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「無財の七施」とか |
☆★☆★2011年02月05日付 |
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漫画家の手塚治虫さんが10年の歳月を費やし、仏教を開いたお釈迦様の生涯を独自の解釈で描き上げた『ブッダ』。手塚マンガの最高傑作とも言われるその作品が劇場用アニメとして映画化され、5月に『手塚治虫のブッダ―赤い砂漠よ!美しく―』と題して公開される。興味のある方は公式ホームページをご覧いただきたい。 などと紹介している私自身、恥ずかしながら『ブッダ』を読んだことがない。その私がなぜ、書いているのか。実は知人がこのアニメの仕事にかかわっているのだ。 我が家は代々仏教を信仰してきた。両親も祖父も信心深い信徒だった。それに引き替え、私は不肖の息子(孫)≠ニ言わざるを得ない。生まれてこのかた、仏教のことはほとんど知らずにきた。 何年か前、取材であるお坊さんにお会いした。お坊さんいわく、「悪いことはしないで、善いことをして、人のために尽くす。この三つが仏教の基本であって、一番の中心なのです」 では、悪いことをしないとは何か。自分がされて嫌だと思うことは人にしないこと。善いことをするとは何か。自分がされて嬉しいと思うことは人にもするということ。そう教えてくださった。 目から鱗が落ちる思いだった。しかし、その時はそれだけで終わってしまった。 最近なぜか、仏教についてを調べてみる気になり、インターネットで読みあさるようになった。 なんでも、普通の生活をしながら仏教に帰依する在家の信者には守るべき五つの戒めがあるという。「五戒」と言われるものだ。 一 生き物を殺してはいけない 二 盗みをしてはいけない 三 邪で淫らな行いはしない 四 嘘をつかない 五 酒類を飲まない 酒類禁止の理由は分からないが、そのほとんどは一つの世界でみんなが幸せに暮らしていくために最低限必要な、当たり前のルールに思えてならない。ただ、いつの世も当たり前のことを当たり前に実行することが一番難しい。 仏教には「布施」というものがある。読経などの謝礼にお坊さんに手渡すお金なども布施という。 布は分け隔てなくあまねく、施は文字通り、施すという意味とか。「施しは無上の善根なり」という言葉もある。善根とはよい報いを招くもとになる行いのこと。 大辞泉によると、布施には金品を施す「財施」、仏法を説く「法施」、恐怖を取り除く「無畏施」がある。 もとより私には仏法を説いたり、恐怖を取り除いてあげることなどできるはずもない。金品を惜しみなく施せる大金持ちでもない。 そんな善根を積むことのできない私でも、しようという心さえあればいくらでもでき、人々に喜んでもらえる布施があるという。それが『無財の七施』だ。 一 優しく温かいまなざしで人に接する(眼施) 二 明るく、優しいほほえみをもって人に接する(和顔施) 三 心から優しい言葉をかける(言辞施) 四 肉体を使って人のため、社会のために働く(身施) 五 心からともに喜び、ともに悲しみ、感謝する(心施) 六 自分の座席や場所、地位を譲り合う(床座施) 七 雨露をしのぐ場所などを分け与える(房舎施) もっとも、七つの全てを常に行える自信はない。しかし、一つでも実行していこうと毎日心がけ、努力することはできそうだ。 年末に父が不慮の事故で逝き、四十九日も無事に済ますことができた。父が身をもって私に宗教や生き方を考える機会を与えてくれたのかもしれない。 仏教はどのようにして生まれ、その教えとは何なのか。アニメを通して手塚さんの解釈を知りたいと思い始めている。(下) |
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由緒≠る姉歯橋 |
☆★☆★2011年02月04日付 |
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陸前高田市気仙町の気仙川に架かる「姉歯橋」(延長147・2b、幅7・3b)。昭和7年の建設後、すでに喜寿を過ぎて今年で79年目を迎えている。いまでは住民生活に欠かせない橋として親しまれ、市は本年度から2カ年の計画で補修工事をスタートさせた。本年度は車道部分の補修で、来年度は歩道部分の工事が予定されている。 細長い部材を三角形につないだ珍しいトラス橋で、つり橋を連想させる。当初の路線名は国道45号だったが、58年の高田バイパス開通と同時に国道340号に変更。平成12年3月から市道今泉高田線となった。 