さあ、銃口を上げろ。
単発の拳銃は必殺の意思。
さあ、撃鉄を上げろ。
己を弾頭として装填。
今この時、この身は引鉄を引くだけの存在となる。
――ざわざわざわ・・・
――ケケけケヶケ・・・
――キャハハハッ・・・
――$)TQf#%"#sc・・・
起床。AM04:00
いつも通り最悪を通り越して三周してやっぱり最悪な・・・つまり最悪の3倍最悪な気分で目を覚ます。
いつも通り状況を確認するまでもなくするりとベットから抜け出した。
特にそのまますることもないので、まだ風の冷たい街へと繰り出す。
未だ薄暗い住宅街、周りに"人影"は存在しない。
閑散とした商店街、ざわざわとした悪寒を振り払い、歩を進める。
そこら中を動き回る障害物を無意識下で避けながら、歩を進める。
もはや慣れたものだ。
ここは北米大陸に存在する簡素な地方の町だ。
初めて訪れるため、こうして辺りを探索している。
意味などどこにもないかもしれないが、こうすることによって後々何かが助かるかもしれない。
歩いている内に空が明るくなっていく。
しかし酷い臭いだ。
甘く切なく苛立ち苦く、目を疑うほど可憐で吐き出すほどにおぞましい。
森の草花をすべて集め森の動物をすべて捕まえ、砕き磨り潰し混ぜ合わせて一週間煮たせ凝縮すればこんな臭いにもなるだろうか。
それは芳しくも忌まわしく、可憐な華を咲かせつつも蟲を誘う食虫植物をなぜか連想した。
無駄な思考だった。
思考を切り替える。
こんな中途半端に発展し中途半端に静かで、特に見るようなものも無い町に訪れた理由を思い出していた。
10月21日
区画整備中の一画に人工物が発見される。
おおよそ1万2千年前の地層から発見されたそれは、亜人・・・様々なおぞましい獣たちが二足歩行で何かをしていることを描いた何かだった。その何かは今一よくわかっていない。それは金属のようで石器のようで土器のような材質で形作られた板だった。何かを運んでいるようで、何かから逃げているようだ。最も、それは欠けてしまっていて実際にどういう情景であったのかはわかっていない。
11月10日
出土したそれが発見された近くで遺跡が発見された。
両開きの門の形をしたそれは、同じく1万2千年前の地層から発見され、その門はどうやら地下深くに続いているらしい。その門は、見れば見るほどに遠近感や平行感覚を無視した何らかの図形が幾度となく重ね合わせるように刻印され、まるで扉を厳重に封印しているかのようにも見えた。
区画整備は中止され、件の遺跡の調査がされることになる。
その調査開始がこの日、11月31日であり、こんな辺鄙な町に訪れた理由である。
カツンと、硬底のブーツが路面を鳴らした。
それにしても酷い臭いだと思った。
何度でも思う。この町の人間はよくもまあこんな臭いの中で暮らせるものだとも。
一時は思考から削除したその思いも、実際にこの強烈な臭気の中にいては蘇るのも無理はない。
朝食前でよかった。もしかしたら、食べたものをすべて吐き出してしまっていたかもしれない。
益体もなくそんなことを考え、足を踏み出す。
「!!・・・っ」
思わず、目を見開いた。
「おはようございます。見知らぬお方」
果たして、そこには人がいた。
まだ早朝とはいえ、確かに人がいないなんてことはありえない。ならばこそ、たまたまここに人がいたとしても不思議ではない。
そう、疑問を、驚愕を感じたのはそこではないのだ。
先程までうっとうしいほどに感じていた臭気がいきなり消えたのだ。
「あ、ああ、おはよう・・・早いんだな。この時間に人に会うとは思っていなかった」
内心の驚愕をひた隠しにしながら彼に返した。
「日課ですよ。ここはお気に入りの場所なんです」
素早く、しかし不自然にならないように辺りを見回す。
「ああ、確かにいい場所だ」
淀んでいる。
