HOME > コラム > 世迷言
世迷言

◆日付
◆キーワード


☆★☆★2011年02月05日付

 米国の格付け会社が、日本の長期国債を従来の「ダブルA」から1段階下げて「ダブルAマイナス」としたことで、これが国際評価だと「カン違い」する向きもあるが、首相自身「そんなことには疎いので」と「無カン心」なぐらいだから、そんな格付けなど「等カン視」していいだろう▼他人になんと言われようと自分は自分と大概は思っているから、なんだかんだと評価されることを好まない。他国から自国をとやかく言われるのがしゃくにさわるのも同様で、どこの国のどなたさまか知らないが、日本の国債をどう評価しようと勝手にしても、公表するなど大きなお世話▼格付け会社とは、金融機関や保険会社が顧客の信頼度を確かめるようなものだが、ではその判定の基準となるものがどういうものなのかとなると、この会社が最高位とする「トリプルA」に格付けされているのが米、英、独、仏の4カ国であることからしてもネタは割れる▼むろんわが国の財政状況が火の車であることと、経済成長の見通しがイマイチという点がマイナス要因だとは思う。しかし日本の国債は9割を自国民が持っており、それは「トリプルA」と信じているからこそ。日本が「貴国債を売るぞ」とおどかしただけでビビッた米国が上位にある方が土台おかしいのだ▼格付けなるものを信じる前に、その裏に潜む真実」を見極めることが大切。そもそも格付け会社といえども自国に甘く、他国には点が辛くなるのが自然で、しかも判定するのは人間であるという「カン点」から判断すべきなのだ。

☆★☆★2011年02月04日付

 野球賭博で大揺れした日本相撲協会が、武蔵川理事長の引責辞任と関係者の処分によって名誉回復に乗り出したばかりなのに、今度は携帯電話に残された通信記録から「八百長疑惑」が明るみに出て、大相撲の存在そのものが問われかねない状態に陥った▼賭博事件で押収された携帯電話のメールに「あと20で利権を譲ります」とか「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」などと、八百長取引を物語る動かぬ証拠が数十通も残されていたことから、警視庁が日本相撲協会を所管する文科省に注意を伝えていたことが分かったもの▼中には「来場所のことなんですがもらえるならくれませんか?ダメなら20万は返してもらいたいです」といった〈生々しい〉交渉の模様を伝えるものもあり、大相撲には昔から付きものとされていた八百長試合が、いまも〈脈々〉と受け継がれていることを〈白状〉した▼メールには幕内の4人、親方2人ら13人の名前があり、これまで協会側が裁判などでたびたび否定してきた八百長が、実は内部的には「必要悪」として存在することが浮かび上がった。力士の星取は生活に直結するものだけに、〈取引材料〉となることは容易に想像がつくが、しかしこれほど明らさまになると、大相撲の醍醐味が半減するだけでなく、国技たる存在理由すら否定されかねない▼就任後人気回復に躍起となっている放駒親方にとって、大相撲人気から逃げ出した馬(放駒)を取り戻すための努力が下手すると水泡に帰しかねない事態だが、元大関魁傑の親方のことだから、問題解決に努めるだろう。

☆★☆★2011年02月03日付

 日産自動車が世界販売台数で前年比20%以上増の408万台を売り、長らく後発のホンダに明け渡していた2位の座を奪還した。「3位ではなく2位でなければダメなんです」という悲願がようやく達成されたわけだ▼不動と思えたトヨタと日産の「2強時代」に割って入ったのが、2輪車から出発、創業者の夢を叶えて4輪車の開発を果たしたホンダで、あれよあれよという間に業績を伸ばし、ついに2位が入れ替わったときの日産の屈辱は想像するだに余りがあるだろう▼ホンダが念願の4輪車を、まずは軽4輪を足がかりに登場させた頃、日産はすでに「ダットサン」や「ブルーバード」を内外に送り出していたのだから、〈新参者〉を甘く見ていたことだけは確かだ。2強の追撃に貢献したランナーが、皮肉にも使命を終えて製造停止となった「シビック」で、「技術の日産」という看板を過信するあまり、後発の実力をみくびったツケがあっという間に回ってきた▼そもそもトヨタに水をあけられた原因は、ユーザーが技術よりデザインを重視したからである。ブルーバードの性能より、マークUのファッション性に時代は憧れたのである。そのあたりからケチがつきはじめ、ついには経営再建をルノーに委ねるハメとなったいきさつはご承知の通り▼カルロス・ゴーンさんの経営手法もあるだろうが、最近の日産のデザインはかってのトヨタのお株を奪った趣きがある。そのトヨタの売れ筋プリウスが、今度はホンダのフィットに首位を奪われた。栄枯盛衰は人生ばかりではなさそうだ。

