村山槐多は、正規の美術教育を受けることなく18歳で画壇デビュー。天才出現と謳われたが、狂おしい恋と放浪に明け暮れる無軌道な生活の果て、画業5年足らずで世を去った。18歳で描いた代表作『尿(いばり)する裸僧』は、「ためらわず、裸になり、自分をさらけだす」彼の美学そのもの。托鉢の器に向かって尿をほとばしらせる僧は槐多自身、全身に彼独特の「深紅」が燃え上がるように塗られている。
俳優・三上博史は、15歳のときアングラの旗手・寺山修司に見出され、映画デビュー。近年は舞台でも特異な役柄に力を入れている。共に早熟なデビューを果たした二人の出会いは、どんな火花を散らすのだろうか。
昭和初期、瞳の大きい独特な少女の絵で一世を風靡した中原淳一。食べる物にさえ困る時代に、自らが編集する雑誌で女性が美しく生きるための提言を続けたが、その人生は困難の連続だった。男性が少女の絵を描く事が奇異の目で見られた戦前。戦中は軍部から「退廃的な絵」だとして雑誌の掲載を禁じられた。人気の絶頂期に心筋梗塞で倒れ、その後20年以上もの闘病生活を送る。それでも「美しく生きる事こそが、人が幸せに生きる事だ」という信念を貫いた。
その美学に迫るのは、歌舞伎の中堅女形・市川春猿。女性を演じるため日々の生活の中でストイックに己の心身を磨き続ける春猿が、中原を慕う80代の女性ファンの同窓会を訪ね、彼が生涯追い求めた理想の美の真髄を探りだす。
夭折の洋画家、青木繁。九州・久留米の質朴な武士の家系に生まれ、フランス印象派の影響が色濃い画壇にあって日本の神話に題材を求めロマン溢れる絵画を生みだした。そこには「現実を超えるものこそ、美しい」という美学があった。
画壇に衝撃を与えた代表作『海の幸』に恋人の顔を書き加えた青木。彼女はその後も次々に作品に登場し「現実を超える美」の象徴的存在となった。しかし青木は、実人生では、彼女と生きることを選ばなかった。
青木が、現実の愛が結実するのを捨ててまで貫いた美学の根底には、何があったのか?自らも恋人や妻など愛しい女性を題材に絵を描き続けてきた俳優・津田寛治が、青木が育ち、没した九州に探る。
安土桃山から江戸初期の京都で、陶芸に書に幅広く卓越した才能を見せた本阿弥光悦だが、その真骨頂は「コラボレーション」。自らの才能に、別の才能をぶつけて合作。「本物」×「本物」で化学反応をひきおこし、誰も見たことがない世界を創りだした。「孤高な芸術」とは対局の美学だ。
マルチ・アーティスト石井竜也は、光悦の冴え渡った眼と感覚に敬意を払う。「説得力がないとこんな仕事はできない。一流のアーティストをその気にさせる達人だったに違いない」。
石井が、本阿弥光悦が晩年を暮らした京都・鷹ケ峯などを訪ね、光悦はどのようにして一流の才能を見いだしコラボレーションに至ったのか、その美意識と「人たらし」の手法に迫る。