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[25239] 【習作】誤植の冒険譚(ソードワールド2.0)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/02/06 07:32
連絡欄

次回更新予定日
H23年2月14日(月)くらい

更新履歴(*誤字脱字の修正などを除く)
H23年2月6日(日)#5-1、5-2追加 





◆◆◆◆


はじめまして。

本内容は、グループSNE及び富士見書房の著作物であるTRPGシステム「ソードワールド2.0」の世界を下敷きに書かれたSSとなります。

何番煎じだと言われるかも知れませんが、少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。

なお、要素としては以下のものを含みます。

・主人公が最強(冒険者レベル的に)

・現実からのトリップ的なアレコレ

・ルールや各種設定の独自解釈、一部改変、大幅な逸脱

・ご都合主義的展開

その他、純粋に私の力量不足に起因する粗が多々あるかと思われますが、少しでも楽しんでいただければ大変幸いです。



[25239] #0 “絶望の檻”(上)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/19 21:05
 瞬きを一つ。
 唐突に夢から醒めたような面持ちで、青年は周囲を見回した。
 
 石造りの通路。幅は五メートルほど、天井の高さも同じくらい。
 傍らに置かれたランタンの灯りを受けて、石壁に自分の影が長々と伸びている。

「……え?」

 通路の終端―――精緻な彫刻が施された大扉を見上げながら、小さく声を漏らした。
 見覚えが無い、というわけではない。
 ただ、何かとても大切なことを忘れてしまっているような不安に駆られて、青年は視線を彷徨わせた。

 己の姿を見下ろせば、黒を基調とした装束と、腰に吊るした双剣が目に入る。
 体を動かせば、背中に負ったもう一人振りの剣が揺れるのが分かった。

「…………」

 戦士としては小柄な体格。
 金属製の鎧を身に着けていないこともあって、威圧感の類とは無縁の自身。
 黒髪黒瞳の―――美しくも醜くもない平々凡々とした顔を困惑に歪ませながら、青年は首を傾げる。
 どこにもおかしい所は、ない。そのはずだ。

「アルトリート」

 呼ばれて振り返る。
 そこには自分より少しだけ年上―――二〇代半ばの男が立っていた。
 オールバックにした銀の髪。銀縁眼鏡の向こうで細められた切れ長の碧眼。
 緋と黒で彩られた長衣を羽織り、傍らに黒い長杖を立て掛けて、壁に寄りかかった体勢でこちらを見ている。

『誰だ?』とは思わない。これまで共に修羅場を潜り抜けてきた相棒だ。
 真語魔法と操霊魔法、錬金術を同時に操る賢者。
 彼は、その気になれば一国の宮廷に召抱えられるだけの智と力を持つ魔術師である。
 だが、その彼もまた、アルトリートと同様迷子のソレに似た表情を浮かべていた。

「……ぁ」

 その様に、青年―――アルトリートは何事か口にしようとして、はたと動きを止めた。
 一瞬何を口にしようとしたの分からなくなり、目が泳ぐ。すぐに思い出した。

「レクター」

 呼ぶと同時、アルトリートは自身が抱き続けている困惑の正体に気がついた。
 何故、すぐに気がつかなかったのか。背筋を粟立たせながら、相棒と同時に口を開く。

『どういうことだ!?』

 サイコロ片手に、キャラクターシート等を睨みながらダンジョンアタックをしていた二人は、ようやく認識した異常に声を上げた。



 テーブルトーク・ロールプレイング・ゲームと呼ばれる遊戯がある。
 とある本には、会話によるコミュニケーションにより成立するゲームと定義されている。
 内容としては、進行役にして審判であるゲームマスターが状況を伝え、プレイヤー達が様々なリアクションをとり、設定された目標の達成を図るというものだ。
 ルールに基づいたランダム要素のあるごっこ遊び。そんな風に解釈している者もいる。
 ロールプレイング・ゲームといえば、コンピュータゲームの大作を思い浮かべる人が多い我が国では、非常にマイナーな遊びと言えるだろう。

 このテーブルトーク・ロールプレイング・ゲーム、中々に敷居が高い。
 根本的に知名度が低いとか、オタク趣味的といったマイナスイメージが付随している点を考慮外としても、かなりの時間を取る関係上、面子集めに苦労するのだ。
 そのため、今回のセッションの参加人数は、即時参加可能であったゲームマスターと自分の二名のみ。
 ぶっちゃけてしまえば、単なる暇つぶしという趣旨で、ダンジョン攻略を行うだけの単純なシナリオを遊んでいたと、アルトリートは記憶している。

『とりあえず、状況を確認しよう』
 そう告げた相棒の意見に、アルトリートは頷いた。先ずは自分からと問いを投げる。

「ここがどこだか分かるか?」
「ダンジョン“絶望の檻”第六層。ボス部屋の前」

 ゲームマスター兼務であったレクターは、特に考える素振りもなく即答する。
 その内容はアルトリートの認識と変わりない。無論、ボス部屋の前というのは初耳だったが。
 今度は私からと、レクターが口を開いた。

「……ダンジョン攻略時の記憶はある?」

 その問いに、アルトリートは顔をしかめた。
 記憶が無かった、からではない。むしろその逆だ。
 あるはずのない記憶―――ここに来るまでの戦闘の内容をハッキリと思い出せる。
 一刀で骨を断ち切った手応えを思い出して、アルトリートは小さな呻き声を上げた。

「その様子だと、そっちにもキャラクターとしての記憶があるみたいだね」
「……ダンジョンに入ったところから、だけどな」

 すぐに異常に気がつけなかった理由は、おそらくコレだ。
 サイコロを振りつつ迷宮を進むプレイヤーと、剣を手に迷宮を潜るキャラクター。
 その両者の記憶が混在している。

(……何でこんなことに)
「よし。分からんっ!」

 パンッ、とレクターが両手を打ち鳴らす。
 その音に、知らず伏せていた顔を上げれば、相棒は開き直ったような表情で苦笑していた。

「とりあえず、『なぜ?』は置いておいて、これからを考えようか」
「……そうだな」

 いくら理由を考えても答えなど出るはずが無い。ならば、これからのことを考えようという言葉に頷く。
 これは現実逃避なのか、その逆か。その答えは分からないが、建設的なのは間違いないだろうとアルトリートは割り切ることにした。

「これから、か」

 理由は分からないが、自分達は先程まで遊んでいたゲームの世界“ラクシア”に迷い込み、それまで演じていたキャラクターそのものになっている。
 試したわけではないが、記憶にある戦闘の内容等から判断されるレベルや能力値もそのままと考えて良いだろう。

 アルトリート。人間。
 フェンサー15、レンジャー15、コンジャラー10、スカウト9、セージ2。
 戦闘特技は、“両手利き”“二刀流”“魔力撃”“武器習熟Ⅰ・Ⅱ/ソード”“武器の達人”“防具習熟Ⅰ・Ⅱ/非金属鎧”
 “治癒適性”“不屈”“ポーションマスター”“韋駄天”“縮地”“トレジャーハント”“ファストアクション”“影走り”――……

 暇つぶしの単発セッション。総経験点十八万三千点、成長回数一三〇回。
 さらにゲームマスター兼務の二人パーティーという冗談のようなレギュレーション。 
 それに基づき、ひたすら趣味とイメージを優先して組んだ関係上、色々と中途半端であることは否定できない。バランスなど最初から度外視している。
 それでも、一国単位でなら最高峰の一人と自負できるくらいの力はあると思う。
 レクターも全く同じ総経験点及び成長回数により組まれていることを考えれば、その辺の敵に敗北などありえない。
 しかし、ここは、15レベルキャラを前提として作成されたダンジョンだ。
 扉の向こうで待つボスモンスターも当然「その辺の敵」であるはずがないわけで―――

「その辺どうなんだ? ゲームマスター」
「五分五分といった感じかな」

 勝算を問うたアルトリートに、レクターが答える。

「ボスの詳細は?」
「数は一、部位数も一。ぶっちゃけると人間。
ベースはファイター15、プリーストザイア15、セージ15の神官戦士―――」

 つらつらと続くレクターの話を聞きながら、アルトリートは首を傾げた。

(……確かに強いが、二対一なら普通に勝てるような)

 説明が終るまでは待とう、と口を閉ざすアルトリートの思考を読み取ったのか、レクターが小さく笑った。

「装備の特殊能力が凄いんだよ」
「ふむ」

「先ず防具から……鎧の効果で抵抗に成功した魔法は全て無効化される。
固定値採用なら、達成値31以下の魔法は全て効果が消滅することになるかな」

 その説明に、アルトリートはほぅと息をはいた。
 ゲーム的に言えば、レクターの素の能力だと、サイコロを二つ振って出た目の合計が七以下なら何の影響も与えられないということになる。
 結構、いやかなりキツイ。

「続いて盾。魔法ダメージを累積300点まで無効化。ただし、300点を超えると壊れる」
「つまり、レクターの魔法は……」
「支援以外は、ほとんど使い物にならないと考えた方がいい。
抵抗の余地なく発現する魔法もあるけれど……あまり期待しない方が良いかな」

 鎧と盾の効果を考えるとそうなるだろう。
 それでも、こちらには支援役がいると考えれば、自分達の方が有利なのに変わりはないハズだが。

「最後に魔剣。能力は全部で四つ。
 一つ目。生死判定に成功すると、HP1の状態で戦闘に復帰。この時、転倒はしない」
「不屈の強化版か……」

「二つ目。毎ラウンド終了時にHP・MPを2d点回復する」
「自動回復するのか」

「三つ目。MP消費点分を、生死判定の達成値に上乗せできる。ただし、一度の判定に使える上限はニ〇点」
「……おい」

「最後。一日一回、生死判定を自動成功させられる。この時、使用者のMPは1になる」
「…………」
「ちなみに、銘は“不屈の正義”と書いてペルセヴェランテと読む」

 どうだと言わんばかりの様子で胸を張るレクターを、アルトリートは胡乱な目で見た。
 つまり。

「……ほぼ永久機関じゃないか」

 一言、呻く。
 魔法に対する防御は万全。魔剣の効果に加え神聖魔法による自己回復が可能。回復に消費したMPは毎ラウンド終了時に一定程度回復。
 そして、少々のことでは死なず、生きている限り戦い続けることができる。

(……というか、HPが1から減らないのは、勇者の特性だよな)

 魔王の気分が味わえそうだ。
 何やら満足げな表情を浮かべているレクターの顔に、思わず拳を叩き込みたくなる。
 アルトリートは即決した。

「よし。引き返そう」
「……それが、そうもいかないんだよ」

 無理に戦う必要はない。そう考えたアルトリートの言葉にレクターが首を振った。
 どういうことかと視線で問えば、彼は頬を掻きながら言いにくそうに、この迷宮の真実を告げる。

「このダンジョン。簡単に言うと、二段構えになっているんだけど」
「二段構え?」
「そう。設定的には地下第五層までが魔剣の迷宮で、今いる第六層目からは魔法文明期の遺跡ってことになってる」

 魔剣の迷宮ができたのも魔法文明期だけどね、と注釈を入れて彼は話を続ける。

「この先にいるボスは、魔剣の迷宮部分を突破したパーティーに対するボスモンスターなわけだけど、ダンジョン全体としては中ボスという扱いなんだ」
「それが?」
「で、その中ボスと、このダンジョン最深部に配置した大ボスの設定に問題があってね。
 その……今倒しておかないと、近い将来、大惨事が起きる。具体的には、レベル30前後の化け物が暴れ回るくらいの」
「は?」

 その言葉にアルトリートは目を丸くした。



 約三〇〇〇年前―――魔法文明期の末期、一人の英雄がいた。
 その英雄は、ザイアへの信仰篤く、大変優れた剣技を具えた騎士だったという。
 魔法使い達の地位が圧倒的に高かった同時代において、彼は人々から勇者と讃えられ、また王の信頼も大変に厚かった。

 そんな彼の命運が一変したのは、一柱の魔神の出現が原因だった。
 突然、何の前触れも無く現れたその魔神は、尋常でない力を持っていた。
 その力は当時の魔法王でさえ対抗できないもので、多くの犠牲を払いながら滅ぼすことは叶わず、地下深く封印することで決着を見ることとなる。
 だが、それを騎士は許せなかった。

「彼は高潔で、そして潔癖だった。
 だから、問題を先送りにする『封印』という結末を良しとせず、周囲の制止を振り切って封印施設へと単身乗り込んだそうな。
 そんなことをしたら、封印が破れることを承知の上で……」
「アホだな」
「うん。で、その暴挙に激怒した魔法王は、彼の時間を一振りの魔剣によって停止させ、封鎖区の入り口、つまりこの先のホールに縛り付けた」

 そして、似たようなことを考える馬鹿が現れないよう対策を取った。
一つ上の階層に魔剣を封印し、その力によって施設そのものを迷宮化したのだ。
 そこまで話をして、レクターは言葉を切った。チラリとアルトリートへと視線を向ける。

「……なるほど」

 その意味するところは考えるまでもない。
 今のアルトリートは、全部で三振りの剣を所有している。
 二振りは最初から持っていた剣だ。だが、最後の一振りは先程、地下第五層で手に入れた魔剣である。
 つまり―――

「うん。その剣が、魔剣の迷宮の核であり、騎士に対する封印の要だったというわけだ」
 
 レクターが指を一本立てる。

「さて、ここで問題。解放された騎士は、これからどんな行動をとるでしょうか?」

 ちなみに、騎士が持つ魔剣“不屈の正義”は、彼の人柄を讃えて魔法王が直々に鍛えたという設定だと、レクターは締めくくる。
 それを聞いて、アルトリートは嫌そうに口を開いた。

「……初志貫徹ということで、封印を破ってでも魔神を倒しにいく?」
「正解」

 アルトリートは、思わず天を仰いだ。




 重低音を伴って大扉が動き始める。
 扉の向こう側は、通路と異なり十分な明るさがあるらしい。
 開いた扉の隙間から眩い光が差し込むのに目を細めて、アルトリート達はホール内へと足を踏み入れた。

「広いな」

 円形のホール。ドーム状の空間だ。直径は一〇〇メートルを優に超えるだろう。
その広さに思わず圧倒される。
 何らかの魔法の効果か、照明らしきものが見当たらないのに昼間のように明るい。
 ホールの反対側まで視線が通ることに、光源については心配の必要無しと判断しながらアルトリートはホールの中心へと向かって歩く。
 そして、ソレの前方一〇メートルといった位置で足を止めた。

「……あれが」

 最初に目を惹いたのは、豊かな金色の髪だ。
 獅子の鬣を思わせる見事なそれを振り乱し、片膝を付いた姿勢で男が虚空を睨みつけている。
 遠目にも分かる立派な体躯を包むのは、白と金で彩られた全身鎧だ。
 儀礼用ではないかとさえ思える豪奢な鎧は、よく見れば実戦を見越して造られた重厚なものであり、鉄壁という単語をアルトリート達に想起させた。

 左手に持つ大盾は、表面に獅子を象った図紋が刻まれている。
中心には透き通った赤い宝石が三つ填め込まれていた。
 もっとも、幾つもの激しい戦いを潜り抜けてきた代償だろう。その表面には無数の傷が付き、宝石の一つには大きな亀裂が入っていた。

 そして、右手。騎士が、立ち上がろうと体を支えるように地面に突き立てた長剣が目に入る。
 特にこれといった装飾のない片手剣だ。
 だが、白銀の刃―――磨きぬかれた鏡のような曇りのない剣身を見れば、そんなものは無粋なだけだと否が応にも悟らされる。
 見る者を一瞬で魅了する優美な輝きを目にして、アルトリートは思わず感嘆のため息をもらした。

“不屈の騎士”

 魔法によって時を封じられた状態でなお、英雄の名に恥じることのない威容。
 それを前にして、アルトリート達は気圧されたように唾を飲み込んだ。

「封印はまだ解けてないみたいだね」

 騎士の足元では、赤い光で編まれた幾何学模様がゆっくりと明滅している。
 その外周から伸びる幾条もの光鎖が騎士を拘束しているのを見て、レクターが安心したように息をはいた。

「でも、時間の問題だな」

 アルトリートの言葉と同時に、硝子が割れるような音が辺りに響いた。光鎖の一つが千切れ飛ぶ。

 先程から、破砕音が何度となく鳴り響いている。
 しかも、徐々にその間隔が短くなっていることに気がついて、アルトリートは目を細めた。
 両腰に吊るした得物を確かめるように、そっと手を伸ばす。
 手に触れる剣の柄は二つ。一つはミスリルソード、もう一つは魔剣のものだ。
 背中のウェポンホルダーにもう一振りミスリルソードを引っ掛けているが、こちらを使うことはないだろう。

(……鍵はこの魔剣か)

 魔剣アトカース。
 第五層で手に入れた“絶望を識る者”という銘を持つ闇色の両刃直剣。
 継戦能力に難のある特性ゆえ、これまで使う機会のなかった魔剣の姿を思い出しながら、アルトリートは小さく息をはいた。

「これなら、支援魔法は今から掛けても良かったかな」
「アルケミと違って金が掛らないから良いんじゃないか?」
「はは。まぁ、こちらを無駄使いするとあっという間に素寒貧だからね」

 緊張をごまかす様にレクターが軽口を叩いた。
 それに笑って返しながらアルトリートは、相棒が持つ数枚のカードへと目を向ける。
 錬金術の産物たる賦術の媒介マテリアルカード。
 賦術は消耗品であるそのカードを使う事で、マナを消費すること無く行使することができる。
 もっとも、銭投げとか御大尽アタックと揶揄されるくらいに財布に打撃を与えるという側面を持つが。

 彼が持つのは、その中でも最高級の代物だった。
 SS級。一枚二万ガメル。宿屋に一年程度泊まれる価値を持つ消耗品だ。
 賦術は魔法と違って効果時間の大幅な延長ができないため、直前若しくは戦闘中に使う必要がある。
 そう考えて使用を控えていたようだが、おかげで無駄撃ちを避けられたらしい。

「そろそろ、賦術も使っておこうか」
「ん。確かにそろそろ封印が……」
 
 アルトリートは、レクターの提案に頷こうとして言葉を切った。
 直後、一斉に鎖が弾け飛んだ。耳をつんざくような大音響。

「……っ!!」

 不屈の名を冠する騎士の時が、三〇〇〇年振りに動き始めたのだ。


 アルトリート達の視線の先で、騎士が立ち上がる。

「…………」

 わだかまる空気を払うように剣を横に振る姿からは、これまで封印されていたとはとても思えなかった。
 彼の中では、まだ三〇〇〇年前の戦いの最中なのだろう。
 それまで戦っていた誰かの姿を探すように周囲を探り―――

(……やっぱり、戦闘は避けられそうに無いな)

 全く萎える気配の無い燃え上がるような戦意を宿した瞳を見て、アルトリートはそう判断した。
 レクターの前へと出ながら、後ろ手に後退するよう合図を送る。

「……陛下は?」
「すでにこちらにはおられません」
「貴公らは?」
「傭兵、のようなものです」

 怪訝そうな表情を浮かべた騎士の問いに、たどたどしい魔法文明語で返答する。
 当たり前のように行った己の行為に内心驚きながら、アルトリートは言葉を投げ掛けた。

「今なら取り返しがつきます。魔神に挑むなど、無謀な行為はお止めください」
「そうはいかない。危険なものに蓋をして良しとすることは、私には出来ない」

 今がいつなのか、といったことには触れない。反応が読めないからだ。
 元々、説得するつもりなどなく、後衛であるレクターが下がるまでの時間稼ぎでしかないのだ。

「未来に託す、という選択はないと」
「それは、未来に負債を押し付けるということだろう」

 これまで何度と無く行われたやり取りなのだろう。間髪入れずに帰ってくる騎士の返答に、アルトリートは最初の印象が正しかったことを悟る。
 言葉では止められない。

「ですが、今挑んで未来を失っては意味がないでしょう」
「そんなこと、戦ってみなければ分からないだろう! 諦めなければ、きっと―――!!」

 彼の中では未だ戦闘中だったはず。それなのに、見ず知らずの相手の言葉に――それも片言のような魔法文明語に答えてくれるあたり、本当にいい人なのだろう。
 一瞬だけ、この騎士と共に戦うという選択肢が脳裏を過ぎって、すぐに否定する。
 最深部にいる敵は、レクター曰くレベル30前後。一人が三人になって勝てるような敵ではない。
 二〇代前半くらいなら、アリかも知れない案なのだが。

(あまり時間をかけると支援魔法が消えるか)

 潮時だ。

「……つまり、何があろうと止めるつもりはないと」
「ああ。貴公等が道を阻むというのなら、力ずくででも押し通る」
「では」
「……やはり、分かってはくれないか」

 それはこっちの台詞だと、落胆したような騎士に内心突っ込みを入れながら、アルトリートは双剣を抜き放った。

「参る」
「マテリアルカード展開“エンサイクロペディア”! “イニシアティブブースト”!」

 騎士の言葉に被さるように、背後からレクターが声を上げる。その内容を理解すると同時、アルトリートは地を蹴った。
 先手は譲ってくれるらしい。
 大盾をこちらへと向けて待ち構える騎士の姿に、アルトリートは小さく笑った。

 騎士の能力は分かっている。
 それは、単に事前情報として聞いていた各能力値についての知識があることを意味しない。
 相手が、どれくらいの速さで動き、どういった攻撃を放ち、どこまでの攻撃を受け止められるか、それらを今のアルトリートは感覚的なものとして理解していた。

(これは、“エンサイクロペディア”の効果か?)

 魔物知識判定に成功したら、パーティーメンバー全員の脳裏にモンスターデータが刷り込まれるというわけはあるまい。
 レクターの声と同時に起こった現象に、アルトリートはこれが賦術の効果であると推測し、得られた情報を基に戦術を組み立てる。

 構えられた騎士の大盾を睨みながら、十メートルの距離を一息に詰めた。
 真正面から剣を叩きつけるような真似は当然しない。一瞬、体を左右に振るフェイントを入れた上で、盾を持つ左手側へと回りこむ。

(取り回しに難のある大盾なら、こちらの動きには追いつけないだろ)

 その思考の正しさを裏付けるように、騎士の反応が遅れた。
“イニシアティブブースト”の効果により反応速度が上昇した結果か、それとも単純に彼我の敏捷度の差によるものか―――アルトリートの動きに、騎士は明らかに追いつけていなかった。
 その脇をすり抜けると同時、左手に握ったミスリルソードを背後へと叩きつける。

「“ヴォーパルウェポン”」
「―――はぁっ!」

 レクターの声とアルトリートの初撃はほぼ同時だった。
 賦術の効果によって鋭さを増した刃が、騎士の胴へと吸い込まれる。

「ぐぅっ!」
(……浅かった)

 騎士が小さく息を漏らした。が、アルトリートは舌打ちをする。
 手応えはあったものの軽い。傷を負わせられたのは事実だが、さほどの痛手にはなっていないだろう。

「なら、これでっ!」

 左の剣を振り抜いた勢いそのままに、その場で旋回する。
 今度はしっかりと騎士へと体を向けた体勢で、右の魔剣を振るおうとし―――

「―――っ!?」

 咄嗟に、しゃがみこむ様に腰を落とした。間一髪、薙ぎ払われた大盾をかわす。
 水平に振るわれた大盾が生んだ烈風に総毛立つ。萎えそうになる両足を叱咤しながら、アルトリートは腰を落とした反動を利用して背後へと飛び退る。
 一瞬遅れて、騎士の剣がアルトリートのいた場所を斬り裂いた。

「…………」

 一足で五メートル近い距離を稼いだアルトリートは、再び盾を構えてこちらを見る騎士を睨みつける。

(まだ、俺の手番だろ。“ファストアクション”はどこいった……って、馬鹿か俺は!!)

 先制をとった場合に二回連続して行動できる戦闘特技。その効果を念頭にアルトリートは首を傾げ、直後、自分の思考を罵倒した。

 ―――ゲームではないのだから、戦闘に手番なるものがあるわけがない。

「そりゃそうだ。反撃できるなら、するよな当然」

 道理だと、口に出して笑う。その声が震えているのに気がついて、アルトリートは唇を噛んだ。
 正直、今のやりとりだけで、気が萎えかけている。

 ふと、騎士の背後にレクターの姿を捉えた。
 相棒は、杖を構えた自身の周囲に幾枚ものマテリアルカードを展開していた。
 その姿に、一瞬デュエリストなる単語が脳裏を過ぎり、状況もわきまえずに噴出しそうになった。

(……一人じゃないんだから、何とかなるか。頼むぜ、アイボー)

 大きく息をはく。再び、アルトリートは騎士へと挑みかかった。


 振り下ろされた刃を一方の剣で捌き、即座にもう一方の剣で反撃する。
 アッサリと大盾で受け止められた。反撃が来る前に、一旦後退して間合いを外す。

「はぁ、は……ふ」

 アルトリートの武器は手数と敏捷性だ。
 それを最大限に生かすため、目まぐるしく立ち位置を変えながら攻め続けている。
 だが。

(……攻めきれない)

 騎士がアルトリートの速度に追い付けていないのは明白だ。
 今のところ、戦闘の主導権はアルトリートの手にあると言って良い。だが、その状況で決定打が打てていないのも確かだった。
 外した間合いを更に広げ、アルトリートはレクターの所へと退がる。

「……こっちが与えた傷は全部癒えてるよな」
「うん。魔剣の効果に加えて、時々回復魔法も使っているから間違いない。
 ……とりあえず“ビビッドリキッド”」
「さんきゅ」

 レクターがアルトリートの背中に触れる。直後、発動した賦術の効果により、失われていたマナが戻ってきた。
 そのことに感謝の言葉を口にしながら、アルトリートは目を細める。

(……マズイな)

 討ち合うこと既に十数合。
 戦闘は膠着状態に陥っていた。

「消耗戦になるとマズイね」
「ああ」

 マテリアルカードを使い果たせば賦術は打ち止めだ。マナを使い果たし、さらにそれを回復するアイテムも底をつけば魔法の類も打ち止めとなる。
 回復アイテムを使い切ってしまえば、いよいよ後がなくなるだろう。

 対する騎士は、魔剣の効果によって――一度に得られる量には限度があるが――ほぼ無尽蔵にマナを回復できる。
 ゆえに、そのマナを用いて行使される神聖魔法には、実質打ち止めというものが生じない。

(持久戦になれば、絶対に勝てない)

 挑む前から分かっていたことを、改めて認識する。

「どうする?」
「一瞬でいい。隙を作れれば……」

 切り札はある。ただ、それを切る機会が得られない。
 そのことに歯噛みしながら、アルトリートは魔剣を持つ手に力を入れた。
 魔剣アトカースの力は極端に攻撃に特化している。
 マナを消費することで、攻撃対象の防護点をゼロとして扱うとか、あらゆる敵にクリティカルを成立させるとか―――
 ラウンド終了毎にマナを消耗するという特性があるため、これを抜いたのは今回が初めてとなる。が、短期決戦という条件なら、これほど強力な武器も存在しないだろう。

(SSランク魔剣だもんな)

 特に、一日一回限定で使用可能な特殊能力は尋常でない。レクターが設定した通りの力を発揮してくれるのであれば、六回攻撃が可能となる。
“ファストアクション”の二回行動と同様に潰される可能性はあったが、その事に関してアルトリートはあまり心配をしていない。

「……私が隙を作るよ。
 最低でもこちらに大盾を向けさせるか、体勢を崩させるかのどちらかはやってみせる」

 レクターがハッキリと宣言する。

「分かった。頼んだ」
「任せといて。では―――」

 彼は小さく頷くと、再びアルトリートの背に触れた。直後、アルトリートの双剣が眩い光を帯びた。
“クリティカルレイ”
 一回分の攻撃に限り、その殺傷力を劇的に向上させる賦術だ。
 その効果が失われる前に、アルトリートは再び騎士へと突撃を敢行する。

「……相談は終ったか」
「待っていてくれたのか。余裕だな」

 騎士の言葉に、アルトリートは歯を剥き出して笑った。
 打ち下ろされた剣を横っ飛びにかわす。そのまま、騎士の死角へと回り込もうと動きながら、レクターの姿を確認する。

 ――『大盾を自分の方へと向けさせる』のなら、その瞬間正面ががら空きになるような位置関係を。

 レクターは騎士の左側へと回り込もうとしていた。
 その意図を理解して、大きな動きを控え至近距離で攻撃を回避し続ける。騎士の立つ向きを固定するためだ。

「真、第十ニ階位の攻、衝撃、炸裂、遠隔……」

 こちらへと聞こえるように、高らかとレクターが呪文を唱える。
 その内容を聞いて、騎士の剣が一瞬鈍った気がした。側面で呪文を唱えるレクターへと意識が向いたのに気がついて、アルトリートは数歩分後退するように飛び退いた。

 結果、騎士はレクターの魔法へと対応する余裕が生まれ―――

「鉄槌―――“翔撃”」

 あろうことか、目前のアルトリートではなくレクターの方へと大盾を向けた。

“ショック”の真語魔法。
 抵抗判定抜きで―――つまり魔法を無効化する騎士の鎧を突破して―――対象にダメージを与える魔法。
 撃ち出されたマナの塊が、咄嗟にかざされた大盾に直撃し、弾けて消えた。
 大盾の効果は、魔法ダメージの肩代わりだ。ゆえに、物理ダメージを与えるという特異性を持つ“ショック”の効果に対しては、その真価を発揮することはできない。
 叩きつけられた衝撃に、騎士が一瞬だけ硬直する。

(……もらった!)

 その一瞬をアルトリートは見逃さない。
 切り札を切る。

「―――“時よ止まれ、お前は美しい”」

 至福の絶望をここに。
 魔剣アトカースが持つ最強の特殊能力をここで発現させる。

 同時に“魔力撃”発動。
 刃が纏う“クリティカルレイ”の光に青白い輝きが混じる。
 マナの力を得て、刃にアルトリートの魔力が宿ったのだ。

「あ、ああああぁぁぁぁ―――――っ!!」

 咆哮しながら踏み込み、双剣を振るう。

 左の剣で、騎士の片手剣を弾き。
 右の魔剣で、がら空きになった騎士の首を斬り裂く。
 
 左の剣で騎士の両足を薙ぎ。
 右の魔剣で、傾いだ騎士の胸を貫く。
 
 飛び退くようにバックステップ。その勢いで魔剣を引き抜いて、アルトリートは再び深く踏み込んだ。
 まるで鋏のように、左右から交差するように斬撃を奔らせる。

 ―――バツン、という首の骨を絶つ手応え。

(勝った!)

 アルトリートは勝利を確信した。
 ゆえに、直後の超反応はキャラクター自身が持つ膨大な経験値の補正によるものだったのだろう。

 瞬転、衝撃。

「え?」

 甲高い音が耳に残っている。何が起きたか理解したのは、行動が終った後だった。
 左手には折れたミスリルソード。
 咄嗟に頭上へと翳さなければ、反射的に後方へと飛んでいなければ、今頃、真っ二つになっていたのは自分だっただろう。
 アルトリートは目を見開く。

「……嘘だろ」

 再び開いた間合い。一〇メートル以上の距離を経た先。

 ―――騎士が、全身から血を滴らせながら立っていた。

 血の気の失せた顔で、しかし戦意を失う事無くアルトリートを見据えている。
 その手には振り下ろされたばかりの魔剣が握られている。
 青白い光―――自分が放ったものよりずっと強い輝きを纏うソレを目にして、アルトリートは剣を叩き折った一撃の正体を悟った。
 だが、そんなことよりも問題にするべきことがある。

「何で……」

 首をはねたはずの騎士が普通に動いているのか。否、騎士の首はちゃんと付いている。では、先程の手応えが錯覚だっということだろうか。

(違う。あれが、“不屈の正義”の能力)

 生死判定を自動成功させる。
 それは、つまり、致命傷を負ったという事実そのものを無かったことにする、ということか。
 そんな馬鹿なとも思うが、自分の魔剣の能力を思えば可能な気がしなくも無い。

「真、第十二階位の攻!!」
「―――っ! だったら、あと一撃で落ちる!!」
 
 レクターの呪文が耳に入る。それに背を押されるように、アルトリートは前へと飛び出した。
 折れかけた心を叱咤して、背中に残るミスリルソードを引き抜く。

「神々の盾たるザイアよ! 我に一撃を放つための力を!」  
 
 騎士が大神へと祈りを捧げる。願ったのは回復ではなく、一撃の威力を高めるための力。彼の顔に僅かに血色が戻った。
 同時に、その剣に纏っていた青白い輝きが強まる。
 すでにマナを使い果たしたハズの彼に応えた“騎士神”の“祝福”。そして己が魔力を注ぎ込んだ剣。
 それら全てを以って、騎士は“不屈の正義”を成す一撃を放つ。


「衝撃、炸裂、遠隔、鉄槌! ―――“翔撃”!!」
 
 レクターの詠唱が完成する。
 選択した呪文は先程と同じく“ショック”。鎧の護りを確実に抜ける唯一の攻撃魔法。
 仕留めるのではなく、相棒たるアルトリートの援護のために。全力を注ぎ込んで、レクターは吼えるように魔力を解放した。


「―――っ!」

 アルトリートは半瞬で間合いを詰める。その速度は、”縮地”の名に恥じないものだった。
 一呼吸で二〇〇メートル超を駆け抜ける速度を武器に、迅雷の如き連撃を放つ。
 魔力を帯びた双剣が、虚空を斬り裂きながら奔った。


 左手に握るミスリルソードは中ほどで折れている。
 短時間で二振り駄目にしたことに、そして生き残ることが出来た安堵に深く息をはく。

「……見事だった」

 仰向けに倒れている騎士が呟いた。その体の中心には、魔剣が突き立っている。
“不屈の正義”にも、再び死を覆す力は残っていないようで、声には色濃い死の色が混じっていた。
 その様を見て、へたり込みそうになるのを必死に堪えながら、アルトリートは疲労の滲む声を絞り出す。

「……俺たちの勝ちだな」
「ああ。私の、負けだ」

 レクターがゆっくりと近付いて来る。それを視界の端に捉えながら、アルトリートは一つ疑問に思ったことを聞いてみた。

「何で、最後の魔法が“祝福”?」

 彼が最後に使った魔法は、おそらく“ブレスⅡ”だろう。能力値全般を引上げる神聖魔法。
 だが、使うべきは“キュアモータリー”などの瞬間的に体力を大回復する魔法ではなかったのか。そう考えて問うたアルトリートに、騎士は小さく苦笑した。

「あの状況で……勝負から、逃げる人間が……封印を破って、魔神に挑む、と思うかね」
「…………」
「なるほど。道理ですね。貴方は正しく“勇者”だったと」
「ふ……ふ、引き際を、知らない……単なる、愚か者だ」

 レクターの言葉に、騎士は淡い苦笑を浮かべる。
 溢れ出る血を嚥下して、彼はこちらを見た。その瞳からは未だに力が失われていない。

「未来、に託せ……そう言ったな」
「……ああ」
「ならば、貴公等に託そう」

 一度大きくせき込んで、騎士は言葉を続ける。

「今挑んでも勝てないのなら、勝てるだけの力を得よ。今が無理でも、いつかきっと……」
「……分かりました」
「分かった。必ず、いつか」

 レクターと二人して、騎士の言葉に頷いた。

 その答えに満足したのか、彼は目を閉じて息をはいた。

「……ペルセヴェランテを、餞別代わりにやろう。持っていくといい、双剣の剣士よ」
「…………」

盾と鎧は駄目になったが、その剣ならお前の力になるだろう。そう告げた騎士に、アルトリートは無言で頭を下げた。

―――それから少しだけ言葉を交わして、二人は“不屈の騎士”を見送った。



 風が旅装用の外套を翻す。
 雲ひとつ無い快晴。真っ青な空と燦々と輝く太陽。
それらを、目を細めて見上げながらアルトリートは傍らの相棒へと問いかける。

「なあ」
「なに?」
「これから、どうするよ?」
「とりあえず、街を探そうか」

 レクターの問いにアルトリートは頷いた。

「で、街ってどっちにあるんだ? ていうか、ここは大陸のどのあたりだ?」
「ダンジョンの位置なんて設定してないからねぇ。
 フェイダンかも知れないし、ザルツかも知れない。リーゼンって可能性もあるけど、ダグニアも否定できない。
実はレーゼルドーン大陸とか、他の大陸だったりするかも」
「そっかぁ」

 あはは~と笑う相棒に、アルトリートもにこやかな笑みを浮かべた。
 二人が立っているのは、高く険しい山岳の一角だった。眼下に広がるのは深い森ばかりで、集落らしきものは全く見えない。
 
山々に二人の虚ろな笑い声が木霊する。




 剣の創りし世界“ラクシア”
 三本の“始まりの剣”より始まったとされるその世界は、数多の命に満ち溢れ、絶えることの無い争乱に彩られている。

 神々の大戦により、最初の文明が滅び、また“始まりの剣”が失われてから早一万年。
 世界は崩壊と復興を繰り返しながら、未だ歴史を刻み続けている。

 第三の文明期の崩壊を招いた“大破局”より三百年が経過した現代。
世界は第四の文明期へと入りつつあった。

この時代、何の脈絡も無く異邦の魂が迷い込むこととなる。
彼等が何をなすのか。世界がどうなるのか。
それは誰も知らない。
神ですら、未来を知ることはできないのだから。

つまり、―――二人の冒険はこれからだ。



[25239] #1-1 “湧き水の村”(上)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/16 20:10
 ダンジョン“絶望の檻”を出発してから早五日。二人は、未だ山中にいた。


 木々の隙間から光が差し込んでくる。
 朝にしては若干強めの―――おそらくは初夏のソレであろう陽光にまぶたを開けば、空が朝焼けに染まる光景が目に飛び込んできた。

「ああ……朝か」
 
 焦点の合わない瞳で明るい空を眺めた後、アルトリートはポツリと呟いた。ノロノロとした仕草で身を起こす。

「おはよう」

 その声に視線を向ければ相棒の姿があった。後番で見張りをしていた彼は、寝起きのアルトリートと同じか、それ以上に力のない表情を浮かべている。

(そろそろ、限界が近いか)

 全く力のない、虚ろとさえ言えるレクターの笑みを見て、いよいよ危ないかと、アルトリートは考える。
 原因は分担して行った夜の見張りのために睡眠時間が足りてない、ということではない。それもあるだろうが、それ以上に切実な問題が他にある。

「……肉が食べたいね」
「同感」

 レンジャー技能を駆使して集めた野草や木の実をモソモソと口にしながら、相棒が抑揚の無い口調で呟いた。
それに心から同意して、アルトリートはこれまた朝露などを集めて確保した僅かな水を口に含む。

「まさか、ダンジョン探索ものの単発セッションだからと、水と食料について何も考えてなかったのがこれほど祟るとは……」
「もし、アルトリートのレンジャー技能が無かったら、今頃死んでいたかもね」

 どれほどの力があろうと、人である以上、生きるためには水と食料が必要だ。
 そんな当たり前のことを思い知らされた二人は、深い深いため息をついた。

「……今、どれくらい進んでるんだっけ?」
「ん。ちょっと待て」

 レクターの問いに、アルトリートは脳内に地図を広げる。
 ダンジョンの入り口から見た風景や、これまで歩いてきた行程を元に作成したその地図を信頼するならば、今の二人はダンジョンから北東に約二〇キロメートル程度の位置にいることになる。
 残りの行程がどれくらいなのかは、見当もつかない。

「そんなものなんだ」
「直線距離での話だから、実際の移動距離はその倍以上だけどな」
「そうか。真っ直ぐ進めるわけじゃないから……」

 一日あたり一〇キロメートル弱。
 野外活動を本領とするレンジャー技能のおかげか、脳内とはいえ常にマッピングを行っていること、安全なルート選択を行えていることなどの理由により、比較的無駄のない移動をしていることを考慮しても、全く整備のされていない山中の移動速度としては相当ハイペースなのではないかと思う。
 自分はともかく、レクターへの負担は相当なものだろう。
 尾根に登るまでに二日、それから尾根伝いに移動して三日―――未だに里へと下るルートを確定できないことに、アルトリートは焦りを覚える。
 
(“ディメンジョン・ゲート”を使えれば―――)

 話は早いのに。そんな、意味の無いことを考えて、すぐにその思考を振り払う。無いものねだりをしても仕方がないからだ。

 遠く離れた場所へと通じる“門”。それを造り出す真語魔法“ディメンジョン・ゲート”。
 ソーサラー15、コンジャラー13、アルケミスト10、セージ10。
 複数の魔法技能に通じ、その中でも特に真語魔法に関しては最高位の使い手たるレクターだ。
 当然“ディメンジョン・ゲート”の魔法も使うことができる。
 だが、門の出口――つまり、移動先は術者が知っている場所に限定されるという条件ゆえに、今の彼にとってその魔法はほとんど意味を為さないものとなっていた。
 アルトリートもそうだが、レクターがこの世界「ラクシア」に関して、その土地に行った記憶があるという意味で「知っている場所」はダンジョン“絶望の檻”しかない。

 否定すると同時、別の思考が浮かび上がる。

(“フライト”を使って、山越えの方が良かったか……)

 飛行用の真語魔法“フライト”。
 その移動速度は徒歩の比ではない。直線的に移動できることを踏まえれば、現在地まで来るのに一時間かからない計算になる。
 ロック鳥などの大型生物との遭遇や、ゲームとの違いによる不測の事態―――それによる墜落の危険性から不採用となった案だが、遭難中の現状を鑑みると大失敗だったかと、アルトリートは苦々しく思う。

 だが。

(……今更だよな)

 疲労と空腹で蒼褪めたレクターの顔色を見て、アルトリートはそれ以上考えるのをやめた。
 焦りと不安に押しつぶされそうな今の状況では、嫌な考えばかりが脳裏に渦巻いて精神衛生上非常によろしくない。

「さて、じゃあ行くか」
「そうだね」
「それにしても」
「うん?」
「仲間にタビットがいなくて良かったな」
「……確かにね」

 二足歩行のウサギという外見から、よく「非常食」呼ばわりされることのある種族の名前を口にすると、レクターが一瞬真顔になって頷いた。
 その表情を見なかったことにして、アルトリートはゆっくりと立ち上がる。
 本格的に生命の危機に陥る前に、何とかこの状況を脱したい。




 目を開くと、天井があった。

「…………?」

 しばし、その意味を考える。

(ええと、俺は何をしていたんだったか?)

