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[20672] 【習作】 銀の月とお姫さま
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/08/04 13:11
 銀の月とお姫さま 「女神の剣 -Sword of Cordelia-」

 新大陸暦1028年――冥界の女神アンゲローナが支配する銀の月。
 月はその名の通り突如、銀色に輝いた。
 それに続いて、ノエル王国アルル地方、カーライル村近くの森にほんの少数の魔物が落ちてきた。
 魔物達は連絡を受けたアデリーヌの騎兵隊によって退治されたが……カーライル村は壊滅。
 ……これが始まり。
 毎日のように落ちてくる魔物の数は増え続け、世界は困惑しその対処に追われ続けていく。
 それまで世界に存在していた魔物達とは違い。喰うわけではなく。生活を営むわけでもない。
 ただただ人を殺すためだけに活動する魔物。
 それはまさに人類の天敵とも呼べる存在であった。
 ノエル王国はここで食い止めようと古都アデリーヌに防衛拠点を作り、街全体が要塞と化した。
 それから15年が過ぎ、日増しに増える魔物達に世界は滅亡の淵にさらされている。
 1500年前に現れた初代女帝も、500年前に現れたローデシアの聖女もすでに伝説の彼方。

 ――しかし伝説はいう。ローデシアが危機に瀕したとき、彼女らは生まれ来ると……。

 この世界の真の支配者。この世界の守護者。この世界の救世主。初代女帝。聖女。
 この世界に生まれた者なら幼い頃に聞いてきた伝説。
 伝説は形を変え、姿を変え、囁かれ続ける。それは祈りにも似て……待ち焦がれる。
 この世界が滅亡へと向かう時、現れるという。――ローデシアの女神達。

 魔物達との戦いが続く中、ローデシアの救世主を待ち望みながら、人々は今も戦い続けている。



 第1話 「ルリタニアのお姫さま 女神の神聖魔法」




 4月、萌葱の月。第1週3日。ルリタニア王国首都ファブリス――レティシア宮殿。
 宮殿の中は金銀で彩られ、廊下の壁には細かな細工を施されたレリーフが彫られていた。魔法の光に照らされたステンドガラスが複雑な模様を床に投げかけている。
 国王オイゲン・ルリタニアは宮殿の庭園からヘンルーダの森に向かって行進していく国防軍第3装甲擲弾兵連隊を見つめている。その中には今年15歳になるルリタニア王国王女である亜衣・ルリタニアの乗る列車が彼らに守られるようにして進んでいた。陽光を反射し輝く『鉄の兵士』と呼称される人型装甲騎兵の姿も見える。全長300cm。500kgを超す重量。魔物達との戦いにおいて前線で戦う彼ら人型装甲騎兵は、魔法力を源にして動いている。機体の周りに展開する魔方陣は防御のみならず移動や攻撃にも転用され、前線で活躍していた。亜衣・ルリタニア王女を守るためにこれだけの兵力が護衛につく。
 いかに国王が親バカで有名とはいえこれほど大袈裟な護衛になってしまったのだから眉を顰める者も多かったが、王女にはファンも多く。王女を危険に晒すのに対して眉を顰める者もまた多かった。その結果、妥協点として建前上、彼ら国防軍第3装甲擲弾兵連隊は交代人員としてヘンルーダの森に向かう事となっている。

「娘達はドラゴンを動かす事ができるだろうか?」
「大丈夫。亜衣王女殿下はドラゴン達に気に入られておりますから、王女殿下のお願いならば、ドラゴン達も聞いてくれるでしょう」
「そうだと良いのだが……」

 国王の呟きにアドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵が答えた。ターレンハイム侯爵家はルリタニア王国でも最大規模の大貴族である。ルリタニアのみならず、各国の金融を支配するその財力はローデシア大陸全土でも有数の財閥でもあった。
 そしてターレンハイム侯爵家はこの戦いにいち早く旗幟を鮮明にしたルリタニア王国を支え続けている。アドルフは再び走りゆく列車に眼を向けた。列車の中には娘のエリザベートも乗っていた。心配なのは侯爵も同じである。
 しかし当の本人たちはと言えば……。

「う~ん。大袈裟だよねー」
「まあ、しゃあないわ」

 と、ヘンルーダの森から使者としてファブリスに来ていたエルフのマルグレットと顔を見合わせて話をしている。王族専用車内の片隅では16才のエリザベート・フォン・ターレンハイムがふっくらとした椅子にもたれて木製のテーブルに片肘をつき、戦術指南書を読みふけっている。ときおり長く光沢のあるゴールデンブロンドの金髪をうるさそうにかき上げていた。その横で小人族の錬金術師兼魔力の塔の管理者のアルシアがテーブルの上に置かれているクッキーを貪り食べている。
 彼女らは……後もう1人いるが、亜衣王女殿下に付けられた護衛兼親衛隊である。亜衣がヘンルーダの森に向かう事が決まった時にルリタニア王国内の各勢力がそれぞれ派遣してきた。アルシアは西の塔の隣に世界に溢れる魔力を集める魔力の塔を設計、設置したコーデリアの子孫であり、現在は魔力の塔を管理しているブラウンシュヴァイク侯爵家から派遣されている。

「いりませんわ」

 エリザベートに食べさせようとして顔を背けられている。エリザベートの形のいい眉が微かに顰められ、伏せていた眼を上げる。
 あっ、睨まれた。あ~あ、アルシアも懲りないんだから……。でも美人が怒ると怖いっていうのは本当だよね。亜衣は苦笑いを浮かべてその様子を見ている。

「あーもう! アルシアさん。いい加減になさってくれませんこと!」
「いや、これはおいしいのじゃ」

 アルシアは小人族特有の小柄な体で踊るように騒ぐ。亜麻色の短い髪が動作にあわせて揺れ動いていた。

「それは分かりますわ。でもわたくしはいらないと、申し上げているでしょう。それが分かりませんこと?」
「無理なダイエットは体の毒なのじゃ」

 アルシアは踊っている。西の塔の白い制服がひらひら動く。

「ダイエットなんてしてませんわ~!」
「嘘じゃ! ダイエットをしていない女はおらんのじゃ! のう。亜衣」

 急に話を振られて亜衣はビクッとする。

「え、えーと」
「どうなのじゃ?」
「だ、だいえっとはたいへんだよね?」
「なぜ、そこで疑問系なのじゃ?」

 アルシアは首を捻って不思議そうな表情を浮かべた。亜衣はあはは、と笑って誤魔化した。

「うちもダイエットはしてへんで」
「エルフは関係ないのじゃ!」
「そうですわ。いいですわねー。ダイエットしなくてもいい種族は!」

 アルシアとエリザベートの両名が立ち上がって吼えた!
 しかし、ハッと何かに気づいたような表情を浮かべ、顔を向き合わせ頷きあう。それからくるりと向きを変え、亜衣に詰め寄る。

「このつるぺたエルフは、確かうちも、と申しましたわ……」
「つるぺたで悪かったな~」

 緑がかったプールブロンドの髪を弄りつつマルグレットが言うのを軽く無視してアルシアがぺたぺた亜衣の胸や腰に触れていく。さらさらの長い黒髪。薄い肩。細い腰。小さなお尻。全体的に細い。それなのに、ああそれなのに……胸だけは人並み以上にある。アルシアの眉がピクッと跳ねた。
 
「確かにそう言うたのじゃ。もしや――」
「あ、あはははは」
「王女殿下?」

 エリザベートの声が低く呟かれる。それと同時にアルシアも眼が鋭い光を放ち細められた。

「亜衣。お主……ダイエットしとらんのではないのか? いや、まさかそのような事があろうはずなかろうな~。うん?」
「あははははは」
「やっぱり! してないんじゃな。そうなのじゃな。おのれー」

 アルシアは両手を振り回して、亜衣の細い腰を掴む。エリザベートもまた、亜衣の太ももをぎゅっと掴んだ。

「まあまあ、細いですわー」
「おのれ。細い腰をしよってからに」
「許せませんわ」
「許せぬのじゃ」

 ぶーぶー文句を言う2人に向かって亜衣が「あんまり食べられないんだから仕方ないの……」と言った。
 そう。亜衣は小食である。王宮での晩餐会においても他の招待客とは別に、量を減らした料理が出される。それでさえ、残さないように無理に詰め込んでいるほどだ。従って細いのは亜衣の言うとおり仕方がない。と言える。
 しかしそんな事はダイエットに苦しんでいる女性の前では何ら効果はないらしい。ぐにぐにと亜衣の腰や腕を摘む。王女に対する敬意など微塵も感じられないような光景であった。
 列車の後部ドアが開いて、整備用の作業服を着た。アッシュブロンドの髪を無造作に束ねた少女が入ってくる。

「機体の調整がようやく終わったんだ。お腹すいた」
 
 騒いでいるエリザベート・フォン・ターレンハイムとアルシア。にやにや笑うマルグレット。困ったような表情を浮かべる亜衣。入ってきた途端、そんな光景を目の当たりにして彼女らを見比べたザビーネ・フォン・ケッセルリングが眼を丸くする。

「いったいなんの騒ぎなのかな」

 ザビーネが誰に問うでもなく口にする。彼女は西の塔の首席導師の娘で塔で開発された新型人型装甲騎兵の設計にも参加していた。現在のローデシアにおける技術の基本は500年前に現れた聖女が持ち込んだ基礎研究が記された書物が基本となっている。民間はともかく西の塔ではサイズや単位もそれらに準じていた。

「ザビーネ。よく聞くのじゃ! 亜衣はダイエットをしておらんのじゃ。どう思うのじゃ?」

 アルシアの剣幕に少し引きながらザビーネが首を傾げて答える。

「……そう言われても、王女様は小食だから太るほど食べてないだけでしょ?」
「ええ、ええ。そうでしょうね。ですが! この胸はなんですのー!」

 背後に回ったエリザベートが亜衣の胸を鷲掴みする。身を捩って逃げようとする亜衣を押さえ込みつつザビーネに問う。

「お、大きい……」
「こんなの理不尽ですわー」

 泣き出しそうな眼で亜衣の胸を睨むエリザベートと驚いてじっと見つめるザビーネ。そこへアルシアが加わる。
 なんだかな~と思いながらもついつい胸を睨んでしまうマルグレット。列車の後部ではそんな会話を聞かされている護衛の兵士達のため息が漏れた。

「やはり。亜衣王女殿下のお胸は大きかったのか」
「よくバルコニーから顔を見せる王女殿下を見た者達が噂していたが……」
「噂は真実であった!」

 なぜか気合が入りだす兵士達。戦時中とは思えない。妙な雰囲気が列車の中を漂う。現在ルリタニアでは金髪よりも黒髪の方が男女ともに人気がある。500年ほど前に生きていた聖女が黒髪だった為に一定のサイクルで思い出したかのように人気が出てくるのだ。
 そのせいか黒髪の王女はそのどことなくおっとりした性格もあって国民の人気が高く。また激戦地である古都アデリーヌへの慰問も嫌がることなく何度も足を運んでいた。姫君の顔など見たこともなかった兵士達もルリタニアの亜衣王女の顔だけは知っているという妙な現象が最前線では起きていた。

 列車は時速80kmで、ファブリスから古くからの港町カッセルを通り過ぎ、アクィレイア湾を左手に見ながらリーベへ向かう。リーベはイン河を挟んだ街で河の左右に街が分かれている。ここにはルリタニアの海産物を一手に引き受ける市場が軒を並べていた。イン河を遡るとツォンスという街がある。川幅300mもあるイン河を越えるとヘンルーダの森との境に位置するオンブリアに着く。ここまで大きなアクィレイア湾の湾岸沿いに位置する街だ。そこからさらにエルフの国。通称『ヘンルーダの森』を左手に見ながら内陸部に進むとヘンルーダの森の国境沿い近くにファルスいう町がある。この町からほんのすぐ傍にヘンルーダの森の入り口があるのだ。
 
 亜衣達はいくつかの地方都市を行幸しつつ。10日間の行程を終えて、ファルスの町にあるリーベ駅に着いた。そこからトレーラーに乗り換え、ヘンルーダの森へと向かう。かつては軍用車で入ろうとすると迷わず攻撃されたが、現在はエルフも魔物との戦いに参加している為にエルフの町にも入る事ができる。もっとも入り口で検問を受けるのは変わっていない。

「確認します。亜衣王女殿下と護衛4名。そしてトレーラー1台ですね。結構です。お通り下さい」

 萌葱の月、第2週3日。入り口で検問している軍服姿のエルフとルリタニアの兵士に声を掛けて、亜衣達はヘンルーダの森の奥へと向かう。国防軍第3装甲擲弾兵連隊はここでヘンルーダの森に駐在している第6装甲擲弾兵連隊と交代することになっている。第6装甲擲弾兵連隊は交代が完了次第に休暇に入ることができる。そのために首を長くして来るのを待っていたのだった。
 ザビーネがトレーラーに乗り込んで荷台に載せられている5台の人型装甲騎兵をエルフ達とともに確認していた。
 新型装甲騎兵はなぜか女性型である。今までの角ばった武骨なスタイルとは違って流麗な曲線というよりまるっこいプロポーションをしていた。しかもデフォルメされた顔がのってる。それが誰かに似ているような気がする……。

「でも、どうしてなのかな?」

 亜衣が新型と現行機を見比べながらザビーネに聞く。

「う~ん。よく分からないけど、これを設計する際にドラゴンのエステル様が今回は女性型にしなさいって西の塔に使いを出してきたらしい」
「エステル様が?」
「ああ、うちも聞いたわ。なんでもエステル様が夢を見たらしい。それでエルフの長を通じて西の塔へ連絡したそうや」
「ですが、その所為でこれにはかなりコストが掛かっているそうですわー」

 エリザベートが財政を司るターレンハイム家らしくコストがもの凄く掛かっている事を言い出す。新型、初の女性型に加えて魔力の塔からの魔力流入。新技術をふんだんに込められている。コスト度外視のとんでもない機体だという。ましてやその造形を施したのはドワーフとくれば、どれほど高価か分ろうと言うものである。
 亜衣達4人はトレーラーに載せられている新型を囲んで話している。
 女性型の装甲騎兵は色鮮やかな色彩とかわいらしくデフォルメされた形をとっていた。

「しかしなあ~。この顔、亜衣に似ておらんか?」

 アルシアの言葉にザビーネが頷いた。

「そりゃそうだよ。この新型のモデルは王女殿下だから」
「えっ? なんで?」

 まるっこい目。少し困ったような笑顔を形どった口。なんだかぬいぐるみのようにつんと澄ました表情をしている。さらにデフォルメされた髪型。眉までしっかりと描かれている。その上胴体は亜衣が好んで着ている少女趣味ぽいドレスを模っていた。
 亜衣は驚いてまじまじと新型を見つめる。そこへぽんとザビーネが肩を叩いて説明を始めた。

「初の女性型だから、モデルとかどうしようか、と西の塔でも中々話し合いが決まらなくてね。結局、王女殿下をモデルにしたらどうか? という意見が出て決まったんだ。苦肉の策ってやつだよ。あ~でも、この顔を作るときに西の塔で白熱した議論が繰り返されてね。簡単に見えて、しかもかわいくなるようにとの注文が難しくてね~。大変だったよ」

 ザビーネが新型の顔を指先で示す。亜衣は目を丸くしている。

「誰をモデルにしても角が立ちそうですから、亜衣をモデルにしたのですわー」
「それなら文句もでないのじゃ。しかし頭と胴体のバランスが悪いのじゃ」

 エリザベートとアルシアがうんうんと頷きながらも機体のバランスを指摘する。

「そうなの?」
「そうなんやろな」

 困惑する亜衣とふーんとばかりに新型の顔をぺたぺた触るマルグレット。

「それと今までの機体は精霊球を使用していたのだけど、これはエステル様の魔力を込めたドラゴンの龍玉を使用する予定なんだ。凄いでしょ。今までは風火水土の精霊ごとに用途が決まってしまうんだけど、これは万能型なんだ。その上、宝玉を通じて魔力の塔から魔力が流れ込んでくるようにもなってるし、出力は今までの約3倍」
「それって凄いのかな? でも……わたしも乗ってみたいな~」
「そうかい。龍玉をセットしたら一度乗ってみる?」
「うん」

 話をしているうちにトレーラーがかつてのエルフの首都カールスに着く。ここで一泊してさらに山道に入る。ようやく新首都シェスティンにたどり着いた時にはファブリスを出てから12日ほど経っていた。
 聖女の頃とは違い。かなり切り開かれて大きな街のようになっている。トレーラーが街の中心地にあるエルフの長の館へと向かう。道の両側では亜衣たちを見ようとエルフの子供たちが集まっていた。
 その中に大勢の子供に囲まれている女性がいた。その女性に気づいたマルグレットが身を乗り出して手を振る。

「亜衣。あの人、タルコットの娘さんや。タルコットって知ってるやろ。聖女のお仲間や」

 なにやら興奮してるマルグレット。亜衣は同じように身を乗り出して手を振った。亜衣の姿が見えた途端、街道で大歓声が沸き起こる。何事かと見回すとルリタニアの兵士達がエルフの街で買い物をしていたらしかった。兵士達の歓声に釣られたように子供たちも騒ぎ出す。兵士と子供たちの歓声の中、亜衣達はエルフの街を進む。
 エルフの長の館に着いた亜衣はさっそく長のヤヌシュの元へ向かった。
 大勢のエルフに囲まれたヤヌシュは白い髭をしごきつつやってきた亜衣達を見て目を細める。

「ようよう。やっと来たか。待っとったんやで。こっちきいや」

 そう言って手招きしてくる。亜衣はあいかわらずだな~と思いつつヤヌシュの傍による。ヤヌシュは目の前にたった亜衣を素早くくるりと後ろを向かせ、膝の上に座らせてしまう。

「きゃっ」
「おお、おお。こんなに大きくなって、人間は成長が早いもんやな」

 そうして頭を撫でる。
 身を捩って逃れようとする亜衣をしっかりと抱き締めていた。

「ヤヌシュ様。お願い放して」
「なんや~。小さい頃はこうしてやると喜んでたのに、つれない事言うなや」
「もう子供じゃありません」
「なに言うてんのや。ちょっと前までこーんなに小さくてわしらに抱きかかえられてきゃっきゃ言うて喜んでたやろ」

 ヤヌシュは亜衣の前に回した手で小さな球を作るように大きさを示す。あくまで子ども扱いである。エルフのヤヌシュから見ればまだ15の亜衣は赤ん坊と変わりがない。

「もうー。ヤヌシュ様ってば」
「大人扱いはあと20年か30年してからやな」

 亜衣を膝の上に載せてゆらゆら揺れるご満悦なヤヌシュである。
 その時、窓の外でバサバサ大きな羽ばたきが聞こえてきた。

「こらー。早く連れてきなさいってお母さんが怒ってるよー」

 窓の外を見るとドラゴンの子どもが覗きこんでいた。

「なんやエルザやないか、エステルはもう少し待たしとけや」
「お母さん。怒るよー。怒ると怖いんだから」
「ちっ、まあしゃあないな」

 そう言うとヤヌシュはエルフ達に亜衣達をドラゴンの元へ連れて行くように命じる。
 外に出た亜衣達はエルザの先導でエステルの元へと向かう。トレーラーを運転するのはエルフである。ヘンルーダの森の中をエルフの運転によって亜衣たちは進む。
 萌葱の月。第2週6日。ドラゴンの巣ではエステルが文字通り首を長くして待っていた。
 亜衣の姿が見えた途端、勢いよく翼を羽ばたかせる。

「やっと来たのねー。待ってたのー」

 つんつんと亜衣に向かって鼻先でつつく。そんな母の様子にエルザが眼を丸くしている。

「エステル様。お久しぶりです」
「そんな挨拶はいいのよー」

 エステルは亜衣の体を咥えると背中に乗せてしまう。なんだかやってる事はヤヌシュ様と変わらないのは気のせいだろうか? 亜衣はそんな風に感じていた。

「エステル様。早速ですが、龍玉をお願いします」

 今までエルフに手伝ってもらいながら新型装甲騎兵をトレーラーから降ろしていたザビーネがエステルに声を掛ける。
 エステルはひょいっと小さいボールのような虹色に輝く龍玉をザビーネに向かって放り投げる。

「はいはい。これでいい?」

 ザビーネは龍玉を受け取り、機体の背中を開けて龍玉をセットした。

「王女殿下。乗ってみますか?」
「うん。乗る」

 エステルの背中に乗せられている亜衣に声を掛けると背中からずるずる滑り落ちながら亜衣が降りてくる。地面に降りた亜衣は機体に近づき、装甲を開く。今までの機体とは違って、身長280cm。重量400kgと小さく、軽く。まるい。その分、中は狭く。亜衣のように細い女性ぐらいしか入れそうになかった。
 基本的に操縦者は機体に乗る。……潜り込む際に腕部に腕を通し、機体の上腕にある操作グリップを操り腕や武器・装備の操作を行う。現在の主流機である改良型はさらに動きをトレースする操縦形式をも採用している。操縦者が身に付ける術式と機体内に描かれている魔方陣を通して搭乗者の意思自体を感知して動き、更に複雑な動きをする際は、フットペダルを用いる仕組みとなっている。よって操縦自体はそれ程難しくなく、操縦訓練を受けていない操縦者がいきなり実戦参加する事も可能であり、実際その例は多々ある。
 
 亜衣が新型に乗り込むと機体と亜衣が魔力で繋がる感覚に襲われた。魔力は取り付けられた龍玉を通じて増幅され機体を動かす源となる。ゆえに魔力が大きいほど機体の出力も大きくなるが、一個人の魔力だけで動かせるほど巨大な魔力を持つ者はいない。遵って魔力を増幅する為の精霊球の質に左右されてしまうのだ。
 その精霊球は現在精霊魔法に長けたエルフしか製造することができない。だからこそヘンルーダの森はルリタニア王国にとって最重要防御地点となっているのだった。

「あい。動けるー?」

 エステルが声を掛けてくる。ザビーネもトレーラーから魔方陣を通じて亜衣に指示を出した。

「動いてみてください」
「分かった。いくよ」

 亜衣は立ち上がり、一歩踏み出す。今までにも乗った事はあった。しかしこれほどスムーズに動けたわけではなかった。それなのにこの機体はまるで自分の体のように動ける。亜衣は調子に乗って走り回る。足元に展開した黄色い土の精霊の魔方陣が機体を滑るように進ませていた。

「うまいうまい。あい。飛べるー?」
「飛べる。風。シルフィード展開」

 調子に乗っている亜衣が機体の周りに風の青い魔方陣を展開して空へと上昇していく。その後を追いかけるようにしてエステルも舞い上がった。
 大空で一匹と1騎の装甲騎兵がくるくるとバレル・ロールをはじめた。魔方陣が風の精霊たちを集めて、青空に蒼い軌跡を描きながらくるくる舞っている。地上では大空で飛びまわって遊んでいる王女とドラゴンを呆然としながら見守っていた。
 エリザベートなどは呆れたようなため息をついているだけだったが、アルシアとマルグレットはうちらも飛ぶで。と言ってトレーラーに載せられている機体に乗り込む。

「待って、精霊球を交換しないと飛べない」
「そうやった……」
「うぬぬ。おのれー」

 アルシアとマルグレットは大空を睨みながら唸る。そんな彼女らを横目に見つつエルザはあっという間に飛び上がり、エステル達に追いついてしまった。2匹と一騎が大空で戯れる。
 不意にエステルが首を曲げて海の方を睨む。亜衣もエステルと同じ方向に視線を向けた。
 沖合いに黒い点が見える。

「あれって……」

 亜衣はゴクッと唾を飲み込んだ。つうっと冷や汗が流れ落ちる。
 地上を見た。この距離なら機体に施されている風の魔法でも伝えることができるだろう。伝えればトレーラーに設置されている大型積層魔方陣で地上軍に報告できる。

「沖合いに魔物出現。数。不明。……いえ、多数。こっちに向かってる」

 亜衣は叫ぶように伝えた。
 地上でぼんやり空を眺めていたザビーネは飛び込んできた知らせに息を飲んだ。しかし素早く立ち直ると魔方陣を立ち上げてヘンルーダの森に駐留しているルリタニア軍へ連絡を開始し出す。

「アルシア。精霊球の交換を急ぐんや」
「やっておるのじゃ。それにしても一々交換しなければならんのは大変なのじゃ」
「そう言うなや。今回他のドラゴンからも龍玉を手に入れることができれば戦力も大きくなると思うで」

 エステルは龍玉を軽く扱っていたが、本来龍玉とはドラゴン自ら作り出す宝玉である。それだけに愛着も大きいため手放すドラゴンは少ない。ましてや自分達の為に作ってくれと頼んでも普通なら断られる。実際断られてきた。
 国王達が亜衣に期待していたのは龍玉を手に入れることだった。今回エステルが龍玉を渡してくれることとなって、今なら他のドラゴンにもお願いできるのではないかと一縷の願いを託して亜衣をヘンルーダの森に派遣したのだ。
 ほぼ万能の龍玉とは違い。精霊球はそういう訳にはいかない。慎重に扱わなければならないデリケートなものだった。その上、土の精霊は地上を早く移動できるが飛ぶ事はできない。陣地を作るには最適ではあるが、攻撃には不向きである。風は空を飛べるが、地面は走れない。しかし空中では攻撃力が高い。火は攻撃力は高いが移動はできない。水は陸地では行動できない。でも水中では移動も攻撃力も高い。などとそれぞれ利点と欠点があり、扱いが難しいのだ。

「エルフ達に連絡がついた。ヘウレンの洞窟にいる守備兵とエルフ達が飛んだらしい」
「こっちも交換できたのじゃ」
「よっしゃ飛ぶで!」
「ちょっと待って!」

 アルシアとマルグレットが飛ぼうとするのをザビーネが止める。そして傍に居たエリザベートに運転を任せると2人に乗れと指示する。

「なんでや?」
「新型と違ってその機体だと、海辺まで魔力が持たない。トレーラーでヘウレンの洞窟まで行くしかないよ」
「しかしそれなら亜衣はどうするのじゃ?」
「亜衣はエステル様に運んでもらおう。それしかないよ。……それでいいかな?」

 ザビーネが手元の魔方陣に向かっていう。

「いいよ。エステル様に運んでもらうから」
「任せるのねー。あい、背中に乗ってー」

 亜衣の返事にエステルが被せるようにいう声が聞こえる。上を見れば、エステルが勢いよく飛んでいく姿が見える。その後ろで必死になって追いかけるエルザの姿も……。

「おかあさーん。まってー」

 その様子にザビーネが軽く笑う。アルシアとマルグレットは上空を睨みながらトレーラーへと乗り込んでいった。

「さあ、まいりますわよ」

 エリザベートがトレーラーを急発進させる。装甲騎兵に乗っているアルシアとマルグレットはともかく荷台にいるエルフは必死になってしがみついていた。荒い運転。山道を凄いスピードで走破していく。

「エリザベートはハンドルを握ると人が変わるんだから!」

 助手席でザビーネが悲鳴を堪えている。

「悲鳴を上げたいのはこっちだ!」

 背後からエルフの声が聞こえてくるが、エリザベートには聞こえていないようだ。



 ヘウレンの洞窟の上空では大型の魔物であるロック鳥と取り囲んでいる守備隊の装甲騎兵が睨み合いを続けていた。
 守備隊も相手が大きすぎるために攻撃してもさほど効果がなく。どう攻めていいのか分からない様だ。港に停留していた船が宙に浮き上がり、砲撃を繰り返している。砲撃を繰り返すたびに小さな魔物が巻き込まれ墜落していく。だが数が多い。多すぎる。

「ど、どうしよう……」

 あまりの数の多さに亜衣の口から泣き言が漏れる。

「あい。弱音を吐いちゃダメなのよ」
「そうだよー。お母さんの言うとおり」

 エステルのブレスが小さな魔物を巻き込み。ロック鳥を攻撃する。さすがにドラゴンのブレスにはロック鳥も分が悪く。悲鳴のような鳴き声を上げる。
 鳴き声にあわせ、小さな魔物が一斉に攻撃を加えてきた。迎撃する守備隊。
 亜衣は武器はどこと探す。背中に大きな剣が取り付けられている。引き抜くと陽光を反射して輝くドワーフの剣。魔物達がその光に引き寄せられるかのように襲い掛かってくる。

「あい。危ない」

 魔物の攻撃からエルザが亜衣を庇って負傷する。さらにエルザを庇うエステル。足手まといにしかならない亜衣はそんな光景を見ながら歯を噛み鳴らしていた。

「……どうしよう。どうしよう。コルデリア様。お願い助けて!」

 亜衣の絶叫が切ってなかった通信用の魔方陣を介して戦場に響き渡る。

 ――――やれやれ。

 少し呆れたような声が亜衣の耳元で聞こえた。

「今のはだれ? だれなの?」

 機体の中でパニックになっている亜衣にエステルが問いかけてくる。

「どうしたの?」
「い、いま、やれやれって声が聞こえた……」
「誰も言ってないのよ?」

 ふとエステルの脳裡にあきの思い出が蘇ってくる。
 ――神聖魔法は誰かに教えて貰うものではありません。神の声を聞いた者には、自然と使えるようになるものです。

「あい。コルデリアに祈って、きっと神聖魔法が使えるから」
「えっ? えっ?」
「はやく!」

 エステルにせっつかれて亜衣はコルデリアに祈っていく。目の前には亜衣の叫びを聞きつけ、助けに来ようとする兵士達が魔物に襲われる光景が見える。
 だめ、きちゃだめ。亜衣はそう思うが、ルリタニアの兵士が王女を見捨てる訳にも行かないだろう。必死になってこちらに向かってくる。それを見ている亜衣の口から自然と祈りの言葉が囁かれだす。

「神聖なる女神コルデリアの御名において……」

 エステルもエルザも兵士達も傷ついている。
 祈りの言葉が完成した。

「傷ついた者を癒したまえ――『ヒーリング』」

 一瞬、機体を取り囲んでいる魔方陣が弾けた。
 亜衣の周囲から赤い光が溢れだしてエステルやエルザ。戦っている兵士達を包み込む。
 墜落していく亜衣をエルザが背中で受け止める。
 傷口が見る見るうちに塞がっていく。勢いを取り戻した兵士達が再び魔物と戦いだした。

「エルザ。あの大きな魔物に近づける?」
「えっ? でも……」
「エルザ。行きなさい!」

 亜衣の言葉に躊躇うエルザをエステルが叱咤する。そうしてエステルは魔物の群れを引き裂くようにロック鳥に向かって一直線に飛ぶ。後を追いかけるようにして亜衣を乗せたエルザが飛び込んでいく。
 近づくにつれロック鳥はその大きさを見せ付けていた。亜衣はエルザから飛び降り、ロック鳥の背中に飛び移る。

「ごめんね。でも、ここはあなたの家でも居場所でもないの。だから……コルデリアの名において、自分の家に元の世界に帰りなさい」

 剣を背中に突き刺しながら亜衣が囁くように呟く。

「『リターン・ホーム』」

 亜衣の言葉とともにロック鳥がその姿を消した。そうして周囲を飛びまわる魔物達と向き合う。

「貴方達も帰りなさい。でないと……」
「――一匹残らず。撃ち堕としてくれるのじゃ!」

 いつの間にか、亜衣の背後にアルシアとマルグレット。そしてエリザベートがやってきていた。
 さらにその背後にドラゴンの群れが姿をあらわしている。

「これより――」

 エリザベートと地上にいるザビーネの声が重なり、戦場に響き渡る。

「――追撃戦に入る」
「亜衣・ルリタニア王女殿下の御名において掃討せよ」

 エステルのブレスが合図となった。
 焼き払われ墜落していく魔物達。逃げ惑う魔物を容赦なく打ち倒していく。火と風と雷撃が飛び交い。傷ついた兵士を亜衣の神聖魔法が包み込み癒す。
 エルザの背中に立つ亜衣は陽光を反射し戦場にあって一際眩い光を放っている。
 一時間後、攻め込んできた魔物達は全て撃ち落された。
 

 



 地上に降りた亜衣はドラゴンの群れに龍玉をくれるように頼み込んでいる。

「お父さんもお母さんもなのー」
「はいはい」
「エ、エステル……ううー酷いあんまりだ……痛い。痛いぞ」
「うーううー」

 お父さんドラゴンは泣いてエステルにしがみつこうとするが、エルザにしっぽを噛まれて泣く泣く諦

めた。
 他のドラゴン達からも亜衣は毟り取っていく。

「あっ、これもこれも……」
「これも龍玉じゃ」
「これもですわー」
「おや~後ろに隠したんはなにかな~」
「なんでもない。なんでもないのだ」

 嬉々としてドラゴン達の宝玉を毟り取っていく亜衣達を前にしてドラゴン達は冷や汗を流している。

しかもマルグレットは背後に隠した宝玉をまるで強欲な借金取りのように奪う。ザビーネは運ばれてくる大量の龍玉を一つ一つ確認しながらにんまりと笑う。
 ドラゴン達はその上、新しい龍玉を急いで作るように言われて泣き出しそうだった。

「あんまりだー」
「亜衣~。いつの間にそんな強欲になってしまったのだ~。昔の亜衣に戻ってくれー」
「ごめんね。ごめんね」

 亜衣はそう言いつつ。目は龍玉を捜し求めている。
 ヘンルーダの森の中でドラゴン達の鳴き声が響き渡っていた。

 



[20672] 第02話 「龍玉輸送 イン河の戦い」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/07/30 21:38

 第02話 「龍玉輸送 イン河の戦い」


 萌葱の月、第2週9日。ヘンルーダの森からアデリーヌに試験的に30個とファブリスに970個の龍玉が送られる事になった。亜衣達が手に入れた龍玉は1008個にも昇る。アデリーヌへはファブリスから第7装甲騎兵連隊が新型装甲騎兵を持ってアデリーヌへの増援のついでにヘンルーダの森へ寄る事になっており、輸送を担当する事も決定している。
 問題は……ファブリスへ持ち帰る分である。
 兵力がない。
 国防軍第3装甲擲弾兵連隊は第6装甲擲弾兵連隊との交代でヘンルーダの森を動けないし、第6装甲擲弾兵連隊は休暇で既に帰ってしまっている。

「なんでこうなったの?」
「はあ、軍首脳部の指示ミスですわ……」
「あやつら手に入れることばかり考えていて持って帰ってくる事を忘れていたのじゃ。そうとしか考えられんのじゃ」
「なんちゅうか、実は馬鹿とちがうんか? 軍首脳部」

 亜衣やアルシア達が文句を言っている頃、ザビーネが第7装甲騎兵連隊指揮官のアインツ・フォン・ザイフェルト大佐と話をしていた。それがようやく終わったのか、ザビーネが首を振りつつ戻ってくる。

「やっぱり指示ミスのようだったよ。本当は第6装甲擲弾兵連隊がファブリスに戻ってくる際、一緒に輸送するつもりだったそうだ」

 第7装甲騎兵連隊はアデリーヌへ向かうし、ここで余計な兵力を分けるとアデリーヌで戦力が足りなくなるかもしれない。それは避けたい。それぐらい亜衣にも解る。前のように魔物が攻撃してくるかもしれないから国防軍第3装甲擲弾兵連隊もヘンルーダの森を動けない。となると亜衣達だけでファブリスまで持って帰るのが一番だろう。ファブリスから兵力を送らせると今度は時間がもったいない。只でさえ時間が掛かっているのだ。亜衣はそう考えエリザベート達に提案する。

「内陸部だからそれほど危険はないだろうし、わたし達だけで輸送するしかないね」
「ま、まあ仕方ありませんわね」
「そうとなれば急いで列車に乗せてしまうのじゃ」
「時間がもったいないわな」

 亜衣達は龍玉を詰め込んだ箱を列車に載せるように駐在武官に命じた。
 ザビーネは一応、エリザベート達の装甲騎兵に龍玉をセットしておく事を決め、部下の整備班とともに列車後部へと向かう。
 こうして行きとは違い。元々列車に付けられてた護衛隊のみという。たいした兵力もなく亜衣達はファブリスへの帰途につく事になった。列車はファルスの町にあるリーベ駅を定刻通り萌葱の月、第3週1日。青碧の刻26分(7時26分)に出発した。今回は王族専用車ではなく、民間のコンパートメントである。亜衣達の荷物が纏めて積み重ねられている。その光景を見つつ亜衣はこんなに荷物はいらなかったかもと思う。一応個室ではあるが一両丸々使えるわけではないから狭いといえば狭い。しかも他に民間人も乗っている。
 亜衣は後部車両に置かれている装甲騎兵を見に行った。屋根も壁もない後ろの貨物車両に乗せられている。装甲騎兵が置かれている場所では整備士達が命綱をつけて忙しく。機体の調整を行っていた。亜衣は激しい風を受けてはためくスカートを一生懸命に押さえている。

「まあ、他の車両も使えたらもっと広いんやけどな」
「そう訳にはいかぬのじゃ」
「そうですわ。経済優先ですわー」

 背後でエリザベート達が話している。ルリタニアでは経済活動が王族の予定よりも優先される。国王でさえ、民間のコンパートメントに乗って移動するのだ。兵力輸送という理由でもなければ、特別列車を出す事もしない。

「テロとか怖くないのか?」

 アルシアが亜衣に問いかけてくる。

「考えた事なかったよ」
「そんな事したらルリタニア全土が暗殺者の敵に廻りますわ。王妃様がお亡くなりになってからというもの亜衣王女殿下は国民からの人気が王族の中でも一番高いですから」
「王室の看板娘じゃからのう」

 アルシアの問いかけに亜衣が答えると、待ってましたとばかりにエリザベートが語り出す。胸の前で両手を組みうるうると話しながら感動しているようだ。一体何がそんなに感動するのだろうか? とアルシアはそう思う。

「でもそのお蔭で亜衣王女殿下は王室の中でも微妙な立場に置かれているんや」
「そうなのかい?」
「第1王子のヴォルフガング王太子殿下が現在陸軍におられるんや。優秀なんやけど、人気の点では亜衣王女殿下に劣る。国民の中では亜衣王女殿下を王位にという声もあるんや。微妙な立場やろ」
「そうだね。でも亜衣王女殿下は王位に就くつもりがあるのかな?」
「ないんとちゃうか。ヴォルフガング様が無能いうんやったら考えるんやろうけど、頭も良いし優秀やで、兵士達からの信頼も厚いしな。亜衣王女殿下が要らんことせんかったら次の王様やろ。それが解ってるだけにおとなしくしてるつもりやと思うで、それに仲もええしな」

 後部車両の片隅でザビーネとマルグレットが精霊球と龍玉の交換作業をしている整備員達を見ながら話をしていた。
 ザビーネは亜衣が王位に就くつもりが無い事を知って安心する反面、亜衣を担ぎ出そうとする勢力がこれから出てくるかもしれないと警戒心を強める。もし亜衣が王位に色気を見せたら、ルリタニア王国を2つに分ける内乱が起きるかもしれない。ローデシア最大の王国が2つに割れるとそれに乗じて他国が動くのは明白だろう。そう考えると背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 列車は行きとは違い。ファルスから内陸部を通ってツォンスへと向かう。ツォンスの手前にはロードリア山脈からアクィレイア湾へと流れるイン河がある。川幅300mという結構大きな河で、ノエルへと向かう荷物は一旦ツォンスに集められ、ここから陸上のルートを通ってロードへと向かう。ロードが陸上での集積地点であるなら、ツォンスは海上輸送の中継地点であるためにこの街の川沿いには多くの問屋や倉庫街が立ち並んでいる。

 ファルスとツォンスの中間に差し掛かったとき、後部車両に載せられている指揮車兼トレーラーへと港町リーベから連絡が入ってきた。

「こちら、第0902特別小隊。何事ですか?」

 0900は王族専用の護衛部隊に与えられる特別コードである。ちなみに国王が0901。王妃は0902。現在ルリタニアには王妃がいない為、王女に0902を与えられていた。

 ――現在、港町リーベ市に大型スキュラが出現。リーベ防衛部隊を振り切ってイン河を遡っている。追撃しているがこのままのペースだと薄紅の刻23分(14時23分)にツォンスに到着する。充分気をつけられたし。以上。

 それだけ伝えると通信が途絶えた。
 薄紅の刻23分といえば、列車がツォンスに到着する時刻だ。現在金の刻10分(13時10分)。あと1時間ぐらいしかない。連絡を受けたザビーネは時計を見てため息をつく。

「みんな。今入った連絡でスキュラがイン河を遡ってこっちに向かっているそうだ。あと1時間で遭遇する」

 エリザベートが何も言わずに窓から身を乗り出してイン河の方向を見る。遠くの方で戦っている様子が微かにだが、見受けられた。
 ばたばたと大きな音を立てて列車の車長が護衛隊長を連れてやってきた。車長は見るからに緊張した面持ちで忙しく額の汗を拭う。

「王女殿下……たった今、ツォンスから連絡が入って……」
「知ってる。スキュラが向かってきてるんでしょ。さ~急いでツォンスに入るか、それとも一度立ち止まって迎え撃つか。どっちがいいかな」
「――自分は列車を止めて迎え撃つ事を進言致します」

 護衛隊長がそう言う。エリザベートも同じ意見みたいだった。窓から戻り、腕を組んで考え込んでいる。ザビーネは機体の調整を急がしていた。アルシアはすでに機体の乗り込んで待機してる。マルグリットも待機だ。

「しかし君。このまま止まっても誰が戦うのかね?」

 車長が顔を赤くして言っている。しかし隊長は気にした風もなく亜衣を見つめたままさらに意見具申を求めていた。
 
「自分達の部隊が出ます。それにツォンスからもすでにこちらに向かって援軍が向かっております」
「スキュラの目的は龍玉でしょう。それしかありません。このままツォンスに入るのは街にスキュラを呼び寄せるようなものです。遵って街からある程度離れた場所で迎え撃つのが、一番だとわたしは考えます。いいですね」
「はっ。了解いたしました」

 隊長が亜衣に敬礼すると車両から出て行く。

「車長さんには現在位置をツォンスに知らせて下さい」

 亜衣はそう言って車長を追い出すと、エリザベート達を振り返って言う。

「ザビーネ。援軍を急がして。エリザベートは列車が止まったらトレーラーを下ろして、マルグリットとアルシアはわたしと一緒に出撃ね」
「王女殿下。わたくしも出たいですわー」
「今回はダメだよ」
「スキュラにターレンハイム家特製の88mm砲を叩き込みたいんですの~」

 エリザベートが子供みたいに駄々を捏ねる。貨物車の武器庫を開けると中に入っている88mm砲をうっとりとした眼で見つめている。亜衣はターレンハイム家特製の88mm砲ってなに? と思い。エリザベートの後ろから武器庫を覗き込む。
 中には大きくてゴツイ対戦車砲が載せられていた。というかこれの所為で他には武器がほとんど入ってない。スペース取り過ぎ。亜衣は頭を抱えたくなった。

「あ~。エリザベートは大砲主義者じゃから……」
「そうやね……」

 主に魔法をメインに使う2人は呆れている。亜衣は頭を抱えて座り込んだ。大砲主義者と言う言葉に頭の中で「大砲と男のナニは大きければ大きいほど良いのです!」と言ってお父様に怒られた技術者を思い出す。その上、初めて連れて行ってもらった軍の訓練基地で教えて貰ったヒワイな歌をお兄様と2人で意味も分からないままに歌って、周りの女官達に慌てて止められてしまった事も、次から次へと思い出して赤面したくなっていた。

「しかも未だに歌えるもん……」

 亜衣は首を振って忘れようとする。意味を知った今では恥ずかしくて歌えない。なんで軍隊ってあんな歌を歌うんだろう? 亜衣には分からない。誰にも聞けない謎だった。

「どうしたんや?」
「さあ~。どうしたのじゃろうな?」

 アルシアとマルグリットが様子を窺っているのを感じた亜衣は、立ち上がってうっとりしてるエリザベートを見る。

「じゃあエリザベートはトレーラーを下ろしたら、88mm砲を用意して!」
「分かりましたわ~」

 と、鼻歌交じりにいそいそ用意し始める。

 
 萌葱の月、第3週4日。薄紅の刻10分。ツォンスまで1kmの地点で列車が止まった。
 亜衣達は急いでトレーラーを下ろして迎撃準備に掛かる。護衛隊も列車から降りて体勢を取っていた。前方ではイン河を遡っていたスキュラが河を上がり、こちらに向かって移動している。
 装甲騎兵が硬い地面を踏みしめた。今回は3機とも龍玉をセットしている。
 アルシアは龍玉の効果に驚いているようだ。しきりに魔方陣を展開している。エリザベートがマルグリットに手伝わせていそいそと88mm砲を組み立てている。地面に突き立てた楯? 車輪? 自走砲のような砲塔が完成した。

「さあ来なさい。一杯打ち込んで差し上げてよ」

 エリザベートが嬉々として構えてる。
 なんというか最近、エリザベートの事が分からなくなってきたと思う亜衣である。これでも亜衣とエリザベートは幼馴染だ。王家とターレンハイム侯爵家は昔から公私にわたって親しく交流がある。もう1つの侯爵家。ブラウンシュヴァイク侯もそうだが、向こうは男の子のために亜衣より兄、ヴォルフガングと仲が良い。年も同じだし、亜衣達とは違い西の塔ではなく、2人とも軍の幼年学校に入ってしまった。その事もあって亜衣は兄とアドリアンとはあまり会う事がない。しかし亜衣から見たら表面的には性格も見た目も違うタイプと思われているが、絶対同じタイプだと思っている。もっともどちらとも性格に反して見た目は線が細く見えるが……。
 よく一緒にいる所を見て宮殿の女官達がきゃあきゃあ騒いでいる。アルシアなどはあの2人はあやしいのじゃ。というが、亜衣には何の事かよく分からない。エリザベートにそう言うとにまにま笑って答えてくれない。その度にむーっとする亜衣であった。

「仲が良いのは良いことだと思うけど?」
「まあ、仲が宜しいのは結構な事ですわ。お2人にはこれからも仲睦ましくいてほしいですわー」

 そう言ってエリザベートは身を捩ってうっとりとした口調で笑う。亜衣はエリザベートの反応に大きなはてなマークを浮かべながら、うん。と頷くのがいつもの事だった。アルシアも同じような感じだ。でもにやにや笑うのが違うけど。マルグリットは「まあいろんな人間がおるからな」と言ってあまり気にしていないような気がする。

 考えているうちにスキュラがあと500mにまで近づいてきていた。
 亜衣の背後から88mm砲の砲撃音が聞こえ大気を震わせる。撃ち込む度に対戦車砲はがらがら音を立てて後ろへと下がる。その度に押し戻し、砲撃を繰り返す。

「さあ、お喰らいあそばせ」

 エリザベートの声とともに砲撃が繰り返されてスキュラが身を捩って苦しむ。装甲騎兵の足元に展開された地の魔方陣が黄色い光を放ち、マルグリットとアルシアが滑るように地面を駆ける。
 マルグリットの周りに青い光が集まっていく。

「さあ、うちも派手にいかせてもらうで!」

 ――水の乙女。矢となりて敵を撃ち抜け。
 マルグリットの周囲に集まった青い光が大量の小さな氷の槍を模る。宙に浮く氷の槍。

「アクア・ジャベリン!」

 槍は呪文とともにスキュラに襲い掛かる。数百の氷の矢がスキュラに突き刺さる。血飛沫を撒き散らして苦しむスキュラ。声にならない咆哮が耳に届く。スキュラの最大の武器はその巨体と9つの首からの噛み付きだ。近距離なら恐ろしいが、遠くからの攻撃には無防備な部分がある。だから基本的には足? を止めさせて攻撃をしていく。
 アルシアはマルグリットよりもさらにスキュラに近づく。風の魔方陣がアルシアの機体を宙に浮かす。

「くっくっく。目にモノ見せてくれるのじゃ。喰らうがよいわ」

 アルシアの機体が風と火の魔方陣に囲まれる。
 ――炎の中より生まれし鳥よ。我とともに敵を撃ち抜け。

「イレリオン」

 アルシアが飛ぶ。炎に包まれた。炎は鳥を模り。スキュラをも撃ちぬき、後方へと突き抜ける。頭を1つ失った首が力なく地面に向かい垂れ下がった。アルシアはスキュラの頭上で見下ろしつつ。高笑いする。焦げた肉の匂いが辺りに充満する。

「わらわを侮るとこうなるのじゃ」

 アルシアの高笑いにスキュラより護衛隊の方が震え上がった。陽光の元アルシアの機体が輝く。
 亜衣にはアルシアやマルグリットほどの魔法攻撃力はない。土の魔方陣により機体は速く地面を駆ける。亜衣は20mmの対戦車ライフルを構えて、スキュラを撃つ。スキュラの腹に血飛沫が飛んだ。さらに20mmの銃弾を叩き込んでいく。苦しげだったスキュラの首が亜衣に襲い掛かる。急角度でかわす。避ける。撃つ。ライフルの銃声が辺りに響く。

「地味なのじゃ」
「まあそう言うたりなや」

 頭上からアルシアの、地上からはマルグリットの声が聞こえる。
 土の魔方陣から風の魔方陣に切り替え、亜衣が空を飛ぶ。

「地味で悪い?」

 亜衣の言葉に地上で援護射撃を行っていた。護衛隊の兵士達が「そんな事ありません」と声援を送る。

「ありがと。でも、わたしも派手にいくからね」

 ――神聖なる女神コルデリアの名において、敵を踏み潰せ。

「フィート」

 亜衣の神聖魔法が放たれる。中空からたおやかな女性の足が現れたかと思うとそのままスキュラを踏む。しかも踏み躙る。ぐりぐりと。とても痛そうだ。ヒールの細いピンがスキュラを貫く。抉るように踏みつけた足が、長い首筋をぺたんこにしてしまう。
 亜衣はその光景を見て、思わず……こわい。と呟いた。

「じつに女性らしい。えげつない攻撃だな……」

 見ていた護衛隊からもそんな感想が聞こえてくる。実際自分でもそう思う。まさかこんな攻撃なんて……女神様怖い。
 女神に踏みつけられ動けなくなったスキュラへと護衛隊の攻撃が叩き込まれていく。ザビーネの指示が護衛隊の各班に飛び、貨物車両から下ろされた銃器の火力が砲撃を繰り返す、いかにスキュラといえども身動きできない状況では的になるしかなかった。そして瞬く間のうちにスキュラは肉片となる。
 その頃になってようやくツォンスからの援軍がやってきた。援軍は変わり果てたスキュラを見て呆然とする。中には戦車の車体を叩きながら「出番がなかった」と泣いている兵士もいた。

「新型戦車の威力を試したかったー!」

 悔しそうに泣く兵士。その兵士の肩を叩いて慰める戦友達。亜衣はなんとなく悪い事をしたような気がして、居心地の悪い思いを感じていた。

「新型はな~。88mm砲に装甲も従来より厚く。被弾しても弾くんだぞー」
「うんうん。それに走行速度も40kmを超えているんだよな」
「そうなんだ……それなのに、それなのに……王女殿下のばか~」

