創価学会のこと(「創価学会批判」論序章)①
ある友人の思い出
予備校に通っていたとき、民青(民主青年同盟=共産党の青年組織)に所属して活動している友人がいた。勉強しなければいけないはずの浪人生だが、受験勉強一色の生活にあきたらず、彼とはよく議論をした。批判精神が旺盛な青年期のこと、話が合うこともあったが意見のすれ違いもあり、また何よりも受験生の立場で共産党の活動をしていることが理解できず、私が民青に参加することはなかった。
そんなある時、彼からお誘いを受けた。創価学会の池田名誉会長の展示会に誘われているがいっしょにこないか、というのである。創価学会会員に友人がいて誘われたのだそうだ。共産党には創価学会に対する抵抗があるということは私もなんとなく知っていたが、断り切れず、私も道連れにということらしい。私は、高見の見物ができそうだと判断しいっしょに参加した。
しかし驚いたことに、その民青の友人はとにかく感動した。「共産党は小さな違いを見つけては敵をつくるけど、そんなことでは平和を築くことなんかできないと思ってきた。ここに(池田氏のこと)世界を結ぼうとしている人がいる」とさえ言った。彼は創価学会には入会しなかったようだが、好意的な印象をいだいたことは間違いない。私は池田氏が会っている、展示に出てくる人々がどのような人なのかよく知らなかったので、彼がなぜそれほど感動しているのか分からなかった。しかし、彼に紹介してもらった友人の紳士的な態度とあいまって、好印象を持ったことは事実である。
大学時代
大学時代にはとにかく議論をした。いろいろな宗教の人とも話をしたし、学会員ともよく話した。学会員の話を聞きに行くと、とにかく熱心に勧誘される。私もおとなしい方ではないので反論するのだが最終的には論破されて、最終的には“やるかやらないか”という次元まで持って行かれる。そういう経験を性懲りもなく何回も繰り返した。正直腹も立った。学会員の友人と疎遠になった時期もあった。しかし、そこから言えることは、彼らほどよく理論を学び生活に生かそうとしている人たちを私は知らない、ということである。その理論も日蓮や学会の手前勝手な理論だけでなく、古今東西の哲学や昨日の毎日新聞の文化欄なんかがすっと引用されるのである。人間はもっといいかげんな存在でもいいと思っている私からすれば、完璧すぎて逆に抵抗感がある。しかし間違いなく言えることは、創価学会員は、洗脳されてもいないし、弱い者が集まっているのでもない。彼らは有意義に前向きに生きようとすることにかけて人一倍真面目なのである。しかしその真面目さが、外から見ると異様に見えることもあるのである。だって本来人間はいい加減なものだから(これはもちろん私の考え方)。といいながらも、私は、そうした真面目な行き方があることを学んだし、その一部は私のなかで生きている。(私の最も仲のいい学会員の友人は、そうした人間の機微を実にうまくとらえている。根っこが真剣で真面目なのに余裕を感じられる生き方をしているので、安心してつきあっていける友人の一人である。)
ただ恐らくは、このように学会員から「折伏」を受けた人の中に、学会の悪口を言っている人がけっこういるのは間違いない。当時の「折伏」はそれほどに強烈で、ある意味強制力をも感じさせられるものであった。プライドを痛く傷つけられた方もおられたはずである。ただ時々、「強制されて学会に入れさせられた」という人がいるが、それは言わない方がいい。自分は弱い人間ですよ、と告白しているようなものである。
その強烈な折伏も近年おとなしくなったと私は感じる。特に、独善的だ、とか、排他的だ、とか言われる傾向性は、どうやら創価学会を破門した日蓮正宗の傾向のようである。破門以降の創価学会は、より対話がしやすくなったし国際的な評価も高まっていると思う。
ジャーナリズムと創価学会