 記憶を探るように再び目を閉じて、アルトリートはしばし黙考する。
突然放り出されたダンジョン。不屈の名を冠する騎士。迷宮の外は山々が連なる山岳地帯。サバイバル。食料がない。水が尽きた。遥か遠くに大きな湖。動けなくなったレクターを背負って……

「……っ!?」

 断片化されていた記憶がつながり、声にならない叫びと共にアルトリートは跳ね起きた。
 慌てて周囲を見回せば、すぐ隣の寝台で眠り続けている相棒の姿を見つける。
 ちゃんと息をしていることに思わず胸を撫で下ろして、アルトリートはようやく自分達の置かれている状況を理解した。
 つまり。

「おや、もう気がつかれたのですか」

 ガチャリと音を立てて、扉が開かれた。壮年の男性が部屋へと入ってくる。
 細身の、髪に白い物が混じりつつある男性だ。
 どこか和風な印象を覚える衣装を身に付けた彼は、アルトリートの姿を見ると驚いたように目を丸くした。

(辛うじて助かったということか)

 エルフの特徴である尖った耳を見ながら、アルトリートはそう判断した。
 居住まいを正す。

「……助けて頂き、ありがとうございました」
「いやいや。礼なら、私ではなくあなた達を見つけた者に言ってあげてください」

 何をおいても先ずは礼を言おうと、深々と頭を下げたアルトリートに男は手を振った。

「ここは、湧き水の村カッタバ。ルーフェリア王国の東部に位置する村です。
 私は、村長のエクトル。
 あなた方は、二日前、山中で倒れているところを村の者が見つけたのですよ」
「そうでしたか」
「お連れの方も大丈夫。命には別状はありません。
 あなたも、まだ体力が回復していないでしょう。今はしっかりと体を休めて下さい」
「……ありがとうございます」

 柔らかく笑うエクトルに、アルトリートは深々と頭を下げた。


 レクターが目を覚ましたのは、翌日の昼のことだった。
 
「全く未知の場所だったり、情報はあるけど色々とアレなザルツだったりしなくて幸運だったな」
「フェイダンもあんまり大差ないような気はするけどね。でも、ルーフェリアなら確かに幸運と言えるのかな」

 アルトリートの話を聞いたレクターが小さく笑いながら頷いた。

“女神の涙”ルーフェリア。
 テラスティア大陸南部。フェイダン地方に位置する小国だ。
 かつて“青い宝石”と称されたイズマル王国を前身とするこの国は、“大破局”と呼ばれる蛮族の大侵攻の折に“騎士神”ザイアの導きによって神へと至った少女―――後の“水の神”ルーフェリアの加護の下、約二五〇年に渡って蛮族の侵攻を退け続けてきた歴史を持つ。
 五〇年ほど前、“石塔の学び舎”カイン・ガラの学者達によって発見され、ようやく周辺諸国との交流が再開したばかりの国家で、今は開国に伴う様々な変化が起きている言わば過渡期にあたるらしい。

 周辺を蛮族の勢力に囲まれているとか、“滅びのサーペント”に代表される凶悪な魔剣の話とか。色々と火種のある地域ではあるが、いきなり滅亡の危機を迎えるほどの危険地帯ではないと思いたい。
 女神ルーフェリアは言うまでもなく、“湖の大司教”バトエルデン・エラーなどの強力な守護者が存在するこの国の状況を思い浮かべながら、アルトリートは席を立った。

「とりあえず、今後のことはこれから考えるとして、お前はとっとと体力回復しとけ」
「了解。……ところで」
「何だ?」
「その格好は何?」
「借してくれた。何か動きやすくていいぞ、これ」

 アルトリートは自分の服装を見下ろす。
 今のアルトリートの格好は、当初から着込んでいた武装ではなくエクトルから借り受けた民族衣装だ。
 前開きになっている薄地の衣を幾重にも重ねて、それを帯で一つに纏めており、どこか和服に似通った印象がある。
 何でも、突然、水場に落ちた時に速やかに脱ぐことができるよう、という配慮から、このような構造になっているらしい。
 紺色などの寒色系で染め上げられたこの衣装を、アルトリートは密かに気に入っていた。

「……男のアルトリートが着てるのを見ても、あんまり面白くはないね」
「確かにな」

 これが若くて綺麗な女性だったら話は別だが。
 そんなことを真顔で告げたレクターの言に、小さく苦笑してアルトリートは部屋を後にした。
 そのまま、外に出て炊事場の方へと庭を回る。
 少し喉が渇いたため、水が欲しくなったのだ。

(湧き水の村、というだけあって、水がメチャクチャ美味しいよな、ここ)

 昨日、初めて口にした時、仄かな甘ささえ覚えるその味に感動さえ覚えたものだ。
 無論、それまでの状況が酷すぎたというのもあるだろうが、それを差し置いても掛け値なしに美味しいとアルトリートは思う。
 この水を用いて造る酒がカッタバの名産品だという。
 残念なことに―――本当に残念なことにすでに過ぎてしまっているが、春先に行われる“井戸竜祭”と呼ばれる伝統行事ではその年の新酒が振舞われるらしい。
 機会があれば必ず参加しようと心に誓いながら、アルトリートは炊事場の横手に据えつけられた水槽の前で足を止めた。

 竹管から水槽へと流れ落ちる水を掬う。何となくそのまま水の流れを観察する。
 引き込まれた湧き水が最初に流れ込むのは、三段の階段状になった水槽の最上段だ。
 木製の水槽の一段目へと流れ込んだその水は、一定以上の水位に達すると側面に開けられた穴から二段目へと流れ込み、同じように三段目へ。最後はすぐ傍らの池を通って、村中に張り巡らされた水路にと至るという具合になっている。
 一段目の水を飲料や炊事用に、二段目は野菜などを冷やしておくのに使っている。三段目は使った食器などの洗い物用だ。
 ちなみに傍らの池には、色鮮やかな魚が泳ぎまわっている姿が見られる。彼等が水中に落とされた汚れを食べることで水が綺麗になるということらしい。
 昨日の夕方、見慣れない物だと興味津々と覗き込んでいた時、そんな風にエクトルが教えてくれたことを思い出す。

 この村では全く珍しく無い、どこの家にでもある光景。
 水不足の土地の人間が見たら、きっと気が狂うんじゃないだろうか。そんなことを思いながら、アルトリートは掬った水を口にした。

「アルトリートさん」
「ああ。村長さん」

 振り返れば、エクトルが立っていた。
 なぜかその髪や身に付けている衣服から水が滴っているのが凄く気になるが―――変わらず柔らかい笑みを浮かべている彼に、アルトリートは小さく会釈をした。

「レクターさんの様子はどうです?」
「ええ。あれなら、明日か明後日には問題なく動けるようになると思います」

 本当にお世話になりました。そう言いながら、頭を下げるアルトリートの言にエクトルは小さく考えるような仕草を見せる。
 彼は、少し眉を顰めながら口を開いた。

「……まだ、少なくともあと四、五日はこちらに泊まっていきなさい。
 あれだけ衰弱していたのですから、体力の回復には相応の時間がいるでしょう」
「ですが、あまり長い間お邪魔するのも……」
「困った時はお互い様。
 私達、ルーフェリアの民はそうやってこれまで生きてきましたから、全然特別なことではありませんよ」

 アルトリートが、意識を失っていた間を含めれば、すでに四日泊まっている。
 レクターの体力が最低限回復するまで、さらに一日、二日かかることを考えると、それだけで六日間もの間、世話になりっぱなしということだ。
 さすがにそれは迷惑をかけすぎだ、と辞するアルトリートに、エクトルはそんなものは迷惑でも何でもないと言い切る。
 急ぐ旅でないのなら、しっかり回復するまで泊まっていけと告げるエクトルに、アルトリートは「あ~」だの「う~」だの唸り、結局は頭を下げることとなった。

(実際、物凄くありがたい申し出なんだよな)

 それだけに、何もせずにいるのは物凄く気が引ける。
 だが、何かを手伝おうとするたびに、「病み上がりは世話を焼かれるのが仕事」とエクトルや彼の夫人ににこやかに切り捨てられている。
 かといって、金品で贖うのも何か失礼な気がする。そもそも金に関しては、遭難中、重りになると放棄してしまっているため手元にない。各種装備品やレクターのマテリアルカード等、金目のものはまだ持っているが、それを渡すのはもっと失礼だろう。

(せめて、一般技能があれば何か出来たかも知れないが……)

 ―――戦闘能力が高いだけの自分は、平和な村では単なる穀潰しだ。
 そのことに気が付いて、アルトリートは若干落ち込んだ。




 水路を進む小船に揺られながら、水面から顔を出す花を眺める。
 村の風物詩として知られる薄紅の花は、今は蒼褪めた月の光に染まっていた。

『快気祝いをしましょうか』
 レクターが十分に回復したため、そろそろ村を出ようと考えていることを伝えたアルトリートに、エクトルは開口一番そんなことをのたまった。
 相も変わらず、善意の塊としか言い様のない笑顔で告げられた言葉に、もはや抵抗をしようとは思わない。
 その代わり。

(いつか、この恩は必ず返さないと)

 そのことだけを肝に銘じて、ありがたく善意を受け取る。
 
「本当に水路を利用しての移動が主なんですね」
「ははは。私達にとっては、道を歩くより水路を泳ぐ方が楽だったりしますからね」

 数日振りに外に出たレクターの呟きに、船頭を務めていたエクトルが応える。
 カッタバの村には道が少ない。
 代わりに村中を水路が走っており、村の住人達はそちらを利用して行き来を行っている。
 エクトルのようにエルフならば、水中移動はお手の物だろう。彼等は“剣の加護”と呼ばれる種族特性によって、一時間は息継ぎなしで水中にいられる。そのため、水中を移動している際に何かあってもおぼれることは先ずないのだ。
 もっとも、他の種族にとっては今のように船を出す必要があって不便ではないかとアルトリートは思ったのだが、この村の住人は全てエルフであるという。

(……なるほど、ね)

 どうもレクターはその辺の事情を知っているらしい。
 村の様子を見てもそれほど驚いた様子を見せず、ただ感心したような表情を浮かべるだけの相棒を尻目に、アルトリートは空を見上げる。
 中天に浮かぶ月は、満月でこそないがとても明るい。
 おかげでエルフと異なり暗視の能力を持たない人間にも、周囲の状況をしっかりと見通すことができる。
 
 快気祝いで何ゆえ船に乗って水路上を移動しているのかは、正直よく分からない。
 だが、明るい銀月の下、小さな花に彩られた水路の上を船に揺られて進む今の状況は、それはそれで風流な感じがして良いものだ。
 そう考えて、アルトリートは深く考えないことにした。どうせすぐに分かる話だと、何が待っているのか楽しみにしておく。

「さて、ここで一旦船から下りてください」

 脇へと伸びる水路の入り口のあたりで、船が泊まる。
 エクトルに従って、アルトリート達は水路脇の道へと上がる。アルトリートは首を傾げた。
 水路の入り口。その水面から、人の腕くらいの太さを持った棒が数本突き出ている。

「ここからは、徒歩で」

 そう告げて、エクトルが歩き始めた。
 その背後をレクターと二人して歩きながら、アルトリートは落ち着かない気持ちで辺りを見回す。
 船などによる進入が禁止された水路。その存在は、この村では非常に特殊なものだと思う。

「ふふ。ここは、この村でも少し特別な場所でしてね。とっておきという奴です」

 しばらく歩いて、足を止めたエクトルが振り返る。

「…………」
「……これ、は」

 進入禁止の理由はこれだろう。
 息を呑むアルトリートの横で、同じように呆けたような表情をレクターが浮かべている。

 自慢げに笑うエクトル。
 ―――その背後を、いくつもの燐光が舞っていた。


 明るい月の輝きと、仄かな星明り。
 天の光が水面に反射して、水中花と共に水路を彩っている。
 いつの間にか置かれていたカンテラの暖かい光が水路脇を照らし出し、植えられている色とりどりの花や木々を闇に浮かび上がらせていた。
―――そして、中空を舞う蛍の燐光。

 その光景に見蕩れるアルトリート達を置いて、エクトルは道の脇に備えられた階段から水路へと降りる。

「うん。冷えてますね」

 水路の中に何かを沈めていたらしい。結んでいた紐を手繰り寄せて水中から取り出した籠の中を見て、エクトルがよしよしと頷く。
 そしてこちらを見上げて笑った。

「さあ。お二人とも、こちらへ」
「あ、はい」
「今行きます」

 頷いて二人も階段を降りる。
 流水部の両脇には、少しだけ開けた空間がある。そこに陣取って、エクトルは籠の中身を取り出した。

「妻は後から来るとのことですから、先に始めてしまいましょうか」

 そう言って、こちらへと軽く振って見せるのは透き通った液体で満たされたビンだった。
 振られる度に、月明かりを受けて僅かに煌く。

 中身は考えるまでもない。

「さあ、どうぞ」
「頂きます」
「すみません」

 アルトリートとレクターに杯を渡し、エクトルが上機嫌で酒を注ぐ。
 そのまま促されて、二人はそっと杯に口をつけた。揃って目を見開く。

「…………」
「口当たりが優しいので、飲みすぎには少し気をつけた方が良いかも知れませんが……悪くないでしょう?」
「ええ。ええ、本当に」

 エクトルが言うには、米で造った醸造酒であるという。
 感激した表情で、レクターが何度も頷く。その横でアルトリートは無言のまま杯を傾けた。さらにひと口。
 砂糖などとは違う、独特の甘みと優しい香りが口中に広がる。その感覚にひどく懐かしいものを覚えながら、アルトリートはほぅと息をついて甘露を堪能した。

「どうやら、お気に召して頂けたようですね」
「本当に、ありがとうございます」
「何から何まで……」

 アルトリートとレクターは、そっと杯を置いて、深く頭を下げた。
 そんな二人に目尻を下げながら、エクトルが軽く手を打ち合わせる。

「では、少し順番が前後しましたが……乾杯といきましょう!」


 その夜。
 目にした光景と、口にした酒。
 そして、何より酌み交わした相手のことを、アルトリートとレクターは生涯忘れることはないだろう。



[25239] #1-2 “湧き水の村”(下)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/16 20:15
 黒を基調とした服の上から、袖の無い上衣を着込む。
 黒地の布で織られ、同色の糸で目立たないながらも複雑な刺繍を施されたその上衣には、魔法による打撃を軽減するという働きがある。
 もっとも、ゲームのルール上、アルトリートがこの装備を身に付けることは本来許されない。
 それをゲームマスター裁量によって特例的に認めてもらったのだが、その裁量上でもランク効果―――この装備が保有する特殊能力の恩恵については受けることはできないとされている。

(実際のところはどうなんだろうな。そもそも布製の衣装を着込むのに技術なんていらないとも思うが……)

 たとえゲームマスターが許したとしても、現実で装備できないものは何をどうしたって装備できないだろう。
 だとするなら、防具を装備するのに戦闘特技の有無は関係ないという結論となる。その場合、ランク効果の恩恵も戦闘特技に関係なく受けられると言えそうな気がしてくるが……

(しかしその場合、俺の戦闘特技ニ枠はどういう位置付けになるんだ?)

 全くの無駄だろうか。それはそれで切ないものがある。

 答えの出ない疑問に首を傾げながら、翼の刻印が施されたブーツに足を突っ込む。
 跳躍力を高める働きを持つその長靴からは、重さというものをほとんど感じることが出来ず、身軽さを売りとするアルトリートにとって大変ありがたいものだ。

「……よし」

 身に付けた衣服やブーツの具合を確かめるように、少し体を動かしてみる。
 違和感なく動けることを確認して、一つ頷いた。

 その後、首飾りやピアス、指輪などの装身具を身に付けた後、残ったゴーグルを手にとってアルトリートはしばし考える。
 ナイトゴーグルという名の魔法の品だ。
 マナを消費することで暗視の力を装着者に与えてくれる代物なのだが、これを常時頭に装着しておくのは何となく躊躇われた。

(これを身に付けて歩き回ると、通報されそうだな)

 顔の半分が隠れるゴーグルを身に付けた黒ずくめの男。どう考えても不審者だ。
 無論、使用しない時は額の方へとズラしておくのだが、それでもやっぱり怪しげな印象がある気がする。
 しばらく悩んだ後、アルトリートは袋の中へと仕舞っておくことにした。必要そうな局面になったら取り出せばいい。

 最後に二振りの長剣を見つめる。
 一方を手にとって鞘から抜き放ってみれば、闇色の刃が姿を現した。
“絶望を識る者”アトカース。
 両刃直剣。
 ペルセヴェランテと同じ拵えの、だが似ても似付かぬ刃を持った長剣。
 仮に“不屈の正義”の銘を冠する剣を光の剣と呼ぶのなら、こちらは正しく闇の剣だ。
 吸い込まれるような漆黒の剣身は、ただそこにあるだけで周りが暗くなったような錯覚を見る者に与える。

「…………」

 抜剣しているだけでマナを喰われる―――正真正銘の魔剣。
 柄や刃に異常がないことを確かめると、アルトリートはすぐに鞘へと納め直した。小さく息をはく。
 それからもう一方の剣、ペルセヴェランテについても同様に点検を行った後、左右に一振りづつ、剣帯を使って腰に吊るした。

 外套を羽織って振り返れば、すでにレクターは装備のチェックを終えていたらしい。
 銀の長髪をオールバックにした青年は、寝台に腰掛けてこちらの作業が終るのを待っていた。
 緋と黒を基調とした少し派手目な長衣を羽織り、左右別々の腕輪を填めた手で黒い長杖をいじっている。
 アルトリートの準備が終ったのに気が付くと、寝台から立ち上がる。クイっと、眼鏡の位置を調整して彼は小さく肩をすくめた。

「……そろそろ行こうか」
「ああ」

 頷いて、エクトル夫妻へ挨拶に向かおうと部屋を出る。そこで、アルトリートは足を止めた。
 玄関先で、話し声が聞こえたからだ。
 見れば、エクトルとエルフの青年が話をしている。

「お客さん?」
「みたいだな。出直すか……って、人の頭に腕を乗せるな」
「ごめん、つい」

 邪魔をしても悪い。
 そう考えたアルトリートは、背後から人の頭越しに玄関の方を覗う相棒を払い除けようとし―――

「……帰ってきていない?」

 硬い響きを伴った声を耳にして、動きを止めた。


 山へと登ったまま、若い猟師が帰ってきていない。
 予定では、昨日の昼には戻るはずだった彼は、夜が明けて、さらに昼前になっても帰ってこなかった。そのため、近くに住む友人が相談に来たのだそうだ。
 青年が屋敷から立ち去った後、アルトリート達がエクトルから聞いた話はそんな内容だった。
 ちなみに戻ってこない若者はヘクセンといい、その名前はアルトリートにも覚えがある。
 なぜなら、山中でアルトリート達を見つけたのは、そのヘクセンだからだ。以前、そのことをエクトルから聞いて、アルトリートは礼を言うために彼の家を訪問している。
 頭を下げるアルトリートに、照れたような笑みを浮かべて手を振っていた姿を思い出す。
 エルフのイメージとは若干異なる、よく陽に焼けた肌が特徴的な、実直そうな青年だった。

「ヘクセンさんって、確か俺達を見つけた……」
「ええ」

 エクトルが頷いたのを見て、アルトリートは目を細める。
 ぱっと見ではあったが、そのしっかりとした身のこなしからは、相応の力量を持っていることが窺われたのだが。

「これから捜索隊を編成しようと思います」

 先程青年が飛び出していったドアを見ながら、エクトルが深刻そうに表情をゆがめた。
 ヘクセンの力量を考えれば、山中で迷っているということは考えにくいそうだ。
 となれば、事故や熊などの大型動物との遭遇といった可能性が思い浮かぶ。嫌な想像をしてアルトリートは顔をしかめた。
 最悪、蛮族と出くわしたということも有り得る―――……

「その捜索隊……俺たちも参加させてもらえませんか?」
「あなた方が?」

 レクターと一瞬視線を交わし、アルトリートはそう提案する。

「あまり説得力がありませんが、俺たちは冒険者です。これでも、山歩きは慣れている方ですから」
「本当に、全く説得力がありませんが、その通りなんです。是非、手伝わせて下さい」

 何しろ山中で力尽きていたところを拾われた身だ。説得力があるわけがない。
 それでも、とレクターと二人してエクトルに頭を下げる。彼はしばし虚空に視線を彷徨わせた後、小さく頷いた。

「……こちらこそ、よろしくお願いします」

 そう告げて、カッタバの村長は二人に頭を下げた。



 
 カッタバの村の南に連なる山々は、ルーフェリアの南の国境線を構成するものだ。
 その麓を西に向かえば、“キプロクスの森”やルーフェリアの玄関口たる宿場町オルミへと至り、その尾根を伝って東へと向かえば、アルトリート達にとっての因縁の地“絶望の檻”や“大破局”によって滅び去った小国の遺跡群などに行くことができる。
 エクトルの指示を受けてから、二時間後、アルトリート達はそうした山中の獣道を登っていた。 

 ヘクセンが戻ってこない理由が、もしも大型の動物や蛮族との遭遇ということであったなら、中途半端な対応は危険だ。
 そう判断して、エクトルは、まずは本当に山に慣れた少数で捜索にあたることを決めた。
 数は五名。
 アルトリート達に加えて、相談に来ていた青年、そしてさらに二人―――各々一頭づつ猟犬を連れたエルフの猟師達で編成されている。
 今回、捜索を行うのは、ヘクセンが普段猟場としている辺りとなる。
『日没までに見つからないようであれば、村中総出で山狩りをしようと思います』
 つまり、タイムリミットは夕方まで。そのことを念頭において、一同は周囲へと呼びかけの声を上げながら山中を進んでいた。

「上からは何か見えるか?」
「今のところは、何も」

 アルトリートの問いに、レクターが首を振って答える。
 一同が険しい表情で山を登るその上空には、鴉が一羽舞っているハズだ。
 名前はクルーガー。外を出られない間に契約したというレクターの使い魔である。

 今のレクターは、閉じた片目の視界を上空の使い魔と共有している。空から異変の痕跡を探るためだ。
 もっとも上空から見てハッキリと判るような異変―――山中の木々がなぎ倒されている等―――があった場合、ヘクセンの無事は非常に危うくなる。
 そういう意味では見つからない方がよいと、何となく複雑な気持ちでアルトリートは山の斜面を踏みしめた。

 と。

「……?」

 足を止める。何か、違和感を覚えたのだ。
 周囲がこちらを振り返るのを無視して、アルトリートは違和感の正体を探る。

(目に映っている物におかしいところはない。人の声が聞こえたというわけでもない。じゃあ……)

 一つづつ、五感が捉えているものを検証して、程なくアルトリートはその正体に気がついた。

「……血の匂いがする」

 土や夏草の青臭さに混じった鉄錆の匂い。
 それは本当に微かなもので、気付けたことが奇跡に近い。だが、それもハッキリと意識してしまえば、気のせいで済むようなものでもなかった。
 直後、猟犬も同じ匂いを嗅ぎ取ったのか、二頭ともが弾かれるように同じ方向へと走り始めた。

 何ゆえ猟犬より先に気がついたのか、という疑問が一瞬脳裏を過ぎるが、とりあえずは気にしない。

(まあ、レンジャー技能の補正と考えておこう)

 何にせよ、今はヘクセンの身の安全が大事だ。
 これがヘクセンの血の匂いである確証はどこにもないが、仮にそうだとすると彼は怪我を負っているということになる。
 一同は猟犬の後を追って、山中を走り始めた。

「あそこだ!!」

 少し急な斜面に差し掛かったところで、アルトリートの目が人らしき影を捉えた。
 先行していた猟犬二頭が、様子を窺うように鼻先でその体を突付いている。特に反応が見られないところからすると意識を失っているのか、それとも―――

「おいっ、大丈夫か!?」
「待て、不用意に動かすな!」

 相談に来ていたエルフの青年―――エルマーが男の体を揺さぶろうとする。それを慌てて止めながら、アルトリートは意識を失っているヘクセンの様子を確かめた。

(ひどい格好だな)

 何度も転倒したのか、身に付けている服は土塗れだった。他にも草の汁がこびり付き、さらに何かに引っ掛けたのか、所々裂けている部分もあった。
 手や顔など、露出している肌にはいくつもの擦過傷が見られ、左足に至っては妙な方向に折れ曲がっている。
 が、一見したところでは、命に関わるほどの傷は見当たらず、熱が出ているのか―――若干荒いながらも呼吸もしっかりしている。

「大丈夫。ちゃんと生きてる。左足以外はそれほど大きな怪我も見当たらない」
「そ、そうか。良かった」

 アルトリートの言葉に、エルマーが安堵の息をはいた。他の二人も同様の様子で、顔を見合わせて少し笑みを浮かべた。
 山に入ってから始めて、少しだけ空気が緩んだ。

「……レクター」
「うん。“アース・ヒール”は私がやるよ」

 気付け用のポーションが入った缶を取り出すアルトリートの横で、心得たとばかりにレクターが意識の集中を始める。
 元々、怪我の可能性を考慮していたため、添え木などの準備も万全だ。猟師の一人が荷物から適当な長さの棒を取り出すのを横目に、アルトリートはヘクセンの顔へと缶を近づけた。
 少しづつ、その顔にアウェイクポーションをかける。

「……っ!? ごほっ、げほっ……ふ、ぐ」
「あ、やべ」

 鼻に入ったらしい。
ヘクセンが、咳き込みながら目を覚ます。苦しそうにもがくその体を支えながら、アルトリートはこめかみに冷や汗を垂らした。
 もっとも、少量だった関係上、それほど大事にはならなかったようだ。涙目になりながらも、彼はすぐに落ち着きを取り戻した。

「……ぅ」
「ヘクセンっ!!」
「ごほ……エルマー? それにアンタ達は……そうだっ、蛮族、アイツ等は!! ……痛っ!?」

 意識を取り戻したヘクセンは、エルマーやアルトリート達を見て目を瞬かせた。
 状況が分からない、と困惑した表情を浮かべ、直後弾かれるように体を動かして顔を歪める。コロコロと目まぐるしく顔色が変わるヘクセンを抑えながら、アルトリートは背後へと視線を向ける。

「足が折れてるから動くな。……レクター」
「操、第二階位の快。地精、治癒―――“地快”」

 呪文に応えて、一瞬ヘクセンの体を柔らかい光が覆う。大地の活力を取り込んだことで回復したのだろう。光が消えた時には、彼の顔に血色が戻ってきていた。
 だが、骨折自体は直っていない。そのことに気が付いて、アルトリートはヘクセンの足に添え木を当てた。しっかりと固定する。

(“アース・ヒール”で出来るのは、体力の回復のみか)

 細かな傷も消え去っていないのを見て、アルトリートは魔法の効果をそう理解した。
 どうやら、傷を癒そうと思った場合は“キュア・ウーンズ”などの神聖魔法が必要となるらしい。妖精魔法でも癒せるのかは分からないが、何にせよ“アース・ヒール”では傷は塞がらない、そう頭の片隅に書き込みながら口を開く。
 先程、聞き捨てならない単語を聞いたためだ。

「蛮族って? ゆっくりで良いから話を聞かせてもらえるか?」
「ああ。実は―――」

 アルトリートがワザとゆっくりとした口調で尋ねる。
 その甲斐があったのか、治療の間に気持ちの整理がついたのか、ヘクセンは落ち着いた口調で話を始めた。




 木々の合間を縫うように、蛮族の一隊が草を踏み分ける。
 数は六体と二頭。先頭を進むのは、斥候に長けたボガードソーズマンと二頭の狼だ。その後ろを普通のボガードが二体、そしてボガードトルーパー、さらに普通のボガードが二体という隊列となっている。

(リーダーは、トルーパーか)

 剣と盾で武装したボガードの姿に、アルトリートは目を細めた。
前後を歩く者達とは二回りも違う大きな体躯を誇るその蛮族は、先程から何やら指示を飛ばしていた。
 アルトリートは妖魔語を解さないため、何を言っているのかは分からないが、「早く見つけろ」とか、そんな感じだろうか。

(……よく逃げ切れたな)

 あれが追っ手と見て間違いないだろう。
 彼が倒れていた場所から程近い藪で見つけた蛮族達の姿に、アルトリートは間一髪だったかも知れないとため息をついた。


 山の中で、蛮族達の砦を見た。
 説明を求めるアルトリート達に、ヘクセンは端的にそう告げた。
 キッカケは、いつもの猟場で発見した足跡だったそうな。
 獣のものとは明らかに異なる足跡に、一瞬、数日前に見つけた二名の遭難者のことが脳裏を過ぎったらしい。
 もっとも、すぐにそれが人間の足跡でないことに気が付いたのだが、蛮族の類であれば大変とヘクセンはそのまま追跡を行い、猟場から随分と離れた地点でその砦を見つけることとなった。

「我ながら、軽率だった」

 ヘクセンは自嘲気味に顔を歪める。
 蛮族のものと思われる足跡を見つけたのなら、一旦村に引き返し、村長に相談をするべきだった。そう反省の言葉を呟いて、彼は話を続けた。

 見つけた蛮族の砦は、廃墟を改造したとようなチャチなものではなかった。
 傾斜のない平地部分に、周辺から切り出した木々を用いて築かれた砦。
 ボガード達の指揮の下、多数のコボルド達が今まさに完成させようとしているソレを見て、ヘクセンは戦慄を覚えたという。
 このことを知らせるべく、慌ててその場を離れようとし―――

「そこで、蛮族に見つかったと」
「……連れていた猟犬が時間を稼いでくれなければ、そこで俺も死んでいただろう」

 遭遇したのは、哨戒中の蛮族達だった。
 斜面を転げ落ちるように逃げる彼の前に姿を現した蛮族の一隊。ヘクセンはその時点で、死を覚悟したという。
 せめて一矢報いよう。そんな悲壮な覚悟を固めたヘクセンを、だが連れ歩いていた愛犬が遮ったそうだ。そして、主を逃がす時間を稼ぐように、たった一頭で蛮族達に挑んだという。その話を聞いて、エルマーと二人の猟師が小さく祈りの言葉を捧げた。

「……アイツが稼いでくれた時間を無駄にしないために、必死に山を駆け下って……もう少しって所で足を滑らせてこの様だ」
 
 最後の最後に油断したと、悔しげに表情を歪ませるヘクセンの肩を軽く叩いて、アルトリートは頷いた。

「けれど、俺達はヘクセンさんを見つけることが出来た。
 そして、とても大事な情報を知ることが出来た。貴方と、そしてその犬のおかげで……」
「…………」
「もう大丈夫。ここから先は、本業の冒険者が引き受ける。蛮族の集団くらい、すぐに蹴散らしてやるさ」
「……すまない。ありがとう」

 その言葉で緊張の糸が切れたのだろう。嗚咽を漏らし始めたヘクセンから離れ、アルトリートはレクターへと視線を向ける。
 相棒は心得ているとばかりに頷いた。

「他の人は、私が連れて帰ろう。そっちには、クルーガーを付けるということで」
「頼む。俺は、追っ手を探す。もし見当たらなければ、先行して砦を偵察する」
「では、後でね」
「ああ」

 もう一度頷き合って、二人は各々の仕事に取り掛かった。


 少し距離をとった位置から、蛮族達の姿を眺めてアルトリートは考える。
 生かして返すつもりはない。が、数が多い。
 戦闘で負けるなど絶対にありえないが、一体でも取り逃がせばコチラの負けだ。

(……不意打ちで半分にしたいところだが)

「半分は私が請け負いましょう」
「……!?」

 悩んでいると、肩に止まっていた鴉が耳元で囁いた。
 肩が跳ねる。思わず上げそうになった声を堪え、視線を向けるとクルーガーがこちらを見ている。

(か、鴉が喋った……しかも魔法文明語!? え? 何で……?)