☆★☆★2011年02月02日付

 裁判官が情状酌量の理由として挙げる理由に「すでに社会的制裁を受けている」というのがある。被告に対する量刑を考える上で勘案されるのがこれで、法的制裁よりむしろこちらの方が峻厳な場合が多々ある▼社会的制裁とはまさに物言わぬ裁判で、社会という〈裁判員〉が下す判決は〈不文〉だが、何も言われずただ白眼視されることの方がよっぽどつらいかもしれないから、これは村八分に似てかなり過酷な仕打ちと言えよう。すでにその精神的制裁を受けた上になお強制起訴されるという二重苦にさらされるとしたら、その苦悩はいかばかりだろう▼小沢一郎元民主党代表が、その資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる収支報告書虚偽記入事件で、政治資金規正法違反の罪に問われた元秘書3人と共謀した疑いでついに在宅起訴されたことで、同氏を生んだ本県はもちろん広く国内各界に衝撃と波紋が広がっている▼この事件で小沢氏は2度にわたって不起訴となったが、第5検察審査会がこれを不服として2度目の「起訴相当」を議決、東京地裁から検察官役に指定された弁護士3人と、小沢氏側の弁護団との間で黒白を争うという異例な展開となった▼小沢氏の「何一つやましいことはない。無実は明らかになる」という主張が正しいのか、それとも各種世論調査に見られるように過半数の国民が抱く素朴な疑問の方が正しいのか、それはやがて時間が裁定するだろうが、その前に、失ったものの大きさと比べたら、改めて守るべき価値の大切さというものが見えて来はしまいか。

☆★☆★2011年01月31日付

 早いもので明日から2月。3日が節分、4日が立春と思うだけで心がはなやいでくる。この月の別名「如月」は「更衣着」の意で、さらに上着を重ねるほど寒さが増すということだが、もう少しの辛抱と思えば苦にはならない▼それにしても今冬の降雪は量はともかく回数が多い。昔はこれぐらいが当たり前で、田んぼにも氷が張ったことから比べるとまだましと思うものの、雪道に不慣れの「岩手湘南人」は、起きがけに外を見てがっかりするのも事実▼だが、全国には1日で168aも降ったところがある。これだけの雪が屋根に積もったら当然家が潰れてしまうから、寝ずに雪かき、雪落としをしなければならない。だが、それもできないお年寄りたちはどうするのだろう。善意の「スノーバスターズ」たちも手が回らないという▼県内でも内陸部などでは除排雪の経費がかさんで青息吐息らしい。雪のせいだから「白息吐息」か、いや赤字だから「赤息吐息」かなどとくだらぬ自問自答はやめて、岩手の湘南にはその負担がほとんどないことに感謝すべきだろう。内陸と沿岸の経済格差はしばし論議されるところだが、雪害を免れるプラス面は差し引きすべきか▼この冬は何度か一関との間を往復したが、あちらはしんしんと雪が降り、車ものろのろ運転しているのに、気仙沼あたりまでさしかかると雪はやみ、路上もからから。気仙町あたりからはさらに湘南の様相を呈し、ここは別天地だとつくづく思った。

