掛け算の順序問題について(山のように追記あり)

いくつものブログやツイッターで「掛け算の順序」が話題になりました。
これについて、すでに少々時間が経ってしまったきらいはあるのですけど、考えたことなど、書いてみます。

問題の発端は、ある小学校での掛け算の文章題です。実際の問題はトリッキーな引っ掛け問題になっていて、そこについても議論があり、それはそれで重要です。でも、ここでは素直な問題になおして考えることにします。

問題「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」

これを掛け算で解くわけです。答はもちろん

式: 3×5 = 15 答:15個

でいいのですけど、これを

式: 5×3 = 15 答:15個

と書いたらどうか。
掛け算には交換則が成り立つので、どちらでも正しいはずです。ところが、解説によれば「式を作る」段階では後者は誤りなので「ダメ」とのことでした。
どうも、初等教育の一部では、交換則が成り立っていても、式を作る際には決まった順序がある、という了解事項があるようです。これを「ダメ」にしない先生もいるので、必ずしも絶対的な決まりではないのですが、いっぽうには強硬に「ダメ」と考える先生もおられる。ダメとする理由は、要するに「逆に書くのは掛け算の考えかたがわかっていない証拠だから」ということみたいです。

これはいくつかの問題を含んでいます。とりあえず、大前提として、3×5 = 5×3 は明らかなので(これも明らかでないと言うような「高尚な」話はここではなんの意味もない)、それを踏まえてもなお(1)文章題から掛け算の式に直すときに、「正しい順序」などというものがあるのか(2)書く順序で「考えかた」が測れるのか、のふたつが問題でしょうか。しかし、おそらく(2)は「無理」でしょう。考えかたを知りたければ、きちんと言葉で書かせればいいわけで、なにも式の順序なんかで測る必要はありません。というわけで、ここでは(1)の問題をとりあげます。

なお、元の話は逆順の答案にバツをつけたというものなので、「バツ」の意味をどう捉えるかという議論もあります。バツをつけてから理由を説明すればいいとか、いろいろな意見があります。しかし、僕の意見は「どちらの順に書いても、無条件に正しい」です。どんな意味の「バツ」もありえず、「無条件に正しい」です。

この「掛け算の順序問題」は何十年も前から時折盛り上がる議論のようです。ただ、昔は「掛ける数」「掛けられる数」の順序の議論だったのに対し、今は「いち単位あたりの量」と「いくつ分」の順序の問題になっているのですね。

どうやら、現在の掛け算教育はいわゆる「水道方式」の考えかたに基づくようです。水道方式が強く批判されていた時代を思い出すと、隔世の感・・・って、あまりよく知りませんが。
そこで、水道方式による教えかたについて、遠山啓などの書いた本にあたってみました。古書店で立ち読みしたので、文献は引用できません。すみません。

水道方式以前の方法では、「累加」つまり「3を5回足す」という意味で掛け算を導入します。水道方式の説明では、このやりかたでは「0回足す」や「1回足す」に出会ったときにつまづくのが問題、とされているらしいのですが、それは累加で教えない理由としては瑣末にすぎるように思います。もっとも、遠山の考えはもっと深いところにあるようで、「量の概念の導入」が強調されています。

水道方式では掛け算を

「いち単位あたりの量」×「いくつ分」

で導入します。上の問題でいうと「皿一個あたりのリンゴの数」×「皿が5枚」です。遠山の本では、式の書き方はいろいろありうるが、単位あたり量であることがわかるように「単位」を書くのがいいだろうというふうに書かれていました。つまり

式: 3(個/枚)×5(枚) = 15(個) 答:15個

みたいな感じ。こういうふうに単位(というべきかどうか)を書けば、何をしたかは明らかなので、

式: 5(枚)×3(個/枚) = 15(個) 答:15個

でも考えかたはわかります。もっとも、遠山の本では順序を慎重に守っていて、逆順の例は見つかりませんでした。たぶん、遠山自身は「この順序で定義した」と考えているのでしょう。ただ、「逆ではいけない」とも書いていないようです。どのみち、すぐに交換則が導入されます。

いっぽうで遠山は逆順も間違いではないことを指摘しています。といっても交換則を使うのではなく、「いち単位あたりの量」×「いくつ分」の順番は変えない。僕が見た例では、うさぎの耳を挙げて、「1匹あたり耳は2」×「5匹」でも「片耳が5」×「両耳分」でもいいと説明していました。たとえば今の例では、「リンゴを1個ずつすべての皿に1回配る」×「配った回数」と考えてもいいということです。少なくとも、このふたつの考え方に優劣があるわけではなく、どちらでもいいというのが遠山の考えだと思います。
これは「交換できるんだから、どちらでもいい」という僕の意見とは違うのですが、しかし、「順序は任意」であることには違いないようです。

いずれにしても、これはあくまでも掛け算の「導入時」の教え方の問題です。初めて掛け算を習うときには、いろいろつまづく点があるので、どのように教えるのが最もよいかについては、長い議論があります。結果として今は水道方式が主流なら、それはそれでいいのだと思います。僕にはそれ自体を云々するだけの知識も蓄積もありません。
どのみち、「いち単位あたりの量」×「いくつ分」でいつまでも押し通すわけにはいかないし、よしんばがんばってそういうロジックで通したとしても、それほどいいことはないでしょう。分数×分数を無理やりそのロジックで説明しようとするのが、建設的とも思えません。あくまでも導入時の論理だと思います。

しかし、どのように導入しようと、3×5 = 5×3であるという事実は変えようがありません。交換則を習おうが習うまいが、交換則は成立しています。「実数同士の掛け算は順序によらない」は「習ったから成立する」というものではなく、実数の掛け算の基本的な性質ですから。
文章題を数式に直すときには順序が決まっている、などというのは、誰かが勝手に言っているローカルルールに過ぎません。これは「日本だけのルール」それも「日本の初等教育だけのルール」です。最初の教え方としてはかまいませんが、日本だけのルールを「正しいルール」であるかのように押し付けられては困ります。
3×5と書いていいものは、5×3と書いてもいいはずです。それは、なんの留保条件もなく「正しい」はずです。正しいものを「なんらかの意味で適切ではない」とする教え方がいいとは僕は思いません。交換則を習っていようが習っていまいが、正しいものは正しいので、これはどうしようもありません。
僕が言っているのは、「本当は順序が決まっているが、考えかたさえ合っていれば、逆順でも正解にすべき」とかいうことではなくて、「無条件にどちらも正しい」です。「どちらがより適切」もありません。どちらも同様に適切な解です。
もし、考えかたが正しいかどうかを知りたいから順序を気にすると言いたいかたには、「どちらの順序で書いてあったとしても、それだけでは考え方が正しいかどうかなどわからない」と言っておきます。「正しい」順序で書いているからといって、考え方が正しいかどうかなんてわかりません。


ところで、この話の議論を見ていると、中には「割り算や引き算には順序があるから、足し算と掛け算も順序をつけたほうがいい」と主張する人もいました。これはあんまりだと思うので、それでは「ダメ」と言っておきます。実数の足し算と掛け算が順序によらないのは、基本的性質です。割り算や引き算には順序があり、足し算と掛け算は順序によらない、と教えるのが筋です。
さらに謎な意見としては、実数なら順序によらないが、行列では掛け算も順序によるのだから、順序があると教えておいたほうがいいというものもありました。小学二年生に掛け算を教えるのに、行列のことまで考える意味がどこにあるのかまったく理解できませんが、「実数なら交換できて行列なら交換できない」と教えればいいだけのことです。他の問題を持ってきてもしかたありません。
ちなみに、行列だって転置してしまえば逆順にできます。実数の掛け算を逆順に書くことが、行列では「交換」にあたるのか「転置」にあたるのかは、決まっていません。

いずれにしても、掛け算の交換則は小学二年で習います。つまり、割り算や引き算や行列の例をどれほど持ち出したところで、小学二年のうちに、「掛け算は順序によらないもの」と教えられるのです。この手の「割り算や引き算は」とか「行列は」とかいう意見は、本題とはまったく関係ない議論であるわけです。

[追記]
「順序をつけて教えるな」と言っているわけではありません。最初は順序を決めたほうが子どもが理解しやすいというなら、それでいいのだと思います。問題は、「そのように教えたから、それ以外の解は適切ではない」という考えかたです。どのように教えようと、「正しい解は正しい」としか言いようがないので、教えた順序で書かなくてもなんら不適切ではありません。
順序をつけて教えれば、交換則を習う前なら、大多数の子どもは教えられたとおりに書くでしょう。しかし、中には違う書き方をする子もいるわけです。それは、交換則を知っているからかもしれないし、違う流儀を好んでいるからかもしれません。もちろん、なにか勘違いしているかもしれない。でも、教えられたとおりに書いたって、勘違いしているのかもしれない。
だいじなのは、「どう教えたにしても、それ以外の書き方も正解である」ということで、「正しいものは正しい」で話は尽きています。

[追記]
たとえば、小学生レベルの算数では○でも大学生の数学なら×になるような例はいくらでもあります。これは、高度な数学を習うにつれて、要求が精密になるからです。しかし、小学生レベルの算数で×だったものが大学生の数学では○などということは、あってはいけないはずです。

[追記]
えーっとね、「試験で×にされた」とか、そういう話をしたいわけではないんですよ。「ひと皿に3個のリンゴ、皿は5枚」という設定が試験に出ようが出まいが、そんなことは瑣末なので。
問題にしたいのは、それを「3×5」と書くか「5×3」と書くかには「決まりがある」と信じている人が少なからずいることです。実際にはそんな決まりなどどこにもなく、「3×5でも5×3でもよい」です。そんなものは自分の好き嫌いで決めればいい。
実際は「どちらでもいい」なのに、「どちらでもいい」ことを嫌って「いっぽうが正しい」と言う人が少なからずいることに危機感をおぼえているのです

[追記]
上に、今は「いち単位あたり量」×「いくつ分」と教えるらしい、と書いたとおり、掛け算の「意味づけ」はそのときどきの「教育界での主流」によって変わるようです。この事実ひとつだけでも、「意味づけ」が単に「教えるための便法」であることは明らかです。それは掛け算の本質とは別の「教え方」の問題にすぎません。教える際の意味づけはひと通りではないし、そしてその「意味」はいつまでも引き摺ってはいけないものなのです。
「教えるための便法」とさえ認識していれば、こんなわけのわからない問題が起きるはずはないんですけどね。
いったんそう決めてしまうと、それがドグマになってしまい、なぜそう決めたかという本質的な理由が見失われてしまうということでしょう

[追記]
黒木さんもだいたい僕と同じこと(だと思う)を書いていました
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.htmlLink
僕と違って、懇切丁寧

[追記]
難しい数学の話はしていません。
掛け算を最初に習う小学二年で交換則も教えられます。ですから、小学校で習う掛け算は「可換な演算」です。また、整数以外の掛け算も小学生のうちに習います。その程度の範囲での話です。
また、小学生は演繹的な証明を求められません。「交換則を証明する前に使ってはいけない」という意見もツイッターで見ましたが、そもそも小学生は証明しません。そういう小学生に何を求めているのかわからない議論は、この話とはなんの関係もありません。

[追記]
「数学的に正しいものは正しい」という書き方を過剰に読み取ろうとするかたが少なからず(コメント欄だけではなく)おられるようなのですが、「数学的に正しい式なら何を書いてもいい」などというナンセンスな話はしていません。数学的に正しい式だけを並べて「数秘学」を行うことはいつでも可能ですが、それはナンセンスです

― posted by きくち at 05:44 pm commentComment [1163] pingTrackBack [1]

この記事に対するコメント[1163件]

1. さんちゃん — December 9, 2010 @19:39:43

問題「皿が5枚あり、リンゴが3個づつ置かれてます。リンゴは全部で何個か」

正しい順番とやらは、

式: 3×5 = 15 答:15個

の方?
それともこっち?

式: 5×3 = 15 答:15個

Owner Comment きくち  December 9, 2010 @19:43:01

まさに、その問題では
3×5 = 15
が正しいというので、「引っ掛け」として話題になったのですね。問題文に出てくる順番で書くと間違いになる、ということなんですが、いくらなんでもばかばかしいと思います

3. こなみ — December 9, 2010 @19:34:04

水道方式は1960年以前に毎日新聞で遠山啓が長期連載していてた記憶があります(今 Wikipedia をみたら1958年頃となっているので,一応あってます)。当時,毎日は教育の毎日という売りで,その後,村松喬の名前で教育の森というシリーズを何年も続けていました。

おぼろげな記憶をたどってみると,小さな正方形のタイルを使って数の概念を導入していたはずです。10進法はタイル10枚を単位として,100は正方形に100枚並ぶという感じだったかしら。

また掛け算はタイルを縦横に並べて長方形を作って説明していました。さらにタイルでなくてキューブなら3次元に積んでという説明があったと思います。次元の感覚を持たせたかったのでしょうね。

で,その教え方だと掛け算の順序問題は出てこないだろうと思うのですがね。というかいったん順序を意識させてもすぐに可換性が見えるので,それはそれでいいのででしょうが。

私は小学低学年だったので父親が絶好のモルモットだと思ったらしく,厚紙でタイルを沢山作って新聞記事を読みながらなにやら訓練してくれました。なにせ塾も家庭教師もない田舎のことで,ひょっとしたら教育効果があったかも知れません。私も遠山の記事を多少読みはしましたが,記事の説明図のようなものを見ていた記憶しかありません。

4. e10go — December 9, 2010 @20:17:30

問題1「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」
答1の書き方、式: 3×5 = 15 答:15個

問題2「5枚の皿に3個ずつリンゴが置かれている。リンゴは全部で何個か」
答2の書き方、式: 5×3 = 15 答:15個

問題1と問題2、どっちも問題の意味は同じ。式の書き方はどっちでもいいじゃん、と思いますね。
問題1でも問題2でも、読んだ後に頭に浮かぶ絵は全く同じでしょうから、式の書き方は2通り出てくるのが自然でしょう。

Up5. mimon — December 9, 2010 @20:11:49

さすがに小学生のころ、どう習ったのか、覚えていませんが、今の私でしたら、本文の文章題を5*3=15と書きそうに思えます。
数式の習慣として、係数や定数を左に変数や関数を右に書きますから、xが5個ある場合には、5*xです。これを5がx個あると解釈してもかまいませんが、私には、少し違和感があります。
もしかしたら、中等教育以上を受けた者は、5*3=15と書く割合が増えるかもしれません。
それと、英語では、5 times 3 と呼んで、5*3と書くでしょう(少し、自信がありません)。
なんとなく、日本の小学生だけが「かける」という言葉に惑わされて、3*5と書かされているような気がします。

6. たけし — December 9, 2010 @20:10:59

話題になった頃、下記のサイトを会社で同僚に見せたところ「子供が出来れば分かるわよ。これが出来ないとその後の割り算で苦労するのよ」と諭されて(?)しまいました。

「【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が小2のテストでは誤答なのか」
http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/Link

個人的にはこういう体験はしたこと無いですし、この騒ぎで初めて知ったクチです。上のサイトで書かれている事は、主張は理解したが全く賛同できないです。複数の問題を混ぜて解決しようとしてしまって、実は何の解決もしてないパターンに見えます。

同僚の言葉通り教育の手間の問題を妙な理屈で押しつけてるということに集約できると思います。きくちさんも指摘されているように言葉で書かせる手間を省きたいからだと思うのですが、どうしてそこに議論が収束しないのかがわからないですね。
> (2)書く順序で「考えかた」が測れるのか、のふたつが
> 問題でしょうか。しかし、おそらく(2)は「無理」でしょう。
> 考えかたを知りたければ、きちんと言葉で書かせればいいわけで、

7. Katase — December 9, 2010 @20:26:50

算数の数式は、そもそも日本語や英語などの言語とは関係ないものなのに、無理に日本語の文法に合わせようとして式の立て方を制限するから変になるのですよね。

その方が文章題の解き方を教えやすいから(採点で○×の判断をし易くなるから)という理由で、算数(数学)の概念(掛け算では交換則が成立)の方をねじ曲げてしまうのはやっぱりまずいと思います。
算数(数学)の概念を正しく教える為に、教え方のほうを色々と工夫すべきなのに、本末転倒の様な気がします。

それに、算数(数学)の解き方の考え方は何通りもあっていいし、正しい解を導く為の式の立て方もそれに応じて何通りもあっていいと思います。そういった色々な解き方を考えて行くのも算数(数学)の面白さなのだと思います。
「3つ組のリンゴが5つあるというイメージで3×5=15」とするのと、「5つの皿にそれぞれリンゴが3つずつ乗っているというイメージで5×3=15」でもどちらも正しい解にたどり着ける、正しい式の立て方ですよね。

8. nana — December 9, 2010 @21:12:18

3×5=5×3は正しいので、3×5=15を5×3=15にしてもよいというのは納得できないです。3×5=15は正しいので、3×5=15を15=15にしてもよい、という指導は成立しないですよね。

「問題文と正解の間を適切に繋ぐように答案を書きなさい」というのが本来の指導だと思います。その意味で大差はありませんが、

問題2「5枚の皿に3個ずつリンゴが置かれている。リンゴは全部で何個か」
答2の書き方、式: 5×3 = 15 答:15個

の方が模範解答としてはよいようにも私は思います。

9. Katase — December 9, 2010 @21:50:57

nanaさん、はじめまして。

この掛け算の掛け順の問題については、一連の経緯についても解説してあるこちらのブログも参考にどうぞ。

・それでも自然数の積は可換である 
http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20101116/1289928627Link  

>大人の馬鹿な喧嘩に子供を巻き込むのはみっともない、それだけでも「かけ算に順序がある」を教えるべきではないということはもはや明らかであろう。

10. romio — December 9, 2010 @21:28:16

nanaさんへ
3×5と書いたら「3つが5組」で、
5×3と書いたら「5つが3組」だ
という理屈なのでしょうか?

答案に5×3と書いたら、「5つが3組あると理解している」
と考えるのは飛躍がありませんか?


順序によって理解が変わるというのであれば、
四角形の面積の求め方は
(縦)×(横)= 面積 と
(横)×(縦)= 面積 で
どのように変わるのでしょうか?

11. さんちゃん — December 9, 2010 @21:46:03

問題「皿が5枚あり、リンゴが3個づつ置かれてます。リンゴは全部で何個か」
式: 5×3 = 15 答:15個

逆にこれで×(バツ)を食らったら、算数つまづきそうですが・・・。

12. romio — December 9, 2010 @22:01:16

nanaさんへ

文章題が苦手な子が、
問題文に書かれている「5」と「3」を
とりあえす掛け算してしまう。

こういった子に正しい理解を促すために
いわゆる「しき」の問題を出すのだそうですが、

それならば、文章で問うべきだと私も思います。

「3つが5組なら、3×5」
というのは尤もらしく聞こえますが、
数学にそのようなルールはありませんし、

「理解していれば、正しい「しき」が書ける」 
という論理が成り立っているとしても、その逆である
「正しい「しき」が書ければ、理解している」
という論理は成り立っていません。
理解していない子が適当に書いて正解したのかもしれませんよね?

これではそもそも子供が正しく理解しているかどうかを
問うことになっていないのでは無いでしょうか?

問題を理解しているかは、文章で問い、
掛け算は交換則が成り立つことを理解させる
これがベストの教育だと思います

13. PseuDoctor Website — December 9, 2010 @22:10:44

こんばんは。

あぁ、ついにというか、きくちさんもこの話題をエントリにされたのですね。
どうやら、この問題は想像以上に根が深そうです。

>こなみさん
私は「水道方式」には詳しくない(名前くらいしか知らない)のですが、やはりタイルやおはじきを使った教え方は優れた方法だと思います(Kataseさんもオススメ)。交換法則も直感的に理解できますし、そのうえ、割り算への移行も楽になると思うのです(これはたけしさんの同僚のお母さんへの反論にもなろうかと思います)。

で、折角ですので、便乗して宣伝させてください(笑)。上で書いた様な事の、より詳しい内容をブログに書きました。
http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com/2010/11/blog-post.htmlLink
宜しければ御覧ください。

UpOwner Comment きくち  December 9, 2010 @22:48:59

ツイッターでだいたい書いたから、もういいかとは思ったのですが、遠山啓の書いた「水道方式」関連の本を古書店で見て、つい立ち読みしたので(買わなくて、すみません)

15. romio — December 9, 2010 @22:23:08

1から10までの和は
(1/2)×(1+10)×10
で計算すると思います

16. nana — December 9, 2010 @22:23:51

もちろん、主観なんですが、同じ正解に辿り着いていても、点数の高い答案と低い答案はありますよね。そういうのは結局は、主観の問題ではないのでしょうか?

どちらも正しい証明だからと言って、同じ点数をつけなければならないという理屈はないと思います。より簡潔で分かりやすい証明によりよい点をつける、という点の付け方もあり得るとは思いますが

5×3でも、3×5でも点数を変えるほどのことではないと思いますが、
模範解答としては5×3の方を採用したい気もする、というのが私の主観です

17. romio — December 9, 2010 @22:51:06

nanaさんへ

同じ正解に辿り着いても
解答によって点数に差がつくということは無いと思います。

数学では、解答の途中で飛躍や矛盾があれば、正解に辿り着いても
間違いです。

数学の証明で、「証明できた」といっても途中に飛躍や矛盾があれば
証明したことにはなりません。

模範解答は簡潔で美しくあるべきだという意見には私も賛成しますが、
模範解答は数ある解答のひとつであり、唯一ではありませんので、
解答が正しければ、模範解答異なっても、同じ点数にするべきです。

18. romio — December 9, 2010 @23:10:06

nanaさんへ

証明は飛躍があってはいけません。

ただし、工学の分野では近似解を用いることがあるので、
そのことをおっしゃってるのでしょうか?

英語で書かれた解答を正解にするか不正解にするかはわかりませんが、
日本の学校において、日本語で書かれていれば、
数学の問題で、解答が全て正しければ、模範解答と異なっても点数は
同じです。

19. トンデモブラウ — December 9, 2010 @23:03:50

帰国子女は×をくらいそうで、気の毒だなぁ…
日本語の掛け算の順序の方が、世界的には少数派ではなかろうか。
 
算数から助数詞をなくせ!と主張したのは、遠山啓氏でしたっけ?
それがいいと思います。

UpOwner Comment きくち  December 9, 2010 @23:20:55

算数の答が日本語の語順に左右されては困りますにゃー。

遠山は助数詞を使わないほうがいいと言っていたようですね

21. romio — December 9, 2010 @23:13:58

nanaさんへ

実際の社会においては数学的正しさ以外の判断があるものだとは思いますが、
数学においては数学的正しさ以外を問う意味はありません。

その他の判断は別の教科で学ぶものです。

また、私は

>もちろん、主観なんですが、同じ正解に辿り着いていても、点数の高い>答案と低い答案はありますよね。そういうのは結局は、主観の問題では>ないのでしょうか?

>どちらも正しい証明だからと言って、同じ点数をつけなければならない>という理屈はないと思います。より簡潔で分かりやすい証明によりよい>点をつける、という点の付け方もあり得るとは思いますが

>5×3でも、3×5でも点数を変えるほどのことではないと思いますが、
>模範解答としては5×3の方を採用したい気もする、というのが私の主観です

の前半と真ん中の部分に関して反論していたので、後半の部分の「模範解答を何にするか」については反論しているのではありません。

22. SF物理マニア — December 9, 2010 @22:56:18

面白い話題なので少し考えてみました。

直感的には、3x5のほうがわかりやすいと思います。
  3x5=3+3+3+3+3  ・・・・1)
 一方
  5x3=5+5+5 ・・・・・・・・・2)

1)は、3個/皿 x 5皿のイメージです。
 一方
2)は、5角形(各頂点がリンゴ1個相当)x3面のイメージですが
  こちらはやや複雑で直感的にはわかりにくいです。

もうひとつ係数的な考え方でも、1)のほうがわかりやすいです。
 3(係数)x5=15 
 この場合、リンゴを2.5個/皿としてもわかりやすいと思います。     

UpOwner Comment きくち  December 9, 2010 @23:31:44

 3x5=5+5+5
でもいいと思いますが

いずれにしても、教えるときに「わかりやすさ」を考慮するのはもちろんよくて、そのひとつの結論が「水道方式」なのでしょう。僕には水道方式のどこがいいのかわかりませんけど、それはまあいいです。
教え方としてはそれでいいのだけど、でも逆順も「正しい」んですよね。
それは、「どう教えるか」とは別の問題なんです

24. Katase — December 9, 2010 @22:43:37

PseuDoctorさんが話題に切り出して下さいましたが、私が小学校で習ったやり方は、図を使ってイメージを具体的にしてから式を立てるというものでした。小学校では、算数の副教材として「おはじき」を使いますよね。その延長として習いました。
参考までに紹介します。

問題文を読んで、まずりんごを例えば●に置き換えて問題文の下にイメージを書きます。

問題:皿が5枚あり、リンゴが3個づつ置かれてます。リンゴは全部で何個でしょう。
         皿  
         ↓
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●

例えば上の様にりんごを●で表してイメージを書いて、全てのりんごの数を計算する式を立てると、3×5でも5×3ともできてそれぞれ合計の15という数値を算出できます。計算式は、どちらでもOKでした。
この様にして、文章題の解き方を習ったので、問題文の日本語から抽象的なイメージを取り出して式を立てることにより、問題文の書き方に拘って変に混乱することもありませんでした。

25. romio — December 9, 2010 @23:27:55

確かに、
りんごと皿の問題における掛け算の順序に関する定義は
数学のルールと矛盾するものでは無いような気がするので、
数学的に正しいかどうかで追求できるかどうかは疑問です。

しかし、私はそのようなことを言っているのではありません。
少し整理しますが、
「数学的に正しいければ、全て正解にすべきだ」
といったのは、nanaさんが
「どちらも正しい証明だからと言って、同じ点数をつけなければならないという理屈はないと思います」
という意見に対する反論であって、
3×5の話について言っているのではありません。

数学的正しさで教師に反論しようとしているわけではありません。

nanaさんが「どちらも正しい証明だからと言って〜」とコメントされたときから話が逸れています。
そこでの私の言葉を勝手にもとの議論につなげないでください。

26. e10go — December 9, 2010 @23:40:18

私が、

>問題1でも問題2でも、読んだ後に頭に浮かぶ絵は全く同じでしょうから、式の書き方は2通り出てくるのが自然でしょう。

と書いた件ですが、“頭に浮かぶ絵”をKataseさんが“イメージ”で上手く書かれていますね。
これから導かれる式は、3×5でも5×3でもどちらも正解と思います。

27. UJOJO — December 9, 2010 @23:24:23

そもそも,かけ算の式から意味をとれるのでしょうか?
5×3=5+5+5
でも
5×3=3+3+3+3+3
でもいいはずですよね。
(これが違っていたら,ごめんなさい。)

式で5×3と書いても,どちらの考えを用いたのか判断できないので,5×3でも3×5でも正解にしないといけないと思います。

nanaさんへ
小学校2年生が,5×3=5×3や,15=15と書いたら,
ちょっとほめたくなりますね(笑)

もちろん,×をつけますが,
「算数では,自分がどのように考えて答えをだしたかをわかりやすく伝えるのも大事なことだよ。」
と教えてあげます。

5×3でも3×5でも,「かけ算を使って考えた」と判断できるので正解だと思います。

28. かとう — December 10, 2010 @00:16:17

>式1=1 答3×5個
>
>は、「数学的に間違い」ですか?
間違いですよ。
証明に論理飛躍があるので、論文はリジェクトされます。

29. みいのら — December 9, 2010 @23:18:45

お邪魔します。
九九は半分(厳密には半分じゃないですが)覚えればよい、2×9を覚えたら9×2は不要だ、という考えに対し、「それでは『掛け算の順序を変えても同じだ』と思わせてしまう」という理由から、全部覚えさせるのだと聞いたことがあります。
それだけのために、小学校低学年に、大変な時間と労力をかけさせて必要のない知識を覚えさせるのは、非効率なうえ子どもがかわいそうだと思います。
周りに聞いてみても「全部覚えさせられたが結局使うのは半分」という人ばかりでした。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @00:22:55

そう考える先生がいるとしたら、狂っているとしか言えませんねえ。

遠山啓の書いたものを引用しているブログでは、遠山は交換則を自力で発見する子どももいる、と書いているようです。

31. romio — December 10, 2010 @00:10:09

nanaさんへ

3×5についての私の意見ははじめの2つだけです。
その後は、あなたの意見の受け入れがたい部分に対して反論していただけです。

「数学的に正しい」というのは、
数学のルールを守り、飛躍や矛盾が無いということを言っているつもりです。
そうであるならば、正解は正解だというのが私の意見です。


ちなみに、
皿とりんごの問題を正しく理解していることを示しながら解答するならば、
「ひとつの皿に3つのりんごがあり、それが5皿あるので、合計のりんごの数は、皿ひとつあたりのりんごの数と皿の枚数の積となる。従って3×5=15である。」
となるかと思います。
これなら、「3×5」に対して解釈や主観が入り込む余地が無いですし、
正しく理解していることがわかると思います。

Up32. Katase — December 10, 2010 @00:16:26

nanaさん

ここでの「数学的な正しさ」とは、問題文から導かれる式の立て方の正しさだと思います。
「皿が5枚あり、リンゴが3個づつ置かれてます。リンゴは全部で何個でしょう」という問題に対しては、5×3でも、3×5のどちらの式を立てても同様に正しいということです。

ちょっと気を落ち着かせて、私が先に紹介したブログ記事
・それでも自然数の積は可換である 
http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20101116/1289928627Link  

をじっくりと読んでみて下さい。この議論の内容がもう少し把握しやすくなると思います。
また、私が紹介しました「イメージ図」を用いて文章問題を解釈して式を立てて解くやり方も、指導方法の1つとして実際に実践されていたものです。これについては、どうお考えになりますか?

33. かとう — December 10, 2010 @00:22:21

4の段を覚えようとしている時に気がついてしまったので、九九の約半分は唱えられないです。
その為、前の数字が大きい掛け算は、いつも頭の中で交換してます。

34. 積分定数 Website — December 9, 2010 @23:56:50

初めまして。掛け算の順序について、数年前から色々調べている者です。ミクシィでコミュも作りました。
算数「かけ算の順序」を考えるhttp://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118Link

 この件は根が深くて、「掛け算を教えたばかりのときは順序に意味づけをすることが、文章題の意味を考えるようになる」だとか、「子供がきちんと理解しているかどうかの目安になる」というような話、(そのことに異論はあるが、意見としては理解出来ないわけではない)

が、いつの間にか、「特定の順序に書かなくてはならない」というルールがあると思い込む人が出てきて、

 さらに、「順序を間違いないようにするには、単位に注目すればいい。答えの単位と掛け算の左側の単位と一致すればいい。林檎が5皿に3個ずつ、なら、3個の方が先に来て、3×5とすれば正しく式を立てられる」などという指導がなされる。冒頭に挙げた順序に意味を持たせることのメリットが仮にあるとしても、この方法でぶちこわしになってしまっている。

 さらに、今度は、「答えの単位と掛け算の左側の単位は一致する」というルールがあると思い込む人まで出てきて、
「5×3=15 だと、5皿が3組みで、15皿という意味になる」などと言いだし、

 勝手に作った「ルール」を根拠に、「だから、5×3は間違いです」などとむちゃくちゃなことを言う教師まで出てくる始末です。

http://star.ap.teacup.com/applet/hoshimaru/20061121/archiveLink
抑々 4 × 5 には, 4 の五倍という意味があります。 4 人の五倍では答が 20 人になってしまいます。 これでは問題文の内容を理解しているとは言えないのではないでしょうか。 五枚ずつ四人にという文章題に当てはめると, 五枚の四倍で答は二十枚, 5×4 という式が妥当なわけです。 その文章に応じて式を作ることを, 指導していかなければなりません。

 数学者や物理学者の子供が掛け算を小学校で習うようになって、「掛け算の順序」というものを知って驚愕するということがあるようです。

 このこと自体が、掛け算の順序が数学的にはナンセンスな傍証なのですが、「算数と数学は違います」などと、単なる科目の名称の違いを利用して訳の分からない「反論」まで登場します。

http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=1Link

これを読んでいると、暗澹たる気持ちになります。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @00:51:36

初めて掛け算を習う子どもに、どう教えるとわかりやすいか、というのが元もとの発想だったはずなんですよね。ところが、それがドグマ化して「守らなくてはならない決まり」と考える先生が出てきた。
実にナンセンスだと思いますし、実際そういう指摘は多いのに、どういうことなんでしょうね。

「どちらでもいい」を認めないというのは、非常に危険な思想だと思うのですけれど

36. ヤスラカ — December 10, 2010 @00:29:20

主人と、もてなされる客がいて、夕食に魚が出たけれど、主人の魚の方が大きくて、客が「御主人『蘇』という字はどう書くんだっけ?」と問う、たしか中国の笑い話を思い出しました。
議論には全く関係ありませんが。

私も九九を覚える時に、交換則を自力で発見したクチです。
いや、同級生が発見したのを教えて貰ったのかも知れませんが、ずいぶん昔の事なので記憶が定かではありません。小学生高学年の頃、ごく単純なソートアルゴリズムを自力で発見できたので、交換則の発見も自力だと信じたいんですけどね。
交換則に気づいてなければ、たぶん私も九九の暗記はできなかったんじゃないかなぁ。

ちなみに冒頭の笑い話は
主人「くさかんむりの下に、魚禾と書くよ」
客「禾魚じゃなかった?」
主人「魚はどっちに置いても正解なんだよ」
客「じゃあこの魚はこっちに置いてもいいよね」と、大きい方にありつけるオチでした。

Up37. うさぎ — December 10, 2010 @00:37:36

ちょっと茶々みたいになりますが、子供への教育という観点で言うと、積の順番を気にするように指導する、という国が複数ある事実を鑑みるに、やはり教育上、それは意味のあることなのでしょう。

人類が乗法にたどり着くまでにはまず代数系AへのZ作用という概念の方が早くできて、それはつまり知能が未発達な状態でも分かりやすいのでかけるもの、かけられるもの、というのをきちんと区別する教え方が発達したのだと思います。たまたまA=ZだったときのZ作用が乗法、という新しい演算を人類に気付かせるきっかけになったのでしょう。

結局早熟な子で、早くに抽象化ができて「かけざんの順番なんてどうでもいいじゃん」って思えた子をどうケアするか、という問題になるのでしょう、大人で変にかけ算の順番に拘泥して頭が固くなってしまっている人たちに対する問題はともかくとして。(去年の夏、この問題を知ったときから思っているのですが、こだわる人にルベーグ積分の発想を教えたら「絶対に正しいと認めない!」って言われそうな気がします)

PS 考えてみると、普通、人々は実数の四則演算はどうやって身につけるのでしょうか?次元をもたない実数、という概念は大変高級なものでしょう。私自身は本来は次元を持ったものの積において次元を無視する事によって積概念を習得した気がします。そしていままで生きてきたなかから、世間のほとんどの人々も同様だと断言できます。あと、水道方式で用いられる
「**あたりの量」なんてガリレオは最後まで用いなかったはずで、そんな高級なものを幼児に便法で教えることを不思議に思わない、という人がいる時点でおかしな話ではありますね。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @01:42:30

ええ、導入時には順序つきで教えるほうがよいという考えかたはあるのだと思います。そこまで否定するほど、算数の初等教育を知っているわけではないので、まあそれはそれでいいかと。
ただ、おっしゃるとおり、掛け算の導入が「いち単位あたりの量」というのは、本当にいいのかどうか疑問ではあります。本当にそのほうが理解しやすいのかなあ。不思議です

ツイッターで言ったことのひとつは、「学校で習う前から交換則を知っている子ども」のことでした。明らかに正しいことを単に教える都合だけで「適切でない」とするのは、教育として間違っていると思います。
もっというと、正直、習ったか習ってないかなんてのは、どうでもいいんです。知っていることは(それが正しい知識であるかぎり)自由に使っていいはずだし、それを「習っていないから使うな」といのはおかしいですよ。算数に限らず

39. なべ — December 10, 2010 @01:24:08

既に何名かの方から英語では日本でこだわっているのとは逆順ではないのか?という指摘がありましたが、実際に子供が日本で教えられているように回答したら×を喰らったという話がありました。

http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-55.htmlLink

40. はむのり — December 10, 2010 @02:03:36

はじめまして.

私は, 式をたてる段階においては, (値ではなく) 式の表現にも意味があると考えています (考えたい). 日本語において「3かける5」という式は, それは3が5つ (分) を意図したのだろうととります (英語では「5 times 3」と順序が異なることになります). この意味では, 3×5と5×3は違う考え方の表現だと捉えています.
ここの部分においては, 乗算に交換法則が成り立つとはいえ, 式を立てるにあたっては逆にするべきではないと考えます. (式を立てた後でなら, 5×3 = 3×5 = 15としても問題ない, がこの式変形は小学2年生の表現ではないですね...)

一方, 「5つの皿にりんごを3つずつ」ですが, これについては 5×3 も 3×5 も両方ありうる, が私の答です. 聞かれた時で考え方が異なりますので. 「1つの皿に3つ置く」を5皿分やるとすれば3×5, 「5皿に1つずつ置く」を3回繰り返すとすれば5×3, 英語で考えて式をたてることもありそうです.
教育の限界があるので, 考え方のどれかから教えることは当然仕方ないと思いますが, 違う考え方に対してペケをつけるのはやりたくない/やってほしくないと今は考えています.

# プログラミングの教育をやっていると, 程度は違えども似たようなことがあります...

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @02:18:06

日本語か英語かで逆順になってしまうという時点で、既にそれは数学でも算数でもないですよね。僕なら、英語圏で教育を受けた帰国子女はどうするか、とか、考えてしまいますが。

数学の式を使う以上、数学のルールに従うべきで、数学ではない勝手なルールを持ち込むメリットはどこにもないと思います。数学のルールは問題が英語で書かれているか日本語で書かれているかに左右されません

交換則を習っていなかろうと、自力で発見する子はいます。正しい知識であるかぎり、それをどう使おうが自由だと僕は考えます。
要は、文章題を読み取って定式化できる能力があればいいので、掛け算のように交換則が成り立つものをどう書こうが、それは自由です。
同様に交換則が成り立つ足し算については、順序をうるさく言う人はあまりいないようですが、実のところ足し算も掛け算も交換可能な演算という意味では構造はまったく同じなので、足し算と同じに扱っておけばいいです

Up42. はむのり — December 10, 2010 @02:22:09

きくちさんのおっしゃる通り, 式の読み方や理解は数学ではないですね. ただ, 算数でもないかというと, 算数ではあっても良いのかな, と. 算数における文章題は国語の一部かもしれません.

数学の表現する世界と, 生活する世界との間には何らかの橋渡しが必要で, それが数式で表現したときの読み方や理解だと思うのです. その中間の部分には, 慣習や考え方といった数学ではないルールがあっても良いと考えています. どうでしょうか.

足し算の場合は, 2つを区別できない場合もあるのでうるさく言われないのかもしれませんね.

43. かみなりびりびり — December 10, 2010 @03:18:03

きくちさんの意見には基本的には賛成ですが「ローカルルールを押し付ける」なら、テスト用紙ごとにローカルルールを書け。省略するな。って感じですかね。

ただ、きくちさんが以下のような意見にどう反論するかはみてみたいです。

答えを導出する式は書かなくてもよい。式を書こうが書くまいが、問いの答えが数学的に正しいのであれば数学的に正しいのである。

仮に式がきちんと書いてあっても本当にきちんと理解しているかどうかは判断できないし、それの判断は別の形式で問うのが正しい。

確率の掛け算に関する問いであっても、よくわかんないけど適当に数字を掛け算したらたまたま答えがあっちゃったって事もあるし、本当に理解しているかどうかは、式が正しいかどうかなんかでは判断できない。

だから導出する式は書かなくても良い。数学的に答えが合っていさえすれば良い。十分に学習した子供から見れば3×5レベルはとても飛躍とは言えない。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @09:06:25

ああ、その質問は当然「あり」ですが、それは何をしたいかによりますよね。
それに対する回答は一意ではないです。

まず、この問題を「テストの解答」に限定するのは正直、問題を矮小化しすぎだと思います。

それを前提に、敢えてテストの話だとすれば、まず「式を書け」という指定に式を書かないのは自明にだめですよね。
そういう自明な場合ではないとして、僕は式を書く余地があるときは書いたほうがいいと思います。それは、最後の答が間違っていても途中まで正しいかもしれないから。
しかし、「答を書け」の指定もなく、「式も書く約束」でもないときに正しい答だけが書かれていたら、それは正しいとしか言いようがないです。学校の試験なら、普通は「式も書け」と口頭ででも指示されるのではないですかね。あるいは普段からの約束か。

いや、テストだけの問題じゃないです

45. Katase — December 10, 2010 @03:05:57

はむのりさん

算数は国語とは違っていると思います。
日本語や英語などの言語の上に算数が成立しているのではありません。
例えば、私が先に示した「イメージ」を抽象化して解く方法は、まず問題文を読み取ってからイメージを掴みますが、そこから先の式の立て方は日本語からは離れていきます。

実は、算数の文章題はこの様なイメージを経て計算式を立てるのが本来なのではないかとも思っています。
日本語から直接数式に"翻訳"してしまうと、どうしても日本語にひきずられてしまい、数式に日本語の文法に合わせた本来には無い制約が加えられてしまいます。

教え方によっては、日本語から直接式を立てさせようとして、日本語の文法に合わせた順で決まりを作ってから掛け合わせる数の順番を教える方が良いとする「流派」があっても構わないとは思いますが、それを絶対化してしまうと算数の本来の性質を踏みにじってしまい、教え方としてはまずいと思います。

文章題の真の目的は、その意図を読み取って的確にイメージを掴むことができるかどうかではないかと考えています。(ここまでは、日本語の読解力が関わってきます) その先は、文章から抽出したイメージから直接、数式に置き換えていけば良いのだと思います。

もう一度例を出します。

問題:皿が5枚あり、リンゴが3個づつ置かれてます。リンゴは全部で何個でしょう。
         皿  
         ↓
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●

ここから先は、5×3でも3×5でもどらでもOKだと思います。

多くの人が、「日本語」に引きずられ過ぎているのではないかと思います。

46. ゆんゆん探偵 — December 10, 2010 @03:36:37

この問題に関して検索してみると、少なからぬ人々が大人になっても
「掛け算の掛ける順番には正しい正解がある」と思い込んでしまっているようで、
それはやっぱり教え方に何らかの問題があるのだと思います。

会社の書類で掛け算の順序が逆と言って怒られるとか、あまりにもナンセンス。

Up47. 50過ぎのオジサン — December 10, 2010 @04:51:39

はじめまして

積分定数さんも来てますね

この問題の根っこは、掛け算順序問題ではなく
目の前にガウスが現れたら、彼の才能を認めるか否か?ですよ

合計だから加法しか認めないのであれば彼は抹殺されるしかない

48. ジルベルト下大利 — December 10, 2010 @07:12:39

私もガウスのエピソードを思い出しました。
もしかしたら順番にこだわることで大切な才能を潰しているのかもしれない。
その危険を冒してまで順番にこだわるなら3x5が正しい理由も書かせないといけないでしょう。

「箱が5つあって、中を開けるとそれぞれりんごが3つ入っていた。合計はいくつ?」という問題だったら、
単位派とストーリー派に分裂しそうな気がします。

ちなみに九九については、耳で聞いたときに計算しやすいから全部覚えることも意味があると思います。

49. kurita — December 10, 2010 @07:40:31

> 多くの人が、「日本語」に引きずられ過ぎているのではないかと思います。

 ↓ 日本語に引きずられるどころか、日本語を引きずり倒してまでこの「順序」にすがりつく人がいます。

http://blog.livedoor.jp/sekichan7_com/archives/50684447.htmlLink
> 「3人が8個で……という日常会話は,ありえないよね(笑)」

「3人が8個で…」はありえないから、3x8は間違いで、8x3でなくてはならないんですと。 f(--;
日本語なら「3人に8個ずつ配れば24個」でまったく問題無い… ってなことを三年以上前に書いておりました。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1183478389#CID1184026678Link

積分定数さんのあげられた以下のような発言もよく見かけますが、こういうのを見ると、算数教育としての問題のみならず、教師としての姿勢に大きな問題があるとすら思わざるをえません。

> 「5×3=15 だと、5皿が3組みで、15皿という意味になる」

子供が解答欄に「15皿」とでも書いたのならばともかく、「15個」と答えているにもかかわらず、「5x3だと皿の数を求めることになり、個数を求めるという問題の意図を正しく理解していないことは明らかなので、数字は合っていても答えとしては間違い」というようなことを、あたかも普遍的な事実かのように言える教師(あるいはその代弁者)がいることにはいつも驚かされます。 「5x3」と書いた子供のうち、いったいどれだけの子が「皿の数を求めようと意図した」と言えるのか。 子供がどう考えていたかは子供に聞いてみればわかることだし、テストするのであればそのことを確認できる問題を作ればいいだけのことです(ちっとも難しいことはない)。 しかし、指導の手引き書だか先輩の教えだか、聖典の記述だかの方を“リアル”だと思っているのか、子供が実際に何をどう考えていたかを理解しようとすることよりも、ドグマに従うことのほうを大事にしているようにしか思えません。(って、以前に書いたことの繰り返しだ。いつまで続くんだろ… (TT)

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @11:29:37

あはは、何度も何度も出てくる問題ですね
1970年代からあるそうです

要するに「教条主義」の問題そのもので、本質と関係ない「決まり」なんですよ
結論も1970年代から変わっていないのでしょう

51. Katase — December 10, 2010 @08:07:53

> ↓ 日本語に引きずられるどころか、日本語を引きずり倒してまでこの「順序」にすがりつく人がいます。

本来は低血圧な私が、朝から血圧が上がりまくりそうなエピソードばかりで、くらくら(@_@)しています。

nanaさんの
>時代(あるいは、雑誌が扱っている分野)によって、よく知られている数学的な事実は変わります。

という考え方は、よくニセ科学を信じてしまう人達と同じ様な論調で、とても危うさを感じます。
数学を含めた科学一般に言えることですが、科学とは、積み重ねの学問であり、その土台となる部分はとても幾重にも確かめられたしっかりと安定したゆらぎのないものです。

そして、そのしっかりとした土台の上に乗っかった、科学知識の最先端の部分では、まだ確認が不十分なのでいろいろな人によって検証を繰り返されて書き換えられたりしながらより確かなものにされて、さらに上積みされていきます。
現在でも、この土台はとても頑丈でびくともせず、どんどん上積みされてもぐらつかずに科学は安定して発展していっています。

さて、ここで算数の「四則演算」の法則は、ゆるぎの無い土台部分にあります。時代によってひっくり返るなんて怪しげなものではありません。

52. ヤスラカ — December 10, 2010 @07:54:56

ジルベルト下大利さん、おはようございます

最後の一文だけに茶々を入れてしまいますが
「九九を全て覚えることに意味が無い」と言っている人は多分いないくて、「交換則に気づかれてしまうといけないから、全て暗記させるのだ」という考え方がおかしいという話ですよ。
そういう意味では、この教師は「答えはあってるけど途中の式(考え方)が間違っている」例ですね。

ちなみにガウスのエピソードは私も思い浮かべたと同時に、高校(工業)の授業で「1からnまでの整数の和を求めるプログラムを作れ」と問われた時に、ループを使わずに「print (1+n)*(n/2)」とやってマルを貰った事を追記しておきます。
ガウスのエピソードを知っていたからこそたどり着いた回答なのが残念ですが(苦笑)

UpOwner Comment きくち  December 10, 2010 @09:14:56

プログラミングの問題だとすると、正直に足すより
print (1+n)*(n/2)
のほうが計算量が少ないので、文句なく正解ですね。

54. tadys — December 10, 2010 @07:59:12

nanaさんへ
>私は最初に、「答案は問題の文章と正解を適切につなぐように書け」と指導すべきだ書きましたよ。そこを読んでもらっていないようですね。

どこに書いてあるんですか。書いてもいないことは読みようがないです。

もしかして
>「1から10までの和」という文と答えを適切に繋ぐようにプログラムを書け、というのが通常の解釈だ、と思うので

の事ですか?
プログラムの事と算数の事は別だと思うのですが。
このプログラムを文の通り書けば
int x ; x = 1+2+3+4+5+6+7+8+9+10 ;
となりますが、これで満点をもらえますか。
「1から10000までの和」でも同じでいいでしょうか。

ところで
問題1「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」
続けて
問題2「5枚の皿が有ってリンゴが3個ずつ置かれている。リンゴは全部で何個か」
が有った場合、
問題1の答え、式: 3×5 = 15 答:15個 は良いとして。
問題2の答えとして、下記の式Aよりも式Bを書く人のほうが頭がいいと思いますね。
なぜなら、問題1と問題2が同じ問題だという事を理解しているでしょうから。
式A: 5×3 = 15 答:15個
式B: 3×5 = 15 答:15個

式Bでは駄目だというのであれば、問題1と問題2が異なるという事を国語の問題ではなくて説明しなくてはいけないでしょう。

55. うさぎ — December 10, 2010 @08:45:24

nanaさん、
>そして、小学生レベルで飛躍が大きいとされるものが、大学生レベルでは飛躍が大きいとはされない、ということはあると思います。時代(あるいは、雑誌が扱っている分野)によって、よく知られている数学的な事実は変わります。あまり知られてない事実を適切に説明せずに使えば、飛躍として受け取られます。だから、こういうのはローカルな判断では?

まあ、そうですね。一番いいのは5×3とやった子を一番褒めてあげることかも?一段早く抽象化、という困難な階段を登ったんだから。一番いけないのは、その方面に疎い教条主義的な先生が5×3を否定する事でしょう。なお、日本語レベルでも5×3にいくらでも理屈がつく(そして縦横を置き換える、という行為はその後の数学的発想においてとてもとても重要になってくる、つまり5×3的な考え方は数学を学ぶ上でとても重要)わけで、3×5と5×3に違いがあるとすれば後者を行った方がより褒めてあげるべき存在だ、としか考えられないでしょう。ほんと、初等教育には疎い者なのですが、小学校低学年の場合なら褒めた方が伸びるし、他人が褒められているのを見て発奮こそすれ劣等感を持つこともない、と思うので。(あくまでもマスで考えた場合、子供達が劣等感を持つ可能性がある場合、優れた少数を抑制して、大多数の「平凡」な子達を「正しく」導くのには意味があるかも知れませんが。あくまでも、の話)

56. しむら — December 10, 2010 @08:06:34

1 あたり量×個数というのは、連続的な量の計算の場合にも統一的な説明ができる利点があると書いてあったように記憶しています。

図に書くことで、3個×5 と 5個×3 が同じであることの直感的な説明はできます。同じ状況を別の見方で述べているだけですから。しかし、3 kg/l × 5l が 5 kg/l × 3l と同じであることが同様に説明できるかといったらそれは無理な相談でしょう。

かけ算を適用する状況としては、長方形の面積のような対称なものよりも、非対称なものの方が圧倒的に多いので、基本的な説明として、1あたり量×個数を選んだと書いていたように思います。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @09:53:49

ええ、それも理由なんですが、そのやりかたで連続量×連続量にいくためには、かなり無理のある展開が必要です。

だから、どこまでをそのやりかたで説明するか、なんです。
導入のしかたとしてはかまわないのですけど、それで最後まで説明しきろうとすると、面積の計算などでかなり無理をすることになります

「導入のための便法」と割り切ればいいのに(たぶん、遠山などはそう考えたのだと思います)、なぜか「それが正しい」と思い込んでいる先生がたがおられるようなのですね

極端な話では、長方形の面積は「縦×横」が正しいか「横×縦」が正しいかという議論まであるらしいのですけど、それはいくらなんでも馬鹿馬鹿しすぎます。さすがにそれは例外と信じたいですけど

Up58. kurita — December 10, 2010 @09:17:00

> print (1+n)*(n/2)
> のほうが計算量が少ないので、文句なく正解ですね。

茶茶入れですが、n が「整数型」ならば2で割ると困る場合もあるので、
  print (1+n)*n/2
として、確実にすべて整数型で計算した方がお得です。 :P

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @09:55:59

あ!

60. disraff — December 10, 2010 @09:10:10

nanaさんはどうも「数学的に正しい」の意味を妙に限定的に決め付けたがっているようですね。「1=1」を単独に取り出せばそりゃ大概の公理系で「正しい」命題でしょうが(そうでない公理系が全くない、と言い切る知識はない)、そんなことを言ってるわけではないのが本当にわからないとすれば驚きと言わざるを得ません。

だいたい、「数学的な間違い」と「論理的に飛躍が大きい」ことを混同している、とはいったいぜんたいどういうことでしょうか。論理抜きの数学、というものを寡聞にして僕は知りませんけれど。

61. かとう — December 10, 2010 @09:26:41

nana — December 10, 2010 @07:46:53
を読むに、等号が成立していると言う事を、「数学的に正しい」と呼称
しているようですね。
どおりで話がかみ合わないわけです。

62. SF物理マニア — December 10, 2010 @09:30:52

nanaさんへ

数学での証明論理方法は、3段論法、背理法、帰納法とかの方法がありますが、あなたがいおうとしていることは3段論法に相当すると思います。
しかし、「1=1」は3段論法の前提条件にはなりえません。

Up63. ドラゴン — December 10, 2010 @10:13:43

みなさん こんにちは。

すごく盛り上がっていますね。
以前、kuritaさんとこの話題で話し合ったことがありますね。
こうした議論は、出ては消えを繰り返しているようで、まだ決定的な答えはないようです。
いろいろな文献等を見ても、「順序」について明確に書かれたものは、見たことはありません。
唯一、これくらいでしょうか。
http://m-ac.jp/me/instruction/subjects/number/composition/book/doc/composition.pdfLink

以前、教員養成系の数学教育担当の先生にお尋ねしましたが、「それほど厳密にはこだわる必要はない」というお話しでした。
ある研究者が、学習指導要領の変遷を調べて、昔は厳密にしたが最近では厳密に順序にはこだわっていない、と書かれた雑文もありました。
それで、今はそんなにこだわっていないのかな、という認識でした。

いくつかの文献や研究者の話の断片から考えると、次のことが言えるようです。
・式の数字の3×5のそれぞれの「3」や「5」が何か理解する
 (例えば、たし算でも、3時に5人いて、4時に3人きましたという問題で、3+5+4+3としてしまう子どももいます)
・まとまり×いくつ分という見方を身につける
 (これができないと、アレイ図などを見ることができなかったり、表にまとめたりグラフに表すことができません)
・○の△倍という見方を身につける

こうしたことが重要で、順序についてはそれほど重要でないような印象です。

九九については、昔から議論がありました。
この文献に詳しいです。

http://nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/1984/1/AN00075153_36_pp203-270.pdfLink
230ページあたりです。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @10:38:17

順序を気にしない先生ももちろんおられて、どちらが多数派なのかはわかりません。
少なくとも、「正しい順序がある」と考えるかたが例外的というわけではないようです。

実はこの話が最近また話題になったのを見て、昔ながらの「掛ける数と掛けられる数」論争かと思いました。ところが、実は今は「掛ける数と掛けられる数」ではないのですね。
いや、そもそも「掛ける数と掛けられる数」なのか「単位あたり量といくつ分」なのか、という「解釈問題」が起きることからして、数学とはまったく関係ない「算数教育の路線問題」にすぎないことは明らかなんですけど。

単なる教育上の便法なのに、ある流儀だけを「正しい」と信じる先生がおられるというのは、驚くべきことです。

65. ちょちょ — December 10, 2010 @10:07:06

高校まで深く突き詰めずに数学の授業を受けていた素人者なので、なかなか話についていけてないのですが、皆さんの話を読んで少しわからないことがあったので教えて頂ければ幸いです。

>さらに、今度は、「答えの単位と掛け算の左側の単位は一致する」というルールがあると思い込む人まで出てきて、
>「5×3=15 だと、5皿が3組みで、15皿という意味になる」などと言いだし、

5(皿)×3(個/皿)=15(個)

じゃないのでしょうか? 15皿にならない気がして、不思議なのです。
もちろん、本題と外れた話になると思うので、どうでもいいことかもしれません。でも、どうして15皿って言えちゃうんだろう? よくわからないのです。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @10:42:51

「謎ルール」なので、しかとは理解していませんが、「単位あたり」が先というルールにしたがうと
5(皿/個)×3(個)=15(皿)
と「書いたことになる」という判断でしょうか。

5(皿)×3(個/皿)=15(個)
では普通なので、これは「謎ルール」に則っていないのだと思います。

67. disraff — December 10, 2010 @10:32:50

ちょちょさん>
引用部にある通り

 「答えの単位と掛け算の左側の単位は一致する」というルールがある

と思い込んでいるから、ですね。

掛け算すると単位も掛けなければならない、ということが理解できてないものと思われ。5km/hで2時間走ったら10km/hで走れ、2時間の間5km/hで走ったら10時間かかる世界で生きている人なのでしょう、きっと。

UpOwner Comment きくち  December 10, 2010 @10:46:53

「一致する」の意味は、「○○あたり」を取り除いた分に一致、という意味と好意的に解釈

いずれにしろ、謎ルールです

69. Isshocking — December 10, 2010 @10:19:26

きくちさん:
>プログラミングの問題だとすると、正直に足すより
>print (1+n)*(n/2)
>のほうが計算量が少ないので、文句なく正解ですね。
外れたところに突っ込んでしまいますが・・・
実務的にはプログラミングのコスト(たとえば、式導出にかかる時間)も無視できないので、この場合はローカルな正解と呼ぶべきかと思います。
一般的には任意の数列を与えられてその和をとる場合、このようにきれいに式変形できるほうが例外で、単純に足したほうが短時間で間違いのないプログラムになりますし、応用も効きますね。
日数計算や曜日計算がその例です。ジュリアン日の公式が既知でなければ、式を考えるよりベタなプログラムを作ったほうが早い。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @11:07:24

プログラミングするなら、数論とか知っとくといいよ、っていうのがKnuthたちのConcrete Mathematicsという本ですね

知らないならしかたないが、知っているなら使うほうがよく、知っていて損になることはない。って感じでしょうか

71. ヤスラカ — December 10, 2010 @10:49:24

kuritaさん、こんにちは
茶々に言い訳するという無粋をします

じつはnは浮動小数点型だという事を暗示するために *(n/2) と書いたのですよ。この問がだされた時はBASICの授業でした。
nが整数型だとすると *n でオーバーフローしてしまう場合があり、素直にループを組んだものに劣ります。ざっと計算してみると、符号つき16bit整数型で180くらいでオーバーフローしますね。
当時そんな事まで考えていたかというと…実は考えていました(自慢)
この頃たまたま、学校では習わないCを独習していましたので、偶然ですけどね。

ちなみに、師匠にも巡り合わず、独習の甲斐もあって、今では普通の人です(笑)

72. SF物理マニア — December 10, 2010 @11:08:19

計算式を立てるためのモデルの選択プロセスの問題であると思います。
ベストなモデルは、「3個/皿x5皿」なモデルであると思います。
これは5皿x3個/皿でもいいのですが、係数・単位量形式を考えると、3個/皿が係数部であり順序的には、前に持ってくる方が慣例になっているので3x5がベストとなります。
できれば、単位表現形式も一緒に教えるといいと思います。

UpOwner Comment きくち  December 10, 2010 @11:37:30

モデルの問題であることは認めますが、「ベスト」については「主観の問題」と思います。
「係数・単位量形式を考えると、3個/皿が係数部であり順序的には、前に持ってくる方が慣例になっている」という前提そのものが、主観的に選ばれたモデルです。そもそもどちらが係数でどちらが単位量(?)かよくわかりません。

たとえば、われわれは
PV = NRT
と書きますが、これはRTが「1モルあたり」でNがモル数です。
物理学では「いくつ分」を先に書くほうが普通です。

ベストなんてものはないです

ただ、「自分にとってのベスト」は当然あると思います。僕も「自分の順序」はあります。それは主観と「業界の慣例」で決めているものに過ぎないのですが

74. Isshocking — December 10, 2010 @11:59:56

低学年の掛け算・割り算は
・比例概念の習得
と、それに全般的な目的として
・抽象化された数値・数式
へのつなぎの意味があると思います。
ここを配慮せずに、空間的に配置された「皿」と「みかん」、しかもどちらも具体物だから枝葉末節にからんでくる人が出てくるんだと思います。
プログラミングで言えば、もともと多次元空間の話をどうシリアライズして表現するかの問題だと思うんですけどね。
例えば、空間軸ではなくて時間軸、「1時間に3個みかんを食べます。5時間では何個食べますか」なら、3個を先に持ってきても5時間を先に持ってきても等価だとわかるような気がしますが。
分配の法則とか、この後に控えてますから、あまり生活哲学的な意味を付与してしまうとかえってややこしくなるだけで、学習的なメリットはないと思います。

75. ヤスラカ — December 10, 2010 @12:29:12

私は、いつもはROMだというのに、こんな話題にだけ立て続けに反応するのは、程度が知れるというものです。困ったものだ。

Isshockingさん、こんにちは。
実務的には不正解だというのは同感ですが、「ローカルな正解」ではなく「ローカルな不正解」だと思いますよ。多人数でのプログラミングなら、メンテナンス性も考えなければなりませんしね。
でも、学校の授業(実習)でのプログラムなら、そんな縛りはないでしょう。

じつはこの答を提出した時、先生にも「インチキじゃないの?」みたいに訊かれましたが「こういう考え方で式を導きました」と説明してマルをいただきました。もしこれが、考えなしの参考書まる写しなんかだったら、マルはくれなかったんじゃないかな。

ご存じかもしれませんが、紹介しておきます。
[良いプログラマは数学を学ぶ、方が良いと思う]
http://www.mars.dti.ne.jp/~kshara/progmath.htmlLink

話を本筋に戻しますが、5×3=15がバツになるのも「ローカルな不正解」で、それを学校でやっちゃうのが問題なんじゃないでしょうか。
私はきくちさんの
>文章題を数式に直すときには順序が決まっている、などというのは、誰かが勝手に言っているローカルルールに過ぎません。
に同意します。


それからSF物理マニアさん、こんにちは。
>できれば、単位表現形式も一緒に教えるといいと思います。
こんな事を書くと「この人、深く考察することなしに書いてるな」と思われますよ。
割り算はおろか掛け算の交換則も習ってない小学生に「個/皿」なんて単位教えられるんですか?

76. トンデモブラウ — December 10, 2010 @12:59:17

道具の使い方を教える、教え方に方便があってもいい。
使い方を覚えた道具をどう使おうが自由、間違った使い方をしなければいいだけ。
 
要は、物差しで重さを測ろうとする子供ができないようにすればいいのだよ。

77. NiceDancer — December 10, 2010 @12:50:18

現在、小3の息子が、小2のときに、5皿×3個=15個という回答をして×をもらって帰ってきました。家で息子に、「どうして間違いなの?」と聞かれても、上手く答えられませんでした。
いろいろ調べると、積分定数さんが書かれていた通り、「サンドイッチの法則」でかけ算の順番を教えているとのこと。左項の単位と答えの単位で右項がサンドイッチされていなければならない、と教えているそうです。息子に、先生がこんな説明をしていなかったかを尋ねると、「確かにそう言っていた」とのことだったので、「じゃあ、このテストではそう書きなさいってことだよ」と答えて、お茶を濁してしまいました。

その後、息子の家庭学習教材を確認したところ、全ての模範解答が「サンドイッチの法則」に従っていました。教育現場の主流はこうなっているんだ、と納得するしかないのかと、その時は思ってしまいましたが、大人が理由を説明できないことを、子供に強制するのって、なんかおかしいですよね。

UpOwner Comment きくち  December 10, 2010 @13:50:34

それはもう「考えかた」を教えようとしているのではなく、規則を守らせることが目的化しているとしか思えませんね

教えかたはいろいろありうると思うんです。特に「最初をどう教えるか」については、さまざまな工夫や議論の歴史があります。ただ、それはあくまでも教えかたであって、そこで教えられるものだけが正しいというわけではないんですよね。

模範解答が「サンドイッチ」で統一されていても、それはそれでいいのですが、じゃあ逆はだめなのかといえば、逆も正しいわけです

どうやら、それを理解していない先生が少なからずおられるようで、困惑します。

79. Isshocking — December 10, 2010 @13:07:07

NiceDancerさん:
>左項の単位と答えの単位で右項がサンドイッチされていなければならない
そりゃ、教材が間違ってます。
15個というのは「みかん」だけの属性しか持ってません。順序をを入れ替えるだけでは「皿」は消えません。「皿」は「みかん」を空間的に区分するためにあるだけで、皿をなくしてテーブルに直接みかんを3個づつ並べたらどう説明するんでしょう。

80. kurita Website — December 10, 2010 @13:28:42

「サンドイッチ」で調べてみたら、また色々とわたしの癇に触るものが… (TT)

http://edupedia.jp/index.php?%A4%AB%A4%B1%A4%EB%BF%F4%A4%C8%A4%AB%A4%B1%A4%E9%A4%EC%A4%EB%BF%F4%A1%CA2%A1%CBLink
『こんなことをくどくど言っても2年生の子供には分かりません。そこで、こんなふうに言います。
「かけ算は、後ろと前で、単位がいっしょです。サンドイッチになるように書いてください。」』

…これはヒドい。 指定の順番を守らせることが目的化していて、たとえそれが出来ていたとしても子供がかけ算に関する何かを理解していることにはならないし、そもそも理解することすら要求していない。 子供たちに何を教えているつもりなのか知りませんが、もはやそれが算数でないことは確か。 何のためにこんなことをしているんだろうか。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @13:53:30

もっとくらくらする教育法がありますよ。

http://www.eonet.ne.jp/~mnzbo645/kakekakerare.htmLink

ここまでばかばかしいと、いっそすがすがしいです

さすがはTOSSですね
これが「法則化」の真髄なのでしょう

「かける数」と「かけられる数」のどっちがどっちかわからなくなるのは、それが「どっちでもいいから」なんですよねえ。
意味のないことを意味のないやりかたで教えるという意味では、辻褄はあっています。

82. くろぶた — December 10, 2010 @13:50:30

ROMしてましたが,初めてカキコミしてみます。

原則として,きくちさんのおっしゃることは良く理解し,賛成です。ただ一点だけ気になったことがあるので,ちょっと書いてみます。

この問題の本質はむしろ「ヒッカケ問題」になっていたということの方にあり,また,これは,数値演算の交換に関する部分よりも,「文章題の立式」に関する教育法の問題なのではないかと思うのです。

といいますのも。ボクは昔,塾でバイトをしていた時に具体的に目の当たりにしたのですが,とりわけ低位の生徒で,「全く文章題の文章を読まずに」「文章中に出て来る数値を抽出して」それを「当単元でやっている演算にそのまま適用する」という,非常になんといいますか「文章題に対応するための」「経済的な方法論」を独自に編み出してしまう子がいるのですよね。そもそも意味は全く考えないの。

そういうのが,加算・減算の後の単元である積の問題でも克服できていないままであることも問題なのですが,もしかしてそういう状態の生徒を発見して注意喚起するために,あえて×にするということも,きちんとそういう指導であるという意味でのコミュニケーションが取れているという前提の上なら,許され得ると思えなくもないのですが。

ボクも初等教育の専門家でもなんでもないので,詳しくは解りませんし,きくちさんのおっしゃるように,それが単なる教条主義ならダメというのは全く同意。なので,あまり「こういう(数学的な)理屈で」「こう書かなければダメ」という「理論武装」には全く意味が認められない。

だけど,とにかく,上記のような,「意味の無い」「経済的な方法」をどの段階でどのように打破しようとするのか,という点が,教育方法論の範囲で論点として残ると思うのです。

UpOwner Comment きくち  December 10, 2010 @14:02:50

はい、なぜそういう引っ掛け問題を出したのかについては説明されていて、まさに「問題文に出る数字を何も考えずにそのまま書く子どもへの指導」でした。

しかし、これは筋が悪い。なぜなら、「正しい式を間違いとする」ことでなんらかの理解度を測ろうとしているからです。特に、学校で習うより先に自力で算数の勉強をしちゃってる子どもの理解度はこれではまったく測れないでしょう。
「正しいものは正しい」は守るしかないと思います。

遠山の本を読むと、式を書く前にまずは「いち単位あたりの量」「いくつ分」を表にする練習が推奨されていました。水道方式できちんとやりたければ、要するにそういうことをさぼってはならないのでしょう。
これはたぶん「水道方式」が本質的に抱える問題ではなく、それを適当につまみ食いして、単なる教育技術にしてしまっているのがいけないのでしょうね。

僕のこのエントリーでは、引っ掛けであることよりは、むしろ「掛け算の順序は決まっている」というドグマについて書きました。

84. Katase — December 10, 2010 @13:54:40

黒木玄さんが、
・かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.htmlLink

との記事をUP(2010年12月7日更新)されていました。
黒木さんも、私と同様にタイルを使って抽象的にイメージ化してから数式を立てさせるやり方を紹介しています。

Q&A式でとても良くまとめて書かれているので、分かり易くお薦めです。

85. TAKESAN — December 10, 2010 @13:53:01

今日は。
 
こういう出題例もあります。
http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/kodomo/10pun-drill/2nen/q07_13.htmlLink
 
▼ 引  用 ▼ 
【1】 ももを のせた おさらが 9さら あります。
1つの おさらには ももが 3こ のっています。
ももは ぜんぶで なんこでしょう。

この  つぶんだから,

× =

こたえ  こ
▲ 引  用 ▲
※テキスト部のみ引用。

86. 芹沢 — December 10, 2010 @13:39:24

実のところ「この方が子どもの理解が早い」云々は教え方を考えた側の理屈ですが、実際に運用する側の理屈はそんなところにすらなくて「教えたこと以外は×」です。例えば、国語では未習漢字を使うと×にされます。答えが正しくても、習ってない字を使ったから×。算数でも教えた通りの書き方でないから×。これが教師のエゴでないとすれば、一体何でしょうか。

そもそも「文章に出た通りの順番に数字書いて掛けてみた」のと「教師に言われた通りの順番に数字書いて掛けた」のとに、理解度に於いてどれだけの差があるのか。必要なのは純粋に「りんごの数を計算するには何と何を掛ければ良いか」のみであり、その点に於いて理解度を測るならば、例えば文章中に無関係な数字を入れておく(「太郎くんと花子さんの2人で4つの箱に入っていたりんごを3枚のお皿に順番に分けていったら、ちょうど5個づつになりました。りんごは全部でいくつでしょう」とか)など、それこそ「文章から適当に数字拾って掛けただけでは答えが出ない」ようにしておけばいいのであって、式の順序などどうでも宜しい。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @14:07:16

「未習漢字は使うな」ルールも、ばかみたいなルールの例の典型だと思います

既にたくさんの漢字を知っている子どもが、いちいち「この字は習ったかな、習ってないかな」と考えなくてはならないとしたら、単なる無駄な努力ですよね

本当にばかみたいだと思います

Up88. Isshocking — December 10, 2010 @13:35:21

ヤスラカさん:
>でも、学校の授業(実習)でのプログラムなら、そんな縛りはないでしょう。
学校でのプログラミングは、国語の作文なみに、表現の手段として、あまり縛りがないようにしたほうが楽しいでしょうね。
実行が早いだけなら、あらかじめ表をつくっておいて索引したほうが圧倒的に早いですし、再帰プログラムは見た目がスマートになりますし。
学習である以上はどこかに創造とか発見が存在する余地がありませんと。

89. SF物理マニア — December 10, 2010 @13:06:01

>きくち December 10, 2010 @11:37:30

おっしゃるとおり、掛け算順序は主観の問題ではありますが、
数学の方程式では、定数x変数と変数の掛け算では、定数が先になります。
ベストではないけれども表現形式ルール言うことでご理解いただければと思います。
もちろん物理学は、このような表現形式ルールはないのでどのような順序でもいいと思います。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @14:10:55

いいんだけど、「3個のリンゴが載った皿が5枚」のどちらがその意味での定数でどちらが変数かなんて、決められませんよ。どっちも定数だもの。
どちらかを変数とみなしたいというのはまさに「モデル」です。

遠山が書いた「うさぎの耳」の例はそれを言っているわけ

91. プリゴロタ — December 10, 2010 @13:57:04

たとえば問題文中に、
「授業中に指示した【ルール】に基づいて立式しなさい。」
などと書かれていれば「不正解」でもいいかと思います。

とは言え、そんな【ルール】自体にあまり意味があるとは思えませんが。

くろぶたさんが書かれているように、
「全く文章題の文章を読まずに」
「文章中に出て来る数値を抽出して」
「当単元でやっている演算にそのまま適用する」
子どもは相当数いますので、導入時やテスト後の解説において、
「演算を問題に適用させるときに十分に注意喚起する」
意義はあると思います。ただし、

問題「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か。」
解答「式:5×3=15 答:15個」

に対して不正解とするのは不当でしょう。そんなのは数学(算数)ではない。


関係ないですが、高校2年生のときに物理の授業で、

先生「ニュートンの運動方程式を言いなさい。」
生徒「ma=Fです。」
先生「違います。F=maです。」

てなやりとりがあったことを思い出しました。

92. しむら — December 10, 2010 @15:20:55

うちの高校の物理の先生は
「微分方程式なのだから ma=F と書くべき」
と言っていました。

Up93. 蟻 — December 10, 2010 @15:35:39

 乗算の順番に限った話ではなく、回答にたどり着くにはいろいろな方
法があるもの一般の話です。

 採点として×をつけるのは問題があると言うことには賛同します。

 しかし、理解度の違いがあるたくさんの子供を同時に教えるという立
場なら、みな同じように考えてもらいたいということを理解できます。

 教育の場では 一つの設問だけで終わるのではなく、年間を通してあ
るいは数年を通して順番に理解できるように計画すると思うのです。

 小学2年生の次に一気に大学教育に飛ぶわけではなく、小学2年の次
は小学2年の知識を基にして小学3年の理解を乗せていくというよう
に1年1年積み重ねるわけです。

 次に用意している課題の理解に関わるのであればみんなが同じように
理解している方が次のステップに移るのが易しくなります。
 逆に言うと、異なった方法で理解していると次のステップに進み難い
ことがあるわけです。
 初等教育では、「正確に言えばちょっと違うのだけれど、今現在の理
解としては、この程度分かっていればよい」と言うことも多いと思い
ます。

 もちろん、期待する方法と異なった理解の仕方をしていても、次のス
テップは独立して理解させることが不可能ではないでしょう。
 ある意味、教師側の手抜きと言われるかもしれませんが。

と、言うわけで「みんなが同じ方法で理解してもらいたい」ことについ
ては、ある程度しょうがないのと思うのでした。


# 私は教職者ではないので、独りよがりかもしれません。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @15:43:41

「本当は違うんだけど」みたいなことはいくらでもあると思うのですが、今の問題は「そもそも違わない」という点にあるので、ちょと違います。

話としては「まだ習っていない漢字は使うな」に近いです。

ただ、もしかすると本当に「正しい順序というものがある」と先生が思い込んでいるのかもしれないという点で、さらに根が深いのです

95. TAKESAN — December 10, 2010 @15:53:38

あくまで参考資料としておいて下さい。
 
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?o=0&p=0Link
算数の掛け算 : キャリア・職場 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 
これを見ると、大人になっても尚 順序を守らなくてはならないと考える人が一定数いるようだというのが窺えます。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @16:07:08

そりゃもう「洗脳」ですね

97. kurita Website — December 10, 2010 @16:14:52

請求書とか見積書って、大抵は左の方から、品名、数量、単価、金額の順になっていると思うのですが…

http://www.ryoushuushotou.com/_src/sc286/tem_seikyuu_b6_t.jpgLink
単なる例ですが: http://widesystem.ocnk.net/zoom/9722Link

してみるとああいう人達は、こういう表を渡された時にも「単価x数量」(つまり右から左、そして結果は右端へ)という順番で電卓をたたいて行かないと気が済まないんでしょうか。 とっても不自由。

Up98. しむら — December 10, 2010 @16:12:42

きくちさんの論点でよくわからないことが一つあるのですが、答案に 3×5 と書いたとき、それは何を表しているのでしょう。

交換法則の成立を何度も強調しているので、これは 3 と 5 を掛けるという数の計算を表しているという理解でよいでしょうか。

3(個/枚)×5(枚) と 5(枚)×3(個/枚) が等しいという意味で正しいと書いているとすれば、これは交換法則ではないですよね。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @16:50:28

水道方式に従わないなら、3×5は3個×5枚ですね。3個ずつが5枚でも、5枚分が3個でもどっちでもいいです。同じことだから。どちらかを「いち単位あたり」に決めよ、というのがローカルルールなので。

一方、水道方式に従うとしても、この問題でどちらを「いち単位」とするかについてはふたとおりの考えかたがあります。
3(個/枚)×5(枚) かもしれないし 3(個)×5(枚/個) かもしれません。後者は単位の書き方があまり適切ではないですが、言いたいことは「5個配るのを3回」です。
遠山はあくまでも「いち単位あたり」を前にする記法を守りつつ、交換則を使わずに 3(個/枚)×5(枚) でも 5(枚/個)×3(個) でもいいと言っています。つまり、こちらは交換則ではなく「解釈」。

「3(個/枚)×5(枚) と 5(枚)×3(個/枚)が等しいというのは交換則ではない」という意味がよくわかりませんが、交換則は単位と関係なく3×5=5×3のことなので、敢えて単位を書くなら「3(個/枚)×5(枚) と 5(枚)×3(個/枚)が等しい」は交換則でいいのでは?
なぜそれが交換則ではだめなのか、ちょっとわかりません。交換則なんてものを持ち出すまでもなく同じ、ということなら、そのとおりだと思います

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @16:59:31

言わずもがなの注釈なのですが、「個」も「枚」も無次元なので本来の意味での「単位」ではありません。実際、英語にはないわけで。

だから、個/枚とか枚/個とか、意味ありげに書いていますけど、これはかなり恣意的な表現なんです。どうとでもできる。それが「解釈」ですよね。理解の助けになるなら使えばいいけど、実際にやっていることは(もし枚と個を使うとすれば)、3個×5枚です。
これでは単位が合わないという主張もあるようなのですが、単位はなんの問題もなく合っています。無次元だから、もともと単位なんかないんです。それがまた混乱のもとになっています。「いち単位あたり」をどちらにするかが任意なんです。

その点で、「密度と体積の積」などとはずいぶん違います。
密度と体積なら、単位がきっちり決まって入るので、そもそも何をやっているか明らかだし、順序問題も起きません。どの順に書いても、密度と体積をかけていることは明らかだから

101. えふべー — December 10, 2010 @16:49:58

ううむ深い
私も「この場合3×5と書くのが正しい」と教えられて素直に従ってきましたが(ただ、5×3でも結果は一緒なので、単なる「お作法」くらいにおもっていた)

しかしよぉく考えてみれば、数学(算数)と言うのは本来抽象化された数字とか線とか点とかビールジョッキとかを操作する学問であると
単位とかディメンジョンとか金額とかが問題になるのは「工学とか経済学の分野で」であって本来の数学には関係ないのですよねえ

102. しむら — December 10, 2010 @17:06:47

算数は数学の一部ではないと思います。

乗法の単元だと指導要領に次のように書いてあります。

(3) 乗法の意味について理解し,それを用いることができるようにする。
ア 乗法が用いられる場合について知ること。

現実の世界の数量関係のうちどのようなものが、数の世界の乗法に対応するかは、算数では大いに意味のあることですが、数学の問題ではないわけです。

これがわからないと、数の計算ができたとしても、式が立てられないので文章題が解けない。式を立てるという行為は、二つの世界の境界の辺りにあるわけで、かけ算の順序遵守派は立てられた式はその二つの世界の境界上にあると考えている。
きくちさんは、それは数学の世界への侵犯だと考えているのかなと思った次第です。

UpOwner Comment きくち  December 10, 2010 @18:05:13

いえ、違います。そのことと順序とは何の関係もないというのが僕が問題にしていることです。

関係ない証拠に、順序にこだわらない先生もおられます。
もしそれが本質的に重要なことであるなら、こだわらない先生が間違いということになります。

少なくとも僕が遠山の本から読み取った範囲では、仮に「水道方式」を認めたとしても、順序は本質ではありません

104. disraff — December 10, 2010 @17:45:41

しむらさん>
数量関係、というか数の次元を意識するのは大事です。およそ数学の現実への応用でそれを意識しないことなどありえません。
が、それと「掛け算の順番」とは全く別の、言ってしまえば何の関係もない話です。

105. かみなりびりびり — December 10, 2010 @18:26:19

微妙に話がずれますが、

これを教育の話として捕らえると『過程を教えずに結果を盲信させる』
という方式がおかしいんでしょうね。算数問題だって導出の式を書かないと減点されます。逆もまた真です。

ローカルルールを押し付けるにしたって、
・掛け算には交換則が成り立つ
・これに関してはここで議論されているようないろんな意見がある
・私自体はこう考えている
・小学教育の暗黙のルールみたいなものがあって、小学校の間はそれに従ってください。
・これに違反しても○をくれる先生や×の先生もいるかと思いますが、例え×であっても数学的に間違ったという話ではなく、『暗黙ルール』のせいです。

みたいに言えば、中には何かを考えるきっかけになるような子も出てくるでしょう。結果だけ押し付けるからおかしな事になる。

子供への教育に関して、食事に例えると『ビタミン剤』だけを食わせるみたいな風潮を感じた事があります。現在の教育はどうなっているのか正確な事は知りませんが、あたらずとも遠からずと思っています。

106. ドラゴン — December 10, 2010 @18:39:27

みなさん こんばんは。

えーっと、TOSSは参考にしないでください。

さて、大学での教員養成用のテキストを見たんですが、これにかかわることはほとんど出ていません。「3個で5皿だから3×5だね。」という感じでさらっと出てきて、それで終わりです。

印象なんですが、多くの研究者は「被乗数×乗数というこの順序は決まっていて、乗数と被乗数が決まれば一義的に順番が決まる」となっているようで、そうしたことから特に順番には触れていないという感じです。
他の四則演算はどれも、被○数が前です。それに倣っているというか、これは、日本語の問題でしょうが。
次の議論として必要な、「何が乗数になるのか」となると、それについては触れられていません。

補足ですが、この問題には、学習指導要領で「式を読む、式に表す」というのが強調されたことがありそうです。それに過剰に反応している印象です。
といっても、学習指導要領には順序については規定されていませんので、それぞれの学校で、ということになるでしょうか。順序以外に配慮することもあります。

ご参考までに、式を読むということに関連して、台形の面積の公式が消えたときに、子どもたちが公式をつくるという授業がありました。
上底が5センチ 下底が8センチ 高さが4センチの台形です。
次の式はどういう考え方か分かりますか。
  A 5×4+(3×4÷2)
  B 5×4÷2+8×4÷2
  C 8×4−3×4÷2
  D (5+8)×4÷2

Dは公式ですね。これも式を読むことで、2つの台形をくっつけた平行四辺形を作って、半分に分けるという方法で求めていることが分かりますね。
それぞれの求め方を、式で表現して議論できるというよさがある学習です。いろいろな意見を出し合って、一番シンプルなDがいいね、となると、実はこれが公式だという感じです。
私は、公式を覚えて、あとはひたすら問題を解くより、よい授業だと思うんですが、これは別の話です。

このような学習では、数値によっては、縦×横、横×縦を定めておいた方が良い場合もあります。だから、順序が意味をもつこともあるでしょう。そうした方が便利ということでしょうか。絶対的な意味ではない。
ただ、その場合も教師が、「今日は、縦×横で考えるよ」といえば済むことなんです。

そういう意味で、最終的には、教師の力量の問題に収束しそうな感じもしております。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @18:55:01

ずっと気になっているのは、「順序にこだわる先生はTOSSに多いのかどうか」なんですが、今のところわかっていません。TOSSの資料に多いわけでもなさそうなので、関係ない気はします。
じゃあ、どこでそういう「決まり」を身につけるのか・・・

Up108. Isshocking — December 10, 2010 @18:14:00

しむらさん:
>数の世界の乗法に対応するかは、算数では大いに意味のあることですが、数学の問題ではないわけです。
算数の範囲で考えるにせよ、たとえばミカンが3個ずつ、5列になっているときの掛け算はどう説明することになるんでしょう。
ミカンにミカンを掛けるっていうことになりますか。
あるいは、3個ずつはいった皿が3つ、3個ずつはいった籠が2つなら、単位(?)の違うものが混ざっているので、これは算数レベルでは計算不能問題になるでしょうか。
算数とはいえ、将来は因数分解や二次方程式、対数やべき乗、開平を習うわけですから、意味のない原理主義的な計算順序や単位(?)に拘泥すると、まじめに覚えた子どもほど混乱することになるんじゃないかと思います。

109. ヤスラカ — December 10, 2010 @18:39:58

Isshockingさん、こんにちは
「縛りがない方が楽しい」と書かれているので、「だから学校のほうがローカルなんだ」という風にも読めますので、本筋から微妙に外れた所にこだわって恐縮ですが、返信しておきます。
そうでないなら以下は駄文です。

グローバルで見た時に「メンテナンス性に鑑みて、なるだけ多くの人にわかりやすい形で書くのが正解」という実務が大勢を占めている事には異論はありませんが、そうでない実務もあります。
先にリンクで示したページでも言及されていますし、それとは状況が違いますが、私の今の職場もそうです。
実務としてプログラムをする環境をひとつの集合とみなした場合、私は、多種多様の「縛りがある環境」の方がローカルだと思えます。
ですから「print (n+1)*(n/2)」は基本的にマルで、ローカルな(縛りのある)環境ではバツなのだと考えます。

従って、Isshockingさんの「ローカルな不正解」という言葉には賛成できません。5×3がバツなのと同じ構図に見えます。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @19:17:19

プログラミングでの「正解・不正解」と掛け算順序レベルでの正解・不正解とは、だいぶ階層の違う話のように思います。

111. かとう — December 10, 2010 @19:13:15

>ヤスカラさん
コンピュータ言語においては、変数は有限の値しか入らないので、
変数にどんな数値が入りうるかを考えないのはバツにするのが正しいです。
そこは数学と分けないとダメです。

112. かみなりびりびり — December 10, 2010 @19:27:03

> ヤスカラさん
それは不文律の話です。これはあいまいになりやすいものなのです。だから『Aが正しい』『Bが正しい』なんて人が出てきます。

どちらが正しいというよりも、不文律=様々な自分なりの解釈をしてしまう人がでてくるあいまいなもの。って話でしかありません。だから法律なんかはきちんと明文化しているんです。

Up113. ヤスラカ — December 10, 2010 @19:27:37

きくちさん、こんにちは
階層の違う話なのも承知していますし、妥当な理由のあるローカルルールと、妥当な理由のないローカルルールを同列に扱うのも乱暴だと、自分でも思います。
ですが、ローカルルールで間違いとされるものを間違いとする構図が同じなんじゃないかという指摘ですが、いかがなものでしょう?

かとうさん、こんにちは
すみません、私が変数にどんな数値が入りうるかを考えてないという指摘のようですけど、どのあたりでそう読めたのでしょうか?
これは分からないので、教えていただけると幸いです。

114. かとう — December 10, 2010 @19:49:19

「ローカルな縛り」って、
kurita — December 10, 2010 @09:17:00
この話じゃなかったの?

115. ヤスラカ — December 10, 2010 @19:55:17

かとうさん
違います。私が対象としていたのは、

Isshocking ― December 10, 2010 @10:19:26
>実務的にはプログラミングのコスト(たとえば、式導出にかかる時間)も無視できないので、この場合はローカルな正解と呼ぶべきかと思います。

です。というか、kuritaさんのコメントへの返信を、Isshockingさんにしても意味がないのでは…f(--;
私は、数学とプログラミングは分けて考えています。少なくとも、そのつもりです。


かみなりびりびりさん、こんにちは
不文律というのは、私の書いた「メンテナンス性に鑑みて、なるだけ多くの人にわかりやすい形で書くのが正解」の事ですよね。
ええと、たぶんこれのイメージする所が伝えきれてないのだと思うのですが、例えば、上に挙げたIsshockingさんの書き込みで言うところの
>ジュリアン日の公式が既知でなければ、式を考えるよりベタなプログラムを作ったほうが早い。
を推し進めて「ジュリアン日の公式が既知とは言えない(メンテナが理解できない)から認めない」ルールのある職場です。前の職場がそんな感じでした(苦笑)

ですので、人によって正解が違うといった類の話ではないのです。
分かりにくくて申し訳ないです。

116. マタドール — December 10, 2010 @20:16:59

プログラミング言語にもよりますが print (1+n)*n/2 が簡潔で美しいですね。
でも自分で暗算で考えるなら、1〜10の総和は(1+10)*5となります。
つまり、ガウスの1・2・・・10と10・9・・1の和の半分ではなく1・2・・・5と10・9・・・6の和を計算しています。
もう少し大きな数や奇数個の和でも、例えば1〜101の総和は
(1+101)*50+51
(1+100)*50+101
(1+101)*101/2
のうち一番計算しやすいのを選んでいます。

本題の方ですが、きくちさんの「どちらの順に書いても、無条件に正しい」は確かにそのとおりですが、「計算が正しいかではなく立式の方法を理解しているかを確認している」という反論をやめさせる必要があると思います。「授業中に指示した【ルール】に基づいて立式しなさい。」とテスト毎に明記しなくても「テストでは教えたことを問題にする」と言えばいいだけで、教師は(おそらく)教師用の指導書のとおり教えていて、生徒が授業で教わったとおり回答しなければ×にしているだけなので、指導書の作成側を変えなければ解決しないはずです。

こういう教育をしている理由付けとして、1)複数の答えがある事に戸惑いを感じる、2)何倍という概念を理解させる、3)割り算の時に躓くのを防ぐなどがあるようですが、足し算と掛け算はどちらも足し合わせる、掛け合わせる数であると教えるべきです。
1)
引き算を教える時に数の順番が重要であり足し算と異なる事を教える。割り算の時も同様。足し算の時にどんな足し方をしても同じ答になるのは経験済みのはず。
2)
「掛けられる数」×「掛ける数」も「いち単位あたりの量」×「いくつ分」もどちらが先でも、何を何倍しているかさえ教えればいい筈。
足し算を教える時、「足される数」と「足す数」と教えてるんでしょうか。3+3+3+3+3=15を理解している生徒に対して、3*5*7はどこまでが「掛けられる数」なのかという疑問に答えられる教師はいますか。
3)
分数の割り算が出来なかった子供時代のエピソードの出てくるアニメを思い出しました。主人公の姉が勉強を教えていて「分子と分母を入れ替えて掛け算すればいい」と切れるシーンがあり、割り算の教育の悲哀を感じました(「勉強の」ではなく「教育の」です)。割り算を教える事をきちんと教える指導をする事が教師への指導になると思います。

今の学校の実態を知らないので思う・筈ばかりの文章になりました。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @20:51:48

そうですね
指導要領には「逆順はだめ」なんてことは書いていないのに、一部の教科書の指導書にはそれに相当することが書いてあるみたいですね。
なぜそうなっているのかわからないのですが、指導書も問題なら、指導書を鵜呑みにする先生も問題です。

118. うさぎ — December 10, 2010 @20:33:16

マタドールさんのレスみて小学校のころのことうっすら思い出しました。引き算も順番を入れ換えていい、って残念ながら自分ではなく、先生から教えられてものすごく興奮した気がします。(数直線上の移動、という形での指導。これも正確にはアフィン空間としてのRの上の加法群Rの作用、と捉えるべきでRの加法そのものではありませんが...)中学までは普通の公立でしたが、大人になってから人々の体験を聞くにつれ自分は相当幸せだったんだなー、って思いました。

119. うさぎ — December 10, 2010 @20:48:31

連投で済みませんが、黒木さんのところ覗いて唖然としたので。

>「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいで
>しょうか」という問題に「6×4」と式を立てることが誤りだと主張する人たちは、
>ある特定の解釈以外を認めないという偏狭な態度を取っていることになります。

実際問題として6人の子供に1つずつ、4回みかんを配る、なんてことは日常茶飯に行われているわけで、本当にもうどうにもならん頭の固さですよね、この手の人たち。
#60のレスでルベーグ積分云々、って書きましたが、繰り返しますが(そして他の方のレスでも伝票の話などありましたが)日常生活でも日本語レベルでの操作を、発想を変えて逆転する、ということはいくらでもあるのに。この手のかけ算順序墨守派(ブログ主さんが仰っている、なんか本質的なものがある、と勘違いしている人たち)には怒りしか覚えません。

Up120. disraff — December 10, 2010 @20:46:55

nanaさん>
問題の解答として、論理的に首尾一貫してないものを提示したらそれは「間違い」です。

しかしまぁ、こうも文脈をまるっと無視した小学生レベルの屁理屈を臆面なく書ける人が、一方で「問題文と正解との間を適切につなぐ」とか主張するのはある意味壮観ではあります。

>可換だからこそ、どちらで書くべきか?が問題になり得る訳で…。

「問題になり得る」と「問題にする必要がある」との間には広くて深い溝があります。少なくとも算数は、見やすいから良い、で○か×かが分かれるべき科目ではありません。

121. マタドール — December 10, 2010 @20:21:05

今思いついた事ですが、5*3を英語で 5 times 3 と発音すれば必ず3の5倍ですが、日本語で「5かけ」ならば0.5倍または5倍となり、必ず「掛ける」の後に倍数が来るわけではなくあいまいですね。
ファンクションやメソッドの話をしているわけじゃないのでどうでもいいことですが。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @21:18:58

まあ、「5掛け」とかは大人の商売用語だと思うので、小学生の算数では気にしなくていいでしょう。

Up123. nana — December 10, 2010 @21:06:42

「解答として適切でない」と「数学的に間違い」は違いますよ。

式1=1 答15

は数学的に間違いではないが、解答として適切ではありません。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @21:15:27

解答として適切でないですね、明らかに。
1=1という式だけは数学的に正しいですが、解答とはなんの関係もないですね。

僕には単なるナンセンスにしか思えませんが、そういうことを議論すると、なにか有意義なことがあるのでしょうか。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @21:44:24

というわけで、僕より察しのいいかたのご指摘により、nanaさんには退場していただきました。
過去のコメントも最後の一個以外は消しました

nanaさんへの返答でちゅうぶらりんになったコメントもありますが、すみません

まあ、ひどく連投するかたには基本スルーで、ですかねえ

Up126. disraff — December 10, 2010 @21:25:44

ここが解答を書く場かどうかと言うと、確かに解答が書かれることもないではありませんが、むしろ解答に至るための考え方やポインタなどが示されることの方が多いように思います。

僕としては算数の問題の解答についての話をしていただけで、解答を書けとかここは解答を書く場だとか言ったつもりはこれっぽっちもなかったのですが、そう受け取られる余地があったのだとすれば気をつけねばならないですねf(--;

余談ですが、僕は

>式1=1 答15

は(論旨が一貫してないのが明らかなので)数学的にも間違いだと思います。

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @21:52:01

式1=1 答15

みたいなのは、単なるナンセンスだから、議論の余地ないですけどね。

しかし、ツイッターでもそれに近いこと(これでも数学的に正しいぞ、みたいな)を書いてた人がいるので、なにか「標準的な詭弁」としてあるのかも。

128. Isshocking — December 10, 2010 @22:02:18

ヤスラカさん:
>従って、Isshockingさんの「ローカルな不正解」という言葉には賛成できません。
いや、「ローカルな不正解」というのはヤスラカさんが言った言葉ですよ。
わたしが言ったのは「ローカルな正解」のほうです。
ローカル、というのはプログラムを評価する前提条件によってかわるから、というココロですね。
例えば「1から10までの整数を加える」だけが目的なら、あきらかにベタで順序に加えた
print 1+2+3+・・・
がプログラム時間も実行時間も最小で済むはずです。
この程度の加算なら桁あふれが起こらないことがわかってますし、加算9回はたぶん乗除算1回づつより速い。
コンパイラだと、そもそも定数だけの加算はコンパイル時に計算して定数化してしまい、実行時には計算もしないし。
これが1から1000まで加える、だと公式を使うほうがたぶんよいのですが、1から1,000万までとなると、組み込みのルーチンだけでは桁あふれの問題などサポートされないので、また別のアプローチと評価が必要、と。
プログラミングは制約条件と評価条件を提示しないと良し悪しは定まりませんから、あまり正解・不正解に色分けしなくてもよかろうと思います。
あからさまに言えば、数学的な評価はどうあろうと、用が足りれば、それは有用なプログラムだと思います。

129. ヤスラカ — December 10, 2010 @22:03:39

Isshockingさん
>いや、「ローカルな不正解」というのはヤスラカさんが言った言葉ですよ。

あ、ごめんなさい、書き損じました。「Isshockingさんの「ローカルな正解」という言葉には賛成できません」に訂正します。

多分推察されていると思いますが、論旨は以下のようなものでした。
実務だと制約が厳しく(プログラム環境としては大勢を占めているにせよ)そちらの方がローカルであって、また、そういう制約があるなら不正解と言えるけど、制約がなければマルでしょ?

