岡和田晃
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ウェブログ「大槌ぶんぶん」にて、SF作家・長谷敏司氏の手になる幻の短編小説が掲載されました。
長谷敏司氏は魔法大系についての詳細かつ独特な設定が魅力的な大河ファンタジー小説『円環少女(サークリットガール)』シリーズで有名ですが、『あなたのための物語』、「SFマガジン」に掲載された「allo,toi,toi」など、現代社会と人間心理を穿つ批評性に富んだSF小説群を発表し続けています。
そして今回ブログに再掲された短編小説は、長谷敏司氏がデビュー前に同人誌に発表した『ウォーハンマーRPG』(初版)の世界観を下敷きとした短編ダークファンタジーのリライト。
『ウォーハンマーRPG』とは、16世紀周辺のヨーロッパを模した多神教的世界を舞台に、「混沌」と呼ばれる存在との戦いをライトモチーフとした会話型ロールプレイングゲームのことを指します。現在でも第2版の日本語展開が継続しています。ジャック・ヨーヴィル(キム・ニューマン)の『ドラッケンフェルズ』シリーズとも背景を共有するものですが、他のファンタジー小説の中ではマイクル・ムアコックの『軍犬と世界の痛み』の世界観にも相通じる雰囲気を持っているとも言えるでしょうか。
今回はリライトにあたり設定が第2版対応に変更されています。また「10年以上前に旧版のプレイを通じて作り上げた“僕たちのウォーハンマー”の世界観がベースなので、公式設定とはずれている部分もないわけではない」という付記も添えられています。それゆえ『ウォーハンマーRPG』を遊んだ経験から生まれた、同シリーズにオマージュを捧げたオリジナル・ファンタジーと見るのがベストでしょうか。
ゲームデザイナーのリン・ウィリスは、マイクル・ムアコックのダークファンタジー『永遠の戦士エルリック』の文章を、「その文章は、装飾過多の文体によって綴られ、色彩に満ち溢れているうえに、むらがあり、殺伐としていたり、官能的であったり、恐怖を感じさせたりします。そこには、危険極まりない遭遇や、抜け目のない飛躍的な表現の変化があります。また、時には接近戦に関する思いがけない興味が示されていることもあります。」(『エルリック!』)と評しました。
このウィリスのムアコック評は、今回再掲された長谷敏司氏の蠱惑的な短編にも当てはまるのではないかと思います。
Analog Game Studiesの読者の方に、自信をもってお薦めできる逸品です。
・大槌ぶんぶん/長谷敏司の幻のウォーハンマー小説!
http://d.hatena.ne.jp/Yasujirou/20110206
この短篇は単体でも、ファンタジー小説とアナログゲームを繋ぐ視点を提示してくれていますが、現代SFそして認知科学的な観点とも結び付けられるという意味で、今回の短篇を第30回日本SF大賞の候補にもなった『あなたのための物語』と関連させて読む視点を紹介させていただきます。
『あなたのための物語』は、伊藤計劃の『ハーモニー』、仁木稔の『ミカイールの階梯』、あるいは八杉将司の『光を忘れた星で』にも通じる人間の認知についての問題意識に満ちた作品であり、この観点から現代SFとルドロジー(ゲームを理論的に扱う学問)の交錯点を示す好例にもなっています。
ITPという脳内に擬似神経を形成するプロトコルによって創造された仮想人格《wanna be》が記す物語と、自己免疫不全で死期が迫った女科学者サマンサ・ウォーカーの関係に焦点を絞り、感情、物語のあり方、そして「死」に正面から向き合った『あなたのための物語』は、近年の日本SFの中でも稀に見る完成度を誇っていますが、この作品に衝撃を受けた方は、ぜひ、ある意味で長谷敏司氏のルーツとも言えるこのデビュー前の一篇を読んでみて下さい。
そしてその筆致、描写の妙にご注目いただき、いかなる条件がこうした描写を可能にしているのかを、ぜひ考えてみて下さい。
補足として、『あなたのための物語』から、死を前にしたサマンサ・ウォーカーについての凄絶な描写をご紹介しましょう。
サマンサ・ウォーカーは倒れ、身じろぎもできなかった。生前、何者であったとしても、今は痙攣し、あえぐだけのやせ衰えた肉体だった。
息をするたびに肺が縮んでゆくような閉塞感から逃れようと、口を開け閉めした。
血の混じった胃液を嘔吐するたび、人間らしさが、指で荒々しくもぎ取ったように奪われた。
理性も節度も感情も意志も、壊れやすい砂の城だ。痛みと苦しさに揺さぶられて、彼女は人間性の根から崩れつつあった。両腕で抱くように腹部を思い切り押さえて、まぶたをかたく閉じた。内蔵を全部口から吐いてしまえれば、楽になれる。重い血が全部流れてしまえば、軽くなれる。激しく咳き込んだ。血しぶきが木目調の茶色の床に散った。
苦痛と恐怖は、人間を極めて高い優先順位の刺激で閉じ込め、外界の優先順位を下げる。百人の他人に見守られようと、人は孤独に死ぬ。そして、外界は人格の基盤だから、それをうしなう断末魔は、自然に動物的なものとなる。
(『あなたのための物語』P.4)
このおぞましさは、『あなたのための物語』の最後の一文(未読の方は、ぜひ御自分の目でお確かめ下さい)と連関していると言えるのではないでしょうか。そして、『あなたのための物語』で執拗に問いかけられる肉体と思考、人間と情報の区分についての思弁にリアリティを与える効果をも生み出しています。
『あなたのための物語』は読み手に失語を強いる、一筋縄ではいかない小説です。けれども、今回の短編の描写を経たうえで向き合えば、『あなたのための物語』の志向するものが何か、おぼろげながら見えてくるのではないでしょうか。
かつて安田均氏は『神話製作機械論』において、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』やSF作家トマス・ディッシュがデザインした“Amnesia”といったコンピュータ・アドベンチャー等を軸に、ゲームを(既存の小説の解体の先に位置した)「神話」としての文学を再生産する装置と見る考え方を提示しました。
『神話製作機械論』から20年以上を経て発表された『あなたのための物語』は、《wanna be》という物語生成装置を登場させることで、解体の先に散逸する文学を、その身体をもって個人の生へと引き戻す経過を描いた小説ともなっており、『神話製作機械論』で提示された問題への――その後、テクノロジーの飛躍的な進展とともに社会は大きく変化を遂げましたが、そのうえでの――応答になっていると読むこともできるでしょう。
単体として優れたダークファンタジーであることは間違いありませんが、一方でこの短篇は、『あなたのための物語』の読解を外郭から補完してくれる、優れた導きの糸にもなっています。
まだお読みになっておられない方は、ぜひこの機会に『あなたのための物語』にも触れてみて下さい。
・Analog Game Studies内の記事では、
「『ウォーハンマーRPG』リプレイ「魔力の風を追う者たち」ウェブ再掲記念;非公式対談――遊んでみて“改めて/新たに”わかった、会話型RPGの批評性」も併せてご覧下さい。
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/174590939.html