第04話 「パラディーゾ山脈。黒いドラゴンと黒鉄の騎兵」
古都アデリーヌ陥落の知らせを聞き、亜衣達は急いでファブリスへと戻った。
戻ってみれば宮殿の中は上へ下への大騒ぎである。次々と飛び込んでくる情報は数多くあるが、どれもこれも悪い知らせばかり。
亜衣は衛士達の制止を振り切って、国王のいる執務室の扉を開く。
「――お父様」
執務室の中は暗く。灰皿には葉巻の灰が3つ。微かに揺れてる。カップの底に黒く冷え切ったコーヒーが残っていて暗い穴のように見えた。国王と両侯爵が深刻そうに話し込んでいる。部屋に光が飛び込んできた。部屋に飛び込んできた亜衣と父である国王の視線が合う。蒼白な顔。唇がわなわなと震えて今にも泣き出しそう。こんな父の姿を今まで亜衣は見た事がなかった。
「……亜衣か……奈良宮の瑠璃皇女殿下との会合はどうしたのだ?」
亜衣にとっては兄が国王にとっては息子のヴォルフガングが行方不明になったというのに、こんな時にまで、父は国王として行動しようとする。これが国王としての責任感から出た言葉なのか、それとも兄の事を考えまいとする気持ちから出た言葉なのか。亜衣にはどちらとも今1つ見当がつかなかった。扉の影からアルシア達が覗き込んでいる。
「カスパル・フォン・アイヒベルガー伯爵にお任せしてきました。アデリーヌの状況はどうなっているのですか?」
「お父様。現状はどうなっているのですか?」
亜衣の後ろに立っているエリザベートが父であるターレンハイム侯爵に問う。
ターレンハイム侯爵とブラウンシュヴァイク侯爵はドサッと椅子に身を深く沈め、はぁ~っと溜息をつく。手もたれの上に肘をついて両手の掌を合わせ親指にあごを乗せると考え込むように目を瞑る。磨きぬかれた黒檀の机の上に侯爵達の渋い表情が映っていた。
「お父様?」
亜衣とエリザベートの声が重なる。3人は沈黙している。カチカチ音を立てる時計の針の音が部屋の中でやけにうるさく感じてしまう。廊下の向こうでばたばたと慌ただしく歩き回る人々の足音もうるさい。
「……アデリーヌ陥落。ヴォルフガングは部下を庇って行方知れずだ。アドリアンがヴォルフガングに代わってアデリーヌに駐在していたルリタニアの兵力、約3分の2をアイヴスにまで撤退させている」
「魔物どもの一大攻勢により、ルリタニア・ノエル・カルクス・ザクセン・奈良宮・ルツェルン。そしてヘンルーダの森の7カ国による連合軍は、ほぼ壊滅状態だ」
「ルリタニア・ノエル・奈良宮・エルフはアイヴスまで後退。カルクス・ザクセン・ルツェルンはノエル地方都市アルカラにまで後退している」
ターレンハイム侯爵とブラウンシュバイク侯爵が現状を説明していく。戦線がアデリーヌよりアイヴスまで後退している事を確認した亜衣達は息を飲んだ。
「逃げ切れなかったアデリーヌの住民達は未だ。……街中に取り残されている」
「助かった者は攻勢があった時、街の外にいた者たちが大半だ」
「一体何が起こったんですか?」
亜衣の問いかけに国王が深いため息を吐いてから口を開く。
「町の中心部に突然、魔物の大群が現れたそうだ。兵士達は背後から襲われ、街に入る事ができなくなった」
「街中に? 突然?」
「そうだ。生き残った者の証言によると町の中心部に現れた女が魔力を行使してカーライル村とアデリーヌを繋げたららしい」
「……まさか……」
「裏切り者がでてくるなんて……」
亜衣は息を飲む。エリザベートもまた同じ気持ちらしい。部屋の外で話を聞いていたアルシア達も愕然とした顔で扉にへばりついている。まさかと亜衣が呟く。……まさしくまさかであった。通常の戦争と違って、相手は魔物。それもいままでとは違って人を殺す目的のみで行動している魔物達である。裏切る事に得があるとも思えない。これが7国間の対立から来る裏切り行為ならば、まだ理解できるのだが……。それだけに裏切り者がでたアデリーヌがどれほど混乱し隙を突かれたのか目に浮かぶようであった。
