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[431]引っ越しました 
投稿者:管理人 投稿日:2006/05/12(Fri) 03:24
スパム投稿がひどいので引っ越しました。
新しいURLは、元の「bbs3」の部分を「bbs4」に変えてください。

[432]Re:引っ越しました 投稿者:管理人 投稿日:2006/05/12(Fri) 03:24 
なお、以後、この板の方には書込みできません。

[421] 
投稿者:まそがそ 投稿日:2006/05/08(Mon) 12:56
「TBSは超えてはいけない一線を越えてしまい、見るに耐えない状況」
その昔、鬼塚とか言うやつのときにとっくに超えますよ、
そのときセコンドに片岡鶴太郎がついてた記憶がある。
TBSのボクシングはまるっきし信用ならんよ

[398]アリス出版のA4本 
投稿者:baka-tan 投稿日:2006/04/05(Wed) 08:40
初めてまして、いつも更新を楽しみにしております。
以前アリス出版の覚書で書かれていたA4版の本についてです
が、20年ほど前に神保町の古書店で何冊か購入したことがあ
ります。
当時住んでいたアパートから引っ越す際に処分してしまい、
残念ながら今は手元にありませんが、以前B5版で出されたグ
ラフ誌を再編集したような内容でした。

[391]マンガの森以前 
投稿者:aatw 投稿日:2006/02/28(Tue) 01:48
http://free.7host03.com/oyaji/kawa.jpg
1970年代にビニ本のカメラマンをしていた人です。
自販機本で時には男性モデルもやっていました。
自宅マンションで撮影した本もありました。

新宿南口、黒猫館とか数軒ありましたが
私は現マンガの森のアリスの直販店が馴染みでした。

ビニ本余りのネガによる生写真もアダルトショップで売ってまして
印刷ではない印画紙で生々しい感じが好きで好きなモデルさんの
ものが見つかると買っていました。

[397]この方って! 投稿者:ほんぢえん 投稿日:2006/04/02(Sun) 14:55 
1981年に「C調写真館」出されたGOD横山さんかな〜?

[396]閑話休題? 
投稿者:しもよし 投稿日:2006/03/28(Tue) 15:35
意味間違ってませんかね?
貴方のファンなのでスルーできませんでしたよ・・・。

[393]更新しました 
投稿者:川本耕次 投稿日:2006/03/09(Thu) 05:42
原稿が一段落ついたので更新しました。
ストックがだいぶ溜まってしまったので、引き続き更新かけます。わかりにくいですが「官能天使」という近日公開の本が、小川恵子物です。

[394]待ってました 投稿者:TAKESHI@KEIKOLOVE 投稿日:2006/03/12(Sun) 08:47 
官能天使が小川恵子さんの物だと解った時から、
シビレをこらえてました(笑)。
先生のストック数って……ウラヤマシイ限りです。
あ、篠塚ひろ美分も1冊更新……げ、新しくcomingsoonが。
待ちます、待ち続けます。
今後もお世話になります。m(_ _)m

[388]新宿で… 
投稿者:70年代 投稿日:2006/02/26(Sun) 20:57
ステーションビルにコピー屋があった。
ヘンなオヤジが写真モデルの宣材を持ちこんでた。
コピーの順番待ちしているときに横から覗きこんだら
バインダーに挟まっていた写真には
いけないものまで見えていてドキドキした。

[390]Re:新宿で… 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/02/27(Mon) 07:00 
http://www2.alice-novell.cc/pict/b5/bangak039-02.jpg
ひょっとしてこの人?
普段はサングラスかけてなかったですが。

[387]懐古質問 
投稿者:aatw 投稿日:2006/02/26(Sun) 03:56
ご苦労さまです。資料の豊富さに頭が下がります。
さて、本日はご多忙中恐れ入りますが、質問をさせてください。
1971年ころのもので、宮下順子さんが東京タワーで
ゲリラヌードになっている雑誌は
ワールド・プレイボーイ誌なのかジッパー誌なのか
失念してしまいました。
古本屋で見つけられれば再度記念に購入をと考えておりますが
また、当時青島幸男と赤塚不二夫あたりが1冊だけ
エロ雑誌を作っていました。覚えておられますか?

