Found to One of Key 9-11
(American Free Press:2009年3月2日 By Michael Collins Piper)


<モサドと911事件の知られざる関係>

モサドの2001年9月11日の悲劇との新たなる関係が最近明らかとなった。ニューヨークタイムズ2月19日付の記事には、驚くべき新事実が書かれている。それは、25年間イスラエルのスパイとして従事していたとして、レバノンに拘留されたレバノンのイスラム教徒のアラブ人[訳者註:アリ・アルジャラヒ]が、偶然にも911事件のハイジャック犯のひとりであるというものである。

アリ・アルジャラヒは、世間に対してはパレスチナの大義を擁護して憚らなかったが、実際は20年以上もの間モサドの利益のため、彼は自身の国家を裏切り、パレスチナ人グループと親パレスチナ政治組織ヒズボラに対して、スパイ活動を行っていたという事実が明らかになった。

アルジャラヒの一件を報じたニューヨークタイムズ次のように述べている「911事件の悪名があるのは、アルジャラヒ氏だけではない。アルジャラヒ氏のいとこである、ジアード・アルジャラヒもまた2001年9月11日のテロ攻撃を実行した19のハイジャック犯に名を連ねているのである。」ニューヨークタイムズは、彼らは20歳以上年齢が離れていることを述べた上で、さらに次のように付言した「彼ら二人は、お互い見知った仲ではなかったようである。」

911事件の謀略には最初からイスラエルのスパイが入り込んでいたと主張する情報源(ソース)が、アメリカン・フリー・プレスを含め存在していることをニューヨークタイムズが重々承知しているという事実を考慮すれば、ニューヨークタイムズの慎重な姿勢は驚くようなことでもない。

もし実際に、若きアルジャラヒが911事件の謀略におけるイスラエルのスパイであるとしても、世界貿易センターへのテロ攻撃に、イスラム教徒のアラブ人がモサドのエージェントとして関わった最初の例ではないのである。1993年8月3日に遡ると、事件記者であるロバート・I・フリードマンはニューヨークのヴィレッジ・ヴォイス[訳者註:ニューヨークで発行されている無料週刊新聞]の中で、1993年に世界貿易センターに対して初めて行われたテロ攻撃の謀略を行ったとして連邦政府に拘留された27歳のヨルダン西岸地区のパレスチナ人アフマド・アジャジは(フリードマン自身の情報源によれば)モサドのスパイであると述べている。

アジャジはスウェーデンの偽造パスポートと爆弾製造マニュアルを携え、パキスタン国際便でペシャワールから発ったのち、1992年9月1日ケネディー国際空港で逮捕された。彼は身柄を拘束され、不法入国の罪を認めた。

アジャジの同伴者は――警察当局筋がいうには、世界貿易センターの最初の爆破事件の「重要人物(キー・プレイヤー)」であるイラク人――ラムジ・アフメド・ユセフであった。2001年、二度目の世界貿易センターへのテロ攻撃の後FBIによって喧伝された、あの「アル・カイーダ・テロリストマニュアル」の情報源が、このアジャジであったことは注目に値する。さらに、アジャジの仲間であるラムジ・ユセフは、ハリド・シェイク・モハマドの甥であるという。ハリド・シェイク・モハマドは、アメリカ政府が911事件の「首謀者」であるとする人物である。

これに関して、もうひとつ重要な点がある。世界貿易センターへの最初のテロ攻撃がなされる何年も前から、モハマドとユセフが実はイスラエルの極秘スパイであると考えていたイスラム教の団体は数多く存在していたのである。

FBIはアジャジを、(パレスチナのイスラム原理主義組織)ハマスと関係するインティファーダ・テロリストの幹部であると確認したが、エルサレムで発行されている評判の良いヘブライ語の週刊地方紙コルハイルは、アジャジはインティファーダの活動にも、ハマスとも、パレスチナ解放機構に関わっていないとしている。またコルハイルによると、アジャジは実際のところは、1988年に東エルサレムでアメリカドルを偽造したとして逮捕されたコソ泥であると述べている。アジャジは偽造の罪で2年半の懲役刑を課されていたのである。

フリードマンがヴィレッジ・ヴォイスで述べるところによると「彼が刑に服している間に、イスラエルのCIAにあたるモサドは彼を雇い入れたと考えられると、イスラエルの情報筋が述べている。服役してちょうど1年を経たのちに釈放されるまでに、彼は劇的な変化を遂げていた。」

フリードマンは、アジャジが突如として敬虔なイスラム教徒となり、表立った強固な国家主義者になったと述べた。その後アジャジは武器を――おそらくはPLOの派閥であるファタハ・イスラムのために――ヨルダン西岸地区に密輸したとして逮捕された。

しかし、フリードマンはこれが実際は見せ掛けの偽りであったと述べている。フリードマンのイスラエル情報筋の情報源によると、この逮捕劇とアジャジの国外追放は、彼をインティファーダの活動家として実証するため、モサドによって演出されたものであるという。モサドがアジャジに与えた「任務」は、イスラエル外で活動する過激なパレスチナ人グループに潜入させ、テルアビブに報告させることであったとされている。

