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ロゼッタストーン日記

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第13部 新しい世界へ!


女編集長起業奮戦記
ロゼッタストーン日記
ついに書籍化!
「ロゼッタストーン日記」第1部(ロゼッタストーンは本当に創刊できるのか)が、
『女編集長起業奮戦記』という本になりました!
>>詳しくはこちら
2011年のテーマは「新しい世界へ!」。
「新しい世界」というと、転職するのかと思われそうですが、決してそうではありません。今年はロゼッタストーンとしていろんなことを始めたい気分なのです。

昨年のテーマは「迷っているときは、とにかくトライ」。つまり試行錯誤の年でした。

自分でDTP(パソコン上で印刷データをつくること)をやってみたり、ツイッターを始めたり、気になる人に会いに行ったり、感想文コンクールをやってみたり、思いついたことはとりあえず実行してきたつもりです。

そうしてあれこれ動いているうちに、私の中の表現欲がなんだかぐっと高まってきてしまったのです。2000年に季刊ロゼッタストーン発行、2001年に女性国会議員メルマガ「ヴィーナスはぁと」発行、2002年に若手国会議員メルマガ「未来総理」発行……といろんな媒体を次々につくっていた時期もありましたが、ここしばらくは書籍を単発で出すぐらいで、ずいぶん大人しくしておりました。

貯めてきたエネルギーを今年は爆発させ、新しい世界を切りひらきたいのです。世の中には相変わらず閉塞感が立ち込めているけれど、ロゼッタストーンは希望を持って前に進んでいきます。(「閉塞感」なんて、気持ちの持ちようですからね)

さてさて、根拠なき希望にあふれている今年の私。いったいどんな1年になるのでしょうか。
本年も「ロゼッタストーン日記」をよろしくお願いいたします。


ロゼッタストーン 弘中百合子



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11月20日(土)
気がつくと日記を1週間以上更新していなかった。最近、時間が経つのが本当に早い。何かの記事で、「代謝が悪いと時間が経つのが早い」と書いてあった。代謝の悪い朝は時間があっという間に過ぎ、代謝がよくなる午後には時間がゆっくり過ぎるのだとか。そういえば、子どもの頃は時間がゆっくり過ぎていたなあと、なんとなく納得。私のからだ、代謝が下がってるんじゃないかしら。運動しないと!

そういえば、以前、「ゾウの時間、ネズミの時間」っていうのを言ってた人がいたなあ…とネットで調べると、あった、あった。生物学者の本川達雄氏が書いた本だった。インタビュー記事を見つけた。
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000104_01.html

ゾウの寿命は約70年。ハツカネズミの寿命は2〜3年。でも、どちらの心臓も15億回打って止まるのだとか。ハツカネズミの心臓がドキンとする時間は0.1秒だが、ゾウだと3秒もかかる。本川氏によれば、時間というのは体重の4分の1乗に比例するそうで、ゾウの時間はネズミの時間に比べて18倍もゆっくり流れているという。つまり、時計が示す時間は一定でも、各自が感じる時間には、大きな差があるわけだ。

同じリンゴが落ちるのを見ても、ネズミはその間に「ああ、落ちる落ちる…」といろんなことを考え、ゾウは「あれえ?」と思っている間にリンゴが落ちてしまっているかもしれないと本川氏は言っている。いかんいかん。私は人間でありながら、ゾウのような時間を生きているぞぅ。

素人的に解釈すると、運動して心拍数が上がったり、どきどきわくわくして血のめぐりがよくなってくると、たとえば同じ5分でも、その中でできることが増え、結果的に時間がゆっくり経つように感じるのかも。

ちなみに、人間の心臓が15億回打つのは、26.3年なんだとか。これが本来の寿命ってことかしら。いまや3倍も長く生きられるんだから、文明の力って大したものよね。



11月12日(金)
警察ジャーナリスト、黒木昭雄さんの「最後の映像」と題された動画を見た。
※「インシデンツ」というホームページで、「動画 黒木さんの最後の映像」という文字をクリックすれば見られます。全10回。
http://www.incidents.jp/news/