この場所が、地が、空気が、まるで周囲から無風状態を保っている。本来なら淀んだ空間は胸糞悪くなるような空気を発するであろうが、今は逆に腐りきった周囲の空間から切り離されている。
「ええ、不思議とこの場所は落ち着くんです」
なるほど、こんな気味の悪い町においても、やはりそれを敏感に感じることができる者はいるらしい。
「ところで貴方は何方です?あの遺跡関係の人でしょうか?」
「ええ、大変珍しい遺跡が発見されたということで、わざわざニュージャージーからやってきました」
「ニュージャージー!ここから1000マイルも離れた場所から?」
「まあ、長旅でしたが世紀の大発見ともなれば何ともありませんよ」
「それはなんとも、ようやくこの町にも名物ができたというものです」
「ははは、おかげで私もこうして出張ってきている」
彼とはそうしてしばし会話をした後別れた。
日が昇る。
遺跡調査の一日が始まったのだ。
「・・・何事もなければいいが」
『ご覧ください。これこそが先日発掘された遺跡です。なんと1万年前の地層から発掘された、明らかなる異物。この地に存在した古代人は何を目的として、そしてどのようにしてこの遺跡を作ったのか・・・その一端が今解明されようとしています。本日10:00に遺跡の入口の封印が解かれます。今はまだ名も知られぬ古代人たちは我々に何を伝えてくれるのでしょうか。私は今、この世紀の大発見に立ち会えたことを感謝しています。現場からエリザベス・マッカートニーがお送りしました』
そこには人が集まっていた。
まるでこの街の住人を一挙に集めたような大群。
煌めくフラッシュ、そして同じくエリザベスたちのように報道するためカメラを回しこの光景を撮影する。
もしも、世界の中心というものが存在するなら、間違いなくこの町、この場所こそが今日この日、世界の中心であるのだろう。
「ああ、もう。見てミリア。すごい人ね」
「ええ、そうね。私たちだけじゃない。ここにいる人たちが皆、あの遺跡に引き寄せられて来たの・・・まるで誘蛾灯に群がる虫のように」
「あら、そうだとしたら、群がった私たちはどうなるのかしら?」
「さあ?扉を開けてみればわかるわ。エジプトのファラオの墓を暴いたように」
「あら、ツタンカーメン?ミリアリア・アーズベールは迷信深いのね」
「そういうわけじゃないわエルザ。ただ、世の中には理解できないこと、理解してはいけないことも存在するということよ」
「分からないわ。あなたはなにをいっているの?」
「実は私自身もわからないのよエルザ」
ミリアリアは肩をすくめると、下していた撮影用のカメラを担ぎなおした。
「ごらんなさい。動きがあったみたいよ」
「あら、扉を開ける準備をしているみたいね」
「ONIが出るかJAが出るかね」
「?何それ」
「日本のことわざよ。意味は忘れたけど」
「ふふ、意味ないじゃない」
「そうね」
遺跡調査の居ると思しき人たちは遺跡の前で何かをしていた。専門家でない二人にはよくわからないが、扉を調べるなり、凝り固まった扉を開封する準備を始めているのだろう。
「それにしても暇ね。世紀の大発見といったって、待ち時間はいつもと変わらないものなのかしら」
「仕方ないわ。いつだって時間は平等に流れていく。もっとも、私たちが撮った映像が流れる時間はフェアじゃないけどね」
「はいはい、だからより良い時間を過ごした方が評価されるのね」
「・・・セリフとらないでくれる?」
エリザベスは、このちょっと電波が入りつつも真面目で微妙に理屈っぽいくせに実は全然そうじゃないカメラマンの友人が大好きだった。
その友人の憮然とした表情に、覚えず笑みを浮かべた。
「まったく・・・まあいいわ。そろそろ準備して。Standby. Ready?」
「待って・・・OK」
周囲でもスタッフたちが生中継の準備を進めている。
エルザは素早く手鏡を覗き込み身支度を整えた。
ミリアリアは苦笑してカメラの覗き窓を覗き込む。