建設当時は部材が赤く染められていたが、50年代に真っ青な空の色に塗り替えられ、今回は地区民と協議の上で淡い緑の若草色に化粧直しすることになった。また、常に潮風を受けることから下地にさび止めを施し、ボルトやナットを交換することによって、今後さらに50年利用できる橋に生まれ変わらせる。 一見すると川に落ちてしまいそうな「骨」ばかりの弱々しさを感じさせるが、トラス橋の特徴は橋げた部分を三角形に並べて造ってある点。三角形は外から力が加わっても変形しにくく、少ない材料で軽くしながら強度を保つことができるという大きなメリットがある。 名前の由来だが、宮城県の北部にある金成町(現栗原市金成)にある地名「姉歯」と深くかかわっている。 というのも、用明天皇(585〜587年)のころ、朝廷は諸国から女官を広く募った。陸奥からは気仙郡高田の里(現陸前高田市高田町)に住む武日長者の娘・朝日姫も選ばれた。 誉れ高い朝日姫は、郷土の栄誉も担いながら上京。しかし、なれない船旅で体をこわし、陸路で都を目指そうとしたが旅の疲れからか姉歯の里で病に伏せ、ついに亡くなってしまった。その後、里の人たちによって手厚く葬られた。 そこで、姉の代わりに妹の夕日姫が都へ上ることになった。旅の途中、姉歯の里に立ち寄った夕日姫は、見知らぬ地で逝った姉の墓参りをして松を植えた。これが「姉歯の松」と言われている。 この松は、伊勢物語で「栗原やあねはの松の人ならば 都のつとにいさといまわしを」(在原業平)と歌われ、平安朝物語文学では、みちのくの枕歌とされている。さらには芭蕉の「奥の細道」にも記されるなど、いまでは観光地となっている。 気仙町の「姉歯橋」は、朝日姫と夕日姫がそれぞれ都へ向かう途中、気仙川の橋を渡り、高田の里に別れを告げた地であろうとその名が付けられたという。 橋の周辺では、時折ハクチョウが羽を休めるのどかな風景が広がっている。以前は親子でパンなどのエサを与えに訪れる姿が多く見られたものの、ここ数年は渡り鳥による鳥インフルエンザの感染が心配され、近寄る人がめっきりと減ってしまった。 優雅で美しい鳥が「厄介者」のように思われることを、朝日姫と夕日姫は天空で嘆いているに違いない。これからも由緒≠る橋を大切にしていきたいものである。(鵜) |
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カナダ移民史に学ぶ |
☆★☆★2011年02月03日付 |
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人口爆発が続くアジアの中で、ひとり人口減が進む日本。市場の縮小で経済が右肩下がりとなり将来を危ぶむ声も出ているが、仮に人口を増やしたければ策はある。 移民の門戸を開きさえすれば、先進国のトップ集団にいる日本には、なだれを打つ流入が起きるだろう。しかし、無制限な外国人労働者受け入れには、多くの課題も伴う。半面、これほど国際化した時代には、外国と往き来する人が増えるのもまた自然の流れ。 母国から、言語も文化も違う外国に移住する時、どんな問題が起きるのか。外国人受け入れには、何を心がければよいのか。最近出版された『岩手の先人とカナダU』は、それを考えさせる労作だ。 著者の菊池孝育氏は県立高田高校教諭時代、女子バレーボール部の監督を務め、全国優勝に導いたことで知られる。その監督時代の日本代表チームスタッフとしてカナダを訪問、岩手の先人が大きな役割を果たしたことを知ったという。 カナダの面積は日本の26倍もあるが、逆に人口は日本が3・7倍多い。独立後も、隣国の巨人・アメリカに「いつ吸収されるかという不安を抱えてきた」というお国柄だが、広い国土に希薄な人口を解消するため、外国人を受け入れてきた歴史がある。 著書では、そうしたカナダ興隆期における日本人移民とのかかわりで、杉村濬(ふかし)、原敬(たかし)、新渡戸稲造の3人の県人を取り上げる。 杉村は明治20年、在バンクーバー帝国領事館初代領事として赴任。それまでの日本人移民の商売は日系人のみを相手にした商売だったことから、政府に対し本格的貿易の開始を提言。アメリカを除けば、カナダの主要貿易国の上位に日本が位置する基礎を築いた。 原とカナダとの関係は、明治25年に外務省通商局長兼大臣官房移民課長への就任だった。しかしその時には、困難な問題が発生していた。 一般的に東洋人移民は、「現地に同化しない」「出生率が高い」「経済的に競合する」ことが指摘。加えて、当時の日本人には「母国への非常な忠誠心」「中国に対して侵略的」な姿勢が、カナダでは問題視された。 