「私はこれでも上位の使い魔ですから。己の意志もありますし、言葉も話せます。ご存知なかったのですか?」

 動揺に目を白黒させるアルトリートに、クルーガーが首を傾げるような仕草を見せる。
 鳥であるため表情は分からないが、何となく呆れられているような気がした。
 そう言われれば、とアルトリートは“ファミリアⅡ”の効果を思い出し、平静を取り戻した。

「自意識あり。視界を主と共有できる他、主の魔法の中継点になることができる……だったっけ?」
「はい。概ねそのようなものです。当然、魔法の行使は、主との意識同調が必要ですが」

 アルトリートの言をクルーガーが肯定する。
 意志ある使い魔の説明を聞いて、アルトリートは首を傾げた。それなら、一番手っ取り早い方法がある。

「“スリープ”の魔法で一掃できないか?」
「……可能です。が、できればアルトリート様に数を減らして欲しいと主が申しております」
「何で?」
「私を通じての魔法行使は始めてであるため、仕損じる可能性があるから、と」

 出来れば負担を減らして欲しい。そう続けたクルーガーの言葉に、アルトリートはもっともな話だと頷いた。

「じゃあ、俺から仕掛けよう。そちらの準備は?」
「大丈夫です」

 クルーガーを肩から近くの枝へと移して、アルトリートは双剣を抜き放った。

「では、とっとと片付けよう」

 音もなく地を蹴って、伸び放題の草に隠れるように蛮族達への距離を詰める。
 ある程度近付いた段階で、アルトリートは口中で唱え終えていた呪文を解き放った。

「……っ!?」

 蛮族達が動揺したような声を上げた。
 辺りを魔法の霧が包み込む。
“ダーク・ミスト”―――操霊魔法の初歩の初歩、突然周囲を覆いつくした遠近感を狂わせる魔霧に、ボガード達は動きを止めて周囲へと視線を巡らせる。

 うかつにも足を止めてしまった一団を嘲笑いながら、アルトリートは大きく地を蹴って中空へと体を躍らせた。
 そのまま、立ち並ぶ木々を足場としながら、矢のような速度でボガード達へと肉薄する。

 狙うのは隊列の真ん中だ。

(最初に、頭を潰す)

 ボガードトルーパーと目が合った。
 上から襲い掛かってきた人族の姿に、蛮族の戦士が叫びを上げながら盾を翳す。
 その盾を左のペルセヴェランテで叩き斬りながら着地、間髪入れず右のアトカースを振るった。

「……っ!?」

 血飛沫が上がる。
 逆袈裟に斬り上げられた傷口から、大量の血を噴出して仰向けに倒れるトルーパー。
 それに目もくれずアルトリートは再び地を蹴った。
 愕然とした様子で立ち尽くしているボガードを、通行の邪魔とばかりに斬り払っだ先にはボガードソーズマンの姿がある。
 その手にあるのは、アルトリートと同様に双剣だ。
 まだ思考が止まっているらしきその姿に目を細めながら、アルトリートはさらに速度を増して―――

「―――ちっ!?」

 仕掛けようとしたところを、立ち塞がった狼に邪魔されて舌打ちをした。
 飛び掛ってきた一頭の首を刎ね、もう一頭の眉間を断ち割る。
 そうして、再び意識を向け直した時には、蛮族の双剣士はすでに体勢を整え終えていた。

「シャアッ!!」

 鋭い息吹を放ちながら、ソーズマンの双剣が奔る。速い。相応の手練れでなければ、何も出来ずに斬り倒されるだろうニ連撃。
 だが、それでもアルトリートの目には止まって見える。

 一太刀目。
 頭を狙って横なぎに振るわれた右の剣を、身を低くして掻い潜る。

 二太刀目。
 振り下ろされた左の剣を、右手に握ったアトカースで払い除ける。

「はぁっ!!」

 アトカースを振った勢いを殺さずに、左足を前に出す。
 前進した勢いを乗せて、ペルセヴェランテをソーズマンの胸へと突き込んだ。

(残りは、ボガードが三体)

 崩れ落ちるソーズマンから剣を引き抜き、振り返る。
 そこに、聞き慣れない声が響き渡った。

「真、第二階位の幻。ささやき、誘い―――“眠り”」

 レクターとクルーガー。主従の声が重なり合ったかのような奇妙な声で唱えられた呪文は、“スリープ”だ。
 いつの間にか蛮族全員を見下ろせる枝に留まっていた鴉から、魔力が解放される。
 結果は言うまでもない。

「…………」

 一瞬で昏倒した蛮族達の姿に、アルトリートは深く息をはいた。

「さて……」

 気分を変えるように首を振りながら、双剣を納め、クルーガーの下へと歩く。




 閉じていた両目を開いて、レクターは村長に頷いた。

「追っ手については、アルトリートが片付けたようです」

 その言葉に、その場に集まっていた者達からため息がこぼれ落ちる。
 とりあえず、これでヘクセンを追って蛮族が村までやってくることはないだろう。

(他にも別働隊がいれば話は別だけど、そんな様子もないみたいだし)

 それにしても、とレクターはため息をつく。
 ピンボールの玉の様に、木々を蹴って一瞬で移動するアルトリートの姿を思い出したのだ。
 キャラクターコンセプトは確か『NINJA』だったか。かつて聞いた気がする内容に苦笑しながら目を閉じた。

 視界を使い魔のものへと切り替えれば、尋常でない速度で後ろへと流れていく山中の風景が飛び込んできた。

「…………」

 アルトリートの肩に留まっているクルーガーが、何やら悲鳴じみた思念を送ってくるのを黙殺して、レクターは再び目を開いた。
 あちらは当分放っておいて大丈夫だろう。
 一つ頷いて、レクターはエクトルへと視線を向ける。

「村長さん。これからの対応について教えて頂きたいのですが」
「……先ずは国境神殿の神官戦士隊に連絡。彼等の到着までは、戦える者達で警戒を行います」
その他の者や今この村に逗留されている方々については、安全が確保されるまで酒蔵の方へと集まってもらおうかと」
「さかぐら?」
「ええ。あの建物が最も頑丈なのですよ。広いですしね」

 予め、こういった事態の対応を取り決めているのだろう。
 淀みない口調で答えるエクトルに、レクターは少し安心した。

(よかった。パニックが怖かったけれど、これなら)

 心配はいらないだろう。そう考えて、レクターは己のすべきことを見極めようと、口を開いた。

「神官戦士隊が到着するのは?」
「……早くて三日後といったところでしょうか」
「三日」

 微妙な数字だとレクターは迷う。
 砦に近づく者を排除するため、真っ当な哨戒活動をしている蛮族達だ。
 当然、ヘクセンに対する追っ手には、追跡のタイムリミットを告げていることだろう。
 万が一、ヘクセンを取り逃がした場合、近隣の集落を速やかに潰して情報の伝播を防ぐか否か。その判断を下すために。

(だとするなら、この三日で村が襲われる可能性がある、ということだよね)

 実際には、そこまで考えてなどいないかも知れない。
 だが、それでも、この村に危害が加えられる可能性があるのなら、レクターはそれを見逃すつもりはない。
 相棒もそうだろう。
 それこそ、砦の一つや二つ、真っ向から叩き潰すくらいのつもりでいるに違いない。
 そして、それはレクターの意思そのものでもある。

「村長さん。一つご相談があります」

 レクターはエクトルへと静かな口調で切り出した。


 蛮族の砦に、アルトリートと二人で攻撃を仕掛ける。
 そう告げたレクターに対する周りの反応は、概ね予想どおりのものだった。
 つまり、『死にたいのか』というものだ。

「無論、私もアルトリートも死ぬつもりはありませんよ。
勝算があるから、ご提案しているんです」
「……しかし」

 エクトルが首を振る。
 その反応はごく当然のものだろう。たった二人で砦攻め。常識で考えなくとも、壮大な自殺以外の何者でもない。
 我ながら無茶苦茶を言っていると、レクターは内心苦笑する。
 エクトルが自分達の力量をどの程度に見積もっているのかは分からない。
 たとえ14レベルの真語魔法を使って見せても、その難度を具体的に知らなければ、二人に対する印象が劇的に変わるわけもない。
 そして、神聖魔法ならともかく、真語魔法を目にする機会など普通の生活を送っている限り早々あるとも思えない。

(まして、第一印象は山中で遭難してた二人組だろうしね)

 ちょっと腕の良い冒険者。
 仮に、村長が自分達をそう見ているとしたら、絶対に首を縦に振らないだろう。

(ごく一般的な―――プロと呼ぶに相応しい技量の冒険者がレベル5から6くらい。
 仮にそのレベルの冒険者二人で砦攻めをしろというシナリオを組んだら、リアルファイトになるかもね)

 トルーパーが分隊の長ならば、砦にはおそらくボガードコマンダーがいる。
 取り巻き込みで戦闘になれば、二人では袋叩きに遭ってオシマイだろう。
エクトルの判断はとても常識的だ。そう頷きながら、レクターは話を続けた。

「何も、砦を陥落させようとか、そういう話をするつもりはありません。
 例えば、ちょっと火を点けるとか、そんな程度のものでも良いんですよ。
 要は、これから三日間、蛮族達を警戒させて砦に釘付けにできる程度の被害を与えられれば、それで」
「……う」
「私とアルトリートの二人だけなら、皆さんを連れ帰ってきたように“ディメンジョン・ゲート”でこの村に即座に移動できます。
 大人数では、かえって動きが阻害されますし―――これは私たちの提案ですから、私たちにやらせて下さい」
「…………」

 レクターはエクトルを説得する。
 このままでは、村が襲われる危険性があることを説き、自分達も無理をするつもりはないと話をする。この村を護りたいのだと泣き落し、どうしても駄目なら勝手に動くと脅しまで入れる。
 ―――村長が折れたのは、それから一〇分ほど後のことだった。




 黄昏時。
 茜色に染まった空を見ながら、アルトリートは小さく伸びをした。
 目の前にあるのは、蛮族の砦だ。
 周辺の木々を伐採し、その結果生まれたスペースに建てられたその砦は、まだ完成ではない。
 四方に組まれた櫓は完成しているが、それらを繋ぐ木の外壁の一部がまだ不完全だ。もっとも、それも今日明日には完成しそうな様子だが。

「さて……レクター?」
「準備はできてるよ」

 振り返れば、半眼になって佇む相棒の姿があった。
 その声に抑揚はなく、表情はどこか虚ろだ。
 賦術“コンセントレーション”の効果もあって、極度の集中状態を維持しているその姿に、アルトリートは一瞬気圧されるものを感じて頭を振った。
 味方に気圧されてどうすると、苦笑しながら偵察の結果を思い浮かべる。

 指揮官であるボガードコマンダーの下に、分隊長格のボガードトルーパーが四、ボガードソーズマンが四、ボガードが十六、大型の狼が六。
 コボルドを含めれば、敵の数は全部で五〇弱。かなりの大所帯だ。

 もっとも戦闘員はボガードのみで、コボルドは砦建設用の人員だろう。
 組織としては、コマンダー直属の部隊が一つ。それとは別に四グループが交代で砦の見張りや周辺の見回りなどを行っているのではないか。
 現在の砦の状況や合流までの間に砦を出入りした部隊、そして先に殲滅した連中の構成から、アルトリートはそう推測する。
 
 ちなみに、現在、哨戒に出ている部隊はない。
 先程、哨戒を終えて帰ってきた部隊と交代で別の隊が砦を出発することはなかった。
 その代わり、砦内が先程から騒がしくなりつつある。追っ手として放った隊が帰ってこないせいだろう。
 砦の存在を隠しておくために、何らかの対応を考えているのだろうとアルトリートはそう推測する。

(……蹴散らすだけなら簡単だ)

 自分ひとりでも出来る。だが、ここにいる連中が蛮族勢力の尖兵という位置付けであった―――つまり、背後に本隊がいる可能性を考えると、そちらも叩く必要がある。でなければ、一つを片付けても別の場所に砦が築かれるだけだ。延々とイタチゴッコを続けることになる。
 無論、本隊を叩くところまで自分達で行えるとは思わない。それらは国境神殿の面々の仕事だろう。

「だから、彼等の邪魔はしないように、カッタバの脅威を取り除く」

 この砦が陥落したことを知れば、本隊の動きが変わるかも知れない。その結果、国境神殿の神官戦士達に迷惑がかかる可能性があるのなら、やるべきことは一つだ。

 皆殺し。
 情報を外に出させぬよう、徹底的に殲滅を図る。

 それが、砦の状況を見て、レクターと二人で出した結論だった。

「はじめようか」
「……ああ」

 レクターが静かに杖を掲げる。邪魔をしないよう少し離れて、しかし周囲への警戒を最大限に行いながら、彼の魔法を見守る。
 先制は、少しだけ派手に。

「真、第十五階位の攻―――」

 選択した呪文は、真語魔法最強の魔法だ。
 ゲームでも早々お目にかかれない大魔法を、レクターは静かに詠唱する。

「星界、回廊、天炎、絶滅、星槌!―――“星撃”!!」

“メテオ・ストライク”
 レクターが解放した魔力に応え、夕日に染まった空が一瞬白い閃光に染まった。

「…………っ!!」

 アルトリートは身を低くして、耳を塞ぐ。
 ―――直後、轟音を伴って真紅の火線が砦に降り注いだ。




 冷え冷えとした声が、夜気を乱す。

「私は、嫌がらせ程度の攻撃を仕掛けてすぐに帰ってくる。そう説明を受けたような気がするのですが?」
「……はい」
「貴方にとって嫌がらせというのは、空から星を落すことなのでしょうか」
「い、いえ」

 カッタバの村。
 村長エクトルの家に、アルトリート達はまだ逗留していた。否、させられていた。

 静かな声に、肩を縮こまらせてレクターが答える。
 その姿を少し離れた位置で眺めながら、アルトリートはため息をついた。
 どういう説得をしたのかは知らないが、レクターは蛮族の砦を攻めるにあたり、ちょっと攻撃を仕掛けて戻ってくる程度と説明していたらしい。

(まあ、事前に言わずにあれだけの魔法使ったら……怒られるよな)

 アルトリート達がカッタバに戻った時、村は大騒ぎになっていた。

“メテオ・ストライク”の魔法。
 一時間以上をかけて準備をした場合―――ルールブックの記述を信用するのなら、直径一キロメートルにも及ぶ広範囲を吹き飛ばす―――は無論のことながら、今回のように即時行使を行った場合であっても、その効果は正しく天変地異の類だ。

 知らぬ間に築かれていた蛮族の砦。予想される襲撃。
 そうした恐ろしげな話を聞いて不安に思っていたところに、轟音を伴って降り注ぐ流星を見れば、それを蛮族の仕業と考えても無理はないだろう。
 かくて、村は大パニックとなり、エクトルはその収拾に奔走することとなったらしい。

 村に帰ってきて事情を説明した時の、エクトルの笑顔はしばらく夢に見そうだ。
 背筋が凍るような笑顔のまま、レクターの首根っこ引っ掴むとその足で自宅へと戻り、その後、一時間以上もああして叱り続けている。

 もっとも、今回に関しては、レクターにも若干同情の余地はあるのだが。
 彼が認識する“メテオ・ストライク”の威力と、実際の威力の間には文字通り桁一つ分の差異があったからだ。
 ルールブック上の記述では、効果範囲は直径一〇メートルを超える程度だった隕石召喚の魔法は、実際のところその一〇倍近い範囲を一瞬で吹き飛ばしていた。

 衝撃に舞い上がった土砂や砕かれた木材の砕片が雨となって降り注ぎ、あたりを嘗め尽くした爆風がそよ風程度にまで減じた時、蛮族の砦は影も形も残っていなかった。
 その光景を、二人して唖然と眺めた後、何か背後関係が分かるモノはないかと周辺を掘り返すこと約二時間―――そんな物が都合よく見つかるわけもなく、完全に日が暮れたため、村へと戻ってきたのだが―――

「大人しく叱られてあげて下さい。
 流星が降り注いだ後、あなた達が帰ってくるまでの二時間、あの人は随分と苦しい思いをしたでしょうから」
「…………」

 そっと夫人から耳打ちをされた内容に、アルトリートは押し黙った。
 混乱を招いたことではなく、すぐに戻って来なかったこと―――エクトルが激怒している理由がそちらだとするならば、それは甘んじて受けなければならないだろう。

「アルトリートさんもこちらに来なさい!!
 あなたにも言っておきたいことがありますっ!!」
「はい」
「何が面白いことでもありましたかっ!?」
「……いえ、全く」

 本気で叱ってくれる人がいる。
 そのありがたみをかみ締めながら、アルトリート達は夜が更けるまで平謝りに謝り続けた。



[25239] #2-1 “ルーフェリアの玄関口”(上)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/16 20:26
 カッタバの村よりさらに東。
 街道の整備されていない湖畔の平地を馬で飛ばすこと一日、その神殿は唐突に姿を見せる。
 国境神殿。
 蛮族の侵攻を防ぎ、また危険な動物などが領内へと入り込まないよう見張っているその施設は、ルーフェリアの守りの要だ。
 手練れの神官戦士達が数多く駐在し、日夜辺境の平和を守っている。

「―――さて、どう思うかね?」

 その人物は、書類を書いていた手を止めるとそう切り出した。
 ヴァレール高司祭。神殿の責任者―――つまり、この国境神殿が管轄するルーフェリア南東部の守護者である。
 人間種族でありながら、四〇半ばにして全く衰えの見られない精強さを誇る彼は、この神殿における最強の戦士として尊敬を集めている。
 もっとも、短く刈り込んだ黒髪と顎の無精ひげ、そしてその厳つい顔ゆえに、彼の肩書きを耳にした者は首を傾げるか苦笑を浮かべるのだが。

「どう、とは?」
「件の二人のことだ。何となくで構わない。君は彼等にどういった印象を持った?」

 上司に問われて、彼女―――フランセットはわずかに首を傾げた。
その動きにあわせて、肩口で切り揃えられた金髪が揺れる。黙考する彼女の内面を反映してか、エルフの特徴である長い耳がピクリと動いた。

「……悪い人物ではないと思います。善人か悪人かでいえば、間違いなく前者だと思いました」
「ふむ」

 フランセットは先日の騒動を思い起こす。

『カッタバの近くで、蛮族の砦が確認された』

 神殿に届いた書簡を目にした時の衝撃は、未だ記憶に新しい。
 もっとも、その書簡を追いかけるように届いた二通目の内容はもっと衝撃的だったが。

『先に連絡を行った件の砦は、偶然村に逗留していた冒険者二名によって排除された。
 このため、貴隊への緊急派遣要請を取り下げると共に、今回事件の顛末について取り急ぎ報告を行う』

 そんな書き出しで始まった二通目の書簡に対するフランセットの感想は、一言に尽きる。

(何の冗談だろう、と思ったのだけれど)

 山中に築かれた砦。五〇体に及ぶ蛮族達の部隊。たまたま村にいた冒険者。星が降った。砦が消し飛んだ。とりあえず一件落着。

 こちらが行った追跡調査の結果、どうやら全て事実らしいことが判明した時には、あまりの不条理さに眩暈を覚えたものだ。

(確か、レクターとアルトリート……だったかしら)

 星を落した魔術師と双剣を携えた剣士。
 彼等は調査にやってきた自分達に事件の顛末を改めて説明し、その上で背後関係―――本隊がいるかどうか等の調査を不可能としてしまったことを謝罪してきた。
 その時の、妙に腰の低い対応を思い出し、フランセットはため息をつく。

「軽率、というわけでもないのでしょう。
少なくとも、蛮族の砦に攻撃を仕掛けた理由については納得のいくものでした」

 ―――神官戦士隊が到着するまでに、カッタバが襲われる可能性を看過出来なかった。
 そう言われてしまえば、自分達に彼等の判断を責めることはできない。低姿勢で言われればなお更だ。
 結局、あの二人は、出来ることをやったに過ぎない。
もっとも、他にやりようはなかったのか、非常に問いたいところではあるが。

「ただ―――」
「ただ?」

 ヴァレールの目を見つめながら、フランセットは一つだけ懸念としていることを口にした。

「放置するには、周囲への影響力が大きすぎます。
 彼等に何一つ悪意がなかったとしても、今回のようにその力を躊躇なく振るうようなら、間違いなく大きな混乱の原因となるかと……」
「なるほどな」

 そういう意味では、非常に危険だと告げるフランセットに高司祭は頷いた。

「とはいえ、星を落すような魔術師に相手に『危険だから』という理由だけで喧嘩はしたくない。それは、剣士の方も同じだ」
「……はい」

 魔術師については言うに及ばず、あの剣士にも悪い心象はもたれたくないとヴァレールは告げる。
 銀髪の魔術師の影に隠れるような、ひどく存在感が希薄だった剣士の姿を思い出す。
 平々凡々な印象の、そのクセ力量を全く読ませなかった青年。
 あれはあれで、間違いなく化け物の一種だろう。彼に対する上司の評に、フランセットも同意する。

 脅威を感じない者こそ恐ろしい。

「どちらにしろ、私たちの手に負える相手ではないな。
“本神殿”に報告を入れて、そちらの判断に任せよう」

 ヴァレールが結論を出す。

「はい。それがよろしいかと」

 フランセットが結論を支持する。
 
 かくて、彼等の上司が抱える頭痛の種が一つ増えた。




 街道を西に。
 カッタバの村を出立したアルトリート達は、エルリュート湖の南を走る道を歩いていた。
 ルーフェリアの中央部一帯を占める巨大な淡水湖。かつては“青い宝石”、今は“女神の涙”と讃えられる美しい湖を右手に眺めながら、のんびりと徒歩の旅を楽しむ。
 遭難死の恐怖と戦いながらの山歩きとは大きな違いだと、アルトリートは鼻歌を歌った。

 カッタバを出てから三日、そろそろ宿場町オルミに到着するはずだ。
 そう告げた相棒に視線を向ければ、彼もまたとてもご機嫌な様子だった。穏やかな表情を浮かべたまま、肩に乗せた鴉と何事か話をしている。
 そんな姿を見ながら、アルトリートは今後の予定を脳裏に浮かべた。

(とりあえずは、カナリスに向かう)

 突然この世界に放り出された自分達には、当然のことながら寄る辺となるものは何もない。
 それは面倒臭いしがらみに囚われないということと同時に、何をするにも独力で行わなければならないことを意味している。
 そんな状態で、魔神―――レクターの話を信じるのなら推定レベル30前後の化け物に挑むなど、できるワケがない。

 ―――騎士と結んだ約定を守るためには、今の自分達には足りないものが多すぎる。

 だから、二人が出した方針は、先ず自分達の足元を固めようというものだった。
 しばらくの間は、単なる冒険者として地道に実績を積み上げていく。
その内に、仲間だって見つかるだろう。もしかしたら、魔神への対抗手段について情報を得る機会があるかもしれない。
 
(単なる問題の先送りのような気もするが……)

 焦っても仕方がない。今はこの世界を楽しもう。

 そこまで考えて、アルトリートは思考を止めた。軽く頭を振って、もう少し目先のことへと視点を向ける。 

「レクターはオルミの町に着いたらどうするんだ?」
「うん。少しくらいなら遊んでもバチは当たらないかな、と思うんだけど」
「ま、報奨金も貰ったしな」

 それも良いかと、アルトリートはレクターの答えに頷いた。
 その存在を確かめるように、そっと財布を入れた腰のポーチへと触れる。

 カッタバの村を守った二人には、国境神殿から報奨金が支払われている。
 事件の調査として行われた事情聴取の後、少しキツ目の印象を受ける―――レクターはそれが良いと言っていたが―――女性神官から手渡された袋には、何と一万二千ガメルが入っていた。
 一人あたり六千ガメルという金額は、15レベルの冒険者に対する報酬としては当然不足だが、文無しとなっていたアルトリート達にとっては大変ありがたいものだった。
 何しろ三ヶ月は宿暮らしができるのだ。

 ちなみに、村からも報酬を出すという話があったのだが、そちらに関しては、二人は受け取りを固辞していた。
 もっとも、あれを持って行け、これも持って行けと、保存食やら何やら色々と旅に必要な物を渡されてしまったのだが。
 本当に、どこまでもお人好しな人達だったと、アルトリートは小さく苦笑した。

「じゃあ、到着して宿を取ったら、そのまま自由行動とするか」
「うん。異議なし。クルーガーも羽を伸ばすといいよ」
「お心遣い感謝します。主よ」

 二人と一羽が向かうオルミの町は、ルーフェリアの玄関口と呼ばれている。
 ルーフェリア神殿への巡礼者を始め数多くの旅人が行き交い、それを目当てに集まった商人たちによって急速に発展した宿場町。
 急激な発展ゆえの闇も数多く抱えているが、それゆえに力強い―――若々しい活気に溢れた混沌の町として知られている。




 カードが配られる。
 遊戯台の上に表向きに置かれた二枚の札。その絵柄を確認する。
 一枚目、剣の王。
 二枚目、五つの杯。

(む……十五か)

 ちらりとディーラーのカードへと視線を走らせる。
 一枚は表向きに、もう一枚は伏せられている。
 表向きにされたカードの絵柄は、三本の剣。それを見て、アルトリートは指先で台を叩いた。
 ヒットの意思表示に、新たにカードが配られる。

(七以上は勘弁してくれよ。できれば六で)

 そう願いながら、新しく配られたカードを確認する。その絵柄は―――四つの杯だった。
 自分の持ち点は合計十九。これが限度だろう。

 スタンド―――これ以上カードはいらないとの意思表示として、自分のカードの上に手をかざす。

 他の客も同様の動きを見せたことを確認し、ディーラーが伏せられていたカードを表にする。絵柄は、七本の剣。
 カードが一枚追加される。今度は六枚の金貨だ。
 これで、現在のディーラーの点数は十六。ゆえに、次が最後の一枚となる。

(……六以上、もしくは二以下を)

 最後のカード。その絵柄は―――

(……残念)

 アルトリートは苦笑いを浮かべて首を振った。その視線の先には、五本の剣が描かれている。
 他の客達からもため息がこぼれた。


 随分長いこと遊んでいたらしい。
 終ってみれば、所持金が千ガメルほど減っている。そのことに若干へこみながら、アルトリートは賭場を後にした。

「やれやれ。当然のことながら、そうそう勝てるわけないよな」

 イカサマをすれば話は別だろうが、アルトリートにその意思はない。
 純粋に遊ぶことを目的にしている以上、興ざめとなるような真似はゴメンだと小さく頭を振った。

(そもそも、金を稼ぐことを主目的にするのは、何か間違ってると思うんだけどな)

 自分の所持金が、己の智恵や運によって乱高下する。賭博とはそのスリルを楽しむものだろうと、アルトリートは持論を持っている。
 無論、異論は認める。それどころか自分の方が少数意見だろうとも認めながら、人通りの多い道を眺めた。

 すでに深夜といってよい時間帯のハズなのだが、人気が減る様子は全く見られなかった。
 むしろ、これからが本番と言わんばかりの賑やかさに、何となく心が浮き立つような心持ちでアルトリートは笑った。
 気分直しに一杯飲むかと、酒場へと向かって歩き始める。

「ま、何にせよ引き際が肝心だよな」

 金を稼ぐことに血眼になった挙句、引き際を間違って素寒貧。
そんな末路は正直ゴメンだと、何となく店の脇にある路地へと視線を向ける。そこに一人の青年が倒れていた。
 傍らには、ガタイの良い強面の兄さんが立っている。

(……うげ)

 嫌なものを見たと、アルトリートは顔をしかめた。

「お、お願いします」
「だから……うちは、アンタみたいに金のない客にゲームを続けさせるほど優しくないし、またアコギでもないんだよ」

 縋りつくように、男の足へと青年が手を伸ばす。それを一歩下がってかわしながら、強面の男は辟易とした様子でため息をついた。
 金が無くなればそれでおしまい。そう告げる彼の言葉に、青年はそこを何とかと懇願の声を上げる。

「……いい加減にしてくれないと、さすがに俺もキレるぞ、おい?」
「うう。で、でも……どうしてもお金がいるんです」
「知るかっ、ボケ!!」
 
 しつこく食い下がる青年に、男のコメカミに青筋が浮かんだ。彼が懐から取り出したものを見て、アルトリートはため息をついた。
 通りを照らす灯りを受けて、男の手元がギラリと冷たい光を放つ。

(放っておきたいが、酒が不味くなるのも嫌だし)

 やだやだ、と首を振りながらアルトリートは二人に近づいていく。
 元より脅しのつもりで使う気などないのだろう。男は青年へとナイフを見せ付けてはいるものの、何かをしようとする気配は無かった。
 だが―――

「お願いします。お願いしますっ!!」
「……こ、このっ!!」

 見せ付けられた光物を全く意に介さず、青年がさらに食い下がる。
いい加減、我慢の限界に達したのか、男の顔が赤く染まり―――

「はい、それまで」
「な!?」

 振り上げた男の腕を、アルトリートは無造作に掴んだ。
 驚愕の表情を浮かべた男へと囁くように告げた。

「それを振り下ろすと、色々とマズイだろ?
 この男は俺が引き取るから、お兄さんは店に戻った方がいいんじゃないか?」
「……アンタ、こいつの知り合いか?」
「いや。単に通りがかっただけ」

 男の問いに、アルトリートは首を振る。

「負けた気分直しに酒でも飲もうかとしてるのに、その酒までマズくなるような光景はゴメンでね」
「…………」

 そんなアルトリートの言葉に、男はため息まじりに体の力を抜いた。
 押さえていた手を離すと、彼はナイフを懐へとしまう。

「分かった。引き取ってくれるのなら、俺も文句は無い。早く連れて行ってくれ」
「はいはい」

 シッシと犬を追い払うように手を振る男に、アルトリートは小さく苦笑する。お勤めご苦労様と言葉を投げながら、青年へと向き直った。
 その後ろ襟を有無を言わさず掴む。そのまま引きずり始めた。路地から通りへと戻る。

「ちょ、ちょっと待ってください。僕にはまだ―――」
「うるさいだまれ」

 抗議の声を一蹴して、周りの奇異の視線を黙殺しながらアルトリートは別の路地へと入り込む。そこで手を離すと、中腰になって青年と視線を合わせた。

「なあ、アンタ」
「な、何ですか?」

 真正面から半眼になって見つめると、青年は若干怯えの表情を浮かべながら見返してくる。
 柔らかそうな金髪をした細身の青年だ。よく見れば、繊細で整った顔立ちをしている。
 仕立ての良い衣服に身を包んで、街角を歩けばさぞモテることだろう。

(……へぇ)

 先程のやり取りで、今彼が身に付けているものはヨレヨレになっている。だが、青年自身には目立った傷がないことに気が付いて、アルトリートは若干感心した。
 どうやらさっきの男、それなりに心得ていたらしい。
 客に怪我を負わせたなどと風評が立てば客足が遠のく。迷惑な客を店の外に放り出すことはしても、暴力は出来る限り控える。
 そんな意図が見える青年の姿に、これなら止めに入らなくても良かったかも知れないと、少しばかり後悔しながらアルトリートは言葉を続ける。

「何で金が必要なんだ?」
「……え」

 あの状況で全く怯む様子がなかったあたり、相当に切迫した事情があるのだろう。
 理由によっては、一部カンパをしても良いと考えたアルトリートの言葉に、青年の表情が揺れる。

「え、ええと。その……大事なひとに贈り物を」
「……そうか」

 アルトリートは良く分かったと頷いた。
 何となく、今の自分は無表情だろうななどと思いながら、立ち上がる。

「じゃあな、青年。賭博で金を稼ぐのは無理だろうが、せいぜい頑張ってくれ」
「ちょ、ちょっと!?」

 無駄な時間だった。そう呟きながら、足早に路地を出ようとするアルトリートに青年が声を上げる。
 
「ちょ、待ってください。助けてくれるんじゃ!?」
「そんなこと言った覚えは無い。というか、博打で贈り物の資金を作るとかアホかアンタはっ!?」
「そんなこと言わずに、そこを何とかっ!」
「ええい。触るな。馬鹿がうつる!!」

 行かせまいと手を伸ばす青年をかわし、アルトリートは悪態をついた。




 衣擦れの音に被さるように、艶やかな声が上がる。
 最初は囁くようにか細かったそれは、すぐに部屋中に響くほどの大きさへと変わった。
 高く、早く、低く、緩やかに―――音階とリズムを目まぐるしく変える甘い吐息が、耳元をくすぐる感触を愉しむ。

 一際大きな声と共に硬直した柔肌を抱きしめて、レクターは小さく息をはいた。


 いつの間にか蝋燭が随分と短くなっている。
 そのことに気が付いて、レクターはそっと自分の衣服を身に着けた。着替えが終るとサイドテーブルに置かれたグラスを手に取る。

「ん……あま」

 どうやら、果実の絞り汁でアルコールを割っているらしい。
口の中に広がった酸味と甘み―――そして仄かな酒の味に目を細めながら、レクターは窓の外へと視線を向けた。
 建物と建物の間に縄を通し、それに幾つもの照明具を吊るす。
そうして得られた光によって照らされた通りから、陽気な酔漢の歌や小気味良い客引きの声が聞こえてくる。

「……この町は、本当ににぎやかだね」
「ええ。昼と夜で若干異なるけれど、活気がなくなることはないですよ」

 さすがに花町で暴れるような馬鹿はいないようだが、時折、別の意味で戦っているらしき声が聞こえて来る。

(まあ、完全防音の部屋なんて、そうそうあるものでもないよね)

 お偉いさん御用達の高級店ならばともかく、普通の店ならそんなものだろう。
 苦笑しながら視線を動かせば、寝台に腰掛けている女性と目が合う。乱れた赤い髪を手櫛で整えながら、彼女は照れたように微笑んだ。
 先程まで似たような声を上げていたことを思い出しのだろう。

「こういうお店が堂々と軒を連ねるって、ルーフェリアじゃ結構珍しいと思うんだけど」
「そうでしょうね。カナリスでは目立たないよう、裏通りでひっそりとって話ですし」
「カナリスって神殿のお膝元でしょ? そもそも存在しないと思ってたよ」

 軽く驚いた様子を見せるレクターに、彼女は小さく笑った。

「時に人肌が恋しくなるのは、誰だって同じでしょう?」
「……なるほど。もっとも、私はイレーネさんの虜になってしまったから、他の店には行かないだろうけど」
「あら、嬉しいことを言ってくださいますね」
「事実だからね。少し恥ずかしいけれど、気持ちは口にしないと中々伝わらないでしょう?」
「ふふ。ありがとうございます」

 レクターの言葉に、イレーネがくすぐったそうに目を細める。
 ひとしきり軽やかに笑った後、彼女は首を傾げた。

「―――そう言えば、レクター様は、ルーフェリアの外から来られたのですか?」
「うん? ああ、そうだよ。
といっても、私は駆け出しの冒険者だからね。あまり楽しい話のネタはないのだけれど」
「あら、そうなのですか?」
「そうなんだよ」

 イレーネの言葉を笑って流しながら、レクターは彼女の横に腰を下ろした。

「私は口下手だから、あまり自分のことを話すのは慣れていないしね。
 もし良かったら、イレーネさんのことを聞いてもいいかな。最近嬉しかったこととか、変わったこととか、そんな感じの」
「嬉しかったこと、ですか」

 サラリと赤い髪を揺らして、彼女はわずかに思案する。

「そうですね。実は、今度私の同僚が結婚するんですよ」
「それって―――」
「ええ、身請けという奴です。お相手の方は、結構な大店の主様なんですよ」
「それは凄いね」

 本当に、とレクターに頷きながらイレーネは目を伏せる。
 妾ではなく、正妻として迎えられるというのは、中々あることではないのだと彼女は続けた。

「少し妬ましいですけれど、妹のような娘ですから、やはり幸せになってくれればと―――」
「よかったですね。本当に」
「……ええ」

 彼女の言葉が、本心から出たものであることは間違いないだろう。若干複雑なものがあることも含めて。
 レクターはそっと彼女を抱き寄せて、耳元で囁いた。

「大丈夫ですよ。イレーネさんにも良い方が現れます。貴方ほど魅力的な女性なら、私を含め、焦がれる男は多いでしょうから」
「あまり言われると、本気にしてしまいますよ?」
「もちろん。私は本気で言っていますよ」
「……もう」

 少し頬を染めて、イレーネが目を閉じる。
 それからしばらくの間、二人は中身のない甘いやり取りを楽しんだ。




 琥珀の酒に満たされたグラスを見つめて、アルトリートはため息をついた。
 軽く揺らせば、カラリと中に入っている氷が音を立てた。

 種類が違うのだから当然だが、カッタバで振舞われた酒とは随分と味の印象が異なる。その違いを確かめるようにアルトリートは、グラスへと口を付けた。
 喉の奥へと流し込まれたアルコールが、喉の奥を熱くする。