カメラマンで新中野在だった川村さんは覚えていますか?
アリス自販機などを撮っていました。バンドもやる人でした。

[389]Re:懐古質問 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/02/27(Mon) 06:59 
>宮下順子さんが東京タワーでゲリラヌード
残念ながら見たことがないです。
>青島幸男と赤塚不二夫あたりが1冊だけエロ雑誌を作っていました。覚えておられますか?
これも記憶がないです。赤塚は「まんがNo,1」なんて雑誌を作ってましたね。あの人は色々やってるんで、全貌が明らかではないです。

[384]無題 
投稿者:TAKESHI@KEIKOLOVE 投稿日:2006/02/21(Tue) 18:56
初めてカキコさせて頂きます。以前、メールではお便り差し上げましたが。
熱烈なる小川恵子さんのファンであります。

> [334]…全ページ見せて欲しいとのメールもたくさん頂いているのですが、さまざまな事情があってご要望にお応えできないのが実情です。
誠に残念な実情です。よろしければ、その「さまざま」なトコロをかいつまんででもお教え願いたいですが。
時間&手間? 版権or肖像権? でもあきらめ切れません> 全ページ掲載(笑)…小川さんの本だけでも…?

> [336]…小川恵子、寺山久美、篠塚ひろ美については……近々、単行本としてまとめて出版することになりそうです。
これは、楽しみです。先生のページで紹介されましたら、ぜひ購入に走らせていただきます。

コチラの方面に、A4ビニ本や裏本を取り扱う古本屋があるのですが、
さすがに取り扱いが少ないのと、経済的事情により、なかなか立ち寄れないのが残念です。
店主もご高齢で、いつまで保つ店か解りませんし(笑)。
それでも先日、篠塚ひろ美さんの本をGETしまして、今度はいつか小川恵子さんの本を入手願いたい次第です。

小川恵子さんの「最後のみすず」が未だ「coming soon!!」となっているので、毎日悶絶しております(笑)。ぜひともお早めの更新をm(_ _)m。

では、ご活躍を期待&願っております。

[385]Re:無題 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/02/22(Wed) 06:13 
全ページ掲載できないのは版権の関係ですね。
小川恵子については宇宙企画や英知出版を作った人が版権を持っているものが多いのですが、会う機会があったら聞いてみます。
篠塚ひろ美については、「プライベート」というのを入手しまして、近日、アップします。
http://img173.auctions.yahoo.co.jp/users/9/3/7/1/kitakaze228-img380x330-1139904644private.jpg
ただ今原稿執筆中ですので、更新が遅れまして申し訳ありません。

[386]ご回答ありがとうございます。 投稿者:TAKESHI@KEIKOLOVE 投稿日:2006/02/23(Thu) 04:29 
お忙しいところ、ご回答感謝です。m(_ _)m
カリスマ師匠のお言葉を頂けるとは感無量!
版権の事情については、なるほど……ですが、
良い方向に動くことを期待しています。

> 原稿執筆中
再度、お忙しいところ恐縮でした。(^^;ゞ
ページの更新については、首を長くして待つことにします。
では失礼致しましたm(_ _)m。

[383]頭が下がります。 
投稿者:フェチ魔コロン 投稿日:2006/02/04(Sat) 18:37
自販機本コーナーのすさまじ更新と整理に大感謝し、今頃に新年初ご挨拶で申し訳無く思います。やはりプロカメラマンさんでこの道の「お宝鑑定団」だと敬意を表します。広告にまで熱い思い入れと1つ1つにコメント書きをなさっておられる事は大変な偉業です。
貴サイトは快適に繋がりアクセス数も増加しているものだと思います。また私の書き込みで申し訳ございませんが、「拝見していますよ」のひと言は申し上げておきたくて時々書かせて頂いております。若かりし頃も、今も自分的に抜けるか抜けないかだけで絵本を判断している自分がいて、一般庶民の私がこの歳(43歳)になってふと思う事があります。例えば50年後にはカレーライス、牛丼、ラーメンという食べ物はこの世に存在するのだろうか?それと共にエロ本は存在するのだろうか?細木先生に相談してみようかと思いながら93歳になっても抜ける画を探しているかもの自分を考えたりもします。(笑)つまり貴サイトの永遠をも願う次第でございます。

