事件永田洋子死刑囚が死亡 元連合赤軍幹部2011.2.6 01:24

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永田洋子死刑囚が死亡 元連合赤軍幹部

2011.2.6 01:24
死亡した永田洋子死刑囚

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死亡した永田洋子死刑囚

 昭和46~47年にかけて起きた一連の連合赤軍事件にからむ大量リンチ事件で殺人罪などに問われ、死刑が確定している元連合赤軍幹部の永田洋子(ひろこ)死刑囚(65)が5日夜、死亡した。

 永田死刑囚は脳腫瘍が悪化し、面会者が訪れても相手が判別できない状態になっていることが、元赤軍メンバーら関係者による集会で明らかになっていた。

 昭和59年に手術、さらに数年前にも再手術を受け、一時、危篤にも陥っていた。その後、ほとんど視力も失っていたという。

 平成5年に確定した公判判決によると、永田死刑囚は昭和46年8月から47年2月にかけて、組織を抜けた仲間2人を絞殺したほか、群馬・榛名山などの山岳アジトで“総括”と称するリンチで仲間11人を殺害、1人を死亡させた。

 大量リンチ事件や「あさま山荘事件」など一連の連合赤軍事件では計16人を起訴。死刑2人、無期懲役1人、有期懲役11人、獄中自殺1人、クアラルンプール事件の超法規的措置で国外脱出1人となっている。

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死亡した永田洋子死刑囚
昭和47年5月、警視庁に移送される元連合赤軍幹部の永田洋子死刑囚
昭和48年2月、連合赤軍事件の第6回公判を終え、東京地裁を出る永田洋子死刑囚

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