初恋は別れと似ている。
思いがけなく、覚悟することを許されず、しかし確かに来るとわかっていた未来。
暖かく、
冷たく、
何者もが通る道で、
何者も抗えない。
残酷で、同時に優しいものに、どうやって抗えるというのか
第三話 旅と逃亡と６００年の別れ
深く薄暗い樹海の奥にその古い洋館はあった。
洋館の壁には蔦が纏わりつき、周りの庭だったであろう場所には草が伸びほうだいで放置されていた。
内は埃が積もって白くなった床と机に椅子、そして一番奥にある地下へと続く階段をいま二人の人物が松明の灯を頼りに下りていく。
一人は黒い着物と大刀を背負い松明を持った黒崎一護。
もう一人は古ぼけて茶色く変色した一枚の羊皮紙とにらめっこしている腰よりも長く伸びた金紗の髪の美しい少女、エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル。
二人はこの洋館の主が研究していたものの研究成果を目当てに館の中に足を踏み入れていた。
二人が魔法社会に足を踏み入れてから既に三年が経っていた。
一護も最初のうちは魔法というものがあると知ったときは驚いた。まさかそんなファンタジーあふれたものがあるとは夢にも思わなかった。だがよくよく考えてみると自分も死神というかなりぶっとんだ存在なのだし、一護がいた世界にも虚とかしゃべるぬいぐるみとかいたので意外とすぐに受け入れられた。
ちなみにエヴァの吸血は定期的に一護の血を吸わせることにしている。
そして魔法という世界に足を踏み入れたのだから多からず少なからず魔法使いという存在には何度か遭遇してきた。だがそのほとんどが真祖の吸血鬼であるエヴァを危険視し討伐しにきた魔法使いやヴァンパイアハンターで、そして残りの魔法使いたちもろくな奴らじゃなかった。そんな奴らは一護が人には見えないという霊体の特徴をフルに活かして腹に当身を、それでも気絶しなかったら首筋に手刀を当てどこか遠くに捨ててきた。
中にはエヴァのように一護が視えるものが何人かいるにはいたが見えたからといってどうかなるわけでもなし、他と同じように適当に気絶させたら捨て置いてきた。
何故かよく魔法使いに遭遇する、というよりもみつけられる。特に騒ぎを起こしたわけでもないのに。それがなんでかまったく解からなかった。
そんなふうに討伐の手から逃れながら旅をしている一護たちだが、この旅は逃れるためだけに続けているわけじゃない。
この旅の第一の目的は、エヴァの吸血鬼化を解く方法を見つけ出すことである。
故に不老不死、吸血鬼、吸血生物、魔法生物、生体研究において名の知られている、既に故人となった魔法使いの屋敷跡地や隠れ家に隠されている研究によって生み出されたエヴァの吸血鬼化を解く鍵となるかもしれない知識や魔法薬、魔法技術を求めこうしてわざわざその屋敷跡地にまで赴いているというわけである。
第二の目的は一護がいたもとの世界への帰還方法を見つけ出すこと。
この世界にも異界からの魔物や悪魔召喚の魔法はあるが、平行世界への移動となるとさすがに存在しない。
あったとしても都合よく一護の世界に行けるなどという保障はまったくなく、まさしく雲をつかむような話だ。
一護はもとの世界への帰還方法よりもエヴァの吸血鬼化を解く方法を優先した。
何故か、それは一護は自分がエヴァを護れなかったことに自責の念を感じているからだ。自分のせいでエヴァは吸血鬼になり、こんな本来とは違う苦しみの日々を暮らしていると思い、悔いているから。
だから何事よりもエヴァのことを優先し、自分のことは二の次、三の次というふうな考え方になってしまった。
もちろん今まで苦労の連続の中で捜し求めてようやく手に入れた物の中にハズレがなかったわけじゃない。というよりむしろハズレ以外引き当てたことがない。だが、ただエヴァの吸血鬼化を解くものではなかったというだけで他の魔法使いにしてみればそれは喉から手が出るほど欲しいとされる物らしいので、高値で売りつけて旅の費用の足しにした。
一護とエヴァの旅は基本的に自分たちで魚を捕まえたり食べられる草や果物をとったりするサバイバルな生活だが、お金が必要ないと言い切れるわけじゃない。
衣服や調味料など最低限必要なものを、そして裏の情報を買うためにはそれなりの金が要る。最初は町に出て働いて資金を稼ごうとしたのだがエヴァの外見年齢は一年前と変わらない１０歳、どう高く見積もっても見た目１２歳ほどにしか見えないのだ。そんな子どもを雇ってくれるところなど皆無だ。だから今現在の資金調達方法はそれしかないのである。
そしてこの館は旅を始めてから既に１１番目の魔法使いの隠れ家である。
今までの成果はすべてハズレ。それどころかかすったこともない。
一護たちにしてみればもうそろそろアタリが来て欲しいものである。
「で、ここの奴はいったいどんな研究をしてたんだ？」
「えーっとねぇ、人間と異種族の融合……つまりキメラのことについてだって」
「キメラ？ なんだそれ？」
「簡単に言うとね、他種族の生物に他種族の生物を細胞レベルで融合させることで新たに生まれる生物で、その融合させた両方の生物の特徴をもってるんだって」
「へ〜、そりゃすげえな」
「うん、すごいんだけどね…」
エヴァの表情に陰りが入る。松明の光によってそれはより深いように見えた。
「んっどうかしたのか？」
「―――この人間と異種族の融合がね、ちょっと…。実は人間をキメラの材料に使うことっていけないことらしいの。それなのにここにいた人は人間を使ってキメラを造ってたみたいだから…」
「あ〜、そうだろなそれは。ひらたくいや人体実験だし」
「そうだよね。もしその人体実験した人の研究成果で私の体のことについてのヒントを得てもその、あまりいい気がしないじゃない」
「それは………」
確かにそうである。何人もの人間を犠牲にして完成した至高の成果。
それを基にエヴァの体が元に戻ったとしても、この心優しい少女がその喜びを素直に受け止められるか。
数多の犠牲をもとに自分だけが救われる、だが例えそうだとしても俺たちは前に進まなくてはならない。
「…確かにそうかもしれねぇ。けどな、何人も犠牲をだした研究をそのまま埃をかぶらせておくか、それとも数少ないそれでも人を救うために役立てるか、エヴァはどっちを選ぶ？」
「……………」
「多くの犠牲が出た、ならなおさら放って置くんじゃなくていま困っている人のために役立てよーぜ」
なっ、とエヴァの小さな頭に手を置きくしゃくしゃと撫でる。
エヴァは頬を赤くして無言でこくりと小さく頷いた。
「―――――っと、もうすぐだな」
いつのまにか階段を降りきっており、人工的に掘られたであろう大きな空洞にでた。
そこは地上にあった大広間よりも大きく深くて暗い場所で、松明の灯りが壁際の棚に置かれたフラスコやビンに入った奇妙な黄緑色の液体を煌々と照らしていた。
そして松明の光りとは別の、淡い青い光が奥から発せられていた。
そこにいたのは、いやあったのは人だった。
氷のような結晶の中にいたそれには体毛が生えていない。生殖器もない息もしていない生命の鼓動を感じられない。代わりに淡く青い光を発している
それでもそれは人に見えた。目の前の存在はそれほどまでに人に近いなにかだ。
「なん…だ……これ…？」
何故か足が前に動き、それに近寄っていった。自分には近づく気などはなかったが何か引っ張られるのだ。目の前のあれに。氷の中に眠る人というどこか幻想的な景色に魅了された、というわけではない。自分の中の何かが、磁石のようにあれに引っ張られるのだ。この感覚は、そう
まるで魂そのものが引っ張られているようで―――――
手が無意識に動き、青い結晶に指先がかすかに触れた。
事が起こったのはその瞬間だった。
急に視界が白く染まって何も聞こえなくなった。視覚や聴覚だけではない。触覚、嗅覚、味覚の全てが消えた。まるで世界の全てが白く塗りつぶされたかのように……
そして唐突に視界がクリアになってきた。
すぐ目の前にはエヴァがいたが目を丸くして口をぽかんと開いたまま此方を見ている。
どうしたんだと声をかけようと思ったら声が出なかった。
疑問に思いながらもう一度声を出そうとしてもやっぱりでない。
そこでようやく気付いた、声が出ないのではなくて口が動かないのだと。