明治日本は困窮民の海外移住を奨励したが、そこに移民会社が介在。仲介利益のため、誰でも送り込む風潮があった。結果、技能を持たない移民は低賃金であらゆる仕事を探して現地人の雇用を奪い、日本人排斥運動を招いた。 難題に対処するため、原は移民保護法を制定しようと苦闘する姿が著書では描かれるが、発展を目指すカナダには新技術が不可欠。しかし、自国にない技能を持つ人以外には、永住権を与えないようにしている。 新渡戸は、太平洋会議の日本側主席代表として訪れていたバンクーバーが終焉の地となったため、日加親善の象徴としてその名を残した。しかし、カナダには観光や講演で、生涯を通じても通算3カ月程度の滞在にとどまる。「われ太平洋の橋とならん」の言葉に代表される日本人のイメージと、「数回の訪問」程度の意識しかないカナダ国民との間には、大きな意識のズレがある。 著書では、盛岡市と友好都市関係にあるビクトリア市民の声として「新渡戸の太平洋の橋は日米間の橋を意味。盛岡─ビクトリアの橋は、私たち両市民が、ここで亡くなった新渡戸を偲んで架けるもの」との認識を紹介している。 日本とカナダの親善交流は、まさにこれからの両国民の肩にかかっているというわけだが、この言葉は日本とあらゆる外国との交流にも通じそうだ。 最後に、新渡戸が内外講演で強調した中に次の言葉がある。「日本は、外国に自国の文化をよく発信する必要がある。同時に日本は、外国の文化をよく学ぶ必要がある」。(谷) |
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悩ましいしもやけとの戦い |
☆★☆★2011年02月02日付 |
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♪かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ おちばたき 冬になると、筆者の頭の中(これを脳内BGMと勝手に呼んでいる)には、童謡「たきび」がよく流れる。とはいえ、思い浮かべるのはたき火自体ではない。2番の最後に出てくる「♪しもやけ おててが もうかゆい」の歌詞から連想されて流れてくるのだ。 筆者は毎年冬になると、おてて≠ナはなく、おあし(?)≠ェしもやけになる。足の指が真っ赤になって腫れ上がり、耐え難い痛がゆさに見舞われる。 子ども時代にもなっていた記憶があるが、若さのせいだったのか、しばらくの間は気にすることがなかった。しかし、ここ数年は晩秋あたりから何となく足の指に違和感を感じ始め、そのうち風呂やこたつなどで足を温めると、ピリピリとした痛みとともにむずがゆさがやってくる。「あぁ、今年もしもやけになってしまった」とがっかりするとともに、本格的な冬の到来を感じてしまう。 百科事典などで調べると、しもやけは「凍瘡(とうそう)」といい、気温3度前後のときに最も生じやすいとか。凍結するほどではない寒冷刺激により、皮膚の血管が収縮して血流がうっ滞。時間が経つと血管が拡張して血液の成分が漏出し、赤く腫れるために生じるのだそう。寒さで血行が悪くなるとなりやすいという。 夏生まれのせいなのか、体質のせいなのか定かではないが、筆者は人一倍寒がり。冷え性も自覚しており、しもやけはなって当たり前の季節病ともいえる。 今シーズンは初冬まで暖かい日が多く気にせずにいたが、昨年の12月中旬ごろから足先がやたらと冷たく感じるようになった。さらに年末を迎え、とうとうしもやけ第1次ピークが襲来した。 赤く腫れたり、かゆみを感じる部位に常備する市販薬を塗る。その際に脳内BGMとして流れてくるのがあの「たきび」なのだ。 薬のほかにも、就寝時には湯たんぽを使い、家の中では温かいスリッパを履く。足を冷やさないように努めていると薬の効果もあって、数日後にピークは終息。腫れや赤みも引いて落ち着いた。 しかし、1月は近年にない厳しい寒さの日が続いた。気象庁の大船渡における観測結果によると、最高気温が10度を超えた日はなく、氷点下の「真冬日」は4日間と平年の1・5日も多め。最低も連日零度を下回る寒さとなり、31日には今期一番の冷え込みとなる氷点下8・0度を記録した。 第1次ピークを乗り越え、治ったなと油断したのがまずかった。1週間ほど薬に頼らずに生活していたところ、再び足先がむずがゆくなり、耐えられない!と思ったときにはすでに遅し。両足の指はあちこちが赤紫色になり、ぷっくりと腫れ上がっていた。 再び薬を塗り始めたものの、2〜3日は急激に足下が温かくなると痛がゆさに悩まされた。仕事中もかきむしりたいほどの思いと格闘。