 恥も外聞もなく泣きじゃくる兵士達……。
 その光景を見つつ。マルグリットが「なんだかな……」と呟いていた。エリザベートが「その気持ちわかりますわ」と言う。

「なんで?」
「大砲は浪漫ですわー」
「あ~はいはい」

 エリザベートの叫びをアルシアが口を封じて列車の中へと連れ去っていく。哀れエリザベート。

「なぜですのー」
「大砲主義者がうるさいのじゃ」
「大砲は女の浪漫ですわー」

 もがもがとしながらも叫ぶ。
 戦車隊から、

「違う。大砲は男の浪漫だ!」

 と、叫び返された。

「……どっちでもいいよ」

 亜衣はがっくり肩を落として列車へと戻っていった。その後をマルグリットとザビーネが同じように肩を落として続いていく。
 装甲騎兵から出てきた亜衣はどことなく疲れたような顔で、コンパートメントへと戻る。スキュラの死体は戦車隊が片付けるそうだ。列車が進み出す。ガタゴトと音を立ててツォンスへと向かい。一旦貨物を下ろすと再び、ファブリスへと進むはずだ。
 亜衣はしばらく列車の窓から外の風景を眺めていたが、いつしか眠りに落ちていった。


 亜衣が目を覚ますとツォンスの街だった。
 街全体が活気に溢れている。この街では多くの人々が職を求めて集まってくるらしい。一説には首都ファブリスよりこの街の方が人気が高いと評判になっていた。
 亜衣はこの町に列車が停まっている事に驚く。

「あれっ? ファブリスに向かっているんじゃないの?」
「ツォンスの駐留軍を動かしたからな。一応形式とはいえ、軍に連絡しておかねばならぬのじゃ。ザビーネが連絡しておる」

 亜衣の問いかけにアルシアが答えた。その後ろではエリザベートとマルグレットが駅で売られているお弁当をぱくついていた。器用にお箸を使い。奈良宮皇国から来たお米でできた巻き寿司を銜える。

「あっ。わたしも欲しい」

 亜衣は急いで列車を降りると売店に向かって走り出す。駅の構内ではお弁当を売っている売り子が声を張り上げている。呼びとめ、首から提げた箱の中を覗いて物色し始めた。

「どれにしましょう?」
「どれがおいしいの?」
「そりゃあ、どれもおいしいですよ」

 太った大柄なおばさんががははと笑いながら亜衣に言った。元気なおばちゃんである。目の前にいるのがこの国の王女だと気づいていないのだろう。ばしばし亜衣の背中を叩く。
 背中を叩かれた亜衣はけほけほ咳き込みながら、イカのしょうが焼きの入ったお弁当を買うと急いで列車の中に戻る。ツォンスは海産物がおいしいのだ。いそいそお弁当の蓋を開け中から取り出す。ぱきっと小気味のいい音を立ててお箸が綺麗に割れる。
 亜衣があ~んと大きな口を開けて、しょうがの利いたイカを噛み締めた。お刺身のこりこりした感じとも違い。歯ごたえが柔らかくてよく味がしみこんでいる。ごくっと飲み込んで、今度は一緒に入っていたおにぎりをぱくっとかぶりつく。

「たらこだ~」

 うれしそうに亜衣が言う。焼いたたらこの小さな粒々がおにぎりの中からのぞいている。

「う~む。とても一国の王女とは思えぬ光景なのじゃ」
「はえ?」

 アルシアが目を丸くしていう。普通王女は自分で駅弁を買いに走ったりはしない。王女というものは世情に疎く。下々の暮らしなど知る機会がないだろうに、亜衣はどことなく小市民的なところがある。アルシアにはその辺りがなぜなのじゃろうかと不思議に思う。

「お父様も駅でお弁当を食べるよ。結構、あっちこっちの駅でお弁当を買って食べ比べをしてるって言ってた」
「国王がか?」
「うん。お父様は国内を視察する事が多いからね。色んな街に行くたびにお土産に特産品を買ってくるんだよ。それであの町にはこんな特産品があるって言って、なんだか嬉しそうなの」

 亜衣はおにぎりをぱくつきつつ話す。アルシアは国王の印象が変わってしまったみたいに感じられてなんとも微妙な気分に陥る。

「そういや。国王がな、ヘンルーダの森に来た時にカッセルで作られているかまぼこを売り込んでたで」
「バーデン地方のレミュザのお酒に加えて、モームのビールも売り込んでいますわ。輸出量を増やそうとがんばっているんですの」

 マルグレットとエリザベートが巻き寿司にかぶりつきながら話している。最近ルリタニアでは食料の加工品を各国に輸出しようと頑張っている。戦争中な事もあって軍に納品されている食料が他の国の兵士にも人気が高いらしく。ルリタニアの味覚に慣らされた兵士達が国に帰ってからも欲しがるからだ。ならば今こそチャンスとばかりに国王自らが、売り込んでいた。

「なんかようやるわ」
「ルリタニアにとっては悪い事ではありませんわ」
「まあ、そうやろうけど……普通、国王がやるか? 下の者にやらせんか?」
「何を言うのです。国家間の首脳会議の席で売り込めるのは国王だけですわ。他の者では発言すら中々できませんのよ。国王自らが動く事で他の者達に範を示しているのですわー」

 いや。そう言うこっちゃないんやけどな、とマルグリットは半ば諦めたように呟く。アルシアが小声で「好意的解釈をすれば戦争特需に頼らずに地力をつけようとしておるのじゃろう」と囁いている。「まあそれも分かるけど、これは下の者はきついで」と言い返していた。

 亜衣達はお弁当を食べながら話している。そこへ連絡を終えたらしいザビーネが戻ってきた。なにやら沈痛な表情をしている。

「亜衣王女殿下。陸軍の元帥閣下が王女殿下にお話があるそうです。通信室へお越し下さいとのことです」
「なにかな?」

 ザビーネのどよんとした顔に見送られ、亜衣はてくてく通信室へと向かう。列車の前列にある通信室では列車とファブリスを繋ぐ魔方陣が起動していた。

「やっと来たか」

 魔方陣の前に座った亜衣を前にして陸軍の元帥、ディルク・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵がうれしそうにがははと笑う。亜衣とディルクは亜衣が生まれたばかりの頃からの知り合いで幼少の頃からたいそう可愛がって貰った。亜衣はディルクの事を仲の良いおじいさんとして慕っている。もっともおじいさんと呼ぶとむっとするのでおじさまと呼んでいるが。

「ディルクのおじさま。何か用なの?」
「うむ。新設された空軍がやっと機能し始めてな。ゴドフリードのやつも余裕ができてきたそうだ」
「それは良かったです」

 こうした挨拶から始まってあれこれ話し合っているうちに、ディルクがおもむろに話を切り出した。

「時に亜衣。来週の週末あたり暇かね?」
「開ける事もできますけど、なにか?」
「いやなに。陸海空の元帥が集まる事になってな。ほれ前に一度連れて行ったことがあったろう。あの連中も王女に会いたがっているのだよ。で……今度も」
「いやです」

 亜衣はきっぱり言った。

「なぜだ。ルリタニアの軍上層部ばかりの集まりなんだぞ」
「それはそうなんですけど……」

 一年ほど前に父の代理として出席した時に亜衣は、散々な思いをさせられた。
 集まったのはディルクおじさまと同じような年配の人達ばかりで、ルリタニア軍でそれぞれ功績のあった方々である。この戦いにおいても軍のトップとして活躍している。しかし……相手をするのが疲れるのだ。
 みんな。マッチョなタイプだし、元気なじいさんばかりで軍隊特有のヘンな歌を歌うし。かつて亜衣に歌を教えたのもディルクおじさまである。その上軍隊のへんな罵り言葉を言うし、亜衣は伏字だらけの会話についていけないのである。
 一応軍のトップだし、無視する訳にはいかない。それに亜衣を赤ん坊の頃から知っているのでいまでも子ども扱いする。なんというか孫の取り合いをするおじいちゃん連中といった感じだ。
 前回終わったあとで、どっと疲れてしまい――二度と行かない。と心に誓ったのだ。

「理由を教えてくれ。女遊びの話が嫌なのか?」
「それだけじゃありません」
「じゃ、じゃあ、ブルーノの性病の話か?」
「聞きたくないです」
「ゴトフリードの歌か?」
「それもです。あと3人で合唱したでしょ! あの場にいたウェートレスさんも泣きそうでしたよ」

 ファブリスにあるレストランでこの3人はお酒を飲みまくった挙句、散々騒ぎ。ウェートレスに抱きついてセクハラして泣かせてしまった。しかも相手が軍の最上層部なものだから報復を恐れて泣き寝入りする寸前だったのだ。
 亜衣が3人の頭をぽかぽか殴って報復しておいたが……。あの後の後始末を思い出すと怒りが湧き起こってくる。

「ま、まあそう言うな。みんな気の良い連中だったろ?」
「ぶー」
「わかった。みんなに紳士的に振舞うよう言い聞かせておくから、来てくれ」
「ぶーぶー」
「あいつらもああ見えて、軍の重圧に耐えかね。辛い日々を送っているんだ。たまには孫のように可愛く思っている王女を囲んでささやかな慰労会を開いてもいいじゃないか」
「嘘です! あれはわたしをダシにして騒ぎたいだけです!」
「う~ん。まあそう言うところがないとはいえんが……。あっああ~亜衣。切るな。切らんでくれ」

 慌てふためくディルクの声に亜衣は魔方陣を消す手をぴたりと止めた。

「もう用件はないでしょう?」

 しかし声が冷たい。普段からは想像も出来ないような底冷えのする声で問いかける。

「そ、そう冷たい態度を取らんでくれ。元帥閣下達の集まりなんじゃぞ。それ相当の地位と功績がないと呼ばれんのじゃ。例えば亜衣の兄ヴォルフガングぐらいじゃないと呼んで貰えん筈なのに」
「だったらお兄様をお呼びになったら宜しいでしょう?」
「あいつはつまらん。招待してもアドリアンの坊主と一緒にもくもくと食べるか飲んでるだけだ。きっと」

 いかにもありそうな光景を想像して亜衣はどんよりとした気分に陥る。

「とにかく行きませんから。それに会場はレーベンブルグでしょ。さすがにそこまで行く暇なんてありません」
「そうか。ならファブリスでやろうじゃないか。他の連中にも相談するからな」
「ああ~。行きませんよ。行きませんからね。ああもう……」

 叫ぶように言ったが、魔方陣は向こうから消されてしまった。じっと魔方陣の跡を見つめる。本当にどうしてくれようか? 亜衣は頭を抱えたい気分になってしまう。本当に困ったおじいさん連中である。
 ぷんぷん怒っていると、ザビーネがこそっと顔を見せる。顔色が悪い。

「王女殿下。お話は終わりましたか?」
「ザビーネ……」
「あの方々って、いっつもあんな感じなんですか?」

 ガクガク震えているザビーネを見た。もしかして……ザビーネもディルクのあのへんな罵り言葉と伏字だらけの会話を聞かされたのだろうか? 亜衣は痛ましいものを見るかのようにザビーネをそっと抱き締め、慰める。いかに西の塔の天才少女と呼ばれようとザビーネもまだエリザベートと同じく16の少女なのだ。あのおじいさん連中の相手は辛かろう。
 胸に顔を埋め、泣いているザビーネの頭を撫でながら亜衣は慰めていた。ここにもあの連中の被害者がいたのだった……。

 ガタゴト列車が動き出す。
 レールの上を進む。時折車輪の軋む音が耳に入る。
 今度こそ列車はファブリスに向けて走り出していた。
 その一室で2人の少女が抱き合っている。




[20672] 第03話 「蒼海の皇女 アデリーヌ陥落」
Name: T◆9ba0380c ID:7d38f0bf
Date: 2010/08/04 13:00

 第03話 「蒼海の皇女 アデリーヌ陥落」


 ファブリスに帰って来た亜衣達は列車を降りるより先に入ってきた連絡によって西の塔へとやってきた。
 西の塔では、国王以下ターレンハイム侯爵にブラウンシュバイク侯爵。そして大臣達が待っていた。龍玉が西の塔に搬入された途端、国王達は時間が惜しいとばかりに急いで確認をしだす。あれよあれよと言う間に亜衣達は蚊帳の外に出されてしまう。
 確認を終えた国王達が、再び急いで宮殿の会議室へと文字通り走り去っていく。国王達を乗せた車が激しい音を立てて走っていった。後に残された亜衣達は呆然として見送る。

「あれは一体なんだったんですの?」
「さあ?」

 呆然と見送る亜衣とエリザベート。そこへ首席導師のブレソール・フォン・ケッセルリングが姿を見せた。

「一応自分たちの眼で確認しておきたかったんだろう。これから軍だけでなく民間をも含めた龍玉の割り当てを考えねばならんからな」
「そうなんですの?」
「そりゃそうだ。龍玉の性能はすでに西の塔でも実証されておる。魔力、精霊力を主体としているローデシアでは垂涎の的だろう」
「お父様達もたいへんだ」

 亜衣は案外気楽そうに言った。その言葉に首席導師が目をぱちくりさせた。そして大声で笑い出す。しばし笑っていたかと思うと首席導師が亜衣達5人を手招きする。そして西の塔の一角にある研究棟にやってくる。
 中に入った亜衣達は壁沿いに立てられている装甲騎兵に驚いた。そこにはデフォルメされたエリザベートの顔にアルシアやマルグレット。ザビーネの顔も並んでいる。

「首席導師。これは……?」
「国王にターレンハイム、ブラウンシュヴァイクの侯爵達に頼まれて造られた新型じゃよ。あの連中から金を巻き上げて作ったものだからコスト度外視じゃ。いやあ~楽しかった」
「まさか、こんなものを造っていたなんて……」

 エリザベートは驚いて自分の顔に似せた装甲騎兵を凝視している。他の3人も同じような感じである。それぞれ自分と同じ顔をした機体に近づき、撫で回す。

「うっ。なんだかわたくしのは重装甲ですわ」
「うちのは槍……か? なんやドリルみたいなん持ってるけど?」
「ドリルじゃ。格好良かろう」

 首席導師はケラケラ笑う。エリザベートは両肩に付けられている楕円形の楯をぺたぺたと触る。並んでいる機体の中でも一番重そうで、装甲騎兵なのだから本人とは関係ないとはいえ、女性としてはなにやら微妙な気分に陥ったらしい。マルグレットは首を捻って装甲騎兵が持っている武器を眺める。長い棒の先に鋭い螺旋状のドリルが付けられている。まるでユニコーンの角のようだ。そんな2人を横目にアルシアがじっと自分の機体を睨んでいた。

「わらわのは……なんじゃこれは~!」

 アルシアの機体は左手が鉤爪になっていた。鋭く尖った5本の爪。機体の色も黒く塗られている。その中で顔だけが普通の色だ。なんというか、むしろそこだけが異様な感じになっていた。
 エリザベートの琥珀色。アルシアの黒。マルグレットの緑。ザビーネの赤。こうして見ると亜衣の機体だけがお人形のように色彩豊かに造られている。

「しかもわたくしの機体はなぜ、ドレス風なのですのー」
「それを言うならわらわのはお子様風ドレスじゃぞ」
「うちなんかメイド風やで……」
「ボクのは普通だけど……」
「いいですわね。普通で!」

 3人の声が重なる。

「誰や。こんなんした奴は!」

 再び声が重なった。

「西の塔の総力を結集して造り出した機体じゃ。お前さんらに合わせて造っておるから、後で自分らで調整しておくと良い」

 そう言うと首席導師はそそくさと研究棟から出て行った。逃げたともいう。

「あんたらの趣味かー!」

 マルグレットの怒号が研究棟に響き渡った。整備班が耳を塞ぐ。さらにエリザベートとアルシアが首席導師を追いかけ、捕まえると袋叩きにしていく。

「ドリルは男の浪漫じゃぞ。鉤爪、格好良いではないか。何が悪い!」
「やかましいのじゃ!」
「そうやそうや」
「貴方達はデリカシーというものが分からないのですわー!」

 ぼこぼこにされる首席導師。その光景を眺めながら亜衣はがっくりと肩を落とし、座り込んでいた。

「もうやだ……」

 亜衣の背中がどことなく哀愁を漂わせている。ぽんぽんとザビーネが肩を叩く。振り返った亜衣にザビーネがふるふる首を振りつつ。はあっとため息をつく。

「ごめんなさい。ああいう人達なんだ。西の塔というのはね。なんと言っても趣味に生きてるところがあるから……」

 そう語るザビーネも哀愁を漂わせる。座り込んでいる亜衣とザビーネの視線が合い。見つめ合う。
 とはいえ、一応は専用機だ。しかも龍玉を使用している。捨てるのは惜しいとばかりに、彼女らはいそいそと研究棟から運び出して宮殿へと向かう。大型トレーラーに載せた装甲騎兵とともに宮殿へとエリザベートの運転で爆走していく。途中、道行く人々が慌てて逃げ出すところを見て、亜衣はもう少し速度を落とすように言うが、ハンドルを握ったエリザベートには聞こえていないらしい。
 宮殿の門を蹴破るようにエリザベートは突入する。背後からは衛兵達が怒号を上げ、追いかけてくる。

「待て! 止まらんと撃つぞ!」

 衛兵達の構えた銃がトレーラーを狙っている。エリザベートはハンドルを巧みに切ると、宮殿の前に見事に止めた。タイヤの軋む音。ゴムの焦げた匂いが亜衣の鼻先に漂う。衛兵達に取り囲まれ、見守る中、亜衣達は真っ青な顔で降りる。

「もう。エリザベートに運転させるのは嫌なのじゃ」
「賛成」
「そうやな」
「こ、怖かったよ……」

 降りてきた亜衣を見て、衛兵達がとっさに直立し敬礼をした。そして慌てふためく。仮にも王女に銃を向けたのだから慌てるのも仕方がないだろう。だらだら汗を掻いている。顔色が悪い。亜衣と衛兵の目が合った。

「ごめんなさい!」

 亜衣はぺこっと頭を下げた。後ろでアルシア、マルグレット、ザビーネも真っ青な顔色でぺこりんと頭を下げる。その様子に衛兵達が慌てて亜衣達に頭を上げるように懇願する。玄関先での騒動に宮殿の中から、護衛の兵士達が飛び出してきた。そうして衛兵達に頭を下げている亜衣達を見て目を丸くする。

「一体何があったんだ? それに何故、王女殿下に銃を向ける!」
「彼らは職務に忠実だっただけ。衛兵さん達は悪くない」

 近衛連隊付きの大尉。モニカ・フォン・モリアン男爵が琥珀色の眼を厳しくして衛兵達に問うが、衛兵達が答えるより先に亜衣が返事を返した。大尉は驚いて亜衣の方を見る。亜衣は何も言わずに後ろにあるトレーラーとエリザベートに目を向けた。大尉が亜衣の視線を追うようにトレーラーをみ。エリザベートを見て、さらに地面に刻まれているタイヤの軌跡を確認する。そうして頷いた。

「要するにまた。エリザベート様が暴走したわけですな」
「そう」
「そして門で一旦、止まらずに走り抜けた、と?」
「そうそう」
「それを衛兵達が追いかけてきたと」
「そうだよ」

 大尉がエリザベートを見ながら、はあとこれ見よがしにため息を吐いて、衛兵達に職務に戻るよう指示する。

「ああ、君達に罰は下らないから、安心したまえ」
「この件で誰かに罰を言われそうになったら、わたしの所に来てね。ちゃんと言っておくからね」
「王女殿下もこう言っておられる。安心したまえ」

 ホッとしたような顔で衛兵達がようやく門のところへ帰っていく。
 亜衣達は大尉とともに宮殿へと向かった。トレーラーは近衛兵の手で宮殿内にあるハンガーへと運ばれていく。

「しかし王女殿下はお優しいですな」

 大尉が前を向いたまま、ぽつりと零す。歩くたびに腰につけた剣がカチャカチャ音を立てる。近衛隊の軍服は軍隊の制服とは違って、かつての貴族達が着ていたアビ・ジレ・キュロットを制服として着用していた。白地に金糸銀糸で彩られた近衛隊の軍服を見ていると、ここだけ遥か昔に返ったようで、なんだか奇妙な錯覚に陥りそうだった。

「真面目な衛兵さん達が職務に忠実に行動して罰を受けるのは間違ってると思う。そんな事したら誰も真面目にしなくなってしまうもん」
「確かにその通りではありますが、王女殿下に銃を向けるのは……」
「お父様が言ってた。『たとえ王族と言えど、法は守らなければならない』あの人達は門番で、警告を無視したわたし達を追いかけてくるのは当然でしょ。そして警戒して銃を向けるのも……。エリザベートが門で止まって、確認してもらえばそれで済むだけだったんだけど。そうじゃなかったから、こんな風になっただけ。だからあの人達は悪くない」
「確かにその通りですな」

 亜衣の言葉に大尉は肯定する。そして亜衣はそれきり喋らないまま、先頭に立って宮殿の中に入っていく。
 宮殿の中は代々の国王達が手を加えてきたとはいえ、基本的に昔とあまり変わっていない。金箔を張り巡らし、吹き抜けのホールでは天井から吊り下げられたシャンデリアの輝きで、明るく輝いている。亜衣が中に入ると一斉に女官達やメイド達が頭を下げ、挨拶してくる。ルリタニア王国、王位継承権第2位の亜衣は何も言わなければ下にも置かないような扱いを受ける。何くれとなく世話を焼こうとする女官達を適当に避けつつ。亜衣はホールを抜けて自室へと帰った。

「疲れたよー」

 へにゃっとくずれた顔でばふっとベットにダイブする。エリザベートも同じように亜衣のベットに飛び込んだ。2人はそのままベットの上をごろごろ転がる。
 アルシアはきょろきょろと部屋の中を観察している。ザビーネが呆気にとられて口を半開きにして部屋の中を眺めていた。マルグレットに至っては、部屋の中央に置かれているソファを手の平でぽんぽんと叩いて感触を確かめている。

「……亜衣。お主、こんな部屋に住んでおったのか?」
「なんやねん。この豪勢な部屋は?」
「圧倒されそうだよ。さすがローデシア大陸最大の王国。ルリタニアの王女殿下の部屋と言うべきなのかな?」

 初めて入った亜衣の部屋を前にして3人は口々に感想を漏らす。広い部屋。街の居酒屋ぐらいならすっぽり入ってしまいそうだ。壁には宮廷画家アンドレアスの絵が一面に描かれている。置かれている家具も寝具も豪勢なものだった。3人から見れば、圧倒的なルリタニアの財力を窺わせるに充分な部屋だった。

「この部屋はね。元々お父様の部屋だよ」
「国王陛下の!」
「うん。そう」

 亜衣はベットに転がったままの姿で3人に向かって言う。隣でエリザベートがうんうん頷いている。

「なんでや?」
「う~んとね。お母様が亡くなってから、お父様は自室にいるよりも執務室にいる時間の方が長いから、執務室の近くに移ったの。それでわたしがこの部屋に換ったんだよ」
「そうなのか、そうか元々国王陛下の部屋だったのか……納得」
「しかし豪勢なのじゃ。ブラウンシュヴァイクの屋敷でもこんな部屋はないのじゃ」
「ターレンハイム家でもこんな部屋はありませんわ」

 亜衣達が話しているうちに大きな木の扉がノックされた。

「どうぞ」

 亜衣の返事とともに扉が開かれ、メイドが2人。銀のプレートにお茶の用意を持って静々部屋に入ってきた。そして亜衣達の方を見ずにテーブルの上にセッティングすると再び、足音を立てることなく部屋から立ち去っていく。優雅な身のこなし。さすが宮殿で働くだけあってきちんと躾けられている。彼女達は宮殿で行われる国際会議の場でも給仕するのだから当然と言えば当然であった。アルシア達には真似できそうにない。

「お茶が来たみたいだから飲もうか?」

 気楽に言う亜衣を見ながら3人は、これが生まれつきの身分の差と言うものか? と内心テーブルの上に並べられたお茶や上品なお茶菓子を前にして固まっていた。

「う、うむ。飲むのじゃ」
「そ、そうしようか」
「おいといてもしょうがないしな」

 いそいそ座る。亜衣はベットから起きだすと椅子に座って、並べられているお菓子を1つぱくっと口にした。マナーとか考えなくとも無造作でありながら汚く感じないのは、幼少の頃より教え込まれてきた行儀作法の差だろうか?
 同じようにしつつもエリザベートもまた食べ方が綺麗である。アルシア達はややぎこちなく食べだした。

「どうしたの?」

 ぎこちない仕草で食べるアルシアを見た亜衣が言った。

「いや、なんとなく困ったものなのじゃ」
「気にする事ないのに?」
「公式の場ではないのですから好きに食べればいいのですわー」

 その言葉に何かを吹っ切ったアルシアががつがつ食べだした。そしてマルグレットもまた勢いよく食べる。

「女は度胸なのじゃ」
「そうやな。気にしたら負けや」
「ちょ、ちょっと……」

 慌てるザビーネに亜衣が砂糖菓子を口に押し込む。

「ザビーネ。気にするでないのじゃ」

 アルシアの言葉にザビーネもまた諦めて、寛ぎだす。寛ぐのに『諦めた』という表現をするのはおかしいかもしれないが、その時のザビーネはそう表現するしかないような気分であった。

 

 亜衣達5人はしばしまったりしている。
 ところで急いで西の塔から走り去っていった国王達はルリタニア王国から4000kmも離れた極東に位置する国。亜衣がヘンルーダの森に向かっていた丁度その頃、奈良宮皇国から龍玉を譲って欲しいと交渉が来ていた。奈良宮皇国は海洋貿易国家として、ローデシア大陸と交易を始めて丁度100年になろうとしている。
 ルリタニアと奈良宮は現在軍事同盟を組んでいる事もあり、互いに技術開発にも研究者を派遣しあっていた。そうした事もあって龍玉を譲る事は大した問題ではない。問題は誰を派遣するかだった。
 向こう側が第1皇女を派遣してきた以上、こちらも王族を出さねば向こうは無礼と取るだろう。しかし現在のルリタニア王国では王太子は陸軍の士官としてアデリーヌで指揮を執っている。王女は亜衣だけだ。もし、万が一亜衣の身に何かあれば……ルリタニアの王位継承者を1人失う事になりかねない。最前線の真っ只中にいるヴォルフガングも安全とはいえない状況であるから腰が引けるのも仕方がない。と言えた。

「一体誰を使者として送るべきか?」
「やはり……亜衣王女殿下しかおりますまい」

 ターレンハイム侯爵が苦い物を噛んだような口調で発言する。内心では第1皇女ではなく。大使辺りが来て欲しかった。と考えているのが丸分かりである。国王もまた同じように感じていた。ブラウンシュヴァイク侯爵は送るにしても海の上の事であるから護衛として多くの兵力を同乗させる事はできないと言い。いっその事艦隊を派遣しますか? と国王に問う。

「まさか。そのような事をすれば、宣戦布告と受け取られかねないぞ」
「であるなら、ルリタニアの誇る。豪華外洋客船――オンブリア号で向かうしかないでしょう。あれなら大きいし、多少は兵力も載せられましょう」
「オンブリア号か……。うむ。あれなら確かに」

 ブラウンシュヴァイク侯爵の発言にターレンハイム侯爵も頷く。国王はじっと考え込んでいたが、どうせ送らなければならないのなら出来るだけ豪華に、派手に送りつけて、ルリタニアの国力を見せ付けてやろうと考える。

「それに帆船とは違ってオンブリア号は鉄の船だ。帆船ならば風の精霊球が2つで済むが、鉄の船をいくつの龍玉で動かす事ができるのか、西の塔が確認したがっている。この際連中も乗せて研究させてやろう」
「それはいいですな。ついでに軍艦と潜水艦も一緒に研究させましょう。それなら船団を組んで行動しても文句は言えますまい」
「うむ。文句を言ってきたら乗せてやれば良い。奈良宮皇国も研究したがっている」

 こうして亜衣の奈良宮皇国行きが決定する。国王達の相談は議会の場に持ち出されて審議され、受諾された。
 国策の一環であるから、亜衣王女殿下には拒否権がない。王女としての責務である。亜衣達は珍しく議会の場に呼び出された。主だった大臣達。ターレンハイム、ブラウンシュヴァイクなどの両侯爵が集まり、議会の決定が告げられる。

「ええ。行きます」
「わたくしもですわね」
「わらわ達もか?」

 亜衣は文句も言わずに受けいれた。エリザベートもまた同じだ。この2人は幼少の頃から、数々の公務をこなしてきた経験から自分達の立場を理解している。王女、侯爵家の娘としての役割は致し方ないと考えていた。それに単純に旅に出る事が楽しいらしい。むしろアルシア達の方が不満そうである。

「まあ、ええんやけど。うちらは何しに行くんや?」
「奈良宮皇国へは龍玉を持っていってもらう」
「また、お遣いかい?」
「そう言うことだ。相手が皇女を派遣してきた以上、こちらも王族を派遣する必要があるからな」
「……仕方ないね。相手のプライドを無駄に踏みつける訳にはいかないだろうし」
「ああ、面子問題な訳じゃな」
「有り体に言えばそうだ」

 ターレンハイム侯爵はアルシア達の質問に一々答えていた。さらに文句を言いたげだったアルシア達も乗る船がオンブリア号だと知ると、一転してはしゃぎだす。

「あの豪華客船か~。楽しみやな」
「乗った事ないのじゃ」
「ボクもだよ。料理がおいしいらしいよ」

 気分はすっかり観光旅行である。そんな彼女らの様子に国王や侯爵達は苦笑を浮かべた。宮殿の一角ではしゃぐアルシア達。亜衣とエリザベートはなにやら微妙な気持ちで彼女らを見る。「すっかり目的を忘れてないかな?」亜衣が小声でエリザベートに問いかけた。

「そうかもしれませんわ……」

 なんやかんやと言いながらも亜衣達はオンブリア号の停泊している港町リマールへと向かう事になった。慌ただしく荷物をまとめ、ぴかぴかに磨き上げられた車に乗って。

「わらわ達はなぜにこんなに忙しいのじゃ?」
「ゆっくり休む間もないわ」
「えっ、こんなものでしょ?」
「そうですわね」

 土の魔方陣がキラキラ地面に展開して輝いている。時折、すれ違う他の車の魔方陣と重なってぶんっと変な音を立てる。ファブリスの大通り。4車線ほどの道の両端では色んな露天が軒を並べていた。物売りの声が亜衣達の耳にも届く。窓の外を眺めていたマルグレットから見れば、ヘンな街である。精霊球を使用した車があるかと思えば、手押し車が未だに道を走っている。街の人々の服装も最近出始めたスーツを着ているかと思えば、古い貴族と同じ格好をしている者もいた。
 亜衣達は王室から派遣された外交官のカスパル・フォン・アイヒベルガー伯爵とともにファブリスの街並みを眺めながら進む。

 港町リマールはルリタニアの正面玄関に当たる。ここには各国から派遣された貿易交渉役の役人達が集まっている。ファブリスからリマールまで精霊球を使用した車で約2時間だが、距離にして100kmも無い。飛ばせば1時間も掛からずに着く。しかしエリザベートでもあるまいし、王族ともあろう者が制限速度を無視する訳にもいかず、2時間も掛かってしまう。

 『奈良宮』皇国。ローデシア大陸の極東遥か沖合いにある。大小合わせて12の島が集まってできた国。奈良宮皇国を中心として他の島々が属国として集まり、皇国として存在している。領土的には12の島が集まっても、無人の大きな島を手に入れたルリタニアよりも小さく。カルクスとノエルを合わせたような物である。しかし航海に力を入れてきたために現在は海洋国家としてルリタニア以上に海に勢力を伸ばしていた。
 その奈良宮皇国の皇女がへウレンの洞窟にいるドワーフに自分の潜水艦の修理を依頼していた。
 へウレンの洞窟に攻め込んできた魔物達を迎撃する為に飛行した船の持ち主だった。
 その名を奈良宮瑠璃という。奈良宮にある瑞穂を治める領主である。
 奈良宮皇国特有の黒髪に黒い眼をした少女だ。長い黒髪が艶やかに光っていた。
 その意味では聖女と比較的に近いともいえる。
 萌葱の月、第3週8日。奈良宮瑠璃は港町リマールあるルリタニア貿易管理施設にて亜衣・ルリタニア王女と対面を果たしていた。

「お会いできて光栄です。奈良宮瑠璃皇女殿下」
「こちらこそ。お会いできて光栄に存じます。亜衣・ルリタニア王女殿下」

 ルリタニアンらしく裾の広がった鮮やかな赤いドレスを着た亜衣が対峙する。真っ白な海軍の軍服を纏った瑠璃の凛とした声と亜衣の涼やかな声が館の広間に響いた。エルフを含めた7国間の政府役人達が居並ぶ中、2人はにこやかに挨拶を交わしていく。
 亜衣はどことなく皇女の凛とした姿勢に気後れがしそうになっていた。亜衣が素手の手を差し伸べる。瑠璃が亜衣の手を見て眉を顰めたが軍服と同じく真っ白な手袋をした手を差し出してくる。貴族階級では素手でいることの方が珍しい。自ら労働とは無縁の存在であることの証として手袋は必需品なのである。

 亜衣は力強く瑠璃の手を握り締めた。この辺りはさすがルリタニアの王女だ。気後れしていない。ローデシア大陸最大の王国。ルリタニアの王女である亜衣は手袋をしていようとしていまいと変わりないのだった。
 瑠璃がちらりと亜衣の手を見た。そして同じく握り返してくる。皇女はにこっと亜衣はにこにこと笑っている。その余裕に瑠璃の顔が微かに引き攣ったように見えた。

 背後で2人の様子を窺っているエリザベートが内心、さすが王女殿下ですわーと感動している。
 2人は広間に残った役人と分かれて護衛だけを引き連れてティールームへと向かう。ここからは王女達だけの私的なお茶会である。ドラゴン達から手に入れた1008個の龍玉の割り当てという難しい政治の駆け引きは広間で役人達が頭を抱えながらするだろう。亜衣は一緒にファブリスから港町リマールにやってきた外交官のカスパル・フォン・アイヒベルガー伯爵に「全部任せるからね」と伝えていた。
 廊下を歩いている時に瑠璃は腰につけた軍刀をしっかりと掴み。背筋を伸ばして踵を鳴らすように歩いていた。典型的な軍人さんだな。と亜衣はそんな感想を持つ。亜衣やエリザベートのように王宮での作法を徹底的に叩き込まれてきたわけではないようだ。羨ましいと思う反面、これはこれで大変かも思う。ときおり瑠璃がちらちらと亜衣の様子を窺っていた。

 ティールームでのお茶会はお互いに格式を重んじた会話から始まり、現在なぜか潜水艦の話になってしまっていた。周囲でメイド達がおろおろ目線を彷徨わせる。

「潜水艦は女の浪漫です!」
「そうそう。そうですよね。男は海の上で波に揺られていればいいんです!」

 顔を真っ赤にした瑠璃とザビーネがもの凄く盛り上がっている。
 一体なぜ、こんな事にと亜衣は周囲を見た。部屋の隅で、あからさまにしまった。という顔をしたアルシアとマルグレットとドワーフの長、グレアムの3人がこそこそとお酒の瓶を隠そうとしていた。チラッと見えた瓶には『オーク殺し』と書かれている。一杯でオークをも酔わせてしまうというエルフ特製のお酒である。亜衣はじろりとアルシアとマルグレットとグレアムの3人を睨んだ。
 グレアムはびくびくしていたが、やがて何かを吹っ切ったような清々しい笑顔で何事かをメイドに言いつけている。
 
 テーブルの上に置かれている花束が取り除かれていく。代わりにお酒の用意がなされ、おつまみなどが並べられだす。その様子を見て慌てる亜衣を尻目にグレアムはどっかりと椅子に腰を下ろし、瑠璃の前におかれているカップにお酒を注いだ。アルシアとマルグレットも手酌で呷りだす。

「かたじけない」

 そう言ってグッと飲み干す皇女。

「おお。いい飲みっぷりだ。もう一杯」
「うむ。いい酒だ」

 こんっといい音を響かせてテーブルに下ろされたカップにすかさずお代りを注ぐグレアム。ドワーフの長だというのに、これは一体何事? と亜衣は事態の成り行きについていけなかった。
 瑠璃がお箸でつくね焼きを摘んで口に放り入れた。そしてグレアムのカップにお酒を注ぐ。

「おっとと……」
「飲め」

 啜るように飲み出すグレアム。瑠璃はさらにザビーネとアルシアとマルグレットの3人にも注ぎ飲ませようとする。

「グッといけ。グッと」
「いただきます」

 ザビーネら3人は一気に飲み干し、それぞれ湯気を立てている焼き鳥を食い千切る。

「それで、な。我が潜水艦R-2501、ローレライは水中を17.2ktで進む事ができるのだ」
「ほー今のところルリタニアでも水上ならそれぐらいで進めますけど、水中ではそこまで出せないですよ」
「今の平均は8~9ktだからな。いくら精霊球を多重に使っても速度はそんなに変わらん」
「やっぱり技術的には難しいですか?」
「というより、発想の転換だな。余計な装飾を外してしまうのだ。できるだけ流線形に近くすることだ」

 なんだかザビーネと皇女が話しているけどよく分かんない。亜衣は2人の話をぼんやりと聞いている。元々亜衣は軍事関係の技術には疎いのだ。兵士の数とか食事の量とかは分かっても兵器のスペックには疎い。聞かされてもどう凄いのか分からず、王女はあまり関心がないようだと将軍達からも呆れられたことがあった。それでも潜水艦を開発したのは奈良宮皇国なのだから軍事機密じゃないのかな? いいのかな~喋ってと思いながら聞いていた。
 
 余談ではあるが、亜衣が古都アデリーヌへ慰問に言った際に兵士達が腹いっぱい食べたい。と愚痴を零している所へ遭遇した。兵士達はお姫様を前にしてなんとか誤魔化そうとし、その場は収まったがその後、亜衣の進言によりルリタニア兵士の食事量は他国の1.2倍に増えた。しかもおやつ代わりにキャラメルが2個つく。キャラメルは栄養価も高いし戦場で甘い物はことさらうれしいらしい。と聞いた亜衣の提案だったが、その話が決まった際に……。

「キャラメルを2個つけてあげるねー」
「キャラメルよりタバコが吸いたい」
「タバコなんて吸わなくても死なないもん」

 その代わり1日の支給のタバコを7本から4本に減らされた兵士達の嘆きを前にして、当時10歳だった亜衣はそう言ってほっぺたを膨らましてそっぽを向いた。という話がまことしやかに前線で語られている。兵士達の間では食事の量が増えたことを喜びながらも、お姫様はお子様だから……と、泣く泣くキャラメルを他国のタバコと交換する者が増えたという。

 亜衣の隣に座って話を聞いていたエリザベートはスペックよりも値段の方が気になっていた。例えば新型の人型装甲騎兵でさえ、従来の機体よりも数倍値段が跳ね上がったのだ。偵察艇よりも新型装甲騎兵の方が高くなってしまったことから、ターレンハイムの娘としては頭を抱えたい気分だ。あれを一般兵に渡すには値段もそうだが、特に維持、整備に掛かる費用が大きすぎる。
 それだけに嬉々として瑠璃の話すR-2501がどれほどの費用が掛かったのか考えてもやもやした気持ちを抱えてしまっている。
 ザビーネも基本的には技術系の人間ですしこういった気持ちは分かりませんわね。エリザベートは気づかれないようにため息をつく。

「はあ……」

 横を見れば亜衣もため息をついていた。2人の眼が合い。乾いた笑いが浮かぶ。そうして同時にコーヒーを口にする。元はノエル王国から始まったコーヒー豆の栽培は数100年の歳月のうちに大陸中に広まり、今や紅茶と並んで2大嗜好品となっていた。はじめたのはロデリック・ドアッシャーという魔術師である。大陸における現在の食生活の大半は聖女がはじめた物が多い。その意味では聖女の影響を逃れられている国はない。
 もっともエステル曰く。かつて聖女は初代女帝の影響から逃れている国はないんだね。と語った事があるという。

「ねえねえ。前から不思議に思っていたんだけど、潜水艦はおおきな鉄の船だよね。なのに軍艦は木造の帆船なのはどうして?」
「それはですね。精霊球の関係ですわ。そもそも……」

 亜衣がエリザベートに小声で問いかけていると、瑠璃の耳がぴくんっと動いた。お酒の入ったカップを片手に焼き鳥の串を銜えつつ。身を乗り出してくる。

「うむうむ。亜衣王女は海軍に興味があるのか、では私が教えてやろう」
「ちょ、ちょっと疑問に思っただけで、皇女殿下自らにお教えいただくほどでは……」
「まあそう遠慮することはないぞ。そもそもだな……(長いお話)」

(潜水艦には精霊球が通常3~4個ほど使用されている。まず、航海用に2個。潜水艦というだけに海に潜らねばならぬ。したがって潜水用に1個。浮き上がる為の分は潜水用と同じだからいいとして、これで3個だな。そして緊急時用に1個の予備だ。翻って帆船はというと2個だ。マストに風を受けて航海するために風の精霊球が1個、そして宙を飛ぶ為に1個だ。ところがそれが鉄の船になると途端に使用される精霊球が増えてしまう。水の精霊球が5個だぞ。5個。どういう訳か、5個以下では動かなかったのだ。これは奈良宮でも何度も実験を重ねた結果だ。どうしようもない。船体の強度とか運べる量とかに問題があるといえばあるが、それでも鉄の船を1隻作るよりも帆船2隻作った方が安上がりなものだから、どうしても帆船となってしまうのだ。それに鉄の船がない訳でもないのだ。大型貨物船とかは積載量の多さから、精霊球を多用しても鉄の船の方が都合がいい。しかし軍艦はまず数をそろえる必要から帆船の方が主流なのだ。とはいえ、原材料の木材の消費に対する生産が追いつかなくなるのもそんなに遠い話ではないと思う。特にオーク材がまともに使えるようになるまで80~120年ほど掛かる。それを考えるとこれからはやはり鉄の船に切り替える時期が来ているものと考えている。それ故に龍玉が必要となってくるのだ。龍玉ならば鉄の船でさえ1個で動かしてしまうだろうからな)

 亜衣はどうしてこう技術系の人って語りだすと止まらないんだろうと思いつつ話を聞いていた。隣でエリザベートがうんうん。頷きながら聞いている。しかし最後の龍玉の話になって微かに眉を顰める。だがそ知らぬ顔で亜衣に向かい軽い口調で言った。

「結局、コストの問題ですわ」
「うん。それなら分かる」

 と、エリザベートが一言で話を纏めた言葉に亜衣が頷いた。エリザベートの物言いに瑠璃が微妙な顔をして睨む。長々と話をしていたのを一言で纏められて内心微妙な気分なのかもしれない。亜衣はそんな風に思っていたが、語り終えた瑠璃は再びカップをぐいっと飲み干す。
 ふと気づくとザビーネとアルシアとマルグレットの3人が酔いつぶれている。亜衣は呆れていたがエリザベートは酔いつぶれた振りをしている事に気づいていた。

 亜衣達のお茶会。……もとい。飲み会がようやく終わろうとしていた頃、ティールームにアデリーヌ陥落の知らせが飛び込んできた。
 ――アデリーヌ陥落。
 知らせを聞いた時、亜衣は最初何を言っているのか、理解できなかった。
 しかしその言葉の意味に気づくと、亜衣の顔面から血の気が引き、蒼白となる。

「お兄様は? アドリアン様は無事なの?」

 亜衣は立ち上がって知らせに来た役人に詰め寄る。役人は唇を噛み締め、首を振った。亜衣はその様子に崩れるようにして椅子の上にへたり込む。

「……現在。ルリタニア軍はアイヴスまで退却中であります。王太子殿下およびアドリアン様におきましては行方が分からないとの事であります」
「……そんな……」

 エリザベートも呆然としているようだ。亜衣は周囲を見渡し、目を瞑る。同時に唇をきつく噛んだ。唇の端から血が滲んでいる。
 閉じた目を開けると、勢いよく立ち上がり、テーブルの端に手を付く。

「――瑠璃皇女殿下。申し訳ないのですが、奈良宮皇国まで行く訳にはまいりません。龍玉は差し上げますから私達は急いでファブリスまで戻ります」
「さ、さようか。いや、致し方あるまい」

 瑠璃もすっかり酔いが醒めたようだ。椅子の上で真剣な眼で亜衣を見つめている。

「エリザベート」
「はっ」

 亜衣が呼ぶ。エリザベートもまた勢いよく椅子から立ち上がった。一瞬遅れてアルシア達3人も立ち上がる。

「戻ります」

 亜衣は振り向きもせず。扉へと向かう。エリザベートらは亜衣の後を追うように歩き出した。


 新大陸暦1043年――萌葱の月、第3週8日。
 この戦いが始まってから15年もの間、最前線として戦火の真っ只中にあった古都アデリーヌが陥落した。
 戦線はアイヴス。アルカラまで下がった。
 古都アデリーヌにあった戦力もほぼ壊滅状態。指揮を執っていたルリタニアの王子も行方知れずとなり、彼女らが戦場に立つ日がやってこようとしていた。




[20672] 第04話 「パラディーゾ山脈。黒いドラゴンと黒鉄の騎兵」
Name: T◆44637966 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/07 21:42
 第04話 「パラディーゾ山脈。黒いドラゴンと黒鉄の騎兵」


 古都アデリーヌ陥落の知らせを聞き、亜衣達は急いでファブリスへと戻った。
 戻ってみれば宮殿の中は上へ下への大騒ぎである。次々と飛び込んでくる情報は数多くあるが、どれもこれも悪い知らせばかり。
 亜衣は衛士達の制止を振り切って、国王のいる執務室の扉を開く。

「――お父様」

 執務室の中は暗く。灰皿には葉巻の灰が3つ。微かに揺れてる。カップの底に黒く冷え切ったコーヒーが残っていて暗い穴のように見えた。国王と両侯爵が深刻そうに話し込んでいる。部屋に光が飛び込んできた。部屋に飛び込んできた亜衣と父である国王の視線が合う。蒼白な顔。唇がわなわなと震えて今にも泣き出しそう。こんな父の姿を今まで亜衣は見た事がなかった。

「……亜衣か……奈良宮の瑠璃皇女殿下との会合はどうしたのだ?」

 亜衣にとっては兄が国王にとっては息子のヴォルフガングが行方不明になったというのに、こんな時にまで、父は国王として行動しようとする。これが国王としての責任感から出た言葉なのか、それとも兄の事を考えまいとする気持ちから出た言葉なのか。亜衣にはどちらとも今1つ見当がつかなかった。扉の影からアルシア達が覗き込んでいる。

「カスパル・フォン・アイヒベルガー伯爵にお任せしてきました。アデリーヌの状況はどうなっているのですか?」
「お父様。現状はどうなっているのですか?」

 亜衣の後ろに立っているエリザベートが父であるターレンハイム侯爵に問う。
 ターレンハイム侯爵とブラウンシュヴァイク侯爵はドサッと椅子に身を深く沈め、はぁ~っと溜息をつく。手もたれの上に肘をついて両手の掌を合わせ親指にあごを乗せると考え込むように目を瞑る。磨きぬかれた黒檀の机の上に侯爵達の渋い表情が映っていた。

「お父様?」

 亜衣とエリザベートの声が重なる。3人は沈黙している。カチカチ音を立てる時計の針の音が部屋の中でやけにうるさく感じてしまう。廊下の向こうでばたばたと慌ただしく歩き回る人々の足音もうるさい。

「……アデリーヌ陥落。ヴォルフガングは部下を庇って行方知れずだ。アドリアンがヴォルフガングに代わってアデリーヌに駐在していたルリタニアの兵力、約3分の2をアイヴスにまで撤退させている」
「魔物どもの一大攻勢により、ルリタニア・ノエル・カルクス・ザクセン・奈良宮・ルツェルン。そしてヘンルーダの森の7カ国による連合軍は、ほぼ壊滅状態だ」
「ルリタニア・ノエル・奈良宮・エルフはアイヴスまで後退。カルクス・ザクセン・ルツェルンはノエル地方都市アルカラにまで後退している」

 ターレンハイム侯爵とブラウンシュバイク侯爵が現状を説明していく。戦線がアデリーヌよりアイヴスまで後退している事を確認した亜衣達は息を飲んだ。

「逃げ切れなかったアデリーヌの住民達は未だ。……街中に取り残されている」
「助かった者は攻勢があった時、街の外にいた者たちが大半だ」
「一体何が起こったんですか?」

 亜衣の問いかけに国王が深いため息を吐いてから口を開く。

「町の中心部に突然、魔物の大群が現れたそうだ。兵士達は背後から襲われ、街に入る事ができなくなった」
「街中に? 突然?」
「そうだ。生き残った者の証言によると町の中心部に現れた女が魔力を行使してカーライル村とアデリーヌを繋げたららしい」
「……まさか……」
「裏切り者がでてくるなんて……」

 亜衣は息を飲む。エリザベートもまた同じ気持ちらしい。部屋の外で話を聞いていたアルシア達も愕然とした顔で扉にへばりついている。まさかと亜衣が呟く。……まさしくまさかであった。通常の戦争と違って、相手は魔物。それもいままでとは違って人を殺す目的のみで行動している魔物達である。裏切る事に得があるとも思えない。これが7国間の対立から来る裏切り行為ならば、まだ理解できるのだが……。それだけに裏切り者がでたアデリーヌがどれほど混乱し隙を突かれたのか目に浮かぶようであった。
 
 ふらふらと重苦しい空気が漂う部屋を亜衣達は逃げ出すように一旦出る。部屋を出た途端、亜衣はアルシアとザビーネに支えられた。そしてそのまま宮殿の庭へ向かう。レティシア宮殿はファブリスの中心地にあって広大な敷地面積を誇る。
 かつては貴族の住居となっていた建物は今ではそれぞれ官庁として機能していた。そのうちの一角に軍関係の建物がある。陸軍。海軍。そして新しく創設されたばかりの空軍である。ルリタニアにおける軍事機能の中心。作戦本部、参謀本部だけでなく兵站から人事に至るまでここで処理されている。
 亜衣は陸軍の建物に近づくと、大きな鉄の扉を潜る。中では忙しそうに軍服を着た軍官僚達が書類を抱え歩き回っている。勝手知ったるとばかりに真っ直ぐ元帥の部屋へと向かう。途中、何度か呼び止められそうになったが、亜衣の顔を見ると何も言わずに通してくれる。王女というだけでなく。幼い頃から何度も遊びに来ていたため古くからの軍人とは顔なじみなのだ。
 元帥の部屋の前、すぅ~っと深呼吸してから扉をノックする。

「――入れ!」

 中から野太い初老の男性の声が聞こえてくる。
 亜衣達が中に入ると、元帥であるディルク・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵が驚いた表情で何度も頭を振ってから迎えた。

「……ディルクおじさま」
「亜衣……王女殿下。いや、『少将閣下』と呼ぶべきですかな?」

 驚きからすぐに立ち直った元帥がにやっと笑って幼い頃、亜衣につけた階級を言った。

「ディルクおじさん。それはやめてと言ったでしょ」

 ややぎこちなく亜衣が笑おうとする。支えていたザビーネが驚いて亜衣に問いかけてくる。

「王女殿下は少将だったんですか?」
「そうだ。『少将閣下』だ」
「違うよ」

 亜衣はザビーネに向かって否定した。元帥はどことなく面白がっているようにも見える。
 少将というのは亜衣がまだ幼かった。5歳の頃につけてもらった官位である。当時、宮殿によく顔を見せる軍人は元帥以下。大将とかばかりだった。元帥とか大将とか中将の官位で呼ばれる軍人達に向かって将官クラスの官位しか知らない亜衣は「亜衣も欲しい」とねだった。
 欲しい欲しいと駄々を捏ねる亜衣に困り果てた国王以下元帥達はなんと言おうかと散々悩んだ末、陸軍元帥のディルクが冗談交じりに「亜衣王女はまだ小さいから少将ですな」という言葉に飛びついたのである。一時は宮殿内で亜衣少将閣下と呼ばれて喜んで元帥達の真似をして「えっへん」と威張っている亜衣の姿が目撃された。軍の階級を知るにつれて亜衣は少将と呼ばれる事を嫌がったが、よく顔を知る元帥や古参の軍人達には今でも『少将閣下』と冗談交じりに呼ばれていた。ちなみに士官学校卒の王太子は大尉である。こちらは正式な階級であった。

「そ、そんな事よりも……」
「ああ、分かっちょるよ。アデリーヌに関する事だろう?」
「ええ。そうです」
「現状はまだはっきりした事は分かってないが、とりあえず裏切り者は判明した。シャルロット・フォン・ラッセンディル。あのラッセンディル家の娘だ」
「シャルロットお姉さまが?」
「そうか。亜衣はあの娘とは親しかったな。だが事実だ。どうして裏切ったかまでは判明してないがね。アドリアンとまだ連絡がついていないのだ」

 亜衣は頭がパニックになりそうだった。ラッセンディル伯爵家は西の塔で医学・薬学を研究しその成果はローデシア中に広がっている。その上代々優れた魔術師を輩出してきたこともあって魔術師の家系では引く手数多の家柄である。現在の当主の弟がカルクスにある南の塔へ出向しているためにシャルロットが魔術師としての才能と医学の能力とを乞われて兄、ヴォルフガングの元にいたはずなのに……どうしてこうなったの?