そして自分があの結晶の中にいるのだと
「〜〜〜〜〜ッ！！？！？？？」
パニック。
思いがけない事態に焦りまくる。
体を思いっきり動かしているつもりなのにまったく動かない。そのせいでさらに焦る。指一つ動かすどころか呼吸も出来ないこの状態で焦るなというほうが無理な話だ。
やがて呆けていたエヴァが戻ってきてこの惨状におろおろと取り乱しはじめる
「えっ！？ ちょ、なんで！？ イチゴ、イチゴォ！！」
だんだんと息苦しくなってきた。このままでは窒息死だ。
そうはなるまいと全身に力をいれ全力で脱出しようと試みるがやはり結晶は割れない。
「リ、リク・ラク・ラ・ラック・ライラック！ 氷の精霊１７頭 集い来たりて敵を切り裂け 魔法の射手 連弾氷の８矢！」
もうまずいと思い始めたころ、エヴァが放った魔法の矢でようやく脱出できてゼーハーとおもいっきり酸素を補給する。
「なんだってんだくそ。おいエヴァ、一体何がなにがあったんだ？」
「わ、わからない。ただそこにあった人みたいなものが突然強く光って、そしたらいつのまにかイチゴが中に入ってたの」
「あれがあったとこに、俺が？」
なんだそれは？ それではまるで俺があれに―――――
「あれ、この本は…イチゴ、これ日記だよ」
「日記？」
「うん、たぶんここに住んでた魔法使いの日記」
エヴァが棚から見つけたそれは一冊の古ぼけた分厚い日記帳だった。
その日記帳にはやはりというかこの館の魔法使いが書き綴ったものだった。
内容はこうだ。
その魔法使いは早くに最愛であった妻を亡くし、それ以来妻を蘇らせるために日々地下にもぐって妻を蘇らせる研究を始めたこと。
その手段が人工的に造り上げた肉体に妻の魂を入れ込むこと。
長年の研究の末、人間のそれとまったく同じ完璧な肉体を造ることに成功したこと。
だが肝心の妻の魂を入れ込む手段がなく、極東の島国にいる冥界の魂を呼び戻す力を持つという�爛ぅ織貝瓩噺討个譴襯轡磧璽泪鵑鮓�つけ出すためその地を目指し旅に出るということ。
そこで日記は終わっていた。日付はもう百年も前だ。
「なんだ？ じゃあここで研究されてたのはキメラじゃなくて人工的な肉体を生み出す研究だったのか？」
「死者蘇生ともいえるわね」
「人工的な肉体ってあれのことか？」
「多分……あれじゃないかしら？」
「てことはつまり……」
俺が生き返った？
いやいやたとえ死神化してるとはいえまだ死んでないからその表現は正しくないだろう。
自分の世界にあった儀骸みたいなものか、と思い自分の体をぺたぺたと触って感覚を確かめていると頭の中に一つ疑問符が浮かび上がる。
「なあ、俺が肉体に入ったってことは他の奴にも見えるんじゃねえのか？」
「あ…」
そう、肉体という実体に入っているのなら普通の人間の肉眼でも見えてしまうかもしれない。それは一護たちにとってはあまり喜ばしいことではない。
なにせいままで戦闘に巻き込まれたときは人には見えないという霊体の特性を活かして敵を退けさせ続けてきたのだ。これからはその必殺ともいえる戦法が使えなくなってしまう。
それだけではない。普段の生活にかかる費用も二倍になる。
「―――――だめじゃねえか…」
一護はこれから始まるであろう今まで以上の苦労の連続を想像すると、地に膝と手をつきがっくりとorzな感じで項垂れる。
ただでさえこの１日を生きるのに必死な状態が、さらに悪化するのかもしれないのだ。頭の一つや二つは垂らしたくなる。
「だ、だいじょーぶだよほら、イチゴが周りの人に見えるのならイチゴもお店で働けるでしょう？」
「それはそうだが…」
俺みたいな怪しい奴を雇ってくれる店なんてあんのか？
「私も手伝うから、ね？」
「…ああ、そうだな。なっちまったもんは仕方ねえ」
確かにエヴァの言うとおり、自分が働けるようになれば今の不安定極まりない生活はグッと改善されることだろう。それはあくまで働ける所が見つかればの話だが。
どっちみちこれからの事を話し合うのが先決か…
はぁー、とため息をつき立ち上がる。
「まあとりあえずこれからのことは後で話し合うとして、他にはもう何も無いのか此処？」
ぐるりと辺りを見回すがこれといった物は特に無い。
せいぜいフラスコに入っている怪しい色の液体が目に付くだけだ。
とするばこれは
「……またハズレみたいだね。それもガセネタで」
一護の代わりにエヴァが意気消沈気味にいった。
そうだ、今回もまたハズレだ。
しかし二人はハズレハズレと言っているがそのハズレが他の者から見たらどれほどの驚嘆と畏怖を与えたことだろう。
死者蘇生。それは魔法ですら実現不可能といわれるほどの奇跡であり禁忌。
その禁忌に近しいあの肉体を造り、生み出した者はいったいどれほどの才能と、どれほどの努力の果てそこにたどり着いたのだろうか。
こんな奥地の館に引き篭もらずにいたら、確実に魔法世界の歴史に名を刻んだであろうに。
だが一護とエヴァはそのことに気付いていない。関心がまるで無い。
それもそのはずで、エヴァはその死者蘇生と対極に位置する禁忌、不老不死であり、一護は元の世界にいる友人、井上織姫の�犹�象の拒絶�瓩箸い�神の領域を越え、死者すらも蘇らせる能力を知っているし、何より自らの体でその力の凄まじさを体験したのだ。リアクションが極端に薄くなるのも致し方ない。
はぁ〜〜〜〜〜、とさっきのよりも長く、疲れを滲ませたため息をエヴァと共につく。
これで１１回目だくそっ、と心中で悪態を吐き、これ以上此処にいても時間の無駄なのでさっさと館を後にした。
さて、その後のことについてだが。
一護の姿はやはり他の人間にも見えるようになっていた。
街へ赴いてみたところ大多数の通行人が一護を奇異の目でみていた。
当たり前だ。自分たちとは違う顔つきに見たこともない服装、背には子どもの身の丈以上ある大刀を背負った者が平然と街中を闊歩している光景なんぞ滅多に見れるものではない。
耐えることなく降り注ぐ視線の雨に一護の顔は既に茹で上げた蛸のように真っ赤だ
結局、５分も経たずして一護は涙目になりつつ全速力で街から離れた。
街から戻ってきた一護をエヴァは必死に慰めたそうな。
そんな普段は見ることは無い一護をちょっと可愛い、と思ったのはエヴァだけの秘密だ。
働き口のことについては手持ちの金銭が少なくなってきたら働き出すことになった。
ただし、労働期間は最長でも一週間ということにエヴァが決めた。
自分たちを追ってきた者たちの全てが魔法の漏洩を恐れての考慮や、一般人を巻き込まないという保障は無いからだ。
もしかしたら、周りの無関係の人たちを巻き込んでまで自分たちを討ち取ろうとする者がいるかもしれない。
魔法使いやヴァンパイアハンターの中には親、親族を吸血鬼に殺されたことで全ての吸血鬼に対して異様なまでの憎悪を抱いている輩が多く存在する。
悪事を働いた、働かない吸血鬼に関係なく、一瞬の情も躊躇も無く憎しみをこめて吸血鬼を殺していく。そんな奴ら。
そいつらは「神に背く悪しき吸血鬼を殺す」という大義名分を掲げ、時には偶然周りにいただけの無関係な一般人を巻き込んででも吸血鬼を殺そうとするらしい。
実際に似たような前例があり、そのときは町一つが犠牲になった。
エヴァはそのことを危惧し、極力必要なとき意外は他人に近づかないようにしようと決めた。
一護はそのことについてはただ顔を曇らせるだけだった。
エヴァは、こいつは自ら今まで以上に他人を避け続けなければならないというのか。
決して望んだわけじゃない忌まわしいその体。
その体のせいでエヴァは時間からも、人からも遠く引き離されてしまった。
理解者なんてほとんどおらず、毎日のようにやって来るのは自分を殺しに来た者。
友達が欲しかった。
ただそれだけを望んだ幼い少女に、神という奴は何故こんな重すぎる道しか与えてくれないのか。
『エヴァ。このさきおまえは俺が護る。今度こそ必ずおまえを護りきってみせる。もう絶対におまえを傷つけさせやしないから』
護る、か―――。
吸血鬼化を解く方法も見つけられず、友達の一人も作ってやれない。
エヴァ、俺は……。
「エヴァ、俺は……」
「イチゴ？」
いつの間にか声に出ていたようだ。
エヴァがきょとんと首を傾げている。
「エヴァ、俺は……俺はお前の吸血鬼化を解く方法を見つけてやれない。お前にまともな友達一人作ってやれない。まともな生活をさせてやることも出来ない。