[381]源兵衛川 
投稿者:伊豆の国人 投稿日:2006/01/31(Tue) 12:27
源兵衛川って柿田川→東レ→源兵衛川だったのか?

http://www.shizuokaonline.com/local_east/20060131000000000051.htm

[382]Re:源兵衛川 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/02/01(Wed) 11:07 
清水町消防署のところの橋から柿田川の上流を見ると、工業用水の取水場が見えます。そこで取水された水が東レに送られて、それが源平川に流されているわけです。

[377]撮影日 
投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/12(Thu) 13:32
篠塚ひろ美が5/25、場所は横浜市港北区のおいらの自宅スタジオ。
http://www2.alice-novell.cc/pict/mono/gal4.html
寺山久美は6/5〜6/6、場所は上越市高田。
http://www2.alice-novell.cc/pict/kumi/kumi.html
小川恵子は何度か撮っているんだが、月日が特定できないです。
6月から、最終は8月にかけてだと思う。
場所は自宅スタジオ、横浜外人墓地、ホテルOZ、どっかのラブホテル、ホテル・スリースター。

いずれも1980年のことです。

[378]Re:撮影日 投稿者:沼風 投稿日:2006/01/27(Fri) 20:27 
スレを立てるほどではない質問なのでこちらで失礼します。
自販機本に限らず昔のビニ本・写真集では「逆焼き」のカットが多く見られました。(明らかな「演出」を除く)半分近く逆焼きのためどちらがモデルの正しい顔なのかにわかに判別できない本までありました。(気にしない人は気にしないのでしょうが)どうしてこういう現象が起きるのかお聞かせ下されば幸いです。

[379]Re:撮影日 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/27(Fri) 22:43 
ポジフイルムは切り出して透明な袋に入れて使うわけですが、よく見ないと裏表が判別しずらいです。で、おいらは気をつけて作業をしてましたが、人によっては、全く気を遣わない場合もあります。なんせ裸なので裏販になっても支障ないわけですから。特にデザイナというのは見てくれだけを気にする人間なので、どっちが「正しいか」という事には無関心です。どっちが「見てくれ良いか」だけです。

[380]Re:撮影日 投稿者:沼風 投稿日:2006/01/28(Sat) 20:53 
なるほど「逆焼き」にはそういう理由があったんですね。
積年の疑問が解決しました。ありがとうございました。

[374]1970年代 
投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/10(Tue) 01:01
●実話誌と三流劇画誌--プレアングラ時代
一般書店で売られていたエロ本について。またアングラ系ポルノを語るのに欠かせない東日販流通システムについての基礎知識。撮影と原稿集め、編集のシステム。
そして僕たちは「闇」を手にいれた
●70年安保で激変する社会と、変わらないエロ本。日本全国に張り巡らされた書店ネットワークと、それを支配する東日販体制。東京オリンピックによる浄化作戦で消滅したエロ写真売り。それに代わって流入するフリーセックスの国のポルノグラフ誌。
●ビニ本以前の青少年たちのズリネタは何だったのか? 表社会では、ピンク映画と日活ロマンポルノ(1971年〜1988年)。エロ実話誌という存在。麻丘めぐみ(人気絶頂期は1973年)、アグネス・ラム(1975年クラリオンガール)などのグラビアアイドル。平凡パンチ、GOROなどの男性読者向け一般グラフ誌の全盛期。
●篠山紀信の「激写」ブーム。小学館のGOROで1975年より掲載。80年代にかけて一世を風靡する。アイドルタレント、素人娘の初々しいヌード、セミヌードが好評。1980年写真集「135人の女ともだち」。
●かつてはヤクザが扱うエロ写真という物があって、繁華街や温泉場などを中心にこっそりと売られていた。これは戦前から存在する由緒正しいシロモノなのだが、東京オリンピック(1964年)を控えた警視庁の浄化作戦で絶滅させられる。そのためエロ写真にもカラーの物はほとんどない。
●スウェーデン製のヌーベルバーグ映画「私は好奇心の強い女」(1967年)がきっかけでアメリカでポルノ解禁論争が勃発(1968年)、日本では1971年に公開。1972年には映画「ディープスロート」公開。論争を巻き起こし裁判沙汰になるが、結局1976年頃までにはハードコア完全解禁。1970年代前半は「ポルノ解禁」というのが流行語であったが、実際には日本のエロ本は旧態依然とした実話誌的世界にとどまっていた。