調査現場だけでなく、この野次馬マスコミを合わせた人ごみも一度とっておこうと、そのレンズを外側に向け・・・
「・・・うそ」
「こんにちわ」
「こんにちわ」
ミリアリア・アーズベールはあの日、終焉を迎えた。
終焉と言っても、相対的なものではない。単に客観的な観測に従わず、あくまでも彼女自身の主観において自身が終焉を迎えた。
だからこそ、今現在のミリアリア・アーズベールは他人からの観測においてあたかも十全に存在しているように見える。しかし、自分自身で今現在の彼女はかつて終焉を迎える前のミリアリア・アーズベールの残滓にすぎないと自覚していた。
彼女の出身は、アメリカ東海岸に存在する小さな漁村であった。
今はすでに名前すら存在しない、小さな村でしかなかった。
「例えば、人間は森を切り開き、山を削り取り、海を越え文明を発達させてきた。いや、別にそれが悪いと言っているわけではないが、その行為の裏側に常に損害を受けているモノが存在している。森を切り開けば獣たちが住処を追われ、山を削れば鳥たちが姿を消す。人間が海を行くようになれば魚たちも被害を受けた。その行為自体にはまったく善悪は存在しない。しかし、彼らにとっては別だ。まぎれもなく、彼らにとって人間という存在は害悪でしかなく、どこまでいっても邪悪でしかない。・・・え?善悪はないのではないかって?当然だ。所詮善悪は相対的な見方にすぎないのだから。兎も角、人間は彼らから住処を奪った。もしかしたら肉のために刈ったかもしれないし、場所を奪っただけかもしれない。人間は彼らから"奪う"ことで利益を受け、彼らはその割りを喰った。恥じる必要はない。それは人間にとって当然の行為であるし、世の中には普遍的に行われている事柄にすぎたない。
だが、こんなことを考えたことはないだろうか。
人間が彼らから住処を奪ったのと同様に、人間から何かを奪う存在がいるのではないか、と。
何か、そう、何かだ。もしかしたら人間が居住するこの空間かもしれないし、人間が持つ技術・文化かもしれない。時には人間が存在した時間や歴史だって狙われているかもしれない」
「あら、あなたはエイリアンがそこら辺にいるとでも言うのかしら?」
「エイリアン・・・エイリアン(異邦人)ね。だが本質的に正しくない。あえて言うならインベーダー(侵略者)が正しい。なぜならば彼らはもとからそこに居るのだし、たまたま必要になったから、たまたま興に乗ったから侵略を開始したに過ぎない。何かに興味を持ったか、必要に駆られてか、まあ、どちらにしろ人間から見たらひどく邪悪な存在が普遍的に当然で人間にとって絶対的な邪悪なことをやっているに過ぎないけど」
それは肩をすくめた。少々オーバーすぎるくらいに。
「どうやってなんか聞いちゃダメ。存在自体が違うから。例えば時間の狭間に住まうものからしてみれば、人間が森の木々を刈るように、人間の歴史を奪い去るのなんて簡単なことなのだから。そして、それは彼らにとって当然の行為なの。どこまでも普通で、どこまでも人間にとっては邪悪な行為よ」
「何を言っているのかわからないわ。あなたは自然保護団体の人なのかしら」
「わからないの、ミリアリア?それとも認めたくないの?」
そう、ミリアリアは考えることを放棄していた。
鼻孔を擽る、酷く吐き気がする海を凝縮したような生臭い臭い。まるで次元を錯覚するほど間違った抉れた角度が彼女の瘴気を奪う。
仲の良かった愛犬のジョンは粘液にまみれ1万の眼を持つ名状しがたい触手にまみれた球体に変じ、いつもよくしてくれていた隣のおばさんは限界以上にまぶたを開き、眼球を露出し、落とし、しゅうしゅうとよくわからない毒霧のようなものを吐き出して徘徊している。辺りにはまるで魚のような顔をして酸の涎を垂れ流し、辺りを溶かしまくっている人型がいた。
「まあいいわ。いつまでも"独り言"を言ってもしょうがないもの。ミリアリア、あなたの"存在"は私が貰うわ」
