2011年2月5日11時56分
映画や映像を教える大学が増え、映画界の人材育成を担うようになってきた。4月には映画が専門の単科大学も初めて開学する。ただ、大学での映画教育が始まる前から、映画人は育ってきた。いま改めて、大学で映画を教える意義を考える。
■専門大学 4月開学
4月に開学するのは川崎市麻生区の日本映画大学。専門学校の日本映画学校が大学に昇格する形で誕生する。
前身の横浜放送映画専門学院は1975年、故今村昌平監督が学院長となり開校した。三池崇史、佐々部清、李相日と一線で活躍する監督が出ている。
現役の映画監督や撮影スタッフが指導するのが売りだ。日本映画大の学長で映画評論家の佐藤忠男さんは、その教育方法が60年代までの「撮影所システム」に近いと考える。映画会社が社員スタッフを撮影現場で鍛えた方式だ。
佐藤さんはかつて「型にはまった作品ばかりつくるシステム」と批判的に見ていた。だが、映画界からなくなって初めて「日本映画の伝統的な知識、技術が効率よく受け継がれ、作品の水準を保っていた」と長所に気づいた。
めざすのは、小津安二郎や黒沢明といった海外でも評価される監督が出てくること。この2人は「型」を積み重ね、小津はホームドラマの、黒沢はアクションの集大成を撮った。「映画的な教養や常識を共有する監督とスタッフが、煮詰めた映画をつくれるようにしたい」
■映画以外に役立つ
既存の大学は、どんなことを教えてきたのか。
05年開設の東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻は、受験に際して自作の映画を提出させる。フランスの国立映画学校や韓国の国立映画アカデミーのように、現場経験者を再教育することに力を注いでいるのだ。
堀越謙三教授は「映画製作は実際につくって覚えるしかない」と話す。院生は2年間で5本の作品をつくることが義務づけられている。だが、卒業後に映画界で働ける保証はない。「映画をつくるためのコネをつくるために、産業界やテレビとの連携をいかに密にしていくかが一番の課題」と堀越教授はいう。
大阪芸術大学は山下敦弘、石井裕也ら若手監督が輩出している。芸術学部映像学科長の大森一樹監督は「映画文化を学ぶのが大学なのでは。文学部を出た人が全員小説家になるわけではない。卒業生の全員が業界に進まなくてもいい」とおおらかに構える。
教えるのは「技術ではなく心」だ。学生に映画づくりを経験させると、根気強く物事を考えるようになるという。「人間性を養うトレーニングになっている。映画で培ったものは必ず映画以外にも役に立つ」と話す。
■「議論尽くす必要」
「映画を教える大学は増えたが、映画人の裾野は広がっていない」との指摘もある。
新人監督の登竜門とされる自主映画祭「ぴあフィルムフェスティバル」(PFF)の荒木啓子ディレクターは「映画に関心のある若者が、社会に出る覚悟を決めるまでの猶予期間のように見える」と話す。
映画を教える大学の出身者がPFFの入選作に占める割合は、さほど大きくない。最近は中卒の監督が入選している。
02年から母校の東京造形大学で教え、08年からは学長を務める諏訪敦彦監督は「大学での映画教育とは何か」を議論するべきだという。
映画の現場を経験した人が大学で教える機会が増えたものの、その中身は自分の経験を語るだけで場当たり的に感じる。「映画という主題を巡って何を教えるべきか議論を尽くす必要がある。地域のコミュニケーションの手段として製作や上映をするなど、映画をもっと幅広くとらえるよう学生に教えたい」
大学での映画教育は、まだシナリオを練り直している段階のようだ。(井上秀樹)