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[25909] 殺人鬼の神話─ヤクザを殺したギャングスター(戦後)
Name: フロム◆e99b2d78 ID:d40b8acf
Date: 2011/02/09 15:34
一九四五年八月一五日の正午、玉音放送から天皇の言葉が流れた。終戦の詔勅を前に大人達は一様に地面に膝をついてラジオに向かって頭を垂れていた。ポツダム宣言を受託した日本は戦争に負けた。焦土と化した東京に国会議事堂だけがぽつんと立っていた。

最初に噂されたのは国民総自決だった。沖縄のように手榴弾片手に、あるいは国民に手渡した青酸カリを飲ませての自殺だ。東条英機は言った『生きて虜囚の辱めをうけず』と。噂は所詮、噂でしかなかった。

陸軍大臣の阿南惟幾はこの放送の直後に遺書をしたためたあとに自決を決行し、割腹、これに続いて大西海軍中将らも自らの腹を短刀で貫いて後を追った。鈴木貫太郎内閣は総辞職し、軍国日本は終焉を迎えた。

敗戦直後の混乱期、仕事を求めてあぶれかえった復員兵、厚化粧をして日比谷の第一生命ビルの下、GHQ本部に陣取るパンパンと呼ばれた娼婦と新橋の下で闇市帰りの靴を磨くうろんげな視線を投げる頬のこけた戦災孤児の一群、日本は負けた。

アメリカに負けたのだ。天皇は人間だった。日本人は人間だった。三国人は人間だった。誰もが人間だった。GHQだけが王だった。マッカーサーは東洋のシーザーだった。

神風は吹かなかった。日本の神なんてどこにもいやしない。飢えた眼差しを向けた人々がいるだけだ。明日の飯を求めて、冷たい石ころのように転がっていく日本国民。ここは巨大な牢獄だ。一九四五年、日本はアメリカに敗戦した。

日本人として転生してから実に様々な出来事が俺に目まぐるしく訪れた。両親に死なれて身よりも無く、孤児として彷徨っていた俺は盗みもカッパライも強盗も殺しもやってきた。前と同じだ。俺がアメリカ人だった頃と何も変わりはしない。

俺は二つの名前を持ってる。不思議な事に思うだろうが。一つ目は日本人として俺に与えられた名前は高崎吉次郎、それからもう一つの、俺が日本人として生まれる前の名前、俺の前世の名前。

かつての俺はアメリカではこう呼ばれていた。ジョン・ハーバート・ディリンジャー・ジュニア、FBIは俺を社会の敵ナンバーワンと叫びながら指差した。

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自家製のシケモクを吹かしながら、ジョンは空き地に転がった拳ほどの大きさの石ころを蹴り上げた。何かを思い出すかのようにタバコの煙を見つめる。あの日──B二十九の爆撃が夕日と共にやってきた。

防空壕に四日間隠れて、出てきてみればこの有様だ。家も店もビルも電信柱も全ては焼夷弾のオレンジ色の炎に飲み込まれた。残ったのは黒焦げた屍と焼け野原、それから一面に続く瓦礫の山だけだ。

だが、これがアメリカのやり方だ。そいつをどうこう言うつもりはジョンには無い。負ければ全てを失い、惨めな姿を晒す。それだけだ。シケモクを挟んだ指の間にじわりと汗が滲む。

浅草山谷の隅──小さな空き地の焼け跡に立てられたトタン作りの掘っ立て小屋が今のジョンの寝床だった。夏だと言うのに枯れて茶色くなった雑草を黒いゴム靴の底で踏み潰す。太陽の陽射しに炙られると毛穴から汗が吹き出た。

今日も商売だ。小屋の中から闇タバコの入った木箱を持ち出すと小脇に抱え、スイッチブレードナイフを麻の青い半ズボンのポケットにしまった。コルトM1917を持っていこうか考えあぐね、木箱の下に隠して結局もっていくことにした。

