皇居の落書き

未来に希望をつなぐために。

八木秀次氏の「皇太子ご夫妻離婚論」

2007-04-28 00:09:34 | 皇室の話(2)
「SAPIO」平成19年5月9日号に八木秀次氏の「「雅子妃問題」で天皇の本質的要素たる「宮中祭祀」が危機に瀕しつつある」と題する記事がある。

この記事において,八木氏は「皇太子ご夫妻離婚論」について3つの立場を示している。
------引用開始-----
ひとつは,キャリアウーマンとして活躍してきた雅子妃らしい生き方を取り戻して欲しいという立場からの離婚説である。もうひとつは,男系を維持するために離婚していただき,皇太子殿下が新しく迎える妃に男子を産んでいただこうという立場からのものだ。紀子妃ご懐妊前に一部の男系維持派からよく聞かれた声である。
------引用終了------

「紀子妃ご懐妊前に一部の男系維持派からよく聞かれた声である」などと他人事のように言っているが,八木氏にしていたところで,離婚説を口にしていた。
すなわち,「AERA」平成18年1月16日号において,「雅子妃「離婚説」の策謀」と題する記事があり,ここで八木氏は以下のように述べている。
------引用開始------
発信源はむしろ皇太子ご夫妻側ではないのか。深刻さを訴えて同情を誘い,これからの皇室改革を自分たちの都合良く進めようとしているようにも見える
------引用終了------
これは今回の「SAPIO」の記事で示された3つの立場とは異なるものであり,八木氏独自の4つ目の立場ということができるであろう。

若干話がそれてしまったが,今回の記事の目玉として,八木氏は3つ目の立場として,以下の主張を行う。
-----引用開始-----
もしこのまま雅子妃が宮中祭祀を受け入れられないなら,皇后としての資質に疑念を抱かざるを得ず,宮中祭祀,すなわち皇室の皇室たるゆえんを守るために離婚もやむを得ないということだ。
-----引用終了-----

そして,小賢しくも皇后についての離婚の規定がないことに着目して,「御代代わりの前に離婚という事態も想定せざるを得ないということだ」などと言い立て,さらに,「皇太子殿下が離婚という事態を受け入れるとは思えない」とした上で,以下の驚くべき主張を行う。
-----引用開始-----
現皇室典範第3条は<皇嗣(注・最も嫡系に近い皇族男子)に,精神若しくは身体の不治の重患があり,又は重大な事故があるときは,皇室会議の議により,前条に定める順序に従つて,皇位継承の順序を変えることができる>と定めている。
現在,皇太子ご夫妻よりも秋篠宮ご夫妻の方が,天皇皇后両陛下を深く理解し,皇族としての強い責任感を抱き,将来の天皇,皇后に相応しい資質を持つとの見方が広がっている。とすれば,宮中祭祀を守る立場から,皇室典範第3条にある<重大な事故>を拡大解釈し,皇位継承権第1位の座を皇太子殿下から秋篠宮殿下に移そうとの議論が生じてもおかしくない。
------引用終了-----

「生じてもおかしくない」と結んでいるが,自分で生じさせようとしているのではないか,と言いたくもなる。
それにしても,八木氏というのは,運動家としてはともかく,学者を名乗るに相応しいのだろうか,と思わざるを得ない。
「皇嗣」について,「(注・最も嫡系に近い皇族男子)」という注釈をわざわざつけているが,不正確だし意味のない注釈であると言わざるを得ない。
「皇嗣」というのは皇位継承資格者が複数存在する中で,次期皇位継承者お一人を指すものである。
皇室典範第8条においては,「皇嗣たる皇子を皇太子という」と定められているが,例えば徳仁親王殿下も文仁親王殿下もともに「皇子」ではあるのだが,「皇嗣」は徳仁親王殿下お一人を指すものであるので,皇太子は徳仁親王殿下お一人に定まるのである。
八木氏の注釈では,文仁親王殿下までもが皇太子ということになりかねず,同時に皇太子が複数存在するという訳の分からない話になってしまう。
さて,これは細かい話ではあったが,皇室典範第3条の「重大な事故」について,宮中祭祀の問題を当てはめようとするのは,法理論としてもあまりに無理があるであろう。
天皇の公務として明記されているのは憲法上の国事行為があるのみである。
お代替わり時の儀式として,皇室典範第24条と第25条において,それぞれ「即位の礼」と「大喪の礼」についての定めはあるが,宮中祭祀を行うこと自体は,国家的な公務ではなく,皇室内の事項に過ぎないのである。
皇室内の事項,それも信仰にかかわる事項をもって,皇位継承の順序という国家的な身分の変更を行おうとすることは,内心の自由の侵害であろうし,憲法違反と言わざるを得ないであろう。

もっとも,いわゆる保守派の中には,宮中祭祀は公務なんだと主張し,皇室には信仰の自由はないのだと主張する立場もある。
憲法学者としては出来損ないであると思うが,思想的な主張としては,そういう主張も分からないでもない。
ただそういう論者というのは,自らの主張の大きな落とし穴に気づいていないようである。
すなわち,国民主権原理の下で,宮中祭祀を国家的公務と位置づけるということが,むしろ祭祀の尊厳性の確保を危うくするという問題である。
国民主権原理下の国家的公務であるならば,その遂行は国民によって監視されることになる。
そうなれば,祭祀王の権威も何もあったものではないであろう。
皇室典範第3条を拡大解釈するという八木氏の主張も,要するに宮中祭祀の遂行状態を皇室会議という国家機関がチェックした上でということになるのであろうが,その時の政権次第によっては,祭祀の場がすっかり暴露されてしまい,女性皇族のプライバシーも踏みにじられることにもなりかねない。
宮中祭祀が皇室の伝統として守られていくためには,皇室の手に委ねるのがもっとも適切であるのであって,国民主権原理による介入の道を安易に開くべきではないのである。
大嘗祭の問題は,またちょっと別であるとは思うのだが。
筆者としては,この辺りが,やたらと女性皇族の生理にばかり着目する原武史氏の魂胆であろうと推測しているが,そういうことにも気づかずに,安易に乗っかろうとするところが,いつもどおり,八木氏の八木氏らしいところではある。

