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monkey_tundereさんへ 池田氏から教わった仏法とは何ですか?

tama1koba1さん

monkey_tundereさんへ 池田氏から教わった仏法とは何ですか?

補足
すみません、ちょっと私にはわかりずらいので質問があります。

>「御書に書かれている通りなので、間違い無い」という解釈になるの。

ですが、、、
何が(どういうことが)御書に書かれている通りなのですか?
どういうことで池田氏の解釈が正しかったと判断しているのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

monkey_adultさん

ふぇ。今帰りました。ちょっと待ってて下さいm(_ _)m

新しい補足に。センスがおありだと思いました。その認識の確認から必要になりますよね。

「一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。」wikiから抜粋。これが現在wikiが採用している回答です。

さすがと申しますか、的を射ている(現在という時間軸上の判断として、無難ともいう)見解だと思います。『ただ、この言葉に落ち着くまでにも議論されたでしょうね』

仏法とは

「宇宙の森羅万象を貫いている法則を★信じる」
「宇宙の森羅万象を貫いている法則に★行じる(則る)」
「宇宙の森羅万象を貫いている法則を★学ぶ」事です。

学会員が言う「信・行・学」です。


>>(生きているうちに?)「仏に成る方法」「成仏する方法」、「絶対的幸福境涯を得る」「楽に生きるための方法」「悟る方法」「宇宙の法則?」「真理?」こんな感じでOKですか?

とても、とてもおkです。どれも正解だと思いました。


>>うーん、、、なぜにそんなに難しいのかな?それは仏法ではなくて、日蓮という人の認識ですよね。知識。記憶。または予言?予言が偶然当たった(当たったというかこじつけだと思う)から、正しい?ちょっと無理がないですかね。。。


これは、お気持ちすごくわかります。(お世辞などでは無く、また、自分が優れているとか思っている訳でも無く、純粋に私もそう思っていました。)


なにせ、「宇宙の森羅万象の根源を先に定義付けている」訳ですから…それが『妙法蓮華経』という『名』です。


信じている以上。そこを起点として、考える他無いのです。


他に同じ仏教でも「南無阿弥陀仏」を信じている宗派(お人)がおられたり、イエス様を信じている方がおられたり、アッラーフ様の教えを信じておられる方もいらっしゃいます。これがいわゆる「世界3大宗教」です。


ですから、学会員同士や、法華講員(元は学会員はこれです)、その他の同じ日蓮宗の宗派と(一般の方からすれば、微妙な解釈の差異で別組織になっています。)

「同じ組織同士でも、人間それぞれ生まれた環境も違えば、性格も違う、家族構成も違うし、生まれた国(場所)も違う、年齢によって同じ人でも変化しますし、何もかも違う(笑)のです。」宗教紛争というのはこの「価値観の差異」が元です。

知恵袋でもあるように、創価学会員同士であっても上記の理由から争いになりますね。(私達も同じ人間ですから…私などは睡眠命ですから、できればハムスターになりたいなと思うときもありますが、我が家の公(ハム)は幸せなハズです)


どの宗教をされている方も、組織に所属して(そこでの人間関係含む)を元に真剣な訳ですから、そういう意味で宗教を持っているいる人が好きですし、『私は』「中立(中道)」でありたいのです。中道(ちゅうどう)とは、仏教用語で、相互に対立し矛盾する2つの極端な概念に偏らない自由な立場による実践(仏道修行)をいう。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%81%93


「中道」というこの言葉自体が仏教用語です(笑)それは私が生まれた環境が創価学会員の同士が親の二世(当時は日蓮正宗内の創価学会の信者)ですので、幼いころからそれを学んでいる(アンチな方的に言えば洗脳されているw)と言う事も出来ますが、個人的にそのスタンスは嫌いですので(あなたが逆であればどうされるのか興味がありますが^^)私は自分個人(私の)学んで来たものを超えた理論を求めているのです。

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  • 編集日時:2011/1/19 23:02:43
  • 回答日時:2011/1/19 18:24:41

質問した人からのコメント

  • 降参約一週間、ありがとうございました。生い立ちまで書いていただいて。
    >何かを主張する時点で問題が起きるのは当然なんですよ。何も主張しなければ無です。反論のしようもありません。 → 主張には色々な形があっていいのだけれど、学会はやはり行き過ぎ、偏り過ぎだなと思うわけです。やっぱりそこなのかなーって思いました。どうもありがとうございました。
  • コメント日時:2011/1/23 08:43:48

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ベストアンサー以外の回答

(14件中1〜14件)

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blue_eagle_s2さん

下の続きです。


このご質問のきっかけ自体が、他の方のご質問でしたよね。あの中でナイツのDVDを見たけど意味わらかない。という内容がありました。実は私も以前に見たのですが、lionというボクサーが登場します。その中で池田氏という方は、「ボクシングの具体的な技術を指導してくれる訳ではないんですよ。もっと根本的なものを教わっているのです」というのがありました。その通りなんです。「宗教」ですから。。。


>>知恵袋だけを見てもわかるように学会員の「熱心さ」「夢中さ」「正しいという思い」などでこれだけ人間関係や家族関係で問題が起きているのに


そもそも、何かを主張する時点で問題が起きるのは当然なんですよ。何も主張しなければ無です。反論のしようもありません。何に限らず、表裏一体で存在しているのです。「表のみの紙も無ければ、裏のみの紙も無い」ということです。ですが、これを否定してしまうと「人間の人生そのものを否定する事に繋がるのです。」生まれて来なければ良かったなんて話です。