俺は…エヴァ。俺はお前を、お前の心を護れてるか？ お前の心を救えてるのか？
俺は、お前の隣に居ていいのか？」
口から出てきたのは、怖くてずっと聞けなかったこと。
何か一つのものを護れるように。それが自分の名の意味。
護るはずが護られた。
護れたのに護れなかった。
自分は、またそれを繰り返すというのか。
「答えてくれエヴァ、俺は本当にお前を護れているのか？」
もう一度、今度は先ほどよりも強い口調でエヴァへと問いかける。
「―――うん。イチゴはいつも私を、私の心を護ってくれてるよ」
エヴァは花の咲くような無邪気な笑顔を綻ばせた。
「聴いてイチゴ。私ね、イチゴが傍にいてくれると胸が暖かくなってくるんだよ」
胸に両手を重ね、それが宝物かのように愛おしく撫ぜる。
「どんなに辛いときでも、どんなに苦しくてもこの温もりは消えなかった。それはイチゴがいてくれたからなんだよ。イチゴがいつも私の傍にいて、いつも私を護ってくれたから今の私が此処にいるの。イチゴ、あなたが傍にいてくれるから私は頑張れる。あなたが護ってくれてるから私は笑っていられるの。
私にとってこの優しい温もりは、あなたそのものなのよイチゴ」
エヴァは一護の頭をその胸に優しく抱きしめた。
「だからそんな顔しないで。いつものイチゴでいて。イチゴが辛そうにしていると、私まで辛くて、悲しくなっちゃうの」
救われた。その言葉に。今まで不安で不安で押しつぶされそうなほど重かったものがエヴァの言葉で取り払われた。
―――なんだよまったく。こっちが救われちまったぜ。
今度は一護がエヴァを抱きしめる。
「すまねえ、エヴァ…」
「バカねイチゴは。謝るほどのことじゃないわ…」
「ありがとう、エヴァ…」
「本当にバカね。お礼をいうほどのことじゃないわ…」
こんな幸せな時間がいつまでも続くわけがない、世界はそういうものだから。
けど願わくば長く、少しでも長くこの平穏が続けば―――――
既に空は暗く、宝石を散りばめたように星々が輝いている。
エヴァと一護は森の中で火を焚き夕食をとっていた。
今夜のメニューは川で捕まえた魚を木の枝に刺して塩で焼いたものと茸と鶏肉のシチュー
だ。
「ねえイチゴ、『仮契約（パクティオー）』してみない？」
エヴァがシチューを食べている途中にそんなことを言い出した。
「ぱくてぃおー？」
知らない単語がエヴァの口からでてきて首を傾げる。
「なんだそのぱくてぃおーって」
「えーっとね、仮契約は魔法使いとその従者との間で交わす契約でね―――――」
エヴァの仮契約についての説明を纏めるとこうだ。
仮契約は魔法使いとそのパートナーの間で交わす契約。
契約したパートナーは『魔法使いの従者（ミニステル・マギ）』と呼ばれる。
ミニステル・マギは魔法使いを守り助ける存在で、その代わりにミニステル・マギは魔法使いから魔力をもらい血行促進精力倍増、お肌もツルツル、肉体的にも精神的にも大幅に
アップして良いコトずくめ。
さらには仮契約をしたときに出てくる『パクティオーカード』には様々な機能が満載でパートナーと念話、遠くからの呼び出し、パートナーの性格や特性が反映された『アーティファクト』の発動、etc等が可能になるという。
エヴァの説明で一護は成るほどと思った。
今まで戦ってきた連中の中には見たことのない変なカードを持っていて、そのカードを武器や防具に換えたりしてきた奴が確かにいた。
そうか、あれがエヴァの説明の中にあったパクティオーカードだったのか。
「本当は従者を一人に絞れる本契約のほうがいいんだけど、私じゃまだ無理だし…」
「でもなんで突然その仮契約をしようと思ったんだ？」
「だってイチゴが怪我をする頻度が最近多くなってきたでしょう」
一護は最近になってよく怪我をするようになった。
実体化してしまったのが一番の原因ではあるが、討伐者のレベルが段々と上がってきているのだ。
三日前に戦ったときはえらく苦戦を強いられ、決して浅くはない傷を負った。
エヴァが治癒魔法を掛けてくれたのですぐに傷は塞がったが、一護が傷を負うたびにエヴァの治癒魔法の腕が上がるとはなんとも皮肉なことだ。
しかしこのままではいくらエヴァの治癒魔法の腕が上がっているからといっても、もし一護が瀕死の重傷を負ったときには治せる自信はない。
そこで思いついたのが仮契約だ。
仮契約をすれば一護にエヴァの魔力が注がれて肉体を強化し、さらには自己治癒能力もアップさせるだろう。
一護のアーティファクトが防御系か治癒系だったらなおのこと良い。
「なるほどなぁ」
別に自分には奥の手の卍解、さらに奥の手の虚化があるので無理に身体能力を強化せずともいいのだが、念の為という意味でもしておいたほうがいいのだろう。死神の斬魄刀のようなアーティファクトとやらにも興味がある。
「よしわかった。で、仮契約の方法は？」
「…それは…………えっとぉ…………」
当たり前のことを聴いたのに何故かエヴァは顔を赤くした。
俯いて口をモゴモゴさせている
「…………………キス……」
「へ？ なんだって？」
「だから……キスよキス！」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに叫んだ。
「キ、キス！？」
一護はキスという言葉に一年前のことを思い出した。
エヴァが一護に抱きついて耳元でバースデイプレゼントの礼を囁いて、そのまま―――
かーっと自分でもわかるくらいに顔が赤くなった。
「キ、キスってなんでそれが契約の方法なんだよ！？」
「そんなこといったってそうなってるんだもの」
エヴァが弱々しく反論するがその顔はまだ赤い。
「ダメだダメだダメだっ！ 大体そうゆーことはその、あれだ、好きな奴ら同士でやるもんだろ！」
「じゃあイチゴは私のこと好きじゃないの？」
「いやそうじゃない！ 好きだけどその、なんつーか……」
返答に困る質問をされ口籠もってしまう。
「と、とにかく仮契約はしねぇぞ！ そんなことよりほらっ、さっさと食べねぇと温かいシチューが冷めちまうぜ」
会話を無理やり終わらせて食事を再開する一護。
意気地なし、と小さく呟いたエヴァの声は聞こえなかった。
その後は、まあ可もなく不可もなくといった感じの普通の話が続いたがそこでも一騒動起こった。
「ところでおまえの魔法の始動キーのライラックってなんだ？ どっかで聞いたことがあるけど…」
「ライラックは花の名前よ」
「ふーん…なんでその花の名前にしたんだ？ 綺麗だったからか？」
「ラ、ライラックの花言葉は『初恋』なんだって、だから――」
「だからって、なんでだ？」
「………」
「………」
「…イチゴのバカッ！」
バキィ！
「オゴッ！？」
グーで思いっきり殴られました。
「それじゃあそろそろ寝よっか、イチゴ」
食事を終え、食器も片付けてエヴァが就寝の準備に取り掛かろうとするが、一護はそれを制した。
「…いや、眠る前に客が来たみたいだぜエヴァ」
一護が視線を背後に向けると、そこには黒いローブに身を包んだ若い女と、黒い堅固そうな甲冑を着込み斬月ほどもある大剣を構えた男がいた。
いったいいつからそこに居たのか。一護ですらもここまで近づかれるまで二人の存在に気が付かなかった。
いや、ただ単に自分の気配を探る力が欠けていただけかもしれないが。
それでもこの二人は今までの奴等とは格が違う。
身に纏う雰囲気も、物腰も、眼に映る憎しみも、何もかもが違う。
特に警戒を払うべきなのは黒い甲冑の剣士だ。雰囲気からしてかなりの実力者、油断したらかなりの痛い目にあわされるだろう。
エヴァも相手の今までの奴等との雰囲気の違いに気付いたのか、戦いの表情になり身構えて呪文詠唱の準備をしはじめる。
「―――――真祖の吸血鬼のエヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルと、
『漆黒の剣帝』、クロサキだな」
黒いローブの女が口を開いた。綺麗な声色だったが憎しみが滲み出ているのが丸わかりだ。
それにしても『漆黒の剣帝』とは随分と大層な綽名だな。いつの間についたんだ？
「何か用か？ 俺たちはこれから寝るとこなんだがなぁ」
「なに、すぐに済む。
私はクラリス・フォルテスター。こっちは兄であり我が従者、ヴィズィー・フォルテスターだ。