なお,八木氏はこの記事の最後において,以下のように述べている。
-----引用開始----
今は何よりも雅子妃のご快復を願う。だが,一皇太子妃のご病状快復と歴史上連綿と続いてきた宮中祭祀が天秤に掛けられるようであれば,離婚ないし皇位継承権の変更を想定せざるを得ない事態になると思われる。
-----引用終了----

「今は何よりも雅子妃のご快復を願う」などと述べているが,筆者としては,八木氏には願ってもらわなくてもよいと思う。というのも,「何よりも」などと言いつつ,その直後に「天秤に掛けられるようであれば」などと述べている点で,支離滅裂であるし,あからさまに嘘くさいからである。
それにしても,「歴史上連綿と続いてきた宮中祭祀」とは,一体何のことを指しているのであろうか。
かつての皇室令で定められた祭祀のことを指しているのであろうか。
そうであれば,明治になって整備されたものが多いわけだし,意外に新しいものであるわけで,何か勘違いをしているのではないかと思われる。
歴史的には熱心な天皇もおられたし,それほどでもない天皇もおられたし,子どもでも知っているように仏教に傾倒された天皇もおられたしであり,宮中祭祀が「皇室の皇室たるゆえん」というのは,当たらないのではないか。

それに忘れてならないのは,宮中祭祀を行う資格の継承者は天皇であり,皇后ではない。
祭祀を執り行う主役はあくまで天皇であり,皇后はサポート役といったところであろう。
であれば,皇太子妃として,祭祀が十分にできないからといって,廃太子の主張を行うというのは,夫婦の役割分担を平等にするべきというような思想的立場にでも立たない限り,やはりおかしな話である。
今の天皇皇后両陛下においては,いつもご一緒というイメージがあるし,また皇后陛下の存在感が非常に強いために八木氏のように思い込んでしまう人も出て来るのであろうか。

さて,いろいろ批判を並べたが,ただ,お嫁さんについては,嫁ぎ先のしきたりにしたがうべきだという意識が,今どきの世間でもなお根強いことは,筆者も認めるところである。
宮中祭祀を盾にとっての皇太子妃殿下バッシングが行われることには,そのような背景があるのであろう。
できるだけ波風を立てないためには,皇太子妃殿下においても,宮中祭祀には取り組まれた方がよいのではないかと,それは筆者にしても思うところである。
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天皇と平和と朝日新聞

2007-04-27 00:48:14 | 富田メモなど
平成19年4月26日付け朝日新聞において,卜部侍従の日記について報じられている。
内容としては,「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)」といった箇所が注目されているようであり,昨年の富田メモを裏付けるものであるといい得る。
富田メモに対してはすでに十分書いてみたところであり,筆者としては,昭和天皇の御心として十分に納得できるものであったので,今回の卜部侍従の日記について,特段の衝撃というものはない。

それよりも気になったのは,皇室についての重要な情報が,悉く岩井氏を通じて朝日に流れているということで,あまりに一極集中的であることへの懸念である。
何というか,もしかしたら,宮内庁の長官あたりが束になっても適わないくらい,あらゆる情報を握られてしまっているのではないかというような,そんな気にもなってくる。
それは皇室周辺の寂しさを表してもいるのだろうか。

それともう一つは,なぜ今日のこの日の公表なのであろうか,ということである。
この点については,最近の「AERA」平成19年4月30日−5月7日号において「国民投票法案と「平和好き」のお二人 天皇皇后の揺れる心」と題する記事があって,憲法9条改正の問題について,露骨な反対キャンペーンという程ではないのであるが,何か皇室の権威を絡めて反対の立場を訴えるというような,そういう意図の一環ではないか,という気がする。
昨年の富田メモをめぐる騒動において,徳川侍従長の発言だとかなんだとかトンチキな説明が横行していたのであるが,こんな情報を握っていたのであれば,その時に示しても良かったはずなのである。
しかしそうはせず,今日になって突然の公表とは。
狙いは「昭和の日」ということであろうか。
憲法9条に対する問題意識から,「昭和の日」というもののイメージをどのように色づけるかということが,朝日なりの戦略的課題であったのかもしれない。

なお,筆者としては,平和に対する昭和天皇の御心,今上陛下の御心にも共感を有しているのであるが,ただ,現実の政治課題を考える上で,安易に皇室の御心を持ち出してきて思考を止めてしまうことがあるとすれば,あまりにも無責任なのではないかという問題意識がある。
戦前のメディアというものが戦意高揚のために天皇の名を用い,現在は非戦主義の盛り上げのためにやはり天皇の名を用いるというのは,ただの裏返しで本質は同じなのではないかという気がする。
さらに,理想的にすぎる非戦主義で不幸な事態に陥った場合には,誰が責任を負うのだろうかということを考えると,その時はその時で,みんなで知らんぷりするのだろうかとか,ウンザリするような思いが駆けめぐってしまう。