ようは、拙くても、たどたどしくても、構わない。「何かを訴えるところから全てが始まる」と言う事です。それがアンチであっても構わないのです。


最後に問題点ですね^^

問題点を挙げればキリが無いので、一番肝要だと感じるところだけですが。。。ひとつひとつ丁寧に説明する方の不在が問題だと感じます。組織に出ていて感じるのですが、形骸化しています。tamaさんの仰るように、選挙に携わる理由について述べずに、ただ雰囲気や、仲間内だけの共通の認識から押し付けている感があります。というのも私の在籍する地域は、非常にマンモス地区でして、20代前後の若い方が非常に多いんです。そんな新入会の方が、いきなり説明も無く、雰囲気で押し切られては、私が逆であれば不信感を抱きますね。

ただ、批判をするだけでは何も生まないですし、批判する責任として自分の案を提示すべきですので、私はそんな若い方には会合の流れを止めてでも「本当に納得できるの?疑問があるなら率直に言った方が良いですよ。」と声かけするようにしています。

tamaさんの率直なご意見ありがとうございました。大変に勉強させて頂きました。私の場合は内部から、新しい時代の「青年創価学会」に尽力しております。tamaさんはtamaさんで正しいですから。お嫌で無ければまた、ご指導頂戴したいと思っております。

お胸を貸して頂いた事も含め大変に感謝しておりますし、何より楽しい時間でした。後はお任せ致します。ありがとう。tamaさんに乾杯^^

blue_eagle_s3さん

tama4koba4さんでの再補足にです。

なるほど。そうなりますよね。もっともな御意見だと思います。というのも私達学会員は「最初は信じるだけでも、だんだんと知っていくこと、つまり学んでいくこと」を積み重ねてきてますので、内部としてはこれで通じるのですよ。しかし、外部の方が聞いた場合わからないのは当然だと思うのです。

自分達の常識を外部の方に「これは絶対正しい」と押し付けても、反感が生まれるだけなのです。(ただ、説明出来ない方でも、正しいと思っている事を正しいと主張する権利はありますから、これはご寛容なtamaさんは許して欲しいです。私も無い事を捏造するようなレベルのアンチな方でも権利という部分では許しています。)


>>じゃあ、どうやって乗り越えるのか?ってことはどこにも書いていないのです。学会のHPにもヒントらしき文章は見当たらないんです。心について説いてあるものが全くないんです。(教えて頂けるとありがたいです)

これは、人間の悩みには人により千差万別な様々なパターンがありますから、それについて全てのパターンを網羅することは出来ないんですよ。どうしてもマニュアルにはならないんですよね。例えば睡魔を例にとると、これは睡眠学の分野の話ですので睡眠学の先生を頼るべきなんです。また、昨今流行のスピチュアルな分野の部類の話でもあります。

ミクシーをするのですが、その中でスピチュアルな分野を仕事にしている先生にお会いしたことがあります。対話をしていて、アレ?おかしいな?似すぎてるな?と思ったんですよ。個人的にお話を伺うと学会員だったんですよ(笑)その方が言うには、創価学会を前面に押し出すと、その時点で嫌悪感を待たれる方がいる。(宗教ですし)しかし教学を元に、その人の悩みに合わせて表現方法を変えてお伝えすることで納得して頂けるのです。と仰ってました。これはこれで批判がある方からすれば「学会員を隠すなw」ともなりかねませんが。


>>心について説いてあるものが全くないんです。(教えて頂けるとありがたいです)

ようは、御書に書いてあるんです。かといって大聖人の時代に「インターネットで困ったときはこうすべし」なんて事は無論書いてはいませんので。。。ただ信徒に宛てたお手紙とその時代背景を元に

「生き方を通してお心を学んでいるのです。」


>>戦えというだけじゃ、もがけ、苦しめと言っているのと同じでしょう。

もがけ、苦しめと言っているのですよ。その自分自身との葛藤を乗り越える事でしか、悟りはないんですから。


上に続きます。

tama4koba4さん

つまりですね、学会員さんが言う修行で、なにを学んでいるのか?ってことで、

>こういった不幸にする働きである魔を見破って、それと真正面から戦う(乗り越える)という意味なんです。

このような漠然とした事を多くの学会員さんはブログ等で書いていますが、じゃあ、どうやって乗り越えるのか?ってことはどこにも書いていないのです。学会のHPにもヒントらしき文章は見当たらないんです。心について説いてあるものが全くないんです。(教えて頂けるとありがたいです)

戦えというだけじゃ、もがけ、苦しめと言っているのと同じでしょう。

だからですね、具体的な指導はないんでしょう。多分。「こうこう・・・こういうふうに考え、こういうふうに信じていると、幸せになれる。宿命が転換できる、成仏できる。」と信じているに過ぎないわけです。信じている域を出ていないのですよ。それは学会に限ったことではないかもしれない。

それはそれでいいんです。でもいつまでも皆がそれじゃまずいでしょう。それを認めた上で進んでいかないと。特にmonkey_tundereさんのような人はね。
「僕達はいつか成仏できるんだー!」という人がいくら集まっても、世の中が平和になるわけがないでしょう。最低限、他人の考えを認めないと。「正しい」とか「絶対」とか思っている人が謙虚に学ぼうという気になれるかと言ったら、難しいでしょう?

