2010年6月22日16時9分
同源中文学校で中国語を学ぶ子どもたち=12日、東京都豊島区、関口聡撮影
東京・池袋駅に近い小さな雑居ビルに教室を構える「同源中文学校」池袋校。週末だけ開かれる中国語学校だ。
始業前、携帯ゲームに熱中したり、宿題のノートを見せ合ったりする子どもたちの声が響く。在日華人の2世がほとんどだが、聞こえてくるのは日本語ばかりだ。
授業が始まった。きれいな発音で中国語をそらんじる子も、ほめられると「やった」と日本語でガッツポーズする。中国で小学校教諭の経験もある担任は「中国の子どもはもっと先生を怖がるんですけどね。やっぱり日本の子です」と苦笑いする。
親は中国人なのに、自分は中国語を話せない。そんな子どもが増え、「中国人が中国語を学ぶ学校」が人気を集めている。首都圏最大手の同源中文学校は62教室を展開し、5歳から17歳の約800人の生徒がいる。生徒たちは平日は日本の学校や塾に通い、週末にここへやってくる。
慶応大経済学部4年の張荻さん(21)は5歳の時、大連から一家で日本に来た。すぐに保育園に溶け込み、小学校に上がるころには、中国語で話しかける親に日本語で切り返した。親は娘とコミュニケーションがとれなくなることを心配し、8歳から張さんを同源中文学校に通わせた。そこには同じような境遇の子がたくさんいた。
友達とは日本語で、親とは中国語で。二つの言葉と文化を身につけた同期生の多くは大学に進み、厳しい就職戦線を勝ち抜いている。
張さんも今年、大手商社や国際的な電機メーカー、メガバンクなどから内定を受けた。ある会社の面接で、文化の違いをどう乗り越えるかと尋ねられ、「受け入れてしまうこと」と答えた。国籍は中国だが「仕事で不便なら変えればいい」とこだわらない。「自分のアイデンティティーは日本にもあるし、中国にもある」と言い切る。
■なじめぬ生活、もがく2世
日本で居場所を見つけ出そうと、もがく2世もいる。
東京都江戸川区のある駅で2年前、夜になると幼い男児をおぶって親の帰りを待つ女の子がいた。「今時、ねんねこ姿なんて」と、地元で話題になった。
彩夏さん(13)は2008年、残留孤児2世の祖母らと一族4世帯19人で福建省から来た。パートで働く父母に代わり、朝晩、双子の妹と9歳年下の弟に料理を作った。
小学校では、教師の問いにうなずくのがやっと。同級生に机をけられもしたが、ほとんど休まずに通った。「行かないと、お母さんが悲しむと思って」。中学生になった彩夏さんは言葉少なに語る。妹のひとりは「日本語を話す時、周りの人が怪獣に見える」と、学校で口をつぐむ。姉弟は日本籍だが、「中国に帰りたい」と口をそろえる。
父親は中国で漁師の手伝いをしていた。彩夏さんらを見守る田芳(ティエン・ファン)さん(28)は「親は働き、子はきょうだいの面倒を見る。彼らは中国の農村の生活を持ち込んだだけ」。
田さんは、生涯学習の場として区が開いた江戸川総合人生大学の修了生がつくる「日本語教え隊」のメンバー。夫の仕事などで来日した元教師の中国人女性らが、区立の学校で海外出身の子を支える。07年度から教えた52人のうち、37人が中国出身だ。メンバーの侯明黎(ホウ・ミンリー)さん(36)は「日本に迷惑をかけない子に育てるため、何ができるか。親代わりのつもりです」。
■「同胞」助け合いの動き トラブル回避へ相談窓口
日本社会との衝突を防ぎたい。そんな思いから、在日華人たちが運動を広げている。
「日本人の夫が私を無視する」「給料をもらえない」……。都内に住む中日ボランティア協会代表の張剣波(チャン・チエンポー)さん(46)の携帯電話には、昼夜を問わず全国の華人から着信がある。
本職は大学の非常勤講師。2006年に協会を設立した。滋賀県長浜市で中国から嫁いできた女が妄想にとりつかれ、幼稚園児2人を刺殺した事件がきっかけだった。裁判所の通訳として、孤立する中国人花嫁を見てきた張さんは、心の闇が分かる気がした。浮かんだのは「だれか話を聴いてやれなかったのか」という思いと、「同じように悩む花嫁がたくさんいる」という確信だった。
事件の翌日、東京・池袋に張さんや留学生ら12人が集まって協会を設立した。
同胞の相談相手になり、メールで情報を交換しながら、解決法を探る。その中で、日本人に嫁いだ母に連れて来られて家出を繰り返した子どもの保護や、研修生を巡るトラブル調停など、実績を積み上げてきた。
会員は約200人に増えた。通訳業の向蕾蕾(シアン・レイレイ)さん(48)は「中国は、家族や友人同士の狭い範囲で助け合う文化。見ず知らずの人の力になる達成感は、日本で学んだ」と話す。早稲田大大学院で法律を学ぶ陳丹舟(チェン・タンチョウ)さん(32)は、帰国後もボランティアを続けるつもりだ。「市民社会に向かう中国社会の先端に立てるような気がする」
■女性10人、交代で悩み対応
中国語の相談電話の老舗(しにせ)が大阪にある。「林媽媽熱線」。「林(リン)ママのホットライン」という意味で、設立は1990年。40〜60代の中国や台湾出身の女性10人が交代で対応する。在日年数は短い人で18年。日本語も達者な「大阪のおばちゃん」たちだ。当初、年間200件前後だった相談は今、2千件を超える。
「家庭医療大全」「国際結婚の法律」「引きこもりの社会学」。書棚の本が示す通り、広い知識が求められる相談員は、年10回以上の勉強会に参加する。日本社会の国際化に貢献したいというパナソニック電工労組を中心とする約3千人がひとり千円の年会費を払い、活動を支える。
代表のケイコさん(63)は「『中国人はバラバラの砂』だと言われる。助け合い、社会に迷惑をかけない強さを持たなあかん。日本のみなさんの力を借りて、砂をつなげる粘土になるつもりです」。(林望)
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