この点では,先ほどのAERAの記事における姜尚中氏の言葉の中に,「少なくともいまの天皇の意識の中では,1条と9条はワンセットになっているように思えます。9条を軽んじることは1条の軽視につながる。いまはそうした政治家が多い」という部分については,もう少し慎重な説明が必要なのではないかと思う。

憲法1条と9条がワンセットいうことについては,筆者はA・ソクーロフ氏の映画「太陽」における謎掛けへの解釈として,平成18年8月21日に書いた「天皇の任務」のように理解していたところであるが,それは戦争の時代に生きた人間としての体験と問題意識というものがあった故のことだと思うし,一つの時代状況の中におけるものという意味合いで相対性を有するものであろうと思う。
そして相対性を有するものであるが故に,他人任せの無責任さでは失われることにもなりかねないものなのであって,受け継ごうというのであればまさに自らの覚悟をもって受け継がなければならない理念であると思うのである。
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世間とコミュニケーション

2007-04-25 23:04:46 | 皇室の話(2)
○浜尾実氏の姿勢
ここのところ,週刊誌における皇室報道には本当に様々なものがあって,あまりはまり込んでもよくないとは思いつつ,女性週刊誌なども含めて読んだりしてしまっているのだが,「女性自身」平成19年5月8日・15日号の浜尾実元東宮侍従についての記事については,胸を打たれるものがあった。
この方は,メディアへの露出も多い方であったので,黒子という言葉はそのまま当てはまらないようにも思われるが,見返りを求めないという点では,黒子としての哲学を有しておられた方であったと思う。
それにしても,生身の人間である皇室に仕えるということは,本当に大変なことだなと思う。

御養育担当を務める一方で,自分の子どもにはろくに構うことはできず,自らの家庭での幸せというものは犠牲にしなければならないというのは,悲しい話であると思う。
ご家庭の方も理解はしていたとしても,掛け替えのない人生における一時期をともに過ごしたという思い出があまり残らないとなるのであれば,寂しい話であるには違いない。

そして,あまり真摯な問題意識を有して,率直にモノを言ってしまうと遠ざけられてしまうこともあるのだろうか。
記事中には,皇后陛下側近の女官長に呼び出されて叱られたなどということも書いてあって,そういうやり取りの連絡があるうちはまだよかったのかもしれないが,「浩宮さまのお誕生日のお茶会のお招きは,ぷっつりと途絶えた」というのは,随分と寂しい話だなと思う。
皇太子殿下のご結婚に際しても,「本来なら届けられるはずの,ご結婚のお祝いの席への招待状。それも,ついに来なかった」などと書いてある。
招待については,何年前までに仕えた方とか,そういった基準があるのかもしれないし,そういう基準にたまたま当てはまらなかったという可能性もあるかもしれないし,「本来なら届けられるはず」ということについては,筆者にはその事情は分からないのであるが,正直冷たいのではないか,という感想を抱かざるを得なかった。
お互い生身の人間であるが故に,行き違いもあったのだろうか。
皇室の側にもやむを得ない事情もあったのだろうか。

ただ,浜尾氏において,自身の人生についての後悔は無かったであろうし,恨んだりするような気持ちは微塵も無かったのであろう。
そんな心を抱くような覚悟であれば,もとより到底できない生き方であったのではないかと思う。
こういうところは,本当にクリスチャンのすごいところだなと思う。

○東宮家の側の問題
浜尾氏の姿勢を見習うとすると,筆者としても,現在の東宮家について,「お耳の痛いことを申し上げる」ことも必要ということになるであろうか。
ただ,もちろん,筆者は側近で全てを理解している立場でもなく,そんなことをする資格もなく,非難めいたことを言うつもりもないのであるが,東宮家の側として有しておくべき問題点について,この際,いくつか述べておきたいと思う。

まずは,世間のものの見方として,公的な存在であればあるほど義理ごとを重視する姿勢を求め期待するということである。
この点,例えば,皇太子妃殿下が香淳皇后の葬儀を欠席されたということは,やはり厳しかったと思う。
その説明としても,「夏ばて」というのはフォローの仕方としても最悪であったと思う。
もちろん,出席するべきであったということは,関係者も十分に承知していたであろうし,また,この当時から適応障害の症状は深刻なものがあったと推測されるのだが,対外的な姿勢としては,なかなか理解してもらえないのが当然という前提に立つべきなのだろう。
要は,やむを得ない事情があるとして,そのことにつき,どのように理解を求めるかという姿勢の問題であって,そこが不十分で,「理解されて当然だと思っている」とか受け取られてしまうと,やはり反発は免れまい。
この点,適応障害というのは,本当に厄介であると思うのだが,説明するべきポイントとしては,適応障害の原因と症状ということであろうか。
ただ,原因を説明すれば,そのことで傷つく人も出て来るであろうし,困難ということになると,症状の説明の方で,まだまだ認知度が低い適応障害についての理解を求めるという方向しかないのかもしれない。
東宮職医師団の見解は,その試みの一つであったと思うのだが,皇太子妃殿下の内面に寄りそった内容となっており,筆者としては非常に共感もしたのであるが,必ずしも同情的ではない人々に対する説明としては,不十分なところがあったのかもしれない。

さて,もう一つは,世間のものの見方として,親に対しては敬うという姿勢を求めるということである。
こういう世間の意識については,筆者としても,不合理なものがあるとは思うのだが,どのような経緯があるにせよ,一般論としても,親が蔑ろにされているというような体裁になってしまうと,いくら能力があって立派な仕事をしている子であっても,その人間としての評価はどうしても割り引かれてしまう。
それがまた,様々な事情を乗り越えて,親を敬うという姿勢を貫けば,一転して,親よりも立派という評価を得ることもある。