信じていることを批判しているわけじゃないんですよ。人が何を信じて何を心の拠り所にしてもいいと思うのですが、学会は「これだけが正しい」とか「本物の仏教とか」「勝たなければならない」「信心で乗り切れ」とか、そういう偏った考え方ばかりを信者に植え込み、それを「広宣流布」や「下種仏法」という言葉を理由に、組織を大きくするために「いつまでも」「いつまでも」勧誘や財務や選挙に信者を使っている。そしてその夢中さが問題を起こしているわけです。

で、私が興味があるのは、知恵袋だけを見てもわかるように学会員の「熱心さ」「夢中さ」「正しいという思い」などでこれだけ人間関係や家族関係で問題が起きているのに、blue_eagle_s4さんが「問題だ」と感じていない(?)ことなんですよ。
blue_eagle_s4さんがどんなに知識豊富で立派な人だとしてもですよ、なぜ組織(指導)の問題を感じないのか、ってことです。やはり個人の問題として済ましてしまうのでしょうか。

最後に、blue_eagle_s4さんの思う学会の問題点とは何ですか? それをお聞きして終わりたいと思います。

blue_eagle_s4さん



動画拝見しました。エックハルト・トールの書籍は5年程前に当時流行してたのを読んだ事があります。見れて(動画は初めて)嬉しかったです。


>>でもそれらを理解していく人は意外と沢山いるんですよ。今はネット上では何人も見られるようになりました。必ずしも特定の宗教団体に所属しているというわけではないんですよ。以下の文章に…※ちゃんと拝見してますよ、他人様の書かれた文章は最低3回は読み直しますから。(主観による曲解を避ける為です。しかも無理に聞いてもらってる気がして恐縮なのです。)


その通りですよ。他の方の質問でも書かせてもらったのですが、必ずしも創価学会に入会しないから不幸になる訳ではありません。ようはその法を教えているだけですので、それをDVDやスピチュアリストの本を、見聞きして感じ取ったり、自力で(自然界の縁に触れて)覚ったりという人は大勢おられます。お人によりそれが、カーネギーだったか、ナポレオンヒルかジェームズ・アレンか、はたまたアイルトンセナやマイケルジャクソンの生き様だったかが違うだけです。レアなケースではリンゴが木から落ちるのを見て悟る天才もいますしね。

「仏法」では上記のような方を声聞や縁覚と言うんですが

さらに上の菩薩行をしている(心から他人様の為にされている)方も多くおられますから。ようはそれを創価学会で学んだ人もいるという事です。極端な方は、その人にとっては絶対なのでそう言うのでしょう。


以降の文章は、池田氏云々を除き同意です。その極端な方(いらっしゃればの話)また極端だと回りに見られる方には(そう見られないことも重要)同じ文章をお送りしたい気持ちです。


>>「正しい」なんて思うのは止めて、その先に進んでみたらいいのに、なんて思うわけです。

基本人間は自分が正しいという「自分を肯定して」生きています。貴方も私も同様。ですから私は貴方を認めるべきです。貴方様が認める認めないは個人の自由ですから無理強いはしませんし、しようもありません(笑)

その先に進むからこそ、また創価学会の正しさも理解できるのです。


>>視野を広げてみれば「人間ってこういうことも学ぶんだ」とか「日蓮や創価学会に拘っていた自分ってなんて小さかったんだろう」と思うはずなんですけどね。余計なお世話ですが自ら可能性を狭くしているようで、「もったいないなー」と思うのですよ。

その通りだと思います^^

blue_eagle_s5さん



>>信仰についての認識が違うように感じます。私は信仰は「知っていくこと」「理解していくこと」、最初は信じるだけでも、だんだんと知っていくこと、つまり学んでいくことだと思います。

正しくその通りです。全く同じですよ。


>>ですが学会員さん達はいつまでも信じているだけの人がとても多いように見えるんです。だから指導に疑問を感じるわけです。

そう見えるだけなんですよ。機会が無ければゆっくりと語り合うことなんてないわけですから。


>>(創価学会が中道という説明に対して)これについては、ちょっと納得できないな~。実際の学会員さんを見てると。どんなに素晴らしいことを教わったり、どんなに素晴らしい教えに出会っても、生かさなければ意味がないでしょう?

見てきた学会員の方も違いますからなんとも言えませんが、そう見える学会員はそう見えないように改めるべきだと思います。つまり生かされていないという事ですから。しかし見る側視点も大きな要素だと思います。ようは自分次第なわけですから、私のように学会員であれば、会合などに行けば学会員だらけ~なわけですから(笑)学会員同士でも批判的な目で見ようと思えばいくらでも見ることも可能だということです。


>>信じるきっかけとなった出来事についての…以下

ようは、教学知識自体は既に子供の頃からあったんですよ。その当時も読みふけってましたし、でもtamaさんが仰るように実際にそこにいる人間に不信感があったんですよね。。信じるものは「法」であり「教え」とは正しくその通りです。また、そう指導されてます(笑)教学が単体で歩いてきたりはしないんですよね。必ず人を介して伝わる、本にしてもDVDにしてもそれを作っているのは人ですから。その人に対する不信感を払拭した出来事なだけです。


>>「相手が困った時に支えてあげたのに裏切られ頭にきて、罰が当たるといいと思った」

質問者が学会員なのかどうかが事実はわかりませんが、そうだとの前提で。。まず教えられています。ただ、その人が受け取れていないだけです。また相談出来る人がいなかったのかも知れませんね(これが問題)もちろん全く同一のパターンのマニュアルがあるわけではありませんが、この内容などの「ありがちな事」に関しては学会員なら殆どの人が知っている小学生向けの本に書いてあります(笑)


>>「仏とは、仏の敵と真正面から戦いきっていく信心にある」

これはよく言われることです。「内部向け」の指導なんですよ。それを外部の人が見れば誤解するのも無理無いです。どういうことかというと、仏とは幸せにする働きで、魔とは不幸にする働きなんです。例えば睡魔。睡眠は良いことですが、寝てはいけない時の睡眠欲は魔です。こういった不幸にする働きである魔を見破って、それと真正面から戦う(乗り越える)という意味なんです。

tama3koba3さん


http://www.youtube.com/watch?v=J4MBDAGiOXQ
これはたまたま昨日見つけた動画で、私はこの人のことを何も知りません。「こんなのインチキくさい」と思わず純粋に言っていることだけを聞いてください。ある意味では池田氏が言っていることにも通じるでしょう?だけど違うのは「今を受け入れようという努力」です。「あなたはすでに悟っています。すでに成仏しています。」というのはまさに方便ですが、悟った人だからこそ言える言葉だと思います。