そして、勝手に制約を増やして「ローカルな正解」と言われたように感じたので「それは5×3にバツをつけるのと同じ構造じゃないか」なんて乱暴な話をしてしまったわけです。

もちろんこれは、
>あからさまに言えば、数学的な評価はどうあろうと、用が足りれば、それは有用なプログラムだと思います。
その通りだと思います。

130. トンデモブラウ — December 10, 2010 @23:01:35

助数詞は単位じゃないのにぃ

Owner Comment きくち  December 10, 2010 @23:44:15

そうなんですよ。助数詞を単位みたいに扱って「個/皿」とか書くのは、理解を助けることもあるけど、それが問題を複雑にすることもあるんですよねえ。単位じゃないから。

本来の単位ではないということは、きちんと言っとかないと

132. ゴルゴ・サーディーン — December 11, 2010 @00:00:31

この話題が一段落したとき、よろしかったら
 「虚数って実在するの?」
というのをやっていただけたらと思います。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @00:58:14

実在・・・ですか?
どういう意味で「実在」というかによるので、不毛な話になりそうですが

134. 厘斗 — December 10, 2010 @23:54:21

もう何十年か前ですが小学生のとき、先生が8+7=15と黒板に書いて、これが合っていると思う人は手を挙げてとやって全員が手を挙げてから、15=8+7と書いて、これが合っていると思う人は手を挙げて、とやったのを思い出しました。式はよく覚えていないんで適当ですが、「=」の意味を教えるためだったのでしょう。印象に残っています。手を挙げたのは一人だけでした。今思うとなかなかよい指導法のような気がしますが、こういうのも眉をひそめる人はいるんでしょうかね。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @00:55:05

合っているか合っていないかといわれれば、どちらも合っていますね。
それのどこにどういう意味で眉をひそめるのか、よくわかりませんが

Up136. mimon — December 11, 2010 @00:46:48

もしかして、掛け算を書く順序にこだわる人は、足し算でもそうなのでしょうか。
「3人が待っていて、2人が歩いて来ていっしょになりました。」
は、3+2=5が正しいと言い張りそうです。
5人で立ち話を始める場合には、そうだとしても、予め行き先が決まっていて、歩いて来た2人といっしょに3人が歩き始めたら、2+3=5になるのでしょうか。
こうなると、数学だの算数だのを超越した、「屁理屈」の世界です。

137. ゴルゴ・サーディーン — December 11, 2010 @01:39:56

>>「虚数って実在するの?」
>どういう意味で「実在」というかによる

ごもっともな指摘です。
一応説明させていただきます。

 数学という物は、先人が定めた約束事の集まりではなくて、元から
 「数の世界の摂理はそうなっている」という物を人間が発見していく
 営みですよね。
 その事はいろんな形で現れていますが、私が印象的だと思ったのは、
 江戸時代の日本の数学者が、西洋とは交流のない中で独自に微分積分
 を発見したというエピソードです。「考案」ではなく「発見」という
 ところがポイントです。

 さて、虚数とか複素数とかいう物も、そういう「数の世界の摂理」な
 のだろうか、というのが私の疑問です。

 電気工学や量子論などで複素数が大活躍なのは承知しています。
 でも、電気工学で複素数を使うのは、
 「電圧(や電流)の、位相が90°ずれている成分」
 という事を表しているだけだから、なにも複素数でなくて「xとy」
 でもいいんじゃないか?などと思ったりします。
 (もしかしたら、私が理解していない高度なところでは、複素数で
  あることが真の力を発揮するのかも知れませんが)
 量子論のほうは… すみません。判りません。

「不毛な話になりそう」というのも、おっしゃる通りです。
私自身の頭の中で、
 「いったい何を見せてくれたら、虚数が、昔のだれかが勝手に作った物
  でないことを納得するのか」
が決まっていないのです。
よく、PCの初心者が要領を得ない質問を発するという事が、笑い話や愚痴
のネタになりますが、私の疑問もそれと同じような物です。

ただ「虚数なんて実在しない」と言い張るつもりはありません。

138. かみなりびりびり — December 11, 2010 @04:02:54

実像虚像は本当に象があるかどうかですよね。
実在=測定器で測定できるのかでいいのでは。

温度計で温度が測定できる。
測定カップで水の量が測定できる。
虚数の値を直接測定する事はできるのか。
それと、電流電圧の場合には、周期的な正弦波のようなものではない電流、
例えばパルスの過渡的な電流電圧の変化でも虚数は出てくるのか。

みたいな話をするのがいいような気がしないでもありません。

139. ゆんゆん探偵 — December 11, 2010 @04:39:27

「虚数は実在するのか?」というタイプの問を考える場合
「負の数は実在するのか?」という問について
一緒に考えてみるといいのではないかと思っています。

140. kurita Website — December 11, 2010 @04:47:29

さらには、「実数は実在するのか」とか「無理数は実在するのか」とか、有理数はもちろんのこと、そもそも『「整数が実在する」ってどういうこと?』…とか、とっても不毛だと思うのでそんな議論を見たいとは(私は)思いませんけど。
「かけ算の順序問題」と関係ないし。

Up141. tadys — December 11, 2010 @06:06:31

言語にもよりますが、print (1+n)*n/2 計算の順序や表現できる数値の範囲で結果が異なるので×です。

コンピューターでは一般的には (n/2)*2 ≒ n です。
例えば C言語では
int n ;
n=3 ;
n= n/2 ;
n= n*2 ;
とするとnの値は2になります。

nが整数の場合、print (1+n)*n/2 の場合、n/2を先に計算する処理系(四捨五入をしない)ではnが奇数の時に正しい結果が得られません。

142. tadys — December 11, 2010 @06:20:21

>実在=測定器で測定できるのかでいいのでは。

カラーテレビ(NTSC) の色信号をベクトルスコープで眺めていて複素数の実在を感じるようになりました。
画面の変化に合わせてベクトルが伸びたり縮んだり、回ったり。

色同期がわずかにずれている場合をベクトルスコープで眺めていると、キャリヤ信号に変調波が乗って角周波数でぐるぐる回っているというのが感じられます。

インピーダンスの計算で複素数を使っているときはあまり複素数の実在を感じていなかったのに、目で見ると違います。

143. kurita Website — December 11, 2010 @06:26:45

妙な制限のある処理系を探せばいくらでも出てくるでしょうけど、一般的なプログラミング環境(と言って言い過ぎであれば、少なくとも正しく実装された C コンパイラや BASIC)であれば、 a * b / c は (a * b) / c と同じになるはずです。 ( * と / は同じ優先順位であり、その場合には必ず左から右へ評価されるので)

環境を自由に選んで良いのなら、 Sum[ i, {i, n}] でおっけーですね。 何百ケタの n でもどんとこい。:D

144. zorori — December 11, 2010 @06:47:00

プロセスを無視して、結果だけを押し付けるという批判は良くありますが、これは、一つのプロセスだけに拘っているという印象ですね。
1皿に3個載せたのを5皿は 3×5で、1皿に5個載せたのを3皿は 5×3 で意味が違うというのなら、15は大皿に15個載せることを意味するので、3×5=15 は間違いとは考えないのでしょうかね。

こうなってくると、数式というよりは、化学反応式に近くて、
3×5→15 
と表現したくなりますね。リンゴと皿だけに限定され、全く発展性がないというか。
こんなことをやっているから、
3×5=15+1=16 なんて書く子供が出てくる、というのは関係ないか。

既に出尽くしたことの繰り返しですが、「1組当たりの個数」×「組数」という順序で書くというローカルルールは,情景のイメージから出てくるように感じます。
例えば,
3個リンゴが載っている皿を,順番に5皿持ってくる,とイメージすれば,
「1組当たりの個数」×「組数」(3×5)と書きたくなりますが,
空のが皿が5枚置いてあり,順番に一皿に3個ずつ載せていく,とイメージすれば,
「組数」×「1組当たりの個数」(5×3)と書きたくなりますね。

更に,ローカルルールを前提にしたとしても,エントリーに書いてあるように、
空のが皿が5枚置いてあり,一皿に1個ずつ載せていく分配行為を3回繰り返した、とイメージしても良いのですね。

数学というのは、抽象化によって、別のことだと思っていたことが、本質的には同じことを意味していたと分かるのが面白いところだと思うんですけどね。

145. NiceDancer — December 11, 2010 @07:22:26

今朝、小3の息子に掛け算の問題を出してみたところ、順番なんて全く意識していませんでした。このルールって小2の時にしか適用しない時限ルールなのかもしれません。

ふと思ったのですが、「1個10円のみかんが、5枚のお皿の上に3個づつ乗っています。みかんを全部買うと、代金はいくらでしょう?」という問題に対して、順番ルールを適用したときの「正しい」式って、どうなるんでしょう?

3個×5枚=15個
10円×15個=150円

と書きそうですが、一気に掛け算した場合の順番は?

10円×3個×5枚=150円

という順番じゃないとルール的には間違いなのでしょうか?

3つの数の掛け算や、複数の掛け算が含まれる複雑な文章題の場合でも、順番を間違った式に×をつけている先生っているんでしょうか?どうも、小2の時しか、このルールって適用されていないような気がするんですが。

UpOwner Comment きくち  December 11, 2010 @09:41:02

そもそも、そのルールを厳格に適用する先生とそうでない先生がいて、小学2年であっても決して全国統一ルールではないようです。厳格に適用しない先生に習えば、気にしなくなるのではないでしょうか。
「順序派」の先生がいつまで順序にうるさいのか(小学6年生をどう指導するか、とか)、気になりますね

いっぽうで、この問題へのネットでの反応を見ると、おとなであっても「当然、順番は決まっている」と考える人もいるのですね

147. のぶのぶ — December 11, 2010 @07:20:28

普段はROM専門の、のぶのぶと申します。

わたしも小学生のとき、『はじめに書いたほう(A×BならA)の単位(助数詞だろうがなんだろうが"単位"といっていましたね)が、回答の単位』としつこく教えられました。

なのでエントリーの最初のほうで話題になっていた「5枚の皿にりんごが3個」の問題は、どんな文章で出題されようが、「全部で何個?」の問いであった時点で、個数をはじめに書かなければ「不正解」でした。
告白いたしますが、順番を入れ替えても「正解」であることは、つい最近、このkikulogの別エントリーで知り、びっくり仰天した次第です。

わたしは、あらゆる「正しさ」をネタに同級生をやっつけるような、嫌な子どもでしたので、皿の枚数を先に書いた解答など見つけると、鬼の首を取ったように指摘していたであろうと思います。あー、恥ずかしや。

たとえ、そのようなルールがあったとしても、わたしの態度は恥ずべき態度ではありましたが、子どもの頭では、「正解は一つ」であると理解している算数で、よもやこのようなことがあろうとは・・・。


ニセ科学や陰謀論には嵌まらないように、日ごろから注意を払っているつもりでしたが、こんなところに思わぬ「思い込み」がありました。

やはり、このようなルールを絶対であるかのように教えることは問題がある、と感じています。

148. 積分定数 Website — December 11, 2010 @07:54:50

>50過ぎのオジサン さん

 どうも、またお会いしましたね。ガウスの例だと、

「本当の天才は虐げられたって、才能を開花させる。つぶされるようなら所詮その程度」

と「反論」する人もいそうですね。才能をつぶす行為が何で正当化されるのかサッパリ分からないのですが、俗耳に入りやすいのが困る。

 あと、

「出来る子がどうの、じゃなくて、出来ない子をどうするかが重要なんだ。補助輪なしでは自転車に乗れない子がいるのだから、一律に補助輪ありから始めるのは当然。補助輪なしでも大丈夫な子も我慢して欲しい」

という「反論」もあるけど、「掛け算の順序」は補助輪にはなり得ないし、「出来ない子にとって効果的な方法」ということでもなさそう。

 実際に小学生に教えているわけではないので、実際の所は分からないのですが、

 掛け算の順序に拘った場合と拘らない場合で比較検討して、掛け算の理解度に大きな違いがあるということであれば、「嘘も方便・必要悪」として、「順序に拘る教え方」を渋々認めざるを得ないのかも知れない。

 しかし順序に拘る教師は、「どちらの教え方が有用か?」ではなくて、「とにかく順序に拘ることになっている」ということのようで説得力がない。

http://sudahato.jugem.jp/?eid=3#commentsLink
の積分定数コメント2010/11/27 8:27 AM にも書いたが、

 (1あたり×いくつ分)に従ってなおかつ教師の想定した順序と逆にする生徒が『出来る子』とは限らず、混乱する子もいるかもしれない。

149. ヤスラカ — December 11, 2010 @08:26:37

tadysさん、おはようございます。
意味があるとは思えないんですが、環境・処理系依存のお話をされたいのでしょうか?
とりあえず、私がマルを貰った時の事をまとめておきますね。

・N88-BASICです。変数を単純に n と書くと、浮動小数点型になります。
・当時の私は n# と書くと整数型(確か符号あり16bits)になる事を知っていましたが、そうしませんでした。
 なぜなら、単純にループを使って書けばn#<256で正解が導けるのに対して、n#<181でしか正解が導けず、機能が劣ってしまうからです。

以上をふまえ、こんな事を掲示板でズラズラ書くのも面倒なので、最初に私は「print (1+n)*(n/2)」と書いたのですよ。
「nが整数型であれば、奇数を入力された時に正しくない結果になるから、マルが貰えるはずがない。だからこのnは整数型じゃない。命令もprintだから、BASICかな?」
そう解釈して貰える事を期待しての事です。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @09:35:19

処理系を完全に定義した問題でしか議論できないこともあるし、そうでない部分もあるので、まあこの程度にしましょう。

みんな、Knuthの本を読めばいいような気がします

Up151. kurita — December 11, 2010 @08:58:04

すんません、私がつまらん茶々を入れたばかりに… (++!)

152. ヤスラカ — December 11, 2010 @09:14:58

kuritaさん、おはようございます。
いえ、お気になさらず。多分、私が説明をサボりすぎたせいです。
いつもROMしており、こうやって書き込みに来る事も少ないですが、お相手して下さると嬉しいです。

……それにしても私の高校生…考えないようにしてたけど、もう20年も昔の事だよ orz

153. 積分定数 Website — December 11, 2010 @08:29:08

私の言いたいことは大体他の方も述べているし、私も別の所に色々書いてあるので、皆さんのコメントに関して私なりに調べたことを述べます。


■誰が順序に拘る方法を推進しているのか?

 TOSSの事例が出ていますが、TOSSは、「順序に拘ることが教育上有益」ということで順序を推進していると言うよりも、「なんだか知らないが、順序を正しく書かせることになっている。それをやらせるのにいい方法が、警察と泥棒、サンドイッチだ」という感じで、「順序に拘らせる必要はない」となれば、「ああそうですか」となりそうです。

 むしろ確信犯的に「順序は大切」と主張しているのは、数教協や日教組系のような印象です。以下は、半年ほど前に日教組本部まで行って過去の教研集会の資料を調べて見つけたもの。

45次(1996年2月)の教研集会。三重県の小学校教員によるレポート

長いので抜粋
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2.テーマ設定の理由
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子どもが13人います。ひとり5個ずつのあめがもらえます。あめは全部で何個必要ですか。
--------------------------------------------------------------
という問いに対して、「先生、何算でするの?」としっかり考えずに聞いたり、出てきた数字の順番に「13×5=」と立式してしまう子が多い。本来、2年生段階で定着しているはずの「1あたり量」がしっかりと見つけられないのである。
今まで、算数の指導については、各担任に任されているのが現状であった。
・1年生の算数でタイルを徹底して使うか否か
・かけ算をたし算の繰り返しととらえるか否か
など、統一した見解がないままにきているため、学年が進んだときに「タイルの意味がわからない」「1あたりの量が見つけられない」という子を生みだしてきたととらえた。
(後略)
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

ただ、名数×無名数 の順序にするというのが珠算の流儀にあるらしくそこから流用したという説もあって、順序の起源が水道方式や日教組ということでもなさそうですが、このあたりはよく分かりません。

あと文科省ですが、文科省に問い合わせたところ「順序に拘るようにという指導は特にしていない」ということでしたが、かといって「順序に拘ってはいけない」ということでもなく、要するに中立というか放任というか、無責任というか、現場の裁量に任せているというようなことです。

 文科省国立教育政策研究所は、文科省とは雰囲気が違って、「順序に拘る教え方は当然あり得る。文句あるのか?」というような、言い方からして横柄は応対でした。

 文科省の官僚の方は丁寧に答えてくれて、元教員だという政策研究所の方は、「素人がぐだぐだ文句言うな」という対応です。「文句」じゃなくて、その前に実状がどうなっているのか知りたくて質問しただけなのに・・・

 地域の市教育委員会とのやりとりでも感じたが、教師の世界というのは、「自分たちは正しいことをやらなくてはならない。だから正しいことをやっている。文句を言うな」というような感じですね。


■「順序」はいつまで続くのか?

 順序に拘るのは掛け算の習い始めだけか、その後も続くのかについては、市教育委員会の話だと、「小学校の間ずっと続く」とのことでした。また、小学校5年で「順序が逆」という理由でバツにされた事例が身近にあります。

 順序派の主張に「速さなど単位あたり量が出てきたときに困るから」というもあるから、「むしろ高学年になってからの方が順序が重要。それに備えて、間違わないように最初からしっかり教えるべき」という教師もいるかも知れません。

 ただし、新指導要領で、小学校6年で文字式の一部や順列組み合わせの一部が教えられることになるが

ABCDの並べ替えを、順序に拘るとかなりややこしくなってしまう。
x+x=2x も「xが2個だから2x」で生徒が納得するのだろうか?


■和の順序は問題にならないのか?

行列や四元数を持ち出して、「積は一般に可換とは限らないから」ということで、順序を擁護する人に対して、「じゃあ、順序数のように和が可換でないこともあるので、和の順序も拘らないとね」と言うと、「?」という反応になるのですが、

 よくよく調べると、和の順序に拘るというのもあり得ない話ではないようです。


http://edublog.jp/kochi-kazu/archive/69Link
>■4羽の鳥がいるところに2羽飛んできた。あわせて何羽?
…であれば増加なので, 4+2 が一般的な立式です。
さて。ここで 2+4 と書いたら…? ○? ×?
(実は「たす数・たされる数」は,教科書会社によって異なったりもするんですよ。
 このような「増加」は一緒ですが,「合併」となると・・・。)


http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.htmlLink
次に添加。
「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」
などの問題です。
これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。


http://okwave.jp/qa/q5273339.htmlLink
↑このようなトンデモ事例があるぐらいだから、和の順序に拘る教師がいても不思議はないのかも知れない

154. ゴルゴ・サーディーン — December 11, 2010 @10:12:41

いろいろレスありがとうございます。

>「負の数は実在するのか?」という問について一緒に考えてみるといいのではないか

>カラーテレビ(NTSC) の色信号をベクトルスコープで眺めていて複素数の実在を感じるようになりました。

ありがとうございます。
面白い視点です。

>「かけ算の順序問題」と関係ないし

私は、「普遍的な数学 と ローカルルール」という話をしているつもりなんです。

いやもちろん、「世界じゅうのみんな(数学が出来る人限定)が複素数を使っている」
ことは判っています。
「関孝和が微分積分を発見できた」のと同じように、情報断絶した国でも複素数とい
う考えに到達するような、そんな普遍的な物なんだろうか、という疑問です。

それと、あくまで「掛け算の順序問題が片付いてからでいいです」ということなので
ご理解をお願いします。

155. うさぎ — December 11, 2010 @10:35:30

ブログ主様、元記事全部読まないままレスしていたみたいで、申し訳ありませんでした。

さて、積分定数さん、去年ブログにコメしたうさぎです。このブログ主のきくちさんも仰ってますが#148で積分定数さんが紹介されたところのように、本気で間違っていて、それでいて自分で自信がある大人ってのが一番厄介ですよね。

ただ、この問題なんかでこじれてしまうのは半可通の大人が、それを指摘されて依怙地になってしまう、という面もかなりあると思います。#153での
>じゃあ、順序数のように和が可換でないこともあるので、和の順序も
>拘らないとね」と言うと、「?」という反応になるのですが、
なんてあたり、知らなければ「?」で終わるわけで。大人達がもっと素直にならないと、この弊害はまだまだ続きそうな気がします。

156. Katase — December 11, 2010 @11:39:47

積分定数さん、はじめまして

和の順序に拘る人達まで居るなんて、驚きです。ナンセンスですよ。
ご指摘の通り、視点の位置を変えたら同じ状況でも式の立て方は自ずと違ってきますし、そうして立式されたものでも正しく表されたもので、当然それから導かれる答えも正しいです。

溶液に試薬を溶かす順番があるという例えも、試薬を全て溶かした後の状態にある溶液の視点から見れば、それぞれの試薬を溶かした順番なんてもう関係無くなっていますよね。
なんか、後付けで屁理屈を付けているだけのような気がします。

(1あたりの数)×(いくつ分)=全体の数
という形に拘った教え方も、私としては違和感があります。
結局、数を数える対象としているのは例えば「みかん」や「りんご」そのものであって、お皿や袋は関係無いですし。
本来の単位ではない日本語の助数詞に引き摺られてしまって、却ってイメージの把握をややこしくしている様に思います。

子どもの発達段階がどうのこうのも、どれだけ確かな根拠に基づいて言われているのか疑問ですし、これも後付けの理由の様な気がしてしまいます。

うさぎさんも、はじめまして。
>ただ、この問題なんかでこじれてしまうのは半可通の大人が、それを指摘されて依怙地になってしまう、という面もかなりあると思います。

算数(数学)の概念をきちんと掴み切れていない人達が、生半可な理解のまま分かった気になってそれを押し通しているのではないかなって、私も思ったりしています。
最初に、掛け算の順序には意味があり、それに従って教えられた通りの順序で式を立てないとダメだと教わって、素直にその通りにその考え方が刷り込まれてしまい、その思考からどうにも脱却できないでいる人達も多いのでは?と勘ぐってもいます。
自分の子育て経験からですが、小学2年生くらいの子どもの時期って、疑うことなく素直に教えられた事をそのまま吸収してしまいがちだと思いますし、だからこそどう教えるかという事には慎重になって欲しいと思います。

掛け算の順序には意味があり逆順はダメだと教わった人達が大人になって、今度は教える側になり、教師向けの指導書の一部がそのようになっているのもありますし、その考え方の修正がされないまま信念が塗り固められてさらに強固に逆順で式を立てるやり方を×としてしまっている可能性もあると思います。

「そう信じ込んで」しまわされた人達は、他の人達から掛け算は逆の順番に数値を掛けても正しいという真っ当な指摘を受けても、逆順はダメとする考え方の何処がおかしいのかなかなか理解できずに、何度も「教わったローカルルール」の(屁)理屈を正しい考え方として繰り返して主張するばかりなのかも知れません。

教育って、恐いな〜と思います。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @12:44:30

溶液の順番は、化学的理由がありますから、算数とは関係ないですね。
この問題では、関係ないものを例に出す議論をよく見かける気がします。日常的な操作と直感的に関係付けようとしすぎるのかもしれなせん

水道方式はかつてかなり批判された記憶があるので、なぜ今は水道方式が主流なのか、よくわかりません。もっとも、それ以前は例の「掛ける数」「掛けられる数」で、いずれにしても「謎ルール」だったわけですが。

「定義」から論理的に考えると順番があるのが正しい、というたぐいの考えも教育関係の人の中には見られるようなのですけど、数学者である黒木さんも批判しているし、隣の研究室の数学者も「ない」と言っているので、「数学者の論理」というわけでもないようです。
ふしぎです

158. Isshocking — December 11, 2010 @12:46:19

きくちさん:
>「数学者の論理」というわけでもないようです。
小学校の教師は数学や理科の専門職ではありませんし、一般的にはそもそも理系でもないですから、数学的な観点は持ち合わせていないのは理解できるような気がします。
掛け算順序擁護のブログなどを読んでみますと、教育心理学とか発達心理学とかの観点から低学年では望ましい指導とされている、という論旨が目立つようですが、心理学はそもそも科学の範疇にないので、同じテーブルで科学的な論拠とか検証は望めないような気がします。
論理枠が違うといいますか・・・

UpOwner Comment きくち  December 11, 2010 @13:34:39

実際に教えている先生がたはそうなんだと思いますが、「算数教育」の研究者という人たちがいるのですよねえ。教育系の大学で教える側の人たち

ちなみに、「心理学は科学の範疇にない」は誤解を招く表現かと。「自然科学ではない」部分は多いと思いますが

160. Katase — December 11, 2010 @13:17:28

きくちさん

>溶液の順番は、化学的理由がありますから、算数とは関係ないですね。

そうなんですよね。
科学的な理由から溶かす順番が決まっているものとしては、例えば物質Xが酸性溶液にしか溶けない性質があるので、溶かすとその溶液が酸性になる性質を持つ物質Yを先に水に溶かす必要があるので、先に物質Yを溶かしてから物質Xを入れて溶かすという様な手順が決まっていたりするのですが、最終的に水に溶けている物質の総量は(物質Xの量)+(物質Yの量)でも、(物質Yの量)+(物質Xの量)として計算してもどちらでもOKだと思います。

(そして、ちょっと考えると、物質Xと物質Yが化学反応して物質Zと水が生じる場合などは、今度は最終的に水に溶けている物質の総量は単純な(物質Xの量)+(物質Yの量)にはなりませんし。
物質Xと物質Yが化学反応して一部がぶくぶくとガスとなって溶液から抜け出る場合もありますねぇ。もっとややこしい場合も想定できます。
ああ、私ってひねくれ者 ^^;)

試薬を溶かすのには決まった順番があるから足し算にも順番が必要だという例えは、やっぱり算数に向かないと思います。

>「定義」から論理的に考えると順番があるのが正しい、というたぐいの考えも教育関係の人の中には見られるようなのですけど、数学者である黒木さんも批判しているし、隣の研究室の数学者も「ない」と言っているので、「数学者の論理」というわけでもないようです。
ふしぎです

私も、とってもふしぎです。首を何回転もひねってしまいます。
教え方や採点方法に戸惑う迷える教師達の間で、こうしたら良いという指導法としてのマニュアルに従うことで自信と安心感が持てたりして、もてはやされてしまったのでしょうか?

161. エディ — December 11, 2010 @13:53:45

>Isshocking さん

>小学校の教師は数学や理科の専門職ではありませんし、一般的にはそもそも理系でもないですから、

教員養成系大学出身者では必ずしもそうではありませんよ。

東京学芸大学
http://www.u-gakugei.ac.jp/01juken/2010gakubu/05about103.htmlLink
愛知教育大学
http://www.aichi-edu.ac.jp/edu/gakubu/senshu_sugaku.htmlLink
福岡教育大学
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/education/dep_education/01/03.htmlLink

Up162. せとともこ — December 11, 2010 @12:59:36

こんにちは。
積分定数さん、お久しぶりです。
お元気でいらっしゃいましたか?
「かけ算の順番」問題、ここでも盛り上がっていますね。
興味深く拝見していました。
が、ここであなたが私のエントリーが紹介されていたので「あらあらあら、、、」と苦笑い。
昨年、積分定数さんのブログを拝見して「かけ順」について考えたことがあり、エントリーを挙げた時のたしか記事ですね、、、
その時、積分定数さんや遠山啓について詳しいさつきさんと言う方から示唆に富むコメントを頂いたことを思い出します。
その折、さつきさんとの到着点は以下の通りです。(コメント欄より引用)
================
結局、大切なことは(1あたりの数)×(いくつ分)=(全体の数)であって、どちらを「1あたりの数」にするかは、教師が強制することではなく、子どもの考える筋道通りでいい。
ゆえに問題の出し方こそ、見直す必要はあるのではないだろうか?
設問で「いくつぶんはどれですか?」とか「一つあたりはどれにしましたか?」という内容の設問だと、より子どもたちの理解が進む方向にいくのでは、、、
================
また積分定数さんからは、現実の指導要項の膠着についても何回もやり取りをしたことを思い出しました。
あの折りも話題になりましたが、
教師が「かけ順」に拘っているその背景は「子どもによって理解度」が違うから、「どのように教えるとより理解が進むか」の模索ではないだろうか、、、と私は考えたのですが、、、

なお、きくちさんご指摘の溶液。
あれは「たし算の意味」の添加についての例を日常のわかりやすい例で示したものです。
現実には添加問題では順番に拘るもなにも、子どもたちは大抵は先に出てきた数字から式を立てます。
きくちさんご指摘の「この問題では、関係ないものを例に出す議論をよく見かける気がします。日常的な操作と直感的に関係付けようとしすぎるのかもしれなせん」ですが、
これって「あります。あります。あります。」と何度も言っている私です。
つまり具体的な事象をドンドン挙げないとダメなんです。
小学一年生なんかは「太郎君がお花を3本持っています」なんて問題が出ると「えええどこに、どこに太郎君いるの???」なんて真剣に質問する子がいたりします。
具体的な事象から抽象的な数字に置き換える作業は容易ではない子もいます。
だがしかし、それは子どもの発達段階がそれぞれ違うだけで、子どもたちはいずれクリアしていくのですが、、、
多くの教師は指導要項をみて教えているのではなく子どもたちを見て教えているものと思います。
確かに教条的な教師もいますが、全部ではありません。
むしろ「どうしたら理解が進むか、、、」日々努力、勉強している方が多いのです。


私はこの間のきくちさんのブログでのコメントのやり取りを拝見しながら「何をおとし所にするのか、、、着地点にするのか」と思いながら拝見していました。
「ただ現場の教師を笑う」ことではないですよね?

この問題の本質はきくちさんがエントリーの追記でご指摘の通りだと思います。
つまり、
============
「上に、今は「いち単位あたり量」×「いくつ分」と教えるらしい、と書いたとおり、掛け算の「意味づけ」はそのときどきの「教育界での主流」によって変わるようです。この事実ひとつだけでも、「意味づけ」が単に「教えるための便法」であることは明らかです。それは掛け算の本質とは別の「教え方」の問題にすぎません。教える際の意味づけはひと通りではないし、そしてその「意味」はいつまでも引き摺ってはいけないものなのです。
「教えるための便法」とさえ認識していれば、こんなわけのわからない問題が起きるはずはないんですけどね。
いったんそう決めてしまうと、それがドグマになってしまい、なぜそう決めたかという本質的な理由が見失われてしまうということでしょう(きくちさんのエントリーより)」
============
です。


「教えるための便法」なんです。実に単純で明快なことだと私は思っていたのですが、、、
何回も書きますが、現場は「子どもの理解と習熟を願っています」。
先に書いたように「単位あたり」も「個数」も教師が強制するのではなく子ども自らが探すことが一番大切だと思います。
教師はその手がかりを教える便法として、その教師独自のやり方を示しているだけだと私は今まで思っていたのですが、、、、、

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @14:29:04

ポイントは、どうやら一部の先生はそれを「教えるための便法」とは認識していないらしい、ということですね。
問題はそれに尽きています。

この話は誤解が多いらしいので、僕は「順序に厳格ではない先生もいる」と付け加えています。しかし、いろいろな例を見ると、「便法」の域をこえて「一方の順序が正しい」と信じている先生もいると思われます。
順序をつけて教えるのはかまいませんが、逆に書いても正しいものは正しいので、それは「正しい」と言うしかない。「便法にすぎない」と認識している先生は、なんらかの説明をきちんとするでしょうが、「一方が正しい」と信じている先生は「逆は間違い」と言うでしょう。問題にしているのは後者です。

「教えるための便法ですよ」という先生に対して、特に言うことはないんです。
水道方式そのものにも疑問は感じますが、それ自体はここではあまり問題にしていません。


「日常的な操作と直感的に関係付けようとしすぎるのかもしれなせん」については、「具体的な事例を挙げる」ことの問題ではなくて、「関係ないものと関係付けて、直感的にわからせようとする」という意味です。
"調味料は「さしすせそ」の順に加えるんだから、足し算にも順序がある"みたいな説明は無意味ですよね。まあ、そんな話です。

164. せとともこ — December 11, 2010 @14:13:56

あっ、そうだ。追記。
ちなみに私は「かけ順」には拘っていません。

拘るべき事は、もっともっともっと、、、、
いっぱいあるのだから。
ふっ〜〜〜

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @14:40:13

「こだわらない派」が「順番絶対派」の先生の指導をどう考えるのかは、ぜひ知りたいところです。個々の先生の方針なんだからそのままでいいと考えるのかどうか。

僕は、詳しく書いたとおり、「順番絶対」はまったくナンセンスなので、改めるべきだと考えています。これは「算数嫌い」を生むと思いますし、習う前から掛け算や交換則がわかっている子にとっては「教師不信」にもつながるのでは?

Up166. しむら — December 11, 2010 @13:21:13

Isshockingさん

式を立てる過程において、現実の問題に直接対応して立てているわけではないわけで、現実の問題から必要な情報だけを意識的に切り取って、プロトタイプに当て嵌めることで、この場合だと乗法の適用が可能であることを確認し、そのプロトタイプに対応して形で式を立てているわけです。

乗法が適用できる典型的な構造は、いくつかのものに同数のものが対応しているときに総数を求めるという場合ですから、その共通な数に名前を付けて 1 あたり量と呼んでいるのでしょう。

みかんが 3 個づつ 5 列の場合に、このプロトタイプへの当て嵌めを考えると、その方法によって 1 あたり量が 3 個になったり 5 個になったりします。後者の質問の場合は、1 あたり量が 3 個でいくつ分が 計 5 ですね。

1 あたり量という用語を積極的に用いることで、元の問題からプロトタイプへの当て嵌めの過程を言語化できるというのが、このアプローチの利点なのだろうと思います。

もちろんプロトタイプは一通りではなく、各プロトタイプに自然な対応が付く元の問題のパターンも複数あります。さらに上の例のようにプロトタイプへの当て嵌めの方法も多種ありますので、それに応じて式も変わるでしょう。

このプロトタイプが元の問題の世界と数の世界のインターフェイスになっていると考えるのが普通でしょう。かけ算の順序を主張するというのは、立てられた式とそのプロトタイプをほとんど同一視しているということですから、その式が二つの世界の境界にあるということになります。

167. Katase — December 11, 2010 @14:21:51

せとともこさん

>先に書いたように「単位あたり」も「個数」も教師が強制するのではなく子ども自らが探すことが一番大切だと思います。

私は、(1あたりの数)×(いくつ分)=全体の数、もしくは (いくつ分)×(1あたりの数)=全体の数、という様な「単位あたり」や「個数」に拘った教え方に違和感を強く感じています。

Katase — December 11, 2010 @11:39:47でも書きましたが、
数を数える対象としているのは例えば「みかん」や「りんご」そのものであって、お皿や袋は関係無いですし、「単位あたり」なんて余計な意味づけだと思っています。
私としては、本来の単位ではない日本語の助数詞に引き摺られてしまって、却ってイメージの把握をややこしくしている様にも感じています。

「単位あたり」という概念を使った説明の仕方は、どうしても理解を導くのに必要なものではないと思うのですが?
せとともこさんのご主旨をもし勘違いしていたら、すみません。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @14:53:05

「単位あたり」と「個数」で考えるというやり方自体は、何度も書いたように「水道方式」です。
水道方式全体をざっと眺めると、ちゃんとタイルを使った説明などもあり、あくまでも掛け算の導入としては「単位あたり」で考えるということだと思います。

掛け算の導入をどうすればいいかについては、長い戦いの歴史があるはずで、僕はとても追えません。ただ、おそらくはどの方法も一長一短なんですよ。「自分の考える教え方がベスト」と言ってしまうのも危険なわけで。

だいじなのはむしろ、いつその「導入のためのローカルルールを捨てるか」だと思います。ローカルルールはあくまでもローカルルールに過ぎず、いつまでも引き摺るのは百害あって一利なしくらいの感じかと。
「正しい順序が決まっている」としてしまうと、ローカルルールが捨てられなくなっちゃうでしょうね。それとも、手の平を返したように、「今日からは正しい」って言うんですかね。そのあたりがよくわかりません。いや、それすらも先生によるのかもしれませんが

僕は、どんなローカルルールであれ、教える側が「これは導入のためのローカルルールに過ぎず、絶対ではない」と認識していさえすれば、妙なことは起こらないと思うのですが、どうやらそう考えない先生がいるらしい、ということですよね

169. ドラゴン — December 11, 2010 @14:39:02

みなさん、こんにちは。

きくちさん

>実際に教えている先生がたはそうなんだと思いますが、「算数教育」の研究者という人たちがいるのですよねえ。教育系の大学で教える側の人たち

そうなんですね。
私のまわりにはそういう方はいるんですが、ちょっと電話してとかメールで聞くというほどの関係でもないので、文献を探しております。

そこで気になるのが、教科書や指導書です。現在、算数の教科書は6社から出ていますし、ベネッセや学研のサイトでも同様の見解が出ています。それぞれが、当然、算数教育の研究者や数学者が関わっております。小平邦彦氏も東京書籍の編集に関わっておりますしたし、現在は教育心理の市川伸一氏も名を連ねておりました。当然、ここで議論されていることは、踏まえられているとは思います。
では、どうしてそう書かれているのかが、分かりません。いろいろと調べてみます。

ちなみに#63で紹介しました最初の文献についてみなさんはどう思われます?

>順番が慣習的に決まっているものはいくらでもありますよ。
 #106で書いたことと関わるのですが、いくつかの文献をみると「かけ算の順番(被乗数と乗数)は慣習」という印象もあります。ちなみに被乗数×乗数の順序については、明治まではさかのぼれます。

UpOwner Comment きくち  December 11, 2010 @15:10:07

被乗数と乗数という概念自体は日本独自のものではないですね。英語にもmultiplierとmultiplicandがあります。順番はどうか知りませんが。

現行の指導書のうちで、少なくとも東京書籍のものには、「逆順はダメ」と解釈できる記述があるようですね。なんでそうなっているのだか

171. SF物理マニア — December 11, 2010 @14:34:53

単位量x単位数の順序の問題ですが、問題は二つあると思います。
1)単位化(モデル化)
2)単位量、単位数の掛け算順序

まずモデル化ですが先にコメントしたように以下の二通りあります。
A: 3個/皿x5皿
B: 5個/配布x3配布
Aのほうがわかりやすいです。 でAを採ります。
Aを数式化する場合、以下二通り考えられます。
  3+3+3+3+3=3x(1+1+1+1+1) ・・・・(1)
             =(1+1+1+1+1)x3 ・・・(2) 
上記(1)、(2)を比べると
(1)のほうがわかりやすいと思います。
これは係数や定数が前にくるという数学における表現ルールにも合致しています。
もちろん、絶対的なルールではありませんが導入レベルでは表現ルールとして
教えていいと思います。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @14:56:44

「上記(1)、(2)を比べると(1)のほうがわかりやすいと思います」に、僕は同意しがたいですが。

どっちでもいいし、導入時にどちらかに決めてもいいと思いますよ。

173. Katase — December 11, 2010 @14:41:11

せとともこさん

すみません。ちょっと書き方がまずかったので、訂正します。
>「単位あたり」という概念を使った説明の仕方は、どうしても理解を導くのに必要なものではないと思うのですが?

を、
「単位あたり」という概念を使った理解の仕方は、正しい掛け算の理解にどうしても必要なものでは無いと思うのですが?
に訂正します。

生徒自身が"発見"するにしても、掛け算の式を立てるには「単位あたり」を意識しなくても難なく可能だと思います。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @15:01:01

上にも書きましたが、それは「どうしても必要なわけではないけど、とりあえずそうしておいたほうが初学者にとっては分かりやすいと考えられてきたもの」のひとつです。

いくつもの可能性があり、それは時代によって違います。時代によって違うという事実自体が、「どうしても必要なものではない」ことを端的に示しています。
ただ、導入がすべてではないので、どのやりかたで導入してもいいのではないかとは思いますよ。問題はそれを「いつまでも捨てないこと」と「それ以外にも正しい解釈はあるのにそれを認めないこと」でしょう。そして、水道方式を採用するすべての先生がそうであるということですらなくて、妙なことを信じる先生が少なからずいるということでしかないのだと思います。

僕もこの「単位あたり」という教えかたがいいという気はしませんが、初学者にとって、他のやりかたより本当にまずいかどうかもわかりません。どのやりかたで教え始めたとしても、進むにつれて概念を拡張して抽象化していかなければならないはずなんですけどね

175. Katase — December 11, 2010 @14:56:23

きくちさん

>だいじなのはむしろ、いつその「導入のためのローカルルールを捨てるか」だと思います。ローカルルールはあくまでもローカルルールに過ぎず、いつまでも引き摺るのは百害あって一利なしくらいの感じかと。

最初に教える糸口として、「導入のためのローカルルール」は何通りかあっても良いと思います。
問題は、その考え方が最後までどうしても「必要」だとして抜けきれない場合ですよね。例の、発言小町に出てきた人なんかは、うまく訂正されずにずっとそこから抜け出せなかったお気の毒な例だと思います。

せとともこさんも、ひょっとして「単位あたり」という概念を繰り返しておっしゃられている様ですので、もしかして掛け算には「単位あたり」を用いる事が必要だと思い込んでしまっているのではないかと失礼ながら勝手に危惧してしまいました。

>「正しい順序が決まっている」としてしまうと、ローカルルールが捨てられなくなっちゃうでしょうね。それとも、手の平を返したように、「今日からは正しい」って言うんですかね。そのあたりがよくわかりません。いや、それすらも先生によるのかもしれませんが

一旦、「正しい順序が決まっている」と教えて逆順に数値を書いた子に×とする指導をした後で、手の平を返して「逆の順序でも正しい」と上手く教え直す方が、最初から逆順でも正しいと教えていた場合よりも難しそうに思います。
切り替えを上手に導くのは、やっぱり難しくて、その結果「掛け算の順番はどっちでもいい」という正論に対して、どうしても反発したくなる人達が後から後から同じパターンで出てきてしまうのではないかな?
などと、考えてしまいます。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @15:25:21

直感的には「この順序以外は間違い」としてしまうと、あとでそれを撤回するのは難しそうですよね。

さりとて、大人になるまでローカルルールを引き摺っちゃうのも困るでしょう

やっぱり、正しいものを間違いとする教えかたには、無理があると思うんですよ。

177. かみなりびりびり — December 11, 2010 @14:48:54

> 「こだわらない派」が「順番絶対派」の先生の指導をどう考えるのかは、ぜひ知りたいところです。

教育上の都合で一時的に順番にこだわるのは許せる。ただし、そこに隠れている『これに関しては様々な意見がある』という事をどこかの時点で明確に示すのが前提。

例えば様々な説で分かれている現象に対して『この説こそが絶対に正しい。他の説は絶対に間違い』なんて強要するのはよくない。教育の問題だから絶対に正しいなんて無いと思う。だから「順番絶対派」は指導方法を変えるべきだと思う。

178. Katase — December 11, 2010 @15:27:05

きくちさん

>やっぱり、正しいものを間違いとする教えかたには、無理があると思うんですよ。

きくちさんもこれを何度もおっしゃられていますが、私もこれが一番悪いのではないかと思います。

私としては、もっと「おはじき」や「タイル」などを活用して、問題文からイメージを掴んで抽象化して考える訓練をした方が算数の概念を掴むのに素直で良いのではないかと思うのですが、どうやらこの教え方は私などの他からはあんまり出てこないのでマイナーなのかも知れません。
(おはじき、いいのに〜)

日本語に拘った教え方が主流なんでしょうかね。
ちなみに、私の娘も掛け算の式を逆順に書いて×でした。(^^;)
こっそりと、そっちでも正解だと教えておきました。

Up179. しむら — December 11, 2010 @15:30:20

きくち December 10, 2010 @16:50:28
>「3(個/枚)×5(枚) と 5(枚)×3(個/枚)が等しい」は交換則でいいのでは?
なぜそれが交換則ではだめなのか、ちょっとわかりません。


気分として、直積 A×B と B×A の自然な同型が積の同型を引き起こすのを交換法則と呼ぶのかな? ということで、おっしゃる通り交換則なんてものを持ち出すまでもなく同じということです。


きくち December 10, 2010 @18:05:13
> いえ、違います。そのことと順序とは何の関係もないというのが僕が問題にしていることです。

違いますか? 同じ内容のことを書いていると思うのですが。

180. せとともこ — December 11, 2010 @16:00:10

Katase さん。
こんにちは。
早速ですが「単位あたり」について、、、
種明かしをするなら「単位あたり」に拘るのは分数の割り算がでてきたらです。
分数の割り算が逆数になる。
これを教える時「単位当たり」の概念をしっかりと教えると実にスムーズに子どもたちは理解できます。
ついでにこの時は「思い出ぽろぽろ」(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3452539.htmlLink )のように悩まなくていいように「連続量と分離量」を教えます。
が、
かけ算導入時の小学2年、もしくは3年では「単位あたり」や「いくつ分」にはいつまでも拘らず、むしろ、かけ算することで「全体の量」が求まることを中心におきます。

もちろん、それも子どもの理解や習熟によってケーズバイケースでが。
水道方式についても、以前さつきさんともコメントでやり取りしたのですが「あう子もいれば、あわない子もいる」のが現状です。
なにしろ「特効薬」はないのだから、対処療法です。

Kataseさんが言われるようにおはじきやタイル、いまでも使っている先生もいらっしゃいます。
折り紙なんかも分数には、かなりいいです♪
いずれにしても、
教育って時間がかかるから、またコントロール実験も出来ないので「個体差」で片づけられたりすることもあるのかもしれいませんね、、、
難しいです。

181. せとともこ — December 11, 2010 @16:29:26

Kataseさんへの追記です。

以前、私が関わった「その後」の子どもたちというものをフォローしたことがあります。
「かけ算の順番」や「分数の割り算」が逆数を掛ける理由などなどについてです。
多くの子どもは「あれ、、、そんなこと習ったっけ???」とアッケラカンとしていました。
「あ、、、、あんなに一生懸命教えたのに、、、」(TT)と私。
実に子どもたちは逞しい。
でも実際のところそれでいいと私は思っています。
分数の割り算が逆数を掛ける理由を覚えていることより、
それを習熟していくことの方が大切だと思うからです。
一端、理解すれば「放擲」しても良いことだと思います。
かけ算の順番も「いずれどこかで順番から解き放たれるとき」が子どもたちにやってくることを教師は自覚しているものと思います。
順番に拘っている教師がいるとしても、存外子どもは逞しく平気の平左でクリアしている事の方が多いと思います。
むしろ、問題にすべきは、巷間で危惧されている算数嫌いの原因が何か、、、なのですが。
多様で多種の問題を絡ませながら丁寧に解きほぐす必要がありそうですね。
これまた難しいです。

Owner Comment きくち  December 11, 2010 @18:05:44

僕が、それはだめだろう、と主張しているのは
....................
順番に拘っている教師がいるとしても、存外子どもは逞しく平気の平左でクリアしている事の方が多いと思います。
...................
というたぐいの考え方です。

たぶん、多くの人が何を問題にしているかまったく理解していただいていないと思うので、何度も書きますが、「順番にこだわる教師が、正しいものを誤りとする」ことをよしとする立場が教育上いいとはまったく思えません。
教える際に順序を決めて教えるのはかまいませんが、その順序は決して絶対ではない。

もし、「順序にこだわる教師がいてもいい」と言われるなら、僕は「正しいものを間違いとする教育」をよしとする理由を知りたいのです。

意図的に間違いを教えたのなら、正す責任はあると思いますが、それを「存外子どもは」と子どもに丸投げで済ませていいのでしょうか。
そもそも、間違いを教えられた子どもは、いつ「正しいこと」を教えられるのでしょうか。
大人になっても「順序が決まっている」と信じている人がいるというのは、それを誰も正さなかったからではないのでしょうか


.............
むしろ、問題にすべきは、巷間で危惧されている算数嫌いの原因が何か、、、なのですが
.............

たとえば、「意味のない順序にこだわる教師」のおかげで算数嫌いになる、とは考えませんか?
少なくとも、ネット上には「正しいのに×にされたこと」を忘れていない人の意見が少なからずあります

僕なら、算数も学校も嫌いになりますけど。少なくとも、教師を馬鹿にするようにはなるんじゃないかな。
この件に関して、「教師を信じないことを覚えるのも勉強だ」というたぐいの意見もネットで見たのですけど、僕はそういう教育がいいとは思いません

Up183. Katase — December 11, 2010 @16:22:47

せとともこさん

ちょっと誤解をしてまった様で、すみませんでした。

>Kataseさんが言われるようにおはじきやタイル、いまでも使っている先生もいらっしゃいます。
折り紙なんかも分数には、かなりいいです♪
いずれにしても、
教育って時間がかかるから、またコントロール実験も出来ないので「個体差」で片づけられたりすることもあるのかもしれいませんね、、、
難しいです。

おはじきやタイルを活用されている先生方もいらっしゃる様で嬉しいです。
学校の先生は、生徒一人だけを教えるのではなくて、同時に何人もを相手にしなければならないので、大変でしょうね。

私は以前、高校で数学に落ちこぼれて赤点連続で留年しかけていた子のレスキューとして家庭教師をした事があります。
やっぱり割り算から躓いてしまっていて、よくよく調べると掛け算の概念の把握から怪しかったことがわかりました。
問題文の助数詞に惑わされて、割り算に入ったとたんにごちゃごちゃになってしまっていました。

1つ手前の掛け算に戻って、イメージ図を書いてから式を立てる方法を教えると素直にその概念を掴んでくれて、同じ様に割り算でもイメージ図を活用して、例えば1は(1/4)が4個分だという風に具体的に理解して貰えました。
イメージ図を描くことで躓いていた壁をクリアできると、自分からどんどん文章題からイメージ図を描いて式を立てる方法を駆使して感覚を養っていき、今まで苦手意識があってよく分からなかった数学が急に理解できる様になった事で面白くなったらしく、問題集もどんどん進められて、半年くらいで高校2年のレベルに追いつけました。

学期末テストでは、見事に数学で満点をとってくれて、それ以降は私の助けが無くても自分から学習を進めて行かれる様になりました。
その子は、うまく文章題の日本語から離れて概念を抽象化する事を覚えてから理解が劇的に進みました。

その子によって相性のある教えられ方があると思いますが、ポイントの1つは、算数(数学)の概念を上手く抽象化して把握できるかどうかにある様な気がしています。

>かけ算の順番も「いずれどこかで順番から解き放たれるとき」が子どもたちにやってくることを教師は自覚しているものと思います。
順番に拘っている教師がいるとしても、存外子どもは逞しく平気の平左でクリアしている事の方が多いと思います。

私が危惧しているのは、放っておいても自然に目が醒めるように正しく理解していくことができる人達ばかりでは無いだろうということです。
小学校の低学年くらいは、教えられた事を疑いも無く素直に信じてしまう子が多いと思います。
この刷り込みは、案外と強くて、何処かでちゃんと修正して教わり直されないといつまでもそう信じ込んでしまいがちなのではないかなと思ったりしています。
今の子は塾なんかで教わり直すケースも多いみたいですが。(^^;)
でも、そういう機会に恵まれなかった子はそのままになってしまっている可能性も高いです。
先に紹介されていたものですが、大人になっても、まだローカルルールの呪縛から逃れられない人達もいる様です。
・算数の掛け算 : キャリア・職場 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?o=0&p=0Link

これ以外にもこちらのエントリーでもそうですが、少し前にTwitterで掛け算の順序が話題に出た時も、大人になってからも「ローカルルール」が少しも変だとは思わずにいるままの人達が後から後から現れた事から、あんまり楽観はできないのではないかと思います。

184. ドラゴン — December 11, 2010 @18:30:46

きくちさん

>被乗数と乗数という概念自体は日本独自のものではないですね。英語にもmultiplierとmultiplicandがあります。順番はどうか知りませんが。

世界でも、乗数と被乗数を理解させる国は多いように聞いています。例えば次の文献。
「算数・数学教育における子どもの概念形成と思考方略−イラン、アメリカ、日本の比較授業分析」
http://www.n-ishida.ac.jp/main-office/tyuto/09/kiyou2009/P3.pdfLink

シンガポールの教科書でも、乗数と被乗数の関係の学習はあるとのことです。(雑誌記事より、アメリカの研究者の報告)
−引用はじめ−
日本やシンガポールの教科書では、 アレー図は、九九の表を構成するときに、乗数が増えるにつれて全体がいくつずつ増えて行く様子を観察したりするために使われているようである。おおった紙を右方向(日本)や下方向(シンガポール)に一つずつずらすようにして使うことによって、乗数と被乗数の関係を明確にし、乗数が増えると、それにともなって全体の量が変化がすることを分かりやすくなるように扱われている。
−引用終わり −

中南米でもそうしている国があるようですが、それは日本の海外協力隊やJICAの援助で日本の研究者がかかわっていることが多いので、むしろ日本の影響によるものかもしれません。


>もし、「順序にこだわる教師がいてもいい」と言われるなら、僕は「正しいものを間違いとする教育」をよしとする理由を知りたいのです。
私は、「順序にこだわる教師がいてもいい」とは思うのですが、もちろん「正しいものを間違いとする教育」ではありません。
前に書いたように、順序を決めた方がよいときもあります。ただ、面積の学習でも「今日は縦×横で考えようね」ですむことです。もちろん、その後のテストで、横×縦で書いたら×にしていいということではないです。だから、教師の力量にかかわることなんだろうと思います。そうした配慮ができるかどうかでしょう。
TOSSの場合は、そうした配慮ができない典型なんだろうと思います。

185. 庸 — December 11, 2010 @18:11:49

せとともこさま

はじめまして。貴女のblogも拝見させていただきました。
そしてひとつだけ気になったことがあります。

小学校2年生の理解の度合いのばらつきを考え、数学的思考を苦手とする子にもじっくりしっかり意味を教えていくことが必要だと、そのための教え方の根本と工夫なんだということを主張なさっていると思いますが

一方で、小学校高学年や中高生や大人にも数学的思考の弱いままの者はおり、教えられたことの形だけが刷り込まれたままになりもするのに、逞しく乗り越えていくことを期待して放り投げてしまっているように読めるのですね。

以前、七田方式のスレで初めてこちらのblogに寄せていただいた時にも書いたことなのですが、人は「何を主張したか」と同じくらいに「何については主張しなかったか」にも注目するものです。
せとさんの場合は、導入時の必要性を訴える熱意にくらべて、きくちさんはじめ、多くの方が疑問を呈している「その後の弊害」についての言及があまりにも少ないと思えるのです。

導入時のメリットは発展時の足枷になることもある。
どうも前者を大事にするあまり、後者を軽くみていらっしゃる気がしてなりません。

のろのろ書いている間にKataseさんに先を越された感がありますがw
そのあたりについて、お考えをお聞かせ願えれば幸いです。

186. せとともこ — December 11, 2010 @19:05:42

Kataseさん。
庸さん。
こんばんは。

Kataseさん。
ご紹介の記事、読みました。
不謹慎と思いつつ笑ってしまいました。
これって「かけ順」刷込み以前の個人の人格問題のように思いますが、いずれにしてもアレコレの例外はいろいろあるのは当然です。
なにしろ、万能薬ではないのだから。
試行錯誤の連続ではあるが、、、
それでもなんとか「理解と習熟」を導きたいと願っているのですが、もどかしいものです。



庸さん。
頂いた質問ですが、、、
なんというか実のところ困っています。
本当に困っています。
的がはずれていませんか???
「その後の弊害」についてですが、、、
これって、私に「かけ算順番重視」先生の代弁をしろ、、、と言うことでしょうか?????

ただ一つ言える事はあなたの以下のコメントに対してですが、これは私の文や意図を読み間違えています、↓
「一方で、小学校高学年や中高生や大人にも数学的思考の弱いままの者はおり、教えられたことの形だけが刷り込まれたままになりもするのに、逞しく乗り越えていくことを期待して放り投げてしまっているように読めるのですね」。

違います。
子どもたちの「柔軟な発想と伸びる力を信じていること」の発露としてKataseさんに伝える事と、
あともう一つはKataseさんご自身の子育ての悩みに共感(実はわが子も同じでしたから、、、ははは)しての表現だったのですが、、、

どこをどのように読むとこのような「無責任な丸投げ」に読まれたのでしょうか???
後学の為 お教え頂けると嬉しく思います。

187. Katase — December 11, 2010 @18:59:19

とても気になっている事に、教え方があまりに形式に拘ってパターン化してしまうと、生徒はその時はその指導に従って忠実に機械的に問題を解いて正解を出していても、根本的な概念を正しく把握できずにおろそかになっているのが見過ごされて、その後違ったタイプでそれまでのパターンが適用し難い応用問題として出題された時に、どうしたらいいのか分からなくて戸惑ってしまわないかと心配になります。

私が教えた赤点連続でピンチになった子は、まさにそのタイプでした。
理由は何だか分からないけれども、先生からこうするのだと教わった通りにして機械的に問題を解いて○をもらってその場を凌いできたので、きちんとした理解に乏しいまま次に進んで、気が付いたらどうにも解らなくなってしまっていた様です。

教えてみて分かったのですが、その子はイメージ図をとても的確に描けて、進むに従って「先生、この問題はこうやっても解けますよね!」と別解を幾つも思いつける様になった事です。
苦手だと思い込んでいただけで、本当はとても数学的なセンスのある子でした。

こういう点でも「正しいものを間違いとする教えかた」は、いくら方便であってもかなり悪いやり方ではないかと思います。

Up188. 庸 — December 11, 2010 @19:29:30

せとさま

私の文章力が乏しいようですみません(;;

>これって、私に「かけ算順番重視」先生の代弁をしろ、、、と言うことでしょうか?????

そうではありません。
掛け算順番絶対視先生が起こす弊害を、絶対ではないと思うせとさんが教育のプロのひとりとしてどう考えているかをお伺いしたいのです。

>どこをどのように読むとこのような「無責任な丸投げ」に読まれたのでしょうか???

先にも書きましたが、発言小町の事例のようなことが既に起きているとの指摘にも関わらず、それに対してのコメントが「笑ってしまった」「難しい・もどかしい」以上のものが見受けられないことと、

せとともこ — December 11, 2010 @16:29:26より

>順番に拘っている教師がいるとしても、存外子どもは逞しく平気の平左でクリアしている事の方が多いと思います。

を同時に読みますと、そういうふうにしか読めませんでした。

子供たちの柔軟な発想と伸びる力を信じていらっしゃるのは結構なことですが、現に硬直化してしまった大人が大勢生まれている現実があるのに、信じている、だけでよいものかどうかと問うております。

189. せとともこ — December 11, 2010 @20:04:04

庸 さん。
「子供たちの柔軟な発想と伸びる力を信じていらっしゃるのは結構なことですが、現に硬直化してしまった大人が大勢生まれている現実があるのに、信じている、だけでよいものかどうかと問うております。 」と言うご質問。
私が答えられることは「わかりません」だけです。

頂いた内容については、それ以上でもそれ以下でも、回答の持ち合わせはありません。

では。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @03:08:08

「順序厳格派」の先生については、どう考えておられます?

間違いを教えておいて、「子どもは存外」なんていうふうに子どもに丸投げするのがいい教育とは、僕には思えませんが。

せとさんはご自身が「順序厳格派」ではないし、また「順序厳格派」の先生に対する特段の意見も書いておられないんですよね。
いったい、この問題について、何を主張したくてコメントされたのでしょうか。それがまったく理解できないので、困惑しています。
もともとこのエントリーでは「順序こだわらない派」の先生については、なんら批判も非難もしていないわけですが

「順序厳格派」でもいいんだ、とか、「順序厳格派」はおかしい、とか言っていただけたらわかりますが、「子どもは存外」なんてことは誰も議論していないわけで

191. さんちゃん — December 11, 2010 @22:22:01

まあ、他の先生がやってることだから関係ないってことですね
・・・。

192. 岩井(元・がんのすけ) — December 11, 2010 @23:03:18

この間の議論、興味深く拝見しておりました。

身近なところに小学校教員がおりましたので、この件について尋ねてみたところ、リンゴの個数の問題では、(個)×(皿)の順番で教えてから「今日はこの順番で計算してね」と言っておいたのに(皿)×(個)と回答したときはバツにする。ただし、数学として考えたときは間違いではないので、それは次のステップに進んだときに教えるのだ」とのことでした。
ちなみに、教え方は水道方式だそうです。

私は教育については素人ですが、3人の娘を育ててみた経験から「教えられる側が納得する・腑に落ちる」ということが大切なのだと考えます。

ですから、さきの教師がバツをつけると言っていたテスト用紙には、あらかじめ「授業で教わった順番で計算してね!」てな注意書きをしておかないといけない(保護者対策としても、です)。その上で、教師の意図と違う計算式を立てた子には、どうしてこの順番に計算したのかを聞いて、きちんと理解できているようなら、バツの上に大きく取り消し線を入れて、改めてマルをあげるべきだろうと考えます。
でないと、生徒は教師の理不尽に思える仕打ちにノックアウトされるでしょうし、数学嫌いになるに違いない(決めつけすぎ?)。

ところで、
私が高校で10を底とするlog(対数)を習ったとき、こんな便利な考え方は是非中学校で教えるべきだ、と感じたことを思い出しました。小学校のつるかめ算のアクロバティックさが、中学のxyの導入で、いとも簡単に解けるようになった瞬間に感じたのと同様でした。
今や「logてなんだっけ?」という体たらくではありますが、とりあえず、すじみち立てて理解することは大切ですし、その一つのステップとして「この順番で考えてみよう」とする考え方はアリだと思います。その上で逆(5回にわたって3個ずつ配る、とか、全部で5皿あってそれぞれの皿の上には3個ずつのっている、というような)にしても同じだよね、という説明で逆順が成り立つことを、じゅんじゅんに納得させてあげればいいのでしょう、きっと。
でも、今のせわしない教育課程では、無理なのかな。

UpOwner Comment きくち  December 11, 2010 @23:38:12

基本的な考え方はそれでいいと思うのですが、僕は、もしそうなら、単なる式を書くことを要求しなければいいのだと、相変わらず考えます。

既に書いたとおり、遠山の「水道方式」の本には、まず式を書くのではなく、問題文から「ひとつ当たり量」と「いくつ分」の表を作らせることが書かれています。また、式にするときについても(単なる式を否定してはいませんが)、「個/皿」や「皿」といった「単位」をつけるほうがよいだろうと書いてあります。
少なくとも、僕が読んだ本はそうでした。

表を作らせるならまったく問題はないし、式を書かせるにしても、最初だけでも「単位」をつけさせれば、おかしなことは一切起きません。いずれも、水道方式に従いつつ順序問題を解決する方法で、しかもそれは水道方式の本に書いてあるんです。

「水道方式」の本にこういうことがはっきり書かれているのに、なぜ「水道方式」でありながら、「単なる式の順番」を問うてしまうのか、どうにも理解しがたいところです

194. 庸 — December 11, 2010 @23:11:55

せとさま

「わかりません」とのこと、了解です。お返事ありがとうございました。

どうやら私の誤読?ですっかりご立腹のようでいらっしゃいますね。
ご自身のblogでは、噛み合わない議論にもしつこく丁寧に応対していらっしゃったのに、残念なお答えではありました。
これがせとさまの本心ではないことを祈りつつ。

195. 岩井(元・がんのすけ) — December 11, 2010 @23:13:18

すみませんすみません。

前の「でも、今のせわしない教育課程では、無理なのかな。」
は、「でも、今のせわしない学校教育の中では、無理だと思う人もいるのかな」という意味でした。

196. 麻生 — December 11, 2010 @22:24:23

掛け算の順番にこだわる先生なんていうのがいるんですね。
驚きました。
そして発言小町の方のように大人になってもその教えにこだわっている人がいるのにもびっくりしました。
3×5=15を5×3=15と書いてバツをもらったら、それで算数が嫌いになりそうです。
文章題なら途中の式が5×3=15でも、解答欄に「15こ」と単位をつけるんじゃないですかね?
その単位が「15さら」ならまちがいでしょうけど、「15こ」なら正解だと思うし、その子はりんごの数がいくつであるかを計算したと思うんですが。

自分が掛け算を覚えた時のことを思い出すと、先生が黒板にマグネットを3つずつ5箇所に貼って、3のまとまりが5つあることを3×5といいますって教わりました。
そしてその数をみんなで数えました。
いくつですか?15こです。
その次に同じ15このマグネットを5つずつ3箇所に貼りなおして、5のまとまりが3つあることを5×3といいます、と言いました。
これは全部でいくつありますか?
今度は数えなくても15こと答えられた覚えがあります。
その後、いちいち数えなくてもいいように九九を覚えましょう、ということで九九の練習をしました。
1週間で1段覚える・・・みたいな感じだったと思います。
2ヶ月くらいで全部覚えたと思います。
その後も覚えた九九とマグネットを使った授業で、まず先生が2×6を作り、その後生徒に6×2・3×4・4×3を作らせるというようなことをしていましたね。
いろんな数でそういう練習をしました。
20こ使って同じようなことをした時に、4×5と5×4はすぐに出来たけれど、九九にないので2×10と10×2はパッと思いつかなかったのを覚えています。
今思うと割算や因数につながっていく内容だったのかもしれません。
りんごとかみかんとかは教科書の中でしか出てこなかった気がします。
単位を意識したことは特にないです。

こういう授業をする先生でしたので、文章題で3×5を5×3と書いたからといってバツにされることはなかったように思います。
そもそも積というのは順番を替えても同じ答えになるというのは九九を暗記する前から理解していました。
そのように最初から教わっていたからだと思います。
それでもその先生には全ての段を暗記するように指導されました。
完璧に暗記できているか確認するために、逆から九九を言わされたりしましたね。
九九の暗記は早い子も遅い子もいました。
一番遅かった子は特殊学級にも通っていた子で、2年近くかかったと思いますが、それでも全部言えるようになってました。

このエントリーを読んだらそんな大昔の思い出がぶわ〜っとよみがえって来て面白かったです。

197. 岩井(元・がんのすけ) — December 11, 2010 @23:48:29

きくちさん、

>基本的な考え方はそれでいいと思うのですが、僕は、もしそうなら、単なる式を書くことを要求しなければいいのだと、相変わらず考えます。

であるのならば、文章で答えるようにするといいかもしれませんね。かけ算を習いたての人にはハードルが高いかもしれませんが。(チャットみたいで、すみません)

UpOwner Comment きくち  December 12, 2010 @01:06:36

文章ならまったく問題ないですよね
まあ、それでは小学二年生にはハードルが高いから、「表」という案になるのでしょうね

199. Katase — December 11, 2010 @23:34:50

麻生さん、はじめまして。

やったー。おはじき系仲間が出てきて嬉しいです。
私も、同じ様にして教わりました。
こういうやり方だと、文章題に移っても変に助数詞に混乱することもなく、素直に掛け算の性質と意味を可換性も含めてしっかりと理解できますよね。

このやり方が小学二年生には難しいということもなく、私以外のクラスのほとんどの子達も同じ様に直ぐに理解していた様に思います。
よく子どもの発達段階からするとまだ抽象的な理解は難しいから、まずは日本語の文法に従って掛ける順を決めて…うんぬんという理由がにわかに受け容れがたいのはこの経験からでもあります。

最初の段階で例え便法としても「算数(数学)的には正しくない」ローカルルールを導入して一度逆順は×とするやりかたで覚え込ませてしまうことで、後々余計な混乱を招いてしまうのではないかと危惧しています。

九九の暗唱をする時は私はちょっとずるして、5の段より後は例えば8×3[はちさん]=(心の中で瞬間的に3×8[さんぱ]=)24と一応全部の段を覚えたフリをして誤魔化してました。(笑)

200. かみなりびりびり — December 11, 2010 @23:52:46

#0
--------------------------
いずれにしても、これはあくまでも掛け算の「導入時」の教え方の問題です。初めて掛け算を習うときには、いろいろつまづく点があるので、どのように教えるのが最もよいかについては、長い議論があります。結果として今は水道方式が主流なら、それはそれでいいのだと思います。僕にはそれ自体を云々するだけの知識も蓄積もありません。
--------------------------

「導入時」に順番にこだわるのが主流なら、それはそれでいいのでしょうかね?揚げ足取りをするつもりはさらさらありませんが、数学の正しさの問題と教え方の問題を分離できずに議論しているように見えてしかたありません。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @01:16:22

いえ、僕が言っているのは、「導入時に順序を決めて教えてもいいが、それは単なる便法なので、逆順で書いても正しい」です。

とりあえず、最初は一定の意味づけで教えてもいいと思います。おはじきの議論がありますが、おはじきでも「掛け算のすべての性質」を教えられるわけではなく、それはそれで便法なんです。塁加で教えるやりかたでは「かける0」「かける1」でつまづく、というのが「水道方式」のひとつの理由になっています。僕は、そうなのかなあ、と思いますが、それはそれで生徒の学習を観察した結果なのでしょう。

ただし、「教えた意味だけが正しいというわけではない」ということを教師が理解しておくべきです。

いずれにしても、交換則はすぐに習います

202. atg — December 12, 2010 @00:11:32

はじめまして。いつも興味深く拝見させていただいております。
既出かもしれませんが、
http://benesse.jp/blog/20071120/p37.htmlLink
「そういうルール」で言い切っているので、ちょっと驚きました。
我が家の子供も、答えはあっているけど式で×をもらってきます。
子供は納得できないようですし、私も納得できないので、説明に困っています。
上記リンクでの説明も、「教え方として有効だから」というより受験対策っぽいですね。

UpOwner Comment きくち  December 12, 2010 @01:09:08

お子さんが納得できないのは当然で、僕も納得できません。
数学者もそれはおかしいと言っていますし。

「本当はそれでも正しい」と言うしかないと思うのですよねえ・・・

204. 積分定数 Website — December 11, 2010 @23:52:00

 みなさん、こんばんは。かつてやりとりした方もいらっしゃるようですね。

 書きたいことは色々あるのですが、

>せとともこさん

 前回のやりとりでも、結局せとともこさんの考えが分からなくて、結局何が議論されているのか分からないままうやむやに終わった感があります。

 今回もそうなのですが、今行われている算数の授業に関して、賛否が議論されているときに、

>教師はその手がかりを教える便法として、その教師独自のやり方を示しているだけだと私は今まで思っていたのですが

と、掛け算の順序に拘る教え方を擁護するような発言の一方で、

>ちなみに私は「かけ順」には拘っていません。

という。

一方で、

>次に添加。
「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」
などの問題です。
これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。

ともおっしゃっている。



勿論、「自分はそうは教えないけど、そういうように教える教師にも道理がある」という主張そのものは、あってもいいと思います。

 しかし、じゃあ、せとともこさん自身 は、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/489491.htmlLink
というような教え方についてどう考えているのか?

要するに、

積や和の順序に拘っているのか?
順序はあってどちらか一方だけが正しいのだが、教えるときには拘らないのか?
学校現場で行われている順序に拘った教え方について、賛成なのか反対のなのか?
あるいは、現場の先生はそれぞれ一生懸命考えてやっているのだから、とやかく言うなということなのか?

そのあたりのことがサッパリ分からないのです。


>多くの教師は指導要項をみて教えているのではなく子どもたちを見て教えているものと思います。
確かに教条的な教師もいますが、全部ではありません。
むしろ「どうしたら理解が進むか、、、」日々努力、勉強している方が多いのです。

 全部でなくても、一部でも好ましくない授業が行われているなら、それを改善しようとか是正しようと言う話になるのは構わないと思います。また、教条的、あるいは教えている教師自身が算数・数学を理解していないというケースはかなりある、と私は推測しています。小学校の全ての算数授業を調べたわけではないので断言は出来ませんが、そう推測するに至るそれなりの根拠はあります。

 それから、教師が真面目に一生懸命研究していてもそれがいい授業とは限りません。

 主観的には「正しくていいこと」が客観的には害悪をなすこともありえます。戦争やテロも実行する人は、「これが正義だ」と詭弁ではなく本気でそう思っていることが多いと思います。

 戦争やテロの例は極論ですが、「サンドイッチ」や「警察と泥棒」を考えた教師は研究熱心で一生懸命で、ネットで公表するぐらいだから、自分の考案した方法が素晴らしいと思っていると思います。

 でも、ろくでもない教え方だと思います。

http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201005300132.htmlLink
朝日新聞の「花まる先生」で紹介されているこの方、

一生懸命で真面目なのは分かる。

http://homepage1.nifty.com/moritake/sansu/5/taniryo01.htmLink
http://homepage1.nifty.com/moritake/sansu/5/taniryo02.htmLink

でもこんな教え方は、甚だ疑問です。

>この式を説明していると、こんなつぶやきをした子がいた。
 ・テントウ虫もみはじくんも、上のところには、一番大きな数が入るよ。
 一番大きな数は、上に入る、というきまりを見つけたことで、一層間違えが少なく計算することができた。


一番大きな数が上に入るのは、単に割り切れる問題ではそうなってしまうだけで、「6秒で3m、時速は?」なんてなったら、困ってしまう。むしろ、「それは違う」と教えないと。

 小学校で、「みはじ」だの「くもわ」だのを教えるので、高校入ってからモル計算で困ってしまう。

 要するに、一生懸命だけどずれているのです。

205. SF物理マニア — December 12, 2010 @01:49:46

>#173. SF物理マニア — December 11, 2010 @14:34:53
前回コメント分の補足です。

単位量x単位数の順序の問題ですが、問題は二つあると思います。
1)単位化(モデル化)
2)単位量、単位数の掛け算順序

まずモデル化ですが先にコメントしたように以下の二通りあります。
A: 3個/皿x5皿
B: 5個/配布x3配布
AのほうがわかりやすいのでAを採ります。
Aを数式化する場合、以下二通り考えられます。
 3+3+3+3+3=3x(1+1+1+1+1)→3x5・・(1)
          =(1+1+1+1+1)x3→5x3・・(2) 
上記(1)、(2)は単に表現が違うだけですが、どちらかに決めてあげないとモデルBとの誤解・混乱を生じます(単位表現とかを追加してもいいのですが煩雑になるので)。
Bの場合は、Aと同様に
  5+5+5=5x(1+1+1) →5x3・・・(1)
       =(1+1+1)x5 →3x5・・・(2) 
それで(1)に決めたのだと思います。
これは係数や定数が前にくるという数学における表現ルールにも合致しています。
もちろん、絶対的なルールではありませんが導入レベルでは表現ルールとして教えていいと思います。

英語圏の場合、(2)のほうに決めてあるかもしれませんが詳細不明。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @02:45:17

だから、教えてもいいけど、「それがベスト」とかではないですよ。ベストかどうかは主観の問題

207. かみなりびりびり — December 12, 2010 @01:51:29

掛け算の教え方は、教育の問題。
では、テスト採点の方式は、教育の問題なのか、数学の問題なのか。

私は「教育の問題」だと言い、きくちさんは「数学の問題」だと言う。

UpOwner Comment きくち  December 12, 2010 @02:47:59

数学的に正しいものが、教育だからという理由で「間違い」とされるのはおかしい、と言っているだけです。
これは教育の問題ですよ。

僕は「正しいものを間違いとする教育がよい」とはまったく思いませんが?

Up209. atg — December 12, 2010 @02:19:42

そもそも「掛け算のルール」に従うことに、なにか格別の教育効果があるのでしょうか?
当てずっぽうの答えを防止するために式を書かせる、というなら解るのですが。
「どろぼう」や「サンドイッチ」の例を見ても、そうまでして何故こだわる??と感じます。

しかし、子供と先生の信頼関係を崩したくもないので、いろいろ気を使うところ。
ということで、きくちさんのご指摘通り、掛け算の順番でバツもらっても、こっそりと「本当はそれも正しい」と言ってます。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @02:56:18

厳格に守らせることにはなんの教育効果もないと思いますよ。
算数ではひとつの問題にもいろいろな考え方ができる、というのがだいじなわけで、それを抑えこむのはむしろ「教育上悪い」と思います。

興味深いことに、遠山は「算数ではいろいろな考え方ができる」ことを強調していたみたいですね

211. いしやま — December 12, 2010 @02:36:03

細かい話ではありますが、小学校は「児童」ですね。中高が「生徒」。「生徒」を自称する大学生(「学生」としての自覚が無いまま卒業)がいっぱい居て悩ましく思ってる今日この頃です。
さておき、単位あたり量ってのは、考えようによっては気持ち悪いですよね。例えば、
3個/皿+3個/皿=3個/皿
なんて計算も、考えようによってはできてしまう。温度の足し算(20度の水+20度の水=20度の水)みたいなものですね。これから「単位」に相当する部分を消し去ると、
3+3=3x2=3
なんてことになってしまう。できれば排除した方がいいもののように思います。それと、後に割り算を導入するための便宜として順番を気にさせるというのであれば、引き算を導入した時点で、足し算との相違をしっかり気にさせてあげるのがいいように思います。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @03:14:03

まあ、正直、気持ち悪いですよね。
3個載った皿が2皿なら、それを足し算で書くと
3個/皿+3個/皿=6個/皿
なのか? ってことですが。
「いち単位あたり量」は掛け算にのみ導入されるものなのでしょう。その意味でも、気持ち悪いのは気持ち悪いです。

ただ、それを言ってると話がそっちに集中しちゃうに決まってるので、とりあえず「そこは置いといて」にしてるんですけど

213. Isshocking — December 12, 2010 @03:08:04

皿の上にミカンじゃなくて皿を3枚重ねたら皿の枚数を数えるのに「皿/皿」という「単位」を持ち出すのか、とか。
ミカンが3個100円で500円分買ったらいくつ買えるか、は1単位あたりで0.03個/円×500円の計算を強制されるのか、とか。
展開もできず精密化しても実りのないルールって何とも不毛だと思いますね。

UpOwner Comment きくち  December 12, 2010 @09:25:16

ああ、なるほど。
それは屁理屈ではなく、「皿/皿」だと思います。もしかすると「皿/枚」かもしれません。そういう妙なことの起きない「都合のいい問題」しか考えないのでしょうけど、子どもが質問するかもしれませんね

「ミカンが3個100円で500円」は割り算の問題なので、どうするのかわかりません。「いち単位あたり」を掛け算の導入時にとどめるなら、そこまでは引っ張らないでしょうが、「絶対」としちゃうと、どうするのでしょうね。

215. かみなりびりびり — December 12, 2010 @03:36:56

教育の問題なら、きくちさんはこう言っていますよね?

僕にはそれ自体を云々するだけの知識も蓄積もありません。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @09:30:49

ええ、そのとおりです。
水道方式なのか「掛けるかずと掛けられる数」なのかなど、どの教えかたがいいのかについては長い歴史があるので、云々するだけの知識も蓄積もありません。

しかし、それはあくまでも「正しいものは正しい」と教えるのが前提です。「正しいものは間違っている」とする教育方法はよくないと思いますよ。

217. いしやま — December 12, 2010 @04:01:13

「単位あたり量」という考え方が、掛け算を導入するにあたっての前提として破綻してる(これを理解するためには、分母と分子の総数をそれぞれ足し合わせて割るってのがわかってないといけない)ってのを踏まえたうえで方便として使うというのであればいいのだと思うのですが、そうなってない現実があるってのが問題なんですよね。
けど、「掛け算の順番」ってのは、それ以前の問題なので、そっちに議論を限定したいってのを、乱してしまってすみませんでした。

218. Isshocking — December 12, 2010 @04:35:15

かみなりびりびりさん:
>教育の問題なら、きくちさんはこう言っていますよね?
>
>僕にはそれ自体を云々するだけの知識も蓄積もありません。
これは読み違えているのだと思いますが。
きくちさんがこう言っているのは「水道方式」を授業に持ち込むことについての見解であり、話題の流れも水道方式を批判しているわけではないです。

UpOwner Comment きくち  December 12, 2010 @09:36:41

はい、僕は「最初の教えかたとして水道方式に従うなら、それはそれでいい」と書いています。
「いち単位あたり量」で教えることそのものを問題視しているのは、ほかのかたがたのコメントです

僕自身は「いち単位あたり量」というやりかたに疑問を持っていますが、そこには長い歴史があるので、おいそれと「最初はタイルのほうがいい」とは言いがたいだろうということです。所詮、どれも一長一短なのだろうし。ただ、「水道方式」でもタイルは使います。

どのみち、導入はなんらかの特殊例でやるしかないわけで、むしろ、どうやって一般化していくか、どうやってローカルルールを捨てるか、でしょう。
「順序絶対」を採用してしまうと、ローカルルールを捨てるのは難しかろうという気がするのですけどね

「ローカルルールに過ぎない」と教師自身が理解しているかどうか、それが重要だと思います

220. せとともこ — December 12, 2010 @06:06:40

おはようございます。
今日は忙しいので、朝はやくに書き込ます。


きくちさん。
ここでコメントした趣旨は積分定数さんが「和の順番」で私のブログを紹介して下さり、その後、溶液でKataseさんときくちさんがご意見を書かれていたので、本人である私が書き込みをしただけです。

さて、#183できくちさんは「僕が、それはだめだろう、と主張しているのは
....................
順番に拘っている教師がいるとしても、存外子どもは逞しく平気の平左でクリアしている事の方が多いと思います。
...................
というたぐいの考え方です。
たぶん、多くの人が何を問題にしているかまったく理解していただいていないと思うので、何度も書きますが、「順番にこだわる教師が、正しいものを誤りとする」ことをよしとする立場が教育上いいとはまったく思えません。
教える際に順序を決めて教えるのはかまいませんが、その順序は決して絶対ではない。
もし、「順序にこだわる教師がいてもいい」と言われるなら、僕は「正しいものを間違いとする教育」をよしとする理由を知りたいのです。
・・・・・・・・・
と言われています。
まず「存外云々」は私が個人的にKateseさん宛てに私信のつもりで書いたのです。「子どもは柔軟だから、、、」と言う励ましと共感です。
が、
きくちさんのご指摘。
それはそれで、一般論化すると考量に値しますね、、、
「正しいものを間違いとする教育」をよし、、、としているのはいけません。
これは教育としては間違っています。
自明です。
ただ、その背景については、もっと調べ、考えないと分かりません。



庸さん。
別に怒ってはいません。
本当に分からないのです。
大人になってからも「かけ算」の順番呪縛から逃れられないのは、教え方だったのかどうか、、、
先にも書いたようにこの問題は多種で多様な条件を考えなければならないので、軽々とはお答えできません。


積分定数さん。
私が一貫していることは「子どもによって理解が違う」ということだけです。
教え方ではその時々で違う事はあります。
「積や和の順序に拘っているのか?
順序はあってどちらか一方だけが正しいのだが、教えるときには拘らないのか?
学校現場で行われている順序に拘った教え方について、賛成なのか反対のなのか?
あるいは、現場の先生はそれぞれ一生懸命考えてやっているのだから、とやかく言うなということなのか?」というご質問。


和や差の順番には私は拘りませんが教える便法として順番で教えることはありますが、間違っても「×」をつけることはありません。
自分のブログでも書きましたが間違った子にはフォローします。

「学校の現場」での実態については、あなたとも以前話しをしたように、指導要項の膠着の方が大きくのしかかっていると私は思うのです。
個人の教師の力量や才覚を言及する前に、そちらの方を優先して考えている私がいます。

最後の「あるいは、現場の先生はそれぞれ一生懸命考えてやっているのだから、とやかく言うなということなのか?」については、何をや言わんです。
もし、そうだったら端から相手にはしません。
悩んでいるから、こうして書き、聞き、考えているのです。


いずれにしても、
昨年もそうでしたが、この問題は教える側に「シロかクロか、、、」と突きつけられると、答えは「こどもによって違う」しか言えません。
が、
長期のスタンス、あるいは広い視野でみると、
教育の本質に拘わる重大なこと(教科書の記述や受験体制や偏差値教育に至るまで)ゆえ、今後も考えていきます。
今の私は庸さんへの返事もそうであったように「曖昧な答え」や「分からないと言う事」しか言えません。

と、言うことで、このブログの趣旨とは違うというきくちさんからのご指摘もあることだし(実は私もそう思っていました。だからずっとROMしていたのだが、、、、ははは)、ここではもう書きません。
積分定数さんがまだ何かご意見やアドバイスおありでしたら、私の方でいたしましょう。
では。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @09:51:27

僕は、こんなくだらない問題が1970年代から延々と続いていることに改めて驚いています

「40年続く迷信」みたいなものが、一部とはいえ先生がたのあいだに広まっているのをどう理解するのか。
直感的には、40年は原因を考えて対策を取るに充分な時間であるように思います。

40年ですよ。おかしくないですか?


ところで、「間違った子にはフォローします」と書いておられるのが気になったのですが、やはり「教えた順ではないものは間違い」という立場なのでしょうか。あるいは「間違い」と書いたのは、ちょっとした不注意?
僕が主張しているのは、「教えた順ではないものも正しい」であって、そのふたつは根本的に違います
「正しい」からこそ、「正しいものを間違いとする」という問題が生じるし、問題視しているのであって、「間違いだが×にはしない」は全然違う話です。
「間違った子」をフォローすべきだなんていうことは言っていなくて、「間違っていない」といい続けています

やはり、せとさんは何が問題視されているかを理解しておられないのでは?

222. Kosuke — December 12, 2010 @06:59:27

「せとともこ」というHNの方はプロの教師なのですか?そうだとしたら、この貧弱な文章作成能力・読解力でその職が勤まるのだとしたら、本当に驚きです。

例えば、すぐ上の書き込み
せとともこ ― December 12, 2010 @06:06:40
から引用します。
----------------------引用ここから---------------------
さて、#183できくちさんは「僕が、それはだめだろう、と主張しているのは
....................
順番に拘っている教師がいるとしても、存外子どもは逞しく平気の平左でクリアしている事の方が多いと思います。
...................
というたぐいの考え方です。
たぶん、多くの人が何を問題にしているかまったく理解していただいていないと思うので、何度も書きますが、「順番にこだわる教師が、正しいものを誤りとする」ことをよしとする立場が教育上いいとはまったく思えません。
教える際に順序を決めて教えるのはかまいませんが、その順序は決して絶対ではない。
もし、「順序にこだわる教師がいてもいい」と言われるなら、僕は「正しいものを間違いとする教育」をよしとする理由を知りたいのです。
・・・・・・・・・
と言われています。
まず「存外云々」は私が個人的にKateseさん宛てに私信のつもりで書いたのです。
----------------------引用ここまで--------------------

きくちさんのコメント引用部分が不明確だし、その後の積分定数さんへのレスも「〜というご質問」で切られてしまい、文章が変です。また、こういう場に「個人宛の私信」だとかをそれと明示せずに書くのも意味が解りません。

223. 庸 — December 12, 2010 @09:05:30

せとさま

>「正しいものを間違いとする教育」をよし、、、としているのはいけません。
>これは教育としては間違っています。

ここまではっきり断言できる意見をお持ちでありながら
間違った教育の行く末の話になると、途端に態度が慎重になられる。

そりゃあいろんな背景があるでしょう。
教え方「だけ」の問題ではないかもしれません。
けれど、多数の大人が順番を絶対視する根拠を「学校でそう習ったから」としているのは読まれましたよね?
少なくとも教え方の問題「でも」あるとは思われませんか?
少なくともはっきりと教育として間違いだと思われるものは、とっとと改めるに越したことはないとは思われないのでしょうか?
そこがとても不思議です。
将来の弊害云々抜きにしても、です。

なにも、せとさまお一人に教育問題の解決策を提示せよと詰め寄っているわけでもないのに、どうにも腰が引けている感が、それこそ「もどかしい」ですね。


※ちなみに私もおはじきやタイルで習ったクチですw

Up224. 積分定数 Website — December 12, 2010 @09:35:04

>せとともこさん

 やはり、おっしゃりたいことがよく分かりません。

>指導要項の膠着

「指導要領」のことだと思いますが、指導要領には掛け算の順序に関して、それに拘るように、とも、拘らないように、とも書いていません。おかしな教え方をする人は、指導要領に従って仕方なくおかしな教え方をしているわけではないのです。せとともこさんが、「おかしなおしえかた」と認識しているのかどうか分からないですが。


>この問題は教える側に「シロかクロか、、、」と突きつけられると、答えは「こどもによって違う」しか言えません。


白か黒か、灰色か、あるいは赤なのか青なのか、何でもいいのですが、

例えば、

長方形の面積を横×縦にしたり三角形の面積を高さ×底辺/2にするとバツ

という現実に行われている教え方についても、

>「分からないと言う事」しか言えません。

ということですね。

了解しました。

225. Toriuchi — December 12, 2010 @10:50:28

>問題の発端は、ある小学校での掛け算の文章題です。

誰が、どのようにやった授業か、がはっきりしていないから、
それぞれの発言者がその授業をいろいろに想定し、それを共通の見解と思ってしまって、この題目の議論が錯綜するのではないのでしょうか。

「最初の数字はリンゴをあらわし、あとの数字は皿をあらわす、という問題です」と口頭で言ってあれば、紙に書かない不親切はあるにしても、順番は解に含まれるでしょうし、言っていなければ、講師の方法が不正解、で当然でしょう。あとは話は無いと思います。

それと別の問題(issue)で、上記のように補われた問いであっても、はたして順番導入はふさわしい教育方法か、があるのではないでしょうか。

これに対しての私の意見は、算数がうんと不得手な子に対しては有効、その理由は、抽象化の苦手と算数の不得手が関わると思うからです。算数が得意な子に対しては時として習熟の妨げになると思います。教えたことの先を悩むでしょうから(何のために順番を?と)。

くわえて、不正解な指導をする教師、がいるとしたら、初期段階の順番導入の利、不利をよく理解せずに、そのように大学で習ったから、と使用している場合だと想像します。確固たる信念、で不正解な指導をする教師はいないのではないでしょうか。だから、40年間続いているのではなく、指導力の低下によってこの40年でどんどん増えてきているのではないか、とあまり根拠無く推測します。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @22:41:07

「発端」はそうなのですが、僕のエントリーはその「特定のテスト」に限った話ではないし、実は「テスト」ですらなくて、もっと一般的な話にしたつもりです。

Up227. SF物理マニア — December 12, 2010 @10:22:46

>#207. SF物理マニア — December 12, 2010 @01:49:46

> きくち December 12, 2010 @02:45:17
>だから、教えてもいいけど、「それがベスト」とかではないですよ。ベストかどうかは主観の問題

ベストかどうかの主観の問題ではありません。
式の表現ルールの問題だけです。
どちらがいいとかの問題ではなく構造に対応した式表現を、どちらかに決める必要性があるということです。道路交通において右左通行をどちらかに決めるというようなものです。

もう一度説明します。以下は3x5問題での例。
左辺の構造を式表現するには2通りあります。
  1) [式表現L] : 被乗数x乗数
  2) (式表現R) : 乗数x被乗数
この式表現は、どちらかに決めてあげないと混乱します。
日本の場合は、1)を選択したということです。

A: 3+3+3+3+3=[3x5]  (5x3)
B: 5+5+5=[5x3]       (3x5)

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @22:42:58

それは単に「ローカルルールはそうなっている」という説明ですか?