[375]Re:1970年代 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/10(Tue) 01:02 
おピンクムードのデコレーションケーキ

●実話誌的世界とは? 艶笑、お色気などの言葉に代表される斜に構えた視線。ダイレクトに欲望をぶつける事はない。劇画ではなく漫画が掲載されている。写真もギャグっぽかったりする。自主規制があるのか、セーラー物は見られない。
●実話誌の撮影では、化粧が濃い。撮影は和室。照明はアイラン。ラブホテルを使うこともあるが、今のようなファッショナブルな部屋ではなく「連れ込み旅館」と呼ばれた時代のもの。また、森や河原などの戸外で撮る事も多い。などといった特徴がある。
●基本的には書店売り雑誌は単体ヌードが主。たまにレズっぽい設定の物も見うけられるが、男女のカラミはあまり見られない。ただし映画のスチールは別。これは宣伝という意味で、ほとんど無料で使い放題だった。

[376]Re:1970年代 投稿者:沼風 投稿日:2006/01/10(Tue) 16:24 
私がエロに目覚めたきっかけは、下校途中に雑誌「B&B」を拾ったことでした。メインモデルとして松尾「COME ON NOW 4」のキツネ顔の女の子が出てました。B&Bはグラフ比率が高く重宝しました。
番外の068グリーン企画「MIMIVol.3」のおでこの広い娘が出てたアリスの本は「美少女」という題で、有名写真家の撮影?で芸術写真風のソフトグラビアでした。後ろ半分は大仏パーマのおばさんモデルで当時たいへんがっかりしたものです。

[372]ペットフード 
投稿者:全裸の妖精 投稿日:2006/01/09(Mon) 04:45
田農にいた時代さまざまな畜産加工工場に研修で派遣されたのですが、
日本の大手ペットフード会社は犬・猫ともに「人間の味見」チェック(製品抽出サンプリング)をしておりました。
毎日、少量ずつ数種類のペットフードを試食する「製品検査員」の姿に流通規格の厳しさを垣間見た。
国産品がやたら高い理由と風味にこだわるラインナップの意味がここにあります。

[373]Re:ペットフード 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/10(Tue) 00:54 
なるほど。

日本人の生真面目さを感じさせますね。

[366]グリーン企画 
投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/07(Sat) 02:14
グリーン企画についての覚え書き

●1975年創立らしい。社長の森下氏は松尾書房で営業をやっていた人だという話もある。(ピストン原口氏談)確認されている限りでは看板雑誌のMIMIが1975年末の創刊、またグリーン書房名義でもっと古そうな物も存在する。http://www2.alice-novell.cc/pict/b5/bangak030.html ほぼ同時期に東日販系で「ニューセルフ」という雑誌も創刊している。(1975年10月)これは日正堂というところの口座を借りて出された本。
●自社で新宿や高田馬場にセルフの店という書店を持っていた。また通販もやっていた。自販機でも売っていた。ルートが複数なので、どれが主流なのかはよくわからない。東日販系「ニューセルフ」は三号続けて発禁をくらって通巻19号で廃刊となる。(1977年6月?)
●口座借りで出されていたセルフ出版名義の雑誌が好調に推移し、また白夜書房の名前で自前の書籍コードを取得、ビニ本ブームが訪れた頃には既に主力はそちらに移していた。そのため、ビニ本が過当競争を迎えた1981年以降は自然消滅したものと思われる。

[371]Re:グリーン企画 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/09(Mon) 00:00 
MIMIの創刊は1976年の夏でした。
あらためて確認してみたら、付録のカレンダーというのは1976年の10月から12月までの物だった。