私達は小さい時から、色々な事を経験して小さな悟りを何度も経験して大人になっていきますよね。仏教に興味を持ったなら知識で「無常か。」なんて、なんとなく理解しても、「無我」とか「苦」とか、「いや、そんなものは空なんだ」なんて思っても、本当に理解することなんてできないでしょう?「題目唱えたら理解しちゃった」なんてことはないわけですし。知識も必要だけど、どうしたって心の奥を見つめてみないと、学べないことだってあるでしょう。

でもそれらを理解していく人は意外と沢山いるんですよ。今はネット上では何人も見られるようになりました。必ずしも特定の宗教団体に所属しているというわけではないんですよ。「いやいや、大乗仏教とはそういうものではないんだよ」と思うでしょうか。どのような宗教(人生)でも、どのみち学ぶものでしょう?
知恵袋上にもそのような人は何人もいて、例えば今だと「哲学、倫理」カテをよく見ていると、自分の経験から得たことを元に質問に答えてる方がいらっしゃいます。

ID名は言えませんが、「観念」や「認識」「自分」「自我」などの言葉が多く出るので沢山の回答を見ていると分かると思います。
その方は明らかに経験によって私達(凡夫)の認識の世界を超えているんですよ。「これが正しいから、これは間違い」などと線を引いて認識しようとする「心」というものを知っています。私達がいくら知識を詰め込んでも絶対勝てないのです。(勝ち負けじゃないですけど)
もちろんどの程度悟っているのかなんてわかりませんし、どのような方法でそこに達したかもわかりませんが、それなりに悟った人って実は結構いるんですよ。そして皆、言っていることは(つまり経験したことは)同じなんです。(詳しくは書きませんが。いや、書けませんが)

で、盲目的な状態だとそういう人の存在に気づかないから良い師(または先輩)には出会えないんですよ。
他の人や宗教家が経験して悟った(学んだ)ことも知識としてだけでも知っておいたらどうかな?なんて。一応、どういうものが悟りなんだろう?どういうことが心を楽にするのだろう?って。学会員さん達は「誰がああ言った、こう言った」などと知識を詰め込んでばかりいるように見えるんです。

私達は心を問い、心を知って少しでも楽に生きるための「宗教」や「悟り」というものに関して、経験によって少しづつ確信に変えてはいますけど、ほとんど知識でしか知らないわけですよ。

何かを一生懸命やる姿を「成仏」としてもよいけれど、それで「良し!」として勧誘ばかりに夢中になっていたら、それ以上の成長はないでしょう? monkey_tundereさんはそんなことはないと思いますけど、実際の学会員さんの多くは「学会活動していれば良し!」って感じじゃないですか?

「学会員は仏法を学んでいる最中の人達」と謙虚な気持ちがあるならば、「正しい」なんて思うのは止めて、その先に進んでみたらいいのに、なんて思うわけです。もう仏性があることを知ったのでしょうし、生きる希望は持てたのですから。
「正しいかどうか」なんてどうでもいいことで、それよりも、そんなことに拘る「心」について知ることが、幸せになるため、楽に生きるためには必要でしょう。池田氏にはそれを教えることはできないと思いますよ。

視野を広げてみれば「人間ってこういうことも学ぶんだ」とか「日蓮や創価学会に拘っていた自分ってなんて小さかったんだろう」と思うはずなんですけどね。余計なお世話ですが自ら可能性を狭くしているようで、「もったいないなー」と思うのですよ。そして、そうさせているのは池田という人物なんだろうなーって。

blue_eagle_s6さん

下の続きー★

当時(10代)は、無宗教な方と同じで「信仰心」などというものはありませんでした。それどころか反感の方が強かったです。

ここから、本当の意味での私の「信仰」が始まるまでは期間が必要でした。2世といってもそれだけの事でして、一人の人間に立ち戻った場合は「2世」なんていうのは何の役にも立たない称号なんですよ。信仰とは個人の信念ですから。大阪を離れ渋谷でバーテンをしたりいわゆる普通の男子でした。

その後、20代前半で偶然?結婚した嫁が「学会員」だったこともあり、長年の疑問であった「信仰」というものに真正面から挑んでみようと思ったのです。

哲学などが好きで、それまでにも多くの書物を読んでおりましたし、母が幸せとは言えない人生だったのもあり、先ずは反感しか無い訳です。通常のアンチの方よりももっとアンチですよ。半端なアンチではありませんでした。座談会などに乗り込んでは「何が正しいんだーふざけるな!」とやっておりました。それはもうリアルの修羅場です(笑)

こんな事をしていては罰が出るのも当然です。

結果、離婚しました(笑)(その方法については理不尽な点もあるのですが、理不尽な事をしてるのはお互い様なので恋愛の部類の話なので別にしますw)

また、男子部などに行っても、イケてないモサイ奴が多かったんですよね(笑)当時は馬鹿にしてました。が本当に困った時は力になってくれたんですよ。あれだけ馬鹿にしたのに…涙が出ましたね。自分の小さな小さな慢心に猛省しました。


普通の会社であればクビですが(笑)そんな奴でも、親身に話を聞いてくれる先輩が少数ですが(当たり前wこっちがムチャなんだから)いました。7年後にわかったことですが、その少数な先輩方も私の為にわざわざ指導を受けて下さっておられ、当時はしばいたろかと思っていたと、笑いながら話てくれます。今では私の方が熱心w酒呑み仲間になっています。