そうした大学時代は、出版社系週刊誌が毎週のように創価学会と池田名誉会長を批判していた時期でもあった。現在ネットで半ば常識化している創価学会攻撃のネタはこの時に週刊誌によって指摘されたものが多い。まるで洪水のような報道であった。
大学で卒業とは関係なく興味に任せて好きな講義を履修していた私は、マスコミ論に強い興味をいだいた。マスコミがスケープゴートを作って集団ヒステリックになるときは誤報を生じやすく、それだけでなくバックに政治勢力の意図が働いていることがある(アメリカのマッカーシズムがその典型)と学んだ私は、創価学会攻撃の裏にもなにかあるのかな、と軽い興味を持っていた。そんなときに出会ったのが、ノンフィクションライターでジャーナリスト柳田邦男氏の『創価学会名誉会長池田大作は何を考えているか』であった。書店でこの本を見た私は、「あの柳田邦男も学会を批判するのか」という興味で手に取ったのだが、まえがきに次のように書かれているのを読んで、これは質が違う、と即座に悟った。
「 さて、ここ数年、〈池田大作〉に関わる情報が、まるでディスコのミラーボールに反射される乱光線のように、飛び散っている。(中略)〈池田攻撃〉が、例の『創共協定』直後から公然と展開されはじめたことを思えば、この戦略を誰が計画・立案したかを見破るのに時間がかかるとは思われない。
加えて、いかに「なりふり構わぬ」のが戦いの常とはいえ、今日までのいわゆる〈池田スキャンダル〉攻撃は、実に「エグイ」の一言に尽きよう。同じジャーナリズムに働く者として、恥ずかしい思いさえする。(中略)日本の〈ジャーナリズム〉が、どうしてここまで腐ってきたのか-。」
柳田氏は、創価学会攻撃の背後に、創価学会と共産党が手を結ぶことに危機感を感じた保守勢力の意図が働いていること、当時の〈ジャーナリズム〉(あくまで〈 〉つき)がそのために利用されていること、を指摘した上で、実際の池田大作の人物像を浮かび上がらせようとしたのが本書である。そのために彼は、相当な量の学会系出版物と学会批判の文章を読み、学会サイドにも取材し、池田名誉会長本人にも取材したこともあるという。他人を批判するにはその主張を真っ正面から把握してから行なうのが当たり前である。それは批判者の義務である。学会系の本を読めば考え方が学会寄りになるから読まない、という批判者がいるようだが、根っからおかしい。それは、学会の主張に説得力があるということを認めているにすぎないし、その批判者は自らの言葉が根拠のない無責任なものである、と証明していることになる。私には柳田氏のジャーナリストとしての姿勢はまったく正しいものだと思った。この本は今でも私の書棚に並んでいる。
当時の暴風雨のような、批判のなか、創価学会の書物を読みきちんと取材して正面から創価学会を論じようとした本は他にも存在する。私が当時読んだだけで、丸山実著『月刊ペン事件の内幕 狙われた創価学会』、竹中労著『仮面を剥ぐ 文闘への招待』、岡庭昇著『 創価学会問題とジャ-ナリズム ― メディアの罠・権力としてのマスコミ』などがある。創価学会攻撃の裏側に保守権力の策動を見て取っていることが共通点である。
大学の図書館には学者の書いた本もあった。経営学者の後藤弘は『創価学会の経営学的分析』を出していたし、日本史学者の笠原一男氏は『一向一揆と創価学会』を書かれていた。この書は、初版出版時に学会員から寄せられた様々な反応を第2版以後に分析しておられ、面白かった。最近も、創価学会を学問的に論じようとしている書は存在する。社会学者の玉野和志著『創価学会の研究』や宗教学者の島田裕巳著『創価学会』などである。両者とも多くのデータや資料に当たって書いているが、学会員に直に取材したりなどしてその実態に迫ろうとする姿勢に欠けており、面白みに欠ける。むしろ少し前の本であるが、別冊宝島の『となりの創価学会』や中央公論誌上に掲載された田原総一朗の池田インタビューが面白い。また、記憶に新しいところでは『中央公論』2010年4月号が、脳科学者の茂木健一郎氏と池田大作氏の往復書簡を掲載した。茂木氏の次の言葉は特記されていい。