さて,もう一つは,世間のものの見方として,立派な育児の仕方としては,きっちりとした躾を求めるということである。
筆者としては,愛子内親王殿下に対する育児の仕方について,何か問題があるとは思っておらず,また,平成17年に皇太子殿下が紹介されたドロシー・ロー・ノルトの「子ども」という詩に非常に共感を覚えるものである。
育児というものは本当に大変で,特に核家族の中で密室の中で言うことを聞かない子どもと向き合い,時に葛藤を抱える親たちの心を,この詩は癒す効果があると思うのである。ただ,そういう話とは別に,世間のものの見方として,厳しい躾を行うのも,対外的な親としての責任だという意識も根強くあるのであって,そういう意識に対して,どう応えるかという問題である。
筆者としては,東宮家でも,躾はされておられると思うし,そういうエピソードを紹介するという方法もあっていいのではないかと思う。
少なくとも,そういう世間の意識に対し,理解しているという姿勢は示さないと,どうしても反発は生じてしまうのではないかと思う。

まとめると,義理ごとを重視し,親を敬い,自らの子は厳しく躾るという話で,何だか封建的な感じのする話ではあるが,皇室制度が公的な身分制度の頂点であるとするならば,それだけ強く求められるのも必然的ということである。
こういうことを書くと,お前のような分際の者が文句をつけるなと言われそうであり,筆者としても何とも辛い立場ではあるが,文句云々の話ではなくて,打ち出された姿勢のイメージということで,振り返ってみる意義はあると思う。
そういう姿勢がどれくらい明確に打ち出せていたかとなると,もともと要求度が高い中で,外部からは,不十分に映ってしまう状態もあったのかもしれない。
そうであれば,天皇皇后両陛下において,心配を抱くのも無理からぬことであり,なかなかその心配が伝わらないことについて,不満といらだちが募るということもあったのかもしれない。
そして,そこにメディアの人間が付け込んだということもあったのかもしれない。

*世間のものの見方自体について,それがナンセンスであるといった議論も可能であるとは思うのだが,公的な存在として何とかやっていくためには,以上のような視点も,敢えて東宮家を支持する立場として必要なのではないかと思う。
ここで問題となるのは,どのように姿勢を示すかというコミュニケーションの話であろうと思う。
最近の週刊誌では,天皇家と東宮家のコミュニケーション不足の解消を伝えるものもあって,両者の関係については,少し安心な気持ちもある。
残る課題は,世間一般に対する打ち出し方であろうか。
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感銘を受けたサイト

2007-04-14 00:41:51 | 筆者のつぶやき
「雅子妃によせて」というページを見つけて,とても共感を覚えたのであるが,こういう方が世の中にはいるのだなと,しみじみと思った。

これは「MIOの世界」というサイトの1ページなのであるが,病を抱えつつ,人生に真剣に向き合う姿には,感銘を受けざるを得ない。
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孤独な象徴

2007-04-12 00:09:27 | 皇室の話(2)
ここ最近はバッシングの問題なども考えてみて,今の状態というのは,開かれた皇室というものの難しさではないかと思う。
天皇という御存在を戴くシステムというものは,例えば政治方面については,時代ごとに有力な政治勢力の補佐があって成り立ったものであろう。
現在の象徴天皇制は,政治方面への関与はないにしても,象徴であることの維持については,やはり充実した補佐が必要であるのかもしれない。
そういう補佐なくして,全責任を皇室の方々に直接おっかぶせるというのは,そして,その上での開かれた皇室というのは,あまりに苛酷であるのかもしれない。

一つの割り切り方としては,私生活に関する情報はプライバシー重視の観点から,シャットアウトしてしまうということもあるのかもしれない。
公人,公人と言われたりするが,選挙で選ばれる存在でもないわけだし,国民の側として,皇室の私生活について知る権利をどこまで主張できるかとなると,それど強い根拠はないのではないだろうかとも思う。
(皇室費の支出ということはあるが,この問題は憲法第8条の財産権の制限の問題,憲法第88条の経緯の問題とも併せて考慮されるべきであろう。)
むしろ,「象徴」であることにかんがみれば,憲法上,尊厳性の確保が要請されているのだと解することも可能であろう。
ただ,今の日本でもっとも強大な勢力であるメディア界は大反対するはずで,実現の見込みは薄いであろう。

さて,そうなると,「象徴」であることの維持について十分な補佐の体制を整えつつ,開く・開かないのバランスを適切に図っていくということが必要となるであろうか。
これも,言うのは簡単でも実行するのはとても難しいことであろう。
その場合の補佐の側の心構えとしては,自ら黒子に徹しつつ,「象徴」のお立場にある方を盛り上げることなのであろう。
そして「象徴」のお立場にある方が盛り上がれば,黒子の立場も報われるということにもなるであろう。
何でこんなことを書くかというと,バランスの取り方という点では,ジャーナリストなどメディア関係者は鋭いものがあるであろうし,頼りがいがあるようにも見えるかもしれないが,彼らには黒子の哲学がないという点で,致命的であることに注意すべきだと思ったからである。
橋本氏の本にしても,自身こそが如何に皇室を大事に思っているかを訴えているかのようであり,その一方で,皇室の尊厳性を消費してしまっているように思われる。
彼らには自ら黒子に徹して「象徴」のお立場にある方を盛り上げるという発想はないように思うし,彼らの職業からしてみれば,それを期待するというのも無理なことであろう。