何よりもつらいのが屋外の取材であり、足先がひんやりしてくるたびに憂うつな気分になった。 最近はとうとう、靴下にはるカイロまで使用する始末。さまざまな便利グッズの助けを借りながら、やっと第2ピークも治まろうとしている。第3ピークに襲われぬよう、予防と寒さ対策をしっかりして残りの冬を乗り越えたいものである。 二十四節気で、「冬から春に移る時節」とされる『立春』ももうすぐ。天気予報によれば、2月の到来とともに厳しい寒さも和らぐ見込みという。 早くしもやけが解消されて春になってくれたらいいなぁ…と願うものの、休むことなく次は鼻水と目のかゆみに悩まされる花粉症の時期がやってくる。体にとって、まだまだ気が抜けない日々が続きそうだ。(佳) |
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年間4万件は多いか少ないか |
☆★☆★2011年01月31日付 |
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中国という国はこれからどう変わっていくのだろうか?これは近未来世界を占う壮大なる出題となるだろう。それほど予測できそうで誰にも予測できない複雑な社会構造がこの国にはある。 謎を解く最大のキーワードは「汚職」であろう。中国国務院(政府)がまとめた「中国の反腐敗と清潔な政治の建設」という初の白書は、2003年から09年までに各地の検察が立件した汚職事件は24万件を超えることを明らかにした。 共産党と政府に権力が集中する中国では、権力を笠に着た腐敗が中央、地方問わずに深刻化しており、汚職が日常茶飯事化していることは容易に想像できても、6年間で24万件という数字を見せつけられるといかに白髪三千丈の国とはいえその〈スケール〉の大きさに圧倒される。年間4万件、しかもこれは氷山の一角に過ぎまい。 この白書は腐敗の進行が国民の不満をどんどん増すことを恐れ、腐敗防止対策の成果や今後の取り組みをアピールする目的で発行されたものだが、本来なら隠すべき国の恥を、こうして内外に公表せざるを得ないほどこの〈体制的宿痾〉は、末期的症状を呈していることを物語っている。 完治のためにはもはや対症療法ではなく患部を全摘するほどの大手術が必要だが、国内問題としてかくも蔓延する腐敗の元となる権力集中というがん細胞を取り除くには、民主国家への移行という大難題を避けて通れず、政府自らの首を締めるこの要件をかなえることは木によって魚を求めるに等しいから、いたずらに時間だけが経過していくだろう。 日本から〈世界の工場〉に進出するためにはどのような課題があるかという点に関して新聞、雑誌などに専門家が書いているのを読むと、いや読まなくとも所期の目的を果たすためには何が必要か理解できる。つまり進出を成功させるか否かは努力もさることながら、それ以前に〈コネクション〉が必要だということである。 実際、同国に進出した企業主にいやがられることを承知で質問したことがある。〈あれ〉が必要ではないのかと。相手は苦笑して答えなかったが、顔が肯定していた。むろん、正規の手段だけでうまく行く場合もあるだろう。だが、魚心あれば水心で、目的をスムーズに達成するためには日本の倫理観をまずは捨て去る必要があることだけは確かだ。 労賃が低いこの国で富裕層が生まれるのは改革開放経済の恩恵だけでないことは誰しもが認めるところ。政府や党の人間がその地位を利用して起業し、その権力をもって土地や機械を安く手に入れ、あるいは時に収奪して事業を営めば儲かるのは自然の理で、上がこうして巨万の富を得れば下がこれにならうのはこれまた自明だ。かように経済論や倫理観だけでは解き明かせない特権階級の富裕化が実現したのが現在の同国で、持たざる国民が不満と苛立ちを募らせ、その憤りのマグマがどんどんわだかまっている現状を、胡錦濤国家主席も温家宝首相も十二分に承知しながら、ひたすら時間の経過を祈っているだけだろう。 中国がこれからどう変わるか?それは歴史の必然とやらに委ねる質問だろうと言う以外にあるまい。(英) |
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続・平氏の末裔「渋谷嘉助」39 |
☆★☆★2011年01月30日付 |
