「天皇のロザリオ」 宮中ふかく侵襲するカトリック勢力、
日本キリスト教国化の準備は完了した。日本版ダヴィンチコード
2006年7月4日 火曜日
◆天皇のロザリオ 下巻 皇室に封印された聖書 鬼塚英昭(著)
◆皇太子一家が、皇室から出て行く可能性(「週刊女性」十二月二十一日号)あり。 太田龍の時事寸評
平成十六年(二〇〇四年)十二月十二日(日)
(第一千百五十六回)
○「週刊女性」平成十六年十二月二十一日号、三十六頁〜三十九頁。
○ここに、重要な記事あり。曰く。
秋篠宮さま「残念」発言に雅子さま“重大決定”も!
「雅子さま」の「重大決定」とは前出記事によれば、
「雅子さま」が「皇室」を去ること。
つまり「離婚」だと言う(三十九頁)。
○しかし、その場合、
「皇太子さまは雅子妃と行動をともにされるであろう」との観測もあるとか。
○「皇太子ご一家が皇室を去る・・・・・・。
そんなことになったら、もはや皇室は崩壊だ」と。
○更に曰く。
「雅子妃は高校、大学時代を米国で過ごし、その考え方、価値観はアメリカナイズされている。そう言う点で、日本人というより欧米人に近い」
(ある外国メディアの特派員)と。
○この「週刊女性」の記事は、きわめて重要な政治的意味を有する。
○仮に、皇太子が雅子妃と共に、皇室から出て行く、
○と言うようなことになったとしよう。
○純形式的に言えば、その場合は、
(1)時の首相を中心とする会議が開かれ、
(2)皇太子の交代を決議する。
(3)つまり、秋篠宮を新しい皇太子として決定する。
○と成って、一件落着する。
○従って、その件が、ただちに「皇室崩壊」とはならないであろう。
○しかし、それでは、もと皇太子の一家はどう言うことに成るのか。
○形式的に言えば、この一家は、皇族から臣籍降下、することに成る。
○けれども、それで丸く収まるとは考えられない。
○ユダヤイルミナティ世界権力は、どうしようとするか。
○彼らは、平成天皇と、「皇太子一家」から、「もと皇太子一家」に変った一家との対立を、陰に陽に拡大させるべく工作するであろう。
○鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」、三百七十八頁に曰く。
「週刊文春」の二〇〇四年六月二十四日号に、天皇一家に尤も近い民間人で、音楽を通して皇太子と親交のある鎌田勇が、雅子妃のことを書いている。「雅子さまは、ヨーロッパ中世に新教徒と旧教徒の間で起こった宗教戦争にずいぶんお詳しいようです」
これから、皇室内で宗教戦争が起こるかもしれないと、私は鎌田勇の発言を読みながら思った。
○皇室内の宗教戦争。
○この見方には、確かに一理ある。
○しかしここでの、「皇室内の宗教戦争」とは、具体的には何を意味するのか。
○それは、平成天皇夫妻と、皇太子一家夫妻と、
その両者、ないし、両陣営の間の宗教戦争、と想定する他ない。
○だが、一体、この二つの陣営の間に、いかなる宗教上の相違ないし、対立が存在し得るのであろうか。
○この問題は、更に検討を続けたい。
(了)
◆皇太子夫妻は、神道行事、神道祭祀への参加を拒否することに成るのか?「サンデー毎日」(16.12.26)。太田龍の時事寸評
平成十六年(二〇〇四年)十二月十三日(月)
(第一千百五十七回)
○「サンデー毎日」平成十六年十二月二十六日号、二十四頁〜二十九頁。
○皇室「波乱の一年」
知られざる全内幕。
○ここに、皇太子の、「公務を見直す」との発言、
これは、宮中祭祀まで含めて見直す、ことではないか(原武史、明治学院大学教授)、との見方が紹介されて居る。
○これは、現在の皇室内の全問題の核心を突いて居る、と考えられる。
○要するに、皇太子夫妻は、宮中の伝統的祭祀への参加を忌避したい、と言うことであろう。
○言うまでもなく、宮中祭祀は「神事」であり、神道祭祀にもとづくものである。
○それでは、れっきとした「キリスト教徒」と伝えられる平成天皇と美智子皇后が、今のところ、神道式祭祀に参加して居るのはどう言うことか。
○この件については、鬼塚著「天皇のロザリオ」(三百八十六頁)に、曰く。