私たちは神の代行者。世界を創造せし偉大なる神の意思に従い、お前たちに会いに来た。
私たちの目的はただ一つだ。お前たちを―――――」
途端に二人から殺気が爆発的に発せられる。そして剣士の男が静かに一言呟く。
「排除する！」
「契約執行（シム トゥア パルス）！」
一護はエヴァを抱きかかえ後ろに跳ぶ。エヴァが今まで居た場所にはヴィズィーの大剣が叩きつけられ地面を深く抉っていた。
エヴァを降ろすとすぐさま瞬歩で距離を詰め斬月を上段から振り下ろす。
ヴィズィーはそれを大剣で難なく受け止め、そのまま激しい打ち合いになる。
一撃一撃、剣と剣が交わる度に火花が散り、周囲の木々を切り刻む。
突如ヴィズィーの背後から幾つもの閃光が奔ってくる。クラリスの放った援護射撃の『魔法の矢』だろう。
咄嗟にエヴァも一護の前に氷楯を張るが数に押し負け、余波が一護の体に浴びせられる。
体が痺れる―――ッ！ 雷属性の魔法使いかっ！
体の芯にまで痺れが染み込み動けなくなったところに襲い掛かる大剣。今度はエヴァが援護し、『氷結・武装解除』で得物を弾き飛ばす。
相手が丸腰になった隙に感覚の戻った脚で出来るだけ遠くに蹴り飛ばす。
が、ヴィズィーは着地と同時にすぐさま体勢を立て直し、転がっていた大剣を構えなおす。
さすがにエヴァの武装解除でも金属である鉄は砕けなかったのか、奴の大剣には傷一つ付いていない。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック！ 氷の精霊２０頭 集い来たりて敵を切り裂け
魔法の射手 連弾氷の２０矢！」
「甘いわッ！ 連弾雷の２０矢！」
エヴァが追撃の魔法を打ち込むがクラリスの無詠唱呪文で相殺される。
まずいな……魔法使いとしてのレベルなら向こうのが断然上だ。
「どこを向いているクロサキ？」
「――ちぃッ！ 邪魔だぞテメーッ！」
おまけにこいつが厄介なことこの上ねぇ、纏わり付くみたいにしつこく切りかかってくる。
俺はさらに霊圧を上げヴィズィーと剣戟を再開した。
何だこの男は？ 正真正銘の化け物か？
ヴィズィー・フォルテスターの全身に戦慄が走った。
両親を殺した吸血鬼をこの世から抹殺するために妹のクラリスと共にこの世界に足を踏み入れた。
毎日修行に明け暮れて、着実に力をつけてきた。
そのおかげか今までに殺してきた吸血鬼の数は優に１００体を越え、今では『吸血鬼殺しのフォルテスター兄妹』とまで呼ばれるようになった。
この調子ならこの世の全ての吸血鬼を掃討するのも夢ではない。
そんなときにこんな噂を聞きつけた。
「凄腕の剣士に守られている真祖の吸血鬼がいる」と。
何でもその剣士は見たこともない黒い服に身の丈ほどもある大剣を持っているとか。
自分の出で立ちと若干酷似しているために何度か間違えられたことがあった。
その剣士にやられたヴァンパイアハンターの話によれば、戦場を駆ける漆黒の姿は何者よりも雄々しく、全てを一刀のもとに切り伏せ、その斬撃は大地をも割るという。
何を馬鹿な、最初はそう嘲笑った。
そのまま噂は段々と広がり、やがてその剣士には『漆黒の剣帝』という異名がついた。
どうやら自分が聞いたその男の腕前は確かなようだ。だが自分ならばその『剣帝』が相手だろうと勝てると思っていた。
そう、自分と妹の力があればどんな敵にも勝てると―――。
だがなんだこの男は？
クラリスから魔力供給をしてもらい、なおかつ自身にも肉体強化魔法を使っているこの私と互角。相手は肉体強化の魔法すら使っていない様なのに、二重の強化を施した私と互角。
なるほど確かに『漆黒の剣帝』の異名は伊達ではないといったところか。
数々の吸血鬼を屠ってきた、という事実が私の心に驕りを持たせていたらしい。改めて世界の広さを知った。
―――クロサキからの威圧感がさらに増した。スピードもパワーも先程とは違う。
まだ力を隠していたか。こちらもクラリスの魔力をより多く供給してもらえばまだ強くなれるが、生憎と妹の魔力は他より飛びぬけて膨大という訳ではない。
クロサキがまだなにか奥の手を隠し持っているとしたら厄介だ。もしかしたら負けてしまうかもしれない………。
だがそれだけは許せない、この世全ての吸血鬼を殺し尽すまで。
しょうがない、使わせてもらうぞ。我がアーティファクトを―――。
「―――来たれ（アデアット）」
その呟きが聞こえた途端にヴィズィーの体が光りだした。
その光が収まると、奴の手には人の大きさほどもある３輪の巨大なフープがあった。
こいつのアーティファクトか！
ヴィズィーはそのフープを真上に投げ、そしてそのまま全てのフープが此方に向かって突進してくる。
斬月を両腕で支え防御するが予想以上の衝撃に若干押され、斬月と高速回転する鋼鉄のフープの間でチリチリと火花が散る。
両脇にフープが回りこみ挟み撃ちにされるが、一護は上空に跳びそのまま瞬歩でヴィズィーへ詰め寄ろうとする。
対してヴィズィーは切っ先をダランと下げたまま構えない。
訝しげに感じながらも一護は横薙ぎの一閃を放つ。
決まった！
―――だがその確信は金属と金属がぶつかり合う音で消え去った。
斬撃を防いだのはヴィズィーの大剣ではなく、一護を襲ってきたあのフープとまったく同じ、２輪のフープ。
弾けるように動きだし、空中にいる一護を押し返してそのまま木へと叩きつける。
体に走る衝撃に一瞬息が止まるがフープの勢いは止まらない。
木をへし折り、二本、三本と一護を叩きつけては折り、叩きつけては折りを繰り返す。
そして五本目の木にして漸くフープは止まり、
――――――――――――――――――――残り３輪のフープが一護に追撃を見舞った。
「イチゴッ！？」
エヴァはすぐさま一護のもとへ駆け寄ろうとするが、クラリスの魔法が頬を掠める。
「あなたの相手は私でしょ？ あの男の下には行かせない！」
無詠唱の魔法の矢が次々と襲い掛かってくる。一つ一つの威力は弱いとはいえエヴァの幼い身体でまともに食らえば重傷は免れない。
今詠唱を始めても確実に間に合わず、矢は身体を貫くだろう。
だがエヴァはこういう場合の対処の術を持っていないわけではない。
魔法使いの戦い方は主に二種類に分類される。
前線をほぼ従者に任せ、詠唱に時間が掛かる火力の高い魔法を放つ『魔法使い』と、従者と共に前線で戦い、戦闘の隙に魔法を使う『魔法剣士』の二つ。
エヴァは『魔法使い』に分類されるが、その魔法使いが最も苦手とするのが接近戦だ。
エヴァは一護に頼み、一護を仮想敵とした接近戦の修行も行っていた。
主に投げや関節技を中心とした、非力なエヴァにも扱うことの出来る柔術を。
柔術、柔の技の基本は相手の攻撃を捌き、受け流して無効化することにある。エヴァは今まで高速で迫る一護の突き（もちろん手加減したもの）を幾度となくかわしてきた。
この魔法の射手もそれと同じだ。身体を回転させ流れるように全てをかわしきる。
そして詠唱を完成させ、まさか今のをかわされるとは思っていなかったであろうクラリスに武装解除をかけ、杖を弾き飛ばす。
そのまま振り向くこともせず、エヴァは一護の下に駆け寄った。
「―――イチゴッ！？」
頭からは血を流し、気を失っているのか瞼を閉じたまま動かない。
初めてみる一護の惨状に狼狽しながらも急いで傷の治療を行う。
細かい裂傷に打撲、頭の出血は米噛からで血はたくさん出ているが深くはない。
だがおそらく肋骨の骨が２、３本は折れてしまっている。
今の自分の治癒魔法では決して簡単に治せるほど軽くない。
身体にめり込んでいたフープは離れ、主人の手の中に戻っていく。
「―――我がアーティファクト、『番犬の環（ループ・バウンド）』は自動追尾能力を備えたフープ。私が敵と認識した相手に自動的に攻撃を仕掛ける。最大で５輪まで出せてな、なかなかに強力なアーティファクトだろう？」
「なに余計なこと喋ってるのよ兄さん。さあ、とどめさすわよ」
契約を切り詠唱を始めだす。エヴァもありったけの魔力を籠めて防御魔法を展開しようとするがクラリスのほうが僅かに速い。
「シス・ムド・シスル・プルームド！ 来たれ雷雲の槍兵 眼前の堅き壁を貫き進め 背に残りしは朽ちた平原」
ようやく防御魔法を展開するが、駄目だ。あの魔法はこの全ての魔力を籠めた魔法障壁ですら貫くだろう。