僕は「所詮ローカルルールに過ぎないのだから、そうやって教えてもいいが、他の順序でも正しい」と言っているのですが

229. ちたにあ — December 12, 2010 @11:10:39

ききさん

「正しい」にも拘わらず、教条主義的に「×」をつけるのが問題である。実際に「害」もでている(発言小町のトピ等で明らかなように)。なのに40年も放置されている。

あたりがここでの議論のテーマかと思うのですが、


きき ― December 12, 2010 @10:06:16

>「今回はそういうルールを採用するので、そう書いてください」と指導した上で採点で逆順を×にする(のがそんなに悪いことなのか、どうか…)

この仮定はどこからでてくるんでしょうか?
「今回はそういうルールを採用する」という前提の宣言すらなされていないことも問題となっているのではないでしょうか。

そして、

229. きき ― December 12, 2010 @10:20:45

>数学という観点からは、「答案を特定の言語(例えば日本語)で書け」というのもローカルルールです
>ローカルルールに従っていないから×にするというのはおかしい、という理屈は通用しません

この使用言語ルールは、「かけ算の順序ルール」とは全く次元の違う話だと思います。


実は、私、かけ算に順序があるということを、今日初めて知りました。「かける数」「かけられる数」という用語も、ここを見て初めて知りました。「X」の前後で、「かける」「かけられる」という「役割分担」があるなどは、想像もしたことがありませんでした。かけ算がひっくり返しても同じ(「X」の前後関係に意味があるのではなく、「X」という記号自体に意味がある)だということは、九九の「2X9は18、9X2は18、うん、どっちも同じ」と小学生のときに勝手に納得していました。

しかし、弊害が出ている以上、議論の対象となっている教え方は改めるべきだと思います。たとえ、それが教えやすい方法であったとしてもです。
発言小町のトピ主の発言、およびレス達を見ると、異常としか思えません。そしてこの異常をもたらしているのは、この教え方なのは明らかです。

もし、「単位あたりの量」の理解を確認することをテストの目的とするのなら、せっかく日本語には助数詞があるのですから、問題文中の数に正しい助数詞(例えば、「個/皿」)をつけて式を記載しているかを確認すればよいだけと思います。

230. disraff — December 12, 2010 @12:17:08

僕が言うのも何ですが、「きき」さんの意味不明なこだわり方が気になります。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @22:25:57

正解です

まあ、スルー力検定ですね

Up232. Isshocking — December 12, 2010 @12:35:47

SF物理マニアさん:
>B: 5+5+5=[5x3]       (3x5)
右端の(3×5)がなぜ書かれているのかわからないのですが・・・
5×3は5+5+5としか解釈できないという趣旨ですか?
もう一段展開を挟むと
5×3={1+1+1+1+1}×3=3+3+3+3+3
となってどこもおかしくないと思いますが。

233. Isshocking — December 12, 2010 @14:46:07

ききさん:
>絶対肯定も教条主義的なら、絶対否定も教条主義的ではありませんか?
論理的な帰結としての否定・肯定と教条主義は違いますよ。

234. Isshocking — December 12, 2010 @14:50:58

ちたにあさん:
>「今回はそういうルールを採用する」という前提の宣言すらなされていないことも問題となっているのではないでしょうか。
この部分は違います。少なくともきくちさんはこの点を問題提起してません。

Up235. Isshocking — December 12, 2010 @14:53:12

disraffさん:
>「きき」さんの意味不明なこだわり方が気になります。
ききさんは個人の感想を述べているだけですから、「はあ、そうですか」としか言えないわけですが、それを緻密な論理で一般論のように修飾しようとしてごちゃごちゃしています。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @22:43:56

いや、そういう意味ではなくて、ふまくんだという意味

237. TAKESAN — December 12, 2010 @15:14:45

今日は。

「きき」氏の言ってることはほぼ、退場くらった「nana」氏と同じことだと判明したのですから、スルー推奨ですよね、どう考えても。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @22:44:25

そういうことです

239. Isshocking — December 12, 2010 @15:01:32

積分定数さん:
>やはり、おっしゃりたいことがよく分かりません。
せとさんは要するに教師側の情念とか理念を個別に並べているだけで、論点の提示と論理的な帰結は何も書いてないですから、文章に起しちゃうと分かりませんね。
(でも、こういう人のほうが現場会議のディベートでは強かったりする。レフェリーのいないディベートではウザいが勝ち)

掛け算には必ず絶対に守らなければならない順番がある、と完全に頭に染みついた子が将来覚える式変形や方程式の解を求めるときにどうなるか。教えが身につくほど理解がぼろぼろになる教育はやっぱり変なんで、今はあいまいにしておいて、論理的な部分は先送りして生徒の将来の理解に丸投げしているわけです。

Up240. せとともこ — December 12, 2010 @15:15:42

こんにちは。
きくちさん。
頂いたコメントを拝見して、私はやっと「見えてきました!!!」
===引用開始===
ところで、「間違った子にはフォローします」と書いておられるのが気になったのですが、やはり「教えた順ではないものは間違い」という立場なのでしょうか。あるいは「間違い」と書いたのは、ちょっとした不注意?
僕が主張しているのは、「教えた順ではないものも正しい」であって、そのふたつは根本的に違います
「正しい」からこそ、「正しいものを間違いとする」という問題が生じるし、問題視しているのであって、「間違いだが×にはしない」は全然違う話です。
「間違った子」をフォローすべきだなんていうことは言っていなくて、「間違っていない」といい続けています
====引用終わり====


ウウウウム。
凄く分かりました。
私は「かけ順」拘り派ではなく「意味尊重派」だと思っていたのですが、なんと思い違いをしていたのか、、、
「逆にかけること」を「間違い」とアッサリと書き込むというところに、自分の潜在的な「もの」をみせられました、、、
自分のなかでの「かけ順」の占める位置がどの程度のものであったのか、、、多分薄かったと正直に白状。

「間違いだと言い続けること」に意味と意義があることには、心から同意します。
さて、言い続け、変える為にどうするか。
先にも書いたように「問題の出し方」(つまり”一つあたりの数はどれですか?”とか)などが取っ掛かりになるのだろうか???
これは、私の結論はすぐには出ません。
が、少なくとも「逆にかけること」を「間違い」と無意識に評価する自分は「いません」。
ご指摘、ありがとうございました。


Kosuke さん。
ご指摘と補足ありがとうございました。
早速活用させていただきました。


庸さん。
やっと、、、やっとあなたの言われる事が分かりました!!!
きくちさんや積分定数さんにも書いたように、「まず子どもありき」が大切だと考える中でいつの間にか擦り切れていった「もの」があったのだと大いに理解しました。
庸さんのおかげでもあります。
ありがとう♪
きくちさんにも書いたけれど、自分の中でズドンと落ちた事が「すぐには行動には移せない」もどかしさはあります。
「理解と習熟」をはかるやり方については、これまた今後の課題です!!!
かけ順の呪縛は「トットと取っ払いたい」ですね、、、
また考えてみます。


積分定数さん。
やっとやっとやっと、、、、、
あなたの主張が分かりました。
そして言い続けているあなたに敬意を改めて示します!!!
本音を言うと「かけ順よりもっと大きな問題があるだろう」と思っていたのです。
いつも子どもたちには「一つひとつ丁寧に」と言っていたくせに、「かけ順」を軽く見ていたのですね、、、
あなたから何度もコメントを頂いていたのですが「順番ではなく意味」だと思っていました。
今も勿論、「意味は大切」だと思いますが、
「意味」が後付けである場合もありますね、、、
フウウム。
今後もこうした場合は「子どもをみて」と言う姿勢は変わりませんが、
「かけ順を逆にしたら、意味を取り違えている」と言う思いはしません。
これについては以前さつきさんから「仮にかけ順が正しいと言う子がいたとしても、その子が意味を理解しているかの証明にならない」と指摘を受け、その時は「まさにそうだ、、、」と思ったのですが、、、
いずれにしても、ここでのアレコレのやり取りで「自分の潜在的思い込み」を知る事ができました。

次世代の子どもたちや教師が「この問題」で悩まない為にどうるか、、、これは課題ですね。
「そもそもかけ算をどう教えるか」も含めて、考えていきます。
では、いろいろありがとうございました。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @22:48:18

ああ、それはよかった

まあ呪縛みたいなものは誰にでもあるので

242. せとともこ — December 12, 2010 @16:10:36

Isshocking さん。
ご指摘、その通りです。
実は自分では「かけ順」拘り派ではない。
と思っていたのですが、、、
実は潜在的には「逆にかける事には拘らないが間違い」だと言うことが先のきくちさんのご指摘で分かりました!!!
なんと。
なんと。
遅い、、、なんて思わないで下さいね。
ゆえに、文章が分かりにくくなっていたし、
庸さんや積分定数さんの主張も「多くの学力問題の一つ」と言う捉え方だったのです、、、
子どものゆくゆくの理解に「無責任に丸投げするつもり」はなかったのだが、、、
結果として、「子どもの柔軟性」に隠れた無責任・丸投げでもあるかもしれません、、、
ウウウム。
この点は今後、留意します。
これまた庸さんのご指摘のおかげです。
有り難う♪庸さん。(私信です)

243. ちたにあ — December 12, 2010 @16:50:46

Isshockingさん

242. Isshocking ― December 12, 2010 @14:50:58
>ちたにあさん:
>>「今回はそういうルールを採用する」という前提の宣言すらなされていないことも問題となっているのではないでしょうか。
>この部分は違います。少なくともきくちさんはこの点を問題提起してません。

失礼しました。
Isshockingさんの仰るとおりでした。
どなたかのコメントとごっちゃになっていましたf(--;

244. ちたにあ — December 12, 2010 @17:04:55

せとともこさん

本題とは関係ありませんが、お書きになっている文章の意味がわかりにくい、というか、なんか、読んでてわかったような、わからないような意味不明なものになってます。
おっしゃる意味をきちんと把握するために、長文を5回も6回も読み返すのは苦痛です。

人のこと言えた義理ではないんですが、文章を書いて投稿する前に、一度1時間ぐらい放置した方がよいです。
で、放置後改めて自分で読み直して、変なところを修正することをお勧めします。

あなたの人格を攻撃しているわけではありません。純粋なアドバイスとそしてお願いです(...読むのが大変っす...)

Up245. Katase — December 12, 2010 @17:33:28

せとともこさん

私の子育ての悩みを心配して下さった様で、ありがとうございます。
ですが、こちらでは自分の娘の事については、実際に学校のテストで掛け算の式を逆順に書いて×を付けられたエピソードでしか言及していません。
これについては、本人に確認して式を立てた意味を正しく理解していたので、その式でも正解なんだよと、親としてフォローしておきました。

もしかして、勘違いをされているのではないかと気になったのですが、念のため、私が例として挙げた、数学が赤点ピンチだった子の話は、私が家庭教師として算数・数学を教え直した子であり、娘ではありません。

私の娘につきましては、現在は中学生ですが、全体的に成績優秀とは言い難いものの(^^;)、お陰様で数学はこれまで(親のフォローの甲斐もあって)変に躓くこともなく一番得意な科目になっています。どうかご安心下さい。

それと、せとともこさんは、これまで掛け算の式の立て方の順序には「意味がある」ので、"逆順"に立式するのは意味を正しく理解できていないので間違いだと思われていたということでしょうか?

246. かみなりびりびり — December 12, 2010 @17:32:43

教育として真の姿を隠す必要は全く無いと思いますね。
きくちさんの主張では、結局おかしなルールを隠してしまいます。
順序固執派:「おかしなルールこそが正しい」と教える。
きくちさん:「おかしなルールは存在しない」と教える。
私:「おかしなルールが一部はびこっている」と教える。
エセ科学教育として、どれが一番いいですか?

「先生は絶対に正しい/模範解答こそが真だ」と思っている子供。
「先生すら時には間違える事がある/世の中には様々な考え方がある」と思う子供。

このあたりは「大学教授が言っているから絶対に正しい」と思う人間が少なからずいる要因にもなっているのかもしれない。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @22:32:28

何が言いたいのでしょうか。
算数の授業を「社会には不条理なこともある」と教えるために使えということでしたら、そういう意見はtwitterにもありましたし、僕はそんなばかげた話に同意するつもりはまったくありません。

もしコメントの意図がそういうことであれば、どこかよそで書いてくださいね。

それは数学の問題でないだけでなく、「教育方法の問題」ですらありません。
「メタ教育論」ですかね。メタな議論はおうおうにして時間の無駄なので、やめてくださいね

248. 庸 — December 12, 2010 @17:36:29

せとさま

よかったよかった。
やっぱりせとさまは柔軟な聞く耳をもった方でいらっしゃった♪

実際、とっとと改めると言ったところで、何十年も生き続けている指導方法を一朝一夕に変えられない場合も多々あるでしょう。正解はひとつだけじゃないと伝えることで混乱してしまう子供たちもいることと、どう折り合いをつけていくか。良くも悪くも現場の先生というのはある意味一国一城の主であって、個別の指導方法に他人が口をだしずらい環境などもあるかもしれません。
変えていくためには何が必要か。指導要領の改訂から教師の質の確保まで、課題はさまざま、かつどれもが難しいことばかりですよね。

でもでも。難しいことはきっと同時に絶対に必要なことでもあるのでしょう^^

私は教育分野の人間でもないし、子育て中の母ですらないのですが
それでも「いっしょにがんばろーねっ!」って言いたいです。
言いたいので言ってしまおう(笑

「いっしょにがんばろーねっ!」:)

249. ごんべえ — December 12, 2010 @17:55:23

SF物理マニアの曰く:
>   1) [式表現L] : 被乗数x乗数
>   2) (式表現R) : 乗数x被乗数
> この式表現は、どちらかに決めてあげないと混乱します。

累加演算だと乗数・被乗数という概念が登場しますが、
そういう定義ではなく、かけ算として理解するなら
因子1×因子2
という中立的な表現も可能ですし、3つ以上の数をかけあわせるときも素直です。
因子という言葉は小学2年生向けには難しすぎると思いますが、なんか対応する言葉を探し出すか発明すれば解決するんじゃないでしょうか。

「構造に対応した式表現」というときに、そもそも問題の構造が対称性を持っているのに式表現の順序に非対称な意味を持たせるように考えるのは不適当なんじゃないでしょうか。

5×3の問題では、5×3の長方形にリンゴを並べる事に対応づけられるわけですよね。その順序を問うのは面積の縦横を問うのと何ら変わらないわけです。

他の問題でも、かけ算で表せるという事は、実際に問題に対称性があるからなんですよね。

Up250. かとう — December 12, 2010 @19:12:51

>私:「おかしなルールが一部はびこっている」と教える。
こんな事を小学生に教える意味なんて全く無いんですが。
科学とは何かってのを教えるのなら、科学史から何か題材を持って
これば済む話ですし。
何故、間違った、掛け算に順序があるというルールを妄信している人が
存在する事を小学生の「エセ科学教育として」取り上げないといけない
のか、さっぱり解りません。

大学の教育学部で、こんな変な事を思い込んでいる人が居る事を取り
上げるべきって言う話なら、それは意味はありますが。

251. かみなりびりびり — December 12, 2010 @19:27:53

かとうさん、こんにちは
複雑に考えすぎです。単に『事実を隠すことなく教える』という事です。極めてシンプルです。だから『事実を隠す』という点において良くないと言っているだけです。

科学史を持ってきたって『現実を隠す』部分は何も変わりまん。

252. moorhen — December 12, 2010 @19:39:01

既に通り過ぎた話を持ち出してすみませんが。

一般に自然言語というのは人間の素朴な思考に沿うものですので、初等教育における算数の考えかたを日本語に関連させて論じることは間違いではないと思います。しかし、日本語においてもかけ算の順序づけの根拠は否定されるのではないでしょうか。

日常的な日本語では、A×Bは「AにBを掛ける」とも「AとBを掛ける」とも表現します。助詞「と」は並列を示すので、日本語においても可換性は表現されているわけです。
しかるに、かけ算には順序があるべきという考えかたは、「AとBを掛ける」という表現を否定し、「AにBを掛ける」という表現のみが正しいと主張していることに他ならないでしょう。これは子供を混乱させます。

Owner Comment きくち  December 12, 2010 @22:51:26

ええ、「掛け算の順は日本語に対応している」と説明するかたもおられるのですが、書いておられるとおり、日本語で書いても一意ではありません。

「日本語の順に対応している」は屁理屈だと思うんですよねえ

254. ごんべえ — December 12, 2010 @22:00:26

かみなりびりびりさんの曰く:
> 複雑に考えすぎです。単に『事実を隠すことなく教える』という事です。極めてシンプルです。だから『事実を隠す』という点において良くないと言っているだけです

一体、誰が誰に教えることを想定しているのでしょう?
バツをつけられてきて納得できない子供に?
それとも、小学校の先生がすべての小学2年生に?

前者なら、「そんなルールは無い!その先生がおかしい」でおかしな先生がいるということはわかるでしょう。
後者だとしたら、この世に無限にある事実の中からあえてその間違いパターンをわざわざ教える意義ってどっかにある?しかも、それをすべての学校で教えるならば、そんなルールがあると言う人がいなくなるわけで自己矛盾をきたすのが自明です。

だいたい、すでにかけ算、割り算を教えるのがいろいろ難しいから苦労しているであろうところに、間違いパターンを加えて教えるなんてできるとも思えないんですが。

もしかして、創造説を主張している人がいるということを教えろというのと同じ構造か?

だいたい、現状の問題はその「一部」というのが結構多いらしいということなんですよね。
「40年続く」っていうのは先生の言うことを素直に信じた子供がまた先生になって教えているという再生産が続いていてブレーキが無いということですね。研究者にはひねくれた人がなるけど、先生になるのは素直な人が多いのでしょう。:(

Up255. うさぎ — December 12, 2010 @22:24:09

ごんべえさん、
>累加演算だと乗数・被乗数という概念が登場しますが、
まさにこの部分が問題で、多くの国においてかけ算を初めて習う時乗数・被乗数という概念が登場するのは、累加演算としての乗算が人間の精神発達において自然だからでしょう。あらゆる加法代数系に対してNは作用できるわけですし。

その一方でいきなりかけ算なんて言われて分かる小学校低学年がいるとは到底思えません。一方でおはじきならべみたいなことすれば乗算の可換性が簡単にわかる、ってことが悩みどころなのでしょう。さらに言うと、かなりの子達が乗数・被乗数という考え方から乗算を習ってもすぐに抽象化できる、ってところも悩みどころなのでしょう。

かみなりびりびりさん、
>極めてシンプルです。だから『事実を隠す』という点において良くないと言っているだけです。
正直言って全く意味不明です。小学校低学年にこの世に置きているあらゆる事実を提示するべき理由がひとかけらも見出せません。彼らの利害に関係することに限定したとしても。はっきり言ってここでの議論だって大半は間違いなく大人達の独善と自己満足のためになされている、と思ってますがかみなりびりびりさんのレスには自己満足100%以外の何一つも見出せないのです。心が狭い奴、と思われるのならそう思ってくださって結構です、全然構わないし堪えません。

256. Isshocking — December 12, 2010 @22:40:39

moorhenさん:
>一般に自然言語というのは人間の素朴な思考に沿うものですので
? 文法の違う言語圏では「素朴な思考」も違ってくるのですか。
言語が思考を制約するというのならありそうなことですけど。

257. 積分定数 Website — December 12, 2010 @22:40:47

>せとともこさん
>やっとやっとやっと、、、、、
あなたの主張が分かりました。

 私の考えがちゃんと届いているのか、そうでないのか私には分かりません。せとともこさんの主張は相変わらず私には分かりません。

 私自身はそれほどわかりにくい主張をしているつもりはないのですが・・・。

以前のやりとりでも、最初から私は、「掛け算の順に拘る教え方の是非」について議論してきたつもりですが、

 せとともこさんにしろ、技術開発者さんにしろ、私には理解できない文章を書かれてくるので、途方に暮れたのが正直なところです。技術開発者さんには、私が質問した段階で終わっちゃっていますが、回答いただいてもやっぱり意味不明だったでしょうね。

 私の読解力のなさなのか、お二人の文章がそもそも客観的にわかりにくいのかは分かりませんが、とにかく、お二方が何を言いたいのかサッパリ分かりませんでした。


>本音を言うと「かけ順よりもっと大きな問題があるだろう」と思っていたのです。

もっと大きい問題があるのは事実でしょうが、掛け算の順序について議論している場でそれを言ってもあまり意味がないと思います。

 「晩飯何にしようか?」と言う場合、「冷蔵庫に何があったけ?」というように話が進むのが普通です。「晩飯何にするかよりも重要なことが世の中には沢山ある」と言われても、「それはそうだけど、晩飯はどうするんだ?」となるわけです。

 いずれにしましても、ここで、せとともこさんとやりとりしてもかみ合わないやりとりが延々続くと思われるので、これで終わりにしましょう。

 せとともこさんの人格を攻撃したり揶揄したりする意図はありません。

 互いに相手の書いた文章から意図を理解して建設的なやりとりすることは極めて困難だと思われるので、やめましょうということです。

258. SF物理マニア — December 12, 2010 @22:27:30

いろいろなコメントがありますが、
これ以上説明しきれないのでWikipediaからの引用をつけます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%97%E6%B3%95Link

定義
(いずれも 0 でない)自然数 m と n に対して、m を n 個分加えた数
m+m+・・・・+m (n個のmの加算)

m × n, m · n, mn
などのように書いて m に n を掛けた数とか m と n の積、m 掛ける n などという。

言語によってはその自然な語順から、同じく m を n 個分加えた数を
n × m, n · m, nm
などのように上と逆順に記す場合もある(たとえば英語では n × m を n times m すなわち n 回の m と読む)。
カメラのレンズ倍率やCDの倍速表示などは、英語のtimes表記である。現実事象では、言語表記に起源して厳然として存在するこの相違は、数学上では、この演算について交換法則が成り立つ(後述)という性質によって本質的には問題になることはない。

Up259. ごんべえ — December 12, 2010 @23:20:54

うさぎさんの曰く:
> 多くの国においてかけ算を初めて習う時乗数・被乗数という概念が登場するのは、累加演算としての乗算が人間の精神発達において自然だからでしょう。

多くの国でどう教えているかというのはたぶんに歴史性を反映している面もあるので「精神発達において自然」かどうかは必ずしも自明ではないと思います。つまり、習ったように教えるの再生産という面です。それから、世の中で流布している言葉はわかるようになる必要があると。

遠山啓は子供の観察から、累加で教えるより1あたり量からいくら分をもとめる演算として教えるとうまくいくと見出したという話ですよね。

検索して出てくる(おそらくカナダの)QAの例ですが
http://mathcentral.uregina.ca/QQ/database/QQ.09.03/karen1.htmlLink
中学年ではmultiplier, multiplicandは出てこなく5年生で教えなきゃいけないけど、交換可能なのに混乱せんかということを心配されていおります。

アメリカでもmultiplier, multiplicandはわかりにくいというのとfactorを使うの推奨という話もあります。
http://mathforum.org/library/drmath/view/58567.htmlLink

一方、日本と逆順のを強制されたという話もありました。(http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-55.htmlLink

なので、日本独自というよりは、世界的に世紀オーダーで続いている問題な可能性はあると思います。しかも、ひょっとして多起源?

260. かみなりびりびり — December 12, 2010 @23:56:05

ごんべえさん、うさぎさん、こんにちは。

2年生で「順序に意味は無い」と習った。
3年生でベ○ッセのテストで順序のせいで×をもらった。
ここで生徒は「算数なんて嫌いだ」となるんですよ。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @00:37:07

それが本当なら、悪いのはベネッセですね

この話はもうやめてください。では

262. ごんべえ — December 13, 2010 @00:04:37

SF物理マニアさんは
書きかけの項目になっている自然数のみに定義されるお話をされているのね?
どうせなら英語のwikipediaもごらんになってはいかが?
http://en.wikipedia.org/wiki/MultiplicationLink
Multiplication (symbol "×") is the mathematical operation of scaling one number by another.
...

"Multiplication can also be visualized as counting objects arranged in a rectangle (for whole numbers) or as finding the area of a rectangle whose sides have given lengths (for numbers generally). The area of a rectangle does not depend on which side is measured first which illustrates that the order in which numbers are multiplied together does not matter."

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @00:33:55

.................
There are differences amongst educationalists which number should normally be considered as the number of copies or whether multiplication should even be introduced as repeated addition.[1]
..................

なんて書いてあったりして、やはり掛け算の初等教育はどこでも大変みたいですね

Up264. ごんべえ — December 13, 2010 @00:22:23

かみなりびりびりさんの曰く:
> 2年生で「順序に意味は無い」と習った。
> 3年生でベ○ッセのテストで順序のせいで×をもらった。
> ここで生徒は「算数なんて嫌いだ」となるんですよ。

つまり、ベネッセ(進研ゼミ)を改めさせることが重要ということですね。どっちかというとベ○ッセのテストを受ける人の自己責任な気もしますが、、あるいは最近は学校でベ○ッセのテストを受けたりするのでしょうか?いずれ、そういう教材やや塾は指導用教科書が改訂されれば素直に従うんじゃないでしょうか?

265. ごんべえ — December 13, 2010 @00:35:41

きくちさん

ちなみに
whether multiplication should even be introduced as repeated addition.[1]
というのはリンクをたどると、東京書籍の教科書を指しています。(英訳を作ってあるらしい)

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @00:46:46

おや、つまり日本の例ですか。それはそれは

267. M2 — December 13, 2010 @00:28:45

>. moorhen — December 12, 2010 @19:39:01 様
私は、ひょっとしたらA×B=を「AカケルコトノBデハ」と読ませたい人が過去には居て
それが生き残っているのではないかと無根拠に思っています
wikipediaの「算数」の項目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%97%E6%95%B0Link  には

>数学の入門編[要出典]とも位置付けられる。算数と数学は名称は異なるものの、つながりのある教科であり、本質的な違いはない[1][要出典]という。

と、算数と数学が同じでは困る人がいるようです。
 私は小学校高学年で習う鶴亀算が苦手で、なんで代数方程式を教えてくれないのか疑問(しかもほとんどの人は鶴亀なんて忘れてしまうのに)だったのですが、そういう流儀の復興をもくろむ人たちがいると考えると理解できる、と陰謀論を持ち出してみるテスト。

268. moorhen — December 13, 2010 @01:07:32

Isshockingさん
> ? 文法の違う言語圏では「素朴な思考」も違ってくるのですか。

私はそうは考えていません。
言語によって文法は違っていても、思考のレベルにおいて人の考えることには大差がないと思います。
時々、文化の違いを文法の違いに絡めて説明しようとする人がいますけど、納得できる説明を聞いたことがありません。

269. くろきげん — December 12, 2010 @23:54:40

おひさしぶりです、きくちさん。

Google で「掛け算 順序」を検索してみたら、最近書いたページ
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.htmlLink
の順位が3位に急上昇していてびっくりしてしまいました。
おそらくその原因はここからリンクが張られたからだと思います。
リンクを張って下さってどうもありがとうございます。

私の意見がきくちさんに相当に近いことは間違いないと思います。
きくちさんの穏当でかつ普通の意見に的が外れまくった反論をぶつける人が
多いことには驚きました。

積分定数さんとせとともこさんのやりとりを興味深く読ませてもらいました。
個人的には積分定数さんの側が一方的に正しい意見を述べているように見えました。
しかし、せとともこさんは最近自分の誤りを認める発言をしています(素晴らしい!)。
せとともこさんは掛け算の順序にこだわるダメな教え方を
知らず知らずのうちに擁護するような発言をして来ました(残念なことです)。
私にはあたかも「子どもの未熟さに配慮した教育のためには正しい解答にバツを
付けることも許される」という意見を擁護しているかのように見えました。
しかし、今度はダメな教え方を訂正する側に立って発言してもらいたいです。
特にKataseさんの意見は参考になると思いました。

おはじきを並べる教え方は学習指導要領解説にもありますね。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdfLink
のp.81の項目エを見て下さい。そこに書いてある方法で掛け算の仕組みの
存在を子どもに気付かせることによって掛け算を導入する場合には
乗数・被乗数の区別は無意味になるので、掛け算の式の順序のルールを
ひとつ決めておくかどうかというような問題も無くなりますね。
そして、そういう流れで掛け算を導入した後に、
1あたりの数・いくつ分の概念を導入するならば、
掛け算の式の順序のルールを決める必要性自体がなくなります。

忙しいのでここでの発言はこれだけにする予定ですが、
上のページは引き続き更新するかもしれません。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @01:55:12

ひさしぶりです

この問題が1970年代から続いているということには驚かされます。まったくわけがわかりません。もし、「正解が複数あること」を嫌っているのだとすれば、とてもまずいことだと思います。正解は実際に複数あるわけですから。

僕のこのエントリーでは、敢えて「水道方式」そのものには踏み込みませんでした。遠山がなぜ「量の概念」をことさらに強調して、掛け算の最初を「いち単位あたり量」×「いくつ分」にするべきだと主張したのか、今のところ僕には理解できていません。まあ、理解できないかもしれません。

271. 麻生 — December 13, 2010 @02:36:12

>かみなりびりびりさん

そういう話をしているわけではないような気がしますが。
算数の掛け算の初期の教え方で、正解にバツをつけるのは間違っているというシンプルな話ですよね。

そういう話になると、本当に教育論というか・・・。
むしろ掛け算のことだけではなく、小学生の頃をちょっと思い出しただけでも教師に理不尽な思いをさせられることは多々あります。
例えば小学校4年生の時、国語の作文で「・・・・下さい。」と書いたらバツをつけられて「・・・・ください。」と直された上、親がその作文を代筆したんじゃないかと疑われました。
下という字は低学年で習う漢字ですが、「下さい(ください)」という使い方はまだ習っていないからだそうです。
ちょっと本を読む子なら・・・むしろマンガを読む子でも、「下さい」が「ください」であることなど知っていると思うのですが。
ルビふってありますからね。
逆に体育では、まだ習っていない逆上がりが出来る子に、「まだ習っていないのに逆上がりをしてはいけません」と指導する教師はいません。
きれいなかたちの逆上がりを身につけている子なら、みんなのお手本として模範演技をさせることでしょう。
社会科で、まだ習っていない都道府県の名称を北から全部言える子もほめられていました。
算数や国語だと習っていないことをすでに理解して正しい答えを書いても、習ってないと言ってバツをつけられるのに、体育や社会科だとほめられる。
おかしな話だとは思いますが、そういう時、誰かが「事実を隠すことなく教える」よりも、世の中には理不尽な事があるという生徒個人の経験の一つにした方が良いような気がしますね。
これはもちろん、個人的にそう思うっていうだけの話ですが。

そもそも「事実を隠すことなく教える」なんて出来るのでしょうか?
立場や見方が違えば「事実」も変わってきますよね。
小学校の時ありませんでした?
●●先生には「いいよ」って言われたのに、▲▲先生には「だめ」って言われてどうしたらいいのか迷った経験。
それと同じような事が起こる気がするんですが。

272. しむら — December 13, 2010 @04:55:20

くだらないことを書きます。

「1あたり量×いくつ分は水道方式だ」という発言を何度か書いていらっしゃいますが、ミスリーディングを引き起こしていませんか。

きくちさんはもちろん水道方式は算数の指導の体系であって、かけ算の指導においても「1あたり量×いくつ分」はその一部であるということは認識しているのでしょうが、ここでの発言を見ていると、1あたり量×いくつ分を用いていればすべて水道方式であると考えている方もおられるようで。

指導要領解説には、「例えば、一つ分の大きさを知ってその幾つ分か、または何倍かの大きさを求める計算として意味付けをしたり、同数累加 (加法の繰り返し) によって、その結果を求めたりする。」とあります。

指導要領の解説というのは実質的にmustなので、小学校の算数の教科書では、1あたり量×いくつ分か、1つ分の何倍のどちらかで乗法を定義しなさいということで、同数累加は結果を求める計算にしか使えないわけです。

ほとんどの教科書が 1あたり量×いくつ分で乗法の意味付けをしているのだから、水道方式とは縁もゆかりもない教師が 1あたり量×いくつ分で授業を行なっているわけです。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @09:17:22

それはくだらない話ではないように思います

実際、「水道方式」は算数全体を網羅する大きな体系(のはず)で、「1あたり量」といいさえすれば水道方式、とはいかないですね。水道方式の考えかたの一部が取り入れられただけかもしれません。
既に各所で指摘されているように、今回の問題についても遠山は「逆順を間違いとすべきではない」と書いているわけですし。

水道方式がいいのかどうかについても、これまた長い歴史があり、僕は大昔の知識で、水道方式は算数教育の主流から批判されていると思い込んでいたので、今回いろいろ調べてみてちょっと驚きました

ただ、指導要領で「1あたり分」以外の意味づけをしてはいけないとされているわけではないですよね

274. kurita Website — December 13, 2010 @06:23:45

「実質的にmust」というのはそうなのかもしれませんが、それを認めたとしても、「例えば、」とはっきり書いてあるのに、「小学校の算数の教科書では、1あたり量×いくつ分か、1つ分の何倍のどちらかで乗法を定義しなさいということ」だとか「同数累加は結果を求める計算にしか使えない」というような解釈をするのは、果たして「実質的にmust」である「指導要領解説」とやらの意図を正しく反映していることになるのでしょうか?

随分前にラジオで聞いた話ですが、文部省の依頼か何かで幼稚園の先生相手の講演を頼まれた人が、講演前の注意として、「何を勧めるにしても決して具体名は挙げないでください。『例えば、縄跳びなんかも体力作りのためにはいいですね』とか言おうものなら、明日から日本中の幼稚園で他の運動をやめて縄跳びばかりを始めかねませんので」と文部省のお役人に言われた、という話を思い出しました。 もちろん大げさに言っているのだとは思いますが。

Up275. Katase — December 13, 2010 @07:10:18

私がこちらで紹介した問題文を読み取って●などを用いたイメージ図を描いてから式を立てるという方法についてですが、 
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1291884284#CID1291902217Link  

>問題文を読んで、まずりんごを例えば●に置き換えて問題文の下にイメージを書きます。

問題:皿が5枚あり、リンゴが3個づつ置かれてます。リンゴは全部で何個でしょう。
         皿  
         ↓
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●

例えば上の様にりんごを●で表してイメージを書いて、全てのりんごの数を計算する式を立てると、3×5でも5×3ともできてそれぞれ合計の15という数値を算出できます。計算式は、どちらでもOKでした。


このやり方は、くろきげん(黒木玄)さんが、ご紹介して下さった「学習指導要領解説」 http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdfLink
に、記載がありました。[P98 D(2 ) 乗法の式]

>乗法が用いられる具体的な場面を,×の記号を用いた式に表したり,その式を具体的な場面に即して読み取ったり,式を読み取って図や具体物を用いて表したりすることを重視する必要がある。

>式を読み取る指導に際しては,例えば,3×4の式から,「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」というような問題をつくることができる。このように具体的な場面と関連付けるようにすることが,さらに,読み取ったことを,○や図を用いたり,具体物を用いたりして表現することが,式を読み取る能力を伸ばすためには大切である。

この様に、「○や図を用いたり,具体物を用いたりして表現することが,式を読み取る能力を伸ばすためには大切である。」と書いてあり、私を教えた先生は、多分この指導要領解説書などを参考にして、"問題文からイメージ図を描かせ、それを用いて式を立てさせる"という方針で授業やその後のテストを行っていたのではないかと推測されます。

なので、こちらでは少数派っぽい感じでしたが、●などを用いたイメージ図を描かせてから式を立てさせるというやり方はマイナーな特殊な例ではないと思われます。(むしろ、こちらの方が本来?)

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @08:59:23

指導要領にそれが書かれていること自体は、この話の前提だと思いますよ。掛け算の「順序」について指導要領に書かれていないことも含め、指導要領の関連部分にはひととおり目を通しておかないと。

少数派っぽいというより、タイルで掛け算を教えること自体は普通に行われているはずです。指導要領にも例はあるし、水道方式もタイルを使います。遠山はタイルの効用を書いています。ただ、教える順序や重点の置き方にはいろいろな可能性があるのでしょう。

ここでは、「いち単位あたり」で導入することの是非については、あまり議論の対象にしていません。
「正しいものを間違いとすることの是非」は簡単なのですが、どう教えるのがよいかという問題はそれとは違うように思います。
本当にそれを議論したいなら、僕が「長い議論が」と書いた部分をある程度サーベイしてからにするべきではないかと思います。

「いち単位あたり」とどちらを先にどう教えるほうがいいかについては、「こちらのほうがいいはずだ」と言い切れるだけの自信は僕にはないです。
また、「順序派」の先生が、タイルによる導入を先に行なっていないのかどうかについても、調べていないのでわかりません。「導入にタイルは使うが、文章からの立式では順序厳守」というのも充分にありうるので、そこは保留です。

どのみち、どのやりかたで教えるにせよ、導入時の説明でいつまでも通すわけにはいかず、抽象化しなくてはならないわけです。

277. Katase — December 13, 2010 @08:01:55

先の指導要領解説書の記載内容ですが、よく読むと、「式を読み取る」となっているので、正確には、3×5が何を表しているのかを理解するという意味の方ですね。

例えば、3×5を●やお皿に乗ったりんごで表してみるというものだと思います。
ですので、数式から具体的なイメージを描くという方向の様です。
日本語の問題文を読んでから、そのイメージを描いて式を立てるというのは、その逆方向になりますね。

なので、ちょっと違っていました。(^^;)
しかしながら、問題文からイメージ図を介して数式と繋げるという方法は、この内容とも関連しており、筋としてはそんなに外れたものではないのではないかと思います。

278. ごんべえ — December 13, 2010 @07:29:37

「一つ分の大きさを知ってその幾つ分か、または何倍かの大きさを求める計算として意味付けをしたり、」

は用例だし

「同数累加 (加法の繰り返し) によって、その結果を求めたりする。」

は計算法であってどちらも定義ではないですよね。

指導要領解説87ページでは
「乗法は,一つ分の大きさが決まっているときに,その幾つ分かに当たる大きさを求
める場合に用いられる。つまり,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な
表現として乗法による表現が用いられることになる。また,累加としての乗法の意味
は,幾つ分といったのを何倍とみて,一つの大きさの何倍かに当たる大きさを求める
ことであるといえる。」
と「累加としての乗法の意味」なるものが登場します。いずれにせよ、かけ算の定義なんていうものは扱われずに、意味と計算法だけがあるということになります。

そして、「1あたり量」と「一つ分の大きさ」には結構な隔たりがあって、一つというのは、分離量で、1あたり量というのは連続量に対応することを考えているという点には注意したほうがいいと思います。で、たぶん「1あたり量」を使うのは影響を受けた人で、それ以外の人は「1つ分」×「いくつ分」となっていることと思います。

279. Katase — December 13, 2010 @09:10:41

きくちさん

>ここでは、「いち単位あたり」で導入することの是非については、あまり議論の対象にしていません。
「正しいものを間違いとすることの是非」は簡単なのですが、どう教えるのがよいかという問題はそれとは違うように思います。

そうですね。
教え方の方法についてここで議論しはじめたら、それこそぐちゃぐちゃになってしまいそうです。

まずは、本当は正しいのに「数値を逆順にして式を立てたら×にする」という「正しいものを間違いとすることの是非」に絞って議論をした方がいいですよね。
ちょっと脱線してしまって、すみませんでした。
以降は路線を戻します。

UpOwner Comment きくち  December 13, 2010 @09:39:32

長い歴史があることは間違いないので、「身のまわり1mの常識」以上のことを言うには、少し歴史を調べないとまずい気がします。

そういう意味では、その歴史をご存じのかたにコメントしていただけるとありがたいですが

281. さわむら — December 13, 2010 @09:14:38

「表で答えさせるのなら(まだ?)良い」というお考えについてお聞きします。記号の使用法は状況によって異なります。そのことを念頭に置くと「掛け算の記号で順番を要求すること」と「表で書かせること」とでは、問題の実質的な内容で差があるように思えません。後者の問いは良くて、前者が良くないとの考えは、小学生相手に前者のような問い掛けを行っても記号の使用法は状況によって異なるというような判断は困難で、徒に混乱を招く可能性が高いからというのが理由でしょうか?確かに、混乱されている(それとも、一般的な方の使用法を認めることができない?)方がいるようですし。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @09:50:57

僕は「いち単位あたり量」と「いくつ分」で教えること自体を否定しているわけではないので(ベストとも思いませんが)、「いち単位あたり量」と「いくつ分」をそれぞれ表に書かせるのは「あり」だと思います。
これは単なる表の空欄を埋めるだけなので、順番は関係ありません

もしかして、「表」の意図が伝わっていないかもしれませんが、
..............................
いち単位あたり量: ひと皿あたり3個
いくつ分: 5皿
.............................
みたいな表を作らせるという意味です。

式で書く前にこの手の表を作ることは「水道方式」の本にも書かれています

283. 技術開発者 — December 13, 2010 @09:23:09

こんにちは、皆さん。

まあ、3×5=15となる応用問題で5×3=15としたから間違いなんてのはやるべきでは無いのだけど、数式を現実に立てて問題を解くという現場においては、「単位」というのに意識を及ぼして欲しいと思う面はあります。

分析化学を現実で用いる場合に、良くあるミスが「3桁ミス」なんですね。mLで得られた数値をmg/Lに対してかけ算して、mgの数値が出てきたりとかね(笑)。だから、常に単位を付けた数式を立てて単位がきちんと自分が欲しい単位になるかも確認しろなんて言うわけですけどね。

実の所、この単位を付けた数式の計算をいつの時点で教えるかというのはとても難しいのだろうと思います。単位に分数が使えないとやりにくくてしかた無いんですね。そういう意味では分数の導入以降に、再度、単位を確認した式の立て方を教えるべきだろうと思ったりします。

5列3行の15個についても単位をつけると
5列×3個/列=15個 と
3行×5個/行=15個 とでは式の意味が違うわけです。

いずれもきちんと単位において分数となっているものの分母が消えるという部分の美しさをどこかできちんと教えて欲しいと思ったりします。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @10:04:26

やっかいなのは、無次元量の助数詞を単位であるかのように扱うと、単位そのものを好きに変更できてしまう点です。
上にも書きましたが、今の問題は僕なら

3個×5皿=15個

でもまったく問題ないように思います。

作業に必要な人数を出す場合など、現実に「個/人」のような「単位」は使うわけですが。

Up285. SF物理マニア — December 13, 2010 @11:22:09

#260コメントで補足します。

Wikipediaの乗算定義では
m+m+・・・・+m (n個のmの加算)

m × nで表記すると書いてあります。

順序問題は、これだけで十分なのですが簡単に補足します。

3x5問題では、モデル化には2通りあります。
A.3個/皿x5皿   : 3+3+3+3+3 →3x5
B.5個/配布x3配布: 5+5+5 →5x3
Aがベスト。
Bは誤りではないがベストではないし、現実的でもないので導入レベルでは
×扱いすると教えればいいと思います。

教え方としては、被乗数、乗数は教える必要はなく
モデル(イメージ)が
m+m+・・・・+mの時(mがn個)は、mxnと表記する
と教えるだけで十分だと思います。

英語圏では、m+m+・・+mの時(mがn個)は、nxm (n times m)
と表記するので帰国子女の場合は教師がそのあたり個考慮する必要はあると思います。

286. こなみ — December 13, 2010 @10:13:10

最初に水道方式と遠山啓の話を書いたときに,きっとこの話題,あまり反応する人もなくて閑古鳥が鳴きそうだなと思っていたのですが。枯れ木も山の賑わいのつもりで1本植えたら,あっという間に他の木がつぎつぎに植わって森になっちゃった(^^)。

閑話休題。掛け算に順序を付けさせるという教育の目的は,その先にやってくる密度や速度の概念の学習でつまづかせないようにしたいというところにあるはずです。じっさい,小学生の算数,理科の教育で最大の難関のひとつはここにあると言っていいでしょう。

「はじき」ということばをご存じでしょうか?「は」=速さ,「じ」=時間,「き」=距離で,速度×時間=距離の関係を暗記するためのアクロニムです。私は息子が小学校のときに初めて聞いて半分あきれ,半分笑っていたものですが,今の大学生はみんなといっていいぐらいに知っているらしい(知人の小学校課程の算数教育の教員から聞いた話)。

「はじき」は教育上有害かというと,単なる暗記の便法としてはそうでないと意見もあるでしょうが,教育法次第では有害になると私は考えています。単に関係式を思い出すためのものであっても,物理的なイメージを頭に浮かべないですませるぶんよろしくない面もありますが,実際に現場ではつぎのような教え方がされるのです。

まず円を描いて,直径を水平の線分に引いて上下に分割します。また下半分にはさらに半径を垂直に引いて左右に分割します。この3つの区画の上には「き」を,下には「は」と「じ」を書き込みます。「は」と「じ」はふつう左から並べるようです。これで準備終了。

さて速さを求めたいときには,「は」を手で隠します。すると,「き/じ」という分数の形が現れるので,速さ=距離/時間であることが分かります。時間も同様。距離だと「は」,「じ」が水平に並ぶので掛け算すればよいという仕掛けです。

うまいものです。しかしこれは有害であると私には思えます。本来ここでは,3つの量の間の関係を空間や距離のイメージ,あるいは速度の定義を理解して把握すべきものであるからです。この時点での教育目標はそこに置くべきなのに,理解ではなく手順の暗記にすり替えている,それはよくない。巻き尺やストップウォッチを使ったり,速度を実感できる経験を使ってイメージをもって教えておかないと,他の量の関係が導入されたときに使い物になりません。そうでないと密度と重さと体積では「みおた」,オームの法則では「りてあ」を覚えようとか,冗談みたいな事になってしまいます。


もっとも数学の世界では物理と異なって抽象化されたオブジェクトの間の関係だけがあればよいわけで,その立場からすると「はじき」も形式的(数学的な意味,たとえばトポロジー的な意味で)に関係を表現したものとして悪くないという考えがありうるかも知れません。でもそれはさらにずっと抽象化ができるようになった段階で考えるべきことです。

この「はじき」という仕掛け,私が小さい頃にはなかったように思うのですが,何時の頃からか,このタイプの計算を暗記するための便法としてだれかが使い出したものが,小学校教師や塾講師の間で広がったのでしょう。




さて,「はじき」の話だけでもまた別の議論になりそうですが,それはおいて掛け算の議論にもどると,かように速度の計算問題は小学生にとって難関なのです。密度も同様。単位当たりの量の概念が分からないということは,小学校算数における落ちこぼれ発生の一つのネックです。

その導入をなんとかスムーズにもっていくための準備を掛け算導入の段階でもやっておこうという発想は,遠山啓のみならず多くの算数数学教育の関係者の間で共有されているところだと思います。

2つの数を掛ける意味を,足し算の繰り返しで定義してしまえば,掛け算の可換性はほぼ自明なものとして認識されるでしょう。一方で次元の異なる量の積から新しい物理的意味をもつ量を得るというイメージはまったく持てないのです。これは深刻なんですね。

そこで1皿当たりの個数×皿の枚数というイメージを喚起させておくことは,教育的におかしな事では全くありません。一方で,皿ごとにスキャンして数えるような形で掛け算を行えば順序が反転することも,頭の回転の速い子どもには教えてもいいでしょうが,混乱する子どもも必ずいるでしょうね。難しいものです。

その中で,「速度×時間=距離」タイプの演算をうまく導入するための予備として,順序という形で2つの量を意識的に区別させることは,教育上有用かもしれませんし,そうであればうまく使えばよいと思います。子どもの理解を教師が把握するための試験としては,順序を付けて答えさせる方針は必ずしも悪くない。ただし,数学的な妥当性を考えると,その試験の文面で「あたりの量」を左にして書きなさいといった指示を入れる必要があります。そうなっていれば,減点することはむしろ教育的です。

蛇足ですが,ある数学的な記述において,演算子の意味をローカルに定義して進めることはまったく問題ないわけです。たとえば集合A,B の関係 A ⊂ B を A = B を含むとするか A ≠ Bとするかは本によって違いますし。そのうえ,そのことはいちいち断ってなくて文脈から考えるしかないことが多い。困ったものです。


もとよりあるゆる分野,場面で掛け算が使われるのはそれだけではないわけで,「単位当たりの数の問題だけで議論するのは間違いだ」という意見があることも分かります。ただし,小学校の算数教育においては,可算の繰り返しに代わって総数を求めるための演算と速度や密度の計算の2つが主要なもので,特に後者をクリアすることがきわめて大きな課題であり続けていることは,念頭に置くべきであると思います。

あと,自分のこどもが掛け算の順序が違うために減点されたということで,教師を間違っていると決めつけて済ますことはよくないと思います。その減点が妥当でないケースも多々あるのですが,それでもということです。

そうなったときにはおたがいに感情的にならずに教師の意図を聴き,妥当な決着をはかるべきではないでしょうか。「教師はけしからん!」という憤懣はネットにあふれていますが,教師と親は子どもを教育する上で協力し合うものですからね。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @14:14:58

どのみち、どこかで抽象化しなくてはならないのですよね。

タイルを数えるやりかたでは、分数や少数の掛け算に対応できないし、「単位あたり」×「いくつ分」でも「少数個分」には無理があるだけでなく、「面積」のように同じもの同士の掛け算では無理をする必要があります。

どの順で教えるにしても、概念は拡張されなくてはならない。そこでひっかかる子は必ずいるでしょうね。

「どの教えかたならどこでつまづきにくいのか」という点について、きちんとした調査がなされているのか、あるいは個々の研究者が思いつきで言っているだけなのか、気になるところです。

288. 技術開発者 — December 13, 2010 @11:57:02

こんにちは、こなみさん。

>掛け算に順序を付けさせるという教育の目的は,その先にやってくる密度や速度の概念の学習でつまづかせないようにしたいというところにあるはずです。

その通りだと思うのですが、なんていうか、「順番をつけることで教える」というのもなんとなく、「教える側の便法」が強く出過ぎている気もするんですね。すごく理想的な事を言うと、もともと初等教育はもっとマンツーマン的であるべきだと思うんですね。「3個×5皿=15個」を「5皿×3個=15個」でも、「一つあたりの数」の概念がきちんとしていれば構わない訳です。でも「3皿×5個=15個」や「5個×3皿=15個」なら、式の立て方として間違っているというか「一つ当たりの数」という概念がうまく作れていない訳です。国語力の問題になるかも知れませんけどね。これが、マンツーマン的に教えているのなら、「3個×5皿=15個」でも「5皿×3個=15個」でも、「一つあたりの数」の概念がきちんとできているという確認の上で次ぎに進むだけの話なのですが、順番を教えて従わせるだけだと、「3皿×5個=15個」のイメージで3×5=15と書いた子はイメージの立て方が上手くできていないのを見落とされて修正されずに次のステップに進んでしまう訳です。

289. YO — December 13, 2010 @12:31:37

何でここまでこじれるのかちょっと理解できないのでコメントします

3×5=15 でも 5×3=15でもどちらでもいいと言えば
実はそうでも無い そこに出ている数字をかき集めて正解を出している
可能性も有るのだから

その子が3がりんごで5がお皿という事を認識し、かつ正しく×を選択
したと言うことが確認出来て初めて満点です。

小学校低学年なのだからそこまでフォローして当然だし、
物の考え方が正しければ3×5 でも 5×3 でも正解でいいでしょう
大人の理屈や都合(採点の都合や試験の振り分けの都合など)
逆に数字を適当にかき集めて3や5が何を示しているのか理解していない
生徒に安易に○を付ける方がはるかにおかしい


小難しい理屈や単位や計算の話はもう少し大きくなってからで十分でしょう
理不尽な大人の理屈の押し付けは子供を不安にさせます

Up290. YO — December 13, 2010 @13:01:28

なかなか書きあがらなかったので投稿が遅れましたが
技術開発者さんの289とほぼ同じ意見です 

リロードは大事ですね 申し訳ありません

291. YO — December 13, 2010 @13:28:56

連投すみません 大事な事書き忘れ

何故5×3ににしたのか?という質問に対して
「先にお皿を用意しないとりんごが汚れる」と回答があっても
大人の都合で間違いにするのはナンセンスということ

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @14:21:40

それは面白いですが、まったく議論の階層が違うので、続けないでください

293. トンデモブラウ — December 13, 2010 @14:00:54

掛け算の導入において、順序を守らないと将来の濃度や速度の計算で躓くというのが今一理解できていません。
助数詞抜きで計算をやる方がいいんじゃないか?
将来、そんなところで躓くのかなぁ…
むしろ単位(次元)から、類推して問題を解くとかしてましたけど。(小学校時代のことじゃありません、念のため。楽したいのは生まれつきだな、きっと。)
 
その推論からすると、ソロバン習ってたら理系計算のできない子に育つみたいじゃないか?

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @14:27:41

僕の感じでは「そんなことでつまづくか」ではなく、「子どもによって、いろいろなところでつまづく」だと思います。

水道方式の本には、塁加の方法では「×0」や「×1」でつまづくから別のやりかたがいいと書かれているのですが、いったいそれはどの程度の割合でつまづくのだろうか、そして、水道方式ならそれはそれでまた別のところでつまづくのではないのだろうか、という点がずっと気になっています。

「ここでつまづく」だけではだめで、「多数がつまづく」なのか「少数がつまづく」なのか、そして代替案ではつまづかないのか、そういう話になっていないといけない気がします。

Up295. 技術開発者 — December 13, 2010 @14:18:13

こんにちは、きくちさん。

>どの順で教えるにしても、概念は拡張されなくてはならない。そこでひっかかる子は必ずいるでしょうね。

その部分に言及したくて書いたのが「もともと初等教育はもっとマンツーマン的であるべきだ」なんて事なんですね。なんていうか、私は焼き物の世界とかも或る程度知っていたのですが、天然物の珪石とか粘土で焼き物をつくる職人は、原料の違いに合わせて練り方とか成形の仕方を変える訳ですね。原料が全くの同一であればそんなことはしなくて良いけど、なにせ天然物なので、或るスペックの中で当然バラツキはあるのでね。それが、例えば碍子とかの大量生産になると、そうそう作り方を変えられないので、今度は原料を揃えるための工程開発に熱心になるのね(実際に珪石原料を洗浄分級して揃えてますけどね)。

なんていうか、この「かけ算の順番」の議論を見ていると、なんだか議論している人の共通認識として「大量生産が前提」みたいに見えるんですね。大量生産だから当然、原料である子供は「変動無く揃っている」という前提があって、原料に変動が無いのだから、当然工程は「最適」の工程があり、「どれが最適なのか」を議論している感じかな。

皮肉を言うと、日本人にとって子供の教育とは「もともと粒の揃った子供を粒の揃った大人にするための大量生産工程」以外の何物でもないから、当然生産方式には「変えたりできない最適方式がある」と思っているのかも知れません。

296. Johannes-Chrysostomos Website — December 13, 2010 @13:31:31

皆さん、今日は

僕は学校で掛け算をどう教わったか、もうはっきり覚えていませんが、
自分では、同じものを何度もたし合わす時、たとえば
2+2+2+2+2+2
と書くのは面倒だから
2x6
と書くのだと、かってに理解していました。
ただ、こう考えると、乗数と被乗数の区別が存在するのですよね。

このエントリではありませんが、以前菊池さんのブログで掛け算の順序にこだわる人がいるちうのを読んで、なんとつまらぬことにこさわるやつがいるものだなと思ったことがありますが、その背景に乗数と被乗数の区別があるとすいれば、根は思ったより深いと感じました。
(といっても、それで掛け算の表記順序が固定されるわけではありませんし、ましてやいくら教育上の配慮とはいえ3X5を5x3と書いたら×というのは間違いです)

ただ、こういった表記法のこだわりの背景に乗数と被乗数という区別があるとするなら、概念上も区別ない(あるいは可換である)といくことを早い段階で教えておくことも必要だと思います。

ちなみに、僕は掛け算を始めて覚える生徒に、被乗数を1あたり量として教えることには問題があると感じています。

297. Isshocking — December 13, 2010 @14:44:48

なぜ水道方式が昔は批判されていたかというと、この答えは簡単に類推できます。
遠山啓が水道方式を提示し、支持を受けていたのは日教組においてです。遠山啓は日教組の教研集会顧問でもありましたから、役に立つ、立たない以前に文部省から排斥されることこそあれ、支持を受ける立場にありません。
当時の日教組は現代と違ってストやサボタージュは日常茶飯事、いうことを聞かない校長や同僚教師はつるしあげのひとつもくらわしてやろうかという過激な面もありました。
そういう状況下ですから、遠山シンパの教師の実践授業で効果ありと報告されていてもとても客観的に信頼できる実績ではなかったわけです。
さらに、当時は上級学校への進学率は非常に少なく、普通の生徒は中卒ですぐ就職です。田舎などでは学校にほとんどいかずに家の仕事を手伝う子どもも多かったのです。無着成恭の「やまびこ学校」などを読めばそこらの状況がわかります。
つまり、当時は関数や方程式への準備ではなく、すし屋が勘定を計算したり、大工が材木の数を数えたりの、即実用の算数力をさっさと身に着けさせるのが良い授業だったわけです。
さて、当時の日教組はソ連信奉の体制でしたから、生徒に学問としての深みや興味は期待しません。労働としての計算力が主眼になります。
で、当時は単位の統一はまだ進んでおらず、それどころか十進法ですらない数量体系が商慣習としてあちこちありましたから、加えるにせよ、掛けるにせよ、常に単位を意識して順序正しくやらないと、確実に間違いますね。(例えば、米や酒を計るのに升とか斗とかいう単位があります。一斗は十升です。それとは別に米は俵という単位がありその上に石があります。一俵は4斗で一石は2.5俵です)
必ず「単位」とかを意識させるのはそこらの都合からきているのだと思います。

その後、経済は豊かになり進学率もあがり、文科省と日教組もそこそこ融和したわけですが、そうすると、授業と生活の乖離が出始めます。俗にいう「ゆとり」教育ですね。
現実感とか達成動機の乏しさが教師や生徒に見られるようになるわけです。
そこに持ってきて平成不況が始まると、曽野綾子のように、「一般教育に二次方程式は必要ない」という論が台頭します。実際、企業活動はいかに安い人件費で使える人間を大量雇用できるかが重要視されるわけですから。
曽野綾子はクリスチャンであって、マルクス主義者ではありませんが、限られたコストで教育経営を効率化するためには、ス少し低めのレベルで教育を完了し、それなりの完成度を求めるということになります。
それで水道方式が見直されているわけです。
きくちさんが、水道方式の「1あたり量単位を書き込む」に違和感を持つのも道理で、あれは数学的な理解を育むためではなく、子どもに実際に何か作業をさせるための妥協点だからです。

・・・と知っているような法螺を書いてみました。
以上はわたしの勝手な推量ですが、そこそこつじつまだけはもっともらしくあっているんじゃないかと思いますがどうでしょう。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @16:05:17

あながち冗談ではないかもしれないと思ってしまいました。

歴史を追って検証した文献はないですかねえ

299. kitten — December 13, 2010 @16:01:59

 「はじき」はいつからでしょうかねぇ?
私(30代前半)が中学生の頃には確実にありました。

学生の頃、塾の講師をしていたときには、お世話になりました。
理解の乏しい生徒に点を取らせるには手っ取り早いんですよ。(苦笑)

 当時(塾講師時代)の感覚としては、
学校の先生には、「はじき」なしで教えて欲しいと思いましたね。
「はじき」は「テストで点を取るため」に使うためであり、
本来の「教育」というところからはかけ離れてます。

 ところが、学校の先生でも使う先生がおられるみたいです。
まぁ、先生方も「テスト(受験)でよい点をとらせる」という
命題があれば、使わざるをえないのかも知れません。


 そう考えると、今回の掛け算の順序問題とはちょっと違いますね。
塾講師、あるいは算数や数学の先生は、(少しの)罪悪感をもって
「はじき」を使っていると思います。
(少なくとも、私はそうでしたが・・・。)

 もっとも、「はじき」を使わなきゃ許さない、みたいな先生が出てくれば、
今回の「掛け算の順序」問題と全く同じレベルにまで落ちてしまいますが。
・・・さすがに、そんな先生はいないと信じたいです。

UpOwner Comment きくち  December 13, 2010 @16:39:06

理屈と「おぼえかた」とは別にあるわけで、「おぼえかた」自体が悪いわけではないですよね。
理屈なしにおぼえかただけ教えられたのでは、意味がないのだけど、理屈がわかってからだと便利だったりします。
九九も、とりあえずは1桁の掛け算をひととおりやってから、「おぼえかた」としてやるはずで、「まず九九から」だと何がなんだか、でしょう。

あくまでも「便法」であることさえわかっていれば、問題はないんだろうと思いますが、問題を解くためにそれだけおぼえるとなるとよろしくないですね

301. 技術開発者 — December 13, 2010 @16:10:42

こんにちは、Isshockingさん。

お話としては面白いのだけど、少し無理があるかな。

>つまり、当時は関数や方程式への準備ではなく、すし屋が勘定を計算したり、大工が材木の数を数えたりの、即実用の算数力をさっさと身に着けさせるのが良い授業だったわけです。

もともと「実利教育」というのは、米国の方が主流なんですね。開拓しながら子供を教育してきた事から「生活で即役に立つ」という意識が強かった訳です。例えば、「テコの原理」を教えるにしても、力点・支点・作用点間の距離から力の増幅率の計算を教えるよりは、実際に校庭にある石を金テコでコロがして、体感的に力点・支点・作用点の位置を理解させるなんて事の方を重視した面があります。開拓するときに石をどかせたければ確かに体感的な方が「役に立つ」訳です。

>さて、当時の日教組はソ連信奉の体制でしたから、生徒に学問としての深みや興味は期待しません。労働としての計算力が主眼になります。

米国がこの実利的な教育から変遷するのは、ソ連が人工衛星を米国に先駆けて打ち上げ、ガガーリンが「地球は青かった」と言った事が関係します。米国は「高度な数学や物理の分かる国民」がこれから先の社会で必要になると意識を改めて、学問体系の教育重視の動きがおきる訳です(スプートニックショックなどと呼ばれます)。

そういう意味では、どうも現実とは離れたお話になっていそうですね。

なんていうかな、ソ連を信奉する気は全く無いのだけと、レーニンあたりが夢見た国家というのは、「必要なだけ働いて、残りの時間は学問や芸術やスポーツに使おう」というものだったので、初期のある時期においてはソ連の教育の方が米国よりも「学問体系重視」であった事もある訳です。まあ、もともとマルクスの「資本主義はその成熟段階で行き詰まる」という経済学的予言に基づいて、資本主義的に成熟してもいない国家を無理矢理次のステージに持っていこうとしたことで、破綻するのは必然だったともいえるのですけどね。

302. disraff — December 13, 2010 @16:28:16

さわむらさん>

これ、

>掛け算の記号に一般的使用法以上の制約を課して、それに反した解答は不正解とするような出題

なんですかね。掛け算の記号に制約を課したというより、穴埋め問題を作っただけのような。
強いて言えば、そこに「×」をあからさまに出しちゃってるところがあまりに誘導的というか束縛的というか、あるいは取ってつけたような印象ですね。あんまり質のいい出題者とは感じられません。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @17:52:35

すみません、さわむらさんはマルチハンドル常習者なので、消しました

304. しむら — December 13, 2010 @16:41:32

kurita さん December 13, 2010 @06:23:45

実質的にmustというのは、kurita さんが思い出したような緩い話ではありません。教科書検定において例示されていないものを用いたときに、検定不合格とされるリスクの話です。現行の検定制度の下で、大量の修正が必要となる可能性のある記述をわざわざ入れることができますか。

305. disraff — December 13, 2010 @17:03:58

逆に言えば、「穴埋め問題」であることが明確である場合ならば、「○×△という式において、○の値が何で△の値が何であるかを個別に問う意味がある」ということでしょうか。

でもやはりそれは「掛け算の順序」とは別の話だと思います。
不正解なのは「×の前後が逆だから」ではなく「○と△への穴埋め問題を間違えたから」ですよね?

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @17:39:24

ええ、掛け算の両側に書くものを指定してしまった以上、書くべきものは決まってしまいますから、逆に書いたら間違いですが、その間違いは交換則や数学記号とは関係ないです

Up307. こなみ — December 13, 2010 @17:00:01

> きくち December 13, 2010 @16:39:06

> あくまでも「便法」であることさえわかっていれば、問題はないんだろうと思いますが、
> 問題を解くためにそれだけおぼえるとなるとよろしくないですね

多くの学校では,教師たちが「で,答はなんですかぁ−?」と口を開けて待っている生徒たちにうんざりさせられている毎日ではないでしょうか。たぶん「はじき」は脳の省エネのための適応からすると合理的なんでしょう。つまりその後考えたくなんかないのです。

これも小中学校では,と言いたいところですが,おそらく大学生はおろか大人まで,便法でてっとり早く答を出せればそれでいいという態度のほうが多いと思いますね。残念ながら。

308. ドラゴン — December 13, 2010 @18:17:46

きくちさん

この問題は、
A 指導法で順序にこだわってもよい。
  テストで順序にこだわってはいけない。

B 指導法で順序にこだわってはいけない。
  テストで順序にこだわってはいけない。

この二面があるようですが、Aがきくちさんの問題意識ですね。

黒木さんのところを拝見するとBのようにも思うのですが、どうでしょうか。
私は、基本的にはAです。


歴史については、うんと古い時期は、次の文献が参考になると思います。
「明治初期算術教科書の自然数指導 : 塚本明毅「筆算訓蒙」を中心にして」
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13603/1/15_p1-19.pdfLink
−引用始め−
「乗は俗に掛け算という。同数の和を求むる法にして,加法に原づきて,其のさらに簡便にして施すべきものをいう。…乗者原数あれこれに某数を掛けて,その原数を実と称し,掛くる数を法という。其の得る所の総数を,得数といい,又積と称す。其の実数は必ず名数にして,法数は姑く(しばらく)これを不名数と見て可なり(其の理は比例式に於いて詳らかにすべし)。その得数は,必ず実数と類を同じくして即ち其の同名数なり。初学の者須からし左の九九合数表を暗記すべし。」
(中略)
「法」と「実」はこの時期のどの教科書においても乗除の両方にわたってその概念が説明されている。実が操作を受ける量(または数)であり,法が操作なのだから,この概念は量と数の乗除における関連を明確にする上でも有効性をもっている。これは実が名数で法が無名数,という定義の仕方にも適合している。
−引用おわり−

最初のかぎ括弧は、塚本明毅『筆算訓蒙』明治2年(1869年)だそうです。
「法」が乗数で、「実」が被乗数です。その他の記述を見ていても、このころから被乗数×乗数の順があったようです。ただ、九九に関しては乗数が先だったようです。
そして、サンドイッチの原型がここに見られますね(「その得数は,必ず実数と類を同じくして」の部分です)。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @18:34:26

指導の最初の段階で順序づけて教えてもいいとは思いますが、どのみち順序には意味がなくなるので、「こだわってもよい」という感じでもないです。
単に、教える便法として、順序を導入してもいいということで。

その明治の教科書は興味深いですね。ありがとうございます

310. nakatani — December 13, 2010 @18:34:18

ドラゴンさん
> A 指導法で順序にこだわってもよい。
>   テストで順序にこだわってはいけない。
>
> B 指導法で順序にこだわってはいけない。

Bの立場は理解できます。が、Aがよく分からない。

「順番通りに書くように指導する」のは良いが、「順番通りに書かなかったら×にする」のは悪い

というのは、何ともけったいな話に見えますが…。

UpOwner Comment きくち  December 13, 2010 @18:45:29

ふまくんは、正解が複数あるとか可能性が複数あるとかいうことを理解できない(恐れている?)から、わからなくてもしかたないかもしれませんね

312. nakatani — December 13, 2010 @18:47:07

うーん。返答になるか、どうか、分かりませんが…

C 指導法で順序にこだわってもよい。
 テストで順序にこだわってもよい。

という立場も理解できます。AとCはそれぞれ指導法についての見解の相違なので、意見を闘わせるなりなんなりすれば良いと思います。やっぱり、Aの人は理解できない…。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @18:56:04

ふまくんには理解できないよね。

では、さようなら

314. KOH — December 13, 2010 @21:21:04

うちの家系では抜群に数学得意だった息子に聞いてみました.
乗算を習ったときの小学校の先生はやはり3×5としながらも
同時に交換法則,分配法則,結合法則についてもたしかに
触れていたとのことでした.
もちろん,テストにはしなかったでしょうけど
これは指導要領からは外れた教え方だったのでしょうね.

Up315. 雪中庵 — December 13, 2010 @21:35:40

みなさんこんにちは。雪中庵ともうします。
 私は小学校教師してますけど
「かけざん順番正しくしろ」
「かけざん順番どうでもよい」
ちう2つの教えによる生徒の混乱は
かけざん習得弊害あるからそれをど
う回避するかちう方法論は純粋な教
育論であり興味あります。
 もし「小学生算数授業は算数だけ
教えればよい」ちう人いればそれは
この問題云々するだけの知識や蓄積
無いだけ。もっと小学校教育勉強し
てから発言すること強く推奨します。
専門知識だけ教えていればいい授業
とはまるで異なる世界がそこにあり
ます。そこ理解するには経験するし
かありません。
 「生徒つまずかないよう運動場あ
る石取り除く」ちう心配り対して
「石取り除くは体育ではない」と言っ
てもしゃあない。運動場の石取り除
くは「体育授業に必要な行為」なの
や。そこ云々するためには、それな
りの経験必要!もっと勉強してくれ。


 若い人は勉強して学んで欲しい。
The road to hell is paved with good intentions
知りもせん事対して、正義だと思い
込んでいる価値押しつけるは時には
醜悪になる。勉強してくれ。

Owner Comment きくち  December 13, 2010 @22:00:32

自動的に改行されますので、ご自身で改行をいれていただかないほうが、読みやすいです。段落分けだけしていただければ。

また、非常に読みづらい文体で、正直、もしかすると保護者への学級通信もそのような文体でお書きなのかと、少々心配です。

さて、体育の石拾い(ですか?)の話はしておりませんし、他のことも議論しておりません。せいぜい「習っていない漢字は使うなルール」が話題に上った程度でしょうか、基本的には算数の「掛け算のルール」についてのみ議論しております。

掛け算のルールの話に「小学生算数授業は算数だけ教えればよい」ちう考えかどうか、関係ありますでしょうか。僕にはそうは思えません。また、「算数だけ教えればよい」というのは具体的にどういう意味でしょう。「算数だけ」というのがどの程度限定した話で、「だけでない」とはどういうことでしょう。
このエントリーをどれだけ読んでいただいたのかわかりませんが、小学校教育と大学教育が同じだなどと考える人はいないでしょう。

もっとも、小学校教育を熟知してなどいないことは事実ですので、ご教示いただけるなら歓迎いたします。ただ、体育の石拾いと比べるような話ですと、さすがに「そんな話はしていない」としか申し上げようがないと思いますが

317. ゴルゴ・サーディーン — December 13, 2010 @22:22:32

>知りもせん事対して、正義だと思い
>込んでいる価値押しつけるは時には
>醜悪になる。勉強してくれ。

自分なりの正義の内容を語らずに、
「オマエのは正義じゃない」
というわけですね。

とても醜悪です。

318. 雪中庵 — December 13, 2010 @22:55:21

体育の石拾いはたとえ話。
おちゃらけてそういう返答をするのであれば非常に失礼。

「掛け算のルール」は数学の範疇。これは答えがある。
生徒がつまずかないようにする心配りは教育の範疇。
これには答えがない。心配りが大事なのが小学校教育。
もっともっと勉強してくれ。

Owner Comment きくち  December 14, 2010 @00:05:14

書いていただいた文体に合わせて、慇懃無礼に返事をしました。
それで「非常に失礼」とお書きになるくらいなら、まずはその前に「普通の文体」でお書きになればよかったのではないですか?。
いずれが先に「失礼」な書き方をしたのだったでしょうか。その点、ぜひともお考えいただきたく。

そのうえで、ご教示いただけるのであれば、歓迎いたします

Up320. いしやま — December 13, 2010 @23:57:03

どのような心配りをしておられるのか、お知らせ願えませんでしょうか?「わかれ」とだけおっしゃられて、内容を何もお知らせいただけないのですと、今後、「それではない」とおっしゃられ続けられることになり、なんらの理解も得られない状況が続くことになり、無益なのですが。

321. disraff — December 14, 2010 @00:01:18

はて。「生徒がつまづかないように心配り」すると、掛け算で順序が想定通りでない場合に×をつけることになる…とは全く思えませんが。むしろ逆ではないかと。

322. ゴルゴ・サーディーン — December 14, 2010 @00:08:00

>掛け算で順序が想定通りでない場合に×をつけることになる…
>とは全く思えませんが。むしろ逆ではないかと。

私もそう思いましたが、この方の場合、このエントリの内容に反対なの
ではなくて、
 「科学の専門家だからといって、小学校教育に指図するとは傲慢な」
というところが中心なのではないか、と思います。

323. disraff — December 14, 2010 @00:24:06

>「科学の専門家だからといって、小学校教育に指図するとは傲慢な」

そうかも知れないな、とは思ったのですが。実際に小学校教育に関係している人の台詞、と思って見直すとなかなか暗澹たる気分になるので、敢えてその可能性には目を瞑りました(++!)

324. しめじ — December 14, 2010 @00:52:17

「水からの伝言」にも通じる初等教育現場の問題点のようですね。
結局は、先生が小学生に教えやすい、伝えやすいから採用しているだけで、
実際の学問からは乖離してしまう問題ですよね。

でも昨今の荒れた教育現場を考えると、簡単な手法に頼ってしまうのも分かる…

Up325. いしやま — December 14, 2010 @01:40:40

小学生に教えてわからせる事を本業とする人なのですから、大人にわからせるのは、本業の困難さに比べたらはるかに簡単なはずですよね。小学生が学ぶべきものを全てマスターしてる人たち相手に理解を求めようとするわけですから。まずは話を聞きましょうよ。

326. 積分定数 Website — December 13, 2010 @23:59:08

 昨年春頃に、「掛け算の順序」について、集中的に調べたのですが、

その中で、算数教育の専門家・教師に教える立場の人、具体的には 

■「掛け算の順序を逆にすると間違い」としている問題集を発行している出版社
■順序に拘る記述を教科書指導書に書いている出版社
■近くの国立大学の教育学部数学教育専攻の教授

に問い合わせの電話をしました。

そこで分かったのですが、掛け算の順序に拘るのは、どうやら「算数教育業界」では当然のことのようです。

 私自身、掛け算の順序など気にしたこともなく、小学校時代にとやかく言われたことはなかったので、4年前に新聞投書で、順序を逆にすると誤答になると読んで、「何だそりゃ!?」と驚きました。てっきり最近そう教えるようになったと思っていたのですが、「昔からそうなっている」ということです。
 このあたり、塾の生徒の親御さんに聞いても、「そうそう、最近はそういう奇妙な教え方するみたいね。子どもが小学校のときに驚いた」という声が多くて、「最近増えている」という印象があるのですが、これについてはどうもよく分かりません。


また、

「4人に3個ずつ蜜柑を配る場合、まず1個ずつ4人に配り、・・・とすれば、4個のかたまりが3つとも考えられるから、4×3は誤りとするのは無理があるのでは?」

との質問には、

「それはそうだし、要はその子が理解していれば、順序にそれほど拘る必要はない。長方形の面積を横×縦でバツにするなど全くナンセンス」

との回答でした。ある意味、常識的というか、それほど向きになって反論しなくてはならないような印象はありませんでした。


 しかし、現実には
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121569682Link
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小学2年生の娘の宿題テストに出た問題です。「5×7のしきになるもんだいに、○をつ...ID非公開さん
小学2年生の娘の宿題テストに出た問題です。
「5×7のしきになるもんだいに、○をつけましょう」
(ア)あめをきのう5こ、きょう7こたべました。あわせてなんこたべましたか。
(イ)ベンチが5つあります。1つに7人ずつすわると何人すわれますか。
(ウ)じどう車が7だいあります。1だいに5人ずつのると何人のれますか。

この問題、どうみても(イ)と(ウ)は同じに見えるんですが答えは1つなので取り合えず(イ)に○を付けさせました。ところがそれは間違いで担任の先生は(ウ)が正解だと言うのです。

この答えにちょっと納得がいかないんですが、私の方が間違っているのでしょうか?
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あるいは、既に挙がっている、「サンドイッチ」だの「警察と泥棒」だのという、順序に異常に拘った授業が行われている。


掛け算の順序の話とはずれるが、「正方形は長方形なのかどうか?」について文科省に問い合わせたところ、「正方形が長方形であることは、小学生には難しく混乱を招くので教えない。発展的内容として教えてることは妨げないが、基本的には棚上げ。正方形は長方形であると解釈しても、長方形でないと解釈しても、どちらでも構わない。」との回答。

 しかし、いくつかの状況証拠から推測するに、「正方形は長方形ではない」と教えている教師がいるようである。「正方形は長方形であることは小学校では教えない」を、「正方形は長方形でないと教える」と曲解しているようである。

 
 「答えさえ合えばいいのではない。過程が大切です」というのが数学ではよく言われて、私もそう思ってきたが、

 朝日新聞2001年7月15日朝刊 「声」大阪
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納得いかない、算数のテスト
主婦 ○○○○(○○○市 40歳)
 返された算数のテストを見せながら、「お母さんが先生なら、この計算式を間違いにする?」と、小学5年の娘が聞いてくる。
 娘が納得いかないのは、「小数のかけ算」のテストの中の「長方形の花だんの面積を求めましょう」という一問で、式はバツ、答えにはマルが付けられています。先生に聞きにいくと、長方形の面積の出し方は「縦×横」でしょう!と言われたそうです。娘は「横×縦」の式を書いたため、不正解になったわけです。
 「横×縦」でも面積は求められるのにと思いつつ、娘は赤ペンで式を書き直しさせられたそうです。このテストは「小数のかけ算」という単元をどの程度把握しているかを知るためにされていると思います。公式通りではないと言うだけで、考え方に間違いがあるとは、私も思いません。
 解答欄には「数学的な考え方」がマイナス5点されていました。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

などという投書を見ると恐ろしくなる。「過程が大切」が、「教師の指示したとおりの解答以外は認めない」と曲解されているように思える。


近所の小学校の事例 「花が20本ある。5本で1つの花束を作る。花束はいくつ出来ますか?」 「4束」と答えたらバツになった。問題には「いくつ?」とあるから、「4つ」が正解だという。

「単位は大事です」という話を曲解したように思える。



つまり、何らかの理念や意図や目的があって、「こういうように教えましょう」というのが、現場レベルでは、その主旨を理解しないで、理不尽な教え方が罷り通る、

ということがありがちなのではないかと思えてきました。


この原因は、

■現場の教師が算数・数学を理解していない
■数学教育の専門家が、「現場の教師が算数・数学を理解していない」ということを理解していない。あるいは、知らない振りをしている。

という点にあると思います。


 例えば、算数教育の指南書には、「引き算には求残・求補・求差がある」と書いてある。子どもは、「8人遊んでいて5人帰った。何人残っているのか?」(求残)は理解しやすいが、「男の子8人、女の子5人がいる。男の子と女の子、どちらが何人多いのか?」(求差)に関しては、「男の子から女の子が引けるの?」と疑問に思ってしまうらしい。遠山啓の本にそう書いてあった。

 「なるほど、同じ引き算の文章題でも、子どもにとっては違いがあるのか。教える場合には気をつけないといけないのだな。勉強になるな。」と思うのだが、数学をある程度理解している人間は、「引き算には3つの意味がある」とは思わないで、「引き算は引き算であって、教える上で便宜的に文章題を、求残・求補・求差などと分けているに過ぎなくて、抽象化したらこれらは同じことである」と思うだろう。

 しかし、算数・数学の理解が不十分な人が読めば、「引き算には(本質的に異なる)3つの意味がある」と思い込むかも知れない。

 あるいは、「小学校低学年では抽象的思考は難しいから、そこに留意しなくてはならない。発展段階に応じた教え方がなされなくてはならない」というのもよく聞くが、「小学校低学年の児童は抽象的思考をしてはならない」と曲解しているように思える事例もある。



指導書など算数教育の指南書を書く算数教育の専門家が、自分たちの書いた物が実際にどのように読まれて、実際にどのような授業がなされているのか、に関心を持てば、状況は違ってくるように思います。


追記

 掛け算の順序に拘ることに関して、「掛け算導入時の便宜的なことであって、不要になれば忘れればいい。現に、順序否定派の人もそうやって教わったはずなのに、綺麗に忘れているではないか。だから問題ない」という人がいる。

 「順序に拘った教え方がなされているはずで、記憶にないのは忘れているからである」という断定がそもそも気にくわない。「順序に拘る」という教え方が、義務づけられているわけではない。

 また、後生大事に「順序」を守り、「どちらも正解。なぜそうなるか説明できればいいんだよ」という至極真っ当な意見に「非論理的な誤った道を良しとするのは、単なる結果オーライ精神に過ぎない。それは教育上よろしくない。」などと異議を唱える、「綺麗サッパリ忘れる事が出来ない」人もいる。


 
http://kurilin.moo.jp/diary2006-11-2.htmlLink
--------------------------------------------------------------
掛け算の原則。
それは、「A×B=C」という場合、AとCの単位が一致していること。
この理屈を壊すと、モノの考え方自体が崩壊してしまう。
(その理由説明まではさすがに割愛させてもらうが。)
上記例の場合、求めたいのは色紙の数だから、単位は「枚」。
つまりCの単位は「枚」である。
するってぇと、逆説的に、Aの単位も「枚」でなくてはおかしい。ゆえに「A=5」。
……という検証方法もありますわな。
理数系が壊滅状態だった僕ですら、このくらいは言える。
--------------------------------------------------------------

327. Isshocking — December 13, 2010 @16:58:17

技術開発者さん:
>レーニンあたりが夢見た国家というのは、「必要なだけ働いて、残りの時間は学問や芸術やスポーツに使おう」というものだったの
それは、たぶん古いレーニン像だと思いますよ。
あちこちで触れられていますが、ゴルバチョフのグラスノスチ以来、あまりかんばしくない再評価がなされているようです。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/nakazawa.htmLink

遠山の時代にはすでにレーニンは亡く、スターリン、フルシチョフと指導者が変遷するわけですが、この間、ソ連は一貫して富裕層=旧知識階級の追放、国営農場への労働力シフト、そして慢性的な農業経営の失敗を繰り返してますね。
加えてルイセンコとその一派の擁護など、状況証拠からは到底軍事面を除き学究的な政策があったとは思われないのですよ。

Owner Comment きくち  December 14, 2010 @07:31:00

ソ連国内で実際に行われていた政策の話をしているか、当時の日本で「ソ連ではこうだ」と信じられていたものの話をしているかは、わけないと混乱しますね。

329. かも ひろやす — December 14, 2010 @03:53:49

Isshockingさん、「当時の日教組はソ連信奉の体制」のソースを教えていただけます? 私は、文化大革命を礼賛する親中派の教員には会ったことがあるけど、新ソ派には会ったことがないんですよ。個人的な体験が参考にならないことはわかっているので、検証可能なソースを教えてほしいのですけど。

Up330. よしき Website — December 14, 2010 @08:02:54

> http://en.wikipedia.org/wiki/MultiplicationLink
からリンクされているYoshidaさんの発表資料というのは面白いですね。結論がどういうことなのかはちょっと資料だけではわかりませんでしたが。

この資料の中で引用されているDevlinさんのコメントというのは"Devlin's Angle"というブログのもので、

http://www.maa.org/devlin/devlin_06_08.htmlLink

や関連する記事のものですね。英語圏でもこの記事からあちこちの掲示板などで議論が盛り上がったことがありました。

331. momoppu — December 14, 2010 @08:01:05

本当に教育的な心配りと言うなら、
(   )個/枚 × (   )枚  = (   )個
のように単位を付けて問題を出すか、書かせればいいのでは。

1当たり量を理解しているかどうかを測りたいのなら、
時には、
(   )枚 × (   )個/枚 = (    )個
のような問題も出して、数字を正しく入れられるか見た方が
ずっと測れるのでは。

私の知っている小学校(水道方式を実践している)では、
式には必ず単位を書かせてました。
(単位の順番まで決まっているかはわかりませんが)

Owner Comment きくち  December 14, 2010 @11:55:34

「単位」をつけて書かせることや式にする前に表を作らせることは、「水道方式」の本で奨励されていました。

意味を理解しているかどうかを知る(理解させる)には、よい方法だと思います。

それでいいじゃん、という気がしてならぬです

333. ゴルゴ・サーディーン — December 14, 2010 @08:07:19

みなさん、おはようございます。

>「横×縦」の式を書いたため、不正解になったわけです

怖いですね。
じゃあ、長方形がナナメに置いてあったらどうするのでしょう?

それから、同じ形・同じ大きさの台形が2つ、上下を違えて描いてある物の面積を
求めるのに
 (( 上底+下底 ) × 高さ ÷ 2 ) × 2
書いたらダメということですね。
だって 上底と下底が逆なのですから。

334. トンデモブラウ — December 14, 2010 @08:33:00

掛け算の順番に拘泥すると、生徒が100%躓かなくなるというのであれば素晴らしい。
けど、嘘くせぇ…というかありえん!
 
掛け算を覚えるのと、それを利用して計算をするのとは別じゃないのだろうか?
なんで同時進行させなきゃならんのだ。

Up335. MachiParu — December 13, 2010 @22:00:01

教育大の付属小学校出身の僕が出てきますが.

教育大の付属だけあって,なぜか勉強や読書が好きで休み時間にそんなことをやっていると怒られるような小学校でしたのであれですが(かといって特別に読書の時間を設けるとはどういうこと?),うちの学校ですらそんな理不尽な教え方はしていませんでしたね.

既出ですが,別に5皿に3つずつ置いてゆこうと,一回ずつ均等に配ってゆこうと結果は同じですから.しかも,なぜ抽象数学が日本語に左右されるんですか?行列の非可換性の話も出ていましたが,逆に実数の掛け算で可換であることはその前に知っているべきでしょう.

むしろ,逆に式を書くと駄目だという人は,どう教育的効果があると思っているのか知りたいところです.可換性に気付かず行ってしまうと,数学にしろ物理にしろ式が立てにくくてかないませんが.