アジャジのイスラエルからの「国外追放」の後、彼はパキスタンに現れた。そこで彼はアフガニスタンで反逆する反ソヴィエトのムジャヒディンの会社にいたことが明らかになっている。(余談だが、暇潰しにCIAの任務を引き受ける金持ちのサンフランシスコ人のアンドリュー・アレンは、アフガニスタンへの補給を『運営』していたことを宣誓した上で認めた。彼はまたリバティー・ロビーとその機関紙『スポットライト』を破壊するのにも役立った。)

こうしたことから、アジャジがモサドのために活動していたと指摘することは出来るだろう。というのも、1987年9月の秘密工作情報公報(Covert Action Information Bulletin)によると、ムジャヒディンへの資金・物資補給ラインはCIAの「史上2番目の作戦」であったばかりか、元モサドの工作員であるヴィクター・オストロフスキー(が著書『The Other Side of Deception』で述べるところ)によれば、その作戦はモサドの直接の指揮監督下で遂行されたものであったからである。オストロフスキーは次のように述べている。

それは複雑なパイプラインだった。なぜなら、ムジャヒディンの武器の大部分はアメリカ製であり、運び手としてシナイの非武装地帯を放浪するベドウィンの遊牧民を利用して、イスラエルから直接ムスリム同胞団に供給されていたからである。アジャジはムジャヒディンとの共同の企てを行ったのち、ニューヨークに突如として現れ、盲目のシェイク・アブドル・ラーマンを囲む、小さないわゆる「過激派」のメンバーの一員であると主張した。シェイク・アブドル・ラーマンは世界貿易センター爆破の首謀者であるとして非難されていた。

1993年2月26日、世界貿易センター爆破決行日、アジャジは偽造パスポートでの不法入国の罪で連邦刑務所で6ヶ月の服役中であり「安全」であった。後に、彼は世界貿易センター爆破の謀略を企てたとして起訴された。

ロバート・フリードマンによると「もしアジャジがモサドに雇われたとするならば、彼が国外追放されたのち、イスラエルの諜報機関で活動し続けていたかどうかは分からないが、ひとつの可能性として、イスラエルを離れ盲目のエジプト人シェイクに接近したことで、彼の忠誠が心変わりしたというのは、もちろんのことありえるだろう。」

しかしながら、フリードマンは別の恐ろしい可能性もあると、次のように述べている。「もうひとつのシナリオは、彼が世界貿易センターが爆破されるとの情報を事前に得ていて、その情報はモサドと共有していたのか、モサドからもたらされたものなのか、他のどのような理由があるにせよ、それを秘密にし続けたというものである。もしこの説が真実であるならば、アメリカの情報筋は、モサドがこの極秘のエージェントを危険に晒さないようにするため、情報を緊密に保護することを決定したのではないかと推測している。」



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(訳者のコメント)
911事件は、今でも多くの議論を呼んでいます。
田中宇さんによれば、本国アメリカでは、911事件に関して政府が行った説明を
全て本当であると考えているアメリカ人は、全体の20パーセントほどしかないようです。

911事件謀略説が真実であるかどうかはさて置き、この事件は、
それ以降のアメリカ(および世界)の政策決定の大きな転換点となりました。
「テロとの戦い」を掲げ、国際テロ組織「アル・カイーダ」の撲滅のため、アメリカは
アフガニスタン、次いでイラクに侵攻を開始します。

BBCのドキュメンタリー「The Power of Nightmares」は、テロとの戦いの材料として
使われた「アル・カイーダ」「ムスリム同胞団」ら、イスラム過激派組織は、
実はアメリカが新たな冷戦構造を求めて誇張し、歪めて世界に喧伝した
実際は(反米テロリズム的性質をもった組織としては)存在しないものであるという
大胆な主張を展開しています。

また、911事件には、石油利権の衝突という側面もあると思います。
2000年11月、イラクのサダム・フセインはイラク国内の石油取引の決済を
ドル決済からユーロ決済へと切り替えました。
その後のイラク戦争ののち、フセインは逮捕され処刑
その罪状は「大量破壊兵器の保有」でも「国際テロ組織の支援」でもなく
「クルド人に対する毒ガス兵器などを使用したことによる虐殺」でした。

またフセイン大統領処刑後、アメリカの事実上の傀儡となったイラクは、
すぐさまイラクの石油取引をドルへ戻しました。


アメリカは戦争を続けなければ、常に戦いを想定しなければ、
善悪二元論的な「アメリカが絶対善」であるという神話を世界に喧伝し続けなければ
ならないという、悲しい運命を背負った国です。

ではそれは何故なのか?――それを理解するには、アメリカが
たどって来た政治経済の構造の変遷を知る必要があります。

このことについては、必ず論説を加えます。
アメリカの政治経済機構を解き明かすことは、
アメリカの政治・経済・社会・国際政治、ありとあらゆる分野の
理解につながります。

それにしても、意外と長い翻訳で、疲れました。

この記事の筆者であるマイケル・コリンズ・パイパー氏の著書のうち、日本語で読めるものには
『ケネディとユダヤの秘密戦争』というものがあります。
非常に読み応えがあり、面白い本です。
posted by リカルド at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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