2009-07-06 23:05:39

前期終了

テーマ:ブログ
 ドラマツルギーって無性に言いたくなった。

【字数不足】
 なんとなくコメントを提出したら、字数不足の評価で返ってきた。
 なるべく字数と項数を減らして、読み易いよう大きな字で書いたのは、駄目だったようだ。
 鬱状態でなくとも、気分がよくないときに素人のダラダラした評価なんて見たくもないものだが、それは神経症者の勝手な考えということか。

【ドラマツルギー】
 鬱状態のあの「本もまともに読めない」状態は本当にアレだ。
 冷静に考えてみると、入学後2年目あたりからかなりの期間に渡って、本も読みたくないし他人の話も聞きたくない状態が続いていた。あのとき気付いていれば、今の状態にはならなかったし、数学科に迷い込むこともなかっただろう。後悔している。
 結局、私自身で気付いたのは、数学科長の部屋で「鬱じゃありません」と叫んだことからだった。

【遍歴】
 冷静に考えると、ここ10年(父が言うには15年)に渡って神経症と縁がなかったことがない。
 なんで入学当時は自分が神経症から解放されたと思ってたんだろう。謎だ。

【理由付け】
 理由は簡単で、我が家が典型的なストレスの多い家庭だからだ。
 我が家の構成員すべてがストレス要因なのだが、やはり父が一等優れて強力である。また、それぞれが違うタイプの抑圧者なので、諸兵科連合の点からも見逃せない家庭であろう。

【ODすら生温い】
 中学生の頃は、父にまったく太刀打ちできず、何を言っても制圧された。「十有五にして学に志す」よう求められるが、一所懸命考えても「タコツボ」扱いで、また打ちひしがれるのであった。
 高校生の頃は、神経がすっかり磨り減っていて、何をしていたかよく覚えていない。ただ、哲学書(古典文献という方が正確か)ばかり読んでいたことは覚えている。なぜか、カール・バルトの本だけは、校舎の外に置いた机で読んでいた。
 成人した頃からだろうか、なんとか父に言い返せるようになった。さらに数年して、父に反論できるようになった。さらに数年して、父を攻撃できるようになった。これらの期間には、特有の苦しみを伴った。敬愛する2人のお父さんのうちの1人(もう1人はアボジ将軍様)を、特定の分野だけとはいえ、越えて行かねばならないからだ。

 気付いたら、誰も反論してくれなくなった。

【構造主義主義】
 どのような事物および関係が構造を規定するのか。
 何によって構造が保たれるのか。

 いつも思うが、示すべきは同型であって、構造の存在ではない。
 いつもいつも思うが、構造だから何なのだろうか。

「構造は悪であり、構造が存在するので、悪です。」
「これは悪い構造だから、悪です。」

 なんだか知らないが、こういった議論がよく交わされているように思う。社会学付近で。
 まあ、私の知っているのはブルバキの構造主義であるので、世の中には知らないタイプの構造主義もあるのだろう。

 ヒーローごっこをする子どもが友達を蹴るのは構造的暴力なのだろうか。
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コメント

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1 ■^^

同じ神経症者としていちいち首肯する記述ばかりだな^^^^

とりあえず
>鬱状態のあの「本もまともに読めない」状態は本当にアレだ。
は激しく「あるあるwwww」^^

2 ■^^

神経症のあるあるネタは愚にもつかないな^^

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