それにしても,現在,「象徴」であることの側面として,もちろん宮中祭祀やご公務も重要なものであるが,国民の目から見た場合においては,家庭人としての有り様というものが極めて大きなウェイトを占めてしまっている。
これは本当に大変なことである。
プライバシーの観点から酷であるということもあるが,それに加えて,家庭面での苦悩というものについて,国民に訴えかけることの難しさである。
家庭面での苦悩ということであれば,多くの人々も,まさに日々格闘中のことであるし,百戦錬磨の人もいるであろうし,自分たちの方が苦労していると思う人も多いであろう。
もちろん,皇室には皇室の苦悩があると思うが,古くさい皇室観が薄れつつある中では,そんなに伝統や格式に問題があるというなら,じゃあ変えればいいではないかという反応も起こりそうである。
家庭面の問題に関する限り,皇室には特殊性があるにしても,一方的に苦労を背負い込んだ存在というニュアンスで訴えるのは,得策ではないように思う。
あるいは,皆さんとこういう面でこういう違いがありますが,皇室としても苦労しているところはあるんですという話であれば,共感も得られるかもしれない。
そのためにはカラッとした開かれた雰囲気も必要となるかもしれない。
くだらない話であるように思われるかもしれないが,家庭ドラマを見ていて,どのようなキャラクターが幅広く好感を持たれるかというと,どんなに優秀でも自分の立場にばかりこだわるようなキャラクターより,みんなの立場を慮る温厚な人物が好感を持たれるのではないか,という気がする。
筆者の勝手な思いとしては,そういう役割を天皇皇后両陛下が担うのが理想的ではないかと思ってしまう。

このこととの関係では,皇位継承の在り方の問題も実に大きい。
この問題においては,それぞれ別な観点で論じられるべき,制度論と家庭論とが交差してしまうのである。
例えば,東宮家vs天皇家&秋篠宮家のような構図も,実際の当事者の関係がどうであるかは別として,周囲の女系容認派と男系維持派とが重なっているようにも思われる。
そしてこのことが問題を複雑にし,制度論を考える上でも家庭論を考える上でも,どちらも中途半端で袋小路のような状態に行き当たっているようにも思われる。
あるいは,交差しているが故に,どちらか一方の問題の解決が他方の解決にも繋がるということもあるのかもしれない。
例えば,これからはあくまで男系維持で行くこととし女系容認改正はしないと決めてしまえば,東宮家へのバッシングも終息するであろうか。
そういう気もするし,そうでない気もする。
そもそも,物事の考え方としては,一方を他方の目的,手段と位置付けるのは,邪道ということになるのであろう。
それにしても,この問題は,愛子内親王殿下,悠仁親王殿下が世の中のことをあまりお知りにならないうちに,解決しておくべきであったと思う。
どっちつかずの状態で,世間からいろいろ言われるうちに,お互いに妙な意地のようなものが生まれたりすれば,後々不幸の種になるのではないかと懸念される。

いろいろ考えてみても,ここしばらくはどうしようもないのかもしれない。
ただ,生身の人間であるが故に,今のままの状態がこのままずっと続くということにはならず,そういう状況の変化の中でそのつど臨機応変に,より良い道を模索していくしかないのかもしれない。

さて,こういうことを書くと,いいかげんな人だなと思われそうであるが,天の岩戸の神話において,危機を打開したのは,誰が悪いのかという責任追及の応酬ではなくして,底抜けの明るさであったのではないかと思う。
もちろん無責任な明るさではなくて,思慮に思慮を重ねた明るさであった。
筆者としては,そういう明るさの到来を望みたいと思うのである。
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「美智子さまの恋文」第4章について

2007-04-04 00:16:48 | 皇室の話(2)
○はじめに
橋本明氏の「美智子さまの恋文」を読んでいるのだが,この本を読んでいると,いわゆる千代田派というものがどういう存在であるのかがよく分かるような気がする。
簡単にいってしまえば,天皇皇后両陛下の熱心なファンのような存在なのであろう。
ただ問題は,その熱心というのも限度を超えていることであり,非常に思い詰め的な性質があって,両陛下を絶対として捉えているような側面がある。
思い詰め的な性質があるのは,皇室を話題にすることのタブー意識の反射効果のようなものであろうか。
それにしても,絶対として捉えるということは,異質なものの排除という動機に繋がり,思い詰め的であるだけに陰湿なバッシングという現象となって表面化する。
こういう構図があるように思う。

この本においては,「第4章 美智子妃の思い」という箇所がメインのようである。
そこで以下,この章の文章における気になる箇所について述べていきたいと思う。
その都度反論めいたことも書くことになるが,部分部分を切り取っての反論の仕方というものは,比較的誰にでも簡単にできる揚げ足取りのようなものであり,高級なものではない。
ただ,東宮ご一家へのバッシング勢力の考え方というものがどういうものであるかを知る手がかりにはなるであろう。

○「全力でお守りしますから」への批判について
144〜145ページにかけては,皇太子殿下のプロポーズ時のお言葉をめぐって,何だかんだと書いてある。
すなわち,「皇室に入るのはいろいろ不安や心配がおありでしょうが,雅子さんのことは僕が一生,全力でお守りしますから」という皇太子殿下のお言葉がとんでもない失言であったこと,そしてそのお言葉を記者会見で明かした皇太子妃殿下の行為について,「将来の予防線に内緒話を最大限利用したつもりかと囁かれたほど,浩宮の結婚の誓いが,あろうことか言葉として妻になる女性の口から表現されたのである。」などと書かれているのである。