「…………」

 店は落ち着いた感じの雰囲気に包まれており、おだやかに時間が流れている。
 出された酒も相応に上等なものなのだろう。アルトリートがそれを不味いと思うことはなかった。
 それなのに、楽しくないのはどういうことだと、再びため息がこぼれる。

「何か、ありましたか」
「……う~ん。鬱々とするようなことは無いんだが」

 カウンターの向かいから、この店のマスターらしき男が穏やかな口調で問いかけてくる。
 それに苦笑いを浮かべながら手を振って、アルトリートはグラスの中身を飲み干した。
 空になったグラスを差し出せば、マスターがそっとおかわりを注いだ。

「……さっき、賭場の近くでお店の人と揉めてる兄ちゃんを見つけてね―――」
「…………」

 再び満たされたグラスに口を付けながら、アルトリートは先程の話をした。

「―――結局、上手いこと撒いた後、近くにあったこの店に来たんだけど。何か、決まりが悪くてね」
「なるほど。私は、その青年に感謝しなければなりませんね」
「うん?」
「新しいお客様を連れて来てくれたということですから」
「ははは、確かに。ああ、そういう意味では感謝してもいいか。こんな良いお店に出会えたわけだし」

 マスターの言葉に、アルトリートは小さく笑った。
 一杯どうかと問えば、彼は頂きますと頷いて新しいグラスに琥珀の酒を注ぐ。互いに軽くグラスを掲げた。

「とても良い店を教えてくれた兄ちゃんに」
「新しいお客様を連れて来てくれた青年に」

 乾杯と、軽くグラスを触れ合わせる。そのまま、半分ほど中身をあおって、アルトリートは小さく息をはいた。

「ま、もし次に出会ったら、もう少し話を聞いてみることにするよ。酒の一杯でも奢りながら」
「それがよろしいかと」

 マスターが頷いた。
 と、店の入り口が開かれた。ドアに付けられた鈴が涼やかな音を立てて、新しい客の入店を教える。
 アルトリートはグラスに口を付けたまま、そちらへと視線を向けて―――

「このっ、いい加減にしろっ!!」
「お願いしますっ!! 何とか!」

 同時に聞こえてきた罵声に、思わず酒を噴出しかけた。

「おいおい」
「……お知り合いですか?」

 グラスを置いて腰を浮かせたアルトリートに、マスターが首を傾げる。
 先程の話の、と伝えれば納得したようにマスターは頷いた。

「……奥に、一室ほど個室があります。今は誰も使っていませんから」
「申し訳ない」

 マスターに礼を言って、アルトリートは揉めている新たな来店者達へと近づく。
 せっかく美味くなった酒を、再び不味くされては叶わない。早々に片をつけるべく、迅速に行動する。

「ああ、すまない」
「……何だアンタは?」
「あっ」

 揉めているのは、四人の男だった。
 一人は言うまでもなく、先程撒いてきたハズの青年。
 残りの三人は、お偉いさんとその取り巻きといったところだろうか。身なりの良い初老の男と、護衛らしきガタイの良い男が二人。
 声を掛けたアルトリートへと、護衛らしき男の一人がジロリと視線を向けた。小さく声を上げる青年を無視して、アルトリートは話を続ける。

「そいつを引き取ろうと思ってね」
「君の知り合いかね」

 何かを言いかけた男を制し、初老の男が問いかける。
 その色の無い視線を受けて、アルトリートは頷いた。

「待ち合わせをするほど仲が良いわけではないがね。
 この店の雰囲気をぶち壊しにするのも忍びない。良ければ、俺に任せてはもらえないだろうか」
「……いいだろう。私も、罵声や男の悲鳴を肴にする趣味は無い。
 まして、こんなことで店の主に迷惑をかけるわけにもいかない」

 そちらに任せよう。そう頷いた男に頭を下げて、アルトリートは青年の後ろ襟を再び掴む。
 チラリとカウンターの奥へと視線を向ければ、マスターが店の奥へと続く扉を示した。

「ちょっとこっちにこい」
「あ、貴方は……、いや僕はまだ」
「いいからこい」

 有無を言わさず、店の奥にある個室へと引っ張っていく。
 背中に突き刺さる視線を意識して、アルトリートは深くため息を付いた。
 部屋に入って、後ろ手に扉を閉める。

「……お前ね。人の迷惑って考えてる?」
「分かってます。でも、僕には時間がないんです」

 額に手を当てて、ウンザリとした口調で問えば、そんな答えが返ってきた。
 椅子に座りながら、アルトリートは青年を見る。殴られでもしたのか、その顔はところどころ腫れていた。
 もう一度深くため息をつく。

「……話せ」
「え?」
「贈り物をする、というのはさっき聞いた。
 だから、何で贈り物をするのかって理由と、『時間がない』という言葉の意味。
 全部話して、納得が行く様なら少しは金を出してやる」
「ほ、本当ですかっ!?」
「……一万ガメルくれ、とか言われたら困るがな」

 アルトリートの言葉に、青年が表情を輝かせる。
 とりあえず落ち着けと椅子を勧めれば、彼は向かいの席へと座って深呼吸をした。
 浮ついた表情を改めて、こちらへと視線を向ける。

「はい。実は―――」

 彼は、静かに話を始めた。


 青年の名前は、ロラン。このオルミで宝飾師をしているらしい。
 昼間に目にした真珠の耳飾りなんかを作っているのかと問えば、そうだと彼は頷いた。

「もっとも、僕はあまり筋の良い方ではなくて、その、一度は廃業を考えたこともあったんです」
「…………」
「それを師匠に告げたところ、お前は根性が無さ過ぎると叱られまして」

 度胸付けに、娼館に叩き込まれたのだそうだ。
 その時のロランはまだ女性を知らず、ゆえに何が何だか分からないまま困惑していたのだが、そこはプロの手管というところだろう。
相手を務めてくれた女性に優しく手ほどきを受け、さらに何やらロランの相談にも乗ってくれたそうだ。
 結果、ロランは立ち直り、今も宝飾師を続けている。

「……なるほど」
「あの。笑わないんですか? 大体この話を聞いた人は僕を笑うんですが」
「そういうこともあるだろう。それで?」
「あ、はい」

 優しくされて本気になっちゃったらしい。そのことについて、どうこう言うつもりはない。本人の問題だ。
 先を促すアルトリートにロランは話を続けた。

「それからも、その……何度か彼女のところに通ったのですが、先日行った時にお店の人に指名を断られまして」
「……嫌われた、とか?」
「いえ。私も最初、そう思ったんですが。理由を聞いてみると、何でも身請けが決まったとか」
「ああ、なるほど」

 身請けが決まった以上、別の男に抱かせるわけにはいかないということだろう。

「相手の方は大きな商会の主だそうです。何でも妾ではなく、妻として迎えるのだとか。
 そのこと自体は良いんです。いえ、全然良くないんですけど」
「どっちだよ」

 肩を落すロランの言に、アルトリートは苦笑しながら突っ込みを入れる。
 気持ちは理解できる。『彼女』が身請けされるということは、彼の恋は破れたということだ。だが、他でもない『彼女』が幸せになれるのなら、それはそれで良いということだろう。
 そんな微妙な心情が窺えて、アルトリートは初めてこの青年に好感を抱いた。

「それで? その様子だと、彼女が身請けされること自体は、祝福するつもりなんだろう?」
「はい。だから、お祝いと、何より感謝の気持ちを伝えたいと思って」

 しかし自分は話下手で、上手く気持ちを伝える自信がない。
 それに自分は宝飾師だ。だから気持ちは物に込めて渡したいのだと、彼は続けた。

「それで、髪飾りを作ろうと考えたのですけれど、一度失敗してしまって」
「材料を買う金がない、とかか」
「はい。あと少し、宝石を買うことが出来れば、すぐにでも完成させられるんですが」

 ロランは頷いた。
 そして、その宝石を買うための資金を得るために、賭博に走ったり、金貸しに縋ってみたりしたのだという。

「……まあ、理由に関しては理解出来た。時間がないというのは?」
「彼女の身請けは、明後日です」
「…………」
「…………」

 しばし沈黙する。
 念のため、もう一度聞き直すが、ロランは「明後日、彼女が身請けされる」と答えた。

「間に合うのか?
 いくらなんでも身請け当日や、身請けの後には渡せないだろう」
「はい。間に合わせます。しかし―――」

 残された時間は、明日一日だけだろうと告げたアルトリートに、ロランは頷くと同時に項垂れた。
 材料が無ければどうにもならない。

「……いくら」
「え?」
「だから、その宝石って幾らくらいするんだ? 妥協なしで」
「三千ガメルです」

 その答えを聞いて、アルトリートは目を閉じた。
 フェアリーテイマー達が用いる宝石が、一つ五〇ガメルであること考えれば、トンでもない値段だ。
 それこそ、詐欺の一種ではないかと思うのが普通だろう。

(それこそ、そんな大金を出す馬鹿はいないよな)

 そう考えながら目を開けば、殴られて腫れた顔が目に入る。
 金の無心に走った相手は、さっきの明らかに裏街道を歩いていそうな男だけではないのだろう。先程よりも更にボロボロになっていた服装を見て、アルトリートはため息をついた。何となく酒が欲しくなる。

「足りないのは?」
「二千ガメル……いえ、さっき賭場で全財産が無くなったので三千」
「……賭博で三倍にしようとしてたのか」
「はい」

 消え入りそうな声でロランが答える。
 その以上は触れずに、アルトリートは最後に一つだけ確認を行った。

「本当にお前はそれでいいのか?」
「え?」
「そんな大金かけて贈り物をしても、喜んでくれるとは限らないだろう。
 それこそ受け取って貰えるかさえ分からない」
「はい。それを身に付けて貰えなくても構いません。たとえ売り払ったとしても、そのお金は彼女の持参金になるでしょうし」

 受け取りそのものを拒否されると困りますが。そう答えるロランに、アルトリートは確信した。いや、再認識したというべきか。

(馬鹿だ、馬鹿。それも真性の)

 そして、自分も人のことは言えないだろう。
 ウンザリとした面持ちで、アルトリートは腰のポーチから財布袋を取り出した。

「一つだけ、俺の意見」
「はい?」

 アルトリートの手元に目を吸い寄せられていたロランが顔を上げる。
 その目を真っ直ぐに見据えながら、アルトリートは静かに告げた。

「お前は、自分の気持ちを伝えるべきだ」
「え? だから、そのために―――」
「そうじゃなくて。祝福や感謝とは別に、彼女に対して抱いている気持ちの方だよ」

 お前の問題だから、別に従う必要はないが。そう締め括って、アルトリートは財布の中から金貨を取り出した。




 何だか妙なことになった。
 レクターは、ため息をついて星空を見上げた。
“ライト”の魔法を、道端で拾った枝の先端にかけて、それを灯りに暗い道を歩く。
 杖とアルケミーキットを宿に預けているため、こういう暗がりを進むのは何となく心細いものがある。

(魔法自体は使えるから、問題はないかな)

 右手首に填めた腕輪を見て、レクターは脳裏を過ぎった不安を振り払おうとした。
 前衛技能を持たない魔法使いの単独行動は、かなり危険なものがある。
 相手が複数で距離が無かった場合など、条件次第で格下相手に袋叩きにされる可能性があるくらいには。

「…………」

 楽天的に考えようとして、失敗するのは一人きりだからか。
 クルーガーを呼び寄せようかとも一瞬考えたが、羽を伸ばせと放っておきながら、夜道が怖いからこっちに来てくれとはちょっと言えない。
 あと、暗視がないのでアイツは鳥目だ。

「街中だから、出てもゴロツキくらいだろうけど」

 レクターは再びため息をつく。
 手元の紙に書かれた地図に目を落して、目的地が近いことを確認すると早足で歩を進めた。


『もし、もし……そこのお方』
 そんな声を掛けられたのは、娼館を出てすぐ横にある路地の前を通りかかった時だった。
 人目を憚ってフード付きの外套で顔を隠し、暗い路地の中に佇むその姿は明らかにワケありで、出来れば関わり合いになりたくない手合いだ。
 それでも、レクターが足を止めたのは、その声が明らかに若い女性のものだったからだ。
 女性に声を掛けられて、それを無視することなどレクターには不可能だった。

「何か私に御用でしょうか?」

 内心の不審を押し殺し、表情に穏やかなものを浮かべて彼女へと近づく。
 無視されなかったことに安堵したのか、フードの女性はほっと胸を撫で下ろす仕草を見せた。

「突然声をお掛けして申し訳ございません。また、このような格好でお話をするご無礼をお許し下さい」
「……構いませんよ。何か、理由があるようだし」
「本当に申し訳ございません。あの……貴方様は、先程まで“水面の誘い”にいらっしゃったのでしょうか?」
「ええ。そうですが」

 耳にした娼館の名前に、首を傾げながらレクターが答える。
 それを受けて、フードの女性は一つ頷くような仕草を見せた後、意を決したように両手で何かを差し出した。

「あ、あの。これを」
「……手紙?」

 差し出されたのは一通の封書だ。もっとも、貴族などが使うような格式高い代物ではなく、平民が平民あてに出すようなものだが。
 それを受け取ってレクターは首を傾げた。
もしかして、自分あての恋文だろうか。そんな馬鹿なことを考えるレクターの思考とは裏腹に、彼女はどこか必死な様子で頭を下げる。

「その……お客様に、このようなことをお願いしては失礼だと思うのですが……その手紙を、ある人に届けて欲しいのです」
(ですよね~)

 彼女の言葉に、レクターは苦笑いを浮かべた。
察するに、彼女も“水面の誘い”の娼婦の一人なのだろう。
 大方、店のホールあたりで自分を見て、頼み事がしやすそうだと考えたといったところか。
 その目利きはとても正しい。レクターは受け取った手紙を懐に仕舞いながら頷いた。

「分かりました。届け先の住所と名前、可能なら簡単な地図をいただけると助かるのですが」
「……っ! あ、ありがとうございます。地図ならここに―――」

 女性の頼みを無碍に断る選択肢など、レクターには存在しない。
 にこやかに頷いた銀髪の青年の答えに、女性の声が明るく弾んだ。手書きらしき地図をレクターに差し出す。

「それと、相手の方のお名前はアルベール様と言います」
「アルベールさん、ね。了解。この方は男性でよいのかな?」
「……はい」
「分かりました。貴方のお名前についてはお聞きしませんし、届けた後に報告もしませんが、それで大丈夫ですか?」
「はい。本当にありがとうございます」

 女性が改めて頭を下げる。それに手を振って笑いながら、任せてくれとレクターは頷いた。


 あの声の感じからすると、儚げな感じの美人といったところだろうか。
 結局最後までその顔を見ることはなかったが、レクターはそう推測して舌打ちをした。

(アルベール氏とやらを爆発させては駄目かな)

 手紙の中身はおそらく恋文の類だろう。
そう思えば、何となく出会い頭に“ファイアボール”を撃ち込んでも許されるような気がする。
 そんな物騒なことを考えながら、レクターは路地の角を曲がり―――そこで足を止めた。

「――――っ!!」
「―――っ!?」

 暗がりでハッキリと見通せないが、何やら数名の人影が争っているのを捉えたからだ。

(あ、まずい)

『早く殺せ』という声が耳に入ると同時、レクターは人影へと向かって駆け出した。 
 彼我の距離と詠唱にかかる時間とを考えながら、注意を引くために声を張り上げる。
 同時に、手に持っていた“ライト”付きの枝を投げつけた。

「お前達、何をやっている!?」
「―――っ!?」

 光に照らされて、人影の正体が闇の中に浮かび上がった。
 ゴロツキらしき風体の男が四人。それが一人を取り囲んでいる。男達の手に剣が握られているのを見て、レクターは再度舌打ちをした。

(ナイフじゃなくて、長剣とか!)

 足を止めて、男たちへと右掌を突き出す。
 彼等が何かをする前に、先手を取らないと正直キツイ。

「真、第一階位の攻。瞬閃、熱線―――“光矢”」

 呪文に応え、魔力の矢が出現する。数は四つ。
脅しの意味を込めて、あえてギリギリ外れるよう放った矢が、男たちの近くの石壁や地面を抉って弾けた。

「次は中てるよ」
「……っ!? 退けっ!!」

 静かに告げたレクターの声に、男の一人が声を上げる。
“矢”が発揮した威力に慄いたのか、他の男たちもそれに従い走り去るのを見送って、レクターはため息をついた。
残る一人―――倒れている青年へと近づく。

「大丈夫かい?」
「……ぅ」

 どうやら生きているらしい。
 服装はヨレヨレ、顔は腫れている、手足には斬りつけられた傷があるなど、散々な有様だったが命に別状はなさそうだ。
 そのことを確認して、レクターは安堵の息をついた。
 とりあえず体力だけでも、と“アース・ヒール”の魔法をかけてやれば、すぐに彼は血色を取り戻した。
 元より意識はあったらしい。ふらつきながら青年が立ち上がる。

「す、すみません。助けていただいて」
「構わないよ。困った時はお互い様って言うからね。それより、傷は塞がってないから、早く手当てをしないと」
「あ、僕の家がすぐ近くにあるので―――」
「うん。じゃあ、そこに行こう。ええと、私はレクター。あなたは?」
「ロラン。アルベール・ロランです」

 助けなければ良かったかな。一瞬、そんなことを考えたのはレクターの秘密だ。






[25239] #2-2 “ルーフェリアの玄関口”(下)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/16 20:35

 個室を出た時には、店内は穏やかな空気を取り戻していた。
 結局、酒を飲む気にはなれなかったのだろう。初老の男と取り巻き二名の姿はすでにない。
 ついでに言えば、先に出たハズのロランの姿もない。ドアが揺れているところを見ると、その足で飛び出していったらしい。

(まあ、別にいいが)

 宝石を買いに行ったのだろう。見知らぬ宝石店の主に同情しながら、カウンターに戻る。
 目の前にグラスを一つ置かれた。
 透き通るような透明な酒が注がれている。

「これは?」
「私の奢りです。店内の騒ぎを速やかに鎮めて頂きましたから」

 マスターの厚意をありがたく受け取る。
 口にすると、先程飲んでいた酒に比べて随分と優しい味が広がった。

「“ピュア・スピリッツ”という銘柄です。カッタバの村の名産品ですが、如何ですか?」
「……美味い」

 蒸留酒であるらしく、村で口にした酒に比べると少しキツイ感じがする。しかし、それでもこの口当たりの柔らかさは特筆に値するだろう。
 カッタバという名前に特別な思い入れのあるアルトリートでなくとも、一口で惹き込まれる味と香りだ。

「これって、凄く良い酒なんじゃないのか?」

 何でまた、と問うような視線にマスターは笑う。何でも、ロランのことを彼も知っていたからだそうだ。
 もっとも自分が一方的に知っているだけだと続けた言葉に、アルトリートは首を傾げた。

「ロランって、有名人?」
「いえ。そうですね……一部の人間には良く知られている、といったところでしょうか」
「一部の人間」
「同業の宝飾師と、あとは彼の作品のファンといったところです」

 ちなみに私は後者の方です。そう続けたマスターに、なるほどとアルトリートは頷いた。

「ロランの腕ってどのくらいなんだ?」
「力量自体は普通だと思いますよ。ただ、時々目を見張るような作品を作ることがありますが」

 それが楽しみでファンをやっているのだと、マスターは笑った。
 その答えに、形振り構わず一直線に突き進む彼の言動を思い出し、アルトリートはため息をついた。

「……何となく分かる気がする。突発的に物凄い作品を作るタイプなのか」
「ご明察です。それに彼にはちょっとした噂話もありましてね」
「噂話?」
「ええ。彼の作る宝飾品には、不思議な力を宿したものがあるそうです」

 例えば、真珠の耳飾り。
 離れ離れとなる恋人のために作った二つ一組のソレは、どんなに遠く離れた場所にいても、耳飾りを通じて声を届けあうことが出来たという。

 例えば、銀の首飾り。
 危険な森へと猟に出かける夫を持つ女性の依頼で作ったソレは、運悪く遭遇した蛮族を追い払い、夫の命を救ったという。

 例えば、白水晶の指輪。
 病弱な恋人への贈り物という依頼で作ったソレは、身に着けているだけで力を与え、ついには病を克服させたという。

 例えば―――

(おいおい。いくらなんでも……)

「無論、すべて噂話です。本当の所は分かりません」

 アルトリートの考えを読んだのか、マスターは静かに首を振った。
 耳飾りについては、件の二人がオルミにおらず確かめようがない。首飾りや指輪は単なる偶然かも知れない。
 他の品も本当かどうかを確かめることが出来ず、結局、単なる噂話に留まっているらしい。
 ちなみに、とある魔術師が無粋にも“センス・マジック”を行ったらしいが、それには反応しなかったという。

「普通に考えればありえない。しかも、そうした品は突然出来るようですから」
「仮に本当だったとしても、それをハッキリと示すことができないと」
「加えて、当人にもその自覚はない。
結局、妙な噂も特に広がることはなく、彼は一部の者にのみ知られた宝飾師という位置付けに留まっているのです」
「なるほどねぇ」

 アルトリートは頷く。
 さすがに酒場のマスターは事情通だと褒めると、彼は恐縮ですと笑いながら、空になったグラスにおかわりを注いだ。
 ふと、気になったことを聞いてみる。

「ロランがご執心だった娼婦。その身請け人ってどんな人なんだ? 確か大きな商会の主って聞いたが」
「私が知っている身請け話と同じなら、テソロ商会の主です。オルミで一番とは言いませんが、五指に入る大きさですね」
「へぇ。それは凄いな」
「はい。もっとも―――」

 あまり大きな声では言えないがと、少し声を潜めてマスターは話を続ける。

「最近、テソロ氏は人が変わったという噂があるので、少し心配なのですが」
「人が、変わった?」
「はい。以前は積極的に商談に飛び回り、街中でもよくお見掛けしていたのですが、最近は屋敷に閉じこもってあまり出てこないと……」

 しかも、屋敷には見覚えの無い風体の輩が出入りしているという。

「加えて言えば、テソロ氏は商売一辺倒の方ですから……言い方が悪いですが、娼婦を妻に迎えるような、と」
「なるほど」

 世間体としては、決して良いとは言い難いだろう。ワザワザ商売敵に付け入らせる隙を作るようなものだ。
 その不自然さに、街の人間も首を傾げているのだと聞いて、アルトリートは僅かに顔をしかめた。

『最近、人が変わった』

 そのキーワードは、酷く嫌なものをアルトリートに想起させる。




 本当に妙なことになった。
 レクターはため息をつきながら、椅子に腰掛けたまま頭を振る。

(どうしてこんなことに)

 背後に視線を向ければ、ランタンの明かりを頼りに作業台に向かう青年の姿があった。
 傷の手当てもそこそこに、懐から大事そうに取り出した袋を持って作業台に向かったロランに、どこか鬼気迫るものを感じてレクターは声を掛けられずにいた。
 おかげで、未だに手紙を渡すことができていない。

(……それにしても)

 傷の手当てをしていた時とは気配が違う。
 方向性は全く異なるが、かつて相手にした騎士と同等の重圧を感じてレクターは呻いた。

(15レベルの職人? あの歳で? そんな馬鹿な……けど)

 何かに取り憑かれているかのような彼の様子に、レクターは畏怖の念を覚えた。脳裏に浮かぶ考えを否定しようにも、部屋を覆う気配がそれを許さない。
 
「やれやれ」

 これは、当分戻れそうに無いとレクターはため息をついて、椅子に座り直した。
することもないので、先程の連中のことを考える。
 物盗りというには剣呑過ぎる気配を放っていたゴロツキ共。

(……明らかに殺す気だったよね)

 むしろ、あの状況でロランが生きていることの方が不思議だ。四対一で、しかも相手は剣で武装している。
 それこそ、レクターが割って入る前に、そして割って入った後でも、ロランを殺す機会はあっただろう。

(逃げる時に、一刺ししていけば良いわけだし……)

 レクターはため息をつく。
 もしかしたら、何かの加護でもあるのかも知れない。鬼気を放つ背中を見ていると、そんな馬鹿げた考えさえ浮かんでくる。

 狙われた理由については全く分からない。
 ロランに心当たりがないのなら、自分がいくら考えても無駄だろうと、レクターは思考を打ち切った。

「…………」

 沈黙が支配する部屋でレクターは目を閉じる。
 眠れるような状況でもないが、他にすることもない。誰か何とかしてくれと内心泣き言を漏らしながら、時間が過ぎるのを待った。


 一時間か、二時間か―――それとも、実は大して経っていないのか。
 何にせよ、レクターの主観としては一晩に相当する時間が経過した頃、ロランが声を上げた。

「出来た!!」

 疲労の滲む、しかし達成感に満ちたその声を聞いて、レクターは目を開いた。

「出来た!! 完成ですっ! レクターさん、本当にありがとうございました」
「う、うん。それは良かった」

 完成したばかりの装身具を手に、ロランは飛び跳ねんばかりの様子を見せる。
 完成した品を見せてもらえば、それは三日月をモチーフとした髪飾りのようだった。
 精緻な彫刻が施された銀のフレーム。中心に青い宝石を置き、さらに周囲を小振りの真珠が彩っている。

「……“月神”シーンの聖印?」
「はい。彼女も信仰しているという話でしたし」

“月神”シーンは、“太陽神”の妻であると同時、娼婦達の守護者としても知られる大神だ。
 その加護の元、彼女が幸せになれればと呟くロランに、レクターはため息をついた。

 自分が持ってきた手紙は、恋文の類ではなく別れの挨拶であったらしい。預かっていた手紙を渡すと、ロランは少し複雑そうな表情で笑っていた。
 自分に手紙を渡した人物が、明後日、大きな商会の主に身請けをされるのだと聞いて、レクターも何となく複雑な気持ちになる。

「それで、お祝いとお世話になった感謝を込めて、この髪飾りを送ろうと思うんですが……」
「まあ、ロランさんの思うようにするといいんじゃないかな」

 単なる贈り物としては重過ぎる気がするが、それを今の段階で口にするほどレクターは野暮ではない。
 ただ、一つだけ気になったことがあると、口を開いた。

「私は、あまり宝飾品とかいったものを見る目はないんだけど」
「はい」
「その、これは本当に、『おめでとう』と『ありがとう』の気持ちだけで作ったものなのかな?」
「え? そ、そうですけど」
「……他に、もっと大きな気持ちが込められているような気がするんだけど」
「…………」

 沈黙するロランの表情を見るまでも無く、レクターは彼が抱いている気持ちを察している。
 今更、どうすることも出来ないことだ。だが、それでも―――

「これは、個人的な意見で、全く考慮する必要の無いことだけど」

 そう前置きをして、レクターはロランの手の中にある髪飾りを見つめる。

「その気持ちは、ちゃんと告げるべきだと思う。相手にとっては迷惑なだけだったとしても」
「…………」

 この髪飾りを見れば、そこに込められた気持ちは嫌でも伝わるだろう。ならば、ちゃんと口にした方がよいとレクターは告げた。
 ロランは答えない。

「何にしても、後悔だけはしないようにね」

 そう続けながら、レクターはロランの家を後にしようと玄関へと向かい―――

「……へっ!?」

 唐突に破られたドアに目を丸くした。


 反射的に飛び退くことが出来たのは、僥倖だったと言えるだろう。
 眼前に走った銀光に冷や汗を垂らしながら、レクターは目を細めて闖入者達を見据えた。

「……さっきの」

 ドアを破って入ってきたのは、先程のゴロツキ共だった。
 一人一人の顔を覚えているわけではないが、その手に握られた剣を見てレクターはそう判断する。

(一人増えてる)

 ただし、数は四ではなく五。
 一旦退いたのは、リーダーを呼びに行くためというところか。

「先程は、俺の弟達が世話になったようだな」
「ずいぶんと来るのが遅かったけれど、道にでも迷ったのかい?」

 腕組みをしながら男が笑う。それに薄い笑みを返しながらレクターは奥へと下がる。

「レ、レクターさん」
「……奥に下がって。可能なら、窓からででも外に逃げるように」

 背後で目を白黒させているロランを庇いながら、レクターは唇を噛む。
 ロランの家はあまり大きくはない。玄関を開ければすぐ作業場兼務のリビングがあり、その両脇に部屋が二つあるといった具合だ。
 逃げ回れるだけの広さは当然存在しない。

(マズイ。賦術なしだと先制も取れない)

 剣で斬りつけられてしまえば、呪文の詠唱を続けることは無理だろう。
 このままでは、何も出来ずに袋叩きにされるとレクターは焦りを覚える。

「言っておくが、両脇の家には誰もいない。助けは期待するだけ無駄というものだ」
「…………」

 その言葉に、レクターは舌打ちをする。

「……レクターさん、お願いがあります」
「今、忙しいので却下」
「この髪飾りを彼女に届けてください。僕がいなければ、逃げられるのでは?」
「……冗談」

 背後のロランの言葉に、レクターは鼻を鳴らした。
 悪あがきを見届けようというのか、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ている五人組を睨んで、レクターは覚悟を決めた。

「それは、私ではなくロランさんが自分でやるべきことだよ。
それに、この程度の危地を潜り抜けられないと思われては、私の沽券に関わる。そこで大人しく見ているといい」

 最悪、腕の一本くらいはくれてやる。そのつもりでレクターは左腕を五人組へと向けた。

(少しは保ってくれれば良いが)

 あまり太いとは言えない自分の腕を見て思う。
 始めるかと、レクターは口を開いた。

「真、第―――」
「させるわけがないだろう。馬鹿者め!!」

 詠唱を開始したレクターを嘲笑いながら、男が剣を構える。横薙ぎに振るおうとしているのを見て、レクターは内心で罵声を飛ばした。
 面白みのない奴。天井に剣を引っ掛けるくらいの愛嬌が欲しい。

(刃を無理やり掴んで止める)

無理があり過ぎることは承知の上だ。
レクターは、詠唱を開始した口を止めることなく動こうとし―――

「―――っ!?」

 直後、己の背後で生まれた魔力の波に目を瞬かせた。

「あ゛、ぎ……ぁあああああ―――っ!?」

 男が剣を取り落とし、悲鳴を上げながら蹲る。他の四人も同様の反応を見せていた。
 直後、その姿が歪み―――彼等は“変身”した。

 筋肉が膨張し、四肢が伸びた。身に纏っていた衣服を引き裂きながら、見る間に膨張した体は二メートルを優に超えている。
 顔立ちも変わり、角が生え、伸びた犬歯が口元から覗く。その肌は、人ではありえない浅黒いものへと変わっていた。

「ば、ばんぞく!?」

 裏返ったロランの声を聞きながら、レクターは口の端を歪めた。
 唐突に訪れた好機を無駄にすることなく詠唱を終える。選択していたのは、短い詠唱で確実に相手を無力化できる呪文だ。

「ささやき、誘い―――“眠り”」

 蹲る蛮族達を、解放された魔力が眠りへ誘う。

「お休み。次に目が覚めたときには、きっと拷問部屋だね」

 そう告げるレクターの言葉に反応すら見せず、蛮族達は抗うことの出来ない眠りへと堕ちていった。

 小さく息をはいて、レクターは振り返った。

「……で、今のは何?」
「さ、さあ」

 顔を見合わせて首を傾げる。
ロランの手の中で、“月神”の加護を願って作られた髪飾りが、優しい煌きを放っていた。
  



 闇に溶け込むように、アルトリートは疾走する。

 向かう先はテソロ氏の屋敷だ。
 一旦宿に戻ってナイトゴーグルを引っ張り出し、マスターからそれとなく聞き出した住所と、脳内に広げた町の地図を元に夜のオルミを駆け抜ける。
 
(絶対酔った勢いで行動してるよな、俺)

 誰かに見咎められたら言い逃れのできない格好で、アルトリートは薄く笑う。
 暗がりから暗がりへと移動する今の自分は、どう見ても不審者だ。

「何事もなければ、そのまま帰ればいいんだし。大丈夫大丈夫」

 視線さえ通るのなら、自分の姿を覆い隠してくれる闇は都合のよい存在だ。
 暗視能力を持つ蛮族にはあまり意味がないが、蛮族に見つかる分には別に困らない。エルフやドワーフ、ルーンフォークとかだとかなり困るが。

「……あれか」

 しばらく走れば、高い塀に囲まれた屋敷が目に入る。
 再度、住所と街の地図を照らし合わせて、テソロ氏の屋敷であることを確認すると、アルトリートはそのまま裏手へと迂回した。
 周囲に人がいないことを確認。

「―――っ」

 塀の高さは三メートルほど。
 それを、助走をつけた跳躍で難なく飛び越えて、アルトリートは敷地内へと入り込む。
 着地の衝撃に顔をしかめながら、即座に近くの庭木の陰へと入り、アルトリートは周囲の様子を窺った。

(何か、普通に起きてないか?)

