山中すみかさんが、アイドルとしてデビューすることになったのは、
「ロッテ CMアイドルはキミだ!」に応募したことがきっかけでした。
このコンテストは、グランプリを受賞するとロッテのCMに出演することができ、
また、アイドルとしてレコードデビューも約束されるといったもので、
昭和61年(1986)から始まり、以降、平成元年(1989)までに4回開催されました。
すみかさんが応募されたのは、昭和63年(1988)に開催された第3回目のコンテスト。
当時、75,632人の応募の中、見事、グランプリを獲得し、デビューを果たしたのです。
【ロッテCMアイドルはキミだ! 歴代グランプリ受賞者】
なお、このコンテスト名については、表記のゆれが結構あるようで、
ネット内では「ロッテ CMアイドルは君だ!コンテスト」が多数派のようです。
しかし、第3回に限っては、募集広告やすみかさんの公式プロフィールなどから判断すると、
「ロッテ CMアイドルはキミだ!’88」が、正しい表記となっています。
しかし、当時のロッテの一部広告でも「キミ」を「君」とするなど、ゆれが見られており、
これが単なる誤植か、もしかして第1回・第2回の正式名称が「君」だったのかは、
一連の錯誤に関連して少し気になる部分ですが、わからないところです。
(このあたりは、立花理佐さんや相川恵理さんファンのかたにお任せのところですね。)
すみかさんがグランプリを受賞された第3回のコンテストについては、
昭和63年(1988)4〜5月に発売された雑誌の広告などにより募集が告知され、
8月下旬の最終審査を経てアイドルが誕生するという、短期間でのシンデレラ・ストーリー。
第3回のコンテストでは書類審査により20人が選ばれ、最終コンテストが行われました。
当時の資料からその時の状況を纏めると、以下のとおりだったようです。
審査内容にある「私服による歌唱」について、すみかさんは浅香唯さんの「C-Girl」を歌ったと
当時の雑誌には記されております。
このことについては、すみかさんをパーソナリティとしたラジオ番組である
「山中すみかのハッピーフレンド 今はYAMANAKA」の第1回(平成元年4月2日(日)放送分)
においても少し触れられており、4曲あった指定曲の中から「C-Girl」選んだものとのことです。
このコンテストへの応募については「四月白書は永遠に」にも記しましたが、すみかさんは、
「いろいろ挑戦しようかなと思ってて、一生に一回だけやしと思って・・・」と話されており、
また、日本コロムビアの「CUTIE INN」(Vol.3 '88Winter)でのインタビューでは、
「1回は受けてみたかったんです。だからこの1回だけでやめようかと思っていました。」
と答えられておりました。
一度だけのチャンス。
初めて応募したコンテストでグランプリを射止めるなんて、本当に凄いことだと思います。
また、それまで普通の女の子だったのに、あっという間にアイドルになってしまうことは、
とても夢のような話です。
グランプリを受賞して一晩経った翌日のことを、「CUTIE INN」(Vol.3 '88Winter)の中で、
すみかさんは次のように話されておりました。
先日、図書館であの頃の京都新聞を読む機会があり、
最終オーディション翌日である昭和63年(1988)8月29日(月)の朝刊を読んだところ、
このことについては掲載されておらず、どうやら他紙に掲載されていたようで残念でしたが、
ただ、県内版には「夏休みも終わり、きょう始業式」との記事が大きくありました。
すると、すみかさんのいわれている「オーディションの次の日」とは、二学期の始業式の日。
先日、コメントをいただいたみづくまさんのお話の中には、この日のことが記載されています。
すみかさんの場合は、何回もオーディションに応募していたかたとは異なり、
本当に普通の女の子が突然アイドルになったという感じだったのでしょう。
そして、アイドルになってからも普通の女の子っぽさが残る姿が、
すみかさんの基礎的な魅力であったと思います。
あの頃を思い返せば、繚乱とまではいわないものの、
さまざまなアイドルやキャンペーンガールのコンテストが開催されていました。
ざっと例を挙げると、有名なところでは「全日本国民的美少女コンテスト」や
「東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト」、繊維メーカー(帝人やユニチカなど)によるもの、
あとはクラリオンなどもコンテストをしておりましたが、現在では多くが廃止されております。
「ロッテCMアイドルはキミだ!」も、平成元年(1989)に開催した第4回を最後として、
以降、開催されておりません。
なお、その後のロッテのアイドルコンテストとしては、
平成15年(2003)にロッテチョコレートの40周年として「夢見るCMアイドルコンテスト」