プロポーズ時における「僕が一生,全力でお守りしますから」という言葉の,一体何が問題なのであろうか。
結婚というものは,そういうものなのではないだろうか。
夫婦として一生助け合うということを,男の側から言えば,一生守るよという言葉になるのではないだろうか。
そもそも「守りません」では,プロポーズにならないであろう。
「行李ひとつで」という言い方も,同じような意味なのではないだろうか。
もっとも,「行李ひとつで」ということについては,「父天皇は正田美智子に一切口にされていない」そうではあるが。

ただ,「守りません」でよしとする考え方もあり得ないわけではない。
それは,女性という存在を,子産みの道具としてのみ捉える考え方である。
そのような考え方に立てば,女性は子産みの道具であり,結婚は跡継ぎ確保の手段でしかないのだから,そこには男と女の愛と情も無関係となり,「全力でお守りしますから」ということは無用な発言ということにもなろうか。
これはあまりにもばかばかしいことであるようにも思えるのだが,この本の250ページには,著者である橋本明氏の考えとして,以下の記載がある。
-----引用開始-----
皇室についてとうとうたる議論が国会内外で展開した結果,日本人の魂の奥底に「世界で唯一の男系襲位による万世一系の家」という事実への愛着が,大変濃厚に存在する姿が浮かび上がった。
-----引用終了-----

男系継承こそが何よりも大切だという考え方に立てば,皇太子妃殿下は男子を出産するためだけの道具ということになる。
そして道具ということであれば,上手く機能しない場合には捨てて新しいものに替えなければならない。
そのためには,人格などというものは邪魔であり不要ということにもなるのであろう。
それ故に,そのような道具としての存在に対して,「全力でお守りします」と約束することはとんでもない失言ということにもなって,「それが失地とならなければいいいが」などと心配するということにもなるのであろう。
おそろしい話である。

○中傷と偏見について
145〜146ページにかけては,何でわざわざこういうことを書くのだろうかと思わせられる記載がある。
ブラウン管を通して記者会見を見ていた庶民の感想として,「歯科医師たち」の感想を紹介しているのだが,「「噛み合わせが悪い」「若いころに歯列など矯正をしていないと思われる」と首をかしげた」のだそうである。歯科医師としての職業病のようなものなのであろうが,橋本氏が「滞欧米生活の海外暮らし経験者で,ある程度以上の家庭では子に歯の不並びがあった場合,矯正を施すのが親の役目と知ってのうえでの発言だった。」などと解説を付して紹介すると,意地の悪い中傷のようにしか思われない。

さらに,内科医たちが「「アトピーを患っている」と見抜いた」と紹介して,「アトピーに冒されると気力を失いがちになる。人に会ったり,外出するのが億劫になるものだ。なるべく膚を覆うなど心がけるため,自然,内向きになっていく。」などと断定的な解説を行う。
これは病に対するナンセンスな偏見と言うしかないのではないか。
筆者にも重いアトピーの症状を有している知人がいるが,どちらかというと快活でバイタリティーのある人物である。
確かに,夏などは膚がかゆくなってとても辛そうであるが,気力を失いがちになって,内向きになっていくというのは,一概には当たらないのではないだろうか。

また,天皇と同期生だった平井二郎氏の「できるだけ早く水俣湾にいらして,水俣病犠牲者の慰霊をなさったほうがよい。そうされないと後々何がたたってくるかわからない」という発言を紹介して,雅子妃殿下を水俣病と関連付ける。
確かに,水俣病は悲惨きわまりない公害事件であり,妃殿下の母方の祖父である江頭豊氏については,事件に責任ある会社のトップとして,あらゆる批判・非難を受け止めねばならない立場にあろう。
しかし,家督を継いでるというわけでもない孫に対してまでその責任を追及し得るものなのであろうか。
結局,皇太子妃殿下への攻撃に,事件の悲惨さを利用しようとしているだけなのではないかと思う。

さらに橋本氏は,帰国子女であることを憂える層があったことも紹介し,「日本女性が本来もつべき歴史観,社会性,文化的感性などとの軋みが起こり得るのではないかという予感におののいたのである。欧米の女性は自立を目指している。他人に寄りかからない生き方は,自然に前方を見据えた姿勢をとらせる。半面,他人の考えを受け入れる許容性は狭まってくる。」と述べるが,帰国子女に対する偏見というべきであろう。
それにしてもである。
歯の噛み合わせの話題のところでは,「ある程度以上の家庭では子に歯の不並びがあった場合,矯正を施すのが親の役目と知ってのうえでの発言だった」と書いているが,このことは欧米の文化に染まりきっていなかったことを意味しているのではないかとも思う。
それが一転して帰国子女だからといって,「欧米の女性は自立を目指している。他人に寄りかからない生き方は,自然に前方を見据えた姿勢をとらせる。半面,他人の考えを受け入れる許容性は狭まってくる。」などと,欧米女性のイメージを重ね合わせようとするのは矛盾したものを感じざるを得ない。

○ひいきの引き倒し
152〜156ページにかけて,衣紋道研究会と高倉文化研究所に関するエピソードの紹介がある。
皇族が古式に則った正装を身につける場合には,山科流(衣紋道研究会)と高倉流(高倉文化研究所)の二派があるそうで,山科流は旧皇族など「旧世界」,高倉流は一般婦女子を多く擁する流派とのことである。
ここでエピソードというのが,平成2年秋口に今上陛下の即位の礼を控えて,皇后陛下の着付けにかかる衣紋の指導依頼が山科流になされたという話から始まり,「一部の人々にはまるで皇后陛下から旧華族へお赦しがでたような歓喜に包まれた」,「即位の礼関連の一連の公事と女房装束の着付けに関しては衣紋道研究会がすべて取り仕切った」と繋がっていき,要するに,皇太子妃時代の美智子皇后に対し辛辣な批判を行っていた旧世界勢力との感動的な和解と「その契りはもはや何人によっても壊されない」結束のストーリーとして仕立てられているのである。