#あっ,そんな人は数学とか物理は関係ないと思っている人なのか^^;

##小学校の勉強や読書好きな子供を無理に外に出して遊ばせようとする親切(?)の押しつけみたいな教師は何とかならないのだろうか^^;

336. kurita Website — December 14, 2010 @09:18:26

> 掛け算の順番に拘泥すると、生徒が100%躓かなくなるというのであれば素晴らしい。

むしろ、大人になっても子供の頃に教えられたままにかけ算の順番にこだわっている人って、理数系の素養(理系/文系とかいうことではないので念のため)を養う機会を残念ながら逸してしまったような感じの人が多いような気がするのですが… 私の偏見が入っていますでしょうか。:P
なので…

> 理数系が壊滅状態だった僕ですら、このくらいは言える。

ってコメントを目にした時は、なんと痛烈な皮肉、と思ったもんです。

> 「正方形は長方形なのかどうか?」

つい先日、ごく身近なところで「立方体は直方体には数えない」という例を見つけておどろきました。 ネット上では「正三角形は二等辺三角形ではない」とかいう話もみつかります。 「正方形が長方形であることは、小学生には難しく混乱を招くので教えない。」とのことですが、そんなに難しいことですか? 二年生ならともかく、小学校を卒業するまでには教えておいてほしい、というか、それこそ、せっかく図形を教材にするのだから身につけておいてほしい重要な考え方だと思うのですけど。 子供をバカにしすぎか、でなきゃ、子供に教える方法の研究が足りないのを子供のせいにしてるだけなのじゃないのか。

337. taka2 — December 14, 2010 @09:17:27

はじめまして。ここはずっとROMしてた者です。
妻が小学校の教諭なもので、この問題が話題になった時に聞いてみたのですが、
発端となったのサイトを見せたら、解答用紙の画像を一目見ただけで
「あーはいはい」と何の問題なのかわかる程度にはメジャーな教育問題らしいです。

以下、その妻。話。大阪府下の公立での実態です。

・被除数と除数を区別させるのは、問題読解力を身につけさせるため。
 今回の元ネタは一種の引っかけ問題でしたけど、そんな感じで文中の数値の出現順番をいろいろ変えた問題を解かせてみて、「問題を読み解かずに、出てきた数値を順番そのまま式に入れている児童」をスクリーニングする)
 (除算のときにつまづかないためとか。「その方が教えやすいから」ではなく「問題読解力が身についていない児童を見つける」ために行っている)

・授業中の一般的な進行では、どこの学校でも定式化の時にこの順番を徹底させている
 (その時、口頭で「問題から読みとった被除数を先に書くよう指示」してる。)

・テストにおいては、順番が逆な回答を正とするか誤とするかは統一されていない(現場によって違う)が、誤とする場合が多い
 クラス間で方針を統一を取る必要があるため、どちらにするのか教師間で授業方針を協議して決めている

・理想論では現場は回らない
 正しいが脱落者が多数出る方法よりは、多少間違っていても脱落者の出にくい方法を現場は選ぶ。
 (今回にかぎらず、この手の話は問題提起だけで解決方法が提案されない場合が多い)

とのことでした。

私自身の意見としては、この方法が良いとは思いませんが、現場の大変さを聞いてるとしかたないかな、とは思ってます。
とにかく、この方針を改めたい場合、個々の教師に意見するのは無意味だし、「数学的に誤っているから」というのは理由として説得力が弱いと思います。

新たに「数学的に正しい教え方X」を考案したうえで、さらに教育大付属小あたりで
「新手法X」と「従来手法」で教え比べて「新手法Xで教えた方が脱落者が少ない/理解度が高い」
といったこと統計的に調べた上で、それを理由に正しい教え方を迫るしかないかと思います。

338. Cere — December 14, 2010 @10:55:25

taka2 さん

「理想論では現場は回らない」なんてのは、外の人が現場を抑えつける為にいう台詞であって、現場の人が自分で言っちゃうのは非常にまずい兆候ですね。奥様が完全なダークサイドに落ちてしまう前になんとか助けてあげてください。

ここで言われている話が理想論でもなんでもないのは、「順番なんてどうでもいい」でちゃんと教えられている先生が存在することから明らかです。

339. Katase — December 14, 2010 @10:45:25

小学校の先生は色々なタイプの子達を同時に教えなくてはならないので、どの様にしたら落ちこぼれが少なく、その学年で定められた内容の問題を解けるように導くかで色々と試行錯誤しているのだろうと思います。

掛け算の問題文から、直接(日本語の)言葉から式を一定の形で立てさせる方法は、生徒の中には抽象的なイメージを描くのがどうしても苦手な子が一部に居るので、そういった子に合わせて一定の式を立てられる様にこうした方法を採用したのが始まりである可能性がひょっとしてあるかも知れません。

taka2
>・理想論では現場は回らない
 正しいが脱落者が多数出る方法よりは、多少間違っていても脱落者の出にくい方法を現場は選ぶ。
 (今回にかぎらず、この手の話は問題提起だけで解決方法が提案されない場合が多い)

気になるのは、これがその時(学年など)に限ってだけ通用する「その場しのぎ」になってしまって、本質的な理解の問題を先送りしてしまっていないか心配です。
取り敢えずは、「テスト」の正解者の割合を多くすることで表面的に習熟度を上げて成果が出ている様に見えても、それが本当に教師の役目を果たしたとなるかは、ちょっと疑問が残ります。

脱落者を気にする場合ですが、まずは「算数・数学的に矛盾のない方法」で教えてみて、それで脱落している子に対しては、別のアプローチで試みる方が全体の真の意味での習熟度は上がるのではないかと思います。
落ちこぼれた子に対する対策として、算数・数学的には矛盾があって多少問題があるけれども「言葉に従って機械的に式を組み立てる」やり方などを教えるのは、場合によっては取り敢えずついて行かせる為には有効ではないかと思います。

ですが、「算数・数学的に矛盾のない方法」(これにも色々あります)で特に問題なく理解できる子達(多分、大半の子達がこのグループに相当すると思います。そうでないと、そもそも小学二年生で掛け算を教え始める理由がありませんよね。標準的な小学二年生の段階で掛け算の概念を掴むのが本質的に難しいのであれば、もっと上の学年からきちんと教えた方がいいはずです)を巻き添えにしてまで、本来無意味である変な順番を意識させる解き方を強制するのは、先々弊害が強そうに思えます。

どうしても落ちこぼれてしまう一部の子には、そういう子達を対象にしてその子の個性に合わせた教え方を工夫していく方がいいのではないでしょうか? 現場に余裕がないからといって、手っ取り早くほぼ全員に規定の問題を「解かせられる」やり方を選択してしまいがちなのかも知れませんが、そのやり方が真の理解を遠ざけて「算数の本質とは無関係なただの形式」を植え付けるだけのものであっては、算数教育としては本末転倒ではないかと思います。

>・テストにおいては、順番が逆な回答を正とするか誤とするかは統一されていない(現場によって違う)が、誤とする場合が多い

結局、「順番が逆な回答を誤」とするのは教え方の矛盾のつじつま合わせをその場しのぎで逃げてしまって、「本質的な理解」を先送りしているだけですよね。

もっとも、そうやって「順番が逆な回答を誤」として教え込んだ生徒達に「順番が逆な回答も実は正解」だという事をその後きちんとフォローして教え直して、算数・数学的な矛盾をちゃんと解消しているのでしたら、問題は少ないと思います。
実際に、そうやって教えている先生達のどれくらいが「順番が逆な回答も実は正解」と教え直しているのか気になるところです。

340. トンデモブラウ — December 14, 2010 @11:11:08

今まで見てきた『掛け算順序厳格派』の擁護意見は、「だってそのほうが自分たち(教師)が楽なんだもん。」としか聞こえない。
私の魂が汚れているせいなのか?
 
所詮教師なんてのはそんなもんだよ、といえばそうなのだが。

341. 積分定数 Website — December 14, 2010 @10:31:58

>taka2さん

 これまで、「順序に拘る理由」を色々読んできました。読んでいてイライラしたり暗澹たる気持ちになる場合が多いのですが、今回は、内容に同意するということではないのですが、「なるほど、そういうことなのか」と素直に読むことが出来ました。

 なぜ違和感なく読むことが出来たかを考えると、taka2さんが

>自身の意見としては、この方法が良いとは思いませんが、現場の大変さを聞いてるとしかたないかな、とは思ってます。

と、「必要悪」と認識しているからだと思いました。


しかし、ネットや新聞投書で、「順序に拘る教え方が正しい」と主張する現・元教師は、「必要悪」や「方便」という認識はほとんどない印象です。

「3×4と4×3では、意味が全く違います」
「4人に3個ずつ蜜柑、を 4×3にすると、4人が3つで12人になります」

という具合に、非常にあっけらかんと、「だから間違いです」と断言してしまう。「順序に拘るのは考え方重視だ」とまで言う。むしろ、じっくり考えたら、抽象化によって、「3×4と4×3は結局同じ事」となりそうですが。


「掛け算の順序なんかナンセンスだし、一方の順序しか正解にしないのは心苦しいんだけど、苦渋の選択で、・・・」という葛藤が全く見えないのです。

 そして、ときに長方形の面積に順序を強要するまでに暴走する。(教科書を確認したら、「横×縦でも求められる」と書いてあった。そう書かないと「縦×横だけが正しい」と思い込む教師や児童がいるかもしれないと配慮しているのかも知れない)

 「順序に拘って教える」というのが、標準的な教え方として公認されてしまうことで、勘違いする教師が出てきて、暴走してしまうと思うのです。

 「順序に拘る教え方は禁止する」とでもなれば、それでも順序に拘るメリットが大きいと考える教師は、「必要悪」と自覚して教えることになり、暴走はなくなると思うのですが。

 ただそうなると今度は、「掛け算には順序は関係ないと教えなくてはならない」となって、蜜柑を配る問題で、「3×4=4×3=12」と常に両方書くことを強要する教師が出てきそうですが。

 昨年、県教員組合の人に話を聞きました。その人が言うには、

 教師になったばかりのときは、とにかく必死で、指導書に従って教えていた。掛け算の順序にも拘って教えていた。何年かたって、「これってそんなに意味があるのか?」と疑問に思えてきた。中学校の数学教師が小学校に転任になって来たので、その人に質問したら、「全く意味はない」と言われ、「やっぱりそうか」と思って、それからはあまり拘ることはしなくなった。

とのことです。 

順序に拘る教え方をするにしても、

数学的には意味がない。拘ることのデメリットも沢山ある。必要悪である

というようなことが、現場で共通認識になっていて欲しいと思います。現状は、何の疑問もなく「順序に拘ることが正しい」と思い込んでいる教師が多いような印象です。




>kuritaさん

市販の問題集だと、特殊は一般から除外した解釈の解答がほとんどです。その問題集を作っているのが現・元教師という例が多いようです。

http://kita.dyndns.org/diary/?date=20101113#p02Link
積分定数 (2010 年 11 月 24 日 (水) 09:19) 以降のコメント 参照

棚上げなら棚上げで、それを徹底して欲しいと思います。棚上げにすることで、「特殊は一般に含まれない」と教えちゃうぐらいなら、きちんと棚から下ろして、「特殊は一般に含まれる」と教えるべき。

小学校算数に「集合」が導入されたときに、マスコミがかなり批判して、「集合」がなくなったと本で読みましたが詳しい事情は分かりません。

中学数学教科書あたりでも、

項が1つだけの式を単項式、2つ以上ある式を多項式という

というような記述になっている。実はこれは玉虫色の記述で、私なんか、「えっ、単項式も多項式じゃないの?」と思ってしまうが、

「項が1つだけの式は多項式ではない」とは書いていないので、私の認識と矛盾しているわけではない。

このような特殊と一般についての曖昧さは、高校数学の論理のところで解消されるのかと思いきや、

リンク先のコメント>積分定数 (2010 年 11 月 25 日 (木) 22:22)

のような状況になっています。



掛け算の順序にしてもそうですが、指導要領などの公式な文章は、玉虫色になっていて、現場でどうとでもなるような印象です。

Up342. ミリメートル — December 14, 2010 @11:49:41

私もROMしていましたが、taka2 さんのコメントがあまりにもひどすぎると思ったので出てきてしまいました。

「順序を守らせることで躓きを防ぐ」ことが『掛け算順序厳格派』の方々の主張するメリットらしいですが、順序をかたくなに守らせて、正しい答えを誤答とすることが子供達を躓かせることにはならないのでしょうか。

長年の蓄積と研究で、「正しい答えを誤答にしても子供達は躓かない。それよりも順序を守らせない方が子供達は算数で躓く」という結論が出ているのなら仕方ないと思うのですが。

私は心が汚れているので、トンデモブラウさんの「教師の怠慢かも?」という意見が正論に見えてしまいます。

343. 後藤参三 — December 14, 2010 @11:45:25

既出の意見でしたらすいません。

いわゆる「落ちこぼれ」を少なくするために教え方をいろいろ考えるのは構わないと思うのですが、数学的にも問題の文章的にも間違えていない回答を間違いとしてしまうことは反対です。

正しいはずなのに点数がもらえないという仕打ちに対して、教える際の都合だと説明されて納得できるほど達観した小学生がそれほどいるともおもえません。

私はこの話題を見ていて、数学ではないですが似たような経験をしたのを思い出しました。
「必」の書き順を問う問題で、私の回答が教師が設定していた解答と違ったため不正解とされたのです。
私の回答は漢字辞典にも掲載されていたことを提示したり、新聞記事などの「決まってはいないため、この書き順も誤りではない」という情報のエビデンスを突き付けたりして抗議しました。
しかし、「教えるためには決まりが必要」などと言われ、覆りませんでした。子供心に、大きなショックを受けたのを覚えています。

テストでいい点数をとることが勉強のモチベーション向上に繋がる生徒だっています。そういう子供にとって、正しいのに誤りとされてしまうことの影響は無視すべきではないでしょう。
落ちこぼれてしまう子供を救うことだけしか考慮に入れないような考え方は、果たしていいんでしょうか?

344. ぱらけるすす — December 14, 2010 @12:42:33

漢字の書き順は小学校ではやたら厳格に教えられてました。書きやすいのだそうです。「右利き」には書きやすいのでしょうけど、左利きの私には苦痛でしかなかったなあ。

345. ゆんゆん探偵 — December 14, 2010 @13:25:40

漢字の書き順問題については、しばらく前にtwitterで教えていただいた以下の動画が大変面白かったです。
動画を作ったのが高校生だというのも凄い。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4942766Link

Up346. さんちゃん — December 14, 2010 @13:29:25

>taka2さん
>・被除数と除数を区別させるのは、問題読解力を身につけさせるため。
>(除算のときにつまづかないためとか。
上は乗算で下は除算ですよね?

>正しいが脱落者が多数出る方法よりは、多少間違っていても脱落者の出にくい方法を現場は選ぶ。
理解できていないから×を貰うのはいいですが、正しいのに×を貰うショックは計り知れませんが。
それに大人になっても順番があると間違って覚えているのは理解度が高い人なんでしょうか?
「脱落者が少ない=理解度が高い」ではないですよ。

> (今回にかぎらず、この手の話は問題提起だけで解決方法が提案されない場合が多い)
解決方法の提案があろうがなかろうが、問題があるかどうかとは別ですから。
それに問題提起されなければ、解決方法が出てくることはありません。

>「新手法X」と「従来手法」で教え比べて「新手法Xで教えた方が脱落者が少ない/理解度が高い」といったこと統計的に調べた上で、
えーっと、順番を徹底させる方法は順番に拘らない方法とを統計的に調べた上で選んだ方法なんですか?
というか、本当に順番に拘らない方法は脱落者が多いんですか?
1970年代からある問題のようですので、今現役なら最初から順番を徹底させる方法で教えていそうですが。

347. かとう — December 14, 2010 @13:33:58

漢字に関しては、今の国語で教えているものはかなり間違ってます。
戦後、漢字の標準字形を作る時に、物を知らない書家が書いたため、
本来の字形と違うものが「正解」とされています。
生徒が康熙字典にまで遡って確認していれば、それを間違っている
という教師が、ただのもの知らずですね。

348. 電気屋 — December 14, 2010 @12:53:17

 文章題ってのは国語の要素と数学(あえてコチラの用語を用います)の要素を兼ね備えてるワケで。そもそも算数ってのは言葉によって数を教える教科ですからネ。
 言葉と数なら言葉が先で数が後になるのは当然でしょう、より抽象的なんですから。だから、言葉によって数を教えにゃならん。
 『掛け算の順序問題』は、この言葉と数の狭間に生まれた問題ですよネ?
 きくちさんも初学者へのアプローチとしてこーした手法が取られるのはアリとおっしゃられてるし、実際一定の効果はあるんでしょーね。
 でも、子供はイロイロだからコレが向いてる子もいりゃいない子もいる。コレは避けられない。大規模な調査をすれば優劣はつけられるかもしれないけれど、それでも向いてない子は必ずいます。
 最初になるべくこぼさない網を用意するのはヨシとして、こぼれた分を個別にどーにかできるのか?コレがまずひとつのポイントだと思う。
 次に、掛け算に順序を設定するのは数の理解においては間違いですから、いずれ修正され拡張されないといけない。指導要領などでも交換則はすぐに教えられるよーだし、自発的に発見してしまう子も珍しくないんですから、コレはかなり速やかに行われるべきです。
 いちばん問題なのはたぶんココじゃないのかな。
 この便法が有効かどうかを最も判断しうるのは現場の先生方であり、そーした方々が長期間採用し続けているならそれなりに有効なんじゃないかとは思うんだよね。
 でも、数学じゃなく算数の段階ではこの修正と拡張の必要性はそんなに強くないのかもしれない。今のカリキュラムとかがどーなのかワカらないけど、大人になってもそのクセが抜けない人がそれなりにいることを見ると、きちんと修正される機会は意外と少ないのかも知れない。ならば、問題のキモはそこいらにあるんじゃないだろか?
 いつどーやって助数詞を取っ払うか。助数詞が無ければ言葉のくびきも消え、順序が意味を成さない抽象的な数の世界に踏み込めると思うんだが。
 分数は算数の鬼門だって聞いたことがあるけれど、それはもしかしたら助数詞がくっついたままじゃ受け入れづらいからじゃないだろか?ミカン1/2とか皿1/3とかって「なんじゃソレ?」だよね。

 さて、閑話。コレはもっと一般的な話で、親がすべきことだろーけど、「先生だって間違える」は絶対教えにゃならんコトだとおもうんだけどねェ。がっこの先生なんて、そんなたいそーなもんじゃないじゃない。

349. takahata — December 14, 2010 @13:21:11

うーん…。

私の「読解力」不足かもしれませんが、

「順番が逆な回答を誤とする」ことが、

>「問題を読み解かずに、出てきた数値を順番そのまま式に入れている児童」をスクリーニングする

ことに適しているとは思えないんですが…。

掛けあわせてはいけない数字を単に順番どおりに当てはめていたら間違いでしょうけど、掛け合わせるべき数字を入れているのなら「問題は読み解けている」のではないかな、と。

「文章題を読み、求められている答えが何なのか理解し、そこに至る方法を考え、適切な方法を選択して、それによって正しい答えを導き出す」ができていたら、「問題読解力」があると思うのですが。
「問題読解力」が何を指しているのか、違うのかな?

「順番が逆な回答を誤とする」だと、読解力ではなくて「適切な方法」ではないので×をもらったと受けとめるのではないでしょうか。
前後の指導でどのような言及がされているかでもだいぶ違うと思いますが(多くの方がテスト時の条件設定「順番を守るようにと示しておく」等に言及されていますが)。

うちの息子は、文章題で「順番が逆な回答を誤とする」で見事に×をもらったのですが、九九を覚えるときには「順番が逆でも同じ」と教わっていて、しばらく混乱していたようです。

350. 電気屋 — December 14, 2010 @13:45:37

 脱線だし、念のためですが…

>かとう — December 14, 2010 @13:33:58
>生徒が康熙字典にまで遡って確認していれば、それを間違っている
という教師が、ただのもの知らずですね。

 もちろん康煕字典と違ってるから間違ってるってのもナシですよね?
 どっちもアリで、どっちかがより正しいということもないとやつがれなどは考えます。TPOを限定すれば「より適する」は定められると思いますが。どちらかが幅広く適するかってならやっぱ新字体でしょーが。
 先生が「旧字体は滅多に使われないから」ってトコまで説明して間違いとしてたなら…うーん、コレは迷うな。

 いずれにしても、先のコメントにも書いたよーに先生なんてその程度、当然テストだってその程度って思うんですけど。

Up351. Katase — December 14, 2010 @13:45:49

電気屋さん

>さて、閑話。コレはもっと一般的な話で、親がすべきことだろーけど、「先生だって間違える」は絶対教えにゃならんコトだとおもうんだけどねェ。がっこの先生なんて、そんなたいそーなもんじゃないじゃない。

少し前に、ツイッターで「掛け順徹底派」の人とやりとりしている間に、「学校ではそういった変な教え方をするから、結局、子どもを塾に行かせることにした」という対処をされた経験者からのコメントが複数寄せられました。この様に、親が教師の教え方に不信感を抱いて、まかせておけないと塾に行かせる様になったケースもある様です。

進学塾では「逆順も可」としてその塾の先生が改めてその答案に○を付け直してくれたそうです。その子には、学校では一応建前として逆に書かない様にしたらいいけれど、このやり方を信じていると難関中学レベルの算数の問題は解けなくなってしまうから、塾の先生の方の教え方に従う様にと言われたそうです。

この掛け算を巡る問題が、学校不信の一役にもっているのではないかと心密かに危惧してもおります。

これまでの意見の中には、式を立てるのに数値の順番を守るのは受験対策っぽいのではないかというものもありましたが、受験にはそんなに関係なさそうです。

また少々脱線してしまい、申し訳ございません。

352. disraff — December 14, 2010 @15:11:10

いやその「任意性を排除」しなければならない合理的な理由は何もないでしょ、という話なんですが。

353. taka2 — December 14, 2010 @14:56:47

すみません、個別に書いてたら長くなってしまいました。
私自身、この方法が良いものとは思ってないので、
反論にも「その通りだな」と思うものがいろいろあるわけですが…

> takahata さん(December 14, 2010 @13:21:11)
> 掛け合わせるべき数字を入れているのなら「問題は読み解けている」のではないかな、と。

そこは、「口頭で「問題から読みとった被乗数を先に書くよう指示」してる」というのがポイントだと思います。
単に掛けあわせるべき数字を抜き出せというのではなく、「被乗数」と「乗数」を区別して抜き出すよう指示しているわけで、この授業の段階で順序付のかけ算に反対する教師はあまりいない。

だからこそ、そういう前提の提示がない「テスト」の場合については、誤とすることに異を唱える教師がそれなりにいるというわけです。

> トンデモブラウ さん(December 14, 2010 @11:11:08) 他
> 「だってそのほうが自分たち(教師)が楽なんだもん。」としか聞こえない。

そういう面もあると思いますが、怠慢でも手を抜いて遊んでるわけではありません。
今の教育現場では、全ての問題に対して対応できるだけの人的リソースは足りていない感じで。
そういう点で、

> Katase さん(December 14, 2010 @10:45:25)
>脱落者を気にする場合ですが、まずは「算数・数学的に矛盾のない方法」で教えてみて、それで脱落している子に対しては、別のアプローチで試みる方が全体の真の意味での習熟度は上がるのではないかと思います。

これは机上の空論な感じです。そう出来れば言うことはないですけど、「複数の方法でアプローチする」だけの余裕はありません。
「できるだけ脱落者の少ない、単一の方法」が現場で求められている、と。

ただし、だからといって、従来手法の凝り固まってまったく新しい方法に手を出さない、というわけではありません。
そんな忙しい中でも、より良い方法を求めて模索してます。研究授業を開いたりとか。

でも、比較的小さな方針変更については、試行錯誤できる(失敗してもやり直せる)余地がありますが、
今回の問題の場合「3年のわり算での脱落者を減らすため」に「2年のかけ算で変な教えかたをしている」というスパンの長さが問題になるかと思います。
これではやり直すのが難しいですから、はっきりと効果があるという確証がなければ新手法には移れません。

> ミリメートルさん(December 14, 2010 @11:49:41)
> 長年の蓄積と研究で、「正しい答えを誤答にしても子供達は躓かない。それよりも順序を守らせない方が子供達は算数で躓く」という結論が出ているのなら仕方ないと思うのですが。
> さんちゃんさん(December 14, 2010 @13:29:25)
> えーっと、順番を徹底させる方法は順番に拘らない方法とを統計的に調べた上で選んだ方法なんですか?

「順番を徹底させる方法」は、単に「長年の経験によって、この方法の方が優れているように思われている」というレベルであり、
研究とか統計といったレベルで「この方法が優れている」という結論が出てるわけではないと思います。

(経験則が統計的には正しくないなんてことはいくらであるし、私は経験則を理由にしてはならないと思いますが)
経験則として「正確ではないが脱落者が少ない方法である」と現場で信じられているのは確かであり、その状況の下では、
「正しくないことを教えるな」という主張が意味が無いと思うわけです。
また、単に「○○先生は正しい方法でうまく教えている」という少数の具体例でも不十分。
現場に対してこれをやめさせたければ、
統計的手段などで、従来手法より脱落者の少ない優れた方法があることをきっちり示すしかないだろうな、と。

> >・被除数と除数を区別させるのは、問題読解力を身につけさせるため。
> >(除算のときにつまづかないためとか。
> 上は乗算で下は除算ですよね?

すみません、その通りで「被乗数と乗数を区別させるのは、問題読解力を身につけさせるため。」の間違いです。

> 解決方法の提案があろうがなかろうが、問題があるかどうかとは別ですから。
> それに問題提起されなければ、解決方法が出てくることはありません。

外から見ればそうなんでしょうけど、中の人からすると「指摘されるまでもなく、そんな問題があることはわかってる」ってことで。
「トレードオフとしてしかたなく許容している問題点を、その指摘だけされても、何ら新しい情報がなく役にも立たない」ということです。

(あるいは、外堀から問題点の指摘だけで解決を図るなら、教師を責めるのではなく、指導要領でそういう教え方を禁止させるように文科省に迫るべきでしょう。
そうすれば(現場は大混乱でしょうが)「順番にこだわるかけ算」をやめさせることはできるかと)

354. 文太 — December 14, 2010 @15:46:19

みなさん、こんにちは。

最初に私の意見ですが、やはり、正しい式を間違いとする理由はないと思います。(順序は関係ないということ)
(私は30台前半ですが、掛け算に順序があるという風に教えられた記憶がありません。)

taka2さん、こんにちは。
>「トレードオフとしてしかたなく許容している問題点を、その指摘だけされても、何ら新しい情報がなく役にも立たない」ということです。

ここで言うトレードオフとは何と何でしょうか?
掛け算を教える際に、順序を導入することで掛け算の理解が深まる理由が私には思いつきません。
また、順序を導入しない場合のデメリットみたいな物をご存知でしたら教えて頂けると幸いです。

355. トンデモブラウ — December 14, 2010 @15:52:57

昔、孟子は「できなんじゃなくってやらないだけじゃん。」と言いました。
また、孔子は「間違いは誰でもあるけど、改めないのはダメだよね。」って言いました。
 
そういうことです。

Up356. 後藤参三 — December 14, 2010 @16:16:05

taka2さん

おっしゃることはなんとなく理解しているつもりですが、疑問点があります。

躓く子供を最小限にすることは重要だと思いますが、その方法をとった場合に影響をうける「少し上のレベルの考え方ができる子供」には、今の現場ではどのような対処がなされているのでしょうか?

例えば、正しいはずなのに間違いと言われて傷ついたり、かえって混乱してその後の算数の授業に対するモチベーションが悪化したり、いろいろ考えられます。
そのような子供は少数だからよしとされてしまっているのでしょうか?

様々なblogなどを見る限り、きちんとケアをせずに頭ごなしに教えている教師が多数いるように思えて仕方ありません。
(ここの投稿を読んでいる限り、taka2さんはそのような偏った考え方ではないということは感じています。もし私の書き方に配慮が足りず気分を害されたらすいません)

きくちさんや何人かの方々は、そのような思考停止の教師がいることを懸念しているのではないでしょうか。

357. disraff — December 14, 2010 @16:12:13

う〜ん。「トレードオフ」と言っても従来方法のメリットが十分検証されているわけではないのですよね。一方、はっきりしたデメリット(あまた報告されている、大人になっても誤謬から抜け出せていない例や、教条主義的に凝り固まってしまっている教師)は知られているわけで。
本当にそのメリットはデメリットを上回っているのでしょうか。どこまで見据えたうえでの「トレードオフ」なんでしょうか。

358. Katase — December 14, 2010 @15:43:52

taka2さん、ご丁寧にありがとうございます。

教員経験の無い者が、机上の空論を振りかざしているというご指摘に、なるほどと思いました。
ただ、私は小中学校の算数・数学で落ちこぼれてしまった子達を家庭教師として何人かレスキューした経験があるので、この「掛け算の順序を厳格に教える」弊害を実感していたので、この事についても少し前に書き込ませて頂いています。

私が一番懸念しているのは先の私のコメントでの最後の部分で、もう一度引用すると、

> もっとも、そうやって「順番が逆な回答を誤」として教え込んだ生徒達に「順番が逆な回答も実は正解」だという事をその後きちんとフォローして教え直して、算数・数学的な矛盾をちゃんと解消しているのでしたら、問題は少ないと思います。
実際に、そうやって教えている先生達のどれくらいが「順番が逆な回答も実は正解」と教え直しているのか気になるところです。

この部分です。本当に現場のやむを得ぬ事情があって、敢えて「順序を厳格に守らせる」教え方をしなければならない状態にあり(逆順も可として教えている先生方も実際には多くいらっしゃる様ですので、私はそうは思っていないのですが…)、諸般の事情を考慮してこのやり方が良いと思って採用しているとして考えても、一番の問題点は、その後のフォローをきちんとするかどうかだと思います。

実際に、どの様にしてその後に「実は逆順も可」だということを訂正して教えているのかというフォローの体制がとても気になっています。
掛け算の文章題を解く糸口として、とりあえずは数値の順序を決めて式の立て方を教えても構わないと思うのですが、それにはその後で逆順も可だという事を追加して教えるべきだと思います。
もしかして、そのうち生徒自身が自然に気が付くだろうと放置している様なことがあれば、それはとても問題が大きいと思います。

実際に、その後に訂正してきちんと教えているのでしょうか?

それと、私がこれの前にコメントした様に、親の中には子どもの答案を見てこのような「逆順は×として採点する」教え方に不信感をもち、学校の授業だけにまかせておくのは不安と感じて塾に行かせる人達もいる様です。塾の先生が教える方法の方を信じなさいと子どもに教える親が少なからず居そうな感じで、とても危惧しております。

359. 積分定数 Website — December 14, 2010 @16:09:12

>taka2 さん

私は、taka2 さんの最初の書き込みをわりと違和感なく読めました。

つまり、

A 烏は白い。
B 烏は黒いのだけど、やむを得ない事情で、「烏は白い」と教えざるを得ない。

Aの立場の人とは議論が成り立ちようがないが、

Bに立場の人に対しては、「どのようにやむを得ないのか?」「本当にやむを得ないのか?」「烏は黒いと答えた生徒にバツを付けるのは行き過ぎではないのか?」
と議論が成り立ちうる、ということです。

しかしその前に、Bの立場の人には、「やむを得ないと言うけど、Aの立場の人が少なからず教壇に立っている。これはそもそもおかしいのではないのか?」と問いたいです。


暴走する教師がいる。「単位のサンドイッチになる」というルールがあると信じ込んでいる教師がいる。


既に挙げた新聞投書の教師もそうだし、

http://q.hatena.ne.jp/1197768804Link
----------------------------------------------------------------
これが例えば、
「4人が200円ずつ募金したら全部で何円」
といった問題であれば、「200が4つだから200×4」というのはまあわかります。
(4×200だと、「200人が4円ずつ」になる)
----------------------------------------------------------------

http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/Link
---------------------------------------------------------------
11月 27th, 2010 at 9:40 PMはじめまして。私は元小学校教員です。
suzusukeさんが書いておられることは、概ねそのとおりです。
式は 3x5 が正しい。
5x3でもどちらでもいい、のは間違い。ここはそのとおりです。
今は名数を付けないのでわかりにくいのですが、
名数を付けて、3こx とやるとわかりやすいのですけどね。
求めるものはリンゴの数だから。
5x だと5皿x になってしまって、リンゴの数ではなくなる。
------------------------------------------------------------

一部の教師と言うよりは、こういう考えが標準的なものであるかのような印象があります。


つまり、
「烏は本当は黒いが、烏は白いと教えた方が有益」(という考えに異議はあるが)のではなく、
「烏は白い」と本気で思っている教師がいるわけです。


数学の真理や美しさをないがしろにして、やむにやまれぬ事情で、掛け算の順序に拘らざるを得ない

という考えは正当化できるのか?


私自身は、「そんなことは絶対に正当化できない」と断言するだけの論拠やデータは現段階では持っていないが、

正当化のためには、

「これは単なる方便に過ぎない」と広く認識されている。
暴走する教師はいない。

が必要条件だと思います。


現状ではその必要条件が満たされていないと思いますが、どうお考えでしょうか?

360. Cere — December 14, 2010 @16:22:38

taka2さん

スルーされてしまったようで残念です。

嫌味や冗談ではなく、個別の問題に対する指摘に「あーはいはい」「理想論で現場は回らない」と十把一絡げな態度を取ってしまえるあなたの奥様は、先生として非常に良くない状態に陥ってしまっています。これはあなたの奥様一人の問題ではなく、教えを受けている小学生たちにとっては掛け算の順序だけに留まらない憂慮すべき状況ですよ。

taka2さんに必要なことは、奥様の話をそのまま受け入れてこの場で「反論」することではなく、奥様ときちんと話し合って間違っているところは間違っていると指摘してあげることだと思います。奥様が子供一人一人ときちんと向き合えるようにサポートしてあげてください。

Up361. MachiParu — December 14, 2010 @17:14:16

taka2さん.

はじめまして.小学校の教育を受けたのも10年ほど前ですから,よく覚えていませんが….実際のところ,掛け算の順序を逆にしていたから,割り算で躓く人なんているものなのでしょうか?少なくとも,順序などでばつをつけたりしなっかった(たぶん)私の小学校には見当たりませんでした.

机上の空論とおっしゃいますが,逆にその順序を考えないといけないという意見は,先生方がこんなこともあるだろうと単に想定しているだけのものであるということではないのでしょうか?

また,もうひとつ疑問に思うのは,単一的方法でより多くの生徒にわかってもらうのが目的だというところで,まったく順序にかかわらずとも生徒さんにはちゃんと理解してもらえるのではないでしょうか?割り算で躓いたら,そこで教えなおせばいいですし.

んー,あまりよくわからないです.どうしても「順序派」の人の意見が,頭の中で自分の考える「子供」像をつくって,それと格闘しているように思えてしまいます.

#以下は推測:割り算で躓く子供が多いと経験的or子供像に従って考えた教師が,それを会合で発表.それは一般に小学校教師の考える子供像にあたっていたので,教師間に膾炙した.
こんな感じで広まっていってたりして..

362. ミリメートル — December 14, 2010 @17:23:29

taka2さん(正確にはtaka2さんの奥様)の考え方にどうしても違和感があります。

taka2さんのやり方だと、単に数字を並んだ順に掛け合わせている以外の、交換法則が分かっている子供を持っている親は

「先生の言うことは間違っていて、あなたの方が正しいけれど、学校で先生に逆らうのは得策でないから、間違っていても先生の言うことに従いましょう」

と言わざるを得なくなりますよね。

これは教師と子供と保護者のあり方として正しいのでしょうかね。
実際、この方針の違いで塾に行った報告なども挙げられていますし。
先生が間違っているとはっきり言わなくても、困惑している親御さんもいらっしゃるし。

教師は落ちこぼれを出さないことが目的なのかも知れませんが、それと引き替えに大事なものを失っている気がします。

363. 技術開発者 — December 14, 2010 @17:41:32

こんにちは、皆さん。

なんか議論が錯綜している気がするんですね。考え方としては

1.本来、「こういう癖を付けた方が後々の理解に良いだろう」と言う程度の「便法」を、「こういう癖を付けなくては成らない」としてしまう馬鹿教師が居ることの問題

これは問題であろうと思いますし、またここでそれを擁護している人はほとんど居ないと思います。

2.「便法」などがあるから、こういう強制をする馬鹿教師が出るのだから、「便法」そのものを止めたらよいとする問題

これを巡っては、この便法がもたらしている効果が定量的に評価されたデータがないので「止めたら後々の理解にどれほど支障が出るか」という部分が不明なわけです。私に言わせると、こういう馬鹿教師は、それ以外の「こうした方が良いだろう」についても、「こうしなくてはならない」という馬鹿な強制をやるのでは無いかと危惧しまして、馬鹿教師を減らす事を考えるべき(まあ、馬鹿教師といっていますが、実の所、日本国民が「教育というのはできるだけ金や手間を掛けないにこしたことはないから、子供1人1人の発達に合わせたマンツーマン的な部分はできるだけ廃除して、できうる限り大量生産型の規格教育をすべきだ」と固く固く信じている事の問題だと思っています)じゃないかと思うんですけどね。

364. かも ひろやす — December 14, 2010 @16:19:16

正方形と長方形についてです。

kuritaさん:
> 「正方形が長方形であることは、小学生には難しく混乱を招くので教えない。」とのことですが、そんなに難しいことですか?

歴史の教えてくれるところでは、そんなに難しいことです。正方形が長方形であることが常識になったのは、20世紀に入ってからです。数学の長い歴史では、つい最近のことです。

ユークリッドの『原論』では長方形から正方形を除外しています。もっと歴史が下って、和算(江戸時代の日本の数学)でも長方形(当時の言葉では「直」)に正方形(当時の言葉では「方」)を含めていません。日本が文明開化でヨーロッパ数学を取り入れた時点でも、ヨーロッパにはまだ『原論』を教科書とし『原論』の方法と順序そのままで教える幾何学教育が生き残っていて、日本の数学教育にも影響を与えた記録が残っています。当然、そこでは、長方形から正方形を除外する『原論』の定義が採用されたことでしょう。

「便宜上、長方形に正方形を含める」という形でならば、長方形に関する考察で正方形の場合もまとめて議論することは、それこそ、『原論』の時代からあったでしょう。しかし、便宜上ではなく本質的に正方形は長方形だと考えるのが常識になったのは、歴史的にはつい最近のことです。技術開発者さん風に言えば、長方形から正方形を除外するほうが、人間の基本仕様には合致しているのでしょう。

積分定数さん:
> しかし、いくつかの状況証拠から推測するに、「正方形は長方形ではない」と教えている教師がいるようである。「正方形は長方形であることは小学校では教えない」を、「正方形は長方形でないと教える」と曲解しているようである。

そういう曲解をしている教師もいるでしょうが、上述の歴史的状況証拠からすると、正方形は長方形ではないと素で信じていて、だから、そう教えている教師のほうが多いのではないかと思います。

365. よたよたあひる Website — December 14, 2010 @17:11:13

きくち様、皆様、こんにちは。

hatenaでブログを書いているよたよたあひると申します。
掛け算の順序の問題、今回の「5枚の皿にリンゴが3個ずつ」から始まった論争から興味をもって、こちらのブログもROMしてきました。

taka2さんがコメントで書かれた考え方は理解できます。
 「掛け算」の単元の中で「文章題の読解」についての理解を評価(ただし、あくまでも「スクリーニング」なんですね。この「スクリーニング」という言葉があったために状況が理解できた、と思います)するもの、という位置づけなんですね。
 そうすると、「5×3」と回答してしまう子どもが、この問題から何をどう読み取っているのかを改めて確認して、それなりに理屈が通っていればOK、という対応も「スクリーニング」後の精査を経て「文章題の読解と掛け算の概念を理解している」と評価することができる、というしくみになっている、ということなんでしょうか。
  あくまでも「スクリーニング」だから、このひっかけ問題に引っかかった子のすべてが「文章題の読解」ができていない、という評価ではない、ということになる、ということだろうと理解したのですが。

 ただ、この問題を「スクリーニング」の手段として使うときに、前提になるのは、「問題文」に直接的に書いてある文言のほかに、

(a)問題から読み取った「被乗数」を先に書く
 ↑これについてはtake2さんがコメントに書かれています。
のほかに、
(b)「1つの○○に△△ずつ」を問題文中のキーワードとして読み取り、「△△ずつ」と書かれている数を被乗数として書く
(c)掛け算の単元だから掛け算を使って書く

という二つの問題文に書かれていない条件を「読み取る」ことができるかどうか、という「スクリーニング」になっているのだと思います。

 私自身は、どうも自分の頭が、この問題は「5×3=15」と立式するほうが「自然」に感じられるものですから、「5×3」と回答してしまう子どものことを考えてしまいます。
 問題文から「求めるもの」を把握し「求めるために必要な数」を読み取って、なお上記の(a)(b)(c)をスルーしてしまう子は、スクリーニング・テストの後の指導で「ずつ」を読み取ることができるようになったらそれでいい、ということになりますか????? 

Up366. ドラゴン — December 14, 2010 @18:30:14

みなさん、こんばんは。

算数数学教育の研究者がなぜ言及していないかを考えておりました。
そして、次のように推論しました。物議を醸し出すようで恐縮ですが、どうでしょうか。

「かけ算の順序は、日本のルールとしてある(数学教育以外でも)」

みなさんは、ないことが前提ですね。でも、いろいろな文献を見ていると、そのようにしか思えなくなりました。ほとんどあることが前提で書かれているような印象があります。
歴史的経緯からだったり、ご年配の方のものなので「ルールとしてあった」かもしれません。今は廃れてしまっているとか。
「ルールととしてない」ということについて、分かるようなものはありませんか(悪魔の証明ですが)。書籍の編集や新聞の校閲者なんかはどうなんでしょうか。

算数数学教育以外で次のようなものを見つけました。

例えば辞書。ひじょう‐すう【被乗数】を引くと(ネット上で)、
大辞泉:乗法で、掛けられるほうの数。a×bのaをいう。
日本国語大辞典:〔名〕掛算で、掛けられるほうの数。a×b のaをいう。
大辞林:掛け算で、掛けられる方の数。a×b で a のこと。

書籍では(かぎ括弧が引用)、
「この4×6とか6×4とかいった順序は、日本とヨーロッパでは違う。日本は「4の6倍」式に4×6と書くが、ヨーロッパでは「6倍の4」式に6×4と書く。これは左側通行か右側通行みたいなもので、言語習慣から来ている。ただし、日本式の方が合理的というのが世界の相場だが、一方ではヨーロッパ式の方がすでに流通しまっている。まあ、これはヤクソクには違いない。足すを+と書き、掛けるを×と書くようなのもヤクソクで、これを勝手に変えたら混乱してしまう。
 この場合は、交換法則でまあなんとか済む。」
森毅「数の現象学」ちくま学芸文庫

「被乗数×乗数の乗算(掛け算)は、基本的には被乗数を乗数ぶんの回数だけ加算を繰り返せばできます。」
西久保靖彦「よくわかる最新半導体の基本と仕組み」秀和システム

「まず、かけ算の意味を説明してあげましょう。
4×3 とは 4+4+4 のこと」
渡辺敏(元法政大学工学部教授)「家族で学ぶ数学の本」文芸社

ルールがあったとしても、それで×をつけるかどうかは別問題です。ただ、ルールがあるとなると議論が少し違うかなと思いました。

もう一つ、入試に出た場合はどうなんでしょう。入試では×になるのか。これについて情報はありませんか。

森毅氏の先ほどの書籍では、大学入試では減点にもなるようなことが書かれています。
また、次のような書籍もありました。
栃木県の高校入試問題の一部
「〜かけられる数がm、かける数がnであるものとして説明しなさい。」
文理編集部「ハイクラス徹底問題集入試数学」文理

Owner Comment きくち  December 15, 2010 @23:32:04

「被乗数×乗数」の習慣はあります。少なくとも、かつてはありました。「ルール」かというと、わかりませんが。

そして、「掛ける数」と「掛けられる数」で教えていた時代に、その順序について厳しく指導する先生がいたこともまた確かで、だからこそ1970年代にも問題になっていたわけですね。

この件について文部省の見解がどうだったかについては、以下のブログ
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461350178.htmlLink
に調査結果が書かれています。
これによると、1963年の指導資料では、「順序が決まっている」ことと「交換則を使って逆順にしても誤りとはいえない」ことが確認でき、その改訂にあたる1986年の指導資料には「順序」についての記述はないとのことです。

368. SF物理マニア — December 14, 2010 @18:57:44

>#366. ドラゴン — December 14, 2010 @18:30:14
>・・・・・
>「被乗数×乗数の乗算(掛け算)は、基本的には被乗数を乗数ぶんの回数だけ加算を繰り返せばできます。」
西久保靖彦「よくわかる最新半導体の基本と仕組み」秀和システム

演算回路の設計も被乗数先ルールが生きている。

369. taka2 — December 14, 2010 @19:17:32

この問題に関して、私自身、この問題に関しては否定的な立場であり、
数多くの反論が出てくることはわかった上で、現場の状況を知ってもらうべく書き込みを行いましたので、反論の反論はいたしません。
ただ、私の書き込みの意図が伝わってなさそうなところについてのみ返答いたします。

> 積分定数 さん(December 14, 2010 @16:09:12)
> 一部の教師と言うよりは、こういう考えが標準的なものであるかのような印象があります。

すくなくとも妻の係わった学校では、順番付きかけ算を盲信しているわけではなく、、
「あーはいはい」と辟易するほどには「必要悪」であるのか日常的に議論されてる問題なようです。
ですが、大阪府下の数校程度の事例であり、全国的にそうであるかどうかはわかりません。

なお、妻の方も「テストにおいては、誤とすることには否定的」な立場です。
それでも、学校内でのコンセンサスにあわせてマルバツを付けているし、バツを付けるような方針の学校が多い、と。

文太 さん(December 14, 2010 @15:46:19)
> ここで言うトレードオフとは何と何でしょうか?

その次の学年での割り算を見据えて、

・かけ算の順番にこだわる
 デメリット=正しくない
 メリット=問題文の読解力を身につけているかどうかの確認がしやすく、この段階でちゃんと読解力を身につけさせれれば、割算に進んだ段階でつまづきにくい

・かけ算の順番にこだわらない
 デメリット=問題文の読解力を身につけていないことを見のがす可能性があり、割り算で脱落者が出やすくなる
 メリット=数学的に正しい

の2者のトレードオフです。
(この仮定が正しいかどうかはわかりませんが、そう「信じられている」ということです)

後藤参三 さん(December 14, 2010 @16:16:05)
> 「少し上のレベルの考え方ができる子供」には、今の現場ではどのような対処がなされているのでしょうか?
> よたよたあひる さん(December 14, 2010 @17:11:13)
>  そうすると、「5×3」と回答してしまう子どもが、この問題から何をどう読み取っているのかを改めて確認して、それなりに理屈が通っていればOK、という対応も「スクリーニング」後の精査を経て「文章題の読解と掛け算の概念を理解している」と評価することができる、というしくみになっている、ということなんでしょうか。

すみません、これはわかりません。すくなくとも妻の係わった現場では、そういう子は出てないみたいで。
ただ(妻の意見ではなく私見ですが)、これが教師の側に伝わるような、「交換則をはっきりと理解した上で、その旨教師にクレームを付ける」ことができる児童は、かなり高度なごく少数になるんじゃないかと思います。
そうやって表に出ることの無い「教師に言いくるめられて、なんだか理解がもやもやしたものになってしまい、結果としてより上のステップでつまづいてしまう」児童がどれだけいるのかはわかりません。


あと、ちょっと余所からの引用になりますが、「スクリーニング」に関して。
この順序付きかけ算を使う理由は、
http://slashdot.jp/~tagga/journal/519435Link
---ここから---
さて、次の 4つの問題を考えてみよう。

1. リンゴが、皿 1枚ごとに 5個のっています。皿が 3枚あります。 リンゴは全部で何個あるでしょう。
2. リンゴをのせた皿が 3枚あります。皿 1枚ごとに 5個のっています。 リンゴは全部で何個あるでしょう。
3. リンゴが、皿 1枚ごとに 3個のっています。皿が 5枚あります。 リンゴは全部で何個あるでしょう。
4. リンゴをのせた皿が 5枚あります。皿 1枚ごとに 3個のっています。 リンゴは全部で何個あるでしょう。

指導のメインターゲットは、 一連の問題に次のように立式する子どもたちになる。
1. 5×3 = 15
2. 3×5 = 15
3. 3×5 = 15
4. 5×3 = 15
このタイプの主なものは 〈かけ算の単元だ、数が 2つある、かけ算をするぞ〉という「天然無脳」。 こういうのに「なぜこの式なの」ときくと、 「え、足し算なの」とかいって消しゴムを持ち出すんだよ……。 こういう子どもたちに意味を考えさせるのが、 一連のかけ算・割り算指導のコアになる。
---ここまで---
このように複数の問題での解答傾向を見て、「読解力が身についてない」児童を見つける、という「スクリーニング」のためです。
単独の問題で読解力を判断することはありません。

それなのに、その問題群のなかの特殊な1問だけが表に出てきて、その問題だけで議論しちゃってるのが、今回の大元のブログが燃え上がった理由なんじゃないかと思ってます。

370. よたよたあひる Website — December 14, 2010 @19:45:21

>taka2さま

 お返事ありがとうございました。
------------
>ただ(妻の意見ではなく私見ですが)、これが教師の側に伝わるような、「交換則をはっきりと理解した上で、その旨教師にクレームを付ける」ことができる児童は、かなり高度なごく少数になるんじゃないかと思います。
そうやって表に出ることの無い「教師に言いくるめられて、なんだか理解がもやもやしたものになってしまい、結果としてより上のステップでつまづいてしまう」児童がどれだけいるのかはわかりません。
-------------
 私も、きちんと教師に反論・論証できる高度な理解をした子どもは小数だと思います。また、授業でさんざん「一つ分の大きさ」×「いくつ分」の式を練習してきて、なお、問題文の読み解き方が出題者の意図からそれて迂遠な自分流になってしまう子(皿ごとの1セットではなくトランプ配り方になってしまったり、皿をさっさとなくしてしまってリンゴの数を計算で数え始める子など)自体が少数派だろうと思います。
 ただ、迂遠な思考になってしまう子にはそれぞれそれなりの理由があり、例えば問題文に出てくる順に「数を処理する癖」があったり、日常生活経験の中で覚えてきた方法をつかって問題を解いていたり、などがあるかな、と考えます。
 ただ、そういう癖・・・文章にでてきた順に「数を処理」する癖・・・があっても、問題文にある「求めるものが何か」「その求めるものを計算するためにどの情報をどんな演算で利用するか」まで理解できていたら、次のステップでつまずくことは少ないだろうと思います。

 「ずつ」などのキーワードをつかって、問題文を解析して解く、という方法だと、扱う数量がひろがってでてくる言葉が違ってくるとそのつど新しい文型を覚える必要があります。全国共通学力テストのB問題(発展的な問題)やPISAの応用問題では、「問題文に過不足なく情報が与えられている」ものではなく、自分で必要な情報を抽出していかなくてはなりません。この手の問題の正答率が低いというだけでなく、「無回答」が一定数いるというのが気になっています。

 炎上してしまった小学校の先生のブログ(いや真面目な先生だと思いますよ)を読んで、こりゃまずいだろ、と思ったのは、ブログの文面から、バツにした子への指導に「考え方の矯正」が読み取れてしまった(私にとって)ことからで、別解にたどり着いてしまう子には一定の思考の癖への働きかけ・・・別の見方もあるよ、という視点の追加・拡張が必要だろうなと常々思っているものですから。

Up371. takahata — December 14, 2010 @20:00:59

そもそもこの「読解力」についてスクリーニングする必要性がいまひとつ理解できません。

「順番がある」という便法を用いて「理解しやすく」アシストするというのは、まあ、手法としてはありなのかもしれませんが、理解しちゃった子に、その「便法」をトレースさせることを「読解力」とすることに違和感を感じます。

それと、「誤りとするかどうか」が学校単位や学年単位、下手したら教師単位で異なるのって、とても「雑」じゃないですかね。

372. moorhen — December 14, 2010 @20:13:11

ドラゴン ― December 14, 2010 @18:30:14
> 「ルールととしてない」ということについて、分かるようなものはありませんか

答えになっているかどうかわかりませんけど、例えば「三千」は、普通の感覚だと「三が千個」じゃなくて「千が三個」ですよね。また「3日」は「1日が3個」ですよね。
このように、日本語においては被乗数と乗数の順番は日常的にひっくり返っています。
なので、かけ算のとき「だけ」順番が決まっているという理屈はない、という説はどうですかね。

373. Katase — December 14, 2010 @20:10:44

taka2さん

>1. 5×3 = 15
>2. 3×5 = 15
>3. 3×5 = 15
>4. 5×3 = 15

>このように複数の問題での解答傾向を見て、「読解力が身についてない」児童を見つける、という「スクリーニング」のためです。
単独の問題で読解力を判断することはありません。

私、このスクリーニング方法だと全てに引っかかって全部×でした。
だって、問題文を読みながらイメージを描いてパパッと式を立てたら素直にそうなるのですもの。

私は小学校2年生の算数で「読解力が身についてない」として落第になってしまうのですね。(笑) でも、このスクリーニング方法はかなりショックです。

374. disraff — December 14, 2010 @20:25:54

普通、誰でもそう立式しますよ…。
つか、無精するな、と言いたいです>順序によるスクリーニング。頑張っているのに悪いけど、知的怠慢としか思えません。

375. 文太 — December 14, 2010 @20:49:51

taka2さん、お答え有難うございます。
>(この仮定が正しいかどうかはわかりませんが、そう「信じられている」ということです)
何故そう信じられているか、とても興味があります。
理由についてはtaka2さんではなく、奥さまや現場の教師の方に聞くしかないので、どなたかご存知の方がいらっしゃれば教えて頂けると幸いです。

教えて頂いたメリット・デメリットを見ても、やはり、正解を不正解扱いするということを正当化する理由にはならないと私は感じます。

376. ゴルゴ・サーディーン — December 14, 2010 @21:06:17

昼間のやりとりに参加できませんでしたが…

私は、昼間の taka2 さんの書きこみにある、
 >・テストにおいては、順番が逆な回答を正とするか誤とするかは統一
 >されていない(現場によって違う)が、誤とする場合が多い
 >クラス間で方針を統一を取る必要があるため、どちらにするのか教師
 >間で授業方針を協議して決めている

ここに糸口があると思います。

なにも文科省の決定を待たずとも、現場が、順番が逆な回答をマルにする
という決定をするように、国民的な議論を盛り上げればいいと思うのです。
ちょうど、水伝を衰退させたのと同じように。

377. ニセTaKu — December 14, 2010 @21:20:11

「読解力」が高ければ、算数として、どちらの順番でも正しくなると思います。

順番に意味があると教えるのに抵抗がない人は、どの段階で、順番を入れ替えても同じになると教えるべきだとお思いでしょうか。
それとも、一生順番に意味があると考えるべきだとお思いなのでしょうか。

378. オキナタケ — December 14, 2010 @21:26:44

現場の人は、テストの採点の際の明確な基準が欲しいのだと思います。いろんな理屈は後から取って付けたくらいの粗末さしかありません。
それでも基準さえ決めたら、文句を言った人には権威主義的対応で対処すればいいわけです。

379. tadys — December 14, 2010 @21:11:59

>>「問題を読み解かずに、出てきた数値を順番そのまま式に入れている児童」をスクリーニングする

乗算は順番を入れ替えても良いことを理解している児童が問題を読み解いた結果、教師が期待する順番とは逆の順番で書いた可能性は排除するのですね。

他の児童よりも進んだ理解をしている児童に対して足払いをかけて躓かせるようなものでしょう。

Up380. ごんべえ — December 14, 2010 @21:53:00

「スクリーニングする」というのは誤答として扱う理由にはなっていないですよね。

「『なぜこの式なの』ときくと、 『え、足し算なの』とかいって消しゴムを持ち出」して5+3とか書く子は確かにフォローしてあげる必要があるでしょう。

しかし、正答と扱ってもそれを聞いてフォローすれば良いだけなので、誤答として扱う根拠になるとは思えません。スクリーニングという点では出題して応答を取得した時点で完了しているので、バツをつけるかマルをつけるかは別問題。

やっぱり、半分近くの小学校の先生は特定の順序が正しくて逆順は間違っているか少なくとも劣っていると思っている(出題の対称性が認識できていない)から、誤答にしようという合意が広く形成されるというのが現状と認識したほうがいいのではないかと思われます。たとえ、被乗数を先に書くと決めても式はどちらの順でも良いことはすでに遠山啓指摘のとおり。

381. ごんべえ — December 14, 2010 @22:08:46

ドラゴンさん

そりゃ、「被乗数」ということばを使うならそれは、左側に書いてあるほうの数字だというルールは歴史的にはあって特に消えていないんじゃないでしょうか。

そもそも、被乗数・乗数という区別が現代の数学そのほかの自然科学において実質的に不要な概念であろうということを指摘しているのであって、「被乗数」といったときにどちらを指すかの慣例すらないと言っているわけではないと思います。
また、何を被乗数にするべきかについてルールが無いとも言えます。

382. taka2 — December 14, 2010 @22:47:18

> Katase さん(December 14, 2010 @20:10:44)
> 私、このスクリーニング方法だと全てに引っかかって全部×でした。
> だって、問題文を読みながらイメージを描いてパパッと式を立てたら素直にそうなるのですもの。

それは、前提が足りてません。
問題文では非明示だが口頭などで通達されている前提条件をあわせると、
「問題から、かけられる数と、かける数を抜き出して、かけられる数を左、かける数を右にしたかけ算の式を立てなさい」
という問題になります。そういう指示のもとでも、前述のような引っかかり方をする者を「スクリーニング」してるわけです。

これは、テストになってるからこういう単純な表記をしているわけで、授業の段階では、

問題:皿が5枚あります。1皿にりんごが3個ずつ載っています。りんご全部で何個あるでしょう。
かけられる数は?:__________ ←正解は3
かける数は?:__________ ←正解は5
(かけられる数を左、かける数を右に配置した)かけ算の式は?:____×____=____←正解は3×5=15
こたえは:________←正解は15個

と、順を追って答えを導きださせており、テストの方はこの省略記法になるかと思います。

> ニセTaKu さん(December 14, 2010 @21:20:11)
> 「読解力」が高ければ、算数として、どちらの順番でも正しくなると思います。
ここで求められている「読解力」は、単にかけ算で答えを求めるだけではなく、「かけられる数」と「かける数」を区別して読み解く能力です。それを、前述のローカルルール(非明示な前提)の元で、立式できるか、という形で確かめようとしている、と。

以下、私見です。

この方式は、テストでも「かけられる数を左、かける数を右に配置したかけ算の式を立てなさい」明示していれば、問題視する人は多くないと思います。
あとは、そこをちょっと省略していることが許容できるかどうかで、許容派と否定派に分かれることになるんだと思います。

そして、ここでテストの段階で5x3=15と答えて、かけ算が可換だからと納得できてない児童に対しては、
(非明示的に)被乗数を左、乗数を右に定式化するように指示されているのだから、順番に意味がある、
かけ算は可換だが、立式としては出題の意図にそっていないので×である、という指導になるんじゃないかと思います。

あとは、「かけ算において、そもそも非乗数と乗数を区別することは意味があるのか」って問題ですかね。

383. トンデモブラウ — December 14, 2010 @23:03:46

>ごんべえさん ― December 14, 2010 @21:53:00
>5+3とか書く子
 
その子は、「5+5+5」か「3+3+3+3+3」と書くつもりでしょ、普通に解釈すると。

384. 積分定数 Website — December 14, 2010 @22:08:07

> かも ひろやす さん
>正方形は長方形ではないと素で信じていて、だから、そう教えている教師のほうが多いのではないかと思います。

その可能性の方が大きそうですね。棚に上げたままなので、認識が訂正されないまま来ちゃったという感じでしょうか。
教科書には「4つの角全てが直角の四角形を長方形」と書いてあるので、素直に「正方形は長方形だ」と気づいた児童が、教師に「屁理屈言うな!」と言われないといいのですが。

>ドラゴンさん
>森毅氏の先ほどの書籍では、大学入試では減点にもなるようなことが書かれています。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10439284094.htmlLink

に書かれている文章のことでしょうか?そうだとすると、これは「例え」として言っていると思うのですが。まさか、大学入試で減点は常識的にあり得ないでしょう。ABCDの並べ替えを、4!=4・3・2・1としたら減点なんて、するはずがない。


>taka2さん
>すくなくとも妻の係わった学校では、順番付きかけ算を盲信しているわけではなく、、
「あーはいはい」と辟易するほどには「必要悪」であるのか日常的に議論されてる問題なようです。


なるほど、そうですか、了解しました。

しかし、

「単位のサンドイッチになるルールがある。3×4と4×3は全く意味が違います」というデマはネット上でしばしば目にしますし、そう主張する現・元教員も少なくありません。

しかし「必要悪」というような事を書いてある文章はあまり見ません。

順序拘り派には、

正しい順序があると思っている、真性拘り派と
あくまで指導法の方便であると考えている、必要悪派

の2派がいると思うのですが、目立つのは真性拘り派ばかりです。

真性拘り派が跳梁跋扈することは、「必要悪」の「悪」の部分が大きくなることを意味し、必要悪派の立場を危うくさせる。

 必要悪派は、真性拘り派に対して、「順序は本当はナンセンスで、方便でやっているに過ぎない。『正しい順序がある』などという荒唐無稽なことを言うと、我々まで一緒だと誤解されて迷惑だからやめてくれ」と言う。

ということがあってもよさそうなものだし、

 そうすれば、順序否定派の中からも、「必要悪派は、もしかしたら敵対する相手ではないのかもしれない。共闘できるかも知れない」と思う人も出てくるかも知れないのですが、

真性拘り派を批判するのはやはり、順序否定派ですね。


>除算のときにつまづかないためとか

ここもよく分からないのですが、もしかして等分除と包含除の区別がつかなくなるとかそういうことでしょうか?

もしそうなら、そもそも区別する必要はないです。
原理的に区別できないし、区別ができなくなることが、わり算を理解したことになるといえる。

20個の蜜柑を4人に分ける場合、1人あたり何個か?は包分除とされるが、ABCDに1個ずつで16個、2個目を配って12個、・・・とすれば、20の中に4がいくつあるかと言うことで、包含除といえる。

あと、スクリーニングに関して、私も出てきた順にかけちゃうから引っかかっちゃいます。数学的に正しいことをしても引っかかるなら、あまり方法としてよろしくないと思います。

 掛け算の授業の後の文章題でも、足し算や引き算の問題を出すとか、問題文にダミーの数字を紛れ込ませるなど、

工夫の余地はあると思うのですが、どうなんでしょうね。



「どっちでもいい」というと子どもが混乱する、

このセリフ、市教委の人も言っていたが、

どっちでもいいことに関して、「片方の順序のみが正しい」と言われて混乱する子もいると思います。

Up385. かとう — December 14, 2010 @23:28:20

スクリーニングに意味があると言ってる教師は、
「りんごが3個ずつ、みかんが2個ずつ乗っている皿が5枚あります。
りんごは全部でいくつ?」
って問題を書けばいいだけの事であり、問題も碌に作れない事を露呈
しているだけですね。

386. 積分定数 Website — December 14, 2010 @23:24:27

>taka2さん
>381.


かける数とか、かけられる数とか、そんなややこしいことを教えるのですか?

そもそも概念としてナンセンスだし、混乱しそうだし、不要悪だと思いますが。

387. Isshocking — December 14, 2010 @22:12:11

かもひろやすさん:
>ソースを教えていただけます?
かもさんに怒られそうですが、直接のソースはないんですよ。
ただ、当時(水道方式が提示されたころ)の日教組は思想・政治的には日本社会党の指導下にあり、その日本社会党は当時はソ連と密接な関係を持っていました。
ここの記述によると資金援助も受けていたようです。
http://wapedia.mobi/ja/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%85%9A?t=1.5.Link

遠山が水道方式を始めたのは1958年ごろとされていますから、文革(1965年ころから)や槙枝委員長(1962年に書記長、1971年から委員長)がはまったチュチェ思想には、時系列的に言って影響を受けていないと思います。
また、そのころのソ連の教科書・数学書はかなり日本に入っていましたが、中国のものはおそらくなかったでしょう。

まぁ、消去法による類推ということです。

388. かとう — December 14, 2010 @23:30:53

あと、再三言われてますが、

>そして、ここでテストの段階で5x3=15と答えて、かけ算が可換だからと納得できてない児童に対しては、
>(非明示的に)被乗数を左、乗数を右に定式化するように指示されているのだから、順番に意味がある、
>かけ算は可換だが、立式としては出題の意図にそっていないので×である、という指導になるんじゃないかと思います。

これに関してはテスト自体は○にしておいて、後で児童に細かく指導すればいいだけですね。
いずれにせよ、教師の怠慢以外の何物でもない。

389. disraff — December 14, 2010 @23:25:49

何を以て一方を「被乗数」もう一方を「乗数」とするのか、まで毎回必ず定義するのであれば許容範囲ですかね。そうでなく、その区別に何か暗黙のルールを定めてそれに反するものを不正解とする、のであれば本質的にはよろしくないと思います。何度も言われていることですが、掛け算できる数同士は普通は次元が違うだけで本来対等であり、掛けるも掛けられるもないものなので。

Up390. さんちゃん — December 14, 2010 @23:25:54

>・かけ算の順番にこだわるデメリット、メリット
>・かけ算の順番にこだわらないデメリット、メリット

かけ算のときに問題文の読解力を身につけるか、わり算のときに問題文の読解力を身につけるかの違い?
だったら、手間は変わらないような気がしますが・・・・。

391. momoppu — December 14, 2010 @23:29:30

take2さんの#368へのコメントです。

私自身の、#331のコメントの繰り返しですが、
それをスクリーニングしたいのであれば、
単位を付けて回答させるべきです。

392. Katase — December 14, 2010 @23:18:09

taka2さん

>それは、前提が足りてません。
問題文では非明示だが口頭などで通達されている前提条件をあわせると、
「問題から、かけられる数と、かける数を抜き出して、かけられる数を左、かける数を右にしたかけ算の式を立てなさい」

私は、そもそも「かけられる数」と「かける数」の区別が付くと思っていません。本当に、そんな区別がつくと思っているのであれば、そちらの方に問題性を感じます。

私の見解は、このエントリーの最初にある、きくちさんの見解と黒木玄さんの見解と同じです。
またこの問題提起かと鼻先で笑わずに、奥様ともども、もう一度是非じっくりとこれらにお目を通して考えてみて下さい。
もし、それでも「かけられる数」と「かける数」の区別が付くというのでしたら、私としてはこれ以上の議論は難しいと思います。

ドラゴンさん

>森毅氏の先ほどの書籍では、大学入試では減点にもなるようなことが書かれています。

大学入試レベルの数学で小学二年生レベルの掛け算の「掛ける数」と「掛けられる数」の順番が問われる様な問題がそもそも出題されるのでしょうか?
森毅さんは京大の教授ですから、もし京大入試でそんなものが減点対象になる問題が出題されたとしたら、それはビックリです。
考えられるとすれば、例えば、式中の3aとか7yとかの書き方がa3とかy7とかと書いてあれば何のことかちょっと分かりづらいので減点対象にはなりそうですが…。

Owner Comment きくち  December 15, 2010 @00:09:14

森毅は本当に大学入試で減点した、という噂を聞いたことがあるのですが、こればっかりは確認のしようがないので、単なる噂かもしれません

394. momoppu — December 14, 2010 @23:49:35

真面目に心配になってきたのですが、
今の日本算数界(?)のルールだと、
単位を付けて式をたてろ、という問題でも、
5(枚)×3(個/枚) = 15(個)
式を書いたら、ばつなんですかね。

教師の怠慢という指摘がありますが、
教条主義的な教育の結果、
教条主義的な(次代の)教師が育っている(きた)、という側面があるのも
忘れてはいけないと思います。
個々の教師の問題、と考えるのは、問題を矮小化してしまうかと。

Up395. Katase — December 15, 2010 @00:17:21

きくちさん

>森毅は本当に大学入試で減点した、という噂を聞いたことがあるのですが、こればっかりは確認のしようがないので、単なる噂かもしれません

どういった内容の問題に対する解答で減点したのか、もし本当であれば知りたいです。
夫は京大入試を何度かトライ(つまり何年か浪人した^^;)のですが、数学でそんなものが問われる様な問題は過去問も含めて出たこと無かったぞ!!!と言ってます。

396. かも ひろやす — December 15, 2010 @00:46:29

消去法というのは、可能性をすべて列挙したうえで、他の可能性を一つ一つ消していく論証法のことです。Isshockingさんのは、他の可能性をあげるステップが欠けていますので、消去法ではありません。

他の可能性は、いくらでも思いつきます。たとえば、

・ 水道方式は、もともと反「生活単元学習」として始められた。そのことが、かつて生活単元学習に関わった文部官僚の反感を買ったため、文部省から無視された。時が経ち、現役の官僚にとって生活単元学習が実感を伴わない過去の話題になり、水道方式への反感も消えた。

・ 戦後ずっと、数学界と算数教育界に断絶があった。そのために、数学者である遠山啓の発言は算数教育界から無視されがちだった。1990年頃から数学者が初等・中等教育にも積極的に発言するようになり、徐々に断絶が解消されていった。その結果、水道方式の再評価が行われた。

(思いつきの例示であって、このうちのどちらかが正しいと主張しているのではありません。念のため)

というわけで、この話はもうやめませんか。本筋の議論に役立ちそうもないですし。

397. ドラゴン — December 15, 2010 @00:59:11

moorhenさん

そうですね。実際に数学でもaxなどの文字式は逆なんです。

ごんべえさん

確かに、何を被乗数とするかは、次の議論だと思いますが、いろいろな文献を見ると、さらりと「3×5だから3+3+3…」とさらりと書いてあるんです。さもそれが当然という感じで。

Kataseさん

詳しくは、積分定数さんがご紹介のリンクにあります。
積分定数さんがご指摘のように、例だと思います。
もちろん、大学入試に出ることはありませんが、高校入試くらいだったらとうかと思いました。
塾関係者とかで、情報はないんでしょうか。
基本的には、中学以降は、因数として考えますので、乗数・被乗数はなくなります。

398. SF物理マニア — December 15, 2010 @00:56:35

#393. momoppu — December 14, 2010 @23:49:35

>真面目に心配になってきたのですが、
今の日本算数界(?)のルールだと、
単位を付けて式をたてろ、という問題でも、
5(枚)×3(個/枚) = 15(個)
式を書いたら、ばつなんですかね。

ばつというより、小二は単位表示は指導対象ではありません。

m+m+・・・+m のときは、mxnで式を立て
結果は九九で計算しなさいというだけです。
もう5回ぐらい同じことを言っていますが。

399. Cere — December 15, 2010 @00:40:40

taka2さん

なんだか徹底して無視されてしまって悲しいです。
奥様が教師として問題を抱えていると認めることからそんなに目を背けておきたいのでしょうか?まあそういうものかもしれませんね。

ところで、

(コメント337)
> とにかく、この方針を改めたい場合、個々の教師に意見するのは無意味だし、「数学的に誤っているから」というのは理由として説得力が弱いと思います。

とおっしゃるtaka2さんがここにコメントを書き込むことで何をしようとしているのかが良く分からないんですよ。議論の個々の参加者を「そんな議論しても無駄だよ」と説得したい?それこそ無意味では?

taka2さんは

(コメント368)
> この問題に関して、私自身、この問題に関しては否定的な立場であり、

> すくなくとも妻の係わった学校では、順番付きかけ算を盲信しているわけではなく、、

> なお、妻の方も「テストにおいては、誤とすることには否定的」な立場です。

みたいなことを書いておけば批判をかわせると高を括っておられるようですね。きくちさんが書かれたこのエントリの本文(と追記)はちゃんと読まれてますか?「どう教えたにせよ正しいものは正しい」は大原則です。現場の苦労とかいう話以前の問題です。それをトレードオフとか言って天秤の片方に載せることができるものだとする考え方そのものが批判されているのですよ。

Up400. Isshocking — December 15, 2010 @01:10:59

かもひろやすさん:
>この話はもうやめませんか。
というか、思い付きだと最初から言っている話ですから、かもさんがそうおっしゃるのなら、異議ありません。

ただ、水道方式の優位性は喧伝されているほど他の方法より高いのだろうか、1あたり量の変形を要求することや「単位」を常につけることは、算数。数学に対する到達点の水準が変わっている現代にそのまま神格化して持ち込んでいいのか、といった疑問はあります。

401. ゴルゴ・サーディーン — December 15, 2010 @01:41:17

Cereさん、
>奥様が教師として問題を抱えていると認めることからそんなに

それはいくら何でも可哀想なのでは…

日本の小学校教師のかなりの率の人が、その空気に染まっていて、
かの奥様はそこに飲みこまれているだけでしょう。

Owner Comment きくち  December 15, 2010 @07:38:50

ここにコメントをつけますが、ゴルゴ・サーディーンさんだけにということではなく

taka2さんは貴重な現場の意見を書いてくださっているのであって、ご自身が教えておられるわけではないのですし、みなさま、もう少し表現に気をつけていただけないでしょうか。

個人の問題に還元したってしかたないわけですので、書き方に少し気をつけていただければ

403. Cere — December 15, 2010 @01:31:16

ドラゴンさん

>「被乗数×乗数の乗算(掛け算)は、基本的には被乗数を乗数ぶんの回数だけ加算を繰り返せばできます。」
> 西久保靖彦「よくわかる最新半導体の基本と仕組み」秀和システム

についてですが、
半導体を使った回路で掛け算を実現するにあたっては、回路の構成や計算時の効率などの観点から被乗数と乗数を区別することには意味があるので、これに関してはドラゴンさんのおっしゃる「ルール」とは無関係だと思います。

404. Cere — December 15, 2010 @01:52:19

ゴルゴ・サーディーンさん

確かに人格攻撃をしているようにも読める文章でしたね。ご指摘ありがとうございます。

「奥様が教師として問題を抱えている」というのは「忙しさのあまり、正しいことに☓を付けるという行為に冷静な判断ができなくなっている状況」を指したつもりでした。「冷静な判断ができなくなっている」の部分をtaka2さんが認めることができない限りは何も変らないだろうと。

taka2さんはせっかく現場に近い位置におられるのだから、奥様のすぐ向こう側に居る子供たちのことを考えてあげて欲しいなと思います。

UpOwner Comment きくち  December 15, 2010 @07:42:58

上にも書きましたが、個人の問題にしないほうがいいですし、taka2さんはご自身が教えておられるわけでもなく、貴重な話を書いていただいているので、みなさん、もう少し配慮していただけるとありがたいです

taka2さんに向かって強い調子で書くことには意味がないです。

406. Katase — December 15, 2010 @01:57:43

参考までに、森毅さんが書かれた「数学受験術指南」という本の中で京大での数学の入試採点の情景が描かれているそうです。

・京大数学 OKWeb
http://okwave.jp/qa/q5799609.htmlLink

>例えば非常にうまく解けている様に見えても論理的に弱いところは減点されます。論理が飛躍している場合も減点されます。つまり、受験科目の解答である以前に、「数学」としての厳密さが要求されるわけです。しかしそれも、見る人の主観によるため、怪しい解答は何人かの数学者が回し読みしてそれで侃々諤々の議論をした上で、減点します。
ですので理不尽に減点されることはありません。

>全く解こうともせずに解答できなかった人と、解こうといろいろ試行して、予備的な計算をして、ある程度方針まで立てた上で解答できなかった人とはちゃんと差をつけてくれます。昔京大数学について言われたのが「消しゴムの消し跡、コンパスの針跡まで見る」・・・さすがにそこまではしないでしょうが、(そういえば受験にコンパス持ち込んだ記憶ないなあ・・・)
まあそれくらいの心意気で採点してくれます。

とのことです。もし、例え森毅先生が「逆順はダメ」と言っても、何人かの数学者が回し読みしてそれで侃々諤々の議論をした上で「逆順でもOK」と判定されそうな気がします。そして、思考過程もきちんと評価すると思われますので、ますます「逆順はダメ」として減点対象とはなり難いのではないかと思います。

407. もこう — December 15, 2010 @02:41:43

お邪魔致します。

ミリメートルさん
「先生の言うことは間違っていて、あなたの方が正しいけれど、学校で先生に逆らうのは得策でないから、間違っていても先生の言うことに従いましょう」
なんて言っちゃうと、それこそ今後の人間関係崩れそうなので、
「あなたの方でも正しいけど、学校で先生がそのように教えているなら、取り合えずそれに従っておきましょう」の方が、良いかと思います。
君も、大きくなれば分かるさ!と・・・

トンデモブラウさん
リンク先のコメント欄を見ると、大半は5×3の「×」を消して「+」にするだけっぽいですよ・・・

Kataseさん
そもそも「答えの単位と掛け算の左側の単位は一致する」と教えているのが前提にあるので、
かける数、かけられる数と言いながら教えてるかは分かりませんが

taka2さんの
問題:皿が5枚あります。1皿にりんごが3個ずつ載っています。りんご全部で何個あるでしょう。
かけられる数は?:__________ ←正解は3(個)
かける数は?:__________ ←正解は5(枚)
(かけられる数を左、かける数を右に配置した)かけ算の式は?:____×____=____←正解は3×5=15
に、なると言うことなんでしょうね・・・

ただ、気になることがあって
「答えの単位と掛け算の左側の単位は一致する」と言うルールで、教えられたのに
(んな、アホな!と当然思いますが)
「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」
の答えが、5×3=15個としている子が居たのだとしたら、
その子は、先生の教えを聞かない子なのでしょうか?別の理由が?
なんか、それはそれで問題な気もするのですが・・・

408. 40年前家庭教師 — December 15, 2010 @01:29:26

 はじめて書きますが,これって数学的に間違っている,などという議論のはるか手前で,要するに「私(教師)の説明した通りに書いていないから×」っていう「懲罰」の意味しかないんじゃないでしょうか。

 教科書を見ると,「1あたりの数」はどれか,「いくつ分」はどれか,式は「1つぶんの数×いくつぶん=ぜんぶの数」で表すなどという「かけ算の基本」が繰り返し繰り返し出てきます。
 当然,授業でもしつこいくらいにやるわけで,テストを受ける以前にそれらを問題文から見分けて式に表す「訓練」は十分に積まれている,と教師は考えているはずです。ご丁寧に「引っかけ問題」も教科書にあったりします。

 ああそれなのに,それなのに,なぜキミは間違えるのだ! 何故にわざわざ逆に書くのだ! そんな聞き分けのない子どもには×をくれてやる!,って。

 師匠が黒しかないと言えば,弟子も黒と答えなければならない。
 昔の徒弟制度を見るような気がしますが,賢い弟子ならば黒も白もあることを知った上で黒と答えるのでしょう。
 白と見えたから白と答えた,白も黒もあるのは知っていたが白と答えた弟子は「喝」を食らうわけです。

409. なべ — December 15, 2010 @03:35:07

もこうさん:
> 「答えの単位と掛け算の左側の単位は一致する」と言うルールで、教えられたのに
> (んな、アホな!と当然思いますが)
> 「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」
> の答えが、5×3=15個としている子が居たのだとしたら、
> その子は、先生の教えを聞かない子なのでしょうか?別の理由が?
> なんか、それはそれで問題な気もするのですが・・・

 1. 5枚の皿に5個(1個ずつ)リンゴを分配する事を3回繰り返して配布する操作をイメージしている。
 2. 5枚の皿から5個(1こずつ)リンゴを取り出す事を3回繰り返して数える操作をイメージしている。
 3. 何も考えず文章に出てくる順番に数字を取り出して式に当てはめた。

といったところでしょうか。1, 2であれば文章も読解できているし「1(回)あたりの量」という概念も理解している上に右辺と同じ単位(もどき)を最初に持ってくるというルールにも従っているのにバツを喰らうわけです。

実際には個々の生徒がどのように理解しているかを把握できずに(1, 2は自分が思いつかない)3だと決めてかかる先生が多いのではないかと思います。

こういった「全皿スキャン方式」の考え方を「不自然」だとか「素直じゃない」と感じる大人が多いかもしれませんが、掛け算の概念をまだ抽象化できておらず、具体的な操作をイメージすることで概念を身につける段階にある児童にとってはかなり自然な考え方です。(袋入りのお菓子をお皿に平等に配るときどう配るかや、運動会の玉入れで赤組と白組の籠から同時に一個ずつ玉を取り出して数えることなど想像してみてください)

不孝な事に素直に思いついたのが皿スキャン方式だった子供達は、「スキャン回数などという問題文中にも登場しない抽象的な概念(=一皿あたりの個数なので数値的には登場してるんだけど)を使うのではなく、皿のような問題文中に登場する具体的な計量容器(人だったりもするけど)の数で数えなければ先生は認めてくれないのだ」という事に気づかないと先に進めなくなるわけです。

Up410. kurita Website — December 15, 2010 @05:24:08

しかしです… 「全皿スキャン方式」という好意的な“解釈”も、実は依然として“かけ算とは「一つ分の大きさ」×「いくつ分」である”という考え方にとらわれていることになるのではないですか。 たとえ“逆順に書いた”子供のイメージしたものが「スキャン方式」だとか「トランプの配り方方式」では無かったとしても、やはり無条件で“逆でも”正しい、というのが、きくちさんや黒木さんをはじめとする、“順序にこだわるな”派の多くの人の意見だと思います。

黒木さんの書かれたものは既に何度か更新されていますので、この話題に興味のある方はぜひ目を通しておかれることをおすすめします。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.htmlLink
(特に議論への新規参入を考えている方には必ず読んでいただきたいです)

Owner Comment きくち  December 15, 2010 @07:49:46

それはエントリーの本文にも黒木さんの文書にも書かれていることなので、みなさん読んでいただけるとありがたいです。

遠山は「全皿スキャン方式」も「あり」としています。したがって、式としては「逆順でもよい」なんです。ただし、それは「一つあたり」×「いくつ分」という順序を逆にしているわけではない。

遠山自身は「一つあたり」×「いくつ分」の順序を注意深く守っているように見えます。いっぽう、「教えられなくても交換則に気付く子どもはいるから、逆も×にすべきではない」とも書いているようです。この真意はいまひとつ計りがたいのですが。

412. taka2 — December 15, 2010 @04:24:34

> 積分定数 さん(December 14, 2010 @22:08:07)
> >除算のときにつまづかないためとか
> ここもよく分からないのですが
これは、
> 20個の蜜柑を4人に分ける場合、1人あたり何個か?
この問題で式「4÷20=5」と書いてしまうような児童を出さないようにする、というレベルの話です。
(これは私見ですが、同様の読解力はひき算でも必要ですが、ひき算やわり算では「大きい数字を左にすればいい」という独自ルールを学習しがちで、
それを防ぐために、左が大きいとはかぎらない「かけ算」の段階でこんなことをやってるのではないかと思います)


> Cere さん(December 15, 2010 @00:40:40)
> なんだか徹底して無視されてしまって悲しいです。

わたしがCereさんのコメントに反応しなかったのは、Cereさんの意見はもっともだと思ったからです。
「教育現場ではどうなっているかの一例」を紹介するのが目的で
この方式を盲従しているのではなく必要悪として使っている人がいるということを紹介したかったのです。

> それをトレードオフとか言って天秤の片方に載せることができるものだとする考え方そのものが批判されているのですよ。

ええ、批判されてしかるべきだと思います。
批判することを否定するつもりはありません。

では、なぜ私がこの問題を間違っていると考えつつも許容している(私が妻の考えを変えさせようとしてない)かというと、「正しくないが楽な方法」を選ぶことを許容したからです。
利己的だとか染まっているとか怠慢だとか言われるかもしれませんが、それでも、私は「妻が過労死する」よりは「妻が正しくないが楽な方法で児童に教える」ことを選びます。
(過労死とは極端と思われるかもしれませんが、現場がかなりのオーバーワークです。しかも、今回の問題の場合、単に「楽じゃないが正しい方法を選ばせる」だけではなく、さらに「楽じゃないが正しい方法」が使えるように他の教師を説得させる必要があります。そこまでやらせたら本当に過労死レベルです)

413. kurita Website — December 15, 2010 @05:44:14

> 「正しくないが楽な方法で児童に教える」

こんなこと言ったら、それこそ「現場のことがわかってない」って言われるでしょうけど… かけ算の順番になんかこだわらずに算数の授業を進めている教師は今も日本中に数多く存在するわけですよね? (多分今でもそちらの方が多いのでは?) あちこちでなされた議論を見る限り、それこそ順番にこだわることの方がよっぽど余計な面倒と苦労を引き起こしてるんじゃないかという気がしてしょうがないのですけど。

個人攻撃をするつもりは毛頭ないですが、失礼を承知で言えば、今までに聞いた「現場からの声」というのは、古今東西のいろんな職場で、長く続いてきた慣習の弊害が明らかになってそれを改めようとした時に、必ず出てくる反応みたいなものばかりではないですか。 「この方が楽」「昔からこうなってる」「現場のことがわかってない」「余計な面倒を持ち込むな」「今までもこれでうまくいっていた」… で、そういう“反感”を乗り越えて改めてみたら、何のことはない、なんでもっと早くにこうしなかったんだろ、なんてことになったりして。 (失われたのは“ベテラン”のプライドだけ、とか)

414. taka2 — December 15, 2010 @06:41:59

すみません、ちょっと誤読されそうなので補足。

小学校低学年の段階では、全児童100点が求められます。
全員が習熟するまで次の単元に進めませんし、
必要なら個別の居残り授業とかもやってます。

ここでいう「楽な」≒「脱落者の少ない」です。

UpOwner Comment きくち  December 15, 2010 @08:00:35

貴重なコメントをいろいろありがとうございます

これはそうですね。「全員クリア」が非常に厳しい条件であることはたしかだと思います

「制限がきついほど、その時点での脱落者が少ない」というのは、たしかにありそうではあるのですが(これがどの程度確認されているのか、わかりませんが)、いっぽうで(1)習う前からわかっている子には無駄な努力を強いる(2)もう少し先に進んだとき却って混乱する、などの問題も思いつきます

ここでの「脱落者が少ない」が本当に「理解している」という意味なのかどうか、そこを疑問視しているかたが多いのではないでしょうか。僕も、「逆順はだめなんだ」と理解した子どもは本当に掛け算を理解したことになるのか疑問です。
議論のポイントは、突き詰めるとそこなのでしょう。

順序を強いない先生もいるので、この制限がなくても教えられることは間違いないのだと思います。

Owner Comment きくち  December 15, 2010 @08:58:16

それから、「正しい順序というものがある」と信じている先生と「順序は当面の便法」と考える先生がいて、そのふたつは同列には議論できないのでしょう。

便法だとすると、いつその制限をはずすのかはかなり気になります。そこでの混乱はないのだろうか

417. ごんべえ — December 15, 2010 @07:18:24

taka2さんの#381にて

> かけられる数は?:__________ ←正解は3
> かける数は?:__________ ←正解は5
> (かけられる数を左、かける数を右に配置した)かけ算の式は?:____×____=____←正解は3×5=15
> こたえは:________←正解は15個

いやこれ

かけられる数は?:5
かける数は?: 3
(かけられる数を左、かける数を右に配置した)かけ算の式は?:5×3=15
こたえは:15個

も正しいですよ?

> この方式は、テストでも「かけられる数を左、かける数を右に配置したかけ算の式を立てなさい」明示していれば、問題視する人は多くないと思います。
> あとは、そこをちょっと省略していることが許容できるかどうかで、許容派と否定派に分かれることになるんだと思います。

つまり明示するかどうかでは解決しないレベルの問題です。なんか何が問題になっているかややずれて理解されているのではないかと。かけ算であらわせる問題は、構造上、当然に、どちらをかけられる数に選んでも正しくなります。

418. yoyo — December 15, 2010 @08:04:01

>「私(教師)の説明した通りに書いていないから×」っていう「懲罰」の意味しかない

×は「罰」なのか?なんちって…

419. ごんべえ — December 15, 2010 @08:07:40

taka2さんの#413に曰く:

> ここでいう「楽な」≒「脱落者の少ない」です。
しかも、「1年位後で教える割り算での脱落者の少なそうな」ということなんですよね。

十分な根拠を作るのはどちら側も大変なので、この点の効果の有無については水掛け論を脱するのは大変そうですね。

でも、本当は、バツをつけるのが道理に合わないことがわかっていない先生の割合が大きいことのほうに本質的問題があるんじゃないかとも思います。せとともこさんのようにたいした問題ではないからバツをつけないけど片方がより正しいと思っていた・思っているからこそ、そんな根拠あやふやな1年後のためにという議論がなされる余地があるということなんじゃないでしょうか。

Up420. ゴルゴ・サーディーン — December 15, 2010 @07:58:52

みなさんおはようございます。

>小学校低学年の段階では、全児童100点が求められます。
>全員が習熟するまで次の単元に進めませんし

おかしいですね。
この「掛け算の順序問題」が語られる時その内容はいつでも、
 「間違ってないのにバツにされた」
であり
 「×の前後という、しょうもない事を叩きこまれた。」
ではないのです。

全員が習熟するために順序にこだわっているというのは実態と違うのではあり
ませんか?
奥様ひとりを責めても始まりませんが、理由があってやっていることなのだが、
その理由を活かす運用は行なわれていない、というのが実態なのではないですか?

Owner Comment きくち  December 15, 2010 @09:03:50

いや、そのふたつは同じでは?
×にするのは、「決めたとおりにやりなさい」ということだと思うのですが。

「全員が習熟」の観点でいうと、やはり、既に交換則を理解している子どももいるのに、というのが問題ですよね。「×にされた」と不満をおぼえる子どもの多くは、そちらに含まれるはずです(わかっていなければ、不満をおぼえないでしょう)。
これはやはり不条理ですね

「全員が習熟するため」ではあると思うんです。ただ、そのためなら正しいものも間違いとしてよい、というのは理解しがたいところです。
「全員が習熟するためなら、理解が進んでいる子どもを抑えつける」というのは、やはり不条理だと思います

422. keiji — December 15, 2010 @09:11:47

数学得意じゃないんで、自信はないのですが。

1. さんちゃん ― December 9, 2010 @19:39:43
> 問題「皿が5枚あり、リンゴが3個づつ置かれてます。リンゴは全部で何個か」
> 正しい順番とやらは、
> 式: 3×5 = 15 答:15個
> の方?
> それともこっち?
> 式: 5×3 = 15 答:15個

被乗数を前に書くというルールを立てるとしたら、3x5だと思いますよ。5という数字が問題文で先に出てくるから5x3にはならないと思います。要するに、ミカンが集合でいう単元だったかな(数学得意じゃないんでいい加減です)で、皿が集合のくくりにあたるんじゃないんでしょうか。ミカン3個の集合が5つあって、全体集合は?って問題で、それは3x5で表しましょうってことなんじゃないんですかね。
それに対して、ミカン5個の集合が3つあったら、5x3

 もっとも数学に自信はありません。数学者がいたら教えてほしい。

 ただ、子供に教えるときはどうなんでしょうか。たしかに、5x3でXをつけては、子供が数学嫌いになるだけかも知れません。

423. takahata — December 15, 2010 @09:09:36

多くの子どもの習熟を促すために、順番どおりに式をたてよ、という便法を用いることと、「順番どおりに式をたてよというルールに従っているかどうか」を確認することをイコールだとはやはり思えないです。

正しい計算式を誤としてまで算数の授業中に徹底することでは無いと思うんです。

仮に順番どおりではない式を誤りとするなら、「この問題で問われているのは、指定された順序に従って式を立てるかどうかだよ」と説明し、「掛け算は順番が逆なら誤り」と誤解させてはいけないでしょう。

きくちさんが書かれているように、便法として用いることと、式の立て方に順序があると教えることは別だと思います。
子どもたちが便法に沿ったものじゃないから×なのか、掛け算は順番が違ったら誤りだから×なのか、理解できないような運用があることがおかしいのですよね。

taka2さんの書き込みから、現場の先生方は様々な苦労の上で便法を用いているのだということは何となくわかったのですが、同時に単なる便法として用いているのではなく「掛け算に順番がある」と無意識に子どもたちに教え込んでいる教師が実際にいる(私の息子の担任がそうです)ことも事実なんだろうと思いますし、後者の場合はその後のフォローが期待できないんじゃないかなと危惧も強く感じます。

いや、本当に、「順番が逆でもいいんだよ」と息子に教えたのですが、「先生は順番が逆は駄目なんだって言っていた」と困惑されてしまったので、余計にそう感じるのかもしれませんが。

理解を促す便法である以上、正しいものを誤りとしてまで教え込まなければいけないとは、やはり思えません。

Up424. SF物理マニア — December 15, 2010 @10:05:52

黒木さんの見解はまだ誤っています。
表現論の先生がこのような認識を持たれるのは問題です。
以下のコメントを参照してください。

#285. SF物理マニア — December 13, 2010 @11:22:09
#366. ドラゴン — December 14, 2010 @18:30:14

例外的に、長方形の面積については、被乗数と乗数の区別はありませんから、順序は任意です。縦x横、横X縦どちらでもいいことになります。慣例的には縦x横が使われているようなので、それを推奨するということで問題はないと思います。
横x縦をばつにするのはもちろん駄目ですが。

この問題は、もうクローズしてもいいと思います。

425. disraff — December 15, 2010 @11:34:48

…いや、誤ってるのはSF物理マニアさんの認識です。「長方形の面積は例外」とか言い出す時点で何かおかしいと気づいてほしいものですが。
星の数ほどある掛け算の中で、二項演算という特殊なケースにしか通用しない「乗数」「被乗数」の概念を振りかざしても、さしていいことはないと思います。

426. キリン — December 15, 2010 @12:03:00

皆さん、初めまして。
 
半年ほど前にkikulogを知り、それからROMしています。
過去ログは数ヶ月がかりで全て読みました。
 
私はかけ算の順序を徹底的にたたき込まれました。
教師の言うことを素直に聞き、いわゆる「引っかけ問題」にも「正しく」解答することができる子どもでした。かけ算の「式の書き方」に順番があると信じ込んで成人したクチです。
頭の中での計算はどちらでもいいのだということは理解していましたが、kikulogの過去ログで、かけ算の順序に意味はないと知って驚愕しました。
だから、3×5と5×3では意味が違うと主張する人たちの気持ちは実によく分かります。(笑)
 
正しいのに×を付けられる弊害の話が多いようなので、逆の立場から、実体験に基づいて弊害を発言します。
 
taka2さんが、December 14, 2010 @19:17:32 で、
 
> ・かけ算の順番にこだわる
>  デメリット=正しくない
>  メリット=問題文の読解力を身につけているかどうかの確認がしやすく、この段階でちゃんと読解力を身につけさせれれば、割算に進んだ段階でつまづきにくい
>
> ・かけ算の順番にこだわらない
>  デメリット=問題文の読解力を身につけていないことを見のがす可能性があり、割り算で脱落者が出やすくなる
>  メリット=数学的に正しい
>
> の2者のトレードオフです。
> (この仮定が正しいかどうかはわかりませんが、そう「信じられている」ということです)
 
と発言しておられますが、
他の方が指摘されているように、式と関係のない数字を問題文に紛れ込ませることで、順序にこだわらなくても読解力の確認はできます。
逆に、「この段階でちゃんと読解力を身につけさせれれば、割算に進んだ段階でつまづきにくい」に、根拠がないように思います。
 
もちろん、何を求める問題なのか理解できない子どももいることは分かりますが、4÷20=5と書く子どもは、引き算ではつまづかないのでしょうか。
 
個人の体験を絶対化するつもりはありませんが、私自身が、かけ算の順序にこだわって、読解力も身につけたのに、割り算でつまづきました。
教師の教えをよく聞いて割り算の「計算方法」は身につけたので、成績が悪かった訳ではありません。でも、実は、成人した今でも、割り算の「概念」が理解不十分なままです。
 
整数で割るなら、「いくつ分に分ける」と言う意味だと、かろうじて理解できますが、分数や小数、まして負の数や虚数で割る場合、式の操作はできても、出てきた答えが何を表しているのか理解できていないままなんです。
それで、中学までは何とか脱落せずに済みましたが、高校では赤点の上下を行ったり来たりで、高校3年では数学の単位を落としました。
 
こちらで発言しておられる方々の中でも、数学が得意な人ほど、小学校2年のかけ算の段階で「具体数を抽象化」することを身につけておられるように感じられます。
かけ算の順序にこだわると、数学にとって一番大事な「抽象化」の理解がおろそかになるような気がするのですが。
 
その点で、おはじきなどを使って抽象化しながら教えるというのは合理的だと思います。
taka2さんだけに反論したいわけじゃなくて、かけ算の順序擁護派の方々に「割り算でつまづかないようにするため」という意見が多いようなので、つい発言してしまいました。

427. Isshocking — December 15, 2010 @10:56:57

Keijiさん:
>被乗数を前に書くというルールを立てるとしたら、3x5だと思いますよ。
いや、乗数・被乗数の区分は、式が与えられたときにそれを読み下す都合上、先に読まれるのが被乗数、後に読むのを乗数といってるだけですから、式を立てる前に乗数・被乗数の区分が自然にあるわけではないです。
乗算は、数学的に言えば自然数2つを自然数1つに対応付ける方法の1つです。
本来なら関数で
x=mul(a,b)
とでも書くべきなのですが、項が多項になり例えば1×2×3×4などを記述しようとすると
x=mul(4,mul(3,mul(2,1)))
などとなって非常に読みづらくなりますし、式変形が面倒になります。
このため、便宜的に手早く書けるa×bなどとしているだけで、この場合順序に本質な意味はないのです。
数字と数字の間に演算子を書くのは中置記法といいまして、いかにも数字がおかれる順番に意味がありげに見えますが、前置記法(「×ab」と書く。逆ポーランド記法)とか後置記法(「ab×」と書く。ポーランド記法)というものもあり、どれも等価です。九九ですと演算子も書きませんね。
閑話休題
昔は手回し計算機というものがあり、これも乗算は加算の繰り返しに置き換えます。
この機械は数字の意味はどうあろうと、大きい数を最初に置数して、小さい数だけ繰り返し加算します。
例えば3×5だと5を3回加えます。(加えるというのはハンドルを回すことです)
じゃあ12を掛けるときはハンドルを12回まわすかというと、そうはなりませんで、まず2回まわしてから1桁ずらして1回まわします。
具体的な計算手順の数字の前後は、使える資源によってコストが違ってくるので、これが自由に変えられないようだと、いかにも都合が悪い。

小学校2年生くらいだと、掛けたり足したりして概念的に得られるみかんの合計数と、1山15個ある現物のみかんが同じものであるという確固たる確信はまだないんじゃないかと思うんですよ。ここに数字の順序を守らないとみかんでなく皿が15個出てくるのなんのと余計なことを言うと、さらに混乱してしまうのでは。

428. Isshocking — December 15, 2010 @12:33:56

きくちさん:
>「全員が習熟」の観点でいうと、やはり、既に交換則を理解している子どももいるのに、というのが問題ですよね。という
これは「全員が習熟」の意味が違うと思いますよ。
教室経営的には「教師の用意した答案と順序を含めて一致」でもって習熟が定義されているのではないですか?