一護を庇うように両手を広げ立ち塞がろうとする。一護への直撃をなんとしても防ごうと小さな身体をめいっぱい大きく広げる。
せめてイチゴだけは―――――イチゴだけはッ！
そこへ無情にも放たれる、強大な雷呪文。
「これでっ、終わりよ―――雷の槍！」
眩い光を放つ雷は真っ直ぐにエヴァたちへと進む。障壁を貫いてそれはエヴァへと奔る。
死を覚悟し、反射的に瞼がギュッと固く閉じられる。
―――――ごめんね、イチゴ――――――――――
瞬間、巨大な青い月光がエヴァの横を奔り、雷を打ち砕いた。
月光は止まることなく滑るように奔り、森を、大地を蹂躙する。
光が通った後に残ったのは大地が割れたような一筋の爪痕。
エヴァはこの光を知っている。
強力な、斬撃そのものといえる大きな力の塊。月の牙にて天を衝く、その一撃の名は……
「月牙――天衝」
いつのまにか一護は立ち上がっており、今もダラダラと出血大サービス中の傷口を袖で拭うが血が止まらないのであきらめて構えなおす。
「イ…チゴ―――」
「なに勝手に俺の盾になろうとしてんだ、あの程度でやられやしねえよ。それに言ったはずだぜ。おまえはぜってー俺が護るってよ」
そう言いきってはいるが顔には汗が浮かび上がっている。やはり相当な激痛だろう、エヴァに心配させないために嘘を吐いたのだということが見え見えだ。
「まだ立ち上がることが出来たかクロサキ」
「あったりめーだろが、あの程度で俺がやられると思うんじゃねえぞ」
「強がるなよ。本当は背骨を粉砕してやりたかったのだが、肋骨が折れただけでも相当の苦痛だろう？ もう先ほどまでのようには動けまい」
確かにそうだろう。だがそれはあくまで他の者に言えることであって前の世界で胴を切り裂かれ、腹を突き破られた一護にしてみればあまりにも軽い痛みだ。
脇腹からの鈍痛を無理やり気力で捩じ伏せ笑ってみせる。
「テメエこそ、頼りのフープぶっ壊されてんじゃねえか。そうやって余裕でいられるのも今の内だぜ」
一護が放った月牙でヴィズィーのループ・バウンドのほとんどはバラバラに砕け散り、残っているのは主の手中に納まっている無傷の一輪のみ。
いける、１個だけならたいして怖かねえ。次の一撃でまとめて叩っ斬る！
「今のが噂に聞く大地を裂く一撃か…確かにこれ一つでは心許ないが、私のアーティファクトの能力が自動追尾攻撃だけだと思っているのか？」
バラバラに砕け散ったフープの残骸が４ヵ所に集まり、溶け合い、形を成していく。
「これがもう一つの能力、復元能力だ。ただ一つでも健在であれば全てが元通りになる」
ヴィズィーの周りを何事もなかったように高速回転している五つのフープ。
そして主人の許しを得たとたん、その番犬の名の如く襲い掛かってきた。
チッ、と小さく舌打ちしてエヴァを抱えて上空へ退避するが番犬の鼻からは逃れられない。
高速で逃げる一護。その一護を高速で追う番犬。
まったく互角のドッグファイトだが、相手は疲れを知らない鋼の塊。
いくら一護が死神で、人を遥かに上回る持久力を持つとはいえこれでは先が見えている。
そしてさらに追い詰めるように地上から放たれる魔法が一護を苦しめる。
本来ならその魔法を魔法で打ち落とすのがエヴァの役目なのだが、この高速移動中では一護にしがみついている状態で一護の傷に治癒魔法を施し続けることが精一杯だ。
なんとか状況を打開する方法を探し出そうとするが良い策が何一つ出てこない。
「クソッ、アーティファクトは従者の性格なんかが反映されるってエヴァが言ってたけど自動追尾ってなんだよ！ ストーカーかあいつ！？ しつこい奴は嫌われ――」
待て、まてまてまてよ。自動追尾？ 全部が？ 俺とエヴァを？ つまり言い換えりゃ…。
「――よし！ いけるぜこの案！」
霊子で足場を作り急停止する。いきなりのことにエヴァがなんか言ってくるがかまってる余裕は無いからとりあえず無視。
思ったとおり、全部のフープがこっちに一直線に向かってくる。
自動追尾能力って言えば聞こえは良いけど、言い換えりゃそれは何もしなくても此方にやって来るんだろ。あらかじめ来るって分かってんならこれほど打ち落としやすい攻撃は無い。
「そうだ、今みたいに全部がまとめて一直線に来るならぶっ壊せる！」
エヴァを抱えたまま片手で斬月を握り締め、
「月牙ァ―――」
思いっきり振り下ろす！
「―――天衝ォ！」
月光が空を奔り、暗い森を一瞬だけ青く染めた。
「どうだ！ これでテメーのアーティファクトは使えなくなったぜ」
地上に下り、エヴァを抱えたまま斬月の切っ先をつきつける。
これであの厄介なアーティファクトは消した。こっちと違って向こうは無傷だが勝てないわけじゃない。
「さあ、邪魔なものは消したし、仕切りなおしといこーぜ」
「邪魔なものは消した…？ フッ、何を言っているのだ？」
「なんだと？」
「クロサキ、まさか貴様さっきので私のアーティファクトを破壊したつもりか？」
「どういう意味だ？」
「こういう意味さ―――――来たれ（アデアット）」
ヴィズィーの周りに浮かぶ、５輪のフープ。
「なっ！」
「タネを明かしてやろう。貴様があの斬撃を放つ瞬間、アーティファクトをカードの状態に戻した。ただそれだけさ」
――そして再開されるドッグファイト。ただしそれは前のとは違う、もっと苦しいものだ。
３輪が一護を追い、２輪が回り込む。
今度はただ追うだけではなく、統率されたコンビネーションで一護を窮地に落とし込む。
そこへさらにクラリスの魔法が加わると、状況は最悪になった。
フープと魔法が体を裂き、所々から血が溢れ出る。未だにエヴァに一撃も掠ってすらないのがせめてもの救いか、だがこのままいけば確実に血が足らなくなる。
いよいよ頭が朦朧としはじめ、そのくせ痛みだけは正確に伝わってくる。
「そろそろ終わらせるぞクラリス」
「ええ、これで本当に終わりよ。シス・ムド・シスル・プルームド！ 雷の精霊１９９柱 集い来たりて敵を射て 魔法の射手 連弾雷の１９９矢！」
雷の矢が空に昇り、一護の行く手を阻む。
「―――ッ！」
周りの空間ほぼ３６０°度を覆い尽くす魔法の弾幕。そしてその外側には５輪のフープが待ち構えている。
逃げ道は…無い。
「終わり――だ」
死刑執行宣言が発せられ、全方位からの攻撃が一護とエヴァを襲い―――――
「―――なにっ！？」
「馬鹿な…！？」
―――――その全てが切り払われた。
そしてヴィズィーとクラリスが愕然としたのはそれだけではない。
兄妹の眼に映るのは漆黒の外套と漆黒の剣。
「…卍解」
そして身体に圧し掛かる圧倒的な威圧感。その姿はまさしく、
「天鎖斬月！！」
―――漆黒の、剣帝。
「…さあ、仕切りなおしといこーぜ」
何が起こったのかわからなかった。
敵のアーティファクトと魔法で傷だらけになっていくイチゴ。そのイチゴにしがみついているだけで、少しでも助けになろうと治癒魔法を掛け続けていた。視界の全てを魔法が覆い尽くしてもうダメだって思って眼を閉じて、何時まで経っても衝撃がこないのに不振に感じて眼を開けると―――
そこには黒い外套と黒い剣を持ったイチゴがいた。
「イチゴ、その格好はなに？ それに斬月が…」
「ああ、これは卍解っていってな、まあ俺の切り札みてえなもんで卍解のときの斬月の銘は天鎖斬月。どうだ、強そうだろ？」
そういって肩を慣らすように剣を振るイチゴ。柄尻についている鎖がガシャンと音をたてた。
―――カッコいい！
「んなことよりエヴァ、しっかりと俺にしがみついとけ。これからさっき以上に疾く動くからよ」
「う、うん。わかった」
イチゴの首に腕をまわし、振り落とされないようギュッと抱きつく。
一護はエヴァを腕に座らせるようにして抱き、眼下にいる敵を睨み付ける。
たったそれだけで、地上の二人は身をビクッと竦ませた。
「――ねえ、イチゴ」
「ん、なんだ？」
「勝てる？」
「ああ、あったりめーだろ」
５頭の番犬が牙を向き、一護たちに襲い掛かってきた。
一護はそれに動ずることなく、身を反らす最小限の動きで全てを回避する。
だがそれは無駄なこと、すぐにほぼ直角に近い弧を描き猛スピードで舞い戻ってくる。
それでも一護は動ずることなく構えもせずに立ち尽くしている。
今度こそ当たる、ヴィズィーがそう確信した次の瞬間に一護の姿は視界から消えていた。
えっ、と一瞬呆ける。