「本当に分かりませんですわね。魔術師としては名門ですし、シャルロット様はいずれラッセンディル家を継ぐ身ですのに」
「そうなのじゃ。製薬会社としても大手なのじゃぞ」
「ああ、知ってるで、ヘンルーダの森でも原材料の売買を契約してるからな。えらい羽振りのいい金持ちやで」
「金もある。力もある。地位もある。名誉もある。そんな家の跡継ぎがなぜ裏切ったりするのか? 分からんだろう?」
「う~ん」

 元帥が指を折って数えながら話す。亜衣達が首を捻る。確かにその通りだと思う。

「しかもだ。今は戦時中。大量の医薬品を軍がラッセンディル家に注文しておる。これだけでもかなりの額になるぞ」
「戦争特需でがっぽがっぱやからな。なんでやろ? もしかして西の塔の首席導師になれんかったからとか?」

 マルグレットがそんな事を言い出した。しかしザビーネが首を振って違うと言い出す。

「南の塔の首席導師として西の塔の首席導師だった当主の弟が出向しているんだ。当主は製薬会社の経営に忙しいし、当時はまだシャルロット様も小さかったからね。ケッセルリング家はラッセンディル家に後を任されたんだよ」

 再び亜衣達は首を捻る。う~んう~んと悩んでいるとアルシアがはたと思いついたとばかりに手の平を打ち鳴らす。

「金でもない。力でもない。名誉でもないとすると残るは、色恋沙汰じゃ」
「色恋って、それで魔物相手に裏切るか?」

 元帥が呆れたように口を挟む。アルシアは手を振ると違う違うと言って説明し始めた。

「魔物相手と考えるからおかしくなるのじゃ。まず。シャルロットが欲しいのは誰じゃ? ヴォルフガングじゃろう。あやつしかおらん。他の家、例えば両侯爵家といえど、ラッセンディル家との婚姻となれば諸手を上げて賛成するじゃろうからな。シャルロットも美人じゃし……しかしヴォルフガング王太子殿下。あやつの傍にはアドリアンがずっとついておるのじゃ」
「恋愛問題? お兄様とアドリアン様を引き離す為?」
「そんなバカな! そんな事をして後はどうするつもりだ?」
「そんな事は考えておらんのではないか? よく言うじゃろう。恋は盲目じゃ。思慮の外ともな」

 自信満々に胸を張っていうアルシア。その周りではなんとも言えない表情で考え込む亜衣とエリザベートの姿がある。マルグレットはうちは人間やないから分からんわ。と言ってそっぽを向く。陸軍元帥のディルクに至ってはこれだから女は。と言い、亜衣達5人に睨まれた。

「それでどうしますか?」

 このままではらちがあかない。と考えたザビーネが亜衣に話しかける。

「……そうね。うん。アイヴスに行こう。アドリアン様と会って話をしなければいけないと思うの。ここでああだ。こうだと言ってたってしょうがないよ。うん、そうしよう」
「うむ。そうしよう。女は行動あるのみじゃ!」
「そうですわね」
「いくべ。いくべ」
「分かりました。では行きましょう」

 亜衣達は元帥の部屋を颯爽と出て行く。一旦目標が決まると彼女らは逞しい。振り向きもせずに立ち去っていった。
 次にやってきたのは、空軍本部である。
 列車で移動するよりも車や海を行くより、空を飛んだ方が速い。

「この際、使える権限は何でも使うよ」

 亜衣はめったに振りかざす事のない王女の権威を振りかざす事に決めた。緊急事態である。アイヴスへ行かなければならないのだ。そしてアドリアン様に会うのだ。これは王位継承権も係わってしまっている。
 空軍本部の中に入った亜衣達を止めようとした衛士がマルグレットの精霊魔法で動けなくされてしまった。

「ルリタニア王国、亜衣・ルリタニア。通してもらいますね」
「亜衣王女殿下が通ります。皆の者下がりなさい」

 エリザベートの声がフロアに響き渡る。慌ただしく動いていた兵士達や軍官僚達がピタリと止まって、視線だけを亜衣達に投げかけてくる。相手は王女殿下。下手をすれば次期女王である。こんなところで睨まれたくないとばかりにじっと息を殺して、通り過ぎていく亜衣を見つめていた。

「ブルーノ・フォン・ヴェールマン伯爵」

 部屋に通された亜衣は元帥とは呼ばず、伯爵と呼んだ。
 普段の小市民的な雰囲気とは違う。王女として公式の場に臨む雰囲気を漂わせる。

「亜衣王女殿下。何用ですかな?」

 ヴェールマン伯爵もさすがに軽口を叩く事ができずに亜衣を見つめる。冷ややかな眼。他者を圧倒する気迫。王族同士の公式な場面で見られる王女の姿である。この辺りは幼少の頃から叩き込まれてきただけあって、堂に入ったものだ。とヴェールマン伯爵でさえ、跪きたくなる。

「アイヴスへ行きます。特別輸送機を出しなさい」
「…………今は危険です」
「一刻を争うのです。危険は承知です」

 亜衣は強引に出立を決め、準備を急がせた。



 レティシア宮殿の一角で第0902小隊は装甲騎兵の移送に大忙しになっている。
 慌ただしく運ばれていく5機の装甲騎兵。
 その周りでは王女付きの整備班――女性のみで構成されている――が忙しく働いていた。
 全長 19.66m。全幅 28.96m。全高 5.16m。翼面積 91.7m2 運用 8,030kg。最大離陸 12,700kg。巡航速度 266km/h。最大速度 346km/h。航続距離 2,420km。ギガント級G-003型軍用輸送機。後部ハッチが開き、その中に載せられていく装甲騎兵を眺めながら、亜衣達もまた忙しく準備に追われている。

「なんでこんなに忙しいの?」
「陛下のご命令で、陸海空の将校達も一緒にアイヴスに向かう事になったからですわー」

 エリザベートがぷんぷん怒ってる。亜衣が強引に軍用輸送機を出させた事を知った国王以下侯爵たちがこれ幸いとばかりに軍の将校を同乗させてアイヴスでの軍の建て直しをさせようというのだった。
 さらに急ぎ、必要となりそうな医療品。食料なども運ばせる事が決まったために、輸送の為の場所確保におおわらわである。装甲騎兵が隅っこに追いやられていく。
 医療品。食料。衣料、毛布。精霊球。武器弾薬。整備用品。交換部品など持っていくものは多く。確認する事はたくさんある。
 亜衣達は手分けして一々チェックをして確認していた。

「こういうのって普通……軍関係者がしないかな~?」
「そうですわー」

 チェックをしながら亜衣が言うとエリザベートも同意する。
 亜衣とエリザベートが怒ってるのを見て、アルシアとザビーネが呆れた。

「そんな事言ったら、将校たちがかわいそうだと思うよ」
「そうなのじゃ。あやつらはまるで人夫のように荷運びをしておるのじゃ」

 輸送機の荷受場で将校たちが腕まくりをして大きな荷物を持ち上げて運んでいる光景が見える。汗を一杯掻いて、真っ赤な顔をしていた。下士官の男達も忙しそうだ。工事用の特殊車両で大きなコンテナを持ち上げて荷運びしていた。重い荷物を持たないだけ、亜衣達は楽をしているのかもしれない。
 しかし。とも思う。仮にもなにも本物の王女である。
 伝票と赤鉛筆を持って荷受場を忙しく動き回るのは王女としてどうだろうか?

「あ~お父様ってば、もう!」

 伝票にチェックを入れつつ。亜衣は国王に対して文句を言ってる。何が一番腹が立つと言って、軍人さん達ではない。彼らは忙しく働いている。整備班でもない。自分達がチェックしている事でもない。

「あそこでのんびり眺めている人達だよー!」

 亜衣はビシッと指を指した!
 少し離れた場所で国王以下両侯爵に陸海空の元帥達が荷受場を眺めていた。ディルクなどはパイプを銜えて煙を吐き出している。

「た、確かに……あれは腹立つわな」
「そうですわ。のんびり眺めている暇があるなら、自分達の仕事をするべきですわ」

 やいのやいの騒いでいる娘達の白い目線に居た堪れなくなったのか? 国王達は逃げるように立ち去っていく。

「こらー。逃げるなー。手伝ってけー」

 亜衣はその背中に罵声を浴びせる。周囲からはよく言ってくれた。とばかりに賞賛の声が上がる。
 なにはともあれ。荷物も運び終わり、ようやく出発である。

 輸送機に乗り込んだ亜衣達は座席に座る。座席そのものは結構広いけど……。

「狭い?」
「いや。こんなものじゃろう」

 輸送機の中は意外と狭く感じられる。せめて列車のコンパートメントぐらいの大きさがあればとも思う。

「仕方ないです。飛行機と列車は設計が違いますから」
「まあ。亜衣から見れば、どこでも狭く感じるのじゃろう」
「そうやろな。あの部屋に住んでるんやからな」
「それは言えてますわね」
「ぶー」

 部屋の中でぶーぶー言ってる亜衣を他の4人が笑ってる。
 機体が前に進み。がくんっと体が浮く。輸送機が浮き上がったようだ。
 輸送機は一旦ファブリスから東へ進む。ルリタニアの背骨と呼ばれるパラディーゾ山脈(4,061m)を越えるのは大変だからである。したがって山脈の端、マインツの町で1回降りてから北北西に進路をとり、ロードを越えてアイヴスへと向かう。本当ならロードリア山脈(3,643m)とパラディーゾ山脈の境目、モームの町を飛び越えていった方が速いのだけど貨物便が多く飛ぶ予定らしく。航空管制から許可が下りなかったのだ。ぷんぷん亜衣は怒ったが、食料優先と言われれば亜衣もゴリ押しする気にはなれない。無理に押して国民を飢えさせる気もないし……。
 パラディーゾ山脈を見ながら亜衣ははしゃぐ。飛行機に乗るのは初めてなのだ。4,000m級の高さから見下ろす風景は綺麗に見える。山脈の上に雪が積もっている。

「ほら雪」
「亜衣、あまりはしゃぐでないのじゃ」

 アルシアに窘められて顔を赤くしてしまう。
 そんな亜衣の様子に空軍の女性士官がくすくす笑っていた。

「子供かい?」

 マルグレットが呆れた声を出すが、自分だって窓に顔をへばりつかせていた。エリザベートなどはいつものように本を読んでるし、ザビーネにいたっては空軍の少佐と話をしていた。
 ぶーん。という音が聞こえ、輸送機のすぐ傍をプロペラをつけた飛行機がマインツから編隊を組んで飛んできた。胴体の部分に三つ首の猟犬が描かれている。G-103戦闘機である。亜衣はまだ彼らが戦っているところを見た事がない。飛んでいるところを見たのも初めてであった。
 あはは、形といい。色合いといい。ちょっとイルカに似てるかも。かわいい~。

「あれ、戦闘機だよね。初めて見た……かわいいな~」
「そうで御座いましょう。いやあ~亜衣王女殿下はよく分かっていらっしゃる。うんうん」

 背後から声を掛けられて振り返ると、さっきまでザビーネと話していた空軍少佐のガストン・バルバートルが深い皺を刻んだ顔をさらに皺を深くして喜色満面といった感じで頷いてる。亜衣は呆気に取られた。しかしほんの少し嫌な予感がする。

「あれこそが、我がルリタニア空軍が誇る。G-103型戦闘機です。全幅9,87m。全長8,51m。全高2,28m。最高速度約470km/h。航続距離650km。実用上昇限度10,500m。対飛行魔物用の戦闘機なのです。凄いでしょう!」
「は、はあ……」

 亜衣はガストンの様子にびくびくする。もしかしてこの人も……。今までの乏しい経験から亜衣の脳裡に技術系の人はスペックを自慢したがるという真理が出来上がっていた。そして話も長い。

「現行の装甲騎兵は高度2000mほどしか飛べません。高い山を飛び越える事はできないのです。しかーし。飛行機は違う。かつて、そう! かつて500年前、かの聖女がもたらしたという飛行構造の仕組みは長年に渡って人の夢でした。しかし……」

 ガストンはそこで一旦言葉を切り、遠くを見た。興奮に我を忘れているようにも遠い昔に思いを馳せているようにも見える。

「その当時は魔力を動力とする精霊球はまだ! 無かったのです。そこで代用として蒸気機関が作り出されましたが、余りにも重すぎて空を飛ぶ事はできなかった……悲しい事です」

 大袈裟な身振りを混じえガストンは語る。
 話を聞いている亜衣達5人は呆然とし、諦めきった表情で話を右から左へと流していた。

「かの偉大なる錬金術師コーデリアが100年掛けて作り上げた魔力の塔もその当時は無用の長物として多大なる侮辱を受けてきたのです。そうですよね。アルシア殿!」
「う、うむ。そうなのじゃ」

 急に話を振られたアルシアがこくこく頷く。
 ぎゅっと拳を握り締めたガストンはなんとも言えない慈愛に満ちた表情でアルシアを見つめる。

「我々空に憧れた者達も同じでした……。作っては墜落し、多くの人命が失われました。そして多大な侮辱を受けてきたのです。空を飛びたい。只それだけを望んだ我々は、馬鹿にされ苦しんできました。二言目には飛行船があるじゃないか? とも言われた」

 ガストンがカッと目を見開き。拳を天に向けた!

「我々は浮きたいのではない! 飛びたいのだ! 空を自由に飛びまわる。鳥のように。ドラゴンのように!」

 叫ぶガストン。亜衣はただ呆然として見ている事しかできなかった。亜衣は助けを求めるように周囲を見たが、空軍の人達は頷いている者や亜衣と目が合うと目を逸らす者もいる。みんな酷いよ……悲しくなってしまう。

「魔力を動力に変換する精霊球が作り出された事により、飛行機に使用する事も可能になったのです。そして出来たのが、フレイザー型複葉機なのです! 今では飛行学校の教習機として活躍しています。そしてそしてフレイザー型複葉機が完成してから10年という月日を越えとうとう、ルリタニア王国にも空軍が設立されて、その栄えある主力機として現れたのが、G-103型戦闘機なのです。設計者は自分ことガストン・バルバートルであります。G-103型のGはガストンのGなのだー!」

 ガストンは感動に打ち震えている。上を向いているために表情は窺えなかったが、目尻にうっすらと光る涙が見えた。
 話を聞いていた周囲の空軍に所属する軍人さんたちが拍手をする。中には自分の苦労話を始める者もいた。新設されたばかりの空軍には確かに色んな苦労をした人達がまだ生きているのだろうが、亜衣にはよく分からないのだ。
 亜衣は両目をどよんとさせガストンを見つめるだけだった。

「魔力の塔から送られてくる魔力を受け取る為の仕組みも完成しておりますし、航続距離もどんどん伸びていくでしょう」
「……そうやな。魔力の塔から送られる魔力は今では社会基盤の重要な動力源としてルリタニア中で利用されてるからな」

 空軍の人に捕まったマルグレットがはいはいとでも言うように気のない返事を返す。
 どうして技術系の人って語りだすと止まらないんだろう? やっぱり亜衣にはよく分からない。ガストンは一通り話してすっきりしたのか? ところで、と話を変えて今度はルリタニア王国を褒め始めた。

「ルリタニアはいいですな。政治も社会も安定してますし、なにより食い物がうまい」
「ありゃあ、国王と両侯爵家ががっちり手を握っているからだと思いますがね」

 ガストンの言葉に今までじっと話を聞いていた陸軍の人も話しに加わりだす。

「金融のターレンハイム家。魔力の塔に象徴されるエネルギーを握っているブラウンシュヴァイク家。どちらともその影響力は大陸中に広がってる。その金とエネルギーを握る両家を押さえる王家。こりゃあ強いはずだ」
「考えてみれば、魔力の塔はルリタニア王国にしかないんだよな」
「他の国に技術流出をさせぬからじゃ」
「ノエル王国はルリタニア、ヘンルーダの森、奈良宮皇国の3国からなる通貨援助によってなんとか持ち堪えているところですわ」
「ノエル王国も魔物の襲来さえなければ、かなり経済も良かったんだがな~」

 金と魔力の塔の話題になるとエリザベートとアルシアが話に加わる。

「アデリーヌを押さえられたのが痛いな。あそこでなければまだマシだったんだが……」
「ああ、海の玄関だからな。しかしノエルは技術を売ってるところがあるから、まだ持ってるほうだと思うが」
「資格関係ではノエルの基準がスタンダートになってるしな」
「あれうまい事やったと思うぜ」

 やいのやいの話をしていると、通信機から魔物の襲来が告げる。ブザーが鳴り響く。軍人たちは窓から、ワイバーンの姿を確認すると一斉に各部署に走り出す。この辺りはさすが軍人だと思う。マインツの町に程近いパラディーゾ山脈の裾野に差し掛かったばかりである。輸送機を襲い来る魔物を避けて不時着して迎撃するか? それともマインツへと向かうか、決断を迫られる。護衛機のG-103型戦闘機が一斉に散開して、魔物達を迎撃し始める。輸送機の各部署に取り付けられた20mmの機関砲が群れをなすワイバーンを撃ち落していく。

「やつらには戦術を使う知恵はない」
「ただ食欲に支配されているだけだ! 恐れる事はないぞ」

 通信機からG-103型戦闘機のパイロットの声が聞こえてきた。はるか上空から獲物を狙い。一直線に飛び込む戦闘機。山脈にぶつかる寸前、くるっと機首を上げる。上昇していく動きはまるで水鳥のよう。螺旋を描く戦闘機もある。右へ左へと動き回り、魔物を翻弄している。
 亜衣はここが空の上だという事も命がけで戦っている事も忘れて見蕩れてしまった。まるでたくさんのイルカが海の中を泳ぎまわっているようにも見え、ついつい笑みを浮かべてしまう。戦闘機のプロペラが雲を切り裂き、白い筋を空に描く。
 G-103型戦闘機の両翼から太い火箭が延び、ワイバーンの左翼を直撃した。大口径の弾は一撃で左翼を吹き飛ばす。片方の翼を失ったワイバーンは真っ逆さまに墜落していった。G-103型戦闘機達は圧倒的な火力でワイバーンの群れを駆逐している。
 だが、第2陣が現れた。
 巨大な邪竜。ヘンルーダの森に棲むドラゴン達とは違い。黒い鱗に覆われた巨体が禍々しい雰囲気を漂わせる。
 亜衣はそれを目にした途端、ぞくっと背筋が震えた。
 ――あれはただのドラゴンなんかじゃない。まるで悪意が凝ったような姿。
 黒いドラゴンが口を大きく開け、真っ赤な口から鋭い牙を見せつける。

「だめ! 逃げて!」

 亜衣は思わず叫んだ。
 しかしその声よりも先にドラゴンのブレスがG-103型戦闘機に襲い掛かる。広範囲に広がるブレスは何機もの戦闘機を巻き込んで炎を空へと撒き散らす。ブレスに焼かれ墜落していくG-103型戦闘機。

「くそったれがぁ!」

 味方が墜落していくというのに恐れず果敢に攻め込む。背後に回った戦闘機が叫び声とともに機銃を撃ち込もうとした瞬間。ドラゴンの背中から起き上がった装甲騎兵に撃ち落される……。
 護衛機の間に動揺が走った!

「……なんで?」

 亜衣もまた。信じられなくて目を擦ってもう一度、見つめる。
 ――ナンデ、ソウコウキヘイガコウゲキシテクルノ? アイテハマモノノハズデショ?
 黒いドラゴンの背中に乗った新型装甲騎兵。亜衣達のデフォルメされたものとは違う。シャープな線を彩る黒鉄の機体。その周囲には複数の魔方陣が煌いている

「――王太子殿下の専用機」

 ザビーネが怯えたように呟いた。その言葉に機内にも動揺が走る。

「第7装甲騎兵連隊がアイヴスに輸送した新型ですわ……確かにヴォルフガング王子のもの」
「なぜ。王太子が攻撃して来るんだ!」
「分からぬのじゃ!」

 動揺して叫ぶ兵士に向かってアルシアが叫び返す。
 なぜ? と聞かれても誰にも答えようがない。亜衣もまたなんと言っていいのか分からなかった。
 ドラゴンのブレスが輸送機にも掠った。衝撃で機体が傾く。

「いかん。このままでは墜落するぞ」
「一旦、不時着するしかない」

 輸送機はふらふら飛びながらパラディーゾ山脈を越え、緩やかな裾野へと着陸しようとしていた。上空ではドラゴンとG-103型戦闘機が未だ戦っている。ドラゴンのブレスをかわし、近づこうとする戦闘機をヴォルフガングの専用機が狙い撃ちしていた。
 炎を上げ墜落していく何機ものG-103型戦闘機。

「どうせ、墜落するならぶつけてやる!」
「だめだ! 脱出しろ~!」

 ガストンが窓にへばりついたまま叫び声をあげた。しかしそのうちの2機が黒いドラゴンに向かって体当たりするかのように向かっていった。衝突しようとする戦闘機をドラゴンはかわそうとして、胴体に掠った。
 切り裂かれ。赤い血がばっと飛び散る。
 身を捩って怒りと悲鳴の混じった咆哮を上げ、動きが止まった。
 そこへすかさずもう1機の戦闘機が飛び込み。衝突する。炎に包まれたドラゴンは血を撒き散らしつつ天高く舞い上がる。振り落とされまいと、しがみついている新型装甲騎兵。
 亜衣はふらふら揺れる輸送機の中から兄ヴォルフガングの専用機をじっと見つめていた。

「王女殿下。しっかり掴まっていて下さい!」

 座席に座る。ザビーネの手によってシートベルトをしっかりと締められながらも眼はじっと兄ヴォルフガングの専用機をじっと見つめ続ける。。輸送機が裾野に着陸を開始したのか、体がふわっと浮き上がりそうになり、続いて叩きつけられるように座席に押し付けられた。鈍い地響きを立てながら輸送機が止まった……。
 亜衣達は急いで自分達の装甲騎兵の元へと向かう。貨物室の中は衝撃でめちゃくちゃになっている。それでもなんとか乗り込み。外へと飛び出していく。
 空の上では傷つけられたドラゴンがそれでも悠々とパラディーゾ山脈の上空を旋回する。兄ヴォルフガングの専用機から放たれた銃弾が亜衣のすぐ傍に撃ちこまれる。そして黒いドラゴンは蔑むような咆哮を上げ、尾根に沿って北北東へと飛んでいった。おそらく。いや確実にアデリーヌへ向かっているのだろう。飛び上がって追いかけようとする亜衣をザビーネが押し留める。

「無理です。装甲騎兵では4000mの高さにまで飛べません!」
「でも!」
「今は急いでマインツまで向かう事や。それしかないで!」
「復讐の機会は訪れるのじゃ。必ずな……」
「必ず。あのドラゴンは撃ち落して差し上げますわ。ふふふ」

 エリザベートが不気味な笑い声を上げている。アルシアやマルグレットもつられる様にして笑い声を上げた。
 亜衣は北へ向かって飛んでいくドラゴンを睨む事しかできずにいる。
 ――そうだよね。あのドラゴンは撃ち落してあげるから……。でも、どうしてお兄様が一緒にいるの?
 亜衣の眼に兄ヴォルフガングの黒鉄の機体が焼きついていた。

 飛行機の音がして振り向けば、マインツからの援軍が遅ればせながらやってくる。亜衣は散乱している補給物資を拾い集めだした。とにかく急いでマインツへと向かい。そこからおそらく列車に乗り換える事になるだろうが、一刻も早くアイヴスへと向かわねばならないのだ。黙々と拾い集めながら亜衣達は復讐を誓う。しかしそれと同時にじわっと視界が歪む。ぽろっと涙が零れる。目を瞑ったが、後から後から涙は溢れ、兄に撃たれた亜衣が装甲騎兵の中で涙を拭う事もできないまま泣き続けた。

「ぐすぐす、お兄様……」
 




[20672] 第05話 「雪の国の戦乙女Part1 『Prince of Ombria』」
Name: T◆44637966 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/15 21:02
 第05話 「雪の国の戦乙女Part1 『Prince of Ombria』」


 ――新大陸暦1038年、銀の月(12月)。

 一つ目の巨人が迫ってきた。月を背に斧を振り上げる。
 3mを超える巨体。ぼろぼろの毛皮を纏い。サイクロプスともミノタウロスとも違う。牛の頭の上に大きな赤い一つ眼。醜悪な表情を浮かべにじり寄ってくる。悲鳴を押し殺して楯を構えた。目の前に展開する小さな魔方陣が一つ目の巨人の姿をはっきりと映し出す。軍服の内側で汗がつぅっと流れ落ちる。操作グリップを握る手がじっとりと汗ばみ。フットペダルを目一杯に踏み込んだ。機体に力が篭もる。
 極寒の地。カーライル村近くの深い森の中で配属されたばかりの私の小隊はこの一つ目の巨人に壊滅させられた。周囲は破壊され打ち捨てられた機体と血で赤く染まっている。
 ぶん、と風を切る音が、踏み出すたびに落ちる雪に混じって近づいてくる。――こちらを狙っているのだ。
 がっ! 打ち下ろされる巨大な斧。楯がオレンジ色の火花を散らす。刃の部分が1mを超える巨大な斧を何とか防ぐ。しかしぐいぐい力を込めて押し付けられ体勢が崩れそうになった。踏み止まる両足も雪の中に埋まり、何度も滑りそうになる。
 間近に迫る醜い顔。牛の口から涎を撒き散らし、長い舌が幾度と無く機体を舐め上げ、ぐふぐふと不気味な笑い声を立てる。機体の中にいるのが女だと分かっているのだ。そうでなければ今までにも致命傷を与える事ができただろう。そうせずにねちねちと攻め立て中にいる兵士が諦めるのを待っている。ふいに斧から力が弱まった。ぐいっと楯で押し返す。魔物は後ろに下がっていく。
 
「――なぜだ?」
 
 機体の中で呟いた。だが疑問に感じるより先に、急いで機体の背後に納められている剣を抜く。右手に剣。左手に楯を持ち。魔物と相対する。一つ目の巨人はいきり立った男根を見せ付けるように近づいてくる。思わず目を逸らす。その瞬間を逃さず振りかぶった斧を叩きつけてくる。

「しまった!」
 
 慌てて楯を構える。剣を抜いたために片手が塞がり、構える力が弱まっていた。
 剣で突く。掠めた刃が一つ目の巨人の魔物の歯で噛み砕かれた。その光景に目を見開く。まさか厚さ2cmはある刃を噛み砕くなどできるというのか?
 とっさの躊躇が隙となり雪の上に押し倒された。機体が悲鳴を上げる。常時展開しているはずの土の魔方陣さえ掻き消えた。途端に極寒の外気に晒される。凍りつくような冷たさを感じ、鳥肌が立つ。機体の上には一つ目の巨人が圧し掛かっている。赤い口から吐く息が白く濁っていた。
 ギシギシと装甲が音を立てた。一つ目の巨人の爪が装甲を引き剥がそうとしている事に気づき、初めて口から悲鳴が漏れる。

「いや。やだ。いやあ~」
 
 一度悲鳴を上げると自分でも止められない。止まらなくなってしまう。駄々っ子のようにいやいやと首を振り続けるしかできない。無我夢中で両手を振り回す。ガキッと甲高い音を立てる。視界の隅に部下のノエル兵の死体が飛び込んできた。
 息が止まる。目の前には一つ目の巨人。押し倒され、装甲が歪み。開いた隙間から冷気と汚らしい臭気が忍び寄ってくる。怖気のするような匂い。吐き気とともに悲鳴を飲み込んだ。砕かれた剣を突き出す。魔物の皮膚を切り裂いて血が滲む。自らの血に興奮したのか? 一つ目の巨人が咆哮をあげて歯を噛み鳴らす。ギシギシと軋む装甲。軋むたびに隙間が大きくなり、体が凍える。
 装甲が引き剥がされた。一つ目の巨人と直接目が合う。一つ目の巨人はその大きな赤い眼でにたりと哂った。
 ここまでなのか? 絶望に胸が染まる。操作グリップを握る手から力が抜け、一つ目の巨人に抵抗していた機体がギシッと金属の擦れる音を立てて止まった……。
 一つ目の巨人の牛のような顔が近づいてくる。絶望的な諦めとともに目を瞑る。
 その時銃声が聞こえ、木々の枝から雪が落ちた。一つ目の巨人が顔を上げる。圧力が弱まった事を感じ慌てて操作グリップを握り、逃れようと後ろにずり下がっていく。
 もう一度銃声が聞こえた。赤く濁った一つ目が大きく見開かれ、断末魔の悲鳴を上げて倒れ伏す。
 その後ろから現れたのは青い薔薇を抱くドラゴンが描かれた黒鉄の機体。あれはルリタニア王国の紋章……。
 ――ルリタニア王国。王太子Prince・of・Ombria――ヴォルフガング・ルリタニアとアドリアン・フォン・ブラウンシュヴァイク。さらにその背後では王太子の率いる中隊が辺りを警戒していた。ヴォルフガングが手を差し伸べてきた。

「大丈夫か?」
「あ、ああ助かった。礼を言う」
 
 そう言うと緊張感に張り詰めていた神経がフッと途切れ意識を失った。
 気がついてみれば、一つ目の巨人にめちゃくちゃにされかかった機体は王太子の中隊のトレーラーに収納されており。装甲騎兵から救出された私は戦車と装甲騎兵に守られアデリーヌへと向かっていた。掛けられていた毛布を引き剥がす。ストッキングにいくつか破れがあったが、それでも冬季用の厚い布地で作られた制服のままだ。ホッと息を吐いた。
 装甲車の中でルリタニアの兵士が私から目を逸らしつつ、熱いコーヒーを手渡してくる。じんわりと沁み込んで来るカップの熱が手の平に心地良い。
 しかしなぜだ? 何故目を逸らす。自分の格好を見下ろす。ノエル王国の女性士官用制服だ。おかしくはないだろう。
 疑問に感じているとヴォルフガングが姿を見せた。男らしく濃く太い眉。すらりとした鼻梁。意志の強さを示しているかのような引き締まった口元。黒檀を思わせる黒い瞳。長い黒色の髪は無造作に後ろで纏められていた。一見すれば冷たいといってもいいような顔立ちである。

「初めまして、ソフィア・ノエル王女殿下」
「知っていたのか?」
「ええ。王女殿下の小隊が壊滅したとの連絡があり、近くにいた我々が捜索に向かったのです。見つけられて良かった」
 
 ヴォルフガングがにっこりと笑う。冷たい美貌が急に子供ぽくなった。その笑顔に赤面しそうになる。慌ててまだ熱いコーヒーに口をつける。

「熱っ」
「はは。そんなに慌てなくてもいいですよ」
 
 にこやかに笑われ、一体誰の所為かと、じとっと上目遣いで睨んでしまう。
 しかしヴォルフガングもすいっと目を逸らした。先ほどの兵士といい。なぜだろうか?

「なぜ目を逸らす?」
 
 ついきつい言い方をしてしまった。助けてもらったというのに……これでは恩知らずのように思われてしまう。
 装甲車の中がシンと静まり返った。誰も口を開こうとしない。段々むかむかしてくる。

「ノエルの女性士官の制服はそんなにスカートが短いのですか?」
 
 らちがあかないと見たらしいアドリアンが皆を代表して問いかけてくる。そう言われて制服を見下ろす。白いブラウスの上に黒いネクタイ。濃い紺色のベストとタイトスカート。装甲騎兵に乗る以上、長いスカートなど身につけられない。したがってキュロットかミニスカートになるのだが……この辺りは個人の好みだろう。私はどちらかというとスカートを身に纏っているが。改めて言われてみると確かに短いかもしれない。その上にストッキングも破れてるし……男ばかりの軍隊では目の毒なのだろうが、しかし……。

「こんなものだろう? 珍しくもあるまい」
「ルリタニアではそういう衣装を着た女性はあまり見た事がありません」
「そうなのか?」
 
 そういえば確かにルリタニアでは長いドレスを纏っている女性ばかりだった。保守的な国だと思っていたが、そこまでとはな。疑問が顔に出たのか、アドリアンが笑いながら王女殿下がふわふわとしたかわいらしいドレスを好んでいるからかもしれませんが、と言い出す。

「ルリタニアの姫というと……亜衣王女殿下か、いま幾つだった?」
「亜衣はまだ11になったばかりだ」
「11歳か、まあその年ではまだまだ子供だな」
 
 なんどかアデリーヌで見かけた事のある王女の事を微笑ましく思う。私もそれぐらいの年頃の時は似たようなものだったろう。王宮でお姫さまがかわいらしいドレスを着ている隣で短いスカートなど穿けまい。国民の服装は王家の女性に影響を受けるから現在でもドレスが主流なのだな。そう考えていると、装甲車に同乗しているルリタニアの兵士達が口々に王女の事を話しだした。

「亜衣王女殿下は軍の糧量にも口を出してきましてね」
「ああ。キャラメルな」
「お蔭でタバコを減らされてしまった。くうう~」
 
 文句を言ってる割には顔が笑っている。11かそこらの王女は彼らにとって、守るのに疑問を抱くような存在ではないのだろう。欲の皮の突っ張った狒々爺どもを守ると考えるよりも11歳のお姫さまを守ると考えた方が保護欲を刺激される。ノエルと比べてだいぶんマシだな。自嘲じみた笑いが浮かんでくる。

 アデリーヌに帰還した我々は連合軍の司令所となっているヴィクトリア城へと入った。ヴォルフガング王太子の部隊によって回収された精霊球は他の兵器に転用される事になる。私の小隊の戦力はほぼ壊滅状態になったのだから、早急に部隊を再編しなければならない。ヴォルフガング王太子に改めて礼をすると伝え、急いで補給部隊の元へと急ぐ。

「モーリス。モーリスはいるか!」
「はい。ただいま」
 
 傍に近づいてきたモーリス・フォン・アイクホルスト男爵が返事を返す。彼はノエル王国の近衛騎士の家系で階級は少尉。現在は私が率いる機甲小隊の一員である。その後ろにはバジル・ボナール軍曹が控えていた。ボナールは小隊付きの軍曹だ。この戦いに初戦から参加している叩き上げの軍人である。40過ぎの厳つい顔つきの男だが兵士達からは私より信頼されている所があった。そのことは不満だが、戦歴の長いボナール軍曹の言う事は一々最もな部分がある為表立って争う事はないようにしている。

「稼動できる装甲騎兵と戦車は何台ある」
「…………」
「装甲騎兵3機。C-03型戦車2台。残り戦車8台は修理中です」
「……そうか」
 
 ボナール軍曹の返事に考え込む。さすがボナール軍曹は打てば響くところがある。モーリスではこうはいかない。
 予備装甲騎兵が2機に戦車が2台か……。基本装甲騎兵は3機で1小隊だ。戦車なら5台。装甲騎兵2機と戦車1台で混成部隊として行動するにしても5台も修理中とはな。図体ばかり大きい戦車を作るからだ。魔物相手にそれほど大きな大砲は要らない。20mmか37mmで充分だと言うのに、無駄に大きい砲塔を載せるから足回りが弱くなるのだ。いや。むしろ大砲などいらん。機関砲で充分だ。魔物とはいえ相手は生物なのだ。生物相手に72mm砲など必要あるものか!

「どうかされましたか?」
 
 モーリスの声にハッと我に返る。いかんな思考が空転している。よくない傾向だ。

「うむ。どういう部隊構成にするか考えていたのだ。何かいい考えがあるか?」
「そうですな……」
「C-03型戦車2台に装甲騎兵1台ではどうでしょうか」
 
 ボナール軍曹がモーリスを差し置いて意見を発する。出鼻をくじかれたモーリスが嫌そうな顔をするが、この際仕方あるまい。

「で、なぜそう考えるのだ」
「装甲騎兵の速度に戦車が着いて行くことは難しい。しかし装甲騎兵の方が戦車のフォローに廻るとすればなんとでもなります。装甲の厚い戦車の陰から攻撃しても宜しい」
「なるほどその意見には聞くべき点があるようだ。しかし稼動台数が2台しかない現状では巧く稼動できるだろうか?」
「修理は順調に進んでおります。次の作戦までには3台は戻ってまいりましょう」
「それなら戦車だけで小隊を組んでも問題ないのではないか?」
 
 モーリスが口を挟んできた。ボナール軍曹は気づかれないようにため息を吐く。内心呆れているのだろう。私でも呆れたぐらいだから。

「戦車と装甲騎兵では機動性が違いすぎる。対魔物戦では戦車の機動性は対して役に立たんのだ。いっそ対戦車砲の方がマシなぐらいだぞ」
 
 なぜ装甲騎兵新開発され、この戦いで主戦力とされているのか理解できていないのだろうか?戦車の機動性が魔物どもより劣る為に対抗できる兵器が必要になった為だろうが。魔物は速い奴で時速100kmは出すのだ。戦車はせいぜい30~40がいいところだろう。

「…………」
 
 顔を赤くして黙り込んだモーリスを横目に私はボナール軍曹に再編を急がせるように命じる。後でモーリスにはフォローしておかなければならないだろう。厄介な事だ。根っから貴族階級の価値観を持っているモーリスは平民階級のボナール軍曹が自分より重用されている事に我慢できないのだろう。男のくせに……こういうところが腹が立つ。王女である私が気にしていないというのにたかが男爵が気にしてどうする。
 フォローは後に廻してとりあえず風呂へと向かう。

「王女殿下。どこへ行かれるのですか?」
「風呂だ。付いてくるなよ」
「はは、ご冗談を」
「そうだな。冗談だ。ああそうそう。男爵には再編される戦車隊を率いてもらうからな。覚悟しておけよ」
「はっ!」
 
 モーリスが敬礼して立ち去っていった。ほっと息を吐く。ボナール軍曹には装甲騎兵で別働隊を率いてもらう事にしよう。どちらが別働隊になるかまだ分からんがな。
 ヴィクトリア城の風呂場へは塔を繋ぐ渡り廊下を通らなければならない。城の内部にはないのだ。どうしてこのような造りになっているのかは誰も知らない。かなり広い風呂場には大勢の女性兵士達が集まっていた。ノエル。ルリタニア。カルクス。ザクセン。奈良宮。ルツェルン。それにエルフ達。他にも小人族から各種獣人に至るまで、よくもまあこんなに集まったものだと関心する。「今この場には世界中の美女達が裸体を晒している」いつぞやそう言っていた兵士達の冗談を思い出した。

「妄想は大概にしておけ。世界中の美女が裸体を晒しているからといって貴様らが見れるわけではないのだ。残念だったな」
 
 あの時はそう返したが、思い出すとふと笑いが浮かぶ。
 うむ。兵士たちの代わりに私が見ておいてやろう。そんな考えさえ浮かんできた。いかんな私も男どもに毒されているようだ。しかしこうして見ると各国によって色々と違うものだ。エルフや小人族はともかくとしてだ。ワーキャットの女というのはスタイルが良いのだな。なんと言うか同じ女としては理不尽なものを感じるのだが……。細いくせに胸だけは大きいというのはどうすればいいのだろうか? そういう女は中々いないのだぞ。ぜひ秘訣を教わりたいものだ。あの腰の細さ。ええい。腹立たしい。一頻り怒ってしまうと冷静になる。
 ふっ、所詮は脂肪だ……。私としたことがどうかしていたのだ。

 湯船に浸かる。お湯で顔をぱしゃぱしゃしつつ今日の事を考えた。
 自分の見通しの甘さゆえに部下を幾人も失った。ぽろりと涙が零れる。たかが一匹の一つ目の巨人にすら負けたのだ。こんな事ではこれから先部下を守れはしないだろう。一体私は士官学校で何を学んできたのだ。
 そしてなぜ私が戦わねばならないのかと泣き言を零したくなる。泣き喚いてなんとかなるなら泣いても良いが……代わりがいない以上どうしようもない。碌でもない伯父辺りには任せられんし。妹はルリタニアの亜衣王女よりも幼いのだ。他に王子でもいればいいのだが、現在ノエルには王子はいない。これでは本当にどうしようもない。投げ出したくても投げ出せん。
 今この地には各国から王族が軍を率いて集結しているのだ。この戦いにおいてノエルが王族を出さないという事は戦いが終わった後、他の国々の手によってノエルは領土の大半を失うだろう。今まで掛かった戦費の代わりとして……。その上一緒についてきた貴族などはプライドばかり高く、まともに使える者がほとんどいない。叩き上げの軍人であるボナール軍曹がいなければどうなっていた事か? それを考えるとゾッとする。
 それと同時にヴォルフガング王太子の顔が目に浮かぶ。彼らは私よりも先に長くこの戦いに参加している。その戦果も大したものらしい。ボナール軍曹がボソッと漏らしていた事を知っている。軍曹は王太子が指揮官なら良かったと考えているのだろうか? 私とて彼がノエルの王子ならどれほど安心していられたか……。だが、そうではない以上少ない戦力でも戦わねばならない。そう考えると泣きたくなるな。

 考えすぎて落ち込みそうになる。頭を冷やそうと湯船から上がるとなにやら視線を感じた。先ほど私が彼女ら見ていた理由を思い出して、同じように見ている者がいるのかと思ったが、ギスギスした視線はそういったものではないようだ。軽く振り返ってみると、お風呂場の一角で黒髪の女性が髪を洗いながら私の様子を窺っている気配を確かに感じた。
 ――あれは誰だ。
 黒髪の女性など大勢いるためにあのような状態では誰が誰だが分かりようもない。近づいて問いかけるのもおかしなものかもしれないと、気にしないように自分に言い聞かせお風呂場から立ち去った。

 数日後、銀の月第2週5日。再編の終わった私の小隊はルリタニアのヴォルフガング王太子の中隊との合同作戦に参加する事になった。魔物の勢力圏の最深部に侵入して奴らの本拠地と思われる場所を叩くのが、今回の作戦だ。
 場所は――レテ島。
 ローデシア大陸の最北端のカーライル村は冬季には海岸が氷に覆われる。海岸線沿いにはいくつかの島が並んで存在しており、カーライル村から北は魔物の勢力圏内である。したがって島々もまた魔物の勢力圏に存在していた。
 厚い氷に覆われているため、装甲騎兵でも歩いていけるだろうと思われたためである。無論戦車では重過ぎて侵入できない。
 
 現状では私の小隊が保有している装甲騎兵は2機で本来の小隊戦力とは違うが、その分はルリタニアから廻してもらえる事になっていた。ありがたいと思う反面、情けない気持ちになってしまう。新開発している装甲騎兵を速くアデリーヌへと廻すよう北の塔に急がせているが、中々巧くいっていないようだ。まったく、装甲騎兵を開発したのは北の塔だろうに。あっさり他国に追い越されるんじゃない! 嫌味を言っても空しい気分になるだけだ……やってられんな。
 
 再編された小隊は中隊となり、珍しく私の希望していた戦車も届けられていた。装甲騎兵も5機ではあるが一緒にやってきた。
 B-3型重装甲車輌。乗員4名。重量5,35t。全長5,57m。全幅1,82m。全高2,25m。最高時速70km/h。20mmの徹甲弾を撃ち出す事のできる砲塔を持っている。これで十分だ。と思った。装甲騎兵3機にこの重装甲車輌を指揮車に加えて1小隊とする。
 他にも重戦車が大量に届けられた。Ⅱ号戦車である。
 Ⅱ号戦車は乗員5名。38t。全長8,45m。全幅3,7m。全高2,93m。最高時速38km/h。主砲72mm。
 これはルリタニア陸軍の重戦車と同じであった。

「希望していた戦車がようやく揃いました」

 モーリスは戦車を見て目を細めながら嬉しそうに言う。

「鈍重な重戦車ばかりだがな」

 ねこの様に目を細め、モーリスを見る。鋭い眼光に射抜かれたモーリスは身を強張らせた。
 話は終わったとばかりにモーリスに背を向ける。そしてルリタニアの技術援助で改良された自分の愛機である装甲騎兵へと向かう。
 フラビア城のハンガーでルリタニア陸軍によって整備されている戦車中隊に与えられたE-Ⅱ号戦車の内、指揮戦車を含む5輌は今までものとは違って、ルリタニアの魔力の塔から必要魔力を常に受け取る事ができる。そのため自身の魔力は戦車を始動させる為のキー代わりでしかない。その上に貴重な龍玉も備え付けられている。これで一々精霊球を交換することなく行動する事もできるし、また魔力供給によって航続距離も広がった。なにより魔力不足による停止という苦痛から解放された事が一番大きい。主砲も38mm砲から72mm砲へ換装されている。
 ずらりと並んだ30台のE-Ⅱ号戦車。少し眩しそうに見上げる。その周りでは135名の戦車兵と20名のノエル兵士。27名のルリタニア陸軍の整備班が忙しそうに動き回っている。これが私に与えられた兵力であった。
 くんくん。鼻先にいい匂いが漂ってくる。匂いにつられるようにして鼻を動かし近づいてみれば、ハンガーの片隅で野戦炊烹車が食事を作っていた。

「今日の食事はなんだ?」
「ルリタニアから食料の補給が到着しましたので、珍しくカツカレーです」
「そりゃあいいな」

 私が返事を返すと炊事長と助手が嬉しそうに頷く。一旦作戦行動に出ると中々温かい食事にありつけない。ましてや大量の油を消費する揚げ物などは作れないのだ。炊事長がアイヴスにいる間にこういった揚げ物を使う料理を作れば兵士達にも喜ばれる。と考えたのだろうと思う。
 そこまで考えたときふと、私はヴォルフガング王太子との会話を思い出した。

「ノエルにしろルリタニアにしろ。今ある庶民的な料理のいくつかは聖女が行ったものが多いのだな……」

 フラビア城の食堂で出されたカツカレーを見ながら漏らす。

「確かにそう言われておりますが、本当のところはどうなのでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
「あまりに数多くの事が、聖女のお蔭であると言われ過ぎているような気がします。一体どこからどこまでが聖女が実際に行ったのでしょうか?」

 私が漏らした言葉にヴォルフガングが疑問を呈する。
 聖女が現れてから500年ほど経ち、幾多の歴史書の中に聖女の名が数多く残されている。もっとも多く語られるのは新大陸暦435年銀の月第3週25日に女神コルデリアを降臨させた奇跡だろう。この時、ノエル王国はおろかルリタニア、カルクス、ザクセンといったローデシア大陸全土で女神の姿を眼にする事ができたという。これは確かに聖女が奇跡を行った。と事実として確認されている。数多い病人達を癒してきたのも確からしい。この辺りは確認されているのだが……。ビリヤードにしろトランプ、オセロ、バックギャモン、BJ、ババ抜き、ポーカー、7並べ、チェスなどの遊戯。カレーやエビフライ、かきフライ系の揚げ物。味噌、しょうゆに至る料理なども聖女が行ったとされている。料理系は奈良宮皇国にも同じようなものがあった為に疑問視されているが。もっともローデシア大陸ではじめたのは聖女らしい。
 当時のカルクス王国皇后、デルフィーヌ・パストゥールを断罪した話やノエル王国中興の祖、クラリッサ・ノエルを助けたのも聖女らしいとされている。さらにターレンハイム家の金融業やブラウンシュヴァイク家の保険や社会福祉系の事業。西の塔から始まった医療の統一化など言い出すと確かに枚挙に暇がない。

「確かにその通りだと思うが……ノエル王室にも聖女の血が流れている」
「そうですな。クラリッサ女王陛下の王子と聖女の娘が婚姻したのでした」
「ルリタニア王国のエルンスト国王と――」
「――これまた聖女の娘とです」
「カルクス王国の――」
「――テオドール国王ととジョゼフィーヌ王妃の間にできた王子とです」
「さらにエルンスト国王の王女がザクセン公国に嫁いだ事を考えるとローデシア大陸の王家には全て聖女の血が流れているといってもおかしくない」
「長い年月の間に色々毀誉褒貶もありますが、当時の王家にとって聖女の血を欲したのは確かでしょう。しかし何故そこまで聖女の血脈を欲したのでしょうか?」

 この問題に答えられる歴史学者はいない。多くの学者達は決まって聖女を自らの王室に取り込みたかったのだ。というのみである。もっと詳しく言うなれば、『女神コルデリアの愛娘』という権威を欲したととも書く者もいる。だが、それにしては……。

