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ホーラス・エングダール氏
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村上作品は、英独仏のほかスウェーデン語にも翻訳されている
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■「翻訳可能か」…冷酷な原則
ストックホルムの王宮近くに、観光客の列が続くノーベル博物館がある。今年も、2階のスウェーデンアカデミーで、ノーベル文学賞をホーラス・エングダール代表(57)が発表する。
■広がる主題
気鋭の比較文学評論家。97年にアカデミー会員になり99年から代表。ノーベル委員会にも属するが、個人としての文学観を聞いた。「現代の作家は、ジョイスやカフカ、プルーストなどのように、革新者の役割を期待されてはいない。新しいものが出てこなければならない、という考えは過去のものになったのです」
他方で文学の幅が広がり、従来にない形式や主題がでてきた、と分析する。ファンタジーや恋愛物語など文学のエンターテインメント的な役割を、テレビや映画がとってかわった背景がある。
「『証言文学』と呼ばれるような、旅行記やエッセーが重視されるようになった。始まりは歴史的な犠牲者による証言だ。日本でも広島の原爆被害者の体験談を、大江健三郎氏がまとめた例がある。ホロコーストについても、証言を凝縮した文学は多い。01年受賞者V・S・ナイポール氏の旅行記はアジア・アフリカ地域の視界を広げてくれた。発見し、記録することが、今や文学の役目になった」
最近、ポーランドのジャーナリスト、カプシチンスキの名前がスウェーデンの予想で取りざたされる。こういう考えが同国の文学関係者に強いのかもしれないが、同じ「傑出した作品」を選ぶにしても、文学も選考する側も時代によって変化する、と感じた。
00年受賞者の高行健(ガオ・シンジェン)や亡命中国詩人の北島(ベイ・ダオ)、アラブ文学の詩人アドニス、アフリカ文学の86年受賞者ショインカ、アチュベなどは西欧文学の影響が強いという。「同じく西欧文学を取り入れながらも、日本文学は日本人としてのアイデンティティーが確固としており、川端康成にはまったく違った文化を感じます」
「どんなに文化のグローバル化が進んでも、固有の文化の現実性に変わりはない。重要な文学は、常にローカルなもの。現代文学はいわば二重の背景を持つ。国民文化の伝統、世界文学の伝統、どちらも切り離すことは出来ない」
■奥の奥まで
よどみなく文学論を展開したが、アカデミー代表の立場からの発言は慎重だ。
「委員会のメンバーは、5人の候補者の作品をみっちり読む。同じ作家が何度あがってきても、そのたびに読み直し、作家の奥の奥まで理解したか、本当に受賞にふさわしいかと問い返す。繰り返し読むことが選考の核心だ」
選考のために8年半に約1000冊は読んだという。
「一番の難問は言語だ。各言語に特有な言葉の意味を、繊細に使った最良の文学は他言語におきかえられない。それなのに、翻訳可能ということが選考の前提条件になる。非常に冷酷な原則だ」
この冷酷さにさらされる日本文学。今年は、村上春樹氏への期待がふくらみかけている。この2年、ノーベル文学賞と受賞者が重なるチェコのフランツ・カフカ賞に、3月に決まったこともある。
だが、エングダール代表は「全くの偶然だ。カフカ賞の選考委員は優秀だが、ムラカミ氏が受賞したの?」と受け流す。スウェーデン語に訳された村上作品は03年の「ノルウェイの森」、05年の「アンダーグラウンド」など3冊。「海辺のカフカ」が今月半ばに出る。同代表が日本の現代作家を読んでいるかどうかについてノーコメントだった。
ストックホルム大日本学科のグニラ・リンドベリー・和田教授は「次の日本人のノーベル文学賞は、早くても大江氏から20年はかかるのではないか」と見ている。
今年の受賞者は、誰なのか、間もなく明らかになる。(編集委員・由里幸子)