天皇皇后両陛下に対し,伝統と格式という視点で見つめたいという人々にとっては,何の問題もなく喜ばしい話ということになるのであろう。
しかし,筆者にとっては,この衣紋道研究会と高倉文化研究所のエピソードというものは,どこかサクセスストーリーの裏話のような印象を感じざるを得ない。
すなわち,成り上がった後に,新たに手にした地位に相応しい勢力と手を結び,一方で,今まで自分を支えてきた勢力を無情に斬り捨てるといった印象である。
この本でも,154ページにおいて,故高松宮妃の「紀子さまのようにはしないでね」という発言を紹介し,その「紀子さまのように」というのが高倉流による紀子妃殿下の着付けのことで,思わず目を覆うほどの出来だったとまでわざわざ解説をしており,高倉流を徹底的に貶めているからである。
即位の後に,それまでとは別な人々との交流が新たに生まれるのは自然なことではあると思うが,以上の橋本氏のような書き方では,まるで両陛下が無情で非情なお方であるかのようである。
いわゆる千代田派の特徴として,ひいきの引き倒しということは確かにあるのであろう。

○大内糺の問題
156から159ページにかけては,平成5年の皇后陛下の失声症と,その原因とされる「宝島30」(8月号)に掲載された大内糺の記事について触れられている。
筆者としても,大内糺の行為は卑劣なものであったと思う。
であるから,これらのページにおける橋本氏の記載自体については概ね同感なのであるが,「(宝島掲載の記事の)筆者に情報をもたらした宮内庁職員の職位は侍従や女官ではないようだった。もっと下積みの職員といった感じである。恐らく教養もたいしたレベルに達しているとは思えない」という表現についてはどうかと思う。
この表現からは,下積みの職員への軽蔑のようなものがうかがえる。
筆者には大内糺の正体は未だ分からないのであるが,仮に「下積みの職員」であった場合に,なぜそのような行動に出たかということについては,いわゆる千代田派における「下積みの職員」への軽蔑ということも,大きな要素となっていたのではないかと思われる。
それにしても,橋本氏の文章においては,大内糺の記事内容の真否について触れられていない。
「美智子さまの恋文」を入手できた橋本氏ならば,その辺りの検証もできると思われるし,どうせ批判するなら捏造であるとハッキリ証明すればよいと思うのだが,「いかにも素人っぽい」「杜撰な脳の持ち主だ」「恐るべき阿呆」といった言葉が並ぶばかりであり,言葉の激しさと反比例して中身には乏しいように思われる。
それどころか,159ページの以下の記載を読むと,全くの捏造でもないことを認めているかの如くであり,不安な気持ちにさせられる。
------引用開始-----
(宝島掲載の記事の)筆者が宮内記者会会員である某大手新聞社の記者だった可能性と,内通者の存在が浮かび上がってきた。あまり突っつくと,再びどのような反応を示すか,ある程度予想できた。一時犯人探しに走ったとされる侍従職が苛烈な追及の手を控えたのは,そのあたりの事情を示唆していた。
------引用終了-----

○香淳皇后への悪意?
160〜162ページにかけて,香淳皇后の崩御をめぐっての話が書かれているが,所々,香淳皇后への悪意があるのではないかと思わざるを得ない表現が見受けられる。
例えば,第一腰椎骨折の経緯にしても,「手洗いの御東所で尻餅をつかれ」などと書いている。
「真実公表を潔しとしなかった側近」への批判の余地はあるとしても,わざわざ「手洗いの御東所で」などと書く必要性はないはずだし,「尻餅をつかれ」という表現には敬慕の念の皆無であることを感じさせられる。
また,「特に美智子皇后の細やかな介護と配慮が際立った。時には秋篠宮一家を交えてお手をさするなど,一生懸命に尽くした。いまでいう認知症にかかっておられたため,母陛下と会話らしい会話を交わしたのは遙か以前のことになる。」という記載もあるが,「認知症にかかっておられた」などとわざわざ書くというのはどういうつもりなのだろうか。
皇后陛下を賛美する一方で,あまりに香淳皇后を貶めすぎているのではないだろうか。
161ページにおいては,皇后陛下が香淳皇后に贈った歌が紹介されているが,その感想として,「過去にどのように突き飛ばされ,疎んじられ,虐げられたといえども,耐え,仕える一直線の姿勢にはなんらの曇りもうかがえない」などと書いてある。
確かに,香淳皇后と皇后陛下の間にはギクシャクとしたものもあったのかもしれないが,それでももう故人となってしまったではないか。
死者に鞭打つような表現を目の当たりにし,褒め殺し,ひいきの引き倒しというのは,こういうことだなと思わずにはいられない。