(ローマ)法王は(一九八一年)二月二十五日、世界最初の原爆被災地広島で平和アピールをした。翌二月二十六日、法王は日本カトリック教会殉教の地長崎を巡礼し、「日本神道はやがて、神へいたる道である」と述べた。
神とはキリスト教の神を意味する。
○つまり、ローマ法王と、法王庁、バチカンは、やがて日本の天皇に成るべき当時の皇太子夫妻が、キリスト教徒でありつつも、日本の神道行事に参加することは差し支えない、との正式の認可を与えた、ものと了解出来る。
○従って、平成天皇夫妻は、なんらの精神的葛藤なしに、キリスト教徒であり
続けつつ、日本神道の行事にも参加出来る、わけである。
○しかし、もちろん、これは、いわば方便であり、便宜的、過渡的措置である。
○いづれ、既にキリスト教化して居る日本の天皇は、公然、キリスト教徒としての自分たちの立場を宣言して、神道を明確に捨てるべき時が来るであろう。
○それでは、皇太子夫妻はどうなのか。
○皇太子夫妻は、自分たちの宗教的立場を、日本民族に対して公言して居ない。
○しかし、皇太子夫妻が、神道を拒否したい!
神道祭祀への参加を拒否したい、と言う考えであると仮定したら、
○その場合には、たしかに敵イルミナティの土俵の上での争いに過ぎないとしても、或る種の宗教上の深刻な対立が、平成天皇夫妻と皇太子夫妻との間に、存在する、
であろう。
○今、まさしく、日本民族と日本文明の根源を殺害せんとする、この種の深刻な、ユダヤイルミナティ世界権力からの対日侵略戦争の最終局面が、我々の目の前で、展開されようとして居るのである。
(了)
(私のコメント)
今週の「週刊文春」に雅子妃のオランダでの静養の記事が出ていますが、やはり異例中の異例であり、いろいろな裏事情があるのだろう。詳しい本当の事情は皇太子夫妻しか分からないが、公表されたニュースから分析すると雅子妃は適応障害と言う理由で、皇太子妃としての御公務を拒否しているのではないかと思う。
◆愛子さま初めての遠足 新宿御苑で雅子さまも
学習院幼稚園(東京都豊島区)に通う皇太子家の長女愛子さまは16日、雅子さまに付き添われて初めて遠足に参加、新宿御苑(同新宿区)を訪問された。途中から雨が降るあいにくの天気となったが、散歩や親子遊びなどを楽しんだ。
愛子さまは午前9時すぎ、車で新宿御苑に到着。白いブラウスと紺のスカートの制服と帽子姿にリュックサックを背負い、雅子さまに手を引かれながら集合場所の大木戸門でほかの園児や保護者と合流した。
新宿御苑内では芝生の広場などを歩いて巡り、池のほとりで水面近くを泳ぐカメを見つけると、指をさしながら笑顔を見せた。親子遊びではお互いの顔にはさんだビーチボールを運ぶリレー競走などをした後、全員で木の下にビニールシートを敷き、持参した弁当で昼食を取った。
(私のコメント)
写真やビデオなどからはストレスなどによる体調不良には見えないのですが、皇太子夫妻と他の皇室との折り合いの悪さからの御公務拒否なのではないかと思う。私もストレスによる体調不良の経験があるが、確かに日によって体調の波がある。しかし根本原因が解消されないとストレスも続くから、オランダで静養しても完治は難しいだろう。
ネットや週刊誌などによれば皇太子夫妻の皇籍離脱なども噂されていますが、小泉首相による皇室典範改正の騒ぎは、皇太子夫妻と小和田家による一種のクーデターなのだろう。その条件闘争のために雅子妃は御公務を拒否しているのでしょうが、宮内庁は病気のせいと誤魔化しているのだろう。
雅子妃がこのような状況なので皇太子が一人で公務をこなさなければなりませんが、皇太子一人では畏れ多いと皇太子自身の御公務も激減してしまっている。その分秋篠宮夫妻などにしわ寄せが行っているのですが、当然皇室内にでも不協和音が立ってくるだろう。そのような背景があっての皇室典範改正騒ぎと雅子妃のオランダ御静養では何かあると考えない方がおかしい。
「天皇のロザリオ」では昭和天皇がマッカーサーの陰謀でカトリックに改宗されそうになった事件が書かれていますが、昨日も日本の無条件降伏について書きましたが、戦後に天皇自身の運命も風前の灯となりアメリカ占領軍はかなり強引な要求を突きつけてきたのではないだろうか。
