やくざ?
この地域は面白い。
「実名を書きたいくらいだ。」とブログに書くと
「実名を書いている」となる。
「ミセス・スピーカー」と書くと、すわ一大事と
誰がその人物なのかを推理し、探し回る。
今回私は、「やくざまがいのメールを書く男」と揶揄されているらしいが
そのうち「あの先生やくざらしいよ。」となるだろう。
実に楽しい地域である。
やくざと言えば、私の中学時代の友達の小林が高校を退学した後にグレてやくざ(暴力団)になった。
今でも覚えているが、高校2年生の時の中学のクラス会でちょっとした事件が起こった。小林は17歳ながらいっぱしのやくざ気取りで(実際はチンピラ)元同級生に酒を勧めている。元担任も注意しない。
高校生がそんなに酒を飲めるはずがない。いやがる同級生を見るに見かねた私は、「おい、やめろよ!小林」と注意した。
そしたら奴は何をしたと思う?
「なんだと!?」と言うなり鞄からドスを出して、私の鼻先に突き付けた。そしてこう言った。「お前、指つめろ。」
周りは凍りついたね。みんな無言。わたしは、怖かったけど「こいつ変わったんだな。」とまじまじとそいつの顔を見た。
結局、事なきを得たんだけど、毎日あんなに楽しく遊んだあいつが、そして私よりずっと頭が良かったあいつが、なんでこんな風になったんだろうと不思議でならなかった。
後で聞くと家庭環境に何か大きな問題があったという。
その後も奴は下っ端のノルマだと思うが、上納金集めで何度か家にも来た。そのたびに可哀想に思えて1000円くらいを小遣いから渡していたが、だんだん調子に乗ってきたので断るようになった。それからはもう来なくなった。
しばらくして小林は自殺した。
ショックだった。仲間のチンピラが言うにはやくざから足を洗おうとしてトラブルになり、結果奴は自分で首をつった。
私は奴の外見と言動の変貌ぶりに「変わってしまった。」と、まともに話すことをしなかった。
私の中には未だに後悔がある。
もっと奴の心の奥底の変わらない部分を見つけることができていたら、
何か手伝えたかもしれない、と。
死ななくて済んだのではないか、と。
毎日奴の家の前を通って駅まで行っていた私は、ある日奴の自宅が壊され、無くなっていくのを見た。
「小林…」
悲しかったな。人間て何だろうと感じた瞬間だ。
しばらくは倒壊する家をぼうっと見ていた。
人生はちょっとしたことで転がり落ちる。
やくざになるには奴は純粋過ぎたのかもしれない。
ところでドスと言えば、中学校では相変わらずカッターナイフをカチャカチャ出している生徒がいるらしい。先生方も知っていることだろうが、もし何か起こったら昨年からのことなので、学校の責任は免れないだろう。ちょっとしたアクシデントで被害者が出ないことを祈っている。
私は小学校の時によく喧嘩をした。
私が6年生の時にけんか相手が敵わないと思ったのだろう、カッターナイフを出し、私の足を刺した。
チクっとしただけだったから、構わずに回し蹴りを打ち、相手を倒した。
家に帰る途中、片方の長靴がグチャグチャする。一度靴を脱いで雪の上に足を置いた。雪が真っ赤の染まった。ズボンの裾をまくるとモモシキ(白い長い下着)が真っ赤になっていた。あんなことでこんなに血が出るんだな、と思いながら母親に何て言おうと考えながら帰った。
母親には嘘を言うことに決めていた。本当のことを言えば面倒なことになるからだ。
多分スキーのエッジで切ったと言った覚えがある。
病院で何針か縫う程度で済んだから良かった。
その他にも大学生の時に旭川の繁華街でケンカを止めに入って拳銃を出されたり、八王子では酔っ払ったチンピラに刺されそうになった。
空手と少林寺拳法、両方二段だがやはりナイフ、ピストルにはどう考えてもかなわない。
教員になってからはそういう危ない目には遭わなくなった。
私の世代は、男ならちょっと悪ぶってツッパッたり、やくざにあこがれたりしたものだが、今いじめ問題に関わり、真剣に動いた結果「やくざ」という言葉を投げつけられるとは思わなかった。
皮肉なものである。
さて、この話。この地域でどんなふうに伝わるのだろう。
あの塾の先生は元やくざで、指を詰めているらしい。
仲間が自殺したけど、ピストル持って仕返しに行ったら逆に刺されたらしいよ・・・・
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