○恋文入手の経路の不透明さ
162〜170ページにかけては,「美智子さまの恋文」の入手経路について,世の中に出したいという橋本氏の情熱と絡めてなかなかドラマチックに描かれてはいるが,肝心な点については極めて曖昧な表現となっている。
168ページにおいて,橋本氏は「問題はどこからどこまでが真実美智子妃の筆になる部分か,検証が必要だということだ。今日の時点で明らかにしないかぎり,私的重要文書を勝手に使うという倫理上の問題を,未処理のまま私が犯すことにつながる。」と述べている。
ここでいう,「私的重要文書を勝手に使うという倫理上の問題」をクリアするためには,当事者の了解というものが絶対的に必要であろう。
本物か否かの検証をいくら繰り返したとして,当事者の了解がないのであれば,「勝手に使う」という問題はクリアできないからである。
この問題について触れているらしいのは以下の記載である。
------引用開始-----
(169ページ)
取材過程を曝すわけにはいかない。だがたっぷり三ヶ月を費やした私の取材意図はついに実を結ぶ。途中,何度も放り出したくなったとだけ告白しておこう。重い荷を背負ってとぼとぼと歩む姿が無視できなくなったのかもしれない。文書がすでにお二人の手を離れ,記録物として保管されていたことも幸いしたといえるかもしれない。
------引用終了-----

------引用開始-----
(170ページ)
ウソや捏造が少しでもあったならば,現在は糊塗できたとしても将来必ず双方に傷がつく。記者道を見つめ直し,誤りの種を事前に摘み取って,真実を手に入れるしかない。祈るような思いで待つこと数カ月・・・・・・。
平成十八年十二月二十一日,私は結果を得た。皇后の文書は実在した。もちろん,北條の言う「文書」そのものではない。「文書」にはおびただしい夾雑物が混ぜられており,それを混入させるためか,文の前後が入れ替えられていたり,時制を表す語に変更が加えられたりしている。
------引用終了-----

まず,「美智子さまの恋文」について報じた週刊新潮の記事を読んだ限りでは,橋本明氏が何十年か前に入手した文書を今回公開したようにも読めたのであるが,そうではないようだ。
「平成十八年十二月二十一日,私は結果を得た。皇后の文書は実在した。」という記載からは,同日において,橋本氏が所蔵していた文書の原本のようなものを同氏が確認できたということのようである。
確認に至までの経路の記載は非常に曖昧であるが,筆者の推測するところでは,橋本氏は自らが所蔵していた文書を皇室に近い立場の人間に示して,その内容の確認を迫ったのであろう。
そして迫られた側としては,おそらく困惑もしたであろうが,橋本氏が全くデタラメでもない文書を有していることにかんがみて,その要求に応じることにしたのかもしれない。
そもそも橋本氏が所蔵していた文書(女性自身に届けられた文書)については,誰が漏らしたのかという問題もあって,そこを突かれたくないという弱みも,もしかしたらあったのかもしれない。
当事者の了解という問題については,乱暴な話ではあるが,橋本氏の交渉相手が皇室に近い,両陛下の代理人的立場にあるということにかんがみて,クリアされたという整理なのであろう。

なお,橋本氏の要求に応じる立場の側からも,要求に応じるに際し,何らかの条件を付したということは十分に考えられることであろう。
それが,いわゆる千代田派の立場の者であったとすれば,千代田派のメッセージを打ち出すことを求めたかもしれない。
それが,この本が千代田派としての色彩の濃いものとなっている原因であるのかもしれない。

しかし,それにしても,170〜182ページにかけて紹介されている「美智子さまの恋文」そのものについては,実は千代田派の考えとも異質であり,立派なものであり,雅子皇太子妃殿下への励ましになるものであると思う。
例えば,180ページには以下のような記載がある。
-----引用開始------
陛下の人間宣言は,やはりこの何年かの間に国民の皇室に対する考え方に多くの影響を与えてまいりました。私は,人間宣言が,対外的なご発言にとどまるものでないことを,それによって皇室の方たちが,その背後に人間的な生活をお持ちになるという,むしろそれが内部のご生活につながるという,大きな改革でおありになったことを信じたいと思います。
-----引用終了-----

「美智子さまの恋文」とされる文章は,決して伝統・格式への屈服を表現したものではない。それは,「人間」というものを中心においた,皇太子妃としての改革への覚悟の書であるといい得る。
すなわち,今どきのいわゆる千代田派の主張とはかなり異質なのである。
この本の出版の背後には,複雑な思惑の交差のようなものを感じてしまう。

○堂々としていればよいものを
183ページにおいて,以下のような記載がある。
-----引用開始-----
よく,雅子妃殿下のキャリア志向と新しい公務模索に対し,皇后は温かい家庭を築くことだけが目標だったからおらくだったなどと書かれているが,両陛下の過去の公務の実績を見れば,すでに五十年近く,ご成婚後に静かに積まれたキャリアの重さと厚みは,とりたてて喧伝されてこなかっただけに一層尊い。
-----引用終了-----

皇后陛下の方が「おらくだった」などと,そんなに書かれているだろうか。
何とも奇妙な感じがする。
筆者にしても,かなり皇太子妃殿下を応援する立場ではあるが,皇后陛下の歩みについてはかなり敬意を払ってきたし,少なくともキャリアという点では全く勝負にならないであろう。
このブログでも,皇后陛下についての高い評価は世間でも固まっていると思われることから,筆者があまり付け加えて述べる必要もあるまいと思い述べてこなかっただけの話である。
ただ,橋本氏のように書かれてしまうと,まるで千代田派において,皇太子妃殿下の人気に負けてしまうという焦りがあるかのようである。
その焦りというのは,筆者には全くナンセンスなもののように思われるが,もし存在するとすれば,極めてやっかいなものであるに違いない。

*他の章についても細かく見ていこうと思っていたのであるが,それも虚しい作業であるように思えてきてしまった。
それにしても,皇室にも近く,メディアを通した発信力のある人間であれば,もう少しましなことを書いたらどうなのかと思ってしまう。
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