それは言った。
ミリアリアの顔で、ミリアリアの姿で、ミリアリアの声で。
ミリアリアという存在から奪った全てで、ミリアリアという仮定の残滓に向かっての独り言だった。
それからのことはよく覚えていない。
イメージに残るのは強烈なマズルフラッシュ。幾度も名状しがたい角度で折れ曲がり屈折しつつも直進する弾丸。
気づいた時にはすべてが終わっていた。
何かに手を引かれ・・・何か・・・男、少年。そう、おそらく少年に手を引かれて時間すら歪曲する中で永遠と一瞬だけ走った。
気づいた時には終わっていた。
ようやく回復した意識は、ミリアリアが波の打ち寄せる断崖の先に突っ立っているのを知覚した。まるで先程のことはすべて幻だったかのように消えてしまった。
しかし、その幻は重大な存在とともに消えた。
今のミリアリアは奪いつくされ損ねた、辛うじてほんの少し残っている残滓にすぎず、そしてミリアリアの故郷の漁村は地図から消えた。
そう、そんな漁村などどこにもなかった。どの地図を探しても、新聞も、人の記憶からも、そして物理的にその漁村という存在は土地ごと存在しなかった。無かったことになっていた。奪われたのだ。
「ミリア?・・・ミリア!どうしたのよ!?」
揺さぶられて意識が回帰した。
「エルザ・・・?」
気づくと、周りに人があふれていた。正面にはエルザ、肩に構えていた数千ドルするカメラを落としてしまっている。ちなみにそのカメラは、同じクルーのカメラマンが様子を見ていた。
漸く、遺跡が発掘された現場で、予定ではすぐに扉を開封することになっていたのを思い出した。
フラッシュバック。
手を引く少年、顔は覚えていない。だが、確かに先程彼はそこにいた。
進む開封作業。かの扉の封を慎重に焼切り、今にも封印が解かれようとしている。
そして先程までは気づかなかった強烈な異臭。
「だめ・・・」
「ミリア、大丈夫?先に休んで・・・」
「逃げてエルザ!!」
「え?」
しかし遅かった。
扉の封が焼切られた瞬間、あの石扉は爆発的に内側に開いた。
強烈な異臭がさらに強まった。まるで官能的で蠱惑的で残酷で容赦なく誘うように強烈な甘く吐き気がする強大な邪悪の臭気だった。
ドクンと、存在しない心臓が鳴る。仮初めの血液が沸騰する。
なぜ気づかなかった。なぜ疑問を持たなかった。なぜこの仕事を引き受けた。なぜこの場所に来た!なぜ、なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ、なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ!!!!
この強烈な臭気が思考を阻害する。
自分の脳髄なんて存在しないことを思い出し、麻痺しつつある思考を無理やり保った。
まだ遅くはない。まだ。まだ、開かれただけだ。ここから早く逃げなければ――。
「エルザ、逃げるわよ!」
強烈な頭痛がする頭を抱え、友人の名を呼ぶ。
しかし返事は帰ってこなかった。
ざっと、周囲の人間がまるで一個の生物のように一斉に足を踏み出した。あの遺跡の入り口に向かって。
「エルザ・・・?」
ミリアリアは友人を見る。そこに、正気は存在しなかった。
エリザベスだけでない。周囲の人々はみな正気を失い、一瞬ののちに遺跡へ我先にと殺到する。
「エルザ!エリザベス!!正気に戻りなさい!エルザ!!」
とっさに伸ばした腕は、果たしてその先に居る友人に触れることなく。
エリザベスは何ら一切反応を見せずに人ごみの中に消えた。
この時逃げれば、もしかしたらミリアリアは助かったかもしれない。
しかし、しかしだ。彼女はこう思った。
所詮この身は残留して世界にへばりついている欠片にすぎない。どうせいつ消えても不思議でない身ならばこの存在を友人のために使おうと。
故にミリアリアは、この人ごみの中に足を踏み込んだ。