黒木さんが追いかけていた事件は、非常に複雑で説明が難しい。警察の公式発表では、知人女性を殺害した男性が、自殺を偽装してそのまま逃走しているということになっている。容疑者男性には懸賞金もかけられている。

容疑者男性が殺害したとされるのは、佐藤梢さんという女性。が、佐藤梢さんという人物は実は2人いたのである。しかも、2人は同級生で親友。容疑者男性は、殺害されていないほうの佐藤梢さんと交際していた。つまり、この殺人事件は、痴情のもつれではないので、動機がよくわからないのである。

佐藤梢さんの死因は窒息死。しかし、黒木さんの捜査では、当時容疑者男性は腕に大怪我をしており、人の首をしめられるような状況ではなかった。また、司法解剖で特定された時間帯には、明確なアリバイもあるという。だが、警察は死亡推定時刻を広げ、容疑者男性が犯人だと断定した。

当時、容疑者男性は、知人男性に脅迫され、警察に被害届を出していた。紹介した仕事をちゃんとやらなかったという理由で、日本刀を口にくわえさせられ、120万円を要求されたのだという。容疑者男性は、保証人をたてろと迫られ、交際中の佐藤梢さん(殺害された人物ではないほうの梢さん)の名前と携帯番号を書いてしまった。

が、その後も容疑者男性は、知人男性にお金を払わなかった。生きている梢さんは、亡くなった梢さんが自分の身代わりで殺されたのではないか、と語っているという。梢さんが殺害された直前、もう一人の梢さんは交際していた容疑者男性と別れていた。事件が起きたとき、容疑者男性は、恋人の梢さんではなく、恋人の親友の梢さんを呼び出している。黒木さんは、誰かに彼女を引き渡したのではないかと推理している。

警察は事件は容疑者男性の単独犯だとしている。しかし、自殺偽装現場から容疑者男性は忽然と姿を消しているが、その場所は、一人で誰にも目撃されずに逃走できるようなところではないという。黒木さんは、そこでも大きな疑問を感じた。

さらに、不可解なのが、警察が懸けた懸賞金。懸賞金というのは、普通、捜査が行き詰ってどうしようもないときにかけられるものなのに、この事件では黒木さんが事件の捜査を始めたとたん、わずか4ヶ月で懸賞金事件となった。指名手配事件は世の中に数多くあり、時効が迫るなど、もっと緊急性が高い事件が他にあるにも関わらず……、である。

被害者遺族を含め、この事件が起きた地域の人たちの過半数が「捜査をやり直してほしい」と訴えているのに、警察はまったく動かない。容疑者男性が脅迫されていた事件についても、明確な銃刀法違反なのに、まったく調べようとしていない。

そんなこんなで、黒木さんは、警察が自分たちの捜査のまずさを隠すために真相を明らかにしないのではないか、容疑者とされる男性はすでに殺されているのではないか、と考えていたようだ。

同姓同名殺人事件なんて、推理小説よりも、不思議な事件だ。これって、小説や映画にもできるんじゃないだろうか。若い女性の事件なので、いわゆる「萌えキャラ」にしたら人気が出ないかなあ…。ちょっとでもこの事件が世の中に広く知られたほうがいいと思うけれど、やっぱり不謹慎かしら。

遺族も、容疑者の家族も、一人で捜査をしていた黒木さん亡き今、悶々とされていると思う。それにしても、何の報酬もなく、義憤だけで捜査を続けていた黒木さんには頭が下がる。家を売ろうかと考えるくらい、金銭的には追い詰められていたようだ。それも、自殺原因だったんじゃないのかなあ……。


11月9日(火)
先週の土曜日、高校(徳山高校)の同窓会に誘われて行ってみた。ゲストが映画監督の酒井充子(あつこ)氏。『台湾人生』というドキュメンタリー映画を制作した人だ。
http://www.taiwan-jinsei.com/