その後は、私自身も相当な活動家でしたので学会指導のままに活動した結果、現在も健康でお金にも時間にも余裕がある状態です。かなり努力と苦労した末、現在自営業ですので。お金だけを基準にしている訳でも無く、時間だけを基準にしている訳でも、気持ちだけを基準にしている訳でも無く、そのバランスがとれていて毎日が楽しいのです。

真の幸せというのは、真の不幸を知らなければ感じる事が出来ないんですよ。現在は小学校時代の幼馴染達と当時のことを話し合ったりしますが、一般的に見れば当時の私の家庭は不幸のどん底なのですが、当の私自身が不幸を感じていなかったんですよ。一見恵まれているように見えた連れの方が実は(気持ちの上では)大変な状況だったりしました。

私が確信を持った理由は「文章を通じて」ではなく「体験を通じて」なのです。


当時アンチだった頃に、悩みに悩んだ末、ああそういう事か!と腑に落ちた体験としては、ようはその「中道主義」や「無宗教の方の言われる、信念や良心」も包含しているのですよ。

つまり、創価学会として見ているのか、個人として見ているのかだけの違いだったのです。そしてそれこそが真の宗教ですので「正しい」と主張しているのです。


「信じている」と一言でいっても信じている度合いは人により様々です。心の中の信バロメーターを一列に並べて比べたりは出来ませんので、学会員というのは人により信じている度合いは違いますが、全く信用していると言わないのに学会員な人もいれば、多少なりとも信用してるので学会員な人もいますし、かなり信用してる人も、人生をかけている人もいます。


ただ、個人を越えている以上は、まず信じるしかないのですよ。信じていると言葉にするしないに関わらず、信じている人の集まりなんです。

blue_eagle_s7さん

最終的には個人の確信の話になりますね。これの連帯が創価学会という組織の本質です。

なぜ私が創価学会を信用しているのか?という「体験談」が一番です。これも学会の常識なんですけど…

本当の事しか記載していないとお約束致します。


私は大阪の西成という貧民街の生まれなんです。日本のスラム街です(笑)母方は九州長崎の家系でして呉服問屋を営んでおりました。長崎ですから原爆を落とされ、第二次大戦の折、兄弟で大阪に疎開してきたのです。そこで当時、母が池田氏に直接折伏されたんですよ。同時期関西生まれの父も入会しています。この頃はまだ他人だったみたい。この二人が後に出会い40代で結婚(爆)母が45歳時点で生んだのが私なんです。(兄弟なんかいるわけありませんw)

私が2世なのはそういう経緯です。

父は自営業の大工でしたが、私が小学校の時(10歳)に蒸発w。以降、母親の親戚は全員、先の原爆で他界しており、疎開してきた母の兄弟も、母以外は後遺症で早くに全滅しました。

以降、片親である母に育てて頂いたのですが、原爆の影響もあり身体が非常に弱く、半身不随の身で入退院を繰り返していた為、私は中学1年までしか学校に行けず13歳から新聞販売店に就職しました。当時、特に辛いと思ったことは一度もありませんでしたが。

その後、19歳で母が他界しました。父方は全滅してるので、この時点で私は天涯孤独の身となった訳です。

戦争を直接体験している世代ではありませんが、母が高齢出産だった事で、その母が戦争経験者でしたので、私も言葉だけで無くリアルで戦争の悲惨さを体験しているのです。

私が反戦にこだわるのはそういう経緯です。

もちろん母は熱心な信者で、どんなに大変な時でも、必要な最低限の活動には車椅子で参加しておりました。死ぬときも数珠を握り御本尊を見つめたまま他界されました。


特にお涙頂戴したいのでは無く、単純な私(LION)の身の上話です(笑)


上の後半へ★

blue_eagle_s8さん

>>考える余裕まであり、どちらかと言えば、生きる意味で悩む人が多い時に。何をどう信じても良いのですが、「正しい」と信じる必要があるのでしょうか。「正しい」と信じることで「間違い」を作り、「正しい」という思いが強い程、「他は間違い」という思いも強くなります。それは偏ってますよね?当然、敵や批判者も作ります。多くの学会員は「正しい」に拘っていますよね。中道でありたいなら、なぜ「正しい」と主張する学会にいるのでしょう?指導者に値する人物は沢山いるのに。。。

「生きる意味で悩む人が多い時」だからこそ信じているのです。

ようは最高に豊かな時代と場所に生まれている訳です。ご質問者様も私も。そんな恵まれた条件の中にあっても(だからこそ)「生きる意味で悩む人が多い」のです。


ようはその中道が「創価学会」なんですよ。正しいと主張するのは「中道であるべきだ」と主張しているのです。

blue_eagle_s9さん

私の方はこのまんまのご質問で大丈夫です。

特に法論して言い勝ちたいとか思っている訳ではありませんので、対話終了後にご質問自体を消して頂いても良いですし、私にお気を遣って頂く必要は御座いません。むしろ感謝しております。

同志のややこしい質問に時間をとられておりました…遅くなり済みません。

●信ずる必要について

宗教全般に言えることなのですが、まず「信仰」とは何かという次元の問題です。

現代人の大部分が考えているように、確かに自主性の問題であり感情の問題です。しかし、もう一歩踏み込んでいうとそうした感情というのも、認識の深さによって決まってくるのです。

例えば、核兵器がどれだけ恐ろしいものかを知らなければ、核実験などは輝かしい科学の成果としか映らないでしょう。

信仰の問題も同じです。信仰とは人生にとって無用のものではないのか?こうした疑問を自ら思索、研究し、理解したときには信仰は無用のものだとは言ってられなくなるのです。

