U.C.0079、11月6日。地球連邦軍の反撃の狼煙が、ここオデッサにおいて上がろうとしていた。作戦開始は翌7日 0600時。空前の大作戦を前に、対峙する両軍の戦線は奇妙に静まりかえっていた。
偵察機が飛ぶことも、脅しの砲撃が行われることもなかった。今や作戦準備は完璧に終わっていた。レビル将軍を作戦の最高司令官として編成された地球連邦軍の数は、後方支援の部隊を含めると守りにつく公国軍の実に8倍にも昇っていた。
それでも、連邦軍作戦本部の将星たちには、先行きへの不安がつきまとっていた。報告によれば、ルウム戦役で多大な武功をあげたかの「黒い三連星」が、ここオデッサに降り立ったという。
彼らは作戦司令官であるレビルを捕虜にした張本人であり、その戦力は一個師団をも凌ぐとさえ言われていた。
また、連邦軍には別の不安要素があった。
作戦を準備する間、秘密裏に補給に向かった輸送部隊が何故か敵に捕捉され攻撃を受けたり、守備の手薄な位置が敵に筒抜けになっていたりと、情報の流出が疑われる事態が幾度も発生していたのである。
作戦本部内にスパイの存在が疑われたが、確証を得られぬまま作戦が始まろうとしていた。
レビル将軍はそれでも、最後には自分が勝つのだということを信じて疑わなかった。連邦はようやくMSのマスプロに漕ぎつけ、工場をでたジムは続々と戦場に到着していたのである。
オデッサ作戦は連邦軍がMSの大部隊を初めて運用する作戦であった。連邦軍兵士はこれまで、ジオンのMSによる一方的な殺戮を生き延びてきた。多くの仲間、あるいは家族を失った彼らにとって、この作戦は復讐戦であった。
その闘志は焔より熱く、多くの者が死ぬまで戦う覚悟を決めていた。
一方、これを迎え撃つ公国軍の戦力は、連邦の8分の1しかなかった。プラハ近辺やイタリア戦線ではまだジオン残存兵力が頑強に抵抗し、連邦軍を悩ませていたが、オデッサに集結した公国軍にこれらの救援に向かう余裕はまったくなかった。
作戦が始まった時、彼らは猛烈に抵抗するであろう。局所的には連邦軍を圧倒する部隊もあろう。だが大局的に見れば、彼らがいずれ力尽きることは明らかだった。
ジオンの兵士達の間では、マ・クベの戦略眼に疑問を投げかける意識も流れ始めていた。
これ以上の資源採掘は止め、宇宙へと撤退するべきではないのか。そんな意見まで飛び出した。
だが、彼らはこんな噂を耳にし始める。「連邦軍の一部隊が、ジオンに寝返る」と。
そして決戦の日、U.C.0079、11月7日。早朝にもかかわらず、オデッサ地方の各戦線には、静かな熱気が立ち込めていた。その後方にある一隻のビッグ・トレー級地上戦艦に、レビル将軍はいた。レビルは全部隊との回線を開くと、静かに語り始めた。
「オデッサ作戦に参加する兵士諸君。私はレビル大将だ。いよいよ決戦の時が来た。地球圏から独裁と圧政を一掃するための崇高な任務につかんとする諸君に、まずは敬意を表したい。
諸君、敵は強大である。我々は長い間、敵によって苦渋をなめさせられてきた。だが今この瞬間も、敵によって苦しむ人々がいるのだ。彼らを一刻も早く解放しなければならない。今日ここから、この日から、地球連邦の新たな歴史が始まるのだ。
すべての兵士は、見物人となってはならない。戦闘部隊のものも、後方部隊のものも、全員が作戦の進行に献身し、最前線の部隊を全力で支援すること。各員、この作戦が世界注視の戦いであると銘記せよ。諸君らの働きを歴史が見下ろしている。奮戦してくれ。諸君と共に戦えることを誇りに思う。諸君の幸運を祈る。
オデッサ作戦、開始せよ!」
時刻は、午前6時ちょうどであった。