話を聞くと、なんと私と同じ熊毛中学校の出身。中学も高校も同じという人は少ないので、とっても親しみを感じてしまった。私よりも10歳ぐらい年下なので、これまで会ったことはないのだけど。

そんなわけで、彼女の著書『台湾人生』(文藝春秋)を購入して読んでみた。日本統治時代に生まれ育った台湾の人々の声を紹介している本なのだが、内容が結構心に刺さった。

敗戦後、台湾の人たちは祖国が来ると喜んだそうだが、やってきた国民党は台湾のインテリ層の多くを殺害してしまった。
「日本の教育受けてこんなになったのになんでわれわれを捨てたの。なんで陰ながらでも守ってくれないの」と「大正15年生まれ」の女性は言う。お花もお茶も習ってきて、いまの若い人よりも日本人なのに……と。

日本軍人として戦った男性は、敗戦によって敵の国の籍に入れ替えられ、日本政府を恨んだという。彼は昔の日本語の歌が大好きで、よくカラオケで歌うそうだ。国民党がきたあとの歌はひとつも知らない。国のために死を覚悟して軍に志願したのだから、日本政府から「過去の台湾軍人軍属のみなさん、ごくろうさんでした、ありがとうございました」、その一言がほしい、と彼は言う。ボランティアで観光ガイドをしている彼は、台湾総統府を訪れる人に「教育勅語」を印刷した紙を渡し、「こんなにいいこと書いてあるのに、どうしてなくす必要がありますか?」と問いかけるという。

当時の日本人教師の中には、金をとらずに自分の家で補習したり、お金がない家の子を私費で援助したりする人もいたようだ。本の中には、当時の教師を慕う証言がいくつも出てくる。戦後何十年かたって再会を果たし、先生が病気になったときは日本に駆けつけて1週間以上も看病し、最期を看取った男性もいる。その男性の孫はいま、ホテルの受付で日本語を使っている。「日本語の跡継ぎがあってほんとにうれしいです」と彼は
「思い切り喜びを表した」そうだ。

彼らが語る日本への深い思いに圧倒される。もちろん恨みもあるだろうが、「自分は日本人」という意識もあるようだ。多感な時期に受けた「愛国教育」の影響はこんなに大きいものなのだろうか。他民族の土地を占領し、無理やり日本語を押し付けていたひどい時代に、愛情ある教師がいたことは救いだが、戦後の私たちは台湾のその後について、あまりにも無関心だったかもしれない。

私の後輩(年齢的にはね)はよい仕事をしているではありませんか。


11月7日(日)
今日はお世話になった方の告別式に参加。クリスチャンだったので、教会での葬儀ミサ。ロゼッタストーンを支援してくれるくらいの人格者だけに、5分ぐらい前に到着したら、すでに教会には人があふれていて、100人以上は外から見守る葬儀となった。

クリスチャンネームはペトロ氏。教会での葬儀ミサは初めてだったが、美しい歌が次々流れ、舞台が見えないミュージカルのようだった。

最後はひとりひとりがご遺体に献花。音楽好きのペトロ氏は口を少しあけ、歌を歌っているようにも見えた。私がペトロ氏に直接会ったのは、10回にもみたないので、親しさから言えば、参列者の中でもかなり遠いほうだと思う。だが、お世話になった度合いで言えば、確実に上位にランキングされるだろう。結局、全然期待に応えられていないことに、悲しさとともに、ふがいない自分への怒りが募る。

誰かが亡くなるたびに、その人に関わった自分自身の生き方を改めて問われる。心の中に悔恨がふりつもっていく。

キリスト教では、亡くなるということは不幸ではなく、神のもとに召されてやすらぎを得られるということらしい。私はキリスト教徒ではないけれど、ペトロ氏の魂が天国で幸せにしていると信じたい。

いただいたごあいさつ状には、「信仰と、希望と、愛。この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」とあった。信仰は別にして、希望と愛はしっかり受け継いだ。心からご冥福を祈ります。


