2009-05-24 02:39:21
私の一言
テーマ:ブログ
【欲望】
私は臆面もなく自己の欲望を口に出す。
その欲望の名前はstudy hardである。
study hardとは箴言ではない。
study hardとは気構えではない。
study hardとはイデオロギーではない。
ただstudy hardすることがstudy hardである。
しかし、これではまだ信念の名前でしかない。
私の病名は救われたがりである。
私は、ただ一点、信仰と呼べるものがない。
しかし、study hardは信仰の名前ではない。
オイラーは呼吸するように計算したという。
息を荒げるように計算したわけではない。
study hardは高々信じたいことに過ぎない。
studyこそが信仰の名前である。
【慈悲】
欲望にこそ慈悲がある。
自らが救われたいという欲望が、而して、他人が救われてほしいという欲望に読み替えられたとき、それは慈悲となる。
慈悲は善なることか。
study hardは私自身に対する欲望である。それが他人に向けられたとき慈悲となる。他人にstudy hardを叩きつけることが慈悲である。常人には到底耐えられることではない。それは他人を、そして自分を苦しめる。しかし、これこそが慈悲である。
この痛烈な欲望が私を導いてくれた。
他の誰もが我が家に耐えられなかった。私だけがこの欲望のためだけに耐えた。私は人生を捨て、人格を破綻させ、やっと辿り着いた。
私はまさに恩寵の中にあった。
私は常に与えられ続けて来た。この苦痛が恩寵そのものであった。
【】
やっと宗教者になれた。
すべて明白に見える。
こんな簡単なことだったとは。
いや、簡単なことほど難しい。
凡夫のままでここまで来られた。
ありがたい。
これは言葉にするのが難しい。
面倒になるのも当然。
タダで教えてやってもいい。
でも幾ら積んだとてわかるでもなし。
教えてやるから人生を代償にもらう。
そうとしか言いようもない。
しかも、それでモノになる保証もなし。
そんなことより、まだ先が見える。
まだ先があるらしい。
大悟百回とはよく言ったものだ。
別に悟りの境地とやらではないが。
これは状態ではない。
これは教えではない。
これは道ではない。
これは論理ではない。
これは精神ではない。
これは技術ではない。
これは視点ではない。
そうそう、今日は力説した。
意味の宗教は間もなく超克される。次は、個の宗教が超克されるはずだ。それは数学が予言してる。
個人の宗教と集団の宗教、などという分類が陳腐で聞いちゃいられないものになるはずだ。
今日は少しそれが見えた。
それにしても世間の「宗教」の低レベルさよ。
【追伸】
そうだなあ。studyは発心なんて訳すのはどうだろう。
ちょっと違うか。
【余白】
人が息をするように、鷲が空を舞うように、オイラーは計算した。
私は臆面もなく自己の欲望を口に出す。
その欲望の名前はstudy hardである。
study hardとは箴言ではない。
study hardとは気構えではない。
study hardとはイデオロギーではない。
ただstudy hardすることがstudy hardである。
しかし、これではまだ信念の名前でしかない。
私の病名は救われたがりである。
私は、ただ一点、信仰と呼べるものがない。
しかし、study hardは信仰の名前ではない。
オイラーは呼吸するように計算したという。
息を荒げるように計算したわけではない。
study hardは高々信じたいことに過ぎない。
studyこそが信仰の名前である。
【慈悲】
欲望にこそ慈悲がある。
自らが救われたいという欲望が、而して、他人が救われてほしいという欲望に読み替えられたとき、それは慈悲となる。
慈悲は善なることか。
study hardは私自身に対する欲望である。それが他人に向けられたとき慈悲となる。他人にstudy hardを叩きつけることが慈悲である。常人には到底耐えられることではない。それは他人を、そして自分を苦しめる。しかし、これこそが慈悲である。
この痛烈な欲望が私を導いてくれた。
他の誰もが我が家に耐えられなかった。私だけがこの欲望のためだけに耐えた。私は人生を捨て、人格を破綻させ、やっと辿り着いた。
私はまさに恩寵の中にあった。
私は常に与えられ続けて来た。この苦痛が恩寵そのものであった。
【】
やっと宗教者になれた。
すべて明白に見える。
こんな簡単なことだったとは。
いや、簡単なことほど難しい。
凡夫のままでここまで来られた。
ありがたい。
これは言葉にするのが難しい。
面倒になるのも当然。
タダで教えてやってもいい。
でも幾ら積んだとてわかるでもなし。
教えてやるから人生を代償にもらう。
そうとしか言いようもない。
しかも、それでモノになる保証もなし。
そんなことより、まだ先が見える。
まだ先があるらしい。
大悟百回とはよく言ったものだ。
別に悟りの境地とやらではないが。
これは状態ではない。
これは教えではない。
これは道ではない。
これは論理ではない。
これは精神ではない。
これは技術ではない。
これは視点ではない。
そうそう、今日は力説した。
意味の宗教は間もなく超克される。次は、個の宗教が超克されるはずだ。それは数学が予言してる。
個人の宗教と集団の宗教、などという分類が陳腐で聞いちゃいられないものになるはずだ。
今日は少しそれが見えた。
それにしても世間の「宗教」の低レベルさよ。
【追伸】
そうだなあ。studyは発心なんて訳すのはどうだろう。
ちょっと違うか。
【余白】
人が息をするように、鷲が空を舞うように、オイラーは計算した。