山谷は人の気が少ない場所だった。たまにどこにも行き場の無い浮浪者や戦争帰りの傷痍兵が居つくこともあったが、そんな連中も一ヶ月もしない内に別の場所に流れていくか、朝に冷たくなっているのが大半だ。

薄汚れた土気色のシャツで汗が浮いた額を拭う。陽炎が揺れる道をひたすら歩いた。米軍のジープで轍の出来上がった道はフライパンで熱した鉄砂のように熱かった。靴底が溶けて磨り減らないか心配で仕方がない。

焼け焦げた桜の木の幹、半ばから折れた電信柱、崩れた家の材木、全てが黒く焼け焦げている。白熱した太陽の光に喉が激しく渇いた。水が欲しい。かさかさに乾いた唇、熱気で湿った肺からゆっくりと息を吐いた。

今日は一段と蒸し暑く感じる。倒壊したビルの跡地、煉瓦の破片が散らばって、そこかしこに転がっていた。原形すらとどめてはいない。

潰れた後には黒い小山が盛り上がっているように見えた。南に向かって、六キロの距離を黙々と歩く。泪橋から浅草寺を通り抜け、小伝馬町を横切ってやっと半分の道のりだ。そこから銀座にまで足を伸ばすと新橋の闇市につく。

新橋の闇市を作ったのは関東松田組の組長松田義一だ。地元の人間からは「カッパの松」と呼ばれていた。義一は日本で初めて闇市を開いた人物だった。その闇市にすぐさま割り込んできたのが中国人であり、後からやってきたのが朝鮮人だ。

カッパの松は露天商から法外なショバ代を巻き上げ、あるいは勝手に売り物を奪っていくような横暴を働く三国人連中を闇市から追い出そうと躍起になって何度も対立し、そのせいで闇市ではしばしば血の雨が降ることもあった。

日本刀を振り回し、銃を乱射する。あげくはダイナマイトを投げ込んで相手の事務所を爆破する始末だ。その激しい抗争はまるで三十年代のシカゴのような有様だった。

食料と生活品を求めてごった返す人ごみの間を縫うようにすり抜けていく。人々のざわめきが波立った、この場所だけは活気付いている。腐臭、何ヶ月も風呂に入っていない人間の饐えた汗と垢の臭い。

バラッグ小屋の居酒屋では密造酒──カストリの一升瓶を片手に薄汚い頬をした赤銅色の肌をした徴用工達が安酒をカッ食らいながら息巻いていた。やれ工場長がどうとか、給料が安いとか、そんなしみったれた話だ。

向こう側では粗末な箱に五尺の身体を乗っけてアジ演説を飛ばす頬のこけた貧相な男がいた。男の演説に賛同して拍手を送り声援する者、あるいはどうでもいいとばかりに聞き流して立ち去っていく人々、反応は千差万別だ。

否、声援をおくるものなんてほんの一握りだけだ。明日の事より今日の食い物の心配をしている人間に演説など腹の足しにもなりはない。中には石をぶつけるような者もいたが、それはご愛嬌というものだろう。

尻が汚れるのもかまわず、汚い地べたに座り込んで乗車券を買おうと朝から待っている女達は、まるで石のように口を閉ざして物欲しそうに露店に並んだ芋を眺めていた。

死にぞこなった予科練帰りがダンボールに『命売ります』と書いて首からぶらさげていた。

立ち並んだ露店を眺めながら何処か良い場所はないか探す。眼で追うように店と店との隙間を眺めていると丁度良い場所を見つけた。テントがあればまだ良いほうだ。大半は箱にゴザをしいてその上に商品を乗せただけの露店が多かった。

行き交う人々の纏わりついてくる熱気と足を踏み鳴らす喧騒、怒鳴り散らすような鼓膜に響く威勢の良いタンカを客に切る売り子と、その倍以上の大声で負けろと叫ぶ客とのやりとり──闇市独特の雰囲気と空気をジョンは割りと気に入っていた。
 
店の間にあいている僅かばかりの場所に潜り込む。両隣で露店をしていた親父と婆さんがいぶかしげな視線を横目でこちらに向けてくるのがわかった。黙りこくったまま、木箱を地面に置いて蓋の隙間に指をいれるようにしてこじ開ける。