ふらふらと重苦しい空気が漂う部屋を亜衣達は逃げ出すように一旦出る。部屋を出た途端、亜衣はアルシアとザビーネに支えられた。そしてそのまま宮殿の庭へ向かう。レティシア宮殿はファブリスの中心地にあって広大な敷地面積を誇る。
かつては貴族の住居となっていた建物は今ではそれぞれ官庁として機能していた。そのうちの一角に軍関係の建物がある。陸軍。海軍。そして新しく創設されたばかりの空軍である。ルリタニアにおける軍事機能の中心。作戦本部、参謀本部だけでなく兵站から人事に至るまでここで処理されている。
亜衣は陸軍の建物に近づくと、大きな鉄の扉を潜る。中では忙しそうに軍服を着た軍官僚達が書類を抱え歩き回っている。勝手知ったるとばかりに真っ直ぐ元帥の部屋へと向かう。途中、何度か呼び止められそうになったが、亜衣の顔を見ると何も言わずに通してくれる。王女というだけでなく。幼い頃から何度も遊びに来ていたため古くからの軍人とは顔なじみなのだ。
元帥の部屋の前、すぅ~っと深呼吸してから扉をノックする。
「――入れ!」
中から野太い初老の男性の声が聞こえてくる。
亜衣達が中に入ると、元帥であるディルク・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵が驚いた表情で何度も頭を振ってから迎えた。
「……ディルクおじさま」
「亜衣……王女殿下。いや、『少将閣下』と呼ぶべきですかな?」
驚きからすぐに立ち直った元帥がにやっと笑って幼い頃、亜衣につけた階級を言った。
「ディルクおじさん。それはやめてと言ったでしょ」
ややぎこちなく亜衣が笑おうとする。支えていたザビーネが驚いて亜衣に問いかけてくる。
「王女殿下は少将だったんですか?」
「そうだ。『少将閣下』だ」
「違うよ」
亜衣はザビーネに向かって否定した。元帥はどことなく面白がっているようにも見える。
少将というのは亜衣がまだ幼かった。5歳の頃につけてもらった官位である。当時、宮殿によく顔を見せる軍人は元帥以下。大将とかばかりだった。元帥とか大将とか中将の官位で呼ばれる軍人達に向かって将官クラスの官位しか知らない亜衣は「亜衣も欲しい」とねだった。
欲しい欲しいと駄々を捏ねる亜衣に困り果てた国王以下元帥達はなんと言おうかと散々悩んだ末、陸軍元帥のディルクが冗談交じりに「亜衣王女はまだ小さいから少将ですな」という言葉に飛びついたのである。一時は宮殿内で亜衣少将閣下と呼ばれて喜んで元帥達の真似をして「えっへん」と威張っている亜衣の姿が目撃された。軍の階級を知るにつれて亜衣は少将と呼ばれる事を嫌がったが、よく顔を知る元帥や古参の軍人達には今でも『少将閣下』と冗談交じりに呼ばれていた。ちなみに士官学校卒の王太子は大尉である。こちらは正式な階級であった。
「そ、そんな事よりも……」
「ああ、分かっちょるよ。アデリーヌに関する事だろう?」
「ええ。そうです」
「現状はまだはっきりした事は分かってないが、とりあえず裏切り者は判明した。シャルロット・フォン・ラッセンディル。あのラッセンディル家の娘だ」
「シャルロットお姉さまが?」
「そうか。亜衣はあの娘とは親しかったな。だが事実だ。どうして裏切ったかまでは判明してないがね。アドリアンとまだ連絡がついていないのだ」
亜衣は頭がパニックになりそうだった。ラッセンディル伯爵家は西の塔で医学・薬学を研究しその成果はローデシア中に広がっている。その上代々優れた魔術師を輩出してきたこともあって魔術師の家系では引く手数多の家柄である。現在の当主の弟がカルクスにある南の塔へ出向しているためにシャルロットが魔術師としての才能と医学の能力とを乞われて兄、ヴォルフガングの元にいたはずなのに……どうしてこうなったの?