「もともと、私が「池田大作さんとお話ししてみたい」という希望を抱いた理由の一つは、日本のメディアの中で池田さんが長年指導されてきた「創価学会」、及び池田大作さん御本人の扱われように違和感を抱いていたという点にあります。
全国に百万単位の会員が存在する創価学会。そこに集う人たちにとっては、生きることの糧、支えになってきたのでしょう。ゆかりの深い「公明党」は、一〇年にわたって連立政権に参加してきました。そのように日本の中で大きな意味をもつてきた組織に向き合うことが「ダブー」であるような状況はおかしい。そこには人工的につくられた「壁」がある。そのことによって、大切な対話が閉ざされている。そのように感じてきました。
(中略)私は、多方面に大きな影響を及ぼしてきた池田大作さん御本人と対話することで、「壁」を溶かしてみたいと願ったのです。」
また、ただの一創価学会員の千葉隆氏が、飛鳥新社の土井社長が集めた巷間言われている学会に対する批判に答えた『池田大作の事』も面白い。学会批判をされる方は一読されることをお薦めする。
ネット上の創価学会攻撃の異常性
以上のような経緯と多くの学会員との対話、そして学会系書物の読書の結果、現在の私に映っている創価学会像は、ネット上で言われているのものとは全く別物である。現今のネット上の創価学会には大きな問題を感じている。あからさまなウソがはびこり、創価学会員にだけは人権がないかのような明らかな人権侵害が横行している。
竹中労の『仮面を剥ぐ』に、1980年代当時の週刊誌の学会総攻撃を指して
「一方的な敵意をエスカレートさせるのみで、問題の本質に迫る論争が不在であるこのような力関係で、“勝敗”をきめるのは結局、物量の差でしかあるまい。(中略)“言論のフェアプレイ”いずくにありや?」
とあるが、現在のネット上の創価学会攻撃はそれを上回っている。Yahoo知恵袋などのQ&A形式のコミュニティサイトには、創価学会を批判することが目的の、事実誤認を助長する質問が毎日のように行なわれ、その事実誤認を誰かが肯定することで真実であるかのように喧伝している。2chには創価学会批判が洪水のように押し寄せ、うわさと悪意と感情のカオスのような状態となっている。もし批判者を批判しようものならたちまち袋だたきに会う。私は創価学会批判者こそ何かに洗脳されているのではないか、という不自然さや狂気を感じるのだ。
創価学会だけがこのような不自然な批判にさらされるのはおかしい。「批判をするからにはきちんと裏付けを取る」という当たり前の姿勢がネットの学会批判者らには実に薄い。ここにはフェアプレイはない。
次回以降、典型的な創価学会批判のなかで、ウソ・デマと判定できるものを取り上げてみたい。もちろん創価学会をまっとうに批判したものもあるが、それはここでは対象ではない。私の目的は創価学会を持ち上げることではない。私の興味はネット情報の異常性にあり、創価学会はそのためのネタである。「韓国修学旅行で土下座って本当?」でネット上にガサネタが流されていることに論及した人間として、創価学会に対するガサネタの嵐を看過していていいのかという、私なりの正義感でこれを書くのである。したがってこれは「創価学会論」ではない。「創価学会批判論」である。
読者の皆さん。コメントは、せめて上記の本を一冊や二冊読んでして下さい。
まっとうなご批判には時間をかけてでもお応えさせて頂くつもりです。可能な限りにおいて。
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コメント
以前より名無しや通りすがりとしてコメントしてまいりましたが改名いたしました。今後ともよろしくお願いします。
さて、本エントリー拝読させていただきました。
いろいろとお聞きしたいことはあるのですが、まず前提条件としてyossy殿は創価学会員なのでしょうか?