(グランプリは荒巻レイチェルさん)が開催されたくらいのようです。
「ロッテ CMアイドルはキミだ!」に応募したことがきっかけでした。
このコンテストは、グランプリを受賞するとロッテのCMに出演することができ、
また、アイドルとしてレコードデビューも約束されるといったもので、
昭和61年(1986)から始まり、以降、平成元年(1989)までに4回開催されました。
すみかさんが応募されたのは、昭和63年(1988)に開催された第3回目のコンテスト。
当時、75,632人の応募の中、見事、グランプリを獲得し、デビューを果たしたのです。
【ロッテCMアイドルはキミだ! 歴代グランプリ受賞者】
回数 | 開催年 | グランプリ受賞者 | デビュー作品 | デビュー日 |
---|---|---|---|---|
第1回 | 昭和61年(1986) | 立花理佐 | 疑問 | S62.4.1 |
第2回 | 昭和62年(1987) | 相川恵里 | 純愛カウントダウン | S63.4.20 |
第3回 | 昭和63年(1988) | 山中すみか | 四月白書 | H1.4.8 |
第4回 | 平成元年(1989) | 宍戸留美 | コズミック・ランデブー | H2.5.21 |
なお、このコンテスト名については、表記のゆれが結構あるようで、
ネット内では「ロッテ CMアイドルは君だ!コンテスト」が多数派のようです。
しかし、第3回に限っては、募集広告やすみかさんの公式プロフィールなどから判断すると、
「ロッテ CMアイドルはキミだ!’88」が、正しい表記となっています。
しかし、当時のロッテの一部広告でも「キミ」を「君」とするなど、ゆれが見られており、
これが単なる誤植か、もしかして第1回・第2回の正式名称が「君」だったのかは、
一連の錯誤に関連して少し気になる部分ですが、わからないところです。
(このあたりは、立花理佐さんや相川恵理さんファンのかたにお任せのところですね。)
ロッテ CMアイドルはキミだ!’88 募集広告 「明星」昭和63年(1988)6月号の中から。 この1枚に巡り会うまで、少し時間がかかりました。 すみかさんもこの広告を見て応募したのでしょうか。 | ||
| (参考) ロッテCMアイドルはキミだ!’89 募集広告 第4回コンテストの広告には、すみかさんが出ておりました。 |
すみかさんがグランプリを受賞された第3回のコンテストについては、
昭和63年(1988)4〜5月に発売された雑誌の広告などにより募集が告知され、
8月下旬の最終審査を経てアイドルが誕生するという、短期間でのシンデレラ・ストーリー。
第3回のコンテストでは書類審査により20人が選ばれ、最終コンテストが行われました。
当時の資料からその時の状況を纏めると、以下のとおりだったようです。
【日時】 | 昭和63年8月28日(日)午後2時から | |
【場所】 | スタジオアルタ(東京都新宿区) | |
【主催】 | 株式会社ロッテ | |
【協賛】 | 日本コロムビア株式会社 | |
【協力】 | DENON(日本コロムビア株式会社の音響機器事業のブランド名) | |
【ゲスト】 | 立花理佐、相川恵理 | |
【審査内容】 | 私服による歌唱・水着による30秒自己PRおよび質疑応答 | |
【その他】 | 先着100名に公開・ニッポン放送が公開録音 |
最終コンテスト風景 中央部、「8」のプレートをつけているのがすみかさん。 最終コンテストに残った20名の写真は他のサイトで見ましたが、後にアイドルとなられた中江有里さん、中條かな子さん、高山美図紀さんもこのとき出場していたようです。 |
審査内容にある「私服による歌唱」について、すみかさんは浅香唯さんの「C-Girl」を歌ったと
当時の雑誌には記されております。
このことについては、すみかさんをパーソナリティとしたラジオ番組である
「山中すみかのハッピーフレンド 今はYAMANAKA」の第1回(平成元年4月2日(日)放送分)
においても少し触れられており、4曲あった指定曲の中から「C-Girl」選んだものとのことです。
山中すみかのハッピーフレンド 今はYAMANAKA 「ラジオパラダイス」平成元年6月号から。 デビュー直前から放送はスタート。 岐阜放送、和歌山放送、山口放送及びラジオ沖縄で放送されていましたが、私の街では聴取することはできませんでした。 録音されたものを聴くことができたのは、この頃になってからです。 |
このコンテストへの応募については「四月白書は永遠に」にも記しましたが、すみかさんは、
「いろいろ挑戦しようかなと思ってて、一生に一回だけやしと思って・・・」と話されており、
また、日本コロムビアの「CUTIE INN」(Vol.3 '88Winter)でのインタビューでは、