「本当に分かりませんですわね。魔術師としては名門ですし、シャルロット様はいずれラッセンディル家を継ぐ身ですのに」
「そうなのじゃ。製薬会社としても大手なのじゃぞ」
「ああ、知ってるで、ヘンルーダの森でも原材料の売買を契約してるからな。えらい羽振りのいい金持ちやで」
「金もある。力もある。地位もある。名誉もある。そんな家の跡継ぎがなぜ裏切ったりするのか? 分からんだろう?」
「う~ん」
元帥が指を折って数えながら話す。亜衣達が首を捻る。確かにその通りだと思う。
「しかもだ。今は戦時中。大量の医薬品を軍がラッセンディル家に注文しておる。これだけでもかなりの額になるぞ」
「戦争特需でがっぽがっぱやからな。なんでやろ? もしかして西の塔の首席導師になれんかったからとか?」
マルグレットがそんな事を言い出した。しかしザビーネが首を振って違うと言い出す。
「南の塔の首席導師として西の塔の首席導師だった当主の弟が出向しているんだ。当主は製薬会社の経営に忙しいし、当時はまだシャルロット様も小さかったからね。ケッセルリング家はラッセンディル家に後を任されたんだよ」
再び亜衣達は首を捻る。う~んう~んと悩んでいるとアルシアがはたと思いついたとばかりに手の平を打ち鳴らす。
「金でもない。力でもない。名誉でもないとすると残るは、色恋沙汰じゃ」
「色恋って、それで魔物相手に裏切るか?」
元帥が呆れたように口を挟む。アルシアは手を振ると違う違うと言って説明し始めた。
「魔物相手と考えるからおかしくなるのじゃ。まず。シャルロットが欲しいのは誰じゃ? ヴォルフガングじゃろう。あやつしかおらん。他の家、例えば両侯爵家といえど、ラッセンディル家との婚姻となれば諸手を上げて賛成するじゃろうからな。シャルロットも美人じゃし……しかしヴォルフガング王太子殿下。あやつの傍にはアドリアンがずっとついておるのじゃ」
「恋愛問題? お兄様とアドリアン様を引き離す為?」
「そんなバカな! そんな事をして後はどうするつもりだ?」
「そんな事は考えておらんのではないか? よく言うじゃろう。恋は盲目じゃ。思慮の外ともな」
自信満々に胸を張っていうアルシア。その周りではなんとも言えない表情で考え込む亜衣とエリザベートの姿がある。マルグレットはうちは人間やないから分からんわ。と言ってそっぽを向く。陸軍元帥のディルクに至ってはこれだから女は。と言い、亜衣達5人に睨まれた。
「それでどうしますか?」
このままではらちがあかない。と考えたザビーネが亜衣に話しかける。
「……そうね。うん。アイヴスに行こう。アドリアン様と会って話をしなければいけないと思うの。ここでああだ。こうだと言ってたってしょうがないよ。うん、そうしよう」
「うむ。そうしよう。女は行動あるのみじゃ!」
「そうですわね」
「いくべ。いくべ」
「分かりました。では行きましょう」
亜衣達は元帥の部屋を颯爽と出て行く。一旦目標が決まると彼女らは逞しい。振り向きもせずに立ち去っていった。
次にやってきたのは、空軍本部である。
列車で移動するよりも車や海を行くより、空を飛んだ方が速い。
「この際、使える権限は何でも使うよ」
亜衣はめったに振りかざす事のない王女の権威を振りかざす事に決めた。緊急事態である。アイヴスへ行かなければならないのだ。そしてアドリアン様に会うのだ。これは王位継承権も係わってしまっている。
空軍本部の中に入った亜衣達を止めようとした衛士がマルグレットの精霊魔法で動けなくされてしまった。
「ルリタニア王国、亜衣・ルリタニア。通してもらいますね」
「亜衣王女殿下が通ります。皆の者下がりなさい」