作戦開始の瞬間、200kmに渡る戦線のあちこちで、無数の砲が火を吹いた。砲の操作に携わる砲兵たちは念入りに耳栓を用意していたが、彼らの耳は一撃で麻痺してしまった。
大きいものは地上戦艦の艦砲から、小さいものは迫撃砲まで、連邦軍がこの作戦に投入した火砲はのべ25,000門にのぼった。それらの放った砲弾は公国軍の陣地に雨あられと降り注ぎ、戦線の地面を端から掘り起こしていった。
公国軍の小型のトーチカや銃座、露出砲台などはことごとく破壊され、前線と後方の司令部との連絡は瞬時に断たれてしまった。それでも砲弾の雨は降り続き、あらゆる施設、兵器、車輌、そして人員のすべてが粉砕されていった。
大地を揺るがす轟音は連邦軍の全兵士を鼓舞し、感激させた。音だけでなく、砲弾の爆発が見える場所にいた者たち、すなわち最前線にいた兵士たちは、あの砲撃のあとで生き残っている敵は、まずいないだろうと考えた。
砲撃は自分たちに仕事を残さないかも知れない。自分たちはただ、ねじれ曲がった兵器の残骸が点々とする焼け野原を進むだけになるのではないか?そんな楽観的な気持ちにさえなった。
そしてそんな思案を巡らせている間にも、幾千の砲弾はとどまることを知らずに爆発していた。
公国軍の各級司令部は、瞬時に大混乱に陥っていた。前線の各部隊からの報告は互いに矛盾しあっていた。どの報告も自分の戦区こそ敵の攻勢の主要目標に違いないと断言していたのだ。
限られた情報しかない前線の部隊にとって、自分たちが今まさに経験している猛烈な砲撃は、そこに敵の主力があると判断するに十分すぎる衝撃だった。
本当の最前線にある部隊はほぼすべてが第一報を発進する前に壊滅していたし、連邦軍の部隊を確認することは爆煙のために不可能だった。ただ一つ確かなことは、この広いオデッサ地方で、連邦軍の反抗作戦が始まったということだけだった。
だが、この事態に対してもっとも大きな責任を持つ男、マ・クベ司令は、信じられないことにまだ最初の報告すら受け取っていなかった。彼は前日の深夜まで続いた会議のあと、睡眠薬をのんで眠っていた。
マ・クベの代わりに報告を受け取ったウラガンという男は、あいまいかつ矛盾だらけの報告のためにマ・クベを起こそうとはしなかった。
公国軍には情報が絶望的に不足していた。どの情報が正しいのか誰にもわからなかった。
攻勢に対する公国軍の反応は極めて緩慢なものとなった。砲撃のため、一部の部隊では指揮命令系統がズタズタになった。連携するべきMS部隊と防衛拠点の守備兵たちは、お互いを無視して個別に進撃してくる連邦軍を待った。
連邦軍が姿を現すのは砲撃がやんだあとであろう。熾烈極まりない砲撃はいまだに勢いを緩めていなかった。公国軍の最初の防衛ラインがあった場所全域が、轟然たる砲火の嵐を浴び、まるで噴火しているようだった。
間断なき砲撃によって、黒い煙の大きなかたまりがオデッサのあちこちに雲のように漂っていた。この砲撃は最終的に二時間ほど続き、爆煙が未だに晴れない0830時、ついに連邦軍の攻撃部隊が前進を開始した。
61式戦車が、GMが、陸上戦艦が、そしてこの時代になっても決して消滅しない歩兵が、黒煙の中へと進撃していく。彼らは楽観していた。あの煙の向こうで、敵が友軍の砲火を生き延びているとはとても考えられなかったのだ。
だが、敵はたしかにいたのである。突如、黒煙のカーテンを突き破り、眩い洩光弾が飛んできた。それも一発や二発ではなく、すぐに濃密な十字砲火へと変貌を遂げた。
射線上に捉えられたジムが全身に被弾し、天を仰ぐようにして後ろにのけぞり、腕を青空へつきだしたまま倒れた。周囲にいた何機かのジムはその僚機が倒れるさまに目をとられ、動きを止めた。
あの集中砲火を耐え抜いた敵がいる!