☆★☆★2011年01月30日付

 ムバラク大統領の名前をシバラクぶりに聞いた。30年というかくも長き在位がよどみを生んだとしても不思議はないが、エジプトの象徴的人物がまさか国民から退陣要求を突きつけられようとは…▼ナイル川の氾濫を防ぎ、灌漑用水を確保するためアスワン・ハイ・ダムを造ったナセル大統領の名前が日本人にもよく知られていたのは、その功績もさることながら名前が日本語に似ていて呼びやすかったせいもある。「成せばなる、成さねばならぬ何事も。ナセルはアラブの大統領」といった戯れ歌も功があった?▼同様に親しまれたのがムバラク大統領で、これまた〈日本語化〉された。「よぉムバラク、いやシバラク」といったように。しかし暗殺されたサダト大統領の後を受けて4次にもわたる中東戦争後の国内安定に力を注ぎ、イスラエルとアラブのバランスを保つ外交政策もあいまって評価されたからこそ同大統領の存在があったはず▼独裁ではあっても安定政権が30年も続いてきたというのは、まさにその功績を物語るものだろう。だが、83歳という高齢にもかかわらずなお政権にしがみつく姿と、経済成長の裏に潜む格差の拡大などの不満が高まり、ついには小さなデモが蟻の一穴から政権を揺るがしかねない大規模デモに拡大した▼同大統領はそれでも退陣を拒否、デモは力で鎮圧する考えのようだが、独裁政権が全国規模の暴動や反乱を抑えきれなくなるのは〈暴力装置〉が外側ではなく内側に向かうからである。国民の信を失った政権が自壊していくのは時間の問題だろう。晩節を汚す例がまた一つ増える。

☆★☆★2011年01月29日付

 子どもの頃、キャラメルといえば森永、明治、グリコ、フルヤといったメーカーのほかに「カバヤ」があった。点数をためると本をもらえるというのがユニークで、いまでもカバの絵が描いてある外箱を思い出す▼そのカバヤを生んだ岡山市の名門企業「林原」が経営危機に陥り、私的整理を申請したというニュースには驚いた。岡山の一企業からバイオ関連や医薬品開発などで従業員1000人、売上高800億円の押しも押されぬ企業に成長、グループを率いる林原健社長の手腕力量にも感心していたからだ▼甘味料に使う糖質「トレハロース」や抗がん剤「インターフェロン」などのヒットで大躍進し、岡山の「田舎企業」ながら日本の、世界の林原として名を馳せた同社がなぜここまで追い詰められたのか?原因は放漫経営でも売り上げ不振でもなく、開発費がかさみすぎてその負担に耐えきれなくなったためという。同族で経営陣を固め非上場という閉鎖的体質が裏目に出たようだ▼小さいうちはパパママ経営でもいいが、域外に出て行くような企業に成長したら、さらに発展するためには同族経営から脱しなければならないのかもしれない。人材と資金の確保という新たな課題が生まれてくるからだ。林原社長と弟の専務が退陣するハメになったのは、企業の成長テンポに戦略が追いつかなくなった結果だろう▼同社の破綻は拡大発展中の企業に対する頂門の一針となったはず。図体が大きくなれば攻撃よりも防御の方が難しくなるという一例として。

☆★☆★2011年01月28日付

 たちあがれ日本を離党して、対立する民主党に閣僚として迎え入れられた与謝野馨氏に対する風当たりは相当なもので、関ヶ原の戦いで豊臣方から徳川方に寝返った小早川秀秋にたとえられる始末▼久しぶりに「変節」とか「節操がない」などといった非難を聞き飽きるほど聞いた。「変節」は、従来の主義主張を変えることと辞書にある。何かのきっかけでそれを変えることはあり得るから、一概に責め立てることはできまいが、かって民主党のマニフェストを「だまし絵」「選挙用の毛針」として非難していたご仁が、手のひらを返した一事については憶測を呼んでもしかたがあるまい▼谷垣自民党総裁が「与謝野氏が変節したのか、民主党政権がマニフェストの順守を放棄し、一言のお詫びもなく変節したのか」と質したのに対し、菅首相は「与謝野氏は社会保障改革に高い見識と志を持っていると考え、三顧の礼をもってお迎えした」と、政治の世界には俗人が理解できぬ次元があることを教えてくれた▼おそらく与謝野氏の不可解な行動を単なる変節ととらえることは正しくあるまい。毛針にやすやすと飛びつくようなガリガリ亡者でないことは確かだ。多分秘めたる理想を実現するため、あえて火中の栗を拾う道を選んだとも理解できよう。予想される非難の嵐にも十分耐える覚悟の上で▼だが、その非難のすさまじいことははためにも気の毒なほどだ。しかしそれにじっと耐えている姿を見ているとなおさら、損な役回りを演じる裏側を知りたくなる。