エリザベートの声がフロアに響き渡る。慌ただしく動いていた兵士達や軍官僚達がピタリと止まって、視線だけを亜衣達に投げかけてくる。相手は王女殿下。下手をすれば次期女王である。こんなところで睨まれたくないとばかりにじっと息を殺して、通り過ぎていく亜衣を見つめていた。
「ブルーノ・フォン・ヴェールマン伯爵」
部屋に通された亜衣は元帥とは呼ばず、伯爵と呼んだ。
普段の小市民的な雰囲気とは違う。王女として公式の場に臨む雰囲気を漂わせる。
「亜衣王女殿下。何用ですかな?」
ヴェールマン伯爵もさすがに軽口を叩く事ができずに亜衣を見つめる。冷ややかな眼。他者を圧倒する気迫。王族同士の公式な場面で見られる王女の姿である。この辺りは幼少の頃から叩き込まれてきただけあって、堂に入ったものだ。とヴェールマン伯爵でさえ、跪きたくなる。
「アイヴスへ行きます。特別輸送機を出しなさい」
「…………今は危険です」
「一刻を争うのです。危険は承知です」
亜衣は強引に出立を決め、準備を急がせた。
レティシア宮殿の一角で第0902小隊は装甲騎兵の移送に大忙しになっている。
慌ただしく運ばれていく5機の装甲騎兵。
その周りでは王女付きの整備班――女性のみで構成されている――が忙しく働いていた。
全長 19.66m。全幅 28.96m。全高 5.16m。翼面積 91.7m2 運用 8,030kg。最大離陸 12,700kg。巡航速度 266km/h。最大速度 346km/h。航続距離 2,420km。ギガント級G-003型軍用輸送機。後部ハッチが開き、その中に載せられていく装甲騎兵を眺めながら、亜衣達もまた忙しく準備に追われている。
「なんでこんなに忙しいの?」
「陛下のご命令で、陸海空の将校達も一緒にアイヴスに向かう事になったからですわー」
エリザベートがぷんぷん怒ってる。亜衣が強引に軍用輸送機を出させた事を知った国王以下侯爵たちがこれ幸いとばかりに軍の将校を同乗させてアイヴスでの軍の建て直しをさせようというのだった。
さらに急ぎ、必要となりそうな医療品。食料なども運ばせる事が決まったために、輸送の為の場所確保におおわらわである。装甲騎兵が隅っこに追いやられていく。
医療品。食料。衣料、毛布。精霊球。武器弾薬。整備用品。交換部品など持っていくものは多く。確認する事はたくさんある。
亜衣達は手分けして一々チェックをして確認していた。
「こういうのって普通……軍関係者がしないかな~?」
「そうですわー」
チェックをしながら亜衣が言うとエリザベートも同意する。
亜衣とエリザベートが怒ってるのを見て、アルシアとザビーネが呆れた。
「そんな事言ったら、将校たちがかわいそうだと思うよ」
「そうなのじゃ。あやつらはまるで人夫のように荷運びをしておるのじゃ」
輸送機の荷受場で将校たちが腕まくりをして大きな荷物を持ち上げて運んでいる光景が見える。汗を一杯掻いて、真っ赤な顔をしていた。下士官の男達も忙しそうだ。工事用の特殊車両で大きなコンテナを持ち上げて荷運びしていた。重い荷物を持たないだけ、亜衣達は楽をしているのかもしれない。
しかし。とも思う。仮にもなにも本物の王女である。
伝票と赤鉛筆を持って荷受場を忙しく動き回るのは王女としてどうだろうか?
「あ~お父様ってば、もう!」
伝票にチェックを入れつつ。亜衣は国王に対して文句を言ってる。何が一番腹が立つと言って、軍人さん達ではない。彼らは忙しく働いている。整備班でもない。自分達がチェックしている事でもない。
「あそこでのんびり眺めている人達だよー!」
亜衣はビシッと指を指した!