そして次の瞬間には、止まってしまったジムの全てに熾烈な火線が集まった。煙のカーテンを通して飛来する敵弾の狙いは、決して正確ではない。だがあっけにとられて足を止めたジムは、百戦錬磨のジオン兵達にとって巨大な標的と同じだった。
また一機、別のジムが崩れ落ち、部隊の他の機体はようやく動きを取り戻した。それまで、足元をゆく戦車に合わせてゆっくりと前進していたジムは、今度は身を踊らせて走り出した。ジムの機体が黒煙のベールの中に消え、戦車部隊が後に続く。
煙の中では飛来する洩光弾だけがはっきりと視認でき、ほかには何も見えなかった。先頭をゆくジムの新人パイロットの脳裏に、「一寸先は闇」という言葉が浮かんだ。だが、彼はようやく煙のカーテンの切れ目までたどり着いた。
視界が開けて、何機かのザクが確認できた。彼は自分のジムをそれまでより大きく躍進させた。その瞬間、ジムの機体は巨大な穿孔に落下していた。ジムはMSの背丈より高い崖を転がりながら落ちて、底の地面に激突した。
後続のジム数機と61式戦車が同様の運命を辿った。
「来るなぁ!これは罠だ!!」
新人パイロットはインカムに叫んだが、後の祭りだった。さらに複数のジムが煙から飛び出すと、そのまま穿孔に落下した。
その様子を双眼鏡で見ていた公国軍の工兵大尉は、部下を振り返って叫んだ。
「爆破ぁ!!」
部下の兵士は起爆スイッチを押した。その途端、崖の底に仕掛けられていた大量の爆薬が炸裂した。落下していたジムと戦車はその場でスクラップとなった。
だが、ジムは次々に現れた。1機を倒せば3機が現れ、3機を倒すと10機が現れた。それらの練度は決して高くはなかったが、ジオンの兵士たちは休む暇もなく必死に戦わなければならなかった。
ザクはマシンガンを乱射し、その銃身はあっと言う間に赤く焼けた。
「誰か弾を早くよこせ!!」
そんな叫びが戦場のあちこちから聞こえた。それほどに連邦軍の物量は圧倒的だった。今、ようやく崖を飛び越えたジムが、工兵大尉のいる観測所を踏み潰そうとしていた。
工兵大尉は部下に「逃げろ」と叫んだが時すでに遅く、二人はコンクリート製の建物共々踏み潰された。ジオンの最初の反撃は、粉砕されつつあった。
津波のように押し寄せるレビルの連邦軍第3軍は、嵐のように荒れ狂い、敵という敵を呑み込むかのようだった。だが、エルラン中将指揮下の第4軍の戦線では、不可解なことにこのような激戦はまったく発生していなかった。
† † † † †
オレはアークにもう一度命令を繰り返すよう頼んだ。オレはいま、ブラックハウスの格納庫でBlackCatに乗っていた。
「繰り返します。『第4軍の全部隊は現在の位置で別命あるまで待機、絶対に前進しないこと。前進した場合その行動は敵前逃亡と見なし、厳罰に処す。』発信元はエルラン中将の第4軍参謀部となっています。」
「バカな…攻勢準備砲撃がようやく終わってこれからという時に…。艦長、どうします?」
コックピットのモニターにあずにゃんが映し出される。
「軍参謀部からの命令です。従うほかありません。得策とは考えにくいですが…何か敵に関する新たな重大情報を掴んだのかもしれません。別命というのを待ちましょう。」
得策とは考えにくい、その通りだ。むしろ愚策だ。二時間に及んだ砲撃がやっと終わり、オレ達はすぐに前進できるものと思っていた。と言うより、砲撃が終わった直後に前進しなければ意味がない。
猛烈な砲火が敵の前線を破壊したとしても、時間を置けば敵の新たな部隊が戦線を再構してしまうかもしれないからだ。そんなことは一兵卒にだってわかる。にもかかわらず、エルランの参謀部はオレ達の移動を禁止してきた。
