警察官時代は数々の凶悪事件を解決に導き、退職後はジャーナリストとして、また別の存在感をみせていた黒木昭雄さんが、突如としてこの世を去った。
千葉県警市原署や消防によると、車内で動かない黒木さんを発見した息子から、「車の中に父親が倒れている」と119番通報。救急隊員が現場に駆けつけると、黒木さんはステーションワゴンの助手席に横たわっており、すでに死亡していた。
車の後部には練炭が置かれており、燃やした跡があったが、遺書は見つかっていない。市原署では、自殺と事件の両面から詳しく調べている。
黒木さんの事務所によると、1日に「仕事の打ち合わせに行く」と家族に言い残して外出し、その日は帰宅しなかったという。遺体が発見される前日の1日午後には、自身のツイッターに、東北地方で起こった特定の女性殺人事件を挙げ、「税金が警察の犯罪隠しに使われています。皆さん、追及の声を上げて下さい」などと書き込んでいる。ここでも自殺をほのめかすような文言は見あたらない。
黒木さんは東京都出身。1976年3月に葛飾区の私立修徳高校卒業後、同年4月に警視庁入庁、77年に本富士警察署に配属された。
86年7月に警視庁第2自動車警ら隊へ異動し、95年2月に警視庁荏原警察署に勤務。99年2月に退職。退職時の階級は巡査部長だった。23年間の警視庁在籍中、23回もの警視総監賞を受賞した。平均すれば毎年1回、同賞を手にする敏腕警察官だった。
退職後は執筆活動に専念し、「捜査するジャーナリスト」として警察内部の様々な問題や、世間を騒がせた事件などを独自の視点で解析、捜査、執筆する手法を確立した。
著書に「葬式の値段にはウラがある」「警官は実弾を込め、撃鉄を起こした」「警官は狙いを定め、引き金を弾いた」などがある。