出鼻をくじかれたように隣の奴らが驚くように目を剥く。キャメルとラッキーストライクが十箱ずつ、そのバラが百本、毎日コツコツ作っておいた乾燥させたイタドリと柿の葉を混ぜた闇タバコは残り四百本ほどか。

闇タバコは不揃いで不恰好だった。均一な形と言うものはなく、一様に細かったり、太かったりした。巻き紙も古新聞を使ったものから辞書を使ったものまで実に様々だ。

そして当たり前の話だが、キャメルもラッキーストライクのほうは進駐軍の横流し品だった。今のご時勢にまともな品を手に入れたいなら進駐軍の横流しを受けるしかない。

入手方法は色々あったが半分くらいはアメリカ兵からイカサマ博打で巻き上げて手に入れた。三国人ならともかく、日本人の、しかも餓鬼が手に入れる方法と言えばそれくらいしかなかった。

強盗するという手もあったし、そっちも手馴れてはいたが面倒でもあった。強盗は最終手段だ。デカイ山ならともかく、強盗以外の方法で品物が手に入るならそっちのほうを選ぶのが人情というものだ。

他には仲良くなったりして品物をせしめたりもしたが、そういう場合は貰えるのはタバコではなく、キャンディー、チョコ、ガム等の菓子がほとんどだ。

それでも食料、特に甘味の菓子は貴重品なので、そういう場合は汽車で遠出して農家に行き、米、野菜、卵などと交換したり、たまに露天商と掛け合ってみては服や靴に化けたりもした。気前の良い兵士だと缶詰、石鹸をくれる時もある。

仲良くなるにはベースボールの話題とちょっとした訛りで十分だった。本当にそれだけだ。言葉巧みに相手を喜ばせる二時間の会話がジョンの飯の種になった。

相手に笑いかけながら手を振って『やあ、ブラザー、ニューヨーク・ヤンキースはどうだった、デトロイト・タイガースは優勝したのか、ルーは惜しい事をしたな』と相手に話を持ちかけてやればいい。

日本人の子供が流暢な英語で突然話しかけてくれば米兵は大抵ぎょっとした顔つきで驚いた。そのまま間を置かずに喋れば大抵は喜んで食いついてくる。

兵士同士が喋っている時は逆にその話に耳を傾けた。貴重な情報だったからだ。

スカルノ大統領がインドネシアの独立を宣言したのは日本が敗戦した二日後だったが、ラジオはその二日も遅れてやっと独立の事を放送していた。それも放送したのは触り程度なものだ。

東久邇宮内閣発足の時は流石にすぐ放送していたが、それでもラジオ放送の三十分前には米兵はその事をすでに知っている素振りを見せていた。あるいはラジオでは放送が禁止されているような情報もあった。

日本人が知らない話──だが、ここならそんな話題もすぐ手に入った。基地は誰よりも早く情報が掴め、ラジオでは決して聴けない重要な情報源の提供場所でもあった。

ジョンは会話を聞き終えると後日改めて基地に出向き、カモになりそうな兵士をさがすのがもっぱらだった。にこやかに微笑みながら値踏みするような視線で相手をゆっくりと見分ける時のジョンはいつも、顔で笑って心で嗤っていた。

ジョンは米兵の眼にはさぞかし、毛並みのよい黄色い猿に映ったことだろう。人間の言葉を理解し、人間の言葉を喋る賢いジャップの餓鬼、見世物としては最高の猿だ。そんな彼らをジョンはスマイルを浮かべながら、冷静に眺めていた。
 
米兵は金のなる木だ。相手の喋り方と訛りでどこの出身か判断がついたし、テキサスならテキサス訛りで話しかければ良い。同じ訛りを使えば親近感が湧いてくる。仲良くなれば色々と品物を貰えるし、親密になれば便宜を図ってもらえる。