Up429. ドラゴン — December 15, 2010 @12:51:55

SF物理マニアさん、みなさん、こんにちは。

私も黒木さんの書かれたものにちょっと違和感があるんです。
3×5と立式されたものは何か?ということで混乱があると思いました。
私は、テストの場合は結果だと考えています。
黒木さんは、これを解釈としているようですが、式の表現するものの解釈であるならば、対応する式は1つだと思います。1つの式がいくつもの解釈を表すというのは、難しいと思います。「私は5×3の解き方で考えました」と子どもに言われてもどういうことなのか分かりません。
3×5に対応する解釈は1つ、5×3に対応する解釈は1つ。5+5+5も1つの解釈であり、3+3+…も1つの解釈でしょう。1+1+…もあります。
これは、私がコメントの106で書いたような、「式を読む・式で表す」ということと関わっています。
交換法則が成り立つのは、両辺が同値ということですし、黒木さんが言われるような3×5には、3+3+…解釈があるということではなく、3×5と3+3+…は同値ということだと思うんです。
ここで、子どもがどう解釈したかを問うとなると、順番なり、子どもの表現が出るようなモデルが必要だと思います。

文部省の古い学習指導要領の解説です。
「実際の場での数量の関係に対応して、それを簡潔に表すという立場で乗法の式を考えているときは、たとえば、5×4では、5はもとにしているものの大きさ、4はそれが何個分であるかを表す数というように、被乗数と乗数に異なる意味を対応させている。
 しかし、結果を求める計算や、その式がどんな数を表すかという立場で考えているときは、5×4も4×5も同じ結果を表しているといってよい。どんな立場で式を考察しているかをはっきりさせて、乗法の式の取り扱いにあたるよう指導の際に注意することが必要である。(小学校算数 指導書 文部科学省 昭和44年)」

最初の「それを簡潔に表すという立場」が授業で、あとの「結果を求める計算や〜」がテストということでしょうか。
交換法則を理解した子どもなろもふくめて、「指導の際に注意することが必要」となっているのでしょう。
こうしたことがあるので、私が308のコメントで書いたAになるのかなと思います。

Owner Comment きくち  December 16, 2010 @00:52:31

今の指導要領解説を見ると、掛け算の前側を「被乗数」、後ろを「乗数」としているようです。

式と意味の対応については、順序は「ひとつ当たり」×「いくつ分」で統一してあります。ただし、逆順はどうなのかということについては、特に記述は見つかりません。

真意がよくわかんないですね

上のほうで書いたブログでも、文部省は順序について、かつてのほうが厳しかったという解釈のようです。そうなっている気がします

431. taka2 — December 15, 2010 @12:34:28

ちょっと話は変わりますが、

> kurita さん(December 15, 2010 @05:44:14)
> かけ算の順番になんかこだわらずに算数の授業を進めている教師は今も日本中に数多く存在するわけですよね? (多分今でもそちらの方が多いのでは?)

公立小学校の場合、都道府県+政令指定都市単位で教育委員会が教員を採用し、その範囲内でほぼ定期的に転任します。
そうすると、今回の問題のような「影響が学年にまたがる(と信じられている)=教師一人の一存で方針を変えることができない」教育方針については、
都道府県単位内では方針が均一化されているような気がします。

そうすると、私の妻の例からすると、大阪府についてはほぼ全域が「順序に拘る(必要悪な便法)派」で占められるんじゃないかと思います。
他にも、「順序に拘る(思考停止な盲信派)の県」とか「順序に拘らない派の県」とかあるのでしょう。

432. トンデモブラウ — December 15, 2010 @13:06:00

400以上のコメントを読んでも、尚『「いち単位あたりの量」×「いくつ分」』と『「いくつ分」×「いち単位あたりの量」』を区別する意味がさっぱり解りません。
向かい合って「右だよ。右!」って言われても、自分の「右」なのか相手の「右」なのか解らないよ、って感じ。
私がアホなのか…
「乗数」「被乗数」っていったい何?
 
そうしないと躓く(いったい何に?)子供は、そうすることによって躓く(?)子供よりも圧倒的に多いのだろうか?
交換則を教わる時には躓かないのかな?

433. なべ — December 15, 2010 @12:32:15

昔黒木さんと議論した時にも同じような話をした覚えが…

kuritaさん:
> しかしです… 「全皿スキャン方式」という好意的な“解釈”も、実は依然として
> “かけ算とは「一つ分の大きさ」×「いくつ分」である”という考え方にとらわれて
> いることになるのではないですか。

そのとおりです。しかし現実問題として "順序にこだわる派" の教師が存在し、それらの教師は児童の回答を「全皿スキャン方式」として好意的に "解釈" はしていません。

「被乗数が先ルール」が可換性を教える時点で破棄させなければいけない仮の便法であると理解した上で、遠山のように「全皿スキャン方式」も「皿ごとに処理方式」も正しいと認めるのであれば導入時点での指導手順としてありかなとも思いますが、現実はそうではないわけです。

>  たとえ“逆順に書いた”子供のイメージしたものが「スキャン方式」だとか
> 「トランプの配り方方式」では無かったとしても、やはり無条件で“逆でも”正
> しい、というのが、きくちさんや黒木さんをはじめとする、“順序にこだわるな”
> 派の多くの人の意見だと思います。

それが私自身の本来の意見でもあります。無条件で逆も正しいのは論ずるまでも無いことです。

しかし教育の現場に多数いるであろう "順序にこだわる派を容認する" 派の中には「順序どちらでも正しいが、順序にこだわる事にはメリットもある」と考える者もいます。

そのようなメリットなどなくデメリットだけだというのが前述の投稿の主張です。

順序に拘る事を金科玉条とする方々を説得する事は困難でしょうが、容認派の方々が説得の糸口になるのではないかと考えています。

Up434. zero_man — December 15, 2010 @13:40:17

はじめまして、kikulogを読み始めてもうずいぶん立ちますが、初めてコメントをさせていただきます。

これは、数学(算数)の問題ではなくて、教育方法の問題と思うのですが、皆さんの意見を見ていると話がまとまっているようには感じません。

今回の問題の回答も、数学的にはOKで、学習指導要綱的にはNGと言うだけではないでしょうか?
であれば、問題にするのは数学的な話ではなくて、教育方法の方だと思うのですが・・(順序の話ではなくて)

うちの子供の時にも感じましたが、小学低学年の勉強の進め方には本当に不思議に思うようなところが沢山あります、それは算数だけではなくすべての教科にあると思います。

学術的には教育方法に正解があるようには思えないのですが・・

個人的には道徳の時間を復活させてもらった方がよほどいいと思うのですが・・(関係ないですが・・)

Owner Comment きくち  December 16, 2010 @00:55:15

今の指導要領ではNGになっていないのではないか、という話でもあるのですが、どうでしょう

436. Katase — December 15, 2010 @14:04:21

ドラゴンさん

古い学習指導要領の解説にある、
>5×4では、5はもとにしているものの大きさ、4はそれが何個分であるかを表す数というように、被乗数と乗数に異なる意味を対応させている。

という記述ですが、アメリカだと一般的に?それとは逆の関係になり、日本独特の認識だと思います。現在の指導要領解説書には見当たりませんでしたので、この解釈は普遍性がないので不適切として削除されたのではないかとも思います。

>3×5に対応する解釈は1つ、5×3に対応する解釈は1つ。5+5+5も1つの解釈であり、3+3+…も1つの解釈でしょう。1+1+…もあります。

これについては、一例として5×3の解釈を●を使ったイメージ図を介して説明してみます。

              5×3
               ↓
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●

このイメージ図からは、3+3+3+3+3とも、5+5+5とも解釈できます。
また、軽く捻ると、9+6とか5+10などとも解釈できますが、これらはそれぞれ、

5×3=(3+2)×3=9+6
5×3=5×(1+2)=5+10
という式の変形にも対応しています。その他にも、5×3には様々なバリエーションの解釈が可能です。

以前、『かわいい物理』のエントリーでも紹介しましたが、数学者であるカントールの言葉を思いだしました。
「数学の本質は、まさにその自由にある」です。

437. たまむし — December 15, 2010 @14:38:15

トンデモブラウ - December 15, 2010 @13:06:00
>400以上のコメントを読んでも、尚『「いち単位あたりの量」×「いくつ分」』と『「いくつ分」×「いち単位あたりの量」』を区別する意味がさっぱり解りません。
>そうしないと躓く(いったい何に?)子供は、そうすることによって躓く(?)子供よりも圧倒的に多いのだろうか?
交換則を教わる時には躓かないのかな?

結局のところ、「便法」としての順序へのこだわりと言っても、子どもの理解を進めるための便法ではなくて、教師の表面的なコストを下げるための便法でしかないからではないですかね。なので、「教師のコストを下げるためなら間違えたことを教えてもいい」というスタンスに立つか、あるいは自分自身がかけ算について誤った理解をしているかのいずれかでない限りは、納得するのは困難だと思います。

自分も本質的にはその両者を区別する意味はさっぱりわからないのですが、教師のコスト低減という視点"のみ"から見た場合、次のようなメリットがあると思われます。

5(皿)×3(個/皿)=15(個)
3(個/皿)×5(皿)=15(個)
5(個/回数)×3(回数)=15(個) (トランプ配り方式)
3(回数)×5(個/回数)=15(個) (トランプ配り方式)

このどれであれ、本当は問題はないはずです。ただ、このとき (個/皿) や (個/回数) の「1つあたり」を表す単位(?)の存在が面倒なものになります。そこで (/皿) や (/回数) の部分を取ってごまかします。

5(皿)×3(個)=15(個)
3(個)×5(皿)=15(個)
5(個)×3(回数)=15(個) (トランプ配り方式)
3(回数)×5(個)=15(個) (トランプ配り方式)

すると a×b=c として見たとき、c と a の単位が同じに見えるものと、c と b の単位が同じ見えるものが出てきます。これもまた困るのでしょう。児童に説明するときに、ではなく児童にそこを聞かれたときに、でしょうけども。

そして、さらにその面倒を回避するために c と同じ単位に見えるものを a に置くように決めてしまいます。そうすると、これらの面倒が上手い具合に回避されます。しかしそれでも 3(個)×5(皿)=15(個) と 5(個)×3(回数)=15(個) の2つの答えが出るため、単位(?)を明示せざるをえないという面倒臭さが残ります。

そこでもう一方に比べて不自然に見えるほうを排除すれば、単位を明示する必要性すらなくなり、3×5=15 という式だけで全てをチェックすることができるところまで教師のコストが削減されます。

もちろん私はこういった発想でかけ算の順序にこだわるのは大反対で、メリットよりも児童に与えるデメリットのほうがはるかに大きいと考えます。(そもそもこんな発想でできるかけ算は b が特殊な条件を満たしているときだけで、面積のときですらこの考えには無理が来ますし、中学に出てくるオームの法則などではもはや使いようがありません。)

結局これらは教師のコストの問題でしかなく、子どもも理解を助けるためでも何でもないのでしょう。たとえ c と a の単位が同じに見えるものと、c と b の単位が同じ見えるものが出てきても、その疑問を持った子にはそれ相応のケアをする面倒を回避しているだけ、と言われても仕方ないですから。

zero_man - December 15, 2010 @13:40:17
>今回の問題の回答も、数学的にはOKで、学習指導要綱的にはNGと言うだけではないでしょうか?

既に黒木さんをはじめ複数の方が何度も述べられていますが、学習指導要領ではこのような指導(かけ算の順序にこだわる指導)を行うべきととられる表現は一切書かれていません。

438. いしやま — December 15, 2010 @15:06:43

小学教育の現状について情報が欲しいのですが。何にどれだけ負担がかかっているのか、ある程度のことを知りたいので。
たとえば、学校での生活指導と教育指導との時間的比率(低学年ほど前者が多いと思います)、方便なしに掛け算を教えるのに、今の何倍の時間が必要なのか(無限にあってもダメというのなら、そもそもの方法論が間違ってると言えますし)、など。

どうも、補習の必要な児童のために全体の足を止めさせているかのように見えるのですが、それだったら、習熟度別にするとか、手当ての必要な児童を集めての補習クラスを作るとか、いろいろ手はあるようにも思えるのですが。

Up439. プリゴロタ — December 15, 2010 @15:28:00

zero_man さん

>今回の問題の回答も、数学的にはOKで、学習指導要綱的にはNGと言うだけではないでしょうか?

たまむしさんがすでに書かれていますが、学習指導要領(要綱?)については黒木さんが丁寧にまとめられていますので、そちらが参考になるのではないでしょうか。

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.htmlLink

上記サイト内『●補遺4:仮想Q&A』の6個目の仮想Qが該当します。

440. なべ — December 15, 2010 @14:44:23

たまむしさん:
> ただ、このとき (個/皿) や (個/回数) の「1つあたり」を表す単位(?)の存在が
> 面倒なものになります。そこで (/皿) や (/回数) の部分を取ってごまかします。

私は演算順序の強制は駄目だと考えていますが、「1あたりの量」という概念を適用できるケースから導入するのはありかなとも思っています。

しかし、除算を教える前の段階での教育ですから、どうしても上記のような面倒やごまかしが生じてしまいます。

この事は後々次元のある単位を持った量の計算で躓く元になっているように感じられます。それなりの大学の理系でも次元や単位をきちんと考えて計算できない学生が多かったりします。(実際、大学勤務時代には応用分野の演習科目の前半のかなりの時間を単位換算的な問題を出題しての基礎トレーニングに費やしていました。いきなり本題に入ると落ちこぼれるので。)

そういう事を考えると無次元な単位もどき(しかも誤魔化し入り)を単位として扱わせる事も大いに問題で、「一皿あたりのリンゴの個数に皿の枚数を掛けるとリンゴの総数が求まる」といった表現に留めるのがよい(他の考え方を否定するのではない)のではないかと思います。

以下は蛇足です。

文意を読み取れているかどうかを確認する方法として、計算の順序で判断するというのは論外ですが、単位(もどき)を書かせるというのも上記の観点で問題があると思います。

また、「1あたりの数はいくつですか?」のように中途半端に抽象化した問いも結局は駄目です。「1スキャンあたり」も「1皿あたり」も「1あたりの数」でありうるというのは前述のとおりで、では単位も書かせればというとやはり上記の通り。

敢えて問うのであれば、「一皿あたりのリンゴの個数はいくつですか?」のように具体的に問うべきかと思います。

「そんな自明な問いに意味があるのか?」と思う人もいるかもしれませんが、この問いに答えられるのであれば文意は理解できています。文章をちゃんと読めば自明な事を問うというのは、文意を読み取る訓練として極めて有効です。その訓練を大学まで持ち越させないで欲しいものです。

441. 技術開発者 — December 15, 2010 @16:29:29

こんにちは、たまむしさん。

>(個/回数) の「1つあたり」を表す単位(?)の存在が面倒なものになります。そこで (/皿) や (/回数) の部分を取ってごまかします。

ごまかすというよりも、かけ算を教える段階では分数型の表記を教えていないので、(個/回数)のような表記で教える事ができない訳ですね(うまく、並行して教える方法があるかも知れないけどね)。じゃあ、単位を全く無視して教えても良いように見えるけど、ずっと上の方でこなみさんが、速度とか密度というのを教えるのが難しいみたいなことを書かれているけど将来的にはきちんと教えないとならないんですね。単位の換算の必要な話がでてくるからね。

例えば、「分速500メートルの自動車が2時間走ると何キロメートル動くか」なんて時には、

500m/分間×0.001Km/m×2時間×60分間/時間=60Km

をやれるようにしないと成らないわけですね(一つの式にする必要は無いけどね)。教育の早い段階で単位を無視する癖は付けて欲しくないという思いと、とはいえ個/人みたいな分数型の表記は使えない(つかっても良いけど、単位の分子と分母に同じものがあれば消えるというのは教えないと意味がないし、それを分数を教える前に教えるのは難しそうです)とするとどう教えりゃよいのか、正直なところ私にも知恵はない。

実は分析の実務という単位換算が非常に頻繁に必要となる仕事をしていると、「単位を粗雑に扱って失敗する」という話に良く出くわすわけですね。笑い話ですが250mLに希釈した溶液中の成分の濃度を測ったら10mg/Lだったので、溶液中に含まれる成分の重さを

10mg/L×250mL=2500mg

と計算したなんてね(3桁間違いです:笑)。

442. さんちゃん — December 15, 2010 @17:56:20

いっそ、割り算を先に教えましょうか。
掛け算は何回足すかですが、割り算は何回引くかですので対して変わらない・・・・かな?

443. なべ — December 15, 2010 @18:10:03

ちなみに私の専門は材料科学系のわりと基礎的な化学熱力でした。

私:
> 後々次元のある単位を持った量の計算で躓く元になっているように感じられます。

などと書きましたが、速度、エネルギー、力などはちゃんと単位を合わせて計算できる学生さんでも、log の中の無次元量の基準の取り方や物質の濃度の話なんかになるととたんに滅茶苦茶になるなんて事が随分ありました。

技術開発者さん:
> 10mg/L×250mL=2500mg

あるある。

Up444. q — December 15, 2010 @19:23:24

taka2さんの一番最初の投稿によると、出題の意図と逆順に立式した場合に正答とするか?誤りとするか?に確たる指針は無いようです。(少なくとも大阪府公立校の一部では)

taka2 — December 14, 2010 @09:17:27
(前略)
> ・テストにおいては、順番が逆な回答を正とするか誤とするかは統一されていない(現場によって違う)が、誤とする場合が多い
>  クラス間で方針を統一を取る必要があるため、どちらにするのか教師間で授業方針を協議して決めている
(後略)

複数の問に対して立式させた時点で"スクリーニング"に必要な情報は得られています。それなのになぜ誤りとするのかまったく理解できません。

445. ドラゴン — December 15, 2010 @19:26:18

Kataseさん、こんばんは。

>という記述ですが、アメリカだと一般的に?それとは逆の関係になり、日本独特の認識だと思います。現在の指導要領解説書には見当たりませんでしたので、この解釈は普遍性がないので不適切として削除されたのではないかとも思います。

いえ、これはアメリカでは逆のパターンで教えられています。そして現在の日本でも基本的な考え方です。端的にまとまっているので、ご紹介しました。

#330のよしきさんのコメントにありました吉田さんは、日本の研究誌にも寄稿されています。次のようなものがありました。
「(アメリカでは)日本で指導するかけ算とは乗数と被乗数の順序が入れ替わった形でかけ算を表現するのである。現場の先生方に、なぜこの順序でかけ算の式を書くのかたずねたところ、日常生活でこのような場面を表すときの言葉の表現と、式に表す時の数字の順序をそろえた方が子供達に分かり易いから、といった答えが返ってきた。また、教科書の中には乗数と被乗数の順序を明確にしていないものもあり、これで子供達がはたしてかけ算を理解できるのであろうかと心配になることがある。」(吉田誠 「新しい算数研究」)
そして、九九は被乗数×乗数なので混乱もありそうだが、九九は機械的に暗記するだけなので、それほど問題にはなっていない、とのことです。
吉田さんは、アメリカ在住の研究者です。
こうした文献を見ていると、「なぜ」が無くて、順番が当たり前のように書かれているんです。そうしたことから、#366のように考えました。

解釈についてですが、ちょっとご理解いただけなかったようです。
そこがすごくもどかしい。

Kataseさんが解説されましたが、数学の表現であるならば解説はいらないんです。解説が必要ということは、何か不備があるということです。
5×3に5+5+5という解釈があるということは、5+5+5を書かなくても、5×3だけで伝わらなくてはなりません。
式は数学の言葉です。アレイ図の読み方に自由な解釈があるのは当然ですが、それを式に表したものを自由に解釈できるのでは「言葉」としての意味をなさない、ということです。

446. Isshocking — December 15, 2010 @19:29:32

技術開発者さん:
>「単位を粗雑に扱って失敗する」という話に良く出くわすわけですね。
笑い話ですまない場合もときどきあります。
「ギムリー・グライダー」
ボーイング767がヤード・ポンド法とメートル法換算を勘違いし、空中で燃料切れ、滑空のみで着陸。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BCLink

「マーズ・クライメイト・オービター」
メートル法による数値で航法制御される火星探査機にヤード・ポンド法の数値データを送ってしまい、軌道投入失敗、衛星は破壊。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%BF%E3%83%BCLink

447. disraff — December 15, 2010 @19:56:24

ドラゴンさんの仰る「不備」の意味がいまひとつぴんとこないのですが、何が問題なのでしょうか。たまたまオペランドの両方が自然数の場合に、その掛け算と同じ答えになる繰り返し足し算が(可換性のため)二つ存在する、というだけの事ではないかと思うのですが。

448. Katase — December 15, 2010 @20:05:50

ドラゴンさん

>いえ、これはアメリカでは逆のパターンで教えられています。

すみません。私もアメリカでは乗数と被乗数の順序の関係が日本とは逆に認識されている場合が多いというつもりで書きました。

>5×3に5+5+5という解釈があるということは、5+5+5を書かなくても、5×3だけで伝わらなくてはなりません。
式は数学の言葉です。アレイ図の読み方に自由な解釈があるのは当然ですが、それを式に表したものを自由に解釈できるのでは「言葉」としての意味をなさない、ということです。

多分、ここら辺の認識の違いが大きい様に感じます。
5×3は5+5+5とも3+3+3+3+3とも解釈が可能です。
これは算数・数学の性質でもあります。
この概念を掴めるかどうかも、掛け算の性質の理解には必要になってくるのではないかな〜と思うのですが。
5×3などの数式の変換は複数のパターンで可能であり、これは日本語などの「言葉」とは切り離して考えていく必要があると思います。
私が例示したイメージ図は、その理解を助けるかもしれないと思って用いてみました。

まずは、日本語の呪縛から離れないと。

Up449. ドラゴン — December 15, 2010 @20:23:09

disraff さん

すみません。自分でもうまく表現できていないと思っておりますが、
だから、もどかしいんです。

>その掛け算と同じ答えになる繰り返し足し算が(可換性のため)二つ存在する
ということを表現するには、
5×3=5+5+5=3+3+3+3+3
という式になるでしょうか(自信はありませんが)。

何か状況を式に表現するということは、対応できる式は1つになるようにしなければならないと思うのですが、そういうことです。
どうでしょうか。

450. Katase — December 15, 2010 @20:24:06

ドラゴンさん

確認したいのですが、もしかして私がドラゴンさんの意図をきちんと汲み取っていないかも知れないのでお聞きします。

ドラゴンさんは、5×3=5+5+5という1通りのみに、一対一で対応しないとおかしいとお考えなのでしょうか?
それとも、5×3=5+5+5と5×3=3+3+3+3+3の解釈がどちらでも可能だというのは理解していて、
5×3=5+5+5=3+3+3+3+3という様に同時に成立するのが理解できないというのでしょうか?

例えば数式だけで表してみると、

5×3=5×(1+1+1)=5+5+5
5×3=(1+1+1+1+1)×3=3+3+3+3+3

5×3=5+5+5=3+3+3+3+3

という様に、どちらにも展開して解釈可能ですし、別の展開の仕方も可能です。

451. うさぎ — December 15, 2010 @20:48:46

Isshockingさん、
>Keijiさん:
>>被乗数を前に書くというルールを立てるとしたら、3x5だと思いますよ。
>いや、乗数・被乗数の区分は、式が与えられたときにそれを読み下す都合上、
>先に読まれるのが被乗数、後に読むのを乗数といってるだけですから、
>式を立てる前に乗数・被乗数の区分が自然にあるわけではないです。
トンデモブラウさん、
>私がアホなのか…
>「乗数」「被乗数」っていったい何?
きつい言い方になりますが、お二方はアホで決定です。恐らく森毅が減点したってのもお二人のようなおつむの軽い人対象だった、と想像されます。ただこの話題では、通常なんら問題を生じないことに対して話をこじらせるのは良くない、と思うのでかけ算の順番にこだわる(正解を書いた生徒を一律に減点すること)は無意味と思っていますが。

PS ベクトルは2倍にできるけど、2を東北方向倍にはできない、と思います。小学校レベルの場合、恐らく人間の本性的に乗算は累積和として始めるしか無く、それはZへのZの作用という形になります。その後でIsshockingさん指摘のような話になるわけで。

Owner Comment きくち  December 16, 2010 @01:04:44

そういう書き方しかできないのでしたら、消しますが
「きつい言い方」というのはありえますが、それは「きつい言い方」とは違います。

453. ドラゴン — December 15, 2010 @20:57:48

Kataseさん

すみません。私の言葉が足りません。
式で示していただいたものは、「解釈」といっていいのか、ちょっと自信がありません。
私は、黒木さんの文章から「解釈は子どもの考え方・解き方」と読み取りました。それはいかがでしょうか。そうでなければ私の誤読でした。
子ども解き方であるならば、それを表現するには、対応した式が必要だと考えます。
5×3の式で、トランプのように配った子どもの解き方から1個ずつ数えた解き方から、何でもありというのは、どうも納得できません。

私の考えていた解釈について、ちょっと一般的な授業の展開から考えてみます。

         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●
         ●  ●  ●  ●  ●

こうしたアレイ図を見て、
先生「どう数えたらいいでしょうか」
そうすると、子どもは実にたくさんの数え方を出してくれます。
 Aさん 3個ずつ足す 
 Bさん 5個ずつ足す
 Cさん 3つのかたまり5つ分で考えました。
 Dさん 5つのかたまり3つ分で数えました。
 Eさん 1つずつ数えました。

先生「いろいろ出たね。それじゃあ、それを式に表してみましょう」
※ここで、自由にさせるとCさんとDさんが同じになってしまい、それぞれの考えが表現されない。そこで
「今日は、かけ算の場合は、まとまり×いくつ分で式にしましょう。たし算の場合は、左から……上から…」とすると、
 Aさん 3+3+3+3+3
 Bさん 5+5+5
 Cさん 3×5
 Dさん 5×3
 Eさん 1+1+1+1……
 Fさん 1+2+3+3+3+2+1
 Gさん 6×3

先生「それぞれ、どう数えたか分かりますか」「Fさんの数え方分かりますか」
 子ども「斜めだ!」
先生「なるほど、そう数えたんですね」「Gさんのは?」
 子ども「全部の数が15じゃないから、違うよ」
 Gさん「6のかたまりが見えたんで…」
 他の子ども「だったら6のかたまりが2つで、あと…」
 Gさん「わかった。6×2+3だ」

 というかんじで進んでいきます。自分の考えを式に表し、友達が式に表した結果を読み取る、そして、子ども同士の話し合いから、どう数えるのが効率的かを理解していきます。
 ここでの議論と同様に、話し合うことで、新しい発見が生まれ、理解が深まるという授業です。

 ここでの話し合いの中での式は、数学としての言葉です。
 ですから、考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです(小学校2年生ではそうした訓練がされていないので、解説はいります)。

 こうした学習をするためには、(授業においては)順序が意味をもつこともあると思います。それが先に紹介した古い文部省の解説の「それを簡潔に表すという立場」にあたると思います。

Up454. disraff — December 15, 2010 @20:52:03

ドラゴンさん>
屁理屈に聞こえるかもしれませんが、特定の状況を表す式はあくまで一つ(可換な二つを同一視すれば)であり、ただ同じ式に帰着する状況が複数あるのだ…と考えたら如何でしょう。

455. disraff — December 15, 2010 @21:08:54

ああ、逆でしたか。式が意味する考え方を限定する、という話なんですね。
思うにそれは本質的に数学にない概念なので、そういう制約を課してこそ式が数学としての言葉たり得る、と評されると違和感を覚えますです。

456. なべ — December 15, 2010 @21:21:18

ドラゴンさん:
> Cさん 3×5
> Dさん 5×3

これは

 Cさん 3+3+3+3+3
 Dさん 5+5+5

とした方が良いのでは?

457. Katase — December 15, 2010 @21:13:01

ドラゴンさん

>ですから、考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要

この点についてですが、ポイントを絞って掛け算について言えば、
 Cさん 3つのかたまり5つ分で考えました。→3×5(または5×3)
 Dさん 5つのかたまり3つ分で数えました。→3×5(または5×3)

数学的に、"○つ"と"○つ分"は、×記号のどちら側に配置してもOKなので、CさんDさんの両方とも3×5でも5×3でも表現できます。
そして、どちらも間違いではありません。

逆に、3×5は、「3つのかたまり5つ分」とも「5つのかたまり3つ分」とも、どちらにも日本語に"翻訳"が可能です。

あまり難しく考える必要はないと思います。

458. disraff — December 15, 2010 @21:39:19

式が多義というより、オペランドの自然数が個数とも回数とも解釈できるって事なのではないかなあ。使う範囲を限定したために、あたかも本来備えている訳ではない“性質”があるように見える、という事は〜ぱっと例が出ませんが〜良くあるように思います。

Up459. ごんべえ — December 15, 2010 @21:45:44

ドラゴン#450さん

「考えに対応した式は1つ」というのは無理でしょう。
たとえば、同じ切り方をしても
3×3+2×2+1+1と1+1+2×2+3×3
と書けるのはわかりますよね?

逆にたとえば5×2+5といわれたときにどのように頭の中で切ったかはわからないですよね。少なくとも4通りくらいは思い当たりますね。

特定の考えに対応する式は複数あり、
特定の式に対応する考えも複数あるのは現実として受け入れざるを得ないでしょう。

460. ゴルゴ・サーディーン — December 15, 2010 @21:54:45

小学校での指導案というものを見てみました。

ttp://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu/19nendo/2/0150701903かけ算(1.pdf
→8ページ
 >T1が文を置き換えた問題文を提示し立式させる。
 > ベンチが4つあります。1つのベンチに2人ずつ
 > すわっています。ぜんぶでこどもは何人でしょう。
 >問題文に出てくる数の順序に従って立式するのでは
 >なく、問題文中の「1つ分」「いくつ分」を捉える
 >ことを確認する。

ttp://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu/17nendo/0150501001あたらしい.pdf
→8ページ
 >なぜ「7×4」ではないのかということを
 >考えさせ、かけ算の式は「1つ分の数」×
 >「いくつ分」=「全体の数」であることを
 >確認する。

これは
ttp://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu.html
から拾ったものです。
 ほとんどの資料で、「1つ分」「いくつ分」ということを児童に
叩き込むことに多大な精力をそそぎこんでいる様子がわかりました。
 「掛け算のときは、順序にも気をくばりましょう」どころではなくて
 「1つ分・いくつ分」という事を身につけることが掛け算の学習での
主題メインテーマであるかのようです。
この資料は埼玉ですが、他の県ではどうなのか、興味があります。
大阪も「順序に拘る」派なのでしたね。

 自分の小学校時代にこんな算数教育だったら、私は算数がきらいにな
っていたに違いないと感じました。

Owner Comment きくち  December 16, 2010 @01:21:55

指導要領解説には
.....................
第2学年では,乗法が用いられる場合や計算の意味について理解できるようにする。例えば,一つ分の大きさを知ってその幾つ分か,または何倍かの大きさを求める計算として意味付けをしたり,同数累加(加法の繰り返し)によって,その結果を求めた
りする
..................
と書かれていて、「ひとつ分」と「いくつ分」は扱うのが普通なのだと思います。どのくらいそれを強調するのかは、指導要領解説にはないみたいですが。
「何倍かの大きさを求める」のはそれとは別の意味ということで、掛け算には複数の意味づけができることも教えるのでしょうね

462. Isshocking — December 15, 2010 @21:14:30

うさぎさん:
>恐らく森毅が減点したってのもお二人のようなおつむの軽い人対象だった
黒木さんによれば、森毅のこの方針は「最低」だそうです。
加算にも加数・被加数の呼び分けはあるわけですが、これは前後関係だけで決まり、それ以外のなんら有用な意味は持ちません。(りんごが3つあり、みかんが2つあります。合わせていくつあるでしょうという設問に3+2と書けば正解、2+3と書けばりんごが2つの意味になるから不正解、という解釈はあり得ませんね)
(ごくまれに加算の前後関係には意味があるとする人もいるようですが、数学的な意味を無視すれば理屈はどこにでもつきます)
乗算ではなぜ違うのでしょう。

>ベクトルは2倍にできるけど、2を東北方向倍にはできない、と思います。
ベクトルを持ち出すんだったら、普通にできると思いますが。
子どもにとかせることもできます。
・右手(東北だと面倒だからね)の向きに1歩歩いてください
・戻ってください
・今度は右手の向きにさっきの2倍歩いてください
これができない子どもはそういないと思いますが。(練習はいるかもしれませんが、それは自然数の乗算でも同じですね)

463. Momoppu — December 15, 2010 @22:07:14

#454 Kataseさん
どちらでも間違えではない、という点、完全に同意です。

Up464. ゴルゴ・サーディーン — December 15, 2010 @22:37:52

こんなのを見つけました。
ttp://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu/19nendo/2/0150701903かけ算(1.pdf
⇒7ページ
 >花だんの花がよこ1れつに5本ずつさいています。3れつあります。
 >花はぜんぶで何本あるでしょう。
 >
 >花だんの問題は違う式が出来ないか(3×5)(5×3)考えさせるようにする。

マトリクス状に並べる問題だけ、交換則が成り立つんですね。
ではそこの学校では、長方形の面積は 横×縦 でもOKなんでしょうね…

465. ごんべえ — December 15, 2010 @22:35:02

うさぎさん#449
「小学校レベルの場合、恐らく人間の本性的に乗算は累積和として始めるしか無く、それはZへのZの作用という形になります。」

小学校では、負の数が出てこないので負の整数を含むZは出てこない。一方、小数・分数は出てくるので、非負の有理数の演算を必要とします。無理数はPIが出てくるけど約3.14でしょうし、無理数であることを示すこともできないでしょうでいいでしょう。

小数・分数倍するというのは累積和では説明が変わらざるを得ないので、累積和は定義ではなくて計算方法にとどめておく方がつながりが良いということを模索しているんじゃないでしょうか。しかもおはじきを並べてある状況に対応するのでどういう和をとるかは結局自由になる。

可換性が非自明な累積和に依る積の定義はそのように定義された積が可換であることを示すためには意味があるけど、ほかに実用上の意味はないですよね。
問題が常に対称なので、どちらを基にしてもよく、中学校では因数という対称な言葉をつかうわけで、かけられる数・かける数を区別するメリットはどこにもない。

466. 積分定数 Website — December 15, 2010 @23:46:34

森毅の件は、前にも書いたように、
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10439284094.htmlLink
の例え話に尾ひれが付いて伝わったと考えるのが合理的かと思います。本人は鬼籍に入られているから確認しようがないですが、「指導要領で掛け算の順序を教えることになっている」みたいな話と似ていると思います。


>taka2さん

 奥さんや奥さんの同僚は、必要悪派であって、真性拘り派ではないということなので、それはそれとして了解しました。


とはいえ、


 私は算数教育界全般に、「(方便としてではなく)正しい順序がある」という得体の知れない幽霊が徘徊しているように思います。
「放送禁止歌」が放送現場を縛ってきたようなものでしょうか。



 以前、

学校現場で教師が文章を作ったら、管理職から「横書きの読点は、点『、』ではなくてコンマ『,』にするルールがある」ということで書き直された

という新聞記事を読みました。

 文章の書き方のガイドラインを書いた昔の文部省通達が根拠のようです。これに関して調べたところ、そのような通達の存在は確認できたものの、文科省に問い合わせても、昔のことなのでよく分からないようで、「読点はコンマを使わなくてはならない」という強制力の存在は確認できませんでした。文科省の対応した人も「うちの方では分からない」という言い方で、「強制力はない」と断言するわけではないのですが、多分、強制力はないでしょう。

 そもそも当の文科省のホームページ自体が、読点には点を使っている。なぜか文化庁はコンマを使っている。

 この例から分かるのは、学校現場というのは、ちょっとした文言に過剰に反応して、「〜という教え方を検討してみてもいいかも知れない」というようなことが、いつの間にか「〜という教え方しか認めない」となってしまうような、そういう性質があるのではないかと思うのです。
 

 順序に拘る教え方に関して、それを合理化する、あるいは合理化しているようにも取れるちょっとした文書でもあれば、それを金科玉条に、「順序を逆にしないように頑張って指導しないと」と考えてしまう教師がいそうです。



 「掛け算の順序」と、話に挙がった「みはじ」や「はじき」と比較してみます。

 「みはじ」に関しては、容認派VS否定派なわけです。

否定派(∋私):「みはじ」は思考軽視・理解軽視だ
容認派    :とりあえず答えを出すことができるのだから、それはそれで有用。理解して式を立てるのが理想かもしれないが、そうもできない子がいる

容認派も、積極的にその方が良いと言っているわけではない。(ただし、全く問題ないと思っている脳天気な教師は沢山いそうである)


 速さの問題は、「みはじ」で解くのが本来の正しい解き方である
 テストの解答では「みはじ」を書かないと減点する

などということは、さすがに聞いたことがない。

(ただし、「3時間で12劼垢垢燹6時間で何劼垢垢爐?」という問題で、「時間が2倍だから距離も2倍で24辧廖△箸いε案がバツになったという事例は聞いたことがある。距離÷時間=速さ 速さ×時間=距離という手順を踏んでいなかったかららしい。事実かどうか分からないが、あり得ない話ではない。暗澹たる気分になります。)



掛け算の順序は、ここの部分がねじれてしまっている。

「掛け算の順序に意味はない。3×4は、3が4つ であり同時に 4が3つ である。かける数・かけられる数の区別などできないということを理解することこそが、掛け算を理解したことになる」

にもかかわらず、


「順序に拘ることが、掛け算を理解することになる。順序なんかどうでもいいというのは、計算さえできればいいということで、考え方軽視である」

などという正反対のデマが算数教育界に蔓延している。



「みはじ」に関して、

「どうしても分からない子に最終手段としてなら、『みはじ』もやむを得ないのではないか?」と言われれば私も、「どんな状況でも絶対に『みはじ』は駄目だ」とは言いにくい。

 しかし実際は、「どうしても分からない子のためのやむにやまれぬ最終手段」ではなく、

「これを使うとすぐに式が出せるよ」などと、教室で堂々と教えられている。
「みはじ」がやむを得ないにしても、もう少し後ろめたい思いをしながら、こっそり教えるようにして欲しいのだが。


 つまり、算数教育についてまともに考えている人(順序拘り派・順序反対派双方とも)であれば、ほとんどが「よくない教え方である」と思っているであろう、「みはじ」ですら、批判が弱いと堂々と教えられることになる。

 教えている教師自身も、「みはじ」で教わったかも知れないし、「みはじ」の何が問題なのか、疑問にも思わないかもしれない。

 まして「掛け算の順序」の場合、「正しい順序がある。それを指導することが掛け算の指導である」という迷信を信じている教師が少なからずいるし、教科書指導書や市販の問題集にもそのような迷信が書かれている。


 客観的には、必要悪なのかも知れないが、

心ある人が色んな機会に、「掛け算の順序は無意味でナンセンスである」と言い続けて、

暴走する教師を抑止する必要があると思います。

467. ゴルゴ・サーディーン — December 16, 2010 @00:05:59

連投気味で失礼いたします。
今回の話題からは外れますが、先生がたが、県を越えてたがいに参考に
しながら日々研鑚に励んでおられることがよく判りました。

埼玉
ttp://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu/17nendo/0150507101新しい計算.pdf
 >第1学年では、「10が6こで60」などといった数の理解と関連
 >づけて、10のまとまりをつくりその数を数えて総数を求めたり、
 >2とびや5とびでも総数を求めたりするなど、同じ数のまとまりの
 >個数を数えてものの総数を求めるといった乗法の素地敵な経験をし
 >ている。
 >本単元はこのような経験をもとに「1つ分の数」×「いくつ分」=
 >「ぜんぶの数」として乗法を意味づけ、アレイ図で乗法の場面を表
 >現したり、身の回りで乗法が適用できる場面を探したりする活動な
 >どを取り入れ、乗法の意味を確実にしていきたい。そして、5.2.
 >3.4の段を学習する。九九の構成の過程ではアレイ図やおはじき
 >などを活用しながら乗法の意味の理解をいっそう確実にするととも
 >に同数累加をはじめ、乗数と積の関係(乗数が1増えると、答え
 >(積)は被乗数分だけ増えること)にも着目させながら、児童が自
 >ら九九を作り出すことを大切にする。そして、九九を覚えておけば
 >計算が速くでき、便利であることにも気づかせたい。

岩手
ttp://www.iwate-ed.jp/db/db2/sid_data/es/sansu/e08sa003.pdf
 >子どもたちは第1学年では、「10が6こで60」などといった数
 >の理解と関連付けて、10のまとまりをつくりその数を数えて総数
 >を求めたり、2とびや5とびでも総数を求めるといった乗法の素地
 >敵な経験をしてきている。
 >本単元では、これらの学習をもとに、「1つ分の数×いくつ分=ぜ
 >んぶの数」として乗法を位置付け、おはじきで乗法の場面を表現し
 >たり表現したり身の回りで乗法が適用できる場面を探したりする活
 >動などを取り入れ、乗法の意味の理解を確実にしていく。そして、
 >5の段の九九、2の段の九九、3の段の九九、4の段の九九を導入
 >し、その記憶と適用を図る学習を行なう。九九の構成の過程では、
 >アレイ図やおはじきなどを活用しながら、乗法の意味をいっそう確
 >実にするとともに、同数累加をはじめ、九九の性質である「かける
 >数が1増えると、答え(積)はかけられる数だけ増える」にも着目
 >させながら、子どもたちが自ら九九をつくり出すことを大切にする。
 >そして、九九を覚えておけば計算が速くでき、便利であることにも
 >気付かせるようにする。

468. ゴルゴ・サーディーン — December 16, 2010 @00:17:34

積分定数さん。
 掛け算の順序問題では、完全に賛成です。
 私の 464 も、いかに教師のあいだで空気が伝染しやすいかという話
として皆さんに見てほしいと思って書いてあります。


 さて、「みはじ」についてです。
 私も初めてそれを知った時は、
 「速度と時間ぐらい、イメージ出来るようになれよ!」
という感想を持ちました。
 ただ、掛け算の順序に拘るのは数学的に 嘘 であるのにくらべ、
「みはじ」は、嘘は言っていないという点が決定的に異なると思
います。
 自分自身を振り返ったとき、「みはじ」は必要なかったけれども
  [ cosθ -sinθ ]
  [ sinθ cosθ ]
を覚えるのには語呂合わせが必要でした。

 「みはじ」は、限られた期間内に点数アップを実現するという
予備校的な発想の産物と理解しています。
 「そのうち“みはじを使わないとバツ”と言い出す教師が出現する」
という危惧は、同感です。

Up469. 50過ぎのオジサン — December 16, 2010 @00:56:46

へたれだから、ROM

海の向こうでは、
日本式(?)掛け算を観た外国人たちのコメント
http://japancool.sblo.jp/article/42107347.htmlLink

そういや、算数で「そろばん」授業した世代です

470. 40年前家庭教師 — December 16, 2010 @00:44:54

うーん,

>5×3は5+5+5とも3+3+3+3+3とも解釈が可能です。

 ではなくて,5×3はすなわち5+5+5であると教え込むんですよ。
 同時に3×5は3+3+3+3+3と教え込む。
 さらにお皿にリンゴが5個載っている状態を見てここでは5×○と答えるのが正しい(○をもらえるよ),と教え込む。
 そこまで教え込んでいる(つもりだ)から,3×5と答えるとバツをつけるわけです。

 どっちがいいとか悪いとか,どちらでもいいとかの問題ではないわけです。

 この状況を変えるには教科書とそのアンチョコである指導書の内容を変えるしかない,と思います。

 しかし,20人からいる教科書の執筆者を全取っ替えするのは容易ではない。
 一部(かどうかはわからない)の順序絶対派(容認派?)を排除することすら大変でしょう。

 ことは,かけ算の問題にとどまらずたし算の順序やその他諸々の算数の指導法自体に影響してくる可能性がある。
 そこまで見直した上で全面的に教科書を作り替える覚悟が各教科書会社にあるかといえば,それは無理でしょうと言いたくなる。

 ゆえに,来春から使われる新教科書でもかけ算の順序についての指導法は今までと変わらないはずです。


 まあ,「どちらの順に書いても、無条件に正しい」を国民運動として盛り上げていけば,いつかは変わるような気はしますが,私の生きているうちにはなさそうな気がします。

Owner Comment きくち  December 16, 2010 @01:35:50

指導要領解説を読むと、「被乗数×乗数」の順として、乗数が1増えると被乗数分増えるとしていますね。

だから、
5×3=5+5+5
であるとしているようです。
もっとも、交換則から被乗数と乗数を入れ替えても結果が同じとなるから、逆でもどのみち正しいわけですが

472. プリゴロタ — December 16, 2010 @01:42:27

塾生にアンケートを取ってみました。
対象は中3生17名で、何の予備知識も与えずに次のような質問紙を配付しました。
(学力的には上位層から下位層まで揃っています。ちなみに「話題の」大阪府です。)

----------
問題「6人の子どもに、1人4こずつみかんを与えたい。みかんはいくつあればよいか?」
解答A「式:6×4=24 答:24個」
解答B「式:4×6=24 答:24個」

(1)上の2通りの解答に対し、あなたはそれぞれ「○」「×」のどちらだと思いますか?
(2)あなたが(1)でそのように答えた理由を教えてください。
----------

【結果】
A、B共に○:11人
Aが○、Bが×:5人
Aが×、Bが○:1人

この子たちが小2のときにどのような教え方をされたのか分からないので、アンケートとしてはあまり意味を為さないかもしれません。当然ですが、そんな昔のことは覚えていないと言われました。

と言うか、東京書籍の指導書に従えば「正解者は1人」ということになりますかね(笑)
ちなみに、理由を書いてもらったのは「何となく」を避けるためでしたが、大半は「どちらも同じことだから」などと書かれていました。

Owner Comment きくち  December 16, 2010 @02:08:36

中3には不要な知識なんですねえ、やはり。

Up474. かみなりびりびり — December 16, 2010 @03:39:13

#438
zero_manさん、こんにちは。

> うちの子供の時にも感じましたが、小学低学年の勉強の進め方には本当に不思議に思うようなところが沢山あります、それは算数だけではなくすべての教科にあると思います。

もし差し支えなければ、それらを具体的に列挙していただけないでしょうか。

よろしくおねがいします。

475. かとう — December 16, 2010 @08:34:46

プリゴロタさん、面白い実験ですね。
AB共に○にした、「どちらも同じことだから」はいいんですが、むしろ
残りの6人の理由が非常に気になります。
また、中3で交換法則が解ってないのも、この時期危ないと思いますので、
フォローをされるかと思いますが、その時に何故間違えたのか幅根っこが
見えてきたら、それも教えて欲しいです。

476. かとう — December 16, 2010 @09:11:32

>交換法則を分かっていない訳ではなく、立式として文章に現れたのと同じ順に書くほうが良い、という判断では
違いますよ。片方の式を間違いと判断しているんですよ。
どちらの式の方が好ましいかと云う設問じゃないからダメなんです。

477. Katase — December 16, 2010 @09:29:32

おとき寧さん、はじめまして。

このエントリーの最初に書いてあるきくちさんの解説と、そこにリンクしてある黒木さんの解説は一通り目を通されていますか?
また、こちらでこれまで出されてきた意見についても、ちょっと長くなっていて大変でしょうが流れを追っていくと色々と参考になるものがあると思います。
中でも積分定数さんなどから、色々な情報が提供されています。

Owner Comment きくち  December 16, 2010 @09:55:17

あの人は愉快犯なので、当然熟読しているし、全部わかって書いていますね。
主張したいことがあるわけではないんですよ、あの人には。興味があるわけでもないでしょう。

Up479. disraff — December 16, 2010 @09:46:25

>交換法則を分かっているというのは、具体的な問題で言えば
>縦A、横Bの長方形の面積=縦B、横Aの長方形の面積
>であることを分かっていることであって、

ちょっと違います。
縦A・横Bの長方形の面積と縦B・横Aの長方形の面積の「どちらも」「A×Bとも立式できるしB×Aとも立式できる」ということが分かっていることです。

480. Katase — December 16, 2010 @10:01:52

きくちさん

>あの人は愉快犯なので、当然熟読しているし、全部わかって書いていますね。
主張したいことがあるわけではないんですよ、あの人には。興味があるわけでもないでしょう。

ほんとにねぇ。質が悪いですよね。
さっきのレスは、まだあの人とはそんなに気が付いていませんでした。(^^;)

全体の流れを読まないで入ってくる人も多いので、"おとき寧さん"に触発されてまた流れが振り出しに戻るのは面倒だな〜と思ってコメントしました。
投稿したすぐ後に、あれっ?もしや?と気が付きました。orz

481. ドラゴン — December 16, 2010 @10:15:43

みなさん、おはようございます。

Kataseさん
私もつい反応しそうになりました。

さて、
>数学的に、"○つ"と"○つ分"は、×記号のどちら側に配置してもOKなので、CさんDさんの両方とも3×5でも5×3でも表現できます。
うーん、授業ではよく子どもの中では、区別されていると思いますよ。CさんとDさんが話し合いの中で、違う数え方なのに式が同じというのは、子どもも納得できないのではないでしょうか。このあたりは断言できませんが。

ごんべいさん
>逆にたとえば5×2+5といわれたときにどのように頭の中で切ったかはわからないですよね。少なくとも4通りくらいは思い当たりますね。
ここで、先生が出した本日のルールにのっとれば、1つになると思いますが、どうでしょうか。

先に紹介した授業例で、「先生が式に表してみましょう」としたときに、
 Aさん 3×5
 Bさん 3×5
 Cさん 3×5
 Dさん 3×5
 Eさん 3×5
先生「みんないろんな考え方ができたね」
という展開で、子どもたちに何が残るでしょうか。何も残りません。
式に表すことで、「3個ずつ足す」ということが大変だとわかり、かけ算の便利さを認識したり、かけ算は「いくつ分×まとまり(逆でも)」の意味があること、同数累加であることが理解できます。「3個ずつ足す」という自然言語で説明するのではなく、数学の言葉で説明できるようにもなっていきます。
それなら、そういうことを教師が説明すればよいと思われる方もいるでしょうが、教師が説明しても、こうしたことは身についていきません。やはり自分で体験して実感していくことが必要です。

ここで一つご理解いただきたいのは、数学の概念は教えて身につくものではありません。積み重ねが大事です。これはみなさん同意されると思います。
積み木をよくやった子どもは、立体のイメージを持ちやすい、ということも明らかになっています。
ですから、こうした学習は、将来、文字式などを立式したり、式から意味を読み取ったりする素地としての意味もあります。

余談に近いかもしれませんが、演算の意味の理解というのは、とても大切ですが、実際にはそう丁寧に学習されてきませんでした。今の学習にはその反省があります。
分かりやすいので、わり算の意味で説明しますが、わり算の意味には等分除、包含除、比とあります(これに批判されている方もいますが、一般として)。当然、子どもにはこれが包含除だよなんて教えませんが、概念として理解させようとします。
分数÷分数とはどういうことか、説明できない大人も多いのではないでしょうか。まわりの文系の方に聞いてみてください。
これも、1/2の中に1/4がいくつあるか(包含除)とか、1/2と1/4の比と考えるとすっとイメージできませんか。
計算をできるようにすることも大事ですが、それだけではなく身につけさせたいことがこうした学習の背後にはあります。

もう一言、こう書いていると絶対順序派のように思われるとちょっと心外なので、#429で紹介した文部省の解説に近い立場であることを明言しておきます。

482. Isshocking — December 16, 2010 @08:25:55

ちょっと別な観点からみれないものかと思って、ちょっと考えてみました。
だいたい、「5×3」というのは定数値なのですね。
そして、5×3=5+5+5は恒等式です。恒等式は「値として等しい」という意味を表しているにすぎず、「操作手順として等しい」意味などはもちろんありません。
y=5xという式なら「xが1つずつ増えるとyは5つずつ増える」ということも言えますが、定数値は定数値なんでそんな性質はつけられません。
f(x)=5×3からf(x)≡5xが導出できるわけはないでしょう。
さて、正解とされている式に立ち返りますと、
3×5=15
の「=」はBASIC流の代入演算子ではありません。(なぜか暗黙のうちに代入の意味が付与されている節がありますが)
この恒等式の意味は「3×5と15は値が等しい」です。
強いて元の問題に立ち返って解釈すると、「15と等しい3の倍数は1つある、それは3×5であることを証明せよ」とでもなりますか。
恒等式ですから15=3×5と書いても同じです。(これは間違いの例に出てこないようですが)

わたしは恒等式の意味を勘違いして覚えること(代入ではないのに代入として覚える、推移律の存在が危うくなる)と、「=」の右側が答えで左側が計算過程という固定観念が生ずるのは好ましくないと思います。

Up483. Isshocking — December 16, 2010 @10:29:06

今、読み返してみたらNo.427の私の発言で、「前置記法(「×ab」と書く。逆ポーランド記法)とか後置記法(「ab×」と書く。ポーランド記法)」は名称が逆でした。
前置記法がポーランド記法です。

484. ドラゴン — December 16, 2010 @10:41:22

みなさん
Kataseさん

黒木さんが更新されていました。
黒木さんの言われる解釈については、完全に私の誤読でした。
謹んでお詫び申し上げます。

子どもの例で述べられている点が多かったので、そこを主として読み取っておりました。

485. 技術開発者 — December 16, 2010 @10:25:10

こんにちは、ドラゴンさん。

>もう一言、こう書いていると絶対順序派のように思われるとちょっと心外なので、#429で紹介した文部省の解説に近い立場であることを明言しておきます。

この問題の根本のところに「こうした方が良い」が「こうしなくてはならない」に置き換わってしまうという問題があるのだろうと思うんですね。

私なんかの経験で言うと「試料に試薬Aと試薬Bを加える」という手順書を書くと、「AとBのどちらを先に入れるべきですか?」なんて質問が来る事があります。実は「AとB」なんて書き方をするときはどちらが先でも構いません。順番がある時には「試薬Aを加え、その後試薬Bを加える」と書くのが普通です。じゃあ、「どちらでも良い」のみを答えるかというと、実は「どちらでも良いけど、書いてある順番に入れる癖は付けた方が良いですよ」と回答します。というのは「Aを加え、その後B」と書いても逆に入れる人がいるからです。
 なんていうか、或る意味悲しい話なんだけど、その質問そのものが「操作の意味が分かっていない」事を示しているのね。試薬AB加える事の意味とか試薬の性質とかをきちんと理解していれば、出てこない質問だからです。操作の意味とか試薬の性質とかを理解しきれないまま、単に私の書く手順書に従って操作する人が居るという現実が悲しい訳ですが、その現実が私に「書いてある順番どうりに入れる癖は付けた方が良いですよ」なんて言わせる訳です。なにせ、順番間違うと分析がうまくいかない程度なら良いけど、中には危険な操作もありますからね。

でもって、私みたいなのが「癖をつけた方が良い」なんて言うと、どこかでは、「AとB」と書いてあるのに、Bを先に入れてはいけないなんて指導する人間も出てくるかも知れないのね。こんなことを考えていると悩ましく成っちゃうんですね。

そんなことを考えていると、こういう試薬の入れ方の問題が単に順番の問題じゃなくて、化学操作をする人間はその作業の前にきちんと操作の意味とか試薬の性質を理解する時間を設けるべきで、手順書だけ与えてそのとおりにやれなんてやるべきではないという考え方になるのね。実は、諸島教育におけるこの順番の問題も、もっとマンツーマン的な1人1人の発達過程に合わせた教育ができなくなっている(教師の教育も含めてね)問題のように見えてくる訳です。

486. トンデモブラウ — December 16, 2010 @11:32:19

単位(次元)の問題や化学的反応の問題は、掛け算の順序とは無関係だと思いますけど。
掛け算を覚える小学生の時に、「いち単位あたりの量」×「いくつ分」の順序で教わらないと、濃度計算や速度計算ができなくなる、化学実験で溶液を作成するのも手順通りできない、なんてのはどこの都市伝説ですか?

Up487. ドラゴン — December 16, 2010 @11:50:45

こんにちは、技術開発者さん

>この問題の根本のところに「こうした方が良い」が「こうしなくてはならない」に置き換わってしまうという問題があるのだろうと思うんですね。

前にこの話が出たときも、そのようにご指摘されていましたね。
そうした点から、結局は、教師の力量に帰結するように思います。
臨機応変に、子どもの理解に応じてできるかどうかですね。

488. ボソッ — December 16, 2010 @13:29:40

いまさら、とは思いますが、次のブログで実際の教科書がどうなってるか紹介されています。現役の小学校教員の方らしいです。

・教科書会社のトップ「東京書籍」に言わせると、「5×3≠3×5」らしい。(小学校笑いぐさ日記)
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089Link

ついでに、直接の関係はないけど、
・中学生のコンピュータの問題 (Okumura's Blog)
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/2570Link

「教える」ってムズかしい...

Up489. キリン — December 16, 2010 @13:58:28

乗数と被乗数は、元々は、教育書などで、数式を文章で説明するための言葉だったのかもしれませんね。
2つの数字のかけ算は、前を被乗数、後ろを乗数と呼ぶことにする、というような感じで。
 
そして、子どもが相手では、乗数・被乗数では難しいから「かける数」「かけられる数」と呼び方を変え、やがて、乗数・被乗数それぞれに「いくつ分」「1あたりの数」と別々に意味を付加するようになり、とうとう「1あたりの数」を前に持ってこなければならないと思いこむ人が現れたのでは、と…。
 
そう考えると、つじつまが合うような気がしてきました。

490. SF物理マニア — December 16, 2010 @13:46:47

文科省の指導要領には最低限の項目しか書いてないと思います。
具体的な指導内容や方法は教師向け教科書指導書に書かれていると思います。
教科書そのものも教科書指導書も指導要領にしたがっているか教科書検定を受けるものだと思います。
従い指導要領に無いことが教科書に書いてあるというのは当然なのです。
おそらく指導要領そのものはほとんど変わっていないと思いますが、検定基準は、若干変動要素はあると思います。

491. Isshocking — December 16, 2010 @13:26:33

掛ける順番の問題は別として、「1つあたり量」も【あらゆる掛け算問題に】に導入する必然性は見出しがたいと思います。
次元を持つ量、例えば面積計算の「長さ×長さ」を見ればわかるように、どちらか片方の項が特別な意味が付与されることはないからです。
3個一山100円のみかんが5山でいくら、といった問題でもみかん1個の値段を計算する必要はありませんね。

492. Isshocking — December 16, 2010 @14:23:23

この手の問題では「現場をよく勉強してから発言してくれ」とか「教育的な配慮があるんだ」「そんなに言うなら代替案をだしてみろ」とかいう反論もあるものですが、それで給料を得ているプロというものはそれをやっちゃいけないと思うのです。
例えばプロ野球の選手がだらけたプレーをしていたら批判されるのは当たり前で、それを「プロ経験のないものは黙ってろ」とか「ヒットの打ち方を教えろ」とかの反論はききません。
なにかできない理由や不都合があるのなら実態に即して逐次的に説明すべきです。
さすがに、「個別に習熟度を確かめて」とか「全部教員個人の努力不足」とかに還元するのは無理があるとは思いますが。
子どもの伸び方は様々ですから、教科ごと、単元ごとに違います。この時期の子どもは数か月ごとにも変わる。それをいちいち綿密に習熟度判定していたら、授業をせずにもっぱら習熟度テストばかりしていなくてはならないことになります。
おのずから妥協点はあるでしょう。
なぜ、妥協せざるを得ないのか説明ができればいいのです。

493. たまむし — December 16, 2010 @14:51:38

5×3 に 5×3=5+5+5 といった1つだけの解釈が必要とするなら、
6÷2 などにも1つだけの解釈がないといけないと言えそうです。
式に表したものを自由に解釈できては困るなんて話にもなります。
(以降はとりあえずかけ算の順序に意味があるとして使っています)

すると 6÷2 は ○×2=6 ⇔ ○+○=6 となる ○ を求める式なのか、
2×○=6 ⇔ 2+2+・・・(2 を ○ 個加える)=6 となる ○ を求める式なのか、
これもまたきちっと1つの解釈に定めてあげないといけません。

でもそうなると等分除と包含除のどちらかをアウトにしないといけません。
もちろん、さすがにそこまで突拍子もないことを言う人はいませんが。

結局、わり算は式に1つだけの解釈を与えるのは無理なようです。
ここに1つの解釈を与えるには単位(もどき)をつけるなり、
単なる数字による式以外の情報を加えればよさそうです。

そうすると、かけ算の式も1つだけの解釈を与える必要なんてないし、
わり算と同様に単位(もどき)をつければ何とでもなります。

もっともわり算では状況に対応する式は1つに定まってますが、
逆に式に対応する状況は1つには定まらないわけですよね。

かけ算は無理に順序をつければ状況と式の1対1対応が作れますが、
かけ算以外にも目をやれば1対1対応がつかないのが普通であって、
かけ算にだけその対応をつけることにこだわる必要があるかといえば、
私にはやっぱりその必要性はないだろうと思えてしまいますね。

Up494. kurita Website — December 16, 2010 @14:57:23

遅ればせながら、積分定数さんが管理しておられる mixi のコミュを覗いてきました。(とても全部は無理だけど)

まだまだ奥が深い(?)というか、驚かされたのは、数学教育協議会の機関誌「数学教室」2009年1月号に載っていたという「実践記録」。 小学五年生(←間違いじゃなくて5年生)のクラスで、このスレッド風に言えば「皿が5枚あり、リンゴが3個づつ置かれてます。リンゴは全部で何個か」という(いわゆる“ひっかけ”版)問題に「5x3」と答えた生徒の方が最初は多かったのだけど、「子どもたちに議論をさせて」かけ算の「意味」を「確認させ」たら、「3x5」と考える子の方が多くなった(ヤッタ!)、というのです。 ここまでで一時間(らしい)。 (たぶん)二時間目には、例によって『かけ算とは、「1当たり量×いくつ分」』と教え、「5x3は間違いだと結論する」。 (おそらく)三時間目には、『何が「1当たり量」か』を確認させて「正しい式」を書かせ、問題を解く、と。 素晴らしいです。(TT) 

5年生ともなればかけ算の考え方が身についてきていてもおかしくはないはずと思いますが、それを見事に“矯正”してくれているわけです。 かけ算の順番は導入のための「方便」なんかではなくて本質的なもの、「順番を守れることでかけ算を理解したことになる」という、よく聞く意見を見事に“実践”しているわけです。 それも(たぶん)3時間も使って。 しかも五年生に! 子供たちが早くその呪縛から抜け出られることを祈ってます。 彼らの将来のためにも。

ドラゴンさん:
> そうした点から、結局は、教師の力量に帰結するように思います。

言葉遊びと言われるかもしれないけど、優れた力量で間違ったことを子供たちに教えられても困ります。
ここで議論している人達の多くは、教条主義的な教師の考え方や教え方を問題にしているし、より根本的にはそこに根拠を与えている、あるいは、そのような教師を生み出すことになる、“指導者”や“指導書”などに問題があり、それをどうにかしようと考えているのだと思っていました。 単なる「教師の力量」問題に落とし込まれてしまうとは、ちょっと驚きました。

495. kurita Website — December 16, 2010 @15:53:59

その後教えていただいた情報によると、どうやらこれの導入部だったようです。

「かけ算・わり算の意味とかけわり図」
http://www.ne.jp/asahi/akita/school/sansu/5nen/05kakewari5.pdfLink

話にだけは聞いていたけど、「かけわり図」ってやつの意味がやっと分かりました。

496. ドラゴン — December 16, 2010 @16:02:39

kuritaさん、こんにちは。
この話題では、久しぶりですね。
いつも、私の考えをご理解いただけないようですね。

まあ教師の力量という言葉は、幅広いので、人によって捉えられ方が違うでしょう。これについて議論するときは、整理する必要があります。

>言葉遊びと言われるかもしれないけど、優れた力量で間違ったことを子供たちに教えられても困ります。
間違ったことを教えた時点で、優れた力量とは言えないと思います。

ずっと前にも書いたかと思いますが、教育には目標があってその目標を達成するために授業があります。ご紹介の5年生の学習では、何が目標だったのか、理解できません。

黒木さんがかけ算の解釈(私たちはかけ算の意味と言っています)について解説されていたので、ちょっと補足と思い、まとめておりました。

かけ算には概ね次の意味があります。
 1 同数累加
 2 倍
 3 まとまり×いくつ分
 4 0のかけ算
 5 積(量×量)
 6 小数・分数のかけ算
 7 基準量×割合
   (片桐重男の体系を分かりやすく改めました)
3つにまとめている人もいれば、4つにまとめている人もいます。
数の意味が自然数、整数と拡張していくように、かけ算の意味もこのように拡張していきます。当然、かけ算の順番はありません。6番くらいで、同数累加は適応できなくなりますね。
7番の割合あたりでは、割合をどう認識しているかで、順番にこだわる場合もありそうですが、順番を教えることが目的ではなく、割合をどう理解しているかをみることが目的でしょう。
さて、5年生だともう6番の意味まで拡張されていますね。それでどうしてご紹介のような授業になったのでしょうか。ちょっと理解できません。3番の意味がよく理解されていないと判断して、立ち戻ったのでしょうか。

教師の力量に話を戻しますが、以前、どこかの教育大学の論文の中に、偶数についての指導が紹介されていました。2倍ということをもとにしたので、立式は、○×2にさせようとしていました。でも、子どもは2が先の方が分かりやすいからと、2×○にしたいとなって、教師(研究者)もそれを認めました。目的は偶数の理解ですから。(ちょっと記憶に頼っておりますので定かでない部分もありますが)
こうしたことも教師の力量だと思います。形に固執するのではなく、子どもの理解にあわせて臨機応変にできれば、よいのではないでしょうか。

私はよく算数の問題解決学習のことを話題にしますが、現実として、問題解決学習の過程をなぞるだけという授業もあり、そうしたことは批判されています。なぜ、問題解決学習にしたのか、そうしたことを理解して、取り組むのが力量なんだと思います。

SF物理マニアさん
学習指導要領は、基本的には目標と内容で構成され、指導法については言及されません。ただ、今回の算数の改訂では、「算数的活動を通して」と指導法に関わる点が書かれたので、画期的だと言われています。
学習指導要領の解説書には、指導法について書かれますが、あくまでも例示です。以前解説書を指導書と言っておりましたが、指導という言葉から、それに従おうという意識が強く、例えば、生活科でザリガニを教材として例示したら全国でザリガニばかりの実践になってしまったことがありました。生活科は身近な生き物ということで、ザリガニの居ないところは違う生き物にするのですが、わざわざ購入してザリガニで実践されたそうです。そうしたことがあるので、指導書を解説書としたそうです(伝聞です)。

497. masudako — December 16, 2010 @15:31:56

自分のブログではほかの演算に話を広げてしまいましたが、ここでは広げないことにします。

しかし、かけ算だけをとっても、その成立前にさかのぼってみれば、人類が体験したさまざまな操作のうち、数や量として抽象化してみたら同じ形であることがわかったものを、同じものとみなした、総称なのだと思います。

とくに、実数(連続量)のかけ算(たとえば長さから面積を求めるような場合)と、整数(離散量)のかけ算(たとえばリンゴの個数の場合)とを同じ演算とみなしてよいこと、つまり「実数変数がたまたま整数と等しい値をとるとき、実数としてかけ算しても、整数のほうでかけ算して結果に等しい実数を求めても、結果は同じである」と確信できることは、画期的大発見だったと思います。今でこそ、タイルという道具(正方形の集まり)をうまく使って示されれば、すぐにそうにちがいないと確信できますが。

算数教育では、入り口は実感できる事例がよいと思いますが、抽象化された数がその事例とまったく異質なものも表現できることをわかってもらう必要があるでしょう。ただし、どんな対象に同じ演算が適用できどんな対象は違うのかの判断能力も必要になります。同じ例、違う例をいくつか経験してもらったうえで、これまでのおとなの知恵を濃縮した形で伝えることになるのでしょう。

498. SF物理マニア — December 16, 2010 @16:15:47

>学習指導要領の解説書には、指導法について書かれますが、あくまでも例示です。以前解説書を指導書と言っておりましたが、指導という言葉から、それに従おうという意識が強く、例えば、生活科でザリガニを教材として例示したら全国でザリガニばかりの実践

ネタじゃないですかそれは!
カブトムシや鍬形を例題にしたらコストが高くつきそうですね。

今は電子書籍・電子教科書の時代ですから、それに即した教材つくりをするといいと思います。ビデオやアニメーションを入れたりするとか。

499. 技術開発者 — December 16, 2010 @16:33:19

こんにちは、ドラゴンさん。

>まあ教師の力量という言葉は、幅広いので、人によって捉えられ方が違うでしょう。これについて議論するときは、整理する必要があります。

最近労働組合の関係で「使用者の安全配慮義務」なんて判例とか調べていましてね。なんていうかな、こういう事を書くと労組役員としては良くないのかも知れないけど、最近の使用者の責任ってのはとんでもなく重く見られている判決が多くて、つい使用者の方に同情したくなったりもするんですね(笑)。或る最高裁判決で「使用者の安全配慮義務は信義則上の義務」とされて以降、なんていうか、使用者は「考えられる限りの対策を施さない限り、事故の責任を労働者のみに追わせる事はできない」なんて感じね。まあ、私は古い人間だから使用者に同情する面を持つのだけど、そこまで判決が厳しくなった背景に、労働者が必要以上に責任を自分で抱え込み、そして使用者がその部分に甘えていた面があるのは否定できないのね。

まあ安全衛生とは違うんだけどね。なんていうか、

>学習指導要領の解説書には、指導法について書かれますが、あくまでも例示です。

は判決文風に書くと「例示であるという記載により、その内容の責を逃れえるものとは解せない」とでも言えそうですね。

>以前解説書を指導書と言っておりましたが、指導という言葉から、それに従おうという意識が強く、例えば、生活科でザリガニを教材として例示したら全国でザリガニばかりの実践になってしまったことがありました。

なんてのを根拠として出して、「文部科学省は、自らが出す解説書が例示を越えた強制力を持つものとして取り扱われている状態を認識していたのだから、たとえ例示として示そうとも例示を越えた強制力を発揮し、単なる便法に過ぎない「かけ算の順序」があたかも絶対的な教育法として教条化する事は充分に予見可能であったと言える」なんて書かれて、「にも関わらず、なんら対策を施す事のないまま、教育における便法の教条化を引き起こした責任は文部科学省にあると言わざるを得ない」なんて結ばれそうな感じですね(笑)。

500. 積分定数 Website — December 16, 2010 @17:55:54

>教科書そのものも教科書指導書も指導要領にしたがっているか教科書検定を受けるものだと思います。

教科書指導書に関しては文科省はノータッチです。
教科書には「逆にしては駄目ですよ」と書いたら、おそらく検定を通らないと思います。

文科省が「順序に拘るように教えなさい」と指導要領で公言したり、「逆にしては駄目だ」という記述の教科書を検定で合格させたりしたら、

国旗・国歌や新編日本史のように問題を顕在化させて議論を起こせるのかも知れませんが、あくまで文科省はこの問題には中立で、「教師がそれぞれに工夫してやっているものと信じます」という態度だと思います。


>驚かされたのは、数学教育協議会の機関誌「数学教室」2009年1月号に載っていたという「実践記録」。

「掛け算の順序」が議論されたときに、遠山啓を支持すると自称する人が、掛け算の順序に拘っているサイトが発見されたのが発端で、「もしかして、順序蔓延の元凶は数教協?」という疑惑がわき上がり、メタメタさんが色々調べてくれました。


発端となったサイト
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=5Link
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=6Link
「教条主義」という言葉がぴったりの人とか、
微積分や物理などに言及して、「数値の交換はOKですが,内包量と外延量の交換はできません。」などという人とか、
何度読んでも気持ち悪い。



ミクシィに入っていない方のために、コミュでのメタメタさんのコメントを転載します。


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2009年09月02日 21:17 メタメタ (承前)
もっとびっくりこいたのが、数教協である。数教協の創始者遠山啓が、この問題が初めて問題になった1970年代に、かけ算の式の順番は、基本的にはどちらでも良いという見解だったことは、以前にも触れました。
 その後、現在の数教協関係の本に順番にうるさい記述があったりして、数教協の見解がどうなっているのか気になっていた。統一見解などがあるのか、個々の見解に任されているのか、任されているとしても大勢の見解はどっちなのだろうか、と疑問だった。
 今回、次のものを発見した。数教協の機関誌「数学教室」(国土社)2009年1月号に載った実践記録「かけわり図の授業を創ろう」です。執筆者は世田谷区立小学校の先生(雑誌には実名あり)。
「かけわり図」というのは、かけ算やわり算の「意味」を説明・理解するための面積図みたいなもので、「積」を表す長方形の左側に「1あたり量」を表す一列の長方形があり、長方形の下側に「いくつ分」を表すスケールが表示されているというものです。(私自身は、この図は嫌いではありません。)これで教わったことのない小学5年生(5年生!!!)のクラスで、この「かけわり図」で「かけ算」の授業を3時間した記録です。
 1時間目の問題は、「3つの皿にりんごが2個ずつあります。りんごの総数を求める式は何か」。3×2とした者が13名、2×3とした者が9名(このあたりコピーせずに記憶で書いているので、若干の誤りがあります。ご容赦)。子どもたちに議論をさせて、3×2の「意味」は、●●●+●●●、2×3の「意味」は、●●+●●+●●と確認させ、もう一回挙手させると、人数はほぼ逆転。
そして、教師が「1当たり量」という言葉を教える。2時間目(?)に、かけ算とは、「1当たり量×いくつ分」の式で「全体の量」を求める計算だと教える(定義する?)。そして、この問題では、2×3の式が正しく、3×2は間違いだと結論する。3時間目(?)に、類題5問で、何が「1当たり量」かを確認させて「正しい式」を書かせる。
 「1当たり量」を確認させることは(こういう舌を噛みそうな用語を使うかどうかは別にして)私は賛成である。しかし、「1当たり量×いくつ分」が正しく、「いくつ分×1当たり量」は間違いという主張には反対であるし、問題文から立式が、かけ算と分かったら、いちいちどちらの数値が「1当たり量」なのかと確認せずに、かけ算の式を書いて構わないと、おそらく多くの大人が思っているように、私も思う。割り算や引き算の場合は、どちらの数をどちらの数で割る(引く)のかは考える必要はあるが、足し算とかけ算の場合にはその過程は不要だし、考えてもどちらでもいい場合がある(「普通に」考えてもどちらでもいい場合が少なくないだろうし、「変わった考え方」をすれば、すべての場合がどちらでもいい)。
 ところが、数教協の機関誌のこの号にメイン的に掲載された実践記録がかけ算の式には順番があることを主張しているのだ。
 こういう主張を、法則化が、ベネッセが、啓林館が、東京書籍が、していることは知っていた。そして、数教協、お前もか!  ひとり頑張って、どちらでもいいと言っている、少なくとも、「1当たり量×いくつ分」あるいは「1つ分×いくつ」あるいは「何が何こ」の順で書かなければ間違い、とは言っていないのは、文科省だけということか? ぐゎんばれ官僚!
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501. Isshocking — December 16, 2010 @18:49:36

積分定数さん:
>「教条主義」という言葉がぴったりの人とか、
微積分や物理などに言及して、「数値の交換はOKですが,内包量と外延量の交換はできません。」などという人とか、
数教協をができたころは日教組がもっとも戦闘的だった時代で、したがってイデオロギー的な正当性(?)がすべてにおいて優先されます。
掛け算に順序がある、というのは教育心理学や発達心理学、数学的論理より上位のメタ論理、セントラルドグマに近いものですから、教条主義に見えるのも道理です。
http://m-ac.jp/me/instruction/subjects/nq/composition/schoolmath_ideology/index_j.phtmlLink

内包量と外延量は基本単位と誘導単位の別だと思いますが、基本単位というのは、たまたまそれが選ばれているだけで、別に誘導単位にはない特別な数学的意味があるわけではありませんね。
わたしが大学生だったころは単位系が一番混乱していたころで、電気工学はMKSA単位系、物理学はcgs静電単位系、化学はガウス単位系といった具合に教授によって使う単位系がバラバラでした。力学も重力単位系の教科書が混ざってましたから、平行電界Eを等速度vで動く質量mの点電荷eに働く力を求めよ、といった問題にも課目によって違う公式を書かねば不正解でした。

Up502. yamaguchi — December 16, 2010 @20:25:36

楽しくコメントを読ませて頂きましたが少し疲れました。
素人の考えで恐縮ですが。

そもそも何で「皿」に「リンゴ」を乗せなきゃいけないんだろう・・・テーブルの上に、かため置きするだけでいいのに。
4つの皿に3個ずつリンゴを乗せれば3×4は良いとしても、次に一皿のリンゴ3個を残り3皿に1個ずつ分配すれば、皿が1つ余ってしまいますね。
これを、0×1+4×3=12と教えてくれるのならば、それはそれで「まいりました」と言わざるをえないのですが、皿もかたずけてしまうのでしょうね。

kuritaさんご紹介の「かけ算・わり算の意味とかけわり図」の3ページで
「2 × 3 になるような文章問題を作りなさい。ただし、面積を出す問題は除きます。」
の、『ただし、面積を出す問題は除きます。』なんて相当苦しいですね。


アメリカの小学生向けhomeschoolingの掛け算で、

2 times 5 would look like

* * * * *
* * * * *

or

* *
* *
* *
* *
* *

なんて、あっさりと書いてありましたが、小学校学習指導要領解説の

●●●●●●
●●●●●●

2×6 または6×2

よりもイメージしやすいですね。

「先生。下のは2×5だよ」なんて反撃されれば、「そうだよ。5×2と2×5は同じ答えになるんだ」とか、

* * * * *

* * * * *

or

*  *
*  *
*  *
*  *
*  *

これでどうだ!!とか、楽しい授業が出来ると思うのですがねえ。

503. masudako — December 16, 2010 @20:44:44

「外延量と内包量」は、(ニュアンスを別として)「示量変数と示強変数」と同じです。

英語ではextensive対intensiveで、extentを「外延」とするのはうまいと思いますが、「内包」はわけがわかりません。intensityは「強さ」と考えれば「示強」がもっともですが、「示量」はわけがわかりません。しかし「外延」対「示強」では対照がわかりにくいです。

数に関する概念ではなくまさに「量」に関するもの、言いかえれば数値と現実世界の関連に関するものだと思います。同様な物体を2つ持ってくると2倍になるのが外延量、変わらないのが内包量です。

この考えかたは個別の文脈に出てくる量の間の相対的役割を説明する際には役立つことが多いです。しかしすべての量をこの2つに分類しようとすると無理が生じます。速さは長さと時間という2つの外延量の比なので内包量と考えられますが、加速度という内包量に対しては外延量の立場になるでしょう(加速度は二次の内包量だという言いかたも見かけましたが)。体積あたりの量・質量あたりの量・モルあたりの量などが混在する場合なども分けにくいです。

算数は数学の初歩であると同じくらい(いわば)「量学」の初歩でもあり、量学については算数教育者はたぶん数学者よりも見識を持っているのでしょう。しかし量学を算数教育者だけにまかせておけないという気もします。理科・社会科的視点をもっと入れて構築していくべきだろうと思います。

Owner Comment きくち  December 17, 2010 @00:49:31

あ、extensiveとintensiveなんですか。

505. かみなりびりびり — December 16, 2010 @21:17:07

最初からずーっと『×の前後の話』を二元論で語っておられるようですがf(--;
これ以上書くときくちさんに削除されそうなので止めておきますね

506. ごんべえ — December 16, 2010 @21:12:01

ドラゴンさんの#481に曰く:
> ごんべいさん
> >逆にたとえば5×2+5といわれたときにどのように頭の中で切ったかはわからないですよね。少なくとも4通りくらいは思い当たりますね。
> ここで、先生が出した本日のルールにのっとれば、1つになると思いますが、どうでしょうか。

それでは以下●が5×2、○が5ですがこれは数え方としてはすべて同じ1つの考えではないですよね。式に対応するより具体的な解釈はより多様であって、数に落とす時点で考え・解釈の一部が捨象されるのは必然だと思います。

●●●●●
●●●●●
○○○○○

●●○●●
●○○○●
●●○●●

●○●●●
●○○○●
●●●○●

●●○●●
●●○●●
●○○○●

●●○○●
●●○●●
●○○●●

Up507. LiX — December 16, 2010 @21:22:40

こんばんは、
子供をスクリーニングするため正解でも×にすると聞いて、子供をサンプル扱いするなとか怒りの長文を書いて、一晩以上たって削除して落ち着きました。

問題の意味も交換則も分かっていて、乗数・被乗数の区別が不毛であり、なおかつ被乗数が左、乗数が右という勝手な規則が幻想であることを理解している子供にとっては、先生が「順序厳格派」か「順序必要悪派」に関係なく、先生はおかしくなっているという評価が残って、今まで築き上げてきたかもしれない先生への信頼を一気に無くすわけですね。

先生はどうかしているが学問には罪が無いと確信して、より勉学に励んでいつか先生の性根を叩き直そうと誓うのはかなり稀な変人だと思うので親が気が付いてフォローするしかないのですね。過労死寸前の先生が成長する可能性はほぼゼロですから。どうにかして1クラス当たりの児童の人数を減らせないものでしょうか。あの聖徳太子でさえ一度に十人くらいしか相手に出来なかったのだし。

>ドラゴンさん — December 16, 2010 @16:02:39
>例えば、生活科でザリガニを教材として例示したら全国でザリガニばかりの実践になってしまったことがありました。

それが原因で、うちの子のクラスの子たちが死なせたザリガニを補充するために、私はザリガニを何匹も取る羽目になって、膝が痛くなったわけですか。なるほど。こんな寒い季節にまともに子供たちが育てられるとは思えなかったのですが。すまん、ザリガニ。

508. ゴルゴ・サーディーン — December 16, 2010 @21:28:12

きょうのやりとりを見て、ようやく気がつきました。
一部の教科書の教師用注釈に、掛け算の順序を守るよう指導せよと
書いてあるのですね。

それを知ったうえで、積分定数さんの 502 にある
 >あくまで文科省はこの問題には中立で、「教師がそれぞれに工
 >夫してやっているものと信じます」という態度だと思います。
を読むと、事態の陰湿さがわかります。

kuritaさんの 494 に書かれた、児童たち自身に議論させて "正しい"
順序に導く話も、気分が悪くなる話です。

私がさがして来た
 ttp://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu.html
の指導案には、
 「児童がこれから学ぶべき内容に自分で気づいたら、ほめる」
 「算数で学んだことを日常生活で活かそうとする姿勢はプラス評価」
などという趣旨のことが並んでいます。
これなどは
 「交換法則を発見して使うことを封じておきながら、どの口で言うか!」
と、あきれるほかありません。

509. かとう — December 16, 2010 @22:04:21

誤解している人が居るようですので、注釈です。
教科書は検定を受けますが、その教科書に対応している教師用指導書
は、検定されていません。
文科省はノータッチです。

Up510. Isshocking — December 16, 2010 @22:10:35

masudakoさん:
>「外延量と内包量」は、(ニュアンスを別として)「示量変数と示強変数」と同じです。
Wikipedia によると違うものらしいですよ。道理で知らなかったわけだ。

-----------以下引用--------------------
銀林と遠山らにより考案され日本の小学校算数教育で使われることのある分類概念である[3][4][5]。熱力学で使われる示量変数 (extensive variable) および示強変数 (intensive variable) と発想が似てはいるが別の概念であり、自然科学一般分野や社会科学一般分野、日本国外ではこの分類概念はほとんど使われていない

511. masudako — December 16, 2010 @22:43:06

Isshockingさん、わたしはそのWikipediaの記述を見たうえで、あえて「(ニュアンスを別として)同じ」と書きました。「一部の人々のこだわりを別として同じ」と書いたほうがよかったかもしれませんね。

512. ゴルゴ・サーディーン — December 16, 2010 @22:42:55

>誤解している人が居るようですので、注釈です。
>教科書は検定を受けますが、その教科書に対応している教師用指導書
>は、検定されていません。

私のことですか?
ちゃんと理解していますよ。(ギリギリで今日理解したところですが)

これだけで番号を消費するのも勿体無いから小ネタ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私の 460 より。
 > ベンチが4つあります。1つのベンチに2人ずつ
 > すわっています。ぜんぶでこどもは何人でしょう。

答え:「わからない」
理由:何人が子どもで、何人が大人か、問題文で示されていない。


(もうひとつネタ)
 草地に杭を立て、長さ5mの縄でライオンをつないだ。
 ライオンはどれだけの広さの草を食べられるか?