オレは再びあずにゃんに質問した。
「すでに発進してしまった偵察隊はどうします?」
「すぐに引き返すよう指示を出しました。しかし、電波障害がひどくて、ちゃんと指示が届いているか心配です。かといって迎えにいくこともできない…」
あずにゃんは心配そうに言った。実は今から少し前、砲撃が終わる直前に、あずにゃんは黒猫とシンに強行偵察を命じていたのである。オレ達の前方で守りにつく敵の規模はどれくらいで、その内どの程度の敵が砲撃で被害を受けたのか。また、他の戦区の部隊、特にブラックハウス戦闘団の隣に陣を敷いていた第3軍所属の死神旅団の戦果はどれほどか。
こういったことを調べるための偵察だった。
だが、黒猫ともシンとも連絡が取れない。彼女らの乗るブラックサンとヤラナイカ、どちらもレーダーの範囲外にいる。心配だ。
「艦長、オレが出撃して黒猫達を探しに行ってもいい。司令部に許可を求めてくれないか?」
「すでに意見具申はしてありますが、応答がありません。エルラン中将にはまったく進撃する気がないとしか思えません…とにかく今は黒猫さん達が戻るのを待ちましょう。」
「…了解。」
だが、はたして黒猫達は戻って来るのだろうか。もし戻らなかったら、オレは…。
† † † † †
辺りにはシン以外誰もいなかった。揺らめく炎が方々に散在していたが、ジオン兵の姿はまったく見えない。わたしは奇妙な感覚にとらわれていた。と言ってもかなり確信に近い感覚だ。
この付近には、最初から敵がいなかったのではないか?
わたしはそう感じていたのだ。事実、周囲の荒廃した平野には兵器やその残骸のようなものはまったく見られなかった。二時間に及んだ猛烈な砲撃は、何もない土地をいたずらに掘り起こしただけだったのか?そんな疑念さえ沸き上がってきた。
「猫さん、どう思いますか?誰もいないけど…」
疑問を感じているのはシンも同じらしい。わたし達は機体を背中合わせにして辺りを警戒していた。
「絶対に変だよ。この辺りには敵の痕跡すらない。いま攻め込めば敵の防衛ラインは簡単に破れる。だけどこれじゃ怪し過ぎるね。どこかに伏兵がいるのかもしれない。警戒を怠らないで。」
「了解。」
わたし達は移動を開始した。敵陣のさらに奥深くまで進出する。敵に遭遇するまで進まなければ、偵察の意味がない。
「進撃開始時刻ですが、後方から誰も来ないですね。」
シンが言った。
「何かトラブルが起こったのかもしれない。隣の死神旅団の戦区では戦闘が始まってるらしいね。」
南に目をやれば、地平線ギリギリに陽炎のようなジムの姿が見えていた。時々飛び交う洩光弾も見える。第3軍の戦線では戦闘は熾烈を極めているようだ。だが、この辺りの静けさは一体なんなんだろう。敵も味方も静まりかえっている。
「今ならチャンスなのに、ブラックハウスは何をしてるんだ?なんで進撃してこない!?」
シンがやや焦り気味に言った。たしかにこの静けさは神経にさわる。だが冷静にならなければいけない。
「シン、落ち着いて。あと3キロ進出して敵と遭遇しなかったら、一度報告に戻ろう。いいね?」
「わかった。」
† † † † †
ブラックハウスの艦橋には、気まずい沈黙が流れていた。
誰もが前進したいと考えている。だが命令は絶対だ。部隊の移動は許されない。
あずにゃんの脳内では軍人としての義務と、人間としての正義とが激しく争っていた。黒猫とシンだけを死地へ送り込んでしまった。今すぐ迎えにいってやりたいのだが…