 アルトリートは首を傾げた。
 幸いにも近くに人はいないようだが、気配を探れば屋敷内を動き回っているものが幾つもある。
 ちなみに今は二時過ぎだ。未明といって良い時間帯であることを考えると、ひどく違和感がある。

「何か、嫌な予感がさらに強まった気がする」

 ため息をついて、アルトリートは音もなく移動を開始した。


 男は上機嫌で、一人、酒を口にしていた。
 程度の低い連中を上手く使いこなし、あと少しで目的を達成するところまで来たからだ。

「明日には、第一段階が終了する」

 ほくそ笑みながら、娼婦の姿を思い浮かべる。
 心臓に関しては後日やってくる予定の上役に渡さなければならないが、それ以外の部分は自分がもらっても良いだろう。
 旨そうな肉をしていた。その柔肌に牙を突立てる瞬間を想像して、彼は舌なめずりをした。

「ククク。オルミへの浸透はここを拠点に、カナリスへの浸透もあの女の姿を使えば上手く行くことだろう。
そうなれば、オレは此度の第一功間違い無しだ」

 その勲を以って、劣等種のレッサー共ではなく、他のオーガ達を従える立場になる。
 さらにウィザードの位階に登り、さらにさらにバーサーカー達を上手く使いこなし、戦陣でこの智謀を駆使して人族共を蹴散らす。

 やがて、王と呼ばれ―――

 そんなばら色の未来を胸に抱いたまま―――彼は、背後から首を刎ねられて絶命した。


 倒れた中年男の骸が、筋骨隆々とした蛮族のものへと変化するのを確認して、アルトリートはため息をついた。

「…………」

 何となく、釈然としないものを感じる。

「……なんで自分の悪事を一人でベラベラ喋ってるんだか」

 しかも、交易共通語―――人族の言葉で。
 かといって、オーガ語を使われていたら、何を言っているのか分からないので、それはそれで困るのだが。
 独白の内容からすると、どうやらこの屋敷はすでに丸ごと蛮族に入れ替わっているようだ。
 未明にも関わらず、気配が動き回っているのはそのためかとアルトリートは納得する。

「若干、気になることを言っていたよな」

 カナリスへの浸透とか。上役に心臓を、とか。
背後に何らかの蛮族の組織があり、侵攻作戦の一環としてオルミへの潜入を行っていたようだがと、アルトリートは倒れたオーガの死体を見下ろす。

(だとすると、下手にここの連中を逃がすわけには行かないな)

 唐突にドアが開く。
 そちらへと視線を向けながら、しかしアルトリートはその場から動かない。

「隊長、明後日の、いや明日の? ……って、何だ貴様はっ!?」
「さあ、何だと思う?」

 室内へと入ってきた男が、倒れているオーガと傍らに立つアルトリートを見て目を剥いた。
 部屋に充満する血の匂いの中、アルトリートがニヤリと笑って双剣を見せると、男は即座に本性を露わにした。

「侵入者だっ!!」
「呼び込みご苦労」

 レッサーオーガが声を張り上げるのを聞き届けた上で、アルトリートは床を蹴った。
 一足で間合いをゼロに。
 蛮族は反応すら出来ていない。剣の腹で頭部を殴り付ければ、白目を剥いて床に倒れた。
 意識を完全に喪失しているのを確認してアルトリートは、よしよしと頷く。

「情報源確保」

 先程の叫びを受けてだろう。一〇近い数の気配がこちらへと向かってくる。
 全員がオーガ系であるとして、魔法の存在が若干厄介だが、障害物のある屋内でなら何とでもなるだろう。
 障害物を使い、さらに壁や天井を足場に照準を散らし、当たる端から斬り刻んでいけばいい。

「さあ、とっとと片付けようか」
 
 もう一、二体は生かしたまま確保する必要があるだろうが、それ以外は問題ないだろう。

 やはり酔っているらしい。剣を軽く振りながら、ひどく好戦的になっている自分に気が付いてアルトリートは笑った。




 その日。オルミの町の警備隊詰め所は、大騒ぎになっていた。
 未明に起こった二つの事件。
 その両方に蛮族が関わっていたからだ。それらに関わった冒険者から通報を受けて、隊員達は慌しく町中を走り回っている。

「人手が足りないのは分かるが、だからって取調室に放置しなくてもいいだろうが」

 ウンザリとした表情で、アルトリートはため息をついた。
 テソロ氏の屋敷を後にしたアルトリートは、その足で警備隊の詰め所へと赴いている。
 他にも大きな事件があったらしく、慌しく動き回る隊員を捉まえて簡単な経緯を話すと、事情聴取のためと取調室へと案内されてそのまま放置されてしまった。
 何やら罵声と感謝の言葉を天に捧げていた姿を思い出すに、人手が全く足りていないのだろう。

『申し訳ない。すぐに戻るので、少し待っていて欲しい』 

 そう言って飛び出していった隊員は、未だ戻ってくる気配がない。
 待ちくたびれて、アルトリートは天井を見上げながら欠伸を噛み殺した。

 結局、隊員が戻ってきたのは、夜が完全に明けた後のことだった。
 それから事情聴取を受け―――屋敷への不法侵入に関しては、今回は目を瞑ってくれることになった―――解放された時には、昼前になっている。

「うぇ……眠い」

 燦燦と輝く初夏の太陽に目を細めながら、アルトリートは詰め所の前で伸びをした。
 パキパキと背骨が小気味良い音を立てる。

「やれやれ。堪らないね、全く」

 別の事件で事情聴取を受けていたのか、背後からアルトリートと同じくウンザリとした声が聞こえる。
 何となく振り返ってみて―――

『あ』

 疲れきった様子の相棒と顔を合わせることとなった。

「…………」
「…………」

 しばし沈黙。
 眠気に目を瞬かせながら、アルトリートは口を開いた。

「何やってんだ?」
「……そっちこそ」

 レクターが充血した目でこちらを見据える。
 二人は同時にため息を付いた。揃って口を開く。

『色々とあったんだよ』





 ―――蛮族がテソロ商会の主の姿を奪っていた。

 どこから話が漏れたのか。一夜があけて昼が過ぎる頃には、その話は町中に知れ渡っていた。
 一歩間違えれば蛮族達に内側から攻撃をされていたかも知れないと、人々は不安げに顔を見合わせる。
 また、そうした不安を払拭するため、事態を未然に防いだという冒険者を口々に讃えて笑い合う。
 かくて、事件に関する噂話は、尾ひれや背びれを付ながら急速に広がっていく。

 そんな感じで静かに揺れるオルミの町を、アルベール・ロランは走り回っていた。
 汗で額に張り付いた髪を鬱陶しそうに掻きあげ、乱れた息を整えもせずに町の北側―――カナリスやアエドンへの定期便が泊まる船着場へと急いでいる。

『彼女? ああ、うちの店にはもういないよ』

“水面の誘い”の人間から聞いた言葉が脳裏で渦を巻いている。
 事件の事情聴取を終えて向かった娼館には、彼女の姿はなかった。
聞けば、昨夜の事件の関係者として警備隊より事情聴取を受け、その後“水面の誘い”から外に出されたのだという。

『アンタも物好きだね。あの娘は蛮族と交わったんだろう? よくそんなのを―――』

 オーガに抱かれた女がいては、店の評判に影響する。そんなことを口走った相手をぶん殴り、ロランは町中へと飛び出したのだ。

 町から出るのなら、東西にある門をくぐるか、北の船着場から船に乗るしかない。
 門の衛兵に聞いてみたが、彼女らしき人物は見かけていないとのことだ。

 ならば、後は一箇所だけ―――

(……間に合ってくれ)

 そこに居てくれと、必死に念じながらロランは走る。
 昨夜、奇しくも別々の冒険者から言われた言葉を思い出す。

『気持ちをちゃんと伝えた上で、渡すべきだ』

 髪飾りに、当初の名分はすでにない。
 彼女の身請け話はなくなり、そして彼女はこの町に居られなくなった。
 お祝いはもちろん、感謝の言葉さえ、彼女を傷つけるかも知れない。

 それでも、ロランは髪飾りを彼女に渡したいと思う。

「―――っ!?」

 足がもつれる。
転倒しそうになるのを何とか堪えて、ロランは船着場の近くで足を止めた。
 膝に手をついて、息を整えなおす。

「ゲホッ!! ゴホッ!? ……ぅぐ」

 せき込みながら、足りない酸素を求めるように喘ぐ。そんな自分の姿を見咎めたのか、誰かが小走りに近づいてきた。
 地面に映った影を見ると、どうやら女性のようだ。

「もし……大丈夫ですか? あ、あら?」
「は……はい。すみま――――えっ!?」

 何とか息を整えて、ロランは顔を上げ―――そこで固まった。
 
 どうやら、アルベール・ロランは幸運の女神に守られているらしい。



[25239] #3-1 “はじめての依頼”(上)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/30 18:56
 店の前の掃除を終えて、その女性は軽く背筋を伸ばした。
 まだ若いエルフだ。腰まで届く紅茶色の髪を、うなじの辺りでまとめて背中に流している。
 淡い桜色のワンピースに若緑のエプロンという出で立ちから、『若奥様』などという単語を連想する者もいるかも知れない。

「……ん」

 どことなくオバサンくさい仕草で、軽く腰を叩きながら窓越しに店内を覗く。
 そこには、忙しく動き回るコボルド達の姿があった。
 甲斐甲斐しい様子で掃除に精を出す彼等の姿に、彼女は柔らかく微笑む。
 作業が一通り終わるのを確認し、ドアに掛けられたプレートを引っくり返した。
 現れた『営業中』の文字を見て満足げに頷く。

「さあ、今日も一日頑張ろうか」

 軽く肩をまわすような仕草を見せながら、彼女―――リッタ・ハルモニアは店内へと戻った。

 店の名前は“水晶の欠片亭”。
 ルーフェリア王国が首都、カナリスの旧水路地区に位置する冒険者の店である。




 アルトリートとレクターは立ち尽くしていた。

「……本当にあった」
「うん」

 店先に掲げられた看板―――水晶の欠片を模した意匠のソレを見上げて、目を輝かせる。
 二人のテンションは、先程から猛烈な勢いで上がり続けていた。その内、鼻血とかが出るかもしれない。
 緩んだ顔を見合わせて頷いた。

「よし。先ずは俺が」
「じゃあ、私が先行するよ」
「…………」
「…………」

 被った声に、しばし睨みあう。
 アルトリートはニヤリと口の端を吊り上げた。

「ふふん。敏捷度ボーナス10の俺に速さで張り合おうと?」
 
 レクターは無言でマテリアルカードを展開した。SS級のソレを見せつけながら嘲笑う。

「こっちには“イニシアティブブースト”があるんだけど?」

 ドアまでの距離は、高々数メートルだ。初動が早いほうが勝つ。
 純然たる速度で勝るアルトリートに、機先を制するための裏技を持つレクター。
 互いに譲るつもりなどない、視線が絡み合って火花を散らした。

「諦めろ」
「そっちがね」

 二人の間を、ひゅるりと風が吹き抜けた。

「…………」
「…………」
「……あんた達、店の前で何やってるんだい」

 静かだが、熾烈な―――大人気ない二人の争いは、店内から女将が顔を出すまで続いた。


 昼食にはまだ早いためか、店の中に客の姿は見当たらなかった。
“水晶の欠片亭”の造りは、冒険者の宿としてはごく平均的なものだ。つまり、一階が酒場兼食堂で二階が宿となっている。
 一階の内装が少し小洒落た雰囲気であり、酒場よりも食堂としての色合いが強いところが特徴と言えば特徴だろう。

(ああ……店員がコボルドっていうのが、一番の特徴かな)

 店の奥で動き回るコボルドの姿を見つけて、アルトリートは頬を緩ませた。柔らかそうな毛並み、少し触ってみたい。

「う~ん。依頼はあるんだけど、二人だけだとちょっとねぇ」
「力量不足、ということでしょうか」

 余所見をしているアルトリートの傍らで、レクターと店の主―――リッタとが難しい表情を浮かべている。
 レクターの問いに、彼女はチラリと二人の姿を確認するよう視線を走らせた。

「……力量がどうというよりは、店の姿勢の問題かな。そちらには申し訳ない話だけど」
「店の、姿勢?」

 その言葉に、レクターが首を傾げる。

「今ある依頼はどれも荒事でね。
 当然、依頼主は、それなりの人数の冒険者が来るだろうと考えているはずなのよ」
「ああ。それなのに、依頼を受注した冒険者は二人組。しかも“水晶の欠片亭”での実績は皆無、と」
「せめて、あと二人……いえ、あと一人いれば任せられるんだけど」
「まあ、そういうことなら仕方がないですね」

 実績のない冒険者二人に荒事の類を任せたとなれば、仕事の成否に関わらず店の評判に影響しかねない。
 信用が第一の稼業だ。万が一、『あの店は斡旋の仕方が適当だ』などという噂が立てば、それこそ死活問題となる。

「それじゃ、他のパーティーに混ぜてもらえないか交渉してみようか。アルトリートもそれでいい?」
「うん? ……ああ、問題ない」
「……話、聞いてた?」
「勿論」

 答えながら、アルトリートはレクターへと目を向けた。
 左右に揺れる尻尾から視線を剥がし、軽く咳払いをする。

「他のパーティーに混ぜてもらうか、同じように少数で動いている連中を探すか、ってことだろ?
 二人じゃできることにも限界があるし、俺は全然構わないが」
「うん。ま、嫌だって言ってもどうしようもないしね」
「アタシも口添えはするし、少数でも大丈夫そうな仕事があればそっちに振るからさ」

 すまないね、と告げるリッタに、アルトリート達はこちらこそと頭を下げる。
 そんなやり取りをしていると、ドアベルの音が店内に響いた。軽やかな音に振り返れば、ドワーフの男が目に入る。

「スマン。何か食べる物と、あと飯の種があれば紹介してもらえんかの」
『メンバー確保』

 三人が同時に口にした言葉は、概ね似たようなものだった。




 小枝を二つに折って、火の中に放り込む。
 パチパチと、火の粉が弾ける音を聞きながら、アルトリートは微苦笑を浮かべた。

(カナリスに到着した日に依頼を受けて、その夜には山中で野営とか)

 我が事ながら無茶苦茶だよな、とため息をつく。
 焚き火を挟んだ向かい側では、相棒が静かな寝息を立てている。
 その視線を横に動かせば、鎧を着込んだまま目を閉じているドワーフの姿を捉えることができた。
 
 黒髪に髭面の男。
 ドワーフゆえの矮躯ではあるが、見るからに頑丈そうな体つき。
 重心が低いこともあって、ちょっとやそっとではとても倒れそうに無い。
 少なくとも、彼とアルトリートを並べてどちらが強そうかと問われれば、十人中十人が彼だと答えるハズだ。
 重そうな鎧を着込み、二メートルを越す長柄の戦棍―――オーガモールを構える姿を見たら、大抵の者は泡を食って逃げ出すだろう。
 
 ギルバール・レギン。
 今回の仕事を受けるため、即席で結成されたパーティーの一員だ。
 以前はリーゼン地方にいたらしく、この国では名前を知られていないようだが、身のこなしからすると相当に熟練した冒険者だろう。
 並の騎士相手なら、軽くあしらえるくらいの力量があるとアルトリートは見ている。

「しかし、この人も大概だよな」

 オッサンとか、おやっさんとかいった呼称が似合いそうなドワーフの男は、大変大らかな、もしくはズボラな性格をしていた。
 突然、見ず知らずの二人組からパーティー結成を打診されて、二つ返事で了解するとかありえないだろう。
 アルトリートは半眼になって、ギルバールの寝顔を眺める。

(懐が深いのか、単なる考えなしか……その両方か)

 今も、全く警戒する様子を見せずに安らかな寝息を立てている。
 そろそろ交代の時刻だ。もうしばらくしたら起こそうかと考えていると、ギルバールが小さく身じろぎをした。
 どうやら目が覚めたらしい。むくりと体を起こして、欠伸を一つ。

「くぁ……む、ぅ……そろそろ交代の時間かの?」
「もう少し寝てても大丈夫だが」
「そうか。まあ、起きてしまったものは仕方が無い」

 少しばかりこの老骨の話相手になってくれんかと、ギルバールが笑う。
 それに対し、まだそんな歳じゃないだろうと笑い返しながら、アルトリートは小枝を折って火中に放り込んだ。

「ギルバールは、リーゼン地方にいたんだっけ?」
「うむ。そこのデュボールという王国で冒険者をしていた」
「デュボールって、ええと、竜騎士が王様やってる国だったか」
「そうじゃ。竜に乗った王の号令を受けて、騎士達が飛竜に乗って飛び立つ光景などは、本当に見事なものじゃったよ」

 一際大きな体躯を誇る竜を先頭に、飛竜達が一斉に飛び立つ光景を思い浮かべる。
 それは壮観だろうなと、アルトリートは頷いた。

「一度見てみたいな、その光景」
「うむ。一度は見ておいて損はなかろうよ」
「機会があれば行ってみるか。……それにしても」

 アルトリートは首を傾げる。
 デュボール王国は、蛮族との戦いの最前線だったハズだ。
 当然、仕事に事欠くことはなく、名を上げる機会も沢山あっただろう。なんで、わざわざ遠く離れたルーフェリアに―――
 そう考えたアルトリートの疑問に、ギルバールは小さく苦笑した。
 頬を掻きながら口を開く。

「うむ。実は、あの国で少々やらかしてしまっての。
 それを悔いるつもりは一切ないが、騒ぎを起こした以上、あの国で冒険者を続けるのもマズかろうと……」
「……関わりの薄い地域に来た、と」
「そういうことじゃ」

 ちなみに、何をやらかしたのか聞いてみれば、騎士を数名半殺しにしたらしい。
 事情については、込み入った話になると多くを語らなかったが、当人としては間違ったことをしたつもりはないという。
 実際、彼の王国でギルバールが指名手配されているということもないらしい。

「ま、お主らに迷惑が掛かるようなら、すぐに姿を消すから安心せい」
「いや。いきなり姿を消されても困るけどな」

 半眼になったアルトリートに、ギルバールはカカカと笑った。

「ところで、お主は今回の仕事、どう考える?」
「……森の中をうろついている鉄の巨人ってのは、多分アイアンゴーレムだと思うが」

 探るようなギルバールの問いに、アルトリートは依頼の内容を思い出す。

『村の西にある森で、鉄の巨人がうろついている。
 今のところ村に近づく様子はないが、このままでは森に入れない。早急に排除してもらいたい』

 報酬は、全部で二万ガメル。三人で分割すると、一人当たり六千六百ガメルほどとなる。
 想定される脅威を考えれば妥当なところだと相棒が評していた。

「ふむ。レクターも言っておったが、アイアンゴーレムというのは、魔法で作った自動人形という理解で良いのかの?」
「ああ。操霊魔法の第十三階位……かなり上位の術者でないと作れないけどな」
「お主は作れるのか?」
「無理。ただ、レクターなら作れる」
「ほぅ」

 アルトリートの答えに、ギルバールは感心したような声を漏らした。
 今回一緒に仕事をするにあたり、三人は各々がどんな技能を持っているか予め確認し合っている。
 しかし、その力量の高低については、判断基準の違いなどによる間違った先入観を持たないよう、あえて細かな話をしていない。
 無論、隠すつもりもないので、聞かれれば答えるが。
 ちなみに、ギルバールの話から判った彼の技能構成は、ファイター、レンジャー、エンハンサーだ。

 アルトリートは話を戻す。
 
「アイアンゴーレム自体は、さほど問題じゃない。けど」
「けど?」
「そんなものが村の近くに出没したという事実は、かなり問題だと思う」
「ふむ。自然に湧いて出るような代物ではないからか」

 頷いた。

 ゴーシャの村。
 首都カナリスから、北西に徒歩で一日半ほどのところにある小村だ。
 白竜山から北に伸びる山脈。それを構成する山々に囲まれている彼の村にとって、生活の糧となるのはやはり山で採れる幸であるという。
 そのため、ゴーレムが襲来した場合は勿論、このまま付近の森や山に入れないという状況が長く続いても、村は滅びることになるだろう。

(当然、ゴーレムの討伐は行う。だが……)

「原因をどうにかしないと、根本的な解決にならない」
「原因、か」
 
 どこかの迷惑な操霊術師が作って放置したのか、蛮族が何かやっているのか、それとも魔法文明期の遺跡でもあるのか―――何にせよ必ず原因があるはずだ。
 排除の必要性の有無や、その可否についての判断は別としても、それが何であるかを突き止めるところまではやるべきだろう。
 そう続けるアルトリートに、ギルバールが笑った。

「……なんだ?」
「いや。お主がそういう人柄で良かったと思うての。
 これが、『依頼はゴーレム討伐のみだから、原因の究明などは知らない』などと言われたら、どうしようかと思うておった」
「……そういう考えを否定するつもりはないけどな。間違ってないし」
「うむ。ワシも否定するつもりはない。ただ、お主のような考え方をする者と、仮とはいえパーティーを組めることを幸運に思うたのよ」
「…………」

 カカカと笑うドワーフに、アルトリートは無言で視線を逸らした。
 レクターなら上手く流すんだろうな、などと思いながらアルトリートはため息混じりに小枝を折った。




 ゴーシャの村に到着したのは、次の日の夕方頃だった。

「よくぞお越し頂いた。私は村長のセーナルと申します。
 こちらはジャン、鉄の巨人について皆さんに話をさせるために呼びました」
「よろしくお願いします」

 村長の横で青年が頭を下げる。
 こちらこそ、と頭を下げた後、レクターが口を開いた。

「では、先ずゴーレム……鉄の巨人を見つけた時のことを教えて頂けますか?」
「あれは、七日前のことでした」

 テーブルの上に広げた村周辺の地図を指差しながら、ジャンは話を始めた。


 ジャンの生業は薬草師だ。
 村の西にある森で薬草を採取し、街から来る行商人に卸すことで生計を立てている。
 そんな彼が森の中で不審な痕跡を発見したのは、七日前のことだった。
 動物の物ではない大きな足跡と、歩くのに邪魔とばかりに進路上で切り倒された木々。
 それこそ、グリズリーの倍近い大きさの怪物が、好き勝手に歩き回ったかのような痕跡を見つけて、彼は震え上がりながらも後を追いかけたという。

「その巨人を見つけるのは簡単でした。派手に木が折れる音なんかが聞こえましたから」
「……いや。確認しようと動いたのは立派だと思うけど、先ずは村に知らせに戻ろうよ」
「うむ。一人で動いて、襲われでもしたら目も当てられぬしの」

 カッタバの青年もそうだったが、危険が予想される場所に、何の備えも無く単独で向かうのはルーフェリア国民の気質なのだろうか。
 半眼になったレクターの横で、アルトリートは悩む。
 コホンと、気を取り直すようレクターは咳払いをした。

「ジャンさんが見た巨人の姿について、覚えている限りで良いので教えてもらえますか?」
「はい。大きな……人の三倍くらいの大きさをした騎士。そんな印象を受けました」
「騎士?」
「はい。あの、正確には鎧兜が動いているような感じで、手には大きな斧を持っていました」
「……アルトリート、どう思う?」
「ゴーレムだとは思う。けど、特注品っぽいな……」

 騎士のような姿と聞くと、ミラーゴーレムが思い浮かぶがとアルトリートは首を傾げた。
 鏡のような装甲ではないらしいのでその線は消えるが、何にしろ武装している時点で普通のものとは違う。
 直接確認しないと分からないが、それこそ鉄ではなくミスリルという可能性さえある。
 レクターも概ね同じ考えだったらしく、表情を険しくしながら問いを続けた。

「最初に痕跡を見つけた場所、そして巨人を見つけた場所は分かりますか?」
「痕跡を見つけたのは、この辺りです。巨人を見つけたのは、そのすぐ北で……」

 ジャンが地図上を指差す。
 痕跡を見つけたという場所は、村から西に三キロメートルほど移動した辺りだった。
 そしてゴーレムを見つけた場所は、そこから数百メートル程度の場所だ。
 レクターは小石を二つ置いた。

「あと、その後も一度、別の場所で見かけまして……」
「…………」

 そう言いながら、ジャンがさらに別の場所を指差した。
 最初にゴーレムを見つけた場所から、北に五キロメートルほど移動した地点だ。
 何故森に入ったとは言わず、レクターはそこにも小石を置く。

「其々の場所でゴーレムを見つけたのは、いつごろだったか覚えていますか?」
「ええと。痕跡と巨人の姿を最初に見つけたのは、七日前の朝……十時くらいです。次に見つけたのが、三日前の昼ごろ」
「なるほど。ちなみに、ここから、ここまでゴーレムと同じ速度で移動すると、どれくらい掛かるか分かります?」
「あまり近くに寄ったわけではないですから、正確ではないと思いますが……」

 レクターが指を差したのは、最初にゴーレムの姿を見つけた地点と、三日前に見つけた地点だ。
 ジャンは少し考えるような仕草を見せた後、二時間程度と答えた。

「じゃとすると、一直線に進んだとは考えにくいの」
「迂回するような経路で移動しているか、もしくはどこかで動きを止めていたか……」
「あるいは」

 ギルバールとアルトリートの後を引継ぐように、レクターが口を開き―――途中で言葉を切った。
 アルトリートが視線を向けると、彼は軽く首を振って見せる。どうやら、まだ考えが纏まっていないらしい。

「……後は、現地に行ってみるしかないか」

 その後、『蛮族の姿を見ていないか』など、ニ、三質問した後、アルトリート達は話を打ち切った。




 生い茂る木々の葉が日差しを遮っているためか、森の中は少しばかり涼しかった。
 翌日。ゴーシャの村を出てから、二時間ほど。
 そろそろ昼になろうかという頃になって、ようやくアルトリート達は最初にゴーレムの痕跡が見つかった地点に到着していた。

「……スマンの。ワシの足が遅いせいで」
「別に、今日中に片付けようとは思ってないし、気にすることじゃないだろ」
「私はあまり体力ある方じゃないから、あまり早く移動されると困るしね」

 ジャンを始め、村の住人達が頻繁に出入りしているためだろう。森の中を歩くこと自体は、さほど苦にはならなかった。
 しかし、ギルバールの速度に合わせているため、当初の予想以上に時間が掛かっている。
 そのことを詫びるドワーフに、アルトリートとレクターは首を振って答えた。

「で、レクター。上から見た様子はどうだ?」
「今のところ、それらしきものは見当たらないかな」

 上空には使い魔であるクルーガーの姿がある。ゴーレムは邪魔な木を切り倒しながら進んでいるため、捕捉は空からでも十分可能だろう。
 そして、一度捕捉してしまえば、後は進路を予想して先回りすれば良い。 
 その際にギルバールが足を引っ張るようなら、その時は彼を置いて先行する。
 このあたりの方針は、昨夜の内に決めていることだ。今更、ギルバールが足の遅さを謝る必要など、ない。

「さて、これが……」

 アルトリートが足を止める。
 目前にあるのは、何か大きなものが通行したらしき痕跡だ。
 仮に人間と同じ姿であると考えるのなら、足跡の大きさや歩幅から推測される身長は五メートルにもなるだろう。
 
「ゴーレムのものと考えて間違いないな。ただ……」
 
 アルトリートが首を傾げる。

「……何で、足跡が複数あるんだ?」
「複数?」
「踏み荒らされていてよく分からんが、最低でも三つ、いや四つ……それどころではなさそうじゃな」

 アルトリートと同様、レンジャー技能を持っているギルバールが足跡を見つめながら唸る。

「ゴーレムは複数いるのか?」
「その可能性もあるだろうね。ところで、足跡はどっちから来てる?」
「ん~、全て西からだな。三日前には北にいたというジャンの話からすると、この近くで進路を変えたか」
「西……ね」

 アルトリートの言葉に、レクターが村から持ってきた地図を広げた。

「……このまま、西に向かってもいいかな?」
「む? 北に向かうのではなく、かの?」

 レクターの提案に、ギルバールが首を傾げる。
 彼の提案はゴーレムを追いかけるのではなく、その足跡を遡るということだ。
 ゴーレム退治を最優先に考えるのであれば、少しばかり奇妙な提案に思える。

「原因を先に取り除くということか?」
「ん。それもあるけど……移動経路の割り出しを行うための材料集めをしたいな、と。
 ゴーレムの追跡については、クルーガーを使えばいいし」

 ジャンの話から特注品であると推測される以上、ゴーレムは何らかの目的を持って作成されたと考えるべきだ。
 だとするならば、その移動経路も無秩序なものではなく、一定のルールに基づいたものだと考えられる。
 
「だから、できる限りゴーレムの移動に関する情報を集めたいな、と」
「……クルーガーと手分けして情報を集めるということか」
「ふむ。そういうことなら、レクターの案でいってみるかの。どちらにしろ、原因を探るのなら足跡を遡らねばなるまいし」
「そうだな」

 ギルバールの言葉に、アルトリートは頷いた。


 絡み付いてきたツタを斬り払って、アルトリートは舌打ちをする。
 どうやらこの森はマナが豊富にあるようで、先程から何度と無くこの手の変異した植物に襲われている。

「ああ、鬱陶しい!!」

 全く脅威ではない。が、ツタを斬った時に青臭い汁が飛び散るなど、戦っていて辟易とするものがある。
 若干イラつきながら、アルトリートは新たに伸びてきたツルを細切れにした。

「やれやれ、妙に変異した植物が多いね」
「確かにの。そう言えば、ジャンが採っておる薬草も普通より質が良いらしいが、それもマナの影響かの?」
「可能性はあると思うよ。魔香草なんかは、特に影響があるんじゃないかな」
「…………」

 背後でレクターとギルバールが暢気に話をしている。それを聞きながら、アルトリートはため息をついた。
 何だか、先程から自分ひとりが戦っている気がする。 

(先頭を歩く俺が真っ先に襲われるのは仕方が無い。それを瞬殺してるから、加勢の暇がないことも分かる)

 結果、自分ひとりが戦うことになるのは道理だろう。
 だが、何か釈然としないと、アルトリートは再度ため息をつきかけ、動きを止めた。
 目に入った光景に知らず表情が険しくなる。
 背後へと止まるように合図を送った。

「……蛮族」

 アルトリートの視線の先には、隊列を組んで北へと向かう蛮族達の姿があった。



[25239] #3-2 “はじめての依頼”(下)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/30 19:15

 最前列にボガードソーズマンが二体。その後ろにボガードトルーパーとゴブリンシャーマンが一体ずつ。最後尾にボガードが五体。
 蛮族達の編成は、そんなものだった。

(何で、蛮族がここに?)

 ここ最近、村の近辺で蛮族の姿を見たことはない。そう言っていたジャンの話を思い出し、アルトリートは目を細める。

「で、どうする?」
「村の近くだし、放置するわけにも行かないだろう」
「道理じゃな」

 レクターに答えた言葉に、ギルバールが頷いた。
 蛮族達は、アルトリート達と同様、ゴーレムの足跡を気にしているらしい。
 そちらに完全に意識をとられているようで、かなり近い位置にいるにも関わらず、アルトリート達に気が付く気配はなかった。

(チャンスだな)

 ほぼ無警戒な有様に、アルトリートが笑う。

「シャーマンは残して。後で事情を尋くから」
「了解」
「分かった、ゴブリンの方じゃな」

 レクターの指示にアルトリートとギルバールは頷いた。即座に行動を開始する。

 アルトリートが先行する。隊列の背後から強襲を仕掛けた。

「―――っ!?」

 遅まきながらこちらに気が付いたボガード達をすり抜けて、アルトリートは隊長格と思われるボガードトルーパーに肉薄する。
 剣と盾で武装した蛮族が何事か叫び声を上げた。
 その剣が振り上げられるより早く、アルトリートの双剣が閃く。 

「―――ビ、ギャッ!?」

 悲鳴を上げて、血が噴出す首筋を押さえる。だが、それで出血を抑えられるワケも無く、トルーパーはその場に崩れ落ちた。

「ぬうんっ!!」

 背後で豪快な気勢が上がる。
 同時に、骨が砕け散る音が辺りに響いた。一瞬遅れて、何か重いものが木に激突したような音。
 反撃を仕掛けてきたソーズマン二体を斬り伏せて振り返れば、暴風と化したギルバールの姿が目に入った。
 アルトリートの視線の先で、文字通り、くの字に折れ曲がったボガードが宙を舞う。

(……うげ)

 立て続けに仲間を殺され、一対一では叶わぬと見たのだろう。
 残っていた三体のボガードが、同時にギルバールへと襲い掛かった。

「むんっ!!」

 だが、ギルバールは動じない。慌てることなく、戦棍を薙ぎ払う。
 空気を抉りぬきながら振るわれた鈍器が、ボガードの一体を捉える。
 長柄の先端に据えられた鉄球が骨を砕き、内臓を破裂させた。哀れなボガードは、口や鼻から大量の体液を撒き散らしながら吹き飛んだ。
 
 だが、それで彼の一撃は終わらない。
 凄まじい膂力で振り抜かれた戦棍は、たかが蛮族一体を血祭りにした程度では満足せず―――

「ギびゃァッ!?」
「―――ガッ!?」

 残るニ体も同様の末路を辿る羽目となった。


 蛮族達の目的は、この周辺で消息を絶った部隊の捜索だったらしい。
 怯えるゴブリンシャーマンへの尋問の結果に、アルトリートは空を見上げた。
 ため息をつく。

「つまり、ゴーレムとは無関係か」
「無関係とは限らないと思うよ。消息を絶ったという蛮族達が、未発見の遺跡を暴いた可能性だってあるし」
「そのあたりの事情は、シャーマンは知らないのか?」
「付近に遺跡があるかどうかも含めて、知らないって」

 そう続けるレクターの言葉に、アルトリートは舌打ちをした。
 ギルバールが口を開く。

「それで、これからどうするかの?」
「とりあえず、このシャーマンには眠ってもらうよ。まだ聞くべきことがあるしね。例えば、背後にいる組織のこととか」

 レクターがゴブリンシャーマンへと視線を向ければ、蛮族の魔法使いはビクリと体を振るわせた。

「じゃあ、早いこと縛り上げて眠らせるか」
「そうだね。……って、え?」

 邪悪な笑みを浮かべて縄を取り出したレクターが、唐突に動きを止めた。
 その表情を神妙なものに変えて、彼は両目を閉じる。

「……ゴーレムを見つけたよ。現在地はここから北東に三時間くらいの位置。西に向かって歩いてる」
「……っ!!」

 その言葉に、アルトリートとギルバールが息を呑んだ。
 遊んでいる場合ではないと、ゴブリンシャーマンを速やかに縛り上げて眠らせた後、地図を広げる。
 自分たちとゴーレムの現在地を確認して、レクターが頷いた。

「私たちは、このまま北に向かおう。多分、それで鉢合わせることになる」

 今度は北へと折れているゴーレムの足跡。
 こちらが仕掛ける直前、蛮族達が気にしていたソレを見据えながら彼は断言した。




 西へと向かっていたゴーレムは、南に進路を変えたらしい。
 北へと進み始めて一時間後のことだ。伝えられたゴーレムの動向はレクターの予想どおりだった。
 そのことに、アルトリートは背後の相棒へと顔を向ける。

「結局、ゴーレムの進路はどういうものなんだ?」
「おそらく、短期間に同じところをグルグルと回っているんだと思う」

 仮にジャンが最初にゴーレムを見つけたところをスタート地点とする。
 先ずは北に向かい、ある程度進んだところで西へ、その後同じように南、東、そして再び北へ―――反時計周りの順路で動いているのだと、レクターは説明する。

「つまり、足跡が沢山あったのは……」
「周回してたからだろうね。多分、一日に三周くらいしてるんじゃないかな」
「なるほどの。じゃが、何のためにじゃ?」
「多分、中心に遺跡か何かがあるんじゃないかな。ゴーレムは哨戒活動を行っているんだと思う」
「……どっかの馬鹿が、封印でも解いたか」
「多分ね」

 アルトリートのついた悪態に、レクターがため息をつく。
 その馬鹿はおそらく消息を絶ったという蛮族だろう。レクターもアルトリートも確信めいたものを抱いている。

「俺は、ここで迎え撃つのがいいと思う」

 今、アルトリート達がいるのは、若干開けた場所だ。木々がなく、青い空を見上げることが出来る。
 傾斜もなく動き回るのに支障がないことを考えれば、真っ向勝負にこれ以上適した場所はないだろう。

「真正面から挑むの?」
「変な小細工仕掛けて裏目に出るよりは、キッチリ準備をして正面から挑んだほうが安全だと思うが」
「ここならばモールを振るのも楽じゃ。ワシは賛成じゃな」

 周囲を見回したギルバールが、アルトリートの意見に賛同する。
 二人がいいのなら、ここにしようとレクターも頷いた。
 遭遇まで、あと一時間ほどあるらしい。三人はそのまま待機を続けることにする。

「…………」

 沈黙の中、アルトリートは目を閉じて待つ。風が梢を揺らす音や、鳥の鳴き声が聞こえる。

「……お主らは、この仕事が終わったらどうするつもりじゃ?」
「うん? 当分は“水晶の欠片亭”を拠点にするつもりだけど」
「そうか。もし、お主らが良ければ、この後もワシとパーティーを組んではもらえまいか。 
 ワシはお主らを気に入った。出来れば、もうしばらく共に仕事をしたい」
「だ、そうだけど。アルトリート?」

 直球で告げられたギルバールの言葉に、レクターが笑う。アルトリートは目を開いた。

「じゃあ、一つだけ条件」
「何じゃ?」
「アンタの過去が原因で俺たちに迷惑が掛かったとしても、勝手に消えるのはナシで」
「……約束しよう」

 これからよろしく、と三人は顔を見合わせて笑った。

「ところで、ギルバールの過去って何?」
「何でもデュボール王国の騎士を数名半殺しにしたらしい」
「うわぁ……」
「ま、待たんか! それだけじゃと、何かワシが逃亡中の犯罪者みたいではないか!」

 ドン引きするレクター。慌てて説明を始めるギルバール。ニヤニヤと笑うアルトリート。
 負けることなど微塵も考えていない三人は、特に気負った様子も無くゴーレムがやって来るのを待つ。



 上空を舞っていたクルーガーが三人の下に舞い降りる。

「そろそろだけど、準備はいい?」
「ああ」
「うむ」

 肩に鴉の使い魔を乗せた魔術師の言葉に、前衛二人は頷いた。
 先程から、足の裏から伝わる振動が大きくなっている。金属が擦れ合う音が聞こえるに至って、アルトリートは双剣を抜き放った。

「お出ましだな」

 木々の合間から、鋼の巨人が姿を見せる。
 その姿を見て、なるほどとアルトリートは頷いた。確かに巨大な騎士だ。
 ユニコーンを思わせる角を具えた頭部や、少し大き目の肩当など、多分に儀礼用の要素を含んだシルエット。
 鈍色の輝きを放つ鋼の装甲は見るからに頑丈そうで、少々の攻撃など事も無げに弾くだろう。
 その手には、三メートル近い大きさの戦斧が握られている。

「カッコイイ」
「……まあ、それには同意するが」

 レクターが呟いた言葉に、アルトリートは半眼になる。
 そんなことを言っている場合かと、いつでも動けるように身構えた。
 ゴーレムの動きを観察する。

(明らかに特注品だよな)

 装甲が通常のものよりずっと分厚い。
 そのクセ、動きは普通のゴーレムよりも遥かに滑らかだ。
 アイアンゴーレムであることは間違いないが、そのスペックは別物と考えるべきだろう。

(ええと、確か弱点は……)

「“エンサイクロペディア”」

 タイミング良く、レクターが賦術を発動させる。
 ―――弱点は純エネルギー属性。
 脳裏に浮かび上がった知識に、アルトリートは眉をひそめた。
 賦術の対象はレクターのハズだ。ならば、突然脳裏に浮かんだこの知識は彼の物なのだろうか。賦術の効果がイマイチ見えない。
 チラリとギルバールの方へと視線を向ければ、彼は特に戸惑った様子も無くゴーレムを見上げていた。

(……これが当たり前なのか)

 害があるわけではないし、まあいいかとアルトリートは頭を振った。考えるべきことは他にある。

「来るぞっ!!」

 ギルバールが声を上げる。ゴーレムの動きが変わった。移動速度が、歩行から駆け足へと切り替わる。

「“イニシアティブブースト”」

 突進してくるゴーレムを迎え撃つため、アルトリートは前に飛び出した。
 賦術により一時的に引上げられた反応速度を以って、戦いの主導権を握らんと一気に間合いを詰める。

「“パラライズミスト”! “クラッシュファング”!」

 続けて、レクターの声が響く。
 瞬間、ゴーレムの動きが僅かに鈍り、また戦斧の輝きも心なしか曇ったように思えた。

(……報酬、カード代で吹き飛んでるんじゃないだろうな)

 立て続けに四つの賦術を使用したレクターに、一瞬、そんな不安が脳裏を過ぎった。
 アルトリートはゴーレムの左足へと取り付く。双剣を振るった。四度、火花が飛び散る。

「……硬ぇ」

 装甲を斬り裂くことは出来たが、足を切断するには至らない。
 剣から伝わってきた手応えに、アルトリートは顔をしかめた。

「ぬうん!!」

 反対側では、ゴーレムの右足にギルバールが戦棍を叩き付けていた。
“マッスルベアー”―――特殊な呼吸法により体内のマナを活性化、一時的に筋力を引上げての一撃が巨人の体を揺るがす。
 だが、さすがにボガードと同じようにはいかないらしい。鋼の巨人の体勢が揺らいだのは、ホンの一瞬だけだった。
 近すぎる間合いを嫌ってか、ゴーレムが後方へと飛び退る。

 思った以上に身軽な動きに、アルトリートとギルバールの反応が遅れた。
 そこに、大戦斧が振るわれる。

「うおっ!?」
「むぅ!?」

 二人を同時に巻き込む軌道。
 ギルバールは咄嗟に身を伏せ、アルトリートは上へと跳ぶことで一撃を回避する。
 薙ぎ払われた戦斧が、壮絶な音を立てて空を切った。

(おいおい)

 どうやら、“薙ぎ払い”持ちのゴーレムらしい。
 自分の下を通過していった風鳴りに、アルトリートは冷や汗をかいた。

(この分だと、左半身も何かあるな)

 そう考え、アルトリートは視線を巨人の左腕へと移す。同時に己の失策を悟った。

「―――ちっ!!」

 ゴーレムが左掌をアルトリートへと向ける。そこには、三つの宝玉が埋め込まれていた。
 その一つが強い輝きを放つ。マナが溢れ出し―――何らかの、おそらくは攻性の魔法が発動した。

 落下途中のアルトリートによける術など無い。
 咄嗟に頭を庇うため、両手を交差する。歯を食い縛った。

「グッ―――!?」

 着地の直前。叩きつけられた衝撃に、アルトリートの体が弾き飛ばされた。
 物凄い勢いで視界が回る。吹っ飛びかける意識を繋ぎ止め、衝撃に逆らうことなく地面の上を転がった。

「あ、アルトリートっ!?」
「大丈夫か!?」

 レクターとギルバールの声が聞こえる。
 直撃を受けた時には死ぬかと思ったが、意外と大丈夫らしい。涙目になりながらも、アルトリートは身を起こした。
 ペルセヴェランテのおかげだろう。若干ではあるが痛みが和らぎつつある。
 魔剣に感謝しながら口を開く。

「……左腕。多分、三つほど魔法を搭載してる。一つは、今の……」
「“ショック”の魔法だね。……これは、早めに片付けないとマズイかな」

 抵抗の余地なく衝撃を叩きつけてくる魔法。レクターなど、当たり所が悪ければアッサリと沈むだろう。
 魔術師が表情を歪めながら、呪文を唱え、魔力を解放した。
“エネルギー・ジャベリン”
 レクターの魔力によって編まれた白光の槍は、文字通り閃光となってゴーレムへと向かい―――
 直撃する寸前、ゴーレムの左掌が放った光に弾かれて、その矛先を反転させた。

「なっ!?」

 己の魔力に打たれ、レクターが片膝をつく。

「魔法をはね返すじゃと!?」
「……“マジック・リフレクション”」

 一旦後退したギルバールの声を聞きながら、アルトリートは舌打ちをした。
 痛みで声を出せないレクターに代わり、その正体を看破する。一回だけ、行使された魔法をはね返す真語魔法。

「こうなると、残る一つも見せてもらいたいものだな」

 リクエストに応えたというわけではないだろうが、突如旋風が起こる。
 今度は何じゃ、とギルバールが声を荒げた。
 出現した風の渦は、急速にその半径を狭めていき―――最終的にゴーレムが握る戦斧へと収斂した。

「“ソニック・ウェポン”だね」

 立ち上がったレクターが、ウンザリとした表情を浮かべる。
 射撃、魔法防御、近接強化。他の場所にも何か仕込んでいないことを祈りながら、アルトリートはため息をついた。

「……本当にあれはゴーレムか?」
「正直、自信がなくなってきた」

 レクターの返事を聞きながら、ギルバールの隣に並ぶ。

「ギルバール。あの斧を紙一重で避けたりしないように。見えない刃で引き裂かれることになる」
「心得た」

 動きを止めてこちらの出方を窺うゴーレムに、二人して突撃を敢行した。

「ワシが囮となろう!」 
「頼む!」

 短く言葉を交わし、二人は左右に散開した。
 薙ぎ払い対策として、あえてタイミングをズラしながらゴーレムとの距離を詰める。

「―――そうじゃ、来いっ!!」

 ギルバールの目論見どおり、ゴーレムは先ず足の遅いドワーフを血祭りにあげるつもりらしい。
 戦斧を振り上げ、ギルバールの頭へと叩きつけるように振り下ろした。
 衝撃音。

(うお、すげ!!)