513. Isshocking — December 16, 2010 @23:15:26

masudakoさん、ついでに積分定数さんがリンクされていたブログを読んだら、

「内包量」=「外延量」÷「外延量」であり,
小学校で登場する掛け算には,
「外延量」=「外延量」×「外延量」・・・例:面積=底辺の長さ×高さ・・・掛け算の順番を逆にすることもできる
「外延量」=「内包量」×「外延量」・・・例:距離=速度×時間・・・掛け算の順番を逆にすることはできない
の二つがあります。ただし,面積(外延量)がいつも「外延量」×「外延量」であるとはかぎりません。

などと頭の痛くなることが書いてありました。
どうやら、わたしには理解できない深遠なメタ論理が使われているらしい。

Up514. SF物理マニア — December 16, 2010 @23:34:48

「内包量」、「外延量」についてwikipedia先生から引用ですが、さすがにこれはやりすぎですか?
分類上は物理学
====
銀林と遠山らにより考案され日本の小学校算数教育で使われることのある分類概念である[3][4][5]。熱力学で使われる示量変数 (extensive variable) および示強変数 (intensive variable) と発想が似てはいるが別の概念であり、自然科学一般分野や社会科学一般分野、日本国外ではこの分類概念はほとんど使われていない(外部リンクの英語版wikipedia「量」の項参照)。英語へは、外延量はextensive quantity、内包量はintensive quantityと訳されるが、この言葉は英語では熱力学で使われる示量変数および示強変数と同義語である(外部リンクの英語版wikipedia「物理量」の項参照)。

銀林らの分類では、量はまず分離量と連続量に分けられる。連続量は外延量と内包量に分けられる。内包量は度と率に分けられる。ただし分離量を外延量とみなす立場もあるらしい。

外延量は加法性が成り立つ量であり、長さ、質量、時間、面積、体積などである。内包量は加法性が成り立たない量であり、温度、速度、密度、濃度、利率などである。内包量はまた、他の量の乗除によって生み出されたものであり、異なる単位の量同士の乗除によるものが度であり、同じ単位の量同士の乗除によるものが率である。例えば、速度、密度、温度は度であり、濃度、利率は率である。

Owner Comment きくち  December 17, 2010 @00:57:26

銀林と遠山の考案で、英語にするならextensiveとintensiveといいつつ、初等教育のみで通用する概念ということですか・・

516. zero_man — December 16, 2010 @22:34:58

#474. かみなりびりびり さん こんにちは

>もし差し支えなければ、それらを具体的に列挙していただけないでしょうか

ここの趣旨からは、外れてしまうので詳しくはまたの機会にしたいと思いますが、
基本的に感じたのは、「習っていないことはNG」と言うことと「おちこぼれを出さないようにすることが重要で、できている子は無視される」というものでした。 勉強することのモチベーションを上げるほうが有効に働くのではと思っております。

もうひとつは、小さいときは、繰り返しの勉強が苦手だと思っています。
子供は好きなことは繰り返して何度もやりますが、嫌いなものは繰り返しがストレスになると思います。 うちの子も、計算ドリルや九九の練習が苦手でしたが、一緒に競争するようにしてからはどんどん進むようになりました。 ま、負けず嫌いな性格を受け継いだうちの子だけかもしれませんが・・・、勉強のモチベーションを上げる方向に持っていくことが重要なことのような気がします。
現場の先生たちの苦労は計り知れないと思いますし、大変とは思います。
生徒は先生にとってはワンオブゼムかもしれませんが、親にとっては自分の子供のことが気になります。

小学校のときに、算数の時間に好きな本を読んでいると聞いて何のことかと思ったら、問題のできた人は、残りの時間を好きな本(マンガを持ってきた子もいたとか)を読んで、できなかった人を先生が教えているとのことでした。
誰かが言っていたように、習っていない漢字を書くとNGだし、先生の知らない虫の名前もNGです。
掛け算の順番にしても、方法を習う前はNGで習ってからはOKな答えなどは子供にとっては矛盾なだけのような気がしますが・・

幸い、うちの子はひねくれた親の教え方にもめげずに、数学は嫌いにはなっておりません。(今は中学ですが・・)

517. プリゴロタ — December 17, 2010 @01:43:21

このエントリー、更新の勢いが衰えませんね。
職業柄、興味がある内容なので欠かさずチェックしていますが、これまで皆さんのコメントを読むだけで精一杯です。。。

>かとうさん

お気遣いありがとうございます。
次回の授業できちんとフォローするつもりですので、ご安心ください。

さて、問題「6人の子どもに、1人4こずつみかんを与えたい。みかんはいくつあればよいか?」に対して、解答「式:6×4=24 答:24個」のみを正解とした5人ですが、その理由として「問題文をそのまま式で表しているから」という回答に集約されるようですね。
かとうさんのご指摘に反するような形になってしまいましたが、この子たちは問題文を「Which is better?」と受け取ったのかもしれないので、交換法則も含め、個別に確認しておこうと思っています。

また、解答「式:4×6=24 答:24個」のみを良しとした生徒が1人いますが、その理由が「個数を先に書くべきだから」とあり、その「個数」がいわゆる「1あたり」のことを言っているのか気になっています。どういった対応をすべきか、考えておかないといけませんね。

Owner Comment きくち  December 17, 2010 @02:10:07

「個数を先に書くべきだから」は、掛け算の左側の単位が答の単位と一致しなくてはならない、というルールにしたがったのかもしれませんね

Up519. かとう — December 17, 2010 @01:45:19

>プリゴロタさん
>この子たちは問題文を「Which is better?」と受け取ったのかもしれないので
そうですね。実験に参加してもらって唐突だったので、意図不明確だった可能性も
大きいですよね。
どちらかを○に、もう一方を×にしないといけない問題だと勘違いしてるかも知れないし。
最後の子は、小学生の時に、順序絶対教条主義の犠牲になってる子かも知れないので、
実験のフォローとしても、教育のフォローとしても、よろしくお願いします。

520. 積分定数 Website — December 17, 2010 @02:37:36

「日教組がやろうとしている水道方式などけしからん」という文部省や管理職も、「日教組がやっているから水道方式は素晴らしい」というのも、結局はコインの裏表でしかない。

 遠山啓の本を読むと、「これに関して議論が巻き起こることを期待する」とか「批判は大歓迎」とか書いてある。

 遠山教条主義者というのは、教条主義を戒める遠山啓の考えに背くから、遠山教条主義とは言えないので、遠山啓の考えに合致して、・・・

 遠山のパラドックス! 対角論法の見本である。

 「中学生時代に本で大陸移動というのを知って、凄いと思って理科の教師に話したら、『アメリカ帝国主義の説など信じるな』と怒られた」というのを読んだこともある。ルイセンコみたいな話が日本にもあって、自然科学や算数教育も、イデオロギー闘争の影響を受けていたみたいです。
↓参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%B0%BB%E6%AD%A3%E4%BA%8CLink
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-060307-2.htmlLink (ちなみに私は読んでいない)
「滝川コミューン」も、読むと暗い気持ちになる。




以下、対案になるかどうか分からないが、私の提案


■私自身が、直接的・間接的に知った事例■

(事例1)
消しゴムが20個、鉛筆37本 赤鉛筆32本 ある。
消しゴム1個 鉛筆5本 色鉛筆2本 で一組のセットを作ると、何組作れるか?(数字はテキトー、深い意味はない)
 
優秀な生徒が、この問題をみて止まってしまった。
おそらく、実務としてこういうことをせざるを得なければ、何組作れるかを求めることができると思う。「算数の問題」ということで、何かスイッチが入ってしまい、「与えられた数字で式を立てないとならない」となってしまい、困ってしまったと思われる。



(事例2)
 3x+2y=5 7x−y=8   こういう連立方程式が解ける子が
 3x−6=8 x+y=4   という問題だと、固まってしまう。

(事例3)
 x^x(xのx乗)=27を解け というと戸惑う生徒が多い。

これらはいずれも、「与えられた問題パターンに対して、対応する解き方があるはず」という思いこみがあり、想定外のパターンに遭遇して対応不能になってしまったと思われる。

 事例3など、方程式の解き方など知らなければ、がむしゃらに代入してx=3と求めることができるが、なまじ「方程式の解き方という作法」を身につけていると困ってしまう。


 順列組み合わせの問題を与えると、「これってPで解くの?Cで解くの?『組み合わせ』って書いてあるから、やっぱりC?」と聞いてくる高校生が多くてうんざりする。

 「PでもCでも!でも、人海戦術で虱潰しに書き出すのでも何でも良いから好きにしてくれ。とにかく、問題の答えを求めてくれ」

と返答するのだが、彼らも「問題ごとの解答パターンがある」と信じてしまっている。

 そして、そうなる萌芽が小学校低学年の算数から始まっているように思う。


■答えさえ出せれば、まずはそれで良い■

 「数学は答えさえ出せばいいのではない。過程が大切だ。」とよく言われるし、私もそう信じてきた。

 しかし「掛け算の順序」を調べる中で疑問に思えてきた。とにもかくにも答えを出したと言うことは、それなりに考えて出したということである。勿論偶然正解しただけの可能性もあるが、まずは答えを出せることが大切である。

 また、思考過程が式などで表現されると言う考えもあり、ある程度当たっているが、式さえみれば思考過程が分かるというものでもないし、

 教えている教師自身の算数・数学理解が心許ないとなれば、「答えを出すまでの式をみてその子が理解しているかどうかを判断する」などとてもできないだろう。

 その結果が、「長方形の面積は横×縦ではいけません」だの、「掛け算の順序」だのである。

 むしろ、「答えだけ出せればそれで良い」という発想の方が健全に思える。その場合、私のように考え方は分かっても計算間違いで誤答する生徒へのフォローが必要になるが、それはまた別問題である。


■対案■

小学校1年生、自然数の概念を把握した状態。
1〜100まで数えられる。
与えられた数字に対して、その数だけ○を描くことができる。
描かれている○の数を言うことができる。

という状態(ただし、四則演算はやっていない状態)で、

「4人で遊んでいたら、3人加わった。今何人?」
(勿論、もう少し小1にわかりやすい表現にすべきだろうが、よく知らないのでご勘弁を)
など、他にも引き算や掛け算、わり算が対応する簡単な文章題を解かせる。

計算など習っていないから、指を折ったり○を描いたり消したりして求めることになる。当然、そうやって求めることができる簡単な数値でしか出題できない。

とにかくこうやって、文章題に対して、答えを出させることをやる。


■狙い■

1つは、文章題の意味を読み解く訓練。

もう1つ、ここが重要だが、「与えられた問題の答えを出す」ということを学ぶ。当たり前のことかも知れないが、現状はそうなっていない印象である。


例えば、

算数の宿題が10問あります。6問やり終えました。後、何問やらないとならないでしょうか?
式と答えを書きなさい。

これに対して、 式 6+4=10 答え 4

と解答したら、式にバツを付ける教師は多そうである。

「6問までやったのだから、それにどれだけ足せば10になるだろうか?」と考えて、「6+4=10」と書いた子は、バツを付けられて、

「授業で引き算をやったのだから、引き算を書かないとならないのだな」

と「学習」することになる。

そして、掛け算の授業の後に、「4人で遊んでいたら、3人加わった。今何人?」と出題されて、「4×3=12 12人」と答えることになる。

「そうじゃなくて、これは足し算」と言われて、「ずるいな。今度は引っかからないようにしよう」となり、

問題を与えらると、「これ、何算?」と質問するようになり、「自分で考えなさい」と言われると、

「足し算かな?引き算かな?掛け算かな?わり算かな?速さの問題だから掛け算かわり算だな。こっちの数をこっちで割ると割り切れるから、これかな?」

などとなってしまう。


 つまり、本来は答えを出すための道具であった計算式であるが、「思考が大切」という美名の下に、「思考過程をみるためのもの」という役割があたえられ、「問題文に対応した正しい式がある」という幻想が教師・児童双方に作られ、児童は「正しい式」という作法を覚えようとし、教師は作法を教えようとする。

 「掛け算の順序」はそんな幻想から生まれた徒花である。

 

 算数・数学ってもっとのびのびしたものだと信じたい。

台形の面積求めるのに、2つの台形で平行四辺形作っても良いし、2つの三角形に分割しても良い。

「どんな方法でもいいから、とにかく答えを見つけてみてね。」

できれば、その答えが正しいかどうか、児童自身が確認できればさらに良い。



■机上の空論だという批判は承知している■

 私自身は小学校低学年に算数を教えた経験がないので、机上の空論といわれればそれまでである。

 ただ、これまで中高生に教えてきて、所謂「理数系が得意」という生徒ですら、「公式や解法を覚えて問題に当てはめる」というのが数学の勉強だと思っている現実をみて、

「数学ってもっと楽しくてわくわくするものだったはずじゃないのか?」と悲しい気分になることがある。

 
3を4個足すのと、4を3個足すのが、結果が同じ!
他の場合もそうかな? 同じだ! なぜだろう!

区分求積と微分の逆演算が同じ!三角関数と指数関数が同じ!

違うはずのものが実は同じ! という発見は、数学の面白さの中でも上位に位置すると思う。

そんなわくわくするようなことが、

「かける数」だの、「かけられる数」だの、「順序を間違えるな」だの、くどくど言われて台無しになってしまうのが、

どうしても我慢できないのです。

521. もこう — December 17, 2010 @01:49:18

#500.積分定数さんのコメントを見てようやく(いまごろ)拘り派の言いたい事が分かった気がします。

> 1時間目の問題は、「3つの皿にりんごが2個ずつあります。りんごの総数を求める式は何か」。
3×2の「意味」は、●●●+●●●、2×3の「意味」は、●●+●●+●●と確認させ・・・

この問題を、3×2=6個とすると、計算問題としては○をもらえると思いますが
文章問題としては×と言う事なんですね・・・
それは、文章問題のストーリーに沿って式を作っていないから!
3つの皿にリンゴが2個づつですから、描くイメージは当然、●●+●●+●●=リンゴ2個が3つの皿の上に=2×3

これを、3×2にしてしまうと、イメージは
●●●+●●●=リンゴ3個が2つの皿の上に・・・
ほら、文章の内容と違うじゃん!!と・・・
勿論、トランプみたいに配るなんてありえんし!と、別にイメージしてもいいけど、最終的には2×3になってるだろ!と・・・

つまり、文章問題で子供にイメージさせる絵は
 ●  ●  ●  ●  ●
 ●  ●  ●  ●  ●
 ●  ●  ●  ●  ●
これでは無く、本当に皿の上に2個づつ乗ったリンゴをイメージせよ!と・・・


ふと、思い出しましたが、この説明受けたことありますね・・・たぶん
でも、違うと思うのは、それが「足し算」「引き算」「掛け算」のどれかを使って解きなさいと言う文章問題で
計算問題は出来るのに文章問題になると、+−×どれ使っていいか判らない、関係ない数字を除外できない(「3つの皿に2人で2個づつリンゴを置きました」みたいな問題)そんな子に教える
文章問題攻略法みたいな感じだったと思います。
イメージすれば(実際書いてみれば)2人でだろうが3人でだろうが、3つの皿に2個づつリンゴを置くのだから、2+2+2か2×3でしょ
ってな感じでしたっけ・・・

今では、そう解かなければならないですか・・・
自分の時は、判らない子は!って感じだったですけどね・・・

どうせ判らないから、初めからそう教えておけば後々楽だし良いや!も有るでしょうが
最近の子供って、文章問題が苦手だったりするのですかね?
(読解力不足とか、想像力過多?とか)

522. masudako — December 17, 2010 @02:31:46

「外延量と内包量」の件、わたしは、わたしがこの用語の意味として認識していることを書いたのであって、近ごろの数学教育協議会の人たちの使っている意味を推測して書こうとしたわけではありませんでした。(わたしは、遠山さんが使い始めたころの意味は示量変数・示強変数とほぼ同じで、その後算数教育界と物理・化学界との交渉が乏しいために意味が分化してしまったのだと想像していますが、これはまちがいかもしれません。)

なお、外延量・内包量という用語はカントの「純粋理性批判」にも出てくるそうで、しかもカントが初めというわけでもないようです。そういう哲学の議論でどういう意味に使われているかわたしは知りませんが。

523. kurita Website — December 17, 2010 @03:00:38

かけ算の順序の話題とはずれるので恐縮ですが、せっかくなので…
積分定数さんが紹介された「プレートテクトニクスの拒絶と受容」 http://www.amazon.co.jp/dp/4130603078/Link 、私には非常に“面白かった”です。 (面白い、の意味がちょっと微妙なのだけど… 興味深く読ませてもらった、の方が良いかな)

なぜか、某所で話題になっている「ニセ科学」の概念を理解すること、認めることを頑なに拒否している(ようにしか見えない)地学の先生のことが脳裏に浮かんで仕方なかったです。

UpOwner Comment きくち  December 17, 2010 @09:38:52

僕は日本でのルイセンコ説受容について少し調べていて(単に古書を探して、読んだだけですが)、その関連で「プレートテクトニクスの拒絶と受容」も読みました。

非常に面白い内容です。
本家ソ連でのルイセンコ事件が「国家がひとつの学説を正統学説として他を排除した事件」だったのにとは違い、日本でのルイセンコ事件は結局「ソ連の正統学説だから正しい」なんですよね。
プレートテクトニクスはルイセンコ説に比べると圧倒的に検証が難しい理論なので、学術的な論争はいくらでもありうると思いますが、地学界が主として「アメリカの説だから正しくない」という理由でプレートテクトニクスを拒否したらしいことは、とても興味深い。プレートテクトニクスに対する「日本独自の説」があることも面白いところです。

Owner Comment きくち  December 17, 2010 @10:55:39

その関連で、小波さんに教えてもらった「今西進化論批判の旅」(L.B.ホールステッド)という本も入手したところです。
面白い

ルイセンコでもプレートテクトニクスでも井尻正二というカリスマの果たした役割が大きいのですが、なんというかな、左翼はすぐ個人崇拝になっちゃうのが今の目で見ると不思議だな

526. zorori — December 17, 2010 @06:19:09

積分定数さん、

>■答えさえ出せれば、まずはそれで良い■

算数、いや数学だって、先ず具体的事例があって、それを抽象化するわけですね。沢山の事例つまり答えを経験しないと物事は始まらないと思います。足し算や掛け算を覚える段階というのは、まさに具体的事例(答え)を経験することですね。2個と3個を足したら5個になるというのは、実際に数えて納得するしかないわけで、論理的に導きだしたり、解法に従って計算したりするものではありませんね。九九も丸暗記するものです。

そういう感覚が身に付けば、いろんなルールや規則が自然と分かってきますね。交換法則なんかそうです。
規則が使えるようになると、効率的に計算が出来るようになるのですが、先生が効率的に教えようとするあまり、具体的事例で感覚を身につける段階で、規則を覚えさせようとしているところに、この問題の根があるような気がします。これは先生の責任というよりも、先生に激務を押し付けている何か別のもっと深い原因があるようですが。

今、日本語文法の本を読み返しています。そこには、いろんな文例が出てきて、それを見ると説明してある文法の規則が実に納得出来るのです。しかし、これは私が日本語のネイティブスピーカーであり、日本語の感覚が身についているからだと思います。多分、外国人が理解するのは難しいはずで、それは英語を中学で覚える時に、文法から入ってもなかなか身に付かないことから類推出来ます。

掛け算の順序ルールに拘る教え方は、英語教育と同じ間違いを犯しているような気がします。英語の場合は一応正しい文法を教えますが、算数では間違ったルールという点が違いますけど。

527. ごんべえ — December 17, 2010 @07:53:47

zororiさん:
「英語の場合は一応正しい文法を教えますが、」

中学校では一応、英語の先生は英語の先生ですからねえ。それでも、おそらく、それなりに間違いも教えているんだとは思います。アクセントとかイントネーションとかちょっとくらい違っても、勢いで何とかなりますから。今度は小学校で教えるそうですからどんなことになるか。やっぱり恐ろしいことが発生するかもしれません。

小学校は相手にする人数もさることながら、全教科、6学年分という広さが破綻を拡大させているのではないでしょうか。ベテランになっても数サイクルしかやっていないことになる。
各学年に適した教科教育法を身につけ改善するのは困難で、付け焼刃・指導用教科書だよりになるのではないでしょうか。

SF物理マニアさん#514
速度の加法性が成り立たないって相対論的世界?

Up528. Katase — December 17, 2010 @07:54:27

積分定数さんのDecember 17, 2010 @02:37:36を読んで、色々と考えさせられました。

私が数学を面白いと感じて好きになったのは、中3の時の数学の授業でした。
ユニークな先生で、一通り教科書に沿って問題の解法を教えて練習問題をいつくか解かせた後、「さて、この問題には別な解き方もあります。思い付いた人は?」と、切り出すことがよくありました。
別解を思い付いた人は前に出て黒板にそれを書いて説明します。
上手く出来ると「よく思い付いたね」と、とても褒めてくれました。
私はこれが"とんちクイズ"みたいで好きで、いつしか「別解の女王」とあだ名されて(^^;)、他の子達もKataseよりも先に思い付いて解いてやろうと、競争みたいになって楽しかったです。
その先生はよく私に「君は数学のセンスがいいねぇ」と言ってくれて、自信をつけさせてくれました。
この、視点を少しずらして別の見方で考えてみるという思考の仕方は、数学以外でも後々役に立ったのではないかとも思います。
(私は分子生物学分野の研究者になりましたが、仮説を立てる時の発想にもこのナナメ思考が生かされたのではないかとも密かに思っています)

私がレスキューしたDecember 11, 2010 @16:22:47で紹介した赤点ピンチになった高校生が、自分でイメージ図を描いて(最初はおはじきから入りましたが、問題の内容の発展に伴ってタイルやケーキの切り分けなど色々と駆使していき、慣れてきたら問題に沿って自由にイメージをしていって貰いました)、それに基づいて別解を色々と思い付き始めた時、私もうんと褒めてあげました。その子が「数学ってこんなに面白かったんだ〜」と言ってくれた時は、嬉しかったです。

数学の面白さって、1つの問題にも何通りかの解き方が可能で、その発想を楽しめるところにもありますよね。私は、最初におはじきを使って掛け算の解き方を教えてれた先生や別解の発想を奨励してくれた先生など、思い返すとつくづく教師運が良かったのかも知れません。どちらも田舎の公立校の先生でした。

また脱線してしまって、すみません。

529. ゴルゴ・サーディーン — December 17, 2010 @08:35:44

この「 掛け算の順序にこだわる問題 」は、もうしかしてこういう
事なのでしょうか?
   ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

 「 掛け算の順序を厳密に守るべきだという考え方は、文科省の
  学習指導要領にある『単位あたり量といくつ分』を過剰に重大
  視した結果として生まれた
    の で は な く、
  ある先人が打ち立てた『内包量・外延量』という理論を今でも
  支持している一群の人々がいて、その理論を背景にして、順序
  を厳密に守らせる指導方法がおこなわれているというのが真相。

   文科省の官僚にとってこの理論の信奉者は“ややこしい人々”
  なので、正面切って戦いたくない。
   そこで、その理論を検定教科書におおっぴらに載せることは
  認めないけれども教科書指導書(教科書に赤い字で教師むけの
  注釈を入れたもの)に書くことはノータッチ、という選択をし
  た。
 
   「学問の自由・言論の自由」という点から見れば、検定教科
  書ではない単なる本を書店で売ることを止めることは出来ない。」


だとすると、ここの掲示板に書きこまれた「 自分の意見を正義だと
思い込みおって 」という発言は、現場の苦労うんぬんではなく、
この『内包量・外延量』を支持する立場からの物だったのかも知れま
せん。

なお、514 によると
 「日本の小学校算数教育で使われることのある分類概念である」
 「自然科学一般分野や社会科学一般分野、日本国外ではこの分類
  概念はほとんど使われていない」
とのことですが、ごく一部の高校の先生などが、高校レベルで出て
来る物理量を、内包量・外延量の分類にあてはめる試みをしている
ようです。
 そんな先生に当たる生徒は災難です。

530. 技術開発者 — December 17, 2010 @08:50:03

こんにちは、ゴルゴ・サーディーンさん。無駄話だけどね。

なんていうかな、この前、うちの契約職員さんたちと「お客さんへのお茶の出し方」みたいな話になって、面白いなと思ったのは若い人ほど「作法」というのを知りたがり、そして従いたがるのね。でもって、私と同年代になると、「別に茶室でお茶している訳じゃないんだから、その時の状況で出せば良い」なんて言う訳ね(笑)。若い人に言わせると「それは経験があるからだ、経験がないとその時の状況でどうして良いか分からない」なんてね。まあ、「基本はもてなしの心だからね。暑い日に来たお客さんに冷たい麦茶を出し、もし直ぐに飲み干すようならお代わりを注ぐみたいな気配りが大事なんだよ」ととりあえず話を締めくくっておいたんだけどね(私だってマナー本の1冊や2冊は読んではいるけど、あまり覚えていないのでね:笑)。

なんていうかな、この「心と形」みたいな部分が根底にあると思うんですね。心は見えないけど形は見えるから、ついつい形を重んじる様に成っていく部分かな。そして、形重視にはまり込むと心が失われる。

531. masudako — December 17, 2010 @10:02:11

市井三郎, 1971『歴史の進歩とはなにか』(岩波新書) 第6章より:
「洋の東西を問わず人間の歴史には、《すぐれた伝統形成→形骸化→革新的再興》という共通したダイナミックスが、長期的に観察することができる」
(もう少し詳しい議論は次の文献にあります。市井三郎, 1969「伝統と革新」『思想』1969年10月号; 再録: 市井三郎・布川清司 1972 『伝統的革新思想論』(平凡社)第1章)。

1960年ごろの水道方式運動は、(マルクス主義という意味ではなく本来の意味で)革新だったのだと思います。(何に対する革新かはうろ覚えなので必要ならばもう少し調べてから述べます。) しかし(もしここで紹介された事例が代表的だとすれば)その伝統は今や形骸化してしまったようですね。革新的だった水道方式の精神を引き継ぐのは、むしろ形骸化した水道方式を破壊する革新なのでしょう。

めざすべき革新は、数学との役割分担を明確にした「量学」の構築ではないでしょうか。物理量を扱っているわたしとしては、まず数学的概念と物理量との対応に関する認識の整理を試み、経済量、心理量などに広げていくことを提起したいです。

532. ドラゴン — December 17, 2010 @11:08:02

技術開発者さん おはようございます。

それでは、「原審において重要な事項について審理不尽があるため〜」と控訴いたしましょうか。文部科学省が無実だということは、黒木さんにも弁護していただけそうですし(笑)。
世間一般には、文部科学省は管理教育の総本山のように思われているようですが、教育課程に関しては、むしろ子どもの自由度を奨励するようなところもあります。だいたい、指導要領の作成の中心メンバーは、もともと児童中心主義に近い人たちなんです。ザリガニのときも、そういうところから問題意識が出ていたように聞いております(20年くらい前の話ですが)。
時々、文部科学省を擁護するようなことを書くので、関係者と思われたこともありますが、全然関係ないです。念のため。

>形重視にはまり込むと心が失われる。
そうですね。#496で書きましたが、算数の問題解決学習もそれぞれの子どもに応じた学習なんですが、その指導過程をなぞるだけという形式的な授業もあって、それが弊害になっているところもあります。

ごんべいさん
確かに、子どもからはそういう考えも出てきそうですね。
すみません、うっかりしておりましたが、こういうまとまりにすると、通常は5×3もしくは5+5+5となりますね。子どもはほとんどそう捉えると思います。
ただ、こういうことも大事で、ある子どもHさんが「5×2+5」と立式して、それを他の子どもたちが解釈して話し合うなんてことをすると「5×3のほうがいいよ」「5+5+5だよ」といろいろな意見が出て、それぞれの子どもたちの考えが深まります。Hさんの中にも、「かけ算とはこういうことなんだ」と理解が深まっていくと思います。
自由に立式して良いとして、Hさんが「5×2+5」と立式して、「それはいいね。」だけだとHさんに何が学習として残るでしょうか。それをお考えいただけたらと思います。

ですから、私が言いたいのは、「順序を教える」のではなくて、「順序があることで理解が深まる」ということもあるということなんです。

力量のある教師は、誤答やこうした異なった考え方をうまく生かします。そういうクラスづくりもできていれば、子どもたちは安心していろんな考えを出してくれます。そうしたことを通して、子どもたちは理解を深めていきます。

ちょっと余談ですが、こうしたアレイ図は紙に書くと子どもが回したり裏返したりできますね。それで違う見方が出てきたりというのもあります。小学校段階では、こうした作業から学ぶのも非常に大事です。

zororiさん
>九九も丸暗記するものです。
ずっと以前も、ここでご意見をいただきましたが、今の算数教育は九九については、まず九九の構成を学習します。当然暗記もしますが、それだけではありません。
多くの方は、九九の学習を、九九を使えることだけが目標と思われているようですが、それだけではありません。
九九というのは、数表としてもおもしろい教材ですし、九九を学習することで、かけ算の理解を深めたり、数の仕組みを調べたり、いろいろな学習ができます。
例えば、「ある数を別の数の積としてみる見方」なども九九から身につきます。「乗数が1つ増えれば、積は被乗数分増える」というのも、関数的な考え方の素地にもなります。前も書きましたが、算数では「素地」は大事です。

みなさん
私は、水道方式と違う立場なので、意識的に避けていたところもあります。現場では水道方式はほとんど下火です。若い先生でもほとんど知らないと思います。また、教科書会社の著者にも数教協関係の方は入っていないと思います(すべて確認してはいませんが、代表著者レベルでは)。
もちろん遠山氏の影響は大きいと思いますが、遠山氏の考えだけで議論していると本質を見失うこともあると思います。
かけ算の順序は海外でもこだわられているようですが、海外では水道方式は取り入れられていません。

Up533. Isshocking — December 17, 2010 @09:43:35

masudakoさん:
>その後算数教育界と物理・化学界との交渉が乏しいために意味が分化してしまった
ここの記述によれば、遠山自身は外延量・内包量の概念をワイルから得ていたみたいで、別にオリジナルアイデアではなかったようです。分化したというより最初から別物ですね。
http://math.artet.net/?month=201003&page=2Link

カントの外延量・内包量の説明はここにありました。
http://homepage3.nifty.com/toshy/a36bunseki.htmlLink
これによると外延量とは「直観はすべて外延量である」、内包量とは「およそ現象においては感覚の対象をなす実在的なものは内包量即ち度を有する」ということです。
例えば、われわれが【猫】を認識するとき、何かを計量して判断しているわけではありません。大きさや毛並みのそれぞれ異なる現実の猫も、写真に写った猫も、ぬいぐるみの猫も等しく猫と認識できます。直感によってしか「あるものが【猫】である」という認識にには到達できないのです。一方、計量によって実在が認識出来る物(物理や化学のほとんどの概念)は全て内包量です。
これからみると、カントの外延量・内包量は全く別物みたいですね。

さて、先に紹介したブログでは銀林浩も少し紹介されています。この方はWeb上には詳細な紹介が見つからないのですが、構造主義に思い入れがあった方のようです。
遠山が参考にしたヘルマン・ワイルは、Wikipediaによると、最初は直観主義、後に直感主義から離れて「数学を「記号的構造物」と考える立場」となった人のようです。

以上の事実から勘案するに、遠山の意図するところは、数学教育という人文科学的実践と、数学の記号形式化を構造主義の変換群構造として構築しようと意図していたのではないかと。
子ども直感などという認識論を式の意味から排してマルクス主義の唯物論、ヘーゲルの弁証法と整合させたかったのではないかと思われるわけです。
わたしたちが掛け算と思っていたのは、実は日常知覚の構造主義的な再定義、すなわち群の演算が底流にあったのです。
群演算は一般には可換性を持ちませんから、順序に拘るのも数学的(基本的なところではちょっと哲学も入ってますが)には当然の帰結だったわけですね。

謎は解けた!
(と個人的に勝手に思うことにしよう)

534. よたよたあひる Website — December 17, 2010 @10:29:29

>ゴルゴ・サーディーンさん
---------
「 掛け算の順序を厳密に守るべきだという考え方は、文科省の
  学習指導要領にある『単位あたり量といくつ分』を過剰に重大
  視した結果として生まれた
    の で は な く、
  ある先人が打ち立てた『内包量・外延量』という理論を今でも
  支持している一群の人々がいて、その理論を背景にして、順序
  を厳密に守らせる指導方法がおこなわれているというのが真相
---------
 「仮説」あるいは「ネタ」としてはおもしろいのですが、「真相」というにはちょっと単純化しすぎていると思います(「ネタ」発言だったらごめんなさい)。現在では日教組系の指導研究会とTOSSと通信教育会社と教科書会社とそれぞれ立場が違う場で、「順序にこだわる指導」が重視されているので。

 
 もともと昭和33年の学習指導要領改定に対して、昭和38年に文部省が作った「指導資料」『小学校算数指導資料 2』の中で、かけ算の式の意味を教えることで子どもの理解を助けるという趣旨の記述があったそうです。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461350178.htmlLink
(↑積分定数さんと一緒にmixiのコミュニティをやっているメタメタさんのブログより。この前後の記事も併せて読むと参考になります。)
 この当時の学習指導要領、そしてその後の昭和42年改定の学習指導要領(これが通称「現代化カリキュラム」というやつです。)では、まだ掛算の導入は累加であり、「何の何倍」という教え方がベース。つまり、「3+3+3+3+3」は3が5つあるから3の5倍で「3×5」、という視点からの「かけられる数」「かける数」の順序がかけ算の理解に大切である、という視点だったのだと考えられます。
 
 「一つ分の大きさ」×「いくつぶん」という「かけ算の概念」が教科書に登場するようになるのはメタメタさんの調査では80年代以降、ということなのだそうで、それまでの間に、「水道方式」による指導が一定の成果をあげていたのではないかと私は考えます。
 どのような指導方法も、目の前の子どもたちの反応、理解の進み方から、試行錯誤して開発されるわけですが、結果として一定の成果がでてくれば「方法論」として学ぶ人も増えていきますからね。遠山啓自身はかけ算の順序・・・かけられる数とかける数の数字の順序・・・を固定して考えることを批判していたそうですが、「(一単位あたりの量)×(いくら分)」という順序を入れ替え可能としてはいなかった(可能性が高い)ようです。

 そして、「かけられる数」が「一単位あたりの量」、「かける数」が「いくら分」と読み替えられて、「3の5倍」と「5の3倍」は違うのだから、かけ算の順序には意味がある、というそれまでの流れに、実績をともなった理論がうらづけする形になってしまった、さらにそのように学んだ人たちが大人になって教師になったり教師用指導書を書く人になっていった、という流れがあるのではないでしょうか。

535. 技術開発者 — December 17, 2010 @11:20:09

こんにちは、ドラゴンさん。

>それでは、「原審において重要な事項について審理不尽があるため〜」と控訴いたしましょうか。

審理不尽よりも事実誤認があったみたいですね(笑)。
まあ、この件に関してはどうも現場での形式化の進みすぎということで考えた方が良さそうです。

ただね、最近労組の方で社会保険庁の650人くらいの免職問題を議論していて、ふと、東京教育大学の家永一派の免職問題を思い出したんですね。文部省のやり方に批判的な学者の集団がいたんだけど、東京教育大学が筑波大学に変わるときに、「これは移転・名称変更ではない。東京教育大学は無くなり、筑波大学が新しくできるのだ」ということで、ものの見事に、家永一派は東京教育大学をクビになり筑波大学には採用されなかった(涙)。

たぶん今の人には全く理解できない事として、戦後に国家公務員を「天皇陛下の直属の家来」から「国民全体の奉仕者」にしたときに、「権力の暴走を止める」働きの一翼として国家公務員の身分保障を定めたのね。「政府の命令に対して、それが国民のためにならないと思ったときに何らかのアクションを起こしても直ぐにはクビにできないようにしてやるからきちんと国民のためになるようにやれ」ってね。戦前に官僚があらゆる手段で国民を統制した事への反省が有ったわけですよ。でもって、その身分保障の抜け道の一つが「組織が無くなると身分を失う」なのね。その抜け道が最初に使われた例が、この大学移転に伴う家永一派の放逐ね。今の皆さんには、「上の命令に逆らったらクビで当然じゃない」と思われるだろうけどね。

なんていうかな、力量というのは窮屈な中では育たない面があると思うんですね。

536. Isshocking — December 17, 2010 @11:25:08

ごんべえさん:
>速度の加法性が成り立たないって相対論的世界?
違いますよ。
自動車Aが時速50km/h、自動車Bが時速60km/hで走っているとして、A,Bを並べたら時速110km/hになるかといったら、ならないでしょう。加法性が成り立たないというのはそういう意味です。
密度や温度もそうです。異なる物体にそれぞれ密度や温度を与えたとして、物体を合体させれば温度や密度は加算できるかという話らしいです。
・・・でも、それを言ったら、加算できるとされている量、たとえば時間だって、A君は教室で一時間過ごし、B君は校庭で一時間過ごしました。二人あわせて何時間立ちましたか、なんてのは意味があるのかどうか。
加算できると言ってもその状況を限定する条件は必要なわけでで、状況を指定するなら速度や温度も加算が定義できるわけですから、あまり分類する意味はなさそうです。
メリットがないから専門研究者には相手にされなかったのでしょう。
現場教師なら、役に立たないにせよいろいろ法則めいたものを次々に提示して新人教師や素人を煙に巻くことができるので、重宝するアイデアなのかも知れません。

537. masudako — December 17, 2010 @12:36:08

Isshockingさん(現在#533)の引用された math.artet.net のページ(「TETRA'S MATH」ブログ)には、遠山啓著作集「量とはなにか 1」の38ページからの引用があります。そこでは、外延量は加法性のある量だとされています。加法性の例として、二つの物体を合併したとき合併された全体の質量がそれぞれの物体の質量の和になる、ということがあげられています。TETRAさんの考えから離れますが、わたしから見ると、もし外延量の条件が物体の合併に伴う加法性ならば、外延量と熱力学の示量変数とは同じだと思われます。

しかし、時間は熱力学で示量変数と言わないと思いますが、算数教育では外延量と言うのですね。そうすると、物体の合併だけでなく、時間の区間を合併することによる加法性も含まれるのでしょうね。しかし、たとえば温度を外延量と言わないところを見ると、温度軸上の区間を合併することによる加法性などは含まれないようですね。抽象化した対象の合併をどこまで含めるのかの判断はむずかしいと思います。

示量変数は外延量であり、また示量変数どうしの割り算で得られる量は内包量だと言ってよいのだと思いますが、そのほかのすべての量を外延量と内包量に分類しようとすることに無理があり、答えは分類しようとした人がたまたま思い浮かべた文脈に依存してしまうのではないでしょうか。

わたしが自分の議論でこの用語を使っていくとしたら、使いかたは次のどちらかにしたいと思います。
* 外延量は示量変数、内包量は示強変数の同意語とみなす。
* 個別の文脈ごとに、基本量とみなすものそれぞれについて外延量、内包量のいずれであるか規定して議論を始める。それらのかけ算・割り算で組み立てられた量がいずれであるかは自動的に決まる。他の文脈で違う規定がされてもよい。

UpOwner Comment きくち  December 17, 2010 @15:12:23

熱力学は力学のアナロジーなので、示強変数が「力」で示量変数の変化が「変位」に相当し、さまざまなポテンシャル変化はその積で表されます。

高橋秀俊「物理学講義」はこういう描像でさまざまな現象を理解しようという面白い本ですが、その中で電磁気学のEとD、BとHについて、それぞれそのような意味で対となる量であるとしつつ、「どちらが示強変数なのか、あまり明確でない」「このように分類が明確でないものもあるが、強いてどちらかに決める必要もない」と書いています。

物理学の領域に経験豊富な物理学者が見てもどちらとも決めがたい量があり、それを「決める必要もない」としているのは、示唆的です

539. SF物理マニア — December 17, 2010 @14:10:32

#514の補足ということで

被乗数・乗数の概念は、(乗算=累加算)は概念上は有効だと思います。
しかしながら、外延・内包は小学生レベルで教える必要性は全く無いと思います。
速度の加法性は、光速の場合なりたたないし質量物質でも光速に近づくほど質量が増してくるので相対論から見れば厳密には成り立ちません。1/2mv^2の運動エネルギーも相対論からいくと近似式です。
遠山先生はともかく、銀林先生は分類マニアのようです。

Owner Comment きくち  December 17, 2010 @15:17:56

いや、近似式だということ自体は、ここではあまり意味がない気がします。でも、extensiveとintensiveの違いを小学生にごりごり教えんでもええやろ、とは思います。

541. YMN — December 17, 2010 @19:39:09

#523. kuritaさん
>なぜか、某所で話題になっている「ニセ科学」の概念を理解すること、認めることを頑なに拒否している(ようにしか見えない)地学の先生のことが脳裏に浮かんで仕方なかったです。
 
http://d.hatena.ne.jp/SeaMount/20090513Link
----引用
そして、その背景には「地学団体研究会」の左翼思想があり、アメリカ主導で発展したプレートテクトニクスを退け、ソビエトよりの考えをとるという態度があったのです。』<ここより>という歴史があったのである。私も、その歴史の流れの末尾の方にいたので、実感とともに理解している。
----引用終了
 
 その地学の先生はこちらですね。
左翼思想と大陸移動説は想像を絶する組合わせといった感があり、検索していたらその地学の先生の記述につき当たりました。
9.11と大陸移動説との関連づけということで、今までの常識を覆すことという以外に、イデオロギーで歪曲された科学の象徴でもあったようです。
 
 亡くなられてしまったとのことで、それでも1年以上もしてサイトが今だにあるのは、遺族の意向という場合もあるでしょうが、誰も知らないところで故人のネット関係の契約が継続しているケースも結構あることでしょう。
こちらは本人がまだ生きている私の場合ですが、ノートンから無料のウィルス・ソフトに乗り換えて、そのまま何もしなければ期限切れで契約解除されるものと思っていたら、勝手に自動継続されてしまい、要注意です(事前にその通知のメールがあることはあり、すごく詐欺っぽいけれど詐欺は不成立といったあたりでしょうか)。

542. YMN — December 17, 2010 @19:51:48

 中学の理科や数学の先生あたりだと、頑張れば何とか勤まりそうでもあり、やってみたいような気もしますが(教員免許も無いただのおっさんの私にやらしてくれるはずもありませんけど)、小学校の先生になって国語、算数、体育(良く採用試験のネックになる水泳は得意ですが、球技はまるでダメな方です)、社会、理科、音楽(ピアノ弾けません)にいたるまで教えることを想像すると、想像しただけで気が重くなるものがあります。
「算数教育のプロフェッショナルたれ」と要求したところで、そればかりというわけにも行かず、現実問題として難しいように思います。
 
 小学校の先生に理系出身者は少ないでしょうし、かけ算の順序なるものを変と思ったところで、自信を持ってそれを堂々と主張できる人はそうはいないと思います。
一方理系出身者はというと、「小学校の算数」は理系の人の得意分野とはまた違う特殊世界といった様相があります。
そしてその特殊世界の殿堂が妙な権威を持ったものとして、ひとたび形成されてしまうと、それに歯向かうことはなかなか難しいことになってしまうようです(ちらりと登場した雪中庵さんはその時は何を言いたいのか分からなかったのですが、後になって雪中庵さんを通して垣間見えるものがあるような気もしてきた次第です)。
 
 社会全体の”民主主義力”みたいなものを想定するとして、政治に関わることだけでなく、妙なものを排除する自浄能力も大きな要素ではないかと思います。
日本の教育界の一角に妙な権威が居座り続けていることは、教育関係者だけの問題ではなく、マスコミや一般の人も含めてのことだと思います。
歴史教育は良く社会問題になりますが、算数にはそのような社会のアンテナ感度が無いようです。
 
 すでにこのエントリーが膨大になり全てに目を通すのが大変になっていますが、この問題はマニアがわんさと集まり、たちまち巨大化、マニア化して、一般と遊離してしまうものがあるようでもあります。
かけ算に特定の順序をつけ、それを唯一正しいことして教えることが変なことは、専門的なことでも何でもない、ごく当たり前のことというポイントはおさえておく必要があるかと思います。
たちまち膨らんでしまう方向性がある中で、一般の人との接点としてA4の紙1ページ程度にまとめた文書が(作成されるだけでなく周知になることが)望まれるところです。

Up543. ドラゴン — December 17, 2010 @20:37:05

みなさん、こんばんは。

ちょっとここで議論されている方のtwitterを拝見しました。
私の意見等について、いろいろと書かれていて、大変残念に思うことがありました。
非難しているわけではありません。
書かれること自体や批判されることには何も思いません。
ただ、私の書いたことの真意が伝わっていないことが残念に思いました。

私の筆の拙さかもしれませんが、文献など探して丁寧に書いたり、立場を明らかにするように配慮したつもりでした。
何度も、立場を表明しましたが、順序擁護派と思われていたようです。
また、「よくわかる最新半導体の基本と仕組み」の書籍を紹介したのも、乗数・被乗数が算数教育以外のところでも使われていることを示したかったためでした。そうした意図が全然伝わっていないようでした。
直接言っていただければ、また回答もできたでしょうが、私だけが空回りしているように思いました。

私の問題意識は、今まで、多くの数学者や数学教育者が関わっていて、どうしてこうなっているのだろう、ということが第一でした。東京書籍の著者にはフィールズ賞を受賞された小平邦彦先生もいました。小平先生もダメなんでしょうか。矢野健太郎先生もダメなのでしょうか(権威によりかかるつもりはありませんが)。
おそらく、ここで皆さんが議論したことは、すでになされてきたとも思います。内包量については、小学校の低学年では理解できないから、かけ算の導入では無理があるとの研究者の文献もありました。水道方式については、いろいろと論争があったようにも聞いております。
では、なぜ教科書や学研やベネッセなどが、順序にこだわっているのか、何らかの意味があるとも考えました。その意味が分からないのに批判するだけでは、建設的ではないと思いました。
ですから、批判を第一とされている方とは齟齬があるだろうとは思っておりました。
それから、文献等を眺めるうちに気づいたことなどを吐露させていただきました。基本的には、私個人で思いついたことではなく、できるだけ文献などの知見をもとに意見を述べさせていただいたつもりでした。

どうして理解いただけないのか、考えてみましたが、やはり授業観や子ども観の違いなんだろうと思いました。小学校の授業とは何か、ご理解いただけていないんだろうと思います。みなさん、小学校の授業を経験されたり、お子さんの授業を見たりして、そんなこと分かっていると思われているでしょうが、おそらく分かっていないと思います。分かっているよという方は、例えば、数理的に表現し、説明できる子どもを育てるために、かけ算の学習で何をすればよいか、これだけでも考えてみてください。

今回、みなさんは指導要領解説を読まれたことと思います。私にとって、これは非常にうれしいことです。できたら、第1章の総説あたりからお読みいただければ、小学校の授業について、少しはおわかりいただけるかと思います。

もうここで意見を述べることはないと思います。
いろいろとお目を汚しました。

みなさん さようなら。

544. たまむし — December 17, 2010 @20:58:25

(上の投稿を読む前に書き上げたものなのでそのまま投稿します)

ドラゴンさん

ドラゴン - December 16, 2010 @10:15:43
>Dさん 3×5
>Eさん 3×5
>先生「みんないろんな考え方ができたね」
>という展開で、子どもたちに何が残るでしょうか。何も残りません。

ドラゴン - December 17, 2010 @11:08:02
>「5×3のほうがいいよ」「5+5+5だよ」といろいろな意見が出て、それぞれの子どもたちの考えが深まります。
>Hさんの中にも、「かけ算とはこういうことなんだ」と理解が深まっていくと思います。
>自由に立式して良いとして、Hさんが「5×2+5」と立式して、「それはいいね。」だけだとHさんに
>何が学習として残るでしょうか。それをお考えいただけたらと思います。

このあたりはよくわかりますし、同意するところも非常に多いのです。

でもなぜそこから『「順序があることで理解が深まる」ということもある』というところに行き着くのかが、やはりよくわからないのですね。

かけ算の理解というのは「自由にひっくり返したってかまわない」というところまで行ってこそのものじゃないでしょうか。逆に言えば、そこを落としたままでは理解したとは言えないと思うのです。

たとえばこれらのクラス内の議論で言うなら、そこからさらに「じゃあこれを逆に 5×3 と書いたらどうなの?」みたいに話が展開して(もっともそれを1つの授業内で全部やる必要はありませんが)、そこについても深めていってこそじゃないですかね。

今日の私の話なのですが、これは小学生への指導ではないですけども、場合の数の話で6人とA,B,Cの3つの部屋があって、そのうちどれか1つだけが空室になる場合の数を求める場面がありました。そこで私は「A,B,Cのどれが空室になるケースも同じなので〜」みたいに言って先に 3×( と書き、そこに「あとは A だけが空室に場合の数を考える」としたのですね。

普段はかけ算の順番なんて全く意識しないのですが、このときは最近ここを見ているせいもあって、ふと「あ、これって小学算数的には×なんだろうな」と思って独りで苦笑いしてしまいました。でも、やっぱりこれはアリのはずなんですよ。むしろこれがアリだからこそかけ算だと思うのです。

そこから思ったのですが「○ の △ 倍」、「○ の △ つ分」と言ったとき、一般に「かける数」と言われる △ のほうが先に思いつくこともよくあります。これは問題のタイプにもよるでしょうし、それぞれの人の視点の持ち方にもよるでしょう。このとき、先に △× と書いて、そこに後で ○ をつけて △×○ としても、やはり何の問題もないはずなのです。これは決して「△ の ○ 倍」と勘違いしたわけでもなければ、「1あたり量」と「いくつ分」を間違えたわけでもないですから。

これは小学校レベルの話であっても「いま1班が持ってるえんぴつの本数と同じだけ、各班(8班まで)で集めましょう。するとえんぴつは全部で何本になりますか」という話が出たとき、8が「いくつ分」にあたるほうだと理解しながらも、「先に 8×」としてそこから1班のえんぴつの本数を数えてみればいいんじゃない、という発想が出るのは自然なことだと思うのですね。むしろ交換法則を数字上の話だけではないものとして飲み込むのにも役に立つとすら思います。

「式の解釈が1つに定まるほうが理解が深まる」ように思えることもあるかもしれませんが、それは同時に弊害も生むと思うのです。小数や分数の割り算が理解できない、たとえば「なんで割ったのに大きくなるの?」といった疑問を持つ児童が多いのはドラゴンさんならもちろんご存知だと思います。これは包含除(や比)の視点で考えれば簡単に理解できるはずのものですよね。では、この疑問を持つ児童がみな包含除の問題を解けないかというと、そんなことは決してないはずです。

そういった児童の中では「等分除→割り算の式」、「包含除→割り算の式」、この対応は頭の中でちゃんとついているわけです。でも、6÷2 のように文脈も何もなく式だけが与えられたとき、つい「割り算の式→等分除」と式の解釈が1つに(悪い意味で)定まってしまう。かけ算の式は無理に解釈を1つに定めることも可能ですし、それが理解を助けそうな一面を見せることもあります。でもその中でつけた「式の解釈は1つに定まる」という癖は、その後に割り算のようにどうあがいても解釈を1つに定められないものが出てきたときにつまずく原因の1つにもなりかねないですよね。

「式の解釈が1つに定まる」というのは一種の幻想みたいなもので、それをかけ算を学ぶ中で解いていき、その中で「式だけ見たときの解釈は意外にたくさんある」ということを知っておくほうが、(後のわり算の学習も含めて)より有益ではないかと思うのです。

545. しらちゃ — December 17, 2010 @20:56:03

いやもう本当同意です.掛け算の立式は順序を持たないとしても何の問題もありませんね.
ところで,でも,それは交換律の存在が根拠ではないと想います.

掛け算について定義を
・○個の入れ物と×個の物があるとき,○x×とすると,合計の個数に等しくなるようなx
・そのうち,交換律(○x×と×x○が常に等しい値になる)が成り立つ物
という形で定義すると,あくまで5x3の形でモデル化(=立式)し,その後に交換律から3x5としなければなりませんが
・○個の入れ物と×個の物があるとき,○x×とすると,合計の個数に等しくなるようなx
・かつ,○個の入れ物と×個の物があるとき,×x○とすると,合計の個数に等しくなるようなx
という形で定義すると,5x3として立式しても,3x5として立式しても良いからだと想います.
(この定義が妥当,つまりそんな掛け算が存在するかどうか,小学生の時点で考える事は難しいでしょう.)

この二つは割と大きく違っているわけですが,この議論に参加されている方のうち,どれくらいの方がこのことを理解されているのかは興味があります.
このような定義に従って立式をしないならば,1=1も現実を数式に落とし込むときの,妥当な立式であることを受け入れることになります.
それは数学のユーザになるとき,大きな障害になることでしょう.

たまに大人になっても見かけます.xx理論は正しいのだ!だから,世界は崩壊する!みたいなこと云っちゃう人.
あれって,xx理論の前提条件(それは定義と呼ばれる)を
,正しく運用する技術が無いからだと想います.
そしてこの定義を意識しながら現実に理論を当てはめることは,掛け算がどちらでもよい物であるとか,正しい計算が出来るとか,そんな事よりもずっと大事な知識だと想います.

まあ,何れにしても(と言うか交換律が無かろうが)掛け算の順序なんてばかげた話しであることには違いないなあと,私なんかは想うわけです.その理由は交換律ではありませんが.

546. ゴルゴ・サーディーン — December 17, 2010 @21:43:12

よたよたあひるさん、
 >「仮説」あるいは「ネタ」としてはおもしろいのですが、「真
 >相」というにはちょっと単純化しすぎていると思います
 >現在では日教組系の指導研究会とTOSSと通信教育会社と教科書
 >会社とそれぞれ立場が違う場で、「順序にこだわる指導」が重
 >視されているので。

 なるほど。ありがとうございます。私の書いたのは、この場での
これまでのやりとりから得た理解を「仮説」として書いた物です。
複数の流派が「順序にこだわる指導」を提唱しているのですね。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、「順序にこだわる」考えが問題点をかかえていることを
(判っている人にはとっくに明らかなんでしょうけれど)かなり判
りやすく示すアイデアを思いつきました。
 そのために、少々おつきあいをお願いします。>皆さま。

 「順序にこだわる派」の考えについて、以下のようにまとめてみ
ました。

 【1】「順序にこだわるべき派」の考えでは、
    密度 × 体積 = 全体の質量
   である。逆は不可とされる。

 【2】「外延量・内包量」の世界では、密度 と 濃度 は、
   同じような「 度 」の仲間とされる。

 【3】濃度の定義は、
   「単位質量の溶液中にある、溶質の質量」
   である。
    ( モル/リットル 等の話は措く )
   たとえば、濃度3%の食塩水とは、
   「 1g測りとったとき、その中に0.03gの食塩がある食塩水 」
   である。

 【4】溶液の濃度と、全体の質量が判っているとき、溶液中にある溶質
   の質量を求めるには、
    濃度 × 全体の質量 = 溶質の質量
   とする。
   「濃度3%の食塩水300gには、どれだけの食塩が入っているか」は、
    0.03 × 300 = 9 
   で、9gである。
   ここで「順序にこだわるべき派」の考えでは、逆は不可とされる。
   500 のリンク先によれば、「外延量」×「内包量」はアウト。
   濃度は内包量なので、300×0.03 は不可。
   

  ここまで、どなたか確認していただけますか?

547. ごんべえ — December 17, 2010 @21:41:19

ドラゴンさん#532に曰く

> 自由に立式して良いとして、Hさんが「5×2+5」と立式して、「それはいいね。」だけ

なんで、自由に立式して良いとすると、「それはいいね。」だけになってしまうんでしょう?

式と考えには1対1ではないけど対応関係はあるので、式を見てどんな考え方が考えられるでしょう?とかこの考え方に対してはどんな式が立てられるでしょう?という検討はしていいはずですよ? 順番を決めるというのは対応関係を半分くらいにするけど1対1まではいかない。

反対しているのは#453の
>  ここでの話し合いの中での式は、数学としての言葉です。
>  ですから、考えに対応した式は1つで、式に表した段階では解説は不要ということです(小学校2年生ではそうした訓練がされていないので、解説はいります)

の部分で、式というのは本質的に考えの全部ではなく一部を表したものなので、解説が不要になったりしない。それは訓練がされていないからではなくそういうものだということです。
でもって、式を見て解説を考えるのが無意味だとは言っていません。そこにはいろんな可能性があってそれを考えるのはいいことだろうとなります。

なお、わざわざ5×2+5としているのは、同じ形二つと残りを数えているので、5×3だの5+5+5だのとされると心外だったりします。2番目の例でいくと「凹」×2+「十字」。「それはいいね」で放置するよりは、どう考えたのか聞いてほしいところ。発案者にすぐ聞くか、別の子に説明できるか聞くかはどっちでもいいけど。

で順序規定が無ければ

●  ●  ●  ●  ●
●  ●  ●  ●  ●

○○○○○

も可能な説明のパターンとして追加されるという程度の差しかないですよね、実際は。

ちなみに5×2部分は

●●●  ●●
●●  ●●●

という分解もありです。(全部のパターンを尽くそうなんて思ってはいけないくらいたくさんありそう)

#543
twitterでなにを書かれたか知りませんが、「もうここで意見を述べることはないと思います。」というのは残念です。菊池さんみたいに本名で書いているわけじゃないから実生活に影響することを心配する必要はないので、よっぽど精神的につらいことが書かれていたのでしょうか。

Up548. disraff — December 17, 2010 @23:44:14

>なんで、自由に立式して良いとすると、「それはいいね。」だけになってしまうんでしょう?

ですね。ドラゴンさんのご説明がどうにも理解できない最大の理由は、ここに集約されているような気がします。以前にも「式に表したものを自由に解釈できるのでは「言葉」としての意味をなさない」と書かれていてやはり意味がわかりませんでした。

549. kurita Website — December 18, 2010 @00:53:55

YMNさん:

いえ、私の念頭にあったのはあの方ではないのです。 また、話のつながり方も「左翼思想」ではなくて、それとは別の何かなのですが… でもこの話は縁があればまた別の場所で、ということで。

550. Isshocking — December 18, 2010 @02:09:01

技術開発者さん:
>家永一派は東京教育大学をクビになり筑波大学には採用されなかった(涙)。
家永三郎氏自身はは1913年生まれですから、東京教育大学の閉学、1978年には65才で定年退職ですね。(正確には氏は9月生まれ、閉学は3月ですからちょっと早めの定年)

>「上の命令に逆らったらクビで当然じゃない」
寺脇研氏なども文科省がゆとり教育から転向したあとは冷や飯食いになりました。上の命令を聞いていても組織の都合で左遷されることはありますね。

551. Katase — December 18, 2010 @03:15:14

ドラゴンさん

誰でも閲覧できるネット上で意見を出すということは、それを読んだ色々な人達から批判を受けることにもなります。
私もkikulogに書いた意見について、Twitterでこれまで何度もヤジを飛ばされてもいますが、ある程度は仕方のないことだと思っています。
(意見があるなら面と向かって言え!とも思うし、面白くはないですけれどね)

ドラゴンさんは、黒木さんが追記された「式の解釈」の説明を読んで納得されたのなら、いいのではないでしょうか?
ただ、ドラゴンさんが「式に表したものを自由に解釈できるのでは「言葉」としての意味をなさない』と思った事に対しては、私としても疑問がまだ残っています。

ある生徒の考え(5皿と3個)→[イメージ]→数式(5×3)
となったとして、この5×3はその生徒の考えを反映したものですが、逆に5×3という数式だけを見ても(5皿と3個)の他にも色々な解釈の可能性があるので、その可能性の中に(5皿と3個)は含まれますが必ずしもそうだと断定することはできません。

まだドラゴンさんのお考えを上手く理解できていなかったら、ごめんなさい。

その生徒がどう考えたて5×3という立式に至ったかは、本人から説明してもらわないと判別不能だと思います。
もしくは、出題の方法をもっと工夫して、

ひと皿あたり:3個
いくつ分: 5皿

という表を作らせたり、

(   )個[/皿] × (   )皿 =(   )個 または
(   )皿 × (   )個[/皿] =(   )個

という穴埋め式にして途中の過程が見えるように工夫をする等をしたらいいのではないでしょうか?

このエントリーは、単に×記号の前後の数値の順が逆だからといって、必ずしも間違った考え方で立式したかどうかは判別出来ないので、その考え方の過程を確かめずに×としてしまう指導の仕方は無理があるし、誤っているというのがそもそもの問題提起であったと思います。

それと掛け算などの性質なんて、本来とってもシンプルなものだと思います。
掛け算に順序を決めて逆順を×としてしまう理由として後付けでゴテゴテした理屈がつけられている様ですが、かえってややこしくしているだけでそんなにメリットがある様に思えません。

552. Isshocking — December 18, 2010 @03:57:28

きくちさん:
>物理学の領域に経験豊富な物理学者が見てもどちらとも決めがたい量があり
物理学のようにきっちり理論化されていない単位を使うことは工学ではざらにあります。
「量」概念は自然科学だけじゃないですから、に事情生活や社会一般の現象について数値化して計量する場合が普通にあることを考えると、外延量と内包量を類別する意義はますますあやふやになると思います。

Up553. Isshocking — December 18, 2010 @04:39:56

YMNさん:
>「小学校の算数」は理系の人の得意分野とはまた違う特殊世界といった様相があります。
小学生の場合は「論理的にあっているから、これで理解できたはずだ」というこてが成り立ちません。矛盾しているからダメだ、という感覚がないのです。
特に低学年の時は言葉の発達と数理概念の発達、数量操作の発達はばらばらです。概念は分かっているけど、言葉でどう表現していいかわからない(立式できない)とか、計算はむやみに早く正しくできるけど概念はわかっていないということが起きます。
例えばタイル並べですけど、数えたり計算しなくても一目で数が把握できてしまう子がいます。こういう子は「掛け算は数をとるのに便利でしょう」などといってもピンときません。
わたしがそうでした。100枚位のタイルなら見ただけでわかりますから、なんで余計な手間と時間をかけて計算しなきゃならんの、と思っていたものです。
もっと直感的な人を見たことがあります。編み物などでは標準型紙から編み目数を決めますが、体型が違えば目数も違ってきます。これを計算せずにせずに直感的に答えを出せる人がいるのです。ちなみに、その人は筆算の掛け算・割り算は普通の人より苦手でした。

言葉での状況理解力、表現力の未熟はもっとも問題が大きいんじゃないかと思います。
計算でなくても、ただ単に目の前のものを記述させる、何かについて知っていることを正確に言葉で書くだけでもそれなりの訓練と努力はいりますね。

だから、わたしはひそかに、水道方式(他の方式でも)で効果があったとか、このようにすれば子どもの概念形成がスムーズにいく、なんてのはホメオパスがこのレメディーがこの症状に効果を顕す、というレベルの話が相当数あるんじゃないかと思ってます。

554. Katase — December 18, 2010 @09:19:41

補足です。
Katase — December 18, 2010 @03:15:14での出題の仕方の工夫としては、他にも私がこれまで示した様に、問題文の下にスペースを作ってその子が問題文を読んで掴んだイメージを自由に描かせて、次に式を書かせるというやり方もあります。私の小学校の時の先生はこの様な形式のテストで出題していました。

掛け順の順番を無理に決めなくても教えるやり方は他にも色々とあると思いますし、算数・数学的に正しい逆順の式の立て方を誤りとして強制する指導は後々算数・数学のきちんとした理解に混乱を招く可能性があるし、やっぱり逆順の式でも算数・数学的に「正しいものは正しい」し、「どっちを先に書いてもいいじゃん」と思います。

単位の問題にしても、補助的に助数詞を書くのはいいとして、数える対象はりんごやみかんそのもので皿や袋は関係無いですし、できるなら最初は余計なものを排してシンプルにしておいて、段々複雑にしていく方が理解とやすいのではないかな〜とも思います。

555. ゴルゴ・サーディーン — December 18, 2010 @09:41:53

Isshockingさん

 >小学生の場合は「論理的にあっているから、これで理解できたはずだ」
 >というこてが成り立ちません。矛盾しているからダメだ、という感覚が
 >ないのです。

 小学生がというより、大人でも論理感覚のない人がウジャウジャいると思
います。
 500 のリンク先の「順序を守れ」派の人などは、
 「子どもの発達段階に応じて違うことを教えるのは、あってあたり前」
と言い放っています。
 きくちさんの言われる
   「たとえば、小学生レベルの算数では○でも大学生の数学なら×に
    なるような例はいくらでもあります。これは、高度な数学を習う
    につれて、要求が精密になるからです。しかし、小学生レベルの
    算数で×だったものが大学生の数学では○などということは、あ
    ってはいけないはずです。」
を理解する感覚が、「順序を守れ」派の人には無いのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

YMNさん
 >かけ算に特定の順序をつけ、それを唯一正しいことして教えることが変な
 >ことは、専門的なことでも何でもない、ごく当たり前のことというポイン
 >トはおさえておく必要があるかと思います。
 >たちまち膨らんでしまう方向性がある中で、一般の人との接点としてA4
 >の紙1ページ程度にまとめた文書が(作成されるだけでなく周知になるこ
 >とが)望まれるところです。

 私の手前ミソですが、拙稿 (546) は、そういうA4一枚に載せてほしい
内容を提案したものです。
 「順序を守る必要ナシ」派の考えの根底には、「中学以降で学ぶ内容に合わ
ない」という事があるのだと思いますが、546 で示そうとしているのは、小学
校の範囲内ですでに破綻しているということです。
546 には続きがあります。どなたか、546 に書いたことを確認していただけな
いでしょうか?

556. masudako — December 18, 2010 @09:35:09

伝統的やりかたが不合理だと思う人が革新運動を起こしますが、その革新運動がまた形骸的伝統になってしまうおそれは常にあります。とくに革新運動のリーダーのカリスマ性が強いと、革新性と関係のないその個人の言動までを伝統として引き継いでしまうおそれがあります。それは新たな革新精神によって打ち破られるべき伝統です。

わたしは「革新」でマルクス主義をさすつもりはありません。ただし、20世紀の資本主義圏では、革新の道具としてマルクス主義を使うのが適当であった場合もあり、その運動の中で革新をマルクス主義のイデオロギーに従うことととりちがえる動機は常にあったと思います。

算数教育の場合、水道方式の運動をする人と労働組合活動をする人に重なりがあり、労働組合活動家にマルクス主義者が多かったということはあるでしょうが、水道方式の主張自体にはマルクス主義の影響はあまりなかったのではないでしょうか。少なくともわたしの知る限りの遠山啓さんの著作(一般向けであり運動内向けではありませんが)にはマルクス主義のにおいは感じられませんでした。

地学団体研究会の場合は、井尻正二さんが著作の多くでマルクス主義の用語を使い、それが大事だと言っています。(しかし、(わたしの高校の先生の推薦図書であった) 湊正雄・井尻正二『日本列島』(岩波新書)にはマルクス主義のにおいは感じられません。) 「団研」に人が結集したおもな動機は、科学の活動に参加する楽しさと、旧来の科学ボスとみなされた人のやりかたへの不満からだったと思います。関東ローム層の理解が進んだことなどには「団研」は有効だったと思います。(これはプレート論か地向斜論かによって解釈が変わらない新しい時代の地層ですが。)

プレート論が資本主義圏の学説だから嫌った人もいるのかもしれませんが、それがあまり影響力をもったとは思えません。日本の地質学者がプレート論を受け入れるのが遅れたのは、政治的に保守か「革新」かにあまり関係なかったと思います。むしろ問題は地球物理学と地質学のコミュニティが分離していたことですが、これは近代科学の初めに物理と博物学が分かれて以来のことでした。日本のような海溝域では、地球物理学者は深発地震の分布をプレートの沈みこみとして理解するのがたやすいのですが、地質学者はプレートが沈みこむならば地層の配置はどうなるべきに関する考えがなかなかまとまらず、「付加帯」の概念ができるのに年月がかかったのです。ほかの世界の科学活動の主要な本拠はプレート沈みこみ域に位置していないので、そこでは地質学者もプレート沈みこみ域の地層がまだ解釈できなかったという弱点を見落としてプレート説を認めてしまったのだと思います。

ルイセンコ説についてわたしはよく知りませんが、三中信宏さんのページhttp://d.hatena.ne.jp/leeswijzer/20100923/1285369487Link の後半によれば、日本の生物学者の間で影響力があった徳田御稔(みとし)さんがルイセンコ説に賛同したのはソ連の公式見解だったからではなく内容がもっともだと思ったからだそうです。(このページの後半の囲みの部分は、岐阜で行なわれた会合の話題をふまえた三中さんの覚え書きで、ページの表題になっている藤岡さんの本とは直接関係ないようです。)

557. 積分定数 Website — December 18, 2010 @12:31:11

520.の書き込みの訂正  滝川コミューン → 滝山コミューン
 事例1の問題の「色鉛筆」「赤鉛筆」が混乱しているが、主旨は分かって貰えると思う。

 
 大陸移動説でも地動説でも、分析して論理を組み立てて、「こう考える」となるのは、結果的に後にそれが誤りとなっても、それはそれとして構わないと思うけど、「権威」になってしまうと困りものだと思います。

 
 遠山啓に関しても、権威になってしまっている印象です。「遠山啓は勉強になる」と人に勧められて本を読んだのですが、確かに勉強になりました。しかし、昨年「掛け算の順序」を調べる中で、水道方式を標榜するサイトを違和感を感じ始めました。


「量には、外延量と内包量がある。後者は普通に足し算ができない。」というような記述も、意味不明で分かりませんでした。

3時間で12區覆燹○時間では何區覆爐?

この問題は、単位時間あたりの距離という速さの定義を知らなくても解ける。○にたまたま1を入れたときだけ、「それは外延量で子どもには理解が難しい」となるのは不合理。「1時間で何辧廚覆薐葦篶未如◆孱瓜間あたりで何辧廚世汎睛椴未箸いΔ里睛解しがたい。「あたり」の文言の有無の微妙なニュアンスの違いを子どもに感じ取らせるなど不必要。

「単位あたり量は内包量で、子どもの理解が難しいので、・・・」とくどくど書いてあるものが多いのですが、密度そのもの、割合そのものを理解すればいいだけで、「これは内包量、これは外延量」などという分類が何になるのか、全く分かりませんでした。


遠山啓の本を読んだところ、どうもそういうことではないようです。以下、私なりの理解。

 算数を勉強する前から子どもは数の認識を持っている。仮に、1,2,3という数詞を知らなくても、「数が同じ」とか、「こっちの方が多い」とかの認識はある。だから、分離量に関しては理解はスムーズ

 連続量、長さに関しても、「こっちの方が長い」というような認識は持っているが、これを数量化するには、基準となる長さを設定して、その基準量いくつ分の長さか、ということが長さを数量化することができることを理解させる。

 内包量とされるもの、例えば速さ、これも、「自動車の方が徒歩より速い」というように、速さという概念はある。これを数量化するのに、唐突に「単位時間あたりの距離」とするのではなく、

「5秒間で20m進むのと、4秒間で12m進むのでは、どちらが速いか?」

というような事を考えさせて、「同じ時間であればそれぞれどれだけ進むのか」あるいは、「同じ距離を進むのにそれぞれどれだけ時間がかかるか」を調べて比較すればいいことに気づかせ、

という具合に導入する。

「これから勉強するのは、これまでと違った全く新しい概念だから、覚悟しろよ」

ということではなく、

これまでの概念の自然な延長線上に、新しい概念に入っていることに子どもが気づかれることなく、導入する

というのが望まれる。この様に自然に理解した子にとっては、「単純に足し算できない」「状況設定によっては足し算もできる」などというのは言われるまでもない。

だから、外延量と内包量の区別というのは、「子どもにその区別をさせる」ということではなく、「内包量を教えるときは、教える側が工夫して教えるように」という、教える側への留意点だと解釈しました。

 また、「単位あたり量」と言うよりは、部分をサンプリングして測定できるものが内包量ということのようです。

そうすると、曲線の曲率半径は、ディメンションは長さであるが、内包量になりそうである。

これに関してミクシィの日記でのやりとりを転載しておきます。

-----------------------------------------------------------------
メタメタ2010年12月03日 11:29
どこで読んだか不明なのですが、「遠山は、内包量を外延量の比としてではなく直接表わすこともできるのではないか、と言っていた」と書いてあるのを見て、へぇーと思ったことがあります。積分定数さんの今回のご指摘と思いあわせて、もしかすると、内包量というのは、「量」ではなく「質」ではないのか、「量(外延量)」は「大きさ」があるが、「質」には「大きさ」がない。ただ、「質」を数値化するために、外延量を利用しているということではないか、などと考え始めました。



積分定数2010年12月03日 12:01

「遠山啓エッセンス3量の理論」p147に

>●内包量は感覚的にとらえられる
 内包量というのは、先ほどいいましたように、「熱い、冷たい」とか「強い、弱い」とかいう感覚の強さとつながっています。外延量というのは「広がり」ですから、そうろう歩きまわらないと分からない。しかし、内包量というのは狭いところにとどまっていても、すぐに分かります。例えば、食塩の濃度というのは、舌の先でちょっとなめてみればわかります。 以下略

>ただ、「質」を数値化するために、外延量を利用しているということではないか、などと考え始めました。

私もそんな気がしてきました。ネット上の水道方式の影響を受けているらしいサイトを読んでもピントこなかった。

単位あたり量というのは内包量でこれは外延量とは違って単純には足せないので子供は理解しにくい

てなことが書いてあって、

粘土で同じ大きさの球を2個作ってこれをくっつけて1つの球にしたら、質量は2倍だが、密度も2倍にはならない。表す量が違うのだから、必ずしも2倍にならないのは当たり前じゃないか。2倍にならないのは表面積や直径も同じで、なぜ密度だけ特別視するのか?

と疑問だった。

結局、単位体積あたりの質量、だとか、質量÷体積 というのがいきなりあっての話になってしまうので、「内包量?それがどうした?」というようになってしまうのだと思う。

重要なのは、単位体積あたりの質量、質量÷体積より前に

密度というのがあって、

それを表す指標として、基準となる体積に対する質量 か 基準となる質量に対する体積 があると言うことだと思います。
--------------------------------------------------------------------

Up558. よたよたあひる Website — December 18, 2010 @12:01:19

>ゴルゴ・サーディーンさん、
>masudakoさん、

 いろいろ見ていると、現在の「一つ分の大きさ×いくつ分=全体の大きさ」という「小学校2年生に教える掛け算導入時の定義」は、おそらくさかのぼっていくと水道方式と遠山啓にいきつく可能性が高いだろうと思いますが、教科書や指導書を書き、あるいは指導要領の解説書を書いているのは、水道方式を提唱している数教協という団体に加盟している人たちではなさそうです。ドラゴンさんもそう書かれていますし、
http://slashdot.jp/~tagga/journal/519435Link
 というブログ記事も見つけました。こちらは数教協の考え方をとる人のサイトのようです。
 
 ただ、どのような指導方法であっても、ひとたび方法論が確立した後に、既存のものとしてその方法論を学んで利用していく人の中には、マニュアル的に方法論を使って、その枠組みの中で現実の子どもを見ていくという事態が起こりうるのだろうと思います。
 
 ともかく、現在では、それぞれの小学校の先生方がプランをたてて実施する授業やその授業の理解を図るための小テストなどだけではなく、教科書の教師用指導書や市販のワークブック、業者テスト、大手通信教育などで、小学校2年生の掛け算導入時に理解度を評価する目的で、引っ掛け問題を含めた文章題が出され、逆順の式はバツにする、という「常識」が流通しています。
 この状況は、水道方式の影響とだけとは考えられません。
 
>ドラゴンさん(もしまだごらんになっておられるなら)

 私は、ドラゴンさんやtaka2さんのコメントから、
 
 「過不足無く情報が与えられている(はず)の文章から立式をすることができる」という文章題読解の力(いわば「算数語」の理解ですね)も「掛け算の概念」理解と同様に必要なのが小学校低学年の指導、ということなのかなと理解しています。

 この問題は、小学校低学年という、まだまだ脳そのものも発達の途上にあり、生活経験の幅も限られている年齢であり、しかも、大抵は30人以上からの集団を指導しなくてはならない、という学校の授業の中での制約があってのことですよね。一人の子どもだけを見ても、認知、理解、操作、知識などが同じような水準で発達するわけではないし(大抵はバラつきがあるはずです)、さらに集団指導ともなれば、子どもごとに発達の状態像は違いますし、生活習慣の差から知識の量の違いまで含めて考えると、小学校の先生方のご苦労は並大抵のことではないと認識しております。
 掛け算の順序の問題は、先生方のご苦労のごく一部でしょう。
 一定の理解を促すために、より広い見方をとりあえずマスキングしておく、というのは一つの方法としてやむをえないところは「あり」でしょう。
 
 それでも、現段階の「掛け算には順序がある」という「常識」が(「教え方」の一段階としてではなく)できつつある状態(場合によっては、大人になっても「掛け算の数学的な意味として順序が大切」と刷り込みが入ってしまっている。また、子どもの勉強をみていて疑問に思った親が「意味があるから順序は大切」と納得してしまう状態)は、数学さえも「暗記物」にしてしまう妙な勢いを持っているのではないかと危惧します。
 「みはじ」やら「はじき」やらの暗記による指導が主流化しているのはその傍証です。私の職場の20代の若者3人(全員、文系です。心理職なんですが)に聞きましたら全員知ってましたし、うちの高校生の娘も「はじき」で習ったと言っていました。概念理解とその応用ではなくて、ひたすら「公式」を覚える数学って変だなぁと率直に思います。

 さらに、私の問題意識は、教えられなくても別解にたどりついてしまう子どもの中に、ひとたび自然に獲得しかけていた「掛け算」そのもの概念理解を壊されて、混乱した状態のまま、とにかく「ずつ」などのキーワードをひたすら覚えることで適応せざるをえなくなっている(結果として概念理解から遠ざかる)子どもがかなりいるのではないかというところにあります。PISAの文章題や全国共通学力テストのB問題で、正答率が低いだけでなく、無回答、白紙が一定数みられる、という傾向があるのが気になっています。
 
 現場の先生を批判、非難するのではなく、子どもたちの論理的な考え方や数学的な理解を、学校におまかせ、というだけでなく、保護者や近所のオバサンにも何かできることはないかなと考えているところです。

 すみません。長くなりました。
 

559. ゴルゴ・サーディーン — December 18, 2010 @15:02:28

よたよたあひるさん
 >おそらくさかのぼっていくと水道方式と遠山啓にいきつく可能性が高い
 >だろうと思いますが、教科書や指導書を書き、あるいは指導要領の解説
 >書を書いているのは、水道方式を提唱している数教協という団体に加盟
 >している人たちではなさそうです。ドラゴンさんもそう書かれていますし、
 >http://slashdot.jp/~tagga/journal/519435Link
 >というブログ記事も見つけました。こちらは数教協の考え方をとる人の
 >サイトのようです。

 一瞬、頭が混乱してしまいました。
 少したって、その意味するところがわかりました。

 「その教義を始めたのは誰か?」と聞いたとき、お釈迦様がそう言ったの
か、空海やら法然やらが編み出したのか、なかなか判らない。もしかして、
どこかの地方の民間信仰が源流かもしれない… そういう話みたいな感じです。


 ところで、催促になってしまいますが、どなたか 546 の内容を確認して
いただけませんか?
 レスが無ければ、今夜つづきを書き込みます。
 「かなりいいオチ」(と自分では思っている)が用意してあるのですが…。

560. makaya — December 18, 2010 @15:51:11

はじめまして。

しらちゃさん:
>この二つは割と大きく違っているわけですが,この議論に参加されている方のうち,
>どれくらいの方がこのことを理解されているのかは興味があります.

僕は大学で電子工学を学んで、今はメーカーでエンジニアをやっている数学ユーザです。とりあえず、私の理解している(自然数の)掛け算とは次のようなものです。

【等号】

つぎの三つの性質

  (反射律)a = a
  (対称律)a = b ならば b = a
  (推移律)a = b かつ b = c ならば a = c

を満たす「=」という記号を「等号」と呼びます。このとき、

  a = b

であることを、「a と b は等しい」と言います。
ここで、a や b や c は、ある集合の任意の要素を意味しています。
ある集合が「自然数全体」ならば、その要素は「自然数」ですが、
ここでは、もうこれ以上深く考えないことにします。面倒なので。

【掛け算(その1)】

3個ずつの組が5個あるとき、つまり絵的に描けば

  (●●●)(●●●)(●●●)(●●●)(●●●)

のような感じのとき、すべての ● の個数を、3 と 5 の順序も考慮して

  3 × 5

と書いて「3 に 5 を掛ける」と言います。これを「掛け算」と呼びます。
さて、上の絵の ● の個数は、数えてみると

  ●●●●●●●●●●●●●●● → 15個

と等しいので、3 × 5 は

  3 × 5 = 15 …… (1)

と書けることがわかります。

一方、5個ずつの組が3個あるとき、つまり

  (●●●●●)(●●●●●)(●●●●●)

のとき、上と同じように考えれば、3 と 5 の順序も考慮して

  5 × 3 = 15

と書けます。このとき、等号の性質(対称律)から、
等号の左右を入れ替えてもかまいませんから

  15 = 5 × 3 …… (2)

と書けます。したがって、式 (1)、(2) より

  3 × 5 = 15 かつ 15 = 5 × 3

なので、等号の性質(推移律)から

  3 × 5 = 5 × 3

であることがわかります。
これを掛け算に関して「交換法則が成り立っている」
あるいは掛け算に関して「可換である」と言います。

【掛け算(その2)】

3個ずつの組が5個あるとき、つまり絵的に描けば

  (●●●)(●●●)(●●●)(●●●)(●●●)

のような感じのとき、すべての ● の個数を、3 と 5 の順序も考慮して

  5 × 3

と書いて「3 に 5 を掛ける」と言います。これを「掛け算」と呼びます。
さて、上の絵の ● の個数は、数えてみると

  ●●●●●●●●●●●●●●● → 15個

と等しいので、5 × 3 は

  5 × 3 = 15 …… (3)

と書けることがわかります。

一方、5個ずつの組が3個あるとき、つまり

  (●●●●●)(●●●●●)(●●●●●)

のとき、上と同じように考えれば、3 と 5 の順序も考慮して

  3 × 5 = 15

と書けます。このとき、等号の性質(対称律)から、
等号の左右を入れ替えてもかまいませんから

  15 = 3 × 5 …… (4)

と書けます。したがって、式 (3)、(4) より

  5 × 3 = 15 かつ 15 = 3 × 5

なので、等号の性質(推移律)から

  5 × 3 = 3 × 5

であることがわかります。
これを掛け算に関して「交換法則が成り立っている」
あるいは掛け算に関して「可換である」と言います。

さらにこれは、等号の性質(対称律)から

  3 × 5 = 5 × 3

とも書けます。

【まとめ】

掛け算(その1)では、「3 に 5 を掛ける」ことを

  3 × 5

と書きました。一方、掛け算(その2)では、「3 に 5 を掛ける」ことを

  5 × 3

と書きました。そして、どちらの書き方の順序を採用しても、
交換法則が成り立つことによって、もう一方の書き方の順序と等しくなること
がわかりました。したがって、「3 に 5 を掛ける」ことは

  3 × 5 あるいは 5 × 3

と書けます。どちらでも構いません。

561. ゴルゴ・サーディーン — December 18, 2010 @21:16:48

誰も「確認」してくださらないまま、546 の続きを書きます。

【6】ベネッセは、「順序を守れ」派である。

   ttp://benesse.jp/blog/20071120/p37.html
   >かけ算の式は「1つ分の数」×「いくつ分」の順に書く約束になって
   >いるので、問題文から正しく読み取って、そのとおりに式に書けるよ
   >うにしましょう。

【7】しかし、ベネッセの中でも、この方針は統一されていない。

   ttp://benesse.jp/juken/20100308/p3.html
   >「3%の食塩水300gには、どれだけの食塩が入っている?」 …と聞かれて、
   >300 × 0.03 = 9 g  です。…とか、
   >「500gの食塩水に、10gの食塩が入っているとき、この濃度は?」
   >10 ÷ 500 = 0.02  2% です。こんな簡単なこと聞かないで!
   >…っていうレベルにしておいてくださいね。

 300 × 0.03 = 9 g は、彼らの理論では不可のはずなんですが。

 同じ会社の中、それも小学生むけのコンテンツを作っている人にさえ共有
されていない理論を、あたかも「量」を考えるうえでの普遍的な物であるか
のように子どもに教えるのはいかがな物か、と私は思いました。

 以前挙げた埼玉や秋田の算数指導案の中に溶液の濃度を扱ったものがあれ
ば面白いのですが、見つけることが出来ませんでした。
 食塩水の濃度の問題って、中学受験する子しかやらないんでしょうか?

562. しらちゃ — December 18, 2010 @20:25:04

>makayaさん
はじめまして.しらちゃと申します.
ご丁寧なお返事をありがとうございます.

私も専門を述べておきますと,モデル検証・形式手法,特に代数的仕様記述を専攻しております.

読ませて頂きましたが,makayaさんはよくご存じなのだと想いました.
reflexive,symmetric,assosciativeによる同値の定義を導入なさったり
あるいは,
reflexive, antisyymmetric,associativeなどで半順序を導入なさったり
というレベルまで,深く数学をご存じなのでしょう.
流石,現役のエンジニアさんだと想います.

ここで私は数学その物が好きなので,面倒といわず,ついで話としてPeanoの自然数公理を述べてもよいのですが,
そうすると話しはあっちの方へ進んでしまうので,makayaさんと同じく,ここでは略しますね.


ところで,現実の「物の数」が「同じ」であると考える時に,その「同じ」といっている概念が,
refexiveでsymmetricでassociativeであるような「同じ」であって「同値の定義に当てはまる物だ」
ということは,ある程度確かめて「納得」した上で使っておりますか?

もちろん,これは証明による形では残念ながら納得できず,最終的にはどこかで,
物理学のような,経験則を集めるというアプローチを取らざるを得ません.
まあ,でも十分なだけの経験を積んで,納得をして使っており大丈夫なのだろうとは信じております.


しかしさて,私が問題にしているのはこちらです.

結局その話は立式.つまり<定義を現実に当てはめるその瞬間>を,生徒に意識させる必要が何処かに存在するだろうということです.
定義を,ある形で立てたならば,その定義に本当に当てはまるような記述しか,立式に認められるべきではありません.
そうでなければ,論理的に物を考えているとは到底言えないからです.

そうである以上,定義の上で,5個の物の集団が3つある時5x3と書く.ということになっているならば
交換律があったところで,現実に目の前に5個の物の集団が3つあるという状況を目にしたならば
5x3と書くべきなのであって,3x5では無いのです.
ただ,5x3と3x5は,同値として=で結ぶことが可能であるに過ぎません.
勿論3x5=5x3でもあります.しかし本来立式を問われた場合は,このイコールすら誤りであるはずです.

3x5=5x3という式は,この場合「3つの物の集団が5つあるということと,5つの物の集団が3つあるということが同じである」という状況に対応するためです.

単に5x3と書く必要があるでしょう.これなら正しく「3つの物の集団が5つある」という状況に対応することが,定義から解るからです.
(これは決して日本語の話しをしているわけではありませんよ.状況と数式の対応,モデル化の話しを言っているのです)


もし,この時3x5と書くことを許したいのであれば,そのような定義を作らざるを得ません.
5x3も3x5も妥当な現実の記述であるというように,定義をしたそのときだけ,この記述は許されるはずです.
そのような定義でない以上,どちらでも構わないなどと言うことは,Symmetricがあったとしても,ありません.

ただし,仰るように,二つの定義を作り,その2つの定義の間にSoundnessとCompletenessが成り立つ事も解ります.
(そう.makayaさんの証明は二つの間のSoundness/Completenessの証明ですね.)
ですがそれは,
5x3も3x5も妥当な現実の記述であるというように,定義を『することが出来る』ことが解ったというだけの話しで
交換律のない定義で進めているときには,結局,立式を交換律の無い形で書かなければならないことに代わりは無いと想います.
つまり,結局それが可能でも,採用しないという選択はいつでも存在するということです.


この違い,おわかりになられていますか?



で,しかしながらこのようなことを踏まえた上で,『それでも』
私も,この「どちらの立式でも妥当な定義」を採用するのがよいと想います.
なぜなら,小学生にその2つの違いを意識させるのは,教育上の利益が薄いように感じるためです.

また,makayaさんの仰るようなSoundness/Completenessがあるため,
この二つの定義は見かけ通りに同値であり,どちらでもよいとする形の定義を作っても,
やはり何の問題も出ないからです.


しかし,そのことを理由にして,ある定義に当てはまるか,当てはまっていないのかというのをおろそかにしてよい理由にはならないと想います.
これは何処かで教える必要がある,とても大事なことです.
もちろん,この2つを掛け算で同時に教えることは難しいでしょうから,
掛け算では,初めからどちらでも良い定義で置く必要があるとも想うわけです.

が,強調しておきますが,同時に定義について意識出来る教育を置かないと,
本来必要なはずの力が身につかないだろうとも想います.
むしろ,大事なのはこちらの定義を現実に当てはめたり,定義というものと親しむ力で
掛け算を九九で,正しく計算出来るだとか
交換律を用いれば上手い導出が出来る方法があるということに気づくだとか
そういうことは極端な話し,計算機に任せておけば,どうでも良い些細なことだと想います.

勿論,そこまで極端にする必要はなくて,掛け算を勉強しても良いと想います.
でもそれをする本当の目的が何かといえば,論理性の習得だと想うのです.
そして,その論理性の大事な要素には,現実と理論の橋渡しとしての,定義の運用という物があると想うのです.

UpOwner Comment きくち  December 18, 2010 @21:44:32

どういう定義を使うかはさておき、小学二年生にそんなにごりごりと「定義」を教え込む必要があるのでしょうか。

実は水道方式をもとにした算数教育の本を眺めているのですが、いったい小学二年生に何を教えるのだろうと思わせられる部分もあります。
この点は、水道方式でない本でもそうなのですが。

「定義」を正しく理解できるようになるのは高学年とか中学生とかではないかと思い、違和感を覚えるわけですが。

564. しらちゃ — December 18, 2010 @23:19:00

>>きくち先生
はじめまして.お返事ありがとうございます.

まず,私個人の考え方では,ちょうど,その逆さまになります.

私は「なぜ?」に答えてくれない先生が居たり,あるいは,「なぜなんだろう?」と考えても,絶対に答えがでない問題,というのが多くあったことを覚えています.
私にとって,そして私の比較的狭い知り合いの間では,「それが嫌だったなあ」ということを,この議論に参加する前から頻繁に語っていました.

まあ,私の知り合いというのは,大体が数学関係の人ですので,バイアスが掛かっている可能性が高いです.
なので,これが一般に言えることだとまでは私は主張しません.

―――

さてしかし,それでも,公理や定義という物の存在を意識して計算というものを成り立たせる必要があるのではないかな,と想う理由があるのです.

定義とか,公理という言葉を使い始めると堅苦しく見えます.
しかし,本質的にはただのルールであって
「そういうルールで考えたら,こういうことが言えるよね」
という形を意識するということであります.
これは,数学に限らず「なぜ?」に答えるために,絶対に必要な形です.
・ルールは何なのか,境界線をはっきりとすること.
・『そのルールが正しいと認めたなら,その条件の下で』あとは全てが演繹的に考えられること
この二つは,どのような理論でも必要になってくる条件だと想うのです.

この2つが揃っていると,数学はとても楽しい物になると私は思っています.
しかし,そうでないならば,酷く押しつけがましい物になってしまうとも想うのです.

結局,生徒が数学を嫌いになる理由は,先生のある種の「はぐらかし」にあると想うということです.
小学生には定義という考え方は理解出来ない,というのは実はそんなに大事な点ではなくて
小さなころから,定義という考え方に触れておくというのが大事になるのではないかなと想うのです.

・・・・・・余談ですが,こういう認める,認めないの境界線.公理・定義を意識すること,というのはニセ科学の議論とも強い繋がりを持っていると想います.

それから,ルールの正しさを保証する立場は,物理学などにおける実験系科学,文化人類学などにおけるフィールドワークが必要になってくるはずです.

―――

さて,このような考え方の元で,「掛け算教育」をもう一度捉えてみます.

ここで,結局生徒達に教えたいのは何でしょうか.
単に,いつでも掛け算という計算がすらすら出来るように,便利な九九の表の暗記をさせたいのでしょうか.
確かに,そのような能力を獲得できれば,お買い物などの日常生活は便利になることでしょう.
また,掛け算を用いて定義される割り算などの,基本的な四則演算を習得することにも繋がるでしょう.
割り算があれば,分数も理解することができるようになり,有理数に関する知識も徐々に蓄えることができるでしょう.
代わりに,そのような理解で掛け算を習得すると,掛け算とは「何」だったのかについて,洞察は得られないことでしょう.

これはこれで,一つの方針だと想います.これは,そもそもの現実上に存在する「数」に触れる,ある種の実験だからです.
この方向を狙う場合は,「掛け算の順序が入れ替わっているからと不正解にするなんてことはむちゃくちゃなことだ」と私も想います.
それどころか,定義なんて意識させることその物が,小学生に対して何を求めているのか解らないムチャクチャなことだと想います.


そうではなく,定義に物事を当てはめる力を付け,論理を働かせることが出来る初歩の初歩を習得するために,
しっかりと小さなころから定義を意識する場を提供するのが目的なのだとしたら,
「掛け算が可換だからといって,立式を入れ替えて記述するなんてことはむちゃくちゃなことだ」と私は思います.
(というか,それどころか,掛け算を教えるなんて,むちゃくちゃなことだ!と想ったりします.
 もっと分かりやすい定義をもった対象を題材に,実りのある授業ができるはずです.)

この場合,数学教育にとって,どちらが重要なのか,そこが本来議論されるべきでは無いでしょうか.
でなければ,現状の,虻蜂取らずな教育が待っていると想います.


※なお,なんだか私が「掛け算非可換主義」の人のようになっていますが,
 本来は可換性を認めている立場であり上記の二つの教育方針のうち,
 前者の主義を持っていることを改めて強調しておきます.
 なぜ,このようなことを言い続けているのかといえば,
 今現在の可換主義の方々も,非可換主義の方々も,根拠にある種のズレがあって,
 そのため,結局意見がまとまっていないのではないかと想うためです.
 つまり,私の言いたいことを纏めると,最後の二行に集約されます.

Owner Comment きくち  December 19, 2010 @00:01:41

誤解されていると思うのだけど、ごりごり教えないこととはぐらかさないこととは完全に両立するわけです。

小学二年生全員に対して「定義」をうるさく言うことにどの程度意味があるのかというと、僕自身は否定的です。
算数教育の本をいろいろ読んでみると、どうも先生方がその手の「理念」を先行させすぎている気がします。

566. たまむし — December 18, 2010 @23:43:55

ちょうど今かけ算を習っている小学2年生の生徒に
学校で使っていたかけ算導入期のプリントを見せてもらいました。

そこでは [個/皿](実際には正方形を/で区切ったような形)で
「1あたり量」の単位をそのままごまかさずに取り入れていました。
それを取り入れた最初の段階でまず「1あたり量」を見つけてきて、
あらかじめ単位が与えられている式へと当てはめていき、
かけ算の式を完成させるような方法で導入されていました。

なので、単位の細かい話を避ける代わりに
答えと×の左側の単位は同じであるという暗黙の了解を先生側が勝手に作って、
それゆえにひっくり返すと不正解とするようなスタンスとは
かなり違った方法で教えているケースと言えそうです。
(ちなみに私も小学生のときに似たような流れで教わりました。
 この児童と小学校時代の私は市が同じなのですが、
 この市の方針としてこれが定着してるのかもしれません。)

567. ゴルゴ・サーディーン — December 19, 2010 @00:03:31

しらちゃさん。
乱入させていただきます。
私も「可換主義」に分類されていると思いますので。

 しらちゃさんは、
 「小学生に叩きこむ必要はないが、式の意味を考えたら、掛け算には
  正しい順序がある」
 というお立場ですか?