その中の要求の一つに天皇の命は助ける代わりに日本政府の無条件降伏は飲めとか、天皇自身がキリスト教に改宗せよという要求があったとしてもおかしくはない状況だった。もちろん国民には公表しない密約であり国民には何も知らされない。東京裁判と言う茶番劇も日本政府は無条件で降伏したのではないのだから、この裁判は不当であると抗議もできたはずだ。
天皇陛下自身も責任を取って退位することもなく責任を回避されたのは占領軍の政策でもあったのですが、今後の日本統治に対する伏線も引かれた。つまりはアメリカの奥の院による天皇乗っ取り計画であり、天皇を利用しての日本支配計画が引かれたのだろう。その第一段階が皇太子(今上天皇)に対する家庭教師としてクエーカー教徒のバイニング夫人が付き、后にはカトリックの正田家の美智子妃が選ばれた。
そして皇太子にもカトリック系の学校を出た雅子様が嫁いだ。このような事実を並べてみれば天皇家がカトリックの影響は避けられず、雅子様の宮中の伝統的祭祀に対しての拒否反応が出てもおかしくはない。
◆天皇家とカトリック ビッグ・リンカー達の宴2−最新日本政財界地図(10)
感受性の強い時期にクエーカーであるバイニング夫人に学ばれた現在の天皇陛下に対して、皇后陛下美智子さまと皇太子妃雅子さまも第三世代キリスト教人脈と関わっている。皇后陛下美智子さまの生家である正田家がカトリックであることはよく知られているが、皇后陛下美智子さまを天皇家に迎え入れたのも第二世代キリスト教人脈の「新渡戸派=クエーカー派」であった。この流れは皇太子妃雅子さまにも受け継がれている。
1934年10月20日に誕生された皇后陛下美智子さまは、本郷の大和郷幼稚園、四谷の「雙葉学園幼稚園」を経て、1941年に「雙葉学園雙葉小学校」に入学された。太平洋戦争の戦火が激しくなったため、44年以降には神奈川、群馬、長野と転校を繰り返され、47年1月に「雙葉学園雙葉小学校」に戻られた。47年4月に港区の「聖心女子学院中等科」にご入学、「聖心女子学院高等科」を経て、53年4月には渋谷区の聖心女子大学文学部外国語外国文学科に進まれ、57年3月に同大を卒業された。
皇太子妃雅子さまは1963年12月9日に誕生された。外交官の父、小和田恒の仕事柄、1歳半の時のモスクワを振り出しに、ニューヨークと世界の大都市に在住された。71年年春に帰国し、新宿区立富久小学校などを経て「田園調布雙葉学園小学校3年」に編入学、そして、「田園調布雙葉学園中学校」、「田園調布雙葉学園高校」へと進まれた。高校1年の時、父親がハーバード大学に国際法の客員教授として招かれたのに伴い、再び渡米、ボストン郊外のベルモントハイスクールに通われた。そして、81年9月にハーバード大学に入学、国際経済学を専攻され、85年に同大学を卒業し帰国、86年4月に外交官を志し、東大法学部に学士入学するものの、同年10月には外交官試験に合格されたことから、翌87年4月に東大を中退して外務省に入省された。
気付かれた方も多いと思うが、皇后陛下美智子さまと皇太子妃雅子さまは共に「雙葉学園」で学ばれている。雙葉学園は「幼きイエス会」というカトリックの修道会が母体となって設立した学校で、キリスト教的な全人教育を徹底している。現在、東京の四谷と田園調布以外に、横浜、静岡、福岡の5校があり、お互い姉妹校となっている。
雙葉学園は聖心や白百合、上智などの大学に推薦枠を持っており、皇后陛下美智子さまも緒方貞子と同じカトリック系の聖心女子大学を卒業されている。そして、皇太子妃雅子さまが学ばれた田園調布雙葉学園の理事には山本正の兄、山本襄治の名前がある。
皇后陛下美智子さまと皇太子妃雅子さまは、第三世代キリスト教人脈の中心人物である緒方貞子、山本譲治・正兄弟のカトリック人脈と密接に結び付いているのである。
(私のコメント)
このような事実を並べてみれば現在の天皇家が事実上カトリック教徒と見るべきではないか? これに対して宮内庁が問題の対処を誤れば日本の象徴天皇制も危うくなるのではないだろうか? 美智子妃と雅子妃は共通点も多いが宮中祭祀に対する妥協の違いであり、雅子妃の代になっていよいよ正体が見えてきたのではないだろうか?