 ドワーフの戦士は、戦斧の一撃を受け止めていた。
 彼の得物―――オーガモールが巨大な戦斧を受け止めて、軋み声を上げている。
 非常識極まりない光景を視界の端で捉え、アルトリートは内心で喝采を上げた。
 同時に急加速。一瞬で再び左足へと肉薄すると、ゴーレムがアルトリートへと左掌をかざした。

「ハッ!! 前衛にばかり気を取られてていいのか? 木偶の坊」

“ショック”を発動させるため、輝きを強める宝玉に、アルトリートが歯を剥き出しにして笑った。
“マジック・リフレクション”の効果は、すでに失われている。

「―――“光槍”」

 レクターが再度放った“エネルギー・ジャベリン”が、今度こそ、ゴーレムの左肘に突き刺さった。
 圧縮されたマナの槍が分厚い装甲を貫通する。肘が完全に破壊されたことで左腕の機能が停止したのか、宝玉が輝きを失った。

「はぁっ!!」

 アルトリートが鋭い息吹と共に斬撃を放つ。
“魔力撃”の青白い輝きを纏い、魔剣が二振り奔る。
 左右から挟み込むように走った斬撃は、狙い過たずにゴーレムの左足を断ち斬った。

「仕上げじゃ!!」

 横倒しにゴーレムが倒れる。その下敷きになるのはゴメンと、一旦距離をとったアルトリートの視界にギルバールの姿が映った。
 彼は躊躇無くゴーレムの頭部へと駆け寄ると、戦棍を思い切り振り被る。

「むんっ!!」

 破滅的な音を立てて、ゴーレムの頭がひしゃげた。
 人間で言えば、コメカミに相当する部分を中心に大きく歪んだ頭部を見て、レクターが「ああ、勿体無い」と場違いな声を上げた。
 まだ機能停止はしていないらしい。鋼の巨人が立ち上がろうともがく。

 数十秒後―――アイアンゴーレムは見るも無惨なスクラップと化していた。




 レクターの予想は正しかった。

 ゴーレムの移動経路の中心。そこで見つけた代物を、アルトリート達は観察する。
 ポッカリと口を開けている地下施設への降り口。ゴーレムが通れるだけあり、かなりの大きさだ。

「何でいままで見つからなかったんだ?」
「地上構造物がないから、近くに来ても気がつけなかったんじゃないかな」

“イリュージョン”あたりの魔法が掛かっていた可能性もあると、レクターは続けた。

「さて……では下りるかの」
「正直なところ、すげぇ嫌なんだが。仕方が無いよな」
「鬼も蛇も出てこないことを祈ろうか」

 物凄く嫌そうにアルトリートが先頭に立って階段を下りる。その後ろを、レクター、ギルバールの順に続く。
 長い長い階段を下りきれば、そこは大きなホールとなっていた。
 なぜか、灯りも無いのにボンヤリと明るい。

「これは、凄いのう」
「何か、微妙に覚えがあるんだが……」

 その光景に感嘆の声を上げるギルバールの横で、アルトリートは嫌そうに顔をしかめた。
 規模は違うし、アチラの方がずっと高度な技術で作られていたと思うが、ホール内の様子に見覚えがある。
 具体的に言うと、自分たちの始まりの場所。

「まあ、同じ魔法文明期の遺跡だからね。似ていて当然だと思うよ」
「むぅ」

 唸るアルトリートに、レクターが苦笑する。
 ホール内を探索してみれば、ホールは正方形で、四方の壁に一つずつ出入口があることが分かった。
 一つは、先程アルトリート達が下りて来た外へと続く階段との接点だ。
 残る三つには大きな扉が据えつけられており、開け放たれているのは一つだけだった。

「……ここを開けた結果、あのゴーレムが出てきたとか?」
「普通は、このホールに『第一の守護者』的な感じで据えられてる物だと思うんだけど」
「先に行ってみるしかあるまい」

 階段の正面に位置する扉をくぐって、奥へと延びる通路に足を踏み入れる。
 かなり広い。幅も高さも十メートル近い。
 ホールと同様、ボンヤリとした光の中、慎重に前へと進む。

「これだけ広ければ、ゴーレムが暴れる分には何ら支障がないの」
「そうだな……と」

 アルトリートは足を止めた。

「これ……は」
「侵入者の末路じゃな」
「原形ないけどね」

 三人の視線の先には、大量の血痕と、ズタボロになった装備の残骸らしき何かが転がっていた。
 遺体と呼べるようなものは見当たらない。もしかしたら、散らばっている残骸の中に該当するものがあるのかも知れない。
 それが人族のものであるのか、蛮族のものであるのかも分からない。
 それこそ、何名いたのかさえ判別不能な惨状に、アルトリートはため息をついた。

「……あのゴーレムの仕業だと思うか?」
「何ともいえない、かな」
「この有様ではの……」

 哀れな探索者達の冥福を祈り、アルトリート達はもう少しだけ進むことにする。
 そして、通路の終端にたどり着いた。大扉の前で足を止める。

「……レクター?」
「うん。この扉は開けられてないよ。今もちゃんと封印されてるみたいだ」

 扉を調べたレクターが、二人を振り返って告げた。
 やはり魔法で封じられているらしい。

「多分、あのゴーレムはこの扉を守っていたんじゃないかな」
「そして、この扉のところまで来た侵入者を叩き潰したと……」

 あの惨状を作り出した守護者の存在が見当たらない以上、それしかないだろう。レクターの推測に、アルトリートは頷いた。

「じゃが、それでは何故ゴーレムは外に出る必要があったのじゃ?
 ここの門番が、施設周辺の哨戒を行うというのは酷く不自然に思うが」
「確かにそうだな」
「うん。おかしいよね」

 ギルバールの疑問に、アルトリートとレクターは首を傾げる。
 三人でしばらく考えるが、答えは出ない。

「……とりあえず、通路の入り口の扉を封鎖して、後は国に報告するってことでどうだ?」

 正直な話、あんな「ゴーレムのようなナニカ」が護っている遺跡を攻略する余力は無い。
 そう続けたアルトリートの意見に、異論を唱える者はいなかった。




 ―――店内は、陽気な笑い声や食欲を誘う料理の匂いで満たされている。

“水晶の欠片亭”―――その一角に、冒険者三人組の姿があった。
 他の客達と同様、笑顔を浮かべている彼等のテーブルには、鳥肉の揚げ物や豚の腸詰め、蒸かしたジャガイモやサラダなどが山盛りになって並べられている。
 それらを前にして、彼等は各々のジョッキを掲げた。

「それでは、はじめての依頼達成に―――」
『乾杯!!』

 アルトリートの音頭で、祝杯を挙げる。

「…………くぅっ!! これぞ、冒険者の醍醐味じゃなっ!!」
「確かに」

 一息でジョッキの中身―――エールを飲み干して、ギルバールが上機嫌に笑った。
 その一言に頷きながら、アルトリートはおかわりを注文し、大皿に盛られた料理を取り分ける。 

 ゴーシャの村での一件から四日。
 彼等は無事、“水晶の欠片亭”へと帰還していた。
 何ゆえ四日も掛かったのかと言えば、他にゴーレムがいないか森を探索したり、捕らえたゴブリンシャーマンを官憲に引き渡したりしていたせいだ。
 ちなみに、発見した遺跡については、リッタを通じて神殿へと報告している。
 その内、調査隊が組まれることになるだろうと、彼女は言っていた。

「何にせよ、全員無事でよかった」

 レクターが上機嫌でジョッキに口をつける。
 その言葉に、ギルバールがニカリと笑った。

「お主らがおらなんだら、ワシは今頃死んでおるの」
「それは、お互い様だと思うよ」
「つまり、今回の成功は三人でパーティーを組んでいたがゆえの結果ってことだな」

 顔を見合わせて、笑い声を上げる。

「お、やってるね。あんた達、正式にパーティーを組むことになったんだって?」
「リッタさん」

 振り返れば、ジョッキを複数持った女将が立っていた。
 テーブルの上にそれらを置きながら、彼女もまた上機嫌に笑う。

「これからもこの店を贔屓にしてくれるとありがたいねぇ」
「勿論ですよ」

 リッタの言葉に、レクターが即答する。
 少なくとも、彼がいる限り他の店を拠点にすることはないだろう。

「ありがと。よし、それじゃあ、お祝いにアタシが料理を作ってあげようか?」
「是非お願いします!」
「ほぅ! 女将の手料理か、それは楽しみじゃな」
「え? いや、ちょっと」

 リッタが満面の笑みで告げた言葉に、レクターが再び即答した。
 楽しげに笑うギルバールの横で、アルトリート一人が表情を引きつらせる。

「それじゃあ、ちょっと待っておくれ」
「はい!」
「うむ。楽しみにしておるぞ」
「…………」

 ウキウキとした様子で厨房へと向かう女将の背中を、アルトリートは何も言えずに見送った。
 レクターへと視線を向ければ、彼は胸を張って口を開いた。

「女性の手料理を断るとか、私にできるわけないだろ」
「……そうか」

 頷くと、アルトリートはジョッキの中身を一息に飲み干した。
 リッタ・ハルモニア。
 彼女は、その独特の味覚センスによって“味覚の冒険者”なる異名を与えられている。

「ああ。相手にとって不足は無い」

 今宵―――彼等は新たなる冒険に挑むことになる。



[25239] #4-1 “駆け出し”(上)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/30 20:59


 ガラガラと音を立てて、荷馬車が街道を進む。
 賑やかなセミの合唱を聞きながら、アルトリートは手をかざして空を見上げた。
 雲一つない大快晴。そろそろ夕方になろうという時間なのに、未だ翳る様子の無い強い陽射しに目を細める。
 夏本番まで、もう少しだ。

「リーゼンと比べると、あまり暑くはならないのじゃな」
「テラスティア大陸は、南に行けば行くほど涼しくなるからね」

 後ろを歩く仲間二人の会話が漏れ聞こえる。
 確かに、陽射しは強いが気温はあまり高くない。柔らかいそよ風を感じながら、アルトリートは軽く背筋を伸ばした。

(ん……ピクニック日和だな)

「遊びじゃないんだから、シャキッとしなさい!」
「…………っ」

 唐突に前方から聞こえてきた声に、思わず姿勢を正す。
 見れば、アルトリートの前を歩く金髪の少女が、傍らの少年に向けて何やら説教をしていた。

「……ンだよ。別に敵がいるわけじゃねぇんだ、いいだろうが」
「そういう問題じゃないでしょう! これは仕事なんだから、そんなだらけた歩き方をしない!」
「……ウゼェ」
「何か言った!?」
「いいえ。あ~、スミマセンデシタ~」

 赤い髪の少年が、顔をしかめながらそっぽを向く。
 ガミガミと小言を飛ばすティダン神官の少女と、それを聞き流すグラップラーの少年。
 共に人間。年の頃は十代半ばといったところか。
 挙動から窺える技量はあまり高くはないものの、その分若々しい活力に満ち溢れている。

「……あ、あの。あんまり大きな声を出さない方が」
「アンタは何でこっちに来てるのよ! 勝手に持ち場から離れない!!」

 おろおろとした様子の少年がさらに一人、アルトリートの視界に入った。
 皮製の鎧に身を包み、盾を携えている。茶色の髪に縁取られた表情は、妙に弱気だった。
 ふてぶてしい赤髪の少年とは反対に、何やらオドオドとした仕草はとても頼りなく、見ていて不安になってくる。

「あ、ご、ごめん」
「いいじゃねぇか。別に敵が来てるわけじゃねぇんだし」
「そういう問題じゃないって、さっきも言ったでしょう!! 
 馬車の左ががら空きじゃない……って、リディー! 何でそんなところにしゃがみ込んでるのよ!?」

 神官の少女が、馬車の左側へと目を向けて声を上げた。
 馬車の右側を歩くアルトリートからは見えないが、エルフの少女が道端でしゃがみ込んでいるらしい。
 妖精使いというのは、若干マイペースな者が多いそうだ。

(……やれやれ、何とも賑やかな)

 御者台に座る依頼人と目が合った。二人して苦笑する。




「ちょっとお願いがあるんだけど、いいかい?」
「何でも言ってください」
「仕事の依頼かの?」

 リッタから声を掛けられたのは、勇者の称号を与えられた夜―――はじめての依頼達成から二日が過ぎた昼下がりのことだった。
 内容も聞かずに即答するレクターの横で、ギルバールが首を傾げる。
 彼女は頷いた。

「うちを拠点にしてる冒険者のパーティーは、あんた達も含めると全部で四組になるんだけど」
(……少ないな)
「ルーフェリアには冒険者自体が少ないのよ。うちが繁盛してないわけじゃないからね!」

 アルトリートの内心を読んだのか、リッタが力説した。話が逸れたと咳払いをする。

「その内の一つに、そろそろエンブレムを渡そうかなと思ってるのよ」
「へぇ。そのパーティー、腕利きなんだ」

 冒険者の店では、常連となった者達に店を象徴するエンブレムを渡すことがある。
 エンブレムは、言ってしまえば店の看板そのものだ。
『何かあれば、店が責任を取る』
 そんな意味も込められているため、冒険者側はそれを提示するだけで他者からの信用を受けやすくなる。
 また、店と繋がりのある場所では、ツケを利かせることが出来るなどの特典を得られるらしい。
 一方、店側は、エンブレムを身に着けた冒険者が活躍すればするほど、知名度が向上、一層の繁盛に繋がるという仕組みだ。
 無論、冒険者が不用意なことをした場合、店の看板にも傷が付くことになるため、渡す相手は慎重に見定めるわけだが―――

 アルトリートの言葉に、リッタは小さく笑った。

「技量で言えば、あんた達の方が遥かに上になるかな」

 ハッキリ言えば、冒険者になったばかりの駆け出しだという。
 こなした依頼も配達系の簡単なものばかりだ。
 戦闘を前提とした依頼に関しては、この前、ゴブリンとボガードを退治したのが初めてらしい。

「ただ、やる気はあるみたいだし、期待はしてるのよ」
「なるほど。それで今の内に青田買い……もとい、つばを付ける、じゃなくて」
「まあ、そういうことだね」

 将来有望な若者達だ。駆け出しゆえに浮ついたところがあるが、店の信頼の証であるエンブレムを渡せば、自覚や責任感もつくだろう。
 そう続けたリッタに、レクターが首を傾げた。

「それで、私たちへの依頼というのは?」
「うん。今回、その試験の意味も含めて、一つ護衛系の仕事を斡旋しようと思うのよ。
 ただ、最近は街道上にも蛮族達が出てくることが多いから、あの子達だけじゃ、ちょっと不安もあるのよね」
「なるほど。つまり、彼等の護衛……いえ、万が一のための保険兼試験官?」
「そういうこと。話が早くて助かるわ」

 ご名答と、リッタが頷いた。
 討伐系の仕事に比べ、護衛系の仕事は難度が高い。主導権を握りやすい「攻め」とは反対に後手に回るのが「守り」の基本だからだ。
 常に不意打ちに備える必要があるのは勿論、多数を相手にした場合など、立ち回り一つ間違えるだけで致命的な事態を引き起こしかねない。
 逆に言えば、これを上手くこなせるようなら、新米卒業と言えるのだろう。

「うむ。話は分かった。それで、ワシらはどういう形で護衛に参加するのかの?」
「うん。依頼主が別口で雇っていた冒険者、ということにしようと思うのよ。
 受けてもらえるのなら、依頼主にその旨を説明しようと思うんだけど」

 ふと、アルトリートが首を傾げる。

「もし、その冒険者達が依頼を受けなかった場合は?」
「その時は、あんた達の仕事の依頼主が変わることになるかな」
「なるほど、それなら問題はない、か。ちなみに、俺達に声をかけた理由は……ああ、顔が割れていないからか」

 苦笑を浮かべたアルトリートの言葉に、リッタが笑って頷く。
 その新米達とアルトリート達三人はまだ顔を合わせたことが無い。
 というか、この店に所属している他の冒険者と顔を合わせたこと自体がない。

「ま、そういうこと。
 勿論、前回の仕事の内容から、あんた達なら安心して任せられると思ったのも大きいけどね」
「……そう言われては断ることはできんの」
「私は最初から断るつもりはないよ」
「それじゃ、今の内に店から離れるか」

 顔を合わせてしまっては元も子もない。
 連絡用にレクターの使い魔を残して店を出ることにした三人に、彼女は片目を閉じて手を合わせた。

「ありがと。また今度、手料理作ってあげるから、よろしく頼むよ」
(いや。それはいらない)

 口には出せず、アルトリートは苦笑いを浮かべた。



 
 依頼主の行商人―――クライン氏は、リッタの知り合いらしい。

『タダで護衛が三人増えるのなら、むしろ喜ばしいことですから』

 彼女の話に、彼は笑いながら二つ返事で了承したそうだ。
 レクターより少し上といった年齢の青年は、その若さに違わぬ逞しい性格をしているらしい。

 二日後、準備を終えてカナリスの門前に集合したアルトリート達は、四人の冒険者と顔を合わせることとなった。
 パーティーの編成は。ファイター、グラップラー、フェアリーテイマー、プリーストだ。
 人間が三人に、エルフが一人。
 軽く挨拶を交わした後、馬車の前方と左側を四人が、後方と右側をアルトリート達が受け持つこととし、街を出発したのが半日以上前。

「そろそろ野営の準備を始めたほうがいいかも知れませんね」
「それが良さそうですね。もう少し行けば広くなっている場所がありますから、そこで」

 賑やかな新米冒険者達の姿に頬を緩ませながら、クラインが提案する。
 目的地は“果ての街”フォリマーだ。そのため、一行は今、カナリスから北西に延びる街道を進んでいる。
 前回の依頼で途中まで通った街道の様子を思い出しながら、アルトリートは提案に頷いた。

「それじゃ、そのことを伝え、……っ! 敵だ!! 右の林の中っ!! 数は五!」

 明るい内に野営の準備を。
 そんな依頼主の方針を他の者達に伝えようと口を開き、直後に感じ取った気配にアルトリートは言葉を飲み込んだ。
 代わりに上げた警戒の声に、木々の向こう側に潜んでいた気配が、瞬時に膨れ上がる。
 こちらが先に気がついたため、気配を伏せるのを放棄したらしい。

「え? て、敵!?」
「よっしゃ。面白くなって来た!!」
「おどおどしない! あと、アンタは襲われて喜ぶな!!」

 前方の新米三人の反応はバラバラだった。
 ファイターの少年、ルーフィンは狼狽しながら抜剣した。
 グラップラーの少年、カレドはニヤリと笑いながら両の拳を打ち合わせる。
 プリーストの少女、レティシアは苦虫を噛み潰したような表情で、胸元の聖印を握り締めた。
 
 ちなみに、フェアリーテイマーの少女、リディーの姿は見えない。

 速度を上げて振り切るのは無理と考えたのか、馬車が止まる。
 同時に林の中から襲撃者が姿を現した。勢い良く道に飛び出してくる。

「ば、蛮族!?」

 その姿を見たルーフィンが声を上げた。
 数はアルトリートの言葉どおり、全部で五体。ボガードが二体に、ゴブリンが三体だ。
 ボガードの一体が前へと回り込むように、残りはそのまま馬車へと向かって突っ込んでくる。

「よっしゃ!!」

 カレドが飛び出す。前方へ回り込もうとするボガードへと、何の迷いも見せずに肉薄した。

「ウルァ!!」
「おそい、さる、よわい」

 左のジャブから右ストレート。少年が放ったワンツーを、ボガードが笑ってかわした。
 汎用蛮族語で挑発しながら、追加で放たれた蹴りを腕でブロックする。
 足を止めた蛮族を見て、アルトリートはとりあえずカレド達に任せることにした。

「悪いが、ここは通行止めだ」

 残る四体の進路を遮るようにアルトリートは動く。
 最も近くにいたボガードの首を一刀で刎ね飛ばして見せると、残るゴブリン達は怯えたように足を止めた。

「操、第一階位の攻。閃光、雷雲―――“電光”!」

 直後、真っ白な光が、固まったまま動きを止めたゴブリン達を包み込んだ。
 レクターが馬車後方から放った“スパーク”だ。一瞬で黒焦げになった蛮族達がその場に崩れ落ちる。

「…………」

 何もすることがなくなったアルトリートは、再びカレドの方へと視線を戻した。

「ウラァ!!」
「ギ、キサマ」

 ボガードとカレドが殴り合っている。
 仲間が全滅したのに動揺したのか、少年の拳を避けきれずにボガードが仰け反った。
 他のメンバーはどうしているかと視線を動かして、アルトリートは肩をこけさせた。

「おいおい」

 ルーフィンは、引きつった表情を浮かべてレティシアの傍に立っている。
 レティシアは、ハラハラした様子で聖印を握り締めていた。

 なお、リディーは馬車の左側から動いていないのだろう。姿は見えない。

「……むぅ、カレドが一人で戦っておるのぅ」
「まあ、一対一に横槍を入れると怒りそうなタイプだし、いいんじゃない?」

 馬車の後方から仲間の声が聞こえてくる。
 苦いものが混じっているギルバールの声と、特に興味のなさそうなレクターの言葉。

「…………」

 アルトリートの心境は、レクターに近い。つまり、正直な話、興味が失せた。
 アトカースを鞘に納め、ペルセヴェランテの腹で肩を叩きながら、欠伸を噛み殺す。

「死体の後処理をよろしくと、レクターに伝えてもらえるか?」

 馬車の荷台に降りて来ていた使い魔の鴉に声を掛けて、アルトリートは地面を蹴った。
 正面から殴り合う二名のところへと、一息で間合いを詰める。

「―――っ!?」
「なっ!?」

 ボガードの背後を通り抜けざまに、ペルセヴェランテを振るった。刎ね飛んだ蛮族の首を見て、カレドが目を見開く。

「て、テメェ!?」
「他が出ると厄介ですから、先に進みましょう」
「あ、ああ。そうですね」

 肩を怒らせて近づいてきたカレドを無視して、アルトリートは剣を納めた。
 同時に御者台へと向けて放った言葉に、クラインが頷く。馬車が動き始めた。




 夜の森は、意外と賑やかだ。
 フクロウや虫の鳴き声を聞きながら、アルトリートは赤々と燃える炎を見つめる。

「物凄い見られてるね」
「…………」

 レクターの言葉に、アルトリートはため息をついた。
 野営の準備を行っている時から―――いや、正確には襲撃後からか―――延々と敵意を向けられている。
 移動中は背後にいたこちらを睨むことが出来なかった反動か、未だ飽きることなく険しい視線をぶつけてくるカレドに、辟易としたものを覚える。

「鬱陶しい」
「突っかかってこないだけ、マシなんじゃないかな?」
「むしろ、突っかかって来てくれた方が楽だ」

 少しばかり離れた場所で、こちらを見ているグラップラーを横目で捉えながら、レクターが苦笑する。
 相棒の言葉に、アルトリートは小さく頭を振った。

 今回の仕事の内容は護衛だ。当然、最優先されるべきはクラインと荷馬車の安全となる。
 そのため、速やかに蛮族を倒したアルトリートの行為は間違っていない。
 そのことを解っているのだろう。戦闘直後の頭に血が上っていた時を除き、カレドがアルトリートに対して文句を言ってくることはなかった。
 その代わり、憎々しげな視線を向けられ続けているワケだが。

「……本当、鬱陶しいな」

 ぶつけられる敵意は可愛いものだ。アルトリートにとって、微風程度のものでしかない。
 だが、だからといって意識の外に弾き出せるような性質のものでもない。反射的に意識がそちらに向いてしまう。
 例えるなら、夜、寝ようとすると聞こえてくる蚊の羽音のような鬱陶しさ。
 言いようの無いイライラに、アルトリートは舌打ちをした。

「ま、自業自得だし、諦めることだね」
「…………」

 アルトリートがカレドの獲物を奪ったのは、『新手の蛮族の出現を危惧した』という名目となっている。
 しかし、実際のところは、単に見守る気が失せたというだけだ。それを見透かした相棒の言葉に、アルトリートは沈黙する。
 渋い表情を浮かべたこちらを見て、「気持ちは分かるけどね」とレクターが苦笑交じりに呟いた。

「……アイツ、ずっと起きてるつもりか?」
「かも知れないね」

 夜の見張りのシフトは、最初がアルトリートとレクター、次がギルバールとルーフィン、最後がカレドとレティシア、リディーとなっている。
 当然、本来は眠っていなければならないハズなのだが、一向にその気配のない少年の様子に、再度、深々とため息をついた。


 翌日。昼過ぎ。
 あれきり蛮族の襲撃を受けることはなく、一行はフォリマーのすぐ近くまで来ていた。

「夜更かしするからよ!!」
「センパイの見張りの仕方とか見て、ベンキョーしてたんだよ。
 別に、動くのに支障はねぇんだから、気にスンナ」
「……もう!」

 レティシアの小言を聞き流しながら、カレドがこちらを振り返る。
 相変わらずの剣呑な視線を受け流して、アルトリートは欠伸を噛み殺した。

(なんと迷惑な)

 眠れなかったわけではない。
 熟睡出来なかったのは確かだが、野営時の眠りが浅いのはいつものことだ。
 それなのに微妙に気だるいのは、思っている以上に神経を磨り減らしているということだろうか。

「こうも鬱陶しいと、流すのも嫌になってくるな」

 その気になれば、十秒掛からずに叩き伏せることが出来る。
 そんな思考が脳裏を過ぎり、アルトリートは舌打ちをした。馬鹿馬鹿しい。

「なに考えているんだか」

 緑でも見て心を落ち着かせようと、道の両脇に広がる森へと視線を向けた。ゆっくりと深呼吸をする。

 街道は、少しキツメの左カーブとなっている。
 木々が目隠しとなっているため、見通しの利かない道を進み―――

「…………っ!?」

 曲がった先に広がっていた光景に、馬車が急停止した。

「待ち伏せ!?」

 レティシアの声を聞きながら、アルトリートは舌打ちをした。
 何故察知出来なかったと、自信の鈍さを呪いながら前へと飛び出そうとして、咄嗟に足を止める。
 弾かれるように後ろを振り返った。

「う、後ろからも!?」
「こちらはワシらに任せて、お主は前に行け!!」

 狼狽するルーフィンに、ギルバールの指示が飛ぶ。
 それに従ったのか、馬車の反対側にいた少年の気配が前方へと動き始めた。
 後ろは問題ないと、アルトリートも止めていた足を動かそうとして―――

「本当に、なんで気がつかなかった!?」

 右の森から飛び出してきた蛮族達の姿に、悪態をついた。
 双剣を携えたボガードソーズマンが三体襲い掛かってくる。

(左はがら空きか!?)

 一体目を斬り伏せ、残る二体へと殺気を叩きつけることで威圧しながら、アルトリートは馬車の反対側へと意識を向ける。
 リディーが残っているらしく、完全なフリーではない。しかし、彼女が壁としての役割を担うのは無理だろう。
 もしも、今、反対側からも蛮族が出てきたら―――

「ひ、左からも!?」
「“友よ。私の呼びかけに応えて”」

 御者台のクラインが声を上げる。
 リディーの澄んだ声を耳にしながら、アルトリートはもう一体を斬り伏せる。

(ああ、クソッ!!)

 周囲への警戒を完全に怠っていた自分を罵倒しながら、最後の一体の首を刎ねた。
 荷馬車へと向かって走り、跳躍。荷台の上を跳び越しながら、状況を確認する。

「“足をつかんで、転ばせて”」
「じゃま、するな」

 リディーは一人で踏ん張っていた。
“スネア”の妖精魔法だろうか。ボガードソーズマン三体を同時に足止めしている姿に、アルトリートは感心と安堵の息をはいた。
 着地と同時に、一体を斬り伏せる。

「スマン。遅れた!!」

 数秒遅れで、後方を片付けたギルバールが駆け寄ってくる。レクターは新手の出現を警戒して、その場を動いていない。
 こちらはもう大丈夫と、アルトリートは馬車の前へと顔を向ける。
 目に入った光景に、思わず表情を歪めた。

 馬車前方には、四体の蛮族がいた。ボガードトルーパーが一体に、ボガードソーズマンが三体。

「ひぁ!?」

 連続して振るわれた二振りの剣に、ルーフィンが悲鳴を上げる。
 完全に腰がひけている。何とか攻撃を凌いでいるものの、一つ一つの動作に無駄が多い。
 一撃受ける毎に大きく体勢を崩しているようでは、遠からず転倒する羽目に陥るだろう。

「ウルァ!!」
「よわい、キサマ、くちだけ」

 カレドはルーフィンよりもさらに前方にいた。一人突出して、三体の蛮族の中で拳を振るっている。
 正面にいるのは、ボガードトルーパーだ。盾で少年の拳を弾き、今度はこちらの番と剣を突き出した。
 血が飛び散る。

「うぁっ!? ……テメェ!?」
「い、今、癒すから!」

 肩を突かれ、痛みに罵声を上げるカレドを見て、レティシアが癒しの奇跡を神に乞う。
 ルーフィンは、ソーズマンの剣を防ぐのがやっとで動けない。

(あの、馬鹿!!)

 アルトリートの視線の先で、トルーパーと共にいたボガードソーズマンの一体が、カレドの背後へと回り込む。
 退こうとしない少年の背中へと剣を振り上げ―――

「カレド!?」
「ばか、さる、おろかおろか」

 仲間の危機を目にしたルーフィンが悲鳴を上げる。
 あろうことか、目前の敵から視線を切り、そちらへと駆け出そうとした馬鹿者を蛮族が嘲笑った。
 双剣が振られる。

「うあっ!?」
「ルーフィン!?」

 辛うじてかわしたものの、ルーフィンが転倒した。
 詠唱を中断したレティシアの悲鳴を聞いた時には、アルトリートは全力で地面を蹴っていた。

「行け!!」
「悪い!」

 残りの蛮族を引き受けたギルバールの声を背に、一気に加速する。
 蛮族は、ルーフィンへと剣を振り下ろす、ことはせず、その横を素通りした。
 癒し手を潰すつもりか、それとも馬車が目当てか。尻餅をついて悲鳴を上げた少年を無視して、進路上のレティシアへと襲い掛かる。
 背後で、エルフの少女が「レティ!!」と叫び声を上げたような気がした。

(間に合え―――!!)