奴が消えた…？ 主人に従順な番犬たちも何が起こったのかわからないようにオロオロと頼りなく揺れている。
瞬間、自分の身体は吹っ飛ばされた。殴られたのだ。
誰に？ 決まっている、一人しかいないではないか。
いつの間にかクロサキは地上に下り、私の顔に剣を握ったままの拳で殴ったのだ。
痛みの衝撃よりもまず、驚愕の衝撃が私の中を走った。
いったいいつの間に私に近づいたんだ！？
奴から視線を一瞬たりとも外していなかった。なのに何故こいつが此処にいるんだ！？
「ゥ……オオオォォォォォーーーーーーーーーーッ！！」
混乱している思考を無理やり戦闘の思考に切り替え、雄叫びを上げながら斬りかかる。
一撃一撃に全力を籠めた、だがこの男には通じない。柳のように、風のようにかわし、そして鋭い眼だけは私から決して逸らさない。
ようやく私のループ・バウンドが上空からクロサキを見つけ出し、突進してきた。
フープ戸私の同時攻撃。これならば奴も回避出来まい。
再び雄叫びを上げ、自身の最高速度で突進し刺突の構えをとる。
これでっ…終わりだ！
我が剣が奴の胸を深く貫――こうとしたその瞬間、クロサキの剣が僅かにぶれたかと思うと、すべてが終わっていた。
私の剣も、フープもバラバラに切り裂かれ、最高速度で飛び掛っていた私は、そのまま奴の拳に吸い込まれるように―――――
意識が、途切れた。
「兄さん！」
そんな、まさか、あの兄さんが………負けた？
兄さんの腹にクロサキの拳が突き刺さり、そのまま兄さんは地に崩れ落ちた。
あの兄さんが負けただと。バカな、そんなはずは無い。私たち兄妹は数多くいるヴァンパイアハンターの中で、最強の吸血鬼殺しだ。
今まで一度たりとも敗北は無かった。一度でも負けていたら今此処に立っていない。吸血鬼に負ける=死なのだから、どんな強敵だろうと最後は絶対に勝ってきた。
兄さんの剣技と強力なアーティファクトと私の魔法の前ではどんな者だろうと膝を着き崩れ落ちていった。
なのに何故兄さんが倒れ、あの男が立っている？
嘘だ、こんな……嘘だ。
私たちはまだ負けていない。負けるわけにはいかないんだ。この世の全ての吸血鬼を殺し尽すために私は、私たちは―――
「負けるわけにはいかないんだああぁぁぁァァァァアアッ！！」
兄さんへの魔力供給を止め、最後の一撃に残りの全魔力を籠める！
「シス・ムド・シスル・プルームド！ 来たれ雷精 風の精 雷を纏いて吹けよ南洋の嵐！」
「あの呪文は……ッ！ イチゴッ、危ないよ！」
「大丈夫だ、信じとけエヴァ。どんな魔法だろうと―――斬る！」
ガシャンと斬月の刃を返す一護。
そのときついにクラリスの最大魔法が炸裂した。
「雷の暴風！！！」
荒々しい嵐を纏う雷砲が一護へと一直線に奔る。雷の槍よりも一回り以上大きいそれは人二人を消し飛ばすには十分すぎる殺傷力だ。
だがしかし、この戦場にいるのは人であってただの人にあらず。
腕に抱くこの少女を護ると誓い、共に歩む覚悟を決めた決して欠けることのない黒き月だ。
ドンッ！ と一護が斬り上げた天鎖斬月と、雷の暴風がぶつかり合う。
…確かにすげえ威力だ。だがなぁこんな魔法アイツの、グリムジョーの虚閃に比べりゃ、軽いんだよ！
拮抗は一瞬、雷の暴風を上空へと弾き、瞬歩で即座に近づき腹に当身をいれる。
それでもなんとか意識を保ってたみたいだが、すぐに落ちた。
戦闘が、終わった。
「―――――き、来たれ（アデアット）」
「「なに！！！？」」
ゾブリとクラリスの手元から湧き上がる赤黒いなにか。
咄嗟に一護はエヴァを突き飛ばし得体の知れないなにかから離れさせる。
赤黒いなにかは一護を覆い、巨大な血色の箱になった。
「アハ、アハハ、アッハハハハハハハハハハハ！ やったわ！ ついに捕らえた！ もう逃げられない！」
狂ったような高笑いが森に響いた。
「イチゴッ！？ あなたイチゴに何をしたの！？」
「フフッ、あなた達は私たち兄妹のことをただの魔法使いと従者だと思ってたようだけど、実際には違うわ。
私たちは『魔法使い』と『魔法剣士』なのよ！ 互いが主であり、互いが従者。つまりこの血の牢が私のアーティファクト『除外されし世界（アウト・ガーデン）』。
このアーティファクトは普通に使ってもただの頑丈な牢にすぎないけど、この牢を造っている物質『血壁（ブラッディア）』は私と対象者の血を吸うことによって第二の能力が発動する。その他にも第二の能力を発動するにはいくつかの条件をクリアしなければならなかった。
何故だか分かる？ それはこのアーティファクトが強力だからよ！」
そういって血の箱を撫ぜるクラリス。もとは液体だというのにその牢は何よりも堅いものに見えた。
「このアーティファクトの能力は絶対閉鎖。この血壁は私とこの中にいる男の血を吸うことで血壁自体の時間を停止させている、つまりどんな攻撃だろうとこの牢を破壊することは出来ない。どんな奴だろうとこの牢から抜け出すことは出来ないのよ！」
「そんな―――――ッ！」
「あなたの魔力はほとんど限界でしょう？ 私もそうだけど、私は兄さんの魔力を供給してもらえばあなたを殺すための大きな魔法一発分を打つには十分だわ。あなたを殺した後で次はあの男、兄さんと一緒に今度こそ殺してやるわ」
ゆっくりと一歩一歩エヴァに近づいていくクラリス。
エヴァはただ恐怖に怯え、それでも一護を信じながら後ずさるしかなかった。
なんだ―――なにがどうなってんだ！
一護は閉じ込められた空間の中でなんとか脱出しようと必死になっていた。
光がまったく射し込まない真っ暗闇の空間、一護は我武者羅に斬月を突き立てるが…
斬月がまったく刺さらねぇだと！？ いったいどんな堅さなんだよ！？
まったく歯がたたない、その事実が一護の焦燥感を膨らませていく。
自分がこうして閉じ込められている間にもエヴァに危機が迫っているかもしれない、それでも壊れないこの壁がとても憎たらしい。
「こうなったら………！」
真っ暗闇の牢の中で、それよりも深く重い闇が溢れ出す。
漆黒の奔流が消え去ったとき、そこにいたのは虚の面を被り、濃く濁った禍々しい霊圧を発する一護の姿。
配色が反転し黒く染まった眼で眼前の壁を見据える。
両手で斬月を固く握り締め、再び溢れ出す黒き霊圧。
「月牙ァ―――」
この一撃で―――ぶっ壊す！
「天、衝オオオォォォォォッ！！」
空間の中が強大な霊圧で氾濫する。
その霊圧は主であるはずの一護をも傷付け、それでも止まることを知らないかのように乱れ狂う。
全力の一撃だったはずだ、なのに―――
「なんでだ…なんで壊れねぇんだ！？」
壊せるどころか亀裂一つすらないのを触れて確かめ、膝を着きそうになる。意思が折れてしまいそうだった。
それでも諦めることなんてできない。自分は誓ったのだから。エヴァを、あの小さな少女を護ると。
エヴァに？ いや、違う。
俺の魂にだ！！
「なにか、なにかないのか？ この壁を壊せるなら何でもいいから、月牙天衝よりも強い何かが！？」
そのとき、一護の脳裏にあの光景が蘇った。
虚夜宮の天蓋の下、腕を突き出したグリムジョー、背後の井上とネル、そして空間すら歪めたあの水浅葱の閃光。
「―――王虚の閃光だ！」
やり方はみていたからわかる。そして卍解、虚化している自分ならあのときのグリムジョー以上の威力が出せるはずだ。
傷口の血を親指に着け、ありったけの霊圧を右手に収束していく。
一護の血が溶け込んだ霊圧が暗い紅から黒に染まり、停止しているはずの空間を軋ませている。
そして抑えきれなくなり、放たれた脅威の一撃―――――
「王虚の閃光ッ！！」
あまりにも膨大すぎるエネルギーが空間を歪ませ、蹂躙し、破壊し尽くした。
空間に亀裂が走り、少しずつ削られていく血壁。
そして絶対閉鎖だったはずの牢をとうとう砕いた。
だが、それだけでは終わらない。
「な、なんだ！？
膨大なエネルギーが悉くを乱し、空間の乱気流を発生させた。
乱気流は一護を巻き込み、何が起こったのか理解できていない一護はその流れに抵抗することも許されず全てを呑み込まれた。
景色が歪み、感覚が歪み、空間が歪み、時間が歪み、平衡感覚が乱された。
ふっ、と地に足が着いた感じがし、ゆっくりと眼を開くとそこは森。
夜の暗さが森を支配し、より深く感じるように錯覚させられる。
「――エ…ヴァ………―――――？」
だがこの森に、彼が護ると誓った小さな姫の姿はなかった。