「聖女自身はどこの王家にも嫁いでいない」

 考え込んでいた私は纏まらない考えを口にする。

「確かラッセンディル家ですな。今でこそ魔術師の名家として有名ですが、当時は没落貴族だったそうです」
「……分からんな。当時ならどこの王家にも嫁げただろうに。そもそも聖女とは何者なんだ?」
「歴史書には、ヘンルーダの森の出身であり、エルフのヤツェク様やドワーフのモレル様に可愛がられていたのが、コーデリアの元に修行に出されている事になっている。その上でフラビア城においてエルンスト王子と出会い、交友を持つに至った事やルリタニアへ来た経緯などが書かれていますね。ですが、この経歴は初代女帝アデリーヌとそっくりなんです。自分はここに何らかの作為を感じますが」
「何者かが初代女帝の経歴を参考にして作り出したというのか?」
「おそらく。結果から見れば聖女が生きている間は、全ての王家の上位に位置するローデシアの母として君臨していましたよ」

 ローデシア大陸を統一した『初代女帝』と同等に扱われている『聖女』
 今なおこの2人の『女性』は謎に包まれている。ドラゴンのエステルはこういった話を聞かされるたびに大笑いをしている。

「あきはねー。もの凄くお人好しだったのよー。色んな人を助けているうちにいつの間にか『聖女』と呼ばれるようになったの。それだけなのよー。野心なんかなかったのー。でもエステルの事、すきだって言ったのにフリッツと結婚しちゃうなんて、ぷんぷん」

 聖女との関係からか、ドラゴンのエステルがルリタニア王国の守護者として紋章に描かれている。500年来に渡ってルリタニア王国では生まれた王子王女はドラゴン達に見せ、加護を求める事になっていた。ヴォルフガング王太子はドラゴン達の長である黒竜の加護を得ている。その所為かヴォルフガングは次代の国王として有名であり、ルリタニア王家は各国の王室に羨ましがられている。
 あんな優秀な王子が欲しい。それは各国の国王達の偽らざる本音であった。
 とか言いつつヴォルフガングと2人きりである。ついつい顔がにやけそうになるのを堪えるのが大変だ。

「あの~ソフィア王女殿下……そんなにカツカレーがお好きなんですか?」
「えっ? 何の事だ?」
「いえ、先ほどからカツカレーを見ながら笑っておいででしたから。そんなにカツカレーがお好きなのかと」
「あ、ああ。大好きだぞ。うむ。カツカレーは最高だ」

 ハッと我に返る。炊事長と助手が心配そうな表情で覗き込んでいた。
 いかんいかん。部下たちの前だというのにすっかり妄想の世界に入り込んでしまっていたようだ。自戒せねば。


 


 新大陸暦1038年、銀の月第3週1日(21日)。
 ヴォルフガング王太子率いる我々合同部隊は魔物どもの本拠地レテ島を目指して進軍する。
 後に第5次レテ島攻略戦と呼ばれる戦いが開始されようとしていた。

 フラビア城の城内は準備に忙しく慌ただしい雰囲気に包まれている。人員の召集。それらを養う為の食料。戦闘車輌の整備と武器弾薬の配備。これらは主に兵站に属するもので後方担当の事務官などは目の回るような忙しさらしい。
 実働部隊に属する我々はというと、やはり忙しかった。フラビア城に残されていた古い地図を見ながら、どういったルートで進軍するか、など考える事は山ほどあった。前回、前々回、これまでの攻略戦の際使用した地図や作戦指令書なども参考にする。奈良宮皇国が開発中の潜水艦がアイヴスの沖合いを航海中らしく、奈良宮海軍と連絡を取り合い。氷の下からレテ島の様子を窺うという案も出されたが、北の海の海底図など存在しない為に合流できるかどうかさえ、判別しない。
 1台だけならともかく隊列を組んで厚い氷を戦車が渡れるのか?
 装甲騎兵はどうか?
 どれほどの重さなら耐えられるのか?
 判別しない事が多すぎて、思うように作戦を立てられずにいた。
 第4次レテ島攻略戦に参加したことのあるボナール軍曹がカーライル村を避けて、アデリーヌから200km離れた入り江からなら、戦車が通れる厚みがあった。と言う。

「まあ。前回はそのルートを通ったんですが」
「そのルートだとアルカラからの方が近いな」

 ヴォルフガングは前回の作戦地図を見ながら考えている。どうやら他のルートがないか考えているようだった。

「レテ島に渡るにはカーライル村を越えて凸型になっている岬からの方が近いが……」
「まあ。無理でしょうな。カーライル村は奴らの前線基地だ」

 ボナール軍曹の言う事も分かるが、前回と同じルートならば、魔物どもも警戒して兵力を集中しているだろう。と、ヴォルフガングが呟く。

「それを言いだしゃ。どうしょうもないでしょうよ。戦車が通れるルートは他にはないですからね」
「レテ島攻略はどうしていつも冬季なんでしょうな~。夏場にすれば、氷の厚みを考えなくても良いでしょうに……」

 モーリスが馬鹿なことを言い出して会議室の中が一瞬、呆気に取られた。中には誰だ? この馬鹿とばかりにあからさまに馬鹿にした視線が集中する。

「――残念ながら、大量の兵力。特に装甲騎兵を輸送できる船がないんだよ」
「装甲騎兵というのは基本的に陸上兵器だから、ね」
「だから、氷に覆われて陸続きになる冬季じゃないと攻められないんだ」


 ヴォルフガングはまるで子供に言い聞かせるかのようにモーリスに話しかける。アドリアンが「飛んでいく訳にもいかないし」と呟く。周囲でうんうんと頷く士官達。私は恥ずかしさで真っ赤になってしまいそうになっていた。
 ――こいつ。本当に士官学校卒なのか?
 ほっておけば、さらに馬鹿な事を言い出しそうで、私はモーリスに会議室から出て戦車隊の様子を見て来い。と命じる。

「はっ!」

 さっと敬礼して部屋から出て行った。その途端にホッとため息が漏れる。

「彼が言った事もあながち間違いじゃないんだけどね」
「輸送できる船さえあれば、ですが」

 ヴォルフガングとアドリアンが話し合う。前回の攻略戦は大量の歩兵を投入して、その大半を失った。今回はその徹を踏みたくないと会議室にいる者達は全員考えている。だから、どうやって大量の兵器を島に輸送するか相談していると言うのに何故その事が分からないんだろうか? 士官学校卒の現役軍人ならば現状の兵力がどの程度のものなのか知っているはずだろう……。

「ともかく。水の精霊力によって氷を強化しつつ戦車隊を通過させるしかないでしょうな」
「やはり。前回と同じルートしかないか……」
「カーライル村を取り戻す事ができない限りは無理でしょう」
「レテ島を落せたらカーライル村を前後から挟み撃ちできますからな」
「では、アデリーヌから200km離れた入り江に野営陣地を構築。そしてアルカラから補給線を伸ばす」

 ヴォルフガング、アドリアンと私。それに……モーリスの戦車隊の4隊による作戦である。
 出発する前、フラビア城の庭先に集められた兵士達を前にしてまず私がベランダに出ていった。集まった兵士達からざわめきが漏れ出す。続いてアドリアンが現れるとざわめきが高まる。
 そして――ヴォルフガングが現れたとき、ざわめきが最高潮に達した。

「――諸君。魔物どもとの戦いは10年以上も続いている」
 
 ヴォルフガングがそう言って口を開く。
 兵士たちの中には頷く者の姿がベランダからはよく見てる。

「君達の中にも親兄弟友人達を魔物との戦いによって失った者も多いだろう。冥界の女神アンゲローナによって呼ばれ続ける魔物どもによってローデシア大陸は滅亡の危機に瀕している。敵が女神だと言う事で恐れている者も多いかもしれない」

 ざわめきが消え、兵士達が口を閉ざして庭先がシンと静まり返った。

「しかし相手が女神だと恐れる事はない。このローデシアは。女神コルデリアが降臨された地だ。我々にも女神の加護がある。しかし……この戦いでも多くの兵が倒れるだろう」

 ヴォルフガングはベランダから兵士達を見回した。そして一呼吸置くと声を張り上げる。

「だが、必ず勝つ! 何度倒されようとその度に立ち上がる! 打倒アンゲローナ! 女神に人間の戦いを思い知らせてやろう!」

 銀の月第3週3日(23日)に我々はアデリーヌを出発した。
 空から雪が降り始めている。フラビア城を出て行進していく戦車の上にも雪が降り積もりだしている。



 



[20672] 第06話 「雪の国の戦乙女Part2 雪原の狼」
Name: T◆44637966 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/15 21:00

 第06話 「雪の国の戦乙女Part2 雪原の狼」


 風さえ凍りつくような極寒の大地。北の果て、レテ島。
 ウォルフガング率いる2個中隊はレテ島に上陸を果たそうとしていた。絹のマフラーでしっかりと口元を巻き、直接空気を吸わないようにしている。ここまで来る間にこの凍りついた冷気に晒され、数名の兵士が倒れた。
 キラキラと薄ぼんやりした照明に晒された極細の氷の粒が風とともに舞い上がり、肺に向かって流れ込んでくる。魔物と戦う前に氷の粒によって兵士達が全滅しかねない。そんな恐怖がウォルフガングの心に重く圧し掛かる。

「よし。今日はここで野営を組むぞ!」

 冷たい風の吹きすさぶ中、声を張り上げた。指揮官が震えてはいられない。やせ我慢でも真っ直ぐに立つ。
 戦車と装甲騎兵がギギッと鉄の擦れる音を立てる。冷気に晒された機体が凍りつきそうに冷たくなっていた。迂闊にも機体に触れた兵士の手の平が皮ごと引っ付き捲れた。

「素手で触るな!」

 衛生兵に手当てをされている兵士に向かって注意をしていく。戦車で円陣を組み。少しでも風が当たらないように陣地を構築していく。円陣の中心で火が熾されパチパチと音を立てる。
 こんな極寒の地では炎の温かさが何よりもありがたく感じた。

「機関砲は進行方向へ置いておけ。それからブーツは脱ぐな。足が膨らんで履けなくなる。毛布で足を包め。凍傷を防げよ」
「ハッ。軍曹」
 
 バジル・ボナール軍曹が歩哨の兵に指示を出していた。見張りは2人一組で周囲を警戒している。
 戦車隊が戦車の補給と整備を行っている。自分たちの命がかかっているのだ。いつでも動けるようにと点検は怠らない。
 野戦炊烹車が食事を作り出す。氷を砕けば水だけは不足しない。温かいスープの匂いが陣営の中に漂ってくる。その途端に兵士達の腹が派手な音を立て、周囲から笑い声が漏れ出す。どの顔も魔物に対する危険を感じてる半面、緊張も薄らいでいるようだ。
 すでに魔物の勢力圏ではあるが、魔物にとってもこの零下で活動できる種族は多くない。ある意味寒さが魔物から兵を守ってくれていると言える。ホッと息を吐いている者達の笑い声がウォルフガングの耳にも届く。
 警戒は怠らないように指示しておき、交代で食事を取らせる。温かいスープを一口飲む。その熱さがなによりのご馳走だった。ウォルフガングの腹を締め付けていた緊張感がほんの少し軽く感じた。強張っていた体の節々が緩む。

「北西方向に魔物発見。距離2000。こちらに向かっています!」

 見張りをしていた兵の叫びが陣地の中に響いた。
 ウォルフガングは飲みかけのスープを放り出し、見張りの元へと急ぐ。

「――あれか!」

 見張りが指差す方向を双眼鏡で覗きながら確認する。暗い氷原を魔物の集団がやけに速い速度で進んでいる。こちらに襲い掛かるため、と言うより、何かから逃げ出しているという印象を受ける。魔物の悲鳴がここまで微かに届いてくるようだ。

「総員。第1級戦闘配置!」

 魔物が何から逃げていようと自分達の後ろはローデシア大陸だ。抜かせる訳には行かなかった。ここで食い止めなければならない。
 兵士達が慌ただしく戦車や装甲騎兵に乗り込んでいく。軽機関砲や迫撃砲が陣営の前に並べられ狙いを定めている。ギシギシ鉄の擦れる音が夜闇の中に響く。戦闘配置についた者達が唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえてきた。じりじりと緊張感が高まっていく。
 すでに魔物との距離は1000を切った。

「戦車隊。主砲。距離900。撃てぇ!」

 72mm砲が一斉に火を吹く。けたたましい砲撃の音で鼓膜が破れそうだ。
 一斉砲撃によって前列にいた魔物が倒れ、後続の魔物が足をとられて倒れだした。足止めを喰らった魔物は悲鳴を上げてのた打ち回っている。嫌な光景だ。まるで弱い者虐めをしているような気分になる。ウォルフガングはギリッと歯を軋らせた。

「第2射。炸裂弾装填。急げよ」
「装填良し」
「安全装置解除」

 次々と報告の声が届く。

「第2射。撃て!」

 再び72mm砲が火を吹く。炸裂弾を撃ちこまれた魔物がひき肉のように細切れになって飛び散っていく。ウォルフガングは目を逸らしたくなったが、それでもじっと睨みつける。奴らを見逃してやる訳にはいかないのだ。自分自身に言い訳するように口の中で呟いている。

「次弾装填。装甲騎兵隊出撃用意!」

 第3弾が撃ちこまれた。消し飛んだ魔物の後ろに抜けた弾が背後の空中で爆発する。

「――えっ?」

 ウォルフガングが双眼鏡の倍率を上げて目を凝らす。真っ暗な空間で弾が爆発した。という事は何者かが存在するという事だ!
 警戒したまま装甲騎兵の攻撃を止めた。双眼鏡の中で、魔物が何者かに掬うように喰われていく。咀嚼され高い空中から落下していく魔物。手足が零れ落ちた。見上げる。なんと巨大な。首が痛くなるほど高い位置に魔物の顎が存在していた。

「迫撃砲。照明弾発射!」
「こちらの位置が知られてしまいます!」
「かまわん。火を使っている以上、向こうには既に見られている。こちらも奴の姿を確認するぞ」

 軍曹が止めるのもかまわず。照明弾を撃たせる。夜空に眩い光を放ち明るくなった。
 巨大な狼。まるで世界を喰らう。と神話の中で語られる正真正銘。本物の魔物がそこにいた。
 それを見た砲手達がパニックを起こしそうなぐらい。巨大な魔物が。いや、実際パニックを起こしていたのかもしれない。無我夢中で撃ちこまれていく炸裂弾。

「あっ、あ、あ、あれは……」

 百戦錬磨の軍曹でさえ、指を指して口をぱくぱくしているのみだ。しかし軍曹のその姿はかえってウォルフガングを冷静にさせた。

「装甲騎兵。精霊球交換。風に変えろ!」
「ハッ!」

 アドリアンがウォルフガングの指示に答えた。配下の装甲騎兵のハッチを開け、急いで精霊球を交換していく。呆然としていたソフィアも慌てて部下の精霊球を交換させた。口径7,92mmの機関砲を両手に持った装甲騎兵がウォルフガングの指示を待っている。ドラムと呼ばれる給弾部を取り付け、毎分800-900発発射する事のできるこの機関砲は使用するたびに銃身を交換する必要があったが、この気温である。すぐに砲身が冷え切ってしまう。

「装甲騎兵。出撃!」

 風の魔方陣を夜空に描き、次々飛ぶ装甲騎兵達。しかし砲手達はいまだ呆然と見上げていた。

「何をしている! 味方を支援するんだ!」
「ハ、ハッ!」

 ウォルフガングに叱咤され我に返った砲手達が迫撃砲に弾を込めだす。

「戦車隊と迫撃砲は奴の足元を狙え! 上空は装甲騎兵に任せろ!」
「装填良し」
「安全装置解除」
「撃て!」

 一斉射撃に巨大な狼の足がぐらりと揺れる。奴がこちらを見た。燃えるような真っ赤な眼。疎ましげにまるでうるさいハエや蚊を見るかのようだ。奴から見れば人間などその程度の存在なのかもしれない。
 ウォルフガングと狼の眼が合った。にぃ~っと笑う。
 ――こちらを見ているな。

「―――――ウォルフガング」
「な、……に……?」

 俺の名を呼んだのか? ウォルフガングは名指しで呼ばれた事に驚く。
 狼の声が雪原に響き渡る。兵の間に動揺が走った。

「―――――お前では私は倒せない。諦めろ」
「諦めろだと? ふざけるなよ」

 ぐふぐふと見下した笑い声を立てて狼が嘲笑う。
 ウォルフガングは自機である装甲騎兵に乗り込もうとする。

「――ソフィア! 指揮を任せるぞ」
「は、はいっ!」
「いけません。奴の思う壺です」

 ソフィアはウォルフガングに指揮を託され緊張した声で答えるが、ボナール軍曹はウォルフガングを止めようとして突き飛ばされた。

「黙れ! 奴は俺が倒す! ここで諦めてたまるか!」
「いいえ。奴は貴方さえ殺せば、残りは烏合の衆だと分かっているのです。だからおびき寄せようとしているのです!」

 突き飛ばされ氷の上に倒れたまま、軍曹は必死になってウォルフガングを止めようとする。その姿にウォルフガングは躊躇った。ギリッと歯を噛み締めて巨大な狼を睨みつける。

「――――――どうした。こないのか? 臆病者」
「くそぉ!」

 腹の底から怒りが込み上げてくる。ぐふぐふ嘲笑う笑い声が落ちてくる。

「堪えてください。指揮官は挑発に乗らないものです」
「ぎゃあ~!」

 兵士の悲鳴が耳に飛び込んでくる。ハッとして振り向けば、装甲騎兵が一騎、狼の牙に噛み付かれすり潰されようとしている。ウォルフガングは耳を塞ぎたくなった。目を瞑り歯を噛み締める。

「ぐふぐふ。臆病者。貴様の所為だ。部下を見殺しにする無能者」
「堪えてください!」

 狼とボナール軍曹の声が重なる。拳を握り締め睨む。

「……撃て……」

 ウォルフガングは搾り出すように口を開く。
 背後を振り返った。戦車隊と迫撃砲の砲手を見回し、指示を放つ!

「何を呆けている! 奴を撃ち殺せ!」
「ハ、ハッ!」

 次々撃ちこまれ出す砲弾。ウォルフガングは狼から目を逸らさず睨み続ける。その眼は憎悪に満ちていた。

「後ろでこそこそ隠れているのがお似合いか?」
「あまり人を馬鹿にするなよ。化け物!」

 上空で攻撃していたアドリアンが狼の正面に廻った。両手に口径7,92mmの機関砲を構え。嘲笑う狼の咥内に撃ちこんでいく。喉元に叩き込まれた銃弾は狼の咥内をずたずたに引き裂いていった。ドラムが氷の上に落とされた。素早く交換してさらに撃ちこむ。
 首を振って嫌がる狼。アドリアンの後を追うように他の装甲騎兵も正面に回りだす。
 顔面を狙われ頭部から血を撒き散らしていった。銃弾が狼の目を貫く。

「貴様らぁぁぁぁぁぁぁ!」
「やかましい! うちの指揮官を馬鹿にした貴様が悪い! ここで死ね!」
「てめえはここで殺す!」

 咆哮を上げ、暴れ狂う狼に対し兵達が怒鳴り声を上げて攻撃を繰り返す。雪原の一角で巨大な狼に恐れを抱いていた兵士達が恐怖を怒りに変え銃弾を叩き込んでいく。
 地上ではソフィアとボナール軍曹が声を張り上げ、砲撃を繰り返している。

「許さんぞぉぉぉぉぉ!」
「人間をなめるな!」

 大きく口を開いて吼える狼の咥内にアドリアンが機体の背面に取り付けていたバズーカ砲を構えて撃ちこんだ。
 顔の半分を吹き飛ばされた狼は憎悪に燃える目をウォルフガングに向ける。渾身の力を振り絞り、足元の魔物を踏み潰しつつ突撃してくる。
 戦車と迫撃砲が迎え撃つ。が、それぐらいでは止まらない。

「――――ウォルフガングゥゥゥゥ!」
「仰角を上げろ! 一点集中。目標、顔面」
「仰角上げます」
「装填よぉし」

 全ての砲塔が狼の顔に狙いを定めた。

「撃て!」

 ウォルフガングの手が下に振られる。激しい音が大気を震わす。一糸乱さず撃ちだされた砲弾が狼の顔面を吹き飛ばした。首から上を失った狼は脚をもつれさせ戦車隊の脇を横に逸れていく。どおっと倒れた。しかしすぐに立ち上がろうとする。

「コルデリア(9時)に向かって回頭。止めを刺すぞ」

 首を失ってなおも動こうとする狼の姿はまさしく魔物である。対人間では絶対にありえない。
 コルデリアに向かって撃ちこむ。まず、前足が吹き飛んだ。続いて後ろ足が、さらに胴体が吹き飛んでいく。砲撃を繰り返して少しずつ吹き飛ばしていった。肉片に変えられた狼。追われて逃げ惑っていた魔物はレテ島へ向かって半狂乱になりつつ逃げ帰っていった。

「誰に倒せないんだって?」

 上空からアドリアンが狼の死体を見下ろし呟く。
 その言葉に兵士の中で笑い声が沸き起こった。

「うちの指揮官を馬鹿にするからだ」
「確かにな」

 そんな兵士達の姿を少し離れた場所からボナール軍曹が潤んだ眼で見つめる。胸のポケットからよれよれになったタバコを取り出すと焚き火から木片を摘み火をつける。ふぅ~っと煙を吐き出して、帽子を被りなおした。

「どうした? ボナール軍曹」

 ソフィアに声を掛けられタバコから口を離す。傷だらけの顔で笑うとウォルフガングに目を向ける。

「指揮官としてはまだお若いが、この戦争を勝利に導くのはあのお方でしょうな」
「ルリタニアの王太子……か」
「ソフィア王女殿下。あのお方にノエルの王になっていただきたいものです」
「だが、ルリタニアが手放すまい」
「それこそ。女性の手管に期待ですな」

 ボナール軍曹がソフィアに向かってにやりと笑う。

「その辺りを私に期待されても困るような気がするぞ」
「いやいや。大いに期待させていただきます」

 手に持っていたタバコを焚き火の中に放り込み。立ち去った。煙が一筋たなびく。
 ソフィアはどうしようかとしばらく迷っていたが、軽く頷くとウォルフガングに向かって近づいていった。
 



[20672] 第07話 「雪の国の戦乙女Part3 兵站の戦乙女達」
Name: T◆44637966 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/21 11:38

 第07話 「雪の国の戦乙女Part3 兵站の戦乙女達」


 魔法が煌めいている。
 すべてを凍りつかせるかのような冷たい風。逆らうように魔法は繰り返し放たれた。爆風に煽られ粉雪が舞い踊る。ほんのすぐそばでさえ、白い魔風と称される極細の氷の粒によって視界をさえぎられる。白いカーテンをオレンジ色の光芒が切り裂く。立ち止まるのを恐れるようにあたし達は動き回る。立ち止まった足元がすぐに悴む。
 魔物達の展開する魔方陣がいくつも雪に混じって輝いている。天に輝く星のような煌き。
 ――きれい。
 半装軌トラックのハンドルを握る女性兵士が呟いた。吹きさらしの荷台に載せられている兵士達の白い目線が女性兵士に集中する。あれは容赦なくあたし達を駆り立てようとしている魔物達の放つオレンジ色の光芒。
 直後、トラックのそばに炎の球が着弾する。慌ててハンドルを切る。ぐらりと揺れた荷台から押し殺した悲鳴が上がった。鼓膜を乱打する爆発音。激しく揺れ動く荷台。巻き上げられた雪と氷が波飛沫のように降り注ぎ、ガチガチと歯を鳴らしていた兵士が小声で魔物を罵る。
 凍てついた白銀の世界。針葉樹の原生林がぽつぽつと点在していた。雪に閉ざされた陰鬱な青みがかった灰色の空はまるで圧し掛かってくるようだ。厚い防寒着をも突き抜ける冷気に凍える。そして背後から襲い掛かってくる魔物。トラックの300mほど後方で牛のように巨大で、トラのように俊敏な四足の魔物達の群れが口元からよだれを撒き散らして追いかけてくる。荷を山積みにした鈍足のトラックが氷上で活動する魔物を振り切れる訳もない。魔物が大きく口を開き、その中からオレンジ色の炎の球が吐き出される。左側を併走していたトラックが直撃を受けて轟音とともに爆砕した。
 車体の破片とともに荷台に載せられていた数名の兵士たちが肉片となって宙を舞う。紅蓮の炎が天を焦がす。残骸と屍はあっという間に消し炭となっていく。
 あたしも傍らの女性兵士も、恐怖に眼を見開くことしかできない。
 自分たちの所属する隊のあっけない壊滅。それがアデリーヌから出て戦場にやってきたあたしが初めて経験した敗北だった。
 魔物の侵攻から始まったこの戦いはもう15年も続いている。今までにも何度もレテ島への侵攻作戦が行われてきたけど、その度に冬の厳しさの前に敗北を繰り返してきた。海が凍って厚さ数mにもなるこの辺りにはきっと無数の死者が海の底に眠っているのだろう。
 そして、あたしもそのうちの一人になろうとしている。
 昨夜は巨大な狼に襲われ、激しい戦いを経て狼はウォルフガング王子の指揮の下に倒された。
 あたし達はウォルフガング王太子の補給部隊だ。前夜の攻防戦を終えたあたし達はすぐさま出発した。真っ暗闇の中を先に進むウォルフガング王太子の指揮車が放つテールランプを目印に後を追いかけていたつもりだったが、いつの間にかはぐれていたらしい。
 そして気がついた時には魔物達に襲われていたというわけ。群れをはぐれた少数のあたし達は奴らにとって格好の獲物だったのだろう。必死になって応戦するあたし達は次々と仲間を失っていった。同じアイヴスの宿舎で過ごした友人たちも次々戦死した。
 長い綺麗な金髪を自慢していた女の子は魔物に食われ、綺麗だった金色の髪を凍土に張り付かせている。炎の球の直撃を受けた子は真っ黒な炭になった。中には巻き添えを食って純白の積雪を真っ赤に染めて絶命した。
 あたし達は死の恐怖に背筋を凍らせ、魔物への憎悪に脳裏を焼かれながら、補給部隊の小隊長の命令に従ってトラックの側面を盾にしつつ小銃を射ち続けた。何匹倒せたなんか分からない。ただ必死になって引き金を引き続けただけ。隠れていたトラックごと直撃を受け吹き飛ばされて、気がついた時には輸送用トラックの荷台に寝かされていた。衛生兵の誰かが運んでくれたのだろう。同じように寝かされていた女性兵士が言った。
 後方で炎がまた煌いた。
 雪がどろりと溶け出して撒き散らされた水滴が空中で凍りつき、氷の粒となって落ちてくる。
 あたしが意識を取り戻したときには10数台あったトラックは半数の7台ぐらいに減った。
 みんな諦めきった表情だ。
 誰も助けに来てくれやしない。

「私たち全員、魔物に食べられるんだ……」

 誰かの呟きが伝染して荷台の上が騒然となる。泣き出す者を見てさらに他の者も泣き喚く。女性兵士達の嫌だ。とか帰りたい。なんて泣き声は後方へも届いているのだろう。魔物達が嘲うように咆哮をあげる。唯一人生き残っていた士官が泣き止んで攻撃するように言い募るが、誰もそんな言葉を聞きやしなかった。そんな中であたしは荷台に転がってた小銃を取って撃ちだす。泣いてなんかいられない。あたしには泣いてくれる人なんかいない。泣いてくれそうな人達はみんなこの氷の上で死んじまったんだから……。

「あたしらは見捨てられたんだ……」

 思わず呟く。誰に? そんなの分かってるじゃないか。ウォルフガングだよ。いや……いなくなっていても知りやしないのかもしれないけど。助けにこようなんて気はさらさらないんだろう。あたしらみたいな下っ端がどれだけ死んでも王子さまは気にもしないんだろうな。
 そんな風に考えると戦ってるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。もういいよね。
 雪の上を真っ白な毛皮を纏った魔物が追いかけてくる。白い毛皮のせいではっきりとは分からないけど、それでも20匹はいそうだ。たいした武器も持ってないあたしらを嬲り殺しにするつもりなんだ。真っ赤な眼がここからでも見えた気がする。大きく開かれた顎。真っ赤な口。
 ――死ぬ。あいつらに食い殺される。
 嫌だ。そんな死に方なんてしたくない。
 こんなとこで食い殺されるくらいならアイヴスの街中で物乞いしてた時の方がマシだったかも。軍に入ったらごはんをいっぱい食べられて屋根のあるところで眠れるって言うから、仲間と一緒に軍に志願したんだ。それなのにこんな冷たい氷の中で死にたくない。
 矢継ぎ早にオレンジの光芒が光る。
 着弾の雪煙がはじけたのはあたしらのすぐそばだ。ハンドルを取られて車体は大きく傾く。荷台が激しく揺れ動き、凍えきった指が小銃を握り締めたまま。荷台から放り出された。
 一瞬の浮遊感。視界がぐるっと回った。
 叩きつけられた体が深い積雪の中に埋もれる。何が起こったのか分からない。指が固まってる。小銃を握り締めたまま無様に這い上がった。目の前に魔物の赤い口がある。
 ――ああ。あたし死ぬんだ……。
 諦めきった気持ちで眼を瞑った。できるだけ痛くありませんようにと祈りながら。
 耳元で魔物の息遣いが聞こえる。ぴちゃっと舌を鳴らす音が妙に大きく聞こえた。
 足音がやけに激しく動いている。焦らしているのだろうか? 中々噛み付いてこない。薄く眼を開く。
 魔物達がうろうろと逃げようかどうしようかと迷っている感じがする。
 そんな光景を見せられたら希望が湧いてきちゃうじゃないか……もしかしたら助かるかもなんてさ。そんなことあるはずないのに。
 ははっ。自虐的な笑いが込み上げてきた。
 その時――。
 凄まじい轟音が響いた。
 一瞬、視界が白く染まる。目の前にいた魔物が吹き飛ばされ氷の上に叩きつけられた。氷の上を何度も鞠のようにバウンドする。そして動かなくなった。じわっと流れ出す血が氷の上で固まっていく。白い湯気が立ち上って雪に紛れて流れた。
 炸裂弾が破裂したのだ。あたしの周りに屯していた魔物達が纏めて吹き飛ばされていく。爆風に煽られた雪があたしの上にも舞い落ちてくる。残る魔物達が驚愕を表すかのように乱れた。
 周囲を威嚇する魔物。
 再び砲火が閃いた。
 先ほどまで凶悪な表情を浮かべていた魔物達が今は恐怖に脅えている。位置も分からぬまま右往左往して回避しているつもりなのだろう。呆然としているあたしなど無視して更に着弾の轟音が続く。
 低く鈍い音が甲高い音に変わる。唸り声を上げる機関砲。薙ぎ払われた魔物は血煙を上げて凍土に倒れた。
 その時になってようやくあたしの耳は聞き分けた。爆裂音の合間に鉄の軋む音を。
 ほんのわずかな間に魔物は全て打ち倒されていた。逃げ切れたものはなく。生き残ったものもいない。
 先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
 やがて、言葉もなくもぞもぞと這い上がるあたしの前に重々しいキャタピラの軋む音がゆっくり近づいてくる。吹き荒れる吹雪の中、5つの巨大な影が浮かび上がる。
 高さは3mはあるだろう。巨大な人型の影。右手に長い機関砲を持った影は古の騎士のよう。
 青い薔薇を抱くドラゴンが描かれた黒鉄の機体。

「Prince of Ombria――ウォルフガング王子」

 背筋を駆け昇る畏怖にも似た感動の中で呟いた。
 青い薔薇を抱くドラゴンが描かれたエンブレムを持っている黒鉄の機体なんて一人しかいない。まさか、王子さまが助けに来てくれるなんて期待してなかった。
 先頭に立っている機体があたしの前で立ち止まる。他の機体は周囲で止まっているトラックに集まるよう指示してる。
 目の前に止まった装甲騎兵の前ハッチがカチッと金属の音を響かせ浮き上がり、開いた。
 現れた上半身は、ルリタニアの黒い軍服。翼を広げた竜の記章を胸につけている。猫のようにしなやかな身のこなしで長い足を引き抜き凍土の上に降り立つ。黒い機体に黒い軍服を身に纏った細身の肢体が重なり浮かび上がった。
 ――あはは。きっと、夢だ。王子さまがいるわけない。
 疲労と空腹と冷気が見せる幻想。そういえば凍死をする前って幻覚を見るって言われたっけ。
 男らしく濃く太い眉。すらりとした鼻梁。意志の強さを示しているかのような引き締まった口元。黒檀を思わせる黒い瞳。長い黒色の髪は無造作に後ろで纏められていた。一見すれば冷たいといってもいいような顔立ちである。初めて間近で見たような気がする。

「ルリタニアのウォルフガング・ルリタニア中尉だ。無事だったようだな。待たせてすまない」

 凛としたその声が耳を通り抜けていく。氷の大地にへたり込んだまま、あたしは気を失った。

 氷の上にへたり込んだまま、幻覚でも見たように口をぽかんと開けて呆然と見上げていたぼさぼさの赤毛の少女が、まるで糸の切れた人形のように気を失い崩れた。
 ウォルフガングが近づき、その傍らにしゃがみ込む。
 少女の防寒着を濡らす血の色はない。
 抱き起こして開きぱなしになっている口元に頬を寄せる。弱々しいが呼吸に乱れはない。
 気を失っているだけらしい。ほっと安堵の息を漏らす。
 まだ幼さを残す面影からアイヴスで集められた年少の志願兵だろうと見当をつける。自分たちとはぐれてからろくに睡眠を取っていないのだろう。やつれて青褪めた顔色が何よりもそれを物語っている。気を失ったのは疲労と死の淵から救われた安堵感からか。そう判断する。
 ウォルフガングは少女の胸元を開き、まだ新しい認識票を引き出す。小さな金属製の認識票に印字されている名はアニマ。それだけだ。アイヴスに数多くいる浮浪児の一人なのだろう。ウォルフガングの形のいい眉がほんの少し顰められた。階級は当然というべきなのか最下位の二等兵。所属は補給部隊の機関銃手。
 ウォルフガングは改めて少女――アルマが落下した雪の上を見た。舞い落ちた雪が吹き溜まっている。そうでなければ落下したときに死んでいただろう。

「悪運が強いというべきか……な」

 昨夜遅くに出発してから、深夜すぎ行方が分からなくなっていた補給部隊を捜索していた。こちらから通信用の魔方陣を展開しても通じず。そのため居場所を特定するのに時間が掛かった。通信用の魔方陣を展開してくれていれば、探知の魔法が通信と同時に展開するのだからすぐに居場所を特定できていたはずだった。
 ウォルフガングは小さくため息をついた。士官が真っ先に死亡したのか。それとも彼女らが魔法陣の展開法を覚えていなかったのか? どちらにせよ。もう一度教えておくべきだろう。

「衛生兵を呼びましょうか、王太子殿下?」

 指揮車輌のB-3型重装甲車輌のハッチが開き、ブラウンの髪が覗いた。茶色の真ん丸い眼。通信兵のフリーダ・アーメント准尉だった。アルマ――彼女らを見つけるまで必死になって通信用魔方陣を幾度も繰り返して展開していたのだ。自分も疲れているだろうに、そんな気配を微塵も見せずに明るい声を放つ。

「必要ないだろう。凍傷もなさそうだ。指揮車の中で暖めてやるのが一番だ」

 ひょいっと持ち上げ、フリーダに預ける。指揮車の中から兵士達の笑い声が聞こえる。

「何なら自分らが暖めてやろうか? 雪山じゃ人肌で温めあうそうだしな」
「はん。そんな事して、後ろから撃たれても知らないよ」
「おお、こわいこわい」

 天を仰いだ。ウォルフガングは先ほどとは違うため息をつく。
 冷たい雪を降らせ続ける陰鬱な青みがかった灰色の空。この吹雪が空を飛ぶ魔物から自分たちを守っている。制空権は魔物達にあって自分たちにはない。創設され始めた空軍が稼動すれば、状況はもう少し良くなるのだろうが、それを待つ時間もない。

「――うまく行かないものだな」
「王太子殿下。補給部隊の収容が終わりました」

 連れてきた兵士が報告を告げる。トラックの方に眼を向けると荷台の上に生き残りの補給部隊の兵士たちが乗せられていた。
 続いて帰投を命じる。ウォルフガングは装甲騎兵に乗り込む前に、指揮車に寝かされたアルマの様子を伺った。

「様子はどうだ?」

 指揮車の中はエンジンからの余熱と搭乗員の体温で十分に暖かい。しかし搭乗員以外の者が座るスペースも人一人寝かせるスペースもないので毛布に包まれ装填手シートの脇に座らせている。フリーダが意識のないアルマの凍えた指先を擦り、血流を戻している。

「まだ眠ってます。血色は戻っていますから、起こすなら気付け薬を嗅がせますが」

 そうはしたくないと茶色い眼が訴えている。
 ウォルフガングが首を振る。そうして必要ない。と伝えた。

「眠らせておいてやれ。今ぐらいはな」

 気が付いたら再び、戦いの中に戻らなければならなくなる。疲れ果てて眠っている少女とはいえ、現状では貴重な戦力なのだ。
 ウォルフガングは自身の機体に乗り込む。フリーダがウォルフガングをちらりと見上げ、通信席へと戻った。そして各車輌に集合場所へと向かうよう指示する。指揮車が通信用の魔方陣を再び展開すると捜索に当たっている全ての車輌へと連絡を付け出した。赤く輝いている魔方陣が指揮車を包み込むように煌きだす。

「発進。集合場所へと向かう。全機周囲の警戒を怠るな」

 操縦手がアクセルを踏み込む。キャタピラが軋み、鈍い音を立ててゆっくりと動き出す。
 いまだレテ島へたどり着いてもいないのだ。ウォルフガング達は蹴散らされ、打ち倒された魔物達の死体に眼もくれず立ち去っていく。
 後に残るはすっかり冷たくなり、凍りつき始めた魔物達が氷の上に横たわっているのみだった。その上を雪が舞い落ちて白く染めようとしていた。



[20672] 第08話 「雪の国の戦乙女Part4 『初代女帝が作らせた館』」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/01 20:40

 第08話 「雪の国の戦乙女Part4 『初代女帝が作らせた館』」


 レテ島へとようやく上陸を果たしたウォルフガング達は島の光景に眼を奪われた。
 木々が生い茂り、新緑の若芽が萌え広がっている。鳥たちの声が島のあちこちで聞こえてきた。島の奥に進むにつれ雪の面影が少なくなって気温が上がっていく。じっとり汗ばみ、張り付く軍服を手で仰ぎながらソフィアは周囲を見回す。
 ――なんだこれは?
 ソフィアの口から思わず呟きが漏れる。日差しが暑い。ソフィアはその時、豊満な乳房と乳房の間に一筋の細い流れが落ちていくのを感じていた。
 今は冬。大陸の最北端であるアデリーヌでさえ、雪に埋もれているというのにここはまるで春のようだ。
 ウォルフガング指示によってソフィアは中隊を分け、継続躍進によって森林の間を警戒しつつ前進する。分けられた小隊は交互に支援と躍進を繰り返しながら逐一後方にいるソフィア達に報告をしていた。
 ソフィアはウォルフガングの指揮車に乗り込み、アデリーヌから持ってきた地図を見ている。レテ島の中心には初代女帝が建てたという別荘が存在しているはずだった。

「この地図によれば、もう少し進むと別荘があるはずだ」
「そうだな。しかしなぜ初代女帝はこの島に別荘を建てさせたのだろう?」

 ウォルフガングが疑問を呟く。
 アドリアンもソフィアも答えることができなかった。ノエル王国に残されている初代女帝の記録にも女帝がこの島に足を踏み入れたという記録はない。にもかかわらず別荘を建てさせたという記録はしっかり残っている。別荘が建っていらい、この島は旧帝国でも一緒の不可侵地域となって人が住む事も許されなかった。旧帝国からノエル王国へと領地が移行されてからもいくつかの島が集まってできたレテ諸島を調べようとする王は、クラリッサ女王以外には出てこなかった。そのクラリッサ女王にしても調査団を派遣したのは新大陸暦435年銀の月第3週25日に女神コルデリアを降臨させた奇跡。”カプールの亡霊”ヴァイトリング子爵の乱以降なのだから忘れられていた島といえる。

「それにしても……」
「なんだ?」

 アドリアンが指揮車の窓から周囲を見ながら疑問を口にした。
 窓に眼を向けたまま、不思議そうに言う。

「この島に着いてからというもの、魔物の姿を見ないのは不思議だ」
「確かにその通りだな」

 ソフィアもまた窓を見ながら同意する。常春のような穏やかな気候。豊かな自然。魔物達の姿を見ないのもおかしなものだった。この戦いが始まってからというもの魔物は敵。という認識が出来つつあるが、それ以前は人間と魔物はさほど敵対してはいなかったのだ。お互い住む地が異なっているために冒険者だとか遺跡探検を生業とする者達以外は出会うことすら稀であった。比較的魔物が多いと言われるヘンルーダの森ですら魔物と会うことは少ない。研究者の間では魔物の数自体が減ってきているのではないか? とも言われている。
 しかしここは敵地のど真ん中である。
 いて当たり前。いない方がおかしいはず。にもかかわらず姿を見ない。
 雪原、氷の上にはあれほどの数がいたにもかかわらずにである。
 隠れているのではないか? とも考えたが、そのような気配もない。
 森の中を流れる川を越えた途端、春の日差しは灼熱の夏へと変わり、森は密林へと姿を変える。体内からあふれ出た汗は、皮膚と軍服のわずかな隙間を通って流れた。細い汗の流れは胸の谷間から腹部の窪みへと落ち、そこで澱み、さらに下腹部の茂みへと飲み込まれていった。

 レテ島を縦断するようにウォルフガング達は密林を進み、初代女帝の別荘へとたどり着いた。
 門を開くとき、妙な感覚に襲われた。警戒しつつ中に入っていく。
 ――なんだ。これは?
 ウォルフガングは今感じた感覚を考え、アドリアンにも確認する。

「恐らく結界ではないかと考えます」
「結界か……」
「フラビア城にあるアデリーヌの寝室と同じようなものかと」
「……確かにそうかもしれない。が、こういう事を判断できる魔術師がこれからは必要になってくるな」
「そうだな」

 アドリアンはふいに学生時分と同じような口調で答えた。そんなアドリアンの態度にウォルフガングは苦笑を漏らし、肩の力が抜けるのを感じた。
 深い森の中に建てられた豪華絢爛な建物。初代女帝は派手好み。その言葉が実感できる別荘であった。一度も足を踏み入れることのなかった島に作られた別荘でさえ、これほど豪華絢爛に作り上げる。その感覚は一体どこから来たのだろうか?
 初代女帝を研究する者達でさえ、原因を掴めてはいない。
 ウォルフガングは館の前に指揮用テントを立てると周囲を各小隊に調べさせた。迂闊に中に入るのは危険だと思われたからだ。広大な敷地の中は先ほどまでと違い。春の日差しに包まれている。あちらこちらに使用人用と思われる建物が5つ点在していた。そのうち3つは固まっていて、残り2つは離れている。
 固まっている建物の1つを小隊が調べた。
 中はがらんとした空き家である。人が住んだ形跡さえもない。罠の存在を確認しようとしたが、罠すらない。他の建物も同じような感じであった。首を捻りながら小隊を指揮していたボナール軍曹がウォルフガングに対し報告を伝える。
 ウォルフガングは固まっている3つの建物に部隊を集め、一旦休憩を取らせる事に決めた。
 別荘を前にして警戒を怠らぬよう指示するが、正直ここに来るまでろくに休ませてやれなかったのだ。兵たちの疲労もピークに達している。ウォルフガングは用意してきた部隊の補給から少しだけ豪華な食事を取るように炊事官に伝え、各小隊ごとに休憩を取らせていく。幸いにして初代女帝の別荘には当時の東の塔が作り出した結界が張られている。魔物が進入してくることはないだろう。もっとも中にいるものがいないとも限らないし、この結界が封印とも限らないのだが。どのみち一度ここで休ませてやろう。そう決断する。
 
 野戦調理車からスープの良い匂いが漂ってくる。
 ソフィアは鼻先に漂う匂いに誘われるようにふらふらと野戦調理車に近づく。大きな寸胴に鳥肉をぶつ切りにしたものを入れ、大量に作るために水をバケツで何度も流し込む。沸き立ってきたら、あくを取り、にんじん、たまねぎ、じゃがいもの具にローリエ、パセリの茎、タイムなどを糸で括りつけたものを放り込んでなお30分ほど煮込んでいく。後は塩だの胡椒だので味を調える。
 シンプルだがこういうものの方が楽でいい。作るのも簡単だし、大量に作れるし、材料を放り込めば灰汁を取るだけだ。新兵にだって作れる。特別な技量を必要としない。失敗がない。そしておいしい。良い事尽くめだ。
 ソフィアがほくほく顔で眺めているように兵士たちも涎を垂らさんばかりに食事が出来るのを待っている。

 食事が配られ、兵士たちが和気藹々という感じで食事を始めた。
 久しぶりにゆっくりとした食事の時間が取れた。ほっと息を抜いた兵士たちは笑いあう。そして食事を終えた者から順に屋根のある家で仮眠を取る。これもまた久しぶりのことであった。すぐさまいびきの音が聞こえてくる。よほど疲れているのだろう。固い木の床に横になった途端に眠ってしまった兵士を見たソフィアは苦笑いを浮かべた。
 しかしふと、ソフィアは小屋の中を見回して疑問を感じた。
 ここは初代女帝が建てた別荘の一角。すでに1500年も前の建物のはずだ。にもかかわらず、しっかりと建っている。なぜだ?
 疑問を抱えたままソフィアはウォルフガングの元へ急ぐ。
 ソフィアから話を聞いたウォルフガングもまた、疑問を感じて、持ってきた資料を見直していった。
 クラリッサ女王の調査表の中に固定化という。文字が記されている。かつて東の塔で研究されていたものらしく。現在では失われた秘術の1つである。ウォルフガング、アドリアン、ソフィアの3人は資料を読みながら、恐ろしいことに気づいた。

「もしや、この島は魔術の実験場だったのか?」

 ウォルフガングは敷地内を見回して言う。その声は少し震えていた。

「そう考えると、この気候も実験の一環だったのか?」
「そうかもしれない」

 ソフィアの言葉にアドリアンも同意する。
 そう思うとなぜ、クラリッサ女王がこの島に移住を許可しなかったのかも想像できる。何が行われて、何が起こるのかも分からないような実験場に国民を移住させるのは危険だと判断したのだろう。ましてや魔物すら近づかない場所である。ウォルフガング達3人は別荘の豪華絢爛な建物を見つめながら、確認するべきだな、と考えていた。
 兵は休ませている。
 ボナール軍曹に後の指揮を任せ、ウォルフガング達3人は装甲騎兵に乗り込み。別荘の中へと入ることを決める。モーリスが後で文句を言うかもしれなかったが、彼を連れて行くことにはソフィアだけでなくアドリアンも反対するだろう。ウォルフガング自身も連れて行く気にはなれなかった。

 3機の装甲騎兵が大きな扉の前に立つ。
 ウォルフガングが機体の中からボナール軍曹に向けて通信を開始した。

「これから中に入る。俺たちの位置を『マッパー』と探知の魔法で確認しておいてくれ」
「分かりました。ではお気をつけて」
「了解」

 扉を開けた。鍵は一応作戦前に資料とともにノエル王室から受け取っていた。
 ギギッという蝶番の重い音が室内に響く。
 暗い。
 第一印象はそうだった。
 闇の中、3機の装甲騎兵が纏わせている魔方陣の煌きが残像を作りながら蠢いている。アドリアンが魔法の光を点けた。一気に室内が明るくなる。眩しさに耐えかねたようにソフィアは顔を逸らした。急に明るくなったものだから眼の焦点が合いにくくなってしまっている。
 1500年も前に作られ見捨てられていた廃屋。
 これのどこが?
 3人が入った室内空間は贅沢そのものだった。白と黒の大理石のタイルが交互に敷き詰められ、中央には2階バルコニーへと続く絨毯敷きの幅広の階段が据えられている。アーチ型の大理石の柱が絢爛なホールに立ち並び、2階の黒くてどっしりとした木製の欄干を支えている。縦溝彫りの壁には突き出した蝋燭立てが並んでいた。赤い敷物類が魔法の光に映えている。
 広い。豪華絢爛な室内。まさしく初代女帝が作らせたものだろう。他者にこの部屋を説明するには一言あれば良い。『初代女帝が作らせた館』これで全て言い尽くせる。きっとその人が想像する豪華絢爛な館に限りなく近いだろう。ソフィアはそう考えた。
 だが、同時になにか不吉な印象を受ける。漠然とした不安。言葉では言い表せない不信感。漠然とした圧迫感を感じる。ソフィアはすぐにこの場所を気に入らない。と決め付けた。
 ソフィアは階段のすぐそばまで近づいていく。20mmの機関砲ではなく。もっと小さめの機関騎兵銃を構えている。7.92mm。装弾数40発。狭い室内では良いだろうと思って装備を変えてきたが、この分だといつもの20mmの機関砲でも良かったかもしれない。機体の中でソフィアは苦いものをかんだように口元をゆがめた。足音は厚い絨毯に全て吸収されて物音を立てずにいる。生身の人間ではなく、装甲騎兵の重い機体でさえ、こうなのだからどれほどの高級品であるかが伺える。
 階段右手の円形のテーブルの上に高そうなシガーケース――いや、ヒュミドールだろう――が置かれている。宝石を散りばめた豪華なものだ。警戒しながらも蓋を開ける。中には14本のシガーが入っていた。この大きさからすると20本入りのはず。誰かが吸ったのだろう。当然、ここには誰かがいたという証になる。
 ソフィアはウォルフガングとアドリアンを振りかえった。2人はこのシガーケースの事をどう思うだろう? しかしアドリアンはその意図を測りかねているようだ。

「500年前に行われた調査団が吸ったのかもしれない」
「ああ、そういう可能性もあるな」

 アドリアンの言う事も一理ある。その可能性も無いとはいえない。ウォルフガングは西側の壁にあるふたつの扉に向かってホールを横切っていく。取っ手をガチャガチャ言わせたが、扉には鍵が掛かっていた。

「ノエル王室から借りてきたのは正面玄関の鍵だけだ。他の部屋に鍵が掛かっているとは聞いていなかった。これはむしろおかしくないか?」

 確かに調査団が入ってからここに来た者はいなかったはず。無断で島に入り込んだ者がいたとしても、これほど豪華な装飾品を手付かずのまま。放り出していくとは考えにくい。

「明らかにここは何者かによって管理されていた形跡がある。むろん調査団の可能性もあるし、それより以前と言う事もありえる。しかし各部屋を確認するべきだと考えるが」
「そうだな」
「うむ。そうするべきだ」