黒猫達はまだ戻ってこない。通信もつながらないしレーダーも役に立たない。もし黒猫達が、後ろからブラックハウスが進撃してくることを信じて、いまだに前進を続けているとしたら…。
そう考えるだけであずにゃんは青ざめてしまう。だが艦長として、それを表情に出すわけにはいかない。
「はちゅねさん、後方の戦闘団本部を呼び出してください。ムスカ大佐にもう一度意見具申してみます。」
あずにゃんは通信士のはちゅねミクにそう言うと、表情を引き締めた。モニターにはブラックハウス戦闘団司令、ムスカ大佐が映し出される。
「ナカノ少佐、意見具申ならさっきも聞いたぞ。第4軍司令部の答えはノーだ。今もう一度やっても答えは変わらないだろう。」
「それは偵察隊の報告を聞いても同じでしょうか?」
「戻ったのか?」
「まだです。しかし戻り次第軍司令部に直接報告に行かせて、再度突撃を具申したいんです。」
「見上げた心上げだな、ナカノ少佐。…よし、偵察に出したMSのパイロットが戻り次第連絡したまえ。私とパイロットとでエルラン中将に直訴してみるとしよう。」
「ありがとうございます。」
通信が切れた。ムスカ大佐と言う男には不明な点が多い。表向きには連邦軍士官として非常に優秀な働きを見せているが、裏では何をしているかわからない。
彼の身の回りには常に黒眼鏡の下士官たちが控えている。ムスカが自分の手駒として使っているこの下士官たちがいかにも怪しい。情報部の人間だという噂があるが、それも定かではない。
あずにゃんは正直言って、ムスカの元へ黒猫とシンを使わずのには気が進まなかった。
しかし、今進まなければオデッサ作戦は全体が危機に陥る。少しでも可能性があるなら、それにかけるしかないだろう。
あずにゃんは艦長席に座り直すと、指を組んで二機のMSの帰還を祈った。
その頃、渦中の人物エルラン中将は、作戦の総司令官であるレビル将軍を尋ねていた。
「予定通りの展開ですなぁ。」
エルランはレビルの部屋の壁に貼られた作戦の進展状況図を見ながら言った。地図上の表示では、第3軍の部隊が公国軍の戦線の一角を突破することに成功していた。彼は地図のあちこちを指差しながら続ける。
「マチルダ隊はホワイトベースとの接触に成功しているようだし、あと後方撹乱として部隊を北方より南下させる。で、万全ということですなぁ。」
その言葉には妙な引っかかりがあった。それを鋭敏に感じとったレビル将軍はすかさずエルランに尋ねていた。
「何が気に入らんのだね?」
「はぁ、ホワイトベース一隻で右翼の後方撹乱。本当に将軍は、彼らをニュータイプの可能性ありとお考えなのですか?」
「報告書は君も見たんだろう?」
「しかし、わずかなデータだけで彼らをニュータイプと即断するのは、危険ではありませんか?」
「だが、正面の戦力をこれ以上割くわけにもいかんしな。ジオンの赤い彗星のシャア、彼もニュータイプだと噂されているな。それが事実であるなら、我が軍にそういう連中が現れても不思議ではないじゃないか。赤い彗星すら退けた彼らの力に、期待してみようじゃないか。」
レビル将軍はそこで一旦言葉を切ると、ちょっと間を置いてから思い出したようにこう続けた。
「君の第4軍の指揮下にあるブラックハウス、あれもニュータイプの可能性ありと判断されていたな。彼らを真っ先に前進させればどうだ?聞けば、第4軍はまだどの部隊も行動を開始していないらしいじゃないか。」
「実は我々の正面に展開する敵が、水素爆弾を持っているとの情報があるのです。しかし裏付けがまだとれていませんので、報告はしていなかったのですが…」
「本当かね。ならばそれが使用される前に敵の息の根を止めなくてはならん。戦況はまだ流動的だし、私としては早く決定打が欲しい。」