その遺跡の中は如何とも形容しがたかった。
一直線に地下に降りていくだけの階段はしかし、外見からは想像できないほど広く、真っ直ぐなはずなのに壁や天井や床に挟まれ遠く先を見通すことができない。壁には円錐が4次元的に内側に捻じれていたり、どこまでもいびつな直線が歪みどこにもつながっていないようで実は始点に戻ってきていたし、まるでユークリッド的な説明が不可能な図形がびっしりと刻まれていた。
ミリアリアはそんな景色を見、がんがんと頭が鳴り、自分すら見失いそうになりながら人の波をかき分け、友人の姿を探していた。
やがて階段は途切れ、広い空間に出た。
体育館ほどの広さがあったかもしれないし、安アパートの小部屋ほどしかなかったかもしれない。
広さは兎も角として、そこには石柱が何らかの、人間には絶対に理解できないアルゴリズムで立ち並び、道が奥へ奥へと続いている。
そしてここに来てようやく、本当にギリギリのタイミングで友人の姿を見つけることができた。
ミリアリアは友人の姿を見つけるや否や、全力を持ってその友人の頭に殴りかかった。
全力と言っても所詮は女の細腕の威力。吹き飛ばすには至らず、しかし同じく女の細身を倒すには十分な威力を持っていた。
「はやく正気に戻りなさい!」
本当にギリギリのタイミングだった。
ここに来て周囲の人々には変化が訪れているのだ。
あるものの顔は雄牛へと変じ、ある者は体が幾万の蛇へと変じ共食いをして巨大になるそばから分裂する。ある者はギンギンに目を光らせ、人間の喉では発することのできない音波を発しながら暴れまわり、ある者は子供を産み子供を孕ませ子供を食らい、子供に喰らわれていた。
エリザベスは幸いなことに人間の姿を保っていた。
人間でいる間に正気に戻さなければと思いっきり殴りかかった。
なぐり続けると、やがてまるで亡霊のようだった瞳に意思の光が戻り始めた。
「エルザ・・・?気づいたら答えて!」
「ミ・・・リア?・・・」
「そうよ私よ!意志を強く持って!呑まれちゃダメ。早くここから逃げるの!!」
「逃げ・る?」
そのとき、ずずずと、この場所が揺れた。
何らかの理解しがたい、理解しえないパターンで並べられた石柱がそれぞれ振動を放っている。
そして"ソレ"が表れた。
ありとあらゆる嫌悪を集めたような、ありとあらゆる邪悪を煮詰めたような姿をしていた。
それは鳥に似ていた。翼をもつという意味なら。
それは獣に似ていた。牙をもつという意味なら。
それは魚に似ていた。鰓をもつという意味なら。
それは樹に似ていた。根をもつという意味なら。
それは人に似ていた。意思をもつという意味ならばだが。
ありとあらゆる生物(なまもの)を集めたように醜悪で巨大で、やはり醜悪だった。
ずずっと、それが動く。
あらゆる腕が触手が足が翼が、集まってきたつい先ほどまで人間だったものを捕食する。
そのありとあらゆる身を使って、折り砕き磨り潰し全身あらゆる部位を使って捕食している。
「ヒッ・・・」
悲鳴を上げようとするエリザベスの口をふさぐ。
「静かに、逃げるわよ」
エリザベスはカクカクと首を縦に振る。ミリアは彼女を支えて出口に向かった。
怪物がわずかに動くたびに、幾人もの人?が喰われていく。
後ろで、ほら後ろで、すぐ後ろで、音が、折り砕き磨り潰し啜る音が、音が音が音がおとおとおとおとおとおとおとととととおおとと。
背筋を撫でる圧倒的な死の感覚にミリアリアは振り返ろうとした。
「振り返るな!!」
男の声だった。
少年から抜け出した、わずかに抜け出した男の声。
どこかで聞いたようなその声にミリアリアは振り返らずに済んだ。狂気にのまれずに済んだ。
あの時のことはよく覚えていない。顔も。
だがそこにいる彼は確かに。
「全力で、走れ!」
「行くわよエルザ!」
女二人が後ろを振り返らずに走る。
もしも、走らなければ、化け物が伸ばした蝕腕が二人を貫いていたことだろう。