Up568. zero_man — December 18, 2010 @23:41:50

膨大なログを呼んでも、なかなか考えがまとまりません。
数学的な問題についての記述と、教育方法(指針)に対しての意見、または体制批判的な意見が入り混じって
いるためにわからなくなっているような気がしますが・・

掛け算の順序の問題、立式での子供の考え方の把握、教育方法への適用のそれぞれ次元の
違った問題を同じレベルで論じているような気がします。

考えを整理するために
理由はともかくとして、立場的なものを自分なりにまとめると以下のような気がしますが・・

順序がある
  立式で考えが読める
    教育方法に順序を適用する---- Io1
    適用すべきでない ---- Io2
  立式では評価するべきでない
    教育方法に順序を適用する---- Io3
    適用すべきでない ---- Io4

順序がない
  立式で考えが読める
    教育方法に順序を適用する---- No1
    適用すべきでない ---- No2
  立式では評価するべきでない
    教育方法に順序を適用する---- No3
    適用すべきでない ---- No4

世間の一般的な母親---Io1
数学教育協議会の影響の先生---Io1
普通の先生---No1
東京図書---No1
遠山啓--- No3
私は、No4 ですが(ちょっと極端かもと思いますが・・)
専門家や教育者の間でまとまらないような方法なら、別な方法を模索したほうがよいと思うのですが
やはり多少のカットアンドトライも必要でしょうし、科学的な分析も必要と思います。

ふーむ、確かにおくの深いテーマなのですね、私ごときが意見を言えるものでもないような気がしてきました。

Owner Comment きくち  December 19, 2010 @00:43:09

僕は数学の問題はないと思っていて、あるのは教育の問題だけだと考えていたのですが、必ずしもそうとは限らないようです

「教育の効果」については定量的な議論が(ここでのコメントというより、世間一般に)なさそうで、どうも教育学の世界というのは、それぞれが身の回り1m^2くらいの範囲で発見した「問題点」を思いつきで解決した気になるようなところなのかしら、という気がしなくもありません。よくわかりませんが

570. Katase — December 19, 2010 @00:35:42

zero_manさん

>世間の一般的な母親---Io1

この分類に違和感があります。アンケート調査などをして確かめたのですか?
それに、子どもの教育には母親の他にも父親も部外者ではないので母親のみに限定しているのも違和感があります。父親の存在はどうしちゃったの?

参考までに、PTAの集まりに居合わせた母親6名にこの話題を持ちかけると、全員が逆順に掛けたら×なんてナンセンス!と言う意見で、「そんな教え方する先生達が増えたら面倒だね〜」という常識的?な意見ばかりでした。ちなみに私も「世間の一般的な母親」だと思っています。

571. Isshocking — December 18, 2010 @21:32:19

makayaさん:
>のような感じのとき、すべての ● の個数を、3 と 5 の順序も考慮して
>  3 × 5
>と書いて「3 に 5 を掛ける」と言います。

しらちゃさん:
>定義の上で,5個の物の集団が3つある時5x3と書く.ということになっているならば

問題になっているのは、正しくこの定義が強制されてしかるべきかどうかなのだと思います。
で、強制されると乗算の交換律を一時的にせよ封鎖しなきゃならん、それに有益な教育効果が実際にあるのか、と。

定義が正しいという前提をおくなら、最初から問題視する必要はなかったと思いますよ。(定義というのは
だから、しらちゃさんの
>ある定義に当てはまるか,当てはまっていないのかというのをおろそかにしてよい理由にはならないと想います.
は、なにか批判の向きが違うような。
定義そのものを無くしてしまえば当てはまるもはまらないも無いのではありませんか?

話は変わりますが、小学校2年生くらいだと、本当に抽象化して類推とかのコントロールはほとんどできないんですよ。
「もしここにミカンが三つあったら・・」
「ミカンなんか無いよ!」
といった感じです。「仮定の質問にはお答えできません」ってなもんです。
だから、「定義により」(実際にはもっとくだいて説明することになるでしょうが)だとか「一つあたり量」だとかの抽象化を求めると大多数の子どもは混乱するだけだと思いますね。
文章題を読んで頭に3個ミカンが乗った5個の皿をイメージできるようにするだけで相当な努力が必要です。
たぶん、この文章でなぜ掛け算が適用になるのかを分かっている子どももそんなにいないと思います。今掛け算を習っているから、とか「ずつ」というキーワードが出てくるから、とかで判断している子どもも多いことでしょう。

572. よたよたあひる Website — December 19, 2010 @00:19:14

ネットサーフィンをしていて、以下の資料をみつけました。
NICER教育情報ナショナルセンターのHPに掲載されているようです。

「小学校学習指導要領 算数科編(試案) 昭和26年(1951)改訂版
文部省

http://www.nicer.go.jp/guideline/old/s26em/chap4-1.htmLink

以下に、興味深い記述がありましたので、引用します。
-------------
.算数についての学習指導法
第1部 一般的な事がら
7.有効な反復練習
(中略)
(3)計算などについて,理解をもたせる

「一冊5円のノートを,6冊買ったら,いくら支払えばよいでしょう。」という問題を解くときには,「5円×6」として,その結果を求めるのが普通である。ところが,この問題を,「ノートを6冊買いました。どれも1冊5円でした。ぜんぶでいくら支払ったらよいでしょう。」とすると,「6×5=30(円)」として毛かを求めるこどもがでてくるであろう。

 こどもが,このような誤った解決をするのは,かけ算の意味をひととおり理解しているにしても,その理解が形式的になっていることを示しているといえる。

 問題が,どんな形式でだされようとも また,いくつかの条件がどんな順序で書いてあろうとも,かけ算を式で示すとすれば,
(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)
であることが,こどもにじゅうぶん理解されておらなければならない。この一般化がふじゅうぶんなために,6×5=30(円)というような式を書くのである。

 とにかく,形式的な練習に移るにさきだって,技能などについての理解をじゅうぶんに伸ばすことを忘れたのでは,反復練習したものを有効に用いることができないであろう。
(後略 以上、引用終わり)
--------------
 昭和26年といえば、その時代に小学生だった人が今の小学生の祖父母であってもよいくらいの時代です。学習指導要領は指導のてびき、というような位置づけで、昭和33年までは(試案)とついているものだったそうです。
 昭和26年当時は、「生活単元学習」と呼ばれる児童中心主義、経験主義のカリキュラムでした。大日本図書による当時の教科書もネットにありました。
http://www.dainippon-tosho.co.jp/math_history/history/age01_el/index.htmlLink

さて、この学習指導要領ですが、掛け算の導入が「何の何倍」(同数累加がベース)とになっているため、現在の(1つ分の大きさ)×(いくつ分)とは違うはず・・というか、この時代から続いていた指導方法に遠山啓が反論する中から生み出されたのが水道方式だったはず、なのですが、この指導要領算数科(試案)に書かれている内容そのものは、何度か紹介されている東京書籍の教師用指導書とほぼ同じだと思います。
 つまり、
(1)「掛け算の意味を適切に記述する正しい順番の掛け算の式」がある
(2)それをこどもが理解しているかどうかを、問題文に登場させる数字を逆順にした問題を提示してチェックする。
(3)逆順で立式をする子どもは理解が形式的、一般化がふじゅうぶん、とみなす。
(4)理解をじゅうぶんに伸ばすことが大切。
という共通点があります。

 学習指導要領はその後、何度も改定されていきますが、けっこう以前の形が残っている部分もあったりします。(以前、道徳の学習指導要領の変遷を調べたことがあるのですが、もともとの昭和22年のときの文言が今に至るまで残っている部分もあります。算数となると少し違っているでしょうけど)

Up573. しらちゃ — December 19, 2010 @03:01:39

>> きくち先生
>ごりごり教えないこととはぐらかさないこととは完全に両立する
そうですね.まあ,そしてゴリゴリ教えることに否定的なのは私も同じです.

でも,これ纏めておかないと根拠にならないんですよね.
ただなんとなく,ゴリゴリ教えるのはダメなんじゃない?というのは,
ゴリゴリ教えられた方が良かったと想う!
という人が居るとき,何も答えられないと想います.
たとえばそういう根拠って「ゴリゴリ教えても,小学生にはその教育を受け取ることが出来ないから」ってところだと想います.
――本当ですかねぇ・・・・・・?

また,具体的にどの様な教育ならば,ゴリゴリと教えず,かつ,はぐらかさない教育が実現できるでしょうか.
この提案抜きでは,結局それは机上の空論になってしまうと想うのです.

そうそう.それから,もう一つ考えられる教育の形態がありますよ.
ゴリゴリ教えつつ,楽しんで学べる教育 という方針も考えられます.
勿論,これもまだ具体的な方法がないので,机上の空論に過ぎませんけれどもね.

閑話休題.

ここからが本当に大事な点です.

そもそも私の提案は,はぐらかさないことや,楽しさ,ではありません.
「この段階で何を教えるべきだろうか」という点なのです.

教えるべきことは何でしょうか.

生徒が,掛け算を計算できて,諸性質を理解できること,でしょうか.
でもその根拠は何でしょうか?

あるいは,生徒が論理性を習得できるように,現実を数式に落とし込む経験を積ませること,でしょうか?
やはり,この根拠は何なのでしょうか?

これらを整理することなしに,この議論は次のステップに進まないと想います.
つまり,何を教えたいのかという理念抜きでは,
どの様に教えるべきなのか,という問題は解決しないと想います.

何か漠然としたまま,何を教えるのがよいのだ,
ということに触れることの無いまま
ただ授業形式の議論が続くのは無益な事だと想います.

※私自身の考えでは,とりあえず,この段階の生徒には,
 基本的な計算方法を覚えて欲しいし,
 別に掛け算という話題で定義を扱う方法を覚えなくてもいいなと想うので
 ただ掛け算の計算が出来るところまで,教えれば良いかなと想っています.
 また,そのため,実はゴリゴリ教えなくても良いだろうなと想っていますし,
 決して非可換な掛け算など,必要無いだろうと想っています.
 しかし,同時に他の方には,それなりに十分な理由があって,
 定義を扱うこと教えた方がよい,とする向きがあるのも知っているので,
 (定義無しで数学を行うのが苦痛だった人の声を知っているので.)
 そのどちらもを,とりあえず自分一人で提案しています.
 これは,そのような中立的な立場を取らなければ,
 本質的な提案が出来ないと想ったからです.
 (こういう中途半端な立場が議論に混乱を呼んでいるならすいません)

>> ゴルゴ・サーディーン様
>「小学生に叩きこむ必要はないが、式の意味を考えたら、掛け算には正しい順序がある」
「正しい」順序はありませんが,「意味する事柄は順序で変わる(ように,定義することも出来る)」と考えています.
また,その逆さまに「意味する事柄は順序で変わらない(ように,定義することもできる)」とも考えています.
つまり,私はそのどちらも可能だという立場なのです.「"唯一の"正しい掛け算なんて無い」という立場なのです.

そして私の提案は,これらの立場のうち,どちらを採用することが,
教育上の利益になるのかが,本来考えられるべき点ではないか,というものです.

これは,可換だとか,非可換だとか,そういうのはいくらでも作りようがあって,
そんなところで言い争うことには何の利益もないぞ.ということです.

また,何が教育上の利益であるか,ということは,
そこで「何を教えたいのか,何を教えるべきなのか」という問題を解決しない限り
結論が出ない話だろうな,ということなのです.

574. しらちゃ — December 19, 2010 @04:12:05

>>Isshocking 様
はじめまして.
すいません.見落としていました.

Isshocking様の仰るとおりだと想います.完全に同意です.

と言ってしまうと,これで終わってしまうので,少し色々.

私は,ここまでの議論の内容が,どうにも可換だとか非可換だとかの話しに集中していて
可換でも非可換でもいいけれども,ある理由の元で,可換な方法を採用するほうが良いだろう
という表明をしている人があまりにも少なかったと想うのです.

それで,どれだけの人がそのどちらでも掛け算というのを決めることができることが解っているのか疑問に想いました.
どちらでもよい,ということが解っていないと,この立場で議論が出来ないからです.
とういうことで,この意味では,解っている方がおり安心しました.

しかし,相変わらず「何を教えたいのか,教えるべきだと想うのか,教えることが出来ると想うのか」という点について語る方がいません.
本当は,これが非常に大事なことのはずです.
それが無ければ,「どのように教えるのか」は決まらないからです.
そもそもの,この掛け算の順序問題の,根底的な問題は,しっかりとした理念が無いという事ではないでしょうか.
(あるいは,皆理念をもっているのに,それを語ろうとしないことではないでしょうか.)

可換とか,非可換とか,本当はどうでもいいことなのです.
本当に大事なのは,そのような方針で教育するときの,裏の意図の妥当性を議論することだと想います.

575. zorori — December 19, 2010 @07:06:47

しらちゃ さん、

>「何を教えたいのか,教えるべきだと想うのか,教えることが出来ると想うのか」

私が思うには、「読み・書き・算盤」でしょう。とにかく計算出来ることじゃないかと。日常生活で買い物できる程度になることですね。ですから、最初は順序ルールで教えったって良いと思います。こういうルールでやるんだという天下り方式で、その意味を理解出来なくても良いと思います。意味を考えるのはその後じゃないかと思います。先ず覚えないと、考える材料すらないわけですよ。天下り方式の方が効率が良いのだと思います。

ただ、試験でそのルール通り回答しないと×にするというのが問題になっていて、そうしないと、教育現場の効率が下がるという方もいるように感じました。私には、そこがどうしても理解できない点なのですね。

もう一点、理解出来ないのは、「順序ルールでないと、割り算で躓く」です。
なぜなのでしょうかね?順序ルールとは全く関係ないと思うんですが。教育現場の方の詳しい説明をお聞きしたいのですが。

576. ごんべえ — December 19, 2010 @07:49:44

よたよたあひるさん
昭和22年のほうには無くて昭和26年からということでしょうか。

するって言うと、文科省の試案に「誤り」と入ったのを教科書会社がまねて、のち、指導要領解説から削除されていても、連綿と同じような教師用指導書を作り続けているという状況でしょうか。

教師用指導書って学校の先生にしか売らないことになっている文書で著者も良くわからないのですが、だれが作っているものなんでしょうね?文字通り教科書会社編集部?

577. ごんべえ — December 19, 2010 @08:44:17

ゴルゴ・サーディーン#561

> 【6】ベネッセは、「順序を守れ」派である。

たぶんこれは違うと思います。
ベネッセは、長いものに巻かれろ派。
先生が間違っています。順序は気にしなくていいですなんていってバツをもらってくると商売に差し支えるので、「約束」ですと言っていて、正しいとも間違っているとも言わない。

Up578. ゴルゴ・サーディーン — December 19, 2010 @12:03:11

ごんべえさん

 >> 【6】ベネッセは、「順序を守れ」派である。
 >たぶんこれは違うと思います。
 >ベネッセは、長いものに巻かれろ派。

 なるほど。
 では、ベネッセの教えている算数は「不統一」ということでいいですか?
 ベネッセは、あとの学年に行ったら困るような事を放置している、と。
 (ごんべえさんを責めているのではありません)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

しらちゃさん

 >「正しい」順序はありませんが,「意味する事柄は順序で変わる(ように,
 >定義することも出来る)」と考えています.

 「…ように定義することも、出来る」という話であれば、現状では
 「そのように定義されていないのだから、順序は可換でOK」
でいいのではありませんか?

 「論理的に考える」とは、結論に関係ない話を持ちこまない、ということだと
私は考えています。

 >しかし,相変わらず「何を教えたいのか,教えるべきだと想うのか,教え
 >ることが出来ると想うのか」という点について語る方がいません.
 >本当は,これが非常に大事なことのはずです.

 そういう問題意識は大賛成です。おそらくこの場の「可換主義」の人の多く
はそうでしょう。
 きくちさんの文章の「無条件に正しい」というフレーズに乱暴さを嗅ぎ取っ
ておられるなら、それは違うと思います。
 「リンゴを配るとき、トランプの配りかたでやれば」という形で、式の意味
は検討されています。

 「もとから、数学では可換」
 「意味から検討しても可換」
これが、可換主義の言い分だと私は考えています。

 ◆質問◆
 しらちゃさんにどうしてもお聞きしたい事があります。
 中学以降
  F=ma   (力=質量×加速度)
  PV=nRT (気体の状態方程式)
  P=EI   (電力=電圧×電流)
 などという物を習うわけですが、それらで、順序を入れ換えたら意味が違っ
てしまうのでしょうか?

579. haribode — December 19, 2010 @10:57:20

>しらちゃ

はじめまして

算数で教える(というか伝える)べき理念の一つは、いろんな方が述べていますが
『答えに至る解法は無数に存在する』だと思います。
現在の順番に拘泥する教え方はこの理念(創造性とも交換可能です)を否定していますよね。
逆にしらちゃさんに聞きたいのは、学問の理念を捨ててまで
「何を教えたいのか,教えるべきだと想うのか,教えることが出来ると想うのか」
と教育の理念を問う事に意義があるのでしょうか。
また、そもそもこの問題の発端はそこではなく、
「できる子に合わせるか、できない子に合わせるか」
ただそれだけじゃないでしょうか。

580. zero_man — December 19, 2010 @12:22:33

#570.
Kataseさん

申し訳ありません、これはあくまでも私の主観であり、アンケートなどをとった結果ではありません。

いつもはいい加減な自分のブログで書く感じで、高宗なブログ内で軽いのりで書いてしまいました。
べつに一般的な母親という部分を揶揄しているわけではありませんが、不愉快になられたとしたらご容赦ください。
世間一般的な分類を目指したものではありません。自分の考え方をまとめるためのものです。

ただ、私の周りとか、ネットサーフィン(死語w)中に感じるのは、先生の方針に疑問を抱かない方が多いと思えたことです。
うちなどは元来ひねくれた考え方なのか、何事もななめから見てしまうことが多く、子供にも疑問は先生に質問するようにと言ってきました。 これがよかったのかどうかはわかりませんが・・

そう言われれば、世間一般的な父親たちは、ほとんど子供のことは母親に任せきりで、自分の興味のある問題の時にでてきて
文句を言う(この場のように・・w)と言われそうですが・・(私も言われておりますw)

また、個人的にはアンケートなどは参考にならないと思っていますので、試験などの方法で評価できたものがあればいいかとも思います。
(こう言うとまた語弊がありそうですが・・)

こういう論争が続いているということは、やはり教育方法というのは学校(教育関係者)だけの問題だけではなくて社会全体の問題だと思い知らされます。

581. masudako Website — December 19, 2010 @11:53:42

かけ算という考えかたは全人類の共有概念になったと言ってよいと思いますが、共有されているのは(多くの人はそう意識しませんが、実は)数学的(抽象的)構造であって、それと現実のものとの対応のつけかたは多様だと思います。だれかが「これが正しい定義だ」と言っても、すでにほかの入り口から理解した人にとっては、押しつけになります。複数の入り口があることを認めたうえで「この授業ではここからはいりましょう」という態度をとるべきだと思います。(ただし、結果として共有されたかけ算と違う構造にたどりついてしまう入り口は、かけ算の入り口としてはまちがっているとする必要があるでしょう。)

もし、かけ算が交換可能でなかったら、どのような場合には何を先に書くべきなのか、しっかり教えなければならないでしょう。実際には、行列やベクトルまで話を広げずに、整数から実数まで(小数、分数を含む)のかけ算を同じ演算として認識するのが適当であり、その限りでは交換可能性は成り立っています。教えられる前に交換可能性を認識して使ってしまう生徒にどう対応するかはむずかしいと思いますが、まちがいとするべきではないと思います。

よたよたあひるさん(#572)、資料ご紹介ありがとうございます。
順序にこだわることが水道方式由来とは思えなかったのですが、やはり水道方式が提唱される前に標準とされたものを引き継いでいたのですね。その後、先にくるものが何かは変わったことには遠山さんの影響があるようですが、それは遠山さんを継承する理論家によってではなく、小学校教育で身につけた算数観を自分のものとした人によってなのかもしれませんね。それならば遠山さんの数学的合理性を引き継いでいないのもありそうなことです。
しかし、1951年の指導要領で「ノートを6冊、1冊5円」のときに「6×5=30」とするのを「誤った解決」だとするのはずいぶん狭い料簡ですね。英語で「six notebooks, 5 yen each」としたとき「6×5」がいけないとはとても言えないと思うのですが、英語が母語のかたの感覚ではいかがでしょう? 1951年は途中までは占領下だったはずですが、もうGHQの検閲はなかったのでしょうね。また「試案」という扱いだったために、あまりおおぜいの人による点検がされないまま世に出てしまったのではないでしょうか?
歴史としては、その後の指導要領に引き継がれたのか、変わったとすればどういう動機で変わったのかも知りたくなります。もっとも、それによって、今どうするべきかについてのわたしの考えは変わらないと思います。

582. g.a — December 19, 2010 @13:14:05

昔、鶴亀算の解き方を忘れて連立方程式の解法で答えたら丸をもらえたが、今だとダメっぽいな。

Up583. Katase — December 19, 2010 @12:52:27

zero_manさん

どこかで無意識に子どもの教育問題は母親の仕事という、「夫は仕事、妻は家事育児」の古い観念が表れている様で気になりました。
こういった何気ない分類の仕方が、古めかしい固定観念を潜在的に肯定してしまう気がして、指摘させて頂きました。
(ちなみに我が家では、父親も積極的に子どもの勉強を見ております)
それと、その分類の仕方では、一般的な母親は掛け算の教え方が良いか悪いかを判断できる(数学的な)教養に乏しくて自分では判断できず先生のやり方に疑問を持たないという印象誘導がある様にも感じられて強い違和感を覚えました。
深く考えずに、最近はそういう教え方が正しいのだろうと鵜呑みにしてしまう人達も実際に居るのだろうと思いますが、全体の中でどれくらいの母親がそうかどうかは調べてからではないと、その様なグループ分けは出来ませんよね。

親の関与を考えるならば、"親:算数・数学が苦手だった"、"親:算数・数学は普通だった"、"親:算数・数学は得意だった"という様な分類を考慮して調べてみてもちょっと面白いかも知れませんね。

それと、普通の先生---No1も断定的で、そういった先生は実は少数派なのかも知れません。これも調べてみないと分かりませんよね。

584. masudako Website — December 19, 2010 @13:33:19

>581. masudako Website ― December 19, 2010 @11:53:42
蛇足かもしれませんが補足です。
>(ただし、結果として共有されたかけ算と違う構造にたどりついてしまう入り口は、かけ算の入り口としてはまちがっているとする必要があるでしょう。)

たとえば、現代日本で可能かどうかは別として、「算数と国語が分離する前に論理のトレーニングをしっかりやり、算数の初歩ではたし算・ひき算の範囲でゼロを理解させてからかけ算に進む」という指導順序は、子どもの発達からみて無理なものではないと思います。そうすると、積より先に「論理積」(AND演算)を理解している可能性があり、その類似性を教育の手がかりにしてもよいと思うのですが、同じものだと言ってしまうと生徒は「1×1=1」が正しいと思ってしまうかもしれません。

585. masudako Website — December 19, 2010 @13:48:30

>584. masudako ― December 19, 2010 @13:33:19
すみません。直前のわたしのコメントですが、不注意で、理屈の通らないものになっていました。
>生徒は「1×1=1」が正しいと思ってしまうかもしれません。
「1×1=1」自体は正しいのです。それにもかかわらずわたしは「かけ算とは論理学のAND演算である」という入り口はかけ算の教育に不適切だと言いたかったのですが、その根拠をすぐに構成できずにいます。

586. kurita Website — December 19, 2010 @15:33:28

子どもの発達段階(あるいは教育心理学だか発達心理学だかなんだかかんだか)から見て、「かけ算の順序にこだわること(ここでの例によれば「3x5=15」と考えさせ、答えさせ、それ以外の答えは認めない、という指導法)には正当な意味がある」と主張する人がいます。 私を含め、そんなのは後付けの屁理屈ではないのかと考える人、疑う人がいて、たぶん過去40年間、この話題が出る度に同じようなことが蒸し返されてきたわけですが、ついぞ、子どもの発達段階(でも何でもいいのだけど)から見て、この指導法には合理的な根拠がある、という証拠、研究結果なり報告なりは見た事がありません。(この理解が間違っているのならば容赦なくご指摘を) それこそ、ニセ医療における「3た論法」なんかと代わらないレベルの“根拠”しかないのではないかとまで言われる始末。(しつこいけど、間違っているのであればご指摘を)

さらに、よたよたあひるさんによると、昭和26年には既にいまここで話題になっているのと同じような“指導”が行われていたらしい。 とすると…
昭和26年には(言うまでもなく、あの非合理的な臣民教育が行われ、国土を焼け野原にした戦争が終わってからたったの6年後)、算数教育に関して、現在の教育心理学だか発達心理学だかと変わらないほどの知見を当時の日本の教育界は持っていたのか、あるいはたまたま幸運な偶然により、現在の最新の理論(?)に基づくのと同じ指導が行われていたのか、それとも日本の教育心理学だか発達心理学はあの時代から全然進歩していないのか、それとも、単に当時から“伝統的”に引き継がれていることを今に至るまで(後付けの屁理屈で“理論武装”しつつ)やっているだけなのか、さてどれでしょう?

587. ごんべえ — December 19, 2010 @16:09:14

メタメタさんの調べでは
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10217105760.htmlLink
1950年=昭和25年ころまで順序の問題は発生していなかったみたいですよ?

その昭和26年の試案がどういう経緯でできたのかわからないけど、そこがもとになっているのではないでしょうか?

その26年の試案というのはただ計算できれば良いよりロジックを重視する立場をはかろうとしているかのう様な雰囲気が出ているんですよね。

もっともありそうなのがアメリカあたりからの輸入なわけですが、、、どんなもんでしょうねえ。

アメリカの初等教育で逆順だめというのをやっているという話もありますし。

Up588. kurita Website — December 19, 2010 @17:09:56

> アメリカの初等教育で逆順だめというのをやっているという話もありますし。

http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-55.htmlLink

↑ この話ならば、累加によって定義されたかけ算の計算ルールに基づいて、「3x4=12を足し算に直せ」という問題ですから、ここでの話題とはまた少し意味合いが違うのではないかと私は考えていたのですが、どうでしょう。

私の知る限り(うちの子もアメリカの公立小学校でかけ算を習いましたが)、「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」というような問題で、計算式に「3x5」と書くべきか「5x3」と書くべきかが問題にされたという話は聞いたことがありません。 もちろん、そういうことが無い、と断言することは私にはできませんけど。

589. Katase — December 19, 2010 @17:34:07

>私を含め、そんなのは後付けの屁理屈ではないのかと考える人、疑う人がいて、たぶん過去40年間、この話題が出る度に同じようなことが蒸し返されてきたわけですが、ついぞ、子どもの発達段階(でも何でもいいのだけど)から見て、この指導法には合理的な根拠がある、という証拠、研究結果なり報告なりは見た事がありません。(この理解が間違っているのならば容赦なくご指摘を)

40年も続けられてきた指導法なのだから、それなりに意味がある教え方なのではないかという意見がでたりしましたが、例えば「効果が無い」ことが既に示されているホメオパシーを例にとってみると、ホメオパシー推進・普及団体は200年も実践し続けている人達がいるのが何よりも効果がある証拠だと(空しい)主張をしていますね。こういったことからも「40年も続けられてきた」というのが効果の証明にはならないと思います。

効果の主張をするには、それを証明するのに必要な調査をして充分な量のデータをとり、きちんと解析してからではないと無理があると思います。

590. よしき Website — December 19, 2010 @16:51:08

60年代の米国では"New Math"という「低学年のときから公理論的なものの考え方を教えていくべきであるという」方式の数学教育法が一世を風靡したそうですが、しらちゃさんはご自身の意見はそれに近いものがあるとお考えでしょうか?

その顛末などはSeymour Papertの種々のエッセイなどに詳しいです。

Alan Kayは「Science Technology Engineering Math(STEM)は幼少時から低学年くらいまでは未分化なものであって、すべてPlayと関わりを持たせて教えることを考えるほうが良い。」というようなことを言っていましたが、そうだと思うと、公理的アプローチはちょっと分が悪いです。

ちなみに、いつ言ったのか定かではありませんがMarvin Minskyは「すべての教育理論は誰かには効果を示す」というようなことを言ったそうです。

591. 積分定数 Website — December 19, 2010 @18:19:22

 「順序」がいつ頃から教えられているのか?最近拡がっている印象だが実際はどうか?などについて調べようとしましたが、分かりませんでした。

 文科省国立教育政策研究所に電話して、「そちらでそういうことは分からないでしょうか?」と質問したのですが、「知るわけないだろ!、なんか文句あるのか!?」とまではいかないものの、すごく感じの悪い態度で「知らない」と言われました。

 「数学教育史」という分野があって学会もあるようですが、実際の教室でどのような教え方がなされてきたかというよりも、公式の文書などが研究対象のような印象です。

 探偵ナイトスクープに依頼しようかとさえ考えました。

 「掛け算の順序」だけじゃなく、「運動中は水を飲むな」という指導にしても、あれは当時の医学的見地からはそうであって、その後定説が覆されたのか、単なる民間伝承をスポーツ指導者が信じていたのか、今となってはよく分かりません。「水飲むな」は命に関わるのだから、「掛け算の順序」よりも深刻ではあると思いますが。

 教育委員会の指導主事は、「掛け算の順序はどっちでもいいなんて言ったら児童が混乱する。どっちでもいいなんてとんでも無い!」と言っていて、冷静に論拠を出して「だから順序の指導は重要です」という感じではありませんでした。

 その後、文科省に「今の小学校では掛け算の順序を教えることになっているのですか?」と質問したら、「いいえ、そのようなことはありません。指導要領にも書いてありません。そういう指導をする先生がいることは承知しています」という対応で、「教育委員会の人がそういっていましたが・・・」と言うと、「どちらの教育委員会でしょうか?」と聞かれました。文科省が一番まともに思えました。

 この件について、マスコミが取り上げてくれないかと思い、朝日新聞に教育欄で取り上げて欲しいとメールしましたが、黙殺されました。


 この問題、素朴に、「順序が違うからとバツになるのは変だ」というのが割と一般的な反応だと思うのですが、そうすると、算数教育の専門家らしき人が、「いやそうじゃなくて、発展段階がどうの、」と言って言いくるめてしまいがちです。教育委員会の私への対応もそうでした。こちらはさらにその先の議論をしたかったのですが。

「どちらでもいい」というので混乱する児童はいるのかもしれない。しかし、「世の中にはどちらでもいいことがある」というのも学ばなくてはならないと思うのだが。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~rudolf/sansu-utsushinasai.htmlLink
私は、さくらんぼの書き方を指導したにも関わらず、算数の得意な子の質問を受けて、もう一通りの書き方を認めてしまった。算数が苦手な子にとっては、全く違うさくらんぼ、つまり全く違う勉強が出てき、さぞかし不安であっただろう。どっちが正しいのか、どっちを写していいのか分からなかったに違いない。
 「どっちでもいい」私のこの無責任な言葉で、多くの子に不安と混乱を与え、先述のひどいテスト結果を生んでしまった。


 この件をマスコミが取り上げるとしても、ある程度数学を理解した人が取材しないと、問題の本質が理解できないようにも思えます。

 で、ふと、「数学セミナー」が取り上げてくれないだろうか、と思いました。

↓に要望を出そうと考えています。
https://www.nippyo.co.jp/inquiry/Link

UpOwner Comment きくち  December 19, 2010 @19:19:54

そうか、「探偵ナイトスクープ」に依頼しますかねえ
まじめすぎてだめかにゃー

593. ごんべえ — December 19, 2010 @21:09:32

探偵ナイトスクープ調査依頼は
http://asahi.co.jp/knight-scoop/cyousa.htmlLink
から書いて電子的に送るだけでよさそうですね。

不採択の場合は音沙汰なしとなるのは、教育欄と同じだからキャッチーな依頼文は必要でしょうね。

rejectの通知が来ないのはNature, Scienceより厳しいですね:p

594. TAKA — December 19, 2010 @21:31:51

こんにちは。私は、雪中庵さんをリスペクトするべきか、かいものびりびりさんをリスペクトするべきか、選択に迷っているものです。

ちなみに、探偵ナイトスクープは真面目な番組なのです。以前の放送でも、一般のお子さん達の「リアル・マリオカートを見た!」などという突拍子もない話に、リポーターは真面目に付き合っていたのです。(ちなみに、カートに乗って道路を疾走するマリオは、現実に存在しました。ついでに、ルイージも居ました。本当にあった話です)
というわけで、きくちさんの心配は杞憂なのでした。

Up595. YMN — December 19, 2010 @23:02:14

 それなりの適任者が適切に熟考した結果として、かけ算の順序づけにとりあえずはまともと言える理由があるという可能性は99%あたり無しと見なして良さそうですね(先入観ということなら、「いくら何でも少しはまともな部分があるだろう」ということで逆です)。
本当に無い場合はいくら「捜しても無い」わけで、これにておしまいというわけに行かないことが多く、残り1%の可能性は残しておいても良いでしょう。
 
 「捜しても無い」ともうひとつ「あるわけない」とか「思いつかない」というのもあります。
かけ算の順序づけの弁護人に自分がなったと仮定して、正当化の理論づけをする立場を想定してみても、これといった妙案は思いつきませんし、私の能力不足ではなく最初から無いのでしょう。

596. さんちゃん — December 19, 2010 @23:07:13

数学を扱った番組といえば、「たけしのコマ大数学科」しか思いつかんが、何かを調査するような番組じゃないしなぁ・・・。

597. ゴルゴ・サーディーン — December 19, 2010 @23:47:49

まず訂正です。

◆私の 546 において
 [誤] 密度 と 濃度 は、同じような「 度 」の仲間とされる。
 [正] 密度 と 濃度 は、内包量 とされる。

◆私の 561 において
 【6】→【5】
 【7】→【6】
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さんちゃん へ (ニックネーム自体に敬称を含んでいるらしい場合は、さらに
        敬称を付ける必要はないですね)

 コマ大数学科といえば、ビートたけし氏は数学の学会から感謝状をもらってい
ましたね。私は、アポロ捏造説の立役者にそういう扱いをしていいんかい? と
憤った覚えがあります。
 ( 単に出演者として喋っただけなのかも知れませんが、それならコマ大も同
   じ事です。 )
 またたけし氏は、情報7days の中で
 「こんな宇宙飛行士はイヤだ―『子どもの頃UFOにアブダクションされた』
  と言い張っている」
などというネタをやっていましたが、「アポロ捏造説はいいんかい?」と突っ込
んだ人は全国に数万人いるでしょうね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、面白い物を発見しました。
 内包量・外延量 という言葉を使っていながら、可換主義である例をみつけ
ました。
 ( 内包量・外延量 という言葉を使う人でも、かならずしも掛け算の非可
   換性にむすびつけるように使っているとは限らないです。
   しかしこの例では、明らかに掛け算の可換性議論で出てくるような意味
   で内包量・外延量 という言葉を使っているように見えます。)

「試験で点が取れる大学生の線形代数」 
http://books.google.com/books?id=h-NiYw1342EC&pg=PA16&lpg=PA16&dq=%22%EF%BC%92%E6%AC%A1%E3%81%AE%E5%86%85%E5%8C%85%E9%87%8F%22&source=bl&ots=ALrJaDILLN&sig=sCjMO3MTyIcBdXVNz1D-5Bip25Q&hl=ja&ei=BQgOTZThFYeWvAO4_5WGDg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=8&ved=0CB4Q6AEwBzgULink
(長いですが、こうしないと到達できません)

 >みかん3個/皿 や 3g/cm^3 のような量を、内包量 と呼び、みかん12
 >個や重さ12gや体積4cm^3 のような量を、外延量と呼びます。上のかけ
 >算は、一般に、内包量×外延量A=外延量Bとなっています。
 >かけ算の順序は入れ替えてもよく、4皿×みかん3個/皿=みかん12個と
 >か、4cm^3 × 3g/cm^3 =12g と表してもかまいません。

598. よたよたあひる — December 20, 2010 @04:59:56

>ごんべえさん、masudakoさん、kuritaさん、皆様

 昭和22年にできた学習指導要領は、新しい時代の教育のあり方として、児童の生活と主体的な活動を中心にすえてカリキュラムを組むことをうたい、各教科のカリキュラムの骨組みというか、子どもの発達に合わせて各学年で教えるべきことのリストと、その指導法の概論(26年改訂版よりもずっとあっさりしてます)が書かれたものでした。理念は「ゆとり教育」に似ています。

 この学習指導要領の基本には、GHQ占領下でアメリカ主導の教育改革の柱として取り入れられた「生活単元学習」・・・デューイの問題解決学習を理論的背景に持つ児童の生活を核にその問題解決を図ることで学習を進める、という考え方があります。占領下の教育政策とはいえ、民主主義の社会における教育の柱として現場でも歓迎されていたそうです。当初は。

 けれども、このカリキュラム下での学力低下が批判されるようになり、昭和26年には「学力低下」を裏付ける学力調査の結果(国立教育研究所の久保舜一による調査まとめ。昭和3年、4年と同じ問題で学力調査を行い、おおよそ2年ほどの遅れがあったという結果らしい)が発表されたりもして、より「系統的に学習をすすめるための指導方法」が各教科で模索されるようになりました。昭和26年は講和条約が調印され占領統治が終了した時ですが、算数に限らず、「生活単元学習」への批判が高まるのがこの時期です。

 数教協の設立もこの時期・・・結成が昭和27年・・・で、「生活単元学習」への批判を積極的にはじめます。けれども、同時に文部省もまた学力向上を模索しており、その結果が昭和26年改訂版ということになるでしょう。

 この次の改訂には、26年版のような詳しい解説は書かれていません。そのぶん、より詳しく解説した「指導資料」(民間会社のものではなく、文部省の発行なんだと思います)が発行されたのだと思います。こちらはメタメタさんのサイトに紹介があります。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461350178.htmlLink


あと、昭和26年の改訂版の学習指導要領(試案)については、前のコメントの加筆と合わせて自分のダイアリに書きました。
http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101219/1292788315Link

Up599. keiji — December 20, 2010 @08:07:57

 今ひとつよく分からないのですが

1. 掛け算に順序をつけて交換法則を導くことは数学的に意味がない、迷信だからやめろ ということなんでしょうか? それとも
2. それとも、小学生に交換法則を教えるのは、意味がないからやめろ ということなんでしょうか? それとも
3. 文章題では順序にこだわらずに○にしろ ってことなんでしょうか?

 3 なら、穏当な意見かとも思いますが

Owner Comment きくち  December 20, 2010 @10:00:54

どなたへのご質問?

601. Isshocking — December 20, 2010 @07:46:19

積分定数さん(の引用の引用):
>「どっちでもいい」私のこの無責任な言葉で、多くの子に不安と混乱を与え、先述のひどいテスト結果を生んでしまった。

こういうところにレスするのもアレですが、わたしの解釈を。
たぶん、両方の数を「さくらんぼ展開」してしまって、その後どれとどれを組み合わせるのか、とっちらかったのでしょう。この先生は「どっちでもいい」=「どっちかひとつ」(XOR)と思っていたところ、子どもは「どっちでもいい」=「両方、あるいはどっちかひとつ」(OR) と考えたのだと思います。
子どもは空気を読んで解釈のニュアンスを決めることは苦手なので、してもいいこと、してはよくないことは、はっきりイメージできる言葉を選ぶのが重要ですね。
例:
自分の分と子どもの分のケーキ2つを持ってテーブルに置く。
「どっちでも食べていいよ」
ちょっとテーブルを離れていたら、子どもは2つとも食べていた。

602. zero_man — December 20, 2010 @08:50:45

きくち様 コメントありがとうございます。

>教育学の世界というのは、それぞれが身の回り1m^2くらいの範囲で発見した「問題点」を思いつきで解決した気になるようなところなのかしら、という気がしなくもありません。よくわかりませんが

数学的な一般化とか抽象化とちがって、教育方法と言うのは逆にローカル化の方向に行ってしまっているような気がしております。
このローカルルール同士が矛盾を抱えているとしたら、教えられる方も困るのではと思っております。

古いタイプの人間としては、どうも先生たちの組合組織を教条主義の典型と見てしまうところがあって、それが教育に反映しているのではと過剰反応しすぎるきらいがあります。
小学校の先生たちの苦労が大変なことは理解しているつもりなのですが、ガイドラインとしてもっと広範囲にカバーできるものは不可能なのでしょうか・・
難しそうですが・・・
素人が簡単に口を出せるような話ではなさそうですね・・政治力も必要なのでしょうか・・
理科系としては、話題としては面白そうなので興味を持っていましたが、以後、見守るだけにしたいと思います。

603. Isshocking — December 20, 2010 @08:17:16

YMNさん:
>かけ算の順序づけの弁護人に自分がなったと仮定して、正当化の理論づけをする
数学の問題と考えたらできませんが、表記ルールとして、[名数×無名数]あるいは[一つあたりの量×いくつ分]をこの順序以外は間違い、と頭ごなしに認めれば、理論付けもなにもありませんね。
これは、例えば大勢で手分けして表やグラフをつくるときには必要性があります。
つまり、工程が入り込むときは一般に順序を指定しないと計算が定まりません。
CPUでのディジタル乗算では、レジスタAに置いた数をレジスタBに置いた数を掛けてレジスタCに結果を置くとき、レジスタAは左シフトしたものをレジスタCに加算、レジスタBは右シフトしながらLSBが1ならレジスタAをレジスタCに加算、LSBが0ならなにもしない、という動作になりますから、被乗数と乗数は内部的な取り扱いが実際に違います。
一回だけの乗算なら違いは出ませんが、例えばレジスタAには最初の置数がそのまま残り、レジスタBはシフトを繰り返した結果、置数が0になりますから、同じ数を用いて多数回の乗算、作表的なことをするときに、どちらに何を置くかは計算時間に関わってきます。
とはいえ、こんなのはローカル中のローカル都合なので、教育に導入する必然性はあまりなさそうです。
わたしは、例えば「3×5」は計算の素過程、「×」はアトミック演算子なので、3とか5は属性を捨象された「ただの数」、それ以上の解釈をする必要はないと思います。
量を表す数と、量に付随する次元(単位)は概念的に別物なので、つまり値の計算と次元の決定は本来的に別物だというわけです。
3がミカンの個数であり、5が皿の枚数、掛け算をする、という三つ組を説明出来れば○としていいと思います。

UpOwner Comment きくち  December 20, 2010 @11:20:06

この話題をネットで調べると、「仕様書は書く順序が決まっているのだから、順序を決めて当然」という意見に出会いますね。
社会生活ではたしかに目的に応じて「この順序で」と決めることはあるわけですが、もちろん、そんなのはローカルルールなので、この問題となんの関係もないのですよね

605. メタメタ Website — December 20, 2010 @22:28:25

 はじめまして、メタメタです。
 既にどなたかに触れられていただきましたが、積分定数さんが管理人をされているmixiのコミュ「算数「かけ算の順序」を考える」で副管理人をしています。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4341118Link

この週末、全部の発言を読ませていただきました。とても勉強になりました。
また、かけ算の教え方の過去の文献について調べた私のブログが何回か参照されていて、教科書図書館や国会図書館まで足を運んだ甲斐が報われた思いです。
 私はライターとして、算数・数学の問題集を作成することを生業の一つとしている関係で、来年度から使われる教科書見本を参照できる立場にいます。(教科書図書館や各地の教育委員会や図書館などでも閲覧・コピー可能だと思いますが。)
 来年度からの小2の教科書を見ると、かけ算の順序へのこだわりが、さらに一段と進んでいます。一部を私のブログにアップしました。 いったい、このように、1あたり×いくら分 の順序で書かねばならないと教えこんでいて、逆に書いてもよい、といつ教えるのかと気になりますが、教科書にはそのような文言は、その後の学年でも出てきません。
 長方形の面積は、「縦×横」と「横×縦」の両方を教科書は明記しています(小4)が、平行四辺形については、公式としては「底辺×高さ」のみです(小5)。「高さ×底辺」で計算すると×にする先生も出てくるかもしれません。

606. ゴルゴ・サーディーン — December 20, 2010 @23:56:36

こんばんは。

 >来年度からの小2の教科書を見ると、かけ算の順序へのこだわりが、さ
 >らに一段と進んでいます。

 ひとつ確認させていただきたい事があります。
 私がここでのやりとりを見ていて得た理解では、掛け算を教えるとき、
「 1あたり×いくら分 」 からスタートさせねばならない、これは文科省の決
めた事で、一方、それに反した順番で書く児童はきびしく矯正せよ、と書い
てあるのは文科省のコントロール外にある「 教科書に教師向け注釈を書き
込んだやつ(*) 」なのですよね? 
 この場合、批判の対象にするべき相手は、どちらなのでしょう?

 ( *… 他の皆さんは「 教科書指導書 」という正式名称を好まれるようです
    が、ここを途中から読む人のために、パッと見て判る呼び方がいいの
    ではないか、そして「アレは文科省の検定は及んでないのだよ」という
    事を繰り返し強調すべきではないか、と思うのです。

    いやまてよ。
    「 教科書指導書 」≠ 教師用アンチョコ という可能性は? >自分 )

607. Isshocking — December 20, 2010 @23:14:17

メタメタさん:
>逆に書いてもよい、といつ教えるのかと気になります
中学に入ると一次式が出てきます。
皿が5皿あるとして、皿にx個のみかんをそれぞれ乗せたときの全個数は
y=5x
と書くのが常識です。
また、みかんの数の方を3個に固定して皿の数xを変化させると、全個数は
y=3x
と書くべきです。
少なくとも、中学生になったら、掛け算には順序があるとか「一つあたり量」とかいう話は忘れてもらわねば先に進めないのは確かです。

Up608. 積分定数 Website — December 20, 2010 @23:34:08

>Isshockingさん
おっしゃられるようなこともあるかも知れませんが、「どっちでもいい」という状態が不安で混乱する子はいるようです。


http://www.tokyo-shoseki.co.jp/e-mail/qanda/q-es-math.htm#q10Link
>しかし,「児童に好きな筆順で書いてよいと指導すると,混乱が生じることもあるので,正式な筆順がないとしても,何らかの筆順を示して欲しい」との要望も多く,現在の教科書では,「+,−,×,÷」などの演算記号や等号,「%」の記号,分数などについても筆順を示すようにしました。また,わり算の筆算については,教科書ではなく,教師用指導書に筆順を掲載しています。

「算数記号の筆順テスト」などをやり出す教師がいなければいいのですが。


>ごんべえさん

情報有り難うございます。ナイトスクープ、メールでも依頼できるのですね。駄目元で依頼してみます。

探偵ナイトスクープ調査依頼

http://asahi.co.jp/knight-scoop/cyousa.htmlLink

数学セミナー(日本評論社)
https://www.nippyo.co.jp/inquiry/Link

朝日新聞教育面
http://www.asahi.com/edu/student/news/TKY201010140423.htmlLink


 メタメタさんも指摘していますが、「順序」の締め付けが年々強まっているようです。色々なメディアでこのことを取り上げて貰えれば、多少は流れが変わるかも知れません。

609. メタメタ Website — December 21, 2010 @00:43:05

 >ゴルゴ・サーディーン さん

 はじめまして。
 実は、私、その「教師向けアンチョコ」の「教科書指導書」(小4算数)を書いたことがあるのです。
 教科書本体ではなく移行措置用の教科書の指導書なので、薄いページ数でしたが、締め切りまでの時間の余裕がなかったのか、なぜか、やくざなライター稼業の私のようなところに、仕事が舞いこんできたのです。
 とはいえ、授業にはこういう教具を用意していけとか、こういう発問をせよということを自由に書かせてもらいました。最終的にどういう形になったのか、私のところに送られてきませんでしたので、下書き原稿だったのかもしれません。
 合わせて移行措置用の「補助教材」というのも書きましたが、こちらは文科省の厳しいチェックが入って書き直しをさせられ、さすがにたいしたもんだと感心しました。
 ともあれ、「教科書指導書」なんて誰が書いているのか分かりません。

 よたよたあひるさんが調べられたことと私が調べたことをまとめると、昭和20年代、30年代には、文部省の文字の資料として、かけ算の順序について書いてあるものはあります。その後、文部省関係では文字資料ではなくなったようです。
 教科書には、昭和20年代から、かけ算の順序を問うているような問題があり、「教科書指導書」には、はっきり順序を守らせろ、と書いてあります。ただ、「指導書」は、軽く見られていたようで、教科書図書館でも、櫛の歯が欠けたように、残っているもののほうが少ないぐらいでした。
 とにかく数教協以前から、「指導書」には、順序のことが書いてあるのに、始めてマスコミレベルで問題になり、遠山啓も、はじめて知ったかのようなコメントをしたのが、1972年(昭和47年)の朝日の記事なのです。
 そして、遠山はどっちでもいいとコメントをしたのに(ただし、トランプ配りの例を出しており、「いくら分×1あたり」の順序でもいいと言わなかったことは、黒木さんが言われる通りだと思います)、80年代から、各社教科書が、かけ算の導入を、それまでの「倍」や「累加」ではなく、数教協の主張した「1あたり×いくら分」を第一にするようになり、数教協も、1あたり×いくら分の順序を強調するようになり、以前は各社の「指導書」に書いてあったことが、次第に教科書本文にも登場するようになった、という印象を、教科書図書館に何回か行って、戦後60年余の算数の教科書や指導書を見て来た者として持っています。

610. メタメタ Website — December 21, 2010 @01:59:20

>sshockingさん
はじめまして。

 数のかけ算の式には「正しい順序」があると思っている人は、数のかけ算の「式」の順序と、数の「計算」では交換法則が成り立つことと、文字式の乗算の順序のきまりの3通りを使い分けているような印象を持っています。

611. ごんべえ — December 21, 2010 @07:23:22

メタメタさん
> 「教科書指導書」なんて誰が書いているのか分かりません

建前上(奥付)の著者はXX出版編集部ですか?

教科書には、なんとなく偉い先生の監修がついていますが、教科書指導書は監修もなし?

ドラゴンさんが169、543で小平邦彦や、矢野健太郎という名を上げていますが、教科書についても著者じゃなくてどれだけ見ているかわからない監修のはずとは思いますが、教科書指導書のほうはどういう具合でしょうか?

Up612. メタメタ Website — December 21, 2010 @10:58:36

ごんべえさん

 私が「教科書指導書」にタッチしたのは前述のような淡いものなので、詳しいことはまったくわかりません。
 ただ、教科書図書館に辛うじて保管されている昔(1950年代)の「指導書」を見ると、児童の使う教科書に、解答と一部には短い解説を赤ペン先生のように(赤ペン先生ほど詳しくは全然なく)印刷したものもありましたので、「指導書」は、こんなレベルから出発したものだったようです。

613. よたよたあひる Website — December 21, 2010 @11:23:54

>ごんべえさん、メタメタさん、

奥付上の著者は「××出版編集部」ではなくて、「××教科書編集委員会」あるいはせめて「××教科書編集委員会監修」とかになっているのではないですか?「教科書」の著者も知らないところで「指導書」が書かれているのでは信頼できないから採択されにくいでしょう?
どこかにないかな、と思ってさっきから検索しているのですが、どうも見つけられずにいるのですけど。オークションなどにでてくる表紙の写真などには書かれていないし。どこかにないですかね。

614. YMN — December 21, 2010 @20:21:53

#609. メタメタさん
> 実は、私、その「教師向けアンチョコ」の「教科書指導書」(小4算数)を書いたことがあるのです。
> 教科書本体ではなく移行措置用の教科書の指導書なので、薄いページ数でしたが、締め切りまでの時間の余裕がなかったのか、なぜか、やくざなライター稼業の私のようなところに、仕事が舞いこんできたのです。
 
 「教科書指導書」の詳しい実情は分かりませんが、国を動かしているのは、実は大統領を操っている大統領夫人という笑い話を連想してしまいました。
教員になるには教員免許が必要で(なおかつ採用試験を通過)、その先生の先生たる”大先生”みたいな立場がノーチェックで案外普通の人だったりすると、まるでジョークのようでもあり、一方では「世の中そんなもの」でありがちな話のようでもあります。
 
 「教科書指導書」は一般の目に殆ど触れることがなく、チェックが機能しにくいことになりますし、またどう転んでも大量に売れるはずもなく、内容の充実にあまり金もかけられないことにも繋がるでしょう。
教科書とセットになった両輪の輪のような存在でありながら、軽視されがちということはいかにもありそうに思います。

Up615. SERG — December 21, 2010 @20:09:57

Isshocking ― December 20, 2010 @08:17:16
にコンピュータの問題が出ていたのでちょっと考えてみました。
シフトレジスタで桁をずらす方法を採ることは、現在ではまずないので
通常使用されるアレイ状に論理素子を配置した乗算器で考えます。
分配則により片方を桁毎(1bit毎)にバラして
  X・Y=ΣX・Yi、 Y=Yn....Y1
を計算する。これは複数桁の「筆算」と同じです。
ちなみにX・Yiはすべて同時に計算できる=並列実行可能。

つまり、この場合、非対称であることの「目的」は単にアルゴリズムの
要請であって、乗算回路の外部仕様としては入力レジスタA,Bに
演算オペランドX,Yのどちらをセットするかは任意であって、結果は
変わりませんから可換です。無論、除算器は可換ではありません。

筆算の場合、複数桁の筆算だと過程が非対称になるので何か紛らわしい
ところがあるのでしょうか。非対称だから計算が楽な順序はありますけど。
#変な話をしてすいません。

616. メタメタ Website — December 21, 2010 @20:42:35

#614.YMNさん

 私がタッチしたのはある1社のそれも移行措置用の教科書の場合ですので、私の例が一般化されると実態とはかけ離れてしまうと思います。

 ただ、かけ算の式の順序について教科書の本文は玉虫色に書かれていても指導書にははっきり書かれていて、それが来年度の教科書には本文にも登場するようになった、という感想は否めません。(1社だけでなく、です。)

 
 
 

617. YMN — December 21, 2010 @22:12:49

>> 「教科書指導書」の詳しい実情は分かりませんが、
 
>私がタッチしたのはある1社のそれも移行措置用の教科書の場合ですので、私の例が一般化されると実態とはかけ離れてしまうと思います。
 
 それは留意すべきこととして、上の一文にその意味を込めたつもりだったのですが、少々伝わりにくかったかもしれません。

618. らんで — December 21, 2010 @21:58:04

俺は必要悪派ですね。

文章題で常に意味を考えさせる手段として、乗数と被乗数(かける数とかけられる数)の使用を固定して答えさせる手法は、実際有効ですから。
たとえば、小学校1年で「りんご2個を、りんご5個はいった袋から出しました。袋の中には何個のりんごが残っていますか」という問題で
平気で意味も考えず「2−5」と答える子どもが多数いますから。

ここで「小さい数から大きい数は引けない」からと式を逆にしろと指導するのはかなり問題があります。なぜなら、この手法だけを覚えたなら、中学校で文字が出たときに対応できません。
「りんごa個を、りんごb個はいった袋から出しました。袋の中には何個のりんごが残っていますか」という問題が解けなくなります。やはり、意味をしっかり考える必要があります。

かけ算の順序も同じです。文章題の意味をしっかりと考えさせる良い習慣をつけさせる必要があるのですが、かけ算の順序を固定するのは、その為の便宜的な教育的配慮です。
別の手法で確かめろという指摘もありますが、より簡便的に普通の業者テストでもチェックできるので、私は必要悪だと思っています。
これが駄目なら、教師はテスト類を全部自前で作成・印刷しなければいけません。

619. disraff — December 21, 2010 @22:27:37

いや、「意味をしっかり考えること」を否定している人など誰もいないと思いますが。
挙げられたような例で「小さい数から大きい数は引けない」から式を逆にしろと指導せよ、などと言ってる人も誰もいないと思いますが。
中学校で文字式を習うころには、とうに掛け算が可換であることも知ってなければならないはずですが。

足し算や掛け算に帰着する問題は本質的に可換で、引き算や割り算は非可換である。その本質を誤るような教え方は良くない、ということですよね。そもそも負の数や逆数を導入した段階で、世の中には実質足し算と掛け算しかなくなりますけど。

…って、またスルー推奨かな?ひょっとして。

Up620. ゴルゴ・サーディーン — December 21, 2010 @23:03:11

メタメタさん
 >昔(1950年代)の「指導書」を見ると、児童の使う教科書に、解答と一
 >部には短い解説を赤ペン先生のように(赤ペン先生ほど詳しくは全然な
 >く)印刷したものもありましたので、「指導書」は、こんなレベルから
 >出発したものだったようです。

なるほど。私のいう「 教科書に教師向け注釈を書き込んだやつ 」というのは、
そういう古いイメージなわけですね。もっとも、私が見たのは 1950年代より
もう少し“こっち”ですが。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(話は変わります)
私が597で挙げた「試験で点が取れる大学生の線形代数」ですが、
こんな事が書いてあります。

 >!ここがポイント!
 >一般に、内包量×外延量A=外延量A×内包量=外延量B です。

大学生を相手に、そんな事を言ってしまうなんて。
この著者は、
「どうしてそういう式にしたの?」「え?掛け算で違うなら足し算?」
なんていう子どもの、大人版ですね。

621. らんで — December 21, 2010 @23:03:18

#619
乗法は別に本質的に可換じゃないのは明らかなのでは?
それは、定義からもたらされる性質であって、本質ではないでしょ。大体、可換じゃない乗法があるのは色々な所で言われている通り。

論理的・数学的に正しいことに教育が従わなければならないというコトも俺は違うと思いますね。だったら「1+2=2+1」を正解にするのですか?この式は数学的に正しい等式ですよね。

「計算とは最も簡単な形にすること」などと説明するということも考えられますが、それが小学校1年生に理解できるとは思えません。

ケアレスミスをして「4+5=11」と途中計算で間違った子どもが、「実は8進法で書いたのだ」と言い訳したら、数学的に正しいから○にするのですか?

Owner Comment きくち  December 22, 2010 @00:28:45

そういう話はもう終わってるんで、もうやめてくれます?
エントリー本文に書いてあります。
本文くらい熟読しようね

じゃあ、さようなら

623. disraff — December 21, 2010 @23:23:21

ん〜、少なくとも屁理屈さんではあったようですね。「数学的に正しけりゃ何でもいい」なんて事は誰も言っていないのにねえ。

ちなみにホントにその状況で「8進法で書いたのだ」と言い訳できる子供がいたら、僕なら○にしてやるかな。基数の変換ができる子が4+5を間違えるとは思えないけど。

624. らんで — December 21, 2010 @23:35:28

#622
別に屁理屈ではないと思っています。極めて真面目ですよ。
あなたも、そうですよね。では、あなたが「本質的」だと思っている問題の正否の基準とは何ですか?

8進数で書いたのだということを言い訳にさせると「なぜあいつの言っているコトはOKで俺のは駄目なのだ」ということになり非常に危険です。
私はそのようなコトはやらない方がよいと強く推奨します。

UpOwner Comment きくち  December 22, 2010 @00:30:44

はいはい、無意味なので、もう書かなくていいです
さようなら

626. disraff — December 21, 2010 @23:34:14

あと、「足し算や掛け算で答えが出る問題」は本質的に可換ですよ。複数の数を足していい、掛けていいのは、答えを求めるにあたって計算の順番じたいには決定的な意味がない場合ですから。

627. ごんべえ — December 21, 2010 @23:21:55

それらしい情報がみつかりました。

http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/5367472.htmlLink
東京書籍の場合は新編新しい算数編集委員会, 東京書籍株式会社編集部編 ; 東京書籍株式会社著

教育出版だと教育出版株式会社編集局

なのかな。
これに対して教科書はやっぱり一応名前が入る。
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/5297254.htmlLink

ということでやっぱり編集の人が前の版のを微妙に改訂することが繰り返される以上のことは何もないのではないかというきがしますね。

だいたい
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-330.phpLink
「教科書発行者と教科書供給業者間の契約において教育関係者(塾関係者を除く)以外への販売を禁止しています」なんておかしなものに基づいてものを言われてもねえ。:(

628. ちたにあ — December 21, 2010 @23:20:13

#618
#621

ストローマンに論点のすりかえ

詭弁すぎて読んでてつまんないです

629. らんで — December 21, 2010 @23:47:39

#625
行列はどうなるのですか?

#626
「論理的・数学的に正しいことに教育が従わなければならない」これが藁人形攻撃だと言うのでしょうか?これは失礼しました。
では、具体的に問題の正否の基準はあなたはどのようなモノでなければ、ならないとあなたは思っていますか?

UpOwner Comment きくち  December 22, 2010 @00:31:57

エントリーの本文を熟読せずにコメントするっていうのは、いったいどういうつもりなのかなあ。
ちゃんと読もうね。
では、さようなら

631. ごんべえ — December 21, 2010 @23:53:45

それにしても不思議なのは、どうして式にバツをつけて答えに丸をつけることができるんだろう???

式が論理的に間違っていると主張するなら、そこから導き出された答えは偶然の一致だから、当然問題を丸ごと×にするはずのところ。式が正しいけど答えを間違えたときに中間点をくれてやるのはわかるけど、なんで、式と答えを独立に採点するのやら。

http://ten.tokyo-shoseki.co.jp/downloadfr1/htm/emh40769.htmLink

http://ten.tokyo-shoseki.co.jp/downloadfr1/pdf/emh40802.pdfLink

配点の例として各5点だそうな。

632. らんで — December 22, 2010 @00:09:28

#628
ごんべえさんは「論理的に正しい」かどうかが、問題の正否にかかわると判断しているのでしょうか?
もしもそうなら、その判断に対する反論は #621 に書いていますのでよろしくお願いします。

633. disraff — December 22, 2010 @00:03:12

「複数の数を足したり掛けたりしてよい場合」と言いました。言うまでもありませんが、行列や複素数ベクトルのノルムや交換関係や…の話はしてません。そこで行列を持ち出すのが屁理屈です。

別に「論理的・数学的に正しいことに教育が従わなければならない」なんて筋の話は誰もしてませんが…逆に、論理的・数学的に「間違っていること」を教えるのは良い、とでも言うんでしょうかね。

634. たまむし — December 22, 2010 @00:19:05

もう周回遅れ(それも5周ぐらい)の話に付き合うのはやめましょうよ。
これまでのログを読んでるとは思えないし、
読んでいてこれなら尚更どうにもならないですし。

Up635. ゴルゴ・サーディーン — December 22, 2010 @00:09:29

「血液型と性格のあいだに関連はあるか?」というテーマなら、まだ論争
のやりようがある。相手は「関連があるのは『事実』だ」と言っているわ
けだから。
考えの根本に「事実を重んじる」という事が無い相手とは、何をやっても
無駄。

事実を重んじない人は、自分の子を、理科や社会の時間に神話を教える
ような学校とか、小学校低学年のうちは事実に関する科目がなくてひた
すら情緒を育てるだけの学校に、行かせるといいと思う。

 ( 理科の時間に神話: 米国にはいっぱいありそうですね。
   社会の時間に神話: 昔の日本では、全部そうでしたね。
   ひたすら情緒:   シュタイナー学校 )

636. ごんべえ — December 22, 2010 @00:07:05

ゴルゴ・サーディーンさん#606
文科省の指導要領解説は「乗法は,一つ分の大きさが決まっているときに,その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられる。つまり,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現として乗法による表現が用いられることになる。また,累加としての乗法の意味は,幾つ分といったのを何倍とみて,一つの大きさの何倍かに当たる大きさを求めることであるといえる。」
程度ですから、変な順序は決まっていません。「 1あたり×いくら分 」もないと思います。
だいたい「いくつ分」だの「いくら分」だのが積じゃなくてかける数のところに来る言葉たって言うのが変だと思うのですが、これは教科書で検定に合格しているようです。:(

637. らんで — December 22, 2010 @00:19:48

#630
かけ算の話をしているのでしょう?それがどのようなモノのかけ算なのかを勝手に限定されても困ります。
また、かけ算の可換性は、数が拡張されるたびに、検査される「性質」です。教科書の構成もそうなっていますし、かけ算・乗法の定義に可換性はありません。本質ではないのは明らかでしょう。

再度質問します、あなたが「本質的」だと思っている問題の正否の基準とは何ですか?これが分からないと延々、水掛け論でしょう。

最後の発言は、逆藁人形攻撃ですか?

638. らんで — December 22, 2010 @00:25:52

#631
私のことですか?過去ログ結構読んだつもりですが…。
本質を外した発言をしているならすみません。謝ります。

ですが、私が本当に間違っているならそこをきちんと指摘してください。それだけです。

Owner Comment きくち  December 22, 2010 @00:37:04

本文を読んでないですね
本文に「それは関係ない」と明記してあります。なぜなら、なんの関係もないからです。

本文を最後まで読まずにコメントされても困ります

では、さようなら

Up640. disraff — December 22, 2010 @00:28:57

こちらこそ「勝手に拡張するな」と言いたいところですが、まぁ言っても無駄かな。
せめて、てっぺんにあるきくちさんのブログエントリくらいはちゃんと読んでほしいところですね。

641. らんで — December 22, 2010 @00:36:46

#639
>小学二年のうちに、「掛け算は順序によらないもの」と教えられるのです。
>この手の「割り算や引き算は」とか「行列は」とかいう意見は、本題とはまったく関係ない議論であるわけです。

この部分ですね。私はこの部分確かに読みましたが違うと思います。

かけ算の可換性は数を拡張する度にその性質がチェックされます。学習の構成はそうなっています。
つまり乗法の可換性は、行列で破綻しますが、それは偶然であって、もしかしたら小数を導入した時点で破綻していたかもしれないのです。

小学校2年生で確認するのは、九九での可換性であって、それ以上でもそれ以下でもありません。

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @03:42:44

そういう話ではない、と書いています

643. らんで — December 22, 2010 @00:52:20

#638
一応読んでいましたよ。違うと思っていたので思わず行列の話を出してしまいました。なんの関係もないとは思えません。

#640
小学校ですら、かけ算は九九から、10以上の数のかけ算、小数のかけ算、分数のかけ算など拡張しますよ。「勝手に拡張するな」と言われても…

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @03:43:38

掛け算導入時の話ですから、関係ないです

Up645. らんで — December 22, 2010 @01:13:33

なにやら、本文を読んでいないと指摘されるので改めて読むと…

>「数学的に正しいものは正しい」という書き方を過剰に読み取ろうとするかたが少なからず...

この部分が引っかかっているのかな?でも、良く分かりません。良く分からないから飛ばし気味に読んだのかも知れません。今から思うと、「秘数学」とは「1+2=2+1」などのコトではないかと類推できますが、曖昧に書かれても…。

で、具体的に問題の正否の基準とは何ですか?

646. よたよたあひる Website — December 22, 2010 @01:06:05

>ごんべえさん

 学習指導要領は、それぞれの項目だけでなく、
 来年度から完全実施される「新・学習指導要領」では、各学年ごとに目標と内容が示されており、その「各学年の内容」は、〔A 数と計算〕〔B 量と測定〕〔C 図形〕〔D 数量関係〕の4つの領域に分けて記述してあります。そして、4領域の内容に続けて〔算数的活動〕という内容が記述されています。
 そして、各領域および〔算数的活動〕はそれぞれ関連付けながら指導するようにという注意書きがあります。〔D 数量関係〕は
「学習指導要領解説」によれば(P53)
〜〜〜〜〜
(1)「D 数量関係」の領域のねらい
 この領域のねらいは、「A 数と計算」、「B 量と測定」、「
 図形」の各領域の内容を理解したり、活用したりする際に用いられる数学的な考え方や方法を身につけること、また、数量や図形について調べたり、表現したりする方法を身に付けることである。(中略)
 この領域では「関数の考え」、「式の表現と読み」および「資料の整理と読み」が主な内容となっている。(中略)
 特に低学年で「D 数量関係」の領域を設けるに当っては、従前の「A 数と計算」の領域に位置づけられていた内容のうち、「式の表現と読み」及び「資料の整理と読み」に関する内容を「D 数量関係」の領域に移すことによって、その整理と充実を行っている。
 (中略)
 また、「式」は、算数の言葉ともいわれるように、事柄やその関係などを性格にわかりやすく表現したり、理解したりする際に重要な働きをするものである。(後略)
------------
 で、2年生では「加法と減法の相互関係」と「乗法の式の表現とその読み」が指導内容に入っています。以下は、「新・学習指導要領 解説」の2年生の〔D 数量関係〕の部分からの引用です。
(〔D 数量関係〕はP98〜で最初に「加法と減法の相互関係」の解説とその〔算数的活動〕の記述があり、P98からが「乗法の式」の記述です。
------------
(2)乗法が用いられる場面を式に表したり、式を読み取ったりすることができるようにする。 [用語・記号]×
 乗法が用いられる具体的な場面を、×の記号を用いた式に表したり、その式を具体的な場面に即して読み取ったり、式を読み取って図や具体物を用いて表したりすることを重視する必要がある。その際、乗法の式から場面や問題をつくるような活動も、乗法についての理解を深め、式を用いる能力を伸ばすために大切である。
 式に表す指導に際しては、「1袋に5個ずつ入ったみかんの4袋分」というような文章による表現、○やテープなどの図を用いた表現、具体物を用いた表現などと関連付けながら、式の意味の理解を深めるとともに、記号×を用いた式の簡潔さや明瞭さを味わうことができるようにする。
 式を読み取る指導に際しては、例えば、3×4の式から、「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」というような問題をつくることができる。このように具体的な場面と関連付けるようにすることが、さらに読み取ったことを○や図を用いたり、具体物を用いたりして表現することが、式を読み取る能力を伸ばすためには大切である。
-----------------
 ここに書かれている「場面に即して」という言葉や具体例と、ごんべえさんが引用している「乗法の意味」の部分をあわせて考えると、深読みすれば、「1袋にみかんが5個ずつ入ったみかんの4袋分」5×4、「プリンが3個ずつのパックが4パック」は3×4に限定、となってしまうのではないでしょうか。
 さすがに、昭和26年の学習指導要領のように「誤った解決」などという言葉はありませんが。

647. げお — December 22, 2010 @00:02:35

ずっとROMしてて、なんとなく私の感じていたのと経緯が違うなぁと思ってはいたものの確証があるわけではなかったので、傍観を決め込んでいたのですが、#609. メタメタ — December 21, 2010 @00:43:05 で述べられているいきさつが、私の記憶と矛盾しないのでほっとしています。

 私の知る限り(とはいってもきちんと勉強したわけではないですが)、いわゆる水道方式というのは、一般論から特殊へという教え方をするというのが1つの方針としてあったと思います。例に挙げられるのが3けた同士の足し算で、いきなりXXX+YYYと一般的な形を教えたほうが、XXX+Yのような一見簡単に見えるものを先に教えるより子供たちの理解が早いというものです。掛け算については、累加を基礎に置くと、少数・分数の掛け算でつまづく(何で掛け算なのに小さくなるのという疑問)というのがまずあって、量の掛け算の理屈として(1つあたり)x(倍率)が導入され、それを離散系についてものそのまま使おうという流れがあったのではないかと思います。(もちろん確信はないですし、実際はもっと紆余曲折あったのかもしれないですが)この時点ではおそらく書き下す順序はそれほど重要ではなかったはずです。(ちなみに, それと並行して外延量・内包量の議論もあったんだと思いますが, これは食塩水を混ぜる問題対策だとにらんでいます, 全く根拠はないですが)
 順序については水道方式関係なくそれ以前から、(かけられる数)x(かける数)の順番というのは確かにあって、教師によってはうるさかったように思います。今から思えばやなガキですが「あ、この先生はこれは×にするんだな」と思った記憶があるので。

 なぜ順序に拘るのだろうかと色々みているうちに、気がついたことのひとつに、式を自然言語に直訳して理解しよう(させよう)としているのではないかと思い当りました。「aにbをかける」と「bをaにかける」は式にしても日本語そのままでもほとんど同じ意味ですが,「bにaをかける」は式では同じになっても、日本語としては意味が全く違ってしまいます. a=“花”,b=“水”とすればというのは半ば冗談ですが, 文法的にも"aにbを"といった場合, 与格と体格になるので交換可能は自明でないどころか,交換できないほうが普通です。なので自然言語の感覚を基準にする限り,aとbは原則非可換ととらえても不思議はないことになります。式に格助詞をつけるわけにはいかないので, 英語のSVOO構文のように順序によって格を区別しているのが掛け算には順序があるということなのでしょう.
ではなぜ足し算では可換性を素直に認められるのかというと, 既に言われているように, 足す量も足される量もさらには結果も同じ次元(単位といってもいい)になるので同等性を納得しやすいというのがあるからなのでしょう。本来は必ずしもそうではないのですが,同じものだから入れ替えてもいいというのは割と受け入れやすいというのはあると思います。それに対して掛け算は、かけるものとかけられるものは次元からして同じとは限りませんし、また同じであっても結果の次元はまた違うものになります。
違うものでも入れ替えてよいというのがまさに算数の掛け算の性質なわけですが, それを自然言語的な感覚のみで納得するのは二重の意味でかなり困難といえそうです。かといって, Kataseさんが真っ先に例を示されたように2次元に並べてみれば交換則はほぼ自明なわけで、それほど抽象度が高い性質とも言えません.

逆に言えば、自然言語の感覚を基礎に意味づけしようとすると, 本来不必要な従属関係や修飾関係が入ってきてしまい, せっかく捨象したものがいつの間にかまた紛れ込んできてかえって複雑にしてしまうということが起きているような気がします.

なお, 作用素等の演算を積として表現することが多いのは, まさに自然言語としての感覚がそのまま通じるからかなとも思います. そうはいってもそういう演算を初等教育で導入する必要性はほとんどないのですが.

648. ごんべえ — December 22, 2010 @07:48:06

指導要領・解説は、明文はなく深読みだということですよね。
でも、役所の文書で昔あった「誤り」という明文がなくなったというのは役所が間違いを改めたということで役所はそれを求めていないというのが妥当な解釈だと思われます。

大人向けの文書なので例を1つしか示さなかったら逆順はだめと思い込むべきものじゃなくて、かけ算の使われ方・性質を指導するというのが本旨でしょう。

つまり、かけ算の順番が大事だと思っている人が読めば、それがかけ算の使われ方・性質だからそう教えるべしと理解してもおかしくはないとも言えるけど、、、

ちなみに、深読みの仕方には、某塾生(#472プリゴロタ)のように文に出てきた順番どおりに書くべしというのも可能ですね。

649. Isshocking — December 22, 2010 @10:29:39

ごんべえさん:
>どうして式にバツをつけて答えに丸をつけることができるんだろう
これは許容してもいいのではないでしょうか。
もとの問題は
・式が(順序を含めて)正しいか

・式の計算値があっているか
の二つをそれぞれ見るものとすれば納得はできます。
それじゃあ「3×5=15」と書くべきところを「2×5=15」、あるいは「3×5=16」と書いたらどうなるか。
もし後者に5点与えるなら、前者にも5点与えるべきということになりますか。
それでは「3+5=15」は?

だいたい、テストといえば減点法、ということ自体が教育的とは言えないんじゃないかと思うんですけどね。
わたしだったら、白紙でだした子にも1点ぐらいあげますけどね。わからないとこをきちんと「わからない」と申告するのは人生においてわりあい重要なスキルですよ。
掛け算記号か数字の片方だけでも書いてあれば2点。

Up650. keiji — December 22, 2010 @10:46:53

今ひとつよく分からないのですが、掛け算に順序をつけて教えないと交換性が教えられないんじゃないですか?

要するに
a + a + a + …+a (b個足す)  これを a x b と表す。これが掛け算ですよね。このとき、b x a とあらわすと規定してもよい。要するに規定段階での順序は任意です。でも、どっちかに固定しないと、集合 a をb個足したものに一対一対応しませんね。
a + a + a + …+a =a x b です
これに対して
b + b + b +…+ b (a個足す) これは上の規則でいうと b x a ですね
このとき
a x b = b x a になりますよってのが交換法則ですけど、これ、最初の規定で順序を規定しておかねいと、交換が導けないんじゃないですか?
この証明は難しいんでしょうけど、実際の数で教えるのはそんなに難しくありませんね。

3 + 3 + 3 + 3 + 3 = 3 x 5 (かけられる方を先に書くと決めておきます)

同じ規則で
5 + 5 + 5 = 5 x 3

これは、どなたかがコメントしてるように、おはじきで示すことができまね。

     
     
     

いわゆるアレイ図を示して、ひとつの列の集合、つまり3個ですけど、3個を5行集めても(上の規定でいうと3x5)、ひとつの行、つまり5個を3列集めても(上の規定でいうと5x3)、同じ全体を表してますね、ということで、交換性を示すことができます。

いずれにしても、いったん順序を固定しないと交換の意味が分かりません。
いったん交換が成立するということになれば、もちろん、順序はどちらでもいいということになります。

みなさん、そんなことは前提として言っているのだというこかも知れません。

651. さんちゃん — December 22, 2010 @11:25:20

>どうして式にバツをつけて答えに丸をつけることができるんだろう
式と答えを別々に採点するようになっていますが、式が間違っていても答えが合っていたら丸にしなければいけないわけでもないので丸はつけないのでは?

652. トンデモブラウ — December 22, 2010 @11:38:29

>どうして式にバツをつけて答えに丸をつけることができるんだろう
 
俺様ルールだからでしょう。
普通に考えて、掛け算の順序にこだわるなら、答えが合っててもバツだよね。
式を書かずに、正解の答えだけ書いた子供はどうなるのだろうか?

653. メタメタ Website — December 22, 2010 @11:49:45

げおさん(@December 22, 2010 @00:02:35)さん
 そうなんです!
「4に3をかける」という表現は紛らわしいのです。
 いったい「3をかける」とは、どういう行為をさすのかと考えたとき、私も「花に水をかける」という表現が思い浮かびました。しかし、「花4本に水3Lずつをかける」のであれば、水の量は、3+3+3+3になります。「4に3をかける」は、4+4+4のことと理解されていますから、事態は異なってきます。
 いったい、教科書は何と説明しているのだろうと思って調べたら、教科書には、「4に3をかける」という表現は出てこないのです。
 4×3=12は、「4かける3は12」と読むことが、かけ算の単元の先ず冒頭に出てきます。
 とはいえ、学校の先生も授業では「4に3をかける」という言い方をすることがあると思います。私もします。「学習指導要領」でも88ページに「4に2位数をかける」という表現が出てきます。また「かけられる数/かける数」ということばも、教科書にも出てきます。しかし、教科書には「4に3をかける」という表現は、慎重に避けられているようです。

 「かける」は、漢字では「掛ける」でしょうが、江戸時代は「乗ケル」とも書いています。漢字の「乗」をあてたわけで、もともと「乗」とは、算木を算盤の空欄に乗せること、上の欄に算木が3本(これが今でいう「乗数」)、下の欄に4本(今でいう「被乗数」)あったら、中の空欄に、4本ずつ算木を3回乗せることだったようです。(九九の口訣ができれば、三四十二で、いっぺんに中の欄に12を表わす算木を置きましたが。)
 つまり、「3をかける」とは、もともとは「3回乗せる」という意味で、「4に3をかける」は、(0+4+4+4)という累加と解すべきことになり、かけ算を累加としては導入しない今の教科書の考え方には反することになります。教科書が「4に3をかける」という表現を避けているのは、賢明なことだと思います。

 算木やソロバンでの計算では、「乗数/被乗数」という言葉がなかっただけでなく、区別もなかったようです。ただし、江戸時代には、被乗数にあたるものを「実」(コンテンツ)と呼び、乗数にあたるものを「法」(オペレーション)と呼び、したがって、「実」は名数(単位あり)だが、「法」は無名数(単位無し)で、この名数/無名数の区別は、現在の珠算のかけ算でも踏襲されているようです。
 「乗数/被乗数」という用語は、明治10年(1877)に日本最初の学会として設立された東京数学会社が、西洋の数学用語に訳語をあてることに取り組んだとき、明治13年に刊行した機関誌で、“multiplicand”を「實または被乗数」、“multiplier”を「法または乗数」とする草案を発表したことに始まるようです。
「かけられる数/かける数」は、この「被乗数/乗数」のやまとことばへの言い換えなのでしょうが、わかりにくいですね。「受動/能動」の関係ではないのに、そう錯覚して「追いかけられる/追いかける」泥棒と警官の図を描く先生も出てくるのですからね。「かけられる数」というなら、4も3も、かけ算をする私たちによってかけられる数のはずです。

654. Isshocking — December 22, 2010 @11:59:24

Keijiさん:
>この証明は難しいんでしょうけど、実際の数で教えるのはそんなに難しくありませんね。
自然数の乗算における交換法則は何かから証明するものではなく、「定義」ですよ。そういう性質を持つ演算として頭ごなしなんです。
数千兆の桁数の数同士の掛け算でも成り立っているかいないかを実際に数えてしめすことは簡単ではありませんよね。

Up655. masudako — December 22, 2010 @12:54:26

「aとbをかける」ならば、そう表現されたから交換可能とは言いきれないものの、交換可能な場合に適していて、交換可能でない場合には適さない言いかたになりますね。
交換不可能な場合を考えると、たとえば「aをbで割る」を「aとbを割る」とは言わないでしょう。「aとbの比を求める」とは言いますが慣れない人にはわかりにくい言いかたで、「aのbに対する比を求める」のほうがよいと思います。

Isshockingさん、かけ算の定義はなんとおりもあり、入力・出力の関係が同じものならばどれを使ってもよいのだと思います。たとえば自然数のかけ算について、累加で定義することもでき、その場合は交換法則はそこから論理的に導かれるもの(定理)になるでしょう。累加と言っても、数学的帰納法の形をとって数えられる無限大まで広げられるように定義しておく必要がありますが。

656. Isshocking — December 22, 2010 @12:53:35

メタメタさん:
>「4に3をかける」という表現は紛らわしいのです。
「4と3をかける」でも日本語ではどこもおかしくありありませんし、「3が4にかかる」でもニュアンスの違いを除けば、不自然さはありませんね。(「商品には消費税がかかります」というでしょう)
算数で助詞によるニュアンスの違いを立式にに盛り込めというのは、要求が過ぎるというものでしょう。手話なんかだと助詞そのものがありませんし。

657. かも ひろやす — December 22, 2010 @13:03:53

本筋の議論と関係ないので、事実誤認の指摘だけします。

Isshockingさん:
> 自然数の乗算における交換法則は何かから証明するものではなく、「定義」ですよ。そういう性質を持つ演算として頭ごなしなんです。

違います。自然数の乗法の再帰的定義
x × 0 = 0, x × succ(y) = x × y + x
と数学的帰納法から自然数の乗法の可換性が証明できます。

本筋と関係ない上に数学的に間違っている主張は議論を混乱させるだけなので、この話がこれで終わることを期待して、事実誤認の指摘だけで終わります。

658. メタメタ Website — December 22, 2010 @18:48:33

小2教科書のかけ算の構成

来年度から使われる小2算数の教科書6社のかけ算の単元は次のようになっています。
全体は、
(1)導入  
(2)九九  
(3)まとめ 
の3部構成です。
 それぞれのページ数と内容は次の通りです。
(1)10ページ弱
かけ算の「定義」(もちろん本格的なものではありません)、かけ算の式の書き方、読み方など。
 遊園地で2人乗り、3人乗り、4人乗り、5人乗りの車それぞれ数台に乗っている絵が見開きであります。
 「かけ算は、おなじ数ずつのものが何こかあるとき、ぜんぶの数をもとめる計算です。」と、はっきり書いてあるのは、学校図書版。
 6社の内容をまとめると、次のようになります。
 「1台5人ずつの3台分で、15人です」を式で書くと、
   5×3=15   「五かける三は十五」と読みます。
 5は「1つ分の数」、3は「いくつ分」、15は「ぜんぶの数」です。
 5×3の答えは、5+5+5の計算でもとめられます。

(2)20数ページ
九九は、はじめに5の段、次に2の段から9の段までを小さい順に習います。2の段と5の段が逆の教科書もあります。9の段の後に1の段を習います。0の段は小3の初めです。

(3)10ページ弱
九九表(1から9の段まで)を見ながら、九九のきまりをいろいろ見つけます。
 教科書ごとにいろいろ出てくる「きまり」を列記すると、次のようになります。
,ける数が1増えると答はかけられる数だけ増える。あるいは、かけられる数が1増えると答はかける数だけ増える。
△ける数とかけられる数を交換しても答は同じ。(乗法の交換法則)
2の段の答と3の段の答を足すと5の段の答になる。これは、どの段についてもいえることで、一般的には、nの段の答とmの段の答を足すと(n+m)の段の答になるということですが、こういう文字を使った表現までは小2には期待してはいません。
ぃ押滷押■魁滷魁△箸いΔ茲Δ貌韻舷瑤匹Δ靴鬚けた答え(つまり二乗した数)が表の対角線上に並んでいる。
ド修梁亞兩を折り目として同じ数が対称の位置にある。これは、△慮魎綱‖Г鮓世ご垢┐燭海箸砲覆蠅泙后
Γ気涼覆療の一の位には、5と0が交互に並んでいる。
В垢涼覆療の一の位には、1から9までの数字が大きい方から順に全部出てくる。(10と互いに素の1と3と7の段にも、一の位に1から9までの数字が全部出てくるが、そこまで触れている教科書はありません。)
表の4か所に出てくる数は、6,8,12,18,24の5個で、3か所に出てくる数は、4,9,16,36の4個。
以上のようなこと(内容までは提示していませんが)を子ども自身が自分で見つけて「発見する楽しさを味わうこと」を、文科省の「学習指導要領」も期待しています。

 以上を骨格として、肉付け内容が3つあります。
「倍」、「かけられる数/かける数」、「交換法則」の3つです。
 交換法則については、以前の教科書では東京書籍版(だけ?)が、九九の段の途中から教えていたのですが、来年度からは、6社全部が、九九の段が終わってから、まとめの九九表のきまりのところで教えるようになっています。しかし、「学習指導要領」によれば、教えられる前に子どもが自分で気が付くことはいっこうにかまわないどころか、推奨されているはずです。
 交換法則は、「かけ算では、かけられる数とかける数を入れかえても答は同じです」という表現になっていますが、「かけられる数/かける数」という用語自体は、九九の段の途中で出てきます。
交換法則を習う箇所を( )で示し(全社、まとめの九九表のところなので(表)としました)、「かけられる数/かける数」の用語を習う九九の段の数を○で囲み、「倍」を習う位置も示すと、以下のようになります。
東書:導入(倍)52467891(表)
啓林:導入(倍)ィ横械苅僑沓牽坑(表)
学図:導入(倍)253ぃ僑沓牽坑(表)
教出:導入ィ横械苅僑沓牽坑(倍)(表)
大日:導入254(倍)67891(表)
日文:導入25467891(倍)(表)

 かけ算の式の順序(1つ分の数×いくつ分)は、導入のときだけでなく、九九の各段の例題や問題でも繰り返し確認されます。東書版では、4の段のところで、式が4×3になる問題と3×4になる問題を作らせるという問題もあります。4×3と3×4という式の「意味」が違うわけです。
 九九の途中で、「かけられる数/かける数」という用語を習いますが、この「定義」がはっきりしないのです。「3×9の式で、3をかけられる数といい、9をかける数といいます」とあるだけです。これでは、「×」の前の数と後の数の単なる呼び名のようです。
子どもは、3×9の式なら、3は「1つ分の数」、9は「いくつ分」と教えられてきています。すると、「かけられる数」=「1つ分の数」、「かける数」=「いくつ分」と理解してもおかしくはありません。(実際、歴史的経緯は、そうだったのですから)
そして、かけ算のまとめで、「かけ算では、かけられる数とかける数を入れかえても答は同じです」と教わります。教わる前に気が付いている子もいます。
かけ算は、「おなじ数ずつのものが何こかあるとき、ぜんぶの数をもとめる計算」でした。全部の数(答え)を求めるかけ算の式は、1つ分の数×いくつ分の順序で書くように教わりました。しかし、×の前の数と後の数を入れかえても答は同じだとも教わりました。どんなに遅くとも、この時点で、「1つ分の数×いくつ分」の順序の拘束は解けていいはずです。
しかし、小学校では、この拘束を解かないばかりか、高学年でもこの順序で式を書くことを要求し続け、大人になってもかけ算には正しい順序があると思う人が半数近くいる状況になっているようですね。
「かけられる数×かける数」を逆にしても、それは「数」についての交換法則だから成り立つが、「1つ分の数×いくつ分」は、「量」についてのかけ算であって、量のかけ算では交換法則は成り立たない、という主張を見たことがあります。(納得していませんが。)

また「倍」をどの時点で学ぶかということは、連続量を問題に使うことと関係しています。4cmのテープの3倍の長さは12僂箸いΔ茲Δ法教科書では「倍」の説明に連続量を使い、その後のかけ算の問題でも連続量の問題を出題しています。
分離量の場合、交換法則は、トランプ配りを考えたり、おはじきやアレイやタイルを矩形に並べて、「1つ分」と見る数を転換することで、「3個/列×5列=5個/行×3行」というように、「1つ分の数×いくつ分」の順序を守ることもできますが、連続量の場合、交換法則は、「1あたり量×いくら分=いくら分×1あたり量」という形を要求されます。(連続量でも、「1あたり量×いくら分」の順序で交換法則を記述することは不可能ではないことは、積分定数さんが示しましたが。)

659. うさぎ — December 22, 2010 @20:54:35

げおさん、ほぼ同意します。で、

>なお, 作用素等の演算を積として表現することが多いのは, まさに自然言語としての感覚がそのまま通じるからかなとも思います. そうはいってもそういう演算を初等教育で導入する必要性はほとんどないのですが.