「1回は受けてみたかったんです。だからこの1回だけでやめようかと思っていました。」
と答えられておりました。
一度だけのチャンス。
初めて応募したコンテストでグランプリを射止めるなんて、本当に凄いことだと思います。
また、それまで普通の女の子だったのに、あっという間にアイドルになってしまうことは、
とても夢のような話です。
グランプリを受賞して一晩経った翌日のことを、「CUTIE INN」(Vol.3 '88Winter)の中で、
すみかさんは次のように話されておりました。
オーディションの次の日学校に行ったらみんなうわさで知っていて、「おめでとう」と言ってくれました。そうなんです。もう新聞に出ちゃってたんですよねー。
先日、図書館であの頃の京都新聞を読む機会があり、
最終オーディション翌日である昭和63年(1988)8月29日(月)の朝刊を読んだところ、
このことについては掲載されておらず、どうやら他紙に掲載されていたようで残念でしたが、
ただ、県内版には「夏休みも終わり、きょう始業式」との記事が大きくありました。
すると、すみかさんのいわれている「オーディションの次の日」とは、二学期の始業式の日。
先日、コメントをいただいたみづくまさんのお話の中には、この日のことが記載されています。
私は同じ中学だったのですが、クラスも違ったので話すこともなかったのですが、グランプリをとった夏休み明けの始業式は学校中がすごいことになったのを、今でも思い出します。
学校中の人達が、一目見ようと、すみかちゃんの周りに人だかり…お友達にガードされながら教室に入っていきました。同じ学校からアイドルが誕生するなんて、とちょっと誇らしく思ったものです。
すみかさんの場合は、何回もオーディションに応募していたかたとは異なり、
本当に普通の女の子が突然アイドルになったという感じだったのでしょう。
そして、アイドルになってからも普通の女の子っぽさが残る姿が、
すみかさんの基礎的な魅力であったと思います。
グランプリ受賞を伝える雑誌記事 「BOMB!」昭和63年(1988)11月号から。 あの頃、リアルタイムではこの記事を見ておりませんでした。 私が初めてすみかさんを知ったのは、この記事より後のDENONのカセットテープのCMか「四月白書」のCMだったような記憶があります。(「四月白書」のCMはYouTubeで見ることができます。) |
あの頃を思い返せば、繚乱とまではいわないものの、
さまざまなアイドルやキャンペーンガールのコンテストが開催されていました。
ざっと例を挙げると、有名なところでは「全日本国民的美少女コンテスト」や
「東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト」、繊維メーカー(帝人やユニチカなど)によるもの、
あとはクラリオンなどもコンテストをしておりましたが、現在では多くが廃止されております。
「ロッテCMアイドルはキミだ!」も、平成元年(1989)に開催した第4回を最後として、
以降、開催されておりません。
なお、その後のロッテのアイドルコンテストとしては、
平成15年(2003)にロッテチョコレートの40周年として「夢見るCMアイドルコンテスト」
(グランプリは荒巻レイチェルさん)が開催されたくらいのようです。
現在、すみかさんのように素朴さや素直さ、まじめさを基調とするアイドルは、
あまり見受けられないような気がします。
求めれられる方向性という観点以外にも、シンデレラ・ストーリーへの機会の減少も
その一因なのかもしれません。
すみかさんのような普通の女の子がアイドルになってしまうという夢のような話は、
本当に夢でしかなくなってしまったのでしょうか。
「ロッテ CMアイドルはキミだ!」
October 10, 2010
先月にブログを見つけて以来、更新されるのを楽しみにしていました。
すみかちゃんのデビューのきっかけが詳細に書かれていて、あの頃の当時の自分自身のことなどが思い出され懐かしく、思い出に浸りながら楽しく読ませていただきました。
以前もコメントさせていただきましたが、私はすみかちゃんとは話したこともないのですが、学校中が大騒ぎされるまえから名前だけは知っていました。
というのも、当時私は大好きな先生がいたんですが、お友達から『8組にいる山中すみかちゃんって子がすごくかわいくって、○○先生はすごいかわいがってはるみたいやで』と聞かされたのです。
長い髪を結ってない日には、『今日は髪くくってないんやなぁ』と髪に触れた…とか。今の時代ならかなり問題ですが(笑)
多少大袈裟になった噂話だと思いますが、『かなり可愛い子』だと話題になっていました。でも、誰も悪く言う人はなく『とても良い子だよ』とみんなが言っていました。
ブログを読ませていただくと、いつもすみかちゃんの人柄がうかがい知れて、ふと、そんなことを思い出し、コメントさせていただきました。