少し離れた場所で国王以下両侯爵に陸海空の元帥達が荷受場を眺めていた。ディルクなどはパイプを銜えて煙を吐き出している。
「た、確かに……あれは腹立つわな」
「そうですわ。のんびり眺めている暇があるなら、自分達の仕事をするべきですわ」
やいのやいの騒いでいる娘達の白い目線に居た堪れなくなったのか? 国王達は逃げるように立ち去っていく。
「こらー。逃げるなー。手伝ってけー」
亜衣はその背中に罵声を浴びせる。周囲からはよく言ってくれた。とばかりに賞賛の声が上がる。
なにはともあれ。荷物も運び終わり、ようやく出発である。
輸送機に乗り込んだ亜衣達は座席に座る。座席そのものは結構広いけど……。
「狭い?」
「いや。こんなものじゃろう」
輸送機の中は意外と狭く感じられる。せめて列車のコンパートメントぐらいの大きさがあればとも思う。
「仕方ないです。飛行機と列車は設計が違いますから」
「まあ。亜衣から見れば、どこでも狭く感じるのじゃろう」
「そうやろな。あの部屋に住んでるんやからな」
「それは言えてますわね」
「ぶー」
部屋の中でぶーぶー言ってる亜衣を他の4人が笑ってる。
機体が前に進み。がくんっと体が浮く。輸送機が浮き上がったようだ。
輸送機は一旦ファブリスから東へ進む。ルリタニアの背骨と呼ばれるパラディーゾ山脈(4,061m)を越えるのは大変だからである。したがって山脈の端、マインツの町で1回降りてから北北西に進路をとり、ロードを越えてアイヴスへと向かう。本当ならロードリア山脈(3,643m)とパラディーゾ山脈の境目、モームの町を飛び越えていった方が速いのだけど貨物便が多く飛ぶ予定らしく。航空管制から許可が下りなかったのだ。ぷんぷん亜衣は怒ったが、食料優先と言われれば亜衣もゴリ押しする気にはなれない。無理に押して国民を飢えさせる気もないし……。
パラディーゾ山脈を見ながら亜衣ははしゃぐ。飛行機に乗るのは初めてなのだ。4,000m級の高さから見下ろす風景は綺麗に見える。山脈の上に雪が積もっている。
「ほら雪」
「亜衣、あまりはしゃぐでないのじゃ」
アルシアに窘められて顔を赤くしてしまう。
そんな亜衣の様子に空軍の女性士官がくすくす笑っていた。
「子供かい?」
マルグレットが呆れた声を出すが、自分だって窓に顔をへばりつかせていた。エリザベートなどはいつものように本を読んでるし、ザビーネにいたっては空軍の少佐と話をしていた。
ぶーん。という音が聞こえ、輸送機のすぐ傍をプロペラをつけた飛行機がマインツから編隊を組んで飛んできた。胴体の部分に三つ首の猟犬が描かれている。G-103戦闘機である。亜衣はまだ彼らが戦っているところを見た事がない。飛んでいるところを見たのも初めてであった。
あはは、形といい。色合いといい。ちょっとイルカに似てるかも。かわいい~。
「あれ、戦闘機だよね。初めて見た……かわいいな~」
「そうで御座いましょう。いやあ~亜衣王女殿下はよく分かっていらっしゃる。うんうん」
背後から声を掛けられて振り返ると、さっきまでザビーネと話していた空軍少佐のガストン・バルバートルが深い皺を刻んだ顔をさらに皺を深くして喜色満面といった感じで頷いてる。亜衣は呆気に取られた。しかしほんの少し嫌な予感がする。
「あれこそが、我がルリタニア空軍が誇る。G-103型戦闘機です。全幅9,87m。全長8,51m。全高2,28m。最高速度約470km/h。航続距離650km。実用上昇限度10,500m。対飛行魔物用の戦闘機なのです。凄いでしょう!」
「は、はあ……」
亜衣はガストンの様子にびくびくする。もしかしてこの人も……。今までの乏しい経験から亜衣の脳裡に技術系の人はスペックを自慢したがるという真理が出来上がっていた。そして話も長い。