現在の皇族の、たとえば愛子様と結婚させることで
男系を維持する政策を採ってたようですね。
この辺は、旧皇族の方が書かれた
「語られなかった皇族たちの真実」という本で
解説されています。
あまり表に出てきにくい宮家のことを解説してるので
貴重だと思います。
奥は殺れたんですね?!
天皇家も含め皇室の大半は男系派であり、どうも皇太子が小和田家に操縦されてしまっているというのが本当のところでしょう?皇太子はただ雅子さんと離婚したくなくて、小和田家や外務省の要求を呑みまくる情けない状態になっているのでは?雅子妃に関しては、父親や外務省の人脈に利用されているのではないでしょうか?雅子さんは、あまり社交的な性格ではなく、外務省時代から適応障害を起こしていたらしいですし、またヒステリックな女性みたいです。おそらく、結婚当初は、外務省でも限界を感じていて、周囲に外堀を埋められてしまって、諦めて結婚したんでしょうが、いざ結婚すると、皇室は地味な仕事ですし、元同僚が外務省で出世しているのをみて、おかしくなってしまったというのが本当でしょう?また、娘の愛子さんの状態に関しても色々噂があって、そういうのも原因しているのでは?
日本の皇室は、戦後、皇位の重要な控え候補だった旧宮家が皇籍離脱しただけではなく、その藩屏だった華族制度も廃止になって、身包みはがされた状態になってしまっています。よって、その欠陥部分がここにきて、噴出したというのが真実では?宮内庁の役人だって、昔から天皇家に使えてきた人は少ないですし...殆どが他の省の出向組みでしょう?
2003年08月07日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄
萬晩報の前々号で園田さんがイラク戦争の「衝撃と畏怖」の語源について解説してくれた。1996年にアメリカで発行された同名の軍事理論の研究書名に由来するのだそうだ。戦争をいかに短期間で終結させるかを研究した内容で「核兵器を使用せずに、広島と長崎への原爆投下が日本人に与えたのと同等の衝撃を敵に与えれば、戦意を奪い」早期に戦争を終結させることができる、などと論じられているという。
アメリカはまさにイラクはおろか全世界を「畏怖」させたかったに違いない。58年前、日本は広島への一発でアメリカに「畏怖」してしまった。ポツダム宣言受諾による「無条件降伏」である。
そのアメリカの畏怖作戦に服さなかったただ一人の日本人がいた。賀川豊彦である。国家存続のためにあらゆる屈辱を飲み込む覚悟を決めた日本で、厚木飛行場に降り立ったばかりのマッカーサーに敢然と意見したのだから普通でない。この賀川の思いを新聞の一面をつぶして提供した当時の読売新聞の編集者もまた勇気ある人物だったに違いない。
最近、入手した昭和20年8月30日付けの読売新聞に掲載された賀川豊彦のコラム「マッカーサー総司令官に寄す」を以下に転載する。
===================================================
マッカーサー総司令官に寄す
===================================================
マッカーサー総司令官閣下
日本は八月十五日、敗戦国の烙印をおされた。これは厳然たる事実であり、疑うべかわざる現実である。
陛下の詔書の一分前まで全国民の戦意は燃えに燃え陸海空三軍の銃口が一様に貴官各位の胸に向けられていた事も事実なのです。
この相反した事実が陛下の詔書によってピタッと一変して日本は次の時代へ進行しはじめたのです。私は先ずこのポイントから話さなければならない。
総司令官閣下
貴官は去る28日の厚木進駐の指揮者から進駐が平和的に日本側の満足すべき心づかいの中に先遣部隊の進駐を終了した報告を受けられたでしょう。
そして閣下は多数の日本人を眼前にされたでありましょう。そしてまたその日本人が口をキッと結んでいる表情に気がつかれたことと思います。
日本人は最後まで戦うつもりでいました。おそるべき原子爆弾がやがてわが身に落下するということを予想し覚悟しなかった者は只一人もありますまい。またたとえ身は焼かれても粉砕されても戦争は陛下の指揮のあるまで続けてゆかなければならぬことを毛程も疑った日本人は一人もなかった事も事実ですが、それが、陛下の詔書によって戦争から平和へ完全に変向しました。その決意の固さと新しい理想へ出発への努力が閣下の見られる日本人のキッと結ばれた口もとの表情なのです。この様な民族が、国家が他に例を見ることができたでしょうか。
総司令官閣下
貴官は日本進駐の第一夜をこの点についてよくお考えください。
私は明治維新の例を引いてみましょう。過去260年間、日本の政権を担当した徳川幕府は官軍に押されてヂリヂリ東京に押しこめられました。しかし徳川幕府といえ東京以北には官軍に拮抗するだけの兵力があったのです。ここで若し戦えば日本全土は内乱のるつぼと化し、恐らく数年の間、国民は流血と困窮の惨を見なければならない。一報、眼を外に向ければ欧米の諸国は文明の開発人類福祉に日も尚足らずの有様です。幕臣の勝海舟は官軍の西郷南洲と相談し、明治天皇の御聖断によって日本は内乱の危険をまぬがれて、そのまま、世界文明への参加に出発したのでした。