「もちろんそれはわかっております。情報の確認ができ次第、第4軍も前進を開始します。」
† † † † †
わたしとシンは偵察から戻ると、休む暇もなく戦闘団の旗艦であるゴリアテに派遣された。
大急ぎで駆けつけたにもかかわらず、わたし達を迎えた戦闘団司令、ムスカ大佐はやけに落ち着いていた。そこが癪にさわった。
「ご苦労、強行偵察のあとすぐに来てもらってすまなく思うよ、黒猫中尉。」
シンの存在を何故か無視するところも気にくわない。美少女にしか興味がないのだろうか。
「だが急いで来てくれたのはどうやら無駄になってしまった。先ほど確認したが、エルラン中将はいまレビル将軍のもとを訪問していて、第4軍司令部にはいない。」
ここでわたしはムスカのことが決定的に嫌いになった。どうしてもっと早くそれを知らせてくれないんだ。
「移動禁止の命令は解かれていないし、今すぐブラックハウスに戻る必要はないだろう。なんなら今夜はゴリアテで過ごしたらどうかね?」
わたしが思わず「このロリコンッ!」と叫びそうになった瞬間、横からシンがそれを遮った。
「待ってください!エルラン中将がいないのなら、あんたが命令してくれればいいだろ!?俺達は早く前進したくてうずうずしてるんだ!」
「移動禁止命令は軍団本部からの命令だ。私がそれに背けるわけがないだろう。」
「だけど…ッ!!」
「君も男なら聞き分けたまえ。今の発言は軍への反逆ともとれるぞ。」
「シン、ブラックハウスに戻ろう。」
「猫さんッ?!」
「わたし達は機体の整備に立ち合わなきゃ。あずにゃんがわたし達に命令したのは、エルラン中将に前線の状況を説明することだよ。それができないなら、今日は帰るしかない。」
わたしはシンを真っ直ぐ見据えて、語気を強めてそう言った。シンは唇を噛むようにしてうつむくと、がっくんと首を縦に振った。どうやらわかってくれたようだ。
「大佐、そういうことですので、わたし達はブラックハウスに戻ります。」
「良かろう。エルラン中将は明日の朝には第4軍司令部に戻るだろう。その時もう一度来たまえ。」
わたしとシンはムスカ大佐に敬礼をし、ゴリアテを後にした。
† † † † †
夕刻になるにつれ、第3軍の戦域におけるジオンの反撃は激しさを増していた。後方から駆けつけた数隻のダブデ陸戦艇の砲撃により連邦軍の進撃は頓挫し、戦いは早くも膠着状態になりつつあった。
ジムの機動力と火力では一気に突破、浸透するという戦術に限界があり、また公国軍は死に物狂いで奮闘したため、戦いの行く末は未だに不透明であった。
全体的に見て、マスプロされたばかりで初期不良が頻発するジムと、初めて実戦を経験するパイロットの組み合わせは最悪だった。彼らは激戦を生き延びてきたジオンのザクや他のMSとそのパイロットに対して圧倒的に不利であり、一機のザクを倒すのに複数のジムを囮にしなければならなかった。それでも第3軍が戦線を突破できたのはまさに物量のなせる技であり、ジオン兵に「一機倒してもまた三機現れる」と言わしめた彼我兵力上の優位のたまものであった。
だが、日が沈んで夜のとばりが降りる頃には、連邦軍の進撃は完全に停止してしまっていた。朝から戦闘を続けていた部隊は弾薬をほぼ全て使い果たし、ジオンの局地的反撃に対してまったく抵抗ができなくなるという、危険な状態に陥っていた。
レビル将軍は夜を徹して補給作業を行うことを命令し、輸送部隊の護衛のため、いまだに前進を開始しない第4軍から部隊を引き抜いた。その部隊こそ、第3軍に一番近い戦区にいたブラックハウス戦闘団であった。