 実際には、瞬き一つほどの時間もなかっただろう。
 奇妙にゆっくりと流れる時間の中、ボガードソーズマンが剣を振り上げる。
 それを睨みながら、アルトリートは身構える神官の少女の傍らを駆け抜けた。

「……ぁ」
「え?」

 瞬間移動じみた疾走の勢いを利用して、蛮族の胴をアトカースが分断する。
 剣を振りかぶった体勢で、ボガードソーズマンの上半身が地面に転がった。
 アルトリートはその様を見ていない。
 呆然と目を見開いた少女と、尻餅をついたままの少年を置き去りにして、そのままカレドの元へと向かう。

「よわい、さる、ざこ、しね」
「ぅぐ……て、テメェら……殺す」

 蛮族達は、カレドを嬲るつもりだったらしい。
 背中から斬り付けられ、別のボガードソーズマンに足を払われて地面に倒れていたものの、カレドはまだ生きていた。
 弱々しいながらも、まだ憎まれ口を叩ける元気が残っていることに、少しばかり安堵し―――

「悪いが、時間切れだ」

 アルトリートは、蛮族三体を秒殺した。


 舌打ちをしながら、剣を鞘に納める。

(大失態だな)

 膝をついているカレドへ、チラリと視線を向ける。
 出血が多い。死ぬほどではないだろうが、放置してよい状態でもない。

「……癒しの魔法を」
「は、はい!!」

 慌てて駆け寄ってくる少女に負傷した少年を任せ、アルトリートは馬車へと向かう。

「あ、あの」
「…………」

 ようやく立ち上がったルーフィンと目が合う。
 怯えた色を瞳に浮かべた彼の横を、アルトリートは無言で素通りした。

「すみません。こちらの失態です」
「……いえ。これだけの数を相手にして被害が出なかったことを喜びましょう」

 クラインに、危うく危害が加えられそうになったことを詫びる。
 彼は、若干顔色を失ってはいたが、取り乱した様子も無く、首を振った。

 相手にした蛮族は、前後に四体ずつ、左右に三体ずつの計十四体だ。
 しかもトルーパーが二体、残りは全てソーズマンという編成を考えれば、被害が出なかったことを喜ぶべきだろう。

 ―――対応したのが、駆け出しの冒険者であったのなら。

「負傷者は、カレドのみ?」
「……傷が深いのは、アイツだけだな」

 ルーフィンも若干傷を負っているようだが、そちらは大したことはない。
 いつの間にか隣に来ていた相棒に、ため息混じりに答える。
 ギルバールはと問えば、彼は馬車の背後を指した。どうやら、レクターの代わりに後方の警戒を行っているらしい。

「……これからは、絶対に気を抜かないようにするよ」
「ああ」

 クルーガーを飛ばすことさえしていなかったと、レクターがため息をつく。
 相棒の言葉に頷いて、アルトリートは道端の小石を蹴飛ばした。
 余裕がない。怒鳴り散らしたくなる衝動を必死に抑えながら、空を見上げる。

 上空では、クルーガーが旋回して、今更ながら周囲を探っていた。

「……正直、今は新手が怖い。最低限の手当てが終わり次第、すぐ動かないと」

 苦々しい響きを帯びたレクターの言葉に、アルトリートは無言で頷いた。



[25239] #4-2 “駆け出し”(下)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/01/30 21:05

『明日の朝、八時頃には出発しますので、それまでに宿の入り口に集まってください』

 宿に到着し、各々の部屋に荷物を置いた後、クラインは一度解散を告げた。

「あの四人は、大丈夫かの?」

 襲撃をやり過ごした後、ずっと俯いていたルーフィンは、クラインが姿を消すと同時に宿を飛び出していった。
 慌てて追いかけるレティシアを尻目に、カレドは二階の部屋へと引上げている。
 リディーは、相変わらず何を考えているのか分からない様子で、これまた街中へとフラフラと姿を消した。
 そんな四人の様子を思い出し、ギルバールが難しい表情を浮かべた。

「さあな」
「最悪、彼等が使い物にならなくても、私達三人で馬車は守れるし」
「……お主ら」

 興味なし。そんな内心を隠そうともしないアルトリートとレクターの反応に、ギルバールが低い声を出した。
 ジロリと二人を見て、彼は口を開く。

「アヤツらは、確かに未熟じゃ。じゃが、それでもアヤツらなりに努力はしておろう。
 先達として、手を差し伸べてやろうとは思わんのか?」
「…………」
「……よく分かった」

 沈黙を返すアルトリート達に、ギルバールは頷いた。
 静かな、押し殺した声に怒気が混じる。

「ワシは、アヤツらを馬鹿にする気にはなれん。見放そうとも思わん。
 ワシにも駆け出しの頃はあったし、人には言えぬような失敗も数多くやらかした。
 ……お主らとて、そうじゃろう?」

 ギルバールの言葉に、アルトリート達は咄嗟に言葉を返せない。
 その反応をどう受け取ったのか、彼はため息をついて二人に背を向けた。

「何度もしくじったワシを、その度に怒鳴り、諭し、導いてくれた先達がおったから今がある。
 無論、ワシの未熟を嘲笑うだけの者もおったがの。
 ……じゃが、じゃからこそ、ワシは、煩い、お節介、と言われようと後進に手を貸してやりたい」

 お主らに押し付けるつもりはないが。
 そう締めくくって、ギルバールはルーフィン達の後を追うように立ち去った。

「……誰にでも駆け出しの頃はある、か」
「私達にとってみれば、今がそうなんだけどね。……忘れていたけれど」

 ポツリと呟いたアルトリートに、レクターが苦笑を浮かべた。

 ギルバールの話は的外れだ。
 アルトリートとレクターには、『しくじった経験』など、ない。
『怒鳴り、諭し、導いてくれた先達』など、いない。
 そもそも、二人は『熟練者』ではない。力があるだけの『駆け出し』なのだ。

「未熟を嘲笑う、だって」
「……耳が痛いな」

 レクターの言葉に、アルトリートは目を閉じた。

 ギルバールの指摘は的を射ている。
 アルトリートとレクターは、カレド達四人を見下していた。
 自分達を『熟練者』、彼等を『駆け出し』の位置に置いて、上から目線でその未熟を嘲笑っていた。
 パーティーとして上手く機能していない彼等を馬鹿にして、その力をあてにせず、言葉を交わすことさえ放棄していた。
 ―――今は、彼等と自分たち、七名で一つのパーティーであるハズなのに。

「……最悪だな、おい」
「恥ずかしすぎるね」

 赤面ものの勘違いだと、二人はため息をついた。

「どうする?」
「とりあえず、ちょっと頭を冷やしてくるよ」

 少し、考えをまとめないと。そう続けて、レクターは宿の外へと出て行った。
 相棒が消えた扉をしばし眺めて、アルトリートはため息をつく。

「……で、お前は俺に何か用か?」
「ちょっとツラ貸せよ」

 アルトリートが一人になるのを待っていたらしい。
 二階からコチラを窺っていたカレドは、敵意に満ちた目でそう告げた。




 ギルバールがその姿を見つけたのは、街の北側―――これから伸長される予定の街道の起点になるであろう場所だった。
 小さな川を跨ぐ橋の下で、身を潜めるように少年が蹲っている。

「…………」

 ギルバールは、ゆっくりと彼の所へと近づく。
 鎧が立てる音に気がついたのか、少年が顔を上げた。目が合う。

「……あ」
「隣に座るぞ」

 固まっているルーフィンの意見を聞くことなく、腰を下ろした。
 橋が陽射しを遮っているため、薄暗い。加えて、空気が少し湿っている。
 ギルバールは僅かに顔をしかめた。

「むぅ。気分が更に落ち込みそうな場所じゃの」
「……あの、何かご用でしょうか?」
「うむ。言っておくが、『気にするな』などという慰めを言うつもりはない」

 むしろ説教をしに来た。そう続けるギルバールに、ルーフィンは僅かに身を硬くした。

「……僕には、適性なんて無いですもんね」
「お主が冒険者になった理由は何じゃ?」
「はい?」
「お主が、冒険者になった理由じゃよ。何ゆえ戦士として、前に立つ役割を負うことになったのかの?」
「……父が元冒険者で、小さい頃から剣や盾の扱いを教わっていたからです」

 ギルバールの問いに、ルーフィンは消え入りそうな声で答える。
 小さい頃から教わってきたはずなのに、自分は一向に上達しない。やはり才能がないのだと彼は自嘲した。

「それで、なぜ冒険者になったのじゃ?」
「え? いや、だから」
「前に立つことを選んだのは、多少はあった心得を生かすためというのは解った。
 じゃが、そもそも冒険者にならなければ、苦手な剣を扱う必要もなかったであろう?」
「それは……レティと、カレドが冒険者になるって聞いて、そのし、心配に」

 レティシアとカレド、ルーフィンは幼馴染らしい。
 ある時、カレドが冒険者になると言い出し、心配だからとレティシアがそれに同行を宣言、ルーフィンもそれに乗ったのだそうだ。

「なるほど。二人を守りたいと思うたのか」
「はい。その、父から冒険をする時には、前に出て壁になる者がいると教わっていたので……」
「なるほどのぅ」

 顎に手をあてて、ギルバールは頷いた。
 リディーとの関わりはよく分からないが、それを今、あえて聞く必要はないだろう。

「お主の適正について、どうこう言うつもりはない」
「え?」
「お主の動きは、適性がどうとか、そういうことを語る以前の問題じゃ。
 何じゃ、あのへっぴり腰は、その辺のゴロツキでももっとマシな動きをするぞ」
「ぁ、う」

 ギルバールにバッサリと斬り捨てられ、ルーフィンが項垂れる。
 その背中をバシリと叩きながら、ギルバールは説教を続けた。

「それがイカン。自分の悪いところを指摘されて、落ち込む暇があったら改善するために努力せんかっ!!
 そこで腐っていては、全く進歩が生まれんじゃろうが」
「あ、その……はい。すみません」
「じゃが、基礎は出来ておった」
「は?」

 目を丸くするルーフィンの顔を見て、ギルバールは笑う。
 ボガードソーズマンの剣撃を、数度に渡って防ぐことなど素人には不可能だ。
 ルーフィンが双剣を凌ぎ続けることが出来たのは、逃げ腰ながらも最低限必要な部分を押さえていたからだろう。

「そして、お主がカレドを助けようと動いたことは、ワシは評価しておるよ」
「え、と」

 無論、敵から目を逸らすなど言語道断だが、そう続けながらも、ギルバールの口調は柔らかい。
 目を白黒させる少年に、ギルバールは頷いて見せた。

「仲間を守ろうとする意志。それは、お主やワシのようなパーティーの盾たる者には絶対に必要なものじゃ。
 怖くて当然。弱音を吐いても良い。じゃが、それでもその思いだけは捨てるな」
「…………」

 その意志を捨てて逃げ出せば、仲間が死ぬ。そう告げるギルバールの言葉に、ルーフィンは息を呑む。
 レティシアが斬られそうになった瞬間でも思い出したのか、見る見る内に顔色が蒼褪めていった。

「でも、僕なんかじゃ」
「自分の力が足りないと思ったのなら、助けを求めよ。
 お主と共に戦う拳闘士は、仲間を見捨てるような外道かの? 
 お主の背後に立つ神官は、ただ守られるだけの無力な娘かの?」
「ち、違います!!」
「ならば、お主は彼等から力を借りて、彼等を守る盾となれば良い。
 ……助けられた分だけ、その手で守ってやれ」

 自虐を遮ったギルバールの言葉に、少年は己の手を見下ろした。
 
「僕が、皆を……守る」
「そのために、お主は冒険者になったのじゃろう?」
「……はい」

 頷くルーフィンの顔に、再び血色が戻ってきていた。
 声から自虐の色が消えているのを確認して、ギルバールは頷いた。

「ま、先ずは皆に心配を掛けたことを詫びねばなるまいの?」
「……あ」

 レティシア嬢ちゃんあたりに怒鳴られると良い。
 意地悪く笑った古株の戦士に、若き戦士の卵は顔色を再び蒼く染め上げた。 



 夕日に赤く染まった街中を歩く。
“果ての街”フォリマーは、小さいながらも活気に満ちた街だ。
 通りを歩けば、一日の疲れを癒そうと酒場に向かう工夫や、自分と同じ冒険者の姿が目に入る。
 その光景に、この街が街道の伸長工事を見越した職人や、北西に位置する遺跡“大水門”に挑む者達の拠点となっていることを思い出す。

「……この街は綺麗な人が多いという話だし。
 本当なら、色々と声を掛けて回りたいところなんだけどね」

 さすがにそんな気分にはなれないと、レクターはため息をついた。
 と、見覚えのある女性神官の姿を見つける。以前の元気な姿はどこにいったのか、酷く落ち込んだ様子で佇んでいた。
 傍らに、ルーフィンの姿はない。

「ルーフィンはまだ見つからない?」
「え? あ……レクターさん」

 背後から声を掛ければ、レティシアは驚いた表情を浮かべて振り返り、すぐに目を伏せた。
 コクリと、小さく頷く。

「……街の外には出ていないようだし、ギルバールも探してるようだからすぐに見つかるよ。
 良かったら、私も探すのを手伝うけれど」
「……すみません。ありがとうございます」

 二人で並んで歩く。

「……あの」
「うん?」

 相当にヘコんでいるらしく、俯きがちに歩いていた少女が唐突に足を止めた。
 こちらを見上げる。

「私は、私にはあの時、何ができたのでしょうか?」
「…………」

 何かやるべきことがあったのではないか。そんな彼女の問いに、レクターは沈黙した。
 ギルバールの言うとおり、彼女もまた必死に考えている。

「君は、カレドやルーフィンが戦っている時、癒しの魔法以外に何かしたかな?」
「……いいえ」

 少女は首を横に振った。

「必ずしも効果があるとは言えないし、マナとの相談もあるから、これが正しいとは言えないけれど。
 例えば“バニッシュ”を使ってみるとか」
「“バニッシュ”……蛮族やアンデッドを退ける神聖魔法でしたよね」
「うん。アレ、結構使えるんだよ。私はそれで命拾いしたこともあるし。
 他にも“フィールド・プロテクション”を使って、前衛二人に護りの加護を与えることも出来たんじゃないのかな」
「……考えもしませんでした。普段、偉そうなことを言っているのに、私、全然駄目ですね」

 レティシアが俯いた。
 その泣きそうな表情を見ないようにして、レクターは話を続ける。
 今は、安易な慰めは口に出来ない。

「レティシアは、カレドとルーフィンの戦いをちゃんと見てた?」
「え? あ、はい。見てました」
「うん。で、どう思った?」
「どう……って」

 首を傾げる彼女に、レクターは微笑んだ。

「率直な感想でいいんだよ。危なっかしいとか、そんな感じで」
「……見ていて凄く怖かったです」
「それは何故かな?」
「カレドは、一人で前に出すぎるし、ルーフィンは何だか頼りないし」
「なら、それを変えるのは君の仕事だ」
「え?」

 レクターは静かに告げる。
 目を瞬かせるレティシアへと、指を一本立てて見せた。

「前衛というのは、意外と周りが見えてないんだよ。
 何しろ目の前の敵に全神経を集中してるからね。
 退がる敵を追いかけている内に、気がついたら突出して孤立していた、なんてことは決して珍しくない」

 だから、全体を見回せる後衛が、時に注意して引き戻す必要があるのだと、レクターは続けた。

「ルーフィンは頼りない。へっぴり腰で戦ってて、見てるこっちが不安になるよね。
 でも、彼は仲間の危機に恐怖を忘れるくらいには、皆のことを大事に思ってるんだよ」

 使い魔の視界を通して見た光景を思い出す。
 囲まれたカレドの危機に、目前の蛮族の存在を完全に意識から飛ばした少年。
 彼は、誰かを守るためなら、恐怖など物ともせずに戦うことができるだろう。

「だから、レティシアはルーフィンにそのことを意識させればいい。
 お前が抜かれると背後の仲間がピンチになるぞって、もっとシャキっと戦えって、後ろから発破を掛けてやればいい」
「…………」

 レクターの言葉に、レティシアは沈黙したままだ。

「あまり声を掛けすぎると、今度は集中を乱すことになるから、状況を見極める必要があるけどね。
 『よく見て、よく考える』こと、それが私たち後衛に一番大事なことだと思う」
「よく見て、よく考える」

 口の中で繰り返し呟くレティシアに、レクターは苦笑した。

「ま、あくまで私の考えだけどね。
 後は目的を見失わないことかな。例えば、人を探すのに俯いていたら、見つかるものも見つからなかったりするよね」
「え?……あ、そう、ですね」

 悪戯っぽく笑う魔術師の言葉に、神に仕える少女は頬を赤く染めた。
 


 街の外れ。
 夕暮れを受けて赤く染まった世界の中で、アルトリートはため息をついた。

「……仲間を放っておいて、お前は果し合いか?」
「フン。ルーフィン追いかけて、『お前は悪くない。悪いのは突出したオレだ』とでも言って慰めろってか?
 アホらしい。オレ達は遊びで冒険者やってるワケじゃねぇんだ」

 仲良しゴッコで傷を舐め合うような真似はゴメンだと、カレドが地面に唾を吐き棄てた。
 手甲を帯びた拳を打ち合わせて、彼は無手のアルトリートを睨む。

「抜けよ」
「抜かせてみろよ」

 短く告げたカレドに、アルトリートは鼻先で笑って返した。
 結局、自分には説教や助言など出来そうにない。強すぎる鼻っ柱を叩き折って、退くことを覚えさせるくらいが関の山だろう。

(それさえ、何か逆効果になりそうだが)

 ギルバールに怒られそうだ。
 苦笑を浮かべたアルトリートを見て、カレドのまなじりがつり上がった。

「馬鹿にしやがってっ!! その上から目線が気にいらねぇ!!」
「そうか」

 怒鳴りながら突っ込んできたグラップラーの拳をかわす。
 ストレート、アッパー―――ニ連撃を上半身の動きだけでかわし、直後に放たれた蹴りを後退することで空振りさせた。

「まだまだっ!!」

 カレドは咆哮して、拳を振りかぶった。
 相変わらず、見え見えの大振り。それなりに速いが、それでもアルトリートからすれば止まっているも同然だ。
 身を引いて、突撃してきたカレドをかわすと同時に背後へ回り込む。

「……突っ込みすぎるそのクセ、直さないといつか死ぬぞ」
「余計な、お世話だっ!!」

 振り返りざまの裏拳を掌で弾いて、アルトリートは大きく後方へと跳躍した。
 広がった間合いの先で、体勢を整え直すカレドを見つめる。

「く、そ……何で当たらねぇ」
「根本的な速度と、経験の差だな。少なくとも、俺の方が速いし、お前よりも潜った修羅場の数も多い」
「…………っ」

 カレドが舌打ちをする。
 その表情を眺めながら、アルトリートは構えた。
 ゴブリン程度なら、何の苦もなく殴り殺せる拳を握り締め、地を蹴る。

「はぁっ!!」
「…………っ」

 当てることを優先し、全力で振りぬくことはしない。
 左拳を脇腹に、右をコメカミのあたりに引っ掛けるように叩き付けた。カレドが呻き声を上げながらよろめく。

「どうしたグラップラー」
「っ、このっ!!」

 打ち上げるように振るわれた右拳をスウェーでかわす。直後、顔面めがけて真っ直ぐに左が放り込まれた。
 咄嗟に顔を傾けるがかわし切れず、頬を掠める。
 直後、放たれた蹴りを腕で受け止めて、アルトリートは数歩後退した。

「ハッ!! どうしたセンパイ!! 格闘は苦手か?」
「……当たり前だろ、俺は剣士だぞ」

 ようやく当たった一撃に、カレドが口の端を歪める。
 その言葉に、アルトリートは舌打ちをした。蹴りを受け止めた腕がわずかに痺れている。
 負け惜しみと取ったのだろう。カレドの笑みが深くなった。

「ハン! だったら剣を抜けよ」
「お断りだな」

 肩を竦めて、アルトリートから仕掛ける。それをカレドは真っ向から迎え撃った。
 ―――数十秒後、グラップラーの少年は、仰向けに倒れていた。

「くっそ……」
「……もう少し相手を見るようにした方がいい。あと、無策で突っ込むな」

 傍らにしゃがみ込んで告げれば、少年は「うるせぇ」と一言呟いてそっぽを向いた。
 自覚はしているらしい。そのことを確認してアルトリートは立ち上がった。

「ルーフィンが敵を背後に通したのは致命的だ」

 彼は、守りの要だ。
 それがあんなにアッサリと敵を通しては、背後の術者達は安心して魔法を扱うことができなくなる。

「だが、その原因はお前が一人で突っ込んで囲まれたことにある」
「…………」

 もっとも、カレドが無謀な突撃をやらかした理由は、自分にあるのだろう。
 最初の襲撃の後から、カレドはずっと自分の感情をアルトリートにぶつけ続けていたのだ。
 それを、取り合うに値しないと鼻で笑って無視されてしまえば、怒りが収まるはずがない。むしろ増大する一方だっただろう。
 延々ぶつけられている敵意にイライラが溜まっていた自分と同様、いや、それ以上に彼は鬱憤が溜まっていたハズだ。
 それを遠慮なく叩き付けられる相手が現れれば、思わず周りが見えなくなったとしても仕方がないのかも知れない。
 
(……何をやってるんだろうな、本当に)

 相手の気持ちなど、全く考えていなかった自分に呆れて物も言えない。
 内心でため息をついて、だが、そうした思考を表に出すことなく、アルトリートは言葉を続けた。

「レティシアには、癒し以外にもできることがあった」

 効くかどうかは分からないが、“バニッシュ”を試みても良かっただろう。
 少なくとも、何もせずに前衛が傷を負うまで見ているよりはマシだ。

「よそ事を考えて警戒を怠った俺や、やるべきことをやらなかったレクターは論外だ」
「……何が言いたい」

 カレドの問いに、アルトリートは首を振った。

「……別に、慰め合いをしろなんて言うつもりはない。
 しかし、何が拙かったのかを検証して、これからどうするかを考えるのは必要なことだろう?」
「…………」
「そして、それは一人じゃなくて、パーティー全員で行うべきことだ」

 でなければ、何のためにパーティーを組んでいるのか。そう続けたアルトリートに、カレドは何も答えない。
 しばしの沈黙の後、舌打ちをして、身を起こした。

「……帰る」

 憮然とした表情のまま、アルトリートに背を向けた。街の方へと向かって歩き去る。
 その背中を見送って、アルトリートは深い深いため息をついた。

「……何を偉そうに」

 夕暮れ時で本当に良かったと思う。今の自分は、きっと耳まで赤くなっていることだろう。
 あまりの恥ずかしさに、アルトリートは思わず顔を覆った。



 リディーは、木の上にいた。
 十メートルほどの高さにある枝に腰掛け、柔らかく吹きぬける風に長い金髪を遊ばせている。
 
「そう。そう……ありがとう」

 時折長い耳をピクリと動かしながら、目を閉じて小さな友人達の話を聞く。その内容に彼女は微笑んだ。
 リディーは、今回のことを特に心配していない。
 あの三人は、この程度のトラブルで壊れるほど弱くないことを知っているからだ。
 だから、気に懸かっていたのは、偶然、一緒に仕事を行うことになった三人の冒険者達。
 特に、自分達を軽く見ていた二人のことを彼女は懸念している。

「でも、大丈夫みたい」

 彼等は彼等なりに、自分達のことを考えてくれているらしい。
 そのことを妖精達の囁きの内容から判断して、エルフの娘は笑った。
 ならば大丈夫。この仕事もきっと上手くいくことだろう。

 確信して、エルフの妖精使いは木の上から飛び降りた。反省会に遅れたら、きっと怒られる。
 



 森の中を、青白い閃光が走り抜けた。
 木々の合間を縫うように迸った雷が、潜んでいた蛮族達を貫いた。

「……行って帰るだけで、何で三回も襲われるんだか」

 運良くレクターの“ライトニング”から逃れた者達を斬り伏せながら、アルトリートは小さくぼやいた。
 右側の森は全て片付いた。反対側の森も、随分と静かになっている。アチラも終わったのだろう。

「さて、じゃあ加勢に向かうか」

 夜の闇を退ける“サンライト”の光に目を細めながら、アルトリートはカレド達の元へと向かった。


 三度目の襲撃。
 それはカナリスへの帰途の途中―――野営中のところに行われた。
 もっとも、いち早く蛮族の接近に気がつくことが出来たため、不意打ちとはならず、逆に大打撃を与えることが出来ている。
 
 レクターが左右の森に“ライトニング”を連射。
 討ち漏らしをアルトリートとギルバールが森の中で掃討。
 
 辛うじて街道へと出てくることが出来たのは、わずか四体の蛮族だけだった。
 ボガードコマンダーとボガードトルーパーが一体ずつ、ボガードソーズマンが二体という組み合わせだ。
 それを、カレド達四人が迎え撃つ。

「―――っ!!」

 振り下ろされた剣を盾で受け止めて、ルーフィンが歯を食い縛った。
 彼の盾は、レティシアの神聖魔法によって強度を増しているものの、蛮族の放つ斬撃はやはり恐ろしい。
 攻撃を防ぐのに必死で、反撃など出来そうにない。
 だが―――

「ウルァ!!」
「……ギ!?」

 横から走ったカレドの拳が、ボガードソーズマンの横っ面を捉えた。
 斬撃を打ち込んだ直後、体が硬直したところに入った一撃だ。蛮族の体勢が大きく崩れる。

「“友よ、アイツの足をつかまえて、転ばせて”」

“スネア”
 リディーの澄んだ声が響く。その声に応えた妖精たちの力によって、ボガードソーズマンは転倒した。

「よっしゃ!!」
「って、馬鹿! ルーフィン!!」
「大丈夫!!」

 倒れたボガードソーズマンへと追い討ちを掛けるため、カレドが踏み込む。
 その様を見たレティシアの声を聞きながら、ルーフィンは彼をフォローするように立ち位置を変えた。
 もう一体のソーズマンの剣を受け止める。

「あ、悪ぃ!!」
「気にしないで。カバーするから」
「おうよ!! 任せた!!」

 倒れた蛮族に止めを刺したカレドが、バツの悪そうな表情を浮かべる。
 そちらを見る余裕はないが、ルーフィンはハッキリと傍らの友人へと告げた。
 気にせず戦えというルーフィンの言葉に、カレドは愉快そうに笑いながら気合を入れた。

「どういうことかしら」

 今彼等が戦っているのは、ボガードソーズマン二体のみだ。
 両拳にナックルを填めたボガードと剣と盾で武装したボガードは、少し離れた場所からこちらの様子を窺っている。
 まさか、余裕というわけではないだろう。
 どう考えても蛮族側が劣勢だ。それにも関わらず動く様子のない二体に、レティシアは眉をひそめた。

「……駄目ね。とりあえず、伏兵だけは気をつけましょう」
「うん」

 傍らのリディーに注意を促しながら、レティシアは目を細めた。


 アルトリート達が周辺の敵を掃討した時には、カレド達はボガードソーズマン二体を葬り終えていた。
 残るボガードコマンダーとトルーパーは、なぜか動く様子を見せずに佇んでいる。
 カレド達も蛮族に仕掛けることはなく、膠着状態となっていた。
 
「……オレたちじゃ、まだ勝てない」
「剣と盾で武装してる方なら、何とかなるだろうけどな」

 悔しげに呟かれたカレドの言葉に頷きながら、アルトリートは蛮族の姿を見据える。
 こちらが合流したのを見て、二体の蛮族が各々の武器を構えた。

「ふむ。こっちを待っていてくれたということかの?」
「死に方を選んだとか?」

 ギルバールとレクターが首を傾げる。
 その言葉を肯定するように、蛮族達は雄叫びを上げた。

『我が最期の敵は、貴様としたい。双剣の剣士よ!』
『我が相手は貴様だ。ドワーフの戦士!』

 妖魔語で伝えられた内容を、レクターが通訳する。
 いきなりの指名に首を傾げながらも、アルトリートは剣を構えた。

「悪いな。オイシイところをもらう形になる」
「…………」

 一瞬、カレドと目が合う。
 少年は、舌打ちをしながら視線を逸らした。小さく苦笑する。

「レクター、返答をよろしく」
「うむ。頼んだ」
「任された。ちょっとカッコイイ感じで返しとくよ」

 レクターが頷くのを確認し、アルトリートとギルバールは各々の相手へと駆け出した。

『相手にとって不足なし!! その挑戦、受け取ったっ!!』




“水晶の欠片亭”には、今、四組のパーティーが所属している。
 うち一組は、エルリュート湖北西の遺跡―――“大水門”に挑んでいる関係上、最近はカナリスで姿を見ること自体が稀だ。
 だが、他の三組はそんなことはない。ひと仕事を終える度に、店の一階で宴会をしている姿を見ることができる。

「お疲れ様」
「ええ。中々に胃に悪い仕事でしたよ」

 今も、一つ仕事を片付けて、店の一角でジョッキを片手に笑い合っている若者たちがいる。
 その姿を見るのは、リッタ・ハルモニアにとって最大の喜びだ。
 今回も無事戻って来てくれたことに感謝しながら、彼女は傍らの青年に目を向けた。

「で、どうだったかい?」
「ええ。信頼に値すると思いますよ。力量も、人柄も」
「そっか。うん、そうだろうね」

 リッタは柔らかく微笑んだ。
 その手には、照明を受けて煌く首飾りの姿がある。
 青い水晶の欠片をあしらったペンダント。言うまでも無い、“水晶の欠片亭”のエンブレムだ。

「ありがとう。このお礼は、あたしの手料理なんてどうかな?」
「それは勘弁してください」

 女将の笑顔に、青年―――クラインは苦笑しながら首を振った。
 その胸元で、青い水晶のペンダントが揺れている。

「あっさりと断るわね。いいけれど。
 さて……それじゃ、あの子達が酔い潰れてしまわない内に、これを渡しておこうかしら」

 リッタは宴会中の若者達へと近づいていく。
 ―――その手には、七つのペンダントが握られていた。



[25239] #5-1 “弾丸侍女”(上)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/02/06 07:42
 燃え盛る炎の中、男が蛮族の一体を斬り伏せた。
 三〇代半ばの人間だ。精悍な顔つきに、鍛え上げられた体躯。
 装飾が施された金属鎧を身に纏い、手には長剣と盾を携えている。

「―――ここはもういい!! お前は下がれっ!!」

“ファイアボール”を放つと同時に、近くにいた蛮族を斬り伏せた男は、こちらを向いて後退するよう促した。
 それに首を振って、両手で構えた長銃を撃つ。即座にリロード。

「旦那様が後退されないのなら、私も残ります」
「……ったく、ウチの従者は頑固だな!!」

 男は悪態をつきながらも笑った。
 ならば付き合えと告げる彼に、当然ですと頷いて笑う。
 周囲の蛮族どもは、ボガードとオーガを中心とした編成だ。男は呪文と剣で、自分は銃で、当たる端から薙ぎ倒す。
 弾薬とマナの大半を消費したものの、相当な数を減らすことができた。

(これなら)

 何とかなるかも知れない。
 そんな淡い希望は、突然走り抜けた白い閃光によって吹き飛ばされた。

「……ぁ」
「あれが親玉か」

 男が上空を見上げて舌打ちをする。
 そこには二体の竜の姿があった。もっとも、本物のドラゴンではない。
 蛮族の中でも上位種とされるドレイク、その竜化後の姿だ。
 共に大きい。銅色の鱗を持つ個体と、赤く鱗を煌かせる個体。おそらくは、共に爵位持ち。

「……俺が時間を稼ぐ。お前は逃げろ」
「嫌です」

 改めて告げられた言葉に、即答する。だが、今度は男も退かない。

「これは、主としての命令だ。必ず生き延びて、このことを神殿に伝えろ」
「……ダメです。それなら、私が残ります」
「ダメだ。お前じゃ、大して時間を稼げん」
「私でも旦那様でも、大して変わりません」
「……頼むよ」

 必死に首を振る自分に、彼は笑いかけた。
 これが最後だから、そう告げる男に唇を噛み締める。

「私の……ご主人様は、頑固で……困ります」
「ははは。色々と苦労を掛けるな」

 男が笑う。一歩後退し、その背中を目に焼き付ける。

「貴方にお仕えできて、良かったです」
「ああ。俺も、お前が従者でよかった。ありがとう。……行け!!」

 その声を合図に、背後の森へと向かって走り始める。

「逃げられると思ったのか?」
「ハハハ。カワイイね」
「逃がすに決まっているだろうが、このトカゲ野郎共!!」

 そんな声が聞こえた直後、一際周囲が明るくなる。光源は背後だ。
 反射的に振り返れば、真っ白な光に呑み込まれる戦士の背中が目に入った。

「…………っ!!」

 零れ落ちる涙を手で拭って。
 漏れそうになる嗚咽を呑み込んで。
 萎えそうになる足を、折れそうになる心を必死に支えながら―――

 彼女―――イーリス・ベルステラは、惨めに敗走した。




 ―――ゴーシャの村が壊滅した。

 その話を聞いたのは、夏の本番、八月に入ってすぐのことだった。
 思わず腰を浮かしたギルバールの隣で、レクターがリッタへと硬い表情を向ける。

「……蛮族の襲撃、ですか」
「そう。その場に居合わせた遺跡の調査隊のおかげで、村人のいくらかは逃げ延びたらしいんだけどね。
 ……それで、あんた達に依頼が入ってるんだけど、ちょっと奥の部屋に来てもらえるかしら?」
「……依頼、名指しで?」
「ゴーシャの村での一件があるから、かな」
「そういうこと。もっとも、神殿はあんた達二人のことを前から知ってたような口ぶりだったけど」

 アルトリートとレクターに「前に何かやった?」と問いながら、店の女将は三人を奥の部屋へと案内する。
 冒険者の店に舞い込んで来る依頼には、込み入った内容のモノも珍しくない。
 そのため、外には出せないような話をするために、個室が設けられているのが通例だ。
“水晶の欠片亭”も例外ではなく、一階の奥に防音処理を施された部屋が存在している。

「あ~」
「微妙に心当たりが……」
「何をやらかしたんじゃ?」
「別に悪いことはしてないぞ」

 言いながら、リッタの後に続いて部屋の中に入る。
 そこには、店の女将だけでなく、もう一人女性の姿があった。

「……メイドさんだ」

 結い上げた黒髪に、ホワイトブリム。
 ほっそりとした体を包むのは、丈の長い濃紺のワンピースに白いエプロン。
 折り返しのない襟をキッチリと留めて、一部の隙も見当たらない、しかし控えめな様子で佇むその姿。
 レクターの言葉どおり―――まさしくメイドサーヴァントのソレだった。

(……ルーンフォーク?)

 耳に相当する部分が、センサーを思わせる形状の人工物となっているのに気が付いて、アルトリートは彼女の種族を判別する。

 ルーンフォークは、魔動機文明時代に生み出された人造人間達の末裔だ。
 ジェネレーターと呼ばれる装置から生まれる彼等は、元々は、人族に対する奉仕種族として生み出されたとされている。
 もっとも、魔動機文明が滅びて三百年が経過した現在では、人族を構成する一種族として認知されており、彼等を下位の存在として見る者は少ない。
 とは言え、元々の出自故か、人に仕えることをライフワークとする者も多いらしいが。

「こちらは、イーリス・ベルステラさん」
「はじめまして。今回の依頼にあたり、神殿より皆様へご説明を行うこととなりました。イーリスと申します」

 メイド―――イーリスがお辞儀をする。
 優雅とさえ言えるその仕草からは、彼女が格好だけのメイドではないことを示していた。

(……神殿からの依頼だよな?)