 ウォルフガングの意見にソフィアとアドリアンが同意する。3人がどういう経路を辿るべきか考えている最中……。
 ドサッと何か重いものが床に崩れ落ちる音がした。どこか近くだ。3人はいっせいに東側の壁に1つある扉を振りかえった。ソフィアの背中に冷たい汗が吹き出た。幼い頃寝物語に聞かされた怖いお話を思い出す。奇怪な家。奇妙な音。扉の向こうで年老いた魔女が不気味な笑い声を上げているような気がする。

「アドリアン。偵察して、報告しろ」

 ウォルフガングが言う。

「我々は戻ってくるまでここで待機をしておく。お前が戻ってきたら、今度は俺が向かう。何かあれば発砲しろ。そうすれば我々も気づく」
「了解」

 アドリアンは頷き、扉に向かった。機体の足が大理石の床と擦れ、鈍い音を立てる。扉に手をかけたアドリアンが開くと中から時計の音が聞こえてきた。初代女帝の時代にはまだ、時計機構は存在していなかった。にもかかわらず音がするということはそれ以後に何者かが設置したと言う事である。アドリアンの姿が扉の奥に消えてからもソフィアは悪い予感が頭から離れずにいた。


 アドリアンは徹底的に調査をした結果、この華麗な室内にいるのは、自分ひとりきりだという事に気づいた。先ほどの音を誰が立てたにしろ、今ここにはいない。
 時計の針の音が室内に響き、白と黒の大理石のタイルが交互に敷き詰められた部屋。ここは食堂だ。といってもこれほど壮麗な食堂はアイヴスにあるフラビア城ぐらいしか思いつかなかった。玄関ホールと同じようにこの部屋にも高い天井と2階バルコニーがある。部屋の奥にははめ込み式暖炉があり、そのマントルの上には初代女帝アデリーヌの肖像画が飾られている。ここから2階に上がる手立ては見当たらないが、暖炉の右手に扉があった……。
 アドリアンは慎重に機体を動かし、扉に近づく。機体の中でペロッと唇を舐めた。それにしても……と、アドリアンは初代女帝が作り上げた館とその富に圧倒されそうになっていた。食堂は見事に装飾された木々と高価な美術品に囲まれている。その四方に囲まれた中央には長いテーブルが置かれている。そのテーブルで20人は会食できるだろう。ただし、椅子は一握りの選ばれた者のためにしか置かれておらず、精密な細工を施されたテーブルマットの上にはここ数週間は使用されていないようだった。
 そもそも1500年前の建物であり、500年前以来誰も足を踏み入れていないはずの館である。この埃の少なさは返って、この館には誰かがいると言っている様なものだ。
 アドリアンは機体の中で首を振った。
 明らかに、大分前にこの館を誰かが使用している。前のレテ島への侵攻作戦の兵士たちが使用したのだろうか? ありうる話だ。しかしそれならば、資料に残っていても不思議ではない。いや。無断で使用した者がいたとしても、噂話で語られているだろう。人の口に戸は立てられない。と言うではないか……。
 アドリアンは扉のそばによると、ゆっくりとノブを下に押し下げた。
 扉の向こうで何か物音がしないかと耳を澄ます。時計の音以外は何も聞こえない。時計は壁を背にして取り付けられている。秒針が動くたびに妙にいらつくような音を立てている。
 扉は向こう側に開き、暗く狭い――装甲騎兵が動けるほどの広さはある――廊下が機体の明かりに照らされてぼんやりと照らし出された。すばやく左右に視線を見渡す。右側の奥行きは50mほどか。斜め向かいに2つの扉。そして突き当たりに1つ。左側はアドリアンの位置から少し――それでも5mほどある――離れたところで右に折れている。微かな死臭。腐った肉の臭い。床には点々と赤茶けた染みが続いている。
 ――ずっずるぅ。
 右手の最初の扉の向こうから、水に塗れた重いものを引きずって歩いているような、そんな音が聞こえてきた。
 向こう側に誰かいる!
 アドリアンは安全を確認していない方に背を向けないようにして、扉の方へ摺り寄った。さらに近づいたとき、向こう側で移動する音が途絶える。扉はきちんと閉まっていないらしい。
 扉は軽く叩いただけで開いた。キンキラキンの壁紙に覆われた廊下がサーチライトに照らされぼんやりと浮かび上がる。ほんの少し向こうで右肩を落としたバランスの悪い男が背中を向けて立っている。その男がゆっくりと振り向いていく。酔っ払いか? それとも怪我をしているのか? ぎこちない動き。死臭が濃厚になる。男の衣服はぼろぼろで染みだらけ。後頭部は髪がほとんど抜け落ちている。ハゲというのではなさそうだ。なにかの病気で抜け落ちた印象を受ける。
 病気に犯されているのだ。そして死にかけている。アドリアンの頭の中で危険信号が点滅する。気をつけろ! 頭のどこかで警告を発している。

「止まれ!」

 警告を無視して、男は完全に振りかえった。男の顔は死者のように青白かった。だが、腐った唇の周りだけは血で真っ赤に染まっている。こけた頬から剥がれた皮膚がだらしなく垂れ下がり、咥内をむき出しにしている。落ち込んだ眼窩の奥に飢えた色を宿していた。
 アドリアンは撃った。20mmの弾丸が男の胸に夥しい穴を開けた。うめき声を上げそいつは床に崩れて死んだ?
 機体の中でアドリアンは眼を見開く。激しい鼓動が耳につく。
 ――冥界の女神。アンゲローナ。
 改めて自分たちの敵を思い知らされた気分だった。
 死臭を放つ死体を凝視しながら、いつの間にか機体が動き、扉に触れた。カチャッと場違いなほど綺麗な音を立てて扉が閉まる。
 ――リビングデッド。こいつは歩く屍なのか?
 そういう化け物がいる事は知っている。そしてそれに冥界の女神アンゲローナがかかわっている事も……、しかしたとえ、そうだとしても、こいつは何者だ? なぜここにいる?歩く屍であろうと、人がいる事自体が異常なのだ。
 アドリアンは男の衣服を観察する。軍服ならばまだ理解できる。前の連中だろうと推察できるからだ。しかし男の衣服は白衣に近かった。まるで東の塔の魔術師達が来ているローブに近い。――東の塔が関わっている!
 急いで戻らなければ!
 アドリアンはきびすを返した。扉のノブを握る。だが、ずっしりと重く。びくともしない。扉を吹き飛ばそうと銃口を向ける。
 ――撃った。
 けたたましい音がして放たれる。しかし眩い光とともに魔方陣が展開して銃弾を防ぐ。

「防御結界……」

 アドリアンの声に絶望の色が滲む。扉を打ち壊せない事に気づかされた。
 背後でにちゃりと音がする。アドリアンはくるりと振り返り、眼を見開く。男が痙攣しながらも近づいてきていた。床の上をナメクジのようにてらてらとした粘膜を擦りつけながら移動している。
 アドリアンはもう一度撃った。立て続けに男の頭に撃ち込んでいく。頭を吹き飛ばされた男は動かなくなった。しかしアドリアンには男が今にももう一度動きそうな気がして恐ろしかった。無駄だと思いながらも扉を力任せに押す。魔方陣がもう一度展開する。アドリアンは諦めて、そろそろと用心しつつ男の横を通り過ぎ、廊下を進む。左側に扉があらわれた。ノブを動かしてみたが、ガチャガチャなるだけで開かなかった。ここも『防御結界』が張られているのだろう。扉にドラゴンの紋章が施されていた。先ほどの扉にはそんなものは施されていなかったはず。困惑してさまざまな思いが渦巻いている頭の片隅に覚えておく事にして、先に進む。
 廊下は右側に枝分かれしている。1つ扉があったが、敢えて無視する。それよりもぐるりと回っても正面玄関に向かう方が先決と思われたのだ。ウォルフガングもソフィアもさっきの銃声を聞いたに違いない。
 しかし、断言しても良い。この館には先ほどの化け物と同じようなものが徘徊しているに違いない。外にいる連中にも早く伝えなければ。一旦この敷地から外に出て、ここは包囲しつつ殲滅の為の方策を練ったほうが良い。
 突き当たりの左側に扉があった。そこで廊下は右折している。装甲騎兵が疾走する。土の魔方陣が展開して黄色い光を放っている。
 化け物。歩く屍の吐き気を催す腐敗した臭いが濃厚になっていく。扉に近づくにつれて臭いはひどくなっていった。ノブに手を掛けた。カチャッと軽い音がして開きそうだ。アドリアンは扉をおもいっきり強く引き開け、向こう側へ飛び込んだ。
 しかし、そこで待ち受けていたのは魔物の群れだった……。
 



[20672] 第09話 「雪の国の戦乙女Part5 グール(食人鬼)」
Name: T◆8d66a986 ID:b12eedf3
Date: 2010/09/06 21:11

 第09話 「雪の国の戦乙女Part5 『グール(食人鬼)』」


 銃声が聞こえた。数秒後、さらに連続して撃ちこまれた。銃声は遠くなっていくが、この広大な館のどこかである事は確かだ。
 ギギッと装甲騎兵が身じろぎする。ウォルフガングの機体だ。

「ソフィア。俺が――」
「私も行きます」

 ソフィアはウォルフガングに最後まで言わせなかった。しかしウォルフガングはすでに東側の扉に向かっている。アドリアンは無駄に発砲しない。敵がいるのだ。それも複数。ウォルフガングは機体の中でふぅっと息を吐いた。背後からソフィアがついてくる。それを確認すると扉を開けた。ウォルフガングとソフィアの2人は広い食堂へと入った。横幅は玄関ホールほどでもないが、それでも広い。装甲騎兵の図体が自由に動けるほどだ。奥の突き当たりに扉が見える。その途中で大きなのっぽの古時計が妙に耳障りな音を立てていた。ウォルフガングの機体が滑るように扉に向かって進む。20mmの機関砲が肩に担がれていた。
 ソフィアの機体が先に扉にたどりつき、ノブを握っている。ウォルフガングを見た。ウォルフガングが頷いたので、ソフィアは扉を押し開けて、左側に足を踏み入れた。
 ウォルフガングは反対側に足を踏み入れる。ふたりは薄暗い廊下をじっくり見渡した。

「アドリアン?」

 ソフィアが小さく呼ぶ。答えはなく。ウォルフガングが機体の中で顔を顰めた。腐った肉の臭いが鼻先をくすぐる。嫌なにおいだ。そっとこぼした。機体の音が廊下に反響して震えた。

「俺が扉を調べる」

 ソフィアは頷いて、左側ににじり寄り、警戒態勢をとった。ウォルフガングは最初の扉に移動する。ソフィアが背後にいるのは安心できる。始めて会った当初はどうなるものかと思っていたが、ソフィア自身が使える人材である事を証明し始めている。それはウォルフガングにとってうれしい誤算であった。そのソフィアが驚愕のあまりハッと息を飲み、後ろへ下がった。ウォルフガングは異変に気づき、くるりと振り返った。薄暗い廊下に死臭が強くなった。ソフィアが廊下の行き止まりの開けた場所から後ずさり、構えていた銃を撃った。フルオートではなく単発である。撃ちながらウォルフガングの傍に近づいてくる。

「と、止まれ!」

 ソフィアの声は震えていた。しかしウォルフガングの位置からはソフィアが撃っているモノが何であるのか、見えない。

「どけ! 左に」

 ウォルフガングの指示に従ってソフィアが横にずれた。背の高い男が視界に入ってくる。よろよろと両手を伸ばし、口元から涎がたれている。眼は白く濁り、腐りかけた皮膚がだらしなく垂れ下がっていた。べったりと口元にへばりついた血がぽたぽたと床に滴り落ちていく。構えた機関砲が火を噴き、男の頭部が吹き飛んでいった。頭を失った男はぐらりと後ろに倒れ大の字に横たわる。

「いったい――」

 何者だ。という問いを飲み込む。ソフィアを背後に庇い、周囲を見渡す。廊下の行き止まり、ちょっとした休憩所のような小部屋の床に人が倒れている。まさか、アドリアン? しかしアドリアンではなかった。服装からしていかにも研究者という印象を受ける。首を引きちぎられ体のあちこちを食い破られた姿。何者かは知らないが、なぜこの館にという疑問がさらに強くなる。
 ウォルフガングとソフィアは3つある扉を全て調べだした。ノブをがちゃがちゃ言わせ、重厚な木の扉を押してみる。すべて施錠されている。しかし、アドリアンはこのどれかから通り抜けていったはずだ。でなければ消えるはずがない。
 ウォルフガングは扉の1つに銃を向け、撃ち壊すべく引き金を引いた。発射された銃弾は扉を壊すことなく全て展開された魔方陣によって阻まれた。

「――防御結界」
「初代女帝の仕掛けか……」

 打ち壊せないことを知ったウォルフガングとソフィアの2人は大食堂を駆け抜けて戻った。玄関ホールへ戻る扉へとたどりつき、急いで通り抜けながら、何者がこの館を使用していたのだろうと考えていた。

「ソフィア。君は一旦館をでて、ボナールにこの館にいたグールについて報告してくれ。できるだけ固まって警戒を怠らないように、あと俺かアドリアンの指示があり次第、この館を攻撃するように準備を進めておいてくれ」
「……うむ。ボナールに伝えよう。だが、それがすんだら私ももう一度、この館を調べるつもりだ」
「そうか、なら誰かを見つけたら、この場所に会いに来る事にしよう。ここが捜索基点だ。俺は西側から調べるからな。気をつけろよ」
「ええ、貴方もね」

 ウォルフガングは機関砲を掲げて、俺は大丈夫さ。と言った。ソフィアの後姿が玄関の扉の向こうに消えていく。外はまだ明るかった。
 ――大丈夫だ。さてと、アドリアンを探しに行くとするか。
 ウォルフガングは西側の壁の扉にまっすぐ向かった。扉はすんなり開いた。玄関ホールと同じぐらいひんやりとして静かな薄暗い小部屋が現れた。全体的におぼろげな淡い光に覆われている感じだ。抑え気味な明かりが壁に掛けられている絵を照らしている。中央にはまだ幼い少女の大きな彫像が両手を上に上げて、花束を掲げている。
 ウォルフガングは扉を閉め、薄闇の中に入っていく。入ってきた向かい側に2つの扉があることに気づいた。左側の扉は開かれている。しかし小さなタンスが入り口を塞いでいた。どうやらあんなものでもグールの侵入を防ぐ事ができると思っていたのだろうか? ウォルフガングは右側の扉に歩み寄り、ノブを動かした。ロックされている。ため息をついて、装甲騎兵の腰からピッキングの道具を取り出そうとする。万能とは言わないが、こんなのでも普通の鍵ぐらいなら開ける事ができる。民間には出回っていない、王族であるウォルフガングが本国の盗賊ギルドから貰ったものだった。ターレンハイムのおじさんが、にやにや笑いながら渡してきたときの事を思い出して苦笑いを浮かべる。
 その時、機体の中の通信用魔方陣が展開し、ボナールから通信が入った。データはこの館の地図らしい。現在位置が赤い点滅で印されている。一番大きなエリアが中央で、それより少し小さいエリアが左側に広がっていて……。この地図が1階なのか? ウォルフガングは地図を操作して2階がどうなっているのか見たい。と思った。しかし1階と同じ形が現れただけで何も描かれていない。だが、それだけで十分だった。つまり、謎はこの館の中にあって、暴露されるのを待っているのだ。
 ウォルフガングは――にやりと笑った。


 アドリアンは銃を撃ちながら、吐き気をこらえていた。腐った魔物。元はミノタウロスだろうが、こうなってはグールとさして変わらなかった。隣には床の上で身を捩るセイレーンがいた。本来は水辺の魔物がこんな館の中、しかも床の上を這い回っている。訳が分からなくなりそうな光景であった。元は美しかったであろう顔は今や醜く腐り果ておぞましい表情を浮かべている。アドリアンが撃つたびに装甲騎兵の背中に取り付けられているバックパックから銃弾が弾倉に押し込まれ給弾されていく。バックパックには2000発収められている。生身の人間には重すぎて動けなくなりそうな重量であるが、装甲騎兵ならではの装備である。こいつのお蔭で弾切れの心配はあまりない。だが0とは言わない。弾切れになる事態は少なからずあるのだ。腐り果てた腐肉の塊がぶよぶよと床の上をのたうち回る。こうなっては元は何であったのかも判別しがたい。装甲騎兵の重い足に踏み付けられて、掻き回されたゼリーのようにぐしゃぐしゃになった。
 アドリアンは前に進む。そして深呼吸しながら、吐かないようにむなしい努力をする。呼吸をするたび腐った臭いが胸の奥に入り込んでくる。グッと飲み込み、堪えた。吐き気はゆっくりとおさまっていく。
 アドリアンの踏み入れた廊下は、黒塗りの木材でできていて、薄暗い明かりがあるだけだった。自分の呼吸音がやたらと耳にまとわりつく。実際のところ、いったいこいつらはなんなんだ。いろんな種類の魔物が銃弾によって粉みじんに切り裂かれている。さきほどアドリアンの機体はこいつらの温かくて悪臭のする息を感知していた。こいつらは復活した死体ではない。いかに似ていようとも、絶対にちがう。
 いや、そんな事はどうでもいい。食欲にのみ支配された腐肉の塊はりっぱなグール以外の何者でもなかろう。俺にいや、装甲騎兵にさえ、噛み付こうとした。今まで装甲騎兵に噛み付き、喰おうとする魔物になどであったことはない。喰えるか喰えないかの判断ぐらい魔物にもつくのだ。しかし、こいつらは違った。飢えからくる食欲以外何もないのだろう。早く仲間の所へ戻って、この場所をまるごと焼却してしまわねば……。
 左手に簡素な扉があった。ノブを下げたが開かない。扉の表面には案の定、グリフォンの紋章が刻まれている。ドラゴン、グリフォン。なにか明確な意図があるに違いない。
 アドリアンは廊下を進みながら、なにか物音がしないかと耳を澄ませた。装甲騎兵の表面にべったりとこびりついたひどい臭いのするものの所為で、たとえまた、魔物が傍にいたとしても臭いで察知する事は困難になっている。機体内の魔方陣が空間を解析し始めているが、それとて初代女帝の仕掛けによって、大部分が使い物にならなくなっている。はあっとため息をついた。そしてため息がつけるのも生きている証拠かと自嘲した。
 廊下は左折していた。アドリアンはすばやく角を曲がると、広い木の床を調べる。支柱があって一部視界が妨げられているが、アドリアンはちょうどそこを通り過ぎた男の背中を捉えた。ここでは魔物も人間も等しく腐り果てて、お互いに喰らい合うということはないらしい。歪な体はバランスが悪く歩くたびに体を左右に揺らしていた。
 アドリアンはすばやく右側ににじり寄ると、もっと的確に狙いを定めようとした。外にでるまで補給など期待できない。弾の無駄遣いなどしたくないのだ。装甲騎兵の鈍い音が廊下に響いた。そいつはゆっくりと振り向いた。とろい動きだ。腐った皮膚。澱んだ眼。もう何度こいつらを見た事だろう。何度見ても慣れはしないが、アドリアンは左後方へとあとずさった。するとそいつも方向をかえ、ゆっくりとした歩調ながら近づいてくる。とろくドンくさい動き、逃げるのは簡単だ……。追い詰められた時のために弾薬は節約しなければならない。廊下の端に階段があった。アドリアンは逃げる段取りをした。あとずさり、脱出するために十分な間合いを取った。そのとき背後からうめき声が聞こえてきた。ぴちゃぴちゃと腐った肉が零れ落ちる音。アドリアンはすばやく振り返る。さきほど潰したはずの化け物がたちあがり、近づいてきている。

「ああ、くそっ!」

 殺したはずなのに! まだ死んでいなかったのか? アドリアンは廊下を全力疾走した。機体の下では土の魔方陣が黄色い光を放つ。巧みにかわしながら、毒づく。がっしりとした梁を通り抜け、もう少しで階段にたどり着くところで、急停止する。上で待ち受けている姿に気づいたのだ。階段の上で立っているぼろぼろの魔物は珍しく武器を持っている。振り上げた棍棒から血が滴り落ちる。アドリアンはちらりと見ただけで、踵を返した。よろよろと近づいてくる化け物ども。どこまでいってもまとわり着いてくる襲撃者どもに怒りとともに銃口を向ける。溺れているかのようなごぼごぼとした音を鳴らしながら物陰からもう一匹姿を見せた。アドリアンはセミオートへと切り替え、引き金を引いた。
 一斉掃射された銃弾が魔物どもを薙ぎ払い。逸れた弾丸が壁にぶつかり、魔法陣が展開し、兆弾となって廊下の中を飛び回る。アドリアンのすぐ傍を跳ね返った弾丸がすり抜けていった。
 ――まずい。このままでは自分の撃った銃弾で蜂の巣になりかねん。
 アドリアンは周囲を見た。――扉だ。
 それは階段横の向かいにあった。黒い木材が影に溶け込んでいて今まで気づかなかったのだ。黒い木造の扉に突進する。ノブを掴みながら、どうか開いてくれと祈った。
 もし、ロックされていたら、撃った銃弾で蜂の巣になってしまうだろう。そんな事態はまっぴらごめんだ。

 ――扉はあっけなく開いた。
 装甲騎兵の図体でも入れるぐらいの部屋だ。この館はどこも贅沢な造りになっている。たとえ物置であろうとだ。アドリアンはすばやく機体を滑り込ませながら呆れるのを通り越し、ため息も出ないという感情に襲われた。扉を機体で押さえつけ、さっと飛び降りた。部屋の中を見回す。さほど見るべきものはない。訳の分からない書類が溢れんばかりに詰め込まれたトランク。ほとんどがラベルの取れた薬品らしき、瓶の並ぶ棚。一人用のマットの厚いベットに精密な装飾のなされた机。
 一通り見回し机の引き出しを開けた。中には――ドラゴンの紋章の刻まれた銀色の鍵がぽつんと残されている。アドリアンは鍵を眼の上に翳してしげしげ見た。特にどうという事のない鍵だが、ドラゴンの紋章が刻まれている。

「たぶん、これがあの扉の鍵なんだろうな……」

 ようやく手がかりの1つを手に入れたと喜ぶべきか、アドリアンには判断しがたかった。
 扉の向こうでは銃弾の音が収まったようだ。どこへ行ったものか? それとも腐った肉に全て収められたのか? アドリアンは再び装甲騎兵に乗り込むとゆっくり扉を開けた。



[20672] 第10話 「雪の国の戦乙女Part6 第5次レテ島攻略戦」
Name: T◆9ba0380c ID:78d7e360
Date: 2010/09/12 12:44

 第10話 「雪の国の戦乙女Part6 第5次レテ島攻略戦」


 甲高い音を立ててロックが開いた。
 思ったとおり、向こう側は長い廊下になっている。ウォルフガングはもう一度地図を出すと確認した。廊下をいくつか通り、さらに部屋と部屋を抜けると外とつながっているらしい裏口がありそうだった。
 地図を消すと同時に魔方陣を展開した。ウォルフガングは狭い回廊へと足を踏み入れる。
 ――薄気味悪い光景だった。たいして見るべきものはない。長い絨毯が敷かれ、壁紙はこの館にあって不思議なほど平凡なものだった。薄いグリーンの壁紙にはところどころ血の跡が点々と付いていた。幅広の窓からは外の景色が見える。暗い景色が広がっている。
 うん? ウォルフガングは不審に思った。ソフィアが出たときはまだ明るかったはず、それからたいして時間は経っていない。にもかかわらず、なぜ暗いんだ? 答えが出ないままウォルフガングは先を急ぐ。廊下の壁沿いには陳列収納棚が並べられている。
 それは4つあった……。それぞれの棚の上には小さなランプが置いてあり、鈍い光を投げかけている。ウォルフガングは棚に視線を向けた。中には人間と思われる骨と皮が置かれていた。別の棚には魔物の物と思われる骨と皮。それらは現在知られている魔物とは少し違って、微妙にゆがんでいた。どこかでガラスの割れる音がする。それとともに駆け足の音も。
 探知の魔法が機体の前で展開され、赤い光が廊下の前面を染める。ウォルフガングの口元が引きつったように歪む。左腕に取り付けられている角ばった盾。真ん中を突き抜けるように突き出ている伸縮式長槍”パイルバンカー”の先が赤い光に反射して鈍い光を放つ。荒い息を吐きながら姿を現す2つ首の犬。右の首は口元から赤く長い舌をたらして、左の首はガチガチと歯を鳴らしている。
 右手に握られたレバーが装甲騎兵の腕の中で時計と反対方向に回された。ガチャッと金属の音を響かせ、右手に持った20mmの機関砲が背中に取り付けられたバックパックから給弾される。人差し指が、レバーに取り付けられている引き金を引く。唸り声を上げた犬を狙い。撃つ。1発だけだ。脅しの代わりともいう。難なくよける犬。
 だが、撃ちだされた銃弾は壁に反射し、廊下の壁から壁へと動き回って、とうとう犬の頭を撃ち抜いた。力なく倒れた2つ首の犬をウォルフガングはぼうぜんと見下ろす。

「まさか、こんな事になるとは思っても見なかった……」

 周囲の壁を見回しつつ、呟いた。
 確実に当てない限り、銃弾は壁に反射して事に寄ったら、撃った本人に向かってくる。ゾッとするような事実である。慎重に廊下を進みながら、ウォルフガングは考えていた。
 廊下は少し先で左に折れていた。直角に折れ曲がった廊下を曲がり、ウォルフガングがフットペダルを踏みつける。機体が全力疾走する。長い廊下の先の扉は鍵はかかっていなかった。扉を開ける。その先にも長い廊下が続いている。最初の廊下ほど明るくもないが、少なくとも不気味な感じは受けない。剥げかかった緑色の壁紙が張られていて、ところどころにありきたりな風景画が掛けられている。
 右手の最初の扉はロックがかかっている。扉にはグリフィンが刻まれていた。次に開けた扉の向こうには四つ足のバスタブ。はあっとため息をつく。かなり古い物だ。おそらく初代女帝の頃の物だろう。古風な浴室は最近使われた気配はない。一通り部屋の様子を見たが古いバスタブ以外見るべき物はなかった。
 ウォルフガングは部屋を出て、廊下を少し後戻りする。もう1つの曲がり角を進む。廊下はふたつの扉が向かい合っている場所で終わっていた。右側の扉のノブを握る。ガチャッとした音とともに扉が少しずつ開いていく。暗い廊下に足を踏み入れ少し先の廊下でのろのろと蠢いてる魔物の姿が見える。そいつもウォルフガングに気づいたらしく向きを変えて近づいてきた。
 冷静に狙いを定め――狙うのは頭。
 銃声は不気味な暗がりの中で信じられないほど大きく響いた。20mmの銃弾がそいつの頭を吹き飛ばして真後ろの壁に当たり反射する。一発の銃弾に二度も撃ちぬかれた魔物が床に倒れ伏して血溜まりを広げていった。右手奥の廊下にも魔物はいた。
 ――ああ、もう。うっとうしい。
 腹立たしさからウォルフガングは銃を撃った。肉がそぎ落とされた骨と皮だけの魔物が、吹き飛ばされ折れた骨を露出させる。ウォルフガングは廊下を急いで走り抜けると、右折して行き止まりの左手にある珍しく金属製の扉を開けた。
 扉は錆びて軋んだ音を立てながらも開いていく。新鮮な空気が機体の横を流れていった。一歩外へ踏み出したウォルフガングは初めてといって良いほど深呼吸をする。新鮮な空気は機体の中に溢れかえる。吐き出すたびに館の腐ったような空気が肺から出て行くような気分になった。装甲騎兵の足がジャリッと石を踏み、砕けていく石の音がウォルフガングの耳にも届く。モザイク模様の石畳が森の奥にまで続いていた。ようやくかとウォルフガングは館から一旦出られたことを喜び、道を歩く。薄暗い小道を歩きながら地図を思い出していた。この先の行き止まりには部屋があってその隣にはおそらく納屋がある。ウォルフガングは角を曲がり、重厚な扉の前に立つ。その取っ手に手をやった瞬間、ウォルフガングの口元が戦慄いた。鍵穴が塞がれている。チッと舌打ちをして扉を観察しだす。
 扉の左側に煉瓦に埋め込まれた金属の板がある。その金属には4つの窪みがあり、それぞれ拳ぐらいの穴が細い線ででつながっていた。金属の板の下のほうになにやら文字が書かれていたが、長い年月の間に磨耗したらしく薄っすらとして読めなかった。

「どうやら、こいつに填めるモノが必要らしい」

 ウォルフガングは扉を見上げた。試しに殴ってみたが、やはり魔方陣が展開する。
 チッと再び舌打ちをして扉に背を向ける。
 ――どいつが作ったにせよ。この状況では悪意としか感じられんな。
 遠くの方で魔物どもの遠吠えが聞こえている。ウォルフガングは空を見上げ、いっそ風の精霊球を取り付けた装甲騎兵を連れてきた方が良かったかも、と今更ながら後悔していた。いやいやと頭を振る。館の外にいる部下を呼んだ方が良いのは確かだ。しかし、今更助けを求めるのも嫌な気がする。子供っぽいと言われようと手に負えないからと、認めて助けを求めたくないという。子供っぽい意地もあるのだ。指揮官としてはまだまだだとは思うがな。そうして再び、本館の方へと戻っていった。


 アドリアンは廊下を走っていた。階段横には先ほどの魔物が床に倒れている。フッと自嘲じみた笑いが口の端に浮かぶ。アドリアンは廊下を走り抜けて、他の廊下へ戻る扉の前に立つと扉のノブに手を掛けた。軽い音がして扉が開く。
 すばやく左右を調べる。まっすぐ先の廊下は暗く澱んでいるようだ。右手には扉があり、ドラゴンが刻まれている。扉向かい側のちょっとした空間も調べる。もう驚かされるのはごめんだった。なにもない。すばやく鍵を差込み回す。すんなり扉は開き、足を踏み入れた。小さな寝室。廊下よりもほんの少し明るい程度だ。部屋を一通り見回す。ふと子供の頃聞かされたお話を思い出した。ベットの下のお化け。クローゼットの怪物。ふっ、何を今更、俺たちは本物の魔物を相手にしているのではないのか? とはいえ子供の頃は本当に怖がった物だ。
 部屋の片隅に置かれているデスクに近づいた。背後にはクローゼット。しかしデスクには何もなかった。はあっとため息をついて立ち去ろうとした時、クローゼットが開いて中から腐った魔物が飛び出してきた!

「はっ! 本当に出てくるとはな。まったく馬鹿にしやがって」

 理不尽ともいえる怒りとともに魔物の頭を掴んで壁に叩きつけた。ぐしゃっと鈍い音がして叩きつけられた頭が砕ける。魔物はそのまま壁にもたれるように滑り落ち、壁には血の筋が放射線を描いている。
 部屋を出たアドリアンはこれ見よがしに足音を立てながら、一旦玄関ホールへと向かう事に決めて歩き出した。
 そう決めて歩いているとあちらこちらから、腐った魔物がぞろぞろと現れては近づいてくる。だが、アドリアンは装甲騎兵に乗っている。生ける屍程度では傷1つつけることはできそうもない。問題は数だけだ。寄せ来る魔物を掴んでは壁に叩きつけていった。叩きつけられた魔物が展開した魔法陣にぶつけられて砕かれていった。
 ――最初っからこうしていれば良かったかもな。
 いいかげん、この館にも慣れてきたのだろうか? アドリアンは心の中で呟いていた。
 大食堂を通りがかったとき、ふと暖炉の上に掛けられている初代女帝の肖像画に視線を向けた。特に意味のない行動であったが、肖像画を見ているうちに気づいた。初代女帝は首飾りになにやら十字架のようなものを身に着けている。それは絵ではなく本物のアクセサリーのようだ。なぜ、絵ではないんだろうとアドリアンは手にとってみた。特におかしなところはないが……無意味にこんな事はしないだろうとも思える。そしてアドリアンは十字架を手にしたまま玄関ホールへと向かった。

 玄関ホールにたどりついたアドリアンはボナールに連絡を取った。現状を説明し、捜索の為に装甲騎兵を館に派遣するよう命じる。

「では、3機1組として中に突入させましょう」
「任せる」
「はっ!」

 そうこうしている内に30機もの装甲騎兵たちが玄関ホールに入ってきた。彼らも驚いていたが、アドリアンの命令に東西。そして正面階段を昇って2階も捜索し始める。しばらくするとそこかしこで銃声や魔物どもが打ち倒されていく音が聞こえだす。
 さすがに30機もの装甲騎兵が捜索すると、それこそあっという間に館中の扉が開け放されて各部屋の現状が報告されてきた。その中にウォルフガングが、重厚な扉の前でアイテムを取り付けているという報告もあった。アドリアンが連絡を取るとウォルフガングはため息をついて認めた。
 玄関ホールにやってきたウォルフガングを迎えたアドリアンとソフィアが現状を報告する。ウォルフガングが開けようとしていた扉の向こうには研究室になっている。そしてその中には『東の塔』の一部が研究していたという魔物の姿もあった。

「つまり何か、『東の塔』の一部が魔物を軍隊として組織しようとしていたのか?」
「おそらくそうだと思われます。詳しい事は西の塔に連絡を取り、魔術師達に調べてもらわねばなりませんが」
「本国に連絡を取ろう。魔術師を派遣してもらわねばな」

 こうして第5次レテ島攻略隊であるウォルフガング達は西の塔から魔術師達がやってくるまでこの場を確保する事になる。本国ルリタニアからは魔術師とともに第6,7大隊がやってくるそうだ。それらの到着、引継ぎが終わり次第にウォルフガング達は帰還する事になった。

「なんともつまらん結末だったな……」
「まあ、戦争に面白い結末があるとも思えませんが……」
「確かにそうだな」

 10日後、第6,7大隊がレテ島にやってきた。
 ウォルフガングは大隊長のアロワ・フォン・バシェラール大佐に引継ぎを行い。帰還する為に中隊に用意を急がせた。

「帰還したら、全員一時休暇が与えられる。本国に帰り着くまで気を抜くんじゃないぞ」
「中尉……ここまできて死ぬ気はありませんや」

 兵士たちは帰れることにうれしそうだ。一時休暇というのも楽しみなのだろう。うきうきとした雰囲気が中隊の中に漂っている。これから氷の道を通って帰るのだ。ウォルフガングはなんというか何をしに来たのか、という達成感もないままにぼんやりと考えていた。
 ――いかんな。俺が一番気が抜けているようだ。
 フッと自嘲する。
 それでもアルカラの街に足を踏み入れたときには無事に帰ってこれた。とようやくほっとした気分を味わう事ができた。

 第5次レテ島攻略戦はこうして終わった。

 さあ、ルリタニアへ帰るとするか。
 ウォルフガングが足を踏み出したとき、なぜかソフィアもまたウォルフガングの後についてくる。その隣ではアドリアンがにやにや笑っているし、ウォルフガングはなにかこう。嫌な予感がしていた。



[20672] 第11話 「エイプリル湖の戦い」
Name: T◆9ba0380c ID:de1183e2
Date: 2010/09/17 22:35

 第11話 「エイプリル湖の戦い」

 亜衣たちはパラディーゾ山脈の麓。マインツの基地近くまで誘導されていた。舗装されていないがたがた道は車が通るたびに土煙を上げて車を跳ね上げる。ときおりすれ違うトラック。この辺りの住民なのだろう。どの顔も日に焼けて黒い顔に人の良さそうな笑みを浮かべ、大きな麦わら帽子を被っていた。パラディーゾ山脈とマインツの間にはエイプリル湖がある。全長2km。横幅1kmの縦長の湖であるが、この辺りは酒造りが盛んであり、エイプリル湖はそんな酒蔵を支える巨大な水瓶だと言われている。パラディーゾ山脈の斜面には葡萄畑が、平地には小麦畑が一面に広がっていた。亜衣達はそんな光景を眺めながら基地まで護衛されている。基地から派遣された6人乗りの車内では亜衣も他の者たちも無言であった。時折亜衣のすすり泣く声が車内に重い空気を漂わせる。こんなときいつもならアルシア辺りがなんやかんやと話しかけるのだが、今日ばかりはアルシアでさえ、なんと言って良いのか分からないようだった。
 気を利かせたのか、車を運転していた将校が湖の畔で車を止めた。車内に残っている亜衣たちを尻目にさっと車から降りると後部の荷台から青いシートを取り出して水辺に敷く。
「亜衣王女殿下、お外は気持ちが良いですよ」
 そう言って手招きしている将校の髪が微かに風に揺れ靡いている。空は青く。湖の水面も蒼い。気持ちの良い風も吹いている。確かに気持ちが良いかもしれない。亜衣が顔を少し上げる。泣き腫らしたのか眼は赤くなっている。頬には涙の後がくっきりと付いていた。エリザベートが亜衣の身体を支えて車から地面に降り立った。力の抜けた亜衣の身体がぐらりと崩れる。慌てて支えるマルグレットとアルシア。3人に囲まれた亜衣はそっと青いシートの上に座る。
 将校が後ろについてきていた車から野戦用の簡易食料の甘い飴やらビスケットなどと言った物を取り出して、亜衣に勧める。細く小さな指先が赤い粒を取り上げ、口の中に含んだ。ころころ舌の上を転がる甘い飴。舌の上に苺の味が広がっていく。目の前にはエイプリル湖の蒼い水面が広がっている。湖を渡ってくる風が頬に気持ち良かった。しらずしらずのうちに亜衣の口元がうっすらと笑みを浮かべる。背後ではこぽこぽお湯が沸く音が聞こえてくる。ザビーネがお湯を沸かしてお茶を入れている。コーヒーの香りが亜衣の鼻先をくすぐって、お腹がぐぅ~っと音を鳴らす。どんなに悲しくてもお腹は空くのだった。亜衣は赤面しながらもそっとザビーネの方を向く。
 何も言わずにザビーネが亜衣にレーションを差し出した。亜衣は「ありがとう」と小声で呟き、受け取った。缶きりで缶詰を開け、中に入っていたお肉のペーストをビスケットに塗りがぶっと齧りついた。
「わらわも欲しいのじゃ」
「では、わたくしもですわ」
「うちも」
 亜衣の様子を伺っていた3人が口々にレーションを欲しがった。それぞれ手にしたレーションをほお張っていく。フルーツバーを齧ったアルシアが笑顔を亜衣に向ける。
「案外おいしいのじゃ」
「そうですわね」
「しかしなんやな、これはルリタニア製やな。うちはいろんな国のレーションを食べた事があるけど、これはいける方やで」
 マルグレットが燻製された肉の板を齧りつつ今まで食べた事のあるレーションを話していった。ノエルは意外と野菜料理が多いとか、カルクスは魚が多いとか、それぞれの国で特色があるそうだ。亜衣もマルグレットの話に耳を傾けている。
 亜衣が湖に視線を向けた遠く陽を浴びてキラキラと輝いてる水面。その向こうには小麦畑は長く続いていた。ぶくぶくっと水面に白い泡が立ち上りだす。水面下をすぅ~っと黒い影が動き、泳いでいた。
 亜衣の目が動きにあわせてちょこまかと動く。そんな亜衣の仕草にアルシアが不審を抱いて湖に眼をやった。
 ジッと眼を細め黒い影を見つめる。
「敵襲じゃ!」
 アルシアの声が湖畔に響く。
 その声を同時に水面下からザバッと白い泡とともに人魚――セイレーンが跳ねた。陽光を浴び、耳元まで裂けた口から鋭い牙が見える。本性を剥き出しにしたセイレーンの群れが水辺に座っている亜衣たちに襲い掛かろうとしている。
 トラックの後部に引っ張ってこられた37mmの火砲がセイレーンに狙いを定め連続して撃ちだす。亜衣たちは急いで水辺から離れる。セイレーン達は水からでる事はできない。砲撃を避けるように水の中へ潜っていった。入れ違いに水面が盛り上がり、水を撒き散らしながら魔物が姿をあらわした。金色の髪。真っ白な肌。何一つ身に着けていない裸体が亜衣たちに背を向けて水面の上に立ち上がる。警戒を緩めようとはしない亜衣たちを泉からあらわれた女性が振り向く。
 綺麗な顔だと思うけど……口元は冷笑を湛えたように歪み、目の中には憎悪の色がある。魔物が複雑な動作で水面の上で踊りだす。口からは聞いた事の無い歌を歌っている。
「――月光の舞(ルナティックダンス)」
 背後から脅えたような声が聞こえてきた。マリ・モルガンの舞踏。水の中に住んでいるマリ・モルガンは月明かりの元、舞とともに歌を歌い、人を招き寄せては溺れさせるという。本来は海に棲み、セイレーンと並んで船乗りに恐れられている魔物だ。亜衣はマリ・モルガンの舞を見た者を狂気に招き、次々と海に身を投げさせるという話を聞いた事を思い出した。どこからともなく、いえ確実に水の中からセイレーンの歌も聞こえてくる。眼を瞑り、耳を塞ぐ兵士たち。砲撃が止んだ。ぬめぬめとした緑色の肌をした半魚人が姿を現す。水掻きのついた大きな手を広げ、鋭い爪を立て兵士たちに襲い掛かる。半魚人の鋭い爪が兵士達の首筋を掻き切り、あちらこちらで血飛沫が上がる。
「亜衣。装甲騎兵に乗るのじゃ」
 ふらふらと湖に近づこうとしているエリザベートの首筋を後ろから締めて落としたアルシアが亜衣に向かって怒鳴った。アルシアはエリザベートの背中に飛びついている。まるでおんぶされている子供のよう。
「なにしてるんや。はやく乗り!」
 マルグレットもまたザビーネを気絶させながら亜衣に向かって言った。ふらふらと力なく亜衣は自分の機体へと向かい。トラックの荷台によじ登ると装甲騎兵に乗り込んだ。デフォルメされた丸っこい機体の周囲に赤い魔方陣が展開し、機体の中で亜衣と装甲騎兵が魔力で繋がっていく。機体の中、亜衣の目の前に探知の魔法が映像を送ってくる。右手よし、左手もよし、右足、左足。次々チェックが開始され、亜衣の脳裏に報告されていった。龍玉を通じて流れ込んでくる魔力が魔法防御に力を与え、マリ・モルガンとセイレーンの魔法を弾き飛ばし、亜衣の意識を覚醒させた。それと一緒に薄ぼんやりとしかけていた亜衣はハッと目の前が開けたような気がする。ギギッと機体が立ち上がる。トラックから飛び降りた亜衣は20mmの機関砲を構え、マリ・モルガンに向かって放つ。水面を踊りつつ滑り後ろへ下がっていく。遠くの方に下がってはいるが、いまだ踊るのを止めようとはしていない。セイレーンの歌もまだ聞こえている。
 チッと思わず亜衣は舌打ちをする。そして視線をずらした目の前ではアルシアとマルグレットがエリザベートとザビーネをつれて下がろうとしていた。アルシアは高レベルの錬金術師だから魔法防御力が高く。マルグレットはエルフとして生まれつき魔物の魔法には耐久力がある。現状ではこの2人に加えて神聖魔法の使い手である為に女神の守護を受けている亜衣だけがまともに動けている。荷台の上に2人を寝かして、アルシアとマルグレットは急いで装甲騎兵に乗り込み。起動させる。
「待たせたのじゃ」
「反撃するで!」
 頼もしい2人の言葉に亜衣の口元が笑みを浮かべる。煌めく鋭く尖った5本の爪。左手の鍵爪を大きく広げる。アルシアは半魚人に襲い掛かり、5本の爪で切り刻み血祭りにあげていく。マルグレットが水面を滑るように進む。足元には水の魔法陣が展開され、蒼い光を放っていた。右手に持ったドリルを回転させ、槍のように振り回す。水中に集まっていたセイレーンが追い回されて逃げ惑う。
 歌が止んだ――。
 亜衣は風の魔方陣を展開させると宙を舞い。機関砲を抱えて遠くにいるマリ・モルガンを攻撃し始めた。20mmの銃弾がマリ・モルガンに当たり水中に沈んでいく。
 しかし、水中から一際大きな水柱が上がり、その中から巨大な装甲騎兵が現れた!
 大きな三角形を思わせる肩の装甲。ごつごつとしたフォルム。下半身はムカデのように関節が節くれだって水面下でゆらゆらと蠢く長い尻尾。まるで栗のように光沢があって艶々とした黒っぽい茶色の機体。蛇をモデルにしたのか、それともむかで? 上半身は人型。下半身はむかでっぽい蛇。装甲には黄金のエングレーブ。金の彫刻が刻まれている。細く鋭い爪を持った手には大きな鎌の付いた槍? それとも薙刀だろうか。まるで子供を脅かすお話に出てくる死神の鎌を手にしている。顔は細面で小さく眉の位置には赤いエングレーブ。眼も赤黒い光を放つ。口にはパイプがつけられ胸の内側に入り込んでいた。そして装甲のところどころに角が突き出ている。魔物より魔物らしい姿。尻尾の先までを思えば全長12,3mはあるかもしれない。一体こんな物を誰が造ったというのだろうか?
 亜衣はその考えが分からずにゾッと背筋が凍る思いだった。
「――亜衣」
 装甲騎兵から女性の声が聞こえてきた。ぞくっとするような冷たい声。だけど……。
「……シャ、シャルロットお姉さま……?」
 確かにそれはシャルロットの声だった。亜衣の知っているシャルロットの声はもっと優しく穏やかだったはずなのに、どうしてこんなに冷たい声を出すんだろう。亜衣はまじまじとシャルロットの機体を見つめる。
「逃げるのじゃぁ!」
 悲鳴のようなアルシアの声。はっとして見上げれば、シャルロットが大きな鎌を振り上げていた。とっさに亜衣は重心を傾け、真横へ移動する。
 ぶんという風を切る音。大鎌は水面すら切り込んで真下で隙をうかがっていたセイレーンを真っ二つにする。水面に赤い血が浮かび滲む。
 ――助けてくれたの?
 亜衣はいまだ優しかったシャルロットの面影を追うように茶色の装甲騎兵を見る。しかし大鎌は今度は真横に切り裂こうとして迫ってくる。後ろへ下がる亜衣。それを追うように装甲騎兵が迫る。水面下ではうねうねと尻尾が蠢いていた。亜衣は機関砲を構えたが、どうしても引き金を引くことができない。脳裏では姉のように慕っていたシャルロットの笑顔。そしてなによりも兄、ウォルフガングに撃たれた場面が浮かび上がっていた。つぅ~っと頬を冷たい汗が一筋流れる。口の中がカラカラに乾いていた。
「なにをしてるんや!」
 マルグレットが亜衣を押しのけるように前に出た。突き出したドリルとともに呪文を唱え、シャルロットに向かって攻撃する。
 白い閃光――。眩い光がシャルロットの装甲騎兵を包み込んだ。光は中心に向かって縮小していく。まん丸な球形。
 ピシッと光の球にひびが入った。中から蒼い光が突き抜ける。四方八方から蒼い光の筋が漏れ出し、白い光の球を蒼く染め上げていく。白い光が弾け、傷一つないシャルロットが姿を現す。茶色い機体がググッと競り上がった。うねうねうねってる尻尾が水飛沫を上げる。波が立ち、亜衣たちは波に押し流されるように岸辺へと押し戻された。
「――エンプィィ アァァァスルゥゥガァァァイィィィオォォォルゥ――」
 シャルロットが呪文を唱えている。亜衣には聞いた事もない言葉。声というよりも振動。シャルロットの装甲騎兵がくるくる回る蒼い魔方陣に囲まれている。魔方陣が回転を速め、湖の水が巻き上げられていく。竜巻のような水の渦。それが槍となって襲い掛かってくる。
「亜衣。飛ぶのじゃ!」
 アルシアが大声を出す。亜衣はその言葉に宙高く舞う。湖にはいくつもの竜巻が渦を巻いている。とっさにトラックの方を見た。エリザベートとザビーネが装甲騎兵に乗ろうとしていた。
「早く。速く。お願い早く逃げて!」
 亜衣の叫びも空しく。2人は水に飲み込まれていった。がっくり肩を落として呆然と見下ろす亜衣。竜巻の渦が亜衣の目の前に近づいてきていた。
「さあ、お喰らいあぞばせ!」
 88mmの砲弾が、竜巻を貫き、シャルロットに襲い掛かる。黄色い魔方陣が機体の前に展開して砲弾と鬩ぎ合う。
「ぐうっ……」
 シャルロットのうめき声が亜衣の耳にも届く。尻尾がくねり、砲弾を弾いた。波が引く。ターレンハイム家特製の88mm砲を構えた琥珀色のエリザベートの機体が両足をしっかり地面をかみ締め立っている。
「まだまだぁ!」
 エリザベートが気合とともに続けて砲弾を撃ち放つ。立て続けに撃ちだされた砲弾にシャルロットの機体が押し返された。シャルロットは機体の魔方陣を幾重にも展開させ、防いでいる。大鎌が高く掲げられる。振り下ろした大鎌が空を切り、衝撃波がエリゼベートに襲い掛かった。吹き飛ばされていくエリザベート。あの重い重装甲の機体を吹き飛ばすなんて……。亜衣は歯をカチカチ鳴らしながら震えている。
 シャルロットの真後ろからザビーネの赤い機体が蹴りつける。どんという衝撃が走って、シャルロットがぐらりと揺れる。
「はっ、そっちにばかり気を取られているからだよ」
 だが、尻尾がザビーネを殴りつけ叩き落してしまう。湖に落とされたザビーネ。亜衣は空を舞いながら、意識を集中し始めた。水面ではアルシアとマルグレットが魔法の詠唱を止め、装備の鉤爪とドリルで攻撃している。足元でちまちま攻撃しているがいまいち効いているような気配はなかった……。尻尾が振り回されて2騎の装甲騎兵が湖の中に沈没していく。
「神聖なる女神コルデリアの名において邪悪なるモノよ。吹き飛べ。――フィスト!」
 どこからともなく現れた女性の手がシャルロットの機体をひっぱたく。そりゃあもう。パンパンッと往復ビンタで……。やっぱり女神さまって、こわい。亜衣は呆然と女神の攻撃を見つめていた。シャルロットの機体が周囲にいたセイレーンを巻き込み、吹き飛んでいく。
 魔物の大部分がシャルロットに巻き込まれ湖に沈んでいった。亜衣がアルシアやザビーネを助けようと水面に潜っていく。両手に2騎の装甲騎兵を掴んで岸へと進んでいった。あと、エリザベートやマルグレットも連れて行こうとする。
 ほっとため息をついて周囲を見回した。トラックや火砲なども水浸しになっている。傷ついた兵士達を亜衣が神聖魔法で癒していった。ごそごそと起き出してくる兵士たち。どの顔にも助かったという安堵の色があった。将校が隊を再編し、動ける車両を集合させている。
 その頃、湖の水面下で黒い影が動き出す。亜衣たちはしばし、それに気づかなかった。最初に気づいたのはトラックを運転させていた兵士だった。パクパクとだらしなく口を開き、震える指を湖に向ける。そんな兵士の行動に呆れながら振り向く仲間たち。みなが一様に凍りついたように固まる。
 湖の水が持ち上がって、シャルロットの装甲騎兵が姿を見せる。大鎌は弓に変化していた。魔力で編んだ弦を引き絞り、空に向かって放つ。矢は空で無数の矢に分裂し雨のように降ってきた。亜衣たちは装甲騎兵の防御魔法を展開したが、他の兵士たちはそうは行かない。無数の矢に射られ次々と死んでいった。
「そ、そんな……神聖魔法も通用しないの……」
「亜衣。あなたぐらいのレベルではたいした事ないんですよ」
 シャルロットの声は優しかった。それだけに圧倒的な力の差を思い知らされる。アルシア達が挑むが、力の差は明らかであった。吹き飛ばされ身動きできなくなる。アルシアたち。亜衣はジリッと後ろに下がってしまう。少しずつにじり寄ってくるシャルロット。近づくにつれその巨体が亜衣に圧し掛かってくる。シャルロットから放たれる圧力にじりじりと後退していく亜衣。機体の中でぎゅっと眼を瞑る。
 ――舞え、風。
 上空から男の声が聞こえてくる。風が強くなっている。亜衣とシャルロットが同時に空を見上げた。
 空には2mはありそうな巨大な剣を振り上げ構える装甲騎兵が浮いていた。背中から生えた大きな翼。陽光を反射する白銀の輝き。その周囲には風が吹き上げている。剣を振り下ろす、切り裂くように。シャルロットの魔方陣が風に切り飛ばされはじけ飛ぶ。驚きのあまり声も出せない。
「な、何者?」
 まさか自分の魔法陣が切り裂かれるとは思っていなかったのだろうシャルロットの声が震えている。白銀の機体が下りてくる。頭頂部に角。その先には緑色の羽飾り。古のクローズ・ヘルメット(密閉型の兜)みたいに眼の部分がまるで蛙の口のような切れ目が入っている。大きな角の付いた肩の装甲。腕は太く。足も太い。馬上槍試合の騎士みたいな。まさしく装甲騎兵。だが、背中には大きな翼が取り付けられている。装甲騎兵は風の精霊球で空を飛ぶために翼は必要ないはず。にもかかわらず取り付けるという事は自己顕示欲か象徴のつもりなのか。
 剣を振るいシャルロットを追い詰めていく。巨大な剣は陽光を反射して振るうたびに魔方陣を切り裂き、少しずつ装甲に傷を入れていく。おそらく魔法の剣なのだろう。そして亜衣の眼から見てもかなり修行をしてきたと思われる。これほどの剣士がいたとは知らなかった。
「我が剣の錆となれ」
 一撃を加えようとする。背後から悲鳴が上がる。半魚人達が再び上陸して兵士達に襲い掛かっている。兵士たちも反撃してはいるが、壊滅状態の部隊では大挙して寄せ来る半魚人を押し返す事ができずにいる。亜衣が兵士達の援護してはいるが、エリザベート達も気を失いいない今、たった1騎では分が悪すぎた。ずるずると追い込まれていく。
「どうする。このままでは皆殺しになるぞ」
 シャルロットが冷たい声で嘲う。
「おのれ……」
 白銀の機体がシャルロットに蹴りをくれると急いで亜衣の援護に回った。兵士たちを守りつつ戦っている。しかし、数が多い。絶望という言葉が脳裏を過ぎる。シャルロットがそんな亜衣と白銀の機体を哂いながら大鎌を振り上げた。
「亜衣王女殿下。ご無事ですか?」
 マインツから戦闘機が編成を組んで援軍にやってきた。高高度から20mmの機関砲が唸りをあげる。地上にいる半魚人達が次々と血祭りにあげられていった。
「ちっ、ここまでね」
 シャルロットが舌打ちをして魔物達に撤退を告げる。魔物達が命令に従い湖の中へと消えていった。その整然とした撤退振りに亜衣は魔物たちは軍隊として行動し始めている事に気づく。
「どうして? 魔物が軍隊みたいに行動するなんて……?」
 これまでは小規模な群れとして行動する事はあっても大軍として行動する事はなかったはずなのに。
「優れた指揮官がいるのだろう」
 亜衣の呟きに白銀の機体が答えた。その返事に亜衣は兄、ウォルフガングの影を見たような気がして唇を噛み締める。
「亜衣。次は死ぬわよ」
 ちらりと振り返り、ゾクッとするような声でシャルロットは言い。湖の中へと消えていった。消える間際シャルロットの高笑いが聞こえたような気がした。
 白銀の機体がエリザベート達の機体をトラックに載せていく。亜衣は周辺を歩き回り生き残った者たちにもう一度神聖魔法を掛けていった。しかしいかに神聖魔法の使い手といえど、死んだ者を生き返らせるほど亜衣のレベルは高くない。大部分の兵士たちは死に絶え死体としてトラックの荷台に載せられていった。白銀の装甲騎兵から下りた搭乗者が自ら運転席へ着いた。頭から血を滲ませている将校が別のトラックを運転する。亜衣は白銀の機体、その搭乗者の隣に座ると助けてくれたお礼を言う。
「助けてくださってありがとうございます」
「いえ、遅れてしまい。申し訳ない」
 引き締まった顔に苦渋を滲ませ答えてくる。亜衣はどこかで見たような気がしていた。男らしく濃く太い眉。すらりとした鼻梁。意志の強さを示しているかのような引き締まった口元。深い緑色の瞳。栗色の髪は短く切りそろえられ後ろへ撫で付けられている。
「あの~失礼ですが――」
「アルフォンス・ド・ラ・フォンテーヌ。カルクス王国の第2王子です。亜衣王女殿下とは幼少の頃一度舞踏会でお会いした事があります」
「ああ、どうりでどこかでお会いした事があると思いました」
 亜衣がそう言うとアルフォンスは亜衣の方を向き、にっこり笑顔を見せる。確か年は亜衣より3つほど上だったと思う。汗を掻いている額に栗色の髪がへばりつき、少し汗の匂いが車内にしていたが、亜衣には不快には感じられなかった。
 トラックがマインツの基地へと急いで進んでいく。アルシアやエリザベート達は他の兵士と同じようにベットに寝かされ安静を取るようにと、軍医に指示され休んでいる亜衣は彼女らを見舞うと、あまり負担にならないうちに部屋から立ち去っていく。
 陽は沈みかけ、オレンジ色の太陽が空を染める。亜衣は基地の屋上へとやってきていた。シャルロットお姉さまの事を考えたかったのだ。ぼんやりと屋上の端に立ち、手すりに手を掛けながら黄昏の空を見上げる。
 シャルロットお姉さまが敵に回った事を改めて思い知らされた。そしてその魔力、魔法の強大さも。大魔術師ラッセンディル家の跡継ぎは今回見せた物よりも遥かに強大な秘術を持っているのだろう。そう考えると、背筋が凍りつきそうになってしまう。
 ――どうすればいいんだろう。どうすれば勝てるのだろう。
 そう考えるが、答えは出なかった。
 背後でじゃりっと砂を踏む音が聞こえた。振り向く。後ろにアルフォンス・ド・ラ・フォンテーヌが立っている。基地で着替えたらしく光沢のない緑色の軍服。太ももの位置には大きなポケットがついている。ハーフコートの上着の胸には鷹のエンブレム。カルクスの紋章だ。アルフォンスは心配そうな表情を浮かべ亜衣を見つめている。そして近づいてくると亜衣の隣に立つ。
 2人はオレンジ色の空を眺めている。少し肌寒い風が吹き抜けていった。ぶるっと亜衣が身体を震わせる。そっとアルフォンスが亜衣に上着を着せた。にこっとぎこちない笑みを浮かべ亜衣が礼を言う。そうして上着の襟をかき寄せる。
「――心配する事はありません」
 ふいにアルフォンスが口を開く。えっ、と驚いて亜衣はアルフォンスを見上げる。亜衣よりも20cmは高い位置でアルフォンスの瞳が亜衣を見つめていた。
「あなたは私が守ります」
 力強い言葉だった。アルシアやエリザベートとも違う、低い声。アルフォンスのたくましい腕が亜衣を抱きしめる。驚いてしまって腕の中でもがく亜衣。力強い腕は亜衣をしっかりと抱きしめたままびくともしない。
 アルフォンスにとって亜衣はある種の憧れの存在であった。かつてカルクス王国主催の舞踏会に国王に手を引かれやってきた亜衣は自分が周囲の者たちに愛されている事になんら疑問を抱いていないように見えた。いかに幼かろうと一国の王女である。宮殿内には妬みだの嫉みだのあるだろうに、一向に気にしていない。いや気づいてもいないのだろうと思っていた。優秀な兄、ウォルフガングとブラウンシュバイク侯爵家のアドリアンの2人を両脇に従え、にこにこ笑う。おべっかでも追従でもなく自然と愛される存在は、カルクス宮廷内のどろどろとした権力争いを目にしてきたアルフォンスには眩しく映る。
 当時からルリタニア王国の次期国王にはウォルフガングがなるに決まっている。と思われていた。では亜衣は? いずれどこかへ嫁ぐ事になるだろうが、大国ルリタニアとの親類関係を結ぶ事ができ、なおかつ性格も良い亜衣はどこの国も欲しがる引く手数多の存在だった。カルクスも亜衣と年の近い第2王子であるアルフォンスとの婚約をルリタニアへ打診してきたものの親ばかと影で囁かれているオイゲンが手元に置きたがり一向に見向きもしてこなかった。そこへ今回の事件である。これで白紙に戻ったといっていい。次期女王を嫁がせる事はないからである。アルフォンスががっくりしたのも無理からぬ話であった。
 諦めかけていたものがこの腕の中にある。抱きしめた両腕に亜衣の温もりを感じながらアルフォンスは心の中で必ず守ると誓っていた。



