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連合赤軍事件:永田死刑囚死亡 最後まで反省の色なく 「責任転嫁のまま」

 連合赤軍事件(71~72年)で死刑が確定した元最高幹部の永田洋子(ひろこ)死刑囚(65)の死亡について法務省は6日、正式に発表した。脳疾患のため近年はほぼ寝たきり状態で、肺炎を発症して1月下旬に多量に嘔吐(おうと)し血圧や心拍数が低下、酸素吸入などを施していたが、今月5日午後に心停止状態となり、同日午後10時6分、多臓器不全のため収容先の東京拘置所内で死亡した。

 永田死刑囚は共立薬科大を経て神奈川県内の病院に勤務し、組合運動に関わった。71年に赤軍派と合流して連合赤軍を結成、武装闘争による共産主義革命を掲げた。12人が殺害された山岳アジト事件後の72年2月、赤軍派最高幹部の森恒夫元被告=73年に東京拘置所で自殺=と共に逮捕された。

 事件で懲役13年の判決を受け「連合赤軍 少年A」の著書がある加藤倫教(みちのり)さん(58)=愛知県刈谷市=は「死亡に感想はない」としつつ「自身の活動を正当化したままだったことが残念で、憤りに近い。武力革命という大義名分を利用し邪魔になるメンバーを追い詰め、殺していった自己崩壊だった」と振り返る。裁判では共に被告席に座ったが、反省の色は見えなかったという。

 93年3月まで獄中で文通した植垣康博さん(62)=静岡市=は事件で懲役20年の刑を受け98年に出所。文通では「主体的に考えられない人間」と自己評価していたといい「男が代わる度にその男に好かれるよう振る舞う面があった。連赤時代は森元被告に影響された面が大きかった」と話した。

 08年公開の映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の若松孝二監督は「事件で学生運動もすべてだめになった。そういうことを総括せず、森元被告に責任転嫁したまま死んでいった」と語る。

 永田死刑囚の取り調べを担当した元検事総長の松尾邦弘弁護士は「(事件から)40年がたち、何でああいうことになったかというのも『歴史』のようになってしまった。二度と繰り返されることはないだろうが、世の中が大きく変わる時、(そこから)自分たちがかけ離れていることが分かっていなかったんだろう」と当時を振り返った。

毎日新聞 2011年2月7日 東京朝刊

 

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