「宗教信仰」が大切なものであると思っているか、そうで無いかの次元の話ですので、この次元では宗教を大切に考えている他宗教・他宗派の方の方が話しが通じ合います。

これは、無宗教の方と宗教を大切に思っている方の違いです。さらにもう一歩踏み込むと、教義面での議論になります。これは宗教vs宗教の議論です。

宗教があるからそもそも揉める原因になる。という意見もありますが、実際はそうではありません。無宗教の方というのも「宗教」という次元になっていないだけで、個人としては何らかの思想はありますし、哲学がある方もいます。個人の思想が集まり、体系立った哲学になり、それが時間に淘汰されて宗教になります。

それが証拠に無宗教の方同士で喧嘩になる場合もあります。いわゆる、ただの喧嘩です。これが宗教そのものが、揉める原因では無く、根本は人間の性だということを示しています。

ようは、宗教などという実体は無く、個人の心の集合が形になったものが宗教なのです。

単純には、集まっているからキモく見えるのです(笑)



●では、信仰する必要を認めないという観点からみますと

①科学を代表する人間の英知に頼ればどんな問題も解決する派
②個人の信念や良心で十分とする派

に大別できます。


①科学至上派の方の場合
科学技術の発展は目覚しく、少し以前であれば不可能だった事も出来るようになっています。しかし、いくら科学が発達しても使うのは、「人間」なんですよ。例えば様々な科学理論が打ち立てられても、実際に人間の幸せの為に利用出来るのは極わずかなんです。

②信念、良心で十分とする派の場合
信念や良心は、ともすれば不変のものであるかのように見えますが、これは時代と環境により変化するものです。

>>鎌倉時代のように生きること自体が辛い時代なら解りますよ。

と仰る通りです。身近な例をとってみても第二次大戦中は国の為、天皇の為に我が身を犠牲にすることが日本国民の大部分の信念であり良心だったのです。ところが戦争が終わった現在、かつての英雄は戦争犯罪人でありそれに協力した大衆は愚かだったという時代なのです。それは現在の結果があるから言える話な訳です。「創価学会」の根本は反戦です。これを貫き初代会長は獄死されました。史実です。

信念と良心に生きる事は人間にとって大切なことです。そうであればこそ何を対象としての信念や良心かを、我々人間個人が問い直してみる必要があります。

信念や良心は、結局人間個人が持っている心の中の物差しにほかなりません。その物差しは「その人が、これまでの人生経験や学問を通じて知らず知らずつくりあげてきたものです。」

現代の私達は個人の差こそあれ、時代的には幸せな状況下にいます。それは運が良かったのでは無く、実際に人間がその方向に持っていったからです。

個人の幸せの基盤をつくるのもまた個人なんです。

『汝 須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』

自分が幸せになりたいのであれば、まず全体が幸せでなければならないということです。


>>信じる根拠になったmonkey_tundereさんの「幸せ」とは何ですか?

私の個人的なことは次(この中)で記載させて頂きます。

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  • 編集日時:2011/1/21 16:17:07
  • 回答日時:2011/1/20 01:45:12

質問をみる

blue_eagle_s10さん

先の続きです。※噂のブルーイーグルは私ですよ(笑)


では、そもそも宗教は必要なのか?と考えたのですが、具体例を出しますと「お金」を信仰している方もおられます。これは「資本主義」という名の信仰なんです。意識するしないに関わらず、お金を信じている訳です。


例えば現在、120円持っていれば、自販機でジョージアのブルーマウンテンが買えます。(私の地域では110円の場合もあります。)では、これは絶対なのか?と考える訳です。


極端な例えですが、ハイパーインフレが起こる国などは沢山あります。ニュースに流れますし、デノミネーション(通貨切下げ政策)。が起こる場合も、この地球では多々あります。現在の円の高騰もそうです。少し戻しかけていますが。


これを考えると、お金というのは絶対のものではないのです。言い換えれば、今現在、お金を絶対にする為に頑張っている人の努力と何より実際に広まっている「皆が共通の価値観を持てる尺度」となっているだけな訳です。


そこで、さらに根幹に遡ると「何の為のお金なのか?」という『何の為』が重要なんです。


そして、それは「人間の為」であるべきだと思うんです。これは自分が人間だというポジショントークでもありますが、ハムスターに語りかけても噛まれるだけでなんも言わないし、犬にも鳥にも試しましたがこれはムリでした(笑)


私達人間が、お金によって不幸になるのであれば「お金以外の方法」を誰かが提案して実行してそれを広めれば良い訳ですよ。でも、そんな大偉業は私には無理そうなんです(笑)自分でそれ(新しいみんなが共通して幸せを感じる価値観)を提案出来ない以上、現状に従う他ないのですよ。壊すだけで建設出来ないなら、いくら批判しても根本的には建設的(みんなの為になる)代替意見を提案すら出来ないのですから。


しかし、宗教とは「人間の根幹に携わるもの」だと認識しています。他に理性で納得させてくれる宗教が無いですから、私は創価学会にいるのです。


ちなみに今日も、壮年部・婦人部の方と今さっきまでリアルに意見交換していました。私はリアルでも思ったことをズケズケ言うタイプですので、壮年男性の先輩は引いてましたが、婦人部の方は理屈もクソも無いので(笑)女は頭おかしいんじゃないかと思いますねw言い合いになりましたが、とりあえず理性で納得できるご意見を仰る方を紹介して下さい。という事をお伝えし相手も仏の使いでいらっしゃいますから、誠意を持ってお話を伺い、失礼の無いかたちで自分の主張を伝え、お見送りして、帰って頂きました。


結論としては、実際にそれ以上のモノが無い以上、信じるしか無いのです。否定されるのは良いのですが(私もしますから)、その責任として代替案を用意するべきなのです。(人間が幸せになる為の、皆が仲良くなる為の)これが出来ないから創価学会員でいるのです。