11月5日(金)
ロゼッタストーンに出資してくださっている某会社の会長が亡くなったという知らせが入った。闘病のため、息子さんに社長を譲られたので、最近お話しするのはもっぱら2代目社長だった。享年67歳。まだまだお若いのに……。ちっともご恩返しができていないなあ…と、ちょっと落ち込む。人間の命というのは、なんてはかないんだろう。

尖閣諸島の流出ビデオが大騒ぎになっている。私は夕べ寝る前にツイッターで知った。情報の速さとしては、ツイッター情報→ネットニュース→テレビ →新聞の順。ツイッターの情報拡散の速さを体感した。それにしても、こんなことになるんだったら、船長を逮捕した時点でさっさと公開すればよかったのに。後手後手政府の迷走ぶりにため息が出る。

11月3日、“すてきな言葉と出会う祭典ー「言葉の力」を東京からー”という東京都が主催するイベントに行ってきた。副知事の猪瀬直樹さん、アーティストの村上隆さん、日本教育大学院大学客員教授の北川達夫さんらが参加するシンポジウムを見たかったのだ。

北川氏の話だと、日本人の国語力は年々低下していて、特に意見を書き込む問題の「無回答率」がきわだって高いのだとか。日本人は自分の意見を言うのが苦手だものね。フィンランドなどでは、幼稚園の頃から、問題解決の思考法や、物語のつくりかたなどを教えるのだという。ほーっ。

北川氏の大学の授業では、大学生のコミュニケーション能力のなさが目立つという。特に、知らない人とのコミュニケーションが苦手らしい。プリントを配ったとき、後ろの列で足りない場合は、余っている列の学生にまわしてもらうのではなく、「先生、プリントが足りません」と教師に要求するのだとか。
「なぜなのか聞いてみると、同世代の知らない相手だと、敬語を使うべきかタメ口にするべきか悩むらしいのです。無視されたらどうしようという思いもある。傷つくのも傷つけるのもこわい。衝突を恐れる傾向があります」と北川氏。そういう若者論をよく聞くけど、やっぱりそうなのかな。私も傷つくのも傷つけるのも嫌いな平和主義者だから、わからなくもないんだけど。(←無理やり、自分を若者のくくりに入れる)

村上隆氏は、自由な教育に疑問を感じ、自分の会社では、徒弟制度を意識して弟子を育てているという。現代美術の最先端にいる人が「徒弟制度」を認めているところが面白かった。

猪瀬氏は、スポーツでも武道でも基本の型があるように、日本語も基本の言語技術を学ぶことが大事だと主張していた。たとえば部屋に入ったとき「目の前にテレビがあります。左にソファがあります。右には本棚があります…」という説明ではなく、時計回りにどういう状態かを説明したほうが部屋のようすがよくわかるといったふうに。個性というのは、基本を身につけたあとに花開くものだという。

つまり、日本語の言語技術を身につけさせ、自分の意見をきちんと表現できる日本人を育てないといかんっていうことなのだろう。だが、私とて他人事ではない。日本語が理解できないのだ。

今度芦田先生に連載をお願いする手前、私も哲学の本ぐらい読まないとな……と、いまハイデガーの『精神現象学』(平凡社)という本を読んでいるのだが、これがちっともわからない。外国語や数学だったら異言語だから諦めがつくのだが、書いてあるのは明らかに日本語で、しかもほとんどカタカナも使ってないのに、なぜ私には理解できないんだろうと、自分がサルになったような気がしてくる。

だいたい外国人が考えた抽象的な概念を、どうやって訳者は日本語にできたんだろうと、そこからしてわからない。

「学は精神の現実態であり、精神が自己自身の場において自ら建てる王国である」(序論より)

こういう表現は、ちょっと詩的で好きだけどね。


11月4日(木)
11月2日、元警察官のジャーナリスト、黒木昭雄さんが練炭自殺をしたという報道があり、驚いた。私は前日、ツイッター上で黒木さんの不思議な書き込みを見かけていた。そこには「あなたを信用してお知らせします。私に何かあったら…」とメールアドレスやパスワードが書かれていた。