[369]新宿のホテルについて 
投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/08(Sun) 01:12
京王プラザホテルは1971年6月営業開始。
ソファーが特徴的なのでソファーで見わけられる。またカーテンでもわかる。
センチュリーハイアットは1978年5月。カーテンが深紅色。

[370]Re:新宿のホテルについて 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/08(Sun) 01:24 
神泉のOZは1978年か、遅くとも1979年初頭にはオープンしたと思われる。そういえば、ここに住んでいた中国人ホステスが殺された事件があった。

[367]初期通販本についての覚え書き 
投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/07(Sat) 13:44
初期通販本についての覚え書き

●通販でグラフ誌を売るという商売は、もともと外国物から始まった。1976年くらいまでは、日本物はほとんど「写真15枚組」とかの販売である。ただし外国物も日本で印刷された海賊版とか借りポジの物がほとんど。本そのものを輸入してスミ塗りした物は少なかった。特徴的なコピーとしては「ベトナム放出品」などというのが時代を感じさせる。
●確認されている限りでは、日本物で最初の一冊というのは松尾書房の「下着と少女」第1集。1971年の12月発売(1972年1月号)のWILD PRIVATEの表3自社広告に「ついに出来ました、絶賛発売中」として紹介されている。ちなみにWILD PRIVATEの臨時増刊という形。1972年4月号の表3広告では「アメリカンポルノ最新版」というのも紹介されている。「各国マガジン20種類以上あります」との事で、松尾書房でさえ、その初期には欧米物を扱っていた事がわかる。
●松尾書房も1974年くらいまでは東日販系雑誌に力を入れていて、発行点数も動きもたいしたことはない。一方で「えろちか」というインテリ向けエロ本を作っていた三崎書房が1971年に「えろちか増刊Fresh!」というのを作っているが、これが表紙替えで通販商社から通販本として出まわるようになる。
●出版点数は多くないが、現代ジャーナル社というところが1974年にはセーラー物の写真集を出しているのが確認できた。自社広告は見られないので、通販商社経由で売っていたと思われる。ここは1979年くらいになると自社で全面広告を出すようになる。
●YAC出版部は1976年には全面広告を出しているが、まだほとんどが外国物。また1978年か1979年には「創立4周年フェア」をやっているので、創立は1974年前後だと思われる。会社の所在地が池袋の繁華街だし、社名も「出版部」なのでベースにアダルトショップが存在したのかも知れない。

[368]Re:初期通販本についての覚え書き 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/07(Sat) 14:10 
●北見書房の創立がいつごろなのかは不明だが、1977年の12月に出た広告では看板の「人形の家」が2集までしか出てないので、1976年か1977年の創立だと思われる。凝った下着のレズ物が得意で、シリーズとしては「いちごの少女」とか「少女の季節」「少女とセックス」などがある。初期には京王プラザで撮った写真が多い。また付録でポストカードサイズの印刷された写真が10枚セットでついていたりする。なお、初期の広告では「エビス書房」の名であり、欧米物も売っている。
●1976年にはグリーン企画の広告も確認できる。セルフ出版という雑誌出版社を持っていたので、自社広告も出していたはず。またグリーンは自前で販売店を持っていたので、グラフ誌にも販売店の広告が入っている。
●1976年から1977年にかけて、実話誌、劇画誌では急速に通販系出版社の全面広告が増える。それまでは通販商社経由で販売していた現代ジャーナル、エドプロ(三崎書房)も自社で広告を打つようになる。また松尾書房も積極的に広告を打っている。この時期、何か業界的にブレークスルーがあったのかも知れない。

[364]自販機本 
投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/07(Sat) 01:21
東京雑誌グループについての覚え書き