特に相手が将校なら言うことはなしだ。肉やパイナップルの缶詰とクッキーのごっそりと入った折箱を持ちきれずほどこちらによこしてくれる。元手は達者な口先だけだ。ただし、これには落とし穴があった。それは何か。

仲良くなった兵士の中にゲイが紛れ込んでいるかもしれないということだ。ジョンも刑務所暮らしは長かったし、シャワールームでは囚人同士のホモセックスくらいは何度か見た事があった。

八年余りの刑期は辛く、その憂さを晴らす為にペデ(男色家)に自分のディックをしゃぶらせたこともある。刑務所ならそれでもよかっただろう。だが、娑婆に戻れば途端の女の肌が恋しくなった。今ではすっかりその気も消えうせている。

幸いにして、露骨なアプローチをされたことはまだなかったが、今後もどうなるかはわからない。そうなった場合、相手にケツを掘られるくらいなら相手に鉛玉をぶちこんでやったほうがずっとマシだった。

白いダボシャツにサングラスをかけた雪駄履きの若い胡麻塩頭の背の低い男がジョンに声をかけてきた。いくらだと値段を聞かれたので駱駝と日の丸は一本五円、一箱なら八十円、闇タバコなら一本一円だと答えた。

駱駝はキャメル、日の丸はラッキーストライクのことだ。どちらもパッケージのイラストがネーミングの由来だった。大抵の日本人はこっちの名前で呼んでいた。
 
「高いなあ。もう少し負けてくれよ。なあ、兄ちゃんよ」

扇子を仰ぎながら丸縁のサングラスをずらし、男はジョンを見下ろした。ニヤニヤと嫌味たらしい笑みを浮かべて、エナメル質にヤニがこびりつき、黄色く剥げた歯をむきだしながら所詮は餓鬼だろうと男はジョンを侮っていた。

顔をあげず、俯いたままでジョンは闇タバコなら十本七円に負けてやると男に答えてやった。

男は更に負けろと言ってきた。ジョンはいくらなら良いと聞き返すとラッキーストライクとキャメルを一箱一円にしろとニヤついた表情のままで言い放った。

当時の巡査の月給が四百三十円、日雇いの労働者が二十五日働いて九百円、大卒のサラリーマンでも二千円の時代だ。ただし、巡査には名目として一日四本のタバコと一合半の米が支給されていた。

それでも嗜好品が特にタバコが高価であることには変わらなかった。だから負けろ、安くしてくれと値切る客も多く、ジョンもみんな生活が苦しい事をわかっていたのである程度は値引きしてやった。それでも洋モクだけは絶対に負けなかった。

闇市の相場と言うものがあったからだ。下手に負ければ闇市を取り仕切る松田組から睨まれるし、なにより客にも安目を売る事にもなりかねないのだ。下に見られればあとは食われるだけだ。増して男は客でもなんでもなかった。

どうせ難癖をつけてハイダシ(ユスリ、タカリ)にきたチンピラか何かの類だろう。こういう手合いはどこにでもいた。だからジョンは男にせせら笑いながらこう言ってやった。

「乞食が餓鬼にたかるんじゃねえよ、この与太公が、さっさと家に帰ってしなびたカカアの薄汚いケツでもしゃぶってろ、チンピラが」

男はジョンが浴びせた罵詈雑言に一瞬、何を言われたのか分からず呆然としていた。間抜け面を晒してポカンと口を開けたまま、三秒ほどの間が置かれると見る見るうちに顔を赤く染めていった。

何度も歯軋りをしながら、吃音混じりにこの糞餓鬼がと何度も繰り返した。ジョンには男の心理が読めていた。木箱を蹴っ飛ばして商品のタバコを根こそぎ奪い、自分を半死半生になるまで叩きのめすことだろうと。

面倒臭い事は嫌いだった。右手をポケットに滑り込ませるとスイッチブレードナイフを取り出す。柄の部分を引くと鈍色に輝くブレードが飛び出した。ジョンは微笑みを浮かべながら、左の外太腿目掛けて男にブレードを突き刺した。

