余録

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余録:「スルタン(君主)は留守の時に呪われる」…

 「スルタン(君主)は留守の時に呪われる」はエジプトのことわざという。どんな形であれ支配者は必要だという人々の権力感覚を示しているのだという。何よりも怖いのは権力の不在による秩序の崩壊というのがアラブの“常識”のはずだった▲そんな民衆が街頭に出て独裁打倒を叫び、とうとうムバラク大統領が今秋の任期限りでの退陣を表明したエジプトである。人々にとっては権力の空白の恐怖よりも、「一番辛(つら)い苦悩は今直面している苦しみ」であったらしい▲ことわざは曽野綾子さんの「アラブの格言」(新潮新書)から引かせていただいたが、「廃墟(はいきょ)になるまで崩れ落ちなければ、再建はありえない」というのもその一つだ。大統領の退陣表明に対して即時辞任を求める反ムバラク勢力は反発を強め、混乱が続いている▲事態の前途に不吉な影を落としたのは、新たに街頭に現れた大統領支持派デモ隊との衝突による流血である。「喧嘩(けんか)にはきっかけの花火がいるだけだ」。大統領支持派デモの背景は不透明だが、これ以上の混乱を恐れる人々からの支持も集めているのは確かなようだ▲行方定まらぬ混迷に気をもむのはエジプトを中東政策の支柱と頼んできた米国や欧州だ。「首長が死ぬと同盟関係も死ぬ」の格言がいやでも頭をよぎるのは仕方ない。「民主化」が成っても、それが欧米にとって望ましい政権になるとは限らないのがこの地の現実だ▲きょうもまた大規模なデモがある。スルタンのいないエジプトに、民衆は新たな政治秩序を生み出すことができるか。「すべてのことが終わった時に後悔するのは死ぬよりも悪い」のが政治だ。

毎日新聞 2011年2月4日 東京朝刊

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