「現行の装甲騎兵は高度2000mほどしか飛べません。高い山を飛び越える事はできないのです。しかーし。飛行機は違う。かつて、そう! かつて500年前、かの聖女がもたらしたという飛行構造の仕組みは長年に渡って人の夢でした。しかし……」
ガストンはそこで一旦言葉を切り、遠くを見た。興奮に我を忘れているようにも遠い昔に思いを馳せているようにも見える。
「その当時は魔力を動力とする精霊球はまだ! 無かったのです。そこで代用として蒸気機関が作り出されましたが、余りにも重すぎて空を飛ぶ事はできなかった……悲しい事です」
大袈裟な身振りを混じえガストンは語る。
話を聞いている亜衣達5人は呆然とし、諦めきった表情で話を右から左へと流していた。
「かの偉大なる錬金術師コーデリアが100年掛けて作り上げた魔力の塔もその当時は無用の長物として多大なる侮辱を受けてきたのです。そうですよね。アルシア殿!」
「う、うむ。そうなのじゃ」
急に話を振られたアルシアがこくこく頷く。
ぎゅっと拳を握り締めたガストンはなんとも言えない慈愛に満ちた表情でアルシアを見つめる。
「我々空に憧れた者達も同じでした……。作っては墜落し、多くの人命が失われました。そして多大な侮辱を受けてきたのです。空を飛びたい。只それだけを望んだ我々は、馬鹿にされ苦しんできました。二言目には飛行船があるじゃないか? とも言われた」
ガストンがカッと目を見開き。拳を天に向けた!
「我々は浮きたいのではない! 飛びたいのだ! 空を自由に飛びまわる。鳥のように。ドラゴンのように!」
叫ぶガストン。亜衣はただ呆然として見ている事しかできなかった。亜衣は助けを求めるように周囲を見たが、空軍の人達は頷いている者や亜衣と目が合うと目を逸らす者もいる。みんな酷いよ……悲しくなってしまう。
「魔力を動力に変換する精霊球が作り出された事により、飛行機に使用する事も可能になったのです。そして出来たのが、フレイザー型複葉機なのです! 今では飛行学校の教習機として活躍しています。そしてそしてフレイザー型複葉機が完成してから10年という月日を越えとうとう、ルリタニア王国にも空軍が設立されて、その栄えある主力機として現れたのが、G-103型戦闘機なのです。設計者は自分ことガストン・バルバートルであります。G-103型のGはガストンのGなのだー!」
ガストンは感動に打ち震えている。上を向いているために表情は窺えなかったが、目尻にうっすらと光る涙が見えた。
話を聞いていた周囲の空軍に所属する軍人さんたちが拍手をする。中には自分の苦労話を始める者もいた。新設されたばかりの空軍には確かに色んな苦労をした人達がまだ生きているのだろうが、亜衣にはよく分からないのだ。
亜衣は両目をどよんとさせガストンを見つめるだけだった。
「魔力の塔から送られてくる魔力を受け取る為の仕組みも完成しておりますし、航続距離もどんどん伸びていくでしょう」
「……そうやな。魔力の塔から送られる魔力は今では社会基盤の重要な動力源としてルリタニア中で利用されてるからな」
空軍の人に捕まったマルグレットがはいはいとでも言うように気のない返事を返す。
どうして技術系の人って語りだすと止まらないんだろう? やっぱり亜衣にはよく分からない。ガストンは一通り話してすっきりしたのか? ところで、と話を変えて今度はルリタニア王国を褒め始めた。
「ルリタニアはいいですな。政治も社会も安定してますし、なにより食い物がうまい」
「ありゃあ、国王と両侯爵家ががっちり手を握っているからだと思いますがね」