[20672] 第12話 「アイヴス ザクセン公国のお姫さま」
Name: T◆9ba0380c ID:1f420729
Date: 2010/09/19 22:43

 第12話 「アイヴス ザクセン公国のお姫さま」

 パラディーゾ山脈の峰を左手に眺めながらカルクスの第2王子アルフォンス・ド・ラ・フォンテーヌ率いる装甲飛行兵師団の護衛の下、亜衣たちはファブリスからマインツ、そしてパラディーゾ山脈の東側にあるバーデン地方の街レミュザを通り過ぎ、当初の予定よりもかなり遅れたが、亜衣達はようやくアイヴスへとたどり着いた。なんとか間に合ったというところだろう。結局亜衣達よりも後から出た汽車の方が先に着くという事態もあったが。
 ノエル王国アルル地方、古都アデリーヌから、馬車で3日、今では列車で半日程度の距離に西に向かって進んだ先の大きく突き出した岬のそばにアイヴスという町がある。この町は古くからノエル地方の人々が海水浴に訪れる町であった。
 空色の月には、この町の人口か一気に100倍にまで膨れ上がるとまで言われている。本当かどうかは分からないが……。夏の観光地としては、有名な町ではある……。
 アイヴスの海は深い蒼色で綺麗だという。
 今この町にノエル、ルリタニア、奈良宮皇国の3国の軍隊が集まっている。アデリーヌが陥落して、ここまで戦線が後退したのだ。町中に住む人々の顔には恐れと不安が色濃く刻まれていた。駅を降りて町なかを亜衣達はトレーラーに乗って走っていた。
 アイヴスの代表は亜衣に対して高級車を用意しようとしたが、パラディーゾ山脈で戦死したマインツ防衛航空隊の兵士達やエイプリル湖での兵士たちを見てきた亜衣はとてもそんな気がしなかったのだった。なんだかんだ言っても亜衣は王女である。どこへ行っても綺麗な部分。勝っている部分しか見た事がない。へウレンの洞窟での戦いでさえ、亜衣の周りには大勢の味方がついていた。……大勢の味方。今まで考えた事も無かったが、輸送機に亜衣が乗っていなければ、彼らも逃げる事ができたのではないか? 亜衣は初めて今までとは違う王女、王族としての重責を感じはじめたのかもしれない。
 岬のそばの森の中に入っていく。といっても街道は整備されているし、石畳の上を亜衣たちは進んでいた。街道の両脇から張り出した木々のカーテンを潜り抜ける。その先にターレンハイム家が管理しているフラビア城がある。それは左右に張り出した両翼を持つ、豪華絢爛という言葉が相応しい大きな建物だった。初代女帝が造ったという別荘。各国の大使たちが国際会議を行う場所でもある。今では後方補給基地としての側面の方が大きくなっている。アデリーヌが最前線基地であるならこちらは後方司令部といった感じだ。
 建物の前の庭園には大量の軍車両が止められ整備中の戦車なども所狭しと並べられていた。一緒にやってきた軍関係者たちは急いで各軍に向かっていく。彼らと別れ大きな玄関ホールに入った亜衣たちはアドリアンに出迎えられる。
「アドリアン様」
「亜衣王女殿下。ご無事で良かった」
「わたし達よりもアドリアン様の方が……知らせを聞いて心配しておりました」
「私はなんとか無事ですが……ウォルフガングは……」
 アドリアンの眉が顰められた。右手の指で眉を押さえ目を瞑る。アデリーヌで何があったのか詳しくは分からないが、助けられなかった事を後悔しているようだった。亜衣たちは玄関ホールから大階段をを上がって2階テラスへと誘われた。アルシアとザビーネの2人は装甲騎兵の整備が気になると言って館から出て行った。アルフォンスは亜衣のそばに寄り添い離れようとはしない。おかげでエリザベートから少し鬱陶しがられている。
「暑苦しいのですわ、この肉」
 ぼそっとエリザベートの呟く声が亜衣の耳に聞こえてきた。装甲騎兵から降りてきたアルフォンスは背が高く逞しい筋肉質の身体は体格も大きいためにそばに寄られると圧迫感がある。華奢な亜衣と並ぶとよりその体格差が強調される。アルフォンスにもエリザベートの声が聞こえたのか、深く息を吐き出しながら静かな笑みを湛えた。
「その余裕がむかつきますわ」
 亜衣はそんな2人の様子をくすくす笑いながら見ていた。
 階段を上がって豪華な廊下を潜り、テラスへと足を踏み入れた。燦々と輝く陽光の元、テラスに並べられている円形のテーブルには真っ白なテーブルクロス。その上に色とりどりの花が飾られていた。
 ――これってアドリアン様たちの趣味じゃないよね……。きっと誰か女の人が飾ったのだと亜衣はそう考えた。事実テーブルの周りに座っている男たちは誰もが傷だらけの顔に深刻な表情を浮かべ花など飾る心の余裕はなさそうであった。
 アドリアンに席を勧められて座った亜衣の視界に胸元に花束を抱えた女性の姿が過ぎった。艶やかな亜麻色の髪をシニョンで頭の上に高く巻き上げ、黒いレースの袋で包み込んでいる。シャンパンゴールドのドレスは足首までの長さで、華奢な足を隠してはいるものの、上半身は細い二の腕、小さな肩を大胆に露出したビスチェである。鎖骨、その下の抜けるように白い肌。緩やかに盛り上がった乳房の谷間を露出し豊かな乳房の上部を露にしていた。ビスチェに圧迫された乳房は窮屈そうで、脇の横から持ち上げられた乳房が深い谷間を描いている。背中は大きくえぐられ弓なりに反った背骨としみ1つない白い背中を見せていた。綺麗なプロポーション。すっと視線で追いかけていた亜衣の頬が赤くなる。いくつぐらいだろう。お兄様やアドリアン様とおんなじぐらい、20代前半だろうか? いいなぁあんな風になりたいなぁ。亜衣は自分の着ている子供っぽいドレスを見下ろしながらそう思った。エリザベートもそんな亜衣の視線に気づいたのか、女性の姿を目で追う。ドレスの裾が足を運ぶたびにひらひら踊り、雨にぬれた薄絹のようにまとわりつく。亜衣たちの様子にアドリアンが振り向き、彼女の方を見ながら説明していく。
「彼女はザクセン公国の第3王女フローラ・フォン・リヒテンシュタインです。昨日このフラビア城に到着したんです」
「ザクセン公国の……?」
「……フローラ・フォン・リヒテンシュタイン第3王女殿下」
 亜衣とエリザベートが目で追いつつ驚きの声を上げる。内心ではなんともいえない不信感が湧き起こっていく。ザクセン公国には東の塔がある。そして東の塔の一部がこの戦争で暴走している事も一応話には聞いていた。あの東の塔があるザクセン公国。亜衣の顔に嫌悪感が滲む。
「亜衣王女殿下。そんな風に考えてはいけません。暴走しているのはあくまでも東の塔の一部です」
「はっ、あ、アドリアン様……」
 内心を見透かされた亜衣はついアドリアンから眼を逸らし口ごもってしまう。そんな亜衣を庇うようにアルフォンスがアドリアンに問いかけた。
「しかし我々が戦ったシャルロット・フォン・ラッセンディルの機体を作ったのは東の塔ではないのですか?」
「ええ。確かに報告にあったシャルロットの機体は東の塔がアデリーヌに持ち込んでいた機体です。ですが、この戦いの最前線基地であったアデリーヌには、各国の塔から大量の試作機が持ち込まれていましたから、驚くに値しません」
「とは仰るが、あの禍々しい機体は――」
「東の塔は装甲騎兵の開発に後れを取っているのです。その為に他の国とは違うコンセプトでの設計に着手したようです。それが巨大であり、魔物じみた姿であっても魔物そのものを作ろうとした訳ではない。と言う事は分かっていて頂きたいのです」
 アドリアンはアルフォンスに最後まで言わせずに切り込むように遮って、東の塔を庇う。亜衣はどうして庇ったりするの? と不思議に思っていたが、エリザベートはどうも納得しているようだった。
「つまり、こういう事ですわね。――ザクセン公国、いえ東の塔は装甲騎兵の開発に遅れていた。これは事実ですわ。ですから同じような機体を作って他国の機体に勝っても自尊心は満足しない。なんと言っても魔術の塔の最高峰というプライドがありますからね。ですから他国の装甲騎兵よりも圧倒的に強い機体を造ったと、それがあの機体だったと言うことですわ。姿かたちは東の塔の趣味と言ったところですか」
 趣味。エリザベートの言葉に亜衣の脳裏にザビーネと西の塔の首席導師ブレソール・フォン・ケッセルリングの顔が思い浮かぶ。そういえばザビーネも西の塔の魔術師は趣味に生きているところがあると言ってたっけ。もしかして東の塔の魔術師たちもおんなじなの? 亜衣の考えを肯定するようにアドリアンはアデリーヌに搬入されているいくつもの機体を説明していく。話を聞いていくうちに亜衣はあんぐりと口を開いて驚いてしまった。なんという多種多様と言えばいいのだろうか? それとも趣味に走りすぎ。と怒るべきなのだろうか? どう反応すれば良いのか分からないぐらいヘンな兵器が持ち込まれていた。
「なぜ、そんな兵器が開発されたんだろう?」
「一度本国に問い合わせて企画書を見てみたいものですわ!」
 エリザベートが怒ってる。無駄にお金を使うなんてと。ぶつぶつ小声だがはっきり聞こえる声で言い募る。アルフォンスも眼を丸くして耳を傾けていた。そうしてこほんと咳払いをすると頭を振った。
「そうしますとあの機体はまだマシな方だったんでしょうか?」
「――おそらく。巨大さと形の禍々しささえ目を瞑れば性能は高いですから」
 アドリアンはそっと目を逸らしながら答える。アルフォンスもまたアドリアンから眼を逸らしつつ呆れたように声を出す。
「確かに性能は高かったですな」
 亜衣たちもその言葉には頷く。ほぼ一方的に叩きのばされてしまったのだ。性能は認めざるを得ない。その大部分はシャルロットの魔力による物だとしてもだ。
「アデリーヌには大量の修理部品が生産され保管され管理されていました。整備に携わる職人たちも、それこそ数年の間は装甲騎兵を維持運営ができるほどです」
「まさか!」
 アルフォンスが驚きの声を上げる。亜衣もまた驚いてアドリアンを見つめる。確かにアデリーヌには各国の技術者達が新型装甲騎兵やその他の兵器のテストを行うためにアデリーヌへ押しかけていた事は知っている。修理工場も多々あるだろう。生産工場だってあるかもしれない。でも……。
「確かに修理部品は多々ストックされているでしょう。ですが数年分あるとは思えませんが?」
 亜衣はアドリアンに問いかける。
「アデリーヌは最前線を支えてきた前線基地です。それも各国を合わせると十数個師団もの軍が集まっていた。それらを支えるにはどれだけの物量が必要だと思われますか? それを一個大隊で運用するとなるとむしろ有り余るほど多いといってもよろしい。魔物には整備部品は必要ありませんからね」
「……そうでしたわ。アデリーヌには大軍が集まっておりましたわ。集まっていた全軍に行き渡るほどではなくとも現在残っている一個連隊で運用するとなれば余裕が出てきますわね」
 そしてそれらの整備部品は魔物には必要ない。エリザベートの背筋がぶるっと震えた。精霊球も魔力の塔から魔力を受け取るシステムも技術者もアデリーヌにいる。こうなると各国が兵力をアデリーヌに集中させていた事が裏目に出た、という所でしょうか。エリザベートが頭を抱えてテーブルの上にもたれかかった。るるる~っと泣きそうな声で呟いている。亜衣もまた頭を抱えたくなった。そもそも魔物だけですら各国を圧倒するほどの軍勢だったのだ。魔物達に足りなかったのは軍勢を指揮する指揮官。それはウォルフガングを手に入れたために解決した。ウォルフガングの下には下級指揮官もいる。という事はこれからは今までとは違って魔物達がてんでばらばらに攻撃してくるのではなく。統一された大軍としてやって来るという事になる。
「どうやって勝てっていうのよ……お兄様もいるのに」
 テーブルの上にもたれかかった少女2人。どよんとした空気が漂う。亜衣の口からお兄様と漏れた瞬間、アドリアンとアルフォンスがハッと身を固くする。一瞬テーブルの周りに緊張が走った。今まであえて口に出さないようにしていたことをあっさりと亜衣が口にしてしまったのだ。
 ウォルフガング――ルリタニア王国王太子。階級こそ大尉ではあったが、数年前から最前線にあってルリタニア軍を指揮していた。ルリタニア軍の戦果はほぼウォルフガングの指揮の下で得られた物だった。それゆえ前線にいる兵士たちからの信頼も厚く。ウォルフガングが敵に乗っ取られた――と兵は考えている――事でルリタニアだけでなく全軍に動揺が広がっている。その上ウォルフガングと共にシャルロットやソフィアといった大魔術師にノエル王国の姫も同時に乗っ取られた為、現場の兵士にとって最高の指揮官と最大の魔術師を失う事になってしまったのだった。
「考えてみればとんでもない戦力を失ってしまったものです」
「……あの時助けられなかったのは私の責任です」
 アドリアンが苦渋の表情を浮かべる。ギリッと噛み締めた歯の音が聞こえてくるようだ。
「アドリアン殿の所為ではないでしょう。しかし、一体何が起こったのですか?」
 アルフォンスが問いかける。それは亜衣も一番聞きたかった事だった。ガバッとテーブルから起き上がり勢い良くアドリアンの方へ身を乗り出す。そうしてアドリアンが語り始めた。
 
 ――あの時、私とウォルフガング、そしてシャルロットとソフィアの4人はアデリーヌのヴィクトリア城の書斎でつかの間の休息を取っていた。 ヴィクトリア城の一角、執務室の隣にある書斎の3方の壁は天井につくほど高い本棚に囲まれている。中身は魔術や錬金術ばかりではなく。地方領主のものらしく法律書や商法。農学書や経済関係の書物で埋め尽くされている。部屋の中央には楕円形の低いテーブルが設置され、それを取り囲むように黒皮のソファーが置かれていた。ウォルフガングがテーブルの上座でぼんやりと本を読んでいる。手に持った小説はこの男にしては珍しく最近流行し始めた少女向けの恋愛小説であった。シャルロットはそんなウォルフガングを横目で見ながら、似合う似合わない以前によくそんな小説を知っていたわね。とあっけに取られていた。チクチクとする視線を感じて気づかれないように様子を伺う。テーブルを挟んで斜め向かい側にソフィアが座っている。ソフィアは新しい化粧品のカタログを眺めているようにも見えるが、ときおりウォルフガングの様子を伺っていた。そしてその隣に座っているシャルロットの事も。
 紅茶のカップを手の中で弄びながらシャルロットはソフィアがまだ諦めていないのだと考えていた。だからといってシャルロットも諦める気などなかった。テーブルを挟んで女2人が目に見えない火花を飛ばしあっている。アドリアンはコーヒーをすすりつつ胃が痛くなるような気がしていた。まったく。ウォルフガングの奴は気づいてないのか? 鈍感なのか、それとも豪胆なのだろうか? なんともいえない重い居たたまれない空気が部屋に流れているというのに。どうして俺だけがこんなに胃が痛くなってるんだ。理不尽というものだろう。
 視線をそらしたアドリアンは天井の隅で室内の空間が歪みだした事に気づいた。
「おい。あれを見ろ」
 アドリアンの声にウォルフガングが顔を上げた。アドリアンは無言で天井の一角を指差す。4人の目がアドリアンの指先に集まった。
「――空間転移。それも複数!」
 シャルロットが4つのゲートを見て声を上げる。4方向に敵が現れる物だと考え、彼らに警戒を呼びかける。急速に魔力が膨れ上がり、まるで爆発したように感じた瞬間、ゲートの1つから女が現れた。
 ヴェールを脱ぎ捨て裸体が露にする。均整の取れた肢体はすらりと伸びきり、白い肌には瑕1つない。艶やかな光沢を持つ黒髪。程よく秀でた額。繊細な弧を描いた眉は薄すぎず、濃すぎもしない。瞳は星空のように煌めく虚無を宿している。鼻は細く鼻梁が通っており、冷たい印象を与える。そして深紅の唇。
 ウォルフガングとアドリアンが呆然と見とれたのとは対称にシャルロットとソフィアは本能的に目の前に現れた『女』に嫌悪感を抱いた。どこかで見たような、それでいて決定的に違う何か……。シャルロットとソフィアは呆然と見とれている2人の男を冷たい目で見つつ思い出そうとしていた。
「……聖女」
「聖女ね」
 確かに目の前にいるのは500年以上も前に現れたという『ローデシアの聖女』と瓜二つであった。しかし肖像画に描かれている聖女とは明らかに雰囲気が違う。――これは『女』そのものだった。古来より男性が望む性欲の対象としての『女』。その理想像を模ったもの。『ローデシアの聖女』をモデルに何者かが作り上げた化け物。女は虚空を手招きするように腕を振り上げた。真っ白な二の腕が、そこから乳房までの優美な線が、滑らかな首から肩にかけた線が、形良く盛り上がる乳房が、つんと上を向いた乳首が、ひきしまりつつも優美な曲線を描いている腹部が、重力に逆らうように盛り上がっているお尻が、そして薄っすらとした陰りを見せる若草が、ウォルフガングの前に晒される。むかむかしているシャルロットがウォルフガングの前に立ち、視線を遮る。
 そこへ突然、シェーラ・ナ・ギグと名乗る女が新たに姿を現した。室内の空間がさらに歪みだした事に気づいたシャルロットは空間転移を阻止しようとしたが、恐るべき事に複数のゲートが開き、その1つから飛び出してきたのだ。
「まさか、複数のゲートから出てくるなんて……」
 シャルロットは目をこれ以上開けられないだろうと思われるぐらい開いて見つめる。こんな事ありえない。と呟く。
「どういう事だ?」
 ソフィアが怒鳴るようにシャルロットの頬を叩きながら問いかける。ソフィアからすれば複数のゲートが開いてその中のひとつから出てきただけだ。そこまで驚くような事はないだろうという意識があった。
「同時に複数のゲートを開くということはでてきた時にバラバラになってしまうからよ。1つの入り口から入って同時に2つの出口からでる事はできないでしょう?」
 にもかかわらずシェーラ・ナ・ギグと名乗る女は無事に出てきた。シャルロットはありえないと思うばかりにさかんに首をふる。パニックになりそうだ。『女』の口から短い言葉が発せられた。古代語魔術に精通しているシャルロットにも何語であるのかも分からない言葉。真っ赤な唇が卑猥に開き、その中で舌が蠢く。ねっとりと濡れた唇がぴちゃぴちゃと音を立てだす。思わずシャルロットとソフィアが目を逸らした。女性陣が目を逸らした瞬間、部屋ごと封じられた。部屋全体が『女』の魔術の効果範囲に入り、赤くじめじめとした空間と化した。『女』はウォルフガングに近づいてくる。シャルロットが遮ろうとして、『女』にぐいっと腕をひかれて羽交い絞めにされた。
「――なっ!」
 羽交い絞めにされたシャルロットがジタバタと暴れる。シェーラ・ナ・ギグの嘲う声が耳を打つ。万力のようにシャルロットの顔を引き寄せ『女』とシャルロットの唇が重なっていく。吸い取られた唇に『女』の舌が侵入してくる。ぬめりとした舌が触れた途端、シャルロットは無意識のうちに口を半開きにして受け入れてしまっていた。
「うんっ……ううんっ……」
 くぐもった声が真っ白い歯並びの間からこぼれでる。理性が麻痺しかけ、甘美な行為に全身が覆われていく。『女』の舌先が戯れるように舌を求めている。行為に応えるように、シャルロットは自らおずおずと小さな舌を差し出した。舌が絡みつくと、シャルロットは全神経を舌先に集中する。戯れるようにシャルロットの舌と『女』の舌が絡まる。
 目を閉じたシャルロットは恍惚とした表情で口を吸われていた。ぬめぬめと絡まる舌の感触は粘膜同士の密接な結合を感じさせ、官能を刺激していく。
「あっ……うんっ……」
 シャルロットの身体がピクリと反応した。頬に添えられていた手がシャルロットの顔を上に向けたのだった。甘い官能に溺れだしていたシャルロットは一瞬手の動きに反応したのだが、再び目を閉じのめり込みはじめる。甘美な甘いキスは徐々に濃厚になり、ゆっくりと絡めた舌に唾液をのせて、シャルロットの口に飲み込ませていく。
 じわじわと口内にひろがる唾液をシャルロットはぼんやりとした思考の中で感じ取っていた。シャルロットの反応を見透かしたように『女』は少し多めに唾液をどろりと流し込む。するとシャルロットはいやがる素振りをみせずに、従順に飲み干した。喉を小さく鳴らして唾液を飲み込むシャルロットをシェーラ・ナ・ギグが勝ち誇ったように見つめていた。
 シャルロットはまるで観念したかのように従順に『女』が次々と送りこむ唾液を飲みくだしている。どろどろの唾液を飲み干すうちにシャルロットの理性は麻痺し、酔いしれていく。
 ごぼっとシャルロットの喉の奥に大量の体液が流し込まれた。目を瞑ったまま受け入れていく。次から次へと流し込まれシャルロットの喉から溢れそうになっていった。
 ソフィアはその光景を瞬きもせずに見つめている。『女』の口から赤い液体がシャルロットの口へ注がれていく。その度に『女』の体が小さくなっていき、シャルロットの身体が『女』の口からあふれ出る赤い液体によって全身が濡れそぼっていた。今や『女』は女性美の権化からしわしわの皺だらけと化した肌理細かな皮膚が床の上にべちゃりと音を立てて落ちた。先ほどまでこの『女』を動かしていたはずの肉や骨は『女』には存在していなかったようである。唯赤い液体の詰まった美しい皮袋。それが『女』の正体であった。
「貴様っ、なにをした!」
 ソフィアがシェーラ・ナ・ギグに向かって怒鳴り声を上げる。腕をつかまれもがく。次はお前の番だとばかりにシェーラ・ナ・ギグがソフィアを優しく、それでいて強く抱きしめた。その頃になってようやくウォルフガングとアドリアンがハッと我に返った。
 シェーラ・ナ・ギグに羽交い絞めされているソフィアを見て止めに入ろうとした。
「――ソフィア!」
 ウォルフガングの声が部屋の中に響く。アドリアンはふとシャルロットの方を見た。そして……後悔した。
 シャルロットは床の上に崩れ落ち、ジッとウォルフガングを見つめていた。そしてその顔には女性の持つ悪しき感情が渦巻いている。アドリアンは目に焼きついたその顔を一生忘れられないだろう。と思った。先ほどのが肉体的な女性美の権化なら、今、目の前にいるのは女性の精神の悪い部分だけが表に出ていた。アドリアンは眼を逸らそうと必死に己に言い聞かせるが、固まってしまったように動けずにいた。
 ウォルフガングはそんなシャルロットに気づかずソフィアを助けるために飛び掛った。しかしシェーラ・ナ・ギグはあっさりとソフィアを手放すと再びゲートを開き、消え去っていく。呆然と消えた後を見ながら抱き合っているウォルフガングとソフィア。その背後にゆらりと立ち上がったシャルロットが近づいていった。
 
 シャルロットの口からアンゲローナの召還儀式が行われた。
 ――まるで夢の中を漂うかのような気分。その中で何者かの攻撃を受けて、自分の意識が切り取られていくかのような感触を覚えた。切り取られた部分が自分以外のもので埋められ作り変えられていく。なんともいえない嫌な気持ちでした。なにより恐ろしいのは誰にでもあるような心の傷をむき出しにされ、暴かれ、抉られること。心が折れそうになる。嫌悪感が先に立つためにどうしても受け入れる事ができない。しかしそんな意識すら作り変えられていく。おぞましい儀式。
 その中でウォルフガングは魔神王をその身に召還され、ソフィアは淫魔に変容されてしまった。

「今から考えれば、あの一瞬が全てを決めてしまったのだと思う。あの時、ウォルフガングはシャルロットではなくソフィアの名を呼んだ。ウォルフガングに選ばれたのはシャルロットではなかった」
「目の前に2人の女がいてどっちを助けるかで、シャルロットではなくソフィアを選んだということか」
 亜衣たちはアドリアンの話を聞きながらなんと言って良いのか分からなかった。目の前で話をしているアドリアンとアルフォンス。シャルロットお姉さま、かわいそう。亜衣はどちらかというとシャルロットに同情していた。
「お兄様がわるーい」
「ぶーぶー」
 亜衣はテーブルを叩いて怒る。ほっぺたが赤く染まってる。ぷんぷんという音が聞こえてきそうだ。エリザベートもウォルフガングが悪いと言って、すでに呼び捨てになっていた。
「絶対。お兄様をやっつけてやるんだから!」
「だいたいですね。ウォルフガングだけでなくアドリアン様も見蕩れてたからいけないんです!」
 テーブルを囲んでアドリアンを責める会と化した。少女2人に詰め寄られびくびくしだすアドリアン。アルフォンスはアドリアンの助けを求める視線に気づいていたが、矛先が向くのを恐れて黙り込んだ。
「女の裸に見蕩れてた方が悪いんだから!」
 がぁーっと怒ってる亜衣とエリザベート。そんな2人の元へフローラ・フォン・リヒテンシュタインがやってくる。
「そんなに責めないであげてください」
「えっ?」
「ふ、フローラ王女殿下」
 亜衣とエリザベートはじとっと白い目でアドリアンの方を見ながら、それでもフローラに言葉を促した。フローラはにこりと笑顔を見せて亜衣たちに声を掛けていく。
「古代語魔術の中でも秘術と呼ばれる物の強大さは恐ろしい物があるのです。アドリアン様やウォルフガング様は魔術師ではない以上抵抗できなくても仕方ありません」
「ううー、でもー」
「アドリアン様のお話に出てきた『女』こそが秘術で作り出された魔術の触媒なのです。それに抵抗するにはよほどでないと無理でしょう? あのシャルロット様でさえ、抵抗し切れなかったのですから……」
 そう言ってアドリアンの肩に手を置いた。そっと見つめ合う。フローラとアドリアン。亜衣はそんな2人に気づかず、フローラの言ったその言葉に亜衣は背中に冷や水を掛けられたような気持ちになった。た、確かにシャルロットお姉さまですら、抵抗できなかった秘術にお兄様やアドリアン様ごときが抵抗できるわけがない! なんだか亜衣の中で兄、ウォルフガングの好感度ががた落ちのような気もする。力及ばず負けた。というのならまだしも女の裸に見蕩れていた。というのが悪いのだろう。男なんだから仕方ないような気もするが、そんな事は15歳の、この年頃の潔癖な性格の少女には通用しないのだ。哀れアドリアン。ウォルフガングが目の前にいない今、ひとりエロ猿の烙印を押されてしまったようだ。
 その後、フローラとの会話の中でアルフォンスの魔法の剣がシャルロットの魔方陣を切り裂いたという話がでてくる。
「魔法の剣ですか?」
 柔らかいフローラの声にアルフォンスは顔を赤らめつつ頷く。それを見た亜衣はぶすっとした表情を見せてアルフォンスを慌てさせる。
「た、対魔法防御を施してあるんですよ」
「この城にあるアデリーヌの寝室のような、ですか?」
「ええ、そうです。レテ島で発見された防御結界を参考にして作り出されたものですが、魔方陣を切り裂くにはこれに勝る物はないでしょう」
 少し自慢げなアルフォンス。小首を傾げたフローラは手で花を触りながらジッとアルフォンスを見つめる。
「ですが、それですと魔法の加護が受けられないでしょう?」
「そこは修行を重ねてきた剣技がありますから!」
「それは良かったね。ふーんだ」
 ほっぺを膨らましてソッポを向く亜衣。そんな亜衣の態度をほほえましそうにフローラは見つめ、そういえばと話し出す。
「そういえばヘンルーダの森に魔神が守護する伝説の剣と呼ばれる物があるそうです。どういうものなのかまでは分かりませんが」
「伝説の剣!」
 なんだか心をくすぐられる名称である。亜衣は見たい。と思う。そしてヘンルーダの森に行こうとエリザベートを誘う。
「ねえねえ、行こうよ~エリザベート~」
「ですが、危険かもしれませんですわー」
「大丈夫だよぉ~」
 ゆさゆさエリザベートの肩を揺さぶりながら亜衣は駄々をこねる。はぁっとため息をついたエリザベートは仕方ありませんわ、と諦めたようにいった。こうして亜衣たちはヘンルーダの森へと向かうことが決まる。
 アルシアたちは亜衣もまだまだ子供なのじゃ、とぶつぶつ文句を言っていたが、亜衣のキラキラした期待に満ちた目を見ると諦めたようだった。ヘンルーダの森にあるという伝説の剣を手に入れる。その事が亜衣の目標となった。
「あっ、アルフォンスは来なくてもいいよ。ふーんだ」
 同時に亜衣はまだ少しむっとしているようだ。所在無げに落ち込んでいるアルフォンスをアルシアがしゃきっとするのじゃ。と背中を叩く。
「どのみちあのシャルロットともう一度戦う事になるのじゃ。その時のために武器は必要じゃ」
「伝説の剣というのに期待してるよ」
 ザビーネもまた、シャルロットの魔方陣を破る方法について考えていた。



[20672] 第13話 「竜殺しの剣 『アルバール』」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/09/23 15:06

 第13話 「竜殺しの剣 『アルバール』」

 アイヴスの港にルリタニアの空母エルマが停泊している。
 船上の甲板にはアルフォンス・ド・ラ・フォンテーヌ率いる装甲飛行兵師団の一部が次々と着艦していく。ぱたぱたと羽を揺らして降りていく飛行兵を見ながら、亜衣たちの機体も着艦していった。
「亜衣王女殿下」
 機体から下りた亜衣を艦長のアンネ・アイヒベルガー大佐が出迎えた。30代半ばの黒髪を短く刈り上げた女性士官だ。貴族でもないのに30代でルリタニアの最新型空母の艦長を務めるとはかなり優秀なのだろう。亜衣は艦長を見て驚く。まさか女性艦長だったなんて、亜衣の驚きに気づいた艦長のアンネはにこやかに笑ってみせた。その笑顔が眩しい。
「ルリタニアには女性士官も多いんです」
 アンネ大佐がそう言いつつ亜衣たちを艦内へと案内していく。真っ白な軍服は体にぴったりとフィットしていて線を露にしている。アルフォンスが大佐の後を歩きながら艦内をきょろきょろ見ていた。
「珍しいですか?ラ・フォンテーヌ大佐」
 振り向きもせずに大佐がアルフォンスに問いかける。
「ええ。ルリタニアの空母に乗るのは初めてですから」
 興味があります。という言葉を飲み込む。空母はルリタニアでも軍事機密のはずである。他国の王族を乗せる事など考えたこともなかっただろう。装甲騎兵もそうだが、あれは各国の塔同士で研究が盛んに行われている為に、ある程度の情報は共有されている。空母とは比較にならない。最悪一室に閉じ込められるだろうと覚悟していた。
 亜衣は艦内の部屋に着いてから、アンネ大佐に自分に合った軍服を支給してくれるように頼む。
「軍服ですか?」
「そう。装甲騎兵に乗るときにドレスじゃ、少し窮屈なの」
「ああ、そうですね。では用意させましょう。ですが、陸軍少将の階級証はありませんがよろしいですか?」
「かまわない」
 あ~あ。少将じゃないんだけど、という言葉を亜衣は飲み込む。海軍でも亜衣の官位の噂が広まっているのかと思うと憂鬱になってしまう。
 しばらく部屋で待機していると、空母が港を出航しだす。ゆっくりと動いていく空母は波の動きにあわせてゆらゆらと揺れる。狭い室内で簡易ベットに座って、くらくらする揺れに耐えていたが、海軍の人達は平気そうに歩いている。さすがに慣れたものだと思う。
 中尉さんが部下を引き連れて亜衣たちの部屋を訪れた。手には5人分の軍服を持っている。受け取った亜衣たちが着替えると軍服はなんと言おうかスカートが短い。白いブラウスの上に黒いネクタイ。濃い紺色のベストとタイトスカート。膝上10cmぐらいかな?
「なんで?」
「短いですわね」
「ちょっと恥ずかしいかな」
 ぺちぺちと自分のふとももを叩きながら亜衣とエリザベートが話している。ミニスカートを亜衣は穿いた事がなかった。珍しげにスカートからでている足を見下ろしている。そこへ中尉が、ノエルのソフィア王女殿下が着ていた軍服をモデルに拵えたものだと説明してくる。
「ノエルはこういう軍服を着てるのですか?」
 エリザベートが驚いているが、亜衣はこれはこれで良いかもしれない。と思った。ちょっと大人っぽい? そう言ってポーズを取るとマルグレットとザビーネが手を叩いてわらう。
「ええで、似合ってるわ」
「うんうん、似合ってますよ」
「どうせ、わらわは似あらぬのじゃ」
 小さな小人族用の軍服を着たアルシアが拗ねたようにいう。床の上でいじいじしてる。

 ヘンルーダの森の新首都シェスティン。エルフの長の館に着いた亜衣はさっそく長のヤヌシュの元へ向かった。大勢のエルフに囲まれたヤヌシュは白い髭をしごきつつやってきた亜衣達を見て目を細める。
「ようよう。やっと来たか。待っとったんやで。こっちきいや」
 ヤヌシュは亜衣を手招くと頭を撫でる。亜衣は身を捩りながらヤヌシュに聞く。
「ヤヌシュ様。伝説の剣がヘンルーダの森にあると聞いてやってきたんです」
「ああ、あるで。しかしありゃあかん。封印を解くには守護してる魔神と戦わなならんのや。それもたった1人でや。亜衣にそんな事させられんわ」
「でも、お兄様を倒すために必要なの」
 亜衣はぎゅっと唇を噛み締めた。
「亜衣が戦わんでもええやないか。軍人ならいくらでもおるで。そいつらに任せとき」
 ヤヌシュの言葉に亜衣は首を振った。目にはうっすらと涙が浮かび溢れそうになっている。
「お兄様を倒せるのは、わたしと……お兄様の親友のアドリアン様だけ。他の人じゃ無理なの。ルリタニアの王太子に銃を向けて撃つなんて、ルリタニアの兵には無理でしょ。他の国の兵士たちもルリタニアを敵に回してしまうかもなんて考えたら躊躇ってしまう。ノエル王国のソフィア王女もいるんだから、ノエルにも無理。だから、お兄様にもソフィア王女にも銃を向けて撃てるのは、わたししかいないの! だからわたしがやるの。戦うの!」
 亜衣は泣きながらヤヌシュの胸をぽかぽか叩く。ヤヌシュはそんな亜衣の姿に沈痛な表情を浮かべる。確かにウォルフガングに向かって銃を向け撃てるのは亜衣だけかもしれない。他国の兵士は大国ルリタニアとの戦争を引き起こすきっかけにはなりたくないだろう。絶対にそうはならない。という保障はどこにもないのだ。ソフィア王女を亜衣が殺したとしても小国のノエルはルリタニアとの戦争を回避するために黙るしかない。実際戦争を起こしても圧倒的な武力によって沈黙させられてしまうだろう。国力が違いすぎるのだ。立場上、手を下せるのは亜衣しかいない。だが、実の兄を手にかけるとなると……。ヤヌシュは泣いている亜衣をギュッと抱きしめる。
 ――亜衣は本当に生まれたばかりの頃からかわいがってきた孫のようなもの。出来る事ならこんな事で手を汚させたくはないのじゃが……。
 ヤヌシュは亜衣を抱きしめたまま、立ち上がった。そうして周囲を見回す。部屋の端に立っているマルグレットを目に留めた。
「マルグレット。お前が案内してやるんや」

 亜衣たちはマルグレットの案内で剣が封印されているドラゴンの巣までやってきていた。洞窟の前の広場、その周囲では亜衣の装甲騎兵の最終点検が行われている。ザビーネの指示の下で第0902特別小隊の整備班が真剣な表情を浮かべ、チェックを繰り返している。その横ではドワーフ達が亜衣の機体に盾やら剣を取り付けていた。あれもこれもと取り付けようとするドワーフに対し、ザビーネがあんまり取り付けると今度は重すぎて動作が遅くなる。と言い、外すように指示する。
「亜衣。ほんまにええんやな?」
「うん。大丈夫」
「たった1人で戦うんやで?」
「分かってる」
「向こうに着いたらな、銃は使うたらあかん。壁が防御結界を展開して跳ね返してしまうからな。剣で戦うんや。ええな」
 マルグレットが亜衣に説明している。アルフォンスが剣で戦うと聞いて、代わりに私が戦う。と言い出したが、マルグレットがあかん、と言って首を振った。
「そんなズルして伝説の剣が言う事聞くと思うか? 使う本人が戦ってこそ、手に入れることができるんや。でなかったら亜衣に手渡した瞬間に亜衣が死んでまうわ」
 装甲騎兵に乗り込んだ亜衣を覗きにきたエステルが心配そうに見守る。
「あい~。危なくなったら呼ぶのー。助けに行ってあげるから」
 翼をばさばさ揺らしている。亜衣はエステルに向かってにっこり笑うと洞窟の前に立った。
 ごつごつとした岩がある。目の前には縦に裂けた切り目。そこから奥へと続いている。
「亜衣王女殿下。こちらで逐一通路の解析をしますから、ルートは安心してください」
「うん。お願いするね」
 ザビーネがヤヌシュから預かってきた地図を魔方陣の上に置いた。ぼうっとした光が地図を写し取る。写し取られた地図が亜衣の目の前に現れる。現在地が青い光として点滅を繰り返す。
 ドワーフ達が亜衣にこれを使えと言って大きな剣を渡してくる。鞘から抜く。刀が蒼く輝いている。
「魔力付与を施した剣だ。守護者を相手にしても十分戦えるじゃろう」
 アルフォンスが剣を見て驚く。何度も首をふってもう一度見直した。
「なんという業物。良くこんなのが残っていましたね。……ほしい」
 ぼそっと呟くアルフォンスにドワーフ達がにやにや笑う。
「おぬしの剣も人間が作ったにしては上等じゃ。あんまり高望みしなさんな。まあしかし、亜衣が帰ってきたら、貰うと良かろう。それについては文句は言わんよ」
「亜衣王女殿下。ぜひ剣を持って帰って来てください」
「こらこら、何を言い出すんじゃ。亜衣、気にするんじゃないぞ。剣よりも自分の方が大事じゃ。忘れるでないぞ」
「はい!」
 亜衣は洞窟に入る前、周囲を見渡した。心配そうに見守っているエステルにアルシアたち。彼女らを見てにっこりと笑うと、機体の頭部を下げた。ガチッという音がして装甲騎兵の周囲に魔方陣が展開する。右手、左手、右足、左足。各部分をチェックしていく。
 ――うん、大丈夫。
 重い金属の音を響かせて機体が浮き上がる。

 ――緑の月、第3週9日。茜の刻(午前9時)
 亜衣は洞窟の中へと一歩踏み出した。

 亜衣が洞窟に入った。ドワーフ達がアルシアたちに向かって「お前たちにも武器をやらんとな」と言い、持って来た武具を並べていく。
「と言っても、アルシアは鍵爪じゃし、エリザベートは大砲の方が良いんじゃろう?」
「そうなのじゃ。この手では武器は使いにくいのじゃ」
 アルシアは5本の鍵爪をがしゃがしゃ開いたり閉じたりを繰り返す。エリザベートはうっとりした目でトレーラーに載せられている長い88mm砲を撫でた。
「私もどちらかと言うと、88mm砲の方がいいですわ」
「あとはマルグレットとザビーネじゃな」
「うちは槍の方がええわ。使い慣れてるしなんか気に入ったわ、これ」
 そう言ってマルグレットはドワーフの持って来た槍を手に取る。鋭い穂先。穂先の隣には三日月の形をした刃が鋭利な輝きを放つ。良く見るとうっすらと赤い波紋が浮かび上がっている。うっとりと刃を見つめ、なんか試し切りしたいわ~っと、チラッとアルフォンスの方を見る。
 そそくさと隠れるアルフォンス。身の危険を感じたのだろう。その動きは素早かった。
 ザビーネが穂先がゆるく反っている槍を手にする。1人だけ装甲騎兵に乗っていないものだから、持ち上げられずによろよろしていた。
「おぬし機体に乗ってから持った方が良いのではないのか?」
 アルシアがザビーネを支えつつ呆れたような声を出した。えへへっと照れ笑いするザビーネ。いそいそと乗り込んでから改めて手に持った。何度か振り回す。ぶんという風を切る音が周囲に響く。
 整備班は広場に建てたテントの中で魔方陣を通じて送られてくる情報を解析している。ときおりアルシアたちの方を見て、ため息を漏らす者もいる。真剣な表情の整備班と笑っているアルシア達、なんともいえない対照的な光景であった。

