【コラム】韓国の核保有問題、議論する価値もないのか(下)

 3番目の障害は、親北(北朝鮮に近い)・従北(北朝鮮に従う)勢力によるけん制だ。韓国が核を保有すれば、北朝鮮が持つ核の実効性と意味合いは半減、あるいは失われてしまうため、親北・従北勢力にとってこのような状況は絶対に受入れられないはずだ。親北・従北勢力が韓国の核を北朝鮮の立場から解釈し、核保有に関する議論そのものを「戦争拡大論理」とすり替えてくるのは間違いない。

 さらに何よりも懸念されるのは、韓国で国民の間に広まる「北朝鮮の核は無害」という考え方だ。この考え方によれば、「韓国も核兵器を保有する必要はない」という結論が当然、導き出される。これは自暴自棄や核兵器拡散への恐怖以上に恐ろしいものだ。「北朝鮮が核兵器を保有したからといって、同じ民族であるわれわれに向けて核兵器を使うことがあり得るだろうか」「北朝鮮の核兵器は米国を念頭に置いたものだ」「北朝鮮にとって核兵器は国家の存立そのものだ」などといった考え方が韓国国内に広まってしまうと、非常に危険だ。われわれは米国と中国の核に対しては不安を抱いていない。米中の核兵器は一種の安全装置であると信じているからだ。しかし、北朝鮮の「金正日集団」は信じられない。哨戒艦「天安」が沈没させられ、延坪島が砲撃を受けただけでなく、それ以前にも1・21(1968年に起った北朝鮮の武装スパイによる大統領府襲撃事件)、ラングーンテロ事件(83年10月8日、当時の全斗煥〈チョン・ドゥファン〉大統領がミャンマーのアウンサン廟〈びょう〉を訪問した際、これを狙って北朝鮮が起こした爆弾テロ)、大韓航空機爆破事件など、何か機会がある度に、北朝鮮は韓国に対する破壊活動を行ってきたからだ。また、金正日政権が危機的状況となった場合、「最後の手段」として核兵器に依存する可能性も高くなる。この際、北朝鮮の核兵器発射のボタンは、権力者の気分に任されていることを直視しなければならない。

 北朝鮮が先制攻撃を仕掛けて数十万人が犠牲となり、その後の戦争で韓国が勝ち、統一が実現したとしても、これに何の意味があるだろうか。核兵器による報復や核の傘は、どこまでも「行軍ラッパ」、つまり戦争が起きてからその意味が出てくるものだ。そのためこれ以上に重要なのは、敵に対して核兵器を使えないようけん制することであり、また最も良いことは、敵に核兵器を手放させることだ。

 韓国が核兵器を保有する目的は、北朝鮮が保有する核兵器の意味合いを相殺することにある。ところがこの種の議論さえできないのなら、どうして自衛の国、自存の国と言えるだろうか。韓国の国民が核武装に関する議論に口を閉ざし、聞かないふりをすればするほど、北朝鮮を含む周辺国は韓国に対し「核兵器開発の意志も、核兵器を保有する能力も、またそれができる力もない国」と結論づけるだろう。そうなることが本当に恐ろしい。

金大中(キム・デジュン)顧問

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る