マッカーサー総司令官閣下
日本国民はこういった国民なのです。
御考へのまにまに生きてゆくのです。
陛下はあの御詔書でこの戦争の国民に及ぼす困難を奪い御身を以てお受けになられました。国民はこの詔書を拝して泣いてわが身を懺悔しないものは一人としてありませんでした。貴官は有力な軍人や愛国の人々が文字どおり腹を切った事を御存じでしょう。これはその良否は別として、陛下の御聖恩に対する申訳なさに自殺したのです。他の国民は只従来の自分の行為が、陛下の御期待に副い得なかったのを悔悟してその自責の心を、陛下の御明示の如く世界文化への貢献、世界平和への奉仕へと直ちに回心したのです。
印度のアソカ王はかつては侵略主義的好戦的な血に狂う大王であった。しかし彼は佛陀の教えを聞いて争闘による統治から「法」のよる統治へ転換しました。「法」は狭い意味の法律や規則ではなく世界の真理、人類の道徳を指したものです。これによって東はビルマ、印度の北嶺、西は地中海の浪にあらわれた彼の国土にはさん然たる文化の花が開いたのです。
歴史あって以来、今度の御詔書はアソカ王にもまさる千古不磨の金文字であると私は信じます。世界文化史の著者ウエルズは世界の四聖人として釈迦、キリスト、孔子の他にアソカ王を加へていることは閣下の御承知のとおりである。
ウエルズは前大戦の終局後、アメリカの合州組織を手本とした世界機構を考えた。これがヨーロッパ方面にも影響を与えて今度のサンフランシスコ会議の結論となってきたと見られる。しかしウエルズの史眼を知り、彼の精神をふりかえってみるときに、サンフランシスコ会議には一つの欠点があると思う。
総司令官閣下
私は素直に閣下に言わなければならぬ。
1936年私は時の大統領より渡米を促された。当時アメリカに充満した1600万の失業者の問題の解決であった。一夕、ウエルズ副国務長官の家においての集会で、私は現トルーマン大統領やホイラー上院議員等とともに談じた。私はその時も国際協同組合を提唱し彼等の賛意を得たのです。
サンフランシスコ会議の31の結論、国家の安全保障、国際裁判、国際警察の設立はこれだけでは日本をはじめ多くの失業国家を見出すだけであろう。それだけでは世界は余りにも窄き門になる、武力を解除され傷ついた上に厖大な賠償品を要求された敗残の身が精神的な友好の手の差しのべがなくて、どうして再起できるであろうか。やがては墜落から没落へとおちゆくことは必至である。貴官達の理想とする新しい世界国家にははいろうとしてもはいれない羽目におちいるであろう。
総司令官閣下
日本はサンフランシスコ会議の理想とする新しい世界から脱落するというのではない。苦しみながらついて来させるより心を開いて迎え入れた方が世界の運営に貢献し得るものだということは聡明なる総司令官の容易に理解される事と存じます。その心とはなにか具体的にいえば、国際協同組合の設立です。
マンチェスターにおいて28人の紡績工がふところから金を出し合って人間愛による相互援助の社会をつくった。この協同組合をつくった歴史を語る必要はありますまい。ただこの組合の精神と設立が戦いに疲れた国家と国民をして、いかにして世界文化の進展に貢献したか例を引きましょう。
スウェーデンは200年前、西欧では最強国であった。然るに30年戦争の結果、国力は疲弊し国民は散亡し、あまつさえ二人の国王までが外地で戦死してしまった。かかる戦後に来る政策はスウェーデンに於ても世界文化への貢献であり、人類福祉への奉仕であった。ここに皇室の下、労働党政権は協同組合の政策を全面的にとり入れたのである。
その結果、世界の人々が北欧に見たものは、何であったか。植物学のリンネの名であり、結晶学のゴールドシミット、原子物理学のアングストロング、支那学のアンダーソン、探検家のヘデン等の錚々たる文明開発の恩人の名であった。そして又、彼等は僅かに1年で犯罪者を1100人−主として外来人の殺人犯9人をスウェーデンで見たのみであった。牢獄は美術館と化し博物館に転用された。製粉工場の床はモザイクではられ、ベルサイユ宮殿にもたとえて比較されたのである。この国内の愛の精神はノルウェー、デンマーク、フィンランドの隣国にも精神的なつながりを見出した。彼の優秀なスウェーデンの電球はこれらの国家の何のかけ引なしに頒ち与えられている。
更に、我々にはノルウェーの国歌を聴こう。「よき友よ、スウェーデン援助の為に…」という国歌の冒頭の讃歌はかつての日露戦争終了の時から歌われている。当時ノルウェーはスウェーデンの属国の位置にあったが、ロシアの圧力が日露戦争の敗北によって減少すると、スウェーデンに独立の希望を伝えた。スウェーデンは直ちに許可したのであった。
