vol.45 一番の敵は己の中にある
内なる獣とは何であろうか。外なる獣との闘いは楽である。自分が正義であるが故に、非常に気持良く生甲斐を持って闘える。世間の賛同も応援も得られる。だが、内なる獣との闘いは難しい。何といっても相手が自分である。どうしても甘やかしたくなる。身内贔屓である。獣といえども自分の裡に有るものである。嫌悪感に苛まれていても我が身内だ、その制裁には時間が費かる。ついつい一日延ばしになる。一日延ばしをすればする程、嫌悪感も募る。そして愈々裁断の時がやって来る。その時は完膚無き迄、やっつけなければならない。でないと内なる獣は、又ムクムクと勢力を持ち直して来る。
獣を撲滅するには鬼になるしかない。心を鬼にして身内なる獣を退治しなければならない。言うは易し行うは難し、これが仲々一朝一夕にはいかない。厄介なものである。一番の敵は己にあるのである。
大体人間はある程度生きて来ると、大した事もないのに自分を壊すのを恐れる。何か築いて来た様な気でいるからだ。錯覚である。
本当に築かれた本物の城は壊れない。何があっても微動だにしない。
積りだから、錯覚だから、未だ途上だから、一寸した事でも脆く、崩れる。何も築いてはいなかった事に気付かねばならない。
政治のトップの座に居ても、たった一言の失言で失墜する。大体、失言という言葉が可笑しい。失言なんて言葉は、本来心にも無い事を言って了う事だが、人は心にも無い事は言わない。ずーっと心の中に仕舞って置いた言葉が、その本音が自制心を欠いた時に飛び出して来るのだ。油断して本性を出した丈である。元々そういう人間なのだ。化けの皮が剥がれた瞬間が失言という形で表われた丈である。
人は何か築いた積りでも大したものではない。その城は泥かも知れない。ガラスかも知れない。だから、安心して解体すれば良い。未練たらたらの気持を捨てて、潔くぶっ壊せば良い。それが出来れば、次にはホンモノの城が建つ。
壊す事の勇気が持てれば、内なる獣と闘うのはいとも簡単である。内なる獣――我欲なんてものは解体作業の中で脆くも消滅して了うものである。
人に良く思われ様とする自尊心は、自己解体に依って消え、人に勝とうとする競争心は、その元にある自尊心の消滅に依って必要性が消える。名誉欲、征服欲という、大それた獣欲も、此の自己解体という作業の中で次々と滅びてゆく。そして人々の中に本当の平和が生まれて来るのである。 つづく。
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ブログ拝見しました。先日父母と四万温泉の思い出を話しておりまして先程「東龍明」ググってみましたらココを見つけました。後藤博道の息子の純司です。以前若気の至りながら不義理をしたと存じましてお詫び申し上げます。昨年遅まきながら(今年43歳になりました。)娘を授かりまして父母も大変喜んでおります。妻は外国人で意思の疎通が容易ではなく喧嘩の項は大変興味深く読ませていただきました。父は今年脳梗塞を患い入院しましたが孫のためにと2週間で完全復活を成し遂げました。東さんもお元気そうで何よりです。ちなみに私は現在中国語の翻訳通訳を業としております。
投稿: 後藤純司 | 2007年10月19日 (金) 18時08分