これによって話の方向性が大きく変わると思いますので・・・
投稿: Public_comment | 2010年6月24日 (木) 11時54分
そうですか。Public_commentさんとして今後ともよろしくお願いします。
このご質問はどこかからかでるだろうと思っていました。
結論から言うと、その当たりはあいまいにしておきます。どちらと取って頂いても結構です。ちょっとずるいかも知れませんが。
私が「学会員だ」というとそれだけで「洗脳されているだけだ」とか「学会のまわしものだ」と、「学会員ではない」というと「本当のことも知らないくせに」とか「所詮は外部の人間のくせに」とか、かってに決めつけられて納得されるのがいやなのです。論理的に話し合える人ばかりではありませんから。ネット上には匿名性が強い反動なのか、決めつけが多いように感じます。
とはいうものの、こんな文章を書き起こした時点で「学会員に違いない」「少なくとも金は貰っているのじゃないか」と思われるであろう事はある程度覚悟しています。学会批判を批判するわけですから、少なくとも批判者からみれば私は学会側の人間に見えるでしょうから。良識的なジャーナリストが表に立って学会批判の異常性を訴えないのは、それがいやだからでしょう。今や「鶴タブー」は「反学会」に有利なタブーとなっています。だからこそ私も今までこのことに触れてこなかったのです。しかしネット情報の問題点を浮き彫りにするのに、創価学会ほど格好の材料はないと思い、書き始めてしまったのです。
立場を決めなくても、現実に立脚し論理的に話し合えれば何かが前進すると思います。
投稿: yossy | 2010年6月24日 (木) 18時50分
ネット以前から、創価学会は批判されてきましたが、「ネットだから信用できない」で一刀両断されるのであれば、どのように論理的に話し合えるのかが疑問です。
前回の「修学旅行で土下座」の時もyossyさんは一方的にネットで伝えられているのは嘘であると持論を曲げませんでした。私からすれば、日ごろの行いが悪い韓国の「身から出た錆」なのですが、yossyさんは韓国社会の闇には一切触れずに、ただ、持論の日本が悪いを繰り返すだけでした。
ガセネタ嫌いのyossyさんですが、韓国が発信する数々の嘘には一切噛みつきませんね。剣道や武士は韓国発!!って嘘を繰りかす国を擁護するばかりです。いったいなぜ?
今回の創価学会批判論にしても、批判する人を批判するだけであるなら、議論しようがありません。
私は創価学会側にも批判される所があり、批判する側にも問題があると思うのですが、
>もちろん創価学会をまっとうに批判したものもあるが、それはここでは対象ではない。私の目的は創価学会を持ち上げることではない。
と言われるているので、議論ができるかが疑問です。
投稿: junk | 2010年6月30日 (水) 20時02分
〉junkさん
身から出た錆だからといって、嘘を正当化しても良いということにはなりません。嘘を正当化するという行為は、それこそあなたが言う韓国人がしていることと同じことです。
韓国社会に闇があろうがなかろうが関係ありません。事実は事実、デマはデマとしてふわけして考えなければなりません。
また韓国人が嘘をいっているならば、それは調べるべきときに調べたい人が調べていけばいい話です。
創価学会に対する批判も同じです。たとえ創価学会に悪いところがあろうが、濡れ衣をきせてまで、デマを垂れ流してまで批判し名誉毀損することは、法的に許されることではありません。
そしてそのネット情報の問題点を浮き彫りにすることが今回の目的です。
つまりネットには創価学会に対するデマ情報が沢山あるということの証明をすることが目的なのです。
ゆえに議論もその情報がデマなのか否かを議論するのが筋なはずです。
それをあなたのように創価学会は正しいか否かの議論に話をすり替えるのは、この議論の守備範囲外のことで、筋違いの話だと思います。
投稿: BLUE ROSE | 2010年7月 1日 (木) 00時55分
②が消えちゃいましたね。上げ直しですか?コメント入れてたのですが・・・
続きもののようなので終わるまでコメントは控えようと思っておりましたが、消えちゃったものは仕方ないのでとりあえず現時点での感想。
ウソをウソと(以下略)というのは「ひろゆき」氏の言葉ですが、これはネットに限らず言論の本質をとらえた言葉だと思います。
上記の言葉の中でウソ発信者は否定されていません。あくまで受け取り側の問題として扱われています。
要は「第三者を介して出た情報は全てを疑ってかかれ。」ということですね。
噂話を信じるか信じないか。というレベルの話です。
ですのでyossy氏のこのエントリーも私は信用してません。
もちろん創価学会に対しての世間の評価(好悪両面含めて)も信用してません。