 洞窟の中は熱い。熱気が溢れかえって、装甲騎兵の中にいる亜衣は汗がだらだらと流れていった。ぐっしょりと濡れた軍服が肌に張り付く。意外と大きな胸の谷間を細い汗が流れる。足元に溶けた溶岩がいくつもの細い筋となって流れている。ときおりぽつっと泡が弾けてはまたできる。そのたびに真っ赤な溶岩が飛び跳ねる。レバーを握る手が汗ですべる。ペダルを踏む足も汗で気持ち悪い。
 ――あ~こんな事ならストッキングを穿いてくるんじゃなかった……。
 亜衣は周囲を警戒しながらそんな事を考えてしまう。どうも熱で頭がうまく働いてくれない。こんなことじゃ、魔神が現れても負けちゃうよぁ。おしりを支える椅子代わりのクッションの上でもぞもぞと動いてしまう。装甲騎兵は長時間立ったまま行動するため、できるだけ搭乗者の負担を減らすようにいくつものクッションが取り付けられている。ほんの軽く腰をかける程度ではあるが、あるのと無いのとでは大きな違いがあった。亜衣は龍玉を通じて水の魔法陣を纏う。水色の魔方陣が機体の周囲をくるくると回りつつゆっくりと機体を冷やしていく。
 洞窟の奥、開けた場所に大きな剣が突きたてられていた。
 黒い漆黒の刀身。長く分厚い幅広の剣。巨大なグレートソード。
「――あれだよね」
 亜衣はペダルを踏み込み、広場に足を踏み入れた。
 一歩近づく。周囲に赤い炎が巻き起こった。
 ――それ以上、近づかず帰るが良い。それならば見逃そう。
 広場に広がる男性の声。それはとても静かに諭すような口調だった。
「そういう訳にはいかないの。わたしは伝説の剣を手に入れなくっちゃいけないんだから」
 ――まだ、年端も行かぬ子供が手に入れてどうする? 今、手にしている剣で十分であろう。
「お、お兄様を倒さなくっちゃいけないの。その為に必要なの」
 ――お兄様? 貴様の身内か? 同族殺し……そんな事のために我を使うと?
 声は怒りに満ちてきた。広場全体がギシギシ軋みだす。
 亜衣は天井から落ちてくる小さな石を見つめながら、言い返した。
「そうなの、わたしが倒さなくっちゃいけないんだから!」
 ――許せん。我は凡百の剣ではない!
 剣の周囲に炎が噴出し、人の形を取った。灼熱する赤銅色の肌。牛のような顔は大きな角を生やしていた。腕は太く。逞しい胸板。鍛え抜かれたような筋肉が太く盛り上がっている。装甲騎兵よりも高く大きな体格が亜衣の目の前に現れる。
「……い、イフリート!」
 炎の魔神。火の精霊の最上位。
 ――どうした脅えておるのか? ふん、こちらからいくぞ。
 イフリートは剣を引き抜くと振りかぶって一撃の下に切り伏せんと振り下ろす。とっさによける。亜衣もまた剣を抜く。水の魔方陣を纏う機体。剣が魔方陣に反応して、剣身に氷を煌めかせる。
 炎の剣と氷の剣が鬩ぎ合う。触れ合うたびに氷が舞い散り、炎が水滴を蒸発させる。振り上げる。振り落とす。斜めから横から、斬りつけ、氷はどんどん冷たく冷え切っていく。今や。戦いは温度の戦いになっていた。熱気と冷気。2つの相反する温度は洞窟の広場で鬩ぎあい。互いに相手を葬り去ろうとする。
 だが、亜衣は剣の修行は大してしてこなかった。剣技の差は明らかに劣っている。徐々に劣勢に追い込まれる。装甲騎兵に乗っているため力負けだけはしていなかったが、それでも力量の差はいかんともしがたい。
 亜衣の機体が壁に叩きつけられた。防御結界が展開して機体を跳ね飛ばす。
「がっ!」
 とっさに息がつまる。目の前には大きな剣。振り下ろされる剣をなんとか防ぐ。何度も叩きつけられる剣。亜衣は防ぐのが精一杯だった。
 ――身内殺し、兄弟殺しを行おうとするような者には決して負けぬ。我は卑怯者の手には渡らぬのだ。
「それでもわたしがしないといけないんだからぁぁぁぁ!」
 亜衣が剣をまっすぐに向ける。突く。貫く。水の魔法陣を風に切り替えた。途端に熱気が機体の中まで侵入してくる。渦巻く風。機体が滑るように飛び出す。
――ふん。
 突きつけた剣が弾かれた。機体ごと天井へと飛ばされる。天井近くでくるり体勢を変え、再び剣で突く。打ちつけ、切り結ぶ。
「神聖なる女神……」
 魔神の剣が亜衣に襲い来る。弾く。弾かれた剣を回し下から切り上げてきた。
「コルデリアの名において……」
 剣を真横に向け。左斜めに進みながらよける。体勢が入れ替わる。魔神が片手で剣を操る。剣の舞。街中の酒場でときおり踊り子の女性が舞う事がある。しかしそれよりもより遥かに優美で力強い。
「敵を撃ち抜け! ――フォース」
 ――がぁ!
 神聖魔法によって初めて魔神の体勢が崩れた。亜衣は剣を振るい突きつける。喉元に突きつけられた剣先。
「わたしのかち……」
 ――甘い!
 亜衣の剣が振り払われる。剣先は貫く事無く止まったまま、弾かれた。
 ――貴様に人は殺せん。人と魔物は違う。精霊と魔物も違う。……人を殺さぬとも生きていけよう。身内殺しなど諦めよ。その方が良い。せっかく女神に愛されし身。身内殺しなどで穢す事もあるまい。
 力強い口調。優しく諭す言葉。火の精霊の最上位から発せられる言葉は亜衣に対する思いやりに満ちていた。確かに殺したくなんか無い。でも……わたしがしないといけないんだよ。
 亜衣は剣を再び強く握り締める。装甲騎兵の中からイフリートを睨みつける。深く息を吸う。
「やあー!」
 気合と共に剣を振るう。魔神にかわされ体勢がよろける。剣を横に振って戻す。風を纏う機体は熱せられていつしか熱く焼け出さんとしていた。熱風と化して飛び込んでいく亜衣。機体の中も熱く触れた部分が火傷を負う。
 ――水の魔方陣を纏え! このままだと焼け死ぬぞ。
「水の魔方陣じゃ飛べないぃ!」
 火の魔神に火じゃ勝てない。地でも駄目だろう。勝てそうな水では遅すぎる。だから風なんだよ。こんな事ならもっと剣の修行をしておくんだった。アルフォンスぐらい使えるなら、水でいいんだけどね!
 剣を振り上げる。じっとすきを窺うが、火の魔神イフリートにはすきは無い。やっぱりスピード勝負なんだよね。まっすぐ剣を向ける。
 ――強い意志。女神の加護。その2つを持っておるのだ。大概の事は成せよう。伝説の剣など必要あるまい。
 イフリートの口調が問いかけるようになった。
「ルリタニア王国、王女。亜衣・ルリタニア。魔王と化した兄を討つため伝説の剣を貰い受ける。たあー」
 風の魔方陣が突風となり、銀色の弧を描いた。亜衣の機体が剣を弾き、そのままイフリートにぶつかっていく。
 岩壁に押し付けられたイフリートが炎を上げる。機体が焼け、赤く燃え上がろうとしていた。
「水。展開!」
 一瞬にして風は水に変わる。ぱちぱち音を立てて水滴が踊る。再び炎と水の戦いが行われていく。赤く焼けた大地を装甲騎兵の足が強く踏みしめる。機体の中はいまだ熱に晒されていた。亜衣の頬が赤く火傷を負う。歯を噛み締める。頬の動きに皮がめくれた。
 ――この程度では我は倒せぬ。
 どんどん熱は温度を上げ、機体の表面が溶け出しそう。
「神聖なる女神コルデリアの名において、敵を撃ち抜け――フォース!」
 至近距離から撃ちだされたフォースが魔神を撃ち抜き、亜衣の機体をも激しく揺さぶる。そのたびに機体のあちこちに体を押し付けられ亜衣は火傷を負っていく。口が大きく開かれ、声にならない悲鳴をあげる。
 装甲騎兵が力を失い地面に倒れた。その中で亜衣は息を切らしている。ごぼごぼと咳き込む。それでも首を捻り魔神の方を見た。
 お腹に大きな穴が開いている。血の様に赤黒いどろどろした溶岩が零れ落ちている。
 しかし――イフリートは立って剣を構えていた。
 亜衣は起き上がろうとして倒れる。火傷の痕が黒く焦げ付き、皮膚が突っ張っていた。
「まだ、負けてない……」
 激痛を堪えて手のひらがレバーを握る。足がペダルを踏みつけた。装甲騎兵が力を取り戻す。剣を杖として機体が起き上がる。イフリートが一歩踏み込む。亜衣もまた踏み込んだ。
 剣を切り結ぶ。一撃ごとに悲鳴をあげる機体。表面はすでに溶け始めている。剣がかわされ機体が地を転がる。突き刺そうとするイフリート。亜衣は剣を横に振り、イフリートの足を薙ぐ。ぐらりと体勢を崩す。だが、剣先が機体を抉る。焼けた剣先が亜衣の体に押し付けられ、突き刺さる。
「あっ、あっ~がぁ~っ」
 亜衣の悲鳴が広場に響く。頭の中が白く染まって何も考えられない。脳裏を走馬灯が駆け巡る。
 ――亜衣。
 イフリートが亜衣の名を呼ぶ。
 剣が引き抜かれる。亜衣は地面をのた打ち回っている。イフリートが剣を地に突き刺した。イフリートが剣の中へと消えていく。
 ――我が名は『アルバール』かつて竜をも倒したものなり、力を貸してやろう。
 剣を引き抜かれ、ほんの少しだけ痛みが和らいだ激痛の中、亜衣は確かにイフリートの声を聞いた。
「……ど……うして……?」
 ――亜衣しかおらぬのだろう? ルリタニアの王太子に剣を向けられる者は。
 ――どうして、それを?
 ――亜衣の記憶を見せてもらった。それより早く治癒魔法を使った方が良い。
 イフリートに言われて治癒魔法を使う。水の魔方陣もようやく効果を発揮し始める。激痛が和らぎ、意識が回復し始めた。壊れかけた機体が起き上がって『アルバール』を引き抜いた。そうして洞窟を歩き出す。ちゃんとドワーフの剣も持って帰る。アルフォンスが欲しがっていたからね。道々『アルバール』と会話をしていく。
「いつわたしの記憶を見たの?」
 ――剣を突き刺したときだ。走馬灯を覗かせてもらった。まったく難儀な話だな。どうしてこう私を求める者は不幸な者が多いのか?
「そりゃあ、何かあって伝説の剣じゃないと勝てないからでしょ。名前を上げたいとかじゃ『アルバール』は納得しないでしょ」
 ――当然だ!
「だったら諦めなさい。これからよろしくね『アルバール』」
 ――うむ。よろしくな、亜衣。
「あっ、ところで『アルバール』ってどういう意味?」
 ――知らぬ。精霊には名は無いのだ。アルバールというのは剣の名だ。そしてこの剣を作った男は変人でな、剣に生まれてくるはずだった子供の名をつけたのだ。
「そうなんだ」
 ――まあ、そういう事だ。

 洞窟の前に亜衣が姿を見せた。
 溶けかかった機体。抉れた腹。無数の切り傷。一言でいえば、ぼろぼろの状態である。姿をみせた途端、エリザベートが走り寄ってきた。急いで機体から亜衣を下ろそうと必死になっている。
「ほら、貴方たちも手伝ってよ!」
 エリザベートらしからぬ必死な口調にアルシア達もハッと我に返り、装甲騎兵から亜衣を降ろそうとしだす。
「大丈夫だよ。怪我は無いから」
 ――まあ、怪我が無いというより、神聖魔法で癒しただけだからな。早く休んだ方が良いのは確かだ。
 アルバールの声に周囲がどよめく。ドワーフ達が亜衣の持つ剣を見て一斉に驚きの声を上げた。エステルが『アルバール』を見て慌てふためく。
「あわわわ~。それ龍殺しの剣なのー」
 泣き出しそうなエステルの声。『アルバール』がふん。っと声を漏らした。
 ――慌てるな。小娘。お前など相手にはせぬ。
「こ、小娘じゃないのねー」
 ばさばさ翼を揺らして怒る。しかし『アルバール』はしらっとしたものだった。
 ――たかが、500歳かそこらのドラゴンがいっぱしの大人気取りか? 笑わせるな。1000年経ったらまた来い。相手をしてやろう。
「それが伝説の剣か……」
「うん。『アルバール』だよ」
 ドワーフ達が『アルバール』を見て、この剣にふさわしい鞘を作ってやろうという。亜衣はにこやかに笑ってお願いした。エリザベートとアルシアに支えられて装甲騎兵から下りた亜衣。ほっとした表情を浮かべアルフォンスが近づいてくる。
「亜衣王女殿下。ご無事でよかった」
「うん。心配かけちゃったね」
 ――うん? おぬし中々鍛えておるようだな。ちょうど良い亜衣の為、剣の修行に付き合ってもらおうか。
 『アルバール』の言葉にザビーネが頷いた。
「2人の修行を龍玉を通じて最適化。それを機体にフィードバックさせれば、亜衣王女殿下も剣の達人になる事は可能です」
 ――最初は我の動きに亜衣を付き合わせると思うが、そのうち1人でも戦えるようになるだろう。まあ、今はそれより休息が必要だ。亜衣、早く休め。
「うん」
 亜衣はそういうと体の力が抜けたのか、ぐったりと倒れそうになる。慌てて支えるアルフォンス。両手で抱きかかえるとトレーラーへと連れて行く。シートの上に横たえ寝息を漏らす亜衣をしばし見つめる。
「よくもまあ、この小さな体で伝説の剣『アルバール』と渡り合ったものだ……」
 亜衣の機体が荷台の上に載せられていった。他の機体も同じく載せられ、ヤヌシュの館へと戻っていく。ドワーフ達もまた、一度エルフの館へと向かうらしく。大型のトラックに乗り込んでついてくる。
 館へ戻ってきた亜衣を向かえたヤヌシュが大きな声で亜衣の名を呼ぼうとして、『アルバール』に窘められる。目をぱちくりさせ『アルバール』を見たヤヌシュは小さく頷くと亜衣をベットへと運ぶよう指示した。エルフたちが亜衣を運ぼうとするのをアルフォンスが引きとめ、自分の両腕で運んでいく。それを見たヤヌシュが小さな声で「亜衣は嫁にはやらん」などと言い出し周囲の者を呆れさせる。
 その後、寝ている亜衣はエルフ達の精霊魔法で体調を整えられた。こうして亜衣は伝説の剣『アルバール』を手に入れたのだった。



[20672] 第14話 「剣聖『アルバール』 亜衣専用機mk-Ⅱ」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/09/29 23:08

 第14話 「剣聖『アルバール』 亜衣専用機mk-Ⅱ」

 亜衣は3日間眠り続けていた。ときおり苦しいのか、寝言でうめき声を上げる。
「大丈夫なのか?」
 亜衣の寝顔を見つめながらアルフォンスが、看病しているマルグレットに問いかける。
「大丈夫や。無理したもんやから体が悲鳴を上げてんのや。要は筋肉痛の酷いやつやな。いくら神聖魔法でもこればっかりはしょうがないのかもな。体が成長してんのと同じやから」
 マルグレットが亜衣の額に冷たい布を乗せながら答えた。
「筋肉痛?」
「あんたにも経験あるやろ? 竜殺しの剣 『アルバール』と戦ったんやで、たいして鍛えとらん亜衣にはきつかったはずや」
「そうか、筋肉痛か……」
 どことなくほっとしたような表情を浮かべアルフォンスが呟く。筋肉痛ならば心配は無い。
「心配いらんから、あんたはもう部屋から出ていき」
 しっしとばかりにマルグレットが追い出そうとする。
「いや、そういう訳には……」
「なに言うてんのや。女の子が寝てる部屋でじっと寝顔を見つめてるんやで、少しはデリカシーというもんを考え」
 そう言われてはアルフォンスも無理強いはできない。おとなしく踵を返して扉まで向かった。扉を開け、振り向くと「あとは頼む」と言い。部屋から出て行った。
「まったくなに言うてんのかね。うちらが亜衣をほっとく訳無いやろ。なあ亜衣」
 ベットの横に置かれている丸椅子に腰掛けると亜衣の額にかかっている髪の毛を払い、ひんやりとした手のひらで髪を撫でる。

 エルフの館では西の塔からやってきた首席導師のブレソール・フォン・ケッセルリングが亜衣の装甲騎兵を見て、感嘆の声を上げる。ぼろぼろの機体。機体の周囲には4方に柱が立てられ、装甲を外され剥き出しになった機体をワイヤーが支えている。その周囲をぐるりと見ながら、ブレソールは内部機関を点検していた。
「こりゃあ~一辺全部ばらして1から作り変えた方がいいのう」
「やっぱりそうなりますか?」
 整備班を指揮していたザビーネがブレソールに聞いていた。
 格納庫には西の塔から持ち込んできた部品が、トレーラーに積み込まれ搬入されている。木箱の山を見ながら、ブレソールは「こりゃ楽しくなってきた」と喜んでいる。
 いそいそと装甲を直しているドワーフ達の元へ駆け寄ると、丸めた設計図を広げつつ新しい機体の装甲を指示していく。ヘンルーダの森に駐在している武官たち。それにエルフのエンジニア。ドワーフまでが寄って集って亜衣の機体を作り変えていく。
「新しく開発した部品もあるんじゃ。みとれよ、思いっきり性能を上げてやるからのう」
 ブレソールの言葉にエンジニア達の瞳が輝く。趣味に走った連中は恐ろしい。これ幸いとばかりに作り変える。
「一度龍玉を2つ付けて、並列化したかったんですよ。これで魔力の増幅率がどれぐらい上がるでしょうかねぇ~」
 ぐふぐふと含み笑いを漏らすエルフ。ギラギラとした眼で取り付けていく。
「いやいや、わしらの作ったシリンダーを見よ。精度は今までのものとは一味違うぞ」
 ドワーフがにやにやしつつ剥き出しになっている骨組みに組み込んでいった。
 ザビーネは亜衣の機体に群がる男連中の異様な雰囲気に足をがくがくと震わせじりじり後ろへ下がっていく。――怖い。それはザビーネの偽らざる本音であった。
「装甲には呪紋処理を行う。これで神聖魔法以外はシャットダウンできるはずじゃ。西の塔の技術に恐れ戦くがいいぃぃぃぃ!」
 興奮した口調で複雑な文様を描いた図面を掲げるブレソール・フォン・ケッセルリング。興奮はドワーフ達にも広がっていった。装甲に文様が刻まれていく。
 ザビーネはとうとう格納庫の入り口で半分だけ顔をだして中を覗く格好になってしまっている。
「こわい……でも、どうしよう?」
 趣味に暴走してる男連中に恐れを抱き、口を挟む事も出来ずに脅えていた。というか関わりたくないとおもう。ザビーネは亜衣付きの整備小隊の女性陣と共に館の中へと帰っていく。
 ――もう知らない。彼女たちの心は1つになっていた。

 4日目の朝、亜衣は目を覚ました。
 朝の日差しに薄目を開けて見てみれば、マルグレットが亜衣の顔を覗き込んでいる。
「ようやく目を覚ましたようやな」
「あれっ? マルグレット、おふぁよう~あふぅ」
「まだ寝ぼけるみたいやな~」
 ベットの上で目を擦っている亜衣は知らせを受けたエルフの女官たちの手によって、湯浴みをさせられ着替えさせられて、髪を整えられた。眠りからさせたばかりの亜衣は足に力が入らないのか、歩きからもぎこちない。
 それでも朝食を済ませ、館の周りを散歩しているうちに力も戻ってきた。
 ――亜衣。目覚めたばかりでさっそくだが、この男と手合わせしてみてくれ。
 『アルバール』が亜衣にそう言って剣の練習をするよう求めた。
「じゃあ、してみようか。いいかなアルフォンス王子」
「ええ、いいですよ」
 亜衣とアルフォンスは格納庫まで歩いていく。格納庫に収められていた亜衣の機体はカバーが掛けられており、台の上で立っている。
「首席導師。わたしの機体は修理し終わってますか?」
「おう! ようやく80%ぐらいはな」
 徹夜明けなのか、首席導師の目は赤く。油まみれの姿のまま、パンを齧っている。その周りでも同じような姿のエンジニア達がそれぞれお茶を飲んでいた。
「乗って良い?」
「乗っても良いぞ。わしらも動かして、確認しようと思っていたからな」
 首席導師の合図でカバーが外された。現れたのは今までの亜衣の機体とは一変したものだった。
 女性型とはいっても丸っこいぬいぐるみのような形をしていたのが、まるで彫刻の女性像のように変わった。真ん丸い体型は細く優美な曲線に変わり、見事なプロポーションを描いていた。甲冑を身に着けた女性騎士だ。大きな顔も体型にあわせて小さくなって亜衣の顔を見事に模写している。凛々しい眼差し。ぎゅっと引き結んだ口元など全体的に真剣な表情を浮かべ、笑顔ではなく。戦う顔に変わっている。
「首席導師さま……これって?」
「うむ。王女専用機mk-Ⅱじゃ! フレームから作り直した。パワーは今までのさらに2倍にはなっておる。しかも魔力の増幅率は5倍にはなっておるはず。魔力の塔から送られる魔力を受け取り、それをさらに5倍じゃぞ。どれほどのものか、自分で自分が恐ろしいわい」
 にんまりと笑いながら震える真似を見せた。
 亜衣は脚立を昇って機体へと乗り込む。レバーを握った途端、亜衣と機体が魔力で繋がっていく。操作方法は変わっていないようだ。ギュッと握り締め、各部署を点検していった。両手両足。視界も良好だ。亜衣は一歩、歩く。機体は静かにそして滑らかに歩き出す。指を握ると力の感覚も強くなっているようだった。パワーが2倍に上がっているというのは本当らしい。
 格納庫から外へ出た亜衣は『アルバール』を握り、振り回す。巨大なグレートソードを軽く振り回してなおかつ振り回されない。安定して振るえる。これならば『アルバール』を自在に操れるだろう。機体の中で亜衣は頷いた。
 亜衣とアルフォンスが向かい合う。互いに剣を握っていた。
「まずは互いに剣を合わせましょう。そこからパラード――相手の攻撃を剣を交えたまま軽く払いよける防御法を使用します」
 亜衣はアルフォンスの剣を軽く弾く。アルフォンスが粘り強く剣を引き寄せ弾かせまいと小刻みに動かしてくる。
 ――亜衣。もっと強めに弾くが良かろう。細身の剣と違って軽く打っても弾けんぞ。
 『アルバール』の言うとおりに強め強めに弾く。
「亜衣王女殿下。本来は装甲騎兵の剣とは切る事を目的とするのではなく。叩きつけるように殴るものです。その為剣の刃もさほど鋭くはありません。しかしこれからの相手は魔方陣で防御しております。したがって魔法陣を切る事を目標としてください。そして切れるのはフェーブル――剣身の先から3分の1の部分です」
 そう言ってアルフォンスが魔法陣を展開した。亜衣はアルフォンスの纏う魔法陣を切り裂くように切り付けていく。
 その後、亜衣はアルフォンスから……。
 プレパラシオン。攻撃を成功させるための準備動作。
 コンヴェルサシオン。剣の交しあい。
 クー・ドロワ・ドートリテ。相手の防御にかまわず思い切って強い突きを繰り出すこと。
 コンバ・タ・ラ・フロランティーヌ。利き手でないほうの手に補助的な武器を持って戦う技法。
 アタック・シュール・ラ・プレパラシオン。相手が準備段階のときに行われる攻撃。
 フランコナーデ。体の側面への突きの攻撃。
 クー・ランセ。剣先を使って切る攻撃。
 コル・ア・コル。2人の体が接触した状態での戦い方。
 フロワスマン。相手の刃の上で自分の刃を強くすべらして剣身を押しのける技。
 アンテルセプシオン。間接的な攻撃を妨害し、牽制する反撃の技。
 フェーント。ある方向に向かって攻撃すると見せかけて相手の裏をかいて別の方向から攻めたり、攻撃の途中で剣を引く技。
 リマン。対戦相手の刃を攻撃して斜め向かいに押しやる技。
 バレストラ。前に向かって跳躍しながらの攻撃。
 アンガジュマン。お互いの剣を交差させること。
 デガジュマン。剣先を相手の剣の反対側に回して交差を解く。
 デザルメ。相手の手から剣を落とさせる。
 サンプル。誘いの技なしでいっきに攻撃するか突き返す。
 ヴォルタ。剣士の体の回転。
 フラーズ・ダルム。攻撃・防御のよどみない流れを掴む事など。
 ロンペ。後退する。
 ルドゥブルマン。狙いがはずれた、または相手にかわされたあと攻撃を再開する。
 スピナシオン。剣を握った手のひらが上向きになった状態。
 エスキーヴ。相手の攻撃を体の位置を変えてかわす。
 など、かなり長く練習させられた。とりあえず息が上がっている。機体の中ではあはあ息を荒くしてもうくたくたであった。
 ――亜衣。疲れているところを悪いが、最後に我の剣舞を舞って終わりにしよう。力を抜け。我が機体を動かすぞ。
「……分かった」
 亜衣の言葉が終わるや否や『アルバール』が剣舞を舞う。上から下へ。右から左。斜めに動いたかと思うとくるりと回ってみせる。亜衣は機体の中で目が回りそうだった。しばらく……一時間も舞っていただろうか。ようやく終わったときには亜衣は機体の中で目を回していた。パチパチとアルフォンスが拍手を送る。食い入るように見つめていたアルフォンスが興奮して眼を輝かす。
「あ~。世界が回ってる~」
 装甲騎兵から下りた亜衣がその場でぺたんと座り込む。亜衣を助け起こしながら首席導師に向かってさっきの剣舞を自分の機体にも送れないかと問う。
「そりゃあ、できん事も無いが――これから機体への最適化を行わねばならんが」
「それには私も協力しよう!」
「そんなに欲しいものなのか?」
 首席導師のブレソールは少し呆気に取られたような表情でアルフォンスに聞き返した。
「なにを言う。さっきの剣舞のすばらしさが理解できなかったのか? あれは剣の型だ。いわゆる演武というやつだな。『アルバール』……どこであれほどの剣を身に着けたんだ?」
 ――竜を殺した以前の主が使っていた剣技だ。
「竜殺しの……そうか! 剣聖と呼ばれた『アルバール』か! 名を聞いたときから気にはなっていたんだ。まさかあの剣聖の剣技を見られるとは思わなかったぞ」
 ――おぬしもどうやら前の主と同じタイプのようだ、な。剣の事になると我を忘れる。
 『アルバール』の呟きが聞こえなかったのか、アルフォンスは亜衣を抱きかかえたまま歩き出し、部屋へと連れ帰っていく。顔が赤くなって興奮しているようだった。部屋の前に立ったとき、アルフォンスの真っ赤になった顔を見たマルグレットが白い目でアルフォンスを見ながら近づいてくる。
「あんた。亜衣を抱き抱えたまま、なに興奮してんのや。なんかやらしいこと考えてるやないやろな?」
「い、いや。そんな事は考えてはいない。ただ……」
「ただ、なんやねん」
「剣聖『アルバール』の剣技を見たのだ!」
「はあ? 剣聖『アルバール』ってなんや? あの剣の事か?」
「前の主らしい。竜殺しの英雄だ」
 興奮して言い募るアルフォンスを見ながらマルグレットはため息をつく。
「あんた、ヘンルーダの森で竜殺しの事を英雄なんて言うたら、周りからしばき上げられるで。気をつけや」
「うっ、そ、そうか、気をつけよう……」
「まあええわ。はよ部屋につれてき」
 そう言ってマルグレットは部屋の扉を開けた。ベットに亜衣を寝かせるとアルフォンスは急いで踵を返すと部屋から出て行く。その後姿を見ながら、マルグレットは「ありゃあ~亜衣とは上手く行きそうにないわ。せっかく良い雰囲気やったのに自分から脱落しよった」と独白する。
 格納庫へと舞い戻ったアルフォンスは機体の回りに集まっているエンジニア達と共に先ほどの剣舞を魔法陣上で展開させ見つめていた。魔方陣の上で龍玉に収められている情報は立体化され、くるくる舞う。その動きを眺め、アルフォンスが驚いている。
「装甲騎兵は人間とは関節の稼動範囲が違う。にもかかわらずよくここまで動けたものだ」
「そりゃあ亜衣の機体はより人間に近づけておるからのう。お前さんの機体ではこうは動けまい」
「……無理だろうな」
 眼を逸らし、自分の機体を見上げつつアルフォンスが言う。
「このまま情報を送っても半分も動けんじゃろう。どうする?」
「機体の稼動範囲を考慮して動ける範囲で使うしかないな。実際に試してみるか」
 アルフォンスは自分の機体である飛行兵に乗り込むと龍玉から送られてくる情報に合わせて動き出す。首席導師ブレソールは稼動範囲を見比べながら一々指示を飛ばしている。
 男たちは格納庫の中で確認しては調整し、再び確認するという行動を取り出していた。
「あ~今夜も徹夜じゃのう……」
 ブレソールの呟きはエンジニア達の興奮と熱気の中に埋もれていった。



[20672] 第15話 「アルシアたちの思惑」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/10/01 23:08

 第15話 「アルシアたちの思惑」


 亜衣がアルフォンスと剣の練習をしていた頃、アルシアとエリザベートが地図を見ながら、話をしていた。エルフの館の2階に与えられた部屋はそれなりに広く。テーブルの上にはどんっとふわふわのシフォンケーキが丸ごと置かれている。紅茶の葉を混ぜ込んでいるのか、茶色く部屋の中に紅茶の香りが漂う。ケーキは両側から突き崩され、今にも崩れそう。アルシアのフォークが真ん中の空洞まで突き刺さった。ぼこっと穴が開く。
「ウォルフガングはどこを攻めると思うのじゃ」
「アイヴスかアルカラ……おそらくアルカラでしょうね。弱い方から攻めるというのは当然でしょうし」
 地図の上を指でなぞりアデリーヌからアルカラへと動かす。アルシアもその動きに頷き、地図に描かれている小さな村々を確認しつつ眉を顰めた。
「と、すればこの辺りの村が襲われるのじゃ」
「避難勧告は出しているのでしょう?」
 エリザベートのフォークが4分の1に切り分けている。大きな塊をあんぐっと口の中に詰め込む。
「でてはおるが、今は新緑の月(6月)じゃ。畑仕事も忙しかろう。それらをほっぽり出して、逃げるわけにもいかんじゃろうし残ってる者たちも多いらしい」
 アルシアが大口を開けたエリザベートに目を見張りつつ言う。すかさず自分側の塊をフォークに突き刺して齧りついた。
「アルカラとアデリーヌの間に砦を築いているそうですが、誰が守っているのかしら」
「シャルル・ルツェルン。ルツェルンの王子じゃ」
「ああ。シャルル王子。ウォルフガングほどではないそうですが、かなり優秀な方らしいですわ。なら、大丈夫でしょう」
「ところが、ルツェルンの姫であるオフィーリア・ルツェルンと仲違いしているそうじゃ。オフィーリアはシャルロットと仲が良かったからの、操られている可能性もあるのじゃ。事実オフィーリアの命令はどうもおかしいらしい。しかしオフィーリアは国王に可愛がられておるから、シャルルとしても無視し切れんという現状じゃ」
 エリザベートが眉を顰め、扇子を広げた。扇ぎつつアルシアを見つめる。
「アルシアさん。もしかしてあなた、オフィーリアの呪いを解きに行くおつもりですか?」
「うむ。来ると解っている以上、オフィーリアを何とかしておく必要があると思うのじゃ」
「しかし、ルリタニアが手を出すとルツェルン側が反感を持つと思いますわ」
「しかしこのままにしておいたら、アルカラは落ちてしまうのじゃ。そうなると一気にザクセン、カルクスまで攻め込まれてしまうぞ」
 エリザベートが扇子をぱちんっと閉じた。じっと考え、おもむろに口を開く。
「良い方法がありますわ。アルフォンスを援軍としてアルカラに向かわせましょう。あの方はカルクスの王子ですからね。アルカラに救援に向かってもおかしくないですわ。その救援軍に私達も参加しているという事にすれば、カルクスがルツェルンを助けるという事になってルリタニアに対する矛先をかわせるかもしれませんわ」
「建前上はな。……良かろう。では、アルフォンスの飛行兵師団に救援に向かってもらうとするのじゃ」
 話が終わると2人はそれぞれ、ヤヌシュとアルフォンスの下へと向かった。テーブルの上のケーキは跡形も無く消えている。

 エルフの館の居間でヤヌシュはエルフの官僚たちと話をしていた。ヘンルーダの森としてもアデリーヌが陥落した事は無視できない事柄であり、援軍をどちらへ振り向けるか考えねばならない事が多々ある。
 エリザベートの話を聞いたヤヌシュは、白い髭をしごきながら首を振る。
「まあ、ええ考えやと思うが、エリザベート。お前さんはあかんで」
「どうしてでしょうか?」
 少しむっとして言い返すエリザベート。きつく眉を吊り上げている。
「お前さんは、ターレンハイム侯爵家の娘や。どうしたってルリタニアの威光を背負ってるわ」
「……確かにそうかもしれませんわね」
「――そこでや」
 ヤヌシュは身を乗り出すようにエリザベートに近づくと口を開く。
「マルグレットとアルシアに行ってもらえばええんや。マルグレットはヘンルーダの森の者やし、精霊球を作ることも出来る。それにアルシアはブラウンシュバイク侯爵家の関係者やけど、魔力の塔の管理者の1人でもある。この2人ならルリタニアは関係ないと言い張る事もできるで、なんと言うても塔の関係者として行動できるからな」
「アルシアとマルグレットですか? あの2人ではルツェルンの王族に目通りするのは大変ですわ」
「まあ、そっちはザクセンの娘に頼むわ。ルツェルンとザクセンは同盟を組んでるし、アルカラで連合してるからな」
「フローラ・フォン・リヒテンシュタイン公女殿下……」
「シャルロットの魔術を解くんはアルシアにはちと荷が重いと思わんか?」
「東の塔の魔術師でもあるフローラ王女に解かせると言うのですか?」
「そうや。西の塔の魔術を解くんは東の塔の魔術しかないやろ」
 エリザベートはジッと考え込んで小さく頷いた。

 アルシアは格納庫へとやってくると、亜衣の機体の回りに集まっている男連中に驚く。
「お主らなにをしておるのじゃ」
「おお、アルシアか?」
 首席導師のブレソールがコーヒーを啜りながら振り向く。
 亜衣の機体は再び、ばらされてフレームがむき出しになっていた。その周りで調整を行っているエンジニア達の姿に混じってアルフォンスが自分の機体に乗って踊っている。
「あれはなにをしているのじゃ?」
 アルフォンスの方を指で示しながら言う。
「あれはな。剣聖『アルバール』の動きを装甲騎兵に行わせるための調整じゃ。人体と装甲騎兵では関節の稼動範囲は違うからのう」
「そうなのか、まあそれはよいのじゃ。アルフォンスに話がある」
 アルシアがそう言うと下りてきたアルフォンスと向き合う。
「なんでしょうか?」
「うむ。おぬしにアルカラへ援軍に行ってもらいたいのじゃ。このままではルツェルンのシャルル王子が孤立無援の状態に陥ってしまうのじゃ」
 アルシアはエリザベートと話し合ったことを伝える。ブレソールも頷きながら聞いていた。
「そりゃあ、アルシアよりフローラ・フォン・リヒテンシュタインの方が上手く行きそうじゃぞ。あの娘はなんといっても東の塔の魔術師じゃからな。それにザクセン公国の王女でもある。おぬしらだけで行くよりザクセンの王族が一緒の方が都合が良かろう」
 ブレソールの言葉に内心、むっとしながらもアルシアは頷いた。どのみちオフィーリアの呪いを解いてアデリーヌからの進軍を食い止めねばならないのだ。フローラが代わりにオフィーリアの呪いを解いてくれるというなら、任せても良い。アルシアは明日の朝に出発すると告げると格納庫から出て行った。
 アルシアにせよ、エリザベートにせよ。実のところ他の王族などどうでも良いのだ。心配なのは亜衣だけである。兄、ウォルフガングと戦わねばならないのだから、出来るだけ戦力は整えておいてやりたい。アルカラが抜かれ、ザクセン、カルクスが蹂躙されてしまい、戦力が分散されきった状態での戦いなどさせたくはなかった。

 その夜、目を回して眠っている亜衣を置いて、アルシアやエリザベート達が話し合っている。ヤヌシュと首席導師の言葉は奇しくも同じだった事を知って2人は顔を見合わせた。テーブルの上には大きなプレートにクッキーが山盛りに盛られている。
「なるほどのう。あの2人ともが同じ事を心配したのか?」
 アルシアの手が伸びてクッキーを一枚口に放り込んだ。バターの味が口の中に広がる。
「ルリタニアが口を挟むと問題が大きくなりすぎると考えたのでしょう」
 エリザベートの手がまあるいクッキーに伸びる。中央には赤いジャム。
「内政干渉になるからな。なんと言っても王位継承権が絡んできとるからな」
 マルグレットは四角のクッキーに手を伸ばした。アイシングが表面を白く覆っている。
「シャルル王子とオフィーリア王女。つまりルツェルン王家の問題だから、ね」
 セサミを混ぜ込んだクッキーを飲み込んだザビーネが口を挟む。唇の端に黒いゴマが1粒ついている。
「仕方ないのじゃ。わらわとマルグレットがアルフォンスをつれていく事にするのじゃ」
 アルシアはテーブルの上に地図を広げるとへウレンの洞窟近くの港から船でアイヴスまで向かう事を提案する。
「そのルートだとファーム島を通る事になるね」
「うむ。そうなるのじゃ。これが一番最短ルートなのじゃ」
 へウレンの洞窟から一旦ファーム島へと向かう。そこからアイヴスの港に入って、陸上をアルカラまで向かっていく。途中でいくつかの村を通りつつ様子を窺う。
「特にこの辺りは今どうなっているんだろう?」
 ザビーネがアルカラの北らへんを示して問いかける。この辺りには砦があった筈だ。シャルルが砦を守っているが、多勢に無勢という現状である以上楽観視はできなかった。
「行ってみたら砦は落ちて、みんな死んでいたなんて事が無いように祈りますわ」
「笑えないね」
 エリザベートの言葉にザビーネが次はどれにしようかと迷いながら言い返した。
「アルカラに兵力は今どれくらいあるんや?」
「ヤヌシュ様に教えてもらったところによりますと、3国の兵力を合わせても連隊程度らしいですわ」
「シャルルも中隊ぐらいの兵しかおらんらしいわ。これで砦を守れっていうんは酷やな」
 4人が最後に残ったジンジャークッキーを奪い合いながら話す。
「ですが、アルフォンスの飛行兵が援軍に向かうのですから、なんとかなるでしょう?」
「ウォルフガングの事や。攻めるとなったら、とんでもない数の魔物を用意すると思うで。最低でも1万の兵力は用意するやろな」
 地図を睨んでいたマルグレットが指を折りながら数える。最低でも1万の兵。あながち大げさでもでもないところが恐ろしく感じる。魔物の総数はその10倍はいるだろう。全軍とはいかなくても事に因ったら、2万、3万の兵を送り込んでくるかもしれないのだ。
「こちら側は多くて3000ぐらいじゃ」
 絶望的な戦力差である。非戦闘員に武器を持たせて並べても、せいぜい5000ぐらいにしかならないだろう。
「アイヴスからも援軍を……」
「そんな事したら、ウォルフガングはアイヴスに侵攻してくるで。どっちが先でもええんや。たまたまアルカラの方が戦力が無いから先に攻撃するだけなんやからな」
 ザビーネの言葉を遮ってマルグレットが言った。エリザベートに最後の1枚を奪われ、少し口調が荒い。
「戦術的に各個撃破で、弱い方を先に討つ。という訳ですから、マルグレットの言う通りでしょうね」
 部屋の中に沈黙が落ちた。このまま頭を抱えてベットに潜り込みたくなる。アルシア達はじっと地図を睨んでいた。テーブルの上にクッキーはもう無い。
「お前さんら、エルフを忘れてないか?」
 部屋の扉を開け、顔を覗かせたヤヌシュが入ってくるなり、口にする。
 顔を上げたアルシア達を前にして、ヤヌシュはヘンルーダの森から2000のエルフを援軍として、向かわせる事が決まったと告げた。
「他にもザクセンの東の塔から魔術師が1000名向かう事になったわ。カルクスからも南の塔の魔術師も来るしな。そんなに脅えるほどの戦力差やないと思うで」
 どうやらヘンルーダの森もこの現状において兵力の増援を決定したらしい。そして各国が増援を決めた背景にはヤヌシュの交渉があったものだと思われる。それぞれ思惑もあるのだろうが、アルカラが落ちればそのままノエルは当然としてザクセン、カルクスへと侵攻が始まる事は明白だからだ。自分の所には来ないと考えるような楽観的な王はいなかったらしい。なんと言っても人間同士の戦争ではなく。交渉の余地の無い魔物との戦争なのだから……。
「生存競争じゃからな……」
 アルシアがぽつりと零す。『生存競争』これほどこの戦いを端的に物語る言葉はないだろう。アンゲローナが人間を滅ぼしたいのか、支配したいのかは解らないが、人間にとってはこの地を人間か魔物のどちらかが生存圏として維持していくかの瀬戸際であった。

 現在格納庫は大騒ぎだ。アルシアが翌日アイヴスからアルカラへと向かうと言い出したために準備に追われている。装甲騎兵の修理、点検はこの数日のうちに完了してはいたが、それぞれの補給物資はまだ、終わっていない。飛行兵師団とはいっても大部分はカルクス本国に残っており、アルフォンスに与えられているのは1大隊でしかないのだ。そしてヘンルーダの森で受けられる補給はそれほど多くは無い。大族とはいえ予算は大して与えられていないし、ましてやただで補給を受けられるわけでもないのだから……。飛行兵師団の事務官達が必死になってヘンルーダの森から援助を引き出そうとがんばっていた。
「亜衣王女殿下はいくらでもルリタニアから補給を受けているというのに、我々は補給もままならん」
 アルフォンスの飛行兵師団に与えられた小屋の一角で事務官たちが書類を作成しながら、ぶつくさ愚痴を零している。
「なに言ってんだか、装甲騎兵が5機とはいえ、あちらはあくまで1小隊だぞ。われわれよりも補給物資は少なくてすむ。我々だって1小隊なら補給だって、あり余るほど受けられていると思うがね」
「まったく、アルフォンス王子様にも困ったものだ。あっちこっちへとふらふらしてもらっては困る」
「亜衣王女殿下とは違って図体が大きい分だけ、動きにくいというのにな。同じように動いてもらっては困るのだ。その辺りがアルフォンス王子には分かっておられぬようだ」
 隣で補給物資のリストを確認していた男が文句を言う。
「ルリタニア本国へ帰還する空母へ乗船しての移動。ヘンルーダの森でのドワーフ、エルフを巻き込んだ機体の改装。伝説の剣の取得。……亜衣王女殿下はご自身の目的を着々と達成しておられる」
「こうしてみるとたいしたものだと思う。周囲から見てもさして負担とも思わせずにうまく行動しておられる。機体の改装などはドワーフやエルフ達にとっても、やりたがっていた事をやってると思われているからな~」
「そうなんだ。そこが凄いんだ。空母にせよ、1小隊を乗せるぐらいのスペースは余裕であるだろう。乗艦している海軍の兵士達にとっても一泊二日ていどなら、負担よりも亜衣王女殿下に会える方が楽しみだろう。手の一つも振ってもらえれば文句も出にくい。ヘンルーダの森に寄るのも当初の予定だったそうだしな。そこへひょいっと乗ってしまうんだ」
「機体の改装も元々試作機としてエルフやドワーフも関わっていたようだし、自分たちの造った試作機が伝説の剣『アルバール』と戦って勝ったとなれば夢中になって解析するさ。修理だって力も入る。剣聖『アルバール』の動きを解析すれば、装甲騎兵に乗る者達全てが、剣聖と同じ動きができるようになるんだぜ。俺だって夢中になる」
「あんな王女がカルクスにも欲しかったな……」
 ふと漏らした言葉に小屋の中にいた事務官たちがうっと言葉に詰まって黙り込む。そして何事も無かったように再び書類と格闘し始めた。
 翌日アルシアとマルグレットはアルフォンスの飛行兵師団と共にアイヴスへと向けて旅立っていった。



[20672] 第16話 「オークの軍団」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2010/10/03 21:47

 第16話 「オークの軍団」

 コツコツとヒールの踵が音を立てて石の階段を踏み鳴らす。背後では子供のすすり泣く声が耳に届いていた。
 ヴィクトリア城の地中深く、幾層もの階層を下りた地下の空洞。その底でオーク達が土に塗れて大量に犇き合う。ドロだらけの姿。醜い容貌。背は高く筋骨逞しい姿は生まれながらの狩猟者のものだ。人を狩る魔物。それがアデリーヌの地下で犇めきあっている。
 空洞の側面に円を描くように設置されている通路の上にシャルロットが姿を現した。赤々と燃える松明に照らされて、さらに深い色合いを高めた深紅の薔薇を思わせる艶やかなドレス。胸元は大きく開かれて豊かな胸元を半ば露にしている。長い黒髪を高く結い上げ、薄っすらと笑みを浮かべた表情は妖艶な、と評しても良かった。その後ろには縄に繋がれた子供の姿がある。ダークエルフの手によってアデリーヌの街から攫われてきた子供だ。まだ10にもなっていないだろう。獲物を駆り立てるように追われ、服はぼろぼろで小さな体は傷だらけである。それがダークエルフに引き連れられて泣き喚いている。しかし手すりに押し付けられ覗きこんだ底にオークの姿を見た途端、悲鳴を上げる事も忘れて眼を見開く。にやにやと薄笑いを浮かべるダークエルフ。血色の悪い薄い唇が引き攣ったような笑いを見せる。引き上げられた子供は幼い顔を引き攣らせ、血の気が引いて蒼白となった顔を、脅えた眼を、シャルロットへ向ける。

「た、助けて……」
 
 か細い声が訴える。声は震え、全身は凍りついたように固まっている。シャルロットはそんな子供に笑顔を投げかけた。にこやかでうっとりとしてしまうような笑顔。子供の顔に安堵の色が広がっていく。子供の頭を撫で、再び下層に振り向いて見下ろす。オークの姿を見つめていたシャルロットの手が下を示す。指に填められた指輪が煌めいた。ダークエルフの手により、上から子供が落とされる。

「えっ……?」
 
 訳が分からない。といった感じで子供が一瞬驚きの声を上げた。ゆっくりと放射線を描いて落下していく。子供の目は見開かれシャルロットを見つめていた。
 オークの群れの中に落とされた子供が悲鳴をあげ助けを求めるが、オーク達の咆哮にかき消された。子供に群がるオーク。血飛沫が舞い。臓物が引き出されていく。何かを咀嚼するような音が響き。血が泥に混じり、オーク達の足に踏み固められる。
 その様子を冷笑を浮かべつつシャルロットとダークエルフが見つめていた。
 その隣では真っ赤に焼けた鉄が石を削って型を作った溝に流し込まれて無骨な剣の姿を取る。真っ赤な剣は大きなかなづちで叩かれ、鍛えられて水で冷やされる。さらにグラインダーで削られて磨き上げられていった。がらがらとした怒鳴り声を上げるオーク。ダークエルフが鞭を持って通路を歩いている。豚の頭に似たゴブリンが鈍重な動きで作り出されたばかりの剣を運んでいる。部屋の隅に作り出された剣が山のように詰まれていく。鎧も兜も同じように作り出されている。

「装備を身につけさせて、外壁に集めなさい」
 
 シャルロットはダークエルフに命じ、立ち去っていった。その後姿をダークエルフの冷たい漆黒の目が見つめている。

 豪奢な部屋。背後は一面のガラス窓。ヴィクトリア城の2階に設けられた城主の執務室。
 幅広の机を前にしてウォルフガングは座っていた。机の上には手をつけられてもいない食事が運ばれてきた時の姿のままで残されている。すっかり冷え切った食事。贅を凝らしたと思われるような豪勢な食事を前にしても、ウォルフガングの表情は動かずにいた。
 亜衣と同じ黒い瞳は何も映していない。無表情のまま、座っている。

「――ウォルフ。また、食べていないのね……」
 
 ノックもせずに部屋に入ってきたシャルロットが机の上にちらりと視線を向けて言った。さびしそうな吐息を漏らす。部屋の隅から簡素な椅子を引きずってくる。ウォルフガングの隣に座ったシャルロットがスプーンを手にとって、一口ずつ口へと運んでいく。
 何も映さない瞳の奥でときおり、鋭い光が過ぎる。その瞳を捉え、シャルロットが眼を伏せる。
 今、ウォルフガングの中で魔神王とウォルフガングの戦いが行われていた。どちらが肉体の支配者となるのか、魔神王との戦いはシャルロットが召還の儀式をした時から続いていた。しかし力関係が揺れ動くたびに肉体の支配権が移動する。肉体を手に入れた魔神王の行動が、ウォルフガングの心を蝕んでいく。無慈悲な行動。虐殺、陵辱。無辜の民を戯れに殺していく。それこそが楽しみだと言わんばかりだった。
 ガラス窓を影が覆う。シャルロットが顔を上げると青みがかった小柄なドラゴンに乗った黒衣の魔人が宙に浮いていた。

「……ハンス。なに用ですか!」
「オークどもの軍勢を率いてアルカラへ攻め上るそうだな」
 
 顔を覆う仮面の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。マントを纏い。仮面の奥は漆黒の闇。覗き込んでも何も見えない。ハンス・フォン・ブルンズウィック公爵。かつてはカプール王国の公爵でありながら初代女帝に攻められ、死を前にして復讐を誓い。冥界の女神アンゲローナに魂を売ったという。シェーラ・ナ・ギグが消えた後、いつの間にか現れていた。特に何をするわけでもないが、時折こうしてシャルロットの前に現れる。
 シャルロットはガラス窓を抜け、ベランダに立ってハンスと対峙する。

「もう一度、問いましょう。何をしに来たのですか?」
 
 シャルロットの問いにくっくっくっと甲高い笑い声を上げてハンスはシャルロットを見つめる。仮面の奥にあるはずの目は見えなかったが、確かに視線は感じる。ねっとりとまとわりつく不快な視線である。シャルロットが苛立ったように舌打ちをした。

「ウォルフガングを装甲騎兵に乗せるが良い」
「どうしてですか?」
「装甲騎兵は搭乗者と機体を魔力で繋げる。しかも魔力の塔から無限に近い魔力が得られよう。とすれば、だ。ウォルフガングの内にいる魔神王も強い魔力を得て、一気に肉体を支配できるだろう。乗せるが良い」
 
 そう言うとドラゴンの手綱を引き、どこかへと飛び去っていった。残されたシャルロットは部屋へと戻り、ウォルフガングを見つめる。ほおっとため息をつくと頭を振って部屋から出て行った。
 ぱたんと音がして、扉が閉まる。廊下に出たシャルロットはポツリと漏らす。

「できれば、魔神王などに支配して欲しくはないのですけれど……このままではいけないのも確かですわね」
 
 ヴィクトリア城の周辺は死臭たなびく魔界と化していた。死臭に引き寄せられ群れ集う魔物たち。オーク。ゴブリン。トロール。ハーピー。グリフォン。インプ。ヴーア。フリアイ。マリ・モルガン。アチェーリ。テルキーネス。リリス。ヒュドラ。キメラ。ミノタウロス。リヴァイサン。群れる魔物魔獣。海のものも山に住むものもいる。血溜まりで人魚が泳ぐ。アデリーヌの上空を飛び回っているグリフォンが戯れに人を捕まえては落とす。高い空から落とされた人が潰れて肉片となり、その肉を馬より大きな魔狼が食い荒らしていった。
 昼といわず夜といわず、魔物の遠吠えが街に響く。人々は家に閉じこもり、窓を閉め切って少しでも魔物たちから逃れようとして引き篭もっている。街を闊歩しているのはアンゲローナに支配された騎士団の男たちとオークやゴブリンどもだ。我が物顔で歩き回っていた。しかしそんな彼らもダークエルフが現れるとすごすごと顔を伏せて道を譲る。ダークエルフが軍団の指揮官として堂々と歩いていた。土と泥に塗れたオークたちとは違い。煌びやかな衣装を纏う。まるで貴族のようにも見える。事実、この街では人間よりも魔物よりもダークエルフの方が上位に位置していた。魔物に襲われ喰い散らかされる人々をダークエルフ達がハンカチを口に当てて目を逸らす。哀れに思っているわけではない。自らを高貴と任ずるあまり、下等なオークやゴブリンといったものの醜さを厭うのである。それゆえに止めるような事もしない。
 街角では数名のオークやゴブリンなどが、家に押し入り住民を陵辱し食い殺していく。軒に並べられる人々の首を見ながら、魔物達が哂う。そんな光景がアデリーヌの街には溢れていた。
 ダークエルフ達はシャルロットに命じられ、オークの群れを城壁に集めている。暗い地下の空洞から引き出されて、鎧と兜を被せられ、槍を持たされる。次々と地上へと追い立てられたオークは城壁へと集まり、ダークエルフの手によって各部隊へと振り分けられていく。歩くたびにがしゃがしゃと石畳を槍の石突が叩き、火花を散らす。ずらりと並ぶオークの兵。その数10000。他の魔物も合わせると20000近くにはなるだろう。ぐふぐふと卑下た笑い声を上げるオーク達。哄笑は城壁を埋め尽くし堅牢な石の外壁すら揺るがさんとしているようだ。
 シャルロットが城壁の上に姿を見せる。
 城壁の外を埋め尽くそうとしている軍勢を睥睨する。

「これより、アルカラに向け進軍を開始しなさい。途中の村々を焼き、人々を殺して進むのです。もはや人の世は終わりを告げようとしています。これからは魔の時代。冥界の女神アンゲローナの時代が始まるのです。さあ、お行きなさい」
 
 シャルロットの言葉と共に街の門が開かれた。中から装甲車に乗り込んだダークエルフと戦車に乗り込んだボナール率いる人間の兵士達が現れる。どの顔もかつての面影は無く。欲望に塗れた卑下た笑みを浮かべている。
 装甲車と戦車を先頭にオークの軍勢が走る。
 槍を手に、鎧を纏い。死臭と妖気を漂わせながら走りゆく黒い軍団。踏みにじられた草木が萎れ、腐った肉の臭いと膿が滴り、空気までが澱んでいくかのようだった。おぞましいこの軍団は途中の村々を襲撃しては人々を殺してその肉を喰らい。飢えを満たしていく。兵糧など必要ない。目に見える人々が獣が全て食料である。軍団の通った後には、パチパチと燃える家々と人の骨が転がっている。中にはしゃぶりつくように人の骨を齧っているものもいた。

「さあ、喰え。生き血を啜れ! この村は俺たちの晩飯だ。存分に喰え!」

 オークの指揮官が配下に言う。それに応えてオークの群れが喜びを露にする。
 燃やされる家に生きた人間を放り込み。焼けるのを待つ。じゅっと肉の焼ける臭いと共に髪の焼ける嫌な臭いが辺りに漂う。燃える家を焚き火代わりにする。襲われている女性の鳴き声が響き、生きたまま喰われていく子供たちの悲鳴と混じる。
 まるでそんな悲鳴が楽しい音楽のように魔物たちは歌い。踊る。

「こらぁ~その人間は俺のもんだ~」
「がぅ~!」

 魔狼と肉を取り合いするオーク。その様子を楽しげに笑いながら見ている魔物達。ハーピーやインプなどの女性の魔物の肉を持っていって気を引こうとするゴブリン。軽く肘鉄を食らって落ち込むオーク。魔狼の頭を撫でて可愛がるミノタウロス。じゃれつき怒られるハーピー。
 魔物達が楽しげであればあるほど、村の凄惨な残状が恐ろしく浮かんでくる。アルカラに着くまで後どれほどの村々が犠牲になるのだろうか?

