2011年2月4日8時5分
角界を揺るがす「八百長メール」。やり取りした力士の多くは当時、十両だった。角界で、十両以上の「関取」と幕下以下とでは待遇に天と地ほどの差がある。警察当局から文部科学省に伝えられたメールからは、何とか関取の座にしがみつこうと力士たちが星を「融通」しあう様子が透けて見える。
昨年3月の春場所。春日錦(現・竹縄親方)の番付は西十両13枚目。下には「関取最下位」の14枚目2人しかいなかった。当時34歳のベテラン。2002年9月の秋場所に新入幕を果たし、前頭5枚目まで昇進したが、けがに見舞われ、負け越せば幕下陥落の崖っぷちだった。
角界では、十両以上の関取になって初めて「一人前」とされる。十両の月給は103万6千円。身の回りの世話をする「付け人」がつき、足袋まではかせてくれる。紋付きはかまも「大いちょう」に結えるのも、化粧まわしでの土俵入りも関取の特権だ。
一方、幕下以下に給料はなく、「本場所手当」として2カ月に1度、幕下でも15万円が支給されるにとどまる。大部屋生活で、基本的に結婚も許されない。
4日目の17日、3勝1敗と快調に滑り出した春日錦は、仲介役とされる三段目の恵那司に2通のメールを送る。「貸しは光龍と山本山だけだよね」「明日の海鵬と光龍は消しておいた方が良いよね」
好スタートを切った余裕からか、自分が負けてもらった借りを返そうとするそぶりを見せたり、別の力士の取組について話題を振ったりしたようだ。5日目の翌18日。春日錦は敗れ、光龍は海鵬を上手投げで下す。
この後、春日錦は勝ったり負けたり。14日目の27日に、すでに負け越していた旭南海を下して勝ち越し、やっと十両の座を守った。
約2カ月後の夏場所4日目の5月12日。東十両9枚目に番付を戻した春日錦のもとに恵那司からメールが届く。