ただ1つだけ。私の感覚では、そもそも乗算というのは作用素(累加演算を簡単に表す記号=作用素)として人類に認識されたのでは?勿論かけ算を「それは作用素っていうんだよ」って教えるのは愚の骨頂ですが、教える側がある程度その認識を持っていても悪くない、と思います。教条主義的に、簡単に絵を描けば分かる事を、「定義上、かけ算が可換とは限らない」と、大上段に、子供相手にやる必要が無いだけで。実際には雑用が多くて、算数の一単元ごときにそこまで深く勉強できない、という実態があるのでしょうが。

Up660. zorori — December 22, 2010 @21:36:38

keiji さん,

”交換法則の証明は必要か”については,#9あたりでKataseさんがリンクを貼られているブログで論じられています。
http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20101116/1289928627Link

小学生にとって「交換法則」は証明するものではなくて,具体例から自然に分かるものでしょう。厳密な証明は並の大学生でも手に余るのですから。

エントリー本文にも書かれていて何度も繰り返されていることですが,導入として,順序ルールがあっても別にかまいません。でも試験で×にするのは拙いということでしょう。自分で考え出したと言うほどのことでもなく,自然に分かったことも使うのは駄目で,総て教えられたとおりにしなければいけないのなら,いわゆる応用問題みたいなものはあり得ないことになりますね。

例えば,次のような馬鹿げたことも、

5皿に3個ずつリンゴが載っています。そこに、1個ずつ載せた別の5皿を加えました。全部で何個でしょう。

3+1=4 ,4×5=20 分配法則を使っているので間違い。
正解は, 3×5=15,1×5=5,15+5=20


Isshockingさん,
>自然数の乗算における交換法則は何かから証明するものではなく、「定義」ですよ。

既に,指摘されていますが,上記リンクの中で,証明の例が示されています。

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @03:46:21

小2での交換則の導入は帰納的、というか、発見的ですね。
証明しませんから、それでいいと思います。

ここでの議論もそれが前提なので、「要証明」みたいな話は、ここでは無関係です

662. よたよたあひる Website — December 22, 2010 @23:26:33

>zororiさん、
-----------
皿に3個ずつリンゴが載っています。そこに、1個ずつ載せた別の5皿を加えました。全部で何個でしょう。

3+1=4 ,4×5=20 分配法則を使っているので間違い。
正解は, 3×5=15,1×5=5,15+5=20
----------
↑の問題だと、
3+1=4 ,4×5=20

は、「分配法則を使っているので間違い」
ではなくて、

「文章どおりにきちんと場面を考えて式を立てる」
ことをしていないから間違い、ということになるのじゃないかと思います。リンゴの数を求める以前に、文章に書かれている場面を説明する式を立てないとだめ、ということじゃないでしょうか。

文科省 学習指導要領・解説 小学校 算数
-----------
 また、「式」は、算数の言葉ともいわれるように、事柄やその関係などを正確にわかりやすく表現したり、理解したりする際に重要な働きをするものである。また、式を読み取ったり、言葉や図と関連付けて用いたりすることも大切である。
(中略)
 式には次のような働きがある。
(ア)事柄や関係を簡潔、明瞭、的確に、また、一般的に表すことができる。
(イ)式の表す具体的な意味を離れて、形式的に処理することができる。
(ウ)式から具体的な事柄や関係を読み取ったり、より正確に考察したりすることができる。
(エ)自分の思考過程を表現することができ、それをお互いに的確に伝え合うことができる。
 次に、式の読み方として、次のような場合がある。
(ア)式からそれに対応する具体的な場面を読む。
(イ)式の表す事柄や関係を一般化して読む。
(ウ)式に当てはまる数の範囲を、例えば、整数から小数へと拡張して、発展的に読む。
(エ)式から問題解決などにおける思考過程を読む。
(オ)数直線などのモデルと対応させて式を読む。
 このような式について、第1学年では、加法及び減法が用いられる場面を式に表したり式を読み取ったりすることを指導する。例えば、「3人で遊んでいるところに4人来ました。」という場面を3+4の式に表すなどの指導をしている。しかし、こうした式は計算をしてすぐに一つの数になってしまうことから、3+4という式が具体的な事柄を表しているという見方がしにくいことがある。結果を求めることだけに終わるのではなく、式の表す意味に注目できるような配慮が必要である。
(後略)
------------
 つまり、
「5皿に3個ずつリンゴが載っています。」→5×3=15
「1個ずつ載せた別の5皿を」→5×1=5
「加えました。」→15+5=20
と、それぞれ立式をしなくては場面を表現していない、ということになりそうです。

663. よたよたあひる Website — December 23, 2010 @00:11:32

↑のコメント中に引用した小学校学習指導要領解説は、
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htmLink
に掲載されています。
小学校学習指導要領のうち、「算数」は、
算数(1)第1章〜第2章(PDF:791KB)
算数(2)第3章〜第4章(PDF:502KB)
の二つに分けられています。
ファイルの大きさで比較すると、各教科の中で一番大きいです。

664. 積分定数 Website — December 23, 2010 @05:28:35

■小さな勝利■

 326に書いた、「小学校では正方形⊂長方形ではない」疑惑に関して、本屋でまさに解答がそうなっている問題集を見つけました。

小5算数・標準問題集 受験研究社

 色々な四角形が描かれていて番号が付けられ、「それぞれ同じ名まえの形のなかまに分けて、番号でまとめましょう」となっていて、台形・平行四辺形・ひし形を選ぶというものです。

 予想通り「解答」には、正方形が菱形に入っていなかったり、菱形が平行四辺形・台形に入っていなかったりしていました。同じページには各四角形について、「ひし形・・・4つの辺の長さがみな同じ四角形」などと描いてあるにもかかわらず、この条件を満たす正方形が菱形から除外されているのです。

 このことについて、出版社に問い合わせて、

326に書いたような文科省の見解=「小学生には、特殊が一般に含まれること積極的には教えないが、かといって『特殊は一般から除外される』と教えるわけではない。発展的内容として、特殊が一般に含まれることを教えてもいい。特殊が一般に含まれるどうかで正解が異なってしまう問題は、問題自体が不適切。敢えて出題するなら、どちらの解釈でも正解にするか、発展的内容として教えた上で、特殊が一般に含まれるという解釈での解答を正解にすべき。特殊は一般に含まれないと言う解釈による解答のみが正解というのはあり得ない」を伝えて、

「その観点からしたらこの様な問題と解答は不適切だと思う」と指摘したところ、「少し調べてみる」との回答で、その後、電話があり、「ご指摘の通りでした。次回の改訂のときはこの様なことがないように改めます」とのことでした。


■全てを是正するのは容易ではない■

 この「特殊が一般に含まれない」というのは、市販の問題集ではほとんどそのような立場になっています。

 そして、このような問題集を執筆しているのが元・現小学校の教師です。公務員の副業制限はどうなっているのか、などと言うつもりはないが、間違いを指摘する私の方はわざわざ800円+消費税を払った訳で、ちょっと理不尽に思いました。

 この件に関しては明白に教師の事実誤認であり、文科省見解=「棚上げ・棚から下ろすなら発展的内容としてきちんと教える」を遵守するように指摘することで解決します。

 しかし、これを是正するだけでも一苦労でしょう。

 棚上げではなく、指導要領で「特殊は一般に含まれる、と明確に教える」とすればすっきりして、誤解する教師もいなくなるのでしょうが。


■教師に声を届けるために■

 そう考えると、詭弁とは言え、あれこれ正当化する理屈がついている「掛け算の順序」を是正するのは、途方もないことのように思えてきます。

 しかし、341に書いたように、

 教師になったばかりのときは、とにかく必死で、指導書に従って教えていた。掛け算の順序にも拘って教えていた。何年かたって、「これってそんなに意味があるのか?」と疑問に思えてきた。中学校の数学教師が小学校に転任になって来たので、その人に質問したら、「全く意味はない」と言われ、「やっぱりそうか」と思って、それからはあまり拘ることはしなくなった。

という事例もあります。指導書には「順序」について書いてあるけど、疑問に思っている教師も多いと思います。

 そういう教師はネットで検索して、ここやあちこちの議論を読んで欲しいと思うのですが、

 何らかの形で、「順序に拘るのは、おかしい」という、素朴な反発にとどまらない論拠のある考え方が存在するという事実を、教師に伝えることで、これまでの教え方を省みる機会になると思います。

 ということで、探偵ナイトスクープ・数学セミナー・朝日新聞教育面への文案を考えているところです。私としては、「正方形・長方形」問題にも拘っているので、それと併せての文章を検討しているので、ちょっと難しいのですが。

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @03:50:30

「正方形・長方形」問題も、なにがなんだか、という感じですが、要するに小学校では「長方形はどれですか」という問題の選択肢に正方形を含めないという方法で困難を回避することになっているのに、含めてしまう先生や問題集があるということですね。

無理に教えなくてもいいでしょうが、習わなくても知っている子どもはいるわけで、ここでも「正しいものを間違いとする」やりかたはまずいと思います

666. かも ひろやす — December 23, 2010 @06:52:32

積分定数さんが、公立小学校の教員の副業制限について疑問を書かれています。端的にいえば、教育公務員は任命権者の許可を得て教育関係の副業をすることができます。問題集の執筆はどう考えても教育関係ですから、任命権者が認めればOKです。

教育公務員特例法第十七条  教育公務員は、教育に関する他の職を兼ね、又は教育に関する他の事業若しくは事務に従事することが本務の遂行に支障がないと任命権者(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三十七条第一項 に規定する県費負担教職員については、市町村(特別区を含む。以下同じ。)の教育委員会。第二十三条第二項及び第二十四条第二項において同じ。)において認める場合には、給与を受け、又は受けないで、その職を兼ね、又はその事業若しくは事務に従事することができる。
2  前項の場合においては、地方公務員法第三十八条第二項 の規定により人事委員会が定める許可の基準によることを要しない。

667. かも ひろやす Website — December 23, 2010 @07:23:02

「正方形⊂長方形」問題はまた別の重要な問題なので、混ぜないほうがよろしいかと思います、メディアへの情報提供でもここでの議論でも。

「正方形⊂長方形」問題用に私のところを提供しますので、よろしければ、議論や文案作りにそちらもご利用ください。
http://d.hatena.ne.jp/wd0/20101223/aLink

Up668. 積分定数 Website — December 23, 2010 @06:50:19

 小学校教師があまり数学を理解していないのは仕方ないと思います。また、面倒な積分を計算するとか、ややこしい平面幾何の問題で職人芸的に補助線を見つけるとか、そういうのは算数を教える上では不要でしょう。

 ただ、「数学を理解している」というのがどういう状態なのかが誤解されているようにも感じるので、そこは改めて欲しいと思います。これは世間一般にも誤解されていると思います。


 私の考えでは、数学を理解するというのは、「生真面目な優等生」になることではない。

A 連立方程式には、加減法と代入法の2種類がある
B 何法だか知らないが、とにかくテキトーに何かし未知数を1つ消す

未知数が3つの連立方程式になっても対応しやすいのは、Bの方である。

 数学というのは、余分な情報を捨象したり、一般化することで見通しのいいものとなる。(ただし、教える際には、混沌とした状態から本質を掴むことですっきりと晴れ渡ることを学ばせる事が重要。連立方程式をやる前に鶴亀算をやらせる意味はある)

 一旦本質を掴んでしまうと、あれやこれやの便宜的・恣意的概念、不合理な区別がナンセンスとなり、そのような区別自体が困難となる。


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1979597.htmlLink
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3801676.htmlLink
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/07/post_fca6.html#commentsLink
>とのほうを合併、にのほうを添加と呼ぶことにする。
として概念を分けていく。
 些細なことのようだが、恐らく数学をきちんと学んでいくときには、こうした差をきちんと理解することが重要なのではないかと思う。


 数学が得意な人の多くは、「合併?添加?何か違うの?」という認識だと思う。少なくとも私はそういう認識である。

 掛け算・わり算も理解してしまうと、3×4と4×3の違いや包含除・等分除の違いなど区別できなくなる。そもそも区別できないのだから、「区別できる」と思っている状態は、掛け算・わり算を理解していないと言える。少なくとも分離量に関してはそうである。連続量については、http://ameblo.jp/metameta7/entry-10742669809.htmlLink のコメントに書いた。

 つまり、不合理な区別(ただし、教える上では重要な区別かもしれない)は、本質を理解することで、区別できなくなりナンセンスなものとなる。

 ちなみにこのあたり、高校の数学教師も分かっていないではないかと疑問に思うことがある。

 10本に3本当たりがあって、各自1本ずつ引いていく問題で、2人目の人が当たりを引く確率に関して、1人目の当たり・ハズレについて場合分けした計算にするように、定期試験の前に指示があったというのを聞いた。

 場合分けだと計算がややこしくなるというのもそうだが、確率というのを理解してしまうと、「1人ずつクジを引く」「複数が同時にクジを引く」が本質的に同じ事だと悟ってしまい、「1人目が当たる確率も、2人目の当たりはずれで場合分けする、とはならないのは何故か?」と「場合分けするように」という指示の不合理性に気づく。

 高校生ぐらいだと、そういうことを指摘して「屁理屈言うな!」と言われるのが落ちだから、おとなしく従っておこうとなるかもしれない。
http://daiba-suuri.at.webry.info/201010/article_4.htmlLink
http://daiba-suuri.at.webry.info/201010/article_5.htmlLink

小学校算数から高校数学に至るまで、自分で考えて本質を理解するよりも、指示されたとおりに解答を書き上げる技術をたたき込むことが重視されているようで、憂鬱になってしまいます。

669. 積分定数 Website — December 23, 2010 @07:46:30

>かも ひろやす さん

了解しました。ありがとうございます。そちらでコメントしようとしたのですが、「なぞなぞ」が分かりませんでした。

670. かも ひろやす Website — December 23, 2010 @07:59:02

あ、ごめんなさい。なぞなぞの答えは 2038 です。ヒントを書き直しました。

671. zorori — December 23, 2010 @08:08:05

よたよたあひるさん、

>「文章どおりにきちんと場面を考えて式を立てる」
ことをしていないから間違い、ということになるのじゃないかと思います。

「分配法則」という言葉を使わないと、そういうことになりますね。
意味は同じですけど。

途中経過がどうであれ、10皿が並んでいる結果を眺めていれば、いろんな計算方法があること、つまり交換法則や分配法則で違う計算をしても結果は同じだということは、勘の良い子供なら小学生でも分かると思います。
しかし、「正解」としては、一つの計算方法、一つの考え方の筋道しか認めないということかと思います。

積分定数さんが、#644あたりで書いていらっしゃることと同じ様な事かと思います。

>一旦本質を掴んでしまうと、あれやこれやの便宜的・恣意的概念、不合理な区別がナンセンスとなり、そのような区別自体が困難となる。

「全部で幾つですか」という問題であって「どのように配りましたか」ではないのですが。

672. よたよたあひる Website — December 23, 2010 @12:33:32

>zororiさん、

 zororiさんのおっしゃることは分かります。というか、私自身も
>「全部で幾つですか」という問題であって「どのように配りましたか」ではない
↑という考え方は分かります、というか、私自身がこのように問題を読解するほうです。ですから、ここでその解法の正否について議論しても仕方ないだろうと思います。

 ただ、「指導する側」が何を「指導しようとしている」のか、そして、その根拠がどこにあるのかを整理しておこうと思ったのです。

 5皿に3個ずつのリンゴの数を求める場合に3×5と立式するべし、という考え方は、数学的な問題というよりも、文章題の読解方法として
(1)「題意に沿って具体的な場面を思い浮かべる」
   →一皿に3個、お皿が5枚
(2)「授業では(一つ分の大きさ)×(いくつ分)の順に式を立てる」
   →3×5
※この場合、お皿を省略しておはじきのように長方形の形にならべる、ということは、「思考過程の一部を省略していて、式の形に表現されていない」ということになるのでしょう。たぶん。

 同様に、zororiさんが提示した、結合法則を使った例では、
(1)「題意に沿って具体的な場面を思い浮かべる」
   →一皿に3個のお皿が5枚、追加は一皿に1個のお皿が5枚
(2)掛け算は(一つ分の大きさ)×(いくつ分)
(3)問題文では「3個ずつ5皿」の次に「1個ずつ5皿」で、お皿のでてくる順序がある。
(4)だから、
  3×5=15、1×5=5、15+5=20

と、いう式を立てるのが、「思考過程を式で表現する」ということになるという解釈のもとに回答の○×がでてくるのだろうと思われます。

 そして、「思考過程を式に表現する」ということは学習指導要領解説(文科省発)に明記されています。実際には、ある問題に対しての「思考過程」はかなり多様なものがでてきてもおかしくはないと私も思いますし、「求めるのはリンゴの数だからお皿は省略してよし」として頭の中におはじきを長方形にならべる読解が間違いだとは考えません。そして、頭の中におはじきを長方形に並べる作業は、おそらくほぼ自動的にでてきて、「思考過程」を言葉にせよと言われたところで、「だから、こうやってならべると」と説明するのがやっと、ということも多いと思います。「だって、そうなってるから」とか「自明だから」というのは、しかし、おそらくはスタンダードじゃないんですね。「省略している思考過程を表現しなさい」ということになるのだと思います。

 学習指導要領解説を一番「深読み」するのは、教科書会社だろうと思いますよ。だって、「検定」を通らなくちゃならないのですから。その「深読み」をベースにして「教科書」とその「教師用指導書」が書かれる。
 学習指導要領や解説には詳細な具体例はあまりでてきませんが、実際に子どもに教えるためには肉付けしなくちゃなりません。肉付けするときにはスタンダードな子どもを念頭において、かつ学習指導要領解説の全体を「深読み」して「求められることを過不足なく」盛り込むのじゃないでしょうか。
 ここの話題とはちょっとずれますが、
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-10-19/2010101901_06_0.htmlLink
もありますし。

Up673. ごんべえ — December 23, 2010 @13:03:01

メタメタさんの引用されている教科書画像の右側は本当に順序を固定したがっているかのようですね。

検定済み教科書に対する苦情の送り方は
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/020103.htmLink
ですが、
1 誤記、誤植、脱字又は誤った事実の記載
2 客観的事情の変更に伴い明白に誤りとなった事実の記載
3 学習を進める上に支障となる記載
4 更新を行うことが適切な事実の記載又は統計資料の記載
5 変更を行うことが適切な体裁
のどれかにあてはまるかというと苦しいかもしれません。

次の改訂時を目指すなら、検定をする側に要望を出しておくことができるかもしれません。

最近は教科書調査官の名簿は公開されていて
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/1260378.htmLink
数学科で3名の方が調査官をしているそうです。
経歴は直接は書いてありませんが、
http://jglobal.jst.go.jp/Link
にほぼ公式なデータがあります。

算数教育を専門に考えている方ではなさそうなので、わかりやすい簡潔なまとめができたら

文部科学省 教科書調査官室

あてに要望を送ったらいいかもしれません。
3人で12学年分の各社の教科書を全部チェックするとなれば事前に意識していないことに意見をつけるのは難しそうですよね。
しかも影響は大きいし、、、

本当はこう権威を利用するんじゃなくて執筆者・出版社レベルでちゃんと考えてくれるのがいいんですが、、、

674. zorori — December 23, 2010 @13:29:45

教えた方法を理解しているか確かめるテストというのも別に悪くは無いというか重要ですね。ただし、ちゃんと、問題にそう分かるように書く必要があると私は思うんです。

しかし、そんなことは書くまでもない当然の前提というのが「教育界」に有るのかもしれませんね。教育界だけでなく、その分野や業界にだけ通じる符丁、常識というものがあって、それが他の世界では通用しないということに案外気付いていないことは多くて、私自身、はっとすることは良くあります。

ところで、「来年から全面実施される新学習指導要領のもと、すべての教科で「道徳」を行うことになったからです。」って、本当ですか?本当なら、別のエントリーを立ててもらいたいような大問題ですね。私が知らなかっただけで散々議論になっていたのかもしれませんが。

675. ごんべえ — December 23, 2010 @14:04:29

zororiさん
> 「来年から全面実施される新学習指導要領のもと、すべての教科で「道徳」を行うことになったからです。」って、本当ですか?

総則ですね
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/sou.htmLink
この2でしょう。

676. よたよたあひる Website — December 23, 2010 @14:19:58

>zororiさん、

>教えた方法を理解しているか確かめるテストというのも別に悪くは無いというか重要ですね

 ええと、新しい計算の方法の導入時に「一般的に有効だと思われている方法」を使うこと、そのものに異論はないです。ただ、私が気になっているのは、「その方法だとかえって混乱する」あるいは「負荷が大きくなる」一群がいる、いる場合があるだろう(←このあたりは先生の力量によるでしょう)ということと、「教えられた方法を絶対視してあとの訂正が入りにくい子」がいるだろうな、ということです。
 
 おはじきを長方形にならべることをほぼ自動的に「できてしまう子」が、「理解が進んでいる子」とか「算数が出来る子」とは必ずしもいえません。「理解が進んでいる子」だったら、「題意に沿って、授業で教わったとおりに立式する」のはあまり苦痛ではないかもしれない。でも、おはじきを長方形にならべることそのものはぱっと出来る子の中には、それを日本語の文章にもう一度置き換えるのが難しい子もいるはずです。そして、その日本語変換の部分を丁寧に良心的な先生が教えてくれたとしても、その指導の方法によっては、子どもが自分で持っていた力、ほぼ自動的に図を描いて計算を把握する思考の形を閉ざしてしまうことになる場合がありそう・・・そういう子どものことをわかって指導してくれる先生なら大丈夫でしょうし、少なくとも、導入時の方法が「指導の便法」であると自覚しておられる先生の指導ならば大丈夫だろうと思いますが・・・指導書に書いてあることを一生懸命に勉強して、このとおりに考えさせることが大事、と思っている先生の場合は、その先生が熱心で良い先生であればあるほどきっと子どもにとっては辛いでしょう。直感でわかったことが善意による丁寧な指導で混乱してしまい、その結果として「この問題は+かな、×かな・・・」となる子どもも絶対にいます。
 
 具体的な計算のためのおはじきの図から、それを一般化してもっと抽象的な数学的な理解へ飛ぶことは可能で、そこへ至るための追加の手段として「算数の言葉である式」の理解がある、のならば良いのですが、「ともかく問題文の読み方はこうなっているのだ」と「算数の式の読み下し文」を改めておぼえなくちゃならないという事態が困るんですよね。

677. moorhen — December 24, 2010 @08:19:26

よたよたあひる ― December 22, 2010 @23:26:33
> 「文章どおりにきちんと場面を考えて式を立てる」

例えば以下のような問題の場合、方程式を使わないかぎり、文章通りに式を立てることはできません:
「リンゴが最初に2個ありました。何個か加えたら5個になりました。何個加えたでしょう?」
「文章通り」だと2+x=5と立式すべきですよね。しかし小学生にはそれは許されていないので、式を立てる前に頭の中で操作して「5-2=3」と書かなくてはならない。

算数は「文章どおりにきちんと場面を考えて式を立てる」だけでなく、式を立てる以前の直観的センスを必要とする、ということです。したがって、数学的に妥当ならばどのような考え方をしてもよいと教えることは、むしろ重要なことだろうと思います。

Up678. メタメタ Website — December 24, 2010 @18:36:25

(すみません。めちゃくちゃ長いです。原稿用紙20枚超です。)

量のかけ算でも交換法則は成り立つこと

 小2の算数の教科書で、かけ算の単元を見て疑問に思うことは、導入とその後も、かけ算の式は「1つ分の数×いくつ分」の順序で書かなくてはならないと教えていることと、単元の後半で、「かけられる数とかける数を入れかえても答えは同じ」と交換法則を教えていることとをどう整合して教えているのだろうか、ということです。
 教科書図書館でコピーしてきた教育出版の教科書『算数2年下』(平成13年/14年)の『教師用指導書 朱書編』の37ページを見ると、次のようにあります。
「<乗法の交換法則の指導> これまでに、乗法の意味に基づき、被乗数は1つ分の数、乗数はそのいくつ分として立式することを指導してきている。しかし、交換法則では被乗数と乗数を入れ替えても答えは同じであることを指導するため、不用意に3×5=5×3のような式を導入した形式的な扱いを急ぐと、混乱する子供が出てくることも考えられる。したがって、例えば「3個の5つ分」と「5個の3つ分」では式の意味は違うが答えは同じであるということを、ドット図やアレイ図を用いて視覚的にも十分に納得させてからまとめることが大切である。なお、交換法則は、乗法の筆算での乗数先唱や、3×45を45×3として計算する工夫などにも用いられる性質なので、丁寧に扱いたい。」

 「3×5」は「3個の5つ分」、「5×3」は「5個の3つ分」で、式の意味が違うから、「不用意に3×5=5×3のような式」を教えると、「混乱する子供が出てくることも考えられる」と書いてありますが、5つ分の3個という意味で、「5×3」の式を書いて×にされて困惑する子供(とその親)が現実にいることは、この『指導書』執筆時点でも問題になっていたはずなのに、それには触れていません。

 乗法の交換法則については、それは数の乗法の式について成り立つ法則であって、量の乗法の式では成り立たないという主張があります。3×5=5×3は、数の交換法則としては成り立つが、量の交換法則としては成り立たない、量では3×5≠5×3だというのです。「3×5」「5×3」の式の意味、というときの「式の意味」とはそもそも何なのか、という問題もあります。

 これらの問題を考えるとき、日本の算数・数学教育に影響を与えている数教協の考え方を無視するわけにはいきません。以下は、私が数教協から学んで考えたことなので、間違いや、数教協の主張とは違っているところがあるかもしれません。

 数教協は、実在する事物の世界と数の世界とを媒介するものとして量の世界を考えます。
   物 → 量 → 数
です。(「事」や「集合」はどうなんだ、という問題は割愛します。)
量の世界は、一方は物の世界に、他方は数の世界に開いています。だから「量の体系」は、閉じた体系にはなりません。量の世界は、日常算術、小学算数、中高数学、大学数学、と進むにつれ、どんどん抽象化されて数の世界になっていく、とイメージしています。
 算数・数学に出てくる式の「意味」を理解するには、上の「→」を逆にして、前の世界で対応するものを考えることが糸口になります。算数に出てくる式は、量の関係を表わしていますから、どういう量のどういう関係を表わしているかが、その式の「意味」です。その「意味」を理解するために、ひとつ前の「物の世界」にまで戻って、どういう事物のどういう事態のことをいっているのだろうと考えると分かりやすくなるだろう、ということです。(うむ、ここの文章自体が分かりにくいのは、やや無理やり図式化しようとしているからだろう。)
 算数でも、量を抽象化して数としてのみ考えることがあります。たとえば、かけ算の単元の最後で、九九表を見ながら、かけ算のきまりをいろいろ見つけさせるときは、「1あたり量×いくら分」というかけ算の量の要素から離れて、純粋な数と数の関係として考えさせている面もあります。交換法則を、「かけられる数とかける数を入れかえても答えは同じです」という形で表現するときは、「量のきまり」ではなく、「数のきまり」でしょう。

 文章題の立式について、学校(教科書)が、3×5と5×3の式の一方を○とし、他方を×にするのはおかしいという批判は、数の世界からの批判としては当然の批判なのですが、量の世界には量の世界の言い分があるでしょう。
 でなければ、1972年にこの問題が初めてマスコミで取り上げられ、遠山啓もおかしいと言ってから40年近くも経つのに、かけ算の式には順序があるという、「教師用指導書」というウラにはずっと書かれていたことが、だんだんとオモテの教科書本体にも進出してくるようになり、遠山啓を継承するはずの数教協すらも、かけ算の式には順序があると言うようにまでなってしまった、ということにはならなかったでしょう。さらには、「かけ算の順序」は、指導のある段階(導入段階)の一時的なルールという範疇を超えて、「量ではかけ算の交換法則は成り立たず式には順序がある」という主張まで目にするようになっています。私は、量の概念(を考えること)の有効性を認めていますが、この主張は認めません。
 

 かけ算の式には「1あたり量×いくら分」という正しい順序がある、という主張を否定する論拠は3つあります。
(1)かけ算の意味は、「1あたり量」と「いくら分」の積だけではない。
(2)かけ算の意味が、「1あたり量」と「いくら分」の積であるときも、「いくら分×1あたり量」という順で書いても良い。2つの式が表わす意味はまったく変わらない。
(3)かけ算の意味が、「1あたり量」と「いくら分」の積であるとしても、どちらの数値を「1あたり量」とすることが可能である。

 以上の3つが論拠ですが、その前に、「1あたり量」と「いくら分」という話は、量の世界の話であって、数の世界の話ではない、という確認が必要でしょう。数の世界の交換法則を持ち出しても、「順序派」は、それは数の計算をするときの話で、式を立てるときには順序がある、と答えるでしょう。教育出版の『教師用指導書』にあるように、「交換法則は、3×45を45×3として計算する工夫などにも用いられる性質」というわけです。

(1)の「かけ算の意味」については、数教協関係だけでも、銀林浩『数の科学』によれば、「1あたり量×土台量」(これが、1あたり量×いくら分)、「直積型」、「倍(倍写像型)」の3つ、森毅『数の現象学』によれば、「倍操作型」、「複比例型」、「正比例型」(これが、1あたり量×いくら分)の3つ、数教協内共通認識としては、「内包量×外延量」(これが、1あたり量×いくら分)、「外延量×外延量」、「倍の乗法」の3つがあるでしょう。

(2)は、「1あたり量×いくら分」=「いくら分×1あたり量」ということであり、98番で菊池さんもコメントされていますが、これが「量のかけ算の交換法則」だと私も思っています。ところが、mixi「算数「かけ算の順序」を考える」コミュで、これを「同一律」と呼ぶ人がいます。「1あたり量aのいくら分b」と「いくら分bの1あたり量a」は、同一のことではないか、という主張ですが、同一の事態を順序を逆にして記述できること、記述の順序を逆にしても同一の事態であること、が交換法則だと思っています。ひき算では、記述の順序を逆にすると異なる事態となり、答えが違ってくるわけですから。

(3)については、遠山啓は、けっきょくこのことしか言っていなかったという疑惑があります。(黒木玄さんがご指摘されていますが) そして、ここから数教協の現在の主張が生み出されたのかもしれません。
 遠山は、1972年の新聞報道の記事に対して、6×4でも4×6でもどっちでもいいと言っていますが、そのココロは、数値に単位を付けて記述するなら、
  4個/人×6人=6個/回×4回 
と、トランプ配りを考えれば、1あたり量をどちらの数値にすることもできる、ということでした。「1あたり量×いくら分」という順序はゆるがせない、と思っていたのかもしれません。量のかけ算についても交換法則を認めていたかどうかは不明です。
 数教協は、かけ算の交換法則をそれほど重要視していないようです。水道方式が一大ブームを巻き起こすのは、1962年に『算数に強くなる』(毎日新聞社編)が年間ベストセラー第5位になってからなのですが、http://www.1book.co.jp/001341.htmlLink この本の中で、記者の取材に対し、遠山は、交換法則はそんなに早くに教える必要はない、交換法則よりは、「1あたり」とか「いくつ分」という量の考え方を教えることの方が重要だ、と言っています。(本が手元にないので、発言者が遠山だったのか、発言内容がこのとおりだったのかは、やや自信がありませんが。)
 数教協が、かけ算の交換法則をどう教えているのかが気になって調べたことがあるのですが、なかなか見つからず、1970年代に初版が出て、その後新版が出ている学年別の『算数わかる教え方』シリーズの小3(2年ではなく?)の中に、縦横碁盤目に並んだ子どもの総数を求めさせる問題で、横一列に手をつないだ図と、縦一行に手をつないだ図を対比させているのをようやく見つけたということがありました。(このタイプの図は、現在の教科書にも出てきます。交換法則が直観的に納得できます。)
 この図の意味も、 4人/列×6列=6人/行×4行
という式になるわけで、「1あたり量×いくら分」という順序を守っています。ただ、各項の「単位」(助数詞ですが)は違っています。各項の単位を変えれば、「1あたり量×いくら分」という順序を固定したまま数値を入れ替えることができるわけです。
ところが、いつのまにか数教協内で、「1あたり量×いくら分」の順序を固定することは、各項の単位も固定するということだ、と逸脱する人が出てきたようです。
 3匹のウサギの耳はいくつか、という問題に、遠山は、
   2個/匹×3匹=3個/側×2側
という式を示して、2×3でも3×2でもどちらでもいいと言ったのですが、この問題で、「3×2」と式を書いた子どもに、教師が「ウサギの耳は3つなの」と嫌がらせ的な反問をするのを、ネットで本人が書いているのを見たことがあります。
   2個/匹×3匹≠3個/匹×2匹
と、「3×2」の式の意味を、3個/匹×2匹 という単位で解釈し、2個/匹×3匹という正しい式とは等しくない、として式に×を付けるわけです。


 遠山と数教協が記述した上記の式、
  4個/人×6人=6個/回×4回
  4人/列×6列=6人/行×4行
  2個/匹×3匹=3個/側×2側
のうち、下の2つの式の両辺の式は、同じ事態(状況)を異なる分節(解釈)をした場合を示しています。(このように、同じ事態に対する異なる解釈をした式については、「式の意味は違う」と言うべきでしょう。「式の意味が同じ」とは、同じ事態を同じ解釈をした場合でしょう。)
 最初の式も、配っているときの配り方の事態は異なっていますが、配り終えたときの事態としては同じです。つまり、最初の式も含めて3つの式の両辺は、同じ事態を示していますから、当然、両辺を計算した結果は同じになり、等号で結ぶことに違和感はありません。
 しかし、ウサギの「2個/匹×3匹」と「3個/匹×2匹」については、等号で結べるのかという問題があります。しかし、計算した結果が等しい以上、等式は成立するとせざるをえないでしょう。
   2個/匹×3匹=3個/匹×2匹
 しかし、左右両辺は、異なる事態(状況)を示しています。両辺の「式の意味」は違います。式の意味まで考えると等号で結ぶのは躊躇します。このような場合を指して、量については交換法則が成り立たない、と言う人が出て来たようです。
  2×3=3×2
は、数の交換法則としては成り立つが、量としては(単位を付けて考えると)両辺の式の意味が違うから、交換法則は成り立たない、と。
 しかし、交換法則 ○×△=△×○  と 
A   2個/匹×3匹=3個/匹×2匹   
B   2個/匹×3匹=3個/側×2側
を比較すると、AやBでは、○や△にあたるものが両辺で同一ではありません。同一の項が交換されたのではないのですから、AやBは交換法則の例とは呼べない、というのが私の考えです。菊池さんも先と同じ98番のコメントでBのような場合は、交換則ではなく「解釈」とされています。しかし、先のmixiの「同一律」の人は、Bのような場合が交換法則だと言うのです。
 何を交換法則と呼ぶかという「定義」の問題はともかく、ここまでの例で出て来た量は分離量(離散量)でした。分離量では、対象の個物を碁盤目に長方形に並べれば、1あたり量といくら分の解釈を交換して、1あたり量×いくら分の順序を守ることができます。
 しかし、連続量の場合は、それはできそうもありません。
 速さ×時間で、時間の方を1あたり量、速さの方をいくら分と解釈することは不可能に思えます。ところが、これが、できることを示されたのが積分定数さんで、文科省国立教育政策研究所の担当者と電話で、かけ算ではどちらの数値も1あたり量とすることができる、というやりとりをしたときに、担当者が、時速4kmで3時間歩くときは1あたり量の数値は時速4kmの4になる、と言ったことに対し、3/(/時)×4km/時 と考えれば、3も1あたり量の数値となる、としたのでした。
  3/(/時)×4km/時
は、「時速1劼韮貝卻發道のりの時速4卻の道のり」と解釈できるわけで、秀逸な発想、秀逸な単位の表記法だと思います。
 この単位の表記法は、連続量だけでなく、前述の分離量の場合にも適用できます。
  4個/人×6人=6個/(個/人)×4個/人
  4人/列×6列=6人/(人/列)×4人/列
  2個/匹×3匹=3個/(個/匹)×2個/匹
連続量では、たとえば、
  3/個×5個=5/(/個)×3/個
 こうすれば、不可能に思えた連続量の場合も含めて、すべてのかけ算の式で、どちらの数値を「1あたり量」とすることが可能となります。すると、どうなるか。「1あたり量×いくら分」の順序で書くべきだというきまりが無意味になります。
 なぜなら、時速4kmで3時間歩いた道のりを求める式が、3×4 と書かれていても、3/(/時)×4km/時と解釈すれば、「1あたり量×いくら分」の「正しい順序」で書かれていることになります。
 どんな式でも「正しい順序」で書かれていると解釈可能になると、次の3段論法が成り立ちます。
,け算の式は、「1あたり量×いくら分」の順序で書くべきだ。
△垢戮討里け算の式は、「1あたり量×いくら分」の順序で書くことができる。
すべてのかけ算の式は、「1あたり量×いくら分」の順序で書かれている。
 無意味なルール,無意味になってしまいます。

 そうではなく、「時速4kmで3時間歩いた道のりを求めよ」という問題で、式が、3×4=12 と書かれていても、その意味が、
  3時間×4km/時=12km 
であれば、答えだけでなく、式も正しい、とすればいいのです。
「時間×速さ」の順序で書かれた式を間違いとする理由は何もありません。
 4km/時×3時間=3時間×4km/時
という交換法則が成り立つ理由は、両辺を計算した答えが12劼箸いζ韻舷値になるからだけではなく、両辺の「式の意味」が同じだからです。両辺とも、時速4劼韮鎧間歩いたという同一の事態を同一に解釈しています。(同一の事態を異なって解釈したのが、3/(/時)×4km/時という式です。)ただ、記述の順序が違うだけです。
 もし、この式が、3/時×4時間=12km の意味であったら、式は問題文の事態と違っていますから、式に×を付けて、答えに〇を(付けたければ)付ければいいでしょう。
 かけ算の式が「1あたり量×いくら分」の順序で書かれていようが、「いくら分×1あたり量」の順序で書かれていようが、同じ事態を同じに解釈していて(つまり、「式の意味」が同じで)、ただ記述の順序が違うだけですから、どちらかを是として、他方を非とする理由は、量の観点からも何もありません。量のかけ算についても、当然、交換法則が成り立つのです。

679. NiKe — December 24, 2010 @19:54:04

ちょっと気になりはじめたことがあります。
(スレッドを全部読んでないので、もう出ている話かもしれないけど)

算数で、なぜ「交換法則」を教える必要があるんでしょうか。もちろん a×b = b×a であることは知っているべきですが、それを「交換法則」として学ぶ意味はどれほどあるのでしょう。

2項演算を一般化して考える時には、当然これは知っているべき概念です。しかし算数では『足し算や掛け算ではこれが当たり前』で済んでしまうんじゃないでしょうか?

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @04:01:58

算数では、掛け算の性質として「見つける」ことになっていると思います。
別に「法則」と大仰に言うほどのことはなくて、「そうなってるねえ」でいいのではないでしょうか

681. メタメタ Website — December 24, 2010 @20:35:32

NiKe さん— December 24, 2010 @19:54:04 

 算数では、
 a+b=b+a (a+b)+c=a+(b+c)
a×b=b×a (a×b)×c=a×(b×c)
(a+b)×c=a×c+b×c
 という「計算のきまり」があることを学びます(アルファベットを使って)が、交換法則などの名称は学びません。
 
 こういうお答えで良いのでしょうか。

682. らんで — December 24, 2010 @20:57:58

交換法則は「当たり前」じゃないですよ。過去にも書きましたが…

交換法則は、算数・数学で九九、10以上の数の乗法、小数の乗法、分数の乗法…と段階的に進むたびに「確かめなければならない性質」ですよ。基本的性質なんかじゃ全くありません。実数だろうが確かめなければいけないのです。

その証拠に、行列で破綻するでしょ。行列で破綻するというのはこういう意味であって、「行列を持ち出すのは屁理屈」ではなく、現に小学校範囲の算数にかかわっていく問題ですね。

UpOwner Comment きくち  December 25, 2010 @03:20:03

行列の話は関係ないし、小学二年生は交換則を習います

以上

終わった話を蒸し返すのは、よそでやってください

みなさんも終わった話の相手をしないように

684. らんで — December 24, 2010 @21:08:46

文科省は、学習指導要領に書かれていることは「教えなければならない」としているものの、その細部については教師の裁量に任せるという態度を採っていると思います。

このかけ算の順序問題に似た?問題に、「漢字の書き順の問題」があります。漢字の書き順は、文科省から過去に「指導の手引き」は提示されているものの、そこには「ここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない。」と明記され、「指導の手引き」の内容に関する具体的批判は今でも多数あります。

ところが現実は、教師はこの「手引き」に従って教えざるを得ません。なぜなら、業者テスト・入試テストが手引きの内容に従って実施されているからです。

文科省はこれに対して何の手立ても取っていないばかりか、文科省の所管法人から漢字検定なるものが行われ積極的にテストが行われています。つまり、学問的正否とは別に子どもには強制的に一つの内容が教え込まれテストが行われることが肯定されているわけですね。

これって、かけ算の問題に似ているんじゃないでしょうかね。

685. らんで — December 24, 2010 @21:30:05

となると、このかけ算の順序問題を日本の殆どの教師が「どちらでもよい」と教えさせるためには、文科省が指導要領にそのことを明記しないといけないということになります。

私はそれは事実上望み薄だと思いますね。なぜなら、「漢字の筆順」といういくら学問的な正否で批判を加えても改善しない別の例があるのですから。

686. うさぎ — December 24, 2010 @21:31:35

らんでさん、
整数のかけ算が公理によって可換だ、だのと言われると違和感が思いっきりありますが、どうでしょう、体の存在自体を公理でもって定式化(本当に存在するかどうかはさておき)する場合にはいきなり可換性を公理として要請して問題ないのではないでしょうか?思いっきり本題からはずれますが(ぐぐった限り、そのようです)基本は、私も可換性は自明でない派で、何度も同じ主張繰り返していますが、らんでさん同様です。大抵の場合連続量の積をいきなり体感できる子供が多いとは到底思えません、むしろ基礎論風に自然数、整数、有理数、という順番に演算範囲を拡張していく方が人間にとって自然に思え、その意味では可換性はぜんぜん自明ではなく、乗数、非乗数の概念はむしろ自然なものと思います。しかし一方で、この壁を容易に越える子供達がたくさんいることも事実でしょう。我々大人が侃々諤々やるのはいいとして、
(1) 大人の立場から乗算とはなにか議論する
(2) 大人の立場から自分の思想を交えて子供に教えるときのことを議論する
(3) 実際の子供の教育を考えて議論する
3つの相はきちんと区別しないといけない、と思います。この3つを(私もその傾向大ですが)混ぜこぜにしてる議論がものすごく多いと思います。(ここのほとんどもそう)

ただ、ブログ主様の初めの懸念、というのは何かとんでもない間違いを犯して、乗算が可換なのにそうではない、とすら思い込んでいる先生の存在でしょう。トンデモって奴で、深く乗算の本質に思いを致すのはいいのですが間違った「理論」を信じて、それを教育に実践するのが多いに問題、ということで。

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @03:21:17

らんでさんの話は、元のエントリーをちゃんと読んでないんだから、スルーにしてくださいよ

Up688. zorori — December 24, 2010 @22:16:01

#673. あたりのmoorhen さんの例題は,途中経過に未知数が現れる「高度な応用問題」になりますね。従って,教えられた通りのことが出来るか確かめるテストの範疇を超えているわけです。

順序が違うと×にする先生にとっては、そもそも,こんな問題はあり得ないのじゃないでしょうか。認めるとしたら,授業で,(加えた後の個数)ー(最初の個数)=(加えた個数)という式に当てはめて解きなさいと授業で教えている場合だけでしょう。教えていない場合は「分からない」が「正解」で,3個と答えれば教えた以上のことをしているので×となるんじゃないかな。冗談じゃなくて。

子どもを馬鹿にしているようですが,このように教えないと救えない子どももいるということが教育現場の悩みなのかもしれません。

分配法則の例では,3×5=15,1×5=5,15+5=20 が「正解」ですが,問題を少し変えて,
「3個ずつリンゴの載った皿が5皿あります。各皿に1個ずつ加えました。全部で何個でしょう?」とします。
この場合の「正解」は,3+1=4,4×5=20 の方が妥当な「気分」がしますね。もうこれは主観的解釈の問題ですよね。

「文章どおりにきちんと場面を考えて式を立てる」というのは,いずれ,こういう馬鹿げたことになりますが,導入の初期では必要だという教育問題があるので悩ましいのかなあと思ったりします。  

689. らんで — December 24, 2010 @22:37:38

#680
体には可換性はありませんよ。可換体や可換環なら可換性がありますがね。

後半は、その通りかも知れません。
だが、全ての小学校教師が数学が得意かというと…そうでもないわけで、教師全てに多くを求めるのは実際には厳しいかも知れません。

むしろ、乗法の可換性は絶対だと思っている教師の方が多いのでは?

前にも書きましたが、この問題は私は必要悪だと思います。ずるいようですけどね。

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @03:28:29

らんでさんは元のエントリーを熟読するまで、書かないでください。何も読んでいません

691. とりぱん — December 24, 2010 @22:55:54

この問題は、意味を重視するなら一次元のベクトル空間でのスカラー倍として記述されるべきものでしょう。
5*(3)と3*(5)は意味が違うので「同値」ではなく括弧を省いた記法では積の順でこれを区別するというのが非可換派、5*(3)と(3)*5は同じなのだから括弧を省いた場合でも同じものだというのが可換派A、5*(3)=5*3*(1)=3*(5)だから括弧を省いた場合でも同じものだというのが可換派Bとかってに整理しています。
(非可換派はスカラー倍ではなくテンソル積として認識すべき派なのかもしれません)

実際にかけ算を教える場合は、生徒にとって一番良いかが判断基準なのでしょうが、個人的には「一あたりの量」を重視するならそれに括弧をつけて式をかくよう指導すれば良いのではと思っています。

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @03:22:26

小学生の掛け算に何を求めているのかわかりませんが、本当にみなさんは小学生の話をしているのでしょうか

Up693. ゴルゴ・サーディーン — December 24, 2010 @23:00:00

うさぎさん
 >この3つを(私もその傾向大ですが)混ぜこぜにしてる議論がもの
 >すごく多いと思います。(ここのほとんどもそう)

でも、最初のきくちさんの記事では
 「(1) 大人の立場から乗算とはなにか議論する」
が前面に出ているのではありませんか?

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @04:08:32

いや、僕は「子どもに何を教えるのさ」ということを問題にしています。

むしろ、行列だの割り算だの「非可換なもの」を持ちだす大人の立場は無意味だと思います。

また、行列派の人たちがどうしても理解してくれないのが、実は行列だって転置してしまえばまったく同じ式をひっくり返せるというごく初歩的な事実です。
スカラー量の順序を変えることは、行列では交換とも転置とも対応させられます。なぜなら、交換と転置がスカラーでは区別できないからです。だから、「行列は順序を変えられない」と考えるのも間違いなんですよ。

行列は非可換だから、という議論は意味ないです

695. 工学系 — December 25, 2010 @00:17:27

はじめまして。

>>らんでさん
行列が「数」の自然な拡張だとでも思っているのですか?
次数が違ったり正方行列じゃなければそもそも積がとれなくなるのに?
積のベクトルにおける自然な拡張は内積ですか?
じゃあなぜ行列の積は行列のままなのですか?

現実には実数から複素数への拡張の段階ではじめて「量」の世界から足を踏み出し、「ガウス平面上の回転」という解釈が生まれます。ここで高校生くらいの学習者には、交換法則は成立するものの崖っぷちに立たされたことが自然と認識できるでしょう。その後3次の正方行列でもって「3次元の回転操作は可換ではない」ことを示せば「非可換な積」の一丁上がりです。そしてすでにこんなものは「数の掛け算」じゃなくて、便宜上「積」と呼んでいるだけなんだと。

一方で量の掛け算において
>10以上の数の乗法、小数の乗法、分数の乗法…と段階的に進むたびに「確かめなければならない性質」
とおっしゃってますが、少なくとも面積の問題で「現実」の側から考えたら、長さが小数であろうが分数であろうが実数であろうが「1cm角に切り刻んだらだいたい求まる」「細かく切れば正確に求まる」ということに子供は気づくし気付かせるべきです。むしろ確かめるべき内容は「正しく面積が求められるようにきちんと筆算の手順を覚えましょうー。できたかなー?じゃあ順番を逆にしてやってみましょうー。同じになるかなー?」でしょう。

それにしても「その系」で一旦交換法則が証明(体感的に理解)されたらそれを「その系」の中で自由に使えるのが数学の原則じゃないですか?
そして面積の問題などに基づく「理解」は「基礎論風」な理解よりよっぽど重要、言い過ぎました、車の両輪のようなものです。
実際この「理解」を精緻化するだけで実数の積の可換性を証明できるのですから。

696. らんで — December 25, 2010 @00:35:20

行列は数と認めたくないというなら、よりそれらしい「数」の拡張である、ハミルトンの四元数なんてのがありますよね。で、四元数も可換じゃないです。

>それにしても「その系」で一旦交換法則が証明(体感的に理解)されたら…

そうですね。だから、小学校から九九から始まって段階的に体感させ理解させている訳です。延々と…。あなたが提示した、「証明」などを使うのも理解度が高い子どもには効果的ですよね。

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @03:24:40

どこの小学生に四元数の話をするつもりでしょうか
まったく無意味な議論なので、よそでやってください。
行列の話も四元数の話もこの問題とは関係ありませんし、まったくの無駄です。
まさか、ここで議論しておられるみなさんが行列や四元数のことを知らないと思っておられるわけではないでしょう? 関係ないから、書かないだけです。

僕はエントリー本文で「行列の非可換性」も「割り算の非可換性」もこの問題とはなんの関係もないと書きました。

小学生に掛け算を教える話に「行列の非可換性」が関係するという理由が僕にはまったく理解できません。僕はそれは典型的な「ダメな議論」だと思います。無駄な一般化は「ためにする議論」にしかなりませんよ。

どうしても「いや、それはとても関係あるのだ」と言いたいのでしたら、その点をよくよく吟味して、まずは関係あることをきちんと言ってください。積は一般に非可換だから、なんていう理由は理由になりませんよ。そんなことは誰だって知っています。小学生には関係ないです。
また、小学生は証明抜きで交換則を習います。証明は小学生に求めるものではありませんので、「証明せずに使うな」も無意味な論です。

できれば、みなさん、関係ない話はスルーしていただけませんか

Up698. Isshocking — December 25, 2010 @02:00:35

考えてみたら、割り算導入前なのに「個/皿」などという表現が使えるというのは何かおかしいですね。「いちあたり量」なども、子どもは言葉としてはほとんど理解できないでいると思います。
それはさておき、単位付き、すなわち次元のある量の計算というのは、数値演算と次元演算の2つが混合されたものとしても捉えることができると思います。
とりぱんさんの言われるベクトルというより、Lisp言語のリスト、すなわち数値と「単位」を”ただ”並べたものといったイメージです。
で、数値には数値の、単位には単位の変換規則がある、と。

699. ゴルゴ・サーディーン — December 25, 2010 @10:02:56

>>「(1) 大人の立場から乗算とはなにか議論する」
>>が前面に出ているのではありませんか?
>いや、僕は「子どもに何を教えるのさ」ということを問題にしています。
>むしろ、行列だの割り算だの「非可換なもの」を持ちだす大人の立場は無意味だと思います。

そうでしたか。
では、「この3つを混ぜこぜにしてる議論」とする評価に、
どう反論されるのでしょうか?

 ( 私のいう「 大人の立場から乗算とはなにか 」の議論は、
   外延量・内包量などという話は本当か? という事をさし
   ていたつもりです。
   行列を持ち出すことが無意味なのは、勿論です。)

Owner Comment きくち  December 25, 2010 @13:18:13

ああ、そうか。舌足らずですみません

外延量・内包量とか量の概念とかは、どうも「算数教育界」だけで異常に重視されている理論のように思います。その意味で、このあたりの話は「子どもに何を教えるのさ」の問題と考えていました。
だから、「算数教育界がいったい何を考えているのか」はここでの問題意識としてあります。

一方、行列の非可換性は、子どもにはなんの関係もない話ということです

Up701. よたよたあひる Website — December 25, 2010 @20:52:26

>#677.moorhenさん、
>#688.zororiさん、
----------------
「リンゴが最初に2個ありました。何個か加えたら5個になりました。何個加えたでしょう?」
「文章通り」だと2+x=5と立式すべきですよね。しかし小学生にはそれは許されていないので、式を立てる前に頭の中で操作して「5-2=3」と書かなくてはならない。
----------------
↑の問題のような問題は、学習指導要領中では、「加法と減法の相互関係の理解」ということで、2年生の段階で、□や( )を使って式を書いても良いことになっています。
 もっとも、そういう式を使って答えを導くことは3年生になってからとりくむようになっていますが、平成15年の学習指導要領一部改正以降は、興味を持っていて理解できる子に対して学習指導要領以上の内容を教えてもよい、ということになっていますから、□を使って、答えを出す子に×をつけるのは考え方として間違っていると言ってよいと思います。

 来年度完全実施の「新学習指導要領解説」の「算数」第2学年、領域〔D.数量関係〕に、詳しい説明があり、そこの部分についての〔算数的活動〕には、「はじめにリンゴが幾つかあって、5個もらったら12個になった。はじめに幾つあったか」という問題を例にして、□を使ったテープ図を書いて、加法と減法の関係や図と式の関係、を考える活動についての記述があります。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdfLink
(P95〜P97)

この辺りの考え方が、どのような形で教科書や「教科書の教師用指導書」に反映されているのかが気になります。


#688のzororiさんが書かれている、分配法則の形の違う問題
---------
「3個ずつリンゴの載った皿が5皿あります。各皿に1個ずつ加えました。全部で何個でしょう?」とします。
この場合の「正解」は,3+1=4,4×5=20 の方が妥当な「気分」がしますね。もうこれは主観的解釈の問題ですよね。
--------
 この場合だと、まさに、一皿に載せてあるリンゴの数が「3個ずつ」に「1個ずつ加えた」のですから、題意のとおりに解釈して、
3+1=4、4×5=20
が正解になるのだと思います。
 つまり、↑の問題と
--------
5皿に3個ずつリンゴが載っています。そこに、1個ずつ載せた別の5皿を加えました。全部で何個でしょう。
--------
 という問題では、問題に描かれている場面が異なり(出てくるお皿の数が違う)、だから違う形の立式をするのが大切、という考え方は、学習指導要領解説から読み取ることは可能です。


 このような「式の読み方」「式の作り方」は、どうやら「数学的な考え方を育てる」ために行う取り組みとして位置づけられているようです。どうも、そのあたりにねじれを感じるのですが、「スタンダードな子ども像」「2年生の発達段階」からこの年齢は抽象的思考がまだうまくできない、ということが前提としてある、ということなのでしょう・・・

702. とりぱん — December 25, 2010 @22:18:10

>小学生の掛け算に何を求めているのかわかりませんが、本当にみなさんは小学生の話をしているのでしょうか

掛け算の指導が、水道方式、量の理論など、思ったより面倒なのはなぜかについてコメントしたつもりでした。

自分が小学生のころのことを思い返してみると、皿の上のみかんの数と皿の数という違う種類のものを掛けることに抵抗があったことを思い出したわけです。そこでそんな自分の感覚をいま正当化するために、
「皿の上のみかん」問題の状況が実は結構複雑で、ベクトル空間としてとらえるのが自然であり、またそのように認識されているのではないか。
そのため問題を単純なかけ算に落とし込む際にギャップを感じ抵抗があった。
と説明できるのではないかと考えたわけです。
皿にみかんとリンゴが乗っている場合を考えれば、問題状況自身をベクトル空間と考えるのはそんなに衒学的とも思えないですし。

Owner Comment きくち  December 26, 2010 @01:23:04

ああ、なるほど。なぜ掛け算の指導がそんなめんどうくさい理論の問題になるのだろうか、ということですね。僕もそこは気になっています。
いや、実のところ、そんなもろもろの理論は全部不要なんじゃないだろうか、という気はしています。

本当になんらかの教育効果が「実証」されているんですかね。机上の空論に過ぎないんじゃないのかなあ。
それを深追いすると混乱するので、あまり書かないことにしていますし、本文ではそこは追求しないことを宣言したつもりですが。

704. g.a — December 26, 2010 @04:42:15

外延量・内包量とか何でそんな事をうるさくいうのかと疑問だったんですが、きくちさんもそう思っていると知って、ちょっと安心。
そもそも九九に順序や意味がある訳でなし、やはり不要なんでしょう。

705. メタメタ Website — December 26, 2010 @22:57:37

 数教協が交換法則に冷淡なことは、678番でも書きましたが、
(1)遠山啓『数学の学び方・教え方』(岩波新書,1972)
(2)遠山啓『数学入門』(岩波新書,1959)
(3)銀林浩『数の科学 水道方式の基礎』(むぎ書房,1975)
(4)『わかる算数指導法事典』(銀林浩監修,明治図書,1983年,1万2000円!)
に見当たらないのです。
 そして、
(5)『算数・数学なぜなぜ事典』(数学教育協議会編,日本評論社,1993)
(6)『わかる さんすうの教え方』(遠山啓/銀林浩編,むぎ書房,1978,1982改訂版)678番で紹介したものと同じで書名が違うだけのはずです。

に交換法則の説明があることを見つけました。
(5)では,3×4のタイルを90度回転させて説明しています。
(6)226頁では,「数の世界だけで考えると,かける数(乗数)とかけられる数(被乗数)を交換しても,かけ算の答はかわらない,ということ(交換法則)を理解させます。」とあり,3列4行に並んだ女の子たちが,横に4人ずつ手をつないでいる図と,縦に3人ずつ手をつないでいる図で説明しています。

 (6)の書き方を見ると、交換法則は、数の世界だけを考えたときに成り立つ法則で、量の世界【も】考えると成り立たないと言おうとしているかのようです。

UpOwner Comment きくち  December 26, 2010 @23:12:42

なるほど、数の世界と量の世界は違うという固い信念ですかね。
たしかに、遠山の文章を読んでも、「逆順も間違いとすべきではない」とは書かれていても、その理由は交換則じゃないんですよね。

しかし、そんなことを無理に教えなくてはならない理由はどこにあるんでしょう。僕にはまったく理解できません

やはり、「算数教育」というのは内輪だけで閉じた特殊な世界で、子どもはその犠牲になっているのではないかという気がしてきますが・・・

707. メタメタ Website — December 26, 2010 @23:00:56

 数教協的にいうと、数と量は違うし、量でも、分離量と連続量は違うわけですから、かけ算の式の導入を、数教協的には、
  1あたり量×いくら分=全体の量
としたいところなのでしょうが、小2に数と量の区別を求めるのは酷だし(一般世間でのこの言葉の使い分けも、分離量を数、連続量を量、とすることが多いでしょう)、小2は整数しか知らないわけですから、教科書は(教科書によって、用語はすこし違いますが)
  1つ分の数×いくつ分=全部の数
と、かけ算を「定式」することから始めています。
 この定式の前に、かけ算という「新しい計算」の意味を、同じ数の物がいくつかあったときに全部の数の大きさ(数値)を、同じ数の数値(1つ分の数)【と】いくつ分の数値【から】求める計算、としています。「何個のいくつ分」「何が何個」「何がいくつ」というような言い方を授業ではするのでしょう。
  3×5 は、3が5こ
  4×3 は、4が3こ
  3×4 は、3が4こ  
 「4が3こ」と「3が4こ」は、意味が違う、と教えるわけです。
  3×1 は、3が1こ
  3×0 は、3が0こ
「×1」が「が1こ」、「×0」が「が0こ」なら、「×1」も「×0」も意味づけはできます。 
 遠山や数教協が「累加」を批判したときは、「×3」は「3回加える」という教え方をしていました。(主導していたのは、当時、シェアトップの啓林館の教科書を編集した塩野直道です。)しかし、「2×3=2+2+2」では、加えた回数は2回ではないか、「×1」を「1回加える」とすると、「3×1」を「3+3=6」とする子どもが出てくるではないか(実際いたかどうか?)、また「0回加える」では、意味が分からない、と批判したのでした。
 これに対し、塩野が反論した文章が残っています。
 数教協の「水道方式」が一大ブームとなり、啓林館の教科書の採択数にも影響が出始めた1960年代初めに塩野が書いたパンフレット『水道方式を批判する』(1962年、啓林館)です。その28頁に次のようにあります。
「従来、整数のかけ算は、同じ数を何回かたす(同数累加)場合に、たされた1つの数と、たす回数とから、たした結果を求める計算であると意味づけて指導してきています。」
 累加の数とは、「たす回数」ではなく「たす個数」のはずなのにまぎらわしい、と数教協から批判されていたにもかかわらず、その数教協に反論する文書で、こういうことを不注意に書いてしまうというのは、「緑表紙」や「啓林館51年版」という名著と言うべき教科書を書いたからといっても、その後もブリリアントでいられる保証にはならないということで、もって他山の石と自戒しています。

 それはともあれ、「累加」がたした【回数】ではなく、たした【個数】であれば、累加によるかけ算の説明は、小2の段階では、まったくおかしくありません。整数しか知らないのですから、どのように説明しようが、そのようにしか理解されないでしょう。
 教科書は、「4こが3つある」ものの全部の数は、4×3 という式で表され、その答えをもとめる【計算】は、4+4+4のたし算である、としています。そして、6×7なら、6+6+6+6+6+6+6というたし算になるが、いつもいつもたし算をするのは大変なので、九九というものがある、と進みます。
 つまり、かけ算の式の答えを求める【計算】は、(1)たし算と(2)九九があるとし、九九の勉強にはいっていくわけです。

708. ゴルゴ・サーディーン — December 27, 2010 @01:02:19

きくちさん
 >しかし、そんなことを無理に教えなくてはならない理由はどこにある
 >んでしょう。僕にはまったく理解できません
 >やはり、「算数教育」というのは内輪だけで閉じた特殊な世界で、子
 >どもはその犠牲になっているのではないかという気がしてきますが・・

 (あくまで「私の理解するところでは」という話ですが…)
 非可換派の人々は、大人の側の問題として「掛け算には正しい順序がある」
と考えていて、そのために「小学生にもそれを叩き込むべし」となっているの
では、と思います。
 500 のリンク先の inter-edu に登場した人が
 「電圧×電流 と 電流×電圧 のどちらが正しいか、大学で学ぶ」
 などと言っているあたり、「正しい順序」の存在を信じていることがうか
がえます。

 (電圧と電流の順序は、東京電力のサイト内で、統一されていません。)

Owner Comment きくち  December 27, 2010 @01:58:30

え、「電圧×電流 と 電流×電圧 のどちらが正しいか、大学で学ぶ」んですか?

知らなかった・・・

ていうか、順番なんか気にしたことはないですねえ。でたらめにもほどがありますね

710. たまむし — December 27, 2010 @01:37:10

>電圧×電流 と 電流×電圧 のどちらが正しいか、大学で学ぶ

はー・・・、某旧帝大工学部の電気系学科を出てますが、
こんなこと学んだことも聞いたこともありませんよ(汗)

いったいどんなローカルな世界でのルールなのでしょう・・・。

Up711. たまむし — December 27, 2010 @01:51:25

電力の計算式に順序があるというのは「電界が単位電荷をAからBまで運ぶ仕事がVで(1[C]あたりの仕事)、そのとき単位時間あたりに運ばれる電荷量がIなので、(1あたり量)×(いくつ分)にしたがって VI が正しい順序であるという主張があるのでしょうね。

とはいえ、これだって1あたり量をIの側にとることも普通にできますし。

そりゃまあ一般にP=VIの順で書きはしますが、こうも無理やりにあらゆる積に順序を求めるなんて労力の無駄遣いとしか私には思えないですね。

712. 積分定数 Website — December 27, 2010 @10:18:41

 例えば、高校の数学教師が、

「ABCDEFG から4文字の取り出し方は、7C4通りであって、7C3通りではありません。後者だと、7個から3個を取り出す取り出し方になってしまいます。両者は値は同じだけど意味は違います。」

 などとアホなことを言うことはあまりないと思います。取り出す4個を選択するということは、視点を変えたら取り出さない3個を選択すると言うことであって、結局両者は同じ事。

 小学校の掛け算の順序に拘るというのは、これと基本的には同じで、本来ならナンセンスな話だけど、「児童の発展段階」だとかいうことで、必要悪とみなす考えもある。

またここで、

本当にそういうルールがあって、「1あたり」と「いくつ分」が峻別できてこの順に書かなくてはならない、左側の数値の単位が答えの単位に一致する、

などと勘違いする人も出てくる。

市教委と話し合ったとき、私が「柱の体積は一般的に底面積×高さとされて、高さ1僂涼譴鮹福構鼎佑砲垢襪箸いΔ海箸世蹐Δ韻鼻底面積1^2の細長い柱を沢山束ねたとも考えることができる」と言ったところ、小学校教諭経験もあるどころか教師を指導する立場の指導主事が、「なるほど、今までそんなこと思いつきもしなかった」と言っていました。

 私は小学校時代から気づいていたし、掛け算に順序は関係ないというのは、計算上同じになるからというだけでなく、意味からも当たり前と思っていました。

 小学校算数教育の世界にずっといることで、「掛け算とは1あたり×いくつ分」、という発想が染みついてしまうのかも知れません。

http://www9.atwiki.jp/matht/pages/11.htmlLink
こういうのも、突っ込みたいところがあるが、小学校算数の世界で閉じている限り、このような発想でも済んでしまうのかも知れません。



 ところが、「レベルの高い数学・物理をやるには順序に拘らなくてはならない」というような発言がたまにあります。(あまり多くはありませんが)


今話題になった、物理や微積分から、「解説」する人
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=5Link
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,page=6Link


http://okwave.jp/qa/q4672314.htmlLink
>詳しくは、数論という数学に関わる問題で、小学生の先生・・・だけでなく、小学校を卒業したはずの大人でも、ここを忘れている人がいます。


http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/isbn/4569673414.html?txt_isbn=4569673414Link
>例えば「5×2」と「2×5」の違い。映画館にペアシートが5つだと5組のカップルが座れます。5人がけの座席が2つだと、1組のカップルは離れ離れに。つまり、かけ算は順番が大切なのです。他にも身近な事例が満載。

ウィキペディアによると、著者は東工大数学科出身とのこと。


私自身は、物理科と数学科両方に在籍しましたが、「順序が大切」なんて聞いたことないです。行列や外積や集合論の順序数なら、言われなくても順序には注意しますが。


「必要悪・嘘も方便」派、「方便をルールと勘違いしてしまった」派、とは別の、このタイプの人たちの考えに興味があります。

 掛け算の順序に拘っちゃうと、数学や物理の理解に邪魔になるような気がするが、どうなんでしょうね?

713. Isshocking — December 27, 2010 @13:00:50

積分定数さん:
>掛け算の順序に拘っちゃうと、数学や物理の理解に邪魔になるような気がするが、どうなんでしょうね?
エクセルにはいろいろな集計関数がありますが、内部的な計算順はわかりません。
順序に拘る人はエクセルの集計関数は計算順序が確定しないので使用できないとでも主張するのでしょう。

714. disraff — December 27, 2010 @14:42:24

計算しようとすると掛け算に帰着するような「現実の問題」に付随している事柄を、あたかも掛け算そのものの性質であるかのごとく誤認している…ということなんでしょうかね。それでもなお、「×のどちら側に何を置く」かについて普遍かつ絶対的な合意でもない限り、順序なんぞに何の意味も持たせようがないでしょうに。

なお世の中には攻防がどうしたみたいな分野で順序が逆だと完全に結果が逆になってしまう「掛け算」もあるそうですが、たぶん小学生には関係あるべきでないとおもいます。

715. 積分定数 Website — December 27, 2010 @15:08:29

 さっき挙げた7C4と7C3の例にしても、

「元の個数が7個の集合の部分集合で、元の個数が4個の部分集合全体」
「元の個数が7個の集合の部分集合で、元の個数が3個の部分集合全体」

この両者は確かに違うわけです。しかし、

「元の個数が7個の集合の部分集合で、元の個数が4個の部分集合はいくつあるか?」
「元の個数が7個の集合の部分集合で、元の個数が3個の部分集合はいくつあるか?」

これは同じ事で、結局、余分な情報を捨象して、「条件を満たす集合」そのものではなく、「条件を満たす集合の数」とすることで、「同じ」になる。

 デデキント切断による実数の定義と、コーシー列の同値類による実数の定義では、集合としてはかなり違う物であるけど、あまり気にする人はいないと思う。完備な順序体同士には同型写像が存在するから、要するに何でもいい。それらは、「同じ物」とみなして構わない。

 数学を勉強する中で、「抽象化して同じとみなす」ということは自然に身に付くと思います。「4人に3個ずつ蜜柑を配る」と「3人に4個ずつ蜜柑を配る」では、「状況が違う」という順序派の主張があります。しかし、配る物が蜜柑でなくて林檎であっても「状況は違う」わけで、蜜柑だろうが林檎だろうが、「3個のかたまりが4つ」と抽象化しているわけです。もうひとがんばり抽象化したら、これと「4個のかたまりが3つ」は同じ事になるのですが、必要悪派でない順序派はこのことに気づかないようです。

 「数学・物理が得意らしき人」がそのような主張するというのが解せないです。

 「意味」という事で言えば、掛け算は本来は2項演算であり、

a×b×cには、a×(b×c)と(a×b)×cの2つの解釈が可能となるので、どちらの意味なのか曖昧にならないように、括弧を省略するべきでない。結合法則は自明でないし、外積の場合は成り立たない。

 という主張があってもよさそうですが、あまり聞かないです。

 括弧を逐一書いたら煩雑になるから、そういうことはしない。
一方、aとbを掛ける場合、2つの文字を重ねて書くことはしないで、a×b、b×aどちらかの表記にせざるを得ない。せっかく異なる表記があるのだから、それぞれに異なる意味を当てはめる慣習にすれば、式から読みとれる情報が増えるので都合がいい。

 程度のことであるような気もしてきたが、まさしくご都合主義だと思ってしまいます。

716. いしやま — December 27, 2010 @16:00:49

そうですね。順序派の人たちは、体積の計算をどう教えるんでしょうねえ?掛ける数と掛けられる数との積が、掛ける数になったり掛けられる数になったりするんでしょうか?「〜あたり量」という考えは、この場合はどうなるんでしょうか?
どんどん自縄自縛で混乱してしまうように思えるのですが。

717. よたよたあひる Website — December 27, 2010 @15:47:45

「算数教育史」の観点からの面白い考察をみつけました。
http://homepage3.nifty.com/ooiooi/rekisikakezan.htmLink
【「かけ算と量、そして式−−個人的思い出も込めて−−」山形大学地域教育文化学部 森川幾太郎」

以下、冒頭の説明を一部引用。
-------------
この小論は、数実研機関紙「算数・数学の授業 no.121(2006.4)」に掲載していただいたものである。本稿の要旨は、かけ算の式表示は、数学的に必然的な意味からのものではなく、文化的所産である、にある。(中略)
本稿では、かけ算の導入部を巡ってどのような議論が行われてきたのか、量との関わりを中心に報告しますが、一部、個人的な重いでもあわせて語らせていただきました。(後略)
--------------
 まず、戦前の「黒表紙教科書」時代から「生活算術」「総九九か半九九か」の論争を経て、「総九九」を教えることと生活場面における具体例から抽象へ理解を促す方法へと決着がついたこと、倍概念をもとに掛け算を導入するようになったこと、などがかかれています。
 そして、戦後、学習指導要領が「生活単元学習」から「系統学習」へと変わるころ、遠山啓が「倍概念を掛け算の導入に使う」ことへの批判をおこない、「内包量(被乗数)」と「外延量(乗数)」の意味づけをするように主張した、とのことです。で、さらにその遠山理論への批判が展開され、このHPの文の著者である森川氏が、たし算の場面から掛け算の導入を図るように提案、今の教科書の記述に至る、「一あたり」「いくつ分」という導入と「九九づくり」を指導法に入れることを提案したのだそうです。
 

著者の森川幾太郎という人は、1942年生まれ

718. e10go — December 27, 2010 @18:48:27

ユニークな掛け算方法を見付けたけど、これ見ていると掛け算の議論なんてどうでもよく思えてきた:B
http://www.gizmodo.jp/2010/12/post_8188.htmlLink

719. らんで — December 27, 2010 @20:11:39

#716
そもそも、「長方形の面積=縦×横」という公式の学習でも長方形の縦横が曖昧な問題が提示されます。まあ、ここいらへんからかけ算の式の順序に拘らなくなって来るでしょうね、事実上。

中学校になると本格的にかけ算の順序なんてどうでも良くなりますから、そんなものどうでも良くなります…というか、強制的に「式の表し方の規則」が適用されるわけですけどね。
でも、式の表し方の規則の必要性を中学生のあの段階で感じさせるのはほぼ不可能!天下り式に教えると結局「かけ算の式は、このように書け」と指示するのと同根の問題も内在するわけで…。
というか…

●●●
●●●

上の●の個数を求める式は「3×2」でも「2×3」でも良いコトは、既に小学校2年生で学習しますよ。教科書にも明記されています。

私はかけ算の順番問題は、量の計算や、かけ算の性質ではなく、主に教育的配慮のみだと私個人では思っています。

Up720. らんで — December 27, 2010 @20:34:58

かけ算の順番を固定して教えるコトは主に教育的配慮だと思っていますが、それでも「交換法則は当たり前」的な書き込みは違うと思うので、反応しているだけです。どうも、理解されていないようで。

したがって「交換法則は当たり前なのに、この指導方法はおかしい」的な発言は明確に間違っていますね。

ま、ここでは後書きませんが。

721. らんで — December 27, 2010 @20:40:39

#715
a×b×c の意味は明確に (a×b)×c でしょ。3つの数や文字の計算は最初(左)から計算しますからね。

それから、面積や体積あたりになると順番なんて気にしなくなりますよ。いくらでも空間上で回転できますからね。

Owner Comment きくち  December 29, 2010 @11:10:09

式を書いたとして、その計算をどの順にやるかは自由です。

「a×b×c の意味は明確に (a×b)×c」ではありません

らんでさんは意味のないことしか書いていません

723. そあ — December 27, 2010 @21:14:01

404 Blog Not Foundの小飼さんが日経BPに書いておられる書評で、掛け算の順序議論に軽く触れてますので紹介します。

「食える数学」とは何かを考える
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20101224/255716/Link

Owner Comment きくち  December 27, 2010 @23:06:02

「素振り」とはうまい表現ですね

素振りも必要ではあるんだけど、程度問題なわけで

Up725. 積分定数 Website — December 27, 2010 @23:38:57

>a×b×c の意味は明確に (a×b)×c でしょ。3つの数や文字の計算は最初(左)から計算しますからね。

 なるほど、言われていみればそうですね。

でも、3つのベクトルの外積の場合、(U×V)×Wの括弧を省略してU×V×Wと書くというのは、あまりしないと思います。括弧を省略できるのは、やっぱり結合法則が成り立つからだと思うのですが。

Owner Comment きくち  December 28, 2010 @10:38:38

なにひとつ明確ではないですよね
a×b×c = (a×b)×c = a×(b×c)
です

727. makaya — December 28, 2010 @08:53:05

積分定数さん:
>括弧を省略できるのは、やっぱり結合法則が成り立つからだと思うのですが。

そうですね.a×(b×c) も (a×b)×c も 括弧をはずせば a×b×c となりますが,結合法則が成り立たなければ,
  a×b×c = a×(b×c) ≠ (a×b)×c = a×b×c
となって矛盾しますね.

728. Isshocking — December 28, 2010 @09:28:25

たまむしさん:
>電力の計算式に順序があるというのは「電界が単位電荷をAからBまで運ぶ仕事がVで(1[C]あたりの仕事)、そのとき単位時間あたりに運ばれる電荷量がIなので、(1あたり量)×(いくつ分)

SI単位系では基本単位は電流なので、こういう考え方は少しく自然観がいびつかな、と。SI単位系では電荷は誘導単位だということを忘れてますね。
互いに同値な単位(電気の場合、電荷・電流・電圧・抵抗などの)はどれも基本的な量になりうるわけで、自然な順位などはありません。
公理と定理にも互いに同値で、どちらかを定義とすれば片一方はそれから証明される関係のものがありますね。公理と定理の関係は一方通行とは限りません。

729. メタメタ Website — December 28, 2010 @16:35:39

 数教協の遠山啓さんの次に会長を務めた銀林浩さんが、1あたり量×いくつ分の乗法では交換法則は成り立たない、と書いているのを見つけました。
 実は、昨年、別のところでこの文章を紹介していたのですが、そのときは、銀林さんの文ではなく、共著者の小学校の先生の文章と勘違いしたことと、「交換法則は成り立たない」ということに前提条件が付いていたので、そちらに重きを置いて読んでしまったのですが、あらためて読み返してみたら、そういう前提条件を付けていても、かなり問題だと思います。
 いったい、1972年に遠山が、6×4でも4×6でもどっちでもいい、と言ったことは、現在の数教協の見解では、どうなるのか、と疑問になります。

 次の文章です。
『算数の本質がわかる授業△け算とわり算』(柴田義松監修、銀林浩・篠田幹男編著,日本標準,2008年5月30日発行)の第1章「乗除の学び方・教え方  『1あたり量×いくつ分=全体量』の射程と問題点」7ページから18ページまで
=======(同書8ページ,引用始め)=============
(前略)
 かけ算の導入には,大きくいって3つの方針がありえます。
(a)同数累加:同じ数をたすことの簡略化がかけ算だとする:
    2+2+2=2×3
(b)倍:「2の3つ分を2の3倍といい,2×3と書く」
(c)1あたり量×いくつ分=全体量(内包量×土台量=全体量)
(中略)
最後の(c)だけが、ただ1つ連続量まで一貫して通用する定義です。
(中略)
 1つの物に固有して付随している数量を「1あたり量(guantity per unit)といいます。これは将来連続量に進んだとき、単位体積あたりの質量である「密度」とか単位時間あたりの移動距離である速度のような「単位あたり量」あるいは「内包量」に発展していくものです。(中略)そうした同種の個物がいくつかあったとすると、付随している数量の総数は当然かけ算になるでしょう。それが、
   (1あたり量)×(いくつ分)=(全体量)
という計算です。たとえば、サイコロキャラメル1箱に2個ずつキャラメルが入っているとすると、3箱ではキャラメルの総数は、
    2個/箱×3箱=6個
となります。
(中略。「個/箱」という表記と、全体量/いくつ分/1あたり量の3者の関係を明示する「かけわり図」の説明があったあと、次のように続きます。)
 この状況が自然界でも人間の思考の枠組みとして普遍的にあることを有名な数学者フォン・ノイマン(John von Neumann、1903〜1957)は次のように説明しています。
「人間はいきなり現実をそっくりとらえることはできない。あるレヴェルの物をかっこでくくって素子と見なし、それが構成する集合の構造を分析し研究する。そしてそれがわかったら、次はその素子をさらに解剖して、さらに小さい素子から成る構造として扱い、また一方、さきの解明された構造をかっこにくるんで素子と見なして、より大きな構造にアタックする。以下同様にして、小から大へも伸びていくというわけである」(中略)
 このフォン・ノイマンの指摘から(c)のかけ算についてすぐ思いつくことは、前半の「大から小へ」はまず「いくつ分」が与えられ、それらの個物をめくると素子が現れてくるという「下降(top- down)型」ですが、後半の「小から大へ」はまず「1あたり量」が与えられ、それを積算するという「上昇(bottom-up)型」です。
 サイコロキャラメルの場合は「下降型」ですから、認識の順序に式を書くことにすると、
    3箱×2個/箱=6箱
となるでしょうが、本書では「1あたり量×いくつ分」で統一しています。
 ただ、(c)の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。そこが単なる数の計算とは異なるところです(その点は(a)や(b)の乗法でも大なり小なり同じですが)。
 純粋な抽象数の場合には、先のかけわり図で「1あたり量」と「いくつ分」の区別などありませんので、それらを除いて右側面から眺めれば、3×2に見えますから、
      2×3=3×2
となって交換法則が成り立つ道理です。
==========(引用終わり、11ページ)=============

 以上です。(文章はこの後、「九九」「多位数×多位数」「わり算(等分除と包含除)」と続きます。)

「(c)の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。」とあります。
 遠山が、6×4でも4×6でもどっちでもいい、と言った72年の問題「6人のこどもに、1人4個ずつみかんをあたえる」問題についても、2つの数量(6と4)の性格が違うから、それらの数量を入れ替えることはできず、つまり4×6≠6×4であり、交換法則は成り立たない、と言っているのだろうか。トランプ配りを考えれば2つの数量の【性格】を入れ替えることができること(遠山が言ったこと)は考えないのだろうか。そもそも、前提の「本書では『1あたり量×いくつ分』で統一しています」を前提にする必要がないことについては、どのように考えているのだろうか。

 私は、隠れキリシタンならぬ隠れスーキョーキョーなので、正統派数教協の人がもしこれを読んでいたら、ぜひ見解を知りたいのです。

Up730. かも ひろやす — December 29, 2010 @05:29:58

また、本筋の議論と関係ないところで数学的におかしな話が進んでいるので、視野の狭さの指摘だけしておきます。これで、この話が終わることを希望します。

×で表される演算が左結合であるというのは、常に行われる慣習ではありません。A×B×Cが(A×B)×CともA×(B×C)とも異なるものとして定義されることもよくあります。身近なところでは、直積は
A×B×C = {(a,b,c); a∈A かつ b∈B かつ c∈C}
(A×B)×C = {((a,b),c); a∈A かつ b∈B かつ c∈C}
A×(B×C) = {(a,(b,c)); a∈A かつ b∈B かつ c∈C}
であり、三つは別のものになります。なお、多くの構造では三つは等しくなくとも同形にはなるので、同一視して困りませんが、「多くの」は「すべての」ではありません。

そして、これが最も重要なことですが、このことは本筋の議論とはまったく関係ありません。

半可通が周回遅れで登場するのは冬休みの風物詩でしょうが、つられて議論を混乱させたりしないよう、気をつけましょう。

731. かも ひろやす — December 29, 2010 @05:43:14

すみません。誤字です。
(誤)同形 (正)同型

732. Isshocking — December 29, 2010 @08:49:55

メタメタさん:
>「(c)の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。」とあります。

Webなどで検索してみたのですが、「数量の性格が違うから交換不可能」の論理はどうしてもわたしにはわかりません。
積分の「f(x)dx」でも想定しているのかとも考えましたが、これは掛け算ではないし、だいいちこれだと意味的に「ひとつあたり量」と「いくつ分」の対応する(と思われる)順番が逆のような気もしますね。

ある、単位(次元)属性をもった存在量、時間でも長さでもいいですが、これをXで表すと、ある数値をこの次元量へ変換する作用子を@として、量の定数倍はa@Xで表記できます。
これを形式的に行列であらわすと、aを純然たる抽象的な数値として
|a  0 |
|0 @X | 
と書けます。
したがって2つの次元量の積は(この行列は数学的な意味での行列ではないので、形式的です)
|a 0 |   |b  0 |   |a×b 0    |
|0 @X | × |0 @Y | = |0   @X×@Y |
ここで「@X×@Y≡@XY」と定義(XYの意味は別途文法的に定義する)とすれば、
|a×b   0 |
|0  @XY |
となり、元の表記に戻せば(a×b)@XYとなって、a,bは次元を持たない、数学的な意味での数値ですから、これを(b×a)@XYと表記することを正当化できます。
このやり方で、行列の交換が成り立たないとすればXY≠YXの場合ですが、天下り式の内包量×外延量だけではいまいち形式化できないというか。

733. 積分定数 Website — December 29, 2010 @09:47:31

>かも ひろやす さん

了解しました。


>積分の「f(x)dx」でも想定しているのかとも考えましたが、これは掛け算ではないし、だいいちこれだと意味的に「ひとつあたり量」と「いくつ分」の対応する(と思われる)順番が逆のような気もしますね。

密度×体積=質量  密度ρ:1あたり 体積V:いくつ分 という解釈が一般的だと思います。(ただし、逆の解釈も可能)

密度が均一でない場合に、ρdv を積分して全体の質量がでる、
という具合に、f(x)dx のf(x)が1あたり dxがいくつ分 に対応していると考えると考えやすい、ということはあるかも知れません。

とはいえ、
密度は均一だが、全体の体積が密度で変化する場合 例えば風船に空気を充填するよう場合、
ρdv+vdρ の積分(結局、ρvになる)が質量になるので、

f(x)dx のf(x)が1あたり dxがいくつ分というのが絶対的とも思えません。

むしろ、「d〜を最後に持ってくる」という慣習が可能なのは、積の順序を気にしなくていいから、ともいえると思います。

「3×aは、3aとは書くが、a3とは書かない。そのようにルールがあるのはごく普通のこと。それと同じ事だ。」などと言って、掛け算の順序を正当化する人もいますが、「数字は前、文字は後」という数学の本質とは無関係な慣習が可能であることはむしろ順序なんか本質的にどうでもいいことの傍証

というのと似ていると思います。

 いずれにしても、「つまり交換法則は成り立たないのです」の意味は不明ですね。

 こういう部分だけを聞きかじって、掛け算の順序を強固に信じてしまう人は多そうですね。水道方式を標榜するサイトを色々見ましたが、真面目で子どもが好きで熱心に教えている状況が目に浮かぶような文章が多いのですが、その「熱心さ」が厄介な気がします。

Owner Comment きくち  December 29, 2010 @11:03:10

「3×aは、3aとは書くが、a3とは書かない」のは単に見づらいからで、書いてはならないというわけではないでしょう。でも、誤解される可能性のほうが高いから、常識では書かない。
でも3×aをa×3と書くのはなんらおかしくないのだから、その人は完全に議論をすり替えているだけであることがわかります


ところで、積分も∫f(x)dx とも∫dxf(x) とも書きますよね。
僕はおおむね見た目で使いわけますが(被積分関数が長いときはdxが先とか、多重積分はdxdyが先とか、「俺ルール(しかも気まぐれ)」です)。
それとも、普通の人は書かない?

もっとも積分は操作を表す「記号」だから二項演算とは話が別なような、でも元々はΔxを掛けて和を取った極限だから、別じゃないような(グラスマン数なら xdxとdx x では符号が違うと定義するので、そこでは積だと思っているのですよね)。
まあ、これは余談で

Up735. Isshocking — December 29, 2010 @09:53:55

zororiさん:
>>自然数の乗算における交換法則は何かから証明するものではなく、「定義」ですよ。
>
>既に,指摘されていますが,上記リンクの中で,証明の例が示されています。
また、かもさんから本筋とは関係の無い話だ!と起こられそうですが、黒木さんのところに乗法を定義してから加法を証明する話がでてました。
「足し算が先にあって掛け算はその後に導入されるというのも単なる思い込みに
過ぎないのです。とにかく色々頭を柔らかくしないとダメです。

だそうです。

736. masudako — December 29, 2010 @11:20:12

わたしの算数観は、1960年代に子どもとして読んだ水道方式の本の記述を無意識に取りこんでいると思います。メタメタさん(December 28, 2010 @16:35:39, 現在#728)が引用された銀林さんの2008年の文章はそれと大きく違うので驚きました。(水道方式の理論が変わったかどうかはわたしには判断できませんが。)

人類共通の知識としての(自然数から実数までの)かけ算は、個別事例への依存性がそぎ落とされた一般的概念です。交換可能性は自明ではなかったと思いますが早い段階で気づかれたので、さまざまな人間集団の経験が統合される際に、何を先に持ってくるかによる区別はないことも前提に含めてまとまってきたと思います。

かけ算の知識を身につけることは、この一般的概念を身につけたうえで、それを多様な局面で応用できるようになるということです。

それを教えるには、早く一般の高みにのぼり、そこから多方面を見渡すのがよいでしょう。これは水道方式の理念でもあると思います。(水道方式の文献では「一般」を特殊として認識されないものに限って使うこともありますが、ここでの一般は特殊例をも含む意味です。)

しかし、一般の高みに達するまでに特定の構造をもった事例を経験する必要があります。いわば登山道です。

かつて、そのために「累加」が選ばれました。しかしこれは、まず「登山」の過程で、「たす回数」を考えるとまちがいやすいという問題がありました。(先にゼロをしっかり理解したうえで「ゼロに対する累加」に限ればまちがいは少なくなると思いますが、ゼロがわからないとかけ算もわからないことになってしまいます。) また、面積を求める問題などとの類似性が乏しいので、一般の高みに達する道としてうまくないという批判もありました。

それで「同じ数ずつのまとまりがいくつもあるときに総数を求める」という登山道のほうがよい、というのはもっともです。しかしこの登山道のもつ性質は、かけ算の高みから広がる風景のもつ性質を代表しているとは限りません。

確かに、算数の知識は、数学だけでなく、現実世界のさまざまな量を扱うために使われます。その量の扱いに関する共通知識、いわば「量学」を組み立てることは有意義です。困ったことは、それを算数教育の問題としてとらえてしまったこと、つまり数学的概念に達するための登山道として大事なことと、現実世界への適用にとって大事なこととが混同されてしまったことではないかと思います。

737. ym — December 29, 2010 @12:57:07

周回遅れというよりは、ほとんど終わってしまっている感のある状況ですが、少しプリミティブなコメントを。

小学校の算数のカリキュラムでは、ここで話題になっているかけ算を一度に教えるわけではなく、2年のときはこれ、3年のときはこれ、と自然数どうしのかけ算ひとつをとっても何度かに分けて教えます。

で、最初の段階では、(たとえば)同じ数のたし算として「定義」したりしますので、その「定義」の範囲では×の左右には明確な意味があります。その「定義」を理解(または記憶)しているかどうかを問う場合には立式での順序に意味があると考えて○×をつけることに正当性があるともいえます。

ところが先に進んでいくと、面積の計算あたりで×の右側が「個数」ではなくなってしまい、この「定義」が意味を失ってきます。まして小数や分数のかけ算も同じかけ算という扱いですから、順序に意味を持たせた形の理解を求めること自体に無理がある状況になってきます。中学校の文字式で×を省略する記法を学ぶ段階では、順序に意味があるという理解自体が障壁となりかねません。

というわけで、コンテクスト抜きで最初の問いの答えを導くのであれば5×3でも3×5でもよい一方、ある時期の練習問題の解答としては3×5が普通の正解、5×3と書くのならそれでよいことを説明できるかどうかによる(ただ書いただけなら不正解という選択肢も)と考えます。

などと考えていると算数のカリキュラム、数学的にはずいぶん混乱があるように見えるのですが、算数の半分ぐらいは計算や公式適用の訓練的な部分もあり、そういう訓練の中で混乱も収束しているのではないかと思ったりしています。

Owner Comment きくち  December 29, 2010 @14:43:46

既に指摘があるように、この話にはいくつかの問題が混じっているので、めんどくさいですよね

教える際に「まずは順序があるとして」というやりかたが悪いわけではないのだと思います。しかし、習う前からわかっている子どもはわかっている、という問題があります。
それこそ、公文式とかで算数をどんどん先に進めている子どもも少なくないでしょう(公文式が掛け算をどう教えているのか、知りませんが)。

たいていはそれで問題ないのですが、「今の段階ではこれは間違いだが、あとになるとこれは正しいことになる」というものがあると、子どもの理解度によって非常にややこしいことが起きます。
そうならないためには、「あとになって正しいことになるものは、仮に教えたとおりでなくても、正しいと認める」しかないのだと思います

掛け算の順序については、さらにややこしくて、それが「あとになって正しくなる」か「あとになっても正しいとはならない」かで意見が分かれています。
後者は根拠のない教条主義であって、そんなものにはなんの理もないと僕は考えていますが、そのように信じている先生にとっては、「知っている子」の知識は間違っているわけです

739. zorori — December 29, 2010 @14:06:50

メタメタさん、
ご紹介の『算数の本質がわかる授業△け算とわり算』は本当に「何を考えて言っているのだろうか」ですね。私にも全く理解不能です。

>3箱×2個/箱=6箱

私には6個としか考えられません?

>「(c)の乗法は、かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです。」


入れ替えると、6個から6箱に変わるとは、わけが分かりません?

また、(a)同数累加、(b)倍、(c)1あたり量×いくつ分、の区別も見方の違いに過ぎず、どれで考えることも可能だと思えますし、連続量への一般化もどの考え方からでも可能ですよね。

「単なる数の計算」ではない計算でも、力のモーメント、力積、運動量など、解釈出来ないわけではないけど(c)がピッタリしないものも沢山ありますしね。

Up740. メタメタ Website — December 29, 2010 @15:10:52

zororiさん — December 29, 2010 @14:06:50
 
あ、すみません。

3箱×2個/箱=6箱

そこは、私のタイプミスです。

もちろん、3箱×2個/箱=6個 です。

741. zorori — December 29, 2010 @15:32:46

メタメタさん、

>もちろん、3箱×2個/箱=6個 です。

あれ、そうすると、与えり前だけど「(c)1あたり量×いくつ分」でも交換法則は成り立たっていますよね。
(a)累加や(b)倍、では交換法則が成り立つと言っていて、(c)では成り立たないと言っている理由がますます分からなくなりました。

どうなってんでしょうかね?

742. zorori — December 29, 2010 @15:38:29

すいません、

「与えり前」→「当り前」の間違いです。

深い意味があるのかとも思いましたが、どう考えても銀林浩さんの単なる勘違いですかね。

743. メタメタ Website — December 29, 2010 @15:28:07

 「量についてはかけ算の交換法則は成り立たない」という主張を、私は、2、3年前に見てびっくりして調べたら、729番で紹介した文献『算数の本質がわかる授業△け算とわり算』(銀林浩)に行き着いたのです。
「量のかけ算の交換法則」を、私は次のように理解しています。(これは一般的な理解だと思います。菊池さんも、黒木さんも、そのような意味で「交換法則」の語を使っていると思います。)
(1)1あたり量a×いくら分b=いくら分b×1あたり量a
      4個/人×6人=6人×4個/人
      4/時×3時間=3時間×4/時
 
ところが、銀林さんは、「1あたり量×いくつ分」のかけ算では、「かけられる2つの数量の性格が違いますから、それらの数量を入れ替えることはできません。つまり交換法則は成り立たないのです」というわけです。
つまり、
(2)1あたり量a×いくら分b≠1あたり量b×いくら分a
      4個/人×6人≠6個/人×4人
      4/時×3時間≠3/時×4時間
 確かに、「1あたり量×いくつ分」の順序を固定すれば、数値(数量)を入れ替えると、式の意味(式が表わす状況、事態)が違ってきますから、「交換法則は成り立たない」と言えるかもしれませんが、これは、そもそも、○×△=△×○、という交換法則を表わす等式なのか、という疑問があります。678番(長いコメント)でも書いたように、順序を交換されたもの(○と△)が左辺と右辺で同一ではない(「4個/人」と「4人」は違う)からです。

 遠山は、「1あたり量×いくつ分」の順序を固定しても、トランプ配りを考えれば数値(数量)を入れ替えることができる、と言ったわけです。
     4個/人×6人=6個/回×4回
 遠山は、これを、「量のかけ算の交換法則」とは言っていません。菊池さんが98番のコメントで言われているように、6人に4個ずつ配る、という同じ事態に対する異なる「解釈」だと思います。

 私は、「量のかけ算の交換法則」というのは、(1)のことで、(1)の意味で、「量のかけ算の交換法則」は成り立つ、と思っていますし、それが一般的な理解だと思っていたのですが、どうも、学校の先生(の一部)と、その先生に教えられた子どもの中には、大人になっても、(2)の意味で、「量のかけ算の交換法則」は成り立たない、かけ算の式には正しい順序がある、と思っている人が少なからず出始めていることに驚くと同時にそれはまずいと、ここでコメントされている多くの人と同様に、と思っています。

 なお、mixi「算数「かけ算の順序」を考える」をご覧の方はご存知かと思いますが、「量のかけ算の交換法則」を次のように「定義」し、かつ成り立つ、と独特な主張をされている人がいます。(678番でも触れましたが)
(3)1あたり量a×いくら分b=1あたり量b×いくら分a
      4個/人×6人=6個/(個/人)×4個/人
      4/時×3時間=3/(/時)×4/時

 3/(/時)という「1あたり量」を考案されたのは積分定数さんですが、こういう「1あたり量」を考えれば、分離量だけでなく連続量についても「1あたり量×いくら分」の順序で書けるし、この