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気仙を荘園としていた「平家」の平重盛(平清盛の嫡子)は、仏教に深く帰依し、「怨親平等」を実践していた。その仏教思想は、平家の一族や平氏の末裔たちの間に脈々と流れ、今日まで受け継がれている──と思っている。 怨親平等とは、恨み敵対した者も親しい人も同じように扱うことであり、敵味方の恩讐を超えて、平等に愛憐する心をもつこと。さらには、戦いによる犠牲者を敵味方を問わず供養するという仏教思想である。 平重盛が建立した大阪市東住吉区にある法楽寺は、平治の乱で敵対した源氏の源義朝が亡び去った時、平家と源氏の両家を怨親平等に弔うため建立し、源義朝が持念仏としていた如意輪観音像も一緒に奉祀したとされる。 源義朝は、源義経、源頼朝の父親である。平重盛や平家一族に流れる怨親平等を物語るものとして源義経にまつわる伝説もある。 源義経は、源平合戦の壇ノ浦の戦いで平家を討ち落としたが、源氏の仲間割れで逆に追討される身となり、藤原氏の奥州平泉に逃げのびる。 その逃避行の途中、恩讐を超えて、疲労が激しい源義経に対して救いの手を差し伸べたのが、なんと平重盛の重臣の平貞能であった。 平貞能は、平重盛から託された宋伝来の阿弥陀如来の霊像を護持し、現在の宮城県仙台市青葉区大倉に隠棲した。平家の落人の里として知られるその地に安置、建立されたのが、「定義如来西方寺」である。 秋保町史によると、兄の源頼朝と不和になった源義経が、遁れ遁れてたどり着いた地には、平家の落人の平貞能がすでに隠棲していた。 源義経は、平貞能がかつての敵である平家の一族と知って大いに驚いた。その時の源義経の一行は、家来の武蔵坊弁慶ら数人と、臨月の腹をかかえた源義経の妻女が同行していた。この妻女は「北の方」と伝えられている。 源義経の一行は、長途の旅で疲れ果てた様子で現れた。そこで巡りあったのは、源平合戦の時の敵方の平家。しかし、源義経は、平貞能らと事を構える気力もなく、秋保町史には「義経は貞能らに同情を求めた」という。 平貞能は、隠れながら人目を忍んで落ちて行く源義経の一行の申し出を快く容れた。特に、源義経の妻女が身重なことに同情し、一夜の宿を提供してその身を労った。敵対して戦った平家一族の厚情によって、源義経の妻は産褥に伏したが、産後の肥立ちが悪く、帰らぬ人となった。 源義経は、有為転変の世と、妻と子の運命を嘆き、この地に手厚く葬り奥の国へと落ちて行った──と伝えられている。 平家の隠れ家で亡くなった源義経の妻子を埋葬した場所がある。古い墓石の中の高さ50aほどの石室に石仏が安置されており、埋葬した塚から赤子の泣き声が聞こえてくるので杜鵑塚と呼ぶようになった。定義如来西方寺によると、この杜鵑塚にまつわる話は、西方寺から約20`離れた新川という地に残る伝説という。 平重盛、平貞能の行為こそ、まさに怨親平等。何度でも繰り返し書いて、平家の高貴な精神を強調していくつもりである。(ゆ) |
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学校統合そのスタンス |
☆★☆★2011年01月29日付 |
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今週、大船渡市三陸町越喜来にある越喜来、崎浜、甫嶺の3小学校統合に向け、地域関係者らによる協議会が設置された。通学方法やPTA組織再編への対応など、約1年間の準備を経て、来年4月の統合を目指すことになった。 統合は、少子化が大きな要因となっている。3小学校では昭和30年代、合わせて700人を超える児童が在籍していた。現段階で、3小学校の合計児童数は130人ほど。平成28年度には80人台になると推計されている。 加えて、行政側には財政面や施設の老朽化・耐震化対応といった課題もある。施設は年数が経過すれば古くなり、時代とのズレによって使いにくさも生まれる。今後は子どもたちの施設に限らず、さまざまな分野で見直しが進むことが予想される。 越喜来地区での学校統合において、行政と地域住民がどのような関係性で動いてきたか、その足跡は今後も参考とされる場が出てくると思う。今回、キーワードは「地域総意」といえた。 協議会設置は、昨年行われた崎浜、甫嶺両地域からの要望活動が決定打となっている。PTAだけでなく自治組織も動き、地域全体で統合を望む姿勢を示した。 ただ、統合要望自体は、市教委では数年前から把握していた。越喜来地区で開かれた教育懇談会の場では、保護者から要望が多く寄せられていた。これに対し、市教委では「地域の合意形成」を強調し、統合を先導することには慎重姿勢を続けていた。 母校がなくなる寂しさ、まとまった人数で教育させたい思い。統廃合への対応には、難しい判断が求められる。確かに市教委は、越喜来地区の統廃合では地域の意見を尊重して取り組んできた。