ソレは、食事を逃したことに不満を表し、二人を追おうとする。
「残念だが、ここからは一方通行だ」
ソレと女性二人の間に男が立っている。
黒髪を伸ばし右目を隠している。しかしその髪の隙間かららんらんと輝く真紅の光が漏れ出していた。
ソレは考えた。
なぜ邪魔をするのか。なぜ邪魔をできるのか。この圧倒的虫けらにも劣る存在になぜ足を止めねばならないのか。
「帰れ、ここは貴様の在るべき世界ではない!」
男は右腕を上げる。
その手には拳銃が握られていた。
少々古びた拳銃である。時珍しい単発式の拳銃だった。
そんなもので何ができるのか。
いくら銃が、人間の生み出した力ある武器とはいえ、その存在に対してあまりにも非力すぎた。
その弾丸が当たったとしても、その存在には何一つ、傷一つ付けえることができないだろう。
だが、彼は構えた。
その醜悪で邪悪な存在に真っ直ぐに銃口を向けた。
この銃は単発式、すなわち二発目はない。この銃を使うことは、彼にとっての必殺の意思。
弾倉は空っぽである。しかし、火薬式の弾丸がどれほどの効果があるか。ならばなかったところで問題はない。
ガキリと撃鉄を上げる
弾倉に己自身をこめ
目前の敵に照準を合わせ
その身をこの一撃の発射装置と化す
巨大な触手が彼を磨り潰そうと迫る。
「帰れと、言っているだろう!!」
そして彼は、引き金を引いた。
そして弾丸が放たれる。
放たれた弾丸は直進するしかできない。それはありえない角度、認識できないおぞましい角度、射線を屈折させ歪曲し次元を飛び越え、化け物の急所を目指し、最短距離を直進した。
直進が、直線をたどるという意味なら間違いなく直進である。間違いなく直進した。
直線が、2点を結ぶ最短経路という意味なら、弾丸がたどった道筋は間違いなく直線である。
例え3次元にありえない角度で屈折し歪曲し周回し飛び越えようとも、間違いなく彼と化け物の急所の間の最短距離を結ぶなら、間違いなく直線なのだ。
化け物は悲鳴を上げた。
本来銃弾程度では何ら痛痒を感じない存在がである。
本来ありえない経緯をたどった弾丸に急所を撃ち抜かれ、暴れまわる。それに先程まで人だった異形の人影が巻き込まれて血霧となった。
彼は、男は、確かに自らの弾丸が化け物の急所を抉ったのを見届けると、躊躇いなく反転、出口へと向かって駆け出した。
後に残るのは、ありえないダメージを受けた化け物が遺跡の奥へと後退する姿と、閉じ行く世界の歪みだった。
どうやら化け物は逃げ帰ったらしい。
助かったと、男は思った。
手に持つのは単発の拳銃。別に単発式である必要はないが、どちらにしろ1発しか放てないというのなら大して意味はない。
もしも、今の一撃で何ともならなかったら男には打つ手はなかった。
だから逃げるのだ。一刻も早く、太陽のもとへ。
鍛え抜かれた男が駆ける途中、どこまでも続く階段を上る途中、二人の女性の背に追いついた。
さすがに先に走り出しとはいえ、鍛えた男の足には追いつかれる程度らしい。
男は無言で二人の手を引き、平行感覚だか正気だかなんやらを削る壁のない遺跡の外へ飛び出した。
「・・・最悪だ」
息も絶え絶えの女達。
舌打ちする男。
異常な世界から脱出した先は、以上だった。
まるで鮮血をぶちまけたような世界。
吐き気のする強烈な甘い臭気。
建物はまるで肉のようなものと化し、血管が常にうごめいている。
どうやら、扉があいて大して時間もたっていないのに十分影響を受けているらしい。いや、もしかしたら遺跡の中とこの外は時間の流れが違ったのかもしれない。
どちらにしろ、おそらくもう、この地はだめだろうが。
「まだ走れるか?」
「ええ・・・助かるのならどこまででも」
「よろしい。なら来い!」
そうして男は再び手を引いた。
ミリアリアは走りながらその手を見つめる。
同じだ。あの時と。
あの時、間に合わなかったとはいえ、彼に助けられた。