ようは創価学会員というのは仏法を学んでいる最中の人達なんです。ただ、学び続ける姿勢を持っています。


「幸せ」の定義も明快に出ています。これに関して質問してくれてもおkです。

tama2koba2さん

学会に限ったことではないのかもしれませんが、まず「信じる」ですよね。それがまず解らないんですよ。鎌倉時代のように生きること自体が辛い時代なら解りますよ。信じるしか、縋るしかないんですから。なぜ、今の時代に強く「信じる」ことから入る必要があるのでしょう?
考える余裕まであり、どちらかと言えば、生きる意味で悩む人が多い時に。

視野が広いmonkey_tundereさんが、なぜ最初に「正しい」と決めてしまうのかな?と思いました。

何をどう信じても良いのですが、「正しい」と信じる必要があるのでしょうか。
「正しい」と信じることで「間違い」を作り、「正しい」という思いが強い程、「他は間違い」という思いも強くなります。それは偏ってますよね?当然、敵や批判者も作ります。多くの学会員は「正しい」に拘っていますよね。

中道でありたいなら、なぜ「正しい」と主張する学会にいるのでしょう?
指導者に値する人物は沢山いるのに。。。

幸せになるために、楽に生きるためにどうするか?ってところに行きたいのですが、、

>「事実、幸せになったから」
信じる根拠になったmonkey_tundereさんの「幸せ」とは何ですか?
「幸せな気分」なら色々な人がそれぞれの欲望が満たされることで、一時的な幸せを感じていますが、宗教(または仏教)の言う「幸せ」とは何でしょう?

(IDや文字数とか、不可能なら新たに質問を立てます。)

すみません、先に書いた文章を間違って消してしまいました。
----------------------

う~~ん、、、沢山書いてくれたのに、悪いですが反論、批判を少々。私は信仰については肯定的なんですが、信仰についての認識が違うように感じます。私は信仰は「知っていくこと」「理解していくこと」、最初は信じるだけでも、だんだんと知っていくこと、つまり学んでいくことだと思います。ですが学会員さん達はいつまでも信じているだけの人がとても多いように見えるんです。だから指導に疑問を感じるわけです。
もちろん、祈るだけの人、感謝する人、自分の内の世界に興味を持つ人、それぞれの信仰の形があってよいのですけどね。皆、変わっていきますし。

>ようはその中道が「創価学会」なんですよ。正しいと主張するのは「中道であるべきだ」と主張しているのです。

これについては、ちょっと納得できないな~。実際の学会員さんを見てると。どんなに素晴らしいことを教わったり、どんなに素晴らしい教えに出会っても、生かさなければ意味がないでしょう?

blue_eagle_s6さんが信じるきっかけとなった出来事についての話も正直、理解できません。力になってくれたのは、男子部の人達でしょう?人に感謝し人との繋がりを信じればよいことです。blue_eagle_s6さんに限らず、どうも信仰に入るきっかけが理解できないんです。「仲間が優しくしてくれた」とか多いでしょう?人を信じ感謝するのはよいことですが、信じるのは仲間ではなく、「教え」でしょう。
私が「池田氏は宗教家ではなくて凡夫だよ」と思う理由には、池田氏は「心」を教えることができるのだろうか?という疑問があって、「頑張れ!」と勇気付けたり、「勝て!」「自信を持て!」と信者の心を煽ってはいるけれど、果たして「心」を教えているのだろうか?と思うのです。
私たちが森羅万象を知らないのは心(自分)が邪魔をしているからでしょう?自分の世界でものを見ているからでしょう?

学会員さんのある質問に、
「相手が困った時に支えてあげたのに裏切られ頭にきて、罰が当たるといいと思った」みたいなのがあったんですけど、それこそ心の問題なんですから池田氏が教えるべきことでしょう?しかし教えていないでしょう。相手に「こうあるべきだ」と思い行動し、思う通りにならずに腹を立てる「心」を救えていないということです。それは「正しい」と強く思う「自分」がいるからでしょう。

また、「仏法」で検索していたら、ある学会員さんのブログで池田氏のこんな言葉を見つけました。
>「仏とは、仏の敵と真正面から戦いきっていく信心にある」
(そんなことを言うはずはない!と思ったら言ってください)

まあ、悟りも方便と捉えたんですかね。こういう言い方もアリだと思いますよ。
でも、いくらなんでも敵と戦う(争う)心が成仏と同じとしてしまえば、誤解を招くでしょう?自分の中に「仏の敵」があるという解釈もできますけどね。ならば、そういう「魔」といわれるようなものに勝つ方法を教えなければいけません。「広宣流布を邪魔する相手と戦う時の心も、仏の心と同じだ」なんて思っている人もいませんか? ②へ

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  • 編集日時:2011/1/21 22:25:42
  • 回答日時:2011/1/19 11:28:54

lion_the_magicianさん

-補足にです-

なるべくわかりやすく記載します。

★「御書」について。

具体的には、日蓮というお坊さんの書かれた書物をまとめたものです。(弟子に充てたお手紙や、1260年代の、今で言う総理大臣のような方に充てた手紙など)

電話帳並みの分厚さがあり細かい字でびっしりと、昔の言葉で書かれていますので、その内容を単純にこうです!って説明することは出来ないので補足でのご質問内容

>>何が(どういうことが)御書に書かれている通りなのですか?
どういうことで池田氏の解釈が正しかったと判断しているのですか?