総司令官閣下
戦勝国は広い心と思いやりがなければなりません。日本はいま詔書のお示しのままに立派な世界国家として出発しようとしています。これに対して徒らに小さいわくの中に幽閉しておくのは貴官等の理想とはるかに遠い結果を生むでしょう。日本人の陛下に対するこの心情と人間としての実力とをもり育ててやるならば、日本の新世界奉仕の出発は予想より、はるかに強力になされるでしょう。
閣下の外人収容所に対する給与品の投下物は正しく浦和に投下されました。しかしそれを受け取った人達は熊谷の戦災者達にそれを贈りました。これは何を意味するのでしょうか。力で治めるよりも心でゆく千古の心理を例示するものです。
願わくば閣下よ、日本人の特質を活かし新文化新世界へ邁進する日本に拍車をかけるととも、力の鞭を揮うなかれ。それがサンフランシスコ会議のかっけを実現するもっとも重要な具体的な方法だと信じて止みません。
--------------------------------------------------------------------------------
公布:昭和22年1月16日法律第3号
施行:昭和22年5月3日
改正:昭和24年5月31日法律第134号
施行:昭和24年6月1日
目次
第一章 皇位継承(第一条−第四条)
第二章 皇族(第五条−第十五条)
第三章 摂政(第十六条−第二十一条)
第四章 成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓(第二十二条−第二十七条)
第五章 皇室会議(第二十八条−第三十七条)
附則
第一章 皇位継承
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
第三条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。
第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
第二章 皇族
第五条 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。
第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。
第七条 王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、特にこれを親王及び内親王とする。
第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。
第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。
第十条 立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。
第十一条 年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
第十三条 皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる。但し、直系卑属及びその妃については、皇室会議の議により、皇族の身分を離れないものとすることができる。
第十四条 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が、その夫を失つたときは、その意思により、皇族の身分を離れることができる。
2 前項の者が、その夫を失つたときは、同項による場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
3 第一項の者は、離婚したときは、皇族の身分を離れる。
4 第一項及び前項の規定は、前条の他の皇族と婚姻した女子に、これを準用する。
第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない。
第三章 摂政
第十六条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。
第十七条 摂政は、左の順序により、成年に達した皇族が、これに就任する。
一 皇太子又は皇太孫
二 親王及び王
三 皇后
四 皇太后
五 太皇太后
六 内親王及び女王
2 前項第二号の場合においては、皇位継承の順序に従い、同項第六号の場合においては、皇位継承の順序に準ずる。
第十八条 摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、摂政又は摂政となる順序を変えることができる。
第十九条 摂政となる順位にあたる者が、成年に達しないため、又は前条の故障があるために、他の皇族が、摂政となつたときは、先順位にあたつていた皇族が、成年に達し、又は故障がなくなつたときでも、皇太子又は皇太孫に対する場合を除いては、摂政の任を譲ることがない。