警察関係の取材をしていると、いろんな覚悟が必要なのね。でも、パスワードなんて公開したら意味ないのに……と、私はそのまま流し読みしていた。その翌日の自殺! だったらあれは黒木さんの遺言ではなかったか。と、慌てて黒木さんのツイートをたどったが、私が見たツイートは既に消されていた。

久々に焦った。何かの状況で黒木さんが送ったSOSを受け取りそびれてしまったのではないかと思ったのだ。もちろん、パスワードもメールアドレスも覚えていない。私ってば、一応マスコミ人なのに、なんでメモぐらい取らないのよ…と自分の無能さを呪った。他の人が記録しているかも…と、同じツイートを見た人がいないかどうかツイッターで尋ねると、何人かの人が黒木さんのツイートを見たと連絡をくれた。

他の人たちは私よりずっと冷静だ。ツイッターには、普通に公開するつぶやきと、特定の人だけにつぶやけるDMという機能がある。黒木さんは、誰かにメッセージを送るつもりが、間違って公開してしまったのだろうというのだ。なるほど。実際、「パスワードが漏れていますよ…」と指摘してあげた人も複数いたようだ。黒木さんは、指摘を受けてツイートを削除したのだろう。だったら、黒木さんのメッセージは、彼が信頼した相手にちゃんと届いているはずだと、ちょっと安心した。

黒木さんは、警察の捜査が間違っていると告発する活動をしていたので、自殺ではなく殺されたのではないかと見る人も多いようだ。が、黒木さんに近い山口一臣氏(週刊朝日編集長)は、「黒木さんの死は周到に準備した覚悟の自殺でした。死をもって岩手県警の疑惑を訴えたのです」「長期にわたる岩手県警追及にもかかわらず、地元メディアが追わないことに黒木さんは強い憤りを感じていました。無力感と憤り。私は、黒木さんの死は憤死だったと思っています」などとツイートしている。

私は黒木さんと面識もないし、ツイッターで会話をしたこともないし、今年になって彼のツイートを読んでいたというだけだが、やはり、黒木さんは自殺だったのではないかという気がする。

黒木さんが取材を手がけていた「岩手県17歳女性殺害事件」は、現在、容疑者として知人の男が指名手配され、県警が公的懸賞金を懸けて行方を追っている。が、黒木さんは犯人は別人で、被害者は容疑者の恋人と同姓同名だったために、間違って殺されたという見方。県警が捜査を見直そうとしないことに強い怒りを訴えていた。
(詳しくは黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」参照 http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki )

県警の捜査に納得できない黒木さんは、自腹での捜査を続けていたようだ。ツイート上で、黒木さんは県警が動かず、世論も盛り上がらないことを嘆いていた。テレビで取り上げられることになったときには相当期待していたようだが、結果的にはあまり影響力がなく、落胆していたようだった。亡くなる数日前のツイートには「限界」という言葉もあった。

私はただそれを眺めていた。

ツイッターのタイムラインは残酷だ。黒木さんの死を嘆くつぶやきをした人が、数秒後にはおいしい食事についてツイートしたりする。こうして、時の流れとともに、黒木さんの死も忘れ去られてしまうのかもしれない。

黒木さんを殺したのは「警察」だ、「マスコミ」だ…という意見もある。が、私は黒木さんを殺したのは「無関心」なんじゃないかと思う。もちろん、黒木さんを応援する人はたくさんいたけれど、どうしても動かすことのできなかった世論の壁に敗れてしまった印象がある。もしかすると、正しいことを追求することが金銭的な仕事に結びついていかない辛さもあったかもしれない。

権力の壁に一人で立ち向かっている人に、応援のメッセージの一つも送らなかった私は、無関心な大衆の一人である。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と村上春樹氏はかつてエルサレム賞のスピーチで述べた。「その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます」と。

壁に挑む壊れやすい貴重な卵を、私ももっと大切にするべきだった。ましてや、壁が正しくないかもしれないケースでは。



↓黒木さん最後のツイート(11月1日午後3時45分)