ナイフの刃が何の抵抗も受けずにすっと男の太腿に吸い込まれた。ダボシャツの布地に滲み出す血が醤油のようにじんわりと広がっていった。ブレードを引き抜く。血はそれほどこびりついてはいない。再び太腿を同じ要領で突き立てる。

次は引き抜かずに手首をゆっくりと回しながらナイフのブレードで太腿の肉をえぐった。けたたましい男の悲鳴が闇市にこだまする。ナイフの柄が男の血で滑った。生温かい。男の泣き叫ぶ声がジョンの鼓膜を震わせた。

ナイフを抜き取ると同時に地面に蹲り、傷口を両手で押さえるチンピラ──苦痛に身もだえ、引っ切りなしに額と首筋から汗を零しながら男が泣き喚く。人目も憚らず、赤ん坊のように大粒の涙を流しながら必死の形相で男は痛みを訴えていた。

木箱にタバコをしまい込む。誰もジョンとは眼を合わせようとしなかった。厄介ごとはごめんだとばかりに顔を伏せて立ち去っていく。それでいい。ジョンはついた早々店仕舞いをする羽目になった原因──蹲って苦悶する男の脇腹を爪先で蹴り上げた。

強烈に照りつける太陽の陽射し──血で汚れたナイフの刃が太陽の光を浴びてギラつく。喉の渇きが益々酷くなった。男のサングラスが地面に落ちる。ジョンは掌を額に当てると太陽を遮りながら流れ行く入道雲を見上げた。

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赤いリンゴに唇よせて黙って見ている秋の空……白黒のスクリーンから映画が流れた。『そよかぜ』が東京の日比谷にある焼け残った映画館で上映されたのは十月十日を過ぎた頃だ。同じ日に三千人の政治犯が全国で釈放されている。

敗戦後初めて公演された映画を一目みようとやってきた映画館には大衆がわっと押し寄せた。黒山の人だかり、鮨詰め状態の映画館の後ろでジョンを欠伸を噛み締めながら、味のなくなったミントのガムを唾ごとぺっと吐き捨てた。

正直、あまり好みの映画ではない。それがジョンの映画の感想だった。上映も終わらないうちに映画館を出る。東久邇宮内閣発足はすでに解散していた。日本民主化の流れに乗り切れなかったせいだ。

十月四日にGHQは『政治、信教、民権の自由に対する制限撤廃の覚書』を発表、これによって天皇のも自由論議の対象となった。東久邇宮稔彦はそれが我慢できなかったのだろう。加えて同日に首脳の追放及び政治犯の釈放をGHQから要求されていた。

その結果、十月五日には総辞職という有様だった。九月も慌しかった。九月十一日、三十九名の逮捕状が出た。この日、東条英機は自宅でピストル自殺を図るものの弾丸は心臓をはずれて一命を取り留めた。

同十三日、厚生大臣・小泉親彦が、同十四日、文相・橋田邦彦がそれぞれ自決している。同二十六日、東京豊多摩刑務所にて京都学派の哲学者である三木清が獄死。世間の非難が高まる。これにより、十月四日の指令がGHQにより下された。
 
有楽町にある日本劇場を渡るとジョンは銀座に足を踏み入れた。とは言っても東京大空襲のせいで銀座は半ば焦土と化していて、何もない。銀座通りへと足を運び、防空壕の中を覗いた。孤児の群れ、群れ、群れ、孤児達が肩を寄せ合いながらひしめいていた。
 
全部で四十人はいるだろう。それぞれがグループを作っているようだった。ジョンはポケットから米兵に貰ったありったけのチューインガムとキャンディーを掴むと孤児に向かってばらまいた。孤児が一斉に菓子目掛けて殺到する。

「あんちゃん、ありがとうっ」

孤児達はジョンに礼を述べながら、ガムを一心不乱に齧り、飴玉を頬張った。よほど甘い物に飢えていたせいか、先ほどとは打って変わって一つ一つの瞳に精気が戻り、孤児達は頬を緩ませていた。


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