イチゴを捕らえていたあの血の牢が、漆黒を吹き上げながら砕けた。
爆風が起こり、私に近寄っていたあの女も吹き飛ばされ、木に頭を打ち付けたまま動かなくなった。
あの牢が壊れたってことは、イチゴは脱出できたんだ！
イチゴの安否を一刻も早く確かめたくて、私は煙が濛々とたちこめる中イチゴの下に駆け寄って―――
「イチ…―――」
けどそこにイチゴはいなくて、私を護るといってくれたあの優しい姿は何処にもなくて。
…知っていた、このことを。
理解していた、現実を。
いつかこの時が来ると。
私とイチゴの、別れの時が来ると。
でも、何故なの？
何故神様はこんなにもイジワルなの？ 何故こんなにも早くなの？
もっと話したいことが色々あった。もっともっと一緒にいたかった。もっともっともっと笑いあいたかった。
スキだって、伝えたかった………。
ねえ、神様。
私はそんなに悪い子ですか？ 私がそんなに憎いですか？
私は大切な人と一緒に生きることすら許されないのですか？
お願い、答えて神様。
イチゴを―――私の大切な人を返して。
返してよ…。
エヴァの願いを叶えてくれる神様は、現れなかった。
極東の島国に属する何処かの孤島。既に陽は低く、空は茜色に染まりつつある。
浜辺で対峙しているのは二人の魔法使い。
だがこの両者は有象無象の魔法使いとは次元の違う存在である。
白いフードに身を包み、人の身の丈ほどもある長杖を持つ赤髪の青年は魔法界で英雄と称される『千の呪文の男（サウザンド・マスター）』、ナギ・スプリングフィールド。
もう一人はアダルティな黒い衣装に身を包み、鋭利な刃物を持った小さな操り人形を従えて、腰よりも長く伸ばした金紗の髪が風にたなびき輝いている絶世の美女。
その正体は魔法界で最も恐れられている悪の魔法使いであり真祖の吸血鬼、『闇の福音（ダーク・エヴァンジェル）』、エヴァンジェリン・Ａ・Ｋ・マクダウェル。
共に魔法界最強であるこの二人の壮絶な戦いの火蓋が今、切って落とされ――
ドッポーーーン！
「アブッ！？」
………なかった。
初っ端から気持ちいいくらい見事に水入り落とし穴の罠にかかったエヴァンジェリン。
こんな古典的すぎる罠にかかる方もアレだが、仕掛ける方もそーとーアレである。
「なっ…これは！？」
「落トシ穴ダ御主人」
「見りゃ分かるわ！ っておい貴様なにを入れとるかー！」
「ふはははは！ お前の苦手なものは既に調査済みだ。ほーれネギだ。ほーれニンニク」
「いっ…いやぁ〜っ！ やめろ〜！」
「オチツケ御主人」
エヴァンジェリンの従者、殺人人形のチャチャゼロが宥めようとするがまったくもって効果なし。
しまいには幻術まで解け大人から子どもの姿へ、さらに量を増していくニンニクとネギ。
「くっ…の―――おいサウザンド・マスター！ 私の何がイヤなんだ！？」
「だから俺はガキにゃ興味ねーって言ってるだろ。それに…」
「――？」
「お前は俺を見てねぇだろ。だからだ」
「―――――ッ！！」
「お前はお前の心の奥にいる誰かの代わりとして俺を求めているだけだ、違うか？ いや俺だけじゃない。
今までの奴らも全員そいつの代わりとして、お前は―――」
図星を言われ押し黙ることしかできなかった。
「やめとけよ、代わりなんていやしねぇ。お前自身が傷付くだけだぞ」
「うるさい！ 貴様に…貴様になにがわかる！」
…忘れようとした時もあった。過去を消し去り、新しい恋をみつけようとしたときも確かにあった。
でも、忘れられぬのだ。
あのときの笑顔が、あのとき私の頭を撫でてくれた手の温もりが、あのときの誓いが、思い出がいつまでも心に残り続けている。
結局、片時も忘れられぬまま６００年が過ぎていた。
それでもあの幸福だった日々は色褪せることなく鮮明に思い出せる。
この初恋は、私にかけられたもう一つの呪いだ。
愛おしくて堪らない。
切なくて堪らない。
会いたくて会いたくて、胸が張り裂けそうになる。
なのにアイツは来てくれない。６００年間待ち続けたアイツは未だ来ない。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
「イチゴ………イチゴぉ」
目の前が霞んだ。
意思に反して溢れてくる涙は止まることを知らず、頬を伝い零れ落ちていく。
その涙を優しく拭ってくれたアイツはいない。
泣き続けるエヴァは外見相応の幼く、か弱い少女に見えた。
「さーてそろそろ呪いを掛けるとするか」
「ちょっと待て貴様！ 普通こんな場面でそんなこと言うか！？ どうゆうデリカシーの無さだ！？」
「確か麻帆良のジジイが警備員欲しがってたんだよな。えーと、マンマンテロテロ…長いなこの呪文」
「おいこら聞け貴様！」
「俺ジジイに金借りてたんだよなぁ。これで貸し借りなしだぜラッキー☆」
「殺すぞ！？」
ナギの強大な魔力を感じ、呪文の完成が間近だとわかり青褪める。
「御主人ピーンチ」
「なんとかしろチャチャゼロ！」
「ムリダ御主人」
「あっ、ちょ、まって助けて、助けてイチゴーッ！」
「『登校地獄』！！」
「いやーーーん！！」
…私にかけられた呪いが、三つになった―――――
「―――ぅわあああぁぁぁぁぁ！！ ……………あ？」
「どうなさいましたマスター？」
「茶々丸―――？ ああ、なんだ夢か」
ここは日本の某県にある学園都市麻帆良の桜ヶ丘４町目２９、つまり私の家だ。
外はもう夜、うっかりとソファーで寝てしまっていたようだが、それにしても―――
「くそっ、最悪の寝覚めだ…！」
よりにもよってアイツの夢を見るとは、はっきりと覚醒した今でもフードの奥から見えたあの余裕のニヤニヤ笑いが思い出せて、居もしないそいつを無性に殴りたくなる。
「随分と魘されていたようですが大丈夫ですか？ ――どうぞ」
私の従者であるロボットの茶々丸が差し出さしたコップの水は冷たくて気持ち良かった。
「おおすまんな、ったくそれにしても――」
「ケケケ、ドウセナギノ野郎ニ呪イカケラレタ時ノ夢デモ見タンダロ。ソレデ、イチゴッテイウ愛シノ剣士サマハデテキタノカ？」
「黙れチャチャゼロ！」
ナギの馬鹿にこの麻帆良に封印されてもう１５年、私の魔力も極限まで封じられると共に従者のチャチャゼロは煩いだけの人形になった。
魔力が無ければ動くこともできず、部屋の片隅に座り私をからかう毎日を過ごしている。
私は『登校地獄』の呪いで麻帆良からは出られないがある程度の自由はあるが、よくよく考えたらこいつがこの呪いの一番の被害者ではなかろうか。
「ケケケケケ、寝言デイロイロイッテタゼ。助ケテイチゴートカ、愛シテルイチゴトカ、抱キシメテイチゴー、トカナ」
「なっ…このっ、嘘を吐くな嘘を！ 例え夢でも私がそんなこと言うはずが―――」
ない、と言おうとした言葉が詰まってしまう。
確かにイチゴに抱きしめて欲しいが…まさか本当に？
自分自身への懐疑の念と羞恥から顔が火照ったように赤く―――
「ケケケ、嘘ニキマッテンダロ」
「チャチャゼロー！！」
むんずと頭を鷲掴み、綺麗な投球フォームから全力で壁に投げつける。
ビュオンッ、と空気を切りながら部屋の中を横切る剛速球ならぬ豪速人形。猛スピードのまま壁に叩きつけられ―――る前に茶々丸がキャッチ。
「大丈夫ですか姉さん」
「ナイスダ妹ヨ。トコロデナゼ疑問符ガツイテナインダ？」
「確認するまでもないと判断しましたが、一応です」
「ソレハソレデ酷イナ妹ヨ」
「落ち着いてくださいマスター、先ほどから話に出てきているイチゴさんとは誰なのですか？」
「――ふん、お前は知らなくていいことだ」
「そうですか…では姉さんは知っていますか？」
「オオ、オレガオシエテヤロウ妹ヨ。マァオレモ御主人カラキイタンダガ―――」
「待てこらおい！ 誰が話していいといったチャチャゼロ！」
「タトエハナスナトイワレテモオレハハナスゼ」
「く…のっ―――おのれ役立たずの分際で！」
「御主人ガマヌケナ罠ニカカッタノガ悪インダロ」
ああ、あー言えばこー言うとはまさにこれか。なぜこんな性格になったんだろうと真面目に疑問に思う。
おかしい、製作手順は間違えてなかったはずなのに…シカタナイイチドバラシテミルカ？
「オオゥ、ナニカ悪寒ガハシッタゼ！？」
とりあえず茶々丸にあることないこと吹きこむのを止めさせるために、簡潔かつ正確なことだけ教えてやる。