【転載・拡散】本日、手配中の容疑者小原勝幸の懸賞金が300万円に増額されました。岩手県警の請託を受けた警察庁が隠したかったのはこの事実です。税金が警察の犯罪隠しに使われています。皆さん、追及の声を上げて下さい。お願い申し上げます。http://bit.ly/cpQ993



黒木さんの命を懸けた訴えが、どうぞ岩手県まで届きますように。私自身の生き方に大きな宿題を遺してくれた黒木さんに感謝。心からご冥福をお祈りいたします。


11月1日(月)
「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」というのが、郵便不正事件で証拠を捏造した前田恒彦元大阪地方検察庁特捜部検事を、 特別公務員職権濫用罪(刑法第194条)にて刑事告発したそ うだ。
http://shiminnokai.net/

「市民」という響きには、うさん臭さを感じるときもあるので、どんな人が告発したんだろうとチェックしてみると、代表は八木啓代(やぎのぶよ)さんという音楽家。八木さんのツイッター上の呼びかけにたくさんの人が応じて、会が発足したらしい。

私の記憶が確かなら、私は10年以上前にこの人にインタビューしたことがある。当時、私は「SAY」という恋愛雑誌の編集をしていたので、たぶん恋愛関係の取材だったのだろう。その後、ロゼッタストーンで「ヴィーナスはぁと」という女性国会議員メルマガをやっていたとき、八木さんからメールでご意見をいただいたことがある。確か、イラク戦争がらみの話題だったのではないだろうか。八木さんは、海外で活動する機会が多い分、外から見た日本の姿を教えてくださったような気がする。自分の記憶力にちょっと自信がないけど。

しかし、狙った獲物は無理にでも有罪にしてしまうこわーい検察に、実名、顔出しで立ち向かう勇気は立派。こういうきれいで凛とした女性が代表というのは、かっこいいなあ。

市民の会のページに書いてあるドイツの神学者マルティン・ニーメラーの言葉がいい。

 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
 私は共産主義者ではなかったから。

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
 私は社会民主主義ではなかったから。

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
 私は労働組合員ではなかったから。

 彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
 私はユダヤ人などではなかったから。

 そして、彼らが私を攻撃したとき、
 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった


検察の問題は、大手メディアが報じにくい仕組みができている。先日、毎日新聞の和泉かよ子さんという記者が、その状況を正直に書いていた。心ある記者がやっとか細い声をあげはじめた段階なのだ。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20101028k0000m070120000c.html

ロゼッタなんて、さらにちっちゃいメディアで、影響力もほとんどないんだけど、「変なことは変」って言い続けよう。検察の都合で、勝手に自由を奪われる社会なんて、まっぴらごめんだもの。


10月30日(土)
昨日の日記を配信したあとで、堀江氏が個人メディアについて語っている記事を読んだ。
http://japan.cnet.com/news/business/story/0,3800104746,20422206,00.htm

これを読むと、「メルマガの場合は……発行システム側がだいたい20%、30%(の取り分)になっています」と書いてあるから、『ブックビジネス 2.0』に書いてあった「まぐまぐ取り分4割」っていうのは、ただの噂だったのかなあ。間違った情報を流してしまっていたら、まぐまぐさんごめんなさい。

中国が日本との首脳会談を拒否したそうで、日中関係は以前としてぎくしゃくした状態が続いている。そんななかで私が感心したのは、日本人の蔑称「日本鬼子」を萌えキャラにしようというオタクの方々の発想。「ひのもとおにこ」という設定で、鬼子のキャラを描いたイラストが続々と集まっている。これが結構レベルが高くて、鬼子ちゃんが可愛いのだ。これぞ、クールジャパン(!?)
http://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-1492.html


10月29日(金)
一昨日、私の実家がある山口県周南市八代にナベヅルの第一陣が飛来したそうだ。昨年より6日早い渡来だとか。夏の猛暑がうそみたいに、ここ数日で一気に冷え込んだもんねえ。それにしても、毎年忘れずに同じ場所にやってくるツルの能力は素晴らしい。道路ができたり、区画整理が進んだり、空から見た風景はずいぶん昔と変わったはずなのに……。方向音痴の私もあやかりたいものだ。