ガストンの言葉に今までじっと話を聞いていた陸軍の人も話しに加わりだす。
「金融のターレンハイム家。魔力の塔に象徴されるエネルギーを握っているブラウンシュヴァイク家。どちらともその影響力は大陸中に広がってる。その金とエネルギーを握る両家を押さえる王家。こりゃあ強いはずだ」
「考えてみれば、魔力の塔はルリタニア王国にしかないんだよな」
「他の国に技術流出をさせぬからじゃ」
「ノエル王国はルリタニア、ヘンルーダの森、奈良宮皇国の3国からなる通貨援助によってなんとか持ち堪えているところですわ」
「ノエル王国も魔物の襲来さえなければ、かなり経済も良かったんだがな~」
金と魔力の塔の話題になるとエリザベートとアルシアが話に加わる。
「アデリーヌを押さえられたのが痛いな。あそこでなければまだマシだったんだが……」
「ああ、海の玄関だからな。しかしノエルは技術を売ってるところがあるから、まだ持ってるほうだと思うが」
「資格関係ではノエルの基準がスタンダートになってるしな」
「あれうまい事やったと思うぜ」
やいのやいの話をしていると、通信機から魔物の襲来が告げる。ブザーが鳴り響く。軍人たちは窓から、ワイバーンの姿を確認すると一斉に各部署に走り出す。この辺りはさすが軍人だと思う。マインツの町に程近いパラディーゾ山脈の裾野に差し掛かったばかりである。輸送機を襲い来る魔物を避けて不時着して迎撃するか? それともマインツへと向かうか、決断を迫られる。護衛機のG-103型戦闘機が一斉に散開して、魔物達を迎撃し始める。輸送機の各部署に取り付けられた20mmの機関砲が群れをなすワイバーンを撃ち落していく。
「やつらには戦術を使う知恵はない」
「ただ食欲に支配されているだけだ! 恐れる事はないぞ」
通信機からG-103型戦闘機のパイロットの声が聞こえてきた。はるか上空から獲物を狙い。一直線に飛び込む戦闘機。山脈にぶつかる寸前、くるっと機首を上げる。上昇していく動きはまるで水鳥のよう。螺旋を描く戦闘機もある。右へ左へと動き回り、魔物を翻弄している。
亜衣はここが空の上だという事も命がけで戦っている事も忘れて見蕩れてしまった。まるでたくさんのイルカが海の中を泳ぎまわっているようにも見え、ついつい笑みを浮かべてしまう。戦闘機のプロペラが雲を切り裂き、白い筋を空に描く。
G-103型戦闘機の両翼から太い火箭が延び、ワイバーンの左翼を直撃した。大口径の弾は一撃で左翼を吹き飛ばす。片方の翼を失ったワイバーンは真っ逆さまに墜落していった。G-103型戦闘機達は圧倒的な火力でワイバーンの群れを駆逐している。
だが、第2陣が現れた。
巨大な邪竜。ヘンルーダの森に棲むドラゴン達とは違い。黒い鱗に覆われた巨体が禍々しい雰囲気を漂わせる。
亜衣はそれを目にした途端、ぞくっと背筋が震えた。
――あれはただのドラゴンなんかじゃない。まるで悪意が凝ったような姿。
黒いドラゴンが口を大きく開け、真っ赤な口から鋭い牙を見せつける。
「だめ! 逃げて!」
亜衣は思わず叫んだ。
しかしその声よりも先にドラゴンのブレスがG-103型戦闘機に襲い掛かる。広範囲に広がるブレスは何機もの戦闘機を巻き込んで炎を空へと撒き散らす。ブレスに焼かれ墜落していくG-103型戦闘機。
「くそったれがぁ!」
味方が墜落していくというのに恐れず果敢に攻め込む。背後に回った戦闘機が叫び声とともに機銃を撃ち込もうとした瞬間。ドラゴンの背中から起き上がった装甲騎兵に撃ち落される……。
護衛機の間に動揺が走った!
「……なんで?」
亜衣もまた。信じられなくて目を擦ってもう一度、見つめる。
――ナンデ、ソウコウキヘイガコウゲキシテクルノ? アイテハマモノノハズデショ?