「イチゴ――黒崎一護は私の一番最初の友であり、私が一番最初に愛した…いや、今も最も愛し続けている男さ。
私が吸血鬼になる前、私が住んでいた領主の城でイチゴと出会った。本当に、ありえない出遭いだった。
イチゴは自分は異世界の未来、この世界の平行世界の未来から来たといった。最初は半信半疑だったが１００年、２００年と時か経つにつれそれが真実だったと確信した。イチゴが話してくれた未来の話に出てきた文明の利器が次々と世に生まれたからだ。歴史もほぼ同じように動いていたからな。
アイツは自分が死神という種族であるとも言っていた、あの世とこの世の魂の調節者だとな。
イチゴは私が吸血鬼になった後も傍にいてくれた。二人で旅をし、私を人間に戻す方法を探しながら旅をした。共に歩み、共に戦い、共に信頼し―――それでも私たちの旅はたった三年で終わりを迎えた。
イチゴが敵のアーティファクトの牢に閉じ込められてな…やっと脱出してきたと思ったら、そこにイチゴの姿は無かった。
原因は今も解っていない。解っているのは牢が壊れて、イチゴが消えたという事実だけだった」
私を護ると誓ったくせに、お前が私の傍から消えてどうするんだ、まったく…莫迦者め。
「それからだ私の一人だけの旅が始まったのは。
私は魔法社会の闇に身を潜め、一人で力を蓄えてきた。真祖の吸血鬼といっても最初から強大な力を持っていたわけではないからな、血反吐を吐きながら修行したもんさ。
闇の世界に入った理由はもう一つ、イチゴを探し出すためだ。あの世界ならば一個人の情報だろうがなんだろうが、どんな情報でも集められたからな――だがそれでもイチゴの行方は分からずじまいだった。
やがて十分な力を手に入れたとき、私は世界の各地を転々と旅しはじめた。イチゴをこの手で直に見つけ出すためにだ。
いつアイツを見つけ出してもいいように、いつアイツが私の前に傷だらけで現れてもいいように私には不要な治癒魔法を磨き続けた。
それでも何十年、何百年探し続けてもアイツは見つからない、私の元に帰ってこなかった。
探し続けることの苦しみから解き放たれるためにイチゴのことを忘れようとした時もあったが、どうしても忘れられなかった。
６００年前から今も続くこの初恋は、きっと神様とやらが私に掛けた呪いなのさ…」
まったく、笑ってしまうな。真祖の吸血鬼であるこの私があのノー天気なクラスメイトの小娘たちのように恋だなんだと―――
「―――マスターは…」
「ん？」
「マスターは今でもそのイチゴさんを待っておられるのですか？」
茶々丸がおずおずとした感じに尋ねてきた。
それにしても待っているのか、か―――
「――アイツがいった死神という種族が長命であるかは知らん、もう死んでいるのかも、まだ生きているのかもわからん、だがおそらくこの呪いはアイツと再び出会うまで解けることは無いだろう、一生な…」
どこか寂しげな諦めたような微笑を浮かべ、エヴァはそう言いきった。
これほどまでに誰かを愛したことはない、これほどまでに胸が切なくなる想いもしたことはない。
文字通り、きっと一生の恋だから。いくら私が不死の魔法使いとはいえ貌在るものはいずれ朽ち果てる、ならば私はこの想いを抱いたまま朽ちていこう―――
「ふぅ、一気にしゃべったら喉が渇いたな。茶々丸、もう一杯水をくれ」
「……………」
「茶々丸？」
「――はいマスター。少々お待ちください」
急にハッとしたように動き出す茶々丸。
おかしいな、普段はあんなぼーっとはしていないのだが？ 最後にメンテナンスしたのは何時頃だったか。
キッチンから戻ってきた茶々丸からコップを受け取り口に運ぼうとしたその瞬間、侵入者の気配を感じた。
「ちっ、侵入者だ。―――ん？ なんだこの力は？」
それは不思議な力だった。魔力とも気とも違う今まで感じたことがない…いや待て、私はこの力を知っている、それになんだこの引っかかる感じは？
おかしい、胸がざわつく。なんだこれは、まるで胸の奥から懐かしい感じの何かが湧き上がってくるような―――
「――――――――あ…」
「マスター？」
いつの間にか私の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。いくら拭っても拭っても、堰を切ったように溢れてくる。
なんなんだいったい、なんでこんなにも懐かしくて暖かくて―――優しいんだ？
「な…まっまさかこの力は―――――！！」
そうだ何故忘れていた！ この力はアイツの―――
「いくぞ茶々丸、全速力でだッ！！」
「はいマスター」
私は茶々丸に掴まり、その侵入者のもとへ夜の空を駆け抜けた。
後書き
皆さんお久しぶりです。Ichievaです。ちゃんと生きてますよ。
前回投稿したのが８月の１６日、で今現在この後書きを書いているのが１０月の５日。
なんてゆーか、ほんとマジですみません。まさかこんなに仕事が忙しくなって時間が取れなくなるとは、そしてまさか１話分だけでこんなに長くなるなんて…どこかで区切って２話分にして投稿すればよかったです。
さて今回の話についてなんですが、色々とやりすぎた感があります。
戦闘シーンが難しく、さらにオリキャラと戦わせるとさらに難易度がアップして今の私の力ではこれが限界でした。
エヴァを一護に依存させすぎたと思うし、一護の受肉の方法に関しても無理やりすぎたかなあと痛感しております。
ちなみに一護の受肉の方法に関してはfateのクロスｓｓによくある「士郎、人形に入って復活」を手本にしてみました。
一護の新しい肉体のスペック、現在の詳しいプロフィールは次回に載せます。
私は初心者なりに各キャラを理解しようとはしてるんですが、なかなか原作どおりな感じにはなりません。前回に比べれば多少は一護らしさがでているとは思いますが、やっぱりまだまだだと思います。
Bleach×ネギまのクロスで一応手本にしてるｓｓはあるんですが、どうやったらそのｓｓのように出来るか試行錯誤しています。
レスの方で一護をこのままエヴァと一緒にいさせる、という話がでていたようですが見事に期待を裏切ってやりました。ごめんなさい、初恋をいつまでも大事にし続けるという恋する乙女のエヴァが書きたかったんです。
それから今回からbleach原作コミックスのように冒頭に詩らしきものを載せていくことにしました。さすがに毎話毎話に書けるほど作者はポエマーではないので載せる回、載せない回がありますのであしからず。
さて次回はいよいよネギま本編に合流です。
エヴァとの再会、そして舞台は麻帆良へ。
一護×エヴァのカップリング以外に誰を一護と絡ませようか考えている途中です。ハーレム系は書きたくないんだよなぁ、一護は特定少数の異性に好かれる男だと思うので。
ネギまでエヴァを含め３人、リリなのでは２人、多くても３人という感じで。
それではここらで失礼します。ごきげんよう。
以下は各設定です。
ヴィズィー＆クラリス・フォルテスター
幼少のころに吸血鬼に彼らが住んでいた小さな町が襲われ、家族、友人を亡くす。
兄のヴィズィーが魔法剣士、妹のクラリスが魔法使い。
魔法社会では吸血鬼殺しとして有名。
アーティファクト、ループ・バウンド 番犬の環
人間大の巨大なフープを５輪まで出現させる。フープは主が敵と認識しているものに対し自動的に攻撃を仕掛ける。フープが壊されても最後の１輪さえ無傷で残っていれば自動再生する。
アーティファクト、アウト・ガーデン 除外されし世界
黒い箱の中に敵を閉じ込める。普通に使ったら唯の牢に過ぎないが、この箱を形作っている物質『血壁（ブラッディア）』は主の血と対象者の血を使うことで能力を発動させる。
能力は『血壁』その物の時間停止。閉じ込めた者の時間は止めることは出来ない。打開策は空間そのものに干渉できる攻撃のみ。
発動条件 従者の血と対象者の血が必要
対象者と密着した状態
魔力が極限まで枯渇している
魔法、雷の槍兵
作者が考えたオリジナル魔法。細い雷の閃光が術者の手から放たれる。
威力は、雷の槍兵＜白き雷＜雷の暴風、といった具合。
ただし白き雷や雷の暴風よりも倍以上の速度なので回避は困難。
始動キー、シス・ムド・シスル・プルームド
アザミの花が元で英名はシスル。プルームドはドイツアザミの英名プルームドシスルから。
アザミの花言葉は「復讐」