●東京雑誌販売というのは自販機本業界の最大手会社。神奈川雑誌販売という会社もあったようなので、地域別に分かれていたのかも知れない。もともと「即売」と呼ばれるスタンド販売の分野で東販・日販などと同じく一般書店売りの本を扱っていた中島氏が、オツマミの自動販売機を見て思い付いたという伝説がある。
●最盛期には業界全体で2万台、そのうち1万台をグループが所有していた。薄緑色の自販機がそうで、「赤いのはグリーン書房系だった」という証言(ピストン原田/別冊宝島「性メディアの50年」対談より)もある。一台の自販機には12種類の本が入るが、当初は全部がエロ本ではなかった。少年漫画誌とか青年劇画誌とかも入っていて、コンビニのない時代には重宝した。
●東京出版というのがグラフ誌担当で、共同というのが雑誌担当。東京雑誌グループの雑誌にはすべて「共同」というマークが入っている。いわゆるアリス出版とかエルシー企画というのは、実は版元ではなく「編集プロダクション」でしかない。
●発足は1974年〜1975年くらいだと思われる。最初からオリジナルで本を作っていたわけではなく、既成の本を扱うところから始まった。1976年には檸檬社にいた小向氏(菊一文字)が外注で製作を請けはじめる。そしてほどなくそれが発展してアリス出版になった。
●1980年くらいをピークに、ビニ本に押されて衰退を迎える。世間からの風当たりが強くなり、銀色のフイルムを貼るなどの対策を強いられたり、機械を減らしたりするが、当然ながら発行部数も激減、1984年頃には発行部数が1万部を切るようになって終焉を迎える。もっともグループのメンバーは抜けめなくダイヤルQ2で再びボロ儲けしたらしい。(上記対談より、原口氏談)

[365]Re:自販機本 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/07(Sat) 01:31 
東京雑誌グループの出版社
●アリス出版/1977年〜別名キャロル出版、ダミーXOなども後期には使う
●エルシー企画/1977年〜別名アイフル出版。1980年にはアリス出版と合併して消滅。ただしブランド名としてはその後も使われる。
●Do企画/1978年〜正式名、土曜漫画新社
●LANDA.GR/KUKIのブランド名。雑誌ではギャル出版を名乗る。またビニ本ではLANDA.SSを名乗る事もある。

[362]覚えていますか? 
投稿者:雪国 投稿日:2006/01/06(Fri) 17:28
 川本さんが寺山久美さんを撮られた、あの写真の場所を
歩いてみました。勿論今では近代的な町並みに変わってしまい、面影は残っていません。一カ所背景に写った小さな医院
らしいところが残っていました。看板はありませんでした。
夏服の白いセーラー浮いていますよね。
何処の制服にもあんなのは無かったですもの。
 

[363]Re:覚えていますか? 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/07(Sat) 00:07 
聖地巡礼ですねw

エロ本でも少女物とかセーラー物では戸外シーンも多いので、どこで撮られた写真かを突き止めて訪れる行為を、マニアの間では「聖地巡礼」と呼んでます。

[356]土曜漫画 他 
投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/05(Thu) 05:10
土曜漫画についての覚え書き

●Do企画の名前で多くの自販機本を作っているが、正式な社名は「土曜漫画新社」という。もともと昭和40年代に一般書店売りの実話誌「土曜漫画」で人気のあった出版社で、タイトルは「漫画」だが内容的には漫画とゴシップ(実話)にヌードグラビアというスタイルだったらしい。この時代の実話というのは今と違ってエロな偽告白体験手記の事を言う。土曜漫画がつぶれて書店売り口座をなくしたため、自販機業界に流れてきた。
●自販機本を作りはじめたのはアリスやエルシーに比べると遅い。半分モノクロの本が発見できないので、1978年以降だろう。もともとちゃんとした出版社だったので、作りは丁寧で完成度が高い。ヌードグラビアが売り物の実話誌を作っていたので、ノウハウや人脈もあったのだろう。もっともその分、破天荒な面白味には欠けるかも知れない。
●1981年以降、カメラマンの石垣章との結びつきを強め、「奇妙な果実」という豪華本を25周年記念として出版している。これは1979年に作られた「淫花」というアリス・エルシー・土漫共同編集の豪華写真集と同じ体裁であり、やはり同じように自販機本の自社広告で売られたものと思われる。
●グラフ誌はきっちりと台本を作ってから撮っているように見うけられる。ストーリー物に登場する男役も役者を使っているらしく、編集者や社長が登場する他社とは異なる。

[357]Re:土曜漫画 他 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/05(Thu) 05:37 
エルシー企画についての覚え書き