黒いドラゴンの背中に乗った新型装甲騎兵。亜衣達のデフォルメされたものとは違う。シャープな線を彩る黒鉄の機体。その周囲には複数の魔方陣が煌いている
「――王太子殿下の専用機」
ザビーネが怯えたように呟いた。その言葉に機内にも動揺が走る。
「第7装甲騎兵連隊がアイヴスに輸送した新型ですわ……確かにヴォルフガング王子のもの」
「なぜ。王太子が攻撃して来るんだ!」
「分からぬのじゃ!」
動揺して叫ぶ兵士に向かってアルシアが叫び返す。
なぜ? と聞かれても誰にも答えようがない。亜衣もまたなんと言っていいのか分からなかった。
ドラゴンのブレスが輸送機にも掠った。衝撃で機体が傾く。
「いかん。このままでは墜落するぞ」
「一旦、不時着するしかない」
輸送機はふらふら飛びながらパラディーゾ山脈を越え、緩やかな裾野へと着陸しようとしていた。上空ではドラゴンとG-103型戦闘機が未だ戦っている。ドラゴンのブレスをかわし、近づこうとする戦闘機をヴォルフガングの専用機が狙い撃ちしていた。
炎を上げ墜落していく何機ものG-103型戦闘機。
「どうせ、墜落するならぶつけてやる!」
「だめだ! 脱出しろ~!」
ガストンが窓にへばりついたまま叫び声をあげた。しかしそのうちの2機が黒いドラゴンに向かって体当たりするかのように向かっていった。衝突しようとする戦闘機をドラゴンはかわそうとして、胴体に掠った。
切り裂かれ。赤い血がばっと飛び散る。
身を捩って怒りと悲鳴の混じった咆哮を上げ、動きが止まった。
そこへすかさずもう1機の戦闘機が飛び込み。衝突する。炎に包まれたドラゴンは血を撒き散らしつつ天高く舞い上がる。振り落とされまいと、しがみついている新型装甲騎兵。
亜衣はふらふら揺れる輸送機の中から兄ヴォルフガングの専用機をじっと見つめていた。
「王女殿下。しっかり掴まっていて下さい!」
座席に座る。ザビーネの手によってシートベルトをしっかりと締められながらも眼はじっと兄ヴォルフガングの専用機をじっと見つめ続ける。。輸送機が裾野に着陸を開始したのか、体がふわっと浮き上がりそうになり、続いて叩きつけられるように座席に押し付けられた。鈍い地響きを立てながら輸送機が止まった……。
亜衣達は急いで自分達の装甲騎兵の元へと向かう。貨物室の中は衝撃でめちゃくちゃになっている。それでもなんとか乗り込み。外へと飛び出していく。
空の上では傷つけられたドラゴンがそれでも悠々とパラディーゾ山脈の上空を旋回する。兄ヴォルフガングの専用機から放たれた銃弾が亜衣のすぐ傍に撃ちこまれる。そして黒いドラゴンは蔑むような咆哮を上げ、尾根に沿って北北東へと飛んでいった。おそらく。いや確実にアデリーヌへ向かっているのだろう。飛び上がって追いかけようとする亜衣をザビーネが押し留める。
「無理です。装甲騎兵では4000mの高さにまで飛べません!」
「でも!」
「今は急いでマインツまで向かう事や。それしかないで!」
「復讐の機会は訪れるのじゃ。必ずな……」
「必ず。あのドラゴンは撃ち落して差し上げますわ。ふふふ」
エリザベートが不気味な笑い声を上げている。アルシアやマルグレットもつられる様にして笑い声を上げた。
亜衣は北へ向かって飛んでいくドラゴンを睨む事しかできずにいる。
――そうだよね。あのドラゴンは撃ち落してあげるから……。でも、どうしてお兄様が一緒にいるの?
亜衣の眼に兄ヴォルフガングの黒鉄の機体が焼きついていた。
飛行機の音がして振り向けば、マインツからの援軍が遅ればせながらやってくる。亜衣は散乱している補給物資を拾い集めだした。とにかく急いでマインツへと向かい。そこからおそらく列車に乗り換える事になるだろうが、一刻も早くアイヴスへと向かわねばならないのだ。黙々と拾い集めながら亜衣達は復讐を誓う。しかしそれと同時にじわっと視界が歪む。ぽろっと涙が零れる。目を瞑ったが、後から後から涙は溢れ、兄に撃たれた亜衣が装甲騎兵の中で涙を拭う事もできないまま泣き続けた。
「ぐすぐす、お兄様……」