慶應義塾大学の小室正紀教授から、審査員を引き受けられない旨のお手紙が届いた。すでに秘書さんから都合が悪いことは聞いていたのに、わざわざお手紙までくださるとは、なんと丁寧な方だろう。「『独立のすすめ』は大変面白い企画と存じます」という一文にほっとする。もちろん社交辞令だとは思うけど、『独立のすすめ』は『学問のすすめ』をかなり大胆に編集しているので、諭吉研究者にどう評価されるかちょっと気になっていたのだ。ま、一応これで仁義は切ったもんね。

『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)を読んだ。著者、図書館、ライセンス…いろんな視点から今後の出版業界について論じてあって、なかなか面白かった。

ツイッターですっかり有名になったジャーナリストの津田大介氏は、本の中で、出版社と著者が電子書籍の印税を折半することを提案している。ネット関係の会社を経営する橋本大也氏は、さらに著者よりで、これからは「著者印税9割も可能な時代」だと述べている。

堀江貴文氏(ホリエモン)の有料メルマガの読者は年内に1万人を突破する見込みだという。メルマガの購読料は月額840円。橋本氏によれば、「まぐまぐの取り分が4割、堀江氏が6割と言われている」そうだ。人の懐を勝手に計算して申し訳ないけど、堀江氏はメルマガだけで1ヶ月500万円を超える収入があることになる。すごいなあ。(まぐまぐの取り分が4割もあるというのにもちょっと驚いたが)

「著者はもはや出版社以外の選択肢、デジタルコンテンツの制作が得意なIT企業やゲームメーカー、企画力やプロデュース力をもつプロダクションやイベント運営企業などと組んで、電子出版を行うのも賢明であるかもしれません」と橋本氏。そりゃ、そうだ。

最近は、電子書籍時代を見越した出版社が、紙の本を出版する際に、電子書籍の権利もすべて出版社側にあるという契約をかわしたり、電子書籍の印税を15%に設定したり…というような話も聞く。著者側の考えと、出版社側の考えには、だいぶ溝がある感じがするなあ……。

いまの出版業界は、出版の仕方も価値観も大きく変わりつつある変動期。著作権についても、もっと柔軟にしようという動きがあるらしい。まだまだどんなところに落ち着くのか、誰にもわかっていない。

この戦国時代を乗り切ることができたら、出版の夜明けも近いぜよ。


10月28日(木)
福沢諭吉「独立のすすめ」感想文コンクールの受付を開始した。
http://www.rosetta.jp/concours/2010.html

「独立のすすめ」は「自由」「平等」「独立」など、全文で14の章からできている。中高生たちには、この中から1つテーマを選び、400字詰原稿用紙3〜5枚で、諭吉の考えへの感想とそのテーマについての自分の考えを述べてもらう。大人でも難しい根源的なテーマに、中高生はどんな意見を寄せてくれるのだろう。とっても楽しみ♪

一次審査はロゼッタストーンWEB「教育カフェテリア」でおなじみのつきのみどりさんと、同webで以前「親子のココロに効く絵本」を連載していた高清水美音子さんに依頼。高清水さんは、最近、世田谷で「作文教室」を開催しているそうだ。

二次審査は、作家で東京都副知事の猪瀬直樹氏、東海大学教授の芦田宏直氏が引き受けてくれた。もう一人、諭吉研究で知られる慶應義塾大学教授にあたってみたのだけど、ちょうどいま福沢諭吉事典の編集で忙しいのと、年明けは受験の対応に追われるから…ということで、残念ながら辞退されてしまった。もっともこの4人だけでも十分ゴージャス。あとは、審査員をうならせる力作を集めないとね。

それにしても、昨日から読書週間が始まったというのに、世間ではまったく盛り上がっていない。今年が「国民読書年」というのも、一般の人はほとんど知らないんじゃないだろうか。

気温がぐっと下がって、外は雨降り……。こんな日は、あったかいおうちで本を読みましょうよ。


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