信用はしてませんが参考にはさせて頂いております。
いつも有難うございます。
ただ、ウソを否定したからといって真実には成り得ない。ウソであるという可能性が上がるだけと考えてます。
そもそも第三者を介した情報であるという時点で100%の真実なんてものは存在しませんしね。
最終的には発信者の「信用」が真偽を左右すると思ってますので
貴殿には今後も説得力のあるエントリーを期待しております。
ちなみに私は私の中の理に適わない事が多すぎる為、創価学会という団体を信用していません。
創価学会と公明党についてはずいぶん前に名無しか通りすがりとしてコメントさせていただきました。
部分的には訂正もありますが全てを覆すだけの情報には未だ出あっておりません。
投稿: Public_comment | 2010年7月 1日 (木) 11時53分
>身から出た錆だからといって、嘘を正当化しても良いということにはなりません
私のコメントを読み返していただければ、正当化など一度もしていないことがわかると思います。
韓国社会の背景を見ずに「修学旅行で土下座」は理解できないと言っただけです。
そして修学旅行で土下座はなかったが、韓国新聞が発信した嘘を日本の新聞が訳しただけではないかと言いました。
どこを正当化してますか?
韓国社会が病んでいるからこそのデマ?だと思いますが、あなたは関係ないと言い張る。
また、韓国なら修学旅行生に土下座させてもおかしくないから、人は信じるのです。
韓国以外だったら、誰も信じませんよ。
創価学会も韓国も同じような状況です。過去に学会員がNTTとYAHOOから個人情報を盗んで起訴されています。
盗聴事件もありました。叩けば埃が出る圧力団体です。
あるストーカー被害を嘘だとYOSSYさんが唱えても、創価学会ならありえると世間は考えるんじゃないでしょうか?
創価学会批判論2ですが、
元信者がストーカー被害を訴えたとします。実際は元信者の被害妄想です。
間違い電話を脅迫と捉えたとしましょう。
yossyさん流に言うなら嘘の情報なのでしょう。しかし、元信者はストーカーをした加害者であったため、自分も脱会と同時に被害者になると妄想を膨らましたのかもしれません。
ストーカーなどないとyossyさんは言われますが、盗聴までする団体です。
創価学会は被害者と加害者をを生み出す土壌があるため、yossyさんが個別の事件?嘘を許さないと、ネットで創価学会を批判するものを叩いたとしても、デマが減ることはないと思います。
私は先に土壌を浄化するほうがデマは減ると思います。火のないところに煙はたたない って奴です。
投稿: junk | 2010年7月 1日 (木) 19時41分
junkさん、BLUE ROSEさん、Public_commentさん、コメントありがとうございます。「創価学会のこと」②は手違いで見れなくなっていたので、復活しました。すみません。
BLUE ROSEさん、私の意を汲んで頂きありがとうございます(junkさんはBLUE ROSEさんが私だと思っておられたようですが)。まさに私が今までしようとしてきたことは、「ネット情報の問題点を浮き彫りにすること」でした。情報に恣意性や操作性があることはネットだけに限りませんが、ネットという不特定多数が発信者となるメディアで、より多くのガサネタが流れている現状に一石を投じたいと思っています。
junkさん。私は、韓国の情報にウソはなく日本が一方的に悪い、などと思っていませんよ。そんなことを言った覚えもありません。剣道が韓国発祥などとは笑止千万。バカも休み休みに言え、です。なぜそう言うかと言えば、確証があるからです。剣は朝鮮半島から日本に伝わりましたが、間違いなく剣道は日本発です。私は、確証のないいい加減な情報や相手への悪印象だけで悪口を言い合う、そんな次元の低い罵り合いが真の友好を阻んでいると言っているのです。韓国語ができたら韓国にもいるであろう馬鹿野郎にも同じ事を言ってやりたいとは思いますが、日本人として日本人がまず襟を正そうといいたいのです。
創価学会についても同じです。ガサネタやウソ、操作情報によって創価学会に対してあからさまな人権侵害が行なわれています。junkさんはネット情報に様々なご自分の想像を付け加えてその情報は正しいと思っておられますが、なぜ誰が書いたとも分からない情報が、明らかな不自然さを指摘しているにもかかわらず、そんなに簡単に信じられるのですか?不自然ではないというなら、実例を挙げて下さい。junkさんは、学会に香典を盗まれた人を知っていますか?学会に尾行された人を実際に知っていますか?学会に殺害された反対者を知っていますか?創価学会が言われているような団体だとして、これほど多くの会員を抱えていれば、私たちの回りにもそういう被害者がいそうなものです。しかし、いないのです。その時点で不自然だとは思いませんか?