☆★☆★2011年01月27日付

 鉄砲の銃身を作るには鉄棒の中心を削ってくり抜けばいい。だが、そんな機械のない時代、たとえば種子島が作られた460年も前、その銃身を生み出すためにはどんな工夫が行われたのか?▼種子島に漂着したポルトガル人が持っていた銃を、領主の命で家臣が真似て作ったのが火縄銃の最初といわれるが、正円の筒を作れといわれたら削ることしか思い浮かばない現代人には、別の方法などとても考えつかない。しかし現実に種子島(火縄銃)ができあがったのは、鉄の板を曲げ継ぎ合わせて作られたはずである。しかし要求されるミクロの精度にどう応えられたか?▼そんな疑問を抱き続けていたら、昨日の日経新聞に答えが出ていた。老舗企業を取り上げる「200年企業」という好評の連載の中でこの日は、「紀州筒」と呼ばれる火縄銃をつくり続けている和歌山市の「出来助本店」が取り上げられていたのだが、そこで当主が火縄銃の製作工程を明かしている▼それによれば、銃身は板状の鋼を筒に丸め、帯状の鉄でぐるぐる巻いて鍛造と熱処理を繰り返して作るとある。考えるだけで気の遠くなるような作業だが、その出来ばえは「最新の解析装置で撮影しても継ぎ目が見えない」ほどだというから、その匠の技術には恐れ入る▼日本人は真似て作るのは上手でも独創性に欠けるとよく言われるが、実用化させるのが得意ということは、そこに独創性があるからだ。よって今後の日本は技術移転した相手先に追い抜かれても苦になどせず、次なる独創性で勝負に出ることだろう。

☆★☆★2011年01月26日付

 日本を追い抜いてGDP世界第2位への大躍進を遂げつつある中国をまだ「途上国」としてODA(政府開発援助)を続ける必要があるのだろうか?日本国内世論は結論が出ている。NOとだ。だが、逆もある。それは〈助平根性〉という以外にない▼昨日の「フジサンケイ・ビジネスアイ」紙が1面で「対中ODA不要論台頭」という見出しで取り上げているその記事によれば、世界2位の経済大国に3位の日本が援助を続けるのは「不自然」だというのが不要論の根拠だが、飽くなき軍拡を続ける一方で実際の「途上国」に対しても資源確保をエサの援助を続けるなど、もはやまともな対象たり得ない▼対中ODAが始まってから32年。この間、円借款、無償資金協力、技術協力を合わせて3兆6000億円以上もの巨費が投じられている。同記事はこれらの援助によって総延長5000`を超える鉄道が電化され、1万d級以上のバースが60カ所も整備されたと伝えている▼だから「もはや施しを受けるような国ではない」というのが大方の認識なのだ。その分を本当に援助が必要な国に回すべきというのが正論というものだろう。だが、丹羽中国大使が対中ODAの増額を政府に具申したように、なお継続を求める声が中国ではなく日本国内にあるという事実ほど奇っ怪なものはあるまい▼それは中国に進出した企業がビジネスをしやすくするためにという観点からで、要するに「鼻薬」をかがせようというわけだ。援助を受けてもそれが日本からと明かしもせず、感謝の気持ちもないような相手に「追銭」をする必要などどこにもあるまい。


| 次のページへ >>