余録

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余録:相撲「存続の危機」の今昔

 「予按(あん)ずるに角力(すもう)の如(ごと)きは、無用の長物といえども……」。はなから乱暴な話で恐縮だが、これは小紙の前身、東京日日新聞が明治5(1872)年に載せたある相撲ファンの文章だ。ファンが「無用」とは何事かと思われようが、事情がある▲明治初め、裸を野蛮という外国人の目をはばかって相撲無用論が浮上した。筆者は相撲存続の危機を感じ、無用論には直接反論せず、力士に警官代わりに市内のパトロールを担当させて有用性をアピールすべきだと論じた▲実際、その数年後には文明開化のために相撲は禁止すべきだとの声が高まった。この廃絶の瀬戸際で、相撲界は町の消防活動を担う消防別手組を結成し、社会への貢献を世に示した。そのかいあってか逆風は急に収まる(風見明著「相撲、国技となる」大修館書店)▲過去にこんな「存続の危機」もあった相撲である。だが八百長メールで来月の春場所と年内巡業が中止となった大相撲の「存続の危機」はそれにもまして深刻かもしれない。真相解明が難航すれば、その後の本場所開催も危ぶまれ、過去の八百長疑惑まで追及されれば、まるで問題解決のめどが立たないからだ▲これまで疑惑の浮上のたびに、八百長を否定し続けた相撲協会である。その間に相撲を取り巻く人々の意識と相撲界の内情とは大きく隔たった。そして今、抜き差しならぬ八百長の証拠が発覚してみれば、一挙に公益事業としての相撲の「無用」論が噴き出る始末だ▲明治と違って力士がボランティアをすればすむ話ではない。今日の相撲そのものが「無用」ならぬことを世に示さなければならなくなった相撲協会だ。

毎日新聞 2011年2月8日 0時03分

 

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