 何故、メイドがやってくるのか。
 首を傾げるアルトリート達に、彼女はゆっくりと顔を上げ―――

「……何の真似だ?」
「素晴らしい反応ですね」

 突如、突きつけられた銃口を睨みながら、アルトリートは低い声を出す。
 その手には、咄嗟に抜いたアトカースがある。その黒刃を彼女の首筋に触れさせたまま、再度、理由を問うた。

「まさか、悪ふざけ、ってわけでもないだろう?」
「大変失礼いたしました。ご説明の前に、皆様の力量を確認させて頂いた次第です」

 全員が身構えていることを確認したイーリスは、その言葉と共に銃を下ろした。
 それに合わせて、アルトリートも剣を引く。
 手にしていた小型の拳銃と球状の装置―――マギスフィアを傍らのテーブルに置いて、彼女は深々と頭を下げた。

「……あたしは席を外すけれど、続けるなら外でやってちょうだいね」
「はい。申し訳ございません。女将様にも大変なご迷惑を」

 リッタに頭を下げるイーリスを見ながら、アルトリートはため息をついた。

「……それで、わざわざこちらの反感を買ってまで、力を試した理由を聞いてもいいか?」
「はい。ですが、その前に改めて自己紹介を」

 アルトリートの言葉に、イーリスは頷いた。
 真っ直ぐに三人へと目を向けて、彼女は再び己の素性を語る。

「私は、イーリス・ベルステラ。
 先日のゴーシャの村襲撃に居合わせた調査隊メンバーの一人、ルーカス・ベルステラの従者です」

 昏い、凍りつくような炎を瞳の奥に宿らせて、ルーンフォークのメイドはそう名乗った。


 ゴーシャの村が蛮族の襲撃を受けたのは、一昨日の夜のことだったという。

「私を含め、五名の調査隊が村に到着した夜のことでした」
「……五名?」
「先遣隊でしたので」

 人数が少ないのはそのためだと、首を傾げたレクターに彼女は補足した。
 遺跡の調査隊を編成するにあたっては、当然ながら人数や人選などの検討を行う必要がある。
 が、その検討を行えるだけの情報がない場合、少数で遺跡に入り、簡単な事前調査を行う先遣隊が派遣されるらしい。
 やっていることは、基本的に冒険者と変わりない。
 しかし、彼等もまた調査隊の一員として選抜され得る知識や経験を持った専門家であるため、収集される情報の精度や密度が段違いなのだという。

「……そういえば、魔法文明期の遺跡であること、改造ゴーレムが配置されていること、くらいしか情報集めてなかったね」
「いえ。大変良くまとめられていると、ルーカスは感心していたようです」

 ずさんな調査で申し訳なかったというレクターの言葉に、イーリスが首を振った。
 話を戻す。

「襲撃は、本当に突然でした。
 それでも、五人のうち二人が村人達の避難誘導を、三人が時間稼ぎのため蛮族達に応戦したのですが……」

 それが、どれほどの意味を成したのかは分からないと、彼女は頭を振った。
 応戦組は多勢に無勢の状況ですぐに一人が倒れ、残る二人―――イーリスとルーカスで必死に抵抗を続けたが、それも敵の首領が現れるまでだったという。

「ドレイク……銅色に輝く鱗を持つ者と、赤く輝く鱗を持った者。その二体が指揮官だろうと、ルーカスは判断しました」
「爵位持ち。それも二体か」
「男爵位と子爵位、かな。子爵の方は亜種である可能性もあるけれど」
「ふむ。大物じゃな」

 共に通常のドレイクよりもずっと大きな体躯を誇っていたと聞き、アルトリートは目を細める。
 レクターが口元に手を当てながら推測を口にし、その隣でギルバールが目を閉じた。

「なるほど。爵位持ちのドレイク二体が敵になるなら、力量を測るくらいは必要か」
「大変失礼いたしました」

 対抗どころか、対応すら出来ないような者を連れて行っても邪魔になるだけだ。
 納得してため息をつくアルトリートに、イーリスは改めて頭を下げた。

「それで、俺達はそちらのお眼鏡に叶ったのか?」
「……少なくとも、私の足手まといになることはない。そう判断いたしました」
「では、この依頼は俺達が受けて問題ないんだな?」
「はい」

 頷くイーリスを見て、アルトリートは傍らの二人へと視線を向ける。
 無言で二人が頷く。
 イーリスの同行が前提になっていることに関しては、何も言うつもりはない。
 この場所に彼女の主がいないこと、そして彼女の瞳に宿る昏い炎を見れば、その心情は容易に察することが出来る。
 口を出すだけ無意味だろう。

「それで、出発はいつ?」
「皆様の準備が済み次第、すぐに」
「じゃあ……すぐに出ようか」

 アルトリート達は席を立った。




 ゴーシャの村にほど近い山中に、武装した一団の姿があった。
 数は、五〇名前後。
 手にしている盾や身に着けている鎧など、各々の装備には一様に円と水滴を組み合わせた紋章を見ることが出来る。
“水の神”ルーフェリアに仕える神官戦士達だ。
 その役割は女神の敵の排除であり、この国の人々の守護だ。ゆえにこそ、その表情はとても険しい。
 ゴーシャの村を襲った惨劇は、彼等にとって痛恨の出来事だった。
 偶然村に居合わせた遺跡調査隊の奮戦によって、全滅という最悪の事態こそ免れたものの、失われた命は決して少なくない。

「…………」

 神官戦士隊の隊長―――ジルベールは、憎悪と憤怒で高まる内圧を下げるように、ゆっくりと息をはいた。
 通報を受けて急行した自分達に、引き連れていた村人を託して倒れた男のことを思い出す。
 もう一人、彼と同じように村人の誘導にあたった者が居たそうだが、合流前に蛮族どもの凶刃に倒れているという。
 そして、村人を逃がすため蛮族達に応戦した者の内、生き残ったのは事態を知らせてくれたルーンフォークの女性一人だけ……

(彼等の死に報いることになるかは分からないが)

 奴らに思い知らせてやろう。
 夜通し走り続けた疲労により、話を終えると同時に昏倒した彼女が、冒険者を伴ってこちらにやって来る。
 その姿を見つめながら、ジルベールは亡くなった者達へと誓いを捧げた。



 蛮族どもが、叫び声を上げながら向かって来る。 
 数は二十。しかも、練度が高い。
 ボガードやゴブリンを中心とした一隊からは、突然の遭遇に慌てる様子は全く見られなかった。
 互いにフォローし合える距離を保ち、躊躇することなく突っ込んでくる姿を見て、アルトリートは舌打ちをする。

「……面倒な」
「互いの援護を考えて動くあたり、随分と質が高いようじゃな」

 横に並んだギルバールが、唸るような声を出す。
 ゴブリンやボガードが、これほど秩序だった動きをとることは珍しい。
 その様から背後にいるだろう組織の力を窺いながら、アルトリートは前へと飛び出した。

(魔法使いは優先して排除しないと)

 自分達の存在は、出来る限り敵に知られないようにする。
 与えられた自分達の役割。それを念頭において、アルトリートは動く。

 今回は、神官戦士隊と足並みを揃えて動く必要がある。
 山中に設けられた神官戦士隊の野営地で、ジルベールより伝えられた今回の作戦の詳細を思い出す。
 自分達に求められたことは非常に単純だった。蛮族達の首領―――ドレイクの撃破だ。
 村には、未だ蛮族達が留まっている。それらを神官戦士隊が囮となって引き付け、守りが薄くなったところを強襲する。
 頭を潰せば、後は烏合の衆。さほど苦もなく蹴散らせるだろう。

(“ディメンジョン・ゲート”でいきなり村の中に転移して、雑魚を薙ぎ倒しながらドレイクを探す、でも良かったんだが)

 危険すぎると却下された。
 これ以上の犠牲を出すつもりはない。そう言って首を振ったジルベールの表情を思い出し、アルトリートは小さく笑う。
 煮えたぎる怒りを内に抱えて、それでも冷静さを失わない彼になら、安心して従うことが出来る。

(怒り狂ってるのに堅実な方策を考えられるって、何気に凄いよな)

 自分には無理だと考えながら、アルトリートは足と手を動かす。
 標的に定めたゴブリンシャーマンへと疾走しながら、行きがけの駄賃とばかりにすれ違った蛮族を斬り裂いた。

「ギ!?」
「もう遅い」

 前衛の間を事も無げにすり抜けてきた敵の姿に、慌てて後退しようとするゴブリンの魔法使いを一刀で斬り伏せる。
 後方に情報を伝えられては面倒なことになる。
 他に、魔法を使う素振りを見せる者はいないか、アルトリートは周囲を確認し、捉えた仲間の姿に眉をひそめた。

(イーリス?)

 押し包むように殺到する蛮族達と、それを迎え撃つギルバール。
 その側方へとメイドが回りこむように移動している。
 
(……距離が近すぎる。あれじゃ、乱戦に巻き込まれるぞ)

 メイド服の上から外套を羽織り、背中に長銃を背負った彼女の両手には、前に見たのとは異なる大型拳銃が一挺ずつ握られている。
 アルトリートの視線の先で、イーリスが足を止めた。蛮族達へと銃口を向ける。
 一瞬、いやな予感が脳裏を過ぎった。

「おい。まさか」

 引き金が引かれた。
 鳴り響いた銃声は二つ。
 広範囲に弾がばら撒かれる。ギルバール達の周囲にあった木々が弾け飛んだ。
 同時に、蛮族達が血煙を上げながら倒れるのを見て、アルトリートはその正体を悟る。
“ショットガン・バレット”
 魔動機術の一つで、弾丸にマナを込めることで散弾化し、面制圧を可能とするものだ。

(―――ギルバールは!?)

 範囲内には、当然ながらドワーフの姿もある。
 慌てて様子を確認すると、彼は驚いた様子ではあったものの、動きを止めることなく残りの蛮族達にモールを叩きつけていた。
 どうやら、巻き添えを食らったということはないらしい。

「……確認は後だな」

 ギルバールが傷を負わなかったのは、彼女が意図した結果なのか、それとも単に幸運だっただけか。
 前者―――イーリスが“魔法制御”を持っていることを祈りながら、アルトリートは行動を再開した。


 結論から言えば、イーリスはギルバールに弾が当たる危険性を度外視して撃ったらしい。
 蛮族達を全滅させた後、確認できた事実に、アルトリートとレクターはため息をついた。

「―――ギルバール様の鎧であれば、十分に耐えられると判断いたしました」
「まぁ、確かに防弾加工は施しておるからの」

 謝罪をした上でのメイドの説明に、ギルバールは苦笑いを浮かべる。
 彼女の行ったことは、確かに効果的ではあったのだ。
 イーリスの“ショットガン・バレット”により、短時間で蛮族達の部隊が半壊した結果は否定できない。
 だが、それならばギルバールと接敵する前に撃てば良い話だと、そこまで考えてアルトリートは渋面になった。

(……俺が突っ込んだからか)

 だとするならば、今回の件の原因は自分にある。
 複雑な表情を浮かべて黙り込んだアルトリートの隣で、レクターが口を開いた。

「それで、どうするの? あまり時間はないハズだけど」
「私と一緒には戦えないということであれば、パーティーから外して頂いても構いません」

 今回の件についての対応を問うレクターの隣で、必要なら行動を別にする旨を口にするイーリス。
 こちらの判断に任せるという二人の言葉に、アルトリートとギルバールは顔を見合わせた。
 イーリスの様子はかなり危ういものがある。
 正直なところ、一緒に行動するのは怖い。だが、別行動はもっと恐ろしい。

「……今回の件は、俺にも責任がある。というか、原因は俺だから何もいえない」

 少し考えて、アルトリートは判断をギルバールに投げた。
 撃たれたのは彼なので、ギルバールが決めれば良い。そんな意味を込めて視線を向ける。

「ワシは気にしておらんよ。さすがに少々たまげたがの。
 ただ、次からは事前に何をするかくらいは教えておいてくれんか。今回のように時間がない場合は別じゃが」
「……承知いたしました。以後はそのように」

 懐が深いのか、イーリスの様子に思うところがあったのか、ギルバールの出した答えは不問にするというモノだった。
 その言葉に、イーリスは一瞬目を瞬かせた後、しっかりと頷いて見せた。




 炭と化した柱だけが残された焼け跡。
 壁を打ち壊され、今にも崩壊しそうな家々。
 腐臭や血の臭いを嗅ぎ取ることは出来ないが、漂っている死の気配は否応なく感じ取らされる。

 ―――ひと月ぶりに目にしたゴーシャの村は、その様相を一変させていた。

「これは……」
「酷いね」
「…………」

 中途半端にかつての面影が残っている。
 それだけに変わってしまった部分が目に付いて、ギルバールとレクターが呻いた。
 アルトリートは無言のまま、村の様子を目に焼き付ける。
 村長の家の辺りを見れば、焼け落ちた残骸の姿を捉えることができた。

「……多いな」
「百近い数がいますね」

 滅ぼした村をうろつく蛮族達。その姿を睨みながら呟いたアルトリートに、イーリスが頷いた。
 先日、彼女や彼女の主達が与えた損害は、すでに補填されているらしい。
 そう、自身の記憶と照合しながら告げたイーリスの口調は、これまでと同様、淡々としたものだった。
 だが。

(平気なわけがないよな)

 長銃を持つ手が震えている。
 それを目にして、アルトリートは内心で頭を振った。

「さて……上手く引き付けてくれると良いんだけど」
「お手並み拝見といったところじゃな」

 アルトリート達は、ゴーシャの村の北側―――直線距離にして五、六〇〇メートル程度の位置にいる。
 ジルベール率いる神官戦士隊の動きに呼応できるよう、村を見下ろせる地点を潜伏先として選んだのだ。
 あまり高低差があるとは言えないが、建物の多くが壊されているせいで村全体に視線が通る。

「……はじまった」

 村の東側で鬨の声が上がった。
 それに反応して、蛮族達が慌しく動き始める。
 陽動の可能性も考慮しているのだろう。
 村の中で待機していた連中の大半は東へと向かったものの、残る三方―――北、南、西への展開も忘れていない。

「ま、あんまり意味はないけどね」

 村の中央付近―――辛うじて無事だった建物から十名の蛮族が出てくる。
 その内の四名が、他の者達の指示を受けて四方へと走った。
 伝令を飛ばすということは、あそこが指揮所なのだろう。その様を見て、レクターは笑った。
 一気に分厚くなった村の外周と比べて、中枢たる中央はがら空きだ。

「それじゃ、仕掛けようか」

 レクターが先ず方針を説明する。
 先ず、村の中央へと“テレポート”で転移する。そして、今外にいる連中を薙ぎ倒す。
 その後、建物内部に突入、ドレイクがいれば撃破。
 以上だ。

「余裕があれば、数体は生かしておいてね。情報が欲しいから」
「分かった。情報源は俺が確保するから、ギルバールとイーリスは好きに動いてくれ」
「承知しました。私は周辺と建物の警戒を」
「ならばワシがアヤツらを薙ぎ払おう」
「転移と同時に、“スリープ”の準備をするから、討ち漏らしの処理は任せてくれていいよ」

 全員で顔を見合わせて頷く。
 では、とレクターが詠唱を開始した。

「真、第十三階位の送―――」

 レクターは、蛮族達の数メートル手前を見据える。

「跳躍、瞬転、縮地……」

 ギルバールがモールを肩に担いだ。
 イーリスがいつでも撃てるよう、長銃を持ち直す。
 身構える二人の隣で、アルトリートは自然体のまま待つ。

「移送―――“転移”」

 魔力が解放される。
 瞬き一つの間に世界が切り替わった。
 一瞬で周囲の状況が変わったためか、平衡感覚がわずかに狂う。
 目の前には、何やら話をしている蛮族達の背中。

「―――っ!!」

 傾ぎかける体を無理やり立て直して、アルトリートは強く地面を蹴った。
 蛮族達は未だこちらに気がつかない。
 無防備に向けられた背中へと一瞬で近づき、剣を振るった。

「ギャッ!?」
「…………っ!?」

 側頭部へと打ち込まれた剣の腹に、白目を剥いてオーガウィザードが倒れる。
 驚愕の表情でこちらを見る蛮族達と目が合った。アルトリートは嘲笑うような表情を見せ付ける。
 その硬直が解ける前にさらにもう一体。手近にいた白い仮面を身に着けた蛮族に双剣を叩き込んだ。

「―――っ!?」
「後はよろしく」
「うむ。任された」

 仮面に大きな亀裂を入れて、フェイスレスが仰向けに倒れる。同時に、アルトリートは身を伏せた。
 間髪入れず、頭上を身の毛がよだつような轟風が駆け抜けた。

「―――!?」

 不意を突かれた蛮族達は避けられない。
 風を纏った戦棍に骨を砕かれ、内臓を圧壊され、叫び声すら上げられずに、三体の蛮族が宙を舞った。
 投げ捨てられた人形のように、地面の上をバウンドして転がっていく。

「ヒッ!?」

 運良くギルバールの攻撃範囲から外れていたオーガが悲鳴を上げた。
 慌てて逃げようと踵を返し、直後、イーリスに膝裏を撃ち抜かれて転倒する。

「はい。お休みなさい」

 レクターが呪文を解き放ち、小さく笑う。
 確保できた情報源は三名。半分を生け捕りというのは、上々の結果と言っても良いだろう。

「建物の中を調べます。マギスフィア起動、“ライフセンサー”」

 深い眠りに落ちた蛮族を尻目に、イーリスが小さく呟く。
 彼女の傍らに浮かぶ二つの球体。その一つが入力されたコマンドを受けて赤い輝きを纏う。
 魔動機術“ライフセンサー”発動。瞬間、マナが波紋のように広がり、建物内部へと浸透していった。

「どうじゃ?」
「……反応ありません。建物の中にいたのは、ここにいる者で全てのようです」

 イーリスが首を横に振る。
 つまり、ドレイクはこの村にいないか、前線に出ているということになる。

「じゃあ、早速だけど、情報源に役立ってもらおうか」
「そうだな」

 レクターとアルトリートは頷いた。





[25239] #5-2 “弾丸侍女”(下)
Name: ころりんちょ◆a22df586 ID:0d915915
Date: 2011/02/06 07:42
 村の襲撃は、付近にある遺跡を押さえる一環だったという。
 予想通りと言えば予想通りな理由に、アルトリートは腕を組んだ。

「遺跡というと、当然アレだよな」
「だろうね」

 改造ゴーレムが守護する遺跡。
 あの遺跡は、これほどの手勢を使ってまで手に入れる価値があったらしい。

「さて、選択肢は二つ。
 一つはこの村にいる蛮族達を殲滅し、その後で遺跡に向かう。もう一つは―――」
「村は神官戦士隊に任せて、このまま遺跡に行く、ですか」
「そう。どっちにする?」

 レクターがこちらを見る。
 その問いに、アルトリートは空を見上げた。答えは考えるまでもない。

「俺個人の勝手な意見だが、ここの連中は生かしておけない」

 無造作に放り捨てられた、人族のものと思われる腕の一部。
 それを目にしながら、アルトリートは低い声で告げた。
 周囲を見回せば、他にも蛮族達の「食べ残し」らしき遺体の一部が転がっている。

「……ですが、私達の役割は」
「そう。ドレイクの撃破が最優先。遺跡にいることが分かっているのに、後回しにして良いものかな」

 良いはずがない。
 万が一、逃げられでもしたら目も当てられない。
 アルトリートはため息をついた。

「……分かってる。だから、ドレイクを速やかに片付けて、それからここの連中を殲滅しよう」
「ああ。そういう選択もあったね。
 じゃあ、クルーガーを使って隊長さんに連絡したら、出発しようか」
「ならば、神官戦士隊の面々が連中を全滅させる前に戻らねばなるまいの」
「それでは、少し急ぐ必要がありますね」

 レクターの命を受け、大鴉が空へと飛び立つ。
 それを見送りながら、アルトリートは鞘に納めた双剣の柄に触れた。
 ―――思い知らせてやろう。
 この世界に来て初めて、アルトリートは明確な憎悪を抱いて剣を振ることになる。




 突然、何の脈絡もなく現れた人族四人組に、蛮族達は大混乱に陥っていた。

 銃声銃声銃声。銃声が轟く。時折、爆発。
 空気を抉る音。何かを砕く音。体液を撒き散らしながら、宙を舞う蛮族達。
 閉鎖空間に吹雪が吹き荒れる。止んだと思えば、今度は火球が弾けて炎と爆風を撒き散らした。

(カオスだな)

 遺跡に入ってすぐのホール。
 阿鼻叫喚の様相を呈している中を、アルトリートは疾走する。
 蛮族達の隙間を駆け抜けながら、双剣を振るって片端から切り倒して回る。

“ディメンジョン・ゲート”によってホール中央に転移した四人は、周囲の状況を確認すると同時、背中を合わせるように四方へと向いて初撃を放った。
 以後は、各々が好き勝手に蛮族達を葬り去っている。
 突入から一分ほど。増援を含めて三十近い数の骸が積み上がり、今も秒単位で増していた。

「そろそろ、打ち止めか?」

 周りに動く蛮族の姿がなくなったため、アルトリートは足を止めて呟く。
 仲間達の様子を見れば、ギルバールが二体まとめて吹っ飛ばし、イーリスが“グレネード”の爆炎で残りを仕留めるところだった。
 レクターはアルトリート同様、手持ち無沙汰な様子で周囲を確認している。

「片付いたようじゃな」
「残弾は大丈夫?」
「はい。魔晶石を含め、大半を使ってしまいましたが、まだ若干の余裕があります」

 モールを軽く振って、付着した血を払うギルバール。その横で、レクターがイーリスへと声を掛ける。
 派手に弾丸や爆炎をばら撒いていた彼女は、彼の問いに問題はないと頷いた。
 二挺の大型拳銃をエプロンの下へと仕舞い、床に落していた長銃を拾い上げた。

「とはいえ、この先がどうなっているかは分からないし、若干セーブした方が良いかもね」
「ご忠告痛み入ります」

 開け放たれた大扉と、その向こうに続く通路。
 それを見ながら、レクターはポーチから取り出した魔晶石をイーリスに渡す。

「両脇の扉の向こうも気になるけど、とりあえずは真っ直ぐに進もうか」
「そうだな」

 階段の正面―――北側の扉。
 最深部へ通じるのはあの奥だろうと、四人は歩を進めることにした。


 蛮族達の目的が遺跡であると聞いてから、気になっていたことが一つある。
 
「連中は、どうやってこの遺跡の存在を知ったんだ?」

 以前遭遇した蛮族達は、当然一体も逃がしてはいない。
 侵入した者達が皆殺しにされたと考えるのなら、果たして奴らはどうやってこの場所を知ったのか。

「別働隊がいたって可能性もあるけど」
「じゃが、あの依頼の後、ワシらは森の中を回ったじゃろう。その時には、それらしい痕跡はなかったぞ?」
「その後にやって来たと考えるのが妥当だろうね。それともう一つ」

 侵入した蛮族がゴーレムから逃げ切っていた可能性もある。
 そう続けたレクターに、アルトリートは首を振った。

「その場合、捜索隊なんて編成しないだろ」
「そうだね。あのゴブリンが嘘を言っていたとは思えないし……ただ」
「ただ?」
「そう考えると、ゴーレムが外に出ていた理由に一つ推測が立てられるんだよ」

 アルトリート達は足を止める。
 ホールから伸びる通路。その奥に据えつけられた大扉を見上げながら、レクターは言葉を続けた。

「『侵入者を逃がすな』『施設から一定以上離れるな』」
「……?」
「……ああ。なるほど」

 首を傾げるアルトリートとギルバールの横で、それまで黙っていたイーリスが納得したような声を発した。
 彼女も、三人がこの遺跡を見つけた時の顛末は知っている。
 レクターが作った報告書に記載されていたゴーレムの動きと、今の彼の言葉を結び付けて何らかの結論を出したらしい。

「つまり、逃げる蛮族を追いかけて、ゴーレムは施設の外に出た」
「そう。だけど、蛮族はゴーレムの行動範囲外まで到達してしまった」

 イーリスの言葉をレクターが引継ぐ。
 侵入者を追わなければならない。
 しかし、ゴーレムは一定以上―――予め決められた範囲の外に出ることが許されていない。

「いや。まさか、そんな」
「……どういうことじゃ?」

 脳裏を過ぎった考えに、アルトリートの表情が固まる。
 首を傾げるギルバールへと、レクターは説明した。

 決められた範囲から外に出ることが出来ないゴーレムは、侵入者が遠ざかっているのを黙って見ているしかない。
 だが、『逃がすな』という命令がある以上、それは許されない。どこまでも追いかけなければならないのだ。

「それは、矛盾しておらんか?」
「そう。だけど、何とか両立しなければならない」

 ゴーレムは一定上施設から離れられない。が、『追い続ける』ことは可能だ。

「は?」
「たとえ侵入者と距離が離れ続けても、前進を続けているのなら、『追っている』と言えなくもないよね」
 
 逃げる侵入者の姿が見えなくなれば、追いかける方向に対する縛りも消えるだろう。
 前進できる限界まで到達したら、右か左に折れれば良い。
 かくて、ゴーレムは移動できる範囲の外周をぐるぐると回り続けることになる。

「なんか、途中で論理が飛躍してないか?」
「うん。私もそう思う。思うんだけど、柔軟性のない人工知能なんてそんなものかな、なんてね」
「…………」

 レクターの言葉に、障害物を前にまごつくテレビゲームのモンスターが脳裏を過ぎった。
 一気に改造ゴーレムの価値が暴落したような気がして、アルトリートは半眼になる。

「ま、あくまで推測だからね。特に根拠もないし」
「ですが、大変興味深い仮説でした」

 肩をすくめるレクターに、主が聞けば喜んだだろうとイーリスが頷く。
 その表情が僅かにほころんでいるのに気がついて、アルトリートとギルバールは顔を見合わせた。
 少しだけ、和んだ空気が流れる。
 敵陣のど真ん中で何をしているのか。そんな考えも脳裏を過ぎるが、それでもこの時間には価値があるとアルトリートは思う。
 警戒は自分がしていればいい。
 しばし、レクターと言葉を交わすイーリスの姿を見守ることにした。


 大扉を開けるのを少しだけ躊躇する。
 たとえ、レクターの言うとおりだったとしても、改造ゴーレムの脅威はあまり変わらない。

「配置されているのが前に倒した一体のみ……なんてことは無いだろうしな」
「侵入したドレイクが全て撃破してくれた、でも良いんだけどね」

 不自然なほど静まり返っている扉の向こう側を探り、アルトリートはため息をつく。
 最悪なのは、蛮族達が自分の戦力に組み込んでいる場合だろう。
 扉を開けたら、大量のゴーレムが並んでいた。そんな光景を想像して、思わずウンザリとした表情を浮かべた。

(……割と絶望的だよな)

 あまり考えたくはないが、最悪の場合は撤退も視野に入れておくべきだろう。
 そう考えながら、アルトリートはゆっくりと扉を開いた。

「…………」

 ―――ゴーレムがずらりと整列している、ということは無かった。
 思わず安堵のため息をつく。

 大扉の先は、ホールほどではないが、やはり広大な空間が広がっている。
 一辺が五十メートル近い正方形。天井の高さも優に十メートルを超すだろう。
 左右の壁に大扉が据えられている他、正面にも奥へと続く通路がある。

「祭壇?」

 中心に設置された台を見て、アルトリートが思い浮かべたのは儀礼用の祭壇だった。
 立方体の石造りの台。側面には細かな装飾が施されている。
 床は台を中心にひし形の魔法陣が描かれていた。
 ―――どこか禍々しい印象を覚える。

「何らかの魔法儀式を行うための物、だろうけど」
「……生贄を捧げるための物に似た雰囲気がありますが」
「生贄」

 つまり、あの台の上に生贄を乗せてバッサリやるということだろうか。
 イーリスの言葉に、アルトリートは眉をひそめた。隣で、レクターが口元に手をあてる。
 彼は左右の壁に据えられた扉を見て、次いで正面の通路へと目を向ける。

「なるほど」

 その通路の床に、帯状の魔法陣が描かれている。ひし形の魔法陣と繋がっているそれを見て一つ頷いた。

「レクター?」
「おそらく、その通路の先にある部屋を囲むように、ここと同じ造りの部屋があるんだと思う」

 四方の部屋に設けられた祭壇で何らかの儀式を行い、それで得られた力を中央に送り込む。
 そうやって結集させた力を用いて、何らかの魔法を発動させるのだろう。レクターはそう自分の推測を説明した。

「私なら、そうやってダンジョンを作るよ」
「……左様か」

 アルトリートにだけ聞こえるよう呟かれた言葉に、思わず半眼になる。
 部屋の中をもう一度見回して、アルトリートは軽く頭を振った。

「ま。施設の目的なんかは、後で考えることにしよう。
 ……どうやら、先方が待ちくたびれているようだしな」

 正面の通路へと視線を向ける。
 その奥に見える部屋から研ぎ澄まされた殺気を感じて、アルトリートは笑った。
 それに同意して、ギルバールが頷く。

「ゴーシャの村にもやり残しがあるしの」
「確かに。あまり時間を掛けるわけにはいきませんね」
「じゃあ、蛮族の首領殿にご挨拶に向かおうか」

 不適な表情を浮かべるレクターの言葉に頷いて、アルトリート達は遺跡の中枢へと向かった。


 最初に目に付いたのは、やはりその頭の双角だろう。
 次いで、鴉の濡羽色という表現の似合う漆黒の髪。
 均整のとれた長身に蒼を基調とした長衣を身に纏い、その手には一振りの剣。
 美形といって差し支えないだろう。蛮族と分かっていても、目を奪われそうな整った容姿の男だ。
 だが。

「ようこそ。侵入者のみなさん」

 その端正な顔立ちに浮かぶ見下しきった表情のおかげで、第一印象は最悪だ。
 両手を広げて四人を迎える男に、イーリスが問う。
 
「……もう一体のドレイクはどこですか?」
「うん? ああ、兄上ならここにはいないよ。
 でも、君達とは、このボク―――“双竜の右将”シャイアが遊んであげるから心配しないで」
「……そうですか」

 ドレイク―――シャイアが肩を竦めてみせる。
 イーリスの姿を見ても特に反応をしないということは、彼女のことは特に覚えていないらしい。
 
(メイド服を着てたら、覚えてそうなものだが)

 踏み潰した相手のことなど興味ないということか。
 目を細めるアルトリートの横で、イーリスが一歩下がる。
 レクターが周りを見回して目を細めた。
 広大な部屋―――先程の祭壇があった部屋の四倍近い。その四隅に台座のようなものを見つけて彼は口を開いた。

「この遺跡には、ゴーレムが多数配置されていたはずだけど」
「ああ。あれは兄上が持って帰ったよ。自分の戦力にするんだってさ」

 確かに強力だが所詮木偶なのにと、一瞬シャイアが不満そうな表情を浮かべる。

「ふぅん。ミスリルゴーレムを持っていくとか、随分と高い力量があるんだね。貴方の兄君は」
「ゴーレム制御に関して、兄上は一家言持っているからね。
 それにしても、配置されていたゴーレムの種類まで知っているなんて、随分と詳しいね、君」

 首を傾げるシャイアを、レクターは嘲笑った。
 
「なるほど。簡単に情報を漏らす弟に比べれば、ゴーレムの方が使い勝手が良いだろうね。
 単純な戦闘能力でも下手なドレイクよりはずっと強いだろうし」
「…………」
「随分と頭の悪い弟を持って、兄君も大変だね」
「君……調子に乗ってると殺すよ?」
「やってみろよ。ドラゴンもどき」

 それまでの穏やかな口調を一変させて、レクターは鼻先で笑う。

 これ以上の会話は必要ない。
 後ろへと下がりながら、レクターがマテリアルカードを周囲に展開する。イーリスが銃を構えた。
 後衛を守るようにギルバールが立ち、アルトリートは床を蹴って前に飛び出した。

「“エンサイクロペディア”、“イニシアティブ・ブースト”」

 例によって行使された二つの賦術を受けて、アルトリートはシャイアとの間合いを詰める。
 ただし、普段のように一直線には突き進まない。イーリスの存在を意識して、その射線を開けるように走る。
 銃声が響いた。アルトリートの横を閃光が貫く。
 光弾を胸に受け、よろめいたドレイクへと、アルトリートは双剣を振るう。

「ぐっ!? キ、貴様ら―――!!」

 シャイアが背後に跳躍する。
 穿たれ、斬り裂かれた胸を押さえながら、憎悪に歪む顔をこちらに向けて吼えた。
 手にしていた剣が禍々しい輝きを放つ。

「さて、ここからが本番だな」
「うむ」

 人型から竜のそれへ。
 一瞬で変化して見せた巨体を睨みながら、アルトリートとギルバールが武器を構える。
 今いる部屋はかなり広い。おそらく最初のホールと同程度だ。
 ドレイクが暴れるのに何ら支障がない。

「ぁ、あ、ああああああ―――っ!!」
「イーリス!? アルトリート、止めて!!」

 背後でレクターの声を聞くと同時、横をイーリスが駆け抜けた。
 長銃を捨て、大型の二挺拳銃を携えたメイドの姿に、アルトリートは舌打ちをする。
 ドレイクを前にしても比較的冷静な様子であったため安心していたが、全然大丈夫ではなかったらしい。
 竜化した姿に、堰き止めていたモノが決壊したのだろう。
 メイド服の裾を大きく翻しながら、彼女は一直線にシャイアの元へと突き進む。

「いかんっ!!」

 ギルバールと二人、慌てて追いかける。
 ドレイクが嘲笑った。銅色の鱗を煌かせ、両翼を大きく打ち鳴らした。
 暴風が吹き荒れる。

「……っ!?」
「……とっ!? スマン、ギルバール!!」
「任せよ!!」

 体を浮かすほどの強風に、体重の軽いイーリスとアルトリートが大きく体勢を崩す。
 イーリスが転倒し、アルトリートも思わず足を止めてしまう。
 一人体勢を崩すことのなかったギルバールが、イーリスに追いつく。

「落ち着―――っ」
「死ね、死ね死ね死ね死ね!! ……返せっ!! あの人を返してっ!!」

 落ち着かせようと手を伸ばすギルバールを振り払って、メイドは両手の拳銃を乱射した。
 傍らで滞空するマギスフィアが、所有者の精神状態を反映するように激しく明滅する。
 無理な体勢で放たれた弾丸は、明後日の方向へと逸れていく。
 弾が切れた後も引き金を引き続けながら、イーリスは血を吐くような声で叫んだ。

「ああ、思い出した。女、君はあの村で最後まで抵抗していた人族の片割れか」
「……っ!?」
「ふふ。せっかく主が逃がしてくれたのにね。いいよ、私のお腹の中で再会させてあげよう」
「……っ!! ……あ、あぁ」

 美味しかったと告げるシャイアに、イーリスが目を見開く。両手の拳銃を取り落とした。
 そこに、ドレイクは大きな顎を開いてみせる。ぞろりと牙が立並ぶ口中に、白い光が点った。

「させぬよ!!」
「……ぁ」

 放たれた純白の光。
 それをイーリスの前に立って、ギルバールが受け止める。

「ぬ。ぐ、……っ!!」
「ぁ、あ、ああ」

 ギルバールは、苦悶の声を上げながらもブレスを防ぎ切った。
 その背中が、決して失ってはならない人と重なって、イーリスは小さな声を上げた。

「冷静にいこう。パニックになってたら、仇を俺がもらうことになるぞ?」
「そのとおりじゃ。お主、それで良いのかの?」
「え?」

 追いついたアルトリートが、震えるイーリスの肩に手を置く。
 呆然とした彼女に対し、アルトリートとギルバールが問う。
 その言葉にイーリスは目を瞬かせた。
 
「俺とレクターが両翼を潰す。ギルバールはイーリスを頼む」
「うむ。攻撃はワシが全て引き受けよう。じゃから、最後の一撃はお主がやれ。良いな、イーリスよ」
「……分かりました。必ず」
 
 まだ揺れているものの、力を取り戻したイーリスの目を見て、アルトリートは頷いた。
 背を向けたままのギルバールの隣に立つ。チラリと横目で確認すれば、ドワーフは表情をわずかに歪めている。
 無理をさせていることに内心で詫びながら、アルトリートは背後のメイドへと言葉を投げる。

「せっかくパーティーを組んでるんだ。俺達を上手く使えよ」
「はい。……ご心配をお掛けしました」
「最期の交流は終わったかい?」

 どうやら待っていてくれたらしい。
 嘲笑の篭ったドレイクの言葉に、アルトリートは口の端を吊り上げた。

「随分と親切じゃないか」
「ふふふ。励まされて力を取り戻した彼女は、再び仲間を失ったらどんな顔をするかな、と思ってね」
「なるほど。実は、俺も気になっていることがあるんだ」
「へぇ?」

 余裕の口調でこちらを見下ろすドレイクに、アルトリートは静かに告げた。

「見下していた人族に、問答無用で地に堕とされたドレイクは、どんな風に咽び泣くんだろうな?」
「吹雪、嵐風―――“猛雪”」
「……っ!?」

 瞬間、ドレイクの周囲に猛吹雪が吹き荒れる。
 極低温の嵐が翼の一部を凍りつかせ、ドレイクはバランスを崩した。

「……くっ!?」
「大人しく落ちろ」

 床に激突する寸前でシャイアが体勢を立て直す。
 それを見下ろしながら、アルトリートは低く呟いた。
 レクターの“ブリザード”を見て跳躍したアルトリートが、高度を落したドレイクの背に着地。双剣を振るう。

「ギッ!? ギャ、アアアア―――!?」

 血飛沫が飛び散り、シャイアが絶叫する。
 翼を失ったドレイクは、今度こそ床に落下した。

「先程の礼じゃ。気にせず受け取れ」
「~~~~~~!!」

 激痛にのたうつシャイアへと、ギルバールが走り寄った。
 モールが頭部に叩きつけられる。衝撃に、ドレイクは悲鳴も上げられずに動きを止めた。
 その鼻先に、小さな銃口が突き付けられる。

 右手に小型拳銃を持ったメイドが静かに尋ねた。

「貴方の兄はどこにいますか?」
「……っ、ぐ、言うと、思ったか……っ?」
「いいえ。聞いてみただけです」


 ―――銃声が響き渡った。




 ゴーシャの村にいた人々は、しばらくの間カナリスで暮らすことになるらしい。
 小さな村だ。住人達は皆、家族同然だっただろう。その半数近くを失った傷はとても深い。

 また、今回の件で、神官戦士が七名殉職したらしい。
 負傷者に関しては、その三倍近くになるという。
 
 あれから十日。
 再び“水晶の欠片亭”を訪れたメイドの話を聞いて、アルトリートはため息をついた。

「…………」

 結局、自分達に出来たのは後始末だけで、何かを救えたわけではない。
 暗澹たる面持ちになったアルトリートに、イーリスは首を振った。

「私がこうしてその後をご報告出来ているのは、間違いなく皆様のお陰です。
 何も救えなかったわけではありません」
「そう、だね……」
「ワシらはワシらに出来ることをやった。そう胸を張らねば、倒れた者達に申し訳が立たぬしの」

 自分達はただの冒険者だ。当然、出来ることと出来ないことがある。
 出来ることを精一杯やって、それでも救えなかったものばかりを見て嘆くのは、却って傲慢なのかも知れない。

「……それで、イーリスはこれからどうするつもり?」
「おう。ワシも気になっておったところよ」
「ルーカスと親しくして頂いた方々への連絡や、遺品の整理がまだ終わっておりませんので、しばらくはそちらを」

 ルーカス・ベルステラ。
 彼はかなり顔が広かったらしく、友人も相当に多いという。
 また、その研究資料も貴重なものが多く、それらの整理にまだ時間が掛かるのだそうだ。

「ワケのわからない物も沢山あるのですが」
「ははは。出来れば、一度お会いしてみたかったな」
「きっと、お話が合ったのではないかと思います」

 レクターの言葉に頷きながら、イーリスは柔らかい笑みを浮かべた。
 彼女は、軽く咳払いをして居住まいを正す。

「それらの作業が終わった後は、その」
「うん?」
「その、もしよろしければ、私も皆様と共に行動させて頂きたいのですが」

 イーリスは深々と頭を下げた。

「…………」

 その言葉に、三人は顔を見合わせる。
 理由は考えるまでもない。もう一体のドレイクにあるのだろう。
 きっと近い将来、どこかでかち合うことになるだろうと、アルトリート達は確信している。
 彼女のことを考えるのなら、これ以上関わらせるべきではない。
 だが、断れば一人で無茶をするだろうことは想像に難くない。 
 
 そして、アルトリート達は彼女のことが嫌いではなかった。
 だから―――

『歓迎するよ。これからよろしく』




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