将棋の世界で流布する「米長哲学」というものがある。「自分には勝ち負けに意味のない消化試合でも相手にとっては大一番のときこそ、全力で勝ちにいけ」。米長邦雄日本将棋連盟会長が唱えている教えを、ご存じの方も多いだろう。
▼１対１で相対する。この一番にかける相手の息づかいが伝わる。これまで、そしてこれから何度も勝負があり、戦いの場を離れれば仲のいい友人だったりする。その友を地獄に落としかねない。そうだからこそ、心にひそむ邪念、ひるみを振り払うことが勝負師たる者の厳しさであり誇りなのだ。そう解釈できる。
▼「なにかの契機（ヽヽ）で、自分はガラッと変った、と言う人がいる」。作家の田中小実昌が「寝台の穴」という短編の中で書いている。「ぼく自身は、そんな人は見たことがない。だから、（……）おこがましいことだけど、ぼくは、その人が言うことが信じられない」。この作家の言うことは、不思議な説得力がある。
▼少なくとも、契機があったからといってすぐ人や組織が変わるとは信じられない。米長哲学は若い棋士も口にする。ということは、修業の間から今日に至るまでに身についた何かがあるからだ。「八百長発覚を契機にガラッと変わって勝負師集団になる」。その容易ならざること、想像に難くない。時間がかかる。
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