おみくじ二題
お正月に、神社に初もうでに行ったときに、おみくじをひいたのです^^
こういう活動をしていて、ネット上でいろいろ中傷されていて、腹が立つやら悔しいやら。
もともと血の気が多いので、正直なところ、殴り倒してやろうかとか、頭にカチカチきていて。。。。まあ、ボクも人の子です(笑)
で、近所の八幡神社でひいたおみくじが・・・凶 。・゚・(ノД`)・゚・。
そこに書いてあったことは、
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夕立の雨もなをやまず、
日は暮れて行き悩みたる、山の坂道
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これには、ちゃんと解説がついていて、
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あれせばあせるほど、苦しみ多し。
騒げば騒ぐほど、損加わりて、災い添う運気なり。
されと、何事も控えめにして、心静かに身を守り、信心怠りなくば、かえって後は大の幸福あり
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要するに、どこぞのブログで中傷されているからと、頭にカチカチ血をのぼらせて、短気を起こしたり、騒いだりしたら、災い添いまっせ!
こういうときは、むしろ控えめにして、心静かにしていないさい!
とのご神託です。
(´;ェ;`)ウゥ・・・
((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!
けど、おみくじって、当たるというし・・・・
で、まあ、いろいろ考えたわけです。
そこでハッと気が付いたのが、いま、ボクがあることないこと、本人ですらびっくりするような中傷を浴びて、悔しい思いをしている、その何十倍、何百倍も、英霊の皆さん方って、悔しい思いをしていたってことです。
彼らは、墓場にいて、何もいえない。
その言えないことをいいことに、やれ南京で虐殺しただの、赤ん坊を放り投げて銃剣で突き刺して遊んだだの、ってオイ!そりゃあ、いったいぜんたい誰のことだっ!(怒)
しかも、自分たちが守ってあげてたはずの支那人や朝鮮人から言われ、あろうことか、自分たちが命がけで守った祖国の孫子からまで、「まあ、あったんでねーの?」などと無責任なことを言われた挙句、ついには、内閣総理大臣まで、「我が国は侵略戦争をして近隣諸国に迷惑をかけた」ときたもんだ。
オイッ!それはいったいどこの国の話だっ!!!(激怒)
彼らの悔しさ、情けなさ、苦汁。。。。
いま、自分が遭っている苦痛など、その何千分、何万分の一でしかない。
けれど、程度の差こそあれ、苦痛は苦痛です。
自分がしている、日心会の活動や、ねずきちブログが、ボクは間違ったことをしているとは思わない。
正しいことをしていると思う。
けれど、これだけ苦痛を味わうのは、いったいなぜなのか。
そう考えたとき、すごく生意気かもしれないけれど、もしかしたら、俺は、いま、試されているのかもしれない、って思ったのです。
「小名木よぉ、お前に、俺たちが味わった苦痛の何万分の一かを味あわせてやるよ。
で、お前、どうするんだ?
どう解決するんだ?
それができなきゃ、戦後の65年を取り返すなんて、お前にゃ無理な相談だぜ?」
要するに、日本が味わってきた苦痛、英霊たちが味あわされた苦痛、それらの苦痛を、日心会として、これからどうやって解決するのか? と問われていると気が付いたのです。
過去、65年、たとえば南京虐殺について、それがなかったことを元陸軍士官クラブの皆行社の皆さん方で、中共の宣伝工作の一つ一つに対し、実証的にそれらが事実無根であるときちんと証拠を出して主張してきた。
その結果、南京で殺されたという人は、2万人、5万人、10万人、20万人、30万人とぐんぐん増え、ついには米国下院で日本に対する問責決議まで行われ、日本軍の南京虐殺の映画まで作られる始末。
真剣に日中友好のためにと身を粉にして務めた向井敏明陸軍少佐は、百人斬りをでっちあげられて殺され、戦後65年たってなお、そのような荒唐無稽な話を、信じている日本人や支那人がいる。
その向井少佐は、次の辞世を遺しています。
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我が死を以って中国抗戦8年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和のもとともなれば捨石となり幸いです。
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その心と、現実の誹謗中傷のギャップ。。。。。
日心会は、日本の心をつたえる会です。
そして、人間という生き物は、論や証拠より、最後は情が意思決定を行います。
我々は英霊の冤罪を晴らすためにいかに戦うのか。
日心会流の戦い方というのは、情と感動を共有するという戦い方ではないのか。
そう思い至ったとき、ボク的には、なにやら目が覚める思いがしました。
たとえば向井少佐という人物、彼の凛々しい生きざま、従容として死を受け入れた清々しさ。
そういったものから生まれる万国共通の感動を訴える。
それが日心会流の戦い方です。
エッセイブログからはじめて、いかなる理由があろうとも、他人の誹謗中傷しかできなくなったおばさんと、
単なるオヤジブログからはじめたけれど、先人たちの偉業から受ける感動を共有化しようと日夜努力しているおっさんと、どっちを信頼するかは、皆さんが決めることです。
ボクが決めることじゃない。
ボク自身ができることは、5年でも10年でも、誠実に努力を重ねること。それだけです。
で、腹も固まった15日、三百人委員会の奉納のために、靖国神社に行きました。
本殿での参拝のあと、おみくじをひかせていただきました。
英霊の皆さん方に、自分は、こう判断している。
それで正しいのか「日心会代表として、答えをください!」と手を合わせて、おみくじをひきました。
答えは、次の通りでした。
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【第一番 大吉】
このおみくじにあう人は、めぐまれた、よい生まれと素質
ますます順調に、声望いよいよ高く
更に世のため、人のため、心して努めれば、
幸せな一生となる。
〜おしへ〜
光は、すべての人のあこがれである。
光によって私どもは、また地上のすべての生物は生きている。
その光を与えてくださる神、それが天照大神である。
「日本書紀」は、その神のお姿を次のように説明した。
光を与えるとは、一切を明らかにするということである。
光を与えるとは、また一切を生かすということである。
そのまばゆい光のなかに自分がつつまれていると思うとき、限りない感謝の気持ちと、明るく清く精一杯に働きたいという意欲とが、油然(ゆぜん)とわいてくる。
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ボクは、ご神託を信じてみたいと思います。
ボクたち日心会は、間違っていない!