●明石賢生という人が社長だった。発足は1977年くらいだと思われる。1980年にはアリス出版と合併して、ブランドは残るが実体は消滅する。もっともまたすぐ1980年8月にはアリスから分裂して「群雄社」という会社になる。群雄社はエルシー企画そのものではなく、アリス出版からの横滑り組も含む。
●社長の明石氏は、元・学生運動家。絨毯バー経営などを経て「エドプロで営業をやっていた」との本人の弁あり。エドプロの営業というとビニ本屋廻りだろうから、もともとそちら方面にルートを持っていたと思われる。親分肌の人で、映画屋さんとかサブカル関係者とのつきあいも多かった。自販機時代にはJAMというサブカル雑誌のスポンサーになり、山口百恵のゴミ箱漁りで有名になった。
●グラフ誌では、モデル一人でほとんどが戸外シーンという低予算の撮影が多い。倉庫とか映画館とか飲み屋とか、とんでもない場所で撮影しているのも特徴。
●社カメで岡克己という人がいた。少なくとも1979年以降はほとんどこの人が撮っているはずだ。大型ストロボでなくナショPという安価なグリップストロボを二灯、じょうずに使いこなして仕事をする人だった。ストロボメーターも使ってなかった。ホテル撮りが少ないのは、そういった諸事情も絡んでのことだろう。
●奥付がサンケエビルになっているものは、ブランド名としてはエルシー企画でも、実際には合併後なのでアリス系スタッフが作っているケースも多い。そのため分類としてはアリス系にしてある。

[358]Re:土曜漫画 他 投稿者:沼風 投稿日:2006/01/05(Thu) 14:37 
エルシー企画で印象に残っている本は「女子高生絵日記」です。77年秋の刊行で、処女の女子高生が公園や歌舞伎町裏の連れ込み旅館で見知らぬ男とHする妄想にふけるという、アリス出版の「不純異性交遊」みたいなストーリーです。モデルの女の子がかなり若くてイモ臭く、カラミも慣れない感じで女子高生というリアリティが結構出ていました。



[359]Re:土曜漫画 他 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/05(Thu) 14:44 
kukiについての覚え書き

●現在の株式会社九鬼の創立は1977年にさかのぼる。社長の中川氏はもともと映画を目指していたが、「10年助監督やっても食えない友人」を見て映画を断念。アリス出版の制作を手伝うようになる。「天井桟敷の文芸部に4ヶ月だけ在籍した」との事で、この人も天井桟敷人脈。確認されている限りでは「平和出版」時代の「海女」という作品に既にKUKIの名前が見られる。豊ビル時代にはLANDA.SSの名で多数の制作にかかわっている。
●豊ビル時代の途中からアリスの下請け制作ではなく、東京出版から直接うけて出版をはじめる。看板雑誌のSISTERがたぶん1978年の秋くらいの創刊なので、LANDA.GR名義のグラフ誌もそれくらいからだろう。モノクロ半分の本が存在しないことからもそれが証明される。
●YELLOW CABというのはKUKIが抱えていたカメラマン集団。藤田晋(藤田晋吉)をはじめとして数名が確認されている。kukiが関係する本の多くが、この集団の手によるもの。また彼らはサン出版の「美少女シリーズ」にもかかわっているし、おいらの勘ではダミーXOの「女子高生・淫花」もそうじゃないかと思う。YELLOW CABは版元に縛られずにあちこち営業していたのだろう。
●KUKIは比較的早い時期からビニ本に乗りだしている。パンツが透けてない本があったりするので1979年あたりか? SISTERのネタを流用したセーラー物や、カセット付き本などが初期作品としてあげられる。真偽のほどは明らかではないが、寺山久美のカセット本があり、彼女の肉声が聞ける。
●ビニ本では「マン拓」や「フィストファック」でヒットを飛ばした。その後ビデオに進出して急成長、ストリーミング配信なども手掛け、今では日本でも最大のAVメーカーの一つとなっている。

[361]Re:土曜漫画 他 投稿者:川本耕次 投稿日:2006/01/05(Thu) 17:31 
エルシーは意外にセーラー物が良いですね。なんか生臭くって。


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