しかし、乱暴かもしれないが、難しい判断を市教委側では地域任せにしてきた、という表現もできる。 小学校は明治時代からの歴史を持ち、その間地域活動の拠点施設としての役割も担ってきた。一方で、小学校は成長著しい子どもたちが利用し、1年ごとに6年生が卒業し、新1年生が入学する。その時在籍している子どもたちが充実した教育環境で過ごせるかも、同時に考えなければならない。 統廃合は是非だけでなく、判断のタイミングも重要となる。地域住民は、合意形成のために時間と労力を費やしてきた。越喜来地区での統合をめぐる動きを数年間取材していて、市教委として適切な学校規模や理想とする教育環境を、もっと積極的に提示すべきでは、と感じることがあった。 気になったのは、市教委が協議会の初会合で示した「必要性」だった。資料の中で「学校が本来持つ集団的機能の維持が、少子化の進行など困難になる状況が生じている。適正規模の学校構築が必要となっており、統合が有効な施策の一つ」などと記載していた。 これほど市教委が学校統合でしっかりとした考え方を示したのは、ほとんどなかった。合意形成を進める前に、明らかにすべきではなかったか。方向性が決まってから「市教委も実は統合が必要と考えていました」と示すような、後出しの印象が拭えなかった。 市教委は地域住民の意思を受け、後方支援の形で対応してきた。時には、地域住民の思いを感じ取り、未来を見据えて先導する姿も必要になるのではないか。 そのためにも、市教委では学校統合や、より良い教育環境のあり方について、どのような理念と計画を持っているのか、事前に具体的な説明がもっとほしかった。後方支援が目立つことで、教育行政を任されている立場としての考えが、見えにくかった面がある。 最近、行政は「協働」という言葉を用いる。地域住民がまちづくりに参画し、市民主役の市政を築くには、必要な考え方である。 人間関係では、お互いどのような考え方か分かり合えなければ、信頼は構築されにくい。人間の集合体である地域や行政組織の関係においても、同じく当てはまる。 意見の対立は避けたいと誰もが思うが、それによって双方の考えを取り入れた策が生まれることもある。越喜来地区での統合は、今後のモデルケースでもあり、未来への教訓でもあると思う。(壮) |
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検証の行方に注目 |
☆★☆★2011年01月28日付 |
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陸前高田市と住田町を流れる気仙川。流域に多くの恵みをもたらす緩やかな清流の一方、背後に傾斜が急な山々を抱えるだけに出水時は姿を一変させ、甚大な被害ももたらしてきた。 この川の総合治水対策の柱として、住田町世田米地内を流れる支流の大股川に県が建設を予定する、津付ダムが計画された。 ダム高48・6b、堤頂長165b、堤体積10万5000立方b、総貯水容量560万立方bの重力式コンクリートダム。総事業費は141億円。国がその半額を補助している。 一昨年の政権交代後、国は「できるだけダムに頼らない治水」への転換をうたい建設継続か中止かを検証する新基準を設置。そのうえで昨年9月、本体工事が未着工の全国84のダムについて、事業主体の自治体などに対し国交相名で再検証を要請した。 津付ダムも本体未着工のためその対象となり、事業主体の県では国が例示した26の対策案に基づく検証に着手。 ダム建設と堤防かさ上げなどの河川改修を組み合わせた現行案のほか、対策案の中から▽遊水地設置と河川改修▽放水路設置と河川改修▽河川改修のみ▽宅地かさ上げと河川改修──の四つの複合案を抽出したうえ、同じく国が示した評価軸である安全度やコスト、実現性、地域社会や環境への影響などの観点から検証を重ねた。 その結果、コスト面では他案が優れる面もあるが、早期の安全性発現などの観点から「ダムあり」の現行案が妥当との考えを打ち出した。 年度内にも県としての方針を国へ伝えるのを前に、流域自治体や住民から意見を聞こうとの機会が昨年末から今月にかけて陸前高田、住田両市町で開かれた。継続して早期完成を求めてきた自治体は現行案を妥当とする県の考えに同意を示し、「気仙川流域の洪水はんらん想定区域」と対象は区切られたものの流域住民の多くが自治体同様に現行案への賛意を示し、中には「大雨や台風が来るたびにおびえる生活はこりごり。速やかに進めてほしい」という切実な声も聞かれた。 一方で、「現行案が妥当」とする県の考え方に対して、「県に対して都合のいい内容ではないか」などと、疑問を呈する声が少なからず出ている。