没後120年 ゴッホ展
2月22日(火)〜4月10日(日)
名古屋市美術館
【社会】連合赤軍事件の永田洋子死刑囚が死亡2011年2月6日 02時25分 1971〜72年に、群馬県内の山岳アジトなどで連合赤軍メンバーら14人を死なせたとして、殺人罪などに問われ、93年に死刑判決が確定した元連合赤軍最高幹部の永田洋子(ながた・ひろこ)死刑囚(65)が5日夜、多臓器不全のため、収容先で死亡したことが法務省などへの取材で分かった。 永田死刑囚は大学在学中から新左翼運動に加わり、病院で薬剤師として勤務するかたわら、米軍基地撤去闘争などにかかわった。71年12月に赤軍派と合流して連合赤軍が結成されると、最高幹部に就任した。 71年8月には組織から離脱した元メンバー2人を千葉県の印旛沼で殺害、遺体を近くの山林に埋めた。同年12月から72年2月までの間、群馬県の榛名山や迦葉山のアジトで「総括」と称し、メンバー12人に殴るけるの激しいリンチを加えて死亡させた。 永田死刑囚は72年、捜索中の警察官に逮捕された。その後、同軍中央委員だった坂口弘死刑囚らが長野県軽井沢町で「あさま山荘事件」を起こした。 永田死刑囚は、坂口死刑囚とともに82年6月、東京地裁で死刑判決を受け、86年9月に東京高裁が控訴棄却。93年2月に最高裁が上告を棄却し、判決が確定した。 著書に、獄中で記した「十六の墓標」がある。 (中日新聞) PR情報
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