の根幹関わる部分だけのご説明ですが。

「諌暁八幡抄」という項目がありまして、そこに書かれている内容の一部を現代語に翻訳(通解)したものをまず抜粋します。


★「諌暁八幡抄(通解)」

天竺国(インド)のことを、月氏国と申します。月は明らかな存在であるが故に、仏(釈尊)が御出現されるべき名前になります。

一方、扶桑国(日本の古称)のことを、日本国と申します。であるならば、何故に、聖人が御出現されないことがあるのでしょうか。月は、西から東へ向かいます。それは、月氏(インド)の仏法が、東へ流布していく瑞相であります。太陽は、東から昇って来ます。それは、日本の仏法(日蓮大聖人の仏法)が、月氏(インド)ヘ還っていく瑞相であります。

月の光は、太陽ほど、明らかではありません。釈尊御在世の中で、法華経をお説きになられた期間は、ただ八ヶ年に過ぎませんでした。一方、太陽の光明は、月よりも勝れています。それは、日本の仏法(日蓮大聖人の仏法)が、五五百歳(末法)の長い闇を照らしていく瑞相になるからであります。

仏(釈尊)は、法華経への謗法を犯した者を治されませんでした。なぜなら、仏(釈尊)の御在世には、謗法の者がいなかったからです。けれども、末法には、一仏乗の教えである法華経の強敵が、充満することでしょう。

この時にこそ、不軽菩薩の如き、逆縁の折伏の利益が存在するのであります。各々、我が弟子たちは、励まなくてはなりません。励まなくてはなりません。


上記が現代語訳ですが、それでも、意味(解釈の仕方)がわからないと思いますので(笑)これをさらに噛み砕きます。


★通解の意味

上の文書を書かれた、日蓮というお坊さんは西(インド)より東(日本)に伝わったお釈迦さまの仏法をお月様に例え、日本からインドに還る、御自身の仏法を太陽に例えている。ということです。

これを「仏法西還」といいます。(ぶっぽうせいかん:仏法はインドから日本へと東向きに広まったが今度は日蓮の正しい教えがインドに向かって西に還っていく、また世界中にも広まる。)




「御書」という書物は日蓮というお坊さんが書いた文章ですので、日蓮大聖人の仰ることは正しいと信仰するのであれば、それが実際に実現されるという事になります。書かれている通りにならなければ嘘です。

1961年。池田氏が三代目の会長に就任して最初の二月。仏教発祥の地・インドを初訪問しました。現在SGI(創価学会インターナショナル)としてインド含む世界中に伝わっています。

これを持って正しいと判断しているのです。


信仰すれば魔法みたいな力が働いて、なんか知んないけど幸せになれると考えているのでは無く、理詰めで考察して、そのようになるということです。

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  • 編集日時:2011/1/19 02:55:45
  • 回答日時:2011/1/18 05:42:53

monkey_tundereさん

な、なんかムリに質問させたみたいで悪いわね…コイン頂かなくてもいいのに。

それに質問の幅が想定してたより広すぎるんだけど(笑)

想定してたのんは

★池田氏は何故「人間革命」などと言う、日蓮の教えに無い言葉を主張するの?

邪義ではないのか貴様っ?みたいなのに備えてたんですけど…


真剣にお答えしますわ。


まず、池田大作氏に教わった仏法というか…正確には
日蓮大聖人に教わった仏法を池田大作という方が伝えたのですのよ。

難解な難しい仏法をわかりやすく説明して、万人に広められたのですの。好き勝手に池田氏が、「オレの仏法はこうだもんねw」と言ってるのでは無いのです。

だから、学会員は「先生」と呼ぶんです。先生と言ったらなんか偉そうだから先生と呼びなさいよねっ!ということでは無いんです。また池田先生を単純に神さまー♥と信仰している訳ではないのです。


でも、池田先生の仏法の「解釈」が正しい(正しかった)のです。←なんでそう言い切れるんだっ!ってなるので、ここで「御書」というキリスト教の「バイブル」みたいなの。が出てくるの。その中に…

「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。この功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり」

という一説があるのです。つまり「日蓮大聖人」というお坊さんの「説と論を組み立てた御本人」を信用してるので、(これが「信仰」)日蓮というお坊さんの、仰ることに忠実であるべきという観点から、

「御書に書かれている通りなので、間違い無い」という解釈になるの。

さらに、日蓮というお坊さんも「オレの仏法はこうだもんねw」という勝手な解釈では無いのです。そもそも「お釈迦さま」が最初ですから。お釈迦様の説を根拠に言っているんですの。お釈迦様からシルクロード。ようは絹が伝達してきた道を「色んな人づて」に伝わって日本に伝来したものなんです。だから日蓮大聖人を信仰しているの。

なんで仏教なのにお釈迦様を信仰しない「日蓮本仏論」を唱えるのかは今は必要無いと思うので、別の機会に…これも既に論じつくされてるのよ。


>>池田氏から教わった仏法とは何ですか?

の答えは、日蓮大聖人の仏法。というのが答えです。

そして信じる根拠は「事実、幸せになったから」です。



★選択ゾーン

①日蓮本仏論について→

②日蓮仏法の教学について→

③池田氏の解釈上の疑問について→

④幸せになったってどうなったのか自分のことを書いてみろ→

⑤ツンデレはやっぱキモイのであきょんさんと遊ぶ→

⑥セーブして保存→

⑦チート的な技をお持ちであるので使用する→


↑これがウザイし話にならないので氏ねと言う。→ごめんなさい。
とりあえず明日早いので寝ますm(_ _)m

補足で番号と内容だけ書いてもらえたらふざけたと思われるかも。な回答を削除してさせて訂正させて頂きます。質問内容から1番仰りたい本音を汲み取ることが出来ませんでしたので、大まかな概要を記載しました。別にタブーとされている(思っておられる?)ような内容を書いて頂いてもおkです。学会員はすぐ怒るとか噂あるけどそんなことありませんから変に思わないで下さい。

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  • 編集日時:2011/1/16 23:14:32
  • 回答日時:2011/1/16 22:50:54

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