「説明会の出席者を流域住民に限定し、『反対派』は一切含まなかった」とする批判も一部ある。 同ダムは昭和52年に県が予備調査に着手し、同56年には実施計画調査の国庫補助採択を受けた。その後、バブル経済崩壊を端緒に全国各地のダム計画が休止や中止を迫られる中、平成12年度に全国唯一の新規建設事業として採択された。 同15年の陸前高田市の利水不参加表明をきっかけに、当初の多目的ダムから治水専用ダムに見直され、17年には県と地権者会の間で損失補償協定が結ばれた。19年度からダム建設により国道397号の付け替え道「津付道路」の関連工事がスタート。ダム本体への予算配分が事実上の凍結状態となり完成予定が計画から2年先送りの33年度と見込まれる一方で、こちらは26年度供用開始を目指して着々と進んでいる。 今回の国への答申≠前にしては、一連の地元への説明機会で出された声に加えて、今月31日に開かれる大規模事業評価専門委員会などの意見も反映させるという。 およそ30年、曲折の歴史をたどったうえで本格着工の緒についたといえる津付ダム建設。国が求めた再検証は直近から将来にかけてどう作用してくのか、流域に暮らす一員として、しっかり見つめていきたい。(弘) |
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「π」の神秘に触れて |
☆★☆★2011年01月27日付 |
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人間のタイプを「文系」と「理系」に分けるとしたら、自分は典型的な文系人間だ。小さい頃から算数が苦手で、小学校では繰り下がりのある引き算でつまずいた。中学校では文字式や方程式、関数に苦戦し、微分・積分を理解できないまま高校を卒業したという苦い思い出がある。 算数や数学に強いアレルギーを感じていたのは、自分の思考回路が論理ではなく、どちらかといえば感情や情緒によって動いていたからだと思う。数字や数式は無味乾燥で何の面白みもないものだと、勝手に脳が判断していたのかもしれない。 しかし最近、ふと手にした『感動する!数学』(桜井進/著)という本を読んで認識が変わった。学校の先生は教えてくれなかったが、無味乾燥に見えた数字や数式の世界にも、文系人間を深い思索へと引き込む魅力(魔力?)があったのだと。 パラパラとページをめくっていて目に留まったのは、π(円周率)についての考察だった。そこには、こんなことが書かれていた。 「直径1の円形がある。その円はきちんと閉じて完結しているのだから、すっきりとした円周の値があってしかるべきである」。 円周を求める公式は「2πr」と習った。これに当てはめると、直径1の円周は3・14となるが、πは割り切れない。小数点以下が141592653589793238…と無限に続き、その並び方は循環しないことが証明されている。 つまり、目に見える円周は有限だが、数学的にその値は無限で、終わりがないのだ。この矛盾を、無限の世界をどのように考え、理解すればよいのだろうか。 円の周の長さと直径の比として定義されるπは、無理数であるのみならず、超越数でもあるという。無理数、超越数がどういう性質のものなのか、正直、よく分からなかったが、著者によると「πはすべての方程式を超越し、完全孤立した絶対的な存在」ということらしい。 このπの本質に迫る考察の中で、「あらゆる数の羅列はすべて、無限に続くπの数列のどこかに入るだろう」という記述があった。生年月日、電話番号、クレジットカード番号、、携帯電話に登録されている知人の電話番号など、自分に関するあらゆる数をひとつなぎにしたものが何千、何万桁になろうが、それとまったく同じ情報がπの中に含まれていることを推察するものだ。 本当にそうか。2億桁の円周率から数列を検索できるインターネットサイトで調べてみた。 先日発表されたお年玉年賀はがきの1等当せん番号「651694」は、小数点以下77万8446桁目に初めて登場する。これ以降、同じ数の羅列が1億桁目までに99回も出てくることが分かった。 もう少し桁数を増やし、8桁ではどうか。今日の日付「20110127」は、1846万6366桁目、「00000000」のゾロ目は1億7233万850桁目に初めて出てきた。 こうやって実際に確かめてみると、無限に続くπの数列にどんな有限数列も含まれるという予想は、確かなものに思えてくる。πはおそらく、世の中のすべてを知っている数なのだ。 πの無限性には、いまだ知られていない絶対的な真理が潜んでいるかもしれない。その神秘性に触れ、今まで知らなかった数学の魅力に気づかされた。 諸外国と比較し、日本は数学嫌いが多い国といわれている。その原因分析は専門家にまかせるとして、今、自分が思うのは、例えばπの神秘や永久に成り立つ定理、法則の美しさ、壮大な宇宙の根源に迫る数学のロマンを、もっと早く知りたかったということだ。 受験に必要な数学知識を詰め込む前に、文系人間でもワクワクするような数学の魅力を教える。数学嫌いだった自分から言わせてもらえば、それが数学嫌いをなくす方程式の一つの解のような気がする。(一) |