第二十条 第十六条第二項の故障がなくなつたときは、皇室会議の議により、摂政を廃する。
第二十一条 摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。
第四章 成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓
第二十二条 天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、十八年とする。
第二十三条 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。
2 前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。
第二十四条 皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。
第二十五条 天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。
第二十六条 天皇及び皇族の身分に関する事項は、これを皇統譜に登録する。
第二十七条 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とし、陵および墓に関する事項は、これを陵籍及び墓籍に登録する。
第五章 皇室会議
第二十八条 皇室会議は、議員十人でこれを組織する。
2 議員は、皇族二人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以て、これに充てる。
3 議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、各ゝ成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。
第二十九条 内閣総理大臣たる議員は、皇室会議の議長となる。
第三十条 皇室会議に、予備議員十人を置く。
2 皇族及び最高裁判所の裁判官たる議員の予備議員については、第二十八条第三項の規定を準用する。
3 衆議院及び参議院の議長及び副議長たる議員の予備議員は、各ゝ衆議院及び参議院の議員の互選による。
4 前二項の予備議員の員数は、各ゝその議員の員数と同数とし、その職務を行う順序は、互選の際、これを定める。
5 内閣総理大臣たる議員の予備議員は、内閣法の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う者として指定された国務大臣を以て、これに充てる。
6 宮内庁の長たる議員の予備議員は、内閣総理大臣の指定する宮内庁の官吏を以て、これに充てる。
7 議員に事故のあるとき、又は議員が欠けたときは、その予備議員が、その職務を行う。
第三十一条 第二十八条及び前条において、衆議院の議長、副議長又は議員とあるのは、衆議院が解散されたときは、後任者の定まるまでは、各〃解散の際衆議院の議長、副議長又は議員であつた者とする。
第三十二条 皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官たる議員及び予備議員の任期は、四年とする。
第三十三条 皇室会議は、議長が、これを招集する。
2 皇室会議は、第三条、第十六条第二項、第十八条及び第二十条の場合には、四人以上の議員の要求があるときは、これを招集することを要する。
第三十四条 皇室会議は、六人以上の議員の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
第三十五条 皇室会議の議事は、第三条、第十六条第二項、第十八条及び第二十条の場合には、出席した議員の三分の二以上の多数でこれを決し、その他の場合には、過半数でこれを決する。
2 前項後段の場合において、可否同数のときは、議長の決するところによる。
第三十六条 議員は、自分の利害に特別の関係のある議事には、参与することができない。
第三十七条 皇室会議は、この法律及び他の法律に基く権限のみを行う。
附 則
1 この法律は、日本国憲法施行の日から、これを施行する。
2 現在の皇族は、この法律による皇族とし、第六条の規定の適用については、これを嫡男系嫡出の者とする。
3 現在の陵及び墓は、これを第二十七条の陵及び墓とする。
附 則 [昭和24年5月31日法律第134号] [抄]
1 この法律は、昭和二十四年六月一日から施行する。
以上
> しての自分たちの立場を宣言して、神道を明確に捨てるべき時が
> 来るであろう。
一日も早くその日が来て、敬虔なキリスト教信仰を持った立憲君主
の立派なお姿(内面)を世界に胸を張って表明なさる日を期待して
います。
他国の君主はすでに知っている(天皇家のキリスト教信仰を)とは
思いますけどね。