今はこうして友人と二人助けられている。
気づけば、とある街角へやってきていた。
不思議と、周りは肉壁だらけなのにここだけ変化が薄い気がする。
しかし、ミリアリアは、先程の肉壁だらけの光景より、むしろあの遺跡の中にいるような感覚に陥った。
「おや?今朝方ぶりですね。どうしました?」
「どうもしない、お前も早く逃げた方がいい?」
「?」
ミリアリアは、彼が何を言っているのかわからなかった。
エリザベスは息も絶え絶えであるが、何か思うことがあるのかミリアリアに身を寄せた。
「どうしたも何も、周りのこれが見えないのか?」
「はてさて、何のことでしょうか?」
「あ、あの!」
ミリアリアは男に声をかけた。
そこで彼の名前を知らないと気付いたが、今はそれどころではないと思い直して口を開く。
「一人で、何を言っているんですか?」
「っっ!!」
男は跳ねるように、彼女たちを"何か"から庇うように移動した。
ジェケットの内ポケットから単発式の拳銃を取り出し、構える。
「お前は、なんだ!?」
「失礼ですね」
エリザベスの体がびくりとはねた。
「私はいつも、いつでもここにいる。あなたのそばに。貴方が生まれた瞬間から。貴方が浚われ、置き忘れた眼はいったいどこからその風景を映し出しているんでしょうね」
「お前は、まさか・・・!」
「まあ、あなたは覚えていないでしょうね。なにせ18年ぶり。私にとっては瞬き程の時間だったとはいえ、人間であるあなたにはなかなか長い時間だったのでしょうか」
ミリアリアにもエリザベスにも彼らが何のことを話しているのかはわからない。おそらく何かしらの因縁があるのだろう。
男は歯をギシリと鳴らした。
「私が何者か。それはあなたのご両親に追い払われた妖精。いつもあなたのそばにいた観察者。誰でもない誰かの影。でもあえてこう名乗りましょう。私はあなたです」
男はようやく気づいた。
男の前にいるその何かは、男自身の姿をしていると。
男は衝動に駆られて撃鉄を上げる。
「銃ですか。しっていますか?貴方は先程ちょうど1000回目の弾丸を放ったのですよ」
弾倉に己自身を込める。
単発式の拳銃は必殺の意思。
「素晴らしい能力です。自分の魂を弾丸と化して敵の急所を最短距離で撃ち抜く能力」
「だ・ま・れ・・・!!!」
「惜しむらくは攻撃力がないことでしょうか。どれだけ確実に急所に必中させたとしても、それでは化け物を打ち倒すには至らない。せいぜいがダメージを与えて追い返す程度。しかも魂を削るために連続して使えないときた」
まるで、すべてを知っているかのような。いや、事実知っているのだろう。ソレは男のことを誰よりも熟知していた。
「撃ってみますか?私はその程度では死にませんけどね」
嘲笑。
ソレが浮かべた嘲笑に、思わず引き金に指をあてる。
例え打ち倒せなくとも、ダメージを与えることはできる。
そう、その減らず口を閉じさせることができる。
それは、酷く魅力的に思えた。
「だめよっ!!」
男の後ろから聞こえたエリザベスの声。
だが男の指に力が入り、拳銃の引き金を引いた。
マズルフラッシュ、そして銃声。
男の拳銃から放たれた弾丸は軌道を婉曲し歪曲し折れ曲がり屈折して、目の前の存在の弱点に直進した。
バタリ、と体が倒れた。
「これが人知れず千度人々を守った弾丸。やはり素晴らしい」
その存在は先程と同じように口を開いた。
「敵の急所を最短で撃ち貫く。しかし私は予め言いましたよ。私はあなただと」
カツンと、空中で手放された拳銃が落下した。
男は、自らが放った弾丸に心臓を貫かれ、自らの血液で作った池に沈んだ。
「私はあなた。ならばあなたの弱点は私の弱点でもある。もっとも、その程度の攻撃力では私を打ち倒すことはできないとも言ったはずですが・・・」
男が放った銃弾は、銃口と弱点の直線を貫く。
男の放った弾丸は、本来ありえない角度を描きながら、最も近くにあった弱点、男自身の心臓を打ち貫いた。