 ――魔物達の進軍はまだ始まったばかりだ。



[20672] 第17話 「砦の攻防」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/01/06 21:40

 第17話 「砦の攻防」


 アデリーヌとアルカラのほぼ中間地点に砦を築いたルツェルン王国はその守護に王子であるシャルル・ルツェルン第3王子を配置していた。配下はわずか一個中隊である。これだけの戦力で勢いを増す魔物達を防げというのは土台無理な話であった。
 たった6機の装甲騎兵。ぼろぼろの戦車が3台。アデリーヌからの撤退によって、我先に逃げ出したオフィーリアの軍を逃がすために殿を受け持ったシャルルは大幅に人員を減らした配下の者達を率いて砦を守っている。
 アルカラからの援軍は一兵もやってはこない。弾薬の補給すらない。孤立無援という言葉が砦を取り囲むように押し包む。
 昨夜、魔物の斥候を倒したものの……。その後から本隊が来るのは明白であり、わずかあまりの兵力でどうやって追い払おうかとシャルルは頭を悩ましていた。青い瞳は憂いを秘め、ここしばらく手入れもされていない金色の髪は無造作に後ろで束ねられている。
 砦の一階にある司令部の部屋の中、大きな木のテーブルを前にしてジッと地図を見つめていた。両手をテーブルの上にもたれかかるように置き、時折昨夜死んだ部下の名を呟いている。すでに砦の中にいる部下たちは50人を切っていた。弾薬も残りわずかしかない。次に攻めてこられたらもう終わりかもしれない。いっそ砦を放棄してアルカラにまで下がろうかとも考えていた。放棄するならば早い方がいい。シャルルはじっと考え込んでいる。

 朝、日が昇りだした砦の屋上で見張りをしている兵士たちが口々にアルカラにいるオフィーリアの悪口を言い合う。

「まったく。あのオフィーリアってのは戦場を舞踏会か、なにかと間違えているんじゃねえのか」
「噂じゃ、アルカラでお茶会なんてもんをしているらしいぜ」
「馬鹿だろ? 絶対馬鹿だ。違うか?」

 自国の王女を公然と馬鹿呼ばわりしているが、聞いている周囲の兵士たちも止めようともしない。内心ではみな同じ事を考えているのだった。それでも口にしないのは、本当の事。周知の事実を口にしても仕方ない。と思っているからだろう。
 兵士たちは熱いコーヒーをへこんだカップにたっぷりと入れて飲む。この砦に来た時には乏しい食料しかないと思っていたが、それ以上に兵士の損失が多すぎて、少ない人数の兵を養うには多すぎるようになっている。
 壁に凭れるように座っている兵士が胸ポケットから、黒い皮袋と薄い紙片を取り出す。黒い皮袋から一つまみタバコの葉を摘んで紙片におき、器用にくるくるっと巻いて紙の端を舌で濡らしてくっつけた。しばし巻いた煙草を見つめてから口にくわえ、火をつける。
 ふぅ~っと煙を吐く。煙は砦の上空へと流れていった。煙草を口にくわえたまま双眼鏡でアデリーヌ方向を覗く。空は蒼く陽は明るく輝いている。白い雲が風に流されていった。青々とした大地の中に墨を落としたような染みが滲んでいる。それは遠くの方からこちらに向かって近づいてきていた。倍率を上げ、さらによく見る。
 焦点が合い。それが何なのか理解するのにしばし時間が掛かった。
 そうしてようやく見たものを認識する。兵士の口元が知らず知らずのうちに釣りあがり笑みを模った。

「くっくっく……あ、はははっははは!」

 双眼鏡を覗いていた兵が笑う。口から煙草が落ちたが、気にした風もない。堪えきれないとでもいうように大声で笑い続ける。

「おい。どうしたんだ!」

 笑っている兵士に近づいて肩を揺さぶる。兵士は笑うばかりで答えようともしない。しかし指でアデリーヌの方を示した。
 もぎ取った双眼鏡を覗き込んだ兵士も同じように笑う。双眼鏡の向こうで黒いオークの軍団がこちらに向かって進軍している。平原を埋め尽くすかのような大軍。その数20000。黒い群れが平原を進む。
 次々と双眼鏡を回された兵士たちが笑いながら石の階段を下りていく。20000対50。もはや笑うしかない戦力差である。
 腹を抱えて笑いながら報告してくる兵士に対して怒ろうかと思ったが、報告を聞いたシャルルも思わず笑い出した。

「ここまでくると笑うしかないか……」
「まあ、とりあえず1人で400倒しゃあいいんですよ」
「そうだな。ノルマは1人、400だ。迎撃の準備に掛かるぞ!」

 笑いながらシャルルと兵士たちは迎撃の準備に取り掛かった。装甲騎兵が起動し、砦の城壁上部に待機しだす。戦車砲が壁沿いに並べられた。残りの弾薬を全て持ち出して補給がなされ、いつでも迎い撃てるように着々と準備がなされていく。孤立無援の篭城戦である。全滅するのは解り切っていた。

「シャルル王子。いいんですかい?」
「何がだ?」
「みな死にますよ」
「俺も死ぬさ」

 古参の兵がそう、シャルルに問いかけてくる。シャルルは装甲騎兵の中で肩を竦めながら、全員に聞こえるように言った。

「ここで逃げてもアルカラの連中は門を閉ざして、中には入れてくれまい。俺はあんな連中の顔を見ながら死にたくないな。まあ、連中の慌てふためく面を見れないのは残念ではあるが」
「そりゃあいい。俺たちが全滅したとなれば、アルカラでのほほんとしている連中も肝を冷やすでしょうな」
「だからといっておとなしく死ぬつもりも無いからな。絶対に勝つぞ」

 圧倒的な戦力差を噛み締めながら和気藹々と気楽に笑い合いながら待ち構えるシャルル達。一旦死ぬ事が決定付けられてしまったものだから……色々と吹っ切れてしまったのかもしれない。

 アルシア達はアイヴスからアルカラへと向かっていた。
 アイヴスからほぼ真東の方向へと進むとアルカラがある。急いで向かう途中、アルフォンスの飛行兵が上空から索敵を行っていた。

「アデリーヌ方面から魔物の軍勢がアルカラへと向かっています。凄い数だ。20000はいる」
「あっ、他にもアルカラへと向かう。小規模の軍があるぞ!」

 上空からの報告にアルシアは恐れていた事がやってきた事を知った。トレーラーの中に集まったアルシア、マルグレット、アルフォンス、フローラの4人はどうするかを相談し始めた。

「まず、アルカラへ急ぐ。しかし問題は着いてからのことじゃ。20000のオークどもを相手にどれぐらい持つと思うのか、聞きたいのじゃ」
「エルフの軍が2000。我々が1000。アルカラの兵力が2000」

 マルグレットが指折り数える。エルフの軍はアルシア達と別れてアルカラへと先行している。

「5000の兵力を持って20000の軍隊と戦う。無謀かもしれませんね」
「いや、こちらには装甲騎兵と戦車。それに重火器がある。剣と弓。他にはわずかな攻城兵器ぐらいしかない魔物とは戦力の上ではさほど差はないはずだ」
「ふむ。そうかもしれんのじゃ。……それから小規模の軍というのは砦に向かう斥候隊じゃろう。しかし砦にはシャルルがいる。先にそちらと合流した方がいいのじゃろうか?」

 アルシアの言葉にマルグレットが「ううん……」と首を捻る。小規模の斥候隊とはいえ5000はいる。さすがにこの数になると小規模とは言いがたいが……。

「シャルルの部隊は助けんといかんかも。しかし魔物の斥候隊を倒しても後から本隊の15000がやってくる……。こっちの方が問題やな」
「だが、無視する訳にもいくまい」
「そうなのじゃ。いったん砦に向かうのじゃ。あ~ドラゴンの一匹でも連れてくるんじゃった」

 アルフォンスの言葉にアルシアが頷き、ヘンルーダの森からの援軍はシャルルと合流する事を決定した。エルフとアルフォンスの飛行兵。が先行して平原を急ぐ。その後を追いかけるようにしてアルシア達とフローラの部隊が進んでいった。トレーラーとトラックが土煙を上げて疾走していく。遥か遠くに黒い染みのような魔物の軍と砦に陣取っているシャルルの姿が見える。


「シャルル王子。西の方角からこちらへ向かってくる軍がいます」
「どこの所属だ」

 周囲を警戒している兵士が見張り台から声を張り上げる。シャルルが装甲騎兵の中から確認するために探知の魔法を使い。様子を窺う。青い薔薇を抱くドラゴン。ルリタニアの紋章である。その隣には特徴的な翼を持つカルクスの飛行兵の姿も見える。
 ルリタニアの援軍か。シャルルは砦の門を開けて待ち構えた。
 しばらく待っていると、こちらへ向かってくる一軍から通信が入る。

「あ、ああー。こちらルリタニア王国、亜衣王女殿下所属の第0902小隊。ヘンルーダの森からアルカラへ向けて援軍の進行中。そちらはどこの所属か?」
「こちらは、ルツェルン王国第3王子シャルル・ルツェルン。魔物の軍を迎え撃つ為の準備中である。援軍に感謝する」

 打ち捨てられているような古い砦の門が開く。その脇には疲れ果てた守護兵たちがやけに陽気な表情で迎え入れてくれる。砦の中は昔ながらの石畳。堅牢な石を組み合わせた重厚な造りである。どの兵も手に持っているのはぼろぼろの銃。良く手入れされピカピカに磨きあげられているが、20000の魔物達の軍と戦うには少しどころかかなり心許ない。その明るさにアルシアは自棄になっている兵士たちの気持ちを看過して、暗くなっていった。
 アルシア達は砦に入りシャルルと合流した。
「よく来てくれた。感謝する」
「状況は悪そうじゃのう。どうするのじゃ?」
 挨拶もそこそこにアルシアはシャルルに問う。砦の中、大きなテーブルの上に地図が置かれて、作戦が話されていく。
「はっきり言って手は無い」
「50では仕方なかろう。だがわらわ達を戦力として考えると、まずアルフォンスの飛行兵を飛ばして魔物の足を一旦止める。その後でフローラの大規模魔法で吹き飛ばしてもらう。後は全軍を持って蹴散らす。単純じゃが一番確実じゃ。おぬしらには我々への指示と連絡係を勤めて貰いたい」
「……いいのか?」
「ああ、かまへんで。うちらは遊撃部隊やからな。こういう時でもないと活躍の場がないんや」

 シャルルはアルシアの言葉にそう答えた。さらにマルグレットがそう言って胸を張る。主力はアルシア達ルリタニア軍でシャルルの部隊ではない。援軍に矢面に立ってもらい、自分たちは比較的安全な部署につく。数が違うと言えばそれまでだが、これではどちらが砦の主か分かったものではなかった。

「気にするでない。オフィーリアでは心配なのじゃ。そなたには生き残って欲しいのじゃ」
「それは……」
「それからな。魔物の斥候隊を退けたら、一旦アルカラまで退いて欲しいんや」

 ルツェルン王国の内情はルリタニアにも知れ渡っているらしい。頭を抱えたくなるが、ルリタニアとしてもこんな状況は好ましくないのだろう。諦めて頼るとするか。シャルルはアルシア達を見回し、礼を言うと連絡係を引き受けた。

「だが、アルカラにまで引いても向こうもさほど兵力がある訳ではないぞ」
「向こうにはすでにエルフの援軍が向かっているのじゃ。ヤヌシュは送ると言うておったのじゃ」
「それにここにいるフローラにオフィーリアの呪いを解いて貰わんとあかんしな」
「オフィーリアの呪い?」

 シャルルが怪訝そうにマルグレットに問いかける。シャルルの問いにアルシアが頷く。背後ではマルグレットとアルフォンスも頷いていた。

「オフィーリア王女はシャルロット様と仲が良かったですから、影響を受けやすいんです。それにシャルロット様ほどの魔術師ならば、魔術による遠隔支配などお手の物でしょう」

 フローラの言葉にシャルルの背中が瘧のように震え、鳥肌が立った。改めてシャルロットが西の塔でも1,2を争うほどの魔術師である事を思い出す。やろうと思えばそれぐらいは可能だろう。一刻も早くアルカラへと向かい、オフィーリアの呪いを解かなければならない。

「それなら砦に来るよりも一刻も早くアルカラへと向かって――」
「――おぬしにも死んでもらっては困るのじゃ」

 アルシアがシャルルの言葉を遮って言い放つ。
 ルツェルンのシャルル王子といえば、ウォルフガングほど有名ではないが、それでも優秀な王子としてそこそこ知られていた。大国ルリタニアの王太子であるウォルフガングの陰に隠れがちではあるが、国力の小さいルツェルンが壊滅もせずにここまで持っているのはシャルルのお蔭だろう。それが判らないほどアルシア達……いや、ルリタニアも各国も無能ではなかった。判っていないのは意外と自国のルツェルン王国かもしれない。
 アルシア達はさっそくとばかりに迎撃するために砦の一角に陣取る。第0902小隊の女性整備員達が中庭で炊き出しを行い。それと共に招待の物資から弾薬の補給を行っていく。

「さすがルリタニアの王女直属の部隊だな……物資も豊富で羨ましいことだ」

 第0902小隊は女性ばかりで構成されている。そのためにむさくるしい男ばかりの砦が急に華やかになり、弾薬を手渡された兵士が気まずさを誤魔化すように呟いた。

「弾薬を持っていった後で今のうちに食事をしておきなさい。戦闘になったら食べている暇なんかないからね」
「は、はいっ!」

 弾薬を手渡されたアデリーヌ陥落以来本隊から取り残され、ずるずると砦に残されたままの新兵であるマイヤーは女性兵に柔らかく微笑まれ真っ赤になったまま声を張り上げた。周囲にいた他の女性たちがくすくすと笑う。
 その声に居たたまれなくなったのか、急いで走り出そうとするマイヤーの背中に「ちゃんと食べておくのよ」と声が投げ掛けられる。振り向いたマイヤーの目には女性兵の赤い髪が太陽に反射して明るい色を放っているように見えた。

「イルゼ、どうしたの?」

 整備班のフリーデがイルゼに声を掛けた。普段はちょっと冷たい感じのするイルゼがさっきの少年兵の事を気にしているように見えたのだ。

「う~ん。弟がね、さっきの子と同じぐらいの年なのよ。なんか気になっちゃってね」
「ほうほう。イルゼ姉さんは年下趣味でしたか?」
「そんなんじゃないんだけどね」

 からかうような口調に肩を竦めたまま、マイヤーの走り去る後姿を見つめた。ブラウンの髪が揺れて、手にした弾薬を抱えて重そうに走る姿がイルゼには心配だった。
 死なずに生き残って欲しいんだけどね……。
 不安を振り切るように軽く頭を振って、再び弾薬を配り始めた。

「フローラ、オークどもを魔法で吹き飛ばして欲しいのじゃ」
「ええ、密集しているのであれば竜巻を起こして吹き飛ばしてしまいましょうか」

 アルシアの求めにフローラは艶然と笑い、請け負った。東の塔の魔術師。その中でもトップクラスの実力を誇るフローラ姫である。本気になればどれほどの実力なのか……頼んでおいてなんだが、アルシアは背筋に冷たいものが走ったように感じゾクッと体を震わした。
 蠢く黒いリボン。整然と隊列を組み、長く伸びたオークの軍団が岩だらけの一角に差し掛かった。周囲は大きな岩に囲まれている。先頭に立つのは騎馬にも似た魔狼の一団である。馬よりも大きな体躯。黒い毛皮は埃と泥に汚れ、獰猛そうな牙が真っ赤な咥内から覗いている。その上には黒い兜、同じく黒い大きな盾を持ったオーク。盾にはアンゲローナを現す銀の月が描かれている。魔狼の後ろをさらに多種多様な魔物達が隊列を組み進軍していた。獰猛そうな顔つきのオークがいる。低い背丈のオークもいる。群れを成すハーピー。巨大なハンマーを担ぐミノタウロス。キメラの獅子の顔が残酷そうに歪む。それらの進軍を飛行兵が上空から警戒しており、逐一報告を入れる。

「オークの軍だ! その数、5000。本隊とは違う別働隊だ」
「来たか! 全軍構え!」

 警戒の声と同時にシャルルが指示を飛ばす。岩陰から現れる魔狼に乗ったオークの一団。20000対2000の戦いの初戦が始まった。

「乱戦になる前にわたくしが魔法を使います!」

 城壁の上に立つフローラはそう宣言して、呪文を唱えだす。高く低く時には唸るように呪文が紡ぎ出されていく。
 魔物の軍は砦の前に陣取り、威嚇するように声を張り上げる。手に持っている槍を地面に叩きつけ足を踏み鳴らす。その音に大地が揺れているかのような錯覚さえ覚えるほどだ。剣が天に突き上げられた。怒号が天を揺るがし、熱気が立ち上がっていく。
 アルシア達の構えた機関銃が一列に並び、狙いを定める。双方共に威嚇しあって睨みあいを続けていた。緊張感だけが高まっている。
 砦の城壁で銃を構えていた兵の1人が緊張に耐え切れず、銃を掴んでいる指先がぶるぶると震えだしていた。アデリーヌから退却する際に本隊から取り残され、仕方なく砦に残されていた新兵マイヤーである。大軍を前に恐慌状態に陥りかけていた。血の気が引いて真っ青になった顔。だらだらと流れ落ちる汗。握り締めた手が白くなっている。まだシャルルの命令は構えのままだ。からからに乾いていく口から吐く息の音だけがやたらと耳に突き刺さっていた。

「――おい、大丈夫か……」

 隣にいた兵士が震えているマイヤーを見かねて声を掛けた瞬間!
 ビクッとマイヤーの体が震え指先が引き金を引いた。乾いた音が砦の中に響き渡って、魔狼の上に乗っていたオークの指揮官に命中した。
 ドウッと魔狼から滑り落ちるオーク。
 シンッと一瞬、怒号が掻き消え静寂が戦場を支配した。その中でフローラの呪文を唱える声だけが聞こえている。
 誰もが動きを止め滑り落ちたオークを見つめていた。時間が止まったような感覚……。
 一瞬の後、怒号は咆哮へと変わった。オークの怒りが大気を揺るがす。
 まるで開始を告げる合図。止まっていた全てが動き出す。
 雄叫びを上げ、こちらへと走り寄ってくる魔狼。距離はまだ遠い。機関銃を構えたまま兵士たちがフローラの魔法の起動を待っている。じりじりと距離が縮められ、だんだん近づいてくる。銃を構えた手がぶるぶると震える。額からは冷たい汗。

「まだか……」

 誰かが呟く。オークとの距離がさらに縮まっている。東の塔の魔術師だ。起動しないと言う事はないだろう。……しかし、本当にオークどもを吹き飛ばしてしまうほどの威力があるのか? それに間に合わないかもしれない。そうなったらむざむざ距離を縮められるだけ自分たちが不利になる。兵士達の顔色が焦りでだんだん悪くなっていく。まだか。まだなのか?
 シャルルですら、はあはあと荒い息が零れだしていた。

「――オォロォォォ イィィィヴァァァ アァオォゥズゥピィィィ」

 フローラの声――いや、振動というべきかも知れない言葉が紡ぎ出され、その振動と共に風が、かすかに吹いた。
 風はくるくる回り、瞬く間に大きく渦を巻き、さらに巨大になっていく。

「なっ……前にシャルロットが使った魔術と同じなのじゃ」

 一瞬、アルシアとマルグレットの脳裏にエイプリル湖での戦いが思い浮かぶ。
 竜巻が三方からオークの軍に襲い掛かり、天高く舞い上げていく。ずたずたに引き裂かれるオーク達。密集隊形をとっていたことが仇になった。整然としているだけに逃げ場が無く。なすすべの無いまま巻き上げられていった。

「今だ。撃て!」

 シャルルの命令が砦の中に響き渡る。
 かろうじて竜巻から逃れたオークや魔狼に向かって機関銃が一斉に火を吹いた。次々と倒れていく。だが銃弾の雨を掻い潜って接近してくるものも多々いる。飛行兵達が上空から狙いを定め攻撃を繰り返していった。
 しかしやたらと数が多い。あれだけフローラが吹き飛ばしたというのに……。数が減ったといってもまだ2000ほどは残っていた。ほぼシャルル側と同数である。

「同じ数なら勝てるぞ!」

 シャルルは声を張り上げて兵を鼓舞する。
 アルシアとマルグレットも動く。重い駆動音を響かせて、動き出す。

「フローラにばかりいい格好をさせる訳にはいかぬのじゃ」
「そうやなあ~、うちらも派手にいくで」

 2人の装甲騎兵が滑るように動き出した。砦の城壁を飛び越え、キラキラと青い魔法陣を纏わりつかせながら空を舞う。
 魔狼へ上空から一撃を喰らわせ、血風を撒き散らしつつ。戦場を飛び回る。アルシアの鍵爪。マルグレットの薙刀。それらが振るわれるたびに血を巻き上げ、戦場を赤く染め上げていった。

「わはははっ、愛と勇気の美少女錬金術師アルシア様の見参じゃ!」

 アルシアの黒い機体が陽光に輝き口上が響き渡る。

「愛と勇気ってなんやねん、それは! しかも美少女って自分で言うか?」
「コーデリア以来の正式な名乗りなのじゃ」

 マルグレットの突っ込みをさらっと受け流して、アルシアが叫ぶ。フローラは城壁の上でがっくりと肩を落とし、アルフォンスの機体が上空でバランスを崩して堕ちそうになった。

「名乗りはどうでもいいけどな……」

 シャルルはあっさりと流した。さすがルツェルンの王子である。この程度ではびくともしない。

「そっちがその気ならなぁ~、うちも負けてられへんわ。ヘンルーダの森からやってきた永遠の乙女こと、マルグレット様の魔法を喰らうんや! ――水の乙女。矢となりて敵を撃ち抜け」

 マルグリットの周囲に集まった青い光が大量の小さな氷の槍を模る。宙に浮く氷の槍。

「アクア・ジャベリン!」

 頭上から数百の氷の槍が地上へ向けて落下していく。氷の塊による無差別攻撃。逃げ惑う魔物が恨みがましい目でマルグレットを睨んでいる。はっきりいってむちゃくちゃである。
 あんぐりと呆けたように口を開くシャルル。いくらなんでもそれは無いだろう。と思わざるを得ない。砦の兵がまだその場までたどり着いていなかったから良いようなものの、急停止したシャルルの中隊が呆然と空を見上げていた。突入していた戦車兵が戦車のハッチを開き、空に向かってがなりたてている。

「むちゃくちゃすんなぁ~!」

 脅えている魔物達が逃げようか逃げまいかと迷っている。

「何をしている! 撃て!」

 砦の真正面で立ちふさがっていたシャルルが戦車隊に向かって怒鳴りつけた。
 その声に慌てて中に潜り込み、砲撃を繰り返す戦車。機関銃をつけた装甲ハーフトラックが銃弾を撒き散らしながら縦横無尽に駆け巡る。助手席に陣取った兵士が機関銃を手に撃ち続ける。オークが細切れになりつつ吹き飛んでいった。魔狼は前足後ろ足を失い。その場に倒れ死ぬのを待つのみとなる。
 フローラの魔術によって蹂躙され立て直すことも出来ないままに踏み潰され蹴散らされるしかない。
 たった1人の魔術師によって状況が一変してしまったのだ。シャルルはフローラの事を頼もしく感じながら、この場にシャルロットがいない事を感謝していた。そうでなければどう転んでいたか分かったものではない。
 魔物の軍はほぼ壊滅状態になった。分断され戸惑うばかりの魔物。軍団として機能しておらず、烏合の衆と化している。

「紡錘陣形をとって中央突破を図る。しかる後、左右に分かれて包囲殲滅する」

 砦から出てアルカラにまで逃げなければならないのだ。一匹でも多く潰しておく。シャルルの指示に飛行兵が集まり、オークを引き裂くように中央に突進していった。
 銃撃の音。剣を振り回す音に加え、オーク達の悲鳴と怒号が鳴り響く。
 少しずつ包囲され、押しつぶされていくオーク達。陽が傾きかけ、オレンジ色の夕焼けが戦場を赤く染める。岩だらけの地でオークや他の魔物の死体が堆く重なり合って山のようになっていた。



[20672] 第18話 「ルツェルンの王女とルリタニアの王女」
Name: T◆9ba0380c ID:428d5af5
Date: 2011/02/05 21:57
 第18話 「ルツェルンの王女とルリタニアの王女」

 新緑の月(6月)第2週9日。
 シャルルとアルシア達が砦で対峙していた頃、ようやくアルカラにエルフやザクセン公国の魔術師、カルクスの飛行兵師団、そしてルリタニアの第6装甲擲弾兵連隊が次々と到着しはじめていた。
 新型装甲騎兵や重厚な戦車などが隊伍を組み、街中にはいるやいなや歓呼の嵐に迎えられる。エルフ達の搭乗する機体はドワーフの手により流麗な文様を施され、見る者をうっとりとさせた。続くカルクスの飛行兵師団はその特徴的な翼を輝かせる。ザクセン公国の魔術師たちは数こそ少ないが、オープンカーから立ち上がって手を振り答えていた。最後に現れたのはルリタニア王国であった。
 エルフやカルクスほど派手ではないが、援軍の中では最大の規模を誇る。直線的な線を描いた武骨な機体は洗練されておらず優雅さにも欠けるが、見る者を圧倒するだけの力強さがあった。
 彼らは到着するや連合軍としてホテルを借り切り、それぞれの代表を出してこれからの作戦を相談しだす。その中にルツェルン王国の代表が入っていない事は皮肉と言えたが、オフィーリアと接見した各代表たちはルツェルン王国を勘定に入れないことを共通認識として受け入れていた。
 ――接見。
 そういえば聞こえが良いが、あれはパーティーだった。クレンゲル准将は苦々しく思い返す。
 東の方角に年中凍りついた複雑な入り江を見下ろす高台にある地方都市アルカラ。その中心に居を構えている古城。煌びやかに金箔銀箔が明かりを反射して内部を照らしていた。ふかふかと赤い絨毯の上を着飾った貴族たちが浮ついた笑い声を立ててグラスを傾ける。笑いざわめく人々。部屋の中央ではくるくると軽やかなステップで踊るオフィーリア王女の姿が見られる。年不相応に艶然と笑う笑顔。その周囲を取り巻くルツェルン王国とノエル王国とカルクス王国の貴族たち。酔いに任せて夢の中を漂うかのようだ。
 戦場の、それも最前線にともいえる場所にあって……日毎夜毎にお茶会を繰り返し晩餐会を開き、美酒に酔い。美食を楽しむ。一言でいえば『バカ』かと問いたくなった。
 亜衣王女とは似て異なるドレスを身に纏い、発する雰囲気もまるで違う。王族の気品とは違う。どことなく自堕落な印象を受けてしまうのだ。その点が亜衣とはまるっきり違っている。確か……亜衣王女殿下と同い年のはずだが……。我がルリタニアの王女は酒に酔って醜態を見せた事はなかった。……いや、一度まだ今より遥かに幼かった頃、陸軍元帥のディルク・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵に飲まされて眼を回した事があったか。ああしかし、あれは笑い話で済む。問題の大半は元帥にある。まだ幼い子供を騙してきついお酒を飲ませたのだから。
 だが目の前で行われている醜態は本人の問題だろう。

「楽しんでいらっしゃいますか?」

 酒に酔ってほんのりと頬を赤く染めたオフィーリアが声を掛けてきたとき、クレンゲル准将は目の前が暗くなったような気がしたものだ。自分だけかと思い。周囲を見回してみれば、援軍にやってきた各国の武官たちの頬が引き攣っている。己だけではない事に少し安心したものの頭は痛くなるばかりだ。

「ありゃあダメだ。アルシアからの報告ではオフィーリアはシャルロットの呪縛に囚われている可能性が指摘されていたが、今の状態では計算に入れるわけにはいかん」
「そうだな」

 パーティーからホテルに戻ってきたルリタニア王国第9装甲擲弾兵連隊指揮官フリッツ・フォン・クレンゲル准将が吐き捨てるように言う。50を前にした准将は引き締まった大柄な体を揺らしつつ白髪交じりの髪を手で掻き毟る。ルリタニアは陸軍も海軍もトップがアレなものだから、下もそれに習うのだろうか? どことなくマッチョな雰囲気を漂わせ青い眼はオフィーリアと会って以来、陰鬱な色を漂わせていた。
 それに短く答えたのはエルフの武官だ。名をグフタス・アクセルソンといい。100歳を超える年だが見た目にはいまだ30代前半という印象を受ける。長い金髪がさらさらと揺れ動き、緑色の瞳は一見冷たい印象を相手に与えていた。

「コーヒーをお持ちしました」

 濃厚なコーヒーの香りが部屋の中に漂う。まだ若い副官がトレイの上に2つカップを載せて持ってきた。エルフの鋭く鷹のような眼が見つめる。まだ士官学校を卒業したばかりの少尉はいきなり睨みつけられ、手が震えた。かちゃかちゃと音を立てて、カップを机の上に置く。
 そんな副官にちらりと視線を向け、軽く首を振ってから受け取り、再び窓辺に近づくとクレンゲル准将がコーヒーのカップを手にしたまま、5階の窓からアルカラの城を見下ろして呟く。

「シャルル王子がいれば、また違ったのだろうが、な……」
「ウォルフガングがいない今、シャルルしか期待できる王子はいまい。アルフォンスはどうも亜衣に対して執着しすぎている。王子としての立場を忘れるほどな」
「決して無能というほどではないのだが……」

 アクセルソンの声にも苦いものが混じる。シャルル王子がいれば、いかに数が少なかろうがルツェルン王国の代表として対等に話も出来ただろう。そしてこの場にいる援軍の指揮すら任されたかもしれないのだ。
 ウォルフガングは別格として、シャルルにせよ、アルフォンスにせよ。王族の男子、王子としては決して評価は低くない。シャルルがいればたとえお飾りだとしても総指揮官として行動できる。そうなればシャルルの意向は無視しきれない。ルツェルン王国が全軍の指揮をする事になる。
 だが……、シャルルのいない今、王女とはいえオフィーリアがあれではなぁ~。あんなバカに遠慮して振り回されるぐらいなら、最初っから無視を決め込んだ方がはるかにマシだ。その辺りのゴタゴタは王家に押し付けてしまえばよい。今の王家は無能ではないからな。現場の苦悩に理解を示すだろう。
 クレンゲル准将は酔い覚ましのコーヒーと共に苦い思いを飲み込んでルツェルン王国を無視する事に決めた。

 ◇       ◇

 シャルロットはウォルフガングを装甲騎兵に乗せて、アデリーヌを出発する準備をしていた。アデリーヌからアイヴスまでは馬車で3日。装甲車や戦車でも今なら6時間でたどり着く。その上魔力を使用した列車が開通しているのだ。大量の兵士を輸送する事に問題はない。無論途中で警戒が行われているだろうし、我々の行動も筒抜けだろう。それでもなお、十分に勝算はある。
 背後にはダークエルフを指揮官として、オークなどの魔物達で構成されている軍団が付き従う。その数、約50000。アルカラへと向かっている軍勢よりも多い。大きなトレーラーの上に載せられているシャルロットの装甲騎兵が陽に反射して鈍い色を輝かせていた。
 あざやかな青いドレスを身につけたシャルロットは指揮車の中でくすくすとおかしそうに笑っている。
 ものの見事に各国の援軍がアルカラへと集まりだしている。それは他の要所が手薄になっているという事。アルカラへと向かわせた軍に援軍をアルカラへと引き付けておいて今のうちにアイヴスを陥落させる。アレだけゆっくりと進軍させていたのだ。今頃は各国からの援軍がアルカラに集結している事だろう。ボナールにはネチネチと嫌がらせをするようにと命じてある。援軍を引きつけて置くだけで良いのだ。
 それに……とシャルロットは考える。フローラがアルカラへと向かった以上、わたしに対抗できる魔術師は東西南北の塔の首席導師クラスのみ。そんな連中が最前線に出張ってくるわけもなく。強力な魔術を行使できない連中など赤子の手を捻るようなものだ。

「亜衣を始末する事が出来れば、ルリタニアは混乱する。そうなれば各国も大きな混乱の渦に巻き込まれてしまうに違いない」

 たった1人を殺すだけでいいのだ。それだけでローデシア大陸はガタガタに崩れてしまう。
 何と脆弱な……。シャルロットの唇がつり上がり、笑みを浮かべる。背後では魔物どもの軍勢が出発を今か今かと待っていた。

 ◇       ◇

 ヘンルーダの森での改良が終わった装甲騎兵と共に亜衣はエリザベートやザビーネ、それに首席導師のブレソール・フォン・ケッセルリングを引き連れてアイヴスへと向かっていた。あと1時間ほどで港へ到着する。
 首席導師は船の中でぐ~すか眠っていた。ヘンルーダの森では徹夜続きだったものだから、これ幸いにとばかりに眠っていたのだ。ルリタニア本国からも亜衣王女のための援軍がファルスの町を越えて追いかけてきている。その総数20000名の2個師団だった。そのうちの1つは近衛兵からなる近衛師団、もう1つは機甲師団。どちらも主力は装甲騎兵である。アイヴスにある約30000の軍よりも少ないが、あちらは連合軍で指揮系統が統一されている訳ではない。それに引き換え亜衣の持つ軍勢はルリタニアの軍隊であり、指揮は亜衣の下で統一されている。
 亜衣は――その数に驚いた。
 小隊が中隊になるぐらいなら、さほど驚かなかったかもしれない。現在第0902小隊の半数と整備班が別行動しているのだ。代わりの部隊が来ても仕方ないなぁ~、ぐらいで済んでいたはずだ。しかし20000の兵力となると話は違ってくる。
 アデリーヌ陥落前から、より活発化してきた魔物との戦いで各地の兵力は不足しがちなのだ。どこの部隊でも増援は喉から手が出るぐらい欲しいだろう。それなのに予備兵力として温存していた4個師団のうち、2個師団を亜衣の為に送り出すなんて……。
 文句を言おうと父である国王に勢い込んで連絡しようとしたが、ウォルフガングがいない今。王位継承権第1位の亜衣を失うわけにはいかない。と陸軍元帥のディルク・フォン・ヴァルテンブルグに先手を打たれてしまった。むーっと頬を膨らませる亜衣。これほどの軍隊を自分に託すぐらいなら、素直にアイヴスに援軍として出した方が良いのに……亜衣はそう思ってしまう。アイヴスではどれほど援軍を待ち望んでいるか? 解っていない訳ではないだろうに。

「う~ん、どうしようか?」

 亜衣は甲板の上でポツリと零す。士官学校に通った事もなく。用兵学を学んだ事もない。指揮権を与えられても正直どう使えばいいのか分からないのだ。その為に巧く指揮出来そうもなかった。遊びではなく戦争なのだから、めちゃくちゃな指揮をして兵士たちを死なせるぐらいならば、アイヴスにいるアドリアンに任せた方が良いのかもしれない。
 その方がアイヴスにいる他の下級指揮官たちも兵士たちもやりやすいだろうし生還率も高いだろう。それぐらいは亜衣にも解る。ただ、問題がある……。その為に亜衣の苦悩は深い。ジッと考え込んでいた。

「亜衣王女殿下。どうなされたのですか?」
 
 振り返ればエリザベートがやってきていた。亜衣と同じようにルリタニアの女性兵士用の軍服を身につけている。短い濃紺のタイトスカート。同じ色のベスト。そして真っ白なブラウスに黒から紅に変わったネクタイ。階級章は中尉である。エリザベートもまた亜衣と同じように陸軍の尉官の階級を与えられた。それを眼にして、幼い頃の亜衣が駄々をこねて与えられた少将の位が正式なものになってしまった事に頭を抱えたくなった。
 亜衣少将閣下。それが現在、陸軍での亜衣の位である。その上で王女としても行動できる。それがどれほどの特別待遇なのか解らないほど亜衣も愚かではない。それにしてもお兄様よりも高位に上がるなんて……。皮肉な気がして亜衣はどんよりと暗くなりそうな心を必死になって押し止めていた。

「う~ん。指揮をどうしようかと思ってる」
「ああ~、なるほど。そうでしたか」

 気を取り直した亜衣の言葉にエリザベートが頷いた。アイヴスに向かっている援軍は亜衣王女直属の近衛兵扱いとなっている。王家直属だ。しかも次期女王となるであろう亜衣の、である。他の部隊よりも自分たちの方が上だと思っているかもしれない。それだけに亜衣以外の命令は聞かないだろう。それが他の軍と軋轢を生じなければ良いが……エリザベートとしても不安がない訳ではなかった。

「エリザベートはどうしたの?」
「アルシアの報告が入りました。ルツェルンの砦においてシャルル・ルツェルンと合流したそうです」
「それでっ?」
「現在第0902小隊とシャルル・ルツェルン王子の部隊とで魔物の斥候隊を迎撃するための準備に取り掛かっている。との報告が入ってきております」

 淡々と話していくエリザベート。報告では未だ戦闘に入っていないようだった。しかしシャルルの部隊は戦力が不足しており、厳しい状況である。もっともアルシアやマルグレットだけでなくフローラもいるのだからそれほど心配はしていなかったが。

「――そう。それで増援は?」
「どこの部隊も動くに動けないようですね。ルリタニアの第9装甲擲弾兵連隊もまだアルカラに着いてもいませんし、おそらく間に合わないでしょう」
「そうなんだ……アルシア達にどうにかしてもらうしかないんだね?」
「ええ、そうなります。ですが、ザクセン公国のフローラ様がいらっしゃいますから、魔物の5000程度でしたら心配は要らないと思われますよ。東の塔でもかなり――最上位の魔術師ですし」
「フローラ公女殿下ならそれぐらいは大丈夫なの?」

 亜衣はびっくりしたような表情を浮かべる。いくら強いからといってもたった1人で5000の魔物に対抗できるとは思えなかった。
 しかしエリザベートの表情は涼しいものだ。フローラの実力をまったく疑っていないようにも見える。

「一説にはシャルロット様と互角とも言われておりますから」
「シャルロットお姉さまとっ!」
「ええ」
「まさか……シャルロットお姉さまと互角なんて……でも、本当にそうなら大丈夫だよね」

 ほっとしたように息を吐く亜衣。心配そう顔が笑顔に変わっている。亜衣の中ではシャルロットの評価は著しく高い。特にエイプリル湖での戦い以来その評価は益々高まっていた。そのシャルロットと互角とは、さすが魔術の最高峰、東の塔の最上位だと思う亜衣であった。
 エリザベートも亜衣の表情を見ながら、ほっとしていた。そうして考える。アルシア達のことも心配だが……現状での亜衣の立場は以前よりもさらに微妙なものに変わってきている。ローデシア大陸最大の王国。ルリタニアの次期女王なのだ。これからは亜衣の意思が大陸中に影響を及ぼすだろう。
 利用しようと近づいてくる者もさらに多くなるに違いない。今まではまだ子供だという意識が亜衣にも周りにもある。したがって何か頼みごとを持ちかけられたとしても亜衣が国王や軍や官僚たちに話して、と逃げてもたいした事は無いが、これからは亜衣自身の見識が求められるだろう。その為にはこんなところで戦争などしている場合ではないのだ。次期女王として王宮や西の塔などで学ぶべき事は多々あり、多くの貴族たちもそれを望みだしている。いつまでも子供のようにふらふらしている訳には行かなくなってきている。
 エリザベートも出航前にターレンハイム家から被害の大小に関わらず、亜衣だけはルリタニアへ無事に帰還させるようにとの命を受けていた。

「亜衣王女殿下。そろそろ艦内へとお戻りください」
「そうだね。じゃあ戻ろう」

 亜衣はエリザベートと一緒に艦内へと戻りながらも一度だけ振り返った。
 港が見え出してきている。アイヴスの港は多くの友軍の船が寄航しており、忙しく物資を運んでいた。そんな様子すら肉眼で見えるぐらいに近づいてきていた。

 ◇       ◇

 以前ヘンルーダの森に向かう亜衣たちが乗り込んだ空母エルマはルリタニアへと一旦帰航し再びヘンルーダの森へとやってきていた。
 もう一度亜衣たちを運ぶためにである。最新鋭の空母が足代わりになるという状況に艦長のアンネ・アイヒベルガー大佐は内心もやもやしたものがあったが、国王から直々に命じられた事もあり、しかも相手が次期女王ともなれば致し方ない。諦めにも似た感情を持っている。すでに内々では亜衣が女王としての権限を与えられる事になっているそうだ。その為に布告の準備も王宮ではなされているという。
 これが何を意味するのか、つまり王太子ウォルフガングの廃嫡である。ルリタニアとしてもウォルフガングの去就をはっきりと各国に示す必要があるのだ。国王の落ち込み方は見ている方が辛くなるほどのものだった。優秀な王太子。各国から羨ましがられるほどの息子。それを失った国王は一気に年を取ってしまったようにも見えた。
 こうなると亜衣を嫁に出さなかった事は不幸中の幸いだったといえる。王位継承に問題が生じる可能性もあったのだから……。無論今度は亜衣の夫になる人物の選定が始まる。いや水面下ではすでに始まっているだろう。他の国々ではルリタニアの王位に色気を出しているはずだ。
 大佐ではあるがアンネ・アイヒベルガーは今まで国王陛下から直々に声を掛けられたことはなかった。今回亜衣をアイヴスに連れて行く役目を受けた時に初めて国王自身から直答を許され、くれぐれも頼むとお言葉を頂いた。
 その途端にアンネと空母エルマの扱いは一変した。補給は最優先で受けられる。航路も他の船が譲ってくる。どこへ行っても軍だけでなく貴族たちですら顔色を窺い始めた。これぐらいなら女性初の空母艦艦長になったときにもあった。だけど今回のは違う。どこがどうとは言えない。目には見えない形で、意識してもなんとなくそう思うだけ。はっきりとした形はなく。まるで空気のように……どこかで自然と配慮がなされて、巡り巡って私の元へと届いてくる。そうして本当の特別待遇とはどういうものなのか、この時初めて知ったような気がした。

「亜衣王女殿下は良くこんな環境であのようにまっすぐにお育ちになられたものだ……」

 つくづくそう思う。このような環境では歪んで当たり前。これを克服するなんてよほど頭が良いのか。少なくともバカではない。少し天然なところもあるとはいえ歪みを感じさせないだけ、ストレスに対する耐久度は庶民よりも高いのだろう。意志が強いはずだ。王族というものに畏敬すら感じてしまう。もっとも生まれた時から戦争状態が続いているのだ。王族といえど楽ではあるまいが……。
 そうして亜衣を乗せ、アイヴスへと戻ってきた。甲板には亜衣たちの装甲騎兵が並んでいる。3m近い巨人像。陽光に反射して輝く機体。依然見たものとは著しく形状を変えている。その側を通り過ぎたときに、大きな剣に話しかけられたのには驚かされた。
 『アルバール』と名乗る剣。かつて竜殺しと呼ばれた剣聖が所持していたという伝説の剣。噂には聞いた事があったが見たのは初めてだ。圧倒的な存在感を放っている。

「え~っと、アルバールでしたわね」
「そうだ。もうすぐ合流するのだな」

 年老いた老人のようにも壮年の男のようにも聞こえる声。いったいどれほどの年月を経てきたのだろうか?

「……ええもうすぐアイヴスに到着します」
「戦闘の気配がする。……戦争の気配だ。血臭と死臭の交じり合った臭い。我の嫌いな臭いだ」

 嫌悪感すら滲ませてアルバールが吐き捨てる。それから黙りこくってしまった。アルマはしばらくアルバールを眺めていたが、剣にも好き嫌いがあるのだろうか、とそう考えながら立ち去っていった。

 ◇       ◇

 艦内へ戻った亜衣はディルク・フォン・ヴァルテンブルグの言葉を無視して、アイヴスにいるアドリアンに連絡を取る。

「アドリアンさま。そちらに2個師団が向かっていると思いますが、すでに着いてますか?」
「ええ、着ております。カスパル・フォン・ツィヒェヴィーツ中将閣下率いる近衛師団とゴットフリート・フォン・ダンゲルマイヤー中将閣下の機甲師団ですね」
「機甲師団の方をアドリアンさまにお任せしたいのですが……どうでしょうか?」
 
 亜衣の言葉にアドリアンは困惑した表情を浮かべる。申し出はありがたいが、来られても困るといった印象を受けた。

「あの~、何か問題でも?」
「いえ、亜衣王女殿下のお言葉はありがたいのですが、中将閣下に対して格下の大尉が命令しても聞かないと思います」
「あ~その問題もありましたよねぇ~。どうしたものでしょうか? 扱いに困る人たちです」
 
 兄のウォルフガングに対してはルリタニアの王太子であるから、中将だろうと言う事を聞かなければならなかったが、アドリアンに対しては軍の階級が問題視されてしまうのだ。亜衣は思わずため息を吐きたくなった。

「亜衣王女殿下には出来るだけ早くアイヴスに来ていただきたいのです。そうすれば問題は解決するものと思われます」
「そうですね。着いたら中将たちに命令しておきます」
「そうしていただけるとありがたいです」
「あと1時間もしないうちに到着しますから、よろしくお願いしますね」
「はい。お待ちしております」

 通信を切った亜衣は立ち上がると、エリザベートたちの待つ司令室へと向かう。もう首席導師も起きているだろう。それにザビーネも。そろそろ港に着く頃だ。急いでアイヴスへと向かわねばならない。
 港に着くまでの間にこれからの事を相談しておきたかった。


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