韓国社会が病んでいるから土下座を信じても当たり前、といわれますが、その最初の「病んでいる」という印象自体がガサネタから発したものかも知れないとなぜ考えないのですか?ネットに洗脳されていませんか?
Public_commentさんの
>ちなみに私は私の中の理に適わない事が多すぎる為、創価学会という団体を信用していません。
は「私の中の理に適わない」とおっしゃるからには学会員と話したり学会の本を読んだりして現在感じておられることだと思います。そうした生の感想や意見をぶつけ合って、時には批判し時には評価する雰囲気を作っていかなければ、創価学会だけでなく、誰かが思いついた人・組織・団体が簡単にスケープゴート(生け贄の羊)になる。そうした危険性を私は創価学会問題に見るのです。ネットは今、人権抑圧の場となっています。私はそれを嘆くのです。
私の意識はネットに流れる異常な情報への挑戦にあり、「韓国での土下座」と「創価学会」はその材料です。
ちなみに「盗聴」事件は、創価学会元顧問弁護士山崎正友氏が企画・提案して行ない、それをもとに創価学会を脅迫し、彼はそれが原因で弁護資格を失いました。乗せられた学会もバカなのでしょうが、山崎正友という人物への考察抜きにこれを論じてはならないと思います。
詳しくはまた。
投稿: yossy | 2010年7月 1日 (木) 23時19分
あー私もBLUE ROSE氏=yossy氏と勘違いしてました。
前回のコメントでは主に
>つまりネットには創価学会に対するデマ情報が沢山あるということの証明をすることが目的なのです。
>ゆえに議論もその情報がデマなのか否かを議論するのが筋なはずです。
即ち「都市伝説として語られている内容の真偽を議論の中で白黒ハッキリさせるべき」という提議へのアンチテーゼとしてひろゆき氏の発言を引用してコメントさせていただきました。
したがってyossy氏には何のことやら解らない内容になっていたと思われます。スイマセン。
ちなみに「盗聴事件」について
NET上には山崎が学会に対しての脅迫で有罪になったのは事実ですが、学会側も盗聴の事実を知りながら処分することもなく黙認したと記録されております。
学会が山崎に乗せられたのか、山崎がスケープゴートにされたのか。それは誰が評価するんでしょうかね?
投稿: Public_comment | 2010年7月 3日 (土) 15時35分
盗聴事件について、創価学会に何の問題もないとは私も思いません。当時の執行部にもどの程度か分かりませんが責任はあったのではないかと私も思います(特に北条理事長?会長?)。
しかし、『月刊ペン事件』の差戻地裁判決(東京地裁 昭和56年(わ)第1128号)=私は所持しています、を見ると、山崎氏の証言は「右証言はたやすく措信できない。」「証言内容を到底そのまま措信することはできない。」「真実証明に資する内容のものとは考えられない」「その証言を額面どおりに受け取ることはできない。」とことごとく否定されており、山崎氏という人物がかなりの「ウソつき」であることはどうやら間違いの無いようです。スケープゴートにされたというような受け身の姿勢というよりも、山崎がウソで学会を攻撃している。そういう印象が強いです。
ちなみに『月刊ペン事件』についても、ネット上にこれ見よがしなウソがはびこっていて、判例を精読したことのない人は簡単に信じてしまっています。後日詳細に論じます。
投稿: yossy | 2010年7月 4日 (日) 20時52分