「ですが安心してください。その攻撃力のなさは私が補います。私はあなた、あなたは私。なればこそ、貴方の存在はありがたく私がいただきます」
そしてソレは消えた。
その代わりに男が立ち上がる。心臓に穴が開いたままに。穏やかな/冒涜的な笑みを浮かべてゆらりと立ち上がった。
ミリアリアとエリザベスは、じりっと後ろへ下がった。
「それにしても、千度人々を救った英雄は、千一度目にして自らの弾丸に斃れる・・・なかなか素晴らしい英雄譚だとは思いませんか、お嬢さん方」
それは違った。何かが違った。
例え同じ姿、同じ表情、同じ行動をとったとしても絶対にどこか決定的に違う。
ソレは、その男は、すでに邪悪な何かだった。
「おやおや、怖がらせてしまいましたね。しかし、私は何もしませんよ。私は」
男は女性・・・エリザベスの方へ踏み出した。
覚えずミリアリアがそれを庇う。
「ふむ、普通の人間かと思ったのですが、どうやらあそこへ行った拍子に新たな感覚が目覚めたようですね」
「黙れ、エルザに話しかけるな、化け物」
「あなたも、所詮はこの世界にこびり付いた亡霊にすぎないのに、よくやる。まあいいでしょう。私の用はすみました。では、また会いましょうMyLittleLady」
男が立ち去る。
途端に普通に見えていたこの一角は気味の悪い肉壁へと変じていった。
助かったのかと、ミリアリアは思った。
「いやぁっっ!!」
聞こえた悲鳴にミリアリアは振り向く。
そこには、邪悪な気配を宿したエリザベスがうずくまっていた。
そして、エリザベスの中で何かが胎動する。
――結局彼のことは何も知らなかった。
あの邪悪な存在とどんな関係があり、彼は何の目的で邪悪と戦っていたのか、名前すらも知らないで彼は逝ってしまった。
あの後、私はエルザを連れてその地を離れた。
その後は知らない。
ただ一つ言えることは、しょっちゅう買って部屋にある全ての地図から、あの町が消えてしまったことだ。もちろん物理的にも存在しない。どこか歪に、だけど当然に、そこには何もなかった。残念ながらカメラはあの町においてきてしまったし、証拠はどこにもない。それどころかあの町の名前すら私は覚えていない。ついでにあそこへともに行ったクルーたちも消えた。それこそ人々の記憶からも。
もし、証拠と言えるものがあるとするならば、それはエルザにあたるだろう。
最悪なことに、彼女の中には邪悪な存在が息づいていた。
あれからエルザは鏡を見たことがない。
私にはわからないが、なんでも鏡の中にもう一人の自分がいて、邪悪な笑みを浮かべているそうだ。
おかげで私も彼女に付き合って鏡のない生活をすることになった。
あの町はもうない。しかしエルザのことは何も解決していない。そして、わたしはあまりにも無知で、非力だった。
私は残滓である。私はかつて一度終焉を迎え、私という残りカス、食べかすが彼に助けられ、まるで亡霊のようにこの世界に存在している。
だが、それも限界らしい。
自分でわかる。私はこの世界に存在するための何かが決定的に足りていない。
遠からず私は消えるだろう。事実、最近はぼおっとすることが多いし、よく見れば手がすけていたりする。
本来あの時死んでいることを考えれば十分生きたのだろう。
だが、ただ一つ。
親友のエルザ――エリザベス・マッカートニーの行く末を見ることができないのが、助けることができなくなるのがひどく残念である。
――誰も住んでいなかったはずのアパートに存在した日誌より――
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狂気が足りない。
これから、エリザベスの物語が始まりません。
ついでに名前も出てこなかった彼の過去話も始まりません。
設定だけはありますけど、ぶっちゃけ暇もそうないのに何でこんなの書いたんだろう。