2009年12月30日
第245幕 ボンズが「鎧」を脱ぎ現役引退を認めた…
WBCのV2、イチローの9年連続200安打、松井秀喜のワールドシリーズMVP、そしてその後の電撃移籍などなど、2009年のメジャー球界には刺激的かつ感動的なさまざまなドラマが残された。そんな感動の渦の中、とりわけ今季筆者の心を揺さぶった出来事は、10月に2年ぶりに会ったバリー・ボンズが打ち明けた言葉だった。
取材をお願いすると、快く引き受けてくれ「最寄りの空港まで迎えに行くから到着時間を教えてくれ」と言われた時は、「高飛車の王者」のようなふてぶてしい態度が売りだった彼に何が起こったのか? と不思議でならなかった。そして再会するやいなや、挨拶もそこそこに「あ~。腹減った。ごはん食べに行こうよ」と言って、高級レストランに招待してくれたのだ。
あれを食べろ、これを飲んでみろ…などかいがいしく世話をやく様子に唖然とし「どうしたの? バリーってこんな人だった?」と尋ねると「今の自分が本当の自分。野球をやっているときは外に対してバリアを築く必要があったからね。虚勢も張ったし、強がりも言った。無神経に自分の中に踏み込んでくるメディアのために頑丈な鎧さえもつけていたんだよ。そして本当の自分は、すべてその内側にしまい込んでいたんだ」。
「バリアを取り払い、本当の自分をさらけ出したということは、今後現役でプレーしない? 現役引退ってこと?」。矢継ぎ早に切り込むと、バリーは小さく頷き「僕はもうプレーはしないよ」と言った。どのメディアに対しても正式に引退表明はしていなかっただけに、心の中で「すわ、一大事!!」と記者魂が騒いだ。ならば、なぜ引退表明をしないのかを問いただすと「時期が来たら…、時期が来たら…そのうちにね」とだけ言った。
その時点でピンときた。ステロイド使用疑惑の調査の中で、虚偽の証言を行ったとして偽証罪に問われた裁判がまだ終わっていない。その裁判の決着がついてからという思いがあるのだろう。鎧甲を脱ぎ、無防備に心をさらけ出しているバリーに対し、それ以上の詰問はマナー違反だと思い、せっかくスクープになりかけたニュースだったがそこで打ち切りにした。しかし、その時点で「引退」に関して、しっかり認めたことだけは記しておこう。
別れ際にバリーがこんなことを言った。「野茂に始まり、イチローや松井のなし得たこと。異国の地で打ち立てた彼らの偉業には心から賞賛を送るよ。努力と勤勉さ、日本人の野球に立ち向かう真摯な気持ち。すべてが尊敬に値するね。日本人は彼らのことをもっと、もっと誇りに思うべきだよ」。そういうバリーの脳裏には、彼らと対戦した日々が走馬燈のように駆け巡っていたにちがいない。
新しい年を迎え、事態が推移した時点でバリーは正式に現役引退の表明を行うだろう。
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- 鉄矢多美子(てつや・たみこ)
- 福岡県に生まれる。成城大在学中から、硬式野球部のマネジャーを務めるかたわら、ウグイス嬢の道に。1977年にロッテ・オリオンズ球団(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)に入社して、ウグイス嬢と広報担当を兼務。87年12月からフリーに。 野球のあるとこどこまでも、の精神で、日本国内はもとより、アメリカ大リーグをはじめ、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコなどに足繁く通う。将来は野球をモチーフにした一大スペクタル小説を書くのが夢。著書は「サミー・ソーサ 心はいつもホームラン」(集英社インターナショナル)、「もっとカゲキにプロ野球」(講談社)、「素顔の野茂英雄」(小学館)、「熱球伝説」(岩波書店)。
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