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テレビに向ってぼやく |
☆★☆★2011年01月26日付 |
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ひと昔前、ぼやき漫談で一世を風靡した夫婦漫才コンビ(人生幸朗・生恵幸子師匠)がいた。当時の世相や流行歌などにイチャモンをつけては爆笑を誘う。そして決めぜりふの「責任者出てこ〜い」。 それを思い出しながら、平成のぼやきオヤジ(筆者)は、仕事が終わって家で一杯やりながら、テレビに向かってイチャモンをつける。 まず、「テレビ画面が見づら〜い」。 地上デジタル放送移行まで、あと半年となった。わが家でも取りあえず地デジ対応チューナーを取り付け急場をしのいでいるが、BS放送を見る時はアナログ放送に切り替える。 すると画面の上下にあの忌まわしい黒い帯と告知スーパーが邪魔。『ご覧のチャンネルは7月で終了します』『地デジへの対応をお急ぎください』の字幕表示が、「もういい加減、地デジ対応テレビに切り替えろ」と迫ってくる。 このアナログ停止・地デジ化促進のメッセージは、今年になって回数、スペースともに以前より増幅されているような気がする。半年後にアナログ放送は見られなくなることは誰もが知っている。キャラクターの地デジカ君や、推進大使とかいうスマップK君が去年からうるさいほど宣伝しているからだ。 それでも新しい地デジテレビに買い換えないのには、ワケがある。茶の間の相方(父母)いわく「政府の策謀には乗らん。テレビなんか見なくてもいいでば」「7月になればもっと安いテレビが出てくるじゃ」と息巻いている。 モノを大切に、ぎりぎりまでアナログテレビを使いたいという意識は強い。とくにテレビが高価だった時代を知る高齢者にとっては、見たくても見れなかった、買いたくても買えなかった苦い思い出があるからだろう。 見づらい画面をわざわざつくって、切り替えを促すようなメッセージの濫用は、地デジ化の強引さと焦りの表裏一体と見る。せめて『地デジ化までまだ時間があります。アナログ放送をゆっくりお楽しみください』ぐらいの度量がほしい。 次なるぼやきは、ノンアルコールビール。「こんなまずいもん、人に飲ますな〜」。 お酒のようでお酒でない。各社が競って発売しているのは売れ行き好調だからだ。テレビのコマーシャルでは「こんな飲み物を待っていた」などと消費行動を煽っている。 アルコール0%だから、いくら飲んでも酔っぱらい運転にはならない。酔った気分になっても、アルコールを摂取していないのだから警察にも捕まらない。法的に困ることはないのだが、人道的にどうかといえば「ノー」だ。 ノンアルコールビールは、酒類ではなく、炭酸飲料と表示されている。だから理屈では未成年者も飲んでいいことになる。 先日、ラーメン屋で若い夫婦と小学校低学年くらいの男の子が楽しそうに食事をしていた。ところが、子どもにも平気でノンアルコールビールを飲ませている。確かに法的には問題ないのかもしれないが、思わず「おだずなよ」と心の中で叫んだ。 禁酒中の妊婦も愛飲しているらしい。たとえアルコール0%でもビール腹≠ナは胎教にいいはずない。アルコール依存症の入院患者が、あの感覚が忘れられず「ノンアルコールビールなら飲んでもいいのでは」と手にしているという。言語道断だ。 「そんなにアルコールが入っていないビールを飲みたいのか、こんなもん買うヤツの気が知れん」(営業妨害になったらゴメン)。 発泡酒、第3のビール、ノンアルコールビールで満足している人は、本当のビールの美味しさを知らないやつだ。だから「男はぼやいて、サッパリビール」とはご酔狂。 「アホ!いつまでぼやいてんねん、この泥亀!」、最後は「かあちゃん、堪忍!」で落ちがついた。